#広げよう友達の輪
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YouTuberの青木歌音(32)は、パリオリンピックで議論を呼んだ女子ボクシング選手と同じ「性分化疾患」に悩んできた1人だ。ABEMAエンタメは、青木に独占インタビューを実施。同じ疾患を持つ青木だから話せる「女子ボクシングの公平性」について、さらに、世間に広まる“性分化疾患への誤解を解きたい”という思い、そして体の変化に心が追いつかなかった苦悩を告白。女子ボクシングをきっかけに注目された「性分化疾患」について、当事者の青木が語った。 性分化疾患とは、体の性に関する部分が多くの人とは生まれながらに違うという疾患。DSDとも呼ばれ、およそ4500人に1人の割合で産まれるという。青木の場合は…男性として生まれるも、成長する過程で体が女性的に変化したという。 ーーオリンピックのニュースを見て、どう思われましたか? 青木:つらって思いましたね。望んでない変化をこっちはしているわけなのに、お前はトランスジェンダーだとか、男だとか言われるわけですよ。あの選手は女性として生まれているのに、女性として育てられたし、何も今までこういうことなかったのに、いきなり世界中の人からお前は男だとか言われるわけですよ。それを自分の身に置き換えて考えたら、私、つらい、無理かもって思っちゃいました。 世界から非難された選手に心から寄り添う青木。一方で、性分化疾患の当事者だからこそ、「公平性」に対しては冷静に見つめている。 青木:(選手の)幼少期の写真見たときは女性だったんです。すごく可愛らしい女の子だったんですけど、今は雰囲気が変わられていて。それは多分第2次性徴期に男性的な成長をされたんじゃないのかな。そこは間違ってないんじゃないかなと思うんで。もし私がその選手の立場だったら、本当に出たいのであれば、周りの選手と同じように女性ホルモンを打って、男性ホルモンの基準値というか量を減らして、そこで初めて対等になるじゃないですか。そこからじゃないのっていうのは、私は正直思いました。性分化疾患にもいろんなパターンがあるので、彼女が公表してない部分もあるから、私は一概にこれだとは言えないんですけども…。 1992年8月、日本人の父とスペイン系フィリピン人の母の間に生まれた青木。小学生の時に、父の影響で野球をはじめ、当時の将来の夢は、「プロ野球選手になること」だったという。そんな青木が体の変化に気づいたのは中学生の時。多くの男性が、第2次性徴を迎え性器の発育や声変わりといった変化が起こるのだが… 青木:まず胸が膨らんでくる。多分中学生くらいの時でBカップくらいはあったと思いますね。なので学校に行くときは当時胸を潰すサラシを知らなかったので、お家にあるガムテープをぐるぐる巻きにして、胸に巻きつけて学校に行っていました。中学生の時の体育祭で騎馬戦だったんですよ。その時にみんなにからかわれて「なんかお前おかしくない?」それでつねられたりして。男の子だったらお風呂上がって真っ裸で部屋の中を歩くじゃないですか。私は絶対にしなくて。お風呂場の中に服も全部下着も。だから親は多分変な子だなと思っていたと思うんですけどみんなでプールの時水着に着替えるじゃないですか。周りの子たちはちゃんと成長していて、「なんで僕だけこんなちっちゃいんだろう?」みたいな。ずっとこうやって自分のを見て思っていました。 同級生とは違う体の変化に戸惑いつつ、野球の強豪に進学した青木。しかし、トレーニングをしても思うように筋肉が鍛えられなかったという。さらに、親子関係にも亀裂が… 青木:高校生の時にスマホを持ち始めるじゃないですか。やっぱり色々調べるわけですよ。女になりたくないのに心がおかしくなってくるとか、普通の男のつもりなのに胸が膨らんでくるとか、いろんなこと調べていたんですよ。(父が)「なんだあの検索履歴は。お前女性ホルモン剤って調べたじゃないか」って。やべってなって。それを私はなぜ調べたかというと、身体が勝手に胸が膨らんでくるとかいうのをいろいろスマホで検索してたので、そしたら性同一性障害とか女性ホルモン剤とかが出てくるわけですよ。それで父親は変にパズルを完成させちゃったんですよね。性同一性障害と女性ホルモン剤=女にお前はなりたいんだみたいな。「お前男らしくなる努力しろ」って言われてわかったから許してって言う感じで…。 「性自認」の戸惑いを家族から理解されなかったという。“プロ野球選手の夢“は諦め、大学に進学するも… 青木:大学1年で徐々にまた女っぽくなってるので、学校行くといきなりお尻触られたり、ウェーイって友達からふざけて。普通に男の子の格好をしているのにトイレ入ったら「なんで女がこの中にいるんだよ!」って追い出されたりとか。号泣して出てきたんですよ トイレから。そんなことが頻繁に起きて、もう日常的に男として生きていくのが怖くなって、外も歩けなくなるくらい。大学を辞めちゃったんですよ。家庭内でもやっぱり居心地が悪くなってしまって家出して��� 専門学校で女性クラスに振り分けられたことで「性自認」に変化が… 19歳で、大学を中退し、家を飛び出て、中華料理店で住み込みのバイトで生計を立てる。その後、「歌手になりたい」という新たな夢を持った青木は、21歳の時に音楽の専門学校に入学。そこで女性のクラスに振り分けられたことで「性自認」に変化が… 青木:性別というものを街中の人から他者から、誰からも意識されたくないと思って、入学申込みの男性と女性の欄に丸をつけずにお母さんの名前を使って入学したんですよ。そうしたら女性のクラスの方の入学式に呼ばれて、今まであんまり関わりを持たなかった女性たちの輪の中にいきなり入るわけで。そこでそんな悪くないなって感じになったんですよね。それはなぜかというと、もう21歳頃になっていると、中学2年からホルモンバランスがずっと変わってしまったわけなんで、やっぱり脳に影響するので、良くも悪くも思考っていうか、自分の性自認が安定しちゃったんですよね、女性として。逆にその頃はもう女で生きた方が都合いいんじゃないかみたいな。 そこから女性を自認するようになった青木は髪の毛を伸ばし、メイクをするように。そして、病院を受診し自身が“性分化疾患”であることを知った。 青木:あなたは今後、男と女、どっちで生きていきたいですか?という究極の選択を迫られるわけですよ。もし男性としてあなたが生きたいのであれば、男性ホルモンの注射と膨らんだ胸を切除して死ぬまで男性ホルモンの注射をすることになるけど、それで男として生きていけますと。女の方で生きるのであれば、私で言うと完全に女性ホルモンを一般的な女性と同等に 自分で生成することはできないので、足りない分をピルで補うという。私がもし男性として生きても、男性としての生殖能力もないというのも分かっているし、一般的な男性にはなれないわけじゃないですか、どうあがいたって。その頃はもう自分がこの先胸がなくなって声変わりして、男性的な見た目になるっていうのを想像ができなかった。じゃあ女性として行きますっていうのをそこで決めました。ピル飲んでからまた胸が大きくなりましたね。私、今Fカップくらいですね。 その後、およそ100万円をかけ、性転換手術を受けた青木。女性として生きるようになったことで、周囲の対応の変化に戸惑うことも…それは、スーパーマーケットでポイントカードの入会営業をしていた時のこと… 青木:同じ職場を男と女の姿どっちでも経験しているんですよ。男の子の見た目で行っていたから、かわいい系の男の子ですよね。かわいいわね、私入ってあげるわ。ポイントカード。入会してあげるみたいなことがあったんですけど、女の姿になってからもう急いでるからあっち行ってみたいな感じで、ポイントカード獲得できなくなって辞めました。女になってから職場の人たちからの対応が変わって、営業職だったんですけど、君には成績求めてないよって言われたりとか、飲み会で君はこっちの話に参加しなくていいから社長の横にいてお酒ついてあげてみたいな。なんか私ってここであんまり大事にされてないのかなって思っちゃったりとか、女になって��んかすごくそこを感じましたね。居心地がどっちがよかったって言ったら、たぶん男の子の時の方が社会というか、外に出て過ごす上では居心地の悪さは、男の子の方が少なかったかもなぐらいの感覚。ご自宅に招かれて飲み会する時も、お食事にありつけなかったり、常に料理出しさせられたりとか、周りの女の人たちもやっているから自分だけ料理を食べる、がっつくわけにもいかないから、私も台所行って料理出して手伝わなきゃって。 性分化疾患の当事者としてジェンダーについて深く考えているという青木。性分化疾患への理解が広まることを願いSNSで発信をしている。 青木:「トランスジェンダーとは違いますよ」というところはちゃんと発信していきたいというのと、望まない変化をしてしまう場合もあるということをみんなに知っていただきたい。トランスジェンダーというのは、なりたくて望む姿になりましたという方が多いわけですよ。でも性分化疾患の方はなりたくなくて、しかも望まない姿になってしまった人たちなんですよ。だからもう性質が真逆なんですよね。女としてちゃんと生まれて女として生きているのに、トランスジェンダーの人なんですか?と言われたら、やっぱり自分が女として生きてきた過去を否定されている気持ちになりますよね。なので、そこはあんまり誤解というか…そこはちゃんと区別つけた方がいいとは思いますけど、私みたいな人が1番多分あれなんですよね。変わったじゃないですか。一応男の子から女の姿に変わってるので。すごく広域的な定義でいうとトランスジェンダーでもあるんじゃないの?っていう話も出るんで。どう思うかは皆さんに任せますけど、でも私以外の人にあんまり言わないであげたいなって思っちゃいますよね。 女子ボクシングをきっかけに注目された「性分化疾患」。当事者として生きる青木が望む未来は… 青木:やっぱり結婚して普通のおばちゃんになること。やっぱり私は普通になりたかったっていうのがあったんで、普通って今まであんまり体験してなかったので、普通を早く味わいたいですかね。もうわざわざ性分化疾患ですって言わなくてもいいような時代が来ればいいかなって。あんまりそこを意識せずに生きられるようになったら幸せなのかなって思います。 (『ABEMA NEWS』より)
性分化疾患で元野球部が女性に…青木歌音、望まない変化への苦悩を告白「トランスジェンダーとは違います」(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
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ミラノ・コルティナ冬季オリンピック大会一年前声明 オリパラは世界のどこにもいらない!
昨夏のパリ大会の悪夢も冷めやらぬ中、2026ミラノ・コルティナ冬季オリンピック開催が一年後に迫ってきました。
2019年6月24日にスイスのローザンヌで開催された第134次IOC総会で、イタリアのミラノとコルティナダンペッツォ(以下「コルティナ」)での2026冬季オリンピック開催が決定しました。ミラノとコルティナの両都市は直線距離で約250km(東京―福島県郡山市と同じぐらい)、移動距離で約400km(東京―滋賀県米原市と同じぐらい)離れています。この時、同じ二都市による共同開催で招致をあらそったのはスウェーデンのストックホルム・オーレでした。
この大会は、オリンピック史上初の二都市による共同開催(共同で組織委員会を設立)です。これまで、オリンピック憲章は一貫して「一国一都市」の原則を掲げていました。しかし、大会規模・開催費用の増大、地球温暖化などの影響で開催可能な都市が限られてきている現実の中、2019年に一国一都市の縛りをなくす改定がなされました。
これは何を意味するのでしょうか。明らかに、複数都市にまたがるオリンピック災害の拡大です。ミラノ・コルティナ大会は開催地の面積がこれまで開かれたどの大会より広い2万2000平方キロメートルに達しています。共同開催は開催地が広範囲に分散します。選手や観客のスムーズな輸送のための高速鉄道や道路の建設が、地域住民の生活の場を引き裂く可能性など、今までとは全く規模の違う開発の呼び水となることが現実味を帯びてきています。
パリオリンピック開催開会式を目前にした昨年7月、第142次IOC総会で2030年冬季オリンピック開催地にフランスアルプスが決定しました。「フランスアルプス」は特定の都市を示すものではなく、アルプス山脈のうちフランス領の地域の総称で、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏とプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏にまたがる二つの地域圏を合わせた通称です。この決定は、フランス政府の財務保証を要するという条件付きであることは記憶しておかなければならないところです。
札幌市が2014年より冬季オリンピック招致活動(2026年→2030年)を始め、2023年に活動を「停止」したことは記憶に新しいところです。この招致活動のかげで、新潟県でも招致活動が行われました。2016年、新潟経済同友会が県と新潟市にオリンピック招致の提言を行いました。新潟市だけではキャパシティが十分ではなく、上越市・妙高市・湯沢町など全県規模での招致や長野との共同開催が模索されましたが、莫大なコストを要することなどにより、結果的に同年末にはこの招致話は立ち消えました。しかし、オリンピック憲章の改定により、再び同じ話が持ち上がらない保証はどこにもありません。
イタリアでは、オリンピック開催に疑問を持つ人々によって、これまで何回もオリンピック開催に伴う開発、巨額の公費の濫費、自然破壊、ジェントリフィケーションなどにNOをつきつける行動が取り組まれてきました。きたる2月9日には、全国規模で山岳地帯を中心に自然破壊と開発利潤に抗議する行動が予定されています。
自然破壊、大規模開発による利権の問題、過剰警備と監視・弾圧、貧困者やマイノリティの排除、公務員や協賛企業社員、学校単位での学生・生徒の動員や福祉・民生の切り下げなど、オリンピック災害はとどまることを知りません。
二都市開催が標準化していくことは、これらのオリンピック災害が広範囲に拡大していくことを意味します。
今までとはけた違いの規模の開発利権・人権侵害・自然破壊が発生するのは火を見るよりも明らかです。
オリンピックやめろ。地球のどこにも、オリンピックはいらない。
2025年2月6日
反五輪の会
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日々のあれこれ、ヒトコト。
インスタやX、ブログを持ってません
気軽にヒトコト残せる「場所」をTumblrに作ってみました
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月イチで受診していた、首の整体治療が医療費控除の対象になるとのこと。計算すると還付金が発生することがわかり、初めてスマホから追加申告してみた。マイナカードがあれば、即取りかかれる。しかし感想としては「面倒」。一体どの層向けなんだろう、初期の老眼には厳しい。操作は難しくないし、データをアップすると、即時反映される俊敏性はなかなかだけど。そしてその還付金がカフェランチ1回分くらいという。。。何事も経験(体験)だ。
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宝塚歌劇団を退団(卒業)するタカラジェンヌ達は、千秋楽に正装の黒紋付+緑の袴を着て、大階段を降りてくる。その際に、それぞれ思い入れのある花束を持つのだが、それはそれは豪華。薔薇一式など潔い人、所属した組のカラーを入れる人、とにかく好きな花を詰め込む人、ドライフラワーや花びらにラメやスパンコールを忍ばせる人、近年はオシャレなものが多い。宝塚ファンあるあるだと思うのだが、これらを観るたびに、「私だったら」「こういうお花もいいな」など、この先絶対持つことなど無いのに、つい自分事のように妄想してしまう。
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やっと2月になった。着々と予定をこなし、順調であることがありがたい。先日、池坊で所属している支部の新年会へ(初生け式や表彰等)が行われる)。我が師匠には海外に多くの弟子がいて、今回は上海のお弟子が4人、いけばな教授の門標を授与した。来日が出来なかったため、急遽私がそのうちのお一人の代理として登板、表彰式で授与させていただいた。私自身が門標を頂いたのは2020年。東京オリンピックイヤーという記念の年に頂くのを目標にし、見事に叶えたが、残念ながら翌月から長きにわたるコロナ禍に突入。東京五輪は延期となった。代理なので不要と聞いていたが、記念撮影まで依頼され、申し訳ないが人様の門標を掲げてカメラ前へ。覚悟を決めて、成りきる…。
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2025年も1月が終わろうとしている。周囲ではもう1月が終わる!という声が圧倒的に多いが、私の中では「まだ1月が終わらない!」という延々1月が終わらないのでは?感が一周回って起きている。いろいろあり、「早く自分も周囲も落ち着かないかな」という気持ちが、時間の間延び感に拍車をかけている気がする。では今現在、具体的な予定が2025年はどこまで確定しているのかな?とチェックすると、すでに10月までなんやかんやと入っている。自分一人で勝手に変更できないような用事や行事、お楽しみ。早くその日がこないかなというより、そこへ向けてのやるべきことなどが多々あり、イレギュラーな事案が発生したら軌道修正が大変そう。そうなると、ワクワク感は義務的なそれに変わってしまう。すでにそうなりつつあるような気がしないでもないが…。消化試合にならないよう、心もきちんと整えて寄り添わなくては。まず自分が大事。そこが大事に出来てなければ、人へのお気遣いは出来ない。自己犠牲と我慢は減らしていくのが今年の目標。やらなくていいこと・合わせなくていいこと・会いたくない人、マストでなければご遠慮させていただく。でも後々自分の糧になる=ベターなことは、少しは関わってみる…。
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新しいPCに合わせ、新年はマウスも新調した。見事なスケルトンで、マウスの中ってこんななのか、ふむふむ。ものすごく使いやすくて安価。BluetoothでPCにもタブレットにもスマホにもつなげました。USBで充電式。乾電池要らずだから軽い。イマドキだ、便利になったと感慨深い。
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年末にPCを新調。Winndows7→10にアップグレードし、メモリも4GBしかないボロボロPCから、16GBのWindows11へ。余計なソフトが入っていないDELL製です。ChromeもAcrobatReaderも入ってなかったけどwしかしながら、それはそれは快適で、少しはTumblerの更新頻度が上がるといいなと思う。スマホでもタブレットでもSNSの更新は出来る時代だけど、大事なものはやはりPCで向かいたい。
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。年賀状の数こそ少ないが、メール・SNS・LINE等で、続々と新年のご挨拶が来る昨今。改めて人との縁を築き上げた2024年だったと思う。昨年末から、悪夢ではないが、面倒くさいなと思うような夢ばかり見て目が覚める。今年は頭であれこれ考えず、スッキリとした1年にしたい。
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職場が外資系なため、クリスマス休暇なる公休がある。小さなお子さんがいるお宅ならいいが、大人は特別感はない。ということで、近代建築活動として公開間もない荻外荘見学。近衛文麿が自決した書斎は当時のまま。応接間の螺鈿細工のテーブルが見事だった。撮影は可能だが、食堂で流れる動画が映らないことが条件。
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日付を入れると更新頻度が気になるので、無しにしてみました。すっきり。ここはそんな所。
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怒号の忙しさの11月が過ぎ去り、12月も半ばとなった。年齢を重ねると時が経つのが早く感じる。どこかで聞いて以来いろんな方にお伝えしているのだが、時の感じ方は年齢を時速に当てはめたもの。つまり20歳なら時速20kmと感じ、70歳なら時速70kmと感じる。だから早いのだと。昨日、近代建築探訪仲間と納会をした。出会いはそれぞれ20年ちょっと前。昼は街歩きを楽しみ、夜は飲み会(できれば近代建築が飲食店になったもの)を年に数回楽しんでいた。メンバーは其々の人生に合わせて入れ替わりつつ、現在は5名ほどで定着。家族や仕事等の近況報告もするが、出会った時に生まれていなかった子供が成人したり、ご自身が定年や還暦を迎えたり、自分だって最年少だがいい歳になり、体調や病気も話題にな��。酒量も減った。しかしながら、皆概ね人生を楽しみ奮闘し、たまに個別に建物見学をしたりして変わりなく頑張っている。大人になってからの友人の付き合いは楽しい。学生時代のように毎日つるまず、頻繁にも会うわけではないが、「楽しいことを、時間が合えばご一緒に」。大人のお付き合いが心地よいのだ。
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まだ年も明けていないのに、手帳を変えた。使い方で思う所があり、当初使用する予定だった来年のマンスリーをいったんよけて、わざわざ新調する忙しなさだ。私は「コレひとつ」で管理したいタイプ。一元化が好きなのだ。新手帳には、予定とTODO・メモに加えて、新たにクレジットカード使用記録を書き込むようになり、ますます一元化が進んでいる。
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京都に行ってきた。毎年恒例、池坊旧七夕会に合わせた上洛である。行き帰りの車中では、いけばなの歴史本「1日5分いけばなの歴史」を読了。我ながら勉強熱心な1日なった。そこで初めて気がついたのだが、旧七夕「会」は、「かい」ではなく「え」と読むのだという。手習い初めて8年、どなたも指摘してくださらなかった…普段は京都花展とか言うからだろうか?それはされておき、1年ぶりの京都で気がついたことがもうひとつ。キャッシュレス化がかなり進んでいるが、電子マネー支払いはそれほどでもない。ちょっとした個人商店でも、PAYPAY系ならある。外国人観光客仕様だろうか。電子マネーユーザーな私は、少々戸惑った(現金は用意済み)。来年のよい教訓になった。日頃のお買物も、PAYPAYをもう少し利用してみようか。
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職場の上司のお嬢様とお会いする機会があった。小学校高学年ながら「母がいつもお世話になって…」とご挨拶いただき、礼儀正しさに感激。思わず「こちらこそいつもとてもお母様にはお世話になっておりまして…」と深々頭を下げてしまった。ちょっと引かれた気がする。気のせい?
