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時間が無いのでは無い 時間は自分で作るもんばい! 薄っぺらな屁理屈は無し! 逃げ口上も言い飽きた! 恒例の深夜トレ やるしかなかろ〜もん! 人生は上々だっ! #LAKEBIWATRIATHLON #シーガイヤトライアスロン #さぎしまトライアスロン #STORONGMAN #running #polar #ceepo #triathlon #トライアスロン #saysky #HOKAONEONE #2xu #NEUTRALWORKS #Oakley #reactinfinity #トライアスロントレーニング #トライアスロンバイク https://www.instagram.com/p/CpdH6mQPiD3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封���されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピック���ーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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クロールやる気無し
長年水泳をやっているがクロールは一番分からない。文句無しにスタイル4だ。
練習を真面目に取り組んだ程遅くなり、さらに奮起して練習するとより遅くなる。クロールで調子良く泳げる時は、クロール専門の練習を日頃からせずその日の気分で適当に力任せにねじ伏せる様に泳いだ場合だ。つまりそうなっている時点でクロールの適性は無い。
余り泳いでいて楽しい泳ぎでも無いしトライアスロン系もやらないので、特に理由が無ければ他の泳ぎに時間を割こうと思う。
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運動しても痩せないのはなぜか を読んだ
副題は「代謝の最新科学が示す「それでも運動すべき理由」」とある。ちなみに原題は "BURN - New Research Blows The Lid Off How e Really Burn Calories, Lose Weight, and Stay Healthy" で、邦題はややセンセーショナルな感じに改題されていて、本書の主題をうまくキャッチーに表現してはいるんだけど、筆者が「しかし運動の重要性は減じられないどころかより重要だと強調されるべきだ」と述べていることを考えるとその意図には反しているんじゃないかなとは思う。
筆者の専門は代謝で、特に狩猟採集民族のハッザ族に対して二重標識水を用いた代謝(消費カロリー)の測定やその生活の観察という研究を元として本書の主張は裏付けられている。その主題は「ヒトの消費カロリーは運動をしてもそのぶん増えない」という「制限的日次カロリーモデル」である。運動をしても、正確には運動の負荷を上げてその活動による消費カロリーを増加させても、1日の総消費カロリーはそれほど増えない。まるであらかじめ決められた予算があるかのようにある総消費カロリーに収まるよう他の消費カロリーを抑えることで辻褄が合わせられる、というもの。この点については��すがに直接の実験結果やサポートする過去の実験結果が豊富で非常に説得力がある。直感に反しているし疑問点も湧く(超高負荷な運動をしているアスリートとかはどうなのか? とか)が、思いつくような点は主に第8章でちゃんと補足されている。従って減量だけを考えるのであれば、運動でカロリーを消費することは役に立たないのか? 筆者はその通りとはっきり述べている。ただし第7章で減量後の体重の維持には運動が有用だしむしろ必要だとも言っている。減量をするには摂取カロリーを減らすしかない。
以上が本書のメインの主張。これで終わりでもいいのだが、この書籍はけっこうその周辺の話もおもしろいので落穂拾いをしていく。
まず代謝とはなにかというのでクレブス回路(日本語ではクエン酸回路ということが多い気がする)とかの生物で教わりそうな話とか、二重標識水でどうして総消費カロリーが測定できるのかといった基礎やテクニカルな話もおもしろくはあるけど既知なので省略。
まず代謝という面からみた時、哺乳類→霊長類→類人猿→ヒトとみるとまず霊長類全体としては消費カロリーが少なく、あまり活動せずに生存できるよう進化しているという話があり、しかしヒト(ホモ属になったあたりから)は逆に非常に消費カロリーが多くなっている(哺乳類一般でいうとそれでも少ないほう)という特徴があり、巨大化した脳や狩猟を行うようになったことで移動距離が長くなったことがその消費カロリーの使い道だろうと述べている。代謝の仕組みについてこういう2段階の変化があるということも新鮮な知見だし、そもそも代謝という側面から進化を考えるということをあまりしたことがないのでおもしろい。またこの増大した消費カロリーを支えるためのカロリー摂取は、社会性の発達により「分けあう」行動の進化によって狩猟というハイリスクハイリターンな捕食行動を支えることができたことによるという解釈も述べられている。このへんは筆者にとっては専門外で多分にハッザ族を観察しているうえでの印象論という感じが拭えない。
次に運動で総消費カロリーが増えないのであれば、運動した時にどうやって他の消費カロリーを抑えているのか? という疑問。これには免疫と生殖が挙げられていて、免疫については炎症といった余計な反応の抑制でむしろ病気を防ぐ効果があるといっている。ここも特に強い裏付けはなくて、推論に過ぎないとは思うけどまあそんなところかもなぁと思わされるし、なにより適度な運動が健康に良いということは裏付ける実験結果がたくさんあるので、機構が正しいかはともかく運動の有用性それ自体を疑う余地もないしいいか、という感じ。
次に、1日あたりの総消費カロリーが変化しないよう脳(視床下部)が調節しているのであれば、なぜそもそも人は肥満に陥るのか。これについては「現代の高度加工食は『おいしすぎる』」と表現して、カロリー密度が高いことや味覚などの刺激の強さから脳の調節機構がついていけてないと主張。まあなんかよく聞く話ではあるけど、この部分もどうも具体的な実験結果のサポートはなくて、ここだけ急にダイエット法の本みたいになっている感もある。結局ここが謎だからダイエットって難しいって言われるんだろうな。
そして一部のアスリートのように本当に限界を超えるようなカロリー消費をする高負荷な運動をしていたらどうなの? という話が第8章で展開。ここでは人間(ヒト)の持久力の限界はどのくらいか、ということでトライアスロンみたいな競技から、数ヶ月かけて北米を走って横断するという活動、そして妊娠期間でのカロリー消費の測定から、負荷(総消費カロリーの基礎代謝(BMR)に対する倍率)とその期間とのあいだに非線形ボーダーラインが引けるというグラフが提示された。まあつまり短距離走とマラソンでは維持できる運動量が違うのと同じようにやっぱり3時間とか 1日とかの(比較的)短期間の限界と数週間〜数ヶ月かけて行う活動とでは1日あたりの消費カロリーの限界には当然違いがあるので、ある1日だけ限界を超えたカロリー消費を行うことはある。「制限的日次カロリーモデル」はあくまで定常的な状態での話だということ。そりゃそうだ。ところでこのグラフでは他の極端に過酷な競技がプロットされた曲線の延長線上のちょっと下に「妊娠」がプロットされていて、つまり妊娠というのは代謝的にほぼトライアスロンやツールドフランスと同じくらいに(期間が長いので1日の負荷は小さいが)ほぼヒトの限界ぎりぎりくらいに負荷のかかる状態だということだということがわかる。あらためて妊娠・出産という偉業に敬意を憶える。
最後に第9章では代謝という生物の体内での現象から飛び出して、人間が体外でも自身の生存のためにカロリーを消費しているという話になる。まずは火の利用により調理を行うことで食物を消化しやすいようにしたこと。これについては何で読んだのか忘れてしまったけど(「人類の起源」か「反穀物の人類史」かなぁ)、調理は消化の外部化だという表現があって、なるほどと思ったのを思い出した。しかし本書ではそれに留まらず、より一般的に人間がエネルギーを利用するのを「体外での代謝」と捉えて、人間はその摂取する1kcalあたりの消費エネルギーがはるかに多くなってしまっている、という表現で現代のエネルギー問題や気候変動問題を斬る。この切り口は斬新だった。再生可能エネルギーはよ……。
予約した時はタイトルからよくある���イエット本みたいなのかと思ってたのだけど、もっとずっと学術的な書籍でおもしろい視点が得られて良い読書だった。運動は続けた上で食べるものにも気をつけよう、という気にもなった。
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912:底名無し沼さん (ワッチョイ bffb-8fHU):2024/09/06(金) 09:42:35.39 ID:9lci4w6w0
心臓病なのに除細動器を拒否して野菜食べて治ったと勘違いして、クライミングではなく富士山登山八合目でで勝手に心臓が泊まって死んだパタゴニアアンバサダーでフリークライマーの倉上慶大さん。追悼号。
https://i.imgur.com/FRwe7ap.jpeg
939: 警備員[Lv.4][新芽] (スップ Sdff-+F8D):[sage]:2024/09/06(金) 13:41:14.72 ID:CIvH8tUzd
>>912
最後まで見てなかったが原因特定されてICD埋込みまで提案されてたんだな
それを本人が断ってた そりゃダメだ
919:底名無し沼さん (ワッチョイ 27dd-+F8D):[sage]:2024/09/06(金) 10:12:01.72 ID:jMAtFeXZ0
>>912
ロックな生きざまだな
934:底名無し沼さん (ワッチョイ df1f-Tquj):2024/09/06(金) 13:13:09.90 ID:epLwZLBm0
>>912
心臓病で登山は無茶だよなあ
一度死にかけたんだから軽く考えてたわけじゃないんだろうけど、好きなようにやって何かあったらそこまでってつもりだったのかな
941:底名無し沼さん (ワッチョイ e73f-mbAl):[sage]:2024/09/06(金) 14:02:35.51 ID:74sQwFHp0
>>934
重い病で余命数年とか言われたけど結局その後十年以上生きましたとかよく聞く話ではあるからな
そういうのは結局生存者バイアスみたいな感じではあるんだけどなんとなく自分もそっち側みたいに思っちゃうんだろうな
935: 警備員[Lv.3][新芽] (スップ Sdff-+F8D):[sage]:2024/09/06(金) 13:17:10.10 ID:CIvH8tUzd
>>912
この人のようなことがないようにしたいが
最初のかかりつけクリニックでは様子を見ましょうで、死にそうになって初めて大病院で運動誘発性と名前がついて
結局根本的治療は受けられてない
医師らはこの人の原因分析して治療法見つけてくれ
病理解剖したろうけど原因究明すら至ってないだろ
運動誘発性狭心症だとそのまんまで究明とは言えない
WPWとか攣縮とかそういうの
950:底名無し沼さん (ワッチョイ 5fc7-8fHU):2024/09/06(金) 16:01:29.76 ID:7QrMRkfa0
>>934
>>935
いや、除細動器付けときゃ心臓が止まっても自動的に動かしてくれるんだから、大人しく除細動器入れときゃ良かっただけだよ。
野菜なんて食べた所でコレステロールが溜まってるのが無くなるだけで、今まで何も考えずに酷使してきた心臓の機能なんて戻りゃしない。
過度なネイチャー思想の餌食だね。
953: 警備員[Lv.6][新芽] (スップ Sdff-+F8D):[sage]:2024/09/06(金) 16:47:27.93 ID:CIvH8tUzd
>>950
この人がどうだったか知らないけど岩登り組ならそ���なに心臓酷使するスポーツじゃない気がするけど他に色々持久トレしてたみたいだけど
TJARのような夜中中走るトレランとかトライアスロンでは心臓酷使で心筋が線維化すると耳にした
その辺も個人差あるんだろうけど
心筋細胞にあるはずのなけなしの再生の予備切符使い果たしてたんだろな
954:底名無し沼さん (ワッチョイ df1f-Tquj):2024/09/06(金) 16:53:24.22 ID:epLwZLBm0
>>950
なんかその手術すると腕が動かせなくなってクライミング能力が落ちるとかじゃなかったっけ
それを受け入れて縛りのあるクライミング人生選べればよかったんだろうけど
955:底名無し沼さん (ワッチョイ bffb-8fHU):2024/09/06(金) 17:08:13.87 ID:9lci4w6w0
>>953
何も考えてなかったのに病気になって「目覚めた」だけらしいよ。
>>954
術後に一定期間腕が上がらなくなると言うだけで別にずっと上がらないわけではないから医者の話聞いてないだけだよ。
958:底名無し沼さん (ワッチョイ df1f-Tquj):2024/09/06(金) 18:01:47.87 ID:epLwZLBm0
>>955
つっても胸開けるわけだからね
俺の首のとこちょっと手術しただけで腕全然広がらなくなって寝たり起きたりするだけで痛くなって憂鬱だったよ
1年近く経ったらだいぶ良くなったけど今でもTシャツの脱ぎ着とかはしづらい
医者は自分が手術受けたわけじゃないからたぶんあまりよくわかってないと思う
960:底名無し沼さん (ワッチョイ bffb-8fHU):2024/09/06(金) 18:17:48.62 ID:9lci4w6w0
>>958
その辺の判断した時のインタビュー記事があった。
根本的に「一時的に腕を上げてはいけない期間がある」と言うことを理解出来ていないだけだ。
心臓が止まってから5日で退院。
こうやって医者より偉いと思ってわかった気になってるのが原因だね。
https://number.bunshun.jp/articles/-/856054?page=3
https://i.imgur.com/aRqIEcg.jpeg
https://i.imgur.com/qJKA6OO.png
913:底名無し沼さん (ワッチョイ bffb-8fHU):2024/09/06(金) 09:45:49.77 ID:9lci4w6w0
倉上慶大「心臓病の権威といわれるアメリカ人医師が書いた『血管を甦らせる食事』という本に出会ったんです。心臓病は治らないと言われているんですが、その本には心臓病は自然療法で治ると書いてある。そのためにはビーガンかつオイルフリーを徹底することが大事であると。かなりきつかったですが、3か月間徹底的に続けたら、目に見えて良くなっていったんです」
何を見ていたんだ?
