Tumgik
#石地海水浴場
tatsumakido · 2 years
Photo
Tumblr media
【イベントのお知らせ】 10/29.30 さかえ茶屋で過ごす ゆったりとした週末のススメ 今回のテーマは「食と癒し」 「さかえ茶屋」の店内を使い第2回目の石地海岸夕日マーケットを企画しました。 今回は「食と癒し」をテーマにゆったりとした週末の過ごし方を提案します。 夕日が綺麗に見える海岸に店を構える老舗の海の家を使いヘッドスパ・カイロプラクティック・アロマ等の リラクゼーションに携わるお店・占い師・和菓子屋・セレクトショップが合同出店します。 土曜日の夕方からは「焚き火を囲んで食を楽しむ会」(テント泊・車中泊 OK) 日曜日は二人の講師を招きヨガの体験会が午前と午後にあります。 さかえ茶屋の女将による食堂営業や喫茶たつまき堂による軽食の提案もあり! 今回も食事を楽しめる食堂スペースがありますのでゆっくりと海の時間をお過ごしください。 ※出店者も引き続き募集中ですのでDMお待ちしてます。 10/29.30 さかえ茶屋 ランチ&カフェ営業 10/29 たつまき堂  さかえ茶屋のキャンプスペースで 焚き火を囲み食事を楽しむ会 18時からスタート (参加者募集中! たまにはたつまき店主と一緒に火遊びませんか?) 10/30 日曜日の午前中は @mint.mint.333 さん @crystal_beauty369 さんによる さかえ茶屋の室内で ヨガとクリスタルボール体験 10/30日曜日の午後は @tamanino.suna さんによる 浜辺でサンセットヨガ ヨガ体験会を希望の方は 各先生にDMを送ってください◎ #さかえや茶屋 #たつまき堂  #たつまき堂分店  #石地海水浴場 #石地海岸 #石地海岸夕日マーケット #見附市 #小千谷市 #三条市 #柏崎市西山町 #柏崎市 #魚沼市 #南魚沼市 #新潟市 #新発田市 #湯沢町 #上越市 #十日町市 #村上市 #五泉市 #燕市 #長岡市 #新潟県 #新潟 #長野県 #長野市 #松本市 #群馬県 #高崎市 (さかえ茶屋) https://www.instagram.com/p/CjrQSj6vrKO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kennak · 1 year
Quote
ホストやメン地下メンズコンカフェ規制したら立ちんぼはほぼゼロになる。「困難を抱える若年女性」なんて公金チューチュー利権屋が作った虚像。本当の貧困女子なんてほとんどいない。石原慎太郎だったらよかったね。
[B! 事件] 《沼津“乳児”死体遺棄》「300万円のツケで飛んだホスト狂い…」海水浴場で赤ちゃんを焼いた浅沼かんな容疑者(24)のヤバすぎる奇行「子供を親に預け夜遊び三昧」 | 文春オンライン
118 notes · View notes
fukagawakaidan · 1 month
Text
「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音���たてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じ�� あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描い��おり、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものとい��る。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
3 notes · View notes
tabasa14 · 4 months
Text
Tumblr media
オーストラリアに来て一番気に入ってるのは、 結局さんさんとした太陽な気がする。 メルボルンはオーストラリアの中では天気が不安定と言われてるんですが、 それでもオゾン層に穴が空いちゃってるからなのか、 晴れた日の太陽のまぶしさはちょっと日本と違う気がする。 露光時間を間違えちゃった写真みたいに街がぱーっと明るくなる。 そして、さんさんとした太陽の下で ホットパンツを履いてみんながビーチへ・・とならないのがメルボルンの好きなところだ。 エメラルド色のきれいなビーチのあるシドニーやケアンズなどに比べて、メルボルンの海は、正直日本の海水浴場とあまり変わらない。 なので太陽の下ですることと言えばテラスでコーヒーを飲んで、 おしゃべりをして、読書をして、またコーヒーを飲む。文化系。
Tumblr media Tumblr media
カフェはどこも混んでます。止まらないおしゃべり。
Tumblr media
いつまでもだらだらしてたいけど、閉店は早め。 街ゆく人の格好も、なんというかモテようと思ってる感じがあまり感じられない(失礼) 悪い意味じゃなく、自分のスタイルがあることの方が大事、という空気がある。 文化系が太陽の下でストレスなく暮らせる街、という感じがして、すごく居心地が良い。
Tumblr media Tumblr media
ビビッドな色が多いのに、イケイケ系にならない絶妙なダサ加減。なぜ。
そんな街に暮らして気になってるのが、日本聴いてた音楽が聴きづらくなったこと。 くるり、NUMBER GIRL、銀杏BOYZ、、、 学校や仕事の帰り道、東京の雑踏の中でイヤホンで繰り返し聞いて ヒリヒリした孤独感とか、何者にもなれない焦燥感とか 自分の中に溜まったネガティブなカスをまるめては黒いエネルギー源にしてたのに さんさんとした太陽光の下では全く効力をもたない。 こんなにいい天気だと、そんなものをちまちま丸めるのがあほらしくなってしまう問題である。 暗い部屋でせっせと孤独を研いでいたのに、 突然パーっとカーテンを開けられて、アレ?て滑稽になっちゃうみたいな感じ。 同調圧力に対する違和感、反骨精神がものづくりのエネルギーだったのに 突然全部を許容されてしまって、拍子抜けする。 何かを作らなきゃ、やってられない!という衝動がない。木漏れ日の下でコーヒーを飲みながら、節約して、たまーに外食して、8時ぐらいに仕事を終えて、好きなこと書くことができたら、それでいい気がしてきちゃう。 居心地の良さを感じると同時に、これでいいのかな、というなんとも言えない後ろめたさを感じたりする 全然違うけど、去勢された猫ってこんな感じなのかな ということで、環境を変えたことによって私的電力の切り替えを求められて���るこの頃。 いままでのエネルギーは石油みたいなもんで、爆発力はあっても自分への負担も大きかった。 ちかごろのサステナブルとやらの流れにのっとって太陽光発電に切り替えたいところですが 太陽光発電がまだちょっとこころもとなく感じるのも正直なところ。 気候や天気が与える影響って大きい。 今まで使っていた電力が使えない違和感を感じつつ 新しい環境で何が生産できるのか、実験してみる手もあるか。 そんなこんなですが、太陽のまぶしいメルボルンも最近はけっこう寒い。 こないだ無口なインド人の友達が、こっそりジャケットを開けてベストを見せてくれると 赤いランプが点灯してて、ヒーターが回ってました。 「上に着るジャケットを普段よりワンサイズ小さくすると、さらに暖かく感じられる」はずかしそうに教えてくれた。 インドに比べたら、そりゃ寒いよね。 そーいえばインド映画のダンスは、とんでもない暑さをクリエイティブに昇華した結果なのかなとか、どうでもいいことが頭をよぎりました。 エネルギー問題は、今後も考えていく課題になりそーです。 まったく、意識高いにんげんになったもんだわ。
Tumblr media
失礼なこと言ってごめんよ、猫。 怒ってるんじゃなくて、俺を構え、と離してくれなかった。
2 notes · View notes
ashrhal · 6 months
Text
20240407
「東京の街に出てきました。相変わらずワケの、わからないこと言ってます。」というのはくるりの東京という曲の歌詞だが、20代前半に北海道から東京に戻ってきたよりも一層色濃く、この歌詞が身体に馴染んで俺はいつまでも相変わらずワケのわからないこと言っていますなんだろうなと思う。
東京での暮らしが始まって1週間が経った。歳を重ねれば重ねるほど、時間が過ぎる速度は加速していくものだが、この1週間はこれまでの北海道での一ヶ月よりも一年よりも長く感じた。その理由は二つあって、一つは家の問題と一つは仕事の問題だった。
つまらない方から書く。仕事の問題だ。俺は北海道の職場ではそれなりにブイブイ言わせて活躍することができていたが、東京の仕事を知って感じたことは無力さだった。大学で人気者だった新卒の男の子たちが一般的に感じる無力さ同様、俺は東京の仕事量や周りのスキルにきちんと圧倒され、あーばばばと宣うこととなった。
具体的に言えば、Excelでピポットテーブルを使いこなすことなぞしたこともなかったが、周りのみんなはそれを呼吸するがの如くできる。他部署や他社との電話での"お話"をすることなんて今まで俺には無く、急にやらざるを得ない状況になった時に無意味なエヘヘへ〜という不気味な笑みを電話相手に聞かせてしまい気色の悪い結果となるが、周りの人はそんなことを普通にやってのけてしまう。そんな環境であることを期待していたにも関わらず、今の周りにとって普通のことを普通にできないという事実に直面してきちんと落ち込んでいるし、まあ新卒みたいなもんだからいずれできるようになるっしょという気持ちでなんとか乗り切ろうときちんと四苦八苦している。
業務量も北海道の頃の体感比4倍で、午後になるともう頭がピヨピヨしてしまう。労働時間もこれまでは19時まで残業したら俺は今日頑張った!と思っていたが、今は朝6時に起き19時半まで働くことがデフォルト。19時半からが残業だよなあと錯覚してしまうような環境がまだ1週間も働いていないのに当たり前と化している。
「なんで東京で働きたいの?」と質問されたらどう答えよう。理由は死ぬほどある。前の日記に書いたように、若かりし頃に得た東京の暮らしへの憧憬だとか、父親が高卒ででかい会社の偉い人になったからその視点や世界を味わってみたいだとか、目標や乗り越えなくてはいけない壁のようなものがないと退屈してしまう俺の性質だとか、社会人として北海道時代の俺への評価は果たして適切だったのか知りたいというような自身の社会性への期待だとか、シンプルに金が欲しいという浅ましい気持ちだとか。
