公演のお知らせ
このたび17番劇場は本編とは別の形でのサテライト公演として “麗しきドミナントの夜”を企画、上演する次第となりました。
#1 の作品として、舞踏家の細田麻央ソロダンスをお届けいたします
本公演ではテキストに西脇順三郎の詩集『近代の寓話』より「アン・ヴァロニカ」という作品を取り上げ、西脇の詩を演者である細田麻央がイメージして音読し、その音声をもういちどステージで再生して、音声としての詩に触発された踊りの表象を試みようとするものであります。
「詩としての身体、身体としての詩」あるいは詩の言葉の向こう側と、踊りという表現スタイルの向こう側に何が見出されるのか? ぜひお立ち合いただければ幸いに存じます。
古い音楽喫茶店で定員20名様になります。ご来場の際はご予約をお願いいたします。
【17番劇場 PRESENTS 麗しきドミナントの夜 #1 】
阿佐ヶ谷ヴィオロン
2024年10月11日(金) 19時開場/19時30分開演
「アン・ヴェロニカ」
◆踊り 細田麻央
◆演出 川口一史
◆音楽 蓼沼明子
◆テキスト 西脇順三郎
◆制作 櫛笥 剛
◆企画・製作 17番劇場
◆会場
阿佐ヶ谷ヴィオロン
東京都杉並区阿佐谷北2-9-5
http://meikyoku-kissa-violon.com
03-3336-6414
◆料金 1,000円 (1ドリンク付)
◆ご予約・お問い合わせ
17番劇場
080-0706-7234
【Project announcement】
We will have a small showcase performance on October 11th at Violon, an old music cafe in Asagaya, Suginami-ku, Tokyo.
1 7 t h e a t e PRESENTS
BEAUTIFUL DOMINANT NIGHT #1
Mao Hosoda solo dance “Ann Veronica”
Opens at 19:00 / Starts at 19:30 on Friday, October 11, 2024
◆Dance
Mao Hosoda
◆Directing
Hitoshi Kawaguchi
◆Music
Akiko Tadenuma
◆Text
Junsaburo Nishiwaki
Produced by Tsuyoshi Kushike
◆Price 1,000 yen (with 1 drink)
◆Reservations and inquiries
17theatre
080-9706-7234
◆Venue Asagaya Violon 2-9-5 Asagaya Kita, Suginami-ku, Tokyo
Please make a reservation for a capacity of 20 people.
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今週末の土日に開催される「グラウンド・レベル・シネマ」に初参加させていただきます。過去作『東京節2020 - This Is Tokyo - 』がBプログラムにて、27(土)15:50〜、28(日)17:20〜上映予定です。よろしくお願いします。
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イメージフォーラム・シネマテーク No.1073
グラウンド・レベル・シネマ Vol.4.5
GROUND LEVEL CINEMA 4.5
日本 ー 台湾
イントロダクション
2020年代に新たなインディペンデントシーンを作るべく、日本と台湾のfresh!!!な映像作家たちが国境、世代を超えて、同日、同時刻に作品を上映するリアルイベント<グラウンド・レベル・シネマ>
拝啓 この夏をどう過ごすのか? 海か? 山か? もしくはフェスに行くとか? だがカネの無い奴、友達がいない奴、居場所の無い奴ら は何処に行けばいいのか? とりあえず7/27、28 渋谷に集合だ。誰からも頼まれもしないのに勝手に映画を作ってるイカれた連中が待っ ている。きっと探してる何かが見つかるかも知れない(保証はしない)夏休みを涼しい暗闇の中(これだけは保証する)で過ごすのも 悪くないと思う。だってこの場所にはあの「寺山修司」の名前が付いてるんだぜ!熱帯化する渋谷の片隅から世界の皆様へ。 敬具
(グラウンド・レベル・シネマ運営委員会)
※各上映終了後に日本側作家によるアフタートークを行います。
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■日程 Date
2024年7月27日(土)-7月28日(日)
Saturday, 27th, July - Sunday, 28th, July 2024
【open】13:30 【screening】14:00 【close】19:30(予定)
各日3プログラムの入れ替え制
■会場 Venue
シアター・イメージフォーラム 3F「寺山修司」
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-10-2
Image Forum 3F "Terayama Shuji"
2-10-2, Shibuya, Shibuya-ku
■タイムテーブル Timetable
7/27
14:00 A Program
15:50 B Program
17:20 C Program
7/28
14:00 C Program
15:50 A Program
17:20 B Program
■Ticket
当日受付
1プログラム券:一般700円/会員500円
3プログラム券:一般1,500円/会員1,200円
1 program ticket/General 700 yen, Members 500 yen
3 program ticket/General 1,500 yen, Members 1,200 yen
ご来場のお客様へ
・満席の際にはご入場をお断りする場合がございます。あらかじめご了承下さい。
主催:グラウンド・レベル・シネマ運営委員会
共催:イメージフォーラム
協力:株式会社ダゲレオ出版
https://www.imageforum.co.jp/cinematheque/1073/index.html
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▶Program A
△ (in progress) / △
Lin Shih-Chieh & Yeh Che / リン・シージエ & イエ・チエ / 7min.
