#南禅寺方丈庭園
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真夏の京都巡り。
少しずつ秋の気配がしてきました、時間がたってしまいましたが、8月末の京都巡りの備忘録。
朝一番は龍安寺へ行きました。
いつ以来でしょう。
東から、5、2、3、2、3と15の石が配置された石庭は室町末期に作られたそう。
続いて金閣寺へ。夏の金閣寺は初めてです。
青空の下に光り輝く。
均整のとれたお札引換所。
茶室 夕佳亭の、まる、さんかくの窓。
ここから朝ごはんに向かう。バスに乗り、四条まで。
今回、現在京都の現場で期間常駐されている先輩を訪ねたわけですが、食のセレクトが最高。美味しかった。
このあと歩いて鳩居堂へ向かう。
建築家 内藤廣氏により2020年にリニューアルオープンした鳩居堂本店。
木とスチールの天井。繊細さに圧倒される。
中央のトップライトの光も美しく。
奥に中庭。
続いて、京都市京セラ美術館へ移動。2020年に、京都市美術館がリニューアルオープンしたもの。青木淳氏の設計。
リニューアルの目玉という入り口はスロープになっていて、足元にはガラスがリボン状にまわっています。
チケット売り場から階段をあがると、圧巻の大空間。旧大陳列室が大ホールとなって、各所へつながるハブとなっています。
2階から。
美しい。
展示室前の明るい空間は、元中庭が、リニューアルで屋根がかかり内部化されたもの。
京都市美術館時代のままという空間。天井のステンドグラス、床のモザイクタイル、照明器具、装飾の数々、思わず���をのむ。
続いて南禅寺へ向かう。ブルーボトルコーヒーにて途中休憩。
内部。
一息ついたあと、いざ南禅寺へ。
上にあがると、風が涼しい。
水路閣。
小堀遠州の作といわれる大方丈庭園。江戸時代初期の作で、並ぶ石が虎の親子、白石の大海を渡る姿に見立てて「虎の子渡しの庭」ともいわれるそう。
続いて、無鄰庵へ。明治29年に作られた山縣有朋の別荘。
近代日本庭園の先駆者、七代目小川治兵衛による庭は、東山を借景に、琵琶湖疎水を引き込んだ躍動的な新しい庭園観により作られたもの。
鮮やかな緑が美しかったですが、紅葉の季節もきれいだろうなあ。
このあと、三十三間堂に向かうも、数分遅れですでに閉門。残念。そして向かった先は、、、、
路地裏のお好み焼き屋さん。暑い1日のあとの瓶ビールとお好み焼きと焼きそば、最高でした。
久しぶりの京都、気温36℃、夏の京都の洗礼を浴びながら、1日かけてあちこち巡ることができ、楽しく美味しい1日でした。一緒にまわってくれた先輩に大感謝。また行きたいなあ。
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意外にもコメントを 読んでくれてる方がいたので、 これからは真面目に書こうと思います。 . 10月は仕事ばっかで どこも行けませんでしたが 仕事があるのはありがたいことです。 . 今日はハロウィンらしいので 仮装して寝ようと思います。 . (2021/11/25撮影) . #南禅寺 #南禅寺方丈庭園 #nanzenjitemple #南禅寺紅葉 #庭園 #京都紅葉 #秋の京都 #秋の紅葉 #京都紅葉名所 #紅葉名所 (方丈庭園 南禅寺) https://www.instagram.com/p/CkYYg6wvky_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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RecPhoto2109REC vol.165 - September 2021 / 南禅寺方丈庭園 by Active-U
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Simplicity by Patrick Vierthaler Via Flickr: A well-spent evening at Nanzen-ji.
#南禅寺#方丈庭園#方丈#枯山水#禅#寺院#お寺#庭園#お庭#京都#秋#晩秋#紅葉#Kyoto#Japan#Japanese#temple#garden#Japanischer#Tempel#Garten#Hojo#Nanzenji#Higashiyama#Zen#autumn#fall#foliage#herbst#Herbstlaub
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14. Sunrise Suitesの庭園~エントランスの石庭
初めての方はこちらから⇒「Sunrise Suitesについて」
「Wow...」「わあ...」Sunrise Suitesのエントランスを入ったお客様からは、しばしば感嘆の声があがります。建物に入ったかと思いきや、眼前に広がる石庭と格天井(ごうてんじょう)。日本の伝統建築美と日本庭園の美が融合した、唯一無二の空間がここにあります。
「日本や世界の各地から訪れるお客様は、きっと長旅で疲れているだろう。ホテルに入った瞬間に旅の疲れも飛んでいくような、とびっきりの印象的な景色でお客様をお迎えしよう。」オーナーと作庭家の、そんな思いが込められています。
石庭とは、日本庭園の中でも水や植物を使わず、ほぼ石だけで景色などを表現するものです。龍安寺の石庭が有名ですが、京都では他にも銀閣寺、建仁寺、南禅寺や東福寺の庭園もよく知られています。その中でも東福寺の方丈庭園は、Sunrise Suitesのお庭をプランニングした斎藤忠一さんの師であり昭和を代表する作庭家である重森三玲氏により作庭されました。
石庭では、砂や石は水の波紋、大河やせせらぎ、静まりかえった海などを表現し、大きな岩は山または海に浮かぶ島などを表します。造られる景色は抽象的な美であるがゆえに、その解釈には無限大の可能性があります。一説には、自らの存在を自然と一体化させる禅の世界観や宇宙観であるとも言われています。
Sunrise Suitesに来られたら、エントランスに佇んで庭園の表す世界に浸ってみてください。見る人それぞれの感性と禅寺のような庭園の空気とが相まって感じられる世界は、それぞれに必要な癒しをもたらす…かもしれません。
京都を感じるコンセプトホテルSunrise Suitesで、伝統建築と石庭が織りなす美のハーモニーをお楽しみください!
