#現状三蔵
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yu-en · 5 months ago
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自室の記録
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5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
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小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は���Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
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Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
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小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
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小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。
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窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
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向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
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ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
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職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
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ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
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モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
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microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
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机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
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ギター・くま・本棚
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ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
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左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に��れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。
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低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼の���ルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
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声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
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高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明���なっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコー��ィング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
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Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
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小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
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キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
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Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
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この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
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食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
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ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
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部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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winterain66 · 5 months ago
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残暑、と呼ぶには、あんまりにもひどく継続中の酷暑に思考能力を奪われたまま、気づけば9月も後半に差し掛かり、いい加減にこの夏の事を振り返っておかなければ、と、今年、2024年もひと月限定でオープンしたシェア型書店「みんなの表町書店」について、まとまりのないまま、書く。
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「冬雨文庫」という名前で昨年に引き続き一箱本屋の棚主として出店させていただいた。昨年同様、私家版の詩集と、私物の読了本を並列に置くスタイルを取った。今年は本箱も自作して、工具と材料もほとんどは100均で揃え、それなりの形になったと思う。
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昨年は持病の症状が強く出ていた事、はじめての催しで勝手がわからなかった事もあって、棚主が交代で担当する店番ができなかったのが心残りではあった。けれど今年は比較的持病も落ち着き、数回のイベント出店を経たこともあって自信もついたのか、計三回店番を担当した。
ただ「店番をする」だけでは面白くない、と思ったので、レジ横のスペースに冬雨の個人所蔵の私家版詩集やzineを並べて展示した。一般書店で流通していない、文学フリマやネットで個人が販売している本の数々。冬雨として自分が作った本を並べる、という選択肢もあったのだろうけれど、岡山という地で、表町商店街という人の行き来が比較的多い場所において、自分ひとりの宣伝をするよりは、私が今まで出会って心動かされた作家を紹介する機会にしたかった。
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「自作の頒布」というのも出店の大きな動機であるのだけれど、きっと、詩を書き始める以前の、小学生時代に図書室の主と化していた、ただの本好きのひとりとして、この場にいられる事が嬉しかったのだと思う。昨年に比べて、棚主の数も増えて、「みんなの」という言葉をより感じるイベントになっていたと感じた。
「常設のお店ではない」ということも良い方向に働いているのだろう、各々の棚主が趣向を凝らした棚は見ごたえがあり、「本当にこの本をこの値段で買っても良いのだろうか」というような本との出会いも数多かった。
具体的に数えてはいないのだけれど、売れた本の数と、買った本の数がそれほど変わり無いのではないか、と思うほど楽しませていただいた。
売買、という通貨を通じた形ではあるけれど、私の実感としては見ず知らずの人々とそれぞれの持ち寄った本を交換し合っている感覚であって、(それは身内で楽しんでいるだけじゃないかとの批判点かもしれないが)好ましく思えることだった。
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(みんなの表町書店で私が購入させていただいた本たち)
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これまで関わることのなかった人々との会話が発生した、というのも嬉しい機会だった。特性としてコミュニケーションそれ自体が得意とは言い難い私でも、好きなものを介してであればそれなりに楽しく話すこともできるのだ、ということは発見であった。
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人と繋がるために創作をする、という考え方は好きではない。誰かと出会うために、繋がりをつくる為に、何かをつくるようになるくらいであれば、すっぱりやめてしまえば良いと私は私自身に対して思っている。
