#すぐさま眼医者
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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは、久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。
けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
*
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界*準備中。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化作用があるということだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用でもあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きること��あるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に渡すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
*
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
*
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めたり、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖かく守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登るときにだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶��存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
*
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応しやすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいのだと。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
*
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つくった首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるようなものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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2022年2月18日、最高裁第2小法廷は、乳腺外科医事件について、『せん妄』を否定して有罪とした東京高裁判決を破棄し、東京高裁に差し戻した。 乳腺外科医事件は、乳腺外科医が自ら執刀した女性患者の胸を術直後に舐めるなどのわいせつ行為をしたとして逮捕・起訴された事件である。東京地裁は術後の『せん妄』の可能性を認め、また科学捜査研究所の杜撰なDNA検査を指摘して無罪とした。ところが控訴審の東京高裁はせん妄の専門家の意見を無視し、独善的に術後『せん妄』を否定して逆転有罪とした。このため弁護側が最高裁に上告していたものである。筆者も当時、控訴審判決を本誌において批判した1)。 最高裁が、術後における『せん妄』の可能性を否定した東京高裁の判断に問題があることを認め、東京高裁判決を破棄したことは、とりあえずは安堵するものであった。ただ、この最高裁判決から約1年が経過したが、差戻審公判はまだ開かれていない。 最高裁は判決文で、(1)手術の内容、麻酔薬の種類・使用量、疼痛の訴えと鎮痛剤投与状況等を総合的に評価し、『せん妄』を否定した高裁判決が、東京地裁の判断の不合理性を適切に指摘しているとは言えない。(2)ただ、アミラーゼ鑑定、DNA鑑定の結果によっては女性患者の被害証言の信用性が肯定され、『せん妄』についての判断の誤りが判決に影響しない可能性がある。(3)控訴審にあたって検察官、弁護人双方からDNA定量検査を含む事実の取調べ請求があったにもかかわらず、その取調べを行っておらず、審理が尽くされていない─としている。 術後『せん妄』をめぐるトラブルの可能性については、我々医療者も十分注意を払うべき問題であるが、とりあえず最高裁で術後『せん妄』の可能性が否定されなかったことは評価すべきことであろう。 科捜研のDNA定量検査の杜撰さは、すでに第1審である東京地裁で、審理済みであることから、『推定無罪』の原則に基づけば、最高裁は刑訴法413条但書きにより破棄・自判(無罪)すべき案件のようにも思う。第1審判決があるにもかかわらず差し戻したということは、科捜研検査という警察・検察の面子に配慮した判決なのだろうか。いずれにしても、��だ裁判は終わっていない。ここで関心が薄れることがないよう、我々医療者も差戻審の成り行きに注視していく必要があろう。
【識者の眼】「乳腺外科医事件差戻審の行方はどうなるであろうか」小田原良治|Web医事新報|日本医事新報社
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愛のふりだし
「いかにして役立たずを愛するか?」
最近読んだ小説に書いてあった。物語は、酔狂な慈善家が、不具者、醜女、老人、性的少数者その他あらゆる「役立たず」の救済に立ち回る、というもの。
私たちは基本的に物事を役に立つかどうかを見ている。最新家電や、有用な資格や、いかした服が欲しい。それは人間に対する視点もそうで、気の利く後輩や、頼れる上司や、賢い友達や、身持ちのいい恋人や、太い実家が、役に立つなら、そばに置いておきたい。もっといえば、役に立つなら愛せるし、役に立たないなら、愛するのは難しい。これは露悪でも優生主義でもなくて、我々はそういうスカウターみたいな色眼鏡をかけさせ��れて生きている。
他者を愛せないことは怖い。そして他者から愛されないことはもっと怖い。先天的な障害は誰にとっても「そうだったかもしれない自分」であり、後天的な障害は誰にとっても「そうなるかもしれない自分」である。誰かを役に立たないといって断じるとき、いま現在たまたまそうじゃない自分があぐらをかいて嗤っている。
我々は役に立ちたい。一見美しい情動だ。役立って愛されたい。その実、役立たないと愛されないのを知っているから。勉強して知識を蓄え、運動して体力を養い、気を遣い、冗談を言い、口淫をし、席を譲り、金を払い、常に自分を役立たせたい。自己愛に置き換えても同じだ。自分が自分の役に立っている。その実感が自己を愛させる。
機械化によって人間の仕事が奪われる、といわれて久しい。農業も畜産も漁業も林業も建築も金融も小売も卸売も教職も医療もマスコミも司法も行政も戦争も性欲処理も芸術さえも、全ての仕事が機械化されたら、全ての人間は役立たずだろう。
役に立とうとすることがダメだと言いたいわけではなくて、だから、愛されるために誰かの役に立ったり、愛するために誰かを役立てたりしていたら、いずれ誰も愛せなくなるし、誰からも愛されなくなるんじゃないかってことがいいたい。
そもそも愛って何だ。
高校生の時から使っている市営の駐輪場に、おっさんたちが働いている。定年後と思われるおっさんたちは、高年の男性特有のどこかぶっきらぼうな気さくさでいつも我々利用者を迎え入れ、見送ってくれる。この4月から、その駐輪場に機械式のゲートが導入された。利用者にはICカードが発行されて、契約期間の更新の管理もそれで行うことができる。だからといって、おっさん達が仕事を追われたというわけでもないようで、人員もどうやら以前と変わっていない。ただ、おっさん達はどこか手持ち無沙汰な様子。出入りするゲートには、ICカードの読み取り機が設置されている。見ればわかるのに「←ここにカードをかざす」なんてわざわざ手書きの貼り紙がある。おっさんたちの仕業だろう。四方をセロハンテープで補強されたポストイットに、そこに書かれたおっさんの筆跡に、その人間臭い承認欲求に、俺は親しみを覚える。これは愛だろうか。多分違う。でも少しは近いかもしれない。
「いかにして役立たずを愛するか」
だから、たぶん、私たちにいずれ必要なのは、無償の愛ではなくて、愛着だと思う。手垢のついた古道具みたいな。できれば、わたしとあなた、双方向の愛着。愛着が生まれるには、ひどく時間がかかる。とっくに時代遅れで、とっくに型落ちで、とっくに役に立たなくなって、それでもなぜか手放せない、しみったれた未���とも違う、あのあたたかい気持ちの正体を、俺たちは見極めていかないといけない。愛着って言葉に愛って字が入ってるのは、なんて皮肉だろう。
もっと個人的なことも書けるけれど、これでやめます。
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成田悠輔氏の言動によせて。5年前に書いたものを少し書き直しました。
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MCUムーンナイトの“金魚”について
・ムーンナイトにおける金魚(goldfish)。片ヒレの友達であるガスに限らず、金魚そのものに……傷を抱える人々、交代者の存在、ロロの思い出と投影であるとか……いろんな暗喩が、さまざまなものが込められてそうだなあと考えながら……
金魚鉢→「プライバシーがない状態/監視・管理されてる」という表現にも用いることを知り……なるほどなあと……
1話における金魚鉢の中の金魚(「The Goldfish Problem」というタイトル含め)は、マークに見つめられているスティーヴンでもある訳だけれど。じゃあ最後6話に強調された2匹の金魚達(マークとスティーヴン)を眼差している/金魚鉢の外側にいるのは誰なんだというと、ジェイクってことなのかあ、と。
・SNSで毎週公式アカウントから出ていた、各話のキーアイテム画像。
1話のキーアイテムは、「金魚」と、「カップケーキ」な訳だけれど……金魚=マークの弟であるロロの象徴だし、ケーキ=もう食べられない幸せの象徴としての誕生日ケーキ、過去/停滞の象徴としての蝋燭を全て吹き消すことができなかった誕生日ケーキ……に繋がるしで。1話は、弟の存在と死を暗示させるキーアイテム合わせだったんだなと……今更ながら。
・ジェイクの片目についても。3話や5話の……マークの自傷を感じさせる描写とジェイクの繋がり(3話ラストのぐちゃぐちゃの部屋に映り込むジェイクの手袋、5話のマークがハロウを襲うようでいて最後には片目を自傷しようとしてるような描写)と。“片方の”ヒレ、“片方”の目、“赤い色”、などの連想から……金魚の存在と絡めていろいろ考えてしまう。(このあたりは以前↓のファンアートにも書いたのだけど、もうすこし掘り下げて別記事に書きたい→書いたので下の関連記事に追加しました)
(Twitterに2022年6月、8月、10月頃に書いた感想の一部。抜粋/少し書き足したり整えたりしてまとめたもの。後から更に書き足したり他記事と繋げたりするかもです)(23年10月、公式アカウントのキーアイテム画像のスクショを追加)
関連記事
Twitter上のMoonKnight感想まとめは↓
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無���応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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���聖なる鹿殺し」を観た。以下ネタバレあり。
「哀れなるものたち」のヨルゴス・ランティモス監督作品ということで観てみようかなと再生を始めたけど、最初のシーンがかなりグロくてすぐ止めたままになっていた映画…。
最初でこれだと結構この後もきついのかなあとちょっと心配だったけど、最初さえ超えればあとは全然平気だった(最初のシーンは何か食べながらとかはおすすめしません…)。
うらみを持った若者(バリー・コーガン)に主人公(コリン・ファレル)の家族が呪いみたいなものをかけられてしまって…という話。 なのでてっきり家族で一致団結してバリー・コーガンと戦うのかと思っていたけど、全く逆の話だった(呪いなのかどうかははっきりしないけど)。
バリー・コーガンはコリン・ファレルの医療ミスでお父さんをなくしたので、「あなたも家族を一人失うのだ」と言い、「奥さん(ニコール・キッドマン)か、娘か、息子か、一人を選べ」と言う。そして選べなかったら「全員死ぬ」と。 最初はみんなそんな話全然信じてないけど、最初に息子が倒れ、次に娘が倒れ…となって、この呪いからは逃れられないとみんな思うようになる。
で、怖いのが、奥さんと子供二人がコリン・ファレルに命乞いというか、「本当はあなたのことが好き」みたいな話を徐々に始める所…。ニコール・キッドマンなんか、「自分はどうなってもいいから子供たちを助けて」とか言ってもおかしくなさそうなのに、「一人選ぶなら子供よね、私がいればまた産める」みたいなことを言ってたりする。 結局最後までニコール・キッドマンが倒れなかったのはやや謎。単に呪いが発動してなかっただ���なのか、それともいわゆる仮面夫婦でコリン・ファレルの家族とは言えない(?)みたいな話なのか…。
息子はどうやら本当はお母さんの方が好きで、お母さんと同じ眼科医になりたくて、お父さんに注意されても髪を長く伸ばしていた(お母さんは長髪気に入ってた)。でも最後の方になると自分でハサミでざくざく髪を切って、本当は心臓外科医(コリン・ファレルと同じ)になりたいと言うようになる。サボっていた植木の水やりもやると。
娘はそもそもバリー・コーガンといい感じになっていたので、二人で逃げようとこっそり持ちかけたり、コリン・ファレルには「自分は家族のために死ぬのは構わない」と言ったりする。これは一見いい話なのでは?と思うけど、ここで「聖なる鹿殺し」というタイトルに関わる話になる。
ここはギリシア悲劇の「アウリスのイピゲネイア」の話が下敷きになっているらしく、ざっとネットで見ただけだけど、イピゲネイアが生贄になるとき、鹿とこっそり入れ替えた、という話があるらしい。なのでこの娘の「自分は死んでもいい」は、コリン・ファレルに対して鹿と入れ替えて助けてくれるよね?という意味が入ってくるっぽい。ややこしいな…。 さらにアウリスのイピゲネイアは後日談で、アガメムノンが妻に殺されて、妻は息子のオレステースに殺されるらしい。このへんはラストのダイナーのシーンにつながるのか…?
