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地獄の黙示録 ポスター APOCALYPSE NOW 日本公開1980 AD:EIKO ishiioka 石岡瑛子 illustration;HARUO takino 滝野晴夫
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読��を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ��年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】(2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田)
第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】 (2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202309.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/690266253005922
今年で12年目を迎えたオープン合宿。今回は、初秋特別編です。「160年の古民家荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社への巡礼も行う予定です。
そして、160年古民家荒蒔邸を拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」の有機野菜と共に、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、焚火の灯で温まりながら、夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラー、アーティストの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。ご参加をお待ちしております。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。���国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
★有機野菜:木の里農園 http://konosato.com/
■開催日:2023年9月18日(月)- 19日(火)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日16時頃に現地解散予定です
■集合場所: 道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694-3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)> *10時:集合場所(道の駅さとみ) ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り *10時15分~:手打ち蕎麦ワークショップ *12時~13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶 *13時30分~22時頃: ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。 ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります) ・300年古民家「菊地邸」訪問 ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け ・荒蒔邸の囲炉裏と焚火を囲んでのダイアローグ(対話) ・横��温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算) *22時頃:自由時間 *23時頃:就寝
<8月27日(日)> *06時:起床~朝のさんぽ(朝陽を拝むマインドフルネスウォーク) *07時:全員で朝食準備&朝食(禅イーティング)&片付け *09時~:森夕花先生のマインドフルネスアートセッション *11時~:清掃・片付けをし移動 *12時~:御岩神社巡礼 *14時~:ゆっくり昼食&対話&クロージング *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。 お気軽にお申し込みください。以下は参考です。 どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、 スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、 リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。 お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります) http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:8名限定 ※先着順。定員になり��第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
(現地でのお支払いも可能です)
④これにて「申込完了」となります。
■協力:木の里農園さん、地元の仲間たち ■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
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おそらく、ほぼ確実に、
自分の希死念慮は、おばあちゃんから吹き込まれたものだと思う。
まず初めに、三世代で車移動しているときに、車から頭を出して風を浴びようとした。車酔いがひどいので、外気が欲しかった。そこから、「子供が窓から頭出してたらすれ違ったトラックに頭だけ持って行かれた話聞いたことあるからやめとき」と言い、車の窓を開けるたびにその話が繰り返される。風が欲しいだけで頭なんて出そうとしたのは一回だけで、そのあとは後部座席の真ん中に座らされる。窓を開けるたび、同じ話になる。父は、「俺も聞いたことあるけど、車から腕出して走ってた人が腕跳んだりしたとかな」と。父、加勢するなよ。
次に、赤子が生まれたとか親族関係の遠い人に二人目の子供が生まれた話になると、「聞いたことあるけどな、まだものがわからん子とその下の子がお盆に帰ってきてな、大人で盛り上がってるところに、赤ん坊の泣き声がうるさいなあと誰かが言うたんやと。そしたら、その子がふっと赤ん坊の方に行って、ぴたりと泣き声が止んだ。嬉しげにしてるその子と、心停止している赤ん坊が見つかったんやと。子供やからな、声を出さないためには口塞がんと、と思ったから息ができんようにしたらしい」と聞いた。まだ幼かった自分は恐ろしいと思った。
今度は、墓参りのたびに、苔が生えるほど古いのに立派な墓を指差して、「この人はな、頭が良くて今で言う京都大学に行ったけど、途中で結核で死んでしまったんよ。そしたら、同級生がこのお墓の横にな、漢詩で書いてくれた。私は読めんけど」と言い、その漢詩の解読は彼女にとって孫である私と従姉妹に振ってかかり、従姉妹はそれをなんとか判読して、国語の先生に渡したらしい。先生曰く、「私には、素晴らしい友愛として読める」と言われたらしい。「どう思う?」と、漢文なんてまだ書き下す法則しかわからない自分に回ってきた。知るかよ。
さらには、ひいおばあちゃんの死に際について、おばあちゃんから聞かされたが、Ver.3まである。しかし一貫しているのは、「栄養摂取の拒否」で、それだけが共通している。無理にでも食べさせんと行かんのではないか?
華厳の滝がニュースに映る。その度に、「身投げした子がいたよな」と言い、この話は自分が、「人生不可解のね」で締めないと終わらない。だからお盆に帰るのが嫌だ。去年は帰らなかった。今年はどうだろう?
「考古学者になりたいと思い続けてな」と言った。ピラミッドを調べたいと。墓荒らしである。「法医学者になりたかった」と。合法だが、あまりよろしくない。法医学者は、本当の正義感に突き動かされなければいけないが、彼女には向いていないと思った。
墓をセメントで蓋する提案があったが、それは良くないと父もおじいちゃんも反対していたが、独断で勝手に蓋した。
で、いよいよおじいちゃんが老衰で入院していて、その面会に行って帰るたびに、「もうな、あんなに"かわいそう”なら、いっそ連れて帰って心中でもしようかと」と、わざわざ従兄弟が結婚予定だ、という報告をしてきたその座卓の場所で言う。「物の言い方に気をつけろ」で父とおばあちゃんに育てられてきた己は、諦めた。叔母は(〇〇ちゃんと呼ぶぐらいには叔母である感覚はないが)その発言を聞いてから、祖母に対する目つきが呆れ返っていた。父は父で、自分の話しかしない。家族全員、うどんの話ばっかり。ついていけない話の緩衝材に、「本当にうどんの話ばっかり!」と投げ入れて笑わせた。「実は私、こちらに旅行したことがあって、その時は骨付鳥を食べたんです」そこからメインどころの骨付鳥の店を列挙していくが、いちいち自分が解説しないと店がわからない。「でも最近ラーメンもちょっとずつ盛り上がってて、いりこラーメンが来てるんですよ」と話した。前情報で海沿いの人だとは聞いていたので、おそらく魚介の話をすればなんとなく繋がるだろうな、と思って話したところ、「うちはどこそこで、海のもの美味しいんですけど、瀬戸内海はまた違いますよね」「よく言うんですけど、なんちゃって地中海気候なんですよ。オリーブとかレモンとか」そして美術館や文化、電車の話をして、共通項が見つかった。最初は己も母も同席しない予定だったが、従姉妹の結婚報告に立ち会ったのに従兄弟の報告に立ち会わないのは筋が通らないだろう、と無理やり母も呼んだ。最適解だったが、あの席で一番脳みそを使ったのは自分だと思う。父と従兄弟と叔母が、完全に自分の目を見ながら話をしていて、「あー、これ完全に役割もらってるな」と内心思った。し、実際もらっていたらしい。あとから母に聞くに、「あんたの発言で全部話題がお相手にシフトしたり、止すべき話題が止まったり、よくやったと思う」と。昔からこうだった。あるときから混沌だった。今回は役割を果たした。すると従兄弟は、「式は何日にどこでやるので、何卒よろしく��願いします」と、父ではなく完全に自分の目を見て言った。誠意があった。墓を見てから帰るとのことで、車で大回りして宿泊場所に帰るらしい。タイミングとルートとして、この道をこう通るだろう、と予測して、やってきたのと同じような車が通ったので手を振った。助手席の人が思いっきり手を振ってくれて、ああ、この振り方は叔母だ、と記憶の中にある映像を思い出す。
ここまでに二回、「あんたなんか病気か?痩せすぎやろ」と祖母に聞かれていて、もうすでにイライラしまくりだったが、別れ際にもう一回、同じ質問をされた。本気でイラついたので、「大丈夫だからもう聞かんとってくれんか」と靴で地面を蹴りながら話したところ、返す刀で、「まあ、前がぽっちゃりしすぎとったからな。あれもあれでどうかと思うけど」とのこと。死ぬほど食わされて胃が膨れたら、「お腹出たな!運動せんとな!」と抜かしていた今と同じ体型の自分に欠ける言葉とは思えない。死ぬほど食わされると言って、たとえばすき焼きで肉1kgに野菜たっぷりを3分の2程度食わないと「これじゃ締めができないじゃない」と残りを食わされる。で、そのあとに締めのうどんになるが、これがまた、たった五人なのに普通に8玉とか買って、それに一応付き合うだけの両親と、ほとんどすき焼きそのものを食べない祖母と、すき焼きを食らい尽くした己が祖母が食べたそうにしながら誰も食べないのだったら食べない、といったうどんを、「じゃあ食べようか」と優しさで付き合うんだが、食後には大量の水を飲み口の中の砂糖と醤油っけを洗い、吐いたらまた叱られるので大人しくしながら胃から下に落ちるのを待つ。そんだけ食わせて、「腹出たな!」もおかしければ、痩せりゃ痩せたで詰問。ダブルバインド。無理。あのババアにはもう会わない。じいちゃんには会いたい。従兄弟の結婚式は行きたい。従姉妹の子供も見たい。弟はいずれ。
偏食ではなく、悪食でもなく、家族が残したメシを食う。食えるだけありがたいが、量が虐待(物心ついてからずっと)で、箸の持ち方がおかしければ注意され、一方父親も祖母も箸の持ち方がおかしく、すき焼きで最悪の音声の啜りぐいをする。テレビはつけっぱなしなんだが、ポジショニングが父の向こうにテレビがあるから見えない、なのに音声だけで己がテレビが今何を放送していてどういう経緯でこの顛末に至っているのか解説せにゃならん。鍋の肉はどしどしこちらに応募される。鍋の肉の管理は己の管轄だ。野菜を次々に投入するのはいいとして、煮えてるゾーンを寄せてから煮えてないゾーンを作らないので、肉が下に行く。たまたま掘り起こした肉をこちらによこす。無理〜〜。
寿司だったら例えば四人前のパック寿司に助六と稲荷とetc.が��加され、結果七人前になり、そのうち四人前食べないと納得されないが、彼らの好きそうな寿司を率先して食べると、「食べたかったのに」と怒られる。イカ、サーモン、鉄火巻き。見た感じ大トロや鯛、ハマチがあるのに、食べてるネタは悲しい。イカとサーモンはものすごく嫌いなんだが、食べられないわけではないので食べる。いくら軍艦も嫌いだが、これは誰かが率先して食べる。さすがっすね。助六と稲荷はもちろん食べたがる人は少ないので、結果的に残り物になろうとしているものを、「もったいないから食べりなよ」とか「若いんやから食べれるやろ」とかで、まあ食べれちゃうんだが、食べられることと食べたいかは別である。正直苦役だ。
という希死念慮から歪んだあの食卓について話したところ、お医者さんは、「呪縛やね」と言っていた。医学用語で呪縛と調べると、実際に存在した。しかしまあ、精神医学の診断はほとんど占いに近い。
そうなんすよ。よく生きてたよ、己。死にたくないよ俺は。こんだけ食わされても痩せ型というかカリカリというか、内臓の力よ。一時期の軽い肥満の原因は概ね把握した。次はどうしよう。
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風月句会
2023年8月20日
於:川崎市多摩市民館
坊城俊樹選 栗林圭魚選
坊城俊樹選 特選句
坊城俊樹選 特選句
田舎家の土間のだんまり朝曇 要 炎帝の遣わす鴉黒く群れ 千種 会釈する日傘に顔をなほ深く 千種 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 飴色に枯れ空蝉の垂れ下がる 久子 古民家の故郷の匂ひ壁に黴 経彦 三猿の酔ふ草いきれ庚申塔 眞理子 古民家の茅屋根匂ふ炎天下 三���
坊城俊樹選 並選句
古代蓮名残の花托揺らすのみ 久子 高々と化粧ひの樹てふ夏木立 慶月 この角を曲がる標や立葵 要 黒揚羽光と影を翻し 三無 蝉声の細く嫋やか限りなく 圭魚 夏蝶の万葉歌碑を二度廻り 慶月 店蔵の梁や柱や灯涼し 眞理子 茅葺の軒にさ揺らぐ釣忍 幸風 談笑の弓道部員夏袴 久子 紫陽花の径万葉の歌碑に沿ひ 圭魚 鋭き鳥の声を覆ひて蝉の声 圭魚 滝落つる目立たぬ水と目立つ水 三無 甘やかな汀の音や夏の蝶 久子 蝉声の鋭し赤駒の歌碑を抜け 圭魚 赤駒の歌碑をなぞりて蝸牛 幸風 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 三方を開け放したる夏座敷 久 涼しさを見せては揺るる大欅 三無 閂を物ともせずに凌霄花 幸風
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栗林圭魚出句
紅の蓮ふっくらと耀へる 武蔵野の大地親しき蓮の水 鋭き鳥の声を覆ひて蝉の声 蝉声の鋭し赤駒の歌碑を抜け 紫陽花の径万葉の歌碑に沿ひ おにぎりの重きが美味し夏休み 蝉声の細く嫋やか限りなく
栗林圭魚選 特選句
栗林圭魚選 特選句
蓮花の水面の余白空の青 亜栄子 カラフルな浮輪乗り合う市民バス 久 じゃぶじゃぶと揃ひのティーシャツ水遊び 三無 咲き足せる泰山木の真白かな 秋尚 森少し膨らませをり蝉しぐれ 慶月 水音に誘はれつつ灼くる道 眞理子 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 ひとときの静謐滝に対峙して 久子
栗林圭魚選 並選句
風撫でてゆく紅蓮の色仄か 秋尚 古代蓮名残の花托揺らすのみ 久子 涼風や茶巾干しある通し土間 久子 大賀蓮凛然池を覆ひをり 軽象 蝉時雨木漏れ日抜けて続くなり ます江 黒揚羽光と影を翻し 三無 夏の日の茅葺き色を失ひて 軽象 バス停に風一叢の小判草 要 蝉時雨一本道を白く染め 久 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 池に影つくりて蓮の優雅なる ます江 凌霄花仰ぎ見る空途中にも 亜栄子 武蔵野の風よく通る夏座敷 要 蜻蛉生る池を囲みし草深き 秋尚 小流れの石の光れる梅雨晴間 要 夏萩や鯉はしずかに翻る 炳子 赤駒の歌碑をなぞりて蝸牛 幸風 枝高く渡る欅の青葉風 秋尚 涼しさを見せては揺るる大欅 三無 岩座の万葉歌碑や蝉時雨 炳子
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「桜の園」アントン・チェーホフ 西武劇場 桜の園 劇団民藝 1973年 イラスト:滝野晴夫
桜の園 - Wikipedia
民藝の仲間153号 櫻の園(チェーホフ=作 喜劇四幕 宇野重吉=演出) / 風前堂書店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」
「スーパーリアルイラストレーション展」出品作家インタビュー|展覧会・イベント | クリエイションギャラリーG8
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エラリイ・クイーンとそのライヴァルたち 名探偵読本-4 石川喬司+山口雅也・編 パシフィカ、プレジデント社 表紙肖像画=滝野晴夫
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As the conspiracy reaches its finale, the Void Hunter joins the fight.
