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#ukiwa kentaro
kazehirakukame · 7 years
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Moon Water Colon Hydrotherapy ft. ukiwa Let’s Go Back To Zero: Detox Reset Retreatに 参加することになるあなたへ
Body is Origin すべてはからだから
2011年の5月、何日だったかまでは覚えていません。その日、父とMika Moon、そしてわたしの3人は、San Franciscoから当時彼女が住んでいたOregonのEugeneへ車で旅をしていました。もうOregon州には入っていたでしょうか、暗かったように記憶しています。ハンドルを握るわたしと隣に座っている彼女はいつものように話をしていました。父は聞いていたのか、眠っていたのか、外を眺めていたのか、後ろで静かにしています。わたしたちはいつものように、当たり前にspiritについて話していました。具体的な話の流れは覚えていないのに、はっきりと覚えていること、それは「spiritが身体に影響を及ぼす」というよりも、「身体がspiritに影響を及ぼす」という視点について話し合っていたことです。それは「自分はいったいどこに宿っているのか」という問いでもあります。
Who is Driving Who? 言ってるのか言わされてるのか
spiritであったり、mindであったり、egoであったり、consciousnessであったり、そのどれでも、またはどの組み合わせでもある意味構いません。わたしたちは「自分」と呼んでいるそれら、言い換えれば「自我」や「自意識」といったものが日々の暮らしの中で、あらゆることを考え、選び、行動、つまり身体を動かしていると思っています。はたしてそれは本当にそうなのでしょうか。わたしたちの自我や自意識がドライバーで、わたしたちの身体は乗り物なのでしょうか。もしかしたら、わたしたちの身体がドライバーかもしれない、そう思ってみるとどうでしょうか。空腹や睡眠不足で考えが変わる。月経の周期で気分に波が起きる。疲れのあまりあとあと振り返ると不思議でしかない行動をする。酔っ払って別人のような言葉を使う。「人格が一致しない」とでも言いたくなるような変化が実は身体の側から起きていることを、わたしたちは経験しているはずです。
わたしたちの身体は常に、微細なものから強烈なものまで、あまたの感覚を覚えています。感じ続けているわけです。特に微細な感覚は、より大きな刺激によって、感じていることにも気づけないことが多々あります。音楽を止めてみたら、車のエンジンを止めてみたら、テレビを消してみたら、外で風が吹いていることに気づく。庭の樹を撫でて、葉っぱ同士がこすれ合ってじゃれている音が聴こえる。そんな経験が誰にでもあると思います。わたしたちの身体の内側でも、常に身体は—わたしとしてしっくりくるように言い換えると、常に身体、つまり自分は—なにかしらを感じ続けています。そして、すべては、からだから始まります。なぜなら、すべての始まりは、から、だからです。まず感覚が起き、そして思考が生まれる。自分=自我が考えていると思っていたあれやこれも、実は自分=身体がそう仕向けていたかもしれません。そういう意味で、わたしは身体のことをこそ、自分と呼びたいなと思います。
What if Your Body, What I Call “Yourself” is Out of Their Mind? 貧すれば鈍する
——もし「自分」=身体が正常でなかったら?
仮にわたしが妄想する通り、あなたをあなたの身体が動かしているとしたら、あなたの身体がどういう状態なのか、急に気になり出しませんか?怒りのあまり思ってもないことを口にしてしまう、それと同じように乱れた状態の身体が本来なら考えもしない方向へあなたを導いてしまうかもしれません。わかりやすいのは飲酒並びに喫煙を含めた食生活、そして睡眠の習慣です。暴飲暴食をしていた時期がもしあるとしたら、どうでしょう、その時のあなたはどうでしたか?昼夜逆転の生活をしていた時期があるあなたは、どうですか、その時のあなたと今のあなたは違いますか?太陽と月のサイクルで生活していた「過去」と無理のない、身体にあった食生活をしていた「過去」がある、つまりいまはそうではないあなたは、あの頃といま、比べてみてどうですか?
いつそうだったのかも思い出せないかもしれない、フラットな「自分らしい自分」は、その基礎に「あるべき状態の身体」を必要とすると感じています。自分と呼びたいspirit、mind、ego、consciousnessに還るために自分と呼ぶべきbodyをあるべき状態に戻す。Let’s Go Back To Zero——だからこそわたしはこのリトリートにこの名前をつけました。Body is Origin——すべてはからだから。
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ryosyo · 7 years
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2017年最後の Radio与野 放送中◎ 配信はこちらから (https://freshlive.tv/radioyono/180418) ゲストはラッパー・タイ古式マッサージセラピスト・詩人・翻訳家などなど、様々な顔を持つGoto Kentaro兄貴が登場◎ 【タイ古式マッサージ(UKIWA, thai relaxation space)】 似非animal名義で活動するhip hop グループ"WHALE TALX"やfeat しているアーティスト annie the clumsyさんの楽曲紹介も◎ kentaroさんと拓の浮かれたおしゃべり、 2017年のradio与野納めよろしく〜◎ <番組情報> 2017.12.28『たくたくvol.34』 https://freshlive.tv/radioyono/180418 パーソナリティ 旅商人拓 ゲスト 後藤健太郎 →2017年最後の放送です。路地裏ガレージマーケット、タイ古式マッサージでおなじみのukiwaの健太郎さんです。 健太郎さんはしばらく武者修行の旅に出ていました。久しぶりの再会です。 今回はハワイとオーストラリアに行っていたということで、旅の話や健太郎流人生哲学などについて中心にお話を聞いていきたいと思います。 健太郎の兄貴、宜しくお願いします! 2017.12.28『旅商人拓の拓!切り拓く!vol.34』 パーソナリティー 旅商人拓 ゲスト 後藤健太郎 【コーナー】(予定) ・さいたまニュースステーション ・拓、◯◯勉強して来ました ・拓、ミュージックタイム ・そろそろ花粉症の予防をしておこう。 ・仏教について そんな感じでお送りしていきます。 お楽しみに。
