#映画ロケ地
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newspaper-ckm-mirai · 3 months ago
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千曲市を舞台にした映画作品の魅力とロケ地紹介
千曲市は、その美しい自然景観と歴史的な背景から、多くの映画作品の舞台として選ばれています。以下に、特に注目すべき2作品をご紹介します。 1. 透子のセカイ 概要: 吉本興業がプロデュースした地域発信型映画で、千曲市を主な舞台としています。 信州映画 あらすじ: 神社で巫女として働く透子が、村の祭りの中止を知り、一人で準備を進める中で不思議な少女と出会い、物語が展開します。 ウィキペディア ロケ地: 武水別神社: 長野県千曲市八幡3012 たけみずわけ 姨捨駅: 長野県千曲市大字八幡 棚田: 長野県千曲市八幡 戸倉上山田温泉の旅館・飲食店: 長野県千曲市上山田温泉 2. ペルセポネーの泪 概要: 信越放送創立70周年を記念して製作された作品で、千曲市を主な舞台に描かれています。 あらすじ:…
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moment-japan · 2 months ago
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1978年 赤穂城断絶
監督:深作欣二
撮影:東映(東映太秦映画村)
出演:萬屋錦之介、千葉真一、松方秀樹、若林豪、三田佳子、岡田茉莉子、西郷輝彦、渡瀬恒彦、芦田伸介、藤岡琢也、金子信夫、近藤正臣、原田美枝子、森田健作、田村亮、峰岸徹、夏樹陽子、寺田農、宮内洋、藤巻潤、福本清三、島英津夫、佐藤佑介、中村光輝、和崎俊哉、島田歌穂、橘真紀、江波杏子、三船敏郎、丹波哲郎 ほか
今日は赤穂事件のあった日なので、昨日BSで放送していた赤穂城断絶を本日鑑賞。
今年は物凄い数の忠臣蔵の映画をBSでやっているので非常に嬉しい。
製作費がいくらかかったか心配になるほど出演者が凄すぎる東映のオールスターキャストによる作品で、昭和53年度文化庁芸術祭参加作品。
浅野内匠頭役の西郷輝彦が以外にも良く似合っている。
吉良上野介役の金子信夫の独特な嫌味感も最高。
不破数右衛門役の千葉真一が面白い演出で彼の演技部分を見るだけでも価値がある。
堀部安兵衛役の峰岸徹がかっこよすぎる。
吉良の家臣・小林平八郎役の渡瀬恒彦と千葉真一との殺陣シーンが、今まで見た忠臣蔵映画の中でも尋常じゃない激しさ。
小林(渡瀬恒彦)を倒した後の不破(千葉真一)の激しい息遣いは間違いなく本物。
(本当に凄いぞ、見ていて呼吸困難になりそうだった)
「目指すは吉良上野介一人。白髪首ただひとつ」
大石内蔵助役の萬屋錦之介の���々とした演技が、現代のリーダー像にも通じる信頼感万全な風格に満ちている。
そして、この映画のロケ地は以外にも兵庫ではなく、ほぼ滋賀と京都。
二条城北大手門、二の丸御殿、本丸西虎口、彦根城、相国寺、大覚寺、金戒光明寺、永観堂、南禅寺僧堂坂、知恩院・・。
キャストだけではなく、京都のお寺もオールスター出演でした。
(京都好きの人は間違いなくニンマリ)
アスペクト比が2.35:1シネマスコープで撮影されているので、江戸城での刃傷シーンや討ち入りのシーンでは非常に迫力があります。
本作で渡瀬恒彦がキネマ旬報賞助演男優賞と第21回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。
エキストラの数、セットや衣装の出来が今まで見た忠臣蔵の中でも最高レベル。
赤穂城断絶は忠臣蔵映画の中でも間違いなく最高傑作の1本です。
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harawata44 · 7 months ago
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【画像】この山中に取り残された廃村www:暇つぶしニュース
以下転載 https://x.com/hopigon/status/1806891338509726143
山中にぽつんと残された江戸時代の街並み。 街全体が廃墟になり成長した草木に埋もれ始めていた…
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・https://x.com/hopigon/status/1806918854414905651
実は、今から30年以上前に巨額の建設費を投じて完成した時代劇のセットだ。 映画やドラマの撮影に使われたようだが、今は荒れるにまかせている。
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・https://x.com/hopigon/status/1806944205664883048
なかなか細かいところまで作り込まれてるように思う。これはこれで「廃墟化した古き日本の街並み」という設定てロケ地になりそうかも?
