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#仲良し老夫婦
gt-blog · 2 years
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. #ベランダからの風景 の #お気に入り の一つ、 #仲良し老夫婦 の #リハビリ散歩 😊 歩行不自由なご主人に対する奥さんの #甲斐甲斐しい サポートを見ていると 自分達夫婦の未来を見ているようで… #ほっこり したり #キクリ としたり 何とも複雑な思いがするのです。 はい #坐骨神経痛 がなかなか改善せず 本日も #安静生活 を継続中でして… 寝ても立っても座っても、長時間同じ 姿勢が続くと痛いので、それならばと 今日から仕事を再稼働しようとしたら 「何やってんの大人しくしてなさい」 と妻にしては珍しく厳しい指導 😅 渋々、悶々と、安静にしております。 隔週メンテナンスの #中国鍼 通院が 明後日なので、そこでの改善を期待。 #健康ってありがたい #健康に感謝 #妻に感謝 #不労所得に感謝 #今に感謝 #thankyouforall https://www.instagram.com/p/CoYpKGZyy1f/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 3 months
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「本人は一生懸命生きようと思っていた。それを奪ってしまって申し訳ない」 80歳の男は声を震わせながら法廷でこう語った。長年にわたり介護していた85歳の妻を夫が殺害した事件。“介護疲れ”による殺人だったのか、それとも“衝動的な”殺人だったのか。裁判員らが悩み抜いて出した結論は執行猶予付きの判決だった。 吉田友貞被告(80)は2023年9月30日から10月2日までの間に、東京・世田谷区の自宅で妻・節子さん(当時85歳)の首を両手で絞めつけた後、電源コードを首に巻きつけて殺害した罪に問われている。 保釈中の吉田被告は12日の初公判に、青いネクタイを締めグレーのジャケットに黒のスラックス姿で法廷に現れた。声が聞き取りづらいのか、右手を耳に当てながら裁判長らの話を聞く場面もあったが、はっきりとした口調で「間違いありません」と起訴内容を認めた。 “老老介護”の実態 食事にはこだわりも 吉田被告は50歳の時に、仕事関係で知り合った節子さんと結婚した。仲の良い夫婦だったが、2016年頃から節子さんの視力が悪化し、生活状況が変化していくことになる。ヘルパーの支援を受けることになったものの、支援は外出する時だけ。自宅での介護は、節子さんの希望もあり吉田被告が1人で担っていた。その後、節子さんはほとんど目が見えない状態となり、2023年1月には要介護の認定を受けることになった。 その後、節子さんは、吉田被告の浮気を疑う発言、「死にたい」との発言、勝手に外に出て行って徘徊、近隣住宅のインターホンを鳴らすといった言動が増えていった。 7月には神経症・うつ状態と診断されることになる。精神科医が訪問診療することになったが、節子さんが受診を嫌がったため、2回目以降は全てキャンセルすることになった。 節子さんを一人にしてはおけないと考えた吉田被告。“息抜きの場所”だったシルバー人材センターでの仕事も辞めて介護に専念することにした。 吉田被告が1人でしていた介護とはどういったものだったのか。 トイレやお風呂は節子さんだけでできたというが、吉田被告は家事全般、爪切り、毎日足湯を用意、夜中などに痰が詰まったときには背中をさすることなどをしていた。食事については節子さんの好みに合わせて作っていたという。 吉田被告の自宅(東京・世田谷区 2023年10月撮影) この記事の画像(4枚) 吉田被告: 朝はパンや牛乳、ヨーグルトに果物を入れたもの。牛乳は決まったものしか飲まなかった。昼は麺で夜はご飯。ご飯は毎回1合炊くが、1合に500mlの水を入れていた。魚は骨が駄目なのでほとんどがマグロやネギトロだった。お肉も柔らかいのしか無理なので、しゃぶしゃぶ用の肉を焼いたりしていた 弁護人: どうして節子さんのこだわりに付き合ったのか。 吉田被告: 我々の歳になると食べることくらいしか生きがいがない。なのでできるだけ望み通りにしたかった。 弁護人: 介護についてはどう思っていた? 吉田被告: 2人きりの家族なので当たり前だと思っていた。 検察官: ストレスに感じていた? 吉田被告: 自分ではストレスという認識はなかった。そんな大変な介護をしている認識はなかった。 事件の10日前、妻が錯乱状態に 吉田被告はつきっきりで介護をしていたが、2023年9月22日にある出来事が起きた。 吉田被告: この日は一日中調子が悪く、私が買い物から帰ってきたら「どこに行っていたんだ」とか「財布を返せ」とか「浮気をしているならお金を返せ」とか話の筋が通らないことを言われた。 節子さんはその後外に飛び出し、大声で叫びながら近隣住民の玄関をたたくなどの行動をしたため、吉田被告が救急隊を呼ぶといった騒ぎがあったのだ。 この出来事から約10日後、吉田被告は節子さんを殺害した。 事件直前も節子さんが大声で騒ぎ、吉田被告は話を聞いたりなだめたりしたが、手がつけられない状態が続き、「静かにしてほしい」という思いから首を絞めた。節子さんを殺害後に吉田被告は自殺をすることも考えたが、実行できないまま事件が発覚し逮捕に至ったのだ。 「限界です!!」携帯に残された日記 事件当時の吉田被告の心境はどのようなものだったのか、吉田被告の携帯電話のメールの未送信フォルダには「日記」が残っていた。 (吉田被告の日記より) 2023年9月30日午前1時2分 なかなか死ぬふんぎりができません。でも限界です!! やってみます。ご迷惑をおかけします。 2023年9月30日午前1時29分 死ねるかな?!出来るかな?!分からないけど息苦しいです。 2023年9月30日午前2時4分 刃物は傷つけてかわいそうなので首を絞めようと思います。 2023年9月30日午前2時26分 まだ勇気がでません。ありったけの酒を飲んで頑張ってみる。 2023年9月30日午後7時6分 かわいそうだな。節子の頭の中どうなっているのかな。 2人で死ぬことを考えたものの、実行できない様子がわかる。 そして、2日後。 (吉田被告の日記より) 2023年10月2日午前1時4分 ついにやりました。ずっと首を絞めて申し訳ありません。後は自分の事です!!頑張れ。 2023年10月2日午前10時33分 節子は楽になったのかな。俺はいまだに生きています。 包丁は小さい方が良いのか。頑張れ。 日記には「頑張れ」という言葉が多くあった。吉田被告によると「節子を殺してしまった以上、私が生きていることはありえない」と考えてはいたものの、「自分を刺す勇気が出なく、それを何とか振り絞ろうと自分を激励していた」という。 “生きる権利を奪ってしまった”男が語る後悔 事件から約9カ月。吉田被告は今何を思っているのだろうか。