#踏襲妄想
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同調的思考停止
#同調#思考停止#脳がお亡くなりに#党派#仲間#合わせる#アホ#幻想#妄想#思い込み#劣化#縮小再生産#下位互換#踏襲妄想#気兼ね#遠慮#気兼ね妄想#遠慮妄想#敬意妄想#尊敬妄想#配慮妄想#友達妄想#党派妄想#仲間妄想#親友妄想
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公益通報した和歌山市職員が自殺 処分受けた職員と同フロアに配置(https://nordot.app/1163040077475562418)では市役所への批判一色だ、当然だと思う。 (同記事はてブより) ◯これは徹底的に叩かなアカンよ。さもなくば正直者は馬鹿を見る事例として引用され続ける。不正は見たが通報しませんでした、報復人事で自殺まで追い込まれても社会は助けてくれないからと言われれば誰も反論出来ない ◯すぐに思い出すのが赤木俊夫さん。もう、こんなことが起きてはならないのに。職場にこの職員を守る人がいなかったのか。そういう人になれるよう、私たち一人ひとりの強さが求められる。 などなど、これらのブコメは本件の背景を理解していないと思われる。大っぴらに報じられていないのでそれは当然だ。 ただ、本件について市役所を叩いても全く解決しないどころかかえって悪化する可能性が極めて高いと思われるので、その解説と感想を残しておく。 これまでの報道 確認できたのはしんぶん赤旗、わかやま新報、示現舎のみで、現在webで確認できる限りでは、大手マスコミからの報道は皆無だったようだ。 https://jcp-wakayama.com/2020/02/18/ 和歌山市は2月18日、旧同和子ども会への支援交付金を不適正使用したとして市職員15人の処分を発表。同市公共事業をめぐり旧同和地区連合自治会長が昨年、詐欺事件で逮捕・起訴されたことに続き、同市の同和行政をめぐる不正が再び明らかになりました。 事態は公益通報による内部告発で発覚。 (2020年2月18日) さすが部落解放同盟と対立を続けてきた共産党だ。しっかり同和行政に問題があることまで触れた記事になっている。 https://www.wakayamashimpo.co.jp/2020/02/20200220_92245.html 和歌山市は18日、子ども会活動を支援する交付金約1000万円の不適正使用と、市内の2児童館で実態のない人権教室などに講師謝金計約930万円が支払われていたことが発覚したとして、市民環境局のセンター長(57)を停職6カ月とするなど、職員15人(いずれも男性)を処分した。 (略) 同館職員が18年8月に公益通報したことで発覚し、市が調査していた。 (略) 同子ども会の副会長を務める市民環境局の副課長(56)は、センター長の不適正使用を知りながら支出に合意していたとして、減給10分の1、1カ月の処分を受け、同交付金を担当する青少年課の当時の課長2人は訓告となった。 (2020年2月18日) 地元わかやま新報は更に詳報だ。 関西出身者なら「人権教室」、「環境局」でピンとくるかもしれない。 https://jigensha.info/2020/02/19/wakayama-dowa/ 議会においても追及してきたのは共産党和歌山市議団のみだから完全にブラックボックス化してしまった。 ところが子ども会補助金を情報公開した矢先にこんな事態が起きた。18日、和歌山市は市内2か所の児童館で総額約1900万円の不正支出があったと発表。市民環境局環境部センター長、同局市民部副課長ら15人の職員が処分された。同日の共同通信によるとセンター長は子ども会の事務局長を務めていた2013~2017年、児童館職員に架空の領収書などを渡し、市の交付金1017万円を目的外に流用していた。子ども会の活動に使用したように装い、指導者養成の活動費などに充てていたという。 (略) この児童館、あるいは不公平な子ども会事業もその受け皿的な団体と言えるのが先述した「和歌山市子ども会連絡協議会」だ。 「子ども」を冠しているから分からないが実は同和の団体交渉。 この団体自体、もともと和歌山県議の差別発言がきっかけで発足したという。 (2020年2月19日) 同和事業の不正を追っている示現舎では更に詳報だ。 差別発言(とされるもの)をきっかけに行政が食い込まれてきたことがわかる。 感想 ◯市の上層部も不正を半ば知っていた人は多いのではないだろうか。ただ、これを不正と断じてしまうと誇張抜きに自身と家族の命が危ないので見て見ぬふりをせざるを得なかったと想像できる。 ◯公益通報をした職員についても、「あいつなんとかせん(イジメないと)とわかってるやろーな」などと圧力のあったことは想像に難くない。 ◯本件の場合、公益通報者を保護できなかったからと関係者を処分した場合、それら職員は完全な板挟み状態で動きが取れなくなる。 ◯逆に団体側はまさに自分の実力を誇示した形になる(役所の幹部を処分させることができたというのは実績で、今後の交渉材料になる「言うこと聞かなきゃ処分/更迭されるぞ」) ◯オマエの妄想だろと言われてしまうかもし根拠も何も無いが、過去の各種の事件から職員が恐怖を感じるのは理解できるし、関西の方なら感覚的にも共感できるのでは。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F、https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%83%BB%E7%B3%BE%E5%BC%BEなど。もちろん記載されているのはごく一部。立憲民主党の辻元清美議員と懇意な関西生コンも関係が深い(例 https://www.kannama.com/news/news2017/2017.06.16/2017.06.15.html)) ◯京都でも同様の問題があり、一貫して同和利権・部落解放同盟を批判してきたのが日本共産党。だから、特に高齢者層での共産支持が根強い。(同和行政がほぼ終焉した世代の若年層では共産党支持は低い) ◯また、大阪でも同様の問題があり、完全にでは無いが批判し、是正したのが維新の会。当然に支持は高い。京都における過去の共産党が、大阪における現在の維新と被る。 ◯示現舎記事のとおり、相手方の差別(不適切)発言を針小棒大に騒いで行政に侵食していくやり方は差別利権の得意技。最近は同和以外、特に女性問題などでも見られる(女性団体が騒いで行政が介入してこなくなった、など、女性団体側の証言あり)。 ◯共産党やその関係者はこういったやり方を批判していた(「同和利権の真相」シリーズなど)はずなのに、女性問題などでこのやり方を踏襲してるのが悲しい限り。 ◯もちろん差別発言など騒ぎに乗じて行政叩きする割に利権を報じないマスコミも同罪だ。 ◯解決策としては、行政によるこういった特別扱いの一掃と、世論・マスコミの後押しだ。そのためには「あの団体は可哀想だから助けてあげなきゃ」などの論調を排し、杓子定規の対応が必須だ。(交渉次第でカネが引き出せるとなったらいくらでも付け込まれる) ◯示現舎は差別的だとはてブではやたらと評判が悪いがこういったことを追ってくれるのが事実上示現舎くらいしかないのが現状だ。 ◯自民の話をしてこなかったがもちろん野中広務や二階俊博など関係者は多い。
和歌山市役所の公益通報の件、担当者にも上司にも市役所にも同情する
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5 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2023/09/12(火) 18:26:58.77 ID:x7xMoRKo0>>1乙858 公共放送名無しさん sage 2023/09/02(土) 20:32:24.25 5wtbUZRwサハラ砂漠は治安が���くて危険すぎてパリダカも廃止になったやん918 公共放送名無しさん 2023/09/02(土) 20:33:13.92 SHCF9KiF>>858パリダカってなくなったんか987 公共放送名無しさん 2023/09/02(土) 20:34:19.23 GiWCYm1C>>918場所変えてる1000 公共放送名無しさん sage 2023/09/02(土) 20:34:38.14 oLdLFNeP>>918ダカール・ラリーという名前で南米で開催。112 公共放送名無しさん 2023/09/02(土) 20:35:54.79 jTmF8EqOパリダカが場所変えてたとは知らなかったパリダカじゃないじゃんそれって…151 公共放送名無しさん 2023/09/02(土) 20:36:43.39 oLdLFNeP>>112だから「ダカール・ラリー」6 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2023/09/12(火) 19:17:33.29 ID:Pn2deGNu0 [2/2]ダカールでもないじゃんっていう7 名前:水先案名無い人[] 投稿日:2023/09/12(火) 19:31:10.96 ID:caZcaRud0南米からさらに移ってサウジでやってるらしいじゃん8 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2023/09/12(火) 19:36:10.45 ID:EQxcLovy0元々、創設者が砂嵐に巻き込まれてレース中に死んだり、首位を走るチームの車両が盗難されたりゲリラが支配する地域で地雷を踏んでドライバーが亡くなったりする過酷なレースだったからな取材班やドライバーがゲリラや原住民に襲撃されて強盗に遭ったり射殺されたり車両を強奪されたりも日常茶飯事そりゃこうなるわ
続・妄想的日常
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君が示すもの
メタファー、とうとうクリアしました!裏ボスに挑みたいので二周目確定になり、一個別ゲーを挟んだらやりたい……と思う通り、百時間たっぷり使って楽しみ切る、良いゲームでした。
当初二十時間くらいは、「普通だな……???」だったんですが、だいぶ肩慣らしされた中盤以降からが一挙に面白くなってゆくので報われた心地です。
何を見ても何かを思い出す、とはヘミングウェイですが、本ゲームは何を見てもアトラスという会社が生み出した一連のゲームを思い起こさせ、同時に『メタファー(暗喩)』というゲームの本質に思いを馳せさせる作品です。アトラス〜〜〜35周年、おめでとう!!!
*以下は感想です。ネタバレ部分は最後の予告後に書いています。
世界観は世界樹とペルソナの融合、価値観はメガテンシリーズ、キャラクターたちもひょっとしてルーツは過去作品の??と思いを馳せさせてくれるので、終始ワクワクしていました。
と、同時に少し不安もありました。そもそも『Metaphor』(暗喩/隠喩)がタイトルに冠されている時点で、表面的に物語をなぞるものではないことが示されています。隠喩ありきの物語とは、��立した物語になり得るのか?
表面的な暗喩をなぞれば、現代社会が抱える問題点(富の集中、差別、腐敗などなど)を描いた御伽話に見えます。当初は「そうだね、よくあるね……」という王道ファンタジーをただ歩んでゆくものでした。呪われた王子様を救い、王様にし、王国を救う!やるだけ不安になってくるじゃないか……!
しかも冒頭部分はトンチキシュールコメディと、グロテスクブラックジョークのオンパレードなのでひょっとして社会風刺なのか?という不安も滲み出てきた。どういうことなんだ?街の作り込みが良い、戦闘システムも良い、音楽も良ければビジュアルも良い、だがここに物語はあるんだろうか?
隠喩としては、例えば
・王様になるためには、『国民が一番支持した人間』というランキングをのしあがる必要がある=民主政治の善悪
・他宗教の排除と権力掌握を狙う一神教vs.力こそ全ての思考=メガテンEDのロウvs.カオス
・ニンゲンなどの造形=ヒエロニムス・ボスの宗教絵画
・主人公が持っている本の幻想小説世界=プレイヤーの現実世界
などが顕著に押し出されていて、アトラス節だな……を感じてはいました。
ゲームの当初、主人公は何者でもなく、ただミッションをこなすことだけが目的の人間で、与えられたミッション含めた行動の全てが他者によって定められています。ゴールさえも明確で、ここまでおさだまりで良いのか!?と危ぶまれたのですが……
主人公が『自分の物語を進めてゆく主人公』になったことで全てが変わりました。
どうして他人の夢を叶えるのか、必死にならなければならないのか、一緒にいる仲間たちと虚妄を抱くことに意味はあるのか、ずっと不安のタネになっていたことを自分で解決できるようになる、だけでなくその理由もこれまでの伏線も全てが繋がります。
このゲーム、やってて良かったな、最初のポイントでした。長い。ここまでくるのが個人的には長い。でも良かったし、当たり前のようですが仲良くなるキャラはどれも良し悪しあって味わい深い。(意地悪を言えば善性が強いので心配ではある)
背景が違う”個人”が手と手を取り合って”集団”として、より良い希望を掲げて叶えてゆこう、理想郷を追い求めていこう、というスローガンは薄っぺらく聞こえがちであるところを、仲間たちとコミュニケーションを深めてゆくことで実感を持たせていくところも良い。旅ってこうい��ものであってほしい。知らないものを知って、一緒に楽しんで、驚いて、怖いことを乗り越えて冒険して欲しい。それを主体的に楽しめるようになった瞬間、このゲームの世界はぐんと広がります。
ずっと隠喩されるものの影ばかり追いかけてきて、物語そのものが見えなくなりかけた頃、物語の方から顔を出してくる。そんな構造が好きでした。このゲームやってて良かったな、それを最後の最後まで噛み締めてゆけます。そして幻想を超えてゆくとは何か、が身に染みる。いい作品でした。
以下はネタバレありの感想です。
***ネタバレ有りの感想
エトルリア!!!!!!失われた古代王国〜〜〜含めて各地のモチーフに現実世界がちらついているのが好き。世界樹の迷宮シリーズをずっと遊んできたので、凱旋車含めてめちゃくちゃ嬉しくてテンションが上がりました。ありがとう……主人公の最初の友達が妖精になりがちなメガテンを踏襲してくれたのも嬉しい。
各人が己と向き合って能力を引き出す瞬間、ちょっとだけモーションがダサいな……と思わないでもないですが、ベタでいいじゃないか!というかっこよさがある。キャラクター造形がまた良いんだ……。
キャラクターといえば、造形と人間性で一番好きなのはバジリオですが、最後にトドメを刺したのはモアでした。もう疲れ切った大人であることと、小説を書いているせいで妙に共感する部分が辛い〜〜し、最後の方の畳み掛けは胸熱ですよ……ここまで一緒に頑張ってきて良かった。ガリカと同じくらい長く一緒にいて、思想としてはそれより前からずっと一緒にいたのだから、繋がりが重たいのも当然なんだ……途中からモアの正体について考察していたこともあり、ドンピシャだったので泣きました。好きだ……ハイヒールなのも良い。顔が歪んだ絶望からの救ってゆく過程にカタルシスがあるよ〜〜〜ありがとう。
メタファーは、ゲームのために用意された物語であり、物語世界の中の物語でもあります。プレイヤーが遊ばなければ始まらず、終わることもできない”物語”という”幻想”に如何に存在意義を、重みを持たせられるのかという挑戦を最後に感じることもできたのは幸せでした。
そして、このゲームはエンディングを迎えた時点が本当の世界の始まりになり、進んでゆく様を見られたという意味でも稀有な体験で嬉しかったです。本当に主人公で、生きているんだ!綺麗事でなくやっていこうという世界を見られるのは、明日の自分にも希望を持てるようで心が暖かくなりました。良かったな〜〜服が可愛いから二周目にも着せてくれないかね……
***以下は不満というか、勿体無い気持ち
アトラスは王道が好きなのかな、というのは薄々感じ取っているからわかる、わかるけれども主人公に対する『悪』のあり方の薄っぺらさが今回はもったいなく感じられました。
過去作品では、主人公に対して��掘り下げはここまでなく、物語の中ではこの人でなければ、がちょっと弱いと思うことの方が多かったように思います。それを踏み込み、さらには周辺の仲間たちまで社会的な問題を孕んだ”生き方”を深掘りされて肉付けされたことで重厚感が生まれました。ゲームという枠を超えた世界が生き生きとして感じられて、こういう話もできるんだな、と嬉しかったです。
一方で悪役というか、主人公が乗り越えるべき相手は『権力を持っている』『実力を持っている』『他者を虐げる、希望を失わせる思想がある』などの条件を持っているだけで、あまり深く掘り下げがされません。フォーデン猊下はテンプレだけれどもきちんと悪役ムーブができていたからよしとして、ルイは終始”強い”オーラだけで終わった感が、弱い!!勿体無いよ!!!
強い思いを抱いていることは訴えられても、妙に薄っぺらい。ついていった部下も完璧に理想を把握していることはなく、ゾルバ一人に集約されたのも弱い。どうせなら国の一部にニンゲン牧場を作って試験的に運用するくらいの地道さが欲しかった。王笏という究極魔具を手に入れるためだけに他者を取り込んできたわけなのだけれども、ついていく人をどこまで本気で取り込もうとしたのか、魅力を惹きつけてきたのかが実感できません。
悪役の描写に力を入れすぎると、倒すことに罪悪感を抱いたり、別の感情を抱かせるので忌避しがちですが、ここまで主人公サイドを濃く深く掘り下げてるんだから釣り合いが取れない。直接的な接触ができないのであれば周辺の人間との接触で間接的に描くでもよし、この際モアの世界で本を通じて出会っても良かったんじゃないのか?惜しいよ……でもベタな悪役に深い理由をあんまり持たせたくないならば仕方がないのだ。実力主義者の女性幹部や他種族ももうちょっと欲しかったな(要求が尽きない)
理想を絶望に変え、諦めの形で引きこもったのがモアならば、全てを白紙に変えようと心に決めたのがルイという分岐点、もう少したどりたかったよ〜〜〜!!