Uncover the Conspiracy in Zenless Zone Zero's All-New Version "A Storm of Falling Stars", S-Rank Agent Hoshimi Miyabi is here! With S-Rank Agent Asaba Harumasa Limited-Time Giveaway! Pre-register to obtain additional rewards.
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大滝詠一 / A Long Vacation (1981) 本日、『A Long Vacation Vox』を予約しました。発売は2021年3月21日。それまで一生懸命働きます。 写真2 妻が編んだ猫のコースターとmimi。 #大滝詠一 #大瀧詠一 #松下誠 吉川忠英 #鈴木茂 #井上鑑 中西康晴 上原裕 #林立夫 #細野晴臣 #伊集加代子 ラジ #松本隆 #永井博 #vinyl #vinylcollection #coverart #33rpm #lp #nowspinning #nowplaying #アナログ盤 #レコード #records #1981 #rock #日本のロック #日本のポップス #シティーポップ #NiagaraRecords #coffee #コーヒー #cat #猫 (宮古島) https://www.instagram.com/p/CI41fDDphRB/?igshid=3rhwc5m1p2mu
#大滝詠一#大瀧詠一#松下誠#鈴木茂#井上鑑#林立夫#細野晴臣#伊集加代子#松本隆#永井博#vinyl#vinylcollection#coverart#33rpm#lp#nowspinning#nowplaying#アナログ盤#レコード#records#1981#rock#日本のロック#日本のポップス#シティーポップ#niagararecords#coffee#コーヒー#cat#猫
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Actors who should play the Shinsengumi
There was an old poll about which actor should play the Shinsengumi members. This was from 2005 or earlier, so the results are outdated and the actors are probably too old for the roles now, but it’s still interesting to see what the Japanese think the Shinsengumi looked like.
I agree with some of the choices, such as Watanabe Ken as Kondo and Oikawa Mitsuhiro (who played Hanzawa Naoki’s best friend) as Itou, but the one I feel the most strongly about is Kimura Takuya as Hijikata.
It’s not just his looks. He has the intensity and “bad boy” vibe to portray both the serious and roguish sides of Hijikata perfectly. It’s a pity he didn’t play him when he was younger... 😞
Nevertheless, here are the poll results:
Kondo Isami
トミーズ雅 1031 votes
渡辺謙 (Watanabe Ken) 740 votes
今井雅之 420 votes
渡哲也 348 votes
ネプチューン原田泰造 322 votes
竹中直人 269 votes
ビートたけし 241 votes
赤井秀和 227 votes
内藤剛志 205 votes
夏八木勲 201 votes
渡部篤郎 151 votes
舘ヒロシ 142 votes
村田雄浩 140 votes
myself 132 votes
ガッツ石松 121 votes
舟橋元 120 votes
阿南健志 88 votes
豊川悦史 76 votes
竜雷太 76 votes
藤原組長 69 votes
宮本浩次(エレファントカシマシ) 68 votes
勝野洋 66 votes
巨人の石井 64 votes
勇ちゃん 58 votes
千代大海 50 votes
桂三枝 46 votes
ベンガル 46 votes
崔洋一 46 votes
倉田保昭 44 votes
大地康雄 41 votes
Hijikata Toshizo
上川隆也 2097 votes
真田広之 (Sanada Hiroyuki) 888 votes
木村拓哉 (Kimura Takuya) 493 votes ← I agree!
豊川悦司 392 votes
村上弘明 382 votes
竹野内豊 382 votes
反町 隆史 356 votes
栗塚旭 305 votes
稲垣吾郎 289 votes
Gackt 201 votes
役所広司 193 votes
織田裕二 191 votes
堤真一 190 votes
柳葉敏郎 187 votes
田辺誠一 172 votes
佐藤浩市 131 votes
渡辺 謙 120 votes
三上博史 100 votes
高橋克典 83 votes
榎木孝明 71 votes
坂上忍 65 votes
京本政樹 60 votes
渡哲也 52 votes
細川 茂樹 51 votes
岡幸二郎 45 votes
沖雅也 36 votes
木村一八 33 votes
速水亮 32 votes
天地茂 27 votes
原 健策 22 votes
Okita Souji
中村俊介 1194 votes
滝沢君 547 votes
菅野良一 525 votes
国分太一 368 votes
島田順司 353 votes
東山紀之 299 votes
香取慎吾 282 votes
及川光博(ミッチー) 254 votes
野村萬斎 226 votes
筒井道隆 163 votes
松岡昌宏(TOKIO) 159 votes
いしだ壱成 131 votes
押尾 学 123 votes
長瀬智也 121 votes
木村拓也 120 votes
中川勝彦 106 votes
織田裕二 103 votes
和泉元彌 99 votes
中居正広 97 votes
ジャッキーチェン 85 votes
小原 裕貴 82 votes
大沢 健 64 votes
反町隆史 62 votes
辻 輝猛 49 votes
川村隆一 45 votes
橋爪 淳(若大将天下御免!の頃の) 32 votes
草刈正雄 32 votes
高橋伸顕 28 votes
小沢けんじ 26 votes
有川 博 25 votes
Serizawa Kamo
中尾彰 539 votes
篠田剛(CaramelBox) 393 votes
内藤剛志 264 votes
松本人志(ダウンタウン) 154 votes
松山千春 116 votes
安岡 力也 115 votes
巨人の清原 100 votes
石橋貴明 86 votes
江守徹 84 votes
赤星 昇一郎 58 votes
みのもんた 45 votes
萩原流石 43 votes
ガッツ石松 43 votes
萩原健一 42 votes
さんま 37 votes
梅宮辰雄 35 votes
西岡 徳馬 31 votes
伊集院 光 28 votes
松方弘樹 26 votes
津川 雅彦 25 votes
三國連太郎 22 votes
前沢慎二 20 votes
三沢光晴(全日本プロレス) 20 votes
地井武男 20 votes
広瀬匠(現広瀬裕) 19 votes
玄田哲章 15 votes
遠藤 辰雄 15 votes
西川のりお 14 votes
地井武男 12 votes
前田 吟 12 votes
Sannan Keisuke
椎名桔平 473 votes
大内厚雄(CaramelBox) 440 votes
辰己琢郎 266 votes
ミスチルの桜井 123 votes
東山 紀之 104 votes
阿部 寛 103 votes
稔 幸 85 votes
榎木孝明 68 votes
保坂尚樹 67 votes
田辺誠一 57 votes
筧利夫 53 votes
三浦 浩一 49 votes
金城 武 41 votes
岡田達也(CaramelBox) 38 votes
ウド鈴木 32 votes
永島敏行 29 votes
萩原 聖人 22 votes
古谷 一行 21 votes
小川輝晃 19 votes
アルフィーの坂崎さん 17 votes
前沢慎二 16 votes
小林 稔持 16 votes
根津甚八 14 votes
司祐輝 13 votes
柴田 恭兵 13 votes
桂三枝 12 votes
萩原流行 11 votes
千聖 10 votes
赤井英和 9 votes
蟹江 敬三 6 votes
Itou Kashitaro
及川光博(ミッチー) 559 votes
真田広之 (Sanada Hiroyuki) 411 votes
大内厚雄(CaramelBox) 390 votes
野村萬齋 359 votes
京本 政樹 260 votes
Gackt 77 votes
東山紀之 61 votes
福山雅治 46 votes
辰巳琢郎 43 votes
エスパー伊東 37 votes
本木雅弘 33 votes
近藤正臣 27 votes
山口祐一郎 26 votes
にしき愛 25 votes
西村雅彦 24 votes
東儀 秀樹 21 votes
内海光司 19 votes
大沢たかお 18 votes
風間トオル 16 votes
吉岡毅志 15 votes
真田 広之 12 votes
ベイスターズの小宮山 9 votes
HAKUEI 7 votes
原田 甲子郎 6 votes
官直人 5 votes
小川敦志 5 votes
麗蒔(ROUAGE) 5 votes
梅澤雄太 5 votes
片岡俊文 5 votes
飯島秀圭 4 votes
Nagakura Shinpachi
堂本剛 656 votes
浅野忠信 214 votes
福山雅治 (Fukuyama Masaharu) 118 votes
岡田准一 106 votes
井ノ原快彦(V6) 96 votes
久城 彬 94 votes
岸谷吾朗 88 votes
山口達也 86 votes
原田泰三(ネプチューン) 47 votes
高橋克典 43 votes
中居正弘 43 votes
ベイスターズ佐々木 主浩 29 votes
本田博太郎 28 votes
倉田てつを 27 votes
堤大二郎 27 votes
佐藤浩市 25 votes
渡辺謙 24 votes
柴田恭平 23 votes
萩原聖人 22 votes
大沢たかお 21 votes
アントニオ 猪木 19 votes
宮本 浩次(エレファントカシマシ) 17 votes
大洋あゆ夢 15 votes
保坂直輝 14 votes
大地康雄 12 votes
萩原流行 12 votes
有川 正治 10 votes
中条 きよし 9 votes
大橋 吾郎 7 votes
大島宇三郎 7 votes
Saito Hajime
渡部篤郎 415 votes
阿部寛 313 votes
稲垣吾郎 249 votes
真田広之 165 votes
豊川悦司 141 votes
浅野忠信 120 votes
木村拓哉 102 votes
野村萬斎 101 votes
織田 裕二 88 votes
袴田吉彦 85 votes
草なぎ剛 77 votes
反町隆史 69 votes
佐藤浩市 59 votes
松岡昌弘 54 votes
左右田 一平 48 votes
原田龍二 39 votes
岡田達也 35 votes
深江卓次 31 votes
松田優作 28 votes
京本政樹 22 votes
土門 廣 22 votes
西村雅彦 19 votes
藤田まこと 14 votes
阿藤海 11 votes
立木文彦(声のみ) 11 votes
中康治 11 votes
隆 大介 10 votes
西川きよし 10 votes
大滝純 10 votes
石橋凌 9 votes
Takeda Kanryusai
西村雅彦 243 votes
ユースケサンタマリア 151 votes
モト冬樹 46 votes
佐戸井け��太 41 votes
ピーコ 37 votes
藤井隆 35 votes
森本レオ 22 votes
火野 正平 22 votes
ジャニーさん(ジャニーズの社長) 21 votes
さんま 19 votes
夏実よう 19 votes
おいかわ 13 votes
チョコボール向井 12 votes
清水章吾 11 votes
おすぎ 10 votes
桂 小枝 10 votes
myself 9 votes
井出らっきょ 9 votes
中尾公紀 9 votes
GISHO 8 votes
ウド鈴木 7 votes
鳥肌実 7 votes
六平直政 7 votes
ポール牧 5 votes
Yasumicha'n 4 votes
よしざわ 4 votes
おいら 4 votes
藤原義明 3 votes
大木凡太 3 votes
夏実よう 3 votes
Inoue Genzaburo
篠田剛 (CaramelBox) 356 votes
渡辺 いっけい 334 votes
片岡鶴太郎 182 votes
いかりや長介 173 votes
小林ねんじ 93 votes
坂上 二郎 61 votes
森本レオ 56 votes
いかりや長助 40 votes
斉藤 洋介 36 votes
谷啓 34 votes
坂田利夫 29 votes
和泉史郎 26 votes
藤村俊二 24 votes
地井武男 21 votes
樋浦勉 21 votes
井上竜夫(吉本新喜劇) 19 votes
モンキーパンチ 15 votes
森繁久弥 15 votes
小杉十郎太(声のみ) 15 votes
北村 英三 13 votes
笹野 高志 12 votes
不二子におまかせ 11 votes
すし屋の大将 10 votes
ナナシー 9 votes
地井武男 9 votes
小橋けんじ 8 votes
大工の原産 8 votes
大工の原産 8 votes
Yasumicha'n 7 votes
O-JIRO 6 votes
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地獄の黙示録 ポスター APOCALYPSE NOW 日本公開1980 AD:EIKO ishiioka 石岡瑛子 illustration;HARUO takino 滝野晴夫 #地獄の黙示録 #APOCALYPSE NOW #APOCALYPSENOW #COPPOLA #francis coppola #石岡瑛子 #EIKO ishiioka #EIKOishiioka #滝野晴夫 #HARUOtakino#illustration #movie #Movieposter #movie poster #japan
