#車中泊スポット
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Azran Legacy Guidebook: Page 31
The chairs in the lobby are a secluded resting spot. You can relax, watching the street outside through the window.
The sign pointing to the reception desk, which has continued to welcome in visitors since the place was built.
Inspector Grosky The runaway train of Scotland Yard. He is always running all across London. “A case is calling me! I can’t sit tight!”
Waiting Lobby
Not just for people in trouble, but also a place for relaxation. Furnished with bookshelves, you can find books here that are difficult to find in bookshops.
Hint Coins:
The leftmost poster on the left wall
The clock on at the back
Notice board on the wall on the right
Emmy’s Snapshot: Waiting room seat
Investigation Quarterly 20XX WINTER
CONTENTS Feature article on gourmet food for an investigation … 010 The 10 best gourmet foods to eat during a stakeout … 058 Hotels to stay at with a criminal … 096
Face of the Month: Inspector Chelmey
ロビ ー の椅子は隠れた休憩スポット。窓から通りを眺めてリラックス
受付を示す看板��、ここが作られてからすっと来訪者を迎え続ける
グロスキー警部 スコットランドャ ードの暴走機関車と呼ばれる。ロンドンの至る所を走り回っている 事件がオレを呼んでるんだ。じっとしちゃいられないさ!
待合ロビ ー トラブルを抱えた人のためだけでなく、憩しの場としても利用されている。備え付けられた本棚には、書店ではなかなか見かけない本も。
左の壁にある左側のポスター 正面奥にある時計 右側の壁の掲示板
季刊 トリシラベ 20XX WINTER CONTENTS 取り調べ中に出したいグルメ特集…010 張り込み中に食べたいグルメベスト10…058 犯人と泊まってみたい宿… 096
今月の顔 チェルミ ー 警部
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tokyomariegold · 7 months ago
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2024/5/3
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5月3日 昼過ぎまで関西にいて、うとうと時速300kmを過ごして、ちょうどよく富士山を横切るところで目を覚まして写真を撮って、夕方荷物の片付けやお土産の整理をしていたとは思えない程、すっかり生活に戻ってきている。 我ながら清々しいと思えるくらい、生活にシフトチェンジして、いつもの金曜日の掃除��片付けを3時間ほど終え、スーパーで買い物をして食事の用意や洗濯や日記をしている。
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朝起きて、昨晩も全くよく眠り続けられず、夜中に自分の病気のことを調べ出してしまうよくないモードに入った事に、落ち込まないけれど反省しつつ奈良駅のみどりの窓口へ向かった。 早い時間の新幹線に変更してもらいたさすぎて、昨晩このみどりの窓口の口コミを読んでいた。窓口は一つしかだけとのこと。あまりに並んでいたらやめよう、という感じで駅へ向かう。 そろそろゴールデンウィーク真っ只中で席の振替なんて効くのかしら?と期待せずに訪ねたけれど、着いてすぐ窓口へ案内してもらえて、��車する列車の時間も変えてもらえた。 ブースの向こうには、昔父が職場の修学旅行の引率で行った奈良土産で買ってきた鹿のパペットぬいぐるみが3匹飾られていた。
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やったー!早く帰れる!と元気を少し取り戻して、京都までの近鉄線も指定席をとってしまい(これもとても快適で良かった)、足取り軽く歩いていると「忙しい?いそがしいよね?でも一枚撮ってくれない?」と、奈良駅がスタートのマラソン同好会(?)ご一行に集合写真の撮影を頼まれる。駅舎を背景に皆さんを撮影。 自分でもびっくりしちゃうくらい大きな声で「撮りまーす!はい!チーズ!」と言っていた。びっくりした。
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もう一度奈良ホテルでお土産を買って、泊まっていたホテルに戻りチェックアウトをした。 10時を過ぎるとお店も始まるので街に人が増えており、角の草餅屋さんはすでに大賑わいで、今回もあまり何の店だったのか実態をつかめず。実演販売もお目に掛かれなかった。
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京都は駅に人が多くてパニックだったけれど、四条で地上へ出ると案外人は少ない気がした。東京の1/6くらい? 全く時間がない中、分刻みスケジュールで京都芸術センターへ行った。今回の旅行は今まで行けていなかった展示スポットに行けたので、よく考えるととても充実している。体調が良い時にどこもリベンジしたい。
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芸術センターは古い学校を再利用した施設。 またゆっくり訪れたいと思う。一度場所を把握できれと、訪ねるハードルが下がるので、次回はふらっと行ける気がする。 泥や石の音を聞く展示を、京都の大学生6人グループと一緒に観て、駆け足で京都駅へ戻り新幹線に乗った。 今回隣の席がずっと空席で、他もちらほら空いていたので快適だった。 いつもだと今回の旅の反省モードで帰路に着くところだけれど、今日もずっとうとうとしっぱなしだった。
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帰ってきて、生活を取り戻して安心してしまっている。 これがしたくて遠出をしているの?万全に体調と生活が整って、心の底から旅本体を楽しめる日は来るの?別に来なくてもいいの?
スーパーに、まだいちごが並んでいた。 でも同じ並びにスイカも並んでいた。 スーパーと玄関ばかりで撮ったフィルムをちょうど撮り切ったので明日は現像に出しに行こう。
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imwatashi · 9 months ago
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2024.08.14 (Wed)
早起きしてバスに乗りHay Market駅へ。事前にネット予約していたチケットを受け取り、はじめてのスコットレイルに乗車。日本でいう特急列車的な感じでした。前日の晩スーパーで拵えた1ポンドのドーナツとスタバのコーヒーを持って、車窓からどんどん緑が増えていくさまを眺める。
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1時間でDunblane駅に到着。バス乗り継ぎまで40分あったので、駅近くの大型テスコへ。 (テスコは大きさ別に4種類あるらしい。街中にあるテスコエクスプレスから、テスコメトロ、テスコスーパーストア、テスコエクストラ。でも今調べたら他にもあった :0) 前日晩にドライヤーを誤って使ったせいで変換プラグを死亡させてたので、ずっと日本プラグに適合するやつがないかを見てた。
40分後、Stage Coachというスコットランドの遠距離走行バスに乗る。チケットは事前に予約済み。QRついてるのに結局スキャンされなかった(夜行バスもそうだったな)あれはなんなんだろう? 目的地はCrieffという街。Dunblaneも小さな駅だったけれど、バスが進むにつれどんどん景色がのどかになっていく。大量の羊や牛が草原でチルしてるのをたくさん見た。そして約1時間後、Crieff到着。ここも閑静でこじんまりとした街。たむろしていると工事のおじさんから「なんでこんなとこまで来た?」と珍しがって話しかけられる。
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バス停から更に歩いて30分移動。道中に公園があったので遊具で遊ぶ。赤ちゃんはみんなかわいいけど、ヨーロッパの赤ちゃんってレベチでかわいい。途中迷い込んだ道は等々力みたいな渓谷だった。
そしてはるばる到着したのは、最終目的地であるグレンタレット蒸留所。スコットランドに来た理由の一つは、ウイスキー蒸留所にいきたかったから (恋人がウイスキーにハマってる) 本当はスペイサイドやアイラ島まで行ければよかったの���けど、時間が足りなかったのでここにした。グレンタレットは日本であまりメジャーな銘柄ではないが、スコットランド最古の由緒ある蒸留所らしい。宿泊先から約3時間で到着し、蒸留所ツアースタート。蒸留所内は撮影禁止だったが、どでかいポットスティルを生で見て、木製の樽で熟成させている部屋はお醤油みたいな麹みたいな良い香りがした。そしてグレンタレットには伝説の猫タウザーがいたらしく、ネズミの捕獲数でギネスに載ってるらしい (捕獲後彼自身が食べたらしいけど、尻尾だけ残すので尻尾の数を数えてギネス認定されたらしい :0) 嘘みたいな本当の話。
最後にウイスキーのテイスティング。自分はピートが効いてるほうが好みかな、と思いつつ、普段ストレートでウイスキー飲まないからテイスティングだけで結構なダメージを喰らう… ツアーだけで2種類飲ませてもらったのに、事前に追加のテイスティングも予約していたので(滅多に来れないので予約しよう、となった記憶だが我々以外に誰もいなかった xD) 結局すべて飲みきれず、小瓶に入れて持ち帰るオチ。場違いくらいの素敵なバーで、ウイスキーたくさん出てきて嬉しいはずなのに、2人して「飲めないよね…」って小声で言い合う日本人があまりにもダサすぎて、「私たちアルコール強くないので…」って思わず店員さんに言ってしまった(じゃあ何でオーダーしたのだ?と思われてそうでまた草ですね)
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小瓶を携えて蒸留所を出発。ノリで寄り道することになり、スターリングというスコットランドの古都を経由して帰ることに。バスに揺られて1時間で到着。スターリングはエディンバラよりも更にこじんまりとした街だが、とてものどかで美しいところ。到着後smokeysというバーガー屋さんで遅めのお昼。変換プラグを購入し、スーパーで水を買ってたらまさかの日本人の方に遭遇。スターリング大学に留学しているのだとか。ロンドンやパリで会うのとはわけが違うので少し感動(相手も嬉しそうだったのでよかった)
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せっかくなのでスターリング城へ。しかし思ったよりも急な坂で険しい道、連日2万歩歩いていた疲労困憊の体を引きずりながら、何度も引き返そうと思いながら頂上に到着。こんなに人いたの?ってくらい人がたくさんいて、何より最高にチルなスポットで気持ちよかった。こういうのって写真で全然伝わらないので載せないが、頑張って登ってよかった。
この時点で19時。すっかり疲れたので帰宅してもよかったけれど、スコットランド最後の夜なのでエディンバラ市内のパブへ行くことに。スターリングからエディンバラのウェーブリー駅まではスコットレイルで1時間。スコティッシュパブでビールとfish&chipsをいただく。
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夜のエディンバラはまたまた綺麗で、この度を通して自分はすっかりスコットランドのファンになりました (元々映画で気になってたのもある) エディンバラはとっても美しく歴史のある街、パリやロンドンと比べて華やかさは少ないのかもしれないが、コンパクトだからこそ見渡す限り常に歴史の色香がただようので、本当にずっと浮かれていた。また来れたらいいな。次はグラスゴーにも行ってみたい。1日大移動してよかった :)
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lilgurlcollins · 1 year ago
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旅日記⑤ in South Korea🇰🇷
Busan編
釜山に旅行してか3ヶ月経ってしまいましたが、旅日記は残すべく、今更ながら思い出語り。
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何日に何したか、どこのお店行ったかの記憶が朧げなので釜山の魅力を書きます😭次の旅行はその日に書こう。反省。
釜山とソウルどちらも行った身としては、韓国に旅行してみたいけどどこ行こう?という人に、断然釜山をおすすめしたい。(美容にさほど興味のない男性は尚のこと)
釜山の魅力
①ソウルで味わえるようなご飯屋さんは網羅されてる上に、釜山ならではの新鮮な海鮮のお店が多い(し、ちゃんと美味しい)。カンジャンケジャン(写真5枚目)の艶ヤバくないですか?生臭さなんてものは一切なくて、とても美味しかった。
②都会と自然が両方ある。
釜山でいちばん思い出に残っているのは海(海雲台海水浴場:写真1,2枚目)。2枚目の電車はガイドブックに載っているので、多くの観光客が訪れるスポットだけど、予約した乗車時間までの暇つぶしで近辺を散歩していたらたまたま海辺まで辿り着けた。海青くてちゃんと綺麗だな?!!?!?!と興奮した。
Sydneyでもそうだったのだけど、高層ビルと綺麗な海が隣接している絵面が個人的にたまらなく好きで、地震大国の日本では見られない光景なのが少し残念。