ただ、それとはまた別のレイヤーにあることとして、本が好きであることに変わりはなく、町のなかのひとりの生活者として、「みんな」のなかの一人として、魅力的だと思える場が在ることは望ましいことである、とも思っている。
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正直にいえば、岡山市が「文学創造都市」と急に名乗りはじめたことに疑問を抱かないでもない(ずっと岡山に暮らしていた者の実感として)。「都合良く文学という言葉を利用してるんじゃねえよ」というような呆れる気持ちもないとは言わない。
シェア型書店、という形を絶賛する立場を取りたいと思える訳でもない。従来の新刊書店や古書店に代替可能な形式ではあり得ないと思う。あくまでも「本」という文化の楽しみ方のいち形式でしかないのでは、と個人的には考える。その「文化」を大切にする、持続可能的に守って行くことを考えるならば、新たな催し事を増やす、ではなく、例えば図書館の予算であったりとか、常日頃から営業している町の本屋さんの現状を何とかする方が先決なのでは、とか考えたりもする。
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着地点がみえなくなってきた。
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きれいにまとめることはできなかったけれど、書きたかったことは大体書くことができたような気もする。
ひと夏の思い出として、素敵な場をもうけてくださった主催者さま、また、出店者の皆さま方、そして冬雨文庫の本を手にとってくださった方々、本当にありがとうございました。
来年も「みんなの表町書店」は開催予定とのこと。
毎年の夏の定番となれば良いな、と今の時点では感じているし、「商店街の空き店舗活用」という目的も、何かしら良い形で達成されると良いなぁと思っています。
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「冬雨文庫」としての売上 8,400円につきましては、令和6年9月能登半島豪雨への支援として、「特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン 空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"」に寄付いたしました。
2024.9.23 冬雨千晶
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kennak · 3 months ago
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やあ! みなさんこんにちは。 クソバイス男こと増田です。 何を隠そうこのワイ、母親の介護歴17年(糖尿→脳卒中→骨折→認知症で要介護4。この間祖母の介護も4年被ってる)、父親の介護歴11年(骨折→肺がん→認知症予備軍で要介護3)を自宅みている 大馬鹿者 大ベテランなんですね。もちろん独身KKOです。 と言うワケで、アドバイス欲を満たすための生贄を見つけたので、クソバイスするよ。 さあLet'sクソバイス ストレス解消方法について ストレス解消はルーチンにして日常に入れ込むことが大切。 水分補給と同じで、ストレスがたまったら解消するのでは間に合わないことが多いので、ルーチンにれる。 例えば俺の場合、毎週木曜日が仕事完全休暇という仕事なのだが、この休みに合わせて、木曜日は両親ともにデイサービスに送り出している。 そして、木曜日はストレス解消の日、自分を甘やかす日と決めて、何もしなかったり、だらっとアニメを見たり、本を読んだりしてる。 また、3ヶ月に一度ぐらいショートステイに夫婦揃って出てもらったら、泊まりのエンタメにも行く事にしている。 自分の場合は、だいたいは夜行バスで大都市圏まで出て、大きなシネコンで一日映画三昧したりって感じですが、こう言う日を確実に大切にすること。 そしてこれは「開いたらやる」じゃなくて「何があってもやる」と決めてスケジュールに入れること。有給休暇と同じね。 そうじゃないと自分が持ちません。 なお、ショートステイは定期的に利用しておかないと、緊急時に対応してもらえないので、その訓練も兼ねています。 緊急時ってのは、俺に何かあった時が最大。そのほか、どうしても外せない義理のときとか、高校生の頃に心を救ってくれた声優さんがx年ぶりにコンサートするとか、そういうときね。 災害のときとか、色々なときに泊まりで預けられるようにしておかないと詰む。 増田で愚痴れ それでも愚痴を言いたいときあるよね。そういうときは増田で愚痴りましょう。 𝕏?とかああいうアカウントがあるのはオススメしない。 増田なら💩💩🎠🦌とか書いても誰も何も言わないし、きゃっきゃしてりゃいいので。 そのための増田。まぁ、実践しているのだと思いってそこは安心しました。 技術的な話 まぁこれはやってんだろうと思いますけど一応通り一辺倒だけ。 まさにクソバイス 地域包括支援センターに言って、ケアマネを付けてもらってみっちり話をしよう(まぁ付けてると思っていますが) 他に相談出来る窓口をざっと揚げておくと 地元の社会福祉協議会 病院の患者相談窓口(ソーシャルワーカー・ただ忙しすぎて駄目な事も多い) 都道府県の国民保険連合会(電話・法的な窓口) 市区町村の福祉関係窓口 大会社の場合、会社が介護離職予防のために相談窓口を持っている場合があるとか。 どこの窓口がよいとかは当たり外れが大きすぎて厳しいことも。数を打とう。 病院などで介護向けの家族会みたいな組織がありますが、ワイは入ってません。参加者の年齢が上すぎて流石に合わなかった。 介護は親の金でやれ。自分の金は使うな(入れるなら生活費だな) 介護離職だめ、絶対。 介護者の都合>本人の希望>行政・施設の都合 と言う優先度でプランを組み上げろ まぁ実際には逆になるんだけど、最初はこうするつもりで挑まないとつらい。 介護は情報戦。繰り返す。介護は情報戦。 要介護者のことを一番良く知ってるのは自分だ、というスタンスを決してぶらさないこと。プロのアドバイスはプロのアドバイスで客観視できて貴重でちゃんと耳を貸すべきだけど、丸呑みはしないこと。プロはずっと介護しているワイらほど長く過ごしていないから。 さらに細かい話 状況がハマったら活用してね 長期になりそうなら、介護保険の点数はできる限りサービスに振るべし。ものは借りた後に買取するつもりで 介護保険は物品の貸与と、サービスが同等になっているが、貸与は長期になるとコスパが悪い。できるだけその分をサービスに割り振る方向で。 確かに介護期間が2年以内とかならレンタルの方がコスパがいい。短期間で症状が変わっていく場合にはどんどん変えられるメリットもあるので、最初の1年ぐらいはレンタルするのがよい。しかし、その後、状況が安定して、なおかつ必需品で、メンテがいらないものは買い取って介護保険から外し、その分をサービスに回すべし。中古の購入は簿価になっているので十万円とかする器具が数千円で買えたりします。 置き手すりやトイレ用の肘掛けなど ベッドの本体(マットレスは汚れると交換なので) スロープ 以下のものは貸与のほうがいい 車椅子や介護ロボットなど  定期メンテナンスが必要で消耗品 マットレス  使っているとへたってくるのと、完全に粗相して汚したといった理由でも交換出来る デイサービスに必要なものはとにかくクリアメッシュ袋(ファスナーがついているやつ)に入れて準備して整理。 便で汚染された衣服はドラム式ではなくて、操作してたっぷりの水を入れた縦型洗濯機でやれば手洗いをせずに落ちる コインランドリーは恋人。雨の日や寒い日でも暖めてくれる(乾燥機) テプラ君は頼れるひと。 3Dプリンタとレーザーカッターは神器。フルオーダーの本人に合わせた道具が2千円とかで出せちゃう。レーザーカッター+ポリエチレンフォームの可能性も無限台。 しまむらは神。 介護ショップで購入すると凄い高い介護用の下着が、なんとしまむら価格で売ってる。やばい。 それに比べて靴屋の渋いことよ…。足下見すぎ(靴だけに) 車椅子を乗せられる自動車は、諦めて新車で買うべし。中古で4年探し続けたが毎日送り迎えに使われて30万kmとかとんでもなく走ったようなものしか回ってこないので貯金をはたいて買った。今では欠かせない相棒。 親の金で解決できる範囲のことは金で解決する。 だるいとき用に冷凍弁当を用意しておく。そのために冷凍庫を追加で買っとく とろみがついた状態で売っているペットボトル飲料とかあるんやで 柔らかレトルトご飯とかもあるんやで 親はテレビっ子世代なので、異様に安い中華テレビを買って放置、後はテレビがお守りをしてくれる。 報連相大事。 通っているデイの連絡ノートとか大事や。 最後に頼るべき所には必ず報連相 自分の兄弟、叔父伯母など、遠くに住んでいていつもは介護に参画してもらえない人でも、とにかく報連相はしておく。今どんな状態だとか、入院したとか退院したとか。 ワイの場合、介護すると言う共通の目的が出来たことで、前よりも親類と仲良くなった気がする。 万が一親を残して自分が死んだ場合のことを考えておく。親がワイがいないときに死ぬより、ワイが先に死ぬほうが悲惨なことになるので。 デイサービスにしておくことのメリットはこれ。自然と毎日来てくれるので、最大でも48時間以内には発見される 通院2回方式どうよ。検査と診察を2回にわける 検査科が独立しているような病院だと、検査科は診療時間関係なく稼働していて検査OKになっていることが多い。そこで、検査は診察日の一週間前以内の診察がある日のどこかで行く。 検査の攻略法 採尿は自宅で採尿して持ち込みたいと相談すると採尿キットをくれるので、それで当日朝とって冷蔵庫に入れておき、持ち込む。 すると、スムーズに進むと、採血だけで到着してから最短10分で終わったりする。通常診察があると結果が出るまで待つことになるが、待つ必要は無いので速効で帰れる 診察は、朝一番の一番最初の予約に入れてもらう 朝一番は開いていることが多い。通常採血から検査結果が出るまで1時間かかるため、この時間帯の予約は検査が不要な患者しか入れられないのだ。 しかし、事前検査をしておくと検査の待ち時間がないため、入れてもらえる。すると待ち時間がほとんどなく診察を終えることができる。 ワイの場合は、検査はデイサービスに迎えに行って車に乗せ、その足で病院に行って検査する。また診察日は、診察を終えたら、その足でデイサービスに送り届けて預けてしまう。こうすることでデイサービスを休む日も最短に出来る。 そのほか よくある質問と回答 仕事はどうしたらいいです��? 介護離職だめ、絶対。ソースはワイ まず今の職場で働く事を考える。無理なら今の会社で働けることを考える。 プライバシーとかかなぐり捨てて、上司や同僚には状況をいつも話しておくことが大事。 ワイの場合、結果論だが、2ヶ月介護休暇取って環境を整えてやれば離職しなくても時短勤務でいけたと思われるんで、マジ早まらない方がいい。一度離職すると介護持ちが新たな就職口探すのは困難。 どうしても介護離職に追い込まれたら、介護者向けの求職なども存在はするので、労基の窓口に相談してみる。 