#透明感のある世界
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【2話】 はじめてLSDをやったときのレポ 【さいばーひっぴーができるまで】
僕と友人の“しのはる”は、LSDがどういう効果をもたらすのか特に分かっていなかったが、お気に入りのプッシャーからLSDを引いてみて、早速試してみることにした。
僕らは馴染みの公園に行き、緊張の中LSDを摂取したのだが、初めてのLSDは量が少なかったのか、高揚感や感情の増大などの効果はあったものの、幻覚を見るまでには至らなかった。
ただそれでも、ファミレスで2時間ほど互いに絵を描くことに没頭して奇妙な絵を描いたり、途中で雨が降ってきたのに雨を浴びるのが気持ちいいからと傘もささずに笑顔でびしょ濡れになったりしていて、初めてのLSDは十分愉快で興味深い思い出ではあった。
―――僕らはそれからもLSDを引いて、数回ほど、1ヒット分(100μg分)のLSDの体験をしていたのだが、LSDトリップの醍醐味を味わうことができた体験は、初めてのLSD体験から約1年後のことであった。
このときは、しのはると大学時代の友人でLSD初体験の“イシカワ”を呼び、3人で公園に行って、LSDを摂取した。またこのときは、Twitter上で“地下薬局”と名乗るプッシャーから引いてきた、角砂糖に垂らされたLSDを摂ったのだが、今までのLSDの2倍ほどの効果を感じられるものだった。
摂取してから1時間ほど待つと、視界はシラフのときより俄然明るく、輝かしく見えていて、芝生の緑や空の青々しさ、駆け回る少年の頬の赤らみなどが強調されていたし、なんの変哲もないただの公園なのに、あらゆる対象物に新奇性を覚えるほど、童心に帰ったような感覚で物事を見られるようになっていた。
僕は長らく、地べたにあぐらをかいて座り、公園の池の水面に浮かんだ油膜(それは鮮やかな虹色に発光するマーブル模様に見えている)を恍惚と眺めていた。すると、飛んできた鴨がその池の上に着水したのだが、不思議なことに、その様子はスローモーションがかかったように見え、翼の動きの一つ一つを鮮明に捉えることができた。
鴨は池の上を優雅に遊泳し始め、その油膜の上を通る。鴨の後方に次々と生まれる水面に広がる波紋の一つ一つが、極彩色に煌めくマーブル模様を帯びて、ゆっくりと広がっていく……。
そしてふと、「このサイケデリックな感覚のまま大麻を吸えば、もっと高みにイけるのではないか」と思い立たった。僕は2人に声をかけると、景気良く極太ブラントを作って、3人でそれをまわすことにした。
手始めにひと吸いすると、それだけで視界の奥行き感がなくなり、平坦な2次元動画のように見えてきた。さらに、外界の全ての動きがスローになり、鳥のさえずりや車の走行音などの環境音にはエコーがかかっているように聞こえ始めた。
この時点で、すでに現実の現実感がなくなったように感じていて、「今回こそ戻れないほどやりすぎてしまった」とかなり切迫していたのだが、もうどうにでもなれという気持ちで、それからも二巡三巡とまわってくるブラントを吸い続けた。
公園に生えている木の幹は、呼吸をしているように内側に収縮したり外側に拡張したりしていて、木々が呼吸しているように思えた。さらに深く吸うと、規則性を持って複雑に変化する半透明の幾何学模様が視界全体に現れ、その半透明の幾何学模様越しに、呼吸をしている木々が見えていた。地面は海のように波打って動いているように見え、その波打ちの残像まで見えていて、波打つ地面は遠くなるに連れて微妙に反り返っている。
視覚だけではない。思考は���から次へと矢継ぎ早に連想されながら流れていて、その矢継ぎ早に流れている思考とは別に、バックグラウンド再生のように同時に矢継ぎ早に流れる思考があった。そのため、思考を一つに絞って処理するのが難しく、思考を口に出そうとしても、思考の速さに口の動きが追いつかなくなっていた。
しかも短期記憶がほとんどなくなっていて、ついさっき浮かんだ思考が思い出せなくなっていたので、なんとか紡いだ言葉を口に出しても、言葉を口にした時点で何を喋ろうとしていたか思い出せなくなっていた。
そんなこんなで、やっとのことで極太ブラントを吸い切ると、ついには“目の前の光景を細部まではっきりと見ることができているのに、見ているものがなんなのか認識できない”という状態になった。
その刹那、「もう戻れないのではないか?」という考えがよぎってしまい、その考えを元に高速で恐怖の連想ゲームが始まった。絶望感で声が出せなくなった。
しのはるも僕と同様に、声を出せないか、声を出せても支離滅裂なことしか発せられていなかったので、僕はパニック状態になりつつも、“彼も同じように狂人になっている”と悟って、少し安心した。
ところが、イシカワは平然とした口調で、「お腹すいた。寿司でも食う?」などと呑気なことを言っていた。僕としのはるは、当然まともに言語を話せる状態ではなかったので、顔を見合わせ、テレパシーを使って「こいつとは次元が違う」などと会話をした(LSDの統合失調症様の効果で、相手の思考が読み取れて自分��思考が伝わっていると思い込んでいただけではあるが)。
僕はイシカワに対して、「こんなキチガイが公園の外に出ていいわけがないし、食事するにしてもナマものは気持ち悪いから論外」などと伝えたかったのだが、イシカワも僕としのはるの異常な様子に少し脅えた表情をしているように見えたので、「一旦…それぞれ一人になって…みない?」などと必死に言葉を紡いで喋ると、しのはるはよくぞ言ってくれたという表情で「そうしよう」とだけ言って、そそくさと離れて行った。
イシカワはわけがわからないようで困惑していたが、僕も最後の力を振り絞って、「ごめん、もう…幻覚が凄くて…」などと言って、イシカワから離れた場所に歩いて行き、平たい地面の上に座り込んだ。
地面に座り込むと、現実の瑣末な事象から解放され、一気に幻覚ワールドに引き込まれる感覚があった。僕はどういうわけか、その感覚に集中できることに安心感を覚えていた���
座り込んだまま上空を見上げると、網目の中一つ一つに目玉があるドーム状の蜘蛛の巣が空の全体を覆っているように見えていた。
僕はその幻覚に圧倒されて、後ろにぶっ倒れるようにして仰向けに横たわった。仰向けになると、その幻覚は次第に色濃く迫力を増し、完全に周囲を覆っていった。
次第に、その幻覚は、視界に映っているだけという認識ではなくなっていって、“むしろ実際の現実の光景より現実っぽく思える”という、摩訶不思議な感覚になっていった。
どう考えても“まともでない側の人間”に、僕がその“当事者”になってしまったという事実に、僕は極度のスリルを感じたが、その感情と同時に、目を瞑ったらより深い幻覚ワールドに没入できるという期待もあったので、僕はゆっくりと目を瞑り、LSDに身を預けることにした。
―――僕は奇妙なフラクタル構造の幾何学模様に360度覆われた空間にいた。その幾何学模様は僕の脳に保存されている記憶とは全く関連がないような、まるで見たこともなく、この世のものとは思えないパターン・構造・配色に次々と変化をしていき、それは無限に変化していく……。
僕はいつの間にか身体感覚を認識できなくなっていて、現実世界とは切り離された、魂の空間とでもいうような世界に入っていき、現実の事象―ここがどこで、僕は誰で、今は何時で、何を摂取してこんなことになっているのか―などが、まるでわからなくなっていた。
ここから記憶は曖昧だが、気づくと、先の見えない遥か上空まで続いている高い塔に沿って、魂だけの自分が上空に向かって凄いスピードで進んでいた。上空に進めば進むほど、現実世界がどんどん遠のいていくような感じがして、これはとても言葉では言い表せないほどに爽快だった。
すると、スピードは次第に弱まり、フリーフォールのように猛スピードで落下していった。面白いことに、落下するごとに徐々に現実の事象が思い出されてきて、地面に直撃する寸前で身体感覚や現実の記憶を取り戻した。
と、思ったら、自分の過去をプレイバックするように高速で時間の巻き戻しが始まり、一人称視点で、学生時代から少年期、さらに覚えているはずのない幼少期から乳児期まで遡り、母親の胎内へ入っていった。
すると途中で、逆再生は止まり、今度は未来方向に向かって、高速で早送りされる映像が始まった。再び一人称視点で、誕生から今生きている時間まで進んでいったが、さらに現在を通過して、数分後の未来から自分が老いて死ぬまでの主観映像を見た。不思議なことに、これらの各瞬間は主観的に現実感があり、“今”の事象として認識されていた。
それから自分が死んだ後も、映像の早送りは続き、さらにその先の自分の死後の世界の映像を少し見させられ、また逆再生が始まった。そして未来の死の状態から生の状態に、さらに巻き戻って、現在の時間に戻った瞬間、急に意識がはっきりし、僕はその勢いで目を開けて上体を起こした。辺りを確認すると、少し離れた場所にいたしのはるも、ちょうど上体を起こしてこちらを見ていた。