そしてとにかくコリン・ファレルがひどいやつ(の役)。絶対自分の非を認めないし、幸せな家族を無理にやってる感じがすごく出てた。そもそもバリー・コーガンにお金やプレゼントをあげたりとかもなんだか変な気もするし…。そして結局最後もめちゃくちゃだし。いやはやすごい家族だ…。
バリー・コーガンはやはりコリン・ファレルが出ていた「イニシェリン島の精霊」にも出ていた役者さんだった。この二本しか見ていないけど、なんだか不思議な人だなあ。今回もなんとも言えない不安な感じというか不自然な感じというか、すごかった。さらっと嘘つくところとか怖いな〜って感じだし。かなり若いようにも、それなりに年を取っているようにも見えるのがまた不思議(実際には1992年生まれだった)。
全体としてはやや単調な感じもあったけど、中盤〜ラストに向けてはすごかったな。半分くらいまで展開がわりとスローで、全体的な構成としては最初の「エクソシスト」に近いかも。映像はそこまで特別ということもなかったけど、病院の廊下を進むカットやエスカレーターを上から撮ったカットとか、印象に残る部分もあった。音楽はそんなにだったかな…。効果音的な音はまあまあよかったかも。映像的に怖いものが直接は出てくるわけではないので、音で少し煽る感じだったのかな。
いい話とは言えないけど、とにかくストーリーがすごかったなあ。家族とはいえやはりみんな一人の人間か…。
「哀れなるものたち」より全然よかった��。やはり原作があるものは難しいか。でもヨルゴス・ランティモスの他の映画も機会があれば観てみたいなあ。
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クマに襲われ、「命に別状はない」とされた80代男性の症例写真を見て、あまりのすさまじさに言葉を失った。額から上あごにかけて顔がなくなっているように見える。左の眼球はだらりと飛び出ている。 「クマは明らかに顔を狙って攻撃していると感じます」 こう語るのは、秋田大学医学部付属病院の高度救命救急センターでクマ外傷の治療にあたった土田英臣医師だ。 この男性は15時ごろ自宅前の畑でクマに襲われた。意識は明瞭で、自ら119番通報したという。 「鼻が取れ、皮膚が左右に裂けていました。救急隊員が道端に落ちていた鼻を見つけて運んできてくれたので、形成外科の先生が手術して、くっつけたのです」 傷の見た目はひどいものの、出血量は比較的少なかった。血圧や呼吸などの全身状態は安定していたので、すぐに手術できたことも幸いしたという。 ■容貌が変わるほど重大なけが 昨年度、クマに襲われた被害者は過去最多の219人。その大半がツキノワグマによる被害者で210人、約96%を占める。ツキノワグマは主に人の顔や頭に一撃を与えた後、すぐに逃走する場合が多く、いわゆる「人食いグマ」による「食害」はまれだ。 だが、クマに人が襲われ、「命に別条はありません」と報道されても、実際は顔貌が大きく変わるほどに重大なけがであることが少なくない。 昨年度、クマによる人身被害が最も多かったのが秋田県だ。死者こそ出なかったものの、70人が負傷した。このうち、重傷者20人が同病院に搬送された。18人が顔を負傷。失明は3人、顔面骨折は9人にのぼる。 冒頭の男性の被害は、搬送されたなかでは特別深刻なケースではないという。 ■クマによる外傷は「特殊」 一般的に外傷は、交通事故や転落事故などによる「鈍的外傷」と、ナイフなどによる「鋭的外傷」に分けられるが、クマに襲われた際のけがはその二つの特徴をあわせもつ「特殊な外傷」だという。 「強いパワーによって骨折し、傷口は深く、筋肉までぱっくりと開く」(土田医師) ■小さな傷でも「細菌」で化膿 別の70代男性は早朝、山中で植林作業をしていた際、クマに襲われた。自力で道の駅まで車で移動し、救急要請をした。 頭部と顔面に裂創を負い、左ほおの傷は口の中まで貫通していた。口腔内にたまった血で呼吸が困難になった。病院に到着したとき、意識は薄れつつあった。 「出血がひどく、血圧が下がってしまった。『出血性ショック』という状態で、緊急輸血を行いました。圧迫止血を行うとともに、耳鼻科の医師が電気メスで動脈を焼いて出血を止めました」 その後、頭骨の骨折や、頭蓋内の出血など���治療する緊急手術が行われた。 「クマ外傷」は傷の状態がひどいだけでなく、細菌に高度に汚染されることも特徴だ。外傷ではなく、敗血症で亡くなった人もいる。そのため、大量の生理食塩水による傷口の洗浄や、抗生剤治療などの感染対策が必須になる。土田医師はこう訴える。 「クマの牙による傷は一見、ぽちっと穴が開いているだけですが、深い傷です。後で化膿する患者さんもいます。クマに襲われてけがをしたら、どんなものでもすぐに病院で治療を受けるべきです」 ■顔面の筋肉や骨がボロボロ 秋田赤十字病院の形成外科部長・渡邊理子(あやこ)医師は「クマに引っかかれた」と報じられることに違和感を抱いてきた。昨年、同院にはクマによる外傷で7人が搬送された。 「実際は顔の中心、特に目のまわりをものすごく強い力で殴打される。皮膚を引きはがされる剥脱創(はくだつそう)が目立ちます。顔面の筋肉や骨はボロボロになる」 皮膚組織を欠損してしまうことも珍しくない。そのため、傷を縫い合わせた後、皮膚を移植し、傷痕を目立たなくするなど、複数回の手術が必要となることが多い。 一般的な骨折と違って、顔面の骨は細かく砕けていることが多く、骨片をパズルのように元の位置に戻し、金属製のプレートでつないでいく。それもできない場合は破片を取り除いた後、骨の代わりとなる大型のプレートを埋め込むこともある。 筋肉の挫滅がひどかったり、神経が傷ついたりすると、顔面をうまく動かせなくなる。傷が治っても痛みや違和感を訴える人は多い。 こうした恐るべき被害の実態が十分に伝わっていないため、クマからの防御手段が軽視されている。それが被害を広げる一因にもなっていると、指摘する専門家がいる。 ■致命的なダメージ防いで NPO日本ツキノワグマ研究所の米田一彦所長は、10年前からこう訴えてきた。 「クマに遭遇した場合、立った状態で攻撃を受けるのが最も危険です。ただちにうつぶせになり、両腕で頭部を覆ってください。致命的なダメージを防ぐことが重要です」 3年前に改訂された環境省の「クマ類の出没対応マニュアル」にも、うつぶせになって頭部を守れ、と記述されるようになった。 ところが、インターネット上では「机上の空論」「うつぶせになって顔や頭を守っても食われるだけ」「攻撃こそ最大の防御!」と、防御姿勢を軽視するコメントを見ることがある。背景には深刻な人身被害の実態が十分に理解されていないことがあるのだろう。 前出の渡邊医師は言う。 「顔面は社会生活を営むうえで非常に重要です。人の顔面は頭部に比べて脆弱ですから、クマに攻撃された際、うつぶせになって身を守るという方法は妥当だと思います」 ■口腔顎顔面の再建治療を 島根県ではクマの目撃が年間1000件前後にもなる。島根大学医学部歯科口腔外科学講座の臨床講師を兼務する雲南市立病院の歯科口腔外科部長・小池尚史医師は、クマに顔面を攻撃された際、負傷者を迅速に大学病院、またはそれに準ずる高次医療機関に搬送することの重要性を強調する。防災ヘリやドクターヘリも有用だという。 「例えば、顔面の涙小管や耳下腺管、三叉神経や顔面神経などを損傷した場合、時間との勝負になってきます。緊急手術を行って、即時再建できる病院に搬送することが大切で、これが遅れるほど機能回復に遅れが生じてしまいます」 島根大学医学部付属病院の高度外傷センターでは、救命医をはじめ脳神経外科医、歯科口腔外科医、整形外科医など、複数の医師が密な連携のもと治療にあたる体制が整っている。 クマ外傷の場合、あごを負傷することも珍しくない。あごを骨ごと持っていかれてしまう場合もある。 「口元がなくなってしまうと、摂食、嚥下、咀嚼、咬合など社会生活に大きな影響が出ます。外傷によってあごの骨や歯を大きく失った際、歯科インプラントも公的医療保険制度の対象となる場合がありますから、機能と審美の両面から、あごと口を再建して社会復帰していただきたいと強く思います」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
クマは「明らかに顔を狙って攻撃」「骨もボロボロ」と医師たちが証言 「命に別状はない」の実態(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
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あなたや私と同じ普通の少女の話
FAITH: The Unholy Trinity fanfiction
エイミーのお話です。
※バチカン非公認
1. 家(予兆)
誰も口にしないパーティーのチキンをゴミ箱へ捨てる。招待状を捨て、お誕生日の飾りを捨てる。地下からだかだかとミシンペダルを踏み込む音が聞こえる。毎日、毎日。父さんから中東だかアフリカだかの人形が送られてきてから、お母さんは毎日地下室にこもってマネキン相手になにかを作り続けている。父さんはどうかしている。不安を抱えてるお母さんにあんな気持ちの悪い人形を送りつけるなん��。家にもろくにいないのに。この家にいるのは私とお母さんの二人きり。そして会うことのなかった弟たちの二人。
階段を上がり、隣の部屋へと続く扉を見つめる。もうあの扉を開けたくない。真新しかったはずのおもちゃにうっすらと埃がかぶっているのを見るのがつらい。父さんもお母さんも誰もずっとなにもできないでいる。捨てることも、掃除することさえも。ほんとは片づけるべきなんだろう。家に来たお医者さんの先生もそう言っていた。だけど、あの部屋を片付けた瞬間に私の家は終わる。どうしてだろう。でも、あの部屋だけが私たちを何とかつなぎ留めている。気が狂いそうだ。