介護施設とトラブルになったんですが 介護保険での事業の場合は、介護保険の保険者、つまり都道府県の健保連が窓口になった苦情申し立て相談窓口があるので、ここに相談するのが正規ルート。他に相談してもぬるっとしか対応してくれない。 行政の相談窓口はクソ せやな。ワイもそう思うわ。行政は相談するところと言うより情報を引き出すところと、手続きの窓口だと思って対応した方が上手いこと動いてくれる。  てか、なんで施設に預けずにお前見てんの? 金がないから。 人間そんなに簡単に割り切れる生き物ではありません。 なんでそんなにがんばってるの? しょうがねえだろうっせえよ 老人は生産性がないから若者のためにうんぬんかんぬん 安楽死うんぬんかんぬん うるせえ黙れ かわいそう だから黙ってろって 俺は見捨てるわ ワイにもそうやってイキってる時期がありました。ちゃんと現実を見つめて備えとけよマジで。 真面目な話、医療費とか使い過ぎていて気が引けるんですが 親が払った社会保険料や税金をざっくり計算してみるといいよ。生涯で家が建つぐらいの金は平気で払っている。ほとんどの人は、払った分を使ってるだけ。 統計学の心得があるなら年金・社会保障の構造を計算してみると実によく出来ていて、惚れ惚れするから。 特に公的保険てのはミクロではなくてマクロで社会的コスト(≠費用)を最小化し経済効果(≠金銭的利益)を最大化する仕組みなので、個人であの人は多くもらいすぎているなんてのは間違った議論です。理解できずに言う輩には「うるせえ黙れ」でよい。 終わったら俺も介護される側じゃん 先輩を見てると、介護をしっかりやってた人はあんまり要介護者にはならずにぽっくりいってる感じがする(終末期は別) 介護をやってると自然と介護予防の知識も付くから、地道にやっていこう 介護に巻き込まれた時点で人生終わりでは? まぁ、終わったということを受け入れるとそれなりに楽になるよ。
介護に関するクソバイス (増田編)
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ari0921 · 4 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)10月6日(日曜日)弐
    通巻第8447号
 中国の就職戦線、夥しいレイオフが深刻さを増した
  上海汽車もアリババもテンセントも大量解雇。各地でストライキ
*************************
 大學新卒1179万人の半分の職がないことは何回か報じた。
 くわえて、せっかく高給をはめる企業にはいったのに、レイオフされた。とくにIT、ハイテク、科技の集中する深センが「大量失業』の町になった。これを『低空経済』と中国メディアは読んでいる。
 表面的に中国企業の株が上昇しているのは刺激策発動による一時的現象でしかなく、いずれ下落する。
 『レイオフ』は中国語では「経済的裁員」という。
 過去五年の動きを総括すると、第一期はコロナ感染によるサプライチェーンの寸断で生産ラインがとまり、工場で寝泊まりという事態も発生した。このときの一時解雇は、すぐに収まるとみられた。だが工場はそのまま閉鎖となったところが多い。急遽マスクを製造した企業も多かったが、悪質のうえ乱売で中国製マスクは評判が悪かった。
 レイオフとは日本語では一時解雇、だから完全解雇とは異なる。その境界線も有耶無耶にされて、完全失業となったのが建設労働者だ。
 典型は建設中のビル、高層マンションの現場労働者たちで、農村からの出稼ぐ組が多かった。不払い賃金をはらえと現場でテント村が出来ていたが、公安に追い払われ、どうやら農村へ帰還したようだ。
 第二期は香港の自由化阻止、活動家弾圧と言論の自由が封殺された影響が2022年頃から深刻化し、金融関係の多くが拠点をシンガポール、ドバイへ移管した。
このため証券などでもレイオフが続発したが、外資系のJPモルガン、バンカメ、HCBCなどが規模を縮小し、かなりのレイオフが香港で生じ、それが株式市場のある深センと上海の市場関係者へのドミノとなった。
 第三期は米国主導の中国制裁がじわりと影響をもたらし、輸出産業ならびにソフト開発企業などでレイオフが発生した。花形だった上海汽車はVWやGMとの合弁工場もある。上海汽車の10%レイオフは下請け企業で50%のレイオフにつながった。EXEPICは50%の社員を解雇した。
こうした中国経済の不振はオムロンのように中国依存のサプライチェーン依存企業にも悪影響をもたらし、同社は世界全体で2000名の解雇に踏み切った。まだ活況を呈しているのはドローン関連だけといわれる。
 第四期は外資の撤退に付随した。
台湾企業は七割方が去り、日本企業も遅ればせながら、中国に進出した10%が撤退。従業員は保障の上、解雇である。
このため各地でストライキが発生、アップル、日立製作所、ペプシコ、シチズンなどが深刻なストライキに遭遇した。
第五期が現在の状況で、ついにハイテク、eコマース(通販)の分野に波及した。京東は30%のレイオフ、アリババ、テンセント,DIDIなど、花形企業もレイオフを断行し、ハイテク業界全体のレイオフは5万人に達した模様である。
深センが経済特区として誕生したのは1979年である。その直前にも筆者は深センを取材しているが、まだ人口が800名足らずの貧しい漁村で、あちこちで建設工事をしていたが、道路は未舗装、食堂は屋台で、冷蔵庫もなく生あたたかいビールを呑んだ。それがいまや人口が1100万を突破、華為技術、アリババ、テンセントなどが深センに蝟集し、中国のシリコンバレーと呼ばれた。
 その深センが低空経済の津波に襲われ、町にあふれ出した失業の群れが、新卒で職のない若者の列に上乗せされる。
中国経済の先行きに明るい兆しはない。
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hachikenyakaiwai · 10 months ago
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【かいわいの時】文久二年(1862)四月二十三日:南画家田能村直入らが大煎茶会「青湾茶会」を開催(大阪市史編纂所「きょうは何の日」)
清湾茶会には、天気がよかったこともあり千二百人もの人が参加したと記録されています(『清湾茶会図録』)。茶席は、大長寺から桜宮まで本席7副席4の11席で、1席の定員10人。1200人だと、延べ120席を11会場で回した勘定になり、1席30分としても6、7時間は要したであろうと思われます。
ところで、この茶会に参加した国学者の近藤芳樹(長州藩士。当時、京にて情報収集活動を行う)が、周防防府の酒造家で文化人のパトロンであった上田光美に送った書簡[註1]によると、
・切符500人前を前日より発売 ・当日に300人前を追加
正規チケットを持った参会者は1200人中800人で、つまり、あとの400人はタダ乗りとゆうことになりそうです[註2]。
船の席は小舟で送迎するので混雑はなかったが、その外の席には一度に大勢の者が押しかけ大混乱。切符を持っている人が席に入れず身動きもとれず、「あいつは切符も持たんと茶ァ飲んでけつかる」などと大声で叫んで大騒動になった。(近藤書簡を超訳)
茶会は、お世辞にも「清風」とは言い難い状況で、そんな中でも、切符をもった近藤さんは、ゆうゆうと全席コンプリートしたと述懐。勤王の志士でも、茶会は別格であったようだ。本人は9席と供述。実際は11席なので、2席は飛ばしたようです。世情穏やかならぬ幕末にあっても、たまたま京・大坂に滞在中であった近藤は茶会を楽しむ余裕があったようです[註3]。
[註1]『近藤芳樹書牘集一』(山口県文書館蔵)。幕末期の国学者。周防(すおう)の人。本姓田中、通称晋一郎、号は寄居(ごうな)。旧長州藩士で明倫館助教。維新後、東京に移り住んで、宮内省御用掛に任じ、御歌所寄人(よりうど)などをつとめた。本居大平、村田春門また山田以文に師事して、国文学、律令学を学んだ。同じ大平門の加納諸平を尊敬して最も歌をよくし、幕末歌壇に際立った活躍をした。学績として《令義解校本》《淫祠論》など、歌論書に《古風三体考》《寄居歌談》、紀行文に《陸路廼記(くぬかちのき)》がある(改訂新版 世界大百科事典 「近藤芳樹」の意味・わかりやすい解説 )。
[註2]売茶翁は、売茶の折、「茶銭は黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、たゞのみも勝手、たゞよりはまけまうさず」(『近世畸人伝』1790)とゆう看板を掲げており、切符の代金はいくらであったのか定かではないが、タダで飲まれても文句はいえない。按ずるに、切符は単なる整理券で、茶会はタダだったのかもしれない。「僧侶の身分を放棄し、餓死に繋がる決断を下した売茶翁の声に想いを巡らし、且、清湾茶会が売茶翁の追善と懸賞の爲に開催されたとするなら、“��錢飮食”とゆう表現は、如何なものであらうか」(千三屋)。
[註3]近藤書簡には「伏見も大騒動ニ御座候然處大都會と申ものハ妙なものに而此内ニ過ル二十三日網島ニ於煎茶の大會御座候」とあり、丁度同じ日の夜に起こった伏見の寺田屋騒動にも触れている。
(写真)木村孔陽編・青木夙夜画『賣茶翁茶器圖』1823・1924復刻より「茶籏」 賣茶翁の茶道具は、翁と親交のあッた木村蒹葭堂が其の姿・形を記録した。翁沒後60年の文政6年(1823)に、蒹葭堂の後嗣・木村孔陽が、この圖を蒹葭堂と交友のあッた南畫家・青木夙夜に冩させ、圖譜にまとめて刊行した(千三屋)。高翁(賣茶翁)の衣の紘(切れ端)で作成、「清風」の文字は大典禅師書。
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tutai-k · 1 year ago
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思��のだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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catonoire · 3 months ago
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はにわ展
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東京国立博物館ではにわ展を見る。「挂甲の武人」(上のチラシ画像のメインビジュアル)の国宝指定50周年を記念した特別展である。埴輪以外の出土品も展示されている。
つかみは修復後初お目見えの「踊る人々」。最近では、踊っているのではなく馬の手綱を持って馬を引いているのでは、という説が有力になってきているらしい。
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修理の模様を収めた動画がとてもおもしろかったのでリンクしておく。(この動画は会場では流れていなかった)
踊る人々の次は、国宝ばかりを集めた展示、および2メートル超の高さを誇る円筒埴輪を含む展示。撮影禁止だったり見学者多数でうまく撮れなかったりしたのでここに載せられる写真はないが、埴輪だけでなく大刀(金の象嵌)、沓(金銅製)、耳飾り(金製)、甲冑など状態の良い出土品も並んでいて、ヤマト王権の威勢を見せつけるかのような展示室だった。
以降の展示室では、埴輪を造形で分類して紹介する流れがわかりやすかった。まず基本の円筒埴輪とそのバリエーション。壺のように見えるものも埴輪で、そのまま壺形埴輪と呼ばれている。
