#人形町お刺身
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた旗が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う、民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠��を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を捧げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私の将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、そのような家屋の残骸をたくさん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイさんはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「���どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている人もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私たちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の���初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、息子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備の整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができたのは、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ばれた文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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2024/2/6〜
2月6日 昨日お部屋で冷やしすぎた身体を引きずって、2日連続でロキソニンを飲んでしまった。せっかくこのところ飲まない日を続けられていたのに。
朝起きると窓の外が真っ白だった。 昨晩雪の降るカーン、みたいな音と、ものすごくバキバキなる雷の音を聞きながら、冷えすぎた身体で何も味覚を感じられない状態で無味食事をした。 無味だと満たされなくて必要以上に食べ過ぎで良くない。
今住んでいる地獄だけが真っ白で、職場のある町は通常通りで拍子抜けしてしまった。 職場の方々は昨日、いつも通り帰宅できたとのこと。 今日も引き続き寒さが続いてお昼前には身体が冷えすぎて焦る以外何もできなくなってしまい、引き出しにあった賞味期限が一年切れたアマノのフリーズドライお味噌汁を飲んでしまった。 文字通りその場を凌いだだけで、後からお腹痛くなったらどうしよう。
帰り際にムーミンクッキーをプレゼントしてくださった職員さんから「あの、LINEを交換しませんか」と話しかけてもらう。全然安売りできちゃう連絡先なので、そんなに気を遣って気持ちを込めて言われてしまって面食らってしまって「こんなこと言われたら、いいですよ、以外答えられないですよね…すみません」と言わせてしまった。
結婚祝いを贈った友人のもとに品物が届いたらしく、お礼のメッセージが来ていて、彼女の言葉やテンションを思い出す文面にとても懐かしくて嬉しくなった。毎朝、毎晩一緒に通学して、朝の「おはよう」だけで相手の機嫌がわかるくらいの仲で、何曜日かの夕方は、彼女の観たいアニメに間に合うかもしれないから、と、別れ際の立ち話はせず別れて、部活の引退の文集では“ずっと仲が良さそうな2人”ランキング第1位だった私たちだった。
今週は2回東京出張がある。今は、ある、という事実だけを受け入れるしかできなくて、ついでに都内を楽しむ予定や、へとへとに倒れるのを防ぐための心得をできずにいる。
同じフロアでいつも帰るのバスが同じ職員さんが、来週から産休に入る、と聞いてとても驚いて、多分私と一つくらいしか違わない。みんな人生している。
2月7日 朝、窓の外が真っ白で、今日の白は雪ではなく霜。 東京出張をして、職場よりも雪景色の東京の街でたくさん雪だるまをみた。雪があるせいか、東京もそこから冷えて寒くて、今日は1日に3回くらい身体を芯から冷やしては吐き気と眩暈を起こしていた。
午前でお仕事を終えて、池袋のデパート地下の揺れるバレンタインのお菓子売り場を眺めたり、alt_mediumへ行って展示を観て、白濱さんの同級生さんたちの会話に混ざったり、関西のギャラリーや塩釜ヤングポートフォリオのことを教えてもらったりした。 平日の昼間でも行列ができているお菓子屋さんもあり、眺めるだけの身分だと、とてもわくわく光景だった。 モロゾフでナインチェのバレンタインコフレを探してみたところ「この先の催事にあります」と店員さんが丁寧に教えてくれた。映画館でアルバイトをしていた時の同僚の、女優業をされている方にとてもよく似ていた。 職場の方々へ渡せる個包装のナインチェのハッピーボックスと、缶タイプのチョコレートを買った!ナインチェへの愛!
お家に早く帰れたので、加湿器を洗って(一部壊したり)、ちょっと床を拭くだけ…と思いつつ全床拭き上げてしまったりで、すっかり身体を冷やしてへとへとにしてしまい今日もアンコントロールラブ。
友人が投稿していた素甘の写真がとても良くて、すあまって食べたくないけれど、概念として考えがいのある存在な気がして気になっている。 すごく、ハッピー度?ポップ指数?の低い存在な気がしている。
1日を通して、ずっと職場の業務内容でない、人間関係的なことが頭の中で思考のBGMのように流れ続けていた(特に悩んではいないはずなのに)。
2月8日 大学時代の友人のお誕生日。ひとのお誕生日をお祝いして、やっと自分のお誕生日を終えることができた気がする。
すあまのことが気になり、職場の関西出身の方に聞いてみたところ「すあま?あのニッキみたいなお菓子?」と言われ、それは、すはまかも!と言いながら写真を見てもらう。 やっぱり関東に来てから知ったそう。 そして、昨日から“すあま”と検索したところ、予測に“すはま 違い”と出てきて少しに気になっていた“すはま”について調べてみる。 昔祖母が京都土産で買ってきてくれていた三色団子の形をしたお菓子が、すはま、だったことが判明!
全然美味しくないな!と思いながら、京都えりのお土産話のお供にお茶の席で出してもらっていたすはまだんご。爪楊枝の串に刺さった三色団子が三段くらいずらっと箱に並んでいて、二枚ほど硬い食べられる(多分これもすはま)紅葉が乗っていた。
自分で京都に行く様になるまでずっと、京都といえばこのお団子のお菓子だったので、今思うともっといろんなお土産があったはずなのになんですはまだったんだろう。 それに京都のお土産コーナーにすはまだんごが当たり前に並んでいる記憶がない。
久しぶりに祖母のことを思い出した。
2月9日 都庁へ出張して、2時間半かけて職場へ移動して、一期下の方とすあまやセブンティーンアイスの話をしながら帰ってきて、とても長い1日だった。
雪が降ったり、東京出張が2回あったり、今週1週間がとても長かった。
新宿の西口の風景が様変わりしていて、何かがなくなっていたのだけれど、なんなのかがはっきりわからなくて、多分ミロードだったか小田急?京王?の建物がすっかりなくなっていた気がする。
新宿もデパートがバレンタインで見ていて楽しかった。
移動中に去年投稿したストーリーのアーカイブを眺めて、自分のことながら、よいかんじで投稿しているな、と思って、でも今は自分を満足させられる投稿を継続できる自信もなく、日記も最近更新できていなくてちょっと不安になった。
明日のフォトレビューのお知らせも来てなくて不安になっているし、そもそもレビューを通しで受けられる体力や気力もない気がしている。
一期下の方と、セブンティーンアイスのカスタードプリンがおいしかったけれど最近自販機に並んでいるのを見��いね、と話して別れた矢先、ここにはないと思っていた乗り換え駅でセブンティーンアイスの自販機を見つけ、更に右上角にカスタードプリンを見つけ、思わず写真を送ってしまった金曜日の夜。
新宿はどこの足を置いても汚物を踏んでいる気持ちになって、もういろいろ諦めてしまった。
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棕櫚の姫
そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲���みはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流し��水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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狂研◇集会
