#フェリーびざん
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長距離フェリーのお盆休み IN 新門司港 2023-8-14 福岡県門司区新門司港北にて...
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いざ!相棒CB223Sで行く東北1周の旅ッ!~後編~
宮城県にてテント泊したのち、次なる目的は良さげな田んぼを巡りながら岩手県の岩手山、八幡平の山々を眺め、鳥海山を見に行く!
…振り返るとなんとも盛りだくさんだったなと思います。 初めての地であんなに魅力的な道と山、そして里山を目にしてしまったら、写真撮ったりまったりしてしまってなかなか進めないのは明白でした。
天気にも恵まれ、快晴のなか北海道にはない植生と地��、街の作りをバイクで走りながら「どうしてこんな形になったのだろうか、人々はどう暮らしたのだろうか」と思いにふけるも旅の面白さだと感じました。
行きと帰りのフェリーや道内を走る日を除いて実質4日間の東北ツーリングでしたが、圧倒的日にちが足りないッ!(泣) こんなにも東北は見どころが多く、植生・地形が面白く、バイクで走っていて楽しくて、なによりご飯とお酒がおいしかったとは…
初めての東北バイク旅は、私の視野とバイク旅の選択肢を大きく広げる非常に充実した【たまらん!!】ものとなりました。
一枚目【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/640【F値】/5.6 二段目左【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/125【F値】/2 二段目右【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/1600【F値】/2.8 四枚目【焦点距離】20mm【ISO】64【SS】1/1250【F値】/4 四段目左【焦点距離】40mm【ISO】800【SS】1/40【F値】/5 四段目右【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/80【F値】/2 七枚目【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/125【F値】/2 六段目左【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/640【F値】/2.5 六段目右【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/250【F値】/7.1 十枚目【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/1000【F値】/5.6
(…今回行きそびれてしまった場所等。気になって仕方がありません!また旅に出るのは時間の問題でした。)
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240309
電車に乗って、水族館へいく。 いろんな電車が楽しい。 窓から見える景色が楽しい。 みどりがたくさんで、畑だらけだった。 寒かった。寒くて、少し疲れて、ダメになってしまった。 あざらしの水槽がみえるカフェで休んだ。ワイヤレスイヤホンを耳栓にして、周る。 カブトガニの血は青いらしい。 何年か前に友達といった喫茶店で何年か前にも食べたあんもち雑煮を食べた。 本屋にいく。 ひらけた本屋さんだった。雰囲気がひらけていて、いつもと異なる本を手に取る。 もし、この本屋さんにも本を置いてもらえたら、と思ってしまう。 夜、ロースかつ丼を食べたら、お腹がぱんぱんに膨れた。
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240310
栗林公��へいく。 昨日より少しあたたかい。天気予報をみると、毎日、明日があたたかくなるらしい。 小さな一室から池を眺めながら朝粥を食べる。 自分も景色になって、ゆっくりと味わった。 おかゆは碁石茶というお茶で炊いた茶粥らしい。ふくよかな風味がする。落ちつく。最後の一口まであたたかだった。お皿にのったひとつひとつもおいしくて、とにかく丁寧に、口へ運ぶ。香川県についてから、どこでも出てくる平らな豆はしょうゆ豆ということを知る。好みの味付け。 庭園を歩く。 松、桜、ソテツ。 植物のことなんてよく知らない。 配置されて、石、池。歩いて、歩くということが楽しかった。 うどんのマグネットを買った。家の冷蔵庫にはるのが楽しみ。 きつねうどんを食べて、フェリーに乗って、直島へいく。 地中美術館。 モネの睡蓮の前にずっといたかった。 言葉になんかできない。わたしの内側に波紋が広がって、何も考えられず、感じることしかできなかった。 この美術館のこの絵の前で天使に連れ去られたいと思った。
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240311
布団の中で目をあけても、カーテンの向こうはまだ暗くて目を閉じた。 夢をみつつ再び目をあけても、まだ暗くて、いつになったら朝がくるのだろう、と思っていた。 アラームが鳴って、起きたらすっかり朝だった。もったいないことをした気持ちになる。 日記を書いて、絵を描こうとしたら緑色の色えんぴつがなくなっていた。残った4本中3本の芯が折れていた。 ホテルの部屋にあるベンチが少しの荷物を置くのにちょうどよくて、自宅にもほしくなる。 借りた自転車で坂道をのぼっていく。 海はきれいで、きれいだったけれど、心底つかれた。自転車は平地を漕ぐもの。 ガラスの茶室があった。 硝子って物体としては存在しているのに遠名で、見通せるんだ、とあたりまえのことに感動していた。 松があって、海がみえて、ガラスの茶室の景色は最高だった。
海がずっときらきらしていた。 ずっときらきらしているから、ずっときらきらしているねって何度も言った。 フェリーに乗って、高松について、レンタカーでドライブ。 街がきらきらしていて、大発見をしたような気持ちになった。 電気だって、ひかりだ。
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●お知らせ
吉祥寺にありますGALLERY IROさんにて、「部屋があかるい」というタイトルで、ドローイング作品や日記の展示をしています。 残りの会期は、7/5(金)-7(日)です。
オンラインストアでは作品の写真をみることもできますので、ぜひ。 Tumblrにのせている正方形のドローイングはオンライン販売はありませんが、展示はしています。ギャラリーでは購入もできます。2023年以前の日々のドローイング。
Tumblrみていただいている方に来ていただけたら特に嬉しいです。わたしの在廊はないのですが… 東京は梅雨でしょうか…北海道はさらりと晴れています。 お散歩しづらい時期かもしれませんが、気分転換などに覗いてみていただければ嬉しいです。 (雨の日に合うという感想がよくきこえる展示になっています)
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おはようございます。
大阪府大阪市は、曇り空です。
昨日は西日本総合展示場新館にて、第45回西日本陶磁器フェスタの最終日が、開催されました。
最終日はゆっくりなスタートで、お昼頃にいつものお客様が来られ、昨年気に入って頂いた、隅切り小重が使い易かったとの嬉しいお言葉を頂き、今回は三段を追加特注をして下さりました。
その後はピタリとお話しが出来ず、少し修行時間が有りましたが、新規のお客様方にお椀各種を気に入って頂き、閉店間際には以前気に入って頂きました、素敵なお寿司屋さんの女将さんにご来店を頂き、特注を複数ご注文下さり、小倉での展示会最終日が終了しました。
その後は搬出作業をバタバタと行い、帰りのフェリーにも何とか間に合い、ひとっ風呂浴びてから、輪島の先輩方と美味しいお酒を頂き、知らないうちにZzz
そして今日は明石海峡大橋を眺めながら朝風呂を頂き、朝食もしっかり頂き、身支度を整え、もう間も無く大阪南港フェリーターミナルに着岸後、金沢へ車移動をし、今回は金沢に一泊してから、川連へ帰省予定です。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
そして皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec/
#秋田県 #湯沢市 #川連 #川連漆器 #川連塗 #寿次郎 #国指定伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田工芸品 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田のものづくり #髹漆 #寿次郎 #第45回西日本陶磁器フェスタ #西日本陶磁器フェスタ #ブースno159秋田川連塗寿次郎 #西日本陶磁器フェスタ2023 #展示会最終日 #9月14日から19日まで開催 #出張帰省1日目 #Kawatsura #Yuzawa #Akita #Japan #Urushi #japanlaquer #Lacquerware #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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西表探検
お久しぶりです、近藤です。
だいぶ遅くなってしまいましたが、夏休みに西表へ行ってきました!
