#太閤しだれ桜
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catdoll007 · 30 days ago
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hachikenyakaiwai · 11 months ago
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【かいわいの時】天正十六年(1588)二月十六日:出雲大社の巫女、大坂天満宮で神歌・小歌踊りを演じる(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
京博本の「阿国歌舞伎図屏風」は、昭和三十年代に、山本発次郎コレクションとして、しばしば観照する機会を得た。出光本と違って、芝居小屋の内部描写を主題に、役者と観客の交歓を描く。その人物描写(姿・形・配置) や小屋の外の松の姿形に長谷川派の筆を感じたが、拙著『桃山の風俗画』(平凡社、昭和四十二年十月刊)ではなお町絵師出身の逸名の風俗画名手の筆と逃げた。華やかな阿国歌舞伎の図としては、すべてに出光本より適切な表現を見せると言えよう。とくに登場人物が出光本より有機的な関連をもち、見物と舞台が一つに融け合うさまは秀れている。その後、やはり長谷川派の筆だと考え、近稿の「宗宅研究」ではいずれ筆者を特定したいと書いた。もとより、長谷川派でもっとも風俗画に熱意をもつ等学を意識していたのである。
これより、判定の過程を省略して、もっぱら私が等秀や等学と考える風俗画 (歴史画も含める)について述べたい。 まず宗宅の風俗画に触れると、さきの秀吉の醍醐花見図屏風以外では、同じく秀吉が宮中で貴族たちや南蛮人と 一緒に能楽を見る「観能図屏風」(八曲一隻、紙本著色、神戸市立博物館蔵)が同筆と思われる。宗宅は秀吉関係の風俗図だけを描��たのかもしれない。等秀となると、出光本の「阿国歌舞伎図」一点で、ほかには見出せない。地味な等秀は、派手な風俗画には不適と自認していたのであろう。
つぎもすぐ風俗画とは言い難い変った屏風絵だが、「誰が袖美人図屏風」(六曲一双、金地著色、根津美術館蔵)(挿図七八) を取り上げたい。左隻はいわゆる誰が袖屏風に美人図を組み合わせたもので、中央に派手な小袖を着た兵庫髷ふっくらした女性と三味線を左手に持つ禿姿の童女が静かに対峙し、その右方と背後に衣桁・屏風・衣桁を配す《略》ここでさきの等学唯一の署名をもつ帝鑑図を想起したい。それは正面向きの古風な宮殿を奥へ重ねたものだったが、これは最新流行の誰が袖図と扇面散図屏風による知的な構成である。人の女性の姿態や配置は京博本阿国歌舞伎図屏風にも現われているもの。さらに右隻の桜や杉の描法や構図は、前出の「太閤花見図屏風」や等学の妙蓮寺の松・桜・杉図絵などに類似する。以上からこの「誰が袖美人図屏風」が等学筆であるのは納得されると思う。その制作年代は慶長十年ごろの京博本の「阿国歌舞伎図屏風」より後で、サントリー本の「東山・吉野遊楽図屏風」より前であろう。一応、慶長十年代とみておく。コメント欄に写真。
以上、主として等学の風俗画について、彼の金障壁画より得た画風の特徴を基礎に、もっぱら直観による大胆な想定をなしてきた。ここに至ると、理論的にも妥当な等学を京博本「阿国歌舞伎図屏風」の筆者と判定することに、これ以上躊躇する必要もなかろう(山根有三)。「長谷川等秀・等学研究」『国華 第1228号』1998より、抜粋して編集。
(写真)「阿国歌舞伎図屏風」1605頃(京都国立博物館蔵)より 舞台上を見ると、刀を肩にかけたかぶき者、柱のそばに坐す茶屋のかか、頬かむりをした道化役の猿若がおり、これは阿国歌舞伎の代表的演目である「茶屋遊び」が演じられていることを示す。出雲の阿国が北野社の能舞台を代用して「歌舞伎踊り」を始めたのは慶長8年(1603)、本図はその舞台を描いたもので、制作もそれからさほど降らぬ頃と考えられる。���座も三味線などなく、笛、小鼓、大鼓、太鼓ばかりで、いかにも初期的様相を示す。図中に印象的に配された松の表現が、たとえば妙蓮寺障壁画中のそれと通有する性格を有しており、長谷川派による風俗画の一例とする有力な説がある(e国宝=画像も)。
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furoshikiblog · 9 months ago
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【 お花見と桜餅 】
今年は少々遅めの開花となっているソメイヨシノ。 歓迎会を兼ねたお花見にはバッチグーのタイミングになりそうですね。
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花見の起源は、奈良時代の貴族が中国伝来の梅を愛でていたのが、 平安期には桜の人気が高まり、花と言えばサクラと言われるようにまでなったとのこと。
盛大な花見を催したのは太閤秀吉が有名ですが、 貴族や武士階級だけでなく、農民にとっても大事なお花見。 田畑を耕し種をまく時期、その年の豊作を願って桜の下で宴会をするようになったあたりが、 今も桜の下で場所取りをするルーツかも知れません。
また、この時期たくさん見かけるのは桜餅。 雛祭りに食べられるようになる前から春のお菓子として人気で、 関東風と関西風があるのはご存じの通り。
関東風は長命寺餅とも言われ墨田区にある長命寺の門前が発祥とのこと。 関西風は道明寺餅とも言われますが、道明寺粉の発祥が道明寺で、 桜餅の発祥ではないのだそう。
   さくら餅 食べての後の 葉の匂ひ  杉本寛
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myonbl · 1 year ago
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2023年8月13日(日)
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今回の東京行で一番驚いたのは、JR東日本の運賃だ。新横浜から桜木町までが178円、桜木町から御徒町までが571円、御徒町から東京までが146円、みな1円単位となっている。調べてみると、<IC運賃>という制度が適用されているとのこと、消費税率が8%に引き上げられた2014年4月からのことらしい。なるほどなぁ、自販機ではこんなことは面倒でかなわないが、記録ができるICならではの芸当だ。しかし、私は10年近く東京へは行っていなかったと言うことになるのか・・・。
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6時起床。
ホテルの朝食は、3つのセットからの選択、持ち帰って部屋で食べるというやり方だ。
早々に東京駅まで移動、新幹線構内で土産物を購入する。
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無事に乗車、ほぼ満席状態。
京都駅で息子たちに弁当を購入して帰宅する。
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まずは日めくりをめくる。
同居猫はそれなりに元気だったようで安心、明日はクリニックを受診する予定。
昨日の日誌を書く。
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ランチ、息子たちは<京のお肉処 弘>の弁当、私たちは伊勢うどん。
ツレアイはあちこち買い物に走る。
私は今回の経費精算、現金は一切使わず、移動はIcoca/Suica、ホテルや買物はPayPayで済ませた。
軽く午睡。
半熟酢卵仕込む。
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早めの夕飯、浜峰商店の<天然ぶりのたまり干し>を焼く。
録画番組視聴。
五街道雲助 落語「浮世床」
初回放送日: 2023年8月13日
重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定されることになった五街道雲助さんの落語「浮世床」をお送りします(令和5年6月9日(金)収録) 【あらすじ】江戸時代の髪結床(かみゆいどこ)。髪を結ってもらう場所の奥には座敷があり、順番を待つ人の��めに将棋盤や貸本などが置いてあった。ここにはいつも町内の若い衆がたむろして、へぼな将棋を指したりしている。太閤記を読んでいた男は、声に出して読めと言われて…