それと、この国は連合王国であって”外国”が存在するんですが、そこのところは結局どうなったんじゃろうか。冒頭部分でサラッと流されたけれども、あんまり書き込んでも……になったんだろうなとは思う。一方で、世界の在り方が一国だけで決まったらまずいのでは?と思うんだな……いつもトーキョーで決まる世界でしたね……世界観が結構しっかりしてるので、ふわふわしてるところがかえって目立っているのかもしれない。でも好きだよ、この世界。特産品も人のノリも特色があって良いんだ。
それと、なんでニンゲンの描写がボスの絵画モチーフなのかがわからない。アクマだと過去作品モロ出しだからというのはわかる、が、ピンポイントじゃなくても良かったのだし、意味があって欲しかった……どこかに意味が出ていたら、誰かこっそり教えてください。
特に続編などはなくて良いものの、世界樹の王国のように、こうしたファンタジー路線でのペルソナじみたシステムの作品はまた出て欲しい。遊んで良かった……
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十三話:アイのとても大事なもの
前回の続きです。私による想像妄想ストーリーが含まれております。実際のシムの言動動きとストーリーの行動とリンクしてないところも含まれております!また複数恋愛及び血縁恋愛が含まれておりますのでご注意ください。
ツバサ家が引っ越したのに続きすぐにミヅキ家もお引越しが完了しました。
めちゃ豪邸です。(区画はお借りしています)前も建物自体は大きかったのは大きかったですが私は建築がまだ下手くそなのでめちゃ助かってます。
だんだんと綺麗なお家に住むようにもなりお金も潤沢になったミズノ家。これも全て家族全員が頑張ったから他ならないのです。(主に資産家の願望)
ミヅキちゃんは新しいお家を見上げました。
「広そうで家もおしゃれ……」
リオとイオと初めて住み始めた頃とは大違いです。成長しました。
けれどもミヅキちゃんは心が晴れやかではありません。心なしか降ってる雨がミヅキちゃんの心の内を表してもいるようです。
シオンくんの事も好きと自覚させられてしまったとはいえ、このことをシオンと一緒にアイに話さなければいけません。
ミヅキちゃんはリオとともに先にお家へと入っていきます。
そのかたわらではまだシオンくんやイオ、アイちゃんはまだ外に佇んでいました。イオとアイちゃんは賑やかに引っ越し先の家に大喜びの様子です。
「思ってた以上に立派な家!そう思わない?イオお兄ちゃん!」
「だな!!階数は減ったけれど全然アリだと思う!広いし色々な事が出来そうで俺は楽しみだよ」
そんな会話を聞きながらシオンくんは心の内で、いつアイに話そうかな…、と考えてもいそうです。
アイちゃんも家の中に入っていき、イオはシオンくんに視線を向けてそばへと近づきました。イオは何か言いたげな様子でついに口を開きます。
「…………ずっと言おうとは思ってたんだが……ミヅキを追い詰めただろう?自分の思い通りになって満足したか?シオン」
突然そんな事を言われてシオンくんは少しモヤっとしてしまいます。けれども事実は事実なのです。
「確かに俺はミヅキを追い詰めたかもしれない。でも結果的にはミヅキは俺の事を好きになってくれた。俺は自分が起こした行動に後悔はしてない」
イオは「そうか……」と言い言葉を続けます。
「シオンとミヅキの間に何があったかは知らない。今はミヅキも少しお前の事を意識してるのも知ってるが俺はそのことにはもう何も言わないよ。けどな……俺の隣でミヅキが泣いていた事だけは知っててくれよ。聞いても何で泣いているのかさえ教えてくれなかった。俺にとってミヅキはとても大切でかけがいのない女性なんだ。もちろんシオンがミヅキを酷く傷つけたとは思ってないけどな……」
「……っ、だとしても俺だってミヅキを大切にする。大事にするしパパにも約束は出来る。証明してみせる」
「もちろん絶対そうしてくれ。けど自分の問題もちゃんと片づけるんだぞ。たぶんアイの事も気に病んでるだろうから……」
そう言ってイオはシオンくんとの話を終わらせ家に入っていきました。
ミヅキちゃんはあの日、シオンくんとの事があった後の夜にイオと同じベッドで眠る中何も言わずイオにすり寄り静かに涙を流していたのです。
もう関係を持ってしまっている事などはイオもこの日のミヅキちゃんの様子からも分かっています。ミヅキちゃんの様子やシオンの嬉しそうな様子を見ても明らかでした。けれどもシオンくんは浮かれていましたが逆にミヅキちゃんは思いつめる顔やため息を吐く事が多くなってることにイオは気付いたのです。詳しい事まではイオにも分かりませんがミヅキちゃんは子供たちみんなの事が大好きで家族思いな子なのできっとアイの事も悩んでいるんだろうな、とイオはそう感じています。
イオはイオなりに少しシオンくんの感情を理解はしており、この事に関してなんとか自分の中で上手く呑み込んでいる最中でもありました。認めるときはきっとミヅキちゃんが心からシオンくんを受け入れ笑顔が戻った時こそ一番受け入れられるだろうとイオはそう思うのでした。
「食洗器ってあると便利ね……」
ミヅキちゃんは黙々と食器など片づけてる中、リオがすっとやってきてミヅキちゃんの前に立ちました。リオはミヅキちゃんの顔をまじまじと見た後顎に手をかけクイッとミヅキちゃんの顔をあげます。
「……最近眠れてないのか?クマが出来てるぞ」
「リオ……大丈夫よ。このあと休むから……」
「詳しい事は知らないけどシオンとは少し"仲良く"はなったんだろう?……やっぱり気になるのはアイの事か?眠れてないのもそれが原因か?」
ミヅキちゃんはリオに言われて図星でした。リオもミヅキちゃんにいつもの元気がなくて心配なのです。一番の原因を作ってるのは誰なのかも把握しています。それにミヅキちゃんの心の中を占めている人物に嫉妬心も少なからずリオにはあるのです。
リオはそっとミヅキちゃんを引き寄せまし���。
軽く触れるだけのキスをするリオ。触れるだけのキスを終えればお互い見つめあいました。
ミヅキちゃんはそんなリオの優しさに少し心の苦しさが解けて楽になります。
「私ばかり不安がってちゃダメよね。リオ改めてあなたに言うわ。シオンの事も好きになってる自分に気付いてあの子と付��合う事になったわ。でもね、このことをアイに話さなければいけないの。一番傷つく可能性があるのはアイなのに……私ばかり不安を抱えていたのよ。うっかりしていたわ。ありがとう。あなたとイオのおかげで少し元気になれたわ」
「俺たちは特に何もしていないしシオンの事は分かってたさ。ただミヅキを抱きしめる懐はいつでも空いてるからいつでも飛び込んでおいで」
「ふふ、もちろんよ」
少しミヅキちゃんに元気が戻ったようです。不安がっていても仕方がないわけです。いつ話すかはシオンくんが決めるためすべて彼に任せる事にしたミヅキちゃんでした。
引っ越しを終えた後、早速シオンくんは行動にうつします。
シオンくんはアイちゃんを呼び止めました。
「ねぇアイ。今からママと一緒にお出かけしない?」

「お出かけ?」
「そ、お出かけ。まぁトリプルデート……とも言うかな?」
トリプルデートと言われてアイちゃんはそれを言うなら家族みんなでじゃない?と思いつつ「いいわよ」と返事を返しました。
シオンくんは今の家の中ではリオもイオもいるため、落ち着いて話せるような場所もなかったために場所を移動する事にしたのです。
そして他の街へ移動して三人はカフェへとやってきました。
曇り空の為、室内も少し暗く何だか空気まで暗くなりそうな雰囲気です。
アイちゃんと向かい合って座るシオンくん。そして間に座るミヅキちゃん。シオンくんは真剣な面持ちです。
「なに?どうしたの?シオン?……ママも何でそんな堅い感じなの?」
一瞬沈黙が流れて、思わずミヅキちゃんが口を挟みます。
「わ、私が言うわ。あのね……「いいよ。俺が言うよミヅキ。ちょっと覚悟決めてただけ」
一瞬アイちゃんはシオンくんの呼び捨てに引っ掛かりましたが何かを話すというのでアイちゃんは話し始めるのを待ちます。
そしてシオンくんは本題をぶつけました。
「アイ、俺はアイの事も愛しているけれど俺は今ミヅキの事も愛しているんだ。俺とミヅキは今結婚も前提に付き合ってる」
「……え?」
シオンくんからの衝撃的な言葉にアイちゃんはとても驚いて固まってしまいます。まさかのシオンくんの報告にアイちゃんは今までのシオンくんのミヅキちゃんに対する行動を思い返しました。マザコンなどではなく本当に女性として好きだからそういう目で見て行動していたのだと。
けれど分かってはいても沸々とアイちゃんの中でショックの方が襲ってきます。
(何を……言ってるの……?)
「え、いや二人の冗談?からかおうとしてるんでしょ?」
「本当だよ。俺はミヅキを女性として好意を持ってる。振り向かせて好きになってもらえるまでに苦��したけどね。いずれはアイとミヅキの複婚って形になるとは思う。こういう大事な事はアイにも話しておきたいから今日誘ったんだよ」
嘘ではなく事実だと改めてシオンから聞き経緯まで聞いたアイちゃんは怒りの方がふつふつと湧いてしまいます。浮気をしたから怒ってる訳ではないのです。相手がミヅキちゃんだから怒りが湧いているのです。
「あんた……あんた……!!なっ……んて事してくれたの!!!!」
「あ、アイ……?」
ミヅキちゃんは予想をしていたのかただ成り行きを見守ります。本当なら自分が身を引けばいい話なのですがただそれは絶対シオンが許さない為に出来ません。
「よくそんな事が出来るわね!?有り得ないわ!!よくもまぁ複婚だなんて簡単に言えるわね!!」
「な、何でそんなに怒ってるんだアイ?浮気に当たるから怒ってるの?でもこんなの今じゃ珍しくもないよ?」
「違うわよ!!!!浮気どうこうで怒ってなんかいないわ!!」
浮気で怒ってないと言われシオンくんは困惑してしまいます。アイちゃんにとってミヅキちゃんとリオとイオはとても大事な存在なのですがそんな事はシオンくんは知りもしません。
「え、じゃあ何で怒ってるのさ……?」
「何で怒ってるのか分からない?……あんたあれだけママの事が大好きな癖に肝心な所は全然見てないのね」
シオンくんは困惑ばかりです。それにミヅキちゃんのことは知り尽くしていて何も知らない所なんてほぼないと確信もしているシオンくん。理解してもらえず怒られシオンくんも少し不機嫌さが増してきます。
「はぁ?何を根拠にそう言ってるわけ?俺はミヅキの事をずっと見てきたんだよ?知らない所なんてない。全て知ってる。彼女がパパ達を愛しているのだって承知だし、それを踏まえた上でミヅキは俺を愛してくれるようになったしもう全部全部彼女の事は知ってる。一体アイは何が不満なんだ?」
「……それが見えてないって言ってんのよ」
アイちゃんはシオンくんからポロポロ出てくる事実にただただ不快になっていきます。アイちゃんでもさすがにミヅキちゃんと一線を越えたんだなと分かるからです。
「こんのアイのわからずや……!!」
「あんたの方が分かってないじゃない!!」
喧嘩に発展しそうな雰囲気を見かねてミヅキちゃんが口を挟みました。
「落ち着いて二人とも。アイ、シオンの話は本当よ。私ねシオンの事大好きなのよ。もちろんアイの事を傷つけたくないのよ。だからこの気持ちを封印しようとシオンを避けてた時期もあったけれどシオンの気持ちに押されて気付かされて今に至るのよ」
「ママ……じゃあパパ達の事嫌いになっちゃったの……?」
「ううん、そんな事ないわよ。イオ……とアイのパパの事も大好きで愛していてとてもかけがえのない大事な人達よ」
アイはミヅキの言葉に少しだけ安心はしますがどうしてもシオンの事だけは許せませんでした。
「その中に俺が加わるだけだって言ってるのに」
けれどシオンくんの言葉にアイちゃんは再度ブチギレてしまいます。
「ほんとあんた何も分かってない!!ママとパパ達の幸せな空間をシオンがぶち壊したってこと何で分からないの!!」
アイちゃんは怒り心頭です。シオンくんも中々分かってももらえずお互いがお互いを罵りあいそうな雰囲気でした。
けれどもシオンくんは怒りを鎮める為に一度深呼吸をしてもう一度アイちゃんに向き合いました。
「確かに俺はミヅキとパパ達の仲をかきまわしたのは事実だよ。けれど俺はミヅキの事を幸せにしたくて大好きだから行動にうつした。やらない後悔よりもやった後悔の方がいいと思ってるし俺は本気で彼女の事を愛してるんだ。ミヅキも少なからずそうだよ。だから俺達の想いもないがしろにしないでほしい。何もすぐに分かってくれとは言わないけど」
シオンくんの本気の言葉を聞いてアイちゃんは一瞬押し黙りました。一応理解しているのになぜ?という想いが湧きつつもアイはこの状況をもし自分ならと置き換えて考えます。
すぐさまミヅキちゃんがシオンくん達に自分の想いを言います。
「私自身もリオもイオも私達夫婦の関係を壊された、とかは思ってはいないわ。それにね昔の話だけどリオとイオに交際を持ち掛けられた時にイオだってシオンのように一度も引かなかったのよ?私がリオを愛したままでも構わないって言ってね。シオンも同じ事を思ってるでしょう?アイはどうなの?私がシオンと関係を持ってるのは嫌って思う?リオとイオの事は切り離して考えて教えて頂戴」
アイちゃんはそうミヅキちゃんに言われましたがもしもミヅキちゃんだけで考えたらアイは嫌ではありません。それにアイは少なからずシオンが許すならいずれ初恋の人のツバサと関係を持��たいと思ってたりもするわけです。少し自分が凝り固まった考えに陥ってた事に気付かされました。
「……嫌じゃないわ。好きな人といられるのは幸せな事だもの。……私だって……ううんこれは今言う事じゃないわね。さっきは怒っちゃってごめんなさい。柔軟な考えを持たなきゃダメね。ツバサとユイお姉ちゃんの仲に入っていったミアお姉ちゃんも今と一緒の状況だもの。……認めるわ。でもシオン約束して?パパ達を悲しませる事だけはしないで?」
「そんな事はしないよ。大事な家族だからね」
それを聞いたアイちゃんは心からほっとする事が出来ました。
「……許してもらえてよかったよ。俺は二人とも大事にしたいと思ってるんだ。どう?このままデートしようよ?三人でさ」
「そうね、大事にしてもらわなきゃ。デートはママがいいなら私はいいわよ」
アイちゃんは少し笑みを向けて答えました。雰囲気が少し和やかになってきて三人とも心をなでおろします。
「あらトリプルデートね。素敵じゃない」
「でしょ?」
ミヅキちゃんのいつものような笑顔がようやく見れてシオンくんもとても満足です。ようやく一歩前に進んだという気持ちで彼はいる事でしょう。
(ママも幸せそうに笑ってるしパパ達もきっとこの事は承知の上で……なのね。だからこの前話していたのね)
そう心の中で感じたアイちゃんでした。
ミヅキちゃん達は移動し今度は遊園地へとデートしにやってきました。小さな遊園地です。
「晴れてよかったわね。さっきまであんなに曇ってたのに」
「だね。遊園地とかすごい久しぶりに来たよ」
初めてミヅキちゃんも引き連れて三人でのデートにシオンくんも心が浮き立つ気分のようです。
デートの続きは次回に!
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Spec Ops: The line を久しぶりにプレイしてクリアした。
6hぐらい。昔やった時は難しいゲームだと感じたけど今回はそこまで苦労しなかった。ゲーム慣れしてきたのかな?
まあそれでも死ぬときは死ぬゲーム。敵も味方も柔らかい。
久しぶりにやろうと思ったのはAutomatonの真夏におすすめのゲームで紹介されていて"そういえばこんな地獄なゲームあったな"と思いだし、まだ暑さの残る9月上旬になつかしさに浸ろうと思ったのがきっかけ。
今プレイして感じたのはこんなに複雑なストーリーだったのかと驚きを隠せない。
全編を通してウォーカーの目的が歪んでいく様がこんなに脳に残るか��じだったっけと思った。
以前プレイしたときは目の前の攻撃してくるものを倒すことに集中しすぎてたのかもしれない。(ウォーカーのように正当防衛のつもりだったのだろうか?)