Bi-Kei / 微景
Tatekawa Kiyoshiro / 立川 清志楼 / 7min.
Tata Cuts Down the Timescape / ター爺さん、時間を切る
Chen Chun-Tien / チェン・ジュンディエン / 9min.
Tata Picks Up the Landscape / ター爺さん、風景を拾う
Chen Chun-Tien / チェン・ジュンディエン / 5min.
My room moon
Nozomi Hirai / 平井 望 / 3min.
((( OTO )))
atsuko uchiyama / 内山 涼湖 / 18min.
Deadline / 死線
Daz Yang / ヤン・ヨンシュエン / 2min.
Monochrome Radiance / 単色照明
Hsu Chun-Yi / シュー・ジュンイー 16min.
protein / タンパク質
Naohisa Uchiyama / 内山 尚久 / 5min.
Jouhatsu Letters - Johan⇔Kudo / 蒸発書簡
Masa Kudo & Johan Chang / 工藤 雅 & 張若涵 / 13min.
The Silence of Sirens (in progress) / セイレーンの沈黙
Tzuan Wu / ウー・ズーアン / 5min.
▶Program B
1-2(2-1)
An Hsu Hung / ホン・アンシュー / 5min.
Parallax / 視差
Hsin-Yu Chen / チェン・ションイー / 9min.
Koigokoro II / 恋心II
Anna Fujii / 藤井アンナ / 5min.
False Expectations / (不)期待傷害
Erica Sheu / エリカ・シュー / 7min.
in the autumn of 2009 / 2009年、秋の会話
Kisawa Koki / 木澤 航樹 / 20min.
ave Walls. Eyes have Doors / 耳ニ壁アリ目ニ障子アリ
Ippei Nakao & Karu Miyoshi / 中尾 一平 & 三好 彼流 / 5min.
Flamegazing / 火を観る
Yen Wang-Yun / イエン・ワンユン / 8min.
One Two Three / ワン・トゥー・スリー
Yukiko Nishino / ニシノ ユキコ / 8min.
Light year return / 1億光年キロ
Seiichiro Okuma / 大熊誠一郎 / 10min.
This is Tokyo - TOKYO-BUSHI2020 / 東京節2020
MurakamiLoki / ムラカミロキ / 4min.
scenery movie
SAYO x Yasuaki Ishikawa / SAYO x 石川泰昭 / 6min.
▶Program C
Daytime Cycle Noon
Takaki Matsuda / 松田 天樹 / 4min.
Political mysophobia / セイジミゾフォビア
Johnny HUNG / 8min.
Lüshun Entry Ceremony(Ryojun Nyujo-shiki) / 旅順入城式
Kenji Kadowaki / 門脇健路 / 8min.
The Night Surge (in progress) / 夜の騷ぎ
Hsu Hai-Wen / シュー・ハイウェン / 9min.
My way of celebrating new year / お正月の過ごし方
Yijean WANG / ワン・イチェン / 15min.
Silent Noise room / 聴視空間
Nishiyama Tomoki / 西山 知希 / 5min.
Presence Undefined / 未定義な。存在
Lichun Tseng & Lam Lai / ゾン・リージュン & リン・リー / 17min.
Reflection / 光が私の目を刺す
Irene Lin / リン・ウェンリン / 8min.
nonsense diary / 東京デタラメカメラ日記
MIKIHARUKA / 三木 はるか / 15min.