③ローカルな朝ごはん屋さんが多い。
これもまた日本にはあまり馴染みのない文化だけど、海外では朝ごはんを外で食べる習慣が根付いている気がする。
美味しかった朝ごはん3選
(1)カルグクス(写真下)
カルグクス(「カル」=包丁,「グクス」=麺)は「韓国風うどん」とも呼ばれていて、味のバリエーションがとても豊富(訪れたお店はいりこの出し汁を売りにしていた)。先輩たちはソンカルグクス(温)、私はネンカルグクス(冷)を注文。優しい味のスープで目が覚めました。
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(2)ソコギクッパ(写真下)
ソコギクッパ(「ソコギ」=牛🐄)は、もやしや大根などの野菜を大釜にたっぷり入れ、牛肉と一緒に煮込んだスープ。韓国では二日酔いの日は朝に食べるのが定番らしい。個人的にはデジクッパより好みだった。
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(3)デジクッパ(写真下)
デジクッパ(「デジ」=豚🐖)は、豚骨を丸1日かけてじっくりと煮込んで出汁を取ったスープに、茹でた豚肉とねぎとご飯を加えて、たくさんの種類の薬味の中から好みの味付けをして食べる料理。西面にはデジクッパ通りというのがあるくらい人気の料理で、とても美味しかった。
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※ 「クッパ」はスープと米を混ぜた料理。お米も入ってるのでお腹も溜まる。
④観光地らしい観光地が結構豊富。↓
甘川洞文化村(山の斜面に建物が連なってて「韓国のマチュ・ピチュ」といわれている美しい村。星の王子さまのオブジェが有名)
海東龍宮寺(韓国でいちばん美しいと有名な寺。寺に向かう108段の階段を降りる(登るんじゃなくて?!)と願いが叶うらしい)
国際市��(なんか栄えてる市場。)
五六島スカイウォーク(崖の上から海上に突き出したガラス張りの展望台で、高所恐怖症の人は多分無理。)
釜山ダイヤモンドタワー(夜景スポット、たぶん日本でいう東京タワーみたいなやつ)
海雲台(釜山でいちばん有名なリゾートビーチ。海めっちゃ綺麗。今回の旅でいちばん良かったスポット)
海雲台ブルーラインパーク(4人乗りのノロノロ列車なので1人で乗ったら多分暇だけど、カラフルで可愛いし綺麗な海をずっと一望できるからおすすめ)
南浦洞(釜山のキラキラ繁華街。渋谷っぽかったです)
とかとか、他にも韓流の『サムマイウェイ』のロケ地もあって3泊4日では全然制覇できなかったくらいに観光地多い。ソウルは観光地らしい観光地が少ないイメージだからそこに関しては釜山の方が充実してた。
⑤百貨店やブランド通りもあるので、ほぼ有名なブランドやスポーツ用品店は揃っていて(調べたら多少はソウルにしかないものもあるんだろうけど)、ソウルと同じくらい買い物も楽しめる。
釜山にしかないOPTATUMのハンドクリーム、ぜひお土産に購入してください。
North faceのホワイトレーベル(韓国限定ブランド)のトップスを罪滅ぼしで兄にお土産で購入した😅(正月の航空事故の影響で福岡からギリギリ東京に到着した際、タクシー待ちの列が5時間で、韓国行きの成田便に間に合わない〜と詰んでいた妹を、国試1ヶ月切っていたのにレンタカーで千葉から迎えに来てくれました、、神)
ちなみに屋台もソウルと同じくらい栄えてて楽しかった。屋台のホットク、毎日食べたい。
⑥街の散策が苦じゃない。
個人的な印象だけど、ソウルよりも一駅間を歩くのが苦じゃなかったような気がする。たくさんご飯を食べた後、次の目的地まで二駅だから歩いちゃおう!みたいなことができて良かった。
韓国旅行はグルメメインになるので、胃もたれでしんどくなるイメージが強かったけど、歩きやすい街並みと胃に優しい朝ごはんのおかげで、たくさん食べてたくさん歩いて健康な旅!という感じでした。
⑥ソウルと比べてローカルな都市なだけあって、人との距離が近め(な気がした)。
電車にて3人で日本語で喋っていたら隣に座っていたおじさんたちから話しかけられたり、お店で鍋を突いていたら隣のお姉さんたから声をかけられたり。みんな親切であったかくてなんて素敵な街なんだ〜!と思った。
余談)
新世界百貨店の新世界スパランドもおすすめ(10種類以上のチムジルバンがあって、一番高い温度のチムジルバンは79度)。温泉のあとのご飯が美味しいっていう文化は世界共通なのか。
写真7枚目のフレーク入りヨーグルトは韓国の定番の朝ごはんで、美味しすぎるので日本でも売ってほしい。欲張ってたくさんスーツケースに詰めたら、飛行機の気圧で潰れてスーツケースがヨーグルトまみれになりました。ビニール袋に入れておくべきだった。
タラタラ感想を述べたらえげつない長文日記になってしまいましたが、大好きな先輩2人と楽しい3泊4日を過ごせて幸せな渡韓だった。
またどこか旅行しましょうね🙈
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indigolikeawa · 11 months ago
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2024年6月13日木曜日
病院の待合室にて20
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(2)
 まだ13時過ぎなんだけど。楽しいのになぜか時間が過ぎないという、最高なような不気味なような現象が起こっていた。でも大丈夫。鳴門といえば渦潮だから。まだ渦潮見てないから。徳島と淡路島を結ぶ大鳴門橋、その橋の中がトンネルのようにくり抜かれており、そこに遊歩道が作られていて、鳴門の渦潮に徒歩で近づく事ができる、その名も『渦の道』。そこに行くことにした。私は多分行くの3回目ぐらい。結構好きな観光スポット。たくさん歩けるし。渦が見えるかもしれないし(満潮とか干潮とかちゃんと渦が出るタイミングを狙わないと見えない事が多い)。
 渦の道に車で向かっている道中では、私達はフィッシュマンズの話をしていた。Tくんは中学生の頃からフィッシュマンズを聞いていて、これは私の当時の感覚だと相当早かったように思う。私たちが13歳から15歳というと、1997年から99年に当たる。フィッシュマンズにとっては、『宇宙 日本 世田谷』、『8月の現状』、『ゆらめき IN THE AIR』、男達の別れツアー、佐藤さんの逝去、そしてライブ盤『98. 12. 28 男達の別れ』という激動の3年である。今でもありありと思い出せるTくんの部屋には、フィッシュマンズのCDが何枚か置かれていて、私は『ゆらめき IN THE AIR』や『宇宙 日本 世田谷』のジャケットを見て、かっこよいと思ったりしていた。私はTくんに、最近フィッシュマンズが海外で高く評価されていて、音楽の食べログことRate Your Musicでも『男達の別れ』が金字塔のように扱われていたり、ついこないだもPitchforkのSunday Reviewで『ロングシーズン』が採り上げられていたんだよ、と早口でまくし立てていた。どうして早口になったかというと、こんな話ができる人はあんまりいなくて(でもよく考えると今も私の友達でいてくれてる人は、多分この話みんなできる)嬉しくなっちゃったから。Tくんはそういったことを全然知らなかったが、東京から福岡までの飛行機の中で『ロングシーズン』を聞いていたらしい。無意識で世界とシンクロしていく人間。ホンモノとはこういう人のことを言うのだと思う。
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「そのピッチフォークのレビューでね、「走ってる…」のところが”Driving…”って訳されてたの。あれって車の歌だったの気づいてた?よく考えたら夕暮れ時を二人で走って東京の街のスミからスミまで行かないよね」
「気づいてなかった!そっか」
 Tくんに「どうしてフィッシュマンズ聞くようになったの?」と尋ねてみた。きっかけは、彼がかつて好きだった女の子、彼がバンドをやってる時に歌にまでした女の子が、フィッシュマンズを好きだったことだという。Tくんは最初に『Neo Yankees’ Holiday』を買ったらしく、一枚目としてはまあnice choiceだと思うのだが、その女の子は「まあ、あれもいいよねー」ぐらいの感じだったらしい。Tくんがすばらしくnice choiceであるためには、いわゆる世田谷三部作に手を出さなくてはいけなかったのだった。そして私はこの話を聞きながら、こんな素敵な話は、当然むかし一度聞いたことがあったのを思い出していた。でもそんなことは言い出せずにいたし、こんな話は何度聞いたって素敵なのでよかった。
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 渦巻は巻いてるのか巻いてないのかよく分からなかった。私が行く時はいつも、巻いてるのか巻いてないのかわからない状態である事が多い。時間とか潮の満ち引きとか考えず、適当に行ってるからだと思う。橋をその内側から見るのも、私は楽しいから大丈夫なのだが、相当歩いたので疲れてしまった。もう一箇所、鳴門には霊山寺という四国八十八箇所巡礼の一番札所であるお寺があり、そこも観光名所として有名なのだが、疲れてしまったので、行くかどうかを決める会議が私とTくんとで開かれた。そして、入るかどうかは別として、ドライブがてら行ってみようとなった。なんとなく高速に乗りたかったので、鳴門北ICから板野ICまで乗ろうと思った。せっかくだから音楽をかけようと思い、Apple Musicで、『はじめてのフィッシュマンズ』というプレイリストを掛けた。一曲目は『いかれたBaby』だった。やっぱり初めて買うフィッシュマンズは『Neo Yankees’ Holiday』で全然いいと思った。ほとんど誰も走っていない高速に、少し傾いてきた陽の光が射して、そこに音楽が混ざって気持ちよかった。鳴門の街のスミからスミまで、僕ら半分夢の中…もちろん運転中だから完全覚醒中だったけども。Tくんを無傷で東京に帰す事も運転手としての責務である。
 高松道を降りて、霊山寺に着くまでの間に少しだけ、音楽ではなく、Tくんの私生活について話す時間があった。その内容については当然ここに書く事は出来ない。唯一言えることと言えば、Tくんは本当にエンターテイナーだということだけである。
 霊山寺に来たのは私個人としては2回目だけれど、記憶よりこじんまりとしていたので、車から降りて参拝することにした。霊山寺は天井から多数の灯籠が吊ってあるのがとにかく綺麗でかっこよいのですが、それをTくんに見てもらえてよかった。ここは八十八箇所巡礼の一番札所なので、RPGの最初の町のように、お遍路さんになるための装備品、白衣や輪袈裟や遍路笠や金剛杖や納経帳などが全て揃えられるお店があり、入って眺めていると、「僕、数珠とか持ってないんだよね」と言って、Tくんが数珠を買おうとしていた。お店の中なのであんまり言えなかったが、数珠はいちばん安価なもので1600円くらいして、上は8000円くらいするものもあり、私は「高くない?」と思っていた。「数珠は高い方がいい。法事の価値観ではそう定義されています」みたいのは聞いたことがないけど、まあ本人が納得してたらいいか。Tくんはいちばん安価ではあるがしっかりしていると思しき数珠(数珠の審美眼など私にあるわけないけど)を購入していた。法事の度に私と四国のことを思い出すか、あっけなく失くすかのどちらかになるだろう。
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 午後三時を過ぎたので、本日宿泊予定のビジネスホテルにチェックインすることが可能になった。ホテルは徳島市内にあって、ここから三十分くらい。いったん。いったんチェックインしてみようか。しなくてはならないことを早めにやって、気持ちに余裕を蓄えていこうじゃないか。ホテルまでの道中では、Tくんがやっていたバンドについての話をしたと思う。彼らが発表したCDやCD‐Rのうち、私が一番好きなのは最初のミニアルバムである『ワンダフルまたはフレッシュ』、二番目に好きなのはその次のミニアルバムの『ギターでおしゃべり』という作品で、初めてこれらの音源を聞いた私は感動のあまり、この二枚の解説を頼まれもしないのに書き上げ、それがバンドのウェブサイトで公開されるということがあった(追記:改めて思い返すと、一枚目の『ワンダフルまたはフレッシュ』には解説を書いていないような気がしてきた。二枚目の全曲解説は書きました。これは間違いありません)。私はあの解説を書いたことを、どちらかと言えば良かったことだったと思っているが、割と最近になって、解説を書くのではなく、バンドにインタビューをした方が良かったのかもしれないと思ったのだった。なぜなら例えば、私が彼らのレパートリーで一番好きなのは、最初のミニアルバム所収の『湯河原で男女』という曲だが、このマジカルな曲をどうやって書き、どうやってアレンジし、どうやって録音したのか、ということをあいつらは絶対忘れてしまっているからだった。そういうことをつぶさに訊いて、記録に残しておけば良かった。誰のために?もちろん私のためにである。他の人も読みたかったら勝手に読めばいいと思うけど。一応車の中でTくんに『湯河原で男女』を書いた時のことを訊いてみたが、やっぱりあんまり覚えていなかった。しかし、彼自身のこの曲についての解釈と、自分自身の作家性への分析のようなものが聞けたので、それは嬉しかった。それをここで書いてもいいのだが、彼のバンドは一応現在「曲作り中」であるらしいので(12年くらい曲作り中みたいです)、万が一の時のために書かないでおく。なんか種明かしっぽくなりそうだから。他にも『国鉄に乗って』という曲を書いた時の大変面白いエピソードなどを聞けたので、ファンの私は大満足だった。まあ話に夢中になって、途中かなり道を間違えたりしたが、言わなかったので多分ばれてないと思う。土地勘のない人とするドライブにはこういう好都合な面がある。あと売るほど時間があるから大丈夫。時間の叩き売り。持ってけ時間泥棒。
つづく
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isotomo · 2 years ago
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離れ離れの街を♩繋ぐ列車は行ってしまったね〜♩
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【神戸旅行まとめ】
5月の中頃、神戸と姫路に行ってまいりました。友達のきまちゃんに会いつつ、関西の中でもまだ行ったことのないエリアに足を伸ばそうと思ったのが���っかけ……。1日目はあいにくご覧の通りの曇天か〜ら〜の雨☔️でしたけど、まずまず楽しみました!この日に買い物めっちゃした!ツマガリのクッキー買った!
