#心と身体の調和
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2024.02.13 | Portrait008
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「コーチング」批判 - Fetal skeletal dysplasia forum
ところが例の「自己啓発セミナー」もこのヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントの流れからでているのです.ですから「自己啓発セミナー」も「コーチング」も基本思想は同じです.それをかんたんにいうと「人間には無限の可能性がある」,「常識や身についた考えかたがじゃまをしてそれらを発揮できないだけだ」というものです. 「自己啓発セミナー」は日本においても1980年代末に爆発的に流行したのですが,高額な受講料や暴力的なセミナー,信者を使った執拗な勧誘などが大きく社会問題となり,マスコミに「人格改造」,「洗脳セミナー」などと批判され,90年代以降はだいぶ斜陽化してしまいました. 現在の日本における「コーチング」の最大手はA社ですが,その前身はB社といって,80-90年代に「自己啓発セミナー」を主に行っていた大手セミナー会社だったのは有名な話です.2000年に起きた世田谷一家殺害事件の被害者夫婦がこのB社の関係者で,事件の背景にB社内部での怨恨が当時噂されていたのを覚えています.もともとB社は80年代に自己啓発セミナーでは最大手であったC社から派生してできた会社です. 80年代末の最盛期には100以上あったという自己啓発セミナー会社でしたが,その後急速に衰退し,宗教化,カルト化するもの(たとえば成田ミイラ化遺体事件で有名な「ライフスペース」や,X-JapanのTOSHIを洗脳した「ホームオブハート」などが有名)が続発するなかで,B社の代表者は,自己啓発セミナー���ら企業内カウンセリ��グである「コーチング」の資格発行や出版にシ��トし,商売の鞍替えをして成功しました.さらに最近ではビジネスの対象を企業研修やセールスマン研修にしぼっているようです.コーチング最大手が自己啓発セミナーの会社を前身としていたのはけっして偶然ではなかったようです. もちろん上記で述べた歴史的背景などよりもだいじなのは「コーチング」の中身です.しかしその内容も心理臨床理論の俗流解釈だったり,「血液型」性格分類とどっこいどっこいの人間のタイプ分類だったりと,「コーチング」理論それ自体に独創的なものがあるかといわれれば首をかしげてしまいます.これまでの理論や方法論の折衷でしかありません. コーチングの特徴のひとつは,指示や命令をしないことです.相手にじょうずな質問をなげかけることで,相手がじぶんで気がつき,自分でこうやろうと行動をおこす,行動がかわっていくとされています.強制されてではなく自発的にするのだと相手になかば誤解させる,あるいは相手に気づかれずにコントロールする手法です. コーチングは,畢竟,あいてを操作する技術であり,一種の洗脳教育なのではないでしょうか.暴論のようにも聞こえますが,なぜなら人格のもっとも基礎となるべき部分を,「コーチング」は「スキル」によって左右できると考えるからです.ひとは他人に必要な知識を教える権利はありますが,他人のモチベーションや好悪を植えつける権利はないでしょう.すくなくともわたし自身は他人に「コーチ」されたくはないと感じます. そもそも「コーチング」は,高額な費用を出し,専門の講師を派遣してもらって学ぶほどのものなのかというのが正直なわたしの思いです.「コーチング」は現在いわゆる資格商法となっていて,「専門コーチ」も資格が細分化され,うえに行こうとするとすればさらに費用がかかるシステムになっているようです.しかし高いお金をはらってコーチングスキルを勉強しても,実生活で役にたつことはあまりないかもしれません. もちろんここで「コーチング」を批判するのは,「コーチング」がインチキだからとか効果がないからというわけではありません.条件しだいでは有効性はあるのだろうと思います.そうではなく,わたしの感じていた違和感の正体は,「コーチング」が本質的にもつ欺瞞性にたいしてだったと思います.おそらくコーチングは目の前の問題の本質をすりかえているのではないか.それは問題の真の解決ではないのではないか. このことは実は「コーチング」に限ったことではなく,自己啓発系のさまざま��発想法スキルに共通した欺瞞性です.そしてそれは本��の「カウンセリング」そのものにたいする根源的批判に通じていくのかもしれません.しかしそのあたりのことはもうすこし考えて,いずれあらためてまとめたいと思います.
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太字は引用時に強調
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PART 2!
(PART 1 は一つ前の投稿より)
Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
Airmail Specialをはさみたかった最大な理由が、
ここからの絶対的な3曲のため。
Hallelujah
タイトルだけ見ると教会にぴったりな選曲。
でも、これはレナード・コーエンのハレルヤ。
歌詞の内容を思うと、やって良いものなのだろうか、悩む。
「神様は、いるかもしれない
でも、愛から学んだのは、
自分より銃を早く抜くことが出来る人を、
どう撃つかくらいだ」
壊れたHallelujah。
でも、コーエンが言ったもう一つの名言を思い出す:
「すべてのものにヒビがある。そこから光が差し込む」
そう、私たちは壊れてる。ヒビだらけ。
でも、そこから光が差し込むのよ。
Jeff Buckleyのカバーが特に好きで、ギターが印象的。
今年ツアーでエレキを弾く機会があって、今回もと思っていたのですが、
PAさんとも相談し、結果エレアコに。
久しぶりに登場したオーストラリアのMaton。
指が攣りそう><エレキと���って、ヴァイオリンとも違った力の入れ方があり、フォークギターはと��かく毎回緊張します。
エレキヴァイオリニストの壷井彰久さん、ギターも以前弾かれてましたが、「ギターを弾くと指が硬くなってヴァイオリンに影響するからやめた」と話されて、確かに。いつかもっと弾けるようになりたいものですが、今のところ練習を控えてた楽器。
なので、パイプオルガンと並んで、1番緊張した楽曲。
筋肉痛、きっとここからも来てる。
サビでのTakanaとのハモリーがまた気持ち良い。
心の叫びのような、大好きな一曲です。
9. Andata (坂本龍一)
セトリを考える時、一番大事にしてるのは流れ・物語。
演奏者としての自分のことはその次、または無視。
なんでギターの後にまた大変なオルガンを持ってくるのか><
でも、上手くいったら、綺麗なFlowになる。
���れを信じて、突き進む。
パイプオルガンのソロ曲、バッハは冗談で言ったものの(ディズニーの「Fantasia」にも出てくるし、分かりやすいかなと。Takanaが当日初めてリハで聞いた時、ふいちゃいましたw)、可能なら挑戦してみたいと思った曲は坂本龍一氏のAndata。アルバム「Async」のバージョンが一番好きで、これをパイプオルガンで演奏できたらなんと素敵だろうと。。
ご本にの前で演奏してみたい。みたかった。
そんな教授へのRequiemでもありました。
終わったから言えますが、初めの和音を弾いた瞬間「やっちゃった。。><」
Shchedrykで消したはずのFull Organ(音色を変えるボタン)がONにな���てました。
最初は「え!何でこんなに音が大きくて音色が違うんだろうと」、左、右い、上下を次から次へと見て、
最後に赤いランプを見て「うわあ、まさかの」と。
頭の中ではこんなことを色々考えていたけど、現実ではおそらく多分2秒くらいしか絶ってなく、パニックした割には落ち着いて演奏ができました。ちょうどリピートがあったので、落ち着いてボタンを押し、2回目は想像してた音色に。
後で関係者に聞いたら、意図的だったと思う人がいるよ、とのことで、安心。
ハプニングがあったけど、今回一番集中できた演奏でした。
落ち着いたらこちらもYouTubeでシェアしたいです。
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
もちろん、この季節に欠かせないこの一曲。
ツアーではキーボードの弾き語りをしてますが、Andataからの流れを考えて、パイプオルガンに。
いつもはもっとRubato気味で演奏してますが、オルガンはオリジナルのテンポ感の方があってたので、
演奏してて新鮮でした。最近混ぜてるYMOの「Behind the Mask」もパイプオルガンの音色がハマり、
やっぱり、シンセサウンドに近いものがある!
ここで一番アレンジで苦労したのはピアノとのバランス。
当日でしか分からなかったのですが、オルガンとピアノのチューニングが違う。
あんな大きな楽器で、寒いホールなので、音が狂わないほうが不思議です。
そこでTakanaと上手くどうぶつからないか試行錯誤。
10代の時ピアノトリオで戦メリーを弾いたこともあり、自分の中ではヴァイオリンの激しい部分あってのMerry Christmas Mr. Lawrence。今回のセトリは見ての通り、殆どヴァイオリンの出番がないTTやはりできればここで演奏したい。
そんな構成もあって、楽器の配置も考えました。ヘッドピースは衣装につけられないため、電池を持ちながらヴァイオリンを拾う地味にむずい動作。
色々なアレンジ、編成で演奏して来た戦メリですが、人生でせめてもう一回、またパイプオルガンの弾き語りで表現してみたい。
遠くにいる教授へ
遠くにいる知らないあなたへ
この歌が届きますように
11. Joyful Joyful / 第九
クリスマスは喜ばしい季節。
だから一層悲しみも深く目立つ。
誰もが贅沢できる、少なくとも安心して生きられる、そんな世の中になって欲しい。
でも、現実は違う。
毎日複雑な思いで生きています。
自分自身の行動に矛盾があることにどんどん気づく日々。
今年も出させて頂いた、体にも、環境、動物に優しいクッキー。
今年のクッキーの寄付先はTABLE FOR TWO へさせて頂きます:
https://jp.tablefor2.org/
お陰様でSold Outに。
沢山お作りしたいのですが、ひとつひとつ気持ちを込めて手作りのため、数量限定での販売となっています。
皆さんのおかげで、健康的な食料が、必要とされてる子供たちに届けられます。
最高な、クリスマス・プレゼントでは?!
サポートありがとうございます😇
さあ、クリスマスは、そんな自分にも優しく、遠い誰かにも優しく!
クリスマスをお祝い��る方も、
ムーミンみたいに本来お祝いしない方も、
クリスマスは喜ばしい、Joyfulな季節だから!
クリスマス、年末年始にやっぱりこの曲でしょう。しかも今年は合唱入り!
合唱も手拍子しながらのノリノリなゴスペルで「Joyful Joyful」からの日本語で賛美歌のような「喜びの歌」。
そしてラストは声楽で「第九」。Takanaアレンジでお届け!一曲の中で人格がなん度も変わる。好き。
普段声楽を歌われない合唱がさらにドイツ語で歌われて、bravissimo!!!!
そうそう、偶々第九のワインを見つけました!いつか合唱とゆっくり飲む予定^^
Joyful Joyfulから最後までは、ほっと一息。
力が抜けてリラックス。
12. O Holy Night
聖なる夜に聖なる場所で皆さんと過ごせた幸せ。
本編最後はやはり、この一曲。
昔からもっとも好きなクリスマスソング。これ、歌っててとても気持ち良いのです。
歌詞も音符・キーも含めて、とにかく歌いやすいんですよね。発生しやすい?というのだろうか。
綺麗に音が響く、計算されて作られた一曲なのかもしれません。
こちらはウィーン少年合唱団と歌わせて頂き、レコーディングをさせて頂きました。
男の子になりたかったチビサラ。それは叶わないと思った時、せめてボーイソプラノになりたいと思った。
その時からなのか、声を真似て高音が出るようになりました。ビブラートが殆どない、ピュアな歌い方。
こちらの方が誤魔化しが効かないので難易度が高い。後半に連れて疲れてくるとビブラートに逃げたりもします。
今回はウィーン少年合唱団のアレンジをベースに、最後は「Amen」を足してみました。🙏
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
きっとアンコールがあるだろうと、お��様は思ってくれるでしょう。
でも教会だから、ここで終わりなのかなと思われたりして。。
色々考えながら、焦りながら、大移動+早着替えを。
オルガンももうないので、ロングのウェディングドレスに合わせてハイヒールに。
ヴェールも被り、慎重に急ぐ。
今度はTakanaがパイプオルガンへ。
Sarah’s AngelsのSAK.と磨裕美さんがヴェールを丁寧に持って下さり、素敵な絵になりました。
この曲は是非ともオルガンと、この時期に、こんなお衣装で歌いたかったです。
2000年以上前の今頃、お腹が大きかった聖母マリア様は大変な思いをされて旅をします。
そんな偉大な母の存在も、決して忘れたくありません。
バージンロードを歩きながらの「Ave Maria」。
静かに見守るお客様。
この歌にもっとも相応しい会場。
大好きなこのAve Maria。よくCacciniと表記されてますが、実際はもっと最近のロシアの作曲家、Vavilovの作品。
あまり知られてないので分かりにくいかもしれませんが、これからはこんな素晴らしい曲を作られたVavilovの名前で表記します。
いつもならMinor(短調)、切ない感じで終わるのですが、打ち合わせも特になかったのに、TakanaがMajor(長調)で終わり、顔を見合わせながら、「だよね!」と二人頷く。
切ないけれど、絶望的でもあるけど、ハレルヤのように希望を感じさせる、そんな気持ちにさせるクリスマス。
14. Silent Night
ここで演出として、会場と一体になりたく、「きよしこの夜」を皆さんと一緒に歌いました。
みなさんが立ち上がり、事前に作った歌詞カードを手にされ、声を一斉に。
伴奏もあっても良かったですし、合唱がハモるのもありでしたが、
ユニゾンで、同じ音で、アカペラで一緒に歌うことに、力を感じました。
シンプルに、ストレートに、心を一つに。
心の中でうるっと🥲
唯一今思うと、私も合唱もマイクを通さないで歌ったらさらに一体化しましたね。
なので、それは絶対にまたどこかで実現したい。
響き渡る皆さんの歌声。Bravi 👏
ここからさらに高いキーに転調し、Takanaのパイプオルガンのベースが鳴る。
合唱がSAK.の指揮によって入られる。
これまたエグいアレンジ(すみません)。
でもSarah’s Angelsは「こういうの好き!」と、
優しさからなのか、チャレンジ精神豊かだからか、天使の笑顔で微笑んでくれた。なんて良い人たちTT
本当に美しかったです。
15. Nessun Dorma
2023年ファイナルということもあり、音響が美しいということもあり、
「Silent Nightでも、誰も寝てはならぬ!」
本人はこの後10時間爆睡しましたけどね。
ツーランドットの女性バージョンを歌いきり、カーテンコールへ。
本当に皆様お疲れ様でした!
