#山盛りの鳥天定食
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tamanine · 3 months ago
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。��ンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった���友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と��を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残��れた立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。 
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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petapeta · 2 years ago
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 さあ、今度は「オランダ人による洋食伝来」が始まると思いきや、出島に引っ越して来たオランダ人もポルトガル人同様に「隔離」されてしまいました。「布教しない」と約束したにもかかわらず、幕府は出島からの外出を許さなかったのです。町中で一緒に生活することで「一般の人たち」に広く伝わった洋食は、今度は出島に入る事ができた「少数の関係者」だけに伝わる限定的なものになりました。  オランダ人たちの食事を垣間見ることができる「少数の関係者」とは、どういう人たちでしょうか。まずは長崎奉行所の「役人」、通訳係の「通詞」、人の出入りを監理していた「乙名(おとな)」、丸山の「遊女」、見学に来た「大名」や「知識人」も出入りしました。こうして見聞されたオランダ人の「洋食」は、見聞録などの「書籍」になって出版、世に知らされます。平賀源内の門人で��学者の森島中(ちゅう)良(りょう)は、著書『紅毛雑話』の中で、大槻(おおつき)玄沢(げんたく)が天明5年の「オランダ正月」に参加した時の献立について記録しています。オランダ正月とは、オランダ人が太陽暦の1月1日(旧暦ではだいだい12月上旬)を祝う行事で、日頃世話になっている日本人関係者を招待した「ニューイヤー・パーティー」です。スープからデザート菓子まで19種類もの豪華メニューで、それぞれの料理の材料まで明記されていました。中でも肉料理は多く、「牛」「鹿」「猪」「鶏」を煮たり焼いたり8種類もありました。玄沢は、江戸に戻って蘭学研究者の集い「新元会」を発足、元旦に召集し「オランダ正月」を再現しています。これが江戸における洋食の先駆けになりました。 "薬"だったらOK!  ところで、オランダ正月には、面白い習わしがありました。食事がはじまって、まず一同がスープを飲み始めます。ここまでは普通です。問題はその後。以降のメニューには一口、二口「味見をする程度」で丸々食べ残します。するとタイミングよく「一枚の皿」が用意され、各料理が詰め込まれます。西洋料理でいっぱいになった皿には「宛先」が記された紙が貼られて、家族や知人に届けられるのです。届いた料理はどうなったのでしょう。もちろん食されるのですが、「食事」としてではなく「薬」としてでした。出島の商館医だったツンベリーは『日本旅行記』に次のように書いています。 「日本人は肉、バター或は塩で加工された食品は普通食べないのであるが、このような品は或る病の治療薬として貯えておくのだそうである。例えば塩バターの団子をつくって、これを肺病の薬として毎日飲むのである」  キリスト教的だということで、牛肉を食する事が禁止されたことは先述しました。にもかかわらず、出島ではオランダ人も日本人も躊躇なく牛肉を食していたのはなぜでしょう。まずオランダ人に関しては、古くからの習慣ということで、牛肉を食べる事は許されました。日本人に関しては、まだ禁止中だったのですが「抜け道」があったのです。それが「薬喰(ぐ)い」という方法。病人の「体力回復」「養生」のために「薬」として肉を食べるのです。すでに飛鳥・奈良時代から「薬猟(くすりがり)」は行われており、特に江戸期には薬喰いが盛んでした。仏教に帰依した「貴族」「大名」も、何かと理由をつけて肉食を楽しんでいたのです。動物の種類としては主に「猪」と「鹿」でした。確かに猪を��す「牡丹」は、俳句の冬の季語にもなっています。牡丹鍋といえば「味噌」と「醤油」での味付けが一般的。この調理方法が、後の「牛鍋」のルーツになるのです。
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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akikohatase · 1 year ago
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レポート 親子で参加!農業体験ミステリーバスツアー
夏休み企画の「農業体験ミステリーバスツアー」があり、8月6日(日)に息子と参加しました。
到着まで目的地は秘密。「農業」といっても、米も野菜も畜産もありますから、どこに向かうのかドキドキ。
結果から申し上げると、今回は、オーガニックの卵を生産する養鶏所と、最先端の植物工場、を見学したあと、農産物加工品のお買い物を楽しんで、最後に地元食材をたっぷり使ったスペシャルランチを食べました。詳細は下記からどうぞ!
一ヵ所目「ファーム アグリコラ」
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ファーム アグリコラは、札幌の隣町「当別町」にある養鶏所です。代表の水野さんが、アグリコラの特徴や、大切にしていることを話してくださいました。
アグリコラのこだわり01「飼料も国産オーガニック」
日本の飼料はほとんどが輸入。輸入飼料の大豆やトウモロコシは一般的に、遺伝子組み換えが使われています。アグリコラの特徴は、輸入飼料ではなく、国産飼料を使っていること。近隣の有機栽培をしている生産者と連携しているそうです。
また、人間と同じくニワトリも、腸内環境を良くすることが重要だそうで、サツマイモを発酵させた餌も食べさせています。
見た目ウケのために黄身の色を濃くしないので、飼料に着色料を混ぜたりもしていません。
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水野さんのこだわり02「平飼い、放牧」
アグリコラでは、人も家畜も心身ともに健康であることを大切にしています。そのため、平飼い&放牧スタイルをとっているそうですが、おかげで鳥インフルなどかかることもなく健康なんだそうです。
キッズの質問「平飼いと放牧って何が違うの?」
「鶏舎の中で放し飼いの状態で飼育するのが平飼いで、屋外でニワトリたちが外で自由に走り回れる状態の飼育が放牧です。」と水野さん。
一般的な養鶏の「ゲージ式」は、一羽あたりiPad一台分程度の広さのゲージの中で過ごし、鶏舎には窓がないそうです。
アグリコラのニワトリは、土を掘ってみたり、草をついばんだりする姿がほほえましく、みんな元気いっぱい。ずっと見ていられるくらいかわいかったです。
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水野さんが大切にしていること03「農福連携」
「アグリコラは、障害のある方が活躍できる農福連携の取り組みを行っています。」と水野さん。
就労継続支援A型事業所、つまり障害のある方も「仕事として」農業に従事できるということです。
「持続可能な農業」は、言葉にすると短いですが、ここに至るまでの相当なご苦労があったはず。人とニワトリの健康、食べ物としての品質、環境、きれいごとではなく全部大切にしながら、商売としても成立させていく。本当にすごいなぁと思いました。
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キッズからの質問タイム
Q. ニワトリは一日に卵を何個生むの?
水野さん「1日一個生めばいい感じです。ニワトリは25時間ごとに一個生みます。なので、毎日ちょっとずつ生む時間が少しずつずれて、午後3時くらいになったらその日は生むのをお休みします。なので、10日間で8~9個生みます。」
Q. このニワトリの卵からはヒヨコは生まれるの?
水野さん「ここにはメスのニワトリしかいません。メスのニワトリだけで卵を生むのだけど、人間と同じく、赤ちゃんが生まれるためにはオスのニワトリの精子が必要です(受精)。この卵は受精していないため、卵は孵らないのです。」
Q. ニワトリは何年くらい生きているの?
水野さん「ニワトリにも寿命があります。ただ、人間のおばあちゃんが赤ちゃんを生まないように、ニワトリも齢をとると卵を生めない身体になるの。私たちはニワトリからもらった卵を売ってお金にしています。ニワトリから卵がもらえなくなってしまうと、お金にすることもできません。なので、ニワトリには申し訳ないけれど、役目を終えてお肉になるということをしています。ちょっと悲しいけれどね。」
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二カ所目 現代式トマト栽培!?「Jファーム」の植物工場
夏は野菜がたくさん収穫できる季節ですが、北海道の冬は雪が積もります。当たり前ですが、冬は野菜の露地栽培ができません。一年中安定して栽培するために、巨大なハウスの中でトマトを栽培するJファームの「植物工場」を見せていただきました。場所は、札幌市東区。
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苗の見た目にビックリ!
中に入ってまず驚いたのが、ミニトマトの苗の背の高さ!全長はなんと7メートルくらいあり、長~いトマトの苗を天井から紐を使って吊るるように支えて、光の当たりやすい高さに調整しています。家庭菜園だと、1.7メートルくらいの苗を支柱で支えているので、その違いに驚きました。そして7メートルもあるのに、茎の太さは親指程度しかなく、思ったよりも太くないことに驚きました。
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トマトの生育環境に合わせて徹底管理
ハウスの中に入ると、モワッとした熱気が立ち込めるのかと思いきや、意外と過ごしやすい温度帯。この日がたまたま涼しい日だったというのもありますが、トマトが生育しやすい環境に温度管理は徹底しているのだとか。「水は肥料分を溶かしたものをチューブを使って与えています。時間帯や量を管理し、あえて根元が乾く時間帯��設けています」と工場長。
トマトの原産はアンデス山脈の乾いた高山地帯ですから、「暑すぎない」「乾いている」という環境をハウス内で作り出しているということですね。
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収穫量は一日4トン!
今回見学させてもらった品種は、「ダルダリー」というオランダ産のミニトマト。苗が長持ちするため、長期間の収穫にむいている品種ということで、今年から取り扱いを始めたそうです。
収穫量は現在、多い日で一日4トン程度。さらに最終目標は、その3倍以上の収穫量を設定しているそうです。
キッズの質問「もっといっぱい収穫するには、栄養の量を増やせばいいの?」
工場長「重量を上げるには、栄養も関係するけれど、二酸化炭素の量も大切です。光合成に必要なのは二酸化炭素。だから天井の窓を開けてハウスの中に外気を取り入れる調整が欠かせないのです。窓はコンピューターで自動制御しています」
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ちなみ��、工場というイメージから収穫作業は機械なのかと思いきや、昇降機にのって人が手摘みしているそうです!
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車内では「野菜○×クイズ大会」
移動車の中では、○×クイズ大会。大人でも迷うくらいの絶妙な問題で、大盛り上がり。
司会の“みっちゃん”がさらに盛りあげてくれて、目的地まであっという間に到着する楽しい時間を過ごしました。
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思春期に突入した息子。周りよりも少しお兄さんだったため、最初は遠慮がちでしたが…しっかり楽しんでいるし(笑)
お待ちかねのランチタイム!
「サッポロさとらんど」に戻り、調理室でランチタイムの準備開始!部屋に入るとスパイスの匂いが…お、お腹が空いちゃったよ~!
サラダ作りプチ講座
子どもたちは、各家庭分のサラダづくりにチャレンジ!レタス類もフリルやベビーリーフなど何種類かあって、少しずつ形が違うだけで、玉レタス一種類だけで作る時と比べて見栄えが良くなることもわかりました。そして、野菜ソムリエプロの大澄さんが、サラダを美味しく作るコツを教えてくれました。
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美味しくなるポイント01「レタスのちぎりかた」
大澄さん「コツは、横にちぎるのではなくて、葉の繊維にそって縦にちぎると美味しくなります」。「ちょっとしたこと」なんだけど、試してみると本当に歯ざわりが違ってくるから、不思議!
