#アラブ:生肉
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新宿24で (1)
仕事が休みの平日昼間にふらっと行くことがある。週末と違って人は少な目だが、なかなか面白い。
今日は思いっきり変態プレイをしたいから、まずはシャワーも浴びずにトイレに行く。そのままパイパンのチンポコをしごき勃起させながら待機。
ガチャリとドアが開き、入って来たのは中肉中背の40代くらい。ふと見ると奴もパイパン。よし、これは行けるなと思い、個室に入る直前に「見せてもらってもいい?」と声をかけた。一瞬躊躇したようがそのまま個室に入れてくれた。ぎゅうぎゅうの個室に入り、彼は便座に腰を掛けた。そのままウォシュレットの水量をマックスにして、ケツの中を洗浄し始めた。あらからきれいにしてから来たのか、ケツからは水音だけ。オレは勃起チンポコをしごきながら、彼のケツの穴に指をいれようとした。すると手に固い糞が少量だが当たる。それに興奮してオレのチンポコはバキバキになった。
彼は構わずケツを洗浄、オレはその水を手で受け止めながらしごく。ションベンは出るかと聞くと、少し出ると。ぶっかけて欲しいので場所をチェンジする。オレが便座に座り、彼が仁王立ちになってパイパンチンポコから透明のションベンがジョボジョボ出てくる。それをオレのチンポコ、腹、乳首にかけてもらいションベン途中で止めてもらう。このタイミングで止められるのであれば、こいつも結構変態プレイしてきたのだろう。そのままチンポコに口を付けると、すぐにションベンを再開した。ゴクリゴクリと喉を鳴らしながらションベンを飲む。体にかかったションベンはそのままケツの方に伝い、それを指に付けてマンズリした。たまんねぇ。
ションベンをし終わるとニコっと笑ってそのまま彼は外に出て行った。さすがにこのままじゃオレも何もできないので、大浴場に行きションベンを洗い流しに行った。ションベンまみれで興奮して、チンポコ勃起させてまま館内・浴場を歩き回る。
さっと洗い流し、中を物色していると今日は外国人が多い。若くて金髪の白人、体毛が濃いアラブ系、あとは・・・、イギリス?アメリカ?
低温サウナに行くと何人かで絡み合っていた。そこに混ざり、乳首、チンポをベロンベロンにしゃぶりつき、一本の外人のチンポコを二人で舐めまわしたり、両乳首を二人に吸われたり。が、タイプでないハゲ親父が割り込もうとしてきた。やってるうちの一人が手でごめんのポーズをするが、ハゲ親父は引かない。それに水を差されたか、みんなそのまま解散。
が、背の高い白人に手招きをされシャワーブースに。お互いの両乳首をいじりながら濃厚なベロキス。そのまま彼は自分のケツをいじる。オレも触ってみるとぬるぬるしてる。いつの間にローションを仕込んだのか。そのまま彼は後ろを向き、ケツを差し出すので生で突っ込んで掘ってやった。あまりタチはやらないのだが、この時は断るのもアレなのでバコバコ掘る。
しかし、ウケモードのつもりでいたので途中で中折れ。しかし彼は満足したのか、そのまま自分のチンポコをしごく。まもなくイクっと言うのでこっちに向いてもらい、口の中に出してもらった。外人のくっせー��種。ねっとりと濃くて量も多め。そのまま口から手の平に出し、チンコに塗り、ケツに塗って外人の生種でマンズリ。たまんねぇ。まんずり途中だが、向こうはイッてしまったのでありがとうと言い終えた。
種まみれのままシャワーを浴びようかと思い移動してたら、ふと目があったやつがいる。30代前半くらいの厳つい感じの短髪野郎。オレはそのままシャワーではなくサウナに入った。すると奴も後ろから入ってくる。オレはタオルを横に置き、チンポコしごきながらM字開脚。これにドン引かないならこいつも変態だ。シャワーブースに移動し、そのままキス。向こうもザーキスと気づいたのか興奮していた。あーたまんねぇ。チンポ汁、ションベン、ザーメンで汚れるのまじたまんねぇ。と言うと奴はにやりと笑い「いいねぇー、変態じゃん」と言い、オレの種マンを指でジュボジュボと腸壁に塗りこんできた。さすがにローションがないと入らないので、そのままザーキスしながら外人の生種塗りこまれ、向こうがイクというので口にぶっ放す。よほど興奮したのかすげぇ量だ。
今度は半分は口の中に残し、半分はまた同じように手の平にだしマンズリしながら腸壁に塗り込む。あぁ、たまんねぇ。すげード変態プレイまじたまんねぇ。二人分の生種でマンズリしながらごくんと種を飲み込む。
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エジプトにいた増田です。 思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています。 そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分の出会ってきた)アラビア語とイスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます。 大前提ですが、自分は基本、道楽で勉強してきた人間で、職業的な研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくまで個人の体験を元にした個人の感想で、学問的裏付けのあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。 (いきなり余談ですが、わたしが出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリッジムスリム、つまりムスリムと結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通は言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)。 シリア人と結婚しシリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたい���構図とは全然違って、目を開かされました。 また日本在住のマリッジムスリムでも、家族親族との交流やクルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます。 ほとんどの場合、ムスリム男性と日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした) 先述の通り、わたしがアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。 イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンのアラビア語はお経みたいなもの、イラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います。 お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。 日本の仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味も勉強すると思います。非アラビア語話者のムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。 何ならアラブ人にとっても、クルアーンのアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。 (お世話になっていたエジプト人の先生とクルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートとかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見のアラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからん」ものです) 一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代の言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います。 ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハーを勉強します。普段使っているアーンミーヤ、エジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています。大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。 外国人視点で見れば、フスハーとアーンミーヤはラテン語と��ランス語くらい離れていて、勉強す��ば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます。勉強しないで自然にできるわけがありません。 話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。 キリスト教の聖書は色んな言語に訳されていて、普通は各自の言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書の大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。 何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的に理解できるものを第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味や論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。 現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップに全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味的整合性が全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味があいまって全体の美しさが練られると思います。歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みた���な作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。 英語のヒップホップの歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉はダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為、信仰というものは、容易に翻訳可能で知的に了解しやすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。 特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語とヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語に翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまいます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳と原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。 クルアーン、特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教のルールブック」みたいなイメージが強いかもしれま��んが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象的イメージが多いですね。 音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょとエピソード的な話が続くと、とてもわかりやすい言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりのフレーズがビシッと入ります。ごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。 またヘブライ語聖書(旧約聖書)のエピソードが知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフ(ヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードがアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。 こうしたエピソードっぽいフレーズは時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます。 この文体は翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります。 わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーンの読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。 良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。 余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記は学問的な界隈では結構前からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのは「コーラン」ですよね。 カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります。 「クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います。 では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。 英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。 ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時に���ぜか前半アクセントのイメージで「コ」の���に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセントを表現したようです。 実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人の感覚で簡単なカタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。 別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語のラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。 同様にラテン文字表記(英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。 あと不思議なのは「アッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈で表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。 これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います。 その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為そのものは単なる殺戮で肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚の殺戮者であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。 では実際のところ、平々凡々たる市井のムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います。 色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身の立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。 キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですから、ムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリムの感覚に同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから。 この低水準の信仰感覚というのは、あくまでわたし個人の感じてきたところでは、幼い���から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います。 大人ですから知的に敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています。 そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています。言語、文化、宗教は連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。 まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います。 そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢でしょうが、違う場所から違う視点でものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。 人生、旅じゃないですか。
エジプトにいた増田です。 思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑し..
