餡こ、餡こ、餡こ されど餡こ 沼にハマって居ます。 理想のイメージに近づいたかと思えばまた遠ざかる。 お手本に中々近づけません。 理屈は分かります。 沸騰させずギリギリの温度で短時間で煮あげると香りが飛ばず味わいの濃い餡子になる。 実際やって見ると低温では豆が煮えない、煮上がりまで長時間かかります。 短時間で煮あげようと思うと高温にせざるを得ない。 このアンビバレンツ(二律背反)を如何に解決すべきか。 あく抜きのわなもあります。 今回灰汁の全く無いすんだ煮汁ができました。 煮汁自体が美味しいです。 成功!と思いきや綺麗にするのを心掛ける余り肝心の餡こから味が抜けてしまいました。 スッキリと言えば聞こえが良いけど、この豆本来が持つふくよかな滋味が感じられません。 ああ 沼だぁ〜 何事も突き詰めると難しい。 でもだから楽しいとも言えます。 次は締切間近のチョコレート菓子も製作しなきゃ。 益々悩みが増える今日この頃(・・;) #長沼 #カフェ #小豆の性質を見極めよう #餡この命はどこ? #低温でかつ早沸が出来る技とは? #味も香りも飛ばさない #濃厚な餡こはどこ #悩み悩み悩む #餡こ沼だね #カフェピアーノピアーノ #blog (Cafe Piano piano カフェ・ピアーノ・ピアーノ) https://www.instagram.com/p/ClbKhV8pOiV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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茹だる
うだるような暑さが続いていた。うだる、を漢字で書くと茹だるらしい。茹でられながら家と会社の往復をしている毎日だった。仕事量も徐々にだけど増えていて、前部署にはなかったような残業時間。あっという間に周りが帰っていたころとは違い、さすが本社だな、と思う。出退勤をお知らせしている社内チャットツールには、「お疲れ様でした」と22時に近い投稿時間に慄いた。起床時間は実家に居た頃と変わらない。身だしなみのほかに、弁当作りと朝ご飯、皿洗いが追加された。2日に1回は洗濯物を干している。実家に居る弟曰く「お姉ちゃんがいなくなってから洗濯物の量が減った。」と言われた。そんな弟から珍しく「電話してもいい?」と連絡があった。ただ事じゃないなと思い、返事をし、電話をかけると、『仕事をやめていたのがバレた』とのことだった。いや、そもそも辞めていたなんて私も知らないし。昨年末に辞めてたなんて、あんた詐欺師になれるよ、なんて言ったりもした。そんな弟とは月末に、気晴らしにでもなるかなと、都内で開催されるCLAMP展にお誘いしていた。なんやかんやで、弟は両親には怒られず(もう立派な大人だし)、無事共に行くことができた。美術館までの移動中に、仕事について聞くと、「自分の自由時間がしっかりとれるところに行きたい」と役所系を目指すと言っていた。私も過去に役所に行けと言われ、結局最終面接で落ちて今に至るんだけど、私は弟に「向いていないんじゃないか」とも伝えた。元々勤めていたところも準お役所系な場所で、上司からひどく扱われ、見合わない給料に嘆いていたから。それでもって、休職をしていたのだから、もう同じような場所で働いて疲弊している姿を見ていたくない。とそれとなく伝えたが、囚われている気がした。LINEでほぼ毎日連絡はしているけれど、弟がどうしたら幸せになるのか考えているばかりで。私の考えすぎで、それでもって迷惑かもしれないけどね。ただ幸せになることはこれからも祈っていくよ。
お弁当を1人暮らしになっても持って行っている。実家の時は母に詰めてもらっていたが、大学時代とかでも、きちんと自分で作っていたよ!なんだか、私にとって、コンビニの弁当とか、はじめのうちはいいんだけど、どんどん好きじゃなくなって、しんどくなる。(個人的な意見です)なので、修論書いているときは、自分で作る時間もなく、他で買った弁当も食べたくなくて、みるみる痩せていった。不正出血もした。私の弁当道にはこだわりがあって冷食をいれないこと。いや、便利なんだけど、母も入れるし嫌いでもないんだけど、なんだか自分の作る弁当には嫌で、ずっと手作り。きっと人生のステージが変わる時が来ればそんなことないんだろうけど。恋人のお弁当も手作りで、毎日ゆで卵2つと肉を要求される。肉というよりタンパク質かな。ゆで卵は味付けを変えるだけだけど、毎日同じの作るのも嫌なので肉はアレンジしている。月々5,000円。高いというけど、材料費と愛情と手間暇にケチるな。ゆで卵を作るのが嫌になってきて、とうとうゆで卵メーカーを月末に導入した。もっと早く導入すれば良かったと思うくらいのぷりんぷりんのゆで卵。おすすめ。私は2段のものを買ってブロッコリーだったり、温野菜もした。
恋人がパーマをかけたらブロッコリーになった🥦私はそれを気に入ってイラストにしてロック画面にしている。2周年に、とブロッコリーの恋人イラストTシャツを送り付けることにした。3XLって聞いたことないけど。
実はゆで卵の殻を剥くのがしんどかった時がある。それこそ恐怖のアンパンマンスライサー事件。恋人と話していて悩む部分がありながら新品のスライサーで胡瓜をスッスッとしていたら親指もスパッといってしまった。ものすごく血が出てパニックで涙が出たけど、今はもう元通り。生命力ってすごいね。それこそ暫くはアンパンマンの食べかけの顔状態になっていた。
弟との話に戻るが母が食べたいと昔ねだったおはぎを買いに行った。茹だるような暑さの中、噴き出す汗に弟から「お姉ちゃん汗やばいよ」と言われながらも手に入れた。カラフルで美味しい『タケノとおはぎ』サボリーマン甘太郎から私も虜だった。私の分と家族の分2つ予約して買った。
私は和菓子にはどことなく目がなくておはぎもそうだけど、あんみつだって、おしるこだって、羊羹だって大好き。昔から祖母が手作りで餡を作っていたが故に大好きなんだと思う。ういろうも大好き。昔恋人の故郷で、虎屋のういろを一本食べた。死ぬ思いだった。恋人にホワイトデーのお返しの品が返ってきていない!と言い続けたら靴と虎屋のういろコラボバッグをもらった。「○○はいつも不思議なバッグを持ちますね」と言われるけれど、好きに包まれてるんだからいいでしょう?
