#パンづくり
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宿直明けで帰宅して ホームベーカリー😅 やっとでけました❣️ 粗熱取りします やっと寝れる🤣 明日はまた宿直🥲 #宿直明け #ホームベーカリー #パンづくり #明日も宿直 #今月もう休みなし https://www.instagram.com/p/CowHkFtvAnG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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WBCも早起きして観戦したし..
ミルクハースも焼き上がったし..
NYチーズケーキもバゲットもスタンバイしたし..
Team Alwaysもゆるっと始動です❣️
(...ふたりしか居ないけれどもw)
皆さまのご来店お待ちして居ります😊
Soul Ballad Bar Always
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なう(2023/02/13 21:31:50) 今夜は海物語- ̗̀🐠 ̖́- 鮭に牡蠣に帆立に昆布🌊 鮭は香草パン粉焼きにしたんやがノンオイル フライヤー使おかどーか迷ったけどパン粉系は 美味しく仕上がらんと分かってたのでおとなしく フライパンで😌 なんかネットで調べたらパン粉系はオイルスプレー ボトルでオイルをシュッシュッと吹きかけると 美味しく仕上がるらしい🙄のでAmazonで ポチッた👈 ̖́- そのうち届くやろ😊 #鮭の香草パン粉焼き #生牡蠣 #ホタテの刻み昆布煮 #うさぎりんご #おばあちゃんの沢庵 #家呑み #おうち居酒屋 #おうちごはん #おうちごはん部 #おうちごはんlover #今日の晩ごはん #TodaysDinner #晩ごはん #晩ごはん記録 #献立記録 #てづくりごはん #手作りごはん #てづくりごはん365 #cooking #cook365 #タベリー #フーディーテーブル #クッキングラム #キッチングラム #いいね返し #夫婦ごはん #ふたりごはん #豊かな食卓 #cyuley作ディナー #cyuley 明日はまた旦那が出張やけどバレンタインやから チョコケーキでも作ろか思てたのにさっきいきなり 明日泊まりと言われて一人でチョコケーキ 食べてやろうかと思っている🍫 https://www.instagram.com/p/Comlu6PS-dE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#鮭の香草パン粉焼き#生牡蠣#ホタテの刻み昆布煮#うさぎりんご#おばあちゃんの沢庵#家呑み#おうち居酒屋#おうちごはん#おうちごはん部#おうちごはんlover#今日の晩ごはん#todaysdinner#晩ごはん#晩ごはん記録#献立記録#てづくりごはん#手作りごはん#てづくりごはん365#cooking#cook365#タベリー#フーディーテーブル#クッキングラム#キッチングラム#いいね返し#夫婦ごはん#ふたりごはん#豊かな食卓#cyuley作ディナー#cyuley
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寒い寒い日に、娘と#おひさまぱん を焼きました! この絵本は 本屋さんで表紙のインパクト&翻訳が江國香織さんというのも魅力で購入しました。 絵本の裏面に、おひさまパンのレシピが書かれています。いつか焼こう!と思いながらしばらく経っていました。 寒くてお出かけを控えていた先週末、ついにおひさまパンを焼くことにしました。 絵本のレシピ��けでは不安だったので、こちらの動画を参考にしました。 https://youtu.be/5XDjyj3PZWk 初めてのパン作りでしたが、楽しく、美味しく完成しました。 発酵時間を含めると完成まて3時間くらいかかるのですが、焼くのはたったの15分!あっという間に焼けました。 こねる感触が心地よくて、娘はパン屋さんになると言ってました。 おひさまの形作りも、大きな丸、小さな丸、伸ばして丸めて、三角をつくって、、など、楽しい工程がたくさんあって大盛り上がり! 見た目の完成度はもともと期待してきないので、、、大成功! 味は、バター少なめ、卵も無し、なのでとってもシンプル���淡白な味です。 バターやジャム、大人にはオリーブオイル&お塩でも良いかも。 しっとりフカフカな食感です。 次回は、もう少しミルキーなパンに仕上げたいのですが、初心者にそんなアレンジできるのでしょうか、、、 パン作りにはまりそうです。 #子どもとパン作り #寒い日の過ごし方 #やきたてパン #てづくりぱん #おいしい https://www.instagram.com/p/Cn0gIBWv-Ij/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ドラゴン→デストラ その2