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・https://x.com/hopigon/status/1806993036465082663
屋根の上を越えんばかりに成長した木の高さに年月の経過を感じる。 ちらっと中を覗いてももう何も残されていなかった。
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powderylile · 1 year ago
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映画の円盤発売日~!
ロケ地に先月行ったので、その写真に絵を加筆しました
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dadnews · 11 months ago
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田中正治さん(中) 国際映画祭で最優秀作品賞 「莉の対」監督ら、ロケ地の占冠訪問 [北海道新聞] 2024-02-26
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leomacgivena · 7 months ago
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Xユーザーのkenさん:「映画「上海の女」のロケ地にて...土門拳撮影による山口淑子。山口はポーズの指示を求めたが「絶対非演出の絶対スナップ」のやり方の土門に彼女は困惑。その彼女の困った姿が良かったことから、彼はこの写真のタイトルを「キリキリ舞いの山口淑子」と名付けた(1952年)」
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ryotarox · 7 months ago
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(エクス・マキナ (2014) - Trivia - IMDbから)
トリヴィア
映画に出てくる家のロケ地は、ノルウェーのジュヴェット・ランドスケープ・ホテル Juvet Landscape Hotel in Norway ケイレブがネイサンのコンピュータの前に座り、コーディングを始めると、彼が打ち込んだコードは「エラトステネスのふるい」と呼ばれる素数を求めるアルゴリズムだった。しかし、ISBN=9780199226559を形成する素数も選ぶ。このISBNは、書籍『身体性と内的生命』のISBNである: このISBNは、人工知能の歴史について書かれた本 "Embodiment and Inner Life: Cognition and Consciousness in the Space of Possible Minds "のISBNです。 映画の序盤で、ケイレブはOrchestral Manoeuvres in the Darkの曲 "Enola Gay"(1980)を聴く。エノラ・ゲイは、第二次世界大戦末期に広島に原爆を投下するために使われた飛行機だ。その後、AI(人工知能)がどのように世界を変えるかについてネイサンと話す中で、ケイレブはJ・ロバート・オッペンハイマーが原爆の製造についてバガヴァッド・ギーターから引用した言葉(「私は死となり、世界の破壊者となる」)を披露する。 オーストリアの画家グスタフ・クリムトが描いたマーガレット・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像画がネイサンの部屋に飾られている。肖像画の対象はルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの妹で、彼のノートと講義はやがて『青い本』に綴じられた。 脚本の初期の草稿では、ネイサンはケイレブに、自分のジャクソン・ポロックの絵が本物かどうかわからないと明かしている。ネイサンは、原画を購入し、それを使って完璧なレプリカを作った後、絵の中から無作為に1枚を選んで燃やしたと述べている。 ネイサンが3台のモニターの前に座っているとき、ポスト・イットが貼られた壁の左側には、ティツィアーノが描いた有名な三重の絵画「分別の寓意」がある。ティツィアーノは1576年にペストで亡くなる直前にこの作品を描いた。絵の中の3つの頭は、人間の3つの時代を暗示している。左はティツィアーノの自画像で、過去と老年を表している。中央は息子のオラツィオで、現在と成熟を表している。右は従兄弟のマルコで、未来と青年を表している。 ネイサンが所有し、ケイレブに見せているジャクソン・ポロックの絵は1948年のNo.5だ。制作後、この絵はひどく傷つき、ポロックによって大がかりな手直しが施された。これは、映画の中でネイサンがエヴァの改良版(そして以前のAIの運命)を常に作り直していることの、さりげない伏線である。