関係者の皆様、来られた皆様、
一生忘れない、クリスマスプレゼントをありがとうございました。
16. You Raise Me Up
本来は「Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ)」で終わるはずだった舞台。
大きく二つの理由があって、もう一曲アンコールを。
ちょうど一ヶ月前の11月21日、1/f FANCLUBの限定イベントが開催:
https://www.sarahalainn.net/
リクエスト曲ライブ。
最後、ノーマイクで歌って演奏した「You Raise Me Up」。
いつもサポートして下さってる方に最後は肉声で思いをお届けできればと。
限定ライブだったため、もう一度似たような演出を今回も。
満員のホールにもか変わらず、響く教会にビックリ。
ここだったら完全にunplugged (PA・マイクなし)のコンサートは全然あり得ますね。
そして、もう一つ。
コンサートとはいえ、教会でのクリスマスということで、
拍手とお辞儀で終わるのが、ちょっと違和感を感じました。
聖なる夜に、本当の意味のクリスマスをお届けしたい。
メッセンジャーというスタンスで。
最後は、会場に下り、バージンロードを演奏・歌いながらその場を去りました。
ディナーショーなら手を差し伸べたい気持ちは分かりますが、
教会でのマナーを意識されたお客様のおかげで、こんな演出が可能でした。
安心して楽器の演奏も。エンターテイナーとして今後も安心しながら面白い演出をしたいので、とてもありがたいです🙇♀️
サラジオのプロデューサーも来て下さって、とても嬉しい感想だったのでシェアさせて下さい:
「お客さんもあの終わりかただと満足度が極まって、アンコールの拍手も止んでしまいますね。
アンコールの拍手が出ないと言うことは、満足したと言う証明ですから、昨日はそれを実証しました。」
ここまで読まれたのですが?!
ありゃま。ワオ。お疲れ様です!
いつもこんな感じでコンサートの準備などしてます!
年末年始ということで、いつも以上に舞台裏を書けました^_^
そして終わっていつもこうなる:
「次どうしよう。。。><」
笑
今年も沢山のサポート、愛をありがとうございました🫶
Merry Christmas! Happy Holidays! Happy New Year!
Happy New/Old YOU!
良いお年を!新しい自分、今までの自分に乾杯!
#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#サラ#サラスタイル#sarah styling#pipe organ#パイプオルガン#violin#ヴァイオリン#multi instrumentalist#マルチプレイ��ー
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うまく騙されないように、人の思考のクセを知っておこう。
コミュニケーション
ブログ:安達裕哉の記事一覧
Twitter:安達裕哉(Books&Apps)
著作:頭のいい人が話す前に考えていること(ダイヤモンド社)
人には、どの人にもあ��「思考のクセ」が存在しています。
そうしたクセは、普段あまり意識されることはありませんが、「知っている」人は、それを良くも悪くも「実態を隠す技術」や「他人を操作する技術」として使うことがあります。
例えば、「アンカー効果」として知られている思考のクセがあります。
これは「予測を立てる直前に見た数字をアンカー(よりどころ)にしやすい」という傾向です。
当然これは、金儲けにも利用できます。
数年前、アイオワ州スーシティーのスーパーマーケットがキャンベル・スープのセールを行い、定価から約一〇%引きで販売した。数日間は「お一人様12個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。 すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したのである。
このように、心理に関する知識は、成果を大きく左右することもあります。
では、このような「思考のクセ」。
他にどのようなものがあるのでしょうか。
1.直感で信じたものを覆すことはほとんどない。
言い換えれば、「第一印象で決まる」。
例えば、採用面接で面接官は
「最初の数分で得た、候補者への印象を検証するために、残りの殆どの時間を使う」
と言われています。(採用ミスはこうして起きます。)
第一印象が良ければ「採用するための質問をする」
悪ければ「落とすための質問をする」のが面接官です。
逆に言えば、候補者側は「とにかく第一印象を重要にせよ」というアドバイスに従う必要があるということです。
これは「文章」にも当てはまります。
例えば、人物描写をするときに、その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決めてはいけません。
明るい 素直 けち
と書くほうが、
けち 明るい 素直
と書くよりも、良い印象となります。
2.ベストケースしか想定しない
将来予測をするとき、人は「最もうまくいくケース」しか考えません。
しかし、実験によれば、99%の確率で終わると宣言した時間で実際にタスクを終わらせる人間は45%のみです。
これは「ホフスタッターの法則」と呼ばれ、コストを過小評価し、便益を過大評価する人間の思考の癖です。
稲盛和夫は「悲観的に計画し、楽観的に実行せよ」と述べましたが、経験的にこれを知っていたのでしょう。
3.人は独自性を誇張する傾向にある
「うちは特別だからね」という話をどの会社でも聞きます。
しかし実際にそれが特別であるケースは少なく、仮に違っていたとしても、その差はわずかに過ぎないのです。
むしろ、独自性バイアスは、必要以上のコストを掛けて、自分たちの独自性を守ろうとしますから、組織に不利益をもたらします。
むしろ「独自性を誇張しない人のほうが独自性がある」と認識すべきです。
4.物語VSデータは、物語が勝つ
人は物語が大好きなので、プレゼンテーション資料も、報告書も、物語性のあるものが好まれます。
これだけなら良いのですが、物語のできが良すぎると、人間はデータを見なくなります。
場合によっては、「データが少ないほど、物語としての辻褄が合いやすい」ので、データを排除しようとする人もいるくらいです。
ストーリーの出来で重要なのは情報の整合性であって、完全性ではない。むしろ手元に少ししか情報がないときのほうが、うまいことすべての情報を筋書き通りにはめ込むことができる。
賢くあろうとすれば、自分に有利なデータではなく、自分に不利なデータも集めなければなりません。
そうして初めて「物語」に騙されずに済みます。
5.確率を理解できない人は多い
まず、次の文章を読んでください。
リンダは三一歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。
では、次の質問に答えてほしい
リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思いますか
聡明な人であれば、当然前者を選択するでしょう。
しかし、多くの人は後者を選択します。
複数の主要大学の学部生を対象に実験を行ったところ、八五~九〇%が、確率の論理に反して二番目の選択肢を選んだのである。しかも呆れたことに、この連中はとんと恥じる様子がなかった。 あるとき自分のクラスで「君たちは、初歩的な論理ルールに反していることに気づかなかったのかね」と怒ってみせたところ、大教室の後ろのほうで、誰かが「それが何か?」と言い放ったものである。
確率は説得の材料として、全く役に立たない事がよく分かります。
6.心配が多かったり、忙しすぎると、頭が悪くなる
多くの心理学研究によれば、自分を律することと、注意深く頭を使うことは、どちらも等しく、脳に負荷をかける行為です。
したがって、認知の負荷が高くなると、誘惑に負ける可能性が高いのです。
認知的に忙しい状��では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている
このため、例えばある行為の結果について心配しすぎると、実際に出来が悪くなることも多いのです。
常に忙しく、給料も安い「ブラックな職場」では、利己的で、口が悪く、思慮の浅い人が増えてしまう。
ですから、これはもはや「社会悪」と呼んでも良いのではないかと思います。
7.好き嫌いで決まる
多くの人は
「それが好きな場合は、メリットばかり思い出す。」
「嫌いな場合は、リスクばかり思い出す。」傾向にあります。
スロビックのチームは感情ヒューリスティックのメカニズムを調べる実験を行い、水道水へのフッ素添加、化学プラント、食品防腐剤、自動車などさまざまな技術について個人的な好き嫌いを言ってもらったうえで、それぞれのメリットすると、二つの答はあり得ないほど高い負の相関を示した。すなわち、ある技術に好感を抱いている場合はメリットを高く評価し、リスクはほとんど顧慮しない。逆にある技術をきらいな場合はリスクを強調し、メリットはほとんど思い浮かばない。
したがって、物事を通しやすくするには、あれこれ論理を組み立てるよりも、「好かれる人」になることが最も簡単です。
SNSを見れば、多くの人は、あれこれ理由をつけて主張をします。
「ワクチンが〜」
「フェミニズムが〜」
「子育てが〜」
「社会保障が〜」
でも、一皮むけば、
肯定的な意見は、「それが好き」。
否定的な意見は、「それが嫌い」。
そう覚えておいて、ほぼ間違いありません。
8.人は慎重に考えるよりも早く一つに決めたい
いくつもの選択肢を並行して考えることは、認知的な負荷が高い状態です。
認知的な負荷が高い状態は疲れますから、仮に選択が間違っていたとしても「早く決めて楽になりたい」と、思うのです。
これを「コミットメントの錯誤」と言います。
「たまたまモデルルームを見に行ったら、そこで買ってしまったよ」
と言う発言は、コミットメントの錯誤の典型であり、家や保険など、選択肢が無数にあり、かつ高額な買いものが、想像よりはるかに簡単に行われているのは、そのためです。
なお余談ですが、人には「自分が持っているものを高く評価する」という思考のクセ(保有効果)があり、高い買い物をしたとしても、後悔することはめったにありません。
「買わせてしまえばこっちのもの」と思っている営業マンは少なくないでしょう。
9.簡単にわかるものが好かれる
認知が容易なものほど好かれます。
例えば、見やすい表示、以前に聞かされたことのあるアイデア、見覚えのあるマーク。
こういったものは認識がしやすいため、それだけで「好ましい」と感じられます。
(出典:ダニエル・カーネマン ファスト&スロー)
また、機嫌がいいときや、体調のいいときには、「好ましい」と評価することが多くなりますから、上司の機嫌を見て、何かを提案するのは正しい行動です。
ただし、これは極端な話、「内容を問わない」という事でもあります。
「鶏の体温」という表現を繰り返し示された人は、「鶏の体温は四四度である(もっともらしい数字なら何でもよい)」という文章が出てきたときに、正しいと判断しやすい。 文章の一部になじんでいるだけで、全体に見覚えがあると感じ、真実だと考えるからだ。ある発言や文章の情報源を思い出せず、手持ちの情報とも関連づけられないとき、あなたはつい認知しやすさを手がかりにすることになる。
注意をしないと、「何度も見せられている」と言うだけで、それを真実だと信じてしまうかもしれません。
10.自分の頑張りには甘い評価をつける
チームで仕事をする場合、自分のほうが他のメンバーよりがんばっており、他のメンバーの貢献度は自分より小さいと考えがちです。
例えば、各自がチームに対して、どの程度の貢献をしているかを百分率で表してもらうと、チーム内のメンバーの数値の総和は100%を超えてしまいます。
あなたはもしかすると、自分に配分された報奨以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。このことは、誰もが肝に銘じておくべきである。
これは、性格的な要因はごく小さく、誰でも同じような傾向を示します。
なぜかと言えば、「自分の貢献が一番思い出しやすく」かつ「思い出せないものより思い出せるものの方が強力な説得力を持つから」です。
投票を呼び掛ける活動は、投票日直前にやるほうが強力、という、ごく当たり前の話ではありますが。
これを利用可能性ヒューリスティックスと言います。
人事評価は自己申告を��にしてはなりません。
大抵の場合、過剰評価となってしまいます。
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良いお年を
1月、なんだか連れ合い夫婦の親類に疲れてしまった。当たり前って当たり前ができない人にとっては毒なんだよな。
年末(12月30日)から1月2日まで泊まってげんなり。家族間の違いってやっかいだし人生��の違いもやっかいだ。
後半は札幌出張へ。友人の家業のお手伝い。雪がなんだか愛おしく感じた。夜は友人と飲み歩いてい���わけだけど、札幌すすきのあたりにいけば誰かに会うというコミュニティのキュッとしたまとまりが新鮮だった。東京には人が集まれるような街がたくさんある。選択肢が多いのは良いことだけど寂しい侘しい気持ちにもなる。
2月 東京にも雪が降った。義父がなくなった2年前のことを思い出した。その度に相続で揉めている実子を思い出して腹が立つ。本格的に人に振り回されるようになったのはそのあたりからな気がする。プロジェクトの後輩に飲みにつれてかれて締めに入ったらーめん屋であった女の子としばらく連絡をとっていた気がする。名前ももう忘れた。
新しい生成AIの仕事が入り準備にも忙しかった。「夜明けのすべて」を映画館で見て、人が持つ障害や病について考えさせられた。受け入れて生きていく難しさ。ただ、日常を過ごす難儀さよ。
3月 霊視?ができる人のところにいった。人生の答え合わせのような時間だった。もう日記には書いたので詳しくは書かない。とにかく人と自然を敬って生きていこうと思えた。なかなか人にはできていない気がする。接待で連れてかれた料亭に、金を持った経営者にくっついてくる「女性がいたほうがなんとなく見栄えがよい」みたいな思惑で連れてこられた女の子がいて妙に気に入られた。薬をやってるんだかずっと酔ってるんだか、へらへら笑う子だった。帰りに袖をつかまれたときに合った目が急に正気で「どっかいこ」と言われたのが「逃げよう」という意味に聞こえてしまって急に怖くなった。「こんどね」と言って手を振りほどいてゆっくりと離れた。
末には母がようやく病院に行き、大きな病院での受診を勧められている。
4月 母の余命宣告を4月の1日に医師から受ける。ステージ4の肺がん。残された時間を良いものにと思っていたが、何度も躓いている。きっと自分は良い子供ではない。母が人生で一番大切にしている宗教を大切にできないからだ。脳への転移も中旬には見つかり、治療を選択する。今思えば、母が人間らしく生きることができる分かれ道はここだったのかもしれない。奥さんの友人夫婦と飲みに行った際にパートナーシップについて考えさせられた。どうしたって男女に力の差はあるのだから恫喝や暴力で支配しようとしてはいけない。要求を通そうとしてはいけない。と話しても無駄だった。人への説得や説教は無駄に終わることが多い。人は人生で何度かしか学べない。ちいさこべえ。沖縄出張のついでにひめゆりの塔にもいった。献花した。���手納町の光と闇を知る。