次の記事 – 「15. Sunrise Suitesの庭園~ある旅人のストーリー」
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📸興聖寺庭園(織部寺)/ Koshoji Temple Garden (Oribe Temple), Kyoto ② 続き。方丈の南と西に江戸時代に作庭されたとされる庭園が広がります。南には一面苔のお庭🌿、そして西側には苔むした築山が配された池泉鑑賞式庭園。(先の写真) . そして方丈の奥へと進む途中には深く掘られた枯池の庭園(写真)と、茶室“雲了庵”前に枯流れのある枯山水庭園があります。 この茶室ともう一つの“青松庵”はそれぞれ織部やその��人の院号から名付けられたもの。 . 宇治にある京都府指定名勝の『興聖寺庭園』を先に紹介していて、京都市の興聖寺は通常非公開ということで「一体どんなお寺なんだろう」と思っていたけれど――こんな苔の美しい庭園があったのか!と驚きと感動。いつか座禅会にも参加してみたいなあ。 (※毎週早朝にも坐禅会をやっておられるので、それに行けばかなう…。今回出演した二人も興聖寺で修行した体験を作品に昇華された) ーーーーーーーー #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotojapan #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanarchitect #jardinjaponais #jardinjapones #kyototemple #kyoto #建築デザイン #京の冬の旅 #そうだ京都行こう #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #苔庭 #mossgarden #藤堂高虎 #臨済宗 #おにわさん (臨済宗 興聖寺) https://www.instagram.com/p/Ca7F6h2v2T5/?utm_medium=tumblr
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むっつ
6/1 意外と早く起きる。ふとギターを弾いたら曲ができそう。 割と暗い歌詞になりそう。そういう気持ちはないけれど。 夕方に役所へ。 うむうむ、という診断結果。いつもの通り。だから困るんだよ、という。 6/2 ラーメンを一袋食べるのがつらくなる。たまに。糖質過多になるので。 体がだるくなっていたが夜になってまともな食事をしたら回復した。やっぱり大事だな。 買い物いかないとまた食べるものがない...。
6/3 ちょっと疲れが出始めている。 夕方に役所へ行く。 とある診断をしたけど、やっぱ、向いてねーとなる。 本当にやる気ないよな。というかもうそういうあれが考えられない。
6/4 作業して買い物に行く。 最近、百貨店でいいのに当たらないな。相変わらず人が多い。
6/5 今日はものごっつうまいラーメンとホットケーキを食べられたのでよかった。 途中でものごっつい建築を見たのだけど、その設計がもしかして、とある女優さんのおじいさまなのかも。 偶然なんだけど、情報が一致していてびっくりしている。 コントが始まるを見た。俳優はやっぱ、声だよな…と何度も思う。 仲野太賀さんってなんであんないいんだろうな。 6/6 眠れなかったのでこのまま生活の矯正を図る。 モーニングに行った。やっと、マクドナルドのハッシュドポテトを食べられた。うまい。 その後、買い物などに行き、明日への準備。 これが日曜日にできると大きい。 おかえりモネを最新回まで見たんだけど、やっぱ、震災のことはきっつい。と、同時にあまちゃん、ラジオを思い出す。 刈谷友衣子さん、なにしてんだろうな…。 6/7 起きてから洗い物などをしてでかける。 信号待ちや電車の連絡など交通運がなかった。 地元へ帰る。 もう街を客観的にしか見えなくてもうここは自分の街じゃないんだって思った。 距離の問題じゃないんだな。 剪定をとてもした。これが仕事になればなあ。 猫が元気だった。 マクドがいい感じに空いててよかったなー。さすが。こんくらい空いてたらいいよな。 6/8 作業。作業。でおわり。 ミートソースのパスタのおいしい作り方をやっ��発見したかも。 6/9 さくさく制作。 6/10 さくさく制作2。 というか忘れてしまったDayだろ。
6/11 上本町という街に初めて行く。フレッシュネス、サブウェイと揃ってて、当たり前のようにマクド、モスもあって最高の街だった。 あれは夢の街だったのかい?と問うほど。 駅がそのものがでかい。ここなら奈良にすぐ行けそう。 少し地方都市に来た気持ちになる。多分、古いままで止まってるからだ。 駅横のホテルの建物がなんだか良くて、植栽の紫陽花も綺麗だった。 調べてみたら村野藤吾の設計じゃないですか。そりゃ良い感じのはず。 中も入ってみたいなー。 目的のひとつの焼肉へ行く。地理的に言えば、鶴橋の外れと言った方が正しいか。 これがうんまい。地元でたまに行く焼肉屋の本店なんだけど、ここも咳がゆったりしてよかった。 あと、冷麺がうまいのもいいなー。食べ切れるか心配だったけど、大丈夫だった。 その後は街を散歩。南下いしたら学校いっぱいある住宅地で静かだった。 これが大阪?と思うほど。少し外れた閑静な住宅街みたいな印象。 綺麗な団地があって、あれ、ここ住めるならめっちゃええやんとなりました。 さらに歩いてたら四天王寺に遭遇。 存在は知ってたけど、初めて来た。広かった。亀がいっぱいいたのは気持ち悪かったけど。 今日初めて、もしくは6月初めての客ちゃうか?っていうくらい人がいない庭園を拝観する。 ここがまた良かった。夏のような日差しに木々が青い蔭を作ってくれてとても日本的、禅のような気持ちになり清々しい気持ちになった。 やっぱり、庭は人の心を豊かにするね。 四天王寺を満喫して出ようと思ったら、すぐ横の高校生たちがわんさか。 今の街に住んでたら高校生は見かけるものの匿名的というかどこどこ高校とかわからないから実態が捉えられないんだけど、こうしてわかるとここに通ってたらどんな生活なんだろうか、と想像が少し浮かんでいい。いや、実態は全然わからないんだけど。 (天王寺とかで遊んで帰るんだろうかとか。) そんなことを考えつつ、行きたかったカフェへ。 お洒落かつカフェラテも好みのもので良かった。思ってたより天王寺駅から離れてたので人もそこまでいなかった。 機会があればまた来たい。 自然と一心寺が近かったので、婆ちゃんの墓参りに行く。全然来れてなかったからなー。 前回来たの10年前くらいちゃうか、という。全然、祖母の記憶がないんだけどね。 今度からちゃんと来よう。 また、歩き出して上町台地の坂を堪能する。 大阪市内は坂が少��い地形なので街中の坂は貴重。3つ4つほど��り下りする。 実際あったら、面倒だけど散歩としてはとても良い。 トータルして3時間近く街歩きして足が疲れた。 短めの靴下を履いていて靴擦れした。 も���そんな季節か。 ということで新垣結衣さん、お誕生日おめでとうございます。
