#身体のケア
Explore tagged Tumblr posts
Text
立ち止まってもいいし、泣いたって構わないよ
心が解き放たれる瞬間 人生の出来事の中には、立ち止まり呼吸を整えて出発が必要な時があるこれまでの後悔や、これからの不安 どれも今どうにもできないことばかりかもしれない 後悔は、先に起きる出来事への自分の引き出し 先の不安は、新しく出発する自分へのお守りとして持つこと 両者も、大切な自分の一部です 何かの言葉や映像で、感情が溢れる瞬間もあるでしょうがそれは、自分の心を映し出した言葉や感情だったりします 自分では、引き出せなくなってしまった心の一部を見つけてくれたのかもしれません その瞬間に、出会えましたら、心を解き放つタイミングなのだと信じてみるのはいかがでしょうか 少しづつ、年の瀬が近づく12月ですね心も身体も健やかにお過ごし下さいませ。 くれたけ心理相談室 田中絵里
View On WordPress
#12月カウンセリング#カップルカウンセリング#クリスマスカウンセリング#くれたけ心理相談室半田#くれたけ心理相談室名古屋本部#くれたけ心理相談室知多#くれたけ心理相談室長久手#名古屋市女性カウンセリング#年末カウンセリング#心のゆとり#愛知県夫婦カウンセリング#身体のケア
0 notes
Photo
ほぼ1日立ち仕事で重たいものを運んだりする娘への誕生日プレゼント🎁 #ネックリラクゼーション #脚のリラクゼーション #birthdaypresent #誕プレ #身体のケア (有限会社フルフィル) https://www.instagram.com/p/CoRUMwpJP1X/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
Text
不安やストレスを乗り切る! 運動でメンタルケアを
感染症の影響で大きく変わった生活習慣、最近は感染前に戻りつつありますが、いまだに何だか気持ちがスッキリしない…という方も少なくないはず。
とくに冬の時季は日照時間が短い関係で、ストレスの影響を感じやすくなる方も多くなるといわれています。
このようなときに注目したいのは、運動でできるメンタルケアです。
今回は運動に期待できるメンタルケアについてと、その方法についてブログに簡単にまとめてみました。目次
運動とメンタルヘルスの関係
運動をしている人は抑うつ傾向になりにくい
運動をしている人の方が「気分が優れている日」が多い
日光を浴びる時間が少ない「冬」「在宅ワーク」は要注意
メンタルケアに効果的な運動法とは?
運動する時間は「今より10分プラス」
運動の内容は取り組みやすいものから
最後に
関連
運動とメンタルヘルスの関係
まずは運動とメンタルヘルスの関係がわかる研究結果です。
運動をしている人は抑うつ傾向になりにくい
運動をしている人は、運動をしていない、または運動時間が少ない人に比べて抑うつ傾向になりにくいということがわかっています。
20~60歳の会社員を対象にした研究があります。
1週間に135分以上の運動をしているグループは、運動を全くしていないグループや、1週間の運動時間が135分未満のグループに比べ、1年後に抑うつ傾向の発生率が約半分となったことがわかりました。
運動をしている人の方が「気分が優れている日」が多い
運動習慣のある人は、運動習慣のない人に比べて「気分が優れている日」が多いことがわかっています。
アメリカ内に住む18歳以上120万人を対象に行った調査では、運動習慣のある人は、運動をしていない人に比べ、気分が優れないと感じる日数が1か月間に平均1.49日少ないという結果になりました。
中でも最も大きな関連がみられた運動の種類は、チームスポーツ、サイクリング、有酸素運動とジムでの活動であったこともわかっています。
どちらの研究においても、運動習慣があることが心の健康維持に役立つ、ということがわかる結果となっています。
日光を浴びる時間が少ない「冬」「在宅ワーク」は要注意
日光を浴びる時間が少ないと、メンタルヘルスの不調を感じやすくなるといわれています。
「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンは、精神を安定させる働きがあり、日光を浴びることで分泌されます。
日照時間の少ない冬はセロトニン分泌が少なくなると考えられ、心の不調を感じる方が増えるともいわれています。
また在宅ワークが続き、日光を浴びる時間が減っている方も同じように注意が必要です。冬の時季や、在宅ワークが続くときこそ、外に出て身体を動かしたいものです。
それには、日中の時間の長い春先から習慣化させておくとスムーズに季節の変わり目も乗り切れますよ。
メンタルケアに効果的な運動法とは?