西表島は綺麗な自然や生き物がたくさんの素晴らしい島でした。その反面やはり強烈な湿度と暑さに苦しめられました。
石垣島から西表島にフェリーで移動し、ミトレアキャンプ場で1泊。
海が見える素敵なキャンプ場でした
そしてまず目指すはマヤグスクの滝。
今回の活動で最も体力的にきつかった滝です。
無事到着できるか不安な一行ですが、いざ出発
水は案外冷たかったので浸かってクールダウン~
到着!!!写真では伝わらないすんごい迫力に感動、見とれてしまいました
元気が残ってる二人は滝の上まで。めっちゃ小さい、笑
続いてピナイサーラの滝へ
まずはカヌー
しばらく歩いて、滝へ到着!滝壺で泳ぐのが最高でした
↑マイナスイオン~
↑とてつもなく浮くライフジャケット
続いて次の日はユチンのトレッキングに行きました。
いい雰囲気~
↓ユツン三段の滝に到着!ピナイサーラとはまた違う神��的な雰囲気がありこれまた魅了されました。
欠かさず水浴び。水圧が強いようでちょっと苦しそう笑
この他にも、星砂の浜で素敵な写真を撮ったり、海釣りをしたり、川でエビを釣ったり、毎日自炊したりと、充実した活動でした。
↓腕相撲大会(左)、海釣りルーちゃん(右)
↓コーレーグースーって辛い(左)、パパイヤサラダ作り(右)
そして何よりも印象深かったのは夜の寝苦しさです。そもそも暑いのにテントの中で寝るからより暑く、寝れるわけがありません。
テントなんか入らなければいいじゃない、と思うじゃないですか。外は蚊とアリとその他もろもろ生き物たちが豊��にいるためそれはそれで寝苦しいのです。
今度西表島に行くときは、虫がいっぱいいる状況でも寝れる耐性をつけてから行きます
以上、西表探検でした
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6月西表ジャングル体験記
アメリカで濃密な一年を終え、帰国してからすぐの6月末。家族との再開もほどほどに、沖縄の西表島に飛び、一週間西表ジャングルクラブなるものに参加した。電気が通っていない西表島の奥地にある開けた土地でキャンプをしながら自給自足をして暮らしたのだけど、今思い出してもこの夏一番だと思えるくらい、すごくいい経験だった。出会う人、する会話は居心地がよくて、穏やかで、面白くて、こんなおとなになっていきたいと思える人ばかりだった。
そもそもジャングルクラブの存在を知ったのは、4月だった。遡ること春学期に、大学でとったデジタル人類学の授業でノーバートウィーナーという人物について勉強した。20世紀半ばに活躍した数学者で、サイバネティクスという概念を深めた人物。サイバネティクスに関してはウィキやこれが詳しいと思う。https://1000ya.isis.ne.jp/0867.html
ここにざっくり記すと、サイバネティクスとは、生物、機械、社会システムなど、さまざまなシステムにおける情報の伝達や制御の仕組みを研究する学問分野。フィードバックループを用いて、システムがどのように自己調整や制御を行うかを理解しようとする。例えば、温度調整をするサーモスタットや、生物の神経系による反応などがサイバネティクスの研究対象だ。(ChatGPT)
デジタル人類学の授業では、そんなコンピューターのはじまりである20世紀初頭から、現代まで発展してきたデジタルの世界についてのエスノグラフィーを読んでいた。授業準備も兼ねて興味を持ち関連事項を調べているうちに、たまたま雑誌WIREDの技術哲学講義のという連載の、テクノロジーをデザインする人のための技術哲学入門【第7回】:野生のサイバネティクスという記事に辿り着いた。
https://wired.jp/article/series-philosophy-of-technology-7/
ここで筆者の七沢さんは、サイバネティクスを”一言でいえば、自然や生命のような予測不可能な対象を、できるだけ予測可能にし、さらには制御可能にするための科学”���書いている。そして我々の生きる世界から不安定なものを減らしてきたサイバネティクスは、現在のAIのような精度にまで発展し、とうとう予測不可能なはずだった現実世界の出来事が完全に予測できてしまうような世界(デジタルツイン)がみえてきた。とのべる。
そこで再野生化の概念が出てくる。さいきんWIREDは再野生化について熱心に記事を出していたので、私にも親しみがあった。再野生化は、人間が管理していたものを自然のサイクルに任せる(戻す)という近年注目されている取り組みだ。森は自然のサイクルで再生するし、動物の食物連鎖がそこでは生まれる。連載筆者の七沢さんが唱える野生のサイバネティクスは、それを人間で行うという試みだ。
サイバネティクスが技術で自然を制御していくのに対し、Iriomote JUNGLE CLUBは、技術を持った状態で(=ナイフやテントや火を付けるマグネシウム棒を持って行って)再野生化する。つまりたんに人間が再野生化するのではなく、技術を持ったサイボーグの野生化を実験する。
大学の授業で技術と哲学の面白さに気がついたのでがぜん興味が湧いたが、これまで技術哲学というものを学んだことはなかったので自分がここに行ってついていけるのか不安があった。自分は気候変動畑の人間なので、西洋的キリスト教的な自然をコントロールするという価値観や、現在気候変動のおもな解決策とされるテクノロジーでさらに気候をコントロールしていくことについて、人類の歴史を振り返りながらその行き着く先について批判的に考えている。野生化や技術に関して興味はあるが、少し畑が違うように感じた。しかし、課題図書候補の中にLo-TEKと多元世界に向けたデザイン、現地の生物図鑑などがあり、これらの本を扱っているならばこのコミュニティと自分との親和性はきっと高いと確信できた。
その後もウェブサイトや詳細を熟読しますます参加したくなったが、学生には厳しい値段だった。あきらめきれず参加するかは別にして勇気を出して連載筆者の七沢さんに興味がある旨をメールした。ら、時差にも関わらず日本の朝早くに返信をくださった。さらにトントン拍子に値段やアクセスなどの詳しい連絡が来て、私は暖かくウェルカムな姿勢に圧倒されてしまった。そしてああやっぱり行ってみたいと思い、参加させていただくことにした。結果的に、人生の進路も還るような素晴らしい体験や出会いができたので、ぜひ体験記を書いてみなさんに紹介したい。毎晩テントの中でランプを吊るして暑さと戦いながらその日おきた出来事を書いていたので、日記のような文章を、ところどころ直しながらそのままここに写す。
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月曜日の朝、石垣島からフェリーに乗って西表島に着いた。七沢さんは私のことを大学院生だと思っていたらしく、まだ専門分野も定まっていない者が来たことでがっかりさせてしまったかもしれないとおもい、申し訳ない気持ちになった。他の参加者に学部生はいない。自分が参加してよかったのか少々心配になった。
キャンプ場は広く開けたところで、海に抜けるジャングル道もあって、Starlink(今回私は使用しなかった)と充電ステーションがあり、ブックシェルフには読みたかったけどこれまで手が出せなかった本がたくさんあった。嬉しくて時間があればむさぼり読ませていただいた。
ジャングルクラブは開催期間の2週間の間、自分が参加したい期間だけ参加するシステムになっている。朝の薪割りワークを終えたところで、お昼をいただきながらすでに参加している方にまずは自己紹介をした。高校時代に環境運動に携わっていたこと、西洋的な価値観が自然を制御しはじめ、その結果として気候変動を引き起こしたのだとしたら、気候変動の解決の糸口は、西洋以外の思想にヒントがあるのでは?という関心から現在はアメリカで脱植民地主義や哲学、マルチスピーシーズ人類学、土着建築などを学んでいる話をしたら、原島さんという方��関心が近いよ!と教えていただいた。夜にでもゆっくりお話しましょうという話になった。
