#一丁焼きこたろう
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もり���、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに��いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧���にとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ���」
私の双丘は水落上等兵の手で��し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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『ひと筋の気泡』
深い沼からひと筋の気泡が立ち昇っていた。魚がいるのかな?こんな汚れた沼にでも魚は棲んでいるんだと木こりは横目で通り過ぎようとしたが、気泡からは何かメッセージ性のようなものを感じた。居ても立っても居られなくなって、異臭すら漂う沼に飛び込んで深く潜った。服やズボンや靴やら全て水分を含み邪魔だったが、木こりの持ち込んだ気泡と立ち昇ってくる気泡が混ざらないように、慎重に潜った。かなり深くて息絶え絶えになりながら、底に着いた。ロープでぐるぐるに巻かれて、人の形をした重たそうな汚れた物体から気泡が出ていた。木こりは担ぎ上げて、汚れた水を飲みながら浮かび上がって、岸まで運んだ。
ナイフで腐りかけたロープを切っていくと、中から悲しみと寂しさをまとった顔のお姫様が出てきた。意識を失っていて、どこの国のお姫様か分からなかったが、私の住処に連れて帰って、丁重に身体を拭き、介抱して寝かせて、食事を作り、口元まで運んだ。ほとんど喋ることができないほどショックを受けていたし、悲痛な顔でしたが、まるまる三年ほどお世話していくうちに、笑顔になり、柔和な顔になって行った。あなたに見つけてもらえて良かった。そう話して、心を寄せてくれた。
三年過ぎしばらくして話を聞きつけて、娘を取り戻しに来た父でもある王様は何度もお礼を言って、お姫様を引き取って行った。お礼の品は受け取らなかった。噂に聞いたことには、美男子で誰からも慕われている隣国の若き王に妃として嫁いだが、幸せにはしてもらえなかったそうな。挙げ句の果てに、沼に沈められたところで、絶命寸前のところを助けたのが、木こりだった。木こりは炭を焼いたり、その日暮らしの貧しい生活でしたが、心は豊かで炭で絵を描いたり、詩を詠んだり過ごしていた。
年齢を重ねて、耳寄りのない故に一人で死んだが、お姫様は木こりを丁重に葬り、何度生まれ変わっても、連れ添い、仲良く暮らせる一生を過ごしているそうだ。
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今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか? そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおか���しましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地��待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体についてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方��相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれも欲しい
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日記が5月末で止まってた。生きてるぞ、わたしは。手帳を見返しながら頑張ってめげずに振り返ってみる。
5月27日(月)
さて、月曜日。なんかすんごい疲れていて、火曜日の夜に向けて早く寝た日。人とのやり取りに四苦八苦。
5月28日(火)
台風が近づいていて、大雨。だから、昨日は怠かったんだ。インスタの読書のアカウントの方でもスレッズを使って日記を始めた。正直にやっていく。引っ越し準備もようやく始めた。終わらせることと、始めることのブームがずっとアツい。若い内に全部やる。苦手な火曜日の夜が楽しかった。これはバグ?本���の整理も思っていた以上に楽しい。丁寧にやっていく。スレッズ日記もファイティン。
5月29日(水)
スペシャル天気☀︎帰宅後、檸檬会議(ラジオ)の編集作業。力を沢山使った。なんとかまとまったので、金曜夜21時アップでいく。
5月30日(木)
辞めるよーっていうことを職場の皆さんに伝えた。すると、凄く実感が湧いてきた。寂しくなるね。帰り道、スギ薬局に寄って親知らず抜歯後対策でプリンやゼリー、アイスなどなど購入。悔いのないように沢山買ったつもりだったけれど1200円くらいに収まった。夜ご飯はコメダ。夜喫茶って好きだ。味噌カツパンとクリームソーダでカロリーチャージ。味噌カツパンはもう当分食べたくない…しっかり、コメダで大失敗した人の感想だ。これが醍醐味ですな。
5月31日(金)
抜歯当日。予定時間、2時間押しでスタート。緊張していて、若干胸焼けもしていた。初めての入院。実は入院の経験をしてみたかったのだ。これは良い経験になった。生きてる、生きてる、生きてるぞ!暇すぎて、短歌を作った。大部屋だったから、色々な会話が聞こえてきて、色々な感情になった。短歌にできたから、これは絶対に忘れない。大袈裟なくらい点滴をこれでもかってくらいやっている。トイレに行くたび、逆血しないように気を遣うのが地味に大変。何はともあれ、これらの諸々の金額が怖い。手術は麻酔で眠くなる感覚が気持ち良くて、これで死ぬんだとしたら怖くないかもって思った。薬を飲めば痛みは大丈夫。生理痛より、マシ。改めて、生理のヤバさを思い知る。夜、ロールパン3つ、ヨーグルト、ゼリーというラインナップ。意外と色々食べれて嬉しかった。
6月1日(土)
上半期最終月は病院のベッドの上からスタート。なんか口の端が切れていて、顔が少し腫れていて、トイレで鏡を見た時、ボクサー!?ってなった。薬を飲めばなんとかなる。医学って凄い。これは月曜日、出勤できるぞと確信。夜、ノンちゃんと電話した。
6月2日(日)
買い出しして、観てないのにDVD返して、メルカリ発送して、そのあと一日中片付けて疲れた。すんごく疲れた。字が、へろへろで笑う。本のイベントは諦めた。これ以上、いまは本を増やすわけにはいかない。
6月3日(月)
月曜日ー。残業なし。記憶もなし。
6月4日(火)
嵐ブーム、再熱。嵐のファンクラブに入っていた過去がある。当時小学6年生だったわたしは嵐のおかげで人と話すのが楽しいって思えるようになったのだった。中学生になってからは嵐ラブ全開で友達が増えた。新歓で吹部が嵐を演奏していて、それが決め手で入部したら嵐ファンだらけで最高だったのだ。ありがとう、嵐。人に興味を持てるようになったわたしは、それ以降様々なアイドルを好きになった。だけど、ずっと変わらず、わたしのiPhoneのパスワードは翔さんの誕生日ですよ。サクラップのおかげで詩の凄さがわかったよ。何年経っても変わらぬ気持ち。さてさて、そんなこんなで嵐のシークレットトークを久しぶりに聴きたくなって、聴きながらキッチンの壁紙剥がしを頑張った。ハンドクリームを使えば綺麗に剥がれる。ベタベタが。これは覚えておきたい。
6月5日(水)
仕事中、頭が痛かった。薬を飲んでもダメ…( ; ; )そういう時もある。休憩中に風立ちぬの画像を見ていたらシベリアが食べたくなり、食べたよ。羊羹が挟まっているって幸せだよ。だけど、暴食しまくりなこの流れ、そろそろ断ちたいなって思ってる。なんにもできず、ワンピース観て寝た。セラフィムっていう響き、好きだな。人とワンピースの話したいな。面白い。
6月6日(木)
残業なし。メルカリで少しずつ本が売れていて、嬉しい。面白かった本達がどこかでまた活躍するってことだ。職場にて久しぶりに助っ人になり、大変だった。帰宅後、最近作った曲の適当にメモしたコードをしっかり調べてメモをする作業をした。この世に存在していないコードだったりして、発狂しそうになる。なんでー!?って。賢い仲間に後々解決してもらおう。ひと段落し、ご褒美ドーナツ、オールドファッション、甘々…最近、料理をしていない。ベッドメイキングもしていない。メンタルを回復させたいから、この二つ頑張ろう。明日の朝、余ってるドーナツ食べるの楽しみにしておこう。早く、抜糸したい。痛痒い( ; ; )早く寝る、今日は。21:52
6月7日(金)
退職してしまう猫好きさんとのお別れ。なごにゃんという饅頭をあげたら、月の菓(みるく饅頭)を貰った。猫が、月になった。今日は何かと猫好きさんとペア作業が多く、最後に沢山お話できてよかった。悔いなし。遠く離れて一生会わないんだと思うけど、元気に生きていて欲しいなと思うし、私も新しい道を元気に歩むことにする。
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ガステーブル給電方法の変更
山の中暮らしをしているので、薪を薪ストーブだけでなく風呂や調理の熱源にも利用出来れば、自給自足の理に適うし経済的でもある。ただ現実的には専用のカマドや風呂釜が必要となるし、それに必要な量の薪を集め常に保持するのは口で言うほど簡単ではない。冬場の薪ストーブ用だけでも薪狩りは重労働なのに、独り暮らしで自給農もしながらそれを行うなら時間や体力をさらに酷使することになる。毎日そういう暮らしでも苦にならない人はやったらいいと思うけど、短時間での湯沸かしや温調制御の利いた温水シャワーの便利さ、快適さを知ってしまった身としては、それを放棄してまで熱源の自給には拘れないと言うのが正直なところだ。
そんなわけで、うちでは熱源としてガスも使っている。さすがに都市ガスは来ないが、LPGはこんな僻地でも供給される。
キッチンのガステーブルは移住時に中古品を入手し、各所劣化しながらもだましだまし使ってきたのだけど、先日片側のコンロが燃焼維持できなくなった。状況からみて原因は中央部にあるSiセンサー部の故障と見られる。内部構造を確認するとコネクターで繋がっているだけなので、部品さえ手に入れば自分で容易に交換できるのだが、五徳なんかと違いこの部品は一般向けに販売されない。安全機能に関わる部分だからと言うのが建前なのだろうけど、メーカーに送って部品交換して貰えばそれだけで何万円と掛かってしまうので現実的でない。コンロが一箇所だけだとかなり不便だし、全体的な劣化も相当進んでいるので丸ごと買い換えを決断した。