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美味しくなるポイント02「ドレッシングの和え方」
ドレッシング…上からかけていませんか?「レストランではドレッシングは上からかけていないけれど、美味しいですよね?」と大澄さん。たしかに、ドレッシングが一ヵ所だけ集中してかかっているとしょっぱいですが、全体に均一に味がついている方が美味しいです。(なので、この見出しも「和える」という表現にしました)
均一に味を付けるコツは、ビニール袋に野菜とドレッシングをスプーン二杯入れて……フリフリ~!このやり方ならば、子どもでも楽しくお手伝いできそう!
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そして、まんべんなくドレッシングが行き渡ることで、ドレッシングの油分が野菜をよりツヤツヤに魅せてくれます。
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完成した、スペシャルランチはこちら!
食材は、ほぼ北海道産です!
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手前のミニトマトは、先ほど見学した「Jファーム」のトマト。 ピカピカで宝石みたいです!
プレートの中央にあるカボチャは、札幌市手稲山口の特産「大浜みやこかぼちゃ」、そして今が旬のトウモロコシ。
写真奥のカレーは、トマトと牛肉の夏カレー。牛肉は道内産で「キタウシリ」というホルスタイン種の肥育牛がたっぷり入っています。
そして、アグリコラの卵も「玉子サラダ」になっていました。 見てください、このクリーム色の黄身を! ”見た目ウケのために飼料に着色料を混ぜたりしない“とは言ってましたが、着色しないと黄身がこんなに色が薄いことを知りませんでした。
そして、黄身の色が薄くても、味はしっかり。それでいて全く臭みを感じない、澄んだ味でした。
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まとめ
近郊農場をめぐり、生産者さんの話を聞いて、最後は採れたて野菜や地元の食材たっぷりのランチで締める!農場見学もランチも大満足!頭も心もお腹も満たされる一日でした。
主催 農業魅力���発信プロジェクト推進協議会 運営・企画 HERB & COOKING KINA
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝���価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択���著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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bearbench-tokaido · 3 days ago
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八篇 上 その三
大阪で宿とった弥次郎兵衛と北八。 相宿となった者と、ひと悶着あった。
さて、丹羽の人は高野へ出て行ってしまいのこされた弥次郎兵衛と北八。 二、三日逗留するつもりなので今日は、このあたりの見所でも回ろうかと思っていると、 「これは、お早うございます。 今日はどっちゃへぞ、おこしでござりますかいな。 さよなら御案内のもの、お連れなさるがよござりましょ。」 と番頭が言ってきた。 「ああ、そりゃいい。それをおたのみ申やす。」 と弥次郎兵衛が答えると、 「かしこまりました。これこれ佐平次どの、ちょとごんせ。」 と番頭が帳場のほうから、案内の男を呼んだ。 「このお方たちが、案内をたのむとおっしゃってじゃ。」 と一人の男を呼びつけた。
「ああそうだ。わら草履を二束買ってもらいたいんだが。」 と北八は、思い出したように言うと、 「いや一足でいい、おいらは京雪駄買ってきた。 どうもわら草履では、みすみす田舎ものの上方見物とわかってしまう。」 と弥次郎兵衛は、変な見栄をはる。 「なに、旅先で、見栄もへちまもあるものか。」 そんなことには、いっこうにお構いなく佐平次は、 「お支度がすんだら、出かけましょかいな。」 「そうだな。さあさあ、早くまいろうか。」 と弥次郎兵衛もせかす。 慌てた北八を引きずるようにでていく後姿に、番頭や女中どもが 「いてお出なされませ。」 と声をかける。
これより三人でこの宿を出ると、佐平次が、 「では、こういたしましょう。 天王寺の生玉は住吉の御参詣のときに、お参りなさるといい。 今日は、こっちゃの方へいきましょうわいな。」 と長町通りを北の方に歩いて高津新地に出ると、まず、高津の宮に参る。
ここは昔、仁徳天皇の御所があり今も繁盛していることは、言うまでもない。 社内に豆腐田楽をだす茶屋があり、参詣の人を呼んでいる。 「さあさあ、お入りな。お入りな。これへこれへ。お休みな。」 祇園浄瑠璃の声が聞こえてきた。 「今じゃあ、今じゃあ。紙屋徳兵衛、天満やおはん。 瓦屋橋��白木屋の段。次は千本ざくらの天川屋。 弁慶の腹切、出演中だ。」
こちらでは、望遠鏡を商売にしている。 「さあ、見なされ。大阪の町、蟻の這うまで見渡せる。 近くは道頓堀の群集に、坊様が何人あるか。 お年寄りにお若い衆。お顔のあばたも、見えてしまう。 女中たちの器量、不器量もはっきりわかる。 焼き芋をこっそり買って食っているのもみえるし、川岸で小便しているのも、橋のたもとにたっているよたかが服についたしらみを取っているのも手の取るように見える。 また、風景をみるなら、住吉の沖に淡路島。兵庫の岬に須磨、明石。 大船の船頭が飯を何ばい食ったのか、何を食ったかもすべてわかる。 まだまだあるは、この目がねをお耳にあてると芝居役者の声色、ひょうし木のかたり、残らず聞こえて見たも同然。 お鼻をよせれば、大庄のうなぎのにおいぷんぷんと、食ったも同然 ただの四文。 四文なら見るがお得じゃ。千里ひとめの遠眼鏡とは、これじゃ。」
弥次郎兵衛は、冷やかし半分で、 「めがねやさん。有名な新町とやらも、近くに見えるかね。」 と声をかけると、 「さよじゃ、このお山のつい先に見えるわいな。」 「それじゃあ、近くに見えるのじゃあねえ。遠くへ見えるのだ。」 と弥次郎兵衛が言うと、 「なぜもし。」 と眼鏡屋が首をかしげる。 「はて、この高津と新町との間は、たった指一本の幅しかないものを。」 「そりゃお前さん。大阪の地図の上でじゃろわいな。」 「ああ、そうだった。ははは。では、お宮へまいろう。 ははは、これは、いいお宮だ。」 と弥次郎兵衛は、高笑い。 さて、三人とも神前にぬかずきたてまつりて、
もろもろの 神の背くらべ したならば やはり高津の 宮の尊さ
これより三人は境内の石段を西に降りて、谷町通りに出ると何となく腹がさみしくなったので、近くの居酒屋に入ることにきめて立ち寄ることにした。 弥次郎兵衛が、 「もし、なんぞありやすかね。」 と声をかけると、 「はい、鯨の煮たのに、鳥貝、にしんの昆布まきじゃわいな。」 奥から亭主が出てきて答える。 「さっぱりわからねえ。そのうち旨いものならなんでもいい。出してくんな。」 と北八は、近くの座敷に座り込むと言った。 「はいはい、いっきにあぎよわいな。」 と亭主は、その様子を見ながら言うと、 「いや、いっきんはいらぬ。三合ばかりたのみます。」 と弥次郎兵衛がちゃかす。 「ところで、びろうながら、用たしにいって来よう。 便所はどこだ。おお、あるぞ。」 と北八は軒先より向こうに回ると、みつけた便所に入った。
そのうち、弥次郎兵衛たちの前に酒や肴が出された。 弥次郎兵衛は、 「さ、ひとつはじめなせえ。」 と案内の佐平次に勧める。 「まあ、あなたから。」 と佐平次が遠慮��るので、 「そんならお先に。おととと、ああ、いい酒だぞ、こりゃ北八 はやく出ね��か、酒がみんななくなる。はやくはやく。」 と弥次郎兵衛にせきたてられ、北八は便所の中で、飲みたくてたまらず、 「おお、わかった。今出るぞ。」 とうろたえて戸をあけ、すっと出た所が不思議なことに、さっきの居酒屋とは様子が違う。
そもそもこの便所は共同の便所で、この居酒屋と裏に住む人の家と両方で使う便所なので、入り口が両方にある。 北八はうろたえて、入ってきたほうとは別の扉を開けてしまって、向こうの家に出てしまっていた。
そこには隠居らしいじい様がひとり。 何やら小細工をしていたりしが急に出てきた北八を見てきもをつぶし、眼鏡越しにじろじろと見るので、北八もうろうろとして何がなんだかわからずに、まごついていると、 「もしもし、お前さんは、誰じゃいな。」 「はい、これは違ったそうな。もし、居酒屋へはどうまいります。」 北八が答えると、隠居は、 「ははあ、わかった。お前さんは、表の居酒屋のお客じゃな。 その縁側を左の方にいかんせ。」 北八は隠居の言う方を見たが、 「はいはい、こりゃ、行どまりだ。」
「そうか。なら元の便所の方へ戻っていかんせ。」 「ははあ、また、元の便所に入らにゃいかんか。」 と北八は、便所の戸をあけようとしたのだが、戸が開かない。 中からは、弥次郎兵衛の声が聞こえてきた。 「えへん、えへん。」 「ナムサン。道がふさがれた。」 と北八がうなっている。 便所の中でそれを聞いた弥次郎兵衛が、 「北八か。何処から声が聞こえているんだ。」 「いや、弥次さんだな。 俺は戸を間違えて、とんだめにあった。早くそこを通してくんねえ。」 と戸を開けようとする。 弥次郎兵衛は内側から、掛け金をかけていて、 「いや、もうちょっと待ってくれ。 それに、いきむと体によくないそうだから、ひとりでに出てくるのを待っているのだ。 だから、少し閑がいる。 ああ退屈だね。歌でも歌おう。北八そこで、くち三味線たのむぞ。」 北八は、 「ええい、とんでもないことをいう。はやく出なせえ。」 と外から押したが、びくともしない。 内側ではゆうゆうと、弥次郎兵衛の道成寺の歌が聞こえてきた。
「恋の手ならい。つい見ならいて、誰に見しよとて、鐘つきよぞ。 みんなぬしえの心中だて、おお、うれしうれし。」
「まったく、気の長いこった。」 と、北八があきれていると、 「末は、添われるからそうなるまでは、この恋のことは誰にも言わずに済まそうと、正しいさか、偽りか、嘘か誠か、忍んでいることが出来ないほど恋しくなって逢いに来た。」 「ええ、こりゃ、早く出ねえか。」 と北八がいらいらして言ったが、内側ではさっぱりなんの音沙汰もきこえない。 北八はあせって、 「どうだ、もう出たか。ええ、こりゃ、弥次さん弥次さん。」 と言っていると、むむんとんという音がして、 「ふううつううり、小生意気、狭いぞと、たしなんで。」 「うん?、どうするのだ。」 「もうとっくにいいが、まだ、待て。もう一声やろう。」 「ええい、��い加減にしなせえ。」 と言いながら無理に戸を強く押すと、掛け金が外れて北八はそのまま、便所の中に転げ込んでしまった。 弥次郎兵衛も居酒屋の方に出る戸をあけて出ようとしていたので、その戸が外れて倒れてしまった。 その上へ北八と弥次郎兵衛が、いっしょに倒れこんでしまった。 便所の戸は、無残に破れてしまった。 「あいたたた。」 と弥次郎兵衛がうなっていると、居酒屋の亭主が走ってきて、 「こりゃ何じゃい。便所の戸が壊れてしまっとるじゃないか。」 と大きな声をあげている。
