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#丈の調整可能
sarahalainn · 9 months
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
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サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
念願だった日本の協会でのクリスマス。
11年目でやっと実現できました。
色々なサライブをプロデュースして来ましたが、どれも特別な思い入れがある中。
今回は1番印象に残るステージの一つになりました。
これをきっかけに、また日本の教会でコンサートが実現できれば幸せす。
個人的にはとても長崎に行きたく、、、チャンスに巡り合えることを祈っています!
では、プロデューサラからのライナーノート。
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今回のセトリ。デザインさせて頂きました^^
夏のオーストラリアで育ったため、リースのサラは半袖。
寒さにとても弱いものの(昨日のライブでもカイロを貼ってて落ちないかドキドキ)、
クリスマスはやっぱり寒いのがしっくり。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
5. Eight Melodies 『MOTHER』
6. Hijo de la Luna
7. Airmail Special Xmas Vers.
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
9. Andata (坂本龍一)
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
11. Joyful Joyful / 第九
12. O Holy Night
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
14. Silent Night
15. Nessun Dorma
16. You Raise Me Up
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海外の協会や大聖堂といえば、キャンドル🕯️
本物はNGとのことで、こちらに。帰って我が家のツリーの下に🎄
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今回のサラスタイルは、一番好きな純白。
1部はサラッと見つけた衣装!今回ネックだったのは、パイプオルガンの弾き語り。
普段はもっと高いヒールを履いてパフォーマンスをしているのですが、ペダルがもちろんキツく不可能。
因みに、ペタンコな靴でも試したところ、これもこれで初心者にはとても踏みにくく、多少ヒールがあった方が演奏しやすかったです。
長いスカートも足の動作の邪魔になるため、とても苦労しました。最終的には普段より低いヒール(これで)に動きやすいドレスに出会えました。オープニング、アンコール、エンディングの演出としてバージンロードを歩きたかったため、
それにしてはカジュアルすぎる姿かなと思い、裾が長い素敵なビジューのケープに出会えました。
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アンコールではお世話になってる方々のお衣装:
Instagram
Dress: DRESS SALON Lu:Che @dress_salon.luche
Veil: @paradisewest
Hair & Make up: @west_kuboki
アー写でも着てた一点もののヴェールとウェディングドレス。
華やかな衣装も大好きだけど、普段着も含めて、基本一色でシンプルなスタイルが1番好き。
見えにくかったはずですが、アクセサリーには十字架のネックレス。
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Sarah’s Angels
チャーリーズ・エンジェルともちろんかけてます。
ピアニストの宮本貴奈さんは色々な意味で今回救いの天使でした!
Soprano/ SAK.
Mezzo Soprano/ 渡辺磨裕美
Alto/ 会原実希
Tenor/ 大山桂佑
エグイアレンジにも関わらず🙇‍♀️サラッと歌われて素晴らしかった👏Bravi!
皆さんのシックな衣装が会場にぴったりでした。
実はAngels’のスタイリングもしてたのですが。。なんと、衣装が間に合わず(本番の次の日に到着><)
いつかまたぜひこちらも着て一緒に歌いたいものです!
では、音楽のもう少し詳しい編成や演出について。
聖なる場所で、今回はとても分かりやすいテーマとメッセージがあったこともあり、
MCを最小限にし、音楽中心のコンサートに。
アルバムやテレビと違って、コンサートでは自分の思いを自由に語れる貴重な場なので、
基本話せる時は話したいですが、今回はより音楽に集中できたため(ツアーでは毎回MC=ー「笑い」に命をかけていますw)、こういうコンサートも続けたい。
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1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Takanaのクリスマス・アドリブから始まり、イエスキリストを讃える一曲へと繋がる。
色々な作曲家のPie Jesuがありますが(Faureフォーレのも好きで迷いました)、アルバムに収録されてることと、京都音舞台での思い出もあり(お寺でのPie Jesuなんて、日本の神は心が広い)、Andrew Lloyd Webberバージョンに。
皆さん驚かれたかもしれませんが、後ろから登場し、キャンドルを灯し、歌いながらバージンロードを歩きました。
教会の大きな十字架✝️を見ながら歌う感覚。
色々な感情が心に重く、深く、宿る。
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2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
クリスマスは基本違和感と寂しい思い出しかなかったですが(夏のオーストラリアで、クリスマスを祝わない家族)、
昔からクリスマスソング・キャロル・讃美歌が大好き。とても嬉しいことに、オリジナルのクリスマスソングを歌わせて頂いています。それも、憧れのムーミンの。映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』で英語版と日本語版��主題歌を歌わせて頂くクリスマスの奇跡が起こりました。
そんなムーミン一家も、クリスマスはお祝いしません。
クリスマスが何なのかすら、知りません。
でも、「クリスマスさんがやってくる!」
人と勘違いしてる?
ツリーの飾り方も分からず独特。テッペンには薔薇。
そんなムーミンは、何よりも大事なクリスマスのメッセージに気づきます。
そんなハートフルなクリスマスソングを教会でも歌えるなんて。
年に一度しか使えないと思ってゲットした鈴は、今日も大活用。
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
さあ、ここからが難関。思いだすだけで冷や汗。
人生初のパイプオルガン演奏。弾き語り。そして途中で指揮。
本来予定してなかったのですが、教会の下見に行った時、オルガンを見て、これは演奏してみたい!、と燃えてしまいました。
どの楽器もマスターするのに難しいですが、その中でもパイプオルガン奏者にはリスペクトしかありません。
ピアノ、チェンバロと違って、鍵盤が三段階。それぞれ音色は違いますが、その音色をさらに左と右横にあるストッパーで調整する。演奏中引っ張ったり押したり大忙し。シンセも昔から好きだったので、感覚が似てて、音色を選べるのはとても楽しいです。演奏してる間は別問題ですが^^;そして、私にとって何よりも困難だったのはペダル。ペダルも鍵盤になっているんです!ひ〜
エレクトーンの経験もないので、シクシク家で妄想練習。手書きの鍵盤。
あるピアニストがピアノがなくて紙の鍵盤で練習したという都市伝説を聞いたことがあったけど、
本当だったかもしれない。
最初はオルガンソロのみ予定してて、何が良いかなと思って、冗談で「バッハのトッカータとフーガニ短調BWV 565」なんて!と言ったら、ピアニストの塩入俊哉さんが、「それで良いんじゃない」と真面目に答えられてから、やることになっちゃいました(塩入さん、体調回復されて、元旦でお会いします^^)
どうやって鍵盤を弾きながらペダルを踏んで歌うのだろうか。。。練習ができないため、
今回はずっと足を見て演奏するしかない。
そのため、普通のマイクではなく、ヘッドセットをお願いしました。
ここで合唱が登場したらカッコ良いなと思い、バッハからウクライナの新年の曲「Shchedryk」、別名「Carol of the Bells」(ホームアローンやテーマパークでもよく流れるクリスマスの定番)に繋がる。
ペダルを踏んでない時は指揮。オルガンが大きくて見えにくい位置でしたが、さすが聖歌隊、
Sarah’s Angels見事について来ています。
「Carol of the Bells」 「鐘のキャロル」というだけに、パイプオルガンにも鐘があるので、このチャイムをペダルと鍵盤でもONに。
今回は合唱のアレンジをさせて頂き、こちらも燃えました。
GLORIA CHAPELだけに、アレンジに「Gloria」(讃美歌)も取り入れました。
ウクライナ語、早口英語(合唱お見事)、脳みそがフル回転に働かされる一曲でした。
足元の動画をとってあとで見返してみると、おそらくこの姿勢で筋肉痛になったかと。
YouTubeにアップしました!
動画編集に苦戦。いくつかのカメラが音と映像がシンクしない。多分カメラの位置とホールの響きの影響も?
また、見返して思い出したのは、音のディレイ。特にオルガンは、鍵盤を弾いてる時と、実際に聞こえてくる音とズレがあります。ゆっくりなところは大丈夫でしがた、早いパッセージは心臓バクバク。
【LIVE】Shchedryk Carol of the Bells /Pipe Organ, Voice & Choir|Sarah Àlainn サラ・オレイン | パイプオルガン弾き語り
<初!パイプオルガン弾き語りinウクライナ語+指揮🎄>
youtube
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
ここでやっと普通のMC。
次からは合唱メインの選曲へ。
今回リーダーのSAK.に合唱についてご相談させて頂きました。SAK.とのご縁はゲーム音楽のコンサート。
そんな繋がりもあり、一番最初に合唱とやりたい!と浮かんだ曲は、ゲーム音楽でした。
私の歌のデビューは光田康典さんのゲーム音楽『ゼノブレイド』の「Beyond the Sky」。
よくライブで歌わせて頂いている大切な楽曲。SEGAの 『蒼き革命のヴァルキュリア』でもコラボが実現。
ラテン語で英語で作詞させて頂き、とても好きな世界観。でも、ライブでは一度も歌ったことがありません。
レコーディングでは自分の声を何重に重ねたセルフ・クワイヤー。
ループするようなラインでもないため、ルーパーでも一人でライブでは歌えません。
今日までは!
合唱のおかげで、やっと生でこの歌が届けられる!テーマも「Requiem(レクイエム)」なので教会にもぴったり。
ゲームの中では死神の歌なので、プレイヤーとしてはあまり聞きたくない曲かもしれませんが^^;
さらに、この曲は完全にアカペラ。オリジナルと同じように表現できた喜び。
アカペラが大好きで、合唱の皆さんにまたハードルが高い曲を2曲目に持って来たのにも関わらず、Bravo!
正面向きながらの指揮。
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5. Eight Melodies 『MOTHER』
ルーツのvgmが続きます
ご縁があり、作曲家のChip Tanaka(田中宏和さん)の前で彼の作品をいくつか演奏する貴重な機会がありました。私が最初にプレイしたゲーム機はGAME BOY(ゲームボーイ)。唯一入ってたゲームがDr. Mario。今でも完璧に覚えてるあのチップチューン。それがまさかのChipさん作曲。そんなDr.MarioとRPG『MOTHER』をご本人の前で演奏させて頂く夢のようなステージがありました。
その時はサラカルの編成だったため、歌とヴァイオリンはルーパーを使ってました。
この名曲をSt. Paul’s Cathedral Choirが歌われてるバージョンをサラジオでも以前お届けしましたが、
これぞ教会で聞きたい一曲!ゲームでは8つのメロディーが物語のキーとなるのですが、アレンジバージョンには英語歌詞がつきました:
Take a melody, simple as can be
Give it some words and sweet harmony
Raise your voices, all day long now, love grows strong now
Sing a melody of love, oh love…
作詞:Linda Hennrick
作曲:鈴木慶一さん/Chip Tanaka
簡単なメロディーをとって、歌詞をつけて、
優しいハーモニーを当てて、
声をあげて、愛のをメロディーを共に歌おう。
何とも純粋な美しい歌詞。。。
以前のループも生かしつつ、合唱とピアノ演奏を加えた教会バージョンにアレンジ。
Chipさんに映像を送らなければ〜年末は休めるのだろうか^^;
今回は出番が短かったですが、ここでサラ・オリジナル八ヶ岳カリンバが重要なところに登場。
シンプルなメロなので、これもいずれ皆さんとカリンバで演奏するのが夢です^^
6. Hijo de la Luna
合唱がミステリアスなピアノアドリブの中ゆっくり去っていく。
ガラッと雰囲気を変えて、不思議なスペイン語の世界へ。
スペイン語は話せないので、早口言葉がとても難しい一曲です。
子供の時ラジオでも流れてたヒットで馴染みがある一曲なのに、大人になってから歌詞の意味を知り、びっくり:
かなりダークです
当日のセリフをそのまま:
『母といえば、息子が欲しかったお月様の話、ご存じでしょうか?
ある女性の望みと引き換えに、息子を手にした、お月様
女性は望み通り、夫をもらった。
でも、その間に産まれた子は、夫と違い、肌色が真っ白だった。月のように。
あまりの怒りに、夫は女性に怒り、最悪な結末に。
お月様は、こうして母になった。
「お月様、腕がなくて、あなたはどうやって息子を抱くの?」
「三日月になって、息子を揺らすのよ。」
Hijo de la Luna 月の息子』
やっぱり怖い。
ヨーロッパで大ヒットしたMecanoの名曲。オリジナルがとにかくカッコ良い。
Takanaからお借りしたシェーカー(振り方、角度によって音が変わる!欲しい)も登場。
音楽的にはシンプルに1番、サビ、という構成ですが、違和感がある転調があったり、
演奏してみると意外とミスしやすい(そして目立ちやすい)、難関な曲。
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7. Airmail Special Xmas Vers.
今回のセトリからカットされそうになった一曲。
でも、リハで試しに一回Takanaとやってみて、これはやっぱり入れなきゃとcome-backしたジャズナンバー。
「天上の音楽」とはかけ離れたイメージだけど、普段のライブなら元気に盛り上がる・アップテンポな曲が入ってからの重ための曲の流れを意識してるので、やっぱり息抜きできる一曲が必要。
炭水化物好きでもたまには野菜を挟んだほうが良い、的な?
