(THA)I-DLE
BLACKPINKのリサさん、(G)I-DLEのミンニさん、GOT7のベンベンさん、最新では
BABYMONSTERのチキタさん&パリタさん、とか世界のポップミュージック・シーンで
最近、タイ出身のアーティストが人気なのに加えて重要なポジションを獲得しています。
タイは、日本から西へ約4500キロ、飛行機を利用すれば約5~6時間で到着する、
インドシナ半島の中央に位置するカンボジアやマレーシア、ラオスなどと隣り合う国。
正式には、タイ王国。国土は約51万平方キロメートルで、日本の約1.4倍の広さがあり
現在、6500万人ほどの人が暮らしている。気候は1年を通して蒸し暑い常夏の国で、
バンコクの気温は1年で最も寒い時期でも20℃前後。そんなタイは、日本でも人気の
タイ料理、パタヤやプーケットなどリゾート地、また寺院とかの世界文化遺産が人気。
あと腐女子の皆さんにはBL(ボーイズラブ)、さらにトリップしたい人にはアジアの国で
初めて合法化された大麻(ハッパ、マリファナ)も人気ですって!\ おーまわりさーん /
そして2010年以降は、世界的に人気のポップグループのメンバーを輩出してますが・・・
BLACKPINKのリサさんやGOT7のベンベンさんのパイセン、タイで最初のPop音楽の
ボーイズ&ガールズグループは、 マイケル・ジャクソンさん並に「Who is It」、誰だ?
気になったのですが、タイへ行って調べるお金はない、仕事もない、名前もまだない、
でも時間だけはあるのでネットでググってみました!ハローワークに置いてあるPCで。
調べてみたらですよ、タイポップス研究家の山麓園太郎(さんろくえんたろう)さんが、
TBSラジオ『アフター6ジャンクション』で”タイのアイドルの歴史”を解説してくれてました!
という訳でー・・・、今回もミニスカポリスとコンドロイチン刑事に逮捕されない程度に
情報をサンプリングではなく、純度100%にパクる&無断転載します。チィーーース!
J-PopやK-Popと同じように、『T-Pop』とも呼ばれるタイのポップミュージックが、世界で
わりと最近、人気を獲得しているような感じになったのは、山麓園太郎さんによると
2007年。『Kamikaze(カミカゼ)レーベルというのが2007年に設立されて、当時はもう
タイのブームの中心っていうのは韓国カルチャーに移行してたので、その流れに乗って
K-Popの影響の強いダンスチューンとバラードでヒット曲を連発するんです』ですって。
また、在東京タイ王国大使館が現在ブームになりつつある”T-POP”について紹介する
YouTube動画『T-POP History』でも、『T-POPといえば、カミカゼ社です』といってます。
そんな韓国のカルチャー、K-Popの影響を受けたKamikazeレーベルで一番人気だった
T-Popグループが、マイケル・ジャクソンさんの言葉をサンプリングすれば”THIS IS IT”!
Neko Jump 「ห้ามนอนคนเดียว」 Official MV
その後、『2015年ぐらいからAKBや坂道グループが徐々にタイのアイドルファンの中で
人気を高めていってAKBの海外支部・BNK48ができて「恋するフォーチュンクッキー」の
タイ語版がヒット』したそうです。ただしBLACKPINKのリサさん、GOT7のベンベンさん
共に、その5年前の2010年にYGとJYPのグローバルオーディションに合格してますね。
では、タイで韓国ブームが起き、音楽もK-Popの影響を受ける前・・・。2007年以前の
T-Popの状況について山麓園太郎さんは、『1980年代まで、タイにはいわゆる日本で
考えられているアイドル的な芸能人はいなかったそうですよ』と遡り、そして『タイで
初めて、アイドルポップスが生まれた瞬間っていうのは、おそらく1990年代の後半、
DOJO CITY(ドージョーシティ)っていうレーベルからだと思います』と教えてくれます。
DOJO CITYは、海外留学していた人たちによって1998年に設立されたレーベルで、
山麓園太郎さんによりますと、1990年代後半まで『タイには、10代前半向けの音楽
マーケットがなくDOJO CITY自らがティーンズ向け雑誌「Katch Magazine」を創刊して
DOJO CITY所属の女の子たちをモデルに使う、という手法で効果的にタイの10代に
アプローチした』そうです。さらに山麓園太郎さんはDOJO CITYに在籍したグループの
元メンバーへ行ったインタビューから、『DOJO CITYの音楽が、多くの要素で日本の
アイドル文化の影響を受けているのは明らかでした』という貴重な証言も紹介してます!