915:底名無し沼さん (ワッチョイ e7dd-hFxt):[sage]:2024/09/06(金) 09:47:32.51 ID:Vac9adM/0
人間は自分の見たいものしか見ないんだよ
922:底名無し沼さん (ワッチョイ 27f1-0xUn):[sage]:2024/09/06(金) 11:20:02.23 ID:Gq0ynKNk0
逆に言えば登山みたいなハードな事やんなきゃ、どんな病気でも徹底した食事療法は劇的な効果があるんだよね(´・ω・`)
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【画像】 ジジババ、買い占め行列開始 WVWVWVWVWVWWVWVWVWVWVWVWV WVWVWVWVWVWWVWVWVWVWVWVWV
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CULTRA Trail Run, Cameron Highlands, Malaysia
7/13/2024 キャメロンハイランド@ マレーシア
2回目のトレラン。マレーシアでのキャメロンハイランドという高地でのレースで、距離は14キロ(Total ascend 720m)。申し込むのが遅すぎなければ、もちろん本当は30キロがやりたかった…。でも短かったからこそ、気持ちのいいレースだったし、また"やりたい"っていう後味が残った。
金曜日の朝の1時間のフライトで、Ipoh空港に到着。特にトレランに特化した練習はしてなかったんだけど、直前まで過ごしていた東京ではランニングと水泳を続けてた。好きなジェル類も東京で買えたのは良かった。事前準備でちょい面倒だったのは、お医者さんによる健康状態の承認。クレメンティ駅近くのクリニックで前日に血圧、血液酸素濃度を見てもらう。駅前のデカスロンで幾つか必需品も買って出発。
レース前日の金曜日は空港からさらに2時間近くタクシーで内陸部に進んで、徐々に高度をあげていった (250リンギット)。ホテルはかなりbudgetだったけど、レーススタート地点からすごく近いのが良かった。到着後はすぐにレースチェックインに。夕方頃までそこで過ごしたんだけど、かなり涼しかった。寒いくらい。キャメロンハイランドが避暑地として長らく重宝されてきた理由を実感。でも翌朝の気温が心配になる。その夜はカーボローディング的な食事を取って、早めに就寝。
レース 14km
スタートは7時。6時ぐらいに起きて、軽く朝食を取って、準備へ。トライアスロンと違って、準備が格段に少ないのがすごい楽。スタートと日の出のタイミングとほぼ同じで、走り出す頃に明るくなる。しかも曇り空で、気温も20度弱で最高な感じ。最初良かった長袖のインナーは、途中で脱いじゃった。
最初の5キロ強はアスファルトの上、若干のアップダウンのあるところを走る感じ。僕の全てのベンチマークがコタキナバルでのキツいトレランだから、"走れるだけマシじゃん"、という感じで、ずんずん進む・追い抜いていく(次回以降、少し前の方からスタートするようにしよう笑)。山の中に入ると、早速スピードダウンで黙々と登り始める。前回と違って、今回はけっこうアグレッシブだったと思う。遅い人がいれば、積極的に抜かしていった。相手のスピードに合わせる、ということをしたくなかった。それは下りの方が顕著で、"走ってる"時間は前回より格段に増えた。傾斜の緩い林道であれば、積極的に走っていたし、それをやっても大丈夫な体力があった。トレランって使う筋肉がレース中に変わるところが面白いと思った。スピードも心拍数もかなり変化が大きい。息を切らしてる時もあれば、それが和らぐ時も来る。9キロのチェックポイントに着いた時も全然まだいける感じがした。涼しかったし、ジェルも30分に一個、それに水もちゃんと取っていたから、元気そのもの。でも油断しないように気をつけた。その時に、インナーを脱いだのと、軍手をはめたのは大正解。棘のある植物があったのと、あと、なんだかんだ下る時に岩とか枝をよく掴むから、そのために軍手はすごく良かった。
コースとしては9キロを境に2つの山がある感じで、後半の方が辛かったんだけど、登りも下りもかなり積極的だった。抜かしては、次の集団に追いつく、みたいなことをしてた。30キロカテゴリーの遅い選手が後半混ざっちゃって、スピードの遅さにイライラしたけど、上手くかわして、ゴールを目指す。ガーミン的には走行距離が15.5キロを超えてたのは謎だったけど、でも最後まで走り切れた。ゴールした時は周りに全然人がいなくて変な感じがした。タイムは2時間53分で、一応トップ10%の出来だった。爽やかにフィニッシュできたのは良かったし、終わった直後に、ローカルのランナー2人に、"お前について行きたかったけど、追いきれなかった…"って悔しそうに言われたのが素直に嬉しかった。最後の方は確かにけっこうスピード出して下ってたからね。
まとめ
とりあえず怪我をしなかったのが何より。短い距離だからこそ頭も冴えて、体力も維持できたけど、確かにこれが倍(さらに倍、そして…)になると、、と考えるとかなりキツイ競技になるんだろうなって思う。今後は日本でもレースに参加しながら、もっと満喫出来たらいいかな。自然の中・森の中にいるのは好きだからね。
翌日はツアーに参加してキャメロンハイランドの自然とか苺・紅茶を堪能できたのは良かった。こういうアフターの楽しみもオススメかも。
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スズキとNTTがスポンサーで、ハンブルグでトライアスロン国際大会が土日で開催。日本からも選手団が来ている。今週の前半までは暑かったので、早朝6時にはスタートするグループがあり、早朝からずーっとうるさい。なにしろ、内アルスター湖の我が家がある側と、内アルスター湖がトライアスロン会場なので、前日から道は封鎖されて買い物にも行けないわ、朝からうるさいわで辟易。家にいてもイライラするだけなので、それでワシも朝から徘徊。DimSumは食べるわ、アイスは食べるわ、教会でオルガンに聞き惚れるわで、それなりにハンブルグを堪能。っていうか、ワシは二年住んでいて、こんな週末を過ごしたのは初めてである。大概、誰かと何かやっているので、忙しい週末を過ごしていた記憶しかない。明日はJudithさん宅で、餃子を作ったりしてお嬢さんのRuthと遊ぶ予定。
日本人選手は女性を3名見かける。とは言うものの実際には見えていない。ゴール付近を徘徊していたら、何やら背の高い男性で、日の丸国旗にJAPANとまで丁寧に書かれた黒リュックを持ったおっさんがおったので、そ~っと隣で観察しよったら、そいつが、先頭集団からはかなり遅れて、後ろの方から走ってくる女性に、3回別々に、「ラストだ頑張れ!」と大声でお声がけしておったので、まぁ3名位参加しよるのかな。。。といった感じ。声がけが終わったら、おっさんはコーチなのか、そそくさと移動しはったので、話す事もなく生き別れ。
大会が行われていない地区の付近を徘徊していた時に、「えーっ!!」という男の声を聞く。ワシの日本人ではない友人達によると、文句がある時に、「えーっ」というのは日本人だけらしいので、日本人かと思い見ると、ブルーと白のピチピチランニングシャツと半パンを履いた、頭の中味カラッポでーす。脳味噌筋肉でーすという顔つきの日本人男性二人がランニングトレーニング中の信号待ちだった。内、一人が、ペッと道端にツバを吐いて、信号を確認して走り始める。すみません。ドイツの方々。日本人も不潔で頭悪い奴いますので。汗。
それにしても、ドイツ人の体臭に、ワシは気持ち悪くなって、結局、長い間観戦もできず。くせー体臭を強烈な香水で誤魔化すので、本人はいいのかもしれないが、頭が良くて鼻が良すぎるワシは吐き気しかしない。また、その中でマリファナ吸っている奴もいるので、普通に気持ち悪い。今日は肌寒く、仕舞ってあった長袖を引っ張り出して、羽毛のチョッキジャケットまで着込んでいるワシ。この寒空で、半袖着ている癖に汗までかいて臭いドイツ人には、なんだか動物として負けた感じしかしません。。。ワシ、外人と結婚している日本人って、絶対、鼻が悪いと思う。愛は盲目かもしれないが、ワシは臭い人間の匂いよりベムの匂いの方が良い。
それにしても、アルスター湖にブイを浮かべて、トライアスロンのスイミング会場にしてあるのだが、この水で良く泳ぐな。さすが体力ある人々は、この水の中で泳ぐことに全く抵抗が無いのだなぁ。ワシなんて、見ているだけで、大腸菌とかサルモネラ菌とか、アホアホ菌とか、いっぱいいそう。。。とドン引きしているのに。体力ある人々ってすごい。ここで泳いで、自転車こいで、そんで走るんですよ。同じ人間とは思えんぞ。ベムでさえ、そんな体力無尽蔵的なことできないと思うから、ワシらは彼らとは別次元の存在��のだろう。日本人なんて、この大会のために飛行機に乗って時差ボケあるんでしょ。。。パリ入り前なのかもしれんが、ひたすらに脱帽。御苦労さまです。
ということで、徘徊が一万歩以上になったので、夜七時だし、帰途につきましたとさ。朝10時過ぎからの徘徊、お疲れ様ですと思いきや、いきなり大雨です。ハンブルグらしい天気ですなぁ。
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当たり前ですけど、やっぱり持っても乗っても軽さが際立ちます。バイク自体の軽さと小径ホイールの組み合わせで漕ぎ出しからシュパーっと軽やかな加速に笑顔がこぼれました。 真ん中にヒンジを持つ折り畳みフレームゆえ剛性は低めではありますが、絶対的な軽さもあって加減速やコーナリングも割と快適ですし、そもそも街乗り想定のバイクなので日常の速度域ではほぼ関係ない話ですね。 唯一ネガティブに感じたのはポジションで、軽さと加速性のおかげかハンドリングが若干センシティブです。もう少しハンドルを前に出す事ができればぐっと良くなるのですが……軽量性とコストのバランス的に市販品としてはたぶんこれが正解なんでしょうね。
【インプレ】軽さの限界に挑戦?Harry Quinn Limit6に乗ってみた【軽量折り畳み】 | Y's Road お茶の水店エアロロード・トライアスロン館
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2023/11/19
祖母の料理が食べたくなって、好物の赤福を片手に会いにゆく。家にあがって、台所を覗くと寿司桶が視界に入った。鰻のまぜ寿司だ!祖母がつくる料理の中で、いっとう好きな料理。前回食べた時に「また同じものを食べたい」と私が言ったのを、律儀に覚えていてくれたことにキュンとする。祖父が贔屓にしている魚屋さんで焼いてもらってきた鰻、甘辛く煮た椎茸、錦糸卵、人参、胡瓜が、これでもかと酢飯に和えられていて目に楽しい。一口食べたらもう止まらず、2杯おかわりした。
祖母の料理には、優しい時間が流れている。こんなの簡単だよと本人は笑うばかりだけれど、誰かを想ってつくる料理は、心をぐんにゃりとほぐして素直に「美味しい!」という言葉が口から飛び出す。まぜ寿司を食べていると、横にスッとお皿が出てきた。好物No.2の焼きそばだった。食のトライアスロンは、まだ始まったばかり。祖母がつくる焼きそばには、シャウエッセンが添えられている。間に齧ると、箸休めというより箸ブーストが起きて、勢いよくまた太麺に向かってしまう。お腹がはち切れそうで、炬燵からしばらく動けなくなった。
西日の差し込む居間でうとうとしていると、今度は赤福とミカンが登場。祖父が、赤福はどこの名物だったかと考えこんでいた。祖母がすかさず「それがわからなくなったら終わりだね」と容赦がなさすぎた。80年以上生きている人たちの攻防に笑っていたら、赤福を炬燵布団に落とす。「きよめ餅は熱田だら」と返す祖父に、続けて「巻き返したな」と笑った祖母は直後にお茶をこぼした。このふたり、コストコのことを叔父が何度教えても「ポコスコ」と言うのが、心底愛おしい。たくさんの果物と、タッパーいっぱいのまぜ寿司を持たせてもらって帰宅。
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ドライな関係の巻
27人目ことひろきに会ってきた。
彼とセックスするのは3〜4ヶ月ぶりくらい。
私に与えられた時間は少なかった。
12:30に待ち合わせて15時解散。
ひろきは時間通りに来た。私は緊張していた。
一度はすごく好きになった人。
でもやはり今一番会いたいのはホイくん。
妥協、という言葉がぴったりだった。
ホテルの部屋を暗くすると、
最近いつセックスしたの?
秘密。
次はいつセックスするの?
秘密。
いや、今でしょ。
下着になれ、と乱暴に押し倒される。
下着姿になり、
俺の乳首舐めて、というひろき。
私は乳首をなめ、フェラチオをする。
なんでそんな男知り尽くしてるの?気持ちいい気持ちいいーを絶叫するひろき。
次は私を責めてもらう。
持ってきてもらったアダルトグッズ(電マ
で。乳首を舐めてもらいながら電マを当てると
4〜5回イってしまった。
そしてセックスする。
身体の相性、いいんだな…とつくづく思う。
1回目が寝バックですぐ終わり、
タバコを吸い出すひろき。
私は彼の乳首を舐めたりしながらローションでしごく。
タバコを吸ってたひろきの手は止まり、
いきそういきそう、あなたが恐ろしい、なんでそんなに男の体知り尽くしてるの…と。
直後すぐ発射し、2回目が終わる。
その後はさすがにへにゃってしまい
もう一回はエッチ出来なかった。
最近の近況を滔々��話すひろき。
やはり彼は自分の話が多い、
そして私に興味がない。
私はホテルの自販機で酒を買いたかったけど、昼から飲むなんて罪悪感が酷すぎる、と止められる。
一緒に風呂に入るも、なんとなく時間を持てあます。
彼女さんは美人だしかわいいんだけど、同僚としか見れなくて勃たないという話。
昨日彼が行った仕事の会食の事。
トライアスロンを控えてて絞ってる事。
思うんだけど
一度こういうセフレになってしまうと
もう前みたいな恋人みたいな時間は流れない。
一緒に渋谷のホームに行き
彼は各駅停車、私は急行で帰るから、と��手して別れた。
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1175 豊年際
黒島には、かなり古くから伝わる、豊年際の、ハーリー競争がある。 ハーリー競争は、中国や沖縄本島、石垣島や周りでも行われているが、この黒島の場合、かなり違った行事である。 船を漕ぐ競争だけでなく、ウーニーと呼ばれる、走り手、その競争が、かなりメインの役割をする。 写真は、ウーニーの姿で、ふんどしの部分は、肝心なところをやっと覆いつくすばかりで、ケツの方は、ぐるぐる巻きに束ねる。 割れ目に食い込み、下半身がむき出しの状態だ。 勿論、上半身もごらんの通り軽装で、このウーニーに選��れることは、走りが早く、非常に名誉な事である。 最大の人気者だ。 ウーニーは、強い脛の意味で、健脚という事。そこにも英語が相通じる方言が、見え隠れする。 ウーニーは、村長から杯をいただき、腰くらい迄の所に待っている船に、砂浜、浅瀬を走り、飛び乗る。 そして船をこぎ、沖合にある旗をとって、Uターンする。 帰りは船にスピードが付いている為、深さ胸元くらいの所で、ウーニーは飛び降り、両手で水をかきながら、浅瀬、砂浜、そして、村長の所へ来て、タッチする。早い方が勝ちだという訳だ。 そういう意味では、ただ陸上で走りが早いだけではない。 水中をうまく、走るテクニック、方法が重要である。 また舳先に、ピーゾーと呼ばれる、棒高跳びの竿に匹敵する、竹のさおを付いて、漕ぎ手と、トウージーと呼ばれる、かじ取りと連携する。 返しの場合、ウーニーが、船からとび降りる合図をかじ取りが出す。 舳先のピーゾーと、かじ取りが強引に船を方向転換しないと、ウーニーは、船の下敷になる。 そのタイミングが、危険極まりない状態だが、その為に、漕ぎ手に指示を出し、ピーゾーに指示を出す。 飛び降りる瞬間をウーニーへ指示するのが、トウージーと呼ばれる、かじ取りの重要な役目だ。 また、Uターンをする時、旗を船に取り込まなければ、失格である。 かなりスピードが出ている船で、旗を取れる状態で、Uターンさせる。 50センチでも離れれば、旗が取り込めない。 そこが、トウジーの1番重要な役目だ。 前回、トウージーとトウジ(妻)の話をしたが、その辺に繋がりがあるようだ。 このウーニーハーリーの方式は、他には無く、日本国内ではこの黒島にしかない。 中国のハーリーにもない、なんでこの島にしかないのだろうか? この島は、かなり古くから他には影響されない、独自の文化があったのではないかと、推測する原点である。 昔から南の島に伝わる、このウーニー、トライアスロンの原点ではないだろうか。
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ひっさびさの 朝一バイクは 死んだっ! ぼちぼち行くばい! 人生は上々だっ! #LAKEBIWATRIATHLON #シーガイヤトライアスロン #さぎしまトライアスロン #宮古島トライアスロン #STORONGMAN #running #polar #ceepo #triathlon #トライアスロン #saysky #CLIFTON6 #HOKAONEONE #2xu #NEUTRALWORKS #Oakley #reactinfinity https://www.instagram.com/p/CVW7tM0pxOi/?utm_medium=tumblr
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【閲覧注意】 自○行為を配信してた女子高生、やり過ぎてカメラの前で気絶してしまう…
今日のピックアップ記事 【ガチ流出】 陽キャの飲み会にて。酔った勢いで野球拳や公開オナ○ーをしてる動画が出回るwww(オカズランド) 【パリ五輪】 米トライアスロン選手がセーヌ川対策「トイレ後に手を洗わない」「日常から大腸菌に触れておく」(日本第一!ニュース録) 【朗報】 原幹恵さん、MUTEKIのAV情報と一致してしまうwwwww(動ナビブログ ネオ) パリ五輪メダルランキングで「SOUTH KOREA」の横に「南アフリカ国旗」を誤って表示 →韓国人発狂へ(保守速報) 【画像】 ヱロ漫画「愛撫し続けて5時間後…」←いや途中で飽きるやろwwwww(ぴこ速) 【閲覧注意】…
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Davao Triathlon 70.3 2023
ハーフアイアンマンレース@ダバオ フィリピン 2023/3/26
5回目のハーフアイアンディスタンスのトライアスロンレースで、6月のフルに向けて、すごく自信に繋がる良いレースになったと思う。フィリピンのダバオの街中がレース会場ということで,シンガポールからのアクセスはよかったんだけど、いろいろとハプニングが起こりすぎて、ネガティブな印象が結局ずっとぬぐえなかった。ポジティブに言えば、すごく頑張ってるし、スタッフとか沿道の声援にも人の温かみみたいなものが溢れてて、東南アジアのレースだったなー、っていう後味。でも、2回目は残念ながらないかな。
あとは、優勝したプロの選手もキャリアの中で最も暑いレースだった、と言うほど、気温・直射日光・体感温度のどれも過酷な環境で、トライアスロンのレースが世界中一様でないことを思い知る。
結果からいうと、スイムの記録が無効になっちゃって、2競技のみの結果しか公式にはなっていない。だけど参考までに載せておくと、5時間45分(スイム1.9km:: 42分,バイク90km:: 2h 52m ,ラン21km:: 2h1分)だった。これは昨年の (バイクのパンクがあった) デサルーよりも20分も早い記録で、もちろん自己ベストに相当する。わりと辛い環境の中で6時間を切れたことはすごく大きな意味があるし、やっぱりようやくバイクとランのタイムが連動して短くなってきたことの成果だと思う。でも、タイムはあくまでも結果であって、競技始めたころの初心通り、笑顔で完走できたことが何よりも大事なこと。
スイム 1.9km (?)
