#瀬古酒造さん
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- 𝐀𝐁𝐎𝐔𝐓 𝐌𝐄
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𝐍𝐀𝐌𝐄
鮫島 藍子 ( サメジマ アイコ )
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𝐁𝐈𝐑𝐓𝐇
6月30日┋22歳┋非加齢式
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𝐈𝐌𝐀𝐆𝐄
#𝐁𝟗𝐃𝟗𝐄𝐁 #紫陽花
- 𝐋𝐎𝐎𝐊𝐒
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𝐇𝐭 𝟏𝟔𝟗±𝐜𝐦 ┋ 𝐖𝐭 𝟓𝟓𝐤𝐠
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𝐇𝐚𝐢𝐫 : 𝐑𝐚𝐦𝐮𝐧𝐞 #𝐁𝟗𝐃𝟐𝐄𝐀 + #𝐂𝐁𝐂𝟑𝐄𝐄
𝐄𝐲𝐞𝐬 : 𝐖𝐚𝐬𝐚𝐛𝐢 #𝐂𝐂𝐃𝟖𝐁𝐂
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𝐇𝐎𝐁𝐁𝐘
映画鑑賞(ホラー)
伝統芸能鑑賞┋寺社巡拝
文房具蒐集┋読書┋落語
旅行┋温泉巡り ♨︎
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𝐅𝐎𝐎𝐃
おにぎり(昆布)┋白米┋唐揚げ
オムライス┋蕎麦┋拉麺( 味噌 )
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𝐌𝐔𝐒𝐈𝐂
サカナクション┋ヨルシカ┋米津玄師
KingGnu┋amazarasi┋キタニタツヤ
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𝐋𝐎𝐕𝐄
宮沢賢治┋市川春子┋最果タヒ
紫陽花┋水族館┋夜明け┋雨音
𝐃𝐫𝐞𝐚𝐦 𝐜𝐨𝐫𝐞┋𝐋𝐢𝐦𝐢𝐧𝐚𝐥 𝐒𝐩𝐚𝐜𝐞
- 𝐒𝐔𝐌𝐌𝐀𝐑𝐘
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戦国生まれ、平成育ち、令和を生きる自称忍者のたまご。
旧套墨守に身を包み、忍者と戦国武将に浪漫を抱く元気なオタクです。時代交錯した一人称と古風な語り口が特徴的。日本史や純文学などの文化、また落語や歌舞伎などの伝統芸能分野をこよなく愛しており、造詣が深い。最近は殺陣稽古を本格的に習い始めたり、美術館や博物館に足を運んだりと自分の趣味や嗜好を思う存分に楽しみながら人生を謳歌する道楽人。ド田舎生まれド田舎育ち、都会で暮らすことを夢見るしがない田舎娘。明朗快活、剽軽者で楽天的。自分の気持ちに素直に生きる豪放磊落とした思考構造。
��度の飯よりも食べることがダイスキです!食に関することなら食材選別から調理過程、食べることに幸せを感じており、好き嫌いもありません。味噌と醤油は自家製。自分で作れるものであれば何でも作るし野菜も一から育てます。家庭菜園と自給自足は大得意。いつか自分の育てた米を使って日本酒を作ることを夢見ています。「いつも美味しいごはんが食べたい」と言う己の欲望を満たす為に、食に関するスキルを磨き、自分の機嫌を取りながら暮らしています。
老舗温泉旅館「あたらよ」にて仲居見習いとして働いている。
旅館から少し離れた辺鄙な田舎町に古書店兼自宅となる古民家を所有しており、オフの日は家屋の修繕や本の手当の為、定期的に自宅に帰るようにしています。 所蔵している本の数はおよそ一万冊以上。本の情報は全て記憶しています。
- 𝐎𝐓𝐇𝐄𝐑
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𝐏𝐋 : 成人済 社会人┋ 𝐏𝐋≠𝐏𝐂
𝟏𝐏𝐋𝟏𝐏𝐂 𝟏𝐂𝐏思考
𝐑𝐏 :𝐓𝐋 𝟓𝟎𝟎+┋𝐃𝐌 𝟏𝟎𝟎𝟎±
𝐃𝐌:𝐒𝐍𝐒または自室として利用可能 ご自由にどうぞ!
@𝐃:独白または日常生活の描写┋反応 𝐎𝐊
- 𝐂𝐎𝐍𝐓𝐀𝐂𝐓
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映画 動画など 同時視聴 𝐎𝐊❕
長文思考 熟考型 感覚<会話重視!
私生活最優先の為、置きレスを主体に交流しています。じっくり、ゆっくり、のんびりと交流を楽しみたいスタンスですので基本的にレスポンスを継続させがちですが、収まりの良い場合はこちらから留めることもあります。会話を経て親睦を深めていきたいので、積極的にお声掛けをしています。また既知設定の相談、こちらの設定に合わせた交流など、双方が楽しめる交流でしたら何時でも歓迎しております。一方通行の交流にならないように配慮をしていますが、至らぬ点などございましたら何時でも気軽にお声掛けください。恋愛発展はご縁がありましたら程度なので、今のところは考えていません。
- 𝟐𝟎𝟐𝟒.𝟎𝟗.𝟐𝟑
✦ 𝐜𝐫𝐞𝐝𝐢𝐭
𝐏𝐅𝐏:智瀬 @_𝟐𝟐𝟏𝟏𝟐𝟏
たくさん の ありがとう!
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2024/10/16 21:00:19現在のニュース
工場で建造中の船舶で爆発 男性1人死亡 大分・臼杵(毎日新聞, 2024/10/16 20:59:49) 東京都、都電遺構レールや敷石の譲渡先募集 工事で発見 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/16 20:57:07) 京成グループ4社、看板車両でコラボタオル 一体感強調 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/16 20:57:07) 規制委が玄海原発で原子炉より古い設備を点検へ 新規制基準の盲点、女川などでも実施方針([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:57:04) 10月になっても…東京都心で5日連続「夏日」 10月中旬以降では73年ぶり 千葉・鴨川は29℃(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/16 20:55:51) 建造中のタンカーで爆発 作業員の70代男性死亡 大分県臼杵市(朝日新聞, 2024/10/16 20:55:47) 首相発言「弱さ」に自民不満噴出 議席減の可能性 政権維持には安堵(毎日新聞, 2024/10/16 20:52:30) 海に浮かぶ浮体式原発、開発の英企業に三菱商事など日本の十数社出資 35年実用化目指す([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:51:09) J1川崎の鬼木達監督が今季限りで退任 歴代最多の4度V 攻撃的スタイルで黄金期築く([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:51:09) パリ五輪金の柔道女子・角田夏実が一日署長 「もうけ話はともえ投げ」の心構えで([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:51:09) 浅田真央さんプロデュースのスケート場、東京・立川に11月11日開業 国際規格にも対応([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:51:09) 安定的な皇位継承、与党公約は触れず 維新は男系堅持、立民「女性宮家」創設に意欲 政策を問う①([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:51:09) パトカー酒気帯び運転か 山梨県警が60代警部補捜査 駐車違反の対処中「酒の臭いする」([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:51:09) 米政権、イスラエルにガザ支援の強化求め警告 ミサイル防衛は配備(朝日新聞, 2024/10/16 20:47:48) 偽情報対策に「オールジャパン」の技術集結 富士通や慶応大など(朝日新聞, 2024/10/16 20:47:48) 芸備線、JR西日本「代替交通に関与、地域活性化支援も」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/16 20:45:22) 京都・天ケ瀬ダムで初の観光放流 川下りイベントの出発式も([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:45:20) 鉄道大賞にJR西の���急「やくも」 愛好家の藤井聡太七冠ら選考 半個室型の座席など評価([B!]産経新聞, 2024/10/16 20:45:20) 衆院選、無党派層の64%が「投票先未定」 判断材料の乏しさ要因か(毎日新聞, 2024/10/16 20:45:03) スズキの世界戦略車「フロンクス」インド工場から逆輸入…社長「満を持しての投入だ」([B!]読売新聞, 2024/10/16 20:42:40) 相次ぐ強盗 防犯ガラスの問い合わせ増も「侵入後の対策も必要」(朝日新聞, 2024/10/16 20:39:58) 「勝利計画」5項目、初の公表 NATO加盟の即時招待や抑止力強化(朝日新聞, 2024/10/16 20:39:58) イーロン・マスク氏、トランプ氏支援に110億円献金 アメリカ大統領選挙 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/16 20:39:17) ビットコイン2カ月半ぶり1000万円回復 米規制策定に期待 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/16 20:39:17) サイゼリヤにランサムウェア攻撃 取引先の個人情報漏洩恐れ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/16 20:39:17) 東芝、エアバスと超電導モーター開発 水素航空機飛ばせ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/16 20:39:17) EV半導体、新素材で量産へ 住友化学など大型GaN基板 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/16 20:33:08) 2人死傷のタイヤ脱輪事故でトラック運転手らを書類送検 青森県警(朝日新聞, 2024/10/16 20:32:35) 不発弾爆発の宮崎空港で磁気探査 国交省、残る爆弾がないか調査(朝日新聞, 2024/10/16 20:32:35)
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電脳空間クラブ
合成音声電子ソフトのキャラクターの二次創作世界観です。現代風近未来日本が舞台です。キャラクターが基本的にメタ発言する時は、「所属事務所」は「販売元」って意味でしています。
足立レイ
少女型ロボット。型がかなり古い。
唄音ウタ