※タイトル、上映時間等に変更が生じる場合があります。
■作者コメント
▶Program A
△ (in progress) / △
惑星探査隊が地球に到着し、△計画を実行した。時間波形のスキャン技術を用いて、地球全体のデータを取得するのだ。その中身は地層や、海洋、気候、種、および人類の過去の集団潜在意識、並びに地球文明消失の原因解明にまで及ぶ。この資料映像は、△計画データ投射の圧縮解除のためのものである。
Bi-Kei / 微景
被写体と光と時間の推移、固定カメラで撮影した画像に音響を追加。
微妙に変化する表層と音響を体感する作品。
映像から単一の意味しか受け取れないならば、その映像はまさしく無意味となるだろう。
そこに作家の意図など到底及ばない世界が広がっていなければ作品として成立しない。
映像は決して記号では無い。記号から遥かに、あふれ出てしまう。
あふれ出たものこそ、映像の個性であり本質である。映像は言葉に逆らう。
言葉をはねのけ、映像が自立するときこそ、作品が完成するときだ。
Tata Cuts Down the Timescape / ター爺さん、時間を切る
キドラット・タヒミックは台湾北部にある有名なUFOの聖地を訪れる。突然何か不思議な力を受け、彼は50年前の自分との間にある種の共鳴を得る。大航海時代と拭えない植民主義、西方と東方、フィリピンと台湾、今のター爺さんと若いター爺さん、境界はぼやけ、情勢は曖昧になる。
Tata Picks Up the Landscape / ター爺さん、風景を拾う
キドラット・タヒミックが空っぽの携帯を手に台湾へやって来た。台湾にいる間、彼は何処でも常に携帯で記録し、去る前夜には、メモリーはもういっぱいになった。彼はこれらの素材を私に託した。私は膨大で雑多な素材との対話を試みる。
My room moon
空を、水中を。私の両の球は泳いだ。闇から光へ。無から有へ。角から球へ。
水を感じる。私の鼓膜を揺らす波動も。
一体私は何処から来たのだろう。この精神を育んだのは何奴か。
これに対する私の思考は空と水中を彷徨い、結果、球を見つけた。
見つけたのではなく現れた。眩く多色の閃光を放つそれは、私の心身を照らし、透過し、暴いた。
私は水の中へと逃げ込んだ。屈折した光は私には届かないだろう。
しかしそれが全ての始まりの一手となった。
これはあの閃光の温もりを知るまでの、私の成長物語第一巻。
((( OTO )))
友達のオトと言う名の男の子に「オオカミになりに行こー」と誘われ
居合わせたターザンと一緒に、山を登り岩の上で3人で吠えた。
そこから音開きの旅がはじまる。
Deadline / 死線
また来る30日、毎日がデッドライン。
Monochrome Radiance / 単色照明
列車が駅に入り、花火が光る時、人々はシャッターで世界のシワの端を測定する。すべての過ぎ去った時間は、ブラックホールの眠りに合わせて消え、静止した単色の壁画にと変わる。毎回の記憶は何かを思い出すわけでもなく、ただ偶然にその局部を照らすだけだ。暗い部屋における、静電気の火花のように。
protein / タンパク質
それは人類にとって、救世主となるのか、それとも・・・
映像は、全てスーパーマクロレンズで撮影しました。
使用機材・Canon EOS R6・ZHONG YI OPITCS FREEWALKER 20mm F2 SUPER MACRO 4-4.5:1
BGMは、全てコオロギの鳴き声だけを加工して作ってみました。
使用機材・SOMA LYRA-8 :FILTER PART ・SOMA COSMOS・strymon NIGHTSKY・TASCAM DR-40X・iPod classic
Jouhatsu Letters - Johan⇔Kudo / 蒸発書簡
2021年、コロナ禍で互いに往来が難しい中で、日本と台湾に住む映像作家は、相手から送られてきた映像の音や画を引用して返信するというルールで往復映像書簡を始めた。どこかへ逃避したいという蒸発の願望から日常の旅をしていた二人は、お互いに心象風景を交換しながら新しい実験を試みる。