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kennak · 4 days ago
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兵庫県知事らの疑惑を追及していた元県議の竹内英明さんが亡くなった。SNS(ネット交流サービス)上で誹謗(ひぼう)中傷を受けていた。  竹内さんに記者が最後に会ったのは、昨年7月。忍者に興味を持った長男が「お城が見たい」と言い、真っ先に顔が浮かんだのが国宝・姫路城を選挙区に抱える竹内さんだった。  県議会調査特別委員会(百条委)などの対応で多忙を極めていることは分かっていた。姫路を訪れることだけ伝えると「水くさいこと言うな!」と歓迎してくれた。竹内さんの家族と私の家族で夕食を共にした別れ際、長男に「今度は(ハリウッド映画『ラスト・サムライ』でロケ地になった書写山)円教寺を案内するわ!」と声を掛けると、見えなくなるまで手を振っていた。  竹内さんとの交流は2003年5月、初任地の姫路支局から続いている。竹内さんがその前月、29歳で姫路市議選に初当選した。私の3歳上。お互い駆け出しで青臭く「古くさい政治や行政を変えよう」と意気投合した。  ◇市職員厚遇で事実探求  竹内さんが常に口にしていたのは「市民のために」「子どもたちの未来のために」。次世代への借金を残さないよう、行財政改革をライフワークとした。竹内さんの市議会での質問に興味を抱き、私は05年1月、市職員互助会の厚遇問題を取材した。  当時、市は互助会に年間約2億3000万円を補助していた。税金を使っているにもかかわらず、市が発表する予算書には「互助会」の名や金額は一切なく、補助の事実すら分からない仕組みになっていた。  竹内さんは信頼関係を築いた市職員から、互助会の内部文書を入手。公開されている決算書や事業一覧などと突き合わせ、疑問点や矛盾を指摘し、事実を積み上げて市を追及した。市が共済費として補助金を計上していることを白日の下にさらしたが、加えて記者の取材にも通じる大切なことを私に教えてくれた。「隠されていることを暴くだけが大事なわけやない。職員が当たり前だと思ってやっている��との中に、間違っていることがたくさんある」  毎日新聞は、正規の退職金とは別に最大100万円を支給する「ヤミ退職金」など、民間からかけ離れた福利厚生事業の実態を連載記事で報じた。市民からの批判を受け、市は互助会への公費支出を4分の1に縮小。互助会は積立金のうち、約10億円を市に返還した。  ◇苦情も誇り  成果の一方、竹内さんには、有権者からの苦情がかなり寄せられた。恩恵が受けられなくなった市職員、互助会の事業縮小で旅行券や図書券などの支給が打ち切られたことにより、売り上げが減った市内の商店主からだ。  「本屋に入ると『商売あがったり!』と文句言われて本が買えんわ」という竹内さんの表情は、言葉と裏腹に明るかった。票が減る恐れがあるにもかかわらず「何も悪いことしとらん。これが地方議員の存在意義や」と誇らしげだった。  私は06年に姫路を離れ、竹内さんを直接取材する機会はなくなった。竹内さんは07年に県議に転身。県でも行財政の在り方を追及していることを報道で知り、陰ながら応援していた。  竹内さんの姿勢は21年8月に斎藤元彦知事が就任してからも変わっていない。斎藤知事に対し、竹内さんは「阪神大震災を経験した兵庫県のトップが県庁から車で20分離れた場所に住んでいることの是非」「県職員の6割を在宅勤務にする方針に対し、職員の多数が県民サービスの低下になるため反対している」などの問題意識を、県議会でぶつけてきた。職員から寄せられた声を基に、職員の意欲を保つことが県民のために何より重要という信念からだった。  いずれも、斎藤知事から前向きな答弁を引き出すことはできなかった。それでも竹内さんは、職員から「知事にはどう響いたか分かりませんが、職員には染みましたよ」とメッセージをもらったことを教えてくれ、「少しは存在意義あったかな」とはにかんでいた。  ◇「生き抜いて頑張る」  そういう竹内さんの元に、百条委設置後も県職員や県民からさまざまな情報が寄せられていた。県に関連公文書を情報公開請求し、「今いろいろ調べとる」と、裏取りに懸命だった。県民のために事実を調べ、誤りがあれば指摘して正す。駆け出し時代の理念は、当選回数を重ね、「ベテラン」といわれる立場になっても変わっていなかったのだと思う。  県議会の不信任決議を受けた斎藤知事が出直し選に臨み、SNSで県議らへの誹謗中傷が激しくなった昨年11月、竹内さんとLINE(ライン)のやりとりをした。��ましの言葉に迷っていると、「あれ、10億円市民の金に戻したよ。間違いなく俺の一���の仕事やね」と姫路市職員互助会の記事を感謝された。県では、もっと大きな行財政上の問題を指摘してきた竹内さんの「一番の仕事」はその後にたくさんあったはずだ。  知事選直後に県議を辞職した後は、しばらくそっとしておいてほしいだろうと、連絡を控えてしまった。年末、何も言わずに贈ったお歳暮に、LINEでお礼が届いた。「いずれ落ち着いたらなんとか生き抜いて頑張ります」。「生き抜く」は、ただの比喩だと思っていた。この頃かなり弱っていたと、亡くなった後に共通の知人から聞いた。  竹内さんは、今回の知事選直前まで、ほぼ毎日ブログを更新していた。1年前の23年10月6日のブログにはこう書いている。  「選挙でつらいときやその他この仕事をしてしんどいときに考えることがある。それは簡単に言えば、私がここにいることの意味があるかどうか。私がいてもいなくても何もかわらないなら私はいらない」  ◇震災が原点「子どものために」  知事選中、誹謗中傷にさらされた竹内さんは「自分の存在意義はない」と思い詰めてしまったのではないか。存在意義、ありますよ。あなた以上の地方議員がどこにいるというのでしょうか――。最後の数カ月で、この励ましの言葉を伝えられなかった私自身が、ただ悔しい。  竹内さんは、政治を志したきっかけのひとつとして、阪神大震災でのボランティア活動を挙げた。大学在学中、東京から神戸に戻って1カ月間、被災した子どもたちと一緒に遊んであげたり、話を聞いてあげたりしたという。「子どもたちの未来のために」という信念の原点になったそうだ。  竹内さんが旅立ったのは、阪神大震災の発生から30年を迎えた翌日だった。自分のことが、わずかでも追悼の祈りの妨げにならないように。私の友人の中で、一番義理堅い竹内さんは、最期まで誰かのことを気遣って、そう考えたような気がしてならない。【酒井雅浩】  ◇相談窓口 ・#いのちSOS  「生きることに疲れた」などの思いを専門の相談員が受け止め、一緒に支援策を考えます。  0120・061・338=フリーダイヤル。月・木、金曜は24時間。火・水・土・日曜は午前6時~翌午前0時 ・いのちの電話  さまざまな困難に直面し、自殺を考えている人のための相談窓口です。研修を受けたボランティアが対応します。  0570・783・556=ナビダイヤル。午前10時~午後10時。  0120・783・556=フリーダイヤル。午後4時~同9時。毎月10日は午前8時~11日午前8時、IP電話は03-6634-7830(有料)まで。 ・まもろうよ こころ(https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/soudan/sns/)  さまざまな悩みについて、LINEやチャットで相談を受けている団体を紹介する厚生労働省のサイトです。年齢や性別を問わず、自分に合った団体を探せます。 ・こころの悩みSOS(https://mainichi.jp/shakai/sos/)  悩みを抱えた当事者や支援者への情報のほか、相談機関を紹介した毎日新聞の特設ページです。
亡くなった元兵庫県議 竹内英明さんが示した「地方議員の存在意義」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
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gobangiri-news · 15 days ago
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第3回京都映画賞の作品賞を受賞!
2025年1月20日に発表されました第3回京都映画賞において『碁盤斬り』が作品賞を受賞しました!