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船形埴輪。
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武具の形をした埴輪。
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そのほか見学者の写り込み多数でここには写真をアップできないが、盾形埴輪、靫形埴輪、椅子形埴輪などがあった。靫(ゆぎ)は矢を入れる道具。
土ではない素材で作られた埴輪様のものが古墳に置かれることもあったのだそうで、例として武装石人(下の写真)、大刀の形をした木製品、靫の形の木製品が紹介されていた。
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このあと群馬県太田市の窯で焼かれた「挂甲の武人」埴輪5体が揃い踏みする室へと向かう。展示のしかたがやたら凝っていて、戦隊モノのヒーローをキャラづけして紹介するようなノリだった。たとえば下の写真は国立歴史民俗博物館所蔵のもので、台が黄色、そして展示ケースの背面に埴輪の上半身がぼうっと浮かび上がるように見えている。埴輪ごとに台の色が異なり(キャラごとに色が違うのは戦隊モノのお約束)、ケース背面もそれぞれ同様にデザインされている。
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おもしろかったが、埴輪そのものをつぶさに見るというより展示方法に注意が向いてしまったので、個人的にはもっと淡々と見たかった。出来の良いよく似た埴輪が5体揃ったというだけでじゅうぶん派手なのだから、見せ方まで派手にしなくとも……と思ったり、しかし埴輪を作った人がこうして華やかに展示されたのを見たら喜ぶかもしれないな……と思ったり。
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埴輪は赤、白、灰色、黒の顔料で彩色されることもあったのだそう。上のチラシ画像のメインビジュアルの挂甲の武人が当時彩色されていたらこんな感じかも?という復元が下の画像。
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次の3枚は、挂甲の武人が着ているのと同じタイプの冑、挂甲、籠手。こういうものも現物がちゃんと出土してるのか!と驚いた。
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造形別埴輪紹介に戻る。人の形の埴輪がたくさんあったが見学者の写り込みも多数でやはり写真は載せられない。モチーフとしては、盾や杯や何かを持った男子や女子、座った男子や女子、力士などが挙げられる。
家形埴輪はとても神聖なものなのだそうで、これも多数展示されていた。下の写真は作りかけのままの家形埴輪。埴輪工房が焼失した状態で発見されたとのことで、気の毒ながらたいへん興味深い。
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導水施設形埴輪。導水施設。意外すぎてキャプションを二度見三度見してしまった。聖水の儀礼または遺骸を洗浄した施設と考えられている由。
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これは埴輪棺。このように古墳を飾るためではない埴輪もあったとのこと。
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みんなの人気者、動物埴輪の皆さん。
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少なくとも四つ足の動物のお尻にはたいてい穴が空いているように見えた。鳥のお尻にも空いていることがある。
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下の写真の中央は鵜形埴輪。ここで鵜が出てくるとは想像できなかった。
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魚形埴輪。鵜がいるなら魚もいて不思議ではない。
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最後は近現代における埴輪の受容のされかたに関する展示。内容的にはごくあっさりしているので、この分野については東京国立近代美術館の「ハニワと土偶の近代」を見るべきだろう。
東京タワー近くの芝公園から出土した男女の埴輪。これが出土したときの調査が郷土研究のきっかけになったとのこと。
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三船敏郎が所持していたらしい、ひよこ形埴輪。
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版画家の斎藤清が下の写真の埴輪をモチーフにした作品を作っている。
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次の埴輪は、映画『男はつらいよ』主演の渥美清に似ていると話題になったそうだが、別に似てないよね……?と思ったら、葛飾柴又の古墳から出土したものだそうで、まあ納得。
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群馬県が開催したHANI-1グランプリで優勝した埴輪。満面の笑みが勝因か。
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下の3体は明治天皇の陵に奉献された埴輪と同じ形で作った模型。吉田白嶺の作。このあたりのヤマト民族らしいきな臭さなどは上述の「ハニワと土偶の近代」の守備範囲。
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おまけ。展示室の壁の装飾。
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myonbl · 21 days ago
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2025年1月15日(水)
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ここ数日、洗濯を終えると床が濡れている現象が続いている。早めに帰宅してチェックすると、給水口から水が漏れていることを発見した。早速<でんきの大京>に電話、すぐに社長が来てくれて接続部分の部品を交換してくれた。おまけに(?)、今年のカレンダーと<開運 干支あめ>までいただいてしまった。やはり、困ったときは街のでんき屋さんだ、ありがとうございます!
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5時15分起床。
ツレアイの起床を待って洗濯開始。
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水曜日の朝は忙しい。
彼女が息子たちの朝食と二男のおにぎりを用意し、私は夫婦の朝食を整える。
朝食は奥川ファームから届いた伊勢うどん。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
彼女と三男の弁当を用意する。
空き瓶、20L*1&45L*1。
彼女の職場経由で出勤する。
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順調に到着する。
月曜日の<情報機器の操作Ⅱ(看護学科)>の評価作業、評価対象は既に点数化しているので、出欠状況をチェックし、百点満点の素点化する。
水曜日は2限・3限<情報機器の操作Ⅱ(栄養学科>、このクラスも今日が最後、WordとExcelの連携作業が最後の課題、授業アンケートを実施してすべて終了。みなさんお疲れさま、今後も楽しい学生生活を送って下さいね。
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帰路も順調だ。
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いま使っている洗濯機は2017年6月5日に導入したもの、マニュアルをEvernoteに保管してあるが、それを参照しつつ給水口の取り付け部分をチェック、どうやらここからの漏れが原因らしい。エアコン・冷蔵庫、そしてこの洗濯機も近所の<でんきの大京>で購入したもの、営業時間を調べると20時までとまだ余裕があるので電話、すぐに社長が来てくれて部品交換、やれやれである。
水曜日は灯油の移動販売、18L*1購入する。
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夕飯は、ポークステーキ・干し芋・ぬか漬け・レタスとトマト、息子たちは缶ビール。
録画番組視聴。
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古今亭志ん朝「抜け雀」。
新日本風土記「秋田川反 雪の酒場街」、なかなか見応えがある。
風呂の順番待ち・・・のつもりが、気がつけば布団の中。
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3つのリングはしっかり完成、歩数は10,220歩、よしよし。
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lierrelearns · 1 year ago
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二の丸隅櫓
江戸時代、小田原城には5棟の二重櫓と1棟の平櫓がありました。この櫓は、関東大震災(大正12年:1923)後に再建された櫓で、二の丸隅櫓とも呼ばれています。延宝元年(1673)もしくはその翌年に2間 x 6間(約3.6m x 11m)土蔵としてはじめて建設されました。しかし、元禄16年(1703)の地震により倒壊し、奥行2間、折廻し7間(約13m)の鍵の手状の平櫓として再建されました。
小田原藩主居館がある二の丸の南東の隅に位置し、三の丸の大手門を入ると正面にこの平櫓が立ちはだかることになります。また、二の丸への入り口である馬出門を見下ろす位置でもあります。当時の櫓内部では武具等が保管され、小田原城防御の要とも言える櫓でした。
この平櫓だけが小田原城内唯一の建物として残されましたが、関東大震災により失われてしまいました。
現在の櫓は、江戸時代のものとは異なり、大きさは一回り小さいものとなっています。
During the Edo period, the Odawara Castle had five Niju Yagura (two-story turrets) and one Hira Yagura (single turret). This one is a single turret also known as a Sumi Yagura (Corner turret) of Ninomaru.
