#旧暦のある暮らし
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2023年7月7日(金)
今日は<七夕>、旧暦では皐月20日なのでまだまだ先のこと・・・、などと野暮はことは言わないでおこう。GoogleDoodleをクリックすると、Wikipeiaの解説とともに可愛い画像が表示される。職場(私立女子大学)では今週が<たなばたまつり>、学生たちが笹に短冊を飾り付け、昼休みにはサークルの演奏が行われる。2限の授業を終えた後、掲示板のポスターを撮影してすぐに自室に戻る。別に悪いことしているわけではないけれど、教室以外で学生と喋るのは苦手なのだ。
4時30分起床。
日誌書く。
5時30分にアラームを止めて、シャワーを浴びる。
奥川ファームの蕎麦がなくなったので、朝食には大分以前に送っていただいて冷凍していたパンを頂く。まだ初期のころの作品、無骨な外見の写真を撮っておけば良かった。
洗濯。
弁当*3。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
順調に到着する。
今日の授業で使う資料を用意する。
非常勤講師のO姉が iPhone を忘れてきたとのこと。<探す>アプリの使い方を教え、自宅にあることを確認する。
金曜日2限・3限は<スタディスキルズ>13週目、O姉のクラスも一緒に合同発表会、各10分間の発表を聞き、終わってから評価シートに記入する。2限は4組、3限は都合で3組となった。内容はともかくも、この授業の流れで言えば前期に必要なスキル習得が一通り終わったことになる。
昼休み、1人の学生が卓球の試合のために来週のエクセルの試験が受けられないと相談に来る。別途対応するから心配しなくても良いと答えたのだが、木曜日のクラスの学生と(ほぼ)双子であろうことを確信した。
いつも通り、九条大宮でO姉を降ろしてから帰宅。
まずは、玉ねぎをスライス、タマゴ��半熟に茹でる。
セントラルスクエア西七条店まで買い物、猫砂・牛こま・糸コンニャク・レタス・キュウリ。
蒸し暑くて汗びっしょり、すべて着替える。
玉ねぎを酢に、半熟タマゴをポン酢に漬ける。
キュウリのしょうゆ漬けを仕込む。
夕飯はすき焼き風煮物・半熟酢タマゴ・キュウリのしょうゆ漬け・トマトとレタス。ツレアイも間に合って、4人揃っての食事を楽しむ。
片付け、入浴、体重は3日前から150g減。
タマネギの酢漬け、もう一瓶を仕込む。
夕方買い物に出たのでなんとか3つのリング完成、水分は1,880ml。
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時間が経ってしまいましたが、私が関わるお野菜チーム @enyasai "えんやさいの餅つき大会"にお越しくださった皆様❣️誠にありがとうございました☺️🥰 いつも大変お世話になっている岡上の名店"寡黙堂"さんに場所をお借りして、師匠の三澤さんの育てた餅米を使用した玄米餅は格別に美味しく、お餅が好きじゃないと言っていたお子様も食べてくださり、とっても嬉しかったです(●´ω`●) 旧正月を過ぎて、立春を迎え暦の上では春になります🌸 昨年は、漢字一文字で表すと変化の『変』でした。 数秘術で自分の運勢を観ると、今年は9年周期の最初のスタートの年になります。 そして3月末には新しい命とともに、また私も生まれ変わるのだろうなと思います🪐 新たな氣持ちで畑や竹林と向き合いながら、四季を感じて魔女🧙♀️を目指し丁寧な暮らしを心掛けたいです٩( 'ω' )و 引き続き、よろしくお願いいたします(^ω^)✨ #えんやさい #岡上 #神奈川県 #自然食品 #発酵 #麻生区 #腸活 #川崎市 #農業 #お野菜宅配 #宅配日 #vegetables #えん農 #行商 #風土円満 #野菜 #お野菜 #健体康心 #健康 #農幸集樂 #炭素循環農法 #たんじゅん農法 #自然栽培 #たんじゅん元氣 #旧正月 #餅つき大会 #玄米餅 #旧暦 #お餅 #立春 (Okagami, Asao-ku) https://www.instagram.com/p/CoUcezIyLaH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#えんやさい#岡上#神奈川県#自然食品#発酵#麻生区#腸活#川崎市#農業#お野菜宅配#宅配日#vegetables#えん農#行商#風土円満#野菜#お野菜#健体康心#健康#農幸集樂#炭素循環農法#たんじゅん農法#自然栽培#たんじゅん元氣#旧正月#餅つき大会#玄米餅#旧暦#お餅#立春
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[新規取り扱い]暦のある暮らし [商品No.734] IC-705H
暦のある暮らし [商品No.734] IC-705H 暦のある暮らしは季節の移ろいや動植物の様子を短い言葉で表現した七十二候。伝統模様と友にあなたの暮らしに和の彩りを。 二十四節気、七十二候、旧暦、月例記号を表記。
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
初出は『ホトトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (西山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の紀行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流す方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
「思ひ」��、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘は髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃え上がらせて鬼の姿に変じたという。
虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園を舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発行所」と注記。
この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
ここまで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
焼芋がこぼれて田舎源氏かな
昭和八年の作なので、標題句から��まれた時期も遠くない。『喜寿艶』の自解はこうである。
炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎役者の似顔絵となっていた。
「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。��人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。 そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃
西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で死んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は「花」の句の側面を持つことになる。
ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠を一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の句と言えるだろう。
逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言
国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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美味しい旅~その36
先月の話になってしまうのですが、東京に就職が決まった次女の引っ越しの手伝いに行き、長女も合流。いろいろな手続きのために次女が出かけている間、長女と散策に。
そこでとても可愛いカフェを見つけました。玉川学園前駅近くの『うぃすかあ』というお店。
中に入ると、たくさんの雛飾り。
もうお雛様は過ぎていたのですが、常連さんがお孫さんに見せてあげたいというので旧暦のひな祭りまで飾っておく、とのこと。そういうところがたまらなくいいなあ、と思いました。
近くに住む万華鏡作家さんの作品も置いてあって、自由に見ることができるようになっていました。
万華鏡の世界、不思議で神秘的でとても綺麗でした。
注文したものはこちら。私はアップルパイ。
長女はババロア。
味見をしあって・・・どちらも美味しかった!