ただ、中々息する暇もない、かなりのアップテンポで音かずが多い一曲。
以前ハマジャズで急遽この曲をやることになり、必死にElla Fitzgeraldの音源を完コピ。
バンドが初めて歌ったと信じてなく、嬉しくも複雑な(嬉しい)ライブでした。あんなに必死に歌を覚えたのは初めてです。
ヴァイオリンでは速い曲はたくさんありますが、歌はどうしてもバラードが多く、
こういう一曲を待ってました!
クリスマスネタをあちらこちらにアドリブで飾っていく。
さすがJazz出身のTakana。刺激されて、色々湧きでくる、セッション!
ちょうど次の曲のセットチェンジもあるので、ここで会場に降りました。
ワンピ+ヒールが低いと本当に簡単に動き回れる〜
Airmail Specialと並んでYoasobiさんの「アイドル」が同じ部類のもの。癖になる。
続きはPART 2 で!
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kennak · 3 days
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男なんだけど、数年前に同性から性被害にあった事があって、精神的に未だに不安定なのでカウンセリングには通っている 大変お世話になっていたカウンセラーの方に出会うまでは本当に酷かった 大体が「女性もこういった被害に遭う方が多くて~」とか「女性は男性の何倍も被害者が多く、辛い目に~」とか 酷いのだと「(性被害については)女性の方が何倍もダメージが大きい」とか「性被害者の男女の非対称性の問題が云々」とか言ってくるんだよね 何で俺のカウンセリングなのに、カウンセラーの貴方が持論みたいなのを主張してるのって そりゃ女性の方がそういう被害は多いとは思う 辛い目に遭う機会も多く、ダメージも大きいのかも知れない けれど、それと俺が受けた肉体的・精神的被害やトラウマとは、何の関係も無くない? 何で俺が代わりに責められなきゃいけないの? 相手はそのつもり無かったかも知れないしこっちが過敏になってるだけかもしれないけど、一旦そう受け止めちゃったら終わりだよね 加害者になる事も無いだろうし、ましてや被害者である俺が、どっかの誰かのゴミ男の責任、というか原罪を押し付けられている様で 正直何のカウンセリングにもなってなくて、被害者ですら男の場合は中々助けてもらえないんだ…って更に絶望したよ これがセカンド◯◯◯なのかなとも思った 金も時間もかかったけど、カウンセラーガチャしまくって、ちゃんと俺に向きあってくれて 先の輩みたいにげんなりさせられる様な事も言わずちゃんとしたカウンセリングで治療をしてくれる方に出会えたのは不幸中の幸いだった だいぶ精神的にも安定する様になり、他人とも距離は取りつつも何とか普通の人と同じ様には接する事が出来る様になった おばちゃんのカウンセラーだったけどとても信頼していたんだけど、年歴と家庭の事情で退職してしまった で、次に受けたカウンセラーは、「女性の方が男性と比べて被害者が多く、もっと辛い目に~」なんて言い始めて、本当にがっかりした そりゃ被害者は多いかも知れないけどさ、俺は別に加害者では無いし、そこの責任を問われても困るのが正直な所 「お前たち男が悪いからお前が被害に遭った、自業自得だ」なんて事を自分に言いたいのかって邪推してしまう それぐらいに考えがネガティブになってる自覚はあるし女性カウンセラー自体への不信感が強い カウンセリングを受けなければ良いのかもだけど、そうなるとまた精神のバランスを崩して酷い事になるだろう 男も女も怖くて(性被害にあった後、周囲の女性達に随分からかわれネタにもされ、二次被害に遭った) 一時は対人恐怖症で仕事どころかまともに生活出来なかったからさ けど現状だと(嫌な言い方だけど)当たりの人に当たるまでは耐えなければいけない それが酷いストレスだし、悔しくも思う 一体俺が何したって言うんだろう ある日突然被害者になった上に、救われもしない カウンセリング神話なんて幻想だった 思想が強くて関係無い人間にまでしてくる様な人間はカウンセラーになんかなるんじゃねぇよ カウンセリングと称してセカンドレ◯プしてくるとか何考えてんだ 初めから「男性の患者はお断り」とでも言って欲しいわ そしたら最初からアンタらの所には行かないからさ 追記すると、「男性カウンセラーのカウンセリングを受けては?」という意見がブクマカの人からあったけど、色々な事情で困難 まずカウンセラーという職業は男女比率では女性の方が多く、男性のカウンセラー自体が少ない、性犯罪のケアともなると更にグッと減る 少なくとも自分が通える範囲では男性カウンセラーからのカウンセリングを受ける事自体が不可能 被害の後遺症か自律神経も色々とおかしくなってて、電車特に混雑した満員電車に乗っていると気分が悪くなり立っていられなくなる(実際に倒れてしまった事もある) 平日の比較的空いている時間帯でも、1時間前後が限界 電車という密室空間にいる、という事が耐えられないのだと思う なので通える範囲はその圏内になってしまう、仕事での通勤も無理なので徒歩か自転車で通える範囲で仕事をしている 男性カウンセラーガチャをやるには引っ越しも含めてやらなければいけず、さすがに現実的では無い(男性でも先のカウンセラーと似たような考えの人間は多いだろうし、「当たり」の保証は全く無い) こういった事情で平日にしか通えないので、何とか仕事を調整して平日に休みを取ってカウンセリングを受けて 思想の強い女性カウンセラーにセカンドレイプをされて、安くはないカウンセリング料金を払って帰る 負担が大きいし、それ以上に精神的に屈辱的でおかしくなりそうだ でもカウンセリングでもやって安定させないといよいよもっとおかしくなって働く事も難しくなるので、生活する為には何とか治療していかなければいけない矛盾で更に苦しくなる 信頼出来るカウンセラーの方にカウンセリングして貰っていた時は、本当に安定していたんだよね…救われた気分にもなっていたしさ でも、現状だといずれ元に戻りそう… あまり詮索する気は無いんだけど、性犯罪のカウンセリングを専門としている様なカウンセラーをやるぐらいなのだから 俺みたいに性犯罪の被害者となった経験がある人も普通にいると思う だからこそ女性の被害者には寄り添えるのだろう でも、だからと言って、被害者である俺にセカンドレイプをするのは違うだろ 俺は、貴方を傷つけた人間じゃないし、傷つけようとも思っていないのに 「女性の方が男性と比べて被害者が多く、もっと辛い目に遭っていて、被害に苦しんでいて…」などと言うが、苦しみながらも受けた性被害を話した俺に言う言葉なのだろうか? 俺は男だから、苦しんでいないとでも言うのか? 「男性には女性が日頃苦しんでいる脅威に共感するのが難しいのか?」「何故男性はもっと女性に寄り添わないのか?」なんて事も言われた事もあった それを俺に言ってどうするの? 一人で立ってるのもやっとの状態で寄り添おうとしても、される方が逆に困るだろ 脅威を感じてて実際に被害を受けてここに来てるんじゃないのか?俺は? 「何故、(男性から性被害を受けたのに)『自分を助けてくれないから』と女性に敵意をぶつけるのか?」などと問いただされる様な事を言われた事もある 俺は助けてくれなんて言った覚えも思った事も無いのにね 被害を受けたのは男からだけど、被害を受けた後、「私はそういうの(LGBT?)に理解があるから大丈夫!」とドヤ顔で寄ってきたり、おかしな妄想や噂話を流したり PTSDで人前に出るのもキツくて休みがちになってた頃に「そんな事ぐらいでウジウジするな!女はみんな多かれ少なかれもっと辛い目に毎日遭っている!」と責めてきたのは、全て女性だった 当時友人だった人たちは、まあ裏ではキモいとか思ってたかも知れないけど、少なくとも表向きは気遣うか、何も無かった様に触れないでおいてくれたけどな(結局精神の悪化でしばらく引きこもりになり当時の付き合いは全員切れちゃったけど) 直接の被害を受けたのは男からだったが、二次被害のセカンドレイプをしてきたのは女だった これで男女というか人間不信になるな、「女にだけ」敵意をぶつけるな、というのがカウンセリング業界では普通なの��? まるで、そこにいない加害者を、俺を通じて攻撃しているかの様なカウンセラーもいた アンタ達はアンタ達で傷ついているのかも知れないけど、悪いけどそれと俺は関係無い話なんだよ… 加害者性、だっけ?そういうのがあるのであれば、「被害者性」を持つ人間は加害しても良いというのか? 貴方を傷つけたのは俺じゃないのに、俺も傷ついているのに、俺は加害者性の側だから、「被害者」にすらなれないのかって、絶望している
思想の強い女性カウンセラーが辛い
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monthly-ambigram · 8 months
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2024-1月号
明けましておめでとうございます!
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月はお題フリーです◆
今月は参加者の皆様にお題フリーでアンビグラムを制作していただいております。年始に合わせた作品やここぞという力作など投稿していただいております。ぜひじっくりご覧ください。
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「辰年/初心」 回転共存型:オルドビス紀氏
辰年の始まりにふさわしい作品。髭文字の掠れは中間表現に適していますね。省略もほとんどなくぴったりのペアでした。
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「たつ年」 回転型:kawahar氏
うねったストロークが竜のようです。シンプルながら良い発見ですね。
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「龍」 回転型:兼吉共心堂氏
辰年の書初めにふさわしいですね。強弱の付け方が筆文字ならではで読みやすいです。
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「龍/DRAGON」 敷詰振動型:ぺんぺん草氏
6文字を組んだ時の違和感のなさが素晴らしいです。アルファベットもフォント然としてカッコイイですね。
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「初日の出」 回転共存式複合型:ちくわああ氏
「出」の袋文字表現が面白いです。類作が過去の投稿作にありますので併せてごらんください。
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「エアコンいらずの新年」 回転型:.38氏
温かい年末年始で助かりましたね。 文字の組み方が面白いので注目です。込み入っているところを解読してみてください。
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「お正月」交換型:無限氏
3面相の交換型。画数の少ない文字で3つを行き来できるのは素晴らしい発見ですしデザインできるのもすごいです。ループの解釈が文字ごとに異なってくるのが面白いです。
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「遊神」 図地反転型: いとうさとし氏
意味:心を遊ばせる。何事にも愉しむ心を忘れない。 とにかくどちらの文字も読みやすいです。「田」様の箇所に文字を潜ませる方法は過去にも何度もされていますが切れ込みの入れ方が絶妙です。
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「私はずっと笑顔だったし朝の占いだって悪くないきっと今日も大丈夫良い一日になりますように。」 :くりまろん氏
Haniwa氏の楽曲名。様々な対応型を被らないようにできる限り盛り込んでいますね。大変な力作です。
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「作り初め」鏡像型:peanuts氏
書初めをもじった言葉ですね。字画の分割がうまく機能しています。モノクロなのにメカっぽさも見える楽しい作字ですね。
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「盛福」 図地反転型: いとうさとし氏
意味:盛大なる幸福。しあわせが最高潮であること。 輪郭が曲線にできると可読性が上がるようです。ねじれたように見えて面白いです。
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「現実歪曲空間」  重畳型:螺旋氏
長い単語でうまく文字を配置することによって重畳型が成り立つという素晴らしい作品。1.5文字分で上下に分けると同じ形状なのですがすぐには気付けないほど自然です。
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「アンビグラム」120度回転型:Σ氏
たくさんの作例がある「アンビグラム」の文字列ですが、作成が困難なケルベロス型は初のようです。隙間と角度の調整が巧みですね。解読が楽しい作品です。
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「萬國共通」 鏡像型:mishima氏
どの文字もとても読みやすいです。角文字風の書体になっているのが読みやすさに寄与している面もありそうです。
最後に私の作品を。
