#2024端午
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新光三越2024端午禮品 5/10開賣 三大國宴主廚推限定粽禮 PK 三大日本人氣伴手禮! 集結國宴主廚粽、台南跨界禮盒、台日最夯伴手禮!
一年一度的端午佳節即將到來,消費者最期待的新光三越2024端午禮盒,今年持續打造全台最強端午禮品陣容,嚴選109款來自台灣各地名粽與世界各國的美食好禮,包括:首度邀請台灣3位國宴主廚─嚴永裕/溫國智/陳進萬聯手推出一次囊括台灣6大風味的獨家粽禮、歡慶台南建城400年!
新光三越2024端午老饕獨家首選!新光三越聯手嚴永裕、溫國智、陳進萬…
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2024花蓮慶端午龍舟嘉年華|粽藝傳承-粽葉飄香情
#粽藝傳承 #粽葉飄香情 #2024花蓮慶端午龍舟嘉年華 淡淡棕葉香,濃濃世間情,根根絲線連,切切情意牽。 一起來參加「粽藝傳承.粽葉飄香情」活動,享受製作粽子的樂趣,傳承傳統文化。 別忘了參加 #花蓮縣政府 舉辦的「2024花蓮慶端午.龍舟競渡嘉年華」,6月9日至10日,讓我們共度難忘的端午節! #花蓮端午節 #花蓮旅遊 #花蓮龍舟嘉年華
淡淡棕葉香,濃濃世間情,根根絲線連,切切情意牽。 端午節來臨,大家齊聚一堂,共同參與「粽藝傳承.粽葉飄香情」活動。 老師指導大家製作傳統的粽子,從選材、包裹、到最後的綁繩,每一步都充滿了濃濃的節日氣氛。 製作粽子的過程讓人回味無窮,更重要的是透過這樣的活動,讓大家了解並傳承傳統文化。每一個粽子裡包裹的不僅是美味的食材,更是對家人和朋友的深厚情誼。 最後,別忘了參加由花蓮縣政府舉辦的「2024花蓮慶端午.鯉魚展競技.龍舟競渡嘉年華」活動,活動時間從113年6月9日上午5時起至6月10日下午6時止,讓我們一起度過一個難忘的端午節吧!
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The Dragon Boat Festival or Duan Wu Jie (端午节), is also known as Duan Yang Jie (端阳节), which means “Upright Sun” or “Double Fifth” (重午/重五). Falling on the fifth day of the fifth lunar month around the summer solstice which happened to be 10th June 2024 this year. The festival is also commonly referred to as the Fifth Month Festival amongst the Chinese. Its origins can be traced to southern China, and festivities include boat races and eating rice dumplings. The festival had evolved from the practice of revering the river dragon, to the commemoration of Qu Yuan (屈原), a third-century poet and political figure of the state of Chu in ancient China.
Legends and Myths - River Dragon (蛟龙)
The dragon was initially viewed as the benevolent spirit of the waters. It exemplified the masculine principle or yang in the Chinese ideology of harmony. Among common folk, it was believed that the River Dragon (蛟龙) controlled the rain and was thus worshipped during the summer solstice. Requests would be made for a balanced rainfall – sufficient to ensure a good harvest, without over-abundance that would cause destructive flooding.
Legends and Myths - Qu Yuan (屈原)
Primitive worship of the river dragon was often practised during the summer solstice. The Dragon Boat Festival was associated with Qu Yuan’s story only in the second century. Qu Yuan (屈原) was a poet and a statesman for the Chu kingdom (楚国) during the Warring States Period (战国时代). He served in high office and he advocated a policy of aligning with other kingdoms against the dominant Qin. However, political intrigue led Lord Huai to banish Qu Yuan instead. The ministry was left in the hands of corrupt statesmen and Qu Yuan helplessly watched his motherland decline. Depressed, he penned beautiful, patriotic poetry such as Li Sao (离骚) which means Encountering Sorrow, an allegorical poem stating his political aspirations and Jiu Ge (九歌) or Nine Songs, which gained Qu Yuan great renown.
youtube
With his top adviser gone, the king fell for the trickery of the Qin and his kingdom was eventually conquered. Upon hearing that his kingdom’s capital had been overtaken by the Qin, Qu Yuan committed suicide by drowning himself in the Mi Luo River (汨罗江). As he was adored by people everywhere, the local people did everything in their power to try to either save Qu Yuan, or at the very least, to protect him in the afterlife.