午後のワークのあと、ブックシェルフにあった「思想」という雑誌で、原島さんの寄稿「感性と創造性についての基礎情報学的一考察」を見つけて読んだ。非常に感動した。哲学、情報理論、AIなどさまざまな分野がつながっており、春学期に人類学と哲学の授業を通して私が抱いた疑問の多くについて論じられていた。寄稿は気候危機と人道危機に関してから始まり、人間の美しい感性がどこに存在するのか、AIと人間の感性の違い、さらにウィーナーや西垣通などサイバネティクスの歴史についてなどかなり幅広く触れていた。勉強したばかりのカントの知性、理性、悟性についても論じられており、音読しながら反芻した。その論考は、愛とかなしみという概念についてで締めくくられていた。とても面白く衝撃的なものだったが、自分には難しい部分も多かった。その日の夜は結局疲れて、ご飯を食べて暑さにもがきながらなんとか寝た。たった5日間の宿泊で、夜しか使わなかったうちわがぼろぼろになるほど仰いだので、夏のギャザリングにいかれる方は命のために扇風機を持って行ったらいいかもしれない。
二日目、朝の9時半頃から、アキラさんのワークが始まった。アキラさんは、淡路島在住で、野菜の育て方や体の使い方や島での暮らし方についてのとにかくプロだ。
ワークはまず草を抜き、根っこを観察することから始まった。よく見ると、地上に生えているものと上下対称になっており、草がどのようにバランスを取っているかを確認できる。次に、猿が気を渡るように木に体重を乗せる練習を行った。力を入れずに、ふっと体重をかける。そして、柔道に似た方法で、4種類ほどのペアの相手の腕や体に力を入れるワークをした。古武術をやっているアキラさんに体の裁きを教わり、重心の変化に本当に驚いた。これまで柔道を5年間ほど(学校の部活で軽く)やってきたが、その当時には理解できなかったことだった。
自然のバランスを模倣する。身体には常に空気やエネルギーがかかっており、誰かが入れた力はその一部、ほんの微細な部分に過ぎない。正座してうつ伏せになり、ペアに肩を押してもらう。腰をそらさず、首に力を入れずに、種が目を出すように起き上がる。腰から骨盤を一つひとつ立てるように。中高の柔道部の先生が言っていたこと、練習したことが、こういうことだったのかと初めて理解できた。ピラティスで背骨を一つ一つ立てるレクチャーを受けたり、中学時代、自分には到底到達できないと感じた柔道部顧問の手の捌きが、力を入れずに行われていたことを知った。力を入れない方が強い。相手の力を利用する。選手時代に気がつけたらなぁ、と思った。
さらに、これは体の使い方だけではなく、サイバネティクスといったシステムにも応用できる気付きだと思った。
夕方は、歩いて海に行った。私は長いもりを持つ。砂浜をずっと歩く。自分はフィンを使えばある程度深くても泳げるのだが、近くのサンゴはどれも死んでいて、あの西表島でも私が生きているサンゴを見れることはなかった。疲れて、浜沿いの森のなかにある小さな滝で寝っ転がって上空を見た。青空と、体を這う水の冷たさと、木の隙間からみえる発光してるような緑の光は、この夏一番の思い出になるだろうとおもった。
翌日は朝5時半過ぎに起きて、ゆうほー!時間ー!と呼ばれて車に乗る。朝ごはんは食べていない。地元の甘いバナナを食べ、スーパーで2リットルの水を買う。これからマヤグスクという秘境にむかう。全部で7時間で、歩きで、山道で、夏で、過酷だ。フェリーでマングローブの上流までいき、着いてからすごいスピードで歩き出す。はじめ30分ほどして息切れして、やばいついていけないかもと思ったが体が温まるとぜんぜん大丈夫だった。滝に出るたび水分補給をする。さらに歩き、滝に出る。滝を浴びて汗を流す。ここからが本番です!と言われ、山道に入る。ここからはヒルが出るといわれ、しばらく歩いてから靴を見るとほんとについてる。てか、土の上で立ってる。なんじゃこいつら。途中から泥道があったりして、そこは植生も完全にイメージするような熱帯だった。そんな苦労をしてたどり着いたマヤグスクは、壁一面、岩が何千年間もの水が流れる力によって削れて城(=グスク)のようにカスケードになっていた。更にそこを登ると(まず登れるのに驚き。修学旅行だったら絶対に駄目って先生に言われそう)、崖に囲まれた開けた場所にでた。さらに上があり、そこにはまた背の高い滝があった。これ以上は登れないが、こんなに奥地でネットも繋がらなくて何十にも仕掛けがある滝は初めてだった。
写真はあえて掲載しない。歩いてみてぜひマヤグスクに圧倒されてほしい。上級者コースで夏だと暑くて普段はしないそうなので、秋推奨、だそうだ。
原島さんが帰る前日の夜、ようやくかなしみについて質問できた。私の日記での理解なので間違っている部分もあるということを十分承知していただきたいが、かなしみは、端的に、他者をも自己と捉えること、なの��という。となると、地球は自己である。自己が地球を構成し、自己もその中にいる。自己も、眼の前にいるあなたも、地球という大きなシステムの中にいる。そんなかなしみの気持ちを、めのまえにあるものに持つことができたら、人類がこの環境破壊を見直せるヒント��なるのではないか---ということだった。
のちの夕食では、海に打ち上げられたプラスチックごみの解決策の話をした。余分なエネルギーを使わないような解決策をひらめいたのだが、たとえ自分たちが見えるところだけきれいにしても、自分たちには決して見えない、感じられないところにまで、すでに環境汚染は進んでいるのだ。そこの砂浜のプラスチックをすべて回収しても、この(入れない)山にはもっと大きな人間の影響がすでに起きていて、さらに自分たちが感知できないゆえに、手の施しようがない。そんな、人間の域を超えた不可知な存在、ティモシーモートンのいうハイパーオブジェクトとどう向き合っていけばいいのだろう。眼の前のことをやっていくだけでは、塵が積もって解決!にもならず、そもそも不可能な領域がある。絶望はある。でも、人類の与えた悪い影響を、例えばこの西表島からなくすことが、唯一の解決ではない、ということに気がつけた。
また、ジャングルクラブを通して、それぞれの地域には、それぞれの環世界がある。という自分の認識を改める話もできた。地域ごとの自然環境に合った思想や技術のあり方について話をしたときだ。イスラムなど一神教が生まれた背景は、厳しい自然の中で奪われることが多かったからだという。だから神にお願いする。逆に西表島のような風土は与えられることが多く、そのような自然環境の地域では多神教がうまれていく。おのずからとみずからという本に詳しく書かれているというので、読まないと。ということは、ユク・ホイが中国の技術哲学を語るように、一概に西洋文化を批判するのではなく、その地域にあった思想だっただけではないか?と考えたい。テクノロジーによる気候変動の解決を否定するのではなく、それが合っている地域もあるのかもしれない、と考えたい。
多元世界に向けたデザインの翻訳者の方がいたので、それに関しても多く質問させていただいた。その話と、古武術のワークでは通じる部分が多くあると思った。システムだ。古武術ワークをしたとき、だらーんとした後に背骨から一つ一つ立てていった体は極めて安定し、前からの力にも後ろからの力にも動じなかった。同様に、ピンと張った糸は外側から力を加えると壊れる。しかし、逆に力を入れていない糸の絡まりは、変形して全体として安定性を保つ。外から加わった力を流し、あわよくば利用する。システムやネットワークも、どれか一つが切れてたり崩れたりしても周りから支え会える関係性だと、全体としては安定し続ける。南米を深める理由が、またできた。
帰りの車の中で、私がいつか現代思想に寄稿することが夢だと言ったら、原島さんは、きっとすぐにできるよ、という返事だった。これまでのなによりも、よし人生生きてやるぞという気になった。この夏の経験を通じて、少なくともいまのわたしは、自分は人類学と哲学を基盤にやっていきたいという気持ちが定まったように思う。どうなるかはわからないが、とりあえずこのままいってみよう。さて、ここに書かれていること以外にも、Comorisだったり、プラごみ回収のはなしだったり、アートの話だったり、建築の話をしたのだが、長くなりすぎるので心に留めておく。気が向いたら書き足すかもしれない。ともかく、またいきたい!