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「平世」 回転型:igatoxin
今年も平和な世の中を願います。
お題フリーのアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。年初の意気込みも感じられる作品を寄せていただきありがとうございました。最後になりましたが本年もよろしくお願いいたします。
さて次回のお題は「レトロ」です。レトロフューチャー、レトロゲーム、懐古、回顧、大正ロマン、ポケベル、西岸良平など 参加者が自由にレトロというワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は1/31、発行は2/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}    10月{ヒーロー}    11月{ゲーム}   12月{時事}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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hdsdt · 3 months
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『楽聖小説集 ベートーヴェン・フィクションズ』装画制作過程記録
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 かげはら史帆さん『楽聖小説集 ベートーヴェン・フィクションズ』の装画の制作過程を記録しておきます。小説の内容をもとに絵の解説を描いているため、小説未読の方はご留意ください。
 今回の装画は本に収録されている『ドクトア・ヴェーゲラーへの追伸』をもとに制作しています。この小説はベートーヴェンの弟子、フェルディナント・リースを主人公にした作品です。
 ご依頼いただいた時点で条件や本の概要をまとめたpdfをいただき、「少年・30代前半・50歳前の3人のベートーヴェンが同じ空間にいる感じ」と簡単なイメージのご指定がありました。小説の内容が歴史上の人物の二次創作・同人誌なので絵柄は漫画絵で色がはっきりしたカラー絵に、というおおまかなご意見は確認しましたが、これ以上絵について詳細な指示があるわけではなく自由に創ってほしいとのことでした。ありがたい。ので、まずは小説の読解です。
 私が小説を読んだ感想は、ベートーヴェンがリースをお迎えに来る様・小説の語り手であるリースの人生の走馬灯のようなイメージ、でした。主人公のリースは回想録「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する覚書」を記している人物です。小説『ドクトア・ヴェーゲラーへの追伸』はリースがベートーヴェンをどのように見つめているか・記憶しているかをリース自信が振り返ること=自分の人生の振り返りのお話だと思いました。
 小説のpdfとともに人物に関する資料もいただき、時代感や人物像・描写されているものでわからないところなどはその都度かげはらさんに直接聞いて、追加で情報をすぐいただけるのがめちゃめちゃ心強く制作がはかどりました。ご専門のある方はおつよい。
◆アイディア出し
 構図を考えます。  タイトルと著者名の位置は指定があったため、その中に3人どう配置するかを考えていきます。物理的に部屋に3人いる、というより「見るたびにベートーヴェンの年齢が違う」ので時空が重なり合っているような感じがいいかなと思いました。
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◆キャラクタースケッチ
 50歳前のベートーヴェンのイメージは有名な肖像画の姿がそれなので確定であるのですが、10代と30代前半のベートーヴェンの具体的なイメージが自分の中になかったのでキャラクターとしてまず考えました。こちらの画像はいただいた資料をもとに、肖像画から自分絵に変換していく過程のスケッチというか手慣らしというか、自分の絵として描くならこんな感じかなあというのを試行錯誤したものの痕跡です。ひらたくいえばらくがきです。
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 下の画像はかげはらさんからいただいたベートーヴェンの肖像画や服飾の時代感の資料を切りだして貼って、絵画の印象を見つつ自分絵で描く……ということをしたキャラスケッチです。らくがきより人に見られても大丈夫な絵に整えていきます。
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◆ラフ
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 アイディア出しで作った簡単な構図とキャラクタースケッチをもとに、ラフを作り、おおまかな方向性の確認です。
 大枠ではリースが見つめるベートーヴェンの姿、表紙を見ている読者がリースの目線、という感じです。  舞い散らばっている紙は小説のクライマックスでリースが投げつけている楽譜、あるいは、覚書の草稿、リースが語っているこのテクストであるところの手紙、などを重ねたイメージです。
 そしてそれらから立ち上がる時代の違う「ベートーヴェン」の姿。
 左上のベートーヴェン側は夜の雰囲気、少年ベートーヴェンのいる空間は昼間の雰囲気です。
 背景はリースの部屋のドアが開いている様子です。少年時代の姿のベートーヴェンが入ってくる扉であり、リースがベートーヴェンに導かれ天国へ旅立つ、ドア/境界のイメージです。
 ラフとキャラクターのスケッチをかげはらさんにご確認いただき、細かいところなどを詰めていきます。色は仮置きなので変わる可能性があるが、画面の半分に夜っぽい雰囲気を入れるため青味傾向のフルカラーになる、という旨をお伝えしています。
◆下絵
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 というわけで、ラフでの相談&確認をもとに作った下絵です。
 少年時代のベートーヴェンはお仕着せっぽさを強調するため、髪型がクラシックなカツラの姿になりました。
 楽譜や手稿、手紙のについての詳細や、場面としてはリースの部屋なので、リースの住んでいる家、当時の住宅の感じってどんな風だろう? という旨をおうかがいして、追加で資料をいただいたりしました。背景の扉の開き方をちょっと悩んだのですが、奥開き・手前開きの下絵を両方作って選んでいただきました。手前開きで躍動感ある感じに。
◆完成
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 下絵を元に彩色して出来上がった絵はこちら。あとからトリミングしやすいように文庫本のサイズ比より少し大き目に制作しています。
 楽譜の描写は描いたところで絶対潰れるけど~と思いつつ、それっぽい表紙の装飾をいくつか用意しました。このあたりを作り込むのは地味に楽しかったです。(装飾活字が好き)
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 話はちょっと逸れますが、学生の頃、ベートーヴェンの肖像画の模写をしたことがあります(鉛筆デッサンみたいなやつですが)。その時デザイン・イラストの先輩である方に、「模写ではなくあなたの絵柄で見たかった」という旨を言われたことが記憶に残っているのですが、時間を経て「自分の絵でベートーヴェン描く日が来たな~」と感慨深く思います。
 以上、ざっくりですが、制作過程を記録してみました。
 小説や書籍の装画を新規絵でご依頼いただくときは、事前に条件を確認しつつ・色々ご相談しつつ進めます。ご依頼の際は作風等、webサイトも併せてご確認ください。 ・https://storiastoria.com/
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harawata44 · 1 year
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「視力1.0」でも突然失明することはある…健康診断ではわからない「失明原因トップ5」の恐ろしさ - ライブドアニュース
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写真=iStock.com/Krisada tepkulmanont※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Krisada tepkulmanont
以下引用
目の健康を保つには、何が大切なのか。眼科医の平松類さんは「失明原因のトップ5である緑内障、糖尿病網膜症、網膜色素変性症、加齢黄斑変性、網脈絡膜萎縮は、末期になるまで視力が落ちることはない。視力検査で失明の危険性はわからないため、必ず『眼底検査』を受けてほしい」という――。 ※本稿は、平松類『眼科医が警告する視力を失わないために今すぐやめるべき39のこと』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■いたずらに「眼圧」を上げるような行動は控えたほうがいい
会社の健康診断などで眼科検診に行くと、視力検査と一緒に必ず「眼圧」の測定も行われると思います。しかし、その意味合いをいまいち理解していない人がほとんどではないでしょうか。 眼圧測定とは、空気を軽く当てて「眼球の圧力」を測ることで「眼球の硬さ」を調べるものです。 なぜこの検査が重要かというと、眼圧が高い、つまり眼球が硬いと、失明原因の1位である緑内障のリスクが高くなることがわかっているからです。近年では眼圧の高さと近視の進みやすさの相関も指摘されています。 ここから言えるのは、「眼圧が高くなるような行動」は、できるだけ避けたほうがいいということです。日常生活のなかにも、知らないうちに眼圧を上げてしまう行動がけっこう潜んでいます。 その筆頭が、「水の一気飲み」です。水分補給は目の健康にとっても重要ですが、汗をかいたり、脱水症になったりしたときを除いて、一般的に水の一気飲みはよくありません。 体に水分が入ると、血液中の水分量が増えます。ごく単純にいえば血管を流れる液体の量が増えるため、血管に圧がかかります。これは大半の臓器にとっては大した問題ではないのですが、ごく微細な毛細血管が張り巡らされている眼球には、過度な圧力をかけてしまうのです。
■水の一気飲みはNG、マメな水分補給を
いたずらに眼圧を上げないよう、「水分補給は少量ずつ」が鉄則です。 例えば500ミリリットルの水を一気に飲むと、平均で3~4、最大で7ほども眼圧が上がることがわかっています。 眼圧の正常値は10~20ですから、その30~40パーセント、最大で70パーセントほども眼圧が上がるというのは、いわば収縮時血圧(最高血圧)が正常値の130から一気に170くらいまで上がるようなものです。 1回に飲む量は、200ミリリットル程度が適当です。もちろん1回の摂取量を抑えたせいで水分不足になっては本末転倒ですから、1時間に1回くらいを目安に「マメな水分補給」を心がけていきましょう。
■「過度な運動」は目をいじめる行為
「水の一気飲み」に加えて、気をつけたいのが運動習慣です。 運動のすべてが悪いわけではありません。「筋トレ」の場合、自重トレーニング程度ならば問題ないのですが、重すぎるウエートを用いた筋トレだと「いきむ」たびに眼圧が上昇するという研究があります。 意外なところでは、「ヨガ」も要注意です。 さまざまなポーズをとることで、ほどよく体全体がストレッチされ、呼吸を繰り返す有酸素運動でもあるヨガが概して体にいいことは確かです。ただし、唯一、目の健康を考えるうえで懸念されるのは「頭が心臓よりも下になるポーズ」です。 頭が心臓より下になると、当然ながら、頭に血が上ります。すると眼球にも圧力がかかってしまうのです。ヨガをやめる必要はありませんが、目の健康を思うのなら、頭が下になるポーズは避けたいところです。 逆に、目にいい運動もあります。体に酸素をふんだんに取り入れ、巡らせる「有酸素運動」(ウオーキングや軽いジョギング)は、必然的に目への酸素供給にもなり、目の健康維持に寄与します。 目安は「週3回、1回あたり30分以上、合計で週に90分ほど」、運動の強度は「ゼエハアと息が上がらず、会話できる程度」。これくらいの有酸素運動が緑内障などの防止になるという研究データもあります。
■「ストレス」も眼圧を上げる一大要因
眼圧には自律神経も関係しています。 ストレスを感じると、緊張状態を司(つかさど)る交感神経が優位になるのですが、このとき体中の血管が収縮します。眼球も例外ではありません。交感神経が優位になると眼球の毛細血管が収縮するし、そこで眼圧が上昇するのです。 現に、緑内障に処方される目薬は、交感神経を鎮める効果のある成分が使われています。交感神経を鎮めることで眼圧を低下させ、緑内障を軽減する狙いがあるわけです。 ストレスには、仕事やプライベートでの人間関係のストレスもありますし、騒音や急激な冷えといった環境的なストレスもあります。冬場は眼圧が高くなるという研究報告もあるほどです。 すべてのストレスを取り除くのは難しいものですが、自然に触れに行く、自宅でのんびりする、ゆったり入浴するなど、適宜、自分に合ったリラックス習慣を取り入れましょう。
■眼圧を上昇させる「睡眠姿勢」に要注意