「いや元々、お前方が、こんなに両側に入り口のある便所なんか作るから悪い。」 と慌てぎみで北八が言うと、 「それじゃてて二人で連れ立って、便所に行くことがあるもんかいな。あほらしい。」 と亭主が、難しい顔をしている。 「堪忍してくんなせえ。俺たちが悪かった。」 と弥次郎兵衛が、ひざがしらをさすり、さすり、居酒屋の方に戻ると、 「なんとなされたぞいな。」 と佐平次が聞いてきた。 「うち身には酒がいいということだ、はやく一杯のましてくんな。」 それには答えずに北八が、酒をあおると、 「ここは運が悪い。又、先に行って飲みなおそう。」 とここの勘定をすますと、そうそう出かけることにした 酒屋の亭主が不服らしく挨拶もせずに小言を言いながら、膨れかえっている。 ふたりはおかしくおもいながらも、ここをでると、
出ることの おそいはやいで あらそいし これを宇治川の 便所かも
それより谷町通りを安堂寺町より、番場の原に出て話しながら歩いていくとやがて、天満橋に着いた。
つづく。
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ayapan829 · 17 days ago
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2022年手帳より
4月7日(木)
8時過ぎ、新幹線の切符を買って姫路へ。朝早く起きたから眠くて気が付いたら到着してた。大変な時に「行っておいで」って言ってくれた父さん母さんひろに感謝。
姫路で30分ほど持ってはまかぜに乗り換えた。三宮から乗ってきたみみちゃんと10日ぶりの再会。うれしくてずっとくっついてた。車窓から見える窓が満開だった。
「をり鶴」でお寿司を食べて、チェックインの時間まで城崎ビールを飲みながら川沿いを散歩した。桜がめちゃめちゃ綺麗だった。
お部屋は新しくていい香り。浴衣に着替えて「一の湯」と「さとの湯」へ。「さとの湯」が私は一番お気に入り。サウナも3種類あったし、露天風呂もよかった。
晩御飯は居酒屋に行きたかったけど、どこもかしこも定休日だったから、仕方なく入った「OFF」。これが大当たりで夜桜を楽しめる特等席、おいしい野菜の盛り合わせ、はたはたと山菜のフリッター、魚介のペスカトーレ、どれもおいしかった。
4月8日(金)
朝食は「喫茶萌阿」で、私はトーストセット、みみちゃんはハンバーガーセットを食べた。その後バスで移動して「二方蒲鉾」でお土産にきくらげ、えだまめ、玉ねぎの練り物とちくわを買った。駅に戻って一杯飲みに「GUBIGABU」へ。地ビールとピザを注文した。このピザが薄いけどみみがもちもちでかなり美味しかった。川が見える窓際の席もよかった。
帰りのはまかぜはあっという間に姫路について、そこから播州赤穂へ。西条みたいな駅。バスに乗り換えて、桜がきれいな遊歩道沿いにあるお家に到着。��が広くて、すてきなお家。タイミングよく帰ってきたおとうちゃんが晩御飯の準備をしてくれている間に、お母ちゃんが帰ってきて、外で焼き鳥をごちそうになった。炭火で焼くとこんにゃくもさつまいももとてもおいしい。
夜はドイツ時代のアルバムやDVDを見たりして過ごした。
実家に来られて本当にうれしかった。
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kachoushi · 2 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年11月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年8月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
又一人友を連れ去る秋の雲 喜代子 三鍬を秋に備へる農婦なり 由季子 友と居てそれぞれに聞く秋の風 都 終戦日正午の刻の静けさよ 同 送り火ややむなく戻る仏たち 同 落雷や天の怒りが頂点に 同 人影の動かぬ窓や盆の月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
青い嘘と黄色い嘘とソーダ水 和子 仏具屋は北向日盛を知らず 季凜 アメ横てふアジア横丁灼ける路地 風頭 西郷どんの足の太さや雲の峰 六甲 唖蟬のすがるかに寄る仏壇屋 毬子 冷し珈琲魔女めく指で渡されて 小鳥 寺町に銭湯を待つあつぱつぱ はるか 昭和より黴はぐくめる喫茶店 光子
岡田順子選 特選句
仏具屋は北向日盛を知らず 季凜 スカジャンが食ふアメ横の氷菓子 俊樹 片陰の禿びて上野の仏具店 光子 掛香の名残りの車両上野へと 昌文 日盛や適時打に沸く子規球場 六甲 蟬しぐれ靴音だけを許しをり 和子 改札口帰省子らしき待ち合はせ 六甲
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
山笠果てて博多ごりよんさん胡瓜買ふ 修二 夏の朝水平線をひと筆に かおり サイダーと言へば三ツ矢と摺り込まれ 久美子 片陰をたましひ細くなりて歩す 美穂 ガザといふ活字の上に西瓜置く 朝子 金文字の磁針狂へり熱帯夜 かおり 逃避行西瓜を食べてからのこと 美穂 分けやうもなきぐしやぐしやの西瓜割り 久美子 どうしても俳人と名乗りたき西瓜 たかし 死を見つめ明日を見つめて遠花火 朝子 向日葵や画家自画像の暗き顔 たかし 海底に眠る坑道夕焼くる 睦子 涼新たガレのランプに灯の入らば 美穂 陸橋を行く夕焼を渡るため 愛 夏の蝶太郎冠者の手ひいらひら 修二 潮焼の腕を差し出し献血す かおり 夕端居ふと唄ひ出す反戦歌 美穂 蛇を轢く目��者なき里の道 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月5日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
団扇手に店守る婆の話好き かづを 白扇をパチリと閉じて打つ一手 同 大の里勝つて団扇の一斉に 清女 巫女居ない小さき社秋の蟬 啓子 眠る迄母の団扇の風やさし 同 出番待つ横綱あおぐ大団扇 笑子 ひたすらに団扇あおぎてふと黙す 同 横綱の背ナにゆつたり大団扇 千加江 母の髪斯く長きとは髪洗ふ 匠 此の路地に今も水打つ暮しあり 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月7日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
笑ひつつ花火上手に三姉妹 令子 掃苔やあの石段を坂道を 裕子 鳳仙花濃いも薄いも好きになり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
視線無き会釈してゆくサングラス 宇太郎 庭の穴にしみ入る声や秋の蟬 史子 星流る森に小さないのち生れ 都 東雲のあかり力に蟬の羽化 美智子 カンナの緋一番若い日を生きる 悦子 木型よりできたて掬ふ新豆腐 美紀 手術終へ生涯初のサングラス 悦子 兵帽をまぶたに呼びしぎすの声 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
潺潺と里の川音や夏の果 時江 平常心狂ひさうなる猛暑かな みす枝 星月夜夫と仰ぎし夜の事 英美子 裾さばき手捌き揃ひ踊来る みす枝 五十年一つの趣味に生きて盆 清女 湯上がりの裸子を追ふバスタオル みす枝 一球の逸れて球児の夏終わる 昭子 西瓜切る十の眼の集中す みす枝 真昼時迷へる夏の蝶一つ 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
千年の大樹の影や額の花 廸子 足を止めしばし聞き入る初法師 史空 夏休み博物館に一人入る ことこ 大迦藍寂と光に初法師 史空 多摩川は晩夏静かに水の行く 和魚 節の無き芋殻を選び母憶ふ 貴薫 赤松の肌焼き尽くす残暑かな 三無 団扇風どの国にしよ子守歌 あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
手花火の彩をこぼして後は闇 雪 亡き僧の手猫きの団扇借り申す 同 死んだ振りしてゐるつもりこがね蟲 同 男下駄揃へ帰省子なりしかな ただし 麻暖􄼩かつて機屋の広き土間 同 夏痩せの吾が骨摩る目覚めかな 同 風よりも雲が知らせてをりし秋 かずを 襟首の君の白さや揚花火 嘉和 掃苔や無言の墓に詫を言ひ 英美子 ���火の点めつ吾の鼓動めく 真喜栄 羅や女将の心見え隠れ みす枝 口紅を濃くぬり花火見る人ぞ 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
枡形の黒門渡る送り南風 幸風 白雲の刷毛遣ひよく秋に入る 軽象 弁慶の骨組みあがる倭武多小屋 経彦 山寺の奥の奥なる桐一葉 秋尚 的れきの花天に向け烏瓜 幸風 隠沼の微かに饐えて秋に入る 軽象 圭魚選 人気なくただ秋蟬の鳴ける寺 貴薫 萩の枝大きく撓り年尾句碑 文英 隧道をよき風抜けて赤のまま 久子 暗がりの守れる句碑や秋の声 千種 寄せ墓の一基盆花枯れずあり 久子 墨の香の濃くやはらかく施餓鬼寺 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月20日 萩花鳥会
いい奴よ晩も定番冷奴 健雄 炎天下石塔の影涼潜む 俊文 窓越しに咲いて消えゆく遠花火 恒雄 在りし日の村歌熱唱盆の月 吉之 病床へスマホで送る滝しぶき 美恵子
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令和6年8月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
生身魂昔々を憚らず 雪 火取蟲まみれと云へる灯が一つ 同 団扇風もて看取りたる日ももう遠く 清女 空蟬の小枝にすがり艶めきぬ 笑子 語り部を継ぐ幼子の原爆忌 同 百年史たどる球場雲の峰 同 生身魂団扇で人を指図する 和子 贅沢な時を引寄す揚花火 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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abaaaaba-blog · 9 months ago
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塩昆布は便利だなあ
こんにちは。マーヤです。
今はお昼12時47分、2024年4月29日月曜日(祝日)です。
みなさん、お元気ですか?