気持ちの落ち込みやすい環境のときこそ、少しずつでも身体を動かしてメンタルケアに役立てたいものです。
では具体的にどのように実践したらいいのでしょうか。
運動する時間は「今より10分プラス」
運動の最適な時間というのはさまざまいわれていますが、厚生労働省のスマート・ライフ・プロジェクトでは18歳~64歳の方の場合は以下のような目標が定められています。
・今より10分多くカラダを動かす ・歩行以上の強度の身体活動を毎日60分 ・息がはずみ汗をかく程度の運動を毎週60分
運動習慣のなかった方が急に長時間の運動を行うと、ケガなどにつながる恐れもありますので「今より10分多く」を目標に、少しずつ運動量を増やしていくといいでしょう。
運動の内容は取り組みやすいものから
運動の内容は、自身が取り組みやすいもので構いません。
外に出て行える運動であれば、日光を浴びることでセロトニン分泌を助けてくれるでしょう。
【取り組みやすい運動の例】
・ウォーキング…負荷が軽いため取り組みやすい運動です。通勤や買い物のついでにプラス10分歩くのもいいでしょう。
・インターバル速歩…ウォーキングより効果が出やすいとされている運動法です。少し負荷をかけてみたい方におすすめです。
・ラジオ体操…実はさまざまな効果が期待されています。外に出られない日は窓際で実践してみましょう。
・HIIT…ややハードですが、1日4分でOKという運動法です。すでに運動習慣がある人におすすめします。
・日常生活に運動を取り入れる…何気ない動作を運動にしてしまうと、楽に運動量を増やすことができます。ちりも積もれば…です。
最後に
���宅ワークなどで自宅にいる時間が長くなったりすると、なかなか外に出るのは億劫に感じるかもしれません。
「時間を決めて」「休憩ついでに」など、やりやすい方法でOKです。
ちょっとでも体を動かしてみて、スッキリ感を味わって習慣化してみませんか。
#メンタルケア#運動#心の健康#フィットネス#心と体のバランス#健康生活#ストレス解消#リフレッシュ#ワークアウト#心身の健康#心を鍛える#健康なライフスタイル#ストレスマネジメント#運動と心の繋がり#メンタルヘルス#リラックス#エクササイズ#心を癒す#モチベーション#自己ケア
2 notes
·
View notes
Text
2019年4月27日に書いていたしんどい時の自分のケア方法。またしんどいことがあったら役に立つといいなと思って書いたことをなんとなく覚えていて、見返してみた。すんごく真っ当なことが書かれていて、びっくり。
考えことは、夜にはしない。昼間太陽とともに。
同じ思考を繰り返している場合は、きちんと思考を中断する。
感情はコントロールし、きちんと表にだしていく。怒ることは悪いことではない。
コントロールできない感情に対しては、無防備に直面しない。直面する際には、時間と人を間に入れ、ポジティブなフィードバックを受ける環境で、向き合っていく。
感情を落ち着ける逃げ道を用意するが、感情から逃げ続けるための予定に、追い込まれない。人と話すことによって、できごとの再体験をしすぎない。
食事がとれないときは、水分をきちんととる。突然に身体の負担になるものは食べない。食事に逃げない。食べる時は和食。
苦しいことに慣れない。抜け出すべき道であるということを自覚する。
これからの在りたい姿を自分の中に、確立する。
気分転換の買い物は本にする。本屋を巡り、たくさんの世界をみると落ち着く。本はいくら買っても、無駄遣いにならない。
634 notes
·
View notes
Quote
「標準治療」ができなくなった患者さんに忍び寄るのが、保険診療外の自由診療を行なっているクリニックです。医師には特権が与えられています。保険診療外であれば、医師が「治療」と言い張ることで、なんでも自由にお金を請求できてしまうのです。それこそ、がんに効く水を飲ませると言って数百万円で買わされた・・・みたいな話もありました。 自由診療で行われているものには、免疫療法、ビタミン剤、標準治療以外の抗がん剤、温熱療法など、さまざまな種類があるようです。ただ、いずれにも共通しているのは「標準治療」と違って効果が実証されておらず、保険診療にはなれなかった(研究で標準治療に負けた)治療たちであり、治療に高額の費用がかかるというものです。 しかもこういった自由診療のクリニックの医師たちは、基本的に優しいのです。「標準治療」ができなくなって、ある意味病院から見放された患者さんたちに「よく来てくれました。ここでは治療できますからね」と励ますのです。治療効果についても、たとえ病気が大きくなって、身体が痩せていったとしても、検査結果でよく見えるところだけ強調して「このままできるだけ続けましょう」と自由診療を続けさせます。そして、いよいよ悪化して、自由診療のクリニックに通院できなくなったとき、最期に見放すのです。なぜならそういうクリニックは入院できる環境がないので、「救急車を呼んでどこかへ連れて行ってもらいなさい」というのです。そういう患者さん、いったいどれだけ私は診療してきたか・・・。
Xユーザーの廣橋猛@二刀流の緩和ケア医さん
46 notes
·
View notes
Text
ネタは毎回俺が手配
曰く金欠で常に現金が無く
翌月頭に再度会っての後払い
会うのは3ヶ月に一度