この前投稿した大雨事件は、とても近くで止まってしまった。結局遠回りしてついたけど、翌日に荷物を頼んだ。頼んだら宅配ボックスに詰められて???となったけど、受け取れて良かった。実家の米。私は米を買ったことがない。米を入れる準備をしていると母親からFacetimeで電話がかかってきた。早く開けて!と言われるので何かと思ったら桃が入っていた。1日置かれた桃は熟していたけど丁度レタスとモッツァレラと生ハムがいたのでサラダに入れた。甘い桃だった。
髪をバッサリ切った。いつものように赤を入れてもらって。今度からは、半年とかじゃなくて定期的に来ますね、と言うと「お待ちしております半年後」と笑ってくれた。
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0628~0630 たつふまデート#2 最終日(6/30)
目が覚めると宿泊施設を出ないとだし、家に帰らないとだし、帰りたくないなぁと思いながらもご飯食べて支度して…ってしてたら、なんで帰るのって言われました。ほんとだよな、なんで帰るんだろう俺は。
それでも支度終わらせて荷物詰めて、チェックアウトして、連れて行きたいとこがあるって言われたところに仲良く手を繋いで向かうたつふま。でもその前に2人でほうじ茶クラシックティーラテ(カスタム)。ひと息ついて向かいます。
チョコ系のカスタムにしてみた俺。ほうじ茶の味が消えてしまったので、また美味しそうなカスタム見つけて飲もうと思います。笑
連れてってくれたのは犬山。天気は微妙だったけど、緑が多くて美味しいものがいっぱいあるところで、一瞬で虜に。そんな中、1食目は五平餅。すんごい美味かった。これはまた食べたいなあ。
食べ終わったあとは隣の古着屋さんへ。竜也くんが着替えたいっていうのもあって、服選びしちゃったりして。…いやー、似合いすぎて抱きついちゃった。今度のデートにも着てきてくれるらしい。楽しみです。
お次はフルーツ飴のお店。フルーツ飴の下にハートのマシュマロがついてたし、フルーツ美味かったし、店内お洒落だったし、また行きたい。(2回目)
(ここから写真の消化)
1枚目 フルーツ飴食べ終わったあと、たしかお昼前とかだったので"ひつまぶしが食べたい!"とお強請りしてみました。ひつまぶしの食べ方も知らなかった俺。でもちゃんと出汁かけてみたり、そのまま食べてみたりと満腹。また来たいな、ひつまぶし美味かった。
2枚目 卵焼き串。まだまだ食べ歩きのたつふま。ジューシーで大きくて分厚い卵焼き。雨が降ったりやんだりでなかなかっこいい落ち着かない天気ではあるけど、竜也くんとなら何食べても何しても幸せだなあって感じてたのがこの時。
3枚目 金魚ソーダプリン。なめらかプリンにソーダゼリーが乗っかってて、金魚は餡子みたいな。写真には写ってないけど桃のスムージーも飲みました。それは竜也くんがフルーツ飴のお店で飲んでたんだけど1口いただいて、美味しかったので頼みましたん。夏になるにつれて俺は桃が欠かせない。美味しかった〜〜。。
4枚目 お団子。みたらしなんだけど、お団子にプリントされてるわんこが俺は可愛くてイチオシポイントだったなあ。()あ、しっかり美味しかったです。飲み物は竜也くんの。俺もなんか飲めば良かったと後悔してる、未だに。笑
バウムクーヘンが美味しいお店にも立ち寄ってみたり。竜也くんは家族に抹茶のホールともうひとつ美味そうなのを買ってた。試食出されたんだけどそれがめっちゃ美味くて。犬山は美味いものがいっぱいあって楽しいところだなあと実感。ライブ2日頑張ったご褒美にって連れてきてくれたんだけど、本当にご褒美感満載でだいぶ満足。ありがたいなあ。
そして、竜也くんが俺を連れてきたかった目的地、犬山城。好きな人の好きな物には興味があるので、喜んでついて行きました。階段が急で太ももが悲鳴あげる程には結構きたけど、上がってくうちに綺麗な景色を竜也くんと一緒に見れて涼めて最高でした。こういう和なデートもたまにはいいなぁと感じた瞬間。また行ってみたいなあ。
少ししてまた降りて、アイス休憩して、電車に揺られ名古屋駅まで帰ります。少し寝たりして、最後の目的地は夕飯の味噌カツ。
すっっっごい行列にびっくりしてる俺。これ普通だよ、と竜也くん。それにもびっくりしながらも、列で渡されるメニュー見ながら選んで話して、通され待ち。
そして漸く通されてからは秒で頼んだものがきた。美味そう。
千切りキャベツの量がすんごい多くて、それは食べきれず残しちゃったけど、初めて食べる味噌カツ、周りからゴリ押しされてた味噌カツ、本当に美味かった。
3日間できしめん、ひつまぶし、味噌カツを食べて、観光完璧じゃん!って帰って周りから言われたのは、竜也くんのエスコートが天才だったからだな、と。初めての地に来る俺に、たくさん色んなプラン考えてくれてありがとう。全部全部満足です。大満足。
最後の最後にお土産を買って、俺は新幹線に乗って帰らないとならなくて。泣かずにまた13日に!って帰ろうとしてたのに、帰ろうとしたら竜也くんの前でボロボロ涙止まらなくて、改札通るのですらイヤだった。
でも帰らないと、って改札通って泣きながら手を振ってたら"愛してるよー!!"って声が聞こえて。俺宛なんだろうけど恥ずかしくて照れちゃって、でも嬉しくて。余計泣いちゃって、、新幹線に乗って席座って発車したらほんとに涙当分止まりませんでした。
こんなに愛してもらえて、好きでいてもらえて嬉しいな幸せだなと思ったと同時に、これから先ももっともっと好きでいて貰えるように、愛して貰えるように、俺からもたくさん竜也くんに色んな形での愛情を届けようと改めて感じました。
次は三連休。こっちで待ってます。