もう一度シャワーを浴びて着替えると、そのままデストラクションに行った。昔なのでこの地域でも全然見回りはなく、緩かった。
Rの小瓶はハッテン場の受付や二丁目のショップで売っていた。主流は黄色だが、オレは赤が好きだった。青や紫、大瓶のマンセントなんかもあり種類は豊富。それが一本850円とか。ほんといい時代だったな。
軽く緊張しながらも、平常心でゆっくり歩き、店の扉を開ける。
受付をすませポーチ片手にトイレに行き、再度詰10を仕込む。2回目のキターーー!のあと腕を抑えながらパッキーンの快感に浸っていると、ケツが緩むのがなんとなくわかる。ああああ、せっかくのザーメンがもったいねぇ!と思い必死でケツを閉める。チンポからは先走りが出るわ、ケツからは漏らさないように必死だわですげー気持ちよかった。
水分補給したあと大部屋に行き、2人にケツを掘られる。そのうち一人は珍しくゴム有りだったんで、終わった後はゴムザーをもらって自分のドリチンにかぶせて遊んでた。尿意を感じたのでトイレに行くと、扉の前に明らかにヤッってるやつがいた。170cmくらいの中肉中背のパイパンで、そいつには競パン跡があった。目が合うとニヤリと笑う。「ションベンするからちょっと待ってて」と言うと、飲ませてくれと言う。オレ以外にもこんなとこでションベン飲みたい奴いるんだと思い、トイレではなく横にあるシャワーブースに一緒に入った。しゃがんで口あけたやつの前に立ち、立ち���ョンの体勢で口の中にキメションを勢いよく放出した。やつはくせぇキメションをごくごく飲み、飲み切れなかったのは体塗りたくりながら勃起チンポをしごいてた。「同じことしてやるよ」と言われ、今度はオレがしゃがんで小便器になった。苦いキメションの味に興奮して二人ともキメション臭くなったのでシャワーで流す。ここがラブホだったらそのままにしとくのにもったいねぇ。
相手のチンポはギンギンだったので、「キメててよく勃起するよね?」と聞いたら、勃起薬を2錠飲んだとか。「ケツ掘ってやるから追加しようぜ」と言われ、今度は一緒にトイレに入った。幸いトイレやシャワーブースにはほかに人がいなかった。「オレは15だけどいくつ入れるん?」と聞かれ、「7か8くらいのつもり」と答えると、「えぇ、せっかくなんだし、同じ量いれようぜ。なんならオレの使えよ」と言われ、オレのPにサラサラっと15詰めてくれた。水を入れて溶かし、いつものようにタオルを巻く。プスっと刺し、シリンジを引くと筒の中が赤くなる。最高潮にドキドキしながら押していくと、半分くらいのところで心拍数がガチで上がるのが分かる。さっきの追加から2時間くらいしか経っていない。そのせいで押してる最中からクラクラし始めるが、必死の形相でなんとか最後まで押し切った。道具を置くところまでは息を止め、箇所を抑えて腕を上げて深呼吸で一気に息を吸い込んだ。がーーーーーーーー!っと体の中がめぐっているのが分かる。ドリチンはさらに縮こまり、このままだと倒れると思いすぐに座った。すると相手も目ん玉見開いて、オレの顔見ながらにやにや笑う。変態二匹が狭い便所でヘロってる。
3分経ち(ほんとはもっと時間たっていたんじゃないか?あるいは逆に一瞬の出来事だったのか、もう分からねぇ)、道具を片付けて外に出た。飲み物を取るふりをしてロッカーを開けて、道具をしまった後奥の部屋でケツを掘られた。枕を腰の下に置き正常位でパンパンパンパンと、部屋の中に響く。17cmの生チン(あとで聞いた)はオレのいいところを当ててくる。ヨダレ垂らしながらあへあへ言い、R吸わされるとケツの奥のもう一つの穴を抜けてくのがわかった。あー、オレのケツ今ガバガバに開いてる、あー気持ちいい。オレら以外にも近寄ってきて乳首舐めたりチンコしゃぶらせたりするやつは何人かいた。両乳首を舐めまわされながら正常位でガン堀りされたり、バックで掘られながら口まんにザーメン出されて、飲み込みながらケツに入ってる生チンを必死になって感じていた。
