#ちっさい左官屋の親方
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構え��いるのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右���で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、���安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここを���ーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつもの冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で呼び鈴を押すと、次女の天野功子(のりこ、76)が出迎えてくれた。 まさの夫であり、功子の父である山崎兵八(ひょうはち)は静岡県の警察官だった。 昭和の冤罪・二俣事件は1950年1月、同県二俣町(現・浜松市天竜区)で発生した。就寝中の夫妻が刃物で刺されて死亡、2歳の長女が首を絞められ、11カ月の次女が母親の下敷きになり窒息死した。事件後、近所に住む18歳の少年が強盗殺人罪などで起訴され、一審、二審で死刑判決。その後に逆転無罪となった。 兵八は、現職の警察官ながら警察組織を敵に回し、拷問による取り調べがあったと告発、少年の刑事裁判で証言台に立った人物だ。告発は審理の終盤。巡査だった兵八は読売新聞社と弁護人に宛てて手紙を書き、「(少年は)犯人ではない。新憲法下今なお人権を無視した拷問により罪をなすりつけられたものだ」「江口捜査課長と紅林主任は少年に会った時の第一印象で“彼は犯人だ”と判定、証拠集めの指令を発した」などと記した。 告発前、妻のまさは「そこまでしなくても」と夫の行動に反対だった。夫は「(少年が)自分の子どもだったらどうする?」と妻に問い、固い決意を伝えた。 当時を振り返るまさの受け答えは、とても100歳過ぎとは思えないほど明瞭だ。 「はい、そう言われました。『もしか、この子が私らの子どもだったらどうするかね?』と。間違いないです」 兵八は、弱い人や苦しんでいる人を放っておけない性格だったらしい。夫について、まさはこう語った。 「お父さんにはものすごく、そういうところがあった。きっと、生まれるときからそういう性格を授かってきたんだよね。私も、人を陥れるようなことは絶対にしたくないと思ってね。困っている人には、ねんごろ(親切)にしてね。人が難儀してると『ああ、かわいそうだなあ』って、すぐ思っちゃうんだよね」 しかし、告発は一直線には実を結ばなかった。 二俣警察署の捜査本部で捜査に関わっていた兵八は法廷で「拷問による自白」と証言したにもかかわらず、一審の静岡地裁浜松支部は死刑判決を下す。それどころか、判決の日、兵八は偽証罪で逮捕された。 「正義」の代償は、それにとどまらず、家族もろとも路頭に迷わせる“仕打ち”へと進んでいく。 逮捕後、兵八は名古屋大学医学部の教授による精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断された。裁判では、証人出廷した警察署長が「変人」などと兵八の人格を否定。一審で少年に死刑判決が下ったことから「警察の捜査は正しかった」ということになり、判決に異を唱える兵八は異常者とされたのだ。 辞表を出すと、兵八は精神疾患という診断を理由に、運転免許証をはく奪された。警察を辞めた後は、家族を養うため、トラックの運転手になるつもりだったが、免許なしではそれもできず、他の仕事も簡単に見つからない。逮捕・投獄された兵八は世間の偏見の目にさらされた。 当時10代だった長女・児玉澄子(故人)の手記によると、家族は耐え難い苦しみを味わうことになった。 「父は職も地位も奪われて、仕事を探し、失敗し、書を���み、そして苦しみの多い日は母や私達に当たり散らした」「父母を助けなくては。新聞配達を始めた(のは)五年生の冬でした。学校を休んで早引きをして手伝った畑仕事」「冷たい近所の人たちの目、 幼い弟はいつもいじめられ泣いて帰ってきた。『ボクのおとうちゃんどうしてブタ箱にいるの?』 と…」「母の土方の荒れた手とあかぎれの足のひびわれ」(手記から) 苦難はさらに続く。 1961年3月には自宅が全焼した。報道では「火の不始末が原因」などと伝えられたが、当時中学生だった次女の功子は、火災の数日前、自宅の前で見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを覚えている。また、功子の弟は「火が出る前に半長靴の男が家から出ていくのを見た」と家族に話し、警察にも伝えた。ところが、警察では「半長靴の男」の目撃証言が、弟自身の火遊びをごまかすためだったのではないかと疑われてしまう。 当時を思い起こし、功子は言った。 「最後は、母の火の不始末にされてしまいました。弟に傷がつくよりはまし、ということで母が全てをかぶったんです……父は名誉を回復するため裁判に訴えることも考え、二俣事件の資料を集めていました。“放火”はその資料を灰にすることが目的だったとしか思えません」 火災の真相は今や確かめようもないが、兵八が裁判を起こせば、警察側は捜査の正当性を主張しただろう。兵八を「変人扱い」した者たちの「偽証」も問われかねない。そのようなタイミングで火災が起きたことは事実だった。 「ようやく、ほっかむりが取れた」 山崎まささん(右)、天野功子さん 二俣事件の上告審で最高裁は、死刑を言い渡した静岡地裁の原判決を破棄し、1958年1月に少年の無罪が確定した。 無罪への転機は、東京高裁が控訴を棄却(1951年9月)した後、らつ腕の弁護士、清瀬一郎(1884‐1967年)が弁護人に就いたことだった。清瀬は衆議院議長などを歴任した大物政治家。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)では東条英機の弁護人を務めた。 清瀬の無罪主張を受け、最高裁は2年余に及ぶ審理を経て「事実誤認の疑いがある」と原判決を破棄。その後の差し戻し審では、拷問によって警察の筋書き通りに自白させた供述の信用性が否定され、地裁、高裁とも無罪判決となった。筋書きと事実との矛盾が次々に明らかになり、検察は上告を断念、少年(逮捕当時)の冤罪は事件から8年を経てようやく晴れた。少年を犯人と決めつけ、筋書きに合う捜査しかしていない警察が再捜査に動くことはなかった�� 傍らに座る母・まさを見やりながら、天野功子が言う。 「少年の無罪判決が出たときに、母は『これでようやく“ほっかむり”が取れた』と言ったんです。ね、そうだよね? お父さんの疑いが晴れた時に言ったよね? それまでお母さんはずっとほっかむりして生きとったんだよね」 顔を隠す頬かむりをせず、堂々と外を歩けるようになったという意味だ。当時を思い出したように、まさが涙ぐむ。 「お父さん(兵八)が逮捕され、自分一人で子どもたちを守らなくてはいけなくなったときの不安や苦しさは、言うに言えません。本当につらい思いをしました」 兵八は2001年、87歳で他界した。 その4年前には『現場刑事の告発 二俣事件の真相』を自費出版している。告発に至る経緯については、次のように記されている。 「心の片隅で『お前は正義の味方ではないのか。警察は国民の生命財産を守るのが使命ではないか。立ち上がるのだ』と叫ぶ声が聞こえてくるのだった。片一方の隅では、『黙っていて見過ごすのだ。あと五年経てばお前には恩給もつくのだ。恩給だけで暮らしてゆけるのだ。何も正義ぶりをする事はない。寄らば大樹の陰。大きな(長い)物には巻かれろ、ではないか』と叫ぶ声が五体に響いてくるのだった」 島田事件対策協議会で、無実の男性救済を話し合う兵八(正面左から2人目)ら(鈴木昂さん提供) 兵八によると、二俣事件の取り調べで少年に拷問していることを薄々知っていた警察官は他にもおり、「少年は無実」と思っていた署員もいた。しかし、誰もが「見ざる聞かざる言わざる」となり、法廷では「捜査は正しかった」と偽証を繰り返した。 この“拷問”に関わった刑事の一人が、捜査チーム主任の紅林麻雄警部補だったとされる。紅林は二俣事件だけでなく、同じ静岡県で起きた1948年の幸浦事件(被告は死刑判決、後に無罪)、1950年の小島事件(無期懲役判決、後に無罪)の捜査に関わり、多くの冤罪を生んだ。1966年の袴田事件では、拷問まがいの取り調べで自白を引き出し、警察が犯行の手口を考え出し、それに合う証拠や証言をつくって自白を裏付ける、という同じ手法が使われた。 二俣事件など同時期に続発した冤罪事件が「袴田事件の源流」と呼ばれる理由はそこにある。 同じ時期に起きた島田事件(1954年、死刑確定後の89年に再審無罪)の支援活動に奔走した元高校教師、鈴木昂は「山崎兵八さんには支援集会で講演をお願いし、熱意にあふれる話に引き込まれた。袴田事件の支援要請にも応じておられ、尽力を惜しまない人だった」と話す。 兵八・まさの夫婦は3男2女をもうけ、それとは別に2人の子どもを養っていた。そのうちの1人は勤務先の警察署で補導された、身寄りのない男児だった。まさによると、兵八が「面倒をみてやってほしい」と連れてきたという。 「放っておくのがつらかったらしくてね。(警察官という)職業柄もそうしてやらないかんと思ってだろうね」 まさの話によると、兵八の人柄をしのぶエピソードは他にもある。 「お百姓さんが、あるとき『これを食べてくれ』と駐在所に麦を2袋持ってきてね。お父さんは『絶対に手をつけるな』と言って。腐るかどうかという寸前で、やっと村の人と分けて食べた。それくらいの人でした」 弱い人、苦しんでいる人を助け、不正には手を染めない。まさが語る「警察官・山崎兵八」からは、組織内での孤立を恐れて自己保身に走るのではなく、人の心を大切にし、正しいと信じる道を貫くという人物像が浮かび上がる。 兵八の「正義」を押しつぶした警察・検察、さらには捜査側に寄った裁判所の不当な判決は、昭和から平成へと続き、真実や人権よりもメンツを重んじて自己検証を拒絶する姿勢は、令和の時代にも地続きのように受け継がれている。 96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。 「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官が『ない、ない』と言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件、東電女性社員事件、松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」 二つ目は検察官の抗告(不服申し立て)の問題だという。 「再審開始決定が出ても、検察官が抗告し、いつまでも再審公判が開かれない。再審は本来、無実の人を救済する制度で、検察官といえども立場は同じはず。ドイツでは検察官の抗告は禁止されている。袴田事件では最初の開始決定から9年、大崎事件は21年、名張毒ぶどう酒事件では奥西勝・元死刑囚の命が尽きてしまった。抗告の弊害による悲劇をなくさなければいけない」 二俣事件の関係者がほとんど他界した中で、まさは穏やかな日々を生きている。 「天寿をいただいているんだよね。まだこれだけ元気でね、みんなのエネルギーをもらっている。人を見放しておくよりも助けてやりたい、という気持ちで生きてきて本当に良かった、と。そう思ってね。やっ��り人に意地悪はするもんじゃないな、ってね。人を助ければ助けてもらえるな、って思うよね。毎日そう思いながらこうしていますよ」 秦融(はた・とおる)1961年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス所属。元中日新聞編集委員。滋賀・呼吸器事件の調査報道を描いた著書『冤罪をほどく……“供述弱者”とは誰か』(風媒社)で、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。至学館大学コミュニケーション研究所客員研��員。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ #昭和98年(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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House in Shukugawa 夙川の家 (共同設計|arbol)
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿地にある。 プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対し、内部を周囲から切り離して住み手のための”独立した世界”をつくることを目指した。 ”中庭”と”大きな気積をもったドーム空間”により、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら居心地良く過ごすことができる。包み込むような空間が家族の団欒を生み、暮らしを受け止める包容力のある住まいとなっています。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The “courtyard” and “domed space with a large volume” allow the residents to spend a cozy time while enjoying beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box. The enveloping space creates a family gathering, and the house has the tolerance to accept the people’s life.