今大会の鬼門はスイムだったよう。(僕はさほど体感したわけではなかったけど)実はとても海流が早くて、ブイが流されたり、亡くなった人も出てしまうほどだったみたい。周りに聞いても20分以上普段よりも遅かった、ということをよく耳にした。それほどタフだった、ということなのかな。前日朝のスイム練に参加して気づいたのは、砂浜ではなく,狭い桟橋を下ってスタートすること,それと透明度はまあまあ高くて魚や海底がけっこうよく見えた。コース自体はカクカクしていて、曲がる箇所が多いことと,スタートとフィニッシュが同じ狭い桟橋だったことで、どうやって選手同士がぶつからずにすれ違うんだろう、とロジについても若干疑問があった。
レース当日朝は5時にはトランジションエリアに着いて(シャトルバス降り場から約15分も荷物持ったまま歩かされた…)、そこから準備・トイレ・体操して、6時20分からのゾーン別スタートを待つ。一番早いゾーンにエントリーしてしまったこともあって(1.9kmが30分よりも早い人?)、何か余計にプレッシャーを感じてしまった。心理的にずっとうしろから追われてる感じで泳いでた。スイムでのミスは、ガーミンのスタートを押すのを忘れたこと、あとワセリンを塗らなかったこと。プーケットの時はウェアズレは大してしなかったから大丈夫だと思ってたんだけど、42分間という長い間泳いだことで、右首(僕は右でしか呼吸しない)と両脇下がやばいことになって、最後半のあたりでは燃えるような痛みになってた。反省。結局、なにはともあれ、スイム自体は大きな問題もなく、ドラフトしたりされたり、の状況でわりと楽しく泳いでた。コースから外れたからか分からないけど、岸壁すれすれを泳いでいたり、なんかいつもより長いなー、と思ったり、そういうイレギュラーさはあった。友人たちの意見もあわせると、たぶん1.9kmよりは長く泳いでたはず。
前日のバイクコース下見。レース当日は通行止め。
バイク 90km
バイクへのトランジションはわりと長めにとって、初採用のアームカバーをつけたり、日焼け止めを塗ったり,五本指靴下・手袋もちゃんとはめてた。唯一ダメだったのは、腰に巻くジェル入れベルトがダボダボで固定できず、仕方なくトライバーに巻き付けることに。バイクスタートしてすぐに気づくのは道路のガタガタがひどいこと。特に町の中心部では酷くて、よりスムーズな舗装面を探しては車線変更をこまめにしてた。特にトライバイク��場合は振動が伝わりやすいみたい。でも道自体はほぼフラットで、沿道の声援がとにかくすごかった。町を抜けると、スムーズでまっすぐなアスファルト舗装になる。
今回の反省はバイクボトルを落としてしまったこと。ガタガタのコースだったこともあって、後ろに付属で付けたボトルケージだけでは不十分で、結局途中でドリンクを半分失うことに。落とした場合,マナー・ルール的には拾いに戻らなければならないようなんだけ��、それを知らずに前進してしまったのは僕の過失になる。マーシャルが隅に押しやるのがちらっと見えたのが幸い。次回はマジックテープみたいなのでちゃんと固定しようと思う。
それ以外は、特に何事もなくかなり快調だった。初の3時間切りはとにかくびっくりした。事前情報通り、行きが向かい風で時速きっちり30km平均で、帰りが追い風で時速33kmぐらいはすんなり出てた。足先で車輪を漕ぐのではなく,腸腰筋(?)を使って足全体で漕ぐことを強く意識してた。その甲斐あってか、最後まで疲労でやられることもなく終えることができた。一応,1-3月はバイクに乗る時間を徐々に増やしていたし、前々週の週末あたりからは100km近い長距離をちゃんとコンスタントに乗っていたことが幸いしたんだと思う。コーチには週に6時間のバイクを、というアドバイスをされてたな…
あと今回、かなり栄養補給(グルメ?)に気を使うつもりだったのに、意外と食べてない(食べることに億劫だった)ことに気づいた。いい感じにスピードが出てるときは特に面倒に思ったり、あるいは、お腹が痛くなるのが心配で食べなかったり,ということが起きてた。180kmのような長距離になる場合には、もっと食べることを意識した方がいい気がした。細かいことだけど、水を足とか体にかけるのはけっこう気持ちよくて何かの効果がありそう。
水分補給は5分おきに:ポカリ・ゲータレイド
ジェル類:マグオン X 2 (これ良い),塩ジェルX1,PUREX1,In ゼリーゴールドX1。
栄養補給に持っていったもの。完全に多すぎた…
ラン 21km
炎天下のランが一番きついかな、と想像してたんだけど、そこまで崩れなかったのはこれからの自信につながる。長い距離を走ることに慣れておくことが結果的に良かったんだと思った。週に1回は20kmぐらいの長距離を走って、もう1回はメタスポーツのスピード練をしていたんだけど、そのコンビでよかったっぽい。
トランジションでは、今回初採用のカーフスリーブをつけて、さらに日焼け止めを上塗りした(アームカバーはつけっぱなし)。やっぱりランの最初は足が重くて、暑くて、スピード感覚が全く掴めず、とにかくすごい息が上がってた(心拍数200近かったみたい)。最初の数キロはすごく辛かったんだけど,とあるタイミングから急に楽になって、いつもの調子がでてきた。本当に不思議な感覚。それ以降はかなり順調にキロ5分半のスピードが出てたみたい。エイドステーションで毎回やや止まるのは仕方ないけど、今回はとにかく水・コーラ・氷の3点を目当てにゲットして、氷はずっと手でもって体を冷ますのに使ってた。フラットな道、5.5kmを単純2往復。メタスポの連中とすれ違うのは励みになる。16km地点までほとんどペースを崩すことなく、快調に走れてた。最後は微妙に足のつりそうな感覚が出てきて厄介に思えた。僕の好きな塩飴はけっこう舐めてたんだけど、それでもゴール手前はすごく危なかった。この感覚はフルまでにはなんとか克服してないとまずいなーと。足の疲労と、塩?の欠如が原因、というのが一応の結論。結局,ランの最中に食べたのは塩ジェル一つと塩飴X5だけかな。ゴールドはあけたけど、結局全然喉を通らなかった。2時間きれるかな、とも思ったけど、ぎり及ばず。道に〇〇kmという看板がない方が逆に気分的に良いかも、とふと思った。
まとめ
今回はゴールでうるうるすることはなかったんだけど、朝,トランジションで準備しているときに(明るくなりかけ&のりのりの音楽がかかってる状況)、あっこの感覚好きかも,とじわりと感じるところがあった。ゴールして嬉しい、だけでなく、スタートラインにたててることに感謝できるようになった、という心の変化かもしれない。
レース終わったあとに関しては,特に何も思い出がなく、むしろ15分の休憩のあと、すぐに会場をあとにして、バイクを取りに行ったり、片づけを済ませて、すぐにホテルまで自転車で向かった(2kmぐらいの道のりかな)。ホテルの部屋に着いて1時間でシャワーを浴びて、荷造りして、そしてバイクケースにバイクをしまう、という全てを無心でやった(むしろやればできるんだ!と思った)。そこから車で空港に行って、チェックイン・搭乗という成り行き。飛行機の中で、あれ?今日1日まだ何も食べてない、ということに気づく。
その他,細かいことは;往復Scootだったけど、圧縮CO2ポンプは手荷物として持っていくように言われた。あと、日焼け対策はちゃんとしよう。汗と混じって目に染みる、のは論外だし、アームカバー下でも日焼けするみたいだから、その対策もしたほうがいい。カーフスリーブは再度使ってみよう。
次回はいよいよフルアイアンマンレースだから、今まで以上にトレーニングと下準備(ウェットスーツ練とか)がシビアになるんだなー。まあ、楽しく、を一番のモットーに気長にやっていくんだろうな。頑張りましょー。
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The Sequential Vector
追悼デイヴ・スミス そして祝Sequential TRIGON-6発表
「You've got to keep moving forward.」 「いっつも前を向いて進んでいかなきゃね」 (上段:Dave Smith Instruments PRO2英語取説より。 下段:同Nemo版超訳)
上記、レジェンダリー・エンジニアのお言葉。
そりゃ確かにほんまにほんまに新しいものを作ったのかと詰め寄られると、ものすごくざっくり申し上げるならMoogと言えどパテントをとったのはトランジスター・ラダー型VCF回路のみ。名門Sequential社を興したデイヴ・スミスに至ってはありものの組合せで済ませているわけだが、ただその組合せ方というかアレンジが絶妙に新しいと言える。
事実Prophet-5が名機なのは決して日本でYMOおぢさんらが神格化して礼賛するからではない。過去は知らない。歴史なんてどうでもいい。今ここで実際に音をつくってみると何をどうひねってもどこをどうひねっても面白い音がするからだ。スイートスポットが広い、もはやスイートゾーン?
電子楽器の司馬遼太郎をめざす者と言えど、名刀その切れ味その音色あざやかなるを知るのに歴史は無用。切り捨て御免。そしてそれを音に語らせるデイヴ・スミスの名機、その数々。
そのデイヴ・スミスが口ぐせのようによく言うのが冒頭に掲げた言葉:
「You've got to keep moving forward (いっつも前を向いて進んでいかなきゃね)」
だから基本的に復刻はしない。Prophet-5 Rev4? あれって復刻? Rev4ってことは新バージョンなんちゃうのん? 俺様だけがプロフェットを次のステージへ持っていける、どこぞのパクリ屋とは違うぜ!というやばいメッセージ。真似されるくらいならセルフカバーする。しかも単なるカバーにあらず、永遠に進化し続けるプロフェットその最新版。その生みの親としての誇り高き宣言がRev4。その象徴的な橋頭堡がRev3で止まらずにRev4まで回るVintage Knobだとしたら?
しかもRev4が全てそろって安定して理想状態だったとしても、何をどうそろわせるか、どう安定させるかにはメーカーの意図があり、その帰結たる音はメーカーからのメッセージなわけ。だって揃った結果が面白くない凡庸な音だったら意味ないし、そこはメーカーが描く理想の音を込める余地があるはずです。
最新型プロフェット5ことRev4サウンドに未来を聴く、ベクトルが指し示す未来を聴く。
しかも彼はつねに新しい機種をつくる。だから彼のラインナップは統一性が無く、ありていに申し上げれば散らかし放題すっちゃかめっちゃか。把握しづらい。MaxとかTetr4とかってあったよね? マルチティンバーのフルアナログシンセ、操作性に難ありで消えてしまった。でもそれら無秩序な機種ラインナップは、ほとばしる彼の創造性が描く樹形図なのだ。だからどの機種もみんな骨太の個性派ぞろい。理解するには難しく、発散はなはだしく、安易に飛びつこうものならやけどするぜ! でもオキニの機種が見つかれば一生もん。
生い茂る精鋭のラインナップ。100人中3人しか振り向かないかもしれないが、その3人のハートはガッツリわしづかみにして離さない。そしてこれを生み出したSequentialというメーカーが示したベクトルを、そのファウンダーへの追悼として描いておきたい。前進あるのみ!と微笑む彼のためにも。私たちが前進するためにも。
♬ ♬ ♬
「たまたまいろいろ作れてしまう人」
デイヴィッド・ジョゼフ・スミス(David Joseph Smith)はミュージシャンではない。ホビイストである。
ボブ・モーグならテルミン、ロジャー・リンならギター、皆さん立ち返る原点があるのであり、だからこそボブさんがMoog社を再起動させるべく最初に作ったのは現代版テルミンであり、ロジャーはlinnstrumentという近未来的フレット楽器に回帰した。
しかしデイヴ・スミスには回帰する楽器がない。彼は趣味としてギターやベースをたしなむ程度。ピアノはもっと適当。お気楽な感じで仲間とバンドを組んでギターを弾くことはあってもガチなプレイヤーではなくホビイ。
ホビイといえば彼、なんとスポーツ大好き人間。のちにハワイのアイアンマン世界選手権なるトライアスロン競技大会に参加したこともある。とかくサイクリングに登山、趣味がアスリートであった。さわやかですねぇ。
たしかに彼が暮らしていたサンフランシスコ湾岸には、すでに60年代から人工知能を開発していたスタンフォード大学があり、やはり60年代から同大学にてチョウニング博士がFM音源を研究していたのであり、同地域にはかのMoogとならぶシンセの始祖なのにぶっちぎりとんがりすぎた影のシンセメーカーBuchla社もあり、天才デイヴ・ロッサムが大好きなキメるヤクから名付けたE-mu社、シンセのチップメーカーとして押しも押されもせぬ存在となるCurtis社、そして充実した濃いぃ内容を誇る米国キーボード・マガジンの本社も生まれたばかり。
この、やがてはシリコンバレーへと変貌してゆく最先端ハイテク産業エリアにて、既存の体制に反発する若者たち、ヴェトナム反戦、ドラッグでトリップ、ラヴ&ピース、いぇ〜いとなっていたアメリカ西海岸カウンターカルチャー反骨精神がぱんぱんに充満する中、毎日まぶしい晴天、からっと乾いたカリフォルニアの風がそよぐ空の下、のびのびと自由な空気を胸いっぱいに吸いこんですごす彼デイヴ・スミスは、それでもごくごく普通に航空産業ロッキード社のソフトウェア・エンジニアとして暮らしていた普通の二十代の若者なのであった。
ただハードではなくソフト担当であったというところは、やはりデジタル産業シリコンバレーto beな場所に負うところが大きいのかもね。それに彼は1950年生まれ。のちに西ドイツでPPGを興したヴォルフガング・パームとタメ。戦前生まれのロバート・モーグやトム・オーバーハイムと比べても戦後生まれかつ15歳ほど若い、よけいデジタルには馴染みがあったであろう。しかも同い年のヴォルフガング・パームが子供のころから既にフォースが強い選ばれし者だったこと、それが鬼気迫るぶっちぎりの最先端をつっぱしる鬼才発明家になったことを思えば、対照的にデイヴ・スミスはただのおおらかメリケンなホビイストというところから、のほほんと始まったのだ。
そんな彼が仲間からすごい楽器が新発売されたから見に行けよと言われ、わけもわからず楽器屋でご対面したのが発売されてまだ日も浅い初期ロットのMinimoog。音楽とエレクトロニクスの出あいもん、むぅっちゃ新しい! でもしょ〜もない新車が一台買えるくらいの値段もする。道楽がすぎたのであろうか彼はロッキード社員融資を使ってなんと1台お買い上げ! ホビーのために融資までしてもらって迎えられたMinimoogさんも幸せ。まだ手元にあるとかって言ってなかったっけ。
自宅で趣味まるだしにMinimoogで音を作ったり弾いたりしているうちに、自分用に周辺機器がほしくなったデイヴ・スミス。ひとまずちゃちゃっとガジェットをこしらえてみたものの、ひょっとして他にもほしがる人がいるかもしれない、ふとそう思って売り物になりそうなものを作ってみた。
彼が最初に作ったのは16ステップ3チャンネル・アナログシーケンサー。なんでって当時シーケンサーと言えばでっかくて高価なMoog 960アナログシーケンサーしかなかったから。それに手弾きしなくて鳴るってのもホビイストにとっちゃあ、うれしいかもね〜。
ただ、この時点で彼はあくまでユーザーとしてつくってみただけで、決してガチなメーカーとして作った覚えはない。
そもそも彼は楽器メーカーを興す気などまるでなかった。自作シーケンサーなどのガジェットは週末にこしらえるウィークエンド・プロジェクトとして作って売ろうと思ったまで。二次創作にも近いのかもしれない。
ともかく小さく安く作ってみたのがModel 600。屋号はSequential Circuits。シーケンサーつくったんだからSequential(シーケンシャル:順番に動作する)、でも他にもなんか将来つくるかもしんないし音楽とか楽器とかじゃないかもしんないし其のうちパソコンを使った何かも作ってみたいなぁ取り敢えず漠然とCircuits(サーキッツ:いろんな回路)、ほんでSequential Circuits(シーケンシャル・サーキット:順番に動作するいろんな回路とかまぁそのあれだそのうちいろいろなんや知らん作るんちゃうかぁくらいには思てます的な:超訳 by Nemo)。
名前に含みをもたせただけのことあって早速おもしろいのはModel 600に「Sequencer and Complex Wave Generator」とサブタイトルをつけたこと。というのも一足早くE-muを立ち上げていた天才デイヴ・ロッサムの門を叩いてアドバイスを乞うたところ、流石ロッサム、シャープな切れ味するどく彼が言うには
「あんたにとっちゃゼロから設計すんのってめんどっちぃだろうからさぁ、うちのE-muモジュラーで使ってるちっちゃいVCOサブモジュールあげるよ、それ使いな。Moogのよりピッチが安定してるぜ、岩みてぇによぉ♬ 」
ってな感じで気前よく譲ってくれたおかげでそれを組み込んで設計。
かくして単なる16 ステップ x 3チャンネル・アナログシーケンサーとしてのみならず、可聴域でぶん回せば最大48ステップで1周期を描く複雑波形オシレーターとしても使えるようにしてみた次第。ぶん回しながらリアルタイムでノブをひねっていけばどんどん波形が変わるんじゃね? もうこれ1基だけでモノシンセたりうるポテンシャル。さしずめ自由波形ジェネレーター! その自由過ぎる波形こそがSequential初のシンセサイズ、その自由すぎる産声だったのである。
基礎技術に長けた天才テクノロジー野郎デイヴ・ロッサム。 応用技術に長けた天才ホビイスト野郎デイヴ・スミス。 技術開発と商品開発。 テクノロジーとプロダクト。 2人のデイヴ。 2人のエンジニア連携プレイお初。
アナログシーケンサーなのに高速回転させれば音が出る!というのでツウな数寄者たちからは「なんやしらんえらいまた若いもんが気の利いたおもろいもんこしらえてきよったで」と噂になったのだとか。
この時点でもまだ楽器メーカーを興す気など毛頭ない、ただ単に「たまたまいろいろ作れてしまう人」。
え、ちょっと待って。さっき「其のうちパソコンを使った何かも作ってみたいなぁ」って言ぅてたけど、それって70年代巨大メインフレーム・コンピュータービジネス?まさかメインフレームでDTM?いやいや、まだまだこの時点ではば〜くぜ〜んとして、クラウドサーバーなみに雲をつかむような話。
このフォーカスも定まらないままになんとなぁ〜く作れちゃう、しかもソフトも作れてしまうというところが、彼をしてカテゴリーを超えた間口の広さを与え、その間口の広さが業界標準となった名機シンセやはたまた世界標準となった通信プロトコルなどを発明せしめることになろうとは、だが誰が予想しえたであろう。
しかもデイヴ・スミスの場合、それらは気の利いたものなのだ。分かってるねぇ!と思わせる気が利くアイテム。これがデイヴ・スミスを生涯つらぬくひとつの通奏低音となる。エンジニアに止まらないアーティスティックなセンス。しかもなんとなぁ〜く作れてしまう。漠としていることは、漠然としていることは、だからこそ実にさまざまな可能性をはらんだ胎動なのであった。だいたい自由波形ジェネレーターが最初のプロダクトだったなんて、自由すぎて素敵じゃないですか。
「たまたまいろいろ作れてしまう人」デイヴ・スミス。
ベクトルが自由な人であるがゆえに許容範囲も広いふところ深い天才ホビイスト、その自由すぎるシンセよちよち歩き、初めてのお使いのようなスタート、とにもかくにもその幕が、ひょとしたら本人すらもが分かっていないまま、ぽわ〜んとここに切って落とされたのであった!
