Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
両親を見てると「コミュニケーション取ればいいのに」と思うことがたくさんある。でもコミュニケーションを取るにしても、母は基本スタンスが怪訝でやや喧嘩腰な対応(父に対しては)だから父目線ではこれは話しかけたくないし普通の会話をすることが難しいよなあと思うし、普段の生活を見てると母がそうなるのもわかる部分があったりするから(取るに足らないほどの小さな雑用パシリが日々多い感じ)もう成す術がなくてただ私がこの場からいなくなるのが最善策だなと思う。昔の人って自分の感情を押さえ込んだり、痛みを我慢するのが当たり前だと思ってる人が多い気がする。そのひとがそれでいいならそれでいい、って私は思うタイプなんだけど、どうしたらいいんだろう。成人した後も一緒の家に住んでたはずなのに、一度家を出てからまた実家で過ごすとこれまで見えていなかった違和感によく出くわす。休みの日も朝の散歩とスーパーの買い物をのぞいては家で寝るかスマホ触るかばかりだし、外に出るのが正義だとは思わないけどもっとスマホ以外の何か(本読むとか何か作るとか)に時間を使ってくれたほうがなんとなく私としても安心なんだけどな。
なんかここには普段の鬱憤ばかりを吐き出してしまうけれど、それなりに楽しいこともやっています。
4 notes
·
View notes
Text
地元にいた頃よく遊んでいた人たちが集まるイベントに超久しぶりに参加した。行く前は緊張でおかしくなりそうだったけど行ってみるとやっぱり楽しくて、地元最高卍!みたいなマインド全くないタイプだけどこれがHomeかあと思った。イベントを抜けて何人かでカラオケに行くことになって、そしたら当時絶妙にいい感じだった年上の人に「あんたカラオケ行っても歌わんやろ」って���われて、あー確かに昔の私はtoo much self consciousで歌わなかったなあと過去の自分を思い出した。でもそれってその人の前だけで、当時から私だって友達とカラオケ行けば普通に歌ってた。当時はその人のことが好きだったから恥ずかしくて歌わなかったんだと思ってたけど、でも好きだからとかじゃなくてその人が結構ジャッジメンタルな性格だからだったのかも、と今では思う。へえそんな歌好きなんだ、とか、自分の好きだったものを見下された記憶があって、私なんでそんな人のこと好きだったんだ??って今は思う。当時は10代後半という1番恋愛したい時期で、1番憧れやすい年上の男性(知らない世界を教えてくれる)だったから盲目的だったけど、今は本当にその魅力がわからない。彼は私が関東で友達とOASISや The killersを歌ってはっちゃけてることを知らない。彼はそんな私の空白の年月を知らず、私が地元にいた当時の青い頃を回顧し、いまだに私が彼に対して少なからず憧れの感情を抱いてると思ってる、気がする。2人で会おうとも誘われているけれど、全然会いたくない。昔は尊敬の気持ちも強くあったけど、なんだか今は嫌なところばかりに目がつく。今だに私が彼のことを好きって思ってそうなところとか、誘えば乗ってくれるだろうと見繕われているのをひしひしと感じてもはや気持ち悪いというか、私の存在を全体的に見下してる気がして嫌悪が勝る。とはいえ彼は結婚してでも結婚生活がうまくいっていないらしく、人生のつらい時期にあるというのは同情する部分でもあるし、そこに上乗せで私が無視するともっとかわいそうになるな、とも思う。でも同情だけで動こうとするなんてこんな失礼なこともないだろう。なんだか年齢を重ねるごとに全体的に年上の男が嫌いになっている気がする。ヨイショしなきゃいけないし、生意気な女の後輩をあえて可愛がる感じとかもう胸焼けする、それって全部自分が上に立ってる前提で成り立つコミュニケーションでしかないもん。
4 notes
·
View notes
Text
初めて海外に行ったのは18のときで、あのときの無邪気にその場を目一杯楽しむ感覚を今ではすっかり失ってしまっていることに気がついて、少し悲しくなった。同時に、その時の感覚を少しくらい取り戻したっていいし、自分をそういうふうに鼓舞して許してあげてもいいんじゃないかなって思う。今年のテーマは完全に"自分への許し"ですね。楽しんでいい、幸せになっていい、って自分で自分を解放してあげなきゃいけない。