- ⚪︎ロケーション 夙川の家は、兵庫県西宮市の豊かな自然と古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリアに位置している。この場所のように地価が比較的高いエリアでは、邸宅街と対照に土地が細分化され住宅が密集している部分も多くみられる。本邸も、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿敷地での計画だった。 ⚪︎ご要望 クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画も同様に均一な明かりではなく変化や緩急があること
全体に繋がりがあり、用途に合わせて空間ボリュームが多様に調整されていること
インテリアから建築まで飽きのこない普遍性のあるデザインであること
これらのテーマと敷地条件をもとに、建築形態を検討していった。 ⚪︎デザインコンセプト プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対する解決策として、あえて周囲を隔絶し「中庭」と「ドーム空間」によって建物内部にクライアントのための“独立した世界”を構築する住まいを提案した。また共有していただいた好みのインテリアイメージには、ヨーロッパの空気感を感じるものが多く意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
まずコンパクトな敷地の中で可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、周囲に対して閉じた箱型の木造2階建てとした。次に内部でも自然や四季を感じ取れるよう、安定した採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りを囲むようにホールやダイニングスペース、キッチンなどのアクティブなスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。(1ルームの寝室は、可動式収納家具によって部屋割りを調整可能) この住まいの最大の特徴はドーム型のホールであり、それは人々の暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。適度な求心的プランが家族の団らんを生み、中庭の抜けとドームの大きなヴォイドが人が集まった際も居心地の良さを保証する。閉じた箱でありながら窮屈さを感じることなく、親密なスケールで家族や友人達と心地良く過ごすことができる。 またタイル張りの床、路地テラスのようなダイニングスペース、バルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトなどにより、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を醸し出している。これがプライベートな空間である2階とのコントラストを生み、小さな家の中に多様さと奥行きをつくり出している。 採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として基準となる照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最も美しく感じられるよう明るさの序列を整理した。また壁天井全体を淡い赤褐色の漆喰仕上げとすることで、明るさを増幅させるとともに影になった部分からも暖かみを感じられるよう設計している。 空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。 ⚪︎構造計画 木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。 ⚪︎造園計画 この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。 敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。 ⚪︎照明計画 ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にア���パーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。 対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。 ⚪︎室内環境 居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。 換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファ��(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。 また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法 ⚪︎まとめ 近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。 ⚪︎建物概要 家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡ 建築面積 |42.56㎡ 1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 敷地面積 |89.35㎡ 所在地 |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼 壁:マーブルフィール塗装仕上 天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol 堤 庸策 + アシタカ建築設計室 加藤 鷹 施工 |株式会社稔工務店 造園 |荻野景観設計株式会社 照明 |大光電機株式会社 花井 架津彦 空調 |ジェイベック株式会社 高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior. ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影 |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
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House in Shukugawa ⚪︎Positioning the land as the background Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots. The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood. ⚪︎Requests The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
To be able to feel nature (greenery, light, wind) even inside the house
To be able to value "hygge" (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy
To be able to feel light and shade sensitively in the spirit of " In Praise of Shadows(Yin-Ei Raisan)" and the same goes for the lighting design
The entire space is connected and the spatial volume is adjusted in a variety of uses
Timeless design that can be cherished for a long time
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied. ⚪︎Design concept The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.) The most distinctive feature of this project is the domed hall. It is a tolerant space that accepts people's lives. The moderate centripetal plan creates family gatherings, the courtyard and the large volume of the dome guarantee a cozy feeling even when people gather. Here, one can spend comfortable, quality time with family and close friends without feeling cramped. In addition, the tiled floor, the alley terrace-like dining space, the balcony-like stairs, and the dome and symbolic top light give the first floor a semi-public atmosphere even though it is a house. This contrasts with the private second floor, creating variety and depth within the small house. In terms of lighting, it is important not only to be bright, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying the brightness of the space. In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space. ⚪︎Interior Environment A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control. The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads. The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator. ⚪︎Structural Planning Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs. ⚪︎Landscaping plan The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives. The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium. ⚪︎Lighting Plan The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space. On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space. ⚪︎Summary In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle. ⚪︎Property Information Client|Couple Total floor area|70.10m2 Building area|42.56m2 1floor area|39.59m2 2floor area|30.51m2 Site area|89.35㎡ Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan Zoning|Article 22 zone Structure|Wooden 2 stories Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring Walls: Marble Feel paint finish Ceiling: Marble Feel paint finish Design Period|November 2022 - July 2023 Construction Period|August 2023 - March 2024 Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol + O Kato, Ashitaka Architect Atelier Construction| Minoru Construction Company Landscaping|Ogino Landscape Design Co. Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co. Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co. Dining table and sofa|wood work olior. Dining chairs|tenon Interior styling|raum Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato) Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co. Text | O Kato
#architecture#architectdesign#design#インテリア#インテリアデザイン#buildings#furniture#home & lifestyle#interiors#夙川の家#住宅#住宅設計#建築#アシタカ建築設計室#空間デザイン#住まい#Ashitaka Architect Atelier
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2023.9.14thu_tokyo
ーーーーーーーーーーー この日記を読むあなたへ スマートフォンを横向き にして閲覧してください ーーーーーーーーーーー
昨晩は疲労困憊なのに百万遍を歩き回ったのち村屋※で飲んだ 帰りに天下一品に寄ったせいか 今朝は二度寝していた
二度寝して現場に到着
午前中はトイレ前にあったデカい鏡を移設する準備をしていた ラジオは「今夜アレになる」「18年ぶりのAREだ」と繰り返す
鏡を取り外すと朽ちた内壁がバリバリと剥がれたので修復 車があるうちに2枚多めに合板(畳サイズ)を買っておいてよかった
京都「西ノ京」に開店する珈琲ヤマグチ※の工事を請け負っている 最高気温が35度を超えたことを意味する猛暑日は37日を数えた
クライアントと友達
午後は昨日に引き続きクライアントが友達2人と助っ人に来てくれた ニュージーランド在住?サービス業従事者&僕の母校の教員
クライアントは真名美という 5年位まえ僕の飲み屋の客だった 真名美が現場に来るとアイデアを伝えてどう形にするか相談する
京都入りしてから2か月と1週間が経つ 7月7日に銭湯で買った石鹸はすっかりちびてしまった
7月8日天井落とし
今日はこういうかたちで「回想」することをみとめられたので 日頃反芻していた言葉の断片を1行31文字以内で書き留める
高井戸ICからイッチー※のハイエースに工具を満載し片道460km 物件は元米屋でその前はパン屋 餅屋いずれも貸主の商売だった
東京から京都へたった1人で移住した借主の行動力に感服する 工事の相方で師のイッチーと真名美で3人であちこち飲み歩いた
METROでのGiftやKyoto TSUBAKI fm 3rd anniversaryは楽園だった 京都にいる内にできるだけ多くのリスニングバーやクラブを回りたい
DJで一級建築士のタムラさん(DoitJAZZ)
築90年の町家建築を相手に序盤のほとんどは解体で難儀した 天井を落とし壁をめくり床をこじあけた裏側に幾千の生き物の痕跡
イッチーと彼が連れてきたアルバイト
仕事終わりには若松湯で埃りと汗を流している 町場に用事があればその周辺の銭湯巡る 10数軒は回ったか
文化財で銭湯にプチ遠征
ひと月かけて執り行われる祇園祭にも少し詳しくなった 通りの名前も徐々にしみついてきている
祇園祭はカッコよかった
コーヒーを淹れる台は材木屋で50年眠り続けたラワンの一枚板 材木屋は現場の近くにあり親切※美大関係者へのサーヴィスが手厚い
材栄さん
京都入りと同時に2級建築士製図試験対策の日曜講座に通い始めた しかしオンもオフもやることが満載で宿題の半分もままならなかった
めくった壁から90年前の大工さんがつくった壁がでてきた 新しく造る壁と並列させて見えるように設えている
A剥がして現れた壁
B古い壁と新しい壁
8月22日 イッチーはトリツカレ男の店番と都立家政での新しい 案件に着手すべく一足さきにハイエースに工具の半分を載せて帰った
いったん東京に戻り9月10日に製図試験挑んだが十中七八アウトだ 12月7日に結果が出る そのころには珈琲ヤマグチも板についている
二級建築士製図試験問題
言葉を尽くし手を動かし工夫を重ねた内装工事も終盤 準備した200枚の名刺は徐々に京都人たちの名刺に換わっている
いろんな店で顔なじみになり「工事終わったら帰りはるんですか」 惜しんでくれるのは嬉しいが工事はあと1週間半くらいで終わらせたい
サウナで声をかけてくれた51才の紳士は音楽通だった いまやかけがえのない京都のともだちになっている
レコード棚も造っています
場所柄外国人とも酒を酌み交わした フィンランド人、チリ人 トルコ、中国人、モンゴル、アイルランド…7か国位?
芸大(先端芸術表現科)の同級生や先輩とも久しぶりに会えた なぜか同級生の2人が医師免許をとっているが明日その彼らに会う
先端の先輩が自転車に載せられる美術館を��くっていた
