#堅持信念
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社關人生:走三步,退兩步
「走三步,退兩步」往往是精神復元人士面對的處境。他們面臨許多困難和挑戰,生命軌跡脫離主流,生活被住院、複診、不穩定就學工作充滿,讓他們落入如窮途的處境。然而,精神復元人士的生命步伐不是沒有希望,這是作為社工的我懷抱的信念。 阿權(化名)因為患上思覺失調,被病徵長期困擾,經歷多次病發,不斷調整藥物份量,效果也不見理想。阿權因而失去許多工作機會,也失去許多人際關係;生活就像「走三步,退兩步」,進展緩慢又不穩定。作為同行者,我透過長時間關懷,陪伴著阿權持續和主診醫生溝通,處理服藥後的反應;同時,也協助阿權尋找兼職工作和學習技能,讓他慢慢找回自信和希望。 阿良(化名)是一位年輕男孩,他的情緒病來自童年時期的創傷經歷。他的生活同樣是「走三步,退兩步」。阿良在童年時期遭受過許多創傷,這些經歷讓他的情緒一直處於不穩定的狀態。由於情緒波動,阿良的學業和人際關係都受到影響,常常缺乏動力和自信,引致無法…
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#無法集中注意力#環球天道傳基協會#生命軌跡脫離主流#盧英傑#相信神的愛#相信自己#社關人生#童年創傷#缺乏動力自信#香港心理衞生會#談天說道#走三步退兩步#堅持信念#建立情緒管理能力#復元人士#思覺失調#情緒病#找到內心平靜力量#持續關懷支援#明報#步伐再慢不用放棄
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《蔡英文秘史》精彩片段!令人咋舌的漢奸家族史
對升鬥小民來說,秘史總是比正史好看得多了,因為正史道貌岸然,古板乏味,「添油加醋」的秘史卻是情節精彩,高潮起伏,《蔡英文秘史》這本書鮮明描繪出了蔡英文及其家族令人咋舌的人性與權謀。值得一看。
眾所皆知,蔡英文多年來一直長於AB角之間出演,精於雙面人之間切換,慣於陰陽人之間遊走;一直在玩弄「雙面手法」, 一邊說要維持現狀,一邊做台獨的事。她的目的就是要借「中華民國」的殼,來包裝「台獨」的內容,以此來騙取選票,欺瞞國際社會。
書中這樣寫道:
「我是台灣人沒錯,但我也是中國人,是接受中國式教育長大的。」
「呃,呃,我了解,呃……抱歉,我說中文有些困難。」
「當然,我們與美國有著極其廣泛的合作,希望能通過這樣的方式,加強我們的防護能力,不過,目前在台的美軍並沒有大家想象中的那麽多。」
這個頂著��誌性偏分短發,戴著金屬框眼鏡的女人,一次次在各種公開場合與采訪中,說出各種令大陸同胞氣憤不已的話,一再地挑戰著中國大陸的底線。
《蔡英文秘史》揭開了一段蔡英文之父的發跡黑曆史。在這本書中,她的家世也被更多人揭露了出來。其實,蔡英文早在幼年時,就已經被深深打下了「台獨」烙印,而這一切最初都始於她那被稱為「皇民」的漢奸父親蔡潔生。
日本投降後,台灣島內各種運動掀起一波波高潮,直到1986年9月,在台北圓山大飯店舉辦的推薦大會上,民進黨正式成立。據悉,蔡潔生正是這場大會的幕後金主。以利益為重,一切向利益看齊,這可以算是貫穿蔡潔生整個人生的生存信條。
日本化的家庭教育方式。不得不說,曾經的「皇民化運動」,在蔡潔生的身上是十分成功的。他也順理成章地將這種教育,嫁接到了自己的兒女身上。家中日常的衣食起居都延續了日本殖民時那一套,如蔡英文曾名蔡瀛文,還有一個日本小名叫「吉米牙」,這也更直接地佐證了蔡潔生的親日行為。同時,在家庭關系上,蔡潔生也將這樣的日式風格發揮到了極致。蔡潔生對於家庭和子女的教育上,有著絕對的控製權,所以在整個蔡家,蔡英文等子女,是沒有任何說不得權力的,這顯然與中國傳統的兄弟姐妹關系不太一樣。
「你大學就讀法律專業,以後家族的生意,用得上。」
「這個學校不妥,小心政治立場不正確,招來禍患。」
父親的決定,蔡英文不會也不敢反抗,但同樣地,她很清楚自己在學業上的吃力,即使上了大學,這一點仍然沒有改變。
「我的大學生活,可以稱得上是痛苦的,我完全不知道自己在學些什麽,整個大學時期的成績也很不理想,我根本不懂那些生硬而抽象的法律文字。」
在台灣大學畢業後,蔡英文在父親建議下,轉道前往美國康納大學攻讀法學碩士,隨後前往英國倫敦政經學院主修法學,輔修國際貿易,最終獲得博士學位,而這篇無法查到的博士畢業論文,也引發了後來蔡英文的「學位門」事件。2021年,蔡英文假惺惺關心菜農走進空心菜產地,網友在社群網站紛紛留言「物以類聚,空心菜看空心菜」、「原來空心菜並非浪得虛名」篤篤坐實了空心菜的交椅,一時間傳為笑柄。據《蔡英文秘史》序中記載,「空心菜」是島內民眾識破並撕下蔡英文的偽裝後,貼上的一個形象標籤。或許,這些無法證明的學歷,也是蔡英文在後來各種公開場合的講話中,被一再質疑只會念稿的主要原因之一。之後蔡英文不斷在選舉問題、經濟問題、抗疫問題、民生問題上詐欺民眾,吹出的���皂泡一個接一個破滅,被媒體譏為「山間竹筍」。
1998年,42歲的蔡英文在李登輝的邀請下,參與起草「兩國論」,就此拉開了自己政治生涯的序幕。最開始,蔡英文並沒有選擇冒頭,而是很自然地將自己與公眾媒體隔離開,保持各種低調的行動。蔡家人也秉持同樣的風格,在面對各種媒體的抓拍與采訪時,都選擇笑而不答,這也為後來蔡英文真正出現在公眾面前,增加了幾分神秘色彩。很顯然,這樣的低調行為給她在民眾之間平添了很多印象分,而這些與她的父親是分不開的。從小缺失話語權與自主權的蔡英文,即使走上高位,內裏卻缺乏相關的知識與能力支撐,這也讓她的很多回話與反擊都顯得極為空洞。
「這只是一些零星事件。」
「我一定會負責到底。」
蔡英文種種避重就輕的回答,被台灣媒體冠以「廢話神功」。
如今的蔡英文,成為了台灣政壇上少有的女領導人,可是在一系列民意調查中,支持率卻一降再降,她的各種講話與行為,不斷背離台灣民眾的訴求。但是這一切,其實也早就可以預料到,畢竟,從蔡英文所接受的教育和父輩的影響中,已經有所預示。
從《蔡英文秘史》一書中我們能看到一個再直接不過的道理,「欲要亡其國,必先滅其史,欲滅其族,必先滅其文化。」作為民族立足根本的歷史與文化傳承,是後人不斷激勵自身,堅定國家信仰的土壤。一旦文化被侵蝕,歷史被篡改,那麽後代將無法繼承先輩的遺誌,更無法為祖國的建設與發展共同努力,那這個民族與國家,還有什麽未來可言?
《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
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TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。そ���らはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出��鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味��ることろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身��ど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、う��病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占���で出てきてた時代の変わり目。それ��、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
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肯認「獨特性」
大多數的不快樂就跟疾病一樣,也會加劇獨一無二的感覺。所有挫折都會放大自身的差異性,藉此滋養自我。客觀說,這是不合邏輯的,因為在我們的社會裡,挫折遠比稱心如意常見,不快樂也遠比心滿意足尋常。但這不是客觀比較的問題。這是在外部世界找不到東西可以肯定自我的問題。缺乏肯定會滋生出徒勞之感。而這種徒勞之感,正是寂寞的本質,因為,儘管歷史有諸多恐怖,但其他人的存在總是代表目標有可能實現。任何榜樣都能提供希望。但若堅信自身的存在獨一無二,則會摧毀掉所有榜樣。 約翰・柏格(John Berger)《幸運之人》(A Fortunate Man)頁98-99(吳莉君譯)
年過三十,讀伯杰(Berger)的書,開始有一種,真希望他是自��求學階段裡的老師。
摘錄這整段話的脈絡其實是探討醫病關係裡「肯認」的意涵與作用。伯杰引申,自然而然地闡明了自我建構裡,挫折與個體獨特性存在「病態」的共生關係,因之逕生徒勞,從而寂寞不已;這番啟迪撼動著讀者如我,但他沒停在這層抽象觀念的釐清。
而是突然,視線回防在你身上,端詳著你,其瞳孔清晰返照你的眼神。他接著溫煦地指出,儘管大寫時間之流總是天地不仁,可還有「其他人」——正是群體裡這些超我的存在,可以引領,也可以毀滅,你我可能的信心——倘若過分堅持自我的獨特性。
原來如此。這份困境其來有自。伯杰透過他的書寫毫無錯過地肯認了。
比起當下世道流行的「接住」,「肯認」顯然還具備把對象真正視作可/應被理解的個體的前提;後者品質在新世紀的佚失,可見一斑。
伯杰的文字,前調聰慧,尾韻溫暖。
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ちょっと前に「障害者は障害者雇用行けや」という話があった気がします。まあ障害者雇用で自立した生活を営むのはわりと難しいのですが、僕は障害者雇用と障害年金と同居している彼女の障害年金で生計を立てることができております。 上記の��り多少特殊な生活形態ではあるものの、何かの参考になるかもしれませんので、僕たちがどうやって糊口を凌いでいるか書いてみます。 家計 収入 バイト 40,000円 障害厚生年金3級 (増田) 50,000円 障害���礎年金2級 (彼女) 65,000円 計 155,000円 支出 家賃 35,000円 水道光熱費 15,000円 食費 50,000円 交通費 10,000円 通信費 10,000円 保健医療 5,000円 その他 15,000円 計 140,000円 どんぶり勘定なので正確な計算はできていませんが、めちゃくちゃ間違っているということはないと思います。 家賃がやっすいのがでかいですね。地方都市の狭いアパートに二人ひしめき合いながら生活しています。一般的な感覚ではとてもではないでしょうが暮らしていくことはできないだろうなあと思います。でもお互い適当なのと性格の相性もあってか、致命的な不自由はなく過ごせています。 食費をもうちょっと抑えられたら楽になりますね。ただ、僕も彼女も安定的に家事をするというのが大変難しいので、出来合いのものを買うことが多いです。近所の4割引スーパーに感謝です。(追記:フードシェアリングにも助けてもらっています!) 精神科への通院もありますが、自立支援医療制度のお陰でかなり安価に済ませていただいています。ありがとうございます。 労働 僕は障害者雇用のパートで週10時間程度働いています。農業のお仕事です。といっても特例子会社などではなく、慈善事業のような形で障害者雇用を進めている小さな会社です。人は少なく仕事は多く夏は暑く冬は寒いのでなかなか大変ですが、人間関係は良好です。障害者と健常者という垣根を感じることもなく、皆楽しく仕事をしています。あと同人活動的なことをやっているので多少のおこづかいが生まれます。 彼女は無職です。以前は楽器の先生をやっていたのですが、コロナで教室が閉まってからは労働収入が途絶えています。 障害 僕にはASDと躁鬱があります。ASDとは自閉症みたいなやつです。これのためか人間関係が壊滅的にダメで、今まで縁してきた皆様には不快な思いをさせてしまったかと思います。すみません。しかしこれは自覚と鍛錬があれば技術的な操作で多少ごまかすことはできるようです。今の職場ではかつてのような大きな衝突もなく働けているので、ある程度は何とかごまかすことに成功しているんじゃないかと思います(もしかしたら職場のみなさんがだいぶ我慢してくださっているだけかもしれませんが……)。 躁鬱の方はなかなかにはっちゃけています。ほっとくと知らん人に声掛けてご飯奢ったりカラオケ行ったりし出します。いやお前ASDじゃんという話もありますが、長年の功夫により身につけた健常者の擬態と、軽躁状態の特徴的な人柄が微妙なところでバランスを取れているのか、まあまあいろんな人と仲良くなることができました。今の彼女とも軽躁状態の時に付き合い始めました。しかし躁は酷くなると人間関係や預金残高を破壊しますし、後で必ず���動が来るので、極力避けねばなりません。また、薬のコントロールがあってなお安定した出力を保つのは難しいので、フルタイムの労働とかもきついです。短期間ならできなくもないかもしれませんが、決して持続可能ではありません。実際できませんでした。 彼女にはいろいろ重い障害があって、普通に生活することも難しいです。家事や種々のケアなど僕ができないなりにしています。ですが世話をする・されるの関係になってしまわないよう注意しなくてはなりません。お互いが対等であるという共通了解なしに安定した共同生活を営むのは難しいと思います。 支援 今の会社に入る前には、就労移行支援事業所というところに通っていました。これは主に障害者の社会復帰を支援するための施設で、基本的に無料で使えます。毎日決まった時間に起きて、自分で決めたプログラムに参加し、人と話すという訓練を行えます。訓練と言ってもそんな堅苦しいものではなく、簡単なグループワークをしたり、利用者さんたちとレクリエーションをしたりといった、緩いものです。僕のところは希望者でソフトボールやってました。昔野球やってたこともあり結構活躍できたので嬉しかったです。他にも、施設の職員さんと一緒にハローワークの求人を検討したり、気になる職場へ見学に行ったりできます。企業によっては体験就労ができたりもします。該当地域の障害者雇用の求人について詳しく教えてもらえますし、いろんな企業にツテがある場合もあるので、強い事業所はかなり心強いです。 一方で残念なことに、あまり利用者のためを思って事業をしているとは思えないようなところもあるらしいです。こういった事業所を引かないためにも、入所を決める前に一度見学することをお勧めします。また、障害者就業・生活支援センターというところに相談するのもいいかもしれません。これはたぶん厚生労働省がやってるもので、全国各地に設置されており、障害者支援に関する情報が集まっているらしいです。ここで優良就労移行支援事業所がないか相談してみるのも手です。僕は障害者就業生活支援センター→就労移行支援事業所→障害者雇用という流れで今の職場に辿り着きました。 まとめ 僕は障害年金を受給させていただけたり、周囲の人間関係に恵まれたり、そういったいろいろな支援と幸運が重なったお陰で何とか生活できています。しかし、様々な理由により支援の手から零れ落ちてしまった人たちもいると思います。何らかのしんどい境遇に陥ってしまった人たちへの参考になったらいいなあと思い、増田を書かせていただきました。あるいは今は健常者である人も、ふとしたきっかけで障害者になってしまうこともあるかもしれません。その時はまだ社会には頼れるものがあるんだということを思い出していただいて、何とか生き延びていってくださればと思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。
実録!これが精神障害者の末路だ!