6/12 バーガーを食べに行く。うまい。 結局、歩いて戻ってしまう。 スーパーでパイナップルを買う。パイナップルってなんであんなおいしいんだろうな。 好きな果物は?と問われた時には「パイナップル」と答えてるけど、いまいち共感を得ないんだよな。 梨のおいしさが逆にわからん。 パイナップルの良さといえば、お菓子とかジュースとかの加工品でもその感じがブレないところ。 果物によってはこれが?という味がある。果物の個体別にしても。 パイナップルにはそれがない。安定してる。果物公務員。 「安定した職業に就きなさい」と言われたらパイナップル農家になろうと思う。
6/13 ドラムの編集。といえば、かっこいいがいわゆる打ち込みというやつをする。 うんうん、いい感じ。プラグインのフリーのドラムもなかなかいいやん。 多分、こんな使い方しないって使い方をしてる。 かなり完成に近づいた。 息抜きに別の曲を作る。1時間ほどで骨格は出来上がる。 骨格があってないようなもんだけど。それがアンビエント。
6/14 ひさしぶりにアコギに弦を張る。弦を張るという作業が昔から苦手。 いつも、どっちにペグを回すんだっけ?となる。多分、今回は合ってる。 ただ、やり出したら無心でできるというのもある。 弦を張ってから録音。忘れてた。 このギター、めちゃくちゃ弦高が高いんだった。たまに別の人のギターを弾いて驚く。 こんなに弾きやすいのか、と。多分、弦高が高いギターしか弾いてきてない。 おかげで録音にちょっと苦労。 でも、やっぱ、アコギにしてよかったかも。 ということで、エレキで弾いていたギターは公式に別の曲に使える。加工はする。ジャムみたいだな。 他の曲も即興的に弾いてみる。弾き終わってから、かなり集中していたことに気づく。 ゾーンに入っているのかも。ギター弾くときの集中力ってすごいもんね。 上手ではないけど、独自性は獲得しつつあるのかなあ。それだといいんだけど。 キングオブコントの会を途中まで見る。キャンプでのシソンヌ じろうさんとさまぁ〜ず 大竹さんの掛け合いが良かったなー。 こんなに相性いいんだって思った。大竹さんの哀愁の表情が秀逸すぎた。 ダウンタウン 松本さん作のおめでとうはさすが、という印象。 「あの頃」のごっつを思い出してしまう感じ。演出が小松さんだからか。それを今のメンツでされていた。 ちょっとチョコプラ感も感じたけど、逆なのか。チョコプラがっぽいのか。
6/15 この日記をまとめて書く。 日記を書くということがいかに大事かまた痛感する。 よりニュアンスを伝えるために書くならば、「ツッゥー!」(痛)だ。 そのくらい大事。がん保険くらい大事。めちゃめちゃ大事。 大事MANブラザーズバンドも「逃げ出さないこと 日記を書くこと」と歌っていた気がする。 とりあえず、1曲当てて、その20年後くらいにその曲に年号つけて再リリースしたい。 作業の日々。あらゆるものが形になってきつつある。 大豆田とわ子と三人の元夫の最終回を見る。最高最高最高でした。 このドラマを超えるものってもう出てこないんじゃないか、っていうくらいに。 ドラマを作る側の人間だったらもう圧倒的敗北感に苛まれて辞めちゃうんじゃないか。 役者の「声」というものがやっぱり重要。なんだろうね。 これは自分の中の研究テーマのひとつなんだよな。 役所に行って、珍しい名字の人に会った。 こんなにかわいい名字あるんだ。 鈴木福くんと芦田愛菜ちゃんが歌ってあれが名字。
6/16 引き続き役所。自分がやってる音楽について説明するのはいっつも「ぽかーん」とされるから面倒。 聞くわりに食いつかないし、ぽかーんとされるだけでなんか嫌な気持ちになるからやめたい。 当たり障りのない、思ってたような感じになり終了。 おかげで疲れてしまった。嫌だなあ。こういうのを避けたいんだよな。
6/17 作業したり買い物したり。事務作業をぽつぽつ。 プラグインを買ったりした。これでギターの録音が割と充実するはず。 徐々にプラグインとかが増えてきた。 寝ようと横になっているときに架空の会社名を考えて思いついた。 架空の組織図なんかも作ったりしている。
6/18 たまった洗い物をする。キムチはおいしいんだけど、汚れがすごよいね。 韓国料理とか中華料理を主に食べている方ってどういう洗い方してるんだろう。 キムチとチャーシューを食べるのがめっちゃおいしくてこれはビール飲みたくなるなっていうさすがに気持ちがわかる。 ビール飲める方だったら最高だよな、これ。 100分de名著の三島由紀夫の金閣寺が興味深かった。 三島の最後の自決のwikiを見ていたら、やっぱ空虚だなって思った。 全然、「美」じゃないなって。死をかけて訴えたことが野次でほとんど聞こえなかったって厳しすぎるでしょ。 拡声器とかを使わなかったからというものあるかもしれないけど。 介錯もスっといってないみたいでよりつらいな、と。 父はリアルタイムで知ってるはずだし、今度聞いてみよう。 その流れで調べてた三島の映画がきっかけで井浦新さんがエンドロールにアルファベットが並ぶのはどうか、という思いからから本名に改名したのにエンドロールのBGMが洋楽で驚いたっていう話にめちゃくちゃ笑った。 そんなことある? しか���大監督の映画なのに。空虚だな〜。笑
6/19 ちょっと手直しとか。なんとか。 音のバランス決めるのに時間がかかった。 というか一部だけソフトが言うことを聞いてくれなくてこまった。 操作方法が間違ってるのかなと、別のトラックで同様の作業をしたらすんなり。 なぜか、ピンポイントでだめで大きく時間をロスした。
6/20 やっと、マントッツォなるものを食べる。いろんなバリエーションがありそう。 まっちゃんねる、すごかったー。笑った。 昨日してた作業を再び。やり直し。良い感じかも。
6/21 朝から役所へ。すんなり終わって買い物へ。 いろいろ買って帰る。飯作り第一弾。 一旦、終えて今日から始まった好きな冷やしラーメンを食べに行く。 冷やしいりこそば、絶品でした。おいしい。冷やしはすごいよね。 帰ってきてラジオを聴きながら飯作りに没頭。 オードリーのANN、クミさん最高でした。本当に素敵な方だなー。 テレビ千鳥の一周だけバイキングがおもしろすぎた! ギャラクシー賞、取ってほしい。 バイキングであんなにおもしろくなるなんてなー。 企画の発想がすごい。 バイキングに行きたくなった!