Storing arms and weapons inside, the turret, keeping an eye on both Ote-mon as well as Umadashi-mon Gates, had the most important role in a defense of the Odawara Castle.
In Meiji period, after many structures within the complex of Odawara Castle were demolished, only this Hira-yagura turret remained.
However, it was destroyed by the Great Kanto Earthquake of 1923, and the present one was reconstructed later. Unlike the one in the Edo period, the present turret here is a size smaller.
[Chinese]
Top picture: The Imperial Villa, Odawara 邸用御趾城原田小 明治42年(1909)〜大正12年(1923) 頃の姿
Bottom picture: Goyote Odawara, Sagami 邸用御原田小州相 明治42年(1909)〜大正12年(1923) 頃の姿 *Note, the Japanese on the first lines of these pictures appear to be backwards on the original.
Vocab 櫓 (やぐら)turret, watchtower 延宝(えんぽう)Enpō era (9.21.1673-9.29.1681) 元年 (がんねん)first year (of an imperial era) もしくは or, otherwise 間(けん)ken (6 shaku, approx. 1.818 m) 土蔵(どぞう)storehouse with thick (earthen) walls 元禄(げんろく)(Genroku era (9.30.1688-3.13.1704) 倒壊(とうかい)destruction, collapse 奥行(おくゆき)length 折廻(おりま���り)to provide the bend for the kagi no te 鍵の手(かぎのて)section of road that is curved on purpose as a defensive measure (see here) 藩主(はんしゅ)feudal lord, daimyo 居館(きょかん)residence, estate 大手門(おおてもん)front castle gate 立ちはだかる(たちはだかる)to stand in the way, block the way 馬出(うまだし)Umadashi 見下ろす(みおろす)to overlook, command a view of 武具(ぶぐ)weapons, armor 保管(ほかん)custody, storage 防御(ぼうぎょ)defense, safeguard 要(かなめ)cornerstone, vital point 唯一(ゆいいち)only, sole, unique 異なり(けなり)unlike 一回り(ひとまわり)one size (larger or smaller) 城趾(じょうし)castle site 御用邸(ごようてい)imperial villa
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vegehana-food · 1 year ago
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✿ どら焼き | Dorayaki ・やや膨らんだ円盤状のカステラ風生地2枚に、小豆餡を挟み込んだ膨化食品・和菓子。蜂蜜を入れて焼き上げることでしっとりとしたカステラ生地にしたもの。 ・蜂蜜やみりん等で保湿や香りづけの工夫をしたものが多いが、他にも、醤油、塩、麹、日本酒、抹茶、黒糖等、加える配合のバリエーションは広く、現代和菓子の定義的には「三同割(さんどうわり)(小麦粉、卵、砂糖が同量の配合の総称)」をどら焼きの基本配合としているのが一般的である。 ・諸説ありますが、打楽器の「銅鑼」に似ている事から、「どら焼き」という名前がついた。という説が有力なようです。他にも、平安時代の人物「武蔵坊弁慶」が、銅羅でお菓子を焼いた事により、「どら焼き」が生まれた。という説がありました。
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elle-p · 1 year ago
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
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ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出���新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それ��彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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chabatayuka · 13 days ago
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「たき火会」(レポート後編)
日にち: 2024年11月30日 たき火会の場所:  奈良山園 たき火会の展示: 茅スタジオ(2024年12月13日〜16日「茅スタジオの文化祭」内にて) 料理長: 旅する料理人・三上奈緒 企画: 茅スタジオ 写真: 中村紋子 告知ページ: https://www.boustudio.com/takibi
たき火会イベントレポート前編はこちらから。
たき火会では、ひとりひとりが動かないと火もつかないし今日のごはんもできない。なので、皆で一生懸命働きます!
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さあやるよー!と声をかけると、即座に自分の仕事を見つけて行動し始めるのは圧倒的に子ども達です。 火の面倒を見るのがとにかく好きで、1日中火のお世話している子もいれば、ずっと包丁を握って何かを切ってたり調理したりと1日中料理している子も、どちらも行き来しながらやっている子もいます。
こちらから指示することはなく、たき火組と料理組に分かれていくのですがどちらかに集中することもなく自然と分散していくのが面白いです。
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こども達に共通しているのは自分の「やりたいこと」を見つけるのが圧倒的に早いこと。 自分の「好き」がすごくクリアに見えているのがこども達の力で、それってほんとすごいなぁといつも見ていて思います。 
しかし大人たちも負けてられません。 大人チームもたき火会のリピーターが増えてきたこともあり動きがとても早い! みんなでわいわいしながら、どんどんつくっていきます。
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今回のメインは「いちから作る、奈良山おでん」 そしておでんと言えば練り物!ということで、地元の魚屋さんにお願いして新鮮な魚を仕入れていただきました。 ひたすら魚をたたき、すり潰します。
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合間に細い竹を採取しに行ったのは、たたいた魚のすり身を竹にまきつけるため。
そう、それが「竹輪(ちくわ)」です! そっか、竹に巻くから「竹輪」って書くんだ〜!っていうのが非常に腑に落ちた今回でした。
きっと昔から竹に巻いてバウムクーヘンみたいにちくわ作ってたんだなぁ。いろんな太さの穴があったに違いない。
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ちくわはたき火でじっくり焼いてからおでんに投入です。
表面が焦げてるからって、中まで火が通ってないとだめだよ!ちゃんと自分で見て、触って感じて!となおちゃんの声が飛んできます。
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奈良山園の冬といえば大蔵大根、ということで大蔵大根もたっぷりに。里芋や古来種のかぶ、サボイキャベツなども入れた、地元野菜たっぷりのおでんが出来上がりました!
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おでんを取り分けてくれたのは、こどもおでん屋さん。
元気な男子たちがノリノリでねじり鉢巻をして「屋台のおやじ」を演じながらみんなに取り分けてくれました。
今回のたき火会では奈緒ちゃんに能登でのお話や、能登に通いながら考えたことも少しだけ語ってもらいました。
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去年1月1日に起きた能登半島での大地震。衝撃を受けながら自分にできることはなんだろうと心を痛めた方も多かったと思います。奈緒ちゃんは震災以降、折々に能登半島を訪れ、地元の高校で炊き出し活動をしたり、能登の現状を話す活動をされてきました。
たき火会自体が防災活動でもあるんだよ、と奈緒ちゃん。 自分で火を起こすことや、みんなで食材を捌いていき料理をつくることは炊き出し活動そのものだし、 もっと言うと、断水で使える水が限られる中でどうやって衛生を保ちながら調理していくかと考えることも必要になってくる。雨水や川の水をどうやったら飲める水にできるのか、石や砂利を使いながら自分でその仕組みを作ってしまったすごい人が能登にいたことも。
自分にできることをすること。これはたき火会で自分にできる仕事をすることと同じだし、自分の生きている場所で、顔の見える関係性をつくっていくこと。これもたき火会でやっていることと繋がるよね、と。そういうことがめぐりめぐって「防災」につながっていくんだということを伝えてくれました。
たき火会イベントレポート前編はこちらから。
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【たき火会ってなんだ?】
今いる場所、それぞれの立場や、持っている力の中でできることをする。つくる人たちと一緒に、思いっきり自分も「つくる」をすることが、それぞれの考えを深めることや、動くことのきっかけになっていくといい。動けば動くほどに楽しくて、おいしい会。それがたき火会です。
また今年もやれたらいいなと思ってます。ぜひ皆さん遊びに来てね!