5月 母の入院に伴い実家で過ごすことが多くなった。抗がん剤は良く利くものほど副作用が大きい。あっという間に母はボロボロになっていった。もともと食が細く、身体も瘦せていて、体力もない母がさらに骨と皮になっていくのは見てられないものがある。きつかった。5月はTumblr民とひとりあった。人生で一度も交錯することのなかった人の話は面白い。筋が通った人生で羨ましいと少し思った。5月は冨山出張もあった。そして三峰神社にもいった。
家を建てるためのプランニングが本格的になったのもこの頃だ。決められたところに自分のサイズを合わせて住んできた自分には注文住宅という選択は意味がわからなかった。結婚は人の価値観に片足を突っ込みながら生きることだ。
6月 誕生日。東京ドームホテルのブッフェでごはんを食べた。あと下北沢で「辰巳」を観た。今年見たドラマや映画の中で5本の指に入る作品。連れ合いは中旬に韓国旅行へいった。女性は好きですね。韓国。プロジェクトチームの女の子のことを女の娘と書いたことで変な絡まれ方したのもこの頃だ。辞書を引けと言いたい。母と冥土の土産的なプレゼントとして宮古島旅行をプレゼントしいったのも6月か。身体の自由がきかない母はあまり楽しめなかったかもしれない。たまに思い出すことがあれば良いが。母はそういうタイプでもない。
7月 新しい仕事が舞い込んで研修つくりをたくさんした月だった。母の闘病は相変わらず続き。夏の暑さからかあまり記憶がない。
8月 妊活が始まった。これはけっこうつらかった。なんだか閉塞感がとてもある時期だった。予定調和の上を歩いているようで気持ち悪かった。「ラストマイル」を観た。エンタメとして最高。自分のために働くっていつの間にかにできなくなるよね。選んで人のために働くならいいけど、人に搾取され続けるのはしんどい。
9月 相続がようやくまとまりかける。弁護士さんが入ると話が早くて助かる。家の工事も始まった。幸福な家庭の風景が相変わらず自分の中にはなくて、いつかどこかへ行きそうで怖い。それは実の父と同じで嫌だし、あこがれるし。父も金さえあればそんな生き方で良かったのかもしれない。実家の売却も現実味を帯びてきて、家を見ては無駄なものの多さに頭が重くなる日々。結局はしりぬぐいはこちらだから。いつも。もう一人Tumblr民と会った。自由で羨ましいが、その自由さを羨ましがられることがこの人の業だなと思った。人は手に入らないものを欲しがるから。相変わらず母は通院。一度、治療するを選択するとこちらから声をかけるまでストップしないのが病院で。そんなことも知らなかったな。
10月 母の二度目の癌の脳転移が見つかり、喪��を買う。母から急にもう犬の散歩ができないと連絡がきたのも10月。それは良いけど、事前に相談するということができないのに腹立たしさを覚えた。いつもそうで、限界になってからパスされる。久々にバイクを買った。去年買ったお気に入りのコートも今年は着ていない。そういう機会が減った。
11月 福島出張。気晴らしになった。母の治療方法は試してはダメを繰り返してもう残り少ない。分の悪い賭けはやはり奇跡は起こらず終わる。閉塞感は孤独感に変わってきた。孤独なら良い。親しい。
12月 大阪出張。介護系のセミナーの撮影。「認知症と癌が一番幸せな死に方っていうよ」と励まされた。認知症はすべてを忘れていくから。癌は死ぬ時期がわかるからお別れがしやすい。10年会っていなかった兄家族と母を合わせる。意外と何事もなかったかのように話しているそうだ。その場に自分はいたくない。白けてしまう。
人の一生について考える。経験したことが身体や心に沁みついて、時にそれが毒となる。小説家などの自殺者について調べた人が大抵は小さい頃に愛されなかった記憶を抱えていると言っていた。老いるということは、無力だった小さい頃に戻ってしまうという怖さと戦うことになる。人に迷惑をかけて生きるということがどうしても許せなかったのだろう。生きるということは迷惑なことだ。きっと誰もそう。そうなんだけど開き直ったら終わり。
年末年始は犬の世話があるのでひとりで実家にいる。連れ合いの実家にいかなくてよいのはなんとも楽だ。スーパーで少しだけ良いものを買って食べる。そして年越しそばの準備をしている。もうすぐ2025年だ。全部片づけていこう。
なんとか今年中に書き終わった。良いお年を。
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子��徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異���させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがある��、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をし��との各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め��った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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何度も書きすぎて飽きてしまったけど、 ・COVID-19は呼吸器系疾患ではなくて全身性血液疾患で自己免疫疾患 ・SARS-COV-2は変異し続ける ・完全無欠の予防手段はない ・完全に治癒する特効薬はない ・感冒様症状は初期症状で後遺症からが本番 ・どんな後遺症が当たるのかはガチャ運次第 ・自衛が個人判断になり、早期投与薬は感染者の自己負担になったが、別に確実に完治することが���約されてはいない ・感冒様症状の発症二日前、感冒様症状が出ないうちから、感染力のあるウイルスの放出を始める ・初期症状である感冒様症状が治まる発症4~5日目辺りが最もウイルス放出量が多く、同居家族及び接近した他者に感染させやすい ・発症から二週間経過すると呼気混じりのウイルス放出はほぼ終息するが、体内深部の内臓などに持続感染が起きている場合がある ・感染時無自覚無症状でも持続感染が起きる場合がある ・発症から2~3カ月経過しても感染前の状態に戻らない罹患後症状は、そのまま一生回復せず状態が固定する場合がある。これを後遺症と呼ぶ ・三ヶ月過ぎて変わらない場合、一年過ぎても二年過ぎても回復しない(自然には再生しない細胞が毀損した場合など) ・血管内梗塞を引き起こすことで高齢者、基礎疾患持ちの元々持ってる病気の予後を悪化させるなど、「その他の重大な疾病のブースター」として機能する ・COVID-19の感染でそれ以外の病気が発症しやすくなる ・定期検診の習慣がまだない若い世代や子供などは、自身が掛かっていた病気の存在に気づかないままCOVID-19に感染し、著しく体調を悪化させる場合がある ・ワクチンの早期接種で、子供の重症化、後遺症を二桁%緩和できる(CDC他からの啓発。対策しなければ、子供でもそれだけ重くなりやすいということ) ・感染者の1~4割に何らかの後遺症雅残る(比率は研究によってばらつきがあるが、最小限でも十人に一人は後遺症が残る) ・ワクチンなし+自然感染、ワクチン+自然感染のハイブリッド免疫は、そこまで長期的に抗体を保持できない ・ワクチン接種による抗体は6カ月くらいまで維持され、7カ月目くらいでほぼなくなる ・ワクチン接種による心筋症発症リスクは百万人に2~3人くらいで、接種による重症化・後遺症の症状低減メリットのほうが大きい ・2023年秋の接種は「XBB系対応一価ワクチン」「最後の無料接種」「調達数は現状で3500万人分」 ・2024年からの接種はインフルエンザ同様自己負担、「個人の判断で各自自衛してください」となり、「何もしなくても行政が勝手に助けてくれる」期間は終わり、命の選別を個人の判断で行うシフトに とりあえず「コロナ禍を経てCOVID-19について分かってることのまとめ」。 同じようなこと何度も書きすぎて飽きた。
Xユーザーの加藤AZUKIさん: 「何度も書きすぎて飽きてしまったけど、 ・COVID-19は呼吸器系疾患ではなくて全身性血液疾患で自己免疫疾患 ・SARS-COV-2は変異し続ける ・完全無欠の予防手段はない ・完全に治癒する特効薬はない ・感冒様症状は初期症状で後遺症からが本番 ・どんな後遺症が当たるのかはガチャ運次第…」 / X
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月6日(水曜日)弐
通巻第8492号
メタ(旧フェイスブック)の多言語モデルが中国軍に転用されていた
自分を吊すロープを敵に売り渡したことにならないのか
*************************
メタ(Meta=旧フェイスブック)はオープンの多言語モデルの「Llama」(ラマ)シリーズを「防衛および国家安全保障のため米国政府機関に提供した」と発表した。
ラマ 3の利用規約には、「軍事、戦争、核戦略対応、スパイ活動、米国国務省が管理する国際武器取引規則(ITAR)の対象となるもの、或いは活動」の使用を禁じている。
ラマ 2は利用規約に米国だけでなく、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの同様の政府機関 (および請負業者) に「例外」を設けている。簡単に言えば西側の安全保障に役立つ利用は可能ということである。
11月1日、ロイターは中国人民解放軍と繋がる研究機関が「Llama 2」を使って軍事目的のAIツールを開発したと報じた。
メタは「利用は許可しておらず、これは利用規約違反だ」と慌てたが、どっこい、そんなことはわかりきったことではないか。
豪シンクタンクASPI(豪戦略政策研究所)が24年8月に発表した驚き桃の木のレポートは、国際競争力ランキングで宇宙航空、量子コンピュータ、Aiなどのハイテク64分野の技術競争において、じつに57の分野のテクノロジーは中国が世界一の水準だと評価した。
問題はMETAの国家安全保障に対する曖昧模糊とした体質だろう。中国がつけいる
余地があった。いや、隙間だらけだったかも。
メタCEOのマーク・ザッカーバーグは天才的発明家だが、まるで異端児、民主党支持者でトランプ批判の急先鋒、2020年にはトランプのアカウントを永久凍結したほどの反トランプである。
だが問題はもっと深く、深刻である。
ザッカーバーグ夫人のプリシラ・チャンは中国人である。ハーバード大学で一学年下の小児科医。両親はベトナムからボートピープルで逃げだし米国へ亡命した。彼女はアメリカで生まれた。
広東語、英語、北京語に流暢なことはいうまでもないが、ザッカーバーグ自身も、夫人の影響で中国語を流暢にあやつり、清華大学での講演を中国語でやってのけるほどの親中派である。
トランプがTIKITOK規制に反対するのは、「もし禁止したら、儲かるのはMETAじゃないか」という理由だ。イーロン・マスクのXとMETAは犬猿の仲であり、マスクはザッカーバーグに決闘を申し込んだほどだった。
▼SNSが「アラブの春」をもたらしたが、その猛省からロシアはハイブリッド作戦を立案��、中国はそれ以上の監視体制を構築したのだ
由々しき事態は中国のハイテク研究者が既に、このラマ・モデルを特殊な軍事およびセキュリティ目的に最適化したことである。いまや中国のハイテクエンジニアにとっては、朝飯前の軽い作業だったかもしれない。
適応されたChatBITは、諜報、状況分析、任務支援などの軍事分野で使用する試用デモンストレーションで成功したと伝えられ、そのまま中国軍の能力を強化する目的で導入される。米国企業は敵に自分を吊すロープを売りわたしたことになり、アメリカは軍事技術での優位を脅かされることになる。
一方で中国は「戦略的な悪用を防ぐために強力な監視体制が必要」と国際社会のむかって強調しているのだから二枚舌の典型だろう。
中国軍事科学院(AMS)の元副院長、何雷中将は、国連に対し、戦争における人工知能(AI)の応用に関する制限を設けるよう求めた(24年9月13日)。噴飯物である。
自分たちは秘密裏に開発を続行するが、ほかの国は足踏みをせよと言っているようなものである。北京が軍事AIリスクを軽減する方向を装いつつ、実際は逆のコースを突っ走っている。
中国は既に2019年版『国防白書』において、「新時代の中国国防(新時代的中国国防)」と題した文章を掲載し、「現代の戦争はますます情報化とインテリジェント化の領域に移行しており、技術の進歩が求められている」とした。
このような中国軍の意識の変化はアラブの春がSNSによる拡散で拡大し、チュニジアの独裁政権を倒し、つぎにリビアの政変に繋がり、エジプトの押し寄せた波がウクライナのマイダン革命へと驀進した。
ロシアはSNSの政治利用を真剣に考え、それがゲラシモフ将軍のハイブリッド作戦に繋がった。SNSを活用して情報を操作し、クリミア半島を併合した。そのドミノは、今度はウクライナに逆流し、戦争の緒線では宇宙衛星と繋がる通信の成果でロシアの戦車隊を追い返した。
中国はこの経過を虎視眈々と観察し、精密に分析し、データを集め、国内の情報管理、情報操作による支配をより強固なシステムとしたうえで、同時に米国の先進的発明をさっと盗み出して軍の現代化に転用したのである。
▼軍事転用すれば指揮官の適格な現場判断を迅速化できる
第一に、大規模なAIモデルを転用することによって戦場の状況認識を強化し、指揮機能をサポートするために、迅速な対応と意思決定を可能にする。複雑な状況下で情報に基づいた意思決定を行うための指揮官の支援が含まれる。また複数のソースからの���報の融合を強化することも重要とされており、AIを使用して衛星、サイバーインテリジェンス、通信傍受からのデータを統合する。
「軍事AIは認知戦争や心理戦にも広く応用されている。軍事化学院の専門家によると、生成AIモデルは、物語に影響を与え、戦略的なキャンペーンを実施して影響力を拡大し、敵の士気を低下させるためのメディアコンテンツを作成する。迅速な拡散ができる。大規模言語モデルは、多様な情報ソースを迅速に統合して、軍事情報分析を強化できるばかりか、言語処理機能により、データ抽出を簡素化し、リアルタイムでの翻訳を可能とし、複雑なデータを実用的な洞察に変換する。したがって戦場での指揮官の意思決定を円滑に支援することが可能になる。(ジェ
イムズタウン財団『チャイナブリーフ』、2019年9月6日、9月8日、ならびに6月21日号)。
Meta は「研究と非商用利用をサポートするオープンソース モデル」だとしてLlama をリリースした。たちまちのうちに中国人民解放軍は Llama を採用して ChatBIT などのモデルを構築した。
Llama は軍事目的での使用を禁止する契約を付属させてはいるが、中国が規約を無視することは明らかだった。まさに「もってけ!泥棒」という結果となった。
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14/09/2023