6/22 曲の調整が終わり。EPの作曲部分が終了。 一応、予定通りに間に合った。 意外と調整の時間がかかった。 で、から、ジャケットとか視覚的なデザイン作業。 だいたい、頭で組み立ててたものを出すだけだったから割とすぐにできた。よかった。 漠然としていたコンセプトを書き出す。 項目は決めてるけれど、やっぱり書き出すと長くなる。
6/23 ひたすら、ミックスとかマスタリング的な作業。 10こくらい作ってようやくこれでいいかもというのができる。 1番最初のものと比べると段違い。 長い時間かけてよかった。 冷やしすだちそばを食べる。 すだちと冷やしが相性抜群。うまい。 冷やしの場合ってけっこう塩が多めでも良いのかな。 また、ちょっと冷やしの研究しないとな。
6/24 書類を準備したり、あれこれ。 文章を書こうとするも思いつかなくて困った。 が、なんとか思いついて書く。書けた。 6/25 talk talkという曲を出しました。
6/26 体がだるおも…。ぐったりして遅れて前職の方々と会う。楽しく話した。 その後、役所。うーん、無駄な時間だった。あれであれか〜。って思っちゃった。
6/27 うどんを食べに行く。めちゃくちゃうまかった。が、これがのちに響いた。帰ってきて寝てしまった。頭痛も招いた気がする。 さらにかき氷を食べた。
6/28 夏の終わりのためのEPが完成。 めちゃくちゃ売れてほしい。 bandcampのアーティストガイドがいつの間にか変わっていた。うう、これはつらいことになったな。 買い物をいろいろして、今週はこれでかなり持ちそうだ。
6/29 少し止まっていた作業を再開。 うーん、微妙に進んだり進まなかったり。 変な時間に寝ちゃって寝るまでに時間がかかった。 しかし、そのおかげで新たな作品の構想を思いつく。少ない音数のミニアルバムにしたいな。
6/30 どうしようか作業に悩む。 とりあえず、一旦、おしまいにして後の作業でいい方向にもっていけるようにする。 とんかつはうまいね。
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京都を愛したデヴィッド・ボウイが涙した正伝寺の日本庭園
NEWS WEEK
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<訪日外国人にも人気の日本庭園。なぜ歴史に名を残した人たちが日本庭園にたどり着くかを考えると、その見方も変わってくる。デヴィッド・ボウイは日本のテレビCMに起用された際、自ら正伝寺を撮影場所に希望したという>
���沢の兼六園や岡山の後楽園、水戸の偕楽園など、人々を魅了する日本庭園は各地にあるが、訪れるのは日本人だけではない。
実際、Japanese gardens(日本庭園)に関する英語の情報はインターネットにあふれており、アメリカには日本庭園の専門誌まである。今や日本庭園は、日本を訪れる外国人にとって外せない「見るべきもの」となっているのだ。
京都を中心に庭園ガイドをしている生島あゆみ氏はこのたび、「なぜ、一流とされる人たち、歴史に名を残した人たちは、日本庭園にたどり着くのか」をテーマに執筆。『一流と日本庭園』(CCCメディアハウス)を刊行した。
庭園そのものだけでなく、それらを造った人物、深い関わりのある人物の人生を見つめた上で、庭園との結びつきを読み解いた。これ1冊で日本庭園の見方・楽しみ方が変わるというユニークな一冊だ。
足利義満は金閣寺を、稲盛和夫は和輪庵を造った。スティーブ・ジョブズは西芳寺に、デヴィッド・ボウイは正伝寺に通った。ここでは本書から一部を抜粋し、3回に分けて掲載する(今回は第2回)。
※第1回:利他の心に立つ稲盛和夫が活用する京都の日本庭園「和輪庵」
◇ ◇ ◇
デヴィッド・ボウイ(1947年〜2016年)と正伝寺(しょうでんじ)(京都)
たびたび京都を訪れていたデヴィッド・ボウイが、その美しさに涙したという正伝寺の庭。白砂に七・五・三の刈り込み、遠方に望む比叡山の借景......。世界的なアーティストは何を感じとったのか。
親日家のデヴィッド・ボウイ
ボウイは、親日家で有名でした。また仏教や禅に造詣が深かったようです。BBCテレビ『デヴィッド・ボウイの日本流への熱情』によると、ボウイが20歳頃、舞踊家リンゼイ・ケンプ氏のもとで、ダンスとマイムを習いました。このケンプ氏が、伝統的な歌舞伎の様式に大きな影響を受けていたそうです。歌舞伎や能という伝統芸能が、ボウイが日本文化を知る入り口になりました。
また、チベット仏教の高僧はボウイと親交があり、彼が仏教の僧侶になるつもりだったと証言しています。もともと、仏教に深い関心があったようです。
アルバム『ジギー・スターダスト』全盛期の頃に、スタイリスト・高橋靖子、写真家・鋤田正義、ファッションデザイナー・山本寛斎などがボウイと親交があったそうです。
鋤田正義はボウイを京都で撮っていますが、ボウイの希望は京都の人々が日常の生活を送るような場所で、というものでした。
ボウイが梅田行きの阪急電車の前でさっそうと立っている姿は、ファンだけでなく京都に住んでいる人達をも魅了します。切符を買っていたり電話ボックスで受話器を持っていたりする写真などもあります。古川町商店街では、当時、創業70年のうなぎ店の名物八幡巻きを買っている姿もありました。
スターダムにのし上がった1970年代後半、プレッシャーなどからドラッグの誘惑に苛まれ、ベルリンに移り音楽活動をしていた時期がありました。名盤「ロウ」「ヒーローズ」「ロジャー」のベルリン三部作を制作しました。この頃、ボウイはツアーの合間を縫うように京都を訪れていました。ボウイにとっては大きなターニングポイントで、自分自身をリセットするために京都に来ていたそうです。
大徳寺の僧侶は、ボウイと親交がありました。日本、そしてその精神の奥にある禅に、ボウイは向き合っていったのだそうです。WOWOWドキュメンタリー『デヴィッド・ボウイの愛した京都』で「禅の中では、自由を得るというのが究極にあり、特に死ぬことからの自由のことだと。変わるというのは自分が死ぬことで、ボウイは、自分が変わることから真の自由を求めていたのではないでしょうか。」と僧侶は話していました。
