#西脇順三郎
Explore tagged Tumblr posts
Text
公演のお知らせ
このたび17番劇場は本編とは別の形でのサテライト公演として “麗しきドミナントの夜”を企画、上演する次第となりました。
#1 の作品として、舞踏家の細田麻央ソロダンスをお届けいたします
本公演ではテキストに西脇順三郎の詩集『近代の寓話』より「アン・ヴァロニカ」という作品を取り上げ、西脇の詩を演者である細田麻央がイメージして音読し、その音声をもういちどステージで再生して、音声としての詩に触発された踊りの表象を試みようとするものであります。
「詩としての身体、身体としての詩」あるいは詩の言葉の向こう側と、踊りという表現スタイルの向こう側に何が見出されるのか? ぜひお立ち合いただければ幸いに存じます。
古い音楽喫茶店で定員20名様になります。ご来場の際はご予約をお願いいたします。
【17番劇場 PRESENTS 麗しきドミナントの夜 #1 】
阿佐ヶ谷ヴィオロン
2024年10月11日(金) 19時開場/19時30分開演
「アン・ヴェロニカ」
◆踊り 細田麻央
◆演出 川口一史
◆音楽 蓼沼明子
◆テキスト 西脇順三郎
◆制作 櫛笥 剛
◆企画・製作 17番劇場
◆会場
阿佐ヶ谷ヴィオロン
東京都杉並区阿佐谷北2-9-5
http://meikyoku-kissa-violon.com
03-3336-6414
◆料金 1,000円 (1ドリンク付)
◆ご予約・お問い合わせ
17番劇場
080-0706-7234
【Project announcement】
We will have a small showcase performance on October 11th at Violon, an old music cafe in Asagaya, Suginami-ku, Tokyo.
1 7 t h e a t e PRESENTS
BEAUTIFUL DOMINANT NIGHT #1
Mao Hosoda solo dance “Ann Veronica”
Opens at 19:00 / Starts at 19:30 on Friday, October 11, 2024
◆Dance
Mao Hosoda
◆Directing
Hitoshi Kawaguchi
◆Music
Akiko Tadenuma
◆Text
Junsaburo Nishiwaki
Produced by Tsuyoshi Kushike
◆Price 1,000 yen (with 1 drink)
◆Reservations and inquiries
17theatre
080-9706-7234
◆Venue Asagaya Violon 2-9-5 Asagaya Kita, Suginami-ku, Tokyo
Please make a reservation for a capacity of 20 people.
2 notes
·
View notes
Text
2024年のよかった本をふり返る
1.飯島耕一詩集(現代の詩人シリーズ)
飯島耕一の個人的再評価。「他人の空」はもとより「ゴヤのファーストネームは」以降なんかもよかった。
2.養老孟子特別講義 手入れという思想
著者の90年代の講演集。都市部で虫を見ると過剰に嫌な気分になるのはなぜか、という切り口で都会暮しの人間と田舎暮しの人間の(現代で言う処の)ネガティブ・ケイパビリティの差を論じている。都市的なものは管理を志向するという視点はその後の実生活の様々な場面におけるものの見方に影響を受けた。
3.方丈記(対訳古典シリーズ)
去年末からお世話になっている旺文社文庫の古典対訳シリーズ。「ゆく河の流れは絶えずして」の冒頭から始まる文章は飢饉、水害、地震と度重なる天災や福原遷都などの失政により荒れ果てゆく都の情景、軽々と失われる人の生命を端的な和文で描写しており、今なお新鮮な威力。
4.土佐日記(対訳古典シリーズ)
こちらも旺文社。有名な女性に扮しての土佐からの帰京への旅路を綴った文章は一見すると淡々とした紀行文だが、貫之夫婦は晩年に設けた���子をこの旅路で亡くしている。自身の子を失くした悲しみを第三者の視点から描く一方で、土佐赴任期に家族や財を増やした部下たちの京を待ちわびる活き活きとした様をも自らの哀しみに沈むことなく描写している。帰京し、荒れ果てた我が家を前に妻とのあいだで嘆きの歌を詠み合う場面はついに貫之の努めた冷静さが破れる瞬間だが、歌ではなく散文の抑制の中で表現することを選んだ晩年の貫之の心中を思い遣らなくてはいけない。
5.詩集 旅人かへらず(西脇順三郎)
散歩的詩文の極地と言える語りの写す風景、言葉の流れ方といい素晴らしく、復刻本として気軽に手元に置けるのがありがたい。
6.萩原朔太郎(講談社文芸文庫 磯田光一)
資料を丹念に集め、読み込んで土台から対象の姿を立ち上がらせる硬派な伝記を久方ぶりに読んだ。しかも対象はあの萩原朔太郎。彼の生きた時代と背景も含めて感受するには必読の一冊という感だが未完の遺作というのが惜しまれる。
7.重い障害を生きるということ(岩波新書)
私の双子の妹がほぼ先天の重度障がい者なのだが、改めて歴史の中の障がい者という視点では何も知らない事に思い至って手に取った。小林堤樹先生をはじめ、障がい者という理由で名前も付けられず棄てられ、彼らの治療法も受け入れも何もかも確立されていない時代に、生命を軽視する社会と真っ向から対峙して障がい者でも生きてゆける土台を作った先人たちの凄まじい姿がここにある。彼らの挺身なくしては、私の妹も生きてゆけなかったと思う。妹は今年で35歳になる。
8.日本の家郷(福田和也)
西洋の文学にとどまらず古事記や日本書紀をも援用して日本の文化文学を論じる目眩く知性に圧倒された。福田和也はこの本で初めて触れてまだまだ凄い人がいる、と手放しに驚いていた矢先に逝去してしまった。
9.幻談・観画談ほか(岩波文庫 幸田露伴)
文体に惚れ込んだ。特に観画談の読後感は素晴らしいものがあった。
10.こんなとき私はどうしてきたか(中井久夫)
本邦精神科医の第一人者、中井久夫の講演随筆だが現在進行形で続いている読書を中断せ��るを得ないほどの生活の疲労困憊のただなかにあって、回復期の手引きとなる一冊だった。
番外編. 海辺のカフカ(村上春樹)
ちょうど秋の帰省の時期に読んだ。当時はフル出社でオフィスのある中野に通っている時期だったので、主人公が中野を家出して四国の高松で過ごすという筋立てが、九州で身を休めている自分の境遇と重なって、自分はこの本を読む為に帰省したのだ、という気分で夢中で読んだ。ナカタさんとホシノさんのコンビが好き。村上春樹のキャラメイクの上手さが光る。
おわりに
十冊も挙がらないのではと思っていたけれども挙がったので、それなりに充実した一年だったの��もしれない。とはいえ習い性で継続してきた読書も今月に入って以来、何も読む気がしなくなり現在では中断している。そのうち恢復することを願っている。
0 notes
Text
サンザシの酸つぱさに/乞食の渴きが残される/不幸もない幸福もない/ただ悲しみが残される/すべてが残される/すべてがのこ……こらない/でも吃るキノコが残る/どじようの眼の光りが残る
(西脇順三郎/野原の夢)
0 notes
Text
今週末の土日に開催される「グラウンド・レベル・シネマ」に初参加させていただきます。過去作『東京節2020 - This Is Tokyo - 』がBプログラムにて、27(土)15:50〜、28(日)17:20〜上映予定です。よろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー イメージフォーラム・シネマテーク No.1073
グラウンド・レベル・シネマ Vol.4.5 GROUND LEVEL CINEMA 4.5 日本 ー 台湾
イントロダクション
2020年代に新たなインディペンデントシーンを作るべく、日本と台湾のfresh!!!な映像作家たちが国境、世代を超えて、同日、同時刻に作品を上映するリアルイベント<グラウンド・レベル・シネマ>
拝啓 この夏をどう過ごすのか? 海か? 山か? もしくはフェスに行くとか? だがカネの無い奴、友達がいない奴、居場所の無い奴ら は何処に行けばいいのか? とりあえず7/27、28 渋谷に集合だ。誰からも頼まれもしないのに勝手に映画を作ってるイカれた連中が待っ ��いる。きっと探してる何かが見つかるかも知れない(保証はしない)夏休みを涼しい暗闇の中(これだけは保証する)で過ごすのも 悪くないと思う。だってこの場所にはあの「寺山修司」の名前が付いてるんだぜ!熱帯化する渋谷の片隅から世界の皆様へ。 敬具 (グラウンド・レベル・シネマ運営委員会)
※各上映終了後に日本側作家によるアフタートークを行います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■日程 Date 2024年7月27日(土)-7月28日(日) Saturday, 27th, July - Sunday, 28th, July 2024
【open】13:30 【screening】14:00 【close】19:30(予定) 各日3プログラムの入れ替え制
■会場 Venue シアター・イメージフォーラム 3F「寺山修司」 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-10-2 Image Forum 3F "Terayama Shuji" 2-10-2, Shibuya, Shibuya-ku
■タイムテーブル Timetable 7/27 14:00 A Program 15:50 B Program 17:20 C Program 7/28 14:00 C Program 15:50 A Program 17:20 B Program
■Ticket 当���受付 1プログラム券:一般700円/会員500円 3プログラム券:一般1,500円/会員1,200円 1 program ticket/General 700 yen, Members 500 yen 3 program ticket/General 1,500 yen, Members 1,200 yen
ご来場のお客様へ ・満席の際にはご入場をお断りする場合がございます。あらかじめご了承下さい。
主催:グラウンド・レベル・シネマ運営委員会 共催:イメージフォーラム 協力:株式会社ダゲレオ出版 https://www.imageforum.co.jp/cinematheque/1073/index.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▶Program A
△ (in progress) / △ Lin Shih-Chieh & Yeh Che / リン・シージエ & イエ・チエ / 7min.