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kazehirakukame · 7 years
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風邪のよりどころ
立ちションしてたら、北風が 履いてたモンパンツなびかせて 滝のしぶき、ちょろっと浴びせたよ
寒くてもできるだけ大地に放尿スティーロを維持しております ukiwa_kentaro本日も赴くままに、綴ってみましょう
さてさて、世間ではインフルエンザブーム、なのかな? フリースタイルダンジョンと同じくらいブームのようですね 進行のUZIが大麻で逮捕されたことで炎上しているんだってね 父親に 「フリースタイルダンジョンのZなんとかってひと、大麻で逮捕だってね」 と言われて知りまして、完全に鼻息荒いシマウマさんの方かと勘違いしておりました アムステルダムでは1970年代からコーヒーショップがあるみたいね、さすが アメリカでも医療大麻だけでなく、嗜好品としても合法になった州が増えてますね 一大産業として、金稼ぐ気満々の企業の参入はちょっとなんとも言えませんが そんな2018年に大麻で逮捕、さすが日本、巨大なパノプティコンですね、風光明媚でございます ざっくりとひるがえって、というか舞い戻って、インフルエンザね 発症したくないですね 東京近辺のひとは電車や職場や学校やスーパーやなんやらで、きっと保菌者には なっているひとがほとんどなんでしょうけどね いやぁ、発症はしたくないですね 最後になったのいつだろう、思い出せないけど、しんどかったのは覚えております
そんなわたくしですが 3日ほど前ですかね、ちょっと風邪っぽいなぁと感じました 家では父親ががっつり風邪ひいてますので、まぁ入手経路ははっきりしてます 10月前半、ハワイで一瞬寒気を感じたことはあったものの 多分コロンハイドロセラピーの影響だったと思われるので 風邪っぽい風邪はひさしぶりでございました デトックスチャーンス♪ 毒素ありがとうございました、またのご来体お待ちしてま〜す といった感じで、身体をクリーンナップ&アップデートするいい機会と捉えて いつも通りの作戦をとります 1. 日に数回、45度のお風呂に入浴する 2. 発酵頼りの食生活 3. 夜早めにちゃんと寝る 今回は、これにプラスで最近ふたたび習慣化したヨーガも加わって まぁいい感じです 国民皆保険制度のある日本では、体調を崩すと みんな病院に行って「御薬」を「御医者」さんに処方してもらうという このお決まりのパターンが圧倒的多数な気がしますが そもそも未病的観点で普段からいい感じに過ごしてほしいし なにかしらの症状が出たら 「あっ、マイボデーがぼくにメッセージを送っている、受信せよオノレ」 といった感じでね、真摯に受け止めてほしいですね なにがこのいまをもたらしたのか そして、身体って本当にアメイジングなので、身体に仕事をさせるのが一番 果たして、あたくしの手法がその手伝いをできているのかの真偽はわかりませんが ひとり人体実験の結果は、ここ数年ずっと良好です ちなみに今日のお昼ご飯は ネギを一本ふんだんにぶち込んだ納豆キムチぶっかけ玄米 豆腐としめじの味噌汁 いろいろ入ってるサラダ 下の2品は父親がこさえたやつを拝借いたしました さて、これからスタジオで練習してまいります 明日はPLAY@新潟GOLDEN PIGSでWHALE TALX 2018年初ライブ 今年はukiwa_kentaroもWHALE TALXもgotokentaroも 全開で全壊で全快でまいります 「まいりました」と自分に言って その直後に「それでは、まいります」と宇宙に言いたい つまり結局ひとりごとですね
みなさん、風邪などひかないよう、お気をつけなすって でももし、ひいたら、せっかくのご縁ですから しっかりおひきなすって
友人の絵本作家、長田真作の『風のよりどころ』とてもよいです まさに風の如く、つかみどころなく、すり抜けられてしまうかも?やも?
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kazehirakukame · 7 years
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Lesson Of Impermanence 無常の教え
最近毎日チネイザンをしています 毎朝、チネイザンをしています 今週月曜から一日ひとりか、ふたりチネイザンをさせてもらっていて あらためて思いを、想いを、おもいを馳せる 痛いって、なんなんだろう 痛覚は、その使命は、なんなんだろう そのうちのひとりがくれた感想の抜粋を引用します
初チネイザンを受けて 東京都38歳女性
あんなに痛かったのに今となっては夢だったのかとさえ思える不思議
腸をマッサージしているのに自分の弱い部分(腰、足の付け根など)が痛む つまり痛みの根本はそこではなくお腹だったのかも?と思ったり
逃げ出したいほどの痛みと向き合う時間は たびたびおそってくる陣痛の強い痛みに耐え いきみ逃しをしている時と似ている感覚
手足と顔のしびれ(マッサージする場所によってしびれる場所が違った) 麻酔にかかったような感じ つる一歩手前
終わった後の深い睡眠の中で 短い間だったけど優待離脱のような初めての感覚があった 自分の身体から自分(魂?)が浮���た
チネイザンはマッサージを超えた不思議な体験です 自分の中の無意識(もちろん意識のも)な悲しみ不安怒りをひたすら 一手に引き受けてきてくれた私のおなかちゃん、ありがとうね がんばってきてくれたのだなぁ
「逃げ出したいほどの痛み」 「陣痛」 「つる一歩手前」
などなど、ビビっちゃいそうな言葉がたくさんあるね ひとによっては、状態によっては、そこまで痛くないことも もちろんあります でも、逆に言えば、状態によっては、それだけ痛いこともあります
痛いのに、��んでやめないのか 痛いのは悪いことではないのか どうおもいますか?
