#荒木共同浴場
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由布院温泉の荒木共同浴場が移転して新しくなったみたいですね。
でも、残念なのはジモ専に変更されました。
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶け���いくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、���内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から���ってきた画家で、この前読ん��『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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【ライヴレポート】MUCC、<鵬翼・極彩>再現ツアー日比谷野音公演に「時の流れ、長い年月を感じながら」
MUCCが5月6日、日比谷野外大音楽堂にて<MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」〜鵬翼・極彩〜>のファイナル公演を開催した。過去アルバム『鵬翼』『極彩』再現ツアーの最終公演にして、25周年イヤー締めくくりの公演を12月28日に東京国際フォーラムにて開催することも発表となった同ファイナルのオフィシャルレポートをお届けしたい。
◆MUCC 画像
2022年に結成25年周年を迎えたロックバンドMUCCが、過去のアルバムを再構築したセットリストで廻るツアーを開催中だ。第一弾は2022年10月~12月に行なった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~是空・朽木の灯~>で、彼らが2003年に発表した『是空』、さらに2004年に発表した『朽木の灯』をコンセプトにしていた。そして第二弾として行なったのが、2023年3月から始まった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>である。そのファイナル公演となったのが、5月6日に開催された日比谷野外大音楽堂でのライヴだ。
この日、関東地方には朝から強風が吹き荒れていたが、野音は公園の木々のおかげか、強風の影響はそれほどでもない。初夏を告げる暑い日差しが降り注ぎ、むしろ風が心地いいぐらいだ。そんな野音にSEとして『極彩』の1曲目「レイブサーカス」が鳴り響いたのは17時35分のこと���トライバルなリズムに合わせ、オーディエンスはハンドクラップしながら期待を高めるばかり。紫色や黄色など様々なスポットライトが点滅し、まさに極彩色となったステージ。そこに主役のMUCCが登場すると、でかい歓声と拍手が湧き上がる。鮮やかな振袖の着物をジャケット代わりに羽織った逹瑯(Vo)は、オーディエンスを煽るようにマイクスタンドを高く上げた。
アルバム『極彩』の流れを汲むように、「極彩」へ突入。興奮を煽りたてるヘヴィサウンドが炸裂し、客席を埋め尽くしたオーディエンスも激しいヘドバンを繰り返し、開演から数分も経たずして一体化。ミヤ(G)とYUKKE(B)は立ち位置を入れ替わりながらプレイし、逹瑯は宣戦布告するように歌をとどろかせていく。
「いい天気だな、日比谷!」──ミヤの喜びの声から続いたのは「嘆きの鐘」。ヘヴィな面もありながら、レゲエのリズムやフレーズも飛び交うナンバーだ。曲の途中でブレイクして、「いこうか!」と笑顔も見せる逹瑯。また「ガーベラ」のイントロでは「日比谷、飛べんの? 全員で飛べー!」と焚きつける。とはいえ、ジャンプしながら楽しめるのはイントロ部分ぐらい。なにしろ切ないメロディやメロウな展開も顔を出す曲で、一筋縄ではいかないアレンジが「ガーベラ」の特徴でもある。それでも曲に見事に食らいついていくオーディエンス。バンドとひとつになり、さらに曲とも呼吸をしていく様は、さすが、MUCCの熱心なファンである夢烏(ムッカー/ファンの呼称)たちだ。それに曲そのものも、リリース当時とは違う顔つきを見せている。
アルバム『極彩』をリリースした2006年当時、逹瑯はミヤの書くメロディに応えながら、シンガーとしての殻を破り始めた時期だったと思う。絶望感やネガティビティを背負ってもがいているような唱法が初期だったとしたら、暗闇や密室にいた自身を自ら解放したのが『極彩』に取り組んでいた時期だった。その結果、重苦しさばかりではなく軽やかさなども唱法に備わり、同時に幅広いメロディも積極的に歌い始めていった。そこからさらに約16年経ち、シンガーとして大きく成長した今、逹瑯は当時に思い描いた理想の歌を野音で具現化していく。細部まで気持ちを入れながら、しかし感情過多になりすぎることもなく、言葉のひとつずつがしっかり聴き取れる。早い話、伝わる歌だ。それが曲の新たな顔つきにもなっている。
「晴れたね。雨の野音も嫌いじゃないけど、やっぱ晴れって気持ちいいね。この自然の光も合わせてMUCCを楽しんでいってください。時の流れ、長い年月を感じながら、最後までよろしく」──逹瑯
逹瑯のそんな言葉をはさんで、曲はライヴ会場限定発売シングルの2曲へ。「想-so-」ではバイオリンとチェロ奏者も加わり、優しく切ない歌とバンドサウンドでオーディエンスを包み込む。しかしライヴはここから急展開。ミヤのエッジの尖ったリフに、逹瑯が気のふれたような狂った歌いっぷりが絡み合いながら「リスキードライヴ」で攻め立てる。その勢いのままコーラスやフェイクでコール&レスポンスも起こし始めた。逹瑯ばかりでなく、メンバー名を叫ばせるコール&レスポンスで楽しむのはYUKKE。さらにミヤもムチャなハイトーンすぎるフェイクでコール&レスポンスを楽しみながら、自分も笑ってしまうミヤ。一体感と熱気と楽しさのカオス状態だ。
「たくさんの人がMUCCに真剣に向き合ってくれて、そんな人たちに囲まれてとても幸せだと思います」──逹瑯
バンドを代表して逹瑯が感謝しながら曲は「パノラマ」へと続く。青空が徐々に夕刻へと表情を変えていく中で披露されたこのバラードは、自然の美も野音ならではの演出効果となり、スケール感ある曲となってどこまでも響き渡っていく。
ところが美しさにずっと浸らせないのが、『鵬翼』や『極彩』をリリースした時期のMUCCと言うべきか。憎しみと怒りもこもったレゲエテイスト強めの「メディアの銃声」を叩きつけたと思えば、そこから続くのは「25時の憂鬱」。YUKKEのアップライトベースでドゥーミーな香り漂うベースリフに、ミヤがサイケデリックで荒々しいギターを絡ませる。逹瑯は、怪しくけだるい歌を恍惚とした表情も浮かべながら聴かせていく。照明の色使いもひたすらドラッギーだ。美しき夕刻だったはずが、おかしな世界へ精神を誘い込む世界へ変貌。
こうしてライヴは何度もの急展開を見せながら突き進む。恐らくメンバー自身、このツアーのセットリストを考えるのに相当、頭を悩ませたはず。なぜなら曲それぞれが、あまりにも異なる色を持っているからだ。
特に『極彩』を作った2006年当時のMUCCは、“デビリッシュ・イヤー”と名づけ、国内ツアーはもちろん、フェスや海外ツアーなど、怒涛のライヴ活動を行なっている。その過程で刺激も触発もされただろう。新たな曲につながるヒントを掴むこともあったかもしれない。だがMUCCは、自分たちにしかできないことを常に探し求めた。その結果、自由にわがままに音楽を作り始めたのがその時期だったと思う。そのためアルバムは、ひとつの方向性を持ったものではなく、まるでオムニバスアルバムのように違った色合いの曲たちで構成された。だから付けたタイトルが『極彩』でもある。
リリースしたときは初期からのあまりの変化に驚き、ふるい落とされそうになったファンも少なくなかった。しかし、あれから約16年。MUCCの持つ多彩さや多面ぶりも楽しみながら、それぞれの曲に改めてハマり込むオーディエンスの姿が野音に広がっていた。
ライヴ後半、強烈なスラッシュメタル調の「G.M.C」で激しいヘドバンで狂った直後のことだ。逹瑯も、あまりの曲順に自分でも思わず笑いつつ、「優しい歌」へと続いた。MUCCからの温かさと優しさが広がっていく中、オーディエンスはそれを受け止めるように両手を広げ、左右に揺らし、自分たちもMUCCと共に歌う。客席からの歌声を心地よく浴びながら逹瑯が「オマエらのライヴを聴いてんだよ、俺は」と言うと、さらに歌声は大きくなり、大合唱になって夜空に響いていった。そしてステージにレーザーの流れ星が幾つも流れる中、「流星」で感動的にライヴ本編を締めくくった。
アンコールでは、12月28日に東京・国際フォーラム ホールAで結成25周年イヤーのグランドファイナル開催も発表。その前には第三弾ツアーも、第四弾ツアーもある。逹瑯の「最後まで一緒に、盛大に駆け抜けようじゃないか!」という言葉に、野音からでっかい歓声も巻き起こる。
アンコールラスト「WORLD」は、イントロからMUCCとオーディエンスの大合唱から始まった。レコーディングでもファンのみんなからコーラスを送ってもらい、1000トラック以上のコーラスで構成したナンバーだ。声出しも解禁になった今、MUCCと共に新たな世界の始まりを誓うように、1000どころか約3000人のファンが歌う。喜びと幸せに満ちた第二弾ツアーのファイナルとなった。
取材・文◎長谷川幸信 撮影◎冨田味我
■<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>2023年5年6日(土)@日比谷野外大音楽堂 SETLIST SE. レイブサーカス
極彩
嘆きの鐘
ガーベラ
月光
心色
耀-yo-
想-so- [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc)]
リスキードライブ
パノラマ
メディアの銃声
25時の憂鬱
ホリゾント
最終��車
謡声
G.M.C
優しい歌
流星 encore en1. 雨のオーケストラ [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc) キラーズオーケストラ] en2. 蘭鋳 en3. TONIGHT en4. WORLD
2023.05.10 quelle: barks.jp
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2023年11月30日(木)
今日で11月が終わる。このところ朝晩の冷え込みが厳しくなってきたので、私の衣装も冬仕様だ。春・秋用の<襟巻ジバン>の上に冬用のボア付きを着てみると、これがポカポカと本当に暖かい。木曜日は昼には仕事を終えて退出、カレンダーをめくると残り1枚、最後の出勤は12/21(木)となる。他の予定は書き込んでいないが、週末はイベント続きで忙しい、さすがに<師走>というべきか。
4時30分起床。
日誌書く。
大丸にお節を発注する。
朝食。
弁当*2。
いつもなら朝食前に洗濯をするのだが、腰の痛みのせいかいつもと胃リズムが狂ってしまい、すっかり忘れていた。
プラゴミ、20L*1&45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
順調に到着する。
木曜日1限は<共生社会と人権>の11週目、冒頭に先日NHKで録画しておいた<よみがえる新日本紀行>を見せる。
最初のニュータウン 〜大阪・千里〜
初回放送日: 2023年11月18日 昭和54年、大阪・千里ニュータウンを訪ねた新日本紀行を再び!日本最初の巨大人工都市の暮らしを住民でもある漫才トリオ・かしまし娘の正司照枝さんがリポートしている。 番組から44年、千里ニュータウ���ではこの20年ほどで団地の建て替えやマンションの建設が進み、新たに住み始める若い世代も増えている。正司照枝さんは90歳のいまも元気いっぱい。新日本紀行当時と同じ家に住み、近くにいる妹の花江さんが届ける食事を楽しみにひとり暮らしをエンジョイ中だ。この街の良さは昔と変わらぬ静かな雰囲気だという照枝さん。今回も味のあるナレーションで千里への愛を語ってくれた。
その後、今日のテーマは<性的マイノリティーの人権>、時間が無いので<LGBT理解増進法>の成立経緯の説明を朝日新聞の記事の参考に、<BIG ISSUE>の<ジェンダーの生物学>の紹介し、最後に高校生のトランスジェンダーの生活を追ったニュース��像を見せて終了。後のコメントで正反対の意見があったのが面白い。
水曜日の入力問題のチェック。
来週の<情報機器の操作Ⅱ(11回目)>の内容チェック。
弁当を食べ、カレンダーをめくって退出する。
早い時間だが、今日も1号線の交通量が多い。
長男が使っていた室内こぎのバイク(何と言えば良いのかわからない)が壊れているので大型ゴミに出すことにした。今週からWebで申込を受け付けるとのことだが、初めてなので仮登録した後でセンターに電話して本登録という流れになる。完了すると、受付番号と集配場所の地図が送られてきた。12/4(月)回収、手数料は1,200円、10kgごとに値段が違うのだが、よくわからないので<30kg未満>でお願いしたのだ。
保健協議会の仕事、12/16(土)の<移動式拠点回収>のチラシを各組長さん宅まで配付する。
ファミリーマートで、大型ゴミチケット(400円*3)を購入する。
腰の痛みは大分よくなったのだが、姿勢が悪かったのか、今度は右の肩から首に掛けて痛みが出てきた。
冷蔵庫食材で夕飯準備、南アの赤ワインシリーズも3本目、今夜は<CABERNET SAUVIGNON>。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン13 (25)まるごと群馬SP 豊かな自然と食 受け継ぎ守る人
初回放送日: 2023年11月23日 群馬県内各地の奥深~い仕事とランチをご紹介▽生産量日本一!だるまの産地、高崎市の工房をお弁当ハンターの阿部了さんが取材▽本州最大の湿原・尾瀬。貴重な植物を踏み荒らさないよう整備された木道。その修理、架け替えを担う人たちのパワーの源、山小屋で頂くチカラめし▽地元の子どもたちに大人気のレトロ遊園地。陰で支える副園長さんの秘めた思いとは?▽小麦の産地、群馬の新名物!高崎パスタ店の絶品まかない。
「落語研究会」のDVDから、「つぼ算」「住吉駕籠」桂米朝。60代前半、一番良い頃かもしれない。
3日ぶりの入浴、桶を持ったり頭を洗ったりする動作がやりづらい。
今月の血圧、けっこういい数字だった。
右肩に湿布を貼って貰う。
痛みが消えるまでは無理しないでおこう。
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第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】(2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田)