Bi-Kei / 微景 Tatekawa Kiyoshiro / 立川 清志楼 / 7min.
Tata Cuts Down the Timescape / ター爺さん、時間を切る Chen Chun-Tien / チェン・ジュンディエン / 9min.
Tata Picks Up the Landscape / ター爺さん、風景を拾う Chen Chun-Tien / チェン・ジュンディエン / 5min.
My room moon Nozomi Hirai / 平井 望 / 3min.
((( OTO ))) atsuko uchiyama / 内山 涼湖 / 18min.
Deadline / 死線 Daz Yang / ヤン・ヨンシュエン / 2min.
Monochrome Radiance / 単色照明 Hsu Chun-Yi / シュー・ジュンイー 16min.
protein / タンパク質 Naohisa Uchiyama / 内山 尚久 / 5min.
Jouhatsu Letters - Johan⇔Kudo / 蒸発書簡 Masa Kudo & Johan Chang / 工藤 雅 & 張若涵 / 13min.
The Silence of Sirens (in progress) / セイレーンの沈黙 Tzuan Wu / ウー・ズーアン / 5min.
▶Program B
1-2(2-1) An Hsu Hung / ホン・アンシュー / 5min.
Parallax / 視差 Hsin-Yu Chen / チェン・ションイー / 9min.
Koigokoro II / 恋心II Anna Fujii / 藤井アンナ / 5min.
False Expectations / (不)期待傷害 Erica Sheu / エリカ・シュー / 7min.
in the autumn of 2009 / 2009年、秋の会話 Kisawa Koki / 木澤 航樹 / 20min.
ave Walls. Eyes have Doors / 耳ニ壁アリ目ニ障子アリ Ippei Nakao & Karu Miyoshi / 中尾 一平 & 三好 彼流 / 5min.
Flamegazing / 火を観る Yen Wang-Yun / イエン・ワンユン / 8min.
One Two Three / ワン・トゥー・スリー Yukiko Nishino / ニシノ ユキコ / 8min.
Light year return / 1億光年キロ Seiichiro Okuma / 大熊誠一郎 / 10min.
This is Tokyo - TOKYO-BUSHI2020 / 東京節2020 MurakamiLoki / ムラカミロキ / 4min.
scenery movie SAYO x Yasuaki Ishikawa / SAYO x 石川泰昭 / 6min.
▶Program C
Daytime Cycle Noon Takaki Matsuda / 松田 天樹 / 4min.
Political mysophobia / セイジミゾフォビア Johnny HUNG / 8min.
Lüshun Entry Ceremony(Ryojun Nyujo-shiki) / 旅順入城式 Kenji Kadowaki / 門脇健路 / 8min.
The Night Surge (in progress) / 夜の騷ぎ Hsu Hai-Wen / シュー・ハイウェン / 9min.
My way of celebrating new year / お正月の過ごし方 Yijean WANG / ワン・イチェン / 15min.
Silent Noise room / 聴視空間 Nishiyama Tomoki / 西山 知希 / 5min.
Presence Undefined / 未定義な。存在 Lichun Tseng & Lam Lai / ゾン・リージュン & リン・リー / 17min.
Reflection / 光が私の目を刺す Irene Lin / リン・ウェンリン / 8min.
nonsense diary / 東京デタラメカメラ日記 MIKIHARUKA / 三木 はるか / 15min.
※タイトル、上映時間等に変更が生じる場合があります。
■作者コメント
▶Program A
△ (in progress) / △ 惑星探査隊が地球に到着し、△計画を実行した。時間波形のスキャン技術を用いて、地球全体のデータを取得するのだ。その中身は地層や、海洋、気候、種、および人類の過去の集団潜在意識、並びに地球文明消失の原因解明にまで及ぶ。この資料映像は、△計画データ投射の圧縮解除のためのものである。
Bi-Kei / 微景 被写体と光と時間の推移、固定カメラで撮影した画像に音響を追加。 微妙に変化する表層と音響を体感する作品。 映像から単一の意味しか受け取れないならば、その映像はまさしく無意味となるだろう。 そこに作家の意図など到底及ばない世界が広がっていなければ作品として成立しない。 映像は決して記号では無い。記号から遥かに、あふれ出てしまう。 あふれ出たものこそ、映像の個性であり本質である。映像は言葉に逆らう。 言葉をはねのけ、映像が自立するときこそ、作品が完成するときだ。
Tata Cuts Down the Timescape / ター爺さん、時間を切る キドラット・タヒミックは台湾北部にある有名なUFOの聖地を訪れる。突然何か不思議な力を受け、彼は50年前の自分との間にある種の共鳴を得る。大航海時代と拭えない植民主義��西方と東方、フィリピンと台湾、今のター爺さんと若いター爺さん、境界はぼやけ、情勢は曖昧になる。
Tata Picks Up the Landscape / ター爺さん、風景を拾う キドラット・タヒミックが空っぽの携帯を手に台湾へやって来た。台湾にいる間、彼は何処でも常に携帯で記録し、去る前夜には、メモリーはもういっぱいになった。彼はこれらの素材を私に託した。私は膨大で雑多な素材との対話を試みる。
My room moon 空を、水中を。私の両の球は泳いだ。闇から光へ。無から有へ。角から球へ。 水を感じる。私の鼓膜を揺らす波動も。 一体私は何処から来たのだろう。この精神を育んだのは何奴か。 これに対する私の思考は空と水中を彷徨い、結果、球を見つけた。 見つけたのではなく現れた。眩く多色の閃光を放つそれは、私の心身を照らし、透過し、暴いた。 私は水の中へと逃げ込んだ。屈折した光は私には届かないだろう。 しかしそれが全ての始まりの一手となった。 これはあの閃光の温もりを知るまでの、私の成長物語第一巻。
((( OTO ))) 友達のオトと言う名の男の子に「オオカミになりに行こー」と誘われ 居合わせたターザンと一緒に、山を登り岩の上で3人で吠えた。 そこから音開きの旅がはじまる。
Deadline / 死線 また来る30日、毎日がデッドライン。
Monochrome Radiance / 単色照明 列車が駅に入り、花火が光る時、人々はシャッターで世界のシワの端を測定する。すべての過ぎ去った時間は、ブラックホールの眠りに合わせて消え、静止した単色の壁画にと変わる。毎回の記憶は何かを思い出すわけでもなく、ただ偶然にその局部を照らすだけだ。暗い部屋における、静電気の火花のように。
protein / タンパク質 それは人類にとって、救世主となるのか、それとも・・・ 映像は、全てスーパーマクロレンズで撮影しました。 使用機材・Canon EOS R6・ZHONG YI OPITCS FREEWALKER 20mm F2 SUPER MACRO 4-4.5:1 BGMは、全てコオロギの鳴き声だけを加工して作ってみました。 使用機材・SOMA LYRA-8 :FILTER PART ・SOMA COSMOS・strymon NIGHTSKY・TASCAM DR-40X・iPod classic
Jouhatsu Letters - Johan⇔Kudo / 蒸発書簡 2021年、コロナ禍で互いに往来が難しい中で、日本と台湾に住む映像作家は、相手から送られてきた映像の音や画を引用して返信するというルールで往復映像書簡を始めた。どこかへ���避したいという蒸発の願望から日常の旅をしていた二人は、お互いに心象風景を交換しながら新しい実験を試みる。