桜が散って、梅雨までのこの時期。
青葉、若葉、香る風もなんだか青い。
最近、手帳を買いました。
喫茶結社のマスターがラジオで手帳を勧めていて、それを聴いて、じわじわ・・・と手帳が欲しくなっていた。
4月の1週目だったかな、本屋さんで手帳を買いました。
手帳には、予定を書くのはもちろん、過ぎた日のマスに、その日のキーワードを書くようにしている。
たとえば、食べたもの、出かけた場所、観た��の、など。
今週の出来事をまとめてみる。
☕️食べたもの(自炊編):
キャベツと塩昆布のパスタ
これは二晩連続で私が作りました。レシピは雑誌のビッグイシューの連載コーナで枝元 なほみさん監修のもの。
ビッグイシュー内のお便りコーナに読者から「枝元さんのレシピ、どの回のものもとても美味しくできたので、何度も作っています」と寄せられていて私も作りたくなった。
材料は、キャベツ、塩昆布、パスタ、バター。
塩昆布とバターは家になかったので、帰りにサンディで買って帰った。
フライパンでパスタを茹でる。茹で時間が残り3分になったらキャベツも一緒に茹でる。
茹で汁をお玉一杯分残し、フライパンを空ける。
湯切りしたパスタ&キャベツをフライパンに投入。
そこへ塩昆布大さじ3、バター15gを和える。
和えにくい場合、茹で汁を適宜加える。以上!
竜大がとっても喜んでいた。
キャベツもバターも余っているし、また作ろうと思った。
次回こうしようと思った点:
麺が硬かったので、表示時間通りに茹でる。
塩昆布は、スプーンで計る。電子計量器で計ったら塩昆布がめちゃめちゃ多くなってしまった。味は辛くはなかったけれど、麺を食べ終えた後に昆布がめちゃくちゃ残っていて変だったから。
麺がパサついていたので、バターや昆布を和える時に茹で汁を使う。今回は一つも使わなかった。
キャベツと塩昆布のパスタ(二晩目)
前回の反省点を思い出す。
塩昆布。大さじスプーンにできるだけたくさん盛ること3杯。少ないように感じる。
続いて、表示時間どおりパスタを茹でる。茹で時間7分のマ・マーを火にかけ、「ヘイSiri、7分タイマー」
この行動が美味しさにつながると、昨日の私は云っていた。先ほど塩昆布が少ないように感じたので、湯に入れる塩を多めにした。
和える時、椀に取っておいた茹で汁を全部加えた。つるつると麺を食べたいし、塩昆布が少なくて塩味が少ないのを避けたかったから。
結果、一周目よりも美味しいと竜大に言われた、キャベツと塩昆布のパスタ。
自分としては、気になる点は解消できたけれど、麺の感じはもっと良くできる気がしている。パスタの種類や太さを色々と試してみたい。
キャベツと塩昆布パスタ編は以上。意外と長くなってしまった。
回鍋肉(竜大作)
もらってきたタケノコを活かすため竜大が初めて作ってくれた。家にあるオイスターソース等だけで美味しい味に仕上げていた。タケノコ、美味しい。もっと食べたいと思った、2024年、春。ところで我が家では近頃、フライパンごと食卓に出すことにしている。熱々のまま食べられるのは、理にかなっている点。この回鍋肉も、もちろんフライパンから二人で食べた。飲み物は、私が用意した。近所の酒屋さんで手に入れた箕面ビール。季節のビールを2種類と、あとジャケットが気に入った缶ビールを1本。緑色でメタリックな世界、ギターを下げた男が背中を見せている、絵。絵のラベルは缶から剥がして手帳に貼った。
チャーハン
近頃家にいる時の食事はチャーハン。美味しいから。これまたフライパンから直接食べるのが良いのだ。私の作り方は、こう。
冷凍ご飯を解凍する。
フライパンに油を温める。
高温の油に解凍したてご飯をそっと着地させる。
シャンタンを小さじ1くらい投入。
���ライパンの中のお米がいい音を奏で続け、これはいつ食べても美味しいでしょう、というような見た目、香りになれば完成。
もともと卵チャーハンを作っていたけれど、卵がない日にご飯だけで作ってみたら、むしろ卵なしの方が美味しかった。以来、休日にお腹が空いたら先ずはチャーハン(お米だけ)を作って食べている。シャンタンは偉大である。冷凍庫にラップご飯さえ仕込んでおけば、7分後には美味しい炒飯にありつけるんだ。素敵だろう?
バインミー(竜大作)
竜大が「何か手の込んだ料理がしたい!」と言い出した、昼。その日は風の気持ちいい晴れた日だった。私は何か作って公園で食べることを提案した。そこで、バインミーを作ると竜大が云った。
2年前、近所の公園で夜桜を見た時、やはりバインミーを竜大が作った。美味しかった。
その、さらに1年か2年前、大川雄太郎氏が夜桜お花見ウォークの際に、バインミーを作ってきてくれた。とても美味しかった。夜、外、良い気候、バインミー。
さて、今回はバゲット2本分のバインミーを竜大が作った。切り分けたバインミーで、お弁当袋は満杯になった。「残ったら明日の朝食に」等と話していたが、二切れしか残らなかった。
🍺食べたもの(外食編):
🍑スパイス食堂ナムナム
ひかりEPリリース記念ということで、夜は外食しようと竜大と決めていた。訪れたのは、大阪庄内のスパイス食堂ナムナム。
ナムナムはランチで初めて訪れて、料理のあまりの素晴らしさにファンになった。ランチで何度か通い、思い切って夜も足を運んでみた。お酒を飲むためだ。
夜のナムナムも最高。おつまみとして、こんなに幾品も行き届いた料理をいただけるのかと、一品ずつに感動する。また、昼と違い、夜のナムナムは、ソロの常連さんがカウンターにいて落ち着いた雰囲気を醸し出している。その傍で、飲んで食べまくる我ら。いつも突撃ですみません、こんだけ食べて飲むんなら、きっと予約をしたほうがいいんだろう。
この日いただいたお料理も、すべて美味しかったです。元気になりました。ありがとうナムナム。またゆっくり行きます。
🍊とり慶
鳥の刺身が食べたいということで、初来店。おいしかったです。生ビール(メガジョッキ)をオーダしようとしたところ、店員さんが「今ビール半額キャンペーン中だが、メガは対象外なので生中の方が得」と教えてくれた。親切だなと思い、メガはやめ生中にしておいた。
🍎珉珉 庄内店
威勢のいいお母ちゃんに迎えられて入店。お座敷に座らせていただいた。さて何を飲もうかとメニューを確認すると、店名を冠した『珉』なるお酒を発見。もうこれしかないでしょう。
出てきた珉は、一合瓶に金のキラ文字で『珉』と書いてある、日本酒でした。ぬる燗で飲みやすかった。
お料理は、竜大がもうこれしかないでしょうと『硬��焼きそば』なるものをオーダ。ここ珉珉で3軒目。酔いに酔っているので、もう何でも来いという気持ちのわたくし。私のターンでは、大好きな焼き餃子を二人前くらい注文した。
硬い焼きそばとは、いわゆる皿焼きそばのことでした。しかし、普通のお皿焼きそばとは違うのが、珉珉なんですねえ。麺がしっかり太くて、カリッと揚がって硬く、旨みがある。焼き餃子もとても美味しかった。やっぱり餃子屋さんの餃子は良いよ。
🍛ジャンボカレー
お昼ご飯に、カツ丼激辛(カツ丼カレー 激辛)をいただいた。
元気が出る。美味しい。
🍤天ぷらの山
夜に行くのは初めて。飲む目的で、山へGO。ここは天ぷらのお店です。自席の天ぷらバット(あの油を切る網)に、天ぷらをドンドコ置いて行ってくれるお店。
私は野菜定食(定食のご飯を蕎麦へ変更)、牡蠣、キス、ビール(ハートランドを2本)をオーダ。
特に美味しかったのは、キス。ふわっふゎで、塩味と衣と身が、とけてゆく。
野菜で美味しかったのは、ピーマン。肉厚でちょっぴり苦い。ビールによく合った。
逆に、美味しいけどビールには合わなかったもの。それは、芋類。芋の天ぷらとしては最高な甘味と柔らかさを有している、それは間違いない。しかしビールと合わさると、とってもおなかが膨れる。それは至極当然のこと。
次回はこうしようと思った点:
飲む時は、定食に蕎麦も要らない。蕎麦が多すぎる。小盛りにできるか訊いてみよう。
ピーマンとキスだけ食べたい。ピーマンは単品注文ができないから、どうしようもない望み。しかし魚単品はあるから、キスだけいっぱい食べようかな。ピーマンは我慢。だって、芋がついてくるから。野菜定食にしかない、ピーマン。
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nakiselu · 1 year ago
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山形プチ旅行記2023(ラーメンを食べ、ソフトも食べ、慶次の足跡を辿り、上杉神社を参り、ラーメンを食べ、ラーメンを食べた)
ハロー、僕は元気じゃないまま、まだ生きてます。
塩結び 濃厚旨味噌中華・海老塩中華
2年連続で行けて毎年恒例を目論んだものの感染症流行等の影響であっさり途切れ、4年ぶり3回目となった今回は季節限定の味噌と、逆に季節限定品の「冷たい」を食べてたから未体験だった通常の海老塩の連食。空腹の調整も上手くいったし先に濃厚で後であっさりという順番的にも完璧と言える感じで2品を満喫出来た。常時限定があるけではないけど他の限定も気にしつつ、いつだって常設が間違いないからこそまたを目指せるってのは好店の証なようなもので。
必ずまた来たい。
道の駅米沢フードピットりんごソフト
りんごソフトの方も前回に続いてだが季節限定はラ・フランスになってたからりんごは常設としてあるのかも。
花の慶次を読んでた事は確かだが、ファンとは言い難く、なにやら下品な(よく言えば豪快な?)武将の話だったなっていうくらいのゆかりの曖昧記憶だけど、周辺がゆかりの地との事で行ってみたいと思ってた3か所に行ってみた。
前田慶次供養塔
堂森善光寺内に比較的近年?に���てられた供養塔。地図が読めない���向音痴の為、スムーズとはいかずも随所にあった黄色い旗のおかげで迷ったってほどでもなく着いて観れてホッと一息。
月見平(御月山)
供養塔の裏から山道を10分登るとの情報に従って少し険しい山道を登った。周りに人はいなく、自分の息切れの音だけが聞こえてきてた。登った先の絶景ポイント?ではそれなりの景色に達成感を感じながら、山道にあるという慶次の墓と言われている石像とやらを見なかったと降りる時に注意してみたが結局探せなかった・・・
で、次のスポットに向かっていると何と別の入り口の看板を発見。別のというかどうもこっちがメインのような感じで、もしかしたら石像ってのはこっちのルートの方にあるのかもと思いながらも看板周辺の何処が山道がわからず、さっきの以上に険しいかもな気がしたので再度登る気にはなれなかった。
慶次清水
晩年を過ごす際の飲料水用に掘られたとの事で、なんと今でも農業用水として使われてるとか・・・
こちらも随所にあった黄色い旗のおかげでどうにか辿り着けて観れた。自己責任で飲む事も出来たようだが適切な容器を持ってなかったし縁まで行って手ですくっおうとして落ちるのが怖かったのでやめといた。
すぐ横には良い感じの球場があったけど草の感じからすると使用頻度は低そうで勿体ないななんて思った。
上杉神社
上杉の歴代の藩主を祀ってるのかと思いきやどうやら謙信だけが対象らしい。
しかし他の藩主の像や紹介なども至る所にあって伊達政宗の生誕の地でもあったりするらしくややこしい。
時間に余裕があったので無料案内の「おしょうしなガイド」というのを利用させてもらってこぼれ話満載でゆったり観た。
東日本大震災の際はなんと鳥居が倒れてしまったらしい。
設計者が明治神宮と同一で設計図を流用したから似てる?