久々に顔合わせても毎回笑顔一つない
駅から徒歩20分の自宅以外でのセックスは頑なに拒否
部屋にある繊維類は全て生乾き臭
差し出されたタオルで身体をふくのは躊躇われる
口臭ケアにとにかく無関心
チンコはシャワー後でもちょっと臭う
ノートレーニングの体型
ノーケアの肌
味があるっちゃー…まあそんな感じかもしれないけど
一言で言うとやっぱりドブス
机に散らばる大量の精神安定剤
睡眠剤
ごめん・ありがとう
が言えない
そんな奴と
なぜ会ってるかって言われたら
返答に困るんだなあ
強いて言えば
辛い気持ちになった時に
誰よりも細やかに
対応���てくれたことがあったから
かも
嬉しくて
それがお守りみたいになってたな
根底いい奴だって
なんだかんだ言って気が合うんだと
思ってたな
おい
生乾き口臭ドブス野郎!
今日はお前と決裂したな
スッキリしたぜ!
でも
…風通しが良すぎて
少し寒いな
やっぱりちょっと
穴あいたのかもしれんな
神様…
早く
生乾き口臭精神安定剤野郎を
俺の心から追っ払ってください。
アーメン!
12 notes
·
View notes
Text
A self-insertion fantasy about the sons of Nurgle from Warhammer, Putrid Blightkings, Tamurkhan, and Kayzk the Befouled. What if they liked you?
Machine translation and Japanese (native language) are included.
Putrid Blightkings are monsters who are completely corrupted in both body and mind, living to receive and spread the love of Nurgle. However, when they see you, they remember the simple desires they had when they had a decent body. It was to get a stable job, have a partner they love, and spend modest but happy days. For them, who have lost their way, lost hope, and given up and let everything go, you are their first love who will never age in nostalgia. They have no knowledge or skills like demons or doctors, so the only way they can give you the blessings of God is through simple and primitive exchange of bodily fluids and mucous membrane contact. They are happy to do this to make you more attractive.
Tamurkhan is a king who is loved by Nurgle, and his authority will hinder your free actions. When he is not on the battlefield, he always makes sure you are within his sight. While he growls that others should take care of the dogs, the Toad Dragon is breaking the fence in the barn out of loneliness. Tamurkhan does not apologize for what is right. He will treat you as a lady worthy of being next to the champion, and educate you. In return, as a brave warrior endowed with the power of Nurgle, he will not let you disappoint him. But for a moment, he will reveal his soft and delicate nature to you... It is the body of a huge, white, fat, hideous insect, just like the title of the Maggot King. When Tamurkhan warms it against his bare skin and asks it to sleep, he looks shy and pitiful, which is hard to imagine from his behavior towards his subordinates.