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第12回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネス合宿(2023年8月26日-27日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202308.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/812427666889630
今年で11年目を迎えたオープン合宿。「160年の荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社&御岩山への巡礼も行う予定です。
そして、木の里農園さんのコテージを拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」での援農・収穫体験をし、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、そして冷たいスイカと花火で夏の日の夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラーの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば��培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★有機農指導担当:布施大樹さん(奥様:美木さん) ●東京都出身。東京農工大学農学部環境・資源学科卒業。在学中に沖縄の波照間島でのサトウキビ刈りアルバイトで農業に目覚める。栃木県の帰農志塾で研修後、1998年に現在地に就農。あらゆる野菜・作物の栽培、管理を行い有機農業の可能性を追求。家族で約2haの木の里農園の経営を行い、約50種類の有機野菜を全国に出荷している。
・木の里農園 http://konosato.com/ ・種継ぎ人の会 http://tanetsugibito.com/
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
■開催日:2023年8月26日(土)- 27日(日)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日27日16時頃に現地解散予定です
■集合場所: 道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694−3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)> *10時:集合場所(道の駅さとみ) ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り *10時15分〜:手打ち蕎麦ワークショップ *12時〜13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶 *13時30分〜22時頃: ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。 ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります) ・300年古民家「菊地邸」訪問 ・木の里農園にて有機野菜の調達体験 ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け ・よる花火とスイカのうたげ ・荒蒔邸の囲炉裏を囲んでのダイアローグ(対話) ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算) *22時頃:自由時間 *23時頃:就寝
<8月27日(日)> *05時:起床〜朝のさんぽ(朝陽を拝む) *06時:全員で朝食準備&朝食&片付け *08時〜:森夕花先生のマインドフルネスセッション *10時〜:清掃・片付けをし移動 *11時〜:御岩神社、御岩山巡礼リトリート(標高492m) *14時〜:日立おさかなセンター食事処で昼食&クロージング *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。 お気軽にお申し込みください。以下は参考です。 どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、 スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、 リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。 お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります) http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:15名限定 ※先着順。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
Peatixからの支払いも可能です。 https://kanglohoops202308.peatix.com/view ②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
④これにて「申込完了」となります。
■詳細パンフレットを下記よりダウンロード頂けます。雰囲気だけでもどうぞ。 https://firestorage.jp/download/0043db17b8ec86a09890b17a59239b92fbadf08d
■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
■協力:木の里農園 布施大樹さん・美木さん、深津澄世先生、田中尚也さん、本橋寿幸さん、藤井家母、実弟
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悪魔と11人の子供達 / ブルース・クリエイション(篠原章)
『悪魔と11人の子供達 』 ブルース・クリエイション (1971年(CD再発盤98年)) 日本コロムビア
はっぴいえんどとの出遭いは1970年にまで遡ります。あれから47年、ほぼ半世紀もの歳月が流れたのに、いまだにはっぴいえんどから足ヌケできていません。「人生ほぼはっぴいえんど」なんて、客観的に見ると、どこかおかしいんじゃないかと思うこともあります。
周りをみわたすと、人生ほぼビートルズとか、ストーンズとか、石原裕次郎とか、市川雷蔵とかいう連中ばかりですが、なんだかんだいっても、これらのアーティストは皆(元)アイドル、またはビッグ・スターですからね。はっぴいえんどはアイドルでもビッグ・��ターでもなんでもありません。少々薄汚い、売れなかったジャパニーズ・ロック・バンドでした。
などと書き始めると、ここでもはっぴいえんどについて書くんじゃないか、と思うでしょうが、自他共に認める「はっぴいえんど系」の私も、もうあまり先が長くありません。そこでこのコラムでは、はっぴいえんど系・非はっぴいえんど系を問わず、「記憶のゴミ箱」をあちこちつつきながら、今まであまり触れたことのないアルバムやアーティストについて書き綴っていきます。ちょっとした遺書みたいなものですね。
で、第1回目のアーティストとして選んだのはブルース・クリエイション、取り上げるアルバムは『悪魔と11人の子供達』です。今や知る人ぞ知るバンドになってしまいましたが、1970年代前半の東京では間違いなくNo.1のブリティッシュ系ロック・バンドでした。
1970年代の日本のロック・シーンには3人の天才ロック・ギタリストがいました。東洋のちっぽけな島国に「3人の天才ロック・ギタリスト」とは、神様もずいぶん大サービスしたものですが、うちひとりがこのブルース・クリエイションの竹田和夫だったのです(他の2人は鈴木茂と高中正義)。
彼らのことを知ったのは1970年。ブルース・クリエイションは、『ニューミュージック・マガジン』のライブ情報の常連だったのです。が、観たことはありませんでした。当時は山梨県甲府市に住む中2でしたから、新宿まで2時間弱といえ、両親がライブ通いなど許そうはずがありません。
後に「ナイアガラ音頭」で有名になる布谷文夫が、ボーカリストを務めた第一期ブルース・クリエイションのファースト・アルバム『ブルース・クリエイション』は、1970年時点ですでに出ていたのですが(1969年10月リリース)、当時の日本ロックをめぐる情報環境は劣悪でしたから、このアルバムの存在は知りませんでした。『ブルース・クリエイション』は、だいぶ後になってから聴きましたが、竹田和夫の天才ぶりはよくわかるものの、折角の布谷文夫の声を生かしきれていない、ショボショボのブルース・ロックだと思いました。
1971年8月、両親を説得して、数人の友人たちと第3回全日本フォーク・ジャンボリー【岐阜県椛の湖畔(中津川市)で開催】に出かけました。いわゆる中津川フォーク・ジャンボリーですね。無論お目当てははっぴいえんどですが、2日間にわたって数え切れないほどのアーティストを観ることができました。そのなかにカルメン・マキ&ブルース・クリエイションがいました。ブルース・クリエイションが、「時には母のない子のように」からロック歌手に転身したばかりのカルメン・マキをサポートしていたのです。
1971年のブルース・クリエイションが「黄金時代」で、メンバーは竹田和夫(g)、大沢博美(v)、佐伯正志(b)、樋口昌之(d)。大沢を除くブルクリがカルメン・マキのサポートを始めたのもこの年のことでした。アルバム『カルメン・マキ/ブルース/クリエイション』も1971年9月に出ています。
カルメン・マキ&ブルース・クリエイションはメインステージの出演者でした。迫力はありましたが、マキの声がずいぶんうわずっていたという記憶があります。こちらがジャニス・ジョプリンみたいなパフォーマンスを期待していたせいもあったかもしれませんが、「まだロックに慣れていない」という印象でした(カルメン・マキ&OZの時代になるとその印象は一変します)。ブルース・クリエイション単独のステージも、サブステージで予定されていたと思いますが、見逃したか、それとも同時刻に他のステージにいたのか、まったく憶えていません。
ブルース・クリエイションがナニモノかよくわからないまま、1971年8月にリリースされたセカンド・アルバム『悪魔と11人の子供達』を買いました。当時の甲府のレコード屋で日本のロックものを探すのは至難の業でしたが、偶然にもいつもレコードを漁っていた「飯島楽器」に入荷していたのです(このレコード店も今はもうありません)。甲府には中古盤屋はないし、レンタル屋もまだ存在しない時代ですから、1か月にアルバムを1枚買えるかどうかの小遣いのなかで、まさに「苦渋の決断」。棚に並ぶ英米ロックの新譜を観ないようにしながら、レジでお金を払って自宅に直行しました。
おそるおそる針を落としてぶったまげました。今ならNGタイトルですが、1曲目の「原爆落とし」はまさに英国系轟音。クリーム、ジミヘン、テンイヤーズ・アフター、レッド・ツェッペリンなどといったブリティッシュ・ハード・ロックに夢中になっていた時期でしたから、ジャストフィットです。聴いて間もなかったブラック・サバス『黒い安息日』(1970年)にも通ずるサウンドで、体の芯から打ち震えました。大沢博美の「アイ・ドン・ラブユ〜、エニ〜モア〜」という日本人英語は鼻につきましたが、竹田和夫はギターだけでなくボーカルも実にブルージー、ヘヴィなサウンドと斬新な楽曲構造にしてやられました。キーボードは入っていませんが、ギターをダビングして、ツイン・リード風にやっているところもカッコよかったのです。
ででで、忘れもしない1971年12月9日@山梨県民会館大ホール。ブルース・クリエイションがあのはっぴいえんどと一緒に甲府にやってきたのです。私にとって両巨頭相集う、こんな奇跡があろうものかと八百万の神々に感謝しました。おまけに仲の良かった先輩がたまたまライブの共催者で、私めはなんとローディーに任命されたのであります。ケーブルのつなぎ方さえ知らないのに「任せてください。ご安心を!」と売りこんだのですから、中学生ながら相当なタマだったわけです。
ケーブルやPAの準備やチェックは、結局、鈴木茂と竹田和夫を中心に先輩連がやってくれて、私はただただ感慨に浸りながら見物していただけでしたが、竹田和夫と大滝詠一が談笑するシーンまで目撃し、「えっ、ブルース・クリエイションとはっぴいえんどって仲がいいんだ!」とはしゃいだのを憶えています。「俺の選んだ道は正しかった!」と自慢したくなりました。
ライブの中身はというと…。実は情けないことに何も憶えていないのです。曲目も演奏も。相当舞い上がっていたんでしょうね。二組の「最高峰」がそこにいるだけでボクは幸せでした。「はっぴいえんどとブルース・クリエイションと一緒に日本のロックを創るんだ!」と考えながら、ステージを観ていました。裏方なんぞ手伝わなければ、もっと冷静だったと思います。
余談ですが、この日のライブはU.R.Cの仕切りでした。URCというとアンダーグラウンド・レコード・クラブ、即ちURCレコードを想い起こす人が大半でしょうが、この場合のU.R.C.は「浦和ロックンロールセンター」です。安全バンドや四人囃子のマネジメントなどを引き受けて活動するグループでした。ネットで見たら、まだ健在みたいですね。凄いことです。
翌1972年、東京の高校に進学���ました。日吉の学生アパートで一人暮らしです。「お金の続く限りライブもレコードも」と意気込んでいましたが、なんとブルース・クリエイションは上京後まもなく解散してしまったのです。しかし、当時、中学の仲間を集めて結成していたバンドでは「ブルクリ完コピ」に挑み、『悪魔と11人の子供達』収録の「原爆落とし」「悲しみ」「脳天杭打ち」「スーナー・オア・レイター」をほぼ完コピして、学園祭などで披露していました(担当はギターとボーカル)。「原爆落とし」を聴くと、今でも体と指先が熱くなってきます。ホントは、はっぴいえんども完コピしたかったのですが、入っている楽器の種類が多いだけでなく、和声(コード)が難しくて音を取れなかったので断念しました。
ところで、竹田和夫と大滝詠一の「関係」については、興味深いエピソードがいくつかあります。
1969年頃のことですが、大滝は布谷文夫を通じて交流のあったブルース・クリエイションと行動を共にしていました。布谷のアパートで、一晩中レコードを聴きながら布谷、竹田とポップスやロックについて語りあい、朝方3人で早朝ボーリングに出かける、といったような生活を送っていました。ブルース・クリエイションがステージに立つときは大滝も同行して、ときには「500マイル」をエルヴィス・スタイルで歌うこともあったといいますから、今思えばびっくりするような話です。当時すでに大滝と面識があった松本隆は、「ブルース・クリエイションのマネージャーみたいなことをやってる人」「麻雀のときやたら怒鳴る人」という大滝観だったようです。