みなさんのなかに、「睡眠時はうつぶせ」という人はいるでしょうか。 問題は、うつぶせになったときの顔の角度です。心臓より眼球が下にならない顔の角度ならば、ギリギリセーフです。 しかし、心臓より眼球が下になる顔の角度で寝ると、眼球の中の水晶体というレンズが本来の位置から少しだけ下に落ちることになり、眼球から余分な水分を排出する箇所がふさがれてしまいます。そして余計な水分が排出されないことで、眼圧が上昇してしまうのです。 年に数回ならばいいのですが、毎日、ランチ後にデスクに突っ伏して仮眠を取るなどの行為は、眼球にとっては最悪の習慣です。 同じ理由で、マッサージ店や整骨院によくある「顔のところに穴が開いているうつぶせ用のベッド」や、理髪店の「顔を下に向けるシャンプー椅子」も好ましくないのですが、それほど高頻度でなければ、あまり心配はありません。 また、横向きで寝るのはいいのですが、枕の硬さ(柔らかいほうが目に圧力がかかりやすい)や顔の角度によっては、眼球が枕に押し付けられるような感じになってしまいます。これはよくありません。目にかかる圧力上昇は、眼圧の上昇を意味するからです。 まとめると、睡眠時の姿勢は「あおむけ」がベストです。とはいえ眠りやすい姿勢は人それぞれでしょう。今後は目の健康のために、とにかく「顔が下向きになる」「眼球が枕に押し付けられる」ことだけは避けるよう、意識してみてください。 ただ、これらの生活上の注意は可能であればというレベルですので、無理せず取り組んでいただければと思います。
■視力は「いい・悪い」で判断してはいけない
これもありがちな誤解なのですが、視力(メガネやコンタクトレンズによる矯正のない「裸眼視力」)がいいから検診を受けなくても大丈夫、とはいえません。 そもそも一般的には何をもって「視力がいい」と思われているのでしょう。0.8や0.9まで見えれば「視力がいい」のでしょうか? 専門的には「視力」とは相対的な指標です。現時点で「いい・悪い」という話ではなく、「以前と比較してどうか?」という変化こそが重要です。 例えば、一般的には視力0.9は「視力がいい」ほうに入るのかもしれませんが、昨年は1.0だったところから0.9に下がったのなら、それは「大丈夫」とは言い切れません。視力が下がった場合は近視の進行も考えられますし、何らかの病気になっている可能性もあります。
■失明原因トップ5の病気は「末期まで1.0くらい見える」
「視力がいいから検診を受けなくても大丈夫」とはいえない理由は、これだけではありません。失明原因のトップ5である「緑内障」「糖尿病網膜症」「網膜色素変性症」「加齢黄斑変性」「網脈絡膜萎縮」は、実はかなり進行するまで1.0くらいは見えていることが珍しくないのです。 1位の緑内障の場合、いよいよ重度になり一人では歩けないくらいにまでなって初めて、1.0から視力が下がってくるケースがよく見られます。 2位の糖尿病網膜症も同様です。糖尿病により、ものの色や形をハッキリ捉える黄斑の中心部「中心窩」がむくむと早期に視力が低下する場合がありますが、そのむくみが起こらなければ、末期までは視力1.0くらいが維持されます。 3位の網膜色素変性症は、暗いところでものが見えなくなったり(夜盲)、視野が狭くなったりする遺伝性・進行性の疾患です。こうした症状が出てもなお、明るいところや、視力が届く範囲ではハッキリとものが見えるので、視力検査値としては「悪くなっている」わけではなく、1.0くらいは余裕で見えるケースが多いのです。 4位の加齢黄斑変性は少し例外で、早期から視力が下がるケースのほうが多く見られます。とはいえガクンと視力が下がるのは、だいぶ黄斑変性が進行した末に、合併症により網膜中心部に発生した新生血管から出血したときです。 そして5位の網脈絡膜萎縮もまた、早期からゆっくり視力が下がっていきますが、やはりガクンと下がるのは、かなり進行した後です。
■定期健診には「本当に必要な検査」が含まれていない
このようにたどる経過はそれぞれ違うものの、基本的には、末期になるまでは1.0くらいの視力が続きます。1.0というと、一般的には自信をもって「私は目がいい」といえる数値だと思いますが、ご覧のとおり、「大丈夫」といえる根拠にはなりえないのです。 企業や地方自治体の定期健診の眼科項目は「視力検査」「眼圧検査」だけで終わってしまう場合がほとんどでしょう。しかし前項で見たように、たとえ視力が1.0以上あっても失明の危険のある病気にかかっている可能性は消せないため、視力検査にはあまり意味がありません。視力検査が役立つのは白内障の診断です。 また、かつては「眼圧が上がると緑内障リスクが高くなる」のは確かだったのですが、日本人は神経が弱いため、緑内障患者の8割は眼圧が低いのに緑内症になっていることがわかっています。したがって、緑内障の診断に必須とされてきた眼圧テストの意味も、薄れてしまいました。 今後、罹患するリスク判定も含め、失明原因トップ5の疾患の診断には、眼底カメラで眼底の血管、網膜、視神経などをチェックする「眼底検査」が欠かせません。 追加料金が必要になる場合もありますが、これらの疾患の早期発見、早期治療のために、今後の眼科項目では、ぜひ「眼底検査」のオプションをつけることをおすすめします。
■「片目だけの悪化」は自覚しづらい
失明原因トップ5の疾患の早期発見、早期治療には眼科検診(特に眼底検査)が欠かせないと述べたことには、あと二つほど理由があります。まず一つめは、一般の方の「見えている」は、実は「片方しかちゃんと見えていない」可能性がゼロではないからです。 日常生活のなかで「片目ずつ何かを見る」という場面は、ほとんどありません。誰もがたいていは両目を開いて、ものを見ています。とはいえ両目が等しく、ちゃんと見えていないと生活できないわけではありません。 試しに片目をつぶって歩いてみてください。あまりふらつくことなく、真っ直ぐ歩けるはずです。つまり両目で見ているようでも、極端なことをいえば、仮に片目を失明していても生活には大して支障が出ないのです。 そのため、意外と多いのが、片目の視力の急激な低下にずっと気づけないというケースです。不調を感じなければ眼科を受診することもなく、病気の発見が遅れてしまいます。そういう患者さんが一定数いるのです。 眼科検診では、必ず片目ずつ検査を行います。片方の目は健康でも、もう片方の目は不健康という自覚しづらい事態もたちどころに明らかにし、早期に手を打つことができるというわけです。
■「緩やかな悪化」は自覚しづらい
そしてもう一つ、目の疾患の早期発見、早期治療に眼科検診が欠かせないと述べた理由は、人は「緩やかな変化(悪化)」を自覚しづらいからです。例えば、もし、昨日は1.0だった視力が、今日は0.2になっていたら、視力検査を受けずとも、誰だってすぐに異変に気づけるでしょう。 しかし、白内障では徐々に視力が低下していきます。しかも、ちょっとくらい視力が落ちたところで、急に日常生活が送れなくなるわけではありません。それなりに何とか補正しつつ、生活を送ることができてしまうのです。 緑内障も同様です。両目の視野が半分くらいになっても、見えていない分を脳が補正してくれることで、何ら支障なく暮らせてしまいます。視野はたしかに半分になっているのですが、脳が情報を補い、「見えているように」認識するのです。 まったく人間の脳の補正力とはすごいものだと感心してしまいますが、そのために何も手を打たないまま日常生活を送���ている間に、病気が進行してしまうというケースは決して少なくありません。 さらに、目の不調を単なる「疲れ」と捉える人も多いようです。 本当は病気による不調なのに、「今日は目が疲れる」「最近、目が疲れやすい」「ここのところ、ずっと目が疲れている」とすべてを疲れのせいにして、徐々に病状が進行していることに気づけないケースもあります。こうして早期発見のタイミングを逃してしまうのです。 上記すべてに共通しているのは、自分の体のことは自分が一番わかっているというのは錯覚である、ということです。こう言ってはなんですが、「自分が支障を感じていないから大丈夫」という感覚は、実はほとんどアテにならないのです。
■人生100年時代には目の健康は欠かせない
食料事情の改善、医学・医療技術の発達などにより、人間の寿命はどんどん延びてきました。そして寿命が延びたことで、体のさまざまな臓器や器官は、より長期にわたって働かねばいけなくなりました。特に、目は過酷な状況に置かれています。 寿命が延びたことで使用期間が延びただけでなく、例えば本を読むようになった、車に乗るようになった、デジタルデバイスを使うようになった……といった人間の生活の変化により、目はどんどん酷使されるようになってきたからです。それだけに、私たちはいっそう目の健康に気を使わなくてはいけない時代になっていると思います。 目の病気には、死に直結するようなものはありません。しかし、どの目の病気も、悪化するほどに生活の質は大きく損なわれます。 しかも目の病気は総じて神経のダメージであり、一度ダメージを受けた神経を元通りにするのは、ほぼ不可能です。となると、ダメージを受けていない神経を守り、残っている機能をできるだけ保全することが重要になってきます。病気の進行を食い止めたり遅らせたりするためには、検診による早期発見が欠かせません。 人生100年時代だからこそ、年に一度の眼科検診で専門医による客観的な診断を受けることが、いつまでも、より快適に暮らしていけることにつながるのです。
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平松 類(ひらまつ・るい) 眼科医 医学博士 愛知県田原市生まれ。二本松眼科病院副院長。「あさイチ」、「ジョブチューン」、「バイキング」、「林修の今でしょ! 講座」、「主治医が見つかる診療所」、「生島ヒロシのおはよう一直線」、「読売新聞」、「日本経済新聞」、「毎日新聞」、「週刊文春」、「週刊現代」、「文藝春秋」、「女性セブン」などでコメント・出演・執筆等を行う。Yahoo!ニュースの眼科医としては唯一の公式コメンテーター。YouTubeチャンネル「眼科医平松類」は20万人以上の登録者数で、最新情報を発信中。著書は『1日3分見るだけでぐんぐん目がよくなる! ガボール・アイ』『老人の取扱説明書』『認知症の取扱説明書』(SBクリエイティブ)、『老眼のウソ』『その白内障手術、待った!』(時事通信出版局)、『自分でできる!人生が変わる緑内障の新常識』(ライフサイエンス出版)など多数。 ----------
(眼科医 医学博士 平松 類)
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natun-ika · 3 months
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やることは尽きないけれど
終わった…何もかも…
長きに渡る介護生活が終わりました。母親が5年前に膝を骨折(2か月ぐらい歩けなかったけど復活したのでちょっとした補佐)、4年前に腕の骨折(右腕だったので身体介護本格化)、2年前には腰椎圧迫骨折で介護生活本番突入しCOVID-19の影響もあって夜の外出など高嶺の花になってしまってました。それでも3か月に一回ぐらいは出かけたけどほぼ飲まずに一次会で帰る、泊りがけの温泉旅行などもってのほか、日中と言えども出かける前は「行っちゃうの…早く帰ってきてね…」と縋るオンナ(母親)に縛られてたワタシ。
たまにやむを得ない用事で家を空ける時は友達に頼んで見に行ってもらう手はずを整えました。こういうときは友達よね。そりゃネットの友達も好きだけどこの場合リアルで近くに住んでる友達しか頼れないよねと再認識しましたね。
そんな今年4月末のある日、母が黄色い。
かわいいヒヨコ色じゃなくて黄疸で黄色い。病院へ連れてったら膵臓に腫瘍がありますと。腫瘍が胆管をふさいでて全身が黄色くなりましたと。膵臓の腫���は置いといて今回は胆管を通しましょう、と素早く手術してくれたドクターありがとうございました。内視鏡での胆管ドレナージ、これ昔ならこのまま終わりだったなあと思いました。現代医学って素晴らしい。
とはいえ膵臓ですから。すい臓がんっつったらあっちゅうまで有名ですから「こりゃ2,3か月か!」と介護生活の終わりが見えた瞬間でした。母親ですからずっと生きててほしいけど今の介護生活がいつまで続くのかと自分も多少疲れてきた時期ですからがんの発覚は厳しいながらもゴールが見えた、そんな宣告でした。この後はこれは神様がくれたオマケだ。今まで介護しながら一緒に生活してきたから思い残すことはないと言いたいがさすがに今今これでお別れだったら急すぎて悔いが残った。これからの2,3か月は心の準備をしながら、お別れの準備をする神様がくれた時間だ。そう思いました。
さあこれからどうする。お母さんどうしたい?
母は元ナースということもあって病気には冷静に対処できる人間。「膵臓に腫瘍が」と口にしただけで「あー、はい」という感じで受け止め、そのくせ「家で死にたあい」と甘えたように言うのでありました。
一言で「家で死ぬ」ったってねアナタ。
周りが大変なのよアナタ。私ひとりじゃ無理よ。妹に確認する。「うん、それが望みならかなえてあげたい」との返事を受けてんじゃやるかと。私も介護福祉士でありケアマネージャーであるからにはプロとして娘としてプロの娘としてできる限りやりましょう。もしかしたら今まで数々の方を看取ってきたのはこの日のためだったのかも。集大成として挑みましょう。って言うほど決意はそう重くなかった。何とかなるだろ、くらいでしたね。だてに20年から介護福祉の仕事してませんよ、いけるでしょ、ぐらいでした。実際そうなりました。
胆管ドレナージの後は1週間であっさり退院して帰宅、家に戻ったからには準備が必要です。たまたま母が長年かかってた病院が在宅診療をやっていました。手術してくれた医師の診療情報提供書を持って伺います。私が元勤務してた病院でもありますからいつものように訪れます。
ワタシ:ちわー、母が家で死にたい言ってます。膵臓癌です。これお手紙です。
病院の返答:在宅診療は可能です。今の状態は?