Kayzk the Befouled is a proud knight who is a poster boy for the cover of the Nurgle world's charity calendar. He gave up his body and offered his soul to Nurgle, showing the noble path to the lesser souls who found themselves in his father's arms on the way to hell. Kayzk is not arrogant, but he is always fighting on the front lines and has an overzealous side that argues with the unworthy. He finds comfort in watching you tend to the rot beasts in your tent. If he had no soul and could not feel, he could watch for hours. If he had vocal cords left, he would have said, "You too can offer your soul to the god as an ornament. I am already there. I want to be with you under my father! Shine by my side!" However, pus bubbles in Kayzk's throat, and all you can do is watch with a smile.
ブライトキング達は、ナーグル神の愛を受け、それを広める為に生きる心身共に腐敗し切ったモンスターです。しかし、あなたを視界に入れる時、彼らはまともな肉体を持っていた頃の素朴な願望を思い出します。それは安定した職に就き、想い合う伴侶を持ち、ささやかだけど幸せな日々を過ごす事です。道を踏み外し、絶望して、全てを諦め手放した彼らにとって、あなたは郷愁の中で永遠に歳を取らない初恋の人です。悪魔や医者のような知識や技術を持たない彼らが、あなたに神の恵みを与える手段は、単純で原始的な体液交換と粘膜接触しかありません。彼らはあなたをより魅力的にする為に、喜んでそれに励みます。
タムルカンはナーグル神の愛を受ける王で、その威光であなたの自由な行動を阻害します。彼が戦場にいない時は、いつでも視界にあなたがいるように仕向けます。犬の世話など他の者にやらせておけと唸る一方で、納屋では腐敗獣が寂しさで柵を壊しています。タムルカンは当然の事について謝罪しません。あなたを覇者の隣にいるに相応しい淑女として扱い、または教育します。その代わり彼自身もナーグル神の力を賜った勇士として、あなたに失望される事だけはするまいと思っています。そんな彼も本当に一時、少しだけ、あなたにだけは柔らかく繊細な本性を顕にします…。それは蛆虫王の称号そのままの、巨大で白く肥えた悍ましい虫の本体です。それを素肌で温めて眠るよう頼む時のタムルカンは、部下達への振る舞いからは考えられない程内気でいじらしく見えます。
汚れたケイズクは、ナーグル界のチャリティカレンダーの表紙を飾る広告塔で、誇り高い騎士です。肉体を捨てナーグル神に魂を捧げた彼は、地獄へ堕ちる最中に尊父の腕の中に収まっただけの下等な魂に崇高な道を示します。ケイズクは驕らない代わりに常に前線で戦い、不心得者と言い争う熱心すぎる面も持っています。彼が安らぐのは、幕舎で腐敗獣のケアをするあなたを眺めている時です。魂が無くて感じないのなら、何時間でも見ていられます。彼に声帯が残されていたら、「あなたもその魂を神に装身具として捧げましょう。私は既にそこにいます。尊父の元であなたと共にありたい!私の側で輝いて下さい!」と口説いたでしょう。しかし、ケイズクの喉では膿が泡立つだけで、あなたは笑顔のまま見守るしかできません。
12 notes
·
View notes
Text
2024/11/15
無理やり開けた金曜日の朝は曇り。
半年ぶりに母の主治医に呼び出され「もう、いつどうなるかわかりません」と告げられた。
脳に再度癌が転移する可能性が高く脳梗塞になる危険性も増した。家族に意思確認をしなくてはならないということで、救急で病院に担ぎ込まれたときに延命治療しないことへの合意と次の薬が効かなければ緩和ケアに切り替えることを暗に勧められた。
良くて余命1年。
母はある程度泣いたあとに主治医が独身であることを心配し、葬式やるのかだとか、兄家族に会っとくかとかそんな話をしてた。切り替えが早いのか、現実を見続けることができないだけか。
もう、母の病状は上向くことはないのだろう。
悔いなく死ぬなんてあるのかなぁと思いながら病院からの帰り道を歩いた。
遠くに高積雲とそれを照らす夕焼けが見えた。
ハッと心が一瞬で洗われるような景色も、身体や心がなければ感じ入ることも見ることもできない。
世界は自分に最適化されていない。でも、時折美しいので生きていたい。そう思う。
まだ、母に死ぬのが怖くないのか聞けない。
小さい頃、死という概念を知り泣きじゃくった自分に「そういうものなのよ。私が先に死んであなたもいつか死ぬ、でも受け継がれていくのよ。私が母や祖母から受け取ったようにあなたも受け取って渡していくのよ」と言った母。
その時がくる。【いつか】が【1年以内】に変わった。
何もする気はしないけど、スーパーに寄ってモツ鍋でも作ろう。
7 notes
·
View notes
Text
Asami
麻美さんにお会いできました🩷
某企業の執行役員を務められてる聡明で知的な麻美さん😍
身体のケアもしっかりで流石な常連さまです
9 notes
·
View notes
Photo
(「SHOGUN 将軍」女性の座り方をめぐる製作陣の葛藤、「立て膝」ではなく「正座」になった経緯とは? | THE RIVERから)
「SHOGUN 将軍」女性の座り方をめぐる製作陣の葛藤、「立て膝」ではなく「正座」になった経緯とは?