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1日が24時間では足りない。仕事やいけばなだけではない。何かとやること・考えることに追われてる。そんな私の相棒はスマホと手帳の2本立て。スマホはスケジュールとリマインダー。手帳はスケジュールとTODOリスト。似たような事をダブってやっているようだが、求める要素や使用場面に各々適材適所があり、どちらも欠かせない。スケジュールはどちらも同期を取っているが、スマホを見ながら先々の予定を検討するのと、手帳を見ながらでは、考えの広がりが全く違う。そういうことなのだ。
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有給休暇を取って、年に一度の健康診断に行ってきた。日頃の(間近の?)努力が実り、ベストスコアではないが体重は昨年と変わらず、��力に至ってはコンタクトレンズ使用で1.0→1.5を叩き出した。あとは血液検査でコレステロール値の結果を残すのみ…。いつも同じ検診センターで受診するのだが、検診前の連絡がきめ細かすぎて、妙なプレッシャーがかかる。やれ問診票を先に入力してだの、検診内容を再度ご確認などの一般的なご連絡から、受診一週間前・3日前・前日とカウトダウンのようにリマインドメールをいただく。恒例行事が終わった安堵と、絶対受診に来てよね的な圧からの解放で、本日はもう店じまいな気分。
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秋の三連休が終わろうとしている。あえて遠出をせず日々行ったおうち作業は、冬服のクリーニングや新調などの冬支度と、今までのお稽古記録写真(データ)をまとめる作業。2023年10月までお世話になった師匠の元では、整理しても190枚もの写真データがあった。Webフォトアルバムにまとめ、DVD-R等に保管する為の前作業だ。今のお教室では簡易スタジオセットがあるが、前のお教室では暗めの蛍光灯に、白色だが経年劣化が残る壁がバック。壁紙がボコボコとした質感で、最新のスマホカメラでさえも明るく綺麗に撮影が難しく、大半は暗めの写真。加工で明るくビビットにするのは簡単だが、やり過ぎると光が飛んで不自然になるのは、自撮りのやり過ぎ加工と同じだ。Tumblrではお稽古作品を随時アップしているが、明るさ調整の加工だけはしていると予め言っておきます(やってません的な嘘はつかない)。
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月の初めだから?やたらとあちこちからDM含めてメールが届く。今の自分に不要なものは秒で削除だが、11月が誕生日月の私には、お誕生日特典のメールも混ざっているので要注意。いつになく、やることタスクも買物リストも豊作な1日。最後に、某建物見学会の予約が取れた。大歓喜。
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いつもより混雑した車内で、年配男性が同年代くらいの男性に、混んでるのにモタモタするなとイチャモンつけていた。言われた男性は年の功か、聞き流しつつも、わかりました静かにしましょうと一言。その言葉には激さなかったが、危うく乗り損ねそう?になった年配男性は文句止まらず。二駅到着後、今日は急いでるからこれくらいにする、次から気をつけなさいと命令口調で降車。今日のところは許してやるよってとこだろうか。幸いにも自分の身に降りかかったことはないが、こういう時は目的地でなくとも、さっさと降りて離れるが勝ちだと思う。ちなみに、第三者側にいても不快な時は、関係なくて��降りて離れる。今朝は出社優先で、つい同じ空間を共にしてしまった。お陰様で1日気分が悪い。
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只今、東京宝塚劇場では星組公演・政界コメディ『記憶にございません!』-トップ・シークレット-が公演中だ。憲政史上最低の支持率を叩き出し、不倫汚職暴言全部やってる総理大臣が、アクシデントで記憶を無くし、ドタバタの挙句に政治家としての信頼と家族愛を取り戻し立て直すストーリーだ。その中で「総理は国民に雇われている」という名台詞がある。この総理は記憶を無くし、その後記憶が戻っても信頼回復に誠心誠意努め、生まれ変わろうとしている。日本の政治家は、失った記憶は失った設定のまま。今からチケットは取れないが、12/1に千秋楽LIVE配信がある。今回、議席を獲得した方もそうでない方も、是非ご覧いただきたい。
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あんなに暑かったが、きちんと秋がきた。いけばなをしていると、季節を先取りする。特に桜。旬の花は、遅れて触れるより先取りが粋なのだ。今なら一足早めの紅葉。ピンクのかわいい実がつくヒペリカムが大きく育ったものを、今季は枝ものとして花材に使用。葉が紅葉している。
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少し前、某推しが(not宝塚)、「俺、アホなやつ嫌いなんですよ」と言っていた。天然とかそんなの関係ないから、ちゃんとしようよ!と。激しく同意してしまった。きっちりしてないことが嫌い。自分も周りも仕事も、できればそうでありたい。生真面目・ストイックの裏返しかもしれない。効率最優先主義ではないのだが、要はやることに意味を持たせたいのだ。「何となくやってみた」が一番嫌い。
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「ユナイテッド カラーズ オブ ベネトン(UNITED COLORS OF BENETTON.)」が10月23日、日本市場から撤退すると公式インスタグラムで発表したそうだ。ベネトンが流行ったとき、私は20代。好きだったな〜バッグや小物、服も持っていたかな。思い返すとブランド物を一番よく使っていたのは20代。一周回ってノーブランドでもコスパがよく、堅実でニーズに合うものを選ぶようになった。
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1週間ほど前、数年前から悩んでいた手帳カバーを購入した。お気に入りの文具セレクトショップTouch&Flowの革カバー。10年は全然もちますよ〜とのことで、覚悟を決めて���とめてみたが、一昨日の晩に留め具のボタンが取れた。接着剤で事なきを得ているが、こうやって味が出てくるんだろうな…(前向き)。
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ミミズが足元に大量にいる夢を見て飛び起きた。夢占いによると、疲労や体調不良などを示唆しているだという。そうか、私は疲れているのか…
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各地句会報
花鳥誌 令和6年5月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
立春を待たずに友は旅立ちし 喜代子 習はしの鰈供へる初天神 由季子 在さらば百寿の母と春を待つ 同 春遅々と言へども今日の日差しかな 都 橋桁に渦を巻きつつ雪解水 同 盆梅の一輪ごとにときめきぬ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
飴切りの音高らかに春を待つ 和子 風船消ゆ宝珠の上の青空へ 慶月 天を突く手が手が福豆を欲す 光子 葬頭河の婆万年を寒く座す 光子 飴切りのビートを刻み追儺の日 いづみ 虚無なるは節分の達磨の眼 緋路 老いてなほ鬼をやらふといふことを 千種 恵方向く沓の爪先光らせて 光子 とんがらし売る正面に福豆も 和子 錫杖をつき仏性は春を待つ 小鳥
岡田順子選 特選句
厄落し葬頭河婆をねんごろに はるか 柊挿す住吉屋にも勝手口 眞理子 豆を打つ墨染のぞく腕つぷし 千種 奪衣婆の春とて闇の中笑ふ 俊樹 亀鳴けば八角五重の塔軋む 俊樹 節分や赤い屋台に赤い香具師 緋路 錫の音待春の鼓膜にも 緋路 飴切りのトントコトンに地虫出づ 風頭
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ものゝふの声は怒涛に実朝忌 かおり 実朝忌由比のとどろきのみ残る 睦子 久女忌の空は火色にゆふぐれて かおり やはらかな風をスケッチ春を待つ 成子 実朝の忌あり五山の揺るぎなし 美穂 歌詠みは嘘がお上手実朝忌 たかし 死せし魚白くかたどり寒月光 かおり 実朝忌早き目覚めの谷戸十戸 久美子 寒月や薄墨となるパールピアス かおり 寒月に壁の落書のそゝり立つ 同 ふはとキスこの梅が香をわたくしす 美穂 昃れば古色をつくす蓮の骨 睦子 寒禽の過り裸婦像歪みたる かおり 人呑みし海ごつごつと寒の雨 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
両の手をあふるるあくび山笑ふ 美智子 春浅し絵馬結ふ紐のからくれなゐ 都 鰐口に心願ありて涅槃西風 宇太郎 柊挿す一人暮しに負けまじと 悦子 寒晴や日頃の憂さをみな空へ 佐代子 師の苦言心にとめて初硯 すみ子 この町を砕かんばかり月冴ゆる 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 枡形句会
春菊をどさつと鍋に入れ仕上ぐ 白陶 落ちる時知りたるやうに紅椿 三無 装ひは少し明るめ寒明ける 和代 一品は底の春菊夕餉とす 多美女 中子師の縁の作詞冬の能登 百合子
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令和5年2月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
料峭の石橋渡る音響く 三無 苔厚き老杉の根に残る雪 あき子 羽広げ鴨の背にぶく薄光り のりこ 春まだき耀へる日の風を連れ 三無 吟行や二月の空は青淡き 和魚 春めきて日向の土の柔らかく 三無 春の陽を川面に溜めてゆく流れ 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
古暦焚くパリの下町も焚く 昭子 豆撒や内なる鬼を宥めつつ みす枝 落日にして寒菊の色深し 世詩明 被災地の家もひれ伏し虎落笛 ただし 裸婦像の息づく如く雪の果 世詩明 雪吊の縄にも疲れ見えにけり 英美子 ありし日の娘を偲び雛飾る みす枝 それぞれの何か秘めたる卒業子 世詩明 今生の山河に満つる初明り 時江 九頭竜の河口に余寒残しをり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
春立つや電車もステップ踏み走る 紀子 薄氷を横目に見つつ急く朝 裕子 商店街バレンタインの日の匂ひ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 萩花鳥会
白梅と紅梅狭庭にうらうらと 祐子 熱燗で泣けたあの唄亜紀絶唱 健雄 如月の青空のこころ乗り移る 俊文 春の霜とぎ汁そつと庭に撒き ゆかり うすらひを踏むが如くの孫受験 恒雄 透きとほる窓辺の瓶や冬の朝 吉之 身に纏う衣減らざり春浅し 明子 躙り口扇子置く手に零れ梅 美恵子
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令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
越前の雪の生みたる雪女 雪 又次の嚔こらへてをりし顔 同 一としきり一羽の鴉寒復習 同 横顔の考へてゐる寒鴉 同 老いて尚たぎる血のあり恵方道 真喜栄 節分会華を添へたる芸者衆 同 白山の空より寒の明け来たり かづを 紅梅や盗まれさうな嬰児抱く みす枝 老犬の鼾すこやか春を待つ 清女 佐保姫やまづ能登の地に舞ひ来たれ 嘉和 収骨の如月の手は震へつつ 玲子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 さきたま花鳥句会
煮凝を箸で揺らしつ酒を酌む 月惑 春一番ドミノ倒しの駐輪場 八草 雪残る路肩を選りて歩く子ら 裕章 春立つや蠢く気配絵馬の文字 紀花 朽木根に残してあがる春の雪 孝江 見舞ふ友見送る窓の老の春 ふゆ子 鼓一打合図に開始鬼やらひ ふじ穂 スクワット立春の影のびちぢみ 康子 匂ひ来し空に溶けたる梅真白 彩香 生みたてと書きて商ふ寒卵 みのり 寿司桶の箍光りたる弥生かな 良江 春泥や卒寿の叔母の赤き靴 珪子
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令和5年2月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
総門を白く散らして梅の寺 斉 俯ける金縷梅の香や山門に 芙佐子 恋の猫山内忍び振り返る 斉 日溜りに小さき影なし猫の恋 白陶 腰かけて白きオブジェの暖かし 久子 鳥もまた盛んなるかな猫の恋 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
撫で牛に梅の香纏ふ天満宮 笑子〃 白梅の五感震はす香の微か 千加江 真夜の雪寝る間の怖さ知るまいの 令子 銀色の光ほころび猫柳 啓子 復興や春一丁目一番地 数幸 紅梅の謂を僧の懇ろに 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一羽には一羽の矜持寒鴉 雪 憶却の先立つてゐるちやんちやんこ 同 煮凝りや良き酒飲めて子煩悩 同 来し方を語り語らず大冬木 同 此の人の思ひも寄りぬ大嚏 同 初春の遥か見据ゑ左内像 一涓 熱燗や聞きしに勝る泣き上戸 同 己がじし火と糧守りて雪に棲む 同 灯もせば懐古の御ん目古雛 同 もう少し聞きたいことも女正月��昭子 冬日向ふと一病を忘れけり 同 瀬の音にむつくりむくり蕗の薹 みす枝 夜中まで騒めき続く春一番 やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
寒紅や良きも悪しきも父に似し 雪 退屈をひつかけてゐるちやんちやんこ 同 春立つや千手千眼観世音 同 路地路地に国府の名残り春の雪 同 節分会葵の御紋許されて 同 越前の夜こそ哀し雪女 同 瓔珞に鐘の一打にある余寒 清女 能登地震声を大にし鬼は外 数幸 春塵や古刹の裏の道具小屋 泰俊 蕗の薹顔出し山を動かしぬ 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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私の話
最初は5歳の秋か冬、長袖の季節だった。幼稚園生だった私はおたふく風邪だか水疱瘡だかに罹り、しばらく園を休んでいた。その時期園では、同じ組の子たち同士でなんとなくチー���を組んで、ロボットやら指輪やらを工作してそれを下級生向けに販売しよう(もちろん紙でできたおもちゃのお金だ)という、ものづくりやチームメイトと協力する力を伸ばし、お金の使い方や年下の子への振る舞いを学ぼうといった趣旨のイベントがあった。準備期間もそれなりにある季節の一大イベントで、みんな楽しみにしていたように記憶している。そして私はチーム決め直前に園を休み、戻ってきたときには先生によってすでに振り分けられたチームで行動することになっていた。どんなチームに割り当てられているのだろうと不安な思いで登園すると、私は牛乳パックでロボットを作る、「男の子」しかいないチームにひとり放り込まれていた。どんな経緯でそうなったのかはわからないが、最初は憂鬱だったのをなんとなく覚えている。自分だけ違うところに混ぜられてしまったのだと感じた。 しかしそこにいるうちに、いつも一緒にいる「女の子」たちといるときとは違う感覚になった。彼女たちといるときとは違った居心地の良さ、安心感。ロボット作りには最後まで楽しさを見出せなかったけれど、その空間は身の置き所としてはこれまで感じたことのない高揚感としっくりくる感じを覚える楽しい場所だった。自分と違うと思っていた属性の中に放り込まれたはずなのに、「自分も『(女の子ではない存在としての)男の子』側なのだ」と感じた。自分に割り当てられている属性は自分のものではないのだと、こんなふうに明瞭に言語化はできなかったけれど、自分に割り当てられてきた属性とその扱われ方に対する違和感を、感覚として初めて理解した初めての経験だった。ひとまずそのときの私は、自分のことを「『女の子っぽい女の子』ではない」のだと理解した。特に仲のいい関係を築いてきたのは「女の子」との方が多かったけれど、チラシで剣を作ったり体育館の大きな積み木で遊んだりするときは「男の子たち」の中にいる方が安心した。人間関係と所属意識の違いが少し明らかになり始めた。その年の七五三、赤い着物を着て髪をセットされた(当時は髪が肩まであった)が、ものすごく居心地が悪くて嫌だったことを覚えているし、親によるとかなりごねて不機嫌だったらしい。
次は10歳、小学4年生の秋。私の地域では毎年4年生が地域の学校で集まって合唱コンクールに出るという行事があった。最初は何とも思わなかったが、単純な子どもだったので練習するたびに課題���も歌うことも好きになっていくし、本番が待ち遠しかった。 本番が目前に迫ってきたある日、合唱指導担当だった先生から当日の服装についての説明があった。男の子は白い上に黒のズボン、女の子は黒いスカート。それを聞き、どう表せばいいかわからない不快感が湧き上がってきた。スカートを履きたくない。どうして私はスカートを履く側なのか?どうしたら履かなくて済む?あれだけ楽しみにしていたのに、その日を境に本番が近づくのが嫌でたまらなくなった。親が買ってきたスカートを履いたときの違和感は強烈に残っている。しかし音楽会は例年より少し早めのインフルエンザ流行のため中止になった。その報に泣いている子もいたし、私も残念な気持ちはあったが、それ以上にスカートを履かなくて済んだことに安堵した。まさかそんな理由で中止が嬉しかったなんて言える空気ではなかったので、友達に合わせてがっかりした表情を浮かべていた。またこの頃から身の回りの物へのこだわりが出始めた。最初は親に言われるがままに着ていた「弟へのおさがりでも使えるような服」を自ら選んで着るようになり、「女の子」でひとりだけ青い習字セット、青い裁縫セットを使い、家庭科で作った巾着も白と黒のドラゴンモチーフの布を使っていた。常に短い髪、同年代の平均より常に高い身長、青やグレー、黒のパーカーやトレーナーにジーンズ、手提げ袋に至るまで「女の子」っぽさを排除した見た目の中で、ランドセルだけがずっと浮いていたように思う。入学前親に連れられてランドセルコーナーに行ったとき、漠然と赤は嫌だという思いがあったが、「女の子」用のものは赤やピンク、オレンジしかなく、色ではなく大人っぽい響きの名前が気に入ったという理由と、言葉にならないけれど確かにあった何かを諦めたという思いで、渋めのローズピンクのランドセルを背負っていた。年齢が上がっていくにつれ「女の子らしさ」がなくなっていく見た目の中、ずっとランドセルだけが私の「本当の」所属を周囲に示すもので、これを背負う限り私は何をしようとも「女の子」にカウントされるということを思い知り、「そうじゃないと思うんだけどな」のような微妙な気持ちでいた。どうして自分がそう思うのか、というところまでは考えられなかったけれど、「女の子っぽい」という記号を身に付けることへの拒否感は確固たるものになっていた。
