#トレース台
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//えんぴつ!
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もとも��自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りまし��。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げ���抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。


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通販ご利用くださる方ありがとうの気持ちで準備中……このまえ100均で500円の薄くて軽いトレース台を買いました便利になったなぁ出先でも描けるありがたい……それにしてもアナログ絵緊張すると一気に線まで歪むので……緊張しいがこんなところにも?!ってなってます……修行がたりない……
思いつきで無軌道にかいたやつのがいいのでは…?と思うことも多々……とりあえず今回も感謝の気持ちでシールをつくりました……
このまえイベントで普段は通販だけど今回は買いに来ましたって報告してくださった方もいて嬉しかったです……マジ感謝です…………

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いろんな紙に同じ絵を描いてみた
いつぞやのミューズさんの紙のラボラトリー2023にて購入させていただいたペーパービュッフェのうち、6枚に同じイラストを描いてみました。 まぁ、同じって言っても微妙に違うんですがね。
というだけの記事。

前置き
・アルシュブライトホワイト(極細目) ・ランプライト ・キャンソン ミ・タント ボード ・ニューブレダン ・マーメイドリップル ・アクアエリアス
上記の紙を使用しました。 同じ絵柄で同じ絵具で塗ってるわけですが、結構違いが大きく、あらためて水彩って紙が重要だよな!と思わされました。 というわけで、感想。
1.アルシュブライトホワイト(極細目)

言わずと知れたコットン100%、天下のアルシュ様のブライトホワイトバージョン。 ぶっちゃけロットによって色が違うみたいで、今回の��ュッフェのものは手持ちのものより白い気がします。 初めて使ったブライトホワイトも白いので、この前買ったのがやや黄みがかっていただけなのかもしれない……?
発色はかなり良いです。髪の毛の差し色のPV23や、服のオレンジが鮮やかです。 普通のアルシュよりも白色度が高い分、青系は特に発色が良い物と思われ。
極細目なので、ペン入れもしやすい。 水彩らしい表現がしやすいと感じました。
なお小生、極細目に塗るのが苦手なのですが、なんとか頑張りました。
2.ランプライト

アルシュの他にもうひとつコットン100%紙。 実はランプライトは購入したことがなく、サンプルでいただいたものを何度か使った事しかなかったりします。 今まで使ったサンプル紙では気にならなかったのですが、文章でうまく表現できないのですが、なんとなく白っぽいモケモケ感を感じました。
とはいえコットン紙。ランプライトの色合いで柔らかめなものの、絵具の発色は良いと思いました。
凹凸のある紙ですが、丸ペンでもペン入れしやすかったです。
3.キャンソン ミ・タント

キャンソンのミ・タント紙が貼り付けられたボードです。 ミ・タント紙自体は確か160gの紙で薄手なので、水彩紙に使うにはちょっと心許ない厚みですが、ボードになっていることで、水張り不要・水分を含んでベコベコになるのも無縁となっています。
第一印象。この紙、発色お化け!
オレンジがまぶしいっ! 目に使った水色もまぶしい。 アルシュBWやマーメイドリップルも発色は良かったですが、圧倒的発色! ちなみに、結構白色度の高い紙ですが、ミ・タント単体なら、いろんな色が合った気がします。
ちなみに、紙の凹凸は荒くても浅めなので、ペン入れはしやすかったです。
一方で欠点。
他の紙は皆、同じ元のイラストからトレース台でトレースしているのですが、この紙は厚手のため、トレース台が使えません。 ボードじゃないただのキャンソン ミ・タント使うのは紙が薄すぎてちょっと心許ないです。
今回はトレース台ではなく、この紙だけ簡易カーボン転写をしました。 ↓やり方


4.ニューブレダン

初めて使用する紙です。 (ちなみに、ずっとニューブレンダンだと思ってたのは内緒。カタカナ読めない我が輩)
ミューズさんのHPの説明書きによると、
コットンを高配合し、弾力性と柔らかい風合いで、細目の紙肌を持つ高級版画用紙です。
だそうです。 お品書き通り、柔らかい風合いで、ペン入れしたら滲みました。 また、表面も柔らかいので、消しゴム使うのはためらわれました。
しかし、色を塗ってみると、紙の暖かみのある色合いや、和紙のような吸い込み(実際に和紙に塗ったことはないので推測)により、���ごく優しい発色で柔らかい雰囲気になりました。
これはこれで、アリ!
イラストで使用するなら、線画を丁寧に描いて、塗りは補助という立ち位置の方が映えそうだなぁ、と個人的には思うものの、線画だけで魅せられる絵が自分には描けないんだなぁ😂 しかも、ペン入れは滲みやすいしw
5.マーメイドリップル

発色はかなり良いですが、凹凸がかなり強くて、はみ出しとの戦いになりました😇 また、浸透力?を感じないタイプで、染みつき強めの紙が好きな自分には少し苦手でした。でも、前に試し塗りした某キャンソン モンバルよりずっと使いやすかったです。
ペン入れは、凹凸強すぎて難儀したものの、表面が硬いので丸ペンが引っかかるようなことはなく、そういう意味ではペン入れしやすかったとも言えます。
似たような価格帯(多分)のホワイトワトソンと比べると、こちらの方が表面が硬くて強くて凹凸が強く、その分絵具の吸い込みが少ないという印象です。
6.アクアエリアスⅡ

他の紙と比べると、色々変わ���た特徴があり、
原料にガラス繊維が入っているユニークな水彩紙です。
だそうです。そんでもってアメリカの紙なのかー。知らんかったー。
発色は柔らかく、ペン入れが滲むのはニューブレダンと似ていますが、吸い込み感がこっちの方が強かった。 こちらも消しゴム使ってはいけないオーラを醸し出していた。
ニューブレダンと違って色が白いので、発色は鮮やかだけど、ランプライトで見かけた、白いモケモケ感が強いです。
なんか癖が強くて、自分にはちょっと合わなかったです。
7.おまけ。そのほかの紙々
最近は、普段使いの紙じゃない紙にも描く機会があったので、折角なので紹介。 上の6枚のように、発色の違い!とかペン入れ!とかの比較はできないのであった……
(1)ストーンヘンジアクア(細目)