The Silence of Sirens (in progress) / セイレーンの沈黙 ある種のイメージの発生学を想像してみる:セイレーンが画面の表面の後ろで警報を唱えている。点滅する波の下で都市は徐々に沈没し、次第にぼやけてくる。二枚貝は気泡を吐いて漂い、気泡からは蜃気楼がほとばしる。人魚は泡になり、だんだん暗くなり、世界は球体の中で旋転する。 *本作はセイレーン・プロジェクトの二本目となる短編で、プロジェクトは継続して発展中。
▶Program B
1-2(2-1) フレームの観察を続けながら、運動と制御不能の間で、極端にコントロールしたいという欲望を実行しようと試みる。
Parallax / 視差 外界から自分をアンカリングする過程。
Koigokoro II / 恋心II 「仕草」として感情的に眺めた動作を、純粋な「動作」として再認識するように実験する。
False Expectations / (不)期待傷害 女の子は満月に願いを込める。ドキドキ、キラキラした気持ちをもう少し心に留めておけますようにと。すると、次の日の昼、月の精が彼女のカーテンの隙間から部屋に入ってきて、こっそり人形に替わり、彼女に寄り添うのだった。 本作は本来3チャンネル・16ミリフィルム投影の作品。
in the autumn of 2009 / 2009年、秋の会話 世の中で彼だけができることと、いつだって瀬戸際の社会で交わされてきた会話の記録。
ave Walls. Eyes have Doors / 耳ニ壁アリ目ニ障子アリ 有象無象に紛れて部屋は生き、私たちの体と感情はバラバラになる。母性に媚びるなど迷惑千万。 ある日それは現れ、触れる間も無く消えてゆく。 懐かしい気持ちも置き去りに。 身体表現を用いつつも無機質さを意識して、部屋に閉じ込められた感情の拠り所を模索しながら制作しました。ストップモーションです。 パフォーマンスアーティストの三好彼流との共作です。
Flamegazing / 火を観る 再発見したホームビデオテープ、2つの葬式。
One Two Three / ワン・トゥー・スリー リズムから外れてはいけない。ここに居る人々は現実に存在しているのか、もしくは存在していないのか。
Light year return / 1億光年キロ 運命という言葉は嫌いだ。この文が何度も利用されていることは承知の上だが、嫌いなものは嫌いだ。 ただ振り返るとどうしてもロジックで説明できなものも確かにそこにある。そのどうしようもない状況に私は悶々とする。 世界は常にカーブを投げ続けてくる。あたふたせずにただ走りたいものだが。 流星が地球に落ちる瞬間を目にすることはあるだろうか?生きている間に一度はあってほしいものだ。
This is Tokyo - TOKYO-BUSHI2020 / 東京節2020 都市・東京は江戸時代以降、日本の中心地として繁栄し、現在も首都として多くの重要機関が集められている。大正7年にその情景を歌う形で発表され、その後も多くの人に愛され、リメイクされ続けてきた「東京節」の令和時代における最新版。オリンピックにカッパライ、一体この街、何処へ行く。 イメージフォーラム・フェスティバル2020 ヤング・パースペクティブ 入選作品
scenery movie ”日常のようでいて、誰かの感性を通したようなキラキラした世界。 魅力的な音楽に乗せてその景色が一人の男の心も彩っていく。 ambientとしても楽しめる作品。”
▶Program C
Daytime Cycle Noon コンクリートだらけの都会で生活をしていると、どうしても自然を求めてしまう。かといって旅行に行ってシャッターを切ったりしても写るのはいかにも日本の田舎の風景といった感じでどうも求めているものとは違うのだ。絵画のような自然の風景を自分の映画に取り込みたいと思って作った。
Political mysophobia / セイジミゾフォビア 不満はあるのか?近所に対する不満がある!あそこの定食屋の値上がりに不満がある!台風で大雨なのに会社に行くことも不満!社会に、出来事に対して不満がある!ある!!あるんだよ!!!それ、根本的に解決するなら●●じゃないの? ●●がダメだからじゃないの?●●と言っちゃいけないのか。 ●●を避けられるもんなのか。
Lüshun Entry Ceremony(Ryojun Nyujo-shiki) / 旅順入城式 100年くらい経つとさすがにいろんなことが一巡するのだなあと思う今日この頃です。
The Night Surge(in progress) / 夜の騷ぎ 舞踊作品「夜の騷ぎ」と「粼光暗影」の撮影現場での、舞踊のリハーサルと劇場公演の間の曖昧な時間。
My way of celebrating new year / お正月の過ごし方 カメラを回したら、なくなった人たち、ものやことも忘れられない記憶になる。2023年のお正月を迎えて、8ミリカメラで過ごし方を記録した。
Silent Noise room / 聴視空間 聴覚及び視覚による映像体験を試みる。
Presence Undefined / 未定義な。存在 本作は7本の小さな音声映像の作品集である。いつ上映するにあたっても、順序を問わず上映することができる。この作品はひとつの芸術実験であり、視覚と聴覚のレイヤー、色、協調、調性、触覚、元素と空間の異なる反応を探るものである。その共有する芸術語彙の交差と交錯は、この二つの芸術世界の対話と不確定性の微妙な出会いを刺激する。映像は16ミリ映像の創作と実験で、音声は現場での録音と電子音源を使っている。
Reflection / 光が私の目を刺す 妹の一本のフィルムが、映像と故郷に対する私の想像力を動かした。写真は人の性格を表すとよく言われる。しかし私たちが互いの眼差しに介入しようとするとき、わたしたちが写真を記憶の手段のひとつと捉えないとき、2人の共有する風景を改めて一本の映画にしようとしたら、この繋がりは同じ場所にいる私たちをどこへ��れて行くだろうか。
nonsense diary / 東京デタラメカメラ日記 カメラマンの滝本淳助さんと一緒に映画を撮りました。三木はるかとは親子ほどの年の差があります。ちぐはぐな二人で何をやる?何ができる?滝本さんはフィルムカメラの使い手で、三木はるかはビデオカメラを持ち歩くことが多め。二人で同じ場所に行ったらそれぞれカメラに収めるものはおんなじ?ちがう?愛機を手にお出かけしました。さて、どんなものが撮れているでしょうか。または、撮れていないでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
グラウンド・レベル・シネマ https://www.groundlevelcinema.com/ X(Twitter): @groundlevel2020 https://x.com/groundlevel2020 Instagram: @ground_level_cinema https://www.instagram.com/ground_level_cinema/
イメージフォーラム/株式会社ダゲレオ出版 http://www.imageforum.co.jp/ 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-10-2 03-5766-0114(シアター・イメージフォーラム) 03-5766-0116(イメージフォーラム) 03-5766-1119(ダゲレオ出版) Mail : [email protected]
X(Twitter): @Image_forum https://x.com/Image_forum Instagram: @image_forum https://www.instagram.com/image_forum/ Facebook Page https://www.facebook.com/imageforum.japan/ Online Shop http://imageforum.thebase.in
1 note
·
View note
Text
2023/09/17
