#ベンチ修理
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GW辺りに札幌に行こうと思っています。おすすめの、絶対行ったほうがよい場所を教えていただけないでしょうか。カフェとかレストランとか美術館とか美術館とか…。あと夜パフェに行きたいので、どこを選ぶと間違いないか教えてほしいです。あともしかしたら注意したほうが良いことがあれば教えていただきたいです。
こんな質問がたまにDMでも来るので、いつも楽しく回答しています。あなたの住む街に行くときはおすすめを教えてくださいね。札幌というワードで、わたしを思い出してくれるのが嬉しい。
パフェの語源はフランス語の“完璧”から来ているそうですね。夜パフェはカフェテリアパルが間違いないです。人匙ごとに味や食感が変わり、その美味しさにくらりと来ます。パフェって素晴らしい。価格帯が高めなのにいつも行列です。札幌の夜パフェは締めパフェなので、21時ごろから混み合います。すすきのでの1件目を手早く切り上げるのがおすすめです。
他にもパルよりは価格が安めな“ななかま堂”やお酒とのペアリングを楽しむ“ペンギン堂”とかもあります。クセ強店主がやっている“ぴーぷる・ぴーぷ”は色々な掟があり、確実に終電を逃しますが札幌名物って言えば名物なのかもしれません。夜ではないですが、札幌で1番美味しいパフェは“くなう”というアパートの一室で営われる喫茶“室”で、るるぶやSNSには掲載されません。アパートの一室と言えども、黒い壁紙にレースのカーテンが揺らめくだけの内装。華美ではなく、ただただ美しいパフェは美術品のようです。その甘みに背筋が伸びる。なんだか神様との対話みたいだなと思いながら食べています。勝手に“札幌で1番天国に近い場所”と呼んでいます。
どうしましょう。パフェの話だけでこんなに行数を使ってしまいました。あなたのために続けますね。北海道でみれば美術館は多いですが、札幌に屋内の美術館は少ない気がします。札幌にある北海道立近代美術館や札幌芸術の森美術館は気になった特別展の時に行く程度です。風が寒くなければ、モエレ沼公園なんてどうでしょう。イサムノグチが作った彫刻公園です。モエレ沼まで行かなくとも、街中を歩いていると、野外彫刻をよく見かけるのも札幌の小さな楽しみです。大通公園を西に降って散歩するのも面白いかもしれないですね。札幌の中心は、大通りで分断して北と南、創成川で東と西に分断した碁盤の目のような��所をしています。札幌で定められている景観色に則った建物が整然と並ぶので、他の政令都市とは違う空気感に包まれた街並みです。https://artpark.or.jp/sansaku/
よくお一人様をしてカフェを探訪していました。上記した“くなう”はパフェとして完成され過ぎている。お一人様専用なってはしまいますが“カルメル堂”は、深海のような濃いブルーの壁紙の内側でゆったりと過ごせます。季節ごとに出す甘味が変わり、5月はプリンとラムレーズンどら焼きだった気がします。わたしは7月の珈琲あんみつが梅酒寒天が乗ってて好き。“ギャラリー犬養”は、わたしが菊水に住むひとつの理由になった喫茶店です。大通り駅から地下鉄で2駅なので行きやすいかと思いますが、住宅街の奥にあるから迷いやすいかも。聞き馴染みのない西洋の伝統的なケーキが沢山あってどれも美味しい。食べた後に河川敷を散歩するのが好きでした。“喫茶店つばらつばら”と“石田珈琲店”、“一粒の麦”も好きです。
食は飲酒に重きを置いた人間なのでレストランには疎いですが、二四軒にある“ユニヴェール エス”は友人が修行していた洋食屋です。一皿一皿がキラキラして見えるのはきっととてつもなくこだわり抜かれているからなのでしょうね。後は、また菊水になってしまいますが”プティットレジョン”はフランスの家庭料理を出すビストロです。店内を一歩入ればそこは南フランス。ここもまた美味しいです。
注意することと言えば、気温でしょうか。北海道の桜はGWに咲くので、そのくらいの気温で、風も強い日が多い印象です。GWでの札幌観光ということで、移動は公共機関を想定しておすすめしてみました。土日祝日は、地下鉄が540円で1日乗り放題のドニチカという切符が買えます。おすすめしたモエレ沼公園以外は地下鉄だけで移動できます。特にカフェに関しては地下鉄で行けるものをピックアップしてみたので、レンタカーを使用するのであればまたお知らせくださいね。
5月中旬以降であればライラック祭りが大通公園で開催されます。金木犀と同じモクセイ科なので、とてもいい匂いがする薄紫の花の木です。札幌市のシンボルで、自生できる南限は関東らしいですね。大通公園��ベンチの横にライラックが植えられているので、花の下でゆっくりするのが好きです。今年は雪解けも早そうなので、あなたが来る頃にライラックが咲いていたなら嬉しいな。旅行から帰ったらまた、質問箱でも良いので、札幌でのお話を一緒にしましょうね。
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私は外科医です。 私は医学部と厳しい外科訓練を経たので、回復力があり、うまく適応していると思いたいです。 私は医師になって13年になりますが、その期間の多くは、可能な限り優れた外科医になるための訓練に費やされてきました。 私には素晴らしい家族のサポートがあり、私の仕事を理解してくれる医師の妻がいます。そして私は精神疾患と診断されたことはありません。 ブリスベンの胃腸科医アンドリュー・ブライアント医師が先週自殺したことは、生々しい神経を直撃した。 彼の妻はこの正直で勇気ある手紙を書きました。 抱いたことはありませんが 私は深刻な自殺願望を 、他の多くの医師と同様に、暗い時期を何度も経験してきました。 うつ病、不安、燃え尽き症候群、自殺願望���絶望、無気力、無快感、気分の落ち込み、心配などはすべて、同じ現象、つまり内的または外的ストレス要因に対する人間の否定的な反応の異なる性質です。 もちろん、原因は常に複合的です。 家族歴、遺伝、行動の欠陥、劣悪な環境、不十分な社会的サポートなどに単純化しすぎてはいけませんし、そうすべきでもありません。 を注意深く分析すると 自分の暗い季節 、いくつかの共通のテーマが浮かび上がってくることがよくあります。 このような暗い時代においては、仕事が状況を悪化させ、永続させる重要な要因となることがよくあります。 外科医として、私は生涯の大部分を仕事に費やしているため、そこで何が起こるかは、結婚、家族、社会生活を含む私の人生の他のすべての側面に影響を与えます。 私を絶望の暗い穴に放り込んだ共通の事柄が 3 つあります。 1. コントロールの喪失 私は日々のコントロールを失ってしまいました。 私は病院で働いていましたが、14 日中 12 日は 24 時間年中無休でオンコールがあり、隔週の週末が休みでした。 外科試験の準備をしていた���き、私は毎日午前6時半から午後10時まで仕事と勉強をし、家族に会えるのは週末の昼食時だけでした。 私は 4 つのキャンパスをカバーする病院ネットワークで働いており、これらの現場を取材する際には週に 500 キロメートルを運転していました。 私は病院で働いていましたが、何日も家に帰れず、病棟や外来診療所のベンチ、車の中で一晩寝ていました。 、洗面用具、着替えを車のトランクに入れていました 私は寝袋 夜も家に帰れるかどうか分からなかったので、 。 緊急事態のため、職場では毎日計画が変更されます。 オンコール中は次の 1 時間がどうなるかさえわかりません。 なぜ仕事を減らすことができないのかと疑問に思うかもしれません。 そんなに簡単なことではありません。 私が仕事を減らすことにした場合、病院の費用は誰が負担するのでしょうか? 病院が他の医師を雇用していないのであれば、患者を野放しにするわけにはいきません。 私は待機する注意義務があるという事実を受け入れます。 このようなオンコール期間の激しさと人的被害は忘れられがちです。 それだけではなく、私たちは医療全般のコントロールを失いつつあります。 毎日、新しいフォーム、新しいガイドライン、新しいプロトコル、新しい医療ソフトウェア、新しいポリシーが登場し、すべて臨床医の活動を指示、制限、変更します。 これらのポリシーの中には���患者を診察していない人々によって書かれたものもあります。 コストを削減し、生産量を増やすために、医師や看護師の業務を再構築することに専念している有給業界全体が存在します。 2. サポートの喪失。 ただ想像します。 私の一日は朝6時に始まります。 朝起きると、完了していない退院サマリーの数と、完了しなければならないさまざまなコンピューターベースのモジュール (手洗い、プライバシー、患者の昇降など) を知らせる電子メールが届いていました。 ラウンドは午前7時に始まります。 記入が必要なさまざまな旅行書類、証明書、台本を持った 15 ~ 20 人の患者を診ています。 すべて電子医療システム経由で行う必要があり、使いにくく、ユーザーフレンドリーではなく、ログインに時間がかかります。その後、午前 8 時にオーバーブッキングされた手術リストを開始します。 7件の予約が入っています。 誰が手術リストに載るか、患者の順番については私には何も言えません。 最初の患者はまだ診察を受けていない。糖尿病患者は低血糖症だ。 幼児は機嫌が悪い。 自閉症の子供が逃げています。 通訳はまだ来ていません。 コンピュータはまだログインしていません。パスワードの有効期限が切れています。 一部の操作は他の操作よりも時間がかかることがわかっていたので、以前は操作リストを整理することができました。 しかし現在、予約オフィスは私の扁桃摘出手術にはすべて 14 分かかると判断しています。これはコンピューターに記録されている平均時間だからです。 スクラブした瞬間にタイマーがスタートします。 スクラブを外した瞬間にタイマーが停止します。 クリック。 クリック。 クリック。 劇場の予約には通訳の時間、治療前の期間、ICUへの転送が考慮されていないため、リストは遅れています。 担当の看護師は時間通りに終わるように私の首に息を吹きかけてくれています。 私は依然として各症例に約 14 分かかりましたが、チームは外部の臨床的理由により遅れています。 演劇チームは終わらせることに熱心で、すべてが急いでおり、間違いは必ず起こります。 その間、私は救急病院、一般医、その他の部隊からの 12 件の電話に対応しています。 現在までに 3 人の患者が救急病院で私を待っており、1 人は別の病院から飛行機で運ばれてきました。 運行リストの完成が遅れています。 私は急いでEDに行き、 インスタントコーヒーを 飲み干した。 それから午後の診療所に遅く到着しましたが、ここも予約がいっぱいでした。 クリニックの看護師たちは満足していません。 さらに多くの電話を受けながら、8〜10人の患者を診察しています。 私は複雑な手術について患者と話し合おうとしていますが、電話や事務手続きによって中断されてしまいま��。 それから緊急事態に備えて劇場に戻ります。 この時点で私は失敗する準備ができています。 私は疲れていて、機嫌が悪くなり、頭はやるべき仕事でいっぱいです。 私は午後の回診をし、より多くの診察を受け、より多くの患者を受け入れ、手紙の口述筆記をします。 24 時間の通話期間中に最大 70 件の電話を受けました。 午後6時までに完全に疲れ果てました。 私はポテトチップスのパケットとジンジャービールを手に取り、書くはずだった書類に取り組み始めました。 今後数日間、事件のメモを見直します。 午後7時から8時の間に帰宅します。 夕食を食べて、子供たちを寝かしつけます。 再び呼び出され、緊急処置のために患者を劇場に連れて行きます。 夜中過ぎに帰ってきて寝ます。 深夜0時から朝6時までの間にさらに4回電話がかかってきます。 午前6時。 繰り返す。 私は日々のコントロールを失い、サポートも失いました。 実際にいつサポートを見つけることができますか? 同僚と人生について話す時間がありません。 家族と過ごす時間がありません。 友達と連絡を取る時間がありません。 医学部に足を踏み入れると、社会的なつながりは失われます。 人生の重要な出来事(誕生日、記念日、同窓会、学校の発表会、初めての散歩など)を逃した回数は数え切れません。 産科医が渋滞に巻き込まれたため、私は3人目を自分の手で出産しました。 翌朝、私は仕事に行きました。そうしなければ、12人の患者が手術を逃すことになり、2人の麻酔科医と約8人の看護師がその日の収入を失うことになるからです。 さらに重要なのは、手術リストのキャンセルは病院にとって多大な経済的損失となるため、管理者は満足しないでしょう。 どこでサポートを受けられるかはわかっていますが、実際には、いつ、どのようにサポートを受けられるのでしょうか? さらに、助けを求めて叫ぶ医師は正式に報告される可能性があり、そのため診療が制限され、場合によっては高額な医療費が支払われることになります。 助けを求めた研修生は成績不振のレッテルを貼られ、試用期間または是正措置を受けなければならない場合があります。 頻繁に宣伝されているサポートを実際に利用できない場合があります。 3. 意味の喪失 興味深いことに、上記の身体的および感情的ストレス要因は、私にとってはかなり対処可能です。 私は自分自身の身体的、精神的な限界を理解しています。 これらのストレス要因は疲労を引き起こしますが、仕事の興奮と知的挑戦は個人的に大きな満足感をもたらします。 瀕死のガン患者、緊急気道事故、複雑な病気の子供たちを相手にしているため、時々感情的に動揺することもありますが、なんとかやっています。 私に最大の苦痛をもたらしているのは、患者との有意義な臨床活動を奪う執拗な管理上の圧力であることをますます認識しています。 そして、これは多くの��い医師も同様に経験していることなのではないでしょうか。 かつて医学は有意義な追求でした。 今では面倒な業界になってしまいました。 医療の喜び、目的、意味は成文化され、無菌化され、プロトコル化され、工業化され、体系化されてきました。 医師はビジネスの網の中に囚われており、もはや崇高な職業ではありません。 若い医師の利他主義は、効率、生産性、主要業績評価指標という束縛に取って代わられています。 私自身の手術リストや診療所の整理についてはほとんど発言力がありません。 手術リストを再注文する権限さえも外科医から奪われている。 私が好きなこと(手術と患者の診察)は、測定され、記録され、ベンチマークされることです。 クリニックは予約が殺到しており、番号を確保するのが困難です。 患者と接するたびに必要な事務手続きは年々増加しています。 私が何をすべきか、そしてそれを行う最善の方法を指示するのは、臨床以外の部門が他にもたくさんあります。 合言葉は「費用対効果と生産性の向上」です。 に進みました ことを承知して医学の道 私は患者のために多くの犠牲を払わなければならない 。 私が実感しているのは、今日の現代医学において、医師はこの複雑な業界の数多くの商品の 1 つにすぎないということです。 それはもはや患者の問題ではありません。 病院の業務についてです。 患者満足度担当者、劇場利用担当者、患者フロー コーディネーター。 これらはすべてビジネス上の役割です。 外科医として、私は病院で 1 年間を過ごし、通勤中に笑顔で仕事に就くことができたことにとても感謝しています。 自分がやっていることが重要だとわかっていたので、長い日々を楽しみにしていました。 さらに一年、別の病院に入院したとき、私は仕事に行くのが怖かった。 電話に出るのが嫌いでした。 私は燃え尽き症候群になり、仕事でも家庭でも感情をコントロールできなくなりました。 私は本質的に攻撃的で無礼な人間ではありません。ただ限界に追い込まれ、仕事を取り巻く状況のせいで失敗しそうな人間です。 同じ外科医でも仕事は違う。 私を感情のコントロールを失うように押し込んだ力は、おそらく私たちの一部を自殺に追い込むかもしれない力と同じです。 一部の病院とそのビジネスにとって、私は外科医ではありません。 私はただの従業員です。 過労、焼損、交換可能。 医学への崇高な呼びかけは、医療業界としての官僚的な力によって窒息させられてきました。 私の考えに同意しますか、それとも反対しますか? 他にどのような「医師の闇」の問題が考えられますか?