ワタシ:今は元気です。痛みも無いし自分で身の回りのことはできます、食事も摂れています。
病院:ではタイミングは娘さんに任せます。様子を教えてください。
というわけで5月中は今までと同じような生活、むしろ食欲もわいて元気なイメージでしたが下旬になると息切れや倦怠感の強さが目立つ。入浴は何年も私が介助していたけど動きが悪くなってきたので6月1日を最後に訪問入浴に切り替えました。
そのタイミングで医師に相談。訪問看護は以前からリハビリ目的で利用していたのでそのまま移行し6月半ばには在がん開始となりました。
※在がんとは、 居宅で療養している末期の悪性腫瘍患者に,在宅療養支援診療所(在支診),在宅療養支援病院(在支病)が計画的な医学管理の下に総合的な医療を提供するもの。介護保険から外れて医療保険の範疇になり、訪問診療・訪問看護が包括的に行われます。費用も上限が決められますが人によりますのでケアマネさんに相談してください。
※家で死んだ場合、突発的な場合はパトカー・救急車から消防車から総動員で家の前に停まって近所の話題になったり取り調べで遺族なのに嫌な思いをしたりすることもありますがこうして事前に準備を整えておくと警察沙汰にはなりません。←ここ一番大事
どんな場合も介護の在り方について希望を叶えるためには、ケアマネに正直に遠慮なく、「こうしたい」という希望を伝えるのが大切です。そしたら希望を叶えるべく動きます。今回は母のケアマネジメントも私がしているので手順が省けました。ダイレクトに関係機関に伝えることができて良かった。
早め早めの対応で、本人が不安なく過ごせて終えるように整えることができて私も本望です。
妹も身体介護がとても上手になりました。ヘルパーさんできるよ!とけしかけていますが「他人には無理」と言います。
私は他人で経験を積んでの母親だったから恵まれてたかも。冷静に対応できたと思います。不安にならないように冷静に。穏やかに。「大丈夫だよ」っていつも安心させて手を握って。
でも時々、油断すると5歳の私が頭をもたげる。顔がゆがむ。
おかあさん。しなないでおかあさん。そんな泣き顔を見せるわけにはいかないけどでもおかあさん、しんじゃいやだとさけぶ私もいる。
何とか押し込めて穏やかに笑顔を見せて。その繰り返しでした。
で、看取りが終わって骨になって、訪ねてくれる人のお相手をして手続きもこれからでまだ忙しいですがまずは終わりました。やりきったので悔いも悲しみもないんですよ。清々しいほど無いんです。ただ、あの人がいらしてくださいましたよ、お電話頂きましたよ、と報告したい母がそこにいないので行き場がないですね。
母が嫌いだった人の悪口も一緒に言えませんしね。「いやいやお母さん!〇〇さん来ちゃったよ!」って教えてあげたいw
これからは解放感と自由を満喫して、そのうち襲ってくる寂しさも受け止めてまだまだ働いて生きていきますよ。
俺、すべて終わったら八戸に行くんだ・・・・フェリー座礁してたな・・・
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hararei · 3 months
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先生にいただいたお題を元に、4、5人で作られた学生CG作品や賞を取っている作品を調査していました。notionのテーマシート作成お題3にまとめました。
ビジュアルのクオリティの高いもの、テーマからのビジュアルのデザインが秀逸なものは人数に関係なく秀逸である部分はあると思いますが、下記のような傾向があると考えられました。
個人製作の作品はテーマやメッセージからそれを表現するための描写まですべて一人でコントロールできるため、個人の解釈を100%作品に反映することができるが、技術面、作業量の面からメッセージを伝えるためのクオリティや十分な時間を担保する難易度が高いと考えられる。そのため特定の表現に特化した作品や、個人の趣向や解釈が全面に出ている作品が多い傾向にあるように見受けられた。
10名以上の大人数での制作では全体をコントロールする監督の指示の下で制作を進めていかなければ統一性がなくなってしまうため、クオリティを確保��きるが、個々人の解釈の入り込む余地が少ない傾向にあると考えられる。
そこから考えた4人制作の利点は、
4人制作の利点は、個人ではなく4人で話し合いながら作品のテーマを決めていくことで個人制作とは違ったテーマの深堀や、普遍性を持たせることが可能な点である。
さらに大人数での制作よりも個々人の解釈を反映させる余地が大きいため、4人それぞれ独自のアプローチでテーマについて深め、それを表現に反映しつつ、それを一本のテーマ軸の下のまとめていくことで4名で作る独自の個性が確立された作品の制作が可能だと考えられる。
また、完全に分業制で作られた作品と違い、ほかのポジションの仕事にもかかわっていくため、他のポジションを人と密接にコミュにケーションをとり、他のポジションの意見を取り入れることで、特定のポジションにいるだけでは気づかなかった発想を得ることができ、新しい表現につながる可能性が広がることも利点の一つだと考えられる。
というようなところなのかなと思いました。
またお題4、2020年代における性表現の自主規制や供される範囲についても
論文『メディアとジェンダー表象― 新しいメディアという視点から』 田中東子 2023
論文『ジェンダーとメディア表現の再構築に向けて』 田中東子 2018
『性表現規制の文化史 』 白田秀彰
『シネマとジェンダー アメリカ映画の性と戦争』 塚田幸光
『失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック』 新聞労連ジェンダー表現ガイドブック編集チーム
『lgbt報道ガイドライン』 https://lgbtetc.jp/wp/wp-content/uploads/2022/04/lgbtq-media-gudeline-2nd-edit-1.pdf
などを参照していました。
テーマを見直し、あまり性的なモチーフを使わない方向に向かいそうですが、整理しておいて損はない事柄なのである程度まとめてみようと思います。
テーマやそれに対してのデザインの仕方についても昨日の戦士のアドバイスもあり、みんなで少し話し合い、簡潔にできる方向性が少し見つかりそうになったので引き続き考えていこうと思います。
notionの更新が遅れて申し訳ありません、notionのブロック制限についてはどうやらページを増やす分には大丈夫そうなので随時更新していこうと思います。
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moderndays · 7 months
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開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築
会期 2024年1月11日(木)〜 3月10日(日) ※会期中、一部展示替えします。前期1月11日─2月13日、後期2月15日─3月10日。2月15日以降に再入場の場合は、半券ご提示で100円割引となります。 開館時間 午前10時~午後6時(ご入館は午後5時30分まで) ※2月2日(金)、3月1日(金)、8日(金)、9日(土)は夜間開館 午後8時まで開館(ご入館は午後7時30分まで) 休館日 水曜日(ただし3月6日は開館) 入館料 一般:1,200円、65歳以上:1,100円、大学生・高校生:700円、中学生以下:無料  ※障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで無料でご入館いただけます。
アメリカ近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト展は26年ぶりということもあるが、こんなにも建築ファンが多いのかと、到着時から思い知らされた。2月17日以降は漸く日時予約制になるそうだが、私の来館時は整理券制だったため、開館時間に到着したが、入場可能は11:45からという混雑ぶり。
目の前の旧新橋停車場を初めて鑑賞したりなどし、改めて入館。
長生きされていた(享年91)のも理由のひとつかもしれないが、資料が膨大。ドローイング作品展示が日本初ということで、これが観たい方もたくさんいたと思う。いわゆる建築図面ではなく、絵画なのだ。
彼の弟子である土浦亀城邸が好きなので、師匠の自邸を見たいなとは思っていたが、タリアセンと呼ばれる彼の理想や実験を詰め込んだ建物は、なかなか面白い。彼の作品でやはり邸宅、つまり他所様のお宅が好きな私は、個人住宅のパネルも興味深く見たが、陽光の取り入れかたや暖炉、セントラルヒーティングをもってしても、ちょっと床から底冷えしそうだな。。と思ってしまった。
来館者がライトのどの辺りがツボなのかそれぞれだと思うが、ライトといえばやはり帝国ホテルなんだと思う。現在は明治村に一部が移築されているがそれは二代目。初期のデザインや調度品が展示されていて、あの○や□の幾何学が特徴な模様を組み込んだ食器など見ると、テンションが上がる。あの幾何学模様は、過去に建築した幼稚園のステンドグラスなどにも使われていて、会場でも展示されていた。
ライトの人生を帰宅してからネットで調べて、波瀾万丈過ぎて驚愕したが、その頃に来日して帝国ホテルに携わってくれたおかげで、世に残っているのだ。 他、自由学園明日館やヨドコウ迎賓館は近代建築ファンにはよく知られている。
後に企業のオフィスなどの建築も手掛けているが、実際のデスクと椅子を見て驚いた。デスクに椅子が作り付けになっている。触れることができないので未確認だが、バネ式だろうか。大広間の真ん中に役員席のようなものがあり、見渡せるように各デスクが配置されていた。
かねてから多少不便でも近代建築をオフィスにした建物で働いてみたいなと思っていたが(地方に行くと役所や銀行にあるような)、こういうのもイイナア。。とても近代的だった。
撮影は1ヵ所のみ可能。
ライトが1930年代後半に取り組んだ、一般的なアメリカ国民がすむことができる安価で美しい住宅「ユーソニアン住宅」の原寸モデル。
玄関から居間の空間を体験できる。コンパクトで落ち着く感じ。
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展覧会グッズも興味深かったが、自由学園のA5クリアファイルを。
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dojoe-tokyo · 5 months
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U.S. ARMY”IPFU training pants
size M-Short
*174cm 着用
ウエスト ~78cm( ドローコードで調整可能)
股上 38.5cm
股下 70cm
ワタリ 34.5cm
裾幅 10.5cm
¥8800(tax in)
定番・トレーニングパンツ
サイズバランス良い、”M‐short”表記
撥水性のある、ナイロンシェルに、
膝とお尻部分は、補強が施され
シンプルながら、タフで丈夫な造り。
どんなスタイルにも馴染む、使い勝手の良い一本です。
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tokyomariegold · 8 months
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2023/10/16〜
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10月16日 昨日キャンドルをぶつけた足の甲がまだ痛くて、やっぱり少し腫れている感じ。内側に嫌な痛みがある。バス停から歩きがてら確認した保健センターの診察スケジュールに、ちょうど今日、整形外科が診察予定のとのことだったのでお仕事中に抜けて診察してもらった。 ものすごく業務的に淡々としたお医者さんだった。レントゲンを撮ってくれた技師さんも、わたしがいくまでは白衣を脱いで休憩?モード。 とりあえず「骨は大丈夫です。打撲でいいでしょう。」とのこと。いいでしょう…。 「安静にしておけばよいって感じですかね?」と、思わず投げかけてしまった。 薬出せますけどどうしますか、と言われ、痛み止めの湿布だ今朝処方してもう。
今日は面談があった。 今までとこれからのお仕事のことを上司にお話しさせてもらって、今の方がこの4月から上司になってからお仕事の姿勢などたくさん学ぶことが多かったので、そんな話などもさせてもらって思いがけず長い面談になってしまった。 先週から風邪をひかれていたので、部署の全員と面談し続けて、声は大丈夫だったかしら。 先日5,000円で買った主治医からの診断書を提出させてもらう。そして、すでに提出してある調書を変更して異動希望としたい旨をお話しした。 「この数年のその場凌ぎでなく、長い目で見て、希望を出しても良いと思う」とアドバイスもいただいて、業務上と言ってしまえばそれまで、でもありがたい。
今日も登録がうまくいかなくて問い合わせたコールセンターは繋がりませんでした。
明日は足の状態がまだましになるといいな、と思いながらいつも通り歩き続けてしまう。というか旅行これで行けるの?
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10月17日 昨日提出し直した調書について、面談をしていただいた上司からメールが入っていた。“通院を続ける中で体調が回復して今の持ち場に戻りたい!と思える日が来るかもしれないし、戻ることは可能ですから、今は医師からの客観的な判断に従うのが、私も良いかと思います”とのこと。昨日はご自身のこれまでの経歴などもお話ししてくださって、励まされてしまった。何も今の部署だけが全てではないし、ロールモデルはたくさんある。 そして、その上司ともうすぐ産休に入る上司と、まだもう少しお仕事させてもらいたいな〜、という気持ちにもなった(あまのじゃく!)。
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お昼休みにだめもとでコールセンターに電話をしてみたところ、なんと後7分で繋がるとのこと。スピーカーモードにして、電話中継中のクラシックBGMを流しながら紅葉しつつある構内を歩いていた。 登録情報の間違えを確認して、やっと次の段階へ進むことができた。 この話を、つみたてNISAをおすすめしてくれた職員さんへエピソードトークとして話したところ、新NISA特集号の今月の東洋経済は、amazonでも楽天でもメルカリでも売り切れだと教えてくれた。
昨日から豚汁みたいなものが食べたいけれど、レンジで作れるのかを調べつつ、味噌や顆粒だしという新たな調味料を買うのがだるくてできない。 インスタントのあさりのお味噌汁はなんか違った。
帰り際、今もまだ度々休みながら出勤している職員さんに話しかけてみて、自分が、この方はここの職場で居づらさを感じ出るかも、可哀そう!と思い込んでいるかも、と気がつく。少しでも出勤しやすくなれば、とか思っていたんだろうか、わたしは。 彼女がせめて興味ありそうな美容の話題(友人へのプレゼントで化粧品のおすすめはあるか?)をしてみて、Diorのリップが唐辛子エキスを使っていておすすめでジェネリック的な製品ではヴィセが良い、と教えてくれた。「また見つけたらメールしますね!」と言ってくださって、そんなに真剣に悩んでないし実はもう友人のプレゼントは買ってしまっていて、本当に自分を何様だと思っていたのだろう自惚れるな!と、自分にがっかりした。
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週末の京都で何をしたいかがわからなくて、qpさんがツイートしている世界を見たい、と思って彼が投稿した喫茶店に旗を立てています。
足は昨日よりはまだましかな。 月が細く出ていて、久しぶりに月のことを思い出した。
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10月18日 本当に今週末、京都へ行くべきなのか迷い始めてしまうくらい、いまお仕事が忙しい。 行くことが負担になっている気がする。でもせっかく泊まりたいホテルを予約できて、会いたい友人たちと日程調整したのだから!いかなくては!と息が浅くなる。 Perfumeの衣装展鑑賞じゃなくて、夜ドラのロケ地巡りをしたい。
来月の研修の宿題と研修後の親睦会の出欠が明日までで、面談をしてもらった上司へ回答しなくてはいけない。宿題も進められておらず、でももっと親睦会の出欠を悩んでいた。 エクセルでプルダウンして選ぶだけなのに、不参加、ってなんか選びづらすぎる。文字面が悪すぎる。 上司から口頭で「行かないでいいでしょ?」と取り急ぎ出欠だけ確認されて救われる。
昨晩更新した日記を読んで、2ヶ月前から私はずっとお仕事と健康のことで心がざらざらしていて、なんか日記にしては必死すぎる核心すぎる内容で、こんなの誰も楽しくないな、と思って、もっと何でもないことを不特定の皆さんに向かって書きたいと思った。
友人のスレッズに投稿された日記を3日分読んだ。
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10月19日 少し落ち着いて、最果タヒの文章を読んでtofubeatsを聴いてqpさんの見ている風景を見たい、と思えるようになってきた。 少しだけ明日からの旅行に前向きな気持ち。 夜ドラの曲もダウンロードした!
今日もふにゃふにゃに忙しくって、でも職場の小さなサボテンが株分けされて、新たに小さな鉢が2つ窓際に置かれているのに気づく。 もうこの方の業務の半分は、植物の面倒を見ることなんだろうな、と思ってしまう位、日々まめに鉢を日向へ動かしたり水をあげたり間引いたりしている職員さんがいる。 そのおかげか、今は8つくらいの鉢で植物はみんな穏やかに元気。栄養剤を与えたピンピン具合でなくて、すくすくと毎日を過ごしている感じ。
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お昼休みにお手洗いであった方から「◯◯さん(私の名前)を見るたびに税関について調べようと思っているのに、次の瞬間には忘れてしまう」と話しかけてもらう。 税関イベントとカスタムくんの話をして、とっても時間がある時にでも調べてみてください、と伝えた。
そういえば応募した写真展の公募の結果、選考していたらそろそろ連絡が来るはずだけれど、なんかそんな気配が全くない。次のことを考えたり、進めたりしなくてはいけない。しなくてはいけない?
