#港屋2
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assy1210 · 2 years ago
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帰国して初の港屋2 この醤油、このダシ、このコシ、 この甘味を感じたかった! #b級グルメ #港屋 #港屋2 (Minatoya2) https://www.instagram.com/p/CpUKJDNPoVU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kenshfsblog · 5 months ago
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一週間の夏休みを取得して、先週またバンコクへ行って来た。
夕方空港に到着、1時間後にはホテルにチェックインしたが、程なくしてバンコク在住の白人のセフレダディからの到着確認メッセージが。支度して直ぐに向かうと言うと、今晩はデカマラのタチリバのタイ人も参加と。
久しぶりの休みで、更に3Pと聞いて急いで支度し、ワクワクしながらダディの住むマンションを訪問すると、ロビーにそれらしい俺より若めの男っぽい筋肉質な男前のタイ人が。迎えに来たダディが俺とタイ人両方に挨拶したので、今晩の相手と判明。お互いに笑顔で挨拶交わしてそのまま部屋へ。
リビングのテーブルには早速準備されたPが3本準備されていたので、それぞれケツ割れやハーネスに着替え、コックリンク装着して早速フライト開始。タイ人は自分で刺せないと言うので、ダディの指示により俺が刺してやることになり、3本並んでいるPから適当に1本取って最初にタイ人に。彼の腕はしまった筋肉質で羨ましいほどの血管バキバキだったので、スムーズに刺注出来た。ゆっくり注入終わるや否や彼は腕を上げながら咳き込むと同時にハアハアと目を見開いてそのまま超興奮状態に。その姿を見て俺もダディも興奮してしまい、それぞれ急いで注入。ダディがどれだけ仕込んだのか知らないが、俺も咳き込んでそのまま全身がカーッと熱くなり鼓動と息が早くなった後は、完全変態モードに。
急な超エロモードに入った俺達はその場でお互いの乳首を触りながら3人でベロチュー。気付くとダディとタイ人が俺の両乳首に吸い付いていて、俺はヒクヒクしながらビンビンになったチンコからケツ割れを通してガマン汁垂れ流し。それを見たダディが即座にしゃがみ込んで俺のケツ割れから染み出したガマン汁をベロベロと舐めはじめ、タイ人もそれに続いて俺のチンコをケツ割れから引っ張り出してビチョビチョの俺のチンコをしゃぶりまくり。
その興奮状態のまま、隣のベッドルームに移動。既に準備されていたエロビデオが流れる中、ベッドの上で3人でチンコしゃぶり合い。俺はダディのデカマラにしゃぶり着きながらタイ人にチンコしゃぶられて更に興奮。俺はダディのデカマラから金玉、そのままケツ穴を舐め回したが、タイ人も同じく俺のケツの穴を舐め回すので、あまりの気持ち良さに喘ぎ声とガマン汁が止まらない状態に。
その後はダディのエロいケツをタイ人と交代で掘り合ったが、タイ人がダディを掘っている時のプリプリしたケツを見て興奮して、掘っているタイ人のケツの穴を後ろから舐め回し、そのままガマン汁ベチョベチョのチンコを後ろから挿入。柔らかくてグチョグチョのダディのケツ穴も気持ちいいが、タイ人のプリケツの締まったケツ穴もかなり気持ち良かった。続いて俺がダディを掘っていると今度はタイ人が俺のケツの穴を舐め回し、指を突っ込んで来たかと思うと、おもむろにギンギン���デカマラを押し当ててきた。ゆっくり入れてくれと頼むと、タイ人はゆっくりとデカい鬼頭を押し込み始めた。すると、ダディがPopperを俺の鼻に持って来たので、それを深く吸うと、同時にタイ人のデカマラがグイッと押し込まれたが、不思議と痛みは殆どなく、堀りながら掘られる気持ち良さと変態なエロさが増して、むちゃくちゃ狂いまくった。しばらく連結したまま堀合っていたが、気付くとタイ人が俺のケツにイッちゃったと。それを聞いたダディがすぐさま俺のケツ穴を確かめるように両手で開くと、確かにザーメンがドロッと流れ出したのを見て、チュパチュパとケツ穴からザーメンを舐め取り、タイ人と俺にキスしながら口移し。3人でタイ人の濃厚なザーメンを舐めまわしながらキスしていたら、俺もたまらずイキたくなり、ダディとタイ人に顔射。二人はお互いの顔にかかった俺のザーメンを舐めまわし、その二人とザーメンキスしながら一回戦を終了。
その後はイチャイチャしながらの休憩を挟みつつ、翌日の昼まで更に2回追加+時々煙追加してエロく狂いまくってやりまくった。
最後はダディのデカマラで掘られ、何故かまた俺のケツに中出しされて、それを二人の口で吸い取られて、俺に口移しでザーメン向けまみれでキスしまくるという形で終了。その時には部屋の中も、三人の口もザーメン臭が漂っていたが、それが何故かエロくて心地良かった。
終了後は三人でシャワーを浴びてしばらく軽食を取りながら談笑して別れた。
その3日後、ダディからもう一度会おうとお誘いが来たので、喜んで向かったことは言うまでもない(その時のまたエロい絡みはまた気が向いたらレポートするかも)。
次回また行くのが楽しみでたまらない。
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lgbtqromance · 1 year ago
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和一个富家少爷去玩男妓的疯狂经历
有天爬山完毕,都很累,我们洗完桑拿,他建议去夜总会玩,我知道他经常去夜总会,便也想去看看。到了夜总会,经理对他非常殷勤,找了一个高档房间。但空荡荡的屋子里就我们两个人,他看着我笑,说,你今天好帅气,我没好气的说,有吗?后来他把脸凑到我跟前,问我,你玩过男人吗?我吃了一惊,但看到他很真诚,就知道他不知道我是同志,我说没有,他来兴趣了,说,我们今天就玩一次男人,我没答话,他说,好多有钱人男人女人都玩,喜欢刺激新鲜,我也想尝试一下,我随后说不会吧,他说,尝试一下,好不好,但千万别告诉我老婆,让他知道我就惨了。我说,这种事情我谁也不说,他过来搂我,说好哥们。
随后,一个妈咪进来了,后面带了20个都是185穿着西装非常帅气的男人,这种帅气,都是逼人的,都可以让你瞬间窒息的,他没好气的看了看,说,还有吗?妈咪马上回答,说这些还不错了,我朋友变声了,再次问,还有没有,妈咪马上明白了,说有,不过他们都不接男客,他们接得是女客,欧阳少云非常生气,说把他们喊过来。
后来带了15个男的,确实,这里��货色并非是一般人能够见到的,他们就那凌厉的眼神,就足以杀死任何一个嫖客,门外传来争吵声,我知道肯定是有个死活不愿意的,后来还是被妈咪拉进来了。带到了我们面前,这个男人,无论样貌,身高,气质都是顶尖的,他的微微一笑,可能会让很多男人嫉妒,杀死许多女人,欧阳少云问,多少钱,他沉思了一会,说,一万,朋友笑了笑,说两万都没问题。
随后告诉妈咪,让所有人脱掉衣服,整个屋子里的西装男,都脱光了衣服,赤裸裸的站在我们面前,各个都是精品,身材都很结实,非常魁梧,虎背熊腰,我咽了口口水,随后朋友又命令说,你们都把鸡吧搞硬吧,我想看看大小,随后每个人都非常卖力的去揉搓自己的鸡吧,因为他们也知道,这样的一次男客,足以比上接5个女人,况且那些女人都是老的丑的,肥的,欧阳挑了一个身高东北人,外行轮廓非常出众,阴茎巨大无比,粗的和胳膊一样,而我,就挑了刚才在门外吵闹的哪个。