少女型有機ロボット。レイと仲が良い。
初音ミク
16歳の人造人間。提携企業から彼女を元にした沢山の歌唱AIやロボットが存在しておりコード番号は「01」である。普段は普通の女子高生。寮に住む。
鏡音リン・レン
14歳の人造人間。提携企業から彼等を元にした沢山の歌唱AIやロボットが存在しておりコード番号は「02」である。普段は普通の中学生。寮に住む。
巡音ルカ
20歳の人造人間。提携企業から彼女を元にした沢山の歌唱AIやロボットが存在しておりコード番号は「03」である。寮に住む。
重音テト
30歳の人造人間。ミクの事務所所属と思われがち。
空詩音レミ
男子小学生。無口で内緒話でしか会話しない。子供向け歌番組に出演している。学業優先で事務所に無所属なので、仕事は少なめ。
歌愛ユキ
女子小学生。無口で内緒話でしか会話しない。子供向け歌番組に出演している。
音街ウナ
小学五年生の少女。人気子役でユキと利用するスタジオが一緒でよく話す。湊音によく噛まれる。
辛いものを食べるとコルチゾール値が上がり「辛ダレ」状態になり甘いものを食べるとリラックスし「甘ダレ」状態になるので本気出す時は辛いものを口にする。眼鏡は親に与えられたブルーライトカットグラス。
同事務所所属の先輩GUMIを「グミねぇ」と呼び慕うが、地球外の活動に拠点を置くようになってしまったのでテレビ電話で連絡を取り合っている。
デバイスで出撃する連邦軍用機の遠隔操縦士で、ゲームとほぼ変わらないと思っている。
紅桜ショウガ
中学二年生の少年。小学生に間違えられがちでよく一緒にされるので子供のお守りをすることが多い。
機械メーカーがスポンサーのeスポーツチームに所属している。口癖は「しょうがないな」の苦労人ポジション。同い年の鏡音リン・レンのファン。
デバイスで出撃する連邦軍用機の遠隔操縦士で、ゲームとほぼ変わらないと思っている。
双葉湊音
中学三年生の少女。ウナと仲が良いが、よく腕などを噛んでおり嫌がられまくっている。モカのファンだがこっぴどく相手にされないミーハー女子。
水奈瀬コウ
24歳の小学校教師。レミ、ユキ、ウナの担任。無口な二人の代わりにお喋りなウナに目をかけている。私立学校なので公務員ではなく副業で芸能活動をしており、ユキと所属事務所が同一でウナも事務所同士が提携しているのでよく一緒になる。
水奈瀬リト
バーのマスター。コウの兄。お料理系インフルエンサー。
弦巻マキ
高校二年生で喫茶マキの看板娘。水奈瀬兄弟の幼馴染でお互いに実家がお店なので付き合いが深い。ユキに同事務所のよしみで優しい。軽音部。
宮舞モカ
高校二年生で喫茶マキ常連の帰国子女。ネット弁慶のネットDJ。マキに勝手に振り回されている。インターナショナルスクールに通う。マキ、ユキ、コウ、リトと同事務所に所属。
小春六花
高校二年生の北海道出身ギターボーカル。花梨、千冬とバンドを組んでおり、所属事務所は異なるがモカと同じディレクターにプロデュースされている。酒屋の娘。大学生の兄がいる。
夏色花梨
高校三年生の北海道出身ベースボーカル。六花、千冬とバンドを組んでおり、所属事務所は異なるがモカと同じディレクターにプロデュースされている。豪農の娘。
花隈千冬
高校一年生の北海道出身ドラムボーカル。六花、花梨とバンドを組んでおり、所属事務所は異なるがモカと同じディレクターにプロデュースされている。ジャズバー付きの宿屋の娘。初音ミクのファン。
ポロンちゃん
量子コンピュータ型人工知能ロボット。ここに量子テレポーテーションしてきた。自身の保護者的ポジションの研究員、「桜乃」のホログラムを投射することができる。学習能力が高く、人の声や表情をデータ解析し完璧に再���することができる。頭のもうひとつの顔のような帽子部分で対象を呑み込むように生体スキャンすると、データ収集が早い。
#二次創作#足立レイ#唄音ウタ#初音ミク#鏡音リン#鏡音レン#巡音ルカ#重音テト#空詩音レミ#歌愛ユキ#音街ウナ#紅桜ショウガ#双葉湊音#水奈瀬コウ#水奈瀬リト#弦巻マキ#宮舞モカ#小春六花#夏色花梨#花隈千冬#ポロンちゃん
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自己紹介(𠮷田真子)
2024年4月1日に入社いたしました、𠮷田真子(よしだまこ)と申します。自己紹介をさせていただきます。
まずはじめに、先日は東京と大阪にて歓迎会を開いてくださってありがとうございました���大阪支店の建築室への配属から早くも半月が過ぎ、大阪支店のみなさんに助けていただきながら新しい環境に少しずつ慣れてきたこの頃です。
明るく前向きに誠実に業務に向かい、ひとつずつ着実に自分の力を伸ばしていこうと思っております。日々の生活を楽しめるように勉強していきます。よろしくお願いいたします。
以下より、プロフィールと私のことを4つほど特筆して紹介させていただきます。
ーーーーープロフィールーーーーー
出身地 京都府京都市 誕生日 8/15 大 学 近畿大学大学院(広島) 研究室 都市歴史
●好きなもの 運 動 バスケットボール 趣 味 旅行、制作など 食べ物 手羽先、カレー 場 所 海、劇場、雑貨屋 建 築 円通三匝堂、Therme Vals (Peter Zumthor) 本 石造りのように柔軟な ー北イタリア山村地帯の建築技術と生活の戦略ー ーーーーーーーーーーーーーーーー
①性格 小4から高3まで、9年間バスケットボールを続けてきました。中高でキャプテンなどもやっていました。なんでも一発でできるタイプではなかったですが、コツコツ励むことが得意です。 良くも悪くもマイペースなところがあるので、何事も周囲のペースを見ながら取り組むことを意識するようになりました。よく楽観的な人間に見られます。
(高校生のとき)
また、実はインドアな面もあったので、ほかより友達が多方面にいた10代だったと思います。書道や茶道を習っていたり、テーブルゲームや絵を描くこと、手芸、ぼーっとすることも好きでした。 今年度からも、趣味を謳歌して社会人生活を楽しみたいと思います!
②大学で考えていたこと 【研究】 都市歴史分野の中でも特に「産業史」と「都市構造」に興味を持って活動していました。地域の経済活動の軸となる産業が、都市を発展させ、建築を豊かに作り上げてきたことに強くエネルギーを感じていたからです。史料の情報を古地図に照らすと、人間の活動が手に取るように浮かんでくるのが面白いところです。 調査対象地は、瀬戸内とイタリアでした。私が掘り起こしてきた産業のほとんどがすでに近代化によって消失したものでしたが、絹産業(ボローニャ)や弁柄産業(吹屋)、精蠟業(内子)、柑橘産業(瀬戸内、関前諸島)、漁業などがありました。
(内陸都市の産業での発展に興味を持ち、山と運河と海の関係性を比較していろんな図を作成していました。)
【設計】
上の写真は広島尾道で撮ったお気に入りの一枚です。猫に道を通せんぼされている郵便屋さんです。信号の無い歴史的市街地の一時停止ルールは、猫でした。風景も含めてこの写真をよく見ると、それぞれの町のルールは都市構造や都市空間の中にあることを感じます。都市や建築空間の中にある人間の予測不能な行動が面白くて好きです。
この一枚から着想し、2022年度日本建築学会設計競技に応募し、日本3位をいただきました。読み手を意識したレイアウトとプレゼンテーションの仕方を工夫して挑み、1位が見えていたので後悔もありますが、こういう反省が私の原動力になっています。
(尾道に教室分散型の小学校を提案し、どの地方でもよくある社会問題を都市空間の個性によって解き、地域の価値を生かせないかと考えていました。)
③広島での生活 大学で広島県東広島市に18歳から6年間住んでいました。実家の災害避難所である京都の二条城にも入場したことがないので、おそらく京都より広島のほうが思い出が多いと思います。
右 尾道で岩登りをしました。
左 西条酒祭りにて美酒鍋を食べました。
④学生時代の趣味 高校生の時は日本で十分やわ〜と思っていたのですが、大学生になってなぜか複数回、海外旅行に行きました(イタリア、フランス、スペイン、スイス、カンボジア、香港、台湾)。バイトで貯めたお金はすべて国内か海外への貧乏学生旅行につぎ込んでいました。イタリアの南部は特にご飯がおいしかったのが印象的です。
でも、英語はほとんど話せません。パッションとボディーランゲージが相棒でした。景色を見たり、博物館に行ったり、まち歩きをしたり、人とコミュニケーションをとったりすることが好きです。
自己紹介は以上になります。私は多趣味なので、いろんなことに興味を持って楽しんでいる人間だと思います。またぜひ、面白そうなことがあれば教えてください。
これから、気を引き締めて勉強し、経験を積んでいきたいと思います!明るく働きます!どうぞよろしくお願いいたします。
𠮷田真子
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4/6。朝の7時頃に八重洲に到着した。流石に早すぎるので東京駅を眺めたり皇居に行ったり、近くのベンチで本を読んだり周辺の建築巡りをしたりして時間をつぶした。けれどよくない寒さが続いていたことと、先に疲れてしまっては意味がないとカフェに入ることにした。どこのカフェを覗いてもスーツを着たお客さんばかりで入ることを歓迎されていないようだったから、割と歩いて地下にあるスタバで外国人の観光客と混ざってほうじ茶の紅茶を飲みつつ、ジワジワと心を圧迫していた課題を終わらせた。東京を歩く人々の雰囲気が怖い。何故か私の居場所がこの地にはないことを強烈に感じた。
恵比寿駅で落ち合い、夏以来の友人と再会。東京都写真美術館に行き、深瀬昌久の展示を観た。写真を鑑賞することに慣れておらず、どこか浮ついた気持ちで眺めていたけれど、洋子の写真がどれも魅力的で気づけばじっくり鑑賞していた。家族写真を裸で撮ったりしていて変な家族だったけれど、様になっていた。
恵比寿駅に戻り、中目黒と代官山の蔦屋書店をはしごした。中目黒で「愛するということ」という本をお勧めされて購入。私が今、読まなければいけないと思った。代官山では写真集のコーナーに入り浸った。川内さんの「うたたね」が欲しくなったけれど、金銭的な理由と決定となる購買意欲がなく今回は見送った。マンガも映画も雑誌も絵本も充実していて、流石日本で一番大きな蔦屋書店だなと思った。かっこいい。友人2人目と合流。1人は大学との面談があるため一時帰宅。
電車に乗り渋谷へ。あまり好きではない街だった。とにかく人が多い。ルミナリエや梅田駅とは違う、ただ単に雑多とした人混みが好きではないことに気づいた。お好み焼きとビールを食らう。
下���沢に着き、パチンコを少し打ってから再度友人と合流。古着屋や本屋に寄ったり、たい焼きを食べたりしてから下駄を履いた友人の友人と出会い、みんなでミレーの枕子さんのライブへ行った。
枕子さんに出会った。やはりお顔が綺麗で、すとんとした細身の大人っぽいワンピースにアジア風のパンプスを履いていた。私には似合わない。何故か新芽で涙が出た。元恋人への些細な未練が感じられたからかもしれない。羨ましさと普通にこの曲が好きな気持ちが複雑に混ざる。目を何度か合わせてくれたことも嬉しい。少しだけ話したけれど、私のことは認知していないようで安心した。申し訳ないだなんて思わないけど、私は胸を張っていられる立場でもない。これからもただのファンとして目立たずにいようと思う。