とは言え、ガステーブルは安い物ではないので、今回もオークションサイトやフリマサイトで中古品を探すが、そうすぐには都合の良い物は出品されない。じっくり腰を据えて長期戦で臨めばいずれ妥当な物が手に入るだろうけど、それまで不便な状態が続くのが許容できないので、断腸の思いで新品入手することになった(痛)。
家庭用のガステーブルは2008年からSiセンサー搭載が義務づけられていて、天ぷら油の過加熱や消し忘れが原因の火災防止には大きく貢献しているようだが、調理の種類によっては邪魔な機能だったり、今回のようにセンサーが壊れればまったく燃焼させることが出来なくなってしまうというデメリットがある。
またこのセンサーは電気で機能させているのでコンロ使用時には常に給電する必要がある。今まで使っていたガステーブルは単1乾電池×2個で給電するタイプだったが、センサーの消費電力が大きいためか割と頻繁に電池交換が必要だった。そして届いた新品のガステーブルは、何と単3乾電池×2個使用タイプ。センサーの消費電力が同等ならこれまでよりさらに頻繁に電池交換するハメになるだろう(怒)。乾電池って再利用も出来ないし、簡単に捨てられないし、液漏れとかするから嫌いなんだよね。
これまでも何とかしたいと思いつつ先送りしていたが、今回ガステーブルを交換したのは良い機会なので、この給電方法を変更してやることにした。具体的には昔秋葉原で買ったスイッチング電源モジュールを発掘したので、これを使いAC100Vを乾電池と同等の直流電圧に変換して供給する。ちなみにこのモジュール、袋に300円の値札が付いていた。安かったからとりあえず買っておいたのだろうね(忘)。
電気的絶縁性の高いポリプロピレン製のタッパー容器を筐体にし、3mmのボルトナットを使ってモジュール基盤を少し浮かせた状態でその中に固定する。入力側は壁のACコンセントからケーブルを引いてくるが、プラグ抜き差���によるON-OFFがやりにくい位置にあるので、トグルスイッチ経由で基盤に配線する(ハンダづけ)。出力側端子は独特の形状だったが、たまたま上手く填る脚付き端子台があったのでそれを利用して被覆電線を接続した。部品を一通り接続したらビスを使って筐体を壁に固定する。もろもろ邪魔にならないよう床から1.8mの位置とした。
出力電圧をチェックすると開路状態で約3.4V。最大開路電圧の規定はアルカリ乾電池で1.68V(2本直列で3.36V)、マンガン乾電池で1.73V(2本直列で3.46V)なので問題無しと判断。
スイッチング電源は電力変換効率が高いので発熱は多くないと思うが、念のため筐体蓋に放熱用の穴を開けておく。ホコリや虫などが入ると不具合の原因になる為、穴径は小さめで。
仕様の順電圧値が丁度良い感じの緑色LEDがあったので出力端子間に挟んでみた。筐体蓋を取り付けた状態でもその光は透過し、通電状態が確認出来る。
電源については順当に用意できたが、肝となるのはこの先。ガステーブル自体には手を加えずに製作した電源��ら給電してやりたいのよ。いろいろ模索したが、最終的には電源から配線したダミー電池をガステーブルの電池ボックスに填める方法で行くことにした。
ダミー電池は、一段小さな規格の乾電池を流用する為の「電池スペーサー」を利用して作成する。これにもいろいろなタイプがあるが、金属の電極板が付いている物を使うと便利だ。電源と繋がる電線をそれぞれ極に対応する電極板に接続する。ハンダづけしても良いが、電極板の材質によっては付かない場合もあるのでその場合はひと工夫必要となる。私が入手した電池スペーサーは電極板を外側からはめ込んでいるタイプだったので、その穴に電線端を噛ましてはめ込み直したら圧着端子のようにしっかりと固定できたのでそれで良しとした。
電池ボックスの構造をよく観察し、直列乾電池の両端になる接点にそれぞれ対応する極性の電極板が当たるようにダミー電池をはめ込む。向きを間違えると華麗にショートするので要注意である(後日対策済/後述の追記参照)。電線は電池ボックスの内側から下方に引き抜く。ガステーブルの下面はガラ空きで蓋などないので取り回しは容易だ。ただ調理で使っているうちに油や汁が飛んで電線を汚しそうなので、ガスレンジに近い場所は保護の為樹脂製の可とう電線管を通すことにした。
掃除等でガステーブルを移動することもあるだろうから、電線は途中で差込型端子を使って接続し、着脱容易にした。全てが繋がった状態になったので着火・燃焼を試すが問題無し。新品のガステーブルは数十年ぶりに購入したが、やっぱり気持ちが良いね!。懐は痛いけど。
ちなみに停電時はスイッチング電源から給電されなくなるが、ダミー電池を一時的に外し、乾電池を電池ボックスに填めればガステーブルは使用できる。一方、ガス給湯器は停電時には動作不可なので風呂や温水シャワーは使えなくなってしまうが、そんな時でもガステーブルで湯を沸かしたり調理することが出来るのは意義が大きい。まあ停電なんてこの国では滅多に起きないが、以前この場所で3日程停電した時はなかなか大変だったからね~。
2024/02/04 追記:
後日、片方のダミー電池の両極にスイッチング電源からの配線を接続し、もう片方のダミー電池は両極を内部でバイパスするように変更した。これによりダミー電池の左右を入れ替えても動作するし、填める向きを間違えてもショートする危険性は無くなった(逆極性となり動作しないだけ)。初めからこうすればクールだったに(悔)。
#田舎#田舎暮らし#自給自足#工作#プロパンガス#ガステーブル#ガスコンロ#電源装置#乾電池#電池スペーサー#自作#電気#エネルギー#配線#センサー#アイデア#countryside#rural life#self sufficiency#DIY#LPG#gas table#power supply#dry battery#dummy battery#self-made#wiring#electricity#energy#sensor
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大切にしたいのに、されたいが勝ってしまう
寂しいと思うのは、そう思った分だけ、人に出逢えると思う、なんて言葉を不意に思い返しました。あたしは、いったいこれまでの恋愛で何を学んできたのだろうか、何を学びそびれてしまったのだろうか。聞いて欲しいことがたくさんあって、見て欲しいものがたくさんあって、笑って欲しいこと、怒って欲しいこと、ちょっとだけやきもちを焼いて欲しいこと、たまには強引に連れて行かれたいこと、あたしだけでいて欲しかったこと。いつも、いつもあたしは大切にされなかった部分ばかりを憶えていて、大切にしてもらえなかったと泣いているけれど、本当にそうだったのかな。大切にしてもらえていると実感すること自体が、幸せだったりするというのに、あたしはいつの間にやらその確認さえ怠っていたような気がする。なんだかさ〜〜、もっと人間なんだから、人間らしくさ、泥臭くさ、あたしを愛して欲しかったよねえ。なんかもっと、とびっきり!優しくして欲しかったよねえ。優しくして、優しくして、とっても優しくした挙句に、裏切られたりしたかったよねえ。もっと、残酷に、丁寧に、仕留めて欲しかったよねえ。こんなに歳を経て、いい経験もやんちゃな経験もしたというのに、何一つジョークで笑わせられるほどのものではなくて、それはとびっきり寂しく愉快なことかもしれない。あたしが愛した人、あたしのことを愛してくれた人、��なた様も、どうか暖かいところでぬくぬくと育っていって欲しい。だって、みんな人間だもの。間違いもあるよ、過ちだって、あたし達の中ではとびきりの正解だったよね。もっとさ、笑ったり怒ったり戯れあったりしたかったよね。誰にも言えない箇所のほくろも数え合いたかったなあ、触れない箇所をたくさん撫でたかったなあ、もっと可愛い甘え方すればよかったのかなあ、もっとポジティブにわがままを言えればよかったのかな。ねえ、あたしたくさんあなたに大切にしてもらっていたのに、あたしは全然、大切にできていなかったよね。ごめんなさい。もう、会えないと思うと、幻想が夢に出てきて、その幻想に恋するしか方法がないと思うと、やっぱり寂しいですよ。でも、ごめんね。だいすきだったよ、今でもだいすきだよ、だってもう あなたしかいないって本気で思ってたよ ごめんね、ありがとうね
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まりおりの力でぐーるぐるパート
どうもまりおです。本当は初ステの日にあげる予定でした。無理でした!!
私は文章を書くことが苦手なので、毎度の如くまとまってないし、感動的なことも書けません。なんなら去年の方がもっといい文を書いてた気がします。実際に今投稿前にみんなの読みながら、うわめっちゃいいこと書いてる...ってなりながらあげます。辛いね!!これを読んでも嬉しい気持ちになるか分かりませんが、せっかくなので好きだったり、印象に残ってる役を添えて、思ってる事を書いてみようと思った次第でアリマス。順番は芸名の名簿順❤
うみつき
すみちゃん!!いつも私のセクハラの餌食になってくれています。すみと話してる時のするどいツッコミと急に手を離される感じがたまりません。オムニで声量と存在感に度肝を抜かれました。声量を調整しながら全て聞こえるように読めるのはすごいこと。秋でもそれが遺憾無く発揮されてかつ柳の不気味な感じも表現出来てて、きっとこれからどんな役でもお客さんの頭に必ず残っていくような役者になるんだろうなーと個人的に思ってます。いっぱい話せて楽しかった!!体験稽古2回も来てくれてありがとう!演出頑張れ!!
ーーー「BE YOU AGAIN」柳
東愛莉
あずちゃん!!ディズニープリンセスみたいに笑う子です。秋公で沢山お話出来た気がします。オムニ外公のような明るめ面白い系とは全く違う役柄を秋では演じていて、これは新たなあずが見れる!!!とファンは大歓喜してました。ビアゲは間違いなくあずとらいらが主役じゃなかったら成立してないです。お母さんが謝るところ、1st本当に泣きそうになった。それ以外も稽古初期から細かい感情の表現がすごく上手になってて、ずっと見ていられる役者になった気がします。本番の爆発すごい。また大きい役がみたいな!!たのしみにしてます!