マークスは「座り方についてはたくさん議論しました」と米The Hollyood Reporterのインタビューで語っている。マークスら製作陣は、京都大学の教授を歴史の専門家として招き、同氏が持参した実際の資料をもとに、戦国期の女性には「立て膝」という片膝を立てた座り方が一般的だったことを学んだという。ドラマでも立て膝を再現するものかと思った矢先、プロデューサーの真田広之と宮川絵里子からある提案があった。 「(戦国期から)少し後の江戸時代で正座が一般的になったようですが、そしたら日本人のプロデューサーである広之と絵里子が、日本の視聴者にとっては正座が普通だと伝えてくださったんです。それが、侍��画や時代劇の風習なのだと。現代の人たちには、女性が立て膝で座るのはおかしく見えるようなんです。」 この提案により、「歴史的な正確さとジャンルの風習に対する視聴者の期待が衝突してしまった」とマークスは振り返る。葛藤の末、「文化的権限の限界」を超えていると感じたマークスは、判断を真田と宮川に委ねたのだとか。「日本のプロデューサーにお任せして、正座でいくことになりました」。 ちなみに真田はプロデューサーとして、視聴者の世代ごとの嗜好を意識した作品作りに努めたことを明かしていた。「昔ながらの作りだと若者が見ない。若者向けに現代ナイズしていくと今度は本格派の時代劇ファンが見なくなる悪循環が起こります」。座り方をめぐっても、全体のバランスを考慮した上での究極の決断だったのだろう。
- - - - - - - - - - - - - - - -
エポックメーキングな時代劇として「立て膝」も見てみたかったかも。 今までの映画でそういう描写あったのかな。 と思ったらドラマでは既にそうだった。
戦国時代の武家の女性の座り方について田端泰子本学名誉教授がコメント - オフィシャル | 京都橘大学
戦国時代の武家の女性の座り方について田端泰子本学名誉教授がコメント 2020年6月13日 大河ドラマなどで見る武家の女性が座るシーンが、正座ではなく立て膝で座ることがSNSなどで話題になっている。日本中世史・女性史を研究している田端泰子本学名誉教授の共著『身体はだれのものか 比較史でみる装いとケア』(昭和堂、2018年)で、戦国から江戸時代の肖像画をたどり、立て膝が不作法でなかったことを裏付けている。室町時代や豊臣秀吉の時代は、床は板敷き。当時の身分の高い女性の肖像を見ると立て膝やあぐらで座っている。肖像画を描かせる時には畳が敷かれていたが、立て膝のままポーズを取っていることから、正式な座り方だったと推測される。女性の衣服も、小袖は丈が短くゆったりした作りで足が自由に動かせたことからも、時代考証的に正しいと田端教授は話した。 【2020年6月13日 読売新聞・夕刊に掲載】
身体はだれのものか - 株式会社昭和堂
24 notes
·
View notes
Quote
クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくな���ました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言��のをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たち��犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただ���ゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある��突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
48 notes
·
View notes
Text
2024/10/03 ケアの倫理と魔法少女まどか☆マギカ