『しょせん他人事ですから~とある弁護士の本音の仕事~』 先日、この漫画をスマホで読みましたが、漫画を読むこと自体、本当に久しぶり。
ここまで極端な弁護士も珍しいと思いますが、このような側面を持ちあわせないと弁護士も務まらないと納得する自分もいます。
10/18追記
令和の時代にあり得ない事務所側からの新人いじめ、人格否定のハラスメント等々、枚挙にいとまがない状態が続きました。複数人、それも一緒に仕事をする事務職員全員で一気に来られたら私に勝ち目はありません。
この会社の唯一良い所は現場の作業員の方たちは年代問わず仲が良く、私にも良くしていただきました。ただ、一緒に仕事をする事務所がこの調子では…。 事務所が合わず、事務職から作業員に職種を変更した方も多数います。3年前にも高校を卒業したばかりの事務員の女性が私のような新人いじめで退職したそうです。最後は自家用車の中で泣きながら昼ごはんを食べていたそうです。
因��に、会社の会長は県議員(与党)です。議員は会社の会長ですが、会社に関してはノータッチ。社長である奥様に任せきりだそうです。政治家の会社ってこんなものですか?
入社時に身元保証人、誓約書など書かされたこともあり、この類に詳しい弟に相談(注:弁護士ではありません)。 私の心が病んでしまうのは回避したい、尚且つ、会社から訴えられるリスクを限りなくゼロにして、退職したかったので地元の弁護士を代理人に立てて退職しました。
今日、退職に必要な書類をやっと受領しました。 終わったけれど…心がしんどい。心が晴れません。 漫画の最初に登場する誹謗中傷に悩むセレブブロガー(相談者)の気持ちが痛い位分かる。
ただ唯一安堵したのは、事務職員と8月に記載した職場の方。もう、その方達の顔を見ないで済むんだって思いました。
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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは、久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。
けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
*
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界*準備中。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化���用があるということだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用でもあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きることであるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に渡すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
*
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
*
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めたり、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖かく守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登るときにだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶の存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
*
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応しやすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいのだと。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
*
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つくった首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるようなものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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Kishimoto Interview Cinema Café Dec. 5th 2014 Part 2
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[Interview/Part 2] Masashi Kishimoto's 15 years of "NARUTO" - From thoughts on the ending to his rivals
“ノストラダムスの大予言”で知られる1999年の7月から2か月��どが過ぎた9月、当時24歳の岸本斉史は「週刊少年ジャンプ」(集英社刊)にて「NARUTO-ナルト-」の連載を開始した。
In September, about two months after July 1999, known for "Nostradamus's Great Prophecy," 24-year-old Masashi Kishimoto began serialization of "NARUTO" in "Weekly Shōnen Jump" (published by Shueisha).
参考までに、当時の内閣総理大臣はいまは亡き小渕恵三。甲子園をわかせた“怪物”松坂大輔がプロ野球で初登板を果たし、石原慎太郎が東京都知事に当選し、宇多田ヒカルが累計900万枚を超える大ヒットとなるファーストアルバム「First Love」を発表したのも同じ1999年である。
For reference, the Prime Minister at that time was the late Keizo Obuchi.The "monster" Daisuke Matsuzaka, who made waves at Koshien, made his professional baseball debut, Shintaro Ishihara was elected as the governor of Tokyo, and Hikaru Utada released her massively successful first album "First Love," which sold over 9 million copies, all in the same year, 1999.
それまで「ジャンプ」を支えてきた人気漫画「るろうに剣心」(和月伸宏)が最終回を迎えたのと同じ号で、のちに全世界で2億部超の大人気漫画となる「NARUTO-ナルト-」は産声を上げた。そこから15年におよんだ連載をふり返ると共に、まもなく公開となる劇場版「THE LAST -NARUTO THE MOVIE-」についても語るロングインタビュー<後編>!
In the same issue where the popular manga "Rurouni Kenshin" (Nobuhiro Watsuki), which had supported "Jump" until then, reached its final chapter, "NARUTO," which would later become a global hit with over 200 million copies sold, made its debut. In this long interview (Part 2), we look back on the 15-year serialization and also discuss the upcoming theatrical release "THE LAST -NARUTO THE MOVIE-"!
【原作の結末に関するネタバレの記載、発言もありますのでご注意ください】
[Please note that there may be spoilers and comments regarding the ending of the original work]
15年の歳月で一番つらかった時期は「連載開始当初」。7日間で1話を仕上げる週刊連載の“地獄の”サイクルに体が悲鳴を上げた。
The hardest time in those 15 years was when the series first started. The hellish cycle of a weekly serialization, where one chapter had to be completed in seven days, made his body scream.
「連載が始まったのは嬉しかったけど、体力的にはすごく弱くて毎週、原稿を上げたら熱は出るわ、食べたものは吐くわ…『やっていけるのかな?』という感じ。どんどん体がつらくなって、変な熱が出て病院に行ったら、先生が何かの数値を見ながら『きみ、これ細胞が死んでるよ。とにかく休みなさい』って(苦笑)。『細胞が死んでる』なんて初めて言われて引いたけど、週刊連載なんだから休めるわけない。当時は連載を始めたばかりの新人が休むなんてありえなくて、あるとしたら連載打ち切りだった。でも、さすがに当時の担当が、このままじゃ死ぬと思って少しの間、休載にしてくれたんです。その時はみんな、口に出さないけど『こんな新人に休みやるってどういうことだ?』と思ってたんじゃないかと…。ただ、そこからみんな、ちょっとずつ休みをもらえるようになったので、そういう意味じゃ新たな流れを切り拓いたのかも(笑)。その頃はいまよりも15キロくらい痩せてましたね」。
"I was happy when the serialization started, but I was physically very weak, and every week after submitting my manuscript I'd get a fever, and I'd throw up everything I ate…I felt like, 'Can I still do this?' My body was getting increasingly uncomfortable, and when I developed a strange fever I went to the hospital, the doctor, looking at some numbers, said, 'Your cells are dead. You need to take a rest at all times' (bitter smile). I was taken aback for the first time to be told that my 'cells are dead', but since it was a weekly serialization, there was no way I could take a break. At the time, it was unthinkable for a rookie who had just started serialization to take a break; the only thing that could happen was for the series to be canceled. But as expected, my editor at the time thought I would die if I continued like this, so he put me on a break for a while. At the time, I think everyone was probably thinking, without saying it out loud, 'What do you mean, give a rookie like me a break?'…However, from then on, everyone started to be given little by little time off, so in that sense I may have opened up a new trend (laughs). I was about 15 kg thinner at that time."
そこから徐々に、週刊連載のリズムを掴み始め、同時に読者の反響からも作品に対する手応えを感じ始める。
From there, he gradually began to grasp the rhythm of weekly serialization, and at the same time, he started to feel a sense of accomplishment from the readers' reactions to my work.
「2回目に巻頭カラーをもらった時かな? 担当が原稿をFAXしながら『嬉しいよ。(読者投票で)1位だから』と言ってたのを覚えてます。僕自身は、投票結果はあまり気にしないようにはしてたんですが、二人三脚で連載を一緒に始めた担当はここまで胃の痛い思いもしてきたんだろうし、彼の嬉しそうな顔を見るのは嬉しかったですね。僕自身もその後、結婚して生活が安定して、体調を崩すことも少なくなりましたね」。
"Was it when I got the cover color for the second time? I remember my editor faxing the manuscript and saying, 'I'm so happy. (You ranked first in the reader poll).' Personally, I tried not to pay much attention to the voting results, but my editor, who started the series with me, must have been so worried up to that point, so it made me happy to see his delighted face. After that, I got married, my life stabilized, and I got sick less often."