一日だけ京都にいた。京都国立近代美術館の展示を見たいと思ったからだった、あまり深いことは考えずに、なんとなくでも興味が湧いたら、それを単なる錯覚だとか抑えずに、とりあえず軽い気持ちで見に行ってみようというモードにあり、それを実行したかった。職場にコロナに感染した人がいて、自分のデスクに近い人だし備品を共用してた人だったので、最近の体調不良からして自分はグレーだと思われるし、今までにあまりない感じの深刻な頭痛がきていつもの薬が効かないということでいよいよこれは、と暗い気分になって仕事を早退した日の夜、22時くらいの夜行バスで向かった。どうもお腹の調子が悪い。でもバスに乗ったら平時の感覚が戻ってきた、たっぷりある移動中に山本精一の本を読もうと思って、財布とかと一緒にリュックに入れた。途中の鮎沢SAは涼しくていい匂いがした、自分の知っている少し昔の夏休みの匂いに近く、下界とは違ってさわやかだった。人の気配がなく、私にはまだ逃げ場があると思える、曇っていて星は見えないけど、この場所は多分自分の味方であり続けてくれるはずだ。途中で酔わない程度に本を読む、やっぱりこの人は頭がおかしい。お腹の調子が悪いしこんな寝不足じゃ、小学生の頃なら吐いていただろう、あんまり眠れないまま5時半に京都駅前に着き、時間的にまだ真っ暗だったら嫌だなと思っていたが思いの外明るくなっていて安心した。国道1号を北へすすみ、日がのぼる頃の鴨川を見たいということでどんどん歩いていった、くるりの「ロックンロール」を聴きながら歩くと歩くスピードと合ってて、人も全然いないし人の匂いも全然なく、空気はすずしく、なんとなく自由って感じがあり気分が良かった。高瀬川を渡り、左にカーブする���ンクリートの橋を渡る、急に開けて広い川が見える、東側の山の稜線が朝靄と朝日でぼんやり霞んでいる、いいなあと思う、だんだんお腹が空いてきたけどそのままお寺とか神社に行くのがいいかもと、近くにあった豊国神社を参拝した。そのまま川の東側の小道を北へ進むと良さそうな和菓子屋さんがあったけど朝早すぎてやっていない。五条まで来て、川縁に降りてたもとを歩いていった。白鷺とかゴイサギとかカモとかカラスとかがいる、朝の方が川の水もきれいに見えて断然良い。とにかく朝が早すぎて落ち着けるところがそんなになく、疲れない程度に歩くしかなかった。8時半くらいまでぶらぶらして、期待外れだった朝ご飯のお粥をお腹に押し込み、地下鉄に乗って蹴上まで行き、今度こそ「インクライン」を見るんだと思っていたのに、結局やっぱり「インクライン」がどこにあるかわからず、以前来たのと同じルートで南禅寺に行き、水道橋と、本堂の龍の天井画を見た。もうこの辺りで気温が上がってしぶとい暑さに疲れ始めていた。やっぱり同じルートでそのまま平安神宮の方に琵琶湖疎水の脇を歩いて、美術館についたが微妙に開館まで時間があったので、その辺を一周してから入館。朝早いのに若者が結構きていて京都ヤングの文化程度の高さを感じた。眠すぎて時々急に電池が切れたように意識がブラックアウトする。工芸品が所々ケースなどに入れず直に展示されているので万が一そっち側に倒れ込んじゃったりしたら非常に危ない。何度か前や後ろに倒れそうになりながら、そのため監視員にうっすらマークされながら一個一個見たんだけど、やっぱり時代が新しくなるにつれてつまんないというか、何をこいつらはしたかったんだろう、みたいな気持ちが湧いてきて飽きてしまった。60年代までは工芸品とオブジェの境界に迷うような姿勢が見えて、それが作品に直結してる感じがして良かったけれど。最後の部屋まで来てやっと意識が安定してきたので、また最初の方の部屋に戻って展示のストーリーを確認しながら見た、まあ話は分かったがなんかやっぱりつまらないので、単純にいいと思った展示物だけを見て終了し、コレクション展の階に行くと、やっぱりいい絵があったので、安心した。山崎隆の屏風絵《神仙》、《歴史》、村山知義のリノカット、伊藤久三郎の《人々》。これらを見られただけでも収穫だということにする。広くて明るくて客もあんまりいない、すいすいと自分のペースで回って、気分がいい。正常な空腹を感じたので、ああ自分は元気になったんだと安心し、東山からまた地下鉄で二条城前まで行き、頑張って微妙に体力を消耗する暑さの中を歩いていったのに、ち��っと一人で入るのに勇気が必要なカフェでは、狭い待合スペースにイケイケの若者、いや、文化に明るそうな高踏そうな?若者たちが鮨詰め状態なのが見え、すぐに心が閉じてしまって踵を返した、東西の太い道路を横切って、写真のギャラリーに行って、展示を見て、川崎祐という人の写真集を買った、東京で今個展開催中らしい(知らんかった)。最後にまた鴨川を見たかったけれど東海道新幹線の遅延の報を知り、しょうがないのでもう駅に向かう。やたら店内の暗いコンビニで適当に買ったアイスを食べながら日陰を歩く、どこもめちゃくちゃ混んでいて全ての人を黙らせたい衝動が起こったがナチュラルな関西弁は聞いていてそこまで気分が悪くない。京都駅で家にお土産を買って、結局定刻通りに運行しているらしい「ひかり」に乗る、名古屋まで30分くらい、忙しなさすぎてあんまり感傷?に浸ることもなく、でも夕方の車窓はやっぱり美しく、斜め後ろの座席の家族連れがうるさいな~ってことすら流せるくらい順調、定刻通り名古屋について颯爽と下車したら名古屋はまた死ぬほど人がいて、面食らった。改札近くのトイレも駅ビルのトイレもどこも全然空いてなくて、夕ご飯を買いたかった売店も観光客らしい人たちで大混雑していて、たかが名古屋のくせにと軽くイラついた。やっとのことで名古屋屈指の古い地下街の、そのまた地下(地下駐車場の)のお手洗いで用を足し、普通にバスにも間に合った、隣席は発車時刻ギリギリで乗り込んだ黒人の若いお兄さんだった。一瞬、バスジャックされたりしたらやだなとほんの一瞬思ってしまった(彼は終始、携帯などには一度も触れることなく、黒いリュックを抱えて多分寝ていた)。窓がでかいバスで、サッサカ暮れていく空と、高速の防音壁と、一瞬だけ帰ってきた名古屋の街とをゆったりした気分で眺めた、高速に乗る、というのはどこか、挑むみたいな気持ちになる。これからのとてつもない長い距離と時間に、後ろに去っていく風景に、空の色に、それがすごい好きだった。とてつもなく長い距離、というのが私にとっては重要なのです。とてつもない距離とそれが抱えている時間に次第に倦んでいく感覚さえ自分にとっては。こんなにも離れていたということ。これから離れていくということ、小さくなっていくことの寂しさと安心。夕方の名古屋高速はいい。伊勢湾岸道に入り、羅針盤のアルバムを聴きながらうとうとしていると、早々に「足柄から大井松田まで渋滞25キロ通過60分」の表示を見かけた。終電には間に合うかなと思って途中のSAで悠長にソフトクリーム(静岡茶味)を食べてたら、どんどん渋滞が伸びて40キロとかになっていた。横浜から首都高の入り口までも渋滞が始まってるということで地獄が待ってるらしかった。終電に間に合わなかったら交通費をいっぱいにケチった旅行が丸潰れになる~とか焦り始めていると、いざとなったらなんと父が東京駅まで出動してくれるという連絡が。ありがて〜けどそれもまた問題だよと思う。こんな年齢になった娘などもうどこで痛い目にあっていようがのたれ死んでようが放っておけばいいのにと思う。バスの運���手さんは非常に優秀な人と見えて、比較的空いている道ではちゃんとそれなりのスピードで走っていく。特に工事で端っこの車線が慢性的に通行止めの道でも、ガンガン右車線で飛ばしていき、どんどん後ろへ車が抜かされていくのが面白かった。この快調なスピードの上にいないとわからない音楽ってあるよね、ということで、くるりやスピッツやフジファブリックや奥田民生を聴いた。絶対そうなのだ。おなじみの足柄SAにたどり着くと、またものすごい数の車が集まっていて駐車場はごった返していて交通整理をする警備員さんが怒号ともつかない叫びで駐車できずあぶれた車、というかドライバーをさばいていた。御殿場を過ぎて雨が降ってきたけど、いつの間にか雲が切れて止んでいて、夜空はすごく澄んでいて星がいくつも見えた。こういう経験も、夏休みとか冬休み特有のものだった。渋滞でノロノロ進む車内でまた例の本を開く。人や動物に簡単にすぐ殺意を抱いたりしていて忙しそうで笑える。そもそも自分はこういう文体ににハマるたちだし、かなり真理らしいことを言ってたり考え方の極端さには共感すらしてしまうが、憤りとかマイナス?の力が増大した時の思考の飛躍と行動・言動が怖すぎて(ときどき時代錯誤感もあるし)、この人が父親でなくて本当によかった。歌声がいい、歌詞もいい、ギターもすっごいカッコいい、しかし。で、そんなこんなで終電に間に合うか、間に合わないか本当に微妙な時間になってきていたが、運転手さんの的確でメリハリある優秀な運転のおかげで遅れは1時間弱だった。心身ともにきついこともめちゃ多い仕事とは思うがやっぱり運転がうまい人はかっこいい。あと夜行バスは疲れている時はもちろん基本的には交通手段の選択肢から外すべきだ。どうせ眠れないから。ふらっとどこかへ消えたいと思った時、忙しない旅程を組むと感動する余裕も大して持てず帰ってきたときに何も変わっていない自分にただ、ただただ絶望する。0時前の混んでいる中央線快速、火でもつけたい気持ちに駆られつつ、急に疲労が襲ってきてまた意識がガンガン途切れて忘れ���はずの吐き気も出てきて、薄めた地獄みたいだった。