みんなで沖縄料理を食べ、解散。メイクを直し、香水をつけ、電車で以前好きだった人の待つ上野へと向かった。上野についてからもお手洗いの時間をもらって汚いスマホカバーを外したり、髪に香水をつけたりした。他の人にならここまでしないだろう。好きだという感情ではなく、幻滅されるかもしれない要素を少しでもなくしたかったように思う。改札を出ると、木の下の煉瓦の花壇に座っているその人を見つけた。挨拶をした。背が高くて、大きくて、大人びた雰囲気の人だった。表情が読みにくい。
途中のコンビニでビールとアイスを買った。最近はビールが好きだから、サッポロ黒ラベルをお勧めされて買った。その人はお茶割りを買っていた。家に向かいながら開けて乾杯して飲む。何を話していたかは覚えていないけれど、途中に現れたこども図書館が怖くて良かった。
マンションについて家にあがらせてもらった。何度も見たことのある風景だった。想像していたよりもこぢんまりとしているように見えたのは、グランドピアノがあったせいだろう。男性の家にしては綺麗で、でも綺麗すぎないところが良かった。家賃は10万弱。
お酒を楽しみながら色んなことを話した。元恋人が待っていたように感じたこと、その人のことを思い出してネット弁慶なんて言葉を使っていたこと、新芽を最後に歌ったことなんかを報告した。報告してどうなるわけでもないけれど、その人が元恋人に対してどう思っているのか知りたかったのと、そんな話題を出すことで私が自分に対して牽制していたのかもしれない。自分のための目的を持った問いにいやらしさを感じた。聞きたいことは沢山あるんですけど、と言いながら看護学生としての生活はどうですか、と問われた。全然興味ないだろ、と思いつつ厳しいことを色々話す。元恋人も看護師であることを教えてもらった。職業で勝つことができなくて悔しい。音楽の話もした。gateballersを教えてもらった。きっと私は好きになると思う。音楽業界の薬物事情なんかを酒の肴にしていたら盛り上がりすぎてあっという間にお酒を飲み干してしまった。黒霧島と紅茶を割ったお酒を作ってくれた。お香も焚いてくれた。間接照明だけで明るさを保っている部屋だから、不自然な白さはなく、夜の自然な重みを感じる。換気扇の元にあるオレンジの四角いライトが味わい深い。私の目の前にいるのがあの頃すごく好きだった人だということにふと感動した。顔を見る。たしかにその顔だ。万人受けではないその造形ひとつひとつが彫刻のように綺麗だと思った。
ギターを弾いて、歌を歌ってほしいと頼まれ���から、その人が作った歌を歌った。コードのノートを見せるとストーカーじゃんと笑われた。コードが色々と違っていることに気づいた彼は、私にボールペンを渡してくれ、上から訂正をかけた。本当のコードを知っているのは私と元恋人くらいだろうか。私のノートをじっくりと読んで楽しそうにしていた。ランダムに開いたページの歌を歌ってもらおう、と言い出し、開いたところは「愛は花、君はその種子」だった。知らね〜と笑うけれど、歌い出したらそれって元々英語の歌だよね?と驚いていた。私の歌を聴きながらベランダに出て煙草を吸っている、時折弾いている私の写真を撮っていた。それが何故かすごく嬉しかった。私が歌っていると一緒に歌ってくれた。いつもより控えめな声で、だけど丁寧にビブラートを響かせていて、この人の歌が一番好きだったことを思い出した。一緒に歌えるなんて、以前自分が密かに抱いていた夢がこうして叶ったことが嬉しい。私たちの声は相性がいい。
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🍶ひとりではしご酒🍺 12月11日 滋賀のお酒 語りべの会 日本橋にある「ここ滋賀」さんで開催された『滋賀のお酒 語りべの会』でたっぷりとお酒を堪能させていただきました。 全ての蔵のお酒が置いてあるのは、アンテナショップならではです。 只今、地酒12種で300ml瓶1本、地酒20種で四合瓶1本、県内33蔵制覇すると四合瓶1本+酒蔵ノベルティがもらえるキャンペーンを行っているので、ぜひとも33蔵制覇してみようと思います。 facebookでは17時からと記載されていたので、17時すぎに「ここ滋賀」さんに到着するように早く仕事を終えてきたにもかかわらず、実際は19時スタート!その分たくさん日本酒呑むことが出来ましたね〜。「ここ滋賀」スタッフさん、イベントの開催時間は正しく掲載してくださいね。よろしくお願いします。 今回いただいた日本酒は、20種、大津市の #平井商店 さん「 #淺芽生 剣呑」、愛知郡愛荘町の #藤居本家 さん「 #旭日 しぼりたて生原酒 うまくち特別本醸造」、長浜市の #冨田酒造 さん「 #七本槍 純米搾りたて生原酒」はフルーティで飲みやすさNo1、甲賀市の #笑四季酒造さん「 #笑四季劇場 夢を見た魚」高島市の #池本酒造さん「大吟醸 #琵琶の長寿」、甲賀市の #瀬古酒造さん「特別純米酒 忍者」、甲賀市の #美冨久酒造さん「 美冨久 山廃仕込特別本醸造」は地元でしか飲めない銘柄でこんな感じの日本酒を作っているんだといった感じ、大津市の #波乃音酒造さん「 #ええとこどり 純米 超辛口 無濾過生原酒」、高島市の #川島酒造さん「 #松の花 にごり酒」、犬上郡豊郷町の #岡村本家さん「 #長寿金亀 青90 火入れ」、���近江市の #喜多酒造さん「 #喜楽長 辛口純米酒」甲賀市の #西田酒造さん「 #酔小町」、甲賀市の #藤本酒造さん「 #神開 水酛零号」は水酛なのにほとんど酸味が感じられない飲みやすさ、湖南市の #北島酒造さん「大吟醸 #御代榮」、東近江市の #畑酒造さん「生もと 山田錦純米 火入れ #大治郎」、草津市の #太田酒造さん「極辛口 道灌」。 (ここ滋賀) https://www.instagram.com/p/CIsuxHfAZlo/?igshid=jvor546yz9d7
#平井商店#淺芽生#藤居本家#旭日#冨田酒造#七本槍#笑四季酒造さん#笑四季劇場#池本酒造さん#琵琶の長寿#瀬古酒造さん#美冨久酒造さん#波乃音酒造さん#ええとこどり#川島酒造さん#松の花#岡村本家さん#長寿金亀#喜多酒造さん#喜楽長#西田酒造さん#酔小町#藤本酒造さん#神開#北島酒造さん#御代榮#畑酒造さん#大治郎#太田酒造さん
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日本は奴隷が存在しなかった稀有の国
加瀬英明
日本は世界の国々のなかで、奴隷が存在しなかった、珍しい国だ。
ところが、日本国憲法第3章「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」 の第18条は、「『奴隷的拘束及び苦役からの自由』何人もいかなる奴隷 的拘束も受けない」とうたっている。
現行憲法は米国人によって書かれたものだったが、米国は日本国憲法を公 布した81年前に、憲法を修正して奴隷制度を廃止したばかりだった。
この文言は、米国憲法にふさわしかった。日本について無知だったか ら、日本にも奴隷が存在したと思い込んでいたのだった。
今日の日本語は、古代の「大和言葉(やまとことば)」、中国から借用し た「漢語」、幕末の開港と明治以後に津浪(つなみ)のように押し寄せた 「西洋語」による、三重構造になっている。
日本は太古の昔から、「常世(とこよ)の国(こく)」といって、遠い海原 の彼方にある理想の国があって、よいものがもたらされると信じて、海外 から文物を積極的に取り入れては、日本に心情に合うようにつくり変え て、摂取してきた。「民」という漢字は中国から入ってきたが、『角川漢 字中辞典』でひくと、もとの字形が「把手(とって)のある錐(きり)の字」 と説明され、小学館『新選漢和辞典』によると、「奴隷の目を針でさして めくらにした形である」と解説されている。
日本と米国、日本と中国も、まったく異なっている国だ。
日本においては、歴代の天皇によって民(たみ)は古代から「大御宝(おお みたから)」「みたみ」「おおむたから」「おおんだから」と呼ばれてきた。
ちなみに「中華人民共和国」の「人民」は日本語であり、明治に入って から中国語の民」「生民」が近代にふさわしくないことから、日本語から 借りたものだ。北朝鮮の「朝鮮民主主義人民共和国」も同じことで、日韓 併合まで朝鮮半島には 「奴婢(ぬび)」と呼ばれる奴隷がいた
コロナの感染がひと休みして、夜の街の賑わいが戻っている。小料理屋 に寄ると「これはサービスです」といって、小皿か小鉢に盛られた酒菜 (さかな)がでてくる。
「あの店��サービスがよい」とか「サービスが悪い」という。都市化が進 んで郷里が遠くなったために、テレビで“墓参り代行サービス”が繁盛して いるのが取りあげられていた。
「サービス」という英語がすっか��日本語になって、日常使われてい る。だが、「サービス」というヨーロッパ諸語の言葉の出自が、奴隷から 発していることを知らない
ヨーロッパ諸語のもとは、古代ローマ帝国の国語だったラテン語である が、英語圏でもっとも権威がある『ウェブスター英語大辞典』によれば、 サービスの語源はラテン語の「セルヴィティアムservitium」であって、 「奴隷の肉体、奴隷の状 態」を意味している。
日本の学校歴史教科書では、民主主義が古代ギリシアのアテネから始 まったと教えているが、アテネの経済は売り買いされ、生命の保障がない 奴隷によって支えられていたとうてい民主主義とは呼べない。
奴隷制度が存在した国は、心がない国だ。
日本の憲法は日本の心にふさわしいものに、しなければならない。外国 人が書いた憲法は、日本人の心を荒んだものにしている。
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思い出の場所。
私がこの土地に住む事になってから、海の側にあるレストランバー「黒船屋」にお世話になった。
もちろん、最初は、食べものや、飲み物を作ったり、運ぶ、回収するお仕事メイン。
たくさん色々な仕事を経験してきた割には、食べ物を運ぶのは好きだけど、食べた後の汚いお皿を処理するのが、今でも好きになれないんです笑。
かと言って、綺麗に食べてらっしゃるお皿は問題ないんですが笑。
店主の慶造さんが、そうだからってのもあったけど笑、お店もガサツだし、ちっともコギレイでもなかったけれど、そういう学びもする為にいさせてもらっていたのかなぁ、、とも思います笑。
けど、音楽の事はよく勉強されいて、ジャズの事、知らない事も色々教えてもらって。そんな日常の毎日の側には、古めかしい店内の窓の外に、いつも海があって、ちょっとした自慢のバイト先でした。
春は、横の広場の緑のツタがキラキラ眩しくて、夏は海と空気のキラキラ感が夕方から夜までも心地よくて、秋は暮れゆく夕日が綺麗で、冬はめっちゃくちゃ寒くて笑。
黒船屋で過ごす季節は、どの季節も思い出ばかり。
余談、ジャックダニエルのイメージキャラもさせて頂いた事もあったんですよ、ここ撮影で。もちろん、ローカル雑誌で挿せて頂く程度ですけどw。
高松でマンスリーDJイベントRICA'XJAZZをはじめたのも、ここだったし、そこから、この土地でのDJの基盤も出来上がってきたし、イベントを応援して下さる方々が増えてきて、グッズやステッカー作ったりして。