The Silence of Sirens (in progress) / セイレーンの沈黙
ある種のイメージの発生学を想像してみる:セイレーンが画面の表面の後ろで警報を唱えている。点滅する波の下で都市は徐々に沈没し、次第にぼやけてくる。二枚貝は気泡を吐いて漂い、気泡からは蜃気楼がほとばしる。人魚は泡になり、だんだん暗くなり、世界は球体の中で旋転する。
*本作はセイレーン・プロジェクトの二本目となる短編で、プロジェクトは継続して発展中。
▶Program B
1-2(2-1)
フレームの観察を続けながら、運動と制御不能の間で、極端にコントロールしたいという欲望を実行しようと試みる。
Parallax / 視差
外界から自分をアンカリングする過程。
Koigokoro II / 恋心II
「仕草」として感情的に眺めた動作を、純粋な「動作」として再認識するように実験する。
False Expectations / (不)期待傷害
女の子は満月に願いを込める。ドキドキ、キラキラした気持ちをもう少し心に留めておけますようにと。すると、次の日の昼、月の精が彼女のカーテンの隙間から部屋に入ってきて、こっそり人形に替わり、彼女に寄り添うのだった。
本作は本来3チャンネル・16ミリフィルム投影の作品。
in the autumn of 2009 / 2009年、秋の会話
世の中で彼だけができることと、いつだって瀬戸際の社会で交わされてきた会話の記録。
ave Walls. Eyes have Doors / 耳ニ壁アリ目ニ障子アリ
有象無象に紛れて部屋は生き、私たちの体と感情はバラバラになる。母性に媚びるなど迷惑千万。
ある日それは現れ、触れる間も無く消えてゆく。
懐かしい気持ちも置き去りに。
身体表現を用いつつも無機質さを意識して、部屋に閉じ込められた感情の拠り所を模索しながら制作しました。ストップモーションです。
パフォーマンスアーティストの三好彼流との共作です。
Flamegazing / 火を観る
再発見したホームビデオテープ、2つの葬式。
One Two Three / ワン・トゥー・スリー
リズムから外れてはいけない。ここに居る人々は現実に存在しているのか、もしくは存在していないのか。
Light year return / 1億光年キロ
運命という言葉は嫌いだ。この文が何度も利用されていることは承知の上だが、嫌いなものは嫌いだ。
ただ振り返るとどうしてもロジックで説明できなものも確かにそこにある。そのどうしようもない状況に私は悶々とする。
世界は常にカーブを投げ続けてくる。あたふたせずにただ走りたいものだが。
流星が地球に落ちる瞬間を目にすることはあるだろうか?生きている間に一度はあってほしいものだ。
This is Tokyo - TOKYO-BUSHI2020 / 東京節2020
都市・東京は江戸時代以降、日本の中心地として繁栄し、現在も首都として多くの重要機関が集められている。大正7年にその情景を歌う形で発表され、その後も多くの人に愛され、リメイクされ続けてきた「東京節」の令和時代における最新版。オリンピックにカッパライ、一体この街、何処へ行く。
イメージフォーラム・フェスティバル2020 ヤング・パースペクティブ 入選作品
scenery movie
”日常のようでいて、誰かの感性を通したようなキラキラした世界。
魅力的な音楽に乗せてその景色が一人の男の心も彩っていく。
ambientとしても楽しめる作品。”
▶Program C
Daytime Cycle Noon
コンクリートだらけの都会で生活をしていると、どうしても自然を求めてしまう。かといって旅行に行ってシャッターを切ったりしても写るのはいかにも日本の田舎の風景といった感じでどうも求めているものとは違うのだ。絵画のような自然の風景を自分の映画に取り込みたいと思って作った。
Political mysophobia / セイジミゾフォビア
不満はあるのか?近所に対する不満がある!あそこの定食屋の値上がりに不満がある!台風で大雨なのに会社に行くことも不満!社会に、出来事に対して不満がある!ある!!あるんだよ!!!それ、根本的に解決するなら●●じゃないの?