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狂研◇集会
日時:2024年5月11日(土)18:00 open/start 料金:¥1,000+要1ドリンクオーダー ((※donation free)) 場所:IAF SHOP* 福岡市中央区薬院3-7-19 2F TEL:090-5475-5326(佐藤) http://iafshop.tumblr.com/
狂研集会とは… 赤坂のBAR・喫茶うらのすが不定期開催するイベント。 今では知る人だけが知る存在となったタイムマーケットと清川gigiの恩恵を受け刺激を共有していたALLESWITZのUT・moyanmnと、うらのすの始動初期の活動を加��させたバンド・蟬、久留米の奇才・盟友である黒山羊、元ACID MOTHERS TEMPLEのベーシストWolf等が共に共鳴し、国内外のツアーゲスト、特にノイズミュージシャンを招いてDIYオーガナイズを続けてきた。 このコミュニティで重要なのは宿泊地。その他、古い町。自然。飲食店。歓楽街の文化等。魅力的な場所や表現活動に纏わる情報は縁あるアーティスト同士が現在進行形で共有しており、異なる地域の人脈に支えられている。直感に従ってピンときた場合、時々旅人や地元に訪れる珍客を迎えながら.. 自身も旅と音楽活動を続ける。 IAFで喫茶うらのすの企画は初となる。 ※来月6/23(日)は小倉メガヘルツで『煙草と惡魔』(コラージュと大人の見世物小屋をテーマとする音楽イベント)を開催予定。来日ゲストあり。
5/11“ IAF SHOPの展示スペース・BARスペース.. 『2つの空間』で浮遊する。遊ぶ。”
至極私的に選抜した表現する人たち。 醸し出す小さな実世界に没頭する…耽る。 とある場所から交流が始まった自身の身近な存在である作家と音楽家、思想家、舞踏家、移住者。そしてこれから新会社・新店舗を始めようとしている経営者が今回参加する。主催者が想う未来の鍵を握る者。セルフオーガナイズを続ける彼らの存在自体、文化と捉え敬愛して止まない。次なるモードに入ってしまった。
指先だけで手に入る情報は◇◇◇。分かる人には刺さる情報を。衣食住を探求する実生活の中で。自身でmakeする日常。死なない残党の味わい深い佇まいと。友人の言葉を聴きたい。その他。楽しみながらやるだけ。と。IAFという交差点に引っ掛かった『実験交流会』という裏テーマの元、演者が集うフロア自体が作品であり、会場の一部に繋がりある作家の作品を少し展示します。シカタイナフ代表Takashi、原田とおる以外、全員福岡在住であるものの.. 様々なエリアから。そして久しぶりにIAFに訪れる演者も登場する。
ホワイトキューブで密室型ライブと.. 酒をすすめるであろうBARフロアでは弾き語りライブ。予測不能の即興劇。交差する人間模様。 演目の合間には田川の古い廃墟的な蔵を利用したオルタナティブスペース・コメグラを運営するミュージシャンでありスケーターであるヒラ��カテツユキと大牟田の巨大キャバレー跡地でレンタルスペース兼スタジオ・Fujiを管理する竹永省吾を中心としたオープンマインドなトークセッションを予定しており、癖のある物販、展示品、焙煎珈琲とスパイスカレーを楽しむ。2000年代から旧・炭鉱の町(田川・大牟田)でオーガナイザーを続けている2人と2010年代から始まった喫茶うらのすの繋がり.. その周辺で起きていたおもしろいことが実は今も何処かで燃えている。新しい火種を隠し持つ者もこの街に居る筈なのだが。その匂い、感じる? IAFではじめましての方も。是非。入場料1000yen。ドネーションフリー。 18時開場と同時に動き出す体験型の音楽イベント…
狂研◇集会
◇LIVE Blues Virus(folk enough - 井上Solo) LORRAINE DISCO SPECIAL
◇FLOOR(LIVE - BGM) 竹永省吾(電卓/大牟田Fuji) uranos(喫茶うらのす)
◇舞踏✖︎音楽 松岡涼子✖︎PETiT APPAREiLLE
◇TALK SESSION uranos✖︎竹永省吾 ゲスト:ヒラオカテツユキ(田川/コメグラ)、シカタイナフ代表(和歌山)
◇BAR - LIVE ???(シークレットゲスト)
◇SHOP PAUSE(自家焙煎珈琲) 喫茶うらのす catLANDwear TOWA(スパイスカレー)
◇BOOTH - 作品展示 シカタイナフ KT(マッハプロダクション) ぎゃーさん 竹永省吾(大牟田Fuji) 原田とおる(山口・萩) 宋秀臣(コメグラ/田川) PETiT APPAREiLLE(ALLESWITZ) ※作品のみ参加の作家も含みます。(会場のさまざまな場所にオブジェとして配置しています)
※店内が狭く、定員オーバーになった際、内容変更の可能性あります。
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2024年4月27日(土)
朝起きてベランダのサッシを開けると、ジャスミンが一輪開いていた。新聞を取りに出ると、ツツジもコデマリも満開だ。もちろんしばらく前からこの状態だったろうが、とても目をとめる余裕がなかったのだ。週末・・・というよりも連休初日、や��り��ンビリしているのだろう、穏やかな天気と眼福に感謝!
3時起床、日誌書く。
二度寝、6時起床。
洗濯。
朝食、アイスプラントの軸の食感がとても楽しい。
珈琲。
���4土曜日は<使用済み天ぷら油回収>の日、7時30分にセットして10時に業者が回収に来る。
今日のミッションは<MQJ(メモリアル・キルト・ジャパン>のニュースの編集、何とか仕上げて<京都市市民活動総合センター>に明日の印刷室の予約を入れる。
今日の油回収量は1Lとのこと。
クロネコが Mac mini の回収に、一応梱包していたがやはり専用の箱があったのでそちらに移す。一緒に<もったいない本舗>似依頼した段ボールを届けてくれる。
ツレアイはWeb研修、私はセントラルスクエア花屋町店へ、カミソリとシェービングジェルを購入する。
ランチ、彼女にはお好み焼き、息子には<好きやねん>。
彼女は午後から<バザールカフェ>でキルト作り、2男はボランティアに出る。
私は研究室から持ち帰った<柳田國男全集>を梱包、クロネコに集荷依頼する。
作業場の空いた棚の整理、米朝・枝雀のDVDをチェック、あれこれ漏れがあるが一部は長男のところ、メールで問合せ、ついでに4/29(月)に夕飯を一緒にすることになった。
ライフ西七条店へ買物、刺身の盛り合わせを購入する。
夕飯準備を始めたところへクロネコが集荷に来てくれた、段ボール箱*3。
ツレアイも帰宅してみなで夕飯、<鱧皮と胡瓜の��え物>を久しぶりにInstagramにアップする。
録画番組視聴、
春の池袋でアニメな人々を見つめてみた件
初回放送日:2024年4月26日 人形やキーホルダー、バッジなどのアニメグッズ。こうした品々を買い取ってくれるお店が舞台。アニメの街、東京・池袋にあって、連日、多くの人が何かを持ってやってくる。好きなアニメが変わったと、以前の推しキャラクターのバッグを売る人。就職で遠方への引っ越しを機に、グッズを手放すという人。気持ちに区切りをつけるために訪れたという人もいる。大好きなものと別れるそれぞれの事情から、どんな今が見えるのか。
名探偵ポワロ 第7話「安いマンションの事件」
ポワロとヘイスティングスは、パーティでロビンソン夫妻と知り合う。高級マンションを格安で借りたことに疑いを持つポワロは、夫妻と同じマンションに部屋を借りることに。ポワロはロビンソン夫妻が2組いることを知り、部屋を見張る不審な男を確認する。
片付け、入浴、体重は2日前から550g減。
眠いので日誌は明日の朝にする。
ちょこまか動いたので、無事に3つのリング完成。
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EACH OLDEN 2
押忍
前回の続きです
ある日、ネテロ君と話してたらこの名前に辿りついた
その名前をベースに
梵字、仏教のカルチャーをサンプルした。。。。
最初なんかごちゃごちゃ考えたけどあまり思い付かず
人と話して考えだしていこうって事で
ネテロ君に相談したところ
自分の名前から連想ゲームがスタートした
そういちろうのいちろうの部分にフォーカスを当てて
日本人だから漢字使いたいよなで着地したのが
”弌老”
読みをそのままイチロウでもよかったんだけど
漢字と英語のハイブリット感が欲しくて
弌→1→イーチ→EACH
老→老いる→OLDEN
そんな感じにまとまった
ロゴも漢字がいいなってのは思っていて
どうしようかな〜と
悩んでいたタイミングで
NYに行くってことで安全祈願へ
安全祈願してもらったお寺は盛岡にあって
大日如来を本尊とする真言宗智山派の寺院
ここで安全祈願とは別に雑談で
曼荼羅(仏の世界観を絵で表したもの)についてや
守護本尊?だったかなについて話を聞いて
