#御徒町そば
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正装と私 ・ 沖縄に本社がある企業が夏の間は「かりゆし」と呼ばれるアロハシャツのようなものを着ているのを見て、それが沖縄の正装なんだと感心したものです。 ・ 普段はスーツにネクタイぐらいしか自分は来ませんが、内閣が発足した際に赤絨毯を敷き詰めた階段に並んで撮影される閣僚はモーニングを着ていますね。 ・ 元々の由来は昼間の正装ということでモーニングらしいですが、日本では夜でも来ているのを見かけると少し変な感じですね。 ・ 同じように蕎麦屋で「朝ごはん」という文字を見ると不思議な感覚にいつもなっておりましたが、久しぶりにこの店に来たら #朝食 #朝そば という表記になっていました。 ・ というわけで本日のモーニングは #春菊天そば を #朝蕎麦 としてリーズナブルにいただける #匠そば です。 ・ 丁度ご飯が無い #そば だけのメニューを頼みたかったので、うってつけです。日曜日の朝7時から開いているのは本当にありがたいです。 ・ 5分もしないうちにやって来ました。 #自家製麺 の #蕎麦 は程よい柔らかさと香りがいい感じで美味しいです。そして #出汁 が薫るつゆがまたいい感じです。 ・ #春菊天 は別皿で出されているので、まずはそのままで食べてみます。表面がサクッとした感じで中から、ほんのりと感じる #春菊 の苦味とのバランスがいいです。 ・ 普段食べているものよりも鮮度がよくって、苦味の中に甘みも感じられる気がします。これはいいです。せっかくなので #ソバ に入れて少しずつつゆにつけて頂きます。 ・ ジュワッと溶かしながら頂いた際の融合がいい感じです。たっぷりと入ったネギのシャキシャキも味わいながら、止まらなくなる美味しさが続きます。 ・ 前回も朝食での利用でしたので次回は昼か夜に色々と頼んでみたいなと思います。 ・ ジオタグが出ないので住所を記すと東京都台東区上野5-23-11 スグルビルです。 ・ #御徒町ランチ #御徒町グルメ #御徒町モーニング #御徒町朝食 #御徒町そば #御徒町立ち食いそば #御徒町蕎麦 #仲御徒町ランチ #仲御徒町グルメ #仲御徒町モーニング #仲御徒町朝食 #仲御徒町そば #仲御徒町立ち食いそば #仲御徒町蕎麦 #麺スタグラム #とa2cg (Ueno, Tokyo) https://www.instagram.com/p/CnNbvrGybaE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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中華蕎麦 こかげ(Kokage)「中華そば」
✔️Store name / Menu
✔️Topping : たまご
✔️Nearest : 上野広小路駅 / 上野御徒町駅
#ラーメン#ramen#中華蕎麦#中華そば#醤油ラーメン#醤油らーめん#しょうゆラーメン#shoyu ramen#shoyuramen#上野御徒町#上野広小路#ueno okachimachi#ueno hirokoji#uenohirokoji#ラーメンジャケ買い#noodles#food#japanese#tokyo
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ニラ天そば+わかめ540円
◎よもだそば 御徒町店
2022/12/23 13:45
*ご存知、よもだそば。自家製の生そばとさまざまな食材を取り入れた、創作性が高い路麺店。つゆの色は濃いめながら、節と昆布からなるダシのバランスもよく、味付けは控えめなほう。そばは、ガシッと食べ応えのある田舎風。名物でもあり、変わり種のひとつでもあるニラ天は、少し食感堅めながらサクサクで大判。ニラの風味も残っていてニラ好きにはたまらん。わかめも食感のいいものでコスパよいですね。
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五目そば + ナシゴレン - 味の幸楽(新御徒町)
(via 【新御徒町】町中華でナシゴレン!?異彩を放つ『幸楽』のラーメン半ナシセットが旨い! | favy[ファビー])
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いつも投稿拝見しています。以前ベストバイを投稿していたと思うのですが、今年度の上半期ベストバイも、もしよければ教えてください。
あー、やりました!