版権絵で失礼。 ストーンヘンジアクア細目を使用するのは2回目。 1回目はラフな塗り方をしたので気にならなかったのですが、今回はとにかく丁寧に塗り込みをしました。 リフティング力が強くて、重ね塗りはしにくいものの、下の色をなじませるように塗る、という塗り方ができました。
また、失敗しても修正がものっっすごく効くのも特徴だと思いました。
なお、ものすごく表面が弱いので、消しゴム注意、マスキングインクは×、マスキングテープは最弱のカモ井ミントさんしか受け付けないという繊細さんです。 ミントも剥がす時はエンボスヒーターで暖めながら剥がさないと悲劇が起こります。
(2)アヴァロン

アヴァロンも初めて使用した紙です。 こちらもストーンヘンジアクアのように、何度も修正したりなじませたりができました。 ストーンヘンジアクア荒目でイラストを描いたことがないので比べられないのですが、ストーンヘンジアクア細目を荒目にしたような雰囲気に近いものがあります。 ただ、凹凸の紙目があまり我が輩さんの好みではない模様。 (ストーンヘンジアクア荒目の紙目は好き)
ストーンヘンジアクアほどではないですが、こちらも表面弱々。
凹凸がある分、にじみはしやすかった気がします。
(3)ウォーターフォードホワイト(荒目)

何で中目じゃなくて荒目にしたのか……謎ですが、荒目のはがきサイズです。 中目は使ったことありますが、荒目は初めて使用。 かといって、目が粗い以外は特別違いはなし。 マスキングが安心してできるって良いね。としみじみ感じました😂
白色度が高いので、発色ヨシ!
というわけで以上、実際にイラストを描いた上での紙の感想でした。 同じ絵を描くことで、より紙の違いを感じることができました。 にじみやらマスキングやらのテストで違いを試したりもするんですが、実際のイラストを描くのが一番感覚的に違いがわかる気がしました。
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作業作業

作業中です〜。画像暗くてすみません。いつもこんなかんじでトレース台を使って透かしながら描いています。作業動画とかにも憧れているのですが、トレース台とデスクライトをつけたり消したりして描いているのでかなり見づらくなっちゃいそうだなーと思ってなかなか手をつけられず…
ドローイングとかならいけるかなあ?なんか考えます。
もっと画面面白くしたいです。本当は背景はグレー一色にしようと思ってたのですがなんかそれは意味ないかと思って模索中です。
最近の自分の絵はクオリティとか描き方の方向性を固めるだとか、そういうことが先行して面白みに欠けてるかなみたいのがあったので今回は面白さを探しに行きます。見つかるといいです。
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2025.02 甲斐駒ヶ岳(1/2)

初めての甲斐駒ヶ岳山頂、左に仙丈ヶ岳、奥に中央アルプス、
単一の尾根としては日本一長くてキツイと言われている、甲斐駒ヶ岳へと続く黒戸尾根。その道中にある七丈小屋が冬季でも営業しているとのことで、まだ夏にも登ったことがないが行ってみることに。長大な尾根と、山頂手前に危険箇所ありとの情報は得ていたのでかなり不安であったが、結論としては北アルプスの山々で鍛えられているから体力的には問題なかった。冬季での難易度としては残雪期の奥穂高と同じくらいかな。
とにかくどれだけキツイのかも想像できず、なるべく早朝から登り始めたかったので小淵沢駅の近くの宿で前泊。泉園というところに泊まったが、水回りはかなりきれいなところで、トイレも最新の洗浄便座なのか?22時着だったが、翌日早起きのため寝るだけだったのが申し訳ないくらい。ただしアメニティ類はほとんどなかった。
0430に起床、0530小淵沢駅からタクシー乗車し登山口へ向かう。タクシーの営業時間は0530からとのことだったが、駅前には自分以外のタクシーはおらず、前日に予約しておいた方が良い。尾白川駐車場まで20分くらいで、片道4700円。気温はマイナス6度くらい。
【コースタイム1日目】尾白川駐車場(0555)→笹ノ平分岐(0735)→刃渡り(0855)→五合目小屋跡(0945)→七丈小屋(1055)

準備を整えて0600駐車場発、100台くらい駐められそうなところに20くらいだったか。夜明け前だが、少し空が明るんでいてライトは10分も使わなかった。

駐車場から歩いて5分くらいのところに駒ケ岳神社があり、この脇を通って奥に進む。

大きな吊橋があるので、これを渡ったらすぐに登山道が始まる。

0~1合目。ハイキングレベル

1~2合目。薄く積もった雪がガチガチに凍っていた。ツルツル滑って危ないのでチェーンスパイク装着。道は相変わらずハイキングレベルで穏やか���


2~3合目。ようやく山登りらしい感じだが、まだどこかハイキングコースっぽい。1合目につき1時間ずつかかっているので、2-3時間は登っている。木々の間から外界が見えておりそこそこ標高をかせいでるように見えるが、これでもまだ3合目にすら達していないのか。気が遠くなる。



3~4合目。三合目過ぎた直後に「刃渡り」という名前の通りナイフリッジが出現。鎖も設置されているし、そこまで両側切れ落ちているわけでもなく、写真の見た目以上には安全に通過できる。ここから10分くらいだったか、ヤセ尾根がしばらく続く。ただしここから先は勾配もややキツくなり、ハシゴやロープの連続となる。
4~5五合目。雪がやや深くなり、アイゼンに替えたほうがよいか微妙なところ。5合目に到着する直前、かなり大きな下りあり100mほど標高を落とす。せっかく高度稼いだのに。また下山時には登りとなり、けっこうしんどかった。