「新しい自分、本当の自分の姿を京都で見つけたので��。京都の時間の流れを、ボウイは大切にしていたようです。常に今が大事だということです。」と彼は続けます。
��ウイは芸術や文化、歴史を学ぶ才能に溢れていたと言います。美術品のコレクターではなく、その物の精神を自分のものにしていく才能があったそうです。「ヒーローズ」のB面に収録されたインストゥルメンタル曲「モス・ガーデン」では、美しい琴の音色が聞こえてきます。これはファンが、直接本人に手渡したおもちゃの琴の音色です。これを弾きこなして、自分の音楽表現をしている才能に凄さを感じます。
1990年代には、イマンと新婚旅行に京都に来ていますが、滞在したのは老舗旅館「俵屋」でした。また、江戸時代創業の蕎麦屋「晦庵(みそかあん)河道屋(かわみちや)」本店もお気に入りだったそうです。俵屋と河道屋は、スティーブ・ジョブズも好きでした。二人が遭遇した可能性は少ないと思いますが、好みが似ているのが不思議です。
正伝寺の歴史とその庭園
ボウイが愛した正伝寺は、どのようなお寺なのでしょう。正伝寺は、京都市北区西賀茂にあります。五山送り火で有名な船山の南側に位置しています。臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つお寺です。山号は吉祥山(きっしょうざん)。寺号は正伝護国禅寺で、本尊は釈迦如来です。
正伝寺は、1260年、宋より来朝した兀庵普寧(ごったんふねい)禅師の高弟が、京都一条今出川に創建しました。1265年に兀庵普寧禅師は宋に帰りますが、その後、東巌恵安(とうがんえあん)が跡を継ぎ、1282年にこの西賀茂の地に移りました。
応仁の乱で荒廃しましたが、徳川家康が再興します。本堂は、1653年に金地院の小方丈が移築されたものです。伏見桃山城の御成殿(おなりでん)の遺構を移したものとも言われています。方丈の広縁の天井には、伏見城落城時、徳川家臣・鳥居元忠と家臣らが割腹し果てた廊下の板を、供養のため天井に貼った「血天井」があります。
方丈の各室の襖絵は、1605年頃、徳川家康の命により狩野山楽が描いた中国・杭州西湖の風景です。山楽の残した貴重な作品です。
庭園は白砂とサツキ等の刈り込みが並ぶ枯山水です。方丈の東側に造られており、敷地は363平方メートルです。
方丈から見て白砂の奥に、右から、七つ、五つ、三つと、植栽の大刈り込みがあるだけです。これを七・五・三形式と言いますが、通常は石が七・五・三に置かれ、植栽で表されているのは正伝寺だけです。
植栽構成は、三つがサツキのみ。五つがサツキとサザンカ、七つがヒメクチナシ、アオキ、サザンカ、サツキ、ナンテン、ヤブコウジ、チャと組み合わされています。
この庭園は江戸初期に造られました。小方丈が金地院から移築されているので、小堀遠州作とも言われていますが、時期的に見て、別の作庭家との説もあります。
江戸初期には、滋賀県の大池寺庭園や奈良県大和郡山の慈光院庭園など大刈り込みの庭園が他にも存在しています。龍安寺の石組が「虎の子渡し」と言われるのに対し、正伝寺の七・五・三とする刈り込みは「獅子の児渡し」と言われています。ゴツゴツした石が虎で、ふわっとした植栽の刈り込みを獅子と見立てたのでしょうか。
明治維新以降、寺領・社殿の召し上げなど苦しい時代になります。正伝寺の明治期の写真が残っていますが、高木が増え、刈り込みも乱れた様子です。
戦前の1934年、重森三玲を中心とした京都林泉協会の会員有志が、後から加えられたであろう石を取り除くなど荒れた状態を整えました。こうした努力により、かつての姿を取り戻した現在の庭園は、京都市の名勝に指定されています。
庭に敷き詰められた白川砂と緑の刈り込みの植栽、下界を遮断する漆喰塗りの塀の構成の向こうに、遠山として望めるのが比叡山です。遠くにポツンと比叡山だけを見渡せる巧みな借景の取り方が、正伝寺の庭をより特別な存在にしています。
正伝寺とデヴィッド・ボウイ
京都の北に位置する正伝寺は、最寄りのバス停から歩いて20分ほどかかりアクセスが良くありません。山門を抜けると登り坂の山道が続きます。本堂まではおよそ250メートル。静かな山道はやがて、下界と離れた特別な禅の庭へと誘ってくれます。
実はこの人里離れた禅寺の正伝寺の庭は、知る人ぞ知る名勝なのです。どうしてボウイがこの庭のことを知っていたのでしょうか。おそらく、彼の友人だった米国出身の東洋美術家・デヴィッド・キッドの存在が大きかったのだと思います。
デヴィッド・キッドは、九条山に邸宅を持っており、「桃源洞」と名付けていました。ボウイはここをよく訪れたそうです。ボウイは、桃源洞の居間にあった平安時代の地蔵菩薩を眺めて時を過ごしていたそうです。菩薩の控えめな様子から深い哀れみを感じていたのではないでしょうか。
1979年の年末、広告代理店が宝焼酎「純」のコマーシャルにボウイを起用する提案をしました。アーティストとして非常に高い純粋性を持った人として、彼以外にいないということでした。
ボウイはお気に入りの俵屋に泊まり、撮影は嵐山にある松尾大社近くの公園や正伝寺で行われました。正伝寺を希望したのは、ボウイ本人だったそうです。宝ホールディングスの元会長・細見吉郎は、学生時代からずっと京都に住んでいましたが、当時、この寺の存在を知らなかったそうです。整然とした枯山水庭園と比叡山の眺めに感動し、訪れる人も少なく、静寂に包まれていたので「ボウイさんが正伝寺を指定した理由が分かった」と語っています。
――「撮影中にボウイさんは庭園を見つめ、涙を浮かべていた」と細見さんは振り返る。「景観に感動したのか、何か悲しい思いをしたのか���聞けなかった。繊細で純粋な人だった」と記憶をたどる。――(日本経済新聞「D・ボウイが涙した静寂」/2016年2月19日)
宝焼酎「純」の販売数量は、1980年からの5年間で11倍に増えたそうです。
コマーシャルには、ボウイ自身が作った「クリスタル・ジャパン」という、雅楽を意識したインストゥルメンタルの曲が使われました。正伝寺の庭の白砂の上に、グラス片手に座っているシーンはとても印象的です。
私がこの庭を訪ねたのは、紅葉が始まる頃でした。デヴィッド・ボウイが愛した庭を鑑賞しようと、海外からの観光客の姿もありました。