今でこそサイケデリック体験についてある程度理解はできているけど、当時はこの体験がなんのことかまるでわからず、SFやファンタジーのような摩訶不思議な世界に放り込まれたような気持ちだった。
しのはるも僕と同じように神秘体験をしていたようで、僕らは興奮しながら、ただ顔を合わせ、互いに言葉にできない想像を絶する体験をしたことを感覚的に共有した。
その後、僕らはとりあえず作戦会議をしようという話になり、ガストに行くことにした。言葉にするのはとても難しかったけど、どうにかお互い自分の体験を言葉にした上で、「LSDによる神秘体験を幼馴染と共有できていることの奇跡」などについて、恥ずかしげもなく語り合った。
また、僕たちはこの体験を通して、「死とは自分にも訪れるものなのだ」という本来当然の事実を、自分の肉体をもって理解することができたと感じていた。漠然と抽象的に、他人事としてイメージしていた“死”という概念の実態を掴めた気になって、死に対する恐怖心が薄れている感覚があった。
それと同時に、「今までいかに自分の人生に当事者としての自覚を持たずに、世間に合わせて流されるままに生きてしまったのだろう」とか、「どうせ死ぬのになぜお行儀よくしていたのだろう」というような後悔の念を強く抱いた。
そうして一通り話を終えた頃には、LSDの効果が下がっていて、サイケデリックな感覚は失われていってきていた。ただしかし、シラフに戻れば大丈夫という話ではなかった。臨死体験と括るだけでは物足りない神秘体験をしたということは、今後の一生を大きく変えるターニングポイントであり、一生忘れることのない体験なのだと思った。
そういえばよく覚えていないけど、トリップ中に体験していた“自分が死ぬまでのヴィジョン”は、このままの人格や生活環境であると、面白みのない人生を送って寂しく死んでいくという印象の体験だった。
ところで、イシカワはというと、そもそも僕としのはるほど大麻を吸っていなかったらしく、それによってトリップの深度の差ができていたようだった。とはいえ、イシカワも十分トランス状態ではあったので、僕としのはるが仰向けになってブッとび出したあたりで、その状況が猛烈に恐ろしくなったらしく、ひとりで電車に乗って、人混みに怯えながらどうにか帰ったらしい。
後日、イシカワにはちゃんとワケを話して、「ブッとびすぎててごめん」などと言って謝った。ただでさえイシカワは初体験なのだから、さぞかし怖かったんだろうなあと思う。
・
つづく(この物語は雑誌「さいばーひっぴー」の「さいばーひっぴーができるまで」に載っている内容とほぼ��じものです)
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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X(旧Twitter)でも投下しましたが一応こちらでも…。
今回のオーディオドラマの収録のレポート漫画です。
テンションのまま描いたら、そこそこ気持ち悪くて笑、レポート漫画としてはこれでいいのかな;とか勝手に思っています;
ただ本当に声優の皆さん、和気藹々としていながらも、キャラの気持ちや状況に瞬時に切り替えて反応して下さったり、それと、レポートの後半でもありましたが、3人揃っているからこその、アドリブのセッション力みたいなのが本当に凄くて…!
勿論朴さん、お一人で場の雰囲気を作り上げて気持ちを練り上げる様を見ることが出来たのも貴重でしたが、平野さん、遊佐さん、小野さん3人で、相談したわけでもないのに、その場で息を合わせて場を進めてしまうのとか、本当に感動でした…。。
勿論、シナリオ、脚本を手掛けたのである程度の想像はしていましたが、声優さん達の圧倒的なリアリティはやっぱり凄いなと、そんなふうに思いました。
それと、収録後皆様と少しお話しできたのもとても嬉しい体験で…。
実は13年前のアニメ期間は、��刊誌ということもあって、声優さん達とお会いする機会があっても、毎回時間に追われていたり、睡眠不足でグロッキー状態だったりで、あんまり皆さんに感謝の表現を出来て衣なかったり、場合によっては失礼に見えていたりしたんじゃないかなー;;と、そんな状態だったので…。
しばらく前からゲームの収録などでも、立ち会える時はなるべくお会いして、当時の謝罪行脚;;じゃないですが;;挨拶したりするようにはしていたので…。今回改めて平野さんや小野さんと時間を超えてお話しできたのは、当時の時間を取り戻せるような体験で、私にとっては本当に嬉しい時間だったんです。
特に平野さんとは対談でもしばらくお話しできて、当時色紙を描いたことや、共有している思い出が少しでもあるのは本当に嬉しいなと思いました。(あと、やっぱり昔から目の前にすると美しさと透明感が凄いのも変わらない…!)
それと今回は幼サーシャでしたが、今もまたゲームなどで大人サーシャを演じてくださる平野さんですが、13年経った深みのある演技が私は好きなのです。アテナらしさが出ていますよね。
今度はテンマの柿原くんも集まれる機会があるように、本当に願ってやみません…!
ちょっと書き足りないこと書いとこ!と思ったら結構書くことありました……;それでは失礼致します。。
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沖縄Trip - 恩納村・読谷村中心に
はじめての沖縄旅に行ってみた。
座喜味城跡
読谷村の小高い丘の上にたつ城跡。世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」の1つ数えられる。曲線上の石造りの城壁とアーチ門が美しさに惹かれて訪れてみました。どこに行ってもやっぱり城跡は外せないね。城壁の一部は登ることも可能で、豊かな自然に囲まれた読谷村の眺めを楽しむことも。
併せて隣接するユンタンザミュージアムも見学。読谷の歴史・文化・信仰を触れられる興味深い内容でした。
屋嘉田潟原・恩納の浜
海なし県出身故に、海をみるというイベントは外せない。本土、特に都会の海とは違う透明感、エメラルドグリーンに輝くの水平線にテンションがあがります。訪れた中でもこの屋嘉田潟原と恩納の浜は、人が少なく豊かな自然を感じられるスポットとして印象に残りました。
琉球村
沖縄の伝統的な民家等を移築された観光スポット。小学校時代の社会の教科書でみた沖縄を体験できます(もうおじさんなので、最近の教科書にのっているのかは不明ですが)。ネーミング的にもっと観光客にこびた俗っぽい施設(言葉がよくないですね。。。)をイメージしていましたが、そんなことはなくちゃんとしていた印象。この手の建物系展示によくありがちな時代錯誤な建物が横並びになり違和感しかない、みたいなこともなく、広いエリアを上手に分けた表現で雰囲気抜群。訪問期間中で最も天気が良い日だけあってシーサーの乗った赤い屋根が映えますね。
その他スナップ
見知らぬ地では何でもない光景のスナップも楽しい物。まだ骨折した左腕が完治していない都合上、35mm単焦点レンズ1本 + スマホのみとなりましたが、それでも十二分に楽しめました。
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#おでかけ #大王わさび農場
信州2日目は、松本市のお隣の安曇野市へ。安曇野というと、きれいな湧き水があるイメージ。きれいな水で浄化されたい……という私の単純かつ貧困なイメージで行き先は決まりました。豊富な湧水があるからこそのわさび栽培の盛んな地域で、観光ができるわさび農場にやってきました。
小雨が降って肌寒い天気の中、駐車場のすぐ隣を流れる川に近付いてみると……。初っ端からこの景色です。えっ…………川きれいすぎない…………!?
透明度が凄すぎて、水中がガラス越しのように全て見渡せます。水中は一面に草(藻?)が生えているので、ひたすら緑一色の世界でとてもきれい。水はほんとに、ため息が出るほどに透明です。
この川は蓼川といって、完全に湧き水だけの川だそうです。だからこんなにきれいなのか。
ところでこの場所、ちょっと面白い場所でして……
ちょうど万水川と蓼川の合流地点を撮りました。奥が万水川で、手前から流れ込んでいるのが蓼川です。
光の加減でかなり見にくいんですが、奥の万水川の水は、前の画像の蓼川の水と透明度が全く違うことが分かります。そして蓼川に一面に生えていた藻は、恐らく極度にきれいな水のところでしか生きられない藻なんでしょう。ここでも蓼川の水が流れ込むところだけに生えているので、合流してからもくっきりと2色に分かれているように見えます。面白い……。
農場の中をぶらぶら歩いていて、鯉が泳いでいる池があったので何気なく眺めていたら、なんかたまに、池の中から空気がぷつぷつと上がってきている??