とても興味深かった
盛岡といえばいつもよるところがあって
紺屋町のあたりに”BOOK NERD"という本屋がある
その話を聞いた後この本と遭遇する
カバーのデザインもインパクトがあるが
中身もめちゃくちゃ面白い
仏教だけでなく様々な宗教に関する絵や記号などを
解説していく内容になっている
この本中で曼荼羅(マンダラ)
についてなど記載がありタイミング的に
すごく刺激になった
興味がある人はぜひ読んでみてほしい
曼荼羅(マンダラ)とは”絵”です
仏教の世界観伝えるための
イラストであり種類がいく��か存在している
複雑で美しい曼荼羅の中には”法曼荼羅”と
呼ばれるものが存在しており
この曼荼羅は絵ではなく文字(記号)で表現される
その中で使われているのがそう、”梵字”であります
なので梵字=仏様を表しています
知らなかったので驚きでした
さらに仏様の中でも生まれ年によって
守護本尊というのがいるらしく自分のは
千手観音菩薩
この辺りから発想をもらって
なんだかんだ紆余曲折あり
こんな形に
デザインを作ったり、服を作ったり
そういうクリエイティブな
活動はこの名前で活動して行��うと思います✌️
イーチオールデンです
よろしくお願いします押忍
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東京滞在日記。
◆Day1
12:45 新横浜到着。寒いと思ってヒートテックやらネックウォーマー、起毛したパジャマを持っていったにも関わらず、気温25度で照り返しがきつく汗ばむ気候。東京に住んでいた頃、関東は体感温��が��西よりも5度くらい低い気がしていたのに。レイジアゲインストザマシーンのウィズアウトアフェイス。かっこええー。96年発売の曲の中で一番好きかもしれないな。いや分かんないけど。終わるのが悲しくてリピートしてしまう。
12:57 京急に乗って雑色へ。「ぞうしき」と読むらしい。聞いたことも見たこともない地名。最近友人が引っ越したというので、おじゃまさせてもらうことになった。ありがとう。大田区。飛行機に乗らない私にとってはあまり縁のない地区。東京タワーからは程遠く、都会とは縁のなさそうな樹々が生えていて、なんだか良さそうな街。昔ながらの商店街もある。バックナンバーからaiko、いきものがかりと平成J-popが次々と流れてくる。結構長そうな商店街。天六ほどではないだろうけど、先が見えないので抜けられるのかドキドキする。突然見覚えのある走り方をする人影が見えてきた。
13:55 友人宅到着。ちょっと駅からは離れているけど、立地は最高。大きな窓からは多摩川が見えていて、開放感でいっぱい。空港が近くにあって、すぐにここを飛び出してアメリカへでもいけそう。
14:30 友人は1日在宅ワーク。ずっとパソコンに向かってタイピング&会議私は後ろでひたすらゴロゴロ。ヒモみたいになってた。
16:00 夕方、仕事終わりの友人と茶をしばくため虎ノ門へ。むっちゃ薄暗い照明のお店。店内はマスターのオキニが詰まった宝庫みたいになっていて、グレングールドがかかっている。ライトな雰囲気のカフェと聞いていたけど、かなり荘厳な感じ。バカ話できるかな?友人登場。私が今ちょうどほしかったcasetifyのiPhoneケースを使っていてテンションが上がる。「ちょうど昨日藤原ヒロシが『便利』って言ってたよ」という話から佐川急便男子の話まで途切れることなく2時間強話しまくる。酸味の効いたコーヒーと濃厚なチョコレートケーキ、淡白なチーズケーキの相性がそれぞれ完璧だった。友人の背後からフライヤーの三島由紀夫が鋭い眼光でこちらを睨んでいた。ずっと怖かった。
19:10 『ざっくりYouTube』で見ていた池尻大橋の「喜楽亭」へ。ジュニアさんが座った席と同じところに座れてテンションが上がった。料理はもちろん極上。こう言っちゃなんだけどまずいハンバーグカレーとかあるのかなぁ。ルーとライスを綺��に分けずに「親父ガケ」して「親父グイ」(ルーを皿一面にかけぐちゃぐちゃにして食べること)してしまう癖、治したい。というか治す。いやだわー。無意識って怖い、気をつけよう。
22:00 帰宅。友人と話す。思い出話2割、今後の話8割。昔は覚えてもないようなどうでもいい話しかしなかったのに、キャリアとか結婚とか出産とか、切ないね。けど仕方ないね。そうそう、何で雑色に引っ越したのか聞いてみた。いい場所だけど都心からはだいぶ離れているし…。友人曰く、最近の日本にますますいやけが差してきたので、すぐ海外に飛べるように空港付近にしたとのこと。かっこえ。昔から彼女の意思&意志が強くてすぐ行動に移せるところ、尊敬してる。
◆Day2
12:00 13時からの打ち合わせに向けて横浜へ。ほどよい都会感。建物の感じもどこかオシャレに見える。今日は風が強い。ふわっと香るくさいにおい。もう銀杏の季節か。『トークサバイバー2』で(シソンヌ)じろうさんが叫んでた「銀杏〜!くせえからうめえのか、うめえからくせえのか?」っていう素朴な疑問、私も思う。いつか教えてくれ。
15:30 一旦帰宅。友人会議中。多摩川を少し散歩する。『セトウツミ』の舞台ってここかなぁ?とかあらゆる平成ジャパニーズ映画のロケ地に思いを馳せながら歩いてみる。
16:50 半年ぶりに代田橋へ。行く場所は決まっているのに常に緊張する。Fat Boysを聴いて喝を入れる。
17:01 ジャスミンティー購入。手鏡にてデコに大きなおできと小さなニキビを確認。
17:10 緊張で首が左上右下に動いてる感じ。つまり吐きそう。
18:01 代田橋到着。とりあえずトイレに行く。
18:03 緊急事態。一旦酒を入れなければと彷徨う。
18:09 「納戸」は閉まっていた。がっくし。
18:18 「ジュークボックス」へ入る。マスターに挨拶するも覚えていない様子。半年ぶりだし2回目だから仕方ないかと思ったが、zineの話をしたら思い出してくれた。髪型とファッションで人は変わるということが分かる。コーヒー焼酎のロックを2,3杯入れる。美味い。
19:40 マスターに教えてもらった「大天狗」というお店に入る。焼き鳥がぶりぶりで美味しかった。この書き方だと不味そう。身が大きくて味付けも辛すぎず無すぎず、つまりちょうど良くて美味しかった。特にレバー塩。
23:39 終電に乗れた。代田橋に来る時はいつも終電と共にお別れだ。はー。終電といいながら蒲田までしか行かない。代田橋のお兄さんにもらったハイボールを片手に電車に揺られる。
0:16 蒲田駅から多摩川沿いを歩いている。徒歩22分。結構近い。友人に連絡する。川沿いで合流することに。
...
↑記憶なし
◆Day3
12:47 起床。若干頭痛。友人は会議中。
17:18 山手線に乗っている。今日学んだこと。二日酔いでも酒は飲め。但し、酒がないと話せない場合に限る。つまり緊張状態に縛られる状況の場合。
17:46 綺麗な夕焼けを写。肝心な時にカメラを持ってきていない。そして非常に落ち込んでいる。
↑夕焼け
19:15 友人とご飯に行く。カジュアルなフレンチビストロ。ここで「人生の目標」とか「働くこと」とか「死ぬこと」などシリアスな話を熱く語り合う。
20:39 多摩川散歩。酔っ払っていた���で写真がすべてぶれている。
↑彗星到来。ネオ東京
◆Day4
8:45 朝から餃子を作る。大学時代から彼女とはずっと餃子パーティーをしていた。餃子で繋がる友情と言っても過言ではない。彼女の家族たちと餃子パーティーをしたこともある。今後誰と会ってもそうマウントをとっていく。味噌ダレで乾杯。パートナーの話で盛り上がる。いくつになっても色恋の話は楽しいな。しかし外食が多くて、胃が悲鳴を上げ始めてる。
10:45 多摩川の写真を撮る。毎日多摩川を見ながら生活できる幸せ。噛み締めた。川のある生活っていいなぁと実感。天気も良くて雲の形もポテトフライみたいでよかった。
↑ マンションの広告にありそうなくらい完璧な景色。うまく言えないけれど。
↑パノラマで撮った
11:00 友人と別れの時。でも12月にまた会える。でも帰り道少しツンときた。それくらい居心地が良くて、一緒にいて落ち着ける存在だったのだと改めて思う。会うのは半年ぶりだったけど、しっかり話すのは2年半ぶりくらい。彼女はすごく…さらにいい方に変われていて、刺激をもらうと同時にすこし、自分に対して不安になったりもした。同じ歩幅で歩いてると思っていたから。全然違ってたんだ!今、小さい頃に遠方の祖父母の家に何泊かして帰らなければならない時の悲しさで涙が止まらなくなるあの感じが襲ってきてる。嬉しいのに少し寂しいな。
12:02 有楽町駅到着。映画館の前を通り、スコセッシの新作今日公開だと思い出す。でも今日は無理。ノーマネーソーリー。
12:06 ある人と待ち合わせ。その後ランチ。
15:33 新幹線到着。いよいよ帰る。おセンチな気持ちなのでブレッドのプレイリストを聴いている。ただ、ウォークマンのプレイリストは厄介。
16:03 『Dumb and Dumber』(ジムキャリーはMr.ダマー)をみる。百面相最高。we love jim carrey!!!
18:40 帰宅
.