今回プレイして思ったのはウォーカーは明らかに元々の目的から外れた行為でも何かと理由をつけて行動に移してしまう恐ろしい男だった。
どこで道を踏み外してしまったんだろう?どこから彼は妄想にとりつかれてしまったのだろう?
ゲートを襲撃した際の白リン攻撃による地元民の虐殺が受け入れられなく妄想のコンラッドと会話するようになったのだろうか?
33大隊が仲間割れをしていたのは本当なのだろうか?
結局全滅されちゃったのはCIAの思い通りになったのかな?
自分の犯した罪に耐えきれない時人は自分の人格を守るために現実逃避してしまうのかもしれない。
主人公を好きになれない珍しいタイプのゲーム(ウォーカーの行動はプレイしながらでも異常だと感じる)
戦争の過酷さ、兵士たちの負う心の傷が残酷に表現されている名作だと思います。
残念ながら2024年時点ではsteam上から購入できなくなってしまっている。
また再販された機会があれば是非ともプレイしてもらいたい作品です。
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2024年7月26日

8月15日に終わった戦争などない 「平和報道は9月にシフトを」(朝日新聞)
毎年8月にメディアにあふれる風物詩的な戦争・平和報道は、半ば揶揄を込めて「8月ジャーナリズム」とも呼ばれてきた。加害性の視点の欠如や、内容の定型化も指摘されて久しい。そもそも「8月15日=終戦日」という日本の常識自体が内向きの8月ジャーナリズムの産物で、国際的には非常識であり、世界との対話を阻んでいる――。そんな刺激的な議論を世に問うたのが、佐藤卓己・上智大教授(メディア史)だ。それなら本来の終戦日はいつなのか。先の戦争が人々の「記憶」ではなく「歴史」に変わりつつあるいま、私たちはそれをどう論じていけばよいのか。8月ジャーナリズムは乗り越えられるべき過去の遺物なのか。疑問をぶつけた。
「終戦の日」は8月ジャーナリズムの産物
――今年も8月を迎えます。8月15日をピークとした日���メディアの戦争・平和報道「8月ジャーナリズム」は、他者の存在と降伏の事実を忘却したものだと指摘し続けてきました。
「1945年8月15日に終わった戦争は存在しないからです。日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えたのは8月14日ですが、15日は、どの前線でも戦闘が続いていました」
「『終戦』は相手国のある外交事項です。米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた昭和天皇による終戦詔書の放送、いわゆる『玉音放送』があったに過ぎない日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています」
「そもそも、千島列島や旧満州は8月15日以降もソ連軍の侵攻を受けており、終戦どころではない。放送局が破壊され物理的に『玉音』体験が困難だった沖縄も同じ。ゲリラ戦を続けていた残存在沖日本軍が降伏文書に調印したのは9月7日で、アジア各地の日本軍が降伏したのも9月2日以降です。『8.15=終戦記念日』は、沖縄や外地の邦人、南方の戦地に取り残された兵士らの記憶���捨象し、周縁化することで成立しているのです」
「8月15日が終戦日と明記されたのは1963年の閣議決定で、その正式名称『戦没者を追悼し平和を祈念する日』が決まったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が廃止されてから30年も経った1982年です。今ではそのことを知らない人がほとんどでしょう」
「創られた記憶」に基づくエモい報道
――「8.15=終戦の日」という日本人の「記憶」自体、8月ジャーナリズムの産物だとも指摘しています。
「8月ジャーナリズムが確立されたのは戦後すぐではなく、多くの新聞が終戦10年特集を組んだ1955年です。この時の紙面に掲載された、玉音放送を流すラジオの前でうなだれたり泣き崩れたりする国民を写したとする新聞写真は、実は撮影日時や状況が不確かなものや、『やらせ』も含まれていました。宮城(皇居)前でひざまずく人々の姿を伝える1945年8月15日の記事も、見てきたように書かれているものの、多くは予定稿に基づくものでした」
「また日本人の多くは、あの日を『じりじり照りつける太陽の下』の出来事として記憶しています。『暮しの手帖』の花森安治は『あの日は誰でも知っているように日本じゅうがたいへんな晴天で(略)非常に暑かった』と書いています(『一億人の昭和史』第4巻)。ですが、東北は曇りだったし、北海道の一部は雨でした」
「記憶のウソは『8.15』だけではありません。8月6日も、国民的な平和反核運動の起点となるのは戦後すぐではなく、独立回復で原爆報道の統制が解かれた後、1954年の第五福竜丸事件以降です。広島市生まれの私の記憶では、被爆者への差別はかなり後々まで残っており、被爆体験は完全に自由な語りの中にあったわけではなかった。しかし、放射能雨や放射能マグロの恐怖とともに、広島と長崎という地方都市の悲劇が突如、国民的な原水禁運動の『起源』に据えられたのです」
「8月前半に集中する戦争回顧の報道をつぶさに調べてみると、いかに『創られた記憶』が多いかに、驚きます。通常の報道をする際には当たり前の真偽の検証すら不十分という点で、8月ジャーナリズムは『ジャーナリズム』の名にも値しないものが少なくありません。昨今、ネット上の『エモい』記事に対する批判が高まっていますが、伝統芸能化した8月ジャーナリズムの多くも、残念ながらそれに陥ってしまっている」
「戦後長らくメディアが作り上げた『記憶』は、引用や孫引きが繰り返されることで、国民の集合的記憶=体験として歴史化していく。それはもはや『神話』と言えます」
「8月革命論」と「記憶の55年体制」
――その「神話」が浸透・定着したのには、戦後の政治・思想空間が大きく作用していたようですね。
「戦後憲法に深く共感した政治学者の丸山真男は、1945年8月15日に日本が国体の呪縛から解放され、人民主権への変革が起きたとする『8月革命論』を唱えました。一方、保守派は天皇の御聖断によって戦争が終結し国体も護持されたという物語を信じてきた。これらは正反対に見えて、左右のイデオロギーが背中合わせにもたれかかる心地よい均衡であり、双方が『降伏』に目を背けることで一致した『記憶の55年体制』とも言うべきものです」
「『8.15』を境に日本に『自由なる主体』が生まれたというのは、明らかに虚妄です。丸山はそれを承知のうえでその虚妄に賭け、8月ジャーナリズム最大のイデオローグとして戦後言論界に君臨しました」
「しかし、戦前と戦後の断絶を設定する『8.15神話』は、両者の連続性を隠蔽する効果をもたらしてきました。その意味で、8月ジャーナリズムは『戦争の記憶』ではなく、『戦後の忘却』の上に存在しているのです」
「戦前」と「戦後」の断絶史観、世界と乖離
――世界との対話を阻む障害となっている8月ジャーナリズムではなく「9月ジャーナリズム」を展開すべきだと提唱しています。
「私はメディア論の学者なので、報道や言論の『内容』だけでなく『効果』に関心があります。内容の真偽や善悪を問題にするジャーナリズム論に対し、効果の程度や射程を問題にするのがメディア論です」
「終戦の日に首相や天皇が反省の弁や世界平和を口にしても、靖国神社に閣僚が参拝する報道とともに伝われば、本心では反省していないと世界からは見られます」
「8.15終戦記念日は、周辺国との歴史的対話を困難にしてきました。いくら私たちが戦後の象徴たる平和憲法にコミットする姿勢を示しても、その前提となる内向きの『あしき戦前』と『良き戦後』の断絶史観は外国と共有されていない。外部の他者に開かれていない空間で、いくら自己反省を繰り返しても、対話なきゲームです。『8.15』をリセットタイムとする日本史において、『戦後』は世界史との経路を遮断され、その記憶は自閉化されています」
「本当に世界史への接続を考えるなら、7月7日(盧溝橋事件)や12月8日(真珠湾攻撃)を国家的記念日にしてもよいでしょう。でも、そんな試みはほぼありません。だったら、8月ジャーナリズムを9月にシフトし、世界標準の終戦日である2日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の調印日である8日、そして満州事変が勃発した18日まで、���学期の教室でも議論できるものにすべきです」
「もっと言うなら、私の提唱する9月ジャーナリズムは、8月29日から始まります。何の日かご存じですか?」
――……。
「日韓併合記念日です。この日を国恥日としている朝鮮半島だけでなく、戦後しばらくは日本人もみな覚えていましたが、今やすっかり忘却されています。9月1日の関東大震災後の朝鮮人虐殺も、植民地支配を背景にしたものです。戦争と平和についてさらに広く考えるなら、米同時多発テロが起きた『9.11』や、戦後70年の節目だった安保法制の成立日(9月19日)も射程に入れてもよいでしょう」
戦没者追悼と歴史的対話、記念日の分離を
――8月ジャーナリズムは内容的にも、被害や受難の語りに偏重してきたと言われています。
「8月6日や9日、あるいは空襲や引き揚げ、特攻や玉砕の体験は、紛れもなく悲劇の記憶です。それを前提にする限り、報道やドラマの内容が『犠牲』に偏るのは避けられない。侵略や植民地支配の加害性を見つめなくてはいけない、といくら主張しても戦災者には響かないし、この語りの傾向を変えるのは難しいでしょう。お盆の8月15日は、戦前から慰霊と供養の日としても定着していました。宗教的追悼と政治的議論を同時に行うことは、ふつうの人にはなかなかできることではない」
「だから私は、終戦の日を二つに分け、8月15日を『戦没者を追悼する日』、9月2日を『平和を祈念する日』にすべきだと訴えています。8月15日はこれまで通り死者に祈りを捧げ、9月2日は戦争責任や加害の事実に冷静に目を向け、諸外国と歴史的対話をする日にする。政教分離の観点からもそれがよいでしょう。その意味では、9月ジャーナリズムは8月ジャーナリズムの全否定の上にあるわけではなく、その内向きさと情緒性を省みたうえで、理性的で対話的な新たなジャーナリズムを構築する試みです」
歴史対立踏まえ、未来志向のジャーナリズムへ
――戦後生まれが人口の85%を超え、戦争の記憶の継承が課題です。「新しい戦前」というきな臭い言葉も飛び交っています。
「今は『記憶の歴史化』の潮目です。平均寿命に近い80年という時間の経過は、生存者の反証を物理的に不可能にします。そのため、『戦争の記憶』は『記憶の戦争』の中で再編されていく。それは、事実関係よりも表現の効果に人々の関心が向けられていく時代に、今後は突入するということです」
「すでに近年、終戦や戦争をめぐる『歴史のポリティクス』は過熱しています。中国は従来、靖国参拝問題などで歴史カードを切れる8月15日を重視してきましたが、日中の経済力が逆転した2010年代以降、改めて9月3日を抗日戦争勝利記念日と明確に定めました。ロシアも昨年、9月3日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日』と名称変更し、ウクライナを支援する日本を強く牽制しました。歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の功利的な歴史利用に対峙することはできません」
「情緒的で紋切り型の8月ジャーナリズムがもたらしてきたものは、現代の戦争や安全保障問題に対するイメージの貧困化です。日本人は『豊かで平和な戦後』において、米国の核の傘の下、周辺国との敵対性を無視することができました。しかし、国家利害の対立が深まるなか、現実に目を背けることは、あまりに反政治的です」
「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です。歴史の対立が存在することを前提に、それならどのような対話が可能なのか、私たちは模索し続ける必要がある。戦争の記憶の問題にメディアが果たす役割とは、本来そうした未来志向のものでなければならない。だからこそ、他者と向き合うための9月ジャーナリズムが必要なのです」(聞き手・石川智也)
佐藤卓己 さとう たくみ 1960年生まれ。上智大教授、京大名誉教授。専門はメディア史、大衆文化論。著書に「『キング』の時代」「言論統制」「八月十五日の神話」「輿論と世論」など。

広島原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止(東京新聞)
8月6日の広島市の平和記念式典で、原爆ドーム周辺を含めた平和記念公園の全域に入場規制を広げる市の方針が波紋を広げている。メイン会場から離れたエリアも手荷物検査を受けないと入れず、プラカードやのぼりの持ち込みを禁止。安全対策を理由とするが、法的根拠はなく行きすぎた表現規制との懸念も。背景には近年の平和行政の変質も指摘される。(山田雄之、山田祐一郎)
◆物議を醸した「園内での禁止行為」
広島市は5月、平和記念式典で、入場規制エリアを昨年まで対象外だった原爆ドーム周辺を含む公園全体に広げる「安全対策」を発表した。当日午前5〜9時に入場規制し、6カ所のゲートで手荷物検査を行うとした。
広島市の平和記念公園で、松井一実広島市長(左から5人目)から説明を受けるG7首脳ら=2023年05月
これに加えて物議を醸したのが園内での禁止行為。「式典の運営に支障を来す」としてマイクや拡声器のほか、プラカードや横断幕の持ち込み、はちまきやゼッケンの着用まで禁じ、従わなければ退去を命令することがあるとした。
規制強化の理由としたのは昨年の式典の際、原爆ドーム周辺で市職員に活動家の集団が腕を組んでぶつかるなどした「衝突事案」だ。5人が暴力行為法違反の疑いで逮捕、起訴された。
松井一実市長は記者会見で「参列する市民の安全を最優先に考えての措置」と強調。「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。
◆「核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」のに
被爆者たちの受け止めはさまざまだ。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「こちら特報部」の取材に「騒動を起こす人がいることも事実。犠牲者を追悼するために厳粛に式典を行いたい。規制は仕方ない」と理解を示す。一方、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(79)は「祈る場所は必要以上に制限されるべきではない。反戦や核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」と話した。
6月上旬、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島は「ゼッケンなどの着用禁止は表現の自由に抵触する。取り消すべきではないか」と市長あての質問状を出した。JCJ広島幹事の難波健治さん(76)は「そもそも式典を巡る問題は騒音だった。いつのまにか安全の問題にすり替わった」と強調する。
◆「条例は関係なく法的根拠はない」
どういうことか。会場周辺のデモで拡声器が使われたことを受け、市が2019年に参列者に行ったアンケートでは、音が聞こえたという人の約6割が「式典に悪影響がある」と回答。市議会は21年、議員提案された「市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行う」と定めた市平和推進基本条例を賛成多数で可決した経緯がある。ただ「厳粛」の具体的な規定はなく、県弁護士会などは「市民の表現を萎縮させる」と懸念を示していた。
公園からの退去などを市民に強制できる根拠はあるのか。市の市民活動推進課の担当者は取材に対し、手荷物検査や禁止行為による退去命令について「条例は関係なく法的根拠はない」と断言。「安全な式典にするための必要最小限の規制。表現の自由を制限するとは思わず、あくまでご協力いただくもの」と述べた。プラカードなどを使って平和や核廃絶を訴えたい人については「規制終了後や公園外でしてほしい」と話した。
◆「ここまであからさまな表現の自由の制限は…」
デモの音量に対する「騒音規制」の問題だったはずが、いつの間にか目的が「安全対策」にすり替わったという今回の出来事。広島大の田村和之名誉教授(行政法)は「別の場所から大音量が発せられる可能性があり、騒音問題の解決になるのか疑問だ」と話す。
「式典が安全に行われることに異論はないが、論理の飛躍だ。差し迫った危険の発生が具体的に予見されるわけでないのに、短時間とはいえ拡声器やプラカードといった表現活動を禁止するのは言論の自由や集会の自由の制限に当たる」と憲法違反を指摘する。その上で「ここまであからさまな行政による表現の自由の制限は最近、目にしたことがない」とあきれる。
松井市長は5月の会見で、衝突事故の再発防止のため、式典会場外の区域も式典会場と位置付けて規制する考えを説明した。田村さんは「式典として使用実態がない場所は自由利用が原則であり、市長の説明は詭弁だ」と批判。都市公園法の原則に反し、正当な理由なく住民の公共施設利用を拒んではならないとする地方自治法にも違反するとした上で「屋外の平和公園で式典を行う以上、騒音は避けられない。行政が必要以上に規制すれば、異を唱える人を排除することになる」と危ぶむ。
◆広島の平和行政が変質していないか
2023年度に差し替えられる前の平和教材の「はだしのゲン」のページ