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9/21
8時から作業開始。数えきれない楮畑のうち、さらに別の3箇所を徹底的に刈っていく。ちょっと慣れて��たのか要領を掴みつつも、今日はより暑く汗が止まらない。清々しさを感じながら、これが和紙ができる過程のほんの一部に過ぎないことを自覚して唖然とする。この集落に住む人は花をきれいに育てている人が多く、鮮やかな色彩に触れてうれしい。
EとTは軽トラに自転車を乗せており、息つくまもなくそのまま須崎へと自転車で向かうらしい。どういうこと??私と同い年くらいのEはここまで、フランスから自転車とフェリーだけできているらしく恐ろしい。すごく気持ちのいい女の子で、笑顔が可愛らしくてずーっと喋っている。自分も活動的と思うけど、比じゃないわね。私ももっと動いてやるっとか思ってしまうほど、アクティブだ。
二人を見送った後、Aさんがラーメン屋さんに連れ出してくれた。ここにもおでんが置いてあり、食前に食べる。そりゃおでんがあれば真夏でも食べるでしょ。今日はこんにゃくと、醤油ラーメンにコーントッピングにした。Fちゃんはカツがラーメンにオンしているのを頼んでおり眼福だった。ここらへんのちょっとした名物らしい。染み渡る炭水化物っ
汗でびしょびしょのTシャツのまま、道の駅に寄ってコーヒーとアイスをベンチで食べる。なんかこのなんでもない時間がほんっとう幸せだなと思える。90円のアイスとタンクから注がれたコーヒーでもね
帰ってお風呂に入って、小休憩を挟み会社で紙漉き体験!もろもろ準備をしてくださり、私たちはただただ漉いていく。だんだんと楮がなくなっていくので都度足していくのだけど、きれいになった楮をのりが入った水の中に溶かしていく様がとても気持ちがいい。でも量の調整が難しかったりして、髪の厚さはまちまち。それも変化が出て面白いよねとか言いながら、楽しんだ。明日乾燥して持ち帰る。
近所の人がカツオを持ってきてくれるからと部屋で待っていると、とても珍しく「硬い」カツオだったらしくたたきにはできないと、わざわざ煮付けにしてくださった。釣ってきたものを台所で切り分けてくださったのだが、包丁を入れるまでその「硬さ」がわからないらしい。カツオはそういう意味で当たり外れがあるんだって。そんな硬いのを食べさせられない!とひと手間加えてくださるなんて。しかもお母さまがたたき用につまを用意してくださっていて、私たちはその丁寧に作られたつまだけをありがたくいただいた。胸がいっぱいだった。だって、カツオが出てくるまでお腹空いちゃうでしょと葡萄パンととうもろこし(土佐産!)と佃煮をくれたり、ご飯も分けてくれて涙が出そうだった。
そして夏至を迎えた今日、淡の間さんの「夏至の会」を一緒に拝聴させてもらう。私たちは星の話をまあよくするので、わくわくしながら聴きながらも疲れもありうたた寝。私も最近呑気そうではあるが、相変わらずいろんなことがあるし悩みは絶えないし気を抜くとすぐ深く暗い穴に落ちてしまいそうになる。でも、占星術という考え方にとても助けられていて、もっとふかく自分のホロスコープを読み解きたい。それがいつか誰かのたすけになればいいかもなとも思う。
明日までに買い込んだ食材を消費できる自信を失ったまま、お腹いっぱいになり就寝。毎日がいい日。
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2024年5月20日
G7広島からきょうで1年 平和公園にサミット記念館オープン 一般公開始まる 世界平和を思う場所に(RCCニュース 5月19日)2024年5月20日に追記
G7広島サミットの開催から19日で1年です。広島市の平和公園にはサミットを伝える記念館がオープンしました。
原爆資料館・東館のとなりに完成したのは、G7広島サミット記念館です。湯崎知事や広島市の松井市長らが出席してオープニングセレモニーが行われました。
記念館には写真パネルやゆかりの品、96点が展示されています。宮島・岩惣のワーキングディナーで使用された円卓のほか、首脳たちが原爆資料館を見学した際に記した芳名録のレプリカも並んでいます。
湯崎英彦 広島県知事(広島サミット県民会議 会長)「皆さんにご覧いただいて、改めてサミットを思い起こしていただきたい。世界平和への皆さんの思いを強くする1つのきっかけになるとうれしい」
入場は無料で、次に日本でサミットが開催される2030年の年末まで公開されます。
「影響は想像以上」 G7広島サミットから1年 経済効果は? 湯崎知事「持続可能・成長する観光地に」 (RCCニュース 5月17日)
深堀りNEWSDIGは、G7広島サミットの経済効果につ��てです。開催からまもなく1年。コロナ禍の収束や円安といった追い風の中、今、多くの観光客が広島を訪れています。
去年5月19日から3日間、広島市のホテルに各国首脳が集まって開かれたG7広島サミット。あれからまもなく1年が経とうとしています。
こちらは、サミットに参加した首脳たちが記念撮影をした場所。1年たった今も、こうして訪れる人がいます。
訪れた人は「ここで撮影しているというのは聞いていた。娘と記念に足を運んだ」
ホテルでは、実際に会議で使われた円卓を今も展示しています。こちらは、広島サミットをニュースで見たという外国人客。九州や関西など日本を周遊するツアーに参加し、このホテルに立ち寄りました。
外国人客「私たちは北イングランドのランカシャーから来た。ここに来られて、とてもうれしい。G7はここで開かれ、私たちはここに滞在している。素晴らしい」
刻一刻と、その模様が国内外に伝えられた広島サミット。ホテルによると、影響は想像以上だったといいます。
グランドプリンスホテル広島 中村洋之 マーケティング支配人「(この1年の変化は?)サミット開催直後からホームページの検索数が通常時の10倍ぐらいに増えて、ある程度は『サミット開催ホテルに泊まってみたい』という声は想像していたが、期待以上の反響で、宿泊予約も大きく伸びた」
ホテルの宿泊客数は、コロナ禍の前とほぼ同じ水準に戻りました。そうした中で。
中村洋之 マーケティング支配人「特に海外の客が増えて、アジア(からの客)はまだコロナ前から回復していないが、欧州からの客が大変増えた」
先月は、ヨーロッパからの客が前の年の同じ月に比べ、107パーセント伸び、サミットで広島やホテルの露出が多かった効果だとみられています。
桟橋に到着したフェリー。こちらもサミットの舞台となりました。世界遺産の島、宮島です。
観光客「(どちらから?)京都から。この人は2回目で。ぜひ行きたいと言って、連れてきてもらった」
観光客「横浜から来た」
去年、宮島では島を訪れた人の数が、過去2番目の多さとなって、観光客がV字回復しました。
今年も2月の来島者数が過去最多を記録。ゴールデンウイークを過ぎたこの日も、平日だというのにご覧のような人出です。目立つのは日本人客よりも、外国人客の姿です。
お好み焼き ももちゃん 百々明宏店長「平日も特に外国人の観光客が多くて、ありがたい限り。ヨーロッパの人を含めてインド圏、アジア系の外国人も多い印象」
地元の観光協会も来島者数が好調な理由として、外国人客の増加が大きな要因だとしています。
宮島観光協会 上野隆一郎事務局長「海外の客、各国首脳が大鳥居をバックに写した映像が流れたので、その効果が絶大だったと思う。何とか(年間で)過去最高を記録していきたいという思いはある」
では、サミットの受け入れ側として県民会議の会長を務めた湯崎知事は、この1年間の経済効果について、どう捉えているのでしょうか。
湯崎英彦 知事「外国人の宿泊者数でみても、去年、通年でみると、5月まではコロナの影響があったので、完全には回復していないが、サミットの後、6月以降は全体でみるとコロナ前を上回っているような状況になっているので、特にアメリカとかヨーロッパのG7の国からの観光客が増えていて、そういう意味ではやはりサミットのインパクト、経済効果というのも出ているんじゃないかと思う」
こうした傾向は、全国の他の地域と比べても、うかがえるといいます。
湯崎英彦 知事「今、日本全体の外国人観光客をみると、かなり地域差があって、東京、大阪、福岡、ここにすごく集中している。他の地域はまだ、コロナ前の20%減とか30%減とかというのは非常に多いが、広島はとんとんに戻ってきたりとか、サミット後は、それを上回るような形になっているので、そういう意味でみても、かなり経済効果というのは出ているんじゃないかと思う」
では、こうした効果を持続し、発展させていくためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。知事はそのキーワードとなるのが、「おいしい」だと語ります。
湯崎英彦 知事「今、県や県の観光連盟で取り組んでいるのは、元気、おいしい、暮らしやすいというところで、『おいしい』というところは、観光する上で大きな要素になっているから、これは世界的にそうなので、全体で『おいしい』イメージをつくっていくと。例えば北海道や金沢とか今、災害で苦労されているが、『これがおいしい』というよりも、『この地域がおいしい』というイメージがある。そういうイメージをつくるということと、それから世界遺産��向けてたくさん来ている客に、もっといろんな場所に行ってもらう。そのためのコンテンツとか、アクティビティとかそういうものをつくっていく。そういう2つで持続可能、成長続ける観光地としての位置づけというのを確立していく必要があると思う」
首脳たちが囲んだ円卓=2024年5月17日午後1時2分、広島市中区、興野優平撮影
広島G7サミットが残したものは 開催から1年、「記念館」オープン(朝日新聞 5月19日)2024年5月20日に追記