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▲お、おとなりいいすか……?ハヘ……
【アオバクランツェルをさがせ!!】ジブリは千と千尋が一番好きー。ジブリパークの展示に行き当たりばったりで潜入。天気のせいかちょっと頭痛くて解説の文字があんま頭入ってこなかった。文量が多いので頭がスッキリしているときに行くのをおすすめします。
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▲夜は神戸っぽい街中スポットでパシャリ。今回の旅行にはアンジュぬいとアオバぬいを連れてきています🎀🟢(きまちゃんがアンジュを好きって言ってくれてるから)。実際アオバがアンジュをお守りするミッションはありそうですよね��
▼何やら写真写りに文句があるご様子
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▲ホテルの部屋に戻った後、人に撮らせた自分の盛れてる観光写真をロッツに送って返信返ってくるのずっと待ってたみたいですね!どうして旅先ってすきな人に連絡したくなっちゃうんでしょう。なかなか返事が返ってこなさそうなのを見てアオバが心配しています。イライラではなくハラハラです。何故カナとかなを混ぜた……?最終的に着信があってご機嫌を取り戻したみたい。
【2日目】
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異人館にきたぞぎゃおー!きまちゃんの晴れ女パワーで快晴☀️(曇って見えるけど)。2人とも地図が読めないので神戸の坂を余分に上がったり下がったりしました⛰️そしてこれが有名なうろこの家です。やっぱ塔が張り出してる���物ってコテコテの洋館らしくっていいな。
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▲アンジュさんも心なしかうれしほこらしげです。
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▲2人で、「「概念〜〜!!」」てはしゃいだやつ。その場で「誰の」とは言わなかったのがいわずとしれた共通認識みたいでじんわり嬉しかったですね!
その後は神戸のおしゃれショップ群や港の雰囲気を満喫し、夜はしみじみと別れの蕎麦を啜り、さようなら。朝から晩まで一緒に遊んでもらいました。歩数計見たら2万歩超えてたからね。健康になってしまったね。きまちゃん丸一日ありがとね。
【3日目】
残念ながらtumblerは1投稿につき写真10枚まで!あと2枠しかない!私が選ぶ3日目の写真はこれだ!
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「アオバ・クランツェルは海とか行ったことある?」
「あんまり多くはないけど、あるよー。アンジュちゃんは?」
「アンも<たしょう>あるよ」
「多少かあ〜〜(難しい言葉使いたかったのかな?)」
なんて会話が聞こえてきそうな、我ながらちょっとエモい感じのする写真です。姫路🏯に向かう途中の電車だね。
さてさてそんな感じで2泊3日、大きなトラブルなく終了しました。最後はきまちゃんからいただいた素敵イラストで締めたい!
刮目してよね!!
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ンマ🤭二泊三日の旅行を経てなんか距離感の縮まった2人!あの短期間でしっかり上下関係ができてら。このケースはですね、今回本当にこれぐらいの小さい透明ケースに2人を押し込んで連れ回したそれの再現ですね。図々しかわいいアンジュと、とりあえず尻に敷かれがちアオバ、2人の役ピッタリでサイコゥー🙌🙌
これにて神戸旅行編は終了!
きまちゃんに大いなる感謝を!また遊ぼうね
ここまで見てくれ���ありがとうございました!!
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taquasb · 1 year ago
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MEET YOUR HEROES: RICK HOWARD (Good case of IBS)
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Rick Howardの長いキャリアの中において、彼は様々なことに関わっている―EMBのイノベーターであり、90年代のスーパー・チームの一員であり、そしてスケートシューズのパイオニアとして、最も重要なことは彼が「楽しむこと、友情そして創造性が他の何よりも大切である」と気づいた点である―特に冷酷なスケートボード・ビジネスにおいて。彼はサッカーボールをあなたの顔にぶつけ、あなたのシャツをトイレットペーパーに使う。しかしこれは1993年以来初となるThrasherのインタビューなのであります。ここにお集まりの皆様、カナダからやってきたRick Howardの登場です。 -Michael Burnett
-君はいわゆる「すべてのトリックを最初の6ヶ月で習得した」っていうSean Sheffeyタイプの一人だったのかな?
そうかもね。13歳で始めてスポンサーがついたのが16歳。これって早い「学習曲線」なのかな?オレらはただオーリーでなにか飛び越えたり、ジャンプランプやってたりして、その後ウォールライドが流行ったのかな?そんな感じだったよ。だから今あるトリックを身に着けていく状況じゃなかった。ハンドレールもまだ広まってなかったし。だから「学習曲線」で言えば全然緩やかな感じだったと思うよ。例えるなら「360サランラップ」対「今あるトリックすべて」みたいな感じじゃないかな。
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-かなり早い時期にカルフォルニアに来たよね?初めてのカルフォルニアでの冒険はどんな感じだった?
その時のトリップが動画で残ってることに驚いてるんだ―友達の一人で一緒にスケートしながら育ったKevin Chan、それとこのトリップに一緒に行ったBen Chibber。Kevin は片手で持てるビデオカメラを持ってたんだ。オレらはグレイハウンドバスでサンフランシスコまで行った。なぜかっていうと、Sick Boys(1988年リリースのスケートビデオ)に出てきたスポット全部を回るって目的があったから。消火栓に縁石、あのビデオに出てた全部をね。オレらはスケートボードを持って聖地を回る観光客みたいなもんだった。 85年だったと思うけど、その時Mike(マイク・キャロル)に会ってるんだよね―直接ではないんだけど。笑っちゃうことに彼のミニランプを無断で滑ってたんだ。その後、ちゃんとした形で会うことになるんだけど、記憶だとオレらが勝手に自分のランプを滑ってるのを観てたんだ。彼は寝室の窓から見ていてムカついてる…。彼は絶対そんなことないって言うけどMike独特の表情を知ってるよね?だから、ね…。
-当時、スポンサー契約っていうのは頭にあった?
あったね。そういう状況はローカルのパーク―Richmond Skate Ranchでも時々起きていたんだ。友達のPeter SullivanはSchmitt Stixから商品をもらってたり。Powellのチームが来たことがあって―たしかLanceとTony Hawkだったと思うけど、それって大事件で「ボーンズブリゲードが近所のパークに来たぞ!」ってことだから。結局、ローカルの何人かがPowellのライダーになった―Colinとその兄貴のCaseyのMckay兄弟とか。それを見てて「マジか。バンクーバーのキッズだよね。そんなことあるんだ」みたいに感じてたわけ。その後、自分でもBlockheadのDave Bergtholdからデッキをもらうようになった。それが人生を変えたよね。
-話をちょっと戻したいんだけど、Richmond Skate Ranchでの最高の思い出ってある?
すごいいっぱいあるよ。あの頃はむちゃくちゃ楽しかった。憶えてるのは地元に戻ってくるのが夜遅くになった日があって、たしか最終バスに乗り損ねたんだよね。その時期って、ちょうど皆がいろんなものを壊して回るのが流行りだした頃で―のちに彼らは自分たちをRed Dragonsって名乗りだすんだけど。で、その1人が小さな磁器の破片一つでどんな窓ガラスでも割ることができるって発見したんだよね。それでスパークプラグから磁気の破片を取り出して、ちっちゃなスリングショットを持ってたやつが車の販売店の窓めがけて発射したんだ。窓ガラスが割れ落ちていくのを目にして!?ってなった。「マジかよ?バスもないのにオレらなにやってんだ?」ってなって、地元までほとんど走って逃げ帰ったんだ。あの頃は「悪ガキ行為」がたくさんあったね。誰かがセブンイレブンで「襲撃だ!」って叫ぶわけ、で20人ぐらいのキッズが菓子だったり宝くじを盗んだりとかね。のちに何人かはCrime Stoppersってテレビ番組に出たりしたよ。だから、ものすごく楽しかった時期。めちゃくちゃ忙しくやらかしてた頃だけど、楽しかった。
-どういう流れでBlockheadからプロになったの?
Daveにサンフランシスコの"Back to the City"プロ・コンテストに出る気ある?って言われて。めっちゃ緊張したね。Tony Hawkの後、Mark Gonzalesの前だった記憶なんだけど、出場前に裏で吐いちゃったんだ。「ダメ。できない」って感じ。憶えてるのがSheffeyがちょっとした安心する一言をくれて、「オーライ。もういいや。なんでもこい。戻ってスケートするだけだ」ってなったんだ。
-Blockheadからリリースされたデッキ「スカンクとルートビア」のグラフィックは、なにを意味してたの?
それはたぶん、オレがIBS(過敏性腸症候群)のすごく良い例だからじゃない。オナラがすごく出る。それが「スカンク」。で、たぶんよく「ルートビア」を飲んでたから、(グラフィックを担当した)Ron Lemenが使ったんだと思う。あのグラフィック、実際気に入ってるんだよね。
-君はある意味、IBS(過敏性腸症候群)で有名だよね。聞いたところではBlockheadのビデオでシミのついた短パンで滑ってるシーンがあるとか。
あるね、EGで。たしか「Splendid Eye Torture」(1989年リリースのスケートビデオ)でちょっとしたシミが映ってると思う。スクショで送れるよ。
-履いてたLimpies(90年代のアパレルブランド)に?
LimpiesだかT-Bagsにね。 嫁Meganとの最初のデートで―彼女は君にこの話した?当時、World Industriesに勤めていた彼女のことが好きになったんだ。普段から見かけていて、ある日デートすることになった。Redond Beachに遊びに行くことになってちょうどIBSがはじまって-クソしたくなったら「どこでする?ここでなにが起きる?!」ってなるだろ。で、車を停めた。この頃彼女はなんも知らなかったけど、オレはかなり焦ってた。「そうだ、ビーチまで下りていけばトイレがあるよな」って思いついた。だけど、トイレは閉まっててオレはシャツも靴下もない状態で戻っていった。トイレの脇で済ませてシャツと靴下をトイレットペーパー代わりに使ったよ。その姿をを見て「なにがあったの?」ってなってたけど、彼女はオレとの最初の夜を乗り越えたんだ。そこで思ったよ、「オッケー、彼女なら間違いない」って。
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-90年代のEmbarcadero(EMB)のスケートシーンがどんな感じだったか説明してくれる?
それか。そうだな、最高の毎日だった、それは確実だね。当時Mikey(マイク・キャロル)の家に寝泊まりしてたから毎日あそこに滑りに行っていて―Henry Sanchezが新しいトリックをメイクしたりとか、なにかしら新しいことが起きてた。すごかったね。Kelch(ジェイムス・ケルチ)や皆があの場所をどうやって取り仕切っていたかも、振り返ってみるとすごかったなって思う。だから、彼らと一緒にスケートしてあの楽しい日々を送れたってことに感謝してる。あの場所が今みたいに有名になるなんてビックリだよ。後から聞くことになったんだけど、国中からスケーターが集まってきて、彼らを有名にしたトリックを「ザ・セブン」でやりだす前―その頃には俺はもうそこにはいなかったんだ。それは後の話だね。だから有名になる前の、ちょうどいい量のEmbarcaderoについての思い出がある。あそこは特別な場所だったんだ。
-君がPlan B結成を一番初めに知ったのはいつだった?
1989か90年の夏にヨーロッパのMünsterでコンテストがあったんだ。そこで、Danny(ダニー・ウェイ)が「見ろよ、これが始まるんだ」って、関係者のリストを見せてくれて、そこに俺の名前も候補として入ってたんだ。「え?うそでしょ。なんでこのリストに?」ってなったよ。Mikeyに(彼がこの件について)なにかしら関わっているのかどうか質問しないわけにはいかなかったね。間違いなく関わっていたと思うけど。
-あのビデオ(「Questionable」1992年)撮影時、新しいアプローチの作品になるのは君の中では明白だった?
そうだね、正解。H-Streetがすでにビデオをリリースしてたし、その内容は今まで見たことのないトリックの連続だったよね。Mike T(マイク・ターナスキー)の話からもその方向になるってわかってた。カメラの前で初めてメイクしたトリックも多かったよ。今になってみると「うわーめっちゃグラついてるしクオリティ低い」ってなるけど、今までやったことなかったり見たことのないトリックだったらその当時はクールだった。楽しかったよ。
-Matt Hensleyが(Plan Bの)最初のビデオで引退したことは良く知られてる話だね。
それからSal(サル・バービエ)が次だったよね?
-そうそう。当時、「わー、歳とってスケートしてたら自分の意志じゃなくてもリタイアさせられるのかも」みたいな感覚はあった?
うーん、あった。そういう雰囲気はかなり漂ってたね、もし君がその時23歳だったらそう思ったかも。なんていうか、クレージーな話だけど。その頃って「古いものはアウト、新しいものが正解」みたいな感じだったよね?そんな空気はたしかにあった。それがオレたちがGirlを設立したひとつのきっかけになってるかもしれない―(自分たちで会社を立ち上げれば)意志に反してリタイアすることないなって。おかしな時代だったね。
-Girlのチーム内でロゴについて反発はあった?
いや、記憶にないね。
-それとかブランドネーム自体?
Carrollがあの名前を思いついたんだ。反発があったって誰かから聞いたの?
-じゃなくて、個人的に気になってたんだ。19歳ぐらいのタフになろうとしている連中が「ロゴは女子トイレのマークにする」って言われたらどう思ったんだろうって。
だね。それってつまり、Carrollがどういう脳の使い方をするかってことだよね。人をおちょくるようなことが大好きなんだ。そう、だから反発はなかったよ。ロゴはもっと後にできたと思う。Mikeは「コンテストで『さあ、次は『女の子のためにスケートしている○○』ってアナウンスされたら笑えるよな」みたいな感じ(※通常、"skate for ~"の~にはスポンサー名がアナウンスされる)。彼はそう聞こえたらおもしろいよなって思ったんだ。特に長い間深く考えたネーミングじゃなかった。い���んなアホみたいなアイディアがあわさって、あの女子トイレマークがロゴになってツアーに出たんだ。
-GirlとChocolateって「スケート業界の老兵」にはどんな風に受け止められたの?