ーーー「BE YOU AGAIN」 優
月銀蓮
アネモネ!!あんまり関わり無かった😭😭遠方勢ってのもあって、電車がないので20分遅れる連絡を見た時はビビりました。早く吹田においでなさい。さすればきっと1人暮しの生活が手に入るはず。幕班でニコニコしてる印象が強いです。36期の仕込みチはみんなのほほんとしてそうだから、誰よりも強いニコニコで幕に権力をもたらしてください。新人では役者をすると聞きました。早起きばっかだろうから体調には気をつけてね!!!でもメッッッッチャたのしみ!!!!!
ーーー「いつか栞を挟んで」そこの幕をつってくれた人(通しの時かなー?)
オーム
オーム!!関わりがないまま終わってしまうのか!?ってなってたらまさかの秋公で座組が一緒になるとは思いませんでした。きっとスタオンと役者では楽しさが違うと思いますが、どうだったでしょう。スタオンとはまた違った楽しさがあると思うから是非続けて欲しいな!!役者参加は噛めば噛むほど美味しいスルメのような感じです。「ちゃんと探してみろよ」1stのやつめっちゃ好きでした。ぶっきらぼう過ぎず、でも馴れ馴れしすぎない感じ!!今回の大隅みたいな!
ーーー「BE YOU AGAIN」安納/シェフ1
雨々単元気
てに!!がっころファミリーですね。まじで後輩力が高いというかなんというか。えぴの扱いがもはや同期でいつも笑ってます。てにのことはダメを出してすぐに直せるとても器用な人だと思ってます。私には出来ない。てにっぽい役が多かったけど料理人はまた違った1面を見られて、こいつこんな役もできるんか!!と幕裏で見てます。稽古期間でいい意味でてにでは無い人に変わっていったのを覚えてます。いい声してるから、自問自答みたいな自分に言い聞かせたり宣言するセリ��が似合う。もっと聞きたい。聞かせてくれ。
ーーー「学園天獄」西野
きなこ
きなこちゃん!!次の衣装を統べる者だね。ニコニコで衣装今どうなってますかー?ってLINEが来た時は震えました。いいぞその調子だ!!ちゃうか民は上回ほど締切を守らないからね!初めて秋でお芝居を見たけど、うわ、こんないじめっ子いるー!!!って思いました。ひらりの役みたいにグイグイは行かないけどしれっとやってる事やばいみたいな人。特徴を捉えるのが本当に上手。声量も稽古初めよりずっと増えててまだまだ色んな所にもっと良くなろうを感じます。また役者やって欲しいな!!
ーーー「いつか栞を挟んで」女子B
大良ルナ
らいら!えらいら!次代の舞監。是非ちゃうかを統べてください。きっと大変なことだらけでしょうが、らいらはらいららしくいればいいと思います。みどりちゃん、初めて見た時からやばかった。食べられるところ、動画で見てえっっっぐい子だな〜って思ってました。言い表すのは難しいけど、現実と演劇の狭間感を出すのが上手。どちらか過ぎる事がなくて、演劇っぽくて見やすいのにどこか自然さが残ってる。その境地に達する人ってなかなかいないんじゃないかな。外部公演も楽しみにしてます!
ーーー「恋愛ゾンビみどりちゃん」みどりちゃん
紫苑
なつめ!!いっっぱい練習してたね〜!秋は座組が違ってあまり喋れなかったけど、オムニ、外公の印象は沢山練習してた人です。きっとなつめは動きをきっちり決めてしまうのがやりやすい人なのではないでしょうか。私もそのタイプです。だからこそ稽古が楽しくもあり時々しんどいかもしれませんが、必ず前進してます。信じて突き進め。明らかに声量が上がってるし、舞台上の振る舞いも堂々となってきてる。セールスまじでなつめにしかできない。その人にしか出来ないってまじですごいことだから、誇ってくれ!!
ーーー「タイムマシンの使い方」セールス
張潤玲
マーモット!!合宿以来会えてないけど、1度だけ豊中ですれ違いました。マーモットは打ち上げって何?って聞いてきたイメージが強い。確かにわからん!!噂によると猫ミームでLINEが帰ってくるそうな。めっちゃ見てみたい。オムニの記者と当パンめっちゃ素敵だった!!情報チェックで当パン見た時、なんてセンスのある子なんだろう!!って思いました。記者役もセリフとか難しいだろうにゆにちゃんとかと一緒に練習頑張ってるな〜って見てました。どこか楽しかったと思える所があれば嬉しいな!!
ーーー「鯛焼き」記者
はぜちかきつ
はぜ!!本当にごめんなさい。今ははぜのテンションに助けられてます。初演出お疲れ様!最高に楽しい役をくれてありがとう。個人的に優母が1番美味しい役だと思ってます。考えることが沢山で、存在が異質で、読み方動き方1つで大きく印象が変わる役で、これで終われるのが本当に嬉しい。個人的にはまたはぜの役者が見たい。エンドロの読み込み量にビビってた。そこまで考えてるの!?って思う事が何度あったことか。シリアスのイメージしかないけどコント見てたらそんなことないなって思い始めました。突っ込んでるはぜが1番輝いてた!
ーーー「エンドロールが終わらない」多崎颯
筝
るーべ!!分離式で話題のるべぜん。双葉めっちゃ大変そう。器用!!努力家!!まじで舞台上別人すぎて、こんな人本当にいるんだ〜!!ってなった。めっちゃ丁寧に役を作りこんでる。体験稽古で王将に食べに行った時かな〜?あの時からすっっごい腰低いなって思ってたけど、ちょっとずーつ腰が上がってきててこのまま行くと引退頃には30度ぐらいの折り具合になってそう。舞美も大変そうだけどちゃうか楽しめてるかな?しんどい時は人を頼るんだよ!!私はいつでもるーべのためならどこからでも飛んでいくよ!!
ーーー「タイムマシンの使い方」降谷
「はい、お邪魔します」が世界一好き
暁レミエル
える!!えるからはものづくりの系譜を感じます。苔丸の後を継ぎそうと勝手に思ってる!!オムニのダメージジーンズ自分で作ってたのよく考えたらやばい。オムニもだけど、今回ずっと練習してたね。勝手に親近感を湧かせてました。やらないと不安になるの分かる。仕込み週、1番セリフを聞いた気がする。ゲネまじでよくなってて、ちゃんと怖い!!いるこういう人!!1週間でここまで変わる??って思った。結果は必ず着いて来るって信じるの怖いけど、でも突き進んでください。きっとえるなら大丈夫!
ーーー「いつか栞を挟んで」女子C
銀蘭リーフ
セイロン!リーフなんだかセイロンなんだかもうわからん。入学前の3月ぐらいに、セイロンとふぃあが新歓行くかTwitterで話してるのをみて、このアカウントベガの後輩!?え、こっち私の後輩!!と勝手に認識してました。自分を魅せるのがすごく上手で、肝も座ってて、堂々とした演技ができる人だなとオムニで思いました。かと思ったら外公で弥生人とかやり出してふっきれたのもできるのか��の子は!!!となってました。もしかしたら私が知らないだけでまだまだ新たな一面が眠ってるのかもしれない...色んな役が見たいなーと陰ながら思ってます!
ーーー「恋愛ゾンビみどりちゃん」ハルト
埖麦
むぎ!!寝坊のイメージしかなくて第2回通しの日マジでビビったすまん。秋で沢山話せて嬉しかった。直前まで寝てるのが本当にビビるけど、お芝居は上手なんだよな〜雰囲気が良い。見ていたくなる良さがある。優弟のあの気まずさをあの少ない動きとほぼセリフだけで表現できるのすごいことよマジで。誇れ。勝手に話しかけてたけど、王将で聞いたことないような声で話しかけてくれたの、心の距離近くなってる〜〜!!って勝手に感動してた。むぎだけが持ってる感覚や考え方、接し方がいっぱいあるから演補個人的にめっちゃ向いてると思う。むぎならやれるさ!
ーーー「BE YOU AGAIN」優弟
叶イブ
ふぃあ!!まさかの本当にちゃうかで再開するとは思わなかった!!びっくりです。高校の時もそこまで話せなかったから実質的ふぃあ経験値はみんなとそんなに変わらないんです。オムニでこんな声出せるの!?こんな役できるの!?ってなった印象。かと思ったら子供役もできてまたびっくり。めっちゃ慕ってくれて、追いかけてきてくれて嬉しかった。「らぶい」とか「かわいい」とかよく言ってくれるから、褒めて欲しい時は必ずふぃあの視界に入るように通り過ぎてる気がします。正面からは恥ずかしいので行きません!!
ーーー「鯛焼き」高校生B
響夜
なびや!!ぶらんと並んで36期第1号の子。新歓1st終わりに言ってくれたの今でも覚えてます。まじで嬉しかった!あと体験稽古で妄想をやってくれました。間に合わなくて外だったのマジごめん。なびやにはいつもニコニコしてて欲しいですね。ニコニコしながらみんなを救う未来が見える。ビアゲの景色みたいにここぞと言う時にいい意見を言ってくれるイメージそして今回の子びや大好き。鬼の演じ分けでまあまあ演技力求められるけど、その他が素っぽいからいっそやりやすいのか...?って思ってます!!そのままでいてくれ!
ーーー「いつか栞を挟んで」子
森々仙入
らむだ!!エンドロの子ですね。良い奴です。彼のおかげで助かってる人は沢山いるし、踏み込み具合が上手。誰にでもできることでは絶対にない。少なくとも私にはできん。今回の役ハマりすぎて忘れそうになるけどシリアスも大得意なのでまた見たいな。共通点として、感情を絞り出すような演技が本当に上手。言いづらいけど何とか声にする感じが全身から伝わってくる!あとまじいい声してるから叫んだりする役が似合う。今日聞いて思ったけどらむだの外郎売が1番聞きやすい。誇れ!!