施術を終えたぼくと一緒に どこへともなく消えていく痛み ぼくがいなくなっても、居残りで、もくもくと 粛々と 役目を果たすまで存在する痛み その居残りさんすらもちろんそのうち消えていきます
チネイザンをはじめて受けたときの壮絶な感覚 はっきりと覚えています 三週間みっちりお腹を揉み、揉まれ続けたあと おなじセラピストの施術を受けてみると まるで感覚が違う 無常です 消えることなんてないと思った確固たる痛みさえ ちゃんと無常です、流れていきます アリガタヤアリガタヤ 痛み、なんなんでしょうね、ほんと でもその痛みが消えるところまでいってみたい ぼくは個人的にはそう思っています
Pain…What Is It? 痛いって、なんなんだろう
ありがたいことに、なんだか 困ったことに、なんだか どうやら世界には“わざわざ分けるとしたら”ふたつ 異なる類の痛みがあるような気がします (ここには以前お話した 「わたしたちの『からだ』こそを『自分』とする」 という前提があり 「自分らしい生き方を全うすると心地よい よってそうあるよう望む」 というぼくの個人的な価値観を元に考えています)
・ 避けていい痛み ・ 避けては通れない痛み
前者は、たとえば 自分に合わない服を着たり、靴を履いたりして、起こる肩こりや靴ズレ 自分に合わない環境に身を置くことで生じる、鬱などの精神的な患い 暴飲暴食による内臓機能の低下、それに伴う心身の不調 などでしょうか 労働環境が大きく影響することがまず考えられますよね 意義を見出せない仕事、とても誇れない会社で “そうするもんだから”とネクタイを締め、夏でも革の靴を履き “仕事の延長”として何倍もお酒呑みながら揚げ物ばかり食べる飲み会に出る そんな三重苦とでも言いたくなるような生活をしていたら 愚痴が多かったり、諦めがちだったり、するかもしれません 極端すぎる例でしょうか(それが楽しいひとは問題なしですねもちろん) それとも周りを思い返すと、自分を含めて思い当たる人がいますかね
後者はというと
大好きな登山の最中の疲労や節々の痛み、足の指のまめ 目標とするアーサナをとるための日々の鍛錬の返しとしての痛み 素直に想いを伝えたものの、成就しなかった告白の悲しみ、落胆 夢を不器用に生きる画家の売れない下積みの日々の苦悩 などがそれにあたりますかね 共通するのは、「目標」や「夢」、「願い」がその痛みの先にあることです 逆に「その痛みを避けては、たどり着けない境地がある」と言ってもいいかもしれません 疲労困憊の登山家は山頂で、下山したあとに温泉で はたまた山場を超えたあとのテント設営中に 人知れず、本物の笑みを浮かべているかもしれません ヨガ修行者は、自分のからだと向き合う日々の先に 大いなる呼吸を手にし、目標だったアーサナのことなど忘れて輝いているかもしれません 成就しない告白の後、ひとしきり苦しんだ誰かは 想いを伝えるまで、信じたい未来を信じた自分を前より少し好きになっているかも 売れない画家は、売れない過去の自身の作品の山を見て、ため息をつきつつ、どこか惚れ惚れもしつつ、それでもまた筆をとるのでしょう それは悲劇でしょうか、喜劇でしょうか 奇跡でしょうか
Guide Of Journey Through Pain 痛みを通り過ぎる旅路を導く
自分の至らないタイ古式マッサージやチネイザンの施術で被らせる痛みを もっともらしい美談にしたててしまおうということではありません これはセラピストとしての自分のいまのあり方 そのひとつの表明とも言えるかもしれません
不必要な痛みは生まないように、細心の気配り、身のこなしを心がける 目指す境地=本来の自分らしい自分=元の状態のからだへ向かうとき 避けては通れない、必然の痛みがそこにあるのなら ぼくが逃げることは決してしない 逃げないあなたのすぐ横で、一緒にいる もしあなたが逃げると決めたらば、ちゃんと一緒に逃げる 逃げそうになる自分の背中をあなたが押してほしいときは、そっと しかし力強く押そう そこには信頼関係しかありません 信頼関係の上でしか、この美しい行為は生まれません 信じ合うなかで、ぼくはただぼくの内なる声を聴いて 瞬間の即興劇に身を投じるのみ 自分もあなたもcontrolしようとは思いません (またMika Moonのブログの古い投稿から素敵なものを見つけました すぐに動かしたくなるクセ)
一昨日も、昨日も、今日も チネイザンを受けて、脂汗をかきながらも 必死に呼吸に集中してくれたあなた お腹の施術を終えたあと、肩や頭を触るうちに深い眠りに入っていく 目が覚めたあとに携える表情もさまざまです 「こんな痛いはずじゃなかった」とヘロヘロで笑うしかないあなた 「やっぱすごい、これこれ」と納得しながら目がキラキラしてるあなた 言葉にならない不思議体験に圧倒されつつも、愛が満ちるあなた どのあなたのことも愛していますし、大切です でも結局のところぼくはあなたにはなれない だからこそ、あなたの信頼を一身に受けて、ぼくは手を引いてゆこうと思う ぼくの信頼を一身に受けて、唯一無二のひとつひとつの息を 必死に放ち、迎えるあなたのとてもとても深いところへ
You Have Me お世話になるとき
リトリートのいいところ それは「ひとの世話になる」ことです 「お世話になります」の世話ですね からだは「自然」ですので 「自ずから然る」ものですから 本来ちゃんとあるべきありように戻る力があります しかし、いま多くのひとの暮らし向きは 自然ではありませんので、このリトリートのように 機会を設けて、リセットする必要があると思っています そのリセットはいわば年末の大掃除 とてもひとりでこなせるようなものではない もし、ひとりでやろうものなら倒れてしまいそうなほどに あなたのいまは、いまのあなたは疲弊しているかもしれません (そうじゃないならば何より、あっぱれなことですが) だからこそのリトリート デトックス、リセットという大仕事に集中できるように ガイドとして、そこにぼくがいるわけですから 頼れるところは存分に頼って、自らの役目を気持ちよく 全うしてくださいな ご存知の方もいるかもしれませんが タイ古式マッサージは「なまけもののヨガ」なんて呼ばれ方もします でもヨガ修行者にタイ古式マッサージ好きが多いのは 楽ができるからだけではないんです 「ヨガだと、ひとりだとどうしても伸ばせないところが伸びる」 と言ってくれたひともいますし 「からだをあずけられるから、その分だけ呼吸に集中できる」 と言ってくれたひともいます Let’s Go Back To Zero:デトックス・リセット・リトリート このリトリート自体に タイ古式マッサージ的な精神が宿っていると思ってください 信頼の循環が魅せる旅路は どこまで深くあなたを、ぼくを連れていってくれるでしょうか