ある日、布谷のアパートに入り浸っていた大滝が、同じく入り浸っていた竹田に、「俺、こっちの方(B面)が好きだ」といわれ、それまで放っておいたバッファロー・スプリングフィールドのシングル「フォー・ホワット」(B面は「ドゥ・アイ・ハフ・トゥー」)を聴くことになったと伝えられています。大滝はこのときバッファローの良さを初めて理解し、それを細野晴臣に伝えたことではっぴいえんどに誘われます。また、「やっぱりオリジナルを自分でやった方がいいよ」という竹田のアドバイスで、大滝が「初めて音楽に趣味以上のものを見出した」というエピソードも残されています。大滝詠一がはっぴいえんどで活躍し、アーティスト・作曲家として大成するきっかけは竹田和夫によってもたらされていたのです。人と人の縁とは実に異なものです。
今、『悪魔と11人の子供達』を聴くと、「あれれ、このベースライン音がずれてるじゃん」とか「ドラムの音が悪いねえ」とは思いますが、当時の興奮は鮮やかに甦ってきます。と同時に、あの頃の日本ロックのアンダーグラウンドでモニョモニョとした胎動や、なんだか妙に青臭かった東京の空気が愛おしく思えます。
【篠原章(批評.COM主宰・評論家・経済学博士(元大学教授))】 1956年生まれ。音楽分野の主著に、『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)、おもな共著書に『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『日本ロック大百科』(宝島社・1992年4月)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)『大滝詠一スクラップ・ブック』(ミュージック・マガジン社・2015年)など。経済や沖縄問題に関する著作も多い。 ■公式サイト:http://hi-hyou.com ■twitter:@akiran0723 ■Facebook:akira.shinohara1
#barplasticmodel#ゴールデン街#バープラスチックモデル#80年代バー#80年代#80s#悪魔と11人の子供達#ブルース・クリエイション#はっぴいえんど#細野晴臣#大滝詠一#竹田和夫#松本隆#鈴木茂#大沢博美#佐伯正志#樋口昌之#カルメン・マキ#布谷文夫#篠原章#日本ロック雑誌クロニクル#日本ロック大百科
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風月句会
2023年7月16日
於:川崎市多摩市民館
坊城俊樹選 栗林圭魚選
坊城俊樹選 特選句
坊城俊樹選 特選句
田舎家の土間のだんまり朝曇 要 炎帝の遣わす鴉黒く群れ 千種 会釈する日傘に顔をなほ深く 千種 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 飴色に枯れ空蝉の垂れ下がる 久子 古民家の故郷の匂ひ壁に黴 経彦 三猿の酔ふ草いきれ庚申塔 眞理子 古民家の茅屋根匂ふ炎天下 三無
坊城俊樹選 並選句
古代蓮名残の花托揺らすのみ 久子 高々と化粧ひの樹てふ夏木立 慶月 この角を曲がる標や立葵 要 黒揚羽光と影を翻し 三無 蝉声の細く嫋やか限りなく 圭魚 夏蝶の万葉歌碑を二度廻り 慶月 店蔵の梁や柱や灯涼し 眞理子 茅葺の軒にさ揺らぐ釣忍 幸風 談笑の弓道部員夏袴 久子 紫陽花の径万葉の歌碑に沿ひ 圭魚 鋭き鳥の声を覆ひて蝉の声 圭魚 滝落つる目立たぬ水と目立つ水 三無 甘やかな汀の音や夏の蝶 久子 蝉声の鋭し赤駒の歌碑を抜け 圭魚 赤駒の歌碑をなぞりて蝸牛 幸風 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 三方を開け放したる夏座敷 久 涼しさを見せては揺るる大欅 三無 閂を物ともせずに凌霄花 幸風
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栗林圭魚出句
栗林圭魚出句
紅の蓮ふっくらと耀へる 武蔵野の大地親しき蓮の水 鋭き鳥の声を覆ひて蝉の声 蝉声の鋭し赤駒の歌碑を抜け 紫陽花の径万葉の歌碑に沿ひ おにぎりの重きが美味し夏休み 蝉声の細く嫋やか限りなく
栗林圭魚選 特選句
栗林圭魚選 特選句
蓮花の水面の余白空の青 亜栄子 カラフルな浮輪乗り合う市民バス 久 じゃぶじゃぶと揃ひのティーシャツ水遊び 三無 咲き足せる泰山木の真白かな 秋尚 森少し膨らませをり蝉しぐれ 慶月 水音に誘はれつつ灼くる道 眞理子 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 ひとときの静謐滝に対峙して 久子
栗林圭魚選 並選句
風撫でてゆく紅蓮の色仄か 秋尚 古代蓮名残の花托揺らすのみ 久子 涼風や茶巾干しある通し土間 久子 大賀蓮凛然池を覆ひをり 軽象 蝉時雨木漏れ日抜けて続くなり ます江 黒揚羽光と影を翻し 三無 夏の日の茅葺き色を失ひて 軽象 バス停に風一叢の小判草 要 蝉時雨一本道を白く染め 久 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 池に影つくりて蓮の優雅なる ます江 凌霄花仰ぎ見る空途中にも 亜栄子 武蔵野の風よく通る夏座敷 要 蜻蛉生る池を囲みし草深き 秋尚 小流れの石の光れる梅雨晴間 要 夏萩や鯉はしずかに翻る 炳子 赤駒の歌碑をなぞりて蝸牛 幸風 枝高く渡る欅の青葉風 秋尚 涼しさを見せては揺るる大欅 三無 岩座の万葉歌碑や蝉時雨 炳子
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欲望の管理
桜が咲いている。
4月某日。
朝食を食べながら、父が流し見をしている朝ドラを観る。
古関裕而がモデルのドラマだそうだ。古関裕而といえば「六甲おろし」「闘魂こめて」「スポーツマンショー」と野球ファンとしては馴染み深い。昨シーズンが終わってから、来年のベイスターズについてずっと考えていた。オープン戦では獲得したオースティンが目覚ましい活躍をしていて、抜けた筒香の穴も埋まりそうだと喜んでいたが、今では今シーズンの開幕も危ぶまれてしまって、何処と無く喪失感を覚えている。
歌の練習とギターの練習をした。ただの気まぐれだが、身体を使って音楽すると今は気が晴れる。周りのみんなは思っている以上に歌や楽器が上手いのだな。一夕一朝ではたどり着けない努力に敬服する。おれは頰を掻きながら、毎日練習できたらいい、なんて思う。運動もできたら尚良し。
10年代は終わった。もうはっきりとコロナ、あるいはコロナ以降の世界で、次の大事件まできっとそのままだ。おれたちは生活も文化も、あるいは科学も変更を余儀なくされて、急なパラダイムシフトに乗車してしまった。死なない限りは行き先のない電車に揺られるほかない。ライブハウスの店員も、百貨店の店員も、市役所の福祉課職員も、プロ野球選手も。
20年代を生きねばならないのは元々分かっていたことだが、いつか、いや今年か来年に、喪失してしまった10年代を思い返すようなアルバムを作りたい。昔のことを思い出そうとすると、世界史の資料集を読んでいる気分だ。あの頃の生活と街並み、それから気分が「あの頃」として刻まれて、それは写真や映像でもう確認するしかなくなる。その喪失と現在を往来できればいい。その時に歌を歌えるように、歌を練習している。
Frank Ocean - Caenydo
4月某日。
最後に東京へ行ってから2週間が経った。時々、友達と通話しながら酒を飲んだりする。それでも、友達と会わないで生きていくというのはそれなりに辛いものがある。
歴史のことを考えながら曲を作る。おれは歴史の本が好きだ。中世ヨーロッパの荘園制などの解説を読むとなんとも堪らない気持ちになる。きっとそこには人々の生活があった。子供が道端で遊んだり、厳しい労働のあと悔し涙を流した農夫がいたり、収穫祭で夕陽を見上げて人生に納得した母親がいたり、村の外れ者の悪口を言い合う寄り合いがあったり。その時代にしかない気分があって、普遍的な人間の行いもあったのだろう。過去に思いを馳せながらも、馳せた思いは連綿と現在に続くことになる。そのことが胸に落ちた瞬間、おれはいま長い長い滝の上流にいながら、遥か下の滝壺を眺めてるような気持ちになる。いずれおれもその滝壺に流れていき、その上流にいる他人がまた滝壺を眺めるのだろう。そのことを考えるとなんとも美しく思えるし、切なくもなるのだ。
Fer Isella - Historia
4月某日。
いまこの窮状を脱したとき、おれたちはどうなるだろう。
日々はどんどん塞ぎ込まれていき、いよいよ自室の白い壁にも飽きてきた。2019年のことを思い出す。あの時はまだシャンパンを回し飲みできたし、誰が飲んだと知らない、そこらへんに置いてある飲みかけのウーロンハイを飲むこともできた。中年の過剰な女子へのボディタッチに憤ってた頃が懐かしい。おれはいまきっと2020年の日本人の顔をしているだろう。そして、同じような顔をしている人がたくさんいるだろう。「死の舞踏」のことを思い出しながら、虚無にも似た気持ちになる。2019年は幸せな顔をしていた。それはおれ���、おれ以外の人間も。
この窮状を脱して、それは幸せであれ不幸であれ、2020年以降の表情をみんなが浮かべていたとしたら、2019年に取り残された日本人の顔はどんなに恍惚にみえるだろう。嫌味ではなく、本当にその幸せな表情がおれの胸を梳くことになるだろうし、きっとそれで気恥ずかしくもなるだろうからだ。
Saint-Saens - Danse Macabre
4月某日。
夢を見た。
中学の頃のいじめっ子から電話があった。彼らしからぬ喉を締め上げたような声で「欲望の管理の仕方が分からない」と言われた。彼がいじめをやめられないのは、彼がいじめたいと思った瞬間に、彼が周りの人間を虐げてきた成果として、誰も何も言うことなくいじめることに成功し続けているから、だと言った。いや、いじめ以外にも何も言われなくなってしまったから、欲望は常に叶えられるものとなってしまい、欲望の管理の仕方を忘れてしまったと。なに、なんでも叶うならそれでいいじゃないか、と思ったが、彼は相当に悩んでいるようだった。彼がまだ欲望を管理していた頃や、いま欲望を管理している人々をたいそう羨んでいるように聞こえた。それ自体が欲望だと言うのに。
なんとも哀れな話だと思えたし、暴虐を振りかざしていた人間の悄気ている声を聞くと、いくばくか痛快な気持ちになった。この瞬間、彼は弱々しい存在であり、おれはその弱さを包むことのできる上位の存在だった。だから、彼の狼狽に対して、慈愛をもった優しい声で相打ちを打つことができたし、君は悪くない、悪いのは君の欲望を止めようとしなかった周りだ、と何度も何度も、ねっとりと労いの言葉をかけ続けることができた。その時どんなにおれは傲慢で、蕩けた顔をしていただろう。
夢はそこで覚めた。飲みかけのまま置いていたりんごジュースを飲みながらシャワーを浴びに向かう時、少し父が離れたところでおれを見ていた。訝しげで、軽蔑すら感じるようなまなざしだった。
おれは明らかに欲望の管理を覚えることのないまま、この歳になってしまった。そしておれもまた、欲望を管理している人間を羨んでいるのだ。
Floating Points - Bias
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かつてなく老いた涙目の短歌のために
「目は口ほどに物を言うからな」の一言で自分の言葉を信じてもらえなかったら憤慨するだろうけれど、同時に、「じゃあしかたない」とも思ってしまうかもしれない。ことわざを本気で使ってくる人を相手取るとき、そのことわざの力強さに対して自分の正直な心の力は、頑張っても引き分けか根比べ競争に持ち込めるかくらいのものかもしれない。そんなことでいいのか。「口」を信用することなく、「目」に権威を求めてしまうのはなぜだろうか。
わたしの視野になにかが欠けていると思いそれは眼球めだまと金魚を買った
/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
「わたし」=「それ」=「作中主体」が「視野になにかが欠けていると思い」、「眼球と金魚を買った」。眼球の有無は「わたしの視野」の信頼にかかわるだろうか。
「わたしの視野」の信用問題。それは「わたしの視覚」の問題には回収されないだろう。「わたしの視野」を再現すること、報告すること。それは、語りの問題でもある。「わたしの語り」あるいは「わたしについての語り」。
「わたしの視野になにかが欠けていると思い」 「それは眼球めだまと金魚を買った」
と語る者がいる。一人称の「わたし」と三人称の「それ」を使い分けながら〈わたし=それ〉について語る者。あたかも三人称の「それ」に言及するように一人称の「わたし」について語ることのできる、「わたし」でも「それ」でもない語り手。
その語り手は眼球を使って〈わたし=それ〉を見たのだろうか。うーん。語り手として、わたしたちは見たことも聞いたこともないことを語ることができるけど。
それはメタ視点の〈わたし〉だろうか。メタ視点の〈わたし〉と思いたがる態度は、なんとしてでも〈わたしの視点〉を死守しようとする心に由来しないだろうか。もしも、〈わたしの視点〉が〈わたし〉の意識の圏内になかったら、どうするのか。〈わたしの盲点〉が無意識の視点として〈わたしの視点〉になりかわるとき、目が口ほどに物を言い始めるチャンスだ。目だけではない。様々な物たちが物を言い始める。指、髪、鼻、表情、性器、身長、体重、性別、世代、口癖、言い間違い、ファッション、スマホの機種、アクセサリー、食生活、インテリア、嗜好品、社会階層、家庭環境、トラウマ。〈わたしの視点〉を死守する心が〈わたしの盲点〉を前にして挫折するどころか〈無意識のわたしの視点〉をそこに見出すとき、〈わたし〉は言っていないことを言っていて、思っていないことを思っている。ヤバすぎる。無意識の解釈は信頼できる人や権威ある人にやってもらいたい。と、わたしは思うだろう。「と、わたしは思うだろう」と回収する〈わたしたち〉の法。
こんなにインクを使ってわたしに空いている穴がわたしの代わりに泣くの
深ければ深いほどいい雀卓がひそかに掘りさげていく穴は
/平岡直子「鏡の国の梅子」(同人誌『外出』2号)
〈わたし〉の個別性は〈わたしたち〉の法に抵抗できるはずだ。という主張は、きっと何度も繰り返されてきた。〈私性〉はしょせん共同体の一員としての制限された〈わたし〉のことだ、と言ってみたところで、かつての「共同体の一員」たちのなかにも、そのような意味での〈私性〉に回収されない〈この・わたし〉たちが次々と発見されるはずだ。それが本来の意味での〈私性〉だ。話は決まっている。その都度、うまく解釈を施せば、法文を変える必要はない。解釈できないものについては、例外事項として扱えばいい。例外的な〈わたし〉たち。動物、魔法使い、「ミューズ」、など。「穴」はどうしようか。
さいころにおじさんが住み着いている 転がすたびに大声がする
はるまきがみんなほどけてゆく夜にわたしは法律を守ります
/笹井宏之『てんとろり』
あるいは、〈わたし〉など言葉の遊戯の一効果にすぎない、と言ってみたとして。それが〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉ではない、と言い切れるだろうか。ヴァーチャル歌人・星野しずるの作者・佐々木あららは次のように語る。
Q.これ、そもそもなんのためにつくったんですか?
