#町田樹
Explore tagged Tumblr posts
Text
Annual Tatsuki Machida birthday art!! Inspired by the opening pose of his 2013-14 short program, East of Eden. Still an inspiration after all these years~
(Experimented with a more realistic style, black line art, and rendering with this cool marker brush I found! Also I've been reading a lot of Steinbeck lately, hence me picking this specific program to illustrate this year hehe)
#tatsuki machida#machida tatsuki#町田樹#figure skating#ice skating#町田樹誕生祭#町田樹誕生祭2024#happy birthday tatsuki!#figure skating fanart#original art#2024
4 notes
·
View notes
Text
2014.10.24
Figure skating FA
3 notes
·
View notes
Photo
A little late, but happy birthday to my favourite (underrated) figure skater, Tatsuki Machida! ♡
Beethoven’s Ninth is still one of my favourite programs and costumes of his, and I tried to do it justice with a proper exhibition background here. Bc I swear I read an interview somewhere where he said he would’ve added so much more to this program if he wasn’t limited by the competition program requirements
#Tatsuki Machida#Machida Tatsuki#町田樹#figure skating#figure skating fanart#ice skating#happy birthday tatsuki#hmm i wonder why i love galaxy themes so much#couldn't be bc of this costume nope#still my fave after like 10 years lol#original art#2023#star train art
2 notes
·
View notes
Photo
ECCジュニア田村町教室、今期見ているのは
ゴールデンカムイ 地獄楽 鬼滅の刃 スキップとローファー ヴィンランド・サガ 王様ランキング 青のオーケストラ
の中村です。 推しの子、見た方が良いですか?
GWに心身ともにリフレッシュして、今週のレッスンも楽しくスタートしております。 やはり自転車再開できているのが、嬉しい限り🧡
子どもの頃、体育って好きでも嫌いでもないというか、むしろあまり記憶に残っていないというか。。。 多分、めちゃ楽しいこと、なかったんだろうなと思うのです。
そのまま大人になって、特に体を動かす事もなかった人間が、弱虫ペダルと出会い、自転車に出会い、身体を動かすことの楽しさ(自転車限定w)を知る事が出来たのは、本当にラッキー。 勿論、ガチ勢ではないので、趣味で気楽にブラブラしているだけですが、運動ってきっと精神的にも良い影響がたくさんあるんだろうな、と実感しています。
学校の体育でも、何かを競うとか、計測して上位を目指すとかだけではなく、ただただ身体を動かす事って楽しいよね~✨なんてことを目的にする時間も、多少あってもよいんじゃないの?と思っています。
・・・ん? 漫画読んでアニメ見てばっかりだろ!という突込み、大歓迎w
そうそう、GWは妹家族と一緒に、ドライブ🚗&サイクリング🚴♂️ 久しぶりにしまなみ海道をちょっとだけ走ってきました。
写真は、大三島で立ち寄った生樹の御門。 大山祇神社から、ちょっと歩いて行ったところにある楠の大樹です。 根元が2本に分かれていて、そこを通り抜ける事が出来ます。 奥の院への参拝にここをくぐっていたため、こんな名前がついたのだとか。
巨樹や巨石に、なんとなく神秘なものを感じるのは、日本だよな~といつも思いますが、感じるものは仕方ない(笑) 何があるわけでもないのに、その姿に圧倒されてドキドキするだけで、なんか憑物が落ちる感じです。
大山祇神社の近くですが、車では行けない場所。 神社周辺の駐車場に車を停めたら、歩きか自転車で行ってみてください。 こんな私でも、心が洗われる✨
愛媛側の3島を軽く走っただけですが、瀬戸内の美しい景色を見ながらのサイクリングはやはり最高でした👍 ちょっと行ったところに、世界でも有数のサイクリングルートがあるなんて、ありがたい😊 今回は日帰りでしたが、また泊まりも入れて走りに行きたいものです。
#今期のアニメ#何見てる#サイクリング#自転車は自由だ#しまなみ海道#大三島#生樹の御門#setouchigram#愛媛#ehime#ehimegram#英語#英会話#英会話教室#丸亀#多度津#ecc#ECCジュニア#田村町教室
1 note
·
View note
Photo
次のライブは5/21に町田のPlay Houseで樹菜里ちゃんとお誕生日イベントです!
