#マーケットの理解
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お金を稼ぐ為の5つの原則
今回はお金を稼ぐためのコツについてお話しします。 お金を効果的に稼ぐためには、特定の原則を理解し、実践することが重要です。 稼ぐための5つの原則 1. マインドセットの確立 成功への第一歩は、稼ぐことに対するポジティブなマインドセットを持つことです。 自己信頼感を高め、目標に向かって努力し続ける意志を持ちましょう。 困難な状況に直面しても諦めず、挑戦する姿勢が重要です。 2. リスクとチャンスのバランス 稼ぐためには、リスクとチャンスのバランスを上手に取ることが必要です。 過度なリスクを冒すことなく、慎重な計画と戦略を立てましょう。 チャンスを見極め、効果的な投資やビジネスチャンスに積極的に取り組むことが成功への道です。 3.…
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村上隆氏と左派論客の斎藤幸平氏がReHacQ(高橋弘樹氏が運営するチャンネル)で対談している動画が4連続で上がっていてすべて見た。 ※以下敬称略 結論から言うとこの動画で村上隆が何をやろうとしているのかよくわかったので彼への嫌悪感はすべて消えた。 1動画40分近くあるので見るのは大変だと思うが興味深く見れたので余裕がある人は見てほしい。 一応言っておくとこれはあくまで私の個人的見解なのでその点には注意してほしい。 ざっくり動画の流れを説明すると斎藤幸平が布施英利と対談した際に村上隆が嫌いと悪口を言ったので、村上隆がYoutube?にコメントを書きそれを見てチャンネル運営者の高橋弘樹が対談に誘ったという流れのようだ。 ※斎藤幸平氏はマルキストなので拝金的に見える村上氏の行為があまり好きではない 現在京都で開催中のもののけ展の展示内容を村上隆が斎藤・高橋、両氏に説明しつつ最後に対談という流れになっている。 そこで現代美術とは何か、芸術とはなにか、現代美術のマーケットがどのようになっているのかという基礎的な内容を質疑応答形式で確認していく中で村上隆がどのようなことをやってきたのか、目指しているのかという事も語られていく。 村上隆の顧客はforbes上位に入るような超大金持ちであるだとか、日本人の想像もできないような西洋のお金持ちの間でアートはある種のコミュニケーションツールとして機能しているだとか。斎藤氏や高橋氏のアート素人の目線からの質問として、アートは大衆に開かれるべきなのでそれほどの高額でアートがやり取りされるのがどうなのかという質問などもあった。 ただ、結局動画の内容を見た上で私が理解した村上隆がやっている事というのは以下のようだ。 「西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアートの文脈に日本のアニメや漫画といったオタクカルチャーのスタイルもアートであると認知させるため芸術活動をしている」ということだ。 それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という���型的な現代美術ということになる。 これは別の動画(漫画家の山田玲司のチャンネル)で言及されていたが、村上隆はもともとは典型的な第一世代のオタクで宇宙戦艦ヤマトのファンであった。そこでアニメ業界に憧れはあったが庵野秀明の作品が続けざまに放映されるのを見て業界を諦めたらしい。その結果彼はアニメ以外に興味のある分野として日本画を専攻することになる。 つまり根本的な動機としてアニメは素晴らしいものなので世間に認められるべきだというものがあり、それがスーパーフラットという概念「アニメも漫画も日本画も同じような手法を使っており、同じようなシステム体系であり、アートである」という主張に繋がることになる。 だから、オタクカルチャーを世界に認めてもらう手段として、西洋のハイソサエティのコミュニティを顧客とし、自分の作品をその人たちに売るという行為につながる。 彼はしばしば「高額で売ることが重要なのではない」と言うがこのロジックを理解すると容易に彼のアートや発言の意図がわかるようになる。つまり西洋のアート文脈を支配しているハイソサエティにオタク系の作品をアートであると認知してもらうには彼らのマーケットに入り込みそれらの作品を売り込む以外に方法がないのだ。だから値段は顧客が勝手に決めることになるし、高く売ることが重要ではないという事になる。目的を達成するための単なる手段に過ぎないわけだ。 またそれが彼の作品がオタクカルチャーの作品をパクったかのような作品群が混じる理由でもある。動画のなかでドラえもんとソニックを混ぜて作った作品がある(ルックとしてはミッキーマウスに似ていたためにディズニーに買われたらしいが) これはつまりドラえもんとソニックを混ぜて作った作品が美術マーケットで売れたということは大本であるドラえもんとソニックもアートである。という論拠になる。むしろ元ネタがある作品をあえて作ることで"漫画やゲーム作品もアートである"という事になる。 "世界のアートとはいったい何なのかという概念を決めているのは西洋を中心とした大金持ちの上位層である"という彼の視座から見ると、日本人は資本主義に組み込まれてすらいないとか、敗戦国の悲哀等という発言の意図も理解できる。 アートとはいったい何なのかというルールを決める場に日本人は存在しない。 だからその世界に入り込みその概念そのものを拡大して自分の好きなオタクカルチャーをアートであると概念を変容させる。 アニメやゲームの制作者や漫画家がエンタメとして世界に売り込むことで楽しんでもらい大衆という社会階層の下からオタクを世界に拡散している。一方で村上隆がやっていることは世界の上位層に対してオタクカルチャーを広めオタクを拡散することだ。 つまるところ上から攻めるか下から攻めるかの違いに過ぎない。 1990年代以降実際にオタクカルチャーは全世界に拡散し人気を得てきた。私もアニメや漫画を楽しむ人が世界中に増えることは純粋にうれしい。直近でもご��地初音ミクに感動した人もいたはずだ。 だから私は村上隆がやろうとしている事に反対しないし、もう嫌いではなくなった。
村上隆が何をやろ���としているのか理解して嫌いではなくなった
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「米国経済は破綻し今まさに不況に突入しようとしている」「これからスタグフレーションが起きる」元ブラック・ロック、エドワード・ダウド氏【インタビュー】——「バイデン、クラウス・シュワブなどの悪役がお払い箱になり美男美女の『救世主』が現れる時は要注意」
エドワード・ダウド氏が、先週、人気ネット番組InfoWarsのライブ配信に出演し、今起きている経済的、社会的な変革について自論を語った。ダウド氏は、全米の主要生命保険会社が集めたデータを分析し、高齢者や病人を含む一般的な人口よりも健康的であるはずの労働人口の間で、より多くの超過死亡が起きていることを告発して一躍有名となった。ダウド氏は、世界最大の資産運用会社ブラックロック・グループで株式ポートフォリオ・マネジャーを10年間務めた経験を持つ。
昨年8月にエドワード・ダウド氏へ行われたインタビューは、ここで紹介した。
先週行われたインタビュー部分を切り抜いた番組動画(以下)は、1月18日(水曜)に公開されている。
▼ なぜ今、「情報解禁」になったのか?
ジョーンズ司会者:・・・今、ダムは完全に決壊しました・・・しかし、彼ら(ダボス会議に集まるグローバリストたち)は絶対に諦めません。そこで疑問となるのは、「彼らは次に何をするつもりだろうか?」ということです。エドワード・ダウドさん、私たちが今置かれた状況についてアップデート情報を伝えていただけますか?これは主流メディアですら報じたことですが、ダボス会議には招待された半分が出席しなかったそうです。ジョージ・ソロスや、ビル・ゲイツなどです。これが意味することは何なのでしょうか?
明らかに主導権を握っているのは彼らではありません。彼らは腹話術ショーで物を言わされている代弁者にしかすぎません。ボスは他にいて、彼らはその単なる操り人形であり、アバターです。これから、彼らは何をするつもりなのでしょうか?・・・彼らは次に何をしでかすつもりでしょうか?・・・時代を先取りした思考を行うエドワード・ダウドに聞いてみましょう。
ダウド氏:・・・あなたがイントロでおっしゃったように、ダムは決壊しかかっているように見えます。私は6月にツイッターによってバン(利用禁止)されていましたが、今は戻ることができています。私はオーブリー・マーカスのYouTube番組(タイトル:「Why Are Healthy People Dying Suddenly Since 2021? w/ Ed Dowd(訳:なぜ健康な人たちが2021年以降、突然死しているのか?withエド・ダウド)」)に出演したのですが、その動画は口コミで広がっています。5日間ですでに100万回の再生数を記録しています。YouTubeに何が起こったのか、私は興味があります。以前であれば、彼らはこの種の動画を削除していました。
このような情報は、公開するのが許可され始めたように見えます。こうした情報がなぜ公開されるようになったのか、私たちは疑問に思う必要があります・・・突然、私の書籍(「“Cause Unknown”: The Epidemic of Sudden Deaths in 2021 & 2022 (訳:『原因不明』:2021年&2022年における突然死の蔓延)」)が飛ぶように売れ、私と話がしたいという人々から問い合わせがあり、2月に私は(FOXニュースの)タッカー・カールソンの番組に出演する予定です。なぜ今なのか?と自問する必要があります。なぜダムは決壊しかかっているのか?と。
その理由の一つは、あまりに多くの死亡者数と健康障害が報告されているからだと思います。また、これから多くの人間が尻尾切りに遭い、お払い箱になる予定だからだと思います。私が以前、あなたの番組に出演したときに話したように、人々が本当は何が起こったのかに気がついた後、それに続いて起こるであろう混沌(カオス)に、私たちは注意しないといけません。
ジョーンズ司会者:1年半前、あなたは「来年ダムは決壊するだろう。そしてマーケットは下落するだろう」と話していました。まさに今、私たちはそこにたどり着きました。
ダウド氏:ようやく到着です。これは私の憶測ですが、グローバル政府を倒す一つの方法は、彼らの信用を失墜させることです。彼らは人々を死に追いやり、障害を負わせるワクチンをもたらしました。ですので、このことを主導していたと思われる操り人形師(黒幕)をお払い箱にするのです。それはクラウス・シュワブや、ジェームス・ボンドに登場する悪役、悪のパロディーのような人間たちのことです。そして人々は勝利を宣言する。
▼ 2023年上半期に深刻な不況へ突入
ダウド氏:しかし、経済はあまりに破綻しています。話がそれますが、私たちは今まさに不況に突入しようとしています。第1四半期(1月~3月期)、第2四半期(4月~6月期)は厳しい不況です。株式市場もそれに追随するでしょう。今はまだ下げ止まりを待っている段階です。あらゆる種類の経済的理由による解雇が行われるでしょう。また、多くのモノ不足が起きるでしょう。引き続きエネルギー不足が続くでしょう。そしていずれ彼らは、チャイナと台湾との間で戦争を起こすのではないかと私は疑っています。
しかし「なぜ今なのか?」と自問する必要があります。なぜ、今、私たちは(不都合な真実を)話すことが許されるようになったのか?そしてそれが公に広まるようになったのか?私は「バン」されていたのが、突然、口コミで広がるバイラル動画になったことに私は疑念を抱いています。YouTubeはこの手の動画を厳しく制限していました。それなのに今ではそれを行っていません。なので、こうした情報が公に広まるようになっていることについて私は疑ってかかっています。「私は、このこと(ワクチンによる被害)を暴露することで、知らず知らずのうちに混沌(カオス)を引き起こす代理人に仕立て上げられているのだろうか?」と。
ジョーンズ司会者:だから私はあなたのことが気に入っているのです。あなたは非常に頭がいい・・・彼らは、今、バイデンをお払い箱にしようとしています・・・そんな中、なぜ突然(真実を暴露しようとする人たちの)アカウントが次々と回復しているのでしょうか?左翼の精神的シンボルになっている私は例外ですが。諜報機関が私たちの側を乗っ取ってしまったのでしょうか?それとも、これはより大きな計画の一部なのでしょうか?
▼ 悪役たちも「捨て駒」ーー本当の頭脳戦は他にある
ジョーンズ司会者:そして彼らがウイルスをばら撒くより2年前の『SPARS文書』を読んでみると、どのように政府の信用を破壊し、そしてグローバリストが『救世主』として興隆するかが説明されています。ただし(今回の計画の)例外は、政府に非難の矛先が向かうのではなく、操り人形たち、ダボス会議の人間たちに非難の矛先が向かうということです。バイデンやダボス会議のニュースを見ているとそれがわかります。
私はクラウス・シュワブや他の人間たちのボディー・ランゲージを観察しています。彼らは、導火線に火がついたダイナマイトの山の上に座っているかのようにナーバスになっています。彼らは怯えているように見えます。彼らは逃げ隠れしようとしている・・・彼らは自信あるように自分たちを見せようとしていますが。私は彼らの恐怖が目に見えます。彼らは怯えています。初めて、彼らの傲慢さが消えました。彼らは、すでに「お前たちは吊し上げられる(秘密が公にされ罪が問われる)」と聞かされているのだと思います。ここで鍵となるのは、これよりも上位で展開している「3次元チェス(頭脳戦)」とはどういったものなのか?ということで、それを議論しないといけません。
ダウド氏:繰り返し言うように、これは私の憶測にしかすぎませんが、もし私が悪魔的な天才だったとしたら・・・・クラウス・シュワブやユバル・ハラリ(*)、ファウチなどの“デュープス(利用されるバカ)”がいかに邪悪かを考えてみると気が遠くなります。彼らは極めて自信満々でした。しかし、彼らへの支援が急に打ち切りになり、足がすくわれた状態です。彼らはこれから吊るされる(秘密が公にされ罪が問われる)ことになります。そしてグローバル政府への信頼が失われることになります。いろいろな物が崩壊し、状況は悪化します。
(*歴史家であり未来学者。世界経済フォーラムのアドバイザー。21世紀の現代技術がある今、「我々はこれほど多くの人口はいらない」と発言している。)
私たちは、まだ見ぬ人間たちに注意する必要があります。美しく、ハンサムで、口のうまい、解決策を与えてくれる人たちが現れ���す。まだ世界的な舞台には登場していないかもしれないし、すでに登場している人たちかもしれません。彼らは、これからやってくる避けられない混沌(カオス)への解決策を与えるでしょう。こうした人たちが必ず現れるだろうということに私は賭けます。しかし、「解決策」を持って現れるような人たちを、みんなで注意して見張っていましょう。彼ら(世界経済フォーラム)は、「あなたは何も所有しないが幸せになる(You’ll own nothing and be happy)」、「昆虫を食べることになる」ということを売り込むために登場しました。実は彼らは「わら人形(身代わり)」なのかもしれません。そして他の人間が持ち出してくる「別の解決策」のほうがよっぽどましに見えるという状況が作り出される可能性があります。しかし、それ(ましな解決策)はまた別の奴隷制度でしかありません。
ジョーンズ司会者:全くおっしゃる通りです。彼らはヘーゲル弁証法の状況を生み出しています・・・全く対極にある2つの選択肢を用意し・・・一方では「昆虫を食べろ、下水を飲め。皆殺しにしてやる」と言い、そこに救世主が現れて、「いやいや、そん��ことはしない。生活水準を40%切り詰めるだけだ。そして全員の行動は追跡されないといけない。しかし、少なくとも昆虫を強制的に食べさせるようなことはしない」と言うのです。
ダウド氏:その通り。それが「売り込み」をするときのやり方です。「私たちはジェームス・ボンドの悪役を倒した!」と思ったとしても、その悪役というのは「愚か者(利用されるバカ)」であり最初から操り人形でしかないということを理解していなかったからそう思うのです。
繰り返しますが、これは私の憶測です。もし私が新たな通貨制度(金融制度)を導入し、皆に受け入れられるグレート・リセットを実行したいと思ったなら、そうするだろうということです。
ジョーンズ司会者:あなたは多少、控えめで穏当な言い方に留めていますが、理解できます・・・100%明白です。こうしたソシオパス(社会病質者)や、ハリウッド・スターになりたいと憧れるクレイジーなナルシストたちを取り込み、明らかに彼らをヘーゲル弁証法のやり方に利用しています。彼らを「悪役警官」にし、それから「ヒーロー役の警官」を登場させるのです。ですが、「ヒーロー役の警官」が導こうとしている行き先こそが、彼らが本当に進めたい方向なのです。これは単純な話です・・・
彼らの手先・子分たちは「香ばしい」人たちで、確かに私たちをそそります(インタビュー中の画面に、昆虫を食べる女優ニコール・キッドマンなどセレブの動画が表示される)。ですが、彼らは人の心を巧みに操作しようとしているので私は大っ嫌いです。胸糞が悪くなる。彼らは火にくべられるべきだ。ですが、彼らはより大きな計画の一部でしかないということがわかります。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月17日(水曜日)
通巻第8094号 <前日発行>~
なぜエヌビディアに世界の注目があつまるのか?