♬ ♬ ♬
「たまたまいろいろと解が見えてしまう人」
ウィークエンド・プロジェクトとして作ってみたModel 600。とはいえ売り物にする以上、それなりに数を作らないといけない。するとアナログなのでいちいちハンダこてこてめんどっちい。そこでデジタル化したのが弐号機デジタルシーケンサーModel 800。さすがソフトウェア・エンジニア、やっぱデジタルですよ。
さらにプロのライヴで坊やがMinimoogのノブをいちいち目盛りみたくバミってるのを見て、MinimoogやARP2600の音色を部分的に記憶してくれるプログラマーModel 700を開発。目盛りはメモリー。そして「部分的に記憶」というのは音色パラメーターをすべて完全再現するわけではなく、要はCVをいくつかデジタルメモリーに記憶しまとめて一括でシンセへ送るだけ。裏を返せばどんなモジュラーシンセでも部分的に音色設定を記憶できるという、これまた気の利いた粋なアイテム。
Model 700で明らかなように「たまたまいろいろ作れてしまう人」とは「たまたまいろいろ見えてしまう人」でもあった。即ち「それ、こうやったら解決できるよ」というソリューションが見えてしまう、目的と方法ともに見えてしまう透視力を持った天才。
しかもコスト意識のおかげでむやみに仕様を広げたりしない。このバランス感覚は肝要。フォースが強すぎるあまり採算度外視して会社をつぶすヴォルフガング・パームでもない。ヴォルフガング君なら自由波形ジェネレーターを8つそろえていきなり8音ポリ自由波形しかもフィルターレス波形わしづかみシンセをつくらんとして、それはそれでぞくぞくする音、めまいがするお値段、すべてが前人未到の極北プロトタイプだったやも?
かくしていろいろ見えすぎるも、それに対してぽんぽんと気が利くデジタル・ガジェットをこしらえる楽しき日々。
そこへごろんごろんとロール・アウトしてきたるは、ついに出たプログラマブル(音色を保存できる)ポリシンセ実現のための三種の神器すなわちCPU Z80、SSM社製音源チップ群、そしてE-mu謹製デジタルスキャニング・キーボード。でも「たまたまいろいろ見えてしまう人」デイヴ・スミスにとっては、そんな気の利きまくったものをつくるなんてあまりにも自明の理すぎてきっと大手資本MoogやARPがとっくに開発すすめてるにちげーねーってんで放置プレイ。
ところが数ヶ月たっても誰からも何も音沙汰がないゆえ「ならボクがやってみることにした」のが、たまたまいろいろ見えてしまう人が思いついた史上初CPU制御式プログラマブル・ポリシンセ、その名もModel 1000。
そしてこのころには数名を雇えるくらいには彼のものづくりも進展。よって彼はロッキードを退職、ようやく楽器メーカーに専念すべく腹くくった。さりとて個人商店であり零細ガレージメーカーにすぎないSequential Circuits社。そのModel 1000設計にはE-muの天才テクノロジー野郎デイヴ・ロッサムにも助けてもらった。そもそもロッサムはSSMチップの設計にも関わっていたし、同じくロッサムが作ったデジタルスキャニング・キーボードに至ってはよけい貢献。
試しにブレッドボードで1音だけシンセを組み上げてみたらさすが名器SSM、良い音がする♬ コスト意識から5音ポリ。複雑な音も出せるようVCOとEGを流用して周波数変調を実現。しかもソースとディスティネーションとが1対1ではなく1対「多」で変調かかるがゆえ「ポリ」モジュレーションと命名。外観はMinimoogにインスパイアされ木部が美しいアートな仕上がりに。思わず見とれてしまうね。
と言いつつ誰にも見せなかったのだが、ふと試作をリック・ウェイクマンにだけ見せてみたら 「これは型番ではなく、ちゃんと名前をつけるべきだ」
さっそく小さな社内でブレスト。いろんな候補の中にはSeerという名前も出てきた。
・予言者:Seer。未来を予見して語る者、予言者=予見者 ・預言者:Prophet。未来だろうがなんだろうが関係なく、とにかく神の言葉を預かって人間へ伝える者。神の言葉を預かるから「預」言者
どちらもデイヴ・スミス本人の案らしい。
1978年1月、ナムショーでデビューすることになったModel 1000。
しかも当日の朝までかかって徹夜で試作機の不具合を直し、ようやく昼下がりにそれを脇にかかえてナムショー会場に飛び込んだ27歳デイヴ・スミス。
広大きわまりないコンベンションセンターにて開催されるナムショー、いくつもの大ホールにまたがる展示会場。なんせアコースティック楽器もエレクトロニック楽器もメーカーの皆さん出展、スコア出版社に至るまで出展するのだから、ホールがいくつあっても足りないくらい大規模な音楽産業すべてにまたがる祭典、見本市というにはあまりに壮大。
そんな居並ぶ大ホールのひとつにこれまた巨大な地下ホールがあり、そこへエスカレーターで降りながら見渡すと毎年おびただしい数のガレージメーカーたちが蜂の巣みたいに細かくブースをぎっしり並べ、全体でうわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜んと群衆のざわめきが飽和し、まるでスターウォーズのエイリアンたちによる有象無象のガジェット市場のようでわくわくどきどき、目にしみるような色彩コントラストと異形の機械たちと雑多な騒音とで充満するホール、あふれる思いに目頭が熱くなる、広がるパノラマ、そのさなかへエスカレーターでゆっくり舞い降りて埋没するように着陸するちっぽけな自分。
そう、歴史とは、名もなき群衆のものではなかったか。群衆こそが、歴史の真の主役ではなかったか。
だが時として漆黒の闇の中から思わぬダークホースが躍り出る。そしてその無名の英雄たった一人に全世界が熱狂して湧くことがある。
それこそ太古の昔、初めて陸に上がって空気にあえいだ肺魚のごときモノシンセMinimoog。そして果てなき大空を初めて征服した始祖鳥のごときプログラマブル・ポリシンセSequential Circuits Model 1000。やがては大海の覇者となる鯨類が突如として浮上するがごときEnsoniq Mirage。あるいはモノマネする知恵と学習にめざめたヒトザルのごときClavia Nord Lead。直近では学ぶ機械というものを目撃するかのごときASM Hydrasynthなのか。
あげくの果てに、眼前に呈された現実を目の当たりにしてもなお
「なんだミニモーグをポリフォニックにしただけじゃね〜か〜ぁ」
と、地下ホールの一角にて大山鳴動ねずみ一匹とばかりに笑い飛ばし片付けてしまった地上界から降りてきたつもりの既存列強メーカーたち。名もなき新人が天界から彗星のようにワープアウトしてきても、まだその意味するところを見抜けなかった地上の大人たち。
上を見ろ。さらに上がある。
若き預言者の顕現。
そのあとの伝説はYMOおぢさんならずともご存知であろう。そう、名機中の名機Prophet-5の誕生であった。
♬ ♬ ♬
「たまたまピンチが逆に次の時代をつくってしまった事」
さぁ、イケるとは思ったけどいくらなんでもこんなにたくさん!?という大量受注。文字通り看板商品となったProphet-5。シンデレラ・デビューを果たしてしまったSequentialにとって今まで通りちんたら家内制手工業みたいな作り方をしていたのではとてもとてもオーダーを消化できっこない。
だいたい最初期のプロ5などというものは、ご自慢の音色メモリーが時々吹っ飛ぶことがあるという恐るべき信頼性の無さ! ライヴステージでここぞ!というときにメモリーがぱーぷりんになってしまい、破格に打ちひしがれるミュージシャンを輩出していたことは、実はあまり知られていない。きれいなバラには棘がある。伝説のシンセにはぱーぷりんファクターがある。太陽と戦慄?戦慄の旋律!弾いてるほうもピリッとしますわな。
そんなおっとろしい楽器であるにもかかわらず人気はヒートアップするばかり、ありえねー事態。またたくまに1年待ち、いや2年待ちにも達してしまった空前のバックオーダー。チョモランマよりも高いかも知れない受注残伝票の山頂から見下ろしましますビッグネームのお歴々「あたいを誰だと思ってんのよ〜!?!?」「俺さまを誰だと思ってんだ〜!?!?」「おんどれ何言ぅてさらしてケツ噛んどるねんワァレェ!!!! 今すぐ1台よこさんかいゴルァ!!!!」お怒りお電話殺到。ったって工場なんてどないして立ち上げたらええのん?え?ノリ一発?やっちまえって?Oh yeah!勢いで工場をおったててしまったデイヴ・スミス、プロ5の設計を量産に耐えうるようやり直し、かくしてProphet-5は量産型とも言うべきRev.2となった。
飛ぶ鳥を落とす勢いで飛ぶように売れる量産型預言者快進撃!プログラマブル・ポリシンセという新しいマーケットを切り拓いた若きニュータイプ、新時代の寵児デイヴ・スミスの名は全地球に轟きわたれり!
だがオーバーヒートせんばかりの人気の一方、今度はSSMチップの歩留まり(不良率)がひどすぎてどうにも生産数を確保できない。アイムソーリー謝り営業サーセンばかり続いて売り逃しも重なる中、やがてついに体勢を建て直したトム・オーバーハイムから逆襲のOB-Xファイア! そのままElka Synthex、Roland Jupiter-8などと各社からもフォロワー艦影多数! ぼやぼやしてると大事なお客様をライバルに奪われかねんゆゆしき事態、堪忍袋の緒が切れたSequential社は根本的にSSMチップをやめてCurtis社のものに乗り換え、回路設計を全面改訂。これがRev.3。見た目は同じでも中身はまるで違うものに。経営はつらいよ。
一方、じつはそのころデジタルスキャニング・キーボードをSequentialへライセンス提供していたE-muはE-muで、めんどうな訴訟問題に直面していた。
ほんとうは我こそがデジタルスキャニング・キーボードを発明した者なり!とか、いやどのみちそのパテントはオルガンに限定した話でシンセでは無効ですよとか、E-muの特許をめぐっていろんな人がいろんな事を主張しはじめたから大変。ひょっとしてひょっとして、かつてオルガンが最先端電子楽器だったところへ新参者みたいなシンセ市場が急拡大したのでいろんな人が注目しはじめたんでしょうかね知らんけど(要出典)、ともかく訴訟は幾年にもわたってぐだぐだと足を引っ張る。最終的にE-muは法廷で勝ったものの全面勝訴でもなくいくつかの主張は取り下げざるを得なかったらしい。
そんなわけでE-muへライセンス料を支払うメーカーは、徐々に減少していたとも言われる。SequentialといえどProphet-5におけるデジタルスキャニング・キーボードとSSMベースの旧タイプ基板設計という2つのライセンス料を律儀に払う根拠がグレイになってきた。じゃあもういいんじゃね?とばかりに支払い停止をE-muに通知したSequential。ところがこんなときに限って密かに未来への生命線とすべく次世代巨大アナログシンセAudityを開発中だったE-mu、ここにプロ5Rev.3のライセンス料を支払うべきかをめぐって訴訟勃発。最後は和解金で決着がついた一方、これがE-muをしてサンプラー市場へ、コンテンツ・ビジネスへと跳躍するきっかけとなった。
知的財産権とその解釈をめぐる攻防、結果的に電子楽器をPCMサンプリングという次のフェーズへとドライヴした面もあったとなっては、日経ビジネスばりに示唆に飛んでますね。人生ほんま分からんもんです。経営はつらいよ。
そしてそんなビジネスのごたごたなんかよりも「たまたまいろいろ作れてしまう人」デイヴ・スミスは「たまたまいろいろ見えてしまう」がゆえに遥か彼方に聴こゆる音の銀河に、それが手招きする驚異の未知なる惑星に、すっかり心を奪われていたのである。
♬ ♬ ♬
「たまたま可能性を見えてしまった私企業が公共事業に乗り出すような話」
プロ5をめぐるライセンス料争いが進行している裏番組で、もうひとつの技術的エピソードがひそかに展開しつつあった。
プロ5のようにCPUでシンセを制御できるということは、CPU同士をデジタル通信させてシンセ同士がおしゃべりしあえるということ。元ロッキード社のソフトウェア・エンジニアだったデイヴ・スミスにとって、こんなことポリシンセ同様あたりまえすぎる自明の理であった。そんなコンセプトから自前のシーケンサーやKeytarであるRemote Prophetなども作ってみたが、1社だけでは市場は拡大しない。
新規マーケットというものは、他社が参入しないことにはどうにも広がりに欠けるものなのだ。
やがてデジタルにさとい若手の各社がめいめい自分勝手な通信プロトコル規格でもって群雄割拠しはじめたわけで、Oberheim Parallel BusもあればRoland DCB規格もあった。ドイツの鬼才が生んだPPG Busに至っては8bit/8パラレル転送でもって誰よりも先にサンプルデータまで送受できたのだから恐れ入る。流石フォースが強い選ばれし者ヴォルフガング・パームいぇい!