京都映画賞「作品賞���受賞作について
令和5年10月~令和6年9月に1週間以上有料劇場公開された劇映画等の長編(概ね60分以上)作品のうち、京都が題材、舞台、撮影、ロケ地となるなど、京都に所縁のある10作品から、京都映画賞会員の投票(投票期間:令和6年10月1日~令和6年12月26 日、投票総数905票)により、最も票数を獲得した、『碁盤斬り』が受賞となりました。
京都映画賞 公式サイト
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mvrider5 · 2 months ago
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八幡山城下町
安土から移された城下町は横四通り、縦十二通りを中心に碁盤の目状に作られた。
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一番の特徴は今尚残る、琵琶湖から引かれた豊富な水を利用した八幡堀
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防御はもちろんのこと運河としても重視され廃城後も琵琶湖から直接繋がる利便さが活用された。
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今尚残る往時の面影は映画やTV等のロケ地としても人気のスポット
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風情ある運河巡りの遊覧船
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紅葉が映える���
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お堀だけじゃなくお堀の周りもいい雰囲気の街並み
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ビール🍺飲みたかった🤣
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こんなお店も
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もちろん入りました😋中はこんな感じ
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三種盛り
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こちらは瓦ミュージアム
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myonbl · 3 months ago
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2024年11月8日(金)
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我が家の同居猫・ココ、今年になってから腎機能が低下して元気がない。近頃は毎日少しずつ点滴をしているが、体重が減って足下も覚束ない。ご飯を食べた後、先日いただいた花を試しに置いてやると、すぐに反応して匂いを嗅ぎ、花びらを囓りだした。近頃では珍しい俊敏な動作、そう、薔薇の花が大好きなのだ。元気な頃はテーブルに花があると飛び乗っていたが、やはり18歳という年齢ではそうもいかない。私以上の高齢者、無理せずボチボチやっていこう。
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3時起床。
日誌書く。
二度寝。
5時30分、シャワー。
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朝食は中華そば。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
可燃ゴミ、30L*2。
ツレアイは休み、次男だけがいつものデイサービスに出かける。
年末調整の用意をする。
下京区役所まで、使用済み乾電池を処分する、結構溜まっていた。
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ポルタの無印良品で、パスタソースを購入して帰宅。
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ランチ、久しぶりに出石そばをいただく。
軽く午睡。
セントラルスクエア花屋町店で買物、ココの療養食。
買物から帰宅した彼女の年末調整を手伝う。
夕飯用に関東煮とナスの煮浸しを仕込む。
普段は次男がご飯を炊いてくれるが、今日は私が担当してかやくご飯だ。
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塩麹に漬けておいた豚ロース、やはりどうしても焦げてしまう。いつもの昆布締めに戻そう。
録画番組視聴、新日本風土記。
「そこに健さんがいた」
初回放送日:2018年11月23日 俳優・高倉健の思い出たどる北海道の旅。夕張、南富良野、網走、映画ロケ地に息づく健さんへの思い。炭鉱町の産業遺産、雄大な牧場、鉄道員、海の幸も(2018年放送) 俳優・高倉健の足跡たどる北海道の旅。夕張、南富良野、網走、別海、増毛、帯広。ロケ地の雄大な風景、そこに息づく健さんへの熱い思い。「幸福の黄色いハンカチ」の夕張には共同浴場。産業遺産ツアーやTシャツで活気を取り戻す動きも。「鉄道員」の駅で出会うジャガイモ料理。「遙かなる山の呼び声」の牧場には、知られざる文学の歴史。「網走番外地」の刑務所で育つ作物とは。健さんが立った北海道、その今昔(2018年放送)