私が一番感動したのは紅茶を漆塗りの茶わんで出していただいたこと。
漆塗りの茶わんで紅茶をいただいたのは初のこと。紅茶がまろやかに感じられ、同時に「私は日本人のDNAを持っているんだなあ」と手に感じられる温もりや口触りが心にまで沁みわたっていくのを感じ、感動しました。
近所のお馴染みさんとお店の方の会話も、日ごろからいろいろな話をしているのだな、と感じられるもので、そういう全てが楽しく、次女がこの町で暮らしていくことへの希望を感じました。
いろんな意味で、忘れられない「美味しい旅」となりました。
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ベトナム寺院 大恩寺旧正月参拝
2月10日(土)
今日は風もなく暖かい陽気に恵まれ
多くのベトナム人さんたちがお正月をお祝いしております。
日本伝統文化の餅つきを日越交流として行いました。
お手伝いの小学生たちも餅つきを体験です。
小学生には配布物をベトナムの皆様にお手伝いしてもらいます。
お正月に食べる「バインチュン」
もち米に緑豆やぶた肉などを加えてゾンという葉で包み、
長い時間をかけて 蒸む し上げた四角いちまきで日持ちがします。
ベトナムでは旧正月のことを“テト(Tết)”と呼びます。
中国の春節と同様に、ベトナムでは旧暦で新年をお祝いします。
本堂前の会場ではベトナム歌手の方々がステージを披露してくれてます。
大恩寺タムチー和尚様、ガードナー社、アプロン社両矢澤社長様と本堂で記念撮影。
世界平和や新年の抱負、家内安全を祈って三連休の初日です。
分散しているとは思いますけれども、500人以上は参拝されておりました。
皆真剣に読経している様子に言葉が分からなくとも気持ちが伝わって参ります。
お連れしたベトナム人さんたちも故郷の習慣や言語に日本で触れて懐かしい思いをされたと思います。
「日本を選んできてくれた人たちに、ここにきて良かったなと思ってもらえたら」
もし、私たちが外国へ移住したらどのような気持ちになるでしょうか?
家族と離れ、慣れない環境で暮らすとき、周囲とコミュニケーションが取れず、うまく友達が作れないとき。
不安に思ったり、困ったりすることは皆同じ。
困ったときに声をかけてもらう嬉しさもみんな同じです。
言葉や文化の「ちがい」を越えて共に生きる社会を育むには、
お互いを理解しようとする想像力と��造力、
一歩を踏み出す優しい言葉と無限の可能性を秘める心に気づくことが大切です。
今日は小学生と共に楽しく国際交流が出来ました。
タムチー和尚様はじめ大恩寺スタッフの皆様、
日本人スタッフの皆様、
ガードナー社矢澤様、
アプロン社矢澤様、
社員の皆様、
小学生保護者様のご理解とご協力ありがとうございました。
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神と富、どちらが主人?