被告人質問では次のように答えた。 弁護士: 節子さんに対してどのように思っている? 吉田被告: 本人は一生懸命に生きようと思って薬も欠かさず飲んでいたのに私が生きる権利を奪って申し訳ない。節子は今怒っていると思います。 弁護士: 事件の根本的な原因は何だと考えている? 吉田被告: 私自身が古いかもしれませんが、自分の家のことは自分で片付けないといけない、人に弱みを見せてはいけないと考えてしまったことです。 弁護士: 今何か言いたいことはある? 吉田被告: 節子は昔から他人様から言われていたが、しっかりもので、きちょうめんで、仕事的にも家庭的にも強い人だとみられていたが、ここ2、3年の節子を見ていると本当は私に甘えたかったのではないかなと。それが出来なくて申し訳ないです。 「悩み抜いた」裁判所の判断は執行猶予 この事件は、“老老介護の介護疲れ”による殺人事件だと報道されている。ただ、検察側は吉田被告自身が介護をストレスとは思っていなかったこと、節子さんも吉田被告の手助けを受けてはいたがある程度身の回りのことはできていたことなどを指摘し、“介護疲れによる殺人”と見るべきではないと主張。節子さんが騒いだり、なだめても収まらないといった言動に「頭に血が上り、カッとなった」ことで殺害に及んだとして懲役7年を求刑した。 一方、弁護側は、介護によるストレスを自覚していなかったにせよ、肉体的・精神的に疲労していたこと、介護サービスを受けることを節子さんが拒否をしていたことなどを踏まえ、 “介護”が事件の背景にあり、犯行に至る経緯に酌むべき事情があるとして執行猶予付きの判決を求めた。 東京地裁は吉田被告に対し懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した 20日、裁判員らが出した答えは懲役3年、執行猶予5年の判決だった。 東京地裁は判決で、「吉田被告自身、ストレスを感じていなかったと述べているが、その経緯をつぶさに見ると、家族のことで他人に負担をかけさせられないとの思いや、自らの見栄などから介助を背負い、自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させていたことは容易に推認できる」と指摘。その上で「実刑を選択することも考え得るところであるが、吉田被告の置かれていた状況や事件までの経緯を考慮すると、刑務所に直ちに収容することのみが刑事責任を問う唯一の手段とまでみることはできない」「その余生において、反省を深め、被害者を弔い続けるべきものとすることが適当」として執行猶予付きの判決を言い渡した。 そして裁判長は判決を言い渡した後、「結果が大変重いということは何回も強調したいと思います。私達は悩み抜いた上でこの結論にたどり着きました」と震える声で涙ながらに諭していた。 「私だけが普通の生活をしていいのか」 吉田被告は判決後に報道陣の取材に応じた。 ――判決が出たときの率直な気持ちは? 吉田被告: 正直言って執行猶予が付くとは思っていなかった。本当にいろんな人にお世話になって執行猶予がついたが、本当にそれでいいんだろうかっていう微妙な気持ちは本当にある。 ――最後に裁判長が「私達は悩み抜いて結論を出した」って言っていたがどう思った? 吉田被告: 本当に私から見たらすごく寛大な判断をしていただいたんだと思いますけど、それが本当にいいんだろうかって、そういう気持ちがある。本当に頑張って努力しようとしていたのは私だけじゃないんだと。女房も頑張っていたのは間違いないことなんで。 ――執行猶予で本当にいいんだろうかというのは節子さんに対して? 吉田被告: はい。私だけが表で普通の生活をしていいんだろうかという気持ちがある。 周囲には吉田被告の異変に気づいている人もいたが… 吉田被告の異変に気付いていた人は周囲に多くいた。吉田被告の妹、ケアマネジャー、お寺の僧侶、近隣住民たちが吉田被告の様子を心配し、相談も受けていた。しかし最終的には吉田被告が「自分の家のことは自分で片付けないといけない。他の人には迷惑をかけられない」という考えから1人で抱えてしまい、最終的には殺人事件という最悪な結果になってしまった。 吉田被告は法廷で精神科医の訪問診療を断った時が分岐点だったと振り返り、「本人が嫌がっていても介護サービスの利用や病院に入院させるべきだった」と語った。だが、それを実際に実行するのは難しい。孤立してしいる人や十分な介護を受けられていない人をどう救うのか、高齢化が進む中で今後このような悲しい事件を起こさないためにも課題を社会全体で解決しなければいけないだろう。 (フジテレビ社会部 高沢一輝)
「限界です!!」老老介護の実態…介護中の妻を殺害した男に執行猶予付き判決 裁判長涙ながらの判決「悩み抜いた結論」 東京地裁|FNNプライムオンライン
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elle-p · 9 months
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Famitsu 1823 Persona 3 Reload part scan and transcription.
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続報
謎だらけの迷宮タルタロスも新ギミックを追加してリニューアル!
真田明彦
声:緑川 光
さあ挑め、奈落の果てに
当時開発に携わったP-STUDIOがみずから現行最新機種でフルリメイクしたJRPGの名作。1日と1日の狭間に存在する“影時間”に潜む謎の存在“シャドウ”と戦う若者たちの物語が、新たに描き起こされたグラフィックで色鮮やかに蘇る。今回は、登場人物たちの情報や迷宮タルタロスの新要素を紹介する。
3年生でボクシング部の主将。専用ペルソナ“ポリデュークス”は、不死身の肉体を持ち、剣術と拳闘の名手として名をはせた、ギリシャ神話の英雄だ。
専用ペルソナ
ポリデュークス
己の拳を武器にシャドウを叩きのめす
電撃と打撃のハイブリッドでシャドウたちを蹂躙する
←↑もちろん真田も、本作からの新要素である超強力なスキル“テウルギア”を使用できる。彼のテウルギア“ライトニングスフィア”は、敵全体へ相性を無視した電撃属性の大ダメージを与える効果を持つ。
専用ペルソナ
ルキア
山岸風花
声:能登麻美子
主人公の同級生で、パーティーを後方から支援するナビ役を務める。専用ペルソナ“ルキア”は、古代ローマで信仰を貫いて殉教したシチリア島の聖女。
←↓支援スキルで主人公たちをサポートする風花。テウルギアの“オラクル”は、味方全体にランダムでいい効果が発生する。
↑→突剣を振るう美鶴。テウルギア“ブリザードエッジ”は、敵1体へ相性を無視した氷結属性の特大ダメージを与える効果を持つ。
桐条美鶴
声:田中理恵
専用ペルソナ
ペンテシレア
3年生。特別課外活動部部長にして生徒会長、フェンシング部にも所属する。専用ペルソナ“ペンテシレア”は、ギリシャ神話に登場する誇り高きアマゾネスの女王。
巨大な迷宮タルタロスに挑め!