(29)「ソア橋のなぞ」
ジェレミー・ブレットが演じたシャーロック・ホームズのドラマシリーズ。大富豪の妻が殺され、若き家庭教師の女性が逮捕される。動機は愛か?財産か?ホームズ��謎を解明! 大富豪ギブソンの妻が遺体となって橋の上で発見され、当家の家庭教師のグレースという女性が逮捕される。夫人は頭を撃たれており、凶器と思われる銃がグレースの部屋から見つかっていた。だが、ギブソンは彼女の無実を主張。ホームズに捜査を依頼するが、グレースとの関係を問われて激高し帰ってしまう。結局、正式な依頼はされなかったものの、グレースを救うためホームズは捜査に乗り出す。イギリス1991年制作。
片付け、入浴。
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血圧は比較的落ち着いて推移している。
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さすがに3つのリング完成は無理、水分は1,660ml。
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lyrics365 · 6 months ago
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京阪沿線~夢追い酒
淀屋橋(よどやばし)から 天満橋 右を見上げりゃ 太閤(たいこう)の大阪城(しろ) ちょっとすぎれば 京橋あたり 暖簾(のれん)くぐれば 女将(おかみ)のお酌 そぞろ歩いた 桜宮橋(さくらばし) 燃えたあの夜(よ)の 想いで酒よ 守口・門真(かどま)は 電気町(でんきまち) 三種の神器(じんぎ)に 企業の戦士 勤め終えれば ネオンが招(まね)く 一杯のつもりが 二杯になって 気が付きゃ今夜も はしご酒 あの頃若さが 懐かしい 「おーい 舟が出るぞーイ」 寝屋(ねや)の暇さえ 枚方(ひらかた)の宿(しゅく) くらわんか舟(ぶね)が 通(かよ)ったところ さらに進めば 橋本・八幡(やわた) 石段登れば 石清水(いわしみず) 春は背割りの 桜道 松花(しょうか)弁当で 花見酒 清水(きよみず)五条から 祇園の四条 花見小路(はなみこうじ)の 小さなカフェ 東山には 大文字(だいもんじ)の灯(ひ…
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valuepress · 10 months ago
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marukan4900 · 3 years ago
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【まるかんのお店 長坂商店より耳寄りな情報】 (宇野隊まるかん本部提供) 龍神の誓い ☆われわれ龍神隊は 太陽の如ごとく闇を照らし 人々を幸せにみちびく 火の鳥になることを 誓います 一同かちどき エイ、エイ、オー、 エイ、エイ、オー、 エイ、エイ、オー、以上 ☆本日、出陣にあたり、 全国各地から、たくさんの援軍がかけつけてくれましたー。 龍神隊は、一歩もひくことはありません。 左足、一歩まえ 左手、腰 右手、か��え! やるぞ、やるぞ、やるぞ、×3回 どとう、岩をくだけ! いなづま、闇をきりさけ! 龍神隊、出陣!! 以上! 龍神隊、出陣にあたり、 全国各地より、援軍がかけつけてくれました。 北海道隊、出陣! 霊峰、大雪山に守られて、蝦夷の国より援軍。 青森隊、出陣! 霊峰、八甲田山に守られて、陸奥の国より援軍。 岩手隊、出陣! 平泉より、猛将、源義経、南部の国より援軍。 秋田隊、出陣! 霊峰、鳥海山に守られて、猛将、佐竹義宣、羽後の国より援軍。 山形隊、出陣! 霊峰、出羽三山に守られて、猛将、直江兼続、羽前の国より援軍。 宮城隊、出陣! 東北の覇者、猛将、伊達政宗、陸前の国より援軍。 新潟隊、出陣! 猛将、上杉謙信、越後の国より援軍。 福島隊、出陣! 霊峰、磐梯山に送られて、白虎隊、磐城の国より援軍。 栃木隊、出陣! 猛将、足利尊氏、下野の国より援軍。 群馬隊、出陣! 霊峰、赤城山に送られて、上野の国より援軍。 茨城隊、出陣! 無敵の騎馬軍団。猛将、平将門、常陸の国より援軍。 埼玉隊、出陣! 軍神、日本武尊、武蔵の国より援軍。 長野隊、出陣! 三途の川の渡し賃。六文銭を押し立てて、猛将、真田幸村、信濃の国より援軍。 千葉隊、出陣! 猛将、本多平八郎忠勝、上総の国より援軍。 東京隊、出陣! 旗本八万騎を先頭に、猛将、徳川家康、江戸表より援軍。 山梨隊、出陣! 風林火山を押し立てて、猛将、武田信玄、甲斐の国より援軍。 神奈川隊、出陣! 関東の覇者、北条早雲、相模の国より援軍。 富山隊、出陣! 霊峰、立山を押し頂き、猛将、佐々成政、越中の国より援軍。 岐阜隊、出陣! 金華山に送られて、猛将、斎藤道山、美濃の国より援軍。 静岡隊、出陣! 日の本一、霊峰、富士に守られて、駿河の国より援軍。 石川隊、出陣! 加賀百万石、猛将、前田利家、加賀の国より援軍。 福井隊、出陣! 猛将、柴田勝家、越前の国より援軍。 愛知隊、出陣! 猛将、織田信長、尾張の国より援軍。 滋賀隊、出陣! 比叡嵐に波すさぶ、琵琶湖の風に送られて、近江の国より援軍。 奈良隊、出陣! 日の本一、大仏殿に守られて、大和の国より援軍。 三重隊、出陣! 朝焼けの、伊勢神宮に守られて、伊勢の国より援軍。 和歌山隊、出陣! 熊野古道をひた走り、那智権現に守られて、紀伊の国より援軍。 京都隊、出陣! 千年の古都より、猛将、平清盛、山城の国より援軍。 大阪隊、出陣! 朝日に輝く、千成瓢箪、太閤秀吉、浪速の国より援軍。 兵庫隊、出陣! 播磨灘、六甲山に守られて、猛将、楠木正成、千早城より援軍。 鳥取隊、出陣! やけつく砂丘をひた走り、因幡の国より援軍。 岡山隊、出陣! 猛将、宇喜多直家、備前の国より援軍。 広島隊、出陣! 宮島の赤い鳥居に送られて、猛将、毛利元就、安芸の国より援軍。 島根隊、出陣! 八百万の神、出雲大社に守られて、出雲の国より援軍。 山口隊、出陣! 騎兵隊を先頭に高杉晋作、長門の国より援軍。 愛媛隊、出陣! 千機の船を押し立てて、海の王者、村上水軍、伊予の国より援軍。 香川隊、出陣! 金毘羅大権現に守られて、讃岐の国より援軍。 徳島隊、出陣! 鳴門の渦を押しわたり、猛将、蜂須賀小六、阿波の国より援軍。 高知隊、出陣! 海援隊を先陣に、坂本龍馬、���佐の国より援軍。 福岡隊、出陣! 豪傑、後藤又兵衛を先陣に、猛将、黒田官兵衛、筑前の国より援軍。 大分隊、出陣! 佐賀関、豊後水道、押しわたり、豊前の国より援軍。 佐賀隊、出陣! 荒れ狂う、玄海灘を押しわたり、肥前の国より援軍。 長崎隊、出陣! 大地より、赤い火を噴く普賢岳。肥前の国より援軍。 熊本隊、出陣! 熊本城に送られて、猛将、加藤清正、肥後の国より援軍。 宮崎隊、出陣! 蹄の音を響かせて、怒涛の快進撃。日向の国より援軍。 鹿児島隊、出陣! 真っ赤に燃える桜島、猛将、西郷隆盛、薩摩の国より援軍。 沖縄隊、出陣! 波濤万里、守礼の門に送られて、琉球王国より援軍。 以 上 おかげさまで七周年 まるかんのお店 長坂商店 0532-52-0774 (まるかんのお店 長坂商店 豊橋市・chicago) https://www.instagram.com/p/CT6f7mtPxL4/?utm_medium=tumblr
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hi-majine · 4 years ago
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古典落語「釜どろ」