初回放送時にも観た記憶がある。
第51話「だまされたコロンボ」/ Columbo Cries Wolfシーズン 1, エピソード 51 男性誌のオーナーで、イメージシンボルも務めるショーン・ブラントリーは、広大な敷地内に建てられた屋敷で無数のモデル達と一緒に生活していた。ある日、ブラントリーは共同経営者のダイアンから、イギリスの大実業家に株を売却し、ブラントリーを追放すると宣言される。
片付け、入���、体重は5日で950g増。
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そこそこ動いたつもりだが、ムーブが届かず。
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shimanomoyou · 1 year ago
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久々にアニメの聖地になってる神社へ行ってみたら
絵馬がめっちゃ増えてた〜
からかい上手の高木さん
去年は島で映画にドラマに撮影をあっちこっちでやってて
近所でも撮ってたし息子の学校でもロケ。
知ってる場所が出てくるとなると
なんだかワクワクしちゃうな。
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eiga-flyers · 4 months ago
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八甲田山
劇場公開日 1977年6月4日
この当時、日本映画界は低迷、迷走の時期だったのだろうと思います。そんな中公開され、大ヒットを記録したのが、この「八甲田山」。
日露戦争開戦の目前、ロシア軍との戦いには雪、寒さに対する寒地訓練が必要との命で行われた、八甲田山の死の訓練。実際に起きた事件を描くにあたって、実際に真冬の八甲田山での撮影が行われ、撮影スタッフ/出演者にとっても、日本映画史上もっとも過酷なロケと語り継がれる雪山シーンは、目を離せないリアルな状況を映し出していました。とにかく悲惨。TVでのCMで使われたセリフ「天は我々を見放した」の絶望感。でもこのセリフ、流行語になった記憶があります。
作品が評価されたのは、遭難の怖さだけでなく、軍の指揮系統における判断の責任が、企業に勤めるサラリーマンに自分ごととして受け入れられたというコメントを当時TVかラジオで聞きました。
後世に語り継ぐべき作品です。
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foucault · 1 year ago
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど���田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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yasuderland · 1 year ago
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みなさまにとって、今年はどんな一年やったんやろう。うれしいことたくさんあった?かなしいこと以上に、たのしいことやうれしいことが上回っていたなら僕もしあわせです。ちなみに僕たちは右を見て、左を見て、上を向いて、サルを喜ばせた一年でございました。今日は年内最後にひとつ、どうしてもやりたいことがありましてね。一年間の活動をまとめてみたいのよ。お仕事というのもたいせつなご縁ですから。ものすごーく長くなってしまいそうな予感がしているので、お時間とご興味のある方はぜひお付き合いくださいな。Tumblrさんがひとつの投稿に10枚までしか写真を貼り付けられないみたいやから、上半期と下半期に分けて投稿しますよ。それではげんきいっぱいにいってみよー!
1月
2023年の幕開け。いちばん最初にテレビ越しでみなさまとお会いしたのは、ダウンタウンDXさんの最強運ランキングやったね。
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わらってる。笑ってますけど、乙女座×A型の僕は41位でした。48位中の41位。僕はおしゃべりがへたっぴやからひとりでバラエティにお邪魔するのって結構珍しかったりするんやけど、まさかこんなに早く名前が呼ばれるとは思わんかったなあ。クレームではないですよ。僕がこういう風貌だからか、近くにおった後輩の橋本涼に「ビビってます」と言わせてしまったり、あのちゃんから「歯並びあまり綺麗じゃない」と言われたり。新年早々だいぶふんだりけったりでした。もちろんクレームではないよ。来年はすこしでも順位が上がっていますように。
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続きまして、映画「嘘八百〜なにわ夢の陣〜」が全国の映画館で公開に。僕の体の事情でずっと避けていた映像作品。ご迷惑をおかけしたらどうしようかと不安な気持ちもあったけれど、この作品をやり遂げたあとはまた映像のお仕事もしてみたい、と前向きになれた僕がいて。恐怖心をひとつ、やさしく解いていただきました。感謝やね。カリスマ波動アーティストの彼は今までまったく演じたことのない人間性で、思い出深い作品。只今レンタルも開始されておりますよ。年始のまったり時間のお供にいかがでしょう。
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1月の締めくくりはドームLIVE18祭。僕たちの愛する故郷、大阪でフィナーレを迎えました。楽しい時間は瞬く間に過ぎてしまうけど、18年目まで連れてきてくれてありがとう、の気持ちを余すことなくお伝えできたことがとってもしあわせ。またはやく会いたいね。