刈り込みが美しい庭の方丈前には数人がいましたが、みな庭を観ており、沈黙だけが心地よい空間を作っていました。しばらく静観していると、心が洗われたような気持ちになりました。
ボウイもまた、心を清めるように真の美を前にしていたのかもしれません。庭には、自分をリセットするとともに、自由にしてくれる作用があるのかもしれません。
※第3回は5月23日に掲載予定です。
※第1回:利他の心に立つ稲盛和夫が活用する京都の日本庭園「和輪庵」
『一流と日本庭園』 生島あゆみ 著 CCCメディアハウス
正伝寺 京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72
http://shodenji-kyoto.jp/
正伝寺は、京都市北区西賀茂にある臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つ寺である。山号は吉祥山。寺号は詳しくは正伝護国禅寺という。本尊は釈迦如来。
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【京都府】南禅寺方丈🌿紅葉🍁 . 南禅寺は人で溢れてましたが、 方丈と南禅院は比較的空いてました🐣 . (2021/11/25撮影) . #南禅寺方丈庭園 #南禅寺 #茶室 #紅葉2021 #紅葉 #京都紅葉 #方丈庭園 #方丈 #南禅寺紅葉 #風情がある #紅葉狩り #autumn #autumnleaves #instagramjapan #Lovers_Nippon #Loves_Nippon #team_jp_ #ig_japan #wu_japan #photo_shorttrip #japan_vacations #beautifulkyoto #ptk_japan #京都 #kyoto #写真好きな人と繋がりたい #京都写真部 #canon #phos_japan #jp_gallery (方丈庭園 南禅寺) https://www.instagram.com/p/CWsQSQ2vta6/?utm_medium=tumblr
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REC vol.165 - September 2021 / 南禅寺方丈庭園 by Active-U
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Autumn leaves / Kyoto Nanzen-ji Nanzen-in Garden - facing hojo 京都 南禅寺 南禅院 by maco-nonch★R Via Flickr: Location : Nanzen-ji temple Nanzen-in ,Kyoto city, Kyoto Prefecture,Japan 南禅寺 南禅院 方丈庭園 (鎌倉時代 / 池泉回遊式 Nanzenin This temple has an explicit no-tripod policy, so tripods, including monopods, are usually prohibited here.
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<strong>The garden of Toranoko -watashi- young tigers crossing the water/ Kyoto Nanzenji Temple Hojo Garden <a href="https://www.flickr.com/photos/100016856@N08/">by Masako Ishida</a></strong>
location : Nanzenji Temple
京都 南禅寺 方丈庭園 (小堀遠州 作庭)
Nanzenji Temple (Zuiryuzan taiheikokoku nanzen zenji)
Nanzenji is the head temple of Rinzaisyu-Nanzenji school,one of zen sects. In 1264,Emperor Kameyama built the villa Zenrinjiden at his favorite place of natural beauty. Later becoming a monk-emperor embracing the faith of chief priest Daiminkokushi,he donated his villa as a en temple in 1291..At Nanzenji we respect Daimomkokushi as a first chief priest ,monk-emperor Kameyama as the founder and Nan-inkokushi the 2th who completed the buildings of Nanzenji. Historically speaking,since its establishment,Nanzenji was tanked above the "Five Great Zen Temple" in Kyoto.For generations the greatest Zen priests of the period became the chief priests here,while at the same time,Nanzenji enjoyed cultural prosperity as the centre of "Gozan(five great temples) Literature". The original buildings were completely destroyed by fire three times during the Muromachi period in;1394,1448 and 1467. The current buildings were rebuilt during the Momoyama period 81570-1600).