でも他社までつながる規格が無い。こんな不統一が横行するようでは皆さん我が道をゆくばかりで参入障壁どころかパイが細切れになっていくばかり、だ〜れも新規参入しようがないじゃないか。
1981年のナムショーにて、デイヴ・スミスはなんでもいいから電子楽器業界に広く共通のシンセ通信規格を作ろうと呼びかけ、みずからたたき台として「USI - Universal Synthesizer Interface(汎用シンセサイザー・インターフェイス)」なるコンセプトを提示。無論たたき台はあくまでたたき台に過ぎないのであって、なにもこの通りにしようというのではない。とにかく業界全体にまたがる標準規格がほしい。
もはやこれは一つの私企業が自発的に公共事業に乗り出すような話。
電子楽器業界を牽引する先導者として、彼は私利私欲を捨ててひろく万人にささげるという公的な意識でのぞんだのである。あるいはメーカーとしてではなく、ユーザーとしての気持ち、つまり天才ホビイスト・スピリットが彼をして動かしめたのであろうか。
だがあいかわらず各社とも自社規格の優越性をテコに我田引水したがるか、はたまた安全なところから様子見するかでしかない。え〜? 電子楽器って前を向くものじゃなかったの? 結局だ〜れも参加せずがっくりきてるとRoland創業者の梯郁太郎氏がやってきて曰く、日本勢、すなわちYAMAHA、KORG、KAWAI、そしてRolandと一緒にやろうという。僕が日本勢に話つけてまとめてくるからレッツ前を向こうトゥギャザー!前進あるのみトゥギャザー!新しい時代をつくろうトゥギャザー!という。
そんなわけで合衆国1社と日本4社とでシンセ標準規格を策定開始。メールもないのでファクシミリと国際郵便と国際電話でしかない。言葉の壁にも相当に難儀した風情。誤訳珍訳続出蘭学事始解体新書ブロークンでいいから質問しよう質問。新時代をつくるべく海外出張ミーティングを何度も重ねていると、あるとき梯氏が名称として「USI(汎用シンセインターフェイス)」あらため「UMII - Universal Musical Instrument Interface(汎用楽器インターフェイス)」というのはどうか?と言う。略してUMII「ゆぅみぃ」つまり通信規格だけに「you - me」と読ませる可愛いダジャレ♬ 流石、大阪人!なにわ商人なにわエンジニア世界に羽ばたく! Roland DCB通信規格の転送速度は31.25k baudで実はMIDIと同じって知ってた?
この名は没ってしまったものの、そこからヒントを得たデイヴ・スミス、確かに「シンセ」と言うより「楽器 = musical instruments」と一般化するが吉と気付き、MIDI - Musical Instruments Digital Interface(楽器のためのデジタル・インターフェイス)と提案。ミディ! そいや80年代後半になっても「えむあいでぃーあい規格」って呼んでた人いたね!
と同時に影でひそかに開発していた史上初マルチティンバー音源シンセSix-Trakを具現化すべく、それでいて競合他社に気づかれないようこっそりちゃっかりマルチ音源へとつながる仕様も滑り込ませることに成功。意図がばれないようにひやひやしながらMIDIにOmniとかMode4とかを入れたという。
1983年始のナムショーでSequential Prophet-600とRoland Jupiter-6、JX-3Pという3つのアナログシンセがMIDI接続。ノート情報はちゃんと送受できて音は鳴ったのだが、ピッチベンダー情報は8進数16進数の解釈が違ってしまい、うまく動作しなかったらしい。しかもおおらかな時代だったのでセレモニーもプレス・カンファレンスもせず、2社の社員が集まってつなげて鳴らしていぇ〜いと拍手して内輪だけではははと盛り上がって終わり。とどのつまり、電子楽器なんて結局それくらいニッチなマーケットなのよ。それでも地球は動いている、それでも歴史は動いている、それでもMIDIはここに始まった。前を向いて行こう。
前向き? 確かに技術仕様だけ見ればMIDIよりもOberheim Parallel BusやPPG Busのほうが優れていたのであり、彼らがMIDIを疎んじたのも無理はない。そもそもあっちの鍵盤弾いたらこっちが鳴るって、それ嬉しいの?ってなもんでいぶかしむ人も多かった。たくさんシンセを積み上げてスターシップのコックピットみたく操縦するプログレ要塞マルチキーボーディストもいたわけで「んなもん両手で弾け!」というロックだましいだったのかもね。いつの世も新コンセプトのご利益や可能性が理解されるには時がかかるもの。
が、ポイントは制定にたずさわった人たちが誰一人として自社を優位に立たせるようなことをせず、あくまで中立をたもち、音楽産業その全体に貢献するのだという意識で常に臨んでいたこと。だからどのメーカーも独占せず、ライセンス料もとらなかったこと。
つまり前向きとは、シェアすることであった。MIDIの本質とは、83年制定時点ですでに無料のシェア文化だったことであり、以来ずっと無料のシェア文化のままであること。MIDIは、仕様やテクノロジーの現代化よりもまず先にシェアされることに意味がある。
誰でも手にできるMIDIを当たり前と思うなかれ、数多くの規格が自社優位性の上に成り立ってきたことを思えばMIDIの中立性と成立はまさに奇跡。この、時代を先取りする精神があったからこそMIDIは世界のすみずみまで拡散し、そのグローバル・プラットフォームの上に数々の電子楽器が咲き乱れ、万人に寄与し、世界の音楽に貢献したのであり、シェアされたからこそデイヴ・スミスは梯郁太郎氏とともに後年テクニカル・グラミー賞を受賞した。気の利いたものをつくり続けてきた天才ホビイストことデイヴ・スミス、メーカー都合でなくユーザー目線の面目躍如。その哲学はユーザーへの共感だ。ビバ新時代! 前を向こう!
そのMIDIはたちまちにして恐ろしい勢いで地球を塗り替えることとなった。
MIDI制定直後YAMAHAがDX7筆頭に、DXデジタルシンセ/TX音源モジュール/RXリズムマシン/QXシーケンサー/KXキーボードコントローラ/SPXマルチエフェクトという怒涛のXシリーズで畳みかけデジタル革命を起こしえたのは、まだMIDI ver.1.0にすらなってない混乱をもろともせずにMIDI対応を謳った英断と武勇があったからでもある。すなわちXシリーズのアドバンテージは卓越した新音源のみならず、YAMAHA機種を買いそろえれば誰でもMIDIネットワークを構築できるという未来的ヴィジョンにもあったのであり、その双璧でもってデジタルであることの優位性を唱えたからであった。
言い換えれば、あれほどまでにYAMAHAが台頭できたのはYAMAHAだけでライヴギグ・ステージでも録スタでも自宅ベッドルームでも誰でも最先端の環境でもって演奏も制作もできるという明快なメッセージを世界に発信したからであり、当時あれほどまでにリフレインされたキーワード「デジタル」とは、だがその夢をかなえる手段に過ぎなかった。まぶしく光り輝くYAMAHAのブランディングは、世界最大の楽器メーカーゆえ世界標準たりうるを自認する、その重い責任を自負するものであり、強大な力とリソースでもって電子楽器を進化させ普及させるための大いなる発明であった。
そしてそのビッグY一強とその他大勢という圧倒的な奔流に業界全体が呑まれる中、押し流されまいと踏ん張る劣勢メーカーたちの中、史上初MIDI対応アナログシンセRoland JX-3Pが予想外によく売れて緒戦に善戦。すなわちJX-3Pは既存技術の寄せ集めにすぎなかったが、まばゆい最新テクノロジーだけが全てではないというビジネスの奥深さを物語るエピソードにもなった。
そして歴史に残る最大の金字塔を打ち立てた王者YAMAHAが落とす黒い影の中、からくもJX-3Pで命をつなぎとめたRolandは、たった一人のサバイバーとしてもがきながらも、なんとホームマーケットへ向けてMIDI対応家庭用電子ピアノHP-400、そのレッスンに最適な家庭用MIDIレコーダーPR-800、ピアノが楽しくなるを願った家庭用MIDI対応伴奏マシンPB-300、少年少女への共感に満ちたフレンドリーなMIDIアナログシンセJUNO-106、エルトン・ジョンも愛したステージピアノの名機RD-1000、シーケンサーと呼ぶには可愛��うな音楽コンピューター的デバイスMC-500、多彩な音源波形とタッチセンス表現力をもたらしたαJUNOシリーズ、アナログでもまだやり残したことがありますと苦し紛れに言ってのけたJX-10、グラフィック画面編集サンプラーS-50、そしてついにデジタルシンセの英雄D-50に到達するまで、じつに4年間に及ぶ長い長い苦闘を始めるのである。
電子楽器すべてのグローバル水準を確立する重責、それを担うYAMAHAの自負心とプライド、その偉業、そしてそれでもなお多様性を確保した礎たるMIDI初号機Roland JX-3Pとに敬礼。2023年は、MIDI生誕40周年。MIDI 2.0が上位互換なのは、シェアされることこそが至上命題だというMIDIの本質を踏まえてのこと。ビバ新時代。前を向いて行こう!
♬ ♬ ♬
「たまたま見えてしまった産業界パラダイムシフト」
一方デイヴ・スミス。
MIDIテクノロジーが指し示す音の銀河宇宙、その彼方で見つけた秘密���スターゲイト、それはコンピューターミュージックシステム、今で言うDTMであった。
たまたまいろいろ見えてしまう作れてしまうソフトウェア・エンジニアにとって、CPU制御シンセから通信プロトコル統一からパソコン・ミュージックに至るまで、もう分かりやす過ぎるくらい明るく煌々と照らし出された一本の宇宙航路であった。「こっち弾いたらあっちが鳴る、それっておいしいの?」としかMIDIの効用を理解できなかった凡人からすると、彼の天才ホビイスト頭脳は何光年も先のご利益を先取りすべく楽しくスキップでもしながらワープしていたのであった。
MIDIがデビューしたのと同じ83年ナムショーにてSequentialは早くもDTM機器を発表、すなわち史上初パソコン用MIDIインターフェイスModel 64、そしてMIDIマルチ音源シンセSix-Trak。先手必勝! MIDIとともに誰よりもその可能性を見抜き、遠く先まで見渡し、間髪入れず機種展開、流石いつもあたらしいことが好きなデイヴ・スミス!
融通が効くソフトウェアを使ってたのしく演奏をプログラミングしよう!と彼が提唱した新世界。これはもう、天才ホビイストがもたらす自由で柔軟な発想そのままに、まぎれもなく全く新しいマーケットを約束する次世代チケットであった。特にSix-Trakはそのあとも後継機種が続き、やがてはのちのRoland MKS-7やMT-32的業界標準機となるはずであった。
振り返ってみればそもそもSequential Circuitsという社名自体が、創立当初「なんやかやいろいろ作ると思います」というぼやっとした意味だったのであり、なんとなぁくば〜くぜ〜んとコンピューターで何かできてもおもしろいよねぇ〜というおぼろげなヴィジョンから始まってたよね。それが急速にはっきりとした輪郭をともなって可視化されてきたのだ、めきめきと進歩するテクノロジーに裏打ちされし魅惑の新規開拓市場として。
だが、彼には見えすぎていた。
当時はMIDIがなんたるかを説明するだけでもいっぱいいっぱい。パソコンの話をする以前に皆さんアナログなアタマがデジタル・ストーリーで飽和。そのパソコン性能もまだまだ未熟。そして楽器屋は「うちはパソコン屋じゃねぇ」PC屋は「うちは楽器屋じゃねぇ」と意識が新しい世界へ追いついてなくて販路開拓しようにも時期尚早、楽器業界からもコンピューター業界からも共感を得られなかった宙ぶらりんSequential、夢あふれるはずのスターゲイトが閉じたままそのDTMシステムは一気に沈没。しかもその隙にProphetシリーズの本丸だったシリアスなキーボードシンセ業界では安価な日本製デジタル勢が席巻。
「あっち弾いたらこっちが鳴る。それっておいしいの?」から出られなかった幻のDTM世界。
DTM市場を形成できないまま、キーボードでも存在感を失ったSequential。せっかくカネかけて開拓せんとしたDTMを棄て、再び楽器業界に戻らんとハイ・プロファイルな高額機種を次々投入。デジアナハイブリッドシンセの名機Prophet-VS、業界最高音質サンプラーProphet-2000、AKAI MPCへの先手となりえたはずのサンプリングリズムマシンStudio 440などなどプロ機種を送り出すも、DTMでコケてる間にデジタルシンセにて出遅れてしまったは痛かった。
さらに皮肉にもSequentialが撤退したあとひと呼吸おいて、コンピューター業界を塗り替える大人気パソコンATARI STやCommodore Amigaという、お利口さんなニューフェイスたち爆誕&爆誕。これにあやかって新参者Ensoniq社のマルチ音源シンセESQ-1とパソコンとを組み合わせ、海外でまさかのパソコン・ミュージックが開花! MIDI新時代にふさわしくマルチパート音源モジュールESQ-mもあるでよ、MIDIって便利だね♬ ならば出でよシーケンスソフト! 召喚の呪文に導かれ登壇するは、Mark of the Unicorn Performer、Opcode Vision、C-LAB Notator、Steinberg Cubeat…出る出る雨後のタケノコのごとく湧き出るパソコンMIDIソフトの数々、しかも中には今なお続くMOTUとかスタインバーグとか名ブランドまであるじゃないか。Oh yeah, right timing, right product! 挙げ句あろうことか銀河の彼方よりスターゲイトが開いて飛び出してきたスターチャイルドのごとく人類史を永遠に書き変える超巨大頭脳スティーヴ・ジョブズ降臨、彼とともに革命的巨大母船Apple Macintosh降臨。そのあと日本でワンテンポ遅れて「DTM」という名前を引っさげた初の機種Roland「ミュージくん」オールインワン・パッケージ発売、ここにガラパゴス・ジャパン定番パソコンPC-98をプラットフォームとするDTMブーム着火、Roland RC-8なんて今を思えばオーパーツみたいなシーケンスソフトがあったこと覚えてる? 忘れてたとしてもそのままDTMは爆発的に広まりアマチュア音楽製作からゲーム・ミュージックから通信カラオケから着メロ市場形成に至るまで異形の引火爆発誘爆大爆発大躍進!