5~6合目。5合目に到着すると大きな岩の壁が立ちはだかり、右に長い階段が続いていた。また5合目の広場は風の通り道で、冷たい風がびゅうびゅう吹きすさび、長居はちょっとツライ。この先道が険しくなるとのことで、ヘルメットを装着したりウェアを着直したりしてもう一度準備を整える。

5合目はある程度広い広場となっていたので、アイゼンなどをはめることもあるだろうが、七丈小屋まではチェーンスパイクのままが良い。というのも、上の写真のような場所を長い爪の生えているアイゼンで通過するのは結構危ない。5合目直後から6合目までは急峻な階段、ロープ、鎖、ハシゴの連続で、岩も露出しており、まだ歯が短いチェーンスパイクのほうがよいかも。いっきに距離を稼ぐので6合目まではあっという間。いままで1時間ずつかかっていたところを30分くらいで通過したような?

6~7合目。引き続き急な傾斜は続く。垂直に近い壁もある。急峻なだけあっとという間に高度を上げ、ここも30分くらいで通過。

少し道が緩やかになったと思ってしばらく歩いていると突然山小屋が目の前に現れる。駐車場からちょうど5時間、本日の宿泊者では一番乗り。第一小屋と第二小屋の2棟あり、自分は第一小屋だった。第二小屋のほうが寒いらしい?昼食はカップラーメンのみで500円、地酒も4種置いてあり700~1000円。定員24名に対して本日は20名くらい泊まるとのこと。夕食は17時からと18時からの2回。今年からカレーハンバーグとのことで、カレーはおかわり自由。トイレは小屋の外にあり、当たり前だが便器が非常に冷たい!20時消灯。小屋の中は暖房がついているとはいえマイナス5度くらいなのでは?布団は暖かいのでちゃんと寝れた。

4時半くらいに起床、前日に渡されていた朝食弁当を食べて準備する。5時くらいに外に出たが、夜明け前であたりは完全に暗闇。星が出ていて空は晴れているのはわかる。外はマイナス10度くらいか?
【コースタイム2日目】七丈小屋(0515)→八合目(0600-0605)→甲斐駒ヶ岳(0710-0730)→八合目(0810-0815)→七丈小屋(0835-0855)→五合目(0930-0935)→刃渡り(1020)→笹ノ平分岐(1100)→駒ヶ岳神社(1200)→尾白川駐車場(1205-1210)→道の駅はくしゅう(1255))

7~8合目。先行者のトレースとヘッドライトの明かりを頼りに進む。下山時はシリセードができるほど傾斜のある道を登る。8合目はやや広い広場になっており、朝一でキツイ道を登ってきたのでちょっと休憩。

前方には険しそうな道と、先行者が遠くに見える。8合目以降が黒戸尾根の核心部であり、遭難が多発しているのでかなり気を引き締めないといけない。注意喚起の看板も設置されている。ちなみに山頂は直前になるまでずっと見えない。

8合目から振り返ると八ヶ岳連峰やその麓の町の明かりが綺麗。

8合目~山頂(9合目はどこだかわからなかった)。ナイフリッジなかなり細い尾根。3-4合目の途中に現れた刃渡りよりも断然道が狭くて切れ落ちていて危険。

雪が積もっているから均されているが、普段はかなり傾斜の強い岩場だと思われる。


雪の大壁あり。ここは下山時に非常に危険になるところ。難易度としては残雪期の奥穂高岳の大壁と一緒な感じで、焦らずクライムダウンでやり過ごせば問題ない。核心部といえば、先のナイフリッジとこの雪の壁の2箇所だろうか。

雪の大壁を登りきったところに設置されている看板。下山する人たちに「大切な人の顔を思い出してください。そして一歩一歩落ち着いて、確実に下山をしてください」。ここまでハッキリこうしろと書かれた看板は初めて見た。


このあたりは景色もかなり開放的になり、北岳であったり、鳳凰三山とその奥の富士山など。

この先も引き続き鎖や、岩雪のミックスなどを通過し細心の注意を要するが、さっきの核心部を通過できればやや安心してやり過ごせる程度。先も言ったように頂上がずっと見えず、偽ピークだらけ。