Hojo Garden- Designated as a place of scenic beauty
Upon leaving the typical Zen Study (Shoin),through the wide and dimly lit corridor,one comes upon the porch of Hojo(Seiryoden Hall). the famous Aen garden,karesansui(dry Japanese garden) ,is in front of the porch. The combination of the Hojo,garden and the shakkei( borrowed scenery) of the adjoining mountains ,including Mt.Yokakuryo Dainichi-santo,harmonize to produce a garden of simplicity,refinement and dignity.The garden was named "Toranoko -watashi"虎の子渡し(young tigers crossing the water) after the shape of the big rocks. the garden consists of stones and trees grouped together at one end of a large open space,which is characteristic of many famous gardens made after the early Edo period(1600s).This garden is said to have been designed by the renowned landscape architect Kobori Enshu 小堀遠州 in about 1600. - Nanzenji temple
ƒ/8.0 15.0 mm 1/100sec ISO250 manual exposure/focus
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7.高麗の建国と滅亡についてのまとめ
問い3:高麗の建国と滅亡について>7. 高麗の建国と滅亡についてのまとめ
目次は こちら
7.高麗の建国と滅亡についてのまとめ
「高麗の建国と滅亡について」に関してその要点を以下にまとめます。
① 羅第51代の真聖王は、昔から角干の魏弘と私通しており、彼女が887年に即位すると魏弘を常に宮廷に出入りさせ、少年や美丈夫2~3名を、密かに宮廷に引き入れ、。
② 889年、国内の諸州・郡では、貢賦を輸送しなかったので、王都の府庫はすっかり空になり、使者を各地に派遣し、督促させると、各地の盗賊が一斉に蜂起しました。
③ 892年、完山の賊の甄萱が、完山州を根拠地にし、後百済の国号を自称すると、武州の東南方の郡や県は皆、甄萱に降伏しました。
④ 898年7月、弓裔が泪西道および漢山州管内の三十余城を奪い取り、松岳郡(京畿道開城市)に王都を建て、911年に弓裔は国号を泰封と改め、年号を水徳万歳としました。 これで、新羅・後百済・泰封(後高句麗、後の高麗)の後三国が揃いました
⑤ 911年、新羅の52代王が身分の賎しい女を寵愛して、政治を顧みませんでした。大臣が諫めましたが、これを聞き入れませんでした。新羅では第51代・第52代と政治を顧みない王が二代続きました。
⑥ 918年6月、弓裔の部下たちが弓裔を追放し、王建を王に推戴しました。王建は国号を高麗としました。高麗の誕生です。
⑦ 927年9月、新羅の第55代景哀王が妃や嬪などと宴游に耽っている時、後百済の甄萱が王都に侵入し、王は妃や妾数人と共に甄萱の軍中に引き出され、甄萱は新羅王に自殺を強要し、王妃を強淫しました。彼の部下たちに王の妃や妾を勝手にさせました。そして、新羅王の一族の者を立て、これが敬順王です。
⑧ 敬順王は衰えた新羅を自力では維持発展できないと判断して、国民がこれ以上悲惨な目に遭わないようにと考え、王子たちや大臣たちの反対を排除して、国を挙げて自ら高麗に降り、新羅は高麗に併合されました。
⑨ 936年、後百済では甄萱の長男の神剣が父の甄萱を金山寺に閉じ込め王位を奪うと、甄萱は脱出して高麗に入り、この状況を利用して高麗は神剣の後百済軍を撃破して併合し、高麗が韓��島を再び統一しました。韓半島では3重の併合が行われています。
⑩ 高麗の太祖(王健)は統一前にすでに収取制度を変更し、農民の生活を安定させ、開国功臣や地方豪族を役人として登用し、有力な豪族と婚姻を通じて関係を深め、諸制度を実施して地方豪族を牽制しました。
⑪ 太祖は訓要十条の第一で、国家の大業は必ず諸仏の加護によるとして、仏教を保護して禅宗や教宗の寺院を創建しました。しかし、国家護持の仏教は驕り高ぶって腐敗し堕落して、農民や奴婢や下級官吏を下僕扱いし、朝鮮時代に儒者から廃仏論が出る種を蒔いていました。
⑫ また太祖は「逸楽するなかれ」と言っていますが、いつしかそれが忘れられ、その後の王や執権者の多くが政治にはまったく興味を示さず、逸楽に耽っていました。
⑬ 逸楽に耽った国王の代表として、毅宗の例を次に記します。第18代の毅宗(在位1146~1170年)は遊ぶのが好きで、そのことが『本当に悲惨な朝鮮史』の巻11の毅宗の条に記されています。
[【高麗史節要巻11(1152 18毅宗)】
正月に毅宗が康安殿に出かけ、舞楽をご覧になった。前日の夕方に始まった燃灯会は既に終わっていたが、もう一度やれと命じた。毅宗は時のたつのも忘れて舞楽や観劇を楽しんだ。午後になってやっとお開きになった。
さて、夜には宮廷の苑林の木々の間に怪しい火が見えた、焔が高く上がり煌々と輝いた。近くの住人が火事だと思って宮門に駆け付けたが、火事でないことが分かって戻っていった。人々は、王は夜に遊ぶのが好きなのでこういうことが起きたのだと言いあった。
毅宗が万寿亭で宴会を夜通し催し、翌朝になってようやくお開きとなった。(後略)。
【高麗史節要巻11(1156 18毅宗)】
毅宗は宮殿の東北の隅に一軒の閣を建て『衝虚』という額を掛けた。黄金や碧玉が眩いばかりに輝き、その内装は言葉を失うぐらい美しかった。また宮廷の別の一室には良く効く高価な薬をいろいろと取り揃え、その部屋には「善救宝」という額をかけた。また亭をその隣に築き、奇妙な岩や、立派な花卉を集め、「養性」という額をかけた。
これだけに止まらず、毅宗���豪華な庭園を次々に造った。たとえば、庶民の家、50軒を取り壊して「太平亭」を造らせたが、庭には立派な花卉や珍しい果物の樹を取り寄せ、道の左右に植えさせた。また、「養貽亭」を造り、高価な青瓦で葺いた。]
一方、庶民は宮殿や庭園の造営に駆り出され、苦しい労役に携わっていました。このように庶民の苦しみなどに無頓着に遊楽に明け暮れていた毅宗ですが、1170年の武臣のクーデターで島流しになり、その後数年して殺されてしまいました。
