#車中泊スポット
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【地元のおっちゃん】
地元に親父の幼馴染みがいて、家も近いし
おっちゃんのとこは娘しかおらんから
子供の頃から息子のように可愛がってもらってました。
高校生の頃から実家を出るまでは、親父と
風呂入った時にセンズリしてたけど
親父は毎回ってわけじゃなかったですね。
おっちゃん家に泊まりに行ったら、一緒に
風呂入ったりしてましたね。
やっぱり、真っ裸になる風呂がエロの流れを作りやすい(笑)
おっちゃんトラック乗ってるから、夏休みとか長距離の時に乗せてくれてて、早朝出発の時はおっちゃん家に前泊してたんで風呂も入ってたわけです。
パーキングで仮眠する時に運転席と荷台の間のスペースで抜いて寝るのが恒例やったから、それが楽しみでした(笑)
で、俺が大阪に出てからもおっちゃんが大阪方面に来る時は飯食ったり、家に泊まったりしてて。
おっちゃんも俺もパンツとTシャツでねるから、朝はおっちゃんよりも先に起きておっちゃんの朝勃ち触るんが楽しみで
何度か触ったことあるんやけど、カリをくびれにそってこすったら
パンツにジワっとガマン汁が出てきたんでそこで止めたんやけど
明け方はもう眠りも浅いからたぶん気付いてたやろなぁ(笑)
ちなみに、親父が泊まりに来る時ももちろん触ったことあります。
親父はなかなか起きないから触りやすい(笑)
そんなおっちゃんがトラック出す時に便乗させてもらってて
そのトラックでいろいろ話ししたな、エロい話しも。
ダッシュボードに痔の薬があったから
「座りっぱなし���から痔になりやすいんかな」
と思い
「おっちゃん、痔なん?俺もなんかケツ拭く時に痛い時あんねんけど」て、振ったら
「今はないけど、痔はなるで、座りっぱなしやしな~」
と恥ずかしげもなく(笑)
地元から大阪に戻る時も乗せてもらって、横に座って
「なんか俺、痔になったかも知れんわ」
て言うたら
「ワシももう治りかけやけど、痔が出て来とるわ
そこ薬あるやろ、もう使い切るくらいしか残ってへんと思うけど」
て、やっぱり来る時にチラッと見えた薬があってん。
「あとちょっとでトラステやから風呂入って薬塗ったらええわ」
おっちゃんと風呂に入るのは慣れてるから
脱衣場で2人とも直ぐに真っ裸になって風呂場で背中流し合ったりしてる時に
「後で薬塗ったるからケツ洗っとけよ」
て言われてん。
おっちゃんは「患部を奇麗にしとけ」て意味で言うたんやろうけど、
俺はこの展開を期待して、実家でケツん中も洗ってた(笑)
風呂上がってトラックに戻って、高速に乗って
しばらく行った所にある、パーキングに駐車して
「◯◯◯(俺の名前)、薬塗ったるからケツ見せてみ」
て、フロントのカーテン閉めて座席の後ろのちょっとしたスペースに移動してん。
1畳弱のスペースやから2人やとちょっと狭いけど、おっちゃんと向かい合うように座って、パンツ下ろして膝を抱えるようにおっちゃんにケツ出してんけど
『見えにくいからよつん這いになれ』
言われて、おっちゃんにケツ向けてん。
おっちゃんは、両手で俺のケツの穴広げて痔を探してるようやったけど、内側やからそれじゃ見えんわけ。
『こりゃ、中やな。ケツん中やからケツに指入れるで』
て、指舐めて突っ込んできてん。
唾くらいじゃ簡単には入らんし、痔あるし痛いやん(笑)
「ムリムリムリ!唾じゃ滑らんし痛いわ〜」
て、ケツ引いたら
『あー、ムリか、わるいわるい、ならオイル使うか』
言うて、奥の棚からローション出してきた(笑)
おっちゃんがまた俺のケツの後ろに回って
キャップ開ける音や、ボトル振って
「ブチュブチュ」てローション出す音が聞こえて
『ケツのチカラ抜いて息ゆっくり吐いてみ』
おっちゃんの左手が俺のケツを掴んで
『ほないくで、チカラ抜けよ』
て、右手で穴にローション塗り付けて
指がゆっくり入ってきてん。
指先が入る一瞬痛くて、キュッてなったけどその後は、すんなり入ってんけど、
(あ、ノンケやったら普通は痛がるよな)
と、思って慌てて
「あー、ちょっと待って、なんか痛いい」
て、半笑いで軽くノンケアピール(笑)
でも、おっちゃんも奥に進むにつれて、ゆっくり探るような感じ。
たぶん、ウ○コがあるかも知れんから
念の為に確認しながらって感じやったんかな(笑)
おっちゃんの指が少しずつ奥に入って来て、痔を探り当てた時にヒリヒリ痛くて思わず
ケツ締めてもうたら
「ここやな?ちょっと腫れとるな、いったん
指抜くからケツ緩めろ(笑)」
て、おっちゃん指抜いたわ。
んで、薬を指先に乗せてまたケツの穴広げて突っ込んで来た。
「痛いか?薬塗り込むからちょっと痛いで」て、痔の場所にゆっくり薬を塗り込んで
「よし、これで様子見やな」
て、指抜いてん。
なんか、いろいろ期待してたから悶々としたままよつん這いから体勢を変えようとしたら、おっちゃんが
「念の為に他にもないか見とくか?」
て言うてん。
『うーん、まぁ、ついでやし、そうするわ』
て、ちょっと躊躇する感じで答えてん(笑)
俺はよつん這いのままケツ突き出して待ってたら
おっちゃんがローションまみれの指をゆっくり入れて来てん。
左手でがっしり俺のケツ掴んでちょっと開くようにしながら
『ゆっくり息吐いてみ、ふー、ふー
息止めずにゆっくり吐いて吸って』
て、言われるままに呼吸しながら俺のケツん中におっちゃんの指が少しずつ入ってくんのを感じてたな。
おっちゃんも、ケツん中がキレイなん分かったんか
グイグイ入れてきて、ついに前立腺に当たってん。
『うっ、、、』
て、思わず声が出てもうてんけど、おっちゃんは
聞こえてなかったんか、聞こえん振りやったんか
なんもなかったように指先をクイクイ曲げて前立腺を刺激してきた。
俺は前立腺を刺激されるたびにケツが
「キュッ」て前に逃げるような感じになって
そしたらおっちゃんが
「ケツ引いたら指が先に進まんから、ケツこっちに突き出せ」
言うて腰をぐっと引き寄せんねん。
その反動でおっちゃんの指がグイグイ前立腺に当たって
もう俺のチンポはガチガチやったと思うわ。
「ここ、痛ないか?」
『んー、痛くないわ、痛くないけどなんか
キュッてなるわー』
て、言うたら俺のケツ掴んでたおっちゃんの左手が一瞬離れてん。
で、俺の足の間辺りの床を何か探すように
カサカサ音がしてん。
でも、探すのを諦めたのかまた俺のケツ掴んで、前立腺刺激しながら
「ここ、ちょっと膨らんどるから痔にならん
ようにほぐして血行よくしとかんとな」
て、さっきより強く前立腺をなぞったり
指先でグイグイ押すように刺激してきてん。
そんなんされたら感じでまうやん。
俺はもう完全にケツを指で犯されてる気分で
それがバレんように声を必死に抑えて
耐えててんけど、5分くらいでもう限界がきてん
「痛いから、もう抜いて」
て、言えばそれで終わる。
でも、ここで止めたらもう次はないかも知れん。
最初で最後ならこのまま不可抗力としてイッてしまうか。
葛藤はあったけど、もう俺はあと数回こすられたらイクとこまで来てた。
おっちゃんが俺の息遣いや返事の仕方を
見ながらケツん中の指の動きを速めてきた。
なぞるよな動きから、前後のピストンに変わり
それまでよりもしっかりと前立腺を犯してくる。
俺は腰が抜けるような快感でよつん這いが崩れそうになって
そのたびにおっちゃんが引き上げる。
もう、俺の足はガクガク震えて自分からおっちゃんの指に前立腺を
こすりつけるような感じにケツを前後左右に動かして、いつイかされるんか
イッていいんか、タイミングがわからんくなってた時に
ケツん中がキュッと締まって前立腺がめちゃ気持ちよくなった時に
「ここイキそうやろ?
イッてええねんで、このままイってみぃ!」
て、グリグリグリグリって前立腺押し上げられた瞬間に
『あぁ、イク!おっちゃんヤバい!
イクっ!イクっ!』
て、よつん這いのままおっちゃんのトラックの中でザーメンぶち撒けてもうてん。
「めちゃ出したな、はははっ」
て、俺のケツピシャって叩いてにタオル投げ渡して
おっちゃんはティッシュで床を拭きながら
「痔は、それくらいなら毎日風呂でケツ洗って、薬ぬりゃ治るわ」
て、さっき俺のケツをグリグリしてた時のおっちゃんじゃないように
笑いながら言うてたけど、俺は放心状態よ(笑)
俺は息を整えながらおっちゃんの話しにも
返事できずに床を拭くおっちゃんボーッと見ててんけど
おっちゃんのパンツがモッコリしてんのが見えてん。
(すげぇ、おっちゃんチンポ勃ってんちゃうか?)
と思いながらなんかずっと見てたん。
おっちゃんが俺の視線に気付いたように
「◯◯◯(俺の名前)のおマンコ弄っとたらワシも
チンポ勃ってもうたわ、ははは(笑)」
て、パンツの上から触っとったけど、俺はおっちゃんが
「おマンコ」言うたんがピンときて
『おマンコて、おっちゃん(笑)』
て、言うたら
「あ、あぁ、まぁ、女やったらおマンコみたいなもんやろ」
て、なんか誤魔化す感じに(笑)
「あれは、前立腺や。
聞いたことあるやろ?ケツの奥にある
男のGスポットみたいなもんやな、、、
痛かったか?
痔に薬塗った時、奥まで指入れても痛がらんしケツん中もキレイやったからな、、、
気持ち良かったやろ?
おまえがチンポ勃ってんのは分かっとったんで。
チンポから糸引いて下に垂れとんが見えたから、床を触ったら我慢汁で濡れとったからなら、、、
ワシが「イキそうか?」言うたやろ
あん時ワシが言う前にイキそうやったやろ?
イキそうになったらな、前立腺が膨らんでくんねん
そこを刺激したらチンポ触らんでもイクことあんねん。
◯◯◯がイクかわからんかったけど、めちゃ出したな(笑)
おっちゃんは、いつの間にか俺の正面に座って、俺の顔とチンポを交互に見るようにしながら喋ってたわ。
Tシャツとモッコリしたボクサーパンツ姿のおっちゃんがそんな話ししだして、俺のチンポ、また勃ってきてん。
と言うか、おっちゃんのエロい話しに引っ掛けられたな(笑)
もう、手で抑えてもムリやったから
「そんな言うから、また勃ってきたやんか」
と、先に白状したら
『アホか(笑)』
て、おっちゃん。
もうひと展開期待してたから、期待外れて恥ずかしくなってたら
直ぐにおっちゃんもパンツ脱いで、チンポをベロンて出してん。
エロ本とかあったけど、あの時はエロ本もなしで
俺はおっちゃんのセンズリ、おっちゃんは俺のセンズリを見ながらやったな。
見た感じは親父のチンポよりちょっと小さいけど、俺よりはデカイ。
「さっき出したのにガチガチやな(笑)
オイル使うんなら、ここあるで」
て、おっちゃん、ローション手に出してボトルをおっちゃんと俺の間に置いてん。
俺はローション取って手に出して
おっちゃんと同じようにローションズリ。
おっちゃんは左手でキンタマ揉んだり
引っ張ったりしながら、右手は逆手で亀頭をゆっくりネチャネチャ音させながら
俺に
「お前、センズリ○○(親父の名前)に教わったんやろ、やり方が○○と似とるわ(笑)」
て、俺のセンズリ見ながら言うねん。
「亀頭気持ちええやろ?」
『うん、亀気持ちええ』
「こうやって、金玉押し下げて皮しっかり下げてパンパンの亀だけクチュクチュやってみ。あー、くそ気持ちええのぉ、亀頭めちゃ張ってくるわー」
おっちゃんが自分のセンズリを実況するように
「同じようにしてみろ」とばかりに俺に見せ付けるようにしてくるから
俺もおっちゃんと同じようにやってん。
『あー、亀気持ちええー
おっちゃんのチンポすげぇわー
チンポでけーわー』
と、俺は俺で気持ちよくやってたら
おっちゃんが足で俺の足を開かせて
「◯◯◯、ケツ丸見えやぞ!
おマンコ丸見えやぞ!」
て、急に言葉責めしだしてん。
けど、おっちゃんが俺の足を足で開かせるって事は
おっちゃんも足を開いてるから、俺からもおっちゃんのケツが丸見えやねん(笑)
『おっちゃんもケツ丸見えやん、毛めちゃ生えてるけど黒い穴が丸見えやで〜』
て、言い返したらおっちゃんが
「ケツはアカン」て、金玉握ってた手でケツ穴を隠すようにしてん。
窓にもたれて、大股開いて右手でチンポ扱きながら左手はケツを弄っとるように見える。おっちゃんのその姿にめちゃ興奮してもうて、急にいきそうになってん。
「アカン、俺イクわ!」
『まて、まだやで、もうちょい待て!』
「アカン、もう出てまう!
イッていい?もうイキそうや!」
『ええで、イクで、ワシもイキそうや
アカンわ、イクでイクイクイクー
あー、あっあっ』
「あー、おっちゃんオレもイク!
チンポ気持ちええー!
あぁ〜、イク!イク!」
おっちゃんも俺も自分の腹に向けてザーメンぶち撒けて
ハァハァ言いながらしばらく動けんかった。
で、俺、おっちゃんがイク時に
「もしかしたら」
と思っておっちゃんのケツ見ててん。
おっちゃん、ケツの穴隠すように添えた手をイク時に中指の先をクイッて曲げるように
穴に入れたように見えてん。
その時は、もうそれ以上の事はなくて
トラステで風呂入ったのにもっかい
スーパー銭湯行って飯食って終わり。
車中での会話は、さっきの事にはほとんど触れずやったわ。
お互いにイッて冷静になって、なんか変な感じよ。
昔から、親父やおっちゃんからエロい話しとか聞く事はあったけど
言葉責めされたん初めてやったし、子供の頃から知っとる人やから
そんな身近なおっちゃんにケツ弄られていかされたり
おっちゃんが自分でケツ弄りながらイク姿とか初めて見て、なんか全体的に気まずくなって(笑)
今回はこんな感じで終わり(笑)
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Azran Legacy Guidebook: Page 31
The chairs in the lobby are a secluded resting spot. You can relax, watching the street outside through the window.
The sign pointing to the reception desk, which has continued to welcome in visitors since the place was built.
Inspector Grosky The runaway train of Scotland Yard. He is always running all across London. “A case is calling me! I can’t sit tight!”
Waiting Lobby
Not just for people in trouble, but also a place for relaxation. Furnished with bookshelves, you can find books here that are difficult to find in bookshops.