駒ケ岳神社奥宮の手前で、初めて、そしていよいよ頂上を拝むことができる。山頂の祠の周囲に何人か立っている。

駒ケ岳神社奥宮。ここまで七丈小屋から約2時間。
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稲積陽菜氏、(250310、
ミニブログ、観ました。前回の更新消えていますが、居間の奥のワインボトルを、ワイングラスと間違って、記載していました。ワインボトルは、左側に蓋の向きで置かれてありました。
今回の更新は、お酒の知識だと、お汁粉に付いているお茶とか、お団子に付いているお茶とかに、見えます。近く、太宰府天満宮あるので、お茶の感じがします。
(2503102033、
稲積氏の動画、今日もいくつか、観ています。
(2503102035、
日本ショパンコンクールの動画は、ゴールデンウィークの動画で、(この動画は出だししか観ていないですが、)「ショパンコンクールの前奏が1、2分、」と稲積氏、発言していて、日本ショパンコンクールの動画は、前奏部分で、(7分21秒で、)止めて、3月7日は、記載しています。
11分台から19分台まで、難しかった気がして、19分台からスローテンポ、31分台から難しくなって、34分台は、すごい、と観たとき、記述しています。
稲積氏のショパンの解説動画と、ベートーヴェンの解説動画と観て、ヴェートーヴェンは、この曲、古海氏も、公開録音で、演奏している曲と、想います。
稲積氏のこの2つの解説動画観て、稲積氏が、自身の演奏が流れているところを喋っている終わりの部分、ありましたが、そのときの稲積氏の後ろで流れている自身の演奏の場面は、速い演奏場面だったんです。都庁の動画も速い演奏、です。省略の部分が、本当は、大事な部分もあるかもしれないとは、想います。
私の今月のこの絵ですが、引いたときの線で、挙げることにしました。(これは2枚目ですが、1枚目が仕上がりなんです、)1枚目は、線の太さを変えたんです。
細かく云うと、世界情勢が、関税の話題なので、絵は、何が心に響くか、分からない、です。私は、「トレースした、」と云うのを、示す色合いの仕上がりにしたし、上記アドレスの2枚目があると、絵の作り方が、分かるんです。
稲積氏のラヴェルは、解説動画から、観て、(解説動画は、分かりやすかったですが、オーケストラの音源が混じっていて、分かりにくい部分、ありました、)ラヴェルの、ラ・ヴァルス、観ました。最後ブラボーと男性客の人が、叫びました。速いテンポ、です。鍵盤の左端を、グーで、鍵盤押すような動作も後半あたり、あります。
(2503102105、
浜松コンサートの動画も観ました。13分44秒は、速くて上手い、14分9秒で、聞いた感じがしなくもない、とは想っています。14分32秒で、テンポ速い、です。すごいと想うと、観たとき、記載しています。
GMOライブの演奏動画は、今日夕方、観ました。
(2503102116、
2025年3月10日 カミジョウ智樹
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出生数は70万人割れどころか、68万人台へ突入する見込み。 だが、2023年の社人研における出生数低位推計では2024年の出生数を68.9万人と推計している。 「推計なんて当たらない」という誤解があるが、メディアがよく使う推計数字は中位推計であり(推計には高位・中位・低位の3つがうる)、低位推計とは「最悪でもここまでしか落ちない」という限界最小値なのだが、現実はこの最悪パターンをトレースしてしまっている。 ちなみに、1997年の社人研の出生数の低位推計と、それ以降の実際の出生数とは、2020年以降のコロナ禍を除けば、ほぼ誤差なく完全に一致している。つまり、最悪の推移を30年近く辿っていることになる。少子化担当大臣が設置されたのは2007年だが、いかにこの間の政府の少子化対策が的外れなものであったことを証明しているととともに、この間の現役世代への負担率の増加とも完全な負の相関がある。
2024年出生数は70万人割れ、過去最少更新見通し 朝日新聞推計(朝日新聞デジタル)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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マルチクラウド・ハイブリット構成に不可欠な統合監視プラットフォーム『Datadog(データドッグ)』450以上のツールと連携し、メトリクス・トレース・ログを単一プラットフォームで一元管理
クラウド環境の複雑化と監視の課題 現代のIT環境は、パブリッククラウド、プライベートクラウド、オンプレミスが混在するハイブリッド構成が一般的になっています。 複数のクラウドプラットフォームを組み合わせたマルチクラウド環境では、監視対象が膨大になり、従来の監視ツールでは十分な可視性を確保できない状況が発生しています。 クラウド時代の統合監視基盤を実現するDatadogの特長 クラウドインフラの監視において、多くの企業が直面する課題は複雑な環境の一元管理です。 Datadogは、この課題に対してクラウドネイティブな統合監視プラットフォームとして独自のアプローチを提供しています。 包括的な監視機能 Datadogの監視プラットフォームは、インフラストラクチャからアプリケーション、ログまでを単一のダッシュボードに統合します。 マルチクラウド環境における数千台のサーバーや数万個のコンテナから生成さ…
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制作記録
8月22日更新。LINEを見返したり、思い出したりしながら書きました。あんなにいっぱい絵を描いたのはいつぶりだったかな、と思ってみて、いや、そんなことこれまでにあったか?と思い直しました。今。写真をなぞって絵を描くこと、についての所感はまだ別のところに書きたいです。こういうタイムライン形式の記録の中ではうまく書けませんでした。
4月8日 録音をした。一発録音。何回か録り直して、結局、一番初めのテイクになった、気がする。とにかく最後に演奏したテイクではなく、最初か、二番目くらいのになった。私としては、採用になったテイクよりも、その後に録ったテイクの方が歌が明るい気がしたのだけれど、演奏とグルーブがいまいちだった。それに、私以外の全員が、私がいいと言った方よりも前のテイクの方がいいと言ったので、その意見を信じることにした。あと、りっきーさんが「この曲には今の(採用)テイクくらいの落ち着きがいると思うよ」と言いはったのを聞いて、それもそうか、と思った。 今となってはもう、リリースしたテイク以外のスコールがどんなテイクだったか全然思い出せないし、リリースしたテイクがベストだったに違いないと心の底から思う。
4月28日 カマダさんに「新曲のアートワークをお願いしたいのですが」と連絡を入れる。 打合せの日が決まる。
4月30日 なんとなく頭の中にあったジャケットのイメージをカマダさんにLINEで伝える。
5月4日 カマダさんに、ジャケットだけでなくMV制作もお願いしたいのですが、と伝える。イメージは、以前カマダさんがInstagramに載せておられたKING BROTHRESのショートムービー(リンク)。 一通りこちらの希望を伝えたら、カマダさん側からいったん打ち合わせしてみてから考えましょうと打診され、そういうことになった。