すると、170cmくらいのガッチリ体型のやつがバックで掘られているオレの下に潜り込んできた。両乳首をコリコリされながらベ��チューされてると、ガッチリくんがオレのケツに生チンも当てて来た。いや2本はさすがにと一瞬ひるんだが、彼が手に持っていたのはエアーダスター。オレの口にプシューーーっとスプレーし、息を吸い込むと一瞬周りの映像がスローモーションのようにぐにゃりとなる。その口にRしみ込ませたティッシュを放り込まれ、ガッチリくんが口で覆い被せてきた。息を吸うたびにRを吸い込み、白目剝いて(たんだろうと思う)ヘロってると二本目の生チンがグイグイグイっとねじ込まれた。入った!二本目の生チンは12~3cmとそう大きくなかったのが良かったようだ。「あああ!ああ・・!ああああ・・~~ああぁぁ!」と、Rティッシュ咥えたまま声にならない声で喘ぐと、すかさずスプレーを吸い込ませてきた。オレのケツの中で二本の生チンが動いてる!種まみれのザーメン臭ぇケツの中でヌルヌル奥までチンポが入ってる。意識を保つのがやっとの状態で、オレのチンポからは先走りがドバドバ出ていて相手の腹の上がヌルヌルになっていた。
下になってるやつが「イク、ああああイク、イクイクイクイクぅ!」と言うとケツの中に1発目のザーメンをぶっ放した。ケツの中で二本のチンポに絡みながらザーメンが出てるのが感じられた。そうすると、キメタチさんも「オレもイク、イクイクイク、種付けるぞ、種種種種ぇ~~~!」と叫び、1発目よりもはるかに勢いよく、どびゅーっ!どびゅーっ!と2発目が腸壁を打ち付けてるのが分かった。放心状態の二人はそのままぐったりと休み、ケツの中には生チンが入ったまま。次第にしぼみ始め、ズルンと二本まとめてオレのケツからチンポが出て来た。と同時にケツからザーメンも漏れたのを、キメタチさんが手で受け止めていた。さすが、分かってるなぁ。オレ達に見せつけるようにそのミックスザーメンをぺろぺろ舐め始めた。オレも手の平に口を付け、ズズズっとあえて音を立ててすすって見せた。がっちりくんはそれを見て「すげぇな!」と爽やかな顔でオレらを見ていた。ミックスザーメンでキスをしたあと、キメタチさんは飲み込まずにオレのチンポに垂らした。なぜかそれにすごく興奮して、ドリチンだったオレのチンポがムクムクと勃起し始めた。「あ、これ今がイキ時だ」と思い、そのままチンポをしごいた。キメタチさんはそれが分かったのかオレの両乳首に種まみれのチンコをこすりつけ、種乳首にしてから右の種乳首をコリコリいじってくれた。オレは右手で種まみれのチンポしごき、左手で左の種乳首をいじる。キメタチさんは空いてる方の手をオレの種マンに入れてズボズボしてるとすぐに種が上がってきた。
「ああ、あイくぅ。イクイク、いいいイぐぅぐうううううううう!」
口の中のミックスザーメンを飲み込みながらドッピュ・・・ドッ・・・・・ドピュ・・・ドッピュ!と大量のザーメンを体の上にまき散らした。
「すげぇ閉まる・・・。」キメタチさんがそう漏らすと、周りからも「あいつらすげぇな」って声が聞こえた。ティッシュを渡されるがティッシュなんかじゃ追いつかない量なのが自分でもわかる。仕方ないのでベシャベシャと体に塗り、半分くらい乾いたところで3人でシャワーに行った。
聞くと、ガッチリくんはシラフだった。キメ交尾は知ってはいたが、興味本位でオレ達に近づいたとのこと。
「どんだけ種付けされたの?」とガッチリくんが聞いてきたから
「両手出してみ?」と言い、ガッチリくんの手にブジュ、ブジュウウウ、ブビ、ブジュシュ・・・」とザーメンを出した。「うわ、すっげ・・・・。何人分だこれ・・・」と多少ドン引き交じりで驚いていた。驚いたのはオレもキメタチさんもだった。こんなに種出されていたんだと、オレもびっくりした。きっとこれ、プレイの最中だったら口で吸い取り、みんなでザーキスしたあと回し飲みしたんだろうな。今思うともったいない。
10年以上も前の話だが、この日のことは今でもしっかり覚えている。
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今年、20台半ば過ぎにしてついに俺は大学に受かった。具体的に言うと北海道大学の医学部医学科である。俺は昔から医者になりたかった。中学生のときにはもう医者になろうと思っていた。しかし現実は非情であった。俺が高校1年生に上がった頃、俺を女手ひとつで育て上げてくれた母がぽっくりと逝ってしまった。そこで北海道の祖母の元に預けられることになったのだが、祖母はすでに70歳を超えており、さらに軽度の認知症であった。必然的に高校は転校か退学を迫られたわけだが、祖母の強い要望により俺は高校を退学して働くことになった。これが10年ぐらい前の話だ。とはいえ、俺は医者になる夢を諦めるつもりはなかった。祖母の友人のパン屋にて最低時給で働きつつ、少しづつ大学進学資金を貯め、高校卒業認定試験に受かった。しかし19歳のころ、今度は祖母が死亡。俺は天涯孤独の身になった。20代も半ばに過ぎたころ、ついに生活に余裕が出てきたので俺は念願の医学部受験に挑戦することにした。俺はことさら不幸自慢をするつもりはない。と言うか、自分が不幸だと感じたことはない。俺と同じ待遇でのたれ死んでいるやつは確実にいるはずだし、これが俺の標準だからだ。