15年という歳月の中で社会情勢も大きな変化を遂げた。「NARUTO-ナルト-」の世界は現実の世界情勢を鏡のように映し出しているのでは? という声は以前よりファンの間でも多く聞かれた。五大国の存在や、各国が“尾獣(※巨大な力を持つ魔獣)”を兵器として持っていること。そのバランスを崩そうとする組織「暁」。暴力ではなく対話で解決を試み、相手を理解しようとするナルト。歴史的な因縁などを含め、なるほどと思わされる部分が多々あるが…。
Over the course of 15 years, the social situation has undergone significant changes. There have been many voices among fans suggesting that the world of "NARUTO" reflects the real-world situation like a mirror. The existence of the Five Great Nations and the fact that each country possesses "Tailed Beasts" (giant, powerful magical beasts) as weapons. The organization "Akatsuki" that seeks to disrupt this balance. Naruto, who attempts to resolve conflicts through dialogue rather than violence and tries to understand others. There are many parts that make you go "I see", including historical grievances and such, but...
「やはり、それ(世界情勢を作品に重ねること)はありますが、重ねすぎるとおかしくなるので、あまり意識し過ぎずにと思ってました。僕はいま、日本に住んでいて、(それぞれの国々の)実際のところは分からないし、ナルトやサスケじゃないですが、相手を知り、互いを知らなければ判断できないところもあると思います。僕は岡山出身で、広島の原爆ドームなどにも足を運びましたし、やはりそれを見ていろいろ思うところはあります。例えばうちの祖父には祖父の言い分、思いがあったのを聞いてるし、でもそれは世代が変わることで変わっていく部分もある。その上でやはり、あまりリアルに重ねすぎずに描いてます」。
"Of course, that (overlapping the world situation into the series) is a given, but if you overlay it too much it becomes innapropriate, so I tried not to be too conscious of it. I'm currently living in Japan and don't know the actual situation (in each country), and I think there are some things you can't judge unless you get to know the other person, like Naruto or Sasuke. I'm from Okayama and I've been to places like the Hiroshima Peace Memorial Park, and of course there are many things I think about when I see those things. For example, I've heard my grandfather have his own feelings and thoughts about it, but those perspectives also change with each generation. With that in mind, I tried to depict them without overlaying them too realistically."
社会情勢だけではない。時に岸本さん自身の変化もまた作品に反映されていった。岸本さんが原稿を描きながら、感情が高ぶり思わず涙がこぼれたというのが、ナルトが死んだ母と逢い、自身の出生の秘密について知らされるシーン。
Not only the social situation. Sometimes, Kishimoto's own changes were also reflected in the work. While writing the manuscript, Kishimoto was so emotional that he burst into tears during the scene where Naruto meets his dead mother and learns the secret of his birth.
「ナルトが母親・クシナの愛を知り喜ぶときの顔は、自分で描いてるのに泣きました。そこまでナルトが(両親の愛を知らず、里のものからは厄介者として扱われ)あまりに可哀想だったので。社会情勢だけでなく、僕自身に新しい家族が出来て、子どもが生まれると、作品の中のナルトの気持ちがより一層分かるし、親の立場でナルトを見るようにもなる。最初は何も考えずにナルトを両親のいない設定にしたけど、自分が親になると、親がどれほど子どものことを思っているのか? それを子どもが知らないままでいるのがすごく悔しくて、伝えてやりたくて、そうせずに話を進めるわけにはいかなかった」。
"I cried when I was drawing the look on Naruto's face when he learns of his mother Kushina's love and becomes happy. I felt so sorry for Naruto, poor boy (not knowing the love of his parents and being treated as a nuisance by the village). Not only did I understand the social situation, but now that I have a new family and a child, I can understand Naruto's feelings in the series even more and I can see him from a parent's perspective. At first, I set Naruto as having no parents without thinking about it, but now that I'm a parent, I wonder how much parents love their children? It was such a pain that a child would remain unaware of this, and I wanted to convey that to him, so I couldn't go on with the story without doing so."
本作が「ジャンプ」のバトル漫画の系譜を受け継ぐ王道の作品であったことは間違いないが、その一方で、これまでの少年漫画とは異なる、ある意味で“少年漫画らしからぬ”道を切り拓いたのも事実。先にも少し触れたが、ナルトが中盤以降、単に戦いではなく“対話”と“許し”で平和をもたらそうとする姿もそう。読者からの支持が高い「ペイン編」で、ナルトが師の自来也を殺したペインと対話し、和解するという描き方は「ある意味でタブー(苦笑)。少年漫画では普通はやらないやり方だった」とふり返る。
It is undeniable that this work was a quintessential piece that inherited the lineage of battle manga from JUMP, but at the same time, it is also a fact that it has pioneered a different path from previous shōnen manga, one that is in some ways “unlike typical shōnen manga”. As I mentioned earlier, Naruto's attempts to bring peace through dialogue and forgiveness, rather than simply fighting, from the middle of the manga onward, are also a case in point. In the “Pain Arc,” which is popular among readers, Naruto talks with Pain, who killed his master Jiraiya, and reconciles with him. In a sense, it was taboo (laugh). It was a way that shōnen manga usually don't do,” he recalls.
「まず、忍者というものの考え方に関わってくるんですが、『NARUTO-ナルト-』は正規の忍者漫画とは違うんです。オレンジの服着て『オレがナルトだ!』と名乗り上げるんですから(笑)。歌舞伎的な感覚ですね。だから、ここでいう“忍(しのび)”というのは『暗殺をしたり、君主のために命を捧げる』というものではない。僕の中では『全てのものにおいて我慢し、耐え忍ぶ者』として描いてて、それ自体が少年漫画らしくないかもしれないですね。だから、戦いの中で怨念やわだかまりがあっても、いつかは上手くいくと未来を“信じて耐え忍ぶ”忍者を描きたかった。『ペイン編』もやられてやり返すという描き方もできたけど、それじゃ憎しみの連鎖は続く。誰かがそれを断ち切らないといけない。なぜそうなったのかを考え、相手を理解する――そこまで描きたかった。それを少年誌でやるということは大変でしたし、本当に成り立つのか? とすごく悩みもしました」。
"First of all, it has to do with the way we think about ninjas, and Naruto is different from regular ninja manga. We wear orange clothes and introduce ourselves as 'I am Naruto!' (laughs). It's a kabuki*-like feeling. So the 'ninja' here doesn't mean 'assassinating people or sacrificing one's life for one's master'. I portray them as 'someone who endures and perseveres through everything', which in itself may not be typical of shonen manga. So even if they have resentment or grudges in the battle, I wanted to portray a ninja who 'endures with faith' that things will work out someday. In the Pain arc, we could have portrayed it as someone who gets hit and retaliates, but that would just keep the cycle of hatred going. Someone has to break it. They have to think about why it happened and understand the other person -- that's what I wanted to portray. Doing that in a shonen magazine was difficult, and I worried a lot about whether it would really work."
その“哲学”は壮大な物語の結末にも当然、大きく関わってくることになる。「最後は、サスケとナルトが戦って終わることは決めていた」というが、そこで重要なのがサスケの立ち位置。里やかつての仲間を憎む“敵”としてではなく、ナルトの“親友”として拳を交え、最後には2人の拳が“和解の印”を結ぶ。
Naturally, that "philosophy" will play a major role in the conclusion of this epic story. "It was decided that Sasuke and Naruto would end up fighting each other in the end," he said, but what's important here is Sasuke's position in the story. He exchanges blows with Naruto, not as an "enemy" who hates the village and his former comrades, but as Naruto's "best friend," and in the end, the two men make a "sign of reconciliation" with their fists.
「最後に2人は戦うけど、仲直りする。そう決めたからには、ナルトはそうやって相手を許せるキャラクターでなくてはいけない。前もって“許し”を経験させるという意味で生まれたのが『ペイン編』でした。そうすると、それ以降もただナルトが敵を倒せばいいというわけじゃなくなった。逆に言うと、バトル漫画なのに“生きている敵”をナルトがバンッと倒すというのが簡単には出来ない。そこで“穢土転生”であったり、植物からできた敵が生まれるようになったんです」。
"In the end, the two will fight, but they will make up. Since that was decided, Naruto had to be a character who could forgive others in that way. The 'Pain Arc' was created to give him the experience of 'forgiveness' beforehand. Conversely, from then on it was no longer enough for Naruto to simply defeat the enemy. To put it another way, even though it is a battle manga, it became difficult for Naruto to simply defeat 'living enemies.' That's why we had 'Edo Tensei' and enemies made from plants were created."
結末と言えば、戦いだけでなく、ナルト、サクラ、サスケらの恋の行方も最終回で描かれ、驚きや納得など様々な声が挙がった。まもなく公開の劇場版『THE LAST -NARUTO THE MOVIE-』では、原作の「699話」(忍界大戦の終結、ナルトとサスケの和解)と最終「700話」(その十数年後)の間の空白の時間が描かれる。ストーリー監修を務める岸本さんは「恋愛の映画」と語るが、企画の段階から大切にしてきたというのが、ナルトとサ��ラのある会話のシーン。
Speaking of the ending, the final episode not only depicted the battle, but also the love lives of Naruto, Sakura, and Sasuke, eliciting various reactions from surprise to satisfaction. The soon-to-be-released theatrical version of "The Last -Naruto the Movie-" depicts the gap between the original "Chapter 699" (the end of the Great Shinobi War and the reconciliation between Naruto and Sasuke) and the final "Chapter 700" (a dozen years later). Kishimoto, who is the story supervisor, describes the film as "a romance movie," but he says that he has been prioritizing a conversation scene between Naruto and Sakura since the planning stage.
「この映画は、あの戦争から2年後の世界を描いてて、言ってしまえばナルトとヒナタがどうやってくっつくに至るかを描いてはいるんですが、別の言い方をすると、初期の頃からずっとサクラのことを『好き』と言い続けてきたナルトとサクラの“訣別の物語”でもある。最終回を読んだ読者の方が抱いた疑問やモヤモヤをここでキッチリと解消し、すっきりしてもらえると思います!」。
"This movie depicts the world two years after the war, and in a nutshell, it depicts how Naruto and Hinata end up together, but to put it another way, it is also a story of farewell between Naruto and Sakura, who had always said he loved her since the early days. I think this will neatly resolve any questions or confusion that readers may have had after reading the final episode, and leave them feeling refreshed!"
ずいぶん長くなってしまったが、前後編2回にわたるロングインタビューもこれでおしまい。最後にひとつだけ。「NARUTO-ナルト-」の最終回が掲載された「週刊少年ジャンプ」で、「ONE PIECE」の表紙が、様々な仕掛けが施された“「NARUTO」仕様”とも言える粋な作りになっていることが大きな話題を呼んだ。共に看板漫画として2000年代の「ジャンプ」を引っ張ってきた“盟友”尾田栄一郎からの熱いメッセージを目にした時の感想は?
It's gotten quite long, but this is the end of this two-part interview. Just one last thing. The cover of "One Piece" in "Weekly Shonen Jump," where the final chapter of "Naruto" was published, was a hot topic because because it featured a stylish design that could be called a "NARUTO" version. How did you feel when you saw the heartfelt message from your "sworn friend" Eiichiro Oda, who's been a leading figure in "Jump" alongisde you as a flagship manga in the 2000s?
「めっちゃ嬉しかったです。すぐにLINEで尾田さんに『ありがとう!』って伝えました。表紙もそうですが、裏の作者コメントの欄に『タメで友でライバル』とあって、僕自身もそう思いながら『NARUTO-ナルト-』を描き続けてきたので、本当に嬉しかった。『ONE PIECE』? そりゃ意識しますよ。だって『ONE PIECE』ですもん。それ以外、言いようがない(笑)。『ONE PIECE』がなかったら、尾田さんへのライバル意識がなかったら『NARUTO-ナルト-』はここまでにならなかったと思う。だから、僕にとっては『NARUTO-ナルト-』はもちろんですが、『ONE PIECE』も特別な作品なんです」。
I was so happy. I immediately sent a message to Mr. Oda on LINE* saying, “Thank you!". Not only on the cover, but in the author's comments section on the back it says, 'Equals, friends, and rivals,' I was really happy because I myself have been drawing “Naruto” with this in mind. One Piece”? Of course I was aware of it. Because it is “One Piece”. There is no other way to put it (laughs). If it weren't for “One Piece” and my rivalry with Mr. Oda, “Naruto” wouldn't have reached this point. So, for me, “Naruto” is, of course, a special work, but “One Piece” is also a special work.