TSMCもサムスンも業績が下降、息切れしたのか
*************************
米国がいかに対中輸出規制をかけてブラックリストを作成し、目を光らせても、相手は泥棒と不正取引の名人なのである。対中制裁、禁輸措置がザル法となる所以である。
GAFAMは誰もが知っている。ここにテスラとエヌビディアを加えて、マグニフィセントセブンというようになった。株価が猛烈に高まり、史上空前のカネを株式市場で集めたのがエヌビィディアだった。
生成AI、とくにチャットGPTの半導体を作り、またゲーム機の独特な集積回路を生産してブームに乗った。エヌビディアは米国籍企業なれども、エヌビディアのCEOの黄仁勲は台湾人。いつも革ジャンを着ているので「革ジャンおじさん」と呼ばれる。
このエヌビディオの高度な半導体が闇市場で取引されている。
中国向けの輸出は禁止されているが、小口ロットで買い集め、地下シンジケートに流れる。就中、中国が欲しがるのはA100とH100半導体だ。
流れた先は中国の二つの研究機関と、軍事産業と直結のハルビン工業大学と中国電子科学技術大学も含まれていたとされる。米国製のA100とH100は米国企業へ大量出荷しているが、これに加えて同半導体はインド、台湾、シンガポールなどの第三国経由で在庫市場がある。
オープンAIのチャットGPTと同レベルの製品をつくるには3万枚以上の A100が必要とされる。小口ロットの闇市場からの調達だけではまかないきれないだろうと推定されるが、闇マーケットの実態は不明である。
なおエヌビディアのGH200はドイツのスーパーコンピュータ「ジュピター」に搭載されることが決まった。
1秒間に100京回規模の計算速度の処理能力を有しており、気候と気象の研究、生産工学、量子コンピューティングにおけるAI(人工知能)技術の基盤モデルを作成する。日進月歩ならぬ秒進分歩でAI技術は進歩発展を遂げている。
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シーラカンスと宇宙人
私はヒールが大好きで、持っている靴はスニーカーも含めほぼ5cm以上ヒールがあるのだけれど、今日ほどヒールを履いててよかったと思った日は無い。板ヒールがアスファルトを蹴る柔らかで規則的な音を聞いていると逆立った神経が次第になだらかになっていくの���感じた。相当呼吸が浅くなっていたみたいだ。
今日履いていたのがピンヒールでなくてよかった。ピンヒールの硬い音を聞いたら怒りに任せてめちゃくちゃに打ち付けたくなっていたと思うから。元後輩の松崎はキレるとピンヒールをやたらめったらカツカツいわせて歩く癖があったけど今なら分かる。あの音は怒りを増長させる。
人間というのは本気で怒ると震えるんだなと実感した。これがワナワナ震えるというやつかと小刻みに震える体をさすった。意味わかんない、ありえないんですけどと散々吠え散らかした後、慣れた内線番号を押して一緒に震えてもらって、それでも結局立場が弱く泣き寝入りするしかないという回答しかなく、逆にそれがまた怒りの着火剤となる。
舐めやがって。最近の若者は何考えてるかほんとに分からないと思いながら私はもうトレンドではないのだと悟った。社会に出て8年経つと新人の気持ちがこんなにも遠くなるのか。そもそも彼彼女らと当時の私のマーケットが全然違うのもあるだろう。スーパー売り手市場のこの子達とは違って、私が見ていた業界はスーパー買い手市場だった。説明会はエントリー開始3分で売り切れ、選考は6次、7次が当たり前。
入職してからも大前提仕事ありきのプライベートという感じで、お客様の予定に合わせて休みを変えるなんてよくある話だった。サービス業なんてどこも同じだろう。さすがに休日出勤は時代的に強要はされなかったけど暗黙の了解だったし、信頼関係を構築出来てないのにお客様の予定よりもプライベートを優先する後輩をみて、当時も宇宙人を見るような目でみていたのを思い出した。休みの人のメールを見てあげるというのがルールだったので、休みの後輩のメールボックスをチェックしながら、こんなメールもらうぐらいだったら絶対出勤した方が楽だよねえと、先輩たちと肩を竦めあったものだ。クレームをもらうと後々挽回するのが大変だから、ならば自分を犠牲にした方が余程楽だった。
まあそんな感じで仕事をしてきた私と彼彼女らとの間にギャップが生じるのは当然っちゃあ当然だろう。ひとしきりキレ散らかした後本屋に寄って、Z世代・さとり世代の上司になったら読む本というのを買った。それらしき本がその本屋には1冊しかなかったのが不思議だった。みんな宇宙語を理解できるのだろうか。
例えば最近の若者はと眉を顰める子が1人であるならばその子の問題もあるかもしれないけれど、何人も発生するならそれはこちら側の問題だろう。��れでも最近の若者が必要なんだから最近の若者用にアップデートしていかなければいけない。というのもものすごく風通しの良い会社にいた時、社長に口酸っぱく生き残れる会社は時代に合わせてこだわりを捨てられる会社と言い聞かされたから。常識は30歳までにつくられる偏見のことであるという言葉をはたと思い出したのもある。
タイトルにあるようにこの本はゆとり世代以前の人に向けた本なので、所謂さとり世代に部類される私は当然最近の若者として扱われていた。確かに新卒の頃先輩が掃除してたらほうきを奪わなければいけないみたいなやつ、だるいなと思っていた。先輩がほうきをもつなら私は雑巾を持つのが効率がいいと思っていた。でも上の上人からは、度々先輩にやらせるなんてと怒られた。その時代の人はほうきも雑巾もいちばん下っ端が持つというのが当たり前だったのだろう。じゃああんたがほうきも雑巾も持ったらと白けた目で見ていた。たぶんあの人の目にも私は宇宙人として映っていた。そして今も誰かの目には宇宙人として映っているかもしれない。まだまだ若輩者なので。
時代が違えば何もかも違う。だからバックボーンを理解して受け入れていくしかないのだと思う。自分を変えるというよりは受け皿を大きくするようなイメージ。これは若者関係なく私はなるべく目の前の人と同じ言語で話せるようになりたいと思っている。これからも怒り狂うだろうけど、その度に少しずつ受け入れていきたい。最近の若者で片付けるシーラカンスになりたくないのだ。
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ROAD TO Käärijä-フィンランド旅レポ-①
Tumblrの投稿が久しぶりになってしまって申し訳なしです。 以前こちらにも書きましたが、先日ついに!Käärijäのライブを見るために、フィンランドに行ってきました!! 一言で総括すれば、1€170円↑の地獄のような状況の中でも、がんばって行ってきて大正解でした…! と、いうことで、今後カーリヤに会いにフィンランドへ行くジャパニーズファンが増えること、また行きたい方のための参考になることを願って、旅レポ+ライブレポをこちらにつづっていきたいと思います。 フィンランド旅情報、けっこう少なくて私自身色々調べるのに苦労したので、今後行かれる皆様の参考になれば幸いです!
■出発準備編
1. カーリヤに会いたい!どのライブを見よう? 今回私が参戦したのは、7/5のAllas Sea Pool(ヘルシンキ)でのワンマン野外ライブと、7/7のRuisrock(トゥルク)という夏フェスでのステージの2つでした。 今回は、会場がヘルシンキとトゥルクという、フィンランド行ったことない私でも場所と名前のわかる街だったこと、またJoker OutやBlind Channelといった他の推しアーティストも同じ日程で出演することから、この2つのライブを選んだのでした。 また、詳細はライブレポのほうで書きますが、ワンマンとフェス、それぞれ違う雰囲気を楽しめたことがとてもよかったので、ぜひ皆様スケジュールが合えば、どちらも体験されることをお勧めします! なので検討にあたっては ・ワンマンライブとフェスを見れる日程であること ・初フィンランドの方(特に個人での��外旅行に慣れてない方)は、会場となる街が行きやすいこと を重視するとよいかと思います。 そして今回はどっちも野外でのライブだったのですが、雨に濡れるのはちょっと…という方は、室内でのライブ(ライブハウスやバー、クルーズ船など)があればそちらに行かれることをお勧めします。 ただし天気のよいフィンランドの夏は最高に爽やかでしたので、万が一雨でも楽しめる!という方は、野外のほうがいいかも。
2. いざフィンランドへ!航空券を買おう! まぁこれは皆さん私のブログを参考にせずともご自分で調べられることかと思うのですが、ご参考までに。 日本からフィンランドは羽田・成田・セントレア・関空からフィンエア―の直行便が飛んでいます。 今回の私のフライトスケジュールは 7/4 23:05 成田発→7/5 5:55 ヘルシンキ着 7/8 18:30 ヘルシンキ発→7/9 13:50羽田発 の便でした。どちらも絶妙にいい時間で、ほとんど時差ぼけを感じることなく過ごせたのがよかった! 私は北海道在住なので、23:05であれば余裕をもって成田に到着できるのも魅力でした。関東の方であれば、お仕事帰りにもちょうどいい便ですね。 日本発着のフィンエアーは、JALとの共同運航便です。私はJALのHPからチケットを買いましたが、フィンエアーのホームページも日本語ページがちゃんとあるので、どちらから買ってもいいかなと思います。 ちなみにフィンエア―は事前の座席指定にお金がかかりますが、東京からだと約12~13時間の長時間フライトになりますし、エコノミーはかなり席が狭かったので、足元広い席やプレミアムエコノミー、通路側や窓側などなど、お金はかかってもお好みで事前に指定しておくのをお勧めします。 なお座席指定はフィンエア―のサイトからのみです。JALのサイトで購入しても、予約番号を入力すればフィンエア―のサイトから座席指定ができますのでご安心ください◎ 3. ホテルはどこがいいのか? これはもう実際泊ってみないと当たり外れがわかりませんが… とりあえず、初めての地での個人旅行だったので、私は安心をお金で買いたくてHIS/JTB経由でホテルを探しました(結果JTBから予約)。でも特にその辺は気にしない・慣れてるという方は、安さ重視で別のサイトからでもいいし、ホテルのサイトから直接予約のほうがいいです(特に円安の今は…)。 ①ヘルシンキのホテル ヘルシンキ中心部であれば、かなり細かくメトロやトラム、バスが走っているので、どのホテルでもわりとどれかの駅には近い感じでした。また観光するにも、ヘルシンキは見どころがコンパクトにまとまっている街だったので、あまり場所は気にしな��ていいかも…? 今回私が利用したのは、Scandic Hakaniemiというホテル。
ハカニエミマーケットという、観光地でも有名なマーケットのすぐそばで、メトロ・トラム・バスどの停留所もすぐ目の前。たいへん便利な場所でした。 飛行機が早朝の到着だったのでアーリーチェックインをしたく、身銭を切って1泊分多く予約+念のためホテルに直接メールで朝からチェックインしたい旨を連絡しておきました。 ②トゥルクのホテル 本当はホテルは1か所がよかったのですが、Ruisrockは夜中までやってるフェスだったので、ヘルシンキまでは戻れなかろうとトゥルクの街中のホテルを予約。Original Sokos Hotel Wiklundというホテルをとりました。
あとで詳しく書きますが、トゥルク市内からフェス会場への行き来の詳細がわからないまま、Sokosデパートと直結してるようなとこだし町の中心部っぽい、たぶん夜中に帰ってきてもそれなりに明るくそうだなという安全上の理由でこのホテルを選んだのですが、これがたまたま大正解!このホテルのすぐ近くが、フェス会場と往来するシャトルバスの乗降場でした。
①②どちらも朝食付きで1泊2万ちょいというかなりの高値でしたが、どちらもとても快適な部屋だったし交通の便もよかったので結果よしとしよう…笑 ユースホステルやもっと安いとこでも全然生きていける!という方は、もっと安いホテルいっぱいあると思いますので探してみてください。 なおRuisrockに行きたい方は、かなりはやくからホテルを探さないと、はやいうちからトゥルクのホテルがほぼ埋まってしまいますので要注意!