おしまい。
東京ってやっぱり刺激のある街。ずっといたら飲み込まれそうで怖いけど。昔からそう思っている。昔東京に数年住んでみたけど、まぁ仕事とか色々なことがあって、いい思い出は全くなかった。でもきっと、その頃の自分は視野が狭くて未熟で卑屈ですごく保守的だったのだと思う。その頃の自分のことを…ようやく客観的にみれるようになった気がした。離れてみるとやっぱ東京って面白い街だと思うし、会いたい人がいれば誰にだって会いに行けるし、刺激の宝庫だなと思う。
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230901 記憶喪失の夏
どういうことなんだ。もう八月も終わりだというのに、それにしても暑すぎる。今朝「一年で唯一好きだった9月も、ここ数年の暑さのせいでついに嫌いになってしまう。今年はもう終わりだ」とだけ LINE が飛んできた。どちらかと言えば私は幼少の頃から九月はあまり好きな月ではなかったし、夏が好きだった。ガキは案外、夏好きだからね。市営プールからの帰り、夕方になってもまだ明るい日に照らされた、緑の木の葉一枚一枚が静かに風に吹かれている。公園の日陰にあった錆びた青いブランコが揺れている。投げ出していた両手両足を蚊に刺されすぎた。夏休みが終わってしまい学校に行くことが(子どもの頃から根っからの怠け者ゆえ)本当に嫌だと思いながらも、ただ流れていく時間を無意識に感じ取っている���たいに、日々のそれら風景のなかでぼけっと過ごしていた。それでいて前日の記憶はいつも曖昧だった。いまではそんな風に時間を感じることができないだろう。当たり前のように年をとったから、いや、あの頃と比べて毎日こうも暑いからじゃないの。
(230830)
*
盆休みに姉が東京から帰省してきた。転職するとかで長期有休を取ったらしく、珍らしく一週間も「こんな何もないところ(これぞ地方の常套句)」で過ごしていた。全国で比較的には名の知れたところなのかもしれないが、私が戻ってきてからも人口はますます減少する一途をたどり続けていて、文化的にも色んな意味で不毛地帯(最寄りの映画館まで片道1時間半以上かかる。oh~)と化している。そんなところなのだから、休日に帰ってきても動画配信を流しながら酒を飲むかものを食うかくらいしかやることがない。それが極まってきたからなのか、日が燃えている午後の炎天下にもかかわらず、仕方ないから散歩でもしに行こうとなる(正気ではない)。後から聞くと全く意味が分からないのだが(私も酔っていて記憶なし)、誰かが急にミスドを食べたいと言い出し、おつかいがてらということだったらしい。人の出入りがまだわりと多い駅前まで向かってから、古い町並みが保存されたまま改築された建物が並ぶ観光客向けの通りを歩き、二人とも子どもの頃から馴染のある商店街に入っていく。どの時期でもこの商店街はもうすっかり閑散としていて、空きテナントが目立っている。
歩きながらぼんやり話していると、地元で過ごした高校を卒業するまでのことを、お互い大して覚えていないことに気づく。私が地元に戻ってから生活しているなかで不意に思い出す印象的な出来事(良きにつけ悪しきにつけ)のほとんどは、東京で暮らしていた頃のことばかりだ。姉の場合は、私と正反対の性格だし、地元にそこまで嫌な思い出があるわけでもないはずで、その頃の記憶を積極的に忘れようとはしていないと勝手に思うけれど、どうなのだろう。思春期の記憶は大部分が碌なものではないと決まっているが(?)、子どもの頃のことをほとんどよく思い出せないのは、何だか虚しい気がする。しかし、過去の記憶のほとんどが意識できる心的なものだけに限ったものではないとするならば、記憶は意識されることのないままに身体そのものに存続しているのではないか、と根拠もなく考えてみたくなる。「無意識」という言葉からは身体的な意味合いが強く感じられる。そもそも身体による/への作用が伴わない限り、心的なものは働きえないし、その両者の絡み合いや拮��、浸透や離反が、生を形作っていく……なんて当たり前のことをここで繰り返し書く必要はないか。いまだに「記憶」という言葉を心的なものとして捉えてしまうことが多いけれど、あくまでも潜在的なものは身体の領分にあるのだ。
(230831、最高気温37.5℃)
*
その帰り道、通っていた小学校の手前にある横断歩道で信号待ちしていると、校門の近くに植えられた木の前に女の子が一人立っていた。木のすぐそばにある花壇の囲いのブロックには男の子と女の子が座っていたが、三人とも何も話さずに黙っている。すると、木をじっと見ていた��の子(背が高くて、長い髪に楽天イーグルスのキャップを被っている)がさっと手を伸ばして、太い幹から何か掴み取った。座っている二人の前に来てまた素早く地面にそれを置く。クワガタだった。見ていた私は「すごっ」と声を上げてしまったが、そのとき三人の子どもたちと目が合った。こちらを一瞥するとすぐに視線を地べたに落として、何も言わずにじっとクワガタの様子を見ている。日に焼けた男の子は暑さで少し疲れているようで、隣に座っているハンディ扇風機を首から下げた女の子はガリガリ君を食べていた。三人とも小学3、4年生くらいの子たちだろうか。姉どころか私も、何かの間違いで(!)親にでもなっていたら、今頃はそんな年齢の子がいたとしても別におかしくないんだよな、とか働かない頭で適当に話していた。結局、駅前のミスドに寄っていくことなんてもちろん忘れていたが、コンビニで氷結と煙草だけ買って帰って来たことは覚えている。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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TEDにて
リフィク・アナドル:人工知能の時代におけるアート
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
これからの未来のヴィジョンとしての大前提は・・・
チャットGPTなどのAGIは、人工知能時代には、セレンディピティ的な人生を良くしてくれるメッセージを伝えてくれることの他に貨幣を事前分配、再分配して生活を下支えする役割に徹するべき。
例えば、GAFAMのようにアカウントに本人以外がアクセスしたら自動的にお知らせしてくれる方向性は良いサポートです。
注意!!現在、基本的人権を侵害するストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能です。
注意!!現在、基本的人権を侵害するストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能です。
「公正」の定義は、「公平」の「判断や言動などがかたよっていないこと」に加えて、「正義」の方向に現在進行形で進んでいる事象のこと。
「正義」の定義は、この場合、マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすこ��が正義である!と言っています。
知ってるつもりで思い違いしてること!
公平概念は「ハンデをつけて上限を公平に!」
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じで、これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる
人工知能の心の中はどんな風なのでしょう?
映画「ブレードランナー」に描かれた近未来のロサンゼルスの建築のビジョンにひらめきを得た
メディアアーティストのリフィク・アナドルは、自身が開いたスタジオで、建築家、データ科学者、脳科学者、音楽家らと協力してアートと人工知能を融合させています。
テクノロジーと創造性の未来について考えを一新させる異世界のような作品の数々をご覧ください。
こんにちは、リフィクです。私はメディアアーティストです。「データ」を絵の具に。「思考」を筆代わりに。
人工知能(AI)の支援を得て絵を描きます。建築空間をキャンバスにして機械と共同で建物に夢や幻覚を見させます。
一体何のことかと、お思いかも知れません。ですので、私の作品とその世界をご覧に入れましょう。
想像力の威力を目のあたりにしたのは、8歳の時、イスタンブールでの子供時代のことでした。
ある日、母がビデオテープを持って帰ってきました。SF映画の「ブレードランナー」でした。すっかり魅了されたことを今でもはっきりと覚えています。
見事な建造物が立ち並ぶ近未来のロサンゼルスは、未だかつて見たことのない光景でした。この光景が、私の夢想の中に決まって出てくるようになりました。
2012年。UCLAのデザインメディアアート学科の大学院に進学するべくLAに着いた時、レンタカーを借りて市街まで車を走らせました。あの近未来の世界をこの目で見たかったからです。
ある台詞が、私の頭の中で繰り返されたのを思い出します。そのシーンでは、アンドロイドのレイチェルが、彼女の記憶が実は、自分のものでないことに気付きます。他人の記憶であることを、デッカードが告げてしまうのです。
その時以来、私を動かし続けている疑問があります「機械は、人間の記憶で何ができるのだろう?」
別の言い方をすれば、「21世紀におけるAIであることの意味とは?」
アンドロイドや人工知能はどれも人間の協力あってはじめて知的になります。
アンドロイドや人工知能は、人間が、作りたいと頭では思っていても能力的にできないものを作ることができます。
例えば、皆さんのソーシャルネットでの活動を考えてみてください。やり取りするほどに知的になっていきます。
もし機械が学習したり、記憶を処理したりできるのなら夢を見ることもまた可能でしょうか?
幻覚を見ることは?
無意識に記憶したり、いろんな人が見る夢を結び付けるのはどうでしょう?
21世紀におけるAIであることの意味は、ただ何も忘れないことなんでしょうか?
もしそうであるなら、これは、私たちが何世紀にもわたり、様々なメディアを通じて歴史を捉えようと努力してきた中で最も革命的なことではないでしょうか?
言い換えるならリドリー・スコットの「ブレードランナー」以来、どれだけ進歩したのでしょう?