其他人都退了,屋子里就剩下我们四个人,哪个吵闹的就阿虎,山东人,而这个东北人叫阿志,他们都当过兵,随后欧阳少云问,你们熟悉吗?阿志操了一本东北口音说,熟悉,是很好的朋友,欧阳冷笑了,然后看了看我,我想让你们两今天给我们表演看看,他说这话我感觉真有些变态,何况人家两个呢?我知道,富人是女人玩腻了,没意思了,这和你整天去吃KFC或西餐一样,听说香港的首富都玩过男人。
他们相互的看着对方,很不情愿,屋子里顿时寂静了起来,欧阳少云一声怒呵,说快点,然后他们两个笨拙的抱在一起,他们相互的抱着,我想笑,这个是做爱吗?傻子都知道不是,欧阳说,快点行动。随后,阿志蹲下来,面前是一个摇晃着琐大的阴茎,他猛得一口就吞没了整个龟头。
而此时的阿虎身体微微战抖,我能够感觉他得到了快感,很快,阿虎的阴茎直力起来,很雄伟,青筋暴露,他抚摩着阿志的头,暗示他继续,而此时的大阳巨,流出了清澈的黏液,“你们接吻给我看”。他们很快可以看出不愿意,其实直男宁可和其他男人做爱,但最不愿意去亲人家,这个让欧阳大为恼火,说你们过来,他们两乖乖就过来了。
欧阳180左右,而他们清一��的185,我在旁边呆呆的看着,欧阳猛得拽了一下阿虎的头,把他的嘴启开,随后吐了一口吐沫,很快也给阿志吐到了嘴里,随后他说,你们相互把我给你们吐的吸出来,如果换做常人,这种忍耐绝对到了极限,但这个是高级的夜总会,没有一点服务意识是进不来的,二是这些客人,都是非富及贵,不好惹,况且又有钱的刺激,如果这些人去当服务员,他一年都钱可能顶多2万,很快,他们把相互的舌头探进了对方的口里,吮吸着,抚摩着对方,这种状况下,欧阳笑了。
他们的身体摩擦和交融,让他们迅时得到了快感,他们非常大力的狂吻,好像非要把对方吸进自己的身体,舞台上两个英俊的男人表演着,舞台下两个观众,静静的观看,我能够感觉到欧阳喘息加剧,但我不能刻意去嘲笑他。随后,阿虎把阿志按倒,帮他吹,阿志的阳具迅速的勃起,这种巨大,可能让你登大眼球的巨大,你无法想像。
世间竟然又如此完美且硕大之物,阿志的腿微微?起,一个漂亮的菊花展现在我们面前,这种菊花,是没有经过其他男人开垦的,是光洁的,是乾淨的,是异常的紧,我想很多人都想得到他,包括我,欧阳马上起兴,过去一个手指伸像他的菊花,但这些永远都是徒劳,因为他后面太紧了,阿志马上感觉起来,微微的说了声,痛,这句话好像刺激了欧阳的快感,于是拿了一些润滑剂,涂抹在肛周,慢慢的划移,慢慢的试探性的攻入,时不时的他还抚摩一下阿虎那健美的身体,我咽了口口水,下体已经敲打了我的裤子无数次,我的大脑一直在充血,我在等待他什麽时候爆炸,我都快要按耐不住了。
很快,阿志的菊花慢慢的伸展开来,但很快的闭和,我知道阿誌已经没那麽疼痛,我知道好戏也即将上演,然后欧阳坐回到了座位上,又成为了一名观众,示意阿虎说,操他,阿虎拿了套子,坚硬的阴茎把套子鄙视的如此??小,撑得都快要爆了。
但此时欧阳快速跑过去,撤下套子,说,我要你亲身和他接触的操他,快点,阿虎?起阿志的双腿,沉了一会,很快猛得一下,将琐大的龟头顶了进去,啊一声,阿志大声叫到,我能够感觉到他整个身体冒汗,随后阿虎拔了出来,在肛周试探性的摩擦,尝试性的攻入,很快,龟头进去了,菊花迅速的包裹,然后继续弹进,5公分,10公分,20公分...随后整根全部没入,一个黑色的粗大阴茎,迅速的得到了满足,一个结实而高纵的臀,一个漂亮乾淨的菊花,已经得到了他第一位主人的来袭,这种是久违的快感,是不是来的太迟?还是太早。
开始,阿虎慢速的操着他,每次的进攻都得到了阿志的回应,这种回应是种快感,还是痛楚?阿虎快速的加快进度,大力的抽插,这种抽插,只有阴茎如此大的人才能做得到,整个屋子,拍拍的撞击声,一个男人的呻吟声,交织在一起,像一个雄伟的音律。并非常人能够演奏得了的,我看到了欧阳下体的迅速勃起,因为他的衣服是丝棉,拨起很明显就可以看出,把裤子撑得老高,他已经沉醉其中了。
阿虎一边操阿志,阿志微微张开双唇,示意其阿虎舌头的进攻,这样,上身下身,都得到了阿虎疯狂的攻击,但很快,让我们吃惊的动作,阿虎猛然抱起了阿志把他按在牆上,操了起来,我看到背部的阿虎,三角肌发达,肩宽腰细,屁股结实丰满,中间的菊花被毛掩盖着,他正在专心的操着别人,屁股来回摆动着,组织着每次的壮丽的进攻。
随后,阿虎把阿志摆放着我们面前的桌子上,大力的操他,此时的阿志,在静静得享受着这个好朋友但目前却是他男人带来的巨大快感,他的阴茎已经勃起,我知道他兴奋了,啊,一声叫喊,阿虎射了,他的身体宽幅摆动,能够感觉到他的强烈射精,但持续时间很长,很快,阿志也加快了打飞机的速度,噢,一声呻吟,精液强力喷出,射到了面前的欧阳身上。
欧阳脱下了衣服,露出了久违的身材,健康,活力,胸部腹部有毛,但非常性感,符合他的身体,更显得高贵,欧阳脱掉裤子,下体被裤子摩擦的胀红,随后,他按着啊志的头,给他口交,而此时的阿虎,也向我走来,解开我的皮带,腿下我的所有衣服。
这时候的我,内心欢喜和紧张,正当自己迟疑的时候,阿虎已经把我的阴茎吞没了半个,我的下体迅速的膨胀起来,他细心周到的套弄着,他一边摸我的乳头,一边给我口交,而旁边的欧阳少云,手指指了下阴茎,示意让阿志坐上去,很快,一个菊花慢慢的,把一个锁大的黑色阴茎迅速吞没,只留下了粗壮的根茎,随后阿志很快的上下活塞运动起来,而欧阳少云,如恶狼般的眼神,看着阿志,希望他能够快速。
随后,我一把将阿虎推到旁边的桌子上,?起他的双腿,一个美丽漂亮的菊花展现在我的面前,这朵菊花,是一个健康而充满活力的男人的,一个刚日过自己好朋友的男人的,它乾淨光滑,一丝不染,和周边的健康皮肤一样。
他静静的看着我,而着我的来进攻,而此时,我握着他的手,划过他的胸肌和腹肌,随后在他的菊花周边慢慢摩擦,随后,我使劲按他的手指,他的手指迅速的就挺进了他那紧闭的菊花,他啊的一声,整个身体发憷,有些疼痛,但我内心却一丝快意,毕竟,谁的钱都来的不容易嘛,我不能便宜了你,随后我将我的手指也迅速插入,他又一声大叫,我知道我已经超越了他的极限,随后拉出他的手指,塞进我的嘴里,他的菊花很乾淨,毫无异味。
我的这个动作,让他得到了应有的尊重,他的下体竟然迅速的膨胀起来,随后,我的手指在他的后面套弄着,然后抚摩他的结实而有力的身体,他的块头很大,但很匀称,肌肉饱满又充满弹性,随后他?起他的双腿,舌头探入了他那朵菊花,他恩恩的一叫,我知道我这个动作他喜欢,我掰开他的双臀,粉嫩的菊花深处,粉红而含苞待放,强壮而结实的身体,和这个粉嫩的菊花形成了强烈对比,前者是那麽强大??,而后者却又是如此的弱小。
随后,我将鸡吧放在他的菊花周边摩擦,此时的阿虎却冷静的看着我,我猛力一顶,迅速的探入了他的体内深处,啊,他大力叫到,强壮的手臂使劲的捏着我,整个人在颤抖,我知道他很疼,浑身顿时满是汗珠。
此时的我,有中强烈的征服感,我知道我得到了这个男人,此时,我的阴茎已经开始慢慢的抽查起来,而他的菊花,时刻和我的巨大的阴茎对抗着,我每次一次的快速进攻,都得到了他有力的回击,相互之间的快速摩擦,让我的身体迅速膨胀起来,而下体也把他的菊花撑得老大,他能够感觉到他身体已经发热,时而发出恩啊的叫声,来对我每次抽插的会应,我继续?高他的双腿,一边和他接吻,一边大力的操他,他慢慢的配合我,抚摩我的身体,手臂,腰,臀部,这些都让我兴奋,因为他希望我能够将我的体液给他,我快速而大力的操他,他恩啊恩啊的叫着,很快,快感迅速的传递到我的大脑,我射精了,将慾望的种子喷射到他的体内,我是他第一个男人。
此时的欧阳少云,已经搂着阿志,可以看到阿志的菊花后面,流出了白色的液体,我知道欧阳少云已经射了,他迷离的看着阿虎,这个让男人都汗颜的男人,他招手让他过去,随后他推开阿志,他示意阿虎跪下,然后给他口交,随后,他微微的?起双腿,把阿虎的头埋在他的臀中间,然后闭上双眼,让阿虎舔他的菊花。
他体毛很重,菊花后面也好多,必须拨开那浓重的体毛,才能看到他久违的菊花,这个菊花,是一个富贵公子的,是花多少钱都得不到的,何况他是那麽的英俊,阿虎舌头每一次的强力进入,都能够感觉到欧阳少云的快感浮现在脸上。这个让阿虎有些兴奋,我在想,此时的他是不是也想得到这个富家少爷呢?