大河ドラマのエピソードで伊達政宗とか出てくるけどそのタイミングで其処にいないでしょ・・・
天地人の時に慌てて?銅像を建てた。
暗殺されたケネディが鷹山を称えたとかで近年娘が現地で公演までしたらしいが称えた事もそれを娘に伝えてたとしてそれを認識できる年ごろだったかも怪しいし、仰々しくモニュメントまで建ててるのは手放しでは喜べない・・・
伊達政宗は本当は「いだて」で「IDATE」の書類も残っている。「抱く」が「いだく」だったのが「だく」になったように「い」が抜かされたのが定着した?
どっちが本当かは確認は出来ないものの通説と違った話を沢山聞けて凄く良かった。
松月 牛肉ラーメン大盛
チャーハンも食べたかったが炒め物休止中とで無念。
牛骨出汁で具材も牛肉って事で高価だったがしゃぶしゃぶ系のあっさり感でどれだけでも食べれる美味しさだった・・・
美喜 ラーメン/チャーハン
この旅最後の食事はスタンダードな米沢ラーメンで煮干しと醤油で仕上げてあるこちらもどれだけでもいけそうなあっさりな美味しさだった。
何だかんだで米沢の食文化堪能出来たような・・・
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tsuntsun1221ts · 2 years ago
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2023.05 立山
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残雪期の剱岳
GWということで最後の雪山に立山を選択。コロナ禍が収束してきて��部立山アルペンルートは大盛況、人多すぎ。一昨年は一ノ越山荘に宿泊し立山縦走を試みたが天候不良のため雄山登頂のみで終わった。今回は剱御前小舎に宿泊して縦走を試みる。
1日目
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0500起きて新幹線で長野へ。長野から扇沢へのバスはすでに長蛇の列で2台停まっていたが満席となり、もう一台途中で追加された。扇沢からは予め時間指定のWEBチケット購入していたからよかったが、その場での購入だったらかなり待たされていたかもしれない。室堂は観光客たくさんいたが、外国人が2-3割な感じ。
【コースタイム】室堂(1225)→雷鳥沢テント場(1255)→剱御前小舎(1405-1410)→剱御前(1450-1500)→剱御前小舎(?)
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みくりが池は完全に雪の下。
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雷鳥沢テント場が見えてきた。ここから本日の宿の剱御前小舎へのルートが見える。トレースがちゃんとできているので安心。だがだいぶ高度上げるな。
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室堂から30分ほど歩いて雷鳥沢テント場に到着。この日は平日、翌日が祝日のため明日はもっと人が増えるか。しかしこのテント場はロケーション最高だな。
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テント場から登りとなるが、とりあえずはチェーンスパイクで進む。そこまで強い傾斜でもないし雪もだいぶ緩く、短い爪でもずり落ちない・・・と思ったがところどころ急な斜面があり、やはりアイゼンが無難であった。
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登りは何度も振り返りどれくらい高度を上げたか確認できる。単調ではあるが飽きない。テント場(写真中央左)からだいぶ高度上げた。
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一部細い尾根を歩く。ここは注意
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室堂から約1時間半で剱御前小舎に到着。まだ14時と遊ぶ時間あるのでまだ小屋内には入らず、そのまま剱御前まで足を進める。
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剱御前へは平坦な道で進行方向に剱岳が見えるとても気持ちの良い道。
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小屋から40分で到着し、ここからは名前の通り剱岳が何も遮られることなく見ることができる。
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剱沢テント場は10張程度しかいない。これから残雪期の剱岳に挑戦する人たち。
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剱沢雪渓にはたくさんトレースが残っている。雪の剱岳の登頂ルートはよく知らないが、長次郎谷や平蔵谷から登るのならあのトレースを通るな。さすがにこの時期は別山尾根(夏道)は使わないだろう。
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しばらく休憩し、15時になってしまったのでそろそろ小屋に戻る。小屋は二食付きで15000円で、冬季はシーズン料金から1500円値上がる。夕食は17時。この小屋のトイレはバイオで匂いなくイイ
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日の入り後の富山市の街明かりがキレイ
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こちらは室堂
2日目
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6時前に起床し朝食。天気はかなりよく、しかもほぼ無風。この様子なら縦走できそうだ。準備整え出発、まずは別山へ。
【コースタイム】剱御前小舎(0650)→別山(0715)→真砂岳(0755)→富士ノ折立(0830)→大汝山(0845)→雄山(0905-0920)→一ノ越(0950)→室堂(1020)
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目の前が別山、上に人が立っている。
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別山からは剱岳が最も綺麗に見えるベストビューポイント
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長次郎谷だか平蔵谷だかわからないけど、トレースっぽいものも見えるのであそこが冬季の登山ルートか?
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ここからは一度下ってカールの淵を歩きやや平坦な真砂岳へ(写真中央やや上)。そして再び下ってから登り返しをもう一度繰り返して、奥に見える富士ノ折立・大汝山・雄山へ向かう。
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小屋から約1時間で真砂岳に到着
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日本海側にある山だが、天気が良いと太平洋側の富士山も見える。逆に富士山からもこっち見えるということだな。
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そして2回めの下りと登り返し。富士ノ折立への登りが本日のハイライトで最もキツイ。
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途中では四つん這いになって壁のような雪の道を這い登る箇所あり。写真右に登山者写っているが、まさあしくあんな感じで登る。
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さらにその先、岩が露出した道をアイゼンの爪でバランス取りながら慎重に登る、傾斜が急だし滑落しても岩しかなくピッケルの制動効かなそうだし、かなり危険。写真ではそんなに岩がないけど、もっと多い所あり。とはいえ登りならまだなんとか通過できる。下りでここを通過するのはさらに危険になるため、残雪期に立山縦走する場合は今回の通り別山→雄山の順がいいだろう。
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富士ノ折立登り切ると気持ちのいい白銀の縦走路、なお超巨大な雪庇が左にある。
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登山開始から約2時間で大汝休憩所と大汝山に到着。
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大汝山周辺に今日ついたと思われる雷鳥の足跡があった。ここ以外にも何回か見かけたが、結局姿を目にすることはできなかった。冬毛で真っ白な雷鳥見てみたいな。
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大汝山が立山の最高峰で2013m。後立山連峰が全部見える。
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南方には槍ヶ岳や穂高。
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室堂全体。目の前は奥大日岳と大日岳、奥に日本海と富山市。
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お隣の雄山神社。なお大汝山→雄山へのルートだが、目の前の岩場を直登するようなトレースしかついておらず、それに従って登ったが正直危険。夏山は右に迂回するルートなのだが雪で埋もれている上に傾斜がやや強く雪面が結構硬いトラバースとなる。どっちも危険なのだがそれでも直登で良かったのだろうか?
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縦走の終点、雄山に到着。
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今までの縦走路を振り返る。左端から約2時間か、意外と早かった。
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こうやって地形を見ると、奥の水晶岳・鷲羽岳から流れる黒部源流が黒部湖に注ぎ込んでいるというのがよく分かる。
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平らになった五色ヶ原の真ん中にぽつんと五色ヶ原山荘が埋もれているのもみえる。
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雄山で15分ほど休憩し、一ノ越へと下山する。そろそろアルペンルートの始発組が登り始めてきている時間のようだ。こちらは前に来たときほど雪はなく、一ノ越山荘までは露出した岩がメインだったが、岩の上をアイゼンの爪でバランスを取るのが危ないため脱いだ。
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一ノ越を通過し室堂へ。なだらかな下りで雪面も緩いのでチェーンスパイク装着。山荘出発から3時間半で室堂に到着した。
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体力が余っていたので雪の大谷まで足を伸ばす。室堂は登山客多めだが、雪の大谷は観光客で溢れ返る。まぁみんな立山きたらまずはそっち見学するか。11時だったのでレストランで昼食しようと思ったら、すでに待ち時間すごいことに、さすがGW。諦めて扇沢まで下り昼食取ることに。
天候にとても恵まれた2日間であった。残雪期立山縦走する場合は今回の別山→雄山ルートが良い。逆ルートだと雄山神社から大汝山へ向かう道と、富士ノ折立から真砂岳への下り(特に岩が露出した箇所)が危険で鬼門となる。