16時半 真名美は同級生と自然派ワインの店coimo wine & cafeへ 僕は若松湯のラジオで阪神タイガースの優勝の瞬間を見届けた
最寄りの定食屋兼飲み屋「たいたん はちべゑ」へ行くと 「あとアウト1つやで」と狂喜乱舞するファンに迎えられた※
あれに乾杯
京都でピザ屋を開きたいという同い年の夫妻に出会った※ 早く眠るつもりがCOMOGOMO JURAKUで2人の夢を語りあった
もしかしたら���らの店を造ることになるかもしれない 25時 今日も倒れるまで眠らなかった
灼ける盆地の風にも秋の成分がだいぶん添加されてきた もう猛暑日の38日目をカウントすることはないだろう
イッチー、フィンランド人のイラリくん、やぎ
ーーーーーーーーーーー 注釈
※村屋 出町柳のカオスな飲み屋。自然派日本酒が豊富。
※珈琲ヤマグチ 現在自家焙��コーヒーのオンライン販売とイベント出店。 2023年9月現在。中京区西ノ京左馬寮町にて喫茶店を開業予定。 御前丸太町下ル 若松湯東入ル。 https://www.instagram.com/_3_yamaguchi/
※イッチー 高円寺のタパスバー「トリツカレ男」店主。 2017年末この店をイッチーが造っているのを手伝わせてもらったことが 僕が内装を始めたきっかけのひとつになっている。 https://www.instagram.com/toritukareotoko/
※親切な材木屋 材栄 https://zaiei.shopinfo.jp/
※阪神タイガースのリーグ優勝 日記の中にアレの瞬間が2回あるのは ラジオ放送に遅れてテレビ放送がついてくる。 タイムラグは2分近くあったと思う。 その間検閲できちゃうのでは?という時間差。 ラジオは昔も今も最速のメディア。現場でもラジオが相棒。
※ピザ屋 ヨロシクピッツァ。 ポップアップ出店と窯ごと出前ピザしている。 https://www.instagram.com/yoroshiku_pizza/
※COMOGOMO JURAKU 現場から近いし深夜遅くまで開いているので 製図試験対策で力尽きたらここで晩酌していた https://www.instagram.com/comogomo_juraku/
-プロフィール- やぎ 38歳 東京 とんち造作計画・内装業
ペーパードライバーの個人事業主の内装業。 店舗設計、解体、壁の造作、什器製作、左官、給排水配管 などおおよそ全て自前で施工している。 佐橋※介。※の部分を景に替えてお読みください。 http://instagram.com/tonch_keikaku/ http://tonch.tokyo/
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2023年06月19日 器官なき身体、あなたがずっと私を忘れませんように
いよわの「地球の裏」を聴いている。「地球の裏 25グラムの嘘」から始まる、いつも自分がそうであるぐちゃぐちゃの脳みその中みたいなパートが好きで、自分のぐちゃぐちゃの脳みそと、聴いている脳みその(計算された、秩序化された)ぐちゃぐちゃさが同期するのが心地いい。
今日は初め、Nirvenaを聴いたりゆらゆら帝国「昆虫ロック」、青葉市子を聴いたりしていたものの、何を聴いても今の自分には合わない感じがしてしまっていて、結局、ずっといよわの曲を聴いていた。いよわの曲についてはちゃんと考えたいと思っていて、でも、ボカロ曲の解釈というのは何か、現実的な物語のようなものに還元されてしまいがちな気がしているので、そうではない形の解釈ができたらいいな、と思う。曲そのもの、音そのもの、言葉そのものから生まれてくるその世界そのものを見たい。
「地球の裏」で言うと、「それでもまだ死ねない 生命体ですにゃあ」のところの「にゃあ」があまりにも空虚で、その空っぽさに親近感を覚えてしまう。
***
丹生谷貴志『死者の挨拶で夜がはじまる』を読み始めた。ドゥルーズの「器官なき身体」の話や、「離人症の光学」と名付けられた文章だったりが載っている。
p16で、〈「器官なき身体(Corps-sans-organes)」がアニミズム的に了解されてしまっているところがあるけど、実際には器官なき身体はもっと徹底して唯物論的である〉、というような話がある。つまり、日本語で「器官なき身体」と言うとぐにゃぐにゃしていて有機的な身体を想像していしまう可能性があるけれど、そうではなくて、それは身体がある状態であるにもかかわらず、徹底して唯物論的で、極限まで受動的で(ときには苦痛にさえ近い)状態の身体。
ドゥルーズ/ガタリは『千のプラトー』で「きみ自身の器官なき身体を見つけたまえ」と書いているけれど、私たちの器官なき身体とはいったいどのようなものなのだろう。
たとえば、薬物中毒の身体、アルコール中毒の身体、マゾヒストの身体。つまり、それは脱自的な状態であり、主体としての「私」が揺らいでいる。そして、そうして主体が揺らいでいることにこそ意味がある。自と他の境界が揺らいでいること。
アルトーやーシュレーバー、分裂症(統合失調症)者にも特有の器官なき身体がある。器官なき身体は卵に似ていて、それ自体は受動性の極にありながらも、何かを生み出す実験の場となる。広く捉えるのなら、「全体によって統合されない部分の横断的結合」。
そういえば、少し前に話した人に「あなたの器官なき身体とはどのようなものですか?」と尋ねると、「球体関節人形」と答えていた。「君自身の器官なき身体」の一つに、球体関節人形がある。
それでは、私自身の器官なき身体とは何なのだろう。自分は一時間前に眠剤を飲んだので、世界はどんどん私という存在は曖昧になってきている。ただ、それ以前からして世界は離人的なのだけど、何にせよ、眠剤によって私は私という主体から遠ざかっていく。でも、それが器官なき身体であるわけではない。ドゥルーズは『千のプラトー』第6セリーで「器官なき身体に人は到達することはない、到達はもともと不可能であり、ただ、いつまでも接近し続けるだけ、それはひとつの極限なのだ」と語っていた。
思い返せば、幻覚剤が効いているときに、ゆらゆら動く世界の中で、頭の中にある真っ白な部屋に閉じ込められていたら仏様がやって来てあの世へと連れていかれて、「こんなにあっけなく人生って終わっちゃうんだ」と拍子抜けして、でもそこからすぐにこの世へと戻されて、またあの世へと連れていかれると��うことを繰り返していた時、あの幻覚と受苦の中で、少しは器官なき身体(CsO)に近づいていたのかもしれない。でも、別の仕方での器官なき身体はもちろんありうる。たとえば貨幣とは資本主義における器官なき身体であり、ある種の組織そのものが器官なき身体へと近づくということもありうる。
***
今日、授業でラトゥールについての発表を聞いていた。面白かったのはサイエンスウォーズの話で、ソーカルが『知の欺瞞』でドゥルーズやデリダやラカン等の現代思想を科学的な観点から批判したことは有名だけど、今にして思えばソーカルは共産党員であるわけで、つまり単なる科学上の論争というよりも、その背景には大まかに共産党vs新左翼という構図を読み取ることができる。
共産党員である(つまり伝統的な左翼)であるソーカルは進歩主義的に科学の実在を信じざるをえないだろうし、それに対して(どちらかといえば新左翼の側にある)ポストモダン思想家たちは科学に対して、(ソーカルらのような立場に対して相対的には)構築主義的なアプローチを取ることになるのだから。
***
大学では4人くらいで「少女革命ウテナ」の��映会に参加していた。25話から30話まで。いまはウテナが理事長に対する恋心みたいなものに目覚めかけているときで、ここには常に揺らぎがある。ウテナが欲望していたのは「王子様になること」であって、「王子様と結ばれること(つまりお姫様になること)」ではないはずだけど、そこに現実化した「王子様のような何か」を前にして、どうしても揺らいでしまうことになる。あとは、薫幹と薫梢の関係も好きで、幹が永遠にしたい「輝くもの」とは妹である梢との思い出だけど、それは姫宮アンシーの方へと投影されていて、常にすれちがい続けている兄妹。
上映会のあとには『冷たい熱帯魚』の話をした。冷たい熱帯魚、見たのはずいぶん昔だけど、今にして思えば、家父長制の究極系みたいな人間がいて、「弱い人間」である主人公が極限まで抑圧された結果、逆に主人公が家父長制の人間(強い人間)へと覚醒し、しかし最後に、娘によって反抗されるというところが大事なのかもしれない。
あと、映画「怪物」を見たいものの、映画のためにお金を払うと今月末のクレジットカードの支払いができないので、ずっと行くのを諦めている。文化になるためにはお金を用意しなくてはいけない
***
千葉雅也の『エレクトリック』が面白いらしいので、新潮をどこかで見つけて読もうかな。『ハンチバック』は読んだので、芥川賞受賞作をすべて読んで、自分なりの予想とかをやってみたい。でも、そんなことをしている場合ではなくて、カフカを読んだ方がいいのかな。保坂和志がそう言っていたような気がするけれど、夢の中での幻覚かもしれない。
***
青色のアトモキセチンカプセル(40mg)を飲むとき、近場に水がないのでとりあえずは前歯で挟んだ状態でそのままにして、水を飲むときに一緒に流し込む、という行動を取ることがあるのだけど、カプセルを歯で挟んでいるとき、いつも脳内で、シンジくんの乗ったエヴァが、アスカ(あるいはトウジ)が乗っているエントリープラグをかみ砕く瞬間のことを考えてしまう。
眠剤が効いた状態でずっといよわが流れていて身体が重く、すべてが、世界が曖昧になって来たので眠ります。明日、ちゃんと役所に行って必要な書類をもらえますように。おやすみプンプンで田中愛子が書いた短冊「あなたがずっと私を忘れませんように」の願いが叶いますように(この文章をを書いたとき、あの短冊の記憶を思い出したことで、田中愛子が抱いていたであろう救いのない感情がなだれ込んできてしまって、どうしよう、と思う、いよわの「地球の裏」を聞きながら、また眠剤を飲んで眠るしかない)。
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桜林美佐の「美佐日記」(267)
次期総理は、真に自衛隊を「平和の道具」にできる
人に
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、267回目となりま
す。
感想を頂戴しました。「私は、ヒルビリー・エレ
ジーはみていないのですが、メールマガジンを読ん
で、カレーハウスCOCO壱番屋創業者の宗次徳二
さんのことを思い出しました。宗次さんは、本当の
親も分からず、養父母には家庭内暴力を受けました
が、すばらしい人格者として同社を優良企業にした
方ということは広く知られている通りです」という
ことで、あの米軍人に人気の「COCO壱」にそのよう
なエピソードがあったのですね。ありがとうござい
ました。
さて、最近のゲリラ豪雨、私が住んでいる都心部で
もしばしば危険な事態が発生しています。先日は地
下鉄の市ヶ谷駅に滝のように雨が流れ込み、駅が閉
鎖されたという映像がニュースやSNSで流れ、防衛省
で勤務している人たちが大変な目に遭ったのではな
いかと案じましたが、関係者に聞いてみると「雨で
すか? あの時間に帰るわけがないですよ~」てな
わけで、確かに夕方の6時頃でしたので多くの方は無
事、雨が降っていたことすら知らなかった人もいる
かもしれません。
近年はワーク・ライフ・バランスということで、
日曜の夕方から金曜の夜中くらいまで泊っている幕
僚監部の方は減っているようですが、だからといっ
て9時~5時でOKなどということはないのでしょう。
他省庁でも国会対応などでも相変わらず不夜城とな
っているようです。��みに自衛官は残業代はつきま
せんが・・。
通常、自衛隊にとって天候は活動を左右する重要
なもので、皆さん雲の動きをいつもよく見ているも
のですが、考えてみればもっとも雨風に強い、いわ
ば全天候型の自衛官たちが幕僚監部にいるというこ
とですね。
そんな中、またもこんなニュースを目にしました。
陸上自衛隊第1空挺団で夏まつりのダンス大会のた
めの練習を課業時間外にやらされたことが原因で退
職希望者が増えているというのです。
そういえば、このところ自衛官による演芸とか見
ていないなあと思っていたところでしたのでタイム
リーな記事でした。
なんてのんきなことを言ったら怒られそうですが、
このような自衛隊における様々な問題が取り上げら
れることが今後、どのように部隊に影響するのか気
になるところです。またぞろ国会で取り上げられて、
課業外のダンス練習禁止!といった対策が取られる
のでしょうか・・。
このような自衛隊をめぐる色々な事案を受けて、
よく政治家の先生などが「膿を出せ」などとか言い
ますが、本当は最も改めなくてはならないのは、政
治と自衛隊との関係であると改めて感じさせる論稿
もちょうど同時期に出ていました。
金沢工業大学虎ノ門大学院教授の伊藤俊幸・元海
将は産経新聞の「正論」欄で、海上自衛隊の護衛艦
部隊が直面している危機的な状況について書いてい
ます。
まず思い出さねばならないのは、過去の海自に起
きたことです。かつて「イージスシステム情報流出」
「給油量の取り違え」など一連の事象を受け、2008
年に「海上自衛隊の抜本的改革」が行われ、その最
終報告書の「問題点の分析」には「平時からの任務
が増大、多様化したことによる、護衛艦部隊等の人
員不足による問題の顕在化」が指摘されたのだそう
です。
「その際、報告書には残されなかったが、将官たち
から『政治からの要請を何でも受けるのではなく、
できないことはできないと言うべきではないか』と
の発言があった」といいます。そして、今の護衛艦
部隊は、より深刻な状況になっていると。
貴重な話だと思いました。その将官たちもその場そ
の場で「YES」と言って何でも引き受けて在任期間を
乗り切ることもできたでしょう。政治要求に応じる
しわ寄せがあまりに大きかったということです。
海自の艦艇は、修理→訓練→実動のサイクルで回
していますが、定員が充足している潜水艦部隊はこ
れができているものの、現在の護衛艦では人員不足
で実際にはできていないといいます。
伊藤さんは、海自では人がいないのに「『アデン
湾での海賊対処』『北朝鮮ミサイルへの対応』『東
シナ海・南シナ海での監視』『外国海軍との共同訓
練』などの『実任務』がめじろ押しで、『修理期』
からの臨時勤務のみならず、『訓練期』にある護衛
艦自体も『実任務』に駆り出されるのが実情だ」と
指摘しています。
また、ここでもお伝えした「特定秘密」の事案に
ついても「本来ならば法律制定時に『自衛官で特防
資格を持っているものは除外』とすべきだったのだ
ろう」としています。
重要だと思ったのは「運航担当者と整備員で別組
織がある航空部隊と違い、艦艇部隊は乗員が全て行
う。航海中は運航者、入港後は整備員の仕事があり、
海曹士には書類作業をする時間がないのだ」という
ところです。
乗員は長い航海から戻って家に帰って休暇という
わけにはいかないのです。そこから錆を落としたり、
ペンキを塗るなど整備作業をしなくてはなりません。
つまり、休みもなく残業手当もなく、家族のこと
も後回しにして任務に全力であたっている人たちが、
手��きなどする暇がなかったにもかかわらず処分さ
れることになってしまっているのです。
伊藤さんは最後に次のように述べています。
「今回の一連の再発防止策をみていると、更なる
負担を艦艇部隊に押し付けるものにほかならず、抜
本的な対策になっていない。『抑止力の維持』は、
国会の論争や役人の文書で成り立っているのではな
い。なぜその『抑止力の担い手』が働きやすいよう
に、政治が努力を講じないのか不思議で仕方がない」
と。本当に同感です。
なお、特定秘密や潜水手当不正受給の背景につい
ては、やはり8月3日の産経新聞で 田北真樹子さんが
詳しく書かれていてネット上で読めますので、多く
の方に知って頂きたいと思います。
これまでも何か起これば「再発防止」として、様々
なルールを課し、組織の力を弱めるようなことがか
なりありました。自民党総裁選が目下の大きな関心
事になっていますが、自衛隊を政治の道具にして弱
体化させるような人ではなく、真の「平和の道具」
にできる人が心から望まれます。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。皆様にとって素晴らしい1週間となりますように。
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音聞山
※画像引用元 中日新聞公式Web Site <あいちの民話を訪ねて> (103)きよの坂(名古屋市天白区) https://www.chunichi.co.jp/article/677305?rct=aichi
ルーム南からほど近い八事地区。地下鉄鶴舞線と名城線の八事駅があり、中京大学、八事山興正寺などがある界隈ですが、ここに、「きよの坂」と呼ばれる古来の坂があります。
この、きよの坂を下っていくと、音聞山(おとききやま)というエリアにたどり着くのですが、これは、その昔その名のとおり、音聞山という山があった場所です。現在は住宅地になっていて想像しにくいのですが、下の画像が示唆するとおり、江戸時代の音聞山は大変見晴らしのよい山だったようです。
※画像引用元 中日新聞公式Web Site <あいちの民話を訪ねて> (103)きよの坂(名古屋市天白区) https://www.chunichi.co.jp/article/677305?rct=aichi
この音聞山に関して、室町時代中期の禅僧、正徹(しょうてつ)が編纂したとされる和歌集「草根集(そうこんしゅう)」に、次のような歌があります。
音に聞く 音聞山の峰高み ひびく鳴海の沖つ白浪
また、それより更に遡り平安時代前期、当時の歌人であり官人であった凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね)の歌枕とされる、次のような歌もあります。
いつくなる 山にかあらむ 雁かねの おときき高く聞こゆるかな
前者の歌は、海(後述する「鳴海潟」)から届く潮騒の音が響く山が詠われています。一方で後者の歌は、雁(かり/がん)という水鳥の鳴き声が高らかに響く山が詠われています。そして、どちらも広く水辺を臨む情景が浮かんでくる歌となっていることがわかると思います。
現代では、天白区は海とは接していないのですが、平安時代には、現在の天白区島田の辺りまで海が達していたとされています。ルーム南の近くの天白警察署前に、名古屋市営バスのバス停「西浦」がありますが、そもそもこの西浦という名称は、年魚市潟(あゆちがた)という干潟の入り江につけられた名称なのだそうです。