5月11日 カマダさんと打ち合わせ。近所のカフェで落ちあう(カマダさんとは住んでいる場所が近い)。食器がかわいいお店だった。ジャケットの絵の方向性を決めて、MVをロトスコープという手法で作ることも決めた。ロトスコープ用の映像とジャケットを描くための資料は次の日に撮影をすることになった。
*ロトスコープとは(リンク) 実際に撮影した動画のコマをトレースすることでアニメにする、アニメーション制作の技法。(上のリンク先に詳しい説明が載っています)
5月12日 打合せと撮影。 撮影前に、昨日と同じカフェで打合せをした。 話を詰めていくうちに、わたしとカマダさんがイメージしているものの間にそれなりに距離があることがわかってきて、少し焦った。カマダさんは、私が出した動画の案に対してはじめ、「こんなに具体的な動画でいいんですか?」というようなことを何度もおっしゃっていた。しばらくの間、私はその言葉の意図するところがわからなかったのだけれど、話しているうちに、「関連する作品同士の間でいかに『抽象』と『具体』の落としどころを目指すか」の感覚が、私とカマダさんで行違っていたことに二人で同時に気付いた。 私は普段音楽をつくることをメインとして活動している。だから、「スコール」と言う「曲」のMVは、「『スコール』と言う曲の擬人化」のようなもの(これ自体、既に新しく比喩になってしまっているけど)と思って制作に取り掛かろうとしていた。対してカマダさんは絵を描かれる方なので、絵という表現に対して私とは違う感覚、あるいは表現における距離みたいなものを、持っておられるようだった。だからカマダさんとしては、「曲に対して、こんなに明確なモチーフをMV示してしまっていいの?それは過度に具体的過ぎるのではないの?もっと余白を残したほうが(視覚芸術として)いいのではないの?」ということを、たぶん言いたかったのだと思う。 例えば、作品自体にはある程度の隙間を残したうえで、それをキャプションや(美術館でいう)説明書きのようなもので補強する、というような場合。その「作品」を、曲とするか、MVにするか。そこの認識が違っていたことに、ふたりで気付いたのだった。 めちゃくちゃすっきりした。 言葉にしづらいお互いの考え方・感覚の違い、そしてその違いの在りように、言葉や図を駆使して、なんとか肉薄できた感覚だった。伝え合おうと格闘した甲斐があったし、格闘の果てに辿り着いた場所が、谷の、こちら側とあちら側であったにもかかわらず、その谷を越えないままでも同じひとつのものを作れそうだと思えたことが、本当に、すごい体験だった。 気付いてからの話の進み方のスムーズさはすごかった。本当に、びっくりするくらい、するすると話が進んだ。 打ち合わせ後、二人で公園に動画を取りに行った。ロトスコープの下地になる動画。試行錯誤の後、2時間ほどかけて動画を撮り終えた。もう少ししたら雨が降り出しそう、というタイミングで解散した。ぎりぎりセーフ。 夕方ごろに、カマダさんから制作計画についての連絡が入る。 1秒に30コマ動かすとなるとトータルで4413コマが必要になる、という話だった。その時点で、制作期間は2か月しかなく、そのうち絵を描くのに宛てられる時間は6月いっぱいまで約一か月間。その一か月ちょっとの間に二人で4413コマ描くのはさすがに無理そうだなと思った。2000枚くらいに減らしたいですねという話になった。
6月2日 第一弾のトレス用PDF画像が届く。この時点ではまだ1秒30枚の想定で制作を進めていた。単純計算でひとり1292枚描く計算になる。 まずは試しに一定量描いてみましょうか、ということになり、この日から1週間かけて、最終的に大体330枚(ノルマ)を描き切った。
6月3日 トレス用PDFの印刷をどうやって二人分統一させようか、という話になる。 トレス作業と言うのは、動画中のコマをひとつひとつA4の紙で写し取っていく、ということ。それ自体はとてもシンプルな作業で、別に二人で集まってしなければならない作業ではない。だから、どのコマをどちらが描くかという分担を決めてしまえば、あとは淡々と絵を描き続けるだけ。……なのだけど、二人で別々にPDFを印刷する際、もし印刷設定が違っていたりレイアウトが違っていたりしたら、せっかく写し取っても動画にしたときに微妙に絵にずれが発生する可能性がある、ということに、進捗を報告し合うなかで気付いた。ちょっとだけセンターがずれていたり、ちょっとだけ縮尺が違うだけで、アニメーションが繋がらなくなってしまう。 ふたりで連絡を取り合いながらパソコン側の設定をいじったり、プリンターの設定を確認したのち、なんとか同じフォーマットで印刷できることがわかった。ほっとした。おそらくこういう問題は完全にアナログ手書きで制作しているからこそ起こる問題なのだと思う。画面上ですぐに修正したりできない分すごく大変で、でもだからこそ楽しかった。ちなみに、紙の下から光を当てるのには、母の刺繍台を使っていた。画用紙くらいのサイズで、スイッチを入れると全体がLEDで光という、ほとんどトレス台そのもののような刺繍台だった。助かった。
6月6日 これまでに描いてみたコマを繋ぎ合わせた動画が、カマダさんから送られてくる。確かに動きは滑らかだったけど、アナログで制作しているがゆえの荒さが悪い意味で目立ってしまっていて、かなり微妙だった。アナログでやるなら、1秒30枚は多いのではないか、ということになった。元々私が参照していたカマダさんによるショートムービーは1秒12コマで制作されたそうで、今回のMVもそれに習って15枚まで落とそうということになる。つまり、コマを間引くということ。 それと、カマダさんから、自販機をもう少し丁寧に描いてくださいと言われる。確かに、カマダさんの描いた自販機と私の自販機を見比べててみると、カマダさんの描いたものの方が私の自販機よりも自販機自販機していた。基本的に、直線は定規を使って引きましょう、と言う決まりができた。
6月7日 1秒15コマバージョンの動画(一部)が送られてくる。かなり見やすくなっていた。こっちのほうがいいですね、という意見で一致する。となると、描く枚数もぐっと減って、二人合わせて700枚ちょっと。一週間に二人で230枚程度。かなり現実的な枚数になった。 ここまでで二人で書いた800枚弱?もっと?のコマが没になるのは結構つらかったけれど、いいものを作るためには仕方のないことだった。この日までにかなりの枚数を描いていたことで、トレス作業にかなり慣れたのも事実であり、一番初めに描いた絵と終盤に描いた絵を見比べるとその差は一目瞭然だった。何をするにおいても、ある程度数をこなすのは必要かつ意味のある努力なんだなと思った。
6月9日 ジャケットのラフ案が数枚送られてくる。どれも良くて悩む。カマダさんと何か作る時は、いつもこんな風に悩んでしまう瞬間がある。それくらい、私はカマダさんの絵が好き。でも、全部よくて選べなーい!と言っていても何も進まないので、冷静に選んだ。
6月11日 りっきーさんの家でアルバム曲の録り残しを録音する日。といっても演奏していたのは吉居君だけ。私は吉居君がギターを弾いてりっきーさんが録音している様子を見ながら、もうちょっとこうしてほしい、もう一回弾いてみてほしい、と指示をしていた。それが終わった後、りっきーさんと吉居君にMVの一コマを描いてもらった。元々、ensembleとして演奏に携わってもらった3人には今回のMVに参加してもらおうと思っていたので、この日はいい機会だった(なみきちゃんはいなかったけど)。トレス台(的なもの)と下絵と真っ白の紙と画材は私が持参していた。なみきちゃんには家に帰ってから下絵とコピー用紙を郵便で送った。