近年、広島の平和行政を巡っては平和団体が懸念を示す問題が相次いできた。広島市教委は、平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」や、1954年にビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の記述を2023年度から削除。市民団体が実施したオンライン署名では、約半年間で削除に反対する声が5万9000筆以上寄せられた。
昨年6月には広島市の平和記念公園と、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝える米パールハーバー国立記念公園が姉妹協定を締結。同年9月の市議会で市幹部が、米国の原爆投下の責任議論を「現時点では棚上げにする」と答弁し、被爆者団体などから批判を受けた。今年の式典を巡っても、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待する方針を表明。ウクライナ侵攻以降、招待していないロシアへの対応との違いを「二重基準」と会見で指摘された松井市長が声を荒らげて否定する場面もあった。
「根拠やプロセスを説明しないという松井市長の政治姿勢が年々、顕著となっている」と指摘するのは広島市立大の湯浅正恵教授(社会学)。「行政は法律や条例の規則に基づいて政策決定をするべきなのに、納得できる説明がない状況が続いている」。7月には突如、来年以降の式典招待国の基準も見直す考えを示した松井市長。湯浅さんは「近年にない特殊な状況」と受け止める。
◆「アメリカのご希望に沿う岸田首相、追従する広島市」
平和記念公園で記念撮影に納まるG7首脳ら=2023年5月
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」は先進7カ国(G7)広島サミット後の昨年7月、「広島市平和行政の変質を問う声明」を発表し、現状への危機感を訴えた。
共同代表を務める森滝春子さん(85)は「広島市の平和行政の変質は、原爆被害が見えなくなることを望む米国に沿った岸田首相の政策に、市が追従していることによって起きている」と危ぶむ。「G7の広島ビジョンも米国の核の傘の下での核抑止論を肯定する内容。その場所に広島が利用された」と批判する。
今回の入場規制が原爆被害の実相を伝える上での悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。「世界や日本から原爆被害者を悼みに来るのに、法的根拠なく入場を厳しく規制すれば、近づかない方がいいという人が出るかもしれない。被爆者が減る中、マイナスの効果しかない。それを止められないのは歯がゆい思いだ」
◆デスクメモ 前に公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。日本は米国の原爆の被害者だが、アジアとの関係では加害者でもある。立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた。戦後79年の夏空に「NO WAR」と掲げられる公園であってほしい。(恭)
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メーベル


占い師の女性。登場話数は60話(特別編を除く
)。
4話 ・「ジュピターの怒り…。」
12話 ・「お前(デデデ)に恨みを抱く幽霊が城におる(一応大王のデデデ相手に「お前」って…)。」 ・「今夜も現れるであろう…。」
13話 ・「(デデデが美しいお祭りを開催すると聞いて)ビューティーコンテスト?」
17話 ・「(指輪が)本物ならね。ガラス玉で金を巻き上げようったって、そうはいかないよ。」 ・「で、(指輪を)いくらで買ってくれる?さぞかし高い値がつくんでしょ?」 ・「キュリオに取られたわ。古代プププ文明がどうとか言って。」
23話 ・「(ダイナベイビーを見て)ローストチキンが歩くとはねぇ。」
28話 ・「あらま、シャレてるじゃない。」 ・「エスカルゴンさん、ご飯食べにいってもいいかしら?(珍しく「さん」付けしている)」 ・「(エンジンを止めたフームに対して)アタシたちはここで遊びたいの。」
29話 ・「ムッシュ・ゴーンの高級ムードは飽きたわ。辛さで勝負の方が…(刺激的ねぇ)。」
41話 ・「何ぃ?真っ赤な炎のボール?それが何故カービィだと?」 ・「(占いの結果を見て笑ったあと)それはカービィではない!それは…アンタの心の奥底に潜む良心だ。良い心、優しい心のことよ。どんな極悪人にもある!」 ・「眠っているときそれが心の底から浮かび上がり、アンタはまだ公園を作ってないね?村人の願いを踏みにじっているから、心の底にある良心が夢に現れて自分に責めるのだ…あぁ公園を作れ…公園を作れと…。」 ・「ふん、何よエラそうに…。あらフーム。あいつカービィ恐怖症になったらしいわ…彼に襲われる悪夢を見たのよ。さあね、あの能天気の考えてることなんてさっぱり分からないわ。」 ・「デデデが見た悪夢の正体なんて、分かりっこない。(サモにおだてられて)よして、私は千里眼でも透視能力者でもないわ。告白するわ、フーム。皆は私を何でもお見通しの千里眼だと思ってるけど…ホントはサモのおかげなの。サモは村の噂をよく知っている。アタシはそれを聞いて皆のことを当ててるの。」 ・「(デデデ城に来て)この広さじゃ夢の理由を調べるのは難しそうねぇ。フーム、ここは?(研究室を見て)調べる値打ちはありそうねぇ。こ…これって何?(天体望遠鏡を見て)星を観察するやつね。あまり使ってないみたい。フッ…公共事業とか言って、税金を自分の趣味に使ってたんだね。(望遠鏡を覗いて)さあね~見えるのは星だけ。当たり前か…。」 ・「あら驚いた。初めて(カービィの変身を)近くで見たわ。」 ・「待てぃ!鎮まれデデデ!悪夢のワケはカービィではない!紅く燃えるボールの正体は何か…見せてやろう!」 ・「(デデデを研究室まで案内して)さぁ…覗くが良い。その紅い星だ!これは宇宙をさまよい歩く星、妖星ゲラス!([[妖星ゴラス]]が元ネタ)今この星は刻々とプププランドに近づいておる。やがて、来週ごろには衝突して、この世は滅びる!どうあがいてもお前は炎に焼かれるであろう!」 ・「まっさか~口から出まかせよ~。星が衝突するなんて、そ~んなバカなことあるわけないっしょ~!」
42話 ・「デデデ!妖星ゲラスはまもなくプププランドに衝突する!お前は炎に焼かれるであろう!」 ・「あぁ…こんなことになるなんて…。」 ・「サモ…アンタだけに話すわ…。占いじゃないの…本当はデデデの望遠鏡でコッソリ覗いて分かったのよ。(サモに口説かれて)あははん…優しいのね。」 ・「危機は去ったのね!」
48話 ・「2人の相性は…もう!集中できない!」 ・「アンタらの運は最悪だよ!」
49話 ・「(デデデのドラマは)バカくさくて見たことないわ!」 ・「あら、(フィルムに)色がついてないけど?(アニメーターが遅れてると聞いて)ふっふ…連中ってそんなもんよ。」 ・「(明後日の朝までなんて)間に合うワケないでしょ!」
50話 ・「なんか詐欺っぽいわね~。」 ・「なによこのいやらしいプロマイド…。」
52話 ・「男って動物はいくつになっても子供ねぇ…。」 ・「サモ、あたしの占いじゃ(チョコカプセルから)出てくるのはザコ兵士ばっかよ(出まかせ)。ホント…男って子供だねぇ…。」 ・「(チョコカプセルを買い占めるデデデを見て)バカみたい…たかがオマケチョコに。」
54話 ・「(キハーノに対して)ちょっと、そこのおじいさん。そんなに興奮しちゃって…何か困ったことでも起きたの?なんなら、アンタの将来を占ってあげましょうか?」 ・「あ、あら…どうしたの?」 ・「あたしが王女様?何よ、気持ち悪い…よらないでよ…。あたしのどこが王女よ!助けてぇ!」 ・「(キハーノに対して)ないわよ!アンタみたいなジジイ!」 ・「キハーノ…ワタクシをよく助けてくれました…愛しています!また会えるかしら…キハーノ!(キハーノの妄想内のセリフ)」 ・「何となく思い出しそう…あたしたちロマンチックな関係だったワケね。」 ・「待ってったら~!あたしには大切な用事があるの!」 ・「あの~あそうそう!この星の困った人たちを救ってあげないと!だからね…アンタだけいって!」 ・「ダメよ!アンタも逃げなくちゃ!ちょっと!」 ・「ちょっと待ったぁ!たとえ漫画でもアニメでも!正しいことは正しいでしょ!騎士キハーノ!起きなさい!この!(叩き起こす)」 ・「ワタクシを忘れたの?ライヤ王女!立ちなさい!そなたを待っている星は、まだまだたくさんあるのですよ!」 ・「王女の命令です!そして行きなさい(生きなさい?)!あなたの使命は終わっていない。そなたの信じる正義を貫くのです!」 ・「うふふふふ…一生に一度ぐらい王女様も悪くないわ…ねぇ、カービィ?」
58話 ・「(ボルンに対して)アンタなんだか怖かったわよ…。」 ・「おい!テメェら!ガキめ!絵を描け!彫刻を彫れ!さぁ始めろ!」 ・「(フームに対して)おのれ~!よくも私の授業を!お前のような不良はお仕置きしてやる!」
61話 ・「なんか変だと思わない?でしょ?」 ・「(太ったデデデを見て)完全に粗大ごみになったわね。」
62話 ・「あ~皆さん、こんにちは。何だか知らないけどデデデに頼まれちゃって、よろしくね。」 ・「聞けー!「雲」を選んだものは頭に気をつけるがいい。空から何かが降ってくる!(実際に雲を選んだパームとレン村長は空から何かが降ってきた)」 ・「「石」を選んだものは外出しない方が良い。命の危険がある!」 ・「今日の最悪の運勢…カギ!「カギ」を選んだものは重大なミスをおこすであろう。」 ・「「魚」を選んだものは海に出るなかれ!ひどい目に遭うであろう!」 ・「「リンゴ」を選んだものは注意せよ!天からイナズマが降ってくる!」 ・「おっかしいと思った!占いが次々とあたるんですもの…。」 ・「ビミョーな問題ねぇ…番組に出て人気者になればガッポリ儲かるけど…(外の騒ぎを見て)うるさいわねぇ何よ。」 ・「ちょっと待ってアンタ!あーちょっと!あたしは重いんだ!(車に放り投げられる)」 ・「カービィ…。」 ・「私はメーベル!プププランドの人々よ!私が告げる言葉のみを信じよ!」 ・「では占おう…(謎の呪文)。ウィスピーの森はバッサリと伐り倒しても良い!」 ・「税金は好きなだけ取るが良い!」 ・「だが…聞くが良い…。デデデよ…所詮お前の夢は叶うまい…。その前に世界の終わりが来るからだ!プププランドは海に沈む…。」 ・「すぐにここから脱出しなければならない…私についてくるものは救われるであろう!」 ・「信じないのか…?私の妖星ゲラスの予言を忘れたのか!?あのシーンをもう一度…ビデオスタート!(占いだったらビデオじゃなくて回想の方が良い気がするが…)」 ・「私は不吉な星ゲラスがこのプププランドに衝突すると予言した…。あれが嘘だったとゆーのか?ゲラスは本当に近づいた…大地は揺れ、火山は噴火し、大嵐となった…。フームとカービィ達が活躍して(ゲラスの)軌道が僅かにそれたおかげで、最悪の事態は免れたが…。私の予言通りデデデ!お前は炎に焼かれた!」 ・「私のゆーことを信じたく��ければ、ついてくる必要はない…。私は行く!」 ・「この海の彼方だ…。海に道をつくる!」 ・「皆ホントにバカねぇ…。まさか村の全員がついてくるなんて夢にも思わなかった…(※ワドルディ達やメタナイトらはいません)。」 ・「当たりません!当たらなくて結構!(サモに対して)奇跡?アンタがしたのと同じことよ!(杖を投げる)」 ・「そう!占いの仕事は未来を当てることじゃなくて、皆の悩みや心配ごとを聞いて、相談する人の苦しみを和らげること…。前にサモが言ったわ…私はカウンセラーだって。」 ・「デデデのテレビで占いしたのがいけなかった…。もう2度と人騒がせ占いはしないわ。」 ・「うふふ、アンタのおかげでちょっぴり楽しい体験をしたわ。」
63話 ・「ハックション!ああもうダメ…。ヘックショーン!」 ・「(デデデを見て)占っても当たる性格じゃないわね…。」 ・「約1名治りきらないのがいるわ…。」
66話 ・「あなたはきっと長くこの村に滞在するであろう。」 ・「それどころか侵略よ!」 ・「はい、できあがり。」
68話 ・「(フームからの電話)あらま、それって便利ね~。」 ・「(ホッヘからステーキ定食を届けられて)ありがとう…。」 ・「メーベルの出前占い…いいかも!」 ・「誰かのイタズラに決まってるでしょ…。」
70話 ・「(トッコリは)悪い星の元の生まれね。」
72話 ・「(ワドルディに対して)次の方どうぞ。あなたたち運勢が同じだから楽ねぇ…。」
73話 ・「タコタコ…それ!イカかぁ…(色的にタコで間違いなさそうだが)。」 ・「プププロールはないの~?(何それ)」 ・「あたしが先よ!(ガスとエビを取りあう)」 ・「あたしなんか1ヶ月分のカロリー取っちゃった…。」 ・「はぁ…ヒマねぇ…。」 ・「まぁ…もう(寿司は)食べ飽きてんのよ!」
76話 ・「私の占いより確実なの?」 ・「今の(恐竜)レン村長そっくり!」 ・「(サモに対して)アンタ汗びっしょり!」 ・「(自身とサモの恐竜を見て)ヤダ…皆の恐竜バージョンが揃ったらしいわね…。」
77話 ・「ダメよこんなワケ分かんないんじゃ…。」 ・「あの2人(カービィとデデデ)は放っておきましょ…。」 ・「絵を見ない人は一生後悔するかもねぇ…。」 ・「(「睡蓮の池と日本の橋」を見て)まぁ~!キレイ…。」 ・「芸術センスを占って欲しい人はどうぞ~!」
79話 ・「(ボンカースに対して)あらま、カービィじゃないの!」 ・「なら交番で聞けば?困ったときは占いよりおまわりさんに頼るのが一番!」 ・「署長!あんな暴力を許しとくの?」 ・「(ボルン署長に対して)そんな法律あったっけ?」 ・「マフィアかもね!」 ・「どうだか!ホントの狙いは分かんないわよ!」
81話 ・「サトさんが片づけられない女?」
82話 ・「(パームに対して)一流シェフの腕なんですってぇ。」 ・「(ブレイドに対して)バッカじゃないの…。」 ・「大臣もしょせん男なのねぇ…(お前らの早とちりだろ)。」
84話 ・「不吉な予感…あ!ゆ、夢か…。」 ・「(マンビーズを見て)あー!夢じゃないー!」 ・「もしかすると、あたしを狙ったのかもしれないわ…。」
85話 ・「確かにやーねぇ。シミそばかすは…。」 ・「(日焼けした村長夫妻を見て)あぁ!なにその顔!」 ・「見て!あそこに気球が!」 ・「こんなメカぶっ壊して!」
86話 ・「だったら「ぞい」とか「ゲス」と同じレベルじゃない。」 ・「なんでまたカワサキの店に?」 ・「(ナゴヤに対して)いらっしゃいみゃ~。」 ・「そりゃ(マズいと)言うわよ…。」 ・「(カワサキに対して)なんでいつもこのレベルで作れないのよ?(※フームのおかげです)」 ・「(ナゴヤの味噌煮込みうどんを見て)うわ!美味しそ~!」 ・「こんな美味しいうどん初めて~!」 ・「(ナゴヤの料理は)最高ねぇ!」 ・「カワサキとニャゴヤと入れ替わってもらったらどうかしらねぇ…。」 ・「(カワサキにも料理人の)意地というものがあるハズよねぇ?」 ・「レバニラ炒めで火を噴くワケなかったわ!」 ・「(コックカービィの変身に対して)待ってました!」
87話 ・「でも、デデデが怒らない日はなくても、カラスが鳴かない日はなくなったわ。」 ・「(カラスがいなくなったと言われて)そういえばそうね…。」 ・「あら、そうだったの?」
89話 ・「完全にストーカーよ!ホントしつこい男がいるのよね!」 ・「こういうときはガツーン!と一発ねぇ!」 ・「(オタキングに対して)このストーカー野郎!」 ・「(サモに対して)バカねぇ!死ぬほど働いたのに!」 ・「(サモの話を聞いて)主人公自分のつもりよ!」
90話 ・「警察ってつまんないことにうるさいクセして!」
94話 ・「(私たちの未来は)最悪だわね。」 ・「(サモに占いが当たったと言われて)だから言ったでしょ!」 ・「(デデデが魔獣を成敗すると言って)どういう風の吹き回し?」 ・「あの子また…(旅に出るのかしら)。」
95話 ・「ホンダ~ラ~カンダ~ラ。見え~る見え~る…悪い運勢が…あら?」 ・「ちょっとカービィ、アンタにも最悪の運勢が見えてるよ?」 ・「(水晶玉を割られて)何すんじゃ~!」 ・「見て~!私の水晶玉が~!」
98話 ・「これ…飛べるの?」 ・「それより、あたしの家大丈夫かしら~!(さっき全壊したじゃん…)」 ・「(ダコーニョを見て)体育会系みたいだけど…。」
99話 ・「情けないわね!(バーベルを持ち上げる)」
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地元が60年前にロケ地になっていたので行ってきた

どうも、推しが地元に来ていたことに気づき、後世に残さなくてはと4年ぶりに記事を書いためぐめです。
そうなんです、推しが地元に来ていたんです。 まぁ60年前のことなんですが。
でも、推しを通じて「60年前と現在」とで、その土地を比べることができました。 60年の歳月で変わるものと、変わらないもの……そのどちらもあって非常に感慨深かったです。
私が大興奮したそれを、皆さんにもぜひご覧いただきたいです。
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まず初めに簡単なご紹介から。
『隠密剣士』とは、1962年10月から1965年3月までテレビ放映された、30分枠のヒーロー時代劇です。 当時の忍者ブームの火付け役とも言われるほどヒットしたテレビ番組で、オーストラリアなど海外でも根強い人気がありました。
どれくらい日本で人気だったかというと……みなさんは『忍者』を思い浮かべた時、どのようなイメージを想像するでしょうか。逆手で刀を持ち、逆手で斬るイメージをもたれた方もいると思いますが、その“忍者の逆手斬り”の発祥が、この『隠密剣士』だと言われています。 もちろん諸説ありですが、人々に当たり前のように浸透している『概念』の発祥、源流に位置していると考えると、すごい番組だと思いませんか?