0 notes
Text
2023/07/31
BGM: BarbWalters - Love
今日は休みだった。月に1度の通院日である。朝、総合病院に行きそこで先生と会い、そして自分の状態を話す。もらう薬の内容も変わらず、先生と話すこともこれといって前進も後退もなく、つつがなく終わる。その後薬局で薬をもらい、そしてイオンに行きそこで沢木耕太郎『246』を読み終える。沢木耕太郎の文からはいつもジャズが聞こえてくるかのような印象を受けるのだけれど、今日は何だかジャズの気分でもなかったのでSpotifyからテキトーに"Future Funk"と題されたプレイリストの曲を聴く。実に「音のおもちゃ箱」といった趣のサウンドに浸る。スクリッティ・ポリッティのサンプリングが施された曲があるのが気に入り、今年の盛夏はこれを聴いて過ごすことになるかなと思った。1度しかない48歳の夏も、こうしてバカンスとは無縁に読書や仕事で過ぎていく。今年はたぶんそれらに加えて日々コツコツ詩作を続けたりもするのだろうけれど、なんにせよ実に地味な夏なのは変わりがないのだった。せめて読む本の内容を変えたいと思ったりする。またあのマルカム・ラウリー『火山の下』のような「粘っこい」「しつこい」本を読むべきか。それともあっさりした「淡白な」本……例えばリチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』のような本を読むべきか。
昼食を摂り、その後朝に時間がなくて書けなかった昨日の日記を書く。それが終わった後、池澤夏樹『詩のなぐさめ』を読み始める。この本は彼が古今東西の詩集(シェイクスピアや谷川俊太郎、西脇順三郎や現代詩に至るまで)に触れて書いたエッセイ・批評で、読みながら彼が実に「アクティビスト」「行動派」の書き手であると唸らされる。いや、日本にはそうした書き手は珍しいものではないかもしれない。夏目漱石や森鴎外、二葉亭四迷の昔からそうして国境を超えて自在に移動する知識人は数多と居たはずだ。だが、彼の面白いところはそうして諸外国の文物を自在に取り込みながら劣等感・ルサンチマンを感じさせるネガティブなところが見当たらず、実にオープンマインドを保ち続けられているところだと思った。だからこそ、アメリカやヨーロッパといった国々の文化(敢えてイヤな言い方をしてしまうと「白人男性」が生み出したスマートな文化)のみならずもっとマイナーな国々の肥沃な文化にも目を向けられ、そこから謙虚に学べるのだろうと思う。彼の政治観・文学観には異論もあるが、その謙虚さとグルメなところは見習うべきだなとも思わされた。彼の作品『マシアス・ギリの失脚』『スティル・ライフ』を読み返すべきかもしれない。
その読書の後、詩を書き始める。書きながら、ぼくがやっているのは「詩作」というより「ポエムメイキング」だなと思った。たぶんぼくの書く詩は純金で作られたピュアなものではなく、プラスチック製というかチープなものだとも思う……そんなことを詩に書いてしまった。だが、そうしたチープな詩にはチープなりの味があると信じる。X(元Twitter)では『バービー』と『オッペンハイマー』の話題が喧しい。ぼくは深くその騒動について知らないのだけれど、深刻な出来事がミームという「や��ちゃ」で「面白おかしい」表現技法に呑み込まれてしまう現象(むろん、ぼくはそうした一面的・暴力的な「面白さ」には懐疑的だが)について考えさせられる。ぼくの友だちも過去にヒトラーについてミームをぼくのDiscordのサーバに投稿したことがあって、ぼくは「いかがなものだろう」と異論を投げかけたことがあったのだけれど語弊を恐れずに言えばそうしてヒトラーをミーム化・ネタ化してしまうことはすなわちナチへの有効な批判につながりうるのか、ならないのか……政治を「ミーム」にすることが「面白さ」至上主義だけに終わらない有益なメッセージにつながる、そんな地点を目指せないかと思った。
夜になり、何もする気が起きない。だが早寝するにも昼寝をしてしまったせいか目が冴えて眠れない。それで松浦寿輝『青天有月』を拾い読みする。そこで松浦寿輝が、西脇順三郎の詩集を携帯することの至福について書いているのを知る。ぼくは本はボリュームがあれば得した気分になると考えてしまう非常に貧乏性な人間で、だから分厚いフェルナンド・ペソア『不安の書』を好んで読み耽るのだけれど確かにそうして「ポータブル」な詩やエッセイの文庫本をカバンやポケットに入れて持ち歩き、さまざまな場所で読み返すことは面白いなと思った。ここのところぼくは沢木耕太郎『246』を持ち歩いていたのだけれど、宮澤賢治や萩原朔太郎の詩集を持ち歩くのもいいのかな、と……前にも書いたけれど、自分にとっての「ソウルフード」「ホーム」になりうる本があればいいなと思った。そう考えていくとぼくにとってはリルケ『マルテの手記』がそうした本かなとも思う。いや、これから背伸びをしてディケンズやコンラッド、フォークナーを読んでみるのも一種の「生きがい」につながりうるのかなとも思うのだけれど……そんなこんなで今日が終わる。明日から8月。盛夏・猛暑が続くが、秋の到来もこれに応じて早まるのだろうか?
1 note
·
View note
Text
最近、心を落ちつけるために、学生時代から辛い時に何度も読んできた西脇順三郎『旅人かへらず』を朝の散歩の途中でぱらぱらと再読してる。
かなりボロボロだが、やはりいい詩集だなぁとしみじみ噛み締めてます。それでふと気づいたのは、季節が比較的秋と春が多いのですが、どんどん季節が巡るんですね。秋の歩行の後、すぐに春の歩行になり、また秋の歩行になる。だから読み進めていくうちに現世の春夏秋冬の歩行感覚とは別の、記憶の奥底の抽象的な「淋しみ」の世界への旅に誘われていく。なるほどこれが序に書かれている「幻影の人」の「生命の記録」かと、この詩集の深みの謎が五十路を過ぎてようやくわかった気がします。若い頃から好きでしたが、やはり中年期以降のための詩集ですね。
instagram
1 note
·
View note
Photo
本日18:00まで
More LimeLight2023
展示と一緒に抱負を飾りますヨ
2023.1.13-1.21 変則日程です
抱負と写真を飾る皆様
赤堀あゆみ / 板倉ゆう佳 / 岩森洋介 / 遠藤慎二 / 小栗一紅 / 加藤功章 門脇大敬 / かんの穂の助 / 如月堅 / キシノユイ / こころ / ササキ昂志 佐藤柊 / 嶋田富子 / 嶋田裕司 / 田浦ボン / chisaki hiromi / 堤俊英 中田絢子 / 西谷治香 / 日本夢之助 / 橋本綾 / 林 慈郎 / 藤田莉江 / 藤原勉 Makoto VS / 松浦恵 / 三浦吉幸 / yasu ⊿ Foto‡ / 湯本源太 / 吉原直子 / 脇田耕二 兒嶌秀憲
展示の並びはシンプルに五十音順で1階展示室から2階展示室への感じです
簡単ですが展示動画公開中です
https://www.youtube.com/watch?v=QDJoiosECSs
1階展示室
https://www.youtube.com/watch?v=D4E9AW1uHvE
2階展示室
1 note
·
View note
Text
Por el tiempo de ver los cerezos, en las hoces del Ara flotando en bote leo a Maupassant.