4. フィンランド旅の持ち物は? ���衣類は寒暖で調節可能なものを 私が行った期間は昼間でも気温が20℃いかず、夜は海風がけっこう強くて肌寒いくらいだったので、寒がりの方はウィンドブレーカーやパーカーなど、羽織れるものを持っていくことをお勧めします。 あと天気のよい日は、フィンランドと言えど(?)日差しがかなりきついです!帽子・日焼け止め・サングラスがあるとよいかも。 ②機内持ち込みグッズ フィンエア―の機内はあまり寒くありませんでした。でもさすがに半そで一枚とかだとジャパニーズ的には寒いと思いますので、もともとついてるブランケットにプラスでもう1枚ストールなどor厚手のカーディガンがあるとよさそうです。 また、12時間超えの長距離フライトになりますので、ぐっすり寝たいという方、ノイズキャンセリングイヤホンめちゃくちゃおすすめです! 私が持って行ったのはこれ⇩
個人的には、ノイキャンイヤホンつけて頭からブランケットをかぶっちゃえば、アイマスクや乾燥対策マスクも必要なく、顔回りすっきりした状態で爆睡できました。 あとネックピローも、私はもともと座席についてるヘッドレストの両耳を立てることで首を固定したら特に必要感じませんでしたが、小柄な方���ヘッドレストの位置が合わないかもなので、持っていくとよいと思います。 ③虫よけ Ruisrockの会場は島なのですが、シャトルバス乗降場から会場までは森の中の小道を歩きました。またほかにも野外で森の中のようなライブ会場に行く方は、虫よけスプレーがあるとよいです。これのおかげなのか、そもそもあんまり虫いなかったのかはよくかわかりませんが、普段蚊によくさされる私もまったく虫にさされませんでした。 ちなみに私が持って行った虫よけはこれ⇩
Ruisrockでは入り口で手荷物検査があり、スプレーものなのでこれは何か聞かれたのですが、缶(ガス?)タイプではなくミストタイプなので、バグスプレーです!と説明したら持ち込みOKでした(一緒に行ったお友達によればガスタイプは没収されたようです)。 ④モバイルバッテリー 向こうのライブは、スマホでの撮影オールオッケーです。特に長時間にわたるフェスでは、ついつい推しの写真や動画をとりまくって電池切れ…なんてこともありますし、暑いとそれだけで電池消費しますので、モバイルバッテリーは最低1つ(余裕があれば2つ)持っていくことをお勧めします。フェス会場には充電ブースありましたが、すごく混んでました。
⑤レジャーシート 結局使わなかったのですが、とにかくカーリヤのライブは、いい位置で見ようと思うとかなりの時間並びます!そしてRuisrockも会場内に椅子はありますが、人が多いので座れないことも… そんなとき、レジャーシートがあると足がパンパンにならずに助かります。
⑥ライブ会場にもっていくバッグ これ、悩みました。一応クローク的なところはありましたが、貴重品ならずとも荷物を自分の手元から離すのは心配、でもあまり大きな荷物はもっていきたくないし…と考えた結果、こちらのちょうどいいボディバッグを見つけたので購入しました⇩
サイズが大きめで、ペットボトルも入るし、レジャーシートや、小さくたためるものなら上着も入るくらいの大容量ですが、そこまでかさばることなくすっきり持ち運べてセキュリティ面も安心。 やはりライブ会場では斜め掛けショルダーかこのようなボディバッグを持って行って、両手があいてたほうがいいです!リュックもいいのですが、後ろの人にぶつかってしまうため結局前に抱えることになるので、あまりおすすめしません。 あとカーリヤはグッズもTシャツなどいろいろありましたので、購入される方はエコバッグ的なものを持っていくと荷物が増えても安心ですね!
⑦ごはん フィン飯が合わずお腹こわしたら大変、と思って、アルファ米とお味噌汁(乾燥のやつ)を2食分持っていきましたが、結果それを食べたのはフィン飯が合わなかったからではなく、疲れて外に買いに行く元気がなかったから(&時間がなかったから)という理由でした。笑 正直なことを言うとあまり北欧にごはんのおいしいイメージはなく、そこまで期待せずに行ったのですが、どこで食べても思ったよりおいしく、また水も軟水でとてもきれい、水道水がふつうに飲めたので、おそらく油があわなかったと思われるフライドポテトを摂取したとき以外はおなかもこわさず、大変満足できました。 なので、おなかが弱い方やものすごいグルメの方、またはスケジュールきつきつで外に行く余裕のない方・滞在長くて現地メシ飽きそうという方以外は、日本から食料持っていかなくても大丈夫じゃないかなーと思います。 ただし、ご飯代はめちゃくちゃ高いです。もともと高いうえに円安の影響もあり、軽いランチだけでも噂どおり3000円↑という感じでした。なので、味がどうこうとかより節約したい、という方は、食料は持って行った方がよさそうです。 あとカップ麺やアルファ米など持っていく方は、ホテルの部屋にポットがあるかの確認をお忘れなく!(私は持っていきませんでしたが、折り畳みのポットやキャンプ用の湯沸かしコイルなども売ってるので、なくてもなんとかなるとは思いますが。)
⑧その他 お友達と行く、カメラやiPadなど電子機器が多い、という方は、海外用タコ足を持っていくとよさそうです。また、フィンランドのコンセントはタイプCとなりますので、変換プラグもお忘れなく! あとホテルのお風呂はほとんどユニットバスだと思いますが、ホテル用のスリッパを布のやつじゃなくクロックスにすると、多少シャワーがはみ出て洗面所の床が濡れようが、スリッパべちゃべちゃで悲しい状態にならないのでおすすめです。
以上、準備編だけで長々と書いてしまいましたが、何かの参考になれば!
→続き:レポ②
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episode 2 - CASIO CZ-101
史上初の民生機デジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の 挑戦者として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。
♬ ♬ ♬
創業者たち、その名も“樫尾さん”という苗字の四兄弟に由来するメーカー“CASIO”。1970年代からハイテクな電 子計算機やコンピューターを開発製造販売し、そしてG-SHOCKなど腕時計関連で名機を輩出させたことで有名。
1979年あたり、既にYAMAHAは小型でプリセット音色のみを搭載した電子楽器“ポータブル・キーボード”を発 売予定であることをNAMM Showでアナウンスしていた。ご家庭向けにエレクトーンを小型化したような文脈で考 えていたらしく、むろん販路は正しく楽器屋さん。その予告通り初代ポータサウンドことPS-1(鍵盤Fスケール2 オクターブ半)、PS-2(同3オクターブ)、PS-3(同3オクターブ半)の三羽ガラスが発売されたのが 1980年。 だがその出鼻をくじくかのように、CASIOは初代カシオトーン“CT-201 Casiotone”を、同年1月に発売したの である。しかも販路は電気屋さん! はなから楽器を相手にしていないエンタメ志向。
世の中アナログ・シンセしかなく、ましてや翌年にその王者ROLAND Jupiter-8が出るなんて誰も知らなかった 1980年1月、なんとCT-201は既にデジタル音源を搭載。計算機メーカーが楽器を作るだなんて無謀なことをと誰もが笑ったというが、なにしろ“デジタルはカシオ”(というCMが当時ありました)。デジタル・テクノロジーが可 能にせしなんぴとたりとも追いつけない価格破壊と優れた仕様と楽しい性能で、あっというまに低価格のご家庭用 お楽しみ電子楽器ファミリー向けプリセット型キーボードという世界を築き上げ、ゲーム・チェンジャーと��った ことは周知の通り。
1980年にして既にデジタル・シンセシスを搭載したCT-201。8音ポリ4オクターブ49鍵、ベロシティには対応 せず音色エディットも不可。その代わりプリセット29音色(YAMAHA初代ポータサウンドは4音色のみ)。スピー カーを内蔵しているので音も出る自己完結型の電子鍵盤楽器。9万7千円は高いと思われるであろうが、当時のシ ンセはアナログ・シンセばっかでポリシンセと言えば何十万円、モノシンセでも10万円前後というときに、ホー ム・マーケットへ向けて電子ピアノでもオルガンでもシンセサイザーでもない8ボイス・キーボードが、しかも飛 びきりの安価で殴り込んでくるとは誰も予想だにしなかったのである。
「電卓屋」とバカにされたCASIOには、だからこそ大きな武器があった。デジタル技術と生産技術である。
当時CASIOのデジタル技術は、YAMAHAよりも5年は先をゆくものであったという。そして絶対に売れるものを徹底的に量産する。それも安定してクオリティをキープしつつ、ありえない低価格で桁外れな数で大量生産。ここで忘れていけないのは、“数撃ちゃ当たる”とよく言われるが、“数撃ちゃハズレはもっと増える”のである。ハズレ撲滅! 花形の設計開発エンジニアたちがヒーロー・インタビューに応える影で、撃って撃って撃ちまくれの檄 (ゲキ) が飛ぶ中、ハズレ撲滅のためいかに製造/資材調達/品質管理の現場の皆さんが頑張っておられるか、それは美しきにっぽんのものづくり。不良率低減の5文字こそが工業立国メイド・イン・ジャパンの生命線。卓越したプロダクション・テクノロジー、イギリス英語ではインダストリアル・テクノロジー。廉価版デジ タル音源キーボードをしかも圧倒的な台数で作るというのは、実は電卓屋CASIOが電子楽器をして量産品にまで押 し上げし歴史的メルクマールですらあった。
庶民の味方カシオトーンはあっという間に新しい市場を開き、すぐさま自動伴奏機能が付いてファミリー向けの 定番となり、光ナビゲーションはもちろん、バーコードを楽譜の代わりに読み込むバーコード・リーダー搭載モデ ルまで出現、この痛快なる常識破りっぷりが大ウケ。音色やリズム・パターンのバリエーション急拡大。YAMAHA ポータサウンドと一騎打ち。
そして“子音母音方式”とも呼ばれたカシオトーンの音源方式は、その名の通り子音と母音、つまりアタック・ト ランジェントと持続音部分という2つの音色をまさに部分音合成するものであった。カシオトーンはその後のデジ タル・シンセのあり方すらをも予見させる迫力に満ちた先駆者でも��ったのである。ROMに言わばエンジニア様直 筆の手描き波形��で仕込んだらしいから、すごいねぇ。
そのCASIOが家庭用キーボードからさらに一歩踏み出し、プロ用シンセを手掛ける初めとなった、いわばパイロ ット・モデルのような機種がようやくここで紹介するCZ-101。ときに1984年11月。
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MIDIが誕生すると同時にYAMAHA DX7が発売され、あっという間にアナログ・シンセが過去の遺物として片付 けられてしまってから1年。カシオが突如として発売した同社初のシンセCZ-101。それはDXへの最初のチャレン ジャー、デジタル・シンセ対抗馬、YAMAHAにしてみれば“またお前か!”と言いたかったやも。ミニ鍵49鍵とい うかわいいフォーマット。エンド・ピンも付いてダサかっこいい肩掛けもできる。そのポップで直線的な80'sデザ インは立花ハジメによるもの。のちのポップなカラーリングになった上位機種たちに比べれば、CZ-101のそれはま だまだ地味。だが既にDXとは全くテイストの異なる外観に、CASIOがYAMAHAの対抗馬となる片鱗が見えてい た。
だがいくらカシオトーンで成功していたとはいえ、さらにそこからいきなりヲタでニッチなデジタル・シンセへ と跳躍するには、持ち前の大量生産技術だけにとどまらないCASIOなりの勝算があったはずである。
まず計算機メーカーだったカシオは、その中枢となるデジタル演算を行うICチップなんぞいくらでもNECや日立 などから買うことができる大口の大得意様であった。というのも電子楽器のために特化したICを作るとなると、仕 様が特殊であるだけでなく計算機などと比べても圧倒的に販売台数が少なく採算割れするため、作ってすらもらえ ない。だが電卓屋カシオは既にチップ・メーカーからすれば御大尽さまご贔屓さま、むしろどんどんチップ・メー カーの方からさまざまな売り込みがあったはず。事実CZ-101には他社に作ってもらったICがたくさん搭載され、そ れでもって音源回路となした。電卓屋カシオ面目躍如!