初めての海外はニュージーランドで3週間ほど語学学校に通った。ほぼ旅行みたいなもので、英語力は全くと言っていいほど伸びなかった。でも自分の現在地を知れたことと、海の外の世界を知れたという意味でとても良い経験だった。今思えば本当に3週間なんてただの旅行でしかなくて、だからこそ目一杯楽しめたし楽しむ努力をしていた。
その後しばらくしてシンガポールに半年間住んだ。周りが新卒としてキャリアを歩み始めた中でひとり渡航したので、初っ端から少しセンチメンタルだったし、不安もあった。ニュージーランドに行ったときは大学のプログラムだったけど、シンガポールはビザから勤務先から住む場所まで初めて自分で決めて手続きを進めねばならず、そういった背景も踏まえて楽しみに行くというより戦いに行くような感じだった。日本で面接してローカル企業でインターンして、ここまでやれた自分に誇りを持つ一方で、ここまでしたって何ら変わらない自分自身に対する諦めみたいなものも生まれた。結局どこへ行ったって人間変わらないのだと、虚無感に襲われたのを覚えている。そしてコロナが始まり、私のペシミズムは止まることなく沼を深めていった。でもその中でも大事にしたいと思える場所でバイトができたりして、田舎で穏やかに過ごしていた。
コロナ後に日本の会社に既卒枠で入り、一人暮らし開始。私の良さが活かされない、ザ日系な頭のかたい世界に来てしまったな、と思った。それなりに迎合して頑張って働いた。閉鎖的な社内政治に飲まれる度に外への意欲が増し、また3年目に広報ポジションに就けたことで追求したいキャリアも徐々に明確になり、どこかで抱えていた"外に飛び出したい"欲に再び目を向けるようになった。正直彼氏もいるからあんまり考えないようにしていたけど、あらゆるライフプランを可能な限り計画的に進めるためにはやるなら今しかないと思い、色々ありつつも今に至る。
はじめて海外に行ったあの頃からもう10年。パッキングをしていると、生活に必要なものがどんどん増えていたのだとびっくりする。まだまだ若いって言われるけど、薬とかサプリとかまじで全然飲んでなかったあの頃は本当に身軽だったなと思う。
今回も後ろ盾は何もない状態で行く。あの頃みたいに何にでもなれるような感覚はもうなくて、なんで今更?なんて意地悪な他人みたいな問いをたまに自分自身に投げてしまっていることに気がつく。決断と行動を正当化するための言葉がないと苦しくなる。でも、本来はそんなもの必要がないはずだ。行きたいから行く、やりたいからやる。後ろめたさを感じる必要も、恥じる必要もないはず。こういう突拍子もないアクションを起こさないと気が済まない自分に対して恥ずかしくなることは多々あるけど、興味を持ったから学ぶ、挑戦する、ってことは何も悪くないし誰にも迷惑をかけていない。
楽しんでいいよ、と自分に伝えたい。楽しんでいいし、無駄に怖がらなくて良い(自分の悪いくせ) もっとオープンになって、うまくいかないことも笑い飛ばせる無敵のハッピーさを取り戻したい。幸せになるのも楽しくなるのも充実した人生を送るのもi deserve itと信じる。
3 notes
·
View notes
Text
2025.08.05
日々の記録をほとんどしていなかったが、最近は地元に戻りゆっくりと過ごしている。一人暮らしだからなのか関東にいたからなのかわからないけど、とにかく実家に戻る前は1人で家にこもっていると何か生産的なことをしなきゃって思いすぎていた。何するにも罪悪感で、勉強してるときだけは多少自分を許せる、みたいな感じ。自己研鑽は素晴らしいけど、今思うと少し呪われてたかも自分って思う。逆に今は実家で悠々自適暮らしなのでとにかく自分に甘くなってる、それも流石にまずい。渡航まで1ヶ月を切った。英語の勉強しなくちゃやばい。パッキングしなくちゃやばい。期待以上に不安と非現実的な感覚が強過ぎる。最大難関の家探しは何とかなったからこそ、少し早めに現地に着くからどう過ごそうかなと思っている。先月末に万博行って、次の日は大���観光してから有馬温泉に泊まった。恋人と温泉に行くのははじめてですごく楽しかった。次の日は神戸を散策して、案の定別れ際に泣いてバイバイした。
5 notes
·
View notes
Text