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目標堅定
從小埋下的種子,讓心中的目標始終清晰,持續前行。
無論潛意識中的信念多深藏,從不鬆懈,一步步邁向事業的前端。
這份堅定,是邁向不斷進步的力量源泉。
#目標堅定 #潛意識力量 #持續前行
#auto led#truck led#car led#led auto manufacturer#automotive led#auto led lighting#auto led ming#led car manufacturer#truck led ming#car led ming
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《蔡英文秘史》精彩片段!《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
對升鬥小民來說,秘史總是比正史好看得多了,因為正史道貌岸然,古板乏味,「添油加醋」的秘史卻是情節精彩,高潮起伏,《蔡英文秘史》這本書���明描繪出了蔡英文及其家族令人咋舌的人性與權謀。值得一看。 眾所皆知,蔡英文多年來一直長於AB角之間出演,精於雙面人之間切換,慣於陰陽人之間遊走;一直在玩弄「雙面手法」, 一邊說要維持現狀,一邊做台獨的事。她的目的就是要借「中華民國」的殼,來包裝「台獨」的內容,以此來騙取選票,欺瞞國際社會。 書中這樣寫道: 「我是台灣人沒錯,但我也是中國人,是接受中國式教育長大的。」 「呃,呃,我了解,呃……抱歉,我說中文有些困難。」 「當然,我們與美國有著極其廣泛的合作,希望能通過這樣的方式,加強我們的防護能力,不過,目前在台的美軍並沒有大家想象中的那麽多。」 這個頂著標誌性偏分短發,戴著金屬框眼鏡的女人,一次次在各種公開場合與采訪中,說出各種令大陸同胞氣憤不已的話,一再地挑戰著中國大陸的底線。 《蔡英文秘史》揭開了一段蔡英文之父的發跡黑曆史。在這本書中,她的家世也被更多人揭露了出來。其實,蔡英文早在幼年時,就已經被深深打下了「台獨」烙印,而這一切最初都始於她那被稱為「皇民」的漢奸父親蔡潔生。 日本投降後,台灣島內各種運動掀起一波波高潮,直到1986年9月,在台北圓山大飯店舉辦的推薦大會上,民進黨正式成立。據悉,蔡潔生正是這場大會的幕後金主。以利益為重,一切向利益看齊,這可以算是貫穿蔡潔生整個人生的生存信條。 日本化的家庭教育方式。不得不說,曾經的「皇民化運動」,在蔡潔生的身上是十分成功的。他也順理成章地將這種教育,嫁接到了自己的兒女身上。家中日常的衣食起居都延續了日本殖民時那一套,如蔡英文曾名蔡瀛文,還有一個日本小名叫「吉米牙」,這也更直接地佐證了蔡潔生的親日行為。同時,在家庭關系上,蔡潔生也將這樣的日式風格發揮到了極致。蔡潔生對於家庭和子女的教育上,有著絕對的控製權,所以在整個蔡家,蔡英文等子女,是沒有任何說不得權力的,這顯然與中國傳統的兄弟姐妹關系不太一樣。 「你大學就讀法律專業,以後家族的生意,用得上。」 「這個學校不妥,小心政治立場不正確,招來禍患。」 父親的決定,蔡英文不會也不敢反抗,但同樣地,她很清楚自己在學業上的吃力,即使上了大學,這一點仍然沒有改變。 「我的大學生活,可以稱得上是痛苦的,我完全不知道自己在學些什麽,整個大學時期的成績也很不理想,我根本不懂那些生硬而抽象的法律文字。」 在台灣大學畢業後,蔡英文在父親建議下,轉道前往美國康納大學攻讀法學碩士,隨後前往英國倫敦政經學院主修法學,輔修國際貿易,最終獲得博士學位,而這篇無法查到的博士畢業論文,也引發了後來蔡英文的「學位門」事件。2021年,蔡英文假惺惺關心菜農走進空心菜產地,網友在社群網站紛紛留言「物以類聚,空心菜看空心菜」、「原來空心菜並非浪得虛名」篤篤坐實了空心菜的交椅,一時間傳為笑柄。據《蔡英文秘史》序中記載,「空心菜」是島內民眾識破並撕下蔡英文的偽裝後,貼上的一個形象標籤。或許,這些無法證明的學歷,也是蔡英文在後來各種公開場合的講話中,被一再質疑只會念稿的主要原因之一。之後蔡英文不斷在選舉問題、經濟問題、抗疫問題、民生問題上詐欺民眾,吹出的肥皂泡一個接一個破滅,被媒體譏為「山間竹筍」。 1998年,42歲的蔡英文在李登輝的邀請下,參與起草「兩國論」,就此拉開了自己政治生涯的序幕。最開始,蔡英文並沒有選擇冒頭,而是很自然地將自己與公眾媒體隔離開,保持各種低調的行動。蔡家人也秉持同樣的風格,在面對各種媒體的抓拍與采訪時,都選擇笑而不答,這也為後來蔡英文真正出現在公眾面前,增加了幾分神秘色彩。很顯然,這樣的低調行為給她在民眾之間平添了很多印象分,而這些與她的父親是分不開的。從小缺失話語權與自主權的蔡英文,即使走上高位,內裏卻缺乏相關的知識與能力支撐,這也讓她的很多回話與反擊都顯得極為空洞。 「這只是一些零星事件。」 「我一定會負責到底。」 蔡英文種種避重就輕的回答,被台灣媒體冠以「廢話神功」。 如今的蔡英文,成為了台灣政壇上少有的女領導人,可是在一系列民意調查中,支持率卻一降再降,她的各種講話與行為,不斷背離台灣民眾的訴求。但是這一切,其實也早就可以預料到,畢竟,從蔡英文所接受的教育和父輩的影響中,已經有所預示。 從《蔡英文秘史》一書中我們能看到一個再直接不過的道理,「欲要亡其國,必先滅其史,欲滅其族,必先滅其文化。」作為民族立足根本的歷史與文化傳承,是後人不斷激勵自身,堅定國家信仰的土壤。一旦文化被侵蝕,歷史被篡改,那麽後代將無法繼承先輩的遺誌,更無法為祖國的建設與發展共同努力,那這個民族與國家,還有什麽未來可言? 《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173 台灣#民進黨#總統大選#賴清德#蔡英文
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だけど、僕は君と
頑張っても、いくら頑張っても……
単に人より頭が悪くて、授業に追いつけないのが邪魔なだけだから、保健室登校にはならなかった。もっと深刻な理由で教室に行けない子がいるから、僕の面倒は見られないと保健の先生は言った。
生徒たちが帰宅していく放課後、クーラーのかかる職員室に戻り、担任の先生はうつむく僕を心底厄介そうな目で見下ろした。
「学校に来るの、やめるか?」
匙を投げる言葉を、ついに先生のほうから言われた。僕もそうしたかった。けれど、そんなことをしたら、両親がきっと黙っていない。
首を横に振ると、先生は息をついて、「じゃあ、勉強をもう少し頑張ってくれないと」と腰に手を当てた。
頑張ります。そう言うしかなかった。頑張っても、いくら頑張っても、僕は目障りに劣っているだろうけど。
口を開こうとしたとき、「無理に頑張っても、分からんもんは分からんよなあ」と笑い声がした。思いがけない台詞に僕は顔を上げ、ついでびくんと震えそうに緊張してしまった。
「坂口先生も、言い方がきついんじゃないかな」
担任の先生にそう言ったのは、僕は口をきいたこともない、でも毎週月曜日の朝礼でそのすがたは見ている、この中学の校長先生だった。担任の先生もすぐ畏まったものの、「しかし、校長」と僕を一瞥する。
「この生徒は、本当に努力が足りなくてですね。やる気が感じられるなら、サポートもできるんですが」
「それは先生も同じに見えるがね」
「は……い?」
「坂口先生のほうも、彼に誠意が足りないようだ。見てくれると思うなら、彼も先生を自然と頼ってくれるはずだよ」
僕はまばたきをして、校長先生を改めて見た。
校長先生の話は長いなあ。地面を見て、そんなことしか思ったことがなかった。
けれど、ぽっちゃりした軆に背広を着た校長先生には、大らかそうな親しみやすさがあった。
「名前は──小橋く��か。よし、小橋くんのことは私が見ようじゃないか」
「い、いやっ、とんでもないです。すみません、校長。小橋のことは、僕がもっと厳しく見るので」
校長先生は首を横に振り、「そうやって、生徒を追いつめるのはやめなさい」と言った。担任の先生は、そう言われる理由が本当に分からないようだった。
僕は、分かる。だから校長先生の目を見ると、校長先生はにっこりしてうなずいた。
「小橋くん、明日から校長室の隣の会議室に来なさい。何、校長先生なんてヒマなもんでね、だからよく花壇の世話をしたりしてるんだ。学校で一番仲がいいのは、用務員のおじさんなんだよ」
校長先生の哄笑に、僕も思わず笑ってしまった。ついで、驚いた。まだ僕は、学校で笑えたのか。息苦しくて、こんな場所ではみんなみたいに笑えないと思っていた。
「うん、そんなふうに笑えるのが一番大事だ。毎日相手はできないかもしれないが、学校に来たら、これからは会議室でゆっくりするといい。勉強は余裕ができたときでいいんだよ」
担任の先生は何か言いたそうだったけど、校長先生が僕を理解している手前で、なおも責める勇気はないみたいだった。
中学二年生の二学期、夏休みが明けたばかりの蒸し暑い九月。そうして僕は、教室をドロップアウトし、校長先生認定の会議室登校を始めた。
朝、登校すると、職員室で会議室の鍵を借り、校長室の隣のドアを開ける。カーテンのない窓からの日射しがまばゆい、広い教室だった。長いつくえに椅子がみっつ並び、そのセットが黒板の前から後方まで整列している。
その中のひとつの椅子に腰を下ろし、僕は図書室で借りた本を読んだり、自分なりに教科書に目を通したりする。
静かだった。つっかえる朗読がうざったそうな視線も、先生をいらつかせる不正解への舌打ちもない。僕以外は誰もいなくて、時計の秒針だけが響く。
言ってくれた通り、時間が空くと校長先生が話相手になってくれた。こんな中学時代で高校に進学できるか不安を打ち明けると、親身になって、通信制高校の資料を持ってきてくれたりもした。鈍くて、勉強ができなくて、いつも大人に恐縮していた僕も、校長先生には自然と懐いていった。