1日と1日の狭間に存在する“影時間”にのみ姿を現す巨大な迷宮“タルタロス”。内部には無数のシャドウが徘徊し、主人公たちに襲い掛かる。本作ではグラフィックや一部ギミックが新しくなったほか、ダッシュ移動、ボタンひとつでパーティー全体のHPを回復させる“オートリカバー”などの機能も追加。
↑→本作では操作系が見直され、探索がやりやすくなった。また、戦闘後のシャッフルタイムも選択制になるなどより便利に。『ペルソナ3ポータブル』で追加された失踪者救出も実装。
破壊オブジェクトと施錠された宝箱
タルタロス内には破壊可能な物体や宝箱が点在しており、フィールドアクションで破壊した物体からは、回復アイテムなどが出現することがある。宝箱には施錠されたものもあり、“薄明の欠片”と呼ばれるアイテムで解錠が可能。手間は掛かるがそのぶんいいアイテムが入手できる。
オブジェクトを壊しアイテム収集に励もう
↑→破壊オブジェクトの中には、宝箱の解錠に使う薄明の欠片が入っていることも。発見したら積極的に破壊するといい。
エントランスの時計
タルタロスのエントランスに置かれている時計を起動すると、パーティーメンバー全員のHPとSPを全回復できる。ただし、起動には毎回薄明の欠片が7個必要となる。薄明の欠片は貴重なのでムダ遣いせず、探索期限間際で探索の継続が必要な場合など、いざというときに使おう。
SPを回復できるありがたい施設
←タルタロスではとくにSPの回復手段が乏しく、時計は貴重な存在。使いどころを見極めて薄明の欠片を投入するのだ。
モナドの扉とモナド通路
探索中、“モナドの扉”と呼ばれる巨大な扉が出現することがある。その先には貴重なアイテムが入った宝箱と、強力なシャドウが待つ。
←↑モナドの扉の奥では、貴重なアイテムが入手可能。ただし、強力なシャドウが待ち受けているので、腕前に自信があれば挑戦しよう。
風花だけが使える支援スキル
風花の支援スキルは、戦闘だけではなく探索時のサポートも行える。探索中に“ナビボタン”を押せば、支援スキルを選択して発動できる。
←↑フロア内の敵から感知されなくなる“ジャミング”を始め、スキルは多岐にわたる。発動にはほかの仲間と同様にSPが必要となる。
港区の街を巡って出会いを捜そう
街中で出会う“コミュ”のメンバー
→放課後や夜の時間には、ポロニアンモールや巌戸台駅など、学園外のさまざまな場所に移動できる。
主人公が、出会った人々と交流を重ねて絆を結び、その絆をさらに深めていくことで発生、成長する“コミユニティ”(通称“コミュ”)。コミュランクを上げると、そのキャラクターにまつわる特別なイベントを見られるほか、ペルソナ能力の強化にもつながる。今回は、コミュを築ける人物の中から、おもに学外で出会う人々を紹介しよう。彼ら彼女らとは、放課後や夜の時間などをメインに交流することができる。
飛躍的に顧客を増やすテレビ通販会社社長。お金にがめつく、独特の経営理念を持つ。主人公をタレントとして売り出そうと目論む。
たなか社長
テレビ通販社長
声:島田 敏
ややガラの悪い僧侶。煩悩だらけの様態を見せるが、檀家からの評判は上々。主人公に独自の価値観と言葉で説教をくり返す。
無達
型破りな僧侶
声:青森 伸
他校の陸上部のエースで、全国レベルで注目を浴びる実力者。主人公に才能を見出し、ともに競い合うライバルとして認める。
早瀬 護
他校のエース
声:梅原裕一郎
オンラインゲームで出会うプレイヤー。主人公の操るN島を相棒と呼ぶ。休日には必ずログインし、主人公が来るのを待っている。
Y子
インターネット
声:なし
長鳴神社脇の公園で出会う女の子。両親が離婚寸前で不安を感じ、あまり家に帰りたがらない。主人公をおにいちゃんと呼び慕う。
大橋舞子
神社の女の子
声:河野ひより
不治の難病を患っており、休日になると弱った体をおして神社へやってくる。自分の生きた証を童話という形で残そうとしている。
神木秋成
余命いくばくもない青年
声:野島裕史
古本屋“本の虫”の店主夫婦で仲はとても良好。数年前にひとり息子を亡くし、生前に彼が植えた柿の木を形見のように思っている。
北村文吉•
光子
古本屋の老夫
声:高木早苗
声:龍田直樹
休日にはメールでの誘いも
放課後や休日には親交を深めたキャラクターたちからメールで誘いを受けることがある。個性的なメールにニヤリとすることも⋯⋯?
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tanashin · 1 year
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その夜 
ミカと会うのは何年ぶりか。
初めて会ったのは新宿のキャバクラでまだ大学生だった。ある日ライブハウスで見かけて何度かメシに行き撮影した。よく食べとにかくいろんなことに悪態つきながらタバコをふかす姿がかわいかった。就職したあとは会うことはなく、何度か転職して最近は小さな広告代理店に就いていることはSNSで知っていた。近所に引っ越してきたとメッセージをもらい会うことになった。
サウナに4回入って向かった。予約してもらったのはサバ専門の居酒屋。初めて来たがとても良い雰囲気。老夫婦で切り盛りしていてカウンターは常連ばかりで座敷がありテレビがあってこれでタバコが吸えれば100点なんだけどなーと。。遅れるとのことで、何品か注文し先に瓶ビールをもらう。冷えてなかったが半分くらい飲んで緑茶ハイをすぐに注文した。刺し盛りの真っ赤なマグロが不味そうでよかった。刺身は醤油をなめる為の口実。残りのビールで流しこみテレビを見ていると、ミカが入ってきた。「常連さんみたいやん、ひさしぶり」濡れ髪とタイトなワンピースのミカは年頃の大人の女性になっていた。若い時の見定めするような無意識なイヤな視線はなく、フランクによく笑っていた。でも嘘っぽくはないけど、壁を感じた。社会性を身につけたということか。
仕事や音楽やオードリーの話しをした。今日の飲み会をそれはデートやんと心配した友達のミュージシャンが同席していい感じにプレゼンしようかと真顔で聞いてきたのを思い出し笑いした。楽しい夜です、大丈夫と心の中でつぶやく。
恋はどうなの?と聞くと上司と不倫していると。とても相性がいいだとか、将来2人で新しいプロダクションを起業する予定だとか、楽しく話す姿がかわいかった。恋してるときは綺麗になるよなーとぼんやり。とじじいになったなーと。サバのいろんな料理をたくさん食べ普段飲まない日本酒をあおり2人ともおおいに酔っ払った。2軒目は立ち飲み屋に行き、バツ3の中年カップルに絡まれて面白かった。ゲーセンのお菓子のクレーンゲームでチョコが結構な数取れてとても喜んでいた。チョコは小さくて固くて味がしなかった。コンビニでアイスを買い近所を散歩することに。甲州街道をふらふら。店はほとんど閉まっていたけど、明かりがついてる誰もいない小さい雑貨屋を外からのぞいたりした。なんかこういう映画観たなと、自分がジジイなの忘れてドキドキした。
信号待ちの間、今日はそいつに会わないのか?と聞く。一瞬間が空き「今日は会えない。休日だから。会うのは平日の終わったあとだけ。家族に残業と言い訳出来るから」迂闊だった。。バツが悪く、ひさしぶり撮ろうかと誘う。ガソリンスタンドとコンビニを挟んだ縁石に座ってもらう。なにやら口ずさんでるので尋ねると「ランタンパレードの甲州街道の歌。学生の頃好きだったなー」と笑う。オレンジの街灯、行き交う車のライトに照らされるタイミングでシャッターを押す。たびに表情が変わっていき泣き出した。「あれ、どんなメロディーだっけ。歌詞も思い出せない。毎日聞いてたのに。。」止まらない涙。過ぎていく大型トラックの風が髪を揺らす。飲み過ぎたな、あとずっと泣けてなかったんだろうなーと思った。タバコに火をつけて落ち着くのを待つ。居酒屋に入ってきたときの違和感は、どうにかやりくりするためのキャラだったんだろうなーとぼんやり。撮りたいがやめておく。コンビニで水とポカリを買いにいく。戻ると苦しそう。過呼吸か、と落ち着かせようと深呼吸を促したり水を飲ませるが悪化してきて手が震えて硬直してきた。救急車を呼び待ってるあいだ意識朦朧とごめんなさいごめんなさいと、つぶやくミカ。救急車に乗るとだいぶ落ち着き、病室に入るころには意識もしっかりしていた。さっきよりもはっきりした声でごめんなさいと言ったが泣き続けていた。
待合室で待つことに。肩はじぶんの汗か彼女の涙かで濡れていた。ランタンパレードをYouTubeで聞いた。雑に言うなら、男が夏の甲州街道で職質された、だけの歌だった。短い歌詞と良いメロディー、リスナーは語りやすいだろう。この余白は無責任で空っぽだと、だからミカにメロディーや歌詞も残せないんだ、と思った。我にかえる。八つ当たり。いい曲。
看護師さんから案内されると、点滴しながら横たわっていた。眠りながらまだ泣いているようだ。先生から説明を受ける。点滴が終わって落ち着いたら帰っていいとのこと。はだけたタオルケットを戻して待合室で時間をつぶす。ずっと昔の恋人が過呼吸になったことを思い出していた。離れたり引っ付いたりを何回も繰り返していて、友達がセッティングした仲直り飲み会に行き、2人で公園で話した。離れている間の風景のスナップ写真を見せながら話した。それでも仲直り出来ずもういいやって持ってきた写真を公園向こうの川に投げ捨てると彼女は過呼吸になった。初めてで手に負えず慌てて友達を呼んだ。いつだって自分自身に大いに問題があるが、自殺したり出ていかれたり何回も離れていった、写真では繋げない紡げないことを繰り返せばいいんだろうと、頭抱えた。空しい、でも写真しかないからしがみつく。