なんという運命のアイロニー、デイヴ・スミスはこれら全てを先駆けるはずだったのに!!!
早すぎたSequential、そして今や遅すぎたSequential。ぱっくりあいた奈落の底へと凋落する業績。最盛期には180人いたという社員の多くがE-muへ転職してしまい、がらんどうになってしまったSequentialはYAMAHAが技術提携を持ちかけてきたときになんと逆に身売りを提案、ついにそのままYAMAHAの傘下に入ったのであった。
時にDW-8000が売れなかったKORGがYAMAHAの傘下に入った直後。最後のSequential機種は初の16bitサンプラーProphet-3000。それもほんの少し生産しただけで叩き売られて消し飛んでしまう切なさ。ほんと経営はつらいね。でも従業員とその家族は守らなきゃいけないから、それすら路頭に迷わしたら犯罪だから、会社つぶすわけにはいかないのよ。
まぶしいキャリフォルニアン・サンシャインのもと、旧Sequential本社はそのままYAMAHAの下でKORG R&Dとなった。そしてそこからデイヴ・スミスは、亡きSequentialの弔い合戦に着手。お家再興なるか、リベンジ戦の初号機として世に送り出したるは幻の名機Prophet-VS復権、その生まれ変わり、そう、KORG WaveStation。
デイヴ・スミス、ついにちゃっきちゃきの最先端、徹頭徹尾フルデジタルシンセを作る!
♬ ♬ ♬
「フルデジタル・プロフェット」
もともと旧SequentialにてProphet-VSをつくったのは、PPGのウェーヴテーブルにヒントを得たエンジニアがOberheim 2Voiceにあった4基のVCOを正方形の頂点に置き、ジョイスティックで自在に音量合成できるようにしてみたのが発端。その正方形を45度傾けてダイヤ型に配置し「vector=ベクトル」と数学用語で呼称するようになったのが、ベクター音源(Vector Synthesis)の始まり。1次元ではなく2次元の音色変化。線ではなく面で考える画期的な新音源。ある意味KORG KAOSS PAD的KAOSS OSCILLATOR的な発想の先駆だよね。
Prophet-VSでは同社初のデジタルオシレーターを新規開発し、それを4基搭載してベクトル合成し、そのあとを馴染みのCurtis社製VCF、VCAで加工。
じつはこの機種、デイヴ・スミスにとってかなり理想的な機種だったようで「音とは時間・空間上のアニメーションみたいなもの」という持論がこのあたりから明確になってくる。MoogがLFOやエンベロープを取り入れたように、音とは経時変化で展開するタイムドメインなアートなのであり、それを空間軸にまで意識的に広げた初めてのシンセがProphet-VSでもあった。それが証拠に4波形ベクトル合成だけでなく、8ボイス個別パン設定、モジュレーション・マトリクス初搭載、しかもパン・モジュレーションまで可能。時空にわたる音色の演出にこだわった恐らく初めての機種となった。
このProphet-VSの構造は、ずっとのちのDave Smith Instruments社から出た青い弁当箱シンセEvolverへの萌芽となるものであった。ベクター音源こそKORGのお家芸となったが、それでも時空を支配する音というアインシュタインみたいなEvolver企画コンセプトが、すでに'80年代半ばのProphet-VSにはあったのである。デイヴ・スミスはのちのちにわたり��り返しProphet-VSを参照していたようで、以降、幾度となくリフレインされる設計テーマとなった。
時空座標音色演出。もはやタイムドメインなアートをもたらすシンセの相対性理論たらんとしたのか、今まではホビイストに由来してソリューション提供型エンジニアだったのが、はじめて自分が込めたいメッセージを込めてつくるジェネレーター型エンジニアになったのか。その中核に据えたVSとはversusでありVector Synthesisのしるしであり。
皆さん、プロフェットは「5」だけじゃないんですよ。5のほかにも画期的なプロフェットがあったのです。だからArturia Prophet Vには、この偉大なプロフェット2機種「5」と「VS」とが網羅され統合すらされているのかもね。
だがProphet-VSが販売されたのは86年から87年にかけてのみ。
フルデジタルこそが正義だった当時、アナログには未来が無いと絶望視され、夜明け前が一番暗いなか、夜が明ける前に未明のうちに息絶えてしまったデジアナハイブリッドシンセ、たった1年で終了、夭折してしまった英雄、無念。
そしてそのまま同87年、SequentialはYAMAHAの軍門へとくだる。同年3月、ついに唯一の生き残りとなったRolandからD-50が発売。その斬新な音色はデジタルシンセ新時代の曙光となり、デジタルシンセ群雄割拠の幕開けとなり、それとあたかもクロスフェードするかのごとく、バトンタッチするかのごとく、名門Sequentialは朝焼けのなかへ溶けていく淡く蒼い月のようにフェイドアウトするのであった。
翌88年、KORGは社運を賭けた渾身のワークステーションシンセM1でまさかの劇的逆転満塁ホーマー、CASIO VZ-1、KAWAI K1、デジタル百花繚乱! 息を吹き返したKORGはさらなる次世代カスタム音源チップを開発。それを使って、今やKORG人となったデイヴ・スミスは幻の名機を蘇生させるプロジェクトに挑む。しかも今度はかっこいい最先端フルデジタルシンセ。
このときに彼らが新規開発したテクノロジーWaveSequenceは、まだグラニュラー音源などが実用化できていない時代になんとかしてウェーヴテーブルそのものをユーザーが自作できないか考えた末に編み出したという、さすがデイヴ・スミスならではの独創性が光るアイディア。言わば巨大グレインを時間軸上で数珠つなぎにしてMIDIクロックとも同期させるというこのメソッドは、ベクター音源同様、静的なPCM音源に動的な経時変化をもたらすユニークな革命児であった。
ベクター合成とWaveSequenceとを重層的に兼ね備えた零号機KORG WaveStation WS-1は、常にゆらぎつづけるサウンドスケープを真っ正面に押し出すこととなった。それは、PCMの台頭によってもたらされし「サンプリングしたらなんでも終わり、PCMで誰でも同じ音」という90年代サウンドの閉塞状況に、ひとつの打開策を提示すべく生まれてきた。すなわちWaveStationとは、停滞してしまったシンセサイズをふたたび進化させるという明確な使命を帯びて誕生した問題作なのであり、「PCMのせいで没個性まっしぐらのシンセはこんなことでいいのか!?」という骨太な異議申し立てであり、モノマネへと堕落せし既存シンセへケンカをふっかける目的と決意と意思のかたまりのような鉄拳であり、綾波レイのごとく蘇らせた幻の名機を前にゲンドウの眼鏡の奥にひそむ鋭い眼光の如きデイヴ・スミスから叩きつけられし挑戦状であった。
気骨あるおっさんグレイト。つねに前を向くおっさんグレイト。これはもうProphet-VSならぬProphet-WS、いや、もはや幻のプロフェット、フルデジタル・プロフェット、Prophet Digital!
かくしてWaveStationは、M1以来ワークステーション本舗となっていたKORGにとってウェーヴステーションという名の通り、曲作りオールインワンではなく音創りにフォーカスしたシンセ原理主義という電子楽器の本分に立ち返った最初の旗印となる。だからこそWaveStationの日本向けキャッチコピーは「無い音は、僕がつくる」となったのであった。シンセなんだから「無い音は、僕がつくる」なんて当たり前過ぎるはずなのに、わざわざそう言わなければいけないところにシンセの曲がり角があった。シンセ原理主義者見参!
夭折せしProphet-VS没後3年、1990年1月ナムショーでKORG WaveStationをデビューせしめたデイヴ・スミス。そのブースへ旧友がやってきて曰く、
「2機種もシンセ出せて爽快だろう?」 「2機種? WaveStation1機種だけだよ」 「え? YAMAHAのやつは、あんたがつくったんじゃないの?」 「YAMAHAのやつって?」 「SY22ってやつ、WaveStationみたくジョイスティックでベクター・シンセサイズするやつさ」
.....ほっほ〜ぉ、なんかどっかで聞いたことある話やないかえ〜♬
( ͡° ͜ʖ ͡°) ♬
WaveStationは操作性がアタマ良すぎたこともあってニッチな機種となってしまったが、それでもマイケル・ジャクソンやジェネシス、デペッシュ・モードなどが使い、特にニューエイジ音楽系ではそのカラフルな音色のゆらぎやウェーヴシーケンスが言うなればエスノ・テクノはたまたデジタル・トライバル的にもてはやされ、コアなファンを多く生んだ。また、当時の雑誌レヴューでは「また当分この音ばっか聞くことになるんだろうなあ(笑)」という一行を必ずレヴューワーの皆さんが異口同音に書いて締めくくったという思わず微笑む怪現象もあった笑。
なお、中域に味があるサウンドも抜けがよく、楽器としても素性が良いキャラのため普通に音源波形が豊富なPCMシンセとして使っても楽しい隠れた名機でもある。ぶっちゃけM1なんかよりよっぽどこっちのほうが音も面白いと思うので、そろそろ飽きてきたらオルタナというかダークホースとしてどう?
いくつかの派生機種があるのだがオススメはiOSアプリシンセiWaveStation。なんせユーザーインターフェースが秀逸すぎて初めてWaveStationの意義が分かるという、最高のユーザー・エクスペリエンス。こんなにヲタな音創りしつつも楽しいスマホアプリなんてそうそうない。KORG GadgetからMilpitasとして見えて使えるのもいいね。Milpitasというのは旧Sequential本社、KORG R&Dがある場所の地名だよ♬
じつはOASYSやKRONOSでもWaveStationは完全再現されているね、HD-1の中に埋没してね。
21世紀のWavestateでは、従来WaveStaionシリーズとの互換性を切ったかわりに過去のしがらみもなくシンプルかつ本質が分かりやすい構造へと劇的進化! あいかわらず操作性が天才すぎるものの、音はぐっと今風になり澄み切った解像度の高いサウンド、Roland VariPhraseのごとくPitch, Timing, Sampleなどと要素ごとにオートメーション・レーンを設ける斬新なWaveSequence 2.0、緻密に構築したものをランダマイズしたりノブで予測不可能なカオスにする快楽物理楽器、音の���時変化も洗練され昇華されあざとさも無ければ当てつけがましさも無いプリセット音色、のちのVer.2からユーザーサンプルも読み込んでWaveSequenceやベクトル合成できるようになり、ようやくベクター音源は飛び道具を超えて、成熟した大人になった。
そう、この成熟した大人感覚こそがコンテンポラリー。思えば90sまでは子供であった。子供ゆえの破天荒が楽しかったわけ。
もとのWaveStationを出したあと、デイヴ・スミスはKORGを去る。だが彼が去ったあとも、KORGが立派に引き継いで宿題を成し遂げ、さらに現代にふさわしいカタチへと育て��いるのは感慨深い。
そしてついに古巣から旅立ったデイヴ・スミス、次はソフトシンセをつくる! かつてMIDI黎明期に手掛けて失敗したコンピューター・ミュージックへのリベンジ? いやむしろデジタル・ハードシンセを作った彼にはデジタル・ソフトシンセが、あたりまえすぎる自明の理だったのであろうか、またしても。ヴァーチャルアナログシンセだってデジタルなんだからね。ハードウェア卒業。おさまり切らない進撃の巨人デイヴ・スミス、彼が指し示す音の外宇宙、ぶっちぎり最先端、グレートアトラクターの果てとは。
♬ ♬ ♬
「質量からの解脱」
デイヴ・スミス、ソフトシンセをつくる。
とんがったやつ、当時最高のやつ、それまで誰もやってこなかったやばいやつ。まるで宇宙飛翔体。
史上初のガチ本格的ソフトシンセSeer Systems社のReality。 史上初たった1機種で加算・減算・ウェーヴテーブル・FM・物理モデリングまでこなす破格の八面六臂獅子奮迅シンセ。なんでもパソコンでできてしまう、時代を先取りしてはみ出まくる。まるで空間をねじ曲げてワープする実態なき仮想エネルギー生命体。
そして社名Seerとは予言者の意。そう、預言者ではなく、予言者となることを選んだのだ、デイヴは。
今やサイバー・デイヴにとって、もはや木目調プロフェットも過去の記念碑だったのかもね。だってそれが現実=realityなのだから。virtualだからこそ、realityと念押すデイヴ。Prophetほにゃららとかっていう機種名ではなかったところに、彼が託したメッセージがあった筈。未来を予見する者として、未来はソフトウェアにあると。それが現実なのだと。
質量からの解脱。フィジカル抜け殻さようなら。
「自分は(ひとつのことに凝り固まる)原理主義者ではない」と最後まで念を押していたデイヴ・スミス。 すなわち「たまたまいろいろ作れてしまう人」、しこうして「いろいろ可能性が見えてしまう人」、だからアナログもデジタルもハードもソフトも、あらゆる選択肢が彼の前にあって、等価に並んでいて、おのおのに良さがあって、どれをどう選んでどう組み合わせるかは彼の自由。間口が広いからこそ見渡せるパノラマが、彼にはあったのだ。ホビイストの彼ならではの、めくるめく広い視野によるヴィジョンが。
そしてその中でもぶっちぎり最先端が、質量からの解脱。無限に広がる仮想世界。サイバー・スペースこんにちは。今日のアバターまた素敵ですよスミスさん。超光速スターゲイトのジ・アザー・サイドでウィンドウショッピングしませんか。クラウド生命体ディスカウント使いましょう。
ひるがえって、狭きのみに固執するアナログ原理主義者めんどっちぃ。 VCO原理主義者めんどっちい。 ポリプレッシャー原理主義者めんどっちぃ。 ACアダプターお嫌い主義者めんどっちぃ。 口調はさておき、実際そんなこと言ってたのです彼。
だから、彼は過去を振り返らない。 デイヴ・スミスという名は、過去を振り返るためにあるのではない。
至上命題としていたのは、原理がなんであれミュージシャンにとって可能性を秘めていてわくわくする機種であること、ただそれだけである。
よって、彼はソフトシンセをつくった。
そこに新しい音があるから。ラインホルト・メスナーそこのけの動機で、彼はあたらしい可能性へ挑戦せずにおれない。
ソフトウェアであれば、シンセもエフェクトもレコーダーもミキサーも全てがパソコンという単一の箱に収まる。今で言うITB - in the box。トータル・リコールに、オートメーション。今ならダウンロード販売があたりまえだから、プロフェット時代のごとき梱包箱も運送費も倉庫保管料も在庫管理システムも固定資産税も無くて、身軽〜♬
過去に対して距離感が出てきたからか、このころナムショーが行われるたびに、デイヴ・スミス、トム・オーバーハイム、ロジャー・リン、ボブ・モーグ、そして梯郁太郎氏とが「4人のデッド・カンパニー社長と、1人の現役カンパニー社長の会」と称して非公式に集まって呑み会していた。梯氏は下戸なでの呑まなかったと思うのだが、それでもえらい親密にやってたらしい。
過去を振り返らないレジェンドたちがそれでも織りなす過去への回顧と総括。解脱して落ち着いて距離を置いて眺められる者だけに許されしその冷静に突き放した眺望。そんな話、聞いてみたかったね。
思えば遠くへ来たもんだ? あほなこと言ぅたらあかん、まだまだまだまだ開発するネタなんぼでもあるねやさかい。原理主義おっさんどもに現実realityという鉄槌を振り下ろしたソフトシンセの次は何?
最先端ソフトシンセちょ〜便利なれど毎年OSアプデに追いつかざるをえないMS-Apple開発奴隷。シジフォスの岩そこのけに永遠に続く科学奴隷。流石に苦行。
してからに表計算みたくマウスポインターぽちぽちうじうじするより、やはり手でがぁ〜〜〜っとわしづかみして気ままに感覚いっぱつノリいっぱつで奏でるフィジカルな楽器こそデイヴ・スミスにとっては楽器。せやかて音ってライヴひねりかぼちゃしたいやん! パソコンにジョイスティックつくよね? ベクトル合成ジョイスティック今いずこ!?