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Celtic beliefs in trees (12)
N for Nion (Ash) - February 18th - March 17th
“The World Tree, Tree of Life - Third month of the Celtic tree calendar”
Colour: white; Stars: Sun, Neptune; Gems: turquoise; Gender: female; Elements: air, water; Patrons: Odin, Nemesis, Poseidon, Neptune; Symbols: balance + harmony, cosmic power, positive thinking, power of the sea
Ash is native to northern Europe and the British Isles, grows well on moist limestone soils and is one of the most common trees found in lowland forests. It is a graceful tree with thin, bird's-feather-like leaves and grey bark. The leaflets are usually odd-numbered, and finding a leaf with an even number of leaflets is said to bring good luck, the same as a four-leaf clover.
In the old days, wearing green ash bark as a garter would repel a wizard's curse, and eating ash buds on the night of the summer solstice would nullify a spell of witchcraft. The ash leaves were also believed to bring luck in love and building wealth. Sleeping with a young leaf under your pillow is said to bring psychic dreams.
Ash forms the centre of belief in a number of ancient cultures. In Greek and Norse mythology, the first humans were born from ash trees. Such ash trees were always cherished by the ancient Irish as trees with very magical powers. According to the lore of the ancient Irish olavs ( ollamh, ollam: one of the highest ranks of druids), these trees were cut down in 665 BCE. This would seem to indicate that Christianity uprooted paganism in ancient Ireland.
For the Celts, the ash tree, symbolising the cosmic order, held the key to the truth of the universe. The Druids referred to the different phases of existence as the 'three rings of existence'. This eternal 'trinity' can be interpreted variously as 'past, present and future', 'body, mind and spirit' or 'chaos, harmony and creation'. Since the rings of existence cannot be unrelated to each other, what happens at one level will spill over to the other two levels. Every action causes a reaction and nothing is complete on its own, the Celts believed. We are part of the elements that make up the cosmic order, and in the endless cycle of life, we can never escape its flow. For the Celts, the ash was such a guardian of the universe.
According to Norse legend, the ash tree is the world tree, the Yggdrasil that occupies the centre of the universe. All events take place around the ash tree. And its roots and branches travel around the world, symbolising the universality that connects the world of God, this world and the underworld.
木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (11)
NはNion (トリネコ) - 2月18日~3月17日『世界樹、生命の木〜ケルトの木の暦の第3月』
色: 白; 星: 太陽、海王星; 宝石: トルコ石; 性: 女性; 要素: 空気、水; 守護神: オーディン、ネメシス、ポセイドン、ネプチューン; シンボル: バランス+調和、宇宙の力、ポジティブ思考、海の力
トリネコは北ヨーロッパとイギリス諸島が原産地で、湿気を含む石灰岩土壌でよく成長し、低地に広がる森で最もよく見られる木のひとつ。鳥の羽根ような薄い葉と灰色の樹皮をもつ優美な木である。葉片はふつう奇数で、偶数葉片をもつ葉を見つけたら幸運が訪れると言われるのは、四つ葉のクローバーと同じである。
昔はグリーン・アッシュの樹皮をガーターがわりに身につけていると魔術師の呪いを跳ね返し、夏至の夜にトネリコの芽を食べると魔女の魔法を無効にすると言われていた。トネリコの葉は恋愛運をもたらし、財産を築くと考えられ、若葉を枕の下に入れて眠りにつくと予言的な夢をみるとも言われている。
トリネコは古代の数多くの文化の中で、信仰の中心を成している。ギリシャ神話や北欧神話では、最初の人類はトネリコの木から生まれたとされている。そんなトネリコの木を古代アイルランド人は非常に不思議な力を持つ木としていつも大切にしていた。古代アイルランドのオラヴ (ドルイドの最高位のひとつ)たちの言い伝えでは、これらの木は紀元前665年に切り倒されたとなっている。これはキリスト教が古代アイルランドの異教を根こそぎにしたことを物語っていると思われる。
ケルト人にとって、宇宙の秩序を象徴するトネリコは、宇宙の真理を知る鍵を握っていたのである。ドルイドたちは、存在のさまざまな段階を「存在の3つの環」と呼んでいた。
この永遠の「三位一体」は、「過去・現在・未来」、「肉体・精神・霊」、「混沌・調和・創造」など、さまざまに解釈することができる。存在の環は互いに無関係ではいられないので、あるレベルで起きたことは他の2つのレベルにも波及することになる。すべての行為は反作用を引き起こし、それだけで完結するものはない、とケルト人は考えていた。私たちは宇宙の秩序を構成する要素の一部であり、無限に循環する生命という存在において、決してその流れから逃れることはできないのものである。ケルト人にとって、トネリコはこうした宇宙の守護神であった。
北欧の伝説によれば、トネリコは世界樹、宇宙の中心を占めるユグドラシル。すべての出来事はトネリコの木の周辺で起こる。そして、その根と枝は世界中を巡り、神の世界と現世、黄泉の国を結ぶ普遍性の象徴である。
#trees#tree myth#tree legend#mythology#legend#folklore#ash tree#celtic mythology#tree of life#world tree#yggdrasil#norse mythology#druids#celtic tree calendar#the third month#cosmic power#philosophy#nature#art
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Valentine Dinner Show in Kure - Sarah Àlainn Quartet
Valentine Dinner Show - Sarah Àlainn Quartet
2024.2.5 Kure・Hiroshima
丁度呉でのバレンタインディナーショーから一週間が経ちました。
バレンタインにセトリとサラッと舞台裏をご紹介!
Sarah
1. As Time Goes By
2. A Time For Us~永遠の愛
3. Nuovo Cinema Paradiso
Jazz Ballads
4. My Funny Valentine
5. Misty
6. Up-tempo Love Medley
Love to Love You Baby
Lovefool
Can’t Take My Eyes Off You
呉・日本
7. Eidelweiss
8. 無限に広がる大宇宙「宇宙戦艦ヤマト」
9. 糸
Idol/Self-love
10. アイドル
11. Laisse Tomber Les Filles
Europe
12. Tout, tout pour ma chérie
13. Spain
Encore
14. I Wish
15. Can’t Help Falling In Love
16. Lovin’ You
今回は日本の最強ジャズメンとのサラカルという豪華編成。選曲をギリギリまで悩みました。
私にとって初となるバレンタイン・コンサート。
そもそも、私はほとんど恋愛の歌がない。カバーしたレコーディングにも限りあり。
広い意味での愛の歌に拘って来た自分に、バレンタインという課題で悩む悩む。
サラジオでも極力バレンタインの時はラブソングを避けて来た私。
そう、どちらかというと、苦手派。
バレンタインやクリスマスは何かとプレッシャーに感じる。もっと素直に愛を表現したい。愛の記念日なら、先ず自分を大切にしてるか確かめたい。毎日ボロボロ傷だらけにしている我が身。精神的な傷の話ですが、今回のサライブは距離が近く、アッパーな選曲に合わせた足を出すサラスタイルにすると、早速怪我をされてないかと心配されたお便りがラジオ局に。あれは去年フランスの石畳で転んだ時の傷。当初は50倍酷かった。表面でも傷は中々すぐ綺麗に治らないものですね!(写真はメイクと光のせいでほぼ見えない)
さあ、どうするよ選曲。
毎回来られるサポーターさんに新しい作品を見せたいという思いで極力選曲を変えて来ましたが、アルバムの曲を楽しみにしてる方の為に、今までの録音に目を通す。
本当にラブソングが少ない。
しかし、私はシネフィル。映画音楽ならお任せを。
丁度イタリアでピアニストのクリヤ・マコトさんと共演した2曲があるではないですか。オリビア・ハッセーに恋した(私が)、Zeferelli監督の「ロミオとジュリエット」より『A Time For Us~永遠の愛』。ヴァイオリンソロでは狂ったジュリエットを表現してます。
A Time For Us 〜永遠の愛 / Romeo and Juliet
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イタリアのドラマー🥁さんも今でも聴いて下さってるという「Nuovo Cinema Paradiso」から愛のテーマ。
作曲家のAndrea Moricconeの前で生で歌った経験は宝物です^_^
しかし、ロミジュリはアカペラからスタート。せっかくのディナショーなので、客席を通りたい。そうして、せっかくのジャズカルなので、jazzyな一曲から。
Time・永遠の愛繋がりで『As Time Goes By』をチョイス。クリヤさんとの配信ライブで演奏した以来。モノクロ名画で「Casablanca」で流れる愛の歌。
片手にワインらしき🍷ものを、もう方にはマイク。客席を回りつつ、サラッと英語質問。 “Here’s looking at you kid”. この表現を知ってる方は?
近くにいらっしゃった男性は気持ちよく拍手。残りの皆さんシーン。ディナショーでクイズからスタートするこの人の性格って?と思われたのだろうか。
これは名台詞「君の瞳に乾杯」。日本語訳がまた素敵ですね。呉に来てKureた皆様に乾杯🥂
サラの定番曲から次はジャズバラードへ。
『Misty』は近年レパートリーに入れてる曲で、『My Funny Valentine』はお初。どちらも低音でスモーキーなサウンドが醍醐味。ウィスキーに例えるとLagavulinと言うところでしょうか(好きです🥃)。
こう言う気怠く歌う曲は凛と立つよりハイチェアに座って歌うとより雰囲気が出やすい。しかし丁度いい椅子がない。
大好きな舞監さんに、ピアノに寄ってみたら?との一言で、人生初めてのポジションからの歌唱。立ち方、動き方、寄り方、慣れないなりに雰囲気を味わう。
クリヤさんのピアノソロをこんなにじっくり観れる特等席ではないですか。ライブ後クリヤさんから、あんなに近く演奏を見られたことがなく、緊張したとのこと🤣
ビルボードの時もスペースがあればまたピアノと一体になってみたいものだ。
ここからも新曲!MC不要なメドレーですね。
この編成だからオシャレに盛り上げていけたラブメドレー。
最初はDonna Summerの大人の愛の歌から。
オリジナルでは彼女は自分の声を重ねていくので、ルーパーの出番だ!ライブでループした音源とバンド演奏を交互して行くうちに、ループがずれてくるというリスクは毎回ありますが(あまりライブでイヤモニをしないのでクリックが基本ない)、今回は本番で見事にずれてしまいました。く〜〜。おそらくペダルを踏むタイミングが甘かった。またこれはいつかライブでリベンジしたい。
メドレーで一番聞きなれないものがあれば、こちらかな?私はドンピシャ世代。日本では分かりませんが、オーストラリアやヨーロッパではずっとラジオで流れてたヒット。これは現代のロミジュリ「Romeo + Juliet」で大ヒットした『Lovefool』。監督はオーストラリア出身のBaz Luhrmann。歌はスエーデンのバンドCardigans。英語で歌うヨーロッパのアーティストが多くて当時は全て勝手にアメリカかイギリスのバンドだと思い込んでいました。嫌というほどラジオで流れてたので歌う日が来るとは思っていませんでしたが、改めて聞いて楽譜を見ると、面白い転調やふわりがあるシャレオツなポップスだなと。
そしてラストは、自然と手拍子したくなるあの曲。君の瞳に乾杯してからの、『君の瞳に恋してる』。
サビはもちろん、バースもブリッジも全てキャッチー。これも改めて、なんとよく書かれてる一曲!インストのジャージャッジャージャッの部分は腰を振りながらヴァイオリン演奏。意外と筋肉を使う。
元気なラブソングも、悪くない。ライブでは曲の成り立ちや自分の思いを語れる唯一の場でもあるのでMCは欠かせないですが、このような説明不要で体と耳で楽しめる曲がいかに快感か。おそらくお客様にもその楽しさが伝わったかと。ますます、みんなと歌える、動けるオリジナル曲を作りたいと思えてきました。
MCといえば、今回は広島弁や呉独特の言葉もチラホラ。ブログだとイントネーションが伝わらないので、東京以外でのライブに是非!
必ずその土地の言葉で話すようにしてます。
そんな呉と言えば、色々ありますが、私にとっては一目惚れした、こちら。
本番、カリンバを弾きながら、エーデルワイス愛を語った独り言。*呉弁でご想像下さい。
「私は一度呉で野外ライブをしたことがあって。
そこで、一目惚れしました。
その日から、私にとって、呉といえば、たちまち、Edelweiss。生物だから、広島にいても、食べれない
月日を経て、遂にEdelweiss 発祥の地で、ソロコンサートが実現しました!
本日、月曜日…休日!