僕はもともと、二物衝撃の技法に頼り、雰囲気や気分だけでつくられているかのような短歌に対して批判的です。そういう短歌を読むことは嫌いではないですが、詩的飛躍だけをいたずらに重視するのはおかしいと思っています。かつてなかった比喩が読みたければ、サイコロでも振って言葉を二つ決めてしまえばいい。意外性のある言葉の組み合わせが読みたければ、辞書をぱらぱらめくって、単語を適当に組み合わせてしまえばいい。読み手の解釈力が高ければ、わりとどんな詩的飛躍でも「あるかも」と受けとめられるはずだ……。そう考えていました。その考えが正しいのかどうか、検証したかったのが一番の動機です。
/佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」
読み手の解釈はそんなに万能ではないだろう。「わりとどんな詩的飛躍でも」、〈わたしたち〉に都合よく「あるかも」と解釈できるだろうか。現在、そのようなことは起きているだろうか。「わからない」「好みではない」「つまらない」「興味がない」「時間がない」といったことはないだろうか。それが駄目だという話ではない。〈理想の鑑賞者〉という仮想的な存在を想定した読者論はありうるが、短歌はそれを必要としているだろうか。AI純粋読者。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに泣くの」
「わたし」は泣いていないのだとして。「穴」があるかも。泣いているかも。
誰の声?
「なんでそんなことするんだよ」で笑いたいし、なんでそんなことするんだよ、を言いたい。〈なんでそんなことをするのかが分かる〉に安心するのは、それがもう「自分」だからだ。「自分」のように親しい安心感なんて、いくつあったっていい。 でも〈なんでそんなことをするのかが分かる〉でばかり生を満たしているとどうだろう、人はそのうち、AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか。
/伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』」
やさしくて、人を勇気づけてくれる言葉だ。そう思う。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに」「AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか」
「わたし」の代わりに泣いているのは何だろう。〈わたしたち〉の法はその涙を取り締まれるだろうか。「泣くことになるんじゃないか」は「泣くな」ではない。「じゃないか」の声の震えは何だろう。もしかして、泣いてるんじゃないのか?
ころんだという事実だけ広まって誰にも助けられないだるま
もう顔と名前が一致しないとかではなく僕が一致してない
あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました
/木下龍也『つむじ風、ここにあります』
機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体
/東直子『青卵』
ナレーションのような声によって、かわいそうなものがユーモラスに立ち上がる。ナレーターの「僕」もなんだかかわいそう。「だるまさんが転んだ」という遊びはだるまを助ける遊びではない。そもそも、鬼に自分から近づいていくような酔狂な者たちは、自身がだるまである自覚があるのか。いや、このゲームにだるまは存在するのか? 助けるに値しないだろ。「顔と名前が一致しない」は、通常、自分以外の誰かに向けられる言葉だが、歌を読み進めていくとそれが「僕」に向けられた言葉であることが判明する。読者はそれに驚くだけではない。「顔と名前が一致しない」という言葉に含まれる攻撃性が「僕」自身に向けられることで、途端に空気がやわらぐのを感じて、ホッとする。笑う。あ、よかった、大丈夫だった。「僕が一致していない」と言う「僕」のユーモラスなかわいそうさは、このような言葉のドラマによって作られている。お前、かわいそうだな、でも大丈夫そうだ。〈立てるかい 君が背負っているものを君ごと背負うこともできるよ/木下龍也〉。アンパンマンとトーマスのキメラが泣き叫んでいるらしい。「ためいき」の向こう側で。「ためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」。こちらだって、くるおしい。
「ためいき」の向こう側に、言葉が無数の涙を作れてしまうとして。〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉を超えたところに涙を作れてしまうとして。〈わたし〉の涙は計算不可能な可能性の中で生じた一効果なのだとして。涙に理由はないのだとして。やっぱり、本当に泣いている〈わたし〉もいるでしょう? 泣いている〈わたし〉を助けてあげたい? 「なんで泣いているんだよ」。
止まらない君の嗚咽を受けとめるため玄関に靴は溢れた
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
アガンベンの直感はこうである。すなわち、法にとって「思考不可能」なはずの生〔=既存の法では取り扱えない種類の「生」〕、この「生」は法にとって法の空白をなしてしまうものであるが、しかも仮にそこで留まれば、「生」は単なる法外・無法として放置されるはずであるが、しかしそういうことは決して起こることはなく、法は、「生」が顕現するその状態を例外状態や緊急事態として法的に処理しようとする。ここまでは、よい。その通りである。しかし、アガンベンは続けて、そのように「生」が法に結びつけられると「同時」に、「生」は法によって見捨てられることになると批判したがっている。今度は、「生」は、法的に法外へと見捨てられ、あまつさえ無法な処置を施されると言いたがっている。しかし、その見方は一面的なのだ。主権論的・法学的に過ぎると言ってもよい。というのも、「生」の側から言うなら、今度は、「生」が法外な暴力を発揮して、「生」を結びつけたり見捨てたりする法そのものを無きものとし、ひいては統治者も統治権力も無力化するかもしれないからである。そして、疫病の生とは、そのような自然状態の暴力にあたるのではないのか。
/小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、161-162頁、〔〕内注記は平
実状に合わせて、法文書の中に例外事項をひたすら増やし、複雑にすること。その複雑な法文書を読み解ける専門家機関を作ること。それを適切に運用すること。そういった法の運用では〈わたしたち〉の生を守ることができないような事態に直面したとき、法よりも共通善が優先され、法が一時的に停止される。「例外状態」。法の制約から解放された権力が動き出すだろう。法が停止した世界において、それでも法外の犯罪(という語義矛盾)を統制するため。法の制約から解放されたのは権力だけではない。〈わたし〉たちだって法外に放り出されたのだ。「ホモ・サケル」。そこには、〈わたし〉ならざる者たちが、〈わたしたち〉の法を無力化しながら、跋扈することのできる世界があるだろうか。(穂村弘が「女性」という形象の彼方に夢見た世界はそういうものだったかもしれない。*注1)
法外に流されている暴力的な涙はあるだろうか。理由のない涙の理由のなさをテクストの効果に還元して安心しようとするテクスト法学者を、その涙が無力化するだろうか。涙する眼は、見ることと知ることを放棄する。両眼視差と焦点を失いながら、けれどもたんに盲目なのではない涙目の視点。
それは哀願する。まず第一に、この涙はどこから降りてきたのか、誰から目へと到来したのかを知るために。〔…〕。ひとは片目でも見ることができる。目を一つ持っていようと二つ持っていようと、目の一撃によって、一瞥で見ることができる。目を一つ喪失したり刳り抜いたりしても、見ることを止めるわけではない。瞬きにしても片目でできる。〔…〕。だが、泣くときは、「目のすべて」が、目の全体が泣く。二つの目を持つ場合、片目だけで泣くことはできない。あるいは、想像するに、アルゴスのように千の目を持つ場合でも、事情は同じだろう。〔…〕。失明は涙を禁止しない。失明は涙を奪わない。
/ジャック・デリダ『盲者の記憶』、155-156頁
涙目の視点。
振り下ろすべき暴力を曇天の折れ曲がる水の速さに習う
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
色彩と涙の国で人は死ぬ 僕は震えるほどに間違う
価値観がひとつに��まりゆくときの揺らいだ猫を僕は見ている
ゆっくりと鳥籠に戻されていく鳥の魂ほどのためらい
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
「振り下ろすべき暴力」などないと話は決まっている。合法の力と非合法の暴力とグレーゾーンがあるだけだ。倫理的な響きをもつ「べき」をたずさえた「振り下ろすべき暴力」などない。語義矛盾、アポリア。けれども、「法外の犯罪」などという語義矛盾した罪の名を法的に与えられるその手前、あるいはその彼方での〈わたし〉たちの跋扈を、「振り下ろすべき暴力」という名の向こうに想像してみてもいい。
語義矛盾のような〈わたし〉は語義矛盾のような言葉を聞くことができる。「世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間」(塚本邦雄)。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。文語定型詩は、二十一世紀の現実に極微の効用すらもちあわせていない。一首の作品は今日の現実を変える力をもたぬのと同様に、明日の社会��革める力ももたない。 私は今、その無力さを、逆手にもった武器として立上がろうなどと、ドン・キホーテまがいの勇気を鼓舞しようとは思わない。社会と没交渉に、言葉のユートピアを設営する夢想に耽ろうとももとより考えていない。 短歌は、現実に有効である文明のすべてのメカニズムの、その有効性の終わるところから生れる。おそらくは声すらもたぬ歌であり、それゆえに消すことも、それからのがれることもできぬ、人間の煉獄の歌なのだ。世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間に、影も音もなく密着し、彼を慰謝するもの、それ以上の機能、それ以上の���効性を考え得られようか。 マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
/塚本邦雄「反・反歌」『塚本邦雄全集』第八巻、28頁
「現実を変える力」を持たぬ「世界の変革者」は、通常の意味では変革者ではない。有罪と裁かれる日も無罪放免となる日も迎えることはない。ということは、その「変革者」は囚獄の中にも現実の中にも生きる場所を持たない。そんな人間いるのか。もしも批評家がその変革の失敗を裁くことでその人間に生きる場所を与え、歴史に刻むならば、その失敗がそもそも不可能な失敗であったことを見落としてしまうだろう。なんて無意味なこと。けれども、目指されていた変革も失敗の裁きもなしに、まったく別の道が開かれることがある。そういう想像力は必要だ。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。
マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
これらのメッセージを、塚本邦雄がそう言っているのだから、と素朴に真に受けてはならないだろう。マス・メディアに随順するのか、塚本邦雄に随順するのか、そういった態度。
筋肉をつくるわたしが食べたもの わたしが受けなかった教育
/平岡直子「水に寝癖」
洗脳はされるのよどの洗脳をされたかなのよ砂利を踏む音
/平岡直子「紙吹雪」
「そうなのよ」「そうじゃないのよ」と口調を真似て遊んでいると「砂利を踏む音」にたどり着けない。どんな人にも「わたしが受けなかった教育」があるし、なにかしら「洗脳はされる」。だからなんだよ。今、口ほどに物を言っているのは何。「砂利を踏む音」。くやしい。
リリックと離陸の音で遊ぶとき着陸はない 着陸はない
/山中千瀬「蔦と蜂蜜」
気付きから断定、発見から事実確認、心内語的つぶやきから客観的判断へと、フレーズの相が転移するリフレイン。「リリックと離陸の音で遊ぶとき」、その「とき」に拘束されて、ある一人の人が「着陸はない」と気づいた。気づいてそう言った。けれども、二度目の「着陸はない」からは、「とき」や〈気付きの主体〉の制約を受けないような、世界全体を視野におさめているかのような主体による断定の声が聴こえてくる。聴こえてきた。
「着陸はない」世界に気づいた主体が、一瞬にしてその世界を生ききった上で、振り返り、それが真実であったと確かめてしまった。一瞬で老いて、遺言のような言葉を繰り出す。事実と命題の一致としての真理は、その事実を確認できる主体にだけ確かめることができるのだ。〈わたしたち〉にとって肯定も否定もできない遺言。「だってそうだったから」で提示される身も蓋もない真理は「なんで」を受け付けない。
世界の真理がリフレインの効果によって、身も蓋もない仕方で知らされること。説明抜きに、真理を一撃で提示するという暴力からの被害。それは、爆笑する身体をもたらすことがある。自身の爆笑する身体に「なんで爆笑してるんだよ」とツッコミをしようと喉に力を込めながら、その声を捻り出すことはできずに、ひたすら身体を震わせて笑う。「アッ」「ハッ」「ハッ」「ハッ」と声を出しながら息を吸う。呼吸だけは手放してならないのは、息絶えるから。「着陸はない」と二度繰り返して息絶えてしまうのは、歌の主体だけなのだ。
もちろん、「着陸はない⤵︎ 着陸はない⤵︎」のような沈鬱な声、「着陸はない⤴︎ 着陸はない⤴︎」のような無邪気な声を聞き取ってもいい。「着陸はないヨ」「着陸はないネ」「着陸はないサ」のように終助詞を補って聞くこと。リフレインの滞空時間が終わるやいなや一瞬にして息絶えてしまうような声が〈わたしたち〉に求められていないのだとしたら。
「終」助詞というのは、近代以後の命名だが、話し言葉の日本語の著しい特徴であって、話し相手に向かって呼びかけ、自分の文を投げかける働きの言葉である。だから見方によれば、文の終わりではないので、自分の発言に相手を引き込もうとしている。さらに省略形の切り方では、話し相手にその続きを求めている、と言えよう。このように受け答えされる文は、西洋語文が、主語で始まって、ピリオドで終わって文を完結し、一つ一つの文が独立した意味を担っているのとは大きな違いである。
/柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』、91頁