医師であることの暗い側面 - DrEricLevi のサブスタック
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を���粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 ���育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民���命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待��(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するため��研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現��報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や���本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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2024年6月15日(土)
今日は久しぶりの落語会、「露新落語会」へとやってきた。会場は阪急・門戸厄神駅すぐ近くの「門戸寄席」、露の新治・新幸師弟のライブである。午前の部は10時30分開演、昼休みには門戸厄神・東光寺に初めて参拝、午後は14時開演、16時15分終演。次回は9月14日(土)で最終回、持ちネタがなくなるのがその理由。さて、懸案の<新治本>、その頃にはある程度形が見えてくるようにしたいものだ。
4時45分起床。
日誌書く。
5時30分ツレアイ起床。
彼女は朝食準備、私は洗濯開始。
朝食は昨日に続いて煮麺を頂く。
珈琲。
今日は外出、お昼用におにぎり2個を用意して貰う。
8時26分、七条御前通りから京阪京都交通バスに乗車、ツレアイのAppleWatchにエラーが出る。
6月から料金改定とのことで、桂駅東口まで240円のところが270円になっていた。
彼女のiPhoneにSuicaを入れて対応、阪急電車で十三、神戸線に乗り換えて西宮北口、さらに今津線で一駅先の門戸厄神駅まで。
この会場は定員40名程度、マイクなしの丁度良い広さ。入口には第1回から最終回(次回)までのネタ一覧表が貼られていた。
客はほとんど互いの顔見知りといったコアな新治ファンばかり、あちこちで親しげなやり取りの中10時30分に開演。
午前の部を終えて、徒歩で東光寺まで、結構な坂道だ。お詣りしてから、ベンチに座ってお昼をいただく。下へ下りてから、駅近くのカフェで珈琲を頂く。
午後の部、「禁酒関所」を聴いて早く帰って酒が呑みたくなる。
帰路も順調、桂駅で惣菜を買って(¥3,141)帰宅は17時40分頃。
彼女はすぐに3男と一緒にココの点滴。
私はInstagramに簡単なレポートをアップ、Threadsにリンクを貼る。
4人揃って夕飯、息子たちはスパークリングワイン、私たちは呉春を冷やでいただき、続いて少し冷やした🍷をいただく。
録画番組視聴、刑事コロンボ
第10話「黒のエチュード」/ Etude in Black 大邸宅の広間で壮年の男がピアノをかき鳴らしていた。おもむろに、2階へ駆け上がるとその男、アレックス・ベネディクトは数行の遺書めいた文字がタイプされている紙をアタッシュケースに入れ、行きつけの修理工場へ車を乗りつけた。
彼女のAppleWatchをチェック、すると6/13(金)にJR桂川駅の改札をちゃんと通過出来ずに料金が払われていないことが判明、明日西大路駅で手続きして貰おう。
入浴、体重は500g増。
日誌は明日のことにして、パジャマに着替えて就寝。
今日は電車移動ばかりなので、ムーブが届かなかった。
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2023/12/18〜
12月18日 来週の大阪旅行へ向けて心も身体も整えたいところ。 それでもやってきてしまった寒気に、朝はもうだめかも、と出勤して、してしまったら何とかなったり、何なら職場の方に他愛無い会話を持ちかけてしまったり、少し残ってお仕事をしてしまったりして、傘のかかった三日月をみてカメラを持ってくれば良かったと後悔をする余裕みたいなのを感じながら帰宅している。 でも本当のところの気持ちは(身体も?)全く余裕はない!
ニコンF100をカメラの修理に出したいのに、梱包材や緩衝材の準備が整わずに玄関に置きっぱなしになっている。
昨日のなんかもやもやが募ってTOEICの参考書関係を全部捨てた。 思ったよりすっきりした。
12月19日 お仕事をしている時も生活をしている時も写真やインターネットのことをしている時も、自分の人生は他のところにあって、人生の内訳にそれらがないことに気がついて、今日は心ここに在らずで心地よく過ごした気がする。多分年末マジックです。
とにかく体調に気をつけたい。
久しぶりにカメラレンタルをすることにした。 受け取るために明日は1時間早く早退しないと思っている。 できると良いな。
12月20日 カメラは近くのコンビニの受け取りボックスに納めてもらえることになって、でも色々するべき生活がありすぎて1時間早く帰っている。 半分の月が出ていて、今月の27日の、今年最後の満月に向けて準備中。
今日も瞬く間にめまぐるしくお仕事をして時間が過ぎていった。
通勤中にゴールデンウィークに奈良のホテルを2泊とってみた。半年早くても観光地はちゃんと繁忙期価格で、それでももう既に予約で埋まっている日もあって、ちゃんと生活の鬼(日々に追われるのでなく追う側)をしている人達もいる���ですね。
年賀状20枚宛名書きを終えて残り10枚。 まだ、た行だけれど足りるかな?
この機会にとクリーニングを出しに行くとお店のネオンサインだけ光ってシャッターが閉まっていた。初めて行くクリーニング屋さんだったけれど、クリーニング屋さんって水曜休みが多い気がする。
帰宅すると共用部の掃除が完了していて、濡れた廊下にamazonの置き配されていた。段ボールの底がしみしみでなんか最悪(しかも中身がお薬だったのでなんかちょっともっと最悪)。 うーん、と玄関に置いていた捨てられないガラクタ達(いただきものもあったり)を心を鬼にして捨ててみて少し諸々のやり切れなさに落とし所をつけてみた。こうゆう時の自分について傾向と対策を探し中。
スーパーに行くといつも走る息子を叱りながら買い物している男性が、セルフレジで14円のキティちゃんチョコマシュマロだけを買っていた。今日は1人だった。
12月21日 年末年始はどこにも行けなさそうで、それなら生活に足りていないものや更新したいものを整えようかと日用品の上位互換を見定めてみる。 でもこれらが配達されると思うと、今はそれを受け取る余裕すらなく途方に暮れてしまっている。
お昼休みに昨日のクリーニングリベンジを果たそうとしたら、なんと水曜日に加えて第三木曜日も定休日だった!
昨日受けとったレンタルのコンパクトフィルムカメラをカバンに入れて出勤。物理的事情が写真を撮る楽しさを思い出させてくれている感じ。 帰り道に写真を撮ってみたら楽しくて、ちゃんと機材を使いこなせている自信はないけれどきっと何かし���写っているものを見る日が今は楽しみ。
でも楽しんでいたらレンズキャップを落としてしまっていて、少しUターンして発見。
そのまま歩いて駅へ向かい、折り返しの電車に乗ると既にぐっすり眠っているサッカー少年がいて、彼はこのまま折り返して絶望しちゃう感じなのか、それとも到着した電車に乗って即爆睡しているのか、発車する前に起こすべきだったかなと、少し気にしつつこれを書いています。
昨日ふと、学生時代に出会った不特定多数の女の子達を思い出して、女の子をまとめた写真集作りもまた続けたいと思った。 今のこのご時世で“女の子”を括ることは難しいし危険なことなのかもしれないけれど、わたしが感じた写真の中の愛おしい存在は、はっきりと“女の子”だったので、そして当時女の子だった彼女達が今は女の子ではなくなっていて撮れなくなっているのも事実だったりするので、その残酷さにも素直に、だからこそ写真の彼女たちが大好きであることを作品にできないかな、と思っている。そして彼女たちに、もしも後から「私たちは“女の子”ではなくて本当は“男の子”だったんです」と、カミングアウトされた時、私は絶望して悲しくてこの写真を嫌いになってしまうのか、それともただ“女の子”という記号が入れ替わっただけでそれでも大好きが続くのか、そんなことを考えている。
年賀状を10枚買い足した。どうか色々治りますように。
12月22日 今日が冬至ということをぎりぎり思い出せてよかった。 夢に昔好きだった人が出てきて、お仕事や家庭に忙しい風貌にすっかり変わっていてもう全然好きじゃなかった。「まだ相対性理論聴いてるんだね」と笑われた。
寒くて慢性的な体調不良の兆しがあり、今日はロキソニンを飲んでしまった。
産業医の先生との面談があり、離れたキャンパスまで良くしていただいている職員さんに車で送ってもらう。車内で今日はホルモンを食べに行く、と教えてもらう。先週、一緒に写真展へ行った友人もクリスマスはホルモンを食べに行く、と言っていた。クリスマスホルモンが流行っている?
面談では主治医の無責任な対応(と、その時は感じた)に戸惑い怒っていることや満身創痍すぎて今月はお休みをとりつつ出勤したことを報告した。 「ちゃんと体調に対応できるように、助けを求められるようになってよかったですね」と言われ「今どうしたいかがわからないままでも別に良いと思いますよ」とアドバイスをいただく。 そのアドバイスにも、この場を穏便に済ませるためだけに言われている気持ちになって不憫な気持ち。
一期下の方から下瀬美術館のお土産をいただく。 下関の唐戸市場や門司港は��ても若者で賑わっていて、海岸向きのベンチは満席だったとのこと。父の実家が下関なのでかつて毎年夏に訪れていた場所だったけれど、そんなに賑わっていた記憶が全くない。
ロキソニンのおかげか、帰りながらこれからのやるべきタスク(年賀状、お掃除、日記の更新、ものを捨てる等!)を思い浮かべても特段焦ることができずぼやっとしてしまっている。
お昼休みに久しぶりに音声放送を聴いたら、セルフレジについて話していて、昨日コンビニのセルフレジで買ったフリーズドライスープを、その後行ったスーパーのセルフレジに誤って通してしまい、なぜかちゃんと商品がカウントされてしまって(スーパーでは取り扱いのない商品のはず)、でも取り消しして店員さんに説明するのがうまくいかない気がして、そのままスーパーでもスープを買ってしまったことを思い出し、今日は気をつけようと思った。 無いものを買ってしまって、昨日のスーパーのレジ計上はどうなっているんだろう。
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WHAT IS 野良?
(NETERO)
俺の中ではSHUは
チームってよりかは概念って感じで
捉えていて属してるような属してないような...
じゃあ俺らはなんなんだろうってなった時に
閃いたのが”野良”だったんだよね
押忍
今回はネテロ君に野良についてきいてみた.....
(OLDEN) 野良を始めたきっかけを教えて
(NETERO)きっかけ.......
最初はコロナの影響で体育館でバスケできねーってなって
SHUでもあんま集まれないタイミングもあって
ヨシキと空港公園に入り浸ってたんだよね
多分、俺が一人暮らししてたタイミングとかそこらで
半年くらい通ったかな?まあ、ハマってた時期があったんだよ
(OLDEN)そうなんだ
そこからどんな感じでチーム作るかって流れになったの?
(NETERO) SHUで出てた時は沢山勝ったよ。
でも勝つたびにチームは勝ったけど俺は出てないから
勝ってないみたいな感情になるんだよね。
ヨシキも似たようなこと思ってたから2人で
証明しようぜってなったんだよね
(OLDEN)その感じあるよね、嬉しいけど素直に喜べないっていうか
それでチームの動きになるんだ、なんで野良?
(NETERO)えーっと、俺の中でSHUは
チームってよりかは概念って感じで捉えていて
属してるような属してないような...
じゃあ俺らはなんなんだろうってなった時に
閃いたのが”野良”だったんだよね
どこにも所属してないし各々な感じだからさ笑
(OLDEN)面白い(笑)
響きもいいし意味もなんか通ってていいよね
(NETERO)英語でなんか
カッコつけた名前にするより日本語レペゼン的な?(笑)
(OLDEN)いいね(笑)
そんな野良のメンバーはどんな感じで集めていくことになるの?