今回玉那覇バンドはカホン+ベースの3ピースで出演します。 老舗だけど行くの初めてだ🤔
5/21(Sun) 町田 The Play House Open 17:00 / Start 17:30 Charge ¥3,000+1drink / 学割 ¥2,400+1drink / 配信 ¥2,000 予約サイトhttps://theplayhouse.jp/events/9305
0 notes
Photo
『林田直樹のカフェ・フィガロ アーカイブ放送』 2023/04/30 18時配信
ゲスト:ヴァイオリニスト 小町碧さん(15年10月放送)
今回は、ヴァイオリニストの小町碧さんのアーカイブ放送をお送りします。 小町さんの最新リリースも掲載中✨
<再生はこちら▶️>
※スマホ/タブレットはアプリからご視聴ください。 過去の放送は、Back numberで🎧
今回は、2014年に発売された1stアルバム『Colours of the Heart』を聞きながらエルガーや ゴーギャンなど英国の作曲家についてお話をお聞きします。エルガーの代表曲の「愛の挨拶」のお話や作曲家・ディーリアスと画家・ゴーギャンの関係、ゴーギャンの作品である「ネバーモア」についてなど伺います。どうぞ、お楽しみに♪ ※この番組は、2015年10月25日、2015年11月1日に放送されたものです。
【最新リリース情報】
<アルバム>
『ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンとピアノのための作品全集』 小町碧(ヴァイオリン)、サイモン・キャラハン(ピアノ) 英語・日本語解説:小町碧 リリース:2022年8月 販売元:ナクソス・ジャパン
<書籍>
『レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ 〈イギリスの声〉をもとめて』 サイモン・へファー 著 小町碧・高橋宣也 訳 アルテスパブリッシング
『ソング・オブ・サマー~真実のディーリアス』 エリック・フェンビー 著、小町碧 訳、向井大策 監修 アルテスパブリッシング
・小町碧 オフィシャルサイト
【楽曲リスト】
2015/10/25 放送分 『ヴァイオリンとピアノためのソナタ 第一楽章』 作曲:ドビュッシー 演奏:小町碧(ヴァイオリン)、サイモン・キャラハン(ピアノ) 『ヴァイオリンとピアノためのソナタ第三番 第一楽章』 作曲:ディーリアス 演奏:小町碧(ヴァイオリン)、サイモン・キャラハン(ピアノ) 2015/11/01 放送分 『君を愛す』
作曲:グリーグ
編曲:ソォーレ 演奏:小町碧(ヴァイオリン)、サイモン・キャラハン(ピアノ) 『ヴァイオリンとピアノためのソナタ 第三楽章』
作曲:ラヴェル 演奏:小町碧(ヴァイオリン)、サイモン・キャラハン(ピアノ) 音源提供:小町碧
番組テーマ曲:「フィガロの結婚 序曲」 (音源提供:ナクソス)
過去放送一覧はこちら <ブルーレディオTOPに戻る>
0 notes
Photo
読み方と私 ・ 戸籍の氏名に読み仮名をふる法案の話題がニュースになっていましたね。いわゆるキラキラネームと言われる漢字とは異なる読み方の名前が消えそうですね。 ・ その昔、北斗の拳という漫画を読んでいたら「強敵」と書いてあるルビには「とも」と書かれておりジョジョの奇妙な冒険で「波紋疾走」は「オーバードライブ」でした。 ・ 「騎士」と書いて「ナイト」と呼ばせるのは英語との関係で認められる可能性がありますが「太郎」で「マイケル」と言うのは漢字との関係がないので認められなさそうです。 ・ と言う訳で本日のディナーは寿樹と書いて「じゅじゅ」では無く「ことぶき」と読ませる #やきとり寿樹 です。 ・ まずは生ビールで乾杯です。店内大混雑で一気に頼みましたが10分ほどしてようやく #きゅうり一本漬け がやって来ました。 ・ 程よい塩味と糠漬けの旨みが感じられてビールが進みます。さらに20分ほどして #やきとり がやって来ました。一本100円台とは思えないほどジューシーでうまい。 ・ 何気に椎茸のような脇役がいい味出していますね。飲み物中心でしたが、ちょっとつまんで2人で5000円台なのは激安ですね。 ・ 自分的には寿樹と書いて「激安」と読ませたいところですが、多くの人からはわかってもらえなさそうですね。 ・ ジオタグが出ないので住所を記すと東京都台東区寿4-3-3です。 ・ #田原町ディナー #田原町居酒屋 #田原町やきとり #田原町焼き鳥 #田原町焼鳥 #浅草ディナー #浅草居酒屋 #浅草やきとり #浅草焼き鳥 #浅草焼鳥 #とa2cg (Kotobuki) https://www.instagram.com/p/CoigC_VSfbJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
Text
2022年12月4日(日)2221. 田辺平野白鷺平野本町歩き
撮影:角木正樹
0 notes
Text
Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016