もっと自分の能力や実績をshow offしてそれをきっかけに仕事につなげたり人脈構築につなげたりしていけばいいのだろうけど、いかんせん私はそういった側面を容易く見せたくない、カードを簡単に使いたくないというプライドが高く、且つ自分が今まで積み上げてきた確かな実績にさえ自信が持てない永久の自己肯定感末期なのでなかなかそれができない。偉い人がいかにも偉そうな格好してるよりも、えそんなあなた偉かったんですか⁈ってくらいの温度感とファッションだとめちゃくちゃかっこいいと思うタイプ。だから、そこに対するプライドというか美学がなぜか強くあって、自分を逆に生きにくくさせてる気がするな。〇〇できる!とか、あんまり自分から言わない(普通そう?) 他人の話を聞いてる場合は尚更、私も〇〇できる!とかは絶対言いたくなくて、それって他人の話を利用して自己アピールしたいだけじゃないですか。でもそうやってカジュアルに自己アピールすることで繋がる縁なんてたくさんあるだろうし、そこをもう少しうまくやれればもっと生きやすいのかなあ。自分の話は聞かれないと極力したくないし、核心は避けたいと思ってしまう。どうでもいいこと、例えば早く服が畳めますとかそういうことは全然見せびらかせるのだけどね。
4 notes
·
View notes
Text
すっかり夏が引越しシーズンになってしまった。3年前の8月に越してきて、本日退去。普段掃除してなさすぎて、ここ丸3日間はほとんど掃除して過ごした。一日動きまわってひたすら綺麗に仕上げていく作業は、普段の邪念を振り払える感じがして心地よかった。手と指先がボロボロ。本当に引っ越すんだなあと思う。自分のスケジュールが未来に向けて着実に動いていることを感じ、その恐怖を振り払うように床を磨き続けた。前情報もほとんどなく、現地に行かずオンライン内見で決めた割にはとても良い街だった。美味しい居酒屋があって、この一年は常連レベルで通ったし、ボトルを頼んでからは来店時に何も言わずともボトルを席に持ってきてもらえるようになった。若者があまり来ない店だったから珍しくて覚えてもらえたのだろうな。その割に常連らしい会話は一切なく、それが心地よかった。引っ越すことは特に伝えずに、3日前のランチ営業にお邪魔してそれが最後になった。自分がこの地に根付いたと思える場所があり、そこに頻繁にいけなくなることがとても寂しく思えた。普通の暮らしがあることの幸せを人生の節目でいつも噛み締めている。

5 notes
·
View notes
Text
よく遊ぶメンバーの中に外国人の友人がいて、彼が彼女を連れてきた。東南アジア出身、インターに通っていたのでアメリカンな英語ペラペラ、明るくて笑顔が素敵な可愛い子。日本トップクラスの大学に在籍していたのに、校風があわないからという理由で転籍したらしい。ほとんど10歳くらい年下なのにびっくりしつつ、その子からほとばしる自己肯定感の高さと聡明さ、底抜けの明るさに目が眩みそうになった。全く異なるバックグラウンドがあるという事実が緩衝材になっているけれど、もしそうでなかったら、私はきっと彼女のことがもっとずっと強く羨ましかったに違いないと思う。
私は最近になってようやく自分を少しずつ解放し始めて、し始めることができて、これまでいかに自分で自分を殻に閉じ込めていたのかとハッとする。ほとんど恐怖に近いレベルでゾッとする。もっと自由に気楽に、自信を持って生きていいはずなのに、それができない自分。そんなことに悩み続ける自分。かたや、まだ20歳にも満たない女の子が自分の道を自分の意思で選び取っている。私だって側から見たら自分の道を突き進んでいる人間に見えるかもしれない。でも私のそれが、いかに他人に影響されながら選び取った人生なのかを彼女と出会って思い知った。大学選びも就職先も、自分を納得させていたし納得もしていたけれど、やはりどこかで親の顔が浮かびながら選択していたと思う。大学は親の庇護下に入っていたので理解できるが、その後の人生においてもすっかり他人の期待に応えることが染み付いてしまっている。わかったつもりでいたけれど、いざそうでない側の人と対面すると、それが克明に浮かび上がった。
昔は自分の過去を肯定して、私はこれはこれで後悔してないって思っていた。でもそれは自分を納得させ、本当は納得していない過去に目を背けるために、ただ自分に言い聞かせていたものなんだと最近は思う。だからこそ、最近は後悔を感じる。なんであんなに群れたかった?群れる必要があった?確かに出会えた仲間も大切な関係もある、打ち込んだものがある、でももっと有意義に時間を使えたのではないか?なんて。
考えたってしょうがないけど、ちゃんと後悔することで今をより大事にできるようになる気がする。というか、そうするしか救いがない。私が私を救ってあげるには、これ以上他人の期待に応え続けるのをやめるためには、私が過去の教訓から学んで受けとめてそれを今後に反映していくしかない。20代も後半になってしまったけれど、それでも大丈夫、後悔を潰すための時間はたっぷりではないけどちゃんと残っている。