それらさまざまな理由をもって東京に来たはずだったが、現実はそう甘くはない。今はなんとか、持ち前の「全員殺すぞ」という気持ちと、「なるようにしかならない」という適当な気持ちで4月1日からの1週間を乗り越えることができたが、今後どうなっていくのかは正直わからないという気持ちもあるし、まあ俺はなんだかんだで上手いことやっていくでしょうという根拠のない自信も微かにある。アサハラ鬱病編が人生に無いことを祈りつつも自分自身に健闘を祈る。
二つ目が家の問題だ。北海道では綺麗な1LDK、浴室乾燥機付、エアコン付、札幌中心まで徒歩5分で家賃7万円程度という、こと"家"という観点では何不自由ない暮らしをしていた。東京に引っ越すとなった時に、選択肢としては自身で賃貸を借りる、社宅に住むという2択があった。今でこそ思考停止していたなと反省することではあるが、奥さんと2人で住めるような家で、俺が住みたいエリアに住む家を借りて住むとなると家賃は最低でも12万円ほど必要だった。それに比べて、社宅は家賃1万円。年間コストで言えば120万円社宅に住む方がお得だった。その120万円という暴力にあえなく屈し脳死で社宅を選んだが、これがとんでもない物件だった。
駅徒歩15分、は最悪許せる。6畳間の和室が二つあることも最悪許せる。エアコンやガス台がないことも最悪許せる。部屋の壁と床に隙間があり、そこから冷気が流れ込んでくることや、小さな蜘蛛たちがどう頑張ってもそこかしこで跳梁跋扈してることも全然許せる。なぜなら俺は元無職だから。汚い家にはそれなりに慣れているつもりだから。が、しかし社宅のそれは俺の想像を悠々と超えており、初めて家に対して生理的に無理という気持ちを抱いた。
問題は水回りにあった。まず風呂がバランス釜。バランス釜って言葉みんな聞いたことある?少なくとも俺はこの家に住むまでなかったよ。加えて風呂の床は汚い雑巾みたいな色をした石でできており、シャワーの水圧は猫のおしっこよりも弱い。キッチンは一切水を流してなくとも時折ゴポッという音を立てて、ゲロを煮詰めたような香りが定期的に部屋に供給される。洗濯機置き場という概念が部屋に存在せず、今も洗濯機はキッチンの片隅で深い寝息を立てている。形として家のていをなして入るものの、昭和末期の団地の暮らしに時間軸を移行された感触がして、住めるような努力の手段も考えたが、とても住めたものではないというのが率直な感想だった。
可哀想なのは妻だった。俺の目的で東京の正社員を辞め北海道で暮らし始め、結婚して生活が安定してきたと思ったらまた俺の目的で東京に連れ戻され、住んだ家はゴミ廃墟、在宅勤務の妻にとって家というものがどんなに重要かは計り知れないが、結果的に相当量のストレスを与えることになった。
今日4月7日はそんな現状を打破すべく、2人でヘロヘロになりながら不動産屋を駆け巡り、ようやく良さそうな家を見つけたものの、いつも通り俺のキモさのせいで妻との話し合いがうまくいかずに喧嘩になって引越しの話は宙空に霧散した。
自分の嫌なことの話、お金の話など、すったもんだの言い合いの末、妻は俺に対して「決めて欲しい」と言った。俺は「引越しをしよう」と言った。その後に俺は自分だけが責任を取るのは嫌だと思いその浅ましい気持ちを忌避するために「その上で最終決定をして欲しい」と妻に言った。それまでの流れから、最終的には2人で引越しを決めるという大円団を想定していたが、妻は少し逡巡したのちに「この家で頑張って暮らしていこう」という結論を俺に伝えた。
新しい生活には不安はつきものだ。俺は自身の自己肯定感と全能感でそんなものはお釣りがくるもんだと鷹を括っていたが、何事もそんなにうまくはいかないらしい。ひとまず明日の朝までに俺はこのゴミみたいな家で、これから暮らす覚悟をしないといけない。今日の日記は本当につまらないな。
2 notes · View notes
lampofhope · 6 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
タイ旅行VOL??
もう書いていてVOLいくつなのか分からなくなった二日目(^^;;
この日何を思ったか『海に行きたいんだよね』という一人の言葉から海を目指すことに
本人は事前に調べていたらしいのだけど、流石にタイ=海という印象がゼロだった僕は不安で仕方なかった笑
さて、海に何で行くのか?
これを調べるところから始めるのだけど、何となく日本で言う高速バス乗り場的な物があって、そこからビーチの名前と同じ地域に行くバスがあることが分かった
ビーチの名前は…忘れたので今Googleマップで見たら多分『バンセーンビーチ』(Bang Saen Beach)
バンコクから日帰りできる(このうたい文句が後で大変なことになるけれど)とあって気軽に向かうことに
バスチケットを買うところから大変!何だか分からないけれど、チケット売りの人たちが窓口から身を乗り出してタイ語で?「ウチのバスに乗ってくれぇ!」と言ってるかどうかは分からないけれど何だか激しい勧誘(^◇^;)
アルファベットで Bang Seanの文字を見つけ、カタコトの英語でバンセーンに行きたい!と伝えて3枚チケットをゲット
いくらだったか忘れたけれど、とても安かったのでものすご〜く不安になったのを覚えている(;´д`)
目的地に着くまでがまた大変
バスは走って間もなく一度停まり、そこでも数人乗ってきてほぼ満席に
そこからは高速なのかしばらく飛ばして停まらず、50分くらいしてからドライバーがタイ語で何やらアナウンスして停まり、一人二人と降りていく…
降りる時の仕組みが分からない笑 
これ好きなところで降りれるの???
不安になりGoogleマップと睨めっこ…
Bang Sean Beachが近づいてきたのに、またどんどん離れていく! このまま乗ってたらヤバいね?ということで次停まったら降りよう!!と下車
そこからはまたGoogleマップ見ながら歩く
本当に辿り着けるのかと歩くこと30〜40分?気温は34度雲一つない( ̄▽ ̄;)
お!?ヤシの木見えてきた!!着いた〜!
もうそこは4.5kmヤシの木がズラーっと続くビーチで、砂浜から少し陸側にはレンタルの椅子やパラソルが、その更に陸側には屋台が両脇にズラーっと連なっていた⛱️
まぁ日中は南国のようななんてことない海水浴場って感じましたが、夕暮れを迎えると一転…素晴らしい夕陽でした…
男三人砂浜に座り夕陽に見惚れるという笑笑
ん?そう言えば帰りのバス最終時間早かったと言ってたよね??ヤバいじゃん😱
海に太陽が沈んだら今度は帰りのバス乗り場を探す旅(T . T)
道行くタクシンドライバーなどに尋ねるも皆んなよく分からないと…そもそも英語が全く通じない( ̄▽ ̄;)
バンコク中心部を外れると英語通じないようでした
もうGoogleマップを頼りに歩く歩く歩く
前日の3万歩があったので今日はお手柔らかにと若者たちに伝えていたけれどこれはもう仕方ない。。。
バス乗り場を見つけた頃はもう真っ暗で、ようやくバスに乗り降りたのは朝バスに乗った辺り
そこからは例のごとくホテル方面に歩きながら夕ご飯を探す
流石に夕飯食べた後はタクシー🚕かトゥクトゥク🛺で帰ろうよということでトゥクトゥクに
ここでもトラブル笑
トラブルって楽しいですね♪
だいぶ高齢の運転手で、スマホも持っていない様子
Googleマップで説明したら乗れと(多分タイ語で)言われたので乗ったけど目的地から外れていく(-。-;
あれ?と思っていたら急に端に寄せて停止…まさか何か事件起きる??と思ったら、若い運転手グループに目的地が分からないから客に聞いてくれ?とタイ語で(多分だけど)
で、カタコトの英語でどこに行きたいの?と聞かれてまたもやGoogleマップで説明
若い運転手は分かった分かったと老人に伝える
老人も分かったようでまた発信してどんどんホテルに近づいてきたのにまた道を逸れていく(^◇^;)
そしてまたさっきと同様に別な運転手グループに道確認… おーいおじいさん分かってないのかよ笑
その後はようやく到着
その日もなんだかんだ言って二万数千歩は歩きましたε-(´∀`; )
さ、一眠りして翌日ってことで今日は終了☆
明日は一万歩くらいにしてくれよ。。。
3 notes · View notes
myonbl · 10 months
Text
2023年12月10日(日)
Tumblr media
西本願寺で人権パネル展<「狭山事件から60年―無実の罪を晴らすために―」>が開催されるときいてやってきた。御影堂の前の大イチョウはさすがに葉を落としているが、すぐ隣の阿弥陀堂の前のイチョウは今が真っ盛り。毎年見ているはずだが、こんなに落葉期にズレがあるとは知らなかった。例年のことなのか、今年だけのことなのか、気になるなぁ・・・。
Tumblr media
5時45分起床。
日誌書く。
Tumblr media
朝食。
洗濯。
ツレアイは奈良で太鼓の練習、近鉄東寺駅まで送る。
朝から大谷翔平がドジャースと契約したというニュースが大盛り上がり。
酢タマネギ仕込む。
段ボール箱の整理、関西古紙の回収タイミングが合わず、溜まる一方だ。
Tumblr media
西本願寺に行くために少し遠回り、昨晩の焼き餃子が物足りなかったので四条大宮の王将でランチ、餃子+焼きそば+🍺、うまい。
人権週間より御正忌報恩講法要までおよそ40日間を縁として、宗派が推進する「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)の具体的な取り組みのひとつとして開催しております。  今回は、「狭山事件から60年―無実の罪を晴らすために―」をテーマとして、下記期間にて展示しております。  警察による被差別部落への見込み捜査の結果、不当逮捕のうえ、無実の罪を言い渡された石川一雄さん(当時24歳)が84歳になられたことからも、事件の早期解決に向けて、これまでの取り組みや活動を通して、今、私たちにできることは何か、ということを考えていただく機縁となることを目的としています。  すべての人びとが自他ともに心豊かに生きることができるよう、共に学びを深めてまいりましょう。
会場は聞法会館、ホールの廊下のパネル展示、私にはことさら新しいものはないが、全国から訪れる門徒にアッピールするにはいい取り組みだ。
Tumblr media
それにしても暑い!