Girlをやり始めた頃はたくさんいる友だちを加えることができなかった。で、Girlが回りはじめた頃にChocolateをスタートさせた。だけど老兵には理解できないわけ。「こいつらなにやってんだ?また別の会社始めるだと?」みたいな感じ。で、老兵が集結するような感じでオレらを材木加工業者から締め出したんだよ。当時は2、3の業者しかスケートボードデッキを受注してくれなかった。Schmittはオレらのデッキを生産してくれたんだけど、老兵が彼に詰め寄ったんだ。「アンタがやつらを許すってことはスケートボーディングを滅茶苦茶にしてるってことなんだぞ」みたいな感じでね。Paul(ボール・シュミット)は協力的だったけど、周りに脅されたんだと思う。Fausto(ファウスト・ヴィテッロ)に出会った時ことを覚えてるんだけど、彼はとっても興奮してくれて支持してくれた。オレらのウィールを生産してくれるって言ってくれて、それからもいろんなアドバイスやヘルプをできる限りしてくれたんだ。素晴らしい人だよ。彼の協力には本当に感謝してる。なんだけど、そうオレらは家具メーカーのTaylor Dykemaにデッキを発注するしかなかったんだ。理由は君が言ったように老兵が「ダメだ。おまえら他のことやってろ」って態度だったから。まあだから、困惑したよね。
-ヤバいね。Spike(スパイク・ジョーンズ)とはどうやって繋がったの?
オレらはただバカやって遊んでただけだよ。なんていうか、彼は今でも大きくなった子どもで「遊ぶこと」が好きなんだ。探求するのが大好き。今でもなにかを学んでる、そういうところが好きだね。出会えてすごくラッキーだと思う。しっかりした人間だし、最高の一人。
-たぶん無計画に方向づけされたんだとは思うんだけど、今までにオフィスで働くことで自分自身のスケートキャリアを犠牲にしたって感じたことってある?
Mikeがその話したの?
-いや、これはオレ自身からの質問だよ。
その質問は興味深いな。Mikeと共有した経験だからね。そうだね、苦しい思いになることもあった。でも、「ノー」だね。オレらの仕事は、一緒に働いている皆の喜びの為だし、それってかけがえのないことだから。まあでも、なにかを成し遂げるには時間がかかるだろ。もちろんそういう出張だったり、時期は当然あったよ―「ああ、みんなとスケートできたのになあ。もったいないなあ」なんてね。でもね、聞いてほしんだけど、結局は正当な理由があるからなんだよね。だから、キャリアを犠牲にしているとは考えないようにしてる。そんな考えが出てくる時って不思議だよね―オレはオフィスに一晩中ってわけじゃないけど「いる」。それは「その分、時間が経過した」ってことになる。でも、振り返ってみても「スケートすることだけ頭にあって、(現在の)責任ある立場にいない」という選択をしていても不思議じゃないからね。うん、どうなってたんだろうね。
-DC(スケートシューズ会社)とスケートシューズのゲームに乗り出した時の話を聞かせて。
素晴らしかった。すべての工程に関わらなきゃなくて、それからオレが一足作ることになったんだけど、その当時のオレたちの好みにはまるのがなかったんだ。だから現行のシューズと違うものを作り出さなきゃならなかった。クレージーだったよ。最終的には家を一軒買えるぐらいの経済的恩恵に与れたと思う。はじめは、正直乗り気じゃなかったんだ。自分のモデルのスケートシューズを出すなんて「陳腐で安っぽい」って思ってたから。でも誰かに「やったほうが良いぜ」って言われて、実際にやった自分を褒めたいね。Huf(キース・ハフナゲル)やDanny(ダニー・ウェイ)のような一緒に旅行に行きたいと思う連中すべて、憧れていた全員と過ごすことができたから。楽しかったけど、次第に何人かは別の道を選ぶことになったんだ。
-GirlとChocolateには「90年代初めの重たい状況」から出てきたパイオニアたちであり仲間同士の「バイブス」があった。そこから君たちはオリジナルのクルーではないスケーターを加入させていったよね。それって難しいプロセスだった?
自然とそうなっていった感じなんだけどね。何人かは以前よりスケートしない時間が増えていったり、別の興味を追求しだして―まだコンテストが重要視されていて頃だよね、McCrank(リック・マクランク)とBrian Andersonの2人がどんな大会でも入賞してヤバいビデオパートを残してたんだ。何人かに「このMcCrankとかいうヤツ、聞いたことないな!」みたいに言われたことを憶えてる。彼の加入は何人かの機嫌を損ねることになったね。
-その時期って、君がTy Evans(フィルマー・ディレクター)と作品に取り組み始めたのと同じ頃でもあるよね。なにが君のスケーティングを「再点火」させたの?
オレたちがPlan Bから離脱した時には、みんなもう疲れ果ててたんだ。最終地点まで、かなりの激務だったからね。それからGirlをスタートしてからは「なんでもいいから撮る」みたいな感じで、ボロいカメラでお互いを撮影してた。「Goldfish」はかなり経費がかかったけど、楽しかった。だからいくつかビデオをを作って、何年か楽な感じで過ごしてた。その後、Mikeに火がついたのに気がついたんだ。「このビデオパートにトライする、マジでやる」みたいな感じで。で、それから彼らと一緒にスケートするようになって、うん、あれは特別な状況だったね。楽しかった。Tyと一緒に作ったビデオは驚異だね。言い訳ができないんだ―彼はどんなものも「スケート可能」な状態にしちゃうんだ。「照明を点けろ!」なんて言ってね。それがオレたちをハードにトライさせる状態に持っていったんだ。
-その時にいたキッズたち、P-Rod(ポール・ロドリゲス)、Biebel(ブランドン・ビーベル)やSherm(ジェレム・ロジャースのニックネーム)はどんな���子だった?実際の10代をツアー・バンに詰め込むのはどんな感じだったのかな?
あれはホント楽しかった。JeremeとPaulはヘッドフォンをシェアしたりしてたね。キッズ、若いやつらと一緒にいるのって、自分がバンでツアーしていた頃を思い出させてくれるんだ。Biebelはヤバかったね。最高の時間だった。彼とサクラメントで過ごした週末?最高だったね―川でただプカプカ浮かんでみたり、昼も夜もスケートもして。それとヤツのエネルギー。たぶん君も体験したことあるだろうけど、あのエネルギーには誰も勝てないね。
-00年代を通して、本当にヤバいくらい積み重ねられたチームライダーたちが出てくる重要なビデオを作ってきてるよね。妥協しなければならない場面もあったと思うけど、チームライダーが去っていくベスト、またはワーストの状況ってどんな感じ?
なんていうか、家族みたいなものだから悲しいことではあるんだけど、場合による。初期はマジで今まで経験したことないもない最悪な出来事だった。実際の友達でもあったわけだから。いつどのタイミングでプロとしてデッキをリリースするべきかをチームライダーと話し合う、そういう立場になることにオレは同意してなかった。今はそんなことはないけど、スタートした頃は本当にラフな感じだったんだ。Mikeがいつも言うのは「くだらないことを言ったやつらが、少ない額で解雇されてきた」なんだ。誰かに去ってもらわなきゃならない場合、良い気分のはずないよ。オレらと一緒にやってきたこと以外に、彼ら自身の創造性を伸ばしたいとか何かを新しく始めたいとかであれば、それは別のシチュエーションになる。最悪なのは、その後の人生で繋がりや友情を失ってしまうことだよね。今まで仲良くしていた皆と、いまだに友達であり続けられているオレは幸運だなって思う。たとえば、New Yorkに行くならBrianがいるのを知ってるからいつも連絡するみたいに。すごいことだよ。この一連のできごとの最良の部分、それって「繋がり」なんだ。だから関係が悪化したときは悲しいし辛い。さらに、時には手に負えない状況もある。オレはただ単に、皆になにかをやるチャンスがあることが嬉しいよ。スケートボーディングには違う側面もあるよね。つまり、大金が流れ込んできたことで人生が一変した人たちもいるから。
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-オレたちが2004年にKIng of the Road(Thrasherの名物企画)に行った時、オレはBrian Andersonがゲイであることを知ったんだ。だから君たちの間では共有されていた話題なんだと思う。それから数年後、彼は公にカミングアウトすることになる…。
その時点で知っていたかわからないな。
-ある人物から聞いたんだ。
了解。それってオレらがZeroに負けたとき?
-オレたちはいつもZeroに負けてるよ
知ってる。クソ、Jamie Thomas(ジャーミー・トーマス)め!オーケイ、そうだな、オレたちは他の機会で(その件について)話したことがある。オレたちはBrianと最高のカミングアウト・パーティーをすることになったからね。
-どんな感じだったの?
オレらはSpikeのパーティーにいて、近くに滞在してたBrianもやってきた。たしか最初Meg(嫁)と話してて、それからこう言ったんだ。「ヘイ、俺がゲイだって知らせておきたかったんだ」。これが笑えるんだけど、彼女から聞いたのは、その時振り返ってオレをみたらオレは誰かの肩に乗ってダンスしてたみたいで、彼が「次はRickに伝えてくる」ってなったんだって。でも彼が話してくれた時、すごく楽しかったのを覚えてる。裸になってプールに飛び込んだかって?オレたち最終的にHollywoodのいくつかのバーに流れ着いた。まあでも、楽しい夜だったよ。もっと友達があんな風にカミングアウトしてくれたらいいのにって思う。そしたらお祝いできるからね!楽しい時間だった。
-うん、なにしろ90年代初頭なんて「黄色いTシャツを着てスケートしたから」って理由で周りから追放されたからね。だからこの件に関して君たちに躊躇いがなかったのはクールだった。
でしょ?うん、たしかにそんな風潮だった。それか「適切じゃないズボンを履いてる」とか、そんなのでしょ?まさにね、あの時代はすごく偏見も派閥意識みたいなものも強かったよね。
-君が故意に、あるいはアクシデントで最悪に誰かを傷つけてしまった経験は?
Carrollに聞くべき話題。オレとしてはだんだん落ち着いてきたと思ってるんだけど、一番最近だと、あるツアーでのこと。空気の抜けたサッカーボールがあってさ、それをピント(※フットボールで両手で持ったボールを落として蹴る動作のこと)したら、それが完璧なカーブを描いて50ヤード先のMikeの顔面にヒットしたんだ。で、彼は今までみたことないぐらいキレた。終いには「こんなことがファッキン30年間あったんだぞ!」って叫んだんだ。それを聞いてさ、わかるかな?彼が言ってることは正しいんだ。オレはずっとこんな調子のバカなんだよ。たぶん彼には「いつ痛めつけられるかわからない状況への耐用年数」みたいのがあって、そこにプラスしたような感じ。Mikeの「ちょっかいを出された場合の耐用年数」を越えちゃったんだね。
-自分で自分を痛めつけた経験は?もしかして間違った薬で、あるいは正しい薬を大量に摂取して有害な影響が出たことってある?
うわ。落ち着かない気分にさせる質問だな!まあでも、あるよ。本当に若い頃、たしか14か15の時に間違って大量のアシッドをキメちゃったんだ。いつ素面に戻るかわからなくなって怖かったね。数日後、医者のところというか病院に行ったんだ。その医者には「うーん、大丈夫でしょう。温かいミルクを飲んで安静にしてください」って言われた。その後再診を受けたら「言いたくはないのですが、あなたと同じことをして元に戻れなかった人たちもいます」って言うんだ。おそらくそれが今のオレである原因。良い気分じゃなかったね。たしか3、4日間ぶっ飛んでいたと思う。あれはクールじゃなかったね。
-Girlのビデオに出てくるスキット(寸劇)で好きなのはどれ?