第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】 (2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202309.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/690266253005922
今年で12年目を迎えたオープン合宿。今回は、初秋特別編です。「160年の古民家荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社への巡礼も行う予定です。
そして、160年古民家荒蒔邸を拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」の有機野菜と共に、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、焚火の灯で温まりながら、夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラー���アーティストの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。ご参加をお待ちしております。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・��ンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業���とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
★有機野菜:木の里農園 http://konosato.com/
■開催日:2023年9月18日(月)- 19日(火)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日16時頃に現地解散予定です
■集合場所: 道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694-3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)> *10時:集合場所(道の駅さとみ) ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り *10時15分~:手打ち蕎麦ワークショップ *12時~13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶 *13時30分~22時頃: ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。 ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります) ・300年古���家「菊地邸」訪問 ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け ・荒蒔邸の囲炉裏と焚火を囲んでのダイアローグ(対話) ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算) *22時頃:自由時間 *23時頃:就寝
<8月27日(日)> *06時:起床~朝のさんぽ(朝陽を拝むマインドフルネスウォーク) *07時:全員で朝食準備&朝食(禅イーティング)&片付け *09時~:森夕花先生のマインドフルネスアートセッション *11時~:清掃・片付けをし移動 *12時~:御岩神社巡礼 *14時~:ゆっくり昼食&対話&クロージング *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。 お気軽にお申し込みください。以下は参考です。 どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、 スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、 リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。 お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります) http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:8名限定 ※先着順。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込���ォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
(現地でのお支払いも可能です)
④これにて「申込完了」となります。
■協力:木の里農園さん、地元の仲間たち ■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
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「何もないところ」
2年前に首都圏からここに引っ越してきたときに、あるお店の人が私に言った。「よくこんな何もないところまで来ましたねえ」。それは、「ようこそ、何もないところですが」といった歓迎の気持ちを込めた言葉だったと思うが、こんな風に言われてしまう「何もないところ」ってかわいそうだな、とちょっと思った。
確かに、「〇〇市」と言えば、「ああ、あの観光名所で有名ですよね」と言われるようなところは数多くある。しかしよく考えてみれば、それよりもはるかに多くの市町村などが、「それ、どのあたりですか?」と言われるような、聞いたこともないような名前の場所だろう。読み方がわからないものもあれば、自分が住んでいる県の町でも場所があまりよくわからない、何があるのかわからない、という場合もある。
そんな「何もないところ」の一つに引っ越してきた私の新たな趣味がウォーキングだ。「何もない」ということは、都会にはない視界が開けた風景がすぐ近くにあるということ。それで、歩くのが楽しくなったのだ。そして、遠くを見ることが多くなったから、視力もよくなった。そんな場所を歩いていると、いろいろな発見がある。同じ道を歩いていても、時間帯や季節��よって、「何もないところ」は異なる表情を見せる。それらを写真に残してみると、あることに気づく。あれ、これが「何もない」場所なんだろうか、いろいろあるじゃないか、と。
「何もなく」ても、そこで生活し、学校で勉強し、あるいは仕事をしている人がいる。毎日、夕暮れ時には家々に灯りがともり、海岸沿いにある工場の煙突からは絶えず白煙が出ている。洋上風力発電のための風車も回っている。都心に行った帰り道、高速道路を走る車からこれらが見えると、ああ、家に帰ってきたな、と思う。私にとって一番好きな場所は、今、住んでいるところなのだ。そういった「何もない」ところでも、人々の日々の営みがあることを愛おしく思う。
どんな場所にも、その場所なりに美しい風景がきっとあるだろう。多くの「何もない」と思われている場所にも、必ず何かあるはず。もしあなたが今、住んでいる場所をあまり気に入っていなかったとしたら、今日、少しだけ歩いてみて、見つけてみませんか。 神栖(かみす)市(茨城県)
市役所裏の緑地公園。1周4.4キロの池があり、10種類以上の野鳥が見られる
ウィンド・パワーかみす第1洋上風力発電所。神栖市は、日本初の本格的な洋上風力発電所が誕生した場所。誰もいない海岸で景色を満喫できる
息栖(いきす)神社。鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と香取神宮(千葉県香取市)とあわせて東国三社とされる。鹿島神宮、香取神宮までは、それぞれ車で20分ほど。東国三社に共通のお守りがあり、本体となる木のお守りをどこか1社で買い、残り二社で、色の異なるシールを購入して本体に貼れば完成(最初の1社のシールはすでに貼られてある)。
季節によって、この景色は変わる。冬は緑がなく、一面、荒涼とした砂漠のよう
地元の人ですらほとんど行かない夕日スポット、なさか夕日の郷公園
イギリスで出会った景色と一瞬、似て見えた(?)風景
*ここまで読んで、神栖市に関心を持ってくれた方へ。神栖市がどこにあるかは、市のキャラクター、カミスココくんが、ものすごくわかりやすく示してくれています(頭は茨城県の形。神栖市はココよ、と教えてくれています)。ちなみに、好物はナタデココみたいです。
カミスココくんプロ���ィール / 茨城県神栖市 (city.kamisu.ibaraki.jp)
*ほとんど誰からも注目されない場所が、日の光を浴びてきらきら輝いている。そんなところを歩くときに気分を一層盛り上げてくれるのが、この音楽。
(278) "Say So" - Doja Cat - Cover (Violin) - YouTube
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談���無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024年6月3日
長崎、イスラエルに招待状送らず 8月9日式典、今後変更の余地も(共同通信)2024年6月3日
記者会見で、平和祈念式典の招待国に関する説明をする長崎市の鈴木史朗市長=3日午後、市役所
長崎市の鈴木史朗市長は3日、記者会見を開き、8月9日の「原爆の日」に開催する平和祈念式典に関し、パレスチナ自治区ガザを攻撃するイスラエルに現時点で招待状を送らず、停戦を求める書簡の送付にとどめると明らかにした。今後、同国の対応次第で招待する余地も示した。広島市は既に招待状を送っている。
鈴木市長は、ガザでの人道危機や国際世論を踏まえ「不測の事態が発生するリスクが懸念され、今の時点で(招待するという)判断は難しい」と説明。一方で在日大使館に送る書簡には、即時停戦を求めた上で、状況次第では招待する可能性があるとの内容も盛り込む。
「原爆の日にイスラエルを招待すべきか」広島市と長崎市とで分かれた判断…被爆者はいぶかしんだ(東京新聞 6月5日)
長崎市の鈴木史朗市長は、今年8月9日の長崎原爆の日に開催する平和祈念式典に、現時点でイスラエルを招待しない方針を発表した。パレスチナ自治区ガザでイスラエルの攻撃による犠牲者が増え続けており、招待した際の「式典運営上のリスク」を理由としている。招待する方針の広島市と対応が分かれたが、両市の被爆者らはどうみているのか。(山田祐一郎)
◆「式典で不測の事態が発生するリスク」
今月3日、鈴木市長は臨時記者会見で、現時点でイスラエルの招待を保留し、在日大使館には即時停戦を求める書簡を送る方針を説明した。「現在のガザ地区の危機的な人道状況、それに対する国際世論の状況から、式典で不測の事態が発生するリスクが懸念される。主催者として安全かつ円滑な運営の観点から、このままの状況では(招待は)厳しい」と述べた。
ウクライナに侵攻したロシアと同盟国ベラルーシも同様に運営上の理由で、3年連続で招待しないことを決めた。だが、イスラエルに関しては「状況を見ながら検討していく」と招待する余地もあるという。
長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(84)は「被爆国であり平和憲法を持つ国として、武力を行使しない、他国への侵害、攻撃は許さないという基本的な考えを堅持しなければいけない」と理解を示す。
◆宣言文で「イスラエルに言及すべきだ」と意見も
ただ、市側が理由として、運営上のリスクを挙げることには疑問を呈する。「ガザで残虐行為を行うイスラエルと、ウクライナに侵攻するロシアはいずれも招待するに値しない」
5月に開かれた「長崎平和宣言文起草委員会」では、今年の式典で読み上げる宣言文について、被爆者や有識者ら委員から「イスラエルに言及すべきだ」との意見もあった。
委員の一人で長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(83)は「イスラエルはガザで無差別に民間人を攻撃し、核兵器の使用にも触れている。報復だとしても決して許されない」と話す。8日には宣言文の素案が示される予定で、「明確なメッセージを盛り込んでほしい」と求める。
◆「ダブルスタンダード」指摘に声を荒げる
一方の広島市は4月、イスラエルに停戦を求めるメッセージを記した上で例年通り招待する方針を決めた。ロシア、ベラルーシは招待しないため、記者会見で「ダブルスタンダードにみえる」と指摘された松井一実市長が声を荒らげて否定する場面もあった。
「岸田首相の選挙区でもあり、広島市の判断は政府への配慮が感じられる」と川野さんはいぶかしむ。長崎は、国の指定区域外で原爆に遭い、被爆者と認定されていない「被爆体験者」の救済で広島との差が生じている。広島原爆で放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた人々の被爆者認定で政府が新基準を作ったのに対し、長崎の「被爆体験者」は対象外のままだ。川野さんは「差別的な扱いをされ、弱い立場にある」との思いを明かす。
◆「官僚的な理由で政治的な背景を隠そうとしている」
全ての国に被爆の実相を知ってもらうことの重要性を訴える声も聞かれる。前広島市長の秋葉忠利さん(81)は「誰を呼ぶかに政治的理由を持ち込むことは本来、すべきではない」としつつ、「呼ぶことで混乱を招くという官僚的な理由で政治的な背景を隠そうとしている」と問題視する。「��を使う脅しや、戦争をしている国の首脳に、核使用や戦争を諦めさせるのが被爆都市の役割ではないか」
広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「広島市は、外務省の立場に沿ってイスラエル招待の判断をしたのだろう」と話し、ロシアやベラルーシも招待することを求める。「核兵器を一発でも使えばどうなるのか。使用を示唆する国にこそ被爆地を見てもらうことが一番効果的なはずだ」
国立競技場民営化、ドコモ運営へ - 公費による赤字補填を回避(共同通信)
東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムだった国立競技場の民営化事業について、日本スポーツ振興センター(JSC)は3日、NTTドコモを代表とするグループを優先交渉権者に選んだと発表した。同陣営は運営権の対価として528億円を提案しており、懸念されていた公費による赤字補填がなくなる見通しとなった。
グループは前田建設工業やSMFLみらいパートナーズ、サッカーJリーグも含めた4者で構成。事業期間は来年4月から30年。3グループから事業方針の提案を受け、運営方法やコストの提案を総合評価する方式で審査した。