ツレアイから連絡、手違いで練習場が借りられずに戻ってきたと。
K姉からメッセージ、H兄から着信、いずれも昨日送った荷物が届いたとのこと。
Tumblr media
4人揃って早めの夕飯。
録画番組視聴。
「四国・宇和島〜“ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?〜」
初回放送日: 2023年12月9日 今回の舞台は愛媛県宇和島市。宇和島城を築いたのは城づくりの名人?宇和島の海岸線はなぜ“ギザギザ”?タモリさんがブラブラ歩いて解き明かす▽絶品!宇和島鯛めし 「ブラタモリ#257」で訪れたのは宇和島。旅のお題「“ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?」を探る▽道路の微妙な高低差で分かる!城下町づくり驚きの工夫▽朝の商店街でタモリさんがもだえる…なぜ?▽地元グルメ・じゃこ天が示す宇和島と仙台の深~い縁▽迫力満点!陽光に輝く石垣の段々畑で何を作った?▽ギザギザの海岸だからこそ!マダイとシマアジ養殖日本一▽宇和島市民が熱狂する闘牛がこの地に生まれたワケ
月亭文都 落語「不動坊」
初回放送日: 2023年12月10日 月亭文都さんの落語「不動坊」をお送りします(令和5年10月12日(木)NHK大阪ホール収録)【あらすじ】長屋に住む男に、家主が縁談を持ちかけてきた。相手は急死した講釈師・不動坊火焔が残した女房のお滝。かねてからお滝にほれていた男は大喜びで、今夜から家に来てほしいと頼む。気分よく風呂屋に行ったが、そこで長屋の連中の悪口を言ってしまった。これを聞いた長屋の徳さん、怒りがおさまらず復しゅうを企てたが…。
明日の夕飯用に、無水地鶏カレー仕込む。
片付け、入浴、体重は150g減。
内科受診まで残り2週間、まじめに減量せねば。
Tumblr media
今日はさすがによく歩いた。
3 notes · View notes
chumolandham · 1 year
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
マホロバ・マインズ三浦(2023.8.5~6) 7時過ぎに出て、少し渋滞。2時間半で油壷の駐車場に到着。 夏休みの土曜日なので駐車場パンパン。ギリギリで滑り込み。 前回と同じく、荒井浜海水浴場で遊ぶ。 法螺貝(ボウシュウボラ)とか、生きているタカラガイとか。 気が付いたら息子のシュノーケルの技術が向上してた。 今回マホロバは三部屋。夕飯は和食懐石とバイキングと分かれた。 三度目ともなると勝手知ったるで、居心地最高です。 2日目は天気が微妙なので、チェックアウト後にプールで遊ぶ。 遅めの昼食を食べて現地解散。うちらは「すかなごっそ」に寄る。 大島ほど水は綺麗じゃないけど、近くて楽しく遊べる三浦は大好きですね。
2 notes · View notes
kisanebacci · 1 year
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
いよいよ、ついについに、 四月二十一日金曜日午後府立洛南病院との 第三回目の団体交渉が設定できました 素晴らしいです。 第一回第二回の団体交渉のために出した、最初の【府立洛南病院院長殿並びに副院長殿並びに看護部長殿並びに事務長殿公開質問及び要請状】をアップしておこうと想います よーーし、ヤルゾーーーー
府立洛南病院院長殿並びに 副院長殿並びに看護部長殿並びに 事務長殿 公開質問及び要請状
 私たちは、1976年設立の精神病患者会前進友の会と申します。また、患者会が設立母体運営主体となって1988年に認可を受けたやすらぎの里作業所とも為っております。40年以上拠点としていました山科区の日ノ岡から、昨年の10月伏見区の石田大山に引っ越して参ったトコロです。貴院とは、距離にして、4キロ弱、車なら10分ほどの距離に居ります。コレもナニかの御縁でしょうか。地元であり身近であると、言えましょう。ジックリとおつきあいくださいませ。身近な患者会作業所として、貴院の医療内容の充実に微力ながら協力を惜しまない決意と覚悟でございます。     さて、身近であると云うコトは、貴院において此のたび観察法病棟を拵えて運用を始めるということに、不安に想っているなかまが多いと云うコトであります。町内会の皆様方が『迷惑施設』ができるので不安だと云うとても差別的な不安とは、全く意を異にする精神病者の精神病患者のセーカツから来る不安と云うものです。 ただでさえ我々精神病患者は『セーシン病』の『キチガイ病』の『キタナイ』は『キケン』やは『キツいキチガイ』やは『異常者』やは、『生活保護』やは、だのと、世間様から、散々に言われ続けワルう見られ続けてるのです。しかも、なんとかかんとかフツーにセーカツしていても、この町内から、アパートから、学校から、会社から、出て行けと、表裏なく言われ続けているのです。そこにさらに、上乗せで、『観察病棟帰り』の『触法精神障害者』となったら、『ハクが付き過ぎて』、『スティグマに為りすぎて』、外で暮らせなくなるのではないか、出歩けんようになるんじゃなかろうか、と、ますます、ワシ等キチガイは、暮らしにくくなる、のでは、と不安でいっぱいです。  なぜここまで不安に駆られるのか、以下理由を述べます。
 まずは15年間、この法を運用してみた結果、余りにも『自殺者』が多いと云うコトがハッキリしております。つまるところ、『内省療法』の名のもと、『認知行動療法』的手法を駆使した【心理拷問】でもって自殺を煽る医療を、『法を犯したとする精神病患者』に対し、『治療』としてやり続けてきたわけです。怒りを禁じ得ません。あり得ない、と想います。『認知行動療法』と『内省療法』でもって、自殺させるため【心理拷問】を、組織的に制度的に医療として治療として、多くの人出とたくさんの予算をつこうてやってきたのです。  クロルプロマジン換算何千ミリなどと云うクスリも使ったのでしょう。『m-ECT』とキレイ事を言って電気ショック電パチも使ったのでしょう。看護士の暴力も、鉄格子も保護室も四肢拘束五点張りも使ったのでしょう。観察法病棟の医療従事者ども、キレイ事を言うんじゃない。許さん。専門職と称する奴等が意識的に患者を自殺させるコトを目指す、ことが、果たして医療と言えるのでしょうか。怒りを禁じ得ません。「鉄格子じゃないプラスチック強化ガラスなんじゃ。看護士の暴力やない、包括的暴力防止プログラムCVPPPを実践しとるだけじゃ」などとキレイ事言いさらすなよ、ホンマに。
 我々はなかまの一人が2010年冬、観察法審判に付されると云うゲンジツを味わったのでした。まさか、本当に、一緒にセーカツしていたなかまが、コンナにカンタンに観察法審判に付されてしまうのかと、とてもとても、ビックリ致しました。その時に味わったことは、忘れられるものではありません。その時のことは、現代書館刊、浅野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』にて、著述されております。ご一読下されれば、この観察法病棟の問題点と、如何にしてなかまを観察法の魔の手から救い出してきたかが、赤裸々に描かれております。  この時の苦い苦い想いから、2点目の理由として、本人にとって一番医療が必要な時に鑑定などで、時間を取られて、法的手続きのために、本人のための医療が途切れると云うコトがあります。つまるところ、本人とって必要な医療は、どのみち必要であり続けるワケで、『触法』であろうがなかろうが、ジブンの信頼している医者にかかれない、作業所に行けないと云うコトであります。この時は奇跡的にも、なかまに対して「この法による医療は必要ない」と云う審判が下されましたが、もし、入院命令、通院命令になっていたら、本人が信頼しているクリニックからも作業所からも、訪看からも、つまるところ、地域から途切れさせらてしまうわけです。本人がづうっと居続けていたクリニックや作業所やトモダチ関係と途切れてしまう、中断してしまうと云うことは、精神医療として、在ってはならない事ではないでしょうか。    3点目としてこの15年の運用実績を見てみると、ゲンジツには短期で出すと云うことが反故になってしまい、【物凄いスティグマの監察札を貼り付けた上で、社会的入院をシビアーに再生産している】だけと為っているのではないでしょうか。入院が長引いているではないですか。『社会復帰』しにくくなってませんか。平たくイャア、制度設計した時の予想より、とんでもない長期入院が増えているんじゃないですか。ソリゃあコンなゲキレツな『鑑札』貼り付けるんやもん、外で生きづらいワナ。  しかも、ゲキレツな人的資源、溢れるほどの銭を使って、他の精神医療や福祉に比べたら、余りにも、不公平じゃないですか。チカラコブの入れるトコ、入れ方、入れようが、間違っているんじゃないですかね。しかもそれをもって、「素晴らしい精神医療の実践」だとか持ち上げて、濃厚で人手とゼニをつこうたスッバラしい精神医療をやってみたかったんだとばかりに、『反対派医師改革派医療従事者』が『賛成派推進派』に回っている、と云うのがアサマシいほどの真実じゃないですか。  そちらの院長副院長の名前を聞いて腰をぬかしましたからね。一応は『改革派』ダッタんですよね。副院長様ナンカ、前進友の会の二泊三日の海水浴の夏レクに一緒に行った仲じゃないですか。此の頃は貴院からもたくさんの入院患者さんが参加されていました。みなさん、ドウ過ごされているのでしょうか。あの頃丘の上の方の二階建ての病棟が上も下も全開放で、愉しかったデスがね。  当会の江端君なんか、ソチらの副院長様吉岡隆一はんとは一緒に夏レク行くは、京都滋賀精神医療人権センターで一緒に結構長く活動してるはで、一体全体、ドウなっているんだと、ドウしたんだと、アタマ抱えていますよ。府立洛南病院と言えば、元々『プシ共闘』の拠点病院で、『改革派医師』の中でイカツく闊歩していたのは、モハヤ過去の歴史の一ページにも為らんと云うトコでしょうか。時代があまりにも早く移り変わって、とかく精神医たちの『変わり身』の速さには、コチとらついていけませんよ、それで、当会の江端一起君、確か90年代後半から02年ころまで、松本院長を主治医として外来に罹ってた、観察法病棟が在るトコに自分の記録やカルテが残ってるのはオソロシクてしようがない。グアイワル為る、カルテを廃棄してくれと、言っていますよ。ひょっとすると、貴院に罹ったことのある患者さん、みんなコウ云うフウに想って恐怖しているかもしれませんね。酷いコトだ。