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mesotokyo · 6 months
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レーザー加工機(xTool M1)の臭い対策
レーザー加工機を買ったあとで知ったのですが、レーザー加工はレーザー光で対象物を加熱して切断や彫刻を行うため、その際に臭いが発生します。一般居室でやると臭いがこもって不快な感じになってしまうので、対策を行いました。
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発生するのは木材であれば炭のような臭い、アクリルであればプラスチックを溶かしてしまったような臭い。xTool M1は排気ダクトチューブも付属しているので、その先を屋外にまで伸ばしてやれば大丈夫だろうと思っていたのですが実際はそんなことはなく、木材の加工後2、3日は部屋に炭の臭いがこもる感じになってしまいました。以前室内で七輪を使って肉を焼いたことがあるのですが(当然換気はきっちりやった)、そのときと同じような感じです。
原因を調べてみたのですが、まず加工中はそれなりに大きな音でファンが回るものの、加工完了後しばらくするとそれが止まってしまうようです。電源ON状態でなんらかのノイズは常に出ているので、加工後にファン風量を下げる、もしくは一部のファンだけを回し続けている、といったような動作をしているとは思うのですが、とりあえず加工機内に排気しきれない臭いが残り、それが外に漏れ出ているような雰囲気があります。
排気システムを作る
これに関して何か良い対策はないものか、と思って調べたところ、xTool公式でインラインダクトファンというものがありました。説明には内蔵排気ファンだけだと「切断中に煙が室内に充満します」という文言が……。それを先に言ってくれ、と思いつつ価格を見ると定価2万1,600円、なかなかのもの。
ということで、ひとまず別の方法を考えてみます。xTool M1の排気ダクトチューブ接続部はツバのついた円筒形のものを本体にねじ止めする形になっているのですが、このネジ穴を見ると、なんか上手い感じにファンをここに取り付けられそうな予感が。試しにたまたま手元に余っていたPC用8cmファンを確認してみると、見事にネジ穴のサイズが適合する感じでした。
ということで、まず風量の強い8cmファンと言われているオウルテックSF8シリーズの標準モデル(ヨドバシカメラで税込み1,780円)を買ってきて取り付けてみました。
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そして、適当なネジとナットでこの上からダクトチューブ接続部品を固定します。
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あとはここにダクトチューブを接続すればファンの追加が完了です。ちなみにこのファンは12Vで動作するので、ちょうど手元にあったケースファン用コネクタと一般的なDCジャックをはんだ付けして変換アダプタを作り、ACアダプタで駆動させます。常に全力でファンが回転しますが、8cmファンなのでそこまでうるさくはありません。
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続いて、ホームセンターで買ってきた5.5mm厚のベニヤ板をレーザー加工でカットし、丸穴を開けます。多少パラメータ調整は必要なものの、5.5mmの厚みであれば余裕で加工可能でした。
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これを2枚作って重ねて、これまたホームセンターで買ってきた排気口をはめ込みます。
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あとは同じくホームセンターで買ってきた細長い木材2枚と組み合わせてサッシにはめ込んで、なんとなく隙間をガムテープでふさげば排気口の完成です。
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加工後の対策
この排気口は常に設置しておくことができないので作業が完了したら取り外すわけですが、加工時に発生した臭いがこびりつくのか、このダクトチューブ自体からも臭いがすることに気付きました。ということで、作業完了後には密封容器に入れておくことにしました。
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また、意外に加工後の端材にも焦げ臭いにおいが残ります。そのため、端材は本体内に入れて、さらに消臭剤も本体内に一緒に入れておくことにしました。
以上の対策でも、切断加工中の臭いを完全に防ぐことはできず多少は臭いが漏れる感じでありますが、作業完了後に換気をすればおおむね部屋に臭いは残りません。これで気軽に加工ができるようになりました。
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7010333 · 9 months
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2023年振り返り(7月〜12月)
■7月
・四国に旅行した(直島−徳島)
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▲鳴門海峡の渦潮
結構雨が降っていた。渦潮っぽいのは見られたかも?
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▲大塚国際美術館
大塚国際美術館は全部じっくり観ていると一日では足りないのではないかというくらい作品が充実していた。
・夏キャンプ(土呂部)
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この回は泊まりで行った。
自分はテント泊ギアを所有していないのでロッジに泊まる。
日光の奥の方で、夏だけどだいぶ涼しかった。
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▲鳥が出てくる映画も観ました
■8月
・飲み会が多い
大阪在住の大学の友達が関東に遊びに来るとか、研究室の飲み会とか。
うまい寿司を連続で食べたりもしている。
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▲セブンイレブンのカレーフェアも食いまくった
■9月
・BIG FUNに行く
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なかなか行くチャンスがなかったBIG FUNに初めて参戦した。最高。また行きたい。
プレシャスホールにも遊びに行きたい。
一泊したので札幌観光もした。ぽんぽこ年間ベストグルメの「らーめんそら」の味噌ラーメンも食べられて満足。
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▲らーめんそら
・ぽこピー展に行く
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写真を見返しているだけで楽しい。
・どん底会2
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どん底からのやんばるからの石の家。
・秋キャンプ(手賀沼)
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だいぶ設備が整っているキャンプ場だった。手ぶらで行っても遊べそう。
■10月
・新居にお邪魔
マンションもいいな〜と思った。(小さい戸建気に入っています)
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▲江ノ島で海鮮丼食ってるな
・新居にお邪魔2
デカい戸建もいいな〜と思った。(小さい戸建気に入っています)
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▲推し活状況
■11月
・伊勢志摩旅行
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▲鳥羽水族館のラッコ
その他横山展望台、スペイン村など。
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▲潮路亭
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▲サンペルラ志摩
(この辺りはXに大量に写真をあげている)
まだまだ行ったことのない良いところが日本にたくさんあるなと感じた。
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▲短めの区間だったけれど観光列車のしまかぜにも乗れた
・Switchを買う
特に何かをやっているわけではない(やれや)。 とりあえずスイカゲームはやった。
・新しいレンズを購入
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■12月
・冬キャンプ2(手賀沼)
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冬のキャンプはサッポロ一番がうまい。
友達がiQ買っててめちゃ可愛かった。
・人の家に遊びに行って飲む
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おでん、山芋料理など。
この山芋焼いたやつが美味かった。トリキにあったやつ(今もあるのか?)
・忘年会
インターネットの人と酒を飲む会×2が開催された
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また長年相互フォローだったけどあったことない人とお会いする機会を得た。今年はこの感じ多いな。嬉しいわ。
・クリスマス
なんやかんやクリスマスは外で食べることが多かったけど、今年は家でご飯を作って食べた
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(コース料理を家で再現するみたいな記事の影響を受けた感じではあるが・・・)
いい感じの皿が欲しくなった。
-------------------- 振り返るとめちゃくちゃ旅行した一年でした。
そして水族館に行きまくっていますね。
自分から進んで行っているわけではないですが、結構全国の水族館に足を運んでいる部類のhumanになってきたと思います。
キャンプも4回は行ったので、だいぶ慣れてきた感もあります。そのうちテントやタープを張って泊まるみたいなこともするようになるのでしょうか。
外遊び以外では何よりもぽこピーにハマってVtuberを色々見るようになったのがデカいです。
冗談抜きで一時は可処分時間の全てをアーカイブ視聴に費やしている時期もありました。面白いし可愛いしかっこいいところもあって、めちゃくちゃハマっています。
動画関連で言うと東海がしばらく休眠しているのは少し寂しい感じもします。(そのタイミングくらいでバキ童チャンネルに出会ったのでお下品ネタの補給はそっちで行われているかもしれない)
仕事は楽しくやらしてもらっています。できることの幅が広がりつつあると感じています。今年は要件を満たしたので資格試験を受けたのですが、2問分ほど点数が足りていなかったので多分落ちたと思います(まだ合否発表はなされていない)。来年も受けるかもしれない。
みなさんの一年はいかがでしたか?
--------------------
(番外)今年買ってよかったもの ・コーチジャケット(Y-3)
プリマロフトという素材について全く知らなかったのだけれど、めちゃくちゃ暖かくてかなり着ている。デザインもシンプルでよき。
・オールインワンジェル(無印良品)
化粧水→乳液→クリームのような工程が不可能なのでオールインワンジェルを愛用しているのですが、これはあまりベタベタしない上に肌の調子もいい感じがして大変気に入った。今後はこれを使い続けると思う。
・ぽこピーパーカ オートミール(SPINNS)
推しグッズ。推しとお揃いも嬉しい。可愛いし普通に使えるので着まくっている。
・PIXEL FOLD(Google)
折りたたんだ時に縦に長すぎないのが良い。開くと写真が大きく見られるところと、漫画が見開きで見られる点も◯。チェンソーマンが捗った。
・WH-1000XM5(Sony)
WF-1000XM3を紛失した悲しみから絶対に落とさないであろうヘッドホンを購入。電車の中で騒いでいる馬鹿どもの声が一切聞こえなくなる最高のノイズキャンセリング性能で通勤のお供として必携品となっている。
・ExpertMouse ワイヤレストラックボール(Kenginton)
オービットを使っていたのを変更した。ボールがデカいと疲れない+ボタンが4つで組み合わせに応じたアクションをアサインできるのが便利。もう少しクリック音が小さければ最高であるが・・・。
・プロフィットジュニア(セーラー万年筆)
パイロットのカクノをずっと使っていたが、良い色のプロフィットジュニアを見つけたので鞍替えした。セーラーのインクの方が長持ちする気がしている。良い。
・Veilance関連
今年はセットアップ×2とリュックとトートバッグを買った。服は本当に軽くて使いすくて良い。かばんはシンプルで丈夫で「これが良いんだよな〜〜」となる。
以上
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kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもした��� その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続け��す。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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myonbl · 7 months
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2024年3月8日(金)
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今日は国際女性デー、メディアの扱いをあれこれチェックする。国連広報はビヨンセのメッセージ、朝日新聞は年収格差、その通りではあるが女子大教員目線からすれば学生たちには届きにくい。東京新聞はトイレ事情、毎日新聞は女性服のポケ��ト、私の授業ではもちろんこちらからのアプローチを採用する。そして産経新聞の落語界の変化、やはり具体的な個人の日常生活を通して社会を考えるのがもっとも説得的である。もちろん、どれも来年度の授業の参考資料にさせていただくよ。
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4時45分起床。
日誌書く。
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朝食。
珈琲。
弁当*2。
洗濯を忘れていたので、慌ててセットする。
可燃ゴミ、10L*1&30L*1。
ツレアイを職場まで送る。
私は年休消化、帰宅して洗濯物を干す。
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<毎日新聞>を購読しているのだが、私自身はWeb版を読んでいる。今日の医療プレミアで<脈圧>という言葉を初めて知った。血圧の上と下の差のことで、これが60以上だと危険とのことだ。今のところ大丈夫だが、少し意識しておこう。
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昨日、<SOU・SOU>のLINEで1000円のクーポンゲット、残りポイントも利用して新学期用のトートバッグを発注した。最後の一年、軽やかに過ごしたいからね。
佐川急便が<NURO光>のONUの回収に来てくれた。昨日メッセージが届いたので梱包はしていたのだが、いつ来るかは情報が無かったので有休を取っておいてよかった
<トラベラーズファクトリー京都>からメール、4/13(土)の名入れイベントの確定連絡、申込時に新しく<パスポートサイズ>購入としていたのを<レギュラーサイズ>に変更してもらった。
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ランチ抜きの予定だったが、冷え込みが厳しいのでサッポロ一番しょうゆ味をいただく、確実に体重は増えるだろうが。
軽く午睡。
糠床の補充をしたいので、雨の心配もあったのでバスで京都駅へ向かう。ポルタでは色んなイベント実施中、あちこちにポイントアプリの利用がお勧めとあったので、買物前に<WESPO>をインストール。そうか、JR西日本だから<ICOCA>と連携出来るのだ。
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無印良品のレジでポルタのカードを提示、続いてMUJIの会員証を提示、ここはPassportが使えないとのことでauPAYで支払いを済ませる。ついでにチェックインしてマイルを稼ぐのだが、なんとポルタ店と八条イオン店の2箇所にチェックイン可能、これは良いことに気づいた、今後の買物はここを利用しよう。