Hereupon the legend varies. Some suggest that fishermen at the scene attempted to save their minister. Having failed, they sought to appease his spirit by throwing rice stuffed in bamboo stems into the river to prevent the fish from eating Qu Yuan’s body. Others say that the rice offerings were snatched by a river dragon and the rice had to be bundled in chinaberry leaves instead and tied with five different coloured silk threads in order to be effective. The triangular Rice Dumplings (粽子) thus became entwined with the festivities. Another version tells of farmers rowing out in dragon boats in their attempt to save Qu Yuan. Hence, Dragon Boat Racing (赛龙舟) has been held annually on the fifth day of the fifth lunar month, in honour of the memory of Qu Yuan.
Or if reading through a wall of texts is not your cup of tea, here is a pictorial guide to summarize on the history of Qu Yuan (屈原) and how we ended up celebrating Dragon Boat Festival (端午节) with dragon boat racing and rice dumplings on the fifth day of the fifth lunar month.
All images are from the internet. Selected text info from here.
#Dragon Boat Festival#端午节#农历五月初五#Qu Yuan#屈原#Rice Dumpling#粽子#Bamboo Leaf#Dragon Boat Racing#赛龙舟#Festival#Tradition#Chinese Culture#Video#Youtube#Food#Buffetlicious
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30/04/2024
4月最後の日は一休・ちょいカフェでのひととき🍰☕✨
lunchは幕の内🥢 ケーキは紫芋チーズケーキ🍠
鹿児島の端午の節句といえば、あくまき❕ 他県はちまきだそうですが、鹿児島県はあくまきです。 去年に続いて今年も一休のお母さんからいただきました🙏
この日は愛用のミラーレスを忘れてしまい、全てスマホ撮影でやり切ったのはここだけの話です🤫
#備忘録#photography#japan#reminder#kyushu#kagoshima#美味しさは正義です#スイーツには夢がないとダメ#sweets#satsumasendai#一休・ちょいCafe#スタンドカフェ~ちょいカフェ#standcafe_choicafe#あくまき
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1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。 男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。 ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」 そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は、1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。 その間に、桜田淳子氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。 そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に��害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」 2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。 そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」 樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。 そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。 事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。 いずれにしても、犯行に関わった人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの) 朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行とみられていました。 ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。 しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。 この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」 じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るのです。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧しているのかといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。 安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。 でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」 そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」 だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。 そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」 大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、早大で旧統一教会系の学生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。 そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。 そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。 その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。 大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、な��韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道』という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」 その教団の性質が大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。 それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。 そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめています。 これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」 韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた。 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。 なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」 現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。 建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」 本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言葉を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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死闘を制す…えっ、ドローなの(汗)
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
どうも、こんにちは。12月14日(土)は、howellsさんとコシガ池に行ってきました。土曜日はお約束の喫茶店のモーニングサービスに行ったので、僕は10時前に到着。往路の車中でhowellsさんから「1枚目」とヘラブナの写真を受信しました。早っ!それにコシガ池はマブナが多いのですが、ヘラブナやん。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
天気のことは何も考えていなかったんですが、午前中は少しパラつくかもで、午後は晴れるらしい。howellsさんは屋根付桟橋の6号桟橋にいたんですが、ま、天気は保つやろとhowellsさんに声をかけて露天桟橋の3号桟橋東向きの長竿枡が空いてたので入りました。長竿枡には毎週来ている常連さんがいるのですが、今日はいないと思ったら1号桟橋北詰枡に入っていました。珍しい。さて、長竿枡ですが、壁が斜めになっているので、この枡と右(南)の枡が最長で18尺ぐらいまで振れるかな。コシガ池の尺数規定は15尺までですが、長竿枡は対面に釣席がないので、尺数規定の適用外です。右の枡は桟橋があるように見えますが、先端が斜めになっているので着座は不可能で対面を気にせずに長い竿が振れます。枡が狭いけどねw。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
さて、長竿枡を確保したので、今日の竹竿は「春満」の16尺です。釣りが趣味じゃない亡父が買って持っていた竹竿。息子が釣りが好きなので買っておいたのかな?40年?もっと前?から家にあった竿です。ヘラ釣りを始めた時に、竹竿があったはずと���したらあった竿。他にもあったような気がするんだが見つけられなかった。それとも記憶違い?
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
浮子は、舟水の「太PC・底」の13番。舟水としては廉価版のカヤ浮子です。レギュラーシリーズは羽根浮子ですね。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
わずか数投で浮子がモゾモゾしていたら「ツン」と入ったのでアワセたらグングンと頭を振る手応え。ボウズ脱出〜!