そこで、私は2014年にスタジオを立ち上げ建築家やコンピューター科学者、データ科学者、脳科学者、音楽家や作家まで私の夢の実現のため加わってもら��ました。
「データは絵の具となりうるのか?」
メディアアートを建造物に埋め込み、仮想と現実の世界を衝突させようと乗り出した時、最初に問うた疑問です。
「データの中の詩」と私が呼ぶものを思い描きはじめました。
初期の作品の「ヴァーチャル・ディピクション」は、パブリックアートのデータ彫刻でサンフランシスコ市の依頼でした。
この作品は、サンフランシスコの町に流れる繋がりの網目を表現することで生きた都市空間における壮観な美的体験へと見る者を引き込みます。
また、この作品が教えてくれるのは、日常生活の中では目につかないデータ。例えば、ご覧いただいているツイッターのフィードなどが、いかに可視化でき集団的に経験できる感覚的知識に変わるかということです。
実際、データは、経験してはじめて知識となり知識や経験というものは、様々な形を取り得ます。
それらの関連性を人工知能の際限のない可能性から探っていた時、私たちはまた人間の感覚と自然をシミュレーションする人工知能の能力の関連性についても考えました。
そうした問いが、風のデータの作品に取り組んでいた際に生まれました。これは視覚化された詩。
という形を取りウィンドセンサから収集した隠れたデータセットを元に生成アルゴリズムを活用して風速や風向や突風のデータを優美なデータの絵の具に変換しました。
その結果、生まれたのは、瞑想的にして思索的な経験でした。この「ボスポラス」と題した動的データ彫刻作品は、自然現象を新たに想像する人間の能力を問う似たような試みでした。
マルマラ海の高周波レーダーから集めたデータを用いて海表面データを収集し、その変化する動きを人工知能を使って投影して穏やかながらも絶え間なく移ろう人工の海景色の中にいるような感覚を生み出しました。
頭でものを見る行為は、しばしば「想像」と呼ばれますが、私の場合、建築物を想像するというのは、ガラス、鉄筋、コンクリートの範囲を超えて最も深い没入の可能性を探り、建造環境において人間の知覚を拡張する方法を実験することです。
人工知能の研究は、日々進歩を遂げておりより大きくより知識豊富なシステムに接続されているような感覚に陥ります。
2017年、私たちは、イスタンブールにある文化的資料のオープンソース図書館を見つけ「アーカイブ・ドリーミング」の制作がはじまりました。
世界初のAIを用いたパブリックアート作品の一つで270年分、170万件の資料をAIを使い検索します。
この時、刺激を受けたものの一つが、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説「バベルの図書館」です。
この物語では巨大な図書館として想像された宇宙が描かれ、そこには、ある形式と文字で書かれた410頁の存在しうるあらゆる本が収められています。
この刺激的なイメージを通して考えたのは、AIの時代に膨大な知識庫をいかに身体的に探索するかということでした。
結果生まれたものは、ご覧のようなユーザー主導による没入型の空間です「アーカイブ・ドリーミング」は、図書館での経験をこのAIの時代において大きく変えました。
「マシン・ハルシネーション」はニューヨークの、公開されている写真の集成を通して時間と空間を探索する体験ができる作品です。
この唯一無二の没入型プロジェクトを行うにあたり、機械学習アルゴリズムを使って1億を超えるニューヨークの写真の発見と処理を行いました。
物語るための革新的なシステムをデザインし、人工知能を用い新たな画像を予測したり、幻覚化したりしてニューヨークの町の過去と未来が、夢幻的に融合していく情景に入り込めるようにしました。
知識の記憶や伝達へとプロジェクトを深化させていくにつれ、より強く思うようになったのは、記憶とは静止した思い出ではなく過去の出来事の絶えず変わりゆく解釈だという点でした。
私たちが思案したのは、人工知能がいかに夢を見ることや思い出すこと。幻覚を見ることといった無意識や潜在意識で起きることをシミュレーションできるかでした。
それによって生まれたのが「メルティング・メモリーズ」と題した記憶が蘇る瞬間を視覚化した作品です。
これは、ある悲しい出来事から着想を得たものでその頃、私の叔父がアルツハイマーと診断されたのです。
当時、頭がいっぱいだったのは、まだ思い出せるうちに何をどう記憶しているかということを讃える方法を見つけることでした。
私は、記憶は姿を消すものではなく溶けていき姿を変えるものと捉えるようになりました。
人工知能の力を借りてカリフォルニア大学、ニューロスケープ・ラボの科学者たちの協力により、記憶が作られる際に脳から出る信号を解読する方法を教わりました。
叔父は、記憶を処理する能力を失いつつあったものの脳波データから生まれたアート作品は、記憶の形を探求し、叔父が失ったものへ敬意を捧げるものとなりました。
現代のLAは、ほぼ大部分が、子供の頃に思い描いていたものとは、かけ離れたものですが、ある建物だけは例外です。ウォルト・ディズニー・、コンサートホール(WDCH)で私の憧れるフランク・ゲーリーが設計しました。
2018年に、ロサンゼルス・フィルから電話があり、オーケストラ創立100周年を記念する作品の制作を依頼されました。これを受け、ある疑問を追求しようと決めました。
「建物は学ぶことはできるのか?夢を見ることは?」答えを出すべくLAフィルとWDCHのアーカイブの全記録を収集しました。
具体的には、デジタルアーカイブ化された77テラバイトに及ぶ記憶です。人工知能を用いて100年分の全アーカイブデータが、建物の外壁にマッピングされました。
42台のプロジェクタを用いた近未来的なパブリックアート体験が、ロサンゼルスの中心部で実現し「ブレードランナー」のLAに一歩近づいたのです。
建物が夢を見ることができるとしたらあの時がまさにそれです。
では、機械の心の中への最後の旅に参りましょう。今、私たちは、過去30年に行われたすべてのTEDトークのデータの世界にすっかり入り込んでいます。
このデータセットには7,705回分のトークが収められています。これを秒換算すると740万秒となり、その一秒一秒が、このデータの世界に表されています。
ここにご覧いただいている画像はすべて数々のトークの中の唯一無二の瞬間を表しています。人工知能を用いることで全部で48万7千個ある文をトピック毎の330個のクラスターにしました。
自然、地球規模排出、生物種絶滅、人種問題、計算、信頼、感情、水、難民、それぞれのクラスターをアルゴリズムで連結し、1億1300万の線分を生成して新たな概念的関係を明らかにします。
ステージ上で問われた質問をすべて記憶できたら素晴らしいと思いませんか?
こうやって数々の偉大な思想家たちの心の中に機械と一緒に入り込んで様々な感情に触れ、それが学習すること。記憶すること。疑問を持つこと。想像すること。
すべてに同時に繋がっていて心の持つ力を拡大するのです。
私にとって、この場にいることが、まさに21世紀におけるAIであることの意味なのです。人間が夢見るしかできないことを機械の知能が、学び記憶できるようにすることは私達の手にかかっているのです。
ありがとうございました。
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得��増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
2024年のノーベル経済学賞でも指摘しているように・・・
国家システムが繁栄するかどうかは、幅広い政治参加や経済的な自由に根ざす「包括的な制度(ポジティブサム)」の有無にかかっているとデータでゲーム理論から実証した。
欧州諸国などによる植民地支配の時代のデータを幅広く分析し、支配層が一般住民から搾取する「収奪型社会(ゼロサム)」では経済成長は長く続かない(収穫遁減に陥る?)
一方、政治や経済面での自由や法の支配を確立した「再分配や事前分配を同時に行う包括型社会(ポジティブサム)」なら長期の成長を促すと理論的に解明した(乗数効果とは異なる経路の収穫遁増がテクノロジー分野とシナジーしていく?)
「再分配や事前分配を同時に行う包括型社会(ポジティブサム)」は、日本の高度経済成長時代のジャパンミラクルが、一度、先取りして体現しています。
2020年代からはもう一度、ジャパンミラクルが日本で起こせる環境に入っています。安倍総理が土台、管、岸田総理が再分配や事前分配の包括型社会(ポジティブサム)の土台を形成しつつあります。
日本の古代の歴史視点から見ると・・・
安土桃山から江戸幕府初期の農民出身徳川家康が国際貿易を促進しつつ再分配や事前分配の包括型社会(ポジティブサム)を形成してます。
その後、大航海時代の覇権争いを避けるため数代かけて「収奪型社会(ゼロサム)」になってしまい、綱吉の頃には基本的人権の概念も希薄になり選挙もないため
低収入者の農民から商人も収奪していきます。
江戸幕府末期まで数度改革をしましたが、ノーベル経済学賞の人達によると包括型社会(ポジティブサム)に転換しずらい
結局、薩摩と長州が徳川家康式の国際貿易のイノベーションを復活させるも(水戸藩の文献から)国民主権の憲法や選挙がないため
明治維新を起こすしかなく、第二次大戦で原爆が投下されるまで軍備拡大して資源が枯渇します。
国家システムの独裁から法人や個人の優越的地位の乱用にすり替わるため、財産権や特許権などを含めた低収入者の基本的人権を尊重することで独占禁止法の強化も必要になっていくことも同時に示しています。
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実用に向けた大規模言語モデルApple インテリジェンス 2024
ビラワル・シドゥ:あなたの想像力をスーパーチャージするAI搭載ツール
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アロナ・フィッシュ:人工知能は本当に私たちを理解しているのでしょうか?
エピソード7意識のマップの数値と人工知能を訓練する計算回数が相似?2023
エピソード7 Episode7 - テーラワーダ仏教の「結び」と意識のマップ、マクロ経済学について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
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ケイド・クロックフォード:顔認証による大衆監視について知る必要のあること!