主を愛する者たちよ、 悪を憎め。���篇97:10
あなたがたは 神と富とに仕えることはできない。マタイ6:24
ルカ22:14~20 マタイ7:24~29(通読箇所) (ローズンゲン『日々の聖句』7/28;金)
―――― α&ω ――――
聖書が啓示している神、天の神、【主】、 「『わたしはある(I am)』という者」と 名乗られる方(出エジプト3:14)。
この方を愛する者、 この方の御思いが成ることを願う者は、 悪、この方と対立、対抗して、 自分の善悪の判断をこの方の善悪の判断よりも優先する 生き方を憎むのですね。
なぜなら、それが、すべての悪の根源なのですから。
ですからイエスは言われます。 「だれも二人の主人に仕えることはできません。 一方を憎んで他方を愛することになるか、 一方を重んじて他方を軽んじることになります。 あなたがたは神と富とに仕えることはできません」と。
イエスが十字架刑での処刑を受けられたのは、 過越しの祭りのときなのですね。
そして、過ぎ越しの祭りで、大祭司がエルサレム神殿で 羊を屠(ほふ)るその時刻にイエスは息を引き取られて。
過越しの祭りは、 昔、モーセの時代(紀元前1500年頃)、 エジプトで奴隷であったイスラエルの民が エジプトを脱出しようとする時、 これを阻止するエジプトの王ファラオは、 神がモーセを通して九つの災害をもってエジプトを打っても、 なお、心を頑(かたく)なにし、 イスラエルの民を去らせようとはしませんでした。
そして、モーセに、 「私のところから出て行け。 私の顔を二度と見ないように気をつけろ。 おまえが私の顔を見たら、 その日、おまえは死ななければならない」と 最後通告を言い渡しました。
それで神である【主】は、エジプト中の長子、 王の長子から奴隷の長子、家畜の初子に至るまでを 打たれ、死ぬことを言い渡されました。
そして神は命じて言われました。 「その月(旧暦)の10日に、 家族ごとに、傷のない一歳の羊を取り分け、 14日まで、それをよく見守り、 14日の夕暮れにそれを屠(ほふ)る。 そして、その血を取り、羊を食べる家々の 二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。
そして、その夜、その肉を食べる。 それを火で焼いて、 種なしパン��苦菜を添えて食べなければならない。
その夜、わたしはエジプトの地を行き巡り、 人から家畜に至るまで、 エジプトの地のすべての長子を打ち、 また、エジプトのすべての神々にさばきを下す。 わたしは主である。
その血は、あなたがたのいる家の上で、 あなたがたのためにしるしとなる。 わたしはその血を見て、あなたのところを過ぎこす。 わたしがエジプトの地を打つとき、 滅ぼす者のわざわいは、 あなたがたに起こることはない。」(出エジプト10 :27~ 12: 13)
神は、イスラエルの民に、 この出エジプトの出来事を記念して、 毎年、過越しの祭りを行うよう命じられました。 イエスご在世当時、 家々で羊を屠ることはなかったのでしょうが、 その代表として、夕暮れ(午後3時頃)、 エルサレム神殿で、大祭司が羊を屠り、 それが完了するとラッパが吹き鳴らされたそうです。
イエスは、この過越しの食事を 一日前に行われたようです。
ルカは記します。
その時刻が来て、イエスは席に着かれ、 使徒たちも一緒に座った。 イエスは彼らに言われた。 「わたしは、苦しみを受ける前に、 あなたがたと一緒にこの過越しの食事をすることを、 切に願っていました。
あなたがたに言います。 過越しが神の国において成就するまで、 わたしが過越しの食事をすることは、決してありません。」
そしてイエスは杯を取り、 感謝の祈りをささげてから言われた。 「これを取り、互いの間で分けて飲みなさい。 あなたがたに言います。 今から神の国が来るときまで、 わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは 決してありません。」
それからパンを取り、 感謝の祈りをささげた後これを裂き、 ���子たちに与えて言われた。 「これは、あなたがたのために与えられる、 わたしのからだです。 わたしを覚えて、これを行いなさい。」
食事の後、杯も同じようにして言われた。 「この杯は、あなたがたのために流される、 わたしの血による、新しい契約です。」(ルカ22:14~20)
このようにして、エレミヤ書に記され、 エゼキエル書に記されている 「新しい契約」が始まったのですね。
(エレミヤ31~34) 「見よ、その時代が来る——【主】のことば——。 そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、 新しい契約を結ぶ。 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、 エジプトの地から導き出した日に、 彼らと結んだ契約のようではない。 わたしは彼らの主であったのに、 彼らは私の契約を破った——【主】のことば——。
これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約は こうである——【主】のことば——。 わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、 彼らの心にこれを書き記す。 わたしは彼らの神となり、彼らは私の民となる。 彼らはもはや、それぞれ隣人に、 あるいはそれぞれ兄弟に、 「【主】を知れ」と言って教えることはない。 彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、 わたしを知るようになるからだ。——【主】のことば——。 わたしは彼らの不義を赦し、 もはや彼らの罪(「的外れ」)を 思い起こさないからだ。」
「わたしが きよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、 あなたがたはすべての汚(けが)れからきよくなる。 あなたがたに新しい心を与え、 あなたがたのうちに新しい霊を与え���。 わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、 あなたがたに肉の心を与える。 わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、 わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを 守り行うようにする。」(エゼキエル36:25~27)