広島で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)から19日で1年になる。サミットは広島と世界に何を残したのか。
同日、広島市の平和記念公園で「G7広島サミット記念館」がオープンする。平和記念資料館の隣にできた約111平方メートルのプレハブだ。県と市が約5千万円の事業費を投じて建設した。
G7や招待国の首脳らが資料館を訪れた際に記した芳名録の複製、首脳らが囲んだ円卓、写真パネルなど約100点が展示される。期間は次に国内でG7サミットがある2030年末までだ。
湯崎英彦知事は14日の定例会見で「国内外の多くの来訪者にとって、G7各国首脳の核兵器廃絶への思いを受け止め、改めて平和について考える契機になれば」と話した。
広島市の松井一実市長は16日の定例会見で、昨年度の平和記念資料館の入館者数が過去最多だったことに触れ、「(サミットは)平和の発信と共に、広島の魅力を世界各国に発信できた。そのことによる成果であると思う」と語った。
し��し、サミット後の世界ではG7が再確認した目標の「核兵器のない世界」がますます遠ざかるような出来事が続く。
パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルでは昨秋、閣僚が核使用を「一つの選択肢」と発言した。核兵器の保有や使用を全面的に禁じる核兵器禁止条約には、核保有国や米国の「核の傘」の下にある日本が不参加だ。今月6日にはウクライナ侵攻を続けるロシアが戦術核兵器の演習準備を始めたと発表。16日には米国政府が、西部ネバダ州の核実験場で14日に核爆発を伴わない未臨界核実験を行ったと発表した。
平和教育や平和文化交流を続けるNPO法人「ANT-Hiroshima」の渡部朋子理事長は「核兵器廃絶に向けた貴重な機会を、広島はG7サミットで失った」と指摘する。
昨年のサミットでは「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」が公表された。核軍縮をうたう一方で、核兵器は「防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争及び威圧を防止」するとして核抑止力を肯定する内容で、被爆者団体などから批判を浴びた。
ウクライナのゼレンスキー大統領が飛び入り参加し、G7首脳との間で軍事支援の強化が約束された。渡部さんは「広島は非核・非戦・非暴力の場だったのに、ウクライナに対する軍事支援を表明する場になってしまった」と振り返った。
「記念館」が平和記念公園内に建てられたことについても、「公園に眠る被爆者の方々に申し訳ない」と批判する。
その一方で注目するのが、G7サミットに政策提言する国際的な市民ネットワーク「C7(Civil(シビル)7)」だ。昨年には東京で「C7サミット」があり、市民の連帯が生まれたという。「グローバルとローカルがつながり、より良い世界に向かって手をつなぐという非常に大きな意味がある」
今年5月14、15日には6月にイタリアであるG7サミットを前に現地で開かれた。広島出身で「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)共同代表の高橋悠太さん(23)も参加。渡航前、「去年の広島での開催を経て、もう既に(核廃絶に向けた)芽が広がっている」と話していた。
G7首脳への提言には、昨年の被爆地・広島での開催を踏まえ「平和、共通の安全保障、核兵器廃絶」という項目が新たにできた。そこには「何者であっても核兵器による威嚇や使用は許されないことを再確認せよ」と書かれている。(興野優平、魚住あかり)
広島サミット1年 被爆地の訴え、軽んじるな(中国新聞 社説 5月19日)
広島を舞台にした先進7カ国首脳会議(G7サミット)開催から1年になった。先進国の首脳が集い、原爆資料館などを訪れてメッセージを記した。被爆地として歴史的節目となる会議だった。
地元開催のひのき舞台で岸田文雄首相が誇らしげに成功を強調した場面は記憶に新しい。だが、この1年間、核兵器のない世界への取り組みがどれだけ進んだだろうか。
ウクライナに侵攻したロシアは戦術核兵器の使用を想定した演習準備を始めた。米国も14日にバイデン政権3回目となる臨界前核実験をした。核保有国の独善ぶりはむしろ拡大している感さえある。
「核には核で対抗する」という核抑止論が世界で幅を利かせている。しかし、核兵器がある限り、使用される危険は消えない。「核のボタンを押す」と威嚇する指導者は現に目の前にいる。被爆国である日本は抑止論ではなく、世界からの核廃絶を目指す具体的な行動を示すべきだろう。
私たちは首脳による広島訪問を呼びかけてきた。平和記念公園や原爆資料館を訪れ、原爆被害の実態を知ってもらうことで核廃絶の取り組みが広がると信じてきたからだ。
原爆資料館の入館者数は2023年度、198万人を超え、過去最高を大幅更新した。歴史的な円安に加え、サミット効果も大きかった。広島サミットがヒロシマの惨禍を世界に伝える契機になったことは成果と言えよう。
ただ、サミットで初めてまとめられた核軍縮文書「広島ビジョン」には不満が募る。核兵器禁止条約に触れず、核廃絶にも言及しなかった、核保有国に追随するような内容は全く評価できない。全国の被爆者団体へ向けた中国新聞社のアンケートでも「核廃絶へ成果がなかった」と広島サミットへの厳しい意見が半数を超えたのもうなずける。
広島市も広島県も核抑止論からの脱却を求めている。それが被爆地の訴えであるのは言うまでもない。にもかかわらず、政府は24年版外交青書に「米国が提供する核を含む拡大抑止が不可欠」とする特集面を新設した。まさに聞く耳を持たずである。
保有国の横暴ぶりをみて、非保有国は核兵器を全面禁止する方向に結束しつつある。積極参加すべき日本は被爆者団体などからの再三の要請に背を向け、オブザーバーにも加わらない。
到底納得できない。世を去った幾多の被爆者の「二度と被爆者を生み出してはならない」という思いが岸田首相には届いていないのだろうか。
「各国首脳とともに『核兵器のない世界』を目指すために、ここに集う」
サミットの際、岸田首相が資料館の芳名録に残したメッセージである。集まったことを誇っただけで、具体的に何を協議し、どう取り組むかという決意などが全く記されていないのはなぜなのか。
広島は核なき世界を実現するために、とりわけ重要な責務を持つ都市である。その地でサミットを開いた事実だけを強調し、政治のレガシーにすることなど許されない。
G7 広島サミットから1年 核兵器を巡る現状は 若い世代に聞く(毎日新聞 5月19日)
核兵器廃絶の活動に取り組む高橋悠太さん=広島市中区で2024年5月9日午後1時59分、武市智菜実撮影
主要7カ国の首脳が被爆地に集まったG7 広島サミットから1年を迎えた。核兵器のない世界の実現に向けて行動する若い世代は、その後の状況をどう見ているか。核廃絶を目指すNGOの代表として国内外を奔走する高橋悠太さん(23)に聞いた。
核軍縮交渉進まず
私が代表理事を務める一般社団法人「かたわら」(横浜市)は2023年春の設立で、核兵器をなくそうと行動する市民の「傍ら」にありたいというのが趣旨。市民のためのシンクタンクとして、地方自治体への政策提言や情報発信などに力を入れている。
サミットに市民サイドの声を届ける「G7市民社会コアリション」の一員として、外務省のシェルパ(首脳の補佐役)にも面会し、核兵器廃絶をサミットの主要議題に取り上げてもらうよう求めた。4月の面会では、6月にイタリアで開かれるサミットで 広島サミットを引き継ぐ形での議論をお願いした。
1年前を振り返ってみると、被爆地でサミットが開かれても核兵器を巡る現状は変わらなかった。核を保有する西側諸国が核軍縮を呼びかけるようであれば大きな進展だと思ったが、核拡散防止条約(NPT)の第6条が核保有国を含む締約国に義務として定める核軍縮交渉は進んでいない。
広島サミットでは初めて核軍縮に特化した声明「 広島ビジョン」が出されたが、その後にパレスチナ自治区ガザ地区に侵攻したイスラエルの閣僚からは核使用をほのめかす発言があった。通常戦争が核兵器の使用につながるリスクは高まっているのではないか。 広島と 長崎は核の問題を考える出発点で、サミットはそれを共有する機会だったはず。しかし、被爆地からのメッセージは軽んじられているのが現実だ。
核兵器廃絶の活動に取り組む高橋悠太さん(前列右から2人目)。左隣は広島県原爆被害者団体協議会の箕牧智之理事長=広島市中区で2024年5月9日午後2時53分、武市智菜実撮影
広島ビジョンでは、核兵器のない世界という究極の目標は「現実的で、実践的な、責任あるアプローチを通じて達成される」とある。しかし「責任あるアプローチ」とは「核抑止力」を含むのか。そうであるならば、どういう状況で、どんな大義があれば、核兵器を使用できるというのか。その問いを詰めていけば核兵器の被害を認識しなければならず、 広島と 長崎に立ち返ることになるはずだ。
一方で世界には気候変動や難民問題など、さまざまな課題がある。核兵器の問題は核保有国がNPT第6条を順守し、核軍縮に向けてきちんと対応すれば済む話でもある。
戦争が行き着く先は……
日本国内で気になるのは、核廃絶を求める人たちの発言が内輪にとどまっているように思えることだ。地元の広島を離れて東京にいると、戦争体験から学ぶ機会が途切れつつあると実感する。戦争が行き着く先に核兵器の問題があることを語るのは難しい。