数秒ぽこぽこぽこ…と上がってきて、消えて、また別の場所でぽこぽこぽこ…と上がってきます。地中に何かいるんだろうか……としばらく眺めていたら気付きました。そうか、これ水が地中から湧いてるんだ!こうやって湧いてきて、さっきの蓼川みたいな川になっていくんですね。中々こういうところを目の当たりにすることがないので、地球生きてる〜〜と謎に感動してしまいました。
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(English and Japanese Version) 翻訳は英語のバージョンの最後にあります。
ARRAYTALE
BREAK THE RULES
“YOU LOSE!”
That line doesn’t end anything.
All it does is erase history and overwrite it with a new story.
Repeating boring things over and over again, seeking changes that will never balance the sacrifices made.
Does that line even mean anything in this world?
“Hey you, turn around and greet your new friend.”
That phrase isn’t new or special in any way.
“You remember me, don’t you?”
I wonder... what does “true death” even mean in this world?
FILE 0
A snowy day, like always. I don’t think I’ve ever seen the snow melt here, not even for a second. Isn’t that strange? I can’t even tell if it’s morning or afternoon. Everything looks the same, unchanged, just sitting there.
The tree, the leaves, the stone.
Nothing changes in this place. It’s like a dead, unmoving star.
It feels like walking through a crowd of people who don’t move at all. They’re there, but they look empty, dead. In the stillness that halts time, you’re here too, glancing around with confusion, feeling lost.
“What a wonderful day for a boring one, huh?”
Waiting for the door to open, I fall asleep under a tree. I never get tired of waiting. It feels like working, but really, it’s just like being unemployed.
“So, you’re a human, right?”
Until the door opens, I have to keep doing what I’m supposed to do.
Act friendly, crack some jokes. And yet, I wonder...
When will I finally get bored, settle down, and let anyone passing through my area go about their business?
When will I let go of my responsibilities?
It’s funny, isn’t it?
Because I feel like that day of freedom will never come for me.
________
“Huh, so ya not gonna shake my hand? Touche.”
I held out my hand.
The human said nothing, staring at me like I was some alien speaking a foreign language. They were ordinary, completely different from me—a funny monster standing right in front of them. A being of bare bones, without flesh or nerves, just wearing a jacket over transparent skin that could never feel the cold air.
It didn’t surprise me that they weren’t afraid or wary at all. They didn’t act any differently than they would with another human.
“Name's Sans. Sans the Skeleton.”
“...”
They stared at my outstretched hand, then slowly reached out to take it.
“?!”
FILE 00
ARRAYTALE
ルールをぶっ壊せ
「YOU LOSE!」
そのセリフじゃ、何も終わりやしない。
歴史を消して、新しい物語に上書きするだけ。
つまんないことを何度も繰り返して、全部犠牲にしても釣り合わない変化を求める。
そのセリフ、このゲームで意味あんのか?
「おい、振り返って、新しい仲間を迎えろよ。」
その言葉、別に新しくもなんともないけどな。
「お前、俺のこと覚えてるだろ?」
この世界で"本当の死"って、結局何なのか知りてぇな。
FILE 0
いつものように雪の日。ここで雪が一瞬でも溶けるのを見たことがないと思う。変じゃないか?
朝なのか昼なのかさえ分からない。全部が同じに見えて、変わらず、ただそこにあるだけだ。
あの木も、あの葉っぱも、あの石も。
この場所では何一つ変わらない。まるで動かない死んだ星みたいに。
動かない人ごみの中を歩いているようだ。彼らはそこにいるけど、空っぽで死んでいるように見える。
時間が止まったような喧騒の中、君はそこに���て、周りを見回しながら困惑し、迷子になったような気分だ。
「退屈な日に、なんて素晴らしい日だろうな。」
扉が開くのを待ちながら、木の下で眠り込む。
待つことに飽きることはない。働いているようで、実際は失業者みたいに過ごしている。
「なあ、お前、人間だよな?」
扉が開くその時まで、俺はやるべきことをやるしかない。
愛想よく振る舞い、冗談を飛ばす。それでいて、俺は思うんだ。
いつになったら俺は飽きて、ただここに座り込むだけの存在になれるんだろう?
俺のエリアを通り抜ける奴が何をしようと放っておける���うに。
俺の責任を手放すことができるように。
笑えるよな。
だって俺の自由な日は、永遠に訪れない気がするんだから。
_________
「俺の手、握らないのか?」
俺は手を差し出した。
その人間は何も言わず、まるでエイリアンの言葉を話しているように俺を見つめていた。
彼は普通の人間で、俺とはまるで違った。俺は目の前に立つ不気味な存在だから。
肉のない、神経もない、ただの骨の塊で、透明な皮膚には感じたことのない冷たい空気に包まれたジャケットを着た。
彼が全く恐れも警戒もせず、まるで他の人間のように話しかけてくるのが不思議だった。
「俺はサンズだ。サンズ・ザ・スケルトン。」
「…」
その人間は広げた手を見つめ、ゆっくりと俺の手を取った。
「?!」
CHAPTER 2
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21024.05.18(土曜日)
大塩八幡宮(おおしおはちまんぐう、福井県越前市)
入母屋造杮葺拝殿が有名(杮(こけら)は「木片」を意味しているとのこと。世界でも類を見ない日本独特の技術、国指定重要文化財)
平安時代末期の武将 木曽義仲が陣を構えた場所。
御朱印は通常のものの他に、木曽義仲と巴御前が同じ馬に乗っている絵と藤の傍で筆を持つ紫式部が描かれている絵の3種類がある。
拝観料は取られない。
「木曽義仲本陣跡伝承の地」の標識の先に大塩山への遊歩道が続き山頂には、義仲が築いた「大塩城址」があるという。
拝殿は一見の価値がある神社です。
さて先月買った白龍の「米てきてき」を飲み終えたので、5月のお酒は鯖江にある加藤吉平商店さんまで出向き、酒造好適米 五百万石によるに日本酒「梵(BORN) 無濾過 純米大吟醸」 と梵の猪口を購入。
「ふくい酒蔵ある記」にラベル貼ってもらい黄金色のとっくり印を押してもらう。
HPによると「キリっと透明感のある果物のような素晴らしい香りと、(中略)深くてなめらかな味が抜群」とある。
飲みやすいお酒で、一口飲んで気に入りました。
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RADWIMPS 「なんでもないや - movie ver.」 - 歌詞と英訳
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another throwback, i love this one too! rо̄maji below the cut :)
二人の間 通り過ぎた風は どこから寂しさを運んできたの 泣いたりしたその後の空は やけに透き通っていたりしたんだ
the breeze that blew past between us brought loneliness from somewhere the sky after i had been crying was unbelievably clear
いつもは尖ってた父の言葉が 今日は暖かく感じました 優しさも笑顔も夢の語り方も 知らなくて全部君を真似たよ
the words of my dad, usually so harsh landed warmly today kindness and smiling and talking about our dreams— i didn’t know how to do any of that, so i learned by copying you
もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけでいいから もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけくっついていようか
just a bit more, just a bit more now we just need a bit more just a bit more, just a bit more now shall we get just a bit closer?
僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ
we are time fliers, climbers who dash through time i don’t want to play hide-and-seek or get lost in time anymore
嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは 君の心が君を追い越したんだよ
when you cry from happiness and laugh from sadness it’s because your heart has overtaken you
星にまで願って手に入れたおもちゃも 部屋の隅っこに今転がってる 叶えたい夢も今日で百個できたよ たった一つといつか交換こしよう
the toys i got from wishing on stars are now scattered around in the corners of my room just today i thought of a hundred more dreams i want granted let’s exchange just one someday
いつもはしゃべらないあの子に今日は 放課後「また明日」と声をかけた 慣れないこともたまにならいいね 特にあなたが隣にいたら
there’s a girl at school who never talks, and today after school i told her “see you tomorrow” sometimes it’s good to do things you aren’t used to especially if you’re by my side
もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけでいいから もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけくっついていようよ
just a bit more, just a bit more now we just need a bit more just a bit more, just a bit more now let’s get just a bit closer
僕らタイムフライヤー 君を知っていたんだ 僕が僕の名前を覚えるよりずっと前に
we are time fliers, i knew you long before i ever remembered my own name
君のいない世界にも何かの意味はきっとあって でも君のいない世界など夏休みのない八月のよう 君のいない世界など笑うことないサンタのよう 君のいない世界など
even in a world without you there has to be meaning to something but a world without you is like an august with no summer vacation a world without you is like a santa who never laughs a world without you, or something like that
僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ
we are time fliers, climbers who dash through time i don’t want to play hide-and-seek or get lost in time anymore
なんでもないや やっぱりなんでもないや 今から行くよ
but it doesn’t matter, really it doesn’t matter because now i’m on my way
僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこはもういいよ
we are time fliers, climbers who dash through time we don’t need to play hide-and-seek or get lost in time anymore
君は派手なクライヤー その涙止めてみたいな だけど君は拒んだ 零れるままの涙を見てわかった
you’re a messy crier, i want to stop your tears but you refused, and when i saw your overflowing tears i understood
嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは 僕の心が僕を追い越したんだよ
when i cry from happiness and laugh from sadness it’s because my heart has overtaken me
futari no aida toorisugita kaze wa doko kara sabishisa o hakonde kita no naitari shita sono ato no sora wa yake ni sukitootte itari shitanda
itsumo wa togatteta chichi no kotoba ga kyou wa atataku kanjimashita yasashisa mo egao mo yume no katarikata mo shiranakute zenbu kimi o maneta yo
mou sukoshi dake de ii, ato sukoshi dake de ii mou sukoshi dake de ii kara mou sukoshi dake de ii, ato sukoshi dake de ii mou sukoshi dake kuttsuite iyou ka
bokura taimu furaiyā toki o kakeagaru kuraimā toki no kakurenbo, hagurekko wa mou iya nanda
ureshikute naku no wa, kanashikute warau no wa kimi no kokoro ga kimi o oikoshitanda yo
hoshi ni made negatte te ni ireta omocha mo heya no sumikko ni ima korogatteru kanaetai yume mo kyou de hyakko dekita yo tatta hitotsu to itsuka koukan koshiyou
itsumo wa shaberanai ano ko ni kyou wa houkago “mata ashita” to koe o kaketa narenai koto mo tama ni nara ii ne toku ni anata ga tonari ni itara
mou sukoshi dake de ii, ato sukoshi dake de ii mou sukoshi dake de ii kara mou sukoshi dake de ii, ato sukoshi dake de ii mou sukoshi dake kuttsuite iyou yo
bokura taimu furaiyā kimi o shitte itanda boku ga boku no namae o oboeru yori zutto mae ni
kimi no inai sekai ni mo nanika no imi wa kitto atte demo kimi no inai sekai nado natsuyasumi no nai hachigatsu no you kimi no inai sekai nado warau koto nai santa no you kimi no inai sekai nado
bokura taimu furaiyā toki o kakeagaru kuraimā toki no kakurenbo, hagurekko wa mou iya nanda
nande mo nai ya, yappari nande mo nai ya ima kara iku yo
bokura taimu furaiyā toki o kakeagaru kuraimā toki no kakurenbo, hagurekko wa mou ii yo
kimi wa hade na kuraiyā, sono namida tomete mitai na dakedo kimi wa kobanda koboreru mama no namida o mite wakatta
ureshikute naku no wa, kanashikute warau no wa boku no kokoro ga boku o oikoshitanda yo
#radwimps#jpop#jポップ#歌詞#langblr#btw does anyone have any idea what こしよう is in the たった一つ line??? lol#sasha.txt#Youtube