En el ocaso entre las cañas flota un zueco solitario.
Nishiwaki Junzaburō
*
あの頃桜狩りに 荒川の上流に舟を浮かべ モーパッサンを読む 夕陽に葦の間に浮かぶ 下駄の淋しさ
#Nishiwaki Junzaburō#literatura japonesa#poesía modernista#cerezos#Ara#desolación#traducción©ochoislas#西脇順三郎
17 notes
·
View notes
Photo
現代詩手帖 1982年7月号 思潮社 表紙=西脇順三郎「神田本屋街にて」1979.4、表紙構成=菊地信義 特集「引用と引喩の詩学」/追悼特集 西脇順三郎
4 notes
·
View notes
Text
10月11日「アン・ヴァロニカ」阿佐ヶ谷ヴィオロンは、あっという間に満席となりました。ありがとうございます✨💕
1 note
·
View note
Photo
近代日本の芸術家とその邸宅を設計した建築家
※以前の記事に不具合があった為、再掲。 建築家も芸術家の内ではあるが、 ここでは画家や作家の総称として使わせていただく。
先日鑑賞した東郷青児展では石本喜久二が、 また吉田博展では渡辺仁がその邸宅設計に携わっているのを知った。 このように有名建築家が芸術家の邸宅を手掛けた例は いったいどれくらいあるのだろうか。ざっと調べたのが以下の通り。 ▼有名建築家が設計した芸術家の邸宅
太田喜二郎邸 藤井厚二設計 大正13 京都市上京区 アトリエは太田の設計で採光に拘った作り 東郷青児邸 石本喜久二設計 昭和6 世田谷区代沢 現存せず インターナ���ョナルスタイルの「白い家」 吉田博邸 渡辺仁設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず ステンドグラスなどの内装は吉田もデザイン 三岸好太郎 山脇巌設計 昭和9 中野区上鷺宮 バウハウスに学んだ山脇のモダニズム建築は 近隣から「お豆腐の家」と呼ばれていた 安井曾太郎邸 山口文象設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず アトリエのみ 設計にあたり多くの注文があり苦心した様子 前田青邨邸 山口文象設計 昭和11 鎌倉市山ノ内 純和風建築 山奥の寺院の中にあり非公開だが現存する 林芙美子邸 山口文象設計 昭和16 淀橋区下落合 現・林芙美子記念館 数寄屋造の和風建築 林は新居建設の為に建築を学んだ 上村松園邸 西澤文隆設計(坂倉準三建築研究所) 昭和22 奈良市山陵町 現・唳禽荘(れいきんそう) 岡本太郎邸 坂倉準三設計 昭和28 港区南青山 現・岡本太郎記念館 �� 岡本と坂倉はパリ留学中より親交があり、その後も協同 吉村益信邸 磯崎新設計 昭和32 新宿区百人町 住居兼アトリエ 前衛芸術集団「ネオダダ」の拠点となった 通称・新宿ホワイトハウス 現・Chim↑Pomアトリエ 東山魁夷邸 吉村順三設計 昭和28 千葉県市川市 東山の依頼に基づいた簡素な住居 猪熊弦一郎邸 吉村順三設計 昭和46 大田区田園調布 RC造3階建ての二世帯住宅 非公開 赤瀬川原平邸 藤森照信設計 平成9 町田市玉川学園 通称・ニラハウス 竣工時は屋根にニラがなびいていた その他、数多くの日本画家の邸宅・画室の設計に携わっているのが 吉田五十八で、近代数寄屋建築が日本画の制作環境に馴染み、 好まれていた事が伺える。 ▼吉田五十八が設計した邸宅・画室
鏑木清方邸 昭和7 牛込矢来町 旧居 現存せず 昭和29 鎌倉市雪ノ下 新居に五十八が設計した画室を再建 現・鏑木清方記念美術館 小林古径邸 昭和9 大田区南馬込 平成5解体 新潟県上越市に移築 現・小林古径記念美術館 川合玉堂邸 昭和11 新宿区牛込若宮町 現存せず 山川秀峰邸 昭和11 品川区下大崎 画室のみ 現存せず 昭和18 中郡二宮町 別邸 現・旧山川秀峰・方夫邸 山口蓬春邸 昭和14 世田谷区祖師谷 旧居 現存せず 昭和23 三浦郡葉山町一色 画室など増改築 現・山口蓬春記念館(改修は大江匡) 梅原龍三郎邸 昭和27 新宿区市谷加賀町 画室のみ 山梨県清春芸術村に移築 昭和33 同地に新居���建設 その後は不明 吉屋信子邸 昭和37 鎌倉市長谷 現・吉屋信子記念館
ご覧の通り芸術家と建築家の結び付きは強く、 古くはジョサイア・コンドルが河鍋暁斎に師事して日本画を学んでいるが、 もしもコンドルが暁斎邸を設計していたら…なんて想像するのも一興哉。 コンドルの例は兎も角、公共建築に於いては両者の協同も多い。 (例)丹下健三・黒川紀章・谷口吉郎 などの建築家と 岡本太郎・猪熊弦一郎・イサム・ノグチ などの芸術家
元々建築デザイナーも絵描きのうちで、図案や家具、 公共デザインを手掛ける建築家も少なくはないし、 たまたま創作のジャンルが異なっただけのことなのかもしれない。 モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエは優れた画家でもあった。 その一方で、芸術家が自ら建築設計してしまう例もある。 ▼芸術家が自ら建築設計
岡倉天心 明治38 北茨城市大津町五浦 観瀾亭と称する六角堂を設計 東日本大震災で起きた津波により消失 その後再建 橋本関雪 大正3 - 5 京都市左京区 自邸・画室・庭園を設計 現・白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念館 画室は存古楼(ぞんころう)と名付けられた 昭和6 - 7 持仏堂・茶室群を設計 庭園はその後も拡張される 横山大観 大正8 台東区池之端 自邸を設計 東京大空襲で消失 昭和29 同地に新居再建 内装も設計 現・横山大観記念館 旧宅及び庭園が国の史跡及び名勝に指定されている 坪内逍遥 大正9 熱海市水口町 自邸を設計 現・双柿舎(そうししゃ) 山元春挙 大正10 大津市中庄 琵琶湖畔に別邸を設計 現・記恩寺 蘆花浅水荘(きおんじ ろかせんすいそう) 安田靫彦 大正11 三島郡出雲崎町 良寛堂を設計 昭和3 中郡大磯町 自邸を設計 現存せず 昭和6 中郡大磯町 安田善次郎別邸(寿楽庵)庭園内 経蔵・持仏堂・平唐門等を設計 昭和9 伊豆市修善寺 新井旅館 天平大浴堂・花の棟・吉野の棟・観音堂を設計 朝倉文夫 昭和3 - 10 台東区谷中 自邸・アトリエを設計 8回に及ぶ増改築と7年の歳月を掛けて完成した 現・朝倉彫塑館 中庭と屋上庭園が国の名勝に指定されている 柳宗悦 昭和10 目黒区駒場 栃木の農家から長屋門を移築し自邸を設計 昭和11 民衆的工芸品展示の為、同地に日本民藝館を設計 河井寬次郎 昭和12 京都市東山区 自邸兼仕事場を設計 鐘溪窯と名付けた登り窯を付設 現・���井寬次郎記念館 川端龍子 昭和13 大田区中央 画室を設計 昭和23 - 29 同地に自邸を設計 増改築を経て完成 昭和35 伊豆市修善寺 新井旅館 改装工事監修・玄関を設計 昭和37 大田区中央 自作展示の為、龍子記念館を設計 堂本印象 昭和41 京都市北区 自作展示の為、堂本印象美術館を設計
芸術家の美意識が詰まった建築は、個性的でとても興味深い。 素材や意匠など細部に渡って拘りが見え、空間表現も巧みだ。 日本画家の巨匠である安田靫彦と川端龍子は自邸以外の設計も手掛けており 両者の建築コラボレーションが伊豆修善寺・新井旅館を改装する際に、 時を経て実現している。
20220108<加筆修正> 日本画家 橋本関雪・山元春挙を追加
21 notes
·
View notes
Text
アンドロメダの子宮に/胚胎する永遠の愛のくらやみ/終りはまだ無限につゞくらしい/種子のない風が吹いている
(西脇順三郎/第三の神話)
0 notes
Text