iPhoneを出すとランタンパレードの続きでくるりの奇跡のライブ動画をぼんやり見始めた。歌詞が刺さるとかどうのこうのじゃなく、とんでもないライブだった。フィッシュマンズの男達の別れや中村佳穂のそのいのち、の時のような、空間が歪んで光り続けるライブ。気付いたら泣いていた。
点滴が終わりミカがきた。「あー生理前で酔ったのかなーごめんね。」薬をもらい外に出ると明るくなっていた。病院の脇から差し込む逆光のシルエットが心底美しく思わずカメラを出す。「泣きすぎて顔が腫れてる��ら見ないで」って言う。のでカメラをしまう。代わりにカバンに入っていた無印の日焼け止めスプレーを渡す。受け取ると一振り二振りして投げ返してきた。「帰るね。またね。」と歩道橋をかけていった。もう会わないかもしれないなーと、なんとなく思った。
ランタンパレードの歌詞の中で
潤すために 乾かしたかのような僕の喉が
できれば夜明けから 夜更けまでを
見届けたいのだけれど 僕は
見届けたいのだけれど 僕は
と歌っていた。
オレは夜更けを見届けたから勝った。ってことじゃないな。。にしても暑い。このまま今日もサウナに行くことにした。
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kasumime · 2 years
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祖父の葬儀へ。近親者のみの小さな式だったけれど、初めて顔を合わせるような老夫婦ばかりで、父や母が仲介人になって丁寧に挨拶をして回った。幼い頃によく遊んでいた2つ上の姉のような親戚の女の子の祖母はすっかり背中が丸くなって小さくなってしまっていた。叔父が喪主となって、雨が降り気温も都心よりぐっと冷え込んだ空気の中で焼香をし、火葬場へ行き、会食を経て父と共に祖父の骨を拾った。僧侶のお経を聴きながら、祖父が生前朝晩欠かさず行っていた勤行とその背中を重ね合わせて、もう仏壇の前で正座する姿を見られないことを惜しんだ。立てられた遺影の中の祖父は棺の中で冷たくなった姿と違い柔らかな笑みを浮かべていて、それがほんの2〜3年前に撮影したものであることを聞いて驚き、同時に、自分に自信がないばかりに会わない選択肢をした幼稚さを悔いた。会食時には(飲酒に対して否定的な)父が意外にもノンアルコールビールを指さして飲むか?と尋ねてきたので、飲む、と答えたらじゃあ少しもらうよ、ああこれは美味いね、と言っているのを聞きながら、配膳された懐石弁当を肴に一本半空けて、心做しか少し酩酊した。父と母が席を立った時に疎遠になっていた兄と久しぶりにまともな会話をした、仕事は何してるかとか、高円寺に住んでるんだけどとにかく芸人が多いとか、いきつけの飲み屋に女優の誰々が来たとか。僧侶が「仲良く健康に過ごすことが供養になる」と言っていたので、もしかしたら兄はそれを意識して話しかけてくれたのかもしれないし、祖父が孫である私たちに遺してくれた財産だったかもしれない。97年生きた祖父の棺には、言葉で人の心を震わせることの尊さを教えてくれてありがとう、と書いたメッセージカードを顔の横に添えた。父は歩く速度こそ未だに私より早いけど昔より身長が縮んで、アルマーニのコートも体型が足らず大きく見えていた。兄とは青梅線の車内で別れ、私も一度実家に戻り荷物をまとめて帰宅。俳句の話をする機会こそ持たなかったけれど、句会の名誉会員の名を背負ったその大きな背中は世界で最も尊敬する大好きな存在だった。さようなら、また会う日まで。
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t82475 · 1 year
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美術モデル
1. 貸しスタジオの扉に『三田美術教室』の張り紙がありました。 美術モデルのお仕事は初めてです。 扉を開けて大きな声で挨拶。 「こんにちわっ。『アルパカ』から来ました!」 中には女の人が二人、床に座ってお弁当を食べていました。 二人とも食べかけのサンドイッチを口に頬張ったまま、驚いた顔でこちらを向いています。 女の人のうち、一人は年のいった感じ。 明るい色のチュニックにスキニーなジーンズ姿。この人が三田先生ですね。 もう一人はずっと若い女の子。 白いブラウスとグレーのプリーツミニスカート。ブラウスの胸には校章っぽい刺繍。高校の制服? 「あ、モデルさんですか!? 三田静子です。こっちはお手伝いのれいらちゃん」 「玻名城(はなしろ)れいらです。今日はどうもありがとうございますっ」 二人は立ち上がって挨拶してくました。 「『アルパカ』の谷村彩智です! ・・お食事中みたいですけど、もしかして私、時間間違いました?」 「そうですね、まだ1時間くらいありますね」 ありゃ、やっちゃったみたい。 「そうだ、谷村さん。よかったら一緒に食べません?」 「いいんですか?」 「どーぞどーぞ。作り過ぎて余りそうだったんです」 れいらさんが勧めてくれたランチボックスには美味しそうなサンドイッチが。 今日はバイトのシフトが忙しくてお昼ご飯を食べていませんでした。 ぐーっ。 大きな音でお腹が鳴って、お二人がくすりと笑いました。 ・・ 「美味しいです! これ、れいらさんが作ったんですか!?」 「はい。あたしの手作りですっ」 「れいらさんの名字、えーっと」 「玻名城です」 「そうそう、ハナシロさん。珍しい名字ですよね。沖縄みたいな感じで」 「おじいちゃんが沖縄なんです。変わってるけど、すぐに覚えてもらえるから得ですよ」 「ほんとだ。私もう覚えちゃいました。玻名城れいらさん」 「れいらさん、じゃなくて、れいらちゃんって呼んでくれたら嬉しいです」 「だったら私のことも彩智って呼んでください」 「はい、サチさん!」 れいらちゃん、元気で礼儀正しい子。 制服のミニスカートから伸びる太ももが眩しく見えます。 うちのチームに誘いたいくらい。 「れいらちゃん、やっぱり高校生ですか?」 「高校2年生17歳です。 ・・彩智さん、どうして高校生がこんなところにいるのって思ってるでしょ」 「はい。大人向けの教室だと思ってました」 「美術教室は15歳から参加できるんですよ」 三田先生がおっしゃいました。 「そうなんですか」 「美大の進学希望者には普通にヌードデッサンだってやらせてますし」 「え」 2. 急に黙り込んだ彩智さんが可愛いかった。 高校生でもヌードを描くって知らなかったんだろうね。 あたしも1度だけ参加させてもらったことがある。 同じ女とはいえ全裸のモデルさんを間近で見るのはけっこう刺激的だったな。 「今日は着衣のクロッキーですから、ヌードはお願いしませんよ」 三田先生が言った。 「そうですか。よかったぁー」 「谷村さん。美術モデルのご経験は?」 「いいえ、ありません」 「普段は何をなさってるんですか?」 「『アルパカ』はチアダンスのチームなんで本業はダンスです。お仕事はイベントのアシスタントやらポスターモデルやら節操なくやってますけど」 「じゃあ驚いたでしょう。こんな依頼で」 「はい。チアリーダーのクロッキー、はまだ分かりますけど・・」 緊縛、だものね。 「うちのメンバーは全員成人してますがR18の仕事はしません。でも美術教室のモデルなら挑戦しようってことになりまして」 「嬉しいわ、偏見なく受けてくださって」 「これでもドキドキしてるんですよ」 「あの、」 あたしも質問した。 「そのチームって何人もいるんですよね? そこから彩智さんが来たのは理由があるんですか?」 「ああ、それは私が一番年上の古株だから。まだ24ですけど。・・それと、」 彩智さんは少し恥ずかしそうに答えた。 「一番適性があるのは私だと、私以外の全員一致で決まりまして」 「まあ、適性ですか? 緊縛の?」 「はい。どういうことかさっぱり分からないんですけど」 「うふふ」 先生が笑った。 「おかしいですか?」 「いえ、ごめんなさいね」 どうして先生が笑ったのか、あたしにも何となく分かった。 彩智さんって、あたしより7つも年上だけどかなり奥手な人じゃないかな。 3. 「そろそろ設営しましょう」 三田先生とれいらちゃんが準備を始めました。 スタジオの中央にシートを敷き、その周りに椅子を並べるのです。 その間に私は着替えです。 用意してきた衣装はセパレートの赤いチア服。そこへ同じ色のヘアバンドを着け、シューズを履いて準備完了。 「彩智さん足長いですねー。身長いくつですか?」 「170です」 「うわーっ、羨ましいなー!」 会場のセッティングが済むと、三田先生が段取りを説明してくださいました。 「前半はフリーでポーズをとってください。3分ごとに5ポーズ。それを2セット」 「えっと、ポーズの間は動かないようにするんですよね」 「ええ。ムービングといってゆっくり動くクロッキーもありますが、この教室ではやりません。不慣れでしょうけど静止ポーズでお願いしますね」 「了解です」 フリーポーズの撮影は今まで何度も経験しています。 でもずっと動かないのは初めてでした。 チアの格好いいアクションを見せてあげたいけど、ジャンプやタンブリングは無理みたいですね。 「細かい指図はしませんので自由にお願いします。ただ、」 「?」 「最初は無理のないポーズがいいかもしれませんね」 そうか。3分って案外長いかも。 私、ずっと静止していられるかしら? で��何事も挑戦だよね。 「はい。やってみます。・・それから後半は、」 「緊縛です。ワンポーズ約30分。