自分の状況に文句を言っているだけでは、明日の飯も食えない。さて、医学部受験の話に移る。俺は北海道に住んでいたので、道外の大学に行くことは資金的に不可能であった。北海道では大昔から医師不足が叫ばれ、コロナ前から自然に医療崩壊していると指摘されて久しいが、その割には医学部が3つしかない。北海道大学、札幌医科大学、旭川医科大学の3つだ。これが首都圏だったならば私立の医科大学という選択肢が視野に入るのだろうが、資金的に無理だった。私立医科大では受験料に10万円近くかかるし、そもそも受かったとしても授業料を借金だけでは賄えない。この仕組みを知った時、「そりゃ、医者の息子は医者になるわ」と思った。俺のような貧乏人は受験料すら払えないが、彼らはガンガン払える。スタート地点からして違うのだ。とはいえ、文句を言っていても仕方がない。俺は北海道大学の医学部医学科を焦���を当て、ついには受かった。1年間集中して勉強に捧げたため、生活費はとっくに底をつき、受からなければ首を吊るしかないという状況であった。当然、入学費や授業料が自前で払えるわけがないので、日本学生支援機構に借金をして入ることとなった。さて、ここでぶち当たったのが「給付奨学金制度」というやつだ。これは比較的最近生まれたもので、生活の苦しい学生に学費を給付するという制度だ。さらに、「給付奨学生」になると国公立ならば大学の授業料が無料(!)になるというおまけ付きだ。なんという良い制度であろうか。俺は早速申し込んだが、却下された。理由は「年齢」である。というのも、この給付奨学金制度では「高校卒業2年以内(20歳以下)」でないと対象外になり、問答無用で失格となるのである。俺は高校卒業認定をとっていたが、これも「1 8歳から5年以内(23歳以下)」でないと対象外。どれだけ貧しかろうと、どれだけ生活に困窮してようと、23歳以上に給付奨学金は絶対的に出ないのである。「それならば仕方がない。なら給付奨学金は要らないので、授業料を免除だけしてほしい」と言ったところ、これも却下であった。なぜならば「給付奨学生」でないと「授業料免除」には該当しないのである。それならば給付奨学金が無い時代の授業料免除はどうなっていたのか?それは大学が独自に学生の収入を元に授業料を免除できていたのだ。その頃には20代、30代だろうが、収入が少なければ授業料免除になる可能性が高かった。しかしながら「給付奨学金制度」が出来たことにより、「授業料免除制度」は「給付奨学金制度」の一部分扱いになり、20代は問答無用で借金をしなければいけなくなったのだ。俺は愕然とした。というのも、ほとんど俺と同じ待遇で医学部に入った5年生の先輩と話す機会があったからだ。その先輩は給付奨学金制度がない時代に20代後半で大学に入り、大学独自の授業料免除制度でなんとか大学に入ることができたのである。彼が卒業するまでは免除対象であるという。これはひどい。いや、ヤバい。不公平感が半端ない。国は「学び直し」を声高に叫んでいるが、これが今の実態である。謎の線引き、謎の境界線。まるでヨーロッパ人に勝手に国境を引かれたアフリカ人のような気分だ。追記:「給付奨学金」は経済的困窮者が大学に行けるようにするための制度だが、果たして高校を卒業してから2年以内に大学に進学しようと決められる困窮者が大多数なのであろうか?経済的困窮者は高校を卒業後、「大学に行く」というメリットがありつつも、働かなければ生活がままならない者が多いはずだ(俺は高校すら行けなかったが)。そういった人々が成人を迎え、「大学に行こう」と決めても、国が一律かつ絶対的に決めた「高校卒業から2年以内まで」という謎の縛りで困っている人はたくさんいるはずだ。そんな気持ちでこの記事を書いた。国に問い合わせて見ると、「卒業から2年以内」を変える予定���無いようだ。「どうして卒業後3年や4年や5年以内ではなく、2年以内なのか」と質問しても「そう決まっているから」としか言われなかった。俺たちは制度の中で生きているので、制度の内容によって人生は大きく変わるし、それは納得できる。しかしながら、「なんとなく」で決められた制度に人生を大きく左右されるのはキツイ。追記2:【これまでの授業料減免制度】大学に収入を報告する↓大学が学生の年齢など関係なく困窮具合を判断↓授業料減免【今の授業料減免制度】日本学生支援機構に給付奨学生として採用される(20歳以上は申し込みが絶対的に不可。理由は不明)↓給付奨学金を受けた人のみが授業料減免を受けられる
大学無償化の年齢差別がヤバい マジでやばい
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ひとつテーマを決めるだけでいい 。
「今日は充実しているな〜」と感じるには、どのように休日を過ごしたらいいと思いますか?