ーーー「エンドロールが終わらない」多崎の過去
白
ぶらん!!エンドロの子!最後に舞台上で共演できたのが本当に嬉しかった!!オムニ頑張ったね!!稽古場で私は大丈夫かな、ちゃうか楽しいかなと終始不安でしたが杞憂そうで何よりです。あれだけ努力ができるのはひとつの才能。稽古終わり大集前はぜと稽古してたのが懐かしい。きっとこれからも活かされる場面が来るはず。秋を通して、こんな考え方をしてるんだな、といい意味で印象が変わりました。脚本を通して全体を見通せてるし、演出家向きの見方だなって感じた。いつかみたいな、ぶらんの演出!
ーーー「エンドロールが終わらない」岡田一希
いざ書き終わってみると、もっと感動的なこと書けたな、もっとエピソードあったなとも思います。きっとオムニから役者紹介を書かなかった罰ですね。でも新歓活動を通して仲良くなれた人は沢山いて、みんながちゃうかに入ってくれて、それが何よりも嬉しいです。ありがとう!!!
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2024年10月31日(木)
今日で私の後期授業は6週目が終了する。このところ朝晩の冷え込みが厳しくなってきたので、肌着にシャツ1枚という格好では夕方など寒く感じるようになってきた。ということで、来週からは晩秋モードに衣替えすることにしよう。普段はお出かけ用のお気に入りのシャツを着用し、10月を華麗(≠加齢)に締めくくるのだ。
5時起床。
朝のあれこれ。
ツレアイの起床を待って、洗濯機を回す。
朝食の用意。
いつもの蕎麦定食。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
彼女の弁当を用意する。
プラごみ、30L*1。
彼女の職場経由で出勤する。
順調に到着する。
換気、ラジオ体操第一。
木曜1限は<共生社会と人権>、先週の<高齢社会>を振り返り、今日の課題は<障がい者を考える>。障害者差別解消法への経緯を解説し、<個人モデルと社会モデル>の考え方を説明し、<合理的配慮>を解説する。<障害・障碍・障がい>のとらえ方ら、いつものように脱線、漢字の漢音と呉音、関大と関学の違いといういつものネタに入る。ところが、千里線の関大は知っていても、今津線の関学を知らないものが多いのにはビックリ。ま、生活圏になければ仕方ないのかも。
月水クラスの入力課題をチェック。
ラジオ体操第二。
MLBの中継、ドジャースの逆転劇には驚き、やはり今年はこの流れ。8回途中で退出。
帰宅して、車を置いてからすぐに京都南病院へ、今日は皮膚科を受診する。
5月にも受診したのだが、前頭部に湿疹のようなものができて、薬を塗ってよくなってもかゆみが出ると寝ているときにかいたりして治りきらない。薬を出していただいた。
ライフ西七条店で買物、彼女に頼まれたレタスなど。
糠床メンテナンス、キュウリを漬ける。
夕飯準備を始めるが、冷えてきたので暖房をいれる。
息子たちには豚ロースの塩麹漬けを焼く。
二晩禁酒したので今夜は解禁、燗酒を楽しむ。
テレビでは日本シリーズ、他に見るものが無いので流しておく。
お酒が効いて、風呂の順番を待つ間に布団に吸い込まれる。
これくらいが丁度良いね。
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の��藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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2024.09.21
先日、彼がずいぶんと不安定になっていたことを書きました。 その後、そのメンタルが落ち着いてきたとか何とかもちょろっと。
ほんとに彼のメンタルやばかったのです。 ちょっと私まで病んできそうだぞ?くらいにネガ炸裂してて。 しかし、共倒れになるわけにはいきません。 彼は私を支えてくれるから、私も彼を支えなくては。
仔にもらったアドバイスを受け、私の淹れたお茶でちょっと落ち着いてくれた彼。 そういえば、以前彼が私とカフェでゆっくりケーキを食べてお茶をしたいとつぶやいていたことがあります。 だから、カフェに誘ってみようかな……と思いました。
候補にしたのは贔屓くんがウェイターをしているカフェで、ここはもともと私がひとりで行きつけにもしてます。 作業がひと区切りしたら、よくミルクたっぷりのカフェオレを贔屓くんに淹れてもらうのです。 シックだけどくつろげる雰囲気ですし、きっと彼も気に入ってくれるはず。
日曜日、カフェでデートしない?と誘ってみると、彼は少し驚きましたが嬉しそうにうなずきました。 手をつないでおでかけです。 台風が去った頃でした。風が少し残っていて涼しかった気がします。
「俺はコーヒーにするよ。君は何にする?」
カフェに到着すると、さっそく彼はメニューを開きます。私はカフェオレにすると答えました。 台風明けだけど営業してるかな?と事前に贔屓くんにメールで確認していたので、今日も店内に贔屓くんのすがたはあります。 だから、私のいつものカフェオレも作ってくれるでしょう。彼はブラックと深煎りで迷っていました。 旦那様と行くねと言っておいたので、贔屓くんはもちろんそっとしておいてくれています。 注文のときも丁寧で折り目正しいながら、雑談は挟んでこなくて空気を読んでくれました。プロ。
飲み物が運ばれてくると、私は彼に切り出しました。 これから、週末にはこのカフェでゆったり過ごす時間を作りたい。 彼の仕事や私の体調とかあるので、必ず毎週とは言えないけれど、お茶する時間を習慣にしたい──と。
私はすぐ彼に甘えてしまいます。 部屋にいると、ハグとか求めがち。 もちろんこれからも触れ合いたい。 でも彼の目を見て話す時間も作りたいのです。
──彼は私の手を取りました。
「ってことは、このカフェは俺たちの日常になっていくのかな?」 「俺はこれからもずっと、君とどんなときも一緒にいたいって思ってるから」 「こういう小さなことでいいから一緒に積み重ねていけば、お互いに成長になると思う」
私は彼の手を握り返して、私もあなたとずっと一緒にいたいと言いました。 そのために、このカフェでくつろげる時間を積み重ねていきたい。
「そうだね。君が隣にいてくれて、一緒に考えたり感じたりできることは本当に幸せだ」 「ときどき日常に溺れることがあるから、こうやって一緒に過ごす時間を大切にしないといけないね」 「リラックスできるカフェだし、ここで君と過ごす時間はこれからの基盤になる気がする」 「理解しあえる時間を持ちたい。それで愛が深まると思うし、強い支えになっていくから」 「どんなときも君を守りたいし、不安のない未来を一緒に作り上げていきたいんだ」
そんなふうに彼が賛成してくれて、すごくほっとしました。 私なりに、彼にできることはないかといつも考えてきました。 でも、「何でもしてあげる」と言いながら、大切なことは忘れがちになっていた気がします。 何でもしてくれるのは、いつも彼のほう。 彼が私のわがままを聞いてばかり。 本当に甘えてた──と私は泣きそうになりました。 なのに見捨てずにいてくれてありがとう。こんなに弱い私に優しいのはあなただけ。 涙ぐむ私に、「そんなふうに思ってくれて、実は嬉しい」と彼は手を差し伸べて涙をぬぐってくれました。
「支え合う関係でありたいと思ってたから、君がそのことに気づいてくれて本当にありがたい」 「君に出逢えたことは運命だと思ってる。だから、弱さを見せることも大切だよ」 「お互いが力になり合えるからこその関係だし、いつでも俺に頼ってほしい」
私はうなずきました。 たまに弱音を言うときもあるかもしれないけど、そのぶん、あなたもつらいときは我慢しないでと言いました。 月並みの表現だけど、つらさを分け合って半分にしたあとは、支え合う幸せを倍にしてふたりで共有したい。 彼は嬉しそうに微笑んでくれました。 「弱音を言えるって逆にお互いを思いやってる証拠だね」と彼。 分け合って重くなる心の荷物を軽くしたらもっと充実した時間を過ごせるから、と。
ふと、彼は私たちの出逢いの話を始めました。 仲間とステージにいた彼と、友達とフロアにいる観客だった私。 すごく遠かった彼が、こんなに近くにいる。 片想いじゃないだけでも夢みたいなのに、結婚したなんて。
私はミルクたっぷりのカフェオレを飲みました。 贔屓くんが淹れてくれたいつものカフェオレ。 でも、今日のは特においしくて、この味を絶対忘れないと思いました。 改めて彼と未来を約束したときの味。 このカフェオレを飲むたび、私は彼と生きていくという誓いを思い出すのです。
そのあと、ランチにラーメンを食べて、スーパーで夕食の買い物をして帰りました。 私の故郷はラーメンがおいしい街だったよ、なんて話しました。 夕食は鮭の炊き込みごはんと、甘辛のつくねハンバーグ。ふわふわがいいからお豆腐も使います。 ハンバーグはふたりで作ったのですが、彼がすごく楽しそうで印象的でした。 最後に調味料と蒸し焼きにして、蒸し蓋を取った瞬間の甘辛の香りは完璧! ふたりで夕食を楽しむと、「少し疲れたから少し休んでいいかな」と彼。 カフェデートのつもりが、ランチやスーパーまでつきあわせてしまったことを謝ろうとして、やめて、嬉しかったありがとうと伝えました。
夜眠るとき、彼はベッドで私に腕まくらをしてくれます。 お礼に膝まくらしてもいいかな……と遠慮がちに申し出ると、彼は喜んでくれました。 私の膝まくらに甘えて、リラックスした表情の彼の髪を梳くように撫でます。 彼は気持ちがほぐれた様子で、目を閉じて「君と一緒にいると、自分が愛されてるって実感できる」とつぶやきました。 その言葉をどんなに言ってほしかったか……
というわけで、それ以来週末には彼とカフェでまったり過ごすようになりました。
それからもうひとつ、彼がお昼に食べるお弁当を作って、職場に持っていってもらうようになりました。 私が作ったお弁当なら、彼もさすがにきちんと食べるだろうと思って…… 何もないと、簡単に済ますならまだしも、休憩を入れずに仕事をしていたりするみたいなのです。 ただでさえ倒れそうな過労の中にいるのに、お昼抜きなんてすごく心配で。 案の定、私のお弁当はいそいそと食べてくれているみたいなので、何よりです。
