Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
2024.10.01
何度か来たことのある部屋で目を覚まし、そのまま仕事へ向かう家主と別れ、適当なバスに乗った。終点で降車して地図を開き、現在地点の少し先に“植物園”の字を見つけて、そこまで歩くことにする。
赤塚植物園は散歩に向いた園で、行ったことのある中では目黒の自然教育園の雰囲気に近かった。石に支えられたベンチやテーブルが好きだった。
彼岸花や睡蓮も咲いていたのだけれど、見返すと看板ばかり撮っている。先日、「かわいい看板を見かけると__さんを思い出します」と言って、自分では生涯辿り着かないかも知れない街の看板を、Uさんが写真に撮って送ってくれた。それが嬉しかった。好きなものを好きだと口にしていると、私の優しい友人たちは、折にふれてそれらを見せてくれる。街灯やソフトクリームライト、看板や室外機の群れ。
植物園を出ると、ちょうど雨が降り始める。傘を差していても、風にあおられた雨粒が少しずつ服を重たくする。このあと誰かに会う予定があるわけでもないから、構わずに散歩を続けた。
途中、公園を見つける。“ゆうぐのなまえ”と太文字で書かれた看板に、“ふくごうゆうぐ:あそぼ〜”や“ノリノリ:ポニー”などと図示されている。その看板には子馬とパンダと虎とがいたのだけれど、実際にはラッコとイルカの遊具もあった。君たちは新入りなのかな、と思う。
高島平団地に着くころ、今日が祖母の誕生日であることを思い出して連絡する。祖父の喉に穴が空いてから、彼女は時折死への欲求を滲ませるようになった。もう年は取りたくないと溜息を吐いていた。いつもならば真っ先に「__は元気かい?」と訊くのに、今回はそれがなかったので、おや、と思う。公園で誰かの落とした青いトラックを見ながら数分話し、電話を終えた。
高島平駅からさらに北へ歩くと、見知った煙突に似たものが見えてくる。そういえば、数日前に投稿した池袋の塔が「高島平にもある」と引用されていた。その頃には雨が上がっていて、青い空に煙突が映えていた。
板橋区立熱帯環境植物館に着く。チケット販売機の前に立っている時点で既に子供のはしゃいだ声が聞こえる。どこかの小学校が遠足中のようだった。Eに「黄色い帽子を被った子供と私としかいない」と報告すると「植物のふりしな」とアドバイスをもらう。
温室の外側には、劇場の貴賓席のような、大きな窓とソファのある空間があり、そこから中を見られるようになっていた。居心地よく、また黄色い子供たちのいなくなってからは人も少なかったので、そこにしばらく座っていた。
これまでは翌日の仕事のために眠れるまで薬を飲んでいたけれど、休職している今は、たとえ寝付けなくても規定通りの量に戻すことを優先している。それで、ここ数日はあまり眠れていない。その場所にいるあいだ、自分が休まっているのを感じられて快かった。
自室に戻ろうと植物館を出て、ガスタンクの3つ並んでいるのを見つける。それが何のために必要で、どう動いているのかを知らないからか、自分にはまったく理解の及ばない宇宙船か何かのように見える。光の反射が綺麗だった。
ガスタンクのそばで母親と電話をする。もともと連休の間だけ地元へ行く予定だったのだけれど、普段滅多に帰省しないことや、今回の休職で随分心配をかけたことを機に、滞在期間を延ばしたのだった。祖母との通話について話すと、「余計なこと言われなかった?」と心配そうに言われる。どうやら、祖母から「__は子供作んねのか」と何度も訊かれており、私の体調がずっと悪いことや、自分を生かすのに精一杯で子供を作る気はないことを説明してくれたらしい。母の理解の深さが嬉しかった。帰省中に何をしようかなと言うと「あんたは私にレザークラフトを教えなんないよ」と返される。私がもう使う予定のない道具を実家に送ると、母は「勿体ないから」と言って、それを使って新しくものを作り始める。彼女が手芸を教えてくれたおかげで、私は一人遊びの上手な子供だった。今でも手慰みでレースを編む。
浮間舟渡駅へ移動すると、駅のすぐそばに広い公園があったので、その池の周りを歩いた。陽光に晒されたくなって日傘を閉じた数分後、右目から涙が止まらなくなる。感情由来の涙は両目から、それ以外の涙は右目から出る。普段あんな眩しさの中にいることがないから、光をうまく調節できずに疲れたのだろうか。ぼろぼろと出てくる涙に困ってしまう。
17時ごろ部屋に戻る。今日から10月が始まっていた。
13 notes
·
View notes