 4点目として、そもそも、『再犯予測』なんて、出来るハズもないのに、ソンなことは出来ないのに、イロイロリクツをこねくり回して、『学会ごっこ』しているうちに、『池田小事件』利用して、ナンダカ勢いでやっちゃったから、コンなザマナンじゃないですかね。事件の利用の仕方がズル賢いですよ。ナンかの事件が大々的にマスコミにのっかる時、次はナニが出て来るのかと、ホンとシンパイですよ。
 5点目、医療観察法を適用する前から、アンタ等が使えるモノはイロイロアッタではないですか。措置入院も医療保護入院もあったではないですか。任意入院ですら退院制限できる制度設計になっているじゃないですか。警察官通報も検察官通報もナンでもアリだ。ホンのチョットしたことで、ケーサツが来てパトカーで精神病院連れていかれて、家族に連絡されて医療保護入院じゃないですか。刑事裁判で執行猶予が確定するまでの二週間の間、司法では身柄を拘束できないって云うんで、検察官通報と措置入院をまっことベンリに使うているじゃないですか。『司法と精神医療の相乗り』デスな。
 6点目、『司法制度と精神医療の相乗り』と云えば『保安処分』と云うコトバをつかわなくても、そもそも、心神喪失者医療観察法って、憲法の禁ずるところの特別法廷に為っているンじゃないですかね。しかも、一回の審判で決まってしまう。傍聴も出来ない、まるで密室の暗黒裁判やがな。それで、控訴も上告も出来ないんやから、全くの再審の機会がないわけヤカラ。だから、そもそも、その犯罪行為にかかわったかのどうかチャント判断できなくで、冤罪かどうか判断できないもんで、ジッサイのトコロ『真犯人』名乗り出ちゃって、無関係と判明と云う事件この15年で何件もなかっですかいの。コレぞホンマの暗黒裁判ではないですか。無罪か有罪か、証明できない上に、だからこそ、冤罪の場合国家賠償スラできないときた、しかも、ヤリ方によっちゃ、『司法制度と精神医療の相乗り』のくせに『精神医療の麗しき治療』であると言い募って、実質、『遡及適用』出来る上に、『時効』も『一時不再理』も無いときた、うまく出来た制度ですよ、ホンと、コレぞ【ヂゴクの暗黒裁判】だ、コレチャントした刑法学者はんや憲法学者はんや弁護士はんたちは、問題にし続けないとならないのではと、想います。
 ココまで書いて、長すぎちゃって、質問の趣旨や、要請の趣旨が分からないナンて言われちゃうと、うまくナインで、質問趣旨、要請趣旨を箇条書きにしておきますので、まずは、文書でもって九月二十日までに返事を下さいね。宜しくお願いしますよ。
①一度、前進友の会と、会って話しが出来ませんか ②観察法病棟を運用するツモリですか ③ソレは何故ですか ④予定されている年間予算はお幾らですか ⑤『観察法病棟帰り』と云うスティグマを生みませんか ⑥この法15年の実績の中で『自殺者』は何人に為っているのでしょうか ⑦『自殺者』が多い原因は何だと考えていますか ⑧『多剤大量投薬』を実施しますか ⑨『内省療法』を実施しますか ⑩『認知行動療法』を実施しますか ⑪『鉄格子』『保護室』『四肢拘束』『看護士の暴力』を実施しますか ⑫『m-ECT電気ショック電パチ』を実施しますか ⑬この法15年の実績の中で最長入院年数はどのくらいですか ⑭長くなる原因は何だと考えていますか ⑮本人の希望する或いは信頼する医療福祉環境から断絶することをドウ考えていますか ⑯現代書館刊、浅野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』を読みましたか ⑰アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』を読みましたか ⑱『再犯予測』は出来得るとのお考えですか ⑲司法制度ですか精神医療制度ですか ⑳そのように考えるのは何故ですか ㉑副院長が当会の夏レクに参加していた事実はありますか ㉒副院長が京都滋賀精神医療人権センターの活動に参加していた事実はありますか ㉓何年間活動していましたか ㉔その間『処遇困難者専門病棟』構想に反対していた事実はありますか ㉕当会会員江端一起の記録やカルテは残っていますか ㉖本人の希望により廃棄処分とすることは可能ですか ㉗観察法病棟を運用前に見学することは出来ますか ㉘観察法病棟を運用中に見学することは出来ますか ㉙『保安処分』をドウ考えますか ㉚この法による患者の『自殺』は『治療』の『成果』と考えているのではありませんか、ドウなんダ ㉛府立洛南病院が果たしてきた役割と歴史を、現在の幹部諸君はドウ考えているのか 2020年8月13日   精神病患者会前進友の会  押印      やすらぎの里共同作業所  押印 
5 notes · View notes
ari0921 · 2 years
Text
我が国の未来を見通す(49)
「気候変動・エネルギー問題」(14)
地球温暖化は人為的CO2が原因か(その2)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 早朝のサッカーワールドカップのスペイン戦によ
る寝不足を自覚できないほど、興奮冷めやらぬまま
に原稿の最終チェックを行なっています。
それにしましても、中国の「ゼロコロナ政策」への
抗議行動には驚きました。習近平国家主席が第3期
目に入った頃から、中国国民の間にはかなりの不満
が鬱積し、いつ爆発してもおかしくない状態にある
ようなことが様々なチャンネルで報じられていまし
た。一方、中国国民は、「天安門事件」のように、
政府(共産党)が武力手段に訴えても反政府活動の
制圧を強行することを知っているので、簡単には表
面化しないだろうとほとんどのアナリストが予測し
ていたと思います。
それが、よりにもよって、発祥国でもあるコロナの
問題で、その上、「人権問題」で国際社会から注目
を浴びている新疆ウイグル自治区ウルムチ市の住宅
火災が発端となって、中国政府が取り続けている「
ゼロコロナ政策」に真っ向から反対する抗議行動が
発生し、それも中国全土に留まらず、ロンドン、パ
リ、シドニー、東京など海外にまで拡大しました。
抗議行動の発端として、サッカーワールドカップの
マスクなし観戦映像も一役買っているとの報道もあ
りましたが、私は、このたびの抗議行動から、ソ連
邦崩壊の引き金となった「グラスノスチ」(情報公
開��国民の知る権利の保障)を思い出しました。そ
れを裏付けるように、抗議行動は、共産党政権誕生
以来たぶん初めてと思われる「独裁不要」「習近平
退陣」まで訴える反政治活動に拡大し、一部は暴徒
化するなど、中国にとっては「歴史的異常事態」と
もいうべき事態に発展しました。インターネットや
SNSの発達から、国民の情報収集手段は、ソ連邦
崩壊時期と比較にならないのは明らかです。
1989年に発生した「天安門事件」は、100万
人を超える参加者があったといわれますが、北京の
天安門広場のみで発生した事件でした。それに比べ、
今回は50カ所を超える主要都市で抗議行動が起
きていることから、この沈静化は容易なことではな
いでしょう。
さっそく、抗議行動の未然防止のため多くの警察官
が動員されるなど、沈静化に躍起のようです。その
後、報道規制もあって詳細を知ることは難しくなっ
ていますが、このメルマガが発刊される12月6日
時点でさえ事態がどのようになっているか予測不可
能です。
現時点では、中国政府が今回の抗議行動をきっかけ
にこれまでの「ゼロコロナ政策」を緩和する可能性
は低いと考えますので、この方針が変わらない限り、
一旦、抗議行動が沈静化しているように見えても、
再度発生する可能性は残るでしょう。
他方、「ゼロコロナ政策」を変更するようなことが
あれば、共産党政権の威信は失墜し、その影響もま
た計り知れないものがあります。その解決が長引く
ようなことになれば、国内の経済活動の沈滞が長期
化して中国の景気全体が停滞、最悪の場合、世界的
な景気後退の懸念にも波及する可能性があるでしょ
う。
さらに、人類の歴史上で何度も繰り返されてきたよ
うに、国民の不満をそらすための行動、具体的には
台湾への武力侵攻などの“引き金”になることもあ
り得ると予測する必要があるでしょう。
 前回取り上げました「歴史の分岐点」時には、様
々な形で事件や事案が発生しています。その時点で
は気がつかなくとも、後で振り返った時に、「あの
事件が分岐点だった」などと検証される場合もあり
ます。ウクライナ戦争も含めて、私たちは今、「歴
史の分岐点の真っただ中」にいると考えるのが妥当
なのかも知れません。
 ワールドカップにおいては、日本は、ヨーロッパ
の強豪ドイツとスペインをみごとに撃破し、ブロッ
ク1位で決勝トーナメントに進むという“奇跡”が
起きました。人類の歴史も振り返れば「奇跡の連続」
です。中国国民の「真意」を垣間見たようなこの
たびの抗議行動は、中国政府の心胆を寒からしめる
効果があったことは否定できないでしょう。これが
将来の「奇跡」につながっていくかどうかは不明で
すが、中国政府がむやみに権威主義を振り回すこと
にはブレーキがかかるのではないでしょうか。
▼CO2の効用
「地球温暖化」とCO2の関係を取りまとめる前に、
地球上のCO2の効用にについてまとめておきま
しょう。まず、CO2濃度の増加が穀物、野菜、果
物などの生育に与える影響です。実際に、ハウス内
でCO2濃度を自然界濃度の約400ppmから1
000~1500ppmに変化させ、穀物などの収
量の変化をチェックした栽培実験の結果、濃度を3
00ppm高めると、おおよそ3割以上の収量増加
があったというデータがあります。
代表的なデータとしては、小麦1.35倍、大麦
1.35倍、水稲1.36倍、ジャガイモ1.31倍、
大豆1.46倍、トマト1.36倍、サトウキビ
1.34倍、リンゴ1.45倍、オレンジ1.55
倍などです。草木類のほか、樹木、水中の植物プラ
ンクトン、藻類も大気のCO2濃度が高いほど生育
が良いことが分かっています。
すでに説明しましたように、植物は、CO2濃度が
高いほど気孔の総面積を減らし、体から出ていく水
分の量を減らすため、乾燥によく耐えるようになっ
て、砂漠化した場所で生育します。荒地に進出した
植物が根を張れば、土の浸食がすすみにくいという
効果もあり、過去60年間にそのような現象が世界
各地で確認されているとのことです。
また、高いCO2のもとで育てた植物は、塩分の多
い土や養分の少ない土でも生育し、高湿や日照不足
にも強く、低温や酸化ストレスにもよく耐えて、昆
虫の食害も受けにくいとのデータもあります。つま
り、CO2濃度を上げると、栽培条件が良好な時よ
りも厳しい環境のほうが生育量の増加率が高いこと
も実証されています。
さらに、温度が高いほど生育率効果が高いこともわ
かっています。低温の10℃だと生育効果があまり