イエスは言われます。 「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、 それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた 賢い人にたとえることができます。 雨が降って洪水が押し寄せ、 風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。 岩の上に土台が据えられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いて、 それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた 愚かな人にたとえることができます。 雨が降って洪水が押し寄せ、 風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。 しかもその倒れ方はひどいものでした。」
イエスがこれらのことばを語り終えられると、 群衆はその教えに驚いた。 イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、 権威ある者として教えられたからである。(マタイ7:24~29)
イエスのことばを聞いてそのとおりを、 自分の力でやっていこうとする生き方は、 シナイ山以来の「古い契約」の生き方であり、 神を愛し、神と思いを一つにしていく生き方ではなく、 神の向こうを張って 自分の誇り、自分の誉れを求めていく生き方。
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になっている 〔生まれたときからの私〕の善悪の判断を土台として 人生という家を建てている人、ということなのでしょうね。
この〔生まれたときからの私〕という私の霊から出て来た 善悪の判断は、 イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて 「死んだ者」から出て来た思いであることを認めて、 イエスの前に差し出しながら、 イエスを通して来てくださる 「わたしの霊」と言われる【聖である霊】と呼ばれる方が 心に置いてくださる【父である神】の思いによって生きる 「新しい契約」の生き方が、 「神の御思い」という岩盤を土台として 人生という家を建てる生き方なのでしょうね。 私たちも、この方を待ち望んで。
今日も。
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内線」 第3章「一八七三年のアポリア」1~3
理不尽なやり方で幕府を倒した新政府は、急いで自分たちの正統性を証明しなくてはならなかった。
そんな新政府内で、分裂が起こる。
きっかけは……
◆ 岩倉欧米使節団の12カ国視察
明治4(1871)年11月~岩倉具視・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文ら、新政府の主要メンバーが、ごっそり、しかも1年10ヵ月も欧米諸国を視察巡回。
この旅で使節団は合点する
欧米と自分たちの力の差のあまりの大きさ
国際法である「万国公法」は弱者を助ける法ではない、日本と同じ新興国、プロシア(ビスマルク)のゴリゴリのやり方に、希望がありそうだ
国家をまとめるには宗教の力が大きい。キリスト教はあらゆる考えの基本。これに相当するものを、日本にも根を張らせなければ! → 天皇の利用。顕密2分法 《国民には、天皇を信仰の対象と見せる。「陛下バンザーイ」 列強とエリートには、イギリスのような「立��君主制」として天皇制を据える
◆留守政府の奮闘と混乱の中で……西郷隆盛のチャレンジと挫折
留守を守った新政府メンバーは、 西郷隆盛・三条実美(太政大臣)・井上馨・山県有朋・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・大隈重信・大木喬任
ビシビシ厳しい態度でたくさんの仕事をした →・学制発布 ・地租改正 ・徴兵制(げっ) ・司法制度確立 ・えた非人の呼称廃止 ・仇討ち禁止 ・キリスト教禁止を廃止 ・鉄道 ・太陽暦 ・マリアルーズ号事件をうけて娼妓解放令
だが、旧武士や庶民の生活を直撃するものも多く、取り残される人々が……。このありさまに、西郷隆盛は心を痛めてゆく。
そんななか、留守政府は、朝鮮王朝ともめごとをおこす。 1873(明治6)年、朝鮮半島にあった日本の出先機関、「草梁倭館」(対馬藩が管轄)をムリヤリ廃止して、日本政府外務省が管轄する「大日本公館」にしてしまう。
↓ 一方的なやり方に、朝鮮政府は反発 ↓
板垣退助たちは「そんならペリーみたく、軍隊つきの使節を派遣して脅しちゃおうぜ!」 ↓ 西郷「そりゃいけん!」 板垣と三条実美たちを説得。
西郷の考え: 「日本はアジア諸国と連携して近代化をとげ、欧米列強に対峙すべし」
「欧米は、文明国と言いながら、小国に対しては野獣のような振る舞いだ! こんなやり方をまねしてはいけん!」
(えーそうだったの!?)
↓
朝鮮には、軍隊も軍艦も率いずに、西郷が丸腰で交渉にでむく(西郷丸腰派遣)ことに決まる ↓ 帰国していた大久保・岩倉は、西郷に押し切られて了解するが……若い天皇に手を回したりして、西郷の派遣をやめさせてしまう。 ↓
西郷、ゼツボーして政府を去る (えーっ、ちょっとまってよ、やめないで無責任でしょ~~! 朝鮮はどうなるの!! 江華島事件止めてほしかった!! ……でも西郷さん一人では無理か……)
◆在野で考えた人たち
明治六年に、政府と在野の知識人たちが結成した明六社のチャレンジが紹介される。
森有礼、福沢諭吉、加藤弘之、津田真道、西周、中村正直ら
身分や序列による「命令!」ではなく、 すべての者が対等な立場で、 反対意見を尊重し、意見を交換することで妥協点を見いだし、 混乱を切り開いてゆくやり方を築こうと。
累計156もの論文が掲載され、毎号平均3200部(す、すごい!)も売れたが……