リビングの片づけが終わっても、ミシンのだかだかという音がまだ聞こえる。きっと明日も、明後日も。今度は何を作るのだろう。ミシンのあの音は大嫌いだけど、何か作っているあいだのお母さんの具合はまだよかった。一度、あのミシンの音をやめてほしくてお願いしたら、急にすごい大声でいつもの双子の話をまくしたて、森へと飛び出してしまった。慌てて森に探しに行こうとしたら、両手を血まみれにして帰ってきた。「狼がいるの。あなたも、あの子たちも、私が守らなくちゃ」と呟きながら。このあたりに狼なんていないよと言ったけれど、お母さんは手を洗って、そのままふらふらと地下室へ行ってしまった。
お母さんに私の声は届かない。ずっと双子に憑りつかれているから。
お母さんの調子が悪くなって、父さんは仕事で家を空けることが多くなった。それとも、逆だったろうか。外に続く森は暗く、幹線道路を走る車の音も聞こえない。この家にずっと私とお母さんと二人きりでいる。地下室のミシンの音がようやくやんだ。その代わりにすすり泣く声が聞こえる。
お母さんは可哀想な人なんだ。これ以上傷つけたくない。私がしっかりしなくちゃいけない。気が狂いそうだ。
2. 樹
お気に入りの松の木に寄りかかって座る。どの木も同じに見えるけれど、この木はとりわけ枝張りがよく、近くにいると落ち着けた。この場所ならおかしな声も音も聞かなくて済む。家のことを考えるのが怖かった。中にいると、歪んで、まっすぐに進めなくて、家自体が軋んで悲鳴をあげている気がする。お母さんには、学校に行けずに家に閉じこもっているからストレスがたまっているのだろうと言われた。私とお母さん、おかしいのはどちらなんだろう。この家と森にふたりでいると、すべてがどんどんおかしくなっていく。出口が見えない。
前にこの木のそばでひとりで泣いていたら、そのすすり泣く声がお母さんにそっくりで、それが怖くてもうずっと、泣けなくなっていた。
誰もいない木々のあいま、鹿が通り抜けていくのだけを眺めている。ずっと眺めていると、赤いものを身に着けた大人の人たちが歩いていくのが見えた。ふとその一人と目が合ってしまうと、あちらか声をかけてきた。
「そんな顔をしてどうしたの、お嬢さん。なにか辛いことでもあった?」
なんてことない言葉だったけれど、そこには随分とひさしぶりに感じた暖かさがあった。
3. 診療所
ハートフォードのクリニックでお手伝いをするのはとても楽しかった。チームのみんなが近くまで車で迎えに来てくれるし、街には森にはない色々なものがあった。それにクリニックでボランティアをすることは、すごく人のためになることのように思えた。そこにはいろいろな悩みや不安を抱えた女の人たちがやってくる。私は医者でも看護師でもないから大したことはできないけれど、ちょっとした事務仕事や患者さんの話し相手になることはできた。
「赤ちゃんを失ってしまったことは、あなたのせいじゃないんです」
「今はつらいけど、きっと受けいれられる日が来ます」
そうだ。本当にそうなんだ。
少しだけ肩の荷が下りたようにクリニックを出る人を見ると、私の心も少し軽くなる。だから、このクリニックのことを悪く言う人がい ても気にならなかった。
一度だけ、このクリニックを経営する団体のトップだというミラーさんという人と会ったことがある。スタッフみんなに親しげに声をかけながら、最後に私のところへと来た。赤いへんなローブから覗く瞳が、真正面からこちらを見つめる。
「いつもクリニックのため頑張ってくれてありがとう。これからも期待しているよ」
強面のわりに言葉は思いのほか優しく、握手した右手は骨ばっていた。そしてなにより見つめた瞳の奥の翳りは、どこかで見覚えがあるような気がした。ミラーさんと一緒にいた女の人が私を睨んでいたような気もしたけれど、私はあの翳りをどこで見たのか、そればかり思い出そうとしていた。
4. 家(変容)
頭がぼんやりする。眠れないとき、不安で息が苦しくてたまらないとき、クリニックでもらった薬を飲むようになった。あれを飲むと、すこし不安が消えて落ち着ける。時々、ぼうっとしてしまったり、たまに何かよくわからないものが見えることもあったけれど、形の見えない不安に苛まれ続けるよりはよかった。
父さんもお母さんも私がクリニックでボランティアすることを快く思っていなかった。変な噂があるとか、私の様子が最近おかしくなっているとか。確かにそうかもしれない。けれど、この家にいるよりずっと普通だし、ちゃんと誰かの役に立てている。チームのみんな、私の話を聞いてくれるし、親切にしてくれる。
夕方の食事の席で、久しぶりに帰ってきた父さんが諭す。
「お前のことを心配しているだけなんだよ。」
「そうよ。あそこには変な人が出入りしてるっていうじゃない。」
「うちよりずっと普通だよ。」
「どうしたの、エイミー?」
「うちよりずっと普通だって言ってるの!」
なぜか、これまでずっと言えなかった言葉が喉の奥で渦巻いている。目の奥が引き攣り、頭の中で聞いたことのないノイズが呻き鳴く。
「どうしたの、あなた……ねえ、本当におかしくなってしまったの?」
「おかしくないよ。私はずっとまとも。」
「エイミー、そういう話は食卓では……」
「エイミー、何がおかしいっていうの?」
「うちだよ。」
「えっ」
「うちがおかしいんだよ。」
耳鳴りが��どくなる。家が軋む音が聞こえる。戸棚がガタガタと震え始める。
「父さんもお母さんも、ずっとおかしいよ。」
「エイミー、」
「弟たちがいるふりなんかして。」
「エイミー、やめなさい……」
「とっくに双子なんていないってわかってるくせに。」
「エイミー!」
「あなた、おかしいわ……」
「おかしくない。」
口の端からごぼりと血がこぼれ出す。
「エイミー、やめなさい!」
「いもしない双子の幻影なんかにすがり続けてるほうがおかしいんだよ!」
「エイミー、お前がおかしい。謝りなさい!」
「私はおかしくなんてない!」
「あなた、悪魔が憑いてるのね!」
バン、とグラスがはじけた。
救えない。この家は、もう救えない。
ふらふらとダイニングを出る。手足がガクガクと震えてうまく歩けない。ふと振り返ると、鏡に映った自分が見えた。そして、気付いた。あのゲイリーという人の目にあった翳りをどこで見たのかを。
それは、自分の眼の中にあった。
5. 家(事件)
椅子に縛り付けられ、どこかからやってきた大人たちが私に向かって聖書を読み上げている。無性におかしくて笑い声をあげると、自分のものじゃないノイズが混じる。薬が切れたせいだろうか、やけに息苦しくて体が震える。なんで神父さまなんか呼んできたんだろう。ふたりとも、神様なんて信じていないくせに。いつもそうだ。ずっとそうだ。救ってもくれない幻影を、偽りの救いを信じ続けるなんてあまりにも哀れだ。そういえば、結局なんの役にも立たなかった、アフリカに派遣された神父さまの手紙は地下のどこに置いたっけ?口が勝手になにかを叫ぶ。体は震え、熱く苦しい。なのに心だけは、驚くほど静かだった。
一人きりになった年長の神父さまがなにかを唱え、十字架を掲げる。途端に体が燃えるように熱くなり、胸の奥に蠢く何者かごと圧し潰そうとしてくる力を感じる。今までのものとは比べ物にならないほど苦しい。胸の奥の「それ」が苦しみ外に出ようと滅茶苦茶に暴れ出す。口から聞いたこともない悪態の言葉が飛び出す。苦しい。死んでしまいそうだ。でもまだ死にたくない。神父さまのほうを見上げると、その表情は力強くまったく揺るがない。だめだ。私では勝てない。このままでは圧し潰される。まわりを見渡すと、奥にマネキンたちが見えた。視線を強く向ける。自分とマネキンの間に繋がりを感じ、触ってはいないけど手ごたえがある。そのまま引っ張るように顔を引き上げると、がしゃんとマネキンが倒れた。警戒しながら神父さまが振り返る。めくれた布の間から、異様に精巧で生気のない、まったく同じ表情をした二つの少年の顔が覗く。神父さまの眼に一瞬、戸惑いと疑念が浮かんだ。それで十分だった。
胸の奥の「それ」が無限の力を貸してくれる。私には何をすべきか分かっていた。
手に力を入れるだけで、それはあっけなく終わった。
ブレーカーの方に視線を向ければ、バチン、と音を立てて家の中が暗くなる。明かりはなく真っ暗だけど、私には家のすべてが見えている。足を踏み出さなくても、どこへでも移動できる。この家は、いまや私の手中にある。なぜなら私が、私だけが、この家の真実を知っているからだ。
暗闇の中、私の手がずぶずぶと人の体に沈んでいく。粘土細工をこねるようにかき混ぜる。内臓が引き千切れる音がしようとも、断末魔の叫びが響こうとも、私の心はずっと静かなままだった。
6. 家(対面)
家中の電気がすべて落ちても、月明かりが差し込むこの屋根裏だけはほんのりと明るい。差し向かいに立つ若い方の神父さまの顔は、けれど屋根の影になっていて私には見えない。
「戻ろう、エイミー。君は良くならないと。」
良くなるってなんだろう?これ以上、いったい何が良くなるというのだろう?若い神父さまの言葉は弱くて偽りだらけで頼りない。誰かを救うにはまったく足りない。視線は揺らぎ、握った十字架は小刻みに震えている。それでも一歩こちらに近づいた神父さまの顔を月明かりが照らす。その眼の中には、見覚えのある翳りがある。見つけた。
「あなたはメレディスを救えなかった。違う?あの人はいま、私と同じところにいるんだよ。」
「やめてくれ。」
神父さまの体がぶるぶると震えはじめる。やっぱりだ。これでいい。この人の言葉は、心はあまりに脆い。大きいのは図体だけ。掲げられた十字架も怖くはない。十字架を見た胸の奥の「それ」が騒ぎ出す。自分の体が勝手に動き、よじれ、眩暈がするなかで、神父さまの眼の奥すべてが恐怖に呑み込まれるのが見えた。これで終わりだ。
手を伸ばすと、急にまばゆい光が目の前ではじけた。
頭を強く打ったのだろうか、気が付いたら床に仰向けで横たわっていた。右手と左足がありえない方向にねじ曲がっている。傷はついていないのに、血が鼻と口からだらだらと流れ出す。あの神父さまは、入口の奥に積み重なったマネキンの向こうにいるのか、もう見えない。激痛の中をぼんやりと漂っていると、急にわかった。
『私はおかしい。』
すべてから裏切られた気がした。すべてを失ったのだと知った。