Hint Coins:
The leftmost poster on the left wall
The clock on at the back
Notice board on the wall on the right
Emmy’s Snapshot: Waiting room seat
Investigation Quarterly 20XX WINTER
CONTENTS Feature article on gourmet food for an investigation … 010 The 10 best gourmet foods to eat during a stakeout … 058 Hotels to stay at with a criminal … 096
Face of the Month: Inspector Chelmey
ロビ ー の椅子は隠れた休憩スポット。窓から通りを眺めてリラックス
受付を示す看板は、ここが作られてからすっと来訪者を迎え続ける
グロスキー警部 スコットランドャ ードの暴走機関車と呼ばれる。ロンドンの至る所を走り回っている 事件がオレを呼んでるんだ。じっとしちゃいられないさ!
待合ロビ ー トラブルを抱えた人のためだけでなく、憩しの場としても利用されている。備え付けられた本棚には、書店ではなかなか見かけない本も。
左の壁にある左側のポスター 正面奥にある時計 右側の壁の掲示板
季刊 トリシラベ 20XX WINTER CONTENTS 取��調べ中に出したいグルメ特集…010 張り込み中に食べたいグルメベスト10…058 犯人と泊まってみたい宿… 096
今月の顔 チェルミ ー 警部
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2024/5/3
5月3日 昼過ぎまで関西にいて、うとうと時速300kmを過ごして、ちょうどよく富士山を横切るところで目を覚まして写真を撮って、夕方荷物の片付けやお土産の整理をしていたとは思えない程、すっかり生活に戻ってきている。 我ながら清々しいと思えるくらい、生活にシフトチェンジして、いつもの金曜日の掃除や片付けを3時間ほど終え、スーパーで買い物をして食事の用意や洗濯や日記をしている。
朝起きて、昨晩も全くよく眠り続けられず、夜中に自分の病気のことを調べ出してしまうよくないモードに入った事に、落ち込まないけれど反省しつつ奈良駅のみどりの窓口へ向かった。 早い時間の新���線に変更してもらいたさすぎて、昨晩このみどりの窓口の口コミを読んでいた。窓口は一つしかだけとのこと。あまりに並んでいたらやめよう、という感じで駅へ向かう。 そろそろゴールデンウィーク真っ只中で席の振替なんて効くのかしら?と期待せずに訪ねたけれど、着いてすぐ窓口へ案内してもらえて、乗車する列車の時間も変えてもらえた。 ブースの向こうには、昔父が職場の修学旅行の引率で行った奈良土産で買ってきた鹿のパペットぬいぐるみが3匹飾られていた。
やったー!早く帰れる!と元気を少し取り戻して、京都までの近鉄線も指定席をとってしまい(これもとても快適で良かった)、足取り軽く歩いていると「忙しい?いそがしいよね?でも一枚撮ってくれない?」と、奈良駅がスタートのマラソン同好会(?)ご一行に集合写真の撮影を頼まれる。駅舎を背景に皆さんを撮影。 自分でもびっくりしちゃうくらい大きな声で「撮りまーす!はい!チーズ!」と言っていた。びっくりした。
もう一度奈良ホテルでお土産を買って、泊まっていたホテルに戻りチェックアウトをした。 10時を過ぎるとお店も始まるので街に人が増えており、角の草餅屋さんはすでに大賑わいで、今回もあまり何の店だったのか実態をつかめず。実演販売もお目に掛かれなかった。
京都は駅に人が多くてパニックだったけれど、四条で地上へ出ると案外人は少ない気がした。東京の1/6くらい? 全く時間がない中、分刻みスケジュールで京都芸術センターへ行った。今回の旅行は今まで行けていなかった展示スポットに行けたので、よく考えるととても充実している。体調が良い時にどこもリベンジしたい。
芸術センターは古い学校を再利用した��設。 またゆっくり訪れたいと思う。一度場所を把握できれと、訪ねるハードルが下がるので、次回はふらっと行ける気がする。 泥や石の音を聞く展示を、京都の大学生6人グループと一緒に観て、駆け足で京都駅へ戻り新幹線に乗った。 今回隣の席がずっと空席で、他もちらほら空いていたので快適だった。 いつもだと今回の旅の反省モードで帰路に着くところだけれど、今日もずっとうとうとしっぱなしだった。
帰ってきて、生活を取り戻して安心してしまっている。 これがしたくて遠出をしているの?万全に体調と生活が整って、心の底から旅本体を楽しめる日は来るの?別に来なくてもいいの?
スーパーに、まだいちごが並んでいた。 でも同じ並びにスイカも並んでいた。 スーパーと玄関ばかりで撮ったフィルムをちょうど撮り切ったので明日は現像に出しに行こう。
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2024.08.14 (Wed)
早起きしてバスに乗りHay Market駅へ。事前にネット予約していたチケットを受け取り、はじめてのスコットレイルに乗車。日本でいう特急列車的な感じでした。前日の晩スーパーで拵えた1ポンドのドーナツとスタバのコーヒーを持って、車窓からどんどん緑が増えていくさまを眺める。
1時間でDunblane駅に到着。バス乗り継ぎまで40分あったので、駅近くの大型テスコへ。 (テスコは大きさ別に4種類あるらしい。街中にあるテスコエクスプレスから、テスコメトロ、テスコスーパーストア、テスコエクストラ。でも今調べたら他にもあった :0) 前日晩にドライヤーを誤って使ったせいで変換プラグを死亡させてたので、ずっと日本プラグに適合するやつがないかを見てた。
40分後、Stage Coachというスコットランドの遠距離走行バスに乗る。チケットは事前に予約済み。QRついてるのに結局スキャンされなかった(夜行バスもそうだったな)あれはなんなんだろう? 目的地はCrieffという街。Dunblaneも小さな駅だったけれど、バスが進むにつれどんどん景色がのどかになっていく。大量の羊や牛が草原でチルしてるのをたくさん見た。そして約1時間後、Crieff到着。ここも閑静でこじんまりとした街。たむろしていると工事のおじさんから「なんでこんなとこまで来た?」と珍しがって話しかけられる。
バス停から更に歩いて30分移動。道中に公園があったので遊具で遊ぶ。赤ちゃんはみんなかわいいけど、ヨーロッパの赤ちゃんってレベチでかわいい。途中迷い込んだ道は等々力みたいな渓谷だった。
そしてはるばる到着したのは、最終目的地であるグレンタレット蒸留所。スコットランドに来た理由の一つは、ウイスキー蒸留所にいきたかったから (恋人がウイスキーにハマってる) 本当はスペイサイドやアイラ島まで行ければよかったのだけど、時間が足りなかったのでここにした。グレンタレットは日本であまりメジャーな銘柄ではないが、スコットランド最古の由緒ある蒸留所らしい。宿泊先から約3時間で到着し、蒸留所ツアースタート。蒸留所内は撮影禁止だったが、どでかいポットスティルを生で見て、木製の樽で熟成させている部屋はお醤油みたいな麹みたいな良い香りがした。そしてグレンタレットには伝説の猫タウザーがいたらしく、ネズミの捕獲数でギネスに載ってるらしい (捕獲後彼自身が食べたらしいけど、尻尾だけ残すので尻尾の数を数えてギネス認定されたらしい :0) 嘘みたいな本当の話。
最後にウイスキーのテイスティング。自分はピートが効いてるほうが好みかな、と思いつつ、普段ストレートでウイスキー飲まないからテイスティングだけで結構なダメージを喰らう… ツアーだけで2種類飲ませてもらったのに、事前に追加のテイスティングも予約していたので(滅多に来れないので予約しよう、となった記憶だが我々以外に誰もいなかった xD) 結局すべて飲みきれず、小瓶に入れて持ち帰るオチ。場違いくらいの素敵なバーで、ウイスキーたくさん出てきて嬉しいはずなのに、2人して「飲めないよね…」って小声で言い合う日本人があまりにもダサすぎて、「私たちアルコール強くないので…」って思わず店員さんに言ってしまった(じゃあ何でオーダーしたのだ?と思われてそうでまた草ですね)
小瓶を携えて蒸留所を出発。ノリで寄り道することになり、スターリングというスコットランドの古都を経由して帰ることに。バスに揺られて1時間で到着。スターリングはエディンバラよりも更にこじんまりとした街だが、とてものどかで美しいところ。到着後smokeysというバーガー屋さんで遅めのお昼。変換プラグを購入し、スーパーで水を買ってたらまさかの日本人の方に遭遇。スターリング大学に留学しているのだとか。ロンドンやパリで会うのとはわけが違うので少し感動(相手も嬉しそうだったのでよかった)
せっかくなのでスターリング���へ。しかし思ったよりも急な坂で険しい道、連日2万歩歩いていた疲労困憊の体を引きずりながら、何度も引き返そうと思いながら頂上に到着。こんなに人いたの?ってくらい人がたくさんいて、何より最高にチルなスポットで気持ちよかった。こういうのって写真で全然伝わらないので載せないが、頑張って登ってよかった。
この時点で19時。すっかり疲れたので帰宅してもよかったけれど、スコットランド最後の夜なのでエディンバラ市内のパブへ行くことに。スターリングからエディンバラのウェーブリー駅まではスコットレイルで1時間。スコティッシュパブでビールとfish&chipsをいただく。
夜のエディンバラはまたまた綺麗で、この度を通して自分はすっかりスコットランドのファンになりました (元々映画で気になってたのもある) エディンバラはとっても美しく歴史のある街、パリやロンドンと比べて華やかさは少ないのかもしれないが、コンパクトだからこそ見渡す限り常に歴史の色香がただようので、本当にずっと浮かれていた。また来れたらいいな。次はグラスゴーにも行ってみたい。1日大移動してよかった :)
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旅日記⑤ in South Korea🇰🇷
Busan編
釜山に旅行してか3ヶ月経ってしまいましたが、旅日記は残すべく、今更ながら思い出語り。
何日に何したか、どこのお店行ったかの記憶が朧げなので釜山の魅力を書きます😭次の旅行はその日に書こう。反省。
釜山とソウルどちらも行った��としては、韓国に旅行してみたいけどどこ行こう?という人に、断然釜山をおすすめしたい。(美容にさほど興味のない男性は尚のこと)
釜山の魅力
①ソウルで味わえるようなご飯屋さんは網羅されてる上に、釜山ならではの新鮮な海鮮のお店が多い(し、ちゃんと美味しい)。カンジャンケジャン(写真5枚目)の艶ヤバくないですか?生臭さなんてものは一切なくて、とても美味しかった。
②都会と自然が両方ある。
釜山でいちばん思い出に残っているのは海(海雲台海水浴場:写真1,2枚目)。2枚目の電車はガイドブックに載っているので、多くの観光客が訪れるスポットだけど、予約した乗車時間までの暇つぶしで近辺を散歩していたらたまたま海辺まで辿り着けた。海青くてちゃんと綺麗だな?!!?!?!と興奮した。
Sydneyでもそうだったのだけど、高層ビルと綺麗な海が隣接している絵面が個人的にたまらなく好きで、地震大国の日本では見られない光景なのが少し残念。
③ローカルな朝ごはん屋さんが多い。
これもまた日本にはあまり馴染みのない文化だけど、海外では朝ごはんを外で食べる習慣が根付いている気がする。
美味しかった朝ごはん3選
(1)カルグクス(写真下)
カルグクス(「カル」=包丁,「グクス」=麺)は「韓国風うどん」とも呼ばれていて、味のバリエーションがとても豊富(訪れたお店はいりこの出し汁を売りにしていた)。先輩たちはソンカルグクス(温)、私はネンカルグクス(冷)を注文。優しい味のスープで目が覚めました。
(2)ソコギクッパ(写真下)
ソコギクッパ(「ソコギ」=牛🐄)は、もやしや大根などの野菜を大釜にたっぷり入れ、牛肉と一緒に煮込んだスープ。韓国では二日酔いの日は朝に食べるのが定番らしい。個人的にはデジクッパより好みだった。
(3)デジクッパ(写真下)
デジクッパ(「デジ」=豚🐖)は、豚骨を丸1日かけてじっくりと煮込んで出汁を取ったスープに、茹でた豚肉とねぎとご飯を加えて、たくさんの種類の薬味の中から好みの味付けをして食べる料理。西面にはデジクッパ通りというのがあるくらい人気の料理で、とても美味しかった。
※ 「��ッパ」はスープと米を混ぜた料理。お米も入ってるのでお腹も溜まる。
④観光地らしい観光地が結構豊富。↓
甘川洞文化村(山の斜面に建物が連なってて「韓国のマチュ・ピチュ」といわれている美しい村。星の王子さまのオブジェが有名)
海東龍宮寺(韓国でいちばん美しいと有名な寺。寺に向かう108段の階段を降りる(登るんじゃなくて?!)と願いが叶うらしい)
国際市場(なんか栄えてる市場。)
五六島スカイウォーク(崖の上から海上に突き出したガラス張りの展望台で、高所恐怖症の人は多分無理。)
釜山ダイヤモンドタワー(夜景スポット、たぶん日本でいう東京タワーみたいなやつ)
海雲台(釜山でいちばん有名なリゾートビーチ。海めっちゃ綺麗。今回の旅でいちばん良かったスポット)
海雲台ブルーラインパーク(4人乗りのノロノロ列車なので1人で乗ったら多分暇だけど、カラフルで可愛いし綺麗な海をずっと一望できるからおすすめ)
南浦洞(釜山のキラキラ繁華街。渋谷っぽかったです)
とかとか、他にも韓流の『サムマイウェイ』のロケ地もあって3泊4日では全然制覇できなかったくらいに観光地多い。ソウルは観光地らしい観光地が少ないイメージだからそこに関しては釜山の方が充実してた。
⑤百貨店やブランド通りもあるので、ほぼ有名なブランドやスポーツ用品店は揃っていて(調べたら多少はソウルにしかないものもあるんだろうけど)、ソウルと同じくらい買い物も楽しめる。
釜山にしかないOPTATUMのハンドクリーム、ぜひお土産に購入してください。
North faceのホワイトレーベル(韓国限定ブランド)のトップスを罪滅ぼしで兄にお土産で購入した😅(正月の航空事故の影響で福岡からギリギリ東京に到着した際、タクシー待ちの列が5時間で、韓国行きの成田便に間に合わない〜と詰んでいた妹を、国試1ヶ月切っていたのにレンタカーで千葉から迎えに来てくれました、、神)
ちなみに屋台もソウルと同じくらい栄えてて楽しかった。屋台のホットク、毎日食べたい。
⑥街の散策が苦じゃない。
個人的な印象だけど、ソウルよりも一駅間を歩くのが苦じゃなかったような気がする。たくさんご飯を食べた後、次の目的地まで二駅だから歩いちゃおう!みたいなことができて良かった。
韓国旅行はグルメメインになるので、胃もたれでしんどくなるイメージが強かったけど、歩きやすい街並みと胃に優しい朝ごはんのおかげで、たくさん食べてたくさん歩いて健康な旅!という感じでした。
⑥ソウルと比べてローカルな都市なだけあって、人との距離が近め(な気がした)。
電車にて3人で日本語で喋っていたら隣に座っていたおじさんたちから話しかけられたり、お店で鍋を突いていたら隣のお姉さんたから声をかけられたり。みんな親切であったかくてなんて素敵な街なんだ〜!と思った。
余談)
新世界百貨店の新世界スパランドもおすすめ(10種類以上のチムジルバンがあって、一番高い温度のチムジルバンは79度)。温泉のあとのご飯が美味しいっていう文化は世界共通なのか。