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410 774RR sage 2024/06/16(日) 20:08:37.75 E4xbX+ab ウチの兄ちゃんが通ってる大学にイスラムの留学生が居るんだけど
「日本に住んでると間違って豚肉を食べちゃうって事は無いの?」って聞くと 「間違って食べた時は心の中で、神様ごめんなさいどうかお許しを。と、唱えると許してくれるんだ」って言ってた。
412 774RR 2024/06/16(日) 20:12:40.11 m5iODloZ パッケージ裏の原材料名を読む必要性に迫られて早々に漢字も読めるようになるらしい
413 774RR sage 2024/06/16(日) 20:20:15.60 vb0IwoX9 大学にイスラム圏の国から研究者が来てた。 イスラム教徒とは聞いていたが、肉は食う酒は飲むで日本の学生と何一つ変わらない食生活を送っていた。 ところがある日、国から奥さんが来たら途端に敬虔ないイスラム教徒に変身した。
417 774RR sage 2024/06/16(日) 20:26:29.52 p7rHJcpy 知らない人が知らずに豚肉を出してくれた場合、食べても良い でも気を遣ってハラルメニューとか出されるとその中から 選んで食べなきゃいけなくなるので気を遣わないで 『これ食べられる?』とか聞かないで 豚肉を含め好きなものをメニューから選んで食べたいから
と言われたことがあるわ
432 774RR sage 2024/06/17(月) 00:31:43.01 IVDeXFbh ムスリムでも本当に厳格な人は海外には一切出ない 海外に留学したり旅行したりする人はそんなに厳格な宗教観を持ってなくて海外ではめを外してもいいだろくらいの間隔 アッラーが生きてた時代には無かったものだからアッラーは知らないとかなんとでも言い訳して好きにやる 日本の豚はアラブの豚とは違うとか言う言い訳も聞いたことある
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2023年5月12日(金)
玄関前の狭いガレージ、運転席側には塀に押しつけられて植木鉢がいくつか。水しか与えられない可哀相な存在ではあるが、このアジサイは10年近く咲き続けている。ツレアイのもとの職場の改築工事の際、処分されるものの一部を持ち帰ったものだ。2年後には車を処分する予定、その際にはもう少し広い空間を用意しようと思う。それまでは、元気で待っていてくれよな。
5時起床。
冬の間は午前6時まで洗濯機を回すのは控えていたが、近頃は外が明るいので6時前には作業開始。
奥川ファームの蕎麦がなくなったので、朝食には煮麺をいただいた。
私は弁当を用意、金曜日は3人分。
ツレアイは洗濯物を干す。
7時40分、ツレアイの職場経由で出勤する。
順調に到着する。
換気、お茶、ラジオ体操忘れる。
<まいどおおきに露の新治です>の<へらへら日記>をチェック、柳家さん喬師匠との共演記録を拾い出す。
O姉到着、2限・3限と<スタディスキルズ(栄養学科)>の授業、火・木と同内容なので、いろいろ修正ができて順調に進む。
今日は<すいぱん>の販売日、O姉がツレアイにと<肉まん味>を持たせてくれた。
いつも通り、彼女を九条大宮で降ろして帰宅する。
昨晩の保健協議会総会で託された回覧資料、5組の組長宅へ届ける。
あり合わせで夕飯用意、ツレアイも早めの帰宅、息子たちにはスパークリング、私たちは賀茂鶴+ポルトガルで一週間を慰労する。
録画番組視聴。名探偵ポワロ
(48)「メソポタミア殺人事件」
世界が愛した名探偵、エルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティー原作の人気ドラマシリーズ。バクダッドの遺跡調査隊で謎の連続殺人事件が発生。ポワロが調査に乗り出す。
バクダッドの遺跡調査隊の宿舎に招かれたポワロ。そこにはリーダーのライドナー博士と妻のルイーズ、研究員たちがいた。遺跡ではアラブ人が殺される事件が発生したり、作業員が研究員を襲う事件が起きたりと、騒動が続く���その後、ルイーズはポワロに打ち明け話をする。彼女には結婚歴があり、夫はなくなったが、その夫らしき人物から「俺は待っている、ほかの男と結婚したら殺す」という脅迫状が何年も前から届いているという。
途中で目が潰れ、風呂に入らず布団の中へ。
水・金は昼をはさんで授業があるので、すぐに3つのリングが完成する。水分は、1,840ml。
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クリス・ヘッジズ: 私はアルジャジーラのアラビア語放送のスタジオで、ガザ市からのライブ中継を見ています。ガザ北部のアルジャジーラ記者は、イスラエル軍の激しい砲撃のため、ガザ南部への��難を余儀なくされた。彼はカメラを置き忘れた。彼はガザ最大の医療複合施設であるアル・シファ病院でそれを訓練した。夜です。イスラエル軍の戦車が病院の敷地に向かって直接発砲する。水平方向に長く赤色が点滅します。病院への意図的な攻撃。意図的な戦争犯罪。重病人や幼児を含む最も無力な民間人の意図的な虐殺。その後、フィードが死んでしまいます。 私たちはモニターの前に座ります。私たちは沈黙しています。これが何を意味するかはわかっています。力がない。水がない。インターネットがない。医療用品はありません。保育器の中にいるすべての乳児は死にます。すべての透析患者は死にます。集中治療室にいる人は全員死ぬでしょう。酸素を必要とする人は皆死んでしまいます。緊急手術が必要な人は全員死亡します。そして、容赦ない爆撃で家を追われ、病院の敷地に避難してきた5万人はどうなるのか?私たちもそれに対する答えを知っています。彼らの多くも死ぬだろう。 私たちが目撃しているものを表現する言葉はありません。 5 週間にわたる恐怖の中で、これは恐怖の頂点の 1 つです。ヨーロッパの無関心は十分に悪い。米国の積極的な共謀は計り知れない。これを正当化するものは何もありません。何もない。そしてジョー・バイデンは大量虐殺の共犯者として歴史に残るだろう。彼が殺害に関与した何千人もの子供たちの幽霊が、彼の残りの人生につきまといますように。 イスラエルと米国は、世界の他の国々にぞっとするようなメッセージを送っている。ジュネーブ条約を含む国際法や人道法は無意味な紙切れです。イラクでは適用されなかった。ガザでは適用されない。私たちは爆弾とミサイルであなたの近所や都市を粉砕します。私たちはあなたの女性、子供、老人、病人を理不尽に殺害します。私たちは飢餓と感染症の蔓延を画策するために封鎖を設置します。地球の「下等な種族」であるあなたたちは問題ではありません。私たちにとってあなたは絶滅すべき害虫です。私たちはすべてを持っています。もし私たちから何かを取り上げようとしたら、私たちはあなたを殺します。そして私たちは決して責任を負いません。 私たちは自分たちの価値観のために嫌われているわけではありません。私たちが嫌われるのは価値観がないからです。ルールは他人にのみ適用されるので、私たちは嫌われます。私たちには違います。私たちが嫌われているのは、無差別虐殺を行う権利を自分たちに傲慢に主張しているからです。私たちが嫌われるのは、無情で残酷だからです。私たちが嫌われているのは、私たちが偽善者であり、民間人保護、法の支配、人道主義を語りながら、160人��子供を含む毎日数百人のガザの人々の命を奪っているからです。 イスラエルは、数百人の死者を出したガザのアル・アハリ・アラブ・キリスト教病院爆撃容疑で非難されたとき、憤りと道徳的怒りで反応した。イスラエルは、この爆撃はパレスチナ・イスラム聖戦が誤って発射したロケット弾によるものだと主張した。ハマスやイスラム聖戦の兵器庫には、病院を襲ったミサイルの巨大な爆発力を再現できたものは何もない。ガザを取材してきた私たち人間は、このイスラエルの比喩を、不気味なほど何度も聞いてきた。彼らは常にハマスとパレスチナ人の戦争犯罪を非難しているが、現在は病院がハマスの司令部であり、したがって正当な標的であると主張しようとしている。彼らは決して証拠を提供しません。イスラエル軍と政府は息をするように嘘をつきます。 アル・シファで職員が勤務する国境なき医師団は声明を発表し、患者、医師、看護師が「銃撃を受けて病院に閉じ込められている」と述べた。同団体は「イスラエル政府に対し、ガザの医療システムに対する容赦ない攻撃を中止する」よう求めた。 「過去24時間にわたり、ガザの病院は容赦ない砲撃にさらされている。 MSFスタッフが今も勤務している最大の医療施設であるアル・シファ病院複合施設は、産科部門や外来部門を含む数回の攻撃を受け、複数の死傷者を出している」と声明には記されている。 「病院周辺での敵対行為はまだ続いている。 MSFチームと数百人の患者は今もアル・シファ病院内にいる。 MSFは病院への攻撃の停止、即時停戦、医療施設、医療スタッフ、患者の保護を緊急に改めて求める。」 ガザ北部とガザ市にある他の3つの病院はイスラエル軍と戦車に包囲されており、ある医師はアルジャジーラに対し「病院に対する戦争の日」だと語った。インドネシア病院も停電したと伝えられている。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、ガザにある36の病院のうち20病院がもはや機能していないと報告している。 イスラエルとワシントンの皮肉は息をのむほどだ。趣旨に違いはございません。ワシントンはただそれを早く終わらせたいだけだ。人道回廊?砲撃は一時停止しますか?これらはガザ北部の完全な人口削減を促進するための手段です。ラファのエジプト国境通過を許可された数台の援助トラック?広報ギミック。目標はただ一つ、殺して、殺して、殺して。速ければ速いほど良いです。バイデン当局者が話しているのは、イスラエルがガザの破壊を終えた後に何が起こるかということだけだ。彼らは、ガザ人が地区南部で避難所もなく野外で暮らし、食糧、水、医療の不足で死に至るまで、イスラエルによる虐殺は終わらないことを知っている。 イスラエルが地上侵攻する前のガザ��、地球上で最も人口密度の高い場所の一つであった。北部の110万人のガザ人に南部の100万人以上のガザ人が重なったら何が起こるか想像してみてください。コレラなどの感染症が流行したときに何が起こるかを想像してみてください。飢餓の惨状を想像してみてください。何かをしなければというプレッシャーが高まります。そしてイスラエルは、パレスチナ人を国境を越えてエジプトのシナイ山脈に押し込むことを望んでいる。一度そこに行ってしまうと、彼らは決して戻ってくることはありません。イスラエルによるガザ地区の民族浄化は完了するだろう。ヨルダン川西岸の民族浄化が始まるだろう。 それがイスラエルの狂った夢だ。それを達成するために、彼らはガザを居住不可能にするでしょう。 もしあなたがガザのパレスチナ人で、武器を手に入れられたらどうするだろうか、と自問してみてください。もしイスラエルがあなたの家族を殺したら、あなたはどう反応しますか?国際法や人道法は抑圧者には適用されず、抑圧された者にのみ適用されるとわかっているのに、なぜそれを気にするのでしょうか?テロがイスラエルがコミュニケーションに使用する唯一の言語であり、明らかに理解できる唯一の言語であるなら、あなたはテロで言い返さないでしょうか? イスラエルの死の乱交はハマスを潰すことはない。ハマスというのは一つのアイデアだ。この考えは殉教者の血によって養われています。イスラエルはハマスに豊富な物資を与えている。
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✿ ラフマジュン | Lahmacun ・別名「エスフィーハ (Sfiha)」の名称でも知られる、アラブ地域の料理。フラットブレット生地の上に羊肉と刻み玉ねぎの具を載せたピザのような料理で、15世紀東レバノンで誕生したといわれています。トルコでは軽食や朝食としても親しまれているそう。
#lahmacun#ラフマジュン#エスフィーハ#sfiha#アラブ:羊肉#トルコ:羊肉#トルコ:朝食#トルコ#アラブ#food:トルコ#food:アラブ#フラットブレッド#トルコ:フラットブレッド#トルコ:たまねぎ#アラブ:たまねぎ#レバノン#レバノン:たまねぎ#レバノン:羊肉#food:レバノン
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yusuke narita & michiko kitamura & chikachi suzuki
下着だけで十分? 成田悠輔 × 北村道子 × 鈴木親が考える「100年後の服」
photography: chikashi suzuki text: sogo hiraiwa
portraits/ ファッションは芸術か、あるいはビジネスか。答えはもちろん、そのどちらでもある。では、相反するかに見えるその両側面はいかにして重なり合っているのか。この日初顔合わせとなった経済学者の成田悠輔、スタイリストの北村道子、フォトグラファーの鈴木親による座談会は、そんな「ファッションの複雑なおもしろさ」についての話題から幕をあけた。ここに紹介するのは、2時間以上にわたる白熱したおしゃべりのほんの一部である。3人寄ればナントヤラ。
portraits
jun 24, 2023 6:00 pm
鈴木親(以下、鈴木):ファッションには経済的な側面もあれば、ロジックからは遠い美学的な側面もあると思いますが、成田さんはファッションというものをどう考えていますか?