次は中学生。当然制服のスカートが嫌だった。小学校の卒業式のときもスカートは確かに嫌だったけれど、上にはおるグレーのジャケットがかっこよくて気に入っていたため一日だけなら、となんとなく乗り越えたが、これからずっと着なければならない制服は本当に嫌だった。でも登校したらほとんど毎日午前中にジャージに着替えていたし(時間割の関係でそうだった)、運動系の部活をやっていたため下校は毎日ジャージだったので、憂鬱感は徐々にごまかせるようになっていった。 小学校からほとんど持ちあがりの、狭く密���で固定的な人間関係という土壌がある中でのクラスメイトからのまなざしは、嫌でも表面的なもの以外の情報も伝えてくるもので、この頃になってくると自分が周囲からどう見られているかを何となく察するようになっていった。周りは段々と女/男の境界がはっきりしたものになりそれぞれの文化が別のものになっていく中で、「女の子」への所属意識をどうしても持てず、「そうではない」存在に近づこうと「男の子」たちのコミュニケーションをロールモデルとして振舞い方を学習した結果、「女の子」たちからは自分たちのメインストリームからは外れていて色々と変だけれど、一応同じ場所にいる他者として、「男の子」たちからは他の「女の子」と比べると自分たちの文化にどこか(「理解している」ではなく)近いけれど、でも同じ存在ではない他者として、「女の子っぽくない・男の子っぽい女の子」のような、どちらからも微妙に浮いた存在として認識されていたように思う。加えて恋愛の話題に絡んでくる子/そうじゃない子の新たな境界も生まれるようになり、誰が付き合っている、デートに行った、夏休みどうするのように話題になる内容が具体的になり、その話題を中心に人間関係の構図が作られ、恋愛との距離感によってヒエラルキーが生まれるようになり、それに伴い会話のあらゆるところに理解できない目配せや気配り、謎のルールも絡まってくるようになると、恋愛ごとを面倒に感じ、それらの事象に巻き込まれるのが嫌な 「男の子」 たちは、 相変わらず髪が短くてクラスの中で3,4番目に背が高い、見た目が「女の子」的ではない、自分たちと近い「男の子」的なコミュニケーションをとって接してくる、一切恋愛の話をしない私を他の「女の子」ほどは警戒せず(「恋愛的な文脈での楽しさを見出せず・高揚せず」とも言い換えることができる)、「女の子」たちも、 恋愛の話題を振られても求められていたような回答をできなかったことでそのルールを理解していないことを見抜き、普段の様子から関心があるようにも見えなかったであろう私なら男の子のそばに置いていても面倒なことは起こらないだろう(ライバルになったり、噂話をして余計な広がり方をさせたりしないだろうのような)と、どちらにとっても曖昧で便利な側面を持っている存在だったと思う。それによって、「男女」間で起きるであろう揉め事を減らせると考えた(であろう)班を決める係のクラスメイトによって、校外学習や修学旅行といったイレギュラーでトラブルをなるべく起こしたくないイベントでの班編成では、いつも男子の中にひとり放り込まれる役だった(3年間「女子」が奇数のクラスだったため)。班を決めた子から「女子一人でごめんね」と謝られたが、なんて返せばいいかわからなかった。そう扱われることに慣れていたし、そう扱われることが嬉しかった。「女の子」の中に入れられる方が自分との差異やそこにいることの違和感を強く感じさせられるから、 「男の子」たちとともに「あっちが何考えてるかわからない」と振る舞うことで、自分の「女の子ではない」感覚を正当化できる環境の方がずっと楽だった。だから���いって自分を「男の子」だとは思えず、「女の子ではない」存在として「男の子になりたい」と素朴に願っていた。
「女の子ではない」という思いは自分の肉体にも向くようになっていった。胸が大きくなるにつれブラジャーをしないと揺れて邪魔だし痛いしで毎日つけていたが、ある日その工程がどうしても嫌になり、素肌にジャージの半袖を着て、その上からいつも通りの制服を着て登校した。いつものように1時間目の授業を終えジャージに着替えたときの、何とも言えない嬉しさと居心地の悪さが混ざった感覚。本来こうあるべきだったという感覚と、いつもより肌にまとわりつく気がするせいでより目立ってしまう気がする身体の丸み。念のため学校にブラを持っていこうなんて微塵も思わなかった(これは決意というよりそこまで考えが至らなかった、着替えの肯定をすっ飛ばした瞬間の満足ですっかり忘れていたという不注意によるものだった)ため、一日中居心地の悪さを引きずって猫背で過ごすことになり、それ以降ブラをつけることは諦めて受け入れた。「女の子じゃない」存在として扱われるためにできる方法を探し、少しでも「男の子」的になろうとそちら側に行動を寄せ、しかしどうしても「男の子」にはなれず、「男の子」のアイデンティティを自分の中に見つけることもできず、「女の子」の記号を与えられているのなら結局私は「女の子っぽくない女の子」なのかな、と思っていた。6年間制服のスカートを履いているなかで、自分のアイデンティティをいったんそうやって理解することにした。そうであるだけでも浮いていたけれど、恋愛の話題に関わらない限り目立つことはなかったので、基本的には地味な子どもとしてどうにかやり過ごすことができた。 私が高校まで暮らしていたところは東北の田舎で、そこは非常にシスヘテロ的でバイナリーで、女/男しか存在せず、恋愛、性愛をする人しか存在しないところだった。そんな中で私は「ボーイッシュな女の子」という言葉で済まそうとするにはあまりにも色々な要素が浮いていて、しかしそれはただ私が浮いているパーソナリティである以上の意味を持たなかった。(そして、そこでは障害や家庭環境、それらによっておこる不平等も単に個性でしかなかった。)どんな装いをしようと、どんな振る舞いをしようと、どんな思いで生活していようと、私は「女の子」としてカウントされ、「女の子」というアイデンティティを持ち、その規範に沿って生きていくべき存在でしかなかった。
高校を卒業し地元に比べると圧倒的に都会だった地域で暮らし始め、新たな生活を過ごすなかでAロマンティック、Aセクシュアルと出会い、これまで感じてきたわけのわからなさにセクシュアリティという名前がつくことを初めて知ることができた。 大学生になり自分で服を買うようになると、スカートを選ぶことができるようになった。家ではジャージかジーンズしか履かなかった娘が、帰省してきたときにスカートを履いている姿を見た親がびっくりした表情を浮かべ、「似合うじゃん」と言われて微妙な気持ちになったのを覚えている。相変わらず髪は短かったし、身体への違和感が爆発し、思いつく解消案としていわゆるナベシャツを着るようになったのもこの時期だった。でも、あれだけ嫌だったスカートを履けるようになったことに自分自身も理解が追い付かず、だからと言って「完全に」女の子になることができたとは到底思えず、「女の子」の記号を自分から選ぶ自分自身に戸惑ったこと。重ね着をし身体のラインを見えにくくする装いをしたことで安心すること。電車に乗っていてふと「こいつは女か?男か?」という視線を感じ(中学生頃から「女ではない」と認識される経験を幾度となくしており、胸部を探る目が顔に移動する不躾な視線の動きがどういうものかを体感として知っている)、隣に座ってきたサラリーマンは今私を何者と判断したのだろうと不快感を覚えたこと。同時にその困惑を引き出せたかもしれないことにうっすら喜びを感じたこと。成人式で振袖を着るのがどうしても嫌で、別の予定を入れ地元に帰らなくて済むようにしたこと。この時期に#Metoo、フラワーデモに出会い、そしてフェミニズムに出会うことで、服装や身に付けるものも社会によってジェンダー化されていること、誰でもその規範から自由になれることを知った。セクシュアリティとフェミニズムは不可分であるし、本の中に書かれている社会構造の不平等や差別は私の身に降りかかるものとも似ている部分があったため、やっぱり私は「女」というジェンダーにカテゴライズされる人間なのかと思うようになった。
私が���加したフラワーデモでは、何度かトランスジェンダーの方がマイクを取っていた。またそこで出会った人に紹介されたコミュニティにもトランスジェンダーの方が何人もいて、書籍の中だけでなくリアルな存在として、シスジェンダーではない人は決して遠い存在ではなかった。それだけでなく、当時セクシュアリティに関する情報のほとんどはオンラインで手に入れており(地元を出るまでLGBTという単語にすら触れたことのないような人間が、いきなりどの本を図書館で探せばいいのかわかるわけがなかったし、オフラインでAセクシュアリティに関する情報を探すのはさらに至難の業だった)、本で語られることを吸収することも大事だったけれど、YouTubeやツイッターを見れば本当に性的マイノリティの人間が生きていることを感じられることがあまりにも新鮮で、文字通り生きる希望になった。今はもう更新していないが、noteという媒体では今に続く私にとっても本当に大切な出会いをすることもできた。その人の文章を読むことで、Aセクシュアリティ、そして「男でも女でもない」と説明されることの多い、バイナリーな性別二元論では語ることができないアイデンティティの存在を知った。私が生きてきた、そして今も生きているこの社会がどれほど性別二元論に支配されており、それがどれだけの人を差別し、苦しめ、傷つける構造になっているのかを知り、彼らと連帯しなければならない、伴走者にならなければならないと強く思った。
同時に、性別二元論への馴染めなさは、私自身の体内にもずっと昔から近からず遠からずの距離感で確かに存在していた。フェミニズムを学び、「『自分はフェミニストではないけれど』と言いながらフェミニズム的な発言をする人が多い」と、どちらかといえば批判的な文脈で語られているのを見かけ、確かにそうだよなと思う一方で、自分は完全に「女」を引き受けるの���しっくりこないな、という思いもずっとあって、「フェミニスト」と名乗るまでにかなり時間がかかった(し、正直今も名乗ることに抵抗感というか戸惑いがある。それは私のアイデンティティによるだけでなく、私があまりにもフェミニズムのことを知らなすぎることも大いに関係している)。フェミニズムが指摘する構造的な差別において、私は【「女」が受ける差別】を受ける立場にいたと思う。だけど、私がこれまで自分に感じてきた違和感は「女じゃない」という感覚によるもののはずだった。私なりにではあるがセクシュアリティやジェンダーなどに関することを学んできた中で、これを「女」の多様性の枠で語ることはできるのだろうかと改めて自分に対し疑問を持つようになった。でも、「女じゃない」なら何なのだとか、これまで「女」に馴染んで生活しているじゃないかとか、「女」の枠にいるからこその語られ方をしているじゃないかといった考えを拭えず、もやもやした思いは残るけれど、これまでのように、そういう違和感を一生抱えたうえで私は「女」をやっていくしかないのだと、諦めと不本意な受容が混ざった覚悟を決めた。
その後、感染症流行による人との接触の減少、それに加えて鬱を発症したことで人と会わ(え)ない期間を長く経験して、就職活動が始まった(めちゃくちゃしんどかった)。何もわからなかったので学校のキャリアセンターに1から10まで頼りっぱなしだったのだが、そこで「スーツは黒で、スカートでもパンツでもいいけど今から買うならスカートが無難」というようなことを言われた。そのとき、久しぶりにスカートへの嫌悪感を強く感じた。私服でスカートを着るくらいになっていて嫌悪感はだいぶ薄くなっていたはずなのに。 フェミニズムを学んだことでシンプルに最悪なセクシズムが働いている発言だということを昔より高い解像度で理解し、そのことで怒りを覚えた感覚もあったけれど、 どうしてこんなに、あの頃と同じくらい嫌だと感じるているのか、自分に戸惑った。 スーツを売っている店の前を通ったり配られたチラシを読んだりしてみたけれど、無理だという思いがあまりにも強固で、どうにかしてスカートを履かないでやろうと決めた。就活のためにお金を使いたくなかった(鬱が治りきらないまま就活→実習→試験勉強というルートでバイトに避ける時間が減っていくのがわかっていた)し、なにより黒のスカートに脚を通すたびにおしまいの気持ちになりそうで、規範へのささやかな反骨心と心を守る方法として、 大学の入学式のときに親から譲り受けたグレーのパンツスーツで就活を乗り切った。
現在フルタイムで働いている。いわゆるケアワークと呼ばれる業種だ。職場は「女性」しかおらず、ほとんどが既婚者で、世間話としてされる会話は異性愛規範に塗れていて、「私は異性愛者じゃない!」と心の中で唱えない日はないような環境にいる。そして、新しい利用者と会うたびに新しい関係を作っていく中で「女」として自己紹介したり、「女」と認識され、「女」だから任された仕事をすることが、徐々に違和感としんどさを生むようになった。職場での自分のありかたがわからなくなって、仕事で疲れて帰ってきても夜眠れない泥の中のような日々がまた戻ってくるようになった。眠れないままとにかく横になってスマホを眺めていたある日、ふと思い出した人のブログを読み返したとき、唐突にすとんとおさまる感覚があった。そうやって私は、女ではないというアイデンティティをようやく受け入れ、自分を表す言葉としてAジェンダーと出会った。
本当に急に腑に落ちた。あまりにも呆気ないような、それでも20数年に及ぶ私のアイデンティティの居心地の悪さを理解するための、救いのような受容感だった。私が「男の子」にカウントされようと必死で、もしくは無意識的に渇望しやってきたことは、「女の子」と認識されることが苦痛でその記号を外すために、非常に強固な性別二元論が敷かれた、男と女しかいない社会の中で、「女の子ではない」をやろうとした結果「『そうではない』存在としての『男』」であろうとするしか抵抗の方法が、そして自分自身のアイデンティティとの向き合い方がわからなかったためだった。 このバイナリーな世界では性別欄は二択しか用意されておらず、「女」ではないなら「男」だし、「男」ではないなら「女」だ。必ずどちらかじゃないと存在を認識されず、そんな世界で生きてきたら「どちらでもないなら何なのだ」と、誰よりも私が私自身に問いかけ、二元論を押し付けてきた。そっち(女)じゃないというアイデンティファイしか方法を知らなかったけれど、そっちじゃないなら何なんだという問いかけにはバイナリーを前提とした答えを持たなくてはならず、その世界では私を語る言葉は存在しなかった。社会からやることを要請されてきたのは「女」で、これまで時になんとなく、時に必死に、時に絶望しながらそれをやってきたけれど、物心ついたときからずっとそこにあったここではないという感覚を、やっと信じることができるようになった。「女ではない」「どの『性別』にも当てはまらない」「女を引き受ける」。どうしてこれが同時に成り立つのか、今までこれらをセクシュアリティの問題ではなく個人の問題として引き受けてきた。共存するしかなかったうちに自分に馴染んできた部分も確かにある。シスジェンダーであることを求められ、受容する時間もあったけれど、それでもこれまでの人生すべてをシスジェンダーと理解することはできないし、そうしなくていい。そう思えることで、ずいぶん救われる思いでいる。
書いてきたこれらのことは、他者に対する私の性別に関する証明のためのエピソードではなく、私がどう生きてきたかのごく個人的な話でしかない。このような道筋を辿るのが、Aジェンダーパーソンにとって典型的なのか、特異なのかすらわからない。ただ、性別二元論が私のことを語りづらくさせ、アイデンティティを受容するのを遅れさせ、受容しても尚戸惑わせ、未来の見えなさに仄暗い気持ちにさせ、傷つけてくることはどうしたって否定できない。それだけではなく、今もまだ「私はAジェンダーである」ということが、「私は自分自身の性別を意識したことがない」という、Aジェンダーへの差別的発言になるのではないだろうかと恐れる気持ちがある。アイデンティティを獲得しても、それをまっすぐ祝福できるようになるには正直まだ学び、話を聞き、自分を語るための時間が必要だと思っている。私自身の、私のための話なのに、それを語ろうとすることで差別構造に加担してしまうのではないだろうかと、そしてその言葉は私自身にも向いてしまうのだろうと、ためらいと恐怖を覚えてしまう。この社会に強固すぎる性別二元論が敷かれており、あらゆる社会規範や制度、社会保障にまでそれを前提として設計をされているがために。非シスジェンダーなど存在しないと乱暴な口を開く人々がいるために。
これらは私の話だが、同時に私を取り巻く性別二元論の話でもある。非シスパーソンの尊厳を損ね、存在ごと居場所を奪い、攻撃の対象に仕立て上げ分断させ、そうすることによって大きな顔を保とうとしている、性別二元論の話だ。私にアイデンティティと出会うことを困難にさせ、規範から外れる存在として生きづらくさせ、やっと見つけたと思えても獲得するまでに本来必要だった以上に惑わせ、ようやく手にしてもそれを祝福することを難しくさせ、語ろうとする言葉を口篭らせる、性別二元論の話だ。シスジェンダーをやろうと頑張ってきた長い闘いが終わり、そして今度は非シスジェンダーの存在を許さない社会との闘いが始まる。それも今から始まっているのではなく、ずっとずっと前から傍にあった濁流の中に巻き込まれるような感覚だ。苦しいけれど、私はそこで私と出会った以上逃れることはできないし、したくない。私はこれまでもこれからも、こうのままで生きていく。私自身のことを言葉にするのがまだ難しくても、私が私のアイデンティティを信じられるようになっただけで、それはあの頃の5歳の私を救うことができるし、これからの私自身の希望になる。一度諦めたことがあったけれど、また出会うことができて本当によかった。
私はAジェンダーだ。
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青木淳退任記念展 雲と息つぎ ―テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編―
Retirement Exhibition of Jun Aoki Clouds and Breaths -The Exhibition as Temporary Renovation extra edition-


東京藝術大学美術学部建築科において5年間教鞭を執ってきた青木淳の退任記念展を開催します。