また徹底してコスト・ダウンすべく鍵盤におもりやスプリングなど付けることもなく、鍵盤下に敷いたゴム・ス イッチそのものにいきなり鍵盤を載っけて直接支えさせ、ぷにゅぷにゅ言わすことで鍵盤の反発力を生じさせてい る! すなわちYAMAHAのように楽器屋さんとしてのプライドと歴史からタッチ・センスにこだわるのではなく、 逆転の発想でタッチ・センスを省くことでしがらみから解放され、画期的にコスト・ダウンして斬り込んできたの である。しかも打鍵の強弱に左右されないおかげで、誰が弾いても一定のクオリティとなるを担保。旧態依然とし た楽器にとらわれない、計算機メーカーならではの自由な発想であろう。
さらにカシオトーンに欠かせない自動伴奏機能からヒントを得たのであろう、マルチ音源化。そしてお得意のミニ鍵でもって設計リスクの小さなパイロット機種となし、かくしてCZ-101はCASIO初の量産型シンセとして、しかもアナログ・シンセではなくいきなりのデジタル・シンセとして飛び出した。
「Xの次はZだ!」
デジタルYAMAHAへの挑戦状を最初にたたきつけた思わぬ伏兵、CASIO CZシリーズ。ラインナップ急拡大。しかもヤマハDX9の失敗を見て、19万8千円がタッチ・センスなし機種として許される上限価格と見極めたのであろう、フラッグシップ・モデルCZ-5000とCZ-1とが、共に19万8千円で誕生。楽曲制作かプレイヤー志向かの二者 択一。史上2番目の民生機デジタルは、だがタッチ・センス無きビンテージ・アナログの戦略を踏襲しつつ、それ を画期的にデジタルで換骨奪胎して提示してみせた知恵者であった。
同じことは、カシオ独自のPD音源(Phase Distortion Synthesis)にも言える。FM音源と同じく位相変調方式 であり、サイン波の代わりにコサイン波を使うことでYAMAHAにシバかれた音源方式。だが、傍目にはただのデジ タル化された減算方式にしか見えぬ。DCO→DCW→DCAというフローに隠されたモジュレーターとキャリア。 DCWに至ってはDigital Controlled Waveという名の謎のモジュール。計33種類に達する音源波形なるものがもた らす音の多彩さは、とてもアナログ・シンセの比でない。レゾナント波形もあるばかりか、パルス波1波/サイン 波1波/ノコギリ波1波の3つが交互に出現するという、キテレツな波形もある。
そればかりでない。CASIOの鋭さは、アナログであればカットオフとEGデプスに分化しているパラメーターを一 つにまとめた合理化センスにもある。前例主義や様式美なお作法に対し、ちゃんと注意を払って革新しているので ある。トドメはYAMAHAですら採用しなかった8ステップのエンベロープ・ジェネレーターを、しかも音程、音色、音量の3ブロック個別に持つことで、アタック・トランジェントすらをもEGで自作できるというぜいたくさと 柔軟さを誇ったこと。すなわちトランペットを吹くときに唇が震えるリップ・ノイズ、撥弦楽器の弦のビビリなど など、のちのサンプルのような鏡写しでは無いにしても、キッチュながらリアルな独自のキャラを持つに至った。 アナログな音も、デジタルな音も、サンプラーのような音までもが出る万能シンセ! それがこんなちっちゃいボ ディで乾電池で駆動までできる! シンセ界のスイス・アーミー・ナイフのような機種、それが驚きの隠し玉CZ- 101。
かくして音創りしやすい減算方式にしか見えないのに、新しい音がするところにデジタルが切り拓く未来があっ た。しかもサンプラーではなくシンセであり、PCMでもないが故、かえって自由に音創りできたところはシンセの 本分をよくとらえている。リング変調やノイズ変調まであり、CZシリーズ上位機種に至ってはぜいたくな三相コー ラスを備えるなど、画期的コスパも発揮。
なお、DCOという言葉が使われているが、本来DCOとはピッチのみをデジタル制御させたアナログ・オシレータ ーを意味する。だがCASIOが言うDCOとは実はDCOではなく、フル・デジタル・オシレーターであり、すなわち DOとも言うべきもの。この混同が、他のDCOシンセをしてVCO原理主義者アナログ・シンセ警察から“音が薄 い”などと因縁を付けられる要因になったやも。よもやクラブ・ミュージックにおいてCZの音が“デジタルなのにあ ったかい”などと重宝されることになろうとは、一体誰が思い描けたことであろう。
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一連のCZシリーズを展開する傍ら、CASIOは史上初の16ビット・サンプリング・シンセFZ-1、高橋幸宏のタイ コの音を搭載した言わばシグネチャー・モデルみたいなサンプリング・リズムマシンRZ-1、同じく幸宏が開発にか かわったデジタル・ドラム・セットDZ、音符マークが付いたボタンまで搭載し分かりやすい単体シーケンサーSZ- 1、なんとMIDIスルー・ボックスTB-1に至るまで、一気に電子楽器ラインナップを広げた。CZ-101から4年後には 次世代モデル、それもフルモジュラーなiPD音源(interactive Phase Distortion Synthesis)搭載デジタル・シ ンセVZ-1や、同音源を搭載したギター・シンセPGシリーズまで投入。
さらにはアドバイザーだった冨田勲のために和製Synclavier的な巨大ワークステーション・システム“Cosmo Synthesizer”も制作している。これはCZ-101に先行する極めて大規模な実験機種であり、MS-DOSマシンを中核 とし、PD音源モジュール8基、サンプラー音源モジュール2基が組み込まれたラック・タワーがそびえ、波形も音 色もシーケンスも専用PCエディターで編集し制御するのであった。それを冨田勲さんはメディアアート・イベン ト“アルス・エレクトロニカ”の一環としてオーストリアはリンツのドナウ河畔で開かれた超巨大立体音響野外コン サートに使った。CZシリーズが別名“コスモ・シンセサイザー”と称されるのは、これに由来する。
最初にMIDI規格を立ち上げたときにはかんでいなかったCASIOが、さりげなくCZを4パート・マルチティンバ ー仕様にしてきたことも先を見越した鋭さであろう。MIDI制定にカシオは関与してこなかったのに、それでいてそ の本質を見抜いた慧眼(けいがん)はやはり初めからデジタルに強いメーカーならでは。先述のCZ-5000はマルチ 音源であることを利用し、KORG M1に先駆けたワークステーション・シンセとなった。このマルチティンバーを生 かした進化形には SD音源(Spectrum Dynamics Synthesis)を搭載したシンセHZシリーズからHTシリーズ�� と進化した“自動伴奏シンセ”まであった。
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史上初のデジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の挑戦者 として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。YAMAHAに挑み、その好敵 手となったのは実は門外漢だったはずのCASIOであった。
得意のデジタル・テクノロジーでもってシンセ界に殴り込んできたカシオ。他社がデジタル化に乗り遅れうろた えているときに、逆にしょっぱなからデジタルで斬り込んできたCASIO。楽しく音楽するためには、必ずしもシン セは楽器でなくてもいいと見抜いていたCASIO。楽器たるしがらみにこだわったYAMAHAとは真逆に、楽器メーカ ーでは無いからこそお気楽に楽しめる別な楽器の世界があると知っていたCASIO。優れたプロダクション・テクノ ロジーでもって親しみやすさ分かりやすさを命題としたCASIO。お高くとまった楽器にきっついブローをかました CASIOは、その実フレンドリーな庶民の味方であった。
外様だったはずのCASIOが暗に掲げたのは、楽器の民主化であった。いや、外様だったからこそ楽器の民主化を 掲げたのであろう。CASIOが実現したのは既存メーカーがなし得なかった価格破壊だけでない。CZを踏まえて登場 した自動伴奏シンセを、だっさいなどと思うことなかれ。弾くのがややこしい伴奏もノー・プロブレム、マルチテ ィンバー音源とマルチトラック・シーケンサーとの組み合わせでもって、そうとは感じさせることなく機械が人間 を自然にアシスト。
人と機械との親密でフレンドリーで幸せな関係、それを理屈抜きで分かりやすく提示する。アトムやドラえもん がいる日本ならではの、機械が人間と共存する理想的な関係。いずれたどりつくであろうその未来はAI vs 人間で はない。AI が勝つのでも人間が勝つのでも無い。ポジティブな“ウィズ AI”。そんな未来に至ることになろう一歩 二歩を、エンタメ楽器ならではの切り口で分かりやすく平べったく描いたのが、市民感覚CASIOの楽器であった。 つまりそれは、楽器であることを棄ててもまだ楽器、おつむのおカタい楽器に一石を投じる新しい楽器の産声であ った。
CASIOは、えらい!
(2021年9月21日Sound&Recording公式サイト初出)
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ざっくばらんにまず動く
誘われるままに福島県にやってまいりまして、なんかナントカっていうところにいくのでなんとかかんとか行ってみようぜ、っていう。旅程をそのくらいの理解でね、とりあえず向かってみる。着いた、福島に。
なんとかかんとか の なんとかかんとか の部分。
MT-03だ!ビジュアルは悪くないね。
ネイキッドっていうかストリートファイター、愛しさと切なさと心強さというかバトル野郎です。
触った第一印象は「重てぇな!」だわ、320ccで160kgオーバーは許されざる重量、フルカウルじゃあるまいに。
写真じゃ伝わりきらないマッシブさ、特にタンクの張り出しが「ガチ感」を醸し出す。余計な出っ張り、洗練されなさ、重心が高くなってフラフラすんのはここのせいでは?重く感じるくらいならもっと華奢な娘のほうが好みですと言うのは乗り手の自由だ。性癖が出てると言うな。
桃を買いにこちらへ、農作物が恐ろしく安い。でかい桃2つで400円未満くらいで買える。クワガタも売ってる。
写真の通り天気に恵まれ、恵まれすぎ、バイクはなかなか試練の様相である。言わせていただければ体感45℃くらいはあった。黒い車体で炎天下に停めておくと一瞬でタンパク質で構成された生命体を拒絶するシート温度になる。
磐梯吾妻スカイライン、ここをツーリングすることが目的、だったはず、知る限り。峠道をグイグイ登る事数十分。標高が上がるにつれて大分過ごしやすい気温になってきた。道的には奥多摩周遊の経験が活きたな。
MT-03、どこからでも加速してくるようなトルク感が特徴なんだろうか、マスターオブトルクという異名からセローのようなゴリッゴリの1速を想像していたけど、6速でも両肩をガッシリつかまれてグイっと押されるような加速がある。登りは勾配凄いところだと3速でも登らないところがあってあーそういうかんじね、なるほどねって感じ。
浄土平、吾妻小富士、というらしい。
すげーーー!!!!!
こういうところだとはつゆ知らず、ただ誘われるままに着いてきたらこんなところにたどり着いた!
所々で硫化水素が発生している活火山らしく、走ってる最中も硫黄の匂いが鼻をつく。ガスの影響か植物が生えていないエリアは大振りな岩が転がって何とも言えない退廃的な雰囲気があるではないか。つづら折りにさらに登って着いたところがこちらです。
この吾妻小富士の階段を昇りきると
このようにかつての火口が見ることができる。ダイナミックな光景だ。火口周辺は一周歩くことができるらしい、丁度反対側まで行って写真を撮ってもらいたい欲求が沸いたが時間の関係で断念。
興味か原始信仰か、人は山で石を積みたくなるらしい。
峠を下りつつこちらへ、道中エグい砂利道があり、重心の高い立ちコケ注意報が出てるバイクで行くのはややリスキーであった。パワースポットらしいけどよくわかんないよね。それより山の流水がここに集まって滝を形成してるんだなぁ。
下りきってレンタルバイクを返却して終了、このタンクの張り出しよ、走ってるときは気にならんが低速時や止まってるときは本当に立ちゴケ注意報だ。色々発見があって楽しかったぜ、一日限りの相棒よ。
ざっくばらんにまず動く、綿密に調べて向かうというのも良いが、行った先のエモーショナルな体験の効果を最大限にするためのコツとして、そんな旅程もいいじゃあないですか。
っていう、日帰り弾丸、行先詳しく調べないこのまちだいすきスタイル旅行記でした。
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Interview ①
1stアルバム 「double」 の英語盤が完成した。 さらに新生DOUBLEとしては初の映像作品(DVD&ビデオ) 4/25に同時リリース。終始リラックスムードの中で行なわれたインタビューで、 彼女の真意に迫った。
__________________________
● 昨年リリースした1stアルバム 『double』の英語盤がリリースされましたが、新たに英語詞でボーカルを録り直して発表することになったいきさつというのは?
「発端はブライアン(アレクサンダー・モーガン、 「handle」他のプロデューサー)から、できれば英語バージョンで形にして残しておきたいという意見が出たことにあるんですけど、それは他のプロデューサーたちにも共通した思いだったと思うんですよ。それでいい勉強になるので、ひとまず残してみたんです。その時にはまだ発売することにはなっていなくて・・・」
● TAKAKOさんの意欲はいかがでした?
「個人的にはね、日本語詞よりは英語のほうが歌いやすいんですね。自分で詞を書くという作業もないし、単にシンガーに徹していればいいわけですから、精神的な負担も少なくてすむし。ただ自分から、どうしても英語盤を残したいということはなかった。残せる環境があるなら残しておきたいな、という程度で。日本のマーケットで英語盤をリリースする意味や必要性は感じていませんでしたから。"売る"という気持ちはなくて、欲しい人にプレゼントするような感覚に近い作品かな。
Interview ②
● その英語盤と同じ日に、DOUBLEとしては初の映像作品(ビデオ& DVD) 『double』もリリースされますが…。
「これに関してはかなりの思い入れがあるんです。私がR&Bを知るきっかけになったのが、実はビデオだったんですよ。 メアリー・J・ブライジやアンヴォーグなんかのプロモーション・ビデオ。もしこれらのビデオ作品に触れていな かったら、おそらくブラック・ミュージックにも興味を持っていなかったと思うんです。それくらい大きなきっかけになってますからね。」
● じゃぁ自分でも映像作品をリリースするとなれば、それ相当のこだわりが出てきて当然だと思うんですが、こういうものにしたいという具体的なイメージはありました?
「まず思ったのは、自分をより身近に感じてもらえるものでありたいということ。私がなぜ向こうの映像作品にインスパイアされたかといえば、音楽だけじゃなく、アーティストの人間性やキャラクターまでが、そのビデオを通じて伝わってきたからなんです。 親近感が一気に増したといいますか…。私の場合、積極的にメディアに出ていっていないので、自分のキャラクターを伝達できる手段は、といえばやっぱり映像作品だなと思っていましたし。テレビに出てもいいんですけど、それは���過性のものでしかないし、ビデオ(もしくはDVD)なら、手元に置いておいて何度でも繰り返し観ることができるし。そうやって私のことをより深く理解してもらえればいいな、と。」
● じゃあCDだけでは、自分のことを伝えきれていないようなもどかしさを感じていたということですか?
「いや、そういう気持ちは特にないんです。CDというフォームでやれることはやっているつもりですし。ただビデオなりDVDというソフトがあるのなら、その機能を最大限にいかした作品をつくりたいと思っただけで・・・。」
Interview ③
● 冒頭やPVの合間に封入されているモノローグ部分は、TAKAKOさんからの発案ということ?
「そうです。よくありがちな、これまでに撮り溜めたPVを寄せ集めただけのクリップ集みたいなものにはしたくなかった。 映像作品は映像作品なりに心や血、人柄のかよったものにしてみたかったですから、曲のPVのほかにそのメイキング映像と、モノローグ映像と、オフショットは入れてみたかったものです。まぁ他のアーティストもやっていることではありますけど。」
● PVのメイキング映像は、今回のような映像作品を発表することを前提にして撮っていたんですか?
「真意はわかりません。スタッフの間では、こういう作品を出す機会ができたときに使いたいという読みはあったんじゃないでしょうか。」
● 作品を作ってリリースするという意識は、CDとはまったく別モノなんでしょうか?
「そうですね。CDを補うものという感覚はないし、ビデオもCDも、それだけで完結している作品だと思ってますから。」
● 実際に完成した自分の映像作品を観ての印象というのは、
「撮ってるときは全然感じてなかったけど、あらためて観てみたら結構気恥ずかしかったですね。周りからは何すましてんの?とか何ブリッ子してんの?って言われるし。ちょっとさらけ 出しすぎたかなとも思うんですけど、これをきっかけに、DOUBLEに興味を持ってくれる人がいたなら、その思いも報われるんですが(笑)」
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Fashion
音楽はもちろん、ヘアメークやファッションにおいても常にクラブカルチャをひっぱってきたDOUBLE。「シンプルでオリジナリティのある物が好き」というTAKAKOのお気に入りアイテムをCHECK!