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 われわれが、よく泥棒のはなしをいたしますが、泥棒でも、妙な、変ったのがございますな。  むかし、石川|五《ご》右衛門《えもん》というのがございましたが、これがふしぎなやつで、京都の南禅寺の山門に巣をつくっておりましたが、わるいやつがあったもので、花のさかりというのだから、陽気はあったかだったろうに、どういうわけか知りませんけれども、黒の三枚がさねというので、上に、ビロードのどてらを羽織りまして、月代《さかやき》を森のごとくにして、おそろしく毛がのびております。それで、大きい毛ぬきを持って、ひげをぬいておりますが、ひげなんざあ、ちっともありゃあしない。陽気のかげんで、ひげにでるやつが、みんなあたまへでちまったから、ひげがない。これが、気やすめに、ひげをぬくまねをしている。むこうをななめににらんで、いいぐさがいい。田舎のきせる屋の看板みたようなきせるを、右の手に目八分《めはちぶ》に持って、たばこを飲みながら、むこうをにらんで、 「絶景かな、絶景かな、春のながめは、またひとしお、価《あたい》千金とはちいさなたとえ、この五右衛門の目からみれば、価万両、万々両……」  泥棒だけに、おそろしく大きなことをいっております。 「日も早や西にかたむきて、暮れる桜もまた一興、��て、うららかなあ……」  というときに、左のほうにきせるを持ちかえて、吹きがらをたたくのかとおもうと、雁首《がんくび》が上をむいております。これを、ずんと前へつきだしておいて、右の手で月代をさかさになでますな。気色《きしよく》のわるい野郎があったもんで…… 「ながめじゃなあ」  というやつがきっかけで、地蔵経《じぞうきよう》という鳴りものにつれて、山門がせりあがってきますが、不都合《ふつごう》な山門があればあるもので……ふだんは、大地にすわっていて、このときだけ持ちあがってくるという、そんな山門があるはずがありません。すると、下にいるのが豊太閤秀吉公、ときの関白、このかたが、どういう了簡《りようけん》だか知れませんけれども、ねずみの着物を着まして、巡礼すがたになって、南禅寺の親柱へ落書《らくが》きをしております。わるいしゃれをするひとで……こういうひとですな、公衆便所へ変な落書きするのは……自分で書いた落書きを、自分で読んでおります。 「石川や浜の真砂《まさご》は尽《つ》きるとも世に盗人の……」  と、上をむいて、五右衛門に、面当《つらあ》てがましく聞かせます。  五右衛門は、いつか、きせるをほうりだしてしまって、朱鞘《しゆざや》、胴鉄《どうがね》という刀《やつ》のまんなかごろをにぎって、らんかんへ片足を踏みかけて、下をにらんでいるときの顔ってえのがない。落語家《はなしか》が、吾妻橋で帽子を落したような顔をして、下を暫時《ざんじ》にらんで、 「なにがなんと?」  といいます。自分のわる口を、また、あとを聞いております。 「種は尽きまじ」  と、秀吉がいうと、刀にあった手裏剣《しゆりけん》をとって、いきなりぱっと投げます。下で、また、ちいさなひしゃくのお尻《しり》で、これをきちんとうけますが、うけるひともえらけりゃあ、ぶっつけるひともえらい。  まあ、これらは、狂言綺語《きようげんきご》とかいうので、作者のはたらきをもって書いたものだそうで、その実を正しますと、京都円山のほとりに住居をいたしております茶の湯の宗匠石川五右衛門とはおもてむき、じつは、海賊であったそうで……筑紫《つくし》の権六などという名代の大手下がありまして、たいそうな海賊であったとか申します。伊賀流の忍術をよくしますところから、たのみ人《て》があって、豊太閤秀吉公のご寝所へしのびこみ、関白秀吉の寝首をかかんといたしました。けれども、秀吉公は、ご運の強いかたで、日本六十余州を平らげて、しまいには、朝鮮にまで軍《いくさ》の出店《でみせ》をだすというくらい、えらいかたです。  ああいう貴人高位のところへいくと、伊賀流の忍術などというものは、きかないものとみえまして、ぐるぐるまわっているう��に、仙石権兵衛という宿直《とのい》のおさむらいの足を踏んだ。なかなかどうして、この権兵衛、普通《なみ》の権兵衛とは権兵衛の種がちがう。自分のまいた種をほじくったからすと喧嘩《けんか》をする権兵衛とはわけがちがいます。  権兵衛、いきなり、ぱっとはね起きたかとおもうと、朝鮮のいくさのときに、虎を二匹はり殺したというくらいおそろしい馬力の強いやつで、五右衛門のうしろからひっくんで、とうとうそのところへふんづかまえて、だんだん拷問《ごうもん》におよんだが、白状をしない。さすがは、みこんでたのんだひともえらければ、たのまれた五右衛門もえらい。ついには、七条河原へかつぎだされまして、世にも稀《ま》れなる兇状《きようじよう》というので、釜《かま》うでにされてしまいました。このときに、五右衛門の手下が大勢あつまって、つまり、釜という器《うつわ》があったればこそ、ああいう最期《さいご》をした。かんがえてみれば、親分のためには、釜が敵《かたき》だ。釜が敵の世のなかだ。つまらないところへりくつをつけて、これから、釜をつかうところへいって、大釜をぽかぽか持ってまいりますから、おどろいたのは豆腐屋さんで…… 「なあ、ばあさん」 「なんだい? おじいさん、おまえ、よくぐちがでるね」 「ぐちもでようじゃあねえか。おもしろくもねえ。うちは、豆腐屋稼業、せっせとかせいでいるのに、こう毎晩釜を持っていかれちゃあかなわねえ。ゆうべやられたので二度目だ。二度あることは三度あるというから、また、くるかも知れねえ。こう、たびたび泥棒にこられて、釜を持っていかれた日にゃあ、釜のために、おれは、身上《しんしよう》をすってしまわなけりゃあならねえ……で、今夜、おれは、いいことをかんげえた」 「なにをかんがえたんだい?」 「この釜のなかへはいって寝ていよう」 「おや、いやだ。お釜のなかへはいって、どうするんだい?」 「泥棒がきて、釜のふたへ手でもかけたら、なかから、おれが、すりこ木で、むこう脛《ずね》をひっぱたいて、よろけるところを、わさびおろしで、つらをひっかいてやる」 「ばかなことをおしでないよ。そんなことをして……」 「大丈夫だ。いまいましいから、おどかしてやる。だからな、おらあ、釜んなかへへえるんだから、ざぶとん持ってきてくれ。じかに釜んなかへ坐ったら、冷めたくってしょうがねえからな……ああ、ざぶとん、持ってきたかい? よしよし、こう敷いてっと……さあ、じゃあ、おらあ、へえるからな」 「おや、おじいさん、お釜んなかへはいっちまったね。どんな心持ちだい?」 「どんな心持ちって……そうさなあ、まあ、釜も、こうやって坐ってみりゃあ、住めば都ってとこかなあ」 「まあ、のんきなことをいってるよ」 「ばあさん」 「なんだい?」 「ふたをしなけりゃあならねえが、いつものふたをされると、息がつまってしかたがねえから、なにか釜のふたのかわりにするものはねえかな? ……ああ、そのがんもどきのふたがいい。油くさくって、のぼせるけれども、がまんをしよう……よしよし、なあ、ばあさん」 「あいよ、うるさいね」 「うるさいとはなんだ、あしたの朝、また、なんだぜ、おいらを起こさねえ��ちに焚《た》きつけちゃあいけねえよ。なかで寝こんでいるところを焚きつけられた日にゃあ、おらあ、黒こげになっちまうからな。じじいの丸焼きなんざあ、あまり売れやあしねえぞ。わかったか?」 「大丈夫だよ」 「そうでねえ、おめえは、そそっかしいからよ。きのうの朝だって、釜をかけてねえのに焚きつけたから、屋根裏へ燃えつきそうになった。どういうもんだか、おめえは、寝ぼけてこまる。あしたの朝も、おれを起こしてから、水を張ってくんなよ。すぐに水を張っちゃあいけねえよ」 「大丈夫だよ」 「大丈夫でねえよ。よく念をいれておかねえと、おめえは、そそっかしいから……なあ、ばあさん、ガタリといったら、すぐに目をさましなよ。もし、泥棒がへえって、かつぎだされりゃあ、釜と亭主といっしょになくなっちまうんだよ。このごろは、毎度、じじいのかどわかしが流行《はや》るというから、おれなどは、ようすがいい、じじいっぷりがいいから、もしも女護《によご》の島にでも売られちまうといけねえからな」 「おふざけでないよ。いいかげんにおしよ。じじいのくせに……」 「じじい、じじいって、おめえ、このごろ、たいへん邪慳《じやけん》になりやがった。嫁にきたときに、おれのことを、『あなた、あなた』と、いやあがった。それが、いまになって、『じじい、じじい』だってやがら……あなたと、じじいじゃあ、たいへんなちがいだぞ」 「おふざけでないよ。お釜のなかで、なにをぐずぐずいってるんだよ。いいかげんに寝ておしまいよ」 「けれどもよ、戸じまりを厳重にしなよ。用心に如《し》くはなしというから……」 「あいよ」  そのうちに、いい心持ちになりましたから、じいさんは、お釜のなかで、ぐっすり寝こんでしまいました。  おかみさんのほうは、戸じまりをして寝ましたが、「守《まも》り人《て》のすきはあれども、盗人のひまなし」とか申しまして、夜なかのころ、泥棒がふたりしのびこみ、この釜に荷縄《になわ》をつけてかつぎだしましたが、その重いの、重くないの…… 「兄弟《きようでえ》、まあ、なんだな、なかまうちで、力ずくじゃあ、あんまりいままでひとにひけをとらねえほうだったが、この釜ばかりは、ばかに重いな」 「おれも兄い、これまで重いとおもったことはねえが……こりゃあ、きっとこうだぜ、豆腐屋だから、豆の安いのかなんかありゃあがったので、うんと買いこんでおいて、あしたの朝、これをつかおうってんで、釜のなかへいれておいたんだ」 「なるほど、そうかも知れねえ。