●会期: 2023年11月18日(土) ‐ 2023年12月3日(日) ●開館時間:10:00 - 17:00(入館は16:30まで) ただし、最終日12月3日は16:00まで(16:00からは小金沢健人によるパフォーマンス) 会期中無休/入場無料 ●会場:東京藝術大学大学美術館 陳列館 ●主催:東京藝術大学美術学部、東京藝術大学美術館 ●企画:東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻青木淳研究室(青木淳、笹田侑志、秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠) ●協力:菊地敦己、小金沢健人、中村竜治 ●会場設営:studio arche (甲斐貴大) ●グラフィックデザイン:小原七海 ●問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) ●Dates : Nov 18 (Sat) - Dec 3 (Sun), 2023Open throughout the session period ●Hours : 10:00 - 17:00 (Entry by 16:30)*Dec 3 until 16:00 (Performance by Takehito Koganezawa starting from 16:00) ●Place : Chinretsukan Gallery 1, 2F (The University Art Museum, Tokyo University of the Arts) ●Admission : Free ●Organizer : Faculty of Fine Arts, Tokyo University of the Arts; The University Art Museum ●Planning : Jun Aoki Laboratory, Department of Architecture, Tokyo University of the Arts (Jun Aoki, Yushi Sasada, Mahiro Akiyama, Mikio Oiwa, Momoko Sano, Kazutaka Miwa) ●Collaborators : Atsuki Kikuchi, Takehito Koganezawa, Ryuji Nakamura ●Venue Setup : Studio Arche(Takahiro Kai) ●Graphic Design : Nanami Obara ●Inquiry : NTT Hello Dial: 050-5541-8600
以下、青木淳によるステートメントです。
2019年度、東京藝術大学美術学部建築科教授に着任しました。2023年度をもって定年に達するため、最初から、5年間という時間の限りを強く意識しての就任でした。 その 5 年間で、日頃、「建築」について考えてきたことを、学生たちに伝えていきたいと思いました。 建築とは、私たちに先立っていまここに存在している環境に対して、想像力をもって働きかけ、私たちの存在の基盤である環境そのものを揺り動かすこと、と考えてきました。どういう方向に揺り動かすはそれぞれの自由です。肝心なのは、一見、盤石の存在に見える目の前の環境もまた、それぞれの意志によって改変できるし、またそうすることによって、私たちは「自由」になれる、ということです。 そのことを、実践を通して伝えられたらと思ったのでした。 私の研究室に所属する大学院1年生たちに、そのことを目的としたプロジェクトを行なってもらうことにしました。それが、「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」でした。 建築科の大学院入試は 9月に行われます。したがって、最初の大学院生を受け入れたのは、2020年度からでした。2023年度に大学院生をとると、彼ら彼女らが修士 2 年に進級したとき、すでに退官になってしまっていますので、2020年度、21年度、22 年度の 3年間だけ、大学院生をとるつもりでした。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」は、3回で完結するひとつの企画でした。 展覧会とは作品を見てもらう/見にいくためにつくりあげられる一時的な環境です。作品の内容がよく、それがうまく伝わると、よい展覧会と言われます。そして、ほんとうによい展覧会だと、作品と環境との境が溶け合い渾然一体となって、そこを訪れ、時間を過ごすその体験そのものが、私たちの内のなにかに働きかけるものです。 この事態を、環境の側から見れば、すでにここに存在し、私たちの存在の基盤である環境がなにかによって改変され、その環境が私の固まりかかった存在を揺り動かしている、ということになるでしょう。作品が不要というのではなく、作品という項を仮に括弧にくくった見方をすれば、という話です。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」とは、このような視点で、いまここに存在している環境に働きかけ、一時的に、それを一定の方向に変えてみせることであり、それはまさに、日頃、建築について考えてきたことと重なっていました。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を企画し、実践しなさい。 この課題に対して、2020年度の大学院1年生たちは、東京藝術大学上野キャンパス・正木記念館を対象として、そこに置かれた備品を配置し直すことで、その空間が持つ特質を強調しようしました。タイトルは<シン・マサキキネンカン>、企画・実践は、荻野紗、齋藤悠太、藤井雪乃、山田寛太でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・澤田航。) 2021年度の大学院1年生たちは、渋谷駅前の桜丘フロントビル 1 階の「SACS 渋谷」を舞台として、現実の渋谷の街さながらに、展示を構成する個々の要素が独立した搬入/設営/搬出という動きのなかにある状態をつくりだしました。タイトルは<鳥は泳ぎ続ける>、企画・実践は、大貫友瑞、河上朝乃、高井爽、松井一将でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・笹田侑志。) 2022年度の大学院1年生たちは、有楽町駅前の新有楽町ビル B1F「旧理容室」を��点として、手渡されるインストラクションを手掛かりに、有楽町の表と裏を訪ね歩くことで、普段とは異なる街の顔を浮かび上がらせました。タイトルは<HAPPY TURN>、企画・実践は、月ヶ瀬かれん、仲野耕介、見崎翔栄でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・笹田侑志。) これで、3 回の「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」が完結するはずでしたが、とある経緯があって、2023年度も大学院生をとることになりました。 そこで、退任記念展として、その大学院1年生たち(秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠)と、番外編としての「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を開くことにしました。 今回だけは、学生たちの自主企画・実践というのではなく、青木、笹田が前面に立つので、番外編としました。 とはいえ、これもまた、建築というものがつねにひとりの個人に帰属できないように、青木個人の、あるいは青木と笹田の「作品」としての展覧会ではありません。建築は、ひとりの個に収斂していくものではなく、外に向かって広がり、ばらけ、にもかかわらず、一貫した「質」を保つものです。 そのことをはっきりさせるために、何人かの「外部」の人に開こうとしています。 グラフィック・デザイナーの菊地敦己さんには、「キャプション」という側面から関わってもらいます。 アーティストの小金沢健人さんには、「パフォーマンス」という側面から関わってもらいます。 建築家の中村竜治さんには、もうひとりの建築家として関わってもらいます。
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2024.01日記
2024/01/01
帰りの新幹線に乗っていると地震があり、いっせいに緊急地震速報が響いた。電車が緊急停車し、やや揺れたなと思っていると外の電線のほうが揺れていた。
現代詩手帖2023年7月号を読んでいたら電車酔いして、しばらく動けなかった。詩は今年かけたらいいな。短歌も作ってみたいといくつか試してみてるけど、しっくりきてない。今年の目標は以下。iPad買う/先にタイトルを決めて小説を書く/詩かけたらいいな/短歌作ってみたい
ジゼルのポーチを買ってもらったらジゼルを踊る夢を見た。明日はプリキュア展。
2024/01/02
感情が昂っていてプリキュア展のことをうまく言葉にできない。
事前に見た作品はトロピカルージュ(途中)、デリシャスパーティ、ひろがるスカイ。人は少なくかなり見やすかった。等身大キャラクター人形が、主人公だけでなく他キャラクターもいた。ひろプリのパネルや設定資料が追加されていた。出た後にも全キャラクター分のパネルがあった。図録は在庫残っていた。値段をみてやめてしまったが買えば良かった。プリキュア展とは別に、当日指輪を買ったが落としてなくした。ムーンライトに手をふったら一度振り返してくれた後、物陰に隠れてゆっくりこちらをのぞき、もう一度手を降ってくれた。夏海まなつちゃんに会いたいな。トロピカルージュプリキュアのブースでローラとまなつの別れのネタバレを観る。泣きそう。まなつが涙を流して海に飛び込んだローラを追いかけたあと、ローラは海からひと跳ねする。背を反らして、夕陽に鱗を輝かせ、天に手を伸ばすおとぎ話のような光景に、みんなの涙が止まる。ローラはトロピカル部の友達でありながら伝説の生き物で、ローラがまなつから離れて絵画のように伝説の一部となるとき、とてもとてもうつくしく、うつくしいから、遠い。ふたりはほっぺたをくっつけ合って笑い合う友達なのに。
トロピカルージュプリキュアを観終えたら映画プリキュアオールスターズFを見なくてはいけなくなるかもしれない、わからない。
2024/01/03
トロピカル��ジュプリキュアは29話をみてしまっておなかいっぱい。昨日ネタバレで観た最終回でとても悲しくなっていたけど、過去の感想を見たらあまり悲しくない話の運びだったらしく、あんまり泣かないかもしれない。午前中はサマーとラメールのグリーティングにどうしても行きたくて、行くかどうか悩んでいたけれど、ピアノを弾いたりほかの生活をしていたら気が収まった。洋服はほしい。
今なら絵を描けると思ってクリスタを一ヶ月分購入。むだにしないよう今月はなるべく絵を描きたいが、液タブは場所を取るしコードが多いうえ、PCの速度自体がそんなに早くないのでいつかはiPadで絵を描くようにしたい。夢のはなし。
2024/01/04
ギリ書けるか。
エコー検査して5時間カラオケ。久々に大きい声を出すが声は大きければ大きいほど上滑りして高くなっていくから録音して聞くと別人。呪術廻戦最新刊を読む。
2024/01/05
出社。15時まで謎の待機。こういうことがあるなら在宅勤務にしてほしいが、そうもいかないよう。おみやげでとおりもんをもらう。とおりもんがいちばん好きかもしれない。
2024/01/06
ナックルガールを観る。三吉は顔に邪魔なところがなくて綺麗。
イヤホンをポケットに仕舞った服ごと捨てたことを察し、散歩を諦めバスに乗って駅へ行き、イヤホンとユニクロの小さい鞄を買った。ヨドバシで6万のヘッドホンを装着し、寝不足もありどうしても欲しくなったが、とりあえず今まで使っていた3COINSのイヤホンを買い直し来年考えるという先延ばしにより散財を回避。全体的にうっすら寝不足で何事もノイズがかかったようだった。
2024/01/07
再び散歩して筋肉痛になる。
記憶は蓄積するのではなく想起という行為そのものが過去を呼ぶという論。ここまで読み、散歩したら、気づいたら本を買っていた。何を言ってるかわからねーと思うが……。
2024/01/08
ギリ書けるか。
ドラクエ10を少し進めたが、頭痛のためほぼ一日なにもできず。
(あるひとを思い出すのは、過去の写しの再生ではなく現在の行為であり、個人の環境に依るのであればそうでないものとそうであるものを分けるのも現在のそのひとである。)
寝る前に換気をしたら頭痛が改善したので電気ヒーターで何かが燃えたのかもしれない。
2024/01/09.10
(目の覚めた地の文の羅列)
カラオケに行きたい
2024/01/11
一粒食べるとクレープ食べたあとみたいになるチョコレートを二粒たべた。昼間は怒涛の仕事であっというまだった。
(想起においは動作の担い手が交互に入れ替わること 物語になることは細部をそがれること
小説がミクロの具体性を編��続けることであるなら、“文章”とは相容れないだろう。現在を置き続けること、いっぽうで回想の体で物語ることもある)
2024/01/12
怒涛の仕事だが終わらせる。カラオケ行きたい。
上司に私の慰労会と伝えられ二人で定時後食事し、ドラクエ格付けなどで盛り上がり楽しかったが、そのあと交際を申込まれ気分が下がってしまった。わたしはなにか間違ったコミュニケーションをしているのだろうか。年齢のせいであればよいけど、ひとりのことばかり夢中になってきたから自信がない。
2024/01/13
今日と明日で共通テストらしい。受験生は大変だ。
4時間ほどカラオケにいて、大声の出し過ぎで気持ちが悪くなり退散。でもここさいきんで一番楽しいカラオケだった。
家に帰ると妹が彼氏と喧嘩をして、謝るために買ったケーキの余りがあり食べる。妹の彼氏はむかし薬物をやってたみたいで絶対別れた方が良いとおもうが、すきだからケーキを持って謝りに行くのだろう。うちの家族がもっと関わり合う人々だったら引き止めていたのだろうかとかおもうけど、じっさいはそうでないのでわからない。
こういう関係でいきてきたから、ひとといることの肯定だとか、唯一無二のしがらみとともに生きることの幸福を描いている物語をみるといいことだとおもう。自分のなかからはでてこない幸福で、でもわたしもそれは幸福だと思う。そういうものに出会えるとうれしい。
2024/01/14.15
谺碧海那由多を見定むアグラフォノスの詩篇を練習。タイトル覚えられたこと無い。
仕事における 害(パワハラとか)のないひとのことをわりとアンドロイドと思いがちなので人間味を出されるとびっくりする。いきなり40歳の上司に交際を申し込まれたダメージが大きく日曜はほぼなにもできなかった。とくにストーカーとかの被害もなく、相手も途中でひより始めて水に流していただいても構いませんとか言い始めるし、今日はそのことで謝られるしたいへんきまずい。でもそれを先輩に相談して、きまずいなか頑張って働いてますアピールができたのは良かった。
妹の彼氏は元薬物売りらしく、死体を運んだことがあるらしく、本当に別れたほうがいいと思うが今日も部屋から男の声と「撤回する♡撤回するう!」と聞こえてきたからだいすきで別れないんだろう。別れたほうが良いのになあと勝手ながら思い、別れたほうが良いのになとツイートしたらもう4年くらい会ってない友達からいいねされたからあいたいよーと言ったら2月に連絡をくれることになった。楽しい忙しさで生活がみちみちらしくいいことだ。アニメーターになるために専門学校へ通い直していると風の噂で聞いたけどどうなんだろう。いまはクリエイターなのかな。
2024/01/16
小説書き終わった。タイトルはいつもむずかしいからよく考えていない、今度はタイトルからきちんと小説を書いてみたい。
もともと『知と愛』のマリー���『くるまの娘』などの広義の土地に縛られるひとがすきで、物語に置いた。さびしいのにどこにもゆけない、というのは好きな概念のひとつ。そんなことばかりやってるけれど、今回もそれがやりたくてそういうことをやった。
寒くて全身の皮膚がいたかった。喉も痛い。
2024/01/17
喉痛いしだるい、熱はないで明日明後日を在宅勤務にしてもらった。もうほぼコロナで確定と思っていて、そう思うとますます心が萎れてくる。毎日気をつけてたのに。
書いておきたいものもあといくつがあるからほそぼそやりたい。
2024/01/18.19
絶対コロナでしょうという風邪をひいていてどうにもならない。熱はないらしいけど、とにかく喉と全身が痛く、体がだるい。
食べ物が食べられるうちは大丈夫と思っているので、むりして食べては自滅しがち。昨日と今日を在宅勤務にしてもらえてたすかった。これで通勤になってたらとおもうとぞっとする。今日なんかはまったく起き上がれなかったし。
体が使い物にならないぶん考え事をするしか無いから、2月お友達とあうときの洋服を考えてはいまから悩んでいる。
なかなかしんどくて本は読めないけど、それとドラクエくらいしかすることもないので読みすすめていきたい。
2024/01/20
1日のほとんどをドラクエに費やす。が、たまーにピアノを弾いたりした。熱があるのによくやるなと思う。
コロナもインフルも陰性。今までコロナに罹ったことはなく、コロナが流行りはじめてからただの風邪にもう3回くらい罹っている。
病院につくと子どもが多く、インフルエンザの検査(鼻に長細いなにかをいれるあれ)を本気で嫌がり、命をかけて駄々っ子をする子どもが二、三人いた。親を蹴ったり、喉の許容を越える声で叫んだり。本気で抵抗するともしかしたらどうにかなるんじゃないか、という子ども特有の駄々っ子の希望ってどこからくるのだろう。甘えだろうか。自分もそういう駄々っ子をした記憶がある。
2024/01/25
やっと風邪が落ち着いて、鼻をかみながら出社できるようになった。ひさびさに外へ出ると、自分より身長が低い人や高い人がたくさんいて、やっぱり自分は世間的に見ると小さいなと思いつつ、それでも最小というわけではなくふつうだなということに気づく。
何日か出社してつらかったが、なんとこれからは週一回の出社でよいと連絡を受けた。
今日は妹の誕生日だったので、Francfrancでメイクポーチとリップバームを買い、プレゼントした。Francfrancの紙袋を見た途端「Francfrancだ!」と悲鳴を上げて、メイクポーチを見て悲鳴を上げて、ずっとやったー!うれしー!と言っていた。あげる前に、メイクで汚れるならせめて色は白ではなかった……、そもそもポーチなんで使うだろうか……、使わないとして、ならしまうのに嵩張らない電動カイロとかのほうが良かったの……とうじうじしていたのもすっきりした。プレゼントをあげてよかった���、喜んでもらえて嬉しい。
2024/01/28
素敵なブラウスとスカートを試着し、かわいいですね〜とときめいてブラウスだけ買うことに決めると、店員がやさしく「スカートの在庫が残り一点」「ホームページにはもうないかもしれない」「とりあえずあわせたお値段だけ出してみますね」とごりごりに押してきて、たしかに自分でもかわいいと思ったスカートだし、欲しいかもしれない……とわけがわからなくなってしまい、「買います」と言ってしまった。お会計しながらなんとなく間違えている感覚があり、よくわからないけどたぶん踏みとどまったほうが良い!今からでも購入をやめたい!と念じながら13200円払った。呆然としながらこんなはずじゃなかった……こんなはずじゃなかった……としばらく亡霊みたいにフロアを彷徨っていたけれど、後悔の塊にならないために一度購入した服を着ることにして、トイレで着替え、そうしたらやっぱり可愛くていまでは満足。
2024/01/29
昼間に映画『輪るピングドラム』の後編を見終える。アニメ時点の「きっと何者にもなれない」が映画では「きっと何者かになれる」へ至ったことを考えると胸があつい。作品自体はやっぱりくるしくて何度も泣いた。運命の果実を分け合うことができることこそ。一度でも愛していると言われたひとは……。そしてピングドラムはあり続ける。そうだろうか、そうだといいけど。
2024/01/30
時間が空いているときはずっと銀河英雄伝説を流している。おもしろい。