民営化にあたっては採算性が課題とされ、国が年間約10億円を上限に負担可能とする方針を示していた。関係者によると、NTTドコモのグループは独自に開発する遮音技術により、収益性の高いコンサートの開催頻度を増やすなどして、国の負担を求めない。
国立競技場は建設コスト削減のため開閉式屋根の設置を取りやめた。近隣への騒音の観点からコンサートなどの興行を頻繁に開けず、収入源の確保が課題となっていた。
石川智久(日本総合研究所 調査部長/チーフエコノミスト)見解 民間の力によって赤字にならなくなり、公費投入が無くなのであれば、本当に素晴らしい民間活力の活用と思います。一方で、このスキームの一番のポイントはドコモによる遮音技術であり、これが活用できなければ、収益性の高いコンサートなどの開催頻度が減り、再び問題が発生することとなります。立地は良い分、遮音に加えて、コンサートにふさわしい音響環境をきちんと整備することが不可欠です。一方で、この技術が実用化すれば、全国のスタジアムでコンサートなどが開けるようになり、ビジネス規模は拡大します。ぜひともこの手法を成功させて、全国のスタジアムの収益性を高めることを期待します。
声優の増山江威子さんが、5月20日にご逝去されました。 「ルパン三世」ではPART1でのゲスト出演をはじめ、PART2からは峰不二子役としてTV、映画と多くの作品をご担当いただきました。 長年のご活躍への感謝と共に、お悔やみを申し上げます。 ありがとうございました。
補助金を虚偽申請か 「パンタスティック!!」の運営会社社長が理事長を勤めるNPO法人に呉市が約400万円の返還を要求(RCCニュース)
広島県呉市は、イベントの補助金を支給したNPO法人が、ウソの内容の申請書類を提出していたとして、およそ400万円の返還を求めることを明らかにしました。
呉市は、市中心部や商店街のにぎわいづくりを目的にしたマルシェイベント「あさまち」のうち、2022年からことし3月までの4回について、主催した「NPO法人SYL」に経費補助として396万円を支給しました。
呉市はNPO法人の理事長が代表を務める会社「ローカルズオンリー」が先月事業を停止したことを受けて、補助金に関わるイベントを再確認していたところ、NPO法人が「あさまち」の運営を委託したとして申請書類に記載していた事業者が、実際には受託していないことがわかったということです。イベントは実際に開催されていましたが、どの事業者が受託していたかは現在調査しているということです。
理事長が代表を務める「ローカルズオンリー」は、各地で開催されていたパンのイベント「パンタスティック!!」を運営していましたが、業況の悪化を理由に事業を停止していました。
呉市は、支給した補助金の返還を求めるとともに、刑事告訴を視野に、警察に相談しているということです。
震度5強に住民「とどめ刺された」公費解体待ちの住宅が崩れ落ちる 石川で震度5強(北陸放送)
3日朝、石川県能登地方で最大震度5強を観測する地震があり、2人がけがをしました。能登半島地震の被災地では、元日の地震で被害を受けた住宅がさらに倒壊する被害が相次いでいます。
記者リポート「こちらではもともと倒壊していた住宅がけさの揺れでさらに崩れ、一部が道路にまでせり出しています」
震度5強を観測した輪島市では、元日の地震で被害を受けた住宅など5棟が地震でさらに倒壊しました。こちらの住宅は、4月に公費解体を申請していましたが、工事が始まる前にさらに崩れ落ちました。
住宅所有者の男性「きのうまで一応建っていた。きょうで結局とどめ刺されたみたいな感じ」
3日の朝6時31分ごろ、石川県能登地方を震源とするマグニチュード6.0の地震で、石川県輪島市と珠洲市で震度5強を観測。
石川県で震度5強の揺れを観測するのは1月6日以来で、津幡町では60代女性が緊急地震速報に驚いて、ベッドから下りる際に右太ももを骨折する大けがをしたほか、富山県滑川市で��20代男性が避難中に転んで軽いけがをしました。
輪島市の住民「でかかったね、いつもの余震と比べるとでかかったね」
珠洲市の住民「いま住まいが仮設住宅だからある程度安心。自宅だったらダメだろうな」
運転を停止している北陸電力志賀原子力発電所に、新たな異常は確認されていないということです。気象庁は、今後1週間程度は震度5強程度の地震に注意するよう呼びかけています。
「空飛ぶ基地局」26年に商用化 ドコモ、エアバス系へ出資(共同通信 6月3日)
「HAPS」の模型=3日午後、東京・大手町
NTTドコモは3日、携帯電話の空飛ぶ基地局と呼ばれる「HAPS(ハップス)」事業について、2026年中の商用化を目指すと発表した。地震などで通信障害が起きた際に早期復旧できる体制の構築を目指す。欧州航空機大手エアバスの子会社へ最大1億ドル(約157億円)を出資し、長時間飛べる無人航空機の技術で協力する。
HAPSは地上約20キロ上空の成層圏に大型無人機を飛ばし、数カ月にわたって飛行することで基地局とする次世代システム。通信範囲が広がり、災害時のほか、地上の基地局ではカバーできなかった海上や離島、山間部で大容量の通信が可能となると期待されている。
石井徹(モバイル・ITライター)見解 HAPSは、空高く飛行する無人航空機を使った通信・観測システムです。HAPSの機体はいわばグライダーのような形状で、上空をゆったりと旋回飛行します。翼の上にソーラーパネルをぎっしり敷き詰めていて、発電したエネルギーを使って高度を上げることで、数十日間空に滞空し続けられます。
携帯基地局として使う場合は、地上の基地局の電波を広い範囲に中継できます。ドコモ・エアバス系のZephyrの場合はカバー範囲は約100km圏内としており、��山湾上空で飛ばせば能登半島全体がエリアになるイメージです。
ただし、技術的な課題があり、現時点では通年で飛行できるのは、日照時間が長い北緯35度以南に限られています。つまり北陸や北海道では、夏期を除けば1日中飛ばすことができません。ドコモが出資するエアバス系のAALTO社は、2030年頃までに技術を改良し、日本全域で通年飛行できるHAPSを開発する計画です。
島徹(モバイル/IT/ガジェット系ライター)解説 HAPSは地上約20kmを、翼と太陽電池の電力で動作するプロペラで長期間飛行する無人グライダー型の通信基地局です。一般的な航空機の地上10kmよりも高く、実際の離陸施設から安定飛行時の飛行制御や電力の確保(季節を含む太陽と地球の位置にも影響される)が必要なうえ、基地局(商用化当初は中継器)としての動作など衛星や航空機とも異なる運用技術が求められます。
スターリンクなどの衛星通信は地上300kmあたりから地上の圏外エリアの携帯電話との直接通信の実用化も視野に入れています。HAPSはより地上に近いことから、設備によってはより安定した多人数への通信の提供を期待できます。
携帯電話ネットワークは社会や生活に欠かせなくなり、高速通信の範囲も海や空、宇宙へ広がりました。そのぶん、災害対策など手厚い安全保障が求められています。HAPSや衛星通信もその一翼を担うことになります。
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牢獄の瞳 〜或る日常 Chapter:xx〜
これ以上は体力の消耗が激し過ぎた。 戦闘による負傷と、猛吹雪という荒天により、私の身体は悲鳴を上げ始めていた。 「くそッ…!ついてねえ!!」 私は左脇腹に突き刺さった折れた牙をどうにか抜き取ると、奴に目掛けて投げつけてみた。 それは辛うじて奴の足に刺さったかのように見えた。その怯んだ隙に逃げ出した。 奴はもう、完全に瘴気に取り込まれてしまっている。あそこまで呑み込���れてしまうと、もうなす術はなく、『駆除』するしかなかった。私は急いで通信機器を取り出し、応援を要請することにした。 それは、かつて"まともな人間"だった、奴を殺すことを意味していた。 アルゥ・ジスラトミ。それが彼の本名だった。彼は某研究所で清掃のアルバイトをしていた。やや病弱なところがあり若くして持病を持っていたものの、休日は家族と共に過ごしたり買い物をしたりする、ごく普通の青年だったと後に聞いた。 この研究所では主に病気治療に関する研究を行っている。様々な実験をし、新たな薬剤を開発し続けている。そういう場は多かれ少なかれ瘴気が発生しやすく、今までも研究所内外で同じような事件は起きていた。 瘴気は人間の意識を呑み込み、制圧し、破壊する力を持っていた。呑み込まれれば呑み込まれるほど本人の意識は薄れ、暴走し、やがてモンスターへと化していく。彼らを止めるには浄化作用の強い水晶を用いた武器で直接瘴気を切り裂いたり、水晶をパウダー状にしたものをカプセルに詰め、瘴気に撃ち込んで浴びせたりする必要があった。 私たちは瘴気を"狩り取る"ハンターであり、仕事の依頼が集まるカフェバーにて仕事を請け負っていた。まあ、仕事と言っても賞金稼ぎのようなものである。 このカフェバーのマスターとは過去、色々と世話になったよしみで今も仕事の面倒を見てもらっている。マスターは名をナターニャと言い、ドレッドヘアで浅黒い肌を持ち、筋骨隆々で言葉遣いは丁寧な方だが豪快に笑う、姉御肌の女性であった。 「……ッー……ザザザッ。………もしもしアンナ?」 「ナターニャか、やっと繋がった!至急応援を要請する、なんとか粉末を撃ち込んだが、もう手遅れみたいだ」 「貴女が手こずるなんて…ずいぶん末期だったのね。でもそんな依頼したっけ?…確か今日は一日オフにしたって言ってたわよね?」 「ああ、あいつ…完全に不意打ちだったよ。夕飯の買い物に来ていたら現場に出くわした。スキャンしたら身元は判明したよ。…研究所で清掃のバイトをしてる奴だった」 「そう……ともかく逃げてちょうだい。今、緊急班を呼んだわ。すぐに駆けつけるはず。貴女は自分の身を守ることを優先して。…ひどい怪我を負っているんでしょう?」 「ああ、そうさせてもらうよ」 私は暗澹たる気持ちで通信を切った。 緊急班とは、私たちハンターでは手に負えないほど”モンスター化した者”を駆除、つまり殺す専門のチームのことである。彼らは私たち民間人とは違い、国から派遣されている公的な組織で、謂わば国が認めたプロの殺し屋だった。彼らの姿は誰も見たことがなく、応援を要請する権利を持つナターニャでさえも実際に彼らを見たことはないらしい。住民に至っては緊急班どころか、私たちハンターの存在ですら国によって隠されている。 今回のことも、ただのとち狂った奴が起こした事件として扱われるだけだろう。 私たちは半分血に染まっている。 ハンターの仕事は瘴気を浄化することで元の人間に戻すことだが、末期の人間までは救えない。人殺しの延長線上に自分達もいるのだという後ろ暗いような思いが、ずっと消えずに私の心を締め付けていた。 *** ━━━数日後。 「……ッ!プハーッ!!!賭け事に勝った後の一杯はやっぱうめーぜ!!」 私はナターニャの店で気分良く酒を飲んでいた。店内は木材を基調としたロッジのような作りになっていて、カウンターには白熱灯の柔らかな光が薄暗い店内をあたたかく照らしていた。 「珍しく機嫌がいいと思ったら、そういうことだったの」 「ちょっ…ナターニャ!!珍しくとか言うんじゃねーよ!せっかく気持ちよく飲んでるのに気分下がるだろーが!」 「ごめんごめん、だってボロボロに負けてやけ酒してるところしか最近は見てなかったものだから」 「くーーーーッ!!言ってくれるねえ!!!ああそうだよ、3ヶ月ぶりに勝ったんだよ!トータル赤字だよ!!ざけんな!!これからだッ!!あたしはこれから勝って勝って勝ちまくるんだーーーーーッ!!!」 「あら、今日も結局ヤケ酒かしらね」 ナターニャは笑いながらそう言って、注文していた煮込み料理を出してくれた。私が大人しくスプーンでそれをつつき始めると、少し神妙な面持ちで彼女は口を開いた。 「……アンナ、傷はもう大丈夫なの?」 「ふんっ、アンナ様にかかればあんな傷、すぐに治るわい」 「あんまり無理しないでちょうだい。いくら貴女が頑丈だとはいえ、体に影響がないわけじゃないんだから」 「…わかってるよ」 私はすっかり不貞腐れたように頬を膨らませた。 「ふふ、ごめんなさい、また水を差しちゃったわね。水を差したついでに……先日の彼のことだけど」 「……駆除されたあいつか」 「ええ、彼、持病を持っていたから薬でコントロールしていたみたいね。だからあまり目につかなかった…。それでも、あんな末期症状が突然出るとは考えにくいから瘴気が見える人には気づくほどだったと思うけど、そういう人は周りにいなかったのね」 瘴気というのは本来、誰もが気配として感じられるものだったが、時代の流れとともに身体能力が退化していき、生まれつき気の流れを感じやすい者や、後天的に鍛錬してその能力を身につけた者のみが見えたり、感じられたりする類のものとなっていた。ましてやアンナたちハンターのようにはっきりと目に見える者はごく限られている。 「”研究所内には瘴気が見える者は存在していない”…」 アンナが物言いたげに口の中でつぶやいた。 「一応、そういうことになっているわ。誰でもが見えるものではないから、我々にはわからない、だからそのことにはノータッチだというのが彼らの言い分だから」 「ふん…。つくづく腐ってやがるぜ。大体、奴が飲んでいた薬ってのも、どこから処方されていたものなのか…」 「今となってはもうわからないわ。研究所は意地でもシラを切るでしょうし、怪しいところは既にもみ消しているでしょう。そういう連中だから。……犠牲になった彼が不憫だわ」 ハンターたちに依頼されるような瘴気に呑まれた人間は、研究所の関係者から発生することが多かった。私自身も何度か彼らを救ってきた。だからこそ、瘴気退治はハンターに任せて自分達は研究に没頭したいという研究所の意向が気に食わなかった。その研究のせいで瘴気が発生しているというのに、彼らは、自分達の専門外だからわからない、関係ないと繰り返すだけだったのだ。 「よし、今日は飲むぞー!!ナターニャ、おかわり!!」 「はいはい。飲み過ぎには注意してね」 「もう!何でナターニャはそうやっていちいち釘刺してくんだよーッ!!」 ナターニャはアハハと笑って麦酒を注いでくれた。 店の外は今日も吹雪いていた。
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Vol.158 血液がんの患者さん必見:新型コロナ「5類移行後」のがん患者のリスク対応
梅が満開で、早咲きの桜も目にする季節になってきました。
愛犬の散歩の際も、朝晩の空気から鋭さが消えてきて、仄かに春を感じています。
花粉症持ちの私としては、文字通り「痛し痒し」ではあるのですが…
前号のメルマガ「Vol.157 超低用量免疫療法が世界を救う?インド発の画期的な試験結果」は開封率42.3%ということで、過去最高の開封者数(2.6万人)となりました。
こうして読んでいただけるのが、書き手にとって一番の励みになります。これからも、皆様の興味を惹く記事を書き続けていくよう、頑張って参ります!
