kazehirakukame
風ひらく亀
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kazehirakukame · 7 years ago
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チネイザンの感想 from 名古屋
今回はちょろちょろ書いてもらってる感想をシェアしますね ほんとみんな、受けてくれてありがとう◎
次回の名古屋出張は4/26〜29 名古屋のみんな〜再会たのしみにしてます♪ 「わたしの街にも来てukiwaさん♪」というオファーも 待っております
【◎◎ちゃん チネイザン120分】
チネイザンのタッチで、心地よさと時より痛みを感じ、深く自分を知る作業に繋がりました。 ※本当は常に激痛だけど!笑
施術者と繋がる感覚もありました。けんちゃんの穏やかさが安心感を、増します。
終わってから施術中にけんちゃんが感じた事もシェアしてもらいました。 このメッセージは、勿論体に関して、が軸ですが、同時にこれからの生活や、今起きている私自身の問題を好転的にチェンジ出来るきっかけとなりました。
不思議と、日常生活の中でも、事柄が大きく変化する事も起き始め、このタイミングに感謝しています。
丹田が大切な事は以前から認識はしていましたが特別、コミットした事が無かったので、チネイザを知れて良かったです。
自分の体の声を置き去りにして来たので、これからはちゃんと聞いてあげようと思います◯
ありがとう!けんちゃん。
【伊藤恭子ちゃん チネイザン90分】
初めてのチネイザン。本当に衝撃ばかりでした。 だって、本当に「痛い」し、この痛みがずっと続くと思うと涙が出そうでした。笑 「早く終われー」 と心の中で叫びながら、ひたすら痛みに耐えていました。
でも、施術を受けていくと少しずつ痛みにも慣れてきて、��の上を漂うようなイメージと感覚になってきました。
施術で一番痛かった��所は、「悲しみ」の感情だと言われ、最初は全くピンと来なかったけど、「過去にしまいこんだ感情かもしれない」と言われて、昔の辛かった出来事が浮かんで来たりもしました。
感情的にはその日はそれくらいでしたが、二日後くらいから体が軽くてびっくり。 酷かったはずの花粉症の鼻水も、二日後以降、鼻が通るようになったり、体のスッキリ感は本当に驚きでした。
あれだけ痛かったはずの施術の痛みも、施術後には全く思い出せなくて、魔法にかかったような気持ちです。
痛みよりも爽快さが強烈で、何度でも受けたいと思える施術。 何より施術者けんちゃんの技術と人柄が大きいと思います。
初めてチネイザンを受けてから二週間くらい経ちますが、感情の波を感じることがしばしばありました。 あとは忘れていた思い出が蘇ることがたくさんあったような気がします。
日々いろんなことがあっても、基本ポジティブにとらえられるようになってるなーって実感しています。
チネイザンは受ける度に違った反応になるそうで、次回もとても楽しみです。
私はもともとマッサージが好きでよく行きますが、最後の時間にやってもらえるタイマッサージも本当に気持ちよくて、タイマッサージだけの施術も受けたいと思いました。
長くなりましたが、「素晴らしい!」の一言に尽きます。
【Pond aromatics&botanic food 牧内 優 チネイザン120分】
何名かの友人がチネイザンの施術を受けた後に受けました。 受けた全員が、施術後の顔色がとにかくよかったこと、みんなが口を揃えてとにかく痛かった!!!と言っていたこと。 いかに痛いかを伝えつつも、全員揃ってまた受けたいと話してくれたこと。
施術後に繰り広げられるけんちゃんのカウンセリング(のような会話と、身体の声を伝える時間)が、そばにいるだけでみんなが変化していく様、まさにお腹を触ってもらったからゆえなのか、腑に落ちていく様子を見ているのがうれしかった。
けっこう、心理面で腑に落ちていく人がほとんどで、お腹と(身体と)心の関係が密接なことを、改めて垣間見させてもらいました。
施術を受けるころのわたしの身体はぼろぼろで、心だってきっとぼろぼろだった。蓋をしてしまっている自分の内面が チネイザンで溢れ出てきてしまうかも(溢れることはいいことだと思っているけど、やっぱりそれを見るのはちょっと勇気がいったりします)なんて、想像していました。
それでも不思議と受ける前の痛みへの不安とか、身体から心から出てくる反応に、
まったく、不安はなかったです。施術前にけんちゃんは「こわい?」ときいてくれたのだけど��1mmの不安もなかった。きっと、準備が整っていたのだと思う。
施術がはじまってからは、ゆだねることを意識しました。意識したのか、けんちゃんがそうさせてくれたのかはわからないけれど。 呼吸だけをただ見る、瞑想のような時間でした。呼吸を整えると施術者がそれと合わせてくれる感覚に安心感を覚えながら。
触ってもらっている腹部から痛みがどんどんやってきます。
吐く息で、押してもらっている手が体へより指圧されていくから、呼吸をやめるわけにいきません。
痛みにもっていかれそうになりながら、ただ呼吸に意識をむけていきます。
吸ってはいて。吸ってはいて。 くりかえし。
やっぱり常に合わせてくれる施術者の呼吸に、「がんばれー」と言われているような気になりながら。(たぶん、応援してくれていたように思います)
だんだん自分の呼吸になれてきて楽になってきた時、
呼吸じゃなくって痛みにちゃんと向き合ったらいいんだ。この痛みはいつかおわるから、痛みに心をむけよう
とわたしの気持ちが変化します。
それから、痛みをちゃあんとかんじました。わたしはすごく身体が疲れていたらしく、おなかを触られているのに、両腕が攣ったみたいに指先までかちっとしてしまったり、右足の先まで身体が終始ヘンテコな感じ。
過去にすこしだけマッサージを習っていたわたしは身体のことに興味があるから、
とにかく施術中に起こる自分の身体の反応が、おもしろかった。
痛みを感じるのになれた頃、チネイザンはおわり、タイ古式マッサージへと移り、攣った身体を伸ばしてくれるのが心地よかったです。ほんと、タイ古式だけで長い施術もうけたいくらい。
施術をうける側の施術者への信頼感だったり、その逆だったりはマッサージする上でとてもというか一番くらいたいせつなことだと思っているけれど、 まっさらにゆだねられる安心感がありました。
そのあとけんちゃんと会話していて、 けんちゃんがたいせつにしている施術での向き合い方があくまで、
けんちゃんが誰かの身体をよくするわけではないこと。施術をうける人の自発的なよくしたいという意識がなによりたいせつで、あくまでそのサポートをしていること(言葉がちがったらごめんなさい)
というところであることが、一番の安心感の元なんだろうなと想像しました。
120分の施術は、ドラマがあって終わったあとはなんだか身体に力が入らないくらい。
わたしは、おなかの中の「かなしみ」の部分がいちばんはっていたということでした。「自分に自信がないんだねえ」と言われました。まさにその通りというかんじで、頭がさがる。ほんとうに身体はいつも声を発して教えてくれている。
チネイザン120分を受けた日からバタバタと徹夜だったりと、寝不足の毎日がつづき、
身体をちゃんと観察できてなかったけど
うれしかった変化はおなか周りがすっきりしてくびれがちゃあんと出来ていたこと。顔や身体のむくみもなく、寝不足なのにクマがでずに顔色もいい日がつづきました。
いちばん大きな変化は、 なんだか受けてから、「腹がすわる」という感覚があること。なにかにつけて覚悟ができる���態が増えたように思っています。失うものも得るものに対しても覚悟を持てるようになったように思います。
それは、施術から半月経った今も続いていること。これを書きながらおもうのは、「自分に自信がない」というのは、「覚悟をするのが怖い」と似ているのかな。
ふふふ。 ほんとうに身体っておもしろい。 チネイザンは定期的に受けたいと思いました。それに、たくさんの人に受けてみてもらいたい。施術のあとのああだこうだ身体の話をたくさんの人としたいな。
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kazehirakukame · 7 years ago
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最近のukiwaの浮き具合
もうすぐ春ですね つまり、まだ寒いですね そもそもの話をほじくっていけばきっと 春って もともと、まだまだ寒い季節、なんなら結構しっかり寒い季節 なんだろうけれど 勝手なイメージで、春って、花見とか、はじまりとか なんとなくぽわ〜んとすがすがしいピンクとか、芽吹いてる薄い緑 的な色合いで あたたかくなってきたぞ〜 冬がおわったぞ〜 っていう手放しで前向き、といったことになっている 気がする、、、あたしだけでしょうか? あたくしがひとりくだらないハリボテの夢をどっかでインプットしちゃった?汗 でもきっと春ってもっと グラデーションで、曖昧で だけどその微細だが確かな変化に感動する日々なんではないか 山菜もこっそりひっそり、しかしもっさり芽吹くし ukiwaのkentaroさんのこころ模様もこの 曖昧に見せたまま水面下で遂行される季節の移ろいのように ゆらめきながら、たゆたいながら、変化していっているなぁ (いきつもどりつするあたりが、季節よりもねちっこいなと思うけど) うんうん うん 恒例のこの 長いなんとなく意味ある風の導入 お〜わり
さてさて、さて 最近のukiwaですけども 相変わらず出張が増えていて、都内やら神奈川やらいっています そして、ぐいぐい 【チネイザンがきている】 みんな気になっているのね 連鎖反応で、口コミで、受けたひとの話を聞いて、友達が、家族が受ける いやぁ、ありがたい カムサハムニダコップンカップスパシーバアリガトグラツィエメルシー
出張増える流れもレベルアップ ついに関東を出て、先日4日間 名古屋までマッサージトリップに行ってまいりました 企画を立ててくれたのはPond aromatics&botanic foodの優ちゃん 彼女と縁のある新栄のカフェKalamaの店内奥 有松絞りのブランドcucuriのショールームを 期間限定で、マッサージサロンに変身させてもらいました 直前の企画の割に、ちらほらと予約が入って 「まぁ初回だし、のんびりこれくらいで♪ 次回の可能性等々について話しましょ」って感じでいたら、、、 口コミとはまさにこのこと◎ 波紋のようにひろがる、ひろがる 「●●さん、絶対受けた方がいいですよ〜!!」 って受けてくれたひとが、まわりに声をかけてくれる おかげで大盛況でした一席二腸 みんなありがとうね しかもまさかの、4日間チネイザンのみ◎ 実は、ほんとにそんな気がしてたんだけどね 「心とカラダにやさしい」をテーマにしているKalamaで 発酵ものや、ヴィーガンスウィーツとか 身体が喜ぶご飯を生み出す優ちゃんプロデュースなんだから そりゃあ、みんな【腸】気になってるよね 施術後に繰り広げられる「髭坊主の戯言コーナー」 みんなしっかり聴いてくれて、しっかりなにかしらが芽吹いたのを見て なんか、感動的でした 向かっている世界にちゃんとむかえていること 実感させてくれる、ありがたい4日間だった いままで感じてないから 時間軸も大きいのかもしれないけど すくなくともいま、この現在において 名古屋の磁場と合うのかもしれない 嬉しいかぎりな盛況とアンコールにお応えして また来月も行く予定でいま日程調整中 みんなまたいらしてね
今回の名古屋であらためて感じたこと あらためてと思いつつ、あたらしく気づいたことかもしれない どっちでもいいか (最近生き生きしてて、つまりちゃんと変化していて 前どう思ってたかとか、どうでもいい過去とやらが ちゃんとどうでもよいのか、曖昧の極み) チネイザンもタイ古式も、ひとつの言い方としては マッサージだと思うんだけれど マッサージというのは 「癒やすサービス」 ではないと実は思っていて 「癒える経験の誘導/補助」 なんじゃないかと思ってる セラピストは、それこそシャーマンじゃないけれど【媒介】になるだけ それしかできないと嘆くことではまったくなく それをできるスペシャルを自覚している 気も、感情も、痛みも、しがみついて離さないでいるのは本人で それを離せるのも本当のところを突き詰めていけば本人しかいない 「ひとりで大丈夫」 そう信じられないうちは補助輪がないと自転車には乗れない その物語から抜け出したら 「あっ、いけるかも、てかいけてるかも、いけた!!大丈夫だ!!」 嘘のようにひとりで自転車に乗ってどこまでも行ける 「癒える」ときっと「言える」 いままで素直に口にできなかった本音も あの時しまいこんだ感情も ちゃんと夢らしい夢も 恥ずかしがらずに、素直に、言える それが癒えているひと ぼく自身まだまだ癒えていく途中で まだまだ時間がかかるかもしれない でもきっとこれも自転車のような話で 100%信じられたら、その瞬間に癒えてしまっている そんな世界の存在もちょろちょろと感じる