成田悠輔(以下、成田):ファッションは外見であると同時に内面。ビジネスであり、文化・芸術でもあり、自己表現でもある。いくつもの異質な要素が織り重なっていて、定義が難しいですよね。というか、その定義できなさや不純さこそがファッションの面白いところなんじゃないでしょうか。お高くとまった芸術のような雰囲気を醸し出しながらも、それを徹底できない構造がはじめから埋め込まれている。かといってビジネスとしてスケールさせられるかというと、そもそも単価が十万円単位で人口の数%くらいしかターゲットにしていないとなると難しいですよね。さらに、100年以上前に生まれた老舗ブランドが今でも業界のトップに君臨し続けているのとかもずっと不思議に思っていました。規制があるわけでもないのに、Alexander McQueen (アレキサンダー・マックイーン)や Martin Margiela (マルタン・マルジェラ)のような突出した才能でも下剋上できないのはなぜなのか。
鈴木:北村さんは普段ファッションを美学的に見られていると思いますが、ビジネスを意識したことはありますか?
北村道子(以下、北村):ないない。75年間生きてきて、いつも意識しているのは自分自身ですよ。自分自身を知ることによって世界を見ることができる。そういう考え方。だからファッションも私にとっては全然どうでもいいことなんだよね。 基本的にファッションは概念じゃないですか。でも、自分自身は概念じゃなくて確固たるものだから。
成田:ほとんどの人にとってファッションが概念というのは、そのとおりですね。特にハイブランドの場合は、どこまでいっても人類の数パーセントにしか関係ないものなわけで。CHANEL (シャネル)にしても Hermès (エルメス)にしても、誰でも名前は知っているけど、その服を一生に一度でも着る人は人口のごくわずか。ハイファッションは「存在しているようで存在していない産業」だと思うんです。
鈴木:実際、ハイブランドがいちばん大事にしているのはオートクチュールの顧客層ですからね。CHANEL とか Dior (ディオール) の本社にはオートクチュール用の部屋があって、上顧客はそこで服を買っているし、ファッションショーにしても、本当に大事なゲストはまずオートクチュールに招待するんです。見栄えだけでいうと、プレタポルテのショーのほうが派手ですよね。報道もされるし。でも、本当に大事にしたい上顧客はオートクチュールのショーに呼ぶんです。Martin Margiela (マルタン・マルジェラ) がうまくいったのも、オートクチュールをつくっていたこととは無関係ではなくて。彼はアンチファッション的なことも部分的に試みつつも、ファッションに対するリスペクトがあり、守るべき慣習はしっかりと守っていました。
成田:なるほど。
鈴木: Hermès も CHANEL も、ぼくらがコンビニに寄るみたいに来る人っていますからね。忘れられないんですけど、90年代の終わりパリに住んでいたときに、母親に買い物を頼まれて Hermès のお店に行ったら、おっちゃんが海パンを持って入ってきて「直してくれ」って注文するんですよ(笑)。萬屋みたいな感覚ですよね。普通の服を買う感じでそういうメゾンの服を買う層の存在は報道にも載らないですし、ファッションの分かりにくい側面だと思います。
北村:私たちが普段見ているファッションブランドのイメージはマーケティングに過ぎないんですよ。アラブの富豪とか本当の金持ちは、わかりやすいブランド(ロゴ)が要らないから。いちばん上にあるのは金(ゴールド)の世界ですよ。彼らは Louis Vuitton (ルイ・ヴィトン) 社に頼んで「俺用の飛行機つくってくんない?」って、そういう感じだと思うよ。 モナコあたりに行くと、どのヨットにも Vuitton のマークが付いている。だから100万、200万というレベルじゃないわけですよ。若いころにそういう光景を目の当たりにして、これは日本にはない世界だなと思った。白いポロシャツに白いパンツを履いてやっているだけなんだけど、本当に綺麗なんです。
成田:それがさっきの疑問への答えかもしれないですね。ブランドは広い消費者に向けてビジネスをしているように見えて、本当のお客は見えない資産家層。だから、新しいブランドやデザイナーが出てきて民衆の心を掴んでも、ファッション業界のヒエラルキーをひっくり返すことは難しい、と。
鈴木:大衆がブランドを欲しいと思えば思うほど、そのブランドのステータスが上がり、富裕層の満足度も高くなりますからね。
成田:民衆の熱狂は、資産の気分を変えるためのワサビかガリくらいの存在でしかないのかもしれないですね。
100年後の服は裸か、サランラップか
成田:もう一個お伺いしたいのは、100年後の人間はどんな服を着ているのかということです。ファッションは近代以降どんどんミニマムに、軽くなっていっていますよね。このままその方向に突き進むのかが気になっていて。サランラップ巻きつけるみたいに無駄を極限まで削ぎ落とした服を着るようになるのか。裸までいくのか。
北村:私が面白いなと思って見ているのはリアルクローズ。THE NORTH FACE (ザ・ノース・フェイス)とか Nike(ナイキ) みたいなスポーツブランドがハイブランドを超えていくと思う。いや、もう超えているかもしれない。
成田:大勢の心を動かしているという基準でいえば、ハイブランドよりも Nike とかスポーツブランドのほうが全然上ですもんね。
北村:そう。要は「プレーをする」ということですよ。今のパリコレを見ていても、全然プレーがない。止まってる「点」の世界。動くっていうのはアクションだから、パワーなんだよね。邪魔なものはいらない。デカルトじゃないけども、否定から入ってく。無駄をどんどん削ぎ落としていく。スポーツは基本的にそういうもの。だから、あんなに重かった Nike の靴が今ではすごく軽いじゃないですか。スポーツブランドはものすごく進歩しているんです。ハイブランドは今むしろコラボしているでしょう、スポーツブランドと。でもおもしろいとは思わない。私がデザイナーだったらまだ行ったことのない国に行って、そこで暮らす12歳の子どもとコラボしますね。
成田・鈴木:(笑)。
北村:メットガラにも全然興味がない。ああいうのは飽きちゃうんだよね。ところが、肉体に近いものはずっと本質的で、人間を魅了し続ける。私はそう思うのね。
成田:スポーツブランドがますます技術革新を進めていくとして、その先にある究極の服ってなんだと思いますか?
北村:私は下着だと思います。
成田:全く同じことを考えていたので答え合わせできました(笑)。アスリートにとっても下着でプレイするのがいちばん機能的ですよね。彼らがユニフォームを着ているのは観客や審判や他の選手に見せるためであって。だからそのうち、見せるためのファッションはスマート化したメガネやコンタクトレンズで見る側が表示するなり補正するなりすればよくなる。そうしたら物理的に着るものは下着だけ、ということになりますよね。
北村:私は SF ファンなんですけど、映画『ブレードランナー』に出てくるレプリカントの服が最高のファッションだと思っているんです。
成田:ロバートの秋山さんが「YOKO FUCHIGAMI」っていう架空のファッションデザイナーをパロディで演じているんですけど、彼女の決まり文句は「一番のおしゃれは裸」っていう——。
北村:うん、それわかります。Margiela はコレクションのときにモデルに必ず肌色の下着を着せていて、それが素晴らしかったんですよ。私はそこに痺れた。だから当時、親くんと Margiela の服を撮影するときはよく「下着だけでいいんじゃない」って言ってたよね?