ご質問というかご提案ありがとうございます。
最近買ったものをいくつか思い出してみます。
①ペイズリー柄のシャツ2枚
キャプテンサンシャインというアパレルブランドを最近買ってます。歳を重ねると(特に男は)服装難しいなぁと感じる日々。落ち着きすぎたくないんですよね。なので、下品でない柄シャツは好きです。喫茶店や飲み屋で視界の端で誰か入ってきたなと思い視線をやる。薄い色のジーンズにシャツを着たその男は注文を終えるとカバーがかかった本を取り出して読み始める。『こういう人ってどんな本読んでるんだろうな』なんて思いながらコーヒーをひとくち飲み彼の生活に思いを馳せる。の彼側になれると素敵だなと思います。のためのシャツです。
②最近読んでる本3冊
本が積み上がっていく日々。ヤマシタトモコさんは下北沢の本屋さん(Peacockのところ)で、違国日記と出会ってから虜です。最近、インタビュー本が出たので買いました。まだ、未読。
森博嗣さんは昔から読んでる理系ミステリーを主に書く作家さん。の、純文学っぽい文章が好きです。
妙に人に惹きつけられる瞬間というのがある。特に際立った美人でもないのに、話し方なのか所作なのか見た目なのかどうにもむず痒くわからない。でも、会ったあとに悪くないと思う。ただ、会うまでは同じ気持ちになれない。なので、ずっと会っていればこの感覚は失われないのではないかと人間関係を進めてみようと一歩乗り出す。でも、そうした時に限ってもう2度と会えなくなる。
まぁ、そんな感じの本が好きなのです。
↑これも好きな本で、社会学者の方が書いたものです。社会学ってやつは現代の文化をしっかりと後世に残すというのも仕事なようです。この方は自己破産した中小企業の社長や風俗嬢、会社員、学生、受刑が終わった人とあらゆる人にインタビューしてまとめるのをライフワークにしてるそうなのですが、話の中身や主文よりも何故か頭に残ってしまう情景や言葉があるそうで、それを愛おしく思いまとめた本です。
これって我らがTumblrに残してることだなぁとおもって。面白かったんですよね。
③沖縄で買った月桃茶。
月桃は南国ならどこにでも映えてる植物だそうですが、その名の通り桃のような甘さと香りがします。抗酸化作用がとてもあるそうで、あと単純に美味しくて飲んでます。母にも買ってあげたのですが、こういうのってすぐに試す人と永遠にタンスの肥やしにする人がいますよね。母は後者で家族ながら気に入らないところです。野菜やフルーツは腐らせるし。いまは関係ないか。
④叙々苑のドレッシングと高カカオチョコ
叙々苑のドレッシング高いです。チョレギサラダの味です。単純に味が美味しいっていうのもありますが、さらに言えば味が強い。なので、少量で済むんです。なかなか減らないので高いけど結果からすればお得なのでは?と思い常備してます。KALDIにこれの偽物がありますがやはりなんかちょっと違う。
高カカオチョコは健康のために。肌の炎症を抑える作用があります。アレルギー体質なので夏場は特に嫌にな��んですよね。95%のこれは友人に食べさせたら『錆を食べてるみたい』と吐き出した代物。美味しくはないけどそこまで言われる筋合いもないと思ってます笑
⑤未解決事件は終わらせないといけないから。
度々書いてますが、ラジオユーザーです。これは伊集院さんのラジオでオススメしていたゲーム。そう、実はSwitchとかやるんですよね。ただ、メジャーゲームはほぼやってなくて、名前を言ってもわからないようなゲームをやる癖があります。
これはノベルズのようなゲームで殺人事件を追うミステリー。事件関係者の話を聞き、パズルを組み合わせるように意味と意図をくっつけて解決させていく。
らしいのですが、まだ序盤。これから楽しくなるのかな。伊集院さん曰く、1つの出来事をきっかけにすべてが腑に落ちる瞬間があり、それが快感だそう。
⑤喪服(写真なし)
裾上げしてから届くらしいですがまだ未着。楽しみにしてるわけではないですが、クリーニングとか預けてるとむず痒くなる人間なので、頭の片隅にずっとある感じがして(未了のタスクのように)嫌なんです。早く届かないかなと。
⑥NEW BALANCE×AIME LEON DORE RAINIER
NewBalanceの登山靴です。
登山はしません。
革靴以外も履くかなと思って買った靴2足目。そう言えば1足目もNew Balanceだ。そっちはBB550WT。
紫が好きなのですが、なんだか連れ合いはあまり好きじゃないみたい。私といるときは着ないで履かないでという靴や服が一定数あります。靴は大きめ派。28.5または29センチくらいの靴が1番形よくないですか?