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
また見やすい魚信があって乗った〜!16尺の竹竿が孤を描いて気持ち良か〜。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
ほい、両目が開きました。いつもの痩せたマブナ。魚品はもう一つですが、サクッと釣れるのがコシガ池の魅力ですね。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
右隣の枡と比べると比較的広い枡ですが、それでもこの幅。ショートするミスキャストもありましたが、16尺竹竿でとりあえず全弾着弾w。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
4枚目。16尺で4枚釣ってお昼ごはんにします。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
中セ池みたいに隣がコンビニというわけではないですが、歩いて数分のところにセブンイレブンがあります。今日のランチはマカロニグラタン。実は好物なのです。美味かった。もっと早く買えばよかったw。グラタンだけでは足りない気がしてアメリカンドックも追加。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
ご飯の最中に雨が降り出して…howellsさんは通り雨やと仰って13尺を振ってましたが、小雨とは言えないにわか雨が降ったり止んだり。僕は16尺の次は15尺を振るつもりでしたが、露天桟橋を諦めて屋根付桟橋の5号桟橋に移動。14時頃また降るらしいので、howellsさんも5号桟橋に。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
屋根下に入ったので、竹竿は7尺の「孤舟」です。これ良い竿ですね。「へら竿のときわ」で25,000円だったんですけど、なんで安かったんやろ?
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
浮子は、「伊吹」の「両ウドン グラスムク」の#7(ボディ7cm)です。とにかくオモリが乗らない(汗)。苦手で使いこなせなかったんですが、細仕掛けでやってみます。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
「がまかつ」の軽くて小さい2号の鉤(へら鮒スレ?)を使っても、オモリがこんだけしか乗らない(汗)
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
「ツン」と来た。「両ウドン グラスムク」で釣ったでえ。口元の鉤の小さいこと。いつも使ってる「新改良スレ」の2号と比べても同じ2号でも小さっ。
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
5枚で足踏みしていたhowellsさんが釣席を東側に替えてから調子を上げてデットヒート。これ8枚目���すが、howellsさんも8枚目を釣って同点。だが、15時を過ぎて僕たち以外は皆さん片付け始めてソワソワ。howellsさんから、「1枚釣って決着をつけるか、15時半で終わるかにしよう」とゴールデンゴール方式www。howellsさんが1枚掻いてドキッ!
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
ラスト1投のはずが15時半になってしまいタイムアウト。howellsさんが「まだエサある?これで最後の1投」としはったので、僕もウドンが1個だけ残ってたので下鉤につけて投入。モヤモヤしていた浮子が「ツン」と入った!
2024年12月 こしが池(堺市) iPhone11
激闘を制したwww。喜色満面でhowellsさんを振り返ると、「15時半過ぎたからドローやろ?」って。
(≧◇≦)エーーー!
そりゃないぜ。
西池でも中セ池でも後塵を拝していたので、久しぶりの勝利が…
ということで、12月14日はフナ9枚でした。あと1枚で「つ抜け」やったのにな〜。
では、また。
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2024年12月5日(木)
日本の「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録されたとのこと、画像は毎日新聞からお借りしている。私自身はかつて「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録に関わった経緯から、この手のニュースには敏感である。議論はあるだろうが、自文化を誇り異文化をリスペクトするには、有効な手段であると思う。ユネスコの決定に敬意を払って、今夜は頂き物(=自分では買えない)の酒を味わうことにする。単なる飲んべえではないよ、文化遺産に敬意を払うための行為だよ〜。