誰よりも先に本格的ソフトシンセをつくったデイヴ・スミス、Seer Systems社を退職!!!
ソフトウェアを極めつつも諦めた彼は、とてつもなく大きな市場を失うことになった。世界の大半すら失ったのかもしれない。咲き誇るプラグインシンセ・ビジネスぜ〜んぶ諦めたんだから。
だがそんなことどうでもいいのです。彼が選んだ市場がちっちゃかろうが知ったこっちゃない。彼の眼前には別な次元の大宇宙が広がっていたのです。まるで亜空間。すなわちProphet-VS以来、動きある音をフィジカルにつくりたいというテーマが出てしまった以上、彼はそれを最後まで追求せんと取り憑かれてしまったのです。亜空間断層形成準備!次元潜航艦、ごぉ!
どうしても知りたい亜空間を究めるため、彼はたった1人のメーカーDSI - Dave Smith Instruments社としてさらなる創業。まるでちっちゃいカプセルみたいな脱出ポッドで大宇宙の大湾を横切らんとするが如き異次元への出航。しかもミレニアムが変わる時、彼もまたハーフセンチュリーを超えたのだから、これはもう初老の抜錨、なのであった。
♬ ♬ ♬
「自分史上最強シンセ」
2002年、新生デイヴ・スミス、新たな自己紹介としてDSI社から初号機Evolverなる青い弁当箱みたいなハードウェア・モノフォニック音源モジュールを投入。そこに搭載されしは、
アナログ・オシレーター2基 デジタル・オシレーター2基
え、アナログ・オシレーター?
「たまたまいろいろつくれてしまう人」ゆえに、アナログのたおやかさとデジタルの荒涼とした音の景色と両方出せるフィジカルなシンセってんで、こないなったわけ。ちなみにDCOよ。VCO原理主義者さようなら。
しかもただのデジアナハイブリッドシンセにあらず、非常に変わっているのは最初から最後まで完全に左右独立ステレオ仕様であること。すなわち:
・左アナログオシレーター ・左デジタルオシレーター ・右アナログオシレーター ・右デジタルオシレーター
・左 VCF ・右 VCF
・左 VCA ・右 VCA
…こんな具合に全てが左右にカタマラン構造になって配置。
双胴シンセ浮上! 双頭シンセ参上!
見たこともない変態音源構造。 音の時間変化やステレオパンも意識しつつ空間演出を奇抜なまでに創造できてしまうこれは、Prophet-VSのコンセプトを引き継ぎ発展させた機種。デジタル・オシレーターに至っては、音源波形ナンバーを内蔵16ステップシーケンサーで切り替えることで16ステップのウェーヴ・シーケンスまで実現。おんやプチWaveStationしかもまろやかなCurtisアナログフィルター付きじゃないですか〜♬
Evolverは、新生デイヴ・スミスの理想をぎゅうぎゅうに詰め込んだ高密度な原点。あたらしく濃いぃ原点となった。
ちなみにデイヴ・スミスはかねてから「noise」という機種名をシンセにつけたく思い、今度こそってなるも経時変化でめくるめく音が展開するを聞いた妻が「evolver=進化する者」という名称を思いつく。あ〜ら奥さんDSI社の裏番長♬
以来、しばらく数年間デイヴ・スミス一人で会社を切り盛りし、Prophet’08でひとやま当てる前後くらいから地味に増員。今では14人くらい。
わくわく驚愕科学技術魔道士たちの小国 Dave Smith Instruments 職業別人口
・3人:ソフトウェア担当 ・1人:ハードウェア担当 ・1人:機構&ユーザーインターフェイス担当 ・1人:マーケ・営業担当 ・5人:顧客サポート担当 ・1人:デイヴ・スミス ----------------------------------------------------------------- ・12人:統計当時の総人口
少数精鋭!
デイヴ・スミスは顧客サポート大好き人間、困ってる人を助けてあげるのが好き、だから会社の三分の一が顧客サポート! そんな会社ある?(いつぞや基板交換したらいいよって送りつけてきたカスタマー・サポート・エクスペリエンス笑 やりましたとも、ちゃんと静電気を逃がした上で!)
そしてほとんど全員で協力しあって仕事。もう経営はつらくない?
会社をつぶした経験からむやみに増員せず、それでできる範囲のことしかしない。その代わり着実にばっちしやる。吾、唯、足るを知る。
だからファブレス。つまり開発は自社、製造は外部委託。中国生産すりゃ安くできて魅力的だが、なんかあった時この目で確かめたいから自社から数ブロック離れた工場に生産を委託。だから開発も製造も同じサンフランシスコの空をシェア。明快!
仕様もユーザーに言われるままに機能マシマシにはせず、すぱっと割り切って、すっ��り分かりやすく限定。かえってユーザーにもわかりやすく、ややこしいこと製造に言わなくて済む。ソフトシンセとはまた別な形で、彼また身軽〜♬
なのでデイヴ・スミス曰く 「僕にはソーシャルメディア(SNS)を見ないという悪い癖があってね笑」 すなわちお客様のご意見はすべて正解なのであり故に聞いても聞いてもきりがないし最後には矛盾すらきたすから敢えて最初から聞かず、自分で考えた仕様のみでつくる。顧客より先に思いつけ! iPhoneが世に出る前に誰が「iPhoneがほしい」なんて言った? この点において、彼はスティーヴ・ジョブズや梯郁太郎氏と同じ天才肌の創業者。顧客の声を全く聞かずに自分が考えた機種を出し,あとからユーザーのご要望を聞いて改良アプデし完成度アップ。 事実、はなからお客様の言うことを聞きすぎて予定調和しかない家電と化したWindowsを見ると、その言葉の深さに唸らされる。デイヴ・スミスだってお客様にリクエストされてプロ5をつくったわけじゃないもんね。ものづくりの正解、って、なんやろね。
というわけで、常に違うもの、常に新しいものをつくる。驚きの新機種。想定外の斬新なモデル。生い茂る樹形図を描くラインナップ。
とかくアナログポリシンセの守護神みたく思われがちな彼だが、エンジニアなんだからそんな保守的テーマよりも未知との遭遇をつづけたい。SF的センス・オヴ・ワンダー、テクノロジーが切り拓く新しい未来の音、そのサウンドが自分の手にみなぎる楽器。
それゆえEvolverやProphet 12、PRO2、Prophet X、PRO3といった新規アイディア満載デジアナハイブリッドシンセをさわれば、彼がほんとうにやりたかったことがよく分かる! 仮想現実みたいなデジタルと、魔性の不確定をもたらすアナログとの幸せなカップリング。
中でもProphet 12とPRO2とは、彼自身が最高傑作だと自信を持って送り出した機種。Evolverシリーズを大々的にリノベーションしたかのような大規模アーキテクチャを誇るシンセ。
実はそれまでたった一人で一切合切きりもりしていたデイヴ・スミスが旧シーケンシャル時代の旧友エンジニアことアンドリュー・マクゴワン(Andrew McGowan)を迎え二人体制でProphet'08からmopho keyboardあたりまで作ったころ、そのアンドリューは激務すぎて燃え尽き症候群になってしまい、それで自分でスピンナウトすることを考えて ①アナログによるシグナルプロセッサー ②アナログモノフォニックシンセ ③デジタルオシレーターにアナログフィルターを組合せたデジアナ・ハイブリッドポリフォニックシンセ という三つの企画を考えたという。そして自分の会社を立ち上げるべくペーパーワークをこっそり進めていたら,ある時デイヴが 「実はこの次はデジアナハイブリッドのポリシンセを作ろうかと思ってるんだよ。デジタルオシレーターにアナログのフィルターを組合せたやつ」 と言い出し,へぇ、そりゃ面白そうだね,とかって適当なこと言ってるうちにだんだん話が嵩じてきてアンドリューも我慢できず自分があっためてたアイディアをぽつりぽつり差し込むようになり、やがてそれがほとばしる奔流となって二人で意気投合してホワイトボードの前であーだこーだ言い合ってものの15分から20分くらいで仕様とユーザーインターフェイスの90%くらいを考えついてしまったのだと言う!笑
しかもアンドリューが後日回想して言うには,二人があれほどまでに意気投合してシンセを構想し設計したのは、そん時くらいなものだったという笑
かくして出来上がったのがProphet 12。
そのProphet 12デビュー時、デイヴは 「今までの全機種を叩きのめす機種! This one beats 'em all!」 って有頂天になって言ってたもんねナムショー会場でガッツポーズして。
でもこれらは流行も産まず、ここから流行のジャンルも出ず、むしろ流行とは無縁。それでも秀逸なるプリセット音色。やわらかいアナログな音、とらえどころ掴みどころない幽玄な音が出る一方、ノンリニアなDSPキャラクターブロックが生み出す奇想天外破綻音、さらに破局的なポリフォニックのTuned Feedback機能、これらが広大極まりないモジュレーションマトリクスと組み合わさったときProphet 12が生み出すのは最高に破壊力みなぎるド迫力のソニック・スペクタクル。そは荒涼とした極地の砂漠に轟く嵐、はたまた最強預言者の重装甲、その重厚な輝きがにじむ音。しかもそれが自分の指先の感覚ひとつでベロシティやらアフタータッチやらホイール群やら2連タッチスライダーやら2連タッチスライダー自体のアフタータッチ機能やらで鋭敏に俊敏に繊細にさまざまな彩りを描く。その未知なる音の景色。攻めてるねぇ、デイヴ・スミス、わが道を行く、ええ音色の数々♬
それどころかDSIはProphet 12にあったCurtis社のフィルターやDSPキャラクターモジュールをベースに、独創的ユーロラックモジュール群を出した。中でもDSM02 Characterユーロラックモジュールは、DSI唯一のフルデジタル・モデル。5だけが名機ではない、12こそ中興の祖なのですよ。
ちなみにそのあとに出たPRO2は,決してProphet 12のモノフォニック版ではない。PRO2にあってProphet 12に無いものは以下のとおり。中古で買う時の参考にでもしてみてね:
・4音パラフォニックしかもローテーション・トリガー(Moog のはリセット・トリガー)なので疑似4波形ウェーヴシーケンスが可能 ・Prophet 12の19波形に加えて、7波重ねスパソなどスーパー版デジタル音源波形13種類追加、計32波形 ・2連VCFがCurtis製CEM3397によるHPF + LPFではなくディスクリートで起こしたというアジのあるProphet-5 SSMエミュとSEMエミュしかもアナログ回路で起こしたエミュ2発 ・2連VCFシリアル・パラレル連続可変、しかもシリパラ加減をデスティネーションとして変調可能! ・2連VCFを個別にon/off可.両方ともoffにはできなかったごめん ・4基デジタルディレイのうち1基はBBDをエミュレート ・EG1基追加、計5基 ・51ソース、149デスティネーションへと拡大したモジュレーション・マトリクス ・16ステップ×16トラックないし32ステップ×8トラックの大規模パラフォニック・ステップシーケンサー ・Fスケール44鍵
広大な構造、広大なモジュレーション・マトリクス、もはや巨大モジュラーシンセを単体キーボードへ「ばあぁん!」と圧縮したかのような機種がPRO2。緻密に凝縮したシンセのきらめき。
しかもProphet 12がSHARCのDSP1基で2音を生成しているのに対し、PRO2は1基で1音しか生成せずかえって贅沢に演算リソースを使用可能。それゆえにスーパー版波形はもちろん、通常の音源波形も質が高い。Prophet 12にあった薄曇りが無くなってクリアにはっきり視認できる感じ。 このようにデイヴ・スミスがPRO2をして「最強のモノシンセ」と呼んだのには、ちゃんと裏付けがあるのであり、PRO2こそは史上最大規模のシンセシスを搭載した怪物DSIシンセとなった。
そしてPRO2は、のちのProphet-6とOB-6という双生児を生む母体となった。ディスクリートで新規に開発したSSM/SEM型VCFのおかげである。
ちなみにProphet 12もPRO2も、バージョンアップによってYAMAHA型FM音源を「Linear FM」として追加。しかも4オシレーターを4オペに見立ててモジュレーションマトリクスを組むことにより,全くの自作アルゴリズムも制作可能。それをご自慢のVCFで加工。
パテントが切れたからとはいえ、かつて自社を買収されるまでに追い詰めたFM音源が今や自社シンセでゴキゲンさんにええ声で鳴いているのを聴いた彼は、さぞかし感慨深かったのではなかろうか。だってProphetやPROからDXベルとか鳴るんですよエンヤみたいに笑 そして昨今のFM音源は、またアナログっぽくもありながらも不思議にエッジの立った、鋭い倍音を含むいい感じにこなれた音色として鳴らされることが多い。流石現代、平賀源内、いやほんまにシンセはエレキテル、これキテる。
だが世間はそんなとんがったデジアナハイブリッドシンセなんかよりも、彼にプロ5とプロワンの再来をリクエスト。いつまでたってもレジェンダリー・アーティストに往年の名曲をライヴ演奏してほしいと叫ぶオールド・ファンみたいなものか。あたらしいテクノロジーを開発せしエレキテル平賀源内よりも水戸黄門の印籠がVCOなのか。史上最強預言者Prophet 12は、クエーサー銀河ばりに宇宙の地平線に屹立する孤高の存在だったのか。遥けく望む特異点、その降着円盤による極超高速乱流回転音を聴きたいと希求する人はなかなかおらんかったのか。
それに対し彼は3回返答、Prophet’08、Prophet-6、そしてProphet-5 Rev.4。
デイヴ・スミス、ついにアナログ・シンセに回帰? 事象の地平面にて、運命の円環もまた閉じてしまうのか?
♬ ♬ ♬
「前を向くんじゃなかったっけ?」
デイヴが回答したのは、現代版プロ5ではなく「現代風に再解釈・再構成したプロ5哲学」であった。しかもその都度その都度、その時に見あった回答。円環は開かれたまま螺旋を描く。
2007年時点での回答がProphet’08。
当時まだ初号機Evolverシリーズが出て一段落したころであり、アナログポリシンセを新規に出すメーカーは皆無といってよく、デイヴ・スミス自身もEvolverみたいに多彩な音色が出るシンセがありながら、なんで今さらアナログポリシンセばっかリクエストされるのかと嫌で嫌で仕方がなかったという。苛立つデイヴ・スミス「てめ〜ら後ろ向きすぎんじゃね」。師匠こころの叫びをダダ漏れにしてみました。
でもさすが名匠、しぶしぶ試しに作ってみたら、あ〜ら存外いい音すんじゃないの〜これ〜♬となり、当時まだ存在しなかった新品アナログポリシンセちゃきちゃきの新機種として出そうと、しからば名刀Prophetの名を再びというのでDCOアナログ8音ポリシンセProphet’08誕生。びみょ〜にロゴが違うけどそんなこと誰も気づかず実際よく売れたのです。のちに16音ポリREV2まで作ってしまったもんね。
これが事実上DSI出世作となり、ひとやま当てたおかげでラインナップ飛躍的に拡大。
モノフォニック版MophoっていうPro-Oneみたいなシリーズもあったよね、黄色いファンキーなカラー、Push me! Push me!って書いた〜ったトリガーボタン笑 サブオシ追加でphat sound! 4パートマルチ音源TET4A(Tetra)もあった。マルチ音源アナログシンセって、今またあったらいいのに。
そして今なお伝説のリズムマシン、ロジャー・リンとのコラボ作、神器Tempest! あれがProphet’08からProphet 12へと橋渡しするミッシングリンク的アーキテクチャだったって、だから凄腕リズムマシンっていうか、いやもはやリズムシンセなんだって、お釈迦様でも気づくめい♬ ついでにTempestの有機ELディスプレイとその周りに配置した汎用ロータリー・エンコーダー4基+ボタン4基このユーザーインターフェイス,これがそのまんま次のProphet 12とPRO2になったって、気づいてた?