疑似2人暮らし。買い出ししたりご飯振舞ってもらったり…今から楽しみ。その間会えない時間が寂しいけど、俺は俺の生活を一生懸命頑張るよ。
ずーっとずーっと愛してます。素敵な充実した3日間愛知旅でした。ありがとう。
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2024年2月20日(火)
今日は昼と夜、落語会の連チャンだ。まずは天王寺まで走って「ハルカス寄席」第1部、いったん帰宅してからツレアイと一緒に徒歩10分の京都リサーチパーク・サイエンスホールへ、「第60回七本松落語会」へとやってきた。昼は露の新治師匠、夜は柳家小ゑん師匠、最もお気に入りの噺家二人を同じ日に楽しめたのだ。今年の春休みは値打ちがあるなぁ、いやほんと。
5時30分起床。
朝食、洗濯、弁当*3(私以外の分)。
可燃ゴミ、30L*2&45L*1。
ヤクルトさんから野菜ジュースを購入する。
ツレアイは自転車で出発、午前中に訪問2件。
あここれ片付けをして、JR京都駅へ出発。
まずは杵屋@ポルタで腹拵え、湯葉餡かけうどんをいただく。
新快速で大阪→天王寺。
近鉄百貨店9階にある<SPACE 9>で開催されるハルカス寄席、今日は後の予定があるので第1部のみ。新治師匠のネタは上方落語協会による台本コンテストの優秀作品、初めて聴くことができた。
大阪駅15時の新快速に乗車、自宅に戻る。
息子たちにはレトルトカレーで夕飯を済ませるように指示、ツレアイと一緒に京都リサーチパーク1号館・サイエンスホールを目ざす。
小ゑん師のTwitterからTweetを借用して報告に代える。
21時過ぎに帰宅、すぐにあり合わせで肴を揃え、燗酒で乾杯する。
録画番組視聴、<舟を編む>。
(1)
初回放送日: 2024年2月18日
岸辺みどり(池田エライザ)は、大手出版社・玄武書房のファッション誌編集者。仕事熱心だが、ある日突然、辞書編集部への異動を命じられ、知らない言葉にやたら食いつく上司・馬締光也(野田洋次郎)や、日本語学者の松本先生(柴田恭兵)、社外編集の荒木(岩松了)らと共に、玄武書房初の中型辞書「大渡海」の編纂に関わることになる。慣れない辞書作りに戸惑うみどりには、同棲中の恋人・昇平(鈴木伸之)が唯一の癒しだが…。
いやぁ、面白そうな予感。
片付け、入浴、体重は1,700g増、あちゃー!
久しぶりの12,000歩越え、水分は1,460ml。
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ムー旅 平将門巡り「胴と首をつなぐ」崇敬の旅 ・その2
さて、再び🚍に乗り込み、次の目的地は東京に戻って神田明神……ですが、高速に乗ってしばらくした所で渋滞にハマりました😰
運転手さんが頑張ってくれて、何度も車線変更しつつ行ってくれるのでそれ程はノロノロ運転というわけではなく、完全に止まることもほぼありません。ところが、ここで地獄に陥った方がお1人。🚍内で缶🍺を持ち込みほろ酔い気分になってたのが、いきなりの尿意に襲われたそうで。いつものクールなイメージがすっかり崩れ落ちるほど悶絶しまくられた挙げ句、松原タニシ氏からは、
「尿意(如意)輪観音のご加護」
という凄ぇパワーワードを送られーーあまりにも素晴らしい弄りに🚍内大爆笑でした。さすが関西出身だけあって、弄り方がプロですな😅他にも「平将門の呪い」って仰ってたけど、そこは濡れ衣だと思います😂
そうこうして東京はまだかーーなどとなっているうち、三郷を過ぎいよいよ限界が……😖となったところで。
八潮PAの看板が!!
救いの神です。迷わず🚻休憩が入りました。戻られたあとは、再び「今度からオムツした方がいいんと違います?」と弄られておられましたけど😅
そのままスカイツリーを横目に、堀切~鐘ヶ淵~両国で高速を降りて、浅草橋からお茶の水へ。ここら辺になると、ほぼ庭ですね😊神田明神に到着した頃はとうに6時をまわってましたが、このようになお明るい。
⛩️の前で一礼して山門を潜ると、おお、さすが6月。夏越の祓の茅の輪がデデーンと目に飛び込んできましたo(^-^o)(o^-^)o
穢れを祓う為の人形(ひとがた)が貼り付けられています。取りあえずここで神職の方の説明(多分待ちかねておられたんじゃないかと💦💦)があるので、一旦茅の輪くぐりは脇に置いといて。
神田明神(神田神社)についての説明を受けました。何度かお詣りに来てるので概要は知ってましたけど、やはり奉職なさっておられる方からの説明はそれ以上に知識が深い。
前編では、延命院や國王神社には常駐の神主さんも住職さんも居られないと書きましたが、例祭の折は神田明神(正式名称は神田神社だけど、生まれも育ちも東京在住者にはこちらの方が馴染みが深いので、そのまま神田明神と呼ばせてもらいます)からも神職者が派遣されるそうです。なるほどー😲
そもそも、将門塚保存会から石碑を贈ったりするくらい、坂東市と東京の繋がりって深いんですよね。将門ネットワーク。
神田明神は関東大震災で本殿が焼失しており、現在のものは「二度と燃えるところを見たくない」という氏子さん達の意見を取り入れて、鉄筋コンクリート造りで再建したそうです。当然構造上は木造より強度が増しているので、柱はそれほど必要とはしていない。なのに本殿の支柱が多いのは、日本の神社建築に沿った建物にする為。確かにこの方が威容がありますもんね。
説明のあとは茅の輪を慌てて8の字にくぐり、ツアー参加の皆さんがずらっと並んでいるのを尻目に境内にある波除神社を参拝。ここだけは将門さんとは関係がありませんが、父方の祖父が戦前築地に勤めていた関係で(波除神社は築地からの分霊なんです)どうしても頭を下げておきたかったの!!