4時起床。
日誌書く。
ツレアイの起床を待って、洗濯開始。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
彼女の弁当を用意する。
時間があるので、珈琲を入れる。
プラゴミ、30L*1。
彼女の職場経由で出勤する。
やはり往路は冷え込みと混雑で燃費が悪い。
換気、ラジオ体操第一。
お茶は後にして、教室へ向かう。
木曜1限は<共生社会と人権>第11週目、今日のテーマは<性的マイノリティーを考える>。今の学生には、LGBTQという言葉は日常的に接しているが、まずは Gender/Sex の概念からスタートする。名簿や制服などを通して、時代の変化と性差について気づかせる。本論は「LGBT理解増進法」の成立までの経緯とその問題点、いつもながら脱線が多くて本論が中途半端に終わってしまった。
部屋に戻ってお茶、そして昨日の入力問題の採点作業。合格ラインに達したのは半数、ま、こんなもんだろう。
作業終えて、早々に退出する。
早い時間帯なので道路もスイスイ、時間も燃費も好成績。
まずは、コンビニのATMでお金を下ろし、春日��便局で<熊野会(新熊野神社のサポーター)>の会費(¥3,000)を振り込む。
コレモ七条店で買物、ミニトマトとブロッコリー。
研究室の蔵書を少しずつ持ち帰り<もったいない本舗>に発送、今回は5箱、明日の午前中回収の申込をする。
作業場の掃除、書棚に大分スペースが出来たので、辞典類などの整理がしやすくなった。
佐川急便が時間指定の配達、ワイン4本セット。
夕飯用に、カボチャを煮る。
ツレアイから早いバスに間に合ったとのこと、夕飯準備を始める。
彼女が帰宅、まずはココに点滴。
ポークソテー・茹でソーセージ・カボチャ煮・キュウリのぬか漬け・レタスとトマト、イタリアのオーガニックの赤。
録画番組が無いので、小三治のCDから「備前徳利」「玉子かけご飯」「駐車場物語」。
片付け、入浴、体重は2日で100g増。
ホワイトホースのハイボール舐めながら、日誌を書く。
3つのリング完成、もう少しムーブを頑張りたいモノだ。
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2024/11/29
ずいぶん間が空いてしまった。
この間の状況を説明したいと思う。
まず、先だって息子に贈る手紙を書いたように、実はハムちゃんは妊娠している。予定日は1月の終わり頃だ。子どもが(生物的には)男の子であることも判明している。おれの子どもらしく、ぐるんぐるん動き回っていてハムちゃんはあまり眠れていない。
また、おれもハムちゃんの支援と遠距離通勤による仕事で知らず知らずのうちに無理がたたり、10月の頭に予定通りの時間に起床できなくなり、主治医からうつ状態と診断され休職している。正確にいえばまだ傷病休暇期間中だが、復帰する前に育休予定期間に入る可能性が高く、手続き上の都合により休職として整理される可能性が高い。
ということで、奇しくも、自分史上最長の休みをとっている。主治医からは、睡眠のリズムを作り、時間をうまく整理しろと指示があった。そういうわけで、今は22時に就寝し、朝5時半に起きることをしばらく行っている。ハムちゃんとは寝る場所を別にし、22時におれの寝室は消灯する。ハムちゃんはリビングで寝ているので、おれが起床するとちょっと目を覚ましてしまう。この家の構造上、布団が敷けるのがこの2部屋だけなので、こうするしかない。
おれの基本スケジュールは、朝起きたら通勤の練習がてら周囲を散歩し、駅周辺のどこかの店でモーニングの軽食をとる。始業時間近くになったらハムちゃんの朝食をコンビニで買うなどしながらいったん帰宅して予定を整理する。つまり、2-3時間くらいを自分の時間として整理するようにしている。
最初のうちはとにかく仕事を休んで、睡眠をとりできるだけ何もしないようにしていたが、空いている時間はゲームをしたりするようになり、今後のための荷物整理をしたりしているうちに睡眠のリズムが崩れていき、最終的に午前中をほぼ睡眠で過ごすようになってしまった。
その辺からおれの体調はさらに悪化していき、猛烈な抑うつになってしまったので、主治医から「夫婦で一緒に寝ることはあきらめて���普段通勤する時間に起きられるようにすることを第一とすべき」との助言のもと、少し離れた場所のビジネスホテルを1週間弱ほどとって、22時就寝5時半起床を厳守し、好きな時間を過ごすようにしてみた。もともと前述による休暇中であることやそもそも時間外労働がほとんどできなくなり収入がかなり減ったうえで、さらに買い出しが困難であるためコンビニや出前館などを駆使し支出が増えていった結果、資金繰りが非常にシビアになっていたところ、この出費をねん出するのはかなり手痛かったが、仕方がなかった。