(NETERO)テルマサはヨシキと同じ中学卒業で
俺も地元近くて前から一緒にやってみたいねって話してたんだよね
それでマサキからルイも一緒にやってもいいすか?って感じで
聞かれたからOK!って感じでメンバーが増えた
(OLDEN)そっか、地元一緒か!そんな感じで合流したのね
ナオはどんな感じ??
(NETERO)ナオは俺から連絡した。
「ヨシキテルマサとチーム作っけどやる?」
って聞��たら即答だった笑
ナオはスタイルいいしプレーに華あるし
不良みたいなビジュアルだから最高だよ(笑)
(OLDEN)確かに(笑)
あ、それでトシキも入ってくる感じになったの?
(NETERO)あいつはフーズに時ベンチ見たらいたんだよね(笑)
(OLDEN)そんなことあんの??(笑)
トシキはやっぱ違うな、一味
(NETERO)気がついたらフーズの時、来てたって感じ(笑)
お前に関してはそのうち入るっしょって思ってた
思ったよりタイミングが早かった
(OLDEN)誘ってもらってよかったよ、楽しんでる
実際活動してみてどー?
(NETERO)試合自体はだんだん良くなっていけてると思う
悪いとこ修正しながら進めてる感じ
この間は、まず一節勝てたし最高だったよ
次は続けて勝てるようにかな
(OLDEN)この間は良かったね本当に
(NETERO)あとは、みんなとゆっくり飯でも食べたいね
(OLDEN)確かに、もっとチームで理解し合えたらいいよね
野良的には今後の動きとかあったりする?
(NETERO)深く考えてないかな
(OLDEN)いいね、そんくらいの感じが
2023.12.15
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Special TY in Bangkok 2023 October
ペンミの話は別スロットに書く(予定は未定)
コロナ後3回目のバンコクへ行って来た。メインはテギョンのファンミーティング。マイレージだったからなんとか予約出来た2日も前の木曜にバンコク入り。超早朝着であっという間にイミグレ出れた。空港で両替屋が開くのを待ち、エリアリンクの始発5時15分位ので市街地へ。車窓に広がるバンコクの街がだんだん目覚めて行く。今回は久しぶりにシーロムに泊まる。シーロムはHouse Partyのプレスコンファレンスが行われた、今は無いDusit Tani ホテルがあった所。ニックンのウギョルの撮影も行われた由緒あるホテルがあった地区。今は建て替え中。
予約したのは繁華街のタニヤ通りから程近いホステル。アーリーチェックインを前もって頼んでおいたら快諾。ところが行ってみたら誰もいなくて、オートロックで入れない。仕方なくホステルの前のベンチで待つこと30分。チェックアウトのタイ人男女グループが出てきたので、その隙に���ゃっかり中に入り込んだ私は泥棒か?エアコンが効いたロビーで充電しながら待ってるとようやく従業員がやってきた。今日から宿泊予定で、アーリーチェックインを頼んである、と伝えるが、全く英語はダメらしく、スマホの翻訳機を示された。なんとか交渉し、掃除する彼女を待ち、8時には部屋に入れた。部屋はこんな感じ。清潔だし広さ十分。これで4泊で2万円切る。
到着日のランチはタイのハレスとシーロム近くで約束してたから、それまで部屋でまったり過ごす。
ランチはやっぱりタイ料理。4ヶ月ぶりの現地タイ料理が安くてなんと美味しいこと。そこでテギョンが今夜来ると情報ゲット。一旦彼女と別れ、また夜に空港で落ち合うことにする。
空港では懐かしい面々に再会。お迎えはKhunチームとテギョンチームで何故か左右に分かれる。別に両チーム仲がいいのに(笑)お迎えも見送りもコンバインした動画がこちら。日本人は私しかいなかったかも〜
帰りは明日も遠出に連れてってくれるタイペンチングがホステル近くまで送ってくれる。
金曜はタイは祝日。3連休の週末はバンコクから脱出する人が多いらしく、道が空いているからと(確かに渋滞もなくスイスイ。おまけに祝日は高速料金無料らしい)、郊外のミシュランレストランでランチ。そのお店がこちら。
外装も内装もお味も全て合格のレストラン。過去にミシュラン⭐️を5回も獲得してるだけあり、珍しい美味しい料理を堪能しました。ここは味を守るためか、あまり支店は多くなく、本店はチェンマイのニマンヘミンにあるらしい。ニマンヘミンと言えばKhunJun.K ハネムーンカップルがカフェを訪れた通り。チェンマイにはまたゆっくり行きたい。
ランチ後はここから車で15分ほどの、ニューヨークへ(笑)ニックンがFinding The Rainbow 🌈 を撮影したニューヨークのカフェがバンコク郊外にあったとは😂確かに雰囲気はニューヨークだった🇺🇸クルー総勢でのクランクアップの写真もこの前で撮影したのは間違いなさそう。
https://davincafethailand.com/
翌日土曜日はいよいよテギョンFM。これまたホステルまで、別のKhunペンが迎えに来てくれる。ペンミ会場はリノベ中で店がほとんど空いてないからと、行く道すがら、クイッティオ屋(麺屋)さんで腹ごしらえ。
皆んな最初から2杯ずつオーダーしてたけど、食べきれるのかわからなかった私はとりあえず汁なしを1杯だけ注文。細いの太いの平たいのと麺の種類も選ぶのがタイスタイル。これが美味しいのなんの😋タイチングがテーブルにあったドライ魚を千切って入れてくれたのも美味だった。ペロッと平らげ、結局私も2杯目に。2品目はスコータイ風餃子スープにする。私が注文したら、それKhunママの得意料理よ、と言われた。私には作れないw
途中、私のお気に入りのタイのお菓子屋さんにも立ち寄ってくれた。
会場は結構遠かった。地図見てどっかの駅から歩いて行けるかなと思った私は浅はか。交通の便が悪く、噂通り廃墟のような(←タイ人も言ってるw)ショッピングモール。帰りはまた車で送ってくれたタイチングと打ち上げ。おこわご飯とコーンソムタムを早くもこの旅で2回目食べる私。
日曜はこれまたちょっと郊外の駅で待ち合わせ。ニックンとベクホが撮影したレストランに車で連れてってもらう。ランチタイムは家族連れで大盛況。なんとか窓側席を確保し、ニックンが注文した料理をいくつか注文する。ニックンは注文してないけど、私が大好きな白身魚の丸ごとディープフライปลาย่างราดพริกにもようやくありつけた。これが日本じゃなかなか食べれないんだよな。
ご飯の後はスーパーでラムヤイやらソムタム用ココナッツ砂糖、カバオソ��スやら例によって買い込む。ラムヤイはどうしても食べたくて、もっと少ないロットの袋を作ってくれるよう、友達がスーパーの店員さんに頼んでくれたら、店内一周してる間に用意してくれてた。なお今回一番買いたかったのはソムタム用スライサー。帰国してさっそく使ったけど、大根サラダにも使える👍
その後、仏教公園までドライブ。ここはワットではなく、公園。日曜とあり、近所の家族がハンモック張ったり、ピクニックしたり、散歩してたり思い思い楽しんでた。
立派な仏陀像があり、僧侶の会合とか開かれるホールも敷地内にある。広々としてて緑がいっぱいで実に気持ちがいい。タイの国土の広さを実感。あまりの広さにここで運転の練習する人がいるらしく、「ドライブ練習禁止」って看板が出てた(笑)
彼女に駅まで送ってもらいBTSでシーロムに戻り、ネイル屋さんに直行。実は朝も立ち寄ったけど、日曜朝は激混みだった。夕方のこの時間は空いてた。イケメンのお兄さんに、1日歩き回った(ほとんど車内だったとは言え)汚い足を洗ってもらってごめんね🙏マニュキアとセットなら50バーツ追加の550バーツで済むよ、と言われたけど、ペディキュアのみでお願いする。眼下でずっとイケメンのお兄さんが施術してるから、スマホばっか見てた私😅
無事ペディキュアを終え、ホステルでひと休みした後、夜はまたテギョンお見送りに空港へ。4泊5日で3回も空港往復する筋金入りハレスは私です。またも日本人は私だけだったかも。深追いはタイハレスに任せて、私は軽く済ませる(笑)帰りはすっかり深夜。また車で送ってもらう。空港の駐車場に行くと、彼女の車が出れない場所に別の車が停めてある。タイあるある。そこで始まりました。噂には聞いてたけど、実際見るのは初めての車人力押し。私は傍観者で🙏4人で押しのけ、無事車を出せました。5人乗りに6人乗って、途中、ハイウェイで土砂降りの大雨に雷。めちゃスリリングなドライブだった😆
翌月曜日はいよいよ帰国。当初は朝便に乗る予定だったけど、夜便が空いたのを見てすかさず変更。マイレージだから出来る技。今回シーロムに泊まることにしたのは、To Do Listミッションクリアのため。それはニックンが撮影で走ったルンピニー公園ジョギング。ルンピニー自体は行ったことあるけど、一度は走らなきゃ!が、ちょい寝坊し、既に暑くなりかけ。なんとか軽く一周駆け抜けた。軽くなのに汗びっしょり。テギョンタオルが役に立った💚
最終日、私にはもう1人会わなきゃいけない10年来の大事なチングがいる。有名大学を休学し、アイドル修行をソウルで頑張ったFちゃん。その夢をタイに帰国して叶えた。今はグループ解散しちゃったけど、たまにYouTubeアップしたり、元メンバーをサポートしたりしてる。透き通る歌声。もったいないから、これからもやめないで活動してね。その彼女、タイ語、韓国語、英語はもちろんのこと、日本語まで話せる。日本語の歌もご覧の通り。
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彼女が探してくれた洒落たタイ料理屋さんで美味しいランチを食べた後、2人でマッサージ屋さんへ向かう。彼女はタイ式、私はオイルマッサージを予約してもらってた。たっぷり2時間。オイルマッサージなのに、なんかガッツリ揉まれた😆SASUGAタイマッサージ!
と、完璧な帰国日のスケジュールを終え、最後は空港まで車で送ってくれた。出会った時は高校生だったのに、すっかり素敵な大人の女性になり���私も感無量。今回はママにお会い出来なかったのが残念でしたが、また会いにタイに来ます!
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19/05/23
起床のち非常に一日を始めたくない気持ちになり自重を支えるのも精一杯だったため、人生が停滞している、と友人に吐露してみたところ、踊り、なおかつ人生が停滞するということが世の中にはあるのか、遠い海の向こうで踊っている人はきっと人生が停滞することなんてないのだろう、という誤った認識を持ったまま生きていくところだった、とのことだった。そんな吐露が吐露を呼び、彼もなんかすごい世界で頑張っていて成果もかなり出ているということであるのに、それでも人生が停滞していると感じるらしく、停滞はどんな人の元へも訪れるようだった。世の中は知らないことで溢れている。
踊り、なおかつ人生を停滞させている自分に驚いてしまったので、会社に向かう電車内で、改めてわたしのやりたいことを書き出してみましょうの緊急ミーティングを開催した。しばし議事録にお付き合いください。
ワイナリーを巡る(ワイナリーを巡る旅) 必ずしも旅である必要はないが、旅と結びつけることにより旅に目的を持たせることが容易になり、かつ暇な週末などにワイナリーへ行かなければならないのではないかという焦燥感に駆られることもなく(なぜなら旅で行けばいいから)、また逆に旅という形を選択しやすくなり、結果旅の回数が増え、イギリス暮らしの思い出が増えて後々いい感じにもなる。
踊る 踊っている時はかなり絶対的に楽しい。これは私の人生における強みだ。たのしみがあるということは生きることを少し楽にする。土曜日のロッキンがものすごく楽しくて、ロックダンスも好きだし皆が作るグルーヴも好きだし、1時間半という時間配分も土曜の午後という時間帯も、全てがいい。今はロッキンクラスの良さを語る時ではないので軌道を修正しよう。踊りが好きな理由として、身体感覚を伴うところは大きなポイントだと思っている。身体感覚が優位になると、思考や感情に邪魔されないということが起こる。身体感覚が優位になると、なんかものすごい楽しい時間帯があったという事実が獲得され、余韻がおまけについてくる。これは別の物事にも応用できるポイントでもある。身体感覚が優位になりやすいことを判断基準に物事を選択すれば良いのだ。あとは音が鳴っている場所であることも好きなポイントだ。音。次は楽器だな。踊りに関する目標は、踊る頻度を増やし、踊れるジャンルを増やし、人と踊ること。
英語を学ぶ 第二言語は人生スパンのプロジェクトなので、こつこつ飽きないように続けるしかない。英語の完成を待っていたらどこへも行けない。以上。
音楽をやる いいことだと思う。これも、お金払って1時間存分にやらせてもらえるような場所があるなら通えばいいと思う。努力して継続をがんばるのではなく継続ができるような環境を整えることである。
写真を撮る いいね。持ち歩きが楽、小さい、丈夫、かつ写り方が大好きな相棒を手に入れるのがよいだろう。日々の記録。
好きな服を着て好きな髪型をする いいね。難しいことじゃないよ。
お気づきだろうか、仕事に対して全く向き合っていないことに!気泡を割っていないことは、具体的に言えばやりたい仕事に取り掛かっていないということなのだ。やりたい仕事って何?と自分に問いかける度に、わたしはただ決められない。好きを大事にする覚悟も嫌い���貫き通す覚悟もなく、決められないから、移動しているようでしていないのだ。仕事ってやっぱり人生だ。どんなに目を背けようとしても、仕事で満足したい気持ちが消えん。踊っても停滞しててかっこわるいねー。
踊っても停滞しているため、ベッドに潜り込んで深夜食堂を一気見する夜を過ごした。元気がない時はおいしい番組がけっこういいかもしれない。本当に元気がなかったら眠るのがいいと思うけど、本当に元気がなくなりそうだったけど、深夜食堂を観ていたら食欲が湧いてきて8話目くらいで耐えられなくなって、お弁当用でタッパーに作り置きしていたパスタを解凍して食べてしまった。
次の日は木曜日だったため、木曜日は会社近くのデリ屋(デリ屋)がビーフラザニア(チップス付き)を販売しているため、それを買い求めた。外へ出ると、遠くでいい音楽が鳴っていたため、ラザニアを携えて音の鳴る方へ歩いてゆくと、DJが爆音で音楽をかけていたため、少しうるさかったため、DJセットの後方ベンチに腰掛けてラザニアDJ。ラザニアは木曜のたのしみとしているのだが、週1の頻度はちょっとくどすぎる。ラザニアはただでさえくどいのだから月1程度でよいだろう。DJにもらった元気も夜には底をつき、買い物に行く力が出なかったため、お弁当用でタッパーに作り置きしていたパスタを解凍して食べてしまった。
ついに金曜日である。いつもは始業前に行列ができているテント小屋みたいなコーヒー屋も暇そうである。仕事おわんねーフライデーとなり、なんと12時間も働いてしまいました。仕事がよ。家に帰るとお味噌汁が飲みたい口になったため、同僚に貰い、飲むタイミングを図っていた「アマノフーズ いつものお味噌汁 ほうれん草」を飲むためにお湯を沸かし、お湯を160ml注いでお味噌汁を飲んだ。アマノフーズはフリーズドライの技術がとってもすごい会社である。お味噌汁のフリーズドライなら容易く想像できようが、なんとカツ丼、親子丼、果てはアイスクリームまでフリーズドライにしちゃったのである。海外暮らしにおすすめ、アマノフーズのフリーズドライ。取り扱いは通販のみとなっております。ちなみにまじでうまい。ほうれん草が生のほうれん草。
今週もまた週末がやってきました。5月は3連休が3回あって、ゴールデンウィークがどーんとあるより個人的には好みなのだけど、明日からのは普通の土日。
イギリスは普通にまだ寒いけど、梅雨がないのはいい。夏来るのかな。
追記
目の付け所が暗すぎる。もっと自分を対等に扱って、良いところも書き出してみたらどうか。ダンスをやりたくてついに再開したのは大きな進歩ではなかろうか。更にもう4ヶ月も通い続けており、継続という目標も今の所オッケー。他に褒めるとこね���な...。客観的に見たらえらいことでも、自分の欲望に忠実でなければ自分を褒めることはできない!手放すな、欲望は君の命だ、です。
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建築探訪 姫路編
兵庫3日目のまとめ。
おはよう明石海峡。四国には何度か訪れていますが、瀬戸内のおだやかな風景はいつも美しい。
最終日は姫路へ。
待っているうちからすでに電車気分なホームのベンチ。
駅で自転車を借り、サイクリングで、憧れの姫路城!