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【記事1】血液がんの患者さん必見:新型コロナ「5類移行後」のがん患者のリスク対応
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最近はニュースにもならなくなってきましたが、年末から年始にかけておそらく過去最大の感染者数となった新型コロナの「第8波」、ほぼ完全収束の様相です。
ここまで3年間、いわゆる「ロックダウン」的な激しい処置は取らず、複数回のワクチン接種をきっちり行なってきた日本は、諸外国と比べてうまく舵取りしながら、集団免疫を獲得して荒波を乗り越えてきたと言えるのではないでしょうか。
ニュースになった「5類」への感染症法上の位置付けの変更は、意思決定タイミングとしても極めて適切と考えます。
一方で、5類への変更は、がん患者さんにとってはリスクも孕みます。
今後も定期的に予防ワクチン接種で免疫を再強化していくことが前提なわけですが、がん患者さんはワクチンでの予防効果が一般の健康状態の人と比べると低いと考えられるからです。
いくつかのサイトを見比べてみたのですが、最も分かりやすくかつ詳細な情報が日本語でまとめられているこちらは、がん患者さん必見です。
■「がん患者さんへの新型コロナワクチン接種Q & A」(国立がん研究センター東病院)
「米国におけるがん患者のワクチン効果は固形がんで66%、血液がんで19%という報告がありますが、mRNAワクチンに限定した研究では固形がんで79%、血液がんで74%という報告もあります。」
ということで、
「健康な人より効果が劣ることが懸念されるため、接種後も屋内や人ごみでのマスクの着用や手洗い、換気をしっかりと行うなどの感染対策の継続が必要」
とされています。周囲は5類移行ということで、ガードが下がる人が多くなるのでしょうが、そこはしっかり続けていく必要がありそうです。
特に、一定の条件下で血液がんの治療を受けていらっしゃる患者さんは、注意が必要です。
上記サイト中の「3.がん治療中の場合接種できますか?」にありますように、血液がん治療でよく使われる抗がん剤が、新型コロナワクチンの予防効果に大きな影響を与えることがわかっているからです。
該当するかもという患者さんに見ておいていただきたいのは、「7.エバシェルドÆ︎(チキサゲビマブ及びシルガビマブ)について」。
本剤は、ワクチン接種しても十分な予防効果を得られないことが想定される患者さんにおいても、感染予防効果が期待され、日本でも昨年8月に承認されています。
以下の状況でかつ「新型コロナウイルス感染症患者の同居家族又は共同生活者等の濃厚接触者ではない」方は投与対象になりますので、該当される方は主治医に相談されるとよろしいかと思います。
・抗体産生不全あるいは複合免疫不全を呈する原発性免疫不全症の患者
・B細胞枯渇療法(リツキシマブ等)を受けてから1年以内の患者
・ブルトン型チロシンキナーゼ阻害薬を投与されている患者
・キメラ抗原受容体T細胞レシピエント
・慢性移植片対宿主病を患っている、又は別の適応症のために免疫抑制薬を服用している造血細胞移植後のレシピエント
・積極的な治療を受けている血液悪性腫瘍の患者
・肺移植レシピエント
・固形臓器移植(肺移植以外)を受けてから1年以内の患者
・急性拒絶反応でT細胞又はB細胞枯渇剤により治療を最近受けた固形臓器移植レシピエント
・CD4Tリンパ球細胞数が50cells/μL未満の未治療のHIV患者
※本項執筆時点(2023年2月28日)で、筆者はエバシェルドに関して、特筆すべき利益相反はありません。
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【記事2】皮膚の保護用フィルムが急性放射線皮膚炎リスクを劇的に下げる
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がんの3大治療というと、手術、抗がん剤、放射線です。
この中で、放射線は乳がんや前立腺がんなどで頻用される治療法です。
放射線治療は手術や抗がん剤と比べると、身体への負担は少ない治療と言えますが、それでも副作用はあります。
乳がんの乳房手術後の放射線療法の際にみられる副作用として、「患者さんのための乳癌診療ガイドライン2019年版」では下記のように説明されています。
>>
乳房手術後の放射線療法中または治療終了後数カ月のうちに現れる副作用としては皮膚炎, 倦怠感(けんたいかん),放射線肺臓炎などがあります。皮膚炎はほとんどの患者さんでみられますが,一般的に軽度なものです。
>>
ただ、医学的に「軽度」だからといって、患者さんにとって影響が小さいかというと、そんなことはありません。
■「乳がん放射線治療時の肌のお悩み対策 ①」(MediCure)
>>
治療を開始して3~4週間ぐらいで、照射部位の皮膚が日焼けのように赤くなったり、ひりひりしたりといった症状が出ることがあります。個人差がありますが、重症化すると衣類が擦れて痛みが出たり、入浴で沁みたりと、日常生活にも負担が出てきます
>>
これだと、患者さんのQOL、かなり下がりますよね。
この放射線治療による皮膚炎対策として、刮目すべき研究結果が出てきました。
■"Mepitel Film for the Prevention of Acute Radiation Dermatitis in Breast Cancer: A Randomized Multicenter Open-Label Phase III Trial”「乳癌における急性放射線皮膚炎予防用メピテル・フィルム:多施設共同無作為化非盲検第III相試験」(Journal of Clinical Oncology)
「メピテル・フィルム」とは、メンリッケヘルスケア社が販売している救急用の保護剤(テープ)で、皮膚の様々な”傷”の保護に使われます。
このフィルムを使用することで、急性放射性皮膚炎の発症を抑えられるかどうかについて、過去の2本のランダム化比較試験の結果は相反するものでした。
そこを決着つけに行ったのが本試験です。
手術の種類(全摘or温存)、放射線量や照射方式がバランス取れるように、メピテル使用群と標準的ケア群の2群に分けて比較してみたところ…
グレード2もしくは3の急性放射線炎の発症率は、
メピテル使用群:15.5%
標準的ケア群:45.6%
とメピテル使用群の圧勝。当然有意差もついています。
患者本人による評価でも医療従事者による評価でも、”Radiation-Induced Skin Reaction Assessment Scale”という急性放射性皮膚炎症状スコアはメピテル使用群が、優位に小さいという結果。
このような「現場のちょっとした工夫」レベルの話に、しっかり科学的な根拠が付与されるというのは素晴らしいですね。
今後、”標準治療”としてメピテルフィルム使用が広がっていくことを期待したいです。
※本項執筆時点(2023年2月28日)で、筆者はメピテルフィルムに関して、特筆すべき利益相反はありません。
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2022年11月の夢
- 2022年11月30日 水曜日 6:36 夢 見たけど忘れた
- 2022年11月29日 火曜日 6:17 夢 どこかのホテルの一室。一階らしい。平たい感じの部屋。睡眠薬を飲むよう強要される。オレンジ色の粒で、全く眠る事ができない人に処方されるもの。口に入れるが、半分溶けたくらいで吐き出す。ピンク色の絵柄の日本の切手があり、ライターで火をつけ、煙を吸引するよう言われ、やだなと思う。口呼吸でなるべく吸う量を減らす。自分より年下の女性もおり、酩酊している様子。自分も酩酊しているふりをするが、ふりをするほうが難しく、飲めばよかったなと思う。 ホテルの一室。利用者の女性。東南アジアのような雰囲気。
- 2022年11月28日 月曜日 5:46 夢 地震のようなもの。家の基礎がむき出しの建物に乗っている。母もいる雰囲気。三層ほどある。揺れで動き始める。行き先がコントロールできるわけではない。曲がりながら進む。途中、老人二人が乗った台車があり、なすすべなくぶつかる。あー、このまま行くとぶつかる、と思いながら止まることもできず巻き込むのですごく嫌な気分。どうなったのかは分からない。曲がり、最終的にどこかの空き地に突っ込むようにして止まる。恐山の背中がある。実家のキッチンに頭を突っ込むような格好。 なおくんの携帯をメルカリのようなシステムを使って売りに出している。ピンク色で二つ折の古い機種。売りやめに設定し直す。 親戚の抽斗。もうここを去るため、抽斗に入っている自分の私物を取り出そうとしているが、誤解を招きそうなのでためらう。 女の子の名刺。何枚かあり使い分けできるようになっている。よく見ると染みが付いていたり、連絡先が書いてあったりなかったりする。
- 2022年11月27日 日曜日 7:21 夢 父と父の友人のような人物。車載カメラについての話をしている。今は小型カメラが安く、アプリで撮ったものがすぐ見られるので良いというプレゼンをする。自宅のカメラを試しに見せようとすると子供が群がっている画などが撮れており、一箇所にしか置いていないはずなのに少し変だなとよぎるが、夢だと気づくほどでない。
- 2022年11月26日 土曜日 9:22 夢 事務所のようなところ。赤い掃除機を私物として床に置いている。社長が出勤してくるが、着衣はほぼ肌着のみで、歩いたあとに大便が散乱している。かなり痴呆様の症状が出ているよう。先輩が駆け寄り、後始末をしている。自分につくかつかないかギリギリの位置。 スマホをいじって人に何か見せようとしている。フォルダ内に、オペラの音源をダウンロードしたときに発生した謎のスクショが数百枚も保存されており、地層になっている。なんで?と言い合いながら遡るが、勢い余ってそれとは無関係のエッチなスクショが表示され、一瞬だったけど今のは認識されただろうかと懸念する。 かつての生徒の忘れ物。カラフルな手袋、楽譜、マフラーなどが薄い封筒に入って引き出しに保管されている。 和室。ふすまの壁際に布団を積んでおり、そこにいる。
- 2022年11月25日 金曜日 6:12 夢 見たけど忘れた
- 2022年11月24日 木曜日 6:32 夢 Rさんが妊娠の知らせ。顔を合わせると、ロングヘア、かなり痩せており、今とはがらっと印象が違う。 屋外。空き瓶におもちゃの網をさしこみ、シャボン玉を噴き出す仕組みをつくる。 階段を通る。ナグチャンパの匂いがする。行者のような雰囲気の男ら。
- 2022年11月23日 水曜日 7:23 夢 潰れたロッヂのようなところを訪れる。雪が積もっている。Fに似た女子がおり、クロスカントリーで来たことあるかもしれないねと伝える。壊れて動かない自販機、廃屋になった土産屋。鍋の模型などが見える。 前の会社の社長と女性、自分の三人。円形のマッサージ設備に入り、視力などを計測してもらう。 浴場。浮浪者のような男性が周囲の人々に絡んでいる。Mさんに似た女性が慣れた動きで男を制圧するが、途中で逆にビニール袋を利用したチョークを掛けられてしまう。助けに行きたい、今なら簡単に後ろを取れそうだが、ぜんぜん自信がなく、一歩出たり戻ったりする。
- 2022年11月22日 火曜日 6:37 夢 雨が降っている。Tさんの運転する車に乗り、ふもとに戻る。膝に痛みがあるので足を投げ出していると傘を折り畳もうかという申し出に気を遣われる。 冷蔵庫内の掃除をする。それほど大きくない庫内に溢れたタイ米などが敷き詰められており、拭き取る。もういらないものを捨てる。バナナが三房もある。わかりやすいように入れ直す。 母と議論めいたことをしている。自分の感情をめちゃくちゃセーブしており、〇〇するとこうなっちゃうけど、それについてはどう思う?みたいな話し方を意識的にしている。
- 2022年11月20日 日曜日 8:16 夢 赤い髪のキャラクターがいる。キャラクターが数名おり、場所を交代する。
管理物件にいる。見たことない建物だ。古めのRC造。階段で行くと図書館のようなスペースがある。いい雰囲気。24時間使えるらしく人がちらほらいる。風呂に入る。大浴場。24時間循環している。そろそろ閉めるため誰もいない。電気がついておらず窓からの明かりだけで薄暗い。レジオネラのことが頭をよぎる。
- 2022年11月19日 土曜日 7:53 夢 ギョロギョロした眼球の水棲のパンダを見る。 高台に納戸のような空間があり、昔使っていたようなものが保管されている。バックパック、ポータブルCDプレーヤー、小型の扇風機。一面の壁が抜かれており、空がそのまま見える。 先日終わった会社のイベントが荒涼とした土地でまた開催されており、誰かをそこへ案内しようとしている。概要を話す。赤茶けた地面。
- 2022年11月18日 金曜日 5:54 夢 図書館にいる。 飯を食べていくことになる。Hさんといる雰囲気。エンパイア中華という店名。野菜イタメ200円、ビール。野菜4種類だと2800円。 和菓子に関係がある。急須など。母の実家周りの空気に似ている。いいとこのお嬢様みたいな子。
- 2022年11月17日 木曜日 6:39 夢 水槽のような船。潜水艦に近い。先輩と乗っている。 実家のそばにドーナツショップができている。赤と黄色の特撮のような店名ロゴ。 水槽に小さなタツノオトシゴと赤べこの中間のような生き物がいて、気になり、じっと見る。写真撮る。 大きなゲジを最近見ない。大きいと言ってもまじで両手で持つサイズの。 かっちりした感じの壮年男性が祖父に境界の話や農機具を自分で所持しているのか事細かに聞いているのを後ろで聞いている。なぜそんなことを聞くんだろう、あんまよくないなと警戒心を抱いている。 ドーナツショップの向かいには昔からある小間物屋があり、まずそっちへ。パンも売っていたはずだが外観だけ見てもパンを売ってるとは分からない感じになっており、こうなっては時間の問題という感じがする。妹は赤いカゴを購入するらしくそんなものが欲しいのかと思いながら見ている。
いとこの下の子がまだ小さい。夏らしい。来たばかり。缶入りの韓国飲料っぽい飲み物を用意する。暑くて食欲がないかもしれないことを気にしている。 おばもすごく若い感じ。ラーメンを食べている。子供が子供を連れてる感じ。
- 2022年11月15日 火曜日 6:24 夢 なんとなくいい夢。通用デッキを通ってダイソーへ入る。移民が多い。青いタコの足を模した駄菓子が売られている。輸入品らしきなにかを巻いて切った飴のようなもの。たぶん絶対まずい。
- 2022年11月14日 月曜日 6:05 昨日の夢 夢は忘れたが朝方に共用部分から社長(おじいさん)の声が聞こえ、何かしらの作業の段取りを聞いている感じで、やば!ここってうちの物件!?となってしまった。そんなわけない。しかしかなりはっきりと社長の声だった。
夢 隣の奴が夜中に活動しているのでうるさい。
- 2022年11月12日 土曜日 5:16 夢 カレーを作成する。
- 2022年11月11日 金曜日 6:04 夢 会社絡みの何か、社長の知り合いが経営しているどこかの弁当屋のシフトが足りないらしく、自分が入る必要がある。とはいえ口先だけで実際には入らなくていいことになるんだろうとたかをくくっているが、だんだんえ?本当に?と真実味が出てきて、本当に行きたくない。 いい本を読む。中村佑介がもっとマンガっぽくなったような絵柄のイラストエッセイで、読みでがあるので買おうと思い裏表紙を見る。
- 2022年11月10日 木曜日 6:48 夢 パリアパラックスアカデミー 昔作った本のフォントがガタガタで???と思う
- 2022年11月9日 水曜日 6:18 夢 プログラムタイマー導入して照明をいきなり点けることで起床したらびっくりして忘れた
- 2022年11月8日 火曜日 6:13 夢 同人の人から感想が届く。次の三連休に会えないか聞かれているが、返事をモタモタしているうちにその三連休になってしまっており、ああもう無理だ…と思う。 実家の収納棚。奥の棚に母が購入したらしき美顔器類が入っている。入居者のAさんがおり、話しながら手羽元を取り分けようとしているが、肉が糸を引くような様子を見せ、自然な感じで舌打ちしている。 外の道。原付。浮く様子。
- 2022年11月7日 月曜日 7:10 夢 記述の論点を服部さんに修正される。和室にメモのようなものが置いてあり、直しだらけだが、専用の本など見ればわかるようになっているらしい。 カッパの巣。 手作りらしき不恰好なホールのチョコレートケーキが冷蔵庫にあり、カビているのかいないのか微妙だが、表面を削ればいけると判断する。
- 2022年11月6日 日曜日 7:06 夢 見たけど忘れた
- 2022年11月5日 土曜日 8:16 夢 実家。弁当を作ろうとしている。柿を細切りにしたものに、ふとネットで見たことを思い出してレモン汁をかける。母に食べさせると好評だった。レモン汁が樹液のような色をしている。 何かでやや揉める。
- 2022年11月4日 金曜日 6:42 夢 お客さんに化粧品を貸す。入居者のTさんと弊社のTさん。ちょっとだけなのであまり気にしていなかったが、ものすごく使い方が荒く、衝撃を受ける。 荒れているお客さんを遠巻きに見る。 宮司の持つようなものが売られており、妹にあげたくなるが、手に取って見ると9260円ほどもするのでそっと戻す。
- 2022年11月3日 木曜日 7:10 夢 妹のメモを読む。うまい。散らかっている部屋、ハンガーラックが壊れているので直し、新しいものを導入する。 豆苗が好きな神様。
- 2022年11月2日 水曜日 6:51 夢 見たのはたしか
- 2022年11月1日 火曜日 7:03 夢 みなみがいる。のんみたいな子がいる。黒と白のビーズネックレス、HAYの手提げ。駐車場に赤い車。ラーメン屋。赤い丼。へりが丸まっている黄色いテーブル。 弊社の社長が見える。納屋のような庭のような広いところ。イワクラゲの繁殖しているぬかるんだ庭。
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第12回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネス合宿(2023年8月26日-27日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202308.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/812427666889630
今年で11年目を迎えたオープン合宿。「160年の荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社&御岩山への巡礼も行う予定です。
そして、木の里農園さんのコテージを拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」での援農・収穫体験をし、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、そして冷たいスイカと花火で夏の日の夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラーの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★有機農指導担当:布施大樹さん(奥様:美木さん) ●東京都出身。東京農工大学農学部環境・資源学科卒業。在学中に沖縄の波照間島でのサトウキビ刈りアルバイトで農業に目覚める。栃木県の帰農志塾で研修後、1998年に現在地に就農。あらゆる野菜・作物の栽培、管理を行い有機農業の可能性を追求。家族で約2haの木の里農園の経営を行い、約50種類の有機野菜を全国に出荷している。
・木の里農園 http://konosato.com/ ・種継ぎ人の会 http://tanetsugibito.com/
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
■開催日:2023年8月26日(土)- 27日(日)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日27日16時頃に現地解散予定です
■集合場所: 道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694−3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)> *10時:集合場所(道の駅さとみ) ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り *10時15分〜:手打ち蕎麦ワークショップ *12時〜13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶 *13時30分〜22時頃: ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。 ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります) ・300年古民家「菊地邸」訪問 ・木の里農園にて有機野菜の調達体験 ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け ・よる花火とスイカのうたげ ・荒蒔邸の囲炉裏を囲んでのダイアローグ(対話) ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算) *22時頃:自由時間 *23時頃:就寝
<8月27日(日)> *05時:起床〜朝のさんぽ(朝陽を拝む) *06時:全員で朝食準備&朝食&片付け *08時〜:森夕花先生のマインドフルネスセッション *10時〜:清掃・片付けをし移動 *11時〜:御岩神社、御岩山巡礼リトリート(標高492m) *14時〜:日立おさかなセンター食事処で昼食&クロージング *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。 お気軽にお申し込みください。以下は参考です。 どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、 スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、 リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。 お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります) http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:15名限定 ※先着順。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
Peatixからの支払いも可能です。 https://kanglohoops202308.peatix.com/view ②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
④これにて「申込完了」となります。
■詳細パンフレットを下記よりダウンロード頂けます。雰囲気だけでもどうぞ。 https://firestorage.jp/download/0043db17b8ec86a09890b17a59239b92fbadf08d
■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
■協力:木の里農園 布施大樹さん・美木さん、深津澄世先生、田中尚也さん、本橋寿幸さん、藤井家母、実弟
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08280005
.........だから、俺がもし大通りで通り魔殺人をするなら、きっと最初に狙うのは腹の大きな女だ。子供が狙い目だと思われがちだが、案外そうでもない。もう生まれてしまった子供は親が必死になって守るから、むしろ普通の人間よりも狙いにくい部類だろう。くだらないが、それを無理矢理狙って殺すのは至難の技だ。両親が揃っているなら尚更。
俺の目の前でベビーカーを押す女が楽しそうに旦那に話しかけて、旦那は嬉しそうに目を細め子供をあやしている。ああ、世界共通の幸せの絵だ。反吐が出る。
幸せ、ってなんだ?他人から見て、己が幸せな姿に映ることか?いや、違う。幸せは、自分の置かれている状況について何も不平不満を抱かず、我慢を強いられることなく、全て俺の意のままに遂行されることだ。そうに違いない。幸せ、幸せ。ああ、俺は幸せになりたい。ずっと子供の頃からの夢だった。幸せになることが。幸せになることこそが。
他人の幸せに対して恐ろしく心が狭くなったのは、きっと今俺の置かれている状況が著しく幸せから遠いから、だろう。社会の中での立ち位置も、持って生まれた時点で腐っていた神様からのギフトとやらも、白痴付近を反復横飛びする出来の悪い頭も、見てくれの悪さも、全てだ。
自ら遠ざかったつもりはない。人の幸せを妬んで、それで、手に入らないことには気付いていて、そして、そして、?