⑦小松製菓 割りまめ醤せんべえ(醤油)
南部せんべいってあまり好きじゃなかったのです。
味がないし、豆もなんか邪魔くさいし、なぜこれが青森名物なのか…。ちょっと看板に偽りないか?名物?って思ってましたが、これはめちゃくちゃ美味しかった。お土産もらってまた食べたくなってネットでまた買って。甘辛で香ばしい醤油の美味しさが最初にあって、それが薄まってきたときに今度は豆の旨味がググって持ち上がってくる感じです。永遠に食えます。
⑧今年は安いぜ、シャインマスカット
500��ですよ。祖師ヶ谷大蔵の八百屋やばい。ちゃんと美味しかったし。
⑨大衆ジンギスカン酒場ラムちゃん
町田、御徒町、有楽町なんかにあるチェーン店。5000円くらいで食べ放題+ハイボール飲み放題ができます。
ラム肉が生でちゃんと美味しいんですよ。北海道で食べたのと遜色ないくらい(怒れるか?)
タレに入れる薬味が生姜と春菊を混ぜた絶妙な味で。すごく好き。ちゃんと服は臭くなります。
⑩アンメット(ドラマ版)
我が家に杉咲花さんブームを巻き起こした恐ろしい作品。毎日記憶がなくなる脳外科医という皮肉の効いた存在である女医さんが患者や周囲の人と関わりながら生きる意味や記憶の意義や定義を見つけて再生していく。人間ドラマとミステリーと恋愛の配分が絶妙でした。上半期No.1ドラマ。一番好きな花も好きだったよ。
なにかまだまだ忘れてるような…。がこのへんで!
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台東区上野御徒町界隈の飲食店から金を巻き上げる古典的ヤクザ
宝島さんはミカジメ料払うのを拒んでたん��ゃないだろうか 他の飲食店も払わなくなるのを恐れてヤクザは宝島さん夫婦を殺害 それも近隣の飲食店を震え上がらせるために死体がすぐ見つかるように遺棄 首絞めて殺害したその後にわざわざ頭部をビニールに入れてテープでぐるぐる巻きにしたり、手足を結束バンドで縛ったり、死体を燃やしたりしたのは、死体をむごたらしい状況にしておいて、近隣の飲食店主を恐怖させ、金を払わせるため
殺害犯はヤクザ界隈だから幾らでも都合がつくだろうし、中国人あたりを使って殺害後すぐ国外に出せば、足がつきにくい 下っ端の使い走りに指示して出頭させても、この使い捨ての使い走りからはたいした情報は得られずに捜査は暗礁に
で、殺害を指示したどっかのヤクザは上野御徒町界隈から広くミカジメ料を得る 捜査では当然近隣の飲食店にヤクザからの不当な要求がないかを当たるだろうが、恐怖に駆られた飲食店主はダンマリで毎月ヤクザに金払うことを選ぶだろう
この絵を変えるためには警察が近隣飲食店を巻き込み、必ず守ると信じてもらう必要があるし、地元の飲食店の団体も反ヤクザで一致団結する必要がある ヤクザの脅しに関わらずに
餃子の王将の社長射殺もヤクザのカネ絡み 北九州の工藤会みたいにヤクザというものは、自分が金儲けをするためにまじめに働いている人を脅し、殺す存在だってことをよくわかっとく必要がある
それが許せない、と飲食店主や警察が一緒にヤクザ滅亡に力を合わせないと、麻薬マフィアが支配して市民を残虐に殺戮する南米コロンビアみたいに治安がない状態になる
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女��の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒に��ちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭を��早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情��、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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2025年度募集停止:2校 津島北高校・海翔高校 統合による学校新設:1校 新校の校名は「津島北翔高校」。津島北高校と海翔高校を統合し2025年4月に開校する。普通科、商業科、福祉科の3つの学科を設置し、地域社会と連携し��探究活動に学校全体で取り組むことで協働の精神を育み、学びを地域社会に還元する学校を目指す。 学科新設 惟信高校は「未来探究科」を県内初設置。 美和高校は「地域探究科」を県内初設置。 津島高校は「国際探究科」を設置し、国際バカロレアの導入を目指す。 「未来探究科」と「地域探究科」は、普通教育の学びを基盤とした新しい普通科で、「特色・魅力ある学びに重点的に取り組む学科」として県内に初めて設置する。 併設型中高一貫校の開校:4校 <津島高校>グローバル探究実施校 津島高校附属中学校では、「国際探究コース」2学級80人を設置。今後、附属中学の生徒は、津島高校の2025年度の新設学科「国際探究科」へ進学することになる。 <明和高校>SSH実施校・音楽科設置校 明和高校附属中学校では、「普通コース」2学級80人に加え、併設中学校では全国初となる「音楽コース」1学級10人を設置。新設校舎は音楽棟が2026年6月完成予定、教室棟が2027年3月完成予定で、入学後2年間は仮設校舎となる。 <半田高校>SSH実施校 半田高校附属中学校では、「普通コース」2学級80人を設置。高校入試を経て入学する高入生とは、入学と同時に混合クラスとなる。 <刈谷高校>SSH実施校 刈谷高校附属中学校では、「普通コース」2学級80人を設置。高校1年時は全員が刈谷高校の普通科に進学し、2学年以降は、生徒の希望に応じて、3つの類型(文系・理系・探究系)に分かれる。新設校舎は2025年3月までに完成予定。 