友いわく、改修直後はもっと白かった、ということですが、十分に白く美しい白鷺城。
ここで暴れん坊将軍のテーマが頭を流れるが、いや、あれは吉宗なんだから江戸城だ、と思い直すも、近くにいたガイドのおじさんが「暴れん坊将軍の天守閣はこの姫路城です」と説明していたのを小耳に挟む。
まずは、西の丸にある百間廊下から。
長い長い廊下の先に化粧櫓とよばれる千姫が正室として過ごした場所があります。
千姫というと、大阪夏の陣で、夫の豊��秀頼が自害した戦火の中、井戸の底で(というのはいつだかの大河ドラマの脚色かも)逃げ延びたお姫様、そのあと姫路に嫁いでいたと知りませんでした。
化粧櫓と天守閣。
そして本丸へ。
城壁の一部、網がかかったところが伝説の姥ヶ石。
姫路城に初めて砦が築かれたのは南北朝時代、赤松氏が始まりと言われているが、その後城主が変わりながら名実ともに『姫路城』となったのは秀吉の時代。秀吉が天守閣を築城する際、石不足で思うようにはかどらなかったところ城下に住む老婆が石臼を差し出し、秀吉が喜び、天守の土台に埋め込んだ。という言い伝え。(関ヶ原の合戦ののち現在の姫路城を作ったのは池田輝政)江戸時代のお城は、石不足のため、転用石なる古墳の石棺も利用していたとか。
見上げた姿も美しく。白く細かな垂木。
石垣15.18m、建物31.18m、天守閣高さ46.3mで、地階から6階まで。
東西2本の通し柱、地階から5階までの長さとはすごい。昭和の大修理の前は37センチ傾いていたそう。江戸の初期は、建物の重さで大柱が歪んで建物全体傾いたのを、多くの支柱で補修してきたとか。そうこうしながら、今に至るとは、人間ってすごいなと思ってしまいます。
急勾配の階段を上に向かう。一歩踏み間違ったら、下にいる人もろとも落ちると思うと緊張感の増す階段。
たどりついた最上階からの眺め。
無事地上におりてきた。青空に、しらさぎのごとく映える。
お隣の好古園で、
お茶をいただきました。
お昼時、あちこち混雑しているので、ひとまず姫路おでん。生姜出汁。
そして、自転車でひとっ走り、兵庫けんちく旅の締めは、姫路文学館。安藤忠雄設計。
姫路城をのぞむロケーション。
奥に建つ大正時代の旧濱本家住宅も素敵でした。
そして旅の大ラスは、忘れてはならない明石焼き。明石に移動して、友おすすめの店へ。
明石焼きって、玉子焼きっていうのか!知りませんでした。注文したあと、しばし並んで待つ。
お店に入ったらすぐに玉子焼きが運ばれてきました!出汁につけるもよし、ソースをつけるもよし、ふわふわとろとろの具合には、出汁が美味。熱々をうほうほ言いながら頬張る。
こうして、兵庫の3日間が終了。2019年以来のどっぷり建築を見て歩く旅、美味しいものも堪能でき、楽しすぎる濃密な3日間でした。友に心より感謝。
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本拠地、横浜スタジアムで迎えたソフトバンク戦 先発大貫が力投、打線も爆発力を見せて快勝だった スタジアムに響くファンの歓声、どこからか聞こえる「来年は100勝だな」の声 大盛り上がりで帰り始める選手達の中、旧横浜のエース三浦は独りベンチで泣いていた TBS横浜で経験したどん底、絶望、孤独、そして何より信頼できないチームメイト・・・ それを今の横浜で見ることは殆ど不可能と言ってよかった 「こうすれば良かったんだ・・・」三浦は嬉し涙を流し続けた どれくらい経ったろうか、三浦ははっと目覚めた どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、暖かいベンチの感覚が現実に引き戻した 「やれやれ、早く祝勝の準備しなくちゃな」三浦は苦笑しながら呟いた 立ち上がって伸びをした時、三浦はふと気付いた 「あれ・・・?お客さんがいない・・・?」 ベンチから飛び出した三浦が目にしたのは、内野席ですら閑散としたガラガラの横浜スタジアムだった 恐ろしい程に静まり返り、ちらほら聞こえる観客の声も罵声ばかりだった どういうことか分からずに呆然とする三浦の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた 「ダイスケさん、守備練習です、早く行きましょう」声の方に振り返った三浦は目を疑った 「し・・・修一?」 「どうしたんです先輩、居眠りでもしてました?」 「よ・・・吉村?」 「なんだダイスケ、この後飲みにでも行くか?」 「大矢監督・・・」 三浦は半分パニックになりながらスコアボードを見上げた 1番:松本 2番:石川 3番:内川 4番:村田 5番:ダン・ジョンソン 6番:吉村 7番:藤田 8番:細山田 9番��三浦 暫時、唖然としていた三浦だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲しか無かった 「勝てない・・・負けるんだ・・・」 ベンチに無造作に置かれたままのグラブを拾い上げ、グラウンドへとぼとぼ歩く三浦、その目に光る涙は悔しさとは縁しかないものだった・・・ 翌日、ベンチで冷たくなっている三浦が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った
【え?】MVP桑原「悔しくないんか!」は言ってなかったwwww - YouTube
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7/28(日)U-10ブロックリーグ in 能登川東小学校 能登川メテオ(4年生)と能登川ステラ(4年生と3年生)の2チームで参加しました! 能登川ステラはメインコーチが休みのため、 監督がサポートに入りました(^^) 1試合目の前半はコーチの求めることと、選手の理解に ギャップがあり、チグハグなスタート、、、 何を修正指示されているか 選手は分かっていないというか、腹落ちしていない感じ。 フォーメーションなどもコーチだけ考えていても選手が理解していなければ意味がないと考えています。 良く分からないことはわからないということ、 やりにくいとか、もっとこうした方が良いと思うことは 選手が我慢せずにコーチや監督に言うこと。 試合中にも気付いた点は仲間と話すること。 チームをより良く変えていくためにこんな話をしました! 4年生は2名、後は3年生ですが、 非常に面白いサッカーをします(^^) この日も試合を経験する中で成長を見せてくれました。 見ていた保護者さんもそう感じてくれたと思います。 良い仲間が揃っています。 チーム全体を底上げしていくことで、強くて一体感のあるチームにしていこう! 時々、試合のベンチにも入ってみんなの成長を監督の目で確認しますね。期待しています。 能登川メテオは4年生のみのチーム。 個の力は抜群ですが、オフザボールの時に足が止まり、 個の力で突破するものの、なかなか連携が見られません。 よく見ると、 最後のパスが雑だったり、ドリブルも長い距離進んだ後が雑になりがち。ボールホルダーはここをしっかりやり切ること、ボールを持っていない選手はパスをもらう最適な位置に移動する&身体の向きをつくることをサボらずやること。能登川メテオも粒揃いの素晴らしいチームなので、高い要求をします! 特にチームの柱になるような選手は誰よりもこだわってプレーしていこう! とにかく猛暑でした。 能登川FCから本部や両ベンチのテントを用意して、 待機場所はピロティを利用していただき、 クーリングブレイクを確保して試合を進めました。 それでも厳しい暑さでしたね🥵 対戦いただきましたチームの皆様、ありがとうございました! 早朝から準備し、最終の後片付けまでご協力いただきました能登川FCの保護者の皆様、ありがとうございました😊 また、誰よりも早くグラウンドに来て準備し、 審判や選手のコーチングをして、最後の後片付けまで 責任を持ってやってくれたらコーチ、 今日のMVPは貴方です(^^)🎖️
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お休み。午前中にお風呂に入り洗濯物を回し、そのまま作り置きを作る。料理の手際が悪すぎて気づいたらかなりの時間を要している。高知で仕入れてきた土佐和紙の名刺サイズの紙を、活版屋さんに発送する。いっておいで〜!また会える日をたのしみにしてる
昼過ぎの便で宇野へ出る。所得税の最後の支払いを済ませ、週末しかやってない野菜屋さんでにんにくと玉ねぎを買う。というか、所得税もだけど区民税高すぎて失笑です。確定申告失敗したんだなあ、経費が少なすぎたってことは今年はもっと経費使わねば。それにしても去年の収入でなぜこんなに納税が高いのか意味がわからない。
先月から利用し始めた編集室で仕事。誰もいなくて一棟貸切状態。請求書を出し、gの案件でお願いしているイラストレーターさんへの修正点の確認と文字のラフ案だし、Iくんの名刺レイアウト案出し、もろもろメールなど返していたらあっという間に時間が過ぎる。なによりコピー機が同じ空間にある豊かさよ、さすがに実家から送ってもらうわけにもいかずやっと当たり前の環境を手に入れた。
アイスを食べてコーヒーをいれ、イラストレーターさんに修正を戻したら終フェリーの時間。食器やらを片して、帰路で金麦を買って出発までベンチで飲む。おつかれさま。
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2024.05.23 木 午前 2:09 ・ 32分 17秒
ㅤ聖33
今日はですね、ちょっと私が朝寝をしすぎてち。こんにちは。豊島美穂です。収録している今日は6月23日金曜日です。
今日はですね、ちょっと私が朝寝をしすぎて時間がなくなっているので、さくっとね、本題から行きたいと思います。今日はね、勧誘の話をしようと思ってるんですよ。私が今、皆さんを勧誘しようとしてるわけじゃなくて、私が受けた勧誘の話っていう。なんかね、新宿109健三っていうyoutubeチャンネルが。
それを夫から紹介されて、なんかいわゆる突撃系youtuber、ちょっと迷惑かけてる系なんだけど、それが相手がマルチの勧誘に限ってんですよ。マルチの勧誘を見つけて邪魔するっていう。
ただね、ちょっと、なんていうのかな、それで、その法による制裁に結びついてればね、なんかこう、本当に正義の味方っていうか、皆さん、ぜひぜひみたいな感じだけど、ちょっと、なんていうのかな、死刑、私に刑法の刑って書いてた。
ちょっと自分が、社会学に対して、自分が裁こうとしちゃってる感じがね、���果としては、どんぐらい、その
本人のチャンネルやってるケンゾウさんがそこまで思ってるかどうかわかんないけど、形としては、そういう形になっちゃってるから、なんか、ちょっと、ねこも手を上げてぜひどうぞとは言えないから、リンクも貼らないんですけど、そういうチャンネルがあるんですよ。で、夫はなんでそれを知ったかって言うと、いつもそんな焦ってるみたいな感じじゃないですよ。なんか、 バックスペースfmっていう、知ってる人はもうめちゃくちゃ知ってるテク系のポットキャストがあって、そこでね、とある方が雑談で出してたらしいんですよね。それで、おも2、3本見たぐらいって言ってたんです
けど、なんか、その、そのバックスペースでやってたモノマネを、夫もさらにモノマネして、モノマネのモノマネみたいなさ、ケンゾウさんのモノマネのモノマネみたいなのが、うちの中で発生してて、私も、じゃあものまねの元がどんなか見てみようと思って見たんですよね。
そのマルチの勧誘現場に行って、なんかこう、モノマネはやってね、やってねみたいな感じなんですけど、マルチとか投資詐欺の会場にも突っ込んでいって、みたいな、そういう感じなんですよね。そういうの、私もいくつか見て、へーと思って。私ね、こういうマルチとか詐欺の勧誘には、人生で1回も会ったことないんですよね。
多分ね。それに会う人って、ある程度こう、友達を増やそうとしている人っていうか、人間に対してオープンじゃないと、そういう機会もないんだと思うんですよ。
本当のポチ系人間は、多分マルチの勧誘に。でも、今はあれか、道を歩いてても、そうそう道でなってね、声かけてるみたいでしたもんね。
なんか渋谷の駅前とかでさ、そのマルチ的な人たちが待ち合わせ場所にもう混じってて、ナンパみたいな感じで。ナンパじゃないから、別に異性に声だけだけじゃないけど、もう、ほいい、ほいほい、どんどん、どんどん声かけていくんですよね。
なんか私たちがさ、そういう待ち合わせ場所にいるような若者だった時代って、あんまりね、そういうことなかったよね。
なんか、原宿とかでよくあるのが、そのアンケートモニターになってくださいって言って、アンケートに答えると、もうちょっとみたいな感じで、どっかの部屋に連れてかれて、エステの、工学エステの契約をさせられるみたいな、その、マルチっていうよりも、単発で、 このロンくまされちゃう、お金取られちゃう、そしたら、その自分の身の丈に合わない契約をさせられるっていうものはあるらしかったけど。