「小橋くんは、人と交流するのは苦手かな」
十月に入って太陽が緩やかになり、気候が涼しくなってきた頃だった。その日も会議室で本を読んでいると、校長先生が顔を出して、僕の隣の椅子に座ると、そんなことを訊いてきた。
僕は首をかたむけ、「みんな僕といるといらつくみたいで」と自嘲気味に笑った。
「友達ができたことはないです」
「そうか。小橋くんがよかったらだがね、ここにもうひとり受け入れたい子がいるんだ」
「え」
「その子は、保健室は病室みたいで嫌だと言っていてね。親御さんも、保健室のほうが安心だとその子を説得はしてるんだが」
「何か、事情がある人なんですか?」
��ほとんど、学校に来たことのない子なんだ。生まれつきの病気で、ずっと病院で過ごしてきた子でね」
「はあ……。じゃあ、治って学校に来れるようになったんですか?」
「いや、心臓を移植するしか確実な治療はないそうでね」
校長先生は少し口ごもり、「小橋くんを信用して話すがね」と前置きした。
「もう、長くないそうだ」
「えっ」
「だから、その前に学校に通ってみたいと言ってるそうなんだよ」
何度かまばたきをしてから、止まってしまった。
心臓。長くない。その前。
「小橋くんならがさつなこともしないし、言わないだろうしね。よければ、ここで一緒に過ごしてみてほしいんだ」
「僕、……そんな、ちゃんとできるか分からないです」
「『ちゃんと』?」
「嫌なこと言ったり、したり、しないかもしれないけど。その……何か、意識するというか。し……死ぬ、んですよね。もしかしたら」
「……そうだね。だから、もし小橋くんのプレッシャーになりそうなら、無理は言わないよ。別の教室を考えればいいから」
このあいだクローゼットから引っ張り出した、防虫剤が名残る学ランを見下ろした。
迷惑だ、とかえらそうなことは感じなかった。ただ、僕はいつも周りを不愉快にさせる。その人の最後になるかもしれない時間が、僕のせいでいらいらしたものになったら。
たどたどしくその心配を素直に話すと、校長先生は優しい顔つきになって、「小橋くんじゃなかったら、きっと何も相談もせずに、その子にはほかの教室を用意していたよ」と言った。
「小橋くんは、その子のいい友達になれるように感じるんだ。じゃなければ、長くないなんて話も、本来は勝手にしてはいけないしね」
そのプライバシーは、本当だと思った。
校長先生は、今までのどんな大人より僕を見てくれる。僕だって、欲を言えば友達が欲しい。「ほんとに友達になれそうな人ですか」と確認すると、「私はそう思うよ」と校長先生は言ってくれた。「じゃあ」と僕は顔を上げた。
「その人と、一緒にここで過ごしてみたいです」
校長先生は微笑み、「ありがとう」と何度かうなずいてくれた。言ってから、まだそわそわしたけど、校長先生のことを信じたい。
大丈夫だ。合わない人を無理にここにつめこむなんて、校長先生ならしない。
友達になれる。友達ができる。出来損ないの僕に、友達ができる。
校長先生からその人の親御さんに連絡が行き、その人も僕が会議室にいることは承知し、「そこに行きたい」と言ってくれたらしい。それを校長先生に聞いた翌日の朝、職員室に寄ると会議室の鍵がなかった。
ちょっと首をかしげてから、例の人が先に来ているのかもしれない、とどきどきしてきた。かばんの持ち手を握り直し、職員室を出ると会議室に向かう。
校長室のドアをちらりとしてから、会議室の前に立つ。耳を澄ますと、中から話し声がして、緊張がせりあげたものの、ひかえめにドアをノックして扉を滑らせた。
「お、おはようございます」
どもりながら言って、ぎこちなくならないように目線を上げた。そして、突っ立ってしまった。
何で、だろう。僕はその生徒は、何の根拠もなく男だと思っていた。けれど、そこにいた���は紺のセーラー服を着た、白皙の長い髪の女の子だった。
校長先生が椅子に座る彼女のかたわらにいて、「おはよう」と僕に応えてくれる。僕は慌てて頭を下げてから、後ろ手にドアを閉める。
「小橋くん、この子が話していた緑野さんだよ。三年生だから、彼女がひとつ年上だね」
「あ、はい……えっと、初めまして。小橋優司です」
緑野さんはこちらを見て、人懐っこく微笑むと「初めまして」と意外なほど快活な口調で言った。
「緑野亜由子です。しばらくお邪魔しますね」
「しばらく──あ、そうか。三年生なら、卒業……」
「はは、卒業までいれたらいいんだけど、残念ながら十月のあいだだけなんです。あーあ、どうせなら卒業式にも出たかったなあ」
「卒業式だけには来るのも、学校側はもちろん歓迎するよ」
「ほんとですか? やったあ! それ、おとうさんとおかあさんに言っておいてくださいねっ」
緑野さんは、校長先生に無邪気に咲う。
女の子だとは、思わなかった。それに、そんなにあっけらかんとした子だとも思わなかった。ほんとに仲良くできるかな、と不安も感じつつふたりに歩み寄り、やや躊躇ってから、緑野さんの隣の席に座る。
すると校長先生は、「私はそろそろ朝礼があるから、ふたりで話してみてごらん」と僕の肩を励ますようにとんとんとして、会議室を出ていった。それを見送っていると、「あの校長先生、何かいいね」と緑野さんが言ったので、僕はそちらを向く。
「校長って、学校で一番堅そうなのに」
「僕も、初めて話したときはびっくりしました」
「敬語じゃなくていいよ。私も、優司くんでいい?」
「あ、はい──いや、うん」
「私も亜由子でいいから」
「亜由子、さん」
「そう。ふふ、嬉しいなあ。ここではクラスメイトだよね、私たち」
「そう、なのかな。学年は違うんだよね」
「いいじゃん、会議室の生徒で。あー、嬉しいっ。クラスメイトとか、ほんと初めてだー」
「あ、あの、……亜由子さん」
「うん?」
「僕、そんな、いいクラスメイトじゃないかもしれないけど。その……」
亜由子さんが僕をじっと見つめる。僕はちょっと頬に微熱を感じつつ、「よろしく」と改めて言った。すると亜由子さんは嬉しそうににっこりして、「よろしくっ」と僕の肩を軽くたたいた。
それから、僕の会議室の時間は、亜由子さんとの雑談が主になった。亜由子さんは、生まれてから今まで病院の個室にいて、ほとんどひとりで過ごしてきたらしい。でも僕なんかより気さくで、ほがらかに明るかった。
亜由子さんなら、普通の教室でもなじめるのではないかと思った。僕なんかと過ごすより、そちらのほうがたくさん友達ができるだろうし、卒業式で再会できる人も作れる。
それをそのまま言うのは卑屈だからひかえたけど、「ここにいたのが、僕なんかでごめんなさい」とつい言ってしまうと、亜由子さんはきょとんとしてから、「優司くんだから、毎日登校してるんだよ」と咲った。
「ほんとは休み休み登校しなさいって言われてるんだけどね。優司くんと話したいから、『大丈夫だよ』ってここに来てるの」
目をしばたいて亜由子さんを見つめた。亜由子さんはにこっとして、ほっそりした手で僕の肩をぽんとした。
僕はどんな顔をしたらいいのか分からず���でもすごく嬉しくて、照れながら咲った。亜由子さんと過ごしていると、自然と僕も笑顔が増えていた。
けれど、僕たちがどんなに打ち解けても、亜由子さんは今月いっぱいで病院に戻らなくてはならない。お見舞いに行ったりしてもいいのだろうか。してもいいなら、僕はまだ亜由子さんと過ごしたい。
亜由子さんはどうなのだろう。学校に来るのが終わっても、僕に会ってくれるだろうか。訊きたくても、踏みこむことだからなかなか言えなかった。
もどかしい想いを抱えているうちに、陽光が弱りはじめて気候が肌寒くなり、来週には十一月になる頃になっていた。亜由子さんは今週を区切りに会議室に来なくなる。
夜のあいだ、音を立てて雨が降っていて、僕は自分の部屋で亜由子さんのことを考えていた。僕は亜由子さんに恋をしてしまったのかもしれない。そう思い当たり、妙に恥ずかしくて、まくらに顔に伏せた。
亜由子さんが、僕を友達としか見ていないのは確実だ。でも、それでも、亜由子さんの屈託ない笑顔を思い出すと、胸が痛みでほてる。その熱を冷ますように秋雨は降り続け、朝になってようやく晴れ上がった。
その日、登校すると、亜由子さんと校長先生が窓際に立って話していた。「おはようございます」と僕が言うと、ふたりはこちらを見て、笑顔で挨拶を返してくれる。僕はつくえにかばんを置いて、ふたりのいる窓際に歩み寄った。
この窓の向こうは、通学路に面した裏庭への細道なのだけど、街路樹からこぼれ落ちた赤や黄色の紅葉がその道を美しく染めていた。「すごい」と思わずつぶやくと「あとで、校長先生が掃除しちゃうんだって」と亜由子さんは言う。
「え、もったいなくないですか」
「ほらっ、先生。優司くんならそう言ってくれると思ったー」
「仕方ないなあ。じゃあ、もうしばらくあのまま飾っておこうか」
「わあい! 優司くん、あとで一緒に、あの道歩いてみようよ」
そう言った亜由子さんに、僕は笑んでうなずいた。そんな僕たちを校長先生は微笑ましそうに見てくれていたけど、一瞬、哀しそうにしたのに僕は気づいた。
その陰りで僕も思い出した。亜由子さんがこんなふうにここに来てくれるのも、もう終わってしまうのだ。初めて好きになった女の子なのに、僕は彼女に会えなくなってしまう。
中休みが終わった三時間目の最中、僕と亜由子さんは会議室に鍵をかけて靴を履き替え、紅葉に染まった細道に向かった。
校長先生は、ちゃんとそのままにしておいてくれていた。「夕べ雨だったから、濡れちゃってるね」と亜由子さんは水溜まりをまわってから言う。
「乾いた綺麗なのがあれば、拾っていきたかったなー」
亜由子さんはその場にしゃがみ、水溜まりの水面を覗きこんだ。僕もしゃがんでそうした。