「ケアの倫理 the cthics of care 」はアメリカの心理学者であるキャロル・ギリガンが1982年に公刊した『もうひとつの声』で提唱して以来、哲学、政治学、社会学といったさまざまな学問領域に影響を及ぼした考え方である。ギリガンは1960年代後半、道徳性発達理論の権威である心理学者ローレンス・コールバーグの助手としてハーバード大学において女性と道徳に関する調査研究を進めるなかで、当時の女性たちが社会が期待する女性像を内面化した結果、既存の心理学においてはその道徳能力が未発達であると判定されるディレンマに陥っていることに気づき、多くの女性にインタヴューを重ねるなかで、これまでコールバーグの発達理論をはじめとする既存の心理学が捉え損なっていた「声」を発見する。こうした「声」を彼女は『もうひとつの声』において「正義の倫理」ではなく「ケアの倫理」から再評価する。
ここでいう「正義の倫理」とは自由意志をもった自律的な主体を前提として、諸権利の競合から生じる道徳的問題を客観的で公正な原理に基づき形式的に優先順位をつけて解決しようとする思考様式である。これに対して「ケアの倫理」とは関係性の網の目のなかで個々人は決して完全に自律的ではなく常に相互依存の関係を結んでいることを前提に、個々人の責任の衝突から生じる道徳問題をその人その人が置かれた具体的・個別的な語りのなかに文脈づけることで解決しようとする思考様式である。
そのため「ケアの倫理」は近代社会で必ずしも自律的な主体ではないケアされるものと見做されてきた子ども、高齢者、障害者、病人などの存在や、彼らのケアを負担する存在のニーズにどう答えていくかといった「正義の理念」からは導かれない問いを積極的に引き受けることになった。換言すれば「ケアの倫理」とは互いにケアし合い依存し合う関係性を中心化することによって、いかなる者であろうとも取り残すことはない非抑圧的・非暴力的な平等社会を構想する思考であり、この理念のもとで個々人は「具体的他者のニーズへの応答」を引き受けることになる。かかる視座から同書は「正義の倫理」と「ケアの倫理」を対比的に考察し、これまで男性に比べて「劣っている」とされてきた女性たちが異なる発達の過程を経て成熟に至ることを論証する。
確かに「ケアの倫理」は「正義の倫理」のようにディレンマを一刀両断に解決できるような明瞭さはない。しかしそのディレンマが現れてくるその文脈においてあらゆる重要なことに目を凝らし、しっかりと対応するという道、決断というより熟考することにむしろギリガンは道徳的な価値を見出している。そして、ギリガンはこのような新たに獲得した視座から既存の視座を補い、拡張し融合することで人間の発達に対する理解に変化をもたらし、人間の生に対する見方をより実り豊かなものとなる将来を思い描けるようになると述べて同書を締め括るのであった。
そして思えばゼロ年代的な想像力の総決算とも評され、現代表象文化に多大なインパクトをもたらした『魔法少女まどか☆マギカ』という作品をこのような「正義の倫理」と「ケアの倫理」のせめぎ合いを鋭く描き出した作品でもあったといえる。同作が斬新だったのは、従来の魔法少女観を根本的に転倒させた点にあった。そこで描き出されるのは「夢や正義の象徴としての魔法少女」ではなく、いわば「システムとしての魔法少女」である。物語が進行するにつれて徐々に以下のような「魔法少女の真実」が明るみに出されていく。
地球外生命体、インキュベーターはこの宇宙の寿命を伸ばす為、エントロピーに逆立する���ネルギー源として人類の、それも二次性徴期における少女の「希望と絶望の相転移」による感情エネルギーに着目する。そして、そのエネルギー源を効率的に採掘する為「魔法少女」というシステムが開発された。このシステムにおいて少女達は「ひとつの願い」と引き換えに、その魂は身体から引き剥がされ「ソウルジェム」に具象化されて「魔法少女」を構成する。このソウルジェムは何もしなくても徐々に穢れを溜め込み濁っていく。やがて極限まで濁ったソウルジェムは魔女の卵である「グリーフシード」へと相転移し、かくて魔法少女は「魔女」となる。インキュベーターの狙いはまさにその際に生まれる莫大なエネルギーの回収にあった。