すごいですよね? そう、すごいんですよ。
そんな『隠密剣士』ですが、私の大好きな俳優、牧冬吉おじさんが演じる「霧の遁兵衛」を拝むために眺めていたところ、私の地元群馬県で撮影されていたことに気がつきました。 京都での撮影が多かった推しが地元に来ていたというのはもはや事件です。聖地が目と鼻の先にあるなら行くしかありませんよね。
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今回、群馬県での撮影があったことに気づいたのは、第四部「忍法闇法師」です。
隠密剣士の撮影は、多くは東京都内、またその近郊が多いですが、今回の舞台は尾張���それにつながる中山道でした。そのため、実際に中山道沿いにあるいくつかのランドマークで撮影していたようです。
敢えて上信越自動車道を交えながら例えると、以下の感じになります。
第七話……松井田妙義IC~碓氷軽井沢IC(ラストに高岩のカットあり)
第八話……碓氷軽井沢IC~浅間山北東部(当ブログでロケ地を解説)
第九話……浅間山南部~長野県内(冒頭が浅間山南部のカット。これ以降はまだ観てないです)

第七話ラストシーンと碓氷軽井沢IC付近から見た高岩。
さて、当記事で詳しくとり上げるのは第八話「霞の忍者」での浅間山です。
この第八話は1963年8月25日に放映されました。私が浅間山に行った日が2023年6月18日ですので、撮影時期を考慮するとちょうど60年ということになります。
それも踏まえつつ、早速いってみましょう。
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最初は、浅間山北部で撮られたシーンについてです。
▼ストーリー 浅間山の山腹に甲賀忍者の狼煙が上がった。 遁兵衛が調査に向かうも、遁兵衛を敵と勘違いした侍が襲ってきた。和解はしたが、秋草一行を付け狙う忍者「水口幻斉」がその様子を陰から見張っていた……。




まず、群馬県民ならこのゴツゴツとした岩場がどこか、すぐにピンとくるでしょう。 そうです、「浅間のいたずら鬼の押し出し」ですね。
厳密には「鬼押出し園」という公園です。 浅間山の噴火により形成された岩々を鑑賞することができる園ですが、撮影当時から営業していました。
そして、詳細な撮影場所は下記園内マップの赤丸の部分です。
参照:鬼押し出し園 園内マップ https://www.princehotels.co.jp/amuse/onioshidashi/map/
表参道を入ってすぐの場所ですが、道の両サイドで、視点を変えながら撮っていたようです。

左を向くと浅間山。右を向くと、遁兵衛が狼煙の火薬を確認していた岩場を見ることができます。
また、遁兵衛と侍が戦う場所がもろ参道なところに注目です。
さすがに岩場の上ではアクションはできないでしょうからね……となると、60年前の当時からこの歩道が、整備されて存在していた可能性があるのではないでしょうか。
そして、彼らが歩道にいるということは、カメラマンは足元が不安定な岩場から撮っていたということにもなります。
それにしても、実際に行ってみるとこの鬼押出しという冷えた溶岩の岩場は、本当に危ない場所だと感じました。
歩道は綺麗に整備されていて歩きやすいのですが、それ以外は鋭く切り立った岩だらけ。岩の隙間に足を取られようものなら、骨折は免れないでしょう。高低差もありますし、転落したら最悪死ぬスポットはそこら中にあります。 霧の遁兵衛は忍者なので、そんな危険な岩場もひょいひょいっと飛び移っています。演じている牧冬吉おじさん流石だなぁと嬉しくなる半面、こんな危ない場所で俳優もスタッフも撮影していたことに、ゾッとする思いもありますね……。
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続いては浅間山東部です。 ここは撮影外の写真も撮られているため、かなり貴重な発見です。
▼ストーリー 遁兵衛は、侍たちお役人に危険が迫っていると知った。先に中山道を下った秋草を呼び戻すため荒野を駆ける遁兵衛だったが、水口幻斉に襲われ気を失ってしまう……。

こちらですが、軽井沢方面から鬼押出し園へ向かう途中にある有料道路「鬼押ハイウェー」沿いにある、「浅間 六里ヶ原休憩所」付近と思われる場所です。
現在はキャンプ場もあるような開けた場所ですが、当時の撮影隊はこの開けた場所に待機していた可能性もあるな、など妄想が尽きません。
画面奥から遁兵衛が走ってくる場所は荒野ですが、ここが昔そういった土地だったことは、休憩所の案内板にも書かれています。今では考えられないほど草木が覆い茂っています。
また、地形から察するに、遁兵衛と水口幻斉が戦うこの街道は、今でいう「鬼押ハイウェー」である可能性もあります。
ただ、後述する写真のほうがより鬼押ハイウェーっぽいです。この場面の道は一本別の道か、あるいは少し離れたところで撮られたのかな、と思います(とはいえ、ここ以外の道は森の中になってしまうので、一番可能性が高いのは鬼押ハイウェーなのです)。

こちらの記念写真も浅間山東部で撮られています。
この写真は、中央に写っている少年、大森俊介さん(馬場周作役)が所蔵していたものです。 撮影時期は不明ですが、大瀬康一さん(主人公、秋草新太郎役)の服装がこの第八話のものに近いので、もしかするとその撮影の合間に撮られたものかもしれません。

こちらの写真も同様です。
一見どこだかわからないのですが、背景の山々の形がかなり似ています。撮影時期は不明ですし、先ほどの記念写真との関連性すらわかりませんが、しかし状況が「可能性大」を表しています。 少なくとも、大瀬康一さんが立っているこの通りは今でいう「鬼押ハイウェー」であると考えられます。しかしながら、前述した「遁兵衛と水口幻斉が戦う道」は舗装されていません。 やはり、それぞれの関連性ははっきりはしませんし、詳細な地点についても結局断言できないとは思います。
なんであれ、まったく詳細が解説されていない舞台裏の写真の、大まかな場所だけでも���力で特定できたのは、すごく嬉しいことです。
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というわけで、今回発見してきたものは以上となります。
まさか、60年も前の地元をテレビドラマで知ることになるとは思いませんでした。 何十年と言う年月では街並みが変わるのは当然で、お寺などでないと残らないだろうという朧げな考えはあったのですが、今回「山の形はそうそう変わらない」と思い知りました。
ロケ地の中には、「ダム開発により今は一帯が水の中に沈んでいる」というものもあります。
浅間山も一応活火山で、噴火によって変形する可能性もなくはないです。今回発見できたのは運が良かったのかな、なんて思います。

最後に、今回は探索しなかった浅間山南部(第九話)の場面を紹介して終わりにさせていただきます。
隠密剣士は全編モノクロの作品ですが、空気感が伝わってくる場面がいくつもあります。 このシーンも、青空が広がる中、秋草新太郎と周作少年が手をつないで歩いている、情緒のある映像ですごく好きなんですよね。
……あれ? 左の浅間山は確かに南部、軽井沢付近から見た風景で間違いありませんが、右の次のシーンの秋草と周作少年のシーンはどう見ても北部の映像ですね。岩がゴツゴツしてますからこれは鬼押出しでしょうが……これは具体的にどの地点なんでしょう……
冬吉おじさんのいた場所さえわかればよかったとはいえ、なんだか気になってしまいます。
次回行くことがあればまた探してみようと思います。
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おまけ。
ところどころに載せました撮影当時の写真は、書籍「蘇る! 伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事・完全版」に掲載されているものです。
2014年に発売された「伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事」の改訂版で、新規収録のインタビューの掲載や一部資料の差し替え、加筆など、大幅にパワーアップしている書籍です。
作品の話だけでなく、俳優やスタッフの話までバランス良くまとまっているので、ファンの方でまだお持ちでない方はぜひ購入すべきです。 個人的には、オリジナル版を既にお持ちでも損はないと思います。

蘇る! 伝説の昭和特撮ヒーロー (COSMIC MOOK) https://amzn.asia/d/j9w18OH
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続・ハイラガの主ヒジ
※戦えないので迷宮へ行くことができない(と言い張る)ヒジリの依頼で迷宮調査をする人修羅くん……というコンセプトの世界樹リマスターパロ妄想だよ。ちなみに前回はこれ。

というわけでとりあえず作りました。人修羅くんのギルド<月刊アヤカシ>。 おじさんがちゃっかり宣伝目的で命名しててもいいけど、人修羅くんが「宣伝になるかと思って」とか言って自主的につけてたら健気で可愛いと思います。 あっうちの人修羅くんの名前は紫汐(シシお)です。なにとぞ。 以下、いかがわしい話をするけど直接的なことはなんも喋っていません。
ゲームではヒジリのキャラをつくってギルドに登録するを敢えてしてないんですが、むしろおじさんにこそ迷宮行ってほしいよな。なにせ世界樹の迷宮はモンスター姦ネタにはに事欠かねぇので。 なんなら姦までいかなくてもいいから、3点縛りだけキメられてほしい。いやいっそもう3点じゃなくてもいいよ贅沢言わない。頭縛りだけでいい。 頭縛りは呪言が使えなくなることを鑑みるに喋れない状態である可能性がかなり高いので、たぶん相当エロいことになっているぞと昔から思っています。 迷宮で襲い来る魔物を無表情でしばきながら、ヒジリをこんなキケンなところに来させるわけにはいかないな、自分が来てよかった。としみじみ思うけれども、もしもヒジリがこいつらに襲われちゃったら……と良からぬ妄想も同時によぎってしまう人修羅くん……かわいいとおもいます……。 宿に帰って、出会ったモンスターについてヒジリに報告する流れで、ウッカリいかがわしい妄想をしてしまったことがバレて、「おまえ、自分でするよりそっちのほうがいいのか?」ってによによ笑われて、真っ赤になって「それとこれとは別!」て反論したら、「欲張りなヤツだね」と不敵な笑みを浮かべるので、これは今夜は同衾確定かと思いきや、普通にじゃあなゆっくり休めよ、って部屋から閉め出され、自分がヒジリを抱く妄想をすればいいのか、ヒジリが触手にアレされる妄想をすればいいのかわからず、布団の端を齧りながら頑張っておねんねする人修羅くんなのであった……。 はたして人修羅くんは、迷宮を踏破するまでにヒジリをゲットできるのか!? つづく。 (すみません続かないかもしれません。適当に言った。) 宿、最初は金無いのでふたりで同じ部屋に泊まってたけど、主に人修羅くん側に不都合が生じるため、ある程度金貯まった時点で部屋分けてそうですね。 てか稼ぎでふつうに住むところを借りれるイメージだったけど、ヒジリの仕事は場所を選ばないので宿で事足りるし、食事とかも楽そうだから敢えて住まいを探したりはしないか~になった。
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ���を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子��変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私���、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私の���ころに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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558 名前:ニューノーマルの名無しさん[] 投稿日:2022/06/27(月) 15:03:31.03 ID:IMVGnR+10 [2/2]ギレンってヒトラーの尻尾と呼ばれた男なんだがそれを踏襲しちゃうあたりガンダムに関して何も知らないのが良く解る559 名前:ニューノーマルの名無しさん[] 投稿日:2022/06/27(月) 15:03:43.51 ID:2l6EgyhM0あえて言おう立憲はうんこであると
続・妄想的日常
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SDC映画の部屋「ターミネーター(1985)」
真っ暗な画面にクレジット、2029年のロサンジェルスと表示に無数の頭蓋骨が積み重なっている映像が重なる。突如、バリバリと頭蓋骨を踏みしだく巨大な車輪、激しい銃撃、逃げ惑う人間たち、それを追いかける無人の戦闘機械たち。この時代の人類は破滅の瀬戸際に追いやられているのだ。場面が変わって現代(1984)のロサンジェルス、夜の高架下に突然光煌めく球体が現れ、その中から一人の筋骨逞しい素っ裸の男性が立ち上がる。男性は迷うことなく近くで見ていたチンピラの衣服を奪いとり、夜の街へと足を進める。男性が探し求めるのは「サラ・コナー」という名前の女性。果たしてその目的は何か、この男性はいったい何者なのか… 「スター・ファイター」の項でも述べているが、1985年はSFやファンタジー映画の大豊作の年で本作品以外にも「エレクトリック・ドリーム」や「エルム街の悪夢」、「スターマン」などが日本公開されている。そんな中でも本作品はすでにその年のアボリアッツ国際映画祭でグランプリを獲得していたことで、公開前からSFファンの間ではすでに評判になっていた。アボリアッツのグランプリと言えば「激突!(1973)」に始まり「ソイレントグリーン(1974)」「キャリー(1977)」そして「ダーククリスタル(1983)」などの名作に冠してきた名門だ、期待しないわけにはいかない。 実際に蓋を開けてみると、国内の最初の評価は「マッチョな大根役者が出てくるキワモノアクション映画」くらいの反応だった。筋骨隆々のアーノルド・シュワルツネッガーは前作「コナン・ザ・グレート(1982)」やその続編で注目はされていたものの、演技力については評価は低く(その後も引きずることになる)、本作品でもセリフは極端に少ない。それがかえって感情を持たない機械の不気味さにつながっているのは間違いない(「時をかける少女(1983)」の高柳良夫も同じ?)。もちろんシュワルツネッガーの存在感がこの作品をエバーグリーンにしたことは間違いないが、本作の主人公は間違いなくサラ・コナーを演じたリンダ・ハミルトンである。ただのお気楽な女子大生だったサラが、人類の行方を左右する時空を超えた戦いに、突然巻き込まれ、やがて一人の戦士として成長していく、極めてシンプルな物語なのだ。当初、脚本も担当したジェームズ・キャメロンは続編をにらんでさまざまな伏線も貼っていたと後年伝えられるが、すっぱりと省略して大正解。108分に抑えられた適正な尺により、冒頭から中盤の警察署襲撃、そしてクライマックスの工場での死闘と、ほぼ息をつかせぬ怒涛の展開でラストまで引っ張っていく、SFでないアクション映画としても極めて高いレベルの作品となっている。その一方で時間SFものに欠かせないタイムパラドックスの問題や、時代考証の妙味などSFファンには心くすぐられるところも抜かりはない。 一方、当時のSF映画で重視されていた「特撮」についてはできるだけコストを抑えて作られたことが良くわかる。例えば、最後の決闘シーンはお金のかかるCGではなくストップモーションアニメで製作され、しかもできるだけ予算を削るためにT-800が自由に動けないという設定にまでしてある。おかげで製作費はわずか640万ドルと、この手の映画では比較的低予算で済んでいる。ヒットのおかげで作られた続編では1億ドルを超える予算が組まれた(その多くがシュワルツネッガーにかけられたこともあるが)のと比べると破格と言ってよいだろう。 ラストシーンで、メキシコのガスステーションで給油をするサラが、地元の少年が空を指差しながらスペイン語で何かを言うのを聞き止め、ステーションの主人に意味を尋ねる。「嵐が来るって言ってる」と言われたサラが「I know.」と一言だけ返し、暗雲立ち込める荒野の向こうに走り去る。もう、このシークエンスだけでSFオタクとしては大満足だ。説明過剰でどんどん迷走していく続編、もはや他の物語になってしまっている続々編などは不要、と思っているファンは決して少なくないと確信しているのだが… ちなみに本作品には、キャメロン監督と知己のランス・ヘンリクセンが脇役で出ている。のちに「エイリアン2(1986)」のアンドロイド・ビショップ役で有名になっているが、キャメロンと共同製作者のゲイル・アン・ハード(当時のパートナー)は当初、ヘンリクセンを殺人機械役に考えていたとされている。彼がビショップのように「ターミネーター」を演じたとすれば、また全然違う雰囲気の映画にもなっただろうなと妄想するのもまた楽しい。
#映画の部屋#ジェームズ・キャメロン#ゲイル・アン・ハード#ランス・ヘンリクセン#リンダ・ハミルトン#マイケル・ビーン#アーノルド・シュワルツネッガー#SF映画#時間ものSF#アクション映画#アボリアッツ国際映画祭
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亡佚的群游
1.