それは、ひとつテーマを決めること。たったこれだけなんです。
・SNSで見つけたパン屋さんに行く
・読みたかった本を2冊読破する
・行ってみたい国について調べる
・美味しい紅茶を買いに行く
・ピラティスの体験レッスンに行く
このようにテーマを決めて、それを実行する。これだけで休日が充実します。
朝からダラダラと過ごし、気づけば夕方。うす暗くなりはじめた部屋で、あなたは「あー、休日を無駄にしてしまった…」と後悔するのではないでしょうか。
しかし「今日は徹底的にダラダラして自分を休ませる」とテーマを掲げてダラダラすれば、意味のあるダラダラとなり、充実した1日となります。
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某パン工場で働き始めたばかりの頃、いきなり知らない大男が俺に近づいてきて、カレーパンの製造ラインを案内されて、「揚げたてのカレーパン食べたことあるか?取って食べてもいいぞ。俺は腹が減ったらよくここに来て食べてるんだ。」と言われて、人生もRPGのようだなあ、と思った。
個性の強い無能さんはTwitterを使っています: 「某パン工場で働き始めたばかりの頃、いきなり知らない大男が俺に近づいてきて、カレーパンの製造ラインを案内されて、「揚げたてのカレーパン食べたことあるか?取って食べてもいいぞ。俺は腹が減ったらよくここに来て食べてるんだ。」と言われて、人生もRPGのようだなあ、と思った。」 / Twitter
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はじめての米粉パン。
つくってほしいと依頼を受けて、レシピをもらったものの上手く行かず、ネットで調べて2回目のトライ。
材料を入れる順番と、生地の固さ、ハンドミキサーで空気を含ませるのがポイントのようですね。パンというより、ケーキをつくるみたいな感じ。
しかし…型が小さかった…笑
もりもりに膨らんだ生地は、焼いたら溢れ出てしまいました。
味はいい感じ。また近々焼く予定。今度は大きい食パンの型で焼こう。
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信号が青になったから1速に入れようと思い
クラッチペダルを踏んだらパンって音がしてペダルが踏み抜けた。
クラッチを切れないので当然ギアも入らない。
急いで妻のハンドルを握らせ、自分は後ろから車を押して路側帯へ。
ぎっくり腰がスーパー辛い。
「クラッチマスターシリンダーが逝ったな」と
直感でわかった。
エンジンを切り、ギアを1速に入れ、
セルモーターを回して押しがけの要領で発進。
1速だけでなんとか牽引できそうな広い場所へ移動した。
時刻はディーラーの営業時間外の朝9時。
ホンダの緊急ダイヤルに電話したらすぐお客様情報を
照会してくれて、JAFと掛かり付けディーラーへ連絡してくれた。
30分後にはレッカー車が来て、ディーラーに着いた頃には
もう営業時間になってた。
故障自体は不幸だったけど、
自分が運転してた時に壊れたのは幸運だった。
ディーラーから20km圏内だったかJAFの搬送も無料だった。
古い車だから細かくメンテしてても来る時は来るね。
メカニックにみてもらったらやはりマスターシリンダーの
リベットが飛んでフルードが漏れてた。
この年式のシビックやアコードによくあるらしい。
部品を手配してもらい翌日の17時には修理完了予定とのこと。
代車まで用意してもらいなんか申し訳ない気持ちになった。
ここまでで大体昼の12時。
ここから代車で本来の目的地、ハウステンボスへ向かうw
義両親の代わりに姪っ子を連れて行く約束をしていたので…
腰は辛いしもうへとへとだったけど、
約束を反故にするわけにはいかないオジサンの戦いは
つづく。
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うまく寝付けなかったため常用の睡眠薬に追加で頓服を飲んで眠り、朝は朦朧とした意識の中起床、準備して会社に向かった。会社についてからも意識は半分眠っており体調が悪いので、とことわってから朝礼〜昼近くまで保健室で爆睡し、起きて気がつくと自宅のベッドで寝ていた。上司に何と言って帰ってきたのかは分からない。夫とのLINEでは「体調不良でかえりまふ」+うさぎが泣いているスタンプ。起きてから夫がパン屋で昼ごはんを買ってきてくれたので一緒に食べた。こしあんぱん、豆乳クリームパン、チュロス、きのこのポタージュ。幸せだった。何故か今朝出勤したことが何十年も前のことのように思えた。
アラームを止めて布団の中で動かない私に同じく布団に潜ったままの夫が「7時過ぎてるよ」と声をかけ私はそれに返事をして布団の中にこもりつづける。そのうち夫だけ起きて仕事をはじめ、私は布団の中で上司にLINEを打ち「またか」と思う。夫も「またか」と思っているだろうし、上司たちも「またか」だろう。何度迷惑を繰り返しても面の皮は一生薄い。次の契約は延長されないかなまあいいか私の収入なんてほとんどおまけみたいなものだし私って夫から離れた瞬間終わりになるんだろうな社会的に人間的に形を保てないだろうから。ごめんねしか言えない。子どもは絶対にいらない家事料理できない夜がすごいとかでもない妻。ありがとう、ごめんね、という手紙をいつか書こう。医者が言うからそうなのだろうが、本当にPMDDなのか?甘えでなく?と毎月考えて、忘れる。私はおそらく精神科に通院しながらも精神というものを軽んじている。夢とか匂いとか行間とか、そういうなんかこう、よく分からないけどそれなりに意味のあるもの。よく分からないものは好きだけど、困らせてくる。