明日、火曜…休み!
もう、わやじゃ!
幻のEdelweissに、手がたわん。叶わぬ恋のようだ。
ほいでな、ご存知かもしれませんが、Edelweissという歌があります。
オーストリアを象徴する花 Edelweiss 。
Sound of Musicに出てくるこの歌の歌詞。
『小さくて、白くて、私に会えて嬉しそう』
そう、あの時のEdelweissのクリームパイは、まるで私を見上げて、こう言った:
『たべんさい』
ほいでな、そんな、私の片思いが、なんと、呉阪急ホテルまで響いたらしく、奇跡が起こりました。。。*パク*」
サラジオへのお便りでも、何人かがこの場面が1番涙した、良かった、と綴られていました。
私は甘党ではありません。なのにこのパイの味が何年経っても忘れられない。呉阪急の皆様に感謝しきれません。
ステージでは一口パクリ。片手でカリンバが弾きづらいは、右利きでないので、本当に一口しかフォークで取れないは。
そして、クリームは歌う前は避けたいもの。しかも次の曲はアカペラで始まるから逃げ場がない。
このタイミングで何かを飲むと間が悪いし、エーデルワイスへの注目が薄れる。舞台では伝わらない、裏サラの以外と大変だった一面。
次の選曲に?されてた方。
呉と言えば大和。「宇宙戦艦ヤマト」もインスパイアされてたと言うことで『無限に広がる大宇宙』。松本零士氏の記念日も近かったですね。
SAYONARA “Adieu Galaxy Express 999” 「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」The Infinite Universe “Space Battleship Yamato” 無限に広がる大宇宙「宇宙戦艦ヤマト」| Sarah Àlainnサラ・オレイン
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ラストは定番の『系』弾き語り。
そうだ、こちらも本来ラブソングでしたね。
自分にとっては日本で出逢った方とのご縁を意味する一曲です。呉・広島・日本に関連するメドレーの最後ということもあり、いつもとちょっぴりアレンジを変えました。
【糸】《LIVE》Orchestral Vers.|サラ ・オレイン|カバ��|Sarah Àlainn
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エーデルワイスを始め、自分にとってはこの三曲は故郷への愛を意味しています。戦争なんかなくなればいい。こんなに世の中に素晴らしい縁と愛に溢れている。
さぁて、ここから最後、アンコールまでどれもアッパーな曲!生涯で最もエネルギーがあるサライブになりました。
ヒールで自分なりに踊り、筋肉痛の日々が続きました。
沢山涙を流して来たから、こう言う賑やかで笑顔になる曲はスッキリ。クリヤさんも今まで1番楽しくバランスが良いセトリと言われてぶち嬉しい。
日本のメドレーに引き続き、まずは日本の『アイドル』ソングへ。星野アイちゃんの愛の歌!
この曲はテレビを始め、ファンクラブでリクエストされたとんでもない曲。日本語だから尚更難易度がお客様に伝わる=盛り上がる。やります🤣
何とも癖になる。複雑な愛の歌ですね。アニメ「推しの子」お勧めします。ドロドロとした芸能界が垣間見える。今回もJazzyなアイドルをお届け。クリヤさんとはお初で不思議な転調に笑ってました。
続いて丁度50年前のフランスのアイドルの一曲。フランス・ガルが歌う『Laisse Tomber Les Filles』。
いつもとは違う人格になり、気怠くコケティシュな表現に。演じられるからとても好き。
セクシーでキュートなサウンドですが、これはセルフラブソングと言っても良いでしょう。訳すと「女子をなめんな!」。
服装、喋り方、仕草。見た目によらず、中身が強いものをなめてはあかん。ヒールを履かない男性嫌いのフェミニストのイメージ、なくしましょう〜
アイドルといえば。。もう少ししたら一つシェアできることが。。!お楽しみ!!
そして、フランス繋がりで去年生で見に行けたポルナレフ!Tout Tout ! 楽譜は母が70年代の時に買ったもの。
なぜか日本で大ブームだったMichel Polnareff。FFの作曲家の植松伸夫さんも母世代で、ポルナレフを絶賛。きっとリバイバルが来る!と。ライブの時の動画を見せたら一ファンとして「生ポルだ〜」と仰られたのがなんともスイートでした。まだまだ現役で活躍されてます!日本でツアーがあればぜひ行かれて下さい!最高に盛り上がり、声も演奏も美しい。
『シェリーに口付け』して、次で最後じゃけぃ!
FranceからラストはSpainへ!サッカーではありません。
サントリーホールでフルオケとのJazz!LIVE音源があります。Jazzやアッパーな曲は殆どライブでしかやってないため、配信だけでもサラなる進化を共有できたら嬉しい。
Spain <LIVE>
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さて、アンコールへ。さっとバービーサラスタイルに早着替え。因みに本編の赤ドレスはマレーシアで一目惚れした一着。
盛り上げて終わるパターン!去年のビルボードでこのメンバーと初めて歌って演奏したStevie Wonderの『I Wish』。
以来ハマりすぎて、ソロの時その時のライブのテーマに合わせた選曲を入れて行く。
I Wish���ウォーキングベースの上からどうやって上手く別の曲をはめていくか。元々短調の音楽の方が乗りやすいので、『また君に恋してる』は意外と入りやすい!
地元ネタの時にたまに演歌を歌いますが、これまた気持ちい。ジャンルが掛け離れていればいるほど、面白いフュージョンが生まれる。
その前には短いリフで、Dreams Come Trueの名曲から「Love, love, love」、Beatlesから「She love’s you yeah yeah yeah」、「All you need is love」。
ラストは会場全員とのコール&レスポンス!舞台上からもしっかり皆さんのお声届いていました。5月のビルボードでもこんな風にまた一体になりたい!!
そう、丁度今年の日本での活動のスケジュールが全て出ました。是非とも盛り上げて最高な思い出を皆さんと作りたい!
また会える日までオリジナルで一体になれる曲を作ってみますね。
サラバンドと楽しく、激しく、ラストを迎えた後、アンコールのアンコールで、サラッとワンウーマンショーへ。
以前ヴァイオリンと歌で動画を撮ったプレスリーの『Can’t Help Falling In Love』。生でも聴きたい!とのことで、初めて披露。
伴奏にはヴァイオリンのPizz。事前に録音したハモリをルーパーから流しつつ歌唱。
Can't Help Falling In Love’
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ディナーショーなので、最後は客席へ。盛り上がる曲はたくさんあったので、最後は一人一人に囁くMinnie Ripertonの『Lovin’ You』。
歌いながら退場。待っててね、エーデルワイスよ。
呉・広島の皆様、遠くからいらした皆様、雪の!東京からいらした皆様、
「Happy」なValentineになりました。
バレンタイン・ヴィーガン・クッキーも無事皆さんの元に届いたみたいで何より!動画もサラッと見れたかな?バレンタインライブで歌ったあの曲もサラッと歌ってます。
私はバレンタインの手作りサラメシとワインのコンビの後気づいたら寝てしまっていて、ブログが今日になってしまいました><
今夜の手作りサラメシ
❤︎白茄子(野菜あまり食べなかった時代から茄子好き)
❤︎ブルスケッタ
❤︎キッシュとクリームシチューの合体?
見た目は崩れてアレだけど、愛いっぱい
❤︎ヴィーガン・クッキー🍪
さて、次のサライブは恒例の八ヶ岳へ。いよいよプロデュースさせて頂いたカリンバを皆さんと演奏できる!
サラ・オレイン天上の音楽
2024年3月16日(土) 14:30開場 / 15:00開演
八ヶ岳高原音楽堂
SARAH ÀLAINN オリジナルカリンバ
台数:限定150台(予定)
受渡:2024年3月17日(日)9:30~ 八ヶ岳高原音楽堂にて
※当日シリアルナンバーNo.1~50迄(予定)の抽選会を行います
木材:八ヶ岳産天然カラマツ
アンバサダー:サラ・オレイン
大自然がお好きな方、落ち着いた、アコースティックスタイルがお好きな方は八ヶ岳がおすすめです。
アッパーで盛り上がるスタイルが好みの方は、Billboardと名古屋で。
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ふたりの人間が自分たちの存在の中心と中心で意志を通じあうとき、すなわち、それぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき、はじめて愛が生まれる。この「中心における経験」のなかにしか、人間の現実はない。人間の生はそこにしかない。したがって愛の基盤もそこにしかない。そうした経験にもとづく愛は、たえまない挑戦である。それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業である。調和があるか対立があるか、喜びがあるか悲しみがあるかといったことは、根本的な事実に比べたら取るに足らない問題だ。根本的な事実とはすなわち、ふたりの人間がそれぞれの存在の本質において自分自身を経験し、自分自身から逃避するのではなく、自分自身と一体化することによって、相手と一体化するということである。愛があることを証明するものはただひとつ、すなわちふたりの結びつきの深さ、それぞれの生命力と強さである。これが実ったところにのみ、愛が生まれる。
――エーリッヒ・フロム『愛するということ』(2020、鈴木晶訳、紀伊國屋書店)
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【13話】 留置官に「ブチ殺すぞ」と言われたので弁護士にチクっておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
――逮捕から6日目。いつものように、頼んでもいないのに朝食が出てくる。ベトナム人はいつものルーティーンのように、味噌風味のお湯が入った容器にソースと醤油を入れて啜っている。
僕は昨日、自弁のカツ丼を食べて舌が肥えてしまっていたので、味噌風味のお湯を啜る気にはならず、もはや視界に入っているのも煩わしく感じたため、味噌風味のお湯の入った容器をゴザの上から床の上に移動させて食事を続ける。
すると、ヤクザ風の留置官が「オイ5番! ゴザの上に置いて食えよ? こぼしたら床が汚れるだろォ?」などと恫喝めいた口調で僕を叱ってくる。僕は一瞬頭にきたが、(たしかにコイツの言い分は一理ある)と思い、素直に「はい」と答えて、その容器をゴザの上に戻した。
朝食後、この日は留置場内にある風呂場に入れる日であったので、順番を待ち、留置官に自分の番号を呼ばれてから風呂場へ向かう。
風呂場の前に立っている留置官からリンスインシャンプーを借りると、その場で少し待つように指示される。留置官は風呂場に向かって「19番、あと3分~!」などと言って、早く風呂場から出るように催促している。
19番が出てくると、留置官から入場の許可がおりたので、脱衣所から風呂場に入ると、髪を洗っている男の背中に彫られた般若と目が合った。
僕は和彫の刺青を生で見たのは初めてだったし、そもそも浴場で大きな刺青を見るのも初めてだったので、これにはなかなか面を食らった。和彫の男は隣の居室でよく騒いでいたギョロ目のじじいで、目が合うと、「おう5番!!」などと完全に音量を間違えている大きな声で挨拶をされた。
風呂場は6人分程の身体を洗うスペースと、3人程入れそうな大きさの浴槽があり、定員は3人に絞られていたので、割とゆとりのある空間だった。
僕は悪臭を放っていた頭皮と髪を洗い、石鹸を泡立てて手で体を洗ってから浴槽に入る。浴槽は垢が浮いていて気色悪さはあったが、そんなことはどうでもよくなる程、熱い湯に全身が浸かる気持ちよさに蕩けてしまう。
時間も忘れて蕩けていると、タイマーで入浴時間を計っていた留置官が「5番、あと3分!」などと急かしてきたので、しぶしぶ風呂場を後にする。
風呂場から出ると、留置官から綿棒を2本提供されたので、その場で耳掃除をし、耳糞のついた綿棒が多く捨てられているバケツに綿棒を捨てる。
入浴後、同じ居室のベトナム人と筋トレやヨガをして、漫画の続きを読み、昼食を終えてうたた寝をしていると、ヤクザ風の留置官とギョロ目のじじいによる、完全に音量を間違えている会話が聞こえてきて、目を覚ます。
「なあ6番、三浦春馬って知ってるか? 俳優の」「あ、よく知らねっすけど、知ってます」「あぁ…じゃあやっぱ有名なんだなあ」「おれはそういうの全然興味ねぇんですけど…それで、三浦春馬がどうしたんですか?」「自殺したんだって、首吊り」
寝ぼけ眼で寝転がっていた僕はそれを聞いて仰天し、膝立ちになり、ヤクザ留置官の方を見て「え!?」と声を発する。するとヤクザ留置官は「あ゛?」と何故か威嚇をしてきたので、僕は無視してまた寝転がった。