前述の通り、その睡眠修行から帰ってきてからはどうにかそれを維持できてはいる。しかし、同時に服薬のセットを変えるということをやっており(おそらく主治医はこれがやりたかったのだろうと思っている)、これの影響か思考力��極端に落ちていて、やはり年内の復帰は難しいだろうという診断となっている。
まあ、職場に自分がいないのはもとよりある程度覚悟していたことであったのが不幸中の幸いだし、正直残りの同僚がどうなろうが知ったことではない(その調整をするのは上司の仕事であると思っている)ので、とにかく職能が回復するまで休ませてもらうが、おそらく年初に復帰したところで、手続きだけとってすぐ育休になるのは目に見えており、なんだか微妙なものを感じる。
ただ、どちらにせよこの半年の中で職場で働くのは長くても1カ月程度だと思えば、近いうちに職場に忍び込んで机の環境を整理したほうがいいように思う。
あと、距離が遠すぎるし、給料が落ちることが確定している(これはおれが休職したからではなく、業界全体の理由であるが)ので、さすがのおれも今回ばかりは転職を考えないとまずいような気がしているが、当然ながらそんなことを言っている場合ではなさすぎるので、まずは現状を整えることに専念するしかない。
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2024年8月5日月曜日
病院の待合室にて24
病院の待合室にて (Reprise)
現在の時刻は午前十一時。私はかかりつけの心療内科の待合室にいる。みなさん、いかがお過ごしですか?死ぬほど暑いですけど、死んでないですか。死んでいるのに気づかないまま、これを読んでいるという方はいませんか。いませんね。いませんよね。信じて次に進みますね。
油断していた。T君との一日を詳細に書き、通院五回分、つまり十週分にしたので(一回の分量を決めているのは私なので、私の匙加減ではあるんだが。ちなみに三千字程度という目安があった。理由は一回目がそれくらいだったから)、その十週のうちに何か書きたいことが生まれる、衝動的にそれを書きつける日がある、そう思っていた。書きたいことなかったね。衝動も起きなかった。安定していたとして前向きに捉えるべきか。
最近。最近は同じ日の繰り返し。外は暑かったり雨が降ったり雷が鳴ったり死の恐怖を覚えるほど暑かったりするが、私は部屋にいて同じことを繰り返している。何してるか書く?前にも同じようなこと書いたと思うけど書く?書きましょう。書くことが思い浮かばない上に記事のストックがなく(厳密にはあるけど完成しておらず、続きを書く気が起こらない)、診察にも呼ばれないので。
朝に起きます。最近は八時が多いです。朝ごはんを食べる。お母さんが作ってくれます。優しい。パンかピザが多いです。猫にちゅ〜るをあげます。顔を洗うなどして身支度を整えて整体に行きます。整体に行かない日はストレッチします。整体に行った日もストレッチします。終わったらお昼になっています。お昼は毎日サラダと魚肉ソーセージです。お母さんが作っておいてくれています。優しい。猫にちゅ〜るをあげます。済んだら掃除をします。大掃除をずっとしているのですが、いよいよ佳境に入ってきています。次の大掃除の工程が「いらなくなった服を一か八か売りに行く」だというのが、大掃除が佳境に入ってることを象徴していると思います。掃除を一時間したら本を読みます。一時間読んだらタイピングの練習をします。一時間練習をしたら、楽器の練習をします。一時間練習をしたら読書に戻ります。あとは読書、タイピングの練習、楽器の練習のサイクルをぐるぐる繰り返し、夕方になったらシャワーを浴びます。洗濯がある時はこの時します。猫にちゅ〜るをあげます。お母さんが帰ってきたら、夕食になります。お母さんが作ってくれます。申し訳ない。食べ終わったら先ほどのサイクルに戻ります。午後十時に眠剤を飲みます。眠くなるまでサイクルの中にいます。眠くなったら寝ます。一時ごろに寝ることが多いです。
そりゃ書きたいこともないよ。何この生活。相変わらず無職なんですが、働けるのではないかと思えるほどです。でも抗うつ剤も飲んでるし。夕食後に飲むことになってる抗うつ剤を飲み忘れた日があったんですが、起きたら「何もかも絶望的やないか…」となって一日中寝ていた。極端過ぎひん。あっ、診察に呼ばれたので行くね。本当は何か書くことあったのかな。あったのかも。ごめんね。
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2024年旧寿原邸の最初のイベントです。
「キモノハナおあつらえ」さんの企画です。
お申し込みは、下記の申し込みフォームからお願いします。
【山田祐嗣氏所蔵 寿原家の節句かざり】
〜寿原家ゆかりの五月人形と雛人形〜
寿原家旧蔵のお人形を中心に江戸時代から昭和の小樽ゆかりの節句人形が
端午の節句の旧寿原邸に集う2日間。
公開時間 10:30〜16:00(5/6は15:00まで)
観覧料 お一人様 100円(予約なし)
◆雛人形司 山田祐嗣氏解説による節句人形観賞会
①5/5(日) 11:00〜