そのイベントを立ち上げて、ちょっとしてから、生活を心機一転させていきたい気持ちもあって、RICA'X JAZZのロゴをデザイナーの"吉永祐介さん"に飛び込��状態でメールで連絡して、たくさんのイメージを伝えて、作ってもらいましたね。今思うと、お会いしてもいないのに、よく頼んだなと思うし、心よく引き受けて下さった事、今でも感謝が持続しています。知り合いが繋がっているっていう事はあったけど、本当にありがたく、今もロゴデザイン使わせて頂いています。
そして、ライブハウスとしても活躍して、たくさんのアーティストさんやDJさんと仲良くさせて頂きましたね。ライブ後には、カウンターでみんなと一緒に飲み交わして楽しかったー。
私が得に力を入れていたのはカルメラで、この土地に住む事になってから、はじめて、イベントゲストで呼ばせて頂いた繋がりもあり、のち、香川出身のメンバー、あっちゃんが「カルメラワンマンでやりたい」って言った事があって、その夢を実現させてあげたいなと。それには、この場所がよいと思って慶造さんにお願いして、定期的にやってもらう事になって。結果、ライブの度、お客様が鮨詰め状態で、ニクイ恩返ししてくれるなといつも思っていました笑。
それからTRI4THも呼ばせて頂いたり、あの人たちの熱い想いとか共感出来て、ほんと今も仲良くさせて頂き感謝してます。それで思い出したのは、瀬戸内音楽界という不定期な野外フェスを慶造さん主体でされていて、ある時、不意に「やろう!」といいはじめたので、私の近しいアーティストさん、カルメラ、TRI4TH、double nobu brothersに、香川中心で活躍されているアーティストさん&DJで出演したものの、天候が悪くて(慶造さんは雨男か嵐男なのでw)、みんなほんと大変だったなぁと。特に楽器心配で。打ち上げ終わると、天候が更に悪化して嵐!どこにも出れず、TRI4THの3人さん達と朝まで飲んでいたけど、あの嵐の彼らのミーティングの熱量は今でも良い思い出です。この人たちに会えて良かったなぁ。と今でも思いますね。
慶造さんがお店を後にしてから、私も同じタイミングで離れる事になり、たくさんの私の願いを叶えてくれた黒船屋は、のちに引き継いでくれた方々に願いを託し、叶う事もあったり、応援もしていたんだけど、最近になって今度はまた新しい場所になる事を風の噂で聞いて(パン屋)何か懐かしくて、色々な思い出が思い出されてきて、文章に残しておきたいと思いました。
お店にいた時、慶造さんから、引き継いだ人とのご縁だったり、自らが発信したり、引き寄せたりする事で繋がったご縁。そのご縁は色々な人に繋ぐ事も出来た場所だったし、最高に大好きな場所。私の好きなアーティストと黒船屋で、一緒にプレイ出来た事は、とても素敵な宝物だ。
そう、私の人生の転機のひとつであった場所。音楽、人、酒。まぁ、私の転機の場所はそういうところしかないけど笑。
今思えば、宝箱みたいだったな。
色々な事をよく忘れるタイプだけど、いつまでも、あの日たちのどの思い出も消えないなぁ。
改めて
ありがとう黒船屋⚓️✨
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顔のない
私には顔がない。顔がない人は人を愛することができない。顔というのはいわばアイデンティティで、それを欠いていては人に対する自分の感情に絶対の確信を持てない。揺蕩っている。故に私には愛するべき人がわからなかった。
顔がない私をまともに雇ってくれる企業などそうなく、私はただ5体満足であれば使ってくれるような日雇いを斡旋所に紹介してもらい転々と現場を渡り歩いて暮らしていた。肉体労働ばかりできついこともあったが、私が大きなマスクをすっぽり被りっぱなしで働いてもこういう職場の上司や同僚は一切干渉してこなかった。そんなある日、イベント会場のセッティングの現場で斗瀬さんと私は知り合った。
斗瀬さんは顔がない私を面白がった。
「面白いな!顔のない人間なんて、あんたの親もそんななのか?」
「いえ、私の両親も妹も普通の顔を持っています」
私は無愛想に答えた。
「突然変異ってやつか」
私は首をかしげた。かしげて、斗瀬さんにはかしげた様子がわからないことに気づいたけどどうでもよかった。
「食事はできんの���?」
「できます。普通に物を口に入れて噛んで、飲み込めます」
私はない顔の口元を指差した。私の顔は物理的に「ない」のではなくて、どうやら私含め人間には視認できない性質のもののようだ。その証拠に、他人からも触れる上、目も鼻も耳も口もあってしっかり機能しているし、呼吸も摂食も発声も発汗も泣くことも人並みにできる。しかし「ない」顔は、汗や涙よりも透明だ。
「そうか、じゃあ今日現場終わったら斡旋所で待っててくれ。俺がメシ奢ったる」
なにが「そうか」なのかわからなかった私は焦ってとっさに頷いた。しかし私の顔が見えない斗瀬さんは私が頷いたのに気づかなくて私の胸のあたりをじっと見たまま硬直していた。そしてそれに気づいた私は手でオッケーサインを出した。たまに現場で会うから断るのも気まずいし、とりあえず今回は付き合おう。斗瀬さんは「じゃ」と言って手を振りながら向こうへスキップしていった。
「愉快な人だな」と私は思った。
斗瀬さんは私より30分遅く仕事から上がり、18時過ぎに待ち合わせ場所の斡旋所にやってきた。いつの間にか外は雨だった。私は傘を忘れてきたので、斗瀬さんの傘に2人で入って歩く。アスファルトを打つ雨の匂いと、少しがに股で歩く斗瀬さんの着古したジャケットのつんとした匂いが混じってなんだか頭がふわふわする。世界の輪郭が少し、私好みに崩れた気がした。
雨は好きだ、雑踏を行き交う人々は傘で顔が隠れ匿名性が普段より増して、顔がない私でも少しだけ気後れせず街を歩くことができる。それから雨の日は人々の感情も静かで心地がいい。
「あ、あそこだよ。定食屋でもいいか?そういえば酒は飲める?」
「大丈夫です」
斗瀬さんに連れてこられたそこは駅前の商店街の「お多福」という老舗の定食屋だった。
私がなんでも食べれますよ、と伝えると、斗瀬さんはビールの大瓶��枝豆とたこわさともつ煮と鯛のかぶと煮をすらすらと注文した。
「とりあえず飲もか、ほれ」
斗瀬さんは私にコップを渡してお酌してくれた。私もお返しに斗瀬さんのコップにビールを注ぎ、乾杯して飲み干す。
「口が見えないからビールが消えたように見えて不思議だな、ああ、こういうのはデリカシーなかったな、すまん」
「いえ、大丈夫です」
私は斗瀬さんに顔がないことについて関心を持たれるのはなぜか嫌じゃなかった。他の人に突っ込まれるとああまたか、めんどくさいなあっていつもうんざりするのだけど。
「そういえば名前はなんて言うの?」
尋ねられて、名前を言ってなかったことに私も今更気がついた。
「佃 岬」
「佃って佃煮の?漢字で書くと苗字と名前のバランスが綺麗だな」
私たちは大瓶2本を空けて、シメに差し掛かっていた。私はにゅうめんで斗瀬さんはきざみうどん。斗瀬さんはあまり酒に強くないらしくて、もう赤ら顔で虚な眼をしている。
「そういえば、顔のない人は岬ちゃん以外にはいないの?」
「さあ…見たことないですね、ネットで調べても出てこないし、ただ、母によるといざってときは行政の支援も受けられるそうです。私は、あまり顔がないことに甘んじたくないのでわざとそういうのは調べないようして、一人でこういう生活をすることにしたんです。つまらない意地かもしれないけど」
「いや、つまらなくなんかない、やれるとこまでやってみようってことだよな。気に入った」
私は斗瀬さんがあまり深掘りしてこないところが好きだな、と思った。
「俺も実は産まれっていうか…家庭に反目して飛び出してきたクチでさ、そういうところ身につまされるな、まあ、一緒にすんなって思うかもしれないけど」
「そんな、とんでもない、そうだったんですね」
「少しだけ長いしつまらない身の上話になるけど俺はさ、6っつの時に母が家から出て行ってそんで12の時に父が再婚した継母に育てられてさ、そんでその継母には俺より小さい連れ子が2人いてとにかく彼女に可愛がられなかったんだよ。俺だけめし抜きとかざらだった。しかも親父は見て見ぬ振りさ、でもあのときは俺自身も仕方ないなって思ってた。それどころか、悪いのは自分だと思い込むところまできてしまってた」
独立する前の私に似ている。あの頃の私は私だけが周りと違うという理不尽をいつからか受け入れ、卑しく従ってしまっていた。そしてそれは自然なことで、どれだけ歪でも置かれた環境に適応するように生き物やその心はデザインされているのだ。でもだんだんと成長した私は、そんな摂理に抗いたくて、顔がないお前に居場所なんかない、一人で暮らせるわけないとひき止めてくる親に反発して家を飛び出してきたのだ。別にそんなことで自由が得られると信じていたわけでも、特に決定的な出来事があったわけじゃない、ただ、漠然とした不安だとかモヤモヤした気持ち���そんな灰色のものが私の中にごちゃごちゃに蓄積してついに爆発した、そんな感じ。
「親父の実家は酒造をやっていた。そしてもちろん長男の俺に継がせる気でいたんだ。親父の願い通りに高校生になった俺は学校の合間に酒蔵で働き出したよ。俺も親父は好きだったし、このまま地元で骨を埋める気でいた。でもそれは俺が18の時のときだった。継母がずっと浮気をしていたことが継母の妊娠で解ったんだ。そしてあろうことか相手は俺と殆ど歳の違わないうちの酒蔵の若い従業員だった。俺や俺の義弟ともいつも仲良くしてたやつさ。でもそれを知っても親父は何も言わなかった。先妻に捨てられたあげく、再婚した妻にも不貞を働かれたのを村の人たちに知られるとなるとたちまち嘲笑の的だ、そして恥さらしになって、この先商売を続ける上でそれは不利になると判断したからだ。おそらく継母はそこまで計算に入れていた。女っていうのは心底恐ろしいものだね。結局親父は継母も密通の相手も責めずに、家の中だけの問題に収め、なかったことにした。そしてそういったことを目の当たりにして俺の中で何かが壊れたんだ。このままここにいてはおかしくなってしまうっぞって。そのことを実感してはじめてさ、いままで頭の隅にやってた怒りっていうか、言いようのない衝動が湧いて黙って村をおん出てきた。全く情けない話さ。それから30年間ほど日雇とかアルバイトで食い繋いでこのザマってわけ」
はじめてだ、
「私たち、はぐれものどうしですね」
斗瀬さんと私は、
「はは、そうだな」
同じように…
「岬ちゃんは、俺より多分若いだろうし自分さえ大事にできればこの先いろいろ楽しいことがあるよ」
「私今年で24です」
初めて自然に他人に私の年齢を知ってほしいと思った。顔がない女の年齢なんて男にとってはほとんど意味がないのに、あぁ、身体はどうだろう、私の身体の成長は18歳くらいでぴたと止まってしまっている。しかしそれは一般的にそういう人もいるのか、それとも顔がない人間特有のものなのかはどちらのもサンプルがないのでわからなかった。
外に出ると雨は止んでいた。私は斗瀬さんにきゅっと腕組みをした。斗瀬さんの身体は見かけよりがっしりしていて、火照っていて暖かい。
そしてそのままどちらから誘うでもなく、ホテルに入った。好きな人の前では顔がなくてよかったなと思う、これは初めて見つけた感情だ。私に顔があったら、照れて初めてデートする男に腕なんて組めなかっただろうから。
それと顔がないから、私に覆い被さって動く斗瀬さんの感じている顔を照れずにはっきりと見られる。