名刀その切れ味もさわやかに、すっかりアナログポリシンセ・メーカーとして認知されるようになったDSI。そのサクセスの上に2013年にデジアナハイブリッドProphet 12、デイヴ・スミス最高ポリシンセは生誕したというわけ。
以来、アナログシンセが当たるたんびに、本当に自分がやりたかったデジタルをやる。堆積岩の互層の如きこの繰り返しがDSI社のひとつの深みある魅力となる。
2015年時点での回答がProphet-6。
至高Prophet 12が出たにもかかわらず、まだ皆さんプロ5の再来を求める。しかもDCOじゃやだVCOでなきゃやだとか言う。ったくもう、じゃ次は原理主義者も黙り込むような弩級VCO戦艦シンセつくってみようか。PRO2でプロ5SSMばりのディスクリートVCFも開発できたしね。ほなガチでプロ5復刻? いやいやあくまで現代にプロ5的な前向きコンセプトを具現化すると考えて新規挑戦ネタを盛り込みましょう、何を追加するって例えばモーフィングするVCO波形、ハイパスフィルター、2連デジタルエフェクト、アルペジエイター、ポリフォニック・ステップシーケンサー、ベロシティ、アフタータッチ、ステレオ出力、MIDI、USB、ついでに今風に49鍵にして軽量コンパクト、フットワーク軽いところがまたコンテンポラリー。若い軽いあったかいフーディみたく軽快な出で立ち、良質なアナログの音、当世風VCOアナログ6音ポリシンセ見参!
事実、現代風に音色が良いがためにタンテ屋さんPioneer DJと組んでサンプラーTORAIZ SP-16へLPF/HPF移植、さらに極太アナログモノシンセグルボことTORAIZ AS-1というスピンオフも誕生。AS-1に至ってはほぼProphet-6のモノフォニック版ゆえフィルターもDSI謹製SSMエミュもののディスクリートVCF。まさにプロ5に対するPro-One的な位置付け。それらは音の面白さはもちろんビルドクォリティと言おうかハードとしての質感も高く、AS-1などはガジェットのレベルを引き上げた名機となった。
そのProphet-6を開発中、偶然にもRoland創業者でありMIDI策定の盟友・梯氏がYAMAHAへ「もう使こてへんねんさかい、ええかげん返してあげはったらどないです?」ってんでYAMAHAからデイヴ・スミスへSequentialの商標が平和裏に返還! まれに見る善意の連鎖、MIDIシェア文化なみの叡智、ありがとう!!
というわけで歴史的な新生Sequentialブランド再起動リブートその初号機として、Dave Smith Instruments Sequential Prophet-6を感慨深くローンチした次第。
しかも翌年かつてのライバル、トム・オーバーハイムとのコラボDave Smith Instruments Oberheim OB-6も感慨深くローンチ。ディスクリートによるSEM型VCFゆえ、OBの名を冠するとはいえOB-XやOB-8よりもむしろOberheim 4Voiceや8Voiceの系譜に近く、これもこんにち的な良質なアナログの音がするコンテンポラリーなヴィンテ。そしてそこにSequentialとOberheimのロゴが仲良く共存。
さらに次のPROPHET Xにおいては元Emuデイヴ・ロッサムが設計せしSSMチップ復刻発展版SSI2144も搭載。しかも若きサンプルライブラリ・メーカー8DIOとも共作。たたみかける共作連発、シンセヲタ胸アツ案件続出。
こうしてEmu、Oberheim、Sequentialという合衆国レジェンダリー・シンセメーカーたちがコラボして機種開発、それをYAMAHAとRolandというビッグネームが善意の商標面で支える、8DIOが現代コンテンツで支える、ありえない夢の伝説大同盟時代が到来したわけ。どうですこの友情この協力。戦争だ炎上だなんだとすさんだ今の時代、だがこれほどまでにメーカーたちが助け合う時代が今まであったであろうか。思い返せばこんな優しい人たちだからこそMIDIはシェア文化になりえたのかもね。そしてその土台の上に、それすら意識することなく私たちはレジェンドたちの共作の数々を目撃。これを先人たちの叡智と言わずしてなんであろう。
やがてデイヴ・スミス自身「いずれ僕は会社を後人に引き継がないといけないから」と言ってDave Smith Instrumentsという社名から自分の名を消し去るために、会社の名前もふたたびの「Sequential」。Prophet-5生誕40周年に社名変更したというのは、単にひとつのメルクマールとしてのタイミングあわせに過ぎない。時代のクロックに自分を同期。時に西暦2018年。
ちなみに同年Prophet 12生産完了、5年にわたる販売期間は近年むしろ長いほう。デジアナハイブリッドシンセは同年発売Prophet Xと2020年デビューしたPRO3シリーズへとバトンタッチ。
せめてもの花道をというのでProphet 12最後の百台はリミテッド・エディションとして「アークティック・ホワイト(北極白色)」にカラーリングされ、独自の製造番号も貼り付けられた。デイヴ・スミス引退準備開始とともに引退した最強預言者12。よっぽど愛されていた機種だったのでしょう。なお2023年はProphet 12爆誕10周年かつMIDI生誕40周年である。
新旧Sequentialとは何か?
それは原理主義や前例主義や様式美におちいること無く、とらわれずスタイリッシュにいっつも新しい回答を見せてくれるメーカー。コンテンポラリーだからこそ時代を超える。でもそれにあぐらをかかない。
何よりも音を創っていると、どういうふうに音をたおやかにさせたいか、はたまた破綻させたいか、見透かされているかのように音がおいしく変化する。アナログ、デジタル、ハード、ソフト、すべて対等なパノラマ。たとえ枯れたテクノロジーであろうと、どう転んでもいい音がする手練れのエンジニアによる楽器。Slopというデジタル音痴パラメーターですらタダのランダマイズではなく、アナログを真似てズレ度合いやズレている時間すらもが刻々変化する有機的な機能。そんなもん誰が気づく?とも思うかもだが、そんなところまでシンセを熟知しているデイヴ・スミスだからこその精緻。神はディテールに宿る。そしてディテールに宿りつつも見晴らし良い視点から大局を見渡す。
Prophet-6がProphet 12より売れた理由のひとつにWYSWYGユーザーインターフェイスがあると知った新生Sequential社、以降すべて表に出ている操作性を念頭に置くようになり、PRO3などもその新しいパラダイムの続きにある。それでいてPRO3ではEvolver伝来Tuned Feedback機能が健在なのは嬉しいポイント。
またエンリケ・イグレシアスもリミックスしたDJ Pabloから「パクられる前にやったら?」と言われたのをきっかけにいろいろ考え直し、結果、踏み切ったるはあんだけやらないと言ってたProphet-5のリ・イマジネーション。オリンピックイヤー2020年に驚きの発表。しかもデイヴ・スミス古希! んで現役! かくして新しいプロ5は復刻にとどまらないRev4というデイヴ・スミスならではの名答となった。タッチセンスとUSBがついたプロ5ってだけじゃないよ、コピーキャットには絶対真似できないVintageノブ! そしてここにもデイヴ・ロッサムによるSSM進化型VCFチップが入ってピース! 即ちかつて裁判までして揉めたSSMとCurtisの両方を網羅する設計! しかもRev1、Rev2、Rev3のサウンドを全てカヴァーするばかりか、新しいRev4サウンドまで提示! おまけにダメ押しProphet-10同時発表!!!!! ちょっと遅れて5声を10声にする拡張基板までご用意いたしましたとも!!! なにこの秀逸すぎるゴージャズなリマスター+新規セルフカバー・ボックスセットみたいな商法。
そしてそのあと飛びいでたるはPro-OneでもPRO2でもPRO3でもない、まったくあたらしいスピンオフとして2021年TAKE5誕生。小脇に抱える名機、小脇に抱えるプロフェット、さしずめフレンドリーなコンパクト・プロフェット、しかも新規シリーズ名となるのか、期待が止まらない。
そのさらに翌年5月10日、Prophet-5 Rev4と同じく進化型としてOberheim OB-X8デビュー。その開発にはトム・オーバーハイムはもちろん、デイヴ・スミス、そしてかつてOberheim若手の天才エンジニアに始まりAlesis、Line6という伝説の数々をものしたマーカス・ライルも参加。3大レジェンド連合開発。
そはOB-X8であってMatrix-12でなく Prophet-5であってProphet 12でなく miniKORG 700FSも700Sベースであって700でもTRIDENTでもPolysixでもない。でも喜多郎も難波弘之も加藤孟会長も好き。
即ち最高傑作やのぅて デビュー作でものぅて 自身にとってゲームチェンジャー的なんをつくる。
人は晩年に自分の原点というか出世作というか、名刺代わりになる機種をもっぺん出して、現代への磨きをかけて未来へ投擲したくなるもんなんかな。
そのOB-X8開発を手助けしたデイヴ・スミス、そのデビューを嬉しさ満面で語る盟友トム・オーバーハイムの、積年の宿題を果たしたかのように抑えきれない、とめどなくあふれる喜びが止まらない、その笑顔を見届けた矢先、わずか20日ほど後、2022年5月31日、若すぎる享年72歳。2週間ほど前のBerlin Superbooth 2022ではあれほど元気だったのに、心不全だったとか。そしてその時ダンス系電子音楽イベント「Movement」のためにクラブ音楽の都デトロイトにいたのだという。
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だが歴史はここで終わらない。いや、断じて終わらせない。
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死せる諸葛孔明、生ける仲達を走らす。
OB-X8が誕生し、デイヴ・スミスが没して半年。 時に西暦2022年11月18日、新生Sequential社から突如浮上した大型シンセTRIGON-6。それはデイヴ・スミスが開発にかかわった最後の機種、その遺児。その姿を表した今、スミスの子供たちがゆく。
PRO3にてMoog型ラダーフィルターをディスクリートで新規開発し搭載せしめたSequential社は、このVCFをもとに最強アナログポリシンセ開発に挑んだ。 これはかつてPRO2にてやはりディスクリートで開発したProphet-5型VCFとOberheim SEM型VCFとをもとに、Prophet-6とOB-6とを開発したのと同じ戦術。
6音ポリ、1ボイスあたり新規に起こしたVCOを3基搭載、4pole/2pole切替可能となった機能拡張型ディスクリート・トランジスター・ラダー型VCF、充実のポリモジュレーション、お家芸フィードバック、2連デジタルマルチエフェクト、アルペジエイターにポリフォニック・ステップシーケンサー、ユニゾンモードで3VCO x 6ボイス=18VCO斉射、ベロシティ・アフタータッチ対応鍵盤、コンテンポラリーに49鍵軽量コンパクト、無論USB装備、あげくProphet-5 Rev4みたくVintage Knobまである!
トライゴンは三角形という意味。 ポリゴンが多角形の意につき、その三つ角版と考えれば良い。むろんVCOが3基あるがゆえのネーミングであろう。
だからってMemorymoogの真似ではない。むしろMoogには無かった仕様を惜しげもなくガンガン投入、ぎゅうぎゅうぱんっぱんに押し込めた最強アナログポリシンセ。それら諸機能が結びつき一つの個体の内部で有機的に相互作用しあったとき、そのシナジーから新しい音が生まれる。モーグに似てモーグでない、新しい音。
Prophet-5ですら名機であれこそすれ最強ではなかったのだ。だからこそ、TRIGON-6には既存とは違う新しい名前が与えられた。そは未来のヴィンテ。未来の古典。今までありそうでなかった新時代アナログシンセの音。側板の木の色すらもがいつになく白い。フロントパネルのフォントも外観デザインも、いにしえへのリスペクトを踏まえつつもこんにち的。
Prophet-6 OB-6 TRIGON-6
アナログ6音ポリシンセ三部作堂々完結。しかもローンチ順に徐々にインスパイア源となったヴィンテからキャラが離れ、独自の遊びカラーが濃くなったのは、やはり時代が進んで市場が成熟し、それだけ審美眼も前を向いてきた現れ。亜空間銀河のはずれ、いつわりの虚空に影ばかり落とす惑星、新天地TRIGON-6、デイヴ・スミスが残した隠し玉、そこで聴く音の景色、そこに隠されたベクトルの向き。
まだまだアナログでやり残したことはあったのだ。 まだまだアナログにもデジタルにもハードにもソフトにも未来があった。それこそまだ見ぬなにかにも。 そのことを死後もなお教えていただけるとは、どこまであなたは前向きなんですか。
死せるデイヴ・スミス、電子楽器業界を走らす。いや、走らせ続ける。
本稿の最後に、私も大好きなPRO2取説の冒頭文を、ここに引用ならびにNemo版超訳にてご紹介。それをもって追悼の意を込めたい。それをご覧いただくことで逝去せるデイヴ・スミスが指し示したベクトルの向きをお察しいただけたなら望外の喜びである。そのベクトルの指し示す先をめざして、私たちで彼の遺志を継いで、ともにぎっしり輝いてきらめく音の銀河を探検すべく出かけましょう。物理操作子を見てそのトルクを味わいつつ音をつくるとき、私たちは音を見て、映像を聴き、指先の圧に耳を傾けるのです。その情緒こそがフィジカルな楽器。
なお、MIDIにおけるメーカーIDナンバーその栄えある1番は旧Sequential社であり、旧Dave Smith Instruments社であり、現Sequential社である。つねに前を向いてきた者にこそふさわしいIDナンバーと言わずしてなんであろう。
Thank You
No doubt about it: It's an exciting time to be a synth geek. You only have to look around you to realize that we're experiencing a renaissance of sorts for synthesizers. From stompboxes to modulars, synths are here in a very big way.
With the current demand for all things analog, I've been asked many times if I would ever consider reissuing the Pro-One monosynth. My response has always been the same: "You've got to keep moving forward." The simple truth is, I'm happiest creating new instruments-synths that put more power and better sounds into the hands of musicians with every iteration.
But actions speak louder than words, so here's the last one on that particular subject: the Pro 2. It's light years beyond the Pro-One in every way and is the culmination of my many years designing synthesizers. It's also the deepest and most powerful monosynth I've ever created, so it should keep you busy exploring the outer limits of sound for quite some time.
I really hope you enjoy playing it as much as we enjoyed designing it.
Thanks for the purchase, from all of us here at DSI!
Cheers,
Dave Smith
(以下、Nemo版超訳)
PRO2を買ってくれて、ありがとう。
シンセヲタにとって、間違いなく楽しい時代になったね!! まわりを見渡すだけで、今はシンセ・ルネッサンスとも言うべき一種の復興期、その真っ只中に僕たちは今いるんだって分かる。ちっちゃいストンプボックスみたいなのから、でっかいモジュラーにいたるまで、今やさまざまなシンセが堂々と闊歩している。
ちかごろアナログはなんでもかんでも大人気だから、かつての名機モノシンセPro-Oneを頼むから復刻してくれっていう声も、たくさんいただいてきたよ。でもそれに対する僕の答は、いつもと同じく「いっつも前を向いて進んでいかなきゃね」なわけ。
ぶっちゃけ言うけど、僕はシンプルに新しい楽器を作っているときが一番ハッピーなんだよ。アーティストが使うたんびに両手にパワーとサウンドがみなぎる、もっとパワーを、もっとすばらしいサウンドを両手にもたらしてくれる、そんな新しいシンセを���。
でも言ってるだけではなんだから行動で示すことにしたよ、それがこの復刻版ご要望への最新回答ことPRO2。
Pro-Oneと比べても、どの部分どの側面をとってみても何光年も先を行くくらい、ぶっちぎりの最先端モデル。それは僕が長年にわたって続けてきたシンセサイザー開発の集大成でもある。さらには僕が創ったもっともディープでパワフルなモノシンセでもある。だからこいつを使えば、皆さん新しい音色を探求するので当分のあいだ忙しくなるだろうこと請け合いだよ。
そんなわけで僕たちがこの機種を楽しく開発したのと同じくらい、皆さんが楽しく演奏してくれることを、こころから願ってます。
そしてここにいるDSIのみんなから言うね、ほんとうに買ってくれてありがとう!
じゃあね!
デイヴ・スミス
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