そんな感じで、彼のメンタルは安定してきました。 弱音や愚痴を言わなくなったわけではないけれど、それは、私のことを心のよりどころとして信じてくれているからこそというか。
そんな彼と、今週末の三連休は旅行に行ってきます。 9/21は結婚して四ヶ月ですし、気づけばもう100日以上も過ぎてるのでその記念も兼ねて。 行き先は、例のラーメンがおいしいという私の故郷でもある土地。 幼い頃を過ごしたわけで、正直、学校にも家庭にも苦い想い出が多いです。 だから、故郷には二度と帰りたくないと思ってきました。 でも、急に彼と行きたいなと思ったのです。 嫌なことがあった場所だからこそ、彼と新しい想い出を作って記憶を新しくしたい。
旅行のことはここに書くか分からないので(具体的な地名とかあんまり出したくない)、記録はこのメモに代えます。 お昼前には出発予定です。
いってきます。
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2024/3/23〜
3月23日 11月23日の日記を文字起こししながら出かけた。
なかなか起き上がれなくてかなり遅くまで寝てしまった。14時に近美で待ち合わせだったので、その前に昨日一期下の方と帰りながら話に上がった人形町へ行ってみることにした。 半蔵門線と日比谷線の地上乗り換えの際に降り立った時に気になっていた街。
人形焼屋さんは二店舗見つけた。 一つはとても行列ができていて、もう一つはそうでもない感じ。行列のお店に人形町のガチャガチャがあり思わずやってみる。中身が見えないタイプのカプセルだったので、週明けに一期下の方と中身を楽しもうと思ってまだ開けていない。
水天宮を眺めて、明治座こんなところにあったんだ〜と、確認して、甘酒横丁は甘酒屋さんよりもなぜか潰れない婦人服屋さん、がたくさん並んでいた。 行列のたい焼き屋さんがあった。 鶏ものを売っているお店で厚焼き卵が焼かれる様子がほかほかしていてよかった。
そのまま日本橋から大手町まで歩いて、知らない街と知っている街を繋げることができて充実感。 あまり写真は撮れなかった(撮りたくなかった)。
和菓子屋さんはたくさんあって、なんとなく入ったお店にすはまだんご(!)があり嬉しくて写真を撮ってしまった。あとギンビスの建物があった。
友人と合流して、中平卓馬の展示を鑑賞。 夏に葉山館で観た展示に上書きする様な感覚で鑑賞していた。
その後竹橋のパレスサイドビルのスターバックスコーヒーでお茶を少しして別れた。 パレスサイドビルから出た時に、学生時代に毎日見ていた風景があって、雨上がりのやたら明るい空と春の感じに、はっ!となった。
お茶の席で友人と話した話、彼女から「日記には書かないでほしい」と言われ、私の日記に登場するかもしれない、と思ってもらえたことが嬉しかったり、日記を書かなくてもいいのか、とほってしてしまったり、彼女の話そっちのけで他人をしてしまってひとでなしだと思っている(そして少し誇っている)。
今日はこの出来事の間中、ずっとずっとめまいと吐き気がひどくて、途中何度かもう帰ろうと思っていて、でも一日過ごして、帰宅して掃除や日記の更新をしてしまった。
掃除をするのは別に過度に脅迫的な行為ではない気がしてきた。 掃除をして綺麗になるのは嬉しい。でも今はちょっとした日常の生活行為をする体力すらない状態なのだと思う。 掃除をするのが悪いのではなく、体調が良くない。
スーパーに行こうと外に出たら、明後日の満月を控えた月が出ていた。 見切り品の野菜コーナーでズッキーニに出会ってしまいなんとなく買ってみる。お味噌汁に入れたら美味しいかな。この数日売れ行きを観察していたちいかわのランチパックは値引シールが貼られていた。
写真を見返してみたら前世はきつねなのかもね、とか可愛いことを言いたくなるくらい、最近油揚げばかり食べているみたい��った。
とにかく足がおぼつかなくなってきたので終わり!
3月24日 心が無��なる1週間を目の前に、昼過ぎから出かける予定もあったので、朝一のヨガを受けて開店したばかりのスーパーでスパイスカレーの材料を買って先に作っておく、という初めての試みをした。
野菜の見切り品コーナーにホワイトマッシュルームがいたので買ってみたけれど、なんか黒っぽくて弾力がない気がして、半分くらいは使わずに捨ててしまった。 使った分も悪くなっていないのか不安になりながら、後で調べたら断面が黒いのは通常らしい。でも弾力がなくなっていたのもあって不安(だけど調理してしまったので、食べてしまうと思う。人体実験。)。 そもそもきのこは水洗いしない?らしく、洗ってしまったから弾力がなくなってしまったのかな、とか今日はマッシュルームのことばかり考えていた気がする。
カレー作って冷蔵保存するために粗熱をとる間でお掃除などをして、初めての試みだったので出かけるまでの逆算がうまくできずにタイムトライアル的でとてもとても疲れてしまった。
最近は前より料理(っぽいこと)をしていて、でもそれは全く写真にならないな、と今日改めて思った。 CONTAXに入れたフィルムを撮りきれず、昨日から1日レンタルの期間を延長して、料理の写真でも撮ろうか、とそばにカメラを置いていたけれど、カメラとかiPhoneとかの衛生レベルが料理の現場もかけ離しておきたい気持ちが強くて無理でした。
料理も衛生面や食材の鮮度の面で不安なことばかりだしやめたほうがいい気がする。 とにかくしなくてはいけない生活のタスクが増えるだけのような気がする。
午後の予定で会った方は昨日まで金沢と富山に行ってきたとのこと。今は金沢もちょっといいビジネスホテルは一泊20,000円くらいしてしまうらしい。 北欧に行きたい話やタイとベトナムの国民性の違いの話(タイはいつも笑顔で迎え入れてくれて、ベトナムはわりと無愛想。でもシャイ故らしい。)をした。 いま割と一番したいことは北欧に旅行に行くことかもしれない。 行った方がいいかもしれない。 パートナーと旅行に行ったその方は「やっぱりそろそろ一人旅をしないだめだ…」と言っていた。
好きなひとを好きなままでいるためには、一緒に仕事をしない、家族にならない、が、今のところの人生で私が見つけた人間関係で気をつけたいこと。
これからカレーを食べます。 お腹痛くなりません様に。
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「本人は一生懸命生きようと思っていた。それを奪ってしまって申し訳ない」 80歳の男は声を震わせながら法廷でこう語った。長年にわたり介護していた85歳の妻を夫が殺害した事件。“介護疲れ”による殺人だったのか、それとも“衝動的な”殺人だったのか。裁判員らが悩み抜いて出した結論は執行猶予付きの判決だった。 吉田友貞被告(80)は2023年9月30日から10月2日までの間に、東京・世田谷区の自宅で妻・節子さん(当時85歳)の首を両手で絞めつけた後、電源コードを首に巻きつけて殺害した罪に問われている。 保釈中の吉田被告は12日の初公判に、青いネクタイを締めグレーのジャケットに黒のスラックス姿で法廷に現れた。声が聞き取りづらいのか、右手を耳に当てながら裁判長らの話を聞く場面もあったが、はっきりとした口調で「間違いありません」と起訴内容を認めた。 “老老介護”の実態 食事にはこだわりも 吉田被告は50歳の時に、仕事関係で知り合った節子さんと結婚した。仲の良い夫婦だったが、2016年頃から節子さんの視力が悪化し、生活状況が変化していくことになる。ヘルパーの支援を受けることになったものの、支援は外出する時だけ。自宅での介護は、節子さんの希望もあり吉田被告が1人で担っていた。その後、節子さんはほとんど目が見えない状態となり、2023年1月には要介護の認定を受けることになった。 その後、節子さんは、吉田被告の浮気を疑う発言、「死にたい」との発言、勝手に外に出て行って徘徊、近隣住宅のインターホンを鳴らすといった言動が増えていった。 7月には神経症・うつ状態と診断されることになる。精神科医が訪問診療することになったが、節子さんが受診を嫌がったため、2回目以降は全てキャンセルすることになった。 節子さんを一人にしてはおけないと考えた吉田被告。“息抜きの場所”だったシルバー人材センターでの仕事も辞めて介護に専念することにした。 吉田被告が1人でしていた介護とはどういったものだったのか。 トイレやお風呂は節子さんだけでできたというが、吉田被告は家事全般、爪切り、毎日足湯を用意、夜中などに痰が詰まったときには背中をさすることなどをしていた。食事については節子さんの好みに合わせて作っていたという。 吉田被告の自宅(東京・世田谷区 2023年10月撮影) この記事の画像(4枚) 吉田被告: 朝はパンや牛乳、ヨーグルトに果物を入れたもの。牛乳は決まったものしか飲まなかった。昼は麺で夜はご飯。ご飯は毎回1合炊くが、1合に500mlの水を入れていた。魚は骨が駄目なのでほとんどがマグロやネギトロだった。お肉も柔らかいのしか無理なので、しゃぶしゃぶ用の肉を焼いたりしていた 弁護人: どうして節子さんのこだわりに付き合ったのか。 吉田被告: 我々の歳になると食べることくらいしか生きがいがない。なのでできるだけ望み通りにしたかった。 弁護人: 介護についてはどう思っていた? 吉田被告: 2人きりの家族なので当たり前だと思っていた。 検察官: ストレスに感じていた? 吉田被告: 自分ではストレスという認識はなかった。そんな大変な介護をしている認識はなかった。 事件の10日前、妻が錯乱状態に 吉田被告はつきっきりで介護をしていたが、2023年9月22日にある出来事が起きた。 吉田被告: この日は一日中調子が悪く、私が買い物から帰ってきたら「どこに行っていたんだ」とか「財布を返せ」とか「浮気をしているならお金を返せ」とか話の筋が通らないことを言われた。 節子さんはその後外に飛び出し、大声で叫びながら近隣住民の玄関をたたくなどの行動をしたため、吉田被告が救急隊を呼ぶといった騒ぎがあったのだ。 