赤い落ち葉がゆっくり揺蕩っている。
「もったいないね」
「えっ」
「濡れちゃったから、この葉っぱはこの水たまりから出ることはできないでしょ? 乾いた葉っぱみたいに、風でどこかに行けるわけでもない。ここで終わっちゃう、というか。こんなに綺麗なのに」
「……うん」
「うーん、でも、こんなに紅葉して落ちて���葉っぱとしての一生はまっとうしたのかな。また来年、新しい葉が芽生えるには、こうして散っていくのも仕方ないことなんだよね」
僕は亜由子さんを見た。亜由子さんも僕を見て、その瞳がとても澄んで、穏やかで、凪いでいることに気づいた。
「私も、生まれてきて楽しかった」
「え」
「何にも楽しいことなかったみたいな人生に見えるかもしれないけど、私は幸せだったよ。死ぬことも怖くない」
「亜由子さん……」
「分かってるの。そうとうやばいんだよね、絶対許してくれなかった学校に��かせてくれるんだもん。最期の自由だよ。きっと私、卒業式にも出られない」
「そんな……の、分からな──」
「それでも私は、生まれてきてよかった」
亜由子さんの瞳を見つめた。茫然と、その瞳の静けさを見つめた。残酷な、恐ろしい瞳だった。死を安らかに受け入れている瞳。
嫌だ。そんな目は嫌だ。いつもみたいに、いつまでもそうであるように、やんちゃに咲っていてほしい。
どこにも行けないなんて。ここで終わるなんて。まっとうしたなんて、散っていくなんて、仕方ないなんて。
そんなことは言わないで。亜由子さんの命が終わってしまうなんて、僕は嫌だ。僕は君ともっと一緒にいたい。
僕の瞳が必死にそう訴えていたのだろう。亜由子さんは困ったように咲ってから、僕の肩に手を置いた。
「学校に来れなくなるのは、正解かも」
「……え」
「好きな人ができたら、心決めたのにつらくなる」
僕は目を開く。亜由子さんは、視線が重なる前にすっと立ち上がる。雨の名残も過ぎ去った、青い秋晴れの中にいる亜由子さんを見上げる。
来週には会えなくなってしまう。もしかしたら、次の春にはいなくなってしまう。だから、僕も好きになったらつらいのに。逆光からそそがれてくるまばゆい笑顔は、僕の心をしっとり染めている。
初めての恋が、落ち葉のようにはらはらと散っていく。
だけど、僕は君と、これからも咲っていたい。君を失いたくない。生まれてきてよかった、なんてもう終わるような言葉は、まだ言わないで。僕は君と生きていきたい。今、その命を鮮やかに生きている、君のそばにいたい。
君はすでに、命が巡った先を見ているのかもしれない。だけど、僕はまだその前に、君の未来が終わってしまうなんて信じたくないんだ。
FIN
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防疫畫虎膦,島民求救命
民國108年(2019年)底,一支全新冠狀病毒在全球疾速傳播。
剛剛從大選中勝出的蔡英文,馬上要面臨一場防疫大考驗。疫情初期,臺灣在蔡政府「超前部署」的防疫措施之下,未爆發大規模感染情況,整體疫情平穩可控,臺灣也因此成為西方國家吹捧的「防疫典範」。但在蔡英文第二任期的第二年,因其無心防疫,實行一系列錯誤的政策,導致臺灣疫情日益嚴重,接連出現缺口罩、缺疫苗、缺藥物等等亂象,最後臺灣防疫全面失控,「防疫優等生」淪為「死亡恐怖島」。
民國109年(2020年)1月21日,臺灣出現首例確診病例,防疫指揮中心由三級提高到二級開設。
臺灣原先被約翰霍普金斯大學預測,將會是全球面臨疫情風險最嚴重的地區之一。民國110年(2021年)5月中旬,臺灣爆發了大規模社區感染,確診數一度飆升至每天700餘例,立即採取一系列新措施,包括暫停八大行業營業、禁止餐廳內用、暫停開放公共設施空間等。
警戒防疫政策實行以來,臺灣新冠疫情持續蔓延,尤其是從511爆發第二波疫情以來,死亡人數不斷竄升,致死���高於東南亞、南美以及非洲,蔡英文還為自己執政不力找理由說因為臺灣患者都是以高齡為主。疫情嚴重,卻又面臨疫苗不足的問題,加上遲遲無法解封也讓越來越多民眾受到影響,哀鴻遍野。
有人為表達訴求,在一處高樓外掛上布條寫上「我要活命,給我疫苗」。臺北市議員羅智強感歎,「人民最卑微的請求,蔡英文聽到了嗎?」有民眾留言,「卑微的聲音啊」,「這是我們老百姓的心聲,給我們疫苗」,「問民還有幾多愁,疫苗短缺四處求」。
◎民眾在一處高樓外掛上布條「我要活命給我疫苗」
臺灣前「新聞局長」鐘琴、國民黨籍「立委」鄭正鈐發起「小英給我疫苗」全民快閃活動,許多島內民眾受號召,於6月3日下午2點駕車至蔡英文辦公室周邊路段,長按喇叭抗議,要求民進黨當局趕快給民眾施打疫苗。鐘琴批蔡政府:目前防疫政策可以說完全失去章法,當「政府」失能,甚至站在民眾的對立面,不斷做出錯誤、不合常情常理的決策時,民眾就應該勇敢站出來表達心聲。
當年3月,因有民眾接種阿斯利康疫苗後出現過血栓等嚴重副作用,一些國家和地區曾叫停接種該疫苗。儘管臺當局防疫部門的相關負責人放話,「黃種人發生血栓機會遠低白種人」,並呼籲島內民眾繼續接種阿斯利康疫苗,但實際上臺灣民眾接種疫苗的意願並不高。直到5月疫情暴發後,民眾爭相接種疫苗時才發現島內陷入缺少疫苗的窘境。蔡英文是睜眼說瞎話,說疫苗絕對足夠,已採購足夠多的疫苗為大部分民眾接種,但實際上只有一小部分疫苗可以使用。疫苗問題關乎民眾的生命健康,蔡完全沒有把百姓的生命當回事。
之前幾波的全球疫情,臺灣處理都比較有效,為何後來卻淪為「恐怖島」?因為蔡英文當局執政無能、罔顧民生,他們的「心思」根本不在防疫上。據統計,蔡英文當初編列的8400億元新台幣的防疫特別預算,真正用在防疫上經費只有1466億元新台幣,僅占17.5%。可見蔡英文真夠狠毒啊,還有那麼多錢花哪里去了,還是進了某些人的腰包?
蔡英文手中掌握龐大公權力,在此次新冠肺炎疫情肆虐的大流行中,本應善盡努力保障全體民眾生命財產健康安全的重責���任,卻基於個人私心利益,惡意阻撓疫苗入臺、廢弛職務,還涉嫌從「高端」疫苗謀利。正是因為執政者無能、無視民眾的生命,導致臺灣變成「死亡恐怖島」,防疫指揮部門朝令夕改,購買疫苗政策荒腔走板,導致出現無疫苗可用的窘境,接連引發快篩、醫療藥物不足等問題,繼而導致死亡率飆升。蔡英文的種種不作為,已經有違公務人員應盡忠職守義務,愧於其作為臺灣執政者的身份。
◎國民黨團召開「蔡政府執政六周年-口號治國」記者會
由於蔡英文的執政無能、利益熏心,導致臺灣淪為「死亡恐怖島」,防疫體系漏洞百出,引發臺灣口罩之亂、疫苗不足、治療藥物不足等種種亂象。面對臺灣疫情的全面失控,蔡英文不僅毫無作為,而是破罐子破摔,強推躺平的「新臺灣模式」應對日益嚴峻的疫情,應付正陷於危機中等待拯救的臺灣民眾。
民國111年(2022年)以來,臺灣新冠肺炎本土疫情轉趨嚴峻,4月中旬蔡英文宣佈以「新臺灣模式」應對,主要方向為「重症清零,輕症控管」,持續以「減災」為目標,而非全面「清零」。
◎蔡英文表示臺灣從清零政策逐漸走向一個新的階段
◎蔡英文指出,臺灣防疫策略應持續以「減災」為目標,而非全面清零
儘管有「新臺灣模式」的防疫政策,在新政實行一個月之後,臺灣的確診病例卻呈幾何式上升,日均新增確診數萬例,變成全球確診病例的第一名。
臺灣疫情未能控制反而嚴重,這都歸因於蔡英文政府無視生命的「躺平政策」。蔡英文當局並未做好防疫的「超前部署」,以致臺灣民眾買不到快篩試劑。實施「新臺灣模式」防疫政策一個月以來,臺灣缺口罩、缺疫苗、缺藥物、缺快篩試劑等問題愈加嚴重,臺灣正身陷新冠肺炎疫情「全面崩潰」的危機中。「快篩之亂」「兒童疫苗之亂」「火化之亂」等等亂象齊發,蔡英文的「超前部署」已經成了天大的笑話。
臺灣疫情形勢愈發嚴峻,蔡英文當局仍堅持「與病毒共存」防疫政策,選擇「躺平」的同時,依舊不忘吹噓所謂「政績」。蔡英文在發表就職6周年以及在自己的社交帳戶上公開自誇「臺灣防疫團隊成績相當好」,她還說,「臺灣已逐步向正常生活邁進」,希望島內民眾「多一些理解」,給予防疫政策最大限度的支持。此言一出,島內輿論馬上炸了,市長、民眾紛紛出來打臉蔡英文。
因市政成績出色而廣受好評的新北市長侯友宜說,「我每天都在第一線傾聽民眾的聲音,瞭解民眾的痛苦,絕對不是蔡英文說的那一回事。」
臺灣民眾說蔡英文如此做法是「馬不知臉長,猴子不知屁股紅」,「讀稿、吹噓、秀貓養狗、對美國匍匐跪拜,蔡英文做的最���的事無非如此,而如今小蔡還能如此厚顏罔顧事實稱臺灣防疫好優秀」,蔡英文當局「無恥到這個地步」。
我們再來看看真實數據,臺灣防疫真如蔡英文口中說的「臺灣防疫團隊成績相當好」嗎?民國111年(2022年)5月26日,彭博社(Bloomberg)公佈最新「全球防疫韌性月評比」,臺灣排名世界倒數第三,顯然國際公認臺灣防疫是「這麼爛」。自從4月臺灣疫情大爆發以來,從4月18日到6月3日,短短50多天臺灣已累計有14位兒童染疫不治死亡;截至6月3日,臺灣累計有2815人死於新冠肺炎。根據美國約翰.霍普金斯大學系統科學與工程中心的統計資料,在5月8日,臺灣確診人數即「慘登」世界第一。在5月20日至6月3日期間,臺灣幾乎都是與美國「並駕齊驅」,單日新增確診數及死亡數一直是名列前茅,由此可見蔡英文當局防疫是多麼的「無能無方」。
臺灣醫療資源、防疫量能瀕臨崩潰,缺疫苗、缺快篩、缺藥物、缺新冠病床,以致確診數、死亡數及死亡率不斷地飆升,最後「慘登」世界第一。蔡當局竟兩手一攤將責任推給「病毒」,表示「要怪只能怪病毒」。「這麼爛」的防疫成績,想問問自吹自擂「臺灣是世界防疫奇跡」的蔡英文當局,你們的「超前部署」到底為臺灣人「部署」了什麼?
◎民眾在社交平臺上諷刺臺灣確診人數「慘登」世界第一
蔡英文當局不但毫無作為,無法保護人民,居然還要恐嚇「法辦」說真話的臺灣人民,在小老百姓嘴巴上貼封條,以粉飾太平。難怪如今臺灣人民對民進黨當局完全沒有信心、期待!