時間に余裕があったら他にも(神社裏の階段とかw)寄りたいところですが、それはまた個人で💪😁
ようやく待っている人が少なくなったところで、本殿に二礼二拍手一礼。本当は神拝詞も唱えたいところですが、あれをやると隣にいる人がぎょっとして、変な人認定される可能性があるのと、時間がないからカット💦💦
すぐに🚍に戻り、最後のそして最大の目的地である将門塚(首塚)へ。流石にここでは日没しており、
薄暗い逢魔が時の中での参拝になりました。
しかーし、
2020年からの改修工事により、以前あった筈の植え込みがほとんど失くなっちゃってる😳
もうね、まっ更な綺麗な塚以外は何んにもない空間なんですよ。
子供の頃とか、よく「首塚の写真を撮ろうとファインダーを覗くと生首が飛んでくる」という噂がまことしやかに囁かれて、都市伝説となっていましたが、そんなおどろおどろしさは全くなく。単なる史跡になっちゃってました。確かに参拝はしやすくなったろうけど、これはちょっとクリーンになり過ぎ💦💦
恐らく、パワースポットとしての役割はほとんど消えちゃったんじゃないでしょうか?お詣りする人の念が溜まっての意味もあるもんな、アレは😥
ちなみに将門塚の改修工事に伴い、将門塚と延命院とで互いの土を交換しているとのこと。
ともかく、私にとっては付近はさんざん歩くものの、生まれて初めての将門塚訪問。
い・ろ・は・すで簡単にお清めをして、手を合わせました🙏お賽銭入れにはやはり九曜紋。こちらの石碑が先程の神田山延命院と対をなすものか……どうぞ安らかに東京の街を護って下さいーーそう願って、ここを後にしました。
さて。時間は7時を過ぎ、トークショーとディナーを頂く為に浅草ビューホテルへ到着。こちらが最終地点となる為に、🚍とはお別れです。お疲れさまでした。そして、ツアー初めから色々とお世話になりました🙇♀️
運転手さんが親切に教えてくれたお陰で、座席難民にならずに済みましたもん💺
ホテルでのイベントはムー旅のみだったので、至る所で案内板が💦💦
そして通された宴会場広ーーーい!!
いちテーブル大体5名ほどで、まずは乾杯用のソフトドリンク(オレンジジュースとウーロン茶の2択)が配られました。
司会はムー編集部のM氏。三上編集長との阿吽の呼吸の掛け合いが楽しいです。ここでパワーポイントを使っての旅の振り返り。松原タニシ氏と同行されたカメラマンの方が撮影されてたのかな?
トークショーは撮影禁止でしたが、ディナーのフルコースのみ撮らせてもらいました。
凄い豪華だったんですよ。こんな本格的なご馳走にありつけると思ってなかった😍💕
蓴菜の餡といくらの乗った胡麻豆腐、お刺身はマリネされてサラダ仕立て、白身魚(スズキっぽかった)の香草焼き ラタトゥイユソース添え、ほたて入りのパエリア?(サフランライスかな?バターが効いててコクがあり、とても美味しかったです💕最初ちょい少なめについじゃったので、後から余っていたのをおかわりさせてもらいました💦)、コンソメスープ。デザートはいちごのムース フルーツ添え、コーヒーはデミタスカップでしたが、エスプレッソではなかったです。香りが良かった💕
ツアー参加者が食べている間もずっとトークショーは続き、ちょっと申し訳なく思ってしまいました💦💦
トークの内容は、事前に🚍の中で記入してホテル到着時に回収された、参加者からの将門さんに関する質問が中心……の筈だったのに、いつの間にか三上編集長個人への質問が😳
それアリなんですかーー🤣
Q:いつも黒い服を着ていらっしゃいますが、私服なのですか?
A:私服です。そろそろクリーニング代を計上しようかな(え!?)
Q:正月カレーは何日続きましたか?