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kennak · 11 months ago
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確定申告会場で自民党裏金事件への怒りが噴出している。少しでも不備があれば課税される国民に対し、「政治資金」は非課税の聖域。疑惑の国会議員の申告状況も明らかでないが、実は1960年代、国会で200人以上の申告漏れが公表されていた。国権の最高機関を舞台に、脱税と疑われる行為が繰り返されるのはなぜか。本紙「本音のコラム」で指摘した青山学院大の三木義一名誉教授(租税法)とともに、考えた。(西田直晃、森本智之) ◆自民の裏金議員へ「確定申告せよ」  「けしからんとしか言いようがない。雨の中でも義務を果たすのが、ばからしくなってしまうよ」  19日昼、納税者が続々と訪れ��東京都港区の品川税務署の近く。年金収入などがあるという山田経一さん(77)は、確定申告を終えて憤りを語った。  そもそも、国会議員は、給与に当たる「歳費」こそ所得税が源泉徴収されているものの、月100万円の調査研究広報滞在費(旧文通費)、月65万円の立法事務費などは報告義務がない上に非課税だ。  山田さんは「十分に思えるほどの手当などがありながら、さらにカネが必要だというのはおかしい。政策を練るための最低限の手当だけにして、あとは一般国民と同様に確定申告すべきだ」。 ◆税務署の職員「みなさんの気持ちは分かります」  受け付け初日の16日には今年も、俳優の高橋英樹さんが申告を呼びかけた品川税務署。近くで取材を続けていると、怒りを口にする人たちが目立った。  記者が「裏金事件について…」と切り出すと、「実は、私は税務署の人間でして」と苦笑いする背広姿の男性も。「納税者のみなさんの気持ちはよく分かります」とだけ答え、足早に去った。  裏金のうち、政治資金であれば非課税とし、政治活動以外に使った分や未使用分は議員個人の「雑所得」として課税—。この国税庁の見解に照らすと、キックバックされた資金を「使用していない」と自民党の調査に回答した議員は、本来課されるべき納税義務を免れたことになる。 ◆納税を呼びかけた岸田首相に対し「どの口が…」  「野党が指摘するように脱税に当たるはずだ」と話したのは、品川区の自営業女性(54)だ。「国民が同じことをすれば罪に問われてしまう。信じられないほど不公平だ。岸田首相が納税を呼びかけたニュースを見て、『どの口が…』と突っ込みたくなった」と語気を強めた。  自民党内でも「キックバックを受け取った議員は納税すべきだ」との声が上がっているが、既に「政治資金」として収支報告書を一斉に訂正した経緯がある。課税すれば「矛盾」が生じるとして、否定的な意見が多いようだ。 ◆裏金議員の申告状況は  だが、確定申告を終えた加藤昭治さん(79)は「矛盾しているのは政治家たちの発言と行動のほうだ」と突き放す。「自分たちに都合の良いように解釈してしまっている。どんな裏金も裏金なんだから、しっかりと課税するべきだ」  そもそも裏金議員たちも今、確定申告をしているのか。国税庁の担当者に尋ねたが、「われわれは守秘義務があり、個々の納税者の申告状況を公にすることはない。議員であっても、一般市民であっても変わりはない」とのことだ。 ◆1966年「黒い霧事件」後には異例の公表  とはいえ、過去には国税庁長官が国会で、議員の申告状況を公表した前例がある。きっかけは1966年、自民党議員の不祥事が続発した政界の「黒い霧事件」だ。  「黒い霧事件」後、政治改革の議論の中で議員の課税問題が噴出。確定申告の時期を経た67年5月23日、衆院大蔵委員会で泉美之松(みのまつ)国税庁長官が調査結果を明らかにした。  課税対象になる所得があるのに申告漏れしていたなどとして修正申告、更正決定した国会議員は「現職議員が181名、前議員が22名、合計203名」で、金額は「トータル2億1800万円」。当時の衆参両院の定数の3割近くに申告漏れがある計算だった。  国会議員に対するこうした調査はこの時が初めて。異例の動きの背景に何があったのか、「こちら特報部」は19日に国税庁に質問したが、「なにぶん古い話で、行政文書の保存期間との兼ね合いもあり、すぐには答えられる状況ではない」とのことだった。 ◆当時の大蔵大臣は政治家の「特権」に言及  当時の大蔵委のやり取りは議事録に残っている。泉氏は国会議員の所得申告状況について「収入支出の申告は漏れているのが実情」「所得ありとしての申告は非常に少ない」と説明。質問した社会党の西宮弘氏は「一般の中小企業では収入はないかとウの目タカの目になって探しておるじゃないか。とても国民は納得できない」とかみついた。  これに対し、自民党議員の水田三喜男・大蔵大臣は「一番納税道義の高くあるべきはずの国会議員であるので、一般に対する所得の把握と議員に対する所得の把握は若干違ってもいい」と政治家への特別対応を認めるような発言。さらに、「議員に対する名誉の尊重という意味から、国会議員だから特にこれを調べなければならぬということは私はないと思う」とまで言った。  西宮氏は「それは大変な間違いだ。だからこそ政治家に対する不信感が高まっている」「税金を納めることが実にばかばかしくなってきた。私がそうなんだから、ましていわんや、一般の国民は」と猛反発。60年近く前のやりとりだが、何だか現在の自民党への批判を彷彿(ほうふつ)とさせる。 ◆国税は政治家からの逆襲に悩まされ…  一連の経緯を今月8日の「本音のコラム」で紹介した三木義一氏は「ちゃんと議員も申告しろという声が上がり、与党の議員も一斉に確定申告することになった」と解説する。  三木氏によると、議員側はその後、政治活動関連の支出をすべて必要経費に入れ、政治活動の収支が赤字になると申告。国会議員の給与に当たる「歳費」と相殺することで個人としての所得が低くなったとして、逆に支払い済みの所得税の還付を求める与党議員が続出した。政治家からの逆襲だ。  「これに国税が参ってしまった。あわてて雑所得は他の所得と損益合算できないように制度改正したが、そこまで。これに懲りたか、税務当局が政治家に対して継続的に何かチェックしているというのは今に至るまで聞いたことがない」 ◆「不正を見逃すことは許されるのか」  日本大の岩井奉信名誉教授(政治学)も「国税が政治に踏み込もうとすると『政治活動の自由を侵す』と批判される。それが政治家への対応を甘くさせている部分はある」と認める。「政治活動の自由には配慮しなければいけないが、不正を見逃すことは許されるのか。政治資金制度の第三者委員会を検討してもいい」  自民党が公表した安倍、二階両派への聞き取り調査結果には、不記載の理由を「派閥からの指示、説明」とする回答があった。三木氏は「所得の仮装隠蔽(いんぺい)ではないのか。通常なら重加算税の対象になるし、その場合は過去7年にさかのぼる。ところが自民党の調査は5年分だ」と指摘する。  「国税はこの結果に基づき、『隠れて裏金を受け取った議員の税務調査をやります』『きちんと疑義を晴らします。調査します』と言わなければいけない。それが、国税の役割じゃないか」 ◆デスクメモ  所得税の捕捉率は「トーゴーサンピン」(10・5・3・1)と言われてきた。源泉徴収されるサラリーマン(10)は他職種より高いという意味で、最も低いピン(1)は政治家だ。マイナンバーで漏れを無くすそうだが、最大の不公平は温存したまま? 是正する順番を間違えている。(本)
「納税ばからしくなる」怒りが充満する確定申告会場 自民裏金議員との「信じられないほどの不公平」:東京新聞 TOKYO Web
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ari0921 · 4 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)10月8日(火曜日)