Text
2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り��れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。そ���頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
飛鳥山公園は、とても良���公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
18 notes
·
View notes
Text
uihy
自室の記録
5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。
窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
机
ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
ギター・くま・本棚
ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。
低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋��パーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで���き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
21 notes
·
View notes
Text
eyhn
“〇〇しないで”という話のなかで「これ僕との約束、破ったら心に穴が開くから」と言われた。それを「嘘ついたら針千本飲ます」と同じ造��の台詞だと思ったのだけれど、「僕を裏切った罪悪感で、心にぽっかり穴が開くからね」と言い加えられ、それが脅しではなく忠告だったことを知る。
水に触れると手が濡れるように、自分との約束を破れば私が傷付く、と疑いなく思われていることが嬉しかった。
16 notes
·
View notes
Text
26'
一月の氷や五月の穴を撫でるように、それぞれの人と会っている。モノレールに乗って動物園へ出掛けたり、会っていなかった一年分の誕生日会をしたり、昨年は夢にさえ見られなかったような時間を過ごしている。
二人とも、その日別れる前に次の約束をしてくれるようになった。態度や、慎重に選んだ言葉で、関係を続けていく意思のあることを���えてくれている。
一人で自室にいると、特注の椅子の廃れていく様が、瞼の裏に映し出されては暫く消えない。その映写の起こるたび浅くなる呼吸に安堵する。
---
過去の日記に「友人たちのくれる透明な愛情」とあった。友人に限らず、私から近寄っている人達はみんな透明な愛情を手渡してくれる。
13 notes
·
View notes
Text
26
一月に親しい人との関係が凍ってから、身体の中に溶けることのない氷がある。五月に寄り添いたかった人にとっての廃品になってから、自分の声や文を残すことが空しい。その他、放置していた膿を取り込んで氷や穴は領地を広げ、そこにあったはずの、私にとって最も大切だった器官が壊死していた。何も感じられず、何も感じたくない。書く言葉は日を重ねるごと平たくなって、嬉しい・悲しい・淋しいの鋳型でしか感情を取り出すことができなくなった。同じ形の過去に囲まれて、自分自身さえベルトコンベアで運ばれてきた群れの一個体のように思える。
17 notes
·
View notes
Text
eofc
目が覚めて、理由もなく、自分が透明だと感じる。誰のまなざしも通り抜けるような、ぼんやりとした不安に包まれながら池袋へ向かう。途中、友人の日記に「挨拶は相手を透明人間にしないってことなのだとわかった」と書かれていたのを思い出して、誰か私に挨拶してくれ、と一人歩きながら祈っていた。 眼の検査を終えて、大学図書館に寄ってから帰路に就く。複雑な構造の駅に入っていくほどの元気がなく、数駅分を歩く。 回想の抽斗の一番手前に、数日前に受け取ったメッセージが仕舞われていて、気を抜くとその文面ばかり思い返してしまう。ずっと友人でいたかった人に、あなたは私に何も与えない、要らないと断絶されたこと。そこから連想される唯一のこと。 矜羯羅がった気持をほどくために、頭のなかに白紙を浮かべる。喩えではなく、四辺の見えないほどの白紙をイメージしながら文を組み立てる。