早くも2年後には、大久保政権の打ち出した、言論の自由を弾圧する法「讒謗律」「新聞紙条例」をめぐって、意見が対立 (「学問は政治に口出しすべきでない」という森と「知識をひろめようという人間が政治のことに関わるな、というのは無理な話だ」という福沢と)。解散してしまう。明治8年11月14日。
この10日後、森有礼は、政府の役人として江華島事件(やっちまったか~!)の処理のため、朝鮮へ。
◆福沢諭吉『文明論之概略』(明治八年八月刊)
明六社は短命だったが、その試みの可能性は、福沢の著『文明論之概略』に盛り込まれているそうだ。
いま、混乱の根にあるのは、
《立国の目標としての“文明とは何か”をめぐる信念の対立である》。p163
では、文明とは……
《文明とは、信念の対立を武力によらない仕方で受け止める精神(人民の気風と化した知徳)のことであり、かつそのような精神の発達過程のことである。》p163-4
だったら、と福沢はいう。
今の欧米のやり方は、すぐに戦争で片をつけようとする。 こんな彼らはいつまでも「文明」のトップではいないだろう。
人間が殺し合いになだれ込んでしまうのは、
難題に立ち向かう耐性の欠如ゆえ。
《時代の転換期を生きる人間が、その生き方のうちにアポリアを抱え込まざるをえなくなるという経験は、一つの僥倖でありうる》 という考えを、福沢はこの本の「緒言」で述べているそうだ。
これは、著者の求めるところであるかもしれない。 「何が正しいか」を探ろうとしているのでなく、いろいろな正義が湧き上がるとき、どのようにまとまって暮らしやすい社会を作るか、と。
これはハッだな。
◆メタフィジカルクラブ
ちょうど明六社ができたころ、 アメリカでは8人のエリート青年が「メタフィジカルクラブ」というのを結成。
意見の対立から悲惨な南北戦争を起こしたことへの反省、知識人としてそれを止められなかった上の世代への皮肉から、意見の対立を乗り越える知恵を探求。「プラグマティズム」を提唱した���
プラグマティズムとは……
《異なる信念をもつ者同士が衝突しつつ、そのいっぽうで妥協の道を探る道を探る思考法》p162
《いかなる信念の意味もそれを行動に移した際の帰結を思い描くことで明らかにしうるという考え方》p163
高校の倫社の授業の「プラグマティズム」のところで、とてもドキドキして、心が晴れるようだった、のを思い出した。
著者にはルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ 米国100年の精神史』みすず書房、という共訳書もある。おもしろそう。
◆印象
西郷の思想に、そうだったのか!!
朝鮮を侵略するために、鉄砲弾になりに行こうとしたのかと思っていた。
他の著者が書いたなら「また~。西郷さん人気だからな、いいもんキャラにしてるんでしょ」と思ったと思うが、ちゃんと史料をたどって、西郷の思いの軌跡を辿っているので説得される。
あと、三条実美ってどういう人だったのだろう。
この本を読むまでの理解では、
“朝鮮を攻めたがる西郷たちと、戦争を始めないために西郷にストップを書けた大久保の板挟みになって、発狂した……なんて気の毒な、と思い、しかし、「これはもう手に追えない」と判断して発狂を演じたのかな、したたかかだね!と思ったりした。
この章もまた、1行ごとに発見でたいへんでした。
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maka shop オープンしています。 今週はイレギュラーな営業日、時間になります。ご注意ください🙏 20日月曜日、24日金曜日のみ通常営業。 (10時〜16時) 21日火曜日臨時休業。 23日木曜日13時30分〜16時営業。 23日は午前中、気功協会の新春講座に参加してきます。 年齢、性別関係なくすべての人に 広く深く届いてほしい内容の講座です。 以下、気功協会のホームページより抜粋します。 響きがあったらぜひ一緒に。 オンライン講座なので世界一斉配信ですよ〜 安心の中でどなたでも参加できます🌍 私自身は40半ばになり、性の役割が変わろうとしている時にきたなぁと感じています。 "この先を健やかに望むように明るく生きていくために"講座を受けます〜🐛 ⚪︎ ⚪︎ ⚪︎ ⚪︎ ⚪︎ ⚪︎ 性の自然性に気づく 〜受講のススメ〜 担任 天野泰司 2023年は、おそらく特別な春になります。 感染症対策という名目で、ここ数年 私たちの移動や活動、日常の呼吸までもがずっと抑制されてきましたが、 いよいよ心身の自由を取り戻し、新しい気持ちで自ら活発に、自由自在に動き出すタイミングがやってくるはずです。 「からだの春 生命の気功」を、 ちょうどこの大きな時代のタイトルの「春」には、大きく二つの意味が重なっています。 「性の働き」と、「旧暦の春」の季節、 2〜4月です。 性は、とても身近なもの。私たちの健康や暮らしに直結し、目に見えないところで本当によく働いています。 ぱっと心がときめく、 夢中になって集中する、 自分から何かをする、 好きなものを集める、 誰かを好きになる、 生命を宿し、産み、育む、 相手を思いやる、感動する、幸せを感じる などなど…。 こうしたことはすべて「性の働き」。 現れる形は違っても、根は同質です。 このように、自然な形で性が働いていると、 慈愛に満ち、活発で明るい、幸せな世界が目の前に展開していきます。 ところが、現実は必ずしもそうではありません。純粋な性の働きにブレーキがかかると、大きなエネルギーが出口を失って圧縮され、思いもよらない形になって噴出し、暴走するからです。 無意味な争いや対立、暴力や葛藤、破壊的な衝動、自傷や自閉���いじめ、ねたみ、うらみ、 言い過ぎ、食べ過ぎ、考え過ぎ、頑張りすぎなど様々なやり過ぎ、 そして慢性的な病や不調の大部分までもが 抑圧された性エネルギーが転化したものだったりするのです。〜続く ⚪︎⚪︎⚪︎ 続きは気功協会のホームページへ🌿 @kikousanpo #makaherb #makashop https://www.instagram.com/p/Co3b9imPkR8/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2/14まで、チョコレートくじしてるんですが
2/3の今日だけ、節分豆くじです♡
皆さん、豆まきしますか?