これは生徒さんの出来具合で少し長くなるかもしれません」 れいらちゃんが横から答えてくれました。 「ポーズはこっちで決めますからご心配なく」 「分かりました。頑張ります」 「彩智さん、緊縛も初めてですか?」 「初めて、です」 「怖いですか?」 どきっとしました。 私をまっすぐ見るれいらちゃんは笑っていませんでした。 彼女が急に大人びて見えました。 「怖いです。・・いいえ、怖くないです。うん多分、怖くない。大丈夫・・です!」 「彩智さんって面白いですね」 4. スタジオに美術教室の生徒さんが集まった。 退職して趣味で絵を描いているおじさん。仲良し主婦の二人組。勤め帰りのお兄さんと大学生のお姉さん。そして高校生で美術系志望の女の子が二人。 全部で7人。 皆さんクロッキー会は慣れているので、静かに椅子に座りスケッチブックを開いて待っている。 三田先生は後ろの壁際。 そしてあたしはストップウォッチを持ってタイムキーパー。 チアのコスチュームに赤いポンポンを持った彩智さんが出てきた。 真中のシートの上に立つと、正面を向いて片足を一歩前に出し、胸を張って両手を腰に当てた。 何だか凛々しい。さっきまでのほんわかした雰囲気はすっかり消えていた。 「では1セット目、始め」 全員が一斉に鉛筆を走らせる。 「3分過ぎました。ポーズを変えてください」 彩智さんの身体がすっと沈んだ。 長い足が前後に伸びて完璧な180度開脚。柔らかい~! そのまま前屈して両手を左右に広げる。 「はい、次のポーズをお願いします」 今度は立ち上がって右腕を真上に突き上げた。 反対側の膝を胸まで引き上げて静止する。 彩智さんは3分ごとにポーズを変えた。 とてもしなやかで、それでいて全然ぶれない。 体幹っていうのかな、すごく鍛えているのが分かった。 最後のポーズでは、右足一本で立ったまま、左足を後方に曲げた。 高く反り上がった爪先を肩の後ろで掴み、そのまま頭の上まで引き上げる。 「うわ~」生徒さんたちの間から声が出た。 床についてぴんと伸びた右足と、美しく反り返った上半身と左足。 片足立ちで逆海老のポーズ。 それでぴたりと静止してマネキンみたいに動かない。 あとで聞いたら、スコーピオンとかビールマンとか呼ぶポーズなんだって。 5. 「びっくりしましたー!! すごく綺麗で柔らかくて」 れいらちゃんが褒めてくれて、私はにやっと笑います。 人前でモーション(ポーズ)を披露するのはやっぱり楽しいですね。 「さすがプロですねー」 「ありがとー。でもチアダンスでご飯は食べれないから、もっぱらアルバイトで生きてるんだけどねー」 「えーっ、信じられない」 5ポーズ×2セットのクロッキーが済んで今は休憩時間です。 私は後半に備えてストレッチ。 スタジオでは皆さん総出でシートと椅子を片付けています。 どうやら後半は各自が椅子ではなく床に座って描くようでです。 次のポーズはいよいよ緊縛。 そういえば、私を縛る人はどこにいるんだろう? 「あの、緊縛をする方は来られないんですか?」 「縄師さんのことですか? ・・この教室、縄師を呼ぶほどの余裕はないんですよね」 「じゃあ、三田先生が縛るんですか?」 「あたしが縛ります」 え、れいらちゃんが!? 「結構上手ですよ。任せてください」 れいらちゃんは手に持った紙袋の中を見せてくれました。 綺麗に束ねた薄緑色のロープがたくさん入っているのが見えました。 6. あたしは小学校の頃から三田先生の造形美術教室に通っていた。 去年から大きな人向けの美術教室が始まって、そちらのお手伝いもするようになった。 美大に行けるほどの実力はないけど、絵を描くのは好きだった。 女の人を縛る緊縛は、造形美術教室のOBのお兄さんが教えくれた。 そのきっかけは3年前の事件だった。 たまたま一人で三田先生のところへ行ったら、先生の前でお兄さんがお兄さんの彼女さんを緊縛していた。 そのときあたしは中学2年だったけど、ぎちぎちに縛られた彼女さんを見ても全然引かなかった。 それどころか、うわーキレイって思っちゃったんだよね。 三田先生は緊縛とかセックスとか、そういう事柄を全然タブーと思わない人で、あたしが緊縛を教わることも公認してくれた。 「御両親がOKしてくださるなら構わないわ。ただし、れいらちゃんが大人になるまで他所では絶対に縛らないこと」 あたしはお兄さんの弟子になって、彼女さんを縛らせてもらったり、あたし自身が縛られたりして勉強した。 (ちなみにこの彼女さん、美人で素敵なお姉さんで、あたしも大好きな人なんだ) 今では一人で縛って大丈夫と太鼓判を押される腕前にはなっている。 クロッキー会の緊縛は今日が初めてだった。 三田先生にダメ元で提案したら、縄を掛けた人体はいいモチーフね、是非やりましょう!と言ってモデルまで探してくれた。 7. 「彩智さん、さっきみたいにキリっとした顔してください」 「無理ですぅ」 皆さん、思い思いの場所でスケッチブックを開いています。 何人かはもう描き始めているようです。 れいらちゃんに縛られるところまでクロッキーされるだなんて、聞いてないよぉ~。 「両手を前で揃えてくれますか?」 「はい・・」 れいらちゃんは私の手首にロープを巻くと、あっという間に縛ってしまいました。 しっかり締まっていて、ぜんぜん緩みません。 「動きますか?」 「動きません」 「じゃここにお尻をついて座ってください。あ、もう少し右に寄って」 「?」 「先生、巻き上げお願いします」 低い音がして、縛られた手首が上に引かれました。 !! 天井に小さなウインチ(巻き上げ機)があってロープを引いているのでした。 あ、あ、あ。 手首が頭の上まで上がって止まりました。 「もう少し上げてください」 手首がさらに上がりました。 吊り上げられる感覚。 ああ、いったい何なの、この気持ちは? 「彩智さん、もう逃げられないって思いますか?」 「・・思います」 「そう思ってもらえると嬉しいです。次は足、縛りますね」 足も縛られるんですか。 右の足首にロープが縛りつけられました。 そっちにもウインチの音。 右足が前方に引き上げられます。 「すみません、少しだけお尻を前に滑らせてください」 え? れいらちゃんに言われる前に、右足と一緒にお尻が引かれて私は前にずりりと滑るのでした。 これで両手と右足を吊られた状態。 「無理に踏ん張らないでロープに身を任せてください」 「は、はい・・」 踏ん張ってるつもりなんかないんですけど。 「あとは左足」 ひえぇ。 左の膝を折って縛られ、さらに同じロープの続きで左の足首と右の膝を合わせて縛られました。 右足に連結された左足。 もう手も足も動かせません。自由を奪われたことを実感します。 私、制服の女子高生に縛られた。
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「完成です。これだけで4分もかかっちゃった。手際が悪くてすみません」 「いえ、そんな」 「でもあたし、彩智さんのこと理解しました」 「?」 「彩智さんって、確かに適性がありますよね」 「適性、ですか?」 「ええっと、つまり、こんな風に縛られて感じてしまうマゾな人だってことです」 「!!!」 顔面がぼわっと熱くなりました。 私、わたし、制服の女子高生にマゾって言われた。 8. あたしが彩智さんの側から離れると、三田先生が立ってコメントした。 「緊縛ポーズは滅多に描けない貴重なモチーフです。時間は長めに取りますから、モデルさんの雰囲気を掴んでたくさん描いてください」 あたしはストップウォッチをスタートさせる。 時間は30分。 彩智さんにはちょっと長い時間かもしれないな。 「・・れいらちゃん、あなた最後に何をささやいたの?」 先生に聞かれた。 「いえ、特に何も」 「谷村さん、始まったばかりなのに耳まで真っ赤にして、最後まで耐えられるかしら」 「大丈夫です。被虐性が高すぎて混乱してるけど、体力のある人だから壊れてしまうことはないはずです」 「その話し方、イッくんに似てきたわねぇ」 「そうですか?」 イッくんってのはOBのお兄さんのことだ。 「そのセリフだけ聞いたら、れいらちゃんが高校2年生とは誰も思わないでしょうね」 「お褒めいただいて光栄です」 ぷっ。 先生が吹き出した。 「本当に、イッくんそのものだわ!」 「えへへへ」 「れいらちゃんが大丈夫というなら放置しましょう。それに多少は苦しんでくれた方が生徒さんも描き易いだろうし」 「先生、ドS」 「あら、そうかしら?」 7. スタジオの中は静かです。 聞こえるのは皆が鉛筆を動かす音と、ときおり誰かが立ち上がって場所を移動する音だけ。 ああ、れいらちゃんも描いている。 れいらちゃんは床に膝と手をついて猫みたいな恰好で私を描いていました。 少しお尻が痛いかな。でも大丈夫。 手首と足首のロープに身を任せるよう意識したら楽になりました。 れいらちゃんの言った通り。 それよりも私の気持ちの方が大丈夫じゃない感じがします。 縛られて、見られている。 縛られて、絵に描かれてる。 そう思うと、たまらなくなります。 もどかしくて、切なくて、胸が張り裂けそうになります。 「マゾな人」れいらちゃんに言われました。 認めたくないけど、マゾだ私。 縛られて、見られて、こんな気持ちになって、確かにマゾなんだと実感しました。 「あと10分です」 三田先生の声が聞こえました。 「モデルさんの表情が変わってきたのは分かりますか? ・・よーく見て、彼女がどんな気持ちでいるのか想像しながら描くように」 ああ、先生。 そんな解説されたら、私、もう。 8. 「お疲れ様でしたー!」 「いやぁ、面白かったです」「今日は本当に勉強になりました」「描いててドキドキしました~」 生徒さんたちが挨拶して帰って行く。 