日曜から今にかけての日記
数時間ののちに社会的な月曜日がくれば、私は朝から出社して社会的人間として賃金をもらうだけの仕事をこなさねばならないのだが、そしてその仕事がもたらす体力の著しい消耗に備えるべく今はもう眠っている必要があるのだが、心が、どうしてもそれに慣れない。従わない。社会的「��き」に付き従って生きていくことがどうしてもできない。それで、日曜の深夜に日記を書いている。
私の社会性は低くはない。社会に要請される様々な「かくあるべし」をかなり上手にこなしている方だと思う。自分の意志を曲げることなく社会に応じているこの状態は器用と言うほかない。幸運と言うこともできるだろうが、その幸運を掴むために尽力を惜しんだことはない。
土曜、絵画を観た。打ちのめされた。日曜、映画を観た。くだらなかったが、打ちのめされた。この週末は本をたくさん買った。すべて読まなければならない。読むのは苦手だ。無数の本を読み込んできたが、読書の歓びをいまだ知らない。
読書の歓びってどこにあるんだろう。私は本を読むのが苦手だ。何度言っても誰も信じてくれないが、私は本を読むのが本当に苦手なのだ。この世には無数の本があり、それらがもたらす無限の知は私の手に負えるところではない。全ての本を読みおおせなければ本について語ることなどできやしないのに、社会は、本について理解し本質を語れと急かしてくる。何もわからない。何も、何もわからない。私には何もわからない。だって読めていないのだ。この世の全ての本を読めていない。私に語れることなど何もない。
性行為が発生すると助かる。私の不甲斐なさを払拭してくれる。私がこの世の全ての本を読めていないことを、性交は詰らない。このテンプレートな女体があればとりあえず成立することは癒しである。ただ私がここに肉体をもって生まれてきたことだけがその場の価値となり、理解も無理解も、思想も主義も、ためらいも慎ましさも、知も言葉も、謙虚すら、その場では無効なものとして葬り去られる。私が浅ましい無知なる者であることを、その一瞬は忘れさせてくれる。泥人形である肉体がどうなったところで構わない。どんなに傷つけられても構わない。求められる理由もどうだっていい。眠っている時よりも楽だ。眠れば悪夢が私を苛むが、性行為は感情を無にしてくれる。そのあいだだけは自己存在を責め立てずにいられる。
束の間の休息。ほんとうに束の間の、逃げに過ぎない休息。遠からず老いて、この肉体が誰の目にも魅力的に映らなくなり、求められなくなった時、私は発狂してしまうのかもしれない。ほかに逃げ場を持たないこの生がどうなってしまうのか、日々怯えている。そんな怯えはばかげていると誰もが言うだろう。人間的でないと糾弾するだろう。知の堕落だと言うだろう。しかし、それならば、私の生を試しに生きてみろと反撥する。お前が私の生を生きた時、何にも縋らずにこの狂おしさに耐えられるのか?
生に真摯であることは私の誇りだが、苦しみながら生きることをやめさせてくれないのは社会がそう強いているからだ。明日のために眠る。自殺と変わらない。
鳥の頭が潰れる様を見る時、人はどう思うだろう。
いつか、焼かれた小鳥の頭を自身の歯で噛み潰すことを強いられた。神事の一環であるからと、500円で買った小鳥の丸焼きを飲み込むことを当然として強いられて、私は吐いてしまったのだった。同伴してくれた友人がかわりに食べてくれてことなきをえたが、私は鳥の脳を、頭を、食べることが自身のことわりに反することだと強く感じた。羊の脳を食べられなかった時も同じだ。その者の思考を司っているだろう部位を食することは、殺戮よりもなお罪深いことだと思った。
死後、私の脳が食べられたとしたら、どうだろう。それは耐えられない屈辱なのではないか。
屈辱。それだけを糧に生きている気がする。
酒が必要だ。酒がなければ生きてゆかれない。酩酊し、脳を破壊し、自己憐憫を許す状態をもたらしてくれるのは酒だけだ。酒がなければ私は、常に自分の至らなさに苛まれていなければならない。神経症だと笑うがいい。お前の愚鈍さを生きるくらいならアルコール中毒で死んだ方がましだ。私を手放したいという望みを叶えたいと常に欲望している一方で、私を手放したくないと頑なに抱きしめてもんどりうっている、この矛盾を笑いたければ笑えばいい。笑うなら私の目の前で笑え。鉈でお前の頭をかち割って殺す。
美しい文章を書きたい。生きなければならないのなら、せめて、美しいものを生みたい。それが私のすべてであるが、叶わない。
先日、美しい男に「あなたは何か書かないのか」と尋ねられた。その男は15歳というまだ何もわからなかった頃から付き合いのある友人で、中性的な美貌と穏やかな物腰と社交性の高さから、思春期を暮らしていたあの頃、だれもが彼を求めていた。だれもが彼を捕まえたがっていた。だれもが、彼を自分のものにして、特権的な立場を得たいと思っていた。へらへらと笑って躱して、彼は誰にもなびかなかった。
私は彼よりも少しだけ学業成績がよく、そのことが彼の憧れのまなざしを得る所以だった。私たちは田舎の土地で切磋琢磨しながら同じ大学を目指す同志だった。男女問わず人気のあった彼であったが、それは本人にとってはどうでもよいことだったようで、私より一年おくれて結局は別の大学に入ってからと言うものの、浮世離れがひどく、「人気者の」という彼に付随していた冠詞は彼の望みどおり取り払われた。
あの人気は、「何も考えていなかったから」得られたものだったと、大人になった彼は言っていた。
十年の月日を越えて、私たちは再会した。十年の月日を越えても、私は彼を愛していた。浮世離れしている彼は、私がインターネットで文章を公表��ていることを知らないまま、詩の研究者になりはてていた。あの頃同じ環境で勉学に勤しんでいた別の男は私の文章の存在を知っていて、激奨してくれる。予定をあわせて三人で鮨屋で集ったとき、私の文章の話になったが、「何のことだかさっぱりわからなかった」と、後日二人で出かけた折に彼が打ち明けてくれた。
長くなった。何が言いたいかと言うと、私の文章を知らない者が、私の書く文章に期待してくれていることに感動し畏縮したという話だ。
詩を研究するとは恐ろしいことで、彼はいまや日本語で記述される芸術のほとんど全てに精通している研究者である。そのような者に、「書かないのか」と言われて、「書くつもりだ」と返してしまったのは、今となっては軽率なことだったと頭を抱えている。「小説を書くのだ」と話してしまった。日記なので、この「頭を抱えている」ということを書きたくて、これまで冗長な説明を加えた。
私の知能を憧れをもって眺めている人間を、私(とあいつ)の会話に畏敬の念を抱いてやがてアカデミアに人生を振ることにした人間を、その上で西脇順三郎で立派な論文を書いた人間を、納得させるだけの小説を書けるかというと、私にはまったく自信がない。
毎日、どうしよう、と思っている。私の文章を読んでくれて、小説も書いてほしいと望んでくれる人の要請とはわけがちがう。私は、宣言してしまったことによって、彼に「さすがだ」と思わせるものを書きおおせなければならない状況にみずからを追い込んでしまったのだ。西脇研究者に「さすがだ」と言わせるものなんか、書けるわけがないのに。
日々、めちゃくちゃ辛くて、酒より煙草が進んでいます。でも、「にゃんばります」って言ったら、「にゃんばってください」って返してくれたの。君は相変わらずマブいぜ。君のマブさを今もってわかるのは私しかいないぜ。君のマブさに愛を捧げているぜ。これからも君は私のマブだぜ。君の期待に応えるだけの小説を書くしかないと思ってるぜ。君が「すばらしかった!」って言ってくれたら、自信がなくて卑屈さが邪魔して君を好きだと言えなかった18歳の私が「好きだ」ってようやく言える気がするぜ。おわり。
3 notes
·
View notes
Photo