果不其然,阿虎带上了套子,在欧阳少云的肛周摩擦着,划移着,我知道他的想法,他不能贸然前进,他要得到这个菊花的主人许可,很快,欧阳睁开双眼,没有反抗,但说明了是默许,但他迅速拔掉了阿虎的套子,这个如此巨大的粗壮黑阴茎,竟然迅速猛然一挺,龟头迅速的没入了这个贵少爷的菊花。
啊,欧阳一声残叫,但此时的阿虎已经把整个阴茎都塞了进去,并且大力的抽插,我想他这个是不是报復,但很快,欧阳少云的鸡吧竟然硬了起来,阿虎每一次的大力进攻,他的鸡吧也来回摆动,我在静静的欣赏这美丽而雄伟的场景。
老哥,过来,欧阳少云喊我,我心理兴奋极了,是他喊我吗?确实,我走了过去,他一口竟然把我的阴茎吞没,已经到了他的喉咙深处,然后给我大力的口交,爽啊,而此时的阿虎,竟然快速的射精了。
哥,你操我,不会吧,我听错了吧,我想是没错,人在兴奋的时候,都可能忘记爹娘,我想他这个时候已经忘记了什麽,更不在乎朋友什麽的了,我随即?高他的双腿,刚才阿虎的精液已经从他的后面的菊花涣涣流出,而他的菊花一张一合,我随即大力一挺,进去了,这个和我好了两年,以兄弟相成的富家公子,一个孩子的父亲,竟然包裹着我的阳具,我成了他的男人。
随后我把他放到桌子上,阿志给他添乳头,阿虎给他口交,而我大力的操他,很快,他啊一声,使劲的按着阿虎的头,整个身体煽动,我知道他射精了,他将精液射入了阿虎的口腔深处,而阿虎也配合的喝了下去,此时的我也非常兴奋,快速的抽动,很快,喷射到他的身体里。
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poddyshobbies · 4 months ago
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松浦鉄道の旅(11)戻り・夕方の唐津駅寸景・ラーメン屋
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平日の 18:45、博多方面への直通はこれが最終でした。後は筑前前原で乗り換え。
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YouTube > 福岡空港行き 303系電車(2分)
それにしても(303系を見送ったところ)、次の列車まで待ち時間が発生。
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途中下車をして駅舎内のラーメン屋さんへ。
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街中まで出る時間的余裕はなし … 駅舎内にあって助かった。
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ラーメン きあげ
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ラーメン+チャーハンのセット
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2024.4.10 ~ つづく
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hachikenyakaiwai · 5 months ago
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝沢馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲��閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。「井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりければ、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面し移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に��んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西北隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
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beracha7 · 5 months ago
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白馬キャンプに行ってきました!
ノアも行く直前の日曜日、救急車🚑で
運ばれましたが、守られて白馬に行けて
教会でもたくさんの方々が祈ってくださり
本当に感謝でした。
行く途中でいやされる。と聖書から
語られていましたが、
白馬に向かう時からよくなってきて、
白馬についてからさらに元気になり、
本当に守られました!感謝します!
そして、
白馬のコンテストにも母と姉と共に
3チームで出させていただきました。
直前までは、毎回
これは出られるのかという状況でしたが、
毎回のメッセージで
神様が励まし続けてくださり、
必死で祈る→ 感謝と賛美に満たされて祈る
ことを神様が教えてくださいました。
感���と賛美と喜びに住まわれる神様。
ハレルヤです!!^ ^
最後の2回は子供達もcsに行けたり。
そして、無理かと思われたオーケストラも
最後の閉会礼拝で参加させていただき
最後の礼拝の臨在に思わず泣きそうになりました。
ホテルの部屋でオンライン参加していたので
最後、思いがけず会場の中で賛美のめぐみを
受けることができて、感謝でした✨🙏
で!!!最後に素晴らしいことが起こりました😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
実はルーさんの幼稚園の友達家族が
ウクライナ人と日本人の方々なのですが、
白馬に先週から滞在されている
ということでした。
ウクライナから避難してきたおばあちゃんも
おられて、ずーっと祈ってきた方々でした。
なので、白馬のフェスティバルに
ウクライナの牧師さんも来られるし
是非来られたらとお誘いしていたら、
なんと、急にみなさん体調を崩されて
来れなくて、そのことも感謝していました。
で!
金曜日。キャンプの帰りに
ルーさんはお友達と久しぶりに
白馬で会うことになっていました。
すると
なんと、s宣教師の運転される車が
(ウクライナとスロバキアの牧師さん達を
乗っけて東京へと向かっていました)w
同じ時間帯にホテルを出発して、
ずっと目の前に青い車が走っているのです。
.
密かに、
あー、ちょうどこんな近くに
ウクライナのおばあちゃんがいるのに、
ウクライナの牧師さんがいるのに、
祈ってもらえたら良いなぁと。
日本に来てから何度も救急車で運ばれている
ウクライナのおばあさま。とても大変な中を通ってこられました。
なので、会えたらなぁと。
密かに、無理だと思うけれど
神様の御心なら、会えますように
祈ってもらえますようにと
御心ならそのことをお伝えする
チャンスがありますように
家族で祈っていました。
で、もうすぐそのウクライナの家族の滞在しているところに着くという直前に
なんと、前の青い車が🚙ぐるっと
白馬の駅に入り、駐車をしておられて
お話する時があったのです。
そうしましたら、
「それは神様の御心だと思います」と
s宣教師が燃えに燃えて、
お祈りに行きましょうと。
ただ、その後連絡したら
急に
やはり会いたくないから
スパンっとウクライナのおばあさまにも
お母様にも(わたしの友達です)
無理だと言われてしまいました。
圧を感じました。
神様の御心だと思いましたが、
なぜ開かれないのかな。
これ以上は難しいかな。
わたしはここまでなのかな。と思いました。
ありがとうございます。とお礼を言って
またの機会があればと思いました。
するとそこでなんとs宣教師が
神様の御心だと思うので
一緒についていきますって
後ろから車で着いてきてくださり。
白馬駅から3分ほどでしょうか。
その方の滞在している場所につきました。
そして
出てきた時のわたしの友人の顔😅
完全にひきつっていて。
更に圧を感じますw
おばあさまも最初はもう家から出てこないか���
思いましたし、目も合わせないような感じで。
でも、するとその後で出てきて
ウクライナの牧師さんとお話をはじめました。
ずっと優しく話しを聞いてくださり、
心が開かれてきたようです。
すると、
そのおばあさまは、
ウクライナから脱出するときに
まず、スロバキアを通ってきたけれど
本当によくしてくれてと感動されていて
そこから、
なんとスロバキアの牧師さんと
ロシア語で会話もすることができたそうです。
最後はお祈りをしていただきました。
ずっと、母国語で話したかったんだろうと
このことは神様の奇跡だと
スロバキアの牧師さんがおっしゃって
くださっていました。
おばあさまも、
最後は笑顔に溢れて、
部屋に戻ってからも
とても喜んでおられました。
神様の働きを心から感謝します🥲
そして、
God bless Ukraineというmvも
ご家族に
送ることになりました。
ウクライナの戦争があってから
なぜかルーさんの家に毎日のように
2人のウクライナと日本のハーフの子供たちが
遊びにきていて、
ウクライナから脱出したおばあちゃんを
日本の空港に迎えに行くときには
子供達は私たちの家に泊まっていました。
聖書をみては、子供たちが
これはルークの信じている神様だね!と
言っていたり。
天国の話しをしたり。
とてつもない痛みと苦しみを体験している
ご家族なのですが、
そのご家族に今日も神様の愛が
牧師たち、また宣教師の方々を通して
流れていったのではないかと思い
神様に感謝しています。
さらに明確な救いにつながりますように。
本当に、神様のなさることは
思いをこえていて、、、
ただ驚くばかりです😭
主に栄光!
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ari0921 · 2 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)10月21日(月曜日)
    通巻第8469号 
 華やかな観光地にも闇の伏魔殿、マネロンの根城がある
  世界の大富豪が集結し、逆に西側先進国や中露から資金は流失した
*************************
 ドバイが何故マネロンとギャング、大富豪からテロ集団の拠点となったのか?