我和他一起逃到世界的角落吃午餐。
他是這樣的,鬆散綁著的馬尾放在側肩,微微蜷翹的模樣像秋天的毬果讓人沉迷想撿起來,回家放在玻璃盒子裡裝賞。他眼神的一部分像是我高中時候所迷戀的輪廓,你知道,曾深愛過的那些總在不知不覺就消逝而去。他在某些神秘的時分說出口的話語如同一位冒險家,比行動派更行動派。
我認識他的時候他便是這個樣子,時間的概念在他身上如同虛設,彷彿只要被他拉著,我就能從這世界所有龐大的虛妄決絕離開。
他說我是個明明知道自己想要些什麼卻總是懶得去做的人。因為睜開眼發現什麼事都不願意做,於是一如既往,在每個無聊早晨編一段話騙自己醒來,例如今天會幸運,或聽見街邊歌手超乎尋常的表演,於是脈搏洶湧。該起床,該在網課開始前泡杯咖啡醒神,然後吃掉昨晚提早買好的早餐,聽課抄上筆記。
一切都安排定向卻沒有那個要奔跑的人。
早上八點,陽光炙烈。我逃了,幾乎成了一種習慣。
2.
便當裡有我討厭的山寨玉子燒,撒了鮮紅的七味粉。越來越覺得自己的口味變得單一,幾年前我聽見C說他去一家店只點固定的東西吃時��覺訝異。那時到一家店往往想把所有菜都吃過,但不得不承認自己是食量有限。日子瞬移過去像是沒變過,但變的人可比自己想像的還多得多,也包括我自己。有時覺得幸運至少還能覺察到自己哪裡變了——這種改變通常是好的,像對自己的要求漸漸變高、不再害怕與人說話、越來越少緊張。不過大抵我還是變得不再如往昔純粹,與熱烈。
我和他說起這件事。
那時候喜歡去同一家店好幾次,直到能在腦中細細描繪出它每個擺設,能知道店裡最好的位子,往往不在採光良好的窗邊,而是在能和老闆聊上天的那個吧檯邊的位。我和C有家共同愛店,日式居酒屋,我們認識它的時候還未滿能合法喝酒的年紀,只因為它就開在學校旁的那條小巷裏,只因為我們那時都還處在天真的以為會開在小小巷子裡、難以尋覓的都是難得一見美食的年紀,只因為老闆偶爾招待的烤串,所以它就理所應當地成為我們第一個美食口袋名單。幾年過去,頂讓的老闆也換了幾個,我想我們都大概不曉得它是真的好吃,或者只想永遠耽溺在最熠熠生輝的年紀。想認真就真的可以賭上一切的真,想逃就把自己養在暗室裡躲一日一夜,無光像是一生。
說到這裡,我和他都同時想起那段歌。因為不會粵語,我們只能哼哼的唱,「還是粵語好聽。」他說。
今天只有殘留的軀殼
迎接光輝歲月
風雨中抱緊自由
一生經過徬徨的掙扎
自信可改變未來
問誰又能做到
──《光輝歲月》
我笑他老人才聽粵語,卻沒想到他還記著我說過我最愛粵語這件事。二十多年後的香港還在高聲唱這首歌,我們依然珍惜自由,只是越走越遠,難以看得清原本模樣了。
3.
巷底有廢棄沙發,那裏窩著貓咪和我們駐足過的痕跡。我將手放在眼前,即使瞇起眼卻還是讓午後烈陽直直刺上瞳孔。走在我前頭幾步的他把原本繫在背包上的草帽摘了,轉身來蓋在我頭上。那頂帽對我來說太大,一下子遮蔽我所有的視野。還不適應光線突然全被擋住,眼前黑乎乎一片的,我怔了幾秒,等看得見了才把帽子戴好繼續跟隨他的步伐。亦步亦趨的,他走幾步我就跟著。
不去煩惱地圖怎麼看對我來說就足以稱之為富有安全感的午後。
「欸,」我出聲喊他。「比起帽子我更想要你的墨鏡。」
「但帽子適合你。」他頭也不回地說。
花整個下午的時間找一頂永遠會愛的帽子像不可能做到的事,我還不如隨波逐流就戴著這頂二手草帽,曬著金黃的暖光好好聽完一張專輯。
「還有一個原因,」他終於轉過身來回頭看我。「你太像冒險家,該隱藏得深一點才好。」
我笑了。嘿,我的冒險家。我想花一生追隨你的模樣。
4.
傍晚和他分離以後,突然想起我很久以前做的那場夢,沒有在醒來以後就隨晨光消逝,出乎意料地在多年以後的今日依然記得清晰深刻。一直以來都試著不讓那些對人生來說太浪漫的幻想左右自己,即使在怯弱到像在看不清路的黑夜裡迴圈怎麼樣都轉不出來,渴求一點不實際的光亮時候,我感覺理性都必定要贏。但我仍然堅持拽著那場真實到無法忘卻的夢,磕磕絆絆的走到了人生的這裡,來遇見夢裡和他的遇見。對我來說如此溫暖且珍貴。
人在談夢想的時候是膚淺的,你和我能走到這裡,都有諸多原因。不僅僅只是你在岔路前選擇了更為險峻的那一條,憑著勇氣走到底。在一次次難受的夜半你承受你的同輩無法承受的寂寞與絕望,承認自己是軟弱的,哭的時候沒有聲響,等沒有人來營救。同時你也必須堅持自己是堅強的,才能在打擊與失敗接踵而來的人生裡,不甘於平凡,堅定沉默的朝著盡頭的光前行。
但前方真的有光嗎?
我寧可這樣相信吧。
時常感覺後悔,歉疚於經過的那些年歲,只忙著感受極度的悲傷與嫉妒快樂,吝於給人生一個真實確切的闡釋。它給了我許多面貌,我的確在我淺薄的生命切切體會過,開心的厭恨的、卑微的狂妄的,我卻依然不懂。生命如此脆弱,難過彰顯的方式,只是在無眠的夜晚聽雨聲撞個不停,在晴空的萬里找愛人毫無蹤跡。
所以我總是問他:「我們窮盡一生,都在追尋沒有名字的追尋,對嗎?」
5.
不確定自己是否該真正做一個「入世」的人,那些演講夢想的大人,他們是在販賣夢想,還是確確實實知道「成功」是什麼樣子呢,話語太容易欺騙人,我好像一不小心就會踏進陷阱。我把這個問題拋過去給他,我一向知道他會好好承接,然後把它包裝成一段華麗的冒險之後,再讓我跟上他啟程。
(另外,說這句話的時候,我突然意識到好像不太能講「大人」這個詞了,大人與少年的分野一向模糊,小時候看過的與我年紀相仿的電影童星,前幾天再看他主演的新影集,眼神承載許多我說不出來的東西,但他是大人嗎?我們都才剛過20歲。)
他揉亂我頭髮,但在我還沒煩到反手搧他一掌之前就笑著把它們乖乖捋回原位。很多時候我總想著是不是永遠保持幼稚的人才會變成我喜歡的那種大人,對世界保持好奇,還沒對世界絕望,看著他寫出來的字就覺得這個世界至少還能愛,世界至少還值得你去追尋些什麼。
那就對了,直到你找到了匹配一切的答案,並且因為此刻太美好,所有最美的風景都不得不在這一刻結束的時候。你會知道,人生唯一所追求的,也許就是這個樣子。
6.
冬天還沒有來,北風倒是闊別了一整個冬季迫不及待向這座山城襲來。冰冷且孤寂,唯一的生活只是考試、考試、考試。我裹上大半年前買的黑色連帽衫,站在宿舍樓梯前那片幾百人共用的大鏡子前仔細端詳自己。女孩們愛美,除了太早的時間點,幾乎分分鐘都有人站在鏡子前看換上不同衣服的自己是否足夠好看,足夠張揚或是足夠典雅。而今是早晨六點,我難得可以獨佔這面鏡。
揮別高中時代以後,我幾乎沒有理由再強迫自己睜開酸澀的眼在清晨醒來,更多的是六點才上床睡覺,對我們來說更饜足。也更像自己?我不曉得。我和他第一次在深夜裡出逃源自於我和他說,我們學校的夜空乾淨、適合看星。19年參加過學校的天文社活動,那晚的夜空美得刻在我腦海好久,而今都不肯忘懷。雖然對天文毫無興趣但看星星──是個人應當沒有不喜歡的。此後不論與任何人提到看星,我都與他們說我們學校的夜空極美,即使我只看過那麼一次。
然後他說,既然都要熬夜看星為何不��個最好的地方?然後他說,上更遠的山吧。
眼淚很淺。當我裹著他的衝鋒衣,躺在夜裡濕氣濃重的草地上看著那樣燦燦、無可比擬的星空時,一下子就忍不住落淚。「如果能一直這樣多好」,如此不切實際冀望著。
但又悲哀得明白自己留不住。你知不知道,願望如此多,又有誰能到達。
7.
他不愛讓我拍照,「相片是毀壞記憶的始點」,他總是這麼說。「有時候你會發覺,即使你看著熟悉無比的相片,卻已經回不到你懷念的年代了,這種感覺很殘忍。」
我不置可否,於是聳了聳肩,自顧自地牽起他的手和他慢慢走過這難得景致。那時的天空算不上晴朗,甚至可以說是壞得過了頭,無邊的灰雲與悶雷遮住陽光帶走世界的色彩,使人感覺無限絕望。我們卻把路走得像逃出末日的小徑,不去看巷底雜草叢生的濕暗角落,只在意我們一同並肩走過的那些,溪流邊長滿青苔的石,或者那間只為我倆開的書店。我和他分著半邊耳機,聽我的歌單或者他偶爾的插曲,時間停在這裡。我們都知道,下一秒就是末日。
景色溫馴,沒有山雨欲來的誰的驚擾,這裡如同沒有季節更替的理想國。而湖泊乘載無邊溫柔。
「你能等我一下嗎?」
還沒等他回答,我便放開他的手逕自跑向前幾步,張開雙臂呼吸幾口濕潤空氣,一眼望盡四季所有的歡喜與傷悲,忽然想跟他說:嘿,你看,世界不過就是這樣,末日也沒何好怕。
我噙著笑轉過身來回頭看他,話語還停在嘴角未吐出,我卻一下子就看見他的眼角,濃重的憂鬱凝在那裏從未散去,像不會好的疤。他的背後是數不到盡頭的黑雲,一場暴雨在即,狂風灌進他單薄的衣衫。雷不知不覺已經很近,震耳欲聾,使人想逃。他的眼神裝滿沉默的悲哀,望不進的黑裡面藏著什麼我從來不明白。他好像看著遠方又像直直地望著我,他的髮絲隨風飄揚,是一幕蒼涼決絕,似要遠走。
我就看著這樣的他發怔,直到第一滴雨落在我的臉龐,第二滴、第三滴……,轉瞬之間落下的狂雨將我們身軀打濕,我們就這樣在雨中沉默地對望著,幾乎濕透。很久之後,不知道是誰先出了聲:
「我們該走了。」
「嗯。」
他拉起我的手,去一個陽光明媚的地方等光來曬乾我們。我跟在他左後方看他的背影活成像一座必輸的戰場。忽然之間,我想起一部電影,他說:
我住在自己築構的城,走不出來也不想走出來。你要記得,愛情不是拯救一切的東西。
8.
有人持續看穿假貨。我顧自存於生命的周邊依然並不知曉我是誰,或許偶然聽見的唾罵也是陳述真實的一種方式,打不定主意是否在哪裡下車的時候,就依循著它走完。
對談結束之後他已經離開很久。暫時先無解,真真假假一概讓我難以體會。
那天淺丘下車,第一次發現內陸湖原來亦能給我這種海島類美。天空沉沉地壓著,岸恬靜平躺在大地邊際張手環抱憂鬱沉重的蜿蜒藍湖,而周圍色彩在秋日陳詞濫調。我索性坐在一旁鏽蝕的吊床看浪沖刷上來的寧靜瞬間,想一些不需要誰來回答的問題虛度年華。
有時候浪費時間是美好的,我總忘記這一點,所以必須常常練習。星期四在深夜下課的時候習慣走得很快,直到看見宿舍門口,發現不想面對在某種程度上必要誠實的三人空間,於是掉頭,走到學校無人的後山看空景獨自發呆,凍到發抖才回去睡覺。有些人認為這是孤獨,我想我是有意識地讓自己被世界放逐。
空閑夜晚梳理記憶的時候想起來,若要接受他人的陰鬱在我生命中留下某些刻痕對我而言總是容易的,它們已跟我的黑暗融為一體(part of me)。就像常常厭倦同一班列車卻感到安全,不知不覺,我在這來了兩個多月的城市裡已經能夠沉著坐上公交——就算心跳永遠不整齊,也覺得疲倦。《演員課》裡提到,常常感覺不屬於自己的悲傷必定對生命具有程度不一的傷害。我還未確切感受到那些「傷害」是什麼——或傷害已經發生,只是我還未學會描述它。所以我總是不由自主感到害怕,命裡注定有無的讓我很難再去勇敢一場。越感到那些不屬於我的陰鬱和我靠近,我越去傾聽它們、越去描述它們,我越覺得那巨大的黑洞將要再次吞沒我以至於我見不了光。不敢再去聽很多曾經熟悉的歌曲,我更願意承認,未開始都該結束。
未經差錯
但我退出 怕胡亂褻瀆
──《未開始已經結束》
我寧願把這些歸因於冬天。
因為夏天總是這樣告訴我:你正在等待什麼呢?一個可以活下去的世界,是有可能的。
9.