鈴木:言ってました(笑)。
北村: Margiela はトップスからブーツまでナチュラルカラーを使うことが多くて、それが最高にセクシーだった。それが人間の未来の姿なんだと私は思います。ところで、成田さん声がいいね。なんていうか、質感がある。大学教授にしておくのはもったいないよ。声を生かして、政治をやってみるのもいいんじゃない?
yusuke narita & michiko kitamura & chikachi suzuki
photography: chikashi suzuki text: sogo hiraiwa
プロフィール 成田悠輔 (なりた・ゆうすけ)
経済学者、データ科学者、起業家。専門は、データ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと公共政策の想像とデザイン。ウェブビジネスから教育・医療政策まで幅広い社会課題解決に取り組み、多分野の学術誌・学会に査読付学術論文を出版、ZOZO など多くの企業や自治体と共同研究・事業を行う。報道・討論・お笑い・アートなど様々なテレビや YouTube 番組の企画や出演にも携わる。イェール大学助教授、半熟仮想(株)代表。著書に『22世紀の民主主義:選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』、絵本の翻訳に『挫折しそうなときは、左折しよう』、ハイファッションに関するエッセイに HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE09+ YUSUKE NARITA など。
北村道子(きたむら・みちこ)
1949年、石川県生まれ。サハラ砂漠やアメリカ大陸、フランスなどを放浪ののち、30歳頃から、映画、 広告、雑誌等さまざまな媒体で衣裳を務める。映画衣裳のデビューは85年、『それから』(森田芳光監督)。07年に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(三池崇史監督)で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞した。著書に『Tribe』(朝日出版社)、『COCUE』(コキュ)、『衣裳術 2』『衣裳術《新装版》』『衣裳術3』(リトルモア)がある。
鈴木親 (すずき・ちかし)
1972年生まれ。96年渡仏し、雑誌『Purple』で写真家としてのキャリアをスタート。『Purple』(仏)、『i-D』(英)、『Dazed & Confused』(英)、『CODE』(オランダ)、『Hobo』(カナダ)、『IANN』(韓)、『honeyee.com』(日)、『GQ』(日)、『commons&sense』(日)、『Libertine / DUNE』など国内外の雑誌で活動。Issey Miyake、United Bamboo、Toga などのワールドキャンペーンを手掛ける。主な作品集に『shapes of blooming』(treesaresospecial刊/2005年)、『Driving with Rinko Kikuchi』(THE international刊/08年)、『CITE』(G/P gallery刊、09年)など。
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地元と任地 似てるところ違うところ
2022年10月31日
新年度は怒涛 と書いてから1ヶ月経ちそうですが いまだに怒涛です
とりあえず週1授業はできているようなできていないような
ところで10/30から『第7回世界のウチナーンチュ大会』が開催されてるようです。 沖縄に縁やルーツのない方からすると本気かと思われそうな名前の催しですが 意外とおもしろい大会です 詳細はリンクから
TOP | 第7回世界のウチナーンチュ大会「世界のウチナーンチュ大会」は、沖縄県の貴重な人的財産である世界各地の県系人の功績を称えるとともに、県民との交流を通してウwuf2022.com
参加してみると特に初期など正直「よく運営できてんな。」と思ったりしましたが で、それがこっちでも思うこと多々あるよなあ。と思い 以前から、沖縄とアラブ似てるなあ。と思うことがあったので まとめてみようというだけの記事です。
衣食住編
気候 ヨルダンの緯度は日本本州と同じくらい?で地中海性気候 沖縄の人間には冬は寒い。10月の朝夜がすでに寒い。 夏は暑いけど影に入れば涼しいのは沖縄と似てる。 と言いながら沖縄以外は二本松の夏しか知らないんですが 雨が降っても傘ささないのは沖縄と一緒。
建物 石造りの建物で家の中がひんやりしてるヨルダン。冬は激寒。 沖縄の戦後のコンクリ造の家に似てると個人的に思ってます。 屋根の上に水タンクがあるのは沖縄と一緒。
沖縄は水道から直接水タンク、ヨルダンは一回地下とかに貯めてそれを上まで上げてる。 たまに屋根の上に基礎?が残ってるお家があって沖縄と一緒じゃん。となります。 沖縄は将来増築する。という気持ちを込めて残してますが、どうもヨルダンも同じっぽい? あと赤瓦屋根がたまにある。 個人的に、任地は廃墟好き、鉄塔好きには散歩しててとても楽しいです。
食 2年間豚が食べれないんですよ。 と言ったらほとんどの沖縄県民が同情してくれたくらい豚への愛が強い県民性。 ヨルダンはほとんどがムスリムなので豚肉を食べる機会はそうない。 首都の外国人御用達みたいなお店には結構置いている。
パレスチナ系の人に「地元ではヤギを食べる」と言ったらウケてましたが どうも向こうでも食べる地域があるよう。 ちなみに沖縄はついに羊刺しを提供するお店が出たそうです。
外資系スーパーに置いてる魚が地中海の魚なのか、たまに見覚えのあるやつがいる。たぶんイラブチャー。 買ったことはない。
夏の果物が馴染みのあるものが多くてうれしい。いわゆるトロピカルフルーツ
グアバなんて沖縄では嫌いだったのににおいが懐かしすぎて買ってしまった。
ドラゴンフルーツがお高い。
服 ムスリムの女性は基本髪、肌、体のラインも出しません。 先生方もほとんどマントみたいな服着てる。 若い人ほどカジュアルな感じ。ストリート系?ボーイッシュ系?が多い印象。 最近の人だとビリーアイリッシュみたいな? 沖縄の、しかも中部で育った人間なのでめちゃくちゃ気を遣う。 とはいえ、首都に行けばZARAもH&MもあるしSHEIN?も使ってるらしい
伝統衣装は詳しい人に言わせるとヨルダンもパレスチナも地域によって違いがあるらしく この模様と色はどこの服 というのがわかるらしい。
その辺は沖縄の染織と似ている。
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2024年4月16日
広島「原爆の日」の平和記念式典 ことしもロシアとベラルーシを招待せず ウクライナ侵攻理由 「広島訪問できる日を心待ちに」との書簡は来月送付へ(RCCニュース) 2024年4月16日
ことしの「原爆の日」の平和記念式典をめぐる動きです。広島市は3年連続で、ロシアとベラルーシを招待しない��とが分かりました。
広島市はことし8月6日の「原爆の日」に開催する平和記念式典で、ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチン大統領に、式典への出席を求める招待状を出さないことを決めました。
またロシアを支援するベラルーシも招待しないということです。ロシアとベラルーシの招待を見送ったのは、2022年の式典から3回目となります。招待しない理由として「日本の姿勢に誤解を生じさせないため」としています。
広島市は両国に招待状を出さないかわりに「紛争が終わり、広島を訪問できる日が来ることを心待ちにしている」という内容の書簡を、5月中に送る予定だということです。
ガザ地区への侵攻を続けるイスラエルには、招待状を出す方針です。
広島市は去年の式典で、核兵器保有国など世界167か国とEUに招待状を送っています。
会見する広島市の松井一実市長=2024年4月24日午後1時38分、広島市中区、魚住あかり撮影
「ダブルスタンダードではない」 8・6式典の招待国めぐり広島市長(朝日新聞 4月24日)2024年4月16日に追記
8月6日の平和記念式典で、ロシアとベラルーシの代表の招待を見送る広島市の方針について、松井一実市長は24日の定例会見で「式典の円滑な挙行に影響を及ぼす可能性がある」と理由を説明した。パレスチナ自治区ガザ地区で戦闘を続けるイスラエルの代表は例年通り招待するといい、「ダブルスタンダードではない。式典をちゃんとやりたいという立場だ」と強調した。
市は、ウクライナへの侵攻を理由に、ロシアと同盟国ベラルーシの招待を3年連続で見送る方針を明らかにしている。市民活動推進課によると、ウクライナを支援する国が参列を見送る可能性などを懸念したという。
松井市長は会見で、「一方の戦闘は容認し、もう一方は容認しないという風に見えるのでは」との質問に対し、「それは受け止める方の意思ですから、私としてはどうしようもありません。片方の戦争が良くて、片方の戦争が悪いとは一言も言っていない」と説明した。その上で「ダブルスタンダードは取っていない。(広島市は)平和都市です」と話した。(魚住あかり)
2016年、イラク・バグダッドで取材中の綿井健陽さん(本人提供)
戦地取材に冷淡になった日本 問われるべきは「なぜ行かないのか」(朝日新聞)2024年4月16日
戦場など危険地での取材が、日本では冷ややかな視線を浴びがちだ。拘束されても「自己責任」と批判されたり、国にパスポートを奪われたり。紛争地取材の経験が長い綿井健陽さんは、このままでは報道界全体で戦争取材が先細りしかねないと懸念する。なぜジャーナリストは現場に入る必要があるのか、市民の理解をどう得ていけばよいのか、あらためて聞いた。
ガザ住民の声を直接取材できないもどかしさ
なぜ戦場に行くのか。紛争地取材を始めて以来25年間、何度も投げかけられた問いです。その言葉の裏には「なんでわざわざ……」という批判が張り付いているとひしひしと感じます。
欧米のジャーナリスト仲間に聞くと、いかに危険であろうと現場に赴くのは職業上の「ベーシック・デューティー(基礎的義務)」だと言います。なぜ行くのかではなく、本来問われるべきは「なぜ行かないのか」だからです。
現在イスラエルから激しい空爆を受けているパレスチナ自治区ガザは、外国メディアがほぼ入れず、殺戮と悲惨な被害の報告は、住民やパレスチナ人ジャーナリストが伝えるものに限られます。これほどまでに現場に入れない、肉声が直接聞きとれない戦場はまれです。読者・視聴者が望む真実に迫れないことに、多くの同業者がもどかしい思いを抱いています。
後藤健二さんをたたえたオバマ大統領
記者が紛争地で拘束されると、日本では「迷惑」「自己責任」とバッシングがたびたび起きてきました。現場入りにここまで批判的な視線が注がれるのは、日本特有の現象です。2015年に後藤健二さんが「イスラム国(IS)」に殺害された際、自民党副総裁は「政府の警告にもかかわらずテロリストの支配地域に入ったことは、どんなに使命感があったとしても、蛮勇」と批判しましたが、オバマ米大統領(当時)はその功績をたたえました。フランスでも14年、シリアで拘束されていた4人の記者が帰国した際、オランド大統領(当時)が直々に出迎えています。