そんな韓国以前、日本のポップミュージックの影響を受けたDOJO CITYレーベルで
一番成功を収めたらしいT-Popグループがこちらですって。
Triumphs Kingdom 「อย่าเข้าใจฉันผิด」 Official MV
『1998年までタイに10代前半向けの音楽マーケットがなく』、そして『アイドルポップスが
生まれた瞬間っていうのは、おそらく1990年代の後半』・・・。アタシ調べ、終ー了ー!!
・・・と思ったのですが。T-Popのファンが執筆&制作する共同百科事典『T-Pop Wiki』に
引っ掛かる一文を発見しました!コピって貼ります。『Sao Sao Sao(สาว สาว สาว)は、
ミュージック トレイン所属の3人組ガールズグループで1982年にアルバム「รักปักใจ」で
デビュー。彼女たちはタイ初のガールズグループとみなされてます』って書かれてます。
さらに、そのSao Sao Sao(สาว สาว สาว) がFacebookに公式アカウントを持っており、
そこには『Sao Sao Sao were a Thai Girl Group from the 80s.』と書かれています。
アイドルグループとガールズグループの言い方の違いはありますが、『T-Pop Wiki』に
載っているSao Sao Sao(สาว สาว สาว)のアー写は、こちら。
Sao(สาว)は、タイの言葉で”女の子”という意味らしいですよ。さらに調べますと、タイの
首都・バンコクにあるタンマサート大学の助教授っぽいเวฬุรีย์ เมธาวีวินิจさんが、論文
『女性の愛と関係の象徴、女性アーティストグループの歌詞から: Sao Sao Saoから
BNK48まで』を発表しているみたいで、研究対象期間は1982年から2018年に設定し、
タイトルにある通りSao Sao SaoとBNK48、さらにDOJO CITY、Kamikazeも並べて、
タイの女性アーティストグループと、時代ごとの女性の文化を論じているようです。
また、タイのメディア『prachachat.net』は、Sao Sao Saoに行ったインタビュー記事で
『タイ初のガールズグループ』と紹介。インタビュー本文ではメンバーが、活動当時を
振り返り、『その時代のティーンエイジャーにアイドルができたんです。当時は、まだ
アイドルとは呼ばれていませんでした。』と、自分たちが10代のキッズかヲタクにとって
”アイドル”だった的な発言しています。そんな、タイ初のT-Popガールズグループで、
アイドルだったっぽいSao Sao Sao(สาว สาว สาว) のMVが、YouTubeにありました!
สาว สาว สาว 「รักปักใจ」 OFFICIAL MV
Sao Sao Saoが1982年にリリースした1stアルバム『รักปักใจ』のタイトル曲っぽいです。
Sao Sao Saoが所属していたレーベル・รถไฟดนตรี (MUSIC TRAIN)による動画の
説明欄には、『ティーンエイジャーにとって魅力的な新しい音楽ジャンルです』って
書かれています。Sao Sao Saoは、歌手をやりたい女の子3人が最初、レーベルも
レコード会社もつかなかったことから力を合わせて、インディーズで活動を始めたのが
スタートのようです。曲や振付は、海外アーティストの作品を参考にデモを作ったそう。
在東京タイ王国大使館の動画『T-POP History』はT-Pop初期、1980年以前について
『タイ人は洋楽を好んだ あるいは洋楽にタイ語の歌詞をつけて歌った』と紹介してます.