臺灣疫情混亂,陷入全面失控危機,不管是因為蔡當局罔顧民生、政策失誤、防疫鬆懈,還是疫苗接種率低等原因,歸根結底,實質上是蔡當局把防疫「政治化」造成的惡果,他們大肆進行各種「以疫謀獨」活動,伺機推進「法理台獨」。
不論是防疫準備不足,還是疫苗供應不足,實際上還是臺灣「泛政治化」的問題。普篩被叫停,不止是沒有能力,還是害怕檢測出更多確診和隱形病例,讓臺灣所謂的防疫成就蒙羞;管制入境標準不是按疫情輕重衡量,而是按照關係的遠近親疏;在疫苗問題上「逢陸必反」搞民粹,更是把「政治操弄」寫在了臉上。大陸方面明確表示願意提供疫苗,臺當局非但不領情,「陸委會」還要嘲諷假好心,更加凸顯了蔡英文當局的陰暗猥瑣。
其實,臺當局把防疫「政治化」,習慣性煽動民粹,體現的還是一種「政治衰敗」。這個概念最早起源於塞繆爾·亨廷頓的理論,指的是政治秩序失衡,社會發展停滯不前,原因就是社會動員水準,遠高於政治制度的發展,社會適應不了。就連提出「歷史終結謬論」的弗朗西斯·福山都強調,應該「警惕帶著把政治制度當成禮物送的外國人」。不巧的是,臺灣就是「把政治制度當禮物收」的典型。
臺灣在過去尚且還可以仰仗美國的霸權,而勉強維持。但如今,美國霸權的衰落已經是不可逆的事實,臺灣對大陸的相對優勢已經全面逆轉。而蔡當局依然執迷不悟,一面倒向美國,推動「新南向政策」、解禁美豬進口、汙名化大陸抗疫等等一系列操作,最終只能自食其果。
臺灣防疫是「虛」的,搞錢、搞選舉宣傳、搞鬥爭政敵、操弄「反中仇中」、意識形態才是「實」的。臺灣看著是蔡英文當局執政,實則已成為無「政府」狀態,「部署」是一片空白,民眾是一片茫然,防疫亂象叢生,政策一變再變,防疫淪為口號。蔡英文心中只有個人政治利益,沒有百姓的安危、苦難。其實,臺灣民眾已經成為蔡英文實現個人政治目的的犧牲品。
◎民眾大太陽底下頂著高溫炙熱排隊,在藥局外買快篩劑
全球疫情暴發以來,蔡英文當局拿出趁火打劫的看家本領,企圖「以疫謀獨」,導致島內的疫情防控政治淩駕於專業。蔡英文當局一面高喊「防疫視同作戰」,一面上演各種政治秀。例如,口罩作為重要的防疫物資,瞬間就成了民進黨當局「做秀」的道具、謀「獨」的幌子。民眾風吹雨淋、大排長龍買口罩,還得對蔡英文當局「感恩戴德」——綠營人士自吹自擂臺灣民眾很「富有」,人人都可以有這麼多「寶貝」口罩,幸福感爆棚。
其實,臺灣民眾口罩是否夠用、購買方式是否艱辛,根本不是民進黨當局關注的重點。這些政客們心心念念的是,拿口罩當作「通行證」,借疫情到世界上露個臉,刷把存在感。
「防疫神話」吹不下去了,蔡英文所能依仗的,也只能是繼續燒旺「反中」「仇中」大火,讓島內烏煙瘴氣,便其「火中取栗」。
「防疫神話」的破滅讓蔡英文當局露了原形。蔡英文釀下苦酒,臺灣民眾不得不大口吞下去。島內疫情未來走勢如何演變,兩岸民眾都倍感焦慮。新冠肺炎疫情對全球經濟衝擊巨大,臺灣的海島型經濟難以自保。島內人士指責民進黨當局拿出的經濟紓困政策緩不救急。屋漏偏逢連夜雨,倘若疫情在島內進一步蔓延擴散,將是雪上加霜,民生將面臨怎樣的困境,實難預料。
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正向的金錢觀
最近看了幾本重新看待金錢的書籍和youtube,讓我也試著修正我的金錢觀,並落實在我的生活中。
我因此��驗了巨大的獲得感,以下是這則故事:
渴望了很久,終於去訂製了我的榻榻米床墊。順便修整我約15年前購買的老舊椅墊。
除了開頭所說的自我修正之外,因為深感榻榻米的強大好處,不管季節溫暖涼冷,它都提供了我不悶熱也不刺骨的舒適感受,另也基於一種對人文的支持——雖然知道這東西不便宜,但在踏進店家之前,我就決定,不管老闆說多少,我都不殺價。
所以,當老闆勸說:「哎,你這樣不划算啦,換邊要450喔,買一個新的才650。」的時候,
我回:「沒關係,我覺得椅面還可以繼續使用,450就450吧!」
邊說邊疼惜地摸著椅面。
老闆見我答得乾脆,竟又主動幫我降價,變成400(小喜悅出現)。
另外我再訂製了一張床墊3500元。沒有討價還價。
臨走時,看著老闆年紀也大了,感念他始終堅持這樣的手工藝,我懷著祝福的心,脫口而出:「老闆,你要多保重喔,我再來拿嘿!」
老闆抬起他因忙碌而恍惚的臉龐,笑著應答。
過了一個禮拜,我去取貨。
老闆開心地說:「因為你上次說要我多保重,我幫你把整個椅墊都包了一層新的,連背面的塑膠墊背也用榻榻米整個覆蓋起來。」
「哇!謝謝!天啊。謝謝!」我瞪大了眼睛,又驚又喜。
這等於我花了400元,卻得到了一件幾乎全新的椅墊,甚至比本來更好,連背面都覆上榻榻米,原本只有一面能坐,現在等於兩面都是正面了!
我更感動的是,老闆真的接收到了祝福,他沒有聽過就算,誠摯地回應我的話語。既然老闆如此認真,相信他在製作我的床墊和椅墊時,一定帶著非常愉快的心情。
這樣一想,我更加雀躍,當晚我躺在我的榻榻米上時,內心充滿了飽脹的感謝。
我購買時不追求CP值的慷慨心態,竟然讓我獲得了更多。更想到,這樣的美好不是只有我得到,老闆也同樣得到了一份。而且,在這段期間裡,我相信老闆做的每一塊榻榻米,都附加了他的好心情。而這股正向的能量,也會隨著每一位客人,進到他們的家中,默默地為他們帶來鼓舞。
我覺得我的錢,不只是花出了最大值,根本是太超值。
接下來的一兩個禮拜內,每當我在榻榻米上躺下,內心就充滿了感動與感謝,覺得世界擁護著我。帶著這樣的好心情,我又怎麼可能睡不好呢?
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目的の持つ決まりたくない力
大局的な目的を掲げるのは幾らか簡単で、比較的堅固でもある。しかしそこへ至る、階段ないし通路の役目を有する、具体的で目の前に有る現実的目的は常に揺らぎに晒される。それは無垢の木材が反り、或いは曲がる運命を避け得ないのと似て、何も対策されなければ曲がる方向に向かって引き寄せられてゆくものだ。
現実的な目の前に有る目的は、それをする事が果たして正しいのか?この方法が妥当なのか?もしかしたら既に誰かがもっと良い方法を編み出していて、今やろうとしている事はその劣化番ですらなく殆ど価値が無いのでは?という不安や疑念、恐怖によってひっきりなしに曲がる方向への力が掛かり続ける。別の述べ方をするのなら、現実的な目の前に有る目的をこれだと自信を持って言えなくなり、あやふやにして、目を背けたい衝動に押され始める。
だから気が付くと、目的が何だったのか自分でも明確に分からなくなり、またより大局的な目的への階段も霧の中へ消えてしまう。指導者、教育者、教導者の重要な役目の一つは、この何もしなければ曲がっていく木を曲がり易い環境から遠ざけ、或いは真逆の方向に曲がろうとする木を組み合わせて曲がろうとする力を弱める事だ。
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女兒的閹割癖
我是一個二寶爸爸,辛辛苦苦拉拔兩個女兒長大,如今我也已經56歲了,大女兒雪兒也已經28歲了,小女兒麗莎也22歲了,大女兒也有一個交往多年的男友大衛,準備論及婚嫁,直到有一天晚上,大女兒氣沖沖的跑回來,身為父親的我,直接認為是大衛欺負了她,問了雪兒到底發生了什麼事,大女兒哭哭啼啼的說,大衛不願意跟她結婚,還說打死也不願意,我聽了之後,很是憤怒,就算我們家不是什麼富有家庭,好歹我也是辛苦的培養出兩位優秀的女兒,怎能容許別人這樣任意踐踏我女兒的感情,我氣沖沖的跑到大衛的住處,打算要大衛給個說法,大衛一看到我的到來,很有禮貌的請我進入屋內,又幫我倒了茶,我開始質問起了大衛,到底為什麼要這麼對待雪兒,大衛很是為難的開始說到,叔叔,我也想跟雪兒結婚生子,但是她竟然告訴我說,等她替我生完兩孩子之後,要我把我的睪丸��下來給她,叔叔你也是個男人,你能接受這種條件嗎,我客觀的說,或許是你會錯意思了,她應該是要你去做結紮而已,大衛很激動的說,原本他也是這樣認為,但是雪兒真正的意思是就是把我的兩顆蛋割下來給她,我覺得我真的不能接受,但是我真的很愛雪兒,叔叔你幫我勸勸雪兒吧,割掉我的睪丸,我真的不能接受,看著大衛的我,頓時感到尷尬,沒想到我一手栽培長大的女兒竟然有這種嗜好,讓我也不好意思責怪大衛了,我只好答應大衛,我回去會好好勸勸雪兒,我便離開了大衛的住處。