わからないが、38℃では生育量がほぼ2倍になる
という実証結果もあるようです。私たちは、地球温
暖化が進むと、植物の生育地が寒いほう(北半球な
ら高緯度)に動くというコンピューター予想地図を
よく目にする機会がありますが、高温で育ちやすく
なるなら生産地を引っ越す必要はなくなります。
これらを実証するように、国連食糧農業機関は、こ
こ10年以上の農産物の生産量は、人口増に伴う消
費量が増え続ける以上に増え続け、その結果、備蓄
量も増え続けていると発表しています。
その一例として、インドにおいては、1951年か
ら2014年の60年余りで、総人口が約3.8億
人から12.5億人へ約3.8倍になった一方で、
穀物生産量は5倍に増えているといわれます。収穫
増の要因は農耕技術や肥料・農薬の進歩が大きいと
いわれていますが、少しずつ上がる気温やCO2濃
度の増加と相関関係があると考えるのが妥当でしょ
う。
なぜか「地球温暖化論者」たちはこのような事実を
取り上げないのですが、次のようなニュースにも触
れようとしません。1970年代からの衛星観測結
果について数多い論文を要約しますと、1982年
~2012年の33年間の間に、(1)地球全体の植物
の量は10%増加している、(2)植生がある場所の2
5~50%は緑が増えている(減っているのは4%
だけ)、特に、サハラ砂漠の南部流域、シベリア、
アマゾン流域などの緑化が著しい、(3)緑が増えた場
所の総面積は、米国本土の2倍を超える1800万
平方キロメートル、(4)緑を増やした要因のうち、大
気に増えるCO2がほぼ7割と推定される、などで
す。
“悪の根源”のようにいわれる、主に化石燃料によ
って排出されるCO2ですが、その効果は計り知れ
ないものがあるという「事実」について、私たちは
どのように判断すればよいのでしょうか。
繰り返しますが、確かに大気中のCO2は近年増加
傾向にあることは事実です。そのデータを子細にみ
ると、人為的CO2が増加したとされる産業革命、
つまり1870年頃の約100年も前から大気中の
CO2濃度は増え始めています。この間のCO2増
加の要因が人為的と証明するのはあまりに難しいこ
とから、大気中のCO2増加の原因を一概に人為的、
つまり「人間の活動によるCO2排出が原因」と
は言えない事実がどうしても残るのです。
これらから、現在までのところ、「何が大気中のC
O2を増やしているのかさえも分かったと言える段
階ではない」ということが精一杯なのではないでし
ょうか。
▼地球温暖化の原因は本当に人為的CO2排出にあ
るのか
 さて、本シリーズは最大の命題をまとめるところ
まで到達しました。所々に言及してきましたが、整
理しておきましょう。
まず第1に、本当に地球は温暖化しているのか、に
ついてです。私たちが目にする地球の気温の推移は
「都市化」を加味して「加工」されたものであり、
平均気温の上昇が事実かどうかについては、今なお
疑問が残ります。
 第2に、地球の気温変化に及ぼす要因はたくさん
あります。温室効果ガスに加え、太陽の黒点活動、
火山活動、それに地球の営みというべき自然変動な
どです。地球の歴史からみた現時点は、小氷河期(
1350年~1850年)からの「回復途上」にあ
り、自然現象として気温がゆっくり上昇していく時
期とみられています。気温が上がれば、海水に溶け
ていたCO2が大気中に蒸発するので、CO2増加
の何割かはその効果も効いてくると考える必要があ
るでしょう。
 第3に、温室効果ガスのうち、CO2のみが悪玉
のようにいわれていますが、これもすでに紹介しま
したように、「地球温暖化係数」(CO2を基準に、
他の温室効果ガスがどれだけ温暖化する能力があ
るか表した数字)を比較すると、メタンが25倍、
一酸化窒素が310倍、フロン類は数千~1万倍温
暖化する能力があるといわれます。
CO2自体は寿命が長いので、100年単位でみれ
ばその温室効果は計り知れないものがあることは事
実ですが、これらの微量ガスを合わせると、温室効
果は約半分前後(資料によって少し割合が違ってき
ます)あることは事実ですので、その削減にももっ
と力を入れる必要があるでしょう。
総じて、もし本当に地球の平均気温が上昇している
とすれば、現時点の気温上昇の要因は、「自然現象」
「データ加工」「(人為的)CO2+その他のガス」
の“合わせ技”と考えるのが最も妥当と判断される
のではないでしょうか。しかも、「それぞれの割合
については現時点ではわかっていない」と考えるべ
きレベルにあるのが正しいようです。逆に、(たぶ
ん受け入れらないのでしょうが)「地球は寒冷化し
ている」との説も依然として存在しています。
加えて前述したように、大気中に(ある程度濃度の
高い)CO2の存在の効用を考えれば、「脱炭素」
政策のもと、躍起になって人為的CO2排出を抑制
するのが正しい選択肢なのか、その効果がどのぐら
いあるのか、については「依然として不明」と言わ
ざるを得ないでしょう。それらの細部については次
回取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
4 notes · View notes
kennak · 9 months
Quote
20歳までの性癖の変化20歳くらいまでは、コロコロ性癖が変わっていた。  小公女セーラ⇨巫女⇨陵辱拷問⇨某エロゲキャラ⇨フェラ⇨みづなれい⇨ハーフ⇨外人のオナニー配信⇨足の裏コキ⇨高身長⇨セミの鳴き声。と。  この辺りから、性癖はあまり変わらなくなって。ずーっとひたすら、公衆トイレでセミがガンガン鳴いてる中でフェラをする動画にお世話になっていた。  20歳からの性癖の変化一方、20歳からは、二次元を卒業し、AV女優を漁るようになった。小澤マリア、希志あいの、小倉ゆず、みづなれいとまあ、面食い。だんだん、特定の女優を探すのすら面倒になって、デビュー作品で良さげな子を漁るとかにシフトして、完全にラーメンの注文みたいになっていった。  アナル舐めに性癖が破壊された性癖に確信が起こったのは、25歳だ。そんなまさかなだ。  セミの鳴き声⇨女性が男性のアナルを舐めると性癖がジャンプした。  アナル舐め道は辛いよこの、アナル舐めは本当に辛い。このためだけに風俗を覚えてしまった。性病になるの怖すぎる。  明らかに不衛生で、女性に負担をかけてしまう。こんな、最悪なプレイ本当にやばいやろ。  行為も最悪であるが、検索も難しい。そもそも、男性が女性のアナルを舐めるのもアナル舐めに引っかかる。xvideosなどでも、rimjob、rimming、rickingなど、様々な検索ワードがある。しかも、体勢が、うつ伏せが多く、次が壁に手をついて中腰、一番少ないのが女優が寝て男優が顔面に座るパターンである。私は、女優が寝て男優が顔面に座るパターンが好きだ。このような体勢のパターンごとに名前が欲しいところだが、現状はそうはなっていない。(ちなみに、耳舐めでも同じくこのような問題に悩まされている、特にASMRみたいな本当に舐めてないやつばかり引っかかるのできつい。そもそも耳舐め自体少ないし)  そもそも、アブノーマルプレイなので、特定の女優で探すのも難しい。かわいい人気女優で、ハードなアナル舐め専門作品に出てくれる人はまず少ないから、風俗ものでソープの1つのプレイとしてアナル舐めを探す。例えば、グラドルから転身で噂になった高橋しょうこサンだが、彼女の作品全てを見るわけにはいかない。アナル舐めだけを探すのだ。探し当てた時は、ものすごくいいオナニーができるが、探すときは砂漠で砂である。ソープもの作品を買っても必ずしもアナル舐めしていないし、アングルや尺など満足の行くものは少ない。  特に、『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせ、っていうJKがむっちゃ痴女ってアナル舐めする作品は年単位でお世話になっている。もう、増田は34歳である。アナル舐めの極地は『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせで結論出たと思っていた。  アナル舐めの最高到達点の更新しかし、昨晩、それが更新された。『痴女×アナル舐め×ど派手な吸引音!!』の阿部乃みくだ。酒焼けした美女が出てるなと思った。阿部乃みくは超美人女優だ。阿部乃みくサンに対する増田の思いについて、少しだけ補足したい。彼女は、アベノミクスからとったという名前自体がほうけてて好きだけど、オタクに優しい。オタクの部屋に派遣されるAVでは、オタクが変なアダルトグッズを持っていてドン引きしてしまい。「あべのは、、、あべのは〜」と戸惑い全開になってしまったのが面白かった。あと、上原亜衣の引退作品にも出ていて、上原亜衣を捕まえられなかった男達に代わりにゴスロリ姿の阿部乃みくサンがお相手するのだが、男性のアソコを膣に入れた後に、「寒くない?大丈夫?」と自分の下っ腹を手でゴシゴシと磨きだした、かわいい。あっと、ごめんなさい、横道にそれた。『痴女×アナル舐め×ど派手な吸引音!!』であるが、阿部乃みくは白衣のを着ているが、茶道のような畳部屋で、アナルの剃毛からはじまるのだが、剃毛に使う石鹸は茶道のお茶碗で抹茶を立てるように石鹸を茶道のあれでかちゃかちゃ混ぜて泡立てる。この時点でただものではないアナル舐め作品の雰囲気を感じた。剃毛後、阿部乃みくが勢いよく舐めまくる。うつ伏せから中腰まで。そして、アングルも最高だ。増田が好きなアングルとして、中腰男性にベロを突き出した美女が突進し、鼻がお尻につくまで美女の顔がケツに近づく。というのがある。なんと、阿部乃みくサン、顎まで男優の体と一体化していた。この深さはxvideosの海外の本物の変態カップルでしか見たことがないよ。フィニッシュはよくわからない医学的解説がなされてシャーレに精液が取られて終わりだ。  いや〜。5年ぶりぐらいに、アナル舐めの最高到達点が更新されてしまった。自分はもう『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせ、が死に場所だと思ってたんだけどなあ。  補遺増田は、若い人が羨ましい。もちろん、160cmのチビ、90kgのデブ、ベジータレベルのハゲのバキバキ童貞レベルの不細工です。なお、全く努力しなかったわけではなく、年収は1000万円超えているし、東大卒だし、論文も数本書いている。しかし、増田は青春ゼロ、彼女いたこと無しで、未婚で終わる気マンマンだ。風俗やキャバクラではウケがいいから、もしかしたら本気出せばモテるのかもしれないが。セクハラになるリスクもあり女性には声をかけられない。  そこは諦めてるから、別になんとも思っていないが。