仕事でわからないところがあり、要点だけ聞くつもりが手取り足取り、画面共有しながらすべて教えてもらった。自分と関わりはなく席だけ近いパワハラ上司を思い浮かべ、ずいぶんと自分は人間関係で楽をして仕事ができているのをあらためて実感。
ここ3日間くらい毎晩1時半まで悩んでいた洋服をけっきょく買ったので、今日はそのぶん本を読めた。ボルヘス『砂の本』の他者だけ読んだ記憶があったけれど……と開いたらほんとうに他者しか読んでいなかったのでほかも読み進めている。短編ばかり読んでるから読書がだれる……と叔母が読んだ形跡のある『冷蔵庫より愛を込めて』を出してきた。
霊魂は朝日のあたる窓ぎわの机のうえで丸くなって日向ぼっこをしていた。Kがベッドからおりると、霊魂は朝のくちづけを求めるかのように顔のあたりにじゃれついてきた。柑橘類の皮をむくときのような香りがした。Kは、そういう果汁を使って化粧をした娘に顔を寄せられたような気分になって、一瞬自分が若い妻を得たかのような錯覚に陥った。しかし霊魂がKの肩や顔のあたりで歌にならない歌を歌ってはしゃいでいるのに気がつくと、その気分もたちまち消えてしまった。何か手に負えない動物でも飼いはじめたような気持がそれにとってかわった。
倉橋由美子『霊魂』
2024/01/31
明日もう洋服���くらしい。
血圧の値は膵炎というのは膵炎ではないんだろうか。とにかく脂質を避けてるけどもともと体調が悪かったわけではないのでわからない。
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「アルジャーノンに花束を」 感想。
「アルジャーノンに花束を」は名作だとは聞いていたし、気にもなっていたけど読んだことのなかった本だった。
私は、いわゆる名作に対してちょっとへその曲がった見方をしてる所があって、どんなへそ曲がりかって言うと「名作を読むことに価値を置いた人が過剰評価してるんじゃないの?」みたいな偏見なんだけど(本当に偏見である)
基本的に私にとって「本を読む」ということは楽しむためにやることだと思ってて、だからこそどんな本も読むかではなくて、読んで自分が楽しいかが大事だと思ってる。
だから、たまに耳にする「◯◯みたいな本に読む価値は無い」とか、「◯◯読んでない��んて本好きと言えない」とか、「◯◯なんて本に入らない」という言葉にあんまり賛成できなかったりする。
槍玉に上がりがちな漫画やライトノベルも私は立派な本だと思ってたりする。
まあそんな訳で、そういうあんまり賛成できない本に対する評価で割とよく聞くのが「名作の◯◯を読んでないなんて」みたいな感じの言い回しで。それにムッてなってしまってるせいで、いわゆる名作をちょっと敬遠しちゃったりするんだけど( ᐛ )
「アルジャーノンに花束を」も正に名作と言われる作品だからこそ、へそ曲がり発揮してなんとなく避けてたんだけど。
思い立ってこの度読んでみて、うわー!本当に名作じゃん!!凄い!!という感想を抱いて、今まで感じたことの無い読後感を味わったので感想が書きたくなってしまった☺️
主人公はチャーリィ・ゴードンという、IQ68の男性。
IQは100くらいあるのが一般的なので、それよりもだいぶ低く、いわゆる「知的障害」と言われる部類の人。
そんなチャーリィの一人称で描かれるお話なんだけど、そんなチャーリィが「人間のIQを上げる実験」の被検体になったところから話が始まる。
チャーリィはIQが低いが故に、言葉が上手に使えない。
そして、言葉をあまり多くは知らない。
それを表現するためか、おそらく原文では綴り間違いや単語の間違い、単語の間隔を開けない、カンマを使わないなどの書き方になってるんだと思う。私が読んだのは日本語訳版なんだけど、原文のその感じを再現するためか、句読点無し、誤字脱字、ひらがな表記などとにかく「一般的な本なら落第点もの」の文章で書かれている。なので、申し訳ないけどめちゃくちゃ読みにくい(笑)
そんな拙過ぎるほどに拙い文章で、チャーリィがチャーリィなりに理解した、チャーリィの目線で見た世界が描かれている。描かれているのだけど、とにかく文章がめちゃくちゃなせいでぼんやりした世界しか読み取れない。
まるで背景のない画面でドット絵のキャラクターが動き回ってるのを見てるようなレベルの、言ってしまえば「解像度が凄まじく荒い」世界。そのドット絵すら曇りガラス越しに見えてるのかなって思うくらいにぼんやりしてる。
チャーリィが出会う人々の名前も、どこからどこまでがファーストネームで、どこからどこまでがファミリーネームなのかもわからない。男性、女性、人数、博士、先生、それくらいしかわからない。
たぶん、それがチャーリィが認識してる世界なんだな、と思った。読んでるこっちがかなり頭の中で補足や注釈を入れながらじゃないと理解できないような世界をチャーリィは生きている。補足や注釈をいれてもなお輪郭がぼんやりしてしまうような世界の中でチャーリィは大人になるまで生きてきている。
そんなチャーリィが、IQを上げる実験に伴う手術を受けて、その文章に少しずつ少しずつ変化が起きる。
「ぼくわ◯◯した」という文章が「ぼくは◯◯した」に変わる。「木にしない」という文章が「気にしない」になっていく。ぼんやりしてた輪郭が徐々に徐々にハッキリしてくる。読み進めるごとにチャーリィの目から見える世界の解像度が���がっていく。IQが上がってきて、捉えられる世界の範囲が広がってくる。
それは本当に感動的で、チャーリィがずっと願っていた「りこうになりたい」が文章の中で鮮やかに成就していくことを読んでて実感して心が震えた。
けれど、解像度が上がることはいい事ばかりじゃなかった。
チャーリィのIQがあがるごとに、チャーリィを取り巻く環境の輪郭がハッキリしてくるのだけど、その環境がまあ酷い。
チャーリィがなかよしだ、ともだちだと思っていた人は、チャーリィが解像度が低い世界で生きている、いろんなことが理解出来てないことを逆手にとって酷いことをしていると思い知らされる。
チャーリィがジュニアスクールに通っていた頃。みんなの人気者でチャーリィも好ましく思っていた女の子にバレンタインのプレゼントを手紙付きであげた。その手紙はまともに字も書けないし読めないチャーリィがクラスメイトに頼んで書いてもらったのだけど。そのクラスメイトが悪さをして、おそらくとてつもなく酷い、侮辱的な手紙にされてしまった。そのせいで、チャーリィが好ましく思っていた女の子はチャーリィを避けるようになり、それどころか女の子のお兄さん達がその手紙に怒ってチャーリィを袋叩きにしたのだという過去を思い出す。
パン屋で働き出した頃、用事で外に出ていたチャーリィは通りすがりの子どもたちに汚物をぶつけられてドロドロに汚されてしまった過去を思い出す。
チャーリィの働くパン屋の仲間とパーティに行った時、お酒をたくさん飲まされた挙句に「外を見てきて」と言われて見に行ったら、その隙にパン屋の仲間はみんな帰ってしまったことを思い出す。
チャーリィのお母さんは、自分の息子が知的障害を持って生まれたことを受け入れられず、虐待と呼べるほどの折檻(トイレに行きたいと言っても連れていって貰えず、その場で粗相をしてしまったら皮のベルトで叩く等)をする。
チャーリィの妹はチャーリィを酷く嫌がって残酷な言葉でチャーリィを遠ざけようとする。
��れだけに留まらないような酷いことをこれでもか、これでもかと言うほどされてきていたということが読者もチャーリィもだんだん分かってくる。
IQが上がる前のチャーリィの世界は、極めて狭かった。解像度が荒すぎて、細かな部分はチャーリィが認識できないか、認識してても忘れてしまったり、その裏にある意味を考えることが出来なかったから、どうしたって世界が狭くなってしまう。
そんなチャーリィの判断基準は極めてシンプルで、「みんなが笑うのはいいこと」だし、「泣かせてしまったり、怒らせてしまうのは良くないこと」というもので。
「笑う」という言葉の意味をチャーリィはひとつしか知らないし、わからない。楽しくて笑うことも嬉しくて笑うことも、バカにして笑うことも諦めゆえの笑いも、全部全部チャーリィにとっては「笑う」ことで、「いいこと」だった。
だから、ジュニアスクールのクラスメイトやパン屋の同僚、道行く子供たちがどんな形であれ笑うなら「いいこと」で、笑ってもらえているならチャーリィとその相手は友達だと思っている。たとえ侮辱の言葉を吐きかけられても、暴力をふるわれても。
怒ったり悲しむことは悪いことで、自分に関わることで相手が怒ったり悲しんだりするなら、チャーリィはどうにかして笑ってもらいたいと願う。たとえその怒りや悲しみがチャーリィのせいではなく、ただの八つ当たりや思い込みだったとしても、それはチャーリィにはわからない。
チャーリィが「りこうになりたい」と願ったのも、お母さんがチャーリィを見ていつも怒っているから、「きっとぼくがりこうになったら、��かあさんもわらってくれる」と思ったからだった。
そうして実際にチャーリィは手術によってどんどん利口になっていく。賢くなっていく。世の中の解像度がメキメキと上がっていく。それは、「過剰」なほどに。
チャーリィのIQは最終的に185まで上がる。一般的な人のIQを遥かに上回る知能指数になる。
すると、今度は解像度が高すぎるゆえに周りと見える世界が異なってしまって、話が出来なくなる。
ドット絵になった風景を見ている人と、8Kの風景を見ている人はきっと、話が合わないだろう。なぜなら8Kの風景を見ている人は、花にとまったハチの体に生えた産毛の1本1本まで見えてるのに対して、ドット絵になった風景を見ている人にはデフォルメされたハチを見ている。当然、そんな産毛なんて見えやしない。だから、その話をしても首を傾げられてしまう。
チャーリィに手術を施した博士(研究者)は、手術をする前のチャーリィにとっては知の巨人だった。でも、IQが上がってたくさんの知識を取り込んだあとのチャーリィにとっては、「自分が読んだ論文すら読んでいない、知らない知識不足の人」に見えるようになる。チャーリィはIQが上がった結果何ヶ国語も解せるようになったのに、博士たちは4ヶ国語がせいぜいだった。だから、アラビア語で書かれた論文の話をしても通じない。
そして、チャーリィのIQの上昇は急激だった。1週間のうちにドット絵から10万画素のデジカメレベルまで上がってしまう。それくらいの急上昇だから、共感性の面が追いついてない。
チャーリィにとっては、自分が今見ている光景は他の人にも同じように見えていると感じてしまう。だから、ハチの例のような話をしてしまう。アラビア語が読めている前提で話してしまう。当然、相手が見えている景色は違う。だから合わないのにその事が理解出来てない。だから話し続ける。結果、相手に「バカにしている」とか「優越感に浸ろうとして知識をひけらかしている」と思われて嫌がられてしまう。でもチャーリィはなぜ嫌がるのかわからない。何故ならチャーリィにそんな意図はない。考えたこともない。ただ見たものの話がしたいだけだ。
自分と他者が違う人間だと知るような経験しないままに、いきなり知識だけが増えてしまったような、そんな状態だから、IQが上がる前に抱いていた「りこうになったらみんななかよくしてくれる」という願いは叶わない。何故その願いが叶わないのかに、チャーリィは気づけない。だって、経験がないのだから。自信を持っている分野について、相手の方が遥かに詳しくて恥をかいた経験も、自分の知らない話を自慢げにされて腹を立てて喧嘩をしたこともない。だからわからない。
そうして、IQが上がって文句無しに利口になっても、チャーリィは孤独だった。そして、利口になってしまった分、チャーリィは「自分が孤独である」ということを認識できてしまう。IQが上がる前は認識できていなかった孤独に気づいてしまう。
それでも、チャーリィはその過剰なまでに良くなった頭を使って、自分に何が足りないのかを必死で考えていく。アリスという知的障害者の支援センターの先生に助言をされながら、わからないことに苛立ちながらも自分に足りないものを見つけようとする。失敗を繰り返しながら少しずつ学んでいく。
そうして共感力や、人を愛するということ、愛されるということをようやく理解し始め、情緒的な部分が育ち始めたところで、IQが高いゆえの知性で気づいてしまう。
自分のこのIQの高さは、このあと急降下するという事実に。
チャーリィが受けた手術の成功例は、アルジャーノンという名のネズミだった。チャーリィは「人間で初めてその手術を受けた人」であって、前例はネズミのアルジャーノン。
そのアルジャーノンは、IQが上がる前のチャーリィと「どちらが早く迷路を突破するか」を競争したことがあり、結果はアルジャーノンの勝利だった。
それくらい賢いネズミのアルジャーノンは、ある時を境にチャーリィと友情のようなものを築く。その友達のアルジャーノンの様子が少しずつおかしくなってくるのにチャーリィは気づく。
その様子をつぶさに観察して研究しているうちに、アルジャーノンはIQを失っていっているのだと気づいてしまう。博士たちの手術は「永続的な高IQをもたらすものではない」ということ、そして「アルジャーノンの観察期間が足りていないことに気づかないまま、人間のチャーリィに手術を施してしまった」ということに気づいてしまう。
つまり、ネズミのアルジャーノンが今まさに辿っている道を、これからチャーリィも歩むのだとわかってしまう。ネズミのアルジャーノンよりも劇的に急速に、チャーリィは元のIQ68に戻るか、最悪それ以下までIQを失うのだ。
その事に気づいたチャーリィは、かつて自分を捨てた父親や母親に逢いに行く。自分に辛く当たった妹とも偶然に出会う。
特に、自分に辛く当たって自分を捨てた母親と、チャーリィは一度ちゃんと会って話したかった。
チャーリィは捨てられる前の幼い頃、ずっと母親に笑って欲しいと、そして愛して欲しいと思っていた。自分の方を見て欲しかったし、認めて欲しかった。だから利口になりたかった。母親はいつも「どうして周りの子と同じことが出来ないの」と怒っていたし、チャーリィに賢くなることを願っていたから。今のチャーリィはそれを叶えているから、それを示して認めてもらいたかった。
そういう、ある種の「心残り」を済ませたあと、チャーリィは徐々に徐々にIQを失っていく。物語の初めとは逆に、しっかりとした文章が次第に崩れていく。文章から漢字が減っていく。誤字が増えていく。句読点がなくなっていく。
そうしてチャーリィはIQを失い、幼い頃行くはずだった知的障害者達を受け入れる施設に向かうところで、話が終わる。「ついでがあったら、どうかアルジャーノンの墓に花をそなえてください」という、チャーリィの言葉と共に。
話を読み終わった時、私はどうしようもなく寂しくて悲しい気持ちと、不思議と温かく優しい気持ちが同時に起こった。寂しくて悲しいのは、結局チャーリィはあんなに望んだ「利口になること」を叶えても、それを全て失って終わったからだと思う。IQがあがったことでより酷い苦しみを覚えたり、悲しいことも起きたけど、それでもチャーリィはその事をとても喜んでいたから。利口になれたことを本当に喜んでいたのに、それを失ってしまったから。
温かく優しい気持ちになったのは、私にはどうにも「チャーリィは納得している」ように見えたからだと思う。もちろん、失われていく知能を前にチャーリィは自暴自棄になったり、誰かに当たり散らしたりと自分の境遇を嘆いていた。誰にも理解できないと思っていた。どうかこれ以上自分の知能が失われないでくれと願っていた。それは間違いないんだけど。
でも、でも最終的にチャーリィはそれを納得して受け入れたような気がしてならない。そして、満足しているようにも見えた。それは知能を失うことに満足したとかではなくて、なんというか「何もかもをやり抜いた清々しさ」を感じて満足したんじゃないかな、と思えたというか。
実際、私から見てチャーリィは出来ることを全てやったように思う。誰よりも限られた時間の中をチャーリィは生き抜いて見せた。文字通り全力で。普通の人では到底出来ないようなことを、立ち向かえそうにないことに立ち向かうことを、気持ちの整理も悩むことも何もかも、チャーリィは全て全力でやり切ったように見えた。その事をチャーリィは理解して、その事に満足したんじゃないかな、と思う。だからなんというか「良かったね、チャーリィ」という気持ちになったというか。
こんな読後感は生まれて初めてだった。様々な感情が複雑に入り乱れているけど、でもよかったねって思うこの感覚。悲しくて寂しいのに、でもどこか拍手したくなるような温かさというか。
読んでいて「幸福ってなんだろう」とぼんやり思った。お金を得ることだって幸せだし、頭が良くなることだって幸せだと思う。友達がいることも、美味しいものが食べられることも幸せだろう。
でもそれが普遍的な、誰にでも当てはまるかと言われると分からないなと思う。頭が良くなること、利口になることだって幸せなだけじゃなかったのはチャーリィが生きた道筋を読んでいたらなんとなくわかる。だから、利口になること以外の、多くの人が「◯◯だったら幸せ」という定義は、知能が高いことと同じように「確かな幸せか」と言われるとわからない。逆に、知能を失って、あるいは持ち合わせていなくて酷い環境を知りえないことが幸せなのかなと考えてみるけど、やっぱりそれは「確かな幸せか」と問われるとわからない。幸せな部分もあるだろうけど、そうでは無い部分もあるだろうということも、チャーリィを見ていたら分かる。
それでも、私はどうにも「チャーリィは幸せが何かを知ったんだ」と思った。そして、その幸せを確かに胸に抱いているんだろうな、とも思う。その幸せが何なのかは、私にはまだわからないんだけど。
チャーリィが獲得した幸せがなにか、答えは出ない。でも、チャーリィは幸せをその手に掴んでいるように思う。それを知りたいな、考えたいな、理解したいなと思う。そんな気持ちになる、素敵な本だった。めちゃくちゃいい本だった。読めたことが嬉しい☺️
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TEDにて
キャリー マリス:危険な感染症に対する次世代の治療法について
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
薬剤耐性菌の犠牲者は、世界有数の病院でも報告されています。しかし、高い病原性をもつ耐性黄色ブドウ球菌や炭疽菌などによる感染症は、今後、大いにビックリすることになりそうです。
感染症によって、治療を行うも、強力な抗生物質の効果が無いまま死亡した友人を目の当たりにしたノーベル賞化学者キャリー・マリスは、遺伝子工学を用いることによって、驚くほど将来性のある革新的な治療法を明らかにいたします。
1993年にノーベル化学賞受賞。
受賞理由は、PCR(Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)の開発方法を発見したこと。
PCR法とは、DNAの合成をすることで一定領域のDNA増幅を可能にできる方法です。
DNAアプタマーは、特定の分子と特別に結合する核酸です。他の種類にRNAがあり、ペプチドもあります。
核酸(DNA、RNA)アプタマーは、試験管内で化学的に、しかも、短時間で人工的に合成可能、免疫原性もほとんどありません。
このバイオテクノロジーの目覚しい応用は、基礎理論のトポロジー的なアイデアがいたるところで活用されています。
そして、このDNAがほどけて複製されるには、幾何学的な構造を考慮した知恵の輪をほどくような工程が必要になります。
人間が知恵の輪を両手でほどく作業を自然のシンプルな動きだけで果たして実現できるのか?そのプロセスは?