頭を通らずに、手を、腕を通って みんなのいまが入ってきて、さながら自動書記のように わけもわからないままに 感覚的に確かな、つまり「なんとなく」を話していく 体験的妄想的真実がささっていく なんとなく見えたなにかしらが みんなの鏡になって、みんなの声をみんなに届けながら 一緒にあやかしいまやかしの壁を消して、超えていく 同時にお客さんひとりひとりが 振り返ればちゃんと自分の鏡になっていて ひとりひとりがある種、デフォルメされた形で ぼくの部分部分を現してくれていた気がしたり いやぁパラレルにたのしいなぁ そこはそれこそタイ古式的というか あぁ、双方向なんですね〜っていう嬉しい世界
散々喜んでもらいながら 「結局一番嬉しいのは、実は俺なんです」って思う それは癒やしてるんじゃなくて、目の前で癒えていくのを その当たり前だけど信じられない奇跡を 生まれつき持ってる魔法をみんなが使うのを 一緒にいながら、最も身近で見せてもらえるから 癒えること それは可能な夢であること 信じさせてもらえる幸せに感謝でございます
そんなわけで今日はこの辺で 「ukiwaよ、ukiwaのkentaroよ、わが町にも来んか〜い!!」 というあなた、是非マッサージトリップを企画してみてくださいな (もちろん、相談しながら一緒に企画しましょ)
それでは春らしい今日を この寒さを 愛らしい時間を たのしもうと思います ちゃお
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kazehirakukame · 7 years ago
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チネイザンをしみじみ
大雪で大変
雪国は街もひとも慣れっこな雪 everything in snow 東京は毎回雪のたびに都市機能停止しております everything is slow 先日の雪の日の午前中 まだちいさなちいさな雪の結晶が降りはじめた、かな、くらいの頃 近所の公園でちょいとひさびさの50mダッシュ10本 帰り道で延々とこんこんと肺にどやされたものの 風呂入って温まって、それから田園都市線沿いの友達の家に遊びに行ったんですが 夕方友人宅を出る頃には異世界になっておりました たまたま3、4駅離れたところに従姉妹家族が住んでいて、そこに避難 白銀の世界に吐く白塵のような吐息…あぁ寒かった、というかもう痛かった まだまだ道路が凍ってるところ多いので、みなさんお気をつけてね
異世界
さてさて ということで、別の類の異世界、胃世界の話をしましょう ……むりやりだなぁ、とか思わないで ……てか、胃じゃなくて腸なんでしょ肝心なのは、とか核心つかないで なんとなく書いているんだから、そういうこと言わないで (なんとなく書いていると思いますか?ふふふ、信じるかどうかはあなたしd……) 年末くらいから、つまり帰国してから 去年の旅でのあたらしい縁もあって、チネイザンのお客さんが増えている それも都内に出張に行く機会が増えている あらゆる方面のみなさん、スパシーバ いろいろなひとにもちろん受けてほしい いろいろなリアクションもちろん大歓迎 でもやはり、良さを感じてくれると嬉しいんでございます どういうわけか、「広い意味での同業者」って言っていいんでしょうか 個人的に世俗のひとではないと思ってるひと セラピスト、ヒーラー、作家とかのお客さんが最近多い というか、この手の、何て言えばいいんだろう 少数派のひとたち?不器用なひとたち?社会不適合なひとたち? 感度よすぎて苦労もするひとたち?自分殺さず���殺せずに生きてきたひとたち? 直感派のひとたち?理性より感性なひとたち?理屈より体験を信じるひとたち? このひとたちがチネイザンをとっても気に入ってくれる、ということが最近つづいている 感性が豊かだからなのか、ゆえに色々抱えちゃってるからなのか ゆえに身体に起きてる変化に敏感だからなのか どういうわけだか、詳しくはわからないけれど 「でしょ?いいでしょ?やっぱりわかる?さすが」 としか言いようのない、感動の共有が起きていて、とても嬉しい 「ぼくは、わたしは、自分としてはここで挙げられた分類に入らないと思うんですけど チネイザンを味わう資格/感性がないということでしょうか?」 と思ったひとがいるかもしれません そんなことはございません そんなことはございませんが 逆に言うと、ぴんとこないひとはぴんとこないかもしれません、ね チネイザンというものを知って、その話を耳にして 受けてみたいと思った それだけできっと十分受けるべき/受けたらいい流れにいるんだと思いますよ
無念仏の成仏
「無念仏」って既に「仏」じゃん、というツッコミは一旦置いといて 先に進みましょう まだまだ伸びしろの方が圧倒的にあるあたくしにとって わからないことの方が圧倒的に多いマッサージの世界 チネイザンの世界、心身の世界 最近の体感として、チネイザンの「チ」の部分は 「成仏できずに、見えなくなって取り残され無念仏となった感情の顕在化」 をしているように感じています みんな幼少期からいろいろなことを経験して、学んで いいとかわるいじゃなく、その体験からいまの習慣を身につけていて (あたくしも、もちろん例外ではございません、きゃー) 割と多くのひとが 「素直に感じたことを言ってはいけない」 とか、場合によっては 「そんなことを思っちゃいけない」 とかとか、言われながら、歳を重ねてきて 自分の直感(一部、または全体的に)を無下に扱っている その結果どうなるかと言うと 直感=第一の感情がわきあがっても、理性さんが否定してしまう たとえば 「怒っちゃいけません」とかなんとか言われて怒りを否定して育ったひとは 怒りがわいてくると、理性さんが全自動で即時に対処する 「あっ、あなたは悲しみさんですよね、名札が間違ってますよ。『怒りだと勘違いした悲しみさん』と呼んだ方がいいでしょうかね、はい、そうですそうです、あなたです。どうぞ、こちらが正しい名札です。あなたは間違いなく『悲しみさん』ですから、さぁ、新しい名札を付けてください」 こうして、生まれてすぐ怒りは悲しみに書き換えられる 生まれたばかりの怒りは、書き換えの際に捨てられた名札に宿る そして、この名札はこころの、つまり腹の奥底に、その深海に捨てられる 重いおもい暗いくらい海を沈みながら、声も失って、怒りさんは元怒りさんとして無念仏になっていく (あたくしらしくドラマチックに、あたくしらしく長々となってきましたが、ここでやっとチネイザン出てきます) チネイザンを受けて、こころがざわざわしたり、そわそわしたりするのは この無念仏を、この受け入れられなかった感情をもう一度表面近くまで��れてくるなんじゃないかって気がしてる お腹の場所によって、たまる感情の種類が違うと言われていて、その図もある それが本当にその通りなのかどうなのかは正直まだわからない わからないし、別にそれはどうでもいいと正直思っている もちろん一応ちゃんと伝える 「あぁ、ここらへんは不安がたまるって言われてるよ」とかね そのひと言が役にたつこともあるでしょう、否定はいたしません でもそんな受け売りの仮説は、なくたっていいはず だって、本人がちゃんと感じれば、つまり水面ちかくまで浮いてきたそいつを拾い上げて、こべりついたヘドロや海藻をとって、おそるおそるでもいいから、ちゃんとその名札を読めばわかるはずだから その名札を、その元々の名前を呼んであげる ちいさな声でも、かすれた声でもいいから、まっすぐ呼んであげる そうすると、無念は晴れる 認めてもらえただけで、名前を、本当の名前を呼んでもらえただけで、成仏する 名前を呼ぶまでもなく景色として、音楽として、言葉として、いきいきと生き返ることもあるようです その場合はただただ、ちゃんと感じてあげればいい そうすると、特に何か特別なことをしなくても、成仏していく 観察はせずに、傍観はせずに、ちゃんと感じることが大切 そんな気がしております まぁ、そこで拾い上げなければ、名札はのそのそと、またきっと海底へと還っていくのでしょう そんなことを思う最近でございます わかりやすいと思うひと、納得するひと 「何の話してんのこのひと…」ってひと 様々でございましょう よろしいではないですか、よきかな、よきかな
また別の機会に「ネイザン」の方の話もすることでしょう そもそもチネイザンはこんな風にふたつに切り分けて語る必要のないものなんだろうけど 時には、こんな風に表現してみると、わかりやすかったりするのかな わかりやすいかどうかというより ukiwa_kentaroはそんな風に最近感じたんじゃい っていう話ですね 興味のあるあなたやあなたやあなた、つまりあなた お問い合わせくださいませ
それではそれでは あいらゔゆう
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kazehirakukame · 7 years ago
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風邪のよりどころ
立ちションしてたら、北風が 履いてたモンパンツなびかせて 滝のしぶき、ちょろっと��びせたよ
寒くてもできるだけ大地に放尿スティーロを維持しております ukiwa_kentaro本日も赴くままに、綴ってみましょう
さてさて、世間ではインフルエンザブーム、なのかな? フリースタイルダンジョンと同じくらいブームのようですね 進行のUZIが大麻で逮捕されたことで炎上しているんだってね 父親に 「フリースタイルダンジョンのZなんとかってひと、大麻で逮捕だってね」 と言われて知りまして、完全に鼻息荒いシマウマさんの方かと勘違いしておりました アムステルダムでは1970年代からコーヒーショップがあるみたいね、さすが アメリカでも医療大麻だけでなく、嗜好品としても合法になった州が増えてますね 一大産業として、金稼ぐ気満々の企業の参入はちょっとなんとも言えませんが そんな2018年に大麻で逮捕、さすが日本、巨大なパノプティコンですね、風光明媚でございます ざっくりとひるがえって、というか舞い戻って、インフルエンザね 発症したくないですね 東京近辺のひとは電車や職場や学校やスーパーやなんやらで、きっと保菌者には なっているひとがほとんどなんでしょうけどね いやぁ、発症はしたくないですね 最後になったのいつだろう、思い出せないけど、しんどかったのは覚えております
そんなわたくしですが 3日ほど前ですかね、ちょっと風邪っぽいなぁと感じました 家では父親ががっつり風邪ひいてますので、まぁ入手経路ははっきりしてます 10月前半、ハワイで一瞬寒気を感じたことはあったものの 多分コロンハイドロセラピーの影響だったと思われるので 風邪っぽい風邪はひさしぶりでございました デトックスチャーンス♪ 毒素ありがとうございました、またのご来体お待ちしてま〜す といった感じで、身体をクリーンナップ&アップデートするいい機会と捉えて いつも通りの作戦をとります 1. 日に数回、45度のお風呂に入浴する 2. 発酵頼りの食生活 3. 夜早めにちゃんと寝る 今回は、これにプラスで最近ふたたび習慣化したヨーガも加わって まぁいい感じです 国民皆保険制度のある日本では、体調を崩すと みんな病院に行って「御薬」を「御医者」さんに処方してもらうという このお決まりのパターンが圧倒的多数な気がしますが そもそも未病的観点で普段からいい感じに過ごしてほしいし なにかしらの症状が出たら 「あっ、マイボデーがぼくにメッセージを送っている、受信せよオノレ」 といった感じでね、真摯に受け止めてほしいですね なにがこのいまをもたらしたのか そして、身体って本当にアメイジングなので、身体に仕事をさせるのが一番 果たして、あたくしの手法がその手伝いをできているのかの真偽はわかりませんが ��とり人体実験の結果は、ここ数年ずっと良好です ちなみに今日のお昼ご飯は ネギを一本ふんだんにぶち込んだ納豆キムチぶっかけ玄米 豆腐としめじの味噌汁 いろいろ入ってるサラダ 下の2品は父親がこさえたやつを拝借いたしました さて、これからスタジオで練習してまいります 明日はPLAY@新潟GOLDEN PIGSでWHALE TALX 2018年初ライブ 今年はukiwa_kentaroもWHALE TALXもgotokentaroも 全開で全壊で全快でまいります 「まいりました」と自分に言って その直後に「それでは、まいります」と宇宙に言いたい つまり結局ひとりごとですね
みなさん、風邪などひかないよう、お気をつけなすって でももし、ひいたら、せっかくのご縁ですから しっかりおひきなすって
友人の絵本作家、長田真作の『風のよりどころ』とてもよいです まさに風の如く、つかみどころなく、すり抜けられてしまうかも?やも?