ただ、後世に生まれるほど、性に対して有利なのが羨ましい。美容医療が発達して女性はかわいい、VRなんかもできてリアルな体験をしているだろう。オナホも年々レベルアップしてる。ブサメンの性癖がテクノロジーでアシストされまくってる。今後は、AIを使った新AVや、新VR、知り合った人をAIが勝手にアイコラしてくれるし、卒アルで初恋の子がいたらすぐにAIが裸にする、最近のDMMエロ漫画はAIが描いたものが大量にあるらしい。ニッチ性癖もAIが勝手に大量に作り、AIが人間の反応を見て色々作るだろう。なんなら、そもそも、結婚しなきゃなかったはずの子作りもセクサロイドなり人工子宮で解決するかもしれないしな。日本の底辺に生まれながら、世界最高の美女の卵子で子供作れるのかね。  とにかく、若い人が羨ましい。エロゲーやしょぼいネットの個人サイトで必死にニッチ性癖を探して、ラブホでオナニするのが趣味な自分みたいなのって、未来からすれば、河原でエロ本漁ってた昭和と変わんないのかね。  追記セミが謎に人気なので。おすすめ作品を書いておく。「竹内みれい 公衆トイレ」でググってください。JKお散歩からの、公衆トイレ、むせかえるような暑さであることはAVの画面からは伝わらないが、蝉の音が教えてくれます。そう、AVで感じるはずのない「温度」をそこに感じることができる。これが蝉の音の良さです。外国人は、セミを見たことないから、蝉の音がわからないらしいです。我々日本人の特権ですな!  >lexieXmarcのバスルームのやつというコメントをいただいた。ありがとう、最高だわこの作品!割愛してしまったが、増田は、シャワーやお風呂物も大好きです。わかりますよ〜シャワーの水圧、体に浴びながら、必死に性を貪るの、いいですよねえ。性に対して、必死にならないと、シャワーの感覚に流されそうな感覚。  >アナル舐めおすすめは、乳工房ってエロ同人だ。かな〜りアナル舐めに拘ってるので、同人抵抗ない人にはおすすめ!  >小公女セーラやっぱ、お嬢様の気高い心を、辛い環境で守り続けるの尊いですね。アニメは歌も楽しめる。「遠い道を歩くとき、歌を歌えば近い」「挫けたらダメよ」歌で、哀愁を盛り上げたところで、セーラお嬢様の気高い感じ。大好きだあ、お嬢様あ〜幸薄お嬢様あ〜  >みづなれい性癖のお化け。目ん玉に精液入れたり、ホームレスのおしっこ飲んだり、当然可愛いが。一番増田の性癖に来たのは、生徒会長なのに性処理奴隷にさせられて、机に縛られて、69の男が立ってるバージョンのイラマチオ。いじめられてかわいそうなみづなれいサンだけど、心は強いから、常に冷静。絶対折れない心は小公女セーラだね。あと、無茶苦茶可愛いJKの格好して、円光オヤジに高飛車な態度をとるが、車の駐車場で、円光オヤジが「うんこ食べてよ」といきなり難易度爆上げな要求して笑いそうになるが、「キモい」と睨んでくる作品。結局うんこは食べずにフェラだけだが。みづなれいは、哀れな女性を演じるが、心に強いものを感じる。その気高さと、性への科学者みたいな追求が好きすぎる。
性癖が更新されたり最高到達点ができた時の記録
6 notes · View notes
oniwastagram · 2 years
Photo
Tumblr media
📸起雲閣庭園 / Kiunkaku Garden, Atami, Shizuoka ② ——“海運王”内田信也と東京の『根津美術館』が有名な“鉄道王” #根津嘉一郎 による、大正ロマン漂う“熱海三大別荘”の一つ。 ステンドグラスが美しい近代建築と、根津嘉一郎自らが作庭を采配した近代日本庭園。 ...... 続き。数寄屋風の渡り廊下を経て、ここから根津嘉一郎が増築した和洋折衷の近代建築ゾーンに。まず洋館「玉姫」と「玉渓」。玉姫はサンルームのステンドグラスの天井、そしてカラフルなタイル敷が圧巻。この洋空間と和風庭園の組み合わせ…��� . 一見“洋館”のようなのだけど、玉姫の主室は折上格天井(和風)あり、家具や暖炉はヨーロッパ風…と和洋折衷。隣り合う玉渓も洋風の山荘が基調だけれど、どこか和の感じがする。ここにも素敵なステンドグラスが。 . ここから旅館時代の客室(現在は文豪関連の展示室)を挟んで、再び根津別邸時代の洋館「金剛」へ。こちらは「玉渓」と雰囲気に似たヨーロッパの山荘風の建築。ここでも豪華な暖炉。 . それと隣接するのがやはりここでもステンドグラスが素敵…な「ローマ風浴室」🛀 その唯一無二のデザインの浴室は映画のロケ地にもなったとか。あと写真は載せてないけど、旅館「起雲閣」時代の浴槽もこれまた深い浴槽がレトロで良い。 . 最後に、各洋館と庭園を挟んで向かいにあるのが和館「孔雀」。現在は独立した離れのような形になっているけれど、時代的には「麒麟・大鳳」とともに大正時代に建てられたもの。孔雀はここまで見た各部屋と比べるとシンプルな和館といった趣き…。 そのほか旅館時代に増築された「音楽サロン(旧・宴会場)」など、おおよそ10棟で起雲閣の建築は構成されます。一番新しいのは平成年代の貸出ギャラリー。 . そして起雲閣の庭園は前述の通り根津嘉一郎の別邸時代、大正末期〜昭和初期に作庭されました。 熱海の緩やかな斜面の地形を生かした約1,000坪の池泉回遊式庭園で、主屋(和館・洋館)の手前には芝生と園路が広がり、中央部を川が流れ、その水はやがて池泉へと流れ込みます。 . 阪急創業者・小林一三などと共に近代の有力な茶人/数寄者でもあった根津嘉一郎自ら指示することもあったそうで、流れの始点の石組の中にある約20トンの大石は根津がこだわり10人以上の庭師が2ヶ月以上をかけて運んだもので“根津の大石”と名付けられています。 . 庭園の各所からは周囲の山々とマッチした景観も楽しめる。…もしかしたら根津別荘当時の和館の2階からは(正面に見える旧大浴場やビル・マンションもなく)熱海の海も眺められたのかもなぁ。 . 初めて訪れた頃は「日本庭園だ〜芝生〜★」ぐらいに思っていたけれど。近いところでは七代目小川治兵衛の『三養荘庭園』、同じく小川治兵衛の『慶雲館庭園』、東京の『大隈庭園』等と似た雰囲気の、当時の流行した作風の庭園だったと感じられます。 洋館やステンドグラス目当てに訪れる観光客・建築ファンにも気に入ってもらいたい庭園! . ということで2022年も『おにわさん』をご愛顧いただき誠にありがとうございました。振り返りとかはまた新年に。良いお年を! . 静岡・起雲閣庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/kiunkaku-garden-%e8%b5%b7%e9%9b%b2%e9%96%a3%e5%ba%ad%e5%9c%92/ ------ #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #landscapedesign #atami #atamitrip #japantravel #japantrip #庭園 #日本庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #熱海観光 #熱海旅行 #近代建築 #近代和風建築 #庭院 #庭园 #文化財 #近代別荘建築 #おにわさん (起雲閣) https://www.instagram.com/p/Cm1TAxHv0Lg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
4 notes · View notes
gyohkou · 2 years
Text
26/12/22
日記、人に見せるものという意識があるために、あまり重たくならない様に調整してしまうが、それでは嘘になってしまう。わたしの人生における出会いも気づきも抑うつもまた、全て等しくこの身に起こっていることであり、どれも誇張されたり退けられたりするべきではない。しかし、やはりこれは他者が読むものであるため、生々しい言葉を使うべきでもない。色んなべきではないを抑えて折り合いが付くように言葉を選んでいくのは、自分に正直であり続けるためだな。
スペイン旅行の3日目にバルセロナで高熱を出し、5日間は調子が戻らずほぼ寝たきりだった。バルセロナではピカソ美術館とカタルーニャ美術館へ行ったきりで、海辺のホテルで療養していたにすぎない。熱を出した翌々日に宿の関係でマドリードへ移動せねばならず、熱で二倍になった重力の元、特急の始発駅へ向かっていた。運が悪いことに地下鉄で貧血を起こし、降りた駅のベンチで横になっていたら、心優しく声を掛けてくれたスペイン人が水を買ってバナナを分け与えてくれ、本当に助かった。マドリードの宿へ到着してからも、一日に二度、外食のために身体を起こすのが精一杯で、ただずっと具合が悪かった。せっかくのスペインだったのだが、ベッドでM-1決勝戦ネタを観たりしていた。イギリスに帰って、餅、つこうぜ。
どうしてもうどんが食べたくなる。Googleマップでうどんと検索し、ちゃんと日本人が作っていそうなおうどんの写真が出てきたので、今夜はここへ行こうと星マークをつけようとしたら、店名が「donzoko」だった。どん底スペイン旅行。お店へ行くと、おそらく同年代の日本人の男の子が接客をしてくれ、スペインでワーホリをしているとのことだった。スペインワーホリは4年前くらいにできたらしい。英語圏の次は別の言語の国へ行ってもいいね。海外にはトリリンガルの人とか結構いるし、フランス語なんか喋れたら素敵だな。肝心のおうどんは、おつゆが甘じょっぱすぎた。かなりまともな日本料理屋だったけど、味はなんだか惜しい。お出汁にこだわる家で育ったから、もしわたしが日本料理屋で働いたらお出汁にめちゃくちゃ口出ししちゃうかもしれない。オーダーではなく出汁をとらせろ。ちなみにどん底の由来を彼は知らないとのことだった。
具合が悪いとしか言いようがない。これがコロナなんだとしたら、全く脈絡のない刺激で悲しくなってしまうのも症状のひとつなのかもしれない。着ているフリースの毛流れがあまりにふわふわと立体的で、悲しくてたまらない。ひとしきり悲しんで眠りに落ちると、フリースを着て眠っていたはずなのに脱いでいて、足元のベッド枠に掛けられている。睡眠時遊行症もコロナの一症状なのかもしれない。