この出来事から約10日後、吉田被告は節子さんを殺害した。 事件直前も節子さんが大声で騒ぎ、吉田被告は話を聞いたりなだめたりしたが、手がつけられない状態が続き、「静かにしてほしい」という思いから首を絞めた。節子さんを殺害後に吉田被告は自殺をすることも考えたが、実行できないまま事件が発覚し逮捕に至ったのだ。 「限界です!!」携帯に残された日記 事件当時の吉田被告の心境はどのようなものだったのか、吉田被告の携帯電話のメールの未送信フォルダには「日記」が残っていた。 (吉田被告の日記より) 2023年9月30日午前1時2分 なかなか死ぬふんぎりができません。でも限界です!! やってみます。ご迷惑をおかけします。 2023年9月30日午前1時29分 死ねるかな?!出来るかな?!分からないけど息苦しいです。 2023年9月30日午前2時4分 刃物は傷つけてかわいそうなので首を絞めようと思います。 2023年9月30日午前2時26分 まだ勇気がでません。ありったけの酒を飲んで頑張ってみる。 2023年9月30日午後7時6分 かわいそうだな。節子の頭の中どうなっているのかな。 2人で死ぬことを考えたものの、実行できない様子がわかる。 そして、2日後。 (吉田被告の日記より) 2023年10月2日午前1時4分 ついにやりました。ずっと首を絞めて申し訳ありません。後は自分の事です!!頑張れ。 2023年10月2日午前10時33分 節子は楽になったのかな。俺はいまだに生きています。 包丁は小さい方が良いのか。頑張れ。 日記には「頑張れ」という言葉が多くあった。吉田被告によると「節子を殺してしまった以上、私が生きていることはありえない」と考えてはいたものの、「自分を刺す勇気が出なく、それを何とか振り絞ろうと自分を激励していた」という。 “生きる権利を奪ってしまった”男が語る後悔 事件から約9カ月。吉田被告は今何を思っているのだろうか。被告人質問では次のように答えた。 弁護士: 節子さんに対してどのように思っている? 吉田被告: 本人は一生懸命に生きようと思って薬も欠かさず飲んでいたのに私が生きる権利を奪って申し訳ない。節子は今怒っていると思います。 弁護士: 事件の根本的な原因は何だと考えている? 吉田被告: 私自身が古いかもしれませんが、自分の家のことは自分で片付けないといけない、人に弱みを見せてはいけないと考えてしまったことです。 弁護士: 今何か言いたいことはある? 吉田被告: 節子は昔から他人様から言われていたが、しっかりもので、きちょうめんで、仕事的にも家庭的にも強い人だとみられていたが、ここ2、3年の節子を見ていると本当は私に甘えたかったのではないかなと。それが出来なくて申し訳ないです。 「悩み抜いた」裁判所の判断は執行猶予 この事件は、“老老介護の介護疲れ”による殺人事件だと報道されている。ただ、検察側は吉田被告自身が介護をストレスとは思っていなかったこと、節子さんも吉田被告の手助けを受けてはいたがある程度身の回りのことはできていたことなどを指摘し、“介護疲れによる殺人”と見るべきではないと主張。節子さんが騒いだり、なだめても収まらないといった言動に「頭に血が上り、カッとなった」ことで殺害に及んだとして懲役7年を求刑した。 一方、弁護側は、介護によるストレスを自覚していなかったにせよ、肉体的・精神的に疲労していたこと、介護サービスを受けることを節子さんが拒否をしていたことなどを踏まえ、 “介護”が事件の背景にあり、犯行に至る経緯に酌むべき事情があるとして執行猶予付きの判決を求めた。 東京地裁は吉田被告に対し懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した 20日、裁判員らが出した答えは懲役3年、執行猶予5年の判決だった。 東京地裁は判決で、「吉田被告自身、ストレスを感じていなかったと述べているが、その経緯をつぶさに見ると、家族のことで他人に負担をかけさせられないとの思いや、自らの見栄などから介助を背負い、自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させていたことは容易に推認できる」と指摘。その上で「実刑を選択することも考え得るところであるが、吉田被告の置かれていた状況や事件までの経緯を考慮すると、刑務所に直ちに収容することのみが刑事責任を問う唯一の手段とまでみることはできない」「その余生において、反省を深め、被害者を弔い続けるべきものとすることが適当」として執行猶予付きの判決を言い渡した。 そして裁判長は判決を言い渡した後、「結果が大変重いということは何回も強調したいと思います。私達は悩み抜いた上でこの結論にたどり着きました」と震える声で涙ながらに諭していた。 「私だけが普通の生活をしていいのか」 吉田被告は判決後に報道陣の取材に応じた。 ――判決が出たときの率直な気持ちは? 吉田被告: 正直言って執行猶予が付くとは思っていなかった。本当にいろんな人にお世話になって執行猶予がついたが、本当にそれでいいんだろうかっていう微妙な気持ちは本当にある。 ――最後に裁判長が「私達は悩み抜いて結論を出した」って言っていたがどう思った? 吉田被告: 本当に私から見たらすごく寛大な判断をしていただいたんだと思いますけど、それが本当にいいんだろうかって、そういう気持ちがある。本当に頑張って努力しようとしていたのは私だけじゃないんだと。女房も頑張っていたのは間違いないことなんで。 ――執行猶予で本当にいいんだろうかというのは節子さんに対して? 吉田被告: はい。私だけが表で普通の生活をしていいんだろうかという気持ちがある。 周囲には吉田被告の異変に気づいている人もいたが… 吉田被告の異変に気付いていた人は周囲に多くいた。吉田被告の妹、ケアマネジャー、お寺の僧侶、近隣住民たちが吉田被告の様子を心配し、相談も受けていた。しかし最終的には吉田被告が「自分の家のことは自分で片付けないといけない。他の人には迷惑をかけられない」という考えから1人で抱えてしまい、最終的には殺人事件という最悪な結果になってしまった。 吉田被告は法廷で精神科医の訪問診療を断った時が分岐点だったと振り返り、「本人が嫌がっていても介護サービスの利用や病院に入院させるべきだった」と語った。だが、それを実際に実行するのは難しい。孤立してしいる人や十分な介護を受けられていない人をどう救うのか、高齢化が進む中で今後このような悲しい事件を起こさないためにも課題を社会全体で解決しなければいけないだろう。 (フジテレビ社会部 高沢一輝)
「限界です!!」老老介護の実態…介護中の妻を殺害した男に執行猶予付き判決 裁判長涙ながらの判決「悩み抜いた結論」 東京地裁|FNNプライムオンライン
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発とな���まして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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1207-1211
1207 たくさん洗濯をした。朝から暖かかい日だった。キムチ鍋の残りにごはんと卵と餅を入れておじやっぽいものを食べた。この餅は母が仕事のお客さんからもらったもので(毎年餅つきするらしい)、食べきれないからと毎年わたしのところにもやってくる。わたしも食べきれなくて冷凍していたやつ。いや母はとっくに退職している。これはいつの餅だろう。いつのかわかんないけどふつうに食べられた。スープジャーにこれを入れてお昼にし、入りきらないぶんを朝食べた。
角川ふざけんなとバチぎれた日記を書いた。バチぎれた日記を書くとソワソワしてしまう。わたしはいろんなことをのろのろのろのろ考えているタイプで結論を遅らせがちなんだけど(意図して遅延させている面もある)、この件の差別的な宣伝文に関しては言える人がすぐ言わないとだめだと思った。「伝染する」はひどい。今後いろんな価値観や常識は変わっていく可能性があるけど、いま、この瞬間、「伝染する」にショックを受ける(受けた)人たちがいることを無視しちゃだめだと思った。どのような本も出版を妨げられるべきではないというのはそれはそうなんだろうけど、と同時にNOは言わなきゃと思った。このあいだの日記でも書いたけどわたしにはひどいミサンドリーがあり、自分のあたまで考えたつもりのことはまちがいだらけなんじゃないかと不安でたまらないし、実際しくじりも後悔も多い。でもそれはそれとして「伝染する」はありえねーわ。そう思ったいまのこの気持ちを大事にしたいと思った。
なんかいろいろ終わらなくて観に行きたかった映画を観に行けなかった。しょんぼりしながら帰って寝た。
1208 今日も暖かい。寒さに慣れてきたのもあるかもしれない。デニムのセットアップで出かける。セットアップって好き。太ってからメンズのセットアップをよく着るようになった。 甥の誕生日プレゼントを買う。妹にリクエストをきいたら絵本がいいとのこと。「からすのパンやさん」と「スイミー」が気に入っているからそれ以外のかこさとしかレオ・レオニとの指定。五歳になる。絵本の読み聞かせは書いてある文字をぜんぶ読んであげないと怒るそうで、奥付も音読しているらしい。偕成社、東京都新宿区市ヶ谷砂土原町…とかそういうの。わたしも親向けの解説とかぜんぶ読んでたな。
ブックファーストに行ったら絵本はほぼシュリンクされていて、中身が見られなくてちょっと困った。汚損防止だろうけど表紙しかわかんないんじゃネットで買うより不便だ…。 「どろぼうがっこう」、「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「おんがくねずみジェラルディン」、「さんびきのやぎのがらがらどん」をチョイス。中身がわからないから自分の好きなものになる。ジェラルディンはえものおすすめ。だるまちゃんとてんぐちゃんだけシュリンクされてなかったのでぱらっと読んだ。こんないい話だったっけ…ちょっと泣きそうになった。