    通巻第8449号
 嘘と偽善と贋物は中国四千年の文化である
  血縁と地縁いがいは何も信じない硬直さ、他人は裏切りの対象
*************************
 野村総研(NRI)香港に『次の大国 中国』(1994年、サイマル出版会)の著者でもあるウィリアム・オーバーホルトが在籍していた時代。彼とはハーマンカーンの愛弟子時代からの知り合いだったので、香港へ行く毎に議論に出かけた。97年香港返還前にも現地取材へ『諸君!』の特派で赴いた。
 筆者は中国の躍進という表面的な事象より、本当に中国の庶民、とくに奥地の農民の暮らしから判断しても沿岸部はのびる可能性は高いが、アンバランス解消は不可能であり、全体として中国が先進国入りすることはないとした。
反対にオーバーホルトは、楽観論だった。
 当時の野村證券グループは中国に積極的に関与し、中国企業の株式に強気な予測をたてていた。
 しかし楽観論者が立脚する中国の公式データはまったく信用出来ないシロモノである。
 中国の若者の失業率が、2024年9月に18・8%と公表され、それほどの不景気かと驚いた人が多いが、これは真実を反映してはいない。低すぎる数字だからだ。
 中国の失業率の定義は「過去3カ月間、求職活動をしており、適切な仕事があれば 2 週間以内に働き始めることができる人」である。 調査対象は、12万戸で、訪問調査をもとに算出されている」
つまりサンプリングが少ない、地域の選び方は恣意的であり、問題は「求職活動をしている人」を如何にとらえているのか、ぶらぶらしている人間は算定されず、農家に戻った大量の建設労働者は農民人口に置き換えて失業の範疇に加えていない。
日本はハローワーク速報でも雇用情勢がつかめるし、失業保険需給状況からも正確な数字がでてくる。
中国の「国家統計局」なる機関は1952年に国務院直轄の行政機関として発足した。だから国務院総理(首相)が適宜適当に数字を改竄したり、地方政府幹部が北京に陳情に来て、統計局長に「良い数字にしてくれ」と賄賂を運ぶと、数字は上方に訂正される。国家統計局長が愛人とフランスへ高飛び寸前に北京空港で逮捕される事件も起きた。賄賂は桁外れに大きかったからだ
「あんなもの(中国の経済統計の公式データ)を信用しているのですか」と駐北京米国大使に発言したのが、李克強首相その人だったことを私たちは鮮明に思い出す。
2024年度の中国GDP成長率が5・2%で名目4・6%と発表されたが、こんな作り話を報道する日本のメディアはどうかしている。「三割水増しが常識」というのが筆者の持論だが、「水増し」(中国語は「灌水」)ではなく「捏造」だと石平がいう。
 中国人社会は嘘で成り立つ国であり、誰もが産まれてから死ぬまで嘘をつく。朝から晩まで、いや夢のなかでも嘘をついている。そうしないと生きていけないからである。
 嘘と偽善と贋物は中国四千年の文化であり、血縁と地縁いがいは何も信じない精神性の硬直姿勢はかれらの宿痾と言って良い。
となると役所も役所なら企業経営者にあっては三重帳簿が常識で、税務署提出用、銀行と株主総会提出用、そして自分用である。
 官僚は収賄、企業側は賄賂、これらが社会の潤滑油である。だから毒入り餃子、石灰入りのペットフードや薬品、グッチ、ルイビュトンの贋物なんぞ朝飯前。公共工事は政治家の利権だから手抜き工事は当たり前。橋梁がおちたらなかに鉄筋ではなく生ゴミがはいっていたっけ。そしてばれても決して謝罪しない。つぎはもっとうまくやると誓う。デジタル人民元最大の目的は、じつは偽札対策なのだ。
 
 警察とヤクザはグルである。これを「十警九黒」、あるいは「警匪一家」という。贋物商人らの認識では「無奸不成商」(阿漕に稼がなければ成功しない)となる。筆者が講演でよく喩えるのは「中国では石川五右衛門と長谷川平蔵は同一人物なのです」
 
 日本人が美徳とする「知行合一」の発想は中国人にはない。「陽明学」は中国で生まれ、日本で純粋培養された。中国で陽明学とは「殺人の哲学」として忌み嫌われている。
したがって「文武両道」は理解不能、中国では「尚文卑武」である。だから利にさとい権力と結んだ商人が出世し、軍人は「最低の職業」となる。軍のモラルは信じられないほどに低い。このような社会構造の中国が、今後も経済成長を持続させるにはたいそう困難をともなうだろう。
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shingoiwasaki-blog-blog · 1 year ago
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遺骨、酸初、初夏、夏至、我博、臨床、先客、那波区、東海、雲海、雲水、初楽、飼養、規律、滅法、頑丈、撃破化、内板、飼養、機咲州、分癖、蛾妙、頌栄、丼爆発、濃彩、恋欠、名瀬、徒歩機、歌詞役、素市、癌滅、元凶、願文、文座、同發、長門、至極、極美、呵責、端午、併合、奈落、底癖、幕府、某尺、尊式、検疫、未除、路側、柑橘、脂溶、瑛人、冠水、豪材、剤枠、土岐、駄泊、検尺、漏洩、破裂無言、任期、崩説、全滅、壊滅、開幕、統帥、頭数、水湿、冠水、抹消、網滅、馬脚、財冠水、風隙、来妙、勤学、餞別、名判、名盤、観客、衆院、才覚、無能、果餓死、損初、波脈、釋迦、損失、片脚、那古、可物、筋層、真骨、存廃、破格、名湯、今季、写楽、苦況、罪責、孫覇、全滅、今父、奈落、旋盤、秒読、読破、名物、貨客、泉質、随想、滅却、監理、素質、遡行、文滅、菜根、無端、庄屋、破壊、客率、合併、豪式、続発、泣塔、透析、頑迷、場脈、野張、船室、乾物、吐瀉分裂、戒行、噛砕、爾、晩別、海苔、西明、縁月、花月、独歩の大蛇、再発、納言、遺言、残債、背角、破壊、忠膵癌、統帥、馬車、下劣、火災、乱尺、毒妙、縫製、貨坂城、歳発、富低落、菜初、命式、山賊、海剤、激武者、瓦礫、破水、分裂、賀露、屠畜、能月、見激、破壊、破戒、採石、屈託、門別、皆来、家来、千四、我楽、夏楽、無慈悲、壊滅、破棄、損勤学、外鰓、長水、瑛人、永久、旋律、斑紋、財年、場滅、甘露、舐めけり、真靭、察作、論祭、乾裂、薩長、泣塔、室見、川縁、岩石、言後、荷火災、防爆、鋒鋩、体制、貨車、顎脚、刺客、坐楽、損益、脳系、文才、分合、合壁、啓発、萌姫、島内、監修、真木、合理、独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面月、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓年、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄光、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここに、名もなき詩を、記す。