ばかに重いぞ。しかし、持ちだしゃあ、こっちのもんだ……いいか? よいとこしょっと……」 「うんとこしょっと……」 「どっこいしょっと……なんだか、ぐるぐるまわるな」 「そうよ、かつぎにくいや……」 「ううーん」 「おや、だれだい、うなるのは? おめえか?」 「おれじゃあねえ」 「へーえ、妙だな、どうも……釜がうなるわけでもあるめえ」 「じょうだんいいなさんな。気のせいだな」 「そうかな……どっこいしょっと」 「うんとこしょっ」 「うーん」 「おや、いやだな。じょうだんじゃあねえ。うす気味がわるいや。なんだか知らねえが、ひとのうなり声がする」 「この近所に、病人かなにかいるんだろう」 「そうかも知れねえ」 「うーん、ばあさん」 「だれだい、ばあさんといったのは?」 「おれじゃあねえよ」 「へーえ、妙だな」 「おい、ばあさん、水を一ペえくんな」 「おやおや、いよいよ変だぞ」 「どうしたい? 釜のなかで、ばあさん、ばあさんといっている」 「ばかなことをいうな。つまらねえことをいっていやあがる。釜が口をきくやつがあるもんか」 「そうでねえ。釜んなかで、なにかいっている」 「ばあさん、水を一ペえくれ」  と、釜のなかでどなられましたから、いや、おどろいたの、おどろかないの、「それっ」というと、ふたりは、釜をほうりだして、ばらばら逃げだしてしまいましたが、ほうりだされたじいさんもおどろきました。 「おやおや、ばあさん、なんだか、たいへんぐらぐらゆれるじゃあねえか。ああ、地震だな。ばあさん、気をつけなよ。怪我をしちゃあつまらねえよ……いやにぐるぐるまわるな。もういいかげんにおさまりそうなものじゃあねえか……おやおや、たいそう星がみえるな……あっ、しまった。今夜は、家をぬすまれた」
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tokudesu · 3 years ago
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🍶ひとりではしご酒🍺 2022年6月18日 日本酒フェアその1 6月18日から19日にかけて、3年ぶりに復活! 会場を池袋サンシャインシティから有楽町の東京国際フォーラムに移しての開催です。 一般向けには、18日の18時から20時、19日の13時から15時、16時から18時、2時間ずつの3コマ。しかも、入場者を1コマ500名に限定していました。 ええ、私は19日2コマで参加しましたよ。あわせて4時間でしたが、これでも時間が足りませんでした。そりゃそうです、今までは1コマ3時間30分、2コマで7時間会場に滞在できた訳ですから。広い会場を求めて、変更したはずなのに、入場者を限定したにもかかわらず、サンシャインの方が広く感じたのは、気のせい? 何はともあれ、リアルでの開催は、やっぱりイイ。蔵元さんとじかに話が出来���のがイイ。 今回、東京国際フォーラムでの開催ということで、上から開催の状況が丸見えなんです。「公開きき酒会」の様子を見ることが出来ました。 「日本酒セミナー」もリアルでの開催。奈良県酒造組合さんの『清酒造りの起源 菩提酛』を聴講させていただきました。菩提酛で醸した日本酒の飲み比べをしながら楽しく学べ、なかなか良かったです。 徳島県ブース 三好市の三芳菊酒造さん「赤ぶどうしぼりたて 一回火入れ」、「ネコと和解せよ グラジオラスバージョン」、「純米大吟醸うすにごりカリギュラ効果」 馬宮社長と長女の綾音さん、三女の胡春さん 板野郡の日新酒類さん「大吟醸 桜樽原酒」、「純米大吟醸 瓢太閤」 愛媛県ブース 西条市の武田酒造さん「日本心 特別純米 蒲」 新居浜市の近藤酒造さん「しずく媛 純米大吟醸 無濾過原酒」 武田杜氏と近藤社長のツーショト 久しぶりの近藤社長と。お会いするといつも元気をいただきます。 喜多郡の酒六酒造さんのダンディな武知杜氏。 「京ひな 隠し剣純米大吟醸」 高知県ブース 高知県は宇宙・深海酵母で醸した日本酒がラインナップされていました。いただいたのは、 高岡郡の司牡丹酒造さん「宇宙深海酵母の酒」 香美市の松尾酒造さん「深海酵母の酒」 安芸市の濱川商店さん「純米吟醸 宇宙深海酒 美丈夫」 吾川郡の高知酒造さん「仁淀川 純米大吟醸甘口」 土佐市の亀泉酒造さん「亀泉 純米吟醸原酒」 香川県ブース 仲多度郡の西野金陵さん「金陵 ワイン酵母 純米酒」 綾歌郡の綾菊酒造さん「綾菊 さぬきオリーブ純米酒」 #日本酒🍶 #日本酒好きな人と繋がりたい #日本酒で乾杯 #日本酒フェア2022 #奈良県酒造組合 #菩提酛 #三芳菊酒造 #ネコと和解せよ #日新酒類 #武田酒造 #近藤酒造華姫桜 #酒六酒造 #司牡丹酒造 #松尾酒造 #濱川商店 #高知酒造 #亀泉酒造 #西野金陵 #綾菊酒造 #宇宙深海酵母 #深海酵母 #日本心 #しずく媛 #京ひな (at 東京国際フォーラム ホールE) https://www.instagram.com/p/CfdE4r0PqK5/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sadaki-ino · 3 years ago
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【勧修寺〜随心院〜醍醐寺〜蹴上インクライン〜南禅寺〜若王子神社〜哲学の道〜京料理「ハよし」〜京都府庁 旧本館〜二条城】京都のお花見 新型コロナ騒動以前の平和な楽しかった時代の思い出。4年前の2018年3月31日 「そうだ 京都、行こう。」2018年キャンペーンの舞台。 【勧修寺】 真言宗山階派の大本山。醍醐天皇が母藤原胤子の菩提を弔うために創建。皇室や藤原氏の庇護を受けて栄えたが、たび重なる戦火で衰退し、江戸時代に再興されてからは法親王が暮らす門跡寺院となった。内部は非公開だが、宸殿や書院はこのとき明正天皇の旧殿を賜ったもの。庭園には桜、藤、杜若、花菖蒲などが咲き、冬には氷室池にマガモも訪れる。樹齢750年を超えるハイビャクシンや徳川光圀寄進の雪見灯籠も必見。 随心院では近くで火災発生して、煙とサイレンが。醍醐寺は数日前でしたら最高��したが。 【随心院】 梅の名所として有名ですが、後を追うように桜の時期もおすすめ。数は少ないですが、梅園や総門横には、見事なソメイヨシノが咲き誇ります。小野小町ゆかりのお寺としても知られ、境内には彼女が朝晩使用したと伝わる「化粧の井戸」があります。 【醍醐寺】 太閤秀吉が催した「醍醐の花見」があまりにも有名。市内でもいち早くお花見ができるお寺で、霊宝館のしだれ桜は見事です。三宝院前や、国宝の五重塔を背景に咲く花姿も見事です。桜の馬場の桜並木をゆったり歩きながら、秀吉の心地になってのお花見を。 【蹴上インクライン】 敷設された線路沿いの坂道には、辺りを埋め尽くすように約90本のソメイヨシノが見事なアーチを作ります。線路に降り注ぐような桜を楽しみながら散策できます。 南禅寺から哲学の道へ。 【哲学の道】 東山のふもと、左京区・若王子神社から法然院下を銀閣寺に至る疏水べりの小道。約1.5キロ。日本の道百選にも選ばれた。哲学者西田幾多郎が散策、思索にふけったといい、この名がついた。春は両岸の関雪桜で花のトンネル、川面に散り流れる花ビラもひとしおの風情。 ランチは京料理「ハよし」さんで松コース2800円。 【京都府庁 旧本館「観桜祭」】 中庭には円山公園の枝垂桜の孫��祇園しだれ桜」がありますが、残念ながら見頃は過ぎてしまってました。 【「二条城桜祭り2018」ライトアップ】 行列が凄いことに。 まさか、あそこまで行列ができるなんてと思うほどの行列ができていました。 後半のライトアップが素晴らしい。 #桜 #勧修寺 #そうだ京都、行こう #随心院 #醍醐寺 #醍醐の花見 #ソメイヨシノ #蹴上インクライン #南禅寺 #若王子神社 #哲学の道 #京料理 八よし #京都府庁 旧本館 #観桜祭 #二条城 #二条城桜祭り #桜祭り #ライトアップ #京都のお花見 #京都 (Kyoto, Japan) https://www.instagram.com/p/CbwBEDDPPYz/?utm_medium=tumblr
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oniwastagram · 3 years ago