西浦 年魚市潟(あゆちがた)の入り江につけられた名称で、八事村の西にあたる。大字植田にも西浦がある。 ※引用元 名古屋市公式 Web Site 過去から学ぶ防災マップ(天白区) 旧地名付き 天白区標高データマップ https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/cmsfiles/contents/0000093/93310/65-72_16tenpaku.pdf
年魚市潟(あゆちがた)とは、現在の鳴海から熱田の領域に広がっていたとされる海や干潟の名称です。南区の白毫寺(びゃくごうじ)境内には、「年魚市潟勝景」という石碑が建てられており、古くからの景勝地だったことがうかがえます。年魚市潟は、縄文海進という約7000年前の温暖化に伴う海面上昇により形成されたとされます。この干潟には、越冬のためであろう鶴も数多く訪れていたと推測されており、この情景は万葉集に歌として収録されると共に、現代においては「鶴里」という地名の由来にもなっているとされます
万葉集に「年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ」とある(7巻-1163の歌)。他にも、高市連黒人(たけちのむ��じくろひと)の「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」という歌があり、現在の南区桜本町あたりの年魚市潟で詠んだとされる。近辺には『鶴里駅』という名古屋市営地下鉄桜通線の駅名にも残る。 ※引用元 年魚市潟 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%AD%9A%E5%B8%82%E6%BD%9F
※引用元 更級日記紀行 平安時代東海道、走って渡る鳴海潟(尾張国) https://sarasina.jp/products/detail/109
上の画像は、平安時代の東海道と推測されるルートを示した図になるのですが、図の上側に、音聞山という表記があります。島田橋の近くには、現代にも残る神社「島田神社」がありますが、神社の建立時期は、現在残されている資料や記録からは、室町時代前期とされており、平安時代に存在していたのかは不明です。しかし、平安時代の島田に存在していたであろう集落を守る拠り所として、神社の前身となる何かがあった可能性も・・・と想像してしまいます。
なお、上の画像で示されている干潟は「鳴海潟」と表記されていますが、これは、潮騒が聞こえる(海が”鳴る”)が転じたものと推測されています。また、そもそも年魚市潟が広範囲に渡るため、鳴海潟など地域ごとに呼び名があるともされています。
それはともかく、こうしてみると、現代の天白区島田の辺りまで海だったと考えられていることがわかります。もし音聞山の頂上に立ったならば、南の方向へ向かって広がる広大な年魚市潟を見渡すことが出来たと推測されます。当時の東海道を行く旅行者は、熱田神宮との行き来を最短で繋ごうとするなら、年魚市潟を歩いて渡るのが最速ルートになります。しかしそれが可能なのは干潮時で、満潮時には年魚市潟沿いを歩き、島田橋と音聞山を経由して迂回するしかなかったことでしょう。
※画像引用元 一般社団法人 日本電気協会 中部支部 プロジェクト紀行 なごやの鎌倉古道をさがす 【8】鳴海潟を渡る(上)・・・広い河原を行く https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ca75d3549ec97cf7c68fcc48e7d4e9d0.pdf
一方で、年魚市潟に関わる東海道のルートに関して、平安時代から時が下った鎌倉の中頃から南北朝の時代においては、干潟を渡る複数のルートの存在を示唆する歌が詠まれています。
天白川は、精進川より後の時代まで海が入り込んでいたようです。そこは鳴海浦とか鳴海潟という名前で呼ばれ、古くは街道の難所とされたところでした。 ここは多くの紀行文に登場します。有名なのは、中世より前、菅原孝標の娘が書いた『更級日記』です。その旅日記の中では、 「尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに、夕汐ただ満ちに満ちて、今宵宿らむも、中間に汐満ち来なば、ここをも過ぎじと、あるかぎり走りまどひ過ぎぬ」 と、苦労して渡ったことが記されています。鳴海は中世には有名な歌枕になっており、残されただけでも百数十首にのぼると言われます。その中で、街道の情景を歌っているものとして、次のような歌があります。 「なるみ潟 潮干に浦やなりぬらん上野の道を行く人もなし」 藤原景綱 「なるみ潟 汐満ち時になりぬれば野並の里に人伝うなり」 藤原景綱 「なるみ潟 汐の満ち干のたびごとに道ふみかうる浦の旅人」 宗良親王 これらが詠われた時代は鎌倉の中頃から南北朝の時代になりますが、潮の状況によって道を選びつつ渡っていたことが分かります。この鳴海潟を渡る道は、上・中・下の3つのルートに分けて考えることができそうです(図1)。 ※引用元 一般社団法人 日本電気協会 中部支部 プロジェクト紀行 なごやの鎌倉古道をさがす 【8】鳴海潟を渡る(上)・・・広い河原を行く https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ca75d3549ec97cf7c68fcc48e7d4e9d0.pdf
上の画像は、現代の音聞山付近から南南西寄りの方面を臨むグーグルマップの画像です。画像の真ん中の下あたりが音聞山になります。ちなみにルーム南は、画像の左側に位置しています。平安時代にこのアングルから眺めたとするならば、広大な年魚市潟(鳴海潟)を見渡すことができたはずで、歌に詠まれるのも頷ける風光明媚な眺めだったのかもしれません。普段住んでいて身近なエリアですが、掘り下げてみると興味深い歴史がある、と改めて感じた次第でした。
(野村)
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原村の住所いま鵜鷺棲む
かなり具合が悪かった。そこまで体力を使いすぎた感じもしないが、気圧上昇にここまで左右されるのは、体力量というより、基礎体力が落ちているということだろうか。なんとか不調でも1日4時間は立っていられないと困るので、具合は悪かったが区役所目指して出かけた。こういう時、意味不明にかばんに本とノートと筆記具を遮二無二詰め込んでいくから肩が死ぬのだと思う。無事区役所で諸々の手続をすませ、もう立っていられないと思いドトールで休んだ。ミルクレープを食べて何とか回復し、『差別はたいてい悪意のない人がする』の続き、4章までを読む。途中かなり眠かったのだが、トイレに行ったらしゃきっとしたし、やや体調が回復していた。左どなりに座ったスーツのジジイ2人が(一方は64歳だと言っていた)、なんだか変な会話をしていたので気になった。ニーチェの神は死んだを、ヨーロッパの産業革命や科学革命により神の創造した世界の記述が覆され、その結果神はある意味で死んだも同然、という意味で私はこの言葉を理解していたのだが、彼らはなんというか、そのままの意味で使っているようだった。「あいつは神を信じてたから」「それで死ねたから幸せだよな」「神は死んだじゃないけど(俺らは神を信じてないけど、というようなニュアンス)」「ニーチェとかな」というような雰囲気の会話をしていて、え…?神は死んだという結論に至る経緯をまったく斟酌せずに、神の存在を信じないこと=神は死んだ、だと思っているのか…?とかなり胡乱な気持ちになり、なんだか恐ろしかった。その2人は会話もあまり噛み合っていないというか覚束なく、仲がいいのか悪いのかよく分からなかった。2人とも小説を書いているらしいが本業ではなさそうだった。64歳と言っていたのではないほうのジジイが電撃文庫がどうこう言っていて、自分の文章は電撃のターゲット層とはマッチしないみたいなことを(関係者に?)言われてなんとかかんとか、と言っていて、こんな年輩の方も今の電撃に応募しようという気持ちがあるのか、とかなりびっくりした(その方も再雇用がどうとかの話をしていたので60は超えていると思われた)。64歳の方のほうは、自分の話に挿絵がつくのはいい、というようなことを言っていて「でも低俗な雑誌ですよ」みたいなことを繰り返し、どうやら官能小説の雑誌に今も掲載作を書いている、というような感じだった。それを電撃云々のジジイのほうは、書き溜めて自分で文庫にして出せば、みたいな頓珍漢なことを言っていたので、何だこの人…となった。神は死んだ云々を言い出したのもこの人で、気持ち悪いな…と思った。でも小説を書いているんだな、と思った。謎だ。小説を書くのもいいが、全般的にもっと社会や世界の仕組みを知った方がいいのでは?と思ってしまったが、それでも定年まで勤めあげたであろう人なのだ。どうやったらこんなあやふやな感じで定年まで仕事が出来るのだろう、もしこれが女性だったら、こんなふわふわした感じでここまで生き抜いてくることはできないだろうな、とか意地悪なことを思ってしまった。全ての物事に対しての見識が曖昧だし基本的に間違っているしその癖相手のことを見下している感じ(謎の自分の優位性を疑わない態度、相手も優しすぎる)で、怖気が走った。というようなことを聞きながら、頭の片隅で考えながら、本(差別はたいてい悪意のない人がする)を読んだ。今日読んだところは、差別される側が保守的な行動を取ると、差別構造を自ら維持することになる、自分の置かれた差別構造に気づけず社会を肯定してしまう(その悪循環で差別は温存・助長される)、というあたりだった。4章はユーモアと侮蔑の話だったが、そのあたりで猛烈に眠くなり、半分寝ていたが、トイレに行って目が覚めた。『客観性の落とし穴』も進めたかったが、あまりにも具合が悪く、もはや文字を追えなかった。そのわりに電車を降りてから、ウーバーイーツよりはましだろうと思い、吉野家で牛すき鍋(単品)を食べた。吉野屋では言動がおっかないおじさんとか、明らかに若い女性店員にだけクレームを言うおじいさんとか、子供の要求を無視し続ける不機嫌な母親(飯が来るまで喋るなという旨のことを言い黙らせていた)とかがいて、結構おそろしいなと思った。それでも、吉野家のおそらく学生バイトの女の子は誰にでも愛想良く笑顔で接客していて、「そんな低い時給でそこまでのサービスを提供しなくていい!」と叫び出したかったが、自分も学生の頃そうだったなと思った。愛想良く笑顔で「相手を圧する」「屈しないことを示す」という戦略もある。それに何より、愛想良く接客している方が自分に「正義」がある感じがして気分がいい。たとえ舐められるとしても、本当に心の底で舐めているのはこっちなのだから別にいい、と思っていた。多くの善良なお客様に対しては愛想良く対応した方が気分がいいし、お客様によって態度を変えるのも変なので、全力で感情労働なるものをしていたと思う。社会人として接客していく中で、そこまで過剰に演技せず、自然体で接客してもいいんだと気づいてからはやめた。最初の接客が200%の感情労働を求めるマクドナルドだったことにも、私の初期接客態度への原因がありそうだ。
深夜のマクドナルドで、全ての店の中に存在するものを掃除し磨いていない部分がないようにする、というタスクがあり、いちばん汚いゴミ箱の中を拭く時は、私は小柄だったので、体ごと入って内側の激しく汚れているマクドナルドのゴミ箱を拭いていた。かなり力がいる、肉体労働である(その他、トイレ、机、椅子、仕切り、カウンター内の各機器、器具、全てを清掃する※深夜客の対応をしながら)。そして接客も全力の笑顔でやっていた。ゴミ箱に潜って中を拭いている時、サラリーマンの40くらいの男性(なんとなく斜に構えている感じの人)が「そんなに頑張らなくていいんじゃない?」と私を気遣って声をかけてくれた。私は、これが私の仕事で、順当に賃金をもらっているので、ただ正当に職務を遂行しているだけで…と思っていたので、おじさんの言っている意味が全然わからず、「え、特に頑張っているとかではないです😄普通にこれタスクなんで…ありがとうございます😄」と困惑しながらも心配ありがとー!みたいな気持ちだった。そのおじさんの気持ち、今ならわかりますね。そんな低い賃金で、そこまで己を削るな。差し出すな。搾取されていることに気づけ。ほどほどに手を抜け。本当にそう言いたい気持ちが今ならわかる。ただ、私は何事も全力で完璧にやり遂げるのが、人間の「ふつう」だと思っていたので、その理路が理解できなかった。ふつうにやる=一切手抜きしない、というのが仕事だと思っていた。その考えは私にその後も根強くあり、自分の本来の力の60%くらいで仕事も何事もこなさなければ生活全体を回せないのだから、全力で仕事をしてはいけないし、誰もそこまで求めていないということをはっきりと言葉にして気付かされたのは、33歳の時であった。かなり最近。嘘でしょ。他の人が、仕事から家に帰ってきた時点で、まだ40〜30%の体力を残しているのが普通で、2%とかで帰ってきて床に倒れるのはおかしいのだと、その時初めて人に聞いて知った。
それから最近は、具合が悪くてもとりあえず仕事に行って、パフォーマンスが低くてもとりあえず勤務時間をやり過ごす、そこに「いる」、仕事をとにかく「(できる範囲で)やる」ということが重要なんだということもなんとなくわかってきた。仕事で他の人に並びたいあまりに、98%の力を出してはいけない。自分は鈍麻で低脳な人間で、非効率でお荷物であるという事実を受け入れ、そういう人間として60%で仕事をこなす。出力パワーを抑える。そうして私生活やほかの活動を維持する。そういうことが長期的に見て仕事を続けることに繋がる。98%の短期決戦だからいつも数ヶ月〜2年でへばっていたのか。なるほど。と思った。生活ができなければ仕事も出来なくなっていく。当たり前だ。その当たり前が全く分からないまま30歳を過ぎていた。というか、仕事の仕方というものを考えている余裕がなかった。どんな時も具合が悪く、体力勝負で、そしていつもいつでも過去の記憶(生まれた家庭の記憶)に苦しめられていた。自分が帰る安全な場所を持たない人間というのは、全ての尺度が異常になりがちなのではないか。価値観が狂っているが、それを狂いだと自覚できない。安心して帰れる家ではない場所で育った人間は、仕事に過剰適応しようとする傾向があるかもしれない。先日友人と話していて思った(高校の同学年の彼女(36歳)は未だに実家に縛られ、金銭もケア労働も搾取され続けている)。その友人もかなり親に洗脳されているが、とにかく家を出ろと、先日100回以上言った気がする。親のことなんてお前が責任持つ必要ない。そんな最低な人間ともう関わるな。外野がいくら言っても、それでも、私たち子供って、親のこと、きょうだいのことが、好きなんだよね。難儀です。
今日はあんスタの天城一彩の誕生日でした。TLが誕生日絵で溢れかえっており、仕事始めの日に生まれるなんてやるなあ!と思った。それで元気づけられている方がいらっしたので。一彩の故郷では仕事始めという概念はないが、誕生日が判明しているということは暦があり、新年という概念はありそうだ。年明けに生まれた子、めでたい。その瞬間を思い、とてもいい気持ちになる。
どんな子供でも、どんな親でも、やはり生まれた時のことを思わずにはいられない。多くの愛情が、もしくは僅かな愛情がそこにはあり、だれかが抱き上げたり、寝かせたり、ご飯を食べさせたりしたのだ。だからみんな、今生きている。残念ながらそうはならなかった子供もたくさんいるが、成人まで生き延びることができた人間は、かならず、養育者やその他の人間にある程度は「生かされて」きたということで、そこに愛情はなかったかもしれなくても���もっともっとそれ以前の、言語化されないなんらかの情は存在した。だれかが子供を抱き上げて、乳を飲ませ、排泄させ、風呂に入れ、着替えさせたということだ。その事実に私は毎時毎瞬新鮮に感動することができる。
2024.1.4
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降り出したらよく降りますね。
一週間でこうも気温がかるとは
(^_^;)
貝塚市三ツ松倉庫屋根葺き替え工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
ひと雨ごとに気温がぐんぐん下がっていきます。
気がつけば13℃って。
一週間で10℃マイナスって(・・;)
そんな簡単に温度調整できるほど便利に体できてませんよね。
体調管理に気をつけましょう。
本日の現場です。
毎年年末になると屋根の葺き替えが始まる坂口建設!
雨少ない時期なのでこの時期に!
先週から 現場に同級生の屋根屋城戸商店の親方が来てくれてます。
足場も設置されて、順調に瓦がめくられてます。
これ見てもらってわかりますかね、瓦の下の土を撤去すると、下地が竹簾!
近年では屋根の下地といえば下の写真の様に板を打つのですが
多分昭和前期までは、細い3センチくら���挽き割った竹を紐で編んで板の代わりに下地にしてたのです。
これを支えてるのが垂木という部材なのですが↓
板ならどこ踏んでも大丈夫なのですが、
竹簾の場合は垂木の無い竹簾だけを踏んでしまうと足が突き刺さって、垂木に男性のセカンドシンボル、ゴールデンボールが垂木に直撃という悲惨な事件が発生するのです。
いつも以上に作業に緊張が走るのだ!
しかしそんな中、この作業に果敢にも挑む若者が!
施主の息子6歳!
登りたそうにしてるで、
「上にのせちゃろか!」
というと、恥ずかしそうに
「うん!」
これも1つのええ思い出やろ。
だいたいこの頃の子供と現場で思い出づくりにと色々体験させてあげるのだか、
中学くらいには、綺麗さっぱりわすれてるのよね(-_-;)
「お前あの時屋根の上にのせちゃったやろ!」とか
「あの時おっちゃんとシャボン玉やって遊んだやんけノー」
子供には忖度はない、素直だ!
「知らーーん」
小林明子の恋に落ちてが、脳内再生される瞬間(-_-;)
しかし私はくじけない、いつかこの子達が大きくなって記憶の片隅にこれが強く刻まて建築の道に進むことがあるのかないのか、
また世間から子供にそんな事させて危ないと避難を受けようとも、私はこのスタイルを崩さず、そして「知らーーん」と言われ続けなければいいけない星の下に生まれたのだ!
今、小林旭の熱き心にが再生されてる!
何に熱なってんか知らんけど(・・;)
そんな子共とのディスカッションを終えると、屋根の下で新しく壁を新設するための基礎の準備!
亡き父の左官の技術を思い出しながらセメントと格闘!
我ながら1000点満点!