うちは外に向けて、鬼はー外👹
皆んなの口めがけて、福はー内🫘
もちろん恵方巻きも、丸かぶりします。
ハレのキャッチコピーは〝季節を彩る雑貨〟。
四季折々の、素敵なモノ。
季節を感じながら過ごすコト。
そんなコトを大切に。
【節分】
節分とは、「鬼を追い払って新年を迎える、立春の前日の行事」です。
立春の前日ですが、立春の日付は年により異なるため2月3日とは限りません。
二十四節気において立春は新年の始まりで、節分は大みそか的な日。
旧暦の大みそかとも日付が近く(時に重なることもありました)、江戸時代までは同じように一年の締めくくりの日でした。
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【Flower diary♡˚✧₊⁎ひいらぎいわし⁎⁺˳✧༚】 お疲れさまー☺︎ ・ ・ えにわ市民プラザ・アイル 2023年スタートの講座でした♪ ・ ・ 昨夜から けっこうな雪が降り積もりました… ・ ・ 北海道だからねって感じしかない ・ ・ ・ 立春の前日!#節分 に向けて 『#柊鰯 ひいらぎいわし』ならぬ … #魔除け #厄除け 『仏陀ナッツのアレンジメント作り』 ・ ・ ・ ひいらぎに ・ ・ ・ ソラフラワーの梅 梅は 春一番に開花する植物の一つ ・ ・ ・ ・ ・ スタートから満席御礼 ・ ・ ・ 手をつけれなかった サンプル分の 材料もご購入された方がいて♪ ・ ・ 本当に ありがとうございました♡ ・ ・ ・ 季節を表す #二十四節気 以外の雑節 節分 ・ ・ 昔は季節の変わり目に病気や災害が起こるとされていたため 旧暦の大晦日である 2月3日にさまざまな邪気払いがおこなわれていたそうです ・ ・ ・ 豆まきには 病気や災害に見立てた鬼を退治することで 邪気を追い払うという意味が込められてます ・ ・ ・ 次の二十四節気 #雨水 (うすい)の前日 2月18日土曜日 10:30〜 ・ ・ ・ 雛人形を飾る時期 ギリギリ!! ではありますが ・ ・ ・ 『ひな祭りのリース作り』開催させていただきます☺︎ ・ ・ ・ ・ 告知前ですが ありがたいことに 残席1名様となっております!! ・ ・ ・ ・ 2023年も 『♡thanks a million♡』でのスタート * * * * * 『いのちとこころの花育®︎』は 花で『いのちとこころを考える機会』を創出するという要素が花育に含まれていることが特徴です *・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・* #花で元気プロジェクト #北海道 #恵庭市 #千歳市 #amber琥珀 #いのちとこころの花育®︎ 講師 #花のある暮らし #haru花育講師 #ハーバリウムスペシャルインストラクター #nfdフラワーデザイナー #切り花 #お花好きさんと繋がりたい #flowers #flower #flowerstagrm #田舎暮らし #花の写真 ・ ・ 『#花育教室 』 『#sakutoco 』さんと ・ 『#えにわ市民プラザアイル』 恵庭市本町110番地 TEL0123-39-3355 ・ 『リフォームcafe SUMAI』さんで開催 親子参加歓迎 ・ ・ #プライベートレッスン など お問い合わせはお気軽に♡ @kimico.y ・ #kamagawa✈︎#hokkaido (えにわ市民プラザ アイル) https://www.instagram.com/p/CnqmEYVrpwG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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R40521小満 卯月二十一日 赤口 甲戌(きのえいぬ) 🧘 World Meditation Day 🧘 🧘季節の覚書🧘 本日は#二十四節気 の#小満 #さつき 咲く。 祖師谷の年配の友人に届け物をしたら、庭で取れた甘夏とそれでこさえた甘さ控えめのお上品なジャムを戴きました。 感謝🙏💕 偶然座るだけで世界と繋がれる日 🧘 #国際瞑想デー と土曜坐禅会が重なったのでは二柱座る🧘新規参禅者も多かった。 #家庭菜園 #ガーデニング #バルコニー菜園 #gardening #gardener #旧暦 #旧暦のある暮らし #二十四節気 #雑節 #坐禅会 #成城山耕運寺 (曹洞宗 耕雲寺) https://www.instagram.com/p/Cd2Uh92BU0R/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Japanese Mythology & Deities
The world of the Divine Spirit, the Gods in our lives (2)
The Thirty Gurdians
The thirty gods who are supposed to guard this world in turns every day for thirty days a month are called the Thirty Guardians. (The Gregorian calendar, with its 31st day, was adopted in Japan in 1872, at the beginning of the Meiji era (1868-1912), before which the lunar calendar had consisted of 29 or 30 days per month).