そして、本作における「正義の倫理」と「ケアの倫理」の対立は第9話におけるまどかとキュゥべえの対話に象徴されている。ここでキュゥべえは上記のような「魔法少女の真実」を理路整然と説明した上で「長い目で見れば、これは君たちにとっても、得になる取引のはずだよ?」と述べる。そして、まどかの「バカ言わないで。そんなわけのわからない理由で、マミさんが死んで、さやかちゃんがあんな目に遭って。あんまりだよ…ひど過ぎるよ」という言葉に対して彼は「僕たちはあくまで君たちの合意を前提に契約しているんだよ?」「認識の相違から生じた判断ミスを後悔する時、何故か人間は、他者を憎悪するんだよね」と答え、さらに「今現在で69億人、しかも、4秒に10人づつ増え続けている君たちが、どうして単一個体の生き死ににそこまで大騒ぎするんだい?」と冷然と言い放つのである。
キュゥべえの論理は極めて明快である。彼の主張は徹頭徹尾「宇宙の寿命」と「少女の生命」という諸権利の競合から生じる問題を客観的で公正な原理に基づき形式的に優先順位をつけて解決する「正義の倫理」に依拠している。これに対して、まどかの語りは終始、歯切れが悪く、どこまでも感傷的なようにも見える。けれども、それは裏返せば彼女がどこまでも「ケアの倫理」に誠実であろうとする態度からくる証左であるともいえるだろう。そして、このようなまどかの「ケアの倫理」は土壇場において、キュゥべえの「正義の倫理」を見事に出し抜くことに成功し、すべての魔法少女に向けたケアともいえるあの願いに至るのであった。
4 notes
·
View notes
Quote
「望まない異性介助」については、「性被害」「性的虐待」とまで言えるものであるか疑問ではありますが、障害者本人の羞恥心等も含めて選択できることが望ましいとは思います。 ただ、筋ジス等で身体に力が入らない人を浴槽に移乗させるのはベテラン介護士、看護師が複数人で介助してもかなり大変で危険です。非力な女性介護士、看護師ならなおさらです。いまは折りたたみのポータブル移乗機などの介護機器があるのでそれに頼るのが現実的かと思いますが、コストの問題もあります。 まずはサービス利用の前にどのようなケアを望むのか、現実的にはどのような対応になるのか、それが本人として受け入れられるものなのかをよく検討してケアを受けるべきだと思います。
「入浴介助に男性が来た時は泣いた」女性障害者の性被害、どんな支援が必要なのか(京都新聞)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
7 notes
·
View notes
Text
2024年8月31日(土) 『月』
元気ですか?
僕は元気です。
こちらでの生活にも慣れて、自分がやるべきことにもフォーカスしていけるようになってきた。
心も身体も合致していて、今を生きることができている。
特にこっちにきてから気づいたのは自分の心の向き合い方、即ち『生き方』自体が明確になって、それと同時に「あ、今まで自分の方法を知らなかったのか」ということにも気づかされた。
分かっているようで分かっていない。
分かったと感じた今でさえ、まだ分かっていないのかもだけれど、それでも前に進��でいるということは確かである。
『周りの人を幸せに』
これって究極だと思う。
日常生活、仕事、自然界。全てにおいての究極。
結局、周りを幸せにできる人っていうのは自分が幸せで。自分が幸せじゃないと周りを幸せになんかできない。
周りを幸せにすれば、いつか自分に返ってくるというのは結果で、最初から願うことではない。
また、ジェントルマンというのは結果で、自分から名乗るものではないということにも最近気づいた。
でもそれができている人はほんの僅かで。
「誰かのために」というのが言い訳になって、それに見返りを求めてしまっていたり、自分が歯を食いしばって言うほど寒いことはない。
「他人に向き合う前に自分に向き合ってあげないと他人のために生きられない」
当たり前のことだが、身体のケアはするのに、心のケアしないの?と質問するとドキッとする人もいるんじゃないか。
僕は1日の始まりに、1日の終わりに。自分と向き合う時間を作っている。
1日の始まりは、まず自分自身と向き合う。この世の何よりも強く、思い切り自分のために生きる。
そして、その時間が終わると、その瞬間からは思い切り他人のために生きることにしている。
1日の終わりは、森の中を駆け抜ける様に。
今日これ良かったな、これダメだったなって言うのを振り分けていく。