りっきーさん宅にて

なみきちゃんから送られてきた写真
6月12日 ジャケット画像の正式な案が数枚送られてくる。同じ絵で、カラーリングが違うものが数種類。これも悩んだ。でも最終的に一つに決めて、お返事する。
6月14日 スコールのマスター音源ができた(とこの時点では思っていた)ので、カマダさんに送る。
6月25日 スコールのマスター音源が差し替えになったので、それをカマダさんに送る。 スコールをマスリングしてもらったあと、アルバムにいれる曲の細かい修正のためにLMスタジオに行った日があり、そこでエンジニアの須田さんと話しているうちに、「スコール、ほんまにあれでいいんかな?」という気になって、家に帰ってもう一度聴きかえしているうちに、「やっぱりもう少しここをこうしたい・・・・・・!」みたいな欲が出てきてしまった。申し訳ないなあと思いながらも須田さんに伝えたら、快く応じてくださったのだった(しかも、2回も)。 須田さんに心より感謝……ありがとうございます……
6月27日 MVの終盤の絵についてカマダさんとやりとり。最後まで、動画の人物の表情は描きこまないでおきましょう、ということになる。
6月29日 ひとまず、自分の分のコマを描き終えた。描いた枚数は、失敗も含め写真の通りです。左が描いた紙、右が下絵。


7月14日 MVの土台が送られてくる。ちょこちょこ描きためた絵が全部繋がって、曲と一緒に動いていることに感動。あと、動画の人物が完全に私の歩き方をしているのが不思議だった。動画をなぞっているのだから当たり前と言えば当たり前なのだけれど、映像の(それもアニメの)中にいる人物がこうも自分にそっくりだと、なんだかドッペルゲンガーを見ているような気持ちになる。映像の中の人物は、私であって私ではないと、出来上がった今もはっきりっそう思う。 ここからは、タイミング等の微調整に入る。気付いたことをどんどんカマダさんに言っていく。 意図せずに映像が独自のテンポを刻んでいるように見えてしまったり、曲と映像が微妙にずれていたり、ある動作だけぎこちなく見える気がしたり、そういうひとつひとつの細かい気付きに対して、理由を考え、カマダさんに修正していただくことの���り返し。
7月15日 自販機が出るところと消えるところのタイミングの微調整。 これが、地味に大変だった。スコールはクリックを使わずに録音したので、曲の中でテンポの揺らぎがあったり、各楽器がところどころ微妙に先走っていたり、遅れていたりする箇所がある。 自販機(の幻)の出現と消失は四つ打ちのリズムの通りに起こることになっていたので、一旦、カマダさんにそのつもりで編集してもらった。しかし、出来上がったのを見ると、なんとなく、ずれている。
音楽の拍子の上にはちゃんとのっているはずなのに、ずれて見える。 だから、次は「ピアノに合わせて動かしてみてください」とお願いした。改良バージョンが届く。ピアノとはあっているのに。まだなんとなくずれて見えた。なんであろう、と思って考えた結果、「ピアノがほんのちょっとずれているせいで、ピアノに合わせたら遅れて見えて、曲の拍子(とドラム)に合わせただけでは早すぎるように見えるのでは・・・・・・?」という仮説にいたった。それをそのままカマダさんに伝えて、調整してもらう。改良バージョンが届く。 ビンゴだった。
7月17日 自販機が消える場面の演出についていくつか案を出してもらう。一気にドラマチックになって、感動した。このMV(とこの曲)の肝は、「外から見たら何にも起こっていないようにみえる、と言える」ことだと思う。
7月27日 動画の前後のクレジットとラストのアニメが入った完成版の案がふたつ届く。 ふたつともすごくよかった。両方の案に対して「かまださん、ここの歌詞をチョイスしてこういう映像にしようと思いはったんやなあ、その感覚、めっちゃ好きやなあ」と思った。嬉しい驚きと彼女の感性への信頼。
7月29日 動画の最終版を決定した。一回決めて、やっぱり撤回して、次が最終判断になった。決め切った。
7月30日 カマダさんから受け取った動画をyoutubeに載せる作業。キャプションに何を書くか、いつも迷う。
7月31日 「スコール」、無事リリース。MVも同時に公開。 リリースするたびに思うけど、曲って、リリースした瞬間に、本当に自分の中からリリース(放出)される。 私の意志ではなく、曲の意志でもなく(?)、ただただ「あ、もうこの曲手元を離れてるな」という状況がくる。
その状況が訪れた瞬間がもう過ぎ去ってしまっていることに気付いた時、率直に、自分の曲がもう手の伸ばせない場所にあることを実感する。