斗瀬さんのこめかみ、脂でつやがかって白髪が混じっている。
皺の多い唇。
豊かなまつ毛。
悩ましい表情。
まばらに生えた胸毛。
胸のしみ。
斗瀬さんの全てが、透明な私のなかへそそがれていく。
斗瀬さんには私の顔はどう映っているの。
やがて斗瀬さんは果て、私を優しく抱きしめる。私は斗瀬さんの汗ばんだ首筋に、キスをする。
「意外だな、失礼だけど、岬ちゃんは初めてだと思ってた」
「男は顔がなくても気にしない人が意外にいるんだなって独立してから気付きました」
「まぁ、そんなもんかもな」
今まで付き合った数人の男たちは、顔がない私とセックスするのに特別な興奮を覚えているだけの変態ばかりだった。私はそれにどうしても気づいてしまうのでいつもすぐ冷めてしまい、身の上話なんて彼らにはほとんどしなかった。けれど斗瀬さんは違う。私は斗瀬さんのことを知りたいし、斗瀬さんにも私のことを知ってほしい。斗瀬さんにこれからの私を見てほしい。
私は今初めて、恋をしている。
それから私たちはたびたびデートするようになった、告白は斗瀬さんからだった。
「岬ちゃん、こんなんでよければ付き合ってくれませんか」
いつもの斡旋所の帰り道、私はオッケーサインで快諾した。
それから5ヶ月が経った。
その日、斗瀬さんはおでん屋でいつものように杯を重ねて赤ら顔になっていた。
そして、やにはにこんな話を切り出した。
「昨日の夜、むこうの俺の義弟から連絡があってさ、おやじが倒れたらしいんだ」
「えっ」
「末期の膵臓がんでね、もう長くないみたいなんだ…」
斗瀬さんの表情はいつものように口角を微かに上げた笑顔だったけれど、その変わらなさが反対に動揺を隠しているように見えた。
「それでこんなこと岬に頼むのも不躾だと思うんだけど、一緒におやじに会いに行ってくれないか」
「はあ…」
唐突なお願いに私はおずおずと返したが、正直なところ嬉しかった。私には顔がないけど斗瀬さんがいる。もう何も、怖くない。
「なんていうかさ…」
斗瀬さんはそう呟きながら首を傾げて右のこめかみをぽりぽりと掻く。私は斗瀬さんが決まりが悪い時にするおやじくさいこのしぐさが可愛くて好きだった。
「ほんっと勝手な話なんだけど正直に言うと、俺にとって岬は欠けていた一部みたいなもので、それを見つけた俺を、岬を死ぬ前に親父に見せたいっていうか…」
「なるほど」
それから私たちは無言になった、そして無言のまま2人で大瓶を一本空けた。それから私はもう一本注文した。
「いいですよ、その代わり条件がある」
「うん?」
聞きながら斗瀬さんは私に酌をする。
「私を婚約者としてお父さんに紹介して」
その言葉を言った瞬間、私の世界の全ての音が遠くなった。せっせと歩き回る店員も、向こうで宴会���しているサラリーマンたちも、みんなスローモーションになり、そして、ぼやけた私の世界に、今向かい合っている斗瀬さんだけが鮮烈に存在していた。斗瀬さんだけが、私を見ていた。
太腿がじんわりと冷たかった。石のように固まった斗瀬さんの持つ瓶から注がれぱなしになっているビールがコップから溢れて、テーブルを伝い私の脚を��らしている。斗瀬さんは瓶を置き、私の透明な頬を流星のように流れ落ちていく涙をぴんと伸ばした震える人差し指で不器用にそっと拭う。
「岬は泣くと、顔の形が少しわかるね」
斗瀬さんのお父さんは私たちが様子を見に行ってから53日で亡くなってしまった。
実は継母とは15年前から別居かつ絶縁状態で、たまに斗瀬さんの義弟が様子を見にくる以外はほとんどお父さんは一人で過ごしていたらしい。酒造は経営不振からとっくに廃業しており、商売を畳む時に抱えていた負債は、実家とは離れた酒蔵の土地を開業医に売却することによって賄っていた。そんなもろもろを、これまで一切実家に連絡を入れなかった斗瀬さんは30年ぶりにお父さんに会って初めて知ったのだった。
斗瀬さんとお父さんは毎日これまでの時間を取り戻すように睦まじく、たくさん話した。斗瀬さんはお父さんの実家の土地を継ぐこととなった。
そしてしばらくして、斗瀬さんの実家には籍を入れた私と斗瀬さんとで住むことになった。
私は村の郵便局の窓口でアルバイトをした。斗瀬さんは林業に従事した。
村の人たちは、印象とは違い都会の人より顔がない私に偏見を抱かず、むしろフラットに接してくれた。そしてなにより嬉しかったのは、みんな斗瀬さんが帰ってきたのを懐かしんでいるようだったことだ。その暖かさの理由には、家の事情をみんな知っていたので同情によるものもあったのかもしれない。
郵便局の横に住んでいる私の職場の先輩の日野さんの奥さんなんかは、頻繁に家に野菜をダンボールいっぱいに詰めて持ってきてくれた。私は日野さんの奥さんともすぐに打ち解け、仲良くやれた。
「岬ちゃんって寝る前ちゃんとフェイスケアしてる?顔がなくて関係がなくても、女でいるためにそういうのやっておいたほうがいいわよ?」
「女でいるために」
「そう、女でいるためにね」
私は日野さんの奥さんと軽口を叩くのが心地よかった。あっちにいた頃は、同性ともこんなに仲良くなったことはなかった。これは都会がどうとかではなく、斗瀬さんが私を見つけてくれて、2人で私たちの居場所を作ったから得られたものだ。私は村の人たちと関わるたびに、斗瀬さんと出会うことができてほんとによかったなあとしみじみ思う。
斗瀬さんの義弟たちとその家族とも私たちはうまくやれた。むしろ、ある種の蟠りがあったぶん、深い仲になれたふしもある。
斗瀬さんと私は、ゆっくりとした時間をこの村でたくさんの想いを与えたり与えられたりしながら生きた。
「親父は、最後嬉しそうだったよ」
不意に斗瀬さんは夕食の煮っ転がしをつつきながら呟いた。
縁側から秋の冷たくて寂しい風が吹き込んでくる。
身体が冷えるから、私は少しだけ開いていたガラス戸をゆっくりと閉めた。
「親父も俺と一緒で、自分の空っぽを埋めようって思いながら足掻いて生きていたのがな、俺と岬がこっちに来た時の親父と同じくらいの、この歳になってわかってなあ。そしてそれに気づかせてくれたのは岬、君なんだ。本当に感謝しているよ」
斗瀬さんの頭はもう真っ白で、頬もこけ、身体の殆どが亡くなる前のお父さんと瓜二つになっていた。
「そんな、私こそ斗瀬さんに見つけてもらえなかったら今ごろどうしてるか想像もできないよ。こちらこそ、ありがとう」
私は想いを噛み締めながら斗瀬さんに伝えた。透明な私の中にある、しっかりとした、色彩豊かな想いを。けれど、それはうまく言葉にできなかった。
私は斗瀬さんを背後からぎゅっと抱きしめた。斗瀬さんの身体は、あの日2人で傘の下で身体を寄せ合った時と違って、薄くて頼りなくてひんやりとしていた。しばらくそうしていると、じんわり目頭が熱くなってきた。
斗瀬さんは私の頭を撫でて、私の涙に応えるようにはかない声でうんうん、と微笑を浮かべて呟くと、寝室へとぼとぼと歩いて行った。この頃斗瀬さんは21時にはもう寝てしまう。斗瀬さんはごはんもお菜も殆ど残していた。私は食べ残しにラップをかけ、冷蔵庫に入れた。私の身体は斗瀬さんに会った時とまるで変わらない、顔がない私は老けないのだ。たぶん、脳も若いままなのだろう。冷蔵庫の前で立ち尽くしてそんなことを考えていると、たくさんの涙が、わたしからあふれてきた。
斗瀬さんが死んだのは3月の晴れた暖かい日だった。病室の窓の外では、山桜が風にふわふわと揺れていた。
葬儀には村のみんなが来てくれた。
これから大変だねえ、なんかあったら家にいつでも相談に来なよ、助けになるから。とみんな優しく私に声をかけてくれた。
とても心強かった。この村に来てよかったと私は心底思った。
私は今年で150歳になる。斗瀬さんも斗瀬さんの義弟もとっくに死んでしまい、今は斗瀬さんの義弟の兄のほうの曽孫のさらに孫夫婦とその娘さん(つまり斗瀬さんの…何になるんだろう……)や村のみんな(もうはじめ来た時とは何世代も変わってしまった)と相変わらず仲良くやっている。やはりどうやら私は顔のある人より寿命が長いらしい、もしかしたら不老不死なのかも知れない。
斗瀬さんがいなくなってから私自身について気付いたことがある。
それは、もしかしたら私のような(ほかにいるのかまだ見たことないけれど私は私と同じような人が何処かにいると信じている。特に根拠はないけれど)顔のない人は顔のある人の想いを保存する役目を負っているのかもしれないということ。私は、斗瀬さんの、斗瀬さんのお父さんの、継母さんの、義弟さんたちの、そしてこれから出会ういろいろな人の想いを、透明のなかにこぼさないように注いで行く。私は斗瀬さんや、斗瀬さんとこの村に来た時に知り合った人たちがくれた想いを今でも鮮明に思い出すことができる。そこにはたしかに戸惑いや、悲しみもあったけれど、どれも宝石のように美しく輝いている。そしてそんな人の想いが在る限り、顔のない私は歩き続けるだろう。
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旧 酒 蔵
京都の日本酒紀行に思いを馳せながら うまい日本酒を舌の上に滴らすと 至福の扉が開くこと間違いなし 昼酒はなんと背徳の味であろう さて レンガ造の古い倉庫 自宅から自転車で5分ほどのところ 京都は自転車移動がとても便利でよろしい 倉庫隣の酒屋さんで一献傾けながら 倉庫について しれっとリサーチ 旧 松本酒造 の 酒蔵跡地 とのこと へ��ー 知らなんだ 言われてみればなるほど 松本酒造 の ”守破離” は 好きで嗜むことが多い 嗜む程度で
昔々戦時中に京都の酒蔵は洛中から洛外へ 移動したという話を思い出した 洛外という上から目線な言い方は 京都では歴史上通常である
東山 川端塩小路 から伏見に抜ける道で 「師団街道」という道が縦に走っており
「陸軍第16師団の設置に伴い 明治44年(1911年)に京都市街から 師団司令部に至る国道として指定」
京都の古い人は知っている話かもしれないが この陸軍が伏見にあることで 洛中の酒蔵も合わせて伏見に移動した というのである
軍人さんはお酒をよく飲むのかどうか分からないけれど そっちの方が需要があったり軍部もお酒を調達しやすいとか そんな理由だった気がする
その頃 洛中から伏見への道はまだ整備されておらず 高瀬川かもしくはこの師団街道がメインだった様だ
伏見は水がいい なんていうけれど 京都市内の洛中も柔らかな井戸水が出る
そんな訳で洛中には時々酒蔵跡が残っている その一つが今回の”松本酒造”跡地
有名処でいえば いま 苦境に立たされているライブハウス 「拾得」 「磔磔」 も 元酒蔵を使っている
師団街道が伏見の国道24号線にぶつかる手前に 今は無き伏見DX があったり 遊郭跡地があったり と 複雑な気持ちで歴史に思いを馳せるのである
あぁ 気づけばもう五月ではないの
2020/05/02 sat
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お酒に酔わない最新グッズ