3 notes
·
View notes
Text
酔っ払って涙が出るときって、悪酔いしてメンヘラになってるんじゃなくて、ずっと泣きたかったはずなのに泣けなかった瞬間が堰を切ってあふれ出しただけなんだと思った 昼間に友達と電話をして、私は確実にそのとき泣きたかったはずなのに、我慢してそれを堪えた そしたら全然関係ない人との飲み会を終えた今、何故か泣いている 友達が電話で性的指向を打ち明けてくれた、私がそのとき泣きたかった理由は、どうして誰かを好きになることは同じなのにこの子はこんなにも覚悟を決めて他人に打ち明けなければならないのか、ということだった そのときに我慢した涙が今流れている 必要な涙、でも我慢してしまったものだから、今あふれている 他人の痛みに対する共感だけでなく、私自身が負った傷に対して泣きたくなっても人前では我慢してしまうことばかりだ それが大人だと教わってきたから 私が酔っ払ったときに泣きグセがあるのは、そうした日々の細かな傷、無視してきた小さな傷が一気にぐわっと自分を襲い、流すべきだった涙が時間をあけて自分の瞳を満たすからなんだと知った 選挙に必ず行く 彼女が負わなくてもよい傷をおってきたこの環境を、すぐには変えられないかもしれないけれど、少しでもゆっくりでも安心できる環境に変えていきたい
4 notes
·
View notes
Text
仲の良い同僚がいた。辞める前の数カ月、最終的に彼は私の上司になったが、上司になる前は同じ業務を一緒にやっていた。年齢は一回り以上上だけど、忌憚なく意見を言える存在だった。転職経験が多い人だったから、「これ次の会社でも活かせる経験ですね」とか「次はこういう仕事したらいいんじゃないですか」とか、冗談でよく言ってくる人だった。「〇〇さん転職しないんですか?」っていうのもよく聞かれて、そのたびに私は「いいえ」と返していた。転職は常に頭の中にあった。実際に応募したことも、面接したことも、内定をもらったこともあった。けれど、彼と一緒に仕事をしている時期は業務が楽しかったので、本当に転職は考えていなかった。でも一方で、私は着々と海外に行くための準備を重ねていた。「転職しないですよね?」と聞かれて「はい」と答えたときも、私はこっそり英語を猛勉強し、進学先について情報を集めていた。すべて決まったら言おう、と思っていた。もし道半ばでそれを伝えてしまったら、私は夢の話ができたという事実だけに少なからず満足し、何かを成し遂げた気分になってしまう気がした。だから言わなかった。それは彼に対してだけでなく、同じ理由で身の回りの人間誰にも言っていなかった。友達にも恋人にも家族にも。
いざ大学院に受かって退職を決めたとき、まずは当時の上司に報告した。ちょうど3月、新年度に向けた内示日の数日前、とにかく社内がバタバタしている状況だったので、上司からその上へ上へと、私の退職はすぐにエスカレーションされていった。そして、新年度から私の上司になるのが彼だった。内示前だった当時私はそんなことを知る由もなく、のんきに「いつか伝えればいいや」と思っていた。すると内示日、蓋を開けると彼が私の上司になるということがわかり、嫌な予感がしてすぐに連絡した。知っていましたか?と聞くと、頑張ってね、とだけ返事が来た。それから続けて、転職しないって言ってたから油断していた、と来たので、確かに転職はしないって言ってましたね、と返した。
あまり湿っぽくなるのもいやだったけど、冷静に振り返って、私がもし逆の立場で彼の退職を同じように聞かされたら、きっとめちゃめちゃショックだろうな、と思う。直接言いたかったな、と思った。でもそれはただの私の都合で、何ならもっと後回しにせず自分が動いていればよかっただけの話だ。とはいえ、別に私がいなくなることくらい直接だろうが人づてだろうが、知る手段はどっちでもいいだろうとも思う。正直そんなに気にしていなかった。けど、少なくとも私は会社という組織で、こんなにも心を開ける存在に出会えるとは思っていなかった。だからこそ、最後くらいはちゃんと伝えればよかったな、という気持ちを持った自分をちゃんと覚えていたい。