Owen Wilson(俳優)があのセリフを練習して現れた時は、度肝を抜かれたよ。その時初めて「Hard Out」って業界用語を知った。たとえば、「Owenは20分でHard Outしなくてはならない」みたいな感じ。彼はあれを1、2回で撮り終えたんだ。Meza(Aaron Meza ディレクター・プロデューサー)があのセリフを書きだして「この男、どうやってこんなにスケーターみたいに喋れるようになったんだ?」って昂奮してたよ。彼の最初の演技を見てオレらは抑えきれなかったね、大爆笑。まあでも、Spikeとの仕事はいつでも楽しいんだ。スキットをやるだけでも彼とふざけまわってるのは楽しいからね。実を言うと今、ちょうどLakai用にもスキットを撮り終えたところ。口ひげとカツラをつける時はいつだって楽しい日になるんだ♠
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yutakayagai · 2 years ago
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L'Amour sexuel d'un professeur(或る教師の性愛)
七月のある土曜日、教え子である額田大樹と情事を過ごした嶋田祐一は、真夜中に目を覚ました。時計の針は二時半を指していた。
全裸のまま、嶋田は寝室にしている十二畳の洋室からウッドデッキに出た。目前には阿字ヶ浦が広がり、波の音が時折聞こえている。砂浜には誰もいないが、海岸沿いのホテルにはあちこち照明が付いていた。連休だからか家族連れかスポーツ少年団か、泊まりに来ているのだろう。
先刻まで、嶋田は大樹と愛し合っていた。どちらかと言えば大樹の方が積極的で、抱擁も接吻も嶋田より多く求めてきた。性別が変わったかの様な声を上げながら、快楽にふけっていた。絶頂も彼の方が早かった。
大樹は、性の目覚めを迎えた十二歳の時に、一人の中年男から手解きを受けた。その男は佐伯浩二と言い、大樹の住む家の隣に住んでいるが、佐伯の父親が大樹の両親の高校時代の恩師だった。
大樹の父親は家に近いK百貨店の外商部、母親は市街の総合病院で看護師として働いていた。いずれも出張や夜勤で面倒が見られない時には、二人は佐伯に大樹を預けていた。
性の目覚めを迎える前は、佐伯も大樹を自分の子どもの様に面倒をみた。しかし、大樹が中学校に入学して二、三ヶ月後に精通を経験した頃に佐伯を肉欲の対象として見る様になってしまったのだ。
その頃の様子を、高校に入学すると大樹は私小説と言うかたちで書き始めた。嶋田は特別進学コース、大樹は大学進学コースで、校舎も渡り廊下でつながってはいたが校舎が別だったので接点はなかったが、大学進学コースで現代文を教える教師から指導をして欲しいと話があり、出会ったのだった。嶋田も現代文を教えていたからだ。
嶋田も、最初は大樹の書いた私小説をただ読むだけであったが、次第に彼が佐伯以外の教師と関係を持ち、快楽にふけていく様子が描かれているのを読む度に、次第に大樹のことをもっと知りたいと思う様になったのだ。
大樹を口説くのは意外と容易だった。いつもの様に彼が図書室を訪れ、嶋田に私小説を見せに来たが、その際に嶋田は大樹に、
「よかったら、ウチに来ないか?」
と誘ったのだ。この日は両親とも仕事で佐伯の家に泊まりに行く予定だったが、
「じゃあ、おじさんに電話しておく」
と即答だった。
図書室が閉まる時間に、先に嶋田が階下に行き、車をJR水戸駅南口の方で待ち合わせをし、その後に大樹が乗り合わせたのだ。車中では嶋田の好きな音楽を聴きながら阿字ヶ浦まで向かい、一緒に夕食を済ませた後、情事(こと)に及んだのである。
ベッドの上で、大樹は自ら制服のワイシャツとスラックスを脱ぎ、ビキニブリーフだけになった姿で嶋田に接吻を求めた。彼がそれに応じると、大樹は彼のワイシャツとスラックスを脱がし、身体の諸部位を接吻した。時折、唇を求めながら両上下肢で嶋田の身体にしがみついた。
「…大樹、本当にスケベだね」
そう言いながら嶋田も大樹の身体のところどころを接吻した。気付くと二人はビキニブリーフを脱ぎ捨て、全裸で乱れに乱れていた。
「もっと、愛して…」
この言葉が、大樹が必ず言う台詞の様だ。恍惚としながら女の様な甲高い声を上げ、嶋田の肉体を求めていた。これも、佐伯をはじめ数多の男たちと寝てきたことで、おのずと彼の肉体がそう求めるのだろう。
絶頂は大樹の方が早かった。下半身の穴に嶋田の肉棒が突き刺さり、頻りに彼の「Gスポット」が弄ばれた結果だった。あまりに気持ちよく過ぎたのか、潮吹きもしてしまった。大樹の肉体の中に嶋田の愛液が注入され、彼は言った。
「先生の赤ちゃん、妊娠しちゃう…」
ぐったりと横たわり、下腹部に自ら跳ばした愛液を手指で拭き取り眺めながら、
「ー先生のこと、もっと好きになっちゃった」
と、大樹は言った。嶋田は、
「もし赤ちゃん妊娠したら、オレが責任とるよ」
と、そっと大樹の唇に接吻した。
先刻の情事を振り返りながら、嶋田はいったん家内に戻り、居間のサイドボードからバーボンを取り出し、ロックグラスに氷を入れ、ダブルの量を注いだ。注ぎ口に赤い蝋がかけられた、あのバーボンである。
再びウッドデッキに戻り、ガーデンチェアに腰かけ、ロックグラスを傾けながら嶋田は、彼方に見える夜の闇に覆われた海を眺めた。
大樹が書いた私小説の冒頭には、ジャックプレヴェールの詩を引用していた。三本の蝋燭を灯し、相手の容姿を確かめると言う内容のものだが、それが嶋田には大樹の総てを段階的に知る意味を示していると解釈した。昨夜は彼を真っ裸にし、ベッドの上で本能のままに堕ちていく一面を見た。それが今夜の収穫だと、嶋田は思った。
ベッドの上で、快楽の故に喘ぐ大樹に嶋田は問うた。
「唇を奪われると、すぐその気になるね?」
「接吻(キス)されるとダメなンだ」
「おじさんも、君が感じやすい部位(ところ)を知ってるンだろ?」
「…うん」
大樹の性体感は、唇に限らず乳房や生殖器にもあった。あちこちを接吻したり弄ったりすると、
「あんッ!ああん!あッ、あん!」
と、肉棒をピクつかせながら声を上げた。その度に先走り汁が噴き出し、腰を突き上げた。
「愛して、もっと愛して…」
そう訴えながら嶋田の首に両腕を絡ませた。頻りに唇を求め、接吻すればするほど大樹は歓喜の声を上げ、嶋田の身体にしがみ付いてきた。
「大樹、オレ壊れちゃう…」
「だったら一緒に壊れよう…」
「…なんて欲深い奴なンだ」
「今夜は、欲しいの…」
嶋田は、
「これでも、大樹の一部分を知ったに過ぎない」
と思った。
初めて大樹を抱いたが、何度も愛したかの様に彼は求め、応えた。嶋田は、そんな彼にますます惹かれていった。
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odorugogo · 2 years ago
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仙台旅
仙台を旅してきたので旅行log残しときます!🤟
むらさん内田雄馬のコンサートいきませんか?と今年初めくらいに声かけてもらっててそれなら仙台かなあ言うたら本当に仙台に行ってた。仙台に行きたかったので行けてよかったです❕
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四時起きで空港にたどり着いたむらちゃん、実は前日パリライ(あんステのライブのこと)に行っており興奮して寝付けず夜中の2時から荷造りをしている。なんなら頭の中でEdenがまだ踊っている。最高のライブの後ということでテンションも高い。そんな感じで関空に着いた。関空に着いたら朝ごはんや!言うて店入ったらからあげ定食、牛丼、肉うどん、カレーというゴリゴリ飯しかなくて心がそがれた。
このクマちゃんは友達がパリライでくれたので一緒に仙台に連れてって写真バコバコ撮ってやるよ……❕って持ってきた。ちなみに写真はあと一枚しか撮ってない(ごめんね)
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意識が高いので(?)飛行機内では内田雄馬さんを聞いまくり、これからわたくしは内田雄馬さんのライブに行くんだ……という気を高めていた。
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📍仙台駅
という訳でこれは仙台駅ですね。
空港から仙台駅秒な気がしてたけど普通に30分くらい掛かったから全然秒ではありませんでした。仙台と言えばここだから写真撮っときなというフォロワーの助言で撮影。ちなみに早朝の空港までわざわざ何故か迎えに来てくれたのですごく優しかったです。ありがとう仙台フォロワー
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📍青山文庫
地元民のオススメの店に連れてって(嫌な無茶振り)と言ったら駅近くのカフェに連れてきてくれました。私はアールグレイとモーニングのセット頼んだんですがほんとはエシレバターのクレープ?が食べたかったです!朝は頼めないらしいので地元の人がいたらエシレバターのクレープ食べてください。本当に食べたかった。上手くないわけないもんな…
食べてる間に仙台フォロワーはライブに備えて消えていきやきとち先生が迎えに来てくれました。今回の旅行はほぼやきとち先生と一緒です。やった~
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📍ホテルモントレ仙台
とりあえず荷物を預けにモントレにきました。実は生まれて初めてのモントレです!うれしい。ずっと来たかったのでモントレデビューを果たせて感無量でした。また後ほどモントレの話はします。とりあえず荷物を預けてそばでEveちゃんを並べました。
(これは人通りが少なかったから出来たこと)
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うん、Eveちゃんもモントレに来れて嬉しそうだ。
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📍むかでや履物店
ジョジョの4部の作中に出てくるお店らしい(へえ~)ジョジョに詳しくないのですがお店にはたくさんジョジョのサインとかあってオタクだったら嬉しそ~と思いました。キャラクターの名前で領収書くれるらしい(すべてにわかなのでらしいと付けてしまう)あと普通にお店の中がかわいいし落ち着いてて大変良かった…!お財布欲しいな。普通に。
仙台、土日の割に人が少ないし軽やかな演奏が商店街から流れてくるし無料で珈琲くれるし道に木々が生い茂ってるところが多くて長閑で大変いいな…と歩き���がら思ってました。ここが土日の大阪スラムタウン難波ならどこかから怒声が聞こえてくるのにそういうのがあんまり無かった、すごいな(そんなんと比べるな)
で、観光したいよね!という話になって仙台と言えば伊達政宗…伊達政宗を見に行こう‼️つって伊達政宗像を目指すことに。そこで利用したのがるーぷる仙台です。
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(公式画像引用失礼)
神戸のシティループみたいでかわい~♡と思いました。これで観光名所の山辺りを回ってくれるらしい。山登るのはキツイからめちゃくちゃ便利‼️これで伊達政宗にだっておきがるに会いに行ける🎶と思って待ってたらもうすげ~~~~~バスがぎゅうぎゅうなんだよ!すげ~の、仙台一混んでた。瑞鳳殿で大量に人が降りたことで座れて座れてからようやく運転手さんが観光スポットについての案内をしてくれてることが耳に入ってきた。
なんかこう…仙台にも方言?あるんですかね。運転手さんがなまってて可愛かったです。可愛いと思える訛り羨ましいなと思いました。あと、瑞鳳殿、いつか行きたいです。今回はたそライブがあるので伊達政宗の面だけ拝んでいきます。
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📍仙台城跡
こ、これは、……伊達政宗……………………⁉️
実はやきとちさんに行きたいと言われるまで伊達政宗が仙台の藩主ということを失念していました。仙台城跡地あたりから見る下界広大で空気美味しかったー!!!今年?は閉まってるらしい仙台市博物館にも行きたかったのでまたの機会に行こうと思います。あと伊達政宗像の横でとうもろこし売ってました。仙台名物なんですか?🌽
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伊達政宗のすぐ側には謎の鷲?もいました。かっこいい。
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📍宮城県美術館
画質ガビガビなのはインスタ動画クオリティだから。国際センター駅まで歩いてる時に宮城県美術館の前通って寄ってかね?という話になり見てきました。
伊達政宗と杜の都・仙台展って名前らしい。杜の都……!?確かに!と思った。豊かで素晴らしい。伊達政宗関連の展示~日本の近現代美術名作選とか色々あって普通に見るのに普通に2、3時間かかってたと思う。あとね、ぐりとぐらの作者の方の展示があってすごいかわいかった。絵本ってあんな結構切ったり貼ったりみたいな感じで作られてんだと思いました(説明が下手)
仙台フォロワーに牛タンなら善次郎だよって言われたから善次郎に行ったら100人以上待ってると言われてビビりまくった。な、なに~ッ!?いうて。。全然もうこう…仙台さんが長閑な感じだから舐めきっててそんなに並ぶと思わず滝汗をかく我々。だがしかし、どうしてもたそライブの前に牛タンを味わいたい……!となり仙台駅内の牛タンエリアへと助けを求めることになった。
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📍味の牛たん喜助
わーい!牛タンだー!じつは焼肉以外でタンを食べるの初めてだったんやけど(まあほぼ変わらんやろ)と思ってたけど厚切りの牛タンはうっ~まい……うまいんだ、これ。めちゃくちゃ美味しくてうまーい!!!といってたら横に付いてきた福神漬みたいなんがガチ辛くて泣いた。
美味しい牛タンなので正味あと10切れくらい食べれた。食べれたけど内田雄馬さんのライブに向かうため渋々店を出ることにする。
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📍電力ホール
電力ホール内に着いたらなんかすごいみんな青い服とか髪で驚いた。内田雄馬さんのカラーらしい。内田雄馬さんって青がメンカラなんだ(当方内田雄馬初心者)
電力ホールの凄いところ、7階にある所なんだけどスタッフさんが「基本的に出たら再入場できません!飲み物はなんか…、下のファミマとかで買って上がってきてください!」って言っててすげー、チケット持ってても再入場できない現場初めてだ!?と思った。あと自分で半券もぎってくれってアナウンスにも驚いた。初めて自分でチケットをもぎりました。
感想は割愛しますが楽しかったー!ペンライトふわふわ芸人だったけど内田雄馬さん近くで見るとうわ…内田雄馬さんだ……になれたしあと声が良すぎる。声が良すぎるのに笑い方の癖強すぎて宇宙猫の顔しました。
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内田雄馬さん置いときます
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📍ホテルモントレ仙台
見てくださいこの可愛さを。。❕レトロでかわいいよね~かわいいかわいい😭特にエレベーターが好きです。上のなんか針(?)みたいなのが上あがっていく度に動くのがちょっとアナログで良すぎる……!語彙なし!!