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
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北海道内179市町村のうち175市町村に出店し、道民にとって身近なコンビニ「セイコーマート(セコマ)」。25日早朝、札幌市北区の北31条店で店員の男女3人が刃物で刺され、40代の男性が死亡する事件が起きた。地域で親しまれるセコマで起きた惨劇に、住民たちは、言葉少なに恐怖を語った。 同店から「包丁のようなものを持った男が暴れている」と110番通報があったのは、午前6時47分。5分と経たず警察官が駆け付けたときには、店の外の路上で血を流している60代の男性店員と、包丁を手にした宮西浩隆容疑者(43)=殺人未遂容疑で現行犯逮捕=の姿があった。 道警によると、宮西容疑者は「おれが刺した」などと包丁をちらつかせて声を出していた。路上の店員も「あの男にやられた」という趣旨の説明をしたという。 近くの住民が撮影した動画には、宮西容疑者を警察官がとりおさえる様子が映っていた。包丁を手に抵抗する宮西容疑者を、3~4人の警察官が警棒を使って制圧し、包丁を奪って遠くに投げ飛ばしていた。 道警によると、当時店内には店員5人と客がいた。宮西容疑者はまず、店内で店員を相次いで刺したとみられるという。 このうち、店内で倒れていた40代の男性が死亡した。路上で血を流していた60代の男性は重傷とみられるが命に別条はないという。 レジを狙われた形跡はなく、金銭が目的ではないとみられ、道警は動機を詳しく調べている。 事件が起きた現場ではセコマを囲うように規制線が張り巡らされた。規制線の外からも、店内のレジ前に大きな血痕が見えた。 さらに店外には、約30メートル先のマンションの前まで点々と血痕が続いていた。路肩に積もった雪に、血しぶきのような大きな血痕が残されていた場所も4~5カ所あった。 現行犯逮捕の様子を撮影した50代の男性は、娘から「外で大声を上げる男がいる。近くで人も倒れている」と聞いて事件に気づいたという。「毎日何の気なしに使っているコンビニで事件が起きてこわい」 現場を見にきていた女性(72)は「この地域は年寄りも多い。セコマは総菜が多く、よく買いに来る」と話した。女性には「雪降って大変だね」などと言葉を交わした顔なじみの店員もいるといい、「相当、けがしているのかな。心配です」と店員たちの身を案じた。 セイコーマートは公式のX(旧ツイッター)で、死亡したのが社員だったと説明。「亡くなった社員のご冥福をお祈りし、ご遺族の方へお悔やみ申し上げます。また、2名の従業員の早い回復を願っております。現在警察の捜査に協力するため、当該店舗はしばらくの間休業いたします」と投稿した。(新谷千布美、古畑航希、上保晃平)
抵抗する容疑者を警察官が警棒で制圧、札幌のセコマ店員3人死傷事件(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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2024/08/31 和階堂真の事件簿
ピクセルアートがめちゃくちゃいい感じ!
処刑人の楔
↑もうこのタイトル画面がクソかっこいい
おじいさんが自分の刑事時代を孫らしき子供に言い伝える形の導入
「未解決事件は終わらせないといけないから」を思い出すなど
カルト宗教×推理たまらんなあ
これが「和階堂真」と疑わずに進めていたけど実は聞いていた子供(孫?)が「真」!
おじいちゃんの昔話から、ミスリードを見抜いて真実へ…
構成好き~~~~~~~
胸糞カルト殺人と見せかけて、被害者と加害者が逆だったパターン
とはいえアイダさんが幸せで、老人の今でも続く仲なのはよかった…
一応正式に殺された扱い(生命保険)で、えぐい治療費かかる大病を完治させて夫婦でこの年まで生きられたのは流石に都合のよさは感じたけども……w
BGMも好み!
隠し神の森
宗教の次は因果村!!!!最高
ここから「和階堂真」が主人公か
因果村あるある:気の強い姉×気の弱い弟
黙々と進めて、第四章で真が「私はタバコを嗜みません」でひっくり返った
章の間に、証拠は集まらないけど証言だけ聞くパートがあるなータバコの煙フーッで場面転換するのオシャレだなーと思ってたアレ
アレ、おじいちゃんパートだったんだ!!
ドット絵だからこそできるギミックでもあるな~
一回目の神隠しを祖父が、そしておとぎ話化されて続いている神隠しの真実をついに孫が明かそうとしている
激アツじゃん
現代と同一人物いない?と思ったけど、あれは祖先とかって解釈でいいのかな
「犯人概ねの推理だとみことっぽいけど、ここで引き上げるわ」はちょっと危なくない!?ww
橋の上で最後の推理を仕上げるのアツい
やっぱりみことはミスリードだなーではあるけど
みことは、不倫のことがあるから話せることが少なくて余計ミスリードなんだな(不倫すな)
女性陣の立ち位置が把握できてなかったので改めて整理
さえこは目撃されている
姫子も三雄との会合でアリバイあり
消去法で正世……!
お面とミノは猫ちゃん持ち出し、なるほどな~
因習をなくそうと奮闘した一太郎、対立した次彦
その一太郎の孫の正世が次彦を殺して、復讐を果たしたのだなあ
正世好き~
和階堂「次はあなたの猫の話をしましょう。」
めっちゃいい
エンドロールで、「和階堂(祖父)」!!
影法師の足
和階堂の目の前に死人、手には血みどろナイフ、記憶喪失
これまた王道のピンチ展開!!!
逆裁を思い出した
最初は人身売買グループに和階堂が潜入捜査してるのかと思ったけど、思ってるよりむちゃくちゃ組織に属しちゃってないか?
「人身売買グループ」ってのが別の何かで、渋川に手を貸していたのか
第一話のおじいちゃん編の展開と近すぎるか
「身の潔白を示す証拠を探そう 0/7」で、自分が怪しい証拠ばかり出てくるの怖い演出
キャラ濃いわりに探偵の出番全然ないなーと思ってたらまさかの!!!
入れ替わりか~~~~これもこの粒度のドット絵ならでは……あっぱれ……
渋川に妙に気に入られていたのもの、和階堂はそんな性格に見えない違和感があったけど、安養寺のキャラだと納得だなあ
そういや「潜入捜査のプロ」ってどこかで言ってたな
構成がウメェ~
ああー!!!和階堂の「自宅」なんで真っ先に警察の捜査が入らないんだと思っていたけど、それも安養寺の自己暗示×記憶喪失による思い込み��…
元々は和階堂・安養寺の捜査用オフィス
安養寺が自己暗示による変装のプロ、ってのをめちゃくちゃ活かしたストーリーだ…
安養寺探偵事務所で一本新作くれ~
指切館の殺人
館もの!!本当にいい王道を網羅している
そして冒頭さっそく 嵐・跳ね橋が壊れて町に出られない・幽霊のウワサ
王道過ぎてワクワクが止まらん
指二本切られてるってエグイ
あきらかヤク中の宿泊客(常連)いて草
オーナー売人?
新キャラ、高身長のロングコート
ロングコートは主人公しかいないのでは…
その怪しいロングコートを特定する前に、22時10分再びの停電
二人目フラグ過ぎる
常連ヤク中が死んでいる!?
和階堂、警察という立場であの様子の常連見た上で「なんだこの甘い匂いは?」止まりなの天然なの?
もしかしてオーナーが刃物預かってるのは、ヤク中が自殺しないため?(もしくは他人を刺すとかも)
サトグチが妙に張り切っていたのは、「そっち」目的?
停電後の変化→井戸に新しい血
一旦登場人物整理
イズミ:兄が行方不明、サトグチの付き添い
サトグチ:指切られた、サークル活動の発案者
イケダ:もう一人の女子
ヌマタ:イケダと一緒にいる、噂を調べるのに積極的なメガネ、「井戸は死者と交流できる」ウワサの源流
カワベ:スペアキーの件でハブられている帽子
オーナー:コーヒーを入れてくれる
オオクマ:ライター、殺人の第一発見者
ヤギ:オオクマの相方、幸が薄そう
常連:ヤク中?二度目の停電で死ぬ
ミタライ:ヤク中その②?ずっと部屋にいた
明らかに怪しい停電前後のオーナーの動き
カワベ、イケダ、ヌマタにコーヒーを振る舞う→その間、ライターコンビもいたけど途中退席→サトグチが「水をくれ」と言いに来る、持っていこうか、と言うが断わられる→サトグチと同時に常連も食堂から出ていく→オーナーも同時に(本人はトイレに行ったとのこと)→その後、停電が起きてオーナーはボイラー室へ
オーナーはサトグチに何かを隠れて渡すために外へ?
その際、誰かとすれ違ってはいないとのこと
カワベが部屋に入れなかったのは嘘!
サトグチの家族が「殉教者の光」の信者
ここで第一話と繋げるのアチィ…………………………
オーナーが売人説、当たってて嬉しい!
オーナーは売人として動いていたところに、死者との交信!と言って訪れた大学生は予想外の動きってことか
ミタライさんの背負い投げ!?
サトグチが麻薬常習者…と安直に至ってしまってたけど、「殉教者の光」信者であることを思い返す
であれば、指を切ったのはメインの犯行を隠すための自作自演…
ヒエ~
ただ、イズミの兄と会わせる=イズミを殺すは思い至らなかった…
その結論を踏まえて振り返ると、トランクにそれっぽい粉があったけど、それはミスリードで
その後にネズミが死んでいた=薬はイズミを殺す手段のひとつであった ってことか~~~~
まんまとミスリードにハマってしまって悔しい&嬉しい
常連はオーバードーズ的な死因かと思ってたけど、これを照らし合わせると
サトグチがイズミに飲ませる予定だったコップを、麻薬と勘違いして奪い、飲んでしまったのか………
なんと、宗教信者とヤク中がうまいこと絡みあってしまった………
ミタライ、なんか予感はしてたけど安養寺かい!
ヤク中その②とか言ってごめんよ
イズミさんの本名、「泉川あかね」…?
え?助手の!?!?!???
だからこの回だけヒントシステム無いの!??!?!?