●●がダメだからじゃないの?●●と言っちゃいけないのか。
●●を避けられるもんなのか。
Lüshun Entry Ceremony(Ryojun Nyujo-shiki) / 旅順入城式
100年くらい経つとさすがにいろんなことが一巡するのだなあと思う今日この頃です。
The Night Surge(in progress) / 夜の騷ぎ
舞踊作品「夜の騷ぎ」と「粼光暗影」の撮影現場での、舞踊のリハーサルと劇場公演の間の曖昧な時間。
My way of celebrating new year / お正月の過ごし方
カメラを回したら、なくなった人たち、ものやことも忘れられない記憶になる。2023年のお正月を迎えて、8ミリカメラで過ごし方を記録した。
Silent Noise room / 聴視空間
聴覚及び視覚による映像体験を試みる。
Presence Undefined / 未定義な。存在
本作は7本の小さな音声映像の作品集である。いつ上映するにあたっても、順序を問わず上映することができる。この作品はひとつの芸術実験であり、視覚と聴覚のレイヤー、色、協調、調性、触覚、元素と空間の異なる反応を探るものである。その共有する芸術語彙の交差と交錯は、この二つの芸術世界の対話と不確定性の微妙な出会いを刺激する。映像は16ミリ映像の創作と実験で、音声は現場での録音と電子音源を使っている。
Reflection / 光が私の目を刺す
妹の一本のフィルムが、映像と故郷に対する私の想像力を動かした。写真は人の性格を表すとよく言われる。しかし私たちが互いの眼差しに介入しようとするとき、わたしたちが写真を記憶の手段のひとつと捉えないとき、2人の共有する風景を改めて一本の映画にしようとしたら、この繋がりは同じ場所にいる私たちをどこへ連れて行くだろうか。
nonsense diary / 東京デタラメカメラ日記
カメラマンの滝本淳助さんと一緒に映画を撮りました。三木はるかとは親子ほどの年の差があります。ちぐはぐな二人で何をやる?何ができる?滝本さんはフィルムカメラの使い手で、三木はるかはビデオカメラを持ち歩くことが多め。二人で同じ場所に行ったらそれぞれカメラに収めるものはおんなじ?ちがう?愛機を手にお出かけしました。さて、どんなものが撮れているでしょうか。または、撮れていないでしょうか。
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近代日本の芸術家とその邸宅を設計した建築家
※以前の記事に不具合があった為、再掲。
建築家も芸術家の内ではあるが、
ここでは画家や作家の総称として使わせていただく。
先日鑑賞した東郷青児展では石本喜久二が、
また吉田博展では渡辺仁がその邸宅設計に携わっているのを知った。
このように有名建築家が芸術家の邸宅を手掛けた例は
いったいどれくらいあるのだろうか。ざっと調べたのが以下の通り。
▼有名建築家が設計した芸術家の邸宅
太田喜二郎邸 藤井厚二設計 大正13 京都市上京区
アトリエは太田の設計で採光に拘った作り
東郷青児邸 石本喜久二設計 昭和6 世田谷区代沢 現存せず
インターナショナルスタイルの「白い家」
吉田博邸 渡辺仁設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず
ステンドグラスなどの内装は吉田もデザイン
三岸好太郎 山脇巌設計 昭和9 中野区上鷺宮
バウハウスに学んだ山脇のモダニズム建築は
近隣から「お豆腐の家」と呼ばれていた
安井曾太郎邸 山口文象設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず
アトリエのみ 設計にあたり多くの注文があり苦心した様子
前田青邨邸 山口文象設計 昭和11 鎌倉市山ノ内 純和風建築
山奥の寺院の中にあり非公開だが現存する
林芙美子邸 山口文象設計 昭和16 淀橋区下落合 現・林芙美子記念館
数寄屋造の和風建築 林は新居建設の為に建築を学んだ