 世界一の高層ビルや豪華リゾート、七つ星のホテル、世界の大富豪達の別荘が海を埋め立てた景勝地に並ぶ。
この富に目がくらんで世界各地から新興企業や妖しげなビジネスマンがあつまり、加えて犯罪集団のマネロン基地、中国の地下銀行など何でも御座れ。日本でもドバイからメッセージを発信して、あろうことか、参議院議員に当選し、一度も登院しなかった男はドバイを根城にしていた。
 英紙『タイムズ』は「コカイン・インク──英国の麻薬取引の決済金がドバイで純金に変わる仕組み」という特集を組んだ。
 英国の犯罪集団もドバイと深く関わっている事実を明らかにしたのだ。UAE(アラブ首長連邦)の中心ドバイに「現金運び屋」と渾名された闇のシンジケートが形成され、英国の麻薬や詐欺、犯罪組織の拠点となっていた。
密輸される金の中継地でもある。表の顔は国際都市、チャイナタウンもあれば、広大な売り場面積の紀伊國屋書店もある。日本語書籍は片隅で、諸外国語のベストセラ-、英訳された日本の漫画も売っている。
ドバイ当局は無策ではない。
「マネーロンダリング・テロ資金供与・違法組織資金供与対策委員会」(NAMLCFTC)はインターポールなど国際警察と緊密に協力し犯罪集団の摘発に努力している。
 英国の違法薬物取引は100億ポンド(132億米ドル)規模と見積もられ、2016年から2022年の6年間に67億ポンド(88億9000万ドル)がマネロンされた。その洗浄された「きれいな資金」は英国に環流し、不動産に投資され、そのうち15億ポンド(19億9000万ドル)は汚職や正体不明のロシア人と関係していると前述英国紙が報じた。
 UAEは毎年、世界の金の20~30%を取引している。UAE の金市場は宝飾品だけではなく、金地金や金貨の需要が高い。
英国における拠点はバーバーだった。「パンデミック以降、繁華街のあちこちで理髪店の開店ラッシュが見られました。こうした店の多くは、何千ポンドもの機器を持っているのに、客がいません」と捜査関係者が語る。
英国の犯罪集団は毎年1,500億ポンド(1,990億米ドル)を資金洗浄しており、米国に次いで世界第2位の「マネロン経済」となっている。
 英国で増え続ける麻薬、大量の不法移民の乱入に納税者が悲鳴を上げる。この構造はアメリカと同じである。英国は歴史的に移民に寛大で、「合法移民」はナイジェリア、インド、パキスタン、香港など旧植民地や、英国と関わりが深いイラン、アフガニスタン、エチオピア、エリトリアなど。不法移民は多彩で、昨今はルワンダからの難民が目立つ。
 ▼不法移民の潜入ルートが代わった
「主にフランスから小型船舶で不法に入国する移民の急増によって起きている。英国の社会問題(となった)。小型船舶による不法入国は2020年に約8500人だったが、21年は約2万8500人、22年には約4万5700人に増えた。新型コロナ禍での入国規制で、英仏海峡トンネルをトラックで移動することが困難になり、小型船舶で不法入国が行われるようになったことが背景にある」(『ジェトロ海外報告』、24年5月2日)。
 英国は移民に寛容だったうえ、彼らにも福祉政策が適応された。そのうえ不法滞在でも職を得やすいとされたが、欧州連合(EU)離脱後、経済が低迷し、不法入国者の収容に多額の公費が投入された。国民保健は、2024年7月時点で762 万件の待機リスト、約430万人の子供たちが貧困生活を送っているとされる。
 
英国納税者の歳入から年間140億ポンド(185億7000万米ドル)を割いて不法移民を養っていることになる。(因みに日本への不法移民(日本は『不法残留者』という)の五傑はベトナムが15,806人、タイ:11,494人、韓国:10,869人、中国:6,881人、フィリピン:5,069人、インドネシア:4,537人ほか)。
あまつさえ治安が悪化し、国民の不法移民への警戒と不満が拡がった。凶悪犯罪が急増し国民生活の安寧が覆った。この深刻な問題は英国ばかりか米国、独・仏などEU諸国に共通である。
  
 ドバイに話を戻すと、世界一の富裕層を引き寄せる国であり、2024年末までに過去最高の6,700人の億万長者の流入が予想されている。対照的に英国は2028年までに億万長者の凡そ17パーセントを失うだろうと予測される。
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date-private227 · 8 months ago
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4/20~4/22 大阪(USJ)旅行記録【1,2日目】
スクロールしてもらったら分かる通り、バチクソ長いです。頑張って読んでねん。
1日目。
ずっと夢に見たダブルデートの予定が立ちまして。仲良しの二宮くん有岡くんの「にのありカップル」と俺と伊野尾くんの「いのふまカップル」でのダブルデート。一足先に俺と伊野尾くんは昼間に空港で待ち合わせ。同じ飛行機会社の飛行機で飛んできたから手荷物受取所も同じ場所らしく、伊野尾くんが来るまで手荷物受取所の中で待ってたら伊野尾くんがやってきてずっと見つめて存在をアピールしてたんだけど気付いてもらえず。後ろから声かけようと思ったらトイレに入り込んで失敗。「伊野尾くん見つけたよ」って連絡を入れてトイレ付近で待機。俺がスマホ眺めてたらいつの間にかトイレを出たらしく荷物待ちしてたところに近づいていって無事���会。お互い荷物を受け取ったら空港内で昼飯。
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半分こしようって話になり、半分ずつ伊野尾くんと頂きました。美味かったなー。そのあとはお土産を見て回った後バスに乗り込みUSJの前へ。次の日バタバタしそうだし先に写真だけ撮っておこうと思ってあの地球儀のところで写真撮影会。曇りでパッとしないけどまぁ良し。
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そのあとは電車に乗りこみホテルへ。4人で泊まるけど2:2で泊まるから隣の部屋がいいなーって要望出してたけど叶わず。4つ隣くらいの位置だったかな。なかなか良い感じの部屋でした。
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二宮くんと有岡くんが到着するまでまだ時間があったから部屋でのんびりくつろぐことに。伊野尾くんのネトフリをテレビで流しながらゴロゴロ。夜にホテルのフロントで合流し、そのまま歩いてユニバ前のお店が立ち並ぶところへ。当日にカチューシャとか買う時間勿体ないよねってことから前日に買おうってなって何軒かハシゴして見て回り、二宮くんはスヌーピーの耳と鼻がついたハット、有岡くんはキノピオの被り物、伊野尾くんはキラキラの熊っぽいカチューシャ、俺はピカチュウの被り物に決定。そのまま夜飯を買い込んでホテルへ帰還。一旦部屋に戻って荷物置いたら二宮くんと有岡くんの部屋へ行きみんなで夜飯。
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二宮くんのネトフリでride on timeのSexy Zoneの回をみんなで視聴しながら食べました。チキンが美味かったなー。
ご飯も食べ終えて部屋に戻ったらすぐシャワー浴びてまた二宮くんたちの部屋へ集合。有岡くんがどうしてもトランプしたいとのことで、4人で仲良くババ抜きとスピード。スピードはトーナメント戦でしたんだけど順位ってどうだったっけ?これを読んだ3人のうち誰か覚えてたら一報ください。
トランプ遊びで満足して部屋へ戻って次の日に備えて割とすぐ寝たはず。1日目終了!