感情の輪郭に添う言葉を探し出すこと、それを白紙が埋まるまで続けることで、徐々に絡まりがほどけていく。何度も繰り返して儀式のようになったこの想像の途中で、この数年は「もうそんなに書けるんだね」と責める声がする。 以前、深く関係した人に絶縁を宣言された時、いつものやり方でその出来事を文字に起こした。(この頃はまだ、tumblrを自分用のメモパッドのように使っていた。)それを読んだらしいその人から「もうあんなに書けるほど消化できているんだね」と連絡が来た。自分の傷について書くことで、その傷を付けた人を傷付けた。それから、明確に原因となった人物のいる暗い感情を文字にする行為自体が、たとえそれが頭の中だけであったとしても、自分だけの罪だと感じる。そうして放置した傷の幾つかが、今まとめて化膿し始めたように感じて、どうすればよいのか分からない。 ここまで考えたところで紫陽花を見つけて、紫陽花だ、と思う。それで傷のことを忘れる。紫陽花の色が土のpHで変わることを、誰が教えてくれたのかもう忘れてしまった。けれど、多彩な紫陽花が集まっているのを見ると、別々の場所から連れてこられたのだろうか、と花の過去を考えるようになった。 ジャケットを着た人とすれ違って、仕事用の服が必要になるのを思い出す。目眩の都合で、来月からは技術職から外向きの仕事になる。フェミニンな友人に「仕事の服を選ぶのに付き合ってくれませんか」と送ったメッセージを、いい加減克服しないといけないね、と宥めるように取り消した。 百貨店の2階や、女性専用車両に立ち入ることが怖い。場違いだと指差されることも、当然のようにそこに受け入れられることも怖い。自分でも思春期特有の何かだろうとどこかで高を括っていた性質が、生涯拭えない予感のするものに変わったのは最近のことだった。ルームメイトとふざけて配偶者をやるように、すべてロールプレイだと思ってこなせたら良い。(我々は時折「ショートコント、すてきな配偶者」と言って、その日した家事を報告しあう。)
私達が恋愛結婚でないことを知った人に「じゃあ愛してないの?」と訊かれて、これが愛でないなら悲しいと思ったのを覚えている。ルームメイトを含めた友人たちへの気持は、自分の持つ中で最も信用のおける感情のひとつになっている。 仕事の服装を調べているうち、服だけでなく髪にもお作法(長髪の人は髪を結びましょう、その髪飾りはこう選びましょう等)があることを知り、面倒になって髪を切ることにした。美容師の人が驚くのを見て、もうそんなに短くしていないのか、と記憶をさらう。前のルームメイトが私の頭を刈るのに失敗して大笑いしたのが3年前だった。 ざくざくと鋏の入る音がして、最終的に肥った猫くらいの髪が床に溜まった。猫を置いて街へ出る、その頃にはもう透明ではなくなっている。
17 notes
·
View notes
Text
yruy
Aは、大学一年の時に図書館学のクラスで知り合った人だ。受講の理由を紙に書き、近くの席に座った数人と回し読みをするという初回の講義で、Aの文を読んだ。チャイムと同時に講義室を出る彼女を追いかけて階段を駆け降り、肩を掴んで声を掛けたのを覚えている。
今よりも多くのものに搦められていた当時に、衝動のままに他者に触れたこと、その火花が今も熱源のひとつになっていること。
以前、Aの手首に傷があるのを見つけて、どうしたんですかと訊いたことがあった。「ポップコーン作ってたら跳ねて火傷しちゃって」と答えるAに、もしこの人が傷付くのであれば、そういう形でしか傷付いて欲しくないと思った。私と似た性質を持っていて、私とは決定的に異なる、ずっと好きな友人。
Aの希望で夜行バスに乗り、眠っている私達を京都へ運んでもらう。短い眠りを繰り返しながら、やわい膜の中にいた18歳の私達を思い出していた。
13 notes
·
View notes
Text
thfa
Kさんが店長をしている店で店番のお手伝い。他の方が誰も働けないときだけ、コーヒーを出したり会計をしたりするアルバイト。昨晩会話した人には「明日〇〇にいます」と伝えていたので、お昼に先輩が、夜にはHとFさんが来てくれた。会う約束をしなくても友人に会うことができるなんて素晴らしかった。
忙しさの緩急の中でお喋りをする。「これからずっとユエンとしてやっていくんですか」と訊かれて、どうなんでしょうねと曖昧な返事をする。KさんもHもルームメイトも、ばらばらの名前で私を呼ぶ。このあいだ誕生日をお祝いしてもらったとき、「解釈違いを起こしそうだったから、プレートには名前を書かないでもらったよ」と教えてくれたHの台詞を思い出した。どの名前でも、呼ばれると深く嬉しい。好きな人たちに名前を呼ばれるたび、慢性的な凍えが和らぐような気持がする。