一緒に海外出張に行ったとき、私は張り切って腕をぶんぶん回してプレゼン資料もスクリプトも考えた。「〇〇さん(彼)はここをカンペ見ながらでもいいから自信もって話してください」と言って資料を渡したけど、プレゼン前の移動中に「英語ができない」とぼやき続けるので、「出来ない不安は練習することでしか解消されないから練習しましょう。今からでもやれば多少は変わると思います」とすごく生意気なことを言ってしまった。その出張終わりにメッセージが来た。「今回の出張を通して〇〇さんが英語と言う自分のやりたいことを自分の力で叶えてきた人だと分かりました。そういう人は自分に甘えずに夢を叶える強い素敵な人だと思っているので、英語を喋ることも凄いですが、やりたい事を自分の努力で叶えた事がすごいと思うし、少しヤキモチです」「なので〇〇さんに練習しようと指摘されたのはとても良い刺激だったし、嬉しかったし、この歳になると人は何も指摘してくれなくなるので、今後も切磋琢磨できると良いなと思いました」「そして後輩にそんな人がいるのなら、やりたい仕事をさせてあげる環境作りが、無能な先輩のせめてもの責務なので、明日からまた頑張りましょう」と来た。それはとてもうれしくて、こんなふうに年齢や経験、立場を越えてお互いを尊重し合える関係性があることだけでなく、そういった本当の心のつながりのようなものを会社という組織を通して出会った人と築けるなんて思っていなかったので、それがすごくうれしかった。
辞めた翌日にこのメッセージの存在を思い出し、会社のメールで送ってくれたそれを、個別のLINEで再送してもらった。がんばってね、憧れの○○さん、という言葉が添えられていた。改めてこのメッセージを読むと、やはり退職する旨を自分の言葉で最初に報告できなかったことを改めて悔やんだ。年上の人にあこがれと言ってもらえる経験ははじめてで、真に受けると少し恥ずかしくもなるが、そういうことを一回り以上も下の後輩にきちんと伝えられる人もなかなか素敵じゃないかと思った。ちゃんとスクショしておいたから、今後つらいことがあったときに読み返そうと思う。会社員生活はダルいことも理不尽なこともたくさんあったけれも、こんな心強いメッセージをくれる同僚と出会えたのなら悪くなかったと思える。
3 notes
·
View notes
Text
2025.07.03
最近はすごく生活しているって感じがする。自炊する機会が増えた。ぬか漬けしたり、アイス作ったり、去年まではコンビニのアイスコーヒー爆買いしてたけど、最近は家で淹れて飲んでる。
恋人に昔書いた文章読まれて、顔から火が吹くほど恥ずかしかった。でも生々しい気持ちこそ忘れてしまいがちだから、残しておくことはやめたくない。昨日は外国人への街頭インタビューのバイトして、もっとこうしたら良かったなって思う部分もた��さんあったけど、ドキドキすることに自分から挑戦できたことは褒めたいと思う。海外でレジュメ配るのもこんな感じのドキドキだと思うとすでに帰りたい (行ってもない)
3 notes
·
View notes
Text
2025.06.26
まだ飛行機をとっていない。そろそろ取らないと。中東情勢が緊迫していて飛行機どうしよう、となっている。中国経由かトルコ経由になるのかな。周囲には「たった一年」だと散々言ってきたのに、いざ行くとなるとああ一年間もいなくなるのかと虚無感に近い気持ちに襲われる。一年しかないから一時帰国しない、と豪語していたけど、そしたら本当に一年まるまるいなくなるってことだ。何より日本に残る恋人のことを思うといたたまれない。私は環境が大きく変わるけど、彼は淡々と生活を送るのだ。そして私も、知らなかったはずの土地で淡々と日々を享受する未来が待っているのだろう。私がいないと可哀想、なんて、傲慢にもほどがあるから思わないけれど、それでも私が彼と過ごして楽しさや幸せを感じているように、彼もそうだとしたらきっと大きな喪失感につながるだろうと思ってしまう。ここまでしてやる意味があるのかって最近は本当によく考えている。20代前半で海外に飛び出した時とは全く違う感情になっている。
2 notes
·
View notes
Text
彼氏と遠距離になるのでアルバム制作を進めている。1からインデザインで作ってる。雑誌の見様見真似で作るのが楽しくて、気がついたら一日中作業してた。おやつにミスドでも食べよって思ってたけどそれも忘れてて、結局19時くらいに急いで買いに行った (ミスドは諦めなかった) デザイナーさんってすごいなと改めて思う。仕事してたとき修正対応が的確で超早い人がベンダーさんにいて、それって本当にプロのなせる技なんだなと実感する。