【Belt】
1stアルバムのときに、アメリカのスタイリストさんが持ってきてくれたべルトです。ステージ とかで使いたいと思い取りました。結構お気に入りのベルトです。
【Accessories】
黒い皮のアクセサリーは、NYのセレクトショップで見つけました。店員さんが作ったオリジナル。腕や足など好きなところで巻き付けて使います。キラキラした爪リングもNYで購入。ネイルアートも大好きで、自分で塗ったりもしてます。
【Clothes】
白のカットソーは、「DOLCE&GABBANA」のもの。 背中��゙開いていて可愛いデザインがお気 に入りです。迷彩のパ ンツは、109で購入しました。 後ろに深いスリットが入ってます。Tバックを合わせてセクシーに着こなしたいです。
#weeklyoricon#oricon#オリコン#20010521#2001#DOUBLE#ダブル#Double_Japan#DoubleSACHIKO#SACHIKO#サチコ#DoubleTAKAKO#TAKAKO#タカコ#SuperSister#J_RandB#JRnB#RandB#QUEENofRandB#WeRandB#gackt#00s
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【SPICE YOU UP!】 \\楽しいイベントのお知らせ// 12/17(土)11:00-18:00 下北沢ボーナストラックで開催されるスパイスイベントに、僕たち「カレー三兄弟」が出店します! 今回はカレーにまつわるグッズ販売での参加。のんびりフリーマーケットスタイルなので、ゆっくりお話もできるかも? 皆様のお越しをお待ちしてまーす。 あと、僕のオリジナルレシピのチャイセットも数量限定で販売しますので、お試しいただけると嬉しいです。他にもいろいろ販売します! #世田谷 #下北沢 #ボーナストラック #イベント #カレー #スパイス #カレー三兄弟 👇ボーナストラックの情報はココから👇@bonustrack_skz https://www.instagram.com/p/ClxSrS0Pp0A/?igshid=YmMyMTA2M2Y= 👇以下、イベント情報まとめです👇 ____________________________________ 近年、スパイスは日本人の食生活にめざましい勢いで浸透し、私たちにはごく身近な存在になりました。 しかし、スパイスの認知度が高まった現在でも、スパイスの魅力を理解し、上手に使いこなせているかという点では多くの方が疑問ではないでしょうか? 一番の魅力はなんといっても、 その「香り」です! スパイス特有の香りで、 食品の生臭みを消したり、反対にシナモン ティーのように、いい香りを加えたりする。 そして、スパイスには優れた防腐効果や、薬 としての効能も多くあります。 スパイスの奥深さを知ればもっと日常が美味しく楽しくなるはず!ということで、スパイスシーな皆様にご協力いただき、ボーナストラックにて寒い冬をあたためながらスパイスの魅力を発信するマーケットイベントを開催いたします! スパイスを使った美味しいフードやドリンクを販売するのはもちろんのこと、スパイスのかかったコトやモノを楽しく提案できるマーケットを目指しています。 寒い冬に心と体がホットになるマーケットです! ぜひぜひ遊びにいらしてください! 【ご出店者様】 CHANCE THE CURRY : @chance_the_curry カレー三兄弟 : @curry3bros 秘密のキッチン®︎ : @himitsu_no_kitchen ROCK食堂 : @yoshioka4070 Megholy(メグホーリー) : @megholy_holybasil ヴィーガン料理専門店『plant planet』 : @veganshop_plantpl SPICY GIRLS WATCHING CLUB : @spicy_girls_watching_club POEM SOX : @poemsox.tokyo イベント詳細 タイトル:SPICE YOU UP 日時:2022年12月17日(土) 11:00-18:00 会場:BONUS TRACK 広場 住所:世田谷区代田2-36-15(下北沢駅南西口徒歩5分 / 世田谷代田駅徒歩5分) 主催:BONUS TRACK <新型コロナウィルス感染防止に関して> ご来場の際はマスクを着用し、会場に設置のアルコールでの手指の除菌、 ソーシャルディスタンスの確保をお願いいたします。また体調不良の方は来場をご遠慮ください。 みなさまが安心してお楽しみいただけるよう、ご協力よろしくお願いいたします。 (BONUS TRACK) https://www.instagram.com/p/CmFokAAPiCe/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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(「四海大展 北関東のワイルドクレイ」開催のご案内 : うつわノートから)
�� 桃山陶に準ずる茶陶の流れを汲む産地であれば、古陶に近づくために土に拘る方も多く、またその価値観を理解する特殊なマーケットも存在します。 しかし益子を始めとする新たな「焼き物」の解釈は、旧来的な焼き物好きの支持者は少なく、その価値を受け入れる顧客の絶対数の不足があり、苦労の多い製作方法にも関わらず価格転嫁することが難しく、結果が経済的に結びつきづらい状況でした。しかしそれゆえに意義がある仕事とも言えます。
いま生成されつつある新たな「焼き物」の姿。それをどう現在進行形のマーケットと結びつけていくのか。こういう視点で四海大さんの仕事を捉え、ご紹介できることは弊店としても喜ばしいことです。どうぞ皆様もこの新たな動きに反応した四海さんの北関東のワイルドクレイによる動と静を織り交ぜた焼き物をご高覧頂ければ幸いです 』
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2050年には消費者の4割が高齢者に…お金を全然使わなくなる高齢国家の「深刻な未来」
11/11(月) 6:09配信111
この国の人口はどこまで減っていくのだろうか。今年1年間の出生数が70万人割れになるかもしれず、大きな話題となっている。
【写真】日本人は「絶滅」するのか…2030年に百貨店や銀行が消える「未来」
そんな衝撃的な現実を前にしてもなお、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。
ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。
※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。
2050年、消費者の4割が高齢者になる
『未来の年表 業界大変化』では、「消費者の実数が減る以上に消費力が衰える『ダブルの縮小』」が日本を襲いつつある現実と未来を、ビジネス業界に力点を起きつつ解説している。
大前提として、2050年頃には、消費者の4割が高齢者になる未来がやってくる。 〈国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計によれば……高齢化率(総人口に占める高齢者の割合)は2022年9月15日現在で29.1%に達しているが、2050年代には38%程度にまで上昇する。(……)
高齢になると、一般的に現役時代に比べて収入が少なくなるが、一方で「人生100年」と言われるほど超長寿時代となり、いつまで続くか分からない老後への不安は募るばかりだ。 医療や介護にどれだけ費用がかかるか予想がつかないため、気前よくお金を使うわけにもいかない。
若い頃に比べて消費する量は減り、住宅取得やマイカーの買い替えといった「大きな買い物」の必要性も乏しくなる。80代にもなれば生活圏は狭くなり、外出率自体が低くなる。〉(『未来の年表 業界大変化』より)
人口減少日本を変える10の方法
マーケットが大幅に縮小し、人口や経済が拡大していた頃の成���体験を引きずってしまっては、日本は沈没に向かうのかもしれない。 では、どうすればいいのか――。 『未来の年表 業界大変化』では、「未来のトリセツ」として10のステップを提示している。
ステップ1 量的拡大モデルと決別する
ステップ2 残す事業とやめる事業を選別する
ステップ3 製品・サービスの付加価値を高める
ステップ4 無形資産投資でブランド力を高める
ステップ5 1人あたりの労働生産性を向上させる
ステップ6 全従業員のスキルアップを図る
ステップ7 年功序列の人事制度をやめる
ステップ8 若者を分散させないようにする
ステップ9 「多極分散」ではなく「多極集中」で商圏を維持する
ステップ10 輸出相手国の将来人口を把握する
たとえば、「ステップ9 『多極分散』ではなく『多極集中』で商圏を維持する」では、分散して住むのがいいか、集住がいいのかについて、後者を進めるべきと結論づけている。 〈人々がバラバラに住むことで商圏人口が著しく縮小したならば、企業や店舗は経営が成り立たなくなり、撤退や廃業が進む。民間サービスが届かなくなればさらに人口流出が速まり、ますます企業や店舗の撤退、廃業が加速するという悪循環となる。(……)
「多極分散」では行政サービスや公的サービスもコストパフォーマンスが悪くなり、国家財政や地方財政が悪化する。やがて増税や社会保険料の引き上げにつながり、国民の可処分所得が低下するのである。〉(『未来の年表 業界大変化』より) 日本はこれまで成功体験を捨て、「戦略的に縮む」という成長モデルへの転換を果たすことができるのか。 一人ひとりは、企業は、何をどこから手をつけるべきなのか。 つづく「日本人はこのまま絶滅するのか…2030年に地方から百貨店や銀行が消える「衝撃の未来」」では、「ポツンと5軒家はやめるべき」「ショッピングモールの閉店ラッシュ」などこれから日本を襲う大変化を掘り下げて解説する。
河合 雅司(作家・ジャーナリスト)
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アゴリスト・ネクサス独占:コルベット・リポートのジェームズ・コルベットが、アゴリズム、コビッド・サイオプ、日本でのリバタリアンライフについて語る。
by Graham Smith April 10, 2021
https://www.agoristnexus.com/agorist-nexus-exclusive-james-corbett-of-the-corbett-report-weighs-in-on-agorism-the-covid-psyop-and-libertarian-life-in-japan/
ジェームズ・コルベットは、オルタナティヴ・メディア界では実に侮れない存在である。コルベット・リポートでの彼の多作で、厳格で、目を見張るような仕事は、世界中のアゴリストやアナーキスト・サークルで当然の尊敬と注目を集めている。こうした影響力の圏外でも、彼は大きな影響を与えている。Agorist Nexusの寄稿者であるグラハム・スミスは最近、彼をデジタル・インタビューのために探し出し、アゴリズム、コビッド・サイオプ、日本でのリバタリアン生活などについてジェームスに意見を求めた。
アゴリスト・ネクサス:「アゴリズム」という言葉があなたの意識に最初に入ったのはいつですか?アゴリズムという概念を初めて聞いた人に、どのように説明しますか?
ジェームス・コルベット:アゴリズムに初めて触れたのは正確には覚えていないが、ウェブサイトでこのトピックを最初に探ったのは2015年のことなので、それ以前のことだろう。コンキンに倣って、私はアゴリズムを「国家を弱体化させ、真に自発的な社会の創造に必要な平和的革命を達成するために、反経済理論を用いること」と定義している。
AN:私たちは今、潜在的なワクチン・パスポートや企業向けの「WELLヘルス・シール」の導入を目の当たりにしている。この強力な世界的権威主義的権力に打ち勝つ希望はあるのでしょうか?
JC:お住まいの地域にもよりますが、ワクチン・パスポートの導入には法的・政治的な課題がいくつもあります。しかし、実践的な反経済学者として、唯一実行可能な長期的な解決策は、中央集権的な権力の指令の外で平和的に取引を行いたい人々のために、グレー・マーケットやブラック・マーケットの空間を作り出すことです。
AN:日本文化にアゴーリスティックな要素やアナーキズム的な要素があるとすれば、どのようなものがあるとお考えですか?
JC:日本の家庭は一般的に、いまだに家族経営の農場/田んぼ/庭とのつながりを持ち、田舎の「ふるさと」空間を偶像化しています。これは、中央集権的な食料生産・流通メカニズムに代わる手段が、少なくとも(減少しつつあることは認めますが)存在することを意味します。このことはまた、食糧供給が途絶えたときに、コミュニティ・ガーデンやファーマーズ・マーケットが生まれる(あるいは脚光を浴びる)機会があることを意味する。これは、(少なくとも他の多くの国と比べて)日本ではすでに比較的広く普及している暗号通貨を含む、コミュニティ通貨や代替通貨などを組み込んだ、日本における反経済的抵抗勢力を構築するために利用できるレバレッジポイントである。とはいえ、日本では反経済活動に対する哲学的な理解(あるいは関心)はほとんどないし、日本人の封建的な条件付け(現在は企業封建主義として現れている)が、大規模な経済的混乱が起きない限り、ここでのアゴリスト革命の可能性を低くしている。
AN:現在カナダやイギリスなどで起きているような、国家による全面的な封鎖が日本でまだ行われていないのはなぜだと思いますか?このような規制はいずれ日出ずる国にも及ぶのでしょうか?
JC:一言で言えば、オリンピックです。日本は、ますます不正確な名称になりつつある東京「2020」オリンピックが、どのような去勢された形であれ開催されるように、まだ平常心を装おうとしている。それが実現すれば(あるいは大会が完全に中止されれば)、歌舞伎のショーは終わり、より厳しい規制が導入されるだろう。政府はすでに、(罰金という形で)店舗の営業時間などを都道府県の手に委ねようとする新たな法案を可決している。そのため、オリンピックが一段落した後、日本がどこまで迅速に「正常化」(つまり、非人道的な封鎖規則を導入)するかは、この新たな緊急権限に対する法的挑戦によって決まるだろう。
AN:政治家、保健当局者、その他の著名人が、マスクに関する自らの勧告や警告に従わなかった例はたくさんある。ジョー・バイデンは、連邦政府敷地内でのマスク着用を義務付ける自身の大統領令に従わなかった。ここ日本では、女子サッカー日本代表がオリンピックの聖火リレーでマスクをせずに走った。なぜ大衆は、このような明らかな矛盾にもっと注意を払わないのだろうか?
JC:大衆が気づいていること、気づいていないこと、信じていること、信じていないことについて、主流メディアが私たちの認識を形成しないように注意しよう。国民の大部分には大きな不満の兆候があり、その怒りがほとんどの主流メディアに反映されていないからといって、それがそれほど強力でないということにはならない(例えば、クオモ知事やその他の役人が路上で憤慨した市民に立ち向かっている動画がソーシャルメディアにいくらでも出回っているのを見てほしい)。真の問題は、政治家やその他の人々が、いかなる種類の説明責任からも完全に隔離されていることであり、こうした明らかな偽善行為を指摘されても、一般人は何もできないと感じるのだ。
AN:2025年の世界をどう見ていますか?
JC:未来はまだ書かれていない。もし私たちがグレート・リセットのアジェンダを野放しにするのであれば、2025年までに、私たちはバイオセキュリティ国家の制度化への道を歩むことになるでしょう。このシステムは、中央銀行のデジタル通貨や「ユニバーサル」ベーシックインカムの支給に連動するバイオメトリクスIDや社会的信用スコアに結びついたワクチンパスポートによって促進されるだろう。大規模な市民的不服従が起これば、このアジェンダは後退するか、最悪のシナリオでは当分の間頓挫することも考えられるが、反経済革命が分散型通貨を使った平和的で自発的な個人間の真の自由貿易の場を切り開かない限り、そして切り開かない限り、このアジェンダが本当に阻止されることはないだろう。
AN:2020年初頭にコビッド・サイオプが一般大衆に向けて開始されて以来、あなたの報道は驚異的なものだった。ビル・ゲイツに関する暴露記事は驚くほど詳細で、目を見張るものがあります。何があなたをそこまで深く掘り下げ、数え切れないほどの時間を費やしてこの重要な情報をまとめ、あなたのファンやフォロワーに提示する原動力になっているのでしょうか?
JC:自分のことを深刻に考え過ぎないようにしていますが、同時に、私が提示しようとしている情報は極めて深刻に受け止めています。ゲノム編集技術や脳チップ、中央銀行のデジタル通貨など、テクノロジーの進歩が優生主義者たちの手の届くところになってきており、人類の未来が危機に瀕していることを実感しているからだ。私たちが直面しているアジェンダの本質を真に理解し、警鐘を鳴らし、峠を越えてそれを阻止するために全力を尽くさない者は、すでに人間性を喪失している。
AN:もし、あなたがたった3つの言葉で世界にひとつのメッセージを伝えることができ、誰もがそのメッセージを聞き、理解し、行動するとしたら、それは何ですか?
JC: You. Are. Free.