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📸醍醐寺庭園“弁天池”“無量寿苑” [ 京都市伏見区 ] Daigoji Temple Bentenike Garden, Kyoto の写真・記事を更新しました。 ーー京都の #世界遺産 寺院の奥で佇む紅葉の名所庭園🍁豊臣秀吉“醍醐の花見”ゆかりの金堂や五重塔🗼など国宝建造物も。 ...... 「醍醐寺」は世界遺産“古都京都の文化財”に構成される、京都を代表する寺院の一つ。真言宗醍醐派総本山。 『醍醐寺三宝院庭園』が“庭の国宝”国の特別名勝となっているほか、三宝院・金堂・五重塔など国宝の建造物も有します。西国三十三所第11番札所。 . 先週末に約5年ぶりに訪れました。三宝院庭園も紹介するのですが先にそれ以外のことから。 太閤 #豊臣秀吉 が最晩年に行った宴“醍醐の花見”🌸でも知られ、桜スポットでもありつつ、紅葉の名所としても人気。前回は12月で少し紅葉が残っている…という感じだったけど、今回は紅葉の見頃に! . その歴史は平安時代にさかのぼります。874年(貞観16年)に聖宝理源大師により創建。 醍醐寺は山のふもとの“下醍醐”と、そこから1時間ほど登った山の上にある“上醍醐”の2つのエリアに分かれており、当初建造物が完成したのは上醍醐。上醍醐にも国宝の「清滝宮拝���」「薬師堂」が残ります。(まだ登ったことないから、次回登ろう…⛰) . そののち醍醐天皇による勅願寺となり下醍醐も整備がスタート⚒ 広大な境内の中で現存する国宝の五重塔は951年(天暦5年)に建立された“京都最古の木造建築”で、醍醐天皇の菩提を弔うためにその子の朱雀天皇により起工、更にその次代の村上天皇の時代に完成。(内部の壁画も国宝指定) . 鎌倉時代〜室町時代にかけては途中応仁の乱⚔️で五重塔以外を焼失する憂き目に遭いますが(国指定重要文化財「清瀧宮本殿」はその後の再建)、桃山時代に豊臣秀吉により信仰され先述の“醍醐の花見”をきっかけに再興。 国宝の「金堂」は醍醐の花見のために和歌山の湯浅から移築されたもので、建立されたのは平安時代後期。 続く。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/kyoto-dagoji-temple/ ーーーーーーーー #京都紅葉 #京都紅葉2021 #日本庭園 #庭園 #庭院 #庭园 #京都庭園 #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #zengarden #kyotogarden #kyotoarchitecture #kyototemple #japanarchitecture #japanesearchitecture #建築デザイン #おにわさん #oniwasan (醍醐寺) https://www.instagram.com/p/CWbVc--PDA5/?utm_medium=tumblr
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yurina17tam · 3 years ago
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2021/06/26 
「舞台 刀剣乱舞 无伝夕紅の兵-大坂夏の陣-」
大千秋楽おめでとうございました。
劇場で見れる予定だった作品が、映画館でのライブビューイングになり、そして最後はそのライブビューイングさえ中止になり結局家で配信を見ることになった今回。
見ることそのものが叶わない可能性が有るご時世だからこそ、配信という形であれど、視聴できたことに感謝。
色々考えたいことはあるのですが、今は夕紅に染まるがままにしておこうと思います。ネタバレを含めた感想考察はまたいつか静かに更新します。只一つ今言えることは、小松さん演じる豊臣秀頼様が素敵だったということです。天伝で、「守るために」あった一期一振で最期を迎えるシーン。天伝を経験した豊臣秀��だからこそ、記憶がなくとも響く。
今年年明け一月から始まった「舞台刀剣乱舞~大坂の陣~」計177公演。本来なら200あったはずの公演数。23公演が中止に。
天伝の時にも書いたけど、こんなにも劇場で、ステアラという戦場で観劇したかったという作品は初めてでした。だからこそ見に行けないことがとにかく悔しかった。けどそれでも、無事に無事に6ヶ月間に及ぶロングラン公演が幕を下ろすことができて本当に良かった。
次は、舞台『刀剣乱舞』綺伝 いくさ世の徒花 。改変されていない、綺伝を今度こそは劇場で。
夕紅の心=真田十勇士
豊臣秀頼
・天伝での出来事は宗三左文字のいう通り忘れている。真田信繁が本人ではないということ見抜いたのは秀頼ではなく真田十勇士。
・天伝でいい味出してた秀頼様が、自刃するとこは涙なしには見られない。自害に使われたのは一期一振。天伝で秀頼を守るために動いた一期一振が无伝ではその秀頼を殺すために使われた。天伝とほぼ同じセットを使用しているため��処か重なるところもあるのがまた良き。
・所説に逃げることを提示されるが拒否。天伝では自分とはと思い悩んでいたが无伝では「私も豊臣」だと宣言。
・「今は亡き父上のようです」
→記憶がないのに何故父上の話ができる?天伝では、父のことがわからなくて思い悩んでいたはず。
高台院
・阿吽と仲良くしてるっぽいがどうやら仲間ではなく手を借りただけ。
・真田十勇士が刀剣男士と刃を交えることを=歴史改変を禁じている。彼女の望みは、豊臣家の最期を見届けること。
・天下とは何なのでしょうか
政府刀
未来から来た。三日月宗近の観測
→どの未来かな君たち
→観測対象の三日月宗近=この本丸とは明記していない。どの本丸も三日月宗近は厄介だとのこと。
三日月宗近
1.骨喰藤四郎
「目を離すと何処かへ消えてしまいそう」「炎で燃えて記憶がない」
→こういう系の発言が多い三津谷骨喰藤四郎。このよく出る炎=大坂城ではない可能性?本丸が燃えたとか
2.染鶴
別途まとめ
3.行動
・三日月宗近の服が初めてはだける
→これは初めての経験。円環の中で起きていなかったこと。
 →悲伝で山姥切国広が勝った後に起きたルート?
・大回転殺陣にて一人だけ360度劇場一周している。
・高台院:「あなたはこの手に…誰の刀でもなかった。まるで空に浮かぶ月のように…今の主でさえ貴方をモノにできない」「物の心を空へ返す」「
→かなりいい的を得ている。つまり三日月宗近とはそういう刀?
4.真田十勇士との殺陣
「八振りで成し遂げた」にたいして、三日月宗近「俺たちの本丸は凄いぞ」
→この時点の三日月はどこまで知ってる?
その他
・でた夏に雪がふる=季節が狂う
→よく聞く流れ。悲伝・慈伝
・脱いだ後の回転が天伝が右回りなのに対して无伝は左回り。大回転殺陣は、同じ右回り
・最後の挨拶反時計回りに回転しながら挨拶する中で、三日月宗近が皆をそれぞれ追いかける形で歩きそれぞれにアイコンタクト
・よって感じで挨拶する中、秀頼様には上を向いて「蒼空を」見るように、ねね様には慈しみをもって挨拶するあたりが最高。360度回ってることを忘れられる。
へし切長谷部・薬研藤四郎
へし切長谷部
・「俺はまた負けた」
→小田原で負けたらしいが誰に負けたっけ?
如水と刀を交えた際、固まり、彼に固執するのは元の主が関わっているから?
・長谷部は何に焦っているのか
→元主関係で本能的に?
薬研藤四郎
陽伝で、不動行光ではなく薬研藤四郎が修行に行くもしくは三降りともな未来が見えた
黒田官兵衛如水
・君が黒幕なのはほぼ確定
・髪が朧たちと同じく白い
・彼が探すもの=三日月宗近が探しているもの=刀剣男士が探しているもの
→一体何?歴史のままで所説へ逃がすというようなプチ歴史改変ができるかどうか?けどそれだと刀剣男士の探している理由にはならない。
→この円環からどうやって抜け出せるのか?
・「心の迷いが太刀筋を狂わせる」→外伝で似たようなこと言ってなかったっけ?惑いが云々。
・「強くなれへし切長谷部—そうすればまた刃を交わす時が来る」
→ううんフラグ
・以前の円環ではここは真田十勇士だけであった
→ということはここも何回目か
最後のシーン
天伝での山姥切国広「俺たちは刀剣男士は歴史を守る…それを他人に強いておきながら」の一連の台詞をメインにへし切長谷部や薬研藤四郎・三津谷骨喰藤四郎・数・染鶴の三日月宗近に対する過去の言葉が流れてくる。
そして締めに三日月宗近の「これはまた随分煤けた太陽だ」で止め。悲伝が陽伝に変化し、(多分悲伝の)桜が赤く染まるのを背景に偉くおどろおどろしい鬼丸国綱が顕現。周りには12本?の刀剣
→悲伝での鵺が鬼丸国綱になった?