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私事にはなるが、イスラエルから日本に避難したときに心配してくれた人も多かったので近況を少し書いておく。 3ヶ月の間に国を跨いだ引っ越しを2回したわけだが、あまりにやることが多い上に家を転々としたり不運が重なりすぎて自分の限界を超えてメンタルをやられた。 しかし1年経った今では貴重な経験だったなと思っているので、大抵のことは時間が解決するなと改めて感じた。 直接会った友人には話していたが、2023年12月にドバイに家族4人+1匹で引っ越した。 中東から中東に引っ越した日本人は珍しいのではないだろうか。 ユダヤ教の国からイスラム教の国への移動となると数えられるほどかもしれない。 引っ越しの過程で多くの人にお世話になったので少し書いておきたい。 イスラエルでは数え切れないほど多くの人達に助けてもらったので本当はその全てを書きたいが、恐らくそれだけで一つの記事になってしまうし今回の内容がブレるので一旦触れないでおく。 マスメディアやSNSは国際情勢に関して誤った情報���偏った情報を流すことが多いので、全てを鵜呑みにしないほうが良いということだけは言っておきたい。 まず2023年10月にイスラエルから日本に避難した。 自分は残りたかったが二人目の子供が生まれたばかりで、家族が不安になることは避けたかった。 空港に到着したときには多くの取材が来ていて、NHKニュースやYahoo!ニュースに載ったので図らずも全国的に帰国が公開された。 急遽最低限の荷物だけまとめて飛び出してきて疲弊していたので静かに帰国したかったのだが、連絡をくれた人も多かったので結果的には良かった。 東京は移動の疲れを取るために数日だけ滞在し、その後は妻の実家の熊本にお世話になった。 最初はAirbnbに泊まったり妻の祖母宅に泊まらせてもらったりしていたが、やはり家族4人が長く住み続けるのは難しかった。 そこで家がなくて困っているという話をしたら、宇城市役所の方が熊本地震の際に建てられた仮設住宅を使わせてくれた。 月数千円で使わせてくれて感謝しかないのに「無料じゃなくてすみません」と謝られた。 本来は手続きも時間がかかるはずなのに、緊急避難ということですぐに住まわせてくれたし宇城市には頭が上がらない。 幸い夫婦どちらも好きな場所で働ける仕事ではあったが、子供の保育園は必要だった。 そこで急遽近くの保育園に申し込んだのだが、一時預かりの扱いになってしまうので一日三千円程度かかってしまうと謝られた。 突然連れてきて受け入れてくれるだけでこの上なくありがたいのだが、園長先生が市の職員と話してくれて住民票���入れれば無料になるようにしてくれた。 宇城市には聖人しかいないのかなと思った。 イスラエルの家賃や保育園代も払い続けていて金銭的にもしんどかったし、先行きも不透明で精神的にもしんどかったので、本当に救われた。 仮設住宅に住み始めたが家具はなかったので、妻のお母さんの友人が要らない家具を提供してくれたエピソードなどもあるし、とにかく宇城市は聖人しかいない。 そのまま日本に住み続けるのも選択肢ではあったが、犬をイスラエルのドッグペンションに預けていたので自分だけでも早く戻りたかった。 しかしいつ戦争が落ち着くかわからなかったので、自分だけ戻ると妻や子供とは離れ離れになってしまう問題があった。 それとは別に日本で仕事をするのは難しいことも分かった。 自分の勤めている会社は日本人がおらず、ビデオ会議は基本的にアメリカやヨーロッパのタイムゾーンに合わせて行われる。 そうなると日本は夜中になってしまう。 一人暮らしのときは昼夜逆転していたのでそれでも良かったが、子供がいる状況では厳しい。 他にも色々理由はあるが、やはりヨーロッパタイムゾーン(GMT+4 ~ GMT-1ぐらい)に住むのが良いだろうと考え、その近辺ですぐにビザが取得できる国を探した。 最近だとノマドビザで1-2年間住める国もあるので選択肢は割と多かった。 色々比較した結果、ドバイが一番条件に合致することが分かった。 ドバイは一度旅行したことがあり、その時の楽しかった経験も後押しとなった。 ただドバイは住むところじゃないだろうという先入観があったのだが、ちゃんと調べてみたらイメージとかなり違ったので、勝手な想像で判断するのは良くない。 決めてからはすぐに動いた。 10月中旬に日本に避難してきて11月末にはドバイに移動したので、かなりのスピード感だった。 ドバイには11月末に一人で先に来て一週間でビザや家の契約などをして、それからすぐにイスラエルに行ってさらに一週間で家を引き払ったり犬を連れてきたりしていた。 ドバイに着いたら上に書いたように犬が行方不明になった上にロストバゲージが起こってスーツケースも失った。 その時の自分はとにかく犬を飛行機に乗せる手続きで頭が一杯で、機内持ち込みの荷物に少し分散しておくということまで頭が回らずスーツケースに着替えなど全て入れていたので一気に失った。 手ぶらでよく知らない中東の国に一人放り出された。 ちなみにそのわずか1ヶ月後に再度ロストバゲージしたのでトラブルに巻き込まれる才能がある。 そして空港の職員は平気で無責任なことをいうので、何度聞いても「もうすぐ出てくるから」と手荷物受取所で誰もいなくなっても待たされた。 到着は20時ぐらいだったが22時ぐらいまで手荷物受取所で待たされ、さすがに限界だったので職員に「もう荷物は諦める」と言って一緒に到着しているはずの犬を探し始めた。 荷物も到着していないし犬も到着していないのでは?と気が気ではなかったが、予想通り上に書いたように次々と嘘の場所へ案内され不安は増すばかりだった。 25時過ぎにようやくうちの犬がいるらしき場所に到着したが、ワクチン接種の証明書が不足しているから会わせられないと言われた。 そういうことにならないように動物輸送業者にお金を払って必要書類を過不足なく揃えてもらったにも関わらずこの有り様なので、メンタルが強くないと生きていけない。 既に4年以上そういう環境で生きてきた自分はそれでもめげず、頼むから何とかしてくれとしつこくお願いしたら夜中にも関わらず割増料金で獣医を呼んでくれた。 お金を払えば何とかなるところはさすがドバイ。 獣医は即座にその場でワクチン接種し、証明書を発行してくれた。 2万円以上も取られてうっ...となったが、解放された犬と再会できた喜びでそんな感情は吹き飛んだ。 いざタクシーに乗って宿泊先に向かおうと��たらドバイでは犬はタクシーに乗せられないと言われた。 事前調べが不足していた自分のミスだが既に26時ぐらいだったのでどうしようもなく途方に暮れた。 しかしパキスタンの人が「日本人だろ?パキスタンと日本は仲いいから助けてやるぜ」と助けてくれた。 そんな交友があったことすら知らなかった自分を恥じた。 ありがとうパキスタン。 それ以降、パキスタンのニュースを意識するようになった。
ドバイに引っ越して1年経った感想 - knqyf263's blog
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月23日(木曜日)
通巻第8613号 <前日発行>
「ダボス会議」のホットイッシューは「ビットコイン戦略準備金」
米国が始めればG20は追随するだろうと関係者
*************************
開催中の「ダボス会議」(世界経済フォーラム)で最も関心を集めているのは「ビットコイン戦略準備金」の動きである。
コインベースCEOのブライアン・アームストロングは「ダボスの2025年世界経済フォーラムに出席する財務大臣らが、戦略的ビットコイン準備金の設立に高い関心を示している」とした。
アームストロングは続けて発言した。
「暗号通貨にとって新しい時代の幕開けです。会場全体に活気が感じられました。過去四年間、私たちは(バイデン)政権から攻撃されていると感じていました。前政権は、透明性とルールの欠如を武器にして暗号通貨を押しつぶそうとしました」
「われわれは米国政府機関に協力を指示し、可決された規則を明確にする。そうすれば、米国に資本が流入し、自己管理型ウォレットに関する権利章典を再定義することになる。エリザベス・ウォーレン(極左の上院議員)のような人たちにそそのかされた規制当局が銀行に圧力をかけ、暗号通貨に大きな懸念があるとした。しかしトランプ一家が暗号通貨に関与していること、トランプファミリーがミームコイン(「$トランプ」)を発行した。暗号通貨の商品はたくさんあり、将来的には証券もできるでしょう。これらのミームコインは誰もが世に出すべきもの
です。私たちは特定の資産を推奨しているわけではありません。基準を見て、市場に決めてもらいます」。
将来の暗号通貨、関連の金融商品ならびに「暗号通貨投資信託」(ETF)など、いまは多くのテクノロジーは玩具レベルかも知れませんが、初期のインターネットを考えてみてください。人々はアニメの GIF や猫の絵などを投稿していました。いまやはるかに重要なものになりました。ビットコインは数百万ドルの価格帯に達すると思います」
そして、米国で戦略ビットコイン準備金に関する明確な法律が制定されれば、G20の国々も追随するでしょう、と予想した。
就任から一夜明けて、トランプは大統領命令の続きを発令し、暗号通貨「シルクロード」創設者で、不当に���身刑をかせられたロス・ウルブリヒトに恩赦をあたえる、とした。
トランプ大統領はTruth Socialの声明で次のように述べた。
「ロス・ウィリアム・ウルブリヒトの母親に電話し、彼女と私を強く支持してくれたリバタリアン運動に敬意を表して、彼女の息子ロスの完全かつ無条件の恩赦に署名できたことを嬉しく思っていることを伝えた。彼を有罪にしようとしたクズは、私に対して現代政府が武器化することに関与したのと同じ狂人の一部だった。彼は2回の終身刑と40年の懲役刑を言い渡されすでに11年も投獄されていた。馬鹿げている!」
動きが加速されている。