A:100日続けました(元旦から🍛を食べ続けておられたそうで……それを知ってるムー民の方からの質問が濃いい😂)
Q:お化けを見る方法を教えて下さい
A:出るところに行けば見れます。
ここで、聞きたくなかった情報が……霊能者の方はほぼ体温が低いそうなんですね。私、平均体温が35.6℃なの😰更にコロナが5類になるまでは、外出先で体温測ると大概エラーマークが出ました。34.6℃とかが普通だったから💦💦
ほぼ零感だけど、たま~に怪音を聞いちゃった経験があるのに加えて視える人間が周りにごろごろいるの。てことは、今は視えてなくてもいつか条件が合致しちゃうと、視えちゃうようになる可能性もあるのかも😱
嫌だー、面倒臭いぃーー‼️
トークショーの締めくくりで、三上編集長が「無事かえる」の話をしておられました。これは、将門さんの首が晒されていた京都から戻ってきたことを表しているという説が主流ですが、更に蛙(かわず)⇒河衆⇒河童の意味もあるそうで。行きの🚍の中でたたらの話も出てたもんなー。ともかく、旅から無事に家に着きますように、と。
楽しいツアーでした。ムー的にも歴史的にも、多方面で濃いい話が満載でした。
余談ですが、家にある将門さん関連で読みたいなと思っていた何冊かの📚
もしかしたら、今なら簡単に見つけられるんじゃないかな🤔と考えて、探してみました。どこに置いたかすっかり忘れてて、見つかるまで何時間かかかっても仕方がないかな😥って思ってたんですが……何とわずか15分くらいで全部出てきちゃったんです😌
ご縁が出来るって、こういうことか!!
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✿ 馒头 | Mantou
・饅頭(マントウ)。小麦粉に酵母を加えて発酵させた後、蒸して作る中国のパン。日本の饅頭のルーツとも言われている。中国の饅頭は蒸しパンでありながら、デザートではなく、中国の華北に住んでいる人の「主食」として食べられている。
テン中国語の饅頭という言葉は、元々日本と同じ「蒸しパン全般」のこと指していたが、現在の中国では特に「餡や具の無い蒸しパン」を指す。餡や具のあるもの、日本で中華まんと呼ばれているものは「包子」と呼ばれる。
・歴史的には、中に餡や具が入っていたが、現在は中には何も入っていないのが普通で、これに対して中に餡や具が入っているものは包子(パオズ)、塩で味付けされたものは花卷と呼ばれるようになり、区別される。
・華北や東北地方一帯は寒冷地で降水量がそれほど多くないため、米の栽培に適していないが、小麦の栽培には適しているため、伝統的に麺類またはマントウが主食として食べられる。上海・香港など、華中・華南で出されるマントウは、上記のものより小さく、主食ではなく軽食(点心)として食べられる。
・三国時代に諸葛亮(孔明)が発明したと言われています。 『三国志演義』では、諸葛亮が孟獲を七回捕らえ、南蛮を鎮めた後、川を渡って死者の魂に阻まれたと伝えられています。この場面に直面した諸葛亮は非常に不安を感じたので、熟考の末に川の神に敬意を表し、悪鬼の祝福と罰を祈り、生き物を祝福しなければなりませんでした。諸葛亮は人間を犠牲にすることに耐えられませんでした。頭が悪いので、代わりに饅頭を発明しました。そこで彼は、羊と豚を殺し、生地に包み、供え物として水の中に投げ込むように命じました。その後、人々はこの習慣を実践しました。これが「饅頭」の起源と思われます。
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雑記24.01.26
さっき買い物の帰りにメジロを見た。メジロ、ああいう形の小鳥はなぜ可愛いと思ってしまうのか。しかしスズメはあまりそうは感じないかもしれない。スズメよりもメジロのが見た目的にヌルっとしているというか、毛艶というか毛ではなく羽か、体表面がモフりとしている感じもあるし、とにかくあの身体が特徴的に見える、のにも関わらず、メジロの名前の由来は目の周りが白く縁取られているからというのだからおもしろい。なぜそこで名前をつけたのか。他の似たような大きさの鳥たちも同じように目の周りの特徴で名付けたならわかる、そういう統一感みたいなものがないということは、命名者はおそらく別なのだろう、もしくはある地域でそう呼ばれていたというものが淘汰されて残っているのが今の名前ということになるんじゃないか。だとしてもメジロは明らかにあのメジロ色としか言いようのない淡い緑色、陽の当たったきれいに刈り取られた芝生を遠くから見ているような、明るい若葉色というのか、あの体色が特長で、目の周りがぐるりと白いな、じゃあメジロ、ってそこで名付けるんだという驚きがある、と思ったけどじゃあその体色で名前つけろって言われても困るかもしれない。よくメジロはウグイスと間違えられるが、ウグイスのが色がメジロに比べてくすんでいる、明らかにメジロのが発色がいい。鶯色という色があるけれど、例えばうぐいす餡とかのうぐいすは色を表すと思うが、明らかに今のうぐいす餡はメジロ色ではないか。アオエンドウしか使わなければ、あのような明るい発色にはならないかもしれないが。
ウグイスと言えば東京には鶯谷という地名がある。これは江戸時代にお偉い人が江戸のウグイスは訛ってるといって京都からたくさんウグイスを何千羽も連れ放ったという話から、鶯谷と呼ばれるようになったとか。ウグイスも大変だな、しかし江戸時代に何千羽も捕まえるとか、どうやって捕まえたんだろうか。地道に餌で釣ってカゴで捕まえたんだろうか。適当に小鳥を捕まえて、その中にウグイスがいたら残して他は逃したのだろうか。
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深海釣り?に行ってきました🎣 雲一つない天気で風もあり深海釣りには不向きな状況で、シロアマダイ狙いに変更。 本命出会えず、自分はムツやヒメと小物がチラホラ。 勇馬くん@jgfa.fishing は、操船しながらも流石の1匹🐟 イトヨリ55cm‼️あと少しで世界記録‼️悔しい〜😭 釣果を持ち帰って、美味しくいただきました🙏 ・刺身盛り合わせ(ムツ、イトヨリ、ヒメの背越し) ・ムツの炙り刺し(醤油麹と生姜乗せ) ・ヒメの唐揚げ(あら出汁とアオサの餡掛け) ・ムツのあら炊き(目玉が美味い) 帰り際に見た夕陽が凄く綺麗だった。朝焼けもそうだけどこの景色を拝めるのも釣りの醍醐味ですね🌇 勇馬くん、ありがとうございました😊 #深海釣り #deepseafishing #深海バスターズ #深海魚ハンター #深海魚ハンター西野くん #釣りバカgo #美味いおり (葉山マリーナ) https://www.instagram.com/p/CkkiK8kyOok/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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贅沢クリームヨーグルト ストロベリーソース
お久しぶりの那須千本松牧場さん✨
今まではアンテナショップに買いに行ってたけど、今年の春頃から都内でのお取扱店が増えてめっちゃ嬉しい!