?ん、あぁ、覚める、ダメなやつだ、これ、と、思考が曖昧になって、見えていたものも、匂いも、温度も、何もかもが遠ざかって、そして、何も見えなくなった。
極めて自然に、目蓋が開いた。手探りで掴んだスマホの画面を見れば、時刻は朝の5時を少し回ったところだった。曜日表示は土曜。どちらにせよ早すぎる。
"彼"の中途半端に病んだ思考が俺の頭と同期して、混ざろうとしているのが分かって吐き気を覚えた。やめろ。混ざるな。のそり、重たい身体をベッドから引きずり起こして、ふらふらと冷蔵庫に縋り付き、冷えたミネラルウォーターを喉へ流し込んだ。水の通り道が冷えていって、そして胃の辺りがじんわり冷たくなる。物理的にはあり得ないが、その温度は首の後ろを通って、脳へと伝わり、思考が少し、冷めていく。
何が通り魔だ。情けない。俺の夢を支配して、外に出たがったくせにやりたいことがそんなバカの憂さ晴らしだなんて興醒めもいいところだろう。しかも、やる前のウジウジした感情から見せるなんて。はっ。しょうもない。どうせなら血溜まりの中の回想にでもしてくれていれば、今頃、小話くらいには昇華出来たものを。
奴の目線から見えていた短い指と、くたびれ皺の寄ったスーツとボロボロの革靴、己を嘲笑っているように見える周りの視線と話し声、やけに煩いメトロの到着メロディ、喧騒、咽せるようなアスファルトの油の匂い、脳天に刺さる日差し、それら全てを戦後の教科書の如く黒塗りで潰して、そして、深呼吸ののち頭の中のゴミ箱へと入れた。これで、俺は、俺に戻れる。もう一眠りしよう、と、布団に潜り込み、俺は柔らかい綿人形を抱き締めて、眠るための定位置へと着き直した。
物書きで飯を食える、などという夢を抱く間もなく、敷かれたレールに乗って模範囚の如く社会の、それも下の方の小さな歯車の一つに成り果てた俺。チャップリンのように笑えたらいいんだろうが、生憎笑えない現状の片手間で書いている小説、そんな大層なものではないが、もう200を超えただろうか。��しく数を数えてはいない。数字を重ねることに、大して意味はない。ただ増えていくソレを見るよりも、彼ら、彼女らの過去、未来に想いを馳せる方がよっぽど大事だ。俺は、彼らの人生を文字に変え、束の間の虚無を忘れている。
俺は、自分の力では、小説を書けない。
一昔前に流行ったゴーストライターではなく、どこかの小説の盗用でもない。人から詳細を聞かれたら、「主人公達が動くのを見て書いてる」と答えて誤魔化しているが、俺は、自分の夢を小説にしていた。いや、自分の夢でしか、小説を書けない。
夢の中で、俺は俺じゃない誰かとなって、違う人生の一部を経験する。なった誰かの感情と共に。そしてその夢は、嫌に鮮明に、必ず完結して終わる。
そのおかげで、俺はまるで自らが体験したように、綿密な話が書ける。不思議と夢を忘れることはなく、内容によっては自ら夢を捨て、今朝のように半ば不快感を持って目覚める。そして、その夢の記憶はじきに消える。
そうして俺は眠り、夢を見て、出てくる彼らの物語を文字に認めて、満たされず空虚な、平々凡々な自分の人生を今日も狂気で彩る。
ある日偶然君の皮膚片を食べた時、世界にはこんなにも美味しいものがあったのかと感嘆し、感動のあまり失禁したことを思い出した。
目が覚めた瞬間、これよりいい書き出しは無い、と思った。思考は溶けた飴のように彼のものと入り混じっていて、はっきりと覚醒はしない。恐らく、俺の思考は殆ど死んでいるんだろう。今こうして無心で手を動かしているのは、確かに生きていた彼だ。口内には口にしたこともない見知らぬ女の皮膚片の味がこびりついて、舌の上がまだぬるぬると滑る感覚、しょっぱい味が残っていた。食べたことのない味。ああ、書かないと、無心で筆を走らせる。書く瞬間、俺は俺でなくなり、彼が俺を使って脳を動かしているような感覚に陥る。戻ってこられなくてもいい、そのまま彼に身体を明け渡しても後悔なぞしない。と、俺は諦め身体の主導権を彼らに手渡している。
ふと気が付いたときには、もう小説は書き上がっていた。軽く誤字を確認して、小説掲載サイトにそれを載せる。人からの反応はない。別に必要はない。
サイトを閉じ、ツイッターを開く。現れたアカウントでただ一人フォローする彼女のアイコンを見て、そしてDMを開いて、青い吹き出しが羅列される様をざっと見て、心が幸せに満たされていくのを感じる。じわり、と湧き出たのは、愛情と、快楽と、寂しさと、色々が入り混じったビー玉みたいな感情だった。
彼女は、ネットの中に存在する、美しく気高く、皆から好かれている人気者。そんなのは
建前だ。彼女は、まさしく、
「おれの、かみさま。」
そう呟いて画面をなぞる。ホワンと輪郭がぼやけたケーキをアイコンにしているあたり、ここ最近どこかへケーキを食べに行ったのかもしれない。俺が彼女について知ってることは、声を聞く限り恐らく女性で、恐らく俺よりも歳が下で、俺のことなど認知すらしていない、ということだ。
別に悲しくなんてない。彼女はただここにいて、俺に愛されていてくれれば、それでいい。拒絶されない限り、俺の幸せは続く。好きだ、好きだ、今日も彼女が好きだ。
彼女のツイートは食べたスイーツのこと、日常のほんの些細ないいこと、天気のこと、そんなささやかな幸せに溢れた温かいものばかり。遡る度、何度見ても心が溶かされていく。
どこで何をしているのか、どんな服を着て誰と笑うのか、そんなのは知らない。どうでもいい。得られないものを欲しがるほど俺は子供じゃない。そばで幸せを共有したいなど、贅沢が過ぎて口にした日には舌でも焼かれそうだ。
『今日も、好きだよ。』
また一つ増えた青い吹き出しをなぞり、俺は不快感に包まれる頭を振り、進めかけていたゲームの電源を入れた。時刻は午後の2時。窓の外では蝉がけたゝましく鳴いており、心の底から交尾を渇望しているらしかった。
触れ合えないことを、惜しいと思わない日はない。彼女の柔肌に触れて、身体を揺さぶって一つになることが、もし出来るのなら、俺は迷わず彼女を抱くだろう。幾度となくそんな妄想で、彼女を汚してきた。俺の狭い部屋のベッドの上で、服を雑に脱ぎ散らかし、クーラーでは追い払い切れない夏の湿気と熱気を纏った彼女が、俺の上で淫らに踊る様を、何度想像したか分からない。その度に俺は右手を汚し、彼女への罪悪感で希死念慮が頭を擡げ、そしてそんな現実から逃げるように夢を伴う惰眠を貪る。
彼女を幸せにしたいのか、彼女と共に幸せになりたいのか、彼女で幸せになりたいのか、まるで分からない。分からない、と、考えることを放棄する俺の脳には、休まる時はない。
俺の中の彼女は最早、彼女本人からはかけ離れているのかもしれない。俺が見る夢の種類は大まかに分けて二つ、目を覆いたくなるような凄惨な感情の入り混じるものと、急に凪になった海をただ眺めているような穏やかなもの。後者に出会った時、俺は必ずと言っていいほど相手の人格を彼女に当てはめる。彼女は右利きで、俺の左に立つのが好きだ。彼女は甘党で、紅茶に詳しくダージリンが特に好み。彼女は子供が好きで、時折自身も無邪気に遊びまわる。彼女は、彼女は、彼女は。どれも、ツイートからじゃ何も読み取れない、俺が付与した彼女のあるべき姿だ。起きて、文章を仕上げて、そして心には虚しい以外の感情が浮かばない。
分かりやすく言うなら、花を育てる感覚に似ている。水を注ぎ、栄養をたっぷり与え、日の光と風を全身に浴びさせて、俺が花から得る物理的なものは何もない。花の子孫繁栄の手助けとしてコマとなり動いたに過ぎない。花側から見ても、ただ育った環境が良かったという認識にしかならないだろう。それでいい。俺はただ目の前で、花が咲くのを見られたらそれで良かった。植物と違って人間は枯れない。根腐れもしない。メリットがあれば、大切に大事に育てれば、半永久的に、花を咲かせ続けてくれる。これほど幸せなことはないだろう。自らの手で育つ様を、永遠に見られるなんて。
ああ、今日も彼女が好きだ。
恋は病気で愛は狂気。言い得て妙だ。病気、狂気、これはまさしく狂気だろう。まごうことなき、彼女への愛なのだから。世間で言う正しい愛じゃないことくらい、まだ正気を保ってる俺の脳は理解してる。が、正しさが必ずしも人を幸せにするわけではない。しかし、正しくない、道が外れている、本当の愛ではない、そう声高に叫ぶ内なる自分がいるのも確かで、結局俺は世間よりも何よりも、俺に足を引っ張られて前に進めないまま、深く深く沈んでいく。ただ一つ言えるのは、どんな形であれ、俺が彼女に向ける愛は狂気であり、すなわちそれが愛ということだ。
純粋な愛からなる狂気ならどれほど良かっただろう、と、目覚めた瞬間トイレに駆け込み僅かばかりの胃液を吐き出しながら考えていた。つい先日の思考を巻き戻して、何処かに齟齬があったかと必死に辿るが吐き気に消されて頭の中が黒に塗り潰される。
違和感を感じたのは夢が始まってすぐのことだった。視界が、進み方が、現実と大差ない。変だ。いつもなら若干の浮遊感から始まる夢が、地に足ついた感覚で、見える手や腕も自身のもので恐らく間違いない。なぜだ。初めてのパターンに内心は動揺しているが、夢の中の俺は平然としている。俺は黙々と愛車を運転し、車は山道を奥へ奥へと進んでいく。ガタゴトと揺れる車に酔いそうになりながらも、ナビを切りただ道なりに進んで、そして暫くしてから、脇道へと入った。脇道といっても草は生え放題、道未満のその木のないエリアを少し走ってから車を止めた俺は、車内のライトをつけ、行儀悪く身を乗り出して後方座席へ移動し、転がっていた黒い巨大なビニール袋を破いた。
キツく縛られまるで芋虫のような姿で袋から出てきたのは、紛れもない、何度夢想したかわからない、愛おしい彼女だった。俺は、彼女の着ている薄いワンピースの感触を楽しむように掌で撫で、身体のラインを触れて覚えていく。凹凸、滑らかな生肌を想像しながら身体を撫で回し、スカートの裾を少しずつたくし上げていく。彼女が噛んでいる猿轡には血が滲んでおり、嫌々、と首を振っては綺麗な涙をぱたぱた散らす。そのリスのような丸い目に映る俺はきっと、この世の誰よりも恐ろしい化け物に見えているだろう。身体を暴く手は止まらない。胸を、局部を、全てあらわにし、下着を一度抱きしめてから破り捨てる。そして、現れた汚れなき場所へ、手を、口を寄せ、��して、俺は、彼女と、一つになった。頭の中が気持ちいい、暖かい、柔らかい、という白痴のような感想で埋め尽くされる。彼女に埋まった俺の身体の一部が溶けてしまう、気持ち良さで脳が溶けてしまう、身体の境界も全て失ってただ善がる概念になってしまう。ああ、ああ、と、感嘆する声が漏れて、俺は目の前の柔い身体を撫で回し、噛み、舐めしゃぶり、全身で味わった。涎が溢れて止まらない。彼女の柔らかい腹にぼたぼたと泡混じりで落ち溜まっていく。鼓膜に己の荒い呼吸音だけが響いて、車外の虫の声も彼女の呻き声も、何も聞こえない。ただただ車はギシギシと揺れ、彼女の目尻から絶えることなく涙が溢れて、俺の心から絶えることなく多幸感が溢れて、彼女の中に彼女と俺が混ざり合った生き物の種が植え付けられた。
死んだと見間違う目をした彼女へ、俺は口を寄せて一言、囁く。
『今日も、好きだよ。』
そこで目が覚めた。
吐くものが無くなってもまだ喉がひくりひくりと痙攣していた。苦しい。買い溜めしておいた水の段ボールを引き寄せて、無造作に掴んだ一本を雑に開け胃へと流し込む。零れた水が首を伝ってTシャツを濡らした。ぜえぜえと喉が鳴る。頭を振り払って、絞り出した声は驚くほど情けないものだった。
「そんな、はずはない、あんなの、俺じゃ、俺じゃない、っ、ぅ...」
逆流する胃液に応戦するように水を飲む。喋ると逆効果なのは分かっているのに、誰に主張したいのか、言葉は止まらない。今話しているのは俺か、誰か、分からない。
「俺はそんなこと望んでない!!!!っ、くそ、ふざけんな...っ、クソ...」
込み上げた涙は悔しさ故。浅ましい己の脳がどうにも恥ずかしく、憎らしく、それに縋って自尊心を保っていた己が卑しく、そして何よりも己の夢の特性に殺意が湧いた。
一度、目を覆っても嫌になるような凄惨な夢を見た。それは、簡単に言えば理不尽な男がバールで一家をぐちゃぐちゃに叩き潰す話だった。書くべきなのか、と筆が止まり、彼の人格を放置したまま俺は1日過ごして眠り、そして、同じ夢を見た。次の日も、次の日も、むせ返るような血の匂いと足を動かすたびにびちゃりと鳴る足音と、頭部を殴った拍子に転がり落ちた眼球を踏んだ足裏の感触と、その後彼の同居人が作ったハンバーグの味が消えないまま1週間が経ち、俺は書かなければ夢に殺されると自覚して、筆を取った。