お部屋も広くてらぶりーでさいこうだった。。大はしゃぎで部屋でぬい撮影会をしました。駅からも近いしアクセス良すぎるのでみんなもモントレに泊まってください(?)
ホテルでやきとちさんにアイナナのライブを見せてもらってアイナナっていいな……!になった。あとŹOOĻのササゲロを聞かせてもらってからササゲロが離れなくなった。ちなみにササゲロはこれです
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騒いでたらもう2時付近。NAVITAIMUを見て恐ろしいことに気付く。
次の日は福島に行く予定だったのですが、飛行機の時間を加味して余裕を持って帰って来れる理想の出発時間が朝5時30発の電車。つまり、4時起き。
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突然地獄のアラームを見せてしまい申し訳ございません。これに出れなかったら死ぬど………………………………のモードになりホテルで音速睡眠会になった。そして二人とも眠りについたのが恐らく2時過ぎ…。
むらちゃんはこの時、3時半に一度起き、寝起きのテンションが元々最悪なのもあって自分でつけたこのアラームを無理やろいうて全部消して二度寝している。戦犯は自分なのに起きた時被害者ヅラしてえ。。。起きれなかった!?と言った。サイコパスすぎる
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おはよう、いい朝だね(寝坊)(10時)
ということで福島に行けなくなってしまったので別のことをすることにしました。そう、かわいいカフェに行く、ということです。
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📍牛タン炭焼 利久
これはたそがライブで食べてた場所です!たそがたべてたにゅうめんが食べたいということでやってきたもののまあ、にゅうめんがない。横浜限定メニューらしい。
ということでむらちゃんは馬刺しユッケと仙台牛ステーキをたべました!!うまい!!🥩
肉ならなんでも美味い!!
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📍Adapt
まんがチーズケーキをたべることが目標だったので果たせて良かったです🧀味は思ったよりあっさりしてて食べやすかった!おいしい!
まっしろの店内でマジで好みだった!!映えカフェだからEveさんをだすのちょっと恥ずかしかったけど写真映えするのでうれしい。かわいいのら。
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ぷりん、おれたち、つぎこそ福島のラッキー公園に行ってやろうぜ……約束だぞ……
あ、そう。牛タンお土産に一万円分ごっそり買った!まだ食べてないけど楽しみにしてる(ᐢᴖ ·̫ ᴖᐢ)👍🏻🌟
はやくたべた~い(お土産なのにおまえもたべるんかい)遊んでくれたフォロワーたちありがとうございます🎶また行きたいと思います🎶🎶🎶
以上
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sachiko-aside · 7 hours ago
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【新潟ドライブ 2日目】
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寺泊市場へ行ってみると、皆さん店先で焼いた魚介類を食べていた。 私らは宿の朝食を食べたばかりなので、何も食べないでお土産などを買った。
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弥彦神社は厳かで質素で広さも人出も丁度良かった。 本州縦断・青森~下関1550kmフットレース2025のゼッケンを着けた女性がお参りしていた。 昨日���子ヶ鼻でもこのゼッケンを着けた、足が辛そうな男性を見かけた。 4/26スタートらしいので、すでに1週間走り続けてるということか。
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私が弥彦駅に立ち寄っている間に、長野経由で帰ることが決定していた。だいぶ遠回りだ。 親戚はもう知ってる人は生きていないし、お墓参りは離れたところから手を合わせたし、懐かしい所は通ったからもう良いとのこと。 それよりも、野沢温泉近くの菜の花畑に行きたいらしい。 推測するに、母はこの菜の花畑には過去3回は(写真クラブ、会社仲間、父)行っている。 今回新潟旅行の話が無ければ、野沢温泉旅行だったかもしれない。
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一方、酒とラーメンと蕎麦が大好きな兄は、そうと決まれば絶対に長野県内の蕎麦を食べたい!と新潟市内のへぎ蕎麦屋さんを次々スルーしてるうちにランチタイム終了。
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長野県内に入ると、14時以降もやっている蕎麦屋を走る車内で探した。 菜の花公園がある飯山市の蕎麦屋が終日やっているということで、15時に蕎麦粉100%の美味しい蕎麦にやっとありつけた。
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だんだん雨足が強まって来て、公園内に人はほぼいなかった。 翌日から菜の花まつりが始まるらしく、車が入れないようにしてあるエリアもあったので写真は1箇所からのみ、母激推し撮影スポットへは入れなかった。 でも霧の中の菜の花も乙なもんで、千曲川沿いに植えられた菜の花道路も長~くて見応えあった。
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そこからは強雨の上信越自動車道をひたすら爆走した。 途中トイレ休憩で寄ったPAでは雨が上がって虹が見られた。
新潟ドライブ 完
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tabito-vlog · 4 days ago
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大阪 阪神高速パーキングエリア・朝潮橋で車中泊
大阪市の阪神高速パーキングエリア・朝潮橋駅で車中泊しました。日本のパーキングエリアはどこでもほんとにきれいで過ごしやすいです。
朝潮橋パーキングエリア(PA)は、大阪市港区に位置する阪神高速16号大阪港線(環状線方面行き)上り線専用のPAで、ドライバーや観光客にとって便利で快適な休憩スポットです。
駐車場情報
・普通車:36台(うち第2駐車場13台は9:00~18:00利用可) ・大型車:7台 ・身障者用駐車場:1台分
キッチン田・朝潮食堂
・営業時間:10:00~20:00(ラストオーダー19:30) ・主なメニュー: ・わらじカツ丼:大きなカツが特徴で、ダブルやトリプルも選べます。 ・トンテキ定食:ニンニクたっぷりのスタミナ満点メニュー。 ・うどんやカレー、ソフトクリーム、パフェなども提供。
朝潮橋パーキングエリア 16号大阪港線 https://www.hanshin-exp.co.jp/drivers/pa_guide/06pa_asashiobashi/
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fujihara-org · 20 days ago
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旅行の場所選択
こんばんは、藤原です。いつもながら夜もおそおその時間の更新ですね。今日は結構乗り物に乗ってる時間が長かったのもあって、ふらふらとしてしまっていました。なので、今日は曲とかコンテンツの紹介とかでもなく、手短だけど人とはあんまり話さないような話題について。
旅行地って、多くの人はどう決めるんですかね?値段とか時間、あとはどうしても行きたい憧れとか聖地巡礼とか。まあ繁忙期はどうしてもホテル代も高くなりますしね…席数などで移動手段も限られる場合、そもそもその場所に行けないっていうことも有り得ますし。仕事関係だと研修とか監査とかもその部類ですかね。他には…人に言いにくい理由もありますよね、月並みですけど不倫とか。場所に行く理由は人それぞれだと想像に難くないですけど、直近(過去3年くらい)の私に関して言えば、「イベントと合わせて」というのが多いと思います。音楽ライブであったり、友達との会う約束であったり、セミナーであったり。それに合わせて短くても3泊4日、長ければ2週間前後の旅程を組むことが私のトレンドです。昔は結構夜行バスで弾丸の旅行が多かったんですが、今は自分の状態とも相談して絶対に旅行中には何もないように調整して出かけることが多いですし、そのため計画も紙とかに書き出すことが多いです。紙に書き出すと、本当びっくりするんですよ。「え、こんな移動すんの?」みたいな。
旅行先のスポットも大なり小なり調べていきますね〜。ここに行きたい!って思って周辺を調べることもあれば、モデルルートなどWebサイト系を駆使しつつ、(じゃらんとかではなく)観光協会系のパンフレットをもらって、行きたいところピックアップしたりしますね。計画立てるの楽しいんですよね〜、もともと机上旅行好きですし、電車の時刻表とかも読むの苦にならないので。普段使いはジョルダンとかで済ましちゃうことが多いですけど、学生時代の節約旅行は時刻表と相談する機会が多かったので、いつの間にか読めるようになりましたね。昔は大枠の計画だけ決めて無鉄砲に動くこともありましたが、今は容量的にギリギリを攻めるパンパンの計画を立てて、旅行自体を満喫することが多いです。うーん、難しいんですけど、心持ちの中で「気に入ったならまたいつでも行けばいいよ」から「もう2度と来れないかもしれないからできるだけ見ておきたい!」に変わったんですよね。なので、大枠の計画で行けなかった場所は今でも行きたいですし、計画をきちんと立てなかった当時の自分を叱ってやりたいです。そんな機会滅多にないんだからちゃんと計画立てろよって。
あとは、ホテルが好きなので、ホテル指定でその場所に旅行に行くこともあります。ドラマとか見ててここのホテル泊まりたいな〜、からホテル調べてそのホテルが安いときに行ってみたり。正直いま日本の観光地はどこも外国の方もめちゃめちゃ多いので、その辺りの見極めは難しいんですが、なんとなくその辺りは勘で決めちゃいます。今は結構自由に動ける時間も多いので、その辺り融通もききますしね。
結論:旅行は人生の経験の一部。行けるときに行っとかないと後悔するぞ! 月並みですけど、こんなところかなと思います。去年〜今年だけで私も行きたかった施設が4ヶ所ほど閉鎖もしくは取り壊しになりましたので、そうなってから行っておけば良かったでは遅いのだと、身に染みました。推し活と一緒ですね。簡単にいうな、とは思いますが。
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cordilleraintern · 21 days ago
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野鳥調査を通じたタジャン農家とインドネシア農家の交流プログラム 4日目
ようやく4日目です!
この日は朝からステイ先のラヨグ・カントリー・ファームのデッキから雲海が見れて素晴らしい1日の始まりを迎えることができました!!
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*雲海はいくつかの条件が揃わないと見ることができないそうでラッキー!!
4日目のプログラムはタジャンの隣町サガダ訪問です!
車で1時間半ほどの距離にあるサガダは観光名所として有名で、マニラからだけでなく外国からもたくさんの人が訪れます。また、コーディリエラ地方の中でも、現在も伝統文化の継承を実践しているコミュニティです。サガダにはインドネシアのKlasik Beansと私たちCGNだけでなく、タジャンのコーヒー農家7名も一緒に行きました。私たちがサガダを訪れた目的は、コーヒー生産地としてとても有名なサガダが、コーヒー栽培とエコツーリズムをどのように関連づけて実践しているのかを学ぶためです!
朝ご飯を食べた後、ステイ先のラヨグを出発し、11時頃にサガダに到着しました。サガダはコーディリエラ地方の他の観光地に比べると観光システムが整っていると言えます。サガダの観光スポットに行く場合は事前に観光省のオフィスで登録し、ガイドの同行が必要です。
前述したように伝統文化を今も尊重しているサガダでは、コミュニティの長老たちの話し合いで決まったことは絶対なのだそうです。観光スポットの近くで葬式があり、そこへは外部者の立ち入りはできないと長老が言えば、その周辺は立ち入り禁止となります。観光客が仮にアクティビティを予約していたとしても、こういった伝統のしきたりにより遂行できないと言われてしまうことも少なくないのだそうです。今回、私たちがガイド協会にアレンジをお願いしていたコーヒー栽培地へのエコトレッキングも、近くで葬式があるということで、別のコーヒー農園での体験ツアーに内容が変更となりました。しっかりとコミュニティで伝統文化を守っていこうという姿勢があるおかげで、「伝統文化の村・サガダ」としてのブランディングに成功しているのかもしれません。
では実際にサガダの文化とはどのようなものなのか。まずはガンドゥヤン博物館Ganduyan Museumに学びに行きました。ここでは、館主の方の説明を聞きながら、展示されている伝統的な生活用具や武器、工芸品を見ることができます。中には第二次世界大戦で日本兵が残していったヘルメットなども展示されていました。意外と知られていませんが、第二次世界大戦末期に日本軍はマニラからここコーディリエラ地方まで北上してそのまま終戦を迎えたため、このような日本軍の遺品がルソン島北部の山奥に残されているのです。
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*暮らしに使われてきた様々なカゴ類の展示。米などの穀物や豆の貯蔵用、狩りに行く時に弁当やタバコを入れたカゴなど、用途によって形はいろいろです。
博物館で工芸品を堪能し、昼食をとった後はケイブマン・コーヒー農園Caveman Coffee Farmへと向かいました。ここではコーヒーの収穫から加工、焙煎、試飲までの一通りを体験することができます。隣町のタジャンのコーヒー農家��人にはサガダのコーヒーが有名なのはよく知られているので、みんな興味津々な様子でした。
また、Klasik Beansnの人たちも乾燥中の豆の匂いを嗅いで、「これはこんな匂いがする」など意見を共有しあっていて、さすがコーヒーのプロフェッショナルだな〜と思いました。私も真似して同じことをしてみましたが、豆の匂いを嗅ぎ分けることなんてできませんでした(笑)。
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*乾燥中のコーヒー豆を嗅いでいるKlasik Beansのアンドリたち。
余談になりますが、ここのファームからはずっと向こうの崖に棺桶があるのが見えます。これはサガダの特徴的な伝統文化の一つで、死者を棺桶に入れて崖に吊り下げる風習があったのだそうです。双眼鏡で覗くと棺桶の隙間から骸骨がはみ出ているのが見えました。全部人の力で崖の斜面へ棺桶を運んでいったそうですが、それにしても信じがたいくらいすごい場所にお墓があります。
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*この写真はコーヒーファームから見えたものとは別の場所ですが、サガダではいろいろな所に棺桶が吊るされています!