いずれも、意識を自分の中に向けることを練習し続けている。筋トレをする人は多くいるけど、心の筋トレもきちんとしている人は少ない。
Dなら必須だよね。
���、太陽ばかり大事だと思っているかもしれないが、月も大事で。
月がなくなったら潮の満ち引きが少なくなり、1日が長くなり、季節は無くなる。
そして、地球の生活は一変する。
世の中にもそれと同じものがある。
『目に見えるものは見るな。』
『耳から入ってくるものは聞くな。』
自由なのに自由になるための制約が多い世界で、努力を怠らなければ何とかしていける。
単純なことだけど、忘れてしまっていないかい。
一生懸命やること。
初めから正解ばかり見極めるのに時間を使いすぎてはいけない。
何でも調べればいかにも答えのようなものが沢山あるから難しいけれど。
努力。をする。
という単純なことは忘れずにいこう。
そして、自分が責任を取れることにも感謝していこう。
世界を変えるクラブがそんな小さい努力惜しんでたらダメだよ。光の速さで挑戦して、失敗していかないと。
長くなったが、結局伝説を作る人は自分軸に生きている。
志がそうさせる。
競争している人たちはそれなりになる。
きちんとした心理学を学ぶといい人と悪い人は逆になる。
『人生が私にレモンをくれるなら、レモネードを作れ。』
인생이 나에게 레몬을 주면 그것으로 레몬에이드를 만들어라.
今僕は僕自身に熱狂している。
No excuses, 以上。
3 notes
·
View notes
Text
リングを磨き サドルを替えて
今日は金属用の布やすりとピカールをつかって、日々つけているリングたちを磨きました。あと買い物ついでにつーちゃんからもらった自転車、ビリビリのサドルのまま半年間使っていたものを新調し、新品のサドルに。わたしは使っていくなかで汚れたり、擦り減っていくものと共にあるときの調子の良さをいつも感じているのですが、たとえばかけているメガネのくもり、リングのくすみや真鍮の緑青、ボロボロのサドルなど。それは怠惰の受容や消費社会に低く垣根をつくるようなお気持ち表明というか、そういう態度の顕れがものに反映されている安心感だとも思い、頑なに新しくしたりきれいにしようとしないことがしばしばある。しかしこれらが新調されたり、ケア、リペアされたときの気高さというのは、この調子の良さを思い出させないもので、つまりボロボロでもほどほどに調子が良いが綺麗にしているときの方がより、あるべき姿としては真実っぽいということである。
また、これはわたしの思う代謝。日々身体や心持ちがターンオーバーして少しずつ変わっていき、次第に新しくなっていく、その逡巡では変わらない部分に安堵してそこに自分のアイデンティティを見出そうとも、しかし少しずつ変わりながらある観測時点で全体が入れ替わるときには、既に以前の状態に思いを馳せることはできない。だからわたしは日々髭を剃り、仕事をして、人と話し、風呂に入り身体を洗う最中も刻一刻と変わっているということにもっと自覚的に、切なさと期待感を持って生きねばと思うのでした。
また、これはわたしの思う政治、、
4 notes
·
View notes
Text
"食事や水分が取れなくても、胃瘻をつくることや点滴をすることもありません。
体が働きをやめていく段階において、水分を投与しても体はそれをうまく循環させて有効に活用されることはありません。
心臓に負荷をかけたり、血管外に水分が流れてしまい、息苦しさを助長したり、痰を増やして誤嚥、肺炎を引き起こす原因となります。
私が日本の病院で勤めていた頃、ターミナルの患者さんはいつも痰がひどく、痰の吸引をするのが当たり前でしたが、スウェーデンの病院で吸引をしたことは一度もありません。
ターミナル期でもこれほど呼吸苦が少ないというのはとても驚きで、体に余分な水分をいれることで、苦痛を引き起こしていたことに気づきました。
ターミナル期の患者さんの血圧などの身体的データや、心電図をみられないことは、患者さんの情報が少ないように感じて初めは少し不安だったのですが、
数字や波形から患者さんの情報を知るのではなく、患者さん自身の様子、表情からその人にとって必要なものを見つけケアをするということが緩和ケアであることを学びました。"
11 notes
·
View notes