Sao Sao Saoも、Jr.「GO! WEST」、台湾の小虎隊「What’s your name?」的な活動を
行っていたのかもしれません。一方で、タイのSao Sao Saoファンの方はブログで、
『70年代、タイでは日本の映画が数多くテレビで放送されました』『タイの音楽ファンは、
タイの雑誌やテレビレビューを通じて日本の歌手たちに馴染みがありました』と書き、
70年代に活動した日本のキャンディーズが、Sao Sao Saoの影響元と指摘してます。
ガールズグループに続いては、ボーイズグループのスタートを、名探偵津田さん並に
推理です。あと朝から酒を飲んでいる、田舎のじっちゃんの名にかけて!頼ったのは、
ウィキペディアのページ『List of Thai pop artists』。そのT-Popアーティストの中から、
『SaoSaoSao (1981-)』に続く早い数字が書かれたグループが、『Two (1991-)』。
①:Twoは、『Tor&Tongとも呼ばれるデュオ。1990年代に人気だったRSレーベルの
最初のデュオ』だそう。メンバーのTorさんはモデルとしてキャリアを開始、Tongさんは
スタジオミュージシャンだったそう。Twoがやっていた音楽ジャンルに、ダンスポップが
入っていますが、Twoが”アイドル”だった記事は老眼のワイは見つけられませんでした!
ネット調査を続けます。唯一の手掛かりウィキペディアの『List of Thai pop artists』の
中から『Two (1991-)』に続く早い数字が書かれたグループが、『Hi-Jack (1992-)』。
②:Hi-Jackは、RSレーベル初のボーイバンドだそう。メンバーは4人で、元ダンサー。
ウィキペディアには、『有名な日本のボーイバンドである少年隊と比較されました』と
書かれています。ただ、Hi-Jackも”アイドル”だった情報源は見つけられませんでした。
『List of Thai pop artists』の中から『Hi-Jack (1992-)』に続くのは、『Boyscout (1993-)』
③:Boyscoutは、RSレーベルでトリオで結成された最初のボーイバンド。メンバーは、
元俳優。そして、ついにバンコクを拠点とするニュースサイト『Khaosod English』が
2017年11月に、Boyscoutを『'90s Boyband Idol』と紹介した記事がありました!
そんなBoyscoutが、デビューした1993年に撮影されたと思うMVもありましたよ。
Boyscout 「คิขุอาโนเนะ」 Official MV
Two、Hi-Jack、そして”アイドル”のBoyscoutの3組はいずれも、1982年に設立された
タイのエンターテイメント会社『RS Group』に所属。そして、1991年から1993年の間に
誕生しています。在東京タイ王国大使館が”T-POP”について紹介するYouTube動画
『T-POP History』でも、『タイの音楽産業を築いたのは RSとグラミーの台頭だった』と
関係者のコメントを使っている。タイ王国大使館による『T-POP History』を切り抜く・・・
『T-POPのはじまりは1930年代。外交や留学生によって海外の音楽がタイへ流入し、
1960年代に洋楽になり、タイの人は洋楽にタイ語の歌詞をつけて歌った。そして、
80年代になって、タイの音楽が主流になり、タイの音楽産業が築かれた』。最後の
1行に、前川健一さんの本『まとわりつくタイの音楽』の中から1文を付け加える・・・
『80年代後半、(タイで)、アメリカやイギリス音楽の海賊テープを買っていた若者が、
タイ音楽のテープを買うようになったのである』。1980年代に入り、タイの音楽と産業が
若い人にも受け入れられ、ポップミュージックのグループ・Sao Sao Saoも誕生した。
1980年代まで、タイには日本で考えられているアイドル的な芸能人はいなかったし、
1990年代後半までタイに10代前半向けの音楽マーケットがなかったけど、T-Popの
グループの土壌は作られ始めていた。・・・というのがアタシの妄想もしくは陰謀論か、
それってあなたの感想ですよね、デス。(←サンドウィッチマンのコント「葬儀屋」より)
分かったことは3点あります・・・
①:T-Popは、欧米→日本→韓国の順番で影響を受けている。
②:T-Popのグループも、台湾やフィリピンと同じくガールズグループが先に誕生した
可能性があるっぽい。
③:山麓園太郎さんは当事者・関係者への取材を重ねてきたのに対し、アタクシは・・・
ネットをググる&コピペしただけ。これ以上の進展はなし!BiSH並にジ・エンドね。