その一つは、トポロジーの結び目理論と呼ばれる数学でスーパーストリング理論にも応用されています。
次元(数学的な次元です)を四次元に増やすことで・・・
結び目の自由度が増えて数学的な表現方法として自由に数値的な構築ができるためです。
ゲージ対称性、アイソスピン、クォーク理論、ヒッグス粒子など。
さらに、数理物理に由来する量子群や共形場理論、チャーンサイモンズ理論もあります。
そして、スーパーストリング理論や量子化学の「変分法」にも応用されている。
次元に関してはこの場合、数学的な次元を前提としています。
次元のコンパクト化の説明の前に、数学的な次元の重要性について、さて、一般相対性理論をカルツァは、電磁気力に応用していきます。
当時は、それが重力以外に考えられる唯一の力でした。つまり、電気や、磁石の引き付けなどを引き起こす力のことです。 ここで空間と時間が歪むこと以外に、もしも次元が歪むことで電磁気力が働くかもしれないことに気づきます。
1926年にオスカークラインも、知覚で見えない次元がある可能性を示します。5 次元化して電磁気力も幾何学として表せるようにしたカルツァ・クライン理論というものです。
カルツァが3次元ではなく、4次元の宇宙における歪みと曲がりを説明する方程式を書き出した時、彼はアインシュタインがすでに3次元で導き出していた方程式を見出しました。それらは、重力を説明するための方程式です。
でも、カルツァは次元がひとつ増えたことによるもうひとつの方程式も見つけました。その方程式を見てみるとそれは正に科学者たちが長年の間。電磁力を表すために使ってきた方程式でした。驚くべきことです。それが、こつぜんと計算結果に現れてきたのです。
こうして、数学的な次元は、空間の量子化を数値的に表現できるようになっていくキッカケになりました。
その後のカルツァ・クライン理論は、無限に存在する次元の形状の一部をカラビ・ヤウ多様体として表現できました。
例えば、手を振って大きな弧を描く時、手のひらは3つの広がった次元の中ではなく、巻き上げられた次元の中を突っ切っています。
もちろん、巻き上げられた次元はとても小さいので、体を動かす間に、こうした次元を1サイクルして出発点に戻ることが繰り返され、その回数は、膨大な数にのぼります。このように次元の広がりが小さいと言う事は、手のような大きな物体が動く余地があまりないと言うことです。
それは結局、平均化されてしまい腕を振った時でも、私たちは巻き上げられたこのような次元を横断し膨大に旅したことに全く気づいていません。
これは、結び目の不変量にも関連しています。
まず初めに、円周を3次元ユークリッド空間に埋め込んだものを「結び目」と定義していることから始まります。
結び目理論においては、変形して移り合う「結び目」は、同じ「結び目」とみなして「結び目」を研究する。
「結び目」を研究するひもの結び方はいろいろあるので、様々なタイプの「結び目」がある。では、「結び目」のタイプはどのようにして区別すれば良いのであろうか?
「結び目」に対して定められる値で、「結び目」を変形することに関して不変であるようなものを「不変量」と言う。結び目理論は、トポロジー(位相幾何学)の一分野である。
1980年代に、数理物理的手法が、低次元トポロジーに導入されて、3次元トポロジーにおいては「結び目」と3次元多様体の膨大な数の不変量(量子不変量)が発見された。
これによって、4次元トポロジーには、ゲージ理論がもたらされることになりました。これらからゲージ場の数学的根拠として、活用されることになっていきます。
量子不変量は、数理物理に由来する量子群や共形場理論やチャーンサイモンズ理論を背景として、様々な代数構造を用いて構成される量子不変量やこれに関連するトピックを研究する研究領域を量子トポロジーと呼ばれています。
古典的な結び目理論においては、個々の結び目の特性を個別に研究する研究が中心であったが、量子トポロジーでは多くの「結び目の集合」を研究対象としています。
1980年代に結び目の不変量が大量に発見される発端になったのは、1914年にジョーンズ多項式と言う結び目不変量が発見されたことにあります。
その後、統計物理で知られていたヤンバクスター方程式の多数の解、つまり「R行列」を用いて大量の結び目不変量が発見されました。
さらに、1980年代後半に量子群が、発見されたことにより、それらの大量の不変量は、量子不変量として整理されて理解されるようになりました。
1990年代には、これらの大量の量子不変量を統一的に扱って、研究する2つの手法が開発されました。
これは、次元のコンパクト化への始まりになります。
1つは、コンセビッチ不変量と言う1つの巨大な不変量に、すべての量子不変量を統一する方法。
もう一つは、バシリエフ不変量と言う「共通の性質」で不変量を特徴づける方法があります。
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海外の観光産業では、日本人観光客は「クレームをつけずに黙っていなくなるから怖い」と言われていると聞いたことがある。なぜクレームをつけないのか。改善するとは思えない、改善したとしてももう来ないから関係ない、文句を言って相手に響かなかったら(態度が悪かったり、逆に言い返されたりしたら)結局自分が疲れる…色々な理由があるかもしれないけれどクレームはつけない。クレームはつけないけれど、ざわざわと口コミは広がる。結果行かなくなる。 非婚化も少子化もこれなんだろうなと思う。結婚しても産んでもロクなことがない。口コミが広がっている。わざわざ好き好んで悪い口コミを見なくても肌感覚でわかるし。皆生活するのに必死でそれどころではない。政治家の言う少子化対策は結局バラマキで泥縄政策で、根本的な「産めばなんとかなる」「産みたくなっちゃう」という明るい空気の醸成には至らない。むしろ実質増税案が出て「子持ち罰」なんて言われる始末だ。独身にも罰があり、子無しにも罰があり、子持ちにも罰がある。生きてるだけでほぼ人頭税。ここへ来てこれならクレームつけても無駄かもな…的な政治への「期待のできなさ」が蔓延していて(与党なんかはある意味その「期待のできなさ」のおかげで勝ち続けてきているとこもある。ので斬新な方針転換はできない)、結果、無言で産まなくなる。特に女は産んだ場合の肉体的・自己実現的負担の大きさが半端ない。それでも昭和の頃なら産めばなんとかなったんだろう。会社員夫と専業主婦妻でなんとかなるモデルが出来上がっていった時代もあった。でも今はそんな時代じゃないってことは、今さら説明するまでもない。 世界的に見れば人口は増える一方で、2050年には100億人超える説が濃厚で。日本は少子化対策が喫緊の課題だと言われているけれど、地球規模で見れば人口は過多なんだから、別に減っていいんじゃないの?減らしたほうがむしろ適正なんじゃないの?地球のSDGs的には。日本が人口増やさないと困るのは、年金とか労働とか主に「経済社会をどう回すか」のシステム部分なので、人口増政策を考えるのと両輪で「少ない人員で回る仕組み」を考え作ることも政治の仕事じゃないんでしょうか。でもそれ全然できてないよね(実感できるのはセルフレジの増加くらい)。産めよ殖やせよ、つってバラマキしたところで、増えないよ今の政治のままじゃ。未来を感じられない政策のままじゃ。 翻って自分の話をする。氷河期世代独身子無し。給料はさほど多くないけれど、一人で食べてはいける。友達には結婚した子もいるし、離婚した子もいるし、なにより似たような境遇の子が年齢に関わらず圧倒的に多い。類友だ。結婚して子供がいて離婚していない(言い方!)友達とは、今はあまり会っていない。子育てが忙しいだろうし、向こうは向こうで類友(ママ友)と会っているだろう。なので私と私の周囲だけの話になる。独身、皆楽しく充実して暮らしている。推し活、サ活、ソロキャン、ベランビング、ガーデニング、同人活動、スパイスカレーに凝ったりなんかして…こうやって並べるとおじさんの趣味と変わらないけど、私たちもこんなもんだ。 独身子無しが「今とても充実している」と言うと決まって「先は厳しい」と言うひとが出てくる。意地悪だねぇ。曰く「結婚していないと(子がいないと)寂しい老後になる」「ヨボヨボになったら誰に面倒見てもらうのか」トカトカトカ。そんなのねぇ「どうですかね」としか思わない。私たちはもう、結婚してて夫婦一つ屋根の下に住んでいても、子がいても、寂しい人を知っている。諸々揃っていても寂しい人なんて世界中にゴマンといるこの世の中で、老後が寂しいか否かなんて「自分次第でしょうよ」としか思えないし、自分の老後についても「まぁなんとかなるやろ」としか思わない。なんとかならなかったらその時はその時でしかない。今どんな環境であれ未来がどうなるかわからないのは誰でも同じことで。あと「老後の面倒見てもらうために子を産む」発想は私にはないわぁ。未来(老後)とか他者(子)のことよりまず「今」「自分」でしょ。刹那主義者ではないけれど、「今」の積み重ねが人生なので。 ごたごたと書いたけれど、私は心の底から「子供いなくてよかった…!」と思う。「産めばよかった」と思ったことがミリもない。こんな世の中に産んだらかわいそう…責任が持てない…まっとうな大人に育て上げる自信ない…という気持ちを差し引いても、そもそも自分の人生において子供を持ちたいと積極的に思ったことはなかったし(「持つかもしれんな」くらいならあった、あったこともある)、これからもおそらくないし、ないままそのうち子を産めなくなって、それで後悔はないだろう。「母性神話」の人たちには信じられないかもしれないけど、私はそんな感じだし、そういう女性(匿名であれ顕名であれそれを表明する女性)は増えているという体感はある。女=子産み本能 とか別にないし、もし仮にそういった動物としての本能が「ある」ということだとしても、結局のところ本能に従って少子化が進んでいるんだと思う。さっきも書いたけど、地球は既に人口過密なので。(水槽の魚が過密になったらなんだかんだで適正数まで減る…と同じという意味で「本能」でいいと思う)今子供がいる人は、今とこれからの世代が子を産まなければ困るんだろう。でも我々子なしは困らない。残念ながら困らない。 私はひとりでいることが苦痛ではない(どころかむしろ快適だ)し、家や身の回りを暮らしやすく日々調整している。プライベートな領域に「他者」が存在しないというのもあって、自分次第でどんどん快適になる。楽しい。これは自分に「楽しむ能力」があるからかもしれないし、やっぱり自分で自分の食い扶持は稼いでいるからできることなのかもしれない。 もうほんとに、女は職を、経済力を手放してはいけない。本当に。資産家は別として。雑音は聞かなくていい。自分の幸せは自分のもので、他人の幸せとは別もの。自分にとっての幸せがわからないまま生きてる人も多いけど、わかった方が楽しいし。それを知るために「絶対」ではないものの、あった方がいいのは「教養」と「経済力」だと私は思っている。職もって自力で稼ぎ続けると、それ両方くっついてくるから…と思ってる。(もちろん別ルートで教養や経済力を得る人もいるだろうし、そんなのなくても「自分の幸せ」が見えてる人もいるのはわかっており) 私が今自分で自分を養えるのは、自分の能力もあるけど、教育を与えてくれた親のおかげが大きい。ありがたい。女を子産み奴隷にしておきたいタイプの人々は「女に学はいらない」と言うだろうけれど、幸運なことにうちの両親はそうではなかった。(親ガチャ…あるね…と思う)「結婚しろ」攻撃はいっとき強かったけど、今はもう諦めたみたいで「あんたが幸せならそれでいい」と言ってくれた。孫の顔は見せられないが、私は強く楽しくまっとうに生きているので、親はそれ見て安心してくれたようだ。 贅沢を言えば、もっと給料がもらえたらいいし、て言うか、宝くじが当たって資産10億円になればいい。そしたら趣味で仕事をします。社会との接点は持っておきたいから。贅沢を言えば、常に恋人がいたらいい。恋をしてる時は楽しいしな。あと、男女ペアの方が行動しやすい場もあるし、たまにはそういうの行きたい。でも、贅沢を言わなければ、今のこの状態で必要十分だなって思うし、なんと、私は今幸せだ。お金や恋人はあったらより楽しいオプションとして捉えている。 老後のためにある程度は資産形成して、体力づくりして、もし残るものがありそうなら遺言きっちり書いて、あとは似たような境遇の友達と適当に暮らせればベスト。両親を見送ったら後はいつでもいいし。とは言え生き死には選べないので、無駄に長生きしてボケ果てて死ぬかもしれない。それはわからない。配偶者や子がいようがいまいが誰でも死ぬ時はひとりだし、なるようにしかならない。 政治や社会は少子化を「ゆゆしき事態」ととらえているけれど、一個人としてはこんな感じ。本当に「ゆゆしき」と思っているなら、もっと早く対策しておくべきだった。具体的にいうと、90年代、バブル崩壊後にすぐやって、団塊Jrという人口ボーナス世代を救っておかねば今こうなるのは自明だったんじゃないかな。当時の政治や経済界が先を見通せず、仕事をしなかったので、正直手遅れだと思います。今となっては人口減でも回る仕組みを作る方向に舵を切らないと、そっちも手遅れになるかもね。 いずれにせよ、2023年日本に生きる氷河期世代の女一匹として「子は持たなくて本当によかった」が本音。 追記1:ツイッターで自陣に回ってくるまで気づいてなかったんだけど、読まれてるのですね。長文なのに、読んでいただきありがとうございます。「コメント欄が地獄」と見かけて気が気じゃなかったけど、ある意味想定内なのかもしれません。まぁ、斜めにざっとしか読んでないけど…(「地獄」をひとつひとつ真正面から読み込むほどの誠実さは私にはないので)。いろんな理由でこういった意見がお嫌な人はお嫌でしょう。だから「普通は/大多数は」「思ってても言わない」「クレーム入れずに黙って消える」のです。表立って言わないことを敢えて書いたんだから、こういう言い分が耳障りになる人たちからの反発があるのも理解できます。むしろ、共感意見を拝見して望外のありがたさを感じています。 ただやっぱり、本稿に記載のない私の心情、状況、属性、生育歴、はたまたルックス等を「こうであるに違いない」「◯◯乙」と決めつけている系コメに関しては、「それが私に刺さるとしたら、図星な場合だけかな…」とは思うのですよ。しかしいちいち「違いますぅ!」「本当はこうですぅ!」とか言ってるうちに私の輪郭線がはっきりしてきてしまいそうですし、「そう思うことであなたの気持ちが安らぐのであれば、そう思っておいてください」としか言えないですね。どうぞ安らかに。 追記2:「恋人はアクセサリーじゃねえぞ」的な意見もどこかで見ました。これはたしかにそう。「オプション」という書き方がいやらしかったと自分でも思います。愛し愛されは、ないよりあった方が自分的にはいいなと思っている、というようなことが言いたかったです。男嫌いというわけではないし、恋愛の良さもわかるので。ただ、自分は「常に恋人が途切れない」タイプではないので、恋人がいるときの楽しい嬉しい気持ちを思い出しつつ(むろん楽しいだけじゃないが…)という気持ちもあり、また、恋愛→結婚という一本道も想定していないので「あったら楽しいオプション」みたいな書き方になってしまいました。ここ、うまく表現するの難しいですね。 追記3:たくさんの反応をいただき、ありがとうございます。こちらで追記は最後にしたいと思います。まずネガコメをざっと見回して思ったのは「呪いがすごい」ということ。「酸葡萄」「これでいいと言い聞かせている」「50、60になっても同じことを思っていられるか」「30年後にもそう…」「死ぬ前に…」この類のコメントって結局言いたいことは「悔しがっていてほしい」「(どこかのタイミングで)子を産まなかったことを後悔しろ」「後悔して死ね」ってことなんですよね��いやいや、しないと思いますよ。まぁ未来のことだから「絶対」とは言えないけれど、たぶんしないと思う。後悔しない婆になる。でもそういうストーリー(子を持たない選択をした女が幸せに生きて死ぬ)は「嫌」なんでしょう、そういう人たちは。 で、私の興味は、なぜそんな呪いをわざわざ人にかけるのか?(大丈夫か?)、になるんだけど、まぁ、呪ってる人々のパーソナリティ(男?女?未婚?既婚?子あり?子なし?自身の選択や現状を後悔してる?してない?)を推察したところで意味がないのでここでそれはしません。私のパーソナリティを「こうであるに違いない」と決めつけられてもな…と同じくらい、私にとっては意味のないことです。(「違いますぅ」「本当はこうですぅ」の応酬ほど不毛なことはない) ここまではっきりと呪う思い(呪う思い…)を可視化されて、改めて思いました。「女は『産む性』を行使しないと後悔する」という呪いにかかる必要なんかないよ、と。「産みたい」という気持ちがあるなら産めばいいし、産んだことに後悔せず生きてく方がいいのと同じくらい、「産みたくない」という気持ちも尊重されていい。「産みたいのに産めなかった」人も同様に、この呪いにかかる必要はありません。「後悔させようとする」勢がなぜわざわざそうしたいのか、比喩的に端的に言うと「信仰が揺らぐから」なんだろうなとは思います。「黙っておけ」という、言論の自由と真っ向勝負するが如くな封殺ムーブもその一環でしょう。でもなぁ、他者に呪いをかけるようなその「信仰」に巻き込まれる必要は1ミリもないなと思いました。生き方は自分で決めればいいし、自分自身への決定権を持つために必要だと思うことは、本稿で書いたとおりです。他者や社会からの決めつけに「呪われない」、他者の生き方を「呪わない」で生きていられたら、私はそれが「幸せ」のひとつだと思うのです。 ご自身のポジション(男女未既婚子有無…)にかかわらず、肯定的なご意見をいただけたことにも、感謝しています。放たれた呪いは私に当たらなければそのままその人に返るでしょう。祝福にはリボンとお菓子をつけてお返ししたい気持ちです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
子供産まなくてよかったです、マジで
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今日は朝から雨模様。気温もぐっと下がって肌寒いくらいの気候です。餌は減っているので元気だと思いますが、寒さのせいかメダカもホテイアオイの下に隠れてしまい、しばらく姿を見ていません。寒暖差が激しい季節の変わり目、体調には十分に気をつけてお過ごしください。
9月29日に開催したサンデーサービスにご参加くださった方、ご寄付をいただいた方に心より御礼申し上げます。惠子ミディアムとマスタークラスの生徒さんたちも素晴らしい司会やサーモン、デモ、祈りを披露してくださり、一緒に楽しい光の時間を過ごすことができました。デモで当たらなかった方も、もしかすると霊界からのメッセージを受け取ってくださったかもしれません。
以下の通り、今回いただきましたご寄付の全額を日本赤十字社へ寄付いたします。10/7付けで振込手配済みです。

当日行った霊界通信のデモンストレーションの様子をお伝えします。読みやすいように後から編集しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
森:女性が出てきてるんですけど、割と近い感じなんで、お母さんかな〜と。ピアノを弾いていらっしゃるところを見せてくださっていて、あとカツラを被ってたのかな?ヘアピースなのか…人工的な髪の毛なので、そういう姿を見せてくださっているということは、ちょっと治療か何かで髪の毛を失ったのかな?ここに来ている方に言いたいのは、「心配ばっかりしてたら何も生まれないわよ、行動しなさい」って言いたいみたい。この方は「私は全てできることはした、治療も全部やり終えたから、もう後悔はない」っておっしゃってるんですけど、思い当たる方、いらっしゃいます?(手が挙がらないので)お母様じゃなくて、もっと広げていただいて…おばさんかな?そんなに離れていない感じなんですけど。〇〇さんが迷ってらっしゃるんだけど、違う?