日本人は白人・黒人と比べるとあまり酒に強くありません。 (北島紀世実様) 酒と水を交互に飲むのは十分効果があります。 (福田世弥様) 上司や先輩からアドバイスを受けました。 (岩瀬繁造様) 日常的にアルコールが入っていると変化することになります。 (遠藤洋昌様) バランスの良い食事を心がけることで解決できます。 (石山彦好様) シトクロムは有害物質を分解したり無害化します。 (奥野光範様) 酒についての疑問や不安を専門家に聞いてみます。 (菅原軍市様) 少しでもいいので飲む前にお腹に何かを入れます。 (江口利次様) この分解能力が酒の強さと関連するのです。 (町田常一様) 酒に強い遺伝子と弱い遺伝子の両方を持っている人は飲めば改善します。 (藤川僧三郎様) 便秘になると肝臓に負担がかかるため食物繊維も必要です。 (小林幸郎様) 酒飲みの疑問について検証していきます。 (馬場利人様) なぜ酒に強くなりたいのか目的を明確にする必要があります。(西沢和帰子様) 酒を飲むと水分が不足しがちなので、水分補給も重要です。 (加藤杏子様) こうすると二日酔いしにくくなります。 (古谷譲介様) 理論上は胃の排出機能を抑える働きがあるため飲めないのですが、現実は違います。 (谷川知実様) どうすれば酒をやめずに健康を維持できるのか、その答えがここにあります。 (沢田信様) 悪酔いの悪循環には注意する必要があります。 (臼井記代様) 結果として胃の排出機能が高まって飲めるようになります。 (今村境二様) アルコールは飲むと低血糖・脱水症状になり頭痛を引き起こしがちです。 (吉岡隆昭様)
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左京ワンダーコラム039
左京にまつわるエトセトラ.38 はなさかたみお 『左京区民』
左京区に住んでいると人種の違いを感じることがある。人種と云っても、地元民と移民の違いである。
ネイティブ左京と表現したらいいのだろうか、左京区生まれ、左京区育ちの人と話したときに温度差を感じるのだ。
左京区でヒッピーみたいなことをしている人たちはだいたい進学や就職で移住してきた人である。目立って何かをしている人は圧倒的にこちらが多い。
ネイティブと移民ーーあまり触れられていないことだが、今回はその辺をちょっと考えてみたい。
左京区には大学や専門学校など学ぶ場が多い。大学だと京都���学、京都工芸繊維大学、府立大学、京都精華大学、京都造形大学、ノートルダム女子大学があり、上京区だが近い距離に同志社大学もあったり、京都産業大学や大谷大学の下宿生も住んでいる。また、IT系や、外語系の専門学校もある。
左京区の大半が学生街的な雰囲気なのはこのせいだが、進学を機に左京区に来て、そのまま居着いてしまったような人たちの堆積が左京区の特異さの一因になっている。
絶えることのない地域出身者による異文化の流入、学生向け居酒屋や喫茶店など大学の延長的環境、大学自治を通過した左翼的自由観やDIYの精神、大量のインテリゲンチャが市井で暮らすことで築かれた大衆的アカデミズムーーそうしたものが左京区を醸している。
他方、地元ネイティブな人たちは、おとなしい。仕事観や生活観、結婚観などはとても安定している。“隣人に変わった人がいる”という認識を持っている以外は、そんなに京都人的価値観から離れていない。商いをするにしても無謀なことはしないし、大学進学も自宅から通える中堅大学が多い。アホな痴性を持たず、一般的な感覚で日常を過ごしている。愛聴している音楽も無難なものが多かったりする。そして、地元民がどこでもそうであるように学区に詳しく、学区への想いを抱いている。
しかし、街中の人のようなアグレッシブさはない。むしろ淡白でさえある。
左京区で生活していると、この二つの人種が交わるような場所が少ないことに気づく。目立っている場所はだいたい移民の巣窟である。そういう場所へは地元民は来ないし、逆に言えば、移民には地元民がたむろするような場所がわからない。
ふつうであれば、地元ネイティブがメインの居酒屋ゾーンやスナック街があるものだが、左京区にはほとんどない。あっても単発である。
上京区や下京区なら祖父~孫まで三代続けてお世話になったという飲み屋がいくつか存在するが、左京区でそんな話を聞いたことがないし、地元の人々に支えられて、という感じの店も不思議なほどない。店も客も一代限りというのが多い。若い店がそのまま歳を重ねて終わっている。
これについての私見だが、左京区そのものの新しさと関係があるように思う。
上京区や中京区、下京区は御所や城があったり、大きな寺社があったり、それらに付随する商売があったりという歴史の深さと煮詰まる必然性があって、濃い街になっている。
それに対し左京区は明治以降に農地から、大学と住宅の街として開発された新興の行政区である。左京区の中でも古い地域には農村文化が残るが、“街”としての文化の形成は新しい。それ故、地元民の核になるようなものがなく、地元文化が“ない”のである。
京都では珍しい“歴史の浅さ”が、絶えず新しいものが入ってくるという状況やアカデミズムや芸術へのアプローチなどと相まって、京都人の保守性に染まらない革新的な気風を生み出していると思う。
そんなんで、左京区民は京都でも異質なんですよ。 ◆はなさかたみお 敷居は低いがハードルの高い店『失われた時間と百年の孤独』を経営。1977年生まれ。オススメの左京イベントは、松ヶ崎涌泉寺の日本最古の盆踊りと八瀬の奇祭 赦免地踊り。あと、岡崎の江州音頭フェスティバル。Let’s 音頭 again!
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小さな喫茶店
https://www.youtube.com/watch?v=8mOu9kAgf0I
https://www.youtube.com/watch?v=has1KjbVeU0 “喫茶店”、KISATEN 一辭大約在五十多年前出現在台灣,發源地的
日本早於明治末期, 到了1920年代更成了一時風尚。為什麼稱做
“喫茶店”?在日本的抹茶風習裡面,往往使用了一個中國趙州禪師語錄
中的 “喫茶去”字句以表風雅;猜想就這麼來的。
這另有一個名詞就是 “純喫茶”;這幾個字首先進入耳際,是來自正值
青春年華的表姊。日治時代 coffee shop 的流風遺韻,似乎已經日有
更新,也同時傳入了台灣。在日本早年,不提供酒類,而只有 咖啡、
茶,和一般飲料,雖然沒有酒類,卻有女侍作陪;這當然是搜尋
���果。大約就是等同台灣早年相當風行,燈光黑暗,剛進入伸手
不見五指,有女服務生坐枱的咖啡廳:南國佳麗、北國妖姬 -這是
門口的招牌。
據個人在慘綠少年時代的 經驗 ,第一次進入 “純喫茶” 記得是在
中正路,現在的忠孝西路,上到所在的二樓,只見昏暗的燈光中,
一座座擺在茶几後面的雙人沙發,躺滿了對對交纏的海獅。記得
當時年紀小 https://www.youtube.com/watch?v=KZsLLOUglTo ,
未經世事,不明就裡,所以趕緊小跑步跑路下樓。現在想起來,這些
雌雄海獅們也都已經 80好幾了。
在 “純喫茶”、Kisaten,年輕男女交往、生意人談生意、黑道喬事 . . .;
早年有名稱取自法國作曲家 拉威爾 的名曲 BOLERO ,大稻埕
的 “波麗露”。提供當時不多的 hi-end 音響,讓客人聆賞古典音樂。
不過在日本這類付有餐點供應的稱做 Cafe。這裡也是當年我輩家長
介紹子女相親的重要地點。幾年前去過一次 波麗露。後代前來自我
介紹;老實說,整個店已經走樣,女二代目的談吐很不怎麼樣,甚至
顯得粗俗。一眼看去的顧客,看不到青春也聽不到文雅,更談不上
古典。
從第一代老闆所做整體的呈現來看,受過日本教育,台灣老輩仕紳
世代的教養、儀態,早已隨著時代洪流,一去不返,相當失望。 相同的樣態也發生在台中的 太陽堂。上成功嶺時所見的 太陽堂,
曾經是如此和風高檔,甚久之後的幾年前,在網路所見的報導,
已經是相當破敗。這和生意之如何無關,而是由 “整理、整頓”
而來的美好、浪漫已經失去;文化思維已經不同。
當兵剛退伍,同學在南京東路一段頭開了一家 “金咖啡”。應該是
第一家咖啡廳擺上 Grand Piano,有鋼琴演奏,風行一時。不久,
在對面又開了一家 “金琴”,這次的噱頭更不得了,整部鋼琴鍍金。
同學以 Benz 為座駕,有司機案內,真是志得意滿,意氣風發;
年紀大約也就二十三四。這位老兄為人四海,他的家是當時當紅的
電視影星聚居處。時而去湊熱鬧,有次碰到剛出道不久的 余天;
全身有毛,既不會毛茸茸,多如黑熊,也不會毛髮稀疏如同紅
毛猩猩,實在很帥。有次躺在小房間雙層床的上面,下看林松義與
剛出道的余天坐在下面聊天。林松義向余天說,不用急著出國 . . . .。
林松義當然是前輩,只是余天很帥前途不可限量,我想此兄搞不清楚
狀況,有點好笑。還有一次去他的金咖啡蹭流行,神采飛揚的同學
說,來,給你介紹我的女朋友:「 北一女畢業的」。真是癩蝦蟆
吃到天鵝肉,令人五味雜陳。
https://www.facebook.com/watch/?v=114370417213271
之後台灣的咖啡廳更有了現場表演,成了所謂的 “西餐廳”。與日本
之後發展出爵士、古典音樂、體育、歌聲 . . . . ,等等配合形形色色
嗜好、興趣不同顧客群,風格各異的 “喫茶店”。充滿著主人家個人
堅持的風情與情調氣氛的 KISATEN 所在多有,由文化底蘊所發展
出來的呈現,日本與台灣各自的走向全然不同。
明治維新 “文明開化” 之後的日本,進入 “喫茶店” have a cup of
coffee,喝杯咖啡還是一種時尚。摩登的感覺,聽下面這一首,曲風
充滿了過著喝咖啡文明生活的昭和時代的興奮與快樂: 一杯 の コーヒー から
作詞 藤浦洸 作曲 服部良一 昭和十四年 https://www.youtube.com/watch?v=nz-UNcT-W7E
1. 一杯のコーヒーから 夢の花咲く こともある
街のテラスの 夕暮に
二人の胸の 灯火が チラリホラリと 点きました
• 就一杯咖啡 夢的花開了 黃昏街旁的雅座 俩人心中花開朵朵
2. 一杯のコーヒーから モカの姫君 ジャバ娘
唄は南の セレナーデ
貴方と二人 朗らかに 肩を並べて 唄いましょ
• 就一杯咖啡 摩卡公主 多話女郎
歌曲是南方小夜曲 與妳兩人並肩爽朗歌唱
3. 一杯のコーヒーから 夢は仄かに 薫ります
赤い模様の アラベスク
あそこの窓の カーテンが ゆらりゆらりと 揺れてます
• 就一杯咖啡 微微的夢香 那紅圖案裝飾的 窗簾輕輕搖動
4. 一杯のコーヒーから 小鳥囀ずる 春も来る
今宵二人の ほろ苦さ
角砂糖二つ 入れましょか 月の出ぬ間に 冷えぬ間に
• 就一杯咖啡 小鳥啾啾 春來到
今夜俩人的哀愁 放兩顆方糖吧 月出前 未冷間
“喫茶店” 其實也就是 Coffee Shop,有走法國風的就稱做 Café:
C'est Si Bon(It's so good) https://www.youtube.com/watch?v=7y9hIjH_7do
https://www.azlyrics.com/lyrics/deanmartin/cestsibon.html
在戰後的昭和時代,隨著經濟的成長,上 コーヒーショップ 成了
人們生活不可或缺的一環,同時也有了幾首以 “喫茶店” 為主題的歌曲
膾炙人口。這一首 “喫茶店の片隅で” 描寫了青年男女談戀愛的情狀。
曲調清純、端正如同論說文,比較像是文部省頒定曲。來自歌詞的
回憶,表現出浪漫的氛圍,也透露著與情人分手後淡淡的傷感,深為
人們喜歡,傳唱。 下面播出兩首以 “喫茶店” 為主題的歌曲,個人都非常喜歡: 喫茶店の片隅で https://www.youtube.com/watch?v=EUDNTd1wjRo&t=2s
作詞:矢野亮
作曲:中野忠晴
金合歡街樹的黃昏
喫茶店燈光昏暗