②5/5(日) 14:00��
③5/6(月・祝) 11:00
□会場:3階和室
□講師:雛人形司 山田祐嗣氏内容:お人形の見どころや寿原家にまつわる由緒を解説していただきます。
□会費:500円
□定員:各20名
□お申込みフォーム:解説を聞きたい方は事前にお申し込みください。
https://tayori.com/form/484aeb68d39d14a503355d5d5b8e486459e0b902/
□企画:キモノハナおあつらえ(臼杵美紀)
□協力:NPO法人小樽民家再生プロジェクト・NPO法人歴史文化研究所・株式会社和光
□後援:一般社団法人小樽観光協会
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2024/1/9〜
1月9日 身体の全ての感覚がなくなってしまい心が塞がる寒さを思い出した一日だった。
職場は今日からお仕事始めの方も多く、いよいよ日常が戻ってきて、なんかもう少し安心している。 友人から受け取ったメッセージを開くと、年賀状が連盟で新鮮だったこと(わたしの友人同士が結婚した)と悲しいけれど仕事始めで職場にいることでなんとか取り戻したところがある、という内容で、すごくわかるな、と今日一日時々思い返していた。
お昼休みに清里フォトポートフォリオの申し込みをしようとして、応募受付日の前日から登録だけはできるはずなのにフォームを見つけられず、日にちを確認すると1月10日から。そして今日はまだ1月8日!まだ1月一桁代なんて信じられない。今年も長くなりそう。
他の職員さん同士で、某スーパーのピーターラビットグッズプレゼントキャンペーンのことを話していた。私��毎日行くスーパーでもそのキャンペーンを実施していて、ぬいぐるみがかわいい!と気になりつつポイントを貯めるまめなことはできずもう何ヶ月も経ってしまっている。 職員さんの娘さんが欲しがっていて、半分ポイント、半分お年玉で手に入れる作戦を立てているとのこと。
昨日の夜、久しぶりに少し落ち着いてインターネットをできたきがしていて、やっぱり水野しずのnoteで真顔に戻れた。 あと新所沢PARCOが来月末で閉店することを初めて知った!閉店間際に行く予定を立てたい。
今週末は2日連続で始発出勤。これを乗り越えたらお休みしたり、写真のことをしたいので、なんとか乗り越えられます様に。
1月10日 昨晩は疲れすぎてたくさん飲み物を飲んでしまった。なるべく熱々にして飲みたくて、でも身体がエネルギーを欲しすぎて速飲みしようとして、たくさん舌を火傷して痛い。 高校の時の部活の悪夢を見てしまって、本当起きてからも辛かった。さわりしか知らない曲を一曲指揮しないといけないという悪夢。かつてこれが現実だった時間もあったのか、と思うと今がとてもましに思えてしまう。
東京出張でへとへとになって、でも移動中の電車で清里ヤングポートフォリオの登録を済ませる。あまりこのコンペのことをよくわかっていなかったので応募要項を読み直して、写真のプリントにこだわったことがあまりなかったし、今もそこまでこだわりきれないところがあるので、別これに応募しなくても良いのかな、と思えてきた。 でも、中途半端ながらもやるだけやってみるんだと思う。
どう乗換案内を調べても2時間以上かかる移動に、日記の文字起こしもし始めたけれど、へとへとが相まって文字を打てないくらいうとうとして寝てしまった。 職場で2時間ちょっとだけお仕事をした。
一期下の方から年賀状のお返事を手渡しでいただき嬉しい!満月を見ると私も月を見ているかな〜と思う様になった、と書いてくれていた。 給湯室で会った二期下の方と、結婚ブーム(ラッシュ)のことや、結婚式に行きたくない!という彼女の主張を聞いて、一昨日あった友人から結婚式のエピソードを聞いて、他人の結婚式は8割はおめでとうおめでとうおめでとう!という気持ちだけれど、2割くらいは、目の当たりにするちょっとした演劇にどこまで苦しくなく目の当たれるか心配な気持ちを抱えてしまう話をしたことを思い出す。
今週末にできない生活のこと、少しでも済ませて置けます様に。
1月11日 午後から都内はイベント的出張があり、午前中はお休みをとって、この週末にできないお掃除などを済ませて家を出た。 今日はこの冬一番の寒さの様だったけれど、いつもの職場の朝より寒いことはなくて、東京って暖かいと思った。泣かないで耐えられる寒さ。
午後からの予定が以前の職場に程近かったため、新年のご挨拶も兼ねて、お世話になっていた職員さんへ連絡をとり顔を出してきた。 今の自分の状況的に自ら人に会いに行くなんてしない方がよいかな、と思いながら直前に連絡を取ってみて、お会いできることになって緊張しながらちゃんと楽しみでもあった。
手土産に渡してみたかったふくろうサブレを新橋の小川軒で購入。 初めて行ったけれど、近江屋のようなクラシカルな雰囲気と素朴で多福感のあ���お菓子屋たちがとてもよかった。
その後は年末に前を通りかかって気になっていた、法務省の展示室の見学へ行った。