お店を閉めた後、貰ったばかりのアルバイト代で、本を二冊と小さな鞄を買う。朝できたばかりの曲をKさんが大きな音で流してくれて、「いい曲ですね」と言ってくれて、嬉しかった。スピーカーで大音量の音を聞くのが好きで、映画館にも大きな画面より大きな音を求めている。明日は、Sさんが好きだと言っていた作品を観に、夜の新文芸坐へ行く。
夕食を摂りながら、ずっと一緒にいられる人と知り合いたいという話を聞いた。カラオケルームで覚えた「あなたのそばでは 永遠を確かに感じたから」という歌詞を、自分の指標のひとつにしている。その人との永遠を感じるかどうか。たとえば、今のルームメイトとの関係には永遠を感じる。(それは彼の人の徹底した合理主義への信用の上に構築されている。)沢山の永遠を感じたい。
「__さんは他人への固執がありませんよね」と言われて首を横に振る。そのあと、インターネットで知った人と会うことについて話す。実際に会うから親しい/会わないから親しくないとは思わない、ずっと会わないという前提で会話するからこそ打ち明けられることがあるという話をする。それでも、会いたいと言ってくれる人には会いたい。その人に影があることや声の響き方が違うことにびっくりしたい。
今日は体調が良かったので、電車に乗って自分の街に戻る。電車に揺られているあいだ、買ったばかりのある人の日記を読んでいた。(前に「桃を剥いてあげる」という歌詞を含む歌を作ったのだけれど、その歌に「桃を剥くと手がべたべたするから、桃を剥いてもらえるなんてすごくいいなあと思いました」と感想をくださった人だ。)2021年の日記に月食について書かれており、あれ、と思った。先週の火曜に「月食ってもっと頻繁に起こると思っていたのだけれど、数百年に一度だったんだね」と友人に話したばかりだった。調べてみると、地球と月と太陽と天王星が一つの線の上に並ぶのが四〇〇年振りで、月食自体は一年半か二年に一度起こるそうだ。もう見られないと思っていたあの影を、再来年にも見ることができると知って嬉しかった。
13 notes
·
View notes
Text
cmon
祖父の喉に穴が開いたのは2016年の冬だった。人工喉頭によって作られる音は元の祖父の声とは全く違う響き方をする。湿度のない悲しさと諦めとが日常に溶けているような感じがする。その不可逆を理解した時、彼の声を録っておかなかったことに塞いだ。
同じ後悔をしたのは、先生が亡くなった時だった。先生の手紙や句集を何度も読み返しているうち、記憶の中で先生の肉体が薄れてゆき、その文字列たちだけが残るのではないかと怖くなる。自分の内部で先生のかたちを歪めることの苦痛。
一人喋りの録音を続けることにした。私の消滅後にも好きに再生してくださ��とSに言うと、我々の会話の多くを構成する奇声や支離滅裂な言動は残らないことを指摘された。今のところ、そういうのは忘れてもらって結構なのだけれど、いつか気が向いたら録音するかもしれない。
忘れてしまうことの悲しさと、何もかもを忘れる自分自身への恐怖とがいつも影の中にいる。自分だけが、時間の蓄積のない軽さによって排斥されている気持になる。そういう時、紛れもないおのれの声で「2018年10月29日」とか「2020年8月31日」とか言っているのを聞くと安心する。自分はたった今生成された何者かではなく、過去を持つ数直線上の点として存在している。
文字よりも身体を反映する声は、"私"として何かを記録するには良かった。肉声で掬うには余りにも柔らかな場所にある事柄(たとえば今書いているようなこと)を記録するのには文字が向いている。どちらもあって丁度自分ひとり分になる。
13 notes
·
View notes
Text
ptoy
2022年3月11日の日記
午後を休んで美容室へ行った。その店は、小鳥の鳴き声を電話の着信音として登録している。奥のほうで鳥が鳴くと、ちょっとすみません、といって慌ててそちらへ走っていく。手の掛かる雛がいるようだった。(そういうのを"呼び鳴き"というのだと、鳥と親しい友人が教えてくれた。)もともとウェグナーの椅子を置いているのがきっかけで通い始めたその店を、一つの場所として好きになっている。
入口に置かれたハロゲンヒーターを指して色を注文し、二か月以上かかっている短編集をひらく。丁度その本を買った目的の短編に入るところだった。菊戴や紅雀を調べながら、美容師に声を掛けられるのと同時に読み終えた。