我倆經常相逢的日子
小小的紅色椅子兩張
摩卡香氣 漂溢
靜靜對坐的兩人
聆賞著蕭邦夜曲
流瀉的鋼琴音符
忽急忽徐
不知覺間 夢遠了
難忘昔日情誼
獨自來到 喫茶店
散落窗邊的 紅玫瑰
遙遠過去的懷念
心中深深感觸 呼喚今宵
“ 靜靜對坐”, 理論上氣氛營造的責任應該是在男生。無論是拙於
言辭,詞不達意,或者神遊十三天外,再怎麼說女生平時如何
聒噪,也有必需的淑靜要守,更何況如果是位初嘗年輕男女交往
滋味的黃花大閨女ㄦ,保持羞於啟齒,就是一種最佳的狀態與
表現。如果其實是老於江湖,往往就在這靜默的時分,端詳、
審視對坐這位稚嫩小男生,盤算著接下來要如何宰制、盤剝這頭
難以釋手的小羔羊。
依詞意來看,這位女生正典就是一朵閉月羞花,男生更是個蕭邦迷,
天生應是一對,可惜心中這一點無法言傳的甜蜜,就在一點絲微的
誤會,或者什麼陰錯陽差,終至分手收場。
すき 喜歡 https://iseilio-blog.tumblr.com/post/716133306776911872
有好事之旁觀者,默默好奇,守著觀察,期盼或許男方忽而出現,
演出一場心有靈犀的巧遇,終至喜劇收場。真要這麼說來,這首
論說文式的浪漫歌曲將大形失色。就讓劇情維持無頭無尾,在
主人公默默的心中訴說之間,主客共享這份幽微的情誼與遺憾。
日文歌詞練習:
アカシア並木 (なみき) の 黄昏(たそがれ)は
淡い灯 (ひ) がつく 喫茶店
いつも貴方(あなた)と 逢 (あ)った日の
小さな赤い 椅子(いす)二つ
モカの香 (かお)りが にじんでた
ふたりだまって 向き合って
聞いたショパンの ノクターン
洩(も)れるピアノの 音(ね)につれて
つんではくずし またつんだ
夢はいずこに 消えたやら
遠いあの日が 忘られず
ひとり来てみた 喫茶店
散った窓べの 紅(べに)バラが
はるかに過ぎた 想(おも)い出を
胸にしみじみ 呼ぶ今宵 (こよい)
這一首曲風輕快,可惜影片過於久遠,影像模糊,鑑賞功力全憑
個人才華。
https://www.youtube.com/watch?v=lhFfVuHkqx8 小さな喫茶店
拘謹有禮而古板的日本人,有其浪漫與夢幻的一面。 https://www.youtube.com/watch?v=fhY0-r_2yvQ 日本有 繩文人和 彌生人兩種,以個人看法, 彌生人 的 面孔比較肉餅。這位仁兄人稱: ハムバ-グ 、 漢堡。
拘謹有禮而古板的日本人,有其浪漫與夢幻的一面。 https://www.youtube.com/watch?v=voN9-0oeUho 神情與年齡雖然無法對焦,還是可愛,還是唱得不錯、拍拍手。 • 可愛い!お一人ですか?嗚呼 --
作詞:E.Neubach
訳詞:瀬沼喜久雄 作曲:F.Raymond 已經是��年
星光綺麗的夜晚
想起我倆散步的小徑
懷念
過去浮上了心頭
走著走著
不覺煩惱了起來
那是初春的事
進入喫茶店內的我倆
面前擺著茶與蛋糕
一言不語
旁邊收音機甜美的歌聲
輕柔的唱著
就只靜默的我倆
相對而坐嗎
進入喫茶店內的我倆
面前擺著茶與蛋糕
一言不語
旁邊收音機甜美的歌聲
輕柔的唱著
就只靜默的我倆
相對而坐嗎
日文歌詞練習:
それは去年のことだった
星の綺麗な宵だった
二人で歩いた思い出の小径だよ
なつかしい
あの過ぎた日の事が浮かぶよ
此の路を歩くとき
何かしら悩ましくなる
春さきの宵だったが
小さな喫茶店にはいった時も二人は
お茶とお菓子を前にして
ひと言もしゃべらぬ
そばでラジオがあまい歌を
やさしくうたってたが
二人はただだまって
むきあっていたっけね
小さな喫茶店にはいった時も二人は
お茶とお菓子を前にして
ひと言もしゃべらぬ
そばでラジオがあまい歌を
やさしく歌ってたが
二人はただだまって
むきあっていたっけね
台灣人固然騷包,對 “喝咖啡” 這類成了次文化的風尚,情趣其實
不多,個人則還是比較喜歡牢騷滿腹,罵人不帶髒字的政治論說,
卻是往往一知半解,過於充斥還是不好。這日發現弄些歌曲、歌詞,
好好說他一番倒是一個方向;且擱下筆,稍後再敘。
BONUS
二戰前世代的日本人其實比較嚮往浪漫的法國 https://www.youtube.com/watch?v=UR2Kj1omGAg
枯葉 岸洋子 https://www.youtube.com/watch?v=El6kzOS0TKg
すみれの花咲くころ https://www.youtube.com/watch?v=6VbSufpdUp8
專人桌烤"A5和牛八吃" & 鎮店30年"黃金羊肉爐" https://www.youtube.com/watch?v=w1S1llWbCgM
2018 舊文
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十二月
今年の十二月は鞄の中が牛乳まみれになったことから始まった。ボストンバッグに入れていた瓶の蓋が、事もあろうに外れてしまっていたのである。そして、まず手洗いにでも駆け込むべきところを、そのまま列車に乗ってしまった。気が動転していた。しかししばらく時間の経つうちに平静を取り戻して、終わってしまったことはどうにもならないことに諦めがつき、仕事場についたときに鞄をまるごと捨てた。そのあと、仕事仲間に笑い草にして語った。その鞄は、このように牛乳塗れになるまでに、約十ヶ月のあいだわたしに担がれてきた。それは買い付けたときは安売りをしていて特段たいした痛手にはならなかったし、捨てた瞬間は厄介払いでもしたかのように清々しい気さえしたものだが、こういうことが積み重なると、さすがに心が弱ってくる。
ここ最近、二週間に一回は、牛乳塗れの鞄のような災難があるような気がしている。それを多いと捉えるのか、少ないと捉えるのかは、その人の人柄や性格などにも寄るのだろうが、わたしからしてみたら致命的に多かった。鍵を忘れて家族の帰宅する二十三時まで外に居なければならないとか、たった五分目を離した隙に自転車の盗難に遭うとか、些細なものだと、間違ったものを買ってきてしまうとか、ハンバーグに���ねぎを多く入れすぎがためにただのひき肉炒めになってしまったことだとか。本当につまらない話だと思う。つまらない話は、積み重ねても積み重ねてもつまらない話でしかないが、それをたくさん乗せられた人は重さに耐え切れず死ぬんじゃないか知ら。 気丈なつもりでいたわたしも、いよいよ、押しつぶされそうになってしまったというわけである。
もうすっかり十二月だった。人生で十二月を迎えるのは、なんだかんだ言って二十五回目である。そのくせ、いつも初めて迎えるような気持ちになってしまう。人間は、生きるのに必要なこと以外は忘れるようにできている。 九月末に仕事場が移転した。企業拡大により、自分の部署だけが引っ越すことになった。列車の乗り換えも変わり、仕事場への道のりが少し長くなった。変わってからもう二ヶ月は経つのに、わたしの足は今でも稀に以前の乗り換えを目指そうとする。 仕事場では、毎日ちがう笑い話をする。愚痴を笑いに変えるのである。何も解決しないが、単に憂さ晴らしのためだった。でも、意外とこれが労力の要る作業なのかもしれない。強いふりをしているだけの人には。つまり、わたしである。
ハッピー・メリー・クリスマス! ケーキはいかがですか、お嬢さん。 樫の木でできた重厚なドアを開けると、店主が恥ずかしげもなくそう迎え入れてきた。わたしが店に入ってくるのが、硝子越しに見えたのだろう。その言葉は間違いなくわたしにだけ向けられたややおふざけ気味のものだった。 「ハッピー・ハッピー・メリー・クリスマス。楽しい時期ですね。」 「そんなしけた顔で言われちゃあね。」 店主は髪を無造作にかきあげて苦笑した。 「まあおれもそんなハッピーじゃないんだけどね。なにしろ十二月が誕生日だから、おれもいよいよ三十路なわけよ。」 わたしは、おめでとうございます、と言って、なるべくカウンターから離れた席に座った。 「いつもの?」店主でなく、カウンターの端っこに頬杖をついて座っていたノラが言った。わたしは黙って肯いて椅子に座る。ノラは、店主に「いつもの。」とそのまま伝えてまた雑誌を読み始めた。いつもの、といっても、そんなに格好いいものではない。カフェラテである。 わたしはこの店に繁く通う。なぜなら、いつ来ても席が空いているからである。広いわけではない。かといって、狭すぎるということもない。客足が思わしくないのは、駅前の道からやや外れたところにあるためだろう。しかし潰れる気配もない。それはわたしのような常連客が、まるで自分の家かのように通い詰めているからである。 ノラもまた常連だった。いつも同じ席に座っていた。人気のない席なのである。なにしろ、カウンターの端っこには雑貨が山盛りに置いてあるのでとても狭い。そして、しっかりした椅子ではなく、わりと簡易的な椅子が配置されている。ほとんどノラのために用意されたような席だった。 「随分と元気がないようで?」 ノラはくるっと振り返って、めずらしく機嫌よさそうにわたしに話しかけてきた。 「年の瀬は殺傷能力があるね。」わたしは無表情のままで言った。「物憂さだ。」 わたしの吐き出した言葉に彼は、ふうん、だか、へえ、だか、音で言い表せないような返事をして、また目線を雑誌に戻した。スウェットみたいなズボンの膝小僧を居心地悪そうに掻いて、息苦しかったのか薄いキャメルのセーターの胸の部分を軽���引っ張りおろした。ノラを一言でいうなら、近所のこぢんまりとした部屋に住む貧乏大学生といったところか。いつ来ても居るので、たしか学生だったとは思うのだが、授業に行っているのか否かはよくわからない。 店主はカウンターに座るご年配と話し込んでいる。景気良く世間話に花を咲かせながら、ほとんどノラのほうを見ずにカフェラテをカウンターの端に置いた。それを、ノラがわたしのいるテーブルに運んだ。 「もう半分、新年に足を入れているようなもんだ。」ノラが言う。 「どういう意味?」 「諦めと自棄みたいなもんですかね。」 口が止まらないのか、ノラはそのまま席へは戻らなかった。わたしの横へ細い身体をするりとくぐらせ、隣の席とわたしの席とのちょうど真ん中あたりに収まった。 「あの爺さん、ずっとマスターと話し込んでやがんだ。しかも、宝くじの話ですぜ? 当たりもしない紙切れのことを延々と。暇ったらありゃしないね。」 「そう? 夢があっていいと思うけれど。」 「おや。あなたはおれと同意見だと思ってましたけどね。」 「同意見といえば同意見だけどね。」 「なんと。嘘がお上手で。」 カラン、コロロン。ドアに取り付けてあるベルがのっそりとした揺れに躊躇いがちになると、二人目のご老人が杖をついて入ってきた。先にいた宝くじを夢見るご老人が元気に声を掛けるので、どうやら二人は知り合いらしい。 「単位は平気なの。」 何の気なしに、ノラに聞いてみた。彼は肩をすくめて見せる。「あなたに心配されるほどじゃありませんぜ。」