夢を使って自分を満たす以上、逃げることは許されない、ということか。忌々しい。まだ治らない吐き気に口元を押さえ、放り投げていたスマートフォンを手に取った。仕事を休んでも夢に囚われ続ける。ならば、書くしかない。時刻は朝の4時半過ぎを指し示していた。
そして、彼女を好き放題貪った話がスマートフォンの中に出来上がった。満員電車で誤字チェックをすると、周りの乗客の視線がこちらに向いている気がした。フラフラするが、仕事からは逃げられない。あの夢も、俺の偽物もこれで消えた。今日は眠れる。
楽観視、だったんだろう。巣食う闇の深さは思った以上だった。俺は翌日も吐き気で目覚めトイレに駆け込み、脳内をぐるぐると駆け回る、四肢に残る彼女の感触と、膣内の締め付けと湿り気、背中に走る絶頂感と共に噛みちぎった喉笛のコリコリとした食感、口に溢れる鉄臭い鮮血の味、そして、恍惚とした表情で俺に抱かれたまま絶命した彼女の顔を、振り解いて捨てようとしては目眩に襲われた。
「分かった、書くから、分かったから...俺じゃない、あれは俺じゃない、俺の皮を被った偽物だ、」
彼女の夢を見始めてから、ツイッターを覗かなくなった。
彼女は、毎日俺の夢に出てくるようになった。最悪の気分で夢に無理矢理起こされ、時折吐いて、震える手でなんとか夢を文字で起こして、溜まっていくそれらはメモを圧迫していく。救えない。先が見えない。
そして夢で彼女を殺し始めてから、今日で3日が経った。もう、うなされることも跳ね起きることもない。静かに目を開けて、見慣れた天井を認識して、重い胃を抑えて起きるだけだ。よくもまああんなに楽しんで殺せるもんだ。と、夢の内容を反芻する。
彼女の膨らんでいた乳房も腹も尻も太ももも、鋭利なサバイバルナイフでさっくりと切り取られていた。カケラはそこかしこに散らばって、手の中には乳房があった。俺は生暖かい開かれた彼女の腹に手を探り入れて、挿入していた愚息を膣と、そしてその先に付いた子宮の上から握りしめた。ないはずの脈動を掌で感じるのは、そこが、命を育む大切な部屋だから、だろうか。暖かい、俺の作られた場所。彼女の作られた場所。人間が、人間になる場所。ああ、気持ちいい。無心で腰を動かせばがくがく揺れる彼女の少ない肉が、小さく蠢いているように見えた。動きがてら肋骨あたりを弄れば、つまみ上げた指の間で蛆虫がのたうち回っている。気味が悪い、と挟み殺して、彼女の内臓に蛆虫の体液をなすりつけた。目線を彼女の顔までやって、いや、そういえば頭は初日に落としたんだった、と、ベッド脇の机に鎮座した彼女を見遣る。目線を腹に戻す。食いちぎったであろう子宮の傷口からは血と、白濁の体液が流れ出て腹膜を彩っていた。芸術には疎いが、美しいと感じる色彩。背筋に快楽が走る。何時間でもこうしていられる。ああ、ああ、嗚呼......
こんなはずじゃなかった。彼女と見る夢はもっと暖かくて、綺麗で、色とりどりで、こんな狭い部屋で血肉に塗れた夢じゃなかったはずだ。どこで何を、どう間違えたのか、もはや何も分からない。分からないまま、夢に囚われ、俺は今日も指を動かすんだろう。
スマートフォンを握った瞬間、部屋のチャイムが鳴った。なんだ、休日のこんな朝早くに。宅配か?時計を見て顔を顰め、無視の体勢に入ろうとした俺をチャイムの連打が邪魔してきて更に苛立ちが増す。仕方なく、身体を起こして彼女の眠るベッドから降りた。
床に降り立つ足裏に触れる無数の蠅の死骸の感触が気持ち悪い。窓は閉め切っているのに片付けても片付けても湧いてくるのはなぜなんだろう。追い討ちをかけるように電子音が鳴り響く。休日にも関わらずベッド脇の机に鎮座し勘違いでアラームを鳴らす電波時計にも腹が立つ。薙ぎ払えば一緒に首まで落ちて気分は最悪だ。クソ、クソクソクソ。ただでさえ変な夢を見て気分が悪いのに。鳴り止まないチャイム。煩いな、出るよ、出るっつってんだろ。俺は仕方なく、着の身着のままで玄関のドアを開けた。
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[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であること��明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この���意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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法輪功的造謠掩蓋不了其邪惡偽善荒淫的本質
自中國出現新冠肺炎疫情以來,法輪功媒體使出了渾身解數,大肆造謠污蔑攻擊中國共產黨和政府,玷污中國人民,與西方反華敵對勢力沆瀣一氣,欲將投身於“戰疫”的中國人民視作病毒,氣急敗壞的呐喊聲中妄圖推動中國制度的垮臺,充當他們西方主子的馬前卒,對中國長城實施攻城掠地,反攻倒算。從法輪功邪教集團的20多年歷史看,這無非是其一貫的風格和套路。
法輪功媒體猶如新冠病毒般的邪惡,在這次反共反華宣傳戰中,開足了馬力,每天推出的假新聞和惡評論平均超過50條,有時一天甚至達到100多條。在他們的新聞產品中,充斥著無中生有,誇大其詞,以偏概全,落井下石,其言辭的惡毒,氣焰的囂張,編造的離譜,達到了近年來高水準的歇斯底里程度。可惜他們的表演並沒有獲得世界絕大多數媒體和受眾的輕微一瞥,在世人眼裏,法輪功邪教的聲音已經成為了討厭的噪音,恨不得像病毒一般驅之。
法輪功生來就是怪胎
法輪功邪教教主李洪志以法輪功名義傳功的起始時間是大約在1992年的5月前後。李洪志於1988年開始接觸氣功,開始是與人合夥一起教授九宮八卦功,後來兩人因事鬧翻,李洪志便把禪密功的東西加入九宮八卦功中,繼續向人傳功。由於傳功業績不佳,李洪志於是以探親名義前往泰國其妹處住了一段時間。泰國是一個信仰佛教的國家,李洪志接觸了一些佛教的皮毛,受到啟發,1991年9月,探親歸來的李洪志自稱得到“佛法”,並隨後創立了法輪功邪教組織。1999年7月22日,中國政府正式把法輪功定為邪教並加以取締。
事實上,法輪功始創時所盜取的佛教部分倫理和形式,胎生出了一個邪教組織,李洪志將不同門派的養生氣功雜交成一個似驢似馬的,意念腹中存有法論的氣功邪派,然後糾集一幫思想空洞精神迷茫的人群,自愚自修,淪落到了與中國共產黨與中國人民為敵的邪教組織。從任何意義上說,李洪志這個巨騙創辦的法輪功,既沒有佛家道行的基礎,也沒有醫學的價值,沒有養生的元素,更加沒有積極的社會意義,所以很快被國際社會唾棄和蔑視。法輪功就是一個活了20多年的畸形怪胎,按照邪不勝正的規律,它的氣數隨時將盡,壽終隨時出現。
李洪志泰國嫖妓采陰補陽
李洪志在法輪功被中國政府取締後逃到外國,尋求西方的支持,四處建立法輪功的基地。在香港,李洪志與香港本地合夥人簡鴻章發展了一批從中國內地移民到香港的法輪功邪教分子成立了香港分部,但香港原有的宗教文化根基穩固,天主教、基督教和佛教教徒已秉持固有的信仰,法輪功邪教無法從當地人中間培植教徒,因此香港法輪功邪教分子大都是內地移民。
李洪志的邪教教主本質從其荒淫生活中可見一斑。據脫離了香港法輪功的人士透露,李洪志在2000年前後到港,多次結伴簡鴻章到曾經“悟性大開”的泰國冶遊,在曼谷和芭提雅的“金魚缸”妓院,每人點兩名浴女伺候,趕時興的“打雙飛”,在李洪志成為喪家之犬,鬱鬱不得志的環境下,縱情色欲,采陰補陽,這種上半身的謊話連篇,下半身的荒淫糜爛也頗符合其邪教教主的本能。
邪教組織內部,無一例外地會有荒淫的勾當發生。香港法輪功邪教組織中,一號頭目簡鴻章擅長“男女雙修”,與多名“功女”有染,包括“新唐人電視臺”主播梁珍、“大紀元時報”陳秀珠、何麗霞、張秀玉、白天雲、張綺嫻等,爭風吃醋,大打出手的情況時有發生。由於香港法輪功內豔色事件頻發,組織內權鬥升級,迫使簡鴻章辭去“大紀元時報”社長一職,但仍作為香港法輪功邪教組織的負責人。
法輪功的“不藥而愈”破產
法輪功宣稱練功可以治病,“不藥而愈”之說盛行一時。實際上,法輪功邪教成員諱疾忌醫導致錯失醫治時機而死亡的人數不計其���。很多骨幹成員為了迷惑外人,稱自己原來身體不好,因為練了法輪功而變好了。其實,他們自己也惜命如金。“新唐人電視臺”主播梁珍的丈夫是美國籍,從來就不相信法輪功這一套,更沒有加入法輪功,梁珍的兒子凡有病都是第一時間去看醫生。
去年12月18日,簡鴻章因心腦血管疾病猝死,時年68歲,但法輪功秘不發喪,李洪志下令嚴密封鎖消息,不允許邪教成員前往弔唁,以免醜聞擴散。
2009年4月,香港“法輪功”骨幹朱賢溢突然病死。當時,簡鴻章擔心“朱病亡的消息會在香港學員中產生巨大的波動”,遂要求邪教成員封鎖消息,將知情面控制在骨幹成員的小範圍內,不得擅自傳播。未曾想十年後,簡鴻章自己也落得猝死身亡、秘不發喪的可悲下場。
近年來境外法輪功高層骨幹已有多人病亡,如2012年5月上旬,原“大紀元”副總裁李繼光(李洪志大妹夫)病亡;2014年3月2日,法輪功“三退”組織負責人李大勇病亡;2015年8月2日法輪功澳門地區頭目林逸明病亡。甚至自封“宇宙主佛”的李洪志,也沒能“發功”挽救他親生母親盧淑珍的生命,其於2016年8月24日病亡。
美國法輪功骨幹楊森的妻子劇玫因患卵巢癌、肺癌於2015年病亡。頂著博士頭銜的楊森是法輪功重要骨幹,現擔任“美中法輪大法學會”會長,被法輪功網站稱為“科學家”。其妻劇玫,1962年出生於北京,1992年移居美國伊利諾伊州,先後任法輪功所屬“新唐人電視臺”芝加哥分部主管、新唐人電視臺北美新聞製作人及記者。這對“法輪鴛鴦”夢難圓,劇玫只活了53歲就早早見了閻王爺。劇玫死後,與其他大法骨幹一樣,法輪功秘不發喪,因為骨幹的死訊擊碎了李洪志的一系列“法理”,什麼“清理身體”、“消業祛病”、“法身保護”,都成了浮雲。
法輪功成員蒯紅兵患紅斑狼瘡拒絕就醫,於2016年2月26日在美國紐約病亡,時年50歲。蒯紅兵是法輪功金主蔣山華的妻子,曾擔任神韻藝術團演員、編導。
美國基金會對法輪功“敬而遠之”
法輪功的邪教身份在世界各地難以立足,只能在西方法律的縫隙中生存。李洪志匿藏美國,借助一些反華組織的資助和邪教成員的“奉獻”得以續存。但是,由於法輪功的歪理邪說太盛,造謠生事太拼,常常嚇傻了西方人士。雖然西方也有自己解釋不清的信仰和教條,有對中國制度敵視的立場,但法輪功的邪教味道和顛覆事實的慣常作為使西方的組織和人士皺眉之餘,對其敬而遠之。
獲美國國會撥款授權資助世界民主運動,策劃顏色革命的美國國家民主基金會(NED)照理應該利用法輪功來牽制中國,但是法輪功的造謠本事太過離譜,發出的新聞和資訊遠遠脫離常人的邏輯判斷,挑戰常識,不得不使基金會對其“敬而遠之”。
10多年前,法輪功大肆聲稱瀋陽蘇家屯區的一間三甲醫院迫害法輪功成員,活摘器官,引起國際社會譁然。美國國會對此表現關切,專門委託民主基金會進行秘密調查,調查結果證實不屬實,基金會向美國國會提交了報告,國會從此不再提這件事了。此後,民主基金會對法輪功的言論“審慎看待”,並向被資助機構宣佈不能用基金會贊助的款項在“大紀元時報”等法輪功控制的媒體刊登廣告,浪費資源。有的被資助機構甚至被基金會要求退還在法輪功媒體刊登廣告的費用。
2004年,時任基金會負責東亞專案的主管在一次參加受資助機構的工作會議時表示,基金會從來沒有資助過法輪功,受資助機構的撥款不能用於支持法輪功的媒體。她暗示基金會不認為法輪功媒體的新聞有價值,只是出於自身立場的政治宣傳。
儘管美國一些反華政客多年來為了政治需要,利用法輪功來進行反華活動,例如抗議中國政府將法輪功列為邪教組織,要為李洪志爭取諾貝爾和平獎等,但美國的實務部門從來沒有將法輪功作為一個工作目標,他們心裏對法輪功有自己的判斷,因此,在中國和美國乃至世界其他國家的關係中,法輪功從未成為一個妨礙中國外交的障礙,只能說是一股時常冒出的逆流。
澳大利亞移植權威專家傑裏米·查普曼教授在2016年第26屆國際移植協會香港年會期間,反駁了法輪功“器官活摘”等相關“指控”。他告訴澳大利亞媒體SBS說,法輪功對澳大利亞韋斯特米德醫學院(與中國相關院校的合作)的攻擊是“卑鄙的”,法輪功極盡所能利用香港年會,“凸顯了它的信徒所面臨的困境”。
西方輿情反感法輪功
法輪功“鍥而不捨”的表演,在西方人士和媒體眼裏究竟是什麼樣子呢?