⑭ 1170年の軍事クーデターで政権を掌握した武臣政権は、執権者が次々と殺して交代し、崔忠獻が執権者の李義玟と関連した人物を皆殺しにして崔氏政権を打ち建て、4代60年続きました。崔氏政権を含めて武臣政権は100年続きました。
⑮ 武臣政権の時、過酷な収奪と使役に反発し、農民と賎民の反乱が相次いで各地に起こり、身分解放や三国復興運動も起きました。また、1200年前後に、新羅・百済・高句麗を復興しようとする運動が起こったことは、13世紀初めには、一つの朝鮮民族としての意識が高麗の人々になかったことを示しています。
⑯ 1231年以降、モンゴル軍の侵略を受けて、王たちは早々と江華島に逃げ込み贅沢な生活を続けましたが、残された高麗の人達は奴婢までも果敢に戦い、モンゴル軍を敗退させる場合もありましたが、6次にわたるモンゴル軍侵攻に蹂躙され、甚大な被害に遭いました。
⑰ 1259年、高麗王は江華島を出てついに元に降伏し太子を元に送りました。そして高麗王室は元皇室との婚姻を重ね、高麗は元の一つの領域として新羅王が統治する形となりました。
⑱ 高麗は多人数の処女を何度も貢女としてお土産を持ってゆくように元皇室に提供し、また元の要求により高麗政府が専門部署を設置して多くの婦女子を拉致して、元軍のために提供しています。このことは『本当に悲惨な朝鮮史』に記されていますが、韓国の教科書は一言も記していません。
⑲ 1274年と1281年の二度の元と高麗の連合軍による大規模な日本侵攻のことが、韓国の歴史教科書にはまったく記されていません。
⑳ 元の衰亡により、親元派が粛清され、高麗から元が排除されました。そして明は元が支配していた地域を要求したので、これを拒否して明を攻撃するために李成桂が派遣されましたが、1388年、彼は威化島回軍をして、王と執権者を排除しました。李氏朝鮮の建国への序曲が始まったのです。
高麗時代の歴史上の大きな国際的な出来事の一つは、元と高麗の連合軍による1274年と1281年の二度の日本侵攻です。この二度の侵攻ともに悪天候の影響と、侵攻軍が矢を使い果たしてしまって戦えなくなり、将軍たちは全員が無事に引き上げました。この時日本側では対馬と壱岐島の住民と守備の将兵はほぼ全滅し、九州でも多くの戦死者が出ました。元軍と高麗軍の将兵も日本の武士との戦いで多くの将兵が死にました。
元寇の後、1284年、日本と元と高麗の将兵の死者を悼んで、鎌倉幕府の執権であった北条時宗は鎌倉に円覚寺を建立し、二回の元寇による犠牲者を、敵も味方も区別なく平等に供養しました。すなわち日本の武士の死者だけではなく、この戦いで亡くなった元と高麗の将兵の冥福も平等に祈って、丁寧に円覚寺に弔いました。このことは臨済宗大本山円覚寺のホームページ(www.engakuji.or.jp/about.html)に記されています。
韓国の方はご存知ないかも知れませんが、元軍に強制されて日本へ来て戦い、無念の死を遂げた多くの高麗将兵の霊がこの円覚寺で今も眠っています。そして、多くの日本人がこの円覚寺を参拝して、その霊を慰め冥福を祈っているのです。
韓国の方々も、どうかこの日本人の心を知って頂き、日韓両国人を不幸にする無益な敵対的な反日活動を止めることだけが、両国民を幸せにする唯一の道であることに一時も早く気付いて欲しいと思います。
また韓国は、「日本による朝鮮の併合は不法かつ不当である」とし、故にこの併合は無効であると主張していますが、世界の歴史を見れば、強国が弱小国を併合した歴史であると言えます。例えば次のような併合が知られています。
① ローマ帝国:エジプト・フランス・スペイン・ギリシャ・中東諸国などを併合
② 元帝国:ユーラシア大陸の殆どすべての国を併合
③ 秦帝国:中国大陸に存在していた多くの独立国を総て併合
④ オスマントルコ帝国:中東地域と東欧南部諸国・バルカン諸国・アフリカの地中海沿岸諸国などを併合
⑤ 漢帝国:衛満朝鮮を制圧して併合し、楽浪郡など四郡を置いて直接統治した。
⑥ 中国各王朝:アジア大陸における諸国の勃興と分離独立および武力制圧や禅譲による併合と統一
⑦ 高句麗:東扶余・楽浪郡・北方諸国を併合
⑧ 百済:周辺の50カ国余りを併合
⑨ 新羅:周辺12カ国と弁韓12カ国を併合
⑩ 新羅:百済を併合し、朝鮮半島を統一
⑪ 高麗:新羅が自ら降って来て、平和的に併合
⑫ 高麗:後百済を軍事力で制圧して併合し、朝鮮半島を統一
これらの併合は、歴史的事実です。そしてこれらは殆どが軍事力によって相手の国を制圧して、有無を言わせずに併合しています。唯一の例外は、⑪に記した新羅を高麗が併合した事例です。
新羅の最後の敬順王は、反対した王子たちや大臣を退けて、高麗に降って、新羅を高麗に平和的に併合させました。それは、腐敗し弱り切った新羅を自力で維持発展させるのは不可能であると判断したからです。これ以上の国民の苦難の発生を防ぐために、新羅の為政者は国内の反対を排除して高麗との平和的な併合に踏み切ったのです。
この併合時の弱り切った新羅の状況は、大韓帝国が日本との併合条約を締結した時の状況に非常に良く似ています。しかも大韓帝国皇帝が併合の勅諭を発し、時の政府が調印している併合��、歴史上稀に見る平和的な併合です。それにも拘らず、韓国は、「日本による朝鮮の併合は不法かつ不当である」とし、故にこの併合は無効であると主張しています。その理由は、大韓帝国内の一部の併合反対者に対する強圧や排除の上でなされたからであるとしています。しかし、新羅の国王も反対者を強圧して排除の上に異種族の高麗との併合を進めましたが、現在の韓国の人は日韓併合と同様なこの併合に対して誰もこの併合を不法かつ不当であるとはいっていません。このことから、「日本による朝鮮の併合は不法かつ不当である」との韓国の主張は一貫性がなくご都合主義的であり、根拠がりません。
その上、過去の歴史的併合が、不法か合法か、不当か正当か、有効か無効かを決定する国際的な規定は、存在していません。
このようなことを考えた時、唯一出来る意味のあることは、併合がもたらした結果の評価です。その併合された地域の人々を平和で幸せに暮らせるようになったか否かの評価です。その評価によって、併合の良否を論議することは有意義であり、可能だと思います。
さらに韓国は、「併合は加害者と被害者の関係であり、その関係は1000年経っても永遠に変わらない」と主張しています。これは併合された被害者の後百済人は加害者の高麗人に対して、精神的苦痛を含めた補償や賠償及び謝罪を永遠に要求し続ける権利があることになります。
しかし、このような不毛な論議をすることは、誰にも好ましい結果をもたらしません。そして、新たな問題を誘発させるだけで、まったく無益で有害な論議といえます。
ですから大切なことは、過去に囚われて相手を非難して争うのではなく、未来に向けて感情に流されずに誠実に接することです。このような交流を続けているうちに、友好的な雰囲気も生まれて来るのではないでしょうか。これ以外に、韓日両国民を幸せにする途はないと信じています。
世界の人々に、この信念の是非を問う次第です。
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