日比谷公園を歩いていたら、ふと日比谷図書館で石川竜一のエベレスト等の登山の写真展が開催されているのを見つけて入ってみる。 登山途中の記録の写真が良かった。あまり石川竜一の写真を見たことがなかったけれど、日比谷公園を撮った写真もなんだか良くて、こんなに死にそうになりながら高い山を登らなくも良い写真を撮る方なんだな、と思った。あとどのくらいレベルの山から登山記を作ったりするんだろ。
法務省の赤レンガの建物に入る扉がとても重かった。 税関と同じ様な重厚感のある階段空間や、近代建築の装飾が施された天井などを見学できて、ライブラリーでは法や謄本の制度ができるまでの歴史等が展示されている。 ゆるキャラは���ウリスくん(リス)とホゴちゃんとサラちゃん(ペンギン)とサイバンインコ(インコ)だった。どこにでもゆるキャラっているんですね。 弁護官と検察官と裁判官の昔の法廷の制服が可愛い感じ。それぞれ肩から背中にかけて異なる刺繍か入ったマント。
東京のオフィス街のランチタイムを抜けて、以前の職場へ向かう。 毎日乗っていたエレベーターで、もうフロア案内を見ないと何階かわからなくなっていた。 お忙しい中でもみなさん挨拶してくださって、少しおしゃべりをさせてもらって、単純な感じでお仕事がんばろうな、という気持ちになった。いつか一緒にお仕事できれば、と思いつつ、もう綺麗な思い出のままそんなことはしない方がいいのかもしれない。
午後からの予定のため上野公園まで歩く。 不忍の周りにいた鳥が、いつかの九州旅行の途中に乗ったフェリーの上でカッパえびせんをあげた鳥の種類と同じだと気付いた。
用事が終わり、上野駅の高架のペデストリアンデッキから東京の夜は明るいし、明るいだけでも寒さが和らぐ気持ちで年末年始に眠っていたまちが動いている様子を眺めながら歩いて帰宅。
今日は充実した非日常的平日を送れた気がする。 長い一日でした。
1月12日 昨日お会いできなかった前職の職員さんからメールが届き、今日もそのおかげでモチベーションを何とか保っていた。 でも心の中は明日からの入試業務の悲しさと不安しかなく、今もとても明日始発に間に合う様に起き上がれる自信がない中へとへとに帰宅している。
ふと思った、インターネットで決定的なお別れをしたことがない事、去年わたしがインターネットでさっぱり消えられなかった事について少しだけ文字にしてみたくなり、もうInstagramで誰も長い文章を読まないことは知っているのに、長い長い言葉と一枚の写真を置いてみた。 久しぶりにインターネットで息をして気持ちになった。 今はこの8年くらいにインターネットを通して出会ってくれた方々にお礼を言える様な誕生日を迎えたいと思って、そんな利己的な気持ちのない誕生日を望んでいる私はもうすぐ死んじゃったりするのかもしれない。
今日はお昼休みに赤い梅が咲いているのを確認できた。
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2024/05 いけばなお稽古記録
端午の節句があるため、花菖蒲の一種生けを2杯 季節の花として生けた芍薬は、「好きな花は綺麗に生けるね」と褒められた
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杉並分室につきまして
[杉並分室]
三ヶ月程度ごとに行われる、とても小さな個展です
いつも新作があるわけでも無い
展示のために作られた部屋というわけでも無い
とても地味な空間を始めます
そのかわり、と言えるかどうかわかりませんが、お一人、あるいはお二人だけで、お茶でもしながら、せめてのんびり過ごされてください
- - -
※ご応募が募集総数に達しましたので、今回の募集は締め切ります。6月末か7月初旬あたりで次回開催できたらと考えております。
4/19
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
4/20
10:00 - 12:00
13:00 - 15:00
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
4/21
10:00 - 12:00
13:00 - 15:00
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
予約制 / ひと枠二時間
杉並区某所(中央線) 詳しい所在地は予約受付の際お伝えします
来場費:無料
-
- 予約受付について -
※募集総数に達しました。ありがとうございました。
3/19の午前0時から開始します。
予約方法は、上記の時間枠をご確認の上、
1. 氏名
2. 電話番号(可能であれば)
3. 希望の枠(できれば第三希望くらいまで)
4. 人数(1名か2名)
以上を添えて下記メールアドレスへお送りください。
柴田高志 宛
先着順です。
ご希望に添えない場合ももしかしたらあるかもしれません。何卒ご了承くださいませ。
. . .