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kazehirakukame · 7 years ago
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LGBTZ報告2: リトリート参加者Pちゃんの感想
さてさて、昨日の今日で早速でございます。今回のリトリートに参加してくれたPちゃんの感想をシェアいたしましょう。読んでもらえばわかる通り、Pちゃんは大学時代の友人です。今回ハワイでもいろいろと昔話をしたけれど、ほんとうにあたくしはインプロヴィゼーションなというか、即興的というか、衝動的というか、ズージャーというか、そのときそのとき思うままに会話をしていたらしく、記憶にない発言の、そのひとつひとつがいまの自分が聞いても、素直にうなずける、いい言葉でね 笑 ほんとね、ブレずに生きていきたいなと思いますね。
そんでもって、Pちゃんの読んでて改めて思ったけれど、クレンズに伴う自分の破壊と創造(大げさでかっこいい、けどそんなに実際遠くもない)の時期に、ひとは一度言葉を失うのかもしれないね。ほんと、ハワイからメルボルンまで、しばらく全然何も書けなかった。焦らないでいい。信じて、生きていきましょう、というかみなさんはそれぞれお好きにしていただいて、あたくしはそのように生きていきます。
ではでは、前置きはこれくらいにして、Pちゃんの感想に参りましょう。
Mika Moonの腸のクレンズにフォーカスを当てた感想はこちらから
ukiwaのkenちゃんの感想の下にござい〼
ディレクターズカット版ですので、文字のふるまいといいましょうか、もろもろあたくしと違うところもあるかもしれませんが、そこは統一ははからず、ありのままでございます。
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Let’s Go Back To Zeroと名付けられたハワイ島プナで��リトリート。この旅から帰ってきてしばらくの間、私はうまく言葉がつかえなかった。それぐらい見て、聴いて、たくさん感じてきた。言葉が経験に追いつくのを待ってからこの感想を書き始めた。
思えば健ちゃんは大学で同じ授業を受けていた頃から強烈だった。何がって、私に与える影響が。それは今回の旅でもそうだった。彼の在り方や言葉の選び方・使い方を通して、自分を見つめ直すことになった。これまでの私は頑なになることで自分自身を守ってきたことを知ったし、言葉の使い方から思考を作り出し、くり返すうちにそれを習慣とし、無意識のうちに自分を追い込んでいたことにも気がついた。いかに自分の生活に無頓着だったか思い知った。数日の間、彼と生活を共にしたことはかけ��えのない経験になった。
旅の後半、健ちゃんは今回の旅での自らの役割をエクソシストと言っていた。でもね、本当にそうとしか言いようがないの。滞在中のお世話・チネイザンを担当してくれた健ちゃんと腸内洗浄を担当してくれたMikaさんの2人が、7日間かけて私の中からおどろおどろしいエネルギーを追い出してくれた。それは私が29年の人生で何度も格闘しては敗れてきたものの正体だった。 PTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれる症状、そのもとになった経験。それにまつわる記憶と感情。暗くてつめたいところに追いやられた、重い足取りのもう一人の自分が身体の奥深くに住んでいるのを私は知っていた。でもどうしようもなかった。私ひとりでは対処しきれなかった。もう一人の自分が引き連れる闇を乗り越えようと、これまで何度も挑戦してきた。でもうまくいかなかった。その度に自分で自分に落胆し、そんな自分にまた深く傷つく。何千という屍が積み重なった私の身体の内側は、墓場だった。 2017年に入ってからは、いよいよ私の日常がおかしくなり始めた。自分のたどり着く環境や経験する出来事の展開に既視感を覚えるようになっていた。叶ったと思った望みも、あっという間に姿を変えてしまう。エッシャーのだまし絵のように、同じところをぐるぐる回っているような気がした。その時に私は、もしや…と思った。自分の内側と本腰を入れて向き合わないかぎり、これ以上自分の人生を進めることはできないのかもしれない、と。
冬の間に仕事を辞めて、家の大掃除に取りかかった。家族と話をする機会をたくさんもつようにもした。あれやこれやと奮闘しているうちに、季節は夏を迎えようとしていた。そんな時だった。旅行先の宮古島で健ちゃんと7年ぶりに再会したのは。 小説『アルケミスト』にある‘おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ’という一節を思い出した。健ちゃんとの再会は前兆だった。そしてこの時に生まれた流れが、その年の秋に私をハワイ島まで連れて行くことになるのだった。
ハワイ島に着いた日の夜に1回目のチネイザンを受けた。あまりの痛さに施術の終盤で気絶するように眠ってしまった。悶絶しながら、頑ななもう一人の自分に語りかける。「もう隠れないでいいんだよ、出ておいで」「ほら、健ちゃんが力を貸してくれるよ」痛みで息も絶え絶えだったけれど、屍の山に向かって話しかけていたら泣けてきた。 それにしても痛かった。ただ、この日のチネイザンのおかげで、どうやら墓場の棺桶の蓋が開いたらしかった。次の日からMikaさんによる腸内洗浄が始まったこともあり、棺桶から出てきた人たちはこのあと数日間めちゃくちゃに私の身体の中で暴れまわった。
もう一人のエクソシストであるMikaさんが、腸内洗浄でパラ��イトたちを身体から追い出してくれたおかげで、滞在7日目には私は今までとはまったく違う地平にいた。そしてそんな新境地で受けた2回目のチネイザン。痛いのは同じ。この時も悶絶。でも施術後の感覚が決定的に違った。横になって肩の高さで広げていた両腕は、大木の根のように力強くどこまでも伸びてゆくようだった。脳内に浮かぶ景色がものすごいスピードで変化していったかと思うと、次の瞬間には宇宙空間に漂っていた。地球を見下ろしている。どういうわけか懐かしかった。ここから来たことをいつの間にか忘れてしまっていたのかもしれない。「待たせてごめん」と思うのとほぼ同時に涙があふれた。
もう一人の自分は、もう私の中に還っていた。探さなくてもここにいた。屍の数々も成仏していた。やがて私の内側の景色も変わってゆくのだろう。すると突然「行かなくちゃ」という声が走り抜けていった。何になのか、誰になのか、わからないけれど私はたしかに呼ばれていた。「待っていて。未来で待ってて!」そう応えるだけで精いっぱいだった。
そのまま宇宙空間に浮かんでいると、今年の始めにとても仲良くなったけれど、一緒にいられなくなった大好きな人たちの魂にも再会した。少しの間一緒に月面を歩いてから私たちは別れた。時が満ちたら、また会いましょう。涙でぐしょぐしょになったまま観察をつづけていると、徐々に意識が遠のいていくのがわかった。あぁ、私の旅が終わってしまう。そのことを少しだけ残念に思いながら、ゆっくり眠りへと入っていった。
とまぁ、これが私の旅の感想である。クレンズを始めてから好天反応で体調を崩したとき、健ちゃんは献身的に看病してくれた。気分が落ち込んでいる時も「それは自然なことだよ」と受け止めてくれた。時にはおケツを蹴り上げて気合いも入れてくれた。(あ、比喩ですからね)冒頭でも書いたけれど、Let’s Go Back To Zeroの旅はかけがえのない時間になった。この旅で得たこと、知ったことを自分の日常にどう落とし込んでいくか。それが私の今の最大の関心事。とってもいい感じですよ。
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Pちゃん、最近連絡したところ、「おだやか〜な感覚」で過ごしているとのことでなにより。この場でもあらためて、参加ありがとうね♪
それではみなさん、今日も良い一日を。つまり自分自身を生き切る日でありますようにと、勝手に願っております。
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kazehirakukame · 7 years ago
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LGBTZ報告1: 自分のクレンズの感想
気持ちアロハ〜よりのサワディーカー♪2018年ももう1月10日ですか、今年最初の投稿でございます。個人的には変則な喪中って感じでしたが、みなさんはどんなお正月を過ごしたでしょうか。だいたいみんな胃腸いためつけてた感じですかね?ホッホッホ、それもまた一興、なんですかね。
こちらは、正月らしさを全く感じない三が日を過ごしました。ひとり山の方で寒すぎて囲炉裏と石油ストーブに挟まれたままヨガをしたり、鍋をあたためたり、白湯を飲んだり、本を読んだり、うだうだ書いたり、そのすべての合間や最中にずっと凍えていたり、でも日中は外に出て、日向で本を読んだり、なんかしら書いたり、それはそれで気持ちよく、いい時間でした。第一に寒い、第二に寂しい、第三に悶々とした、トータルで見ると本当に尊い時間でした。直接会ったら詳しい話でも是非聞いてくださいましね。
さてさて、もう三ヶ月前のことになりますか、自身初となるリトリートを主催して、ハワイ島でやってきました、Let’s Go Back To Zero: デトックス・リセット・リトリート。「ゼロに還ろう」「溜めてきた毒素を出して、改めて整えて、自分をちゃんと大事にする時間」まさに名前の通りに濃厚で濃厚で濃厚な時間になりました。どんなリトリートだったのか、何回かに分けて、振り返っていこうと思います。いこうと思います、というか、そうします。
では、まずLGBTZ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、、、えっ!?ゼットって何!?ってなってるあなた、セクシャルマイノリティーの総称を知っていて、かつそれぞれの頭文字が何を意味しているかまで知っていて、とてもグッド♪素晴らしい🎶でも、ここではLet’s Go Back To Zeroの略です。なんかごめんなさい)の一週間前、ぼく自身が行なった腸のクレンズについての感想のシェアからはじめましょう。今回はMika Moonと共に、小腸のクレンズもしました。彼女の感想はこちらから。
この下の感想は、クレンズを終えてまだ間もない頃に書いたものです。いま、三ヶ月近く経って、改めて振り返ってみると、遠い過去のようであり、しかし鮮明な記憶。鮮明だけれどセピアというか淡い色合いに包まれた思い出です。ハワイ島だったから、プナだったから、とことん自分と向き合えたし、とことん集中できた。あの島の持つ強いエネルギーも大きく助けてくれました。揺さぶるような、ふるいにかけてくれるようなエネルギー。十二単で隠しきったつもりの自分がどんどん暴かれていく感覚。あそこであれだけ空っぽになれたから、そのあと大きく物語は動いて、あたらしくて古い自分、蓋をしてただけでずっといた自分、いろいろな自分との出会いがあったのかなと思います。何をはじめるにしても、まず一度明け渡すこと、空っぽにすること、委ねること、信じることが大事だなと再確認。そうすれ��、はじめるも何も、はじまる、もうはじまっていたことに気づく、そういう次元なのかなと思います。話がどんどん逸れるので、クレンズの感想に戻りましょう。以下、日を追って、書いてあります。腸のクレンズ、今後のリトリートの参加を検討しているひとは、参考にしてみてくださいな。