2月
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お洋服かわいいでしょ。こちらはEテレのドラマ「オリガミの魔女と博士の四角い時間」という作品。ゲストで1話分がっつりと出演させていただきましたよ。僕の役は、星空を支えるうしかい座のカウボーイ。アトラスくんです。空から逃げてしまったうしさんを呼び戻すために、オリガミの博士とかわいいうしさんをおりおり。めっちゃ難しかったなあ…。
3月
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3月は嘘八百からのご縁で、友近さんの番組にお邪魔しました。なかよしこよしなのよ。雪国でのロケは寒かったけど、大好きなお姐さんとの北海道デートやったから子供のようにはしゃいでもうた。誰と楽しむかって大事よね。上富良野町。かみふらのちょう。いいところです。
4月
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とってもかわいい妹分と、ananさんの表紙に呼んでいただきました。表紙ですって。品出しの店員さんはびっくりしたやろなあ。今までまったく知らんかったけど、ananさんは心臓の毛がぼーぼーなんやと思う。ありがたいことです。
5月
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48枚目のシングル、未完成の発売。たくさんのおともだちからも気に入っていただけたようで、ひとつひとつの感想がほんまにうれしかった。選り好みせずいろんなジャンルを歌える自分たちでいたいと思うけど、やっぱり誰かの背中を押す応援歌は、それぞれが持つパワーというものがいつも以上にきらりと輝くような気がするね。
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5月はもういっちょ。このお写真で僕が着用しているサングラス、実は自分で手掛けたものなんです。365日使いやすいルックスと使い心地に。そんな想いを込めて、GROOVERさんの手をお借りしながら無事形にすることができました。抽選販売になってしまったけれど、もっとたくさんの方の元へお届けできるように、そしてまた次に繋げられるように僕も頑張ろう。
6月
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1月に紹介した18祭の映像商品が世に出ましたね。特典映像と本編、すべてまるっと含めて13時間超え。愛するeighterさんを楽しませたい!の気持ちから、ついこんなことに。てんこもりや。もりもり。いつ見ても飽きないでいてほしいからね。さて、以上で前半戦はおしまいです。10枚までしか載せられへんから結構厳選してもうたなぁ…。後半戦へつづくぞー!
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pix-ied · 9 months ago
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24年5月3週目
やりたいことややるべきことが多すぎて、諦める日が続く。プライベートも仕事も。仕事は後者だけだけど。
最近観て良かったアジア映画『無名』と『青春18×2』の2回目を観に行く。無名は前回前半はバラバラなピースが分からず観ていたので、今回ははい、これねと確認しながら観る。しかし相変わらず、日本語の会話が聞き取れない。字幕をつけてくれーと思った。そして時間軸のいじり方ややたら大きな音は絶対ノーラン好きだろと思ったけど、解説等を読む限りは、タランティーノに影響を受けているよう。『青春18×2』は改めて良かった…なんていうか今更日本の限りなくティーンに近い恋愛映画が好きなんて恥ずかしくて言えないと思ったけど、私が強く惹かれているのはひとり旅を通して再生する物語なんだと気づいた。これは私にとって、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』と同ジャンルの物語なんだ。そして、その旅が物語の中で言われているようにそれまでの人生を確かめる旅として見られるようにうまく練られているなと思った。昔や最近父からかけられた言葉が旅先で出会う人から引き出され、その出会った人からまた別のエピソードに繋がり、好きだった人との思い出をなぞる。ランタンをあげるイベントは日本では20年前にはやってない(と思われる)から、現在ならではのリンクだし、自分がちょうどジミーと同い年であることも含めてなんか本当に全部奇跡的にに感じてしまう映画だった。より長い旅のため、一休みしたいと思ったし、ゴールのない旅に出てみたい。良い意味ですごく日台折衷な映画だった。すごく久しぶりに映画パンフレットを買ってしまった。ロケ地が載ってたので、久しぶりに観光目的の旅がしたいなと思った。今年は雪冬の只見流行るんじゃない?と密かに思っているがどうだろうか。夏に鈍行で行こうかと思って調べたら8時間かかり、そもそも1日3本くらいしか電車が走ってないのでちょっとハ��ドル高い。まぁ、それもまた良いかもしれない。高崎でパスタを食べたりして。話が逸れたけど、台湾の人とこの映画の感想を話してみたい。
ずっと読んでた『春の雪』も読み終わった。安易に心中か?と思っていたので、ちょっと違ってよかった。輪廻転生の物語とのことで、残りの3作もいつか読めるかな。解説をちらっと観る限り友人の本田がずっと出てくるのかな。
来週初めての読書会なのに読み終えていないし、何も考えていない。
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