この家で、屋根裏の窓から見える月だけが好きだった。月はいま、目から流れる血で赤く染まっていた。
7. 病院
ずっと頭がぼんやりとしている。麻酔、鎮痛剤、抑制剤、見舞いに来たクリニックのメンバーが差し入れる薬。あの日から、私の体はよくわからない薬漬けとなっている。時の流れももうよくわからない。混濁と覚醒を繰り返しながら、時折体の、心の激痛に叫ぶ。そしてほんの束の間、はっきりと物事がわかる時がある。
親戚は一度だけ面会に来て、二度と姿を見せなかった。当たり前だけど見放されたのだろう。病院の先生たちも、重罪を犯し、よくなる見込みもなく、うわ言しか言えなくなった私を哀れな厄介者としか見ていなかった。頻繁に見舞いに来るクリニックのメンバーたち、彼らのことはもう信用できなかった。けれど、すべてから見放された私を気にかけているのは彼らだけだった。先生たちも、親切で情け深い友人たちとして、あの人たちを何の躊躇もなく病室に入れ��。そして彼らはいつもなにかを唱え、大量の薬を渡して帰っていった。
私の体はじょじょに腐っていくようだ。悪臭でも放つかのように。まともな人は誰も私に近づかない。私はまともじゃない。私はおかしい。ずっと。ずっと前から。そういえばあの人はどうなったろう?だれも救えないあの神父さまは。わからない。わからない?なぜあの人は助けられた?どうして私はこんなことになった?始まりはどこ?始まらない道はあった?私はとっくに終わってる。終わってるのに終わらない。私の終わりはどこにあるのだろう。
8. 儀式
目覚めると、いつもは外から施錠されている病室の扉が開いていた。変な気がした。なんでもいいから、この場所から出たかった。ずっとまともに動かせなかった体はふらつき、足はおぼつかない。あせらずに歩く。一歩ずつ進んでいく。
あの場所に戻らなければいけない。家に帰らなければいけない。あの場所だけが、私の終わりで、私の始まりだ。あの場所できっと、私に手を下してくれる人が待っている。手を差し出してくれる人はいなくても。
わき目もふらず、まっすぐ歩いていく。と、急に手を引かれる。その手は赤く染まっていた。
体が動かない。おぼえのある気怠さが体全体を覆っている。顔になにか被せられている。内側になにか塗られているのかドロドロして気持ち悪い。皮膚が溶けていくように熱い気もするけど、感覚がなくなってよくわからない。もう喋れない。もう動けない。私はどこまでも降りていく。ここが本当の終わりだろうか。ちがう。いやだ。ここじゃない。顔からなにか引き剥がされ、息をのむ音が聞こえる。赤い人影は見分けがつかない。ろうそくの灯のなか、まばゆく光るナイフが見える。目が痛くてほかに何も見えない。あの煌めきの先に私の終わりは、私の救いはあるのだろうか。
あとがき
あるいは、失われた断片について。
エイミーに何回もMortisさせられ、この娘はなんでこんなに強いん?と思ったので書きました。書いてみて、これじゃ100回Mortisさせられても文句言えないなあと納得したので、満足です。
つよつよ悪魔になったら楽しく悪魔ライフをエンジョイしていてほしい。
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すべてがこわばっている
私は昔から過緊張気味で全身がこわばっている。過緊張というのは人前でのあがり症ということではなく、常に意識が全方位に向けられるみたいな状態が続いてしまう的なことで、交感神経と副交感神経のスイッチがうまくないということである。自律神経がいかれがちというやつである。
まじで身体を壊したなというタイミングは20代だった。100%仕事のストレスで、顎関節症が悪化して口が開かなくなるわ全く眠れなくなるわで散々だった。なので、当時の仕事をばつんと辞めて以降、ストレスをためたら物理的に死ぬ、ストレスはメンタルや考え方の問題というより物理ダメージ、という旗を掲げて現在まできた。ストレス緩和は心の持ちようではなく物理的になんかする必要がある。身体のケアをするとか環境をよくするとか。いっぺん受けた物理障害はなかなか全回復までいかない。歳を重ねると「身体の耐用年数ってあるんだなあ」という気持ちがめっちゃ湧く。
昔は肉体・感情労働に近かったが現在はほぼデスクワークであり、これも身体にかなり悪い。長時間座ってること自体がだめだし首にも腰にもダメージがある。ストレッチとか軽運動はしているがそれでどうにかなるようなもんではないのだ。デスクワークは身体に悪い。ヘルニア持ちなのでかなり気を遣って生きている。顎関節症もまあまあ調子が悪い。ちょっと心身に負荷がかかると敵面に顎の具合が悪くなる。ストレス過多・過緊張で噛み締めが強すぎると歯に悪影響も出る。まじで出る。具体的には歯に負荷がかかりすぎて膿んだり骨が溶けたり歯茎が下がったりする。手術もしたし抜歯もしたしわりと大事である。虫歯は長いこと発生してないので口腔ケアとかの問題じゃなくて、物理的に壊れていくのだ。20代で患ってから寛解したとは言い難いのであれなんだが自律神経はだいたい調子が悪い。睡眠はもう社会性を完全に捨て、「眠くなったら(とはいうがねむみが来るわけではなく肉体の物理限界でシャットダウンみたいな感じで)寝て、自然に起きるまで寝る」を年単位で敢行したことで眠れるようにはなった。これはそれができる環境に自分がたまたまいられたからできたが、できなかったらもっと悪化したかやべえことになっていたような気がする。
首にも腰にもヘルニアがあるが、手術をするほどではないが調子はそれなりに悪くなりがち、という付き合っていくしかない持病である。首の場合は手の痺れや背中から胸にかけてのギックリ背中的な激痛を伴うことがある。これは筋肉の柔軟性がまるでだめになると起こる。ストレッチや整体を継続的にやっていくしかない。ちなみに腰の場合は腰そのものではなく下肢の神経に影響が先に出る。私の場合は「膝の調子がなんか悪い?」と思って整形外科に行ったがなんともなくて、なんだろうなと思ってるうう��にギックリ腰的なものになり、腰のヘルニアですねーとなった。肩こりも腰痛も自覚がないまま、体感的には急に悪化したような感じで出るが、姿勢なりなんなりの悪さや全体的にこわばって負荷がかかり続けた結果こうなのだろう。ストレートネックどころかストレート背骨なのでぱっと見の姿勢はむしろ良い。ただめちゃめちゃ骨に負荷がかかりやすいので、筋肉が衰えると一気に悪化するだろう。筋肉はなかなかつかないが去るのは早い。肉体の維持は面倒だがやってかないと死ぬ。どこもかしこもこわばっていて、安らぐ感じになかなか辿り着けない。数ヶ月ぐらい湯治したいという気持ちがめちゃある。健康になりたいというより安心してゆるまりたいのだと思う。
最早どっちが先かみたいな感じだが、自律神経がいかれているということはホルモンのバランスもまあまあいかれていて、何が正常なのかがわからない。一応サイクルはあんまり壊れてないので、一般的な基準値ではなくても安定してるならいいんじゃないのか??? ていう気持ちで生きてる。標準に合わせようとするとそれはそれで不具合なんじゃないのかという。医者には行っているが、正解がわからないので自分基準で「生活できる」に合わせていくしかないのだ。
最近はNike Training Clubのアプリでちょっとした運動を地道にやっている。筋トレ・ヨガ・ストレッチ・呼吸法等のレクチャー動画プログラムが用意されている。無料である。すごない? 以前はジムに通っていたがトレーナーとの意思疎通が難しかったので(私は健康的に太りたいのだが、痩せる方向の意識でしか会話ができなくてやめた)。食わないと筋力もつかねえということはわかっているのだけど1日2食〜1.5食ぐらいのペースから食事量をどうしても上げられない。もうちょっと食ったほうがいいのはわかっているんだが。というか私はどうやって生きてるんだ? カロリー摂取量基礎代謝でたいがい終了してないか? 太りづらい人は筋肉もつきにくい、逆に太りやすい人はトレーニングさえすれば筋肉に変換できる! という話をスポーツやってる人が言っていた。やはりまず食うところからなのだろう。
ここしばらく身体の調子が全体的に悪い、何がどうという決定的な何かがあるわけではないが調子が悪い、と思い久しぶりにマッサージへ行った。マッサージ屋さんやサロンにも様々ある。整骨整体院がやってるものからヒーリングリラグゼーション主軸のものから美容主眼のものまで色々である。以前、首をやられて肩が動かなくなったとき、診断を受けた病院で理学療法士さんのやってるマッサージというか整体というかあっためて揉んで動かすリハビリに半年ほど通った。その時期は調子が安定していたので、ああいう風なのを継続的にやる必要があるんだなと思った。
病院にかかってるわけではない状態で、そういうのはどうやったらできるんだ? というので整体とか整骨院とかも色々行ったが、多分スポーツ寄りの整骨なり整体なりマッサージ屋さんに行くべきなんだというのがわかった。おじいちゃんおばあちゃんメインのとこだとおじいちゃんおばあちゃん向けの基準があるため私は割と健康扱いになってしまうのだ。スポーツ寄りのところだともうちょっと身体に向き合う方法に寄せてもらえる感触がある。ただガチ目アスリート向けのところに行くとお門違い感があり、健康維持ぐらいの感じで行けるところが必要で、家の近くで、と思うと限られてくる。今は街中に住んでて本当に助かっている。実家では物理的に存在しないので。
今回初めて行ったマッサージ屋さんはマッサージとはいうがカジュアルなスポーツセンターに併設しているところで、どちらかというと整体というかストレッチというかそういう調整をしてくれるところだった。なにもかもこわばっている身体でいきなり強運動するとぶっこわす(以前壊しました)ので、動ける状態に持っていく必要がある。マッサージの担当の方に「身体が硬いというよりずっと強張ってる感じですね〜」と言われた。そうなんだろうな。眠れてはいても安らいだ感じはしないので。こちらから言ったわけでもないのに「噛み締めが強い」とか「頭痛がありそう」、「首が悪い」とかどんどこ指摘されてその通りなので、身体や筋肉を理解する能力というのはすごいなーと思いながら施術を受けてきた。久しぶりに首が無理なくまわせるようになった。