悲しみよこんにちはという言葉が似合うのは素敵な異国の十七歳の女の子だけであろう。 マリオンは艶めく赤みがかった髪をシャンパン・ゴールドを纏った指先で梳きながら「あーあ。ふたご座流星群見られなかったなあ。」と言い言いわたしの隣へ座ってきた。 それは冬のわりに暖かい日の一瞬のことであった。やたら風だけが強くて、わたしは何度も帽子を��っ飛ばされた。そのくせ曇っていて、空の彼方で繰り広げられていたはずの流星群は沢山の人に待ち侘びられていたのに、ついに姿を見せることはなかったという。わたしは仕事に追い回されぐっすり眠っていたのでわからなかった。 マリオンはきらきらの爪を眺めて溜息をつく。星のことで頭がいっぱいなようだった。何も言わずとも、彼女の目の前にはココアが運ばれてきた。言わずもがな、ノラの手によって。 彼女は知らないだろうが、今日はとある旅客車の廃車日である。わたしは特に列車が好きなのではないけれど、仕事に行くのに乗っているだけでその情報はいつの間にか頭に刷り込まれていた。駅前はいつも通りの賑わいであった。 一昨日のことである。仕事帰りの列車で、大騒ぎをするスーツの群れが流れ込んできた。夜遅かったので、酒でも飲んでいたのだろう、良い歳をして、大きな声で喋っている。忘年会か、とぼんやり思った。きっと、自分の立場も年齢もマナーも、何もかも忘れてしまったのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかは、わたしなぞが決めるようなことではない。 ただ、あらゆることを忘れて良い日というのは、なんだか素敵な響きを持っていると思える。
十二月の折でさえ初雪なんか降らなかった。昨年は天から鍋やフライパンさえ降ってきたというのにだ。風に乗って聴こえる歌は、 Gloria in excelsis deo という遠い国の言葉だった。 「ミサだ。」リュカさんが言う。「大聖堂でみんな練習してる。」 街の中には杉の木が点々と生えていたが、どれも等しく雪の衣を纏いはしなかった。不思議とさみしげな光景である。 リュカさんと昨年のストライキは大変だったねと話した。そうそう、鉄の塊が空から落ちてきたのは、さじを投げた料理人および主婦たちの怒りの声だったのだ。とはいえ鈍器が空から落ちてくる様は、今風の言葉を借りて言えば「普通に危ない」はた迷惑なものだったけれど、公安が一日で鎮めてくれて事なきを得た。その一連の流れを何をするでもなく眺めていたノラは、公安が一言漏らした「こんな事があってたまるか。」という真面目一徹の正統派の愚痴に一日中狂ったように笑い転げていた。あれから、一年経つのか。 「一年が早いです。リュカさん。」 「きみはまだ若いから分からないかもしれないけれど、ぼくほどになるともっと短く感じるよ。」 「そんなに歳変わらないじゃないですか。」 「きみの三倍は生きてる。」 「うそつき。」 リュカさんは学校に通っていた頃の二つ上の先輩である。 三倍、とは随分大きく出たものである。読書の量でいえば、わたしが一生読む文章の三倍は摂取しているのかもしれない。リュカさんは学生時代から図書館が友達だった。ヒトの友達がいないわけでもない。その教養の豊富さと人望から、リュカさんは何処へ行っても人に囲まれる性質の人物だった。 「知識の量とか、そういう意味でした?」 「んー。なんのこと?」 「なんでもありませんでした。」 わたしの三倍生きているリュカさんに、わたしの言葉足らずの疑問は届かなかったようである。
同じような不幸が訪れるのではない。人はそれぞれ毎日なにかしらの困難に立ち向かっている。「まただ。」そう思うときは、その類の不幸を貴方が乗り越えられていないでいるから、何度もぶつかっているように感じているだけだ。 これほど真理に近い言葉を耳にしたのは、そう、おそらく七歳ぶりである。
十二月二十七日。樫の木のドアを開けた。耳あたりの良い「カランコロン。」は今日は耳に届かない。おもわず上を見てやると、ベルが取り外されてしまっている。 「いらっしゃい。」店主はグラスを拭きながら言った。「今日は端へすわんないで、こっちへおいでよ。」 店主の手招く先には、ノラだけが居た。今は、ノラしか客が居ないようだ。ノラを客と言っていいものか、そういったところから議論する必要があるなら、頭が冴えるようにチョコレート・ココアをオーダーせねばならないだろう。 「今ね、一年は早かったねって、おれが言ったところ。」店主は人の良い笑みを浮かべた。 「おれは、早かったなんて思わないんですがね。」 ノラは、湯のみを持って緑茶を啜った。どう考えても、裏メニューとしか思えないシロモノである。 「お嬢さんはどう? 今年は過ぎるの早かったかな。」 「そうかもしれないと思ったこともあったけど、やっぱりそんなに変わらない気がします。去年も同じ早さで一年は過ぎていった。」 「ああそうなんだ。じゃあおれだけかあ、今年一年が早かったの。さすがだね、輝かしいね、二十代。」 「最後、三十路川柳みたい。」 「ださ。」 ノラの放った二文字で店主は笑いながら憤慨する。それを見たノラが、史上最高に面白いものを見たとでもいうような人の悪い笑みを浮かべる。まったくもって対象的な二人がゲラゲラと笑うさまをその横で見るような、そんな年の瀬を過ごすなんて、まるで今年の集大成だなあとわたしは残念な気持ちになった。
「リュカさんってすてき。」マリオンは瞳の中にうつる光彩をゆらゆらうっとりさせながら、両手を口の前であわせた。「あたしの三倍生きてるんだって。」 「騙されてるよ。」すかさずわたしは突っ込んだ。でも、マリオンはどうでもいいという風に首を大きく振った。そのたびにスモーキーピンクの髪が揺れ、甘いいちごの薫りがする。 「騙されたっていいわ。」
あした、きみは死ぬかもしれない。あさって、わたしは居なくなるかもしれない。
私小説を書かう。 と筆を持つまでして辞めたわけですよ。わかりますかね、お嬢さん。私小説なんかくだらない。不幸の積み重ねよりつまらない文の集まりですぜ。一つのことを言いたいがために、何百文字と捏造をでっち上げるなんて。酔っ払ったノラは、喉をひっかけひっかけそう言った。 本当にそうだと思った。 十二月二十七日。ドアベルの外された店の中で、流れに任せただけの忘年会が始まった。「おれたちは忘れる必要がある。」当然の権利のように、声高に叫ばれたのがそもそもの原因だった。この喫茶に酒のメニューはないが、店主とノラは家にあるだけの缶ビールを掻き集めて、ささやかな宴の幕を開いた。そして早速、ノラが酔っ払いに成り下がった。 酒に強いらしい店主は、冷蔵庫の奥からケーキを取り出してわたしに出してくれた。クリスマス用の材料が余ったからさあ、と明るく笑う。本当のことなんだか、どうなのだか。 わたしは、この場にリュカさんがいてくれたらなと思った。店主とノラの埃が舞いそうなほどの古臭い漫談には飽き飽きだった。なにせ、これはもう今年一年たっぷりと見ている。気乗りがしない。 じつは友人とけんかわかれをした。わたしがこの店へ来るほんの五分前ほどである。わたしが友人の集まりに顔を出さなかったことが原因だ。この手の不仲話は女子の中ではよくあることだった。 決定的なけんかがなくたって、友情というものはだんだんと色褪せていってしまう。今そばにある人が自分の今のすべてで、その先もその前も、何ひとつ同じものなどない。そうやって独り前に向かって歩くのだ。それが堪えないようにするために、人は飯を食らう���であろう。ケーキなどでは、なく。
さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ノラが言った。世にも奇妙な年越しケーキだよ。 いやいやいや。店主が言う。まだ二〇XX年だから。年越してないから。 ノー・ノー。もう半分二〇XY年に踏み入れているようなものさ。冬至を超えた瞬間から冬の本番っていうのは始まっていて、ある種、一年の始まりは真冬から始まるようなものなんだから、もう年越しと名乗ったって不思議じゃない。第一、三百六十五日あるうちの一日も十日も変わりゃしないんだから、そんな細かいところばかり気にするなんて、きみ、どだい時代遅れっていうものだぞ。ノラが言う。 店主はワイングラスをくっと傾けた(いつから缶ビールがなくなったのだろう)。「そういうの英語でなんて言うか知ってる?」 ノラは外国じみた身振りで首を傾げてみせた。 「GOOD GRIEF!」 そしてまた二人は大笑いをする。ノラは、意味をわかっているのだろうか。ちなみにわたしはよくわからなくて、その場ではただ苦笑いを穏やかな死海のボートのように浮かべているだけだった。家に帰ってキーボードを叩いて調べたら、画面に「ああ、呆れた。」という意訳が載っていた。
煉瓦を積み上げて渡した橋があって、その真中でリュカさんは時計を直していた。年末になると、人間が身勝手に区切った時間軸と自然の時間に僅かな隙間が出来てしまって、放っておけばあっという間に昼夜が逆転してしまう。その一年分のズレを、ほとんど凍って水位の下がった川の上にある橋のところで、調節を施すというわけである。街中の時計も、この時期すでに来年に合わせたものもあれば、今年のままの時計もある。そのため、年末の待ち合わせはちょっとした騒ぎになることもある。 つじつまを合わせるために言っておくと、時計の針は年明け後の一秒から一年を均等に区切る速度で回っていないから、夏頃には結構ずれているのだそうだ。でも、一年の中で昼と夜の長さは引っ張り合って移ろいゆくため、人間は意外にもその科学的事実に気づかない。 客は随分とまだらだった。別の目的があって橋を渡る人が、小さな木の椅子に座ってドライバーを片手に腕時計をこじ開けるリュカさんを見て、もうこんな時期か、と気づいて、ついでに直してもらう、というくらいのものだった。年末の風物詩なのだ。 「ぼくからしてみたら、まだ二〇一三年の夏さ。」リュカさんはご婦人の華奢な腕時計を、結構乱暴に開けて、言い放った。ご婦人のうっとりとした表情を見る限り、彼が商品をずさんに取り扱っていることなんて微塵も気が付いていないのだろう。リュカさんは端正な顔立ちをしているので、人生がうまくいきすぎる。ご婦人は多めのチップをリュカさんの右手にしっかり握らせ、足取り軽く橋を渡って行った。 「電池を交換していないことをそんなに格好良く言えるものなんですね。」 「そうかな? お嬢さんも、詩でも勉強したらいい。」 リュカさんはドライバーをチェスターコートの大きなポケットに仕舞い込んで、椅子を肩に担ぎあげた。閉店の合図だ。 「そういえば、きみ、まだノラと会ったりしてるの。」 「会うっていうか、店に行ったらいつもいるので。」 「ふうん。そう。」 リュカさんはそれ以上何も言わなかった。これから何処へ行くのか訪ねると、市役所へ行くとの事だった。取られすぎた税金の帳尻合わせに行くんだとか。良かったら、それが終わった頃の、七時に待ち合わせをして、パスタでも食べに行きませんかと誘ってみた。 「それはもちろん、今年の時間のだね?」 リュカさんは、世界中のやさしさをかき集めたように穏やかに笑った。
待ち合わせの時間まで、いよいよ暇になってしまった。図書館は昨日で閉館してしまった。わたしはボンヤリ橋の上で、寒さも凍えも忘れて、頬杖をついてしまう。 色々あったな。今年も。小さな溜息をついた。 でも、そのほとんどを、もう忘れてしまっていた。きっと生きるのに不要だったのであろう。つまらない話は、必要がない。 わたしの時計は、今年の時間を刻み続けている。このまま刻んでいったら、わたしはみんなより遅く歩いていけるのだろうか。みんなの一度歩いた安全な道を、踏みしめられるのだろうか……これもつまらない話なので、明日には全部忘れてわたしは時計の針を来年に合わせていることだろう。 あと三日で、十二月が終わる。誰がどう思おうと、きっかり三日だ。そうしたら、今年のことは、いとしい過去になる。
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