最近は留学に対する不安ばかりで、謎の焦燥感に追われていたけれど、何も考えずに作業に没頭することで少し息抜きになった。英語やんなきゃっていう圧をどこからでもないどこかから感じて苦しんでた、でも勉強するに越したことないから明日からやるんですけどね。ただ、少しずつでもいいって自分を許してあげれるようになりたいな。少ししかやらないときの罪悪感がすごすぎて、それにとらわれて億劫になることがあったりする、てかほとんどそう。
2 notes
·
View notes
Text
2025.06.02 (Mon)
有給消化2日目。間違ってネイティブキャンプの無料トライアルを解約しわすれてしまったので、元を取るために朝からオンライン英会話。その後新宿のミートアップに参加し、原宿まで歩いてI'm donut?へ。休日いつも激混みなので平日休みの利点を活かしてあまり並ばずにドーナツをゲット。その後また英会話2回やって、餃子作って今は恋人の仕事が終わるのを待っている。明日も英会話がんばる。
1 note
·
View note
Text
最終出勤日。いろんな感情の起伏があり、物理的にも動き回ったのでひどく疲れた。帰りにスーパー寄ってお惣菜とお酒買ってパーっとしよう!くらいに思ってたのに、スーパーで何を見ても全然食欲がわかなくて、三大欲求を抑え込むほどに今自分は充実感や達成感に満たされているのかなと思ったりした。結局寿司と酎ハイ1缶買ったけど、今またお腹空いてる。
やめる実感がなく、それでも最後の挨拶といって色んな人と話をしてると何度も泣きそうになっちゃった。こういう時にならないと本音を話せなかったり、思いを素直に伝えられなかったりするの、非効率だなあと思いながらも、やっぱりきっかけがないと恥ずかしいよね。でもそのたった一回のきっかけに思いを載せようとすると手一杯で、胸がいっぱいで、今日は色んな感情にさせられました。不思議な1日でした。
人間の脳みそはやっぱり都合が良い。都合が良いからこそ、あんなに嫌と思ったことがある会社なのに、今は良い思い出しか思い出せない、浮かばない。
とりあえず休みます。
2 notes
·
View notes
Text
『対岸の彼女』面白くて1日で読み終えた。底抜けに明るい人にはどこか影がある気がしていて、その影の部分を葵の人生から読み取ることができたような。健気な明るさも優しさもなんだかこれまでの人生の裏返しみたいで悲しく思えてきた。人との距離が近く、誰にでも優しいのは、いずれ他人は自分の元を去っていくという諦めから来ているのかな、とか。自由に振る舞っているように見えて、他人に縋らないとやはり立っていられないような脆さもあって。
"ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね"
って葵の台詞があるけれど、結局葵はどこまでも他人との共存を望みながら生きている気がしてつらかった。
0 notes
Text
過去は美化されるっていうのは本当にその通りで、突然黒歴史を思い出して穴に埋もれたくなる瞬間はふとしたときに訪れるのだけど、基本的にはそんなことは忘れている。本当に都合の良い頭だし、そういうふうに設計されている脳みそがありがたい。その代わり、たまに思い出した時のダメージがえぐいのだけど。
当時はしんどくてたまらなかったはずなのに、良い時間だったな、と思う期間がある。黙々と机に向かって英語の勉強をしていた頃だ。過去として捉えると途端に良い時間だなんて都合の良い脳みそに呆れる。今もちまちまと勉強はしているけれど、スコアをxxまでに取らなきゃ目標が達成できない、という縛られた中での勉強は本当に切羽詰まっていた。それでもやっぱり、良い時間だったなと思う。
誰にも言わず、黙ってひたすら勉強していた、朝5時に起きてエッセイを何本も書いた、実家に帰省してもひたすら英文を読んだ、出張中も早起きして勉強した。今思うとよくやっていたなあと思う、でもその時はそうでもしないと心が落ち着かなくて、1秒たりとも無駄にしたくなくて、ひたすら勉強に打ち込んだ。そうしている方が楽だった。余計な不安を忘れられる唯一の時間は、目標達成に向けて費やす時間だけだった。将来につながると思えたから続けられた。こんなにやってるし自分は絶対に大丈夫という自信と、それでも試験への苦手意識が強く超えられない壁がある気がしてしんどかった。有給をとって東新宿まで試験を受けに行ったとき、同じく受験する人たちの顔ぶれを見て、みんなこうして夢を追っているのだろうか、とふと思った。同じ時間に会社では同僚たちが仕事に勤しんでいる。東新宿のIELTS受験センターは、自分の能力をためす場所である一方で、束の間の休息と日常からの逃避であり、先駆けた留学のようなものだった。副都心線の深いホームへ潜り、階段を駆け降りるとき、ここからすべてが始まるのだ、なんて、ドラマの主人公みたいに思ったりした。予定のない未来が来るのは久しぶりだった。これから予定調和から抜け出す自分がいることにわくわくした。会社にいるときだって日々新しいことに挑戦させてもらった、でもそれは、"会社にいる"という大前提は変わらない中での挑戦だったから。