「大成功でしたねー」 「ええ、れいらちゃんがここまでできる子になってくれて嬉しいわ」 「私、先生の教室にもう10年いるんですよー。できないと思われたら困ります」 「そうだったわねぇ」 「あとは彩智さんですね」 「そうね」 三田先生と一緒に更衣室へ行くと、彩智さんがチア衣装のまま座っていた。 どこか陶然とした表情で自分の膝と手首を撫でている。 彩智さんの膝と手首には縛られた痕がくっきり刻まれていた。 「彩智さん、もう大丈夫ですか?」 「あ、れいらちゃん・・」 「それ、条痕っていうんですよ。人を縛ると肌に残る痕です。愛しいでしょ?」 「え、じょうこん?」 彩智さんは条痕に乗せていた手を慌てて振り払った。 「そんなことありませんっ」 「素直になってください。彩智さんが支配された痕跡なんですよ?」 彩智さんの顔がまたまたぶわっと赤くなった。 「・・はい。愛おしいです」 「それを触るとどんな気持ちになりますか?」 「・・胸がいっぱいになります」 「谷村さんっ、ホントいい子ねぇ~! 嬉しくなっちゃうわ!!」 三田先生が彩智さんを正面から抱きしめた。 そのまま熱烈にキスをする。彩智さんは逃げられない。 「んっ、ん~!!」 彩智さんの二番目の「ん」は裏声になっていた。 「それ先生の癖なんです。気にしないでくださいね」 9. 女の人からキスされたのは初めてでした。 男性とキスの経験もないので、これは正真正銘私のファーストキスになります。 まあファーストかどうかはともかくとして、三田先生のキスはとても甘くて鮮烈で、私は再びぽよよんと脱力してしまったのでした。 ・・ ようやく元気になるとれいらちゃんが言いました。 「今日は初めての緊縛クロッキーなので簡単な縛り方でした」 「あれで簡単だったんですか?」 「はい。次は高手小手とかホッグタイとか、もっと本格的な緊縛で行きたいと思っ���います」 縛り方の名前は分からないけど、今日よりもずっと厳しい緊縛だとは想像できました。 「そのときは彩智さん、また来てくれますか?」 「いいんですか? 私なんかで」 「彩智さんにお願いしたいんです。あたし、彩智さんのこと大好きになりましたから」 れいらちゃんはそう言ってにっこり笑いました。 三田先生も微笑んでいます。 「こちらこそお願いします。喜んで縛られに来ます」 「よかった! ・・そうだ、これを」 れいらちゃんはスケッチブックにはさんでいた鉛筆画を取り出しました。 あのとき彼女が描いた私でした。 「これを彩智さんに」 手足を縛られたチア服の女性。私、こんなに綺麗だったのか。
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涙がこぼれそうになりました。 「れいらちゃん、ありがとう!!」 「ええっと、この絵は彼氏には見せない方がいいと思います。男性ってつまらないところで疑り深いでしょ?」 「はい?」 いえ、残念ながら彼氏はいないんです。 「お付き合いしている人がいないのなら、彩智さんが一人えっちするときのおかずに使ってください」 !!! 「実は、彩智さん独り身じゃないかってうすうす思ってまして、そのつもりで描いたんです」 三田先生がけらけら笑い出しました。 ひ、ひとりえっち。 たまにします。 この絵見て、いろいろ蘇って、ムラムラして、一人えっち。 ・・しない自信、ありません。 「か、活用させていただきます」 「大切に使ってくださいね!」 ああ、私、最後まで制服の女子高生に翻弄されるようです。 れいらちゃんは誇らしげに胸を張っていて、三田先生は笑い続けていました。 二人を前にどう反応したらよいのか分からず、ただ私はもじもじするだけでした。
~登場人物紹介~ 谷村彩智(たにむらさち):24歳。チアダンスチーム『アルパカ』のメンバー。美術モデル初体験。 玻名城れいら(はなしろれいら):17歳、高校2年生。美術教室の生徒兼お手伝い。 三田静子:59歳。元中学美術教師。三田美術教室を運営。 赤いチアリーダーの緊縛と緊縛デッサン会。 どちらも以前書いたことがありますが再び登場です。 実はAIに描かせた緊縛絵の中に赤いチア服があって、昔の嗜好が再燃したのでした。 本話では語り手が二人いるので、本文の文字色を分けています。 赤が彩智さん。青がれいらちゃんです。分かりますよね? 主人公の彩智さんはチアダンスのプロです。でも24歳にして男性経験皆無。 チアのポーズを格好良く決める姿と、れいらちゃんに縛られるときの天然M女っぷりを私好みに描きました。 彼女はこの仕事で初めて自分の性癖を自覚しました。 きっとこれからは、ぐっと色っぽくなってすぐに彼氏もできるのではないでしょうか。 れいらちゃんは『多華乃の彼氏』で小学4年生だった女の子です。 7年経って高校2年生になりました。 本話では緊縛の縛り手ですが、縛られる方もきっと拒まないはず。作者的には使い勝手のいいキャラです^^。 また別のお話で活躍させたいですね。 そして、OBのお兄さんとその彼女さんはもちろんあのカップル。 今では25~6歳くらいになっているはずです。 本話に登場させることも考えましたが、当たり前にサラリーマンをしてそうでプロットが浮かびませんでした。 れいらちゃんの再登場があれば改めて検討することにします。 上記のように挿絵は今回もAI生成です。 思い通りの緊縛はなかなか描いてくれないので、一部を自分で描いて mask 機能で取り込みました。 それでも腕と手指は変な造形だし、生成を繰り返すうちに縄の色は薄緑にww。 挿絵としてなら満足ですが、単品の作品で通用する品質ではありませんね。 変化の激しいAIイラスト生成の世界。今や時代は LoRA らしいです。 自分の環境では使えませんし、そもそも出生の怪しい LoRA を使うのは道義的に躊躇します。 私自身は当分、旧式の方法で細々とやっていくつもりです。 2枚目の鉛筆画は無料の変換サービスで生成したものです。 さて、AIで生成した挿絵からお話を作るシリーズ(シリーズにしたつもりはありませんが結果的に^^)。 次はイリュージョンを描かせてみたいものですね。 どうやったら描いてくれるのか、まだ全然分かりませんが。 それではまた。 ありがとうございました。 [2023.8.10 追記] こちら(Pixiv の小説ページ)に本話の掲載案内を載せました。 Twitter 以外にここからもコメント入力できますのでご利用ください。(ただしR18閲覧可能な Pixiv アカウント必要)
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misoyo-happy · 1 year
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今日はこちら!
ワインの定期便を買ってるお店のワインセミナーに参加しました。いかがですか?と誘われて、初参加です。
飲むばっかりで詳しくないんだけど、それでも楽しめる内容でした!誘われたし、定員割れしてるのかな。まぁ行ってみるか。と参加した私。ナイス判断でしたd(^_^o)
スパークリング、白2種類、赤2種類いただいて、少し酔っ払っちゃったかしら。
席は、好きな所にどうぞ。だったんだけど、テーブルが一緒になった老夫婦がすごくいい感じで、イケボの若い男性がいたテーブルよりこちらを選んだ私、グッジョブ!上品で仲良くて憧れちゃうわ。また会いましょう。と言って別れました。
乾杯はフランスのスパークリングで、フランス語で乾杯しました。同じテーブルの人ともサンテ!と交わしたの♪白ワイン、赤ワインでは、全然違いますね。と感想を言いながらいただきました。私もこんな上品に歳をとりたいわ。短い時間だったけど、素敵な人と同じテーブルになってラッキー♪
チーズや生ハムも美味しかったけど、Paulのパンも美味しかったです(๑˃̵ᴗ˂̵)
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feelfreetocme · 6 days
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240916
肩書きが増えてから、肩書だけ見られているなあと思うことが増えた。誰もたぶん私を見てはいない。相談を受けることは光栄だし、友人ならばそういうのは相互関係だからいいのだけど、知らない人から相談をされても、自分が苦しくなるだけだ。そもそも相談受けるなんて性に合わない。解決策を提示しながら(これも癖なのだけど)つい、上の立場になっている自分を右上ら辺から眺めて苦しくなる。私もこの先どうなるかわからないし!私だって色々わかんないことだらけなんですけど!そんな1週間だった。
敬老の日なもので、祖父母に電話をした。仕事、結構な割合祖父母のためと言って良いかもしれない。特に、若いころ医者を諦めた方の祖母は、私の小さい成果物でもすごく喜んでくれる。女の社会進出、ここまで応援される立場は今の時代とはいえ貴重かもしれない。もう片方の祖父は相変わらずパワハラとセクハラ。それを祖母がすかさずツッコむ。こちらの夫婦も仲が良くて私は素敵だと思う。
いろんな人に、関係が始まった時に報告してしまったもんだから、終わったことも報告しないといけなくて、報告すると話をしてしまうので未練があるように自分でも感じてしまうのが歯痒い。写真は消していないし、まだ尊敬しているし、しょうがないのだと思う。いま未練たらしくしなくていつなるんですか!と後輩が言った。そういう考えもあると思った。人のことを考えて悲しくなれる経験は貴重で、すごく素敵だ。