上村松園邸 西澤文隆設計(坂倉準三建築研究所) 昭和22 奈良市山陵町
現・唳禽荘(れいきんそう)
岡本太郎邸 坂倉準三設計 昭和28 港区南青山 現・岡本太郎記念館
岡本と坂倉はパリ留学中より親交があり、その後も協同
吉村益信邸 磯崎新設計 昭和32 新宿区百人町 住居兼アトリエ
前衛芸術集団「ネオダダ」の拠点となった
通称・新宿ホワイトハウス 現・Chim↑Pomアトリエ
東山魁夷邸 吉村順三設計 昭和28 千葉県市川市
東山の依頼に基づいた簡素な住居
猪熊弦一郎邸 吉村順三設計 昭和46 大田区田園調布
RC造3階建ての二世帯住宅 非公開
赤瀬川原平邸 藤森照信設計 平成9 町田市玉川学園 通称・ニラハウス
竣工時は屋根にニラがなびいていた
その他、数多くの日本画家の邸宅・画室の設計に携わっているのが
吉田五十八で、近代数寄屋建築が日本画の制作環境に馴染み、
好まれていた事が伺える。
▼吉田五十八が設計した邸宅・画室
鏑木清方邸 昭和7 牛込矢来町 旧居 現存せず
昭和29 鎌倉市雪ノ下 新居に五十八が設計した画室を再建
現・鏑木清方記念美術館
小林古径邸 昭和9 大田区南馬込 平成5解体 新潟県上越市に移築
現・小林古径記念美術館
川合玉堂邸 昭和11 新宿区牛込若宮町 現存せず
山川秀峰邸 昭和11 品川区下大崎 画室のみ 現存せず
昭和18 中郡二宮町 別邸 現・旧山川秀峰・方夫邸
山口蓬春邸 昭和14 世田谷区祖師谷 旧居 現存せず
昭和23 三浦郡葉山町一色 画室など増改築
現・山口蓬春記念館(改修は大江匡)
梅原龍三郎邸 昭和27 新宿区市谷加賀町 画室のみ 山梨県清春芸術村に移築
昭和33 同地に新居を建設 その後は不明
吉屋信子邸 昭和37 鎌倉市長谷 現・吉屋信子記念館
ご覧の通り芸術家と建築家の結び付きは強く、
古くはジョサイア・コンドルが河鍋暁斎に師事して日本画を学んでいるが、
もしもコンドルが暁斎邸を設計していたら…なんて想像するのも一興哉。
コンドルの例は兎も角、公共建築に於いては両者の協同も多い。
(例)丹下健三・黒川紀章・谷口吉郎 などの建築家と
岡本太郎・猪熊弦一郎・イサム・ノグチ などの芸術家
元々建築デザイナーも絵描きのうちで、図案や家具、
公共デザインを手掛ける建築家も少なくはないし、
たまたま創作のジャンルが異なっただけのことなのかもしれない。
モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエは優れた画家でもあった。
その一方で、芸術家が自ら建築設計してしまう例もある。
▼芸術家が自ら建築設計
岡倉天心 明治38 北茨城市大津町五浦 観瀾亭と称する六角堂を設計
東日本大震災で起きた津波により消失 その後再建
橋本関雪 大正3 - 5 京都市左京区 自邸・画室・庭園を設計
現・白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念館
画室は存古楼(ぞんころう)と名付けられた
昭和6 - 7 持仏堂・茶室群を設計 庭園はその後も拡張される
横山大観 大正8 台東区池之端 自邸を設計 東京大空襲で消失
昭和29 同地に新居再建 内装も設計 現・横山大観記念館
旧宅及び庭園が国の史跡及び名勝に指定されている
坪内逍遥 大正9 熱海市水口町 自邸を設計 現・双柿舎(そうししゃ)
山元春挙 大正10 大津市中庄 琵琶湖畔に別邸を設計
現・記恩寺 蘆花浅水荘(きおんじ ろかせんすいそう)
安田靫彦 大正11 三島郡出雲崎町 良寛堂を設計
昭和3 中郡大磯町 自邸を設計 現存せず
昭和6 中郡大磯町 安田善次郎別邸(寿楽庵)庭園内
経蔵・持仏堂・平唐門等を設計
昭和9 伊豆市修善寺 新井旅館
天平大浴堂・花の棟・吉野の棟・観音堂を設計
朝倉文夫 昭和3 - 10 台東区谷中 自邸・アトリエを設計
8回に及ぶ増改築と7年の歳月を掛けて完成した 現・朝倉彫塑館
中庭と屋上庭園が国の名勝に指定されている