千本松牧場(誕生編)
内閣総理大臣を2度も務めた政治家・財政家 松方正義さんが、運営苦の那須開墾社の土地を買い取って1893年に農場を拓いたことにはじまる牧場。
「千本松」の名は、天然のアカマツが群生してることから松方さんが命名。今でも残る正式な地名になったそう_φ(・_・
千本松牧場(現在)
敷地面積は東京ドーム178個分😳✨
200haを超える牧草地で自家製堆肥で牧草を育て、フリーストール牛舎で乳牛を約500頭飼養。
1日に搾れる生乳はなんと約8t🥛
この量でも牛乳は65℃で30分かけてじっくり低温殺菌。
その他、牧場内の生乳だけを使ってアイスやバター、チーズ、ヨーグルトなど様々な乳製品を製造🧑🏻🍳
スペック
数ある製品の中でも、ショップスタッフさんのオススメ第3位に挙げられる代表商品🥉
牧場の生乳を75%以上使用し、生クリームをプラスして乳脂肪分を9.8%(通常の約3倍!)に引き上げたスイーツヨーグルト🍨
ソースが別添されてて、食べる直前にかけるタイプ。
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開封
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
[ ヨーグルト ]
平らに凝固してて、縁にたくさんの気泡。
わっ…!!硬っ!!
水切りヨーグルトみたい😳✨
練ろうとしてもクリームチーズ並みに硬くて混ぜるの大変💦
[ ソース ]
ジャムっぽいかと思いきや、かなりゆるく作られててかけやすい!!
これ嬉しいなぁ。
着色なしでやや茶色に寄った暗めのいい色で、苺の種や繊維がちらほら。
透き通ってヨーグルトに絡まる感じがたまらんっ💕
苺のいい香りでおいしそう🍓
ちなみに使われてる苺も栃木産👏
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頂きます🙏
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
[ ヨーグルト ]
あまーーーーっ💕💕💕
ヨーグルト自体加糖されてんの忘れてた。
ものすごいリッチな生クリーム感たっぷりのヨーグルトで、しっかり甘くて、これだけで立派なスイーツ😍
最近流行りのヨーグルトクレメダンジュっぽい感じ🍨
めちゃめちゃおいしい💓
[ ソースと共に ]
んーーーーっ💓
食べる前からわかってたけど、おいしすぎ😭❤️
クレメダンジュに苺ソース…
しっかり加糖されてたヨーグルトに、さらに甘酸っぱさと苺の芳醇な香りがプラスされて、スイーツとしての完成度が爆上がり👏✨
苺の香りはかなり強めにデザインされてるんやけど、すんごくいい香り🍓🍓🍓
濃厚なヨーグルト、モッタリとしてるようで溶けると儚い。
苺の酸味につられて淡雪みたいにふぁっと溶けてく❄️
これはヨーグルトじゃなくスイーツコーナーに置く方が似合うかも、ってぐらいにスイーツ🍨
水切りヨーグルトとはかなり口溶けが違うから、未経験の方はぜひぜひに😍
🛒 千本松牧場 オンラインショップ
[ ヨーグルト ]
============================
無脂乳固形分 9.0%
乳脂肪分 9.8%
—————————————————
栄養成分(1個90gあたり)
エネルギー 130kcal
たんぱく質 3.4g
脂質 8.6g
炭水化物 9.7g
食塩相当量 0.1g
カルシウム 99mg
—————————————————
原材料名
生乳(栃木県産)、クリーム、砂糖、脱脂粉乳
—————————————————
製造者
ホウライ株式会社 那須乳業工場
============================
[ ストロベリーソース ]
============================
栄養成分(1個12gあたり)
エネルギー 24kcal
たんぱく質 0g
脂質 0g
炭水化物 6.3g
食塩相当量 0g
食物繊維 0.1g
—————————————————
原材料名
苺(栃木県産)、マルトオリゴ糖、砂糖/酸味料(クエン酸)、香料
—————————————————
製造者
株式会社 岩村製餡工場
販売者
ホウライ株式会社
—————————————————
購入価格
178円(税別)
============================
2019年10月30日のレビュー
乳脂肪分9.8%!!
栃木県産の生乳にクリーム・砂糖・脱脂粉乳を混ぜた、脂質9.4gのだいぶやばそうなヨーグルト🤤
に、ストロベリーソースが添付されてる。
食べたことないって言ったら知り合いが買い与えてくれて感激🥺✨
まずはヨーグルトから…
しっかり凝固しててホエイが少々分離。
かなりさわやかな香り!
うんまぁぁぁぁぁ!!
固形のまますくえる硬さで、こってり濃厚でクリームチーズみたい。
お砂糖で覆い隠された酸味が隠し味的に効いてて、コクとこってり感をうまくコントロールしてくれてる。
甘みしっかりついてるねんけど、ここにストロベリーソースかけちゃうなんて、いいのかな…
そのままで十分すぎる。
う���、悩ましい…まぁせっかく付いてるし、かけるか。。。
なんと、いちごも栃木産🍓✨
ゆるゆるの液体で、あまーい香り。
あーーーーーーーーーーーー!!!
うぁーーーーー!!!!!!
もう悲鳴あげちゃう!!
こんなん、あかーん!!おいしすぎる!!
こってりなところに、甘酸っぱいの、合いすぎる!!!!!