なんかね、そういう、これから自分も加害者側に回らなきゃいけないような、加害者っていうか、あれですね、ちょっとまちの人たちは、その法律に違反した勧誘しちゃってるからね、 なんかそういうことをさせられるっていうわけじゃなかったじゃないですか。でも今はね、そういう感じもあるらしく、ぼちで、でも、もしかしてね、声かけられてるのかもしれないですね。だから、私が会ってきた勧誘っていうのは全部宗教なんですけど、 なんかそういう話をしようかなって思いました。時期がね、なんか自分の中で1番すごい勧誘を受けた時期が今なんですよ。多分、
その、今旬のとある果物にすごく関係した話なんですよね。日付を覚えてるわけじゃないんだけど、ああ、その果物を見ると思い出してしまうっていうね、話があるんですよ。それは後ほどよろしくお願いします。
じゃあ、今週も行きたいと思います。第33回になります。聖なる欲望ラジオ。
なんかね、また最初に断りを入れたい性をっておきたいんですけど、なんかね、新居の自由が本当にあると思うんです ね。当然ね、人としてさ、どんな宗教を信じててもいいと思うし、不況の自由もあると思うんですよね。人に声をかけることが全部ダメなわけでは全然ないんですよ。
私がでもちょっとやめてほしいなって思うのは、それと、わからないように声をかけて、逃げられないような場所とか形を作って、そのさ、圧倒的有利な状態で話を進めるのは、それはどうなんだろうっていうことを言いたいんですよね。
そういう形を取んないでさ、本当に布教したいのであれば、この宗教がいいのであれば、自分のさ、生きてる姿を見るだけで、この人素敵だな、こういう風になりたいなあ、こんな宗教信じてんのか。私もやろうっていうのが1番さ、理想的な宗教の広め方だと思う から。なんかそういう意味で、このフェアじゃない方法は良くないってことをこれから喋りたいんですよ。だから、宗教を否定してるわけじゃないし、布教してしてしてるわけでもないっていうことはね。そんな宗教の人が聞いてるかわかんないけど、そういうことは念頭に置いていただけると幸いです。
それでですね、1番最初に勧誘に会ったのいつかなって思って、考えてみると、なんか結構やっぱ東京出てきてからかなって思ったんですけど、その前に1回あったんですよ。
修学旅行で。中学の修学旅行は行き先が北海道で、東京から北海道か選べるんですよね。その学年ごとにうちは北海道にしたんですよ。
で、何日目かで札幌の自由行動あって、札幌しないでさ、大通り公演とりあえず行ってさ、午前中に今も大通り公演に何しに行ったんだろうって思うんだけどさ、なんか大通り公演に行くもんだみたいな空気あったから、大通り公演行ったんですけど、なんか、そしたらさ、
なんか疲れており、声って、なんか超長いじゃん。あんま覚えてないですけど、大通り公園って、そう、1回きりだからさ、なんかそこでベンチで休んでたら、なんか結構おじさん、おじさんにちょっと片足突っ込んでるかな。ぐらいの確かおじさんが声かけてきて、 なんて最初声かけやったか覚えてなかったんですけど、なんか、なんか、何してるんですか。みたいな言われて、修学旅行で来て、もう歩き疲れたから休んでるみたいなこと、私たちが3人組だったんですけど、言ったら、癒してあげましょうみたいな感じで、ちょっと
ね、いいですか。って言って、手をかざしてきたんですよね。だから、手かざし系の宗教、ちょっと正式な名称は、すいません、ちょっとその時聞いたんですけど、忘れちゃって。でも、手かざしってみんな呼んでるよね。それでさ、そんで、 どうですか。何か感じますか。って言われてさ、なんか、でも、私たちもさ、そんななんていうの強めじゃないからさね、教室ではちょっといってるけどさ、言ってるけど、そんなさ、おじさんに急に感じねえよとかいうような、やかじゃないから、あ
あ、ちょっとそういえば、なんかあったかいような気がしますみたいな感じで、ちょっとちょっと、合わしちゃって、そしたらさ、おじさんも、なんか、ニコニコの感じでさ、なんていうの、 そんなにしつこくなくて、全然、なんか、どちらから飽きましたか。って言われて、そんな、言っちゃうんですよね、素直に。秋田県の小中学校です言ったらさ、なんか、手帳かなんか、多分、開いて調べて、ふむふむって。んで、じゃあ、1番近い支部ね、湯支部あるんでって、なんか、ここに。みたいな、こ、次女とか、なんか、その教団の名前をメモってね、ですって去ってたんですよね。
なんかそれが多分人生最初の宗教勧誘ですね。
なんかそん時はもう恥ずかしくてさ。なんていうの。やっぱり大通り公園で声かけられてる時点で、もうその修学旅行生ってバレてるわけじゃないですか。平日の昼だから、その地元の子がサボってるっていうよりは、修学旅行生なんだなって思うかもしれないけど、なんかどうしても、なんかもくて声かけられたみたいな風に思っちゃって。
なんていうの。好きがあるっていうかさ。
その、東京と北海道を選べるって言った時も、修学旅行先でさ、田舎者だから東京みんな行きたいんじゃない。ってね、こっちの人は思うかもしれないけど、逆ですよ。なんかもうさ、その、1番さ、その1軍グループの女子が東京なんてまじありえねえよなみたいな感じで、そんなこんなダサいセって東京歩けねえよみたいな。これ、この姿をもう東京で探したくないっていう 結論になってて、それを聞いたうちら、こあで、ですよね、ですよね。みたいな感じになってさ、札幌にしたのに、その結果、やっぱモくて、声かけられてんだって思ったら、もうか。ってなっちゃってさ、
恥ずかしくて、すごい早く終わんないから、これみんな見てるよみたいな感じで。でも、あれでしょうね、札幌の人たちにとっては、すごくそれが日常的な光景でしょうね。大通り公演さ、いつも来る人たちは、あ、また修学旅行生が宗教に声かけられてるわって 思ってでしょうね。
うん、でもね、別にしつこくないからいいんだけどさ、でも、なんか、なんか、なんかね、なんかやっぱちょっとしといてほしいっていう気持ちはある。なんかそれだって修学旅行最大の思い出になっちゃってさ、学校に出す作文に書いたからね、なんかそれそれメインで書いたから、その、おこ修業の改良されたっていうさ
ね。 そこまではね、そこは正直、笑い話ぐらいで済むんですけど、当然あれです、支部に行ってないですよ。おじさんもなんか本気じゃないっていうかさ、なんかこう、なんらかのさ、種を100分の1が目が出る種を巻いてるぐらいの気持ちだからさ、多分ね、 それ、なんかあんま、さっき言ったさ、その勧誘のいい形、悪い形で分けたら、まだいい形の方な気がするんですよ。でも次がさ、東京来てから、やっぱりね、なんかその悪い形があって、
大学1年生の時に吉祥寺で高校の時の友達合わせて遊ぶことにしたんですよね。私浪人してるから1年みんなより遅く東京来て、ほんで久々に会おうとか言って、じゃあ吉祥寺にしようかって。真ん中ただしみたいな感じで。私、大学1の時よくすごい吉祥寺行ってたんですよ。でもこの時はまだあんまり慣れてなかったかな、 なんか、そんで何する何する。みたいな感じで。吉祥寺がさ、なんかこれ、あんまり話すとすごい今日の話題からずれてっちゃうと思うんだけど、吉祥寺が今の姿と、
大的にする00、01年なんですけど、2001年の姿って多分全く違いますよね。私、どんどん亡き後の吉祥寺にはもう近寄らないようにしてるからさ、あまりに人が多すぎて。
あの頃はね、そんなにめちゃくちゃ混んでるっていうことはなくて、なんかちょうどいい町だったんですよ。でも、なんかやっぱ出てきた手だからさ、何をしたらいいかもあんまりわかんなくてさ。
なんかよく友達と言ってたのは、なんか上から下まで冷やかして回るっていうのめっちゃよく知ってたし、その子ともその日しかなって思うんだけど、その時はお金結構使いたい気分でね、せっかく東京来て、本当東京来て間もなかったんでしょうね、なんか占いの看板が目に入ったんですよ。手相占いの。
なんで友達にね、なんとか、じゃあこれやってみない。って言って、占い行ってみようよって言って、飛び込みでね、占い方みたいなとこに入ったんです。
で、別に並んでなくて、ちょっと1人ぐらいは待ったかな、1人分ぐらいは待って、でも大体2人同時に別々のブースにうまいぐらい入れて、あんまり時差なくね、へそを見てもらえて。
で、そう、占い自体はね、変なところはなかったんですよ。こう、喋りながらさ、さささって結果を紙に書いてくれて、この線の様子もさ、こう、生命線がこう、運命線がこう、みたいな感じで書いてたような気がするな。
私はさ、それで、25歳で、社会的てこう、社会的名声を得るって言われてさ、それを信じてさ、ちょっと信じすぎてずっこけたみたいな感じがありますけども、ちょっとさ、それで、ホクホクになってたその紙を手にしたんだけど、その、占いが終わっ��後に、なんて言われたんだったかな、 なんか、
形をもらったんですよね。形が。わかります。その人の形に切ったさ、わしみたい、白いわしわし。なんかな、あれ、なんか、ぺらっとした紙で、形自体は、別にね、人工宗教特有のものとかじゃなくて、別に、神道でも普通に使われるものかなと思うんですけど、 その、昔ね、おじいちゃんが送ってくれて、毎年、その6月、12月になると、 それを、なんか、う、体中ペタペタって、こう、服着たままですやって、最後にフって息吹きかけて、なんか、それを、なんか、う、書き上げても、なんか、なんか、してもらうと、なんか、すっきりすっきり、新年とか、次の半年を迎えられるみたいなアイテムなんですけど、
なんか、それを持って、なんか、ここに行くと、なんかもっといいことがあるみたいなこと言われたんですよね。その行く先が神社だったらさ、なんか言ったかもしんないって。でも、行かねえかな。吉祥寺が遠かったし、 神社だったら、また考えるけど、なんとかセンターってついてたんですよね、 なんか。それで、なんか、なんかこう、あって思ったんですよ。悟って、これって、なんか、こうやって普通にさ、町で占い屋さんの形してるけど、なんか宗教の入り口を作ってんだってその時に気づいて、
友達出てきた後に結果報告した後に回った。って聞いたら、うん、終わったって言ったから、お前もしやったわって言って、絶対行かないでって言って、その紙は捨ててもらって。
そんな感じでさ、なんか東京怖いなと思った出来事ですね。あれってさ、なんなんだったのかな。吉祥寺のそこだけなんですかね。
他にね、私別に占いいろんなとこでいろんな、そんな頻繁じゃないけどやってるけ、そういう目にあったのはそこだけだったからね。割と珍しいのかどうなのか、あんま調べたこともないんですけど、なんか隠してるのは良くないし、
なんか占い屋さんっていう形もなんだかなって私思いましたね。私たちは多分、なんていうの、学生でさ、別に悩み事とかもなくてさ、2人ではしゃいでる感じはきゃきゃって元気そうな感じだったから、ちょっと最後に添えるぐらいで済んだかもしれないけど、 占いに来る人ってやっぱもっと弱ってる人たちもいるじゃないですか。なんかそういう私たちもはやもうエンタメってひかしっていうか、そんぐらいの気持ちで言ってるからあれだけど、もう本当にどうしよう、この後どうすればいいんですか。みたいな感じで来る人たちには、もしかしてね、もうちょっと踏み込んだ後と言ったり、こうすればまた幸せがあります、ぜひこうしてくださいっていう
形で言って、うん、引っ張ってるのかもなっていうこともね、今になれば、その時は思わなかったけど、なんかみんなにこうやってパパって渡しただけかなと思ったけど、そうやって人によって踏み込む度合いを変えてたかもしんないなって、今になれば思いますね。
同じ業態が今もあるかどうかはわかんないです。でも、ちょっとね、頭の隅に置いといていただけると。あとは、勧誘って言っても、町でちょっと声かけられるみたいな、中心で、あれですね、家にピンポンって
食うのは来ても来てもドアは開けないからか。来たこともあるけど、ドアを開けないからなんかそういうめんどくさいことになったりとかしたことはないし、道で声かけられてもちょっとすいませんつって遠慮しますって。
大学の周りはすんごい多かったですけどね。うちの大学の周りはすごい。その、キリスト教と名乗ってるけど、キリスト教の系統では決してない何らかの宗教が結構力があって、 そう、大学中にも入り込んでんですかね。多分そうだと思うんですけど、その、勧誘は結構いっぱいあったかな。でも慣れてて、あれかって問題は別にすっていう感じなんですけど。
それでですね、そういうのと、その、街で声かけられるとかと違う性質の勧誘を受けて、それが今までの人生で、その、最大のね、勧誘だったんですよ。ちょっとそれ、これから詳しく話しますね。
私が20、2歳かな、23歳、23歳の大学出てすぐの、本当すぐの年の話です。
下町系のさところに住んでたんですよね、今まで。今までいろんなとこでさ、ほにゃほにゃくに住んだって話をしてるから、この中で下町はどこかっていうのは、すぐね、よくこのポッドキャスト聞いてくださった方はわかると思うんですけど、ちょっとここで話しますね。