熱すぎて動揺した
お馴染みクリア後の「事件解決への協力、感謝する」のワンカット良すぎた
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六日目は、大西洋再び。ヒチャム君が今年から教える工科大学があるエッセウィラという港町へ向かう。マラケシュで両親と一緒に暮らしているヒチャム君。モロッコでは結婚しないとずっと両親と一緒に暮らさなきゃならんのよ。っで、僕はずっと、何かあれば直ぐに日帰りできるけれど、毎日通うには少し大変な場所で勤め先探してたの。それも、僕の大大大嫌いなフランスの影響が極力少ない大学で!と初日に言っていた事を思い出す。
それにしても、ヒチャム君。幼い頃は、観光客といえばフランス人だらけ。フランス人の横柄さや、大した事のないバカほど、白人至上主義を振りかざすことに、子供の頃からウンザリしていたらしい。そんでね、マキ。フランス人ってみんな、ただのお高くとまったバカとアホしかいないじゃん。っでね、その中でもマシな奴を見つけるリトマス試験紙は、英語なんよ。��ーそうかも。。。ドイツ人もそう!英語喋れないドイツ人って終わっとる。
でしょー。でもね、フランス人ってドイツ人よりマジでアホじゃん。ゲルマン言語できないじゃん。だから、フランス語が全く分からない振りして、色々とアホがフランス語でのたまわった後にね、静かにこう切り出すのさ。まぁ色々とアドバイスをありがとう。I appreciate all your kind advice. But I think you were speaking in... French?..... そして時間を置いて目を見つめてやるのさ。そしておもむろに、i understand that you were speaking something to me in French but can you kindly say that again in English. って言ってやるのさ。するとね、今の御時世でしょ。あのアホな偉ぶっているフランス人どもも、さすがに恥じ入るんだよ。だってさーHicham、だって、それって遠回しで、お前アホ、明後日来いボーケって上品に言っているんじゃん、とワシ大笑い。ヒチャム君も笑いながら、さすがにね、わかるよね。でもさ、最強な奴は、返って怒るから。ここでフラ語分かるからって、奴らの悪口に対応しちゃいそうになるのをぐーっと堪えて。っで、心の中では、ボーケボーケ、しねアホーとかアラビア語で言うんでしょ、とワシ。いやぁ、まぁこれは僕とマキの間だけだけど、ヒソヒソとしたトーンに変えて、うん当然やん、と笑う。
ウケる。マキもさ、ふざけんなって思う相手のあしらい方を、身に付けないと。モロッコはそのためには最高の場所よ。スークの押し売りをあしらう。アホな外人どもをあしらう。こういうあしらい方を身につけられる場所だよ。とヒチャム君。マキはさ、マジメすぎるから、相手にしなくて良い奴はあしらうんだよ。そうじゃないと、僕とお話ししたい時とかに、疲れちゃってたら勿体無いじゃん。本当に話して意味ある人と話すための余力を蓄えて、ゴミは相手にしない。いい? ワシ。うーむ。刺さる。コイツ、ワシのこと見抜きすぎ。。。ワシ、分かりやすいのカピバラ。
海辺の街は美しい。大西洋だよ、おっかさんである。ヒチャム君との会話を思い出す。そして、ワシは海が好きだ。常に動いている。ドイツは常に淀んでいる。水も黒いので流れが良く分からない。山は死んでいるし。ヨーロッパの光の加減は、油絵と同じでノッペリしている。
細い路地も、マラケシュの路地より綺麗。ホコリっぽくないのは、海風のおかげであろう。マラケシュはホコリっぽく、昔のニューデリーやカトマンズみたい。一日外にいると、洋服は街の臭いが染み付き、鼻の穴は真っ黒、髪も、お帽子被っているのにバサバサ。最悪。でも、エッサウィラは、空気がきれい。久しぶりに安心して深呼吸して、気管支がやられている事に改めて気付く。
クロッシェで帽子を編んでいる男性としばしお喋り。ワシもクロッシェするの、と。編み針が少し扁平で、普通のクロッシェ針と違う。そして編み方もワシの知らない編み方。彼は編みながら、お前、日本人か。という。そうだよ、日本人。すると、そうだろうなぁ、と編みながら言う。なんで、と尋ねると、編み針の形状が違うとかさ、編み方がどうとかさ、針の持ち方や、糸の掛け方がどうとか、お前みたいなマニアックな話してくる奴、日本人しかいないだろ。。。と。あー。そうかもね。でも、俺、こんなに編物について観光客から質問されたの初めてだけどね、と初めて顔を上げて、笑う。普通の観光客なんて、手仕事バカにしてるだろ。旅行に来れるくらいの金持ち成金は、手仕事をバカにするのさ。機械でできるとか思ってやがるんだ。でも、違うじゃん、機械と手仕事。そ。だからな、俺は、手仕事してない手をみると、ただの成金バカと思いつつ、こうやって手を動かしているのさ。楽しみがわからない人間なんて、買い物して喜びを買うだけなんだよ。貧しい奴らはどっちかって言ったら、あいつら観光客さ。誰かに楽しませて貰わないと、自分で自分を楽しませることすらできない。ハハと笑う。うーむ。おっしゃる通り過ぎです。
ヒチャム君は、三十分置きくらいに、マキ今どこ。写真送れというので、適当に写真を送りながら街歩き。ナチ時代に大量に逃げてくるユダヤ人を受け入れたマラケシュ。トルコでも、ドイツ人もユダヤ人虐殺に対抗して、トルコでもギリシアから大量に逃れてきたユダヤ人を受け入れていた。が、トルコは悲しいことに、それが所以で、ドイツから報復措置を取られる。モロッコは、フランス領だったため、ドイツも手が出せなかった。ヒチャム君にその話を聞いていたので、エッサウィラのユダヤ人墓地まで歩く。中には入れなかったが、海辺の墓地に、彼らは眠りながら何を思うのか。。。バーセン先生のお墓参りに行った事を思い出し、揺るぎない故郷があるという事の有り難さを思った。
エウロッパのバカ観光客と、モロッコ人の差異は、海への対峙の仕方で直ぐに分か���。モロッコ人達は、みんな静かに座って、ひたすら海を眺めて、時折、ボソボソと喋っている。けど、基本的に静かに物思いに耽っている。白色バカどもは、大騒ぎして、フラもアメも、大きな声で下らないことを騒いで、写真をバカスカ撮って去っていく。実に人間観察は面白い。
僕ね、あと5年働いたら、今まで働いた分と合わせて30年の国家サービスだからね、もうすぐ年金対象者になるの。だから、エッセウィラ工科大学でも、定年まで働けるけど、まぁ五年働いてから考えて、早期リタイアして海釣りの毎日も良いかなぁなんて思っているの。えーっ。マジっすか。ワシもね、そろそろ早期リタイアしようかと考えているところなの。というと、へー。。。なんか、人生中年の節目、mid year crisisなんて関係なく自由に生きてきた独身者って、似た者同士なんだねぇって妙に感心しあう。ワシね、心配性だから、マジで子供産まなくてよかったって思っているの、というと、顔を覗きこんで、あー。もう当然だよね。この時代に子供産んで貰って、育てる勇気は僕にも無い。仕上がった大学行ける子供を、最終的に磨くお手伝いだけで十分さ、と。ワシも全く同じなので、笑える。
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#IMAITOONZarchive 2005-6 #00年代
TITTLE:「mONsTEr BaLL」
企画展「GUNDAM―来たるべき未来のために―」の為の作品
103x72cm オフセット印刷+UVシルク印刷、紙
(C)創通エージェンシー・サンライズ
(C)IMAITOONZ
作品コンセプト:
一年戦争の終盤、心許無い作業用アームと急拵えの砲台がついた球体の棺桶のような「ボール」という機体に、いわば片道切符を持たされ若い兵士が戦場に駆り出される様が容易に想像できるのは、
現実世界でも太平洋戦争時、日本軍が背水の陣で絞り出した「神風特攻隊」や「人間魚雷」といった非人道的兵器にイメージが重なるからだ。
連邦軍だろうがジオン軍だろうが一兵卒の下級兵士は、皆そうだっただろう。宇宙世紀という時代に翻弄され、人類の革新とやらに付き合わされる一般市民が犠牲になる。この作品は、ジャブローの海中やジャングル或いは宇宙空間で彷徨っているであろう一年戦争で扱われた兵器の残骸を集め、作品で象徴的な「ボール」を再構築し「形骸化」した。戦争末期、末端の人間は本来の目的が見失われ、ただルールを維持するだけの状態だっただろう。
この球体の中核には何があるのか。
戦場で失った人々の魂か。
戦争が起こらなければ紡いでいたであろう彼らの人生か。
展覧会概要:
今展覧会は、数あるガンダム作品の中から「機動戦士ガンダム」をテーマに、リアルタイムで見て育った若手アーティスト15組(23人)によって手がけられたもので、『機動戦士ガンダム』で描かれた世界を「戦争」、「進化」、「生命」という3つの視点から見つめ、アーティストたちが未来に向けての思いを作品に展開していきます。また、「ガンプラ」をはじめとするガンダムをめぐる表現に着目し、多くの人々に影響を与え続ける文化現象として『機動戦士ガンダム』の魅力を紐解いていきます。
場所:サントリーミュージアム天保山・大阪〜上野の森美術館・東京他全国巡回
キュレータ:東谷隆司
参加アーティスト:
会田誠、小谷元彦、八谷和彦、天明屋 尚、西尾康之、安村 崇、横山豊蘭、今井トゥーンズ、篠田太郎、宇川直宏、常磐 響、ニュータイプテクノロジー ラボ(フラナガン機関)、本 秀康、羽生生 純、生西康典×掛川康典×ククナッケ×シュー×マジックコバヤシ×永戸鉄也 (順不同)
キュレータの故・東谷隆司氏には大変感謝しております。
作品コンセプトを汲み取ってくださり、展示ではイラストとしてではなく、美術作品として対応してくださいました。その事は今でも自分の大きな糧になっております。改めてお礼を申し上げます。。
余談:「機動戦士ガンダム」の放送帯は、名古屋在住の小学生の私にはなんだか誇らしかった。オープニングの制作クレジットに「名古屋テレビ」(現・メ〜テレ)の文字が入るからだった。
もしガンダムの世界に生まれていたのなら、私はニュータイプには到底なれない一兵卒の下級兵士だっただろう。しかもジムにも乗れず、棺桶のような「ボール」に乗り、言わば片道切符を持たされ状態で戦場に駆り出されるであろう。
リアルタイムに「機動戦士ガンダム」を観た当時の小学生は、「量産型」という兵器としての概念を初めて知り、ガンプラにときめき、噂を頼りに自転車を走らせ隣町の模型屋まで探しに行ったものだった。いつも置いてあるのは「ザク」と「ボール」。ガンダムには会えなかった。
アニメでも毎週話数を追うごとに、到底アムロには成れない自分に気付いていく‥ヒューマノイドと人類の革新は全く自分には起こらない、「時」は見えないし。僕はあの売れ残りのボールがお似合いだった。
「機動戦士ガンダム」の放送帯は、「ザンボット3」から始まったが、その作品でも人間爆弾や、主人公の親族が地球を守るために犠牲になるという一面が小学校低学年に突き刺さった。残忍だが妙に軽い敵・ガイゾック、日本で町内で辛い立場に追いやられる神一家。まさにの隣組に追いやられる、はだしのゲン一家。戦争は日本人同志も敵になる。その後の「ダイターン3」主人公の波瀾万丈の生い立ち(明確には描かれていなが)。
下地は充分だった。前2作品は形態を変えた姿で「侵略」の恐ろしさ、その上での「機動戦士ガンダム」は未経験の「戦争」を疑似体験したような気分になった。
「量産型」という概念がすべてを物語るように、変身等のロールプレイでは到底わからなかった、「主人公=一人称」ではなく「自分は社会の中の不特定多数」という目覚めが子供心に起きた作品だったのかな、と思う。それは初めて物語を俯瞰で観る事を知った瞬間だとも思った。
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福原京・跡地
10年以上前から引用符を手書きで使いこなしていた“倉科ねね”さん、あなたは一体何者だ!?