氏と見終えることができなかった「キャッチミーイフユーキャン」の残りを見た。今思うと、なんで酷な映画の選択だろうと思う。見ていて彼にとっては苦しい内容だ。彼が選んだからしょうがないのだが。あれを、あのタイミングで二人で見て、見終えられなかったこととか、思い出すんだろうなあと思った。最後はハッピーエンドだった。見方一つで幸不幸は変わる、という側面もある。この結末彼は知ることがあるんだろうかと考えた。別れてるんだけど。
これがタラタラというやつ?
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getrend · 1 month
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2.7万いいね獲得の「仲良し老夫婦」の関係性が最高に心温まるやつでした
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doglok · 1 month
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姫猫あずきと猫息子たちの仲良しプロジェクト・・ #初老夫婦とねこ #保護猫 #老猫 #サビ猫 #多頭飼い #shorts 捨てられた猫が『人に愛された』と思える 最期の場所になれたら・・】 田舎で元捨て猫たちとのんびり暮らす 初老夫婦とねこの日常 ... via YouTube https://www.youtube.com/watch?v=aYzx8xZc2nc
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kachoushi · 4 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
 初出は『ホトトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (西山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
 成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の紀行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
 本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
 当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流す方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
 「思ひ」は、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
 さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘��髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃え上がらせて鬼の姿に変じたという。
 虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
 なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園を舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
 『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発行所」と注記。
 この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
 最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
 従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
 ここまで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
 ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
 これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
 虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
  焼芋がこぼれて田舎源氏かな
 昭和八年の作なので、標題句から詠まれた時期も遠くない。『喜寿艶』の自解はこうである。
 炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
 絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎役者の似顔絵となっていた。
 「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。主人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
  去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
  落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。  そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
  願はくは花の下にて春死なむ         そのきさらぎの望月の頃
 西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で死んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は「花」の句の側面を持つことになる。
 ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
  花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
 例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠を一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の句と言えるだろう。
 逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
 回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
 しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所へ��届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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honorizumu · 11 months
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フードコートでポテトチップスを仲良く食べる老夫婦。
月明かりの下、いっしょに縄跳びの練習をするお父さんと男の子。
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7aier · 1 year
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健人くんはすげー大人。雰囲気もだし話し方もそう。最初は健人くんの綴る言葉に惹かれて気になるとどうしてもその人と仲良くなりたくなる俺はタンブラーに綴られる言葉も楽しみで更新されるのを楽しみにしてたなーって思い返してたよ。色々な事があってこの世界自体に居る事すら苦痛で仕方ない時でも「嶺亜の心が雨の時は俺が傘を差すよ」って言ってくれて…って今更だけどマジかっこいい。サラッとこういう事を言えるような健人くんも俺は大好き。もう出会って何年も経つけど出会った頃の俺よりも結構マシになったと思うんだよねー、どう?健人くんが居なければ俺はあのままこの世界に戻る事はなかったと思うし、嫌いなままで居続けたかもしれない。それはもちろん戻って来いよって言ってくれた勝利もだけど。たまには俺にも老夫婦だよって言ってた惚気を聞かせてね。それと、もし健人くんの心が雨の時は俺だって傘を差すから頭の片隅にでも俺の事を置いといて。大好きだよ、そしていつも本当にありがとう。
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sanmingzhi90 · 1 year
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擊鼓(詩経 国風 邶風)
太鼓がどん、と鳴り響く 躍り上がって武器をとる 都に城壁が築かれゆくなか わたしはひとり南方の地へ 孫子仲に従いて 陳と宋とを平らげた わたしは帰還を許されず 心は憂いで満ちてゆく
ここはどこだ? どこにいる? どこで馬を喪った?