写真7枚目のフレーク入りヨーグルトは韓国の定番の朝ごはんで、美味しすぎるので日本でも売ってほしい。欲張ってたくさんスーツケースに詰めたら、飛行機の気圧で潰れてスーツケースがヨーグルトまみれになりました。ビニール袋に入れておくべきだった。
タラタラ感想を述べたらえげつない長文日記になってしまいましたが、大好きな先輩2人と楽しい3泊4日を過ごせて幸せな渡韓だった。
またどこか旅行しましょうね🙈
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2024年6月13日木曜日
病院の待合室にて20
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(2)
まだ13時過ぎなんだけど。楽しいのになぜか時間が過ぎないという、最高なような不気味なような現象が起こっていた。でも大丈夫。鳴門といえば渦潮だから。まだ渦潮見てないから。徳島と淡路島を結ぶ大鳴門橋、その橋の中がトンネルのようにくり抜かれており、そこに遊歩道が作られていて、鳴門の渦潮に徒歩で近づく事ができる、その名も『渦の道』。そこに行くことにした。私は多分行くの3回目ぐらい。結構好きな観光スポット。たくさん歩けるし。渦が見えるかもしれないし(満潮とか干潮とかちゃんと渦が出るタイミングを狙わないと見えない事が多い)。
渦の道に車で向かっている道中では、私達はフィッシュマンズの話をしていた。Tくんは中学生の頃からフィッシュマンズを聞いていて、これは私の当時の感覚だと相当早かったように思う。私たちが13歳から15歳というと、1997年から99年に当たる。フィッシュマンズにとっては、『宇宙 日本 世田谷』、『8月の現状』、『ゆらめき IN THE AIR』、男達の別れツアー、佐藤さんの逝去、そしてライブ盤『98. 12. 28 男達の別れ』という激動の3年である。今でもありありと思い出せるTくんの部屋には、フィッシュマンズのCDが何枚か置かれていて、私は『ゆらめき IN THE AIR』や『宇宙 日本 世田谷』のジャケットを見て、かっこよいと思ったりしていた。私はTくんに、最近フィッシュマンズが海外で高く評価されていて、音楽の食べログことRate Your Musicでも『男達の別れ』が金字塔のように扱われていたり、��いこないだもPitchforkのSunday Reviewで『ロングシーズン』が採り上げられていたんだよ、と早口でまくし立てていた。どうして早口になったかというと、こんな話ができる人はあんまりいなくて(でもよく考えると今も私の友達でいてくれてる人は、多分この話みんなできる)嬉しくなっちゃったから。Tくんはそういったことを全然知らなかったが、東京から福岡までの飛行機の中で『ロングシーズン』を聞いていたらしい。無意識で世界とシンクロしていく人間。ホンモノとはこういう人のことを言うのだと思う。
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「そのピッチフォークのレビューでね、「走ってる…」のところが”Driving…”って訳されてたの。あれって車の歌だったの気づいてた?よく考えたら夕暮れ時を二人で走って東京の街のスミからスミまで行かないよね」
「気づいてなかった!そっか」
Tくんに「どうしてフィッシュマンズ聞くようになったの?」と尋ねてみた。きっかけは、彼がかつて好きだった女の子、彼がバンドをやってる時に歌にまでした女の子が、フィッシュマンズを好きだったことだという。Tくんは最初に『Neo Yankees’ Holiday』を買ったらしく、一枚目としてはまあnice choiceだと思うのだが、その女の子は「まあ、あれもいいよねー」ぐらいの感じだったらしい。Tくんがすばらしくnice choiceであるためには、いわゆる世田谷三部作に手を出���なくてはいけなかったのだった。そして私はこの話を聞きながら、こんな素敵な話は、当然むかし一度聞いたことがあったのを思い出していた。でもそんなことは言い出せずにいたし、こんな話は何度聞いたって素敵なのでよかった。
渦巻は巻いてるのか巻いてないのかよく分からなかった。私が行く時はいつも、巻いてるのか巻いてないのかわからない状態である事が多い。時間とか潮の満ち引きとか考えず、適当に行ってるからだと思う。橋をその内側から見るのも、私は楽しいから大丈夫なのだが、相当歩いたので疲れてしまった。もう一箇所、鳴門には霊山寺という四国八十八箇所巡礼の一番札所であるお寺があり、そこも観光名所として有名なのだが、疲れてしまったので、行くかどうかを決める会議が私とTくんとで開かれた。そして、入るかどうかは別として、ドライブがてら行ってみようとなった。なんとなく高速に乗りたかったので、鳴門北ICから板野ICまで乗ろうと思った。せっかくだから音楽をかけようと思い、Apple Musicで、『はじめてのフィッシュマンズ』というプレイリストを掛けた。一曲目は『いかれたBaby』だった。やっぱり初めて買うフィッシュマンズは『Neo Yankees’ Holiday』で全然いいと思った。ほとんど誰も走っていない高速に、少し傾いてきた陽の光が射して、そこに音楽が混ざって気持ちよかった。鳴門の街のスミからスミまで、僕ら半分夢の中…もちろん運転中だから完全覚醒中だったけども。Tくんを無傷で東京に帰す事も運転手としての責務である。
高松道を降りて、霊山寺に着くまでの間に少しだけ、音楽ではなく、Tくんの私生活について話す時間があった。その内容については当然ここに書く事は出来ない。唯一言えることと言えば、Tくんは本当にエンターテイナーだということだけである。
霊山寺に来たのは私個人としては2回目だけれど、記憶よりこじんまりとしていたので、車から降りて参拝することにした。霊山寺は天井から多数の灯籠が吊ってある���がとにかく綺麗でかっこよいのですが、それをTくんに見てもらえてよかった。ここは八十八箇所巡礼の一番札所なので、RPGの最初の町のように、お遍路さんになるための装備品、白衣や輪袈裟や遍路笠や金剛杖や納経帳などが全て揃えられるお店があり、入って眺めていると、「僕、数珠とか持ってないんだよね」と言って、Tくんが数珠を買おうとしていた。お店の中なのであんまり言えなかったが、数珠はいちばん安価なもので1600円くらいして、上は8000円くらいするものもあり、私は「高くない?」と思っていた。「数珠は高い方がいい。法事の価値観ではそう定義されています」みたいのは聞いたことがないけど、まあ本人が納得してたらいいか。Tくんはいちばん安価ではあるがしっかりしていると思しき数珠(数珠の審美眼など私にあるわけないけど)を購入していた。法事の度に私と四国のことを思い出すか、あっけなく失くすかのどちらかになるだろう。
午後三時を過ぎたので、本日宿泊予定のビジネスホテルにチェックインすることが可能になった。ホテルは徳島市内にあって、ここから三十分くらい。いったん。いったんチェックインしてみようか。しなくてはならないことを早めにやって、気持ちに余裕を蓄えていこうじゃないか。ホテルまでの道中では、Tくんがやっていたバンドについての話をしたと思う。彼らが発表したCDやCD‐Rのうち、私が一番好きなのは最初のミニアルバムである『ワンダフルまたはフレッシュ』、二番目に好きなのはその次のミニアルバムの『ギターでおしゃべり』という作品で、初めてこれらの音源を聞いた私は感動のあまり、この二枚の解説を頼まれもしないのに書き上げ、それがバンドのウェブサイトで公開されるということがあった(追記:改めて思い返すと、一枚目の『ワンダフルまたはフレッシュ』には解説を書いていないような気がしてきた。二枚目の全曲解説は書きました。これは間違いありません)。私はあの解説を書いたことを、どちらかと言えば良かったことだったと思っているが、割と最近になって、解説を書くのではなく、バンドにインタビューをした方が良かったのかもしれないと思ったのだった。なぜなら例えば、私が彼らのレパートリーで一番好きなのは、最初のミニアルバム所収の『湯河原で男女』という曲だが、このマジカルな曲をどうやって書き、どうやってアレンジし、どうやって録音したのか、ということをあいつらは絶対忘れてしまっているからだった。そういうことをつぶさに訊いて、記録に残しておけば良かった。誰のために?もちろん私のためにである。他の人も読みたかったら勝手に読めばいいと思うけど。一応車の中でTくんに『湯河原で男女』を書いた時のことを訊いてみたが、やっぱりあんまり覚えていなかった。しかし、彼自身のこの曲についての解釈と、自分自身の作家性への分析のようなものが聞けたので、それは嬉しかった。それをここで書いてもいいのだが、彼のバンドは一応現在「曲作り中」であるらしいので(12年くらい曲作り中みたいです)、万が一の時のために書かないでおく。なんか種明かしっぽくなりそうだから。他にも『国鉄に乗って』という曲を書いた時の大変面白いエピソードなどを聞けたので、ファンの私は大満足だった。まあ話に夢中になって、途中かなり道を間違えたりしたが、言わなかったので多分ばれてないと思う。土地勘のない人とするドライブにはこういう好都合な面がある。あと売るほど時間があるから大丈夫。時間の叩き売り。持ってけ時間泥棒。
つづく
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離れ離れの街を♩繋ぐ列車は行ってしまったね〜♩
【神戸旅行まとめ】
5月の中頃、神戸と姫路に行ってまいりました。友達のきまちゃんに会いつつ、関西の中でもまだ行ったことのないエリアに足を伸ばそうと思ったのがきっかけ……。1日目はあいにくご覧の通りの曇天か〜ら〜の雨☔️でしたけど、まずまず楽しみました!この日に買い物めっちゃした!ツマガリのクッキー買った!
▲お、おとなりいいすか……?ハヘ……
【アオバクランツェルをさがせ!!】ジブリは千と千尋が一番好きー。ジブリパークの展示に行き当たりばったりで潜入。天気のせいかちょっと頭痛くて解説の文字があんま頭入ってこなかった。文量が多いので頭がスッキリしているときに行くのをおすすめします。
▲夜は神戸っぽい街中スポットでパシャリ。今回の旅行にはアンジュぬいとアオバぬいを連れてきています🎀🟢(きまちゃんがアンジュを好きって言ってくれてるから)。実際アオバがアンジュをお守りするミッションはありそうですよね。
▼何やら写真写りに文句があるご様子
▲ホテルの部屋に戻った後、人に撮らせた自分の盛れてる観光写真をロッツに送って返信返ってくるのずっと待ってたみたいですね!どうして旅先ってすきな人に連絡したくなっちゃうんでしょう。なかなか返事が返ってこなさそうなのを見てアオバが心配しています。イライラではなくハラハラです。何故カナとかなを混ぜた……?最終的に着信があってご機嫌を取り戻したみたい。
【2日目】
異人館にきたぞぎゃおー!きまちゃんの晴れ女パワーで快晴☀️(曇って見えるけど)。2人とも地図が読めないので神戸の坂を余分に上がったり下がったりしました⛰️そしてこれが有名なうろこの家です。やっぱ塔が張り出してる建物ってコテコテの洋館らしくっていいな。
▲アンジュさんも心なしかうれしほこらしげです。
▲2人で、「「概念〜〜!!」」てはしゃいだやつ。その場で「誰の」とは言わなかったのがいわずとしれた共通認識みたいでじんわり嬉しかったですね!
その後は神戸のおしゃれショップ群や港の雰囲気を満喫し、夜はしみじみと別れの蕎麦を啜り、さようなら。朝から晩まで一緒に遊んでもらいました。歩数計見たら2万歩���えてたからね。健康になってしまったね。きまちゃん丸一日ありがとね。
【3日目】
残念ながらtumblerは1投稿につき写真10枚まで!あと2枠しかない!私が選ぶ3日目の写真はこれだ!
「アオバ・クランツェルは海とか行ったことある?」
「あんまり多くはないけど、あるよー。アンジュちゃんは?」
「アンも<たしょう>あるよ」
「多少かあ〜〜(難しい言葉使いたかったのかな?)」
なんて会話が聞こえてきそうな、我ながらちょっとエモい感じのする写真です。姫路🏯に向かう途中の電車だね。
さてさてそんな感じで2泊3日、大きなトラブルなく終了しました。最後はきまちゃんからいただいた素敵イラストで締めたい!
刮目してよね!!
ンマ🤭二泊三日の旅行を経てなんか距離感の縮まった2人!あの短期間でしっかり上下関係ができてら。このケースはですね、今回本当にこれぐらいの小さい透明ケースに2人を押し込んで連れ回したそれの再現ですね。図々しかわいいアンジュと、とりあえず尻に敷かれがちアオバ、2人の役ピッタリでサイコゥー🙌🙌
これにて神戸旅行編は終了!
きまちゃんに大いなる感謝を!また遊ぼうね
ここまで見てくれてありがとうございました!!
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MEET YOUR HEROES: RICK HOWARD (Good case of IBS)
Rick Howardの長いキャリアの中におい��、彼は様々なことに関わっている―EMBのイノベーターであり、90年代のスーパー・チームの一員であり、そしてスケートシューズのパイオニアとして、最も重要なことは彼が「楽しむこと、友情そして創造性が他の何よりも大切である」と気づいた点である―特に冷酷なスケートボード・ビジネスにおいて。彼はサッカーボールをあなたの顔にぶつけ、あなたのシャツをトイレットペーパーに使う。しかしこれは1993年以来初となるThrasherのインタビューなのであります。ここにお集まりの皆様、カナダからやってきたRick Howardの登場です。 -Michael Burnett
-君はいわゆる「すべてのトリックを最初の6ヶ月で習得した」っていうSean Sheffeyタイプの一人だったのかな?
そうかもね。13歳で始めてスポンサーがついたのが16歳。これって早い「学習曲線」なのかな?オレらはただオーリーでなにか飛び越えたり、ジャンプランプやってたりして、その後ウォールライドが流行ったのかな?そんな感じだったよ。だから今あるトリックを身に着けていく状況じゃなかった。ハンドレー��もまだ広まってなかったし。だから「学習曲線」で言えば全然緩やかな感じだったと思うよ。例えるなら「360サランラップ」対「今あるトリックすべて」みたいな感じじゃないかな。
-かなり早い時期にカルフォルニアに来たよね?初めてのカルフォルニアでの冒険はどんな感じだった?
その時のトリップが動画で残ってることに驚いてるんだ―友達の一人で一緒にスケートしながら育ったKevin Chan、それとこのトリップに一緒に行ったBen Chibber。Kevin は片手で持てるビデオカメラを持ってたんだ。オレらはグレイハウンドバスでサンフランシスコまで行った。なぜかっていうと、Sick Boys(1988年リリースのスケートビデオ)に出てきたスポット全部を回るって目的があったから。消火栓に縁石、あのビデオに出てた全部をね。オレらはスケートボードを持って聖地を回る観光客みたいなもんだった。 85年だったと思うけど、その時Mike(マイク・キャロル)に会ってるんだよね―直接ではないんだけど。笑っちゃうことに彼のミニランプを無断で滑ってたんだ。その後、ちゃんとした形で会うことになるんだけど、記憶だとオレらが勝手に自分のランプを滑ってるのを観てたんだ。彼は寝室の窓から見ていてムカついてる…。彼は絶対そんなことないって言うけどMike独特の表情を知ってるよね?だから、ね…。
-当時、スポンサー契約っていうのは頭にあった?