まず、町のとこに住んでて、で、アパート暮らしだったんですよね。アパートっていうのもあれなんですけど、なんかちょっとよくある感じの、大家さんが 広めにおっきめにうちを建てて、大家さんも一緒に住んでて、一緒。そう、もちろん玄関別ですけど。で、なんかビルで、少ない個数だけど、人に貸してるみたいな、そういう感じの物件だったんですよね。
そんで、最初に入居してすぐ、ちょっと1つあったんですよ。それは、入ってすぐに、私のところだけに、私のポストだけに、ある。朝、
新興宗教の問わず、新興、新宗教ぐらいかな、ブックレットがさ、分厚いブックレットが入ってたんですよね。えって な、なんか、なんで私が引っ越してきたこと知ってるんだろうっていうのがまず1つ、ちょっと怖いじゃないですか。そんで、もう1つ怖かったのはさ、 結構、本当分厚かったんですよね。それがちょっと、宗教ってよくパンフレット配ってるけど、もうペライチみたいな感じじゃないですか、いっつも。でも、それはもう本なんですよ。だから、なんかもう、最悪さ、それ自体が商品だったらどうしようっていうことも考えたんですよね。
これを受け取ったことで、なんか後で誰かが家に来て、読みました、100円ですとかって言ってきて、どうしようと思って。00円とか絶対払いたくないから、なんか私、それ取んないことにしたんですよ。受け取んないことに。
だって、そのさ、引っ越してきたことを知ってる誰かが置いてるだけでも怖いからさ。で、部屋番号も私の部屋番号のとこに当然入ってるわけだから、その人、集金しに来ることも全然可能じゃないですか。
あ、この人、本受け取った。行ってみようってできる立場の人がやってるってことだから、え、めっちゃこわ。と思って、意地でも取んない。と思って、そのまま
何か月か郵便を受け取り続けたんですよね。そのでっかいポストに1冊のブックを入れたまま、他の郵便物を書き出して、書き出して、回収するっていうことをしてたんですよ。
そんなことがあったんですけど、何も起こんなくってよかった、別に何も起こんないわって思ってたんですけど、ある日ね、多分、 いや、わかんないな、朝、その日、何時ぐらいに初めて家を出たかわかんないんですけど、その、通勤通学もしてない時期ですよ。大学出て1年目だから、一応、専業サッカーとしてやった1年目の年だからさ、
なんか家を出ない日は全然、多分夕方まで出なかったと思うし、でも、その日はそんなめっちゃ夕方にはなってなかったと思うんですけど、朝でもなかった。家を出たらさ、ドアノブにビニール袋が下がってるんですよ。
そんで、そこにさくらんぼが1箱入ってたんですよね、山形さんのさくらんぼが。そんで、手紙がつけてあったんですよ。
実家からさくらんぼが送られてきて、食べきれないので、よかったらもらってください。男子質ダメそれって書いてあんですよね。それがね、
ちょっとね、山形、実家が山形っていうこの状況がさ、ちょっと秋田県民の私には悪かったんですよね。そのさ、これがさ、山梨の桃だったら、 ちょっと山梨の人に悪いけど、山梨の桃だったな、ここまで思わなかったかなって思うんですけど、山形のさくらんぼさ、それはもう すごい、急に親近感抱くわけですよ。あ、山形出身の人いるんだって。私、秋田の中でもめちゃくちゃ山形に近い方の出身、でも、レジャーはどっちかっていうと山形に行くぐらいだから、山形出身の人いると思って、
しかもね、さくらんぼっていうのは、またさ、あれですよね、返せないんですよ、その痛みが。早い。
もうその場で、なんか、夕方さ、多分社会人の人だと、普通はね、みんな通勤通学してるから、返しに行くには夜返しに行くしかないけど、そんな夜返されてもさ、すごい鮮度落ちてるわけですよ。
今、私の胃に入れてあげることが、そのさらに対する1番のさ、ベストな、なんていうの。なんつうの。退場だからさ。
そんでもう1個。さくらんぼの特徴として、常温なんですよね。痛みは早いけど、冷蔵の品じゃないから、常温に置いとくべきもの。だから、ドアノブにかかってたのが何時間かあるとしても、食えないっていう感じではないんですよね。
その絶妙なセレクトのその手法のうちだったのかどうなのか、ちょっと今となってわかんないんですけど、私はとりあえず、さくらんぼは食べることを選んだんですよ。そのさくらんぼをね、返しに行くんじゃなくて、食べる。
そして、お返ししなきゃって思うわけですよ。そして、その手紙にはね、メアドがね、携帯のメアドが、ご丁寧にそうやってあったんですよね。とりあえず、なんかお礼をね、そのメアドに送ったんですよ。
何百何号室のとし、豊島じゃないけど、その本名でね。なんとかですさんもありがとうございました。もういただきました。美味しかったです。みたいな感じで。なんか、そしたら、 さらに返事が来たんだったか。手紙からさ、い、手紙に最初から書いてあったのかょっと忘れちゃったんですけど、
なんか、その人は、今度、お茶でもどうですか。みたいな。やっぱ、メアド把握して、メールしてから、その返事かな。お茶でもどうですか。って、何曜日になん。何曜日何時にファミレス。具体的に指定したこことかどうですか。って言ってきたんですよ。
そこでね、気づくとしたら、そこでしたね。なんだけど、なんか私さ、 なんかぐいぐいくんなと思ったけど、暇なんかなと思っちゃったんですよね。暇な人かなみたいな。暇で寂しいんかなとか。女性だったしね、名前がね、フルネームで書いてあったけど、
あ、で、あとさ、山形出身に回る人はいないって。私さ、 山形の人はみんない人だと思ってるか。そんな、何かが起こるって、こう、ちょっとの警戒心はあるけど、そんなさ、あらゆる可能性を想像しようと、山形県民に対して思えないからさ、その、実家がさくらんぼ農家、農家ってでも言ってないか。
実家からサクランボ送っていくと、山形の人にそこまで思えないから、それで、ちょっと、ファミレスとか、ちょアメの人とファミレスとか、ちょっと正直、めんどくさいよっ���いう気持ちはあって、なんか、
ちょっと面倒だから、なんか、もうちょっと手短に済ましてほしいなと思ったから、そんな、外とか悪いですし、ちょっと親の品持ってくだけに話してくださいみたいな感じで言って、 それならじゃあ、土曜日10時でみたいな感じで、なんか、私としては、もうお礼の品なぱって渡して、ちょっと立ち話してさ、おうって思ったんですよね。で、約束の差、土曜日の10時が来て、 まあね、小さいアパートですよ。そんなにさ、何かが起こるとか思ってないですよ。でも、私は、なんか、俺の、なんか、何したんだったか。なんか、あんまり一生懸命調達した覚えがないからさ、
出版社から来たさ、なんか補修品か、お歳暮の中で、賞味期限が長いいいやつを持ってっちゃった気がしますね。なんかその頃さ、視聴者が毎年さ、すっごい高級ハチミツをね、くれるんだけど、絶対食べきれないの。
そ、賞味期限めちゃくちゃ長くてさ、ハチ蜜だからね、なんかいつかは食べれるかなって思うんだけど、絶対食べきれないし、もうそのハチ蜜ががんがん溜まってくのよね。なんかそれを持ってったような気がしなくもないですね。すごい高いんですよ。本当、高級なハチミツなんですよ。
それを持ってさ、言ったんですよね。で、ピンポンってやってさ、こんにちはみたいな感じで入ってたらさ、入ってったっていうか、もう1本目でね、
なんかその1歩目でも、大体全ての線はね、繋がったんですよ。これは宗教の勧誘だったってわかるような、その部屋の中だったんですよね。
そして、あのポストに入ってたこの人なんだっていうことまでわかった。まずね、なんか軽いジャブとしてさ、でっかいテレビ部屋には、ちょっと 大きすぎるような大きなテレビが、もう捨てますっていう手で、玄関に1番近い壁際に、コード抜いて、なんかさ、gogle巻きにして、なんか置いてあるんですよね。そう、コンセントにコードが入らない場所にね。
そんで、その次に、もう明らかにっていうこととしてさ、そこに知らないさ、女の人がもう1人いるんですよ。
私を迎えた人は多分そこの住人だけど、そこの住人ではないし、友達とかでも、この人の友達とかでも全然ないっていう感じのさ、笑顔を見せない女性が座ってるんですよ。
テーブルがあってさ、私は1人暮らしで、同じ間取りの部屋に住んでるけど、三脚ぐらい椅子、脚、三脚なきゃダメですよね。三脚の椅子をこう、ぎゅっと詰めた小さなテーブルにさ、その女性が座って、
私を迎え出たその10人の女性の席があって、私の椅子があって、そのテーブルの上に宗教新聞があんですよね、なんか、多分、みんな知ってる宗教新聞ゃないです。あれかなって思う、あれじゃないです。もうちょっとマイナーなやつ やっちゃったって思って、なんか、ああ、やっちゃったって、なんかもう、全てを、本当、1秒で、全てを悟って って思ったけどね、終わったみたいな感じだけど、ここが始まりなんだよ、ここから私は脱出しなきゃいけないんだよって思ってね、切り替えましたね。
なんか、入って、座ってみたいな感じなんですよね、その1人の人、もうドアも閉めて、ガチャみたいな感じだよね、多分ね、なんかもう、逃げられないっていう、なんかこの逃げられないって、他のポッドキャストで、他の会でやった気がするけど、もうさ、めっちゃbボタン押しても逃げられないみたいな、その状況ですよね。
そんで、でも、顔に出さないようには気を付けたんですよ。その、やべって思ってるっていうことを絶対に悟られないようにしようと思って、どうもって、この間ありがとうございましたって言って、で、これよかったな、
この品を出してさ、とりあえずもうそこで私のタスクが終わったっていう状態にして、そんで、ついたんですよ、先にね。しょうがねえから。そんで、テレビ、 テレビこれしてんですねって私から言ったんじゃなかったかな。そしたら、向こうのさ、その10人の女性が、んぞみたいな感じで言ってきたから、そこでさ、まずさ、 なんていうの、これにびっくりしたらさ、負けっていうか、なんでこんな立派なテレビ捨てんの。みたいな反応を期待されていると思ってさ、そうですよね、ちょっとテレビとかって、ちょっとくだらないですもんねって、とりあえず言ったんですよね。
こう、ジャブジャブ打ち返すみたいな。ほんで、そっから、新聞、次のテーブルの新聞について、多分その1人の人が増えて、 なんかね、うちの息子がね、こういうとこに乗ってみたいな、なんか息子さんが、結構おっきい息子さんがいらして、だから、今ちょっとこの10人の女性が何歳かみんなの中で、多分皆さんの中で私とプラスアルファぐらいで聞いてたかと思うんですけど、全然もっと上ですよ、今の私と同じぐらい、 多分ね、もう大学入ったぐらいの子さんが何か特別なことをして、その宗教新聞に載っているっていう記事を見せられて、すごいですねって言って、私がなんかそんなことしてたら、
割とすぐね、本題に入ったんですよね。現場とかじゃなくて。で、お話なんだけど、みたいな感じでさくっとね、私が決して受け取らないことにしたテキストがそこにパン出てきて、 あ、これ。って私言ったら、その10人の人はさ、なんで受け取ってくれなかったの。って言ったんですよ。あーあ、そうだったんですよね。よくわかんなくて。みたいな感じで言ってさ。
そんで、その本に、多分本を教科書みたいな感じにしてさ、始まったんですよ。その日本滅亡のシナリオがね、日本が、日本が滅亡する宗教と、日本が、
なんていうの。日本あめる宗と、日本はやばい宗教と2つあるんでしょうね、きっとね。新宗教にはね。そっちは日本がちょっとやばいっていう、やばいけど、なんか私たちとお祈りすれば、私たちだけは助かるっていう宗教だったんですよ、要は。
そんで、と思って、なんかこの話を早く終わらせるにはどうしたらいいかって私考えたんですよね。なんかよくさ、そういうのロンパしたいとかっていう人いるじゃないですか。その宗教の勧誘だったら全然ロンパするけどなみたいな 人いるけど、私はそれは危険っていうか、長引くと思うんですよね、話が。
だってこうじゃない。それ言ってること変でしょって言ったら、その宗教の理屈で、だってそれはこうだからこうだからっていう話がどんどん伸びていくだけだから、私は逆をやろうと思ったんですよね。
その相手が言うことに全て賛同して、全面賛同して、話を終わらそうと思ったんですよ。そんで、向こうのさ、女性2人が日本滅亡のシナリオをさ、話していくわけですよ。
ちょっと最近地震とか多いじゃない。で、この地震がだんだん多くなっていって、地震が来るって言ったら、そう、そうですね、科学者もそう言ってますみたいな。私も地震研究者が、なんか何パーセントの確率で地震が起こってて、見ましたって言って、
次にロシアが、ロシアと中国が一気に攻めてくるや、政治は本当なんでもありえます、どんなことでもあり得ます、そういうこともあるかもしれません、うん、戦争が起こり得ることは否定できませんみたいな感じで、もう全部さ、 全部むしろ補強するみたいな感じで相手の言うことを補強してあげたんですよ。もう科学的に、政治学的に全て正しいですみたいな感じで言ってたら、その人たちのシナリオがさ、10分で終わっちゃったんですよね。