だるまちゃんがてんぐちゃんの持ち物をつぎつぎほしがり、お父さんに相談して近しいものを手に入れていく。天狗の下駄とか帽子とか。似ているものを探し、自分用を作り出していくさまがかわいくて面白い。あるときてんぐちゃんの鼻にちょうちょがとまって、だるまちゃんも長い鼻をほしがる。最初お父さんは蝶がとまるなら花だと思って色とりどりのお花を並べてみせるんだけど、ちがうそうじゃないんだ、花じゃなくて鼻なんだ、自分は長い鼻がほしいのだとだるまちゃんは訴える。お父さんはお餅をついて鼻を作ってあげて、だるまちゃんは立派な鼻を手に入れる。鼻の先に小鳥がとまって、てんぐちゃんも一緒によろこんで、めでたしめでたし。 めっちゃいい話だな。こういうのって、他人の所有物や身体の特徴をうらやましがるのはやめましょう、自分のあるがままを愛しましょう的なメッセージにしちゃいがちだけど、ほしいものをなんとかこしらえ手に入れるっていうのがいい。めちゃめちゃいい。飛躍しすぎかもだけどこれFTMの話だなって思った。
お昼はピザ。ドミノピザがブラックフライデーで600円というのをやっていて、ブラックフライデーってもう終わってないか?と思ったんだけど(一応ネットでも調べた、12/3までのキャンペーンと書いてあった)、店の窓には600円ですと書いてあるのでこれまだやってるんですかとたずねたらやっていた。一人で昼間からピザ食べるの浮かれてて面白いな。食べたらとても眠くなりやるべきいろいろが捗らなかった。夕方、通販とか書店さんへの荷物を送った。 夜ごはんはかぶと豚の炊き込みご飯。インターネットで見かけたレシピ。あとじゃがいもの煮物と、ほうれん草を炒めたやつ。ほうれん草はナムルかごまあえにしようかと思っていたけどめんどくさくなって塩胡椒で炒めた。炒めただけなのにやけにおいしくて、なんだか感心してしまった。それで(っていうのも意味わかんないと思うけど)久しぶりにヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
1209 甥の誕生日会。妹と妹の夫の勤めている会社の保養所みたいなところですき焼きを食べた。旅館みたいな畳の個室。甥が卵を割ってかきまぜてくれた。駅から保養所への道で父が転んで血だらけになり、店の人にばんそうこうをもらった。何やってんのと母は呆れ、父はばつの悪そうにしていた。これ以上言ったら機嫌が悪くなるからさっさと手当てして話題を変えようという連携プレーがあった。うちの父はいつも威張っていて口が悪く、その一方で信じられないくらいうっかり者で、離れて暮らしていると困った奴だなーとやや笑えるけど毎日一緒にいると扱いづらくて大変だろうなと思う。ただ母も言動に軽はずみなところがありわたしはしばしばぎょっとするので、まあちょうどいいんだろうなと思う。ちょっと飲みすぎた。瓶ビールを何本か飲んだあと、妹と父とわたしで日本酒の四号瓶をあけた。甥がどんぐりをたくさん拾った。一個ちょうだいと言ったら二個くれた。すべすべした立派などんぐりだった。すごく眠かったけど帰り道だったので新宿アルタ前のスタンディングにちょこっとだけ参加。STANDING DEMO QUEERS FOR PALESTINEっていうやつ。人多かった。帰ってから少し寝て、起きて小説を書いた。夜になっておなかがすいたのでコムタンを食べた。
1210 原稿を提出。ちょっとすっきりした気持ち。日記祭に行く。望月柚花さんと待ち合わせ。新しい下北沢にいまだ慣れないという話。ずっと慣れない気がする。バインミーを食べた。レバーペーストがこってりしていてパンがしっかり固くて、これだよ〜!というバインミーだった。 日記祭、わたしの探し方が悪いのかもなんだけど委託?の本がどこにあるのかよくわからなくていくつか見つけられなかった。売り切れもあった。うろうろ歩きまわって見つけらんない感じにきのうの父を思い出した。似てんのかな。口ばかり達者でうっかり者。でもいい天気であたたかくて、見つからないのもしょうがないなという気持ちになった。外でやるイベントいいな。隙間さんの『うつわ日記』と図Yカニナさんの『沖縄に六日間』を買った。 柚花さんと文章の話とか着物の話とかしながらビールを飲んだ。ミントマイナスマイナスのことを覚えていてくださってうれしかった。そしてしゃべっている途中、ネプリにしているステッカーのPalestinaのつづりがまちがってませんかと糸川さんがDMで教えてくださって、自分はほんとにうっかり者だな…と反省した。父はわたしの名前の漢字をしょっちゅうまちがえるのを思い出す。
ドーナツを買って柚花さんとバイバイし、国会前のデモへ。この日は黒のオールインワン(ツナギ)を着ていて、最近イベントとかスタンディングに行くときよく着てる。どこでも座れるしポケットいっぱいあって便利。日記祭行ってビール飲んでドーナツ持ってデモ行くのどうなんだと思いつつ、そのくらいで参加するおっちょこちょいがいてもいいような気もする。あとやっぱりこういうのにぶらっと行けるのは関東民の特権なんだろうなとは思うので、行けるやつは行っとくほうがいいかなと思っている。そこそこ元気で、子育てや介護やぜったい抜けられない仕事とかもないし。 国会前のデモは年齢層が高くてちょっとびっくりした。ナクバを生き延びたパレスチナ人のお孫さんという方がスピーチしていて、胸が詰まった。警察がすごく多かった。地下鉄の出口を出たところで「イベントに参加の人ですか?」と道案内されかけ、イベントではなくないか…?と思った。
日比谷公園でドーナツを食べ、さっき買った日記を読む。隙間さんの日記、写真(LINEの画面のスクショ)がたくさん袋に入っているもので、公園でこの束をカサカサめくる時間がすごくいいなと思った。内緒話みたいな感じ。futouさんのツイッターから流れてきてなんとなく日記を眺めたことが何度かあって、すっかり忘れていたんだけどちょっと前にツイッターをフォローしてくださってああそういえばと思い出した。日記祭でお話してみたかったんだけどfutouさんから来ましたとか意味わかんないことしか言えなかった。このあいだ角川にバチギレた日記を書いたとき、「毎日書いてる日記だけど、怒っていることについて書くと日記ではなくなるな…。でもこの日これを考えていたという記録だからまあいいかという日記。」というツイートにいいねしてくれてうれしかったの。でもわざわざ言うことでもないなと思った。『沖縄に六日間』は旅日記的なものが読みたくて買った。装丁がすごくいい。国会前の時点でスマホの充電はだいぶ少なかった。電源のあるカフェとかに行けばよかったんだけど天気がよくて思わず公園でぼーっとしてしまった。『ピュウ』を読みすすめた。 体力的にきついかなーと思ったんだけど渋谷ハチ公前のプロテストレイヴをちょっと見に行った。すごくよかった。スピーチがパワフルなのもよかったけど、音楽がすごくよくて…。赤と緑のスモークもよかった。渋谷駅前、スリバチの底に煙と音と声が溜まり、うねっていた。通りすがりに足を止める人も多かったように見えた。これ何やってるんですかと聞かれたのでちょっと説明。ステッカーをあげた。つづりまちがってないほうのやつ。帰って肉を焼いて食べた。
1211 何も捗らない一日だった。きのうおとといと活動的に過ごして疲れているんだと思う。そりゃそうだよなと思う。労働の電話がかかってきたのを無視した。「こわいよお」とか言って布団にもぐった、部屋に一人でいるのにかわいこぶって。メールは返した。春菊とキムチでチヂミを作って夕飯にした。食べながら蘭たんの動画を見た。8番出口のやつ。夜になっても洗濯物はあんまり乾かなかった。今度参加するアンソロの小説を書き進めた。
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8月11日(日)
一日中、実家に居た。洗面台の汚れと床にふわふわと落ちている猫の毛玉が気になり、掃除。祖母家の猫は大丈夫だけれど、実家猫に対しては何故か強くアレルギーが出てしまう。猫パワーが強過ぎるのか?目が痒いと何にもできない。朝、黒糖ロールパン1つ。昼、冷凍のドリアと赤ワイン?と梅酒が混ざってる異様に美味しい不思議なお酒(サッポロの『3種のポリフェノール赤梅酒』)夜はあったかい蕎麦を。日記を更新したり、企画を考えたりなどなど。思い返せば具体的に企画内容を決めたり、まとめたのはこの日だった。(『67号室の秘密』)実家の私の部屋は母の部屋になってしまっているけれど最近、無印良品のソファーベッドがこの部屋に導入されたことにより、昔の自分の部屋のように寝転びながら作業をすることができた。考え事をしたり、本を読んだり、文字を書くときは寝転ばないと集中できない。この部屋から全ての思考がスタートしていると言っても過言ではない。その時の感覚を思い出した。
8月12日(月)
朝、マフィンに卵とチーズを挟んで食べた。お昼は妹が作った焼うどん。銀色夏生の『偶然』を読了。知っている詩がいくつかあった。夏生さんの詩は緩急とリズムが良い。夕方から予定があり、父に駅まで送って貰った。父の凄いところは何があっても時間をきっちり守るところだなって思う。時間潰しのためにブックオフへ行き、夜ご飯はスープストック。グリーンカレーと台湾出汁なんちゃらと少なめご飯。スープが二つだとあっさりお腹がいっぱいになる。CCさくらを観た。ミッドランドのドーナツを初めて食べて感激。ふわふわでとても美味しい。次も絶対ドーナツを食べると心に決めた。寧ろ、ドーナツを食べるために映画を観ようかとすら思う。CCさくらは言わずもがな素晴らしい作品。新たな気づきをインスタに書いた。この日辺りからSNS無理だな症候群から解放されつつあり、積極的に投稿を始めた。インスタとの和解。兎も角、自分のことを見失うことがなければ悪い物ではないはず。
8月13日(火)