フレキシブルハイスクール設置:4校 佐屋高校・武豊高校・豊野高校・御津あおば高校 不登校経験者など多様な学習ニーズをもつ生徒にとって学びやすい高校として、全日制・昼間定時制・通信制の3課程を1つの学校内に置き、3課程間をフレキシブルに行き来して学べる新しいタイプの高校。 2026年度併設型中高一貫校の開校:5校 <豊田西高校> 附属中学校には「普通コース」2学級80人を設置し、SSHの探究的な学びをベースに、中学校段階から教科横断的な文理融合の探究的な学びに取り組む。 <時習館高校> 附属中学校には「普通コース」2学級80人を設置し、SSHとAGHの取組みをベースに、中学校段階から教科横断的な文理融合の探究的な学びに取り組むほか、中学校・高校への国際バカロレアの導入を目指す。 <西尾高校> 附属中学校には「国際探究コース」2学級80人を設置し、中学校・高校への国際バカロレアの導入を目指す。 <日進高校> 併設中学校は1学年1学級40人とし、年間総授業時間数を低減できる「不登校特例校」として、中学校・高校同時にスタートする。 <愛知総合工科高校> 併設中学校は1学年1学級40人とし、県内唯一の理工科を設置する工科高校の施設と教員を生かした中高一貫教育を実施。中高6年間に加え、より専門性の高い技術・技能を習得できる専攻科での2年間をあわせた8年間で、DXをリードする人材を育成する。 連携型中高一貫教育の開始:2校 2026年4月より、2校ではそれぞれの連携中学校から生徒が初入学する。 <美和高校>地域を支える人を育てる学校として位置づけ 連携中学:あま市立七宝中学校・七宝北中学校・美和中学校・ 甚目寺中学校・甚目寺南中学校、大治町立大治中学校 <衣台高校>外国にルーツのある生徒の能力、可能性を引き出す学校として位置づけ 連携中学:豊田市立保見中学校
【公立高校統廃合】愛知県の再編・統合まとめ…中高一貫校も開校 | リセマム
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持��と考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」に���れば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上��の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで���れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、��くに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は���(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異��は、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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2024/2/17
2月17日 一期下の方と科博で開催中の“和食展”へ行った! 彼女が職場でもらった招待券に便乗させてもらって、気になるし行ったら絶対楽しいけれど、1人では混んでるから行かなかった展示に行く機会をいたいだけた。
会期末の土日でとてもとてもとても混んでいて、展示パネルの下に(展示されていたのであろう)食品サンプルの展示はあまり観ることができなかった。 でも、展示からいろんなお話をして楽しかった。 学生時代に科博や美術館で音声ガイドを貸し出すアルバイトをしていたのだけれど、当時お世話になった同僚の方がいらっしゃって声をかけてしまった。 「元気そうね!」と、混んでいた会場で短く挨拶をした。 少しミステリアスでありながら好きな雰囲気の方で、もう2度と会うことはないと思っていたので、一瞬だったけれどお会いできて嬉しい。 なんだかんだ今日の一番嬉しい出来事かも。
一期下の方がもうすぐお誕生日なので、迷惑かな?と思いつつ、ナインチェチョコレートとチューリップのお花を渡した。 そして、前回、友人にお花をあげた時同様に、博物館の入り口では「お花は展示室に持ち込めないのでロッカーへ入れてください」と言われる。
上野から御徒町方面へ歩きながら、ポテトサラダとミネストローネを、わたしでつくるところのカレーの如く、義務的に作ってしまう話を聞いたり、最近のミスド研究の報告をしたりした。 乗車駅のずるいセブンティーンアイス自販機(17種類中2種類がチョコチップモナカで、微妙にパッケージとキャッチコピーが異なっているけれど商品は同じ!)をみてもらった。
今日は待ち合わせ前に、気になっていた両国のdocomoミュージアムに行けたり、ちゃんと調べて予定を立てれば行きたかったところに行けることを実感。ガラケーやポケベルを見ながら、年齢的に一期下の方はガラケーを知らないかもしれない、と思った。 後で聞いたところ、持ったことはない、とのことだった。
そして待ち合わせに向かう途中、せっかくだから、と上野公園を歩いていたら前から来た男性から「美術館にいたんですけど、すごくこれは言わないと絶対後悔すると思って、とてもたいぷで、僕29歳のシステムエンジニアなんですけどよかったらメッセージ交換しませんか…?」と話しかけられる。すごく丁寧に足止めをさせられ、落ち着いた支離滅裂な、美術館というワードだけを使いたいだけの上野の土地での新手の声掛けにあってしまい凄く目が覚めた。 「全然良くないんで!」と、もしよかったら、に対するお返事をして、なんで音楽を聴き続けていなかったんだろう!なんで足を止めてしまったんだろう!なんで私の身長が6m無いんだろう!と悲しい怒りの気持ちでいっぱいになった。 ちょっと変だと思われても、歩く道は歌い狂ったようにパフォーマンスするしかこの社会をやりきるすべはないのでした!