あったね。そういう状況はローカルのパーク―Richmond Skate Ranchでも時々起きていたんだ。友達のPeter SullivanはSchmitt Stixから商品をもらってたり。Powellのチームが来たことがあって―たしかLanceとTony Hawkだったと思うけど、それって大事件で「ボーンズブリゲードが近所のパークに来たぞ!」ってことだから。結局、ローカルの何人かがPowellのライダーになった―Colinとその兄貴のCaseyのMckay兄弟とか。それを見てて「マジか。バンクーバーのキッズだよね。そんなことあるんだ」みたいに感じてたわけ。その後、自分でもBlockheadのDave Bergtholdからデッキをもらうようになった。それが人生を変えたよね。
-話をちょっと戻したいんだけど、Richmond Skate Ranchでの最高の思い出ってある?
すごいいっぱいあるよ。あの頃はむちゃくちゃ楽しかった。憶えてるのは地元に戻ってくるのが夜遅くになった日があって、たしか最終バスに乗り損ねたんだよね。その時期って、ちょうど皆がいろんなものを壊して回るのが流行りだした頃で―のちに彼らは自分たちをRed Dragonsって名乗りだすんだけど。で、その1人が小さな磁器の破片一つでどんな窓ガラスでも割ることができるって発見したんだよね。それでスパークプラグから磁気の破片を取り出して、ちっちゃなスリングショットを持ってたやつが車の販売店の窓めがけて発射したんだ。窓ガラスが割れ落ちていくのを目にして!?ってなった。「マジかよ?バスもないのにオレらなにやってんだ?」ってなって、地元までほとんど走って逃げ帰ったんだ。あの頃は「悪ガキ行為」がたくさんあったね。誰かがセブンイレブンで「襲撃だ!」って叫ぶわけ、で20人ぐらいのキッズが菓子だったり宝くじを盗んだりとかね。のちに何人かはCrime Stoppersってテレビ番組に出たりしたよ。だから、ものすごく楽しかった時期。めちゃくちゃ忙しくやらかしてた頃だけど、楽しかった。
-どういう流れでBlockheadからプロになったの?
Daveにサンフランシスコの"Back to the City"プロ・コンテストに出る気ある?って言われて。めっちゃ緊張したね。Tony Hawkの後、Mark Gonzalesの前だった記憶なんだけど、出場前に裏で吐いちゃったんだ。「ダメ。できない」って感じ。憶えてるのがSheffeyがちょっとした安心する一言をくれて、「オーライ。もういいや。なんでもこい。戻ってスケートするだけだ」ってなったんだ。
-Blockheadからリリースされたデッキ「スカンクとルートビア」のグラフィックは、なにを意味してたの?
それはたぶん、オレがIBS(過敏性腸症候群)のすごく良い例だからじゃない。オナラがすごく出る。それが「スカンク」。で、たぶんよく「ルートビア」を飲んでたから、(グラフィックを担当した)Ron Lemenが使ったんだと思う。あのグラフィック、実際気に入ってるんだよね。
-君はある意味、IBS(過敏性腸症候群)で有名だよね。聞いたところではBlockheadのビデオでシミのついた短パンで滑ってるシーンがあるとか。
あるね、EGで。たしか「Splendid Eye Torture」(1989年リリースのスケートビデオ)でちょっとしたシミが映ってると思う。スクショで送れるよ。
-履いてたLimpies(90年代のアパレルブランド)に?
LimpiesだかT-Bagsにね。 嫁Meganとの最初のデートで―彼女は君にこの話した?当時、World Industriesに勤めていた彼女のことが好きになったんだ。普段から見かけていて、ある日デートすることになった。Redond Beachに遊びに行くことになってちょうどIBSがはじまって-クソしたくなったら「どこでする?ここでなにが起きる?!」ってなるだろ。で、車を停めた。この頃彼女はなんも知らなかったけど、オレはかなり焦ってた。「そうだ、ビーチまで下りていけばトイレがあるよな」って思いついた。だけど、トイレは閉まっててオレはシャツも靴下もない状態で戻っていった。トイレの脇で済ませてシャツと靴下をトイレットペーパー代わりに使ったよ。その姿をを見て「なにがあったの?」ってなってたけど、彼女はオレとの最初の夜を乗り越えたんだ。そこで思ったよ、「オッケー、彼女なら間違いない」って。
-90年代のEmbarcadero(EMB)のスケートシーンがどんな感じだったか説明してくれる?
それか。そうだな、最高の毎日だった、それは確実だね。当時Mikey(マイク・キャロル)の家に寝泊まりしてたから毎日あそこに滑りに行っていて―Henry Sanchezが新しいトリックをメイクしたりとか、なにかしら新しいことが起きてた。すごかったね。Kelch(ジェイムス・ケルチ)や皆があの場所をどうやって取り仕切っていたかも、振り返ってみるとすごかったなって思う。だから、彼らと一緒にスケートしてあの楽しい日々を送れたってことに感謝してる。あの場所が今みたいに有名になるなんてビックリだよ。後から聞くことになったんだけど、国中からスケーターが集まってきて、彼らを有名にしたトリックを「ザ・セブン」でやりだす前―その頃には俺はもうそこにはいなかったんだ。それは後の話だね。だから有名になる前の、ちょうどいい量のEmbarcaderoについての思い出がある。あそこは特別な場所だったんだ。
-君がPlan B結成を一番初めに知ったのはいつだった?
1989か90年の夏にヨーロッパのMünsterでコンテストがあったんだ。そこで、Danny(ダニー・ウェイ)が「見ろよ、これが始まるんだ」って、関係者のリストを見せてくれて、そこに俺の名前も候補として入ってたんだ。「え?うそでしょ。なんでこのリストに?」ってなったよ。Mikeyに(彼がこの件について)なにかしら関わっているのかどうか質問しないわけにはいかなかったね。間違いなく関わっていたと思うけど。
-あのビデオ(「Questionable」1992年)撮影時、新しいアプローチの作品になるのは君の中では明白だった?
そうだね、正解。H-Streetがすでにビデオをリリースしてたし、その��容は今まで見たことのないトリックの連続だったよね。Mike T(マイク・ターナスキー)の話からもその方向になるってわかってた。カメラの前で初めてメイクしたトリックも多かったよ。今になってみると「うわーめっちゃグラついてるしクオリティ低い」ってなるけど、今までやったことなかったり見たことのないトリックだったらその当時はクールだった。楽しかったよ。
-Matt Hensleyが(Plan Bの)最初のビデオで引退したことは良く知られてる話だね。
それからSal(サル・バービエ)が次だったよね?
-そうそう。当時、「わー、歳とってスケートしてたら自分の意志じゃなくてもリタイアさせられるのかも」みたいな感覚はあった?
うーん、あった。そういう雰囲気はかなり漂ってたね、もし君がその時23歳だったらそう思ったかも。なんていうか、クレージーな話だけど。その頃って「古いものはアウト、新しいものが正解」みたいな感じだったよね?そんな空気はたしかにあった。それがオレたちがGirlを設立したひとつのきっかけになってるかもしれない―(自分たちで会社を立ち上げれば)意志に反してリタイアすることないなって。おかしな時代だったね。
-Girlのチーム内でロゴについて反発はあった?
いや、記憶にないね。
-それとかブランドネーム自体?
Carrollがあの名前を思いついたんだ。反発があったって誰かから聞いたの?
-じゃなくて、個人的に気になってたんだ。19歳ぐらいのタフになろうとしている連中が「ロゴは女子トイレのマークにする」って言われたらどう思ったんだろうって。
だね。それってつまり、Carrollがどういう脳の使い方をするかってことだよね。人をおちょくるようなことが大好きなんだ。そう、だから反発はなかったよ。ロゴはもっと後にできたと思う。Mikeは「コンテストで『さあ、次は『女の子のためにスケートしている○○』ってアナウンスされたら笑えるよな」みたいな感じ(※通常、"skate for ~"の~にはスポンサー名がアナウンスされる)。彼はそう聞こえたらおもしろいよなって思ったんだ。特に長い間深く考えたネーミングじゃなかった。いろんなアホみたいなアイディア��あわさって、あの女子トイレマークがロゴになってツアーに出たんだ。
-GirlとChocolateって「スケート業界の老兵」にはどんな風に受け止められたの?
Girlをやり始めた頃はたくさんいる友だちを加えることができなかった。で、Girlが回りはじめた頃にChocolateをスタートさせた。だけど老兵には理解できないわけ。「こいつらなにやってんだ?また別の会社始めるだと?」みたいな感じ。で、老兵が集結するような感じでオレらを材木加工業者から締め出したんだよ。当時は2、3の業者しかスケートボードデッキを受注してくれなかった。Schmittはオレらのデッキを生産してくれたんだけど、老兵が彼に詰め寄ったんだ。「アンタがやつらを許すってことはスケートボーディングを滅茶苦茶にしてるってことなんだぞ」みたいな感じでね。Paul(ボール・シュミット)は協力的だったけど、周りに脅されたんだと思う。Fausto(ファウスト・ヴィテッロ)に出会った時ことを覚えてるんだけど、彼はとっても興奮してくれて支持してくれた。オレらのウィールを生産してくれるって言ってくれて、それからもいろんなアドバイスやヘルプをできる限りしてくれたんだ。素晴らしい人だよ。彼の協力には本当に感謝してる。なんだけど、そうオレらは家具メーカーのTaylor Dykemaにデッキを発注するしかなかったんだ。理由は君が言ったように老兵が「ダメだ。おまえら他のことやってろ」って態度だったから。まあだから、困惑したよね。
-ヤバいね。Spike(スパイク・ジョーンズ)とはどうやって繋がったの?
オレらはただバカやって遊んでただけだよ。なんていうか、彼は今でも大きくなった子どもで「遊ぶこと」が好きなんだ。探求するのが大好き。今でもなにかを学んでる、そういうところが好きだね。出会えてすごくラッキーだと思う。しっかりした人間だし、最高の一人。
-たぶん無計画に方向づけされたんだとは思うんだけど、今までにオフィスで働くことで自分自身のスケートキャリアを犠牲にしたって感じたことってある?
Mikeがその話したの?
-いや、これはオレ自身からの質問だよ。
その質問は興味深いな。Mikeと共有した経験だからね。そうだね、苦しい思いになることもあった。でも、「ノー」だね。オレらの仕事は、一緒に働いている皆の喜びの為だし、それってかけがえのないことだから。まあでも、なにかを成し遂げるには時間がかかるだろ。もちろんそういう出張だったり、時期は当然あったよ―「ああ、みんなとスケートできたのになあ。もったいないなあ」なんてね。でもね、聞いてほしんだけど、結局は正当な理由があるからなんだよね。だから、キャリアを犠牲にしているとは考えないようにしてる。そんな考えが出てくる時って不思議だよね―オレはオフィスに一晩中ってわけじゃないけど「いる」。それは「その分、時間が経過した」ってことになる。でも、振り返ってみても「スケートすることだけ頭にあって、(現在の)責任ある立場にいない」という選択をしていても不思議じゃないからね。うん、どうなってたんだろうね。
-DC(スケートシューズ会社)とスケートシューズのゲームに乗り出した時の話を聞かせて。
素晴らしかった。すべての工程に関わらなきゃなくて、それからオレが一足作ることになったんだけど、その当時のオレたちの好みにはまるのがなかったんだ。だから現行のシューズと違うものを作り出さなきゃならなかった。クレージーだったよ。最終的には家を一軒買えるぐらいの経済的恩恵に与れたと思う。はじめは、正直乗り気じゃなかったんだ。自分のモデルのスケートシューズを出すなんて「陳腐で安っぽい」って思ってたから。でも誰かに「やったほうが良いぜ」って言われて、実際にやった自分を褒めたいね。Huf(キース・ハフナゲル)やDanny(ダニー・ウェイ)のような一緒に旅行に行きたいと思う連中すべて、憧れていた全員と過ごすことができたから。楽しかったけど、次第に何人かは別の道を選ぶことになったんだ。
-GirlとChocolateには「90年代初めの重たい状況」から出てきたパイオニアたちであり仲間同士の「バイブス」があった。そこから君たちはオリジナルのクルーではないスケーターを加入させていったよね。それって難しいプロセスだった?
自然とそうなっていった感じなんだけどね。何人かは以前よりスケートしない時間が増えていったり、別の興味を追求しだして―まだコンテストが重要視されていて頃だよね、McCrank(リック・マクランク)とBrian Andersonの2人がどんな大会でも入賞してヤバいビデオパートを残してたんだ。何人かに「このMcCrankとかいうヤツ、聞いたことないな!」みたいに言われたことを憶えてる。彼の加入は何人かの機嫌を損ねることになったね。
-その時期って、君がTy Evans(フィルマー・ディレクター)と作品に取り組み始めたのと同じ頃でもあるよね。なにが君のスケーティングを「再点火」させたの?
オレたちがPlan Bから離脱した時には、みんなもう疲れ果ててたんだ。最終地点まで、かなりの激務だったからね。それからGirlをスタートしてからは「なんでもいいから撮る」みたいな感じで、ボロいカメラでお互いを撮影してた。「Goldfish」はかなり経費がかかったけど、楽しかった。だからいくつかビデオをを作って、何年か楽な感じで過ごしてた。その後、Mikeに火がついたのに気がついたんだ。「このビデオパートにトライする、マジでやる」みたいな感じで。で、それから彼らと一緒にスケートするようになって、うん、あれは特別な状況だったね。楽しかった。Tyと一緒に作ったビデオは驚異だね。言い訳ができないんだ―彼はどんなものも「スケート可能」な状態にしちゃうんだ。「照明を点けろ!」なんて言ってね。それがオレたちをハードにトライさせる状態に持っていったんだ。
-その時にいたキッズたち、P-Rod(ポール・ロドリゲス)、Biebel(ブランドン・ビーベル)やSherm(ジェレム・ロジャースのニックネーム)はどんな様子だった?実際の10代をツアー・バンに詰め込むのはどんな感じだったのかな?
あれはホント楽しかった。JeremeとPaulはヘッドフォンをシェアしたりしてたね。キッズ、若いやつらと一緒にいるのって、自分がバンでツアーしていた頃を思い出させてくれるんだ。Biebelはヤバかったね。最高の時間だった。彼とサクラメントで過ごした週末?最高だったね―川でただプカプカ浮かんでみたり、昼も夜もスケートもして。それとヤツのエネルギー。たぶん君も体験したことあるだろうけど、あのエネルギーには誰も勝てないね。
-00年代を通して、本当にヤバいくらい積み重ねられたチームライダーたちが出てくる重要なビデオを作ってきてるよね。妥協しなければならない場面もあったと思うけど、チームライダーが去っていくベスト、またはワーストの状況ってどんな感じ?