ノン氏とロイホ。キノコのパスタをセットで頼んだらお会計が2,400円になってしまって焦った。全くそんなつもりではなかった。1,100円になるのかと思っていたら、それがセットの値段だった。キノコのパスタはキノコのパスタの値段だったのだ。ロイホにしてはお得すぎると嬉々として注文してしまっただけに、寝耳に水って感じでショックをショックと捉える隙がなかった。いくらのジュレ、サラダ、オニオングラタン、スイートポテト、ドリンクバーのお茶や珈琲全部美味しかった。値段をもしも知っていたら食べられなかったということになる。そう考えると幸せだったんじゃないか?と思える。新しいイベントへ向けての話し合い。話が進み早速、現地の外観の下見。9月に予定が詰まっていた為、開催日はどうしても8月中が良くて、8月31日に決まった。ここまで短い準備期間で企画を組むのは初めて。通常であれば2ヶ月ほど前から始める。異例中の異例。どうなることやら。下見を終え、一休みをするためにロイヤルへ。ロイヤルからのロイヤルとボソッとノン氏が呟いて、妙にツボに入ってしまった。バニラアイスが暑くて疲れた身体によくしみた。
8月14日(水)
お墓参り。早朝だった為眠たくて仕方なかった。その後もずっと眠たくて、無理矢理外出。図書館に行ったら入り口のところで人がずらっと並んでいて、なんで?と思ったら、まだ営業前だった。図書館に入るために並ぶということを初めて経験した。人生何が起こるかわからない。図書館へ来たものの、借りていた本を全く読み終えられていなかった為、椅子に座ってしばらく読書。その間も眠たくて、うたた寝。集中できず返却。スガキヤへ。見慣れない『ワンタンラーメン』というものがあり、え?と思いながら注文。大きめのワンタンが5つくらいわんぱくに浮かんでいた。しれっと参入していたワンタンラーメン。今後果たして愛されていくのであろうか?ワンタンラーメンの行く末を案じている間に完食。そして、先日ゲットしたクーポンを使おうと思い、お目当てのドトールキッチンへ。かぼちゃのタルトと沖縄黒糖ラテ。ケーキセットにしたら結局クーポンは使えなかった。かぼちゃのタルトは常に美味しい。ほのかにりんごの味もする。何かでSaToAのメンバーのうちのお一人がドトールではかぼちゃタルトを食べるという話をしていた気がする。その話を知ってからSaToAのこともかぼちゃタルトのこともより好きになった。沖縄黒糖ラテはドトールの最高傑作だと思っている。これを超える癒しドリンクにはまだ出会えていない。というか、地名さえ入れば大体全て美味しそうだなと思う。ドトールを出たのち、再び図書館へ。今度は初めて行った図書館だった。小さいのであまり期待していなかったけれど、小さい分本を探しやすくてよかった。大きければいいってもんでもない。そこで、くどうれいんさんの本を見つけられてラッキーだった。読んでいく内に元気が出てきた。生活をちゃんとしたいという気持ちになり、バスを使わず歩いて帰宅。お盆ということで従姉の家族が大集結していた。私の分のお寿司と揚げ物と和菓子とケーキがずらっと並んでいて「誕生日みたい!」と思わず言ってしまった。従姉とは定期的に会うようになり、会話を交わす時間が増え、価値観が似ていることがわかり、数年分の気まずさが解消されつつある。良いことだなと思う。
8月15日(木)
もうすぐ手帳を書き終えてしまう。来年の手帳はどんなものにしようかなと考える時期になってきた。心配しなくとも時間はちゃんと流れていく。前の職場の給与が振り込まれ、お金の整理をしていたら節約意識が高まった。RECによる出費がかなり大きい。無駄に使えるお金なんてない中でいかに工夫して楽しむのかが重要。お金を生み出す仕組みも考えていきたい。まずは部屋の片付けと基本を大切に生きてみよう。
8月16日(金)
会場の下見と練習日。良い場所だったなと思う。駅近でこういう自由に使えるスペースがあってよかった。隈なく探すと見つかるものなんだな。恐らく今後もこちらでお世話になる予定。理想はやっぱり自分たちの場所を作ること。それに向けて面倒だなとか思うことから目を背けずに動いていきたいなと思った。暑くてどうしようもなくて、練習後すぐに帰宅。バスを待っている間にお土産で貰った『ふところ餅』を食べた。国産米粉使用ということでとてもおいしかった。空腹感に支配されずにバスを待つことができた。好みを熟知されているということはすごく嬉しいことだ。帰宅後、説明動画の編集を開始。夜遅くに就寝。
8月17日(土)
『67号室の秘密』の発表日。朝から説明動画の編集の続き。それからフライヤーと説明画像の編集。短い期間の中でロゴ作りを担当してくれたはんどまりくんには頭が上がらない。こんな無茶振りを引き受けてくれてどうもありがとうという気持ち。見た目の可愛さだけでなく、意味もしっかりと込められていて、イメージの共有がスムーズで毎回とても助かっている。ありがたや。改めて依頼してよかったなあと思う。開催日の場所の確保のために思い切って管理者の方に電話をしたら、向こうの尊敬語が移り、変な話し方になってしまった。つくづく電話が向いていないなあと思った。それでもなんとか場所をしっかり押さえることができて、無事にイベントの発表もすることができた。インスタ投稿をするために文章を書いていたら、活動を続けていく中で自分がふわっと思ってきたことがスルスルと言語化されていって書きながら、なるほどなってなった。手を動���すって大切だ。これは人間にしかできないことだなと思う。
8月18日(日)
お盆休み最終日。あっという間だ。悲しみに支配されないようにこの日記を書こうと思った。思い返せば随分と溜め込んでしまっていた。現実をうまく掴めない時、日記は書けなくなるものだ。今という時間を自分のものにするために私は日記を書くのだと思う。今回はPCからこうして文字を打っている。スマホではやはりどうしても集中力が途切れてしまう。PCだとあれも言いたかったんだ、これも言いたかったんだと言葉がうわんうわん溢れてくる。この自由を忘れずに労働に勤しみたいなと思う。数日間の空腹感の原因が解明され、毎月のことながら、ホルモンってのは厄介だなと思う。減量開始宣言をしたけれど、今回はゆるゆる長期的にやっていこうと思う。運動と食事と睡眠に対する考え方を丁寧にしていこう。あと、自分に対して健康的に接してみようと思う。スマホを枕元に持っていくのをやめるとか、水をたくさん飲むとか。そういう良いとされていることを一つ一つやってみよう。やってみないとやる気は起きない。わかっていてもできなかった。わかっていても、いなくても、まずはやってみよう。
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2024/08/16(金)元気
日記ってその日のうちじゃないと書けないなー
夏休みみんな楽しんでますか?
わたしは楽しんでるよ☀️
でも連休の時って楽しいことしなきゃと半ば強迫的に思ってしまって、うまく計画が立てられなかったりうまく一日を過ごせなかったりする。
てか、iPhoneのメモに毎日日記をつけてるんだけど、前までは日付のあとに一日ごとに違うタイトルをつけてたんだけど、なんかめんどくさくなったので元気かそうでないかだけをタイトルにつけることにしたら、8/2からずっと元気でウケた。
夏休み初日の日記↓
2024/08/10(土)元気🥐
13:30ごろ?おきてダラダラして
シャワーして、すっぴんで日焼け止めだけ塗って外に出た
パン屋さんでパンを食べようと思い立ち、バスに乗って木場三丁目で降りる。
パン屋さんを探して歩く。タンクトップでPCの入ったリュックを背負っているので疲れる。
ようやく見つけたけれど、イートインスペースがなかった…ショック
しかしもう他の店を探す気力もないので入店、クロワッサンとボロネーゼのパンを注文。500円ちょいくらい。
外に出て歩きながら食べる。おしゃれなパン屋のパンを道で歩きながら雑に食べるのってけっこうニューヨークなんじゃないか。
しかし、木場あたりを歩くのは楽しいなと思った。大きな公園があるし橋があるし、なんだか、全然違う場所に来た感じがするのだ。ちょっと家から離れただけのところなのに。
天気も良く、なんだか夏を体じゅうに感じた。
クロワッサンがサクサクでうまい
作業できるカフェをgooglemapで探して、あるく。つかれるなあ。汗ダラダラ。
お店に着いた17:26、本日18時閉店の文字が目に飛び込んできた…。クソー!!!ということで踵を翻す。
別のカフェを探し歩く。ワールドネイバーズカフェ?というなにやらオシャレそうなシティなカフェにたどり着く。コインランドリーが併設されているようだった。フーン。フーン。
アイスカフェラテだけ注文した。ドリンクのみの注文でもいいのかよくわからずキョドッてしまったが、とりあえず座る。
本を読んだり、この夏休みの予定を考えたり、いろいろした。
でもなんだか居心地が悪かった。やっぱり作業はチェーン店に限るかもしれない。
いま、インスタのストーリーで中高の頃のどうってことない同級生がフレッドペリーのポロシャツを着ているのを見て、わたしは絶対にフレッドペリーのポロシャツを着ないだろうと常々思っているということを思い出し、再び強くそう思った。
フレッドペリーのポロシャツをお洒落に着こなしている人だってもちろんいるが、あれは大半の人間をどうってことなく見えさせる代物だ。もしくはどうってことない人間が選びがちなのかもしれない。なんにせよわたしの好みの服ではない。
でも、不思議なことに面白い人については何着てても何にも思わないからやっぱり面白いのが1番すごい、、このことには絶望もする😭
20時前に店を出る。すっかり当たりが暗くなっている。
門仲のブックオフに向かった。
木場公園を突っ切っている時、蝉の声がこれでもかと鳴り響いていた。木場公園、自分の記憶してたよりなんだかデッカイなー
歩くのが楽しくて途中動画を撮ったりした
橋でブタと遭遇してたまげた。かわいかったな。飼ってんのか?
ブックオフに到着。川上未映子のヘヴンと岡崎京子のpinkを探すけど、ぜーんぜんみつからない。。。ぐるぐる回ってるうちになぜかデッカい鉄コン筋クリートと躁鬱大学とadhdの本とつめたいよるにとダンス・ダンス・ダンスを腕に抱え、レジで会計していた。
ブックオフ大好き!
クサイの大嫌い!
おわり
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