それでも、かつては日本でも、記者が現場に行くのは当然という共通認識がありました。ベトナム戦争の取材で命を落とした十数人の記者たちに当時バッシングがあったとは、聞いたことがない。2004年にイラクで日本人人質事件が起きた後、サマワの自衛隊宿営地にいた組織メディアの日本人記者の多くは業務命令によって退避しましたが、この時はむしろ、現場を引き揚げることへの批判の声がかなりありました。
しかし第2次安倍政権以降、紛争地取材の環境は様々な意味で悪化しました。
外務省は15年、日本新聞協会などに「いかなる理由であっても」との強い言葉でシリアへの渡航自粛を要請し、新潟市のカメラマンにはパスポート返納命令を出しました。世論調査では、この措置を8割もが肯定しました。ある全国紙が行ったシリア北部の現地取材を、他紙が批判的に報じる事態も起きました。
危険地取材への市民の厳しい視線が、取材の機会を減らし、メディア間の分断をもたらし、報道の独立をも脅かしています。安田純平さんらに対する旅券発給拒否も、憲法が保障する移動���自由への侵害であり、本来はメディアが一丸となって抗議すべきことですが、そうした動きはありません。
「自己責任」で現地入りするフリー記者たち
このところテレビや新聞で「安全な所から中継しています」「許可を得て撮影しました」といったテロップやただし書きをよく見ます。視聴者や読者の批判を受けてのリスク対応でしょう。こうした流れの中で、フリーランス記者がテレビ局や出版社と事前契約して戦争取材に行くことも、ほとんどなくなりました。
私たちフリーは、取材の成果を帰国後に買い取ってもらえるか不明のまま、資金面での不安も抱えつつ、まさに自己責任で現地に行かざるを得なくなった。ウクライナはメディアが入りやすかったため例外的に報道量は多かったものの、海外ニュース枠や媒体はこの十数年でどんどん減っており、このままでは日本の報道界全体で紛争・戦争取材が細っていきかねません。
2月中旬から1カ月間、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区を取材しました。ほとんど報道されていませんが、そこではガザ同様、イスラエルによる暴力や破壊が続いています。敵対する兵士やユダヤ人入植者が間近にいることでパレスチナ人が日々感じている恐怖や不安は、その場に自ら立ってみて初めて実感できることです。
イラク戦争でも空爆の最中にバグダッドで取材しました。いつ頭上からミサイルや爆弾に襲われるかわからない恐怖は、まさにイラク市民が感じていたことです。
真実は、虫の目と鳥の目と多くの人の目という「複眼」によってようやく浮かび���がるものです。
ましてや北朝鮮やサウジアラビアなど表現の自由がない国では、住民の生の声が伝えられることも少ない。隠し撮りなど場合によっては現地法に背く手段を用いてでも、その声を世に知らせるのが報道の役割です。
外国メディアや現地の人のSNSの情報で十分だ、という声がありますが、アラブの人たちは概して親日的で、日本人だからこそ深い取材ができるメリットがあります。彼らは広島・長崎に原爆を落とされた歴史に自らを重ねており、日本の外交政策も強い関心を持ってウォッチしています。
また、ウクライナ戦争が典型ですが、日本人が伝えるからこそ国内の関心が高まるという側面もあります。イラン・イラク戦争は死者100万人ともされる悲惨な紛争だったのに、印象が薄いのは、日本人記者による報道の蓄積がほとんどないせいだと考えられます。
現場取材が消えれば、国民の知る権利が侵される
ジャーナリズムは国民の知る権利に奉仕するために存在し、民主社会に不可欠なものです。弁護人がどんな凶悪犯罪の被告であってもその人権を守るため全力を尽くすように、たとえ批判を受けても取材を続けるのがジャーナリストの職責です。
でもそんな「正論」も世に受け入れられなくなっているなら、市民の理解と支持を得る作業に報道人は取り組まねばならない。そのためには自己検証も必要です。
これまで紛争地で記者が命を落としたり拘束されたりしたケースでは、安全対策や判断上のミスがあったのも事実です。非難やバッシングではなく、それを検証し、組織人かフリーかという垣根を越えて共有していく作業が求められています。
04年に主要メディアが引き揚げたイラク・サマワでは、「非戦闘地域」でありながら「戦闘」「銃撃戦」が繰り広げられ、帰国後に自衛隊員20人以上の自殺者が出るほど過酷な「戦地」の実態が、10年以上経ってから明らかになりました。
これはまさに、ジャーナリストが現場にいなかったことによって、国民が真実を知る機会を失った最たる例です。(聞き手・石川智也)
わたい たけはる 1971年生まれ。98年からアジアプレス・インターナショナルに参加。イラク戦争報道でボーン・上田記念国際記者賞特別賞。映画に「リトルバーズ イラク戦火の家族たち」、共著に「ジャーナリストはなぜ『戦場』へ行くのか」など。
コメントプラス
白川優子(国境なき医師団看護師)【視点】 「なぜわざわざ紛争地に?」 このような質問や疑問を投げかけられたり、顔の見えない人達からのバッシングはネット上で何度も受けています。
「なぜ?」と聞かれると、私はいつもこのように思うのです。「なぜ?ってどういうこと?私たちと同じ地球に住む人々がこんなに酷い目にあっているのに」と。
「紛争地」や「戦場」がキー���ードなのではなく、「人道危機」に視点を当てていて、これはおそらく、ジャーナリストの方たちにも共通しているのではないかと思います。
国境なき医師団は、もともと医師とジャーナリストによって設立されています。医療だけでは命を助けられないと知っているため、「証言活動」も私たちの活動の使命の1つとしているのです。私たちは声を上げることのできない、弱い立場の人たちの言葉を、実際にそれを見ている証言者として、世界中にその状況を知らせています。
世界に知られてしまっては都合の悪い真実であったとしても、理不尽な暴力などの人道危機に陥っている人々のため、世界に向けて抗議の声をあげることもします。そうすることで、国際社会を巻き込み、問題解決の方向へとつなげて、より多くの命を救おうと考えています。
その背景には、ビアフラ戦争で活動をしていた医師たちの経験にありました。この内戦で市民も巻き込まれ、軍の包囲によって食料補給路を断たれ餓死を含め200万人が命を落としました。この事実を、世界に向けて公に批判した医師たちがいたのです。国際赤十字のルールであった沈黙のルールを破った行動で、この声は国際社会の反響を呼びました。この医師たちが後に国境なき医師団を設立しました。
そして1999年、国境なき医師団は、独立・中立・公平の原則とボランティア精神に深く基づく医療・人道援助活動と、活動の現場で目にした人道危機を社会に訴える証言活動を続けてきた実績が認められ、1999 年にノーベル平和賞を受賞しています。
私が国境なき医師団に応募するきっかけとなったニュースです。この時の受賞スピーチの場では、当時、無差別爆撃を受けていたチェチェンで目撃した惨状を証言しました。また、「言葉が常に人命を救えるわけではありませんが、沈黙は確かに人を殺し得ます」と訴えています。
現場に行き、その実態を世間に伝えるという行動は、確実に国際社会では認められることです。一体どのような背景があるのかは分かりませんが、なぜか日本では紛争地に行くとバッシングを受けるという風潮が根強いのは事実です。
なので、なぜ現場に行くのか、その理由や意義をきちんと説明し、日本社会に理解してもらうことを含めたところまでが、私たちの役割と考えたほうが良いのかも知れないと思いました。
SoftBank 3G、Xでトレンド入り--「停波の瞬間」見届ける投稿相次ぐ(CNET Japan)
ソフトバンクは4月15日、令和6年能登半島地震で被災した石川県を除く全国で、第3世代移動体通信サービス「3G」を停波した。翌4月16日の未明、SNSのX(旧Twitter)では「SoftBank 3G」がトレンド入りし、3Gサービスが停波していく様子を実況する投稿が相次いだ。
Xでは 「4:09で停波確認@都内西部」「この投稿ができていればSoftBank 3Gは停波していない」「4時22分、完全に圏外になりました」などの停波報告があった。一方「なかなか停波しない」「3時を迎えたがまだ止まらない」「SoftBank 3G探しの旅に出ます」などの投稿もあった。
ソフトバンクの3Gサービスは、当時のボーダフォン日本法人が「Vodafone Global Standard」としてサービスを開始。後に「Vodafone 3G」へとサービス名が変わり、ソフトバンクのボーダフォン買収に伴ってSoftBank 3Gへと名前を変えた。現時点ではより高速な第4世代移動体通信「4G」や、第5世代移動体通信「5G」が普及していることから、周波数の有効活用を目的に3Gは停波となった。
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2024-02-26
前期日程の個別試験を昨日受けて、今日は休みなので録画しておいた「アラビアのロレンス」を見た。中学生の時に、図書室にあった本「世界の歴史 22 アラブの覚醒 」でロレンスという人物を知って以来、長い間見たいと思っていた映画だった。(※以下、映画の内容を含む)
前半はベドウィン達と共に戦い、活躍していたが、後半に絶望で狂っていく主人公を見せられて、単純に冒険映画として楽しもうとしていた私はすっかり悲しくなってしまった。病院の劣悪な環境に怒って、アラブの服装をしたロレンスを勘違いをして叩いたイギリス人の軍医が、後に、軍服を着て帰国しようとしているロレンスを褒めて握手をするという皮肉な場面が、何故か強く印象に残った。 作中でもそうだったが、ロレンスは評価が分かれる人物のようなので、彼について詳しく知りたくなった。今はまだ十分な時間がないが、後でヨルダンの歴史家が著した本「アラブが見たアラビアのロレンス」を読んでみたいと思った。