散々言っておきながら、最後にひとこと 「期待はしないこと」 うちなる声にただ導かれて、お気に召すままに Be Here Now その結果、ハワイ島でお会いすることになるのなら そのときは、満面の笑みでalohaを歌いましょう
最後にチャーミングなMika Moonのひととなり 七年も前ですが、彼女がこんなことを書いています わたしと深く付き合うことになるかもしれないあなたへ。。。 タイトルに感じるやはりな確かな縁、ほんとなんだろうねぼくたちのつながりは いま見る自分はどんなだろうね、mikaさん
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kazehirakukame · 7 years
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Moon Water Colon Hydrotherapy ft. ukiwa Let’s Go Back To Zero: Detox Reset Retreatに 参加することになるあなたへ
Empty Space Blessing おなかをからにすること
Let’s Go Back To Zero: Detox Rest Retreatを企画してから、自分と向き合う時間が前よりも濃くなっている気がして、とてもうれしい—ちなみに、ひらがなもカタカナも漢字もどれも本当に好きなんだけれど、漢字の成り立ちを思って笑顔になることがよくある。「嬉しい」の「嬉」が「女」「喜」からできていることがうれしい。ニュージーランドのマオリのひとたちは、スピーチなどをするときは必ず歌を歌う、そしてそれは女性が歌うんだって、2008年に北海道で開かれた先住民族サミットアイヌモシリにボランティア通訳として参加したときに大きなマオリのおじさんから聞いた。そんなことを思い出す。Mika Moonとはじめて会ったのはそのとき、2008年の北海道だった。そのサミットのことを教えてくれたのも彼女だった。
自分と向き合う時間の中で、彼女のこともよく考える。なんでぼくは彼女とハワイ島で「おなかとことんからっぽツアー」のようなことをするんだろう。今日も彼女の昔のブログからこんな素敵な投稿を掘り出した。おなかをからっぽにすることと、感情の揺らぎについて書いてあるとてもいい話。「fastingとdeep emotional swings」是非これも前回の「let go」と合わせて読んでほしい。
Stay Together With Emotion きもちとともにいること
昨日は朝から様子がおかしかった。なんだか身体が重かった。振り返ってみれば、前日、ここ最近にしては食べた量が多かったなぁ、なんて思ったりもしたけれど、それでも大した量ではないし、どれも軽いものばかり。こころの方から来ている。そう思った。重いし、集中できない身体なのに気持ちはふわふわしていた。不思議な日。最近ではめずらしくすごく眠たくて、昼寝をした。昼寝をしてもすっきりしない、不思議な日。夜、あるひとに電話で知らされたとあることで、どうやらこころがちいさく、とてもしずかに揺れた。波紋のように拡大していくさざなみ。心配して、大丈夫?動揺してる?と何度も聞いてくれた。聞いてうれしい話ではもちろんないけど、うん、大丈夫だよ。その度にそう答えた。大丈夫だった、はずだった。電話を切ったあと、まだすごくふわふわしていた。でもそれはたしかな高揚だった。むしろ有頂天になっていたかもしれない、おかしなからだだね、こころだね。うつくしさに魅せられて、宇宙の虜に、宇宙の手のひらの踊り子に、なっているだけだと思って、ふとんに入った。夜はだいぶ寒くなってきてるけれど、窓を閉めておけば大丈夫。裸で眠った。いつもより数時間早く目が覚めた。からだは冷え切って、こころはざわついてる。あたまも、こころも、からだも。早朝だったし、静けさが綺麗だったから数週間ぶりに坐ってみた。嵐ですね。ものの10分も坐れなかったと思う。またふとんに入って丸くなる。この感情はどこからきているのか。あなたの名前はなんだろうね、ざわざわな感情さん。お昼前にひとり、女性にマッサージをして、近所の公園で本気で走った。最近はジョギングじゃなくてダッシュにハマってる。乱れる呼吸とほとばしる汗から余計なものが抜けて、気分がよくなるし、からだも調子がいいから。脚も重いなぁ今日は。汗をかけば、気合いを入れれば、いつもなら変わりそうな気分も今日は変わらない。マッサージをする前に、今朝は気分が沈んでるから、走って気分を上げてみようかなと言ったら、気分を変える必要なんてない、ありのままを感じてあげたらいいじゃない、と昨日電話で話したそのひとはすぐに返事をくれた。よし、今日は断食をしよう。とことんあなたに寄り添ってみるよ。
No Judgement いいもわるいもなく、そのままを受け入れる