↑ 撮影 あべほなみ
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2024.03 旭岳

山頂は雲を突き抜け
前回は去年6月に訪れたが今回はまだまだ雪が残る3月に。宿泊していた旭川からバスで2時間揺られRW駅に到着(1800円)。麓からは雲ひとつ無い空に旭岳の勇姿がそびえていた。ロープウェイ往復2400円。
【コースタイム】姿見駅(0935)→金庫岩(1110)→大雪山(1120-1150)→姿見駅(1240)


山頂駅の標高1600mのため気温はだいぶ低いが、風は静穏でそこまで寒さを感じない。登山者の姿は少なく、斜面のあちこちに山スキーヤーの姿が見える。とにかく良い天気!



・・・と思いきや、動き始めて30分しないうちにどんより雲が突然空を覆い・・・


あっという間にガスに巻かれて周囲見えなくなる。なんて変わりやすい。予報では晴れときどきガスとのことだったが、こりゃハズレだ。

雪もちらついてくるが、非常にキレイな形の結晶が服に付く。こんなのが空から無数に降ってくるのか、すごいよね。関東ではまず見れない。

けっこう急な斜度あり。去年は6月に訪れたが道が露出しており、アイゼンすら不要だった。同じ道でも雪面の方が時間はかかる。凸凹なくてラクなんだけども、アイゼンつけているだけ足が重いし、歩き方も違う。(前方に人影)

ただ、ガスはそんなに厚くないような、太陽が顔を出しそうな感じはずっとしていた。


金庫岩(9合目)直前で雲を突き抜け青空に。ガスは山頂の周囲だけ避けてる模様。

山頂が見えた。ここも結構急だが。もう一息


雲と同じ目線、天空の道


2時間弱で山頂到着。昨日の十勝岳に続き、また山頂独り占め(本日第一登ではない)



雲が多いが、なかなかいい景色じゃん。去年は何も見えなかったので、それは比べるまでもなく。天気予報は晴れときどきガスだったので、確かに合っていた。マイナス15℃くらいだがほぼ無風で日差しあり、じっとしてても涼しいくらい・・・素肌は出せないが。

熊ヶ岳方面。テント場があるはず。あっちもいつか黒岳まで縦走し歩いてみたい。北海道は携帯トイレがほぼ必須というところがネック・・・みんなテントの中でしているのか?それはちょっとイヤだ・・


雲の量が多くなりはじめてきたので下山。登山者ひとり到着しててきた。
途中、吹雪ではなくガスによるホワイトアウトを経験。適度な濃度のガスに強い太陽光あたると周囲の水粒子に乱反射して視界真っ白、おまけに降雪があったみたいでトレースが消えかけ、ちょっとヤバいかもと思った。

さらにガス濃度濃くなると太陽光届かなくなり、周囲の濃淡がわかってきてホワイトアウト解除。しかし下界は天気悪い、ガスで景色ゼロ。


噴気孔を覗こうとするスキーヤー。だいぶ近くないか??雪庇崩れ落ちたら滞留している有毒ガスに巻かれて死ぬけど・・・。夏はもちろん柵があってあそこまで近づけない。

遠くに雪中行軍しているスキーヤーの集団。この天気じゃ下る方向にかなり注意をしなければいけないから、気持ちよく滑るというのは難しそう。

往復3時間でRW到着。登ってる最中はガス→山頂だけ晴れというのは何度か��験したことあるし、登ってみないとわからないのよね。
帰りにK's House Hokkaidoという外国人向けの宿の日帰り温泉が良かった(900円)。内湯は温度が3つに調整、露天は風情無いが、日本人あまり寄り付かない感じで静か。素泊まりの価格を調べてみたが、この近辺ではかなり安い方では?素泊まりが基本らしく(?)白銀荘みたく調理台が勝手に使えて、さらに売店でも食料豊富に売られている。

旭岳→旭川空港へは高速バスが出ており便利。空港で3時間ほど待機(1940発のソラシド)。空港内のフードコートではいつも北海道ならではのラーメンや海鮮丼を注文するが、旭川空港3回目の訪問にして初めて、気になっていたカレーとフォー(のハーフサイズ)を注文。すごく美味しかったから次回来たときもこのお店でいいかも。不足しがちな野菜も豊富。
前回はひどかった分、今回は山頂なんとか景色見れてそこそこ満足。
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稲積陽菜氏、(250306、
公式サイト、観ました。コンクールの解説の動画は、公式サイトの文面を話している感じがあって、コンクールの動画の方は、日本音楽コンクールを2回、受けたときのこだわりのこと、こだわりがすごく、(各コンクールの、)こだわりを大事にしてほしいと、動画観たとき、想いました。
都庁の演奏の動画と、ショパンの11分台の演奏の曲は、2月に観ていて、都庁の動画は数日前観ました。テロップで、「トークの方が(閲覧は、)人気がある、」とあったので、第5回日本ショパンコンクール1位の動画(河合楽器さん、)今、観ているところ、です。
ミニブログは、広間で、くつろいでいる画像の更新、観ました。後ろに、ワイングラスが置いてあります。控え室で、動画映して、お花を持って帰って、玄関でお母様がお出迎え(声で、)の動画も観ました。控え室は、バイオリン演奏者がリハーサルしています。
トランプ大統領のロゴ、公式ショップサイトのリンクボタンの画像をダウンロードして、トレースしました。贈ります。