春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような��持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督���してかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時��出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに���たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
#persona 3#p3#ryomina#that tag's deserved i think#'Ryoji and Makoto are in love with each other. Aigis' feelings for Makoto are unrequited'#insane
80 notes
·
View notes
Text
【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝沢馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。「井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりければ、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面し移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に並んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西北隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
17 notes
·
View notes
Text
2014.10.26
Figure skater FA
0 notes
Quote
https://anond.hatelabo.jp/20240921093915 失業者は日増しに増え、収入の道が途絶える一方で、家賃や光熱費、生活費など生きるための最低限の費用は賄っていかなければならない。多くの人々が大都市から脱出し、田舎の町に帰って「寝そべり族」化することを選択している。激しい不景気の波にさらされる中、田舎の町は、まるで時が静かに流れる安息の地を思わせるようだ。 その一方で、私の従兄が逆に田舎の町から大都市へ最近「逃げ戻った」のだ。 この二つの対照的な選択、果たしてどちらが現実的なのか? 気になって、家族のグループチャットで聞いてみた。以下は、親戚が教えてくれた田舎の町の最新情報だ。 不動産業界は全国的に不振で、田舎の町も例外ではない。今年は新しいマンションが一つも立たず、建材、リフォーム、家具の店が最も打撃を受けている。親戚が働いているオーダーメイド家具の店舗も、客足と売上が大幅に減少し、今年の前三四半期は2021年のたった一四半期にも及ばない。さらに、2022年にはTikTokが一気に浸透し、客がまずTikTokで下調べをしてから実店舗で価格交渉を始めるようになり、利益がほとんど出なくなった。 かつて田舎で有名だった「XX時代ショッピングモール」(日本で言うイオン)が20年の歴史に幕を閉じ、三階建ての全フロアが10元ショップに取って代わられた。親戚が送ってきた写真では、6元のサンダルや10元の洗剤を売る店に人が溢れ、レジ待ちの行列ができている。開店して一ヶ月経ってもまだその熱気は冷めていないようだ。 公務員の給料は警察だけが正常に支給されている。看護師として働く親戚は二ヶ月分の給料が未払い、教師をしている親戚は基本給しか支払われておらず、ボーナスや授業料は一向に振り込まれる気配がない。 日常の消費に目を向けると、ジムやヨガスタジオは数年前にすでに廃業し、今年に至ってはケーキ屋までもが続々と閉店。地元最大のケーキチェーンは4店舗が閉鎖された。旧市街の商店街では、三分の一ほどの店舗が「好立地、賃貸募集中」の張り紙を掲げている。かつて平米単価55元だった賃料が、今年は30元まで下がったが、それでも借り手が見つからない。 田舎唯一のケンタッキーが閉店したが、新たにLuckin Coffeeが多数開店した。 各住宅街に突如として出現した謎の店舗――粉ミルクや白樺の樹液を売る店だが、店内にはほとんど商品がなく、毎日おじいさんおばあさんたちが集まってお茶を飲み、雑談している光景が広がっている。 通りには配達員の数が増え、以前なら夜9時以降は自分でバイクを走らせないと夜食を手に入れられなかったが、今では深夜1時でも配達員が動いている。 親戚が言うには、近所の物件で警備員の仕事を探しているが、月給2150元、食事付きだが住まいは提供されず、月に半月分の夜勤があり、それでもコネを頼ってようやく仕事にありつけるという状況だ。 