→煤けた太“陽“が悲を燃やし、明るい未来へ導いた?
→きっかけは高台院を斬ったこと?もしくは高台院による祈り?高台院「三日月宗近、孤独な刀よ。貴方の行く末が良きものになるよう祈っています」
明るい未来だとしても、維伝での「物語をおくれ君」の問題が解決しないし、天伝での太閤左文字の「山姥切国広はいない」も謎になる。三日月を救うために「歴史を…(初めからやり直そうとした)」のではないなら何で帰ってこないのか。
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cherr-blossom · 3 years ago
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Storia dei sogni(440)②
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指揮
マエストロ(西本智実先生)
オーケストラ
イルミナート・フィル・ハーモニー・オーケストラ
合唱
イルミナート合唱団
イルミナート・アーティスト(エキストラ)
合唱指導の先生方(エキストラ)
ソプラノ
彼女(♥崔岩光(サイ・イエングアン)様♥),私
アルト
森永朝子さん
ピアノ
戎洋子先生,片野敦子さん,久石譲,坂本龍一
チェロ
水谷川優子さん
その他
セリーヌ・ディオン,スーザン・ボイル
一青窈,柴咲コウ,中島みゆき,夏川りみ
平井堅,森山良子
司会
夏目三久さん
(第一部)
慕情(彼女,オケ)
夜想曲第20番,夜想曲第19番,夜想曲第13番
バラード第2番,ワルツ第3番「華麗なる円舞曲」
24の前奏曲,マズルカ第13番,バラード第1番
(戎先生)
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
(戎先生,オケ)
月光(戎先生)
無伴奏チェロ組曲第1番(水谷川さん)
風と共に去りぬ(オケ)
アルゼンチンよ、泣かないで(彼女,オケ)
my heart will go on(セリーヌ・ディオン,オケ)
未知との遭遇〜STARWARS〜ターミネーター
スパイダーマン〜ロード・オブ・ザ・リング
Pirates of the Caribbean(オケ)
サウンド・オブ・ミュージック(合唱,オケ)
すべての山に登れ(森永さん,オケ)
エーデルワイス(私,オケ)
英語版:夢やぶれて(スーザン・ボイル,オケ)
日本語訳版:夢やぶれて(私,オケ)
民衆の歌(合唱,オケ)
Hail Holy Queen,O Happy Day(合唱,片野さん)
※私やモリアムさん達もソロ歌った(ू•‧̫•ू⑅)
(第二部)
宿命(戎先生,オケ)
細雪,新・平家��語,おんな太閤記,功名が辻
浅見光彦〜最終章〜,ラストサムライ,JIN〜仁〜
(オケ)
八重の桜(坂本龍一,オケ)
愛する人よ(彼女,オケ)
さとうきび畑の唄(森山良子,オケ)
Amazing Grace(彼女,オケ)
長崎の鐘(私,オケ)
私を泣かせてください(私,オケ)
糸(中島みゆき)
涙そうそう(夏川りみ,オケ)
ハナミズキ(一青窈,オケ)
瞳を閉じて(平井堅,オケ)
月のしずく(柴咲コウ,オケ)
おくりびと(久石譲,オケ)
Stand Alone(彼女,オケ)
(アンコール)
I Will Follow Him,My Guy,Joyfull Joyfull
(合唱,片野さん)
※私やモリアムさん達もソロ歌った(ㆁᴗㆁ✿)
AUDITION(彼女,片野さん)
ローマの休日,ムーンリバー(オケ)
ラデツキー行進曲(全員)
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kongari · 4 years ago
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1205年 西田敏行が、追放された父を継いで鎌倉幕府の執権に就任する。…新・平家物語(1972) 1547年 西田敏行が人質として駿府へ向かう途中、誘拐されて尾張の西田敏行の元へ送られる。…功名が辻(2006)、女信長(2013) 1548年 美濃国主の西田敏行と尾張の西田敏行が同盟する。…織田信長 天下を取ったバカ(1998)、女信長(2013) 1561年 第四次川中島合戦で西田敏行が死亡。…武田信玄(1988) 1579年 西田敏行が大工棟梁として建造を指揮した安土城天守が完成。…火天の城(2009) 1590年 西田敏行が北条氏を滅ぼして天下を統一する。…おんな太閤記(1981) 1600年 西田敏行らが戦った関ヶ原の戦いに、西田敏行率いる軍勢が間に合わなかった。…葵徳川三代(2000)、功名が辻(2006) 1610年 大御所の西田敏行によって、西田敏行が征夷大将軍の西田敏行の老中に任命。…葵徳川三代(2000)、天下騒乱~徳川三代の陰謀(2006)、功名が辻(2006) 1615年 道頓堀の開削に携わった西田敏行が大坂の役で戦死。…けろりの道頓(1999) 1615年 征夷大将軍の西田敏行と大御所の西田敏行が大坂の役で豊臣氏を滅ぼす。…葵徳川三代(2000)、功名が辻(2006) 1632年 征夷大将軍の西田敏行の死により、流罪となった西田敏行が赦免される。…葵徳川三代(2000)、宮本武蔵(2001) 1702年 西田敏行が女性としては最高位の従一位の官位を得る。…大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇](2012) 1703年 元禄赤穂事件において西田敏行が赤穂浪士によって殺害される。…忠臣蔵~その男、大石内蔵助(2010) 1716年 西田敏行が徳川幕府の第八代征夷大将軍に就任する。…八代将軍吉宗(1995) 1734年 様々な商売に携わった西田敏行が病死。…徳川風雲録 八代将軍吉宗(2008) 1780年 様々な分野に精通した西田敏行が病死。…翔んでる!平賀源内(1989) 1782年 西田敏行を乗せた船が難破し、ロシアに漂着、後に西田敏行はロシアに帰化し、そこで病死。…おろしや国酔夢譚(1992) 1828年 俳句「やせ蛙まけるな一茶これにあり」などで有名な西田敏行が病死。…おらが春(2002) 1842年 西田敏行が長編小説「南総里見八犬伝」を完結させる。…北斎漫画(1981) 1867年 西田敏行が江戸で騒乱を起こし、戊辰戦争の火種となる。…風の隼人(1979) 1868年 薩摩藩の西田敏行と幕臣の西田敏行が会談し、江戸城が無血開城される。…翔ぶが如く(1990)、竜馬がゆく(1997) 1868年 薩摩藩の西田敏行と長州藩の西田敏行が協力して会津藩の西田敏行と戦う。…花神(1977)、翔ぶが如く(1990)、八重の桜(2013) 1868年 会津藩の西田敏行が、会津藩の西田敏行への伝令にかこつけて追放される。…白虎隊(1986)、八重の桜(2013) 1873年 日本初の商業銀行となる第一銀行の頭取に西田敏行が就任。…雲を翔びこせ(1978) 1883年 このころ西田敏行が海運業を始める。…蝶々さん~最後の武士の娘~(2011) 1904年 西田敏行が日露戦争の戦費調達のために欧米を奔走する。…坂の上の雲(2009-2011) 1942年 西田敏行が日本文学報国会の会長に就任…あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機(2008) 1976年 西田敏行らが開発したVHSが発売。後にVHSはビデオテープ規格競争で勝利する。…陽はまた昇る(2002) 1984年 西田敏行がマッキンリー冬季登頂した直後に遭難し死亡。…植村直己物語(1986)
【悲報】西田敏行、戦国時代にて大量発生する : 日刊やきう速報@野球まとめ
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chikyou · 5 years ago
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新型肺炎で思い出す後藤新平の125年前の「大検疫」
2/14(金) 11:33配信ニュースソクラ 新型肺炎で思い出す後藤新平の125年前の「大検疫」 【医療の裏側】125年前の大検疫が日本の医療革新の転機だった  新型コロナウイルスが猛威をふるっている。2月11日現在、中国本土での死者は1000人を、感染患者数は4万人を突破した。武漢では1000人の患者の受け入れ可能な病院が10日間の突貫工事で建てられたが、焼け石に水で医療体制が追いつかない状況だ。
 感染症を抑えこむのは並大抵のことではない。突貫工事で病院が建設されている映像を見て、ふと、日本の伝染病対策史に金字塔のようにそびえる「大検疫事業」を思い出した。