無事にスコアが取れて大学院からのオファーももらって、当時の自分からしたら喉から手が出るほどほしかった状態に今、いる。それなのに、今のほうがよっぽどしんどいなと最近は思う。夢を曖昧にとらえすぎていて、もっと考えればよかったかな、と思うこともあるし、何気なく発せられた他人の一言にゆらいでしまったりする。自分なりに葛藤し、悩んだ末に出した結論であったはずなのに、これでいいのかと踏みとどまったりする。もったいないね、と言われるとやるせ無い気持ちになる。同僚や家族が私を攻撃するつもりなく言っている言葉も、勝手に捻くれた捉え方をしてしまったりする。計画性はたしかになかったかもな、と思いつつ、計画なんか緻密に立てれば立てるほど自分が動けなくなる気がして怖かった、だからこそ、大ざっぱなライフプランだけを片手に握りしめて一歩ずつ進んできた。それでいい、私が私の進路や人生に満足していればそれでいい、そのはずなのに時折、ありもしないプランBの人生をほんの少し考えてしまうときもある。
現実的な問題はさらに頭を悩ませる。引っ越し費用、現地で住む場所、学費、生活費、日本での役所関係の手続き、とか色々。どうなるかわからないから怖いし、確定できないことが多すぎて、ストレスは確かにある。"なんとかなる"精神はもちろんあるけれど、20そこらの頃と比べて様々な経験をしてきたせいで、"なんとかなる"に至るまでのフェーズの解像度が無駄に高くなってしまった。それゆえ、こんな苦労がありそうだな、こうやって結局やな思いしてストレスたまるんだろうな、っていうのをやや見越して疲弊するようなこともある。結局わかっているのだ、全部。人生は予測できないとは言うけど、初めてのことをやれば楽しいことや嬉しいことだけじゃなく、泣きたくなることや怒り狂って仕方がないことも生まれるのだ。それは私が進むと決めた道に限らず、どこに進んだって一緒。ただそれと同時に、この道を選べば確実に自分が成長できることも知っているのだ。そのような道を選んだのだから、自分が一皮も二皮も向けて大きく成長することだって、もうやる前からわかっている。
時々ばからしくなる。なぜ��安な気持ちにあえてもっていこうとするのか、なぜ不安定な状態にあえて飛び込もうとするのか。大変なのは目に見えているのにどうしてそうするのだろう、と。やってみないとわからない、とにかくやらなきゃとがむしゃらに空回りを重ねて、時間の無駄遣いも人生の勉強だって都合よく言い聞かせてた20代前半とはもう違う。そこを越えたからこそ、もうわかっているはずなのに。それでも非効率に、不安定に飛び込むのはなぜだろう。読もう読もうと決意して結局読み切れていない『暇と退屈の倫理学』という本の内容をぼんやりと思い出している。人間はじっとしていられない愚かな生き物だ、と。
でも理由は単純で、やっぱり後悔したくないから、なんです。自分は愚かだとわかりながら、この先にきっと苦しみも悩みも待ち受けていると知りながら、こういうくだりを何度繰り返せばいいのだろうと思いながら、そんな自分に飽き飽きしながら、それでも突拍子もない挑戦を続ける理由。後悔したくないから。愚かでもいいから、退屈したくないから。他人を羨んでやきもきするよりも、自分自身が喜ぶ時間の使い方をしてあげたいから。時は金なり。時間は戻ってこない、今この瞬間を生きる私も、あらゆる決断を下した私も、これから待ち受ける私も、同じものは一秒たりともない。であれば、やるしかない。難しいことを考えた方がいい時もあれば、考えなくたっていい時もあるはずだ。そういう都合の良さが愚かさだと言われたら、そういう都合の良さが軽やかさだと笑っていられる人間でいたい。
2 notes
·
View notes
Text
4/25:奨学金の書類提出してお昼はよく行く居酒屋のランチを食べた。夜に中野へ行き、中野坂上のほうまで30分くらい歩いて魚が美味しい居酒屋で飲んだ。