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『WILDSWANS HORWEEN NATURAL CORDOVAN先行予約会』
阪急メンズ東京店の坂本です。
WAREHOUSEにて開催中の『WILDSWANS受注会』。
本日から《WAREHOUSE阪急メンズ東京店》にてサンプル展示をしています。
『WILDSWANS HORWEEN NATURAL CORDOVAN先行予約会』
WAREHOUSE阪急メンズ東京店開催期間(サンプル展示期間):2024年5/25(土)~5/28(火)
WILDSWANS SPECIAL ORDER WALLET ”HORWEEN NATURAL CORDOVAN” 外装:ホーウィンコードバン(ナチュラル) 内装:サドルプルアップレザー(ナチュラル)
外装にホーウィン社 シェルコードバンのナチュラル、内装にはベルギーのマシュア社 サドルプルアップレザー ナチュラルを使用します。
外装に使用するレザーは、『ホーウィン社 シェルコードバン』のナチュラル。 コードバンと言えば、数ある皮革の中でも希少性が高く、近年では良質なコードバンの流通量は減少してきていると言われています。 コードバンを作るタンナーの中でも、最高級のコードバンを作ると言われているアメリカ イリノイ州の『ホーウィン社』。
今回は無染色のナチュラルカラーを使用いたします。 サドルプルアップの「ナチュラル」に比べるとややブラウン系の色味ですが、無染色のヌメ革で「ナチュラル」の名前の通り、革本来の表情を堪能できるカラーです。 加えて、無染色であるが故に楽しめる、変化の度合いが大きなエイジングも期待できます。
こちらは3年程使い込んだナチュラルコードバンのサンプルです。
左→3年使用
右→新品
ホーウィン社ならではの色ムラもこのカラーでは強く感じることが出来、またそれが迫力のある表情を生んでいます。
内装に使用するレザーは、ベルギーの『マシュア社 サドルプルアップレザー』のナチュラルを使用しました。
このレザーはWILDSWANSがブランド創立当初から20年以上製作に用いている堅牢度の高い牛革です。 しかし近年は、供給悪化の一途をたどっているため、WILDSWANSにおいてもサドルプルアップを用いたアイテムを製作することが少なくなっています。 現在でもブラックやチョコのサドルプルアップアイテムはスポット的に登場する機会がありますが、 ナチュラルカラーのサドルプルアップを目にすることは、とても珍しくなりました。 今回内装に組み合わせたサドルプルアップのナチュラルは、シェルコードバンのナチュラル同様、エイジングの度合いの大きなカラーですが、 シェルコードバンのナチュラル以上に濁りの無いピュアな表情です。
どちらも自然な仕上げをしているため、皮革表面にはキズ、シワ、血筋、シミなどがどこかしらに残ります。 また、どちらの素材においても、ナチュラルカラーでは黒っぽい点などもございます。 さらにシェルコードバンについては毛穴、毛羽立ちのある個所がございます。 本シリーズのご購入については、事前にこうした皮革特性をご理解頂いた上で、ご購入をご検討頂きますようお願い申し上げます。
そして、今回お選び頂ける4型はこちらです。
《WAVE (長財布) ¥118,800(with TAX)》
《GROUNDER (二つ折り財布) ¥75,900(with TAX)》
《TONGUE(小銭入れ) ¥38,500(with TAX)》
《CASA (コンパクト財布) ¥60,500(with TAX)》
定番アイテムの中でも人気の4型です。
今回は例年の『受注会』ではなく先行ご予約会とさせていただきます。 予め生産予定数は決まっております。 その為、予定数に達し次第ご予約終了となりますのでご了承ください。
商品にはWILDSWANSとWAREHOUSEのWネームの刻印を入れさせていただきます。
※商品のお渡し(入荷)は2024年7月中旬~8月中旬を予定しております。 (皮革の生産状況により、入荷時期の前後が予想されますので予めご了承ください。) ご予約頂きました商品はお渡しの際、税込み価格より10%OFF+ポイント2倍の特典がございます。