近代に、西洋の文章を模倣するように、「〜は」(主語)で始まって「た。」(文末)で終わる〈口語文〉が作られた。それ以前には、日本語文には西洋語文に対応するような明確な〈文〉の単位は存在しなかった。句読点にしても、活字の文章を読みやすくするための工夫(石川九楊、小松英雄の指摘を参照)と、ピリオド・カンマの模倣から、近代に作られた。
言文一致体=口語体が生み出されてから100年が経つ。けれども、句読点をそなえた〈口語文〉を離れるやいなや、「着陸はない」が「。」のつく文末なのか終助詞「ヨ・ネ・サ」を隠した言いさしの形なのか、いまだに判然としないのが日本語なのだ。
ところで、近代の句読点や〈文〉以前に、明確な切れ目を持つ日本語表現として定型詩があったと捉えられないだろうか。散文のなかに和歌が混じる効果。散文の切れ目としての歌、歌の切れ目としての散文。
句読点も主語述語も構文も口調や終助詞も関係なく、なんであれ31音で強制的に終わること。終助詞を伴いながらも、一首の終わりに隔てられて、返される言葉を待つことのない平岡直子の歌の声。「着陸はない 着陸はない」のリフレインの間に一気に生ききって、どこかに居なくなってしまう声。
老いについての第一の考え方は、世論においても科学者の世界においても広く共有されている目的論的な考え方で、それによれば、老いとは生命の自然な到達点で、成長のあとに必然的に訪れる衰えである。老いは「老いてゆく」という漸進的な動きから離れて考えることはできないように思える。〔…〕。飛行のメタファー〔上昇と下降〕はまさに、老いをゆっくりと少しずつ進んでゆく過程として性格づけることを可能にする。それは、人生の半ばに始まり、必ずや直線的に混乱なく進むとは限らないとしても、段階を順番に踏んでいくのである。〔…〕。第二の考え方は老いを、漸進的な過程としてだけでなく、同時に、また反対に、ひとつの出来事として定義する。突然の切断、こう言ってよければ、飛行中の事故アクシデント。どれほど穏やかなものであったとしても、すべての老化現象の内には常に、思いもよらなかった一面、破局的な次元が存在するだろう。この、思いもよらなかった出来事としての老化という考え方は、第一の図式を複雑なものにする。老化について、老いてゆくというだけではどこか不十分なのだと教えてくれる。それ以上の何か、老化という出来事が必要なのである。突然、予測のつかなかった出来事が、一挙にすべてを動揺させる。老いについてのこの考え方は、徐々に老いてゆくことではなく、物語のなかでしばしば出会う「一夜にして白髪となる」という表現のように、その言葉によって、思いがけぬ、突然の変貌を意味することができるとすれば、瞬時の老化と呼びうるだろう。〔…〕。かくして、その瞬時性において、自然なプロセスと思いもよらぬ出来事の境界が決定不能になるという点で、老いは死と同様の性格をもつだろう。人が老いて、死んでゆくのは、自然になのか、それとも暴力的になのか。死とは、そのどちらかにはっきりと振り分けることができるものだろうか。
/カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』、76-80頁、〔〕内注記は平
徐々に老いてゆくことと瞬時に老いること。それはたんに速度の問題なのではない。同��性を保ちながら徐々に老化することと、他なる者になるかのように突如として老化すること。衰えること、老成すること、年齢に見合うこと、若々しいこと、老けていること、大人びていること、子供っぽいこと。幼年期からの経験や思考の蓄積からスパッと切れて無関心になってしまうこと、来歴のわからない別の性格や習慣を持つこと。長期にわたって抑え込まれていたものの発現や変異、後から付け加えられたものの混入や乗っ取り。
自分の周りで生きている人々が老いてゆく過程に、私たちは本当に気づいているだろうか。私たちはたしかに、ちょっと皺が増えたなとか、少し弱ったなとか、体が不自由になったなと思う。しかし、そうだとしても、私たちは「あの人は今老いつつある」と言うのではなく、ある日、「あの人も老いたな」と気づくのである。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、80-81頁
内山昌太の連作「大観覧車」では、肺癌を診断された「父」の、余命一年未満の宣告をされてから死後までが描かれる。
父のからだのなかの上空あきらかに伸び縮みして余命がわたる
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
父も死に際は老いたる人となり寝室によき果物を置く
壊れたる喉をかろうじて流れゆくぶどうのひとつぶの水分が
/内山昌太「大観覧車」(同人誌『外出』三号)
「父も死に際は老いたる人となり」。あっという間の出来事だったのではないか。おそらく、「父」はもともと老人と言ってもいい年齢だった。けれど、「死に際」に「老いたる人」となったのだ。
定型と技巧を惜しみなく使って肉親の死を描くこと。「死」は定型と技巧かもしれない。「かもしれない」の軽薄さを許してほしい。定型の両義性。自然であり非−自然であるもの。なんであれ31音で強制的に終わることは人間が作り出した約束事に思われるかもしれないが、それは〈わたしたち〉が自由に交わせる約束よりは宿命に近いだろう。約束は破ることが可能でなければ約束ではない。あるいは、破られる可能性。偶然と出来事。宿命に対する技巧とは約束を作ることだろう。そこに他者がいる。あるいは〈わたし〉が他者になる。
〈作品化することは現実を歪めることである〉という考え方がある。事実と表象との対応に着目する立場。もしも〈父のふくらはぎが「一日花のごとくにしぼむ」かのように主体には見えた〉〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉とパラフレーズするならば、作品は現実を歪めていないと言える。「見えた」「書いた」のは本当だからだ。けれど、そんな説明でいいのだろうか。また口よりも目を信用している。「一日花のごとくにしぼむ」を現実として受け入れられないだろうか。作品をそれ自体一つの出来事として。
「しぼむ」という動詞の形。活用形としては終止形だが、テンス(時制)やアスペクト(相:継続、瞬時、反復、完了、未完了など)の観点から、「タ形」(過去・完了)や「テイル」(未完了進行状態・完了結果状態などさまざま)と区別して「ル形」と分類される形である。西洋文法に照らし合わせるなら、「不定形」あるいは「現在形」だ。(日本語では〈明日雨が降る〉のように「ル形」で未来を表現することもある)。
「しぼんだ」(過去・完了)や「しぼんでいる」(現在・進行)と書かれていれば、〈主体の知覚の報告〉として読めるかもしれない。時制についても、相についても、語り手の位置に定位した記述として読める。けれども「しぼむ」はどうだろう。西洋文法において「不定形」とは、時制・法(直接法、仮定法、条件法など)・主語の単複と人称といった条件によって決められた形(=定形)ではない、動詞の基本的な形のことである。
この不定形的な「ル形」を、助動詞や補助動詞を付けずに、剥き出しにして「文末」にすること。そのような「ル形」の文末は、語り手の位置に定位した時制や確認判断を抜きにした、一般的命題、あるいは出来事そのものの直接的なイメージを差し出すことがある。
柳父章によれば、近代以前にも「ル形」の使用はわりあい多いという。けれども、それは標準的な日本語の用法ではなかった。古くは和文脈の日記文でよく使われていた。漢文体や『平家物語』でも一部使われている。そして、「おそらく意識的な定型として使われたのは、戯曲におけるト書きの文体」(97頁)である(*注2)。日記文やト書きは、原則として読者への語りを想定しない書き物であるため、語法が標準的である必要がないのだ。
文末が「ル形」で終わる文体は、脚本とともに生まれたのだろうと思う。脚本では、会話の部分と、ト書きの部分とは、語りかけている相手が違う。会話の部分は、演技者の発言を通じて、結局一般観客に宛てられている。しかし、ト書きの部分は、一般観客は眼中にない。これは演技者だけに宛てられた文である。〔…〕。 文法的に見ると、ト書きの文には、文末に助動詞がついてない。〔…〕。 すなわち、ト書きの文末には、近代以前の当時の通常の日本文に当然ついていたはずの、助動詞や終助詞が欠けている。「ル形」で終わっているということは、こういう意味だった。 逆に考えると、まともな伝統的な日本文は、ただ言いたいことだけを言って終わるのではない。読者や聞き手を想定して、文の終わりには、話し手、書き手の主体的な表現を付け加える。国文法で言う「陳述」が加わるのである。「ル形」には、それが欠けているので、まともな日本文としては扱われていなかった、ということである。
/柳父章、前掲書、99−100頁
このような来歴の「ル形」は、その後、西洋語文の「現在形」や「不定形」の翻訳で使われるようになり、より一般化した。それをふまえた上で、読者を想定した日本文の中で「ル形」を積極的に使ったのは夏目漱石だった。歌に戻ろう。
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
「しぼむ」のタイムスパンをどう捉えるか。ある時、ある場所で、「一日」で「しぼむ」のを〈見た〉のだろうか。おそらくそう見えたのだろう。けれども、他方で、この歌は「その時、その場」の拘束から逃れてもいる。「しぼむ」には「文の終わり」の「話し手、書き手の主体的な表現」が欠けているのだ。ト書きを読めば、ある時ある場所に拘束されずに、何度でもそれを上演し体験できる。それに似て、この「しぼむ」は読者に読まれるたびにそこで出来事を起こすだろう。
「しぼむ」について、今度は「話し手、書き手」の位置ではなく、「言葉のドラマ」を参照しよう。
「巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくに」
「ふくらはぎ」と「花」は決して似ていない。「花」と言われると、人は通常〈咲いている花〉を思い浮かべるだろう。「一日花」は一日の間に咲いてしぼむ花のことだが、だからこそ、咲いているタイミングが貴重に切り取られるのではないか。「ふくらはぎ」と〈咲いている花〉は形状がまったくちがう。にもかかわらず、〈ふくらはぎ・一日・花の〉のように、「が」や「は」といった助詞を抜きに、似ていないイメージ・語彙が直接に連鎖させられている。意味的にもイメージ的にも、この段階では心許ない。結句にいたっても、「ごとくに」に四音が割かれており、一首全体が無事に着陸する望みは薄いだろう。〈ふくらはぎ・一日花の・ごとくに〉と言われても、「ふくらはぎ」はまったく「花のごとく」ではないのだから。
最後の最後で、「しぼむ」の突如の出現が一首に着陸をもたらす。「突如」として「着陸」が訪れる。「花のごとく」なのは「ふくらはぎ」ではなくて、それが「しぼむ」ありさまであったことが、最後に分かる。
うまく着陸したからといって、〈ふくらはぎ・一日花の〉における語と語の衝突の記憶がすぐに消えてなくなることはない。でなければ、「しぼむ」がこのように訪れてくれることはない。衝突事故をしても着陸すること。「ふくらはぎ」にまったく似たところのない、異質なものとしての「花」が、助詞抜きで直接的に連鎖させられることによって生じる読者の戸惑い。その戸惑いが、結句未満の最後の三音で解消されるという出来事。
「話し手、書き手」から遊離した「言葉のドラマ」の中の「しぼむ」は、もちろん書き手の感性の前に現れた「しぼむ」でもあっただろう。〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉は間違いではない。「父」と〈わたし〉のドラマを「言葉のドラマ」へと還元して、蒸発させてしまってはいけない。それは単純化だ。「社会と没交渉」になってたったの二歩で「言葉のユートピアを設営」してしまうような、一般論として振りかざされる「作者の死」は心が狭い。
靴を脱ぎたったの二歩で北限にいたる心の狭さときたら
/平岡直子「視聴率」(同人誌『率』9号)
内山の作品には、「老い」について「ル形」を使いながら〈語り手=書き手の声〉を聞かせる作品が他にもある。
読点の打ちかたがよくわからないまま四十代、中盤に入る
/内山晶太「蝿がつく」(同人誌『外出』二号)
「ル形」の効果だろうか。歌の語り手はあきらかに書き手だが、仮に書き手である内山昌太が嘘をついていたとしてもこの歌は成り立つだろう。歌のなかでの語り手=書き手=〈わたし〉は「内山昌太」から遊離している。だからといって架空のキャラクターを立てる必要もない。〈書き手の声〉が〈書くこと〉について語っているという出来事が確認されれば、ひとまずはいい。
結局のところ、「読点」は適切に打たれたのかわからない。「三十代」「四十代」という十年のサイクルは規則的に進むが、内山はそこに不規則性、あるいは規則の曖昧さを差し込もうとしている。不規則はどこから生まれるのか。規則が明文化されているかどうか、規則がカッチリしているかどうか、ではない。規則を使うとき、従うときに、不規則が生まれる。「使う」「従う」といった行為。そこには、うっかりミスや取り違え、愚かさや適当さがある。
内山自身による先行歌がある。
ペイズリー柄のネクタイひとつもなく三十代は中盤に入る
/内山晶太『窓、その他』
「四十代、中盤」や「三十代は中盤」というふうに、「◯十代」と「中盤」の間に何かを差し込もうとする手がある。
十年のサイクルについて、あらかじめ目標を立てるのであれ、後から反省するのであれ、「◯十代」という表記はその十年の全体を一挙に指示する。自動的で、明快で、有無を言わせない〈十年の単位〉に対して、「中盤」という曖昧な幅を当ててみること。
「三十代中盤」や「四十代中盤」という表記であったなら、「中盤」は〈十年〉の中の一部として回収されてしまうかもしれない。けれど、「三十代は中盤に入る」、「四十代、中盤に入る」という表記によって、徐々に進行しながら曖昧にその意味や価値を変質させていく、一様ならざる時間の幅へと〈十年〉が取り込まれていくかのようだ。「中盤」っていつからいつまでなんだ。きっと、サイクルごとに「中盤」の幅は伸び縮みするだろう。3年、5年? 8年くらい中盤で生きる人もいるのかな。
眠ること、忘れることを知らないで、昼的な覚醒を模範とする精神には、決して捕捉されることのない曖昧な時間。その時間のうちに〈十年の単位〉を巻き込んで、一身上の都合から伸び縮みするリズムの個人的な生を主張する視点。〈君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている/大森静佳〉と好対照だ。というのは、「リズムの個人的な生」の主張は、それを意識すればその都度タイムリミットのように減っている〈十年〉への不安とペアなのだから。
「中盤に入る」は淡々とした地の文の語りのようでもありながら、規則的に進行する〈十年〉のテンポに従うことのない「中盤」の速度を確保しようとする〈わたし〉の主体的な決意の言葉のようでもある。歌から聞こえてくる声が、三人称視点的な叙述なのか一人称的な心内語やセリフなのかの微妙な決定不可能性は、〈十年の単位〉について社会に語らされている主体と「中盤」を能動的に語っている主体のせめぎ合いに似る。