コーヒーファームツアーを楽しんだ後は、そのままスマギン洞窟Sumagin Caveという洞窟へ行きました。私はただ洞窟に入って少し歩いて終わるものだと舐めていたら、バチバチのアドベンチャーでびっくり(笑)。入口を入ったところから上方にコウモリたちの鳴き声を聞き、下に落ちている彼らの糞を踏まないように、岩壁についているのを触らないように気をつけながら洞窟の中に入っていきます。「安全靴をはかなくてはいけない」とかいう概念はないらしく、それどころか途中から履いていたビーサンも脱ぐようガイドに言われ、ツルツル滑る洞窟の中をなんとか手で岩壁を触って行き先を探りながら、時には崖みたいなところをロープを使って登り降りし、上から垂れてくる水滴��地面にあふれている地下水でビショビショになりながら進んでいきます。
安全面でも衛生面でもこんなカジュアルにできるようなものなのか??と日本人としては思ってしまいそうですが(笑)。。。日頃から山でのコーヒー栽培や農業で鍛えているタジャンの人もインドネシアの人もフィジカルが強いので、ものともせずに進んでいきますが、山育ちでも何でもない環境でぬくぬくと育った私は転ばないようにするのに必死で、ガイドが説明してくれる岩の形などの周囲の景色をあまり楽しめずに終わってしまいました(笑)。
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*洞窟の中の様子。タジャンからの参加者の一人は小さいお子さんを連れてきていて、時には子供を抱えながら崖を登り降りしていて終始ヒヤヒヤしました!!
無事に生還した後は、宿泊施設にチェックインし濡れた洋服を着替え、ガイア・カフェGaia Cafeへ夕食を食べに行きました。アクティビティを終えて空腹な私たちをボリューム満点のプレートが迎えてくれます。
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*食べきれないほどのボリュームでした!
お腹いっぱいになったら、そのままみんなでミーティング。今日1日の振り返りだけでなく、これまでの3日間のフィードバックも共有しました。私たちはまだ残りの日程がありますが、バードリサーチのみなさんは次の日の朝にはマニラに向かって出発する予定になっており、ここが最後の全員でのミーティングの機会ということで、しっかりと感想を共有し合います。
このプロジェクトのテーマにあるように、野鳥が生息することがコーヒー栽培地の環境保全を証明することになります。それには、まずコーヒー農家の人たちに野鳥の果たす役割を理解してもらうことが重要です。Klasik Beans側からもタジャン側からも、もっと自分のファームにいる野鳥を調べたいとか、普段から意識して観察したいなどの感想が出てきて、これだけでもバードリサーチの野鳥調査の専門家がはるばる来てくださった意味があったと感じました。
タジャンの農家たちが抱える問題は、コーヒー栽培に関心を持っている若い世代がいないということです。それに対して今回来てくれたKlasik Beansのみんなは20代などの若い農家。あるタジャンの農家の方は、「自分たちは年寄りばかりで、コーヒーもハンドドリップで飲まないから味のクオリティがわからない。あなたたちは若くて、それだけでもリスペクトに値するのに、さらにクオリティまでわかるなんて本当にすごい」と言っていました。
それを聞いたKlasik Beansのウデンさんは、「自分たちも設立当初はおもに野菜を栽培する農家ばかりで、しかも50歳以上がほとんどでした。でもKlasik Beansが農家の子供たちのための塾をつくり、コーヒーの栽培からマーケティングまでのノウハウを教えたり、どうやって自分たちの土地の自然環境をケアするかをしっかり伝えていきました。その結果、今では50歳以下の農家が多くなりました」と経験を共有してくれました。Klasik Beansの次世代に繋げていこうとする取り組みと努力が素晴らしい!!
サガダのエコツーリズムに関して、冒頭に説明したように最初に観光省で登録した際に注意事項の動画を見せられたのですが、「騒音を立てない」などの超基本的なことも含めて20個くらいの禁止事項があり、私はちょっと厳しすぎないかな?と思いました。しかし、反対にKlasik Beansのウデンさんはとても良いシステムだと言う意見。彼の話では、インドネシアのバリ島では、観光客がツアーガイドを通さずに個人でバイクを借りて好き放題の場所でお酒を飲んだりしていて収拾がつかないのだそうです。それを聞いて確かに観光客からしたら自由の方が良いけど、自分が住民の立場だったら迷惑と感じることもあるなとハッと考えさせられました。
このプログラムに参加させてもらい、インドネシアやタジャンの人たちと旅をする中で様々な意見を聞く機会に恵まれ、今までの自分の考えにはなかった新たな発見があり、考えさせられることばかりです。
とくに、Klasik Beansが、小学校の時から学校教育とはまた別にコーヒーの栽培からマーケティング、さらには自分たちの伝統文化まで学ぶことができる塾(インフォーマル・スクール)を運営していて、農家の子供たちが自然や文化など、学校では教えてくれない暮らしに密着したことを学べる環境があるということが本当に素晴らしいと思います。
日本では決められたことや学校で教えられる勉強が全てで、それができることが賢いとされますが、本当に必要な知識は学校の中というよりも、外にあるのではないかなあと、Klasik Beansのみんなの話を聞いて、考えさせられていました。
ツアー5日目の報告もお楽しみに!!!
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*それぞれの感じたことや意見を聞くことができてとても良い時間になりました。
Exchange program between farmers in Tadian and Indonesia through bird surveys - Day 4
Finally, it's Day 4!
We started the day with a breathtaking view of a sea of clouds from the deck of our accommodation, Layog Country Farm—a perfect beginning to the day!
Apparently, seeing a sea of clouds depends on several weather conditions aligning, so we were very lucky!
The main program for the day was a visit to the neighboring municipality of Sagada. Sagada, located about an hour and a half away by car,  is a well-known tourist destination that draws visitors not only from Manila but also from abroad. Compared to other areas in the Cordillera, Sagada is notable for actively preserving its traditional culture. Joining us on the visit were Klasik Beans (Indonesia), CGN, and seven coffee farmers from Tadian. Our purpose in visiting Sagada was to learn how this well-known coffee-producing area is integrating coffee farming with ecotourism.
After breakfast, we left Layog and arrived in Sagada around 11 a.m. Tourism in Sagada is more systematically organized compared to other parts of the Cordillera. Visitors are required to register at the Department of Tourism office before entering any tourist site, and it’s mandatory to be accompanied by a local guide.
As mentioned earlier, Sagada continues to honor its traditional customs. Decisions made by the community elders are considered final. For example, if a funeral is being held near a tourist spot and the elders prohibit outsiders from entering, that area becomes off-limits—even if tourists have already made reservations. In fact, our eco-trekking tour to a coffee farm had to be changed at the last minute due to a nearby funeral. The local Guide Association arranged for us to visit a different coffee farm instead. Sagada’s strong commitment to protecting and honoring its traditional culture may be one of the reasons it has succeeded in branding itself as a “traditional village.”
So what is Sagada’s culture like, exactly? To find out, we visited the Ganduyan Museum, where the owner walked us through displays of traditional tools, weapons, and crafts. Surprisingly, there were even helmets left behind by Japanese soldiers during World War II. Toward the end of the war, the Japanese army moved north from Manila to the Cordillera, which explains why such relics can still be found deep in the mountains of Luzon.
There were many types of baskets on display, each designed for a specific use—like storing rice or beans, or carrying food and tobacco during hunting trips.
After exploring the museum and enjoying lunch, we headed to the Caveman Coffee Farm, where we got to experience the full coffee process—from harvesting and processing to roasting and tasting. The Tadian farmers were especially curious, since Sagada coffee is quite famous in their region. The members of Klasik Beans were also in their element, sniffing the drying beans and sharing their impressions—true coffee professionals! I tried to copy them, but honestly, I couldn’t tell the difference in scent at all (haha).
Here’s Andri from Klasik Beans smelling the drying coffee beans.
As a side note, we spotted some hanging coffins on a distant cliff while at the coffee farm—part of Sagada’s unique funerary tradition. The deceased were placed in coffins and suspended on cliffs. Looking through binoculars, we could even see bones sticking out of the gaps. It’s said that these coffins were carried up the steep cliffs entirely by hand. The locations are so extreme, it’s hard to believe it was done by people!
This photo is from a different spot, but hanging coffins can be seen all over Sagada.
After the coffee farm tour, we headed straight to Sumaguing Cave. I had assumed we’d just take a quick walk through the cave and be done—but wow, was I wrong! It was a real adventure. As soon as we entered, we could hear bats overhead and had to carefully avoid their droppings on the ground. There was no requirement for special shoes—in fact, at one point the guide even told us to take off our sandals! We climbed slippery rocks, used ropes to descend small cliffs, and got drenched by underground water dripping from above and pooling on the cave floor.
As a Japanese person, I couldn’t help but wonder if this level of casual, hands-on adventure would ever be allowed back home, safety- and hygiene-wise (haha). But both the Tadian and Indonesian participants, used to working in the mountains, handled it all with ease. As for me—raised in a much more sheltered environment—I spent most of the time just trying not to slip, and barely had the chance to take in the scenery that the guide explained about.
Inside the cave—one participant from Tadian brought a small child and had to carry them while climbing, which was nerve-wracking to watch!
After making it out safely, we checked into our accommodation, changed out of our soaked clothes, and headed to Gaia Café for dinner. After such an active day, we were starving—and the hearty plates of food really hit the spot.
The portions were massive—I couldn’t even finish everything!
Once we were full, we had a group meeting to reflect not just on today, but on the past three days of the program. This was our last all-group meeting, as the Bird Research team would be leaving for Manila early the next morning. Everyone took this chance to share their thoughts and experiences.
As the theme of this program suggests, the presence of wild birds is a strong indicator of a healthy coffee-farming environment. That’s why it’s so important for farmers to understand the role birds play. During the meeting, both the Tadian and Klasik Beans participants said they wanted to observe the birds on their farms more closely from now on. Just hearing that made me feel that the visit from the bird research specialists was truly worthwhile.
One issue that Tadian’s farmers are facing is a lack of younger generations interested in coffee farming. In contrast, many members of Klasik Beans are in their twenties. One Tadian farmer said, “We’re all getting older, and we don’t drink coffee using fancy hand-drip methods, so we don’t really understand coffee quality. You’re young—and that alone is impressive—but on top of that, you actually know what quality coffee tastes like. That’s amazing.”
To that, Uden from Klasik Beans shared their story: “In the beginning, most of our members were over 50 and mainly vegetable farmers. But we created a kind of informal school for the farmers’ children, where they could learn everything from coffee farming to marketing, and even how to care for the natural environment. Now, most of our members are under 50.” Their commitment to building a future for the next generation is truly inspiring!
As for Sagada’s ecotourism, when we registered at the tourism office, we watched a video that listed about 20 rules—including basic ones like “no loud noises.”  I initially thought the rules were too strict, but Uden from Klasik Beans actually praised the system. He explained that in Bali, Indonesia, tourists often do whatever they want—renting bikes and drinking anywhere without guides, which has caused lots of issues. His comments made me realize that while freedom is nice for tourists, if I were a local resident, I might see things very differently.
This trip has given me so many opportunities to hear different perspectives from people in Tadian and Indonesia. It’s made me question some of my assumptions and opened my eyes to new ways of thinking.
One thing that really stood out was how Klasik Beans runs an informal school, separate from regular education, where kids can learn practical skills like coffee farming, marketing, and preserving their culture. It’s a place where they can learn about nature and daily life—things schools don’t usually teach. I think that’s amazing. In Japan, intelligence is often measured by how well you do in school and stick to the rules. But maybe the knowledge that truly matters is actually found outside the classroom.
Looking forward to sharing Day 5 with you soon!
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sophiatanken · 1 month ago
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道東湿原ハイク(後編)
このブログは「道東湿原ハイク(前編)」の続きです。まずはそちらをご覧ください。
20kmを歩いた日の夜、僕たちはとある居酒屋で食事をとることにしました。大将と女将さんの気さくで人情にあふれたお人柄に町の常連さんが集う温かいお店でした。
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大将は大きな荷物をもって旅をする僕たちを珍しがり、たくさん話しかけてくださいました。やがて集まってきた常連さんたちともお酒を飲みかわし、歌を歌って、親睦を深めました。一期一会は旅の良さですよね。
その日はなんと大将のご厚意で併設の民宿で泊めてもらえることに。粋な計らいに感謝しつつ、暖かい布団で眠りました。
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感謝の手紙を残し、女将さんが置いてくれていたおにぎりをもって宿を発ちます。
夜が明けまして、本日はいよいよ霧多布岬へ。残り15kmです。
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途中、霧多布自然センターでラッコの情報を手に入れたり、
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途中10秒に1匹釣れる激熱スポットに巡り合ったりして、
ラストの一直線、MGロードを歩きます!!