親戚たちがちらほらと送ってくれた田舎の現状を見て感じたのは、大都市よりも田舎の方が経済的に苦しいということだ。公務員ですら蓄えを切り崩しながら生活している。大多数の「普通」の人たちは、実家からの支援も受けられず、だからこそ大都市に留まって奮闘している。一度大都市を離れ、田舎に戻ってしまえば、仕事が見つかるかどうかも怪しい。仕事が見つからなければ、家に引きこもるしかない。そして、経済問題や家族関係の渦に巻き込まれ、じわじわと沈んでいく――もう二度と立ち上がれない。人生そこで終わりだ。 確かに大都市で生計を立てていくことは厳しく、生活費も高い。しかし、チャンスが多く、公平でもある。田舎のリソースはほとんどが上層階級に独占され、普通の人たちには生き延びるためのわずかな資源しか残されていない。発展なんて望むべくもない。だからこそ、苦しい時こそ大都市に留まるべきなのだ。少なくとも、大都市では利害が全てだ。そして、金の前では皆平等だ。 追記:田舎の上層階級について、親戚たちの話を聞くと、どうやら新たな権力の再編が進んでいるようだ。この件についてまた詳しく書いてみようと思う。なかなか興味深い話だ。
中国の奇妙な現象:田舎に戻って寝そべり族化すると人生詰む
5 notes
·
View notes
Text
(...) さっき「論破」という話がありましたけれども、ある種、確固たる私というものをひっさげて戦いに乗るわけですよね。 そこでは対話が目的というより、「自身が負けない」ということが目的なので、すごく寂しい景色が広がってしまうわけです。 でも、そうやって私をひっさげて場に入った時に、そこが対話の場であると、自分が壊れてしまう、解体していく感覚が起きると思うんです。今日も町田さんに問うてもらえた時、私のどこかが解体される。今こうやって言葉を考えながら町田さんに返している時、ようやく自分がこう言いたかったのかもしれない、というものが生まれてくる。何か隠し持っていたものを出すというよりは、つくられていくような感覚です。 生まれてくる、すごくクリエーティブな営みだと私は対話をとらえていて、そういう意味で「解体と創造」というものが絶えず行き交うのが対話なのかなと話を聞いて思いました。
「論破」は寂しい景色 哲学者・永井玲衣さんと町田樹さんの〝対話〟
7 notes
·
View notes
Text
木田金次郎 - Wikipedia
木田 金次郎(きだ きんじろう、1893年7月16日 - 1962年12月15日)は、北海道岩内町出身の画家。 有島武郎の小説「生れ出づる悩み」のモデルとなった画家で[1]、自由奔放な作風によって同町の自然を数多く描いた。
生れ出づる悩み - Wikipedia
『生れ出づる悩み』(うまれいづるなやみ)は、有島武郎による小説。 1918年(大正7年)3月16日から4月30日まで『大阪毎日新聞』と『東京日日新聞』にそれぞれ三十二回にわたって掲載
自分の仕事を神聖なものにしようともがいていた「私」は、さびしさのあまり「君」のことを思う。かつて絵を持ち込んで妙に力強い印象を私に残し姿を消してしまった「君」であったが、十年の後手紙とスケッチ帳を送ってくる。 見事に成長した「君」は「私」との再会の一晩に姿を消してからの生活と芸術の悩みを語る。翌朝すぐ帰っていく「君」を見送ると、「君」の話した内容を元に「私」は同感の力をもって「君」の生活と苦悩を書き出して行く。 画家であり有島と深い交流のあった木田金次郎がモデルとなっている。 木田と有島の交流の概要は木田金次郎美術館解説等で見られる他、木田自身の自伝や有島全集の解説などで確認出来る。
青空文庫雨:有島武郎 生まれいずる悩み
「吹雪ふぶいてひどかったろう」
「なんの。……温ぬくくって温くって汗がはあえらく出ました。けん��道がわかんねえで困ってると、しあわせよく水車番に会ったからすぐ知れました。あれは親身な人だっけ」
包みの油紙は雨水と泥どろとでひどくよごれていて、差出人の名前がようやくの事で読めるくらいだったが、そこにしるされた姓名を私はだれともはっきり思い出すことができなかった。ともかくもと思って私はナイフでがんじょうな渋びきの麻糸を切りほごしにかかった。油紙を一皮めくるとその中にまた麻糸で堅く結わえた油紙の包みがあった。それをほごすとまた油紙で包んであった。ちょっと腹の立つほど念の入った包み方で、百合ゆりの根をはがすように一枚一枚むいて行くと、ようやく幾枚もの新聞紙の中から、手あかでよごれ切った手製のスケッチ帳が三冊、きりきりと棒のように巻き上げられたのが出て来た。私は小気味悪い魚のにおいを始終気にしながらその手帳を広げて見た。 それはどれも鉛筆で描かれたスケッチ帳だった。そしてどれにも山と樹木ばかりが描かれてあった。私は一目見ると、それが明らかに北海道の風景である事を知った。のみならず、それは明らかにほんとうの芸術家のみが見うる、そして描きうる深刻な自然の肖像画だった。
生れ出づる悩み 教科書 - 検索 / X
3 notes
·
View notes
Text
土田真樹さんのこと