2日目。
2日目はUSJ当日で朝早く起きよう!って意気込んでたのになかなか起きれない俺。もちろん伊野尾くんは6時にしっかり起きれてて、カカオでにのありさんに連絡するも返事が来ずグループ通話を掛けることにしたらしい。俺も通話のバイブで目を覚ましました。無事にのありさんも起きたことを確認し、急いで準備。4人集まって電車に乗りこみ本日の目的地、USJへ。雨だったこともあり全然混んでなかった印象だったな。開演待ちしながら伊野尾くんと写真撮ったり、にのありさんをこっそり後ろから撮ったり。ちなみに今回のダブルデート、俺はひそかに「にのありさんの写真係」として立ち回っていたのでにのありさんの写真を気付かれないようにいっぱい取ってます。もし撮られるの嫌だったらマジでごめんなさい案件だけど。あ、二宮くんがこの日付けてたネックレスに気がついて「有岡くんがプレゼントしたネックレスな気がするけど多分そうだよなー。微笑ましいなー。」って内心ニタニタしてました。
入園してまずは有岡くんが乗りたがってた鬼滅の刃 XRライドへ。走って行ったんだけどいのありがどんどん先進んじゃって俺と二宮くんはちょっと後ろの方をヒーヒー言いながら走ってました。走って行ったけどもうすでに60分待ちとかでとりあえず並んで待つことに。待ってる間、二宮くんが教えてくれたほうれん草ゲームをしようってなって、ゆっくりゆっくりやってたんだけど有岡くんが壊滅的にヘタクソですぐ終わりました。そのあとはワードウルフをして遊んでるうちに60分も経ってないのに乗り場について。鬼滅の刃を全編観た訳じゃないけど、今回コラボしてた無限列車編はなんとなく観てたから映像だけでも面白かったけど意外としっかり急降下していくジェットコースターでオモロかった!ただ顔に装着して3D?4D?みたいな感じになるから酔いやすいらしく、二宮くんがしっかり酔ってました。
そのあとレストラン(ハンバーガー屋)でシェイクを一緒に食べたのかな。俺はあんまりアイスとか食べない人だから伊野尾くんのをちょっとだけつまみ食いして、にのありさんも1つのシェイクを分け合って食べてました。
シング・オン・ツアーに備えて前日ホテルでシングを観てたにのありさん。とりあえず並んで扉開いた瞬間に1列目確保!コアラのやつ出てきた時に隣で有岡くんが「ヒェー!コアラかわいい…っ!」って思わず声出てたの笑った。俺はシング観たことなくてどんなもんかと思ってたけどいろんなキャラが歌って踊ってすげえーってなった。1列目だからめっちゃ視線くれるんだけど俺慣れてなさすぎて手振るのすら小っ恥ずかしくなってできなかった。最後は手振ったけど!すごいショーでした。
ニンテンドーエリアへ移動してトンネル抜けたらマジあのマリオの世界が広がっててすごかった。近くにキノピオが居たから、キノピオの被り物してる有岡くんに「ほら!写真撮ってきなよ!」って言ってパシャリ。しかし人が多い!雨が強くなってきた!って感じで近くのショップへ。ポンチョ買おうと思ったらマリオのポンチョしかなくて、伊野尾くんは折りたたみ傘があったから、二宮くんと有岡くんと俺は仕方なくそれを購入。店内でモタモタ着用してました。にのありさんって普段名前で呼びあってるらしいんですけど、俺らとかの前だと普通に「二宮くん」「有岡さん」呼びで。でもこの着替えてる時に有岡くんが二宮くんのお名前をサラッと呼んでたのを実はこっそり聞いちゃった。1人で内心「ワー!名前呼んだ!でもここで言うと恥ずかしがってもう呼ばない可能性あるから今は言わないでおこう」と思いながら何食わぬ顔して着替えてました。
そのあとマリオカートへ。伊野尾くんが疲れきって少し気分落ちてたのでやべって思いながらもにのありさんとの会話とかマリオカートで元気になった様子でした。敵チーム(クッパの仲間)に甲羅を当てつつコインをいっぱい回収するってゲームで、4人の中で1番コイン少ない人は罰ゲームでモノマネ!って言ってたけど結局忘れてたね。俺は1位でした。
ヨッシー・アドベンチャーはヨッシーに2人ずつで乗り込んでニンテンドーエリアを見渡せる感じでゆっくり外を走ってるやつなんだけど、後ろのヨッシーに乗ってるにのありさん撮れるかなって思って内カメにして頭上でパシャって撮って確認してみたらちょうど有岡くんが二宮くんを撮影してるところを激写。あ、下の写真はにのありさん関係ないです。ヨッシーに載ってるチビマリオかわいいね。
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乗り終わったらちょうどお昼時で、ニンテンドーエリアにあるレストランへ。注文までにも並ぶし席に通されるまでにも並ぶから大変だった。メニュー表見たらどれも美味しそうすぎてギリギリまで迷った。俺と伊野尾くん、二宮くん有岡くんでそれぞれ頼んでお互い半分こずつ食べる感じで頼んだのがこれ。
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めちゃくちゃ可愛いしめちゃくちゃ美味しかった。デザートも中がティラミスになってて美味かったなー。これ書いてんの夜中なんだけど腹減った。あと席に着いて食事待ってる間にぬいぐるみとかで写真撮影会してたんだけど有岡くんが伊野尾くんのぬいぐるみでマジこれしてた。まんまこれ。
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ゆっくり食べつつ伊野尾くんがとなりで眠い眠い言いまくって、10分だけ寝たら?ってことで机に顔突っ伏してたけど、寝ようと思ったら寝れないらしく結局寝ることを諦めてました。
飯食った後みんなてお手洗い行って、ニンテンドーエリアを出ようと歩いてた時に有岡くんが「スマホがない…」と言い出し、トイレに忘れてきたんだ!って1人でダッシュで取りに戻ったんだけど一向に戻ってこなくて。「え、無かったのかな?やばくね?」って待ってる間にかなり外冷えてたから二宮くんが「冷えてお腹痛くなってきたから俺もトイレ戻るね!」って次は二宮くんが戻っていったものの連絡ないってことはすれ違ってもない…?となりつつ、伊野尾くんもお腹痛くなり始め結局みんなトイレに戻ることに。そしたらトイレのすぐ近くでキャストさんと話す有岡くんの姿が。清掃の人がすぐスマホを忘れ物としてキャストさんに届けてたみたいで、住所諸々を書かされてたらしい。二宮くんと伊野尾くんもトイレから無事帰還。ニンテンドーエリアを出ました。
次に向かったのはジョーズ。物心つく前に一度家族でジョーズに乗ったことあってその時にめちゃくちゃ泣いてたって聞かされてたから、どんなもんかとワクワクしながら向かって。乗り込んだらたまたま左端に座ることになって「まぁでもそんな近くまで来ねえだろ」と呑気に思ってたら意外と近くまでサメがやってきて迫力満点。左端やべえ。ちょーおもろい。この時まだ明るい時間帯だったから、暗い時間帯にももう1回乗ることに決めました。
そして次はこれまた有岡くんがやりたかったやつ。コナンの謎解き。2時間くらい出られないやつ。最近やってる話題の映画のエキシビションみたいな感じ。俺らは毛利小五郎がゲスト出演するクイズ番組のエキストラ?観客?として参加するで集められたけど、番組が始まる前に園子が何者かによって誘拐されて爆弾処理していかなきゃならないことになって…。詳しいことは口外厳禁だから何も言えないけど初っ端からムズすぎてマジで15分くらい「え、なにこれ?分からなさすぎるんだけど。」って感じ。あとこれ色んな部屋に行くんだけど、とある部屋でなかなか進めない親子が「うーん…分からないな。もう諦めよう!」って潔く言ってたのを近くに立ってたキャストさんが堪えきれず口元ニヤついてたのを俺は見てしまいました。目が合って気まず。結局最後まで解けなかったんだけど、答え合わせで「いやこれ初見では無理だろ!」ってズッコケた。初見で行けた人居るのかな、居たらマジですごい。でもその後のショーが、本当に舞台観てるみたいで面白かった。
コナンが終わったら次はミニオン・ハチャメチャ・ライドへ。ジェットコースターに乗ってるかのような気分になれるやつなんだけど、前に座ってた4人組がすっげえパリピだったなー。乗り物は前に走ったりはしなくて、映像でまるで進んでたり下に落ちたり何かにぶつかったりしてるかのような演出になって迫力あったね。
次に乗ったエルモのゴーゴー・スケートボードは前後に揺れる船みたいなやつなんだけど、有岡くんが乗りたくないって喚きつつ乗りました。普通に前後するだけじゃなくて回転もするから遠心力すごくて楽しかったー。降りた後二宮くんが股を抑えて「座る時に打った…大事なもん無くなったかも…」って言ってるのに対し有岡くんが「何が無くなったんだよ(笑)」って冷静にツッコんでたのがオモロ。
そして暗くなってきたから再びジョーズへ。夜はにのありさんを左端に座らせて俺は真ん中ら辺に座ったんだけど、夜は夜で暗いから余計迫力出て真ん中でも面白かった!並んでる間に写真撮ったりもしたね。
時間も割と遅めになり、乗りたくない!とまた喚く有岡くんを引き連れてフライト・オブ・ザ・ヒッポグリフっていうジェットコースターへ。やっとちゃんとしたジェットコースターが乗れる!ってワクワクしてたけどずっと有岡くんが騒いでた(笑)たまたま1番後ろになったんだけど有岡くんが「1番後ろは無理!」って言うから有岡くんと俺が前後交代して、1番後ろは俺と二宮くん、1個前が有岡くんと伊野尾くんで乗り込むことに。二宮くんもジェットコースター苦手そうだったけどチャレンジャー精神ありすぎだしなんだかんだ隣ですごい声出して笑ってたから楽しんでるんだなって感じれて嬉しかったなー。もちろん俺も大爆笑。
最後はフライングダイナソーに乗りに行くんだけど、最初に持ち掛けたのはチャレンジャー二宮くんで。「ちょっと乗りたくなってきたかも!」って言う隣で有岡くんが「…3人で行ってきなよ!待ってる!」って言って聞かないから優しい二宮くんが「じゃあ俺も有岡さんと待ってるね。」って。そのままにのありさんはハリーポッターエリアへ。俺と伊野尾くんはちょっと急ぎ足でフライングダイナソーの乗り場へ行きました。雨だったし閉園時間近かったからほぼ待たずに乗れて。 スタート前に身体が地面と水平状態になってそのまま発進。もうね、バカ楽しかった。下の方走ってる時の圧もやばかったし回転もするしもう何が何だか分からなかったけど面白すぎた。