だんだん見えてくるもの、聴こえてくるものがある。からっぽのおなかは、自分の声を、ちいさな声も、逃げたり隠れたりしようとする声も、やさしく手を引いて連れてきてくれる。そんな風に感じる。みんな生きてきた道が違うから、その方法は様々だけれど、ほぼ間違いなく、みんな習慣的な自己防衛が反射的に自然と発動する。これはきっとからだの仕業。昨夜からのこの感情のエトセトラというかハマヤラワは、どうやらその自己防衛と関連していそうだなとわかってくる。小さかった頃、生まれたての日々、まだお母さんの子宮の中にいた頃、いつ身につけたのかは知らないけれど、世界はそんなに辛辣な場所だったのかしら。でもいま、ポジティヴとネガティヴに良し悪しはないこと、そもそもその二元論が野暮で実は破綻してることをぼくはもう知ってる。だから、自分に、ざわざわなななしさんに、言ってみる。大丈夫だよ、ちゃんと大事にするから、分かれないで平気だよ、還っておいで、もともとひとつだったんだから、また一緒にいようよ。だいじょうぶ。
Watch Yourself Gently, Hugging 自分をだきしめて、やさしく見つめる
家族、友人、恋人、知り合い、知らないひと、家、学校、職場、遊び場、街、道、いろいろな状況で、生き抜くために、その場を成立させるそれぞれの処世術は、きっとぼくを、あなたを、助けてきてくれたでしょう。程度はひとそれぞれだろうけれどね。でもそれがとてももう機能していないひとが最近よく目に止まる。ぼくのはきっといいんだかわるいんだか、順調に機能しているんだろうけれど、そのあり方がこれから劇的に変わっていくのを感じる。ぼく自身、ハワイ島で自分に起こる変化、その色濃い気配に鳥肌がたつ。2017年はすごい年になると思っていたし、上半期だけでも壮絶だったけれど、下半期はさらにそれが螺旋状に加速していくのを感じる。ちゃんとついていけるかな。ぞくぞくとわくわく。シンプルなこと。ぼくがぼくであり続けること。生まれ変わってもこれはぼくだと、自分だと受け入れること。
Retreat is リトリートとは
からだもこころも、シンプルだけれど、生半可じゃない。医者が処方する錠剤を飲んだり、点滴を打ったり、わるさをしてると決めつけられた部分を摘出したり、ほとんどのことはそれでは解決しないと思う。もちろん、きっと楽になることもある。助かることもある。でも解決はきっとしない。癌は腫瘍じゃなくて、体質のことだと聞いたとき、とても納得したのを思い出す。悪の大魔王を退治すれば世界が平和になる—このうつくしく複雑な宇宙は、ひとのからだは、こころは、そんな安いドラマみたいな作りじゃない。もっと本当に、ほんとにドラマティック。自分ととことん向き合うとき、というのがきっと誰にでも訪れる。何度訪れるかはわからないし、そもそも日々ちゃんと向き合っていられるのがなによりだけれど、異常なまでに、イカレてると思うほどに、強烈に向き合うときがそれでも必要だと思う。必要というか、そうしないと進めない道があるように感じる。日々の生活に追われながらも、自分を見失わないためには、ちゃんと自分をわかっていないといけない。自分の手をしっかり掴んで、自分にもしっかり握り返してもらわないと、気づいたらまた濃くなった霧の中で、なんだか寂しくなってる。変化の時は、しかるべき場所で、しかるべき時間を、しかるべき方法で、過ごすとやってくる。それがリトリートだと思う。自分を元に戻すために、ちゃんと自分を大事にすること。
Be It Yourself ただ、自分でそうある
このリトリートが始まる前に、ハワイ島プナでぼくは自分自身のリトリートをする。リトリートを主催するからではなく、ただそうしたいから。自然な導きに身もこころもを委ねて、からっぽになって、Mika Moonといろいろな話をして、みんなが来る日まで、プナと自分のチューニングをすることになると思う。そんな素敵な日々のあと、素敵なぼくで、みんなのリトリートのガイドをしようと思ってます。みんながみんな、素直に自分らしく生きられるのが、当たり前だけどいいよね。いますでに心地よく自分を生きているあなたはブラボー。そうじゃないあなたもブラボー。Let’s Go Back To Zeroが気になってるあなたももちろんブラボー。いま抱いてる感情がなんであれ、その気持ちと一緒にいてくださいな。ぼくは、そうしてみようと思って、そうしてみて、とてもいまいい感じです。ざわざわしています。おなかをからっぽにして、あたまも、こころもからっぽにして、その余白に、空白に、空間に、いろいろ教えてもらおうと思います。からっぽ、何もないということ、それはやっぱり、祝福だと思う。
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kazehirakukame · 7 years
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Let’s Go Back To Zero: Detox Reset Retreatに
参加することになるあなたへ。
  “Follow Your Sensation”
【自分の感覚を信じて生きる】
今回はこのリトリートの要であるわたしたちについて、話そうと思います。 コロンハイドロセラピストのMika Moon、チネイザンとタイ古式マッサージ、デイツアーを担当するわたしkentaro、このふたりが出会ったのはちょうど10年前の10月、あなたがこの文章を読んでいるここ、インターネットの世界でした。1年後には北海道で、その3年後にはアメリカ西海岸で、またその後には日本の埼玉で、わたしたちはところを変えながら、語り合い、ドライヴをし、海を眺め、流木を集め、土を盛り、焚き火を囲み、そして何より共鳴してきました。家族であり、ソウルメイトであり、同じ民族とも言いたくなります。でももし、ひと言で言うならば、わたしたちは「同志」だと思っています。世代も出身も性別も育った土地もまったく共通項のないわたしたちですが、揺るぎない共通点があります。それは数奇な旅をさせてくれながら、わたしたちを現在のお互いのライフワークに導き、そして必然的にこのリトリートが生まれたと感じています。