なんていうか、家族みたいなものだから悲しいことではあるんだけど、場合による。初期はマジで今まで経験したことないもない最悪な出来事だった。実際の友達でもあったわけだから。いつどのタイミングでプロとしてデッキをリリースするべきかをチームライダーと話し合う、そういう立場になることにオレは同意してなかった。今はそんなことはないけど、スタートした頃は本当にラフな感じだったんだ。Mikeがいつも言うのは「くだらないことを言ったやつらが、少ない額で解雇されてきた」なんだ。誰かに去ってもらわなきゃならない場合、良い気分のはずないよ。オレらと一緒にやってきたこと以外に、彼ら自身の創造性を伸ばしたいとか何かを新しく始めたいとかであれば、それは別のシチュエーションになる。最悪なのは、その後の人生で繋がりや友情を失ってしまうことだよね。今まで仲良くしていた皆と、いまだに友達であり続けられているオレは幸運だなって思う。たとえば、New Yorkに行くならBrianがいるのを知ってるからいつも連絡するみたいに。すごいことだよ。この一連のできごとの最良の部分、それって「繋がり」なんだ。だから関係が悪化したときは悲しいし辛い。さらに、時には手に負えない状況もある。オレはただ単に、皆になにかをやるチャンスがあることが嬉しいよ。スケートボーディングには違う側面もあるよね。つまり、大金が流れ込んできたことで人生が一変した人たちもいるから。
-オレたちが2004年にKIng of the Road(Thrasherの名物企画)に行った時、オレはBrian Andersonがゲイであることを知ったんだ。だから君たちの間では共有されていた話題なんだと思う。それから数年後、彼は公にカミングアウトすることになる…。
その時点で知っていたかわからないな。
-ある人物から聞いたんだ。
了解。それってオレらがZeroに負けたとき?
-オレたちはいつもZeroに負けてるよ
知ってる。クソ、Jamie Thomas(ジャーミー・トーマス)め!オーケイ、そうだな、オレたちは他の機会で(その件について)話したことがある。オレたちはBrianと最高のカミングアウト・パーティーをすることになったからね。
-どんな感じだったの?
オレらはSpikeのパーティーにいて、近くに滞在してたBrianもやってきた。たしか最初Meg(嫁)と話してて、それからこう言ったんだ。「ヘイ、俺がゲイだって知らせておきたかったんだ」。これが笑えるんだけど、彼女から聞いたのは、その時振り返ってオレをみたらオレは誰かの肩に乗ってダンスしてたみたいで、彼が「次はRickに伝えてくる」ってなったんだって。でも彼が話してくれた時、すごく楽しかったのを覚えてる。裸になってプールに飛び込んだかって?オレたち最終的にHollywoodのいくつかのバーに流れ着いた。まあでも、楽しい夜だったよ。もっと友達があんな風にカミングアウトしてくれたらいいのにって思う。そしたらお祝いできるからね!楽しい時間だった。
-うん、なにしろ90年代初頭なんて「黄色いTシャツを着てスケートしたから」って理由で周りから追放されたからね。だからこの件に関して君たちに躊躇いがなかったのはクールだった。
でしょ?うん、たしかにそんな風潮だった。それか「適切じゃないズボンを履いてる」とか、そんなのでしょ?まさにね、あの時代はすごく偏見も派閥意識みたいなものも強かったよね。
-君が故意に、あるいはアクシデントで最悪に誰かを傷つけてしまった経験は?
Carrollに聞くべき話題。オレとしてはだんだん落ち着いてきたと思ってるんだけど、一番最近だと、あるツアーでのこと。空気の抜けたサッカーボールがあってさ、それをピント(※フットボールで両手で持ったボールを落として蹴る動作のこと)したら、それが完璧なカーブを描いて50ヤード先のMikeの顔面にヒットしたんだ。で、彼は今までみたことないぐらいキレた。終いには「こんなことがファッキン30年間あったんだぞ!」って叫んだんだ。それを聞いてさ、わかるかな?彼が言ってることは正しいんだ。オレはずっとこんな調子のバカなんだよ。たぶん彼には「いつ痛めつけられるかわからない状況への耐用年数」みたいのがあって、そこにプラスしたような感じ。Mikeの「ちょっかいを出された場合の耐用年数」を越えちゃったんだね。
-自分で自分を痛めつけた経験は?もしかして間違った薬で、あるいは正しい薬を大量に摂取して有害な影響が出たことってある?
うわ。落ち着かない気分にさせる質問だな!まあでも、あるよ。本当に若い頃、たしか14か15の時に間違って大量のアシッドをキメちゃったんだ。いつ素面に戻るかわからなくなって怖かったね。数日後、医者のところというか病院に行ったんだ。その医者には「うーん、大丈夫でしょう。温かいミルクを飲んで安静にしてください」って言われた。その後再診を受けたら「言いたくはないのですが、あなたと同じことをして元に戻れなかった人たちもいます」って言うんだ。おそらくそれが今のオレである原因。良い気分じゃなかったね。たしか3、4日間ぶっ飛んでいたと思う。あれはクールじゃなかったね。
-Girlのビデオに出てくるスキット(寸劇)で好きなのはどれ?
Owen Wilson(俳優)があのセリフを練習して現れた時は、度肝を抜かれたよ。その時初めて「Hard Out」って業界用語を知った。たとえば、「Owenは20分でHard Outしなくてはならない」みたいな感じ。彼はあれを1、2回で撮り終えたんだ。Meza(Aaron Meza ディレクター・プロデューサー)があのセリフを書きだして「この男、どうやってこんなにスケーターみたいに喋れるようになったんだ?」って昂奮してたよ。彼の最初の演技を見てオレらは抑えきれなかったね、大爆笑。まあでも、Spikeとの仕事はいつでも楽しいんだ。スキットをやるだけでも彼とふざけまわってるのは楽しいからね。実を言うと今、ちょうどLakai用にもスキットを撮り終えたところ。口ひげとカツラをつける時はいつだって楽しい日になるんだ♠
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カモを見たあとで鴨を食べ損ねた
文学フリマ京都7に参加してきた。 感染症が始まる直前、最後の文フリの参加が文学フリマ京都だった。あの頃はまだ感染症が流行して三年もイベントに参加できなくなるなんて思っていなかった。 仲のいい友達とアフターを楽しんで、また普通に会えると思って別れたから、そのとき、ドトールみたいなチェーン店でゲームの話をしたことを鮮明に思い出そうとしても思い出せない。 去年9月、文フリ大阪に久しぶりに参加しているから、これが「復帰1発目!」というイベントではないのだけれど、去年は始発で出かけて大阪城公園で鳥を撮りまくってからの参加だったから、眠くて眠くて仕方がなくてほとんどイベント��記憶がない。 だから、記憶があるイベントとしては1発目。
ここでも書いたけど、前泊で参加した。 1日目は奈良・京都でずっとお話をしたいと思っていたひとたちに会った。一緒にイベント参加しようねって言いながら感染症でずっと無理だった人、感染症の蔓延しているさなか、出国まぎわに地元に来てくれて、鳥の写真を撮りながらおしゃべりしようと言いながら天気が悪すぎて、キャンプ場でスモアをつくったり、おしゃべりが楽しかった思い出をくれた人……。 「イベントに行けば会えた」人たちは、イベントに参加できなくなってしまうとなかなかあえなくなってしまって、地元の友達のようには気軽に「遊びに行けない」人なんだ、ということにびっくりした。 「誰かに会う」ということは、じつはとても困難だ。リモートで遠方のひととも気軽に会話できる、Twitterでは毎日のようにわちゃわちゃエアリプしている、でも「会う」というのは、いろんな要素と条件をクリアしていないとできないのだと言うことを、その要素と条件を簡略化してくれるのがイベントだったんだと思った。
文フリ当日の京都は曇りだった。 もう少し天気が回復すれば、オシドリで有名なところへ行こうと思っていたのだが、いつも使っているミラーレスではなく小さなコンデヂでは警戒心がつよく遠いところにいるオシドリは撮れない。 せっかく京都まで来たのに、とぶつぶついいながら、文フリ会場の近くを検索したら、平安神宮のお庭にカワセミが飛んでくるらしい。 カワセミとかべつにどこでも見られるのだが、せっかくカメラも持ってきたんだし、神宮のお庭という素敵な景観のカワセミとか撮れたらうれしいじゃないか!
ホテルでごろごろしているのをやめて、大急ぎで平安神宮へ向かった。 お庭は600円で入れた。曇天で、しかも早朝、お庭はほとんど人がいなくて、カワセミもいなかった。 でも池がたくさんあって、カルガモがたくさんいた。ようすがちがうカルガモを発見する。カルガモとマガモの交雑種(ハイブリッド)。「マルガモ」という俗称があることをそのときはしらなかったので、「カルマガモ」と名付けた。ずっと観察していると、カルマガモは自分のことをカルガモに分類しているらしく、カルガモたちと行動を共にしている。マガモの群もあったのだが近寄ろうとはしていなかった。
庭を巡り終えたあと、文フリの会場のみやこめっせへ。
すごく久しぶりだったのに、体って普通に動くものなんだね。前日に会った人に「自転車の乗り方は体が覚えているというけれど、三年前の自分がイベントセットを用意してくれていたし、やらなければならないことのために体が動く」と言っていたが、本当にそう。
設営本能
としか言えないものがわたしを動かしていく。宅配搬入の段ボールをさっさと持ってきて、机から椅子を下ろし敷布を敷き、段々ボールを組み立て、本を並べていく……まるで前世の記憶! 私ってこんなにできる女だったのか?! まあ前々日の支度のときに「京都 野鳥」「京都 野鳥スポット」「鞍馬山 野鳥」とか調べまくっていてサークルチケットの存在を完全に忘れ去り、八束さんに「サークルチケット忘れてきたんですけど、持ってませんか」とDMをもらって(電車の中だった大和八木くらい)「サーーーーーーーークルチケット!!!!!」とその存在を思い出した。ちなみに八束さんはサークルチケットを忘れてきていなくて、ちゃんと持ってて、八束さんがサークルチケットをめぐんでくれた。だから前世からちょっと成仏しかけてたね……。
見本誌も提出し終えて、まったりしていると隣接の鹿紙路さんがやってくる。鹿紙さんとは感染症が蔓延してからもじつはいろいろ旅などしているので結構会ってる。とはいえ久しぶりに会えるのでうれしい。 鹿紙さんは会場ぎりぎりにやってきたが、颯爽と組み立てていく。 みんな体が覚えているのだ設営を……。(鹿紙さんはイベント結構参加してるからね)
イベントがはじまると、びっくりするくらい人がたくさん入ってきた。文フリ大阪もたくさん人が来ていた様な気がするけど、なにぶん始発で鳥(以下略)だったため、記憶がない。
今回は新刊『山梔の處女たち』を持ちこんでいた。初めての百合スペースだし……めちゃくちゃ緊張していたが、鹿紙さんが隣にいるのでしゃべりつづけて心を保った。 とはいえ、わたしは文フリのスペース内ではあまり接客はしない人間で、愛想のないやつだなあとたぶん思われているだろうと思う。 服を買いに行ったとき、自分に似合うものなのか・着られるものなのか、値段は支払えるものなのか、それはいろんな要素がせめぎ合った「選択」だろうと思うけれど、本選びもそうだろうと思う。 「本当に読みたい本だろうか」「読める本だろうか」という吟味をするとき、なるべくいろんな声(特につくっている人間の心情や期待など)を浴び��くはないとわたしは思うので、吟味する時間と立ち去りやすさを考えてそうしている。 まあ、接客をしなくても、愛想がなくても、立ち寄ってくれるというのは「いいなあ」という。 普段はひとに愛想を振りまいて、なんとかご機嫌を取って暮らしている人間だから、こうやって無愛想に座っていても「いい」空間はありがたい。新刊は持ち込みの三分の二、他の本も半分くらいは縁があったみたい。 無愛想でも、 見本誌を見て、表紙がとても素敵だったから、タイトルがよかった、前に読んだ本が面白かったから、おすすめしてくれる人がいたから。 本をえらんでくれる「理由」を話してくれるひとがときどきいて、そうすると小説ってひとりで書いて、ひとりで本にして、ひとりで売ってるわけじゃないんだなと思う。
イベントのあとは、鹿紙路さん、沙耶さん、らしさんと日本酒バーへ。 ほんとうはわたしも飲むつもりだったのだが、家のことが重なりすぎて後泊しないで帰ってきてほしいと言われて、酒は飲めなかった。 沙耶さんとウーロン茶を飲みながら、らしさんと鹿紙さんが日本酒を飲みまくっているのを眺め、鳥の話をたくさんした。 タメイーランドのこと、野鳥の会のこと、浜の鳥のこと、沙耶さんとゆっくり鳥の話をしたいと思っていたのでとてもいい時間を過ごせた。 近いうちに、一緒に鳥を撮りにいけたらいいなあと思っている。約束をした。 カモを見たあとで鴨を食べたいね~って話してたら鴨料理は売り切れていた。 カヤさんが教えてくれた「カモサブレ」を京都駅で買う。ますく堂さんがくれた「ハトサブレ」と見比べ・食べ比べをしようとおもう。
買い物も結構した。 買った本のリスト。 『LAZY MONDAY MORNING』あずみ(冬青) あずみさんの新作を読めるのがうれしい! 『イサド住み』オカワダアキナ(ザネリ) 「魔女の選択」を迷いながら書いていたとき、おかさんのこの本のあとがきにどれだけ救われたことか。本を読むのが楽しみで仕方ない。 『貝楼諸島へ』(犬と街灯) 柳川麻衣さん、紺堂カヤさん、オカワダアキナさん、佐々木海月さん、穂崎円さん、正井さんのお話が読みたくて買った。 『吸血鬼は青年を伴侶に選ぶ』きよにゃ(招福来猫) わたしのBLの教科書はきよにゃさんです!表紙がめちゃめちゃきれい~! 『百人のためのエンターテインメント~読書サロンにて『須永朝彦小説集』を読む~』ますく堂なまけもの叢書12(古書ますく堂) わたしがこの本を買うのに特別な理由を必要とするとお思い??購入は呼吸です。 『稲麻竹葦 第6号 神々との治療』 スクナヒコナが推し神です!!!!