東京店から始まり、 東京店→名古屋店→大阪店→福岡店→阪急メンズ東京店→札幌店と全直営店で開催致します。
『WILDSWANS HORWEEN NATURAL CORDOVAN 先行予約会』開催期間
東京店:2024年4/26(金)~4/30(火)・・・終了
名古屋店:2024年5/3(金)祝~5/7(火)・・・終了
大阪店:2024年5/10(金)~5/14(火)・・・終了
福岡店:2024年5/18(土)~5/21(火)・・・終了
阪急メンズ東京店:2024年5/25(土)~5/28(火) ・・開催中
札幌店:2024年6/2(日)~6/6(木)
各店舗とも短い期間の開催ですが是非皆様の御来店お待ちしております。
WAREHOUSE阪急メンズ東京店
東京都千代田区有楽町2-5-1 7F
JR有楽町駅 銀座口 徒歩1分
地下鉄銀座駅 C4出口、地下鉄日比谷駅 A0出口
TEL 03-6252-5421
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和紙のポストカードづくり
こんにちは!しのわくスクールです。
先日、和紙のポストカードづくりを実施したので、その様子をお伝えします。
今回講師をしてくださったのは、和紙ラボTOKYOの篠田佳穂さん。
台東区の下町御徒町にショップ兼工房を構えており、外国人の方や小学生に向けてワークショップ等もおこなっております。
今回はガーセをいれたかわいいポストカードを作りました♪
日本の伝統工芸として知られる和紙ですが、そもそも何からできているかご存じですか?
和紙は、楮(こうぞ)という植物からできており、柔らかい状態にしてから皮の部分だけを削いで原料が作られています。
ただ、これだけでは和紙はうまく作れず、トロロアオイという植物の根っこから抽出する『ねり』が必要不可欠です。
この『ねり』があることで、楮の繊維が水に沈殿せず、均等にならされて綺麗な和紙が完成するそうです!和紙ができるまでには、職人さんの高い技術によって丁寧に、そして時間をかけて作られているのですね。
そんな和紙ではありますが、実は身近にある植物からも作ることができるそうです!!
すると、先生がもみじのような葉の形をした梶の木(かじのき)という植物を見せてくれました。
クワは上野公園の不忍池にも生えているようで、子ども達も『そんなにすぐ近くからとれるの!?』と驚いていました。
気軽に見ることができるので、散歩がてらお子さんと一緒に探してみてください♪
先生から和紙のお話を聞いた後は、ポストカードづくりに挑戦!
3人3チームにわかれて、下の役割を順番におこないました。
1番手:「簀桁(すげた)」という和紙を漉く道具を持って揺らす
2番手:原料が入ったボウルを簀桁に流しいれる
3番手:ボウルに溜まった水を戻す
繊維がよく混ざるように原料の容器をよく振ってから、何回かに分けて流しいれると、あとはスピード勝負!
ゆっくり揺らすと和紙が乾いてきてしまうので、均等になるようにすばやく簀桁を揺らしていきます。
隅まで原料がいきわたるように、簀桁を揺らすのが意外と難しく、初めての漉く作業に子ども達も少し緊張した様子でした☺
和紙を漉いたら、最後は圧搾という作業。
上から板で重みをかけて水分を絞り出すことで、和紙がよく締まり強度を増すそうです。
最後に、和紙を窓に貼り付けたら、自然乾燥させて完成を待つのみ!
後日、完成した和紙を子ども達に渡すと、『けっこう固い!』『ちゃんと紙になっている!!』と嬉しそうにしていました♪
普段は完成した和紙をみることが多いですが、今回のプログラムを通じて和紙がどのように作られていて、どんな職人さんが関わっているのか、裏側を知ることができました。
自分達でつくったからこそ、ものづくりの楽しさだけでなく、和紙づくりの難しさや大変さも知ることができたのではないかと思います。
このプログラムを通じて、子ども達が和紙や日本の伝統工芸に興味をもったり、ここでの発見や学びが子ども達の将来に少しでも繋がれば幸いです。今回、プログラムに協力してくださった和紙ラボTOKYOの篠田さん、ありがとうございました!