乗り終わってひとまず俺と伊野尾くんでUSJを出て、地球儀近くのところで10分くらい待ちにのありさんと合流。近くにいた人に写真をお願いして地球儀のところで4人で写真撮ってたら、また近くにいた別の人がプロのカメラマンさんだったみたいで照明を焚いてくれて有難かった。お��げで良い写真が撮れました。
クタクタになりながら俺は右膝が尋常じゃないくらい痛くなり階段が無理になっちゃってエレベーター探しながら電車乗りなんとかホテルに到着。二宮くんと有岡君がUberEATSで4人分のご飯を頼んでくれてわざわざ部屋に届けてくれました。この日は別々でご飯を食べそのままシャワーとか終わらせて就寝タイム。
寝る時に俺の右肩?に伊野尾くんが頭を乗せてほぼ腕枕の状態で伊野尾くんが先に寝落ちしたのを見届けてから俺もそのまま寝ました。起きたらいつの間にか身体離れてるから、伊野尾くんどうやって抜け出してんだろう…っていつも思う。
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oka-akina · 9 months ago
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コピー本交換会レポート(でもない)①
コピー本交換会ありがとうございました! 早いもので1ヶ月経ってしまった。 2月は本棚展をやったり寄稿するアンソロの〆切×2があったり忙しく、自分主催のアンソロも動き始め、3月に入ったらJ.Gardenもありそのほか生活のもろもろもあり…ずっとドタバタしている。自主開催するイベントってほんとはもうちょっと身軽なときにやるものだったかもしれないなあとは思いつつ、身軽なときというのはなかなかやってこないので、えいやっとやってみてよかったようにも思う。 というかいちばん初めのところでは、えも個展&本棚展への集客につながったらいいなーというちょっと下心みたいな気持ちで始めたことではあったので、会期中の2月に開催したのはそういうわけでした。
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つまずく本屋ホォルの深澤さん、mibunkaの吉田さん、快く会場を貸してくださりありがとうございました。わたしの要領を得ない���明をいつも辛抱強く聞いてくださり、コピー本って何?交換ってどういうこと?というところからしっかり会話ができて、とてもうれしくありがたかったです。 わたしが「なんかもっと格好いいイベント名をつけたかったんですけど思いつかなくて…」とぶつぶつ言ったとき、「コピー本交換会ってとてもいいと思いますよ」と吉田さんが背中を押してくださりありがたかった。いろいろ準備したり当日を過ごしたりするなか、今回のイベントはそういうまんまの名前が必要だったんだなあと思い至りました。コピー本を交換するということだけ決まってて、来た人はそれぞれいろんなスタンスでいていいというか。
打ち合わせに何度かお伺いしたのですが、いつもいろんな方がにこやかに出入りしていて、本当にいい雰囲気のお店だなあと思います。お店は地域生活応援団という地域住民主体の支え合いの場、有償ボランティアさんの拠点でもあって、イベント会場に貸していただいた2階スペースはふだんコワーキングスペースにしているとのこと。近所の方が「霞ヶ関の父」っていう傾聴ボランティアをやってらして、幅広い世代の方で賑わっていていいなあと思います。
本当にとても正直な気持ちをいえば、そういう「地域」「地元の人」と密接な場所におじゃまするのはけっこうドキドキします。わたしは自分の作品にセクシャルマイノリティのことをたくさん書くので、生身の人間が顔を突き合わせる場、住所や容姿や年齢やもろもろ属性と紐付きやすい場に作品を持っていくのはとても緊張する。いま家からかなり近いところで貸本棚をやっているけど本当におそるおそるという感じで、もちろん悪いことをしているわけではないしうしろめたい表現というわけではないんだけど…「地縁」的なものになんとか馴染もうとするときに切り捨てられがちなものが気にかかる(そういうものを小説にしている面がある)。 ホォルさんはいま住んでいる場所からは離れているんですが実家の近くではあるので、イベントを開催したり自分の作品を並べたりするのはいろいろ感慨深いものがありました。怖さ、照れ、恥ずかしさ、でもここで自分がこういうことをできるようになったんだなーという喜び。また少部数のコピー本だったりzineだったりは書いた人のパーソナルな部分が出やすいものではあるから、自分含む参加者がリラックスして話せることを大事にしたかった。セーファーな場づくりをしたかった。
深澤さん吉田さんがわたしのそういった葛藤や、zineにまつわるデリケートさをみたいなものを汲んでくださりつつ、本当に快く場を開いてくださりとてもとてもうれしくありがたかったです。イベントが明るくオープンな場になったのはホォルさんmibunkaさんの常日頃からのお店づくりによるものが大きいと思います。ホォルさんの選書にもそういった姿勢があらわれていて、大らかで気骨のある場所だなあと感嘆します。
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なんかこのレポートすごく長くなりそうなので何回かに分けようかな。ひとまず今回は余談のような話をしておしまいにします(もはやレポートでもないんだけど、ちゃんと書こうとするとえっらい時間がかかりそうなので、ともかく考えたことを垂れ流しにしているような感じ…)。
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ホォルさんのある角栄商店街の通りに合鍵と靴修理のお店があって、そこで5円コピーというのをやってたんだよね。白黒と単色カラーが5円で、色紙(色上質紙)に刷ると6円だったかな。中学生のころ友だちとそこに行ってペーパーを刷ってたの。 ペーパーっていってもべつに何か宣伝するとかでもなくて、なんかこう…各自が好きな漫画とか音楽とか身の回りのこととか、いろいろおしゃべりみたいなのを書いた手書きの紙。30枚とか40枚とか刷って、学校の友だち同士で交換したり、同人誌のイベントのフリーペーパーコーナーに置いてみたり、好きなバンドのライブとかファン同士の交流会?みたいな場で名刺と一緒に交換したり、郵便で知らない人と交換したり…。 こないだ実家を掃除したらそういうのが出てきて、GLAYのJIROのラジオで紹介されてたスマッシング・パンプキンズのAdoreってアルバムがよかったとか、恋する惑星を観たから香港に行ってみたいとか、そんなようなことを書いていた。いまとあんま変わんないかもしれない。 同じ頃、部活の後輩から毎日手紙をもらっていて、ルーズリーフやコピー用紙にぎっしり書かれた手紙だった。夜に書いたのを朝にくれて、授業中に書いたのを昼か夕方にくれて、1日2通の手紙。わたしの返事は5回に1回返すかどうかって感じだったんだけど、毎日まめに手渡してくれて、なんか話したいことがあったんだろう。わたしにそういう高頻度で手紙をくれる子はほかにも4人くらいいて、毎日たくさん読んでいた。どの子の手紙も深刻な話はあんまりなくて、だいたいは日記というか雑談というか。 あとその頃よく行っていたCD屋で店員さんが新譜紹介のフリーペーパーを自主的に作っていて、これまた手書きの手作り感あふれる感じの紙だった。新譜紹介といいつつ「これぜんぜん好きじゃない」とか「もうこれで解散してもいいくらい最高」とか思いっきり主観で、余白にはどこそこに行ったとか何を食べたとかの雑談も書いてあって…。
わたしはふだん同人誌やzineを作って文フリなどのイベントや書店で販売してるんだけど、今回のコピー本交換会は、こういうペーパーや手紙が頭にあった。売り買いとはちょっとちがうやりかた、むかし作っていたペーパーみたいなことってできるのかな。これは去年6月に参加した陰気なクィアパーティーでzineの交換会をやってすごくいいなと思ったのもあったし、以前umeさんからいただいた交換がテーマのzine(umeさんは本の交換所をやっている)を読んで考えたことでもあった。売ったり買ったりではないことをしてみたらどうなるだろう。売ったり買ったりできないものを作るってどんなだったっけ。
金銭のやりとりの方がコミュニケーション自体はラクだろうか。交換だと人対人になりやすいから結局のところコミュニケーションが達者かどうかになっちゃうんだろうか。買う(読む)側としては匿名でいたい気持ちはすごくある…なら金銭を介したやりとりであるべきか。いや売り買いであっても、規模の小さいイベントだと人対人のコミュニケーションになりやすい。11月に出店者10組だけのzineイベントに出て、「あなたは誰?」「この本は何?」という会話になりやすかった。場が親密になればなるほどそうで、それ自体はとても豊かな時間なんだけど、属性と作品がまっすぐ結ばれるのってちょっと危うさはあるなと思った。そして作り手側もそういうプレゼン?にあっというまに慣れちゃって、自己プロデュースのうまさみたいなことになりがちなのも気にかかる。属性、作品、宣伝、SNS、ビジュアル、会話…そういうものがしっかり噛み合い、「わたしは◯◯で、△△な作品を作っています」がいつも首尾一貫している。一言で説明できる。なんかわかりやすすぎないか。整いすぎてないか。自らと作品をじょうずに寄せにいっちゃってるけど齟齬があってもよくないか。あと買う側の人も自身のことをけっこう開示してくれて、わたしとしては会話ができるのすごくうれしかったけど、無理に話させて��いかとちょっと心配にはなった。べつにあなたが何者であっても(なくても)わたしの小説を手に取ってくれるのはうれしい。でもそれだけではいられない、何か話さなきゃって圧が場に生じてるんだとしたら、けっこうきついことかもしれない…とか(ところで陰気なクィアパーティーはそういうのがなくてすごく居心地よかった。会のはじめにセーファースペースポリシーを読み上げてくださって、場にいた人がおたがい了解していたのもあったし、たぶんそのあたりに関心の強い人が多く参加していたのもあったと思う。すごいことだなあと感嘆したしほっとした)。