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絆を求めるというのは人の生来的な欲求であると言えるし、絆というのは、人々の共感や共通の理解の上に成り立つ信頼関係のことだとも言える。言葉も、話してる本人にしか理解できないオリジナル言語みたいなのは言葉として成立しないし、あくまで共通の理解や共感の上に成り立つものだと言える。 ギリシア神話に登場するトロイア(イーリオス)の王女カッサンドラは、ゼウスの息子で詩歌や音楽の神であるアポローンに愛され、アポローンの恋人になる代わりに予言能力を授かったが、その瞬間、アポローンの愛が冷めて自分を捨て去ってゆく未来が見えてしまったため、アポローンの愛を拒絶する。憤慨したアポローンは、カッサンドラの予言を誰も信じないようにという呪いをかけた。カッサンドラは、トロイア戦争において、トロイの木馬を市民が市内に運び込もうとしたとき、それはトロイアの破滅につながると予言し抗議したが、誰も信じなかった。 カッサンドラ(カサンドラ)の名は、ある人が正当な不安や警告を発しても、それが他人に信じてもらえない現象を指す比喩として、「カサンドラ症候群」「カサンドラコンプレックス」「カサンドラのジレンマ」などの形で使われる。こうした比喩としてのカサンドラの現象は、絆の喪失あるいは奇妙で有害な絆の形成が要因だと考えられ、いわばこれがアポローンの呪い���あたる。絆を失ったり歪めたりしてしまうと、言葉が通じなくなってしまう。 情緒的な絆の形成やその過程のことを心理学の用語で「ボンディング」(ボンドでくっつけること)というが、例えばストックホルム症候群のように被害者が加害者に対して心理的なつながりを築くこともボンディングであり、また、集団心理は、個人間の心的相互作用の集合過程を通して形成されるという意味でボンディングによく似た概念である。 「カサンドラ症候群」などの言葉は、危機感や不安を煽ることやヒステリー、あるいは異なる見解を排除することを正当化するためのエクスキューズとしても多々使われる。科学的に正しいと主張して危機を予言し、異なる見解を持つ人たちを散々バンした後で、最初から特に根拠もなかったし予言も外れたけど、警告は正当なものだったし、予言がはずれたのは耳を貸さなかったやつらのせい、みたいなことを結構真面目なメディアの記事にしたり、破滅的な予言がはずれたのって良いことじゃないかとか、せめて謎にバンされてるやつそろそろ解除してやれみたいなツッコミに対してヒステリックにブチギレて喚き散らすショート動画をアップすることを正当化し、バンされた人や陰謀論者とか差別者とかナチスとか散々なレッテル貼られまくってる人たちじゃなく私こそが悲劇の予言者カサンドラだみたいな感じで、予言を続けている。 同じように、心理学の用語などが歪んだ形で用いられることが、ここ数年の間、多かった気がする。医学や政治や経済などの課題をそれぞれの分野の人が語るが、どれもほとんど心理的というか、てかおまえのメンタルどうなってんだ的な言い合いになってしまい、どれも何言ってんのかよくわからないまま次に移る時間になぜかなるため、とりあえず何か心理学っぽい用語を使ってエクスキューズしたり、いやわからないやつの方が何かの障害だろみたいなノリになっていく。 また新しい話題が出てきて、また改めてどっち派かで区分されたそれぞれやあくまで中立とか現実主義とかのグループ名の下に集まった人たちが、またせっせとボンディングするというのがまた始まった。二週間後はニューヨークになるとか、バイデンは外交のプロだみたいな、異常に頭が悪いがなぜかボンディングとして機能していたものの賞味期限が切れ、新しいのに付け替えようとしている。闇の支配者とかが意図した通りかどうかはともかく、団結や連帯という言葉を掲げた分断になっているという意味で皮肉であり、絆を強く求めるが故に共感や共通の理解の形成をすっとばす形で同調してしまうため、信頼関係のない絆というような奇妙で歪んだものに支配されてしまうという意味でも皮肉である。 皮肉っぽく並べると、「プロジェクトカサンドラ」というアメリカの麻薬取締局(DEA)によるヒズボラの資金源の調査が再開したという2017年の報道の後に、こうしたナルコ��ロレジームって何なんだとか、エジプトのモルシ政権って何だったんだとか、アラブの春やカラー革命って何だったんだということについて何となく疑問などを交換していたことで、はっきりしたことは全くわからないままだし意見も立場も様々でオールドスクールな陰謀論からふざけたいだけなのまで色々あるが、何となく共通の理解や共感を形成したことがあるという経験が、メディアの煽りに釣られるだけでもなく、現実を忘れるための趣味の世界に籠るだけでもなく、ボンディングジャンキーにもならない形で、これまでの会話を続けられる心理的な場を維持することに役立っている。
絆(ボンディング)は、自分と他者との関係だけではなく、自分自身の中の複数の考えだったり、例えば「昨日までの自分」と「今の自分」を結ぶものでもある。他者との絆を守るために自分の考えの多くを放棄するというのも辛いし、自分自身の考えのいくつかが互いに矛盾しあって拮抗している状態も辛い。こうした葛藤は常に起こっているか起こり得る状態にあるが何となく調停されていて、その調停の結果や調停の仕方が絆である。ただ、自分の中にある考えとは言っても、それらを同時に見ることも、それらがどうやって調停されたのかも見ることはできない。人が認識できるのはあくまでその時の特定の視点から特定の見方で見たものである。 遠近法に従った絵画で描かれている風景は常に画家の視点に相関的であるのと同様に、世界は常に特定の視点から特定の見方によってしか見られえないものであり、いかなる視点にも限定されない絶対的な世界認識などはありえないという考えを「パースペクティビズム (遠近法主義)」という。絶対的な世界認識(知性)の獲得は不可能だとする考えであり、まるで神にでもなったかのように自分が絶対に正しいと主張したり複数の場所に同時に存在するのはとりあえず何個か予言を当てたり千里眼を発現させたとしても頭ヤバいという考えでもあり、「反知性主義」ともいう。 19世紀にニーチェがこのパースペクティビズムを説きつつ、これを大衆民主主義に与えられた病名として「眺望固定病」と呼んだ。眺望固定病とは、自分自身を尺度として、自分の支配に好都合な価値をあたかも普遍的で客観的なものとして世界を見てしまうことを言い、価値観の押し売りなどがよい例だという。この眺望固定病に陥っているからこそ我々は「力への意思」を認識できないのだと説いた。しかしそれ以外の見方はなく、余裕ぶっていられる間だけ謙虚なふりができる程度だ。言い換えると、本当の考えあるいは自己は絶えず流れている動的なもののはずだが、それのほんの一部でたまたまその時に見えるものを、しかも固定させてしまわなければ見えない。ニーチェはこれを乗り越えようとして「永劫回帰」や「超人思想」の概念を提示したものの未完に終わる。 遠近法という絵画技法の名がついていることもあって、この考えは19世紀末から20世紀前半の画家に大きな影響を与え、それぞれが自分なりの解釈で取り入れようとした。遠近法を無視した絵画が注目されるのもこの時期である。ジョルジョ デ キリコも青年期にニーチェの思想に傾倒し、そうした思想を1910年代に「形而上絵画」として提唱した作品に落とし込んだ。形而上絵画は、遠近法における焦点のずれにより、見ている人に自分がここと数歩離れた場所、同じ建物の1階と2階などに同時に存在してしまっているような違和感を感じさせ、なぜか静謐や郷愁、幻惑や不安などを感じさせるという特徴をもつ。後にシュルレアリスムにおいて「デペイズマン」と呼ばれる手法が用いられている。 「デペイズマン」は、「人を異なった環境に置くこと」転じて「居心地の悪さ」「違和感」「気分転換」を意味するフランス語で、美術用語としては、あるものを本来ある文脈から別の場所へ移すことで違和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念を指す語として1920年代に用いられるようになった。同じ1920年代にドイツの新即物主義で使われるようになった「マジックリアリズム」にも似た概念で、技法的にも互いに影響を与え合っている。また、1910年代のロシアフォルマニズムにおける「異化 (慣れ親しんだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法)」とも似た概念である。 シュルレアリスムは「オートマティスム(自動筆記)」という概念を重視し、「フロッタージュ(表面がでこぼこした物の上に紙を置いて鉛筆などでこすって模様を写し取ること)」や「デカルコマニー(2つ折りにした紙に絵具を入れて再び紙を開いて偶発的な模様を得ること)」などといった、いわば「描かない手法」を考案する。「描く手法」としてのデペイズマンは、デ キリコの1910年代の形而上絵画の影響のもとにほぼ成り立っている。 オートマティスムは、意識の介入を排除して無意識を表出させようという試みであるのに対し、絵を描くという行為やイメージ化は意識が必ず介在するというか意識そのものであるため、絵画のオートマティスムはそもそも不可能だとする考えはシュルレアリスムの運動開始当初からあり、これに対して、筆記や読むという再現行為なども思考の固定化だし意識化であって、そもそも矛盾があるのではないかという思想対立があった。 デ キリコはシュルレアリスムが始まったすぐ後に呼びかけに応じる形で参加するも、その時にはすでに古典的技法を一から学びなおして古典に回帰しようとしていた。すぐに思想的な違いが露わになり、1926年には決別を表明する。シュルレアリストたちは古典に回帰したデ キリコを非難した。 シュルレアリスムを創始したアンドレ ブルトンには、この芸術運動を共産主義革命運動に連動させようという意図があった。シュルレアリスムの実質的な活動期間は、レーニンが死去した1924年から第二次世界大戦が始まる1939年までで、ブルトンはトロツキーに感銘を受けていた。シュルレアリスム運動は共産党からの厳しい批判を受けていたがブルトンは共産党に入党したり、思想な���の本質的な違いのために結局離れることになったりと紆余曲折する。この間にシュルレアリスムの運動から離れたものも多く、また、ブルトンは特に1930年代後半にエルンストやダリといったシュルレアリスムの代表的な芸術家の多くを除名した。ブルトンは1938年に、メキシコの画家でメキシコに亡命中のトロツキーと一時期愛人関係にあったフリーダ カーロをフランスに紹介し、カーロと交友関係のある芸術家たちと連携して運動を一新しようとするも、第二次世界大戦の勃発により実質的な運動は終わる。ブルトンはニューヨークに亡命し活動を続けたが、1940年にトロツキーが暗殺され、精神面での支柱を失う。 ブルトンがダリを批判し除名する際にも使った「ファシスト的思想」という言葉は、トロツキストが対立する相手を攻撃する際にとりあえず「差別者」や「ファシスト」と呼ぶというのをほぼ手法として確立していたというのもあるが、「描くデペイズマン」を指してもいた。描くデペイズマンは、デ キリコからの影響を介する形でニーチェの思想の影響を受けていて、トロツキストのみならず共産主義者は、特にナチスが政権をとった1933年以降、ニーチェの思想をナチスの思想だと解していた。
ファシズムも共産主義も全体主義も、イデオロギーという強力な絆によって人々を一つに結びつけるものである。 ロシアフォルマリズムが「異化」という手法を用いた目的であり、おそらくは形而上絵画もデペイズマンもマジックリアリズムも同様の目的で用いられただろうとされるその目的とは、知覚の「自動化」を避けるということである。イデオロギーやなんやかんやですぐに自動化してしまう知覚や自動化状態にある事物を「再認」するのではなく、「直視」することで「生の感覚」を取り戻すことである。
2023年11月 エト クイド アマボ ニシ クオド エニグマ エスト?