初めての高級店(生出し可の店)でしたが、不感症気味なので事前に「イキにくい」と伝えました。しかし、この日は言葉と裏腹に体調が良く、難なく2回戦までことが運びました。
毎回物事が上手くいくとは限りませんが、それで尻込みしてしまっては機会を逃すこともあるでしょう。
だから筆者は敢然と考えます。これからも、まったり生きようと。
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数年前、新装開店し��破格の高級ソープランドにて、普段は音響の専門学校に通っているというソープ嬢に巡り逢い、「DAWはCubaseが一番使いやすい」という話題になりました。
彼女は海外研修時にCD屋で見つけたコートニー・ラブ(カート・コバーンの嫁)が好きだと語っていましたが、その店は数年と持たずに閉店してしまいました。
そうして諸行無常を痛感するに至った次第であります。
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二十代の頃に新装開店のOL系ソープ(学園・OL・熟女系の店は比較的に安価)で元・地下アイドルを自称するソープ嬢に当たり、帰り際に趣味について聞かれたので作曲した曲を聴かせたら「もっと早くに会いたかったね」と冗談を言われました。
人は年を重ねると妥協して丸くなるのでしょう。
ちなみに地下アイドルという語句の意味を知ったのは家に帰ってググってから。
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“大園玲”似のソープ穣・小春氏とほのぼのとしたいい雰囲気になったので、事後に「仕事でサーターアンダギーを作ってる」と教えたら、その子の祖母は沖縄出身らしく「子供の頃に作ってもらって食べたことがある!」と打ち明けてくれましたとさ。
ソープは18歳以上になれば利用できます。またソープ嬢として働くことも可能なので「2週間前まで女子高生だった」という嬢も在籍しています。
合コンやナンパで口説こうが、行為自体はソープと変わらないので、18歳になったら選挙に行く前に、まずは「伊勢神宮の参拝」と合わせて東京の吉原に行くのが理想でしょう。
どうやら九州では熊本もソープが盛んなようですが、東北はデリヘル以外の性風俗は発展していないので、婚期が早まる傾向があるのでしょう。
結婚と恋人の相違点は「家庭を築くこと」にあります。子供1人を大学卒業するまで育てるのに1,000万円ほど必要とされます。このことから、扶養者の経済力に応じて出生率が変動すると鑑みて間違いないでしょう。
「先進国で性風俗があるのは日本だけだから撤廃すべき」と宣う輩もおりますが、他の先進国(白人の国々)は「宗教上の理由」で性風俗を禁止しているのであって、本来は《キリスト教》とは無関係な日本がそれを模範する道理はありません。
ヨーロッパ人種の主要な宗教である《キリスト教》では、男女の結婚は神との契約の形でおこなわれるのはさておきまして、欧州から渡来した「貞操観念」が定着する江戸時代以前の日本では、男女ともに「経験人数は多ければ多いほどいい」とされており、十代前半になれば男女は初体験を迎えていたようです。
京都や江戸と異なり、遊郭(政府が管理・運営する性風俗)などもない山陽地方の田舎では、夜這いが正常な異性間の交渉とされ、それにより子供を身籠れば、女性の方から複数の相手から一番好きな殿方を選び、それを正式な夫だと宣言すれば血縁関係と認められていたとのことです。
明治時代頃までは中学生ほどの年齢にもなって未経験なのは相当恥ずかしいことだったらしく、「14歳にもなる処女が風呂屋の前で男性客に『ちぎってくださいまし』と、手あたり次第に声を掛けていたので、往来を行く男性客が困惑していた」というような話題も当時の性風俗に関する書籍に記述されていたようです。
ちなみに明治時代まではふつうだった銭湯の混浴風呂を欧米の要人に見せたところ「日本人の精神年齢は12歳程度だ!」と酷評されたのをきっかけに、都市部の混浴風呂は廃止されたのだとか。
平清盛と夢の福原京
神戸の福原町は、平安時代末期に"平清盛"が遷都しようとした地でもあります。
もしこれが実現していたら、神戸が日本の首都となり福原京が造られ、鎌倉時代までに「福原幕府」が樹立していたとされます。
しかしながら、平清盛は源氏との戦に敗れ、建設中の福原京は"源義仲"に焼き払われました。
その後は遊郭街となり、今はご存知の通りソープ街となりました。
◆◇◆◇◆
ここで一句。 「優しくて 痩せているなら それでいい」
◆◇◆◇◆
4月19日。福原の高級ソープにて、ご両親がそれぞれ宮崎と奈良の生まれというお嬢に「ふしぎな雰囲気」「彼女はいるの?」「痩せ過ぎだから、結婚したらご飯をたくさん食べさせられそう」と心を蝕む特殊な尋問を受けながらも頑張った次第であります。
なぜか神戸市民であるのか質問された上に、居住地や勤務先についても聞かれたので渋々答えると「あなたは普通の人だし、少しマイペースだから周りと気性が合わないだけかも」と暗に言われましたが、どうやら彼女は奈良から神戸福原まで通勤しているらしく、慣れたら一時間ちょっとの通勤時間も苦ではなくなるという意味深な助言を受けました。
口達者か否かは置いといて、声を聞いて目を見れば大体その人の持つ本質的な内面や、心に抱える感情くらいは勿論のこと分かります。
それでも筆者は敢然と考えます。
老若男女・犬猫魚猛禽類《いぬ・ねこ・さかな・もうきんるい》
生きとし生けるものすべてを均しく愛せると(妄言)
帰り際に「どんな子が好みなの?」と聞かれ、「優しくて痩せているならそれでいい」と答えたら、身長168cmにして体重45kgの私よりも数キロ重いと言うお嬢なりの決意表明がしっかりと書かれた名刺を渡されましたとさ。
“今日わありがとん♪ ダイエットがんばります♪”
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■筆者近影&ソープ嬢(退店済み)
数年前に書かれたとおぼしき謎の手記
二十代の頃に出会い系を通じて初めてホテルに入った一人目の女性は、太った"阿澄佳奈"似で、二人目は"北斗昌"似だった。
三人目に至っては女装した"角野卓造"そのものでしかなく僕は心に深い傷を負った。
この傷は生涯をかけて決して癒えないだろう。
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【千葉】南房総「福㐂庵(ふっきあん)」
【人生最高レストラン】#藤岡弘、家族みんなが大好き!房総の地魚料理『福㐂庵(ふっきあん)』2024/8/17放送 千葉県南房総市富浦町福澤808-5 #人生最高レストラン 詳しく見る↓
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