わたしたちを繋ぐ共通点、それは「自分の感覚を信じて生きる」という揺るぎない人生への態度です。往々にして理由もわからずに、周りから見れば意味のわからない選択をしながら、しかし当の本人は不安もなく、確実に宇宙に導かれている感覚で、なかなかに稀有な人生をお互いに生きてきました。わたしたちは思想ではなく、身体の声を素直に聞いて生きています。どうやらそれは簡単なことではないようです。それぞれの職において、実は最も大切だと私が思っているのはこの人生態度であり、そこから生まれるかろやかなスピリットと空気です。タンポポの綿毛が空を舞い踊るように、笑って生きているわたしたちだから伝播する、伝染する磁場やエネルギーがあると思っています。それはコロンハイドロセラピーもチネイザンもタイ古式マッサージもデイツアーも、なんでもない時間も含めて、このリトリートのすべての根底を貫く大地となり、音楽となり、ともしびとなって、あなたを包むものだと信じています。
Let’s Go Back To Zeroという名をつけたこのDetox Reset Retreatは来るべきひとを引力のように揺るぎなく、当たり前にやさしく誘っているのをすでに感じています。自分の核で振動して、感動して、生きているわたしたちふたりだから生み出せるリトリート。でもわたしたちは実はその全体の半分の役割しか担いません。あなたがそこに共鳴しているとしたら、あなたが残りの半分の役割を担います。正確に言え���あなたはそのひとりです。ハワイ島プナで会う日を楽しみにしています。
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kazehirakukame · 7 years
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大いなる月ごもり●破壊と再生/生と死
ひとつの枠組みにおける、ひとつの周期が終わります。この一年、縁があったすべての、あらゆる、みなさん、どうもありがとうございました。下半期、いつも以上に沈黙が長く続きましたが、来月のうちにはハワイ島で行なった自身初主催のリトリートLet’s Go Back To Zeroの報告を含め、いろいろとお伝えしていこうと思います。今回は、その前に、ukiwaのkentaroを務めているgoto kentaroの言葉を記そうと思います。今年も一年ukiwaを支えていただいて、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年を。ぴ〜す。
明日は大晦日。二〇一七年最後の日。晦日の大将。晦日は「つごもり」とも読むらしい。月がこもる→月ごもり→つごもり。陰暦において、月が隠れるのがだいたい各月の終わりの頃だからだそう。その年その年、振り返るといろいろな過ごし方をしてきたこの師走の末、一二月三一日が母の誕生日だと知ったのは今年の一〇月三日。ハワイ島へと旅立つ六日前。東京は多摩市の役所で、申請した戸籍謄本の母の生年月日の欄を読んで知った。出生地は渋谷区。昭和三〇年生まれ。ぼくを産んだのは二九歳の時だったことになる。でも母の誕生日も出生地も、たまたま知ることになったいわばおまけの情報で、確認したかった情報の欄には今日、一二月三〇日の日付が記載されていた。今日は世に言う彼女の一周忌。去年の今日、母は亡くなったらしい。六〇歳でこの世を去ったことになる。死亡地は立川市。両親が離婚したのは、ぼくが一歳になる前だと聞かされている。それから一度も会うことも、声を聴くこともなかった。ついに、ぼくはお母さんに会うことができなかった。 幸か不幸か、超人的な記憶能力を持っていないぼくには、母の記憶がない。まったく。なのでぼくの人生にお母さんは存在していない。考えようによっては、誰もぼくの人生からいなくなっていないのに、彼女の死を知ってから、ぼくは加速度的に壊れていった。「加速度的に」と書いてある通り、一〇月の時点で、すでに今年は変化、変動、激動の年、確定だった。四月には五年半ほど連れ添った彼女と別れ、五、六月は魂の故郷だと感じているチェンマイで今主軸になりつつある内臓、感情、記憶、エネルギーのデトックスを起こすチネイザンの修行をした。誰よりも自分が困惑し、そして納得もした宇宙の計らいから、ひとりの女性と出会った。昨年末か今年の初旬からなんとなく感じていた「やってくる気がする変化」は、既にぼくを飲み込んでいた。どんどんその水かさは増し、流れははやくなっていく。水面に「HONESTY」という言葉が浮かんでいる。自分自身を生き切る。言い訳をせず、遠慮せず、揺るぎなくたゆたう。その道を、まだ足取りもおぼつかずに歩いていたぼくの前で、揺るぎない歩みを見せ、振り返って手を取り、ひっぱってくれたこの女性にぼくは恋をした。そして、ちょうどこの頃、ソウルメイトだと感じているハワイ島に住む仲間ミカ・ムーンが、腸を洗浄するコロンハイドロセラピーのクリニックを開いた。チネイザンとのコラボレーションのリトリートを一〇月に開催することにした。夏は、涼しい長野県松本市の旅館の灼熱の厨房で、汗だくになって働いた。ハワイ島からオーストラリアへと、恋路はぼくを導こうとしていた。あたらしい時代が早送りのように情緒もなく駆け足で飛び込んできている。下手な嘘のようだけれど、「New Era」という曲も作った。今年は音楽活動も本格的に始動し、他に二曲発表した。地元大宮で、小規模ながらイベントの初主催、九月には東京で初ライブも行なった。盟友annie the clumsyの依頼で、昨年亡くなった彼女の愛犬へ捧げる歌「Paradise」に参加し、天国を想って言葉をしたため、命を吹き込み、録音した。ぼくを宿し、この世に迎え入れた母の死が、これまた弾丸のように飛び込んできたのはまさにそんな時だった。 ハワイに飛び立つまで六日しかない。それまでに絶対にお墓参りに行くことをとりあえず決めた。四方八方を飛び回り、電話をかけまくった。