ー
Agorism - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Agorism
アゴリズム(Agorism)とは、非暴力革命の側面と関わりながら、対経済学によって人と人との関係がすべて自発的な交換であるような社会を作ることを提唱する社会哲学である。アゴリズムはアナーコ資本主義と似た要素を持つが、一部のアナーコ資本主義者とは異なり、ほとんどのアゴリストは望む結果を達成するための戦略として投票に厳しく反対している[1]。 アメリカのリバタリアン哲学者サミュエル・エドワード・コンキン3世(1947-2004)によって、1974年10月のCounterCon Iと1975年5月のCounterCon IIという2つの会議で初めて提唱された。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)9月3日(火曜日)弐
通巻第8393号
中国大富豪のトップはミネラルウォーターの「ワハハ」
第二位もミネラルウォーター製造の農夫山泉
*************************
中国一の大富豪はまたまたワハハのCEOに輝いた。
アリババ、テンセント、碧桂園、農夫山泉など過去のトップの顔ぶれがめまぐるしく変わるのもアメリカの風土に似ている。
トップの継続的確保は難しいが、ワハハの大富豪ランキングにおけるトップはこれで四回目。ことし八月にはPDDのコーリン黄が瞬間的にトップとなったが、製品にクレームが集中し、株価が三割下落、トップから落馬した。
ワハハはミネラルウォーターから出発し、加工食品、スープ、スナックなどの総合メーカー、その笑い飛ばすようなブランド名とともに中国では知らない人はいない。創業者の宗慶後は貧困から身を起こし、杭州で1997年に起業した。
最初は三人の町工場で、徐々にマーケットを広げた。ブランドが浸透したのはフランス「ダノン」との合弁(1996年)からだ。
その宗慶後が2024年2月に死去したため、後継CEOには弟たちの動きもあったが、けっきょく創業者の娘の宗香莉(ケリー・ソンフーリ)が引き継ぐ。彼女は中国筆頭の大富豪となる。
宗香茉は米国ペパーダイン大學卒、帰国後アメリカ式経営とやら効率化を重視して不採算部門をばさばさと切って荒っぽい人事を進めたため社内では評判が芳しくなかった。子供服部門にもビジネスを拡大していた。43歳、独身。
ペパーダイン大學はカリフォルニア州に位置し、金持ちのお坊ちゃま、お嬢様が多い大學で日本では成蹊大学に似ている。卒業生は芸能人、スポーツ世界にすすむ人材が多く、ちなみに杉良太郎の息子もこの大学に学んだ。
ワハハはフランスのダノン(AVIANなど)と合弁したものの、ブランド、商標権、経理の方法などで提携直後から企業風土が合わず、2009年には合弁を解消した。契約の遵守などといっても中国企業は順応精神があるわけもないからだ。この両者の訴訟合戦など国際ニュースだった。
チャイニーズヒルビリーエレジーの一節。
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Axiory(アキシオリー)が、ゼロ口座を導入し、取引インフラを強化!スプレッドは0Pips!証拠金維持率は0%!
Axiory(アキシオリー)が、ゼロ口座を導入し、取引インフラを強化!スプレッドは0Pips!証拠金維持率は0%! Axiory(アキシオリー)が、イノベーションプログラムとして「ゼロ口座���リリース」および「強化インフラの導入」を行いました! スプレッドは0Pips!証拠金維持率は0%! この記事では、ゼロ口座のスペックと詳細について解説します。 #Axiory #アキシオリー #spread #zero口座 #証拠金維持率0
Axiory(アキシオリー)が、イノベーションプログラムとして「ゼロ口座のリリース」および「強化インフラの導入」を行いました! この記事では、ゼロ口座のスペックと詳細について解説します。 公式サイトはこちら ゼロ・スプレッド&ゼロ・ロスカットの「ゼロ口座」 「ゼロ口座」は最も人気のあるFXペアにおいて1日の90%でゼロスプレッドを提供します。 これにより取引コストが改善され、効率的に取引戦略を取ることができます。 さらに、強制決済が発動する証拠金維持率を0%に設定されているので、通常20%で発動する口座タイプに比べて早期ロスカットを回避でき、マーケットに対する柔軟な対応や余裕を持ったポジション管理が可能です。 レバレッジは、最大1,000倍となります。 最大レバレッジ 1000倍 取引手数料 あり 口座通貨 EUR, USD,…
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Season 2, episode 3 - ensoniq
「エンソニックは、良きライバルとして共に大きくなる会社や。」 〜伝・梯郁太郎氏
♬ ♬ ♬
「幻のジャイアント・インパクト」
1980 年代初頭アメリカ合衆国。当時世界で最も進んでいた黎明期のパソコン業界。
そこにSound Interface Device、略してSID(シド)なる音源チップが誕生。そのSIDは最初パソコン用音源ICとして開発。なるも、ちょっと歪んだその音が凶悪な個性を帯びているという評判から、やがて後世にてチップチューンの名ICとしてレトロフューチャー的に再発見。2000 年前後にはスウェーデンはelektron社きってのイカれた卓上シンセSID Stationの音源コアとなり、その希少な在庫が枯渇して入手不可能となった後はその音をモデリングしたエミュすら登場、今や伝説のチップとして名を轟かせる。
そこまでして時空を超えてひっぱる人気の名石SID。デビュー当時「ぴー」とか「ぶー」とかしか言わんブザーみたいなPC用の音源回路ばかりの中、すでにSIDは1台のシンセサイザーをまるっと内蔵、すなわち:
・3基のデジタルオシレーター:鋸歯状波、矩形波、三角波、擬似乱数ノイズ、この3基のオシレーターを円環状にカスケードさせたハードシンクすら可能 ・1基のステートバリアブルVCF ・3基のアンプ ・3基のEG ・3基のリングモジュレーター:3基のオシレーターを円環状にカスケードさせたリング変調も可能
...をすべて内包して3音ポリを実現。リングモジュレーター3基とかハードシンク3系統とかどっちも円環状に変調できるとか何気に凄いですね。さしずめ「リング状リング変調」「リング・リングモジュレーション」「リンリンモジュ♬」てとこでしょうかね。SID Stationではウェーヴシーケンスすらできたよね!すぐバグってメモリーがぱぁぷりんに吹っ飛んだけどね!
それもそのはず、SIDを設計した開発エンジニア・チームはパソコン業界を超えて、ゆくゆくはプロ仕様シンセサイザーに採用されることすら夢見てこれを作った。彼らに言わせれば当時のパソコン向け音源ICなんて、音楽のことなどまるで分かってないやつらがでっちあげた代物。そこにミュージシャンマインドでもって音楽的新風を巻き起こさんと取り組んだ意欲作 SID。唯一彼らが心残りなのは、イラチなクライアントのせいで開発期間が短すぎて音質を充分によくできなかったこと。
いや、もうひとつ。さらにもうちょっとだけ時間があれば3音ポリどころか空前絶後の32音ポリにすらできたこと。ただでさえ当時ありえない32音ポリしかも前代未聞3オシでリンリンモジュ。 聴こえますか、このぎゅるぎゅる言うエンドレスなリンリンモジュの音が。まさにタキオン粒子加速器、エネルギー充填120%!反物質砲ファイア!!!
いやぁ、もし当時そんな怪物チップが出来上がっていたら6音ポリしかなかったJUNOはおろかPolysixやJX-3Pはひとたまりもなく吹っ飛び、最大でも8音ポリだったJupiterやTRIDENTはもちろん名機prophetもOBもSynthexも大打撃、挙句DX7をもってしても16音ポリとあっては戦略やり直しとなったのであろうか。
大陸を一撃で殲滅しえた恐るべきオーパーツの如き破局、そのコアたりえた一個の種、秘石SID。
このICを誕生せしめた若きエンジニア・チームは、彼らの偉業にちゃんちゃら無理解なパソコン業界に嫌気がさして見切りをつけ、いっそ電子楽器メーカーにならんと進路変更。 その社名を新規に考えるべく、まずは出発点として「音に関するもの」を意味するsonic(ソニック)、おふらんせ〜ふうに洒落てみるべく最後1文字「c」を「q」に変更してsoniq、さらに「包み込む」というような意味の接頭語 in- をくっつけて insoniq としたいところを敢えてそうせず、その接頭語 in- を古語 en- へとひねることで洒落てみて ensoniq。英語で「エンソニック」と発音するときは「ソ」にアクセント。なんならついでに「エンソニック」と「インサニック」の中間みたいな発音で。その名のとおり理想の音でくるむように、包み込むようなイメージでどうぞ。
やがて目からウロコの次世代シンセメーカーとしてめきめきと頭角を現すばかりか、海外シンセメーカーたちが安価で高性能なメイド・イン・ジャパン・シンセたちとの競争に敗北し軒並みばたばたと倒産する中、唯一、並みいる日本企業たちを相手にその好敵手として大立ち回り、デジタル・エイジにて大活躍、創造性の国アメリカならではのとらわれない発想と国産機の痛いところを突いた名機の数々でもって全地球のシンセヲタどもをぐぬぬと唸らせることになるこの会社。 これまでこの連載で紹介した電子楽器メーカーはすべて 70 年代前半までに設立され、ヴィンテアナログシンセ時代から続いてきた古参企業ばかり。YAMAHA や KAWAI に至っては戦前から存在する老舗。だが、ここについに新しい生粋のデジタル世代が登場。黄金の80sにふさわしくちゃきちゃきのとんがったデジタル野郎たちが大暴れするそんな彼らが旗揚げしたのは、時に1983年、MIDIが公式に誕生しDX7が電子楽器の金字塔として堰を切ったように怒涛の快進撃で世界へあふれだしていたころであった。
♬ ♬ ♬
「ファーストインパクト:Mirage」
ensoniq社が最初に出したのは実はパーカッションパッドであったが、ほとんど無名。いい音がするらしい。そして創業2年後の1985年、急速に成熟しつつある電子楽器マーケットにおいて全くの無名だった彼らはMirage(ミラージュ)という名の価格破壊サンプリングキーボードをだしぬけに投入。 お歴々はご存じであろう、当時サンプラーといえば最高1億円したシンクラヴィアか、1,200 万円もしたフェアライトCMI、はたまたイーミュレーターやカーツウェルK250 といった300万円はくだらない電子楽器のロールスロイスみたいなやつばかり。そんなところへやにわに1,599米ドルというアゴ外れんばかりにありえない破格でガチ道場破りしてきたのがMirageであった。
SIDチップをベースに自社開発した音源IC「DOC(ドック: Digital Oscillator Chip)」、コードネーム「Q-Chip」。これはSIDで開発期間が短すぎて具現化できず無念の涙を飲んだ32ボイス仕様を実現した夢のチップ。だがすでにDX7が出てきた今、Mirageではこれをあえて戦略的に8ボイスに制限し、その代わり1ボイスあたり2オシレーター最大4波形を重ねてトリガーできる仕様とした。8ボイス✕4波形で32音、うまいっ! しかも強力な自社開発デジタルオシレーターチップに加えてカーティス社のVCFでもってデジアナハイブリッドな音の加工も可能という、自力でIC設計できるensoniq面目躍如。
その一方で7セグ2桁LEDが唯一の表示、しかもテンキーだけでパラメーターを打ち込むという、しかもそれは16進数という、無慈悲なカスタマーエクスペリエンス。そもそもあまりの音質のひどさにMirageはサンプラーではなく原音をとどめないシンセであるとまでジョークにされて叩かれるも、そんな噂どこ吹く風。フェアライトが登場して6年、みんなアート・オヴ・ノイズの真似したくてしたくて「んもぉぅ辛抱たまらん」うずうずしてたところへ欧米ではDX7よりも安いサンプラーが放り込まれたのだから猛獣の檻に生肉を放り込むようなもの。
しかもシンセまるっと入った音源チップを自社開発できることがensoniqのコア・コンピタンスだったわけだが、彼らの強みはそれだけではない。 記憶メディアだって業界初の3.5インチ・フロッピーディスク。当時、他のサンプラーが採用していたストレージはほんとうに「フロッピィ」だったぺらっぺらの5インチ。耐久性ヤワすぎて折れ曲がる上に薄いプラが劣化するやつ。なので硬質な樹脂カートリッジに守られていた3.5インチはハンドリングも楽でガシガシとスタジオでもライヴでも現場でミュージシャンがタフに使える頼もしい相棒。一層お安い価格破壊MIDI音源モジュール版までちゃんと用意。上級者にはオプションでMASOS(メイゾス:Mirage Advanced Sampler Operation System)という黎明期のエディターソフトすら完備する全方位っぷり。PC業界からスピンナウトしただけあって、なおかつミュージシャン・マインドなだけあって「分かってらっしゃる!」
一方、Mirageには妙なところもあった。ビット深度が8bitだったのは時代だとしても、量子化の目が粗すぎてループ時に波形ゼロクロス・ポイント同士が出会わないことがあり、そのときはサンプルをディチューンさせることで波長を無理くり変えてゼロクロス・ポイント同士をつなげてループさせたのだという!!! 野蛮!!!
Mirageの雄叫びを純正ライブラリーサウンドで聴いていただきたい:
Ensoniq Mirage Sound Demo
youtube
いいねぇ、粗さがインダストリアル♬ っていうか粗いくせに不思議にリアルというか、音楽的ですらある、圧倒的じゃないか...!
これですよこれ! 音楽的であればそれでいい。だってみんなこれがしたかったんでしょ? それにPC業界出身だからチップ設計はもちろん、ストレージメディア選択とかも時流を読んでばっちし的確。 デジタルに熟知した彼らはサンプラー市場にぽっかり空いたブルーオーシャンな窓を目ざとく見つけ、そこにピンポイントでMirageをぶちこんだのであった。そこまで狙い済ませたモデルが人気炸裂しないはずがない。それまでやれ音のクォリティだトータルな楽曲制作環境だとくそまじめに気にしていたやつらを尻目にMirageはパンクなまでに軽快なスペックでもってバカ売れ。この痛快さは、だがむしろ歴史の必然ですらあった。まさしく製造業界のパンク野郎ensoniqは、だがミュージシャンにとって大切なものが何かをよく分かっており、しかもそれをパソコンという外様の発想で具現化するヒーロー、旧弊であり様式美であった楽器業界を打破する新進気鋭の疾風怒濤であった。かっこいい!
同じ1985年、AKAI初代サンプラーしかもすでに12bitのS612やSequential Prophet-2000といったサンプラーが続出、CASIOからは庶民の味方SK-1 Sampletoneを見た。翌1986年には業界標準機となるAKAI S900、KORG DSS-1、Roland S-50/S-10などと個性派サンプラーが続々登場、世界はアナログとFMとサンプラーというサウンドが支配。それはまだPCMシンセが台頭する前のことであり、よってKORGもRolandもシンセメーカーでありながらフラッグシップはサンプラーというちょっとだけ不思議な時代でもあった。
え? 当時PCMシンセってまだだっけか? 当時のPCMシンセって400万円したKurzweil K250だけ?