本の他に、緑色のカモノハシのぬいぐるみを買った。 新しい仕事の机に飾ろうと思う。
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仙台旅
仙台を旅してきたので旅行log残しときます!🤟
むらさん内田雄馬のコンサートいきませんか?と今年初めくらいに声かけてもらっててそれなら仙台かなあ言うたら本当に仙台に行ってた。仙台に行きたかったので行けてよかったです❕
四時起きで空港にたどり着いたむらちゃん、実は前日パリライ(あんス��のライブのこと)に行っており興奮して寝付けず夜中の2時から荷造りをしている。なんなら頭の中でEdenがまだ踊っている。最高のライブの後ということでテンションも高い。そんな感じで関空に着いた。関空に着いたら朝ごはんや!言うて店入ったらからあげ定食、牛丼、肉うどん、カレーというゴリゴリ飯しかなくて心がそがれた。
このクマちゃんは友達がパリライでくれたので一緒に仙台に連れてって写真バコバコ撮ってやるよ……❕って持ってきた。ちなみに写真はあと一枚しか撮ってない(ごめんね)
意識が高いので(?)飛行機内では内田雄馬さんを聞いまくり、これからわたくしは内田雄馬さんのライブに行くんだ……という気を高めていた。
📍仙台駅
という訳でこれは仙台駅ですね。
空港から仙台駅秒な気がしてたけど普通に30分くらい掛かったから全然秒ではありませんでした。仙台と言えばここだから写真撮っときなというフォロワーの助言で撮影。ちなみに早朝の空港までわざわざ何故か迎えに来てくれたのですごく優しかったです。ありがとう仙台フォロワー
📍青山文庫
地元民のオススメの店に連れてって(嫌な無茶振り)と言ったら駅近くのカフェに連れてきてくれました。私はアールグレイとモーニングのセット頼んだんですがほんとはエシレバターのクレープ?が食べたかったです!朝は頼めないらしいので地元の人がいたらエシレバターのクレープ食べてください。本当に食べたかった。上手くないわけないもんな…
食べてる間に仙台フォロワーはライブに備えて消えていきやきとち先生が迎えに来てくれました。今回の旅行はほぼやきとち先生と一緒です。やった~
📍ホテルモントレ仙台
とりあえず荷物を預けにモントレにきました。実は生まれて初めてのモントレです!うれしい。ずっと来たかったのでモントレデビューを果たせて感無量でした。また後ほどモントレの話はします。とりあえず荷物を預けてそばでEveちゃんを並べました。
(これは人通りが少なかったから出来たこと)
うん、Eveちゃんもモントレに来れて嬉しそうだ。
📍むかでや履物店
ジョジョの4部の作中に出てくるお店らしい(へえ~)ジョジョに詳しくないのですがお店にはたくさんジョジョのサインとかあってオタクだったら嬉しそ~と思いました。キャラクターの名前で領収書くれるらしい(すべてにわかなのでらしいと付けてしまう)あと普通にお店の中がかわいいし落ち着いてて大変良かった…!お財布欲しいな。普通に。
仙台、土日の割に人が少ないし軽やかな演奏が商店街から流れてくるし無料で珈琲くれるし道に木々が生い茂ってるところが多くて長閑で大変いいな…と歩きながら思ってました。ここが土日の大阪スラムタウン難波ならどこかから怒声が聞こえてくるのにそういうのがあんまり無かった、すごいな(そんなんと比べるな)
で、観光したいよね!という話になって仙台と言えば伊達政宗…伊達政宗を見に行こう‼️つって伊達政宗像を目指すことに。そこで利用したのがるーぷる仙台です。
(公式画像引用失礼)
神戸のシティループみたいでかわい~♡と思いました。これで観光名所の山辺りを回ってくれるらしい。山登るのはキツイからめちゃくちゃ便利‼️これで伊達政宗にだっておきがるに会いに行ける🎶と思って待ってたらもうすげ~~~~~バスがぎゅうぎゅうなんだよ!すげ~の、仙台一混んでた。瑞鳳殿で大量に人が降りたことで座れて座れてからようやく運転手さんが観光スポットについての案内をしてくれてることが耳に入ってきた。
なんかこう…仙台にも方言?あるんですかね。運転手さんがなまってて可愛かったです。可愛いと思える訛り羨ましいなと思いました。あと、瑞鳳殿、いつか行きたいです。今回はたそライブがあるので伊達政宗の面だけ拝んでいきます。
📍仙台城跡
こ、これは、……伊達政宗……………………⁉️
実はやきとちさんに行きたいと言われるまで伊達政宗が仙台の藩主ということを失念していました。仙台城跡地あたりから見る下界広大で空気美味しかったー!!!今年?は閉まってるらしい仙台市博物館にも行きたかったのでまたの機会に行こうと思います。あと伊達政宗像の横でとうもろこし売ってました。仙台名物なんですか?🌽
伊達政宗のすぐ側には謎の鷲?もいました。かっこいい。
📍宮城県美術館
画質ガビガビなのはインスタ動画クオリティだから。国際センター駅まで歩いてる時に宮城県美術館の前通って寄ってかね?という話になり見てきました。
伊達政宗と杜の都・仙台展って名前らしい。杜の都……!?確かに!と思った。豊かで素晴らしい。伊達政宗関連の展示~日本の近現代美術名作選とか色々あって普通に見るのに普通に2、3時間かかってたと思う。あとね、ぐりとぐらの作者の方の展示があってすごいかわいかった。絵本ってあんな結構切ったり貼ったりみたいな感じで作られてんだと思いました(説明が下手)
仙台フォロワーに牛タンなら善次郎だよって言われたから善次郎に行ったら100人以上待ってると言われてビビりまくった。な、なに~ッ!?いうて。。全然もうこう…仙台さんが長閑な感じだから舐めきっててそんなに並ぶと思わず滝汗をかく我々。だがしかし、どうしてもたそライブの前に牛タンを味わいたい……!となり仙台駅内の牛タンエリアへと助けを求めることになった。
📍味の牛たん喜助
わーい!牛タンだー!じつは焼肉以外でタンを食べるの初めてだったんやけど(まあほぼ変わらんやろ)と思ってたけど厚切りの牛タンはうっ~まい……うまいんだ、これ。めちゃくちゃ美味しくてうまーい!!!といってたら横に付いてきた福神漬みたいなんがガチ辛くて泣いた。
美味しい牛タンなので正味あと10切れくらい食べれた。食べれたけど内田雄馬さんのライブに向かうため渋々店を出ることにする。
📍電力ホール
電力ホール内に着いたらなんかすごいみんな青い服とか髪で驚いた。内田雄馬さんのカラーらしい。内田雄馬さんって青がメンカラなんだ(当方内田雄馬初心者)
電力ホールの凄いところ、7階にある所なんだけどスタッフさんが「基本的に出たら再入場できません!飲み物はなんか…、下のファミマとかで買って上がってきてください!」って言っててすげー、チケット持ってても再入場できない現場初めてだ!?と思った。あと自分で半券もぎってくれってアナウンスにも驚いた。初めて自分でチケットをもぎりました。
感想は割愛しますが楽しかったー!ペンライトふわふわ芸人だったけど内田雄馬さん近くで見るとうわ…内田雄馬さんだ……になれたしあと声が良すぎる。声が良すぎるのに笑い方の癖強すぎて宇宙猫の顔しました。
内田雄馬さん置いときます
📍ホテルモントレ仙台
見てくださいこの可愛さを。。❕レトロでかわいいよね~かわいいかわいい😭特にエレベーターが好きです。上のなんか針(?)みたいなのが上あがっていく度に動くのがちょっとアナログで良すぎる……!語彙なし!!
お部屋も広くてらぶりーでさいこうだった。。大はしゃぎで部屋でぬい撮影会をしました。駅からも近いしアクセス良すぎるのでみんなもモントレに泊まってください(?)
ホテルでやきとちさんにアイナナのライブを見せてもらってアイナナっていいな……!になった。あとŹOOĻのササゲロを聞かせてもらってからササゲロが離れなくなった。ちなみにササゲロはこれです
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騒いでたらもう2時付近。NAVITAIMUを見て恐ろしいことに気付く。
次の日は福島に行く予定だったのですが、飛行機の時間を加味して余裕を持って帰って来れる理想の出発時間が朝5時30発の電車。つまり、4時起き。
突然地獄のアラームを見せてしまい申し訳ございません。これに出れなかったら死ぬど………………………………のモードになりホテルで音速睡眠会になった。そして二人とも眠りについたのが恐らく2時過ぎ…。
むらちゃんはこの時、3時半に一度起き、寝起きのテンションが元々最悪なのもあって自分でつけたこのアラームを無理やろいうて全部消して二度寝している。戦犯は自分なのに起きた時被害者ヅラしてえ。。。起きれなかった!?と言った。サイコパスすぎる
おはよう、いい朝だね(寝坊)(10時)
ということで福島に行けなくなってしまったので別のことをすることにしました。そう、かわいいカフェに行く、ということです。
📍牛タン炭焼 利久
これはたそがライブで食べてた場所です!たそがたべてたにゅうめんが食べたいということでやってきたもののまあ、にゅうめんがない。横浜限定メニューらしい。
ということでむらちゃんは馬刺しユッケと仙台牛ステーキをたべました!!うまい!!🥩
肉ならなんでも美味い!!
📍Adapt
まんがチーズケーキをたべることが目標だったので果たせて良かったです🧀味は思ったよりあっさりしてて食べやすかった!おいしい!
まっしろの店内でマジで好みだった!!映えカフェだからEveさんをだすのちょっと恥ずかしかったけど写真映えするのでうれしい。かわいいのら。
ぷりん、おれたち、つぎこそ福島のラッキー公園に行ってやろうぜ……約束だぞ……
あ、そう。牛タンお土産に一万円分ごっそり買った!まだ食べてないけど楽しみにしてる(ᐢᴖ ·̫ ᴖᐢ)👍🏻🌟
はやくたべた~い(お土産なのにおまえもたべるんかい)遊んでくれたフォロワーたちありがとうございます🎶また行きたいと思います🎶🎶🎶
以上
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マーシャルの匂いで
今月と来月と、外泊が続くので疲れることがもう既に確定。先週沖縄に家族旅行へ行ってきた。二泊三日、片道二時間。すごく遠い島だと思ってた沖縄は、飛行機に怖がっていたらすぐ着いた。降り立った瞬間ジメジメした空気が漂っていて、本当に沖縄ってこんななんだと実感した。
ヤクルトの春季キャンプ地、浦添に行って練習試合をみた。普段の神宮よりも全然お客さん多くて熱気がすごかったです。単純に気温も高かったです。
その他色々沖縄っぽいところを見て回って、沖縄に対する解像度がどんどん高くなった。国際通りはでかいヴィレヴァン。沖縄そばとソーキそばは別物。沖縄にはうどん屋がない。
来週には幼馴染二人とのお泊まり会がある。これはマジめっちゃ楽しみ。10年来の友人だけど、これまで三人で外泊はしたことなかったのでほんとに楽しみ。お泊まり会であって、旅行ではないことがまた良い。準備を伴う移動は大変だし、準備の段階でもう結構飽きてきちゃうので。そういう気軽さ楽さが余計に心地よくて楽しみなのかも、
そして今月末には就活の一環でまた京都へ行く。京都というか関西で行きたい店があるのでこれもそれなりに楽しみ。あと一人で好きなとこ行けるから。全く知らない地で散策するのも楽しいけれど、何度か足を運んだ地でもっと深い散策をするのも楽しい。最近、知らない文化に触れるのが面白いと感じる。
さらに来月は、大学の友達二人と卒業旅行に行く。そのうちの一人が旅行プランを考えてくれて、我々は黙ってそれに従うだけなのでかなり楽だ。ただ、いかにも観光スポットを巡るだけでなく、何も当てもなく散歩する時間が好きなので、こういう旅は自分だけではしようと思わないだろう。そういう感覚の違いも、ようやく最近になって良いなと感じるようになった。大人になったねえ。
そして最後、3月の終わり、きっともうしばらくは出来ないであろう一人日帰り旅に行く。今度は熊本。いつものごとく、いく店や食べるものは特に決めていない。ただ好きな人が出る映画を観に行くことだけ決めている。この旅の理由もなんだか良いなあと思いませんか。今回はいつも以上にすることを決めてないので、旅路をゆっくりしようと思い付き在来線での列車旅にするつもりだ。ああまた良い感じですね、時間かけて電車乗って、知らない場所で映画観て。
「自由」であることの定義には色々なものがあると思うが、その中の一つに「何もないこと」というのもあるとわたしは思う。というか、わたしが感じる自由には、「何もないこと」が必要になることがある。だからわたしの一人旅には予定のなさ、プランのなさ、制限のなさが必要だ。今回の沖縄旅行は、一日中家族といたので、なんだか疲れてしまって、その反動で今ものすごく一人になりたがっている。この頃一人で過ごす時間が多くなって忘れていた感覚、ここではないどこか遠くへ…というのをすごく色濃く思い出してきた。そういう時には昔からでっかい音で音楽を聴いて、この世には自分一人……と繰り返しているが、それのお供になっていたヘッドホンがだいぶダメになってきた。この際なので高くて良いやつを新しく買おう。きっともう数ヶ月すると、嫌でも使い倒すことになるだろうから。
2023/02/16
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溜まったやつは全放出!
これで最後だ&追加ネタだ!! 写真は後ほど追加します!!!!!!!!
・下北半島一周の話 ・バイクのヘルメットの話 ・水筒の話 ・竜飛岬の補足(階段国道とか) ・ようやく複利投資を始めた話 ・弘前城の桜を見た話 ・青森の日本海側をちょびっと行った話 ←これ ・クレカのポイント特典がしょぼくなった話
というわけでようやく溜めてたやつを全部消化。 まぁ書けてないネタはまだあるので、そっちもいずれ……
よし、最後またバイクで青森県内うろうろした話!!
◯青森の日本海側をちょびっと行った話
青森県に来てから半年以上経ちましたが、バイクでちょくちょく観光には回ってるけど、日本海側ってほとんど行ってないんですよね。じゃあ太平洋側行ってるのかっていうとそうでもないんだけど。。。とりあえず、日本海側は全然行ってなかったので、行ってきました。4月と5月にとりあえず1回ずつ。行ったのは、十三湖と千畳敷です。ちなみに十二湖もあります。白神山地の近くまずは4月。十三湖は汽水湖だったかな。しじみが有名なでっかい湖です。昔はもっと湖が大きかったらしいですが。この日はバイクで行ったんですが、ちょうど花粉全盛期に行ったせいで死にかけてました。花粉やばすぎ。道の駅でしじみラーメン食べようとしてたのに、花粉の症状が全く改善しなかったので泣く泣く諦めました。で、そのあとは近くをバイクでぶらぶらしつつそのまま南下。近く、でもないけど比較的近傍にあった高山稲荷神社に行きました。ここは千本鳥居があります。ちなみに京都生まれ京都育ちのくせに伏見稲荷には行ったことがないので、比較はできません。まぁとりあえず、こんな感じかーって体験がてら行きました。ぼちぼち人がいたけど、そこまで沢山じゃなかったので助かりました。やっぱこのくらいよな……。 次に5月。どこらへん行こうかなーって職場で話してると千畳敷の話が出てきたので、せっかくだし行ってみるかってことで向かいました。全く潮の満ち引きのこと調べてなかったけど、比較的潮が引いてるタイミングだったのでいい感じで見れました。飯もついでに食べたので、2時間近くいたけど、だんだん潮が満ちてきて行こうと思ってたところがいけなくなったりはしたけど、とりあえず楽しみました。ただ、ちょっと見た目のインパクトには欠けるかなーって感じ。今の所、見た目のインパクトは仏ヶ浦が一番です。恐山もいい感じだったけど。この日は千畳敷以外はいってないですね。ちなみに千畳敷へ向かう途中に日本一のイチョウの木がありました。秋はすごいらしいですね。まぁ木は大きかった。またその時期に行こうかな。大人だと何気なくいっても経験として楽しめるけど、子供の頃にここ連れられても記憶に残るかなとちょっと思いつつも、まぁそんなの俺には関係ないや!と思ったくらいです。 終わり!