母の死をぼくに伝えた老婦人、母の妹が数十年前に勤めていた病院、葬儀をしたのではないかと思われたとある教会、何度もかけた役所、ぼくの話を聞き、ぼくに話をたくさんしてくれたチェンマイで会ったオーストラリアに住む例の女性、ここにあげたすべての場所、ひとの電話番号に326という連番を見つけた。三月二六日はぼくの誕生日だ。ハワイでのリトリートにつけたLet’s Go Back To Zeroという名前も、名付け親に向かって引力を奏ではじめる。目を瞑れば、腹の上でカーリーが、その軽やかで破壊的なステップの力を増していく。滅多に吹き出物ができないぼくの左頬に、先々週くらいまで居座っていた百円玉大の吹き出物ができたのもこの頃。やっと母の妹と連絡が取れ、母の墓前で掌を合わせたのは一〇月八日。出国前日だった。母の妹ふたりは、待ち合わせ場所ですぐにぼくが甥だとわかったようだった。ぼくと瓜ふたつだと、チェンマイで父が笑われたのは記憶にあたらしい。しかし、ぼくの目は母にそっくりらしい。考えたこともなかったが、あなたのお父さんはあなたを見て、あなたのお母さんを思い出していたのかもしれないね。オーストラリアでそう言われて、ハッとすることをこの時ぼくはまだ知らない。ぼくは笑っていた。でももうぼくは自分が誰なのかわからなくなっていた、そんな気がする。対象も曖昧なままに、実感がないという状態だけで日常が構成され、それでも運命の引力がぼくの行くべき道へと連れていってくれる。そのことに気づかずにただ甘えていた、そんな状態だったといま振り返って思う。 ホノルルの入国審査で引っかかる。別室に連れていかれたのは、実ははじめてだった。根掘り葉掘り、関係のなさそうなもろもろの関係ま���も一通り聞き出したあと、走ればギリギリ乗継ぎ便に間に合う頃に放り出された。右往左往したあげく、無事に搭乗し汗だくでシートベルトを締めた。イミグレの不安感がはじまりだったのか、母の死の知らせがはじまりだったのか、ハワイ島のダイナミックなエネルギーの歓迎だったのか、いまでもわからないけれど、着いた日から、こころの奥底がずっとそわそわしていた。タンクトップ、海パン、ビーサン姿になっても、だらけて椅子に腰掛けても、床に寝転んでも、身体の喜ぶものを口にしても、ウォームポンドに抱かれても、波に弄ばれても、何をしても、どこにいても、どれだけ充実していても、楽しんでいても、喜んでいても、笑っていても、なにも食べなくても、奥の方がずっとそわそわしていた。そのせいか、何度海に入っても身体が浮かなかった。「古い自分は変化に抗う、その力みかもしれないよ」とケイコ・フォレストは言った。ミカ・ムーンとは、色々な話をした。でも彼女は共有した沈黙の中で、しずかに、それこそ月を思わせる空気をまとい、その空気でぼくを慰めてくれていた気がする。カーティスはいつも笑っていた。笑っていなくても笑っていた。ハワイアンの魂でハグしてくれていた。五日間の断食を含む七日間の小腸と大腸のクレンズ、その後二十一日間の全臓器デトックスをして、身体の中が軽く、空っぽに近づいていく。不安にかられる日が続いたり、活力が湧いたり、食べるよろこびを改めて確認したり、自分の手、その仕事、役割にうなったり、うならされたり、うなされたり、濃厚なひとつきだった。Let’s Go Back To Zeroの一週間、父、伯母ふたり、伯父ひとりが訪ねてきた一週間、そして女神たちの旅のお供をすることになった最後の一週間については、また別の機会に詳しく書くことにする。この期間にあったすべてのひとに、本当に感謝しています。MAHALO。ありがとう。 ハワイ島に着いてからちょうど一ヶ月後の一一月九日の夜、ホノルル空港のベンチで夜をこした。早朝のフライトでシドニーへ、そしてそれからメルボルンへ。不思議な運命が、まだまだぼくを休ませてくれない。古き悪しきLAZINESSとの決別を腹に、素朴で確かで湧き出る恋心が夢見るABUNDANCEとPLAYFULNESSを胸に、南半球へ。常夏のハワイよりもジリジリと暑いオーストラリアの太陽は、ぼくを徹底的にかわいがった。着いて二、三日しか経っていない頃に、樹から落ちて腰を痛めた。それ以外にも様々な予想外に困惑した。どうにかなると思っていたことが、どうにもどうにもならない。落ちつづける恋の谷すがら、その実らなさ加減と落下速度の上昇が化学反応を起こしていく。ぼくはどんどんと壊れていく。壊れていっていると肌感覚で濃厚に、決定的に感じたある日、DEPRESSIONを受け入れたことで随分と楽になった。立ち位置や見る角度をあらため、翻訳につぐ翻訳をこころみたその果てで、実りと輝きを見続ける暮らしを全自動でしていたぼくは、腐敗とぬかるみのにぶい光のかげりの祝福と出会った。HONESTYがこだまする。頑丈な透明の仮面が、その鎧が砕けていく音がした。錨をはずし、帆を張って、しかし舵輪には手をつけない。そんな不確かな航海の不安定さが、この上なく不安で不快で時には腹立たしく、悲しい、しかし同時に心地がいい。なにもかもわけがわからないようだけれど、霧だか霞だか靄だか判別のつかないその膜が、薄まっていくのだけがわかる。それはとてもゆっくりとだけれど。メルボルンでの三人暮らし五週間の日々の街の静けさを思い出す。同居人のオーストラリア人男性ジェイコブと歩いた国立公園の暗闇の森、ヤラ・リヴァー沿いの漆黒のトレイルを思い出す。メルボルンを発つ前日に入った小さく、狭いスウェット・ロッジの入口であり出口である幕を閉めた瞬間に、純粋な暗がりの中で拡張した広大な闇の、その四次元性を思い出す。なにを聞かれても、おもしろいほどに明快な答えを出せない自分のうろたえとその根元にあった星なき宇宙を思い出す。見えない知らない世界が、つまり、あたらしいようでいにしえの大元の自分が、PRIMITIVE FUTUREがそこにいたことを思い出す。 帰国した冬の日本では、寒波に殴られた。どこも落ち着くし、どこも落ち着かない。旅のあとにいつもある、あの違和感も違和感がある。外だけではなく、内にも感じられること。ハワイ島で探すことを約束してくれたものが見つかっていた。