 いまから125年前、日清戦争が終わり、コレラやチフスが荒れ狂う中国大陸から帰還する兵士23万人余をわずか3カ月あまりで検疫した壮大な水際作戦だ。
 当時、コレラは、コッホによるコレラ菌発見から日も浅く、「死病」と恐れられていた。明治時代のコレラによる日本人の死者総数は37万人に上り、日清・日露の戦争による死者(約13万1500人)の3倍ちかくだ。明治末年の日本の全人口が2800万人程度だから、いかにコレラ禍が凄まじかったかおわかりいだけるだろう。
 そのコレラを防ぐために帰還兵23万人余の大検疫を行った人物こそ、医師にして臨時陸軍検疫部事務官長・後藤新平(1857~1929)であった。後藤に課せられた任務は「速やかに検疫遂行せよ」。しかしながら世界中の近代国家で、これほど大規模な軍隊の帰還を経験したところは過去になかった。手本はない。前代未聞の水際作戦に後藤は挑むことになる。
 そもそも検疫業務は、凱旋兵を乗せた輸送船が沖合に見えたところから始まる。沖に停めた船に検査官が乗り込み、感染症患者や死者の有無を「臨検」する。患者は運搬船で「避病院(隔離病舎)」、遺体は屍室に送り、船内の消毒を行う。患者の所持品は、「消毒」「焼却」の目録を作らせて分類。焼却物は値段を定めたうえで処分し、あとで補償をする。臨検が終わると人員荷物の陸揚げに移る。
 健康な兵員は艀(はしけ)で本船から島の検疫所に送られ、すぐに沐浴で身体を消毒する。入浴中に衣類や携行品は蒸気消毒汽缶(大ボイラー)で熱気消毒、もしくは薬品消毒に回される。入浴時間は20分程度。原則的に健康体で物品消毒が終われば、検疫所を出て帰還を許されるが、輸送船内に一人でも感染者がいたら、一時的に「停留舎」に入る。
 停留の日数は5日。その間に発病者が出れば、避病院に隔離し、他の者も4日間停留が延長される。これらの検疫にかかわる医官や下士官、兵卒は常に自身が感染しないよう細心の注意を払い、消毒をくり返す。
 おそらく、現代の感染症の検疫作業も基本的な流れは同じだろう。
 後藤は、一連の検疫チャートを脳裏に描き、壮大な施設を瀬戸内海の3つの島に夜を日に継いで建設させる。広島沖の「似島(にのしま)」の敷地2万3000坪には消毒部14棟、停留舎24棟、避病院16棟、さらに事務所、兵舎、炊事場、トイレなど139棟を建てる。下関にちかい「彦島」は全153棟、大阪近郊の「桜島」は109棟。建設に与えられた期間は、わずか3か月だった。後藤の女婿、鶴見祐輔は『後藤新平』にこう記している。
 「その間、海を埋め、樹を切り払い、地ならしをし、家を建て、屋根を葺き、諸道具一切を運びこみ、電信、電話、電灯の設備をなし、(略)まったく類例なき大消毒缶を製造して備えつけるというのだから、まさに太閤の一夜城にも比すべき大工事であった」
 後藤は、修羅場の陣頭指揮を振るい、気がつけば43日間連続して寝床に入っていなかったという。感染症の最前線は死にもの狂いだ。「もう一つの戦争」といわれるゆえんである。
 後藤はハードの整備のみならず、ソフトの「人使い」でも傑出していた。陸軍の検疫事業でありながら、森林太郎(鴎外・1862~1922)ら思考が硬直した東大閥の軍医ではなく、コッホの薫陶を受けた北里柴三郎に消毒汽缶の効能試験を依頼している。
 森と北里は犬猿の仲だ。森が脚気の原因を「細菌」と主張し続けたのに対し、北里は海軍の軍医総監・高木兼寛の「ビタミンB不足」説を推した。すると森は北里を手厳しく非難する文章を発表した。北里は「学問にうとい者が学問を人情とすりかえてごまかすのはいかがかと思う」と痛烈にやり返す。海軍が麦飯を取り入れて脚気の死者を防いだのに対し、陸軍は対応が遅れ、大勢の兵隊が脚気で命を落としている。
 後藤は、軍部と衝突しながら権威主義的な軍医を遠ざけ、北里に協力を求めた。北里は炭疽菌の芽胞系を汽缶のなかに差し込んで消毒効果を確かめる。準備は整った。
 ここで後藤は、大PR作戦を敢行する。いつの時代も感染症関係の建物は「迷惑施設」とみられがちだ。後藤が整備した施設に対しても、世間では予算が過大、凱旋兵を迎える作法ではない、運輸や通信上の支障をきたすと批判が高まった。検疫を軽んじる風潮も強かった。
 そこで、後藤は、オープンの前日、似島検疫所を一般公開してしまう。招待状を送付しておいた人たちを宇品港から4キロ沖合の似島まで、小汽船と艀でひっきりなしに送り届け、内部を案内する。ボイラーも試運転し、その効用や消毒の安全性を解説。地元の名士を「ビール菓子」でもてなした。スタッフの予行演習も兼ねていた。
 「おおーっ大したもんじゃ。これでコレラも心配ないわい」と参加者は驚嘆する。
 1日で1800人が見学。世間の偏見も幾分、解消されたのだった。
 ほぼ3か月で大検疫事業は終わった。その間に検疫を通過した帰還兵の数は23万2346人、検疫船舶数687隻、そのうち患者を乗せてきた船258隻。真性コレラの患者は369人、疑似コレラ313人、腸チフス126人……と記録が残っている。
 この年、日本のコレラ患者数は5万5144人で、4万154人が亡くなっている。やはり日清戦争がコレラを流行らせたようだ。ただ、この5年前には平時でありながら3万5227人がコレラで亡くなっており、もしも大検疫事業が実施されていなかったら、死者数はどこまで増えていたか想像もつかない。翌年からコレラ死者数は数百人台に激減している。
 大検疫事業を完遂した後藤は、水際作戦の限界を知った。根本的に病原菌の蔓延を防ぐには、街の衛生環境、上下水道や道路、家屋の設計などが重要だと思い至り、都市づくりへとのめり込んでいく。医療保険の大切さも力説し、「国民皆保険」への布石を打った。
 さて、現代の新型コロナウィルス対策の苦闘は、医療政策をどう変革させていくだろうか。後藤のような「国手」はどこかに必ずいるはずだ。
■山岡淳一郎(作家) 1959年愛媛県生まれ。作家。「人と時代」「21世紀の公と私」をテーマに近現代史、政治、経済、医療など旺盛に執筆。時事番組の司会、コメンテーターも務める。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(草思社)、『気骨 経営者 土光敏夫の闘い』(平凡社)、『逆境を越えて 宅急便の父 小倉昌男伝』(KADOKAWA)、『原発と権力』『長生きしても報われない社会 在宅医療・介護の真実』(ちくま新書)、『勝海舟 歴史を動かす交渉力』(草思社)、『木下サーカス四代記』(東洋経済新報社)、『生きのびるマンション <二つの老い>をこえて』(岩波新書)。2020年1月に『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)刊行。
新型肺炎で思い出す後藤新平の125年前の「大検疫」
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kachoushi · 5 years ago
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各地句会報
花鳥誌令和2年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
令和元年11月7日 うづら三日の月句会
小春日も心配事も窓の外 さとみ 病む兄の泣き顔背には小春かな さとみ 秋深し見知らぬ人と船に乗る 都 蔵の戸をきしませ開き新酒出る 都
(順不同特���句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月7日 花鳥さゞれ会
師と僧と旅の我等に雁渡る 雪 山国の黒きばかりの赤とんぼ 雪 冬桜なつかしや人なつかしや 雪 大根引く太さを笑ふ女たち かづを 大根干す風は乾ける匂ひして かづを 老杉が静寂深めし神の留守 かづを 石仏と頭巾と袈裟と冬に入る 匠 みくじ引く神無月とは知りながら 匠 料亭も跡形もなく冬日濃し 清女 茶の花や蓮如の道の道しるべ 千代子 何と無く書店をのぞく神の留守 啓子 神の留守社の木々も痩せ果てり 希 渡り来て水尾美しく鴨泳ぐ 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月8日 鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
午後の日を傾け綿虫のしきり 栄子 冬晴や鎮木に番の鳩留り 益恵 老いし身に糶の活気や冬の浜 すみ子 山茶花の今日咲く花と散る花と 都 木には木の記憶のありて紅葉散る 佐代子 この杜の心音刻みけらつつき 都 神の留守とて松替へて拝む夫 史子 冬用意山の官舎に軍手干し 悦子 唐臼の杵の一端冬日置く 悦子 針を持つ縁の隅より秋の声 立子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月9日 枡形句会