10分で2本目まで行ったんですよ。そんで、で、そのおばさんたち、おばさんたちってその目線で、私が今おばさんですけど、若い私から見たらさ、おばさん2人がさ、じゃあ一緒に、私たちと一緒にお祝いしましょう。
両側から言ってきたんですよね。ほんで、最後に、あ、しません、あ、すいませんってお願いしませんって言ったら、どうしてよって結構強い口調で言われて、困っちゃいましたよね。
どうしてよって言われてもさ、うしてよって言われても、私は金を取られたくないからだよっていう、その一言なんですよね。そんで、でもと思って、
この人たちも、若者の私がさ、本当にすごいお金を出すとは今思ってないと思うんですよね。思ったんですよね。
なんかすぐにお金を払える人間じゃないし、何を求めてるのかなって、それを出せないっていうことにしたらいいんじゃないかなと思って。宗教の人が求めてるものって、お金以外なんなんだろうって思って。そん時、私、 なんか政治の表かなって思ったんですよね。ひょね。いろんな宗教で、やっぱり欲しいものだからさ、表が出せねえってことにしたらいいじゃないかなと思って。なんか自分のせいじゃないけど、もうしょうがない事情で表が出せないってことにしようと思って。
適当にさ、適当に、なんかちょっとちょっと、うち、お父が民主党の議員で、みたいな、ちょっとちょっと表が出せないんですよねって言ったら、そう、めちゃめちゃ怒り始めて、それ、それ、なんかいらなかったらしいんですよね、なんか、それはなんか侮辱だと思ったみたいで、すごい怒り始めて、 なんか知んないけど、お、そのおじもあなたも最低よ。って、すごいその40歳ぐらいのおばさんにマジで怒鳴られてさ、 架空の、架空のおじさんまでのしられてさいませんよ、私に。民主議員のおじさんね、おじさんは職業年功の先生だったと思います、その時、多分。そんで、めちゃめちゃ怒鳴られて
ね、でも、もう話はそこでおかしちゃったと思ったけど、 その、私が参加しないってことはもう決まってるから、じゃあこれで失礼しますって言って、もうもう、失礼します、ニコニコ、失礼しますみたいな感じで、こう、後ろに下がっていってさ、ドアをされてはさすがになかったから、そしたらもうそこでさ、おばさんたち2人はさ、 あら、バチだよ。パチただよ。って、すごいに叫んでんですよ。すごいおばさん2人に、捨てたよ、バチが当たるわよって叫ばれてさ。でも、
私はやっぱその、客観的にさ、その23歳のさ、子供みたいな、子供に毛が生えたようなさ、こんな若者にさ、 40歳過ぎて、多分過ぎてると思うんですけどね、パガって捨ておで叫ぶっていうのは、なんていうのかね、 それまでにやっぱすごく色んなことがあったんだろうなと思って、本当失礼します。外側がドアをガチャって閉めて、ちょっと手にバーって走って、
前も家に帰るしかなくて、家に多分帰ったんですよね。全然そこ安全地帯じゃないんだけど、その上すぐ上でね、真上じゃないけど、上の階なんですけど、これかと思って よく脱出した。すごい。自分で自分を褒めたい出来事ナンバーワンぐらいですよね、人生で。なんかそっからさ、10分ちょっとで生還しただけで、めっちゃ自分を褒めたい。
でも結局同じアパートに住んでるわけじゃないですか。その人ね、なんかもう正直追っかけてきたらどうしようぐらいの感じだったけど、追っかけてくるってことはなかったですね。その日のうちにね。で、その後もなんかこう、激しい目にあったりとかはせず
ね。今思えば、でもそこにさ、意地張ってすまないで、結構引っ越してもいいぐらいのことだったかなと思うんですけど。
あとさ、私が怖かったのは、なんかそういう勧誘を大家さんが許してるかもしんないっていう可能性がすごい怖かったんですよね。つまり、大家さんも同じ宗教なんじゃないかっていうのが 怖くて。なんかね、一体どうなっちゃうんだろうって思ってたんですけど、結果的にはどうも違ったみたいですね。
なんか、だから、大家さんにこんなことがあったって報告をあげてもよかったんですけど、それは後から知ったことで。その時はなんかチクったら、逆にさ、逆になんで信じないんだ。みたいな風に大家さんが変わったら怖いと思って。別にさ、大家さん、その、一緒に住んでる以外に、そん時家賃が手渡しで、毎月定期的に会ってる人だったから、 なんかね、敵に回したくなかったですよね。そのまま穏便に進もう、できる限り穏便に住み続けようと思って
住んで、会いますよ。廊下でその人とゴミ捨てとかに行くとさ、なんか行って上がる時に階段でさ、向こうもゴミ捨てに行こうとしてんのとすれ違ったりとかさ。して、あって思うと、なるべく自分からおはようございますって言って、向こうも伝えて、おは、おはようだいこれまで行ってさ��私だって認識するときすごい睨んでくる。
でもでも、もうこっちはニコニコしたままこうやって通りすぎて、そこまでして住んで、結局向こうが先に出てったんですよ。それは多分事情でその春が来て出てったから、
その向こうは向こうの社会生活によって転居しただけだと思うんですけど、なんかその時に買った。って思いましたね。でもさ、そんなことはしなくてよかった。なんか意地の張り合いみたいにさ、こう、そこに住み続けちゃったけど、 やっぱ安全を考慮したら、その後引っ越してもよかったなっていう風に思いますね。なんか住んで3か月ぐらいのことか。3か月で、やっぱ出たくないって思っちゃって、残っちゃったけど、 うん、今だったらね、出るかな。出費もね、ありますけど、そんぐらいは安全のために払ってもいいかなって思います。
でも、それが人生で最大の差。やっぱりその勧誘され体験で、その後は大きいことはなかったですね。なかなかのものだった。
今、やっぱりそのおばさんと思った人たちとさ、同い年ぐらいになってみて、やっぱり色々あった人たちなんだろうなっていうことは思いますね。
なんか、私は、やっぱ23歳の子、そういう風に詰めるっていうのは考えられないし、うん、でも、それを察しちゃうぐらい、やっぱり追い込まれてる。
その、経済的にも、 あと、なんだろう、そ、ノルマ的にも、なんか、人を入れなきゃいけない風に上から言われているんだろうっていうことも、こう思いましたね。そのお家のさ、家賃とか間取りも、同じアパートだからわかるわけじゃないですか。
なんか、その部屋に息子さんと暮らしてるっていう時点で、息子は同居してるっていう状態だっていうことが、なんか話かわかったんです。そこにね、旦那さんはいないであろうっていうこともわかるんですよね。
母子家庭で頑張って、そうやって子供を育ててるんだなっていうことも。だから、そういう苦労をしてさ、 なんでしょうね、なんかすごい急に、すごい寂しい気持ちになってきた。なんだろうね、なんかそこまでになった生活っていうのもね、私には全部しよしもないし、想像しきることもできないけど、本当に苦労された人なんだろうなっていうことは思いますね。
昔はそういう宗教にさ、系統して、その人を強引に入れるまでになるっていうのが人事というか、そもそも宗教に入ってる時点で、私は本当にドケチだからさ、そのお金の、お金を取られるっていうことが、もう、
なんていうの、自分が得るものの大会になって、ない場合、ない場合がすごい許せない人間だから、それは本当にないなって思ったし、 その人たちのことも、なんかその事情はなんとなくあるなってのは分かったけど、なんでそんなことしちゃうのかなっていう気持ちの方が大きかったけど、なんか年とって思うのはね、それこそ、その、40になって思うのはね、本当、さっき言ったように、23歳の子、自分が冷めないって思うけども、でもさ、なんか、 うん、宗教にね、なんか、すごい決定的なことがあったら、入っちゃうかもしれないなっていうことですね、決定的なことっていうのは、うん、私の中では、
事件とか、事故とかで、今の家族を失うとか、 なんか、そういうのさ、想像しなくはないじゃないですか。生きてて、そういうことがあったら、怖いなって思うじゃないですか、なんか、でも、そういう時にさ、なんていうの、 その、遺族の会とかに行って、なんとかなるかもしれないって、そのねじょう、なんていうのかな、この私たちが生きてるこの社会の中で、なんとかなるかもしんないなっていう気持ちがある反面さ、そんな遺族会って、いつも24時間365日誰かが対応してくれるわけじゃないし、
でも、なんか宗教だけはさ、宗教だけは、夜中になってやっても、なんか許してくれそうっていうか、金のためだったら許してくれそうと思うんですよね。なんか本当にさ、おかしくなるようなダメージを受けて、もう本当にいてもたってもいられない、なんか本当にマジで生きてれないって、 頭おかしくなりそうって思った時に、なんかこ、1人でいるんじゃなくてさ、そう、誰かの そういうところをどんどんどんどんってやるのは、私はね、手っ取りバイク宗教を選んじゃうかもしれないなって思います。正直、なんか対価はでかいけどね。一体総額どれぐらい取られるのか。できればあんまり取れないとこにしたいな。
お寺とかでさ、話聞いてくれるんですかね。どうなんですかね。普通のさわれる仏教みたいな感じだと、そんなにガバガバとんないなっていう印象はあるけど、なんかそれもさ、なんか予約してとかじゃなくてさ、 今すぐなんとかしてくれって言って、そのまま3年ぐらい、そこで泣きじゃくって暴れるみたいなことを正直したいと思うから。本当、そんぐらいさ、家族を急に失うっていうことを想像すると、変え難いから、マジで、なんか、その場合だけはね、正直、やっちゃうかもしれないですね。
そんな、なんか、聞いてる人が不安になるかもしれない終わりで申し訳ないんですけど、そんな感じです。でも、その場合も、やっぱね、さっき言ったように、なんか勧誘でアンフェアにはなんないようにしたいなっていう風に、なるべくね、そうやって、なんか話があるんだけどみたいな感じで人を呼ぶんじゃなくて、 なんか自分の姿勢もうちょっと待って。やばい。やめてからこの話。もう勧誘しようとしてると思って。やばいやばい。なんかやばくないんですけど。やばくないんですけどね。
ね。そんな感じで今日はこのままね。お便りをいただいてないので、シームレスに曲紹介コーナーに行きたいと思います。いつもこの番組では曲紹介コーナーっていうのを最後にやってて、 spotifymusicplusトーク機能っていうのを利用して、番組のに1曲つけてるんですね。なのです。spotifyで聞いてる方は番組の最後に曲が流れるっていう風になってます。なんですけど、そうじゃない方も曲紹介までお付き合いいただけましたら幸いです。っていう感じなんですけど。
今日ご紹介したいのは、悩みましたけど、ゆずでいつかっていう曲ですね。
ゆタイはないですよ。その、キタガワさんのね、ご実家がね、融通が成功した後、宗教を開いたっていう、そっからじゃないですよ。別にそれにかこつけている わけではないですね。もしかしたら、ちょびっとね、連想しちゃったかもしれないけどね、気にっていうとかね、その状態をなんかネタにしようとか、そういう感じでは。そういうスタンスがないので、そこはね、ゆずファンの皆さんご理解ください。あ、いつかっていう曲があるんですよね。
調べると99年1月発売の曲で、その夏色でブレイクしたのが97年の夏ですよね。そっか、そんなに経ってない。
だからね、割とフレッシュなこのゆずのリリース、シングルリリース曲だし、あとあれですね、調べてみると路上時代からあった曲みたいなんですよね。だからね、本当、それこそ、それこそ、その北川さんのうちのことは99年ぐらいに始まったことだって調べたら書いてたから、本当に一切関係ないですね。
そんで、このいつかっていう曲を、なんかこの辺からちょっとの間、シングル曲並べてみても、ファンじゃない人は知らないかなっていう、知らないとまでは言わないけど、なんか聞いてサビを思い出せるかどうかぐらいかなっていう。
やっぱこう、ファンじゃないものにとってはさ、夏色がやっぱその世代的にはね、私その時高1ですけども、夏色の時、あれはもうめっちゃ好きで、めっちゃはまって、もう友達にもなんかゆずっていう人たちを、夏色めっちゃいいよと思って進めて、もう視聴期の前で進めてみたいな、そんぐらいの感じで ね。今でも私は坂道をね、坂を、急な坂道を、ブレーキをいっぱいかけてママチャリでに下る時に必ず柚の夏色頭の中で流してるぐらいなのことが大好きなんだけど、このいつかもね、私の中でちょっと心に残っる曲なんですよね。心に残ってるっていうのと違うか、なんか引っかかってるぐらいの曲なんですよ。
そう、なんか引っかかってる理由っていうのが、なんかその当時、高2から高3ぐらいのことですよね。
なんか心理テスト誰かが持ってきたんですよ。多分部活の時かな。部活か保健室かどっちかで。誰かが持ってきた心理テストで、多分同年代の方みんな知ってると思うんですけど、1から11まで数字を書いて、その横になんかこう、色々指示されるままに、人の名前とか曲名とか書いてくっていうね。いかにも
私たち、このj-popにさ、脳髄までこう浸された人たちが考えた、うちは受けしそうな、考えたら上の世代の人かもしれないけど、うちらに受けそうなさ、心理テストがあって、それで、なんかこう、好きな人に捧げる曲みたいなのが結果として出るんですけど、それが私、このゆずのいかだったんですよね。