watchOS アップデート、10.4。
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早めに夕飯準備、ポークステーキ・関東煮の残り・半熟酢卵・レタスとトマト、具沢山味噌汁に🍷。準備が整ったところへツレアイ帰宅、早速ココに点滴をして貰う。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第4話「指輪の爪あと」/ Death Lends a Handシーズン 1, エピソード 4 ブリマーは、ロサンゼルスきっての実績を誇る探偵事務所の所長。その朝は、2人の客が訪れる予定だった。ブリマーは隣の部屋に1人の客を残し、話を聞いているように指示すると、もう1人の客であるアーサー・ケニカットを部屋に通した。ケニカットは、ブリマーに妻の浮気調査を依頼していた。
いやぁ、若いなぁ。
片付け、入浴、体重は2日で150g増。
ツレアイは現在SUICA利用、今日のポルタでの一件を報告し、ICOCAに移行するためにあれこれ作業する。
遅くなったので、日誌は明日の朝にする。
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時々雨が降る寒い一日、ウォーキングは諦めた。
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今年読んで面白かった本まとめ。印象に残った文を添えて。特に順位とかはなく、読んだ順です。 ※リンク先はネタバレが多いです。
ゴーストランド / コリン・ディッキー
"私たちは死にきっていない者たちの間で生き、幽霊の都市に住んでいる。以前は意味も目的もあった建物が―家だけでなく、銀行や庁舎も―かつての意味をすっかり失い、それでもそこに残り、私たちに取り憑いている。可能な人はそこを立ち去り、新たな都市へ、まだ死者につきまとわれていないはずだと思う場所へ移動する。"
話の終わり / リディア・デイヴィス
"きちんと整理をつけたいとは思うのだが、私の頭の中はいつも混沌としている。一つの考えが別の考えに邪魔されたり��互いに矛盾していたりするうえに、記憶は往々にして捏造され、入れ替わり、省略され、混ざり合う。"
「美妙な死体」の物語 / レオノーラ・キャリントン
"時間を直線として考えるのは単なる偏見よ。だって何も直線でなくて、螺旋とか、折れ線、円とかなんでも私達が勝手に考えるような線も描けるんだから。時間というのは何か必ず始まりがあって終わりがあるものとして考え出されたものだもの。"
愛 / ウラジーミル・ソローキン
"・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・手が"
国書刊行会50年の歩み / 国書刊行会
"あれは煉獄の焔で焼かれた本だから、カバーは燃えちゃったんですよ。"
アライバル / ショーン・タン
※この本だけ文字がないので引用なし。
こんとんの居場所 / 山野辺太郎
"俺も人間だったから知っているつもりだけど、人間の体も心も、自分で思っているほど頑丈じゃないってことがある。すっかりくたびれ果てて、何もかも投げ出してしまいたくなることがあるかもしれない。ただ生きつづけているだけでもつらい、なんてことがないともかぎらない。そんなとき、この島のことを思い浮かべてほしい。こんな生きかただってあるんだ。"
平ら山を越えて / テリー・ビッスン
"おかしなことに、アパラチア山脈は消えてなくなったが、その幽霊が道路にとり憑いている。"
生きづらさ時代 / 菅野久美子
"それって、すごいことなんだよ。人生は、確かに悲惨なことが色々ある。だけど、その一つひとつの選択が今の自分に繋がっているってこと、まずはそれを認めてあげて欲しいよね。だって今、生きているんだから"
共同体なき死 / 真鍋厚
"わたしたちが生きている快適性追求の時代は、中身を伴わない「死の情報」だけが氾濫する一方、「死の現場」を生活空間から周到に排除したことによって、実像ではなく虚像による不条理と付き合わざるを得ない新しいフェーズに入っているのだ。"
※以下、なぜかリンクを直接貼れなくなってしまったので(10個が限界?)タイトルにリンクしてあります。
死後を生きる生き方 / 横尾忠則
"僕の場合は目の前に死がちらほらすると、逆に死に対する恐怖というのは、あんまりないなぁと思うんですね。苦しんだり、痛がったりして死ぬのは嫌だけれども、そうでなければ、まぁ、悪くないんじゃないかなぁと思うわけです。"
インヴィンシブル / スタニスワフ・レム
"すべてのものが、あらゆる場所が、われわれのためにあるのではない――斜面をゆっくり下りながら、彼は思った。"
泰平ヨンの航星日記 / スタニスワフ・レム
"「人びとはそれほど不死を渇望してはいませんよ」すこし間をおいて、私はつづけた。「ただ死にたくない、と思ってるだけです。人びとは生きることを望んでいる。足もとに地面を感じ、頭上に雲をながめ、他の人びとを愛し、いっしょに暮らして、お互いのことを考えることを望んでいる。これ以上なんにもない。これを超越して主張されたものは、すべてうそです。無意識のうそです。"
今年は去年ほど読めなかったなあ。最近になってやや読むようになってきたので、この感じで色々読んでいきたい。買ったのに読んでない本はたくさんあるし…。
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redringnr · 10 months
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私なんかにSAC_2045の考察なんてできるわけがない
 どうやら自分はアニメとかドラマとか映画が苦手らしい、と最近気づいた。  昔から何となく、違和感というか、集中しきれないなぁ、とは思っていた。  今までその原因を言語化できるほど明確にできていなかったのだけど、どうやら物語の進行ペースを自分で調整できないのが良くないらしい。  自分のペースを崩されるのがそんなに嫌なのか、それとも単に頭の回転が遅いが故なのか。  なんにせよ世間と自分のズレが顕れているような気がしてちょっと辛くなってしまう。
 そんなワケで、「好きなアニメ」というものがないぐらいにアニメにこだわりがなかったのだけど、ある日アマプラで「攻殻機動隊」シリーズが無料になっていたのをなんとなしに見始めたところ、不思議なことにちょっとハマってしまった。  たたでさえアニメが苦手な自分なので、複雑な世界観で知られる攻殻機動隊の物語を理解できた自信なんて無いのだけど、「草薙素子のビジュアルが好みだったから」などというファンに怒られそうな理由で旧SACシリーズ(この呼び方で良いんだろーか)を最後まで見終わってしまった。 「素子がエロかった」以外に明確な感想がない。私は世界で一番不真面目な攻殻機動隊ファン、いやにわかです。申し訳ありません、自分の脳みそは下半身にあります。電脳化するときどうしよう。
 ……いやさすがに物語自体には一切思うところなんて無かったぜ! ってことはないけれど、理解に自信がなさすぎて本当に何も言えることがない。 考察とか書いてる人見ると「わぁ、すごい」という小学生みたいな感想ばかりが頭を埋め尽くしていく。 いかに自分が成長というものができなかったのかを思い知らされる。人生やり直したい。異世界転生キメたい。なろう的世界観で赤ん坊から強くてニューゲームしたい。チートスキルも頼む。  しかし現実はなろうではない。この厳しい現世でどうにかなるしかないのだ。何の話だ?
 ……ともかく、よーわからんなりに好きになれそーなシリーズだなぁと思い旧SAC以外の最初の劇場版だイノセンスだARISEだと、この攻殻機動隊シリーズの為だけにネトフリに登録し、その複雑さに頭をショートさせながらも鑑賞し続け、つい数週間前ぐらいに最新の「SAC_2045」にたどり着いた。 アニメ苦手マンにしては快挙である。誰か褒めてくれ。褒められ慣れてねぇんだおれは。
 で、その「SAC_2045」を見終わった私はあろうことか、その感想みたいなのを書きたくなってしまった。アニメ苦手マンの分際で。  見終わった後もふと気づけば「SAC_2045」について考えさせられてしまいどうにも落ち着かない。  先日公開が始まった映画「攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間」も見にいこうと思っている。なんかアニメシーズン2の総集編みたいなモンだと思ってたら新カットとかもあるらしく……
 映画を見る前に軽く頭とか感情の整理をしたいな~と思ったので、このロクに更新されないブログに無責任に書き散らしてみます。    誰も読まないと思うけど一応注意書き。  他の人が書いてた考察とかを引き合いに出してそれに反するようなことも書く予定だけど、当然否定や批判の意とかがあるわけでは無いです。こちとらアニメ苦手マンやぞ。マジのアニメファンとやり合う能力なんてあるわけがない。「多分間違ってるけど自分はこう思いますはいすみません……」ぐらいのテンションです。予防線を張らないと何も安心ができない。自分のアニメIQの無さはよくわかっております。アニメIQとかじゃなくてシンプルに頭が悪い可能性もある。基本このブログは自分の為だけに書かれています。そういうのをネットに放流するのが性癖なだけです。
>>>正直2期ラスト近くまで微妙な作品だと思っていた
 「SAC_2045」の1期はネット上ではなんか評判悪いっぽいが、6話までは攻殻シリーズ中でも見やすくてこれはこれで良いと思っていた。  戦闘シーン多めでエンタメ寄りというか、こういう風にわかりやすくしていくのか~と感心したくらい。まぁ古参ファンにとってはキツかったんだろうけど。  短い期間で一気に見た自分にしてみればまぁこういうのも悪くないな~と受け入れられた。  3DCGになった点にも批判が集まっている感覚だけど、これも自分の嗜好的には問題無く、楽しく見られてはいた。6話までは。
 ……1期を見終わった直後はかなりキツい気分になった。  「コレ大丈夫か?」と。  視聴前軽く見かけていた、批判されている部分。  それが個人的には大して気にならなかったので、そのまま楽しく見続けられるかと思ったのだが甘かった。
 江崎プリンが……新参ファンの自分としてもすごく……アレで……
 マジで好みじゃなかった。そりゃどんな作品にも苦手なキャラの一人くらいはいるけれども、攻殻において彼女はビジュアル的にも言動的にも目立ち過ぎていた。  「この作品にそーいうの求めてない」――言葉にしてみると傲慢過ぎるようなその感触、どうしても無視できなかった。  新参の自分すら拒否反応を起こしたのだから、古くからのファンの反発が目立つのは自然なことなのかも。
 正直2期で色んな新事実が発覚した後も全く好きになれなかった。なんなら今も好きじゃない。  「あ~また美少女がかわいそうな目に遭っちゃう系のヤツか……5億回ぐらい見たわ」というお気持ち。  あのエピソードで印象変わった人結構いるっぽいんですが自分には全く響かなかった。同情を強制されてるみたいで……  タチコマやバトーを始めとするキャラ達と完全に真逆な反応をしてました。血も涙もないのか?  ポストヒューマン化した後は元からのハイスペックがさらに過度になり、「メアリー・スー」な印象を受けてかなりキツかった。  「死んじゃったものは仕方ない」じゃないんだよ。どんだけ悪い意味でアニメキャラ的なんだよ。
 ……こんな受け取り方してる自分にドン引きする。人の心が無いのかもしれない。
 まぁネガティブなことを書きたかったワケではないのでこの辺にしときますが。  ともかく、1期を見終わった段階では「SAC_2045」に対しての期待は大きく萎えていた。  一度刻まれたイメージはなかなか変わらない。なんとか気力を振り絞り2期を見始めると少しずつ持ち直してきたけれど、ラスト近くになるまで、いやラストを迎えても微妙な気持ちが振り払えなかった。  まさか最終的に、こんな感想文を書きたくなるような作品になるとは、この時点では思いもしなかった……
>>>強烈なラストが、それ以前のストーリーに思いを馳せるきっかけに
 2期の最終話まで、1期を引きずって「エンタメ寄り攻殻」として消化しようとしていた自分にとって、あの最終話は背後から突然後頭部をブン殴られたかのような衝撃だった。  おいエンタメどこいった。考えさせられちゃう系(度を越して軽薄な表現)やんけ!?
 始めてあのラストを見た時は喪失感のような、置いてけぼりにされたかのような、本当に自分の中でどう処理していいかわからなくなってしまった。  過去の攻殻シリーズも全容を理解できなかったのは同じなんだけど、自分は深く考えないタチなので「わからんかったけどわからんなりに面白かった~しばらく経ったら見直してみるかな?」ぐらいで終わっていた。  が、今回はソレではどうにも収まりがつかなかった。  モヤモヤを解消したく、「SAC_2045 考察」でググり始め、他の方の考察を見始めたばかりの頃抱いていたのは……「怒り」、だった気がする。
 本作はジョージ・オーウェル氏の「1984年」からの引用が多く見られ、その中の一つに「ダブルシンク」というワードがある。  「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」らしい。  らしい、と言っているのは原著読まずにネットで調べただけだからである。どこまでも不真面目。……すみません、いつか時間が出来たら読みます……     で、あの問題のシーン――
 1.シマムラタカシのコードを引き抜き、全人類のN化(ダブルシンク)は解かれた。
 2.コードは引き抜かれず、そのままN化が続行される。
 どちらの結末になったかをはっきりさせないような終わり方は、視聴者をもダブルシンク状態にするのが狙いだった、という考察を各所で読み、ようやくなぜあそこまでぼやかしたのかを悟りました。  そしてすぐに、「そんなのありかよ! 卑怯じゃねぇか!」とキレてしまった。    「物語の解釈は画面の前の君が自由に考えてくれ!」みたいなスタンス、大して珍しくもないし、「無し」とは普段では思わない。  が、この「SAC_2045」はあまりにも事実と確定していない描写が多過ぎる。  例えばこの物語を「つまらない」と評価したとしても、「つまらないと思ったのは貴方が物語がつまらなくなるような解釈をしただけ! 本来はもっと面白い話! 不当な評価だ!」なんて言い訳ができてしまうような。  上手く言い表せなくて歯がゆいけど、物語のクオリティそのものを視聴者に委ねているようなやり方に、「無責任さ」――のような何かを感じてしまった。
 大体ポストヒューマンがあまりにも反則的過ぎる。  もうヤケクソ気味な言い分だけど、あんなポンポン人が観測する「現実」を歪められちゃうならこのアニメの全描写が信用ならない、夢まぼろしのようなものと解釈しちゃってもいいじゃねぇか、とも考えたことすらあった。  ギャグ系以外では禁忌ともいえる「夢オチ」というヤツ。こんなモン考察したってしゃ~ないだろ、と投げやりな気分になっていました。
 まがりなりにも好きだったシリーズがこんな終わり方をしたのがショックでした。好きだったものを嫌いになるのはいつだって辛い。  もう忘れてしまおう、としばらく他のネトフリ作品を見たりしていました。
 ……すると不思議なことに、忘れてしまおうとしていた「SAC_2045」について、日が経つにつれてどんどん考え続けてしまうようになっていました。  正直今でも「こんなやり方ありかよ」と感じる部分はあるのですが、悔しいことにあの仕掛けの面白さがジワジワと理解できるようになってしまった。  やっぱ考えちまうよずりぃよ………あのコード結局抜いたの!? 抜かなかったの!? うーわ��自身もダブルシンクしちゃってね!? みたいな。頭悪すぎる表現で申し訳ない。
 その結果いつの間にか「2週目」に突入してました。既に見た映像作品をもう一度見るなんて本当に初かもしれない。
 ここからはその「2週目」の過程で気づいたことや考えた事を雑に書き並べてみます。
>>>シマムラタカシ以外のポストヒューマンって結局なんだったの
 ポストヒューマンの面々は、基本的に人間らしさというものをあまり表に出さない。  出さない、のだが、ポストヒューマンになる前の思想が、なった後の行動にもかなり反映されている様子がある。  その内の一人、矢口サンジは日本に現れた3人のポストヒューマンの中では唯一2期にすらたどり着けない程にあっさりと捕まってしまうのだけど、このキャラは恐らくそういう部分を強調する為のキャラだったのだろう。
 犯行理由にも思想が強く表れているし、素子と対峙した時に、彼女の「ボクシングスタイルを使う」という誘いにあっさりと乗る辺りも。  脱線だが、「急に素子がボクシングに目覚めたんだけど……」なんてネットの声も見たが、普通にやり合ったら超演算による変態的な格闘技術全開の相手では勝ち目が薄いので、敢えてボクシング縛りを選択した、と解釈してます。  ボクシング縛りに持ち込んでいたからこそ、バトーが軍隊格闘で乱入した時にあっさり型にハメられたのでは。
 ……その点ミズカネスズカはマジでなんだったんだ。  数学オリンピックの元チャンピオン、ぐらいの情報しかないし、シマムラタカシに協力していた理由もいまいち不明。  シマムラタカシが操っていただけとか?  トグサの回想にそっくりな女性がいたが何か関係があるのだろうか?