駅前で立っていると、待ち合わせていたSが遠巻きに私を見ていた。いままで周りにそういう髪色の人がいなかったので驚きました、と言われた少し後に、Sの元交際相手が同じような色だったのを思い出す。私とは違う色覚を持つSの記憶はモノクロで保持されているのかも知れない。
私の記憶や夢には色があって、たとえば大学生の頃、空と海の限界が青い鉱石である場所の夢を見た。その夢の話を友人にすると、しばらくして��の人の小説にほとんど同じ風景が出てきた。「これは私の夢の場所だね」と言うと、「君が見たからといって、その夢は君のものって訳じゃ無いでしょう」と返された。いつか夢の所有権について殴り合いをやる可能性がある。嘘です。
11 notes
·
View notes
Text
icdm
Sを連れて帰省した。私と知り合うまでの24年間を新宿区で暮らしたSは、遠出も滅多にしない。新幹線で隣に座る横顔を見ながら、あんなに寒い街まで連れて行かれるなんて可哀想に、と他人事のように思った。8号車6列B席に座り、鞄に入れておいた文庫から一冊を選ぶ。帰省のために見繕った四冊のうち半分が死体についての話だった。新幹線から乗り継いだ電車には、もう地元の雰囲気が充満していた。スノーボードを担いだ若者も、優先席で子供に話しかけている老人も、どこかで見た顔のような気がした。途中、雪に縁取られた車窓から花火が見えたとSが教えてくれる。それは一分もしないうちに通り過ぎていった。
自分の子供が連れてきた、その友人とも恋人ともつかない戸籍上の配偶者を、両親は家族として受け入れようとしてくれていた。歓待とはああいうのを言うんだろう。食卓には私の好きな郷土料理が並び、食後には気に入りの店のケーキが、父の淹れた珈琲と一緒に出てきた。心底良い人たちで、二人きりになったSが「この家に生まれて、よくあなたはそういう感じに育ちましたね」と不思議そうに言うのにも頷いた。私もそう思っている。
---
年始に不調を起こして、この月は殆ど黙って過ごしている。誰かしらと話しているか会っているかが日常になっていたからか、誰の連絡も受けないでいると旅先にいるような気分になった。耳の聞こえ方も普段と違って感じる。常に小雨が降っているように聞こえる。
黙っている期間、労働時間外の大半は本を読んでいる。大学時代に先輩から勧められたまま積んでいた小説を、ついさっき読み終えた所だ。(400頁ほどの恋愛小説だった。「心中」と題に付いているのに、読み進めるまでそれが恋愛について書かれたものだと思わなかった自分が少し可笑しかった。)本を教えてくれたその人とはもう縁が切れている。感想を言い合えないことだけが淋しかった。
---
好きなものについて書くとき、はじめに「好きだった」と書いている。書き終えてから気づいて、現在形に戻す。自分の現在を過去形で処理している。
13 notes
·
View notes
Text
mhrp
2021
春の実家で元旦を過ごした。肉体的には異性である我々を、そのまま友人としてみとめ、扱ってくれる。春の妹の焼いたパイには、お手本のような"2021"の文字が卵黄の色に照っていた。 ふたり初詣に行くのが大学一年から続いていて、その時も近くの神社を詣でたのだけれど、何を祈ったか忘れてしまった。それが受け入れられていなくとも、今年は良い一年だった。
---
新宿の西武で、数年考えている辞書のことを話した。言葉をみずからに従属させない彼らには、書いたものを疑いなく手渡し、また受け取ることができた。 2021年にした一番の後悔は、この辞書を開けなかったこと。私たちがそれぞれの忙しさに分岐してしまう前に、ひとつの版元として輪郭を持ちたい。
---
その日本当に伝えたかったことを、いくつか梯子した喫茶店の最後で話し始める人なので、この時も長い決定の最中なのだと思っていた。私たちはその再会を"梅雨明け"と呼び、これから何だってできますね、と笑った。沈黙も一頁として記録される。本名を教えない私に彼らが付けた独自のあだ名が、今では自分の一部として機能する。
---
大学時代のクラスメイトは、セロハン紙を何枚も隔てたような話し方をする。私が三日返信しなくとも、三日続けて連絡を寄越す。「あいつ」という三人称はこの元クラスメイトにしか使わないんじゃないかと思う。
その人から「2016年の(私)に会いに行く話を書く」と聞いていた小説を読んだ。