マドリード3日目。ずいぶん長く歩けるようになるまで回復する。病み上がりにはいつも辛いものが食べたくなるが、���回も例に漏れず、口コミのよい韓国料理屋を探して向かう。店内はいっぱいだからテイクアウトなら、とのことでスンドゥブチゲを注文。女将さんがスペイン語と韓国語と英語をない混ぜにして喋るので全然わからなかった。英語圏ではない国へ旅行する場合、必ずしも英語が通じるとは限らず、メニューが現地言語表記のみだったりすると本当に詰んでしまう。ヨーロッパ言語は英語に似ているみたいな話をしたけど、音が似ているわけではなく、全くスペイン語がわからない英語学習者にとってのスペイン語はもちろんどうぶつ語である。20分後にできるからとのことで、外へ出てベンチに腰掛けスンドゥブを待つ。マドリードは至るところにベンチがあってよい。バルセロナは暖かくて春の匂いがする午後さえあったが、マドリードは少し肩が縮こまる。それでも、ふくらはぎが出るワンピースを中に着て20分間ベンチに腰掛けることはできるような温度感だ。店へ戻ってスンドゥブを受け取る時、女将さんがにっこりしながらポンポンと肩を叩いてくれたが、韓国語を喋っていたのでどういう意味だったのかわからない。ゆっくり食べられそうなベンチを探しながらしばらく歩いていると、○○町第一児童公園 みたいな名前が付いていそうな、寂れつつ小綺麗な公園があったので、そこでスンドゥブを広げることにする。付け合わせで、火を通した茄子を塩辛い餡のようなもので絡めたおかず、じゃがいもとにんじんを千切りにして塩で味づけした炒めもの、がびっくりするほど美味しかった。塩気の効き具合と火の通し加減が絶妙で、こういうのを家庭料理のおいしさというのかな。スンドゥブは辛さが足りずもどかしかったので、辛さを求めて、夜にまた別の韓国料理屋へ行く。両側をスペイン風のアパートで挟まれた、狭くて歪んだ石造りの坂道を少し登ったところにある、地下に店を構える韓国料理屋で、地上から階段で半分下がったところに入り口があり、お辞儀をするような格好でドアを押す。ここではビールを解禁してサムギョプサルをしたのだが、にんにくが付いていなくてふざけているのかと思ってしまった。シメにいただいたユッケジャンは微妙な見た目して味は一品だった。熱くて舌が焼けそうなほど辛い。そういえばどちらの韓国料理屋でも、日本人だと告げると(韓国人ではないため)ちょっと残念そうな顔をされつつもなんだかんだ良くしてくれて、アジア人というアイデンティティが芽生えつつある。満足して帰路につき、ゆっくりシャワーを浴びて早く寝ようと思っていたのだが、なぜか宿のバー巡りイベントに参加することになり、お酒を解禁してグラスビールを許した段階なのにショットを5杯飲む夜になってしまった。塩とライムで飲むテキーラっておいしいんだね。同じ宿に泊まっている人たちと英語で喋るよい機会だったけど、ナイトクラブの雰囲気がめちゃくちゃ苦手だったのでそそくさと抜け出して帰った。
丸一日自由に使える日を二日間残して体調が戻る。マドリード4日目。普段の調子も戻ってきて、スペインでようやく息ができた朝だった。宿の近くに、スペシャリティコーヒーと看板を掲げるカフェが連なるスペシャリティコーヒー通りがあり、どれもわたしが知っているそれとは雰囲気がかなり違ったので、広義のスペシャリティコーヒー、と思った。スペシャリティコーヒー通りのカフェのひとつがBrunchをやっていて惹かれたのでふらりと入る。(おそらくスペシャリティ)コーヒー、足のついたグラスに注がれた生のオレンジジュース、アボカドと生ハム(たっぷり!)とトマトソースのバケットトースト、クロワッサン、グラノーラと果物のヨーグルトで完璧なブランチ。ヨーロッパでは基本的にどんな食事にもナイフとフォークが添えられているが、バケットトーストをナイフで切ってフォークで口に運ぶのも優雅でよかった。オーダーを取ってくれた店員が、日本好きだよ、In the Mood for Loveが好きなんだ、と話すのに対し、背中合わせの客が、それは韓国映画だね、と割り込む。どうやらウォンカーウァイの花様年華のことを話しているらしかった。お会計の時、あなたは主人公によく似ているから観てみてと、伝票の裏にIn the Mood for Loveと書き込んでくれ、なんだか映画のワンシーンみたいだった。カフェを出てプラド美術館へ向かう。スペインといえばプラド美術館と思っていて、それはそれは様々な西洋画が見られるのだろうと期待していたのだが、展示内容にはかなり偏りがあった。Wikipediaによると、プラド美術館は歴代スペイン王家のコレクションが大半で、歴代王の趣味やスペイン史を反映しているためにルネサンス、バロック絵画に偏っているとのことだった。確かに、モネとかゴッホとかは全くなく、宗教画ばかりだった。じっくり館内を見て回っていると、ぐっと引き込まれてしまう絵がいくつかあった。なぜだろう。おっきくて本物だから?光って見える絵とかもあった。宗教画はものすごく精巧な絵画で、一言でいうと、絵がめちゃくちゃうまい。そしてどの絵にもドラマ、ストーリーがあって、人が血を流して死んでたり泣いてたり呆然としてたりなど、どうしたんだろうとシリアスになって絵に近づいていってしまう。Antonio Munoz Degrain の The Lovers of Teruel と、Juan Luna の Cleopatraが特に美しかった。ところで翌日も酔い続けているタイプの二日酔いで訪れる美術館てなんて心地いいんだろう。身体に一定の負荷がかかっているために、余計な言葉や思いだしたくない悩みが引っ込み、視覚から絵を楽しめる。あとこの日はコンタクトレンズをしていて、眼鏡とは見え方が異なる気がした。コンタクトレンズの方が、より鮮明に立体的に見える、ために絵が飛び込んでくる。一通り見終えて、ソフィア王妃芸術センターへ本物のゲルニカを見に行くため、マックで腹ごしらえをする。小腹が空いていて時間も微妙な時にちゃくっと行くマックは楽しくて美味しくて好き。閉館まで時間がなくて、駆け足で回っても全ての展示室へは行けず、近代的なおもしろい展示もやっていたから勿体なかった。この夜も韓国料理を食べる。
マドリード5日目。マドリードはよい街。まずスーパーがいい。並んでいる野菜や果物はぱつっと新鮮だし、鮮魚コーナーはでっかい魚が氷に埋まっていて、精肉コーナーには生ハムの原木がぶらさがっている。何より床が綺麗で店が明るい。(ロンドンのスーパーはなんか散らかってる。)ティッセン=ボルネミッサ美術館へ行く。ここはプラド美術館とは異なり、かなり満遍なくコレクションされていて、おすすめルートで回ると西洋美術史の流れに沿って作品を鑑賞できるようになっていてかなりよかった。Edward HopperのHotel Roomを長い間眺めていた。とても好きだったので、絵がプリントされたクリーニングクロスをお土産に購入した。さすがに二日酔いは治っていたと思うけど、心地よさは継続していて、夏を想起させる様な色彩鮮やかな厚塗りの抽象画を見ていると、幸福な気持ちでいっぱいになった。美術館行って幸福な気持ちになって出てくるって体験として最高だなあ。
美術館へ行ってばかりの旅だったけど、美術館でわたしは何をしているんだろうとふと。多分、作品を見てるだけじゃないんだよな。建築設計の妙でもたらされる幸福感とか、絵を眺める人を眺める時、すれ違う人の放った言葉が耳に入ってくる瞬間、あんま面白くない作品が続くゾーン、はっとして吸い寄せられてしまう絵、の合間合間でメモアプリに書き留められる断片的な自己理解や新しい思いつき、の全て。チケットの列に並んでから夕暮れ時に出口をくぐるまでに起こる全ての体験。そういう娯楽���
旅をしていると、こうすればこうなるだろう、からこうする、みたいに、今の不安を未来の自分に解消させるべく、筋道立てて人生設計して未来を計算しながら生きるのをどんどんやめていくことが今を幸せに生きる方法のような気がしてくる。そのような設計はどうしても垂直な要素を含むが、わたしは人生をどこまでも広い平面として生きていきたい。設計が必要になったとしても、資本主義的垂直ではなく平面的な心持ちで努力をする。垂直に生きないと何かがダメになるというのは資本主義社会の幻想であって、平面的に生きても、何かが減ったりツケが増えたりするわけではおそらくない。やりたいこと、知りたいこと、行きたいところを正しく把握するために、自分の心の機微に敏感になっておくこと。今嬉しいのかつまんないのかをわかるようにしておくこと。その上でやる力、やり通す体力と精神力を備えておくこと。この辺りが大切なんだろうなと思う。
クリスマス当日は快晴。ロンドンへ戻る。滞在中に何度か行った宿の近くのカフェへ朝ご飯を食べに行った。おおきな(本当におおきな)チョコレートケーキを食べながら、これクリスマスケーキだ、と思う。大型犬を連れた客が入店してきて、ヨーロッパの犬寛容社会、と思う。フライトの時間が迫っていたので、バタバタとチェックアウトして駅へ向かうと、広場で露店マーケットが開かれていた。15分だけ、と急足で露天を見て回り、変な蟹のピアスを3€で購入した。うれしい買い物。ピアスだけはいくつ所持してもよいことになっている。空港で手荷物、予約時の規定では8キロ制限だったのに、チェックイン時に計って9キロで、超過してるか聞いたら問題ないとのことで首を傾げていたら、搭乗時に10キロまでと書かれた表示を見つけ、何がどうなってんねん。手荷物検査すぐ終わって余裕だと思っていたら出国審査に並んだ。出国審査はある空港とない空港があるけど、どうなってんねん。昼下がりのエアヨーロッパ。搭乗した機内には柔らかく日が差し込み、滑走路の離陸ポイントへ移動する間、角度を変えて入り込んでくる日が窓際、手元、手荷物棚とあちこちにひだまりを作る。空調が機能していないのかよく暖まり、うとうと眠りに落ちてしまう機内は、まるで水泳の後の授業か、あるいは放課後のようだった。到着先のガドウィック空港のストライキを心配していたが問題なく入国でき、ロンドン市内まで帰ってきたが、鉄道とバスのストライキは全く予想しておらず、家に帰る手段がタクシー以外に何一つなかった。距離を調べたら徒歩3時間だったので余裕じゃん!と心が軽くなり、旅行前は氷点下だったがこの夜は10度近くあったため、歩いて帰ることを決めた。
一人旅、向いていないかもしれないけど、好きでいたい。旅行中に、そういえば母親にスペイン旅行のこと連絡していなかったなと思ってラインしたら、ひとり旅!? あなたは勇気あるねえと返事がきた。誰かがいないとできないとか、ひとりだと寂しいとかいう次元とは別のところにいたくて、旅に限らず、お酒を飲みに行ったり映画を観に行ったり、なんでも一人でやっているのかもしれない。そして一人旅では、すぐには言葉にならない水面下で何かが、大きな攪拌が起こっているような気がする。旅行前半は、ちゃんと仕事も決まっていない無職なのに貯金を切り崩して10日間もスペイン旅行だなんて、という思考に囚われていたけど、ロンドンに帰ってきたら、そういう悩みが削ぎ落ちていて、空いた分をどうでもよさ、寛大さが占めていた。まだ無職でいいや、というニュアンスのどうでもよさではなくて、もっと前向きな力の抜け方。旅行をすればするほど、人生に対して前向きにおおらかになっていくのかもしれない。