市民社会から核廃絶を求めていくために、核を巡る言説を強くしたい。 広島サミットの際には他の分野のNGOなどと結びつきができ、環境問題の中で原発を取り上げ、子どもを巡る政策から平和に言及するといった協働が生まれた。共通の土台を作れたことは成功だったと思う。
イタリアでのサミットを前に、世界各国のNGOなどが現地で今月開いた国際会議「C7サミット」に参加し、政策提言書には気候危機や人道支援などと並んで核兵器廃絶が盛り込まれた。
核兵器は「人類はどう生きるか」という人権問題につながる。さまざまな課題は戦争、さらには核兵器の問題とつながっていることを訴えていきたい。【聞き手・宇城昇】
たかはし ゆうた 2000年生まれ、 広島県出身。中学・高校時代から核兵器廃絶の署名活動などに参加。「核政策を知りたい 広島若者有権者の会」(カクワカ広島)の共同代表、国内で活動する人々のネットワーク「核兵器廃絶日本NGO連絡会」の幹事も務める。
「コミュニティ拠点として賑わいを創出」貸会議室や子どもプログラミング教室も!広島銀行が新コンセプト支店オープン(RCCニュース)2024年5月20日
広島銀行は、JR広島駅前の商業施設に新しいコンセプトの支店を開店しました。
JR広島駅前のエールエールA館7階に開店したのは、広島銀行広島東支店です。
敷地面積は880平方メートル。老朽化が進む旧広島東支店やエールエールA館の1、2階にあった支店などが移転して営業します。
エールエールA館では、2026年度に広島市中央図書館が移転する予定で改装作業が進んでいます。
広島銀行では最大40人を収容できる有料の貸会議室を初めて支店に併設し、子どもプログラミング教室やカルチャースクールを開くなど、「コミュニティー拠点として賑わいを創出したい」としています。
広島銀行 清宗一男 頭取 「今の銀行の支店という、ロードサイドで1階で入ったらカウンターがあるというイメージを払拭した新しいタイプのお店にしたい」
広島東支店では、銀行業務の時間外も市民の憩いの場としてロビーを開放することにしています。
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広島銀行 3店舗を統合し新支店オープン(広島テレビ)
広島銀行は20日、広島市内の3店舗を統合した新しい形の支店をオープンさせました。
広島駅南口にある、エールエールA館内にオープンした広島東支店。広島市南区にあった旧店舗と大州支店、広島駅前支店の機能を一か所に集約し、経営資源の効率化を図ります。
広島銀行 清宗一男 頭取「(客は)口座番号も変更する必要なしに、一つの所で取引いただくのがこれからの時代に合っている。」
新店舗は銀行の営業時間が終わった後もロビーを開放するほか、予約すれば誰でも使える会議室が午後8時まで利用可能です。
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新広島駅ビルの姿が徐々に 広島電鉄「駅前大橋線」の橋梁は6月設置 周辺で通行止めも(RCCニュース)2024年5月20日
建設中の新しい広島駅ビルの囲いが取れ始め、その姿が徐々に明らかになってきました。一方、路面電車が乗り入れるための橋は来月設置される予定で、その工事にともない周辺の道路が一時通行止めになります。
小林康秀 「建設が進む広島駅ビルの東側の建物の囲いが取れ始めました。大きな『広島駅』、それからアルファベットで『HIROSHIMASTATION』と見えるようになりました」
新しい広島駅ビルは地上20階、地下1階建てで、その2階部分に広島電鉄の新ルート「駅前大橋線」の路面電車が乗り入れます。
広島駅前の交差点にかかる大型の橋梁はいよいよ来月設置。この工事にともない、広島駅前の周辺の道路は、6月13日、16日、17日の深夜から早朝にかけて通行止めになります。また、予備日が19日の未明から早朝に設定されています。
通行止めとなっている時間は、迂回が必要となるほか、広島駅前の仮設のタクシー乗降場が利用できなくなるということです。
駅前大橋線と新しい広島駅ビルは来年春に開業する予定です。
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2024/3/9.10 バームクーヘンカップ2023-2024サッカーフェスタ@似島
【試合結果】
3/9 予選リーグ
△ 0-0 vs船越
⚪2-0 vs牛田
3/10 2位リーグ
⚪3-1 vs古田
△ 2-2 vsKSC
⚪3-2 vs中山
今年も、バームクーヘンカップに参加させていただきました。
昨年まで、みなと公園での開催でした!
久しぶりに似島での開催ということで、初めてフェリーにみんなで乗ったり、似島での平和学習をしました。また、オープン前のユーハイム似島歓迎交流センターの一部を使わせていただいたり、自分達で焼いた美味しいバームクーヘンをみんなで食べたりしました。
サッカーの試合は2日間、1敗もせずに頑張りましたが、4連覇にはならず、終わりました。
平和の大切さを似島の地で学び、普段の生活やサッカーをしている事が当たり前ではなく感謝をしなければいけないと気付かされました。
世界では残念ながら、戦争がなおも続いています。平和を望む心を強く持ち、これからも楽しくサッカーができるように日々頑張っていきます。
運営に携わってくださった似島活性化スポーツ事業実行委員会、広島市サッカー協会、似島地区コミュニティ交流協議会の皆様、協賛の多くの地元企業様、現地スタッフの皆様、2日間ありがとうございました。
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玉野市の宇野駅、宇野港からほど近い古いビルの1階に入る おむすびがメインのカフェ「shiro」の計画である。 カフェ機能だけでなく、作品展示やライブイベントを行い、 訪れる人たちの交流のきっかけとなるような空間が求められた。
昭和の事務所のような素材使いの空間が長い間使われずに放置されていたが、 施主自らが解体作業を行い、 力強いコンクリート打放しのスケルトン状態を作り出した。
空間の奥に厨房をコンパクトに作り、残りの空間を広々とした客席とした。 少し狭くなった入口部分から奥への広がりを強調するために 「く」の字型にテーブルを配置し、 オリジナルのOMSB stool(オムスビスツール)を並べた。 テーブル席の他にもベンチ席やカウンター席を設け、 大きな空間の中に雰囲気の異なる居場所を作った。
「お寿司屋さんのようにおむすびを出したい」との要望に 応えるために計画したカウンター席は床が1段高くなっていて、 イベント時にはステージとして機能する。 (ステージ上でおむすびを握っている設定でもある。) カウンター席の上部には片面だけ仕上げたステージセットのような つくりの垂れ壁を設けた。(裏側の骨組みが見えている) 垂れ壁の曲線がおむすびや瀬戸内の島を連想させるし、 薄いのでステージの幕のようにも見える。
近くの宇野港から直島や豊島へのフェリーが出ているため、 世界各地から訪れた観光客の来店も期待できる。 近年は移住者も多い。 地域住民の他にも様々なバックグラウンドを持つ人達が集まり、 フラットに交流できる空間を目指している。 素材や仕上げに関してもフラットに扱い、新しいものと既存のものが混ざり合い、 見分けがつかないような状態を理想とした。 施主塗装により生まれた程よいムラも、その理想への一助となった。 地元でこのような場所の計画に関われたことをうれしく思い、 これからこの場所でどのような交流が生まれていくのか楽しみである。
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九州地方フィールドワーク
9月25日から3泊4日で九州地方へフィールドワークへ行ってきました!先生の運転する車で佐田岬の港へ向かってからフェリーで九州へ上陸を果たした我々でした。
熊本県に着き、最初に訪れた水俣の資料館では、教科書では知ることのできない水俣病の現実、実情を身をもって感じることができました。水俣の海で採集された有害なヘドロや、猫で動物実験を行っていた際に使われていたケージなどは、胸にくるものがありました。1日目のホテルは素晴らしいビンテージ具合で、味ってやつを感じました。
2日目は水俣食べる通信に関する取材を行いました!かなりの山道を不安になりながら進んでいると徐々に看板が増えてきて、たどり着いたのはモンヴェール農山さんです。農山さんが、「おじいさんから受け継いだ土地は、幼い頃からの"遊び場"って感覚だ」と、おっしゃっていたのが印象的です。また、自身も農業大学校へ通うなど行動や言葉の端々に情熱を感じました。その次に向かったお茶の坂口園へ行った際に聞いたお話の中にも、気になった農家さんへは直で訪れて知識を増やしているとのお話を聞いて、何か共通点を感じました。坂口さんには実際に和紅茶の試飲をさせていただきました。とんでもないいい香りに山口先生、ゼミ生全員の表情が一瞬で晴れたのを見逃しませんでした。その後、熊本から福岡までの長距離ドライブです。みなさんお疲れで声がやんだと思ったらグッスリでした。
3日目の福岡では、冷泉荘へお邪魔しました!このビルのコンセプトはビンテージであり、時間が経てば経つほど価値が出るという面白い建築物でした。吉原さんとサンダーさんとお会いすることができました。各人、別ベクトルで先生言うところの"変態"だったように思います。新しくて綺麗でおしゃれな建物に価値があると思いがちな我々に、これからまちづくりを考えていくなかで必要なことが学べました。帰りの車内もなんだかんだ盛り上がり、知識も経験も、先輩同級生ひいては先生との仲も深まったナイスなフィールドワークとなりました!先生、先輩、九州にてお話を聞かせていただいた皆さんにありがとうございました!