風水、万別、他国、先式、続発、非力、産別、嘉門、神興、撃易、弊社、紋別、座泊、画狂、式典、胞子、画力、座敷、学舎、論別、閉域、爆風、万歩、博識、残忍、非道、望岳、死骸、残骸、符合、壊滅、匍匐、弄舌癖、死者、分別、砂漠、白藍、模写、服役、奈落、忖度、符尾、同盟、田式、左派、具癖、退役、蛇路、素白、昆北、北摂、写経、文武、択液、図解、挫折、根塊、道厳、視野別、奈落、鳥羽、グリシャ・イェーガー、粗利、惨殺、学癖、優遇、陶器、場作、土壌、粉砕、餓鬼、草履、羅列、門泊、戸癖、山系、学閥、座枠、忠膵癌、視野別、脳族、監視、佐伯、釋迦、敏捷、遇歴、佐渡、名張、紀伊市、名刺、干瓢、夏至、楽節、蘇遇、列挙、間髪、風脚、滅法、呪水、遇説、死骸、爆発、山荘、塀楽、茗荷、谷底、愚者、妄動、還魂、色別、最座、雑載、論客、名足、死期、近隣、名張、迷鳥、呑水、飛脚、晩別、獄卒、殺傷、視覚、乱脈、鉱毒、財閥、漢詩、死語、諸富、能生、那波、合理、血中、根菜、明初、鹿楽、宮札、度劇、臥風、粋玄、我馬、洞察、今季、爾脈、羅猿、激園、葉激、風車、風格、道明、激案、合祀、坐楽、土地油、力別、焼殺、年配、念波、郭式、遊戯、富部区、奈脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、懐石、討滅、報復、船室、壊滅、回族、先負、嗚咽、暁闇の、立ち居所、餞別、乾式、財閥、独居、乱立、差脈、桜蘭、龍風、抹殺、虐案、某尺、無銭、漏洩、北方領土、白山、脱却、幻滅、御身、私利私欲、支離滅裂、分解、体壁、脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、土脈、桜蘭、郎乱、乱立、派閥、別癖、恩給、泣き所、弁別、達者、異口同音、残骸、紛争、薔薇、下界、雑石、雑草、破戒、今滅、梵論、乱発、人脈、壊滅、孤独、格律、戦法、破戒、残席、独居、毒僕、媒概念、突破、山乱発、合癖、塹壕、場技、極楽、動脈、破裂、残債、防壁、額道央、奈良市の独歩、下界残滓、泣き顎脚、朗唱、草庵、場滅、乖離、鋭利、破戒、幕府、網羅、乱脈、千部、土場、契合、月夕、東美、番號、虎破戒、在留、恥辱、嗚咽、完封、摩擦、何百、操船、無限、開発、同尺、金蔵寺、誤字、脱却、老廃、滅法、涅槃、脱却、鯉散乱、立哨、安保、発足、撃退、学別、憎悪、破裂無痕、磁石、咀嚼、郎名、簿記、道具雨、壊滅、下落、吐瀉、文別、銘文、安胎、譲歩、剛性、剣率、社販、薙刀、喝滅、解釈、村風、罵詈雑言、旋風、末脚、模索、村立、開村、撃退、激癖、元祖、明智用、到来、孟冬、藻石、端午の贅室、癌客、到来、未知道具雨、寒風、最壁、豪族、現代、開脚、諸富、下火、海日、殺傷、摩擦、喃楽、続落、解脱、無毒、名毒、戒脈、心脈、低層、破棄、罵詈、深海、琴別府、誠、生楽、養生、制裁、完封、排泄、虐殺、南京、妄撮、豚平、八食、豪鬼、実積、回避、答弁、弁論、徘徊、妄説、怒気、波言後、節楽、未開、投射、体者、破滅、損保、名水、諸味、透析、灰毛、界外、土偶、忌避、遺品、万別、噛砕、剣率、戒行、一脚、快哉、提訴、復刻、現世、来世、混成、吐瀉、場滅、経絡、身洋蘭、舞踏、近発、遊戯、男爵、最上、最適、破裂、改名、痕跡、戸杓、分髪、笠木、路地、戳脚、快晴、野会、対岸、彼岸、眞田、有事、紀伊路、八朔、減殺、盗撮、無札、無賃、無宿、龍梅、塩梅、海抜、田式、土産、端的、発端、背側、陣営、戒脈、母子、摩擦、錯覚、展開、星屑、砂鉄、鋼鉄、破滅、懐石、桟橋、古事記、戸杓、媒概、豚鶏、墓椎名、顎舌骨筋、豚海、砂漠、放射、解説、海月、蜜月、満期、万橋、反響、雑摺、油脂、巧妙、
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tutai-k · 2 years ago
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欲しているのは、世界、立ち位置、安寧の場所
週末は文学フリマ東京だった。 covid-19の流行が始まって、ちょうどそのころに病院に転職したので、しばらく東京への参加は見送っていた。東京のイベント参加は実に三年ぶり。私が年に二度、定期的に通っていたころとはずいぶん様子が違っていることを友人たちのツイートやブログで知り、緊張しながら新刊の用意や他の準備をした。
変わっているのは、文フリ東京という場所だけではない。わたし、孤伏澤つたゐという存在にも転機がおとずれていた。『浜辺の村でだれかと暮らせば』という小説を書き、本にしたとき、これはわたしの(文壇的な意味ではなく)作家的な転機になるだろうと確信した。そして実際、この本を作ったことは、わたしを、わたしが思っていた以上の場所に連れて行ってくれるきっかけになった。
2023年は、そういうことがたくさん起こる年のようだ。
水俣に二泊三日滞在したことも、わたしの作家活動の中で(何らかの権威による作用ではなくごくごく個人的な)大きな意味を持っている。
そして、このタイミングで、角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢)で「はじめてのBL展」という展示がはじまり、十年ほどまえに『共有結晶』という雑誌に掲載してもらっていたBL短歌が展示されることになった。
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文フリの翌日、展示を見学してきたが、女性が女性のために作り楽しむ、積極的に性的な創作を始めた(つまりそれは女性が主体性をもって自分自身の性的な「ファンタジー」を作品として完成させる場所・立ち位置の獲得である)ことを、歴史の一つとして真摯に向き合い、編纂された展示だった。BLというジャンルは、女性の権利や表現の獲得とともに、LGBTQA+に対する消費の問題をはらみつつ、つねに前進している。新しい表現を模索し、他者を無邪気に消費・搾取することを内省し、「次の」表現を目指すジャンルだと思う。 その「ジャンル」のたどってきた道筋として、『共有結晶』も、一つの指標にされていた。 2012年「BL短歌合同誌『共有結晶』発刊」の文字の前で、わたしは立ち尽くしていた。 短歌/BL短歌と「わたし」について、いまここで多くを語るつもりはない。だが、あれがBLという大きな川の流れにおいて、海へ漕ぎ出そうとする一艘の船だったということを、その船に乗っていたということを、やはりわたしは「なかったこと」にはできないのだと思った。
孤伏澤つたゐという作家は、それはそれは小さな無名の存在だ。小説を書くという営みをただただやっている一個人だ。
それでも、そんな一個人にも作家性はあり、たどってきた歴史がある。越し方を振りかえれば、おおくの過ちがあり、迷いがある。
その迷いや過ちを編み、わたしは物語を作ってきた。
文フリ東京で刊行した新刊は、そんな自分の人生を振り返るようなお話です、ということはなかった。 どちらかといえば何も考えていなくて、いままでメッセージ性の強い物語をたくさん作ってきたから、何も考えずに書いたり読んだりできる気軽なものを作ろうと思って作った。
だから、上に書いたような作家性の発露などなく、文フリ東京で出した本は、孤伏澤つたゐという作家の転機となる作品ですよ、というようなものではない。 現実とは物語のように都合よく織られるものではなく、常に矛盾と期待外れの連続だ。
2023年が、創作活動の転機となるからといって、そこで作られる物語が、これまでの集大成、みたいな都合のいいことは起こりえない。 わたしを取り巻く状況だけが、わたしに作家性をかえりみさせ、わたしに未来の物語への責任を問い詰める。
人生という物語は、誰かに読まれるためにあるのではなく、わたしが歩くためにあるのだと再確認する。
歩いていく。
さて、そんな文学フリマで、一番楽しみにしていたのは八束さんの新刊『アフターヘブン』だ。 死者がよみがえることができるようになった世界の少女たちの青春物語。人間の連続性/一貫性は、その連続性を持つ当人よりも、他者のほうが強く「そのひと」に要求する。わたしたちは他者にたいする想像力を持たないがゆえに連続性と一貫性を他者に強要し、そこから外れることに眉をひそめる。そして、他者への想像力を持たないがゆえに、他者の過去への好奇心を殺しえない。 「死者がよみがえる」そしてその「死者」の「現在」が語られるとなれば、物語の読者は「死者」の「今」よりも、「過去」を知りたがる。過去を語れ、その過去をして「いま」の行動に期待し、分析しようとする。不思議なもので、「死者」でなくてもそうだ。現実の人間は、「今」を生きている。だが、焦点が当てられがちなのは「過去」で、「今・生きている」その事実は、一貫性/連続性の証明書として提出が要求される。 その好奇心/他者からの一方的な要求に、押しつぶされがちな人々、それゆえに「いま」を積極的には語れないひとびとへ、たくさんのメッセージが込められた物語だった。 この物語を書くことができる稀有な作家と同時代を生き、刊行されるすべての書物を手に入れることができる、そのことはわたしの人生の、大きな財産である。
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