それから仰向けの状態で漫画の続きを読んでいると、首が痛くなってきたので、長袖のスウェットを脱いで、それを枕にし、再び漫画を読んでいた。
すると、しばらくしてヤクザ留置官が「何やってんだこらァ!」と急に大声で怒鳴ってきた。僕は目を丸くしてヤクザ留置官の方を見ると、ヤクザ留置官は「てめぇ枕にしてんじゃねえぞ!」と怒鳴ってくる。
僕はムカついて反射的に舌打ちをし、「うっせーな…」と小声でぼやきながら、枕にしていたスウェットを手に取って着ようとすると、ヤクザ留置官は鬼のような剣幕で「てめぇ…! 次やったらブチ殺すぞッ!!」と場内に響き渡る大声で怒鳴ってきた。
僕は大声で露骨な脅迫をされたことで、急激に心拍数が上がり、身がすくんだ。しかしこれは好機だと察知して、「…あ、今ブチ殺すぞって言いました?」などと震えた声で聞き直す。
すると、ヤクザは若干ひるんだ表情で、「……ブチこむって言��たんだよ!」などと言うので、僕が「ブチ殺すって言いましたよね?」と再度聞き直すと、ヤクザは「日本語分かんねえのかァ!? ブチこむって言ったんだよ…! 刑務所に…」などと咄嗟に出たらしい言い逃れをしてくる。
僕は負けじと「ブチこむでも脅迫ですよ? それにここにいる人たちは全員ブチ殺すぞって言ったのを聞いてると思うんで、言い訳しても無駄ですよ」などと平静を装って言い返す。
すると、ヤクザ留置官は見事に何も言い返せなくなったようで、わなわなと顔を震わせて立ち尽くしていたので、僕は手元にあった便箋とペンを手にとり、「すみません、あなたのお名前を教えてもらえますか?」と尋ねる。
ヤクザ留置官は「…教えねーよ」と言うので、僕が「なんで教えられないんですか?」と尋ねると、「教えちゃいけない規則なんだよ」などと言い返してくるので、「その規則見せてくださいよ」と言うと、「見せちゃいけないことになってるんだよ」などと幼稚な返答をしてくる。
僕は埒があかないと思い、「ええと…16時25分。50代くらいの、暗いレンズのメガネをかけて、髪を七三分けにした男性警官に「ブチ殺すぞ」と大声で脅迫をされました…」などと、わざとらしく声に出しながら、声に出した内容を便箋に書く。
さらに補足として、ヤクザ留置官の特徴をメモに取り出すと、ヤクザ留置官はおもしろいくらいにシュンとして、事務机のある椅子に無言で座った。
僕は既にヤクザ留置官の特徴を十分にメモしていたが、ヤクザ留置官を虐めるのが楽しくなっていたので、「ええと…肌はやや赤黒く、耳は若干潰れており、ええと…よく見えないな……あ、一重まぶたで…」などと言って、ヤクザ留置官の特徴を執拗に記録する。
ヤクザ留置官は、さすがに僕の挙動に不安になったのか、帽子を深く被ったり、マスクを鼻の付け根が隠れるほどに覆ったりし始めたので、僕は「私が男性警官の特徴をメモにとっていると、帽子を深く被ったり、マスクで顔を隠したりしていました」などと記録しながら実況をしてやる。
すると、ヤクザ留置官は顔をうつ向かせて体を丸めだし、とうとう玉のようになってしまったので、「これだけ特徴書いておけば誰だか分かるか…よし!」などと台詞じみた独り言を言って、ようやくペンを置く。ふとベトナム人の方を見ると、ベトナム人は隅っこのほうで気まずそうな表情をしていた。
夕食後、弁護士がやってきたので、今日の一連の騒動を報告すると、弁護士は「それはいいネタを掴みましたね!」などといつになく興奮した様子で、「検察も人間ですから、勾留している被疑者が警察から脅迫されたとなれば、身内の弱みを握られているようなものなので、起訴に踏切りづらくなるものですよ」などと言う。
弁護士は続けて、「私からは担当の検察官宛に抗議書を送付しますが、これから警察や検察の取調べの際には、留置担当官から脅迫をされて、警察や検察を信用できなくなったので、取調べに協力はできませんと言って、黙秘と署名拒否をしてください」と僕にアドバイスをする。
僕は普段の悪態が幸いして、思いがけない武器を手にしたことに胸が高鳴っていたが、弁護士は水を差すように、「ただ、次の検察の取調べは注意してください。そろそろ共謀で捕まっている友人や売人がなにか自白しているかもしれませんから、検察が知り得ない情報を語っていたら、忘れずに覚えておいてください」と忠告する。
弁護士が帰り、自分の居室に戻ると、しばらくしてヤクザでない留置官が「5番、明日地検入ったから」と伝えてきたので、少し不安になりそわそわしていたが、就寝前にデパスを飲んだら、そんなことは忘れてぐっすりと眠ることができた。
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つづく
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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母がどうやって反マスク、反ワクチンから戻ったのかまとめていきたいと思います。 母の反ワクチントークがかなり苛烈になってきた8月に、夏休み中で1番母と家で過ごす時間が長くなっていた弟がストレスを訴えるようになりました。 母はこの頃、かなりディープなコロナと関係のない陰謀説のような話もするようになっていたのと、塾の体温計が額に当てる形のものだと知って「受験生なのに脳に影響が出る」とクレームを入れたりしていたことも、弟を傷つけました。 普段からあまり相談などをしてこない弟で、母の反コロナや反ワクチンについても家族で1番寛容でした。それでもどうにかしてあげないとな、と思っていた矢先、弟から「家がしんどい」「あんどーなつと出てく」と言い出しました。 私もいろいろ手を考えていましたが、すぐには家を出ることは難しく、父とも相談をして、夏期講習の日にちを増やす、部屋に鍵を取り付ける、などの方法で母と弟の距離を離すことにしました。 父は母に何度も、家でコロナの話はやめよう、と言いましたが、母はその時は了承しても、すぐにワクチンで人が死んだ話をしたがりました。夏から秋にかけて、本当に家庭の雰囲気は最悪でした。私と弟は、極力母を避けながら生活を送りました。 お盆の頃、弟が父に「カウンセリングを受けたい」と相談しました。受験生向けに学校が夏休みにもスクールカウンセラーと話ができる日にちを設けてくれていたらしいのですが、行こうとしていた日が夏期講習を増やした影響で行けなくなってしまったため、別でカウンセリングを受けたいとのことでした。 父は10代向けのカウンセリングを行なっているメンタルクリニックを探して、弟を連れて行きました。母はこの時医療への不信感が強く、とてもじゃないですが伝えられる状況ではなかったので、当然内緒でした。 弟は心理士さんに受験の悩みとともに、母の状態についても話したそうです。弟の了承を得たのか、この日父もカウンセリングに加わり、家庭の状況について相談しました。 私は友人の家に避難している時期だったため、詳細は父や弟から聞いただけですが、ここで母にもカウンセリングを受けてもらったら良いのではないか?といった話になったそうです。 とはいえ、母が自分からメンタルクリニックに足を運ぶとは誰も考えておらず、夫婦、または家族カウンセリングとして呼ぶのはどうか?といった提案がされました。 この時行ったクリニックが、心療内科と精神科が併設されている所だったため、もし万が一、反ワクチンの裏に隠れた母の病が見つかった場合も対応可能といったようなことを言われたのようで、ここで父の中に初めて、母は病気なのではないか?といった可能性が生まれたのだと思います。 私は母がマスクを外すことに執着しはじめたあたりから、何か病的な強迫性を感じていたのですが、絶対病院には行ってくれないだろうなと思って諦めていました。父は家族で1番母と過ごす時間が短かったため、私や弟ほどは母の行きすぎた部分を見ていなかったのかなと思います。 その後、夫婦カウンセリングを装うには父の努力によって表面上の関係性があまり拗れていなかったのと、私が関わると警戒されてしまう(1番母の発言に反論していたため)ので、母と父、弟の3人で家族カウンセリングを受けることになりました。 クリニックの方から母についてアドバイスされたのは •反論をしない •可能な限りネットから離れられるように気を反らせる時間を作る •規則正しい生活をさせる といったものでした。正論で返されることで、より妄想に固執してしまうため、コロナや陰謀説については肯定も否定もしてはいけないそうです この内容を父から聞いた時、目から鱗というか、自分の行動を反省しました。正しい情報を理解すれば分かってもらえる、と思っていましたが、母は多分その域は既に越えてしまっていて、こちらが反論すればするほど、自分の信じているものへの依存度が高くなってしまうのだと気付きました。 補足ですが、よく他の反ワクチンの方が併発している、トランプ元大統領の話については母から聞いた覚えがありません。ただ、闇の組織みたいなものはうっすら信じていたようで、統合失調症の方が発信している「組織から監視されている」みたいなブログはよく読んでいました。 カウンセリングに母を連れていく仮の目的は、心理士さんたちと相談して、弟の受験の不安と母との関係性の不安、を理由に行うという名目になりました。カウンセリングに行きたがっていたあたりの弟は、母のことを本当に避けていたので、本人もさすがに違和感を覚えているだろう、と私も賛成でした。 メンタルクリニックの方々の協力で、弟と父が先に訪れていたことは母に内緒にできるように根回しをしてもらいました。それ以外はあまり嘘はつかないように、弟が父に相談し、父が家族カウンセリングという方法を調べるうちに、そのクリニックにたどり着いた、というシナリオになりました。 父は母にカウンセリングの話を切り出す前に、 •弟が強くカウンセリングを望んでいることを伝える •母のせいにはせず、家庭に構っていられなくて申し訳なかった、と父自身にも非があると伝える •あくまでカウンセリングであり、医療行為とは異なると説明する といった点を意識していたと思います。 コロナに関することには父も多分触れておらず【母が怒りっぽくなり、弟が関係に悩んでいる、改善したいと思っている】【受験勉強にも支障が出て不安がある】という点を強調していました。これに関しては母も多少自覚があったため、説得しやすかったのだと思います。 説得には2週間程度かかったと思います。父は仕事で日中は家にいないので、タイミングが限られていましたが、母はどちらかというと朝昼の方が興奮しているタイプで(おそらくニュースやワイドショーなどに刺激を受けてる)、パートがある日の夜などの方が、疲れているのか話が通じやすかったです。 最後にほんとにダメ押しで、私も「弟に家を出たいと相談された」と母に伝えました。これは本当だったのですが、母としてはダメージがかなり大きかったのか、その後にLINEで父がカウンセリングの日にちの候補を送ると、行ける日を伝えてきたようです。 この候補日を決めて提示する、といった方法は父が何かで調べたようで、選択肢を少なくすことで、“行く”という気持ちに誘導しやすいとのことでした。 そして予約を入れた当日、母は少し体調不良を訴えてゴネていましたが、結局父に連れられてメンタルクリニックに向かいました。弟は塾の後に直接向かって現地で合流、という形で、大変な時期なのにかわいそうだなと思ったことを覚えています。 家族カウンセリングの内容については私は直接参加していないので、ざっくりになってしまいますが、反マスクや反ワクチンに焦点を当てるわけではなく、【母がそれらを訴えることにより、家族にどんな影響が出たのか】が初回の主な話になったようです。 母は心理士さんの前では、元々の人見知りが発揮されたのか緊張していたのか、普段家族に話すような陰謀論についてのハイテンショントークはせず、大人しい様子だったそうです。 ただ、この時担当してくださった心理士さんが、子供が2人いる方だったようで、母も安心したのか、1回目のカウンセリングが終わる頃には打ち解けることができ、次は1人ずつカウンセリングを受けてはどうか?といった話もスムーズに進んだようです。 母は弟の訴えやカウンセリングを受ける中で、自分が反マスクや反ワクチンを掲げることで家族のメンタルに影響が出ていることにはきちんと自覚を持ったようですが、それはそうとして、【真実を知っている自分】と【それを信じない家族たち】という根本は揺るぎませんでした。 この段階では【家族が母との関係性を修復したいと思っていること】【母を気遣っていること】が本人に伝わっていればいい、とのことだったので、母に大きな変化が見られないことがしんどくはありましたが、やっと少しだけ希望が見えたような気がしました。 まだカウンセリングの段階ではありましたが、母と家族が医療や第三者と繋がることができたことで、家庭内の閉塞感が少し緩みました。私はこの時は直接受診はしていませんが、何があった時に具体的な相談をして、アドバイスがもらえる場所、が家庭の外にあると思うと気が楽になりました。
Xユーザーのあんどーなつさん
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