栗林圭魚選 特選句
陽子師を偲ぶ秋蝶ふはと舞ふ 和代 晩学に俳句習ひて石蕗の花 美枝子 錦秋の映る足湯を揺らしをり 白陶 人波に乗りつ辿りて酉の市 美枝子 年尾忌や最期看取りし人も逝き ゆう子 母訪ひて帰る不安や神の留守 百合子 堂裏を見守る大樹蔦紅葉 多美女 師の墓参暗闇坂は冬めきて 教子 おほやうに蝦夷語る声消えて冬 ゆう子 柿一つ眩しく照らす陽子晴 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月9日 零の会
坊城俊樹選 特選句
一陣の紅葉五重塔を巻く 順子 冬帝の傷無き空へ念仏を 光子 百段は小春浄土へ登る数 梓渕 冬晴や胸に罅抱く仁王像 慶月 文豪の寂土を指せば綿虫も 順子 円柱の影踏む人の冬あたたか 和子 鐘楼を去りかねてゐる冬の蝶 悠紀子 霜晴のちりとりに幸田家とあり 光子 小春日の水煙はるか雲の行く 眞理子 人間も餓鬼も屯す寺小春 美佐子
岡田順子選 特選句
冬帝の傷無き空へ念仏を 光子 小春日の墓所を巡れば塔婆揺れ 瑠璃 七五三五重塔の下敷に 俊樹 幸田家のちりとり冬の土の上 小鳥 国菊のにごり酒売る低き軒 眞理子 綿虫は露伴の墓を湧きしてふ 俊樹 露伴墓所露の五重塔を背に 梓渕 乳母車に小春日和をさし入れむ 和子 恍惚の刀自に連れられ七五三 俊樹 寒き刃を牛革で研ぐ理髪店 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月11日 なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
冬日和ペットショップへ廻り道 あき子 冬日和リュックの老女たくましく 迪子 レシピすら知らぬや父の大根漬け 聰 手締めして小さき熊手も売られゆく ます江 電球の光集めて大熊手 秋尚 冬日和波をはるかに島光る 怜 大根漬日干しの香り閉ぢ込めて 秋尚 隙間なく沢庵樽の幾何模様 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月12日 萩花鳥句会
面影の静かに浮かぶ小夜時雨 小勇 菊日和ティアラ煌めくオープンカー 祐子 七五三口とんがらせ紅をさす 美恵子 空と海ピンクに染めて神の留守 吉之 肝心な話は神の旅の後 陽子 秋空や火葬で昇天首里の城 健雄 山茶花や新たな命娘は宿し ゆかり 由布岳をすつぽり覆ひ時雨雲 克弘
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年9月13日 芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
古錨虹屋の跡に秋の風 よみ子 萩しだれ小さき花つけ坂の道 寛子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月16日 伊藤柏翠記念館霜月抄
坊城俊樹選 特選句
菊の香にゐて菊の香をふと忘れ 雪 此処に果つ一向一揆曼珠沙華 同 時雨るるや山里小さくなるばかり みす枝 冬の月よろづの影の沈みけり みす枝 神座る石につつじの返り花 たゞし 菊花展きれいなままで枯急ぐ 富子 石庭のすき間すき間の草紅葉 清女 秋の声一乗谷にあふれをり かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月19日 風月句会
坊城俊樹選 特選句
七五三兄は普段着にて並ぶ 秋尚 朝の日へ懸崖菊のはみ出でて 同 参道の黄菊一人に濃かりけり 久子 大日堂灯して昏く冬紅葉 斉 仁王門出でて一礼冬ぬくし 三無 一拍に鳴り龍冬を立ち上る 斉 大綿の霊峰富士を過ぎりけり 圭魚
栗林圭魚選 特選句
法の山札所露に冬に入る 斉 冬ぬくし丈六不動の黒き肌 佑天 鬼門守る花柊の古木かな 斉 朝の日へ懸崖菊のはみ出でて 秋尚 開け閉てに津軽林檎の匂ひくる 久子 大日堂灯して昏く冬紅葉 斉 足袋の子の鼻緒にぐづる七五三 久子 奥多摩も富士も指呼なる冬日和 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月20日 福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
大根を洗ふ人らは尻向けて 世詩明 初時雨軒に梯子を掛けしまま 世詩明 をの子の手ふと触れたしや星月夜 令子 仮の歯入れ鏡見てゐる小六月 令子 コルセットきつめに締めて小六月 清女 鉄路なきふるさと歩く小六月 よしのり 柊の花に幼帝祀る宮 雪 それぞれの鍵に鳴る鈴秋深む 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月21日 鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
濃紅葉の陶あかりなる幽石庭 昭子 あやとり橋紅葉明りに行き戻り 昭子 草紅葉鋤き込まれつつ田の眠る 紀代美 六腑もう三つを切りて冬に入る 一涓 花の名を男に聞かれ女郎花 雪 揺れてゐる揺れてをらざる猫じやらし 雪 天高く金の鯱そびえ立つ やすえ 千尋なる谷へ落葉の幾万枚 みす枝 落葉踏めば山の深さを語りをり みす枝 石蕗の花野仏瞼円らなる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月23日 武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
男女ゐて何も起らぬ近松忌 世詩明 枯野ゆく川面に日矢の幾筋も さよ子 近松忌女の嘘の徒ならず 世詩明 遠き日の恋も忘れし木の葉髪 英美子 嚔出てわれを罵る人は誰 世詩明 小夜時雨静かに落ちる夢の淵 昭子 薪能舞台そのまま返り花 利栄 寒晴や命の電話海に向く 錦子 手足自由動く勤労感謝の日 みす枝 諦めて諦め切れず神の留守 靖子 高西風や舟屋早々灯を点す 昭女 重力で長く伸びたる糸瓜かな 三四郎 時雨るるや茅葺き重くなるばかり みす枝 紅葉して峙つ山をやさしくす 信子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月27日 九州花鳥会
時雨懇親句会
坊城俊樹選 特選句
飴色の街灯続く小夜時雨 愛 水旨き里に嫁ぎて寒造 孝子 檻握る猿の冷たき指紋かな 愛 まつ黄色ならぬ銀杏の潮傷み 由紀子 女一人拝礼長く冬茜 勝利 鮫干さる眼に残る冬の海 由紀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月28日 九州花鳥会
名護屋城址・唐津吟行句会
坊城俊樹選 特選句
花八手古塁の石は無言なり さえこ 陣跡の石みな尖り石蕗の花 かおり 冬ざれや野望はかなき陣地跡 成子 神渡玄海の波荒ぶらせ 勝利 天守台傾ぐ古木に群千鳥 順子 軍船か壱岐か対馬か冬怒涛 千代 旧邸の玻璃戸に冬の海うねる 愛 冬萌や官兵衛ふれし野面積 寿美香 もののふの声解き放つ冬怒涛 かおり 杉戸絵の蛍火ともる冬館 由紀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月29日 九州花鳥会
定例句会
坊城俊樹選 特選句
淋しらに転がりてみる枯野原 美穂 方舟にユダ紛れ込む開戦日 寿美香 にほどりのまやかしものの水面かな 愛 歳月は水に映らず枯柳 朝子 冬の日の胸の奥まで照らしけり 孝子 かひつぶりそしらぬ貌で浮き上る 阿佐美 冬の濤さらに激し��次を待つ 美穂 あかときの光まとひて鳰 阿佐美 太閤の野望くだきし冬怒涛 睦子 冬芽立つ石垣のみの夢のあと 光子 大根の真つ白な音おろしけり 寿美香 天から降りそそぎたるごと石蕗の花 光子 チラシより軽き新聞漱石忌 寿美香
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
さくら花鳥会
岡田順子選 特選句
容赦なく大根洗ふ滴飛ぶ あけみ 桜紅葉樹齢五百を彩りて みえこ 炉開や心の澄みて茶を点てる 寿子 身に入むや高架の下の弾き語り 登美子 遠目にも鳥休む岩秋白し 登美子 信楽の大火鉢にてもてなされ 寿子 冬近し気情な父の小言増え あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月11日 芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
公報の声風に乗る野分雲 よみ子 くつきりと山巓晴れて秋の川 同 人住まぬ生家の跡の金木犀 孝子 ひとしきり犬の遠吠え野分雲 よみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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