(大石幹太)
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旅 伊勢篇
VIBES MEETING MIEのあと、
伊勢に二泊しました。
こちらにお世話に。
伊勢市でTiPi美容室を営む西山ご夫婦。
20代の頃からのお付き合い。
昔は年に一度は訪れておりました。
最近はご無沙汰でございました。
西ヤンの寝起き顔がいいね~。
ステキなガレージ。
勿論、お二人共にハーレー乗り。
遊び道具が詰まったたまらない空間。
うらやましい~。
夜はと~ぜん飲みまくり。
西ヤンは二日酔いが。。。。
二日目は、
お伊勢参り。
内宮行く元気がなかったので、
近くの外宮さんにお参り。
ホント、
久々の伊勢でした。
変わらずのお二人ともに、
ゆっくりと話しが出来たんで、
と~っても楽しかった。
ハーレーの青春時代を共に過ごし、
年をとっても、自分らしく生きている方に会うのは
嬉しい。
ステキなご夫婦。
身軽なオレはこの二人に会いにもっと伊勢にいかねば。
と、思いました。
また、お邪魔しに行きます。
この後、鳥羽から大揺れのフェリーに乗り、
次の地、富士の麓に向かいました。
あ、
VIBES MEETING MIEの模様は、
SHAFTの本間のアニキが時系列で、
ブログに書いてくれてますので、
そちらを。
さらに、最後のブログにオレのイイタイ事も
書いてくれておりますので、
是非、読んで頂きたいです。
ホント、いいこと書いてくれてます。
さすが、本間のアニキですよ。
SHAFTのHPからブログよめま~す。
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2023年7月 北海道旅行
2023年7月8日(土)~7月15日(土)の旅行のまとめ。
7/8~7/9 高速道路でひたすら新潟へGo。 新日本海フェリーのあざれあ号で小樽に行きます。 船の夕日が綺麗だった。 ※なお、車止めるときにトラブったらしいが、新日本海フェリーのアフターフォローが丁寧だったということはここに書きとどめておこう。
7/9 4:00前に起こされて4:30小樽到着からの、そのまま高速で札幌通過して大雪山旭岳へ。 旭岳ロープウェーで登って周辺トレッキング。 景色が最高でした。 夏に旭川方面へ行く予定のある人は絶対に行った方が良い最高スポットでした。
昼:旭岳ロープウェーのレストラン。 豚プレートみたいなやつだったけど、ピーマンの丸焼きがおいしかった。 宿:他に空いていなかったので、1泊25,000円以上のリゾートな感じのお部屋。広々していた。
7/10 美瑛 青い池 → 富良野のファーム富田 → 美瑛
青い池はとても良かった。 富良野はファーム富田で疲れて他を見る気力は死んだ。 外人が多いわ駐車が大変やら……。
昼:美瑛の四季彩の丘のレストラン。全く期待していなかったらそれなりに我が輩好みのメニューもあってびっくり。 宿:東川町のコンドミニアム。リビングでダラダラできたのはよかった。 夜:スーパーの寿司。特においしいと言うことはない。
7/11 予定より前倒しで色々回ったので、急遽、大雪山の層雲峡黒岳ロープウェーへ。
自分はずっと「たいせつざん」だと思ってたら旭岳側は「だいせつざん」って言ってて、自分が間違ってたのか!?と思ったら、こちらは「たいせつざん」って言ってて、結局どっちなんだ!?となった。
天気はイマイチ。リフトの足下にいろいろな花が咲いているのが見所か?
その後旭川へ移動。
昼:でんすけスイカの道の駅。やっぱり一切期待していなかったのに、地味においしかった。 宿:建物は古めだが、ちゃんと改装して小綺麗な普通のビジネスホテル。だけど、ニセコのヒルトン2泊とここ1泊の料金がほぼ同じな事には納得がいかない。 夜:旭川のイタリアン。
7/12 旭川→ニセコへ移動。やはり札幌は高速で通過。 余市までしか高速はないので、ここからは国道。 折角なので、道の駅スペースアップル余市へ。 アップルパイもぶどうジュースもおいしかった。
ホテルに行く前に、神仙沼を散策。
昼:ニセコの道の駅にいたはずだったのに…… うっ思い出させないでくれ……! 宿:ヒルトン。入り口が超豪華。朝食ヤベーっす。紅茶派の我が輩もニッコリどころか満面の笑み。 夜:倶知安の知人と寿司屋?へ。 越冬ジャガイモなるものを初めて知る。
7/13 ニセコトレッキング。 天気は微妙だったけど、とても良かった。
昼:鏡池でおにぎり。 宿:やっぱりヒルトン。まさかの朝食バイキングなのに、昨日と違うメニューが多い……!恐ろしい子っ! 夜:セイコーマートのホットシェフのおにぎりと、ホテル近くの高橋牧場のシュークリームと飲むヨーグルト。 地味に満足度が高い夕食。
7/14 ニセコ→小樽へ帰る前に、ちょっと京極の湧き水を見に行った。 道の駅あかいがわに寄るも何も買わずにスルー。
小樽で鰊御殿見た後回転寿司でランチ。
その後、1時間半自由行動で、ルタオのチョコレートドリンク飲んだり手宮線廃線跡見たり。 夜ご飯をフェリー乗り場の近くで買おうと思ったら、意外と時間がなかったことが判明して色々慌てたけど無事乗船。
7/15 新潟到着。 ピアBandaiとやらで色々買い込んで帰宅しましたとさ。
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おはようございます。
福岡県北九州市は、晴れのち曇りのお天気です。
出張車移動2日目。
昨日は富山県射水市を9時半頃に出発をし、輪島から石川県能美市に避難している、輪島の学校時代の年上の同級生と、久しぶりの再開と元気な様子を確認出来て良かったです。
富山県射水市〜金沢〜福井〜湖西道路経由で一般道を直走り、京都東からは高速移動に切り替え、のんびり大阪南港フェリーターミナルへ無事に到着し、出張車移動2日目のオジさん一人旅終了。
フェリーに乗船後、ひとっ風呂浴びてから、一人晩酌を楽しみ、知らないうちにZzz
そして今朝は朝風呂を頂いてから、しっかりと朝食も頂き、間も無く福岡県北九州市の新門司港フェリーターミナルに接岸予定です。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今週も、良い一週間成ります様に。
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#9 イスタンブールその1
こんにちは、カサダニアンです。
いよいよイスタンブールへ向かいます。
イズミル空港からイスタンブールへの向かい方、そしてイスタンブールの1日目の見どころをまとめます。
この記事は、イズミルからイスタンブールホテルまでを紹介します。
〇イズミル空港
10:25発の飛行機なので、8時半ごろにはホテルをチェックアウトして空港��向かいましょう。
イズミル空港に着いたら、以下の順番で移動。
・荷物の預け入れ(BAGGAGE)
・保安検査場(Security Check)
・搭乗口
飛行機は10:25発なので遅れずに。
〇イスタンブールSAW空港
イスタンブール駅についたら、バーガーキングの横の出口から外に出ます。
扉を出ると、道を挟んだ向かい側に数台のバスが見えています。
建物を出たら正面の道を横断して右前方に向かいます。
少し進むと前方にHAVABUSが見える。
このバスの方へ進みます。
HAVABUSはこのバス停の少し手前右手方向に停車しています。
2021年にできたカフェ「simit sarayi」の裏手になります。
HUVABUSのチケットはバスの車内でアシスタントの人が回ってきて、その場で購入できます。
前売りチケットもあるようですが、ほとんどの人が乗車してからチケット代を支払っていました。
カドュキョイ行きのチケットを購入してください。
チケット代は50,50トルコリラです。
【HAVABUS時刻表】
〇カドュキョイ
HAVABUSのバス停はこの辺に到着するはずです。
目の前は後から乗るフェリー乗り場です。
〇壁画アート
街中を散策して壁画アートを探しましょう。
〇モダ海岸
モダ海岸は歩いて30分ほどなので、市内を一周している路面電車を活用しましょう。
アジア側のカドキョイという街は、目立った観光スポットはないものの、レストランやスーパー、個人経営のカフェなどが多く、飾らない庶民の暮らしを垣間見ることができるエリア。
カドキョイの埠頭に沿って歩いていくと、モダ海岸(Moda Sahil)にたどり着きます。
モダ海岸からは、トプカプ宮殿やアヤソフィア・モスク、ブルー・モスクなどの旧市街に残る歴史地区の街並みを一望することができます。
旧市街の向こう側に沈んでいく太陽を眺めることができるのは、モダ海岸ならではの贅沢なひとときです。
〇スレヤオペラハウス
スレヤオペラハウスは、イスタンブールのカドキョイ地区にあるオペラホールです。
1927年にイスタンブールのアナトリア地方で最初のミュージカル劇場として設立されたのが始まりでした。
しかし、劇場に適切な設備がなかったため、オペラが上演されることはありませんでした。
2007年末にオペラハウスとして再オープンするまでは、映画館として利用されていました。
再オープンした劇場の大きさは、幅14m、奥行き10m、高さ4.9mで新たにオーケストラピットが追加されました。
オペラハウスの観客収容人数は570席で、イスタンブール国立歌劇場及びバレエ団の本拠地になっています。
〇フェリーターミナル
KadıköyフェリーターミナルからKaraköy フェリーターミナルへ向かいます。
イスタンブールカードを購入してください。
おそらく15:30発のフェリーがあります。
【フェリー時刻表】
〇鯖サンド
発泡スチロールの店でぜひ鯖サンドを食べましょう。
〇バクラヴァおすすめの店
熊野さんおすすめのお店。
お土産をここで買っちゃいましょう。
〇ガタラ塔
・入場料100トルコリラ?