本雪山シーズンは最初の2回(赤岳・木曽駒ヶ岳)のときは酷かったけど、その後はどこも最高の天気となり満足で終われました。
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20kitan · 2 years ago
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追記に詳細設定 ※ネタバレはないと思うが一応「蹂躙するは我が手にて」準拠の設定あり
◆身上調査書
姓名:阿曇鞠奈(あづみまりな) 愛称:鞠奈、鞠ちゃん、あづ、阿曇 年齢:24歳 性別:女 血液型:B型 誕生日:7月1日 星座:かに座 身長:165cm 体重:49kg 髪色:淡い黒髪 光に透かすと茶色っぽい 瞳の色:焦茶色 視力:左右1.0 きき腕:右 声の質:高めではきはきした育ちのよさそうな喋り方 icv.クレオパトラのときの釘宮理恵 手術経験や虫歯、病気:なし 一回だけ虫歯治療した 歯磨きを頑張っている 身体の傷、アザ、刺青:なし 健康体 その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):首、手首、腰などがきゅっと細く手足が小さい 骨が丈夫 セックス体験、恋愛、結婚観:結婚は家のためになる相手とするもの  恋愛に憧れはあるがそれほど焦がれてもいない  セックス経験は生涯夫一人とだけのつもり 尊敬する人:両親、庶母、姉たち、夫 恨んでる人:戦争をはじめた人 出身:倶舎皇国、首都郊外 職業:専業主婦、裁縫仕事をたまに外から頼まれる 将来の夢:家族がいつまでも幸せに暮らすこと 恐怖:身近な人の死、孤独 癖:上目遣い 酒癖:お酒は好き、弱い、笑い上戸、梅酒が好き
*交流向け 夫:達磨臥牛 一人称:私 二人称:あなた 呼び方:役職か名前にさん付け、達磨ちゃん
*概要
 倶舎皇国空軍中将毘沙象牙の娘であり、倶舎皇国空軍大佐達磨臥牛の妻である料理上手のおてんば娘。第三次世界大戦では銃後の乙女として夫を支えた。
*性格
 明るく社交的、おてんばで天真爛漫。誠意を持って相手に接する人柄の持ち主。無邪気に見えても良家の子女であり、話や場の雰囲気や流れをコントロールすることにも長ける。末っ子らしい甘え上手で人の気を緩めさせる気質。働き者で思いやりが深く、愛する人を守ろうとする気持ちが何よりも強い。  独立心旺盛で気位が高く、無礼な振る舞いや過度な干渉は決して許さない。家族や国、家に対しての忠誠心は非常に高いが、嫌なことや間違っていると感じることははっきり言う性格。特に困難に直面したときほど何事にも屈しない強い精神や行動力が発揮されるタイプであり、従順なようで誰にでもそうでもない。  ストレスが溜まるとやや贅沢に走る嫌いがある。
*人間関係
 自分の大切な人に対しては非常に思いやり深く、どんな時でも救いの手を差し伸べようとする。信頼を誠実さを重んじるため、交友関係の広さよりは少数の人と親しくなることを好む。パーティなどの大人数の場は経験豊富であり、誰かが不愉快な思いをしたり困っている人がいないか気配りを忘れない。喧嘩の仲裁、人と人をとりなすことも得意である。
*家族関係、幼少期体験
 倶舎皇国空軍の重鎮、毘沙象牙の正妻の末娘として生まれる。既に妾と正妻の子が多数生まれる家の中で唯一、彼女らの骨肉の争いが落ち着きを見せたころに生まれた子供であり、平和に愛されて育った。両親や姉たちはもちろん庶母のことも小母と慕い、阿家の円満なコミュニケーションに一役買っている。幼少期は家が近く付き合いのあった毘家の達磨臥牛らと幼馴染として過ごした。  倶舎皇国の女性としては十分な教育を受けたあと、父の意向でみっちりと花嫁修行をして年頃になった。軍人か政治家のなかで将来の見込みある若者と政略結婚する予定にあったので、お見合い写真から真っ先に幼馴染の達磨臥牛を選び、そのまま結婚に至る。
*能力
 最も特筆すべきは人とのコミュニケーション能力であり、生まれながらに人の気持ちをよく察する。長年の花嫁修行から非常に料理上手で、刺繍や裁縫、華道に茶道、琴など潤沢に必要な教養を授けられている。また運動神経も良く日本舞踊や薙刀、乗馬が得意なのもあり、父からは男児に生まれていれば良い軍人になったのではと密かに残念がられている。  子供や困っている人を放っておけない性分もあり、戦時中は自身の裁縫の腕を生かして疎開地に送られた人たちに着るものを定期的に作っては夫の名前で送っていた。
*好きなもの 食べ物:あんころ餅、練り切り、えびせん、うに、鯛料理 得意料理:巻き寿司、豚汁、天ぷら、倶舎粥(山菜たっぷりのとろっとしたお粥)、おはぎ 飲み物:コーヒー、梅酒、りんご酒 季節:夏 色:鮮やかな紫、濃いピンク、オレンジ、灰色 香り:石鹸に似た優しい香りのお香を箪笥に入れている 書籍:小説、ファッション誌、読みなさいと言われた教養になる本 動物:犬、馬、鳥 ファッション:色鮮やかな服が好き 倶舎着物も洋服も着る 場所:実家、自分の家、川や湖のほとり、森の中 愛用:裁縫箱、お花の鋏、銀の髪飾り(すべて家族から譲られた逸品) 趣味:手芸、裁縫、和裁洋裁、料理、乗馬、華道茶道薙刀舞踊は習い事として好き
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shineninrays · 2 years ago
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. . #麺酒一照庵 #晴天櫓 (@issyoan) 3/5(日)~7(火), 26(日)~28(火) (限定)裏一照庵開催🙌 岡山本店 牡蠣の油そば、アカモクと山葵の鶏塩そば 2種 裏開催時は毎回 ラーメンは限定2種のみ販売です 通勤メニュー生醤油・クラム等は販売無し ご了承ください トッピング及びサイドメニュー,アルコール類は販売有り . 1/4 笠岡style 生醤油 並盛 半熟塩玉子(晴天の焼印😊)は JAF会員証提示で無料 親鶏肉増し, 唐揚げセット(明太ポテサラ+ご飯付き) . 2/4 スープは 親鳥ベースに和出汁の支え、ブレンド醤油を 併せている点は変わらず 均整のとれたコクのある味に 甘みが残る後口は万人受けしやすい👌 味変用調味料は アンコールペッパー,にんにく,香味唐辛子赤等が相性良 . 3/4 低加水細めストレート麺は 岡山市内の老舗製麺所から デフォ固茹で気味ですが 今回も麺カドが立つこと無く パツンと歯切れ良い食感で スープを適度に持ち上げる 点で啜りやすい 替玉はありません 大盛(1.5玉)注文可能 煮鶏(かしわの醤油煮)は柔めの食感 麺,スープと一緒に 食べやすい 親鶏肉増し,ネギ増し,玉子,メンマ,(板)海苔は 単品注文可能 トッピングお得盛りも注文多い様子です 笹切りネギは表面を軽く炙ることで 臭いを抑えており 赤玉ねぎで スープの甘みを抑えている点も好印象😄 . 4/4 一照庵さんのサイドメニュー唐揚げは おススメの一品 鶏肉ムネ,モモ部位で 衣カリッと中身ジューシーで美味 白飯は 炙り〆鯖・親鶏めし,JAPANESEハーブめし等に グレードアップ可能です ラーメン,唐揚げ共に 美味しかったです🍜😋 ごちそうさまでした . #一照庵 #ラーメン #ラーメン部 #ラーメン倶楽部 #麺活 #麺スタグラム #岡山 #笠岡ラーメン #インスタグルメアワード2023 #일본라면 #맛있다 #拉麵 #ราเมง #ramen #instalike #instagood #instafood #food #foodie #yummy #😍 #igers #love #beautiful #syoyu #chickenbroth #photooftheday #japanesefood . 2023.3.4 麺活No.45 . (岡山市北区) https://www.instagram.com/p/CpXaquIyfrD/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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onewonderful · 5 years ago
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鳥ぷろ食堂の鳥天定食 899円 驚きのボリューム‼️ ラーメンを食べに行ったのですが、ちょっと見つけた鳥ぷろ食堂の鳥天定食にココロ奪われて… #驚きのボリューム#鳥ぷろ食堂の鳥天定食#おいしさ山盛り!鳥ぷろ食堂#山盛りの鳥天定食 https://www.instagram.com/p/B2_OTMzlCq6/?igshid=15dzr0c3kr6tc
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kachoushi · 1 year ago
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅰ
花鳥誌2024年1月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
 「恋の季題」は材料も尽きてお開きとしたが、書き物は続けてほしいとのお話だったので、『虚子百句』を私なりに読んでいくことにしたい。
 まず、本書の成り立ちや、おおよその性格を説いて、なぜこの書物を丁寧に読んでいくことにしたのか、その理由をあらあら述べておきたい。
 本書は昭和三三年、すなわち虚子の亡くなる前年の自選句集である。京都の便利堂からの依頼を受けたもので、短時日の間に選んだものであるから、本書の価値は、ある程度割り引いて考える必要はある。が、ともかくも虚子が、自分の代表作と認めた百句だったことは間違いない。
 選句の基準については、追々検討を加えていくが、まず揮毫しやすく、たびたび揮毫してきた句であったことは、序で虚子自身が明らかにしている。本書は、虚子の揮毫を写真で掲載し、五十句ずつを高濱年尾と星野立子が分担して、簡単な句の評釈をつけるという趣向のものだった。年尾の跋文によれば、虚子も事前に二人の文章を検したという。
 本書の企画を持ち込んだ便利堂は、明治二十年創業の書店兼出版社である。コロタイプ印刷機を早くに導入し、美術書の出版で信頼を得た。岡倉天心が創始し、今日でも美術史学の権威的雑誌の位置を保っている「國華」は、便利堂の図版印刷の高度な技術が遺憾なく発揮されたものである。
 四代目店主中村竹四郎は、国宝級の貴重書の複製印刷をも数々手がけ、『虚子百句』刊行の翌年には文化功労者として表彰されている。虚子の字は、それ自体が俳句文化の遺産としての価値を持つ、と認識されていたわけである。
 つまり、主役は百句のみならず、その揮毫でもあったわけで、この点には留意しなければならない。書は、運筆から句の呼吸や中心点を確認できる。同じ字であっても、楷書か行書かといった書き分けがあれば、それは句の眼目ともなる。
 一例を挙げよう。小諸市立虚子記念館に残る十二ヶ月十二句の揮毫を屏風に仕立てたものは、展示の目玉だが、「心」を詠んだ句が三句ある。
  鶯や文字も知らずに歌心 虚子
  二三子や時雨るる心親しめり 同
  我が心ある時軽し罌粟の花 同
 このうち三句目のみ「心」はきちんと楷書で書かれ、他の二句はややリラックスした崩し字となっている。三句目は愛児六を失った悲嘆の中で詠まれた句だからである。書道家に聞くと、「心」の字のバランスは、筆をとる者の「心」を反映するのだと言う。
 こうした鑑賞の醍醐味も『虚子百句』にはあることが、当然予想される。年尾の跋文によれば、この頃の虚子は眼が弱って、それが字に出てしまっている、という。確かに、青年期・壮年期のそれから比べ、運筆の力や字配りを焦点化する眼の力の衰えは隠せない。それでも、修練とは凄いもので、序文の虚子自身の言によれば、百句の大方は一、二時間で揮毫してしまったというから驚きである。字の味わいも、私の能力の範囲で解説を試みたい。
 本書の構成は、春夏秋冬・新年の部に分かれ、各部の句の配列は、成立順となっている。従って明治・大正・昭和と万遍なく句が拾われている。『百人一首』が古典和歌そのものの粋であり、歴史でもあるように、『虚子百句』も虚子の句業の入門書にして到達点でもある。これが本書を読む何よりの理由である。
 本書の装幀を担当した福田平八郎(一八九二〜一九七四)についても、簡単に触れておこう。虚子との縁は、『虚子京遊録』(昭和二三年)『喜寿艶』(昭和二五年)に続き、これが三度目である。  大分出身で、上村松園や竹内栖鳳も出た京都市立絵画専門学校を卒業。京都日本画画壇で重きをなす。トリミングやデザイン感覚に秀で、書物の装幀も得意とした。『虚子句集』の竹の絵は、自家薬籠中の画題であったと考えられる。