私の地味な目標に、近隣の山の登山がしたい、というのがある。現状では無装備で行ける観光周遊コース程度が限界なのだが、体力と調子を用意して山に登れるようになりたい。
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ツボのお話・外関と中渚
こんばんは、いつもありがとうございます。
長かった残暑も終わり、爽やかな季節の到来ですね✨
秋は短い分、より一層愛おしく感じられます🥰
今回は、わたしがよく施術で用いて、重宝する経穴(ツボ)をご紹介したいと思います。
それは・・
外関(がいかん):手背側、手首の真ん中から、指4本分の所にあるツボ。写真の赤い点の部分。
中渚(ちゅうしょ):手の甲、薬指と小指の溝をスライドさせて止まる部分。写真の赤い点の部分。
ともに、【少陽三焦系】という経絡に属していて、手にあるツボです。
この経絡は、手の薬指から始まり、前腕の背面部を通り、肩関節〜耳の後ろ〜側頭部に終わります。
そのため、体の側面の不調(肩関節の痛み、手の痛み)や顔まわりの不調(めまい、耳鳴り、眼精疲労)に効果がみられるツボが多く、とくに自律神経系(体温調節やストレスケア)の調整の際によく使います。
・体の側面に出る不調
(肩関節の痛み、手の甲側の痛み)
・顔面部に出る不調(めまい、耳鳴り、眼精疲労、側頭部痛など)
・自律神経系の調整(寒暖差によって起きた体の不調、ストレスからくる不調)
医療従事者の方や、腕を使う仕事している人、また気を遣い過ぎている方などは、外関の辺りが、固く張っていることが多いです💦
手にあるツボは自分でも触れますので、ストレスを強く感じた日やお休み前に、ゆっくり指圧をしてみてください。
指圧する時は、押すときに、深く息を吐きながらすると、より気持ちがよいです
:あとがき:U^ェ^U:
暑い時は、床に伸びていた我が家の猫たち💦。エアコンをつけても、ついていない部屋へ移動してしまうので、体温越えの暑さの時は、さすがに心配になりましたが、元気にみんな、夏を越してくれました🐈
そして少し涼しくなると、すぐに温かそうな所へと移動、はやっw
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2023年9月5日(火)
いま発売中の<AERA>に、桂二葉さんの記事が掲載されている。2021年の<NHK新人落語大賞>受賞以降の活躍で多くの人に認知されたが、修行中から応援している身にとってはこのようなメジャーな雑誌でその人となりが紹介されるのはとても嬉しい。落語に興味の無い方にとっても伝統芸能・大衆芸能の世界で固定的ジェンダー観を打ち破る彼女の姿、ぜひご覧頂きたい。
5時30分起床。
日誌書く。
洗濯機回す。
ちくわ天が残っていたので今朝は煮麺、野菜+ヨーグルト+豆乳。
可燃ゴミ、30L*3。
洗濯物干す。
ヤクルトさんから野菜ジュースを購入する。
ツレアイ(訪問看護師)は火曜日は2件の訪問、8時30分に自転車で出勤する。
酢タマネギ仕込む。
先日出版可能性を打診した<はる書房>のFさんからメール、OKとのことでホッとする。
amazonに注文していた<ボイスレコーダー>が届く。以前使っていたスリムタイプのもの、眼が悪くなって操作が難しくなったのだ。
ランチ、息子たちには素麺、汗だくで帰ってきたツレアイには残り物カレーにビールで慰労する。
和室のい草カーペットを新しいものに交換する、部屋が明るくなった。
ツレアイはあちこち買い物に走る。
私は軽く午睡してから、読書三昧。
学生から後期配当科目<インターンシップ>について質問メール、すぐに回答する。
保健協議会の回覧物を、各組長宅へ届ける。
17時過ぎ、ツレアイがココをクリニックへ連れて行く。さほど待つことなく診察、血液検査の結果は3回続けた注射の効果で貧血が解消されていた。今月末まで様子を見て、改めて検査することになった。先週の体重が3.08kg、今回が3,10kg、僅かだが増えているのが嬉しい。
<桜ライン311>から植樹の案内、<エドヒガンザクラ>1本を寄付する。
夕飯、昨日に続いて大阪フェアの焼き餃子、冷凍ではないので今日はオーブントースターで焼いてみた。
録画番組視聴。
<100分de名著>、今月は「シャーロック・ホームズ・スペシャル」。
(1)名探偵の誕生
初回放送日: 2023年9月4日 名探偵ホームズが世に初めて登場した「緋色の研究」。ささいな外見の特徴から初対面のワトソンをアフガニスタン帰りの軍医だと見抜く推理力に読者たちは喝采を浴びせた。 実は名探偵ホームズには実在のモデルがいた。作者ドイルが医学生時代に出会ったジョゼフ・ベル教授。患者の表情や身体の様子からたちどころに病状を言い当てるベル教授からドイルはホームズを発想する。当時のロンドンは猟奇的な事件が横行、不安に駆られた人々はそんなホームズに待望のヒーロー像をみたのだ。第一回は、どのようにしてこの名探偵が誕生したのか、そして人々の圧倒的な支持を受けたのはなぜかを考察していく。
片付け、入浴、体重は500g減、頑張るぞ。
歩数は少ないが、3つのリングは完成、水分は1,540ml。
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[ロサンゼルス 10日 トムソン・ロイター財団] - 米国では、考えるだけで操作できるコンピューターゲームや集中度を測るヘッドフォンなど、脳の信号を読み取る電子機器が一般に出回るようになり、プライバシー権の観点から個人の脳神経データ保護を法制化しようとする動きが起きている。カリフォルニア州は先月、ニューサム知事が脳神経データ保護を定めた新たな法案に署名し、国外でも同様の法律の導入や検討が進んでいる。 フェイスブックなどを運営するメタは先月、神経信号を感知するリストバンドが付いている眼鏡型の拡張現実(AR)端末「オリオン」の試作機を公表した。 また脳に関するITを扱う「ニューロテクノロジー」企業のニューラブルも先月、脳の電気的活動を計測する脳波(EEG)を読み取ってユーザーの集中度を測定するヘッドフォンを発売した。 カリフォルニア州が新たに導入した法律は、こうした機器がユーザーから取得する脳神経データを手厚く保護する。法案に携わったカリフォルニア州議会のジョシュ・ベッカー上院議員は、消費者データに関する個人情報保護規則にとって重要な一歩であり、「プライバシー権の新たなフロンティアだ」と述べた。 この法律は脳神経データを、DNAや正確な位置情報と同等に保護程度が高い「センシティブ個人情報」のカテゴリーに定義している。ベッカー氏によると企業は今後、データの使用目的について開示義務を課せられ、カリフォルニア州の住民は企業に対して当該データの削除を要求したり、共有の制限を指示することができるようになる。企業によるデータの収集、集めたデータに基づく製品やサービスの提供は認められている。 法案作りを支援した個人情報保護団体「ニューロライツ財団」の弁護士、ジャレッド・ゲンスラー氏は「こうした新しい権利が今後の脳神経データ規制の基準となることを期待している」と述べた。 <海外でも法制化進む> 近年、消費者向け電子機器が医療向け並みのデータを取得できるようになったことで、脳神経データ保護に向けた取り組みが活発になっている。このためニューロライツ財団の専門家などは、取り扱いに注意を要するデータがユーザーの精神状態を読み解くために、ユーザーの許可なく使われる恐れがあると警告している。 チリは2021年に、脳のプライバシーを法律と憲法で保護したほか、メキシコ、ブラジル、ウルグアイなど他の中南米諸国でも同様のルールが提案されている。 チリの最高裁判所は昨年、ニューロテクノロジー企業に対してユーザーのデータを削除するよう命じる世界初の判決を下した。 国連教育科学文化機関(ユネスコ)もこの問題に取り組んでおり、8月に専門家パネルが脳の法的保護の策定に関する新しい提言案を公表した。 米国ではカリフォルニア州に先立ってコロラド州で同様の法案が成立している。 <企業から反発も> カリフォルニア、コロラド両州では脳神経データ保護の法案を巡ってIT業界団体から反発があり、専門家の間でも適用範囲について議論が起きた。 メタ���アップル、アマゾンなど大手IT企業を代表する団体テックネットは、カリフォルニア州の法案の範囲を「中枢神経系」からのデータに限定しようとした。しかしベッカー州上院議員は、手首など体の他の部分から得られる神経信号も精神状態を読み取る材料になり得るため、適用範囲に「末梢神経系」のデータも含むことが重要だと主張。最終的に両州の法案では末梢神経系も対象に含まれた。 しかしデューク大学法学部の教授でユネスコの枠組み作りにも関与しているニタ・ファラハニ氏は、眼球の動きなど思考の読解に使われる他のデータが除外されており、法案の適用範囲は「まだ足りない部分が多い」と危惧を示した。 ニューラブル共同創業者のアダム・モルナー氏は、同社はカリフォルニア州とコロラド州の神経データ保護法に準拠してデータを扱っていると述べた。トムソン・ロイター財団はメタに対し、オリオンがカリフォルニア州の法律にどのように準拠するのかについてコメント求めたが回答がなかった。 ニューロライツ財団が今年公表したリポートによると、脳神経技術を使った消費者向け機器30件のプライバシーポリシーを分析したところ、個人情報保護に重大な不備が見つかった。機器の半数は、企業がユーザーの脳データを第三者と広範に共有することを認めていた。
アングル:個人の脳神経データ保護へ、米で相次ぐ法制化の動き | ロイター
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海石
海石は海に入るのが好きだ。
彼女の名前は海石と書いて「いくり」って読む。
海中の石って意味らしい。かわいいけど、なんだか暗くて冷たい響き。