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「私はヒスパニック系の地域に住んでいますが、ドラゴンボールがこれらのコミュニティの少年や男性に絶対的な影響力を持っていることを彼が知っていたかどうかはわかりません。彼の作品は彼らの人生の中で最大の芸術作品の一つでした」 「文化を超え、大陸を超え、世代を超えて、ドラゴンボールを体験するという共通の興奮は完全に普遍的であり、時代を超越しました。神の緑の大地に住む二人の子供が隣に座って、悟空を見て正気を失うかもしれない。それはとても美しいです。そして、これはとても悲しいことです」 「メキシコ全土が壊滅寸前だ。ドラゴンボールとそのキャラクターにちなんだ名前のレストランがあります」 「中南米全土が混乱に陥っている」 「私の友達はみんなショックを受けています、彼らの多くはアニメの大ファンではありませんが、ドラゴンボールだけは大きな例外です」 「ドラゴンボールがどのようにしてこれほど多くの文化の構造そのものに浸透することができたのかは信じられないほどです。私たちは、物語とその登場人物への愛によって結ばれた、地球規模の家族について話しています。それが鳥山作品の力であり、それは画面上にとどまらず、現実世界の伝統や日常生活の一部となった。なんと素晴らしい遺産を残せることでしょう」 「南米のどの国の街路にも、例外なくドラゴンボールの落書きがあります」 「DB がなければ、漫画やアニメは今ほど世界中で人気を得ることはできません。彼は本当に媒体を変え、世界中の人々の世代全体を変えました」 「マンガ、アニメ、ビデオゲーム、商品を含むフランチャイズ全体を考える場合。ドラゴンボールはおそらく史上最も影響力のあるアニメです」 「アラレちゃんと悟空が夕日に向かって歩いていくイメージが浮かんできて、とても感動しました」 「DBZ はアニメを世界的なものにしました。間違いなく。ガンダムでも、エヴァンゲリオンでも、セーラームーンでも、ナルトでも、これに匹敵するものは他にありません。レジェンドに安らぎを」 「少年アニメにおけるドラゴンボールは、現代ファンタジーにおけるロード・オブ・ザ・リングのようなものであり、基本的にジャンル全体のテンプレートを設定する作品であり、そのジャンルの後続のほぼすべてのエントリーは、それがどのように関連するか、覆すか、その他によって定義されます。参考文献、原本」
「ドラゴンボール」作者の鳥山明氏死去、68歳 : r/anime
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川の詩人
彼女はお喋りだ
そのくせだれかが話しかけようとすると
もう先へ行ってしまっている
自分でもよく分からない
一体どこまで自分でどこから自分じゃないのか
仕方ないじゃない、と彼女は云う
立ち止まったとたんに
わたしはわたしでなくなってしまうんだもの
変転と移動だけの人生って
傍で見ているほど気楽じゃないのよ
彼女の背後で
雨雲がぴかぴか光っている
いつか永遠に己を解き放つ瞬間が訪れるだろうか
孕んでも孕んでも
彼女のお腹はほっそりしている
石の詩人
雲に憧れる気持ちがまったくないといえば
やっぱり嘘になりますね
いや、月になりたいとは思いません
大きさこそ違え
僕らは本質的に同じですから
(雨が、あがって、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。)
地上にありながら
深みを予感することが僕の仕事です
(そして夜になると重たい地球は沈んでゆく
星々の隙間を抜けて孤独にむかって)
その日の彼は
なぜか珍しく饒舌だった
モグラは相槌を打とうとしたが
なんだか恥ずかしくなってまた土にもぐった
木の詩人
いつ死んだっていい
ずっとそう思いながら生きてきたような気がする
ふと、あたりを見回せば
いつの間にか自分が一番歳をとってた
誰にも言っていないが
彼はいまや歩くことができた
それが特別な祝福であるとも思わなかったが
夜、村はずれの一軒家の垣根越しに
ラジオの声を盗み聴くことの
あの後ろめたい歓びを手放すつもりも
毛頭なかった
ラッパの詩人
その内実において
彼は洞だった
丸く開かれたロのなかの
限りなく滑らかな漏斗の表面を
空や、媒煙や、少年の震える睫毛や希望は
流れ落ちていった
その外観において
彼は畸形の口吻だった
それは中断された吐息を思わせた
だがその鋭利な外縁からは
鉱石や、水や、骨や、稀に羽虫を封じた琥珀が
迸った
午睡から覚めてバルコンに立つと
夕陽が彼を金に染めた
誰ひとり彼の地声を聴いたものはなかった
アホの詩人
崩れかけた塀の向こうの
物置小屋の庇の下に座りこんで
洟垂れ小僧どもに恐々と覗かれながら
えへらえへらしている
垢と泥にまみれた裸に
透明なビニールシートだけを纏って
風の舞う早春の丘の斜面を
駈け降りてくる
どろりと濁った片眼の端から
笑う女の
歯茎を盗み見ている
アホの詩人は
しどろもどろのうちに真理の炎に焼かれ
また我知らず詩をお漏らしした
雨の詩人
この世の森羅万象に触れることが
彼の野望だった
人前ではそんなそぶりは露ほども見せずに
俳句を捻ったりしていたが
一粒の砂をどんなに見つめても
世界はおろか砂漠だって見えなかったが
一滴の雨の雫には
たしかに全てが映っていた
屋根屋根と森と
小川と虻の羽音と鉄橋と
かなたにけぶるひとすじの海と
貨物船も
空の高みに生まれて
地面に叩きつけられるまでの時間を
測るようにして生きてきた
その最後の衝撃は雨粒ほどの音もたてなかったが
それともあれは上昇だったのだろうか
この世の一切合財を同時に感受しようとして
眩量に襲われることだけが
彼の才覚だった
-四元康祐『詩人たちよ!』
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脱税と租税回避は、社会支出やインフラ投資の資金源と成り得た歳入を減少させ、格差や不公平感も悪化させる。一国が利己的な国内政策を取れば、他の国々が不利な形でその影響を被るだろう。各国が他国への弊害を顧みずに自国の租税政策を決定すると、すべての国が損をしかねない。 IMFの最新の「財政モニター」は、大企業への課税、オフショア企業に関する情報の共有、公平なカーボンプライシングの立法化という3つの領域において、国際協調が万人の利益になりうることを示している。 法人課税に関する協調 世界の大手多国籍企業は対世界GDP比9%もの年間利益を上げているが、その納税額の低さから広範な不満が生まれたことを受けて、1世紀前から続く国際体制を現代化する革新的な協定の策定が急がれた。2021年には137か国が包摂的枠組みに基づく2つの柱から成る解決策に合意し、協調に関して画期的な進展を遂げた。複数の国で生放送の政治討論会の焦点になるほど、2022年は同合意を実行に移す極めて重要な年であり、「財政モニター」ではその潜在的な恩恵を評価した。 合意の第1の柱では、多国籍企業の利益の一部は企業の財・サービスが使用または消費された場所で課税されると定めている。すなわち、従業員が顧客の拠点から遠く離れた場所に勤務するハイテク企業であっても、顧客がいる場所で課税できるということだ。デジタルコマースが普及したこの世界においては歓迎すべき進展である。IMFの報告書によれば、合意による税収の再配分額は多国籍企業の世界利益の2%に留まるが、この新たな課税原則が基盤を成す税制は、一方的措置であるデジタルサービス税よりも有効性が高い。 第2の柱では、国際的な最低法人税率(15%)が導入されている。この措置は、各国の法人税引き下げ競争と企業の国外利益移転それぞれのインセンティブを減らすことで、租税競争に歯止めをかける。「過少に」課税されている利益があれば、一部の国によって最低税率まで上乗せで課税される仕組みになっており、世界全体で法人税の税収が最大6%増加する。法人税率の低下傾向を逆転すれば、税率の引き下げ競争が緩和されて税収額がさらに8%増加し、合計で14%増となる。しかし、低所得国の状況に合わせて調整する努力は継続すべきであり、例えば、法人課税を部分的に簡略化する、国境を越える支払いの源泉徴収を強化する、多国籍企業に関する国別の情報をさらに共有する、といった取り組みを検討すべきだ。低所得国が今般の変革の恩恵を享受するためには、無駄な税制上の優遇措置を撤廃するなど、補完的な改革を採用していく必要がある。 個人課税に関する協調 法人と同様に、最富裕層を中心とした個人の課税にも、国際協調が欠かせない。パナマ文書やパラダイス文書のような文書流出によって、大量のオフショア資産や、広範に及ぶ税の抜け穴の存在が明らかになった。極めて高い匿名性を確保できるデジタル資産が普及していることからも、情報の共有はますます不可欠だ。資産隠蔽を目的とする不透明なオフショア口座は、歳入の損失を招くだけでなく、汚職による収益の国際送金をも容易にしている。 国際協調は具体的な成果を上げており、税の透明性および税務目的の情報交換に関するグローバル・フォーラムのもとで163か国が情報交換に同意した。ただし、IMFの報告書は情報の信頼性に改善の余地がある点も指摘している。各国は受益所有権の登録簿(会社を実質的に所有または支配している者に関する情報)をさらに推進していくべきだ。 一部の国ではこうしたメカニズムがすでに確立されているものの、肝心なのはその実施方法である。登録簿の情報は公的なデータベースで一元管理すべきだからだ。効果的な情報活用は法執行に極めて重要であり、低所得国は透明性から恩恵を得るためのノウハウをさらに培う必要が出てくるだろう。 国際協調の強化を要する最近の現象としてもうひとつ挙げられるのが、労働力の移動性の高まりである。国境を越えてリモートワークを行う機会が拡大するにつれて、高技能者を狙ったデジタルノマドビザを発給する国が増えている。各国の税率の差を勘案した推計によれば、国境を越えたリモートワークを通じて各国間で再分配される個人所得税税収額は、世界の同税収額の1.25%に上る。雇用主の居住国と従業員の居住国の間で一貫性のある税務処理を図るために、今後は協調の重要性がますます高まるだろう。
今より公平でグリーンな世界経済を実現する租税協調
国際租税法
租税協調
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興行ってやつか
素人でもわかる
現在のオリンピックもそうだけど、大金が動くメジャーなスポーツって色々あります。政治的な絡みも見え隠れし、分かっていながらも冷める事が多々。
” スポーツ精神 ” ってどこ?