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240712
朝、嫌な気持ちで目覚める。 わたしの中で私が泣いている。 あのとき、嫌だったよねって原因に気づいたら目じりが滲んだ。 大丈夫だよって言い聞かせて目をつむる。 アルバイト。 調子が悪かった。 調子が悪いと、妙なこだわりが強くなってしまうらしい。いろんなことが気になる。 疲れてしまって、昼寝。 お菓子が食べたいけれど、なかったから、クッキーを作る。 クッキーは簡単だな。混ぜて焼くだけだ。前に作ったのと同じレシピ。おいしい。 今度はオートミールも入れてみようかな。食感を変えてみたい。
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240713
朝、身体はだるいけれど、起きる。 たぶん、栄養が足りていない。自炊がめんどうになってしまって、ここ数日、適当なものしか食べていない。クッキーは作るのに。 冷蔵庫の中に大したものがないんだ。暑くて、スーパーに行くことをためらい続けている。
絵を描く。 黒を怖がって黒を使わずに絵を描いてきたけれど、黒であってほしいときはあって。今日は自分なりの黒をみつけられた。 夕方になったころ、スーパーへ行く。 大根1本がなぜか安かったから、買う。ひさしぶりの大根。帰り道、アスファルトの荒れた道を気にせずに自転車をこいでいたら、卵が2つ割れてしまった。 バナナも4本中3本が傷んでしまった。
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240714
朝、オレンジだ、と思う。 何かあつく燃える感覚がする。これがやる気だろうか。 彼が食パンを焼いてみたいというので、ホームセンターに食パンの型を探しに行く。2店舗回ったが、どちらにも食パンの型はなかった。 今日は丸パンを焼くことになった。 小麦粉の焼ける匂いって幸福だ。焼きたてをあちあちと、半分にちぎって、食べた。おいしい。
朝のオレンジはやる気ではなく、いらだちだった。 小石くらいの真っ赤な硬い実がわたしの中にある。
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GREAT COSSY MOUNTAIN
ありがたいことに、ハイキングを始めてからたくさんの友人ができた。ハイキングから少し距離を置いてしまった時にも、相変わらずくだらない話でニヤニヤできる友人にはいつも助けてもらっている。その中の一人、“GREAT COSSY MOUNTAIN”を主宰する大越 智哉さん(以下コッシー)からDMをもらったのは7月だった。
「鈴鹿の山に行きたいんだけど、一緒に行かない?」
もちろん二つ返事で了承した。ちょうどそろそろハイキングを再開したいと思っていたし、それを実行に移したりもしていた。コッシーといえば、ちょうど新作のザックとタープが完成したところだという。ならばついでに、鈴鹿の山でExhibitionをしてはどうかと打診。そういう訳で、8月の暑い時期に鈴鹿へハイキングへ出かけたのだった。
メンバーは、名古屋から、大須でPOTを営むイノッチ、すっかりスケボーの顔カミさん、東京赤羽からカブさん、兵庫からはボマちゃんという、懐かしくて嬉しい顔ぶれが揃った。方々から駐車場に集まって顔を合わせると、スッポリと抜けていたハイキングのブランクが一気に縮まったような気がした。
何度か休憩しながらテン場に着いた頃には汗だくだった。ボマちゃんが早速パンツ一丁で川に飛び込むのを見て、みんながそれに続いた。コッシーと僕は、会場設営のために新作のタープを張らなければならなかった。なんとInstagramをみて遠方(びっくりするほど遠く)から駆けつけてくれた方がいたからだ。ひとしきり説明を終えて腰を下ろしてぬるいビールを楽しんだ。
もうあとは、ゆっくりすぎる時間を、おしゃべりに費やして寝るだけである。心配なのは夜雨が降るということだ。一応大きいタープも持参して木に括り付けた。この時、Hiker's Depotで購入した「小屋掛くん」といわれるガイラインが重宝した。日が落ちるのと交代に空がゴロゴロ言い出した。しばらくすると雨も本降りになって、さらに勢いを増してきた。大きなタープで顔を寄せ合うも、時間も時間なので解散。
僕はGREAT COSSY MOUNTAINの試作タープに潜り込むも、雨の跳ね返りが酷くてシュラフをすっかり濡らしてしまった。でも狭いタープで体を「く」の字にして目を瞑っていると、雨音アンビエントに包まれて心地よくなっていた。
「ピカっ! ドッカアァァーーーン!」
すぐ近くに雷が落ちた。なかなかサバイバルな夜になりそうだと覚悟を決めたが、気がつくと朝だった。カブさんは、どうにもならなくて雨の中、自前のシェルターを張り直したとか。全然気が付かなかった。「モトくん、よくあの状況でイビキかいて寝れるよね」だって。コッシーは落雷にも気づかなかったようだ。Zzzz,,,