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**man.aka・お知らせ**
東京・阿佐ヶ谷で開かれるピアノライブ「studio kadaru Live&縁日」にて、man.aka(マンナカ)としては初めての出店をさせて頂きます。
◯植物療法のプチセッションバームづくり◯
○とき 7/9 _ 2023 13:00~18:00
○場所 阿佐ヶ谷・東京都(JR中央線阿佐ヶ谷駅・丸の内線南阿佐ヶ谷駅から徒歩10分程度)
※プライベートスペース&GoogleMapで詳細が表示されないため、お越しになる際は、大変お手数ですがイベント主催のatelier kadaruさんのInstagramアカウントにDMでお問い合わせをお願いします。
https://www.instagram.com/atelier.kadaru2022/?hl=ja
○料金 バーム代*1500円+セッション代*自由料金
*今回、セッションの金額は、お受け取り頂いた体験から感じた価値に応じてご自身で決めていただく形をとらせて頂いております。
その理由は、お一人お一人にとってセッションで受け取った経験の価値は違うものだろう・と感じるのと、その価値をお金にするというのも、また様々な理由からバラエティに富んだ結果が生まれるのかな、と感じる所からです。
今回、出店という形でのセッションが初めてという事もあり、セッションを受けて頂くお一人お一人の、価値の捉え方に金額を委ねさせて頂く、その試みにお付き合い頂きたいと思っています。ちょっとお手数かもしれませんが、ご協力頂けるとありがたいです。どうしてもお困りだったり、決められない方は、遠慮なくご相談ください☆
ご自身が心地よく感じる金額を、心地よいタイミングでお支払い頂ければ幸いです。
○お一人ずつ、その方に今必要な植物からのエネルギーサポートを橋渡しする、植物療法をベースとした小さな対話型セッションのバームづくりです。
リラクゼーションや不調の改善、身心のケアやリフレッシュ、気持ちの整理などなど、お一人お一人の今に役立てていただける植物の力を、バームに込めるお手伝いをさせて頂きます。
原材料は全て自然由来100%のもので、精油をはじめ、ほとんどがオーガニックのものを使用しています。
バームは、肌への塗布・ヘアケアに使って頂く事ができます◯
****message *****
私たちヒトは、植物のいのちによって、いきることそのものや、自身の命を育んでいます。動物であるわたしたちは、地球の(ひいては宇宙の)仕組みにおいて、植物の存在そのものから、身体と精神の双方で、五感の全てで、その恩恵を受けています。
植物と私たちのコミュニケーションは、言葉を必要としません。そのダイレクトさゆえに、気づく事が難しいのかもしれませんが、植物はわたしたちに、常にたくさんのメッセージを発しています。
そのメッセージの根本にあるのは、人間の命とかかわわる喜びです。
私たちが、その存在に気付き、「緑がきれいだなぁ」とか、「いい香りだな」とか、気分が落ち着いたり高揚したり、満たされたりするその経験の全てを、植物は喜びをもって分かち合ってくれています。
植物療法を学ぶ中で、アロマテラピーの知識と共に最も感動をおぼえたのは、このことに気づいた時でした。
当たり前に食事をとったりお茶を飲んだり、花や樹々を眺めたりすることからさらにもうちょっと深く、植物の恵とじっくり過ごす時間を作ってみませんか。
ゆるんでくつろぐ時間の中で、わたしたちが全体性を取り戻すように、植物の揺るぎない美しさのエネルギーをお届けできるよう、お手伝いさせていただきます。
◯Profile◯
望月小夜加 Sayaka Mochizuki
man.aka(マンナカ)主宰
調和を生きる道を模索する中で、撮影先のラオスで出会ったハーバルスチームサウナに感動を憶え、ハーブや薬草・野草と共に生きる知恵の探究を始める。
京都を住処とし、写真家として活動する傍ら、ご縁のある近隣のお庭やお山でハーブを育てたり、野草や薬草を摘ませて頂き、愛でて触れて学べるよう、少しずつできる事を積み上げる日々を送る。
2019には生駒山(奈良県)の山小屋「sun」のご協力にて、ハーバルスチームサウナの試験的なワークショップを開催、
2021-22年、「chimugusui 植物療法スクール」にて、カウンセリングセッションを含むアドバンスまでの3レベルの全講座を修了。
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In families where parents cook, children will always cook as well.