本日その上にブロックをつきに来てくれた雅也んの写真は都合により割愛させていただきます。
撮り忘れた(^_^;)
明日からも引き続き屋根がえ頑張っていきましょう。
ほんま急に寒なったんで、パッチ履いて温かい格好で過ごしましょう。
お疲れ様でした。
おやすみなさい
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
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1196 社長
二十歳で島を出た時は、着の身着のまま、石垣島、沖縄本島で、日雇い労働者として旅費を工面、少しでもいまわしい記憶のある島から離れたい、と大阪まで辿り着いたのである。 大阪でペンキ屋、左官や土木作業員等転々し、溶接工になった。 暇になると、どうしても島での出来事を思い出す。 忘れるように、人の二倍三倍働きに働き続けた。 溶接工から身を起こし、今では立派な鉄骨屋の社長となったのだ。 社員へ訓示する事は「借金経営はし��い、夜駆け、不意打ちはだめだ、 物事は正面からとらへ、筋を通し、正々堂々と行うべし、 迷った時、辛い時は、お互い知恵を出し合い助け合っていこう」 という経営理念を貫いているのだ。 社内外からも太っ腹な立派なリーダーとして、社長として尊敬されているのであった。 自分は今、何の不足もなく幸せ、お金はその気になって働けばいくらでも手に入る。 明子を見た時、自分が起こした事件、その影響は明子の人生に少なからず災となった事は間違いないだろう。 出来るだけの事をやり、詫びようと思ったのである。 詫びて済むような事ではない、明子が幸せになることを願い、手を合わせる日々である。 今日の金曜日も無言電話があり、明子は華やかな気持ちで踊り狂っていた。 明子の踊りには、願いが込められた念仏踊である。 確かに、昭二の事は、大好きであった。 恋しい昭二、いとしい昭二は、何時の間にか徐々に遠いものとなりつつある。 昭二を思い浮かべると、孫をお風呂に入れる姿、乳母車で散歩、木陰でくつろぐ昭二の姿。 もう今となっては、思いを寄せたとて、叶わぬ夢となってしまった。 世の中を這いずり、惨めな生活を救ってくれた昭二、今では大事な大事な恩人である。 遠のく恋心、不安でもある。 しかし親にはぐれた子供が、親を恨み、親を恋しがる、生きているなら、もう一度会いたい気持ち同様、昭二には、今の姿をもう一度見て欲しい。 今更交わる心は微塵もない。 たった一度、もう一度、自分の姿を見て欲しい。 この極楽とんぼで、一晩で良いから泊まって欲しいのである。 蘇えった明子は、とても六十に手の届く女性とは思えない。 若々しく、遥か彼方を見つめ、遠ざかる昭二の姿を追い求める踊り、時にはフラメンコを遙かに凌ぐ激しさ、しなやかな腰の動き、 見る者を怪しい魔の世界へ引きずり込みかねない、艶やかな色気さえ漂う。 お客が明子の踊りを見ると、ジッとしていられない。 一緒になって腰を上げ、激しく踊り狂うのである。 今日も明子は、心の中で念仏をあげ踊る。 民宿とんぼ 極楽とんぼ。 一度でいいから、泊まりに来て下さい。 きっと、きっとよ! 民宿とんぼ 極楽とんぼ。是非、泊まりに来て下さい。 きっと、きっとよ・・・・・完
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第2話「地(とし)上」
目覚めた先に見えたのは、暗闇に染まった無機質な天井だった。左右に視線を動かし、シンプルな照明器具があるのを見つけて、ここが自室でないと思う。その直後に、自室を最後どころか、地下都市クーニャを出たのだと思い出した ゆらぎは、がばりと慌てて起き上がる。
身体の軽さで、クーニャを出るときに着ていた上着が脱がされていることを知る。そろりと、暗闇の中で少し手を伸ばした先に、上着は丁寧に畳まれて置かれていた。
掴んだ上着を身につけつつも、暗闇に慣れた視界は、現在地を把握するのにそう時間は掛からなかった。と言うよりも、随分とシンプルで物がない部屋だったのだ。
窓に引かれた濃い色のカーテン、彼が寝ているベッドも似たような色合いだ。部屋の片隅に積まれたのは、頑丈にそして入念に封をされた無機質な箱がいくつか。それだけがあった。それしかなかった。
ゆらぎはベッドから静かに降りると、窓際へと移動する。夜闇の冷たさを吸い込んだカーテンを掴み、隠された光景を広げた。
「うわっ」
ガラスのキャンバスに映り込む外の景色に、驚きの声をあげる。
そこに広がっていたのは、光の洪水であった。
地下都市クーニャでは見られなかった高層ビル郡。それらの間を通り抜ける幾つもの光が流れる道。ギラギラと輝くのは車か部屋の灯りか。消灯時間になれば真っ暗になっていたクーニャとは対照的な光景に、ゆらぎは一歩後に引く。
その時、来客を告げる音がした。ついで、慌ただしい様子の足音が、部屋の外ーーおそらく廊下を駆け抜ける。聞き覚えのある声がしたが、その内容まではさすがに聞き取れなかった。
ゆっくりと、そしてこっそりと部屋の扉をゆらぎは開ける。ほとんど音はせず、来客と家主の会話は止まることなく進められていた。
「新人を列車から連れ去った上で、イカロスに直接乗せるとか馬鹿じゃねーの!」
「うるさい。結果的にペティノスたちを殲滅したから良いだろう。大体お前だって、ノリノリで組んでたじゃないか」
「まさか、移送中のまっさらな新人のことだとは思わないじゃねえか。直接搭乗は禁止されてる。それを、兎成姉妹のイカロスにわからないよう小細工までしてやったことにオレは怒ってんだよ」
「だが、あれをしなければまず間違いなくペティノスを削りきれずに、犠牲者はもっと出た。左近だって、まっさらな何も知らない新人を尊い犠牲とやらにはしたくなかっただろ?」
「それはッ」
そこで来客者は押し黙る。わなわなと握る手を震わせてはいたが、それでも怒りを相手にぶつけることはしなかった。
ゆらぎは、そこまで聞いてようやく来客者の男が、あの黒のイカロスから聞こえてきた声の主だと気付く。そして、家主と思われる人物が、ゆらぎをイカロスで連れ去ったあの痩せた男だとも。両者ともがどこか似たような声質で、髪型や目の色などは違うが、それでも面影が重なる不思議な感覚に支配された時、第三者が現れた。
「はいはーい、右近も左近も夜中に大声で怒鳴りあうんじゃないの。あんまりにもうるさいと、獅子夜くんが目覚めるよ?」
先程まで言い合っていた二人とは違う、落ち着いた声。けれど、茶目っ気も含まれた言い方に、右近と左近の二人はムッとした表情を浮かべる。
二人の間に、文字通り床から浮き上がるようにして登場したのは、イカロスの中で現れたエイト・エイトと呼ばれる人物だった。その身体は透けており、彼がAIで、現れたのがホログラムだと分かる。
左近と呼ばれた来客は、少し落ち着きを取り戻したようだが、それでも言いたいことはまだまだあったようだ。
「だいたい、エイト・エイトも右近の無茶振りに応えるなよ。めろり教官だってカンカンに怒ってたし、ユタカ司令官も」
「あー、はいはい。うん、左近の怒りが治らないのはよーく分かった。オレちゃんだって、まずいなぁって自覚はあったさ」
「だったら、なおさらやるなよ」
テヘッとふざけたポーズをするエイト・エイトに、遂に毒気が抜けたのか。項垂れる左近に対し、エイト・エイトや右近は大して反省している素振りもなく、また慰めることすらしなかった。
がくりと膝をついていた左近は、そこでようやくゆらぎの存在に気づく。お、と顔を明るくさせた彼の様子に、右近もまた後輩が目覚めたのを知ったらしい。エイト・エイトだけは、肩をすくめた後に、パチンとウィンクをして、その場から消えた。
「よー、起きたんだな」
馴れ馴れしく近づいてくる左近に、彼がこれまで接したことのないタイプだったゆらぎは身体を固まらせる。
白い髪と桜色の目。けれど面立ちは右近とよく似ているし、痩せ型であるところも同様だ。色だけが違うだけで、あとは殆ど一緒であることに違和感がある。人間のクローンは違法であるが、ペティノスの一件を黙っていたこれまでのことがあるからか、ゆらぎはその説を捨てきれないでいた。
「獅子夜ゆらぎ、だっけ? お前すげーな、ダイブ直後だったんだろ? それであそこまで乱戦に対応できるなんて、本当天才だな。なぁなぁ、オペレート中の景色どこまで見えたんだ?」
ゆらぎの肩を組み、矢継ぎ早に繰り出される左近からの質問。それらに答えるだけの度胸もなく、ゆらぎは視線をきょときょとと不自然なほどに、あちらこちらに向けた。
その様子が、あまりにも哀れに思われたのか。右近から助けが入る。
「左近、獅子夜くんが怯えている。一旦、離れろ」
「えー、親睦だよ、親睦。右近だけでなく、オレとも仲良くなろうよ、獅子夜くーん」
「だから、獅子夜くんは、まだ俺たちのことを知らないんだ。お前だけでなくて、俺のことも、この場所のことも」
そこまで言われて、左近の動きがピタリと止まった。
「え? マジ?」
「大マジ」
確かめるように、か細い声で左近が問いかければ、重々しく右近は頷く。その答えに、左近はゆっくりとゆらぎの肩から手を引いた。
「……自己紹介も、もしかしてまだ?」
とんでもない相手をみる、怯えるような左近からの問いかけに、ゆらぎは無言で頷く。その様子で現状を客観的に見た左近は、右近に近づくと、彼の頭を叩いた。
「この大馬鹿野郎が! 完っ全に誘拐犯じゃねーか!」
そのまま右近の頭を床に押し付けようとする。が、右近は右近でそれに抵抗しているようだ。十数秒の攻防だったが、右近が左近の脛を蹴り飛ばしたことで決着がついた。
床にうずくまる左近を放っておいて、右近がゆらぎに近づく。そして、ゆっくりとした丁寧な口調で自己紹介を始めた。
「今更ではありますが、自己紹介を。俺は神楽右近(からき うこん)。君を連れ去った張本人であり、あの青のイカロス、つまりナンバーズ五番のパイロットです」
そこまで一息に告げて、右近は��こちなく握手を求めてくる。ゆらぎもまた、ぎこちなく握手を返した。互いにその手は冷たい。
続けて右近は説明する。
「ここは、俺が住んでいる家で、獅子夜くんがいたのは……君用の部屋のつもりです。本当は新入生は寮に入る規則なのですが、ここはナンバーズ用の宿舎なので、多少融通は効くと思って、連れてきました」
それと、と続く言葉にゆらぎは首を傾げる。
「そこにいる、俺とよく似た男は神楽左近(からき さこん)。察していると思いますが、あの黒のイカロス、つまりナンバーズ六番のパイロットで、俺の双子の兄弟です」
ゆらぎは双子という言葉を初めて聞いた。
地下にいる人類は全員、統一マザーコンピューターによって、ガラスによく似た材質の擬似子宮から生まれる。ランダムに選出された卵子と精子が受精し、擬似子宮に着床。その後十ヶ月ほどかけて生まれ落ちた胎児は、血縁関係にない、統一マザーに選出された二人組の親の元で一定期間育てられるのだ。
ごく稀に、何らかの事情で兄弟姉妹の関係になる子供たちがいるらしいとは、ゆらぎもクーニャで聞いているが、双子の兄弟はどういう意味なのかと戸惑う。
「どーも、神楽左近デス。この大馬鹿野郎とは双子デス。双子なのを後悔してマス」
先程まで床にうずくまっていた左近は、恨めしげな声で、右近の背後をとる。ぎりぎりと首元に腕を回し、大馬鹿野郎の評価に反抗する右近を押さえつけた左近。両者の表情はまるで違っていたが、それでもそっくりに近かった。
「あの……双子ってなんですか? クローンとは違うんですか」
ゆらぎの質問に、気がついたらまた一戦交えようとしていた二人は、動きを止める。
「あー、そっか。そうだよな、普通は双子なんて見ないだろうしな」
「俺だってここに来るまで、左近の存在を知りませんでしたからね。もしかしたら、双子は別の環境で会わないように設定されているのかもしれません」
「可能性あるよなぁ……たまたまオレたちがここにいるっていう、滅多にないというか、とんでもない偶然があったから、話が広がってここ最近は双子の説明をする必要がなかったんだもんな」
そこまで互いに確認し合ってから、右近から説明が入る。
「ええっと俺と左近は、全く同一の受精卵から発生してます。とある受精卵が二つに別れたのち、別の人間になっていったのが双子、というわけです。統一マザーへ情報の確認をしましたが、俺と左近は二つに別れた後に、そのまま同じ擬似子宮で成長を続けます。その後、健康状態に不備はなく、無事に生まれ、全く違う親の元で育てられました。説明した通り、同一の受精卵なので同一の遺伝情報を持っていますから、結果瓜二つの人間となるわけです」
「え、でも髪色も目の色も違いますが」
ゆらぎの疑問に、カラリとした笑顔で左近が答える。
「それは、オレが脱色してカラコン使ってるだけ。元々は右近と同じ色合いだったんだ。オレも右近の存在を知ったのは、この『都市ファロス』に来てからで、お互いあまりにもよく似ているもんでな。周囲が間違えて間違えて、すっげー面倒になったから、じゃあカラーリング変えちまえって。その結果これよ」
「双子といえど、別の人間ですからね。進路適正には性格も含まれますが、まさか双子が揃ってイカロスのパイロットになるとは思わなかったのでしょう」
「さすがに、めろり教官や他のAIは間違えなかったから良かったといえば、良かったけど」
「替え玉試験はできなかったですけどね」
「そこは惜しかった」
うんうんと腕を組み合って頷く動きがシンクロしていることに、これが双子なのかぁ、とゆらぎは妙な感想を抱く。そして、二人がゆらぎを見つめているのに気づくと、今度は自分の番なのだと悟った。
「えっと、獅子夜ゆらぎです。クーニャのエリア6出身……というか、今回の卒業はエリア6の番なので、ご存知かと思います。兄弟はいなくて、両親と暮らしていました。あとは……その、特には」
他に何か言うことはあったかと空回りする思考の中、「よろしくな!」と左近が肩を組んでくる。おずおずとゆらぎは「よろしく……お願いします」と二人に改めて挨拶の言葉を告げる。
「ええ、よろしくお願いします」
ようやく家主であり、正体不明の相棒である右近の表情が和らいだのを見たためか、ゆらぎの体から力が抜ける。
その瞬間、盛大な腹の虫の音が鳴った。
「……」
「……」
音の出どころを確認する双子に対し、ゆらぎは顔を真っ赤にさせながらも俯く。
「食事にしましょうか」
「そうだな」
「あの……本当にすみません」
右近と左近の「気にするな」の言葉が重なった。
こっちです、という右近の案内で、ゆらぎはリビングへと案内��れる。彼の一人暮らしというには、テーブルやソファなどは広々と置かれていた。
ゆらぎは案内されたダイニングテーブルとその椅子に座る。
「エイト・エイト」
右近の呼びかけにAIが再び姿を表す。今度はエプロンを身につけたホログラムで、完全に主人の用件を把握しているようだった。
「はいはーい、夜食だね。獅子夜くんだけでなくて、右近と左近も食べるかい?」
「ええ」
「お、エイト・エイトの夜食だ。やった、ラッキー」
じゃあ、少し待っててねー、とキッチンの方へ向かうAIと、その様子になんの疑問も抱かない双子の様子に、ゆらぎは一拍だけツッコミが遅れた。
「え、いや、AIのホログラムって料理できませんよね!?」
「エイト・エイトは起動してから長いもので……ああ言った小芝居をよくするんですよ」
ゆらぎの言葉に、あっさりと右近は返す。が、そんな理由で彼が納得するわけもなく、苦笑いを浮かべた左近が補足する。
「いや、起動してから長いって理由だけじゃないよ。ほぼ同時期に支給されてるオレのAIに料理頼んでも、温めた料理プレートをテーブルに置かれるだけだぜ。……まぁたぶんだけど、当初この家住んでたオレ含めた連中の世話している内に、ああいう小芝居というか、親みたいな対応し始めたんじゃないかな。料理の好き嫌いが全員極端だったし、いちいち対応するのも面倒な連中だったしな」
懐かしい風景だと言わんばかりの左近の表情に、ゆらぎは困惑を隠せない。
「左近さんも、この家に住んでたんですか?」
「そう。二、三年前に出てったけどな。それでもエイト・エイトの料理はうまいし、たまに食べに来てるぜ」
「たかりにきているの間違いでは?」
「いいじゃんか。右近がちゃんとメシ食ってるかどうかの、確認も兼ねてるんだし」
どうも彼の言葉通りならば、この家には複数人の人間が住んでいたようだ。この広さや部屋数も納得できる。しかし、どうみても今は隣にいる右近だけが住んでいる状況。なんとなく違和感がゆらぎを襲ったが、空腹を刺激するいい匂いが立ち込める。
ぐぅと再びゆらぎの腹が鳴った。
「今もっていくから、獅子夜くん待っててね!」
軽快な言葉と鼻歌交じりで登場したエイト・エイト。彼の周囲には、物理ハンドで運ばれている三つの器があった。
「空腹限界の獅子夜くん用、ごろごろ野菜のスープです。ブイヤベースは、この間調べた改良型を合成してみたよ」
どうぞ、とテーブルの上に並べられた器の中身は、ゆらぎがこれまで見たこともない色と形をしたスープだった。香りもまた、見た目以上に食欲をそそる。
「うまそー」
「ああ、そうだな」
先輩二人がエイト・エイトに一言礼を告げて、スプーンで口にする。その二人の嬉しそうな顔に、ゆらぎはいてもたってもいられずに、スプーンを掴んで食べ始めた。
一口で止められずに、二口、三口とかき込むように、野菜を運び込む。あつあつのスープに、舌がやけどしかけたりもしたが、それでも水を飲んで冷ますと、また次を食べ始める。
がつがつと食べるゆらぎを見て、エイト・エイトは満足そうな顔をした。
「いいねー、こんなに勢いよく食べてくれる子がいてくれると、お兄さん嬉しいなぁ。見てておいしいってのがわかるのは、本当にありがたいよね」
にこにことするAIに対し、何か後ろめたいこともあるのか、双子たちは黙って食べ続ける。それなりに好き嫌いがあった彼らは、それはもう数多くのわがままを、AIに対してぶつけていたのを後輩には悟らせないようにしよう、と無言のまま誓い合った。
「ああ、そうそう。ユタカ司令官から、明日の十時に司令室に来るよう連絡があったよ。獅子夜くんも連れてくるように、だって」
三人が三人とも食事を終えた頃に、エイト・エイトが右近に告げる。その内容に、家主は嫌な顔を浮かべた。
「もう少し遅い時間にはできないのか?」
「だめだめ、さすがに今回の一件は早めに説明した方がいいよ。獅子夜くんだって、これ以上蚊帳の外に放置すべきじゃないし」
「……」
「右近が恐れるものは、AIのオレでも分かるさ。でも、彼はスバルとは違う。彼をスバルと同一視しないって、前に約束したよな?」
「……ああ」
すまない、と口に出した右近にエイト・エイトは満足そうに笑った。
その様子を横から見ていた左近は、からかい混じりに「司令官はめちゃくちゃ怒ってたぞー。あ、でも夢見博士は普段通りで、むしろ直接搭乗の件ですっげぇ興奮してたな」と、ここにくる前の光景を告げてくる。
「憂鬱だがしょうがない。獅子夜くん、明日はファロス機関の本部に……獅子夜くん?」
これまで何も尋ねてこなかったゆらぎを不審に思った右近は、彼の名を呼ぶ。が、それに対しても返事はない。
「あ、これ寝ちゃってるな」
隣にいた左近が、うつ伏せになっていたゆらぎの肩を揺らして、その顔を確認したところ、大変健やかな寝顔を晒していた。
「まぁ、空腹も解消しましたし」
「疲れてるだろうしなぁ……部屋まで運ぶの手伝うぞ、右近」
「ああ、助かる」
今日はオレもこのままこっちに泊まるかなと零す左近は、ふとした疑問を右近にぶつけた。
「どこの部屋だ? もしかしてオレが寝泊まりしてたあの部屋?」
客間に改造されていたのは知っているが、だがこれでは寝泊まりできないかも、と彼が思った矢先に、右近から静かに答えが返される。
「……スバルの部屋だったところだ」
その説明に、一拍だけ左近は動きを止めた。
「……そっか。うん、そうだよな。あそこは、もう誰も使わない部屋だもんな」
むりやり自分を納得させるかのような口調の彼に対し、話はもう終わりだと言わんばかりに双子の兄弟は指示を出す。
「左近は、獅子夜くんの足元を持ってくれ。俺は頭側を運ぶ」
「りょーかい、了解っと」
三人を見守っていたエイト・エイトは、静かにその場から消えた。
***
都市ファロスは、中央に街で一番長い塔があることが特徴である。その塔こそが、対ペティノスに特化したファロス機関の本部であり、その塔からイカロスたちが発射される。
塔の周囲ほど街は発展しており、主要な役所、対ペティノスの防衛学校、さらにはペティノス研究や医療機関も集中していた。
逆に街の外側へ向かうほど、植物園や食肉の合成工場、あるいは交通網が可視化されており、隠されているが街の防御に関連した施設も多数ある。
人々は、そういった施設の合間合間に住居を作っていた。
「というのが、大まかな都市ファロスの構造となります。移動は基本徒歩と自動通路。あのチューブみたいなのは……自動車の一種です。あんまり俺は使わないのですが、知り合いのパイロットの中には���あれのマニアも何人かいますね」
右近からの説明に対し、ゆらぎは「はぁ」と気の抜けた返事しかできなかった。何もかもが地下都市クーニャとは違いすぎて、驚くのも飽きてしまったほどだ。
「で、今からこの塔に登るわけですが、ここはさすがにセキュリティが強固ですので、獅子夜くんは俺から離れないように。ナンバーズ権限で、一緒に司令室まで向かいますから」
「は、はい」
右近が指差す先にそびえるクリスタルのように輝く塔。下の方へはより広がっていて、細長いラッパを置いたような形だとゆらぎは思った。
入り口と思われる場所は無人で、誰もいない。エントランスとも言えない場所に右近は立ち止まる。その横にゆらぎが並ぶと、入り口が一瞬にして閉じ、光が途切れる。完全な闇にたじろぐ彼だったが、すぐに二人の前にホログラムが現れた。
「……ペンギン?」
どういうわけか現れたのは、アデリーペンギンだった。いつだったか祐介がおもしろいと持ってきた映像にあった姿のままだ。
何故と首を傾げるゆらぎに対し、隣の男に驚いた様子はない。
ーーご用件はなんでしょうか?