ガラタ塔(Galata Kulesi)は、イスタンブールのヨーロッパ側・新市街のランドマークといえる歴史的建築物です。
高さ約67m、9階建ての石造りの細長い塔で、イスタンブールの旧市街のエミノニュからガラタ橋を渡った先にあるカラキョイ地区に位置しています。
14世紀ごろにジェノバ商人によって物見塔として建造され、その後改修を繰り返しながら時代ごとにさまざまな役割を果たしてきました。
オスマン帝国時代は牢獄や火の見櫓(ひのみやぐら)として使われていましたが、2020年からは最上階とその下の階は博物館として一般公開されています。
〇カラキュイ電停
カラキュイ(Kadıköy )電停~ギュルハネ(Gülhane)電停まで路面電車に乗って移動する。
【電車】
〇ホテルにチェックイン
一旦ホテルにチェックインする。
〇グランドバザール
グランドバザールでお土産を購入
19:00まで。
〇地下宮殿
・入場料350トルコリラ(9:00~19:00)
・入場料550トルコリラ(19:00~22:00)
世界遺産に登録されているイスタンブール旧市街歴史地区には、地下貯水池が幾つか発見されていています。
中でもアヤソフィアの西側、トラムの線路の反対側にはイスタンブールで最大かつ最も見事な貯水池「Yerebatan Sarayi(イェレバ��ン・サルヌチュ)」があります。
トルコ語で「Yerebatan」は“地に沈んだ”、「Sarnic」は“地下貯水池”という意味です。
水の中から突き出た無数の大理石の柱が宮殿のように見えることから「Yerebatan Sarayi(イェレバタン・サラユ)」=「地下宮殿」とも呼ばれています。
地下宮殿の地上入口から階段を降り一足中に踏み入れると、湿気と冷やりとした風が肌に触れ、薄暗中にライトアップされた柱が水面から何本も立つ姿は幻想的で正に別世界。
中世にタイムスリップし冒険をしている様な気分になります!また、貯水槽内は現在でも水が溜まっており、その中には多くの魚が静かに泳いでいるのがより一層不思議な雰囲気を醸し出しています。
ここが公開されたのは最近の1987年からで、それまではほとんどの部分が数メートルに及ぶ泥に埋まっており、数年間の修復が終わりやっと公開されるようになりました。
イスタンブールではこの他にBİNBİRDİREK(ビンビルディレッキ・サルヌチュ)やŞEREFİYE SARNICI(シェレフィイェ・サルヌチュ)、HIPODROM SARNICI(ヒッポドローム・サルヌチュ)、SULTAN SARNICI(スルタン・サルヌチュ)などいくつもの地下貯水池がありますが、地下宮殿(イェレバタン)が現存する東ローマ帝国の貯水池として最大の物です。
〇アヤソフィア
アヤソフィアは、イスタンブールにある大聖堂で、1985年に世界遺産登録された「イスタンブール歴史地域」を構成する主要名所の1つです。
ハギアソフィアや聖ソフィア大聖堂とも呼ばれ、トルコを代表する観光スポットとしてブルーモスクと並び、イスタンブールのなかでも高い人気を誇っています。
アヤソフィアの歴史は古く、建造はローマ帝国時代の360年まで遡ります。キリスト教の大聖堂として建てられたアヤソフィアには、ローマ時代に大司教が置かれた5つの教会である5本山の1つ、コンスタンティノープル教会の総主教座がありました。
建造後、幾度か火災によって焼失しているアヤソフィアですが、そのたびに再建されており、現在の建物は537年に完成した3代目に当たります。
1054年に起きたキリスト教会の東西分裂以降は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の支配下でギリシャ正教の総本山として、式典や戴冠、教会会議など重要な役割を果たしてきました。
1453年、オスマン帝国によりコンスタンティノープルが陥落すると、イスラム教のモスクへと改修され、以後、長らくモスクとして利用されてきました。
やがて、20世紀に入るとオスマン帝国が滅亡。新しく成立したトルコ共和国では、初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクが政教分離を推進していた関係から、アヤソフィアは宗教性の薄い博物館へと転換し、一般に公開されるようになりました。
しかし、2020年7月24日、イスラム教への回帰を進めるトルコのエルドアン大統領により、再びモスクへと戻されます。
ただ、大統領は今後もアヤソフィアの文化的価値は尊重するとしており、イスラム教徒以外でも今まで通り観光客の訪問も認められています。
【アヤソフィアの解説】
以上、イスタンブールのまとめその1でした。
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ロンボク島遠征(前編)
ハロー!!「秘湯を求めて1」ぶりですね、2年になった岡本です
今夏、海外企画としてインドネシアのロンボク島に行って参りました!!!どん!!!!
まずは企画するに至った経緯についてですが、、、
昨年先輩たちに連れて行ってもらったモンゴルでは、日本では味わえないようなスケールの自然を体感することができました。星空なんて今でも鮮明に思い出すくらい超超超最高でした!!しかしその一方で、イフボグド山の登頂を断念する(、そしてぼったくられる)という悔しい思いもしました、、、。
↑よみがえる悪夢
そこで今回は、上級生となったこの岡本が!!先輩の思いを背負うつもりで、なんとしてでも海外登山を成功させるという強い気持ちで企画したわけであります。
今回私が選んだ舞台は、バリ島の東隣に位置するロンボク島!!縦横80kmほどの小さな島の北部にリンジャニ山(3726m)がどっしりとそびえます。
なんでも、リンジャニ山は”インドネシア一美しい火山”ということで通ってるらしく、美しい火山を持つ日本人として、一度みておかねば!!と思い、ここを目指すことに決めました。
今回集まってくれたのは、同期のタミーとぴちぴち1年生ズ5人!!!非常に若々しい隊となりまして、わくわくする一方で、リーダーとして気が引き締まりました。
箱根でのプレ活動と階段トレーニングを二カ月ほど積み、いよいよ満を持して出発します!!
直前まで台風十号におびえていましたが、無事飛ぶとのことで、私(左)の顔も晴れわたっています!(もう一つの自分の企画が台風で流れたので気が気ではなかった。)
今回はシンガポール経由でバリ島へ、バリ島からフェリーでロンボク島へ向かいます。
↑シンガポールでの一幕。初海外のなーこ。ザックと背景がマッチしてなさすぎてコラ画像みたいですね。
シンガポールの空港で夜を明かし、早朝の便でバリ島へ。
バリ島からは船で向かいます。東南アジア周遊をしていた1年生のあんちゃんがチケットをとって待っていてくれました!無事合流出来てひと安心~
ロンボク島が見えてきたぞーー!!
気持ちが高まりますね。
適応のため1日自由散策とし、次の日にはリンジャニ山のふもとへ向かいます!あっという間だったね。
↑あっという間の間の場面、なかにキッズ。
マタラムからスナル村までガイドの車で移動し、日本でチャットでやり取りしていたガイド統括リーダーのグスさんとも無事会うことができ、登山計画のミーティングを行いました。
↑もちろん英語。真剣に聞きとります。
今回の計画は、1日目は左下の入り口(600m)から登り、2600m地点のベースキャンプを目指します。2日目は夜のうちに山頂にアタックしピストンして、のこりで西の方から降りてくるというもの
今回ガイド・ポーター付き(必須)とはいえなかなかにハード、、、
いざ山を前にして、果たして全員で登れるのかという不安を感じていると、どうやら宿泊地近くにある滝に連れて行ってくれるとのこと
滝でっかいね!
ガイドの作った草冠を着け泳ぐちほ(左)となーこ(右)
この写真面白過ぎるだろ。おかげで不安もふっとびました
この日はぐっすり寝て、いよいよ登山開始です!!やるぞ!!
後編に続く!!!!!!!!
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