翌朝に雨はあがり、うっすらと雲が広がっていた。久しぶりにアルコールストーブでお湯を沸かし、コーヒーとパンで朝食とした。タープに残った水滴を払い落としザックに捩じ込んで撤収完了。1時間ちょうどで駐車場に着いた。今まで鈴鹿でもあんまり気にしなっかったのだけれど、今回は足首を4箇所ほどヒルにやられていた。とはいえ、山で過ごす時間は、楽しくて夢のようで、スッキリする感覚があり、「これだよ、これ」と心が言っていた。
今回、僕が背負わせてもらったザックは、Primitive Gene 2といわれるモデルで容量は20リットル+αほど。ショルダーパッドやメッシュポケットのフックなどにコッシーの哲学をしっかり反映させたプリミティブなUL(ウルトラライト)ザックである。この時期の一泊ならうってつけの容量で、しっかり荷物を詰めることでザックの剛性も上がり、体との一体感が得られ、実際の重量よりも軽く感じることができた。
素材、��ミックに凝ったメーカーが多い中で、パーツの数も少なくシンプルで、一見時代遅れかのように思えるザックが、実際のところ、いちばんハイキングにおける根源的な喜びに寄り添ってくれるのではないだろうか。
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桜林美佐の「美佐日記」(263)
潜水艦修理中の物品・飲食供与について思うこと
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、263回目となりま
す。
海上自衛隊の潜水艦修理中に乗員が物品や飲食な
どの供与を受けていたということで「特別防衛監察」
が実施されています。
これまで防衛産業について書いてきた私としては、
これを無視するわけにはいかず、先週の夕刊フジで
の連載では、まずこのことについて触れました。
その原稿を書きながら、私は色々なことを思い出
していました。
それは私が自衛隊や防衛産業について書くようにな
ってから、多くの所に行き、多くの人に会いました
が、その時の食事代は誰が払ってくれたのだろう、
ということです。
といっても、講演で訪れた部隊での昼食や、夜の
居酒屋(隊員クラブなどの)の代金のことです。今
思うと、自衛隊のどなたかが払ってくれていたのだ
と思います。実は、講演後の懇親会で会費を徴収さ
れたことがあり、その時に初めて自衛隊ではそうし
た経費というものがないのだということに気づいた
のです。
貧乏だった私は、いつも適当なお菓子やパンなど
を食べて暮らしていましたので、ああ今日、誰かと
ばったり会って「ランチをご馳走するよ」なんて言
われないかなあと妄想していたくらいでしたから、
講演に行って会費を取られた時はあまりに衝撃が大
きかったことを今でも忘れません。
知り合いで自衛隊で講師などをしている方が数々
いますが、私のように誰かが払っていることを知っ
ているのは少数派かもしれません。おせっかいばば
あのように私はこの事実を教えてあげているのです
が、皆さん恐縮して、今度からは自分で払うとか言
われます。
そうなると、お互いに気を使い合ってまで講演会
をする必要はないという気持ちになってもおかしく
ありません。
飲食代だけでなく、経費を領収書で落とすなどと
いう概念がない自衛隊ではとにかく手出しが多い。
そう考えると、乗員と企業側は造船所で膝詰めで真
剣な作業を行っているわけですから、企業が手を差
し伸べてもおかしくないでしょう。
ただ、いずれの企業も昨今は経費が認められるた
めには、領収書に相手の名前を書くとか、その「成
果」を問われるなど、管理が厳しくなっていると聞
きますので、今回、資金捻出のために架空取引のよ
うな手段をとってしまったのか、分かりませんが、
いずれ��しても、潜水艦の乗員に何か供与しても、
潜水艦の受注に繋がるとか、営業成績にはならない
のです(もうすでに受注しているのですから)。
もし、乗員が造船所に言えば何でも買ってくれる
くらいの態度で要求していたというなら、そのいび
つな構造を厳に改めなくてはなりませんが、新聞や
ニュースがイメージしているものとはちょっと違う
のではないかという気もします。
昨今は各所で倫理規定を気にする余りの光景をし
ばしば目にし、私はそちらの方が違和感があります。
自衛隊の高官が何らかの行事に招かれ、自腹で高
額な会費を払い、会場に行って名刺交換をひたすら
して帰る。これが1週間のうち何度もあります。
このところ官用車の使用も神経を使うため、自衛隊
トップクラスが雨の中とぼとぼ歩いて、会場まで電
車などで向かっているという、こんな姿、本当にあ
るべき姿なのですか?と強く思います。
風雲急を告げる安全保障環境、いつ起きるか分か
らない自然災害、そんなことを誰もが当たり前のよ
うに言う割には、これが「危機管理組織」の実態で
す。
これで自衛隊は本当に強くなるのでしょうか。
最後に、これまで私の分の代金をそれと気付かれ
ないように支払って下さった皆様へのメッセージを
この場を借りて。いつかビッグになってきっと恩返
しをいたします!待っていて下さい。その日まで
!!