そんな彼女の名前が僕は好きだ。
海石は度々海に入っては僕に海中で拾った石をくれる。夏は素潜り、夏が過ぎても磯や浅瀬で拾ってくる。
その石のいろやかたちはまちまちで、どうやらそれは海石のその時々の心情に対応しているらしかった。
僕と喧嘩した次の日は鋭利に角張っててスカスカの石。
海石の家で介護しているおばあちゃんにいじめられた日は海藻だらけでぬめぬめの石。
初めてキスした日は薄くて平らな灰色の石。
初めてセックスした日はフジツボだらけのいびつな石。
日にひとつ、海石は僕に石をくれる。
僕はそれを持ち帰って部屋にかざる。
海石が海に入り出してから7年、僕の部屋は海石だらけになっていた。
潮に侵食された独特な形の、貝や海藻がひっついたそれらに囲まれ、
部屋にいながらにして僕は海石の作り出した海の底に沈んでいるみたいだった。
そしてそんな想像にふけると時間が止まり、ふさぎがちな僕の心は休まるのだった。
僕は時折それらの海石を眺め、愛撫し、味わってみる。
するとその石を拾ったときの海石の心を、海石のゆらぎを感じる。それからやがて朝靄のように、海石の体温が、匂いが、あらわれる。
背筋がぞくっとして鳥肌が立つ。射精のそれとは質が違うけれどたしかにそれは甘いエクスタシーだ。それは脊柱をひた走る潮騒のメロディだ。
海石が産み僕が奏でるフレーズ、僕と海石は混ざり合いひとつとなる。
僕は両親の言うまま来年の冬に東京の大学を受験することにした。
両親のいない海石は、要介護者のおばあちゃんを残して島を出て東京に越すことはできない。
僕が合格すれば僕たちははなればなれだ。けれど「これからどうしようか」というふうな話をすることを僕と海石は無意識に避けている。
僕たちはいつもそうだ。2人ははかない影法師のように、所在なくゆれていた。
つばさは海に入るのを嫌う。
それはつばさが8歳のとき、飼い犬のチロがつばさの目の前で高波に攫われてしまったから。
それ以来、つばさは海を遠ざけてしまった。
つばさが1歳のときにチロはつばさの家へやってきた。友達も兄妹もいないつばさにとって、チロは唯一無二の友だちだった。
そしてつばさ同様に兄妹も友達もいない私は、いつも��んなつばさとチロの後ろをなんとなくついて回っていた。
私も私の両親もチロが大好きだった。けれど私は海に入る。私は海が好きだ。
初めて海で石を拾ったのは小学4年生のときの7月、両親が私とおばあちゃんを棄てて行った日。
朝、両親の書き置きを読んだおばあちゃんは、居間の安楽椅子で壊れたロボットのように両親と私への恨み言を繰り返していた。
私は頭の奥がじいんと痺れて何も考えられなかった。家を飛び出しひたすらに海岸沿いを歩いた。
両親のことやおばあちゃんのことを考えようとしても、それは読みかたがわからない漢字のように、私の心の表面のところでぱちんと弾かれてしまう。
がむしゃらに歩いていると、いつの間にかつばさがついてきていた。
「ついてこないで」
そう言って突き放してもつばさはついてくる。
私はそのときチロが死んでしまってから私に依存して付き纏うようになったつばさのことが急に疎ましくなった。
自分にはお父さんとお母さんがいるくせに、犬1匹死んだくらいでいつまでもしょげてるつばさが憎かった。
私はつばさから逃げるために海へ走った。
自分のなかのどろどろがけがらわしくてたまらなくて、つきまとうものを振り切るように浜から海へ飛び込んだ。
海は私を抱き、眼と耳を塞いだ。
瞼の裏で光を、肌で波を感じた。
ゆらゆら静かに手脚を遊ばせる。
ながれていたじかんが、とまる。
海から顔を出すとつばさが所在なさげにこっちを見ている。
「つばさも海に入れば」
呼びかけてもつばさは困惑した表情でただ立ち尽くしている。
私は足下の掌大の石を拾い、つばさ目がけて投げつけてやった。石はぼとんと鈍い音を立てつばさの足下に落ちた。
つばさは両手でそれを拾い、取り憑かれたようにまじまじと見つめていた。
その様子を見ているとふいに「「海石」という名前には海底から出ずる石という意味があるんだよ」と囁くお母さんの声を思い出した。
そして両親が出て行ってから初めて私は泣いた。
産声のような大きな声で、いっぱい泣いた。
つばさは石を持っている両腕を真っ直ぐにのばし、泣いている私にそれを重ねてじっと眺めていた。
いつものように僕と海石はほとんど話さずに、ただ海を見ている。
今日も海石は海に潜り石をくれた。それは灰と白のマーブル模様の、円くてすべすべの石だった。
僕はそれを受け取り海石の濡れた頬にキスをする。
「つばさは私がいなくなっても寂しくないよ」
横に座る海石が海を眺めながらぼそりと呟く。
それは僕に向けた言葉なのだろうが、海石自身に言い聞かせる調子を帯びているようにも感ぜられた。
しばらく間を置きまた海石は呟く。
「私、私がなぜ生きているのかずっとわからないんだ」
「だって私の世界には、私だけがいない」
僕はただ黙って海を見つめながら、海石の声を聞いていた。
夕陽が水平線に没しようとしている。
世界の終わりのような黄昏が僕たちを染めていた。
海石を見ると、その頬に涙の筋が光っている。
僕はきれいなそれを吸おうと、海石の頬に唇を寄せる。
海石は驚いて身体を逸らす。
とっさに僕は海石を逃がさまいと海石の両の手首を掴む。
僕のしるしを海石に残したい。
掴んだ両手にぐっと力を入れると、海石から「んっ」って声が漏れる。
それから僕は海石の耳を噛み、それから顔に、身体に、たくさん口付けをする。
そうしていると強張っている海石の身体がだんだんとほぐれていく。
海石はほんとうにかわいい。
僕はそんな海石を傷つけてやりたい。
海石の手首についた僕の指の跡を愛撫しながら、暗雲のように広がっていくそんな欲望に酔った。
いつの間にか黄昏は去り、潮は満ち、波の音はうるさくて、僕たちの頭上には明るい星空が広がっていた。
「ねえ海石」
「ん」
「僕が来年東京に越しても、僕に海石を拾って送ってくれないかな」
「受かってから言え」
僕と海石は膝を抱え、星空の下の明るい海をぼんやり眺めていた。
「私つばさがいらないって言ってもずっと渡すつもりだよ」
「いつかうっとうしくなって捨ててしまうかもしれないけど」
「海石は私が生きた証なんだ。いま、急にわかった」
「たとえ私が死んでしまっても、私が拾った海石はずっと地上にあるでしょう」
「そうだね」
「海石。僕、海石のことがすきだ」
「なにそれ初めて聞いた」
海石はそう言って照れ隠しのように僕抱きしめ口付けをした。
寄せては返す波の音と、いびつな僕たちの舌の絡む音だけが、夏の夜の匂いのなか響いていた。
私はたびたび海石を添えてつばさに手紙を送る。
その内容は簡潔だ。
「今日は海鳴りが聞こえました」
「しけで戸沢さんの漁船が転覆して大騒ぎでした」
「大きなマテ貝にたくさんのかにがむらがってました」
「昨日おばあちゃんが死にました」
「ダイビングライセンスを取ろうと思います」
「最近つばさの夢をよく見るよ」
つばさが東京に行ってから2年間、たびたび私はこんな日記のような手紙を拾った海石を添えて送った。
つばさからの返事はあったりなかったり。
つばさを思って手紙を綴るとき、私は海を感じる。そのことは私の生活をそっと撫でる安寧だった。
私とつばさは深い海の中で繋がっている。そしてだれも知らないところで互いの息遣いを感じている。
それが始まったのは梅雨のことだった。
朝、どうしても起きるのが嫌でベッドから出られなくてその日の講義をさぼった。
その次の日も何もやる気がなくてご飯を食べることすらしなかった。
そして僕は学校やバイトに行くのをやめた。
頭に冷たい砂がたくさん詰まっているような感覚があって何もできない。
僕から色と音が遠のいていく。世界はモノクロになってしまった。
母に促され精神科に行った。医者にありのままを話したところ、自立支援を受けることを勧められた。大学は休校することにした。
頭のなかの砂は東京に出たきた頃から徐々に詰まっていったように思う。
何が原因かはわからないし、興味はなかった。ただ砂はぼくの体温を奪い、それから筋肉を硬直させ表情も奪い、次第に五感を麻痺させていった。
全てがどうでもよかった。
なにもかも古い絵本のように色褪せていた。
僕の当事者性は影の裏の月のように隠れてしまった。
海石へ手紙を返すのも億劫で、ほったらかしにしていた。
けれど海石は僕に海石を添えた手紙を送り続けた。
そのことを考えるとなぜだか僕は悲しくなって泣いてしまう。
そんな時は海石をひとつ胸に抱いて寝た。冷たくて、ずしんと重くて、たましいを感じる。
まどろみのなかゆめとうつつがないまぜになり曖昧になっていく。
ずっと外へ出ずに最低限の用事だけしてあとは薬を飲んで泥のように眠っていた。
昼も夜もなく意識は暗いもやのなかを彷徨っていた。
ひねもす海石に囲まれた孤独な海の底で本を読むようにその海石ごとの海石のことを回想した。
それは自分自身の記憶よりリアルで、現実世界よりも色彩が豊かだ。
やがて僕は海石の海に溶けて散り散りになっていく。
インターホンが鳴っている。
実家から食糧と水の仕送りだろうか、玄関まで移動するのも億劫だけど重い身体を引きずって何とかドアを開ける。
そこに立っていたのは配達員ではなく海石だった。
「手紙もメッセージもぜんぜん返ってこないからつばさのお母さんにどうしたのって聞いたよ」
「今日ずっと寝てたの?」
「部屋真っ暗だね」
「上がっていい?」
海石は部屋に入るなりリュックから水筒とコンビニのおにぎりをテーブルに出し座って食べ始めた。
「今日何も食べてなくておなかすいてたんだー」
「海石、髪伸びたね」
「つばさもね、短いのと長いのどっちが好き?」
海石は自分のもみあげをひょいと摘んでにこやかだ。
「いまのほうがいい」
「じゃ、このままにしとく。仕事のときうっとうしいけど」
「最近仕事のほうはどう」
「楽しいよ、私海に入るの好きだし。スキューバ体験の人を海に案内するのってなんだか友達を私の地元に案内するような気分。私は沢山のことを海の中で考えたから、故郷みたいなもんだね」
「うん、そうだね」