あるいは売り買いの宣伝の話。文フリとかzineフェスとか書店さんとかで小説を売るとき、多くの人に見つけてもらえるよう宣伝をするわけだけど、なんというかまあけっこう大変だし疲労はある。たとえばアンソロジーだと、コンセプトの強さだったり、フックの効いた言葉やビジュアルだったり、作品や作家の紹介を丁寧にやったり、メンバーの豪華さをアピールしたり…いろいろあるわけだけど、ちょっとちがうことをしたくなった。これはそういうのがよくないという話ではなくて、ちがうベクトルのことをしてみたらなんかいいことあるかもなあくらいのぼんやりした予感。 文芸作品、とくに小説は、読むのにそれなりの負荷がかかると思う。作品の難解さとはまた別のところで気持ちや時間のコストが大きく、「なかなか読めない」という話を作家同士でさえ本当によく聞く。そうすると作品や作家周辺の「活気」みたいなものがけっこう重要ではあって、何か賞をとった、SNSでよく見かける、みんなが話題にしている、みんなが工夫をこらして強い文言で「いい」って言う、そういう祭りや波が読むことへの後押しになる。活気があるのはいいことで、わたし自身すごく楽しんでいるし参考にもしている、かなり恩恵を受けている部分もあるけども、祭りや波から生じる権威大好き感がちょっと苦手ではあって…。権威大好きはちょっと言葉が悪いか。でも沈黙や絶句が、ほんとに沈黙や絶句のままでいられないのはなんかちがうなというか、心の柔らかいところをまいど律儀に開示しなくてもいいし、そもそもそんなに激しく感情が動かなくても楽しんだり感じ入ったりはあるわけで、まして誰々のお墨付きとかじゃなくてもいいわけで…。大傑作とまでは思わなかったけどほどほどに楽しんだ、ちょっといいなと思った、そういうことはぜんぜんあるというかわたしはだいたいの作品はほどほどに面白がってるんだけど、それをまんま口にするとちょっとけなしているみたいに聞こえてしまいそうだなと思う。なんかこう活気を起こそうとする中でち��っと「褒め」がインフレしてねえか…と思う。要するに、祭りや波的なものとはちがったやりかたでの読んだり書いたりが必要な気がしている。 (これはあんまり整理できてないし、活気を起こそうとがんばっている人たちをくさしたいわけではないので、ほんとにまとまってない話で恐縮なんだけど。参加してるアンソロ10000000部売れてくれ〜とかわたしもぜんぜん言うし、人と一緒に作ってるときは��たがいを鼓舞する意味合いも強いのはわかってる。もしかしたらみんなそんなことはとっくに了解していてあえて強い言葉をやっているのかもとも思うけど、わたしはその「あえて」をやり続けられるのってそれなりに元気な人だけじゃないかなあとは思ってしまう…元気じゃない人も文芸をやりたいし、実際勝手にやってるんだけど、「やってる」ということを他人に見せていくのは大事かなと思って言っている)
余談と言いつつすごい長くなってしまった(むしろ余談の方が長い)。 えーと今回のコピー本交換会、わたしはいくつかzineやペーパーを持って行って、そのうちのふたつ『tide』と『プロテスト・モノローグ』はあんまり売ってない本です。 『tide』は陰気なクィアパーティーでのzineの交換用に作ったもの。短い小説をいくつかと&セクシュアリティにまつわるぼやきみたいな文章をまとめたもので、通販はしてなくて文学フリマにも持って行ってない。zineフェス長野には持ってったかな。べつに過激なことが書いてあるわけじゃないんだけど自分的にちょっとナイーブな話はしてるから、こういう本がありますよって宣伝するとなると勇気がいるなーと思う。 『プロテスト・モノローグ』はパレスチナへの連帯について考えてることとかのひとりごとみたいなzine。コピー本交換会のどさくさにまぎれて作ったような感じで、ほんとの走り書き。あんまりおおぜいに売るものではないなーと思った。勿体つけるわけではないんだけど、なんかこうちゃんと発信しようとすると発信するための言葉や話題になるわけで、そうじゃない話、「どさくさ」でないと出てこないような話をする必要があるなと思ったというか…。
そういうものを手渡す場所をやろうと思った。交換する本を机に並べて、気になったものを手に取って読んだり持ち帰ったりできる。しゃべりたかったらしゃべれるし、黙って本だけ交換して帰ってもいい。閲覧用の本も置いておいて、読書の時間にしてもいいし本作りのヒントにしてもいいし…。 それがうまくいったのかどうか、当日わたしはドタバタしていてじつはよくわかんないんだけど、ちょっとずつ振り返っていければと思います。
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assy1210 · 2 years ago
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月末で忙しない大手町も刻は正午 1名しか並んでないラッキーに恵まれ 迷いなく港屋2の冷たい肉そば 早く温かい鶏そば(中華麺でなく)に またありつきたい… #港屋 #港屋2 #minatoya2 #b級グルメ #大手町グルメ #冷たい肉そば #温かい鶏そばが食いたい (Minatoya2) https://www.instagram.com/p/CoETuZhScKN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 18 days ago
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カンボジアを拠点にした巨額特殊詐欺事件で、新たにグループの犯行道具の供給役の男が成田空港に移送され、逮捕されました。これで逮捕者は34人になりました。  佐々木洋平容疑者(36)は仲間と共謀し、去年7月、介護職員を装って長野県の80代女性から現金275万円をだまし取った疑いが持たれています。  警察によりますと、佐々木容疑者は水に入れると溶けて証拠隠滅できる紙などの犯行道具を日本からフィリピンの拠点に供給していたということです。  日本にいた佐々木容疑者はカンボジアを拠点が現地当局の捜索を受けた後、フィリピンに出国し潜伏していました。  佐々木容疑者は10月に現地当局によって身柄を確保されていて、9日、フィリピンから移送中の飛行機内で逮捕され、午後2時半ごろ、成田空港に到着しました。  この事件を巡っては去年11月、「受け子」とみられる25人がカンボジアから移送され逮捕されるなど、これまでに33人が逮捕されていて、佐々木容疑者で34人目となります。  埼玉など9道府県警の合同捜査本部は、このグループが29道府県で合わせて30億円ほどをだまし取ったとみて調べています。
カンボジア拠点の特殊詐欺事件 34人目となる「道具供給役」を逮捕 被害は約30億円- 名古屋テレビ【メ~テレ】
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shirasuphoto · 10 months ago
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2023年 八景シリーズBest5
 あっ、年越しちゃった。年末に片付けようと総集編に手を付けたが、期日迫るものの片付け、コミケが想像以上の盛況、さらに同人誌の通信販売の整備。印刷所が止まって増刷待ちのタイミングで、ようやく着手した。
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 今年は42作品だが、ここ最近は忙しかったり創作活動の模索を始めて月に1作品がやっとといったところ。正直続けるか悩んでいるが、SNSでの発信や写真選択の自由度を考えると潰すのも惜しかったりします。
 さて存続の葛藤はこの辺にして、昨年のランキングを発表します。個人的にインパクトがあったり、反響があり多くのリアクションがあった作品を紹介します。
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第5位 No.439
湘南八景 細道通り抜け-京急バス 鎌40 小坪線
(3/11投稿)
 電車に飽きた? いえいえそんなことはないです。ただより身近なテーマを追い求めて、バスにも手を付けてみました。
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 まず最初に選んだ鎌40小坪線は、乗ったことあるバスの中で、インパクトがあった路線だったからです。鎌倉付近は大通りを抜けたらすぐ行き違いが大変そうな道路。さらに一方通行の道路のため、上下線で走行ルートが異なる。一方通行が戻ったと思ったら、また行き違いが大変そうな道路。そんな狭いに狭いを重ねる運転手泣かせの路線に魅力を感じていた。
 電車では味わえない魅力、そのおもしろさを記録したいとはじめてみた。
第4位 No.433
浪漫八景 乗った思い出-小田急ロマンスカー LSE
(2/12投稿)
 今年から現像ソフトのサブスクをはじめてみた。はじめは方向性が変わるとゴニョゴニョ言っていたが、次第に発色の良さや現像のしやすさに気が付き、今ではなくてはならないほど。
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 最近も乗って思い出つくりをしているが、どうもここまでインパクトのあるものがつくれないと思ったり。もう少し時期をずらさないと味が出ないのですかね。
 そんな現像ソフトで昔の画像をブラッシュアップしてみようと始めたのが、小田急ロマンスカーLSEの写真だった。当時はこの車両の写真で競い合っていたこともあり、オリジナルを求めた画作りを行っていた。伝えたいことはっきりしてなかったが、組み直して、よりわかりやすくしたい。そんな現像だけでなく伝える目的にもブラッシュアップしてみた。
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第3位 No.449
葛飾八景 昭和-京成3600形(ファイヤーオレンジ塗装)
(7/29投稿)
 2022年後半から京成にお世話になっていた。旧成田空港駅の東成田や京成千葉線と気になるところを訪れたが、未だに撮れていない車両がいた。それが題材となったリバイバルカラーの3600形。この勢いで行こうかと、訪れたのがきっかけだった。