『そうはいっても、Kの愛着は独特だった。Kはどこか、小さな箱にいれた宝石を愛でるように自分の人間関係についてとらえている節があるような気はする。』 『Kは人を甘やかしながら突き放しているので、こちらに呆れ果てたときはしばらく連絡がつかなくなる。ふっと消える。しばらくするといつのまにか連絡を取れている。もうしばらくしたら私はまた見放されるだろう。』
あくまで原型であって私そのものではないのだろうけれど、向うではこうやって認識しているのだな、と立ち止まることが幾つかあった。殆どトートロジーのようにしている会話を、やや見直そうと思った。 この人がこの人のままいられないのであれば、その時は前提を確かめに行く。
---
言葉をもたないものに感情が動くとき、自分も言語から離れられたら、と希わないでいられない。その人の絵やアニメーションは、そうさせてくれるもののひとつだった。 依頼された音声ファイルを送った数週間後、アニメーションが公開され、どこかのスクリーンや誰かの手のひらの中に再生されるのを遠くに見る。私の声は常に閉じた場所にあって、それを聴く人の顔が曇り硝子の向うに透けることが殆どだったから、自分の不在のなかにその声が響いていることが不思議だった。穏やかな幽体離脱の体験だった。
---
饒舌な自分の声を醜く思う分、独りごとを言ったり歌ったりしている時は過不足なく発声できているという満足��ある。 無音をのがれる目的で一人録音するのが殆どだったけれど、今年、ひとと会う場所にスタジオが増えた。皆で「今日はだめでしたね」と言い合ったり、曲の終わりに小さく賞賛を交わしたりする。これまでにやったどの遊び方とも違う楽しさだった。
---
鴨居玲の展示に行った。絵画の展示室で泣いたのはそれが初めてだった。自画像や老人の顔が並ぶ中で、赤いチューリップの絵がふたつ飾られていた。その花に特別な意味を見出して作品にした、という風ではなく、「チューリップが咲いていてきれいだった」と日記に書くような平熱の雰囲気。 ひとつの指標として、その展示室を憶えていたい。無理に繕った意味に酔うのは今年限りでお終いにしたい。
---
昨年から8月末まで、現代的で明るい地獄[入門編]、という感じの現場にいた。当時、breakのないループ文の中にいる自分の夢を何度も見た。 胃痛で立てない日曜に麻痺しはじめた頃、友人とした「アルバイトでだって生きていけますね」という会話が頭に反響して、次の月曜には退職を宣言していた。(無期限に共同生活を続けるつもりだったルームメイトと「丁度いいので結婚してしまいましょう」と話しあい、それを退職理由に使わせてもらった。)
最後の土日はひたすらコードを書き続け、最終日だけ凪を過ごした。最終日にプレゼントをくれる、その人たちの優しさが多忙に殺されるのをもう見ないで済むことに安堵した。
---
かつての交際相手に「あなたは自分の性を嫌悪していると言いながら、その利益だけを享受しているように見える」と言われたのを思い出す。この人のいうことは大抵正しかったし、この場合も正しい。
1Rから1LDKに移り、公的な手続きの連携が取りやすくなり、多くの言い逃れを得た。配偶者となったルームメイトは、本質的にはルームメイトのまま変わらない。絶対的な自己を飼っているこのひとは、永劫他者��いてくれる。
---
秋口に新しい職場の所属となった。在宅勤務ではすっかり仕事を怠けてしまうことが過去に立証されていたので、毎日仕事場へ通っている。家から一番近所の公園よりも近くにあるから、昼休みには自室に戻って眠り、終業後には好きな店に寄って帰る。業務中に罵声が聞こえることもない。 時折不協和音に似た居心地の悪さをおぼえるけれど、元の労働先よりもずっと息がしやすい。はやくチューニングを合わせたい。
---
先生が4月に亡くなっていたことを知った。ただ"先生"というとき、それは彼女を指す単語だった。
---
誕生日、春が近所に越してきた。郵便番号まで同じ。「偶然だけれど君の近所に部屋を借りて、人生の目標の半分くらいを達成したような気がする」と言う春に、数年間ずっと近所に来いと言い続けた自分の影を見て笑ってしまった。 日付の変わるころに集まって、ぱかぱか煙を吐くなどしている。本当に嬉しかった。
---
沢山の確信に触れた一年だった。"生涯"という単語は、この行為やこの関係をねがう時に使うのだろうなと幾度か思った。
---
どのひとも暖かくお過ごしください、あなたにとって良い一年になりますように。
21 notes
·
View notes
Text
hufz