「つばさの部屋に入るなんていつぶりかな」
「薄暗いし私の石の囲まれて海底みたいだね」
「たしかに」
「今日泊まっていい?」
「うん」
海石と少し近所を歩き、鄙びた商店街のスーパーで買い物をして、2人でカレーを作って食べた。
海石はじゃがいもやにんじんの皮を剥かずに入れた。
そのことを知って海石の海がまた少し深くなる。
部屋のまんなかにマットレスを敷き、そこに海石を寝かせた。
僕はその隣に毛布を敷き仰向けになる。
薄暗い部屋で2人呆然と天井を眺めていた。
暗闇に徐々に眼が慣れてくる。
遠くでかすかに電車の走行音が聞こえる。
部屋に配置された海石がぼんやりと光っている。
隣で海石は起きてるのだか眠っているのだか、よくわからない感じ。
僕の心にだんだんと淡い感情が降り積もっていく。
僕は海石をひとつ指差して「あれは初めてキスをした日の海石」と呟いた。
それからぼくはぽつりぽつりとそれを続けて行く。
「あれは2人乗りで「みけや」にラーメンを食べに行った日の海石」
「あれは喧嘩のあと仲直りした日の海石」
「あれはダイビングライセンスを取った日の海石」
「あれはおばあちゃんが亡くなった日の海石」
「あれは海石が僕に最初にくれた海石」
僕は人差し指で星座を結んでいく、その星座にはかすかでほわんとした物語がある。
「よくそんなの覚えてるね」
「私ぜんぜん覚えてないや、つばさ、きもちわるい」
「全部覚えてるよ」
僕は心の中でそうとなえた。
海石から生まれたささやかな海の水底に僕たちは沈んでいる。
やがて海石は微かな潮騒のような寝息を立て始めた。
僕は水底で色々なことを思い出す。
海石とチロと浜を歩いたこと。
チロが目の前で波に攫われたこと。
海石の両親やおばあちゃんのこと。
あの日黄昏に染まる海石の泣く顔がとてもきれいだったこと。
それらはみな、彼方へ去り永遠となったものたちだった。
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コード77
ソーラーコード77「運命の過酷さに打たれた向こう見ずな若者の頭に、豊かな思索家の魂が芽生える」
コードの現象化形態:社会的リーダーシップ。精神的成長や知的成長。強い精神的苦悩。精神的苦痛をともなうショックな出来事。グループや集団内における立場の上昇と責任の増加に伴う重圧。諦めずにチャレンジを続けることによる成功。精神的苦しみをともなう恋愛や、まれに離婚。
テロ攻撃に関する計画。テロリストや過激派の攻撃の失敗や計画の発覚や頓挫や逮捕。著名人の離婚、離別、不運、傷病、死。有名または実績のある作家や哲学者や科学者の離婚、離別、不運、傷病、死。有名または実績のあるスポーツ選手の離婚、離別、不運、傷病、死。スポーツ選手の頭部の負傷や、それを原因とする死亡事故の増加。
ルナーコード77「頭と足に羽の生えたギリシア神話の知恵の神(ヘルメース、足軽)が、天国と地獄の間を忙しく行き来する」
コードの現象化形態:良いことと悪いことが一挙に訪れる。プレッシャーやストレスのある状況下で、多忙さと格闘する。知的成長。知的リーダーシップ。精神世界の学びへの適性。ギリシャやローマやイタリアやフランスでの犯罪やテロ事件、あるいは国家的ネガティヴの増加。
有名スポーツ選手(特に、サッカー選手やマラソンその他の陸上選手やスプリンターやキックボクサー[一部ボクサー]や格闘家など足をメインに使うスポーツ競技の選手)を狙った凶悪犯罪やテロ攻撃。そうした人々のけが、病気、手術、入院、事故、交通事故、犯罪、犯罪被害、死亡。高級服飾ブランドの不運。高級服飾ブランドの経営者や幹部やデザイナーなどの不運(病気、事故、怪我、犯罪被害、死亡など)や醜聞、不祥事、犯罪、地位の低下、失脚(話)、辞任(話)、引退(話)など。エルメス、その他の伝統的高級ブランドにとっての良くない問題の発生。飛び降り自殺。首吊り自殺
【コード77】 ■対向コード:257 ■統合コード:283 ■直角コード:167
オズの魔法使いの主力スターゲート・コード77「天国と地獄を行き来する神の伝令にして強盗と泥棒の守護神ヘルメス(エルメス)」
コード77もコード123も、顕著な「自殺コード」です。コード77は「飛び降り自殺」や「首吊り自殺」を強く誘発し、コード123は「服毒自殺」や「服薬自殺」や、その他ガスなどの有害物質による自殺を強く誘発します。さらにそうした故意の他に類種の事故も誘発します。
ソーラーコード77「運命の過酷さに打たれた向こう見ずな若者の頭に思索家の魂が芽生える」は、人に(ときには、自殺さえ考えさせてしまう)「強い苦悩」をもたらします。
コード文にある「思索家の魂」というのは、毒盃による死を受け入れた際の哲学者のソクラテスのような死への覚悟や悟りの境地を(広義には含めて)表しています。このコードの現象化傾向の代表的なものは、事故、病気、死、金銭苦、生活苦、犯罪、犯罪被害、トラブル、苦悩、自殺、不運、逮捕…など。
ルナーコード77「兜と足に羽の生えたギリシア神話の知恵の神ヘルメース(エルメス)が、天国と地獄の間を忙しく行き来する」は、とりわけ(各界の著名な)賞の受賞者、教師、大学教授、学者、化学者、科学者、哲学者、研究家、作家、文筆家、クリエイター、ミュージシャン、デザイナー、スポーツ選手、アスリート、格闘家、泥棒、強盗、学生や若者の〈シグニフィケーター〉(=それらを表わすもの)となっています。
ヘルメースが音楽や牧畜(牧場、牛・羊・豚・山羊・鶏)の神であることから、そうした職業の人、および関係者や動物にもコード77のエネルギーは強く波及します。ヘルメースが被っている兜は、軍人(自衛隊含む)や工事関係者、パイロット、競輪・競艇・競馬の選手や野球選手など、ヘルメットを被る人、帽子に関係する人に、そして、ヘルメースが手に携えている医療のシンボルにもなっている魔法の杖は、医師・医療・病院関係者に、このコードの不運凶事[MNC]のエネルギー(現象化形態)を強く波及させます。
コード77には「天国と地獄」というキーワードが含まれていますため、容易にコード111と同語シンクロ相互強大相乗作用をともなって現象化します。
ソーラーコード111「有名な歌手がオペラ『地獄のオルフェ』(天国と地獄)の公演で、その妙技を披露し、有名な映画監督は水鏡に倒れ込んだ男(ナルシス)の最後の姿をフィルムに収める」
コードの現象化形態:有名大物歌手の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。有名映画監督や有名映画俳優女優の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。(ときに)多数の犠牲者をもたらす大地震や大洪水などの大災害の発生。水死。溺死。(風呂、温泉、川・滝・池・湖・貯水槽・ダム・貯水槽・用水路など、各種)水場での事故や重症や死。
ルナーコード111「体調不良をおしてステージに立った歌手が、歌の途中でめまいを起こしてしゃがみ込み、慌てた数名のスタッフが、走って彼の元に駆け寄る」
コードの現象化形態:有名大物歌手の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。
コード77は、「神の砦」の「オズ(バフォメット)の魔法使い」の「聖戦と正義の復讐の法の魔力」が、4次元を飛ばしてこの地上(3次元の人間界)にダイレクトに侵入してくるスターゲート(超時空次元接続特異点コード)です。
それゆえに、人も魔界(アカシック)も、その「奪い殺す力」を防ぐことはできません。 アレイスター・クロウリーは『第77の書 オズの書』にこう記しています。 「われらには、殺す権利あり。」
オズは火星(マーズ=ホルス)。「神の家」「戦争の砦」に満ちるコード77の力。それは大きく地を揺るがし、堅固な建物の中に居る者も死の力で脅かす。コード5の天鷲蝶の地震る神天使メダリオンとコード77のオズの魔法使い死天使アザゼルが一つになった時、その力は最強になる。エピファニー(神の力の御公現)。コード257の「イースター」(復活祭)。即ち、タロットの大アルカナ20番「最後の審判」(ホルスのアイオーン)の前に来る先触れのしるし。
「神居即自然、自然即神居」とは、別の言い方をすれば、「エヒエ・アシェル・エヒエ」(われは、在りて在る者なり)ということです。 KAMVI(カムイ われらが母なる大地のごとく)=20+1+40+6+10=77=OZ(神の砦、軍隊、超常能力、ヌーメン)
【ホルスの言葉】 王家の館とは、天の単眼から放たれる最後の審判の日の雷電を冠としてその頭上に戴く神の使徒たる魔法使いたちの無敵の砦のことである。そしてその数は77である。
【マスター・アマラルマヌの教え】 309+128=437(400[ケルビム、すなわち生命の輪の沈黙の監視者たる動物天使たちと神の人からなるイデア的世界]・30[真理と正義の女神マートの審判の広間]・7[神剣])=77(オズ、砦、軍隊、力、霊力・超能力[フォース])イルミナティの「鷲の目」はすべてを射抜く。「火よ、われと共に歩め」。コードは「不可知」の中で燃え尽きる墓標の真実を物語る。 ヘルメースよ。来たりて、その灰を集め、ヨグ・ソトートの大いなる暗黒の目の深淵に投げ込め。
おお!わが至高の魔力によりてなされるその魔法式の数は、77+152+286=155なり。 見よ、こはハムハゼルの数ではなかったか。かくて証はここになされた。 わが元にあるは「戦争と復讐の神」ラー・ホール・クートの��べての力。
われはイルミナティの最高位の女祭司、かの「緋色の女」なり。「火よ、われと共に歩め!」「汝、火の声を聞け!」 われはOZの魔法使い。77は、その力の偉大な門なり。 われは世界の三部の学、哲学・天文学・自然科学を極めたヘルメース・トリスメギストスより当然のごとく偉大なる者なり。われが「世界の救世主」であることを明かす、これなる三重の印において。 77+186+309=212 エア・フォース! フェニックス! ラー・ホール・クイト! そしてわれはサタンの蛇を捕える!!