とするのはアレなので、そのままバイクでいろいろ行った話ね。追加というか日記
◯久々にバイクに乗った話+α
上の千畳敷行ったのち、2ヶ月ぶりにバイクに乗りました。5月に乗ってから、いろいろあって乗ってませんでした。単純に休日に動くのが面倒だっただけなんですけどね。6月はまーまじでなんもしてねえ。7月になってからさすがにそろそろ一回くらい乗らないとなって危機感もって適当に目的決めて走りました。まぁ暑かったけど結果的には正解でしょ!で、目的。とりあえずそこまでしっかり決めてた訳じゃないんだけど、夏泊半島行こうかなと。どこだよって話ですよね! 青森の真ん中で湾に向かってちょこっともっこりしてるところです!まぁ何かがあるって訳じゃないんですけどね。家からちょうどいい距離だったから行ってみた、くらいです。行った結果、まじで特に何かある訳じゃなかった! もう少し調べてからいってもよかったかな! で、次。実は青森県には知られざる有名なB級スポットがあるの知ってますか?知られざる、なのに有名ってなんだよって話ですが。そう、キリストの墓ですね。知ってる人はあぁ……、ってなる、知らない人は、は?ってなる、実にいい具合のB級スポットです。行った結果、うーん、B級感はんぱねぇ〜! 絶妙なこの感じサイコ〜!!って感じです。ただ伝承館という名前の資料館が500円もするのはちょっとあれだったな。半額でしょあれは… で、だいたいやること終わったしいいかなと思って帰路。ほんとはキリストの墓関連でパワースポットにも行こうかなと思ったんだけど、思いのほか暑くて疲れてたから諦めました。スマホに自宅までのルート設定して帰ってる中で途中で気づきました。ここ八甲田のアレのルートじゃね!?とという訳で来ました八甲田旧陸軍の八甲田演習の話は聞いたことある人も多いのかなと思います。ちなみにこっちは300円しなかった。値段設定逆でしょ! むしろこっち500円くらいとれよ!! このあと一度通り過ぎて後藤伍長の像まで行きました。ぐるりと周りみて思ったのは、ここ冬で閉ざされた時に歩くの無理っしょ!って感想。ぜったい吹雪いて死ぬ・・・としか思えんかったね その日の分はおわり!で、一度バイク乗るとまた乗りたくなるんですよね。という訳で8月に入っても速攻バイク乗りました。場所はどこへ? 下北半島の端っこです。そう、下北半島で行けてなかった尻屋崎に行ってきました。みちのく有料道路という有料道路も去年の暮れにETC対応したし、バイクに優しい(路面を除く)有料道路になったので、せっかくだしこれに乗って行くか!と。この有料道路自体は去年も乗ってるんだけどね…。小銭出すのに手間取って渋滞を作りだす男!いえーい で、尻屋崎へ。青森市からはそれなりに時間かかります。暑いのも相まって、休憩多めにしないとなぁと思いつつ移動。結局途中休憩一回、コンビニで休憩したくらいだけど、こういう時のファミマのフラッペは最高です。ちなみに尻屋崎って何があるの?って話なんですけど。何があると思いますか?何もないんですけどね。馬がいるくらいしか事前情報取ってなかったので特に何も気にすることなく行きました。尻屋崎に向かってる途中。え、ここって採石場あんの!? って感じのでっかい工場が登場。写真撮りたかったなぁ…… と言ってる側から馬がいるエリアに到着。馬を逃がさないようにするためにゲートで管理しています。ゲートを通って間もないうちに馬エリア到着。ちなみに灯台もありました。灯台あったんだ…初耳……ところでここ、灯台の手前にトイレと駐車場があるんだけど、これ以降に車とか停めるとこがないかと思って停めちゃってたけど、普通に駐車場あります。灯台とちょっとしたお店用のが。 まぁその辺みて終わり。たいして感動はなかったな……。一番驚いたのが採石場あった事実だし……
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ROAD TO Käärijä-フィンランド旅レポ-④
■7/5ヘルシンキ市内到着~いよいよ初ライブへ…!
※前回のレポ③はこちら
レポ①で書いた通り、今回泊ったのはScandic Hakaniemiというホテル。ヘルシンキ中央駅とライブ会場のAllas Sea Poolとの位置関係はこんな感じ。
地図で見るとちょっと離れているように見えますが、トラム(路面電車)に乗れば中央駅から5分ちょっとで着く距離です。ホテル周辺を拡大した地図がこちら。
ホテルの目の前がトラムとバスの停留所、ホテルの隣のビルは地下鉄直結という大変便利な場所。近くにあるS-Marketは24時間営業なので、何かあったときも安心です。ちなみに右上のほうでちょっと文字が切れてる建物が観光地で有名なハカニエミ・マーケットです。行く時間なかったけど!涙
ということで、中央駅前の停留所からトラムに乗って、あっという間にホテルに到着。ちなみにフィンランドというかヘルシンキのトラム(だけでなく公共交通全般)は、めちゃくちゃ静かです。つまり、日本みたいに親切だけど長ーい車内放送がほとんどありません。次に止まる駅名も1回しか言ってくれないし、音量もすごいちっちゃい。笑 なので、車内の電光掲示板で降りる駅の名前を確認するようにしましょう!そして路線バスは結局乗らなかったのでわからないのですが、少なくともVRとトラムは、乗る時は自分でボタン押してドアを開けるシステムです(降りる人がいれば自動で開く)。また、トラムは降りるときは降車ボタンを押します。
今回は着いた日の夜にライブということで、体力を温存するため確実にアーリーチェックインできるよう、前の日(7/4)から1泊余計に宿を抑えており、事前にホテルにメールで念押しもしていたので、アーリーチェックインしたいのですがとフロントでバウチャーを見せたらすぐにお部屋に入れてもらえました。フロントの方もとても感じがよく親切で安心。(チェックインのときはパスポートの提示とパスポート番号の記入を求められるので、すぐに出せるようにしておきてください!)
事前情報で部屋がすごく狭いという口コミなどを見ていたので、どんなもんかな~と思ったのですが、いざ通されてみると全然広かった!
(写真はScandic Hakaniemi公式HP https://www.scandichotels.com/hotels/finland/helsinki/scandic-hakaniemi/rooms より)
こちらの部屋は「スーペリアベストビュー」というお部屋で、ポット(コーヒー・紅茶あり)・ミニバー(冷蔵庫)・ドライヤー付。クローゼットとアイロン台もありました。ちなみにフィンランドは日本と一緒で靴を脱ぐ文化があるようで、靴を脱ぐスペースがあり、床がフローリングなのでスリッパや裸足で過ごすことができました。ただユニットバスはシャワーのみで、洗面所と一続きの床は全部石のタイルなので、スリッパまたはクロックス(私は濡れてもいいようにクロックスを持って行った)があるといいと思います。シャワーブースとの仕切りはちゃんと床まであるガラスのドアだったので、結局床は全然濡れなくてよかった。 トイレはごくふつうのトイレです。当然日本のようにウォシュレットなどはついてませんが、便器の横にシャワーのようなのがついてて、それがビデのようです(使わなかったけど…)。 ほかのアメニティとしては、日本のように歯ブラシやヘアブラシなどはついてません。タオルはバスタオルと、ちょっと大きめのフェイスタオルみたいなやつ、足ふきマットはありました。歯磨き用のコップもついてます。 あとシャンプーとリンスはついていましたが、シャンプーがボディーソープ兼用みたいなやつで、手洗い用のソープも洗顔兼用みたいなやつだったので、ご自分の愛用のものを持って行ったほうがいいと思います。 ちなみにお水は日本と同じく軟水なので、水の違いで髪がごわごわ、ということもないし、なんと水道のお水は飲めます!ありがたや。シャワーの出は、温度を低めにしたり頻繁に止めたりすると出が悪いようでしたが、熱めのお湯をずっと出していると安定して問題なく使えました。というか全然写真をとっていなくて申し訳ないです…こちらのギャラリーが雰囲気の参考になると思います!
https://www.hotels-helsinki-fi.com/ja/property/cumulus-city-hakaniemi-helsinki.html#photo
さて、朝早いチェックインで、ちょうど朝食タイムが始まっていたので、さっそく朝食会場へ…
朝食、ふつうにおいしかった!
けっこう色んな口コミでフィン飯はいまいち…という評価が多かったのでこちらも期待値0で(すみません…)行ったから、というのもあるかもですが、ビュッフェメニューもそれなりに豊富だし、味も(薄味ですが)悪くなかった。パン類はちょっと甘い系が多いです。でも甘いの苦手な人も、グルテンフリーコーナー?のパンはそんなに甘くなかったし、ライムギパンのようなのもあったので大丈夫だと思います。 さすが食に対して色々配慮している国だな~と思ったのが、グルテンフリーのコーナーがすごく充実していたこと。あと野菜が新鮮だったのと、それから特筆すべきはベリーのおいしさ! ヨーグルトにたっぷりベリーソースをかけたのですが、ベリーごろごろ入ってるし甘酸っぱくてすっごくおいしかった!これは絶対食べるべきです👍それからカレリアパイも、日本で食べたときは薄味だな~と思ってましたが、本場で焼き立てパイを食べたら美味でした😋 宿泊中3回食事して、日本みたいにメニューが変わることはありませんでしたが、それでも十分満足できました。配膳のマダムがとても気さくに話しかけてくれて、日本から来たと言ったらご家族が日本人と結婚して日本に住んでいるという話をしてくれました!
朝ごはんを食べて満足したところで、シャワーを浴びて、今夜の本番に備えて仮眠。ベッドはぱっと見小さくないか…?って思いましたが、入ってみるとそこまで困るほど狭くもなく、カチカチというわけでもなく、快適に眠ることができました。枕元にコンセントもあって、スマホも充電できるし快適…おやすみなさい…
(仮眠とってる間にけっこう雨降ってたみたいですが、起きたら晴れてました。晴れ女パワー炸裂。笑)
さて、起きたら、朝中央駅の売店で買ったパン(ちょっと何のパンなのかわからなかったがおいしかった笑)を軽く食べて、さっそく出発の準備!
お手製ハッピも用意して、カーリヤTシャツも着て、準備万端! カーリヤへのプレゼント一式も持って、いざAllasへ! なお、個人的にはあんまりはやくから会場の外に並ぶのはどうかなーと思う派なのですが、今回会場や主催者が並ぶのを禁止していないこと、またせっかく12時間かけてきたので前の方で見たいし、カーリヤへのプレゼントをスタッフさんに確実に渡したいという想いがあったので、一緒に行ってくださった現地在住&イギリスからお越しのお友達と相談して、3時間前(開場が19時だから16時!)に会場に行くことに。 ただし、先に様子を見に行ったお友達からの報告で、すでに4時間前くらいから100人くらい並んでいるという情報が…カーリヤ人気、すごすぎる!😂
今回会場となるAllas Sea Poolは、その名の通りプールリゾートです。海の上に作られたプールと、サウナやレストラン、そして野外のライブステージが一体となった施設。近くに観覧車があるので目印になります。 施設の様子などはぜひ公式HPを確認してみてください。
行きはGoogle先生に聞いたルートで行ったらだいぶ遠いトラムの駅で降りちゃったのですが、おかげでエスプラナーディ通りをちょっと歩いていくことができました。HSLアプリで検索すれば、最適なルートを提示してくれるのでぜひ活用しましょう。 結局ヘルシンキ大聖堂近くのトラム駅で降りるのが一番近かったですが、とにかくどこかしらの駅から降りてまず目指すは、こちらも��光スポットである「カウッパトリ(マーケット広場)」。港に飲食やお土産のテントがずらーっと立ち並び、死ぬほどカモメが飛び交い(そしてごはん買った人を襲う。笑)、たくさんの人が行きかう活気ある場所です。
これ、夕方の4時の明るさ。まるで真昼間みたいでしょう? ちなみにどこからハッピを着るか、友人と協議した結果、このマーケットから着ていくことにしたんですが、着ていたら通りすがりのKäärijäファミリーが気付いて「Peliä!」(日本語で言うレッツゴーとかファイトみたいな意味と思われカーリヤがよく叫んでる。ライブ前の気合注入のときもみんなでペリア!っていってる。笑)と声をかけてくれました。楽し~!
このマーケットを西から東へつっきってしばらく歩き、大きな観覧車のほうに向って歩いていくと、Allasの入り口が見えてきます!
↑これはGoogleストリートビューより。この入り口前にパーテがしてあって、みんな並びます。
快晴!昼間天気悪かったらしいのがうそのようで、日向にいると日差しがきつくて暑いくらい。でも海風があるので、そこまで汗だくになることはありませんでした。
みてください、この人の多さ!あと3時間もあるのに!笑
そして会場に着くと、今までTwitterでしか会話したことなかったフォロワーさんがたくさん…!ようやく会えたね(´;ω;`)
はやくから並んだ人には、トイレや水分補給で抜けても大丈夫なよう、有志の方が手の甲に番号を振ってくれました!これもTwitterで見たやつだ…! そしてこのブレスレットを見てください!Käärijäファンの皆さんが名前や曲名を入れたかわいいブレスレットをたくさん作っているのは知っていたのですが、本物をもらえたよ…! みんな山のようにブレスレットを作って持ってきていて、ファンどうしで交換してもりあがっていました。 それからファンアートを描いているフォロワーさんからは、ステッカーももらっちゃった!うれしすぎる!
ライブに行った人たちがブレスレットやステッカーの交換をしているのを見て、いいな~と思っていたのが、突然現実に…なんだかふわふわ夢みたい…と思いながら3時間、いろんな方とお話したり、途中水分補給したり、お菓子をもらって食べたりしながら(ちなみにAllasは飲食店でもあるので、野外と言えど施設内は飲食物持ち込み禁止ですので注意!必要なものは中で買いましょう)過ごしていたら、意外とあっという間に時間が過ぎていきました。
そして19時、いよいよ開場です!入り口ではまず手荷物検査があり、そのあとチケットを見せればいよいよ会場内へ!(レポ②で書いてたLippu.fiのアプリでチケット画面を表示すればOK。) 少しでもいい場所を確保するため、チケットチェックが終わったらみんなダッシュ!これが整理番号無の完全自由席の大変なところですね…笑
でもおかげでこんないい位置をゲット! そして確保した場所の死守を友人にお願いし、まわりを探すと…スタッフさんがちょうどステージの横にいたのを発見!さっそく彼にカーリヤへプレゼントを渡してほしいとお願いすると、快く引き取ってくださり、必ずカーリヤに渡します!と頼もしいお言葉…ほんとにフィンランドの人みんな親切…! ということで今日の大役は果たしたので、あとはもうライブに集中するのみ!
本物のイェッセだ…!(小学生みたいな感想。笑)
改めて写真を見ると、前から5列目くらいだったのかな。会場がこじんまりしてたこともあり、100人以上並んでた割にはかなり前にいけたのでよかったです。
ということで、次の投稿でようやく(笑)ライブレポです!