じつはMirageローンチの翌年、PCMワークステーションシンセの草分けensoniq ESQ-1リリース。Roland D-50の前年、KORG M1に先立つこと2年、ensoniqはすでに次の一手を打っていた。
♬ ♬ ♬
「セカンドインパクト:ESQ-1」
ESQ-1は実はMirageのアーキテクチャーを概ね引き継いでいる。同じ音源チップをあえて8音ポリに制限するところまで同じ。ただそれを3オシレーターとして見せており、
・3基のPCMオシレーター ・1基のVCF ・1基のVCA ・ハードシンクならびにリングモジュレーション可能
って、ちょっとSIDみたいな先祖返り的な構成。
とはいえ32の音源波形はPCMではあったがサンプルまるごとではなく1波のみ切り出してループさせたもの。それでも流石ミュージシャン・マインドを持った彼らだけのことあり、サンプル1波ループとはいえ切り出し方が天才的にうまくてリアルに聴こえ、それをフィルターやEGで加工すれば表情ゆたかなPCMシンセサウンドになった。すなわちKORG DW-8000やKAWAI K3にも近いがサイン波倍音加算合成でもなく一応はPCMだったのであり、音のリアルさや音色バリエーションの豊富さにおいてもこれらを���駕するものであった。なによりも音が音楽的。これまたスペックや数値ばっか気にする当時の真面目人間からは出てこない「使えるサウンド」であった。
加えて最大2万4千ノートの8トラックシーケンサーも搭載。これは2年後のKORG M1が最大でも7千ノートでベースライン2〜3曲分でしかなかったことを思えばその3倍以上、楽曲制作に充分であった。電源をオフってもバックアップ・バッテリーでシーケンスデータは保持。8ボイス8パートマルチティンバー音源はそのまま8トラックに対応し、じつはKORG M1よりも前に史上初の本格的こんにち的ワークステーションシンセとしてデビューしていたのであった。この質実剛健なつくりを見るといかにM1がマーケティングの勝利だったかって分かるよね。
パソコン業界ゆずりは音源やシーケンサーだけではない。初めてファンクションキーを導入した操作性も流石PC。アバウトだがLCDよりも視野角が広いFL管を採用、今ならそのエモい表示がレトロフューチャー・コンピューター感。そしてensoniqはファンクションキーのことを「ソフト・キー」と呼び、画面によって機能が変わるから、すなわちソフトウェアに依存して規定されるからだと説明。このクールなネーミングセンスもPCならでは。なのだが、どういうわけかその説明が欠落したまま日本に伝わり「押した感じが柔らかい」と紹介されてしまう。 この操作性を活用し、1画面内に10音色を一気にならべて表示、ファンクションキーでよりどりみどり思いつきで音色選択できるすぐれた操作性もお初。40年くらいたってからKORG KRONOSにてSetlistという名前でふたたび採用。
そしてトドメのプライス1,395米ドル。日本価格はDX7や後のD-50、M1を上回る29万8千円であり事実上無名であったが、海外ではぐっと親しみやすい価格設定。おかげで5万台も売れたらしく、特に北米ではESQ-1と一緒にATARI STやCommodore AMIGA など黎明期のパソコンが綺羅星の如くならび、ESQ-1は海外コンピューターミュージック用キーボードとしても市民権を得た。そして日本のミュージ郎よりも先にゆくその普及率に、じつはその航跡を追うかの如くもうひとつの知られざるビジネスが勃興していたのであった。サードパーティ音色ライブラリーである。
ESQ-1が売れるところ、雨後のたけのこの如くあまたの音色ライブラリーメーカーが登場。中には不幸にして自宅を失って友人の土地に長さ6mのトレーラーハウスを停めて暮らし、膝の上にESQ-1のっけてそのローンに苦しみながら夜な夜な午前3時まで一心不乱に音創りするあぶね〜野郎まで登場。その彼が作ったESQ-1音色カートリッジは半透明のエポキシ樹脂にくるまれて生産され、それゆえにVoice Crystalシリーズと名付けられた。そう、Eye & I社Voice Crystalシリーズ。のちに大ヒットし、特にRoland D-50用のライプラリーはK社エンドースを受けていたキースさんまでを虜にしてクリスマス・アルバムまるまる一枚を制作せしめロゴをバミって隠したD-50とともににやけて雑誌宣伝広告写真にまで映ってしまったあのシリーズである。
同じ1986年、Apple社から初期のパソコンApple II GSが発売。GS とは Graphic and Soundの略であり当時盛んに言われていたマルチメディアへの対応を謳ったモデル。そしてここにも搭載されたのがまさにensoniqのDOC音源チップであった。Apple II GSは、これをそのまんま32ボイスのシンセ音源チップとしてフル活用、さらに15ボイスに達するステレオ波形再生も実現、Macintoshが登場するまで古典的時代の牽引役として輝ける看板機種となった。
一方、本業においてシンセとサンプラー、すなわちESQ-1とMirageというペアでもって時代を先取りしたensoniq。だが北米では絶好調でも日本では販売価格がむやみに高かったせいかあんまし認知されていない。そうこうしているうちにDX、CZ、FZ、S900、D-50、そして最後の大物KORG M1が「ワークステーションシンセ」というキャッチーなタームを繰り出してESQ-1のお株をさらってしまった。 そんなデジタル群雄割拠の中、ensoniqは音源チップDOCを進化させた DOC IIを開発。これをコアとしてESQ-1の後継機種SQ-80 と、Mirageの後継機種EPSことEnsoniq Performance Sanplerとを開発。中でもEPSはのちの電子楽器業界を大きく変えるコンセプトをはらんだ胎動となったのである。
♬ ♬ ♬
「サードインパクト:EPS, SQ-80」
EPSは、パンキッシュだったMirageから一転、ただまじめに音が良いサンプラーになっただけではない。
確かにシンセと違ってサンプラーには写実主義という出自があった。勝手気ままに理想の音を追究してもゆるされる自由奔放天真爛漫なシンセとは違い、当時のサンプラーに几帳面でくそまじめなイメージがつきまとうのは、その命題が写実主義だったからに他ならない。原音忠実、ハイファイ再生、だからビット数もサンプリング周波数も内蔵メモリー容量もどんどん数値はうなぎのぼり。高音質それだけのために恐竜のように肥大化してゆく一途。 でもなんかそれって袋小路。
だからこそ、そこに異を唱えたのがEPSであった。不毛な量的拡大ではなく質的転換、鍵はアーティキュレーションにあった。
生楽器にはアーティキュレーションがある。具体的に言うとさまざまな奏法がある。例えばヴァイオリンであれば、 ・弓を押し引きするアルコ ・弦をはじくピッツィカート ・短く跳ねるように弓で弦をこするスタッカート ...などなどあるわけで、既存の日本製サンプラーでは各奏法を別々のプログラムに収録してライブラリーが作成されていた。つまりプログラムごとに高度に専門化された内容でライブラリーが制作されており、現場では奏法ごとに異なるプログラムを逐一サンプラーにロードして演奏する。すなわち...
・アルコ用プログラム ・ピッツィカート用プログラム ・スタッカート用プログラム ...などなどなど。
だがEPSでは必要な奏法をすべて収録したプログラムを1つ作成し、それをロードしさえすれば主要なアーティキュレーションすべてが自在に演奏できるようにした。プログラムの中にレイヤーを設け、そこに各奏法を収録したのである。
・ヴァイオリン用プログラム - アルコ用レイヤー - ピッツィカート用レイヤー - スタッカート用レイヤー ...などなどなど。
各レイヤーは単一奏法をサンプリングしたマルチサンプルで構成され、最大8レイヤーで1プログラムを構成する。 しかも奏法=レイヤーの切替は鍵盤左横の2連パッチセレクトボタンで行う。このパッチセレクトボタンがじつはensoniqならではの秀逸な発明であり、鈍重なプログラムチェンジを行うことなく、すばやく音色を切替えられる。プログラムを構成するレイヤーのみを切替えているからだ。だからタイミングよく反射神経で、それこそ演奏中その場の思いつきだけでぱっぱとアーティキュレーションを切替えられる。
なんならアーティキュレーションにとらわれず、まったく異なる音色を各レイヤーにもたせて切替えてもいいね。 なおこのパッチセレクトボタンは基本アンラッチ(モーメンタリー)だがラッチ設定にもできる上に、フットスイッチでも可能。
アーティキュレーションごとに個別プログラムを用意するのではなく、必要なアーティキュレーションをすべて網羅したプログラムをつくる。つまり楽器まるっと1つ、あるいは楽曲まるっと1つ収録したプログラムを制作する。そしてそれを最大限にぶん回せる構造にサンプラーを設計する。
ひょっとしたらライブラリーを先に規定し、あとからそれに合わせ込むようにしてハードを設計したのかもしれないサンプラー。それがEPSであった。 これは実に理にかなっていて、つまりコンテンツを最重要視した設計ということである。サンプラーたるものコンテンツありきなわけで、それが見抜けなかった当時の日本メーカーはやっぱハードしか念頭にない古典的ものづくり企業だったのであり、そもそもハードをなんのために使うのかがイマイチ分かっていなかったと言わざるを得ない。いや、それはE-muやKurzweil、Fairlightといった海外企業でも同じか。いかにensoniqがうがったものの見方をしていたかが分かろうというもの。
サンプリングはもう当たり前。次につくるべきは肥大化するあまりただのレコーダーへ堕ちようとしていたサンプリングマシンではなく、役立つ楽器としてのサンプラーであった。
もっと正せば、なぜサンプラーを使うのか?シンセがあるのになぜサンプラーなのか?サンプラーにしかできない事はなにか?と考えたとき、写実、というテーマがあるのであり、それを単に原音忠実としか捉えなかった既存メーカーと、アーティキュレーションという次元まで踏み込んで「写実」というテーマを考え抜いたensoniqとの違いであった。
そういやEPSではプログラムチェンジで切替えられる音色単位を「プログラム」とか「パッチ」とかって言わずに「インストゥルメント(楽器)」って呼んでたね。 歴史の浅いサンプラーがゆえに名称が固定化していない、そんな時代ならではの自由度の高さとはいえ、やっぱ示唆に富んでます。
もちろん当時これは目からウロコであった。今どきの大容量ソフトウェア音源には奏法の違いを切り替えるべく、最下1オクターヴをスイッチ代わりに打鍵させる機種があるよね。言わばその発想をすでに1988年に先取りしていたのがエンソ、偉い! 史上初めてアーティキュレーションに着目しアーティキュレーションを切り替えながらリアルタイム演奏できたサンプラーだからEnsoniq PERFORMANCE SamplerイコールEPSだったわけ。
13bitといういささか中途半端な解像度だったEPSは、12bitの2倍も音が良いというだけでなく、サンプラーのパラダイムシフトを宣言するものであった。
他にもEPSには自動ループ作成機能があり、いろんなアルゴリズムが選べたばかりかSynthesized Loopという究極アルゴリズムに至っては波形そのものを書き換えてしまうことで若干音が変わろうがおかまいなし、無理くりでもループをとる。え、サンプラーって原音忠実が至上命題と違ごたっけ? でも結果が音楽的でありさえすればそれでいいでしょ? 持続音がほしかったんじゃないの? やろうと思えばオケヒからでもループとってじゃ〜〜〜〜〜ってサスティン効かせて流せるのよ。おかげでensoniqはループがとれない音はない!と断言しきっていた。もはや蛮勇。
演奏中に別の音色フロッピーを読み込ませることができるLoad while playもまた目からウロコ。ロード中は他になにもできないのが当たり前と思っていた私たちは、マルチタスクというものを知らん原始人だったわけだ。 おまけにポリフォニック・アフタータッチも装備。世が世ならばMPEとともに大注目されていたはず! オプションでFlash Memory Bank、今で言うSSDも先駆的に搭載され、特にディスクベースだったOSをストアしておくと起動が早くて便利。なんて80年代には早すぎて誰も知らなかったよ。
最初は、単に安くておもしろいサンプラーでありさえすれば良かったMirage。 その次に、すぐれたサンプリング「楽器」たらんとしたEPS。
この成長は、E-muですら成し得なかったものであった。E-mu社がEmulator IIの開発に難儀したのは「単なるサンプラーを超えてサンプリング楽器とはなんぞや?」という問いに対し有効解を見つけるのに苦心したからにほかならない。それをensoniqはやってのけたのであり、無から有を、ゼロから1を、理想解を具現化しえた唯一のメーカーであった。ぐぬぬと唸らされたのは全世界。
他メーカーにはない自由な発想の数々、そしてそれを惜しみなくつぎ込んだ豊かな果実EPS。当時メイド・イン・ジャパンを始めとする安価で高性能で高音質の機種が台頭していたときに、まったく違う発想のサンプラーが登場。それはそもそも何故サンプラーなのよ?サンプラーって何よ?という本質から考え直してゼロから起こした自由の国アメリカならではの機種のはずだった。
はずだった?