柳宗悦 昭和10 目黒区駒場 栃木の農家から長屋門を移築し自邸を設計
昭和11 民衆的工芸品展示の為、同地に日本民藝館を設計
河井寬次郎 昭和12 京都市東山区 自邸兼仕事場を設計
鐘溪窯と名付けた登り窯を付設 現・河井寬次郎記念館
川端龍子 昭和13 大田区中央 画室を設計
昭和23 - 29 同地に自邸を設計 増改築を経て完成
昭和35 伊豆市修善寺 新井旅館 改装工事監修・玄関を設計
昭和37 大田区中央 自作展示の為、龍子記念館を設計
堂本印象 昭和41 京都市北区 自作展示の為、堂本印象美術館を設計
芸術家の美意識が詰まった建築は、個性的でとても興味深い。
素材や意匠など細部に渡って拘りが見え、空間表現も巧みだ。
日本画家の巨匠である安田靫彦と川端龍子は自邸以外の設計も手掛けており
両者の建築コラボレーションが伊豆修善寺・新井旅館を改装する際に、
時を経て実現している。
20220108<加筆修正>
日本画家 橋本関雪・山元春挙を追加
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日曜から今にかけての日記
数時間ののちに社会的な月曜日がくれば、私は朝から出社して社会的人間として賃金をもらうだけの仕事をこなさねばならないのだが、そしてその仕事がもたらす体力の著しい消耗に備えるべく今はもう眠っている必要があるのだが、心が、どうしてもそれに慣れない。従わない。社会的「べき」に付き従って生きていくことがどうしてもできない。それで、日曜の深夜に日記を書いている。
私の社会性は低くはない。社会に要請される様々な「かくあるべし」をかなり上手にこなしている方だと思う。自分の意志を曲げることなく社会に応じているこの状態は器用と言うほかない。幸運と言うこともできるだろうが、その幸運を掴むために尽力を惜しんだことはない。
土曜、絵画を観た。打ちのめされた。日曜、映画を観た。くだらなかったが、打ちのめされた。この週末は本をたくさん買った。すべて読まなければならない。読むのは苦手だ。無数の本を読み込んできたが、読書の歓びをいまだ知らない。
読書の歓びってどこにあるんだろう。私は本を読むのが苦手だ。何度言っても誰も信じてくれないが、私は本を読むのが本当に苦手なのだ。この世には無数の本があり、それらがもたらす無限の知は私の手に負えるところではない。全ての本を読みおおせなければ本について語ることなどできやしないのに、社会は、本について理解し本質を語れと急かしてくる。何もわからない。何も、何もわからない。私には何もわからない。だって読めていないのだ。この世の全ての本を読めていない。私に語れることなど何もない。
性行為が発生すると助かる。私の不甲斐なさを払拭してくれる。私がこの世の全ての本を読めていないことを、性交は詰らない。このテンプレートな女体があればとりあえず成立することは癒しである。ただ私がここに肉体をもって生まれてきたことだけがその場の価値となり、理解も無理解も、思想も主義も、ためらいも慎ましさも、知も言葉も、謙虚すら、その場では無効なものとして葬り去られる。私が浅ましい無知なる者であることを、その一瞬は忘れさせてくれる。泥人形である肉体がどうなったところで構わない。どんなに傷つけられても構わない。求められる理由もどうだっていい。眠っている時よりも楽だ。眠れば悪夢が私を苛むが、性行為は感情を無にしてくれる。そのあいだだけは自己存在を責め立てずにいられる。
束の間の休息。ほんとうに束の間の、逃げに過ぎない休息。遠からず老いて、この肉体が誰の目にも魅力的に映らなくなり、求められなくなった時、私は発狂してしまうのかもしれない。ほかに逃げ場を持たないこの生がどうなってしまうのか、日々怯えている。そんな怯えはばかげていると誰もが言うだろう。人間的でないと糾弾するだろう。知の堕落だと言うだろう。しかし、それならば、私の生を試しに生きてみろと反撥する。お前が私の生を生きた時、何にも縋らずにこの狂おしさに耐えられるのか?