 本書は二〇一〇年、岩波書店から復刊された。解説は東京大学教授であった、日本近代文学専攻の野山嘉正が担当した。
 最後に一言。平成期、伝統派で、虚子句の解説つき選集といえば、稲畑汀子氏の『虚子百句』が定番だった。虚子自身の選句とは違ったところに新味を出した素晴らしい本だが、時に稲畑氏らしからぬ、非常に硬い内容と文章の評釈があるのは惜しい。この連載は、あくまで虚子の自選に立ち戻り、虚子句の成立事情と、選句の背景を平易に語ることに徹したい。ただし、この自選句集の性格上、私の虚子観・俳句観が問われることは言うまでもない。
1 美しき人や蚕飼の玉襷
 初出は明治三十四年四月三十日の新聞『日本』。季語は「蚕飼」。蚕はふつう四月に孵化して繭籠る。
 初出では「蚕」の題で内藤鳴雪・坂本四方太・河東碧梧桐・佐藤紅録らの各三句も載る、題詠句である。虚子の他二句は〈蝋燭の灯影に白き蚕かな〉〈蚕飼ふや年々ふやす桑畠〉。『新歳時記』にはこの句を採用せず、写生句らしい〈逡巡として繭ごもらざる蚕かな〉を載せたか。
 蚕は食欲旺盛だ。食べ残した桑やフンは蚕網(さんもう)を使って取り除く。蚕は眠る。睡眠と脱皮を四回ほど繰り返して成長すると、絲を吐き始める。ここで蔟(まぶし)という仕切りのある箱に移す。繭籠らせるのである。絹糸を吐き、繭を成す様は、実に神秘的だ。春の陽が漏れてくる中、吐き出されたばかりの絹糸は光そのものである。この過程に、ひと月ほどはかかる。
 蚕網をかけ、桑を与えると、蚕は網目を通り上にあがる。蚕網の下は蚕のフンと桑の食べ残しが残る。網を上げると、蚕とフン、食べ残した桑の分離ができる。蚕の成長に合わせて網目の大きなものへ変えながら使用する、といった具合である。丁寧さと経験が要求される女性の仕事である。
 養蚕は、明治期日本の主要産業だった。欧州では産地の南仏で病害が発生し、需要が高まったのである。巨利を成した者も多い。出荷は横浜が多かった。
 女性は襷掛けで、髪も縛る。明治期の浮世絵等を見ると、襷の色は赤が代表的である。かの富岡製糸工場では、技術のある女工は赤襷をして周囲から尊敬されたという。
 国を挙げての養蚕業振興を宮中も率先して奨励し、皇后美子が手ずから養蚕を行い、浮世絵などで宮中養蚕が喧伝された。皆赤襷で、髪はおすべらかし、すなわち、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、水引や絵元結などを掛けて、長く垂らしたのである。
 結髪の問題にこだわったのも、襷掛けの女性は、皆髪を結ったり、挙げたりして、うなじがあらわになる点が一句の焦点だと考えるからである。つまり、「美しき人」の美しさの拠って立つところは、「襷」に暗示される、黒髪と白いうなじだったのだ。
 「玉襷」という言葉は、『万���集』以来ある言葉で、これ自体一種の神々しさを醸し出す。『虚子百句』の評釈で、年尾が宮中養蚕を詠んだと解したのも一理ある。しかし、もっと重要なのは、「玉襷」は「うなじ」の連想から、大和の畝傍山を呼び出す決まり文句だったことの方である。謡曲の「恋重荷」に用例がある。虚子がこれを知らないはずはない。
 蚕と繭の「白」と、後れ毛を残したうなじの「白」の連想が、この女性の「美し」さを支えるものだったと考えたい。虚子は、和装の女性の髪にはかなり執心した。
 「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お断り申しましたですけれど何だか気になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。
 小光は総髪の銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の広々としてゐるのも美しい。 (『俳諧師』)  小光のモデルは、女義太夫の竹本小土佐で、虚子は彼女の語りがかかる東京中の演芸場へ出かけ、追い回したのであった。虚子の眼裏に焼きつけられた美しさは、挙げた髪やこぼれた鬢にあった。
 谷崎潤一郎も言っている。女性美の焦点は首だと(『陰翳礼賛』)。和服で身体が露出するのは、首・手先・襟足だ。首は細く長くなければいけない。「猪首」という言葉を想起すればよい。肌は白くなければいけない。そこにうなじの後れ毛が色気を呼ぶ。
 「玉襷」はその呼び出しであり、それは説明しないことが肝要だから、「美しき」とだけ冒頭に置いて謎を掛けた。だから、『喜寿艶』でも、この句については、木で鼻をくくったような説明しかしていない。
 完全な主観句で、実際にそういう女を見たのか、絵の中の女か、記憶の中の女か、そんなことはどうでもいい。小説家志望で主観派が本質だった虚子らしい、冒頭の一句なのである。『虚子百句』は『新歳時記』のような教育的意義を取り払った、「作家」虚子の選集だった。
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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ano5555 · 3 years ago
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Rexsoka week 2021 Day 4: It happened once in a dream/AU Day
I reposted the story of Rexsoka babies that I wrote a few years ago in the original Japanese version.
I think this story can be read as a dream of Rex who broke up with Ahsoka and retired to Seelos.
狩り
シーロスの砂漠を吹く風は、いつもベタついている。地表に厚く堆積した岩塩を砂嵐が削り、粉々に砕けた塩の結晶が風に乗って舞い上がるからだ。塩の岩盤の下には巨大なワーム類が棲んでいて、僕と僕の家族はそいつらを狩って暮らしている。この過酷な土地に生きる者にとっては、ワーム…特に脂の乗ったジューパは御馳走だ。干し肉にしても良いし、ベーコンにしても美味い。砂漠の縁、岩だらけの山の麓に細く貼り付いた緑地帯に住む人々のところに持っていけば、クレジットや他の品物に替えてくれるから、僕達はそれで食料や燃料、必要な生活用品を手に入れる。
その日、コックピットで“家”を操縦していた父さんは、僕に双眼鏡を渡して言った。
「ジャンゴ、上で周りの様子を見てこい」
「分かったよ、父さん」
僕は双眼鏡を首に掛け、テラスからコックピットの上に突き出したキャノンの砲身にコワキアン・モンキーみたいに飛びついて、するすると上に登る。赤ん坊の頃からやってることだから朝飯前だ。
こんな風に話すと、どうして家にコックピットやキャノンがあるのかって、皆不思議に思うみたいだけど、僕らの家がクローン戦争時代の全地形対応型戦車だと言うと納得してくれる。見かけは鈍臭く見えるけど、6本の脚で広大な砂漠を渡り、切り立った崖も登ることが出来る、とてもタフな乗り物だ。父さんは宇宙空間でも戦えるって言ってたけど、ホントかな。AT-TEと呼ばれるこの戦車を、父さんと母さんは廃材を使ってあちこち改造しまくった。キッチンと煙突を付け、車体の横に新しく出入り口を開け、家の周りにはテラスを巡らして、外からもコックピットに出入り出来るようにした。屋根の上は広いデッキになっていて、風のない穏やかな日にはここで食事をしたり、夜には星を眺めたりする。もちろん戦車としての機能もちゃんと残っている。5門のキャノンはまだ現役だ。特にコックピットの上の長い砲身を持つ主砲には“リール”が装備されていて、これでジューパを釣り上げ、主砲でとどめを刺す。
屋根のデッキに上がった僕はコックピットの真上、主砲の脇に立って空を見上げた。紺碧の空には雲ひとつ無く、ぎらぎらと陽が輝いている。風は強く吹いていたが、砂嵐の兆候は見えなかった。
天候を確認すると、僕はゴーグルを上げ双眼鏡で注意深く地表の観察を始めた。ジューパが地中を移動すると、地殻が崩れて地表にひび割れが出来る。その方向や崩れた幅からジューパの大きさや移動方向を推測するために、地道な観察は欠かせない。
「…2時の方角に地面の割れを発見!」
下のコックピットの窓から剃り上げた褐色の頭を出して、父さんが怒鳴った。「規模は!」僕も負けずに怒鳴り返す。「全長7~80、幅1.2ってとこ!」
「でかいな!」
「ビックボンゴかな?」
「わからん」
視界の前方にうっすら砂煙が上がった。
「ああ、俺にも見えた!来るぞ!!」
地響きを立てて地面が盛り上がり始め、地殻が割れて、紅い八つの複眼を持つ巨大なクリーチャーの白い頭が現れた。「ビックボンゴだ!」ゾクゾクと鳥肌が立つ。普段、地中深くにいるジューパだけど、僕たちが撒いた餌…今日は小さめのワームだ…の匂いを嗅ぎつけたらしい。
「思いのほか早く来やがったな!」父さんの口調は荒っぽいが嬉しそうだ。「奴さん、よほど腹を空かせてるらしい。母さんは主砲に付いたか?」
「さっきまで配線をいじってたけど、今はクーンにお乳をやってる」クーンは僕の妹だ。まだ赤ん坊だけど、お腹が空くとガンダークみたいに凶暴になる。
「早くするように言え」
「無理!クーンがグズってるんだ。あいつ行っちゃうよ!!僕にやらせて!」
「駄目だ」父さんは短く答えて、母さんを呼んだ。「アソーカ!」
車体の脇の扉が開いて母さんが出てきた。肌蹴た胸にはまだクーンが吸い付いてる。母さんの頭には青と白の縞模様で彩られた二本のモントラルと、それに繋がって左右に二本、後ろに一本のレックが生えている。トゥーカの耳みたいに尖ったモントラルとカラフルな肌の色(母さんのは綺麗な夕焼け色だ)はトグルータ種族の特徴だ。父さんと母さんは種族も違うし、歳だってどう見たって父さんのほうが20くらい上なんだけど、とにかく僕は父さんと同じ褐色の肌で、頭には白地に灰青色のまだら模様が付いた小さな瘤みたいなモントラルとレックがある。つまり、僕は父さんにも母さんにも、半分ずつ似ているんだ。妹は目の色以外は母さんとそっくりだけど。
「レックス、ここで止めて。クーンをお願い」
母さんは胸から引き剥がしたクーンをコックピットの開いた窓から父さんに渡した。クーンはギャー!と砂漠中に響き渡るような声で喚きながら暴れてる。「そう怒るなよ、おチビさん…いてッ」キックとパンチをまともにくらいながら、父さんは猫撫で声でクーンの機嫌を取っていた。「父さんの膝においで。母さんは忙しいんだ」僕に怒鳴る時とは全然違う。ホント、妹って得だよな。
デッキに上がって、キャノンの砲座に掛けた母さんに僕は頼んでみた。
「母さん、僕に撃たせて!一人で出来るから」
「一人じゃ無理よ」
「大丈夫だよ!この前僕が仕留めたの、母さんだって見てただろ?」
「あの時は獲物が小さかったからね」母さんは僕に構わず機器を操作し始めた。
「そんなことないよ!僕は…!!」
下から父さんが笑いながら叫んだ。
「ジャンゴ、母さんの言うことを聞け!我が家のコマンダーだからな」
「レックス、からかわないで」
母さんは砲座から降り、僕の眼を見つめて言った。
「いい?ジャンゴ。このキャノンは撃った時の反動が大きいの。あなたの身体じゃ、吹っ飛んじゃうわよ」
「…そんなら母さん、手伝ってくれる?狙いは僕がつけるけどね」
母さんは笑って僕の頭の小さなモントラルにキスをした。「勿論よ。やってごらん」
僕は歓声を上げ、トンボ返りで砲座に掛けた。あのビックボンゴを僕が仕留めるんだ!母さんは座席ごと僕を抱えるように後ろから支えてくれている。
今回ジューパを仕留めるにはキャノンを2発使う。1発目、ケーブルの付いた鉤針を獲物に撃ち込んで電流を流し、弱ったところに2発目でもって頭を撃ち抜くのだ。
ジューパまでは少し距離があったが、僕には”当たる”っていう確信があった。自信とは少し違う。上手く行くときもそうだけど、上手く行かないときにもそういう予感がして、大体その通りになる。
砲身にはケーブルを繋いだ鉤針をセットしてある。撒き餌を食べ尽くしたのか、ジューパは地表に半身を出して他の餌を探していた。今のこいつに鉤針を命中させるのは、そんなに難しい事じゃない。僕は狙いを定めてキャノンの発射ボタンを押した。ケーブルを巻き取るドラムが凄まじい勢いで回転し、繰り出されたケーブルは真っ直ぐにジューパへと向かって行く。ケーブルの先の大きな鉤針が上手いことワームの白い背に突き刺さった。ガクンと衝撃が伝わる。やった!僕はやったぞ!!