閒逛的時候突然在底下留言區看見這麼一句話:「未竟的夏天有多少種玩法呢?」
從學校大門連接到對面地鐵站是一條長長的地下街,有幾個攤販在那裏擺著,最喜歡賣花的那個。其實很少買,大多時候只是經過時瞥一眼,攤子賣的花不多,只是一些常見的玫瑰、向日葵、雛菊(再多的我也認不出來了)。
十月底的南京已經很涼,我逃出要續攤的酒局之後一個人拉著風衣走在城東。懶得抬眼看很多東西,低著頭數腳下一格格的地磚,剛開始到桃園的時候也很喜歡做這件事,算是習慣低頭走路的後遺症。而我想我大概有一點夜盲,路過的任何景色在記憶裡都失焦成炫麗的模樣,快打烊的蛋糕店、戀人絮語、帶黃金獵犬散步的男人。有些在耳邊飄過的言語全數忘記,有些則成為超越記憶的烙印,比如我聽見那個人對身邊的他說:「感覺你很安靜,但內心卻有個色彩斑斕的世界。」再比如說,她回答:「我會胡思亂想,但也想做個有趣的人。」我總是記得這些微不足道的小事,並將它們記錄下來。小時候寫作文常被我媽說是寫流水帳,我難以去辯解自己。後來慢慢從懂得寫高分作文的技巧,再到現在已經不寫作文了,還是改不了這個習慣。
究竟什麼適合寫下來呢?版面上一個看我文章的朋友也到桃園念大學了,看她像看兩年前的自己。一段不長的文字承載了太重的情感,我不敢讀太多,怕直擊心臟。若是不經歷那樣的年歲,若她不是從南方來,我看著她,怎麼知道天空還是藍的。
天空一樣藍,我想。幾段個百公里的距離不會讓什麼東西變得比較灰暗。每次我從地下道沿階梯重新走上地面時總會重新看見,不論是深秋或盛夏都湛藍的,那片像海洋一般的天空。
待續。
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日本に「見えない戦争」を仕掛け始めた中国
日本は「全政府対応型アプローチ」で備えよ
2020.11.16(月)
樋口 譲次
「新しい戦争」の形
21世紀の戦争は、国家が堂々と紛争の解決を軍事的手段に訴える分かりやすい従来型の戦争から、知らないうちに始まっている外形上「戦争に見えない戦争」へと形を変えている。
この「新しい戦争」の形を初めて実戦に採り入れたのはロシアである。
その実戦とは、2014年のロシアのクリミア半島併合と東部ウクライナへの軍事介入であり、西側では「ハイブリッド戦」と呼んでいる。
ハイブリッド戦は、『防衛白書』(令和2年版)によると下記のように説明されている。
軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にした現状変更の手法であり、このような手法は、相手方に軍事面にとどまらない複雑な対応を強いることになります。
例えば、国籍を隠した不明部隊を用いた作戦、サイバー攻撃による通信・重要インフラの妨害、インターネットやメディアを通じた偽情報の流布などによる影響工作を複合的に用いた手法が、「ハイブリッド戦」に該当すると考えています。
このような手法は、外形上、「武力の行使」と明確には認定しがたい手段をとることにより、軍の初動対応を遅らせるなど相手方の対応を困難なものにするとともに、自国の関与を否定するねらいがあるとの指摘もあります。
顕在化する国家間の競争の一環として、「ハイブリッド戦」を含む多様な手段により、グレーゾーン事態(純然たる平時でも有事でもない幅広い状況)が長期にわたり継続する傾向にあります。(括弧は筆者)
東西冷戦が終結して2000年代に入り、複数の旧ソ連邦国家で独裁的政権の交代を求めて民主化と自由を渇望する運動が起こった。
非暴力の象徴として花や色の名を冠した、グルジア(ジョージア)のバラ革命(2003年)、ウクライナのオレンジ革命(2004年)、キルギスのチューリップ革命(2005年)などがそれである。
また、アラブ諸国においても「アラブの春」と呼ばれた同様の運動が起こり、2010年から2011年にかけてチュニジアの民衆が蜂起した「ジャスミン革命」を発端として、エジプト、リビア、イエメンなどでも独裁・腐敗の政権が倒された。
シリアでは激しい内戦が最近まで続いている。
これらの民主化と自由を求める運動によって、かつての衛星国を失ったロシアでは、本運動は米国や欧州などの西側が介入・扇動し、旧ソ連邦国家やアラブ諸国住民の「抗議ポテンシャル」を活性化させた意図的な体制転覆あるいは陰謀であり、一種の戦争であるとの見方が強まった。
そして、ロシアもまた、このような脅威に晒されているとの認識が高まり、安全保障・国防政策上の中心的テーマとして急浮上したのである。
それを背景として、2013年2月に発表されたのが、ロシア連邦軍の制服組トップであるヴァレリー・ゲラシモフ参謀総長による「予測における科学の価値」(『軍需産業クーリエ』、2013年2月27日付)というタイトルの論文である。
ゲラシモフ論文は、「21世紀には近代的な戦争のモデルが通用しなくなり、戦争は平時とも有事ともつかない状態で進む。戦争の手段としては、軍事的手段だけでなく非軍事的手段の役割が増加しており、政治・経済・情報・人道上の措置によって敵国住民の「抗議ポテンシャル」を活性化することが行われる」と述べている。
そして、ゲラシモフ論文による21世紀の戦争では、非軍事的手段と軍事的手段との比率を4対1とし、非軍事的手段の役割の大きさが強調されている。
そのように、ゲラシモフは「戦争のルールが変わった」と指摘しており、いわば「新しい戦争」の到来を告げたのである。
その後、2014年にウラジーミル・プーチン大統領が承認した「ロシア連邦軍事ドクトリン」は、前年のゲラシモフ論文の考え方を踏まえて作成されたとみられている。
ロシアの2014軍事ドクトリンでは、政治的、外交的、法的、経済的、情報その他の非攻撃的性格の手段を使用する可能性が尽きた場合のみ、自国およびその同盟国の利益のために軍事的手段を行使するとの原則を固守するとし、最終手段としての軍事とその他の手段との連続性を示唆している。
そして、同ドクトリンでは「現代の軍事紛争の特徴および特質」と題して10項目を挙げ、ハイブリッドという言葉こそ使っていないが、ハイブリッドな戦い方が現代戦の特色であることを強調している。
「現代の軍事紛争の特徴および特質」を時系列的にまとめると、次のようになろう。
平・戦時の境目のない戦い→ハイブリッド戦/グレーゾーン事態
①軍事力、政治的・経済的・情報その他の非軍事的性格の手段の複合的な使用による国民の抗議ポテンシャル(相手国民への宣伝戦・心理戦による懐柔)と特殊作戦(リトル・グリーンメン)の広範な活用
②政治勢力、社会運動に対して外部から財政支援および指示を与えること
③敵対する国家の領域内において、常に軍事活動が行われる地域を作り出すこと(東シナ海:尖閣諸島~沖縄、南シナ海)
軍事活動への移行
④軍事活動を実施するまでの準備時間の減少
軍事活動
⑤グローバルな情報空間、航空・宇宙空間、地上および海洋において敵領域の全縦深で同時に活動を行うこと(マルチドメイン作戦)
⑥精密誘導型兵器および軍用装備、極超音速兵器、電子戦兵器、核兵器に匹敵する効果を持つ新たな物理的原理に基づく兵器、情報・指揮システム、無人航空機および自動化海洋装置、ロボット化された兵器および軍用装備の大量使用(技術的優越/先進的兵器)
⑦垂直的かつ厳密な指揮システムからグローバルな部隊および指揮システムネットワークへの移行による部隊および兵器の指揮の集中化および自動化
⑧軍事活動に非公式の軍事編成および民間軍事会社が関与すること
(以上、括弧は筆者)
つまり、「新しい戦争」の特徴・特質は、まず、純然たる戦時と認定しがたい条件の範囲内で、軍事的手段と非軍事的手段を複合的に使用し、相手の知らないうちに外形上「戦争に見えない戦争」を仕掛ける。
それによる可能性が尽きた場合には一挙に軍事活動へと移行し、最終的に最先端技術・兵器を駆使したマルチドメイン作戦による軍事活動をもって戦争の政治的目的を達成することにあると言えよう。
ロシアは、旧ソ連邦国家やアラブ諸国の民主化や自由を求める運動を西側による体制転換の脅威として非難しているが、むしろそれを逆手にとり、実際にウクライナやシリアで「新しい戦争」を展開しているのはロシアの方である。
そして、最近ロシアとの軍事的接近を強めている中国が、「孫子」の伝統と2人の軍人によって提唱された「超限戦」の思想と相まって、従来と形を変えた「新しい戦争」を描く「ロシア連邦軍事ドクトリン」に関心を示さないはずはないのである。
すでに始まった中国の対日“戦争”
習近平国家主席は、故毛沢東主席のほかに、ロシアのプーチン大統領をロール・モデルとしていると言われている。
クリミア半島併合などの実戦で採用された「ハイブリッド戦」に代表されるロシアの軍事ドクトリンは格好の教材である。
習近平主席は、中国のシンクタンクにその研究を命じ、それによって、中国の台湾統一戦略や尖閣諸島・南シナ海などへの海洋侵出戦略に大きな影響を及ぼしていると見られている。
そこで、中国がわが国に対して仕掛けている「新しい戦争」について、ロシアが挙げる「現代の軍事紛争の特徴および特質」に沿って分析してみることにする。
①「軍事・非軍事手段の複合的使用等」について
中国は、軍事や戦争に関して、物理的手段のみならず、非物理的手段も重視しているとみられ、「三戦」と呼ばれる「輿論(よろん)戦」、「心理戦」および「法律戦」を軍の政治工作の項目としているほか、軍事闘争を政治、外交、経済、文化、法律などの分野の闘争と密接に呼応させるとの方針も掲げている。(令和2年版『防衛白書』)
米国防省によると、輿論戦は、中国の軍事行動に対する大衆および国際社会の支持を得るとともに、敵が中国の利益に反するとみられる政策を追求することのないよう、国内および国際世論に影響を及ぼすことを目的としている。
心理戦は、敵の軍人およびそれを支援する文民に対する抑止・衝撃・士気低下を目的とする心理作戦を通じて、敵が戦闘作戦を遂行する能力を低下させようとする。
また、法律戦は、国際法および国内法を利用して、国際的な支持を獲得するとともに、中国の軍事行動に対する予想される反発に対処するものである。
中国は、海洋侵出の野望を実現するため海軍および海警局の先兵として海上民兵(リトル・ブルーメン)を活用している。
海上民兵は、普段、漁業などに従事しているが、命令があれば、民間漁船などで編成された軍事組織(armed forces)に早変わりし、軍事活動であることを隠すため、漁民などを装って任務を遂行する。
東シナ海の尖閣諸島や南シナ海で見られるように、海上民兵は、中国の一方的な権利の主張に従い、情報収集や監視・傍受、相手の法執行機関や軍隊の牽制・妨害、諸施設・設備の破壊など様々な特殊作戦・ゲリラ活動を行う。
同時に、係争海域における中国のプレゼンス維持を目的とし、あるいは領有権を主張する島々に上陸して既成事実を作るなど幅広い活動を行い、中国の外交政策や軍事活動の支援任務に従事している。
その行動は、「サラミ1本全部を1度に盗るのではなく、気づかれないように少しずつスライスして盗る」という寓意に似ていることから、「サラミスライス戦術」と呼ばれている。
「サラミスライス戦術」を行う海上民兵が乗船する漁船などの周りを海警局の艦船が取り囲み、公船の後方に海軍の艦艇が待機し、島や岩礁を2重3重に囲んで作戦する様子が、中心を1枚ずつ包み込んでいるキャベツの葉に似ているので、これを「キャベツ戦術」と呼んでいる。
そこには、前述の通り、計算尽の巧妙な仕掛けが潜んでいる。
まず、中国は、歴史的にも国際法上も日本固有の領土である尖閣諸島を、中国の「領海・接続水域法」で自国領土と規定した「法律戦」に訴えつつ、妥協の余地のない「核心的利益」と主張している。
その虚構の上に、尖閣諸島周辺海域で漁船(海上民兵)を活動させ、その保護を名目に法執行機関(海警)を常続的に出動させている。
そして、「釣魚島は中国固有の領土である」という題目の白書を発表するとともに、いかにも尖閣諸島を自国領として実効的に支配しているかのように国際社会に向けた大規模な「輿論戦」を繰り広げている。
同時に、日本および日本国民に対しては力の誇示や威圧による士気の低下を目的とした「心理戦」を展開している。
このように、中国の日本に対する「戦争に見えない戦争」は、すでにこの段階まで進んでおり、中国の尖閣諸島奪取工作は危機的状況にまで高まっている。
そして、中国は、同島周辺地域で不測の事態が起きることを虎視眈々と窺っており、もしそのような事態が発生すれば、力による現状変更の好機と見て軍隊(海軍)を出動させ、軍事的解決に訴える態勢を整えているのである。
②「敵対国家内の政治勢力や社会運動に対する財政支援・指示」について
米有力シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)は2020年夏、「日本における中国の影響」についての報告書を発表した。中でも、中国の沖縄工作が注目される。
報告書は、中国が世界中で展開する戦術には、中国経済の武器化(取引の強制や制限)、 物語的優位性の主張(プロパガンダと偽情報)、エリート仲介者の活用、在外華人の道具化、 権威主義的支配の浸透などがあるとした。
こうした工作を中国は日本に対しても行い、表向きの外交から、特定個人との接触などの隠蔽、強制、賄賂による買収(3C=covert, coercive and corrupt)を用いているとしている。
特に、尖閣諸島を有する沖縄県は、日本の安全保障上の重要懸念の一つであり、米軍基地を擁するこの島で、外交、ニセ情報、投資などを通じて、日本と米国の中央に対する不満を引き起こしていると指摘する。
報告書は、中国共産党が海外の中国人コミュニティに影響を与えるために使用する多くの方法の一つが中国語メディアであり、ニュースメディアを通じた中国の影響力の最も重要なターゲットは沖縄だと指摘する。
この件については、日本の公安調査庁も年次報告書(2015・17年の『内外情勢の回顧と展望』)において、中国官製メディアの環球時報や人民日報が、日本による沖縄の主権に疑問を投げかける論文を複数掲載していることを取り上げ、沖縄で中国に有利な世論を形成し、日本国内の分断を図る戦略的な狙いが潜んでいるものとみられ、今後の沖縄に対する中国の動向には注意を要すると問題提起している。
そのように、中国が沖縄に「独立宣言」させる工作を進めている可能性があるとして懸念が広がっている。
③「敵対国家の領域内における軍事活動地域の創出」について
中国は、尖閣諸島周辺の日本の領海や接続水域に法執行機関である海警局の艦船を絶え間なく送り込み、同諸島の領有をかたくなに主張している。
この動きは、2019年から強まっており、今年、各国が新型コロナウイルスへの対応に迫られる中でもその攻勢はむしろ激化し、これまでとは違った危険な局面に入っていると見られている。
尖閣諸島周辺での中国公船等による接続水域内入域および領海侵入は、今年4月中旬から110日以上連続した。
そして、5月8日、日本の領海に侵入した中国海警局の2隻が、そこで漁をしていた日本漁船を追尾し続け、3日間にわたって領海への侵入を繰り返した。
この件について中国外務省の報道官は、「日本漁船が中国の領海内で違法な操業をしたため海域から出るよう求めた」と主張した。
すでに尖閣諸島は自国領であるとの前提に立ち、あくまで自国の海で主権を行使しているに過ぎないとうそぶく始末である。
中国では、2018年1月に人民武装警察(武警)部隊が、また同年3月には武警部隊の傘下に海警局が、それぞれ国務院(政府)の指揮を離れ、最高軍事機関である中国共産党中央軍事委員会(主席・習近平国家主席)に編入された。
この改編を通じ、海警局の法執行の強化および武警・人民解放軍と融合した軍隊化が図られた。
その結果、尖閣諸島周辺海域で行動する中国海警局の艦船は、準軍隊としての性格と役割を付与され、東シナ海を管轄する人民解放軍の「東部戦区」とともに一元的に作戦行動をとる体制が整ったことになる。
さらに、中国の立法機関である全国人民代表大会(全人代)は今年11月初め、海警局(海警)の権限を定めた「海警法」案の全文を発表し、国家主権や管轄権が外国の組織、個人に侵害されたときは「武器の使用を含めたあらゆる必要措置」を取れると規定した。
また最高軍事機関である中央軍事委員会の命令に基づき「防衛作戦などの任務」にあたることも明記された。海警局の艦船は、大型化し、軍艦並みの兵器を装備しており、法制定後は海軍との連携を一段と強めるとみられている。
前述の通り、海警局の艦船は、尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返しており、周辺で操業する日本漁船も「海警法」の対象となるのは間違いなかろう。
このように中国は、日本領域内の尖閣諸島ひいては南西諸島周辺を焦点に軍事活動を行う地域を意図的に作り出していると見ることができ、今後、不測の事態が生起すれば、一挙に軍事活動へとエスカレートさせる危機が迫っていると考え��ければならない。
④「軍事活動への短時間の移行」について
中国は、東シナ海の尖閣諸島、南シナ海そしてインドとの国境で、領土的野心を露わにしている。
今年6月に中国とインドの国境付近で発生した両国軍の衝突は、中国が自国周辺の領有権主張を巡り、一段と強硬姿勢を取るリスクを浮き彫りにした。
また、その衝突によって、中国が国境付近の現状を変えるため、現場の比較的小規模な小競り合いを利用しごく短時間に軍事作戦へ移行することも明らかになった。
同じように、中国の尖閣諸島を焦点とする日本に対する軍事作戦は、「Short, Sharp War」(迅速開始・短期決戦の激烈な戦争)になると見られている。