10月29日、Facebookの投稿で映画ライターの土田真樹さん訃報を知った(しばらくして、審査員として出かけていたゆうばり国際ファンタスティック映画祭のオープニングの翌日、10月25日の朝に亡くなっていたことがわかった)。とても驚き、ショックを受けたと同時に「ついにこの日が来てしまったか……」という思いが頭をよぎった。ここ数年の土田さんの健康状態は、それほど悪くなっているように見えていたからだ。
コロナを経て、地元から韓国に戻った後の土田さんは就労ビザでなかったせいもあってか、決まった住居を持たず、いくつかのゲストハウスを転々としていた。炊飯器を持って釜山国際映画祭に来たこともあった。彼のSNSを見ていた人であればよくわかるように、食事はどうしても不規則になり、そうした生活を続けること自体が体を蝕んでいるように感じられた。そのことは私だけでなく、釜山や富川国際ファンテスティック映画祭などで土田さんと会っていたライター仲間は皆、気づいており、集まって言葉を交わす度に「どうにかしたほうがいいよね」と話していた。しかし、私自身はコロナ禍のあるときに、お願いした原稿がいただけないままになってしまった経験(後で心臓の病気で倒れ、入院していたと人づてに聞いた)があったことなどから、心理的に距離をとるようになっており、10月のはじめに釜山に行った際も、土田さんに連絡しなかった。
最後に会ったのは7月の富川。旧知の韓国人カメラマンOさんと食事をすることになり、彼女から「真樹さんにも連絡ついたから3人で食べましょう」と言われ、2人して御馳走になった。セルフサービスでおかずのおかわりができる店で、土田さんは奥に座っていたにもかかわらず、私たちのために甲斐甲斐しくおかずをとりに行ってくれたことを覚えている。
土田さんが亡くなってしばらくして、故郷の山口県阿武町で葬儀とお別れの会が開かれると知った。コロナによって日韓の行き来がストップしていた頃、ご実家に戻っていた土田さんが親しくされていた地元のみなさんとご家族が中心の会のようだったが、韓国から友人Yさんらが参加すると聞き、急遽、行くことに決めた。訃報を知って以来、もやもやしていた気持ちの整理がつくかもしれないという思いもあった。新幹線・新山口駅からの行き方を調べるために地図を見ると、阿武町は海に面した街で、海を挟んだ向こう側は釜山だった。
当日移動だったため葬儀には間に合わず、道の駅に隣接する、土田さんがよく仕事をしていたという眺めのいいカフェで行われたお別れの会に滑り込んだ。遺影のほかに、たくさんの写真が飾られている前で、おいしいお弁当をいただきながら、参加者それぞれの知る土田さんのエピソードが次々と披露された。ご家族や近しいみなさんが話す抱腹絶倒のダメダメぶり(それでも、なぜか許してしまう)や、同級生の語る若い頃の姿について聞きながら、なかなか掴む��とができなかった(そのためにすごく親しくはなれなかった)土田さんの輪郭が少しずつはっきりしたような気がした。コロナが落ち着き、韓国に戻れることになったときのうれしそうな顔は格別だったという。
お別れ会がお開きとなる頃、韓国からいらしたIさんから「土田さんの残した功績はなんだと思いますか?」と質問され、とっさに言葉が出なかった。それは、たぶん、土田さんだからではなく、私を含め、ライターという職業を持つ人たちが、仕事でなにかを残すのは、とても難しいことだからだと思う。日々、目の前にあることを書いて、記事という形で誰かに手渡す。私たちの仕事はたいてい、そこで終わる。運よくそれをまとめて単行本にでもしない限り、なかなか形にならない。でも、目の前にあることを書くためには、その場にいて目撃したり、映画を見たりしなければならない。土田さんの場合であれば韓国に居続けることがなによりも大事だった。そして、それはとても大変なことだった。
最後に映画ライター、土田真樹さんが00年代初期に書かれた記事のごく一部を我が家にあった資料から紹介する。韓国映画の隆盛を最初に現地から伝えてくれたのが彼であったことがよくわかる。
土田真樹さん、長い間、ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。いつかどこかで、또 만나요!(また会いましょう)。
雑誌『キネマ旬報』
2000年1月下旬号 特集「「シュリ」公開! 韓国《映画》を知ろう」「韓国映画A to Z」
2002年2月上旬号 特集「「ソウル」&ソウルで映画を観よう!」
「2002年2〜3月 話題の映画をピックアップ」
2003年6月上旬号 特集「“韓流” 韓国映画&テレビドラマ2003」
「太極旗を翻して 現場レポート」「チャン・ドンゴン、ウォンビンインタビュー」ほか
「韓国映画界の勢力図」
2004年1月下旬新春特別号 特集「KOREAN MOVIE STAR 2004」
「2004年上半期韓国での公開情報」
単行本への寄稿
『21世紀をめざすコリアンフィルム』1999 パンドラ
『韓国シネマコレクション』2006 キネマ旬報社
ほか多数
近年は主にウェブサイト『シネマトゥデイ』で、現地からのレポートを届けていた。
2 notes
·
View notes