『A Global Analysis of Cooking Around the World Year 3』というレポートがあります。
世界140カ国以上でのリサーチされているそうで世界中の様々な事情がわかるのでご紹介したいと思います。
日本の自炊(料理の頻度)率が驚くことに低いということが書かれております。
世界158国と地域の中で見た場合ですが週6.3回だそうです。なんと日本は世界65位。驚きですよね。とても低いのです。
世界の料理頻度が高いトップ10
上からラオス、ベネズエラ、インドネシア、ノルウェー、ベルギー、エルサルバドル、コスタリカ、アイルランド、イタリアとなるそうです。
私たちの経過を考えましても『実際に家庭での料理を見てきた子供は料理を作れる』『両親もしくは祖父母や親が料理をしている家庭は料理を自分でやり出す』などのも関連があるそうです。
欧米化が強まる一方で『料理というスキル』が経済の一つとなり、出来ない人を増やして健康管理にもおける基本の食すら管理できずに未病や慢性疾患や多くの病気を増やしつつ精神疾患もですが不調それらを補うためのサプリメントなども必要となる世の中になりました。
精神面に至ってはストレスを抱えて仕事や学業などを強いられる環境と体系化しましたので。食事の時間をスマホやYouTubeなど娯楽に当てるなどになるので食事においてもお金を必要以上にかけつつスキルも失うので生産性においても失っているものが増加しているのです。
そのおかげで詐欺などのサプリや健康食品健康器具ビジネスなども蔓延しております。
楽🟰楽しいという現実でもないのとさらに形態が変化した欧米化が進むにつれ味気のないお食事が増えて味覚にも満足できないものの増加して、今まで美味しかった日本の料理屋が減っています。ラーメンに関しても個人店ならクオリティを保てたものをチェーン展開により味も質も落ちたお店も増加しております。
だからこそ生きていく上での最大のスキル『料理』をぜひ楽しんでいただきたいのです。
以前のものを引用ですが、やはり子供の時から親の料理をする姿を知っていると料理というスキルを身につけていけるはずです。
ルパン三世 カリオストロの城に出てくる『ミートボールパスタ』
子供はミートボールが好きな子供多いですし、人気アニメの再現も楽しいことでしょう。こんなふうに味覚も自分で確かめる術を身につけるとレシピを見なくとも脳内でのひらめきとアイデアで美味しい料理を作り上げることができるはず。
料理は作品。素晴らしい成長の糧となることでしょう。
親も子も楽しんで料理スキルを最大限活かしていきましょう。
お写真は掲載レシピのものを引用しております。
料理研究家 指宿さゆり
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月30日(火曜日)
通巻第8111号
ミャンマーで本当は何がおきているのか(その2)
中国の二股外交、奇妙なアプローチの狙いは奈辺に
*************************
ヤンゴンの中心部、湖をのぞむ景勝地に立つ豪邸は、アウンサンスーチーの所有する不動産である。この前の道路でよく集会が開催されたため国際的にも有名な場所だった。筆者も、付近の仏教寺院を見学したあとに長い坂道をおりたら、この豪邸の正面にでた。