ストロベリーソースの味がかなーりかなーり濃くて、こってりなヨーグルトに絡んでもまったく負けん。
ヨーグルトの口溶けのクリーミーさとこってり脂質味、いちごの瑞々しさと甘酸っぱさ…
相反するものたちが口の中で混ざり合って、すんばらしいスイーツに😭💓
食べ応えもかなりあって、大大大満足っ!
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2021/04/06
自分が不良品であることを知りつつ、棚に並べられて、買われるのを待つような。そんな気分。
期待した通りの性能を発揮できずに、捨てられる運命をすでに知っているのだ。
いっそ、検査で弾かれていれば蒙昧な思いなど抱かずに済んだのに。一縷の望み。期待。
コストコで身体に悪いものをたくさん買い、後悔とともに食す毎日である。なんで、こんなに小麦粉って美味いんだろうね。
友人から奥さんがご懐妊したかもというニュースを聞きめでたいと素直に思う。こういう小さなことの繰り返し。個人として大きくマスとしては小さい出来事。でも良くて、ピッチとズームを使い分けられるのが人間のいいところ。大人のいいところ。
日曜日から火曜日までは年度始めの処理で多忙。
自己肯定感がなく、不良品の意識が強くなり、くじけ気味。友人は皆「それは別れて正解」と言う。
元カノの肩越しから見える友人たちもきっと「そんな男別れて正解」と言っているだろう。言っていてほしい。
同じプロジェクトチームのごま団子みたいな顔をした女性に○○さん面白いって聞きました。今度ランチ行きましょうと言われる。
ハイ、ソウデスネ。と返事をしながら頭かち割ったら餡が流れ出してくるのかなと想像していた。その前に揚げないといけないか。
ごま団子は噛んだとき、プスッとした空気が抜ける食感大切なのだ。空虚さが脳みそに詰まっているのかも。
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京菓子おせちのご予約、はじまりました。 京菓子おせちは、抹茶・玉露・煎茶・ほうじ茶・玄米茶……5種類の「お茶餡」を使用した、お茶屋ならではの和菓子です。 9種類のモチーフには、それぞれに繁栄や円満など、縁起のよい意味がこめられています。 -------------------- 瓢箪[玉露餡] 末広がりの形をした瓢箪は、魔除け、子孫繁栄、無病息災の縁起物とされています。 寒牡丹[煎茶餡] 厳しい寒さに耐え、力強く咲く寒牡丹は、強い生命力からお正月の縁起花とされています。 亀甲[ほうじ茶餡] 亀は長寿を象徴する吉祥の動物。幸運、金運上昇の縁起物としても親しまれています。 勅題菓 希望[抹茶餡] 本年の宮中歌会始のお題は「望」。希望の光が降り注ぐように願いを込めました。 干支菓 庚子(かのえね)[玄米茶餡] 本年の十干は「庚」、十二支は「子」。今までの成果を維持し、新たな環境に向かう年とされています。 丹頂[玄米茶餡] 鶴は夫婦仲が良く、一生を連れ添うことから夫婦円満・家庭円満の象徴とされています。 松の白雪[抹茶餡] 雪の降りつもる日も青く枯れることのない松は、不老長寿の象徴として尊ばれています。 紅梅[煎茶餡] 新春にいち早く咲く梅の花は、忠実で高潔な花として古くから人々に愛されています。 若竹[ほうじ茶餡] 成長が早く、まっすぐに育つ竹は、力強い生命力から縁起が良いとされています。 -------------------- お正月の祝い菓子にふさわしく、高級感あふれる桐箱に詰め合わせてお届けいたします。 https://ift.tt/2Bz19rL https://ift.tt/2BkUzVu
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絶望のパレード
魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感���覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
“WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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#チャタロウニッキあしあと 2016年5月19日 ⑦ 【チャタロウ旅行記 館山城公園 編】 館山城山公園て所で🏯お城を見に行ったよ! ボク🏯お城なんて初めて見たよ。 カッコイイお家でボクも住んでみたくなったよ。 ここには珍しい『白孔雀』というのが居てね。 とっても綺麗なんだ~ シドさんは 普通のカラーの孔雀のが好みなんだってさ。 ここは、登り坂と急な階段が多くて、階段も踏み幅が狭くて高さがあるからボクには、大変だったんだけれど、シドさんが抱いてくれて連れていってくれたから、行きも帰りも楽チンだったよ。 ボクが住んでいる所は、平野で坂道も殆ど無かったから、坂道を歩くだけでも疲れちゃった。 ユミちゃんもシドさんも階段と坂道、お疲れさま。 お陰で🏯お城が見られたよ✨ 城山公園で、シドさんとユミちゃんは、美味しそうな お団子🍡食べていたよ。 ボクは貰えなくて、いつもシドさんがくれるオヤツを食べたのだけれど、ボクも美味しそうな お団子食べたかったな。 シドさんは 枝豆餡のお団子 ユミちゃんは いちごとクリームと黄身餡のお団子だったよ。 #分子標的薬 #悪性腫瘍 #闘病記 #たまたたま犬に生まれた家族 #肥満細胞 #パラディア #闘病 #保護犬 #殺処分 #野良犬 #フィラリア #笑顔 #犬 #わん #ワンコ #余命宣告 #dog #愛犬 #散歩 #甲斐犬 #断脚 #3本足のワンコ https://www.instagram.com/p/BxnoolcBoaR/?igshid=qew4hvx9o6k2