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最初はハイドロセラピーを3日間くらいやって、大腸をある程度きれいにしてから、5日間の小腸クレンズに入ろうか、という計画だったものの、1回目で思いのほか大腸は上々なのでは?ということで、2日目から小腸クレンズに入った——この10月のクレンズに向けて、9月から食生活はかなり気をつけていた。具体的には、肉、魚、米類、小麦類、酒を摂らないようにした。主に食べていたのは野菜、果物、自家製豆乳ヨーグルト、春雨、豆類、味噌、豆腐。 小腸クレンズ最終日に飲んだToxin Absorberをしっかり出すためにはハイドロセラピーを受けた方がいいだろう、ということで翌日にもハイドロセラピーをしてもらった。なので、腸を洗ってもらったのは合計7回、その7日間のうちの2日目から6日目までの間に小腸クレンズをした。
DAY 1
はじめてのコロンハイドロセラピー。家でたまにやっているコーヒー・エネマのおかげか、水を溜めるのは違和感なく溜められたけれど、最初はなかなか出すコツがわからなかった。エネマと違って、ノズルを入れたままの排泄なのでなんとも変な気分。それもそのうちに慣れて出せるようになった。いま思うとまだ最初の2、3日の間は、かなり力んで排泄していた気がする。 左の腰骨の内側あたり、大腸の最後の方を揉まれると最初は少しキリキリと痛かった。5分、10分くらい経つとその痛みもなくなった。揉まれる場所によって張り、痛みなどの感覚が違うのが面白かった。 この日は普通のうんちと同じ色の固形物、液体、あとはパラサイトだという白いかなり小さな粒みたいなもの、それとたくさんガスが出た。終えたあとはエネマと似ている疲労感のより強い感じ。にぶい頭痛。爆睡。
DAY 2
この日から小腸クレンズ(断食。毒素を吸収してくれる粉末をりんごジュースに溶かしたものを1日5回、3時間置きに飲む)に入った。ひきつづきにぶい頭痛。ハイドロセラピーの後半、両足先にしびれのような感覚と冷え——これはこの後もほぼ毎日同じように——を感じた。断食初日から食べないことにはなんの問題もなし。日中にトイレでも快便。なんとなく自分や自分の生き方、未来に自信がなくなっていく。ふわっと先行き不安。爆睡。
DAY 3
寝起きに寒気、扁桃腺が少し腫れて、一瞬風邪かもしれないと不安に。厚着をして靴下、レッグウォーマーをするほどに冷えていた。小腸クレンズの真髄、前日に飲んだパウダーが塊として5回にゅるっと出た。黒緑色で数珠のように腸の形をした塊。塊が出て、しばらく水��けが出て、また塊が出てを繰り返して、「ぜんぶでた〜」という気分に。終わった後の脱力感というか倦怠感が前日までよりも強く、ぐったり昼寝。夜は泥のように眠る。
DAY 4
黒緑色の塊の何個目が出た後だったかは覚えていないけど、ゆっくりコロコロと不思議なものが透明な水に揺られて流れてきた。透き通った薄いきれいな赤色の楕円形のナニカ。500円玉くらいの直径だったかな。あれはいったいなんだったのか。寄生虫図鑑を見るのが楽しみ。前々日あたりからの自信喪失?ネガティブ?のピークだったかもしれない。なにげない助言も否定的にとらえてしまったり、もともと分析的な思考回路だとは思うけれど、自分らしくないほどに不安だった。この頃から身体もどこか力みがずっとあったような気がする。 DAY 5
毎日快調に腸ご開帳という感じでしっかり出ていたけれど、この日は特に出た。それまでの数珠のような形がいくつか出た後、幅が倍はありそうな大きな塊が何個も出た。すっきり感もひとしお。気分はひきつづき落ち込んでいたかな。ぐったり昼寝。この日まで断食はまったく問題なく、特に食べたいという欲もなかった。夜は爆睡。
DAY 6
前日ほどの大物は出ないものの、30年分の小腸の汚れ、パラサイト、エトセトラララが終わりなく出てくる。毎日5回飲むパウダーの分、ちゃんと5個は大きな塊で出て、それがずっと続くことに達成感、と同時に「どんだけ溜まっているんだ」という驚きも。午後にMakuu Marketで色々なベンダーのご飯を見ているうちに「明日から食べていいんだ」と思うと、急に食欲が湧いてきた。食欲が湧いて、さらに活力が満ちてきた。食べるということが喜びだと改めて感じた。落ち込みがちだった気分も上向きに。この日もぐっすり爆睡。
DAY 7
前日が小腸クレンズの最終日だったので、そこで最後に飲んだ5袋分のパウダーを出すべく、洗ってもらった。ご飯も食べられるし、気分も完全にハッピー。でもまだ全部は出ていない感覚。朝はスムージーとフルーツのみ、昼はサラダのみ、それぞれ大した量を食べていないのに、ずぅんとお腹が重く、強制的にお昼寝モードへ。21日間のInternal Cleanseでどれだけお掃除できるか、たのしみにしつつ、はじめてのコロンハイドロセラピー、小腸クレンズを終えた。
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どうでしょう?楽しそうでしょ?笑 こわいと思ったあなた、きっとリセットの、デトックスの、タイミングかもしれません。ふっふっふ。次回はリトリートに参加してくれたPちゃんの感想をお届けします。Pちゃんは参加するに至る流れもとても運命的でございました。乞うご期待。
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kazehirakukame · 7 years ago
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大いなる月ごもり●破壊と再生/生と死
ひとつの枠組みにおける、ひとつの周期が終わります。この一年、縁があったすべての、あらゆる、みなさん、どうもありがとうございました。下半期、いつも以上に沈黙が長く続きましたが、来月のうちにはハワイ島で行なった自身初主催のリトリートLet’s Go Back To Zeroの報告を含め、いろいろとお伝えしていこうと思います。今回は、その前に、ukiwaのkentaroを務めているgoto kentaroの言葉を記そうと思います。今年も一年ukiwaを支えていただいて、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年を。ぴ〜す。
明日は大晦日。二〇一七年最後の日。晦日の大将。晦日は「つごもり」とも読むらしい。月がこもる→月ごもり→つごもり。陰暦において、月が隠れるのがだいたい各月の終わりの頃だからだそう。その年その年、振り返るといろいろな過ごし方をしてきたこの師走の末、一二月三一日が母の誕生日だと知ったのは今年の一〇月三日。ハワイ島へと旅立つ六日前。東京は多摩市の役所で、申請した戸籍謄本の母の生年月日の欄を読んで知った。出生地は渋谷区。昭和三〇年生まれ。ぼくを産んだのは二九歳の時だったことになる。でも母の誕生日も出生地も、たまたま知ることになったいわばおまけの情報で、確認したかった情報の欄には今日、一二月三〇日の日付が記載されていた。今日は世に言う彼女の一周忌。去年の今日、母は亡くなったらしい。六〇歳でこの世を去ったことになる。死亡地は立川市。両親が離婚したのは、ぼくが一歳になる前だと聞かされている。それから一度も会うことも、声を聴くこともなかった。ついに、ぼくはお母さんに会うことができなかった。 幸か不幸か、超人的な記憶能力を持っていないぼくには、母の記憶がない。まったく。なのでぼくの人生にお母さんは存在���ていない。考えようによっては、誰もぼくの人生からいなくなっていないのに、彼女の死を知ってから、ぼくは加速度的に壊れていった。「加速度的に」と書いてある通り、一〇月の時点で、すでに今年は変化、変動、激動の年、確定だった。四月には五年半ほど連れ添った彼女と別れ、五、六月は魂の故郷だと感じているチェンマイで今主軸になり��つある内臓、感情、記憶、エネルギーのデトックスを起こすチネイザンの修行をした。誰よりも自分が困惑し、そして納得もした宇宙の計らいから、ひとりの女性と出会った。昨年末か今年の初旬からなんとなく感じていた「やってくる気がする変化」は、既にぼくを飲み込んでいた。どんどんその水かさは増し、流れははやくなっていく。水面に「HONESTY」という言葉が浮かんでいる。自分自身を生き切る。言い訳をせず、遠慮せず、揺るぎなくたゆたう。その道を、まだ足取りもおぼつかずに歩いていたぼくの前で、揺るぎない歩みを見せ、振り返って手を取り、ひっぱってくれたこの女性にぼくは恋をした。そして、ちょうどこの頃、ソウルメイトだと感じているハワイ島に住む仲間ミカ・ムーンが、腸を洗浄するコロンハイドロセラピーのクリニックを開いた。チネイザンとのコラボレーションのリトリートを一〇月に開催することにした。夏は、涼しい長野県松本市の旅館の灼熱の厨房で、汗だくになって働いた。ハワイ島からオーストラリアへと、恋路はぼくを導こうとしていた。あたらしい時代が早送りのように情緒もなく駆け足で飛び込んできている。下手な嘘のようだけれど、「New Era」という曲も作った。今年は音楽活動も本格的に始動し、他に二曲発表した。地元大宮で、小規模ながらイベントの初主催、九月には東京で初ライブも行なった。盟友annie the clumsyの依頼で、昨年亡くなった彼女の愛犬へ捧げる歌「Paradise」に参加し、天国を想って言葉をしたため、命を吹き込み、録音した。ぼくを宿し、この世に迎え入れた母の死が、これまた弾丸のように飛び込んできたのはまさにそんな時だった。 ハワイに飛び立つまで六日しかない。それまでに絶対にお墓参りに行くことをとりあえず決めた。四方八方を飛び回り、電話をかけまくった。母の死をぼくに伝えた老婦人、母の妹が数十年前に勤めていた病院、葬儀をしたのではないかと思われたとある教会、何度もかけた役所、ぼくの話を聞き、ぼくに話をたくさんしてくれたチェンマイで会ったオーストラリアに住む例の女性、ここにあげたすべての場所、ひとの電話番号に326という連番を見つけた。三月二六日はぼくの誕生日だ。ハワイでのリトリートにつけたLet’s Go Back To Zeroという名前も、名付け親に向かって引力を奏ではじめる。目を瞑れば、腹の上でカーリーが、その軽やかで破壊的なステップの力を増していく。滅多に吹き出物ができないぼくの左頬に、先々週くらいまで居座っていた百円玉大の吹き出物ができたのもこの頃。やっと母の妹と連絡が取れ、母の墓前で掌を合わせたのは一〇月八日。出国前日だった。母の妹ふたりは、待ち合わせ場所ですぐにぼくが甥だとわかったようだった。ぼくと瓜ふたつだと、チェンマイで父が笑われたのは記憶にあたらしい。しかし、ぼくの目は母にそっくりらしい。考えたこともなかったが、あなたのお父さんはあなたを見て、あなたのお母さんを思い出していたのかもしれないね。オーストラリアでそう言われて、ハッとすることをこの時ぼくはまだ知らない。ぼくは笑っていた。でももうぼくは自分が誰なのかわからなくなっていた、そんな気がする。対象も曖昧なままに、実感がないという状態だけで日常が構成され、それでも運命の引力がぼくの行くべき道へと連れていってくれる。そのことに気づかずにただ甘えていた、そんな状態だったといま振り返って思う。 ホノルルの入国審査で引っかかる。別室に連れていかれたのは、実ははじめてだった。根掘り葉掘り、関係のなさそうなもろもろの関係までも一通り聞き出したあと、走ればギリギリ乗継ぎ便に間に合う頃に放り出された。右往左往したあげく、無事に搭乗し汗だくでシートベルトを締めた。イミグレの不安感がはじまりだったのか、母の死の知らせがはじまりだったのか、ハワイ島のダイナミックなエネルギーの歓迎だったのか、いまでもわからないけれど、着いた日から、こころの奥底がずっとそわそわしていた。タンクトップ、海パン、ビーサン姿になっても、だらけて椅子に腰掛けても、床に寝転んでも、身体の喜ぶものを口にしても、ウォームポンドに抱かれても、波に弄ばれても、何をしても、どこにいても、どれだけ充実していても、楽しんでいても、喜んでいても、笑っていても、なにも食べなくても、奥の方がずっとそわそわしていた。そのせいか、何度海に入っても身体が浮かなかった。「古い自分は変化に抗う、その力みかもしれないよ」とケイコ・フォレストは言った。ミカ・ムーンとは、色々な話をした。でも彼女は共有した沈黙の中で、しずかに、それこそ月を思わせる空気をまとい、その空気でぼくを慰めてくれていた気がする。カーティスはいつも笑っていた。