【ホルスの言葉】 もしお前が、幸福や豊かさや満足を目指しながらも、なかなかそこに到達できず、もがき苦しんでいるのだとするなら、おそらく今のお前にまだ足りないのは、幸福や豊かさや満足ではなく、さらなる苦境や欠乏や試練なのだ。これは私がたんなる意地悪で言っているわけではなく、アカシックのエネルギー上のパラドックスについての真理なのだ。「地獄下り昇天」という言葉がある。多くの人、いや、ほとんど全ての人は、まず天国を真っ先に目指し、そしてほぼ100%近く失敗する。ゆえに、真の賢者がまず目指すべきは、天国の安楽さではなく、地獄の試練(試罪法X)のほうなのだ。終わりよければ全てよし。だから、「楽園」に向かう途中にある苦しみについては過大評価するな。聖と俗、光と闇の戦いが避けられぬ以上は、楽園を実現するために苦しみが存在することもまた避けられぬことであるのだから。そしてそれが自然の理なのであれば、逆に、苦悩するのではなく、苦しい時こそ、なんとかして笑いを生み出せ。いまいる場所に(たとえそこが地獄であっても)、超人の笑いを生み出せるように生きよ。これはコード77とコード226の教えである。 【〈哲学者の毒盃〉、あるいは〈超人の笑い〉、あるいは〈逃走=闘争線〉の術式】 77+226=303
コード5+コード77=コード82 メダリオンとアザゼルが、コード82のゲートを領しました。 このコード82は、これまでセドラという悪魔が、そこからエネルギーを吸い、そして、光の子らを苦しめるためにそのゲートを使うことが多かったのですが、今後は光の影響の方が、より強まることになります。
コード77 頭 手 足
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実はメインの2つ目
息子のこと、登園拒否後の変化についてブログでそのうち。。と公表しながらも、どうしたもんかと。
同窓生の親御さんたちに心配をかけてしまうなと、
施設の方の役員のおかあさんたちには会長(現在は交代しているので、元、です)経由で伝わっているのだけれど。。
どうやら、目がよく見えていないらしい→眼球使用困難症ではないかと。目を開けなくなってしまい手探り生活。たまに、あれ?見えているんじゃ?というシーンも見られるので、完全失明というわけでもなさそう。
すでに役員仲間のお母さんたちにはずいぶん心配をかけてしまっているみたい。
なので、ちょっとこちらで公表の練習をしようと。
公表には違いないけど、閲覧者はほぼ0の裏垢と思われるのと、DEEPな感じのひとしか、ここにはたどり着かないでしょうと思われるので、いきさつ整理と推敲兼ねて。
経過としては、引きこもり状態で見た目は摂食障害と体重の減少、眼球使用困難症?
摂食障害:『早食いと丸飲み、誤嚥、咳、吐く』→ 『食欲亢進からの食べ過ぎ→逆流性食道炎もあり?』→咳がなくても食後横になって吐く→吐きぐせにつながってこだわりとか刺激で習慣化?
体重減少:血液検査では異常なし、
従来の投薬を拒否しだす→デパケンをやめたことで痩せた(体脂肪率が40%台だった)と同時に吐くことで食事の摂取量が減った、在宅で運動量が激減し、筋肉量が減った。
自律神経:気圧の変化に弱い、睡眠障害(気圧で興奮状態~夜寝ない~貫徹後も寝ない)後に発作兆候
傾眠:アレルギー薬とリスパダールもあわさり傾眠~施設を遅刻・欠席が増えだす
てんかん発作:元々ミオクロニー発作持ち
デパケンを飲めなくなったことで、大発作を起こす→イーケプラを服用し寛解中
医療:引きこもりにより外来が本人抜きが続くので血液検査できず、訪問診療開始、上記の血液検査は訪問診療にて自宅で。
支援:施設とは毎日��絡を取り合う→欠席の連絡と状況報告、相談員さんから毎週の訪問看護を勧められるが、居宅介護から外出に繋げる支援を希望するも、できない(認められないから申請できない)と断られる
支援会議(施設職員・支援センター相談員※後述)→状況報告と希望を伝える→訪問看護よりも居宅支援の希望が通る
会議後すぐあたりから目が見えなくなり始める:どうやら、目からの情報を受け取る神経~脳で混乱しているのでは?
居宅支援:週1回の訪問に繋がり現在に至る。
☆眼球使用困難症の情報がネットで出だす☆
そのなかに、向精神薬の使用によるもの、という情報あり→イーケプラの服薬の間隔を少し広める→目を開けだす
6月12日現在、摂食障害はほぼ改善、しかし傾眠すると痩せだす、ほぼ開いていなかった目が開きだしている。。外出はまだできていない。
本人については、また別記事で。
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2023/1/27〜
1月27日 これで一通り誕生日を終えた。 帰ってきてお部屋をたくさん掃除して、とても寒いのに窓を開けっぱなしにして換気をして、ちゃんといろんなところが痛くてイヴを飲んでしまった。
もうSNSも日記もやらなくていい、という風にしたかった。写真ともうちょっと正面で向き合いたいと思っていた。でも?今はSNSにそんなに必死で生きようとしていた私は何だったのか、を考えたいかもしれない。これが1番したいことかもしれない。 自撮りも、周りの女の子たちも撮れなくなった私は、これから何を撮るのかな?滝とか?
今日は5時くらいから目覚めていて、その頃にはもう博品館のライトアップは消えて、工事部隊も撤退していた。 そのままテレビは消音でNHKを流して7時。 東京ってやっぱり情報が多い。 街の中の文字やビジュアル的な記号以外にも、夜も朝も同じ街でも様子が違いすぎて、読むべきものがありすぎる。
8時から外を歩いてみる。 資生堂本店は閉店時間でも店内のお花や椿缶クッキーがライトアップされいた。 汐留のデッキで写真を撮って少し元気が戻る。 新橋のゆりかもめの駅で、エレベーターの通勤する皆さんと完全に逆行して下って、乗り換え通路を歌いながら歩いてもっと元気が復活。
チェックアウトをして東京駅まで歩くと、修学旅行生がたくさんいた。受験生以外の学年ってこの時期暇だったのかも。
そのあと会った人が、昨日入籍をしたらしく、12時から15時まで、苗字が変わったことですべき変更手続きのためお役所にいたと話してくれた。そんな面倒な手続きも幸せそうに話してくれた。
今日1番の難題、おかえり?東京クーポン2,000円分の使い方。 マンスーンさんの言葉を借りれば、クーポンのために生まれてきたのではない! でも、今日中に使うクーポンを無駄にしたくはない。けれど変に荷物を増やしたくはない。(昨日の夕食とスキンケアセットを買ったナチュラルローソンで使えば良かった!) フィルム現像に充てたかったけれど、現像屋さんは加盟店ではなかったので、駅ビルのロフトやshiroをうろうろ。 結局、成城石井と紀伊國屋でちょっと良いレトルトスープなどを買った(いつもレトルト食品さえも賞味期限を切らしてしまうのにね。)
2日前がはるか昔のことのよう。 2時間で長崎に行った時は、すぐだな〜と思ったのに、いつも行っている東京、まだまだつかみきれていないことが判明して、また少し遠い存在になって、そして好きになった。
1月28日 3ヶ月に1度の歯医者へ。 3ヶ月前に今日の日を予約したと、もう1/28なんてないようなもの…と思った。 ちゃんと受診して、歯の白さを保てていると褒めてもらって、今回は黒ごまラテいじりも、紅茶禁止令もなく、本当に、私の歯のことでしか関係していない人と場所だ、と思った。
移動中に読んだ本で、中流階級はライフスタイルをする、と書かれていた。下流階級は生活、上流階級はスタイルしかない。中流の皆様は、選ぶ商品や記号で自分の生活をスタイリングする(選ぶくらいの余裕はある)とのこと。 早くお金持ちになって、生活でなく、スタイルだけを楽しみたいです。ボードリヤール先生。
1月29日 ギャラリー巡りの日。 久しぶりに人といる時間だった。展示を計画している友人と、目星をつけている都内のギャラリーへ行った。 その内1つは高田馬場にあって、とっても久しぶりに下車。あんなに毎日使っていた駅だったけれど、本当に用事のないまち。
ギャラリーは良かったけれど、駅までの道のりの安い居酒屋が並ぶ汚い商店街に、友人が「(展示を観た後の)余韻を楽しめない道だ」といっていて、良い着眼点。 3つ目のギャリーにはカフェが併設されていて、そこで展示の話をした。
家族の写真を撮っている友人と、自分の写真を撮っている私。 他人の話って全然分からなくっておもしろい!と思えた時間だった。共感ってわからない。 でも、もっと聞きたいことがあるはずなのに、どのポイントでどう質問すれば聞き出せるのかが分からず難しかった。 でも、その中で“満たされないと写真を撮る”という共通点があった。
私は満たされて写真を撮れなくなるのが嫌なので、満たされない生活も大切にしたいと思っている。友人曰く「満たされて何もなくなる人と、満たされても何かしら続けられる人がいる」とのこと。 私は今(特に満たされていないけれど)、やめようと思った自撮りやSNSを続けること、を、満たされて何もできなくなったと言うことにしたくなくて、とりあえず、本当にとりあえず何かしら何でも!と言うレベルで更新してみている。
そして高田馬場の汚い商店街を歩きながら、青木さんの話をして、死んでしまうと、死んでしまった人としてしか話せないし、更新される作品もエピソードもなくなって、とても悲しく勿体無い。
更新していこうと思った。
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