F1と言うかモータースポーツもその様な要素が常に見える一例かと。
モナコGPってどうなの? 70~80年代くらいまでのモナコGPはまだ ” レース ” として成立していたと感じます。でも現在は、王室関係や一握りのお金持ちのお祭り。現在のマシンであのコース、退屈過ぎてレースとして見えないし、昨日のレースも不可解だらけでしたね。
それからやたらセナを利用するのもなんだか情けないと言うか、そこまでセナを引っ張り出すならホンダエンジンの功績も絡んできますよ。でもそれは・・・なので式典にはフォードエンジン版。
ホンダエンジンが勝っていた当時も散々レギュレーション変更されたし、セナも差別を受けていました。そのような事は現在もよくあるけど全く不透明なジャッジメントの数々。昨日のモナコGPも??だらけでした。
一昔前なら、作られた世界もまかり通る世の中だったと思うけれどさ、情報化の現代では、ただ冷める(覚める)だけです。
改めて茶番を感じた週末でした。
清らかな世界で癒されよう
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それで社名の検討に入ったとき、私が横文字入りの名を提案したところ、盛田さんが「そんなカッコいい社名はかえってよくない。それより、ここに書いてある『第二電電』というのがいいじゃないか」と反対意見を述べたのです。 自らの会社にもSONYという英語表記の社名をつけ、グローバルな視点をもち、ブランディングについても一家言をもっておられた盛田さんが、第二電電という泥臭いプロジェクトネームを推す真意を測りかねて、 「これはあくまでプロジェクト名です。日本でいちばんの通信会社をめざそうというときに、自ら『第二』を名乗るのはいかがなものでしょう」 と私は反論しました。 しかし、盛田さんは間髪をいれず、こう返してこられた。「千本くん、それは少し認識不足だな。横文字の社名はたしかにカッコいいが、いちいち説明が必要でわかりにくい。第二電電なら一発で、『ああ、二番目にできた電話会社だ』と老若男女の誰にもわかるじゃないか。泥臭いかもしれないが、こういう通りのいい名前の大衆への浸透力や爆発力というのはすごいものだ」 これを聞いて、私は目からウロコが落ちる思いがしました。たしかに、自分でなにげなくつけて、ひんぱんに使っていた仮の社名でしたが、そのわかりやすさのインパクトは横文字のそれをはるかに超えています。いまでいう「キャッチー」なネーミングです。 稲盛さんも「なるほど」と感心し、けっきょく正式社名も第二電電に決まったのですが、こういうことを簡単に思いつき(簡単にではないのかもしれませんが)、平然と提案できる盛田さんのマーケットセンスは真に洗練されていたというほかはありません。 私は、さすがは世界のソニーを率いる傑物だと驚愕まじりの敬意を抱きました。盛田さんもやはり、とても「先の見える」名経営者だったのです。
KDDIの前身「第二電電」というネーミングの先見力 | 企業経営・会計・制度 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
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小金井氏ら遺族の悲痛な叫び。彼らは我々と将来世代のために立ち上がっているのです
2024.12.15
“Enough is Enough!” Emotional Scenes Unfold at Japan’s Ministry of Health as 15 Families Demand Justice for Vaccine Losses
Listen carefully, all the staff going in! Listen! Those who truly know what’s happening are the staff of the Ministry of Health, Labor and Welfare! ...Enough is enough! Stop it!”
「何が起きているのか、本当に知っているのは厚生労働省の職員だ!」
昨日(2024年12月13日)の非常に感情的なシーンである。厚生労働省の前にコロナワクチンで大切な人を亡くした15人の遺族が集まったのだ。その中に小金井氏の姿もあった。彼の力強い言葉は、その場にいた全員が感じる痛みと怒りを凝縮している。
彼の声が悲痛に響く、 「コロナワクチンによって、体調不良を起こし、後遺症で毎日地獄のような生活している人間が、全国に多くいること一番わかっているのは厚生労働省の職員、あんたらだろ!そして、今もなお、ワクチン接種を推奨し、どんだけ人を殺していくんだ?いい加減にしろ!」
世界中で、多くの人々が保健当局の決定に疑問を抱いている。数え切れないほどの研究や報告がなされているのだ、コロナワクチンと、急成長するガン、突然の心臓発作、自己免疫疾患などの深刻な副作用との関連についてである。これらの暴露が、社会的信用を揺るがし、説明責任を求める緊急の呼びかけとなった。
これら家族の集まりは、真実と透明性への要求が高まっていることを浮き彫りにする。彼らは自らの悲しみのみならず、同様の悲劇に見舞われた無数の人々の痛みを代弁しているのだ。世界的の人々が、このワクチンの安全性と有効性を再考するよう保健当局に求め、反発している。
小金井氏は、省内からの変革に期待を寄せた、 「厚生労働省の職員の中に本当は心の中で、本当はもうやめたいと、つらいと思ってる人間もいるかもしれない。むしろ、いてほしい!」 。これは、関係者が声を上げ、必要な変化を求める勇気の呼びかけである。
彼は続けて、早急な行動を求めた、 「なんとか、そういう人間は、勇気を振り絞って一緒に立ち上がってほしい!多くの人間が死んでんだ!そして、今ここに集まってる我々市民は、国民は、すべてのワクチンの中止を要求する!これ以上被害を出すな!即刻ワクチンの中止!ワクチンを中止しろ!ワクチンをなくせ!」。
苦しみと損失をもたらした強制的な政策によって、その手を血で汚していると世界中の規制当局が非難されている。このような政策が、何百万人もの人々を殺傷し、破壊の痕跡を残してきたと言われている。このことが、自分たちの行動の結果を直視せよという激しい要求に火をつけた。
これらの心からの言葉は、単なる絶望の叫びではなく、力強い正義の要求なのである。
小金井氏ら遺族の悲痛な叫び。彼らは我々と将来世代のために立ち上がっているのです | 字幕大王
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Independently blue
感受性が豊かだとかいつも考えすぎだよの一言で自分のすべてを見透かしたかのようにわたしのことをとくべつ綺麗に表現してほしくなかった。というか、絶望や不安感や絶えない悲しみに美しさなんて微塵たりと存在しないと思っているのに、それを爽やかな笑顔を浮かべながら素敵だと言われてしまうと、わたしも捻くれた人間なのでより一層自分に対して惨めな想いばかりが募ってしまう。こんな調子だからいつになっても満たされないのだ。ずっと。自分で自分を縛り付けているような感覚に頭が痛くなる。何一つとして誇れるものを持ち合わせていないことに。家族や友人はたいせつだけれど彼らだってやっぱり一番大切なのは自分自身で、そういった��味では彼らもある種の寂しさを抱えているのかもしれないけど、それでも、と、ぐるぐる考えれば考えるほど自分だけが異様に変わっているように思えてきて耐えきれず泣いてしまう。
無題
世界はドラマによってうごかされていて、そのドラマによってわたしたちはうごかされている。と、高校演劇大会の審査員の演出家の方が言っていた。
ドラマの定義というのは最初に保たれていたバランスが何かをきっかけに崩壊して、そしてまたあたらしいバランスが構築される、というその繰り返しのことらしい。ここで大事なのはバランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のエネルギーの動きをしっかりと捉えて明確にするということ。そうすることではじめてハッ、となる瞬間がうまれる。ここでいうハッというのは新しい気付きのことで、これは今までは流れに流されていたものが急に堰き止めらたときに止むを得ず立ち止まり、改めて周りを観察し分析することで自分自身の置かれている立場を客観視できる、ということだと思う。バランスが崩れるということは何かが劇的に変わることを表していて、人間はそれに適応することに大体は切磋琢磨して多くの場合くるしくなったり悲しくなったりとネガティブな感情に追い込まれてしまうと思う。けれど演劇において、また人生においても同じことが言えるけれど、そこでは自らの感情に思うがまま身を委ねるのではなくてロジカルに思考をすることが大事になってくる。というのも、大きな衝動は複数の感情をより複雑に絡ませてしまい、そうするとまた今度はそれを解くことに必死になって小さなパニックが起きてしまうから。そうしてそのように自らを疲れさせないために情報量を極���まで少なくすると、はじめて人間はそこで現在進行形で起きている意外性というものに気がつく。そして大概この意外性、つまり思いがけない驚きや予想外の仕掛けというものは自分だけでなく他者にも影響を及ぼし、それがその審査員のいうハッ、という気付きに繋がるのかもしれない。
同情の有無にかかわらず人間への関心を失ったら演劇など出来ない、と審査員の方々が話すのを聞きながら、人生と演劇って似ているなあと改めて思った。自然であることと自然でないことはまったくもって違うけれど、実は紙一重なのかもしれない。