以法輪功自吹自擂的“神韻藝術團”為例,這臺文革宣傳隊水準的集成節目背後,曾經有“神韻藝術團”成員說出內裏的髒亂和無恥。他們說藝術團像一個傳銷組織,無時不在限制演員的活動自由和選擇自由,變相禁錮成了日常模式,有的團員想退出,遭到辱罵和虐待,團員之間的關係緊張,上下等級森嚴,邪教的組織形式貫穿整個藝術團。
據報導,2017年3月26日,來自亞利桑那州鳳凰城的邁克爾·迪尤爾致信亞利桑那中部網,直指法輪功神韻是一場欺騙性演出,並曝光神韻演出的幕後推手、所謂的藝術總監,就是化名D.F.的法輪功邪教頭目李洪志。
他說,多年來,因不斷看到神韻在《亞利桑那共和報》刊登廣告,他和妻子當年便去觀看了這個演出,臨近中場時出現了奇怪的變化,一切都再明顯不過,神韻完全是場法輪大法(法輪功)的表演,花錢就像看了一場韓國式文化表演:感覺自己在被文鮮明和統一教灌輸教義(統一教是韓國邪教,以亂點鴛鴦譜包辦信徒集體婚禮著名於世,其創始人文鮮明2012年9月病死)。
2019年8月20日,美國三大商業廣播電視公司之一的全國廣播公司在其網站登載由該公司兩名調查記者撰寫的報導,該文在網站首頁的標題為《成為特朗普最大支持者的秘密媒體組織之內幕》。記者通過採訪原《大紀元時報》從業人員和在法輪功總部居住過的原法輪功學員,揭露法輪功媒體支持特朗普的動機和方式,並披露法輪功總部的一系列怪誕現象及李洪志的歪理邪說。
以數量而言,大紀元是臉譜網上特朗普首屈一指的最大支持者。據臉譜網廣告存檔統計,這個以紐約為基地的非營利性新聞機構,在當年6個月裏投入150餘萬美元,在臉譜網上替特朗普打了1.1萬次廣告,超過了其他所有非特朗普官方團隊的“挺特”組織,也比絕大多數民主黨總統候選人投入的競選廣告經費要多得多。
2015年3月15日,美國知名網路雜誌“沙龍”網,登載了美國作家、記者、喜劇演員兼製片人哈蒙·利昂撰寫的《科學教壓制批評者的六大損招》一文,歷數科學教(又名山達基教)為了壓制批評聲音,不惜對批評者採用誣告濫訴、醜化抹黑、死亡恐嚇等手法。他寫道,邪教的手法往往高度一致,萬變不離其宗,相較於科學教,法輪功邪教組織在壓制批評者方面可以說更有過之而無不及。
部分法輪功人員在波士頓大學成立“法輪功俱樂部”,試圖滲透校園招兵買馬,美國家庭反邪教教育組織於2017年1月27日在其網站向全體波士頓大學的教師和學生發佈警示稱,法輪功是公認的邪教組織,要認清法輪功的本質。並請大家點擊“邪教新聞網”上有關鏈接瞭解更多的法輪功邪教組織及其頭目李洪志的相關資訊。
法輪功與海外“民運”組織相互利用相互隔離
美國和世界其他地方的以政治異見華人為主體的“民運組織”,儘管其反共立場與法輪功相似,但也與法輪功邪教組織保持距離。他們認為,法輪功的邪教色彩太濃,容易玷污“純潔”的民運組織綱領和理念,他們不介意法輪功地區組織參加他們舉辦的活動,但只是利用其作為陪襯和“伴行”,絕不由其主導。
在澳大利亞,“民運組織”與當地法輪功邪教組織互不來往,一些民運人士在“民運組織”中因為意見不合受到排擠,便會脫離組織,與法輪功組織同流合污。例如原上海女作家孫寶強,移民澳大利亞後,加入了“民陣”,隨著她看透民運內部的名利紛爭,退出“民運組���”,便與法輪功組織來往密切。澳大利亞的法輪功成員也無法加入“民運組織”,但是會在“民運組織”舉辦活動時不請自來,蹭點人氣,作為獨立的一部分參與,而“民運組織”卻不會參加法輪功的任何活動。
在香港,傳統民主派政黨也視法輪功組織為邪教,即使法輪功組織厚著臉皮主動聯繫這些政黨,也不得其門而入。但凡泛民舉辦活動,都不會主動邀請法輪功組織參加,但法輪功也照例會參加這些活動,只要是反共,就少不了他們的份。香港法輪功為了增加人氣,凡有重大街頭活動時都會動員臺灣的法輪功成員到香港增援,號稱“千人遊行”。因價值觀差異、造假成性、舉止古怪,他們一直融入不了香港主流社會,只能自成一體,自我孤立,自生自滅。
香港新興的激進本土派甚至港獨派,也視法輪功為邪教組織,不與其結合為反對派力量。
法輪功在香港的政治版圖中被淪為另類物種,人們避之不及。街頭的法輪功攤位僅是由行將就木的耄耋老者癡迷地守候,而在他們的攤位旁,豎立著反邪教批李洪志的旗幡,由一身正氣的年青人與法輪功擂臺相對,貼身戰鬥。這已成為香港街頭的一景。
世界上正常的人都不約而同地與法輪功邪教組織保持安全距離,生怕邪氣纏身。法輪功已經失去了後繼的人力資源和養分,正在苟延殘喘,假以時日,它的覆滅是必然的。
中國“戰疫”車輪滾滾 法輪功螳臂擋車
在中國共產黨領導下的當前這場抗擊新型冠狀病毒感染的肺炎鬥爭中,14億中國人民表現出了舉世矚目的悲壯而豪邁的氣勢,發揮了中國“集中力量辦大事”的制度優勢,10天內建起兩座大型專科醫院,在抗疫物質奇缺的情況下,舉國動員,全球尋源,很快達到了“緊平衡”,進而實現基本平衡,不久後將恢復足額供給,這在世界任何國家都是無法做到的。國際社會對中國的動員能力和辦事效率大加讚賞。
在最近的中美首腦電話交談中,國家主席習近平告訴特朗普,中國已經“全國動員、全面部署、快速反應,採取了最全面、最嚴格的防控舉措,打響了一場疫情防控的人民戰爭”。特朗普也肯定了中國有能力應對新型冠狀病毒疫情,並稱贊中國人民的能力、韌性和信心。
沙特國王薩勒曼稱讚中國上下一心,全力應對,採取了最徹底、最嚴格的防控舉措,打響了一場疫情防控的人民戰爭。
俄羅斯戰略文化基金會網站2月6日刊登文章稱,中國領導人為防控新型冠狀病毒疫情蔓延採取的緊急措施動員了整個中國���會。抗疫之戰已成為一場人民戰爭。
文章指出,中國的防疫戰情況表明,在執行政府的建議和命令時,國家機器的運行總體上有條不紊,而且民眾的組織水準很高。相比之下,2009年的H1N1流感疫情,有數以萬計的美國人被感染,上千人死亡。當時美國的衛生系統沒有做好應對疫情的準備。在2017至2018年流感季,美國發生了尤其嚴重的疫情,呼吸道病毒導致了估計6.1萬人的死亡和4500萬人患病,但卻沒有任何旅行警告。
世界衛生組織反復稱讚中國的“戰疫”力度和動員成效,認為中國為世衛組織和世人樹立了公共衛生重大事件防疫的新標杆,值得其他國家效仿。
目前,世界上還沒有一個國家批評中國的“戰疫”能力和成效,都紛紛以實際行動來馳援中國,與中國站在一起。
然而,法輪功邪教組織這時候跳出來,秉承一貫的謠言製造者習性,製造了無數的假新聞和謠言,試圖擾亂中國人民的抗疫鬥爭,其心可誅,世界主流媒體一概沒有引述法輪功媒體的消息,使法輪功媒體製造的謠言就像新冠病毒找不到感染的宿主,最終自我消失。
法輪功邪教組織本身就是一個怪胎,一個病毒,它圖謀與新冠病毒合為一體,侵蝕中國人民和制度的肌體,是絕不能得逞的。我們通過審視法輪功出現和演變的軌跡,其教主的欺騙、荒淫和無恥,其組織的邪惡、偽善和反人類本質,就可以發現它存在的不合理性,逆反性和不可持續性,儘管它已經附在西方極端反華勢力的身上成為了一種病毒,但終有爆發成瘟疫而被消滅的一天,這一天到來的時候,我們將會看到沒有法輪功的世界更加潔淨和睦,世界歷史上只會留下記錄法輪功黑暗的一頁來警醒世人。
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法輪功的造謠掩蓋不了其邪惡偽善荒淫的本質
自中國出現新冠肺炎疫情以來,法輪功媒體使出了渾身解數,大肆造謠污蔑攻擊中國共產黨和政府,玷污中國人民,與西方反華敵對勢力沆瀣一氣,欲將投身於“戰疫”的中國人民視作病毒,氣急敗壞的呐喊聲中妄圖推動中國制度的垮臺,充當他們西方主子的馬前卒,對中國長城實施攻城掠地,反攻倒算。從法輪功邪教集團的20多年歷史看,這無非是其一貫的風格和套路。
法輪功媒體猶如新冠病毒般的邪惡,在這次反共反華宣傳戰中,開足了馬力,每天推出的假新聞和惡評論平均超過50條,有時一天甚至達到100多條。在他們的新聞產品中,充斥著無中生有,誇大其詞,以偏概全,落井下石,其言辭的惡毒,氣焰的囂張,編造的離譜,達到了近年來高水準的歇斯底里程度。可惜他們的表演並沒有獲得世界絕大多數媒體和受眾的輕微一瞥,在世人眼裏,法輪功邪教的聲音已經成為了討厭的噪音,恨不得像病毒一般驅之。
法輪功生來就是怪胎
法輪功邪教教主李洪志以法輪功名義傳功的起始時間是大約在1992年的5月前後。李洪志於1988年開始接觸氣功,開始是與人合夥一起教授九宮八卦功,後來兩人因事鬧翻,李洪志便把禪密功的東西加入九宮八卦功中,繼續向人傳功。由於傳功業績不佳,李洪志於是以探親名義前往泰國其妹處住了一段時間。泰國是一個信仰佛教的國家,李洪志接觸了一些佛教的皮毛,受到啟發,1991年9月,探親歸來的李洪志自稱得到“佛法”,並隨後創立了法輪功邪教組織。1999年7月22日,中國政府正式把法輪功定為邪教並加以取締。
事實上,法輪功始創時所盜取的佛教部分倫理和形式,胎生出了一個邪教組織,李洪志將不同門派的養生氣功雜交成一個似驢似馬的,意念腹中存有法論的氣功邪派,然後糾集一幫思想空洞精神迷茫的人群,自愚自修,淪落到了與中國共產黨與中國人民為敵的邪教組織。從任何意義上說,李洪志這個巨騙創辦的法輪功,既沒有佛家道行的基礎,也沒有醫學的價值,沒有養生的元素,更加沒有積極的社會意義,所以很快被國際社會唾棄和蔑視。法輪功就是一個活了20多年的畸形怪胎,按照邪不勝正的規律,它的氣數隨時將盡,壽終隨時出現。
李洪志泰國嫖妓采陰補陽
李洪志在法輪功被中國政府取締後逃到外國,尋求西方的支持,四處建立法輪功的基地。在香港,李洪志與香港本地合夥人簡鴻章發展了一批從中國內地移民到香港的法輪功邪教分子成立了香港分部,但香港原有的宗教文化根基穩固,天主教、基督教和佛教教徒已秉持固有的信仰,法輪功邪教無法從當地人中間培植教徒,因此香港法輪功邪教分子大都是內地移民。
李洪志的邪教教主本質從其荒淫生活中可見一斑。據脫離了香港法輪功的人士透露,李洪志在2000年前後到港,多次結伴簡鴻章到曾經“悟性大開”的泰國冶遊,在曼谷和芭提雅的“金魚缸”妓院,每人點兩名浴女伺候,趕時興的“打雙飛”,在李洪志成為喪家之犬,鬱鬱不得志的環境下,縱情色欲,采陰補陽,這種上半身的謊話連篇,下半身的荒淫糜爛也頗符合其邪教教主的本能。
邪教組織內部,無一例外地會有荒淫的勾當發生。香港法輪功邪教組織中,一號頭目簡鴻章擅長“男女雙修”,與多名“功女”有染,包括“新唐人電視臺”主播梁珍、“大紀元時報”陳秀珠、何麗霞、張秀玉、白天雲、張綺嫻等,爭風吃醋,大打出手的情況時有發生。由於香港法輪功內豔色事件頻發,組織內權鬥升級,迫使簡鴻章辭去“大紀元時報”社長一職,但仍作為香港法輪功邪教組織的負責人。
法輪功的“不藥而愈”破產
法輪功宣稱練功可以治病,“不藥而愈”之說盛行一時。實際上,法輪功邪教成員諱疾忌醫導致錯失醫治時機而死亡的人數不計其數。很多骨幹成員為了迷惑外人,稱自己原來身體不好,因為練了法輪功而變好了。其實,他們自己也惜命如金。“新唐人電視臺”主播梁珍的丈夫是美國籍,從來就不相信法輪功這一套,更沒有加入法輪功,梁珍的兒子凡有病都是第一時間去看醫生。