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「御即位式」 大正天皇の御即位式が行われたのは、青島陥落の翌年、大正四年十一月十日だった。御即位式のことを、一般に御大典といったが、明治天皇の御大葬が、日本が文明開化の代になってから初めての出来事であったと同じように、御即位式もここ数十年の間かつてなかったことではあるし、欧州戦線のあおりを受けて、丁度日本が好景気のさなかだったので、全国民挙げてお祝い申し上げたのであった。その時僕は、五年生になってゐた。 その日は、学校で祝賀式があって、新しい天皇陛下の御真影を拝み、「君が代」を斉唱し、教育勅語の拝読のあと、校長先生から色々のお話があって、天皇陛下万歳を三唱して、その日の授業はお休みになった。 明治天皇の御真影はどうなったか知らないが、新しい天皇陛下の御真影を頂く行事があったことを覚えている。尤も、それが何年の何月だったか忘れたが、御即位式よりも前だったことは確かである。 多分、神戸の県庁で、校長先生が頂いて帰られたのだらうと思う。何時何分に御真影が姫路駅にお着きになり、何時何分に学校にお着きになる、と時刻予定がきまって、全校生徒は、校門の前にズラっと両側に整列して、お迎えした。その時刻の少し前から、学校前の道路は一般の通行禁止になって、警官が警戒に立ってゐた。 待つほどに、京口橋の方から、人力車がボツボツ来るのが見えて、「気をつけ!!」の号令がかかった。見てゐると、警官が一人、車の前をテクテク歩いて、人力車の上には、校長先生が白手袋の両手で、大きな紫色の風呂敷包みを、おもそうに捧げて居られる。それがやっと見えた頃に「最敬礼!!」の号令がかかった。しばらくすると、警官の足と、車夫の足と人力車の車輪、その後にもう一人の足が、目の前を通って行った。 その日しばらくしてから、講堂で、御真影奉戴式があった。明治天皇が崩御になってから、三大節にも、講堂の御真影の棚は開かなかったが、新しい天皇陛下の御真影を頂いてから、前通に、御真影奉拝の最敬礼が、よみがえったのであった。 御即位祝賀式のときには、校長先生から、御即位式について色々お話があった。万世一系の日本では、一日一刻も天皇陛下のない時があってはならぬので、明治天皇がなくなった時、すぐに、当時の皇太子殿下が三種の神器をお受けになって、天皇の位につかれた。それを践祚(せんそ)といったが、天皇陛下がその位におつきになったことを、天照大神その他の御先祖に報告されなければならぬし、国民一般に又外国にも、そのことをハッキリ知らせなければならないので、先帝陛下の喪が明けてから、その儀式を行われるのである。この御即位式は、大昔から続いてゐる儀式だから、昔からの仕来り通りに、元の皇居である京都御所の、紫宸殿という第一の御殿で、古式通り厳かに行われるのである、というようなお話であった。 御即位式の日取りがきまると、その儀式のことや日程が、次々に新聞で細かく解説予告されてゐたが、いよいよ式が始まると、天皇陛下が東京を出て、京都に向かわれる鹵簿((注)ろぼ=天子の行列のこと)や、関連の色々な写真が、その記事と共に、次々に掲載された。新聞もここ数年の間に非常に発達して、写真版などもきれいになってゐた。 又、前年の青島陥落のときと同じように、全市を挙げての祝賀行事が催され、我々小学生は、日の本の小旗をかざして、町々を旗行列をし、夜は夜で、色んな団体の提灯行列が、いくつもいくつも、「祝えや祝え!!」と歌いながら、又、それぞれで万歳万歳!!と、市内を行進して、大変な賑やかさだった。 御即位式のときに、国家社会に功労があって勲章を頂いてゐる人に、天皇陛下からごちそうを下される、ということがあった。特別立派な勲章を貰ってゐる人は、東京に召されるのだが、勲五等だった父には、神戸の県庁でごちそうを賜るというので、菊の御紋章のついた御召状が届けられた。 父は以前に、広島や大阪に勤めて、軍需品の納入その他のことで、功績があったのだそうで、勲大等の旭日勲章を頂いたが、僕がごく幼い頃、専売局に勤めてゐた時に、一段進んで、勲五等になり、瑞宝章を頂いてゐた。だから、今では民間の塩田業者であったが、御即位式の御馳走に召されたので、大変の喜び方で、あち���やこちらで、大自慢にしてゐたが、いよいよその日には、朝早くからフロックコートを着て、これが勲五等の瑞宝章だ、これが勲大等の旭日章である。旭日章は本当に手柄がなければ頂けないので、一段下ではあるがこの方が立派なのだ。これが日清戦争の従軍章、これは北清事変(明治三十三年)の従軍章、これが日露戦役の従軍章だと、一つ一つ、僕に説明しながら、それを胸にズラッと吊り並べて、シルクハットをかぶって、意気揚々と停車場に向かった。 その日、もう日が暮れてから、父は、胸いっぱいに勲章を飾ったまま、人力車から自分独りで降りるのが危ないほど酒に酔って、それでも白い風呂敷包みだけは、大切に持って、帰ってきた。その風呂敷包みには、その日の御馳走が入ってゐたのである。素木の足のないお膳と、素焼きのお皿や瓶子(へいし)のようなものと、銀色のボンボニールとかいうものを取り出して、これには何が入ってゐた、これに何がと、一つ一つ説明してくれたが、どれも空だったことを記憶してゐる。