なんか曲に何にも思い入れないんですけど、なんか最近聞いたなっていうの、ふっと浮かんでね、思い浮かんだ曲を書いてくださいみたいな心理テストだからさすって書いたんですけど、なんかすごい。
もう1回どっかの機会で、ラジオとかでかな、改めて聞いてみたらさ、その時ネットないですからね、99年ね、曲をネットで聞いたりはできない。聞いたら、すごい。なんかこう、めっちゃさ、 なんか本当どうしようもない時はね、僕のとこに来てね、もう絶対僕を呼んでね、絶対に駆けつけてあげるからっていうさ、曲なんですよね。
それが、捧げる曲って重いなって思って、我ながら、なんかそのままずっと、たまに聞きたくなんですよ。なんか、その心理テストがきっかけなんではなくて、その心理テストがなかったとしても、私の中で多分ずっとちょっと引っかかって、たまに聞きたくなる曲だったと思うんですけどね、なんか
すごい歌詞なんですよね。なんか本当にさ、何年経っても、何年経ってもって表現ではないけど、いつだってね、どんな先だって絶対に君が困ったら助けに行くよっていう曲でね。ゆずはなんでそんなことを 歌ったんだろうって。その、ファンじゃない自分としてはさ、なんか、なんだろう、でも、ラブソング。ただのラブソングなのかな。なんか、ファンへの曲なのか、ラブソングなのか、一体なんなのか全然わかってないんですけど、 なんか今改めて聞いてみて、やっぱりこの宗教っていうのを、ちょっと演奏する自分がさ、本当に、さっきの話とか繋がるんですけど、めっちゃ困って、本当に困ったらさ、やっぱ
私は友達とか、なんか兄弟とか、そういうとこに全力で寄りかかれるかって言ったら、寄りかかれないと思うんですよね。なんか本当にさ、本当に困った時、頼れるのって、 なんか逆に、支払う対象が大きいもののみだっていう、すごい高い買い物をその時するしかないのだみたいな気持ちがありますね。そのカウンセリングとかよりはるかに高いさ、その 補正を未来的には払うことになる新興宗教みたいなとこに行くしかないんかなって。なんかすごいまたみんな心配になるようなこと言っちゃった。何も怒んないから。多分私、そういう人生じゃないと思いますよ。何もこんなきゃね。
うん。でもなんかさ、そういうあまりにも悲惨なことがあったら、ちょっとわからないって思うんですよね。その知ってる人とかに頼んないで、行政にも頼らないで、そういうとこに行っちゃうんだろうなって。
だってさ、もう何より優先して絶対に受け止めてほしいもん。1回。その、赤の他人なのに。めちゃめちゃさ。カウンセリングとかはやっぱ今お世話になってるけど、1時間で終わりだから、 その1時間でガラガラ。そういう切り方、私が軽くとかしないんですけど、もうちょっと緩くて、話が切りとこまで待ってくれるんですけど、でも、1時間30分とかが限度じゃないですか。ガラガラガラじゃないですか。
やっぱそういうとこなくてさ、本当に悲惨な目にあったら、もう本当にさ、その人の前で地面に頭を打ち付けて口が回りたいですからね。
あのね、私は何を主張しているんだとか、なんかゆずの曲を聞きながら、そんなこと、そんな何も考えてないと思うんですけど、なんかこのいつかっていう曲を聞くとね、 ユーザーさんの人はゆに頼ろうと思うのかな。ユーファンじゃないから新興宗教に通うとしてしまうのかな。まあ、な感じでございます。いろんな人生があるよ。もっと
そこに行ったった人たちにもさ、そういう勧誘。その最初の話に戻れば、マルチの勧誘から勧誘動画、勧誘ポ密動画からこの話始まってるわけなんですけど、 そのマルチを完全なさ、その勧誘してる人を悪として探していたけど、なんていうのかな、コメント欄にやっぱりその人も被害者なんだよっていう意見があってさ、youtubeにしてすごい建設的ですよね。建設的なコメント欄になってて、半分くらいはそういうさ、結構冷静な意見で
ね。その人たちも被害にあって、自分がそのお金を稼がなきゃ、稼ぐっていうか、お金を稼ぐっていうのと違いますよね。その人からお金をむしりとるですよね。言い方。あえて悪い言い方をするなら、そうしなければならない立場になってしまったんだと思うんですよね。
ね。そして、だから、本当に幸せになってんのが1番さ、上の人たちだけっていうね。あいちゅちゅちゅ、なめてる人がいいんですよ、どっかにね。
なんかだいぶ曲と違うことを話しちゃった気がしますけどもねえ。じゃあこの後曲が流れますが、私とはここでお分かりになります。今回のね、すごい微妙な話を聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。なんか本当、心配しないでください。その、本当ね、事件事故に巻き込まれない限りは、私は多分大丈夫です。多分じゃない。多分じゃないよ。絶対大丈夫なんで、 よろしくお願いします。心配しないでください。
ちょっと最後になっちゃったんですけど、いつもは別のとこでやってるこ、あれですね、お便り募集のあれです。この番組ではお便り皆さんからのご意見、ご感想お待ちしております。今のところマシュマロという匿名サービスで募集しているので、そのリンクを概要欄に貼っておきますので、 ぜひぜひこんな話してほしい。こんなこと聞きたい。みたいなご要望、質問など。それからもちろん番組のご感想ありましたらお寄せください。
心配のメッセージはいらないですよ。大丈夫ですよ。じゃあ、随分長くなりましたけど、皆さん今週も体にお気を付けてね。ほどほどに頑張っていきましょう。いじゃあ聞いてください。ゆずでいつか。
clovanote.line.me
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浅草オヤジ飲み会 3
Tuesday 13 May 2014
Today’s Fashion #13052014 1999年、西麻布の路上で「恵比寿に行くのはどうやって?」と泥酔し自転車に乗った女の子から尋ねられ一緒に恵比寿まで行ったことが縁で亜理沙(当時21歳くらい)と出会った。その後亜理沙の友人のメグちゃんも紹介されて僕ら3人は仲良しになった。やがて2人は結婚し僕は2人の結婚式(パーティー)の写真係も努めた。この3人で会えるのも1年に1回あるか。亜理沙の呼びかけで5/12(火)(2時半集合)昼間から浅草でオヤジ飲み会をしよういということになった。僕が一番最初に雷門に到着すると平日なのに観光客がいっぱいで(特に修学旅行生)雷門の前で記念撮影をしていた。「すみません、写真撮ってもらっていいですか〜?」と尋ねられ僕は写真を撮って上げた。撮影後カメラを返しその写真を見て微笑む観光客。僕は”ちゃん”と撮った。(笑)暫くしてメグちゃんがやって来た。亜理沙は仕事を午前中で終わる予定で動いていたが中々会社を出れないと何度かメールで連絡が来る。僕とメグちゃんは、コンビニでビールを買って浅草寺の境内のベンチでおしゃべりし亜理沙を待つが来ない。次に場所を外で飲める居酒屋に移る。メグちゃんとサシでの飲み会は恐らく初めてでお互い大いに笑って楽しく過ごした。やっと亜理沙から連絡が来た。「まだ会議中で終わり見込みみえず。たぶん2100くらいにはなりそうな気がします。でも解散判断などは私にあわせず、2人の都合で大丈夫。発起人みずからごめんなさい。また連絡します」と。
最近Twitterである"つぶやき"を見た。 「インドネシア人看護士「日本人は時間を守りません。遅刻に対しては大変厳しいのに、仕事の終了の時間は守ったことがありません」
リベンジは茶畑庵で。亜理沙も一緒に飲みたかっただろうな。ハルオは露出狂???
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アポトーシス
11月下旬の日曜日 太陽コミュMAXに出会う綾時と神木さん
青天の中に浮かぶ薄雲。今日も良い秋晴れだ。 僕はここ最近、長鳴神社に足を運んでいる。遠くからでもよく見える御神木を目当てに。 それに修学旅行で参拝した神社仏閣を思い出す静かな…厳かっていうのか、そんな空気を感じられるから。 日曜日の昼下がりに来るのは初めてで、夕方の景色とはまた違う、青空と枯れ葉の随分落ちかけた大木を見上げて嘆息した。 その御神木の根本近く、併設された公園に置かれたベンチに座る人影がある。 初めて見る人だ。線の細い、今にも消えそうな色素の薄い髪と肌の、痩せた男性。僕よりもいくつか年上だろうか。 ストライプのシャツ一枚で俯く様子に、晴れているとはいえ晩秋に寒くないんだろうかと、自分の服装を棚に上げて思ったりした。 僕の視線に気づいたのか、その人が顔を上げる。目が合って、なんと挨拶しようかと考える間も無く向こうから先に声を掛けられた。 「君は…僕のこと、迎えに来たのかい?」 「え?」 よく分からない問いに聞き返すけれど、初対面のはずなのにまるでよく見知った者に向けたように彼は話を続ける。 「生憎だけど、もう少しだけ猶予が欲しい…彼を待っているんだ。それが果たされたら思い残すことはないよ」 「…誰かを待ってるんですか?」 白い人は組んだ脚に視線を落として力無く笑った。 「そう…このベンチの隣に座ってくれる人さ。忙しい身らしく毎週会えるわけではないけれど、来て欲しいと願えば彼は叶えてくれる。だから今日もきっと逢える」 彼は使い込まれたノートを持っていた。ボロボロとも表現できるそのノートを大事そうに膝に置いて、その人を思い出したらしく幸せそうに口元を綻ばせる。 「もう秋か…それも過ぎて冬になろうとしているね。彼に会ったのは暑さの厳しい夏…いや、初めて会ったのは5月頃だったか。生命力に溢れた女の子が引き合わせてくれた」 半年余りの思い出を反芻しているのだろう、その人は遠くを見つめて呟いた。 「人生の最後に、彼に巡り合わせてくれた神というものに感謝しているよ…君にも、ね」 「え、僕?ですか」 「君からは彼とよく似た匂いがする。きっと深い縁があるんだろう」 そこで初めて、僕は彼の待ち人が誰なのか具体的な人物像が浮かんだ。 もしかしたら木漏れ日のベンチに座るのは、僕もよく知るあの人なのかもしれない。 口数は少なく表情もあまり変わらないけれど、人脈と懐の広さ深さは窺える。 それはこの街に越してきて日が浅い自分でさえも知っていることだ。 「僕の物語が…彼に、ひいては君に、何か残せると…いいな。それが生きた証へと繋がれば」 弱々しくも揺るぎなく僕を見つめる白い人は、預言めいたことを投げかけてくる。 「そうすれば死ぬ意味さえも見つかる気がするんだ」 寂しさを滲ませながらも満足そうに頷く。僕は何かに胸を鷲掴みにされたように苦しくなって、マフラーごとシャツの胸元をギュッと握り締めた。 人の生き死には、流れる水や風のように当たり前のもの。確かに前はそう思っていたのに、大事な人が出来たら見方が変わる。 何かを思い出しかけて喘ぐ僕の後ろから、よく知った声が投げられた。 「…綾時?珍しい組み合わせだな。神木さんと知り合い?」 「あ、」 カサカサと落ち葉を踏みしめながら予想通りに彼が来た。白い人の待ち人が。神木と呼ばれた彼が嬉しそうに答える。 「君を待っている間に少し相手して貰っていたんだ。やっぱり君の知人だったね」 「同じクラスの転校生同士のよしみで」 先程の浮世離れした空気から親しげな世間話に変わった。 「…あの、茅野くんも来たし僕はこれで失礼します」 振り向いた彼の意外そうな視線に曖昧に笑って別れを告げ、石段を降りた。 神木さんは何か大事なことを果たそうと彼を待っていたんだろう。これ以上の邪魔は出来ない。 階段を降りきった横の電柱に花束が置かれている。以前から気付いていたけど、誰かがいつも新しい花を供えているんだろう。 この場所も誰かの大事な人の、大切な思い出が在るところ。死してなお誰かの記憶に残り、未来に影響を与える。 「僕も、そんなふうに…」 僕の死が誰かにとって意味のある、何かに繋がるものであればいい。 そうすれば自分が今ここに存在する理由も、この世界のことをもっと知りたいと願う理由も解る気がして。 大事な人たちの平凡な幸せをずっと見ていたい。そのためにこの命を使えるなら言うことはないのに。 陽の傾いてきた空を仰いで、もうすぐ来る冬に想いを馳せつつ歩き出した。 「僕も最期は、君の傍にいたいな」 その希みを、彼は叶えてくれるような気がした。
P3Rありがとう。 神木さんからのメールの言葉はどれも沁みました。 綾時と神木さんのお話は無印当時からずっと書いてみたいと思っていたもので 今回やっと書けるような気がしたので10年ぶりくらいに書いてみた次第です。 環境とか心境の変化などでやめてしまった創作ですがリロードをきっかけに少しずつ形に出来ればと。 昔出来ていたものが今は出来ない、と嘆くのは簡単すぎますが 今だから出来ること、も沢山ある気がして。 変わってしまったことと変わらないことを楽しみたいです。
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