そのシナリオの一例はこうだ。
米国がINF全廃条約の影響で、東アジアに対する中距離(戦域)核戦力による核の傘を提供できない弱点に乗じて、中国軍は日本を核恫喝してその抵抗意思を削ぐ。
同時に、対艦・対地弾道ミサイルを作戦展開し、それによる損害を回避させるべく米海軍を第2列島線以遠へ後退させるとともに、米空軍を北日本などへ分散退避させる。
その米軍事力の空白を突いて、中国軍は、海空軍を全力展開して東シナ海の海上・航空優勢を獲得し、その掩護下に海上民兵や日本国内で武装蜂起した特殊部隊などに先導されて尖閣諸島をはじめとする南西諸島地域に奇襲的な上陸作戦を敢行し、一挙に同地域を奪取占領する。
まさにその軍事作戦は、迅速に開始され短期決戦を追及する激烈な戦争、すなわち「Short, Sharp War」を追求している。
その際、米陸軍および海兵隊は、中国軍の侵攻に遅れまいと第1列島線への早期展開を追求するため、中国軍の侵攻と米地上部隊の展開が交錯する戦場でいかに主導権を握るかがカギである。
したがって、日本や第1列島線の国々は、米陸軍・海兵隊の受け入れをスムーズに行う体制を平時から整備することが重要である。
⑤「マルチドメイン作戦による戦争」について
中国は、日米などが新たな戦いの形として追求しているマルチドメイン作戦(MDO)という言葉を使用していないが、それに相当する概念を「情報化戦争」と呼んでいる。
中国は、2016年7月に公表された「国家情報化発展戦略綱要」などで表明しているように、経済と社会発展のための道は情報分野に依存しているとし、軍事的側面からは情報化時代の到来が戦争の本質を情報化戦争へと導いていると認識している。
そして、「情報戦で敗北することは、戦いに負けることになる」として、情報を生命線と考えるのが中国の情報化戦争の概念であり、そのため、従来の陸海空の領域に加え、敵の通信ネットワークの混乱などを可能とするサイバー領域や、敵のレーダーなどを無効化して戦力発揮を妨げることなどを可能とする電磁波領域、そして敵の宇宙利用を制限する宇宙領域を特に重視して情報優越の確立を目指している。
この際、中国の情報化戦争は、米国のような全般的な能力において優勢にある敵の戦力発揮を効果的に妨害する非対称的な能力を獲得するという意味合いもあり、新たな領域における優勢の確保を重視している。
前述の通り、「孫子」の忠実な実践者である中国は、情報化戦争の一環として政治戦や影響工作も重視している。
また、1999年に発表された中国空軍大佐の喬良と王湘穂による戦略研究の共著『超限戦』は、25種類にも及ぶ作戦・戦闘の方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙し、これらのあらゆる手段で制限なく戦うものとして今後の戦争を捉えており、中国の情報化戦争に少なからぬ影響を及ぼしていると見られている。
⑥「技術的優越の追求と先進的兵器の使用」について
中国は、2019年10月1日の建国70周年の軍事パレードで23種の最新兵器を公開し、軍事力を内外に誇示した。
その中で、超音速ミサイルや無人戦闘システム、電子戦などに力を入れていることが明らかになったが、パレードで公開された最新兵器はすべて実際に配備されていると説明されている。
その一部を紹介すると下記の通りである。
新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「DF-41」、極超音速滑空ミサイル「DF-17」、超音速巡航ミサイル「CJ-100/DF-100」、超音速対艦巡航ミサイル「YJ-12B/YJ-18A」、最新鋭ステルス戦略爆撃機「H20」、攻撃型ステルス無人機「GJ-11」、高高度高速無人偵察機「WZ-8」、無人潜水艇(UUV)「HSU001」など
中国は、全般的な兵力やグローバルな作戦展開能力、実戦経験でなお米国に後れを取っているとはいえ、今や自国からはるか遠くで作戦を遂行する能力を持ち、インド太平洋地域の紛争を巡る米軍および同盟国軍に対する接近阻止・領域拒否(A2/AD)能力を有する自国製兵器を幅広く取りそろえている。
中国は、米国に対する技術的劣勢を跳ね返すため、特に、海洋、宇宙、サイバー、人工知能(AI)といった「新興領域」分野を重視した「軍民融合」政策を全面的に推進しつつ、軍事利用が可能な先端技術の開発・獲得に積極的に取り組んでいる。
中国が開発・獲得を目指す先端技術には、将来の戦闘様相を一変させるゲームチェンジャー技術も含まれており、技術的優位性の追求を急速かつ執拗に進めている。
⑦「ネットワーク型指揮システムによる部隊指揮・兵器運用の集中化・自動化」について
中国は、建国以来最大規模とも評される「軍改革」を急ピッチで進めている。
軍改革は、2016年末までに、第1段階の「首から上」の改革と呼ばれる軍中央レベルの改革が概成した。
2017年以降は、第2段階の「首から下」と呼ばれる現場レベルでの改革を着実に推進し、そして「神経の改革」と呼ばれる第3段階の改革に着手している。
中国は、中央軍事委員会に習近平総書記を「総指揮」とし、最高戦略レベルにおける意思決定を行うための「統合作戦指揮センター」を新設した。
これをもって、習近平総書記が、統合参謀部や政治工作部などで構成される中央軍事委員会直属機関の補佐を受け、統合作戦指揮センターにおいて中国全軍を集中一元的に指揮する体制が整ったことになる。
また、中央軍事委員会/統合作戦指揮センターの直下に、従来、総参謀部が持っていた多くの作戦支援部門の機能を統合し、航空宇宙部、ネットワークシステム(サイバー)部、電子電磁システム部および軍事情報部から構成され、情報の戦いを一元的に遂行できる戦略支援部隊が編成された。
さらに、これまでの「七大軍区」が廃止され、軍全体で統合運用能力を高めるため、統合作戦指揮を主導的に担当する「五大戦区」、すなわち東部、南部、西部、北部および中部戦区が新編され、常設の統合作戦司令部がおかれている。
これに先立つ2014年7月、環球時報(電子版)は、中国軍が2013年11月、東シナ海に防空識別圏を設定したのに続き、「東海(東シナ海)合同作戦指揮センター」を新設したと伝えた。
合同指揮センターは、中国各軍区の海、空軍を統合し、東シナ海の防空識別圏を効果的に監視し、日本の軍事的軽挙妄動を防止するのが目的だと報じている。
このように、中国は、マルチドメイン作戦としての情報化戦争で「戦える、勝てる」(習近平総書記)よう、統合作戦遂行能力の向上と効率的な部隊・兵器運用に向けて、ネットワーク型指揮統制システムによる部隊指揮および兵器運用の集中化・自動化に注力している。
⑧「軍事活動への非公式の軍事編成および民間軍事会社の関与」について
中国は、2010年7月に国防関連法制の集大成となる「国防動員法」を制定した。
同法は、有事にあらゆる権限を政府に集中させるもので、民間の組織や国内外に居住する中国公民に対して、政府の統制下に服する義務を課している。
国防動員の実施が決定されれば、公民と組織は、国防動員任務を完遂する義務を負い、軍の作戦に対する支援や保障、戦争災害の救助や社会秩序維持への協力などが求められる。
同法は、日本国内で仕事をしている中国国籍保持者や留学生、中国人旅行者にも適用され、突発的に国防動員がかかった場合、中国の膨大な「人口圧」がわが国の安全保障・防衛に重大な影響を及ぼす。
そのことについて深刻に受け止め、有効な対策を練っておかなければならない。
また、同法は、国が動員の必要に応じ、組織および個人の設備施設、交通手段そのほか物資を収容しおよび徴収することができると定め、その際の徴用の対象となる組織や個人は、党政府機関、大衆団体、企業や事業体等で、中国国内のすべての組織と中国公民、中国の居住権をもつ外国人をも含むすべての個人としている。
つまり、本法律は、中国に進出している日本企業や中国在住の日本人をも徴用の対象としている点に注意が必要である。
コロナ禍によって、マスクをはじめとする薬や医薬品、医療機器など、日本人の生命や国家の生存に関わる生活必需品や戦略物資が不足した。
その原因は、中国でマスクを生産していた日本企業が中国の国防動員の徴用の対象となったことにあり、医薬品などを極度にまで中国に依存し、脆弱性を露呈した厳しい現実を決して忘れるわけにはいかない。
他方、中国は、2017年に軍隊と民間を結びつけ、軍需産業を民間産業と融合させる「軍民融合」政策を国家戦略として正式採用した。
その狙いは、軍の近代化のために民間企業の先進的な技術やノウハウを利用��ることにある。
中でも、最先端の軍民両用(デュアル・ユース)の技術を他国に先駆けて取得・利用することを重視していることから、民間セクターと軍事の壁を曖昧にし、あるいは排除して軍事分野に活用する動きを強めている。
そのため、国有企業と民間企業の相互補完的な関係づくりに取り組みつつ、米国の軍産複合体を目指すとともに、国有企業の規模・シェアの拡大と民間企業の縮小・後退を意味する「国進民退」を積極的に推進し、政府の官僚を「政務事務代表」としてアリババやAI監視カメラメーカーのハイクビジョン(海康威視)などの重点民営企業に駐在させ、政府官僚による民営企業の直接支配を始めている。
このような共産党一党独裁体制下での軍民融合は、軍事力の近代化・強化がすべてに優先する「軍国主義」化に拍車をかける危険性がある。
軍民融合政策と同時に警戒しなければならないのが、「国家情報法」である。
同法は、「国家情報活動を強化および保障し、国の安全および利益を守るため」(同法第1条)、国内外の情報工作活動に法的根拠を与える目的で作られた。
その第7条では「いかなる組織および国民も、法に基づき国家情報活動に対する支持、援助および協力を行い、知り得た国家情報活動についての秘密を守らなければならない」と定め、国内外において一般の組織や市民にも情報活動を義務付けている。
つまり、中国は軍民融合政策と国家情報法を一体として運用しており、そのことは、日本の企業や研究者が意図せずして、あるいは気付かないうちに、人民解放軍によるドローンや人工知能(AI)などの民間の最先端技術や専門知識の取得を助け、新たなリスクを生み出す可能性があることを意味している。
このように、中国は、軍事活動に民間の組織や公民を動員する体制を敷き、また、軍の近代化のために民間企業の先進的な技術やノウハウを利用するため、民間セクターと軍事の境界を曖昧にし、あるいは排除して軍事分野に積極的に活用する動きを強めている。
以上、ロシアが挙げる「現代の軍事紛争の特徴および特質」に沿いながら、中国がわが国に対し仕掛けている「新しい戦争」の形について概要を説明した。
それから読み解けることは、中国は、ロシアの軍事ドクトリンとほぼ同じ軌道をたどった行動や工作を行っているということだ。
ロシアが、当初ウクライナで行ったこと、すなわち純然たる平時でも戦時でもない境目において、軍事的手段と非軍事的手段を複合的に使用し知らないうちに始められた外形上「戦争に見えない戦争」、それと同じあるいは更に厄介な戦争を、中国は日本に対しすでに仕掛けていることは疑う余地のない事実である。
もし、それによる可能性が尽きた場合には一挙に軍事活動へと移行し、最終的に最先端技術・兵器を駆使した情報化戦争をもって戦争の政治的目的を達成しようとすることも、ロシアのクリミア半島併合や東部ウクライナへの軍事介入と同じと見なければならない。
「全政府対応型アプローチ」で備えよ
「新しい戦争」の形である外形上「戦争に見えない戦争」の大きな特徴および特質は、軍事力を背景とし、軍事的手段と非軍事的手段を複合的かつ連続的に使用することにある。
したがって、わが国の防衛も、軍事と非軍事の両部門をもって構成されなければならない。
その軍事部門を防衛省・自衛隊が所掌することは自明である。
では、これまで説明してきた中国の非軍事的手段である「輿論(よろん)戦」、「心理戦」および「法律戦」の「三戦」、そして政治、外交、経済、文化などの分野の闘争、さらに常態化しているサイバー攻撃などに対しては、どの行政組織がどのように備えているのであろうか。
それ以前に、わが国が中国の「戦争に見えない戦争」の挑戦を受け危機的状況にあるとの情勢認識があるのか、ななはだ疑わしい。
そこでまず、「日中関係は完全に正常な軌道に戻った」や習近平国家主席の国賓来日など、誤った対中情勢認識に基づいた日中関係の推進は、直ちに是正されなければならない。
そのうえで、中国の複雑多様な非軍事的手段による脅威を考えると、政府内各省庁のそれぞれの任務所掌事務・機能を結集した「全政府対応型アプローチ」(all government approach)を取ることが何よりも重要である。
しかし、各省庁の縦割り行政では、効果的・実効的な対応は期待できないので、その弊害をなくし、政府が総合一体的な取組みを行えるよう、行政府内に非常事態対処の非軍事部門を統括する機関を新たに創設することが望まれる。
例えば、内閣府または総務省に「国土保全庁」(仮称)を設置するか、米国の「国土安全保障省」のように、各省庁の関係組織を統合して一体的に運用する「国土保全省」(仮称)を創設する選択肢もある。
そして、国家安全保障局(NSS)の補佐の下、国家安全保障会議(NSC)を国家非常事態における国家最高司令部とし、内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣および防衛大臣(4大臣会合)を中核に関係閣僚をもって国家意思を決定し、最高指揮権限者(NCA)である内閣総理大臣が軍事部門の自衛隊および非軍事部門を集約する「国土保全庁」あるいは「国土保全省」に対して一元的に指揮監督権を行使するピラミッド型の有事体制を作ることが必要だ。
他方、わが国は「自然災害大国」であり、平成7(1995)年1月の阪神淡路大震災や平成23(2011)年3月に発生した東日本大震災をはじめ、ほぼ毎年全国各地で大規模自然災害が発生し、その都度、共助、公助の不足が社会的課題として指摘されてきた。
近い将来、南海トラフ地震や首都直下地震などによって国家的危機の発生が予測されている。
併せて、中国による広範なサイバー攻撃や高高度電磁パルス(HEMP)攻撃があれば、一般住民をも直接的・間接的に巻き込まずには措かないのである。
このように、国民保護や重要インフラ維持の国土政策、産業政策なども含めた総合的な対応を、いわば「国家百年の大計」の国づくりとして、千年の時をも見据えながら行っていくことが求められる。
つまり、わが国の安全保障・防衛を強化するためには、社会全体でわが国を守る仕組み・取組みが不可欠であり、国民の「自助、共助、公助」への責任ある参画を促し、それを「民間防衛」の組織へと発展させることが更なる喫緊の課題である。
一方、軍事部門を見れば、わが国は、戦後の「経済重視・軽武装」政策を引きずり、いまだにその充実強化が疎かにされている。
最大の課題は、列国と比較して防衛費が極端に低く抑え込まれていることだ。
日本は、中国の「情報化戦争」を念頭に、30防衛大綱で「領域横断(クロスドメイン)作戦(CDO)」を打ち出し、自衛隊の能力構築を始めた。
CDOでは、従来の陸上、海上、航空の活動領域が宇宙空間へと拡大し、さらにサイバー空間や電磁波空間といった新たな活動領域が加わった。
そのように、軍事活動の領域・空間が3つから6つへと一挙に倍増し、多領域・多空間に拡大して戦われるのが近未来戦の際立った趨勢である。
そのため、これまでの自衛隊の組織規模をスクラップ・アンド・ビルト方式で再編成するのには一から無理があり、従来の防衛力を基盤として、中国の新たな脅威に対抗できるCDO能力を付加的に強化するには、自衛隊の組織規模の飛躍的拡大や最先端のハイテク装備の取得が必須である。
また、CDO(米軍はマルチドメイン作戦:MDOと呼称)を前提とした日米共同作戦には、両軍のC4ISRをネットワーク化することが不可欠であり、そのような防衛力の整備には防衛費の倍増は避けて通れない。
米国は、中国との本格的かつ全面的な対決に踏み出し、そのため今後、世界の分断が進むと予測されている。
つまり、米中対立は、米中間に限られたものではなく、自由・民主主義を支持する国々と共産主義中国との対立であり、他ならぬ日本自身の問題である。
その対立が前提の世界において、日本が二者択一で同盟国の米国をさて置き、中国を選択することがあってはならない。
同盟が成り立つには、①価値の共有、②利益の共有、③負担の共有、そして④リスクの共有、すなわち戦略的利害の共有が必要である。
米国が中国との新冷戦を決意している時、日本が安全保障・防衛上の利益のみを享受し、新冷戦において生じる米国の通商や金融、テクノロジー、外交、それに安全保障・軍事などの負担やリスクを、中国との経済関係を重視するあまり、日本が共有する明確な姿勢を示さない場合、同盟は成り立つはずがない。
そのうえ、米国からは見放され、中国からは経済面で裏切られた上、安全保障上の敵対心を露わにされるのは必定である。
コロナ禍とともに戦後最大の安全保障の危機に直面している今こそ、日本は米国との同盟関係を一段と深化させ、米国と同じ構えで中国に備えることが強く求められるのである。
そして、日米同盟を基軸として、インド、オーストラリアの4か国(クワッド)に台湾などの周辺諸国やASEANなどを加えて、「自由で開かれたインド太平洋」構想(戦略)の下、インド太平洋版「NATO」へと発展させることが今後の大きな課題でもある。
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