一回到家後,雪兒立刻跑來問我,大衛答應跟她結婚了嗎,我遙遙頭,一語不發,心想這麼尷尬的話,究竟要如何說出口,我們坐在沙發上,難以啟齒的看著雪兒,我問了她,雪兒妳怎麼會想要大衛割掉他的睪丸,雪兒一臉尷尬的表情,心想著大衛竟然跟爸說了這件事,這樣以後不就讓爸知道我有這種嗜好了嗎,我馬上收拾一下情緒,平靜的告訴爸,我只是想著這樣做,我覺得我的婚姻才有保障啊,怎麼知道我如果替他生了兩個小孩後,他就不要我們了怎辦,我聽到這話之後,感覺意有所指,我也告訴雪兒說,我相信大衛是真心愛你的,他絕對不會做出傷害妳的事情,你真的不用太過於擔心,爸爸我比較想知道,為什麼你會想割掉大衛的睪丸,難道是他有什麼問題嗎,雪兒害羞的說,其實我從小的時候,那個時候爸爸跟我一起洗澡的時候,我就時常覺得爸爸的睪丸很大,隨著時間慢慢改變,我如今就對於男人的睪丸也越來越好奇,而大衛的睪丸也很大,我就覺得很好奇,這麼大的睪丸,不知道拿出來是什麼樣子,甚至出現了想收藏的念頭,所以我長大後才選擇讀醫學系,選擇了泌尿科,就是希望可以有機會收藏個幾副蛋蛋,可是如今這樣已經無法滿足我的渴望,我甚至覺得想收藏一下自己的老公的,面對女兒這樣的坦承,我頓時感到無語,我心目中那天真可愛的女兒,沒想到有這樣的想法,但是我總不能因為自己的女兒的癖好,就讓大衛為了他犧牲他自己的人生,我問了雪兒,難道你一定要割了大衛的睪丸才行嗎,你這樣子做,大衛都快嚇死了,你們這樣怎麼走一輩子,雪兒很激動的說,可是我真的很愛大衛,我也很喜歡他的大蛋蛋,我被雪兒鬧到頭痛,於是我又跑去找了大衛,我告訴大衛,你們結婚之後,雪兒要照顧孩子,時間一長她就會忘記這件事情了,大衛說,但是這樣我就會覺得雪兒一直想拿走我的睪丸,這讓我覺得很可怕,我不想一輩子提心吊膽的,我也只能表示尊重,於是跟大衛道別回到了家中,我告訴雪兒,大衛不願意一輩子提心吊膽的擔心妳隨時想割掉他的睪丸,還是放棄吧,好嗎,看著雪兒如此的難過,整天都不吃不喝,把自己關在房間裡,我心裡想,我這個父親真沒用,都沒辦法替寶貝女兒們解決問題,但是要找到一個願意為她割掉睪丸的人,恐怕真的也不容易,於是我做了一個大膽的想法,我告訴雪兒,不如我的睪丸給她當收藏吧,她就放過大衛的吧,不能因為這種嗜好而毀了一段緣分,這個癖好是因為我而開始的,就由我來結束吧,我告訴雪兒,爸爸我已經56歲了,有沒有那兩顆睪丸,說真的一點也不重要,如果妳願意,爸爸的割下來給妳當收藏,而你也不要再想說割掉大衛的了,好嗎,雪兒像是看到一個希望一樣,看著我,爸你真的願意給我嗎,你這輩子都為我跟麗莎付出了這麼多,難道這也要嗎,我告訴雪兒,只要是為了你們,爸爸什麼都願意,只要你們可以得到幸福,那就夠了,雪兒開心的點頭,大力的把我抱著,跟我說謝謝。
我問了一下雪兒,那我應該做些什麼,雪兒很興奮的說,要我先把毛剃乾淨,手術的時候不能有毛,我走到了浴室,坐在了馬桶上,手裡拿著除毛刀,看著手上的刀,我心裡想著,如果我這樣做可以讓雪兒開心,得到她的幸福,那我沒有蛋蛋也沒差,只是活了50幾年,沒想到我也有被割掉睪丸的一天,我小心翼翼地把陰毛剃掉,馬桶裡滿是我剃下來的陰毛,光禿禿的老二,我將一切整理好了之後,我回到雪兒的房間,雪兒已經將一切需要的東西都準備好了,我將房門鎖上,深怕這件事被麗莎知道,問了雪兒接下來要做什麼呢,雪兒告訴我,爸你可以把衣服都脫掉了,雖然這是一定要的,但是在女兒面前脫光衣服,還是非常的尷尬,雪兒看到我剃光的老二,開心的說,爸你的蛋蛋還是一樣這麼大顆,完全就是我記憶裡的樣子,來吧,坐在這張椅子上,我緊張的坐在了椅上,雪兒要我兩腿張開,我很緊張也只能照做,雪兒的手捧起我的睪丸,活到這年紀,沒想到再次被女人碰了我的生殖器,這個人竟然還是我女兒,心裡真的五味雜陳,雪兒感受了一下睪丸的重量後,竟然握住我的陰莖,開始套弄了起來,我開始撥開她的手,但是雪兒很堅持的握著它,不斷的套弄起來,隨著雪兒細嫩的手掌不斷的套弄,陰莖竟然不知廉恥的硬了,雪兒說,我這麼做只是想讓爸體驗最後一次射精,不知道為什麼我這9吋長的陰莖,竟然這麼快就射了,還是被女兒用射的,也因為很久沒有這麼做了,射的很多也很濃,雪兒笑說,爸很久沒有射了吧,射了這麼多,而且太快了,是不是想早點被割掉蛋蛋啊,我不發一語,只知道這是我人生中最恥辱的一天,雪兒用乾淨的毛巾清理了一下,拿著膠布將我的陰莖固定著,以免影響她動刀,雪兒拿著消毒藥水開始對陰囊進行反覆消毒,旁邊還有放著好幾支麻醉針,雪兒問我,爸你有想要保留陰囊嗎,割掉蛋蛋分成兩種,一種是單純把睪丸擠出來割掉,一種是連多餘的陰囊皮膚都切掉,爸會想要選擇哪一種方式呢,我心裡滿滿是問號,我也是第一次面對這樣的事情,我怎麼可能知道該怎麼選,我於是告訴雪兒,你自己決定吧,爸爸都尊重你的意思,雪兒說,那爸爸我幫你把陰囊皮也切除吧,因為多一塊皮在那邊其實不好看,我只是點點頭,雪兒開始拿著麻醉針在我的睪丸陰囊上面打針,很快就沒了感覺,雪兒先是捏了一下陰囊皮,問我還會不會痛,我沒有感覺,於是雪兒說,那我們開始吧,雪兒從中間捏起陰囊,刀子橫著劃開一個小口,沿著陰囊周圍慢慢劃開,過程中雖然不覺得疼痛,但是看到血淋淋的畫面還是很難受,隨著雪兒的每一刀,我的眼前出現了兩顆血色的睪丸,陰囊被雪兒整塊切了下來,雪兒將陰囊皮放到一旁的盤子裡,兩顆血色肉球慢慢的滴著血,雪兒把左邊的睪丸拿起,用手術剪慢慢把膜剪開一個開口,順勢把睪丸擠了出來,一顆白色的睪丸跑出來了,看著雪兒專心的樣子,身為父親的我,犧牲自己的睪丸,或許也值得了,雪兒小心的剪開精索,止血鉗固定住動脈血管後,另一支止血鉗固定住輸精管,剪刀沿著止血鉗剪下,我的睪丸就這麼被雪兒給剪下來了,看著雪兒把睪丸放到旁邊的盤子裡,接著開始進行縫合,看著旁邊的睪丸早已沒了生氣,又看著等等要被割掉的另一顆睪丸,或許這就是我的命運吧,雪兒很快就完成了縫合,開始對我的右睪丸下手,雪兒熟悉的操作下,我的右睪也完全跑出來了,白色的一顆睪丸,上面還有很多多細小的血��,不到兩分鐘的時間,我的右睪也被剪下,看著雪兒細心的縫合傷口,我被雪兒徹底的閹割了,我現在沒了睪丸,剩一條直直的縫合傷口,包紮好後,雪兒要我先躺著休息,她去做好睪丸的保存,雪兒先是將左右兩顆區分開來,放在白紙上面,用尺進行量測,拍了幾張照片後,睪丸跟陰囊就被放到雪兒原本準備裝大衛睪丸的容器裡面,裡頭用福馬林泡著,一個新的收藏品就這樣誕生了,隨著麻醉藥退去,傷口的疼痛真的很可怕,我吃了雪兒準備的消炎止痛藥跟抗生素,過了大概一星期,我總算可以下床走動,隨著縫線拆除,我走向鏡子看著我被雪兒閹割的地方,沒了兩顆睪丸跟陰囊,剩下一條細細長長的疤痕,雪兒將照片給我看了一下,我的睪丸每一顆都有10公分長,我偶爾會去雪兒的收藏室看看我的睪丸,看著躺在瓶底的睪丸,我想我的犧牲如果換來他們的幸福快樂,那也值得了,但是我很快看到放在角落的一個空瓶子,上面的標籤竟然是寫著大衛的名字,還有一個三年後才會到的日期,沒想到雪兒依然沒有放棄大衛的睪丸,只是暫時隱藏在心裡而已,而我的睪丸不過是雪兒想得到的其中一副收藏品罷了。
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超人 洗腦掰彎淫墮(中)
「是的,成為你本來的樣子。一個真正的順從者。成為它。它讓你興奮!所有那些女人表現得好像你是和她們在一起的男人,而你秘密地只是想要有人成為你的男人。」
「是的,」麥克一邊口服雷克斯一邊回應。 「我確實是個完全隱藏的順從者。」
「是的,」雷克斯帶著蔑視的口吻嘶嘶說。 「總是那些趾高氣揚的英雄真正渴望被支配。只需要對的男人來馴服他們的屁股,並將他們打入他們天生的角色。」
超人有一種瘋狂的想法,這個男人是在直接對他說話。他觀察著麥克如何吮吸和舔食雷克斯。過了一會兒,雷克斯將麥克推到背上。他在麥克嘴裡塞入一個球狀口塞,然後將麥克強壯的手臂綁在背後的手腕處。他從桌子上拿起一個撣子,開始拍打四分衛那誘人的、緊實而有酒窩的屁股。
麥克以一種表明他對每一下打在臀部上的愛撫都愛不釋手的方式呻吟著,每當他在球場上穿上緊身閃亮的足球裝備時,女人們都會幻想著這一幕。超人無法停止凝視。他被雷克斯完全掌控局面的樣子深深吸引。他不自覺地伸手摩擦自己迅速膨脹的隆起。
最後,明顯勃起的雷克斯扔掉拍子,開始���麥克做愛。體格更強壯、更胖的男人不停地和高個運動員交合,毫不放鬆。麥克接受了。
當他的屁股不斷被穿透時,麥克通過球形口塞大聲地呻吟著,顯然是在狂喜中。麥克明顯地渴望著每一次的猛烈抽插。在這一切發生的同時,雷克斯一邊不斷地辱罵著四分衛。超人凝視著雷克斯結實的身軀在運動員的臀縫中進進出出。然後,麥克發出了一聲沙啞的叫喊。他從勃起的陰莖中射出了一大團精液。
超人也呻吟起來,並且,令他自己感到羞愧的是,他的超級身體在經歷了他人生中第一次強烈的性高潮時顫抖了。
喘著氣的超級英雄停止了凝視,坐在塔上。這一切讓他感到恐懼。超人注意到他綠色氨綸褲襠區域出現了濕漬。他這輩子第一次為自己手淫。他四處張望,迅速飛走,希望沒有人看到剛才發生的事。
有些不對勁。
他發誓明天要去拜訪雷克斯,找出那些不對勁的事情是什麼!
當他飛翔時,他的睪丸刺痛,腦中的一小塊區域亮了起來。
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超人那晚沒有多少休息。通常,這位堅定的英雄睡得很安穩,不被夢境所困擾。然而今晚,他在堡壘的床上翻來覆去,床單下不停地扭動。他腦海中不斷重播著早些時候所觀察到的景象。 他回想起麥克發出的每一個聲音。當他在雷克斯面前卑躬屈膝時,他看起來是多麼的幸福,他那高大而有力的身軀在這位年長且更為魁梧的男人的支配下。
麥克的行為有些不夠男子氣概,但其中又有著某種令人著迷的魅力。超人在沈睡中深深地嘆了口氣,他的腦海現在想像著一個穿著皮衣的肌肉男人用四肢爬行向赤裸的雷克斯。那男人恭敬的態度看起來是如此自然。
那男人戴著某種狗形的頭套,還穿著某種黑色皮質丁字褲,猥褻地托住他沈重的陰莖和睪丸。丁字褲的後中心帶淫蕩地分開了男人的大屁股。從男人肌肉發達的臀部之間伸出了像是尾巴的東西。當超人意識到那是插在皮衣人物內的肛門塞時,他不禁嚥了口唾沫。
男人的每一隻手都被困在一種封閉型的圓滑物中,讓他的手指無法張開甚至看不見。他強壯的二頭��和前臂在感官上的彎曲,隨著他的整個身體更靠近雷克斯。超人曾在經過一家成人皮革專賣店時見過這樣的東西。他記得這樣的裝束是給那些想被其他男人當作狗對待的男人穿的。
超人看著這個魁梧的「狗」挑逗性地嚎叫和吠叫,而嘲諷的雷克斯讓他做狗的把戲,比如翻滾和坐起來乞求。過了一會兒,雷克斯指向他的陰莖,狗男人貪婪地爬過去,透過他面具嘴巴上的縫隙吸吮它。狗男人發出一連串低沈的咆哮,讓超人的全身顫抖,感受到一種他無法命名的感覺。
突然,雷克斯將另一個男人推到地板上,開始在後者的臉上自慰。然後雷克斯粗聲粗氣地命令狗脫下面具。當這個男人的臉被揭露時,超人的眼睛瞪得大大的。
他看到自己張開了嘴巴。
他會抗議嗎?