「踏ん張れ!!」父さんが叫ぶ。慌ててリールにストッパーを掛け、電流を流す。ワームが失神した隙にケーブルを巻き上げ、とどめを刺すって算段だ。でもジューパは感電してビクッと跳ね上がりはしたものの、次の瞬間には激しく暴れ出した。「弱過ぎる!!もう一度だ!」父さんが怒鳴る。母さんは電圧を最大に上げようとした僕の手を抑えた。「配線の修理がまだ。回線が焼き切れるわ」
僕は叫んだ。「もう!なんだよそれ!」クーンのバカ!!おまえが母さんの仕事を中断させたせいだぞ!
そんな僕の心の声が聞えたのかどうか、母さんは涼しい顔で淡々と言った。「オーケー、文句はあと。とにかく、今のこの事態をどうにかしないとね」
こういうときの母さんはいつも妙に落ち着き払っていて、一体何を考えてるんだろう、って不思議に思うよ。
僕はブツブツ言いながらリールを巻き上げ始めた。クリーチャーは巨体を大きくうねらせ、無茶苦茶に暴れているから、AT-TEの重い車体は軋んだ音を立ててギシギシと揺れる。ひっくり返るんじゃないかと思うくらい、物凄い力だ。「ジャンゴ!キャノンを使え!」父さんの声に身を乗り出すと、ジューパはもう尻尾まで全身が地表に出てしまっていた。「無理ならケーブルを切って」ワームは大きく左右に身体を振って、鉤針を外そうともがいている。母さんの言う通り、ここで仕留められないなら、これ以上獲物を引き寄せるのは危険だ。近づき過ぎて、あのびちびちと跳ねる尻尾が直撃したら、僕らはぺしゃんこになる。僕は全く気が動転してしまった。キャノンを撃つ手が震えて狙いが定まらない。
その時、母さんが僕の肩に手を置き、静かな声で、きっぱりと告げた。「目を閉じて。ジューパに意識を集中してごらん」
母さんの手から僕の中に、何か暖かい、力強いものが流れてくるのを感じる。僕は落ち着きを取り戻し、大きく息を吐いて眼を閉じた。
照り付ける陽射し、唸るエンジン音と振動、吹き付ける風さえも息を凝らして、世界が静まり返った。動いているのはビックボンゴと僕だけだ。
僕の頭の中で、ジューパの動きはスローモーションのようにゆっくりと、或いは静止したかのように見えていた。巨大なクリーチャーの尻尾がのたうつ不規則な動きさえ、コマ送りの連続画像を見るように数秒先の様子が分かる。
今だ。
砲弾は標的に向かって飛んだ。だが、ジューパに引っ張られた僕たちのAT-TEは前のめりになっていて、後脚は少し浮いて不安定になっている。車体が振動して気を散らした僕は思わず目を開けてしまった。弾道は僅かに逸れてワームの頭を掠めていく。まずい、と思ったその瞬間、パキッと何かが割れる音がして、次にAT-TEの後脚がドスンと落ち車体がガクンと揺れた。鉤針がケーブルから外れたのだ。自由の身になったビックボンゴは鉤針を付けたまま地中に逃げ込んで行った。
「あああああ…」
僕は情けない声を上げて、地面に潜り込んで行くクリーチャーを見送ることしか出来なかった。ものすごくがっかりだ。噂に聞いていた大物を仕留められなかったのと、大事な鉤針をジューパに持って行かれちゃったからだ。
「ジャンゴ」母さんに肩を叩かれて、僕は我に返った。「最後まで気を抜いちゃダメ。焦りは禁物よ」だけど叱った後で��さんは僕をぎゅっと抱き締めた。「でも、最初にしては頑張ったわね」
僕と母さんはデッキからテラスに降りた。父さんとクーンもコックピットから出て来た。父さんの腕に抱かれたクーンは眠っている。あの騒ぎの中で寝ちゃうなんて、どう��う神経なんだろう。
「アソーカ、助かったよ」
「いいえ。私じゃないわ」
父さんは母さんの顔を見、次に僕の顔をまじまじと見た。僕も顔を上げて見慣れているはずの父さんの顔を見返した。陽に焼けて深く皺が刻まれた褐色の顔には、怒りの色も失望の表情も無く、ただ何かに驚いているように見えた。そして、僕の目には、父さんが急に老け込んだように見えた。頬と顎の無精髭に白いものがちらほらと混じっているのを、見つけてしまったからかもしれない。
「ごめん、父さん…ビックボンゴを逃しちゃった。それに鉤針も」
父さんは少し笑って、僕の頭の瘤を大きな手でわしわしと撫でた。「何事も経験だ。次は上手くやるさ」
ふと見ると、父さんのシャツにしがみ付いてるクーンが、よだれを垂らして眠ったまま、にっこりと微笑んでいた。
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ari0921 · 3 years ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)9月19日(日曜日)参
通巻第7060号  
 恒大集団の倒産は、中国金融システムをどれほど揺らすか
  明天、安邦、海航集団の規模を上回る負債。不動産バブル崩壊が本格化
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 杜子春は芥川龍之介が中国の古典からヒントをえた短編小説だが、日本では人生の激しい浮き沈みの喜怒哀楽と悲哀がただよっているため、感動的に読まれた(中国古典には、似たような話があるが、杜子春はまったく芥川の脚色)。
 日暮れの町辻で金持ちの息子杜子春が放蕩の限りを尽くして無一文。しょんぼりうなだれているところへ顕れた仙人が「ここを掘れ」という。たちまち黄金がザクザクとでた。またまた放蕩三昧、贅沢の限りをなして落ちぶれて乞食。そこにまた仙人が出現し、「あそこを掘れ」。またもや黄金がザクザク。贅沢三昧に惚けるが、要はカネがあるときはちやほやされ、人がなれなれしく寄ってくる。即席の友人もできる。或いはカネを狙った愛人となる。ところがカネがなくなると誰も寄りつかない。世間の冷たさ、友情の本質と打算を寓話にしたのだ。
 『フォーブス』で「世界の金持ち」と称賛された中国人は山のようにいる。アリババの馬雲はすっかり表舞台から消え、ハーバードビジネススクールに招かれ講演したほど意気軒昂だった王健林も、いまは落ちぶれた。うきしずみの激しさ!
 飛ぶ鳥を落とす勢いだった許家印(恒大集団CEO)は、2017年のピークから、落剥して杜子春の如く烈風に曝されている。倒産は秒読みとなった。
 恒大集団が倒産すれば、あまりにも規模が大きく中国の金融システムを揺らすだろう。なにしろ中国の株式市場の規模は邦貨換算で5000兆円をこえる。
 6月末の証券報告書に拠れば、恒大の社債、株式をファンドに組み込んでいた欧米勢のファンド、とくに「アシュモア・ファンド」(英国)は440億ドルを保有していた。UBS、HSBCなど世界に名だたる名門老舗銀行が名を連ねていた
 恒大集団は不動産バブル時代、次々と強気に投資し、あちこちにマンションを建設し、頭金を集めて回転資金とし、次の投資へと、猪突猛進、CEOの許家印は全人代委員にも選ばれ、また21年7月1日の共産党百周年記念式典にも出席した。
 恒大の負債は最大時に8700億元だった。21年六月末の証券報告に拠れば、保有する物件価値が4568億元、表向きの負債は1兆9670億元、有利子負債は5718億元、手元現金が867億元とされた(1元は21年9月19日現在=17円)。
 ファンドが投げ売りを始めたため恒大集団の株は下落、傘下の恒大自動車は93%の株価暴落、恒騰ネットは85%の暴落
 この時点で中国不動産大手の負債率は、恒大が88%、万科が83%、碧桂園が85%、緑地が89%、融創が93%、華夏幸福が83%などであった。
 メインバンクは慌てて「貸しはがし」に入る。物件の抵当処分、担保権の設定強化、経営監視など、だが「時、既に遅し」。
 リーマンショックの引き金となったリーマンブラザーズCEOは名言をはいた。「皆がダンスを踊っているときに、ひとり逃げ出すわけにはいかない」。
銀行は顔面蒼白となった。
 内蒙古省の包商銀行は明天証券系で、負債総額2059億元(9・5兆円)で倒産し、国有銀行に衣替えした。安邦保険のメインバンクは成都農業銀行だった。トウ小平の孫の女婿だったCEOの呉小輝さえ、土壇場で救われなかった。
恒大のメインは盛京銀行で、ほかに200行以上の金融機関と取引がある。
 安邦保険は高利の保険商品を売って巨額を集め、それを無謀なM&Aや、NYのウォルドルフ・アストリアホテル買収、まるでマルチ商法だが、2017年にCEOの呉小輝は詐欺罪で拘束され、翌年18年の禁錮刑、個人資産1800億円没収となった。
日本にも500億円相当のマンション物件を保有していたが米国ファンドに叩き売った。
 なんとか倒産を免れた大連の萬達集団は、資産の殆どを売却して裸同然となった。まるで杜子春である。
CEOの王健林は萬達ホテルチェーンが76軒、テーマパークをあちこちに建設して運営、ショッピングモールにマンション建設、旅行会社、そして欧米の映画館チェーンAMCを買収したほか、ハリウッドの映画スタジオも買収した。飛ぶ鳥を落とす勢いで、「習近平主席とのコネの強さ」を自慢したものだった。
 しかし、その絶頂期に不動産バブル崩壊の危機を察知した王健林は迅速に資産売却に動いた。なんとか滑り込みセーフとなった珍しい例である。 
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