笑っていなくても笑っていた。ハワイアンの魂でハグしてくれていた。五日間の断食を含む七日間の小腸と大腸のクレンズ、その後二十一日間の全臓器デトックスをして、身体の中が軽く、空っぽに近づいていく。不安にかられる日が続いたり、活力が湧いたり、食べるよろこびを改めて確認したり、自分の手、その仕事、役割にうなったり、うならされたり、うなされたり、濃厚なひとつきだった。Let’s Go Back To Zeroの一週間、父、伯母ふたり、伯父ひとりが訪ねてきた一週間、そして女神たちの旅のお供をすることになった最後の一週間については、また別の機会に詳しく書くことにする。この期間にあったすべてのひとに、本当に感謝しています。MAHALO。ありがとう。 ハワイ島に着いてからちょうど一ヶ月後の一一月九日の夜、ホノルル空港のベンチで夜をこした。早朝のフライトでシドニーへ、そしてそれからメルボルンへ。不思議な運命が、まだまだぼくを休ませてくれない。古き悪しきLAZINESSとの決別を腹に、素朴で確かで湧き出る恋心が夢見るABUNDANCEとPLAYFULNESSを胸に、南半球へ。常夏のハワイよりもジリジリと暑いオーストラリアの太陽は、ぼくを徹底的にかわいがった。着いて二、三日しか経っていない頃に、樹から落ちて腰を痛めた。それ以外にも様々な予想外に困惑した。どうにかなると思っていたことが、どうにもどうにもならない。落ちつづける恋の谷すがら、その実らなさ加減と落下速度の上昇が化学反応を起こしていく。ぼくはどんどんと壊れていく。壊れていっていると肌感覚で濃厚に、決定的に感じたある日、DEPRESSIONを受け入れたことで随分と楽になった。立ち位置や見る角度をあらため、翻訳につぐ翻訳をこころみたその果てで、実りと輝きを見続ける暮らしを全自動でしていたぼくは、腐敗とぬかるみのにぶい光のかげりの祝福と出会った。HONESTYがこだまする。頑丈な透明の仮面が、その鎧が砕けていく音がした。錨をはずし、帆を張って、しかし舵輪には手をつけない。そんな不確かな航海の不安定さが、この上なく不安で不快で時には腹立たしく、悲しい、しかし同時に心地がいい。なにもかもわけがわからないようだけれど、霧だか霞だか靄だか判別のつかないその膜が、薄まっていくのだけがわかる。それはとてもゆっくりとだけれど。メルボルンでの三人暮らし五週間の日々の街の静けさを思い出す。同居人のオーストラリア人男性ジェイコブと歩いた国立公園の暗闇の森、ヤラ・リヴァー沿いの漆黒のトレイルを思い出す。メルボルンを発つ前日に入った小さく、狭いスウェット・ロッジの入口であり出口である幕を閉めた瞬間に、純粋な暗がりの中で拡張した広大な闇の、その四次元性を思い出す。なにを聞かれても、おもしろいほどに明快な答えを出せない自分のうろたえとその根元にあった星なき宇宙を思い出す。見えない知らない世界が、つまり、あたらしいようでいにしえの大元の自分が、PRIMITIVE FUTUREがそこにいたことを思い出す。 帰国した冬の日本では、寒波に殴られた。どこも落ち着くし、どこも落ち着かない。旅のあとにいつもある、あの違和感も違和感がある。外だけではなく、内にも感じられること。ハワイ島で探すことを約束してくれたものが見つかっていた。父がその存在を一度も口にしてこなかった結婚式のビデオがDVDに焼いてあった。彼とぼくのお母さんの結婚式のビデオ。ふわふわとそわそわの境界で、生まれてはじめて動いている母親を見た。緊張しているからだけでなく、そもそももともと緊張しいなのが荒い画質の画面越しにわかる。「誓います」「目がよかった」の二言くらいしかまともに発していない彼女の、その声にこころが落ち着く。そして、そのことになにより驚き、動揺した。呼吸は浅く、心臓は急いでいる。記憶の中に微塵も存在しない母親の声に、はっきりと聞き覚えがある。ぼくがぼくにわからないように隠してしまった記憶があることを知った。ぼくのどこかに母はいる。そのころのぼくも。母の死を知ったことで、母はぼくの人生に初登場という形で再登場した。そして、決して会うことはできない。これから彼女のことを、彼女との記憶を、そしてその時その時に生まれては、放置されてきてしまった感情のひとつひとつを見つけて、拾って、浄化していこうと思う。そこにはきっと喜びとあたたかさが、そしてトラウマと傷が、境界のない愛憎がシュールに愛想もなく存在している。そのどれもがぼくを育んできたピースなのだから、平等に愛そうと思う。 そんなぼくとゆっくりふたりっきりになるために、大晦日の夜から三が日まで、ゆかりある山の裾野の古民家でひとりで過ごすことにした。こたえがないこと、その自由をつくづく感じる。メトロノームのように揺れていた存在が徐々に中心に、核に、近づいてきている。大いなる月ごもりの日。明日は大晦日、この一年の最後の日。トゥモロ、イズ、ニューイヤーズ・イヴ。最後の日、それはあたらしい年のはじまりの、そのちょっと前。みんなが、あらゆるみんながすこしでも幸せでいられますように。ちょっと早いけれど、お母さん、誕生日おめでとう。そして、この不思議な再会をありがとう。もちろん会いたかったけれど。明日の朝、お墓であらためていろいろと話そう。はじまりを象徴する終わりをまざまざと感じながら、あなたの次の旅路での幸福を祈ることでしょう。めぐりめぐるこの宇宙の流れはつづくようなので、ぼくはぼくを生き切ろうと思う。
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kazehirakukame · 7 years ago
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Choice: what to and what not to 選ぶことは選ばないこと
ひょんなことから 肉、魚、穀物、酒、スパイス(調理に岩塩を使うのはOK)を摂らない9日間 というのをやっています 何を口にしているかというと 野菜、豆類、フルーツ、乳製品、お茶類、ナッツ類、です 今日が5日目、もう折り返し 具体的に、今日は何を食べたかというと 蜂蜜漬けの生姜を入れた自家製の豆乳ヨーグルト 海苔 ドライトマトとその戻し汁で煮たレンズ豆、小豆、春雨のスープ 茹で栗 甘い煮豆 水を呑むだけの完全な断食の時に感じるあのゆったりとした感覚と 頭がすっきりとクリアな感覚はありつつ そこまで疲れきらず なんともいい、静寂です
「さて、お昼なに食べよう」 冷蔵庫を見るひともいれば 八百屋に、スーパーに、お惣菜屋に、コンビニに買い物に行くひともいれば ラーメン屋、フードコート、カフェに入るひともいれば 「今日のお昼な〜に?」 と作ってくれる友達や家族に聞くひともいるかもしれません おまかせなひとは、出されたものの中で取捨選択をします これは食べる、これは食べない これはちょっと食べる、これはお代わりする これはこっそりペットにあげて食べたことにしちゃおう
わたしたちのからだは 食べたもの とりこんだエネルギーでできています どんなエネルギーを自分のからだに入れるか、入れたいか 何気ない日常の選択の積み重��が、自分を作っていきます その自分=からだが、ぼく、オレ、あ��し、あたくしなどの つまりあなたを作っていきます 自分を作り上げていく日々の行動の中でも食事は特に重要な選択 Let’s Go Back To Zeroの期間中 せっかく綺麗に掃除していきますから、必要なものだけを入れていきたいですね からだが喜ぶものを選ぶこと それは自分を苦しめることを選ばないことでもあります 日々の暮らしの中に溢れている要らないものを手放すこと そうすると、あるべきものは逆にスペースを見つけて 自然と入ってきてくれるかもしれません
Community: dependence 頼るということ
先日、家の大掃除をしました 家中の大掃除をして、そのまま案の定、自分の部屋は模様替えになりました 最初はただ整理をしていたはずなのに、ふと自分の声 「窓際で寝たいなぁ」 その時は自分の部屋にあるふたつの窓の前には 低い本棚とソファがそれぞれ陣取っていました 三段の桐ダンスが片方の窓の近くにあるため、地震のことを考えると ソファをどかしてもその前に寝るのは得策とは言えません でも、どういうわけかどうしても窓際に寝たいって言うんです、自分が 結局部屋のすべての家具を動かして、思い通りの配置にしました 新しい部屋に出会ったような新鮮な気持ち 部屋に流れるエネルギーも明らかに違います 新しい住処を手に入れたヤドカリもきっとこんな気分でしょうか しかし、ひとつ困ったことが。。。 桐ダンスを一段と二段にバラすときに、背中を少し痛めてしまいました 自分である程度はメンテナンスして、普通に暮らす分には問題はない でも数日後からライブが珍しく3つも入っている
信頼している友達のカイロプラクティックのセラピストに連絡をしました 早速予約をして、施術を受ける ズレた部分を整えてもらって、お礼とお代を渡して家に帰ります 自分でやることを選ぶこと それは、自分でやらないことを選ぶことでもあります 自分でやらないことは、信頼できるひとを頼ります それがコミュニティというベースの持ち方 なんでも専門家に任せるというのは個人的には好きではありません、実は というか、割となんでも自分でやりたいだけなんですけどね ぼくが百姓(百の仕事をこなすひと)に憧れているのを知っているひともいるかもしれません でもひとりで全部はできません おいしいご飯も、おいしい野菜も、おいしい果物も もしかしたら自分で作れるかもしれません でも車は作れないし それこそハワイ島に行く飛行機の設計、製造、運転 その全てがぼくにはできません 感謝感謝 日々の営みにすべてがほかの誰かの仕事で成り立っています
ぼくはぼくのできることを 残りはみなさんに、おまかせします Let’s Go Back To Zero:デトックス・リセット・リトリート 開催まで22日 あなたの周りで、もしかしたら行きたいというひと、必要なひと いるかもしれません どうぞお知らせしてくださいな
よき縁がよき縁を呼びますように
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kazehirakukame · 7 years ago
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Lesson Of Impermanence 無常の���え
最近毎日チネイザンをしています 毎朝、チネイザンをしています 今週月曜から一日ひとりか、ふたりチネイザンをさせてもらっていて あらためて思いを、想いを、おもいを馳せる 痛いって、なんなんだろう 痛覚は、その使命は、なんなんだろう そのうちのひとりがくれた感想の抜粋を引用します
初チネイザンを受けて 東京都38歳女性
あんなに痛かったのに今となっては夢だったのかとさえ思える不思議
腸をマッサージしているのに自分の弱い部分(腰、足の付け根など)が痛む つまり痛みの根本はそこではなくお腹だったのかも?と思ったり
逃げ出したいほどの痛みと向き合う時間は たびたびおそってくる陣痛の強い痛みに耐え いきみ逃しをしている時と似ている感覚
手足と顔のしびれ(マッサージする場所によってしびれる場所が違った) 麻酔にかかったような感じ つる一歩手前
終わった後の深い睡眠の中で 短い間だったけど優待離脱のような初めての感覚があった 自分の身体から自分(魂?)が浮いた
チネイザンはマッサージを超えた不思議な体験です 自分の中の無意識(もちろん意識のも)な悲しみ不安怒りをひたすら 一手に引き受けてきてくれた私のおなかちゃん、ありがとうね がんばってきてくれたのだなぁ
「逃げ出したいほどの痛み」 「陣痛」 「つる一歩手前」
などなど、ビビっちゃいそうな言葉がたくさんあるね ひとによっては、状態によっては、そこまで痛くないことも もちろんあります でも、逆に言えば、状態によっては、それだけ痛いこともあります
痛いのに、なんでやめないのか 痛いのは悪いことではないのか どうおもいますか?