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旅の話 山口編①
3月の終わりに山口県へ行った。金曜に仕事を終え、萩行きの深夜バスに乗るために東京駅へ。八重洲の地下街の端にある、昔のパーキングエリアみたいな雰囲気のカレー屋で380円のカレーを食べ、それまで退勤中の感覚だったのが一瞬で旅の感覚に切り替わる。
19時30分、深夜バス萩エクスプレス発車。
1週間の疲れもあってか、早い時間にも関わらずすぐに寝付くことができた。
翌朝、広島の沼田PAでの休憩で起床。広島や、山口県内各都市の停留所でそれぞれバスを降りる人がいる。終点の萩に向かう頃には、車内はガラ空きになっていた。
乗車時間15時間40分、東京から1,000㎞。最終目的地の萩に到着。
レンタカーの時間まで萩市内を駆け足で散策。時間が足りなくて昼食を食べ損ねた。朝食用に買ったパンが余っていて助かった。レンタカーを借りるや、秋吉台の方向へ。これから3つの鍾乳洞を巡る。
①景清洞
平坦な横穴がトンネルのように続いている。受付の人に探検コースは水浸しだよと言われたので観光コースだけにしたが、意外と探検コースに行っている人がいる。あとでわかったが探検コースの途中までなら大丈夫だったらしい。
②大正洞
景清洞よりも入り組んでいる印象。この洞窟では、音声ガイドとして「マグシーバー」が貸与される。マグシーバーとは株式会社グローバル振興が開発した特殊放送受信機で、昭和50年から平成4年にかけて日本各地の観光地で導入された実績があるようである。世の中には知らない道具がたくさんある。
さて、洞窟を2つ巡ったところで、夕方にもなったので宿泊地へ向かう。俵山温泉へ。明治屋旅館で一泊お世話になる。
この温泉街の旅館には内湯がなく、宿泊客は皆外湯へ出向くことになる。外湯へ行きがてら街並みを散策したりして過ごす。桜が咲いていた。夕食は鹿肉と猪肉が乗ったそばを食べた。
翌日、3つ目の鍾乳洞へ。が、その前に、もう一つ気になっていたスポットへ寄り道する。
江原ウバーレ集落
石灰岩の窪地の中にある集落。全方向を山に囲まれていて流れ出る川がなく、雨が降ったら湖になってしまうのではないかと心配になる地形をしている。なのになぜ湖にならないかといえば、一番底の箇所に「吸い込み穴」があり、雨水などはそこから地中の洞窟へ流れこんでいくからだという。
人の生活空間にあった水が洞窟に流れていくというのはなんだか不思議な感じがする。
ちなみに吸い込み穴は一応フェンスがしてあるのだが周りから落ち葉とか入っちゃっており、詰まったらやっぱり湖になってしまうのではと心配になる。
次回、この旅最大の目的地・秋芳洞へ
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Vigan旅行🚌
Magangdang araw po!
5/11-12日と2日間お休みを頂いたので、ずっと行きたかったVigan Cityに行ってきました!!
赤いピンが立っているところがVigan Cityです。
地図で見ると、マニラ・バギオ間より近そうだしすぐ着くでしょ^^と思ってたけど、途中で何回も止まって人を乗せたり降ろしたりするし、高速道路でもなさそうな道を行くので結局片道6時間くらいかかりました^^;そもそも長距離バスをタクシーみたいに止めて途中乗車できるのも衝撃でした、!
Vigan City
スペイン植民地時代の街並みを現在まで残し、1999年に都市全体が世界遺産に登録された歴史ある街です。ずーっと行きたいと思っていたのですが、ほぼ北の端っこにあるのでどうやって行くのかもよくわからずあきらめかけていました、、が、バギオに住むことになりバスで行けることが分かったので念願の旅行が実現しました(^^)
現地での細かい移動は、トライシケルと呼ばれる、モーターバイクの横に座席が付いた小さい乗り物をつかまえます。バスを降りたらすぐにトライシケル運転手のおじさんに話しかけられ、一瞬混乱しましたがホテルの名前を伝えると連れて行ってもらえました。5分ほど乗って40ペソ(約109円)。
泊まったホテル!
Vigan観光のメインである石畳のCrisologo Streetのど真ん中にあり、内観もアンティーク家具がたくさんできれいでした!!
街のいたるところをKalesaと呼ばれる馬車が走っており、歴史的なスポットを案内して回ってくれます。ホテルを出てすぐに何度も誘われ、値段を聞くと30分くらいで200ペソ(約543円)。いい経験かなと思って乗ってみました^^
お馬さんがんばれ~~🐎
本当は博物館などいろんなところに寄ってもらえるようですが、夕方17時を過ぎていたのでどこもしまっていて、このマーケットにだけ寄りました。帽子や置物など観光客向けのお土産物がたくさん置いてあります。
晩ご飯は、観光客に大人気だというお店でEmpanadaをいただきました♡
Empanadaは、ルソン島北部の名物料理で、ひき肉や玉ねぎなどを炒めたものをパリパリの皮で包んであげたもの。Baguioに住んでいる人が、Empanadaは「完璧な料理」(野菜、肉が同時に食べられるから)だと言っていたのを思い出しました^^
奥に見えている飲み物は、Cucumber Lemonade。名前の通り、きゅうりとレモンの味が一緒くたになっていました、、、!Vigan City のいたるところで売られていました。
夜もきれい~✨
2日目は、早起きして博物館に向かいました。
ビガンは織物産業で有名らしく、機織りの道具がたくさん展示されていました。
とてもこじんまりとした博物館で、15分もあれば全部見終わってしまいました。
到着したのが夕方だったので1日目はそこまで感じませんでしたが、2日目は天気がすこぶる良くとにかく暑い!!!🥵フィリピンに来た次の日からバギオにいたのであまり実感できていませんでしたが、やっぱりバギオは快適なんだなと思いました(笑)
せっかく長期滞在するのでフィリピン中のいろんなところを訪れたい、、しかしバギオの涼しさから抜け出せなさそうな気がしています...(笑)
Vigan Trip
Hello!
I have been to Vigan for two days 5/11~12 because it was my day off:)
I thought Vigan is close to Baguio but it took almost 6 hours because our bus went on the general road, not a highway!! I was surprised that the bus can stop for every passenger who is waiting for us on the road, like a taxi!
About Vigan City
Vigan is a historical city that was registered on the world heritage list in 1999 because of their cityscape that is lasting how it was in the period of Spanish rule. I have longed to go there but I didn’t know how to go. I have started to live in Baguio and I know I can get there by bus, so I decided to go there!:)☆
My journey☆彡
You can catch a tricycle to go around Vigan. The drivers were waiting for the passengers at the bus terminal, and one of them talked to me. I was a little confused because it was my first time taking it, but he took me to the hotel. It took 5 minutes and cost 40 pesos.
My hotel was located on the center of Crisologo Street which is the main spot of sightseeing. Their antique interior was beautiful!!♡
You can also ride on the Kalesa. It goes around historical spots in Vigan City. The drivers asked me many times if I would ride on, finally I said yes because it would be a nice experience:) Usually you can get off at all of the historical spots like museums, but I could not because they were already closed. I could get off only at the market that was selling handicraft products or objects for the tourists.
I had Empanada for dinner at a restaurant that is popular with tourists.Empanada is famous in Ilocos, that is wrapped fried minced meat,onions and something else, with crispy skins. Once some people who live in Baguio said that Empanada is a perfect meal, that includes all of the stuff(like meat and vegetables),,,;;And I also drinked Cucumber Lemonade for the first time! It really tasted like cucumber and lemon,,,!! They were sold around the city.
On the second day, I woke up early and went to the museum. There were many old machines for weaving machines because it’s an important industry in Vigan. The museum is very small, so it took only 15 minutes to see all of them.
On the first day I didn’t feel it but the second day is too hot, especially in the morning🥵I understood how comfortable Baguio is (^^) I would like to visit many city around the Philippines but I might not be able to get out from comfortable Baguio^^💦
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helloharuo tour 2014
Wednesday 16 April 2014
真観は、箱根の旅館に向かった。箱根までは約1時間で到着。この旅館でチェコから来ている観光者Dと初対面。昨年知り合ったチェコの女性Mからの紹介だった。Mは、大学で心理学の教授をしているがその彼女のクラスの生徒の母親が日本に来て箱根に泊まる。その彼女の箱根エリアの観光案内をして欲しいというリクエストだった。真観は快く承知した。9時にDが滞在してい旅館の前で彼女と合流。DとはFacebookで既に繋がっていて何度かメッセージのやり取りをして交流を始めていた。真観は彼女を車に乗せて「helloharuo tour 2014」をスタートさせた。旅館の前には橋が架かっていてその橋の両側に鯉のぼりが何体も風に吹かれて泳いでいた。鯉のぼりの意味をDに話すとチェコではポピュラーで食用するとのこと。真観には新しい情報だった。Dがお茶に興味を示していたので真観は強羅公園に先ず向かった。この公園には茶室があるからだ。強羅公園の入場料は500円。茶室に着いて抹茶とまんじゅうセットで500円。簡易的にサービスされ後は3カ所の茶室を回った。湯を湧かす為の正方形の小さい炉を塞いでいた畳をひっくり返してDに炉について説明すると『畳がこんなに厚いとは知らなかった』と言った。彼女には意外だったんだろう。真観たちがこの茶室を去る時に外国人の団体がやって来た。Dは、彼らの言葉を聞き『ロシア人だわ。チェコ人はロシア人は好ましく思っていない』と言った。真観はその意味を理解していた。それはかつて1968年に起きたロシア侵攻、いわゆる「プラハの春」があったからだ。Dは、チェコでアメリカのパソコン関係の会社の弁護士をしている。歳は真観の1歳上。初めて会った真観だったがDのオープンな性格と真観のオープンな性格がマッチしたのか一緒にいて会話は弾んだ。次に向かったのは富士屋ホテル。ジョンレノンも泊まったと言うホテルならば印象も深まるだろうという真観の案だった。このホテルは、つい先月Kちゃんと訪れたばかりだった。和洋折衷のホテルはDにとっても興味深く感じた様で連れて来て良かったと真観は思った。次に予定していたのは富士山須走口。箱根からR138、そして東富士五湖道路のインターに入った。そして真観は道を間違えたことに気付いた。仕方なく一つ目のIC、山中湖で降りて真観はiPhoneで富士山須走口を検索し一般道路で引き返すことにした。山中湖に差し掛かった時ランチの時間でもあったのでイタリアンレストランを見付けて入ろうとしたら休日だった。これまた仕方なく富士山須走口を見付けることを第一優先と考え車を進めた。まもなく「須走道の駅」を見付けてここでランチを食べることにした。そして真観はやっと富士山須走口に行く為には東富士五湖道路に入っては行けないんだと悟った。「須走道の駅」のレストランは富士山がバッチリ見えるレストランで二人とも「富士山カレーライス」を食べた。このカレーライスのライスは富士山に見立ててライスの盛りつけをしていて日本人の芸の細かさをDは知った。さて食事も終わり富士山須走口に行こうと車を走らせた時更なるどんでん返しがあった。雪でまだ通行止めだというのだ。確かに富士山に雪が積もっているのは茶畑庵からも確認出来ていたがこれは大きな誤算だった。富士山須走口を目指したのはそこから行ける「小富士」に行きたかったからだ。う〜ん、残念。
Dは真観の観光案内にフレキシブルに対応してくれて『富士山が見れればそれで十分』と言ってくれた。真観は気を取り直して古巣十里木高原へと向かった。R469を上り忠ちゃん牧場の先にある富士山絶景スポットに案内。Dは大変感動してくれて何度も真観に感謝を伝えた。今日の富士山は空にガスがあり少し霞んでいたが標高1000mの十里木高原に来たらすこしばかりクリアーに見ることが出来た。そしてさらちょっとした感動をと真観は思い十里木展望台へと向かった。途中真観はDに東京から静岡に引っ越しをするきっかけになった友人のペンションも紹介する。そうやってDとの道中お互いのことを話して打ち解けて行く。Dはご多分にもれず?離婚を経験していたり、その訳あって子育てで子供に辛い思いをさせたことや社会主義時代のチェコの話をしてくれた。真観も出身地から上京しカメラマンになるまでの経緯や日本についての考え等を話した。十里木展望台の駐車場には車が沢山停まっていたが人気はなかった。そして約10分2人は展望台へと登って行く。Dは少々運動不足の日々を送っている様で途中途中立ち止まっては休憩しながら登った。展望台に着くと気持ちよい絶景が待っていた。二人ともこの時ばかりにカメラの機能であるパノラマで撮影をする。そうやって撮りたくなるほど景色はパノラマに広がっていた。当初「小富士」に行く予定で観光案内のスケジュールを組んでいたが諸々で変更となりその分時間に余裕が出来ていた。真観はDに箱根に帰る前に茶畑庵を紹介したいと言った。Dは、茶畑にも興味を持っていたので丁度いいと真観は思った。そして外国からの観光客にとって日本の家屋の造りを見るのも良かろうとの判断だった。茶畑庵の到着すると庵内に入る前にバックヤードにある茶畑に案内した。天気が良ければ富士山が茶畑の向こうにそびえるのだが富士山は雲のベールでかすかにシルエットだけだった。この茶畑庵のバックヤードにある茶畑は茶畑らしい?形状を持ちとてもフォトジェニックである。茶畑庵の中に入ると真観はDに各部屋を紹介した。それはいつも茶畑庵に初めてやって来訪者たちへの恒例の案内。Dは、キッチンや壁の素材に興味を示した。それとバスルームで使う桶は何の為にあるのか?と質問して来た。恐らく日本の旅館に泊まった際に温泉の浴場に置いてあったのだろう。立ちながらシャワーをする欧米人には不思議なモノに写るのだと思う。真観は、バスルームに入って水のないバスタブから水を汲む振りをしてどう使うかをジェスチャーで紹介した。次は寝室そしてリビングと移りオーディオルームやレコードの説明そして坐禅部屋で坐禅の組み方も披露しDにも体験してもらった。英語で禅について説明するのは難解なのでインターネットで調べてほしいと頼んだ。2回に上がり仕事部屋から見える富士山を見たDは真観をうらやましがった。外国人にも富士山は憧れの山ということだろう。ライブラリー室に移ると真観は自身の作品、今回はウェディングアルバムの数々をDに見せた。Dは、一枚一枚ページを丁寧にめくり見ていた。ウェイディングは各国共通項の行事。ウェディングにどれだけの費用が掛かるのかとかどうしてお色直しをするのか興味津々だった。
夕暮れになり時間も6時近くになって来た。そろそろDを箱根の旅館に戻す時間になった。真観は茶畑庵を出発してDに真観が毎朝通う禅寺に案内した。禅寺には枯山水の庭があるのでツアーの最後に紹介したかったのだ。Dは真観の坐禅についての話を彼女なりに汲み取って自分の生活に何かが足りないのかもと気付いた様だった。真観自身がそうだった様に。
もう空は暗くなりヘッドライトを点灯してのドライブになった。朝Dと話した時に旅館でのディナータイムは7時半からだと聞いていたので今回のツアーはそれまでには終えようと真観はスケジュール調整して観光案内をした。
真観の車アーティ21スペシャルが旅館に着いたのは7時13分。 「helloharuo tour」はこうして無事に終える事が出来た。 Dとはこれからもkeep in touchで行こうとハグをして別れた。 いい出会いに感謝。
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