Tumblr media
5 notes · View notes
poddyshobbies · 2 years
Text
鎮懐石八幡宮(2)~ 門前
Tumblr media
門前の道は唐津街道です。駐車場あります。
Tumblr media
筑肥線、その先は海。~ 展望台があり絶景が望めます。(公式ホームページには「海に臨める丘の夕日神社」とあります。)
Tumblr media Tumblr media
参道口
Tumblr media
船繋石 ~ 昔はこの辺りまで海岸線が迫ってたのでしょうか。
Tumblr media
鎮懐石碑
Tumblr media
万葉歌碑
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
『古事記』『万葉集』に「鎮懐石」がでてきます。それによると後に応神天皇となる御子を懐妊した神功皇后がこの地を通って朝鮮半島に出兵した時、卵型の2個の石を抱き鎮懐として出産の延期を祈ったそうです。願いは叶い帰国後に宇美(糟屋郡宇美町・宇美八幡宮)で応神天皇が生まれた、と。
Tumblr media
社務所前駐車場(無料)の石碑(詳細不明)
Tumblr media
ほかに参拝者専用駐車場や少し離れますが海水浴場方面にも無料の駐車場が利用できるようです。
Tumblr media
トイレと社務所 ~ 少し離れた場所にある「箱島神社」(異空間を感じます・2019.7.10)の御朱印もこちらで授与できるそうです。
Tumblr media Tumblr media
(2023.2.8)つづく
1 note · View note
outsidetaiwan · 23 days
Text
米欣特萊 Mihintale
Tumblr media
一個我沒想到會待的地方,然後出乎意料的還不錯。
因為前兩天實在熱到一個不行,晚上蚊子又多又睡不好,於是想提前離開海邊,這樣在回可倫坡的途中,還有幾天時間可以停阿努拉德普勒(Anuradhapura),參觀一下世界遺產。
就在研究阿努拉德普勒景點時,看到很多人都會花半天來18公里外的這個小鎮遺址看日落,於是米欣特萊 (Mihintale) 這個名字才第一次被我注意到,據說這裡也是被斯里蘭卡佛教徒視為重要的聖地之一 。
從亭可馬里 (Trincomalee) 去阿努拉德普勒的巴士一定會先經過這個小鎮,我本著不想走回頭路的精神,想說乾脆在這裡睡一個晚上,隔天再繼續前進半小時車程到阿努拉德普勒。
Tumblr media
抵達當天下午太陽小一點之後,我先散步到古代醫院遺址,再繞到 Indikatu Seya 修道院建築群,這裡據說是供奉著建造米欣特萊寺廟所使用的工具。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
順著土路步道走,還可以到岩石小丘上的 Rajagiri Kanda 洞穴,光禿禿的幾個大岩石縫裡面,有簡單的庇護所,據說是僧侶修道最早的據點之一,也似乎曾經有某位國王來修道。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
附近的黑水池 Kaludiya Pokuna 畔也有不少浴場、寺廟和洞穴的遺址。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
第二天一大清早去主山頂,這裡要爬一連串的樓梯,中層露台有售票處,外國人門票是1000盧比,這裡有聚會弘法的禮堂 Assembly Hall,也有仍舊可以看到石頭粥船的施捨堂 Alms Hall,還有一個石雕獅子池 Sinha Pokuna,浴池的排水是從側面的直立獅子口流出,很特別的設計。
Tumblr media Tumblr media
然後再爬一段樓梯才能到最上層,山頂那層整區都需要脫鞋子赤腳。有幾個主要佛塔,還有羅漢馬修跟國王會面的邀請岩 Ambastala Dagaba。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
我在山頂時正好遇到奉飯的時間,三人一組的鼓手和樂手,跟著鼓聲踏著節拍,捧著清水和餅乾到各個佛塔前奉飯,據說一天要四趟。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
tsuntsun1221ts · 28 days
Text
2024.07 普賢岳・佐世保観光
Tumblr media
会社の出張で長崎へ、せっかくなので普賢岳登山+ドライブ
会社を辞めた同期が長崎県で働いており、周辺を案内してもらった。諫早(イサハヤ・・・指宿など九州の地名は難読なものが多いな)で合流し、彼の車で約1時間かけて普賢岳の登山口へ。まだ梅雨明けしていないが麓は非常に暑く、おそらく気温は30度超えている。車窓から見えるはずの普賢岳山頂は雲の中に入っているので、登山中も景色は期待できないだろう。
ちなみに雲仙岳とはいくつもの峰の総称を指し、その中でも平成新山ができるまでは島原半島最高峰だったのが普賢岳で、普賢岳は1つの峰の名前。雲仙普賢岳というのは雲仙山系の普賢岳という意味でいいのかな。
Tumblr media
車でどんどん高度を上げていき、到着した仁田峠は非常に涼しいというか、台風並みに風が非常に強い。気温は25度くらいぐらいだったが、動かないでいるとちょっと寒く感じるほど。こんな天気なので駐車場に車はまばら。
Tumblr media
ロープウェイ乗り場はあるが、この風ではやっていないだろう。まあ使わないけど。
【コースタイム】仁田峠(0950)→紅葉茶屋(1015)→風穴分かれ(1035)→立岩の峰(1050)→普賢岳(1100-1130)→紅葉茶屋(1140)→仁田峠(1200)
Tumblr media
登山口はロープウェイの脇にある。
Tumblr media
まずは10分ほど下り、その後登りへ転じる。最初は登りも下りもどちらも緩やかで、道も整っていてかなり歩きやすい。
Tumblr media
20分ほどで紅葉茶屋という分岐になるが、時計回りで岩立の峰へ向かう。
Tumblr media
紅葉茶屋からはようやく登山らしい傾斜になった。
Tumblr media
しかし傾斜はすぐに終わり平坦な道に。気温は20°cくらいと思うが、湿気がかなり高い。樹林帯で囲まれているが風はそこそこを通るのでなんとか快適に進める。
Tumblr media
風穴の手前でまた少し傾斜が出てくる程度か。このルートはずっと樹林帯が続いて景色もほとんど見えず、また道が結構細い。景色は見えない。
Tumblr media
紅葉茶屋の分岐より20分で風穴に到着。この穴から冷気が吹き出してきて、設置されている温度計は10℃を指しており、この周囲だけ異常に涼しい。
Tumblr media
風穴から先は急な登りとなる。
Tumblr media
風穴から焼く10分で登りきると稜線上に出る。周りは完全にガスに囲まれていてほとんど景色見えないが、
Tumblr media
すぐに目の前に平成新山らしき山陰が見える・・・裾野が少しだけ見える程度で、てっぺんはどこにあるかわからない。植生が低くなっており、このあたりからは再び風がかなり強い。5分ほどここで待っていたが、ガスがどんどん供給されて全く晴れないので、平成新山の姿は諦めて先へ移動することに。
Tumblr media
立岩の峰から普賢岳山頂���ではほとんど平坦な道で、わずか10分で到着。
Tumblr media
晴れていれば目の前に平成新山が見えるはずだったが、相変わらずの強風とガスに巻かれていて何も景色を見ることができない。ここでもしばらく待ってみたところ、
Tumblr media
一瞬だけ現れた!・・・その後しばらく待ったがもう見えることはなく、下山。まぁ、一瞬だけでも見ることができて満足。
Tumblr media
普賢岳から紅葉茶屋まではやや急な下りで、たまに鎖も設置されている(使うほど危険な傾斜ではない)。約10分で紅葉茶屋の分岐に到着。
Tumblr media
来るときも通った道だが、紅葉茶屋以降は全く穏やかな道。20分ほどで登山口に到着。休憩含め、往復たった2時間くらい。今回は反時計回りに岩立の峰を経由するルートだったが、普賢岳の往復だけなら1時間あれば済んでしまうくらい短い。登山道は結構ゴツゴツした岩が多く、さすが活火山で直近も噴火した山だと感じさせられた。
Tumblr media
ロープウェイの展望台からおそらく島原市。車で島原市へ向かう。
Tumblr media
30℃超えていて非常に暑い。先ほど登ってきた雲仙岳は山頂あたりのみガスで覆われており、麓からも平成新山は見えない。ちなみに平成噴火の際に土石流がこの地点まで流れてきたとのこと。
Tumblr media
平成の火砕流が発生した直後、さらに麓へは土石流が発生し、当時被災した民家がそのまま残されているところを見学。完全に1回部分が埋まっており、今自分たちが立っているのは土石流によってかさ上げされた地面の上であるということがわかる。航空写真を見てみたが、平成新山から今立っているこの場所までの距離は、あまりにも近い。
その後は会社の同期の車でダラダラ運転してもらい、一般道を走って佐世保に到着。せっかくなので佐世保バーガーを食べようと思って、おそらく有名店だと思われるお店(BigMan上京町本店)で佐世保バーガーを食べる。値段は1100円ぐらいと、サイズの割にやや高額かなと感じたが、食べてみるとベーコン・卵・レタス・トマトなど全ての食材の味が際立っていて非常に美味しかった。これは満足。
同期と別れ、翌日はレンタカーで佐世保観光
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
最も素晴らしかったのは九十九島観光公園。とても広いなだらかな丘で、長崎の群島を眺められる。観光バスが何台も駐められる大きな駐車場も整備されていて、実際韓国・中国からの団体観光客お訪れていた。
Tumblr media
白浜海水浴場。まだ海開き前?海の家などを建てている最中だった。
Tumblr media
九十九島観光公園のすぐちかくにある展海峰公園
Tumblr media
弓張岳展望台は佐世保港を眺めるのにとても良い。
Tumblr media
佐世保は軍港であり、この日も日米の軍艦が停泊。強襲揚陸艦アメリカだけは遠目でもわかった。泊まっていた宿からもアメリカは見えたがとにかく巨大で、横長のビルが海に浮いているかのよう。空母だともっとすごいんだろうな。
0 notes