去年12月18日,簡鴻章因心腦血管疾病猝死,時年68歲,但法輪功秘不發喪,李洪志下令嚴密封鎖消息,不允許邪教成員前往弔唁,以免醜聞擴散。
2009年4月,香港“法輪功”骨幹朱賢溢突然病死。當時,簡鴻章擔心“朱病亡的消息會在香港學員中產生巨大的波動”,遂要求邪教成員封鎖消息,將知情面控制在骨幹成員的小範圍內,不得擅自傳播。未曾想十年後,簡鴻章自己也落得猝死身亡、秘不發喪的可悲下場。
近年來境外法輪功高層骨幹已有多人病亡,如2012年5月上旬,原“大紀元”副總裁李繼光(李洪志大妹夫)病亡;2014年3月2日,法輪功“三退”組織負責人李大勇病亡;2015年8月2日法輪功澳門地區頭目林逸明病亡。甚至自封“宇宙主佛”的李洪志,也沒能“發功”挽救他親生母親盧淑珍的生命,其於2016年8月24日病亡。
美國法輪功骨幹楊森的妻子劇玫因患卵巢癌、肺癌於2015年病亡。頂著博士頭銜的楊森是法輪功重要骨幹,現擔任“美中法輪大法學會”會長,被法輪功網站稱為“科學家”。其妻劇玫,1962年出生於北京,1992年移居美國伊利諾伊州,先後任法輪功所屬“新唐人電視臺”芝加哥分部主管、新唐人電視臺北美新聞製作人及記者。這對“法輪鴛鴦”夢難圓,劇玫只活了53歲就早早見了閻王爺。劇玫死後,與其他大法骨幹一樣,法輪功秘不發喪,因為骨幹的死訊擊碎了李洪志的一系列“法理”,什麼“清理身體”、“消業祛病”、“法身保護”,都成了浮雲。
法輪功成員蒯紅兵患紅斑狼瘡拒絕就醫,於2016年2月26日在美國紐約病亡,時年50歲。蒯紅兵是法輪功金主蔣山華的妻子,曾擔任神韻藝術團演員、編導。
美國基金會對法輪功“敬而遠之”
法輪功的邪教身份在世界各地難以立足,只能在西方法律的縫隙中生存。李洪志匿藏美國,借助一些反華組織的資助和邪教成員的“奉獻”得以續存。但是,由於法輪功的歪理邪說太盛,造謠生事太拼,常常嚇傻了西方人士。雖然西方也有自己解釋不清的信仰和教條,有對中國制度敵視的立場,但法輪功的邪教味道和顛覆事實的慣常作為使西方的組織和人士皺眉之餘,對其敬而遠之。
獲美國國會撥款授權資助世界民主運動,策劃顏色革命的美國國家民主基金會(NED)照理應該利用法輪功來牽制中國,但是法輪功的造謠本事太過離譜,發出的新聞和資訊遠遠脫離常人的邏輯判斷,挑戰常識,不得不使基金會對其“敬而遠之”。
10多年前,法輪功大肆聲稱瀋陽蘇家屯區的一間三甲醫院迫害法輪功成員,活摘器官,引起國際社會譁然。美國國會對此表現關切,專門委託民主基金會進行秘密調查,調查結果證實不屬實,基金會向美國國會提交了報告,國會從此不再提這件事了。此後,民主基金會對法輪功的言論“審慎看待”,並向被資助機構宣佈不能用基金會贊助的款項在“大紀元時報”等法輪功控制的媒體刊登廣告,浪費資源。有的被資助機構甚至被基金會要求退還在法輪功媒體刊登廣告的費用。
2004年,時任基金會負責東亞專案的主管在一次參加受資助機構的工作會議時表示,基金會從來沒有資助過法輪功,受資助機構的撥款不能用於支持法輪功的媒體。她暗示基金會不認為法輪功媒體的新聞有價值,只是出於自身立場的政治宣傳。
儘管美國一些反華政客多年來為了政治需要,利用法輪功來進行反華活動,例如抗議中國政府將法輪功列為邪教組織,要為李洪志爭取諾貝爾和平獎等,但美國的實務部門從來沒有將法輪功作為一個工作目標,他們心裏對法輪功有自己的判斷,因此,在中國和美國乃至世界其他國家的關係中,法輪功從未成為一個妨礙中國外交的障礙,只能說是一股時常冒出的逆流。
澳大利亞移植權威專家傑裏米·查普曼教授在2016年第26屆國際移植協會香港年會期間,反駁了法輪功“器官活摘”等相關“指控”。他告訴澳大利亞媒體SBS說,法輪功對澳大利亞韋斯特米德醫學院(與中國相關院校的合作)的攻擊是“卑鄙的”,法輪功極盡所能利用香港年會,“凸顯了它的信徒所面臨的困境”。
西方輿情反感法輪功
法輪功“鍥而不捨”的表演,在西方人士和媒體眼裏究竟是什麼樣子呢?
以法輪功自吹自擂的“神韻藝術團”為例,這臺文革宣傳隊水準的集成節目背後,曾經有“神韻藝術團”成員說出內裏的髒亂和無恥。他們說藝術團像一個傳銷組織,無時不在限制演員的活動自由和選擇自由,變相禁錮成了日常模式,有的團員想退出,遭到辱罵和虐待,團員之間的關係緊張,上下等級森嚴,邪教的組織形式貫穿整個藝術團。
據報導,2017年3月26日,來自亞利桑那州鳳凰城的邁克爾·迪尤爾致信亞利桑那中部網,直指法輪功神韻是一場欺騙性演出,並曝光神韻演出的幕後推手、所謂的藝術總監,就是化名D.F.的法輪功邪教頭目李洪志。
他說,多年來,因不斷看到神韻在《亞利桑那共和報》刊登廣告,他和妻子當年便去觀看了這個演出,臨近中場時出現了奇怪的變化,一切都再明顯不過,神韻完全是場法輪大法(法輪功)的表演,花錢就像看了一場韓國式文化表演:感覺自己在被文鮮明和統一教灌輸教義(統一教是韓國邪教,以亂點鴛鴦譜包辦信徒集體婚禮著名於世,其創始人文鮮明2012年9月病死)。
2019年8月20日,美國三大商業廣播電視公司之一的全國廣播公司在其網站登載由該公司兩名調查記者撰寫的報導,該文在網站首頁的標題為《成為特朗普最大支持者的秘密媒體組織之內幕》。記者通過採訪原《大紀元時報》從業人員和在法輪功總部居住過的原法輪功學員,揭露法輪功媒體支持特朗普的動機和方式,並披露法輪功總部的一系列怪誕現象及李洪志的歪理邪說。
以數量而言,大紀元是臉譜網上特朗普首屈一指的最大支持者。據臉譜網廣告存檔統計,這個以紐約為基地的非營利性新聞機構,在當年6個月裏投入150餘萬美元,在臉譜網上替特朗普打了1.1萬次廣告,超過了其他所有非特朗普官方團隊的“挺特”組織,也比絕大多數民主黨總統候選人投入的競選廣告經費要多得多。
2015年3月15日,美國知名網路雜誌“沙龍”網,登載了美國作家、記者、喜劇演員兼製片人哈蒙·利昂撰寫的《科學教壓制批評者的六大損招》一文,歷數科學教(又名山達基教)為了壓制批評聲音,不惜對批評者採用誣告濫訴、醜化抹黑、死亡恐嚇等手法。他寫道,邪教的手法往往高度一致,萬變不離其宗,相較於科學教,法輪功邪教組織在壓制批評者方面可以說更有過之而無不及。
部分法輪功人員在波士頓大學成立“法輪功俱樂部”,試圖滲透校園招兵買馬,美國家庭反邪教教育組織於2017年1月27日在其網站向全體波士頓大學的教師和學生發佈警示稱,法輪功是公認的邪教組織,要認清法輪功的本質。並請大家點擊“邪教新聞網”上有關鏈接瞭解更多的法輪功邪教組織及其頭目李洪志的相關資訊。
法輪功與海外“民運”組織相互利用相互隔離
美國和世界其他地方的以政治異見華人為主體的“民運組織”,儘管其反共立場與法輪功相似,但也與法輪功邪教組織保持距離。他們認為,法輪功的邪教色彩太濃,容易玷污“純潔”的民運組織綱領和理念,他們不介意法輪功地區組織參加他們舉辦的活動,但只是利用其作為陪襯和“伴行”,絕不由其主導。
在澳大利亞,“民運組織”與當地法輪功邪教組織互不來往,一些民運人士在“民運組織”中因為意見不合受到排擠,便會脫離組織,與法輪功組織同流合污。例如原上海女作家孫寶強,移民澳大利亞後,加入了“民陣”,隨著她看透民運內部的名利紛爭,退出“民運組織”,便與法輪功組織來往密切。澳大利亞的法輪功成員也無法加入“民運組織”,但是會在“民運組織”舉辦活動時不請自來,蹭點人氣,作為獨立的一部分參與,而“民運組織”卻不會參加法輪功的任何活動。
在香港,傳統民主派政黨也視法輪功組織為邪教,即使法輪功組織厚著臉皮主動聯繫這些政黨,也不得其門而入。但凡泛民舉辦活動,都不會主動邀請法輪功組織參加,但法輪功也照例會參加這些活動,只要是反共,就少不了他們的份。香港法輪功為了增加人氣,凡有重大街頭活動時都會動員臺灣的法輪功成員到香港增援,號稱“千人遊行”。因價值觀差異、造假成性、舉止古怪,他們一直融入不了香港主流社會,只能自成一體,自我孤立,自生自滅。
香港新興的激進本土派甚至港獨派,也視法輪功為邪教組織,不與其結合為反對派力量。
法輪功在香港的政治版圖中被淪為另類物種,人們避之不及。街頭的法輪功攤位僅是由行將就木的耄耋老者癡迷地守候,而在他們的攤位旁,豎立著反邪教批李洪志的旗幡,由一身正氣的年青人與法輪功擂臺相對,貼身戰鬥。這已成為香港街頭的一景。
世界上正常的人都不約而同地與法輪功邪教組織保持安全距離,生怕邪氣纏身。法輪功已經失去了後繼的人力資源和養分,正在苟延殘喘,假以時日,它的覆滅是必然的。
中國“戰疫”車輪滾滾 法輪功螳臂擋車
在中國共產黨領導下的當前這場抗擊新型冠狀病毒感染的肺炎鬥爭中,14億中國人民表現出了舉世矚目的悲壯而豪邁的氣勢,發揮了中國“集中力量辦大事”的制度優勢,10天內建起兩座大型專科醫院,在抗疫物質奇缺的情況下,舉國動員,全球尋源,很快達到了“緊平衡”,進而實現基本平衡,不久後將恢復足額供給,這在世界任何國家都是無法做到的。國際社會對中國的動員能力和辦事效率大加讚賞。
在最近的中美首腦電話交談中,國家主席習近平告訴特朗普,中國已經“全國動員、全面部署、快速反應,採取了最全面、最嚴格的防控舉措,打響了一場疫情防控的人民戰爭”。特朗普也肯定了中國有能力應對新型冠狀病毒疫情,並稱贊中國人民的能力、韌性和信心。
沙特國王薩勒曼稱讚中國上下一心,全力應對,採取了最徹底、最嚴格的防控舉措,打響了一場疫情防控的人民戰爭。
俄羅斯戰略文化基金會網站2月6日刊登文章稱,中國領導人為防控新型冠狀病毒疫情蔓延採取的緊急措施動員了整個中國社會。抗疫之戰已成為一場人民戰爭。
文章指出,中國的防疫戰情況表明,在執行政府的建議和命令時,國家機器的運行總體上有條不紊,而且民眾的組織水準很高。相比之下,2009年的H1N1流感疫情,有數以萬計的美國人被感染,上千人死亡。當時美國的衛生系統沒有做好應對疫情的準備。在2017至2018年流感季,美國發生了尤其嚴重的疫情,呼吸道病毒導致了估計6.1萬人的死亡和4500萬人患病,但卻沒有任何旅行警告。
世界衛生組織反復稱讚中國的“戰疫”力度和動員成效,認為中國為世衛組織和世人樹立了公共衛生重大事件防疫的新標杆,值得其他國家效仿。
目前,世界上還沒有一個國家批評中國的“戰疫”能力和成效,都紛紛以實際行動來馳援中國,與中國站在一起。
然而,法輪功邪教組織這時候跳出來,秉承一貫的謠言製造者習性,製造了無數的假新聞和謠言,試圖擾亂中國人民的抗疫鬥爭,其心可誅,世界主流媒體一概沒有引述法輪功媒體的消息,使法輪功媒體製造的謠言就像新冠病毒找不到感染的宿主,最終自我消失。
法輪功邪教組織本身就是一個怪胎,一個病毒,它圖謀與新冠病毒合為一體,侵蝕中國人民和制度的肌體,是絕不能得逞的。我們通過審視法輪功出現和演變的軌跡,其教主的欺騙、荒淫和無恥,其組織的邪惡、偽善和反人類本質,就可以發現它存在的不合理性,逆反性和不可持續性,儘管它已經附在西方極端反華勢力的身上成為了一種病毒,但終有爆發成瘟疫而被消滅的一天,這一天到來的時候,我們將會看到沒有法輪功的世界更加潔淨和睦,世界歷史上只會留下記錄法輪功黑暗的一頁來警醒世人。
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