大学時代の友人と一緒にいた。流行病のために、集まるのは二年前の海以来だった。
仲良しのともだち、という言い方がぴったり合うような人たち。普段誰かと関係するとき、ひとりとひとりの形式ばかりだった自分にとって、三人組の楽しさを教えてくれた友人たちだった。
私の最寄駅で待ち合わせて、ちょっとした短編集くらい厚いベーコンと三人分の卵とを焼いて朝にした。私が目玉焼きを剥がすのに失敗したせいで、「このスクランブルエッグおいしいね」と評価いただいた。ふたりとも、窓から差す太陽を自然に受け止めていた。日向の似合うこの人たちが私は大好きだった、と思い出して嬉しかった。それから私のルームメイトをいれてゲームをしたり風船を膨らませたりして過ごした。ずっと笑っていた。
書かれたものを書いた人の生活と切り離して好きでいたくて、好きな作家のSNSを見ていない。だから彼女の新刊が並んでいると、スキップしたいほど嬉しい。友人を見送る直前に入った本屋でそれを見つけて、その一瞬だけ解散の淋しさを忘れられていた。
帰りの電車で読みかけの小説をめくっていた。あと数ページのところで駅に着いたから、しばらくホームのベンチに座って読んでいた。途中、「恐怖に目を閉じることで、自分のいちばん重要なものを譲り渡してしまう」とあった。自分の醜さが恐ろしくて、直視しないようにしているのを引き延ばし続けたら、何か失うのだろうか。それは一番いやな種類の喪失だと思う。失くしてしまうのは耐え難い関係ばかりある。幸せに苦しくなって、時々泣いている。
どれほどの人が「丁寧」という単語を、クォーテーションのジェスチャーしながら馬鹿にしていたとしても、私は丁寧さを獲得したい。
4 notes
·
View notes
Text
htjb
ものを考えるとき、気付けば口に人差し指を当てている。これは、かつて親しかった人の仕草だった。私を通り過ぎていった人達、あるいは私が通り過ぎた人達の或る一点が、自分の中に蓄積されている。いつか地層のようになれたら良い。
・
私を好きでいる人がいて、けれどその人は私の嫌悪するもののことも同時に気に入っている。好意を投げられる度、自分の忌避する醜さを指摘されているようで、真直ぐ受け取ることが出来ていない。
・
友人の本屋に行くと、丁度階段を上がっていくのが見えた。「今あなたが階段のぼっていくのを見ました」と連絡すると、暫くしてぱたぱたと足音が聞こえ、フィルムカメラ持った友人が挨拶をしてくれる。おすすめを訊けば「あなたが好きそうなのはね」と選書をはじめてくれる。私は友人が時々するこの言い方が好きだった。そしてその見当は外れなかった。把握されるほどに自分の好きなものを話せていること・それを憶えていてくれること。耳を震わせる低い声は、どこか底めいた雰囲気がある。暗くて静かで、周りが遠くなる。本来音が聞こえない場所に、特別に響いているような声。一枚写真を撮られ、さようならを言って店を出た。
・
大学時代の殆どを暮らした部屋は、カーテンや床を、海の一番深い所と同じような青色にしていた。昔に読んだ児童小説に登場する、青いトンネルが好きだった。(天国と地獄とを結ぶそこは、どちらにも行けなかったものたちが天国行きを許されるために、魂の燃え殻を拾い集める場所だった。)あの青い部屋を出て数年経ち、友人の幾人かから「あの部屋はあまりに寂しくて、君のことが心配だった」と言われた。そのことを思っても口を噤むことを選んでくれていた友人たちが愛おしかった。
10 notes
·
View notes
Text
無題
晩夏、バスから降りる、その小さな落下のとき、自分の喉元から鈴の震えるような音がした。私に備え付けられなかった喉の隆起が不可視の鈴として存在している。肉体、特に性差を縁取るようなものたちに降伏した瞬間だった。
生涯個人でいられるよう配偶をした。臓器を暴きあうことも所有を強請りあうことも無い。公転に似た生活を送っている。
8 notes
·
View notes
Video
声としています
youtube
光はきみをてらさない —————— 私がこの世を去るとき、突然あらゆる感覚が無になるのではなく、魂が肉体から離れるまでのタイムラグがあるだろう。 そのラグのなかで、私は思い出すだろう。本当にあったことではなくとも思い出し、供養されるだろう。 Script & Animation : Koki SAITO Voice : yuen Music : hirota Title Design : Thought FUKUNISHI
7 notes
·
View notes