施術を終えたぼくと一緒に どこへともなく消えていく痛み ぼくがいなくなっても、居残りで、もくもくと 粛々と 役目を果たすまで存在する痛み その居残りさんすらもちろんそのうち消えていきます
チネイザンをはじめて受けたときの壮絶な感覚 はっきりと覚えています 三週間みっちりお腹を揉み、揉まれ続けたあと おなじセラピストの施術を受けてみると まるで感覚が違う 無常です 消えることなんてないと思った確固たる痛みさえ ちゃんと無常です、流れていきます アリガタヤアリガタヤ 痛み、なんなんでしょうね、ほんと でもその痛みが消えるところまでいってみたい ぼくは個人的にはそう思っています
Pain…What Is It? 痛いって、なんなんだろう
ありがたいことに、なんだか 困ったことに、なんだか どうやら世界には“わざわざ分けるとしたら”ふたつ 異なる類の痛みがあるような気がします (ここには以前お話した 「わたしたちの『からだ』こそを『自分』とする」 という前提があり 「自分らしい生き方を全うすると心地よい よってそうあるよう望む」 というぼくの個人的な価値観を元に考えています)
・ 避けていい痛み ・ 避けては通れない痛み
前者は、たとえば 自分に合わない服を着たり、靴を履いたりして、起こる肩こりや靴ズレ 自分に合わない環境に身を置くことで生じる、鬱などの精神的な患い 暴飲暴食による内臓機能の低下、それに伴う心身の不調 などでしょうか 労働環境が大きく影響することがまず考えられますよね 意義を見出せない仕事、とても誇れない会社で “そうするもんだから”とネクタイを締め、夏でも革の靴を履き “仕事の延長”として何倍もお酒呑みながら揚げ物ばかり食べる飲み会に出る そんな三重苦とでも言いたくなるような生活をしていたら 愚痴が多かったり、諦めがちだったり、するかもしれません 極端すぎる例でしょうか(それが楽しいひとは問題なしですねもちろん) それとも周りを思い返すと、自分を含めて思い当たる人がいますかね
後者はというと
大好きな登山の最中の疲労や節々の痛み、足の指のまめ 目標とするアーサナをとるための日々の鍛錬の返しとしての痛み 素直に想いを伝えたものの、成就しなかった告白の悲しみ、落胆 夢を不器用に生きる画家の売れない下積みの日々の苦悩 などがそれにあたりますかね 共通するのは、「目標」や「夢」、「願い」がその痛みの先にあることです 逆に「その痛みを避けては、たどり着けない境地がある」と言ってもいいかもしれません 疲労困憊の登山家は山頂で、下山したあとに温泉で はたまた���場を超えたあとのテント設営中に 人知れず、本物の笑みを浮かべているかもしれません ヨガ修行者は、自分のからだと向き合う日々の先に 大いなる呼吸を手にし、目標だったアーサナのことなど忘れて輝いているかもしれません 成就しない告白の後、ひとしきり苦しんだ誰かは 想いを伝えるまで、信じたい未来を信じた自分を前より少し好きになっているかも 売れない画家は、売れない過去の自身の作品の山を見て、ため息をつきつつ、どこか惚れ惚れもしつつ、それでもまた筆をとるのでしょう それは悲劇でしょうか、喜劇でしょうか 奇跡でしょうか
Guide Of Journey Through Pain 痛みを通り過ぎる旅路を導く
自分の至らないタイ古式マッサージやチネイザンの施術で被らせる痛みを もっともらしい美談にしたててしまおうということではありません これはセラピストとしての自分のいまのあり方 そのひとつの表明とも言えるかもしれません
不必要な痛みは生まないように、細心の気配り、身のこなしを心がける 目指す境地=本来の自分らしい自分=元の状態のからだへ向かうとき 避けては通れない、必然の痛みがそこにあるのなら ぼくが逃げることは決してしない 逃げないあなたのすぐ横で、一緒にいる もしあなたが逃げると決めたらば、ちゃんと一緒に逃げる 逃げそうになる自分の背中をあなたが押してほしいときは、そっと しかし力強く押そう そこには信頼関係しかありません 信頼関係の上でしか、この美しい行為は生まれません 信じ合うなかで、ぼくはただぼくの内なる声を聴いて 瞬間の即興劇に身を投じるのみ 自分もあなたもcontrolしようとは思いません (またMika Moonのブログの古い投稿から素敵なものを見つけました すぐに動かしたくなるクセ)
一昨日も、昨日も、今日も チネイザンを受けて、脂汗をかきながらも 必死に呼吸に集中してくれたあなた お腹の施術を終えたあと、肩や頭を触るうちに深い眠りに入っていく 目が覚めたあとに携える表情もさまざまです 「こんな痛いはずじゃなかった」とヘロヘロで笑うしかないあなた 「やっぱすごい、これこれ」と納得しながら目がキラキラしてるあなた 言葉にならない不思議体験に圧倒されつつも、愛が満ちるあなた どのあなたのことも愛していますし、大切です でも結局のところぼくはあなたにはなれない だからこそ、あなたの信頼を一身に受けて、ぼくは手を引いてゆこうと思う ぼくの信頼を一身に受けて、唯一無二のひとつひとつの息を 必死に放ち、迎えるあなたのとてもとても深いところへ
You Have Me お世話になるとき
リトリートのいいところ それは「ひとの世話になる」ことです 「お世話になります」の世話ですね からだは「自然」ですので 「自ずから然る」ものですから 本来ちゃんとあるべきありように戻る力があります しかし、いま多くのひとの暮らし向きは 自然���はありませんので、このリトリートのように 機会を設けて、リセットする必要があると思っています そのリセットはいわば年末の大掃除 とてもひとりでこなせるようなものではない もし、ひとりでやろうものなら倒れてしまいそうなほどに あなたのいまは、いまのあなたは疲弊しているかもしれません (そうじゃないならば何より、あっぱれなことですが) だからこそのリトリート デトックス、リセットという大仕事に集中できるように ガイドとして、そこにぼくがいるわけですから 頼れるところは存分に頼って、自らの役目を気持ちよく 全うしてくださいな ご存知の方もいるかもしれませんが タイ古式マッサージは「なまけもののヨガ」なんて呼ばれ方もします でもヨガ修行者にタイ古式マッサージ好きが多いのは 楽ができるからだけではないんです 「ヨガだと、ひとりだとどうしても伸ばせないところが伸びる」 と言ってくれたひともいますし 「からだをあずけられるから、その分だけ呼吸に集中できる」 と言ってくれたひともいます Let’s Go Back To Zero:デトックス・リセット・リトリート このリトリート自体に タイ古式マッサージ的な精神が宿っていると思ってください 信頼の循環が魅せる旅路は どこまで深くあなたを、ぼくを連れていってくれるでしょうか
散々言っておきながら、最後にひとこと 「期待はしないこと」 うちなる声にただ導かれて、お気に召すままに Be Here Now その結果、ハワイ島でお会いすることになるのなら そのときは、満面の笑みでalohaを歌いましょう
最後にチャーミングなMika Moonのひととなり 七年も前ですが、彼女がこんなことを書いています わたしと深く付き合うことになるかもしれないあなたへ。。。 タイトルに感じるやはりな確かな縁、ほんとなんだろうねぼくたちのつながりは いま見る自分はどんなだろうね、mikaさん
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kazehirakukame · 7 years ago
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Moon Water Colon Hydrotherapy ft. ukiwa Let’s Go Back To Zero: Detox Reset Retreatに 参加することになるあなたへ
Empty Space Blessing おなかをからにすること
Let’s Go Back To Zero: Detox Rest Retreatを企画してから、自分と向き合う時間が前よりも濃くなっている気がして、とてもうれしい—ちなみに、ひらがなもカタカナも漢字もどれも本当に好きなんだけれど、漢字の成り立ちを思って笑顔になることがよくある。「嬉しい」の「嬉」が「女」「喜」からできていることがうれしい。ニュージーランドのマオリのひとたちは、スピーチなどをするときは必ず歌を歌う、そしてそれは女性が歌うんだって、2008年に北海道で開かれた先住民族サミットアイヌモシリにボランティア通訳として参加したときに大きなマオリのおじさんから聞いた。そんなことを思い出す。Mika Moonとはじめて会ったのはそのとき、2008年の北海道だった。そのサミットのことを教えてくれたのも彼女だった。
自分と向き合う時間の中で、彼女のこともよく考える。なんでぼくは彼女とハワイ島で「おなかとことんからっぽツアー」のようなことをするんだろう。今日も彼女の昔のブログからこんな素敵な投稿を掘り出した。おなかをからっぽにすることと、感情の揺らぎについて書いてあるとてもいい話。「fastingとdeep emotional swings」是非これも前回の「let go」と合わせて読んでほしい。
Stay Together With Emotion きもちとともにいること
昨日は朝から様子がおかしかった。なんだか身体が重かった。振り返ってみれば、前日、ここ最近にしては食べた量が多かったなぁ、なんて思ったりもしたけれど、それでも大した量ではないし、どれも軽いものばかり。こころの方から来ている。そう思った。重いし、集中できない身体なのに気持ちはふわふわしていた。不思議な日。最近ではめずらしくすごく眠たくて、昼寝をした。昼寝をしてもすっきりしない、不思議な日。夜、あるひとに電話で知らされたとあることで、どうやらこころがちいさく、とてもしずかに揺れた。波紋のように拡大していくさざなみ。心配して、大丈夫?動揺してる?と何度も聞いてくれた。聞いてうれしい話ではもちろんないけど、うん、大丈夫だよ。その度にそう答えた。大丈夫だった、はずだった。電話を切ったあと、まだすごくふわふわしていた。でもそれはたしかな高揚だった。むしろ有頂天になっていたかもしれない、おかしなからだだね、こころだね。うつくしさに魅せられて、宇宙の虜に、宇宙の手のひらの踊り子に、なっているだけだと思って、ふとんに入った。夜はだいぶ寒くなってきてるけれど、窓を閉めておけば大丈夫。裸で眠った。いつもより数時間早く目が覚めた。からだは冷え切って、こころはざわついてる。あたまも、こころも、からだも。早朝だったし、静けさが綺麗だったから数週間ぶりに坐って��た。嵐ですね。ものの10分も坐れなかったと思う。またふとんに入って丸くなる。この感情はどこからきているのか。あなたの名前はなんだろうね、ざわざわな感情さん。お昼前にひとり、女性にマッサージをして、近所の公園で本気で走った。最近はジョギングじゃなくてダッシュにハマってる。乱れる呼吸とほとばしる汗から余計なものが抜けて、気分がよくなるし、からだも調子がいいから。脚も重いなぁ今日は。汗をかけば、気合いを入れれば、いつもなら変わりそうな気分も今日は変わらない。マッサージをする前に、今朝は気分が沈んでるから、走って気分を上げてみようかなと言ったら、気分を変える必要なんてない、ありのままを感じてあげたらいいじゃない、と昨日電話で話したそのひとはすぐに返事をくれた。よし、今日は断食をしよう。とことんあなたに寄り添ってみるよ。
No Judgement いいもわるいもなく、そのままを受け入れる
だんだん見えてくるもの、聴こえてくるものがある。からっぽのおなかは、自分の声を、ちいさな声も、逃げたり隠れたりしようとする声も、やさしく手を引いて連れてきてくれる。そんな風に感じる。みんな生きてきた道が違うから、その方法は様々だけれど、ほぼ間違いなく、みんな習慣的な自己防衛が反射的に自然と発動する。これはきっとからだの仕業。昨夜からのこの感情のエトセトラというかハマヤラワは、どうやらその自己防衛と関連していそうだなとわかってくる。小さかった頃、生まれたての日々、まだお母さんの子宮の中にいた頃、いつ身につけたのかは知らないけれど、世界はそんなに辛辣な場所だったのかしら。でもいま、ポジティヴとネガティヴに良し悪しはないこと、そもそもその二元論が野暮で実は破綻してることをぼくはもう知ってる。だから、自分に、ざわざわなななしさんに、言ってみる。大丈夫だよ、ちゃんと大事にするから、分かれないで平気だよ、還っておいで、もともとひとつだったんだから、また一緒にいようよ。だいじょうぶ。
Watch Yourself Gently, Hugging 自分をだきしめて、やさしく見つめる
家族、友人、恋人、知り合い、知らないひと、家、学校、職場、遊び場、街、道、いろいろな状況で、生き抜くために、その場を成立させるそれぞれの処世術は、きっとぼくを、あなたを、助けてきてくれたでしょう。程度はひとそれぞれだろうけれどね。でもそれがとてももう機能していないひとが最近よく目に止まる。ぼくのはきっといいんだかわるいんだか、順調に機能しているんだろうけれど、そのあり方がこれから劇的に変わっていくのを感じる。ぼく自身、ハワイ島で自分に起こる変化、その色濃い気配に鳥肌がたつ。2017年はすごい年になると思っていたし、上半期だけでも壮絶だったけれど、下半期はさらにそれが螺旋状に加速していくのを感じる。ちゃんとついていけるかな。��くぞくとわくわく。シンプルなこと。ぼくがぼくであり続けること。生まれ変わってもこれはぼくだと、自分だと受け入れること。
Retreat is リトリートとは
からだもこころも、シンプルだけれど、生半可じゃない。医者が処方する錠剤を飲んだり、点滴を打ったり、わるさをしてると決めつけられた部分を摘出したり、ほとんどのことはそれでは解決しないと思う。もちろん、きっと楽になることもある。助かることもある。でも解決はきっとしない。癌は腫瘍じゃなくて、体質のことだと聞いたとき、とても納得したのを思い出す。悪の大魔王を退治すれば世界が平和になる—このうつくしく複雑な宇宙は、ひとのからだは、こころは、そんな安いドラマみたいな作りじゃない。もっと本当に、ほんとにドラマティック。自分ととことん向き合うとき、というのがきっと誰にでも訪れる。何度訪れるかはわからないし、そもそも日々ちゃんと向き合っていられるのがなによりだけれど、異常なまでに、イカレてると思うほどに、強烈に向き合うときがそれでも必要だと思う。必要というか、そうしないと進めない道があるように感じる。日々の生活に追われながらも、自分を見失わないためには、ちゃんと自分をわかっていないといけない。自分の手をしっかり掴んで、自分にもしっかり握り返してもらわないと、気づいたらまた濃くなった霧の中で、なんだか寂しくなってる。変化の時は、しかるべき場所で、しかるべき時間を、しかるべき方法で、過ごすとやってくる。それがリトリートだと思う。自分を元に戻すために、ちゃんと自分を大事にすること。
Be It Yourself ただ、自分でそうある
このリトリートが始まる前に、ハワイ島プナでぼくは自分自身のリトリートをする。リトリートを主催するからではなく、ただそうしたいから。自然な導きに身もこころもを委ねて、からっぽになって、Mika Moonといろいろな話をして、みんなが来る日まで、プナと自分のチューニングをすることになると思う。そんな素敵な日々のあと、素敵なぼくで、みんなのリトリートのガイドをしようと思ってます。みんながみんな、素直に自分らしく生きられるのが、当たり前だけどいいよね。いますでに心地よく自分を生きているあなたはブラボー。そうじゃないあなたもブラボー。Let’s Go Back To Zeroが気になってるあなたももちろんブラボー。いま抱いてる感情がなんであれ、その気持ちと一緒にいてくださいな。ぼくは、そうしてみようと思って、そうしてみて、とてもいまいい感じです。ざわざわしています。おなかをからっぽにして、あたまも、こころもからっぽにして、その余白に、空白に、空間に、いろいろ教えてもらおうと思います。からっぽ、何もないということ、それはやっぱり、祝福だと思う。