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致命的なウイルスは 鳥インフルエンザ 野鳥によりよく適応しており、中国からヨーロッパや北アフリカに移動しており、 香港大学 (HKU)主導の研究はこれを「環境災害」と呼んでいる。 オーストラリア、エジプト、フランス、アラブ首長国連邦、米国の研究者で構成された研究チームは、最近の流行はH5N1ウイルスの震源地がアジアを超えて広がっていることを示唆していることを発見した。 査読誌ネイチャーに掲載された論文の中で研究者らは、このウイルスは野鳥個体群でもより残留しており、新種の進化と蔓延を促進し、世界中の海洋哺乳類と陸上哺乳類を危険にさらしていると述べた。 「2021年11月以来、このH5N1ウイルスは5大陸の多様な野鳥種で前例のない大流行を引き起こし、野生の肉食動物、ミンク農場、海洋哺乳類における偶発的感染の大幅な増加を引き起こしている」と研究者らは述べた。 筆頭著者で香港大学病原体進化研究所所長のヴィジャイクリシュナ・ダナセカラン氏は、中国に対し、国内の鳥インフルエンザ感染に対するワクチン接種プログラムを継続することで、ヨーロッパから到来するウイルス株を警戒するよう求めた。
鳥インフルエンザがヨーロッパ、アフリカから蔓延する中、中国の「最大の防衛手段」は家禽ワクチン | サウスチャイナ・モーニング・ポスト
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戦争と私
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ハマスとイスラエルの衝突がニュースになっていますね。歴史を遡るとイギリスがアラブ、フランス、ユダヤに配慮し矛盾した約束の結果が尾を引いている印象です。
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ロシアとウクライナの戦争も一向に終わる印象がありません。それどころか北朝鮮がロシアに対して本格的に武器提供を始めたそうですね。
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日本でも上司から言われたことでさえ“NO“と言えない人が多いのですから国際社会でも喧嘩出来ずに穏便に済まそうとして“YES“を言ってしまいそうですね。
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そう言えばロシア語での“YES“に相当する言葉は“Да“で発音は「ダー」でしたね。でも日本人にとって馴染みの深い「ダー」と言えばこちらです。
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と言うわけで本日のランチは #いちにぃさん #いちにぃさん日比谷店 です。同僚がさっぱり目というオーダーでしたので #黒豚ねぎしゃぶ を求めてやって来ました。
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自分は黒豚小どんぶりのセットにしました。以前はカレッタの店によく行っていましたが、そちらは閉店したと聞き、有楽町まで散歩がてらやって来ました。
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まずは #黒豚味噌 です。甘みがあって、豚のコクも加わりビールが欲しくなる味です。丼の方はいわゆる豚肉を玉子でとじた #他人丼 です。
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おつゆの感じが甘みもあって玉子のやさしさと、柔らかい #豚肉 の食感とお肉自体がもつ甘みもあって最高の丼です。
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そばは、ぱつっとした感じのやつをキリッとした味わいのつけ汁でいただくのがシンプルで美味しいですね。
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そしてたっぷりの生野菜もドレッシングが美味しいです。あれこれ楽しめていいセットでした。また思い出したらランチに来たいなと思います。
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#日比谷ランチ #日比谷グルメ #日比谷定食 #日比谷和食 #有楽町ランチ #有楽町グルメ #有楽町定食 #有楽町和食 #とa2cg
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サルトルの『アルトナの幽閉者』
原則として(?)自分が読んだ本のことをここに書くことはないのですが、サルトルの『アルトナの幽閉者』について書くことにします。
私はサルトルに特に思い入れはありません。カミュとの絡みでサルトルの小説や戯曲を少し読んだだけです。政治的哲学的著作は全くと言っていいほど読んでいませんし、そもそもカミュ・サルトル論争はカミュの方が正しかったと思っています。
ただ『蝿』、『出口なし』、『恭しき娼婦』については、それぞれ論文を書いたことがあります(『出口なし』は大竹しのぶ、多部未華子、段田安則出演の舞台を、『恭しき娼婦』は奈緒、風間俊介出演の舞台を見ています)。サルトルの戯曲は面白いし、サルトル入門にはうってつけだと思っています。
今回なんとなく、本当になんとなく『アルトナの幽閉者』を手にとって久しぶりに読んだのですが……ひどい! これはひどすぎます。
「アルトナ」というのはドイツの都市の名前です。この街にヨーロッパで有数の造船会社社長の邸宅があります。住んでいるのは父親と息子ヴェルナーとその妻ヨハンナ、それに娘のレーニです。
父親は喉頭癌にかかっていて余命いくばくもありません。彼は息子のヴェルナーを次期社長に指名します。しかし、ヴェルナーも妻のヨハンナもそれをよしとしません。ヴェルナーはもともと弁護士で、兄のフランツがアルゼンチンで死んだために急遽呼び戻されて、父親の会社で働き、父親の家に住んでいるのですが、家を出てもう一度弁護士に戻りたいと考えています。
物語が進むにつれて、フランツは実は生きていて、邸宅の2階のある部屋に閉じこもっていること、妹のレーニがフランツの世話をしていること、そればかりかフランツとレーには肉体関係を持っていること、父親は自分の死後、ヴェルナーとヨハンナにフランツのことを託したいと考えていることがわかってきます。
物語の中心は、フランツがなぜ閉じこもっているのかにあります。
それに対する最初の答えは比較的すぐに出ます。第二次大戦中、父親はナチに迎合して自分の地所を強制収容所建設のために提供しました。それが気に食わないフランツは強制収容所から逃げてきたユダヤ人を匿いますが、熱烈なナチ支持者のお抱え運転手にそれを見られてしまいます。
父親はフランツを庇うためにナチの幹部にユダヤ人のことを話します。すぐに軍人が現れ、脱走したユダヤ人を殺害します。フランツはユダヤ人を匿った罪を不問にするための条件としてロシア戦線に出征することになります。
戦後、フランツはなんとか生きて帰宅します。街には大勢のアメリカ兵が住んでいて、妹のレニーは彼らを誘惑し、ベッドに入る瞬間に「私はナチよ」と囁いて揶揄っています。
私はまずこれがよくわかりませんでした。レニーの悪魔的な性格を表すエピソードなのかもしれませんが、なぜそんなことをするのでしょう。そんなことをしてやばいことにならないのでしょうか。
実際あるときやばいことになります。怒ってレニーに襲いかかったアメリカ兵をフランツが殴り傷害事件になります。父親はここでもフランツを守るため、アルゼンチンに行かせようとします。
しかし、フランツは2階の部屋に閉じこもり出てきません。仕方がないので父親は金にものを言わせて、フランツはアルゼンチンに行��、そこで死んだということにします。
以来13年にわたってフランツは部屋に閉じこもっているわけですが、もちろんそれだけが彼の「幽閉」の理由ではありません。
フランツは彼の元を毎夜訪れ、おそらくは肉体関係を結ぶようになったヨハンナに戦場での出来事を話します。
フランツが所属していた隊は多くの犠牲者を出し、上官が戦死したため、フランツとその同僚とが指揮を取らねばなりませんでした。あるとき彼らは二人の農民を捕まえます。どうやらパルチザンのようです。
粗暴な曹長は彼らを拷問にかけて情報を引き出そうとします。フランツの同僚は拷問はしたくないと言います。決定権を握ったフランツは拷問はしないと決めた、しかしそのために部隊はパルチザンに襲われ、フランツを除いた全員が戦死したと、フランツは言います。
フランツは善意の人ですが、その善意ゆえに仲間の兵士たちを死なせてしまったというわけです。
しかし、話はそこで終わりません。
なるほど、そういうわけか。まあわからなくはないけれど……と思っていたら、フランツは突然、実は自分は拷問をした、そればかりか他の村人まで拷問にかけたと言い出します。
え?