生に真摯であることは私の誇りだが、苦しみながら生きることをやめさせてくれないのは社会がそう強いているからだ。明日のために眠る。自殺と変わらない。
鳥の頭が潰れる様を見る時、人はどう思うだろう。
いつか、焼かれた小鳥の頭を自身の歯で噛み潰すことを強いられた。神事の一環であるからと、500円で買った小鳥の丸焼きを飲み込むことを当然として強いられて、私は吐いてしまったのだった。同伴してくれた友人がかわりに食べてくれてことなきをえたが、私は鳥の脳を、頭を、食べることが自身のことわりに反することだと強く感じた。羊の脳を食べられなかった時も同じだ。その者の思考を司っているだろう部位を食することは、殺戮よりもなお罪深いことだと思った。
死後、私の脳が食べられたとしたら、どうだろう。それは耐えられない屈辱なのではないか。
屈辱。それだけを糧に生きている気がする。
酒が必要だ。酒がなければ生きてゆかれない。酩酊し、脳を破壊し、自己憐憫を許す状態をもたらしてくれるのは酒だけだ。酒がなければ私は、常に自分の至らなさに苛まれていなければならない。神経症だと笑うがいい。お前の愚鈍さを生きるくらいならアルコール中毒で死んだ方がましだ。私を手放したいという望みを叶えたいと常に欲望している一方で、私を手放したくないと頑なに抱きしめてもんどりうっている、この矛盾を笑いたければ笑えばいい。笑うなら私の目の前で笑え。鉈でお前の頭をかち割って殺す。
美しい文章を書きたい。生きなければならないのなら、せめて、美しいものを生みたい。それが私のすべてであるが、叶わない。
先日、美しい男に「あなたは何か書かないのか」と尋ねられた。その男は15歳というまだ何もわからなかった頃から付き合いのある友人で、中性的な美貌と穏やかな物腰と社交性の高さから、思春期を暮らしていたあの頃、だれもが彼を求めていた。だれもが彼を捕まえたがっていた。だれもが、彼を自分のものにして、特権的な立場を得たいと思っていた。へらへらと笑って躱して、彼は誰にもなびかなかった。
私は���よりも少しだけ学業成績がよく、そのことが彼の憧れのまなざしを得る所以だった。私たちは田舎の土地で切磋琢磨しながら同じ大学を目指す同志だった。男女問わず人気のあった彼であったが、それは本人にとってはどうでもよいことだったようで、私より一年おくれて結局は別の大学に入ってからと言うものの、浮世離れがひどく、「人気者の」という彼に付随していた冠詞は彼の望みどおり取り払われた。
あの人気は、「何も考えていなかったから」得られたものだったと、大人になった彼は言っていた。
十年の月日を越えて、私たちは再会した。十年の月日を越えても、私は彼を愛していた。浮世離れしている彼は、私がインターネットで文章を公表していることを知らないまま、詩の研究者になりはてていた。あの頃同じ環境で勉学に勤しんでいた別の男は私の文章の存在を知っていて、激奨してくれる。予定をあわせて三人で鮨屋で集ったとき、私の文章の話になったが、「何のことだかさっぱりわからなかった」と、後日二人で出かけた折に彼が打ち明けてくれた。
長くなった。何が言いたいかと言うと、私の文章を知らない者が、私の書く文章に期待してくれていることに感動し畏縮したという話だ。
詩を研究するとは恐ろしいことで、彼はいまや日本語で記述される芸術のほとんど全てに精通している研究者である。そのような者に、「書かないのか」と言われて、「書くつもりだ」と返してしまったのは、今となっては軽率なことだったと頭を抱えている。「小説を書くのだ」と話してしまった。日記なので、この「頭を抱えている」ということを書きたくて、これまで冗長な説明を加えた。
私の知能を憧れをもって眺めている人間を、私(とあいつ)の会話に畏敬の念を抱いてやがてアカデミアに人生を振ることにした人間を、その上で西脇順三郎で立派な論文を書いた人間を、納得させるだけの小説を書けるかというと、私にはまったく自信がない。
毎日、どうしよう、と思っている。私の文章を読んでくれて、小説も書いてほしいと望んでくれる人の要請とはわけがちがう。私は、宣言してしまったことによって、彼に「さすがだ」と思わせるものを書きおおせなければならない状況にみずからを追い込んでしまったのだ。西脇研究者に「さすがだ」と言わせるものなんか、書けるわけがないのに。
日々、めちゃくちゃ辛くて、酒より煙草が進んでいます。でも、「にゃんばります」って言ったら、「にゃんばってください」って返してくれたの。君は相変わらずマブいぜ。君のマブさを今もってわかるのは私しかいないぜ。君のマブさに愛を捧げているぜ。これからも君は私のマブだぜ。君の期待に応えるだけの小説を書くしかないと思ってるぜ。君が「すばらしかった!」って言ってくれたら、自信がなくて卑屈さが邪魔して君を好きだと言えなかった18歳の私が「好きだ」ってようやく言える気がするぜ。��わり。
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