大正天皇の即位式の日のことが、大伯父(祖母の兄)の遺した回顧録に記されてました。 従兄弟が見つけて、文字起こしまでしてくれた! けっこう貴重な資料だと思う。
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上野から浅草まで歩いてきた。
今回は、上野から浅草まで歩いてきました。 いつもとルートを変えて蔵前方面を経由して歩いてきます。 蔵前方面は昔ながらの面影が残る街並みを体験しながら向かう事が出来ます。 まずは上野からスタートしていきます。 御徒町方面からのアメ横から歩いて行きます。 上野といえばアメ横!まずは御徒町方面から歩いてみます。 アメ横をまず堪能してから向かいます。 アメ横に入ってすぐにドンキホーテ御徒町店が目に入ってきます。 衣料品を取扱うお店が御徒町側には多くありますね。 ここより少しアメ横の中心に向かうと 生鮮食品を取扱うお店も見えてきます。 軽食やガッツリ食べれる食事も含め食事処も増えてきます。 その中でもやはりアメ横のど真ん中に存在感あるのが 「徳大寺」 圧倒的な存在感がありますね。 急にお寺があるんですもの・・。 もちろん行ってみます! 参拝される方も絶えず来ていま…
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大瓶630円、チャーメン600円
◎来々軒(川崎新町)
2023/09/02 11:45
*横浜・川崎を中心とした京浜地区の中華屋に「チャーメン(炒麺)」というメニュウがわりと置いてあって、上野・御徒町などにもある。中華料理の焼きそばは、揚げ麺・やわ麺いずれも野菜や海鮮の餡かけがトッピングされているのが主だと思うんだけど、チャーメンはソース焼きそばと同じ作り方で味付けが塩または醤油というのが自分の認識。一部、醤油の色が濃い仕上がりもあるけど個人的には塩ベースの色白のものがチャーメンらしいと思っている。ほどよい肉野菜と中華麺の炒め合わせでコショウの効いたあっさり味なのでビールのつまみによし。ビールのおまけのかっぱえびせんも沁みた。
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🎯ロケーションハンティング™️
◆鎌倉市 / 材木座◆ 敷地1000㎡の大きな庭に建つ、築およそ90年の平家一軒家。 【神奈川県 / 232㎡ / ¥27,500/h / iD : 24426】 神奈川県鎌倉市。 材木座海岸から程近く、鎌倉のメインストリートとなっている小町通りと若宮大路からも徒歩圏内のロケーションのご案内です。 600㎡ / 200坪の敷地に建つ築90年の平家の一軒家。普段は1泊1組限定の宿泊施設として運営されているこちらの会場。
元の建物の風情を残しつつ、スリランカを代表する建築家であるジェフリー・バワの建築に着想を得て行われたというモダンなリノベーションが施され、周辺環境と広い敷地とも相まってとても穏やかな空気が流れている会場です。 写真撮影、動画撮影でのご利用にオススメです。
🚩会場ご提案サービス
提案サービスご利用無料。 会場利用費以外にご料金はかかりません。
豊富な知識と経験を持つ担当が ( 展示会 / ポップアップ / イベント / ギャラリー / 撮影 / 動画配信) など、会場のご希望をお伺いし即日提案を行っております。
(用途・エリア・広さ・ご予算・他ご要望 )を記載いただき、 下記お問合せ先で承っております。
🚩掲載会場募集のご案内
上質な会場を取り扱うレンタル予約案内サービスです。 タイプを問わず、質の高い会場を募集しております。
弊社の顧客を御社会場にご案内し、御社の会場運営に貢献できればと考えております。お気軽にお声がけくださいませ。
(会場のウェブサイトまたはお写真、住所)を記載いただき、下記お問合せ先までお声がけくださいませ。
🚩問い合わせ先 📩 [email protected] 📞 03-6809-0952
*公式ウェブサイト 🖥 https://locationhunting.jp
*ロケーションハンティング™️ 製作委員会
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