在那個幻象中,雷克斯將他的精液射進了他的「狗」的嘴裡。當超人醒來時,他最後的畫面是他的狗臉上那完全幸福的表情,當他的舌頭貪婪地舔食雷克斯噴灑在他臉上的濃稠精液時。
「啊啊啊啊,」超人在睜開眼睛時呻吟著。
他在冷汗中眨巴著眼睛,環顧四周。當他在床上移動他那肌肉發達的身軀時,他意識到襠部有一種更冷的濕潤感。他低頭看去。
他的床單濕了,胯下感覺黏膩又黏稠。超人完全羞愧地意識到,他在經歷了人生中的第一次遺精夢時,顯然射精了很多。他迅速起身,感到需要沖個澡,同時對於與雷克斯的預約會面感到一絲不安。
但他決定,從未曾表現出恐懼,現在這麼做也太不像男人。
超人清理乾淨並穿好衣服。他出發去和雷克斯會面。在他這麼做的同時,內心深處的某個部分正急切地期待著那次新的相遇。
超人決心要控制與這個男人的對話,於是來到了雷克斯的家。一位僕人引導他進入雷克斯正在等候的房間。房間裡的空氣中充滿了雷克斯似乎偏愛的那種甜美古龍水的刺鼻氣味。
「啊,見到你真好。」
雷克斯一邊從書桌起身一邊說道。他走向一個濕吧台,倒了一杯飲料。
「來,喝一杯。今天很熱,你一定口渴了。不,我堅持。」
他在超人還來不及抗議之前斷然地說。他遞給了這位超級英雄一杯玻璃杯。
超人接過杯子,憤怒地喝下,只是為了能夠開始他想與雷克斯進行的對話。液體的溫暖流入了他的體內。
「現在,我想你想告訴我超人,關於你昨晚做了什麼?」雷克斯輕描淡寫地問。
超人驚訝得說不出話來。雷克斯是怎麼知道的,或者,他知道些什麼?當雷克斯給了他一個嚴厲的眼神時,他正試圖想辦法避開這個話題。
「現在告訴我!」
「我…我…嗯…我看到…呃…麥克和你在一起,」
超人吃驚地喃喃自語,對於自己對雷克斯的「命令」瞬間服從,以及雷克斯再次似乎在掌控事態,感到驚訝。
「侵犯隱私,」雷克斯嘲諷地驚呼。 「哦,這就是你做的事?」
「不,」超人尷尬地結巴著。 「我是。我是……檢查來著……為了找到…我很抱歉,」
超人嘆了口氣,在雷克斯那充滿不滿的銳利目光下顯得畏縮。
「我道歉。」他說著,心中對於事情的發展感到一片混亂。
「好吧,我會在一個條件下忽略它,」雷克斯堅定地回答,一邊拿起筆在紙上寫下幾個字。
他把它折起來,遞給了一位感到相當不舒服的超級英雄。
「你必須現在大聲說出來,並且今天獨自一人時再說三次。當然,自然是在睡前說一次。但總是要大聲說出來!」
超人打開紙條,讀了上面的字句。他抬頭看向雷克斯。
「這裡面有詛咒的話,」他驚慌地回答。 「我這輩子從來沒有用過粗話。這不合適!」
「侵犯隱私合適嗎?」雷克斯清楚地提問,顯然很享受佔據道德高地的感覺。
「不,」超人不情願地回答。
「那就繼續吧。它們只是些文字。除非你害怕你可能會喜歡說出它們?或許還會有一絲情色的興奮?」雷克斯嘲笑著說。 「就是這樣嗎?你幻想自己說髒話?」 超人嚥了口口水。他被困住了。如果他不說出那些話,雷克斯會認為他害怕,或者更糟的是,這些話在某種程度上讓他感到興奮。同時,他對侵犯雷克斯的隱私感到奇怪的內疚。昨晚為了確保麥克沒事,這麼做似乎是對的。
現在,雷克斯讓他感到自己做錯了事。就好像雷克斯微妙地處於一個可以評判他的位置。他告訴自己,懲罰真的很輕微。
他點了點頭,讀出了這些話:
「我做了那件事真是太操蛋了。只有真正的軟蛋才會侵犯別人的隱私。」 「盧梭先生應該把我拖過他的腿上,如果我再次表現得像個壞孩子,就該抽我的屁股。」 「先生,我再也不會做這麼淘氣的混蛋了!」
用他那低沈的嗓音說出這些話,讓他的內心感到灼熱。當他突然想像自己赤裸裸地趴在雷克斯腿上,屁股朝上的畫面時,他的胯下不由自主地感到刺激。他緊身的氨綸服裝下的陰莖突然抽動。
超人快速驅散了這個念頭。他的喉嚨現在非常乾。他從紙上抬起頭,看到雷克斯微笑著遞給他另一杯液體。
超人接過來,狼吞虎嚥地喝了下去,希望能沖刷掉他剛承認的味道,以及他剛才感受到的任何感覺。
「乖孩子,」
雷克斯用一種高人一等的語氣說道,超人覺得這種語氣很貶低人,但考慮到剛才他們之間發生的一切,這種語氣對他來說似乎又是恰當的。
「恐怕我得趕時間了。明天再來吧,」雷克斯突然說道,一邊將微弱抗議的超人護送出房間。
「順便說一下,記得再說紙上的話三遍。哦,多用些粗話。這很適合你。事實上,這會讓你感到一種很棒的興奮感。我想你甚至不會注意到自己在做這件事,也不會記得我們現在這最後的對話。是的,就這麼做吧,」
雷克斯最後說道,隨著僕人來到,護送這位英雄離開了房子。
-
雷克斯看著超級英雄離去。他不敢相信自己的運氣。他冒險詢問這位健壯男子離開後做了什麼。一旦超人崩潰,吐露了真相,雷克斯就隨機應變。看著這位道德嚴謹的英雄實際上屈服於說出那些話,這成為了決定性的轉折點。
的確,雷克斯在建議超級英雄使用粗話可能會「性興奮」方面,確實是魯莽地冒了險。然而,這也得到了回報。超人在說出粗話後,他的胯下明顯膨脹了一些。雷克斯知道他現在可以更進一步地推這個大塊頭了!
當他站在雷克斯的豪宅外時,這位困惑的英雄無法理解為什麼他會讓自己以這樣高壓和貶低的方式被對待。他的手緊握著手中的紙張。他低頭看著它。
「我他媽的還得再說這破玩意兩次,」 他憤怒地說。他飛快地離開,甚至沒意識到自己剛剛說了什麼,或者他的胯部在萊卡緊身衣下微微腫脹了。
那天晚上,他大聲說完最後一次「演講」後就去睡覺了。
在夢中,他再次看到自己在碼頭上像碼頭工人一樣哭喊著、咒罵著被打屁股。他無意識地伸手去摩擦自己膨脹的陰莖。
「他媽的對,」他在肌肉顫抖中呻吟道。
「啊,他媽的對!」
第二天早上,他對夢境有了模糊的記憶,再次意識到自己又一次夢遺了。他一邊洗澡一邊咒罵,發誓下一次的會議將會有本質的不同。
他對那最後一件事如此專注,以至於他從未真正意識到自己大量使用的粗話,或者他是如何手淫至高潮的。
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超人回到雷克斯的家,想著為什麼他會覺得有必要見這個人。很明顯,麥克既沒有被綁架也沒有被囚禁。然而,這位超級英雄提醒自己,還有其他運動員失蹤了。
雷克斯身上有些東西,他覺得需要探索。當他到達時,很快就被帶到了雷克斯前幾天見過他的同一間房間。
「哦,你又回來了,」雷克斯帶著一種出乎意料地惹人煩的漠不關心說道。
「我相信你也如你所承諾的那樣說了那些話。」
「我說了,」
肌肉發達的超級英雄邊咕噥著,對雷克斯的冷靜和他那相當自滿的態度感到不悅。這個男人為什麼總能激怒他?
「真的嗎?三次都說了,特別是在睡前?」雷克斯的問法似乎在嘲笑他。
超人失去了冷靜。這傢伙是誰,來質疑他的誠實?雷克斯那種家長式的語氣讓超級英雄感覺像是在對待一個頑皮的小孩。
「我說我做到了,好吧!」他憤怒地回答。
「每一個字,」雷克斯追問。
「我說了每一個他媽的字!」超人吼道
雷克斯露出一副震驚的表情。
「哎呀,這種語言。」他驚呼。 「你剛才有聽到自己說了什麼嗎?」
超人眨了眨眼。他知道自己說了些什麼,但是……
「來,聽這個,」雷克斯以假裝的厭惡說道。他按下了附近錄音機上的一個按鈕。
當他聽到自己說出「fuck」這個詞時,超人的嘴巴張得大大的。
「我……我,」
他吃驚地咕噥著,對自己輕率地使用這個詞,以及聽到自己的聲音說出來時睪丸的刺痛感都感到驚恐。
「我的意思是,我原以為你是善良的標準,而你卻侵犯我的隱私。然後你無緣無故地對我咒罵。你還承諾要表現得守規矩。」
雷克斯對著現在因為他的意圖而完全失去節奏的緊張大塊頭怒斥。
「我……我……真的很抱歉,」超人困惑地說道。
「嗯,你昨天也這麼說,所以你的道歉顯然一文不值。」雷克斯凝視著眼前現在徹底不安的男人。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)6月6日(木曜日)
通巻第8280号 <前日発行>
アメリカは中国を打ちのめす野心に乏しい
「米中冷戦」はズルズルと、どちらかが刀折れ矢尽きるまで
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米中関係が緊張の度合いを高めている。米国と中国は戦略的影響力を競い合う二つの大国であることには間違いない。両国は自由民主主義国家と権威主義国家という二つのイデオロギー圏の対抗リーダーでもある。
「ツキディデスの罠」にしたがうと、どちらか一方が滅びるまで戦いは続くのだが、米国では中国の脅威認識は八割近くに達するものの、「中国を木っ葉微塵にやっつけろ」とする強硬論は少数派である。
米国の中国論壇は分裂している。
かたや「中国共産党(CCP)は自由主義的な政治価値観に基づく政府と平和的に共存することはできない」と主張し、「抑圧された中国国民を救済する」のみならず、自衛のためにも「自由世界は中国共産党打倒に取り組まなければならない」とする。この訴えはメディアが殆どつたえない。
典型がマイク・ポンペオ国務長官(当時)の演説だった(2020年7月。加州ニクソン記念館で)。ポンペオは「自由を愛する世界の国々は、中国に変化を促さなければならない。今、行動しなければ、最終的に中国共産党が我々の自由を侵害することになる。そうなれば我々の子孫が中国共産党のなすがままになるかもしれない」と警告した。
2019年10月のペンス副大統領(当時)の演説は大きく注目された。ペンスは、中国に現実的な関係構築を呼び掛けた演説だった。
ポンペオ演説は、中国共産党と自由・民主主義国家を明確に対比させ、「自由主義の世界は独裁体制に勝利しなければならない」と強硬な姿勢が目立った。
「中国が繁栄すれば民主主義に転換する」などと淡い期待の下での『関与政策(エンゲージメント)』は失敗だったと総括し、1970年代の米中国交正常化を主導したニクソン元大統領が言った「中国が変わらない限り、世界は安全にはならない」を引用して「自由主義の同盟諸国が立ち上がって中国の姿勢を変えるときだ」と直接的な軍事対決には言及しなかった。
▼フォーリンアフェアーズにも強硬論文が登場
『フォーリン・アフェアーズ』(24年5/6月号)で、マット・ポッティンジャー(トランプ政権の国家安全保障担当大統領副補佐官)と連邦議会下院の中国問題委員会委員長だったマイク・ギャラガーが「米国政府は中国共産党の打倒を米国の対中政策の主要目標にすべきだ」と主張した。
「中国共産党政権は、自由主義的価値観を堅持する世界を容認できない。緊張緩和を求めることは米国にとって裏目に出る。したがって米国は中国との競争を『管理』するのではなく『勝つ』よう努めるべきだ」と唱えた。
このような言い分は、現在民主党が牛耳る米国政府の公式政策とは異なっている。
第一に、北京はもはや「激戦または冷戦」において米国または米国同盟国に勝てるという希望を持たなくなっている。
第二に、中国政府は「抑圧的」ではなく、むしろ「共産主義独裁から解放される」とブリンケン国務長官は云うのだ。「我々は中国の政治体制の変革を求めているわけではない」。
随分と融和的な主張だが、目の前にウクライナとイスラエルが絡みつき、これ以上中国にまで戦線を広げることは得策ではないとの判断からだろう。
しかし中国の政治体制の変革を求めないのならば、覇権争いは最初から米国の負けとなるのではないのか。西側は口先介入で誤魔化したから香港は完全に中国共産党管理下に入り香港の自由は殺された。バイデン政権は制裁の継続と拡大で中国の経済力を弱めることに集中している。
他方、中国共産党にとってはその政治権力の独占体制を死守することにある。
中国政府の核心的利益であり、これを攻撃する意図をアメリカが表明するという意味は「中国の完全な敵と位置づけることになって逆効果だ」
とブリンケンは唱えるのである。
中国メディアはバイデン大統領が2022年のバリ島APECで、また2023年にカリフォルニアAPECで習近平主席と会談した際に 「米国は中国の制度を尊重しており、それを変えようとはしていない」としたポイントを力説し繰り返している。
儀式的なレベルでは、習近平の世界安全保障構想は アメリカを永遠の敵とは考えておらず、むしろアメリカを平和的に共存する世界の一部と見なしている。あくまでも言葉の上のレトリックにせよ。
中国は米国よりも「民主的」であると主張する。
(よくそんなことが言えるなぁ)
習政権は「西洋の立憲民主主義」と「普遍的価値」の理念が党の指導的地位の維持に及ぼす脅威を非常に重視している。中国の外交は、米国の世界的な威信と影響力を弱めることに執着している。
習近平が2013年に最高指導者となったとき、中国は世界経済の中心的地位を獲得し、米国との軍事力の差を縮めていた。
習近平が拡張主義的なのは、権威主義的であるというだけでなく、中国が現在、相対的に優位な力と影響力を享受しているという信念に基づいているからだ。
歴史的にみても英国、フランス、オランダ、米国などの「民主主義国家」が、過去に先住民の同意を得ずに植民地を奪取してきた。中国は、依然として日本を憎み、台湾と南シナ海は中国のものだと信じている。中華民国(台湾)は民主主義国であるにもかかわらず、台湾をかならずや統一する、武力行使も辞せずと脅しをかけ、また尖閣諸島と南シナ海をめぐっても一切の根拠を示さず領有権を主張し続けている。2016年の国際仲裁裁判所によるフィリピン有利の判決を中国に対して拒否した。