敷地面積8000平方メートル。庶民から観れば王様の邸宅である。3月20日に、この物件は競売となる。入札価格は221億円から始まるという。きっと中国の金持ちが落札するのではないか。
ミャンマーにおける中国の関心事は、地域の安全保障希求というより自国利益優先で、自己チューである。2021年2月の軍事クーデター以来、中国共産党はミンアウンフライン司令官が率いる軍事政権を支援しているが、他方で各地に盤踞する武装勢力にも武器を供与している。
二股外交が平気な国だからこそできる芸当だ。
米国平和研究所のジェイソン・タワーは「中国は、地政学的利益の確保、経済プロジェクトの推進、辺境地域における欧米の影響力抑制に力を入れている。しかしミャンマーの分裂状態が持続すれば、ミャンマーはアセアンで孤立を深めるだろう。それは中国が裨益する結果をもたらすかもしれない」と分析する。
ミャンマーの国境地帯は軍事政権の統治が及ばず、密輸、人身売買とサイバー詐欺の増加をもたらした。中国のハッカー部隊の拠点化し、ギャングの巣窟となり、しかも中国はゲリラ組織と強い絆がある。中国政府は犯罪増加を憂慮しつつも、取り締まりは手抜き、中国の犯罪組織を阻止するより、反政府武装組織を手なずけ中国の利益に繋がることを目論んでいるかのようだ。
中国の権益とは具体的には、中断されているカチン州での水力発電プロジェクトの再開。ザガイン地域の銅鉱山の操業再開、ラカイン州チャウッピューの工業団地建設、港湾の整備近代化、そして雲南省へ運ぶパイプラインの安全である。
中国雲南省は、ミャンマーの西海岸からのパイプラインで裨益し、また中国の観光客は雲南省に近いミャンマー地域や第二の都会マンダレーを旅行する。翡翠や色石の取引が目的である。
マンダレーは雲南華僑の街である。ホテルで朝から酒を飲んでいるのは大概が華僑の宝石商である。
ミャンマー国境は犯罪集団が跋扈し、人身売買とサイバー集団が、むしろミャンマー政府の監視が行き届かないゆえに却って安全とばかり、武装組織が支配する地域を隠れ家として利用している。かれらの「みかじめ料」もどきも武装組織の軍資金である。
中国公式情報筋の情報では中国警察が2022年に46万4,000件を超える国境を越えた詐欺や詐欺事件を処理し、詐欺に関与した79万のウェブサイトを閉鎖したとか。
ミャンマーとタイの国境では別の問題がある。
中国、タイ、ミャンマーのギャングたちの拠点化しており、密輸シンジケートの暗躍がある。ラオスとの国境へ行くとカジノホテル、売春窟。そして麻薬の密輸ギャング団のアジトがある。
一方、全国の広大な犯罪地帯は拡大し続けており、特にシャン州北部の町タチレクや中国国境に隣接し、ミャンマー国軍が支配するとされた地域で武装集団との戦闘が拡大し、国軍が敗北を喫した(23年10月27日)。
中国が珍しく停戦を斡旋したのは当該地域の華僑の利権を優先させたからだと情報筋は解析する。
タイとの国境、シャン州の東側ではカチン続やカレンニー族が戦乱を逃れてカセ州からタイのメーホーソン県へ多数が逃げ込んだ。
また首都ネピドーに近い中部のピンウールウィンという町では国軍支持の僧侶たちが集会を開き、なんとミンウンフライン司令官の解任を求め始めた。「ゲリラに国軍は手ぬるい」という訳だ。
ギャングの伏魔殿がミャンマー国軍の統治が及ばない辺境地帯。この先、どうなるか?
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