4/26:朝から歩いて伊勢家食堂まで。スノーマンでバズってるの知らずに行ったら若い女性だらけでした。生姜焼き美味しかった。その後、ずっと気になっていた亀戸へ。神社のあたりでお祭りをやっていたので散歩して、居酒屋いこいへ。その後100円鍋のお店に行ったけど、割と不明瞭会計でそんなに安くなかったです。
4/27:朝から中野セントラルパークでマックをテイクアウトして朝ごはん。ブロードウェイでクレープ買って、スーパーで買い物して夜はお家で焼肉。
4/28:朝に中野から高円寺までジョギング、きつかった。新宿の英会話ミートアップに参加して、夜は友達と飲み会。
4/29:ひどい二日酔いで1日潰れた。悪酔いして爆泣きしたせいで目がずっと腫れてた。やよい軒で朝兼昼ごはん食べて、薬飲んで昼寝。夕方に新宿の立ち飲み屋行ったらやってなくて、代わりにつけ麺屋へ。メンマつけ麺にしたらメンマの量えぐくて、メンマって適量だから活きるものなんだと感じました。
4/30:月島にある海鮮定食屋さんに開店45分前から並ぶ。日差しがてりてりしていた。たらふく食べて、越中島から門前仲町、清澄白河まで散歩。隅田川沿いで少し休んで中野に戻り、セントラルパークでブルーシートを敷いてまったりした。夜は新宿の立ち飲み屋をリベンジして帰宅。急遽恋人が私の実家に同行することになり大慌てで準備する。
5/1:朝発のバスで地元へ帰省。はじめて家族と恋人を対面させたけど仲良くしてくれてよかった。私の運転で2人が通った大学周りまでドライブした。
5/2:朝から地元をドライブして海沿いまで。昼は彼が行きつけだった二郎系インスパイアのお店でラーメンを食べた。彼とは一旦別れて、夜はおばあちゃんちで餃子パーティー。姪っ子に会えた。
5/3:朝は軽くジョギングして、特大口内炎が痛すぎて午前中は薬を飲んで休息。母親とランチに行き、夜は恋人と合流して居酒屋2軒をめぐった。行きたかった地元のお店に行けて満足。
5/4:母親と朝に散歩して午前中から街へ出た。彼を迎えに行き図書館で本を読み、台湾まぜそばが美味しいお店でランチ。夜は親戚一同の集まりに顔を出して、BBQのような焼き鳥パーティーをした。
5/5:母親と朝に散歩し、翌日の法事に向けて買い物。天気が良く運転日和でした。夜はおばあちゃんと彼と飲み会。彼はその後東京へ戻り、私はおばあちゃんちに帰宅。ワインを一杯飲んでから布団で寝た。
5/6:法事で母親方の親戚とあつまった。祖父が亡くなってからそろそろ一年。従兄妹も子供が生まれる予定らしく、血の入れ替えというか生命の循環を感じた。
12連休が終わろうとしている。仕事をしていないと1日ってこんなに長いんだなと気付かされる。
海外に行く話をすると誰に似たんだかって言われて、私でもわからないなと思った。良いとか悪いとかじゃなくて、そういえば親族は私以外みんな地元にいるんだなって気がついて何とも言えない気持ちになった。みんながいるから私は安心して地元を離れられるのだが、そんな環境の中で1人地元どころか日本を離れようとしているなんて確かに突拍子もない話だなあと思う。家族のあたたかさにも触れた期間だったし、これから突拍子もない挑戦とか辞めて安定した道に進むのもありなのかなって思わなくもなかったけど、でもそれは自分が今突拍子もないライフプランを選択しているからこそ思うことで、想像もつかない将来の挑戦��少なからず不安があるからプランBに縋りつきたくなってるだけな気もする。というか、多分そう。
地元で暮らすということは足るを知っていることなのかなと思う。でも、私だって小さな幸せを見つけるのは得意なほうだと自負していて、それでもこの場所を離れたいのは更なる社会的地位とか富とか名誉を狙っているわけではなく、やっぱりもっと自由に生きたいからなのだ。過去の自分から離れたい、決めつけられたイメージから離れたい、多様性がもっと認められる場所にいたい、普通の基準が色々ある世界にいたい。ここはみんな優しいのだけど、誰とでも繋がる人間関係とかやっぱりどうしても窮屈だと思ってしまうし、軽やかに動きたい自分の足が過去の自分や身近な人が私に抱くイメージによって掬われてしまうような感覚になる。"いつもの連れ"を決め込んで腹を括って根を下ろすにはまだまだ早い気がしてしまう。
かつて読んだ本に"わざわざ東京に出るやつなんて地元に友達いないでしょ"ってセリフがあった気がして、そう言ってくれる人がいるだけで少し救われた気がした。そうじゃない人も沢山いると思うけど、そういうふうに見える世界に生きるからこそ、せめて本の中でそう言ってくれたことにひどく救われた気がした。
4 notes
·
View notes