Based on the Shinto-Buddhist syncretism of honjisuijaku-setsu (a unique Japanese religious belief system that combines Shinto gods with Buddhism introduced from the continent), a specific deity protects the land and the royal castle every day in turn, and arose in the mid-Heian period (794-1185).
It is said that Saicho (Degkyo Daishi) first enshrined it on Mt. Hiei, and it became a popular worship in the Kamakura period ( 1185-1333). It was first practised by the Tendai sect (Sanno Shinto), and later mainly by the Nichiren sect (Hokke Shinto).
In the Muromachi period (1336-1573), one of the activists of Shintoism attempted a Shintoistic reinterpretation of the thirty guardian deities from the standpoint of the only Shintoism. Later, in the late Edo period (1603-1868), the thirty guardian deities theory was thoroughly criticised by a scholar of Japanese classics as a ridiculous theory created by the Tendai and Nichiren sects.
In the Meiji period (1868-1912), the separation of the Shinto and Buddhist faiths led to a ban on the worship of the thirty guardian deities.
Although there are slight variations in the names of the deities and the schedule, the thirty guardian deities were supposed to be in charge from the 1st to the 30th, with the following deities taking their turn:
日本神話と神様たち
神霊の世界・暮らしの中の神々 (2)
三十番神
月に三十日を毎日交代でこの世を守護するとされる三十人の神々を三十番神という。(日本で31日目が存在するグレゴリオ暦が採用されたのは1872年、明治時代初期のことで、それ以前の旧暦は1ヶ月の日数は29日か30日であった)。
神仏習合(しんぶつしゅうごう)の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ:神道の神々と大陸から伝来した仏教を融合させた日本独自の宗教信仰法)に基づき、特定の神が国土や王城を毎日順番に守るというもので、平安時代中期に生じた。
最澄(さいちょう:伝教大師)が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになった。当初は天台宗(山王神道)で行われ���のちにはおもに日蓮宗(法華神道)で信仰された。
室町時代に神道の喝道者の一人が唯一神道の立場から三十番神の神道的な焼き直しをはかり、その後、江戸時代後期に国学者により三十番神説は、天台宗と日蓮宗が造作した荒唐無稽(こうとうむけい)なものとして徹底的に批判された。明治時代の神仏分離令で三十番信仰は禁止となったこともある。
神名や次第に多少の異同はあるが、三十番神は1日から30日までを次の神が順番に担当することになっていた:
#thirty guardians#japanese mythology#legend#folklore#mythology#Shinto-Buddhist syncretism#history of Japanese religion#divine spirits#japanese deities#nature#art#Japan
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招待席
撰集3月号巻頭
巻頭の言葉
松雪 耿子
巻頭の言葉
松雪 耿子
冬霧の宮殿へつく夜会服 炉火たかく聖シルヴェストロ楽やまず 城壁を鐘楼を染め冬花火
長年暮らしたイタリアでは大晦日( 聖シルヴェストロ) の夜になると友人たちとイルミネーション輝く街へと繰り出します。古城や貴族の旧邸やホテルのレストランなど、あちこちで華やかな夜会が開かれるのです。 夜霧に包まれる頃、盛装した人々が会場へ到着し始めます。夜会の内容は正餐とバッロ(舞踏会)。バッロとはいえ楽団がワルツなどの優雅な音楽を奏でるのは束の間で、すぐにディスコ状態になります。そしてカウント・ダウンの花火とキスの後もダンスは続き、元旦まで踊り明かします。 二日にはそんなお祭り騒ぎはまるで夢だったかのように静かな日常が戻り、その後顕現節、謝肉祭、四旬節、復活祭とイタリアの暦は春へと進んで行くのです。 なんとなくですが、海外詠は自重した方がよいのかもと思っていましたので、このたび巻頭をいただいたのは望外の喜びでした。 ありかとうございました。
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2022年1月6日(木)