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 9月27日(火) #仏滅(癸未) 旧暦 9/2 月齢 1.2 年始から270日目(閏年では271日目)にあたり、年末まであと95日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 熊本三郎にリターンズしました✋でっ でっその朝を迎えて「変な話💦」 妙に落ち着いてホッとするのは(?_?) 何故でしょう🤣😆🤣様々な柵やら に開放されるからでしょうか😅💦 ってか、今の所は仕事で特に不満 は無いしってかな❓そんな悠長な 事を云ってると、その内に追い込 まれますって✋と思うでしょうけど 私のマイペースを貫けば大丈夫です👊 「勝てます(^^)v」\(^O^)/ ワーイ! *☆○o✨✨優勝です✨✨o○☆* . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #お菓子のみやきん駒饅頭誕生日. 青森県上北郡七戸町に本社を置き、和菓子や洋菓子の製造販売を行う「株式会社お菓子のみやきん」が制定。 青森名物、七戸名物として知られる同社の代表的な和菓子「献上銘菓・駒饅頭」をさらに多くの人に知って もらい、そのおいしさを味わってもらうのが目的。 日付は1908(明治41)年9月27日(日)仏滅.に当時は皇太子であったのちの大正天皇が七戸町の種馬牧場を訪問 された際に、小豆餡を入れた酒饅頭を御下命になり、侍従を通じて「駒饅頭」と命名されたことから。 . #仏滅(ブツメツ). 六曜における大凶日。 この日は六曜の中で最も凶の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣がある。 「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれる。 また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もある。 . #母倉日(ボソウニチ). 暦で、母が子を育てるように、天が人間をいつくしむという日。 春は、亥・子の日。夏は、寅・卯の日。 秋は、辰・戌・丑・未の日。 冬は申・酉の日。 他に四季の土用には巳・午の日がこれにあたり大吉の日とされる。 . #天恩日(テンオンビ). 天の恩恵をすべての人が受ける日。 民間暦でいう吉日の一つ。 この日は天から恩沢が下り、任官・婚礼などの慶事を行なうのに大吉とされる。甲子(きのえね)、己卯(つちのとう)、己酉(つちのととり)から数えて各五日間、合わせて一五日間がこれにあたる。 一説に、正月は丑の日、二月は寅の日、三月は卯の日というようにして一二月は子の日がこれであるともいう。 . . #世界観光記念日(#WorldTourismDay).#横浜ベイブリッジ開通.#女性ドライバーの日. #ブリスの日. . . #仏壇の日(毎月27日).#交番の日(毎月27日).#ツナの日(毎月27日).まぐろ料理店等で実施。「ツ[2]ナ[7]」にちなむ。 . . ●9月27日を含む期間を設定している運動など 歯ヂカラ探究月間(9月1日~9月30日). . . #フランス語共同体の日(ベルギー). ベルギーの3つの言語共同体のうちの1つフランス語共同体における祝日。 . . ■本日の語句■. #朝は夜よりも賢い(アサハヨルヨリモカシコイ). 【解説】 夜にあれこれ考えるよりも、ひと晩待ってから決定したり実行したりするほうが良いと云う教え。 寝る前にあれこれ考えるな。 . . 1964(昭和39)年9月27日(日)大安. #岸谷五朗 (#きしたにごろう) 【俳優・ディスクジョッキー・演出家】 〔東京都武蔵野市〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Ci-8p_nhd0g1CqoiDZ8iqXjNsXij8h7FTD-Plc0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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今朝のごはん。
塩昆布入り豆ごはん、梅なめ茸餡かけ厚揚げ、ノビルと春雨の和え物、のらぼうと豆もやしとわかめのお味噌汁。
今朝の料理のうち、梅なめ茸とのびると春雨の和え物は、昨日のうちに作っておいたので、そこそこ楽勝でした💪何せ厚揚げを魚焼きグリルで炙りつつ、お味噌汁と水溶き片栗粉を加えた梅なめ茸を同時に温めればいいだけでしたから😊🎶
梅なめ茸餡かけの厚揚げは、実は梅なめ茸を作る時にちょっと目を離してたら鍋ごと焦がしてしまったので味に不安が……😥
醤油の焦げが鍋に貼り付いてしまっていたし、これはもうアウトかな😰と思っていましたが、奇跡的に無問題でした。むしろいい感じに梅干しの酸味がほんのり付いて、ちょうど良い塩梅。えのき茸はこれで最後だったので、命拾いしたなと💦💦
ノビルと春雨の和え物は、火曜日にBSプレミアムで再放送していたやまと尼寺精進日記で紹介されていたものをアレンジ。
放送では中華風サラダにしておられましたが、こちらは七味唐辛子を隠し味に、だし醤油、みりんで甘辛く仕上げました。あときくらげも少しだけ残っていたので、ついでに刻んで追加。椎茸の煮付けは市販品で。
ちょうどいまを盛りと花壇にのびるが生えまくっているので、太めのものを選んで引っこ抜いて作りました。あと1回分残してありますが、白和えにしても美味しいと思うので、明後日あたりリメイクするつもりです🤤絹ごし豆腐を買って来ないと!!
🍚は🍙ではなくそのまま丼によそってます。節分用に購入した大豆の残りもこれで最後。でも昆布がまだかなりあるから、炒り大豆買ってこようかな。
炊く時に調味料を何も入れなかったし刻み昆布も少なかったから、塩昆布を足しました。それともち麦といりごまもプラス。旨味充分の🍚最高です💕
お味噌汁の具は、のらぼうと味付きもやしとわかめ。先日もお味噌汁の具にした謎の野菜ですが、今日八百屋さんであっさり正体が判明しました。
のらぼうです。あぁ、スッキリした!!
わかめを少なめにしたつもりだったんですが、やっぱりメインののらぼうより主張が激しいな😅のらぼうだけだとちょっと寂しいかなと思って(油揚げは、主菜に厚揚げを使っているので選択肢から外してあります)、思い付いたのがわかめだったのになぁ。これでも結構のらぼうは多めにしたんですよ。豆もやしが良いアクセントになりました。
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