ペンギンから女性の声がした。合成音特有の、ぶつ切りにされた音に、これまでのAIたちとは違い随分と雑な印象を抱く。ペンギンのくちばしすら動いていない。
「ユタカ司令官への面会を予定している、神楽右近だ。同席者として獅子夜ゆらぎもいる」
ーー音声照合実施。声門に相違なし。ユタカ・マーティンのスケジュールを照会、矛盾なし。未承認の人物がいます。この人物が獅子夜ゆらぎですか?
「ああ」
右近の右人差し指がゆらぎを指した。
ーー獅子夜ゆらぎを登録します。バッジを提示してください。
指示された通りにゆらぎは卒業バッジを掲げる。その瞬間、何か光の線が複数彼を通り抜けていった。おそらくなんらかの光学センサーが、彼の中身ごと分析したに違いない。
ーー登録を完了しました。それでは、司令室へと案内します。
ぴょこん、とペンギンが跳ねて背を向けたかと思えば、一瞬にして暗闇が消えた。
「うわっ、すごい……」
全面がガラス張りの箱のような部屋が、塔の中を上昇していく。何かしら特別な作りなのだろう。都市ファロスが眼下に広がる。
「それなりに機密の多い建物ですから……都市の景観が見られる代わりに、この塔でどれだけの人間とAIが働いているのか一切わからないようになっているんです」
そんな右近の説明を話半分で聞き流しながら、広がる街と覆う空を眺め続けるゆらぎ。彼の様子に、右近はこれ以上の説明は野暮かと思い口を閉じた。
ーー司令室に到着します。
先程の女性の声が響く。再度ペンギンが跳ねて、二人の方を見た。バイバイとジャスチャーのために羽をばたつかせたペンギンが、その場から消える。その直後に見えない扉が横に開き、広い部屋に出た。
大きな窓が都市ファロスを映し出す。その窓の前に置かれた重厚な執務机には、いくつかの画面が浮かび上がっている。全体的に品のいい家具で揃えられた部屋だった。
その中央に、男が立っていた。身長はゆらぎや右近よりも高い。一眼でわかるほどに、鍛えられた体躯だ。
「待っていたよ、神楽右近君。そして初めまして、獅子夜ゆらぎ君。ファロス機関の歯車の一つ、ユタカ・マーティンだ」
友好的な挨拶、浮かべる笑みは柔らかい。けれど、顔や手に刻まれた皺も、白髪に染まった頭も、血のように赤く鋭い目も、全てが年老いた狡猾な重鎮である彼を構成する圧となる。
「今回、君たちを呼び出したのはただ一つの理由からだ。神楽右近君。私は君に尋ねよう。何故、何も知らない新人に直接搭乗などという暴挙をさせたのか」
その言葉でようやくゆらぎは、目の前にいる男が非常に強い敵意を持っているのだと気付いた。
右近が挑発的な眼差しを添えて、質問に答える。
「俺のオペレーターを迎えに行っただけです。あのままでは、まず間違いなく今回の新人は犠牲となった。大多数の命を救うために、強行しました」
その迷いない答えに、ユタカは冷笑を浮かべた。
「そのために、直接搭乗のリスクも説明せずに、たった一人の新人を犠牲にすると? 確かに、事前情報で獅子夜君のオペレーター適正が高いことは事実だ。だが、直接搭乗はオペレーターに過度の負担がかかる。まして、基礎情報を直接的に脳内にインプットする『ダイブ』直後に、乱戦を行うことがどれだけの負担になるのか、長くイカロスに乗っている右近君が知らぬわけではあるまい」
何も知らないゆらぎにも、どのような事態だったのか分かるよう、ユタカが淡々と丁寧に説明を交えて問いかけていく。昨晩あれほど左近が怒っていたのも、この説明を聞けば頷けるものだっただけに、ゆらぎは顔をこわばらせた。
少年のその様子で、ユタカはパチンと指を鳴らした。途端に室内が暗くなる。
「どうも君は、獅子夜君に説明していないことが多いようだ。改めて、ペティノスやイカロス、そして現在の戦況について説明しよう」
ふわり、と天井から三つのホログラムが降りてきた。
一つはペティノス。
一つはイカロス。
最後の一つは、地球だ。
「約百五十年前に飛来したペティノスの正体は、現状分かっていない。彼らの形状も実に様々で、飛来した直後は絶滅した動物を模したものが多かったそうだ。が、近年ではその姿に統一性も法則性もない。ただ、小型なものは素早く、大型なものはパワー重視の戦略をとることは共通している」
ペティノスのホログラムが複数に分かれ、さらに形状が数秒ごとに変化していく。
「ペティノスが攻撃するのは、人類に限られる。数が大変少ないが、その他の動植物に対しての攻撃は、人間を狙うために巻き込むこと以外はないと断言していいレベルだ。つまり、あれらの狙いは人類の滅亡である」
ここまでいいかね、とユタカからの問いかけに、ゆらぎは無言で頷いた。
「ペティノスへの有効な攻撃方法は、必ず存在する人の顔を砕くことだ。砕く、と表現したが、それは銃撃でも切断でも構わない。ただ、顔を破壊しなければ、あれらは再生を続ける。
そして、その攻撃手段として開発されたのが、イカロスと呼ばれる機体だ」
ペティノスのホログラムと対峙するように、イカロスのホログラムが横に並ぶ。しかし、その形状はどこか弱々しく、ただの骨格標本と表現してもいいほどに細かった。
「イカロスは素体と呼ばれるものを基本とし、その周囲の装甲と武器をパイロットやオペレーターの得意とする戦法によりカスタマイズしている。獅子夜君が昨日、搭乗したあの青のイカロスは、乱戦を得意とする機体であり、背に羽のような銃を身につけた形状だ。似たような戦法をとる、黒のイカロスは腕を六本つけてのガンマナイフを用いた超接近戦での乱戦を得意とする。同じ銃を使う赤のイカロスは、長距離戦でのスナイパーのような戦法を。白のイカロスは、剣と銃を使い分ける中距離型だ」
ユタカの説明により、イカロスのホログラムが複数の姿へと変化していく。そこに映るのは、確かにゆらぎが見たあのイカロスたちだった。
「さて、そのイカロスだが、操作にはパイロットとオペレーターという二人の人間が必要となっている。パイロットはその名の通り、機体そのものの操作を行なっており、オペレーターは簡単に言うとレーダーだ。ありとあらゆる信号をキャッチし、あらゆる方向からの攻撃の察知および計算による敵の動きを予知レベルで推測していく。このオペレーターの成り手は非常に少ないのだが、理由は脳負荷が挙げられている」
そこでホログラムが一旦消え、どこかの映像が流れ始めた。そこには、ボサボサな髪を乱雑に結いあげた、白衣姿の女性が映し出されていた。
「今、写っているのは夢見・リー博士だ。ペティノス研究の第一人者であり、またオペレーター適正に対して脳科学分野からの研究もしている」
画像の中の夢見博士は、気怠げな口調で論文を読み上げる。
『つまり、オペレーターたちはありとあらゆる刺激を元に、自身の脳内に仮想領域を形成しているのです。AIならともかく、常に仮想領域を展開し続け、現実と仮想の二重の視界の中で戦闘をすることは、多大な負荷となっています。
ここで掲示しているのは、イカロスで取得できる情報量を徐々に拡大していったときの、オペレーターたちのストレス値の上昇具合をグラフ化したものです。
見れば分かると思いますが、一定の法則性があります。
そして、オペレーターを続けられる限界点の存在も見えてきました。これまでストレス値への耐性や、仮想領域の形成精度には個人差がありましたが、このグラフを用いればより適正な人材の判別および、長期的なオペレートの限界点の早期発見が可能でしょう。今後の進路適正試験において、これらの情報を元にしたオペレーター適正試験も導入すべきことが分かります』
そこで、ぶつりと映像が消えた。ついで、イカロスと地球のホログラムが再び現れる。
「これらのストレス値を軽減するために、導入されたのが間接搭乗という手法だ。二重の視界をなくし、より精密なオペレートを可能とした手法で、オペレーター病とも言われた頭痛・視力低下・記憶障害および色覚異常がなくなった。それを……」
そこで、再びユタカは右近へ視線を向ける。
「右近君は、利己的な理由で、一人の人間を使い潰すつもりか」
ぎらりとユタカの赤い目が右近を睨みつける。だが、右近もまた譲れない部分があったようで、負けじと言い返した。
「使い潰すなんて、そんなひどいことはしません。確かに直接搭乗にはデメリットも多い。が、メリットだってあります。それに、機体の性能向上によりAIとの連携も進み、オペレーターの負担は減りました。最後の空中楼閣撃破を狙うのならば、タイムロスの存在しない直接搭乗を行うべきです」
突如新しい単語が出たことで、ゆらぎは「あの、」と緊張した面持ちで手を上げる。ユタカは彼の疑問を察して、地球のホログラムを指さした。
「……確かに、右近君の言うことも、もっともな部分がある。だが、私は三十年前の大敗を知っている身だ。安易に、その意見を呑めない事情がある」
彼は、地球のホログラムのとある一点を指さした。その一点が拡大され、一つの奇妙な浮島が現れる。浮島は東洋のどこかの建築物を核として、その周囲に木々が生えている、なんとも奇妙なものだった。
これは……とユタカは説明を始める。
「空中楼閣と名付けられた、高度二十キロ地点に浮かぶ、ペティノスの拠点だ。この拠点周囲での時空転移により、ペティノスは現れ、地球に襲来する。……三十年以上も前に、地球上にこの空中楼閣は五十基ほど存在していた」
絶望的だったと続くユタカの感想に、ようやく彼の暗い過去が垣間見えた。
「人類の空中楼閣撃破が、初めて為し得たのは三十年前。とある英雄たちにより、その大半が撃破されたが……そこで油断してしまったのだろうな、人類は」
ずらりと地球上のいたるところにあった空中楼閣の映像は、その撃破の映像であったが、歓喜にも似た雄叫びが流れるのとは対照的に、ユタカの声は淡々としすぎている。
「最後の空中楼閣撃破を目指した人々は、ある英雄の死により任務を失敗。歴史的大敗により多くの同朋が亡くなったが、特にパイロットを庇ったオペレーターたちがその割合を多くしていた」
スッと、司令官の視線が右近とゆらぎの間を通り抜けた。まるで、誰かが彼らの間に立っているかのように、視線が固定される。
「……同じ悲劇を繰り返さないためにも、次の空中楼閣戦において、オペレーターは間接搭乗を行うべきだ。そして間接搭乗によって起きる、目下の問題として地上と高度二十キロ地点での通信ラグについては、多くの技術者と科学者が解決方法を模索している。そう、焦るべきではないんだ」
それまでの怒りが勝っ���口ぶりとはうってかわった、ユタカの諭すような口調に、しかし右近は噛み付く。
「ですが、基地本部とのコンマ一秒以下のタイムロスが原因で、あの最後の大敗が起きたと言われています。オペレーターとパイロット間でのタイムロスは、それ以上に命取りなのは自明でしょう。そして、人類に残され��時間が想像以上に少ないのは、俺の元オペレーターのスバル・シンクソンが証明しています」
あいつは、とそれまでにない激情を込めて右近は言葉にする。
「間接搭乗をしていたスバルは、それでも原因不明の病に倒れました。最期まで何の解決策もなく、薬も意味を成さず、原因すら不明で、この世を去ったんです。そして、スバルのような最期を迎える人間は、年々多くなっています。今は、確かにペティノスに滅ぼされていないけれど、いずれ時間が過ぎれば過ぎるほどペティノスに抵抗する力さえ失って、滅びるのは事実です」
右近の言い分で、ようやくゆらぎは、あの広々とした家の隙間を誰が開けたのか理解した。一緒に住むほどに、彼らは仲が良かったのだろう。そして、いなくなった後そこから引っ越しすることもできないほどに、未練を残す最期を迎えたのも察せられた。
その痛みをゆらぎは感じ取った。ユタカもまた、感じてはいる。いるのだが、頷けない。
「……これは、私だけの意見ではない。同じく、三十年前にオペレーターを亡くした現見さんもまた、直接搭乗には反対している。死の重みは、平等であるべきだ」
痛々しい吐露に、現見という人物とユタカが、同じ傷を負ったのだと察せられた。それでも、右近はたたみかける。
「現見さんには、俺が言います。俺が説得します。あの人だって、時間がないのは知っているはずです」
「そこまで言うのなら、明日のこの時間に他のナンバーズを召還しよう。そこで、君一人で彼らを説得してみなさい」
私ができる譲歩はここまでだ、とユタカは告げる。そして、彼はそのままゆらぎの名を呼んだ。
「獅子夜ゆらぎ君」
「……はい」
「君は、本当に直接搭乗でいいのかね? 先程から君の様子を見ていると、何も右近君から教えられていないようだ。先程説明したように、直接搭乗には多くのリスクが存在する。そのリスクを全て了承した上で、君はイカロスに乗るのか?」
ゆらぎは、どうすればいいのか正直分かっていなかった。
卒業してから、地上に出てから、ペティノスを見てから、イカロスに乗ってから、目覚めた先の空虚な部屋を見てから、右近の周囲の人間を知ってから……ありとあらゆる場面で、激情とされる何かは顔を見せていた。だが、その感情の正確な名前は分からない。それがどんな意味を持つのかも、彼は知らない。ただ、理解していることは一つ。
「おれは、まだ何一つ分かりません。分からないから、とりあえず右近さんと一緒に、イカロスに乗り続けようと思います」
「……そうか」
ゆらぎの答えに、満足はしていないユタカだったが、それでも一つの区切りとなったらしい。要件は終わりだと彼は告げて、退室を促す。それに右近は無言で頷き、ゆらぎは丁寧な礼をして去っていった。
再び、二人は都市ファロスを見下ろす見えない道を辿って帰っていく。その後ろ姿を見送ったユタカは、誰にも聞こえないことをいいことに、独り言を零した。
「きっと、こんな中途半端な私のことを卑怯者だとも言ってくれないんでしょうね、海下先輩と高城先輩は」
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埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。結論から言うとそんな事にはなっておらん。川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdfこの一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明というライターで、産経新聞と夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア、東南アジア系の人間が事故や事件、不法な業務、反マナー行動をしたものにクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人が毎日事件や不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本にクルド人は何万人いるのだろうか?だが実際のクルド人の数は2000人程度である。人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーンが成功しているのである。 それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミや大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。 地理「埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市の県境が表示される。https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82この一番左側の蕨駅付近が問題の舞台だ。まず、駅の東側にやたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである。この碁盤目は元々は大正時代に田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近は江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その��水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地の権利も整理したものだ。ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎の農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主やマンションの大家である。この田んぼが戦後の高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ。元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道だからであり「その道路の権利は細切れになって付近の家の持ち��が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので金を出し合って舗装工事をするという事が出来ない。