📸豪商の館 西脇邸庭園 / Nishiwaki-tei Residence Garden, Ojiya, Niigata ② 続き。そんな小千谷の名家・西脇家(文化財名では「旧西脇家」だけど、今も西脇家関連の企業の所有)。 . 小千谷のメインストリート🏘に建つ主屋も江戸時代中期の建築で貴重なのですが、施設としてはメインの建築になる離座敷の設計者が文化財級の近代建築を多数残している曽禰達蔵と中條精一郎! 中條精一郎は『上杉伯爵邸』も手掛けてるけど、曽禰達蔵の近代和風建築としては貴重。 . 1918年(大正7年)に建築された離座敷、残念ながらまだ文化財指定のための調査中?とかで中に上がることはできないのですが…まずフォルムが美しいし、外から見える範囲で欄間の花鳥図や中華風?の意匠が加わった床の間など素晴らしい近代和風建築。 . その離座敷から見渡せる池泉回遊式庭園。江戸時代からある庭園なのか、離座敷と同じ近代の庭園なのか…パンフレットではわからなかったけど、離座敷〜苔庭へと続く露地庭らしい雰囲気は大正時代にあわせて作庭されたものかな。 苔庭の中に手水鉢や沓脱石が途切れる所があったりして、かつては茶室もあったのかなあと。 続く。 . 新潟・豪商の館 西脇邸庭園の紹介はこちら☟ https://oniwa.garden/nishiwaki-residence-ojiya/ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #mossgarden #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #庭院 #庭园 #近代建築 #近代和風建築 #新潟旅行 #小千谷 #ojiya #にいがた庭園街道 #庭屋一如 #西脇順三郎 #おにわさん (旧西脇邸) https://www.instagram.com/p/CdcHQSsvggJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#japanesegarden#japanesegardens#kyotogarden#zengarden#beautifulkyoto#beautifuljapan#japanesearchitecture#japanarchitecture#japanarchitect#japandesign#jardinjaponais#jardinjapones#japanischergarten#jardimjapones#mossgarden#建築デザイン#庭園#日本庭園#京都庭園#庭院#庭园#近代建築#近代和風建築#新潟旅行#小千谷#ojiya#にいがた庭園街道#庭屋一如#西脇順三郎#おにわさん
2 notes
·
View notes
Text
2023/07/16
BGM: Silent Poets, Terry Hall - Sugar Man
今日は休みだった。朝、ZOOMを立ち上げて発達障害を考えるミーティングに参加する。そこで発達障害についてあれこれ話し合う。ぼくの知り合いであるロシアのビクトリアさんが抱えておられる問題・お悩みについても話し合う機会を設けてもらった。時間の都合上彼女が抱えておられる問題をすべて話し合えたわけではなかったけれど(ごめんなさい)、どうやって自分が発達障害であるとわかったのかについて各メンバーから話を聞けたのは収穫だったと思う。ぼく自身のことを言えば、ぼくは子どもの頃から「授業中じっとしていられない」かと思えば「読書が好きな変な子(だって、周囲はワイワイ野球などに興じていたのだから)」だった。そして中学生の頃はこの奇異なパーソナリティの特性ゆえに、ラジオのヒットチャートをノートに記録することにハマったりしていた(発達障害の人はこうした「凝り性」「マニアック」な特性を往々にして持つものだ)。そんな子が十代の頃、クラスでどんな風に見られるかはご想像の通り。ずいぶん「はみ子」にされてつらい思いをしたっけ。ぼくも「自分は一生友だちなんてできず、恋愛も結婚もできず孤独に生きるしかないんだ」と(まだ十代だったくせに!)思い込んでいたのだった。
でも、ぼくにしても他のメンバーにしても「ほんとうにつらい時期」に入ったのはむしろそんな学生時代ではなく「大人になってから」「学校を卒業してから」ということになるのかもしれない。学生時代は教科書に沿って学んでいれば、極端な話をすれば「友だちがいなくても」「孤独でも」なんとかなるところがある。いい成績を取れば……でも、大人になってしまうと仕事や私生活で「教科書がない状況」「頼れるものがない状況」に出くわすことになる。そんな時、学生時代に孤独に生きて自分の世界に閉じこもってしまって生きていた発達障害者はしたがって「挫折経験」「失敗」を積んでいないため「脆い」「弱い」とも言える。ぼく自身、高校生の頃のことを思い出すとずっと帰宅部で孤独に村上春樹を読んですごしていたので失恋などで挫折を積むこともなかった。大学に入ってからも、アルバイト経験を持たなかったのでしたがって社会で「揉まれた」こともなかった。そのせいもあって就職に失敗してずいぶんつらい思いをした……というような話は他のメンバーからも出てきた。語弊があるが、「どう失敗するか」「どう自分の限界・輪郭を見極めるか」が発達障害者がサヴァイブする上で重要なキーワードになりうるのではないか、と思う。
ミーティングがはねた後、昼ごはんを食べる。その後、近所にできた喫茶スペース「本の蔵」というところにおじゃまさせてもらった。そこはぼくの町が生んだ作家・竹内和夫(芥川賞の候補にもなったそうだ)の蔵書が公開されているところだった。ぼくはそこでアイスコーヒーとお菓子を注文して、そして今日の詩を書いた。そうしているとお店の人がぼくが書きつけている英語に興味を持って下さった。実を言うとぼくは自分の詩をプリントアウトしていたので、それをはた迷惑にもそのお店の人にお見せしてしまった。そして自分の来歴を語る。学生時代、アメリカの詩を学んだことがあることを話したりあるいは詩を書き始めたきっかけとして谷川俊太郎の詩を読んでいて「自分でも書いてみたい」と思い始めたということを話したり……本棚にある本はぼくの知らない本ばかりだった。「こんなすごい読書家がぼくの住む町にもおられたのか」と唸った。と同時に、そこに展示されている絵画にも興味を持ちいろいろ掘り下げて質問してしまった。また行ってみたい。コーヒーもお菓子も美味しかった。そのお店の人のご好意でぼくの書いた詩を置かせてもらった。それに関して深く感謝し、ここに記しておきたい。
夜、西脇順三郎の詩を読んだりして時間を過ごす。その後、英会話関係の別のミーティングにZOOMで参加する。そこでまたアメリカのホームドラマを観て英語を学ぶ。今回、「18歳という年齢で『結婚』を考えるのは早いか否か」という話題で盛り上がった。ぼくは実は優柔不断にも「何とも言えないな(ぼくは18歳の頃はずっと『こんな人生うんざりだ』と思っていたので)」と考えていて、すると司会の方が「どう思いますか?」とにこやかに振ってこられたので、焦ってしどろもどろになってしまいつつ何とか「いや、『結婚』の決意を固めるのはいいことだけれど解決すべきこととして収入をどう得てどう結婚生活を築いていくかも考えないといけないと思う……」と返答した。そんな意見が自分の中から出てきたことにぼく自身が驚き、そして「もしぼくにも子どもがいて、その子どもが『結婚したい』と言い始めたら��対したりしたのかな」とも思った。いやはや、だとしたらぼくもずいぶん「保守的」な人間になったものだと思う。18歳で選挙権を得ること、自己決定の経験を積むことを一方で奨励したいと思いつつそうした「保守的」な気持ちをも持ち合わせて生きている。矛盾かもしれない。十代の子からは「それは欺瞞だ」「あなたのような大人は汚い」と言われただろうか、と思ったりした……。
1 note
·
View note