女性:保育士だったのでピアノを弾いてて、癌で亡くなったのが姉なんですけど。
森:お姉さんか〜お母さんみたいな感じなんだけど、ちょっと歳が離れてたりします?
女性:5歳離れていて、小さい頃からよく面倒を見てもらいました。いつも可愛がってもらったという印象しかないです。
森:髪の毛とかは無くなってました?
女性:全部ではなかったですけど、治療を受けてたので大分薄くはなっていました。
森:さっきも言ったんですけど、とにかく心配しちゃって物事が先に進まないのか、(お姉さんが)ヤキモキしている感じなんですよ。思考で(ご自身の)頭がすごくパンパンになっているんだけど。
女性:やることがいっぱい重なっていると思考が停止しちゃって、手がつかなくて焦っちゃったりするんですよね。
森:なるほどね。お姉さんは(物事を進めるのには)順番があるっておっしゃっているんですよ。治療にも順番があるじゃないですか、前段階でこれが必要で、その後はこうでって。順番が違うと混乱するし、治るものも治らないっていうのが治療ですよね。今、自分ができて納得できるものが必ずひとつ見つかるっておっしゃっています。今できることに集中してくださいって。
女性:「未来を心配するな、明日は明日の風が吹く」って姉がよく言っていました。そのことが今、ふと頭によぎりました。
森:自分で枠組みをつくらずに、敢えて考えずに行動してもいいかもしれませんよ。
女性:はい、ありがとうご���います。
森:次は身内、友人、知人霊のサイキックアートをやります。(描きながら)この方は多分、身内の人じゃないと思うんですけど。女性で前髪があって、まだ若い感じ。女性のお友達がいらっしゃっているんですけど、思い当たる方はいらっしゃいます?(何人か手が挙がる)この方、16歳ぐらいに見える。高校生って感じです。(何人かの手が挙がったまま)ダンスをしているんですけど、踊ることが好きだったのかな。(一人だけが手を挙げている)
男性:18歳でした。高校三年生か、卒後したくらい。
森:この方すごく行動的で、なんかグループのリーダーみたいな感じの…お勉強もできたんじゃないかなと思うんだけど、そういった方でした?
男性:学年が違うので勉強ができたかどうかはわかりませんが、目立つ存在でしたね。
森:この人が亡くなって結構悲しむ人がたくさんいたというか、惜しまれて亡くなった感じがしますね。
男性:そうですね。
森:割と人望があったというか。
男性:ありましたね。
森:多分(光の世界と)お約束をされていて、やるべきこと、生まれてくる時の目的をある程度果たした方だと思います。この方の親御さんはご存知です?
男性:直接は知らないですけど、親御さんの問題で親しくなったというか。
森:そうなんですね、今親御さんを見せてくださっているんで。(この方が)友情について、あなたの周りの友人関係を構築してくださいって言っています。お友達からすごくインスピレーションとかいろんなアイデアももらえるから、横の繋がりを大事にしてと。もしかしたら…違ったらごめんなさいね、ご自身はギブアンドテイクの関係だったら、今まで受ける方が多かった感じですか?
男性:昔から私によく仕事とか振ってくれるんですけど、自分の気持ちが乗らなくて。
森:それでいいんですよ。これからはご自身が返す方、って(霊界の友人が)言っています。
男性:大分(周りの友人から)よくしてもらったというか、向こうにとっては損なんですけど、でもしつこく、私がやらないって言ってるのにくるんです。
森:今度はご自身が返す番なんですけど、周りのお友達がそういう「くれ方」をしたのにも意味があって、自分が返すときは自分がして欲しいものを返すことが大切だ、というメッセージだと(霊界の友人が)言っています。だから、「いらない」って思われるものはあげないでってことだと思います。霊界のご友人はなんでもかんでも無作為に親切にしていたわけじゃなくって、周りの人の個性というか、趣味嗜好を把握して関係を保っていた、と言っているので、そのメッセージを伝えたいみたいなんですね。それでは、絵を見せますね。似てなかったらごめんなさいね、こんな感じです。(写真の絵を見せる)
男性:あ〜、髪の毛はもうちょっと短かったけど、そんな感じです。
森:そうですか、描いてよかった!お友達が励ましてくださっています。
男性:ありがとうございます。
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冬イベントのワークショップ、春学期クラスのお申し込みは次回のブログにて告知、10月中旬頃からお申し込みを開始する予定です。申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください。
・・・・・
ドロップイン・ナイト
10月17日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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モーニングワーシップ&コミュニオン(目覚めと祈りと瞑想)
10/27(日)9:00〜10:30 担当ミディアム:開堂・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
11月17日 担当ミディアム:松山:森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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クリスマス・サービス
12月22日(日)13:00〜15:00
参加ミディアム:開堂慈寛・森 梢・澤輪 燕・亜笠 未來
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
12:50 クリスマスソング 13:00 開会の祈り 13:03 遠隔ヒーリング 13:10 サーモン 13:17 サーモン 13:25 霊界通信のデモンストレーション 森ミディアム 13:25~13:45 トータル・サイキックアート 亜笠ミディアム 13:45~14:00 トータル 澤輪ミディアム 14:00~14:15 トータル 開堂ミディアム 14:15~14:30 トータル 14:30 クリスマス瞑想 14:45 もらって嬉しいクリスマスプレゼントメッセージ 14:57 閉会の祈り 15:00 閉会
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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各地句会報
花鳥誌 令和7年3月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和6年12月2日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
火野正平まで連れて逝く冬の雨 清女 淋しさは犬との会話冬の雨 同 赤椿狂ひ咲きして天守坂 千加江 忘れ上手になれよと男近松忌 雪 顔のいづれ淋しき菊人形 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月5日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
11月句会
街路樹や日々の黄落留まらず 由季子 黄泉の祖父何方に振る舞ひ根深汁 同 球根を深々と植ゑ春を待つ 喜代子 泣き笑ひ最後は無言冬に入る さとみ 根くらべ集めて散りし柿落葉 同 古き蔵新酒の香り醸し出し 都 云はずとも母が用意の夜食かな 同
12月句会
道楽も過ぎて齢の木の葉髪 由季子 枯蓮の水面ぼやつと疲れ顔 さとみ 空耳か武者の叫びの虎落笛 都 冬怒濤雄島は人を寄せ付けず 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
縁者なきマリア観音冬ざるる 久 近づけば寡黙にあらず冬の墓 荘吉 素つ気なく通り抜けたる冬の墓地 同 冬ざるるものへとマリア傾ぎゐて はるか 拾うてはもらへぬ供花と凍蝶と 和子 枯れて尚マリアの像を守るかな 三郎 クリスマスソングピアノの墓石より 慶月 その墓碑に冬あたたかなひびのあり 和子
岡田順子選 特選句
イザベラの墓へと枯葉踏み残す はるか 槙大樹聖樹となりて花鳥子へ 毬子 冬の日は小さき道を真白にす 小鳥 枯野よりゾンビのやうに師が来たる 光子 維新に死す墓を巡りて饂飩すき 俊樹 すずかけや裸木になるまでの音 和子 電飾の届かぬ異人墓地の冬 毬子 としあつは俊厚と書く冬の墓碑 俊樹 黄葉の錐を瑕疵なき青空へ 要 枯蔦を解く術なぞはありもせず 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
火事現場逃げ遅れたる子を抱へ 朝子 押し花の一片欠けて冬の蝶 睦子 仮想の世に情は残りて近松忌 美穂 語られて哀しき火事の妓楼跡 かおり 大火事に昭和の町の灯の消えて 光子 「小火です」と電話口より消防士 成子 若き夢みさせし映画館の火事 睦子 江戸大火偲ぶ救ひの橋いくつ 久美子 逝く人の煙ひとすぢ霜の朝 朝子 火事燻るや愛憎の落し所 睦子 火の見櫓都市の底ひへ沈みたり かおり 時雨るゝやアウシュヴィッツもアフガンも 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
具材盛る母の湯豆腐命日に のりこ 紅葉山初冠雪の遠見かな 聰 白鳥の雅に進む濠深き 秋尚 新雪を掌に受く静けさよ ます江 窓明けて初冠雪の富士拝す 怜 白鳥や富士を見渡す山中湖 貴薫 白鳥を茜に染めて湖落陽 三無 初雪や窓を絵文字にする子たち 聰 初雪や淡い思ひ出いつまでも 秋尚 初雪や喜ぶ孫の靴の跡 史空 白鳥の飛び立つ姿勇ましく さちこ 湯豆腐を頰張る友の皺の増え 史空 初雪や風音もなく降りしきる 廸子 湯豆腐や友あの頃の顔となり 三無 湯豆腐に心ほぐれて二人酒 廸子 湯豆腐や流れやさしき河の辺に 和魚 白鳥をゴン太と呼ばふ人の逝く 貴薫 湯豆腐を崩さず掬ふ紅の爪 三無 今朝の富士初雪まとふ勇姿かな エイ子 湯豆腐や昔の話に頰染めて 廸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月10日 萩花鳥会
焼き芋の声透き通り冬に入る 俊文 石焼ィー藷遠ざかり往きしまま 健雄 焼藷をくるんで熱き新聞紙 恒雄 夜勤明け焼藷食みつ帰り道 綾子 何か住む田なかひと町枯葎 美恵子
………………………………………………………………
令和6年12月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
日溜に息衝き蝶の凍てゆくか 美智子 顔揚げて冬日に甘え芝広場 栄子 鴉鳴く寒林ふいに淋しくて 都 箒目のたちたる園に散る紅葉 和子 生き様のあるが如くに木の葉舞ひ 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
色もなく静かに眠る冬田かな 紀子 紙を漉く季節の飾り散りばめて 裕子 隙間風母と耐へしは昭和なり みえこ しあはせは日向ぼつこの中にある 裕子 初雪に歌ひ出すあの一小節 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
由緒ある館を覆ひ蔦かるる 和代 蔦枯れて残る雨の音風の音 幸子 葱買ひて妻に戻りて帰り道 三無 園児らの声弾みをり日向ぼこ 白陶 鼻の先冷たくなりて句座につく 同 野仏を労はるやうに石蕗の花 幸風 北風に騒めき起こるアスファルト 白陶 枯蔦の中に灯をともすジァズ喫茶 三無 根深汁啜る心は故郷へ 和代 ことさらに人に告げたき枇杷の花 白陶 経あげて冬青空を拝しけり 秋尚 人参引くやはらかき葉の心地良さ 幸子 碧天の雲一つなき枇杷の花 文英 短日や小走りになる下り坂 恭子 牡蠣筏島に抱かれ守られて 幸子 日を溜めてポインセチアの小さき鉢 秋尚 張替へし障子の白に思ふこと 多美女 寒空の墓碑に誦経を修しけり 幸風 息深くして残菊の香に染まり 三無 深谷ねぎ譲る先々崇められ 幸子 住み古りて枯菊を焚く夕間暮れ 美枝子 冬日背にたつぷり溜めて句碑拝す 秋尚 べりべりと枯蔦はがす蔵の壁 幸風 山間の畑の一畝葱坊主 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
裸木の並木一本づつ孤独 三無 乾きたる落葉の音を深く踏む 秋尚 応へなき観音に問ふ寒さかな 三無 冬日には届かぬ観音様の指 慶月 冬ざるる枡形山に武者の翳 月惑 冬日和影の大きな母の塔 斉 冬紅葉素知らぬふりの母の塔 三無 急磴の手摺冷たく母の塔 芙佐子
栗林圭魚選 特選句
枯れ野行く躓く石も皆乾き 軽象 綿虫とぶ山日の暈を大仰に 千種 敷松葉旧家の縁の蘇鉄かな 久子 凜として冬青草の戦ぎたり 三無 冬晴や大きく開けて蔵の窓 芙佐子 冬ざるる枡形山に武者の翳 月惑 碧空にメタセコイアの冬木立 白陶 静寂の谷戸の小流れ冬紅葉 ます江 冬日和影の大きな母の塔 斉 遠富士を冬青空に確と嵌め 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
無人駅芒の穂波金と銀 世詩明 虚子偲ぶ三國しぐれの中にかな かづを 落葉掻き柿の木二本栗二本 清女 産土の絵馬は白蛇年用意 希子 省くもの影さへ省く枯木立 同 初雪の門前に立つ修行僧 隆司 寒修行手足真つ赤になりまうす 同 無精髭似合ふ漢の懐手 千加江 人恋ひの世を永らへて近松忌 雪 近松忌黄泉に携ふ文書かん 同 時雨の人よりと結びし古き文 同 書きかけの手紙の続き十三夜 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月16日・21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
顔の菊人形でありにけり 雪 濃き縁薄き縁も近松忌 同 越前に生れて老いて菊膾 同 湖を吹く風が遺してゆく寒さ かずを 九頭竜を揺り篭とし鴨浮寝 同 目に見えぬものが背を押す師走街 同 雪囲ひうす暗がりの仏達 ただし 獣をやさしく抱へ山眠る みす枝 ポインセチア妻と二人の医者通ひ ただし 風花の風山からも海からも 世詩明 再手術生きねばならぬ去年今年 同 極月や韋駄天走り買物に みす枝 日本海屋根の上まで浪の花 同 笑ひじわ一本増えて年の暮 真喜栄 肩の荷の一つ減らして年惜む 同 断崖を香りでつつむ野水仙 英美子 薄つすらと甍に雪の初便り 喜代美 板塀の木戸から婦人近松忌 嘉和
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月20日 さきたま花鳥句会
半身出し指呼の車掌の息白し 月惑 鴨の陣水面につくるある秩序 八草 竹輪麩におでん談義の始まれり 裕章 昏れなづむ街に消えゆく大熊手 紀花 酉の市客待つ人の股火鉢 ふゆ子 早口の会話飛び交ふ年の暮 としゑ 家用の小熊手買ひて大手締め 久絵 雨上り土ふくらませ生姜の香 康子 冬服や流行遅れの肩パット 恵美子 神宮の森寒禽の声あまた みのり 雪吊を見事に仕上げ茶屋の前 彩香 五十年砥石の凹み十二月 良江
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いやはや、実にプレートテクトニクスはオモロイなどと大満足しながら帰宅。すると、お待ちかねのヒチャム君デートのお誘い。ホテルまで迎えに行くから、スーク歩きしようと提案してくれる。頭痛しているけど、せっかくなので、有り難く受け入れる。ドイツ土産、渡してないしね。自慢のおベンツどないするん。無理せんでえーで、とやんわりお断りするが、地図まで送ってきて、車停める駐車場あるから。お前のホテルまで駐車場から歩いてすぐやし。。。というので、お付き合いの覚悟をする。ワシの友達、みんなしゃべりなんで、話し出すとエンドレスなんよね。

ちなみに、モロッコのパンは、デュラム小麦で焼いているので、不思議な食感。下はパン屋さんです。こちらのパンは丸パン。でも、中東からインドの丸パンと異なり、つまり、ピタパンと異なり、中には空洞がありません。手でちぎって、パンでおかずを挟むようにして食べるのがお作法だと、ヒチャム君に教わりました。

ワシ、ほぼ日射病で頭痛なので、首に日本から持参した頸動脈冷やすやつを着けてお出かけ。お待ちかねのヒチャム君、早速、何それと興味津々。28度以下で固まる新素材だと説明し、首に着けて上げると、めちゃくちゃ感動。日本って教育が技術力に活かされている。感動。とひたすら感動。お酒もタバコもしないヒチャム君はsweet tooth なので、ワシと意見合う。
まずはスークでお店を3店舗持っているヒチャム君のお友達のお店へ。スークは迷路。夜のスークなんて、ワシは怖くて入れん。ヒチャム君に感謝。お友達は、顔からして人の良さ全開。尋ねることを告げてあったらしく、熱々のミントティと共に待っていてくれた。ワシ、ヒチャム君のお友達の店主が座る席に座らせてもらう。日がな一日中、目の前を通り過ぎる観光客達を、どんな気持ちで眺めているのだろう。観光客として歩いていても、まるで淀んでいる川の流れのように、ゆっくりと常に観光客は徘徊して、目の前を通り過ぎる。それを定点観測すること二十五年。ヒチャム君は、コイツ危うくスペイン人と結婚しそうになったんだけど、モロッコ人の奥さんにしたんだよと笑う。ワシ、彼とはスペイン語混じりの英語で話す。英語よりスペイン語の方が得意なの、だって、僕、本気だったから。おかげで彼女の置き土産は、僕のスペイン語。ビジネスに毎日役立っているのさ、と笑う。人生、イロイロざんす。四十代って楽しい。