更にこの路地は通り抜けが出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主が権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用を負担したくないので碁盤目に見えて行き止まりの路地ばかりという事になっている。 1990年代初頭に建築基準法が改正されるとセットバックの義務と接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である。これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバックの義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだが不動産的には不良である。この路地をストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパートで路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道側隣家のセットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ。奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である。蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ。高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ。私有地である用水路の暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず、水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。 さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別の問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題、家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまうリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ。最近じゃ米国都市部も日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しのトラックも入れない、なんていう借家やアパートの大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人でリスクが高いが…」という妥協の産物だ。 このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市の飛び地みたいな三角の土地があるだろう。ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場のUR団地(電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。路地のセットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校や幼稚園が線路の反対側で遠いのだ。ここも同様の理由で昔から外国人が多かった。 「蕨」なのに「川口市」であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系の住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。「川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域は西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。 始まりはヘイトデモクルド人問題がおかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会のヘイトデモに遡る。2009年に在特会はオーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅の南側、西川口駅寄りだ。このデモに左翼運動からの転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」というコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人に因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散地から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗やハーケンクロイツとなっていった。そんな中で在特会は芝園団地付近でクルド人に住民が迷惑しているという情報を掴む。そこでヘイトデモの開催地は蕨駅~西川口駅から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルートを許可していても判らなかったかもしれない。 こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間の犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。 もう一つの理由がトルコの少数民族問題で、トルコは親日国で、そこで問題化している少数民族のクルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題を親日反日でしか捉えれない人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローである。そもそも少数民族問題は国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドでタバコを吸うバカの如しである。 故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題を理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間の不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである。 続く https://anond.hatelabo.jp/20231004185255
蕨と川口とクルド人の問題に関して その1
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【Kenshi】レジェンダリーなKenshi - Part3【チートMOD有】
前回からそのまま続いて賞金首狩り。で、次がゴリロ盗賊団のアジトへ。
ちゃんとメイトウの板剣を振り回せる筋力になってて草。 器用さもなんか異様に高いけどなんで?ww
まぁ、それでも南東エリアの中では最弱の派閥だったからサクッと終了。
んで、少し移動したらMODで追加されたロケーション発見。
そう言えば前に遊んだ時にも発見して事あったわ。
なんかサザンハイブから離れたハイブの村って感じだった気がする。クイーンとキングから逃れて自分たちの住める地を探してる……とかだったけど、なかなかに良いステータスしてるんだよな。
攻撃80ならテックハンターにでもなれば良いじゃない、とか思うがハイブ的に放浪はしたくないのかね。
で、なんとか制圧。いやー、アイゴアみたいなのが2人も混じってるんだもの……気づいたら夜になってたYO!ww
メイトウもばっちり持ってた。んで、メモも持ってたから読んでみたが、さっぱり分からん。
「エルド」って名前の人物、Kenshiに居たっけ?とか思いつつ西方面の奴隷市場や人狩りの拠点とか一応チェックしてみたが、それっぽいキャラは見つけられず……。
ちょっとFCSで中身見て確認しようかと思ったが止めたww なんかフレーバーテキストっぽいし、私がFCS使っても分かる気しなかったww
そんで、お次はフィッシュ・アイランドへ移動。やっぱ若干見た目変わって強化された個体が混じってた。
しかもフォグプリンスみたいに3000Catする頭がインベントリに入ってたww
で、親玉のキングはバッチリ強くなってた。メイトウもちゃんと使いこなしてて草、とか思ったが、割とあっさり終わったww
周りの雑魚敵がそこまで強くなかったせいだと思われ。
次はどうしようかなぁ、とか悩んだ結果、バグマスターの所へ。
しかし、これが失敗だったわ。いや、強いのなんの。滅茶苦茶デカい老齢の赤蜘蛛を無力化するだけで大惨事。
それでも回復速度100倍の寝袋で体制立て直してバグマスターに挑んだんだが、マジで何回ロードし直したのか分からんくらいやり直したわww
多分だけど、バグマスターのステータスより防具と武器がヤバい気がする。攻撃当たるけど全然ダメージが出ないww
なのにバグマスターの叩き出すダメージは3ケタが当たり前なんだもんなぁ。
で、仲間の一人が左腕を失い、
もう一人が左腕と左脚を失ったZOY!!
撤退するか28体のソルジャーをここに呼ぶか悩みつつ、何度も何度もロードを繰り返して挑戦した結果、なんとか撃破。
いやー、前にプレイした時より苦戦したわww もしかして、MODのアプデで強く設定し直されたりとかしてるんだろうか……。
持ってる武器のダメージもエグいが、重さが37Kgしかないから怪我してもブンブン振り回してくるんだもんなぁww
一応、作戦としては1階に寝袋敷いて、1人だけ受動戦闘状態で救助係にしてた。
で、気を失ったキャラは↑みたいに「防御態勢、固守、受動戦闘、隠密」状態をキープ。HPやばそうなキャラから順に救助係使って寝袋に移動して治療……って感じ。
回復速度100倍の寝袋MOD使ってるから出来た戦法だけど(俗にいうゾンビアタック)、普通にやったら死亡者出さずにバグマスター攻略ってできるんかね……?ww クロスボウで一斉射撃とかなら行ける……のか?ww
まぁ、それでもバグマスターを撃破できたから一旦、自拠点に帰還。遠征中に仲間になったキャラの筋トレさせつつ、暇になったのでバグマスターのメイトウを持たせたキャットで試し切りをしてみる。
ちょいちょい動物相手にしてたが、何となくでアッシュランドへ片足突っ込んだら、やべぇ敵が出てきたww
なんか前は青い鎧系で油圧式のスケルトンが徘徊してたと思ったが、別な種類も追加されたんか……?
とりあえず逃げてみる���足早ぇぇ! 運動スキル99のキャットで引き離せないって……なんだこいつ!?
とか思いつつ、拠点にゴールした途端、仲間に囲まれてボコボコされて止まったww
持ってた武器を一応チェックしたがエッジ3でも73Kgは要らねぇww 両腕を義手にしててもちょっと怪我したらもう振り回せなくなりそうww
そんな感じで、なんやかんやありつつ、今度はサザンハイブの領地へ遠征。
クイーンもちゃんと防具付けててステータス80~90って感じだったわ。エリートドローンもそこそこ強いなぁ、とか思いながら見てたら、なんか珍しい感じのハイブが↑。
これってもしかして商人だったりするのか? 話し合いで買い物とか出来た可能性が……いや、でも道中で問答無用に襲われてきたし……。ちょっと気になるNPCだが何も分からんww
あとキングも倒して見たら6万Catの換金アイテムが追加されてた。
で、サザンハイブの後は皮剝ぎ盗賊の元へ。
そしたら「最後の砦」を発見。前からあったらしいが、私は初の発見だったww
テックハンターの拠点らしい。マジの初見のロケーションだったから敵陣地かとおもったZOY!ww
ちょろっと会話できるNPCが1人居て、バーで食べ物買い足して再出発。
で、皮剝ぎ盗賊の拠点行ったら、中ボスっぽい奴発見↑。見た目がヤバいww 中途半端にスケルトンの部分が出てて更に怖いww
しかし、サヴァンを守り切ることなく終了。サヴァン本人もサクッと終わった。
皮剝ぎ盗賊の次はアッシュランドへ移動。手始めにドーム1に行ったらベヒーモスとかいうデカいスケルトン個体が混じってた。
これにプラスで強化された農務長官倒したけど、やっぱアッシュランドは凄まじいww
ドーム2にも行ってみたがライノボットの一撃が重すぎるww
胸か頭に食らうと一発KOだぞ!ww 下手なタイミングで起き上がると即死しそうでヒヤヒヤするww
あと、取り巻きのステータスもえげつねぇ。何体居たか数えてないけど5体くらいは居たような気がする。
それでも何とかライノボットからAIコア��く事は出来たんだけども。
いやー、なんか前に遊んだ時よりきつく感じるww 部隊人数もキャラのステータスも左程変わらないと思うんだが、軽装備で来たのが不味かったか……。
とか思いつつ寝袋で順番に回復させてたらヤバい個体が来た。Legendary of Kenshiのアッシュランドはコイツが無限にスポーンして徘徊してるから怖いんだよなぁ。
休憩するなら制圧したドーム内か小屋建てた方が良かったかも。
(あと個人的に、漁村で仲間にしたギルマンの元同僚じゃないかと思ってるww ギルマンと同じでこの敵も片腕が義手なんだが、まぁ特に何か言及されてる訳ではないからハッキリした事は言えないんだが)
んで、やっぱ生身のメンバーじゃキツイ。って事でスケルトン部隊結成。
工場長とかアグヌとか「憲兵!憲兵!」言ってたエラーソルジャーとか全部のスケルトンを1つに纏めてアッシュランドへGO!(人数的には38体の部隊になりやす)
順調に敵を蹴散らしつつ前進してたら前にキャットを追いかけまわした個体と同じ種類の敵に遭遇。
逃げられる足の速さじゃないから普通に戦ったけど、流石に38体 VS 1体じゃ勝負にならなかったww
で、ジャング将軍と勝負! 殆どのキャラがフォーリング・サン使ってたからドームの中から敵をつり出して戦ってみた。
結構な混戦にはなったが、ドームの中よりカメラが追いやすいから戦況はつかみやすかったわww(まぁ、ただ、あんまり時間かけすぎると油圧式の巨人も参戦してくる時あるから外での戦闘はあんまりするべきじゃないんだよな)
そこそこ敵を倒してCPUとか抜いてたら、ここで工場長ダウン。
割と余裕をもってアッシュランドを進軍して来てたがきつくなってきたww
ゆ、許さんぞ! 貴様ら! 工場長の仇!……って感じで次回へ続く。
次回へ
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2024.3.25mon_tokyo
「雨は路上の屑を洗い流してくれる」とロバート・デニーロも言ったけれども、その夜は流し忘れがあったようだ。
安物のスペイン産ワインとナッツをボロボロのトートバッグ(高校の時に買ったもので、ちょうど12インチのアナログ盤がピッタリ入る寸法になっている)に突っ込んで、仕事終わり帰路に着く。耳元で最大音量で鳴り響くのは、グラント・グリーン。駅のホームまで雨に濡れたブルーな街にはグリーンが似合う。ケニー・バレルなんか聴いていたら泣いちまうよ。
と、水浸しのアスファルトに赤い花びらの散っているのが見えた。血まみれの鱗みたいだ。ちょうど仕事先でクロソイを捌いたばかりだったし、仕方がない。下品な比喩を許して欲しい。とはいえ夥しい数の花びら。意表をつかれて空を見上げると既にグリーンになりかけていた桜の木が両手を開いていた。桜だったんだ。随分と寂しい春の迎え方をしてしまった。雨の怠けた仕事ぶりに落胆する。全部流してしまったらよかったのに。
春、まだ空気の冷たい春。ボクはイランにいた。ペルシア語と、現代詩と、哲学を学ぶ学生だった。留学とは言っても、授業はほとんどオンライン上で行われた。COVID19なんてものもあったが、イランにいたのは2022年のことだからこのウイルスが原因ではない。端的に言えば、イラン国内が混乱状態だったのだ。ボクがイランに入国する前日、路上での大規模なプロテストが報じられた。プロテストの内容は、1人の女性の死に関する体制に対する責任追求だった。北西部の街、サッケズから親戚の元を訪れていたクルド系イラン人女性が、その服装を理由に警察に勾留された後に息を引き取ったのだ。人々は彼女が拷問を受けていたとして、警察と政府に説明を求めたのだった。このプロテストはやがてイラン全土に広がり、各国のマスメディアはこの混乱を「1979年のイスラーム革命以降最大の危機」と報じることとなる。イランは、1979年に一つの転換を迎えている。新米政権を担っていた当時の国王(この時のイランははパフラヴィー朝として王が最高権限を持つ王朝体制だった)を、石油採掘による利益の独占や社会保障制度の不十分などを理由に国民が自らの身体を以って追放したのだ。その後に政権を樹立したのが、現在まで続くイスラーム共和制の体制だった。法制度はイスラーム法を下地としたものに刷新され、女性は外出にあたってヘジャーブと呼ばれる布で頭髪を隠す、臀部まで覆われる丈の長い衣類を装着するなどの服装既定が設けられた。2022年の抗議はこうした現体制のあり方に対する熱烈なアンチテーゼだったのだ。