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kazehirakukame · 7 years ago
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Moon Water Colon Hydrotherapy ft. ukiwa Let’s Go Back To Zero: Detox Reset Retreatに 参加することになるあなたへ
自由であること それは変わりつづける自分に魅せられること
“Let’s Go Back To Zero”にDetox Reset Retreatというサブタイトルをつけた。デトックス・リセット・リトリート、その中心にあるのはリセット: 元に戻す、直すこと。今日は、ぼくの話をしようと思う。
もともとよく言われることだけれど、今年は特に言われるなぁと最近思っているのが、自由だね。自由であることは、ぼくにとって確かに、とても大切なことみたいで、自分で服を選ぶようになった頃から、好んでオーバーサイズのものを着ているのは、きっと太っているのを隠したかっただけではないと思う。いまでもぴったりしている服はあまり持っていない。どうしても落ち着かない。ストレスなく動けないと、どうもだめらしい。
ぼくの大好きな映画”Easy Rider”の中で、特に好きなのがこのシーン。肝心なところをざっと訳すと「個人の自由について語ることと、自由な個人であることは全く別のことで、自由であることは難しいし、自由な個人を見ると、ひとは恐怖する」といったところでしょうか。ぼくは雄弁に自由について語れなくてもいいから、自由でありたいと思う。正しい理論ではなく、圧倒的な感覚に突き動かされて。
でも今日は、久しぶりにつらつらと、いま思う「自由であること」について書いてみる。それがぼくの話をすることになると思うから。これを書きながらぼくが強く願うのは、ここに書かれる「ぼくにとっての自由」をいつか読んで、「こんなこと思ってたんだね、おれ」と笑いながら思えること。自由であること、それは瞬間瞬間を生きること。常識や他人や、自意識だけじゃなくて、自分の培ってきた価値観にも経験則にも縛られずに、直感に突き動かされることを許せること。なんとなく、と、ゆるぎなく、そのどっちでも絶対的にある不思議な縁を信じること。保証のない、見えない先に、鼻歌と共にスキップしていくこと。精一杯、生きること。変わりつづけること。その変化にドキッとして、わくわくすること。
自由であること それは手放せること
自由であれば、同じ場所にいようとも、旅を続けていくことになる。Mika Moonの過去のブログをなぜだか急に読みたくなった。覚えていて読もうと探していた投稿だったわけではないけれど、「あっ、これ」とすぐに再会した。 let go ただでさえ長いぼくの投稿のあとに読むのはきっと体力がいるから、なんならいま先に読んでみて。彼女はぼくの文章も、詩も、とても好きだと言ってくれる。そして、ぼくも彼女の連ねることばに何度も魅せられてきた—響きあういい仲だな、ほんと—自由であること、それは縁を生き切ること。始まった縁をちゃんと生き、終わった縁をちゃんと切り、また次の旅に出ること。生きていれば、ひとは何かに愛着を覚え、とどまり、向き合う。仕事でも趣味でも友人や恋人、家族との縁も、住む場所も。生涯つづく縁もあるだろうね。同じように、生きているうちに役目を終える縁もある。縁が終わるべきときに、ちゃんと終わらせられるひとは、なかなかいない、かもしれないね。自分を振り返っても、その難しさは身に覚えがある。花と縁は同じだ。咲いている間のそれをだけ花と呼ぶ。ただただ枯れてしまえば、散っていくし、腐ってしまえば、還っていく。でも、押し花にできたら、できてしまったら—おもいでのなか—味わいを変えながら、美しいまま、かもしれない。縁の数だけ押し花を作っていたら、鞄ひとつでは収まらない。少しの間、押し花に宿る時間を愛でたら、さようならをすること。自由であるとはきっと、そういうこと。とても勇気のいること。もうそこにはとどまらないこと。
自由であること それは余白に祝福されること
昨日9/1は月初め、映画の日。”Patterson”という映画を観てきた。観てほしいから詳しくは言わないけれど、主人公はある辛い別れを、突如、経験する。当たり前に、そこに囚われる。そして、ある縁に助けられて、自由を見つける。とても詩的で、静かで、美しい映画なので、是非とも観てみてほしい。
縁の終わり方も色々ある。必ずしも自ら望んで手放せるとは限らない。奪われたり、壊されたり、突然消えていってしまうこともある。受け入れられないこともある。信じられないこともある。でもその終わりをちゃんと感じられたとき、空白が、真っ白なノートのように、プレゼントされる。音もない、寂しげな贈りものだけれど、ぼくはそれを祝福だと思う。
自由であること それは常に、いま、ここ、で自分でいられること
Let’s Go Back To Zeroに込めた想い、それはかろやかに、自由になろうよ、という提案といってもいいかもしれない。続けてきたパターン、無意識に宿るトラウマ、刷り込まれた常識、古傷が自動でする誘導、周りへの遠慮、自分で可能性を制限する自主規制、そういったものを手放して、オリジナルな自分に還ると、世界はまったく違う表情を見せてくれるかもしれない。そしてきっと、ぼくたちは、ぼくは、その世界に魅せられて、感動する。
ぼくが出会ってきた自由なひとは、”Be Here Now”と言う。そして、そのひとたちに魅せられながら、でも覗いているだけのひとは”Here And Now”を語る。似ているようで、全然違う、自由であること、と、自由について語ること。だからこの投稿の終わり方は決まってる。予想もできない自分の変化に怖気づくどころか、わくわくしよう。お世話になった縁には感謝して、さようなら。あたらしい真っ白なノートに何をかこうか。過去も未来も、それはそれで勝手にやっていただいて、いま、ここ、にいる。Be Here Now、そして、Let’s Go Back To Zero—自由へ、自分へ、還ろう。ぼくはぼくに、あなたはあなたに、そう言ってあげよう。
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kazehirakukame · 7 years ago
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Moon Water Colon Hydrotherapy ft. ukiwa Let’s Go Back To Zero: Detox Reset Retreatに 参加することになるあなたへ
Body is Origin すべてはからだから
2011年の5月、何日だったかまでは覚えていません。その日、父とMika Moon、そしてわたしの3人は、San Franciscoから当時彼女が住んでいたOregonのEugeneへ車で旅をしていました。もうOregon州には入っていたでしょうか、暗かったように記憶しています。ハンドルを握るわたしと隣に座っている彼女はいつものように話をしていました。父は聞いていたのか、眠っていたのか、外を眺めていたのか、後ろで静かにしています。わたしたちはいつものように、当たり前にspiritについて話していました。具体的な話の流れは覚えていないのに、はっきりと覚えていること、それは「spiritが身体に影響を及ぼす」というよりも、「身体がspiritに影響を及ぼす」という視点について話し合っていたことです。それは「自分はいったいどこに宿っているのか」という問いでもあります。
Who is Driving Who? 言ってるのか言わされてるのか
spiritであったり、mindであったり、egoであったり、consciousnessであったり、そのどれでも、またはどの組み合わせでもある意味構いません。わたしたちは「自分」と呼んでいるそれら、言い換えれば「自我」や「自意識」といったものが日々の暮らしの中で、あらゆることを考え、選び、行動、つまり身体を動かしていると思っています。はたしてそれは本当にそうなのでしょうか。わたしたちの自我や自意識がドライバーで、わたしたちの身体は乗り物なのでしょうか。もしかしたら、わたしたちの身体がドライバーかもしれない、そう思ってみるとどうでしょうか。空腹や睡眠不足で考えが変わる。月経の周期で気分に波が起きる。疲れのあまりあとあと振り返ると不思議でしかない行動をする。酔っ払って別人のような言葉を使う。「人格が一致しない」とでも言いたくなるような変化が実は身体の側から起きていることを、わたしたちは経験しているはずです。
わたしたちの身体は常に、微細なものから強烈なものまで、あまたの感覚を覚えています。感じ続けているわけです。特に微細な感覚は、より大きな刺激によって、感じていることにも気づけないことが多々あります。音楽を止めてみたら、車のエンジンを止めてみたら、テレビを消してみたら、外で風が吹いていることに気づく。庭の樹を撫でて、葉っぱ同士がこすれ合ってじゃれている音が聴こえる。そんな経験が誰にでもあると思います。わたしたちの身体の内側でも、常に身体は—わたしとしてしっくりくるように言い換えると、常に身体、つまり自分は—なにかしらを感じ続けています。そして、すべては、からだから始まります。なぜなら、すべての始まりは、から、だから��す。まず感覚が起き、そして思考が生まれる。自分=自我が考えていると思っていたあれやこれも、実は自分=身体がそう仕向けていたかもしれません。そういう意味で、わたしは身体のことをこそ、自分と呼びたいなと思います。
What if Your Body, What I Call “Yourself” is Out of Their Mind? 貧すれば鈍する
——もし「自分」=身体が正常でなかったら?
仮にわたしが妄想する通り、あなたをあなたの身体が動かしているとしたら、あなたの身体がどういう状態なのか、急に気になり出しませんか?怒りのあまり思ってもないことを口にしてしまう、それと同じように乱れた状態の身体が本来なら考えもしない方向へあなたを導いてしまうかもしれません。わかりやすいのは飲酒並びに喫煙を含めた食生活、そして睡眠の習慣です。暴飲暴食をしていた時期がもしあるとしたら、どうでしょう、その時のあなたはどうでしたか?昼夜逆転の生活をしていた時期があるあなたは、どうですか、その時のあなたと今のあなたは違いますか?太陽と月のサイクルで生活していた「過去」と無理のない、身体にあった食生活をしていた「過去」がある、つまりいまはそうではないあなたは、あの頃といま、比べてみてどうですか?
いつそうだったのかも思い出せないかもしれない、フラットな「自分らしい自分」は、その基礎に「あるべき状態の身体」を必要とすると感じています。自分と呼びたいspirit、mind、ego、consciousnessに還るために自分と呼ぶべきbodyをあるべき状態に戻す。Let’s Go Back To Zero——だからこそわたしはこのリトリートにこの名前をつけました。Body is Origin——すべてはからだから。
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kazehirakukame · 7 years ago
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Let’s Go Back To Zero: Detox Reset Retreatに
参加することになるあなたへ。
  “Follow Your Sensation”
【自分の感覚を信じて生きる】
今回はこのリトリートの要であるわたしたちについて、話そうと思います。 コロンハイドロセラピストのMika Moon、チネイザンとタイ古式マッサージ、デイツアーを担当するわたしkentaro、このふたりが出会ったのはちょうど10年前の10月、あなたがこの文章を読んでいるここ、インターネットの世界でした。1年後には北海道で、その3年後にはアメリカ西海岸で、またその後には日本の埼玉で、わたしたちはところを変えながら、語り合い、���ライヴをし、海を眺め、流木を集め、土を盛り、焚き火を囲み、そして何より共鳴してきました。家族であり、ソウルメイトであり、同じ民族とも言いたくなります。でももし、ひと言で言うならば、わたしたちは「同志」だと思っています。世代も出身も性別も育った土地もまったく共通項のないわたしたちですが、揺るぎない共通点があります。それは数奇な旅をさせてくれながら、わたしたちを現在のお互いのライフワークに導き、そして必然的にこのリトリートが生まれたと感じています。
わたしたちを繋ぐ共通点、それは「自分の感覚を信じて生きる」という揺るぎない人生への態度です。往々にして理由もわからずに、周りから見れば意味のわからない選択をしながら、しかし当の本人は不安もなく、確実に宇宙に導かれている感覚で、なかなかに稀有な人生をお互いに生きてきました。わたしたちは思想ではなく、身体の声を素直に聞いて生きています。どうやらそれは簡単なことではないようです。それぞれの職において、実は最も大切だと私が思っているのはこの人生態度であり、そこから生まれるかろやかなスピリットと空気です。タンポポの綿毛が空を舞い踊るように、笑って生きているわたしたちだから伝播する、伝染する磁場やエネルギーがあると思っています。それはコロンハイドロセラピーもチネイザンもタイ古式マッサージもデイツアーも、なんでもない時間も含めて、このリトリートのすべての根底を貫く大地となり、音楽となり、ともしびとなって、あなたを包むものだと信じています。
Let’s Go Back To Zeroという名をつけたこのDetox Reset Retreatは来るべきひとを引力のように揺るぎなく、当たり前にやさしく誘っているのをすでに感じています。自分の核で振動して、感動して、生きているわたしたちふたりだから生み出せるリトリート。でもわたしたちは実はその全体の半分の役割しか担いません。あなたがそこに共鳴しているとしたら、あなたが残りの半分の役割を担います。正確に言えばあなたはそのひとりです。ハワイ島プナで会う日を楽しみにしています。
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kazehirakukame · 7 years ago
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デトックス・リセット・リトリート
2017年10月18日より1週間
ハワイ島プナで開催する「おなか」をまつるリトリート
Let’s Go Back To Zero
FBイベントの詳細にあるのは要約
今回のリトリートに対する想い、こちらが全文です。
Let’s Go Back To Zero
せおったり、かかえたり、かくしたり しまったり、おきざりにしたり、いだいたり わすれたり、みてみぬふりしたり、むししたり たまりにたまったもろもろのかさなりのかたまり おせわさまでした、のひとことをおくって ごゆるりとおかえりになっていただいて はじめましてなようでおひさしぶりな まっさらなじぶんにかえってみませんか?