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霧多布湿原を縦断する道で、両側には広大な湿原。
大地君が突然ド下ネタを叫び、 湿原で失言 という高度なボケをかましていたので東洋大探検部の未来は明るいなと思いました。(我が上智大学探検部は上品な団体ですので、このような行為は決していたしませんが。)
そしてついに、、
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霧多布岬に到着しました~!
実は昨日の居酒屋で、常連さんにラッコの居場所を知る現地の方を紹介していただいたのです。一緒にパシャリ。
さあみなさんお待ちかね、野生のラッコはいたのか…!?
↓ ↓ ↓
可愛すぎでしょ~
いやあ、もっとみせたいなあ。でもそれは実際行った人の特権!!
ラッコは1匹のみで、頻繁に潜り餌を食べていました。
ラッコはグルメで大食漢。ホタテ、エビ、カニなんていいものばっかをなんと1日に10kg近く食べるのです。体重40kgで10kg食べるの、ヤバくないですか!?自分の体重に置き換えてみてください。あなたが北海道の海で裸で生活する場合、何kg食べる必要がありますか?(うんちもすごいことになるね)
そのあとは霧多布温泉ゆうゆに。
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ラッコに触発され、たらふく食べました。
しかし急激に血糖値を上げることになり、食事の途中で僕と大地君が小一時間爆睡。起きて残りを食し、温泉で疲れを癒しました。
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本日は最低気温-10℃の極寒ですが、霧多布岬で野宿です。風が強くて火も起こせず、夜食のカップラーメンを諦め生きるために寝袋に入りました。(大地君はその後1時間奮闘の末、火を起こしていました。すごいよ君。)
そして夜が明け…
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天国かな。寒すぎて死んだ?
いいえ、なんとか生きていました。マジで外は死ぬほど寒かったので、寝袋買って良かったな。アウトドアで課金は正義だ。
この日はラッコの生態をもう少し詳しく観測し、寿司を食べまして、茶内でもう一泊して帰りました。
企画はこれにて終了です。
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帰路。花咲線の車窓からみる厚岸湖。
【あとがき】
念願の生き物企画がやれて大満足でした。生物調査としてこの企画が探検的意義を持っていたかと言えばまだ甘いところもありますが、自分がどんな活動が好きなのかがよくわかった活動になりました。大学生活あと何回企画をやれるかわかりませんが、来年度はホタル調査、シマフクロウ観測などやりたいと思っています。秘湯も生き物も海外もやりたいことたくさんだ~~
大学生活も折り返し!楽しむぞーーー!
みなさんここまで見てくれてセンキュー!!
そしてこうちゃん、大地くんに最大限の感謝を!!
ばいばい!また次の探検で。
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ya-sojiro-blog · 2 months ago
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長崎に行ってきました
 2025年初の遠出は九州・長崎へ行ってきた。JALパックとびっくりオプションを使った3泊4日の旅である。
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 1日目、長崎駅に到着したのは17時ごろ。長崎駅近くのホテルにチェックインした後、JR西九州フリーきっぷ(指定席も乗り放題/びっくりオプション)を使って乗り鉄。この写真は長崎本線の湯江駅で撮影したもの。撮影時刻は1月末の17時55分、西にいることを実感した。
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 キハ47という汽車の中から一枚。昔ながらの汽車は窓や座席など、味があって良い。窓から見える景色も最高だ。
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 夕食を食べて22時半ごろに新車のYC1系で長崎駅に戻ってきた。田舎の終電は早く、1番のりばの列車は終わったらしい。
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 2日目は長崎にいる祖母のもとへ。昔住んでいた町を散策。この川は本明川とよばれる、長崎県唯一の一級河川である。本明川は諫早湾干拓調整池(有明海)に注ぐ。穏やかな時は流量が少なく、本気の時は一気に増水する恐ろしい川だ。昔はよくここを歩いていた。祖母にも会えて、天国にいる母親も喜んでいたことだろう。そんな気がした。
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 長崎本線の本明川橋梁を渡る汽車。ブルーの車体の窓にオレンジ色に染まる夕陽の光が反射する。西九州新幹線が開通する前の長崎本線は特急街道であり、この鉄橋を特急列車のかもめ号が1時間に2本程度走っていた。今ではローカル線に格下げ、非電化、汽車も普通列車と観光列車のみになり、本数も1~6時間に1本程度になった。
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 長崎県の有明海を沿う国道207号線といえば、インスタ映えスポットで大人気の「フルーツバス停」がある。その名の通り、バス停の待合所がフルーツの形状をしている。このバス停は「イチゴ」。他にも「ミカン」「メロン」「スイカ」「トマト」がある。
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 3日目は長崎ランタンフェスティバルを見る。長崎ランタンフェスティバルは「長崎燈會」とも書く。中国の春節(旧正月)にあわせて毎年開催されている。街中にはランタンやオブジェが飾られており、一風変わった長崎の景色を楽しめる。
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 しかしこの日は生憎の雨。長崎は今日も雨だった。見る予定だった皇帝パレードや龍踊りが中止となり残念であるが、雨ならではのランタンフェスティバルを楽しめた。
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 雨に濡れない位置から中国変面ショーを見る。次から次へと顔が変わる。瞬きの間に顔が変わっている。面白いのでぜひ一度は見てほしい催しものだ。
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 浜町アーケードにいた龍。踊ってはいなかったが、人々の上から龍が見守っていた。龍踊りは中国で五穀豊穣を祈る雨乞い神事に始まったものと言われており、期間中毎日開催されていた中で本当に雨雲を呼んでしまったのかな...と頭の中で考えていた。
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 浜町アーケードには無数の赤いランタンが飾られている。どこまで行っても赤いランタンがあるので、アーケードの入口から見ると壮観なものだ。フォトスポットとしてもおすすめできる。
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 4日目、最後は長崎駅前の交差点から路面電車を見る。全国的にも珍しい路面電車と道路が複雑に交わる交差点になっている。路面電車の行先によって向かう線路が異なり、路面電車は路面電車専用の信号に従わなければならない。車は車専用の信号があるので、信号の見間違いや軌道上に立ち止まらないように注意しなければならない。歩道橋から見ている分には非常に楽しい。写真は4枚の写真を合成して1枚に仕上げている。
 3泊4日、あっという間の長崎の旅だった。来年は長崎に行けるか先のことは不明だが、長崎ランタンフェスティバルの皇帝パレードは見ておきたいものだ。次の長崎への旅の目標は「皇帝パレードを見る」。
※写真は全て管理人が撮影・編集したもので、著作権があります。複製や加工などの二次利用を厳しく禁止しています。ルールが守れない方は必要な措置を講じる場合がありますので、ご注意ください。
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stormfrozen · 3 months ago
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旅の後に
「…はい、もしもし。ファーチュアです…」
「あ、覚えてますか?私…アンディーヴです。直接電話したのは、ファーチュア様からメッセージが送られてこないもので…」
「あ…そうですね。デバイス…携帯電話を変えてしまったもので…申し訳ありません。それで、アンディーヴ様。どの様な用件で?」
「実は…[Aile]のジニーエイラ様が、旅を通して色んな所を回っているそうです。この間私のところに来ましたので、恐らく彼女はガラルにも近々、足を運ぶでしょう。」
「うーん…そうですか。アーカラのホテルに泊まったのですね。私も用意しておきます」
「はい。彼女自身は、『バカンス』の名目で来ていたそうですが…」
「畏まりました。到着次第、手配致します。では」
—————
………そんなこんなで着いた、ガラル地方。アローラの南国の雰囲気とは一転して寒い北国の空気に、やられそうになっていたジニーエイラ。
うぅ………寒っ!
一応コートは用意してはいるものの、逆に比較的暖かめな地域が離れた場所にある鎧の孤島しかない。ラナキラマウンテン辺りしか空気の冷たい場所が無いアローラ地方とは真逆である。
おかしいでしょ、こんなの…と言うか北も南もやばそう。
南にあるのは高原地帯の多い冠の雪原、北にあるのは最大都市であるシュートシティの道中、寒いホワイトヒルが待ち構えている。当然、冬が大嫌いなジニーエイラにとっては過酷な環境と言わざるを得ない。
は、早く、シュートシティに行かなきゃ……はぁ、はぁ……
大雪の降るホワイトヒルの写真を撮って、手短にシュートシティの方へと向かう。こちらでも気温が比較的低いが、さっきの雪原地帯の場所よりはマシである。
ふぅ〜…イヴとかリベ、良くこんな寒い所で平気でいられるよね。私絶対無理。
ぶつぶつと文句を言いつつも、彼女はカフェのある通りを歩き、ホテル『ロンド・ロゼ』に向かう。
いらっしゃいませ、長旅お疲れ様です。
受付を担当するのはファーチュア。ハノハノリゾートにいるアンディーヴとは知り合いである。霊剣の生物をモチーフとした照明器具と壁紙のデザインにある葡萄とオレンジの壁紙を気に掛けつつも、ジニーエイラはチェックインを済ませ、部屋に入る事に。
はぁ…暖かい。アルゼリアンさんは元気にしてるのかな。
そして、真っ先にジニーエイラは旅のルートを決める。やはり彼女は寒いのが苦手であるのか、先に南にある寒い場所から撮る事にした様だ。そして、そこから北上して撮って行くルートにするらしい。
寒いのはやだなぁ。
その日のジニーエイラはこれまで行ってきた旅を、振り返る。そんな長い旅の後に、[Aile]に戻った彼女は何を見るのだろうか。そして、アルゼリアンとは今後、会う事があるのか。だが今はそんな事を考えもせず、眠る。
……………
……………
……………
………そしてその朝。目覚めたジニーエイラはシュートシティから電車を使い、滑り出し雪原に向かっていた。
流れる電車の景色を眺めつつ、カロルディアで任務をしているアイヴァンヌにメッセージを送っていた。
「今どの辺なの?」
「明日で十字の世界を発つ所だね!ジニィは何処に?」
「今私はガラルにいる」
「そっか。そろそろこの旅も終わりだね。また[Aile]が活動を再開したら戻って来るよ」
「うん!」
「今まで、待たせてごめんね」
「待ってるよ!」
思わず交わされた、そんなやり取りに微笑むジニーエイラ。同時に電車が、終点のカンムリ雪原に到着した。
よーし…行こう。
滑り出し雪原の積もる雪、民家の疎なフリーズ村、巨人の眠る4つの神殿、流氷の漂う極寒の海、湖畔の中央に育つマゼンタに染まる大木、古の墓地、思ったより暖かい登頂トンネル、高原の山の頂上に聳え立つカンムリ神殿………その沢山の撮影スポットで写真を撮り、アイヴァンヌに写真を送った。
うん。大体は撮った。…ん?
カンムリ神殿にある、樹木に挟まっていた手紙の様な紙切れ。何故吹き飛ばされなかったのかは不思議だが…ジニーエイラはそれを引っ張り出し、開いて読んだ。
何だろうこれ?エンジンシティに行く間に読んでみよう。
『xxxx年 xx月 xx日』
『カロスにあるセキタイの列石とガラルにある三又が原の列石、ムゲンダイエナジーを使った最終兵器を持つカロスと、以前ムゲンダイナと戦ったブラックナイトを起こし、近くにある神殿に膨大な生命のエネルギーが宿るとされるガラル、何故戦争は起きたのか』
『1度その戦争で倒れ、カロスの王により再び命を吹き込まれた王の相棒…永遠の花を持つ妖精は知っているのだろう。終戦後、王は相棒を探しに途方も無い旅を続けていた。私のいるガラルにも来た。神殿に来た王は私に聞いた。「何故、ガラルの王はあの時、戦争を止めてくれなかったのか」と。私は彼の問いに答えた』
『ブラックナイトを止めた際に、力を失ったからと。ムゲンダイナの暴走を止め、彼女を眠らせた代償に愛馬を失い、私も力を失った。そしてその戦争で、私を崇めていた人達も倒れ、満身創痍の私には既に、カロスで起きた戦争を止められる状態では無かった。ガラルの未来の為に戦った私は、カロスの未来を殺してしまった』
『愛馬は終戦後に、私が治療して今は力を取り戻した。あの時私にブラックナイトの時と同じ力を持っていたのならば、あの戦争を止める事も、永遠の花を散らさずに済む事も容易かったのだろう。済まなかった、と。圧倒的な私のオーラを前に彼は一度跪くが、何処と無く納得したのか、一礼して神殿から去った。再びカロスに戻るつもりなのだろうか?』
『永遠の花を持つ妖精は、今何処にいるのかは分からない。鉄を作り出せる生物がガラルで巨人の姿になれる事を考えると、ライフラインのエネルギーを巡っての戦争だったのだろうか』
『何れにせよ、数多の犠牲の下に成り立った幸せは代償が余りにも大きい。犠牲にならずに済む方法があるなら、私がそれを考えるとしよう。微睡��森に眠るとされる剣の王、盾の王と共に。Fofrashka』
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