ただ、イランで暮らした日々の追憶の中でボクの脳裏に焼きついているのは「運動家」たちの顔ではないのだ。寧ろそれは、写真家であり、演奏家であり、医師であり、コックであり、整備士であり、詩人であり、教師である人々の顔だ。ボクが毎日ウィンストンを買いに通っていた売店の2人のおじさんの顔だ。柘榴から作ったという密造蒸溜酒の満ちたグラスを交わして、ハーフェズの死を誦む詩人の声、交差点を守る武装警官たちの去った闇夜の路上で吠える男のアルトサックス、北部、ラシュトの森の中で、七面鳥がボクの革靴を踏んづけるのを見ていたあなたの笑い声。近所のカフェのウェイトレスが、自殺したと聞いた夜。自らの生を生きることは、ただ生かされることとは必ずしも重ね合わない。生活する者たちの目に青い焔が揺れているのをボクは見た。そしてその灯は食事の時も、情事の後の「小さな死」の最中にも、消えることがなかった。
午前1時35分、東京。スペイン産ワインはもう底をつきかけている。グラスを持つボクの右手の甲には火傷の跡が浮かんでいる。老子がいつか言っていた、博打をしてでも手を使え、と。だから、火傷跡のある右手と切り傷の左手で下手くそなギターを弾いている。イランでの生活が教えてくれたのは、生活が、日常が、闘いそのものであるということだった。闘いは、夏休みにやるものでも、有給を貰ってやるものでもない。何気なく呼吸している最中にも、常に流れる時の瞬間が闘いであり、生なのかもしれないと思う。だいたい呼吸は受動的なものだ。呼吸によってボクらの肺が直面するのは酸化という事態だ。望む望まぬに関わらず、生きるためには酸化、つまり腐敗せねばまならぬ。泥人形からボクたちを作った神様の気まぐれを恨むわけにはいかない。生の根本的矛盾。しかしこの根本的矛盾の間に、とてつもないエネルギーが生まれることがある。それは痙攣的なもので、重層的なものだ。電気信号のように、そのエネルギーは身体を踊らせる。テヘランの地下鉄で、印象的な場面に出くわした。ショートヘアーで、デニムと黒のタートルネックを着ていた1人の女性が突如として踊り出したのだ。ヘジャーブは身につけていない。音楽が鳴っていたのかすら、ボクの記憶にはない。混乱。彼女の周りにいた人々ができたのは何か���ろしいものでも見るような表情で彼女の痙攣的な身体の動きを見つめるだけ。次の停車駅で彼女は何事もなかったかのように車両を降りて行った。その様子を語り尽くそうとて、虚しいことだった。例えピントを合わせたとしても、それは一部に過ぎない。言語活動というのは単焦点レンズと同じようにできているのだ。だから、「全体」を捉えようとするボクたちの試みはいつも失敗してしまう。それなのに、いや、だからこそボクはその美に魅了されないではいられない。
午前2時をまわった。半地下の一室、レコードプレーヤーからはチリチリとしたクラックルノイズが微かに聞こえてくるだけで音楽は聴こえない。この時間になると外から聞こえてくるのは木々の囁きくらいだ。ボクの住んでいる部屋の周りにはこの地区で最後の原生林が細々と残っている。この木々たちも、踏んづけた桜の花びらで春の訪れを知った男のことを憐んでいるのだろう。とはいえ、日記をつけること、回想することは気に入っている。ボクが確かに経験してきたことと、いまのボクの生活を結びつけるか細い糸を見つけていくような気分だ。明日は朝から足元ではなく空を見てみよう。もっとも、朝に起きられたらの話だが。おやすみなさい。
終
-プロフィール- Nagi 23歳 東京 イタリアン料理人、演奏家崩れ https://www.instagram.com/moriarty___57
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5月22日のツイート
2023年にようやく第4話公開予定。 twitter.com/misttimes/stat…
posted at 23:59:45
RT @ToucyuKasou: 麻子さんパネルの件、パネル返却しろってリプしたファンも大洗在住っていうのがな…#ガルパン
posted at 23:54:29
RT @mogettyo: @kizashi19830720 全部ツイッター上でかみ砕いて書くと 大洗ホテルの人「麻子誕できない」 ↓ 「パネル返上しろ」 ↓ 「ファンの言葉は大事なので返上します。週明けにやりますね」 ↓ 朝方 『やっべ大事になってる鍵かけよ』 現在こんな感じ
posted at 23:53:50
RT @oarai_shimachan: 今回このような急な展開に至ったのは「脳腫瘍だろMRI取れよ」と言われた事が一番の理由です。 私に対しての発言は別に構わないのですが、ご病気で苦しんでいる方に対する軽視・蔑視した発言と受け止めました。それが無ければ引き返す事が出来たかもですね。
posted at 23:53:36
「大洗ホテルの冷泉麻子さんパネルが撤去される件」togetter.com/li/2151327 をお気に入りにしました。#Togetter
posted at 23:51:19
辛いのは意図的だったんだ……
posted at 23:36:12
>スパイスカレーは、松屋の公式によれば「大変辛いので、辛いものが苦手な方やお子様はご注意ください」とあります。そうはいっても、常識的な辛さの範疇ではあると思います。 (略) >もちろん、「ネギが嫌い」「辛い食べ物はどうも……」という人には勧められないものの、 ascii.jp/elem/000/004/1…
posted at 23:35:20
RT @ascii_gourmet: 松屋のスパイスカレーにネギ、意外と合うじゃないですか ascii.jp/elem/000/004/1…
posted at 23:33:23
松屋の「ねぎたっぷりWソーセージスパイスカレー」を食べた。松屋のカレーってこんなに辛かったっけ。ネギが辛さを増強していた。とろみがほとんど無いのでスープカレーみたい。 pic.twitter.com/2m8F42eaoU
posted at 23:24:24
お疲れ様でしたー 今週もデパプリネタ聴けて嬉しかったです ATは良くも悪くも独演会でしたな… #muuun #yukachi
posted at 23:20:11
しょうもない話で10分w #muuun #yukachi
posted at 23:11:18
メイクしたまま寝てるんだ…… #muuun #yukachi
posted at 23:03:23
角度変わった #muuun #yukachi
posted at 23:00:45
通話口を蛇口と言い間違えw #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:55:46
デリシャスマイル~ #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:53:56
出オチw #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:50:21
菱川花菜さん馬瀬みさきさんお誕生日記念「スマイルメニュー◎」 #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:47:44
おっさんやなー #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:45:19
ウ○コみたいな道w #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:34:25
日帰り弾丸出雲大社 #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:31:33
ウーバーゆかちw #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:29:10
ノリツッコミ習得済みぱよくんw #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:28:41
かやのんセレクトのお店 #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:10:58
菱川花菜さん二十歳の誕生日パーティで酒呑んで「デリシャスマイル~」 #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:09:11
呑んだくれパーティプリキュアw #muuun #yukachi #agqr
posted at 22:07:17
別途、玉露ぶらぶらを左衛門で購入。近場のスーパーでたまに売られるようになった博多ぶらぶらと異なりこちらは現地でしか売られ���ないはず。 pic.twitter.com/JMMBL3CcV9
posted at 20:38:38
親戚から「これ知っとう?」とお土産にいただいた。食べた事は無かったがぶらぱい自体は��っていたので例の件も話す事に。 pic.twitter.com/3PcMxNJfQB
posted at 20:35:38
マイングのお菓子の香梅で旅行支援クーポン使って陣太鼓を買おうとしたら対象外店舗だった。福岡県にある店舗でも熊本銘菓だからだろうか。想像だけど。 pic.twitter.com/wB1ibEg0P3
posted at 20:31:30
RT @medicos_et_02: 【クラファン目標達成】 『#プリンセス・プリンシパル Crown Handler』 第3章公開記念の再販プロジェクト⚙ 超像Artコレクション「アンジェ」 ✨フィギュア化決定✨ 皆様の応援のおかけで目標達成いたしました ご支援ありがとうございます 引き続き応援お待ちしております soreosu.animatetimes.com/projects/pripr… pic.twitter.com/NMTkBtXMdq
posted at 19:33:19
香椎線のキャラクターが誕生してた。「でんちゃん」普通にかわいい。 pic.twitter.com/fDgqfeJhKN
posted at 18:51:05
RT @Rapid_9391M: 我孫子の唐揚げそば、実は年々ちっちゃくなっていってるんだよね… 最近は大きくなったというツイも見たけど >RT ←2020年夏 2022年夏→ pic.twitter.com/kSf3hkTkYK
posted at 12:26:52
RT @TANAKA_Kei: 仮にそれを知らないでそのように拡散しているなら、あなたはまんまと「マインドコントロール」されているのでご注意くださいね。
posted at 12:24:28
RT @TANAKA_Kei: この映像見て「デモへの弾圧」と考える人が新聞記者を名乗って事実を捻じ曲げ記事を書くって怖い。映像見る限りでも、機動隊が取り押さえているのは一人だし、それを奪い返そうとしているデモ隊を押しとどめているだけ。動いていないデモ参加者に対しては何もしてない。デモへの弾圧などではない。
posted at 12:24:11
RT @TANAKA_Kei: 中核派だろうが誰であろうが、警備している警察官に殴り掛かれば逮捕されるんだよ。 twitter.com/KJvdcYYG7rONyU…
posted at 12:24:07
RT @sachimiriho: 広島に先立ち長崎保健相会議でG7が揃って献花されてるんです。報道が少なすぎたせいと思います。報道すべきはゼレンスキー氏がどの車に乗ってるかではありません、それはテロ協力です。 G7は長崎にも献花しています。岸田総理、安倍さん、関係者の方々の努力に感謝致します twitter.com/mikio555/statu… twitter.com/chiakitokai/st… pic.twitter.com/GwZ4gE1h28
posted at 08:16:18
番組で読まれてたのは「ハムエッグとマヨネーズ」だったよなあと思いつつ選択したが正解だった。 youtu.be/lyd8xQPcbU0?t=…
posted at 01:15:48
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【新潟県謡曲古跡めぐり中越編】3箇所目 2021/6/28
能「松山鏡」「田村」
鏡が池 《 十日町市松之山中尾 》 平安時代の話だという。歌人として有名な中納言大伴家持が、朝廷の命令で東夷征伐に向かった。文人として素晴らしい才能を持っていたが、弓矢を取っては素人の家持は、すっかり蝦夷に追いまくられて都に帰ったため、ついに引退を命じられた。
家持はその後、諸国流浪の旅を続け、越後国松之山に落ち着いた。そして篠原形部左衛門と名乗って、ほそぼそと暮していた。
形部左衛門には、妻と京子という娘があった。京子は気品のある美しい娘だった。一家は貧しくとも平和に暮らしていたが、そのうち妻が不治の病で倒れた。助からないと覚悟をした彼女はある日、娘京子を枕辺に呼んで、
「母は、もう助かりません。この鏡を形見にあげますから、私を見たくなったらこの鏡を見なさい」
といって、息を引き取った。
ただでさえさびしい田舎暮らしに、母を失った京子は悲しみに堪えきれず、毎日鏡を持って近くの池のほとりにたたずみ、鏡に映る自分の顔を母の顔だと思って泣き悲しんでい���。
その後、形部左衛門は、ある人の世話で地元から後妻をもらった。その後妻は悪い女で京子を憎み、夫の留守をねらって京子をいじめた。それでも京子は自分の尽し方が悪いのだと思い、一生懸命に真心をもって仕えた。しかし後妻の非道は、ますますひどくなるばかりだった。
ある夜、恋しい実母が枕辺に立って京子を招いた。京子は、その後について行くと、池のほとりまで来た。
ふと池の面を見ると、母の姿が水の上にありありと映った。京子はあまりのなつかしさに鏡を抱きしめ、池の中へ飛び込んでしまった。
それから何年かたったある日、東夷征伐に来た坂上田村麻呂が、形部左衛門と名乗っている家持をたずねた。久しぶりに会った二人は、夜の更けるのを忘れて話し合���た。その時、家持の詠んだのが、
鵲(かささぎ)の渡せし橋におく霜の
白きを見れば夜ぞ更けるにける
という名歌といわれる。
その後、都に帰った田村麻呂のとりなしで、家持も都に帰り重要な官職につくことができた。
後妻は京子が池に身を沈めてから自分の非を悟り、夫と別れてその地に残り黒髪を剃って尼になった。そして、家持が秘蔵していた観音像をもらって池のほとりに草庵を建て、京子の菩提を弔いながら読経三昧の生活を送り、六十六歳まで生きたという。
今も、この物語を秘めた中尾集落に、「鏡ヶ池」「お京塚」「形部屋敷」などの古跡が残っている。
また、京子が投身自殺した鏡ヶ池の浮き島に、京子が投身する時持っていた鏡の裏に彫刻してあった、赤い花の水仙が化生したと伝えられる水仙が繁茂していたが、明治の末ごろ、酒に酔った若者によって枯らされ今はないという。
この伝説が、明治時代にドイツ語に翻訳され、「世界童話集」に収録された。そして、後に尋常小学校の教科書に載り、また謡曲や落語「松山鏡」としても親しまれるようになった。 また、鈴木牧之も『北越雪譜』の中の「菱山の奇事」で「松山鏡」について触れている。 永い間に数度の地すべ���によって変容し、当時の様子を変えてしまったが、「松山鏡」を後世に伝える為、池畔近くにある、樹齢約1000年の大杉(県指定文化財、通称亀杉)があり、その昔を物語っていたが、豪雨の影響などにより、平成23年(2011)8月2日 夜9時頃倒壊してしまった。
家持の万葉歌碑があって、三首の和歌が書かれています。
あしひきの山桜花 ひと目だに 君とし見れば吾恋ひめやも
吾が宿の萩咲きにけり 秋風の 吹かむを待たば いと遠みかも
かささぎの渡せる橋に おく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける この松山鏡の話は、能以外に長唄としてもあり、明治34年(1901)には「孝子の鑑」として、尋常小学校国語読本に紹介されています。
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