(2503061102、
2025年3月6日 カミジョウ智樹
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【多摩川の河川敷の地上絵の謎に迫る】 - デイリーポータルZ : https://dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-chijoe-nazo : https://dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-chijoe-nazo/page/2 : https://archive.is/smUdA : https://archive.is/BKRjP : https://web.archive.org/web/20231124173734/https://dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-chijoe-nazo : https://web.archive.org/web/20231124173734/https://dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-chijoe-nazo/page/2 2023年11月22日
{{ 図版 1 }}
多摩川の河川敷に描かれた謎の地上絵。いったい誰が、何のために描いたのか。その謎に迫った。
■《航空写真に写る地上絵》
多摩川のことが好きすぎるあまり、 {{ Google Mapの航空写真モードで多摩川を眺めていた。 : https://www.google.co.jp/maps/@35.5578193,139.687781,221m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu }} そのとき、あやしい模様を発見した。
{{ 図版 2 }}
場所は川崎市幸区の古市場という地区。周囲に陸上トラックやグラウンドが整備されている中、あきらかに異様な模様が浮かぶ。多摩川の地上絵と呼ばせてほしい。
{{ 図版 3 : トレースしてみた。これが何らかの絵だとしたら……古代生物? }} ~~~~~~ ============ ここまでわかったこと① ジョギングコースではなさそう。 ============ ■《いつできたのか》 自宅に帰ってきた。ここからは得意のインターネットを使って謎を解き明かしたい。まずは航空写真を調べることにした。いつできたのかを突き止めるためだ。 国土地理院の航空写真閲覧サービスを利用し、このあたりの航空写真を見てみた。最後に撮られた航空写真は2019年の8月だ。 {{ 図版 4 : 地上絵が……無い。( {{ 国土地理院空中写真CKT20194 : https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1841978 }} を加工。) }} なんと、意外にも地上絵は最近できたものだった。~~~ ~~~~~~
Google Earth Proの画像をそのまま載せることは権利の都合上できないので、抽象化した図で結果をお伝えする。
{{ 図版 5 : 2021年4月の航空写真には地上絵が無い。 }} {{ 図版 6 : 2022年3月の航空写真には地上絵がある。 }}
============ ここまでわかったこと②
地上絵は2021年4月~2022年3月の間に発生した。 ============
≫――――――≪
■《11か月の間に何があったのか》
となると次の疑問は、2021年4月から2022年3月の間に何があったのか、である。インターネットを使って粘り強く調査したところ、あるサイトにたどりついた。
それは {{ とあるランナーの個人サイトである。 : https://www.d1c4001a-mm.com/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E5%A0%B4-%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B7%9D%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E6%95%B7/ }} そのサイトの「古市場」というページを開くと、例の陸上トラックの写真が載っており、キャプションでこう書かれている。
============≫ 土の競技場です。2019年の台風で水没し1年以上使えなくなりましたが、川崎市の整備のおかげで見事復活しました。週1で利用しています。 ( {{ https://www.d1c4001a-mm.com/ : https://www.d1c4001a-mm.com/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E5%A0%B4-%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B7%9D%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E6%95%B7/ : https://archive.md/sLZ4C }} ) ≪============ ~~~~~~ ============ ここまでわかったこと③ 2019年10月の台風19号でこのあたりは壊滅的な被害を受けた。 その後1年以上復旧工事が行われた。 ============ ~~~~~~ ■《2021年度の川崎市の工事を調べる》
ここまでわかっているのは、2019年10月に台風が河川敷を襲い、2021年4月~2022年3月の間に地上絵が発生したということだ。この期間中の工事について調べれば、なにか手掛かりがつかめるかもしれない。
============ ここまでわかったこと④ 台風の復旧工事は2021年5月まで続いた。 ============ ~~~~~~
■《まずは多摩川の管理事務所に話を聞く》 まずは多摩川の管理事務所に話を聞くのが筋だろう。正式には 川崎市建設緑政局 多摩川管理事務所 という。先に述べた予算審査特別委員会で復旧工事について発言していたのは、ここの局長だ。 電話をかけた。 ============≫ 筆者: つかぬことをお伺いしますが、古市場のあたりの河川敷で地上絵のような渦巻状の模様が気になっているのですが、ご存じないでしょうか? ―――職員: あの川沿いのところですね。あれは自転車のコースにしている人がいて、そのタイヤの跡が模様になっているようです。 筆者: なるほど。自転車のコースだったのですね。これは誰が作ったのでしょうか? ―――職員: 市が作ったものではなくて、言葉は悪いけど自転車の団体が勝手に作ったものです。 筆者: そうだったのですね。その自転車の団体はわかりますでしょうか? ―――職員:残念ながらそこまではわからないです。 筆者: そうですか。……教えてくださりありがとうございました! ≪============ ■《地上絵ではなく、自転車のコースだった》 意外すぎる答えが返ってきた。あれは地上絵ではなく、自転車のコースだったのだ。そしてそれを作ったのは市ではなく、自転車の団体。 {{ 図版 7 : 冒頭の写真のコントラストを上げてみた。すると、自転車の車輪の跡が浮かび上がった。 }} {{ 図版 8 : こっちはもっと鮮明に浮かび上がった。 }} 答えが分かると納得できる。ぐるぐると渦巻状の模様になっているのは、自転車のテクニックを磨くためだったのか。道幅の狭さも、自転車のコースだと思えば納得だ。 正直、この地上絵(というか自転車コース)の善し悪しについて、ここであまり論じたくはない。おそらくとてもグレーな存在だ。このエリアを管理しているのは市だが、ある自転車の団体によって勝手にコースが作られた。でも河川敷にそれがあったところで誰も困らないし、わざわざ消すほどのものでもない。そういうあいまいな存在。河川敷ってそういうのが多い。 ============ 結論: 地上絵ではなく、自転車のコースである ============ ひとつの結論にたどり着いたので、調査はここで終了したい。 ~~~~~~
≫――――――≪
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