>>>シマムラタカシ、自分の理想を全肯定していなかった説
 正直シマムラタカシもプリンと並んで……って程ではないにしてもあまり好きになれないキャラだった。  ナヨナヨし過ぎで同族嫌悪が凄い。これは自業自得か。  こんなナヨナヨ中学生の手のひらの上で、9課が終わってみればほぼ完封と言って良いほどに踊らされていた、というストーリーもあってう~ん……とモヤっていて、彼に対してそんなにしっかり考察しようとは思わなかった。
 ただ、ネットの考察を通して「1984年」の知識を得ていくにつれて、妙に気になるキャラになってきた。
 「ビッグブラザー」だの「ミニラブ」だの「ダブルシンク」だの、これらの「1984年」由来のワードは物凄く乱暴に言えば敵側、悪役側の名前だったり、その悪役が掲げているキーワードだったりする。
 シマムラタカシは「1984年」で悪役として描かれた者達を、一概に悪と解釈しなかったのでは、という考察を見たが、自分はむしろ悪であることをはっきり自覚している気がする。
 根拠は1期の彼が学校にいた頃の一連のシーン。  この辺り、1期の中ではかなり理解しがたかったが、これまた考察の「妄想と現実が入り混じっている」という解釈に助けられ、ようやく腑に落ちかけている。  まぁ恐らく、空挺部隊がやってきたくだりの方が妄想なんだろうけど(軍隊が大真面目に学校に攻め入るワケないし)……  この妄想、妄想にしては都合良くないのだ。なんせ空挺部隊にシマムラタカシ自身が撃たれちゃうから……
 まるで自分が罰せられるべき人間であると考えているかのようだ。
 最終局面、素子がN化作業中のシマムラタカシの元にやってきた場面。  いくら素子がNにならないロマンチストだったとして、ポストヒューマンである彼ならいくらでも妨害できたはず。  だが、そうはならなかった。  コードを抜かれて全てが水の泡になるリスクを背負ってしまった。    これは素子がコードを抜かないことを選択することがわかっていたから、という考察があって、あり得ると思う。
 が、自分はシマムラタカシが自分の思想を全肯定しきれておらず、その迷いは掲げるキーワードを「1984年」の悪役由来のモノに設定したり、素子がNにならなかった時点で彼女を妨害することを止めた、という形で表れてしまったのではないだろうか。
 これ、自分が知る限り自分オリジナルの考察もとい感想なんでちょっと気に入っている。  まぁ無理あるとも思うけど。
>>>で、結局コード抜いたの? 抜かなかったの?
 結論から言うと、「抜いた」と自分は考えている。  これこそ雑な言い分ですが、コードの描写後の一見それまでと辻褄の合わないような流れがN化した後、誰かが見ている仮想現実の描写だった、として。  いくらでも都合良くできる「現実」の光景にしては、ボーマが車椅子のままだったりプリンが泣き出してしまったりと、都合良くなりきれていないと感じる。    Nキメちゃったんなら、誰の視点だったとしてももうちょい理想的で構わんやん? というクソ雑な理屈です。
 まぁ自分の願望も含まれているとは思う。  自分はダブルシンクという考え方に現実逃避的なニュアンスを感じてしまっているから。  そりゃ自分だって大した人生歩んでないので理想の仮想現実に心惹かれなくは無いが……やはり何の苦労もなく理想を手に入れる、という行為には妙にモヤモヤしてしまう。  ちょっと脱線だけど、個人的にはシマムラタカシの計画の肝は「自覚のないうちに」行われる、という部分だと思う。  嫌いな言葉が「努力」と「苦労」である自分ですらモヤるのだから。
 辻褄の合わないような描写も疑似的な記憶を植え付けられることすらある攻殻の世界観だと絶対に説明つけられないことではないと思う。これこそ乱暴な考察過ぎるが。
 あとこれは考察漁って思い出したことだけど、旧SACにて素子は「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」というセリフがあった。  こんな事言っちゃう素子がコード引き抜かないなんてある……?
 ただ「じゃあコード抜いた方に賭けるんかぁ~!? 賭けるか!? 金とか命とかよぉ!?」と言われるとチワワみたいになってしまうけど(ネット上に抜かなかったに5兆円賭けるとか言ってる人いてすげぇ~ってなった)。  それに、元は即コード抜いちゃうような思想だった素子がプリンを見て考えを変えた、というのもありそうに思える……
 ……なんか考えをまとめればまとめるほど、抜かなかった方が色々綺麗にまとまる気がしてきた……うぅ……
>>>ラストシーンの各キャラの反応から考えてみる
 ここでいうラストシーンは、素子がコードを掴んで暗転した直後から。    まずは素子、バトー、トグサ、プリンとその他のメンバーに分けて考えてみる。
 こんな慈悲のない分け方をするのは心が痛いけれど、まずはその他のメンバー。  「ずっと一緒に働いていたはずのプリンが新人として加入してくる」、という妙ちくりんな展開にも違和感を抱いた印象は感じられない。  ここだけ切り取れば、まぁ普通にコードは抜かれてないからこういう構図が成り立っちゃってるんだろうな~という解釈が一番無理がない。
 次はプリン。9課メンバーに改めて自己紹介しようとするタイミングで涙ぐんでしまう。  明らかにそれまでの記憶……9課メンバーと一度敵対してしまった事実を認識している。  「ゴーストがない」のでN化できないとはいえ、素子やシマムラタカシならその記憶を消してやり直す、なんてこともできなくは無さそうだが、恐らくそうはしていない。    仮にこのシーンが、誰かの仮想現実の光景だったとするとプリンにこういう反応をさせる必要は基本的にはないはず。  コードがどうなっているにしても、現実の光景ではあるのだろう。
 ……あれっ、コレ前述した「都合良くなりきれていないからコード抜いてる!」という主張を自分で否定してしまったじゃねぇか!  いつの間にか「コード抜いてなかったとしたらあのシーンは仮想現実」という謎の先入観を持ってしまっていた……  現実であればボーマが車椅子のまんまのかわいそうな状態であることにも説明はつく。  でも現実であればなんで「それ以外のメンバー」が初対面っぽい感じなの? という疑問も出てくるけど。  まぁそれこそクソ雑に疑似記憶ブチ込んで~ってすればいい話か。    次は素子。9課メンバー全員で話しているシーンからは特に特別な感情は読み取れないが、その後のバトーと二人きりの場面でのセリフ群からは明らかにそれまでの記憶をしっかり持っていることが読み取れる。
 次はバトー。9課のムードメーカー的な部分がある彼であれば、「新人の」プリンがやってくればしっかり反応してあげる、と思うのだけど、このシーンでは浮かない……というか、何とも言えない表情。プリンにも言葉はかけない。  そこだけを切り取れば、以前の記憶――プリンが死んでしまったという事実を知っていて、複雑な思いを抱いている。  あるいは、ロマンチックな解釈だが記憶は無いが本能的に「何か」を感じ取っているとか。
 コードを抜かなかった素子がバトーにだけは事実を伝えた、という考察をしていた方もいた。  この想定なら、その後の素子への「あんまり一人でしょい込むんじゃねぇよ」というセリフの解釈も綺麗にできる。  全人類をNにすることを選んだ、という大きすぎる事実を一人で抱えるな、という。  まぁ逆でもいいけど。N化、というある種の救いを人類に手放させてしまった、という事実を以下同文。    最後はトグサ。プリンに対して普通にコミュニケーションを取っているので、一見「その他のメンバー」と同じ条件のように思えるし、バトー「だけ」は事実を知っている、と解釈している人も結構いた。  が、何とも言えない表情をしているバトーを気遣うように肩を叩く様子は、全てを知っているようにも思える。  勿論、単純に「どうした?」という気持ちを込めた行動なのかも知れないが……流石にちょっと苦しいか。それなら「旦那?」と問いかけるぐらいだと思うし。  素子が事実を伝えたのはバトーとトグサの二人だったのだ、という解釈もあるだろう。
 が、自分にはまた違う考えが思い浮かんだ。  トグサが全てを知っている、と想定するとする。  しかしバトー「だけ」と考える視聴者が出る程に、彼は最初なんともないような態度でプリンと接している。
 だったら、「その他のメンバー」も同条件、つまり事実を全て知っていた可能性があるのでは……?
 確かに、プリンは一度9課と敵対関係になってしまった。  しかし、9課のメンバーは元々プリンに対し好意的で、もしかしたら同情的だった。  故に、プリンの「9課とやり直したい」という希望を叶えようと、全てを忘れてしまったように振舞ったのかも知れない。  だがバトーはプリンと特に関係性が深く、彼女の事を思い出さないままに死なれてしまった���悔がある。
 優しい男でもある彼「だけ」はどうしても、プリンに対して忘れた演技ができる自信が持てなかった。  そしてあのような煮え切らない反応をしてしまい、トグサに気遣われた……なんて、ロマンチック過ぎるだろうか。
 実のところあの場にいた全員が、全てを忘れてはいなかった、という想定は、ある意味で綺麗にまとまる部分があるように思える。  少なくとも「疑似記憶無双じゃい! 電脳ってのはこういう時の為にあるんだよォ~~~!!」とヒャッハーするよりはカッコいい理屈にはなる。タブン。
 この想定では、コードを引き抜かない選択をする意味はあまり無いと思う。  コードを引き抜いたが、ほんの少し優しい仕掛けをした、と考えたほうが収まりはよさそうだ。    もう9課には戻れない、と自らの理想に向かって歩めないプリンに、素子がその苦悩をくみ取った上で、「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」という自らの哲学にのっとり、また9課に戻るというある意味での茨の道へ、その背を押した。  しかし、プリンの境遇、シマムラタカシの思想にも思うところがある素子は、「プリンが9課メンバーを直接あるいは間接的に死に追いやった」というあまりにもどうしようもない事実だけは、疑似的にだが消し去ることにした。  それで素子は、9課メンバーに疑似的な記憶を与えたり記憶を消したりこそしなかったが、プリンに関して「忘れたことに、無かったことにしろ」と命じ、彼らはそれに従った。    ……自分で書いてなんだけど、ちょっと感動的過ぎないだろうか。   恥ずかしくなる筋なんてないはずなのに恥ずかしくなってきた。    これも前述のシマムラタカシについてと同じく、自分の知る限り自分オリジナルの考察なので、すっかり気に入ってしまったのだけど、逆のコードを抜かなかった説を強力に支えている根拠はまだある。
 素子のバトーと二人で話していた時の、
「おそらく次に人類が特異点を迎える時、それはこの星を飛び出しはるかかなたへと広がっていくだろう。忘れないで。私たちがこの時代に存在していたことを」
 というセリフは、コードを抜かなかった、つまり人類がN化、ダブルシンクという特異点を迎えたので、そのさらに次はもっとスケールの大きいことになる、という解釈が自然だと思う。  でもこれも、「N化、ダブルシンクすら止めてしまったからこそ、次は本当に抵抗できないほどに大きな波なのかも知れない」とも言えるのでは。苦しいか。
 現実で戦って欲しい(自分自身にはそんな度胸が無い癖に)という願望があるからか、どうしても「コードを抜いた」という自分に都合の良い解釈をしてしまっている。  結構コード抜かなかった説の方がうまく説明つけられてる部分あるのに。
 もしやこれもダブルシンクってヤツなんだろうか……
>>>
 ということで考察――じゃない感想文でした。  これ、映画見に行く予定の日の前日にひぃひぃ言いながら書いています。  しかも深夜。深夜テンション。  確実に誤字、勘違いだらけでしょう。辛い。 
 なんでこんな夏休みの宿題を31日にやるみたいな状態になっているかというと単純に忙しかったから……  もう劇場版公開してから2週間ぐらい経ってるんだわ。ネタバレ踏まないようにするの大変だった。  勢い任せに書きなぐったので、朝起きてみたら悶絶するかも知れない。あぁ怖い。  映画版見てまたなんか思いついたらこっそり修正したい。
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