十年のサイクルは自然的な所与なのか、社会的な構築物なのか。絶対に無くなる時間の宿命を約束と取り違えること。それから、その約束を破ってしまうこと。二重のうっかりだ。だから、うっかりと変な歳のとり方をする。年齢相応じゃない。うっかりはポエジーだろう。
二つのタイプの老化、漸進的な老化と瞬時の老化は、常に強く絡み合っており、互いに錯綜し、巻き込み合っている。だから、常になにがしかの同一性が、毀損した形であっても存続し、人格構造の一部分が変化を超えて持続するのだと言う人もいるだろう。そうだとしても、どれだけ多くの人が、死んでいなくなってしまう以前に、私たちの前からいなくなり、自らを置き去りにしていくことだろう。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、93−94頁
〈わたし〉という語り手はうっかりと〈わたし〉から離脱してしまうことがある。深い意味もなく。身も蓋もないものの神秘を生み出しながら。その神秘を新たに〈わたし〉の神秘へと統合できるのか、そうではないのか。
君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている
/大森静佳『てのひらを燃やす』
「ねこじゃらし見ゆ」を受ける視点。それは「君」でも「われ」でもなく、「君の死後、われの死後」に、「まだ揺れている」と言うことのできる語り手の視点だ。語り手の案内を受けて導かれた読者の視点だ。読者の〈わたし〉はいったいどこに案内されたのだろうか。「まだ揺れている」と語る「われ」ならざる〈わたし〉はどの〈わたし〉で、「それ」はどこにいるのか。
この歌の視点について、ひとつ現実的に想像してみよう。
現実に、ある時ある場所で、「君」と「われ」が青々としたねこじゃらしを見ている。会話はなく、ねこじゃらしが揺れるのをぼうっと見ている。注意して観察しているのではなく、なんとなく、その青々とした緑色の揺れるのが目に入るがままだ。受動的で反復的な視覚体験によって、体験の主体は動くモノの側に移っていく。ねこじゃらしが揺れれば〈揺れ〉を感じ、こすれれば〈こすれ〉を感じるような体験のあり方。その時、ねこじゃらしの「青々」や「揺れ」は、「君」や「われ」が見ていようが見ていなかろうが、それとは独立に持続する運動のように現象するだろう。
持続するそれは「われ」の主観から独立してイデアルに永続するナニカというよりは、「われ」が〈意識的に見る主体=見ていることを意識する主体〉ではない限りにおいて成立するかりそめの現象だ。その現象に身を任せている間、「われ」は変性意識的な状態かもしれない。意識の持続は、見ていることの自覚ではなく、「ねこじゃらし」の「揺れ」の運動と一致する。「われ」の肉体も〈君とわれ〉の関係もそっちのけで、ねこじゃらしが揺れる。
魂がそのように「われ」から遊離していきながら、やっぱり振り返る。「われ」から遊離した、ほとんど死後的な魂の視点は振り返る。きっと、そうでなくちゃ困るのだ。振り返る視線によって、「君」と「われ」が「視野」に入る。「視野」に入れるという肯定の仕方だ。というのは、ねこじゃらしを見ている限り、「君」と「われ」は互いに「視野」に入らないはずなのだ。
〈君とわれ〉というペアの存在が、「君」も「われ」もいつか死ぬという身も蓋もない事実を絆帯として、常軌を逸した肯定をされてしまった。
「君とわれの死後にも」ではなく「君の死後、われの死後にも」と書き分けられている。「君」と「われ」のどちらが早く死ぬか、死ぬまでにどのような関係性の変化があるか、どのような経験の共有があるのか。そういったことに関心を持つ生者の視点はない。その視点があるならば、たとえば次の歌のように二者の断絶が描かれてもいい。
その海を死後見に行くと言いしひとわたしはずっとそこにいるのに
/大森静佳『カミーユ』
断絶の構図を作らずに、〈、〉で並列させられる形で肯定される関係は何だろう。生前から死後までを貫くような、〈君、われ〉の関係の直観。〈君とわれ〉の「君の死後、われの死後」への変形。その変形による肯定は、〈君とわれ〉の圏内においてはナンセンスだ。〈「君」が死んでも、「われ」が死んでも、ねこじゃらしは変わらず揺れているだろうね〉ならば、それは〈君とわれ〉の相対化だ。それで心身は軽くなるかもしれない。その軽さに促されるように〈生〉のドラマは展開するかもしれない。けれども、生前から死後までを貫く二者の並列関係の肯定にはなりえない。
〈生前から死後までを貫く二者の並列関係〉はナンセンスなフレーズだ。だからこそ、その肯定は常軌を逸している。ナンセンスな肯定が、常軌を逸した視点から、すなわち、「われ」の魂が遊離して別の生の形をとっている間にだけ持続するかりそめの語り手の視点からなされた。
語り手の視点を「死後の視点」と一息に言ってはならない。そう言ってしまうなら、語り手の位置の融通無碍な変化を見落とすことになる。「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」から「まだ揺れている」の間には、語り手の視点にジャンプがある。山中千瀬の「着陸はない 着陸はない」のリフレインと似た効果がこの歌の一字あけにおいても生じているのだ。
「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」という言い切りの裏には、〈見えるだろう〉という直観が働いている。〈直観の時〉があり、〈時〉に拘束された「言い切り」がある。
直観された真実がそのままで場を持つことは、しばしば難しい。けれどもこの歌において、その直観は、一字あけのジャンプを経て、「まだ揺れている」を言うことのできる死後的な主体によって確認されることで場を持つことになる。「まだ〜ている」においては、「ル形」とは異なり、明らかに主体による確認判断が働いているだろう。直観を事実として確かめることのできるような不可能な主体へのジャンプ。
歌が立ち上げる〈不可能な声〉がある。
直観した時点から、それを確認する時点へのジャンプ。そこには、他なる主体の声になるかのような突如の変化と、同じ一つの〈歌の声〉の持続の、二つの運動の絡み合いがあるだろう。一首は一つの声を聞かせる。言葉を強引に一つの声へと押し込めることによって、通常では不可能なことを言うことができる。通常では、ナンセンス、支離滅裂、分裂した声、破綻した言葉のように聞かれてしまうかもしれないものたちが、一つの歌となるときに、〈不可能な声〉を聞かせてくれる。どうして〈不可能な声〉を使ってまで〈君とわれ〉を視野に収めたのだろうか、という問いから先は読者に任せた。
わたしたちに不可能な声が聞こえてくるとき。
「それは眼球めだまと金魚を買った」 「穴がわたしの代わりに泣くの」 「はるまきがみんなほどけてゆく夜」 「僕が一致してない」 「機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」 「振り下ろすべき暴力」 「着陸はない 着陸はない」 「ふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ」 「まだ揺れている」
どんな声でも「あるかも」と思えるように解釈することができるのだとして、わたしたちはどんな声でも、なんであれ聞いてきたのではない。いくつかの不可能な声を聞いてきた。
「不可能な短歌の運命」を予告しつつ、あらかじめそれを過去のものにするために。不可能なものの失敗がそれを過去へと葬ったあとで、そのナンセンスな想起が不可能なものを橋やベランダとして利用できるようにするために。
/平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
2年前に僕はこんなことを書いていた。短歌を書くことも、文章を書くことも、僕にはほとんど不可能なことだった。なにが不可能だったのか。
分母にいれるわたしたちの発達、 くまがどれだけ昼寝しても許されるようなわたしたちの発達、 しかも寄道していてシャンデリア。 青空はわけあたえられたばかりの真新しくてあたたかな船。 卵にゆでたまご以外の運命が許されなくなって以来わたしたちは発達。 教科書ばかり読んでいたのでちっとも気のきいたことを言えなくてごめんなさい。 まったく世界中でわたしたちを愛してくれるのはあなただけね。 ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのにさ。 〔…〕
/瀬戸夏子「すべてが可能なわたしの家で」(連作5首目より、一部抜粋)
ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのに、ベランダから生きてもどろうとしていた。それが僕の抱えていた不可能なことだった。
*注1 穂村弘「〔…〕。それでたとえばフィギュアスケートだったら、スケート観よりも実際に五回転できるってことがすごいわけだけど、短歌においては東直子とかが五回転できて、斉藤斎藤が「いや、俺は跳びませんから」みたいな(笑)、「俺のスケートは跳ばないスケートですから」みたいなさ。僕は体質的には、本当は自分が八回転くらいできることを夢見る、跳べるってことに憧れが強いタイプでね、だから東直子を絶賛するし、大滝和子もそうだし、つばさを持った人たちへの憧れがとくに強い。だからある時期まで女性のその、現に跳べる、そしてなぜ跳べたのか本人はわからない、いまわたし何回跳びました? みたいな(笑)、「数えろよ、なんで僕が数えてそのすごさを説明しなきゃいけないんだよ」みたいな、そういうのがあった。」 座談会「境界線上の現代短歌──次世代からの反撃」(荻原裕幸、穂村弘、ひぐらしひなつ、佐藤りえ)、『短歌ヴァーサス』第11号、112頁
*注2 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』では、ト書きの比較的初期の用例として1753年に上演された並木正三『幼稚子敵討』の脚本から引用している。参考までに、以下に孫引きしておく。 大橋「そんなら皆様みなさん、行ゆくぞへ。」 伝兵「サア、おじゃいのふ。」 ト大橋、伝兵衛、廓の者皆々這入る。 …… …… 宮蔵「お身は傾城けいせいを、ヱヽ、詮議せんぎさっしゃれ。」 新左「ヱヽ、詮議せんぎ致して見せう。」 宮蔵「せいよ。」 新左「して見せう。」 ト詰合つめあふ。向ふ。ぱたぱた と太刀音たちおとして、お初抜刀ぬきがたなにて出る。 『日本古典文学体系53』岩波書店、1960年、112頁 本文で言及できなかったが、ト書き文体と口語短歌について考えるなら、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座、2019年)を参照されたい。
【主要参考文献】 ・短歌 内山昌太『窓、その他』(六花書林、2012年) 大森静佳『てのひらを燃やす』(角川書店、2013年) 大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房、2018年) 木下龍也『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房、2013年) 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房、2016年) 斉藤斎藤『渡辺のわたし 新装版』(港の人、2016年/booknets、2004年) 笹井宏之『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年) 瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』(私家版歌集、2012年) 塚本邦雄「反・反歌」(『塚本邦雄全集』第八巻、ゆまに書房、1999年)(初出は『短歌』昭和42年9月号、『定型幻視論』に所収) 堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人、2013年) 東直子『青卵』(ちくま文庫、2019年/本阿弥書店、2001年) 平岡直子 連作「水に寝癖」(『歌壇』2018年11月号) 平岡直子 連作「紙吹雪」(『短歌研究』2020年1月号) 山中千瀬『蔦と蜂蜜』(2019年) 同人誌『率』9号(2015年11月23日) 同人誌『外出』二号(2019年11月23日) 同人誌『外出』三号(2020年5月5日) 『短歌ヴァーサス』第11号(風媒社、2007年)
・その他書籍 石川九楊『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫、2015年) 沖森卓也『日本語全史』(ちくま新書、2017年) カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論 破壊的可塑性についての試論』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2020年) 小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」(『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、河出書房新社、2020年) 小松英雄『古典再入門 『土佐日記』を入りぐちにして』(笠間書院、2006年) ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』(鵜飼哲訳、みすず書房、1998年) 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』(法政大学出版局、2004年)
・ネット記事 伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』 」 佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」 平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
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The Wooden-Mortared Kingdom - Garo 20th Anniversary Memorial Issue - VARIOUS
Here’s a proper post for it. For Garo’s 20th anniversary, a massive anthology was put out collecting all of the authors that had been featured in the magazine up until then (at least it looks that way), haven’t verified). 1200 pages.