一昨年の12月、東京を離れました。
東京での暮らしは、大事に思えるものが多くあり、それらをもたらしてくれたのは、間違いなく当時居住していた部屋でした。杉並の住宅街の、奥まったところに建っている風呂の無いとても小さな一軒家で、七年間、たくさんの絵を描きました。
入居したての頃、部屋には文字通りトランク一つだけ、コップすらないので、手で水を飲みました。どうしてか、とても心が踊りました。
大して日当たりの良くなかったその部屋も、入居日、春のある日、大変暖かく、何にもないけどしみじみと、いい部屋だな、と思ったことを今でも思い出します。
そんなこの部屋もここ一年ちょっと、東京滞在時に泊まるためと、絵の置き場所としてしか使っていませんでした。オープンアトリエにする計画は転居前からありましたが、壁を作ったり照明をいじったりが大変だなと二の足を踏み、どういう風に室内を仕上げたものかと考えあぐねていました。
(自分にとってはですが)気持ちの良い部屋なのに...
ぼんやりと、内装のことを考えるでもなく考えていく間に、そんなにがんばらなくても、もともと自分が好きだった空気を保った部屋であることが一番なのかな、という、妥協することで最良と思われる納得に至り、ほんの少しだけ部屋を整え、2024年の春に予約制で公開することとしました。
部屋の名前について。以前お世話になったブックギャラリーポポタムさんでの個展の後、ちょうどコロナ禍が始まるかというくらいの時に、同じくポポタムさんが当時運営していた「ポポタム分室」という部屋で非公開個展をさせていただく機会をくださいました。
その時の個展での発見や気付きが、今回の公開につながっています。
今は無いポポタム分室に敬意と感謝を持ちつつ、東京都杉並にあるわたしの分室、ということで「杉並分室」という名を当ててお知らせしていこうと思います。
いつまで続けられるかわからない細々とした活動になりますが、お付き合いいただければ幸いです。
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- 杉並分室について -
滞在中、部屋の中にはあなただけです。わたしはいません。 折角、誰の視線も気にせず、日中は自然の光を受けた、日が沈んでからはあったかい照明の光に照らされた絵を、見るともなく見てもらえるのんびりした場所を用意しているのですから。お茶かコーヒーくらいはお出しします。置いている本も自由に読んでください。
わたしは部屋の外で本でも読んでますので、ききたいことがある、ちょっと話したい、一緒に外を散歩しましょう、などあれば、いつでも呼んでください。
部屋の中には手のひら大の小さな絵から、20号程度の絵あたりを数点展示予定です。ストックもあるので、ご希望があればお出しできるようにもしています。 もちろん絵や冊子などの購入は可能ですが、この部屋で絵をご覧いただけるだけで、わたしはとても嬉しいです。自分が一番長い時間、自分の絵を眺め、描いていた空気感そのままに、ご覧いただけることがとても嬉しいのです。
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さて、ここからは注意事項です。
1つめ
この部屋は住宅街の、入り込んだ場所にある大変小さな一軒家です。 基本的に、部屋の中ではお一人かお連れ添いお二人で過ごすことになり、希望されなければ室内にわたしは入りません。 ただ、あなたがたは知らない人の部屋に訪問することになってしまいます。 中には不安感を抱かれる方もいるかと思いますので、ご予約の前に、今一度お考えの上、ご連絡ください。
二つめ
建物はとても小さな一軒家です。二階部分が当部屋なのですが、狭めの階段がある上に、上がりきったところがまた極端に狭くなっています。脚が悪く階段を昇れない方や、特別身幅が広い方は、もしかしたら通過できないかも知れませんのでご了承ください。
三つめ
現在、向かいの家が更地になっています。もしかしたら四月ごろには何かしらの工事が行われているかも知れません。普段は大変静かな場所ですが、タイミング悪く騒音が響いてしまうことも懸念されますので、その際はどうぞ悪しからずご了承下さい。
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ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
少し先の話ですが、ほんの少しでもお気に留めてもらえれば幸いです。
柴田
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また、午前10時までは銚子~犬吠間での折返し運転となり、外川駅の始発列車は10時20分発 銚子行となります。
え? どゆこと? って一瞬考えた
てーのは犬吠駅は棒線駅で折返し用の信号設備がないのよ。だから仮に1列車運行だったとしても犬吠駅で折返しはどうなの? って思ったのね
で、調べたら笠上黒生~外川間はスタフ閉塞だった。つまり下り電車が笠上黒生でスタフを受け取ったらほかの列車は笠上黒生~外川に入ることはできないので、犬吠駅で折り返しても問題ないってことなのか
考えてみたら外川駅には出発信号も場内信号もなかったな
外川駅端から銚子方面。踏切後の架線柱についているのは踏切の動作反応灯
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