ミントティを飲みながら、ワシの観光ばなし。ホテルの様子などを聞き出す。こうやって情報集めさと笑う。ビジネスは回復してきているけれど、物価上昇で生活レベルが変わらないよ、とぼやく。その間、きれいに店先に陳列してある商品を、丁稚が一つ一つ、店内にしまう。少し奥まり、店先が珍しく小さな広場になっている彼の店。通り過ぎる観光客には常に目を光らせていて、昼間の買い物客が通ると、すかさず、bon soir! Ca vas bien? とフランス人にはフランス語で、スペイン人にはスペイン語で、手を振りながら挨拶する。覚えているって偉い。地元で買い物した時、たった三十分ほど前に同じものを買った客でさえ覚えていなかった日本人と大違いである。その時の買い物は、ワシの頸動脈冷やし首輪が欲しいと言った母のために、もう一度同じ商品を買い求めに行ったのだった。
ヒチャム君へのチョコを、ミントティのお茶請けになるかなと敢えて渡す。当然、ヒチャム君は、友人にも、ワシにも分けてくれた。なんだ、このチョコうめーと大喜び。gingembreと教えてあげると、あーそうか、この味はショウガだと、gingembreだと二人でワクワク味わっている。かわいい。出会えた記念に、僕の店から何か好きなものを持って行って、と別れ際に言ってくれる。僕ら二人を思い出してくれるやつじゃないと嫌だとヒチャム君。うーむ。悩みに悩んで、鏡にした。フレームが青銅製で、こちらは青銅細工の品が多い。荷物にならず、毎日使う。包んでくれるというので、ヒチャム君を置いて、店内に入り、puedo pagar lo... と一応言ってみる。当然.no, no, esto es regalo para ti, pero, te acordaste nosotoros cuando mirar esto. という。si por supuesto, pero, en serio? Esta bien? ワシ。si si por supuesto y mucho gusto. Estas amiga de mi amigo muy importante y muy grande. Y esta noche fue muy bella. Entonces, regalo para ti, gracias a ti.と言い張る。ワシ、胸に手を当てて、ありがとうという。彼、喜ぶ。シンプル。


帰路に着く前にお約束のベーカリー。ジュース屋さんを兼ねている。Orcunもイスタンブールでバナナジュース奢ってくれたっけ。イスラム教のワシの男友達は、フレッシュジュース好きらしい。ワシ、嬉しくレモンジュース。ヒチャム君はマンゴーとオレンジのミックスジュース。それに加え、こちらの昔からの歓迎のお菓子���、その名もヘビのアラビア語、サッアバーンというお菓子を注文。薄く小麦粉を焼いたfiloに砕いたアーモンドを芯にして細長く巻き、それを更にトグロを巻くように巻いた上から、ローズウォーターとシロップ、ハチミツを混ぜたものをかける。口に入れると、ローズウォーターの香りがほんのり。美味しい。ヒチャム君の子供のからの大好きなお菓子らしい。
お菓子を食べながら、コロナの人為の可能性、世の中で進行しつつある不思議な現象の見立てなど、色々とおしゃべり。マキには信仰は無いだろうけど、俺には信仰があるっしょ。アッラーは、みんなに分け与えても余る程に存分に富をくださっているんだよ。人口八十億になりそうでも。だからさ,それはdistribution の問題でしょ、とワシ。うん、そう。だからおかしいんだよ。誰も誰かを支配しない。けど、みんな足るまでは手にできる。それは僕の信仰の世界ではアッラーが約束した事。実現できないのは、誰かがおかしいことをやっているのさ、とヒチャム君。
おしゃべりしながら気付くとホテルまで見送ってくれた。ホテルをどうしても見ておきたかったらしい。ワシのホテルは、リアドなので中から開けてくれないと、外からは入れない。中から出てきた顔なじみのお兄ちゃんの顔を見て、ヒチャム君は安心したらしい。兎に角、ちゃんと面倒見ているか、部屋は清潔か、タオルは交換しているか、と気になって仕方がないらしかったが、中から出てきた兄ちゃんに、アラビア語で何やらのたまわって、片手を上げて、またね。またいつかどこかで会おうと、颯爽と去って行った。
残されたコッチはいい迷惑である。興味津々のホテルの兄ちゃんに、大学の先生で友達なんだよと伝える。と、目を輝かせて、じゃお前も大学の先生なんだ~という。えっドキ。どうしてわかったの、と聞くと、だって、友達が教えてくれる事は多い。your friends tell about you a lot, right といたずらっぽく笑う。まぁね。そうだよね。
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【伊那のマウンテンバイクシーンにおいてハブとなる存在を目指す ――INA MTB代表 名小路麻実子】 - 輪界ガタリ : https://rinkaigatari.com/2021/08/09/%E4%BC%8A%E9%82%A3%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%83%8F%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%AA/ : https://archive.is/EwC3k : https://web.archive.org/web/20240905151152/https://rinkaigatari.com/2021/08/09/%E4%BC%8A%E9%82%A3%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%83%8F%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%AA/ 2021年8月9日
レジャーとしてのマウンテンバイクを楽しむために、トレイル(=トレッキングなどのために整備された未舗装道)を利用する方も多いのではないだろうか。しかし現在、トレイルへのマウンテンバイクの立ち入りが規制されるという事態が、日本各地でたびたび起こっているという。その原因としては、地権者からの拒絶や、自転車以外でトレイルを利用する人々との軋轢などが挙げられるようである。このような問題の解消を目指し、マウンテンバイクライダーの有志たちが各地でコミュニティを形成し、マウンテンバイクを楽しめる環境づくりに取り組み始めている。2021年4月に長野県伊那市で産声を上げた、「伊那マウンテンバイククラブ(INA MTB)」もそのひとつである。今回は、その代表を務める名小路麻実子氏に、INA MTBの成り立ちと、伊那におけるトレイルの現状、さらに伊那のマウンテンバイクシーンの今後について話を聞いた。
{{ 図版 1 : INA MTBを主宰する名小路さん }}
■《「昔諦めた夢に挑戦できたのは息子のおかげ」》
―――マウンテンバイクに関わるようになったきっかけを教えてください。
名小路 息子がマウンテンバイクのダウンヒルを始めたいと言ったことです。その当時、私はまだマウンテンバイクを持っていなかったのですが、「やりたいことを一からやる方法」というものを、親の背中を通して息子に教える機会だと思い、一緒に乗るようになりました。
―――マウンテンバイクは女性にはハードルが高いとは感じませんでしたか。
名小路 感じました。女性ライダーも少ないので、最初は「どこから始めたらいいんだろう?」という思いでした。
高校時代は地学部だったので、天体観測のためにキャンプをしたり、岩石採集のために山に登ったりと、アウトドアには親しみがありました。1990年代後半の当時では、男性の友人の中にダウンヒル競技をしている人もいましたが、女性がやるような雰囲気は全くなく、羨ましく見ているだけでしたね。
{{ 図版 2 : 昔は今以上に女子のMTB人口は少なかったそう }}
―――息子さんがマウンテンバイクに興味を持ったのも、名小路さんの影響でしょうか。
名小路 息子にはMTB、ましてやダウンヒルの話をした覚えがないので、彼がマウンテンバイクのダウンヒルを選んだのは不思議です。
よく「息子さんのために自転車に乗られているんですね」と言われるのですが、息子はただのきっかけに過ぎません。むしろ、できなかったことを無念に思っていたマウンテンバイクに、今になってようやく挑戦できるきっかけをもらって、息子に感謝しているくらいです。
■《INA MTBは「山に入って遊ぶきっかけを作る」ための存在》
―――INA MTBのウェブサイトには「マウンテンバイクを通じて山と森のことを知る」活動を行うと書かれています。これはクラブの成り立ちにも関わる理念でしょうか。
名小路 伊那は大自然に囲まれた地域ですが、山に入って遊ぶような子どもをあまり見かけません。それは、大人たちが子どもに「外で遊ぶことは危ない」と教えているからだと考えています。おそらく、昔は地域の人々のつながりが強かったので、子どもが私有地の山で遊んでいても「○○さんのところの子どもだから」と許されていた面があったのではないかと思います。現代では移住者なども増え、近所の人が誰かわからなくなるなど、人同士の繋がりが薄れたことによって、そういったことは許容されづらくなってきているのかもしれません。しかし、そうして人のつながりが消えていくに従って、身近な自然に触れる機会も一緒に少なくなることは非常にもったいないことだと思います。そこで、子どもたちをはじめ、多くの地域の方々に、マウンテンバイクを通して地域の山や森のことをもっと知って欲しいと考えていました。
もちろん、山にも地権者の方々がいらっしゃるので、勝手に野山に入って遊ぶわけにはいきません。そこで、まずはマウンテンバイクライダーが公に認められるような形が必要だと考え、マウンテンバイクライダー同士がつながるコミュニティでありながら、自治体や地権者などとの折衝ができる存在として、「INA MTB」を作りました。
{{ 図版 3 : キッズバイクコースではキッズライダーが自主練に取り組む }}
―――INA MTBを主宰する以前に、自転車コミュニティに知り合いはいましたか。
名小路 最初は自転車の世界に知り合いがいませんでした。息子が始めたいと言った時も、誰に声をかけたら良いのかわからないという状況でした。のちに、白馬岩岳の関係者の方々や地域の自転車ショップの方々、トレイルビルダー(=MTBで走るためのトレイルを整備する人)の方々などと交流するようになり、そのうちに伊那でのマウンテンバイク仲間が増えていきました。
―――INA MTBの活動内容について教えてください。
名小路 INA MTBの活動のテーマは「みんなで楽しく走りながら地元の山を知る」です。この考えをもとに、安全なMTBの乗り方、トレイルを走る際のルールやマナーなどを遊びながら教えています。小さな子どもや初心者の参加者も多くいますが、分け隔てなくみんなで励ましあいながらマウンテンバイクに乗ってトレイル遊びをしています。
{{ 図版 4 : 分け隔てなく「みんなで楽しく走る」INA MTBの参加者たち }}
―――INA MTBの活動場所はどのようにして確保しているのでしょうか。
名小路 いまは伊那市に昨年オープンしたC.A.B TRAILというマウンテンバイクパークを拠点として、伊那で整備されつつある新たなトレイルやマウンテンバイクパークにも活動の幅を広げようとしています。
そうして活動場所を増やしていく中で、伊那のマウンテンバイクシーンをつなぐ、いわばハブのような存在になっていきたいと考えています。
{{ 図版 5 : 交流を深めるのも、子ども達の大切な経験になることだろう }}
■《人々に受け入れてもらえる自転車乗りの育成を通して、共存につなげていく》
―――各地のトレイルにおいて、ライダーと地域住民との間で、自転車の利用に関するトラブルが問題になっています。トレイルでの乗車に対して、結果的に自転車の侵入が禁止されてしまうようなケースや、さらには訴訟にまで発展するケースも聞きますが、どのようにお考えでしょうか。
名小路 マウンテンバイクライダーから「トラブルを避けるために、パーク(=マウンテンバイク専用のコース)でしか走らない」といった声を聞くたびに、山好きとしては胸が痛くなります。
地権者からすれば自分の庭で他人が自転車に乗って走り回っているようなものですし、ハイカーからすれば自転車は速度が出ていて危険だという認識があり、トラブルに繋がっているようです。ライダー人口が増えるとトラブルが表面化しやすくなるでしょうし、実際に長野県内でもライダーが多い地域ではトラブルが増えつつあるという話も聞いています。
{{ 図版 6 : トレイルの押し上げも、みんなでやればきっと楽しい。 }}
―――パークが増えてきているのも、各地域のトレイルでは自転車が走れなくなってきているという事情があるのかもしれません。
名小路 そうかもしれませんね。先に話したような地権者やハイカーとのトラブル以外に、「自転車は危ない」というイメージが世間についてしまっているのも、トレイルを走りづらくなっている原因の一つかもしれません。人々に受け入れてもらえるような自転車乗りを育成するために、子どもたちに「自転車は並んで走ってはいけないんだ」とか「ヘルメットを被らないのは格好悪いよね」といった自転車の利用ルールについて学んでもらうことも、INA MTBの重要な活動だと思います。
■《INA MTBが伊那の自転車文化において果たす役割と、目指す場所》
―――「自転車活用推進法」(※1)などの影響によって、各地の自治体が自転車での町おこしを始めていますが、伊那市でもそのような動きはありますか。
名小路 伊那市では伊那市自転車活用推進協議会が設置され、具体的な協議が始まったところです。私も準備委員として関わっていますが、現在は高齢者の移動手段としての自転車のニーズの調査などが行われています。
{{ 図版 7 : INA MTBは山と名小路さんの関わり方のひとつとなった。 }}
―――INA MTBと自治体の関わりの中で、代表としての役割を教えてください。
名小路 さまざまな自転車店やパークなどの事業者と、自治体との架け橋でしょうか。自治体の方々が自転車の利用法を幅広く熟知されているとは限りませんし、適切・快適な自転車の利用のための環境や必要な設備についての認識には、自転車の利用者と自治体の間でギャップがあるように思います。ですので、私が両者の架け橋になることで、自転車での町おこしに多様性をもたらすためのお手伝いができればと思っています。
―――名小路さんがINA MTBを通じて叶えたい目標はありますか。
名小路 これまでの人生で、アウトドア活動に関わりながら山について考え続け、移住先の伊那という地で、私と山との関わり方を実際にかたちにできたもののひとつが「INA MTB」という存在です。INA MTBが、山と関わる自転車文化の一部としてどのような形で続いていくのかを見守れればいいなと思っています。
{{ 図版 8 : INA MTBを通して子ども達がどのように成長するのかが楽しみだ。 }}
―――INA MTBの今後について聞かせてください。
名小路 伊那の自転車文化の一部として長く続いていくようなものにしたいと思っていますが、具体的な形についてはまだ模索しているところです。いずれにしても、いつも地元で走っている子どもたちが、マウンテンバイクをきっかけとして広い世界に目を向け、さらには羽ばたいていくことを期待して、今後も活動を継続していきます。
※1 国や地方自治体を中心に自転車の活用を推進していくことを定めた法。2017年から施行され、現在その施策の一環として、自転車活用のための設備の設置やサイクリングロードの整備などについて、47都道府県を含む二百の地方公共団体において事業計画の策定が進められている。
(了)
Interview&Text●moving_point_P(ponkotsu) Proofreading●Kohei Matsubara Photo●KuroMino, moving_point_P(ponkotsu)
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「友達の輪を広げよう!新しい出会いの楽しさ」
新しい出会いを求める気持ち、誰にでもあるものです。友達を作ることは、時に不安や抵抗を感じるかもしれませんが、それは自然なこと。新しい関係は私たちの心に新鮮な風を吹き込み、人生をより豊かにしてくれます。この記事を通じて、出会いの魅力や方法、そして大切な友達との思い出をどう育むかについて考えてみましょう。きっと、あなたの心に寄り添うヒントが見つかるはずです。 新しい出会いの魅力 新しい友達との出会いは、人生を豊かにする素晴らしい経験です。初めて会う人との会話は、未知の世界への扉を開いてくれます。それぞれの人が持つ背景や価値観に触れることで、私たちの視野は広がり、思考も柔軟になります。これまで考えたこともなかったアイデアや感情に出会うことで、自分自身を再発見する機会にもなります。 また、友達との出会いは、私たちが感じる孤独感を軽減してくれます。誰かと気持ちを分かち合い、共感し合うことで、心の支…
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