今年初めての出勤、道中は雪が降ったり止んだり。木曜日は1限から授業が入っているが、3男の送迎があるために学生たちには<9時30分スタート>でお願いしている。2限を終え、ランチを済ませ、明日の用意をして14時30分退出、3男を迎えに行く。帰宅してすぐに京都南病院へ、16時30分にMRIの予約を入れているのだが30分遅れでスタート、所要時間30分。戻ってから夕飯を用意してほっと一息・・・。いやぁ、寒さを感じる暇が無いほどドタバタの一日、今になって気づいたのだが、出勤すると<午睡>ができないのであった。トホホ・・・。
4時45分起床。
日誌書く。
ネギタマ煮麺+ヨーグルト+豆乳。
2男はオフ、3人分の弁当を用意する。3男の送迎があるので、ツレアイは自転車通勤となる。
プラゴミ、45L*1。
3男と一緒に8時5分出発、ポリテクセンター京都に着いたのが8時45分、名神大山崎から吹田、職場に着いたのが9時25分。
1限は「人権論」、前日にメールで連絡済みなので9時30分スタート。今日のテーマは「雇用の場でのハラスメント」、例によって大阪府人権啓発パンフで概要を確認し、YouTubeの映像<人権啓発ビデオ 「企業と人権 職場からつくる人権尊重社会」(2/7)【ハラスメント】>見てコメントを書いてもらう。
2限は「環境論」、例年年明け最初の授業ではテキストを離れて<正月はなぜめでたいのか>というテーマの講義をする。<数え年>の意味を説明し、<旧暦>の暮らしを展開し、落語の<時うどん>を取り上げて不定時法の解説・・・と、こんな話をしたら止まらなくなる。最後は「おめでとう」から「寒中見舞」に変わることで締め���くる。ミニレポートは、<新年の挨拶、どんなメディアでどんな方に送りましたか?>。
ランチ、弁当を美味しくいただく、🍊を忘れた。
明日の「情報社会と倫理」のレジュメ準備、Clasrromへのアップ、印刷。
ふと気づいたのだが、9時25分の入室時に暖房のスイッチを入れたが、4時間経っても室温が16℃、どないなってんねん。
14時25分退出、3男を迎えに行く。
自宅に戻ったのが15時45分、少し休憩して16時に京都南病院まで送る。私の方は、西大路花屋町・セントラルスクエアまで買物、大根・白菜・水菜・鰤。
16時50分にMRI検査室に向かったが、息子はまだ待機中、結局17時過ぎに検査スタート、30分で終了した。会計を済ませて帰宅、すぐに夕飯の用意にかかる。
息子たちには鰤の塩焼き大根おろしがけ/白菜と水菜と豚バラ肉のクタクタ煮/タマネギの味噌汁。
ツレアイは買い物して帰宅、私の好物のげそ天が安かったとのことで、それを肴に熱燗をいただく。
録画番組視聴。とっておき木曜笑タイム
▽桂二葉「子ほめ」▽桂吉の丞「代書」
初回放送日: 2022年1月6日
最注目の若手が登場!桂二葉は落語「子ほめ」▽桂吉の丞は落語「代書」▽KAMIGATA☆らくご男子のチャレンジ企画▽ご案内:南沢奈央・KAMIGATA☆らくご男子 いま最注目の若手落語家2人が登場!「NHK新人落語大賞」で優勝した桂二葉は「子ほめ」を。もう1人の桂吉の丞は「上方落語若手噺家グランプリ」の初代チャンピオンで、今回披露するのは「代書」▽新年最初の「KAMIGATA☆らくご男子」チャレンジ企画は、今年の目標を漢字一文字で表現し、その意味を「もくわら」作文で発表!どんな決意が飛び出すか!?▽ご案内:南沢奈央・KAMIGATA☆らくご男子
二葉さん、やはりアホが突き抜けている。
早めに切り上げて順番に風呂へ、22時には就寝。
細々動いて12,000歩突破、水分は1,200ml。
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わったー ぱーぱー♪
旧暦3月1日(新暦4月12日)
わったー ぱーぱーや なま ぐそーんかい ぅんめーいしが、 くぬ ぱーぱーや じこー がーじゅー ぱーぱー やいびーたん。
ななかにん めーに わんが ウサギ ぱーぱー やーんけー むっち いかびたん。
わったー ぱーぱーや どぅーちゅい っし くらちょーびーたくとぅ めーなち さっびさる ひちょーんせーはに り うむとーびーたん。
ウサギ こーいねー、 ぅんまがんちゃーが めーなち あしびんが ちゅーる はじやー り。
あんさーに、 ウサギぬ やーぐゎー そーじ しんが ぅんまがんちゃーが ぱーぱー やーんけー いくせー。 うりがる じょーとー り うむとーびーたんよー。
やーぐゎーん ゑさん むる こーてぃ いかびたしが、 わったー ぱーぱーや
「わんねー くれー しむんよー! へーくなー うぬ いきむし そーてぃ いけー!」
り、 いんせーぎーたん。
1時間あまい ぱーぱーんけー うにげーさびたしが ないびらんたん。 あぎじゃびよー!
わんねー ひーじーや 「そーいらーぅんまが」る やいびーしが、 うぬとぅき びかーのー ぱーぱーぬ くとぅ「やな はーめーぐゎーや!」 り うむいびたん。。。
うぬ あとぅから わったー やーとーてぃ ウサギぬ ちかないる くとぅ ないびたん。。。
***
私たちおばーは今あの世にいらっしゃいますが、このおばーはとても頑固なおばーでした。
七年前に私がウサギをおばーの家に持って行きました。
私たちおばーは一人で暮らしていましたから、毎日寂しくしているんではないかと思っていました。
ウサギをかったら、孫たちが毎日遊びに来るはずねーと。
それから、ウサギの小屋を掃除しに、孫たちがおばーの家に行きますよね。それが良いと思っていましたよ。
小屋も餌も全部買って行きましたけど、私たちおばーは
「私はこれはいらないよー!早くその生き物を連れて行きなさい!」
と、おっしゃいました。
1時間あまりおばーにお願いしましたけど、できませんでした。あぎじゃびよー!
私は普段は「お利口な孫」ですが、そのときだけはおばーのこと「やな はーめーぐゎーや!」と思いました。。。
その後から、私たちの家でウサギを飼うことになりました。。。
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