辛いことはたしかに尽きないけれど、そこでその辛い気持ちから自己防衛をするために自分自身を正当化し誰かを傷つけることは全くもってちがうし、それでは自分のかなしみはより加速する一方で、一向に幸せにはなれない。自信を持つ方法だとか辛い気持ちから脱却する方法だとかそういうことをつらつらと語る動画をたくさん見たら、元気が出た。今までにないほど散々汚い言葉を投げかけられて、ついこの間までもう自分には幸せになる価値なんてないのかもしれないとマイナス思考だったけれど、そんなことはない。幸せになりたい、という思いだけで充分だと思う。どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となる。ただ誰かを傷つけることで自分を正当化する人や人の心に深い爪痕を残そうとする人、自分自身を責めてしまう人や優しさや愛を素直に受け止められずに疑ってしまう人、いろいろな人がいるけれど、その人たちを責めることもまた全くちがうことなのかもしれないと思った。わたしは今までは悪いことをした人は絶対的に悪い、と一方的に思っていたけれど、そのうしろにはその人にしか分からない苦しみがあるのだろうし、それはその人自身によるものだけではなく環境によるものだという可能性だってある。冒頭で述べた、「バランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のうちのエネルギーの動き」というものを自分の根本にある愛やだれかから受け取る愛の不十分さゆえに消化できず、他のものでそれを補い上書きしつつ誤魔化すことで、彼らも彼らなりに自分と向き合うとしているのかもしれない。これはあくまで仮定だけれど、そう思うことでわたしも心が軽くなる。辛いとか、幸せとか、気にしなくなるほど愛に満ち足りた生活をしたい。ゆるしたい。自分が侵してしまった失敗や罪も、自分を傷つける人たちの言葉も、上手く物事をこなせない自分自身のことも、幸せでない過去のことも、ぜんぶゆるしてあげたい。号泣しながら鏡を見たら予想以上に顔がぐちゃぐちゃだったので綺麗だった、なんて微塵たりとも思わず、むしろそれを汚いと思ってしまったけれど、それをいつかあの頃の美しさに生かされていると言えるほどの愛を自分のために抱えて離したくない。
無題
丁寧に髪をとかすともう0時だった。ピピピというメロディとともにコンビニのドアは開かれて、わたしはそこで煙草を買おうかと思うけれどもやめる。憧れている女の子が新宿区の高校に通っていることを知って、落ち込んで舞い上がって、そうしてまた落ち込んだ。こんなにも近くで同じ景色を見ているのにわたしはどうしても彼女と同じ世界を生きることができない。等しい恐怖心ともどかしさを感じながら寂しさを分かち合いたかった。彼女がきれいだと思うものをわたしもきれいだと思いたいし、彼女が眠れない夜にはわたしも眠れずにいたい。となりで同じ蝉の鳴き声を聴いて、電車が過ぎ去ってゆくのをみて、風が、草はらを駆け抜けてゆくのをみた。けれどその一瞬のうちですら、たぶんわたしと彼女はきっとそれぞれ異なるひとのことを想って、それぞれ異なる色と匂いと温度と光をかんじている。わたしは彼女がかなしいと思うときにおなじようにかなしいと思えないのだ。それほどもどかしいことはないし、それほど愛おしいものもない。わたしの孤独はわたし一人だけで成立しているものではなくて、わたしの大切なひとたちがいてこそのものだと思うと、それだけで眠れなかった夜が嘘みたいに今度は眠りたくない夜になる。満たされていないからわたしは海をきれいだと思うのだろうし、なんの迷いも戸惑いもなく未来に眩さや希望やあたたかな愛を見出すことができるのだと思う。満足することを知らず、いつまでも世界のありとあらゆるところまでつねに感じていたい。うしなわれた光と温度と音が知らない地でまたあたらしくうまれるところを、ずっととおい国のちいさな街で暮らす少年の報われなかった恋を、インターネットの隅で未だに煌めきを失わず残ることばの数々を、千年前に生きていた十七歳の少女が今を生きるわたしのそれと同じ眼差しで、同じ場所で、同じ海を眺めている様子をみたかった。恐竜の鱗が光にてらされてかがやいているのもみたかった。この風は、まだ人間が人間じゃなかった頃に吹いていた風かもしれない。同級生のこととかたとえば自分の数年後のこととか明日の試験のこととか考えているうちに、きっとたぶんあっとういうまにわたしは歳を重ねて死んでしまうから。あなたも。死は永遠に続く停止ではなくて、またあたらしい有限への始まりにしか過ぎないのかもしれない。昔の文章、はずかしすぎてマトモに読めなかった。一年前のわたしだったら全部削除していたかもしれない。だいたい、あなたにはなれないと分かっていながらあなたになりたいなんて思ってしまったわたしがわるかった。わたしは全然自分が思っているより幸せだし、あなただってきっとあなたが思っているより幸せなのだと思う。それにそうだねと言えないのなら、わたしが幸せにしにいくから泣かないで。
Fresh Flesh
苛々してばかりいる。排気ガスを吸い込んだ朝の光。どこまでもぬるい夏の風。孤独を拒絶する友人。数値化された感性。立ち並ぶビル群。声のでかい女。ぜ〜んぶ、ほんとにぜんぶ、まるで雷光のようにわたしの心の奥の奥の奥のほうをカッと照らすので、まぶしくてひたすらに鬱陶しい。だけど舌打ちも暴力も歯軋りも性に合うはずがないので、ただ血液だけが巡るその速度を速め、ああ、もうさ、どうしてこんなに世界って鮮やかなわけ?って、思った、昼。あらゆる音がさっきまで飲んでいたシュワシュワサイダーの泡みたいに空気中を弾ける。ぽつ、ぽつ。びゅうびゅう。ざあざあ。びたびた。ぱらぱら。すぐそこで揺れている深緑(ふかみどり)が泣いているみたい。小鳥や野良猫は雨の日どこで雨宿りをしているんだろうか。ショッキングイエローも、スモーキーピンクも、オーシャンブルーも、わたしたちはすべて黒い色の文字で表現できてしまうのに、心がぎゅうってなるあの感覚って、どんな言葉を選んでもなにかが違う。途中でこうじゃないって投げ出してしまう。どれだけ小説のページを繰っても、黒、黒、黒、そうして少し、余白。けれどそこにはそこにしかない風があって、匂いがあって、音があって、熱があって。先生の合図とともに重たい教科書を開いて、ハイライターで色をつける。まだあと二十分もある、って思うとき途方も無い気持ちなる。(おねがいだから一人にしてほしい、)と、一人なのに、そう思う。これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。何をすればいいんだろう。何を守るべきで、何を捨てるべきなのか、わかったら、なんの迷いもなしに会いたい人たちの元へと駆けて行けるのに、わたしがいなくても彼らの生活は成立してしまう。その事実が毎日のようにわたしの胸をきつく��め付けるので、勉強さえ手につかない。夏の夜の闇に、重ねに重ねた不安を押しつぶされそうになって、怖くなって、ママが深く眠っているのを確認したあと、あたかも人が眠っているかのように部屋の布団を整えて、玄関のドアをゆっくり、すごくゆっくり開けた。レッドのマットリップと、ドット柄の上下パジャマのズボンと、上はダボダボのブルーのパーカー。午前零時。自転車のギアをいちばん重いのにして、全速力でペダルを漕ぐ。まだたくさんいる人々の話し声や車のエンジン音が瞬く間に遠のいていく中、車輪の回転する音だけが一定の大きさで響きわたる。往復およそ三百円の通学路と、京浜東北線。光が差し込むと肌が透けてみえる白いブラウスと、微かに香る柔軟剤のにおい。テスト前、教科書がパンパンに入ったリュックサックの重さと、かかとの磨り減ったローファーの鈍い光沢。小さな教室と、先生のつまらない冗談。どっと響きわたる笑い声の中に掻き消された不安定な思考。すべて、いつか、終わってしまうことがちっともさみしくないと思ってしまった。ゆるしてほしい。だって、いつだって死ぬことは生きることの一部。怖いモノなど無いと信じたいでしょ。
無題
上野で車に轢かれた鳩の死骸をみた。車窓に映る風の如く過ぎ去ってゆく光景はあらゆるモノの死の産物なのだと、いつか君が話していたのを思い出した。それに感化され涙を目に浮かべるわたしもまた、いずれ消えてしまう。雲ひとつない晴れた日に駅の出口で名前も顔も知らない人を待ちながら、点滅する青信号に早まる人々の足取りを目で追う。断ち切れた水道管の真横でカラスがゴミを漁っていた。彼も彼女もこの街ですらいつか朽ちてゆくのに、世界はなぜこうも美しく出来すぎているのだろうかとよく考える。降ってくる雨粒の鋭さに刺され出血することもなければ、太陽の光によって皮膚が火傷することもない。風の強さで眼球が吹き飛ぶこともなければ、鳥の鳴き声で鼓膜が破れることもない。そのやさしさがたまに鬱陶しくて鬱陶しくて、真夜中に布団に包まってひっきりなしに泣く。ああ、やってらんないなあと思いながら、チョコレートパフェを注文する。向かい席に座った顔見知りになって間もない女性が煙草を嗜む、その姿に恋心にも似たときめきを覚えた。文豪たちが綴ったうつくしい言葉が無数に散らばる図書館で、わたしと彼女は自分たちで編み出したくだらない戯れ言に花まるをつけた。いつか、という言葉が好きだ。いつか大丈夫になる。いつか幸せになる。いつか報われる。いつかわたしにも大切な人が出来る。いつか大人になる。いつか死ぬ。その果てに見える景色があらゆるモノの死の産物だとしたら、わたしは毎日それらを瞼の裏に葬り、目を閉じて祈る。人生にリタイヤもバッドエンドもエンドロールもない。それよりも踊ってばかりの国のサイクリングロードを聴きながら、ドライブしよう?
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