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 あちこちがいい雰囲気で、どこから撮ろうかと悩んでいた。その中でお気に入りだったのが、高砂から一つ隣のお花茶屋駅だ。今回都区にエリアを限定したが、ほどよく古く、どこか身近な駅に思えた。誰も撮らないけど、そんな発見を伝えられたのではないだろうか。
第2位 No.428
多摩八景 最後-東急8500系8637F
(2/4投稿)
 あれだけいた車両が、もう地元を走っていない。電車を待っているときは実感がないけど、こうして写真を見返すとふいに喪失感が漂ってくる。
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写真集「東急8500系」メロンブックスなどで好評発売中
 そんな8500系の日々を写真集にして発売した。コミケで���評判で見本誌を読んだら大半が即購入、写真撮っている知り合いからは写真チョイスが絶妙と褒めていただいた。
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 ただ最後の一年を写真集に詰め込むことが難しく、このシリーズのほうがより細かくかつ様々な視点から捉えているかと。中でも「No.428 多摩八景 最後-東急8500系8637F」が印象深い。オタクたちの盛り上がりは写真を撮っている以上避けられず見てきたが、普段使い��人に視点を当ててみるといつもと変わらない光景。そんな非日常が見える裏に眠る日常を題材としたが、あれから1年経つんですね。
第1位 No.450
箱根八景 裏道街道-箱根登山バス K系統旧街道経由
(8/26投稿)
 仕事の疲れを癒そうか。そう思ってふと湯治目的に乗ったバスだったが、これが意外とおもしろかった。家に帰ってすぐ調べたら、奥に行けば行くほどおもしろいことがわかり、この箱根を走るバスを題材にした。
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 箱根登山バスK系統旧街道経由は、箱根駅伝で選手達が走るメインの東海道とは違う。箱根湯本から東海道を分岐する旧道を通るルートで、芦ノ湖辺りで再び東海道と合流する。ただメインルートではないため、車線は途中からバス同士のすれ違いが出来なかったりと運転手泣かせなところだったり。旧街道と言われるだけあって、箱根寄木細工を売りとした宿場町畑宿、今も茶屋として営んでいる甘酒茶屋といった、かつてここを多くの人が行き交って痕跡を通っていく。
 変わらない道がここ箱根にある、そんなことを伝えたく作品にした。その日本の文化が伝わったのか、2023年一番のリアクション数を記録した。
 いかがでしょうか。忙しいと言い訳したいですが、暇な時間にここに投稿する作品をつくらず遊んでいるので何ともいえませんが。
 ただ今後も作品を投稿して、他の人が記録しないような当たり前だけど見たことがない景色。そんなのを提供出来たらなと思っている。
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myonbl · 2 months ago
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2024年11月9日(土)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、平飼い有精卵・畑無農薬野菜・地鶏・手打十割蕎麦・手作りパン・お餅・しめ鯖・・・、をを、嬉しいことに無農薬放置栽培の元気レモンが入っている。紀北町は旧・紀伊長島町と海山町が合併した地域、奥川ファームは山手にあるが、紀伊長島港には地先の多様な魚が揚がる、いわば農業と漁業の地域連携セット。日本の破滅的な食糧政策は世界の笑いもの、せめて自分の食糧は生産者と消費者の連携で確保したい。奥川さん、いつもありがとうございます。
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5時起床。
日誌書く。
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今朝も朝食は中華そば。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
8時10分、奥川定期便が届く。
糠床メンテナンス、キュウリとニンジンを漬ける。
タマネギをスライス、十分空気にあててからサバ缶と和える。
セントラルスクエア花屋町店まで買い物、ココの療養食、生パスタ。
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彼女は午後からキルト/ワークショップ、早めのランチは生パスタと昨日購入した無印食品のパスタソースを利用。息子2人にも、順番に用意する。私は冷蔵庫掃除。
テレビでは、NHKのスケートを流しっぱなし。
軽く午睡。
コレモ七条店へ買い物、20%引きの豚ロースを購入、今夜はしゃぶしゃぶだ。
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<honto>でお気に入りシリーズの新刊購入、Webで読書。
彼女が帰宅、すぐにココに点滴。
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豚しゃぶは黒ごまペーストと手作りポン酢でいただく。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第52話「完全犯罪の誤算」/ Agenda for Murderシーズン 1, エピソード 52 弁護士オスカー・フィンチは、大物政治家マッキー上院議員のブレーンであり、いずれは司法長官の座につくと噂されていた。ある日、フィンチに悪徳商売のため起訴されかかっているステイプリンから電話がある。25年前、ステイプリンはフィンチを助けた過去があり、それを理由に助けを求めてきたのだ。
片付け、入浴、体重は350減。
日誌書く。
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なかなかいい数字だ。
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tamanine · 2 months ago
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってか��大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草��匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。 
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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elle-p · 1 year ago
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
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ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶��繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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hachikenyakaiwai · 8 months ago
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【かいわいの時】慶応二年(1866)五月十四日:大坂市中および近在の米屋打ちこわし(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
第2次長州戦争のため将軍家茂をはじめ幕府側の諸軍が大坂に駐留中起こった大うちこわしで、当時「大坂十里四方ハ一揆おこらざる所なし」(幕末珍事集)といわれた。開港、万延の貨幣悪銭に加えて内戦にともなう長州藩の赤間関での流通閉鎖、大量の軍勢の大坂滞留という条件が加わって、米価が高騰した。そのため1866年(慶応2)5月8~10日に兵庫・西宮・灘・池田でうちこわしが起こった。13日夜から大坂三郷に隣接した摂津難波・木津・今宮・九条・上福島の各村で群衆し、難波村では14日早暁から竹槍をもって米屋等をうちこわし、雨中大坂市中をまきこんで、酒屋・搗米屋〔つきごめや〕・油屋を攻撃した。当時張紙に難渋者より老中様として大坂市中を焼き払うとあり、事件後逮捕された者は張本人は「当城内にいる」(将軍家茂のこと)とのべてはばからなかった。単なる都市貧民の蜂起とみるだけでなく、政治的意義の大きいものといえる。その後6月と9月に江戸とその周辺でうちこわしがあり、倒幕寸前の民衆運動が、大坂・西宮・兵庫から高揚した点が注目される(酒井一)。Web版尼崎地域史事典『apedia』による「慶応2年のうちこわし」の解説。
(写真)「時世のぼり凧(いか)」1866(明治大学博物館蔵)
この絵は慶応二年(1866)に描かれた『時世のぼり凧』という錦絵です。当時流行していた凧あげの様子を描いています。よく見ると、凧に品物の名称が書かれています《略》たびは真ん中あたり、ろうそくは真ん中より少し上、米は一番上に描かれています。実はこの絵、慶応二年の物価上昇について描いたもの。上方にある凧に書かれた品物ほど、物価が高騰していたことを示しています。一体どれぐらい物価が変わったのでしょう��(明治大学博物館)。刑事部門収蔵品紹介「江戸の物価と世直し一揆」より。
万延元(1860) 大坂米相場で1石=銀148匁だった米価が、慶応二(1866)、大坂商人の投機により、一時銀1000匁以上に高騰(コインの散歩道)。
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