父がその存在を一度も口にしてこなかった結婚式のビデオがDVDに焼いてあった。彼とぼくのお母さんの結婚式のビデオ。ふわふわとそわそわの境界で、生まれてはじめて動いている母親を見た。緊張しているからだけでなく、そもそももともと緊張しいなのが荒い画質の画面越しにわかる。「誓います」「目がよかった」の二言くらいしかまともに発していない彼女の、その声にこころが落ち着く。そして、そのことになにより驚き、動揺した。呼吸は浅く、心臓は急いでいる。記憶の中に微塵も存在しない母親の声に、はっきりと聞き覚えがある。ぼくがぼくにわからないように隠してしまった記憶があることを知った。ぼくのどこかに母はいる。そのころのぼくも。母の死を知ったことで、母はぼくの人生に初登場という形で再登場した。そして、決して会うことはできない。これから彼女のことを、彼女との記憶を、そしてその時その時に生まれては、放置されてきてしまった感情のひとつひとつを見つけて、拾って、浄化していこうと思う。そこにはきっと喜びとあたたかさが、そしてトラウマと傷が、境界のない愛憎がシュールに愛想もなく存在している。そのどれもがぼくを育んできたピースなのだから、平等に愛そうと思う。 そんなぼくとゆっくりふたりっきりになるために、大晦日の夜から三が日まで、ゆかりある山の裾野の古民家でひとりで過ごすことにした。こたえがないこと、その自由をつくづく感じる。メトロノームのように揺れていた存在が徐々に中心に、核に、近づいてきている。大いなる月ごもりの日。明日は大晦日、この一年の最後の日。トゥモロ、イズ、ニューイヤーズ・イヴ。最後の日、それはあたらしい年のはじまりの、そのちょっと前。みんなが、あらゆるみんながすこしでも幸せでいられますように。ちょっと早いけれど、お母さん、誕生日おめでとう。そして、この不思議な再会をありがとう。もちろん会いたかったけれど。明日の朝、お墓であらためていろいろと話そう。はじまりを象徴する終わりをまざまざと感じながら、あなたの次の旅路での幸福を祈ることでしょう。めぐりめぐるこの宇宙の流れはつづくようなので、ぼくはぼくを生き切ろうと思う。
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ryosyo · 7 years
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【9/27(水)は "湯るむ" vol.2】 路地裏ガレージにあの、ゆるゆる極楽企画が帰ってきました。 タイ古式マッサージ師"UKIWA, thai relaxation space" と 抹茶と珈琲のキッチンカー"旅商人亮章"のコラボ企画。 "湯るむ vol.2" (https://www.facebook.com/events/295512540929650/?fref=ts) 実は気持ちとしては毎月やりたいなあと思っていたのですが、笑 企画者両人、放浪癖のためなかなかのレア企画となっております。 というわけで、またまた"ukiwa"の kentaroさん a.k.a似非animalさんは10月上旬から再び海外へ。 路地裏の出店も10月上旬から12月まではお休みの予定(詳しくはukiwa氏に直接聞いてみて) ですので、この機会にぜし。 ちなみにこの日は最近賑やかな"水曜路地裏"◎ 路地裏大学【第14回ぐっさんの路地裏フィットネスカレッジ】や【みんなでポスティングday】【浦さんの安心で美味しい無農薬野菜販売】などもやって〼 足湯でじんわりしながら、 タイ古式マッサージや抹茶・珈琲で 極限まで、湯るみましょう。 お待ちしております◎ (写真は前回"湯るむ" vol.1の模様) "ukiwa" https://www.youtube.com/watch?v=3RSnDe_mTPc (路地裏 Garage Market)
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kazehirakukame · 7 years
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7月のukiwaの浮き場
暑すぎて上裸で失礼いたします
J-Dilla聴きながら気分は上々でございます
さてさて
意外と帰国直後からお問い合わせをいただいて
来店やら出張やらとありがたい限り
ukiwa
ちゃんと浮いております
空気入ってるから安心してね
ukiwa普通に営業してるんだ
ということがみなさんわかったところで
「出店先に顔だしてあたくしを喜ばせたい」
と思うのは必然ですので
7/6現在決まっている今月の出店情報をここにお伝えでございます
◎7/7(金)、8(土)
わたしたちのタイフェス vol.2 @ 神保町
会場はLAB and Kitchen
ukiwa kentaroの日本でのタイ古式師ライフを
始めさせてくれたsoi herbのスタッフとして両日とも出店してます
7日は17~22時 / 8日は12〜19時
と時間が違うので注意が必要でござる
◎7/16(日)、30(日)
路地裏Garage Market @ 与野本町
毎度おなじみの路地裏で今月は2回
11〜17時でございます
@7/22 (土)
sabai sabai @ 高円寺
初の出店 in 高円寺
共同主催的な感じでございます
会場はknock
12~17時でございます
詳細は近々FBイベントページでお伝えの予定
同じく埼玉のアパレルAVAや
sweet potato clubの奇人tact satoのライブペイント
とかとか他にも素敵な出店者がちょろっといて
小さいマーケット的な
かなりいい感じになる模様
俄然ゆるい感じでsabai sabai (きもち〜きもち〜) はず
以上
7月のukiwaの浮き場でございます
ukiwaの浮き場であたくしと楽しよ!!
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