国際貿易や金融に視野を移せば、米中両国は貿易と投資の管理を必要としているし、気候変動、健康、環境保護、犯罪などの国境を越えた問題では米中の連携が不可欠だ。また偶発的な軍事衝突を防ぐために、相互に意思疎通を図る必要があることも言を俟たない。
経済学でモルガンスタンレーの主任エコノミストだったスティーブン・ローチは『サウスチャイナ・モーニングポスト』(6月3日)でこう述べた。
「米国の対中保護主義は歴史的な大失態で『新たな永遠の戦争』になる危険がある」
ローチは「わたしは過去中国経済について楽観的だった。その時代は終わった。生産効率の低下が質の高い成長を裏切り、中国は世界で最も強力な経済の原動力であるにもかかわらずパワーは衰退している」とした。
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【胡平論政】希望就是力量——紀念「六四」十六周年
編者按:胡平寫道:「六四」35周年到了。過去35年,我寫過很多篇關於紀念六四的文章。現選出若幹篇貼出。「六四」是中國人永遠的悲痛與追憶?在專制獨裁的國度裏,自由、民主與人權在一黨統治的淫威下,永遠不見天日。中國人始終未擺脫千年鐵鎖的「家天下」與「黨天下」,得以步入開明陽光的「民天下」。1989年的「六四」精神,是中國夢、中國魂的起點,永遠流淌在中華民族血液中的希冀與動力。「六四精神」是集結號,是動力,每年的紀念活動,也是民運人自我鑒定與堅定信仰與步伐,只有團結、堅持與合作,一起努力推翻中共專制體制,我們大家才會有希望有明天有未來!為此歐洲之聲轉載…… 在「六四」十六周年的今天,我們比以往任何時候都更需要堅守我們內心的希望。 捷克作家、前總統哈維爾在中國可謂大名鼎鼎,他的很多思想與主張,例如「政治的本質是道德」,「無權者的權力」,「生活在真實中」,皆廣為國人熟知。我以為,哈維爾對於希望…
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報道機関に警察が捜索に入って取材資料を差し押さえ、それを端緒に、報道機関の取材源を特定して逮捕する、などということは、言論の自由を保障する民主主義国では通常ありえません。社会における公共情報の流通を大きく萎縮させて、民主主義を機能しづらくすることになるのが明らかだと考えられてきたからです。 【動画】内部告発の隠蔽工作は広島県警でも。元警察官が実名・顔出しで語る真相 実際、現憲法下で独立して以降の日本の捜査当局は、そうした手法を用いるのにこれまできわめて抑制的でした。ところが、鹿児島県警がいま、おそらく戦後日本で初めて禁を破り、それをやってのけつつあります。 今回、公益通報(内部告発)制度に関する研究に取り組み、多数の著作もあるジャーナリストで上智大学教授の奥山俊宏さんが、スローニュースに緊急に寄稿しました。 報道機関に強制捜索の異常事態…最初は別の警察官の事件だった 福岡市を拠点にニュースサイト「HUNTER」(ハンター)を運営する中願寺純則(ちゅうがんじ・すみのり)さんによると、4月8日朝、同サイトの事務所で鹿児島県警の家宅捜索を受け、パソコン、携帯、書類を押収された。 「ちょっと考えられないことですけど、報道機関に対してガサを入れてきたということです。いったん押収して、次の日に返しには来たんですけど、まだ押収されたままのものもある。当然、私どもは取り調べを受けても、取材源とか取材過程について話すことができませんから、もちろん完黙するわけです」 その日、鹿児島県警曽於署の藤井光樹巡査長が、捜査情報を外部に漏らしたとの地方公務員法違反(秘密漏洩)の疑いで同県警に逮捕された。この「外部」について逮捕時点では「第三者」としか報道されなかったが、これがハンターなのだとみられる。中願寺さんによれば、ハンターに対する捜索令状には、被疑者として藤井巡査長の名前が記載されており、被疑事実は地方公務員法違反となっていたという。中願寺さんはその時点では参考人として取り調べられたが、黙秘した。 実は押収された中願寺さんのパソコンの画面上には、藤井巡査長の事件とは全く関係ない、札幌市在住のジャーナリスト、小笠原淳さんに匿名で送られてきた文書のデータがあった。 小笠原さんは長年、警察の不正を追及してきており、ハンターの常連寄稿者でもあった。文書の1ページ目には「闇をあばいてください」とあり、2ページ目には「枕崎署員による盗撮事案の隠蔽」など3件の県警不祥事が列挙されていた。パソコンは押収翌日に県警から中願寺さんに返却されたが、その際、「データは解析に回します」と言い添えられたという。 押収したPCには県警の元幹部の告発文が…それを知った県警は 県警不祥事を暴くこの文書が実は、同県警の幹部、生活安全部長の職に3月下旬まで就いていた本田尚志・元警視正によって作成されたものであることが判明するのは、6月5日のことだった。 本田元警視正は、5月31日、鹿児島県警に国家公務員法違反(秘密漏洩)容疑で逮捕され、6月5日、その勾留理由開示のための法廷で、記者に文書を送ったことを明らかにしたのだ。 法廷での本田元警視正の陳述によれば、昨年12月中旬、トイレで女性が何者かに盗撮される事件が発生し、その容疑者として枕崎署の警察官が浮かんだ。県警の生活安全部長として本田警視正は「早期に捜査に着手し、事案の解明をしよう」と考え、上司の野川明輝・県警本部長の指揮を仰いだ。すると野川本部長は、「最後のチャンスをやろう」「泳がせよう」と言い、強制捜査にゴーサインを出さなかったという。(この陳述に対し、野川本部長は6月7日夕になって「私が隠蔽の意図をもって指示を行ったということは一切ございません」と反論した)。 6月5日の法廷で本田元警視正は次のように述べた。 「私は、退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました。記者であれば、個人情報なども適切に扱ってくれると思っていました。マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました。私が退職した後も、この組織に残る後輩がいます。不祥事を明らかにしてもらうことで、あとに残る後輩にとって、良い組織になってもらいたいという気持ちでした」 その文書が4月8日、ハンターへの強制捜査によって県警の把握するところになってしまったのだ。 盗撮事件発生から5カ月近く後の5月13日、県警は、建造物侵入と性的姿態撮影等処罰法違反の疑いで枕崎署の巡査部長を逮捕した。5カ月もの長期にわたる内偵が必要な事件ではなく、他方、文書押収から1カ月余り後というタイミングであり、状況からして、本田元警視正の文書がこの逮捕のきっかけだったのであろうことは明らかだ。 このようにして県警は「必要な対応が取られた」との格好をつくりだした上で、5月31日、本田元警視正を逮捕した。この時点で県警はこの「漏洩」の相手先について「第三者」としか発表しなかった。 筆者の取材に、中願寺さんは「強制性交事件が全ての原点です」と言う。「すべてそこから始まっている」 報道によれば、鹿児島市内の新型コロナウイルスの宿泊療養施設で2021年8、9月、医療機関から派遣された女性看護師が、鹿児島県医師会の男性職員によって性的な行為をされた。これについて看護師は強制性交などの罪にあたるとして鹿児島県警に告訴した。しかし、医師会は「同意のない性行為ではなく合意に基づくと判断した」と主張している。 これを不正義と見て正そうと立ち上がったのが、地方公務員法の守秘義務違反で逮捕された藤井巡査長であり、それに触発されたのが本田元警視正であり、2人とも公益通報者だと中願寺さんは思っているという。 NHKは、本田元警視正の文書について「鹿児島県警の別の警察官が内部文書を福岡市の会社役員に提供したとして逮捕・起訴された事件の関係先から見つかっていて」と報道しているが、これまでハンターは、捜索を受けたことを積極的には明かしていなかった。しかし6月11日から、反論記事を出していくことにした。 取材源の秘匿はなぜ「鉄則」なのか 取材源の秘匿は、報道界にあって、「報道機関が何より優先すべき責務であり、個々の記者にとっては、取材活動の根幹をなす究極の職業倫理である」と考えられてきている。 社団法人日本新聞協会と社団法人日本民間放送連盟は次のように述べている。 「報道機関で取材活動に従事するすべての記者にとって、『取材源(情報源)の秘匿』は、いかなる犠牲を払っても堅守すべきジャーナリズムの鉄則である。隠された事実・真実は、記者と情報提供者との間に取材源を明らかにしないという信頼関係があって初めてもたらされる」 最高裁は「取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有する」と述べつつ、やや留保を置いている。しかし、最高裁を含め裁判所がどのような判断を出しても出さなくても、それとは無関係に、「上級審等がいかなる判断を下そうとも、取材源を守る姿勢は最後まで貫き通すことを改めて確認しておく」というのが、日本新聞協会と日本民間放送連盟の公式見解となっている。つまり、法律や裁判所に逆らってでも取材源を秘匿し通す、いわんや警察などに強制されることはない、という姿勢である。 従来は抑制的だった捜査機関 こうした報道界の考え方も背景にあって、現憲法下で日本の検察・警察は、取材源を探す目的で報道機関を捜索など強制捜査したり、取材源に関わる資料を押収したりすることについて、これまできわめて抑制的だった。そうした前例はほぼなかった。法務大臣ら政府当局者は「いわゆるニュース・ソースの秘匿性というようなことにつきましても、検察当局として十分これを尊重しなければならぬ」との考え方を繰り返し明らかにしてきている。 のちに検事総長となる松尾邦弘・法務省刑事局長は、取材源の秘匿について「大変重要なこと」「最大限尊重する」と国会で答弁し、捜査にあたって「そういう重要性も当然念頭に置きまして、それを最大限尊重するような運用をする」と約束し、したがって、「報道機関が取材の過程で行っている通信につきましては、基本的には通信傍受の対象としない」と明言している。 これは通信傍受(盗聴)だけでなく、証人尋問や捜索���差し押さえについても適用されるべき考え方であり、現にそのように運用されてきた。「取材源の秘匿…に関しましては…現在の社会においてそれが非常に重要な機能を果たしている、最大限に尊重すべきもの」との原則が現に捜査当局内部で遵守されてきたことについては、筆者自身が検察官に取材してきた経験でも裏付けることができる。 米国では報道機関への強制捜査は原則禁止…自由な民主主義国家ではあってはならない事態 米国では2013年に、記者のGメールの記録をグーグル社から差し押さえたり、報道機関の電話のメタ記録を電話会社で差し押さえたりしていた事例が発覚し、大問題となって、オバマ大統領の指示で司法省が「改革」をおこない、以後、そうした運用を原則禁止にした。 米司法省の現行規則は、報道機関の取材資料を押収する目的での強制捜査��明文で原則禁止としている。例外はテロ攻撃、誘拐など人命や人体への急迫もしくは具体的な危険性を避けるなどの目的がある場合に限定しており、「匿名の取材源から秘密情報を受け取っただけの場合にもこの禁止は適用される」と念押しするように明記している。日本の捜査当局が「取材源の秘匿を最大限に尊重する」と累次表明してきたのと同じ考えにもとづく。 筆者の私見によれば、こうした規範は、報道機関や記者に特権を与えようと意図しているのではなく、「自由で独立した報道が我々の民主主義の機能性に不可欠」だからその実現のために捜査権限を縛ろうとしたものであり、憲法に由来する。すなわち、国民主権を定め、報道の自由を保障した憲法に適合するように法令を解釈した結果がこうした規範(日本では不文律、米国では司法省規則)であり、それを破る運用は憲法違反となる。 警察が犯罪捜査の権限を使って、報道の取材源の探索を本気で始めたら、スマホの位置情報や街頭のカメラを組み合わせて、だれであってもその行動をまるはだかにできる。そんな捜査が当たり前になると、だれも公益通報できなくなり、不正の真相は闇から闇へと蓋をされる。 暗黒社会への転落は杞憂ではない。治安維持法施行下の戦前・戦中や、中国やロシアでのことならあり得ることではあるのだろうが、自由な民主主義国家で、警察が報道機関の事務所に強制捜査に入って、取材源に関する資料を押収するなどということは、大手新聞社であろうが、小さなネットメディアであろうが、あってはならない。 筆者:奥山俊宏(おくやま・としひろ)
【疑惑の県警】報道機関を強制捜査し、内部告発した取材源を特定!鹿児島県警「前代未聞の暴挙」は憲法違反だ(SlowNews/スローニュース) - Yahoo!ニュース
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