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆様にとって素晴らしい1週間となりますように。
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2024年7月13日(土)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今日も無事にやって来た。いかにも夏らしいメンバーだが、珍しいのは<茎漬け>、八頭の茎を塩漬けして紫蘇で色づけたものだ。これは紀北地方の郷土料理���夏の暑いときにこれと鰹の生節を一緒に頂くとご飯がすすむのだ。おまけで私の好きな<伊勢うどん>も同梱されている。奥川さん、いつもありがとうございます!
3時45分起床。
日誌書く。
二度寝。
5時起床。
体重、600g増。
週末なので、CleanMyMacX で Mac Mini をスキャンする。
お蕎麦がなくなったので、朝食にはうどんを頂く。
珈琲。
洗濯。
奥川ファームの定期便、初物の小さな西瓜が入っている。
きゅうりのしょうゆ漬け仕込む。
酢卵仕込む。
唐辛子酢仕込む。
枝豆ゆがく。
<天満大阪昆布>から、夏の味!ボリュームセットが届く。毎年のことだが、いろいろ入っていて楽しい。
クロネコが集荷に来てくれる、<もったいない本舗>への段ボール5箱を渡す。
<ゆうちょ銀行>からMQJへの問合せ、<人格なき社団>を証明しなければ口座を解約するとのこと。会則や会計報告、議事録などを揃えて返送する。締切は先週末だが、何とかなるだろう。
ランチ、息子たちには素麺、私たちはツレアイが冷蔵庫の残りものをシチュー仕立て、届いたばかりの奥川ファームのパン+🍷。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第17話「二つの顔」/ Double Shock 富豪クリフォード・パリスは、トレーニングと健康管理に熱心で、孫のように若い女性と婚約していた。ある晩、彼の甥で料理研究家のデクスターが結婚祝いを言うためにクリフォードを訪ねた後、再び現れた。入浴中のクリフォードに対し、突然ハンドミキサーを取り出し浴槽に投げ込んだ。
ツレアイはあちこち買物���、私は午睡。
セントラルスクエア花屋町店で猫砂・介護食、コレモ七条店で鶏もも肉・うどん。
クロネコが先日地球洗い隊に注文した<夏の福袋>を届けてくれる。
ゆうパックが、びーんず亭の珈琲を届けてくれる。やたら配達の多い日だ。
夕飯、豚バラ肉と残り野菜の蒸し煮・鶏もも肉とピーマンの甘辛煮・レタスとトマト・きゅうりのぬか漬け。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第18話「毒のある花」/ Lovely But Lethal ビベカ・スコットが社長を務めるビューティマーク化粧品は、「ミラクル」という皺取りクリームの開発に成功した。これでライバル会社のラング社を出し抜けると喜ぶビベカだったが、「ミラクル」のサンプルをラング社に持ち込まれた、という情報が飛び込んでくる。
残っていた日本酒を片付けたので、あっという間に睡魔到来。
歩数は届かないが、辛うじて3つのリング完成。
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無題
500円玉貯金を勘定した。占めて86,000円。新婚旅行費の足しにする。ファッキン円安。フロリダはオーランドのテーマパークへ行く。彼女はキャストのバイト経験もある相応のオタクで、入園した途端泣くかもしれないといって、はりきっている。俺は飲酒が楽しみ。ずっと酔っ払っていたい。アマプラでエスケイプ・フロム・トゥモローを観て予習。大学の時に下高井戸シネマで観た。2回目観てもよくわからなかった。
*
フェイクレザーの短パン買った。短パン最後に履いてたのってたぶ���中学生とか。で臑毛も剃ってみた。これも第二次性徴で体毛生え揃って以来初めてやった。風呂場で髭剃り用のシェービングジェルを塗りたくって、足首から膝にかけて剃刀で撫ぜていく。根菜の皮剥きみたいにあらわになる地肌は日焼けを免れて妙に生白く、新鮮な感動があった。女性や子どもの脚みたいな気がしてくる。いつか、階段で転んだ時にこしらえた裂傷の懐かしい痕や、あったようななかったような気がするシミやほくろの数々。右の膝小僧の下はサッカーやってた頃にスライディングを繰り返してつくった擦過傷のせいで今も色素の薄いケロイド状になっていて、そこを保護するように目立って毛が密集して生えていた。地形が凸凹して剃りづらく、水で流す時にチクッとしたので見ると小さな新しい傷がついて血が滲んでいた。「創」って字に「傷」って意味もあるのが不思議。
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