ふかくいきをしたり、こらえたり、わらったり ふるえたり、ないたり、おどろいたり てばなしたり、なっとくしたり、きづいたり もろもろの「たり」のみちたりたころ きっとめぐりめぐってねがいかなったり
なぜ「おなか」なのか
おなかはとても面白い場所です。 肋骨から腰骨までのエリアで 内側を背骨の横を通ってまっすぐ後ろにいくと 反対側に出て「腰」という名前に変わります。 「要」という字が当てられるくらい重要な場所 その腰の前面に内臓が重なり、ふくらんだ場所 それがおなかです。 「腹」の「复」には諸説あるようですが 「重なる」「ふくらむ」「元の位置に戻る」などの意味があるようです。 それこそジャバラのように 複雑に美しく連なった内臓のあるおなかは たべたもの、のんだもの、すったものに あれしたりこれしたり、すったもんだ働きかけて ご存知の通り、消化吸収排泄のプロセスを担っています。
また、おへそはエネルギーの玄関とされています。 悪い気を出し、良い気を取り込む。 エネルギー循環の主要駅でもあるおなかは 栄養、エネルギーの両方の消化吸収排泄を行いながら 體(からだ)を本来の状態に保つ、元の位置に戻す役割を果たしています。
これだけでもおなかがとて���大事な場所だと 五臓六腑に染み渡るようですが、さらにもうひとつ おなかは重要な役割を担っています。 それは貯蔵庫という仕事です。 「デトックス」「リセット」という名前からお分かりいただけるように このツアーが特に注目しているのはおなかのこの機能です。 コロンハイドロセラピー、そしてチネイザンで デトックス、リセットしようと働きかけるのは わたしたちが知らず知らずのうちにおなかに溜めてきた 「老廃物」や「パラサイト」、そして「感情」です。
動物や植物などの他の地球の同居人と同じように 人間は感情というものを抱きます。 ちゃんと向き合わずに置き去りにした感情は消えず おなかに溜まっていき、内臓に影響を及ぼします。 緊張しすぎると腹痛になるというひとがいますね。 「腸が煮えくり返る」「腹を割って話す」「腹黒い」 などの表現が示すように、日本でも 心や感情とおなか、内臓は古くから密接な関係にあると見られてきました。
おなかと心、内臓と感情は相互に働きかけるため 體に合わない食生活や労働、睡眠、ストレスが 内臓に負担をかけると 乱れた内臓が感情に影響を及ぼし、感情が乱れます。 そして、感情面、内臓面ともに乱れた結果 エネルギーも停滞していきます。 刹那的に日々に忙殺されて暮らしているとしたら 本来のポテンシャルを活かせる 「自分らしい自分」とはとてもいえない別人に 無自覚になっているかもしれません。
チネイザンではおなかが本来の状態 やわらかい状態にもどっていくのを手伝うように ゆっくりやさしく、かつ深くほぐしていきます。 放って置かれてしまった感情はしこりとなっておなかに残っています。 ひとつひとつ丁寧にそのしこりと一緒に向き合い、ほどいていきます。 簡単にとれるものもあれば、なかなかとれないものもあります。 おへそ、エネルギーの玄関の調整も行い エネルギーの流れが本来の循環を取り戻せるようにします。 味わう感覚のそれぞれが何を伝えようとしている體の声なのか だんだんわかってきたり 忘れていた記憶や感情が戻ってくることもあります。
ときに不当に扱われた感情、特に負の感情は 老廃物やパラサイトと共生しているかのようです。 コロンハイドロセラピーでは 体温と同じくらいの浄化水を腸内に注入し 腸壁についている老廃物(宿便)や、ガス パラサイト(寄生虫)、悪玉菌を取り除くことで まさに内側をリセットして、そのひと全体をリセットしていきます。
各臓器の位置が調整され、おなかのしこりが取れることで また、腸壁に長年こべりついていた老廃物が剥がれ、流れていくことで しっかりとを蓋してしまっていた感情が溢れ出ることもあります。
痛みに悶絶し、獣のように喘ぐこともあるかもしれません。 ときに痛みもないのに、涙が止まらなくなることもあるかもしれません。 汗をかいたり、息が乱れたりすることもあるかもしれません。 あなたのそのときの状態にあった形で出るべきものが出ていく。 その当たり前の循環を起こすのが このデトックスリセットツアーの目指すところです。 ふくらんでまで、老廃物、パラサイト、感情を重ねて溜めてきたおなかを 元の位置に戻しましょう。 おなかは、體にとってまさしく 「御(お)」:敬うべき 「中(なか)」:ど真ん中 もっとも大切と言っても、過言ではない場所です。
こんな日々を
自分の身体と素直に、まったり向き合う日々。 必要以上に食べたり、飲んだりもせず なんならあまり身体にはものを入れずに 朝はフルーツやジュースで、やさしくに身体を起こしましょう。 毎日、合計6回コロンハイドロセラピーを受けて 腸の中に溜まった諸々のモノモノとお別れをして 初日と5日目にはチネイザンで外側からもお腹を調整。 エネルギーのお掃除もしっかりしていきます。 3日目にはチェンマイ式のゆったりとしたタイ古式マッサージ。 全身をさらにゆるめて、ツアー後半でとことん手放せるように もっと自由に、軽くなって、出るべきものに出てもらいましょう。 デイツアーでは火山、海、滝、温泉などを巡ります。 ハワイ島のエネルギーを存分に感じさせてくれるでしょう。 午後のデイツアーではスペシャルな場所を巡ります。 かえるころに、どんなこころに、身体になっているか わくわくしながらも、結果にとらわれずに 夢のような現実のその一瞬一瞬をただただ楽しみましょう。
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kazehirakukame · 7 years ago
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お腹/御中/onaca
さわでぃ〜か〜
あっついあっついtoday
さま〜な陽気でぐったりしそうだけど、みなさんお元気?
今日は路地裏くつろぎスペースでカタカタPC仕事
History of Colour EPが心地よすぎて
はかどりまくりで笑顔が止まらない
さてさて
今日は5、6月のチェンマイの旅の主菜とも言えるアレ
チネイザンのお話をしましょう
Chi は 「気」
Nei Tsang は 「内臓」
と訳せる、のかな
ざっくり言ってしまうと
「気」と「内臓」の調整をするマッサージ
となる、のかな
長年チネイザンをされてるひとからしたら
あたくしの解釈や理解にもしかしたら
もろもろ言いたいこともあるやもしれません
その場合は是非フィードバックを
お願いいたします
いろいろとオススメの先生や学校の情報は聞いていたものの
「とりあえず実際に自分で受けてみて、師匠を決めよう」
ということで
6週間という期間を設けて、ノープランでチェンマイ入りいたしました
まず、タイ人の友達から
Thana Chaiってひとをオススメされました
連絡してみると旧市街から10kmほど離れたところに移ってしまったとのこと
もろもろ縁を感じず、ここは受けにも行っておりません
今度は別のタイ人の友達の友達のお母さんが
なかなか凄腕だと言うので会ってみたところ
「あたしが格安で教えてあげるわよ〜簡単���〜簡単!!」
とのこと
「簡単なはずないんだけどな」と怪しみつつ
とりあえず受けてみることに
旧市街にある割と高級な”スパ”で働いてるというおばちゃん
蓋を開けてみればお腹にバームを塗りたくって
ただぐるぐるお腹をいじられ、ギャランドゥーが引っ張られて痛いっていう 笑
丁重に授業を受けることはお断りいたしましたとさ
続いて、チェンマイで暮らす日本人男性から
Om SalaのOhmってひとをオススメされました
受けてみるとすんごいよかった
ほぼほぼオムサラで受けることを内心確定しつつ
授業半日だけかぁ、、、と思ったりもしつつ
日本で数人+SVGの恩師がオススメしてくれたOng’s Thai Massage SchoolのUってひとをチェックすることに
結果U先生の元で3週間学びましたとさ
でもOhmさんのチネイザン個人的にはすごく好きで
自分が受けるならOhmさんのが好き
でも施術する側としてまずUさんのところで学びたい
って気持ちでUさんのところにしただけで
それこそ帰国前にもう一度Ohmさんの受けたけどやっぱり好き
アプローチも狙いもそれぞれ違う感じで
ほんと奥深いなと再確認
ほんで、ほんで
個人的なチネイザンが受けたひとに与える影響、の印象
の話をしましょう
まず大前提にあたくしは
「全く便秘等の消化器系の問題がない」
「お腹がもともと強い」
のもありますが
結果大いに「気」に関する変化、影響を感じました
もともとだいぶご機嫌で気楽なこのあたくしが
お腹がやわらかくなるにつれて
どんどん精神的に軽くなっていって
本当に自由なとらわれないこころで
日々起きるハプニングもたのしくて
もうほんとすごくチネイザンの虜になっちゃったとさ
便秘を抱えてる他の生徒はしっかり朝にお通じがくるようになったし
かたい箇所のかたさが取れたとき
何かが流れていく感じがしたあと
やはりみんな何かを手放せた、解放できた、結果開放されたって感じで
いい顔になる
ストレスフルな日本の都市部にまさにぴったりなマッサージだなと確信
HPではまだメニューに入れてませんが
もう施術もしています
好評です、かなり好評です
興味のあるひとは是非お問い合わせくださいましまし
お腹は御中(おん、なか)
自分のど真ん中、核なんだなと思う今日この頃
おへそから栄養もらいながら
生まれてきたんだもんねみんな、そりゃそうだよね
みんな自分の真ん中、お腹
大事に生きていきましょう
ではでは
またなんか書きたくなった時に
さわでぃ〜か〜
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kazehirakukame · 7 years ago
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7月のukiwaの浮き場
暑すぎて上裸で失礼いたします
J-Dilla聴きながら気分は上々でございます
さてさて
意外と帰国直後からお問い合わせをいただいて
来店やら出張やらとありがたい限り
ukiwa
ちゃんと浮いております
空気入ってるから安心してね
ukiwa普通に営業してるんだ
ということがみなさんわかったところで
「出店先に顔だしてあたくしを喜ばせたい」
と思うのは必然ですので
7/6現在決まっている今月の出店情報をここにお伝えでございます
◎7/7(金)、8(土)
わたしたちのタイフェス vol.2 @ 神保町
会場はLAB and Kitchen
ukiwa kentaroの日本でのタイ古式師ライフを
始めさせてくれたsoi herbのスタッフとして両日とも出店してます
7日は17~22時 / 8日は12〜19時
と時間が違うので注意が必要でござる
◎7/16(日)、30(日)
路地裏Garage Market @ 与野本町
毎度おなじみの路地裏で今月は2回
11〜17時でございます
@7/22 (土)
sabai sabai @ 高円寺
初の出店 in 高円寺
共同主催的な感じでございます
会場はknock
12~17時でございます
詳細は近々FBイベントページでお伝えの予定
同じく埼玉のアパレルAVAや
sweet potato clubの奇人tact satoのライブペイント
とかとか他にも素敵な出店者がちょろっといて
小さいマーケット的な
かなりいい感じになる模様
俄然ゆるい感じでsabai sabai (きもち〜きもち〜) はず
以上
7月のukiwaの浮き場でございます
ukiwaの浮き場であたくしと楽しよ!!
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kazehirakukame · 7 years ago
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ただいまさいたま
7週間ぶりの関東
さいたま
大宮
でございます
今回の素敵な縁、学び、喜び、解放、開放、共有、幸せ
で溢れておりました
昨日羽田に着いてから
3軒友達やら用事をハシゴして
気づいたら終電で帰宅
京浜東北線の床で爆睡してるおじさんを見て
日本に帰ってきたことを痛感いたしました
もうチェンマイに行きたい 笑
さてさて
今回のチェンマイの旅は
チネイザン(お腹のマッサージ)修行がメインの旅でした
みっちり学んできたものを
しっかりみんなに還元するからね
お楽しみに
HPの更新はちょっと先だけど
チネイザンはメニューに入れるので
興味のあるひとは聞いてね
���白いよ〜
またチネイザンについては
後日ちゃんと書こうかなと思います
それでは暑い日本の夏がはじまるけれど
気持ちよくサバイサバイな日々を過ごしましょう
ぴ〜す
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