フランツは村人の命を取るか、仲間の兵士の命を取るかの選択を迫られ、仲間の兵士の命を取り、村人たちを拷問にかけた。彼らがパルチザンだったかどうかはわからない。いずれにせよ誰も口を割ることはなかった。
彼は無実かもしれない村人を拷問しただけで、それは何の役にも立たなかった。仲間の兵士を救うことはできなかったーーというわけです。
そうか……それがトラウマになり13年間閉じこもっていたわけか。
うーん、それってどうなんだろう。わかるような、わからないような……
この芝居の初演は1959年ーー私が生まれた年ですが、フランスではアルジェリア戦争真っ盛り。アルジェリアでフランス人たちがアラブ人を拷問にかけることが社会問題になっていて、サルトルはそれを念頭に置いてこの芝居を書いたのではないかと言われていますが、そう言われてもなあ……
それならなぜ敗戦国であるドイツを舞台にしたのでしょう。
私自身は当初、戦勝国であるフランスの作家が敗戦国ドイツを舞台に芝居を書いたのは面白いと思いました。同じく敗戦国である日本人にとって特別な意味を持つ芝居になるかもしれないと思いました。
現にフランツはドイツの崩壊を望んでいます。実際にはドイツは戦後目覚ましい��興と発展を遂げています。しかし、フランツはそれを知ろうとしません。
彼は敗戦によりドイツ国民は飢えていること、多くの戦災孤児が死んでいっていることを望み、天井裏に住んでいるはずの未来人、30世記の蟹たちに自分たちのしたことを証言しようとしています(なぜ「蟹」なんでしょう。サルトルはLSDの服用実験をした際、蟹の幻想を見て、それ以来蟹が大嫌いだったようですが……)。
自分たちの時代が無罪ならば自分も無罪である、逆に自分たちの時代が有罪ならば自分も有罪である、その場合はドイツも自分も罪を背負って滅びねばならないということなんでしょうか。
そういう設定自体は面白いと思うのですが……これじゃあね。
フランツ以外の人物が何を望���でいるかもよくわかりません。
私は演劇学校で主任講師の辰さんこと島守辰明さんから「自分の演じる人物が何を望んでいるかがわかるような演技をしなければならない」と教わりました。その通りだと思います。
でも戯曲を読んでも、父親や妹のレーニや弟のヴェルナーやその妻のヨハンナが何を望んでいるかわかりません。
レーニはまだマシかな。彼女はフランツを自分だけのものにしたいと思っていて、ヨハンナがフランツと会うのを嫌がっています。それはわかるのですが、彼女がなぜ実の兄のフランツにそれほど執着するのかはよくわかりません。
ヴェルナーは……父親の権威に逆らえない男です。彼は一旦、父親から離れ、弁護士になりヨハンナと結婚しました。父親は長男のフランツに跡を継がせるつもりだったので、ヴェルナーは自由にさせていたということです。しかし、フランツが引きこもってしまったため、父親の命令で弁護士を辞めて父親の会社で働くようになりました。
フランツが生きていることを知ったヴェルナーは家を出て弁護士に戻りたいと言います。しかし、父親には逆らえません。彼は社長に就任します。会社はフランツが継げばいい、自分たちは自分たちの人生を生きようという妻の懇願に彼は耳を貸しません。
彼の気持ちはわからないではありません。彼はフランツが生きているとは知らず、父親の命令で弁護士としての自分の人生を捨てたのです。フランツが生きていたからといって、そうやすやすと元の人生に戻れるはずがありません。戻ってしまったら、自分の人生を捨てたのは何だったのか、彼のこの13年は何だったのかということになってしまいます。
彼は父親の命令に従い、自分の人生を捨てることを選択したのです。その選択が間違っていなかったと証明するには、社長の座にしがみつくしかありません。
それに対して、父親とヨハンナが何を望んでいるかは全くの謎です。
ヨハンナは終始一貫した夫のヴェルナーに家を出て弁護士の生活に戻ろうと言います。しかし、その一方でフランツに惹かれ、毎夜彼の元を訪れ、肉体関係まで持っているようです。
彼女はフランツに恋をしているのだと言われればわかりますが、そういう感じでもありません。
父親は父親で、フランツに会いたいと言ったり、会う必要はないと言ったり、そのときどきで言うことが変わります。変わっても構いませんが、最後まで本心が見えないのが困ります。
だから父親とフランツが自動車で家を出ていき自殺(心中?)するという結末も全く納得できません。
これって結局、イプセン風の家庭劇なんでしょうか。それならそれでもちろんいいのですが、そうもなっていないような気がします。
私は正直好きになれませんでした。
ネットで調べると『アルトナの幽閉者』は2013-2014年に新国立劇場で上演されたようです。演出は上村聡史。出演は岡本健一(フランツ)、辻萬長(父親)、吉本菜穂子(レニー)、横田栄司(ヴェルナー)、美波(ヨハンナ)。
舞台を実際に見ればまた違う印象があったかもしれませんが、見たかったような、見たくなかったような複雑な気持ちです。
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✿ ピタ | Pita ・地中海沿岸、中東、北アフリカなど広い地域で食べられている平たく円形のパン。生地の中は空洞になっており、半分に切ったピタに肉や野菜を挟んでサンドイッチのようにしていただくのが一般的です。紀元前2500年頃に中東で初めて作られたとされる世界で最も古いパンの一つであり、その名称はヘブライ語で「アラブのパン」、ギリシャ語で「パン」または「パイ」を意味します。
#pita#ピタ#pita bread#pocket bread#ギリシャ:パン#ギリシャ:ピタ#ギリシャ:ピタパン#ギロピタ#パン#ギリシャ:主食#主食#2020〜#food:ギリシャ#ギリシャ:2020〜#アラブ#アラブ:パン#アラブ:主食#サンドイッチ#ギリシャ
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2022年Wish List100 振り返り
今年も終わりが見えてきたのでまずはWishListの振り返り。〇が42個ってことでまあまあじゃない?一方ですっかり忘れていたものもけっこうあってやっぱり途中で振り返らないと意味ないよなとも思っている。
週記を毎週書く〇
ジムに月7回行く〇(仕事の繁忙月以外は行けたと思う)
体脂肪率24%目標×(なんとなく月1くらいで計ってて、5月に1度だけ達成してた。最近のトレンドは体重は減っているけど体脂肪率は上がっている...)
家でも筋トレをする×
筋肉・骨格について勉強する×
姿勢を良くする△(筋トレした翌日はやっぱり姿勢良くするの楽だよね)
泳ぐ×
MCU復習する×
スパイダーマンの実写を全シリーズ観る×(何も見てねぇ)
地方の映画館に行く〇
50カ国を目標に世界の映画を観る ×(ほぼ忘れてた)
今年上映される台湾映画は映画館で観る〇(全部じゃないけど、頑張ってホラーも観た)
台湾映画と歴史の対応表を作る△(作りかけ)
海外文学を買う(図書館と使い分ける)〇
買った本をちゃんと読む〇(全部じゃないけど例年よりまし)
読んだ本をリリースする〇
応援したい古本屋を見つける×
旅行先の本屋で本を買う〇
ガルシア=マルケスを読む△(着手中)
三島由紀夫を読む 〇(『金閣寺』)
ネタバレせず興味を引ける感想文を書く×(批評の本とか読んだけど実践できてないな)
本を快適に読める場所を���拓する×
新約聖書を読む×
コーランを読む×
月1でフィクション以外も読む ×(年間9冊でした。しかもビジネス系の本は読んでない!)
読書会に参加する×(友達誘ったので来年こそ)
寄付する×
台湾に行く×
香港に行く×
福岡で水炊きを食べる×
海外に行けなそうなら沖縄に行く×
飛行機に乗る〇
ロシア料理を食べる〇
チェコ料理を食べる×
バーに行く〇
フランス料理を食べる〇
素敵なビストロを見つける〇
魚料理を作る〇(イメージと違うけど鮭のパスタを作った気がする)
レイトショーを見てホテルに泊まる×
K5に泊まる×
行ったことのない県に行く〇(宮崎初上陸)
ホテルホッピングする〇
カフェ巡りをする×
建築を見に行く×
スタバのスタンプを貯める(どうせ飲むなら行ったことのない店で)〇
お酒を飲む〇
ハッピーアワーに行く〇
好きなお酒を探す×(去年よりはいろいろ試したけど見つかってはないね)
ワインについて学ぶ〇(学んだけど全然分からなかったね!)
スパ・ラクーアに行く〇
銭湯に行く×
美術館に行く〇(最後に滑り込み)
イチゴ狩りに行く〇
SUPをする〇
かき氷を食べる×
国内のナシレマッを食べる×
ナシレマッを作る〇(なんちゃってナシレマッ)
台湾料理を食べる〇
台湾華語を勉強する×
ラジオの英語講座を聞く×
英語の文法を復習する△
新しいTwitterアカウント作って英語を書く〇(ほぼ作っただけで○と言えるのかどうか...)
仕事の勉強にYoutubeを使う〇
仕事の分野外の勉強をする×
論文を読む×
何か目標の資格を探す〇
仕事外の勉強テーマを見つける×
はっきり挨拶をする△
コートを買う〇
アラブで買ったランプを使う〇
美顔器を買う×
ネイルシールする×
脱毛する×
足裏のメンテナンスに行く×
ボディクリームを塗る〇
ジム用のオールインワンを買う〇
枕を買う〇
快適な椅子を買う×
読書用の椅子を買う×
マニキュアを塗る〇
ネイルシールを買う×
机を片付ける×
部屋を片付ける×
会社で取ってる出版物をやめる〇
人に会う〇
サウナで整う△
資産運用する〇
好きな会社の株を買う×
週1で定時退社する△(繁忙期以外は概ね)
毎週仕事の予定を組む×
後輩に毎日話しかける〇(たぶん)
笑顔を意識する×
楽しそうでいる×
会って面白い人はどんな人か研究する×
学生時代の書類などいらないものは処分する×
着ない服は捨てて、今着る服を買う〇
部屋を借りる×
フィルムカメラを使う×
渋谷TSUTAYAを利用する〇
優雅な生活で復讐をする×
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