SQ-80とEPSはユニークな発想が光り他社の弱点を突いた問題作でありプロからの評判も上々だったが、銀行屋がもっと売上をと言い出した。欧米の銀行は日本以上に短期的成果を要求してくる。それゆえensoniqはすみやかに次世代機種を出す必要があった。そんなアクロバットを実現するためには今までと同じことを繰り返すわけにいかない。 果たしてensoniqはSQ-80にとってかわる次世代シンセを開発。そのために下した英断とは:
・音源チップDOC、DOC IIを廃番とし、さらなる新音源チップDOC IIIコードネームOTISを開発、かつ、これを初めて投入 ・ESQ-1、SQ-80と続けてきたシンセのアーキテクチャーも敢えて棄てる ・サンプラーEPSをベースに、なおかつそれにひねりを加えた次世代シンセ音源をつくる ・次世代シンセは初めてCDと同じくサンプリング深度16bitを実現 ・更にエフェクト用に優秀なDSPを新規開発。これによる新型24bitマルチエフェクトを内蔵させる ・すべてをかつてなく短期間で商品化する
時に西暦1989年、名機VFXが誕生する。
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「フォースインパクト:VFX」
世の中ワークステーションシンセだらけ、もうすっかりワーステ・ブーム。かつてESQ-1がその草分け的存在だったのに、マーケティングの勝利M1にお株を奪われたわけで。 しかしその流行に乗って百花繚乱に咲き乱れるワークステーションシンセたちの真っ只中にあって、VFXは真逆にワーステを捨て、ただただ音のキャラと表現力のみにこだわった素のシンセとしてまさかの逆張りデビュー。内蔵シーケンサーはおろか、フロッピーディスクドライヴがあったはずのところには意味不明の穴ぼこがぼこっと口を開けている始末。こんな後始末もろくにしないとは、よっぽど開発を急いでいたのであろうか。とにかく、ただただ個性的な新音源と強力エフェクトあるのみ。 その一方でCPUには名門モトローラM68000! これ当時Macやフェアライトに採用されていたガチなやつですよ。ちなみにAKAI S900のCPUはNEC PC-98と同じV30。prophet-5はZ80だったよね。そしてVFXの音源ICには前述のとおり第三世代チップensoniq謹製OTISを、内蔵エフェクトには最新DSPを投入。音源チップのほうは90年代に入ると通信カラオケやアーケードゲームの数々にも搭載されることになる。
驚愕したのは音、音、音、壮大な音。映画館のような重低音が出る出る満ちる、エピックなサントラなど朝飯前。低域にコンプかかってんじゃね〜か?って思うくらい。しかもとにかく太い、押しが強い、いやそんなもんじゃない、もう我が強い、腕っぷしが強い、サウンドの力こぶ筋骨隆々、そこのけそこのけ強強すぎてミックスの中でいくら音量を下げても俺が俺がと出てくる出てくる。ごりごりのシンベ。のしあがるオーケストラ。つんざくリード。自己主張はげしすぎてそこんじょらのシンセはもちろんメタルのディストーションギターの音の壁ですらもろともせず抜けて聴こえるシンセブラス。どやかましいロックなアンサンブル全体をたった1音で深々とせき止め、がっぷり四つに組んでガッツリ支える、ヘラクレス級に腕力を誇るストリングス。重低音重低音。もはやVFXは音世界を支える巨人アトラス。あんなランボーなやつ、ちょっといない。他機種の音色は皆さん荷物まとめて帰って行きよりましたわ。
プリセット音色がまた秀逸、単体で聴くと「え?」と思う音色でもアンサンブルに混ぜると絶妙に良い音色になる。なんというミュージシャンだましいな耳でもって開発されたのか。 単に推しが強いメリケン・サウンドだけではなく、自分で音をつくるとそれはそれはもう深い深い幽玄なるたましいの深淵をのぞきこむ底なし沼にディープな音もつくれる。なんだか日本ではコムテツが多用したSYMPHONYというプリセット音色でばっか知られているようだが、なんともったいない! あんなもんオケヒ・ループにペットのサンプルをレイヤーしただけで自作できる。さらに工夫して作り込めばほんとうに深い味わいある音が、プリセットとはまるで違う音のパノラマが展開する名機。
・なんせPCM波形が実物以上に壮大な音がする ・その上に、PPGウェーヴテーブル音源の発想を取り入れた新開発TransWave波形もいろいろ搭載。楽しい! ・Oberheimにしかなかったモジュレーション・マトリクスも初めて採用 ・6系統の減算方式レイヤーによる重層的音創り ・強力エフェクトのおかげで何をやってもバルビエリ御用達どよよんサウンド ・そしてEPSゆずりのパッチセレクトボタンのおかげで、どぎまぎしながら音色選択ボタンを押すタイミングを狙いすます苦行さいなら
VFXは���ぐれて他社の弱点や欠点をうまく突いた名機であり、ensoniqが他社シンセをよく研究していることの現れであった。というよりそれ以前に、そもそもシンセとは何か?どうあるべきか?と鋭く問うシンセ史上たぐいまれな名作であった。ひとことで言えば思いつきに即答えてくれる、難しい仕込み不要、そんな直感的デジタルシンセであった。
そしてこの広大かつフレキシブルに音が変化するアーキテクチャーを、ensoniq はDynamic Component Synthesis(各ブロックが動的に他ブロックに働きかける音源)と呼んだが、さすが英語が母語だけあってうまくその売りとなる特徴をとらえている。
にもかかわらずVFXは不運なシンセとなった。 銀行屋が圧力をかけるゆえensoniqはVFXを手っ取り早くつくるはめに陥ってしまい、いい加減なつくりのまま量産してしまい基板や機構に不備が続出、バグも多くてクレーム続出。ついにアメリカにて「No more Ensoniq!」と言い出す楽器店まで現れた。それも最大手チェーンGuitar Center。 それでもなお音がいいのはなんでか?というと、これもやはりいい加減なつくりだったから! すなわちデジタルに強すぎてアナログ回路にむとんちゃくだった彼らがテキトーな最終段アンプをでっちあげてしまい、それが逆に奏功して良い音になったのだという!!!
度重なる蛮勇にクレーム殺到、それでもなおその音にこの上もなく恋い焦がれたユーザーたちアーティストたち。まさに「蛮勇引力の法則」ここに極まれりensoniq。
これゆえ不良撲滅すべく改良を重ねたあげく、半年後にワークステーションシンセVFX-SD投入。VFX「-SD」は機能追加されたSequencer + Disk driveの略。それでもまだ故障が多々あり、VFX-SDのFL管ディスプレイの直下をぐいっと押すとてきめんにエラーが出る笑 のちにアコピ波形に重点を置いたVFX-SD II、さらにはSD1、そしてついにSD1 32 Voiceと世代交代を重ねるにいたりようやく不具合沈静化。VFX-SDをSD1仕様にまでアップグレードしてもらえる基板交換サーヴィスもあったが、ただでさえ十万円もした上にエンソニック・ジャパン社まで送り返さねばならず諦めてしまったは一生の不覚。いやそもそも最初からVFX-SDをじっくり開発して出すつもりが焦って先にVFXというカタチで半年くらい先にフライイングで出しちまったんじゃねーの?とすら勘ぐってしまうね笑
そのVFX-SDというワークステーションシンセが誇るは音源だけではない。
こちらもすぐれた最大24トラック内蔵シーケンサー。いにしえのOpcode 社 VISIONと同じく長大なパターンシーケンサーで構造的に作品が作れる。思いつきで断片的なシーケンスを12トラックでたくさん作り上げ、それがたまってきたら適当につないでソングにしてみたり順列組合せを変えてみたりと試し放題、思いつくままに発散しまくるアイディアを作品へと収斂させ昇華させてくれるクリエイティヴ・ツールとして最高! しかも12トラックのシーケンスをつなげてソングをつくると、ソング全体にわたりさらに12トラックのリニアトラックが追加。個々のシーケンスをまたぐオブリとか録音できる。
Undo / Redoも「オーディション機能」と変名された上で初搭載、シーケンストラックを再生しながらこれまた思いつきでbefore / afterを切り替えつつ比較試聴できるミュージシャンマインドな便利機能。当たり前ですがイベントエディットも充実しているばかりか、最後にオーディション機能で締めくくられるからホンマにエディットして良かったのかどうかbefore / afterで比較検証させてくれて気に入らなければもとに戻れるって、いかれぽんちな思いつきだけのクリエイターにとって至れり尽くせりじゃないですか。
デモ演奏も音楽的でセンスあふれる、もう立派な「いい曲」。 日本のワークステーションシンセのデモ曲といえば、マルチティンバー能力の限界に挑戦すべくアクロバティックなまでに各パートをぶん回した非現実的な曲芸「こんなことまでできます!ドヤ顔」みたいなもんばっかで聴いてるだけで目ぇ回ったが、ensoniqのデモ曲はちゃんと楽曲として成立しうるばかりか、落ち着きあってセンス良くてまとめ方もうまくて大人でかっこよくてデモだけでアルバム出来そう♬
ついでに機種名もロゴもアーティステイックでかっこいいね!
ミュージシャンマインドで設計された機械がミュージシャンを支援してくれる、理想のensoniqシンセ。 EPS 16 Plusという16bit化された新型サンプラーも発売、これにはVFXゆずりのグレイトなマルチエフェクトも搭載され、楽器としてだけでなくサンプル加工にも抜群に使えるようになった。EPS 16 PlusはVFX-SDとともに双璧をなし、その下にSQ-1(61鍵)、SQ-2(76鍵)、という廉価版ワークステーションシンセを配し、SQ-Rという1Uのコンパクトながらに実力派の音源モジュールも誕生、2Uの強力エフェクトアウトボードDP/4もスピンオフ、ensoniqは黄金時代を迎える。そればかりか音楽のたのしみを広げようと、補聴器まで試作していたというSDGsアクセシビリティ先取り!
その音は世界中で玄人ウケし、安いコモディティと化しつつあった日本製の機種とは一線を画す。そしてその高いプロファイルでもってensoniqは並みいる既存メーカーに対する異議申し立てとなり、それらの好敵手となった。
そしてついにensoniqは、EPS系の最終進化形ASRことAdvanced Sampling Recorderシリーズを経て、VFX以来5年かけて開発を重ねてきた夢のシンセを世に送り出すことになる。 同社最後の大輪、音源コアDOC IVコードネームOTTO、それを心臓として建造された双頭のフラッグシップシンセTS10とTS12。1994年のことである。
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「ファイナルインパクト:TS12」
Ensoniq TSシリーズ、それはそれは空前絶後に壮大な音がするシンセであった。構造はSD1をさらに発展させた完成形であり、音源波形も新規であるために既存機種との互換性は無い。比較して聴けばSD1もまだまだ粗削りだったのだと分かる。ド太い重低音はもちろん、澄みきった濁りのない深い音色もする。映画館「みたいな」ではなく今度こそまんま映画館そのものな音がした。
TS10は61鍵シンセタッチ鍵盤、お家芸ポリフォニックアフタータッチ完備。TS12は76鍵ハンマーアクション鍵盤搭載。このタッチはかなり独特なものでアコピとは似て非なるもの。Flying Action Weighted Mechanismという大仰な名前がついた。88鍵ではなく76鍵でハンマーアクションを採用したのはステージピアノとしてクルマに載せられるサイズを考えてのこと、つまり車社会アメリカならではの機動力を考えてのことであろう。
16波形を数珠つなぎにしてウェーヴシーケンスをつくれたので、KORGよりも波形ステップ数は少ないものの音色ごとに個別設定できる点では実はKORGを凌駕する長所があった。デイヴ・スミス対ensoniq、ここでもアメリカ人同士の対決! KORGも気にしたのか最近のwavestateではウェーヴシーケンスを1,000もメモリーできるという、とてつもない上限値でもって事実上問題ないレベルにまで回避している。
ASRシリーズのサンプルライブラリを読み込めたのもポイント、読み込むデータによって自動的にTSになったりASRになったりと二つの顔をもつ双頭シンセとなった。両者はアーキテクチャーが違うため、つまりこれはソフトを自動的に入替えることで機能が変わるパソコンのようなキャラをシンセでも具現化したことになる。
なによりも、とかく日本のデジタルシンセが冷たく痩せた音がするのに対し、あたたかく骨太で豊かでスケールの大きな音がする。これは4年後の1998年にあたかも打倒ProToolsと言わんばかりに出てきた同社DAWシステムPARISことProfessional Audio Recording Integrated Systemにも言えた。事実PARISは「あたたかい音がするDAW」としてハリウッド映画音楽業界でも話題であった。お得意の高性能DSPを6基も搭載したPCIカードを開発、これにより非力なパソコンでも高度な処理が可能となって文字通りレコーディング業界への福音のごときシステムだったPARIS。 そして巨大な体躯というか威容を誇る重厚長大なフラッグシップTSシリーズは、説得力あふれるビッグな音はもちろん、広大な仕様・性能を満載しているがゆえにensoniq最高傑作との呼び声も未だに高い。
だが、ensoniqは自分たちの理想郷を追い求めすぎた。
TSシリーズは業界最強な独自アーキテクチャーを貫きすぎたのか、SMFやGM、wavファイルといった互換性に欠ける孤高の存在であった。90年代ともなるとDTMが進展しユーザーが増大して市場の裾野が広がり、さほどパワーユーザーではないライトユーザーも参加した結果、今まで以上に簡単に音色やシーケンスデータをシェアできるよう互換性が求められるようになった。だからこそMIDI規格にもSMFやGMといったより細かいルールが制定されたのであり、MIDIと対をなすオーディオにおいてもwav/AIFF互換が必須となった。すべてはデータの再現性を担保するため。流通しやすく、誰でも同じような結果になるよう再現できるため。個性よりも普遍。普遍による流通とシェア文化。シェアラブルであること。
かつてPCからスピンナウトして誕生したensoniq、だが今ふたたびPCの軍門に下るときがきた。
このあとTSシリーズの中核を成していたVLSI音源チップDOC IVことOTTOはensoniq社製オーディオボードSoundscapeにも搭載され、そのままensoniqはPC系へと軸足をシフト。そして巨艦TSシリーズ亡き後、ensoniqから出てきたシンセは音はわるくないものの限定的なフィーチャーを帯びたモデルばかりとなった。
薄暮の迷路にさまよいこんだかにも見えたensoniq。 その中、唯一例外的に輝いていた変態シンセは第二世代TransWave音源を搭載したシンセFIZMO(フィズモ)。これはensoniqが物理モデリング音源を開発するも実現できず、「物理モデリング=physical modeling」略して「phys mo」そのつづりをストリート文化っぽく変えて「FIZMO」という機種名だけが残ってしまった機種である。今ならヴィジュアル系な外観はもちろん、ウェーヴテーブル音源として光る個性が注目されたやも。 さらには北米でいち早く台頭してきたhiphopサンプラー文化に着目、AKAI MPC対抗機種としてASR X を投入、卓越したサンプラーに強力無比なエフェクトを組合せた力作。音も太くてよかったよね、でもちょっとむずかしかったか。
やがてensoniqはSoundBlasterをつくっていたシンガポールのメーカー Creative 社の傘下に入り、そこでE-muと合併してEmu-Ensoniqとなり、そのままフェードアウト。
ちなみにKORG 01/Wは相当にVFX/SD1を参考にしたようで、VFXのモジュレーションマトリクスはKORGのAMS(Alternative Modulation Source)機能となり、アコピの音に重点的にPCM容量をあてがう戦術、内蔵マルチエフェクトのつくりや効き具合などなど、エンジニアをヘッドハントしたフシもある。ワーステ本舗のプライドとしては、ensoniqを無視できなかったのであろう。
そもそもなにがミュージシャンにとって一番うれしいのか、アーティストがやりたいことは何なのか?その本質「why?」をなによりも第一に見抜いてソリューションを提供していたensoniqの自由な着想と回答、それらはソフトウェアとコンテンツの天国アメリカならではのパラダイムに基づくものであったことを、お歴々はもうお気づきのことであろう。彼らが世に送り出した名機たちは、つねに物事の本質はどこかを探し、本質を問うところからはじまる斜め上をゆく自由さがあり、その外様ならではのすぐれた問題意識にはじまる思考と思索の旅路、その帰結であり果実であったに過ぎない。そして冒頭にかかげた都市伝説に語られるとおり彼らは日本メーカーと共に成長すべき良きライバルであったのだが、それだけに歴史の波に消えてしまったのはつくづく惜しいと言わざるを得ない。天才E-muですら思いつかなかった自由な発想、斬新な解、そして楽器業界の多様性、ロスト。
楽器進化論、その樹形図におけるミッシングリンクとなったensoniq。楽器というビジネスは、PCの前に消え去るしかないのであろうか? 当時SteinbergがVST規格を提唱し、初のプラグインシンセneonがぽよよんと出るに至り、さとい先取の精神の持ち主たちは異口同音にハードウェア退場論を盛んにぶちあげていたものである。そのあとも度々、特にpropellerheads社Reasonの宣伝などは「いつまでハードウェアを使ってるんだ? さっさと棄てて僕たちソフトの世界で完結しちまいなよ」という主旨の、ややもすると苛立ちすらこもったものであった。
だが、苛立つということはそれだけ彼らの足元がヤワであることの証左でもある。
次はPC時代になろうがネット時代になろうが、それどころかなんべん倒産しようが不死鳥の如く奇跡の復活を繰り返してきた未来志向メーカー、その輪廻転生を見ていきたい。舞台はアメリカから大西洋を渡ってドイツへと移る。
(2022年8月13日同人誌にて初出)
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