さまよい求めて  林の下に あなたと遠くはなれても 生きるも死ぬもあなたとともにと 手を取り合ってあなたと誓った あなたとともに老いていこうと ああ、なんと遠い  もう逢えない
ああ、とても遠い  もう約束をまもれない
擊鼓其鏜 踊躍用兵  土國城漕 我獨南行 從孫子仲 平陳與宋  不我以歸 憂心有忡 爰居爰處 爰喪其馬  於以求之 於林之下 死生契闊 與子成說  執子之手 與子偕老 于嗟闊兮 不我活兮  于嗟洵兮 不我信兮
※偕老同穴(夫婦が仲良く添い遂げる)の語源の詩のひとつです。添い遂げられていませんが…
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2023年 『シャンタル・アケルマン映画祭』
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ヒューマントラストシネマ渋谷とアンスティチュ・フランセ東京のアケルマン映画祭でこれまで上映されていなかった作品を全て鑑賞し、昨年から今年にかけて上映されたアケルマン関連の作品は全て観終えた。
昨年の映画祭で上映された作品よりもうまく感想が出てこない作品が多く(正直に告白するとそこまでしっかり消化できなかったともいうか)、文章に残すことはないかなと思っていたけど、最後に観た『ノー・ホーム・ムーヴィー』が良く、自分の中でそれぞれ別個の解釈をしていた作品の間を埋める水のように、潤滑油のように広がっていったので、この感覚は書いておこうと思った。
(ここからは『ノー・ホーム・ムーヴィー』を軸にいろんな方向に話が展開していきます)
恥ずかしながら、今年の特集上映で初めて、アケルマンがこんなにもユダヤ人であること、そしてアウシュビッツ収容所に収容所された経験を持つ母の存在の影響を強く受けていることを知った。
思えば2022年に上映された作品だって、どれも主人公は「囚われていたな」と思い返す。ジャンヌは主婦業を象徴するキッチンに囚われていたし、アンナは旅の先々で男の虚しさを吸収する亡霊みたいだった。その役割に囲われていた。
『ノー・ホーム・ムーヴィー』を観ながら反芻していたのは、ニューヨークの街並みの映像を背景にアケルマンが母からの手紙を朗読するヴォイスオーヴァーが挿入される『家からの手紙』のこと。
『家からの手紙』の公開は1976年、『ノー・ホーム・ムーヴィー』の公開は2015年。『家からの〜』ではニューヨークに行ったアケルマンがなかなか手紙を寄越さないことへの不満が恨み節のように書かれていたので、『ノー〜』で忙しいスケジュールの合間を縫ってブリュッセルに帰ったりSkypeをしてなんとか母との時間を取っているのがなんだかこそばゆくて、40年弱経った二人の間の月日を思った。
そしてなんと言っても『ジャンヌ・ディエルマン〜』とのつながり…!2022年、私が仰天して一生忘れないわと思った映画は紛れもなく母のための映画だった。偶然なのかもしれないけど、『ノー〜』で映る実家のキッチンの壁の色も『ジャンヌ〜』のキッチンの壁の色も薄い緑色。どことなくキッチン自体の作りやテーブルの配置も似て���て、どこか偏執的な印象すらあった。収容所の体験からアケルマンの母は生涯不安症だったというのを目にしたけれど、ジャンヌも家具の配置や一日のスケジュールが狂うことを好まない神経質な性格で、そういったキャラクターにも母の影を忍ばせているのかもしれない。25歳のアケルマンがなぜ「主婦」を主役にした映画を撮ったのか不思議だったけど、母を主婦という割り当てられた役割から、キッチンから解放するための作品だった。
母を思い、母の歴史を辿り、いくつもの作品の中で描き出し、それでもどこかで反発し、完全に溶け合うことはないような、アケルマンと母の関係とその寂しさ。
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『ノー〜』の前半では、アケルマンと母の関係は良好に見えた。母は終始にこやかで、アケルマンが正統派ユダヤの学校に入っていて父に辞めさせられた昔話などをしていた。しかし、後半に差しかかるにつれてだんだんと雲行きが怪しくなってくる。「大切なことはいつだって話してくれない…ニューヨークでの生活のこと、娘の人生にいつだって興味があるのに」(うろ覚え)と、アケルマンのお姉さん?にほとんど取り乱しながら訴えるシーン。さらに、母の体調が芳しくないことが伺えるシーンも増えてきて、相手を思うからこそ仲睦まじいだけではない母娘の姿、自分の愛する母が老い、亡くなってしまうかもしれないジワジワとした恐怖が足音を立てて迫ってくるようだった。
大好きな、アケルマンと母がSkypeでテレビ電話するシーン。母は目も耳も遠いから、いつもPCと顔が近くて画面いっぱいに顔が映し出されていてかわいくて笑ってしまう。アケルマンはだんだんとPCの画面の至近距離でカメラを構える。撮られるのが恥ずかしいと言う母の顔はよく見えなくなって、輪郭がぼやけた母の顔にPCの画面に反射したアケルマンの顔が重なる。ブリュッセルとニューヨーク?(だったかな…)遠くにいる二人の顔を重ねさせるこの撮り方は、どれだけ遠くにいてもそばに居たいのだと、どこか泣きたくなるような執念のようなアケルマンの心が表れていたような気がした
終盤、母が寝室?のカーテンを閉め逆光になる。母は闇に溶ける。その後、キッチンと隣の部屋、ランプのような調��品をシンメトリーに映す長回しで幕を閉じる。『ノー〜』を撮り終えた後、編集中に亡くなってしまった母。母がもう帰ってくることはない家をボーッと眺めているアケルマンの様子が目に浮かんだ。
最後に『一晩中』についての走り書きメモを載せておきます。
鑑賞した人は何のことを言っているかわかるかもしれませんが、ほとんど自分のためのメモです…
一晩中→
少女が家から忍び出る前に部屋の外?を伺う居間からの漏れ出た光、オレンジの灯りが部屋の中の濃紺に侵食していて新月の成り損ないみたいだった、嵐が来て慌てる人々を上から眺めるシーン、3階は濃紺で2階はオレンジ色、逆光だから顔の表情は見えない、これは囚われの女にも同じ構図が確かあった
夫が寝静まった後雑に身支度を整えてホテルへと一人で行き、朝のアラームの前に帰る、ジャンヌディエルマンのような主婦の日常の機械化と少し恐ろしさを感じる
思い出したのは、エドワードヤンの恋愛時代とシモーヌハルベス→理性を使う昼間に対峙するように感情と真実がむき出しになる夜、愛が実る者、愛していないと気づく者、幾つもの抱擁…
『アンナの出会い』で、旅路で出会う様々な男の悲しみや孤独を綿のように吸収し続けた、幽霊のようなアンナ
一晩中では今度はわたしが幽霊になって、いろんな人生を盗み見た気分だ
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