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Abe Shinichi AKASEGAWA Genpei AKI Ryuuzan AKIYAMA Shigenobu ANZAI Mizumaru ARAKI Nobuyoshi ARASHIYAMA Kouzaburou EBISU Yoshikazu FUJISAWA Mitsuo FURUKAWA Masuzou HAGA Yuka HANAWA Kazuichi HAYASHI Seiichi HIGO Tomiko HINO Hideshi HIRAKUCHI Hiromi HIRATA Hiroshi HISAUCHI Michio Hoshikawa Teppu IIKO Junzou IKEGAMI Ryoichi ISHII Hisaichi ITOI Shigesato IWAMOTO Kyuusoku KAMOSAWA Yuuji KANNO Osamu KATSUMATA Susumu KAWASAKI Yukio KIMURA Tsunehisa KOBAYASHI Norikazu KOJIMA Goseki KONDOU Youko Kou Shintaro KUSONOKI Shouhei MASUMURA Hiroshi MATSUMOTO Michiyo MATSUO Hiroshi MINAMI Shinbo MINEGISHI Toru MITSUHASHI Otoya MIURA Jun MIZUKI Shigeru MOMOTAROU Kotarou MORISHITA Hiromi MURANO Moribi NAGASHIMA Shinji NAKA Keiko NEMOTO Takashi OKUDAIRA Ira OSAWA Masaaki SAKURAI Shoichi SASAKI Maki Shimizu Satoshi SHIRATO Sanpei SUGIURA Hinako SUZUKI Oji SUZUKI Seijun SUZUKI Shigeru TAKAGI Jun TAKAYAMA Kazuo TAKITA Yuu TAMURA Shigeru TANI Hiroji Tashiro Tamekan TATSUMI Yoshihiro TERUHIKO Yumura TSUGE Tadao TSUGE Yoshiharu TSURITA Kuniko UESUGI Seibun WATANABE Kazuhiro WATARI Futoshi YAGUCHI Takao YAKUWA Masako YAMADA Murasaki YODOGAWA Sanpo YOSHIDA Mitsuhiko YOSHIDA Shouichi
タイトル : 木造モルタルの王国 : ガロ二〇年史 出版社 : 青林堂 初版発行日 : (昭和59年)1984年12月1日 ISBN : 4792601320 サイズ(函) : 縦23㎝ 横18㎝ サイズ(本) : 縦22㎝ 横16㎝ ページ数 : 1200ページ 備考 : 各作品の欄外に作者の経歴・コメント記載 収録作品 『ざしきわらし』 - 白土三平 『ねこ忍』 - 水木しげる 『海原の剣(武蔵の巻)』 - 諏訪栄(小島剛夕) 『顔の曲がった男の物語』 - 星川てっぷ 『真昼』 - 渡二十四 『愛 : 新釈武士道物語』 - 加治一生 『チーコ』 - つげ義春 『若草漫歩』 - 藤沢光男 『宇宙の出来事』 - 田代為寛 『夏』 - 池上遼一 『かかしにきいたかえるの話 : シリーズ・黄色い涙』 - 永島慎二 『六の宮姫子の悲劇』 - つりた・くにこ 『巨大な魚』 - 林静一 『どろ人形』 - 日野日出志 『海ほおずき』 - 仲圭子 『花あらしの頃 : 寺島町奇譚』 - 滝田ゆう 『長持唄考』 - 矢口高雄 『雨季(2)』 - つげ忠男 『わかれみち』 - 辰巳ヨシヒロ 『たこになった少年』 - 淀川さんぽ 『かんたろ月』 - 勝又進 『うらぶれ夜風』 - 川崎ゆきお 『雨の色』 - 鈴木翁二 『マツコおじちゃんの嘆き』 - 秋竜山 『ぼくのデブインコちゃん』 - 佐々木マキ 『無頼の面影』 - 安部慎一 『幻の少女・和小路伯爵邸のトラブル』 - 谷弘兒 『肉屋敷』 - 花輪和一 『北への旅人』 - 吉田昌一 『彩雪に舞う・・・・・・』 - 楠勝平 『おざ式』 - 赤瀬川源平 『「ガロ」第一期 : ガロの時代をひらく』 - 上野昂志 『再会』 - 増村博 『紫の伝説(イメージSTATION)』 - 古川益三 『絶対休日』 - 秋山しげのぶ 『荒れた海辺』 - 安西水丸 『クシー君の発明』 - 鴨沢祐仁 『毆者(ボクサー)』 - 吉田光彦 『昇り凧』 - 村野守美 『ペンギンごはん』 - 湯村輝彦.糸井重里 『愛の嵐』 - 蛭子能収 『ぼくの弟』 - 糸井重里 『?』 - 南伸坊 『それからの岩本武蔵・怪談』 - 岩本久則 『ハリー氏のこと』 - 松尾ひろし 『愛妻記』 - ひさうち・みさお 『ギョーザ定食の昼』 - 平口広美 『お父さんのネジ』 - 渡辺和博 『長靴をはいた猫』 - 清水聰 『ものろおぐ』 - 近藤ようこ 『モダン・ラヴァーズ』 - 奥平衣良(奥平イラ) 『性悪猫』 - やまだ紫 『青春の汗は苦いぜ』 - 小林のりかず(小林のり一) 『夜行』 - 高山和雄 『ぷいさん村放送局』 - 八鍬真佐子 『五人だまし・道糞武士道 : 幻想の明治』 - 高信太郎 『怠屈な日』 - 泉昌之(和泉晴紀[作画].久住昌之[原作]) 『K』 - 大澤正明 『海のお話』 - 滸太郎 『二つ枕(初音)』 - 杉浦日向子 『PHANTASMAGORIA』 - たむら・しげる 『野辺は無く』 - 三橋乙椰(シバ) 『少年』 - 森下裕美 『糸口』 - 松本充代 『ママと呼ばれて三ヶ月』 - 根本敬.高木順 『ローカル線の午後』 - 菅野修 『ホトホトなんぎなパパとママ』 - みうら・じゅん 『扁桃腺の夏』 - 峰岸達 『戻ってきた日』 - 肥後十三子 『スラップスキップ』 - いしい・ひさいち 『はぴー・ばーす・でい』 - 芳賀由香 『どうなってんの : イソップ式漫画講座』 - 水木しげる 『浪漫写真 : 私のアリス達』 - 荒木経惟 『図象の学習塾 : 肖像 イメージ選挙』 - 木村恒久 『目安箱 : 「書けないということについて』 - 上野昂志 『嵐山の人生相談』 - 嵐山光三郎 『重坊のスーパーマーケット : 悪評嘖々』 - 糸井重里 『劇画風雲録 : 嗚呼、貸本の灯は輝やいて』 - 桜井昌一 『連載随筆 : 夏と暴力』 - 鈴木清順 『白土三平論 : 英雄論』 - 石子順造 『清文入道のウンチク寄席』 - 上杉清文 『読者サロン』 『「ガロ」第二期 : 多様化・拡散の時代』 - 呉智英 『木造モルタルの王國の貴賓室』 「木造モルタルの王国」によせて(※寄稿文.小冊子) 『「ガロ」有罪説』 - あがた森魚 『ガロはきっと大丈夫』 - 秋野等.井上章子 『二十年のランナーへ』 - 有川優 『(タイトルなし)』 - 岩家緑郎 『ガロには貧乏がよく似合う』 - いしかわじゅん 『(タイトルなし)』 - 糸川燿史 『「ガロ」は忘れない』 - 小野耕世 『とにもかくにも、エライ!!』 - 川崎徹 『すてきな可能性を持ったマンガの世界』 - 金子勝昭 『長井さんと苦労のこと』 - 川本コオ 『(タイトルなし)』 - 桑原甲子雄 『(タイトルなし)』 - 小島剛夕 『「ガロ」われらの聖森』 - 佐々木守 『大プロデューサー・プランナー 長井勝一さんへの手紙』 - 佐々木昭一郎 『(タイトルなし)』 - 末井昭 『(タイトルなし)』 - 杉本博道 『(タイトルなし)』 - 谷川晃一 『高校時代、文学、エロチシズム、思想の香りを味わっていた』 - 高取英 『(タイトルなし)』 - 高橋章子 『祝・開店20周年』 - 長新太 『(タイトルなし)』 - 竹宮恵子 『 『ガロ』に 』 - 鶴見俊輔 『きみよ』 - 堤任 『(タイトルなし)』 - 栃谷隆 『(タイトルなし)』 - 内記稔夫 『(タイトルなし)』 - 野本三吉 『(タイトルなし)』 - 萩尾望都 『(タイトルなし)』 - 原田三郎 『安倍慎一』 - 松岡博治 『(タイトルなし)』 - 松田哲夫 『(タイトルなし)』 - 村上知彦 『「ガロ」創刊20周年、本当にバンザイ!』 - 森田芳光 『青林堂はえらい』 - やなせ・たかし 『(タイトルなし)』 - 吉弘幸介 『(タイトルなし)』 - 四方田犬彦 『(タイトルなし)』 - 渡辺一衛
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