#渦巻く貝の
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マキガイ
巻貝は、軟体動物の一種で、独特の螺旋状または渦巻状の殻を持つことで知られるグループです。この殻は一般的に石灰質でできており、成長するにつれて殻も大きく、巻いた形になっていきます。巻貝は世界中に広く分布しており、陸上や淡水、海洋など、さまざまな環境に生息しています。彼らは一般的に肉食性または草食性で、触角のような構造を使って食べ物を探し、歯舌と呼ばれる構造で食べ物を削り取ります。巻貝の殻の形や模様、色彩は非常に多様で、コレクターや科学者の間で人気があります。よく知られている巻貝の例としては、カタツムリ、ナメクジ、タニシ、オニノツノガイなどが挙げられます。
手抜きイラスト集
#巻貝#conch shell#conchiglia#caracola#Muschelschale#coquille de conque#手抜きイラスト#Japonais#bearbench#art#artwork#illustration#painting
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2023年6月11日 配役(role)から逸脱する瞬間
市川沙央の『ハンチバック』を読みたくて大学図書館と市の図書館を調べてみたけれど、文學界5月号はともに誰かに借りられているので、読めそうになかった。その話をドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー』読書会のときにしてみたら、そのときのメンバー四人とも『ハンチバック』を読みたいらしかったので、四人で割って一人300円ずつくらい負担して文學界5月号を買うことになり、おかげで明日に��読めるかもしれない。
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小説で言えばヴァージニア・ウルフの『波』も読みたい。ここ数ヶ月くらいは脳が壊れていてほとんど小説を読めない状態だったので、『ハンチバック』と『波』をきっかけにしてまた読めるようになったらいいな。
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ふと思い出したけれど、数日前の日記に書いたメンタルクリニックの待合室での待ち時間の間、何をすればよいのかよく分からなくて、ずっとwikipediaで「あさま山荘事件」のページを見ていた。
その中にはよく覚えている箇所が一つあって、それは2月20日。当初は人質を縛り付けて口にはハンカチを押し込んで声が出ないようにしていたものの、その姿が山岳ベース事件で縛られてリンチされた同志と重なったから坂口が独断で縄を解き、人質を交えて夕食を取ることになる。
そしてそのとき、電気ジャーでご飯が炊きあがってすぐに食べようとしたのを見て、人質が「ご飯は少しそのままにしておいた方がおいしいよ」と言う。それを聞いて犯人たちの側がしばからくご飯が蒸れるのを待ち、人質の「もういいでしょう」の言葉を聞いてから食べる、という犯人と人質の間での雑談がここにはあり、事件そのものの緊張感との不釣り合いさ。
人は何らかの役割を演じる訳だけど、その役割(role、配役)から逸脱する瞬間のようなものが、確かにある。匿名ラジオの353回で、ARuFaが「放課後過ぎて先生の性格が違うとき好き(ただの人としての先生が出ちゃっているとき)」ということを言っていたけれど、それもroleからの逸脱の瞬間で、そこには特有の美しさがあるかもしれない。与えられたもの、与えられた形式からの逸脱。
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今日の音楽。シャフル再生で流れてきた溶けない名前の「幽霊少女は八月を殺す」は突き刺されるような音で、Pixiesの「Monkey Gone to heaven」と、いよわの「パジャミィ」と「地球の裏」も聴いた。the cabsの「花のように」。
大森靖子。脱方ハーブ、握手会、風営法、放射能。
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マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』を読み返している。
特に精神疾患と資本主義の間の関係、そして精神疾患の物質化の功罪について。
〈それゆえ、もし注意欠陥多動性障害(ADHD)のようなものが病理であるのなら、それは後���資本主義に特有の病理なのである。――それはハイパーメディア化された消費文化の娯楽=管理回路に接続されていることの結果なのだ〉(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』、p70)
〈個人の内面に渦巻く精神的葛藤は犠牲者を出さずにはいられない。マラッツィは双極性障害者の増加とポスト・フォーディズムの関連性について研究しているが、ドゥルーズ=ガタリが述べるように、もし分裂症が資本主義の外縁を特徴づける症状だとすれば、双極性障害とは、資本主義の「内部」に固有の精神病だといっていいだろう〉(p93)
〈現在において支配的な存在論では、精神障害に社会的な原因を見出すあらゆる可能性が否定される。この精神障害〔にまつわる認識〕を化学・生物学化(chemico-biologization)していく潮流はもちろん、精神障害の脱政治化と厳密に相関している〉(p98)
特に3つ目の引用について考えることが多くて、まず素朴に考えれば、精神障害が科学・生物学化されること(たとえば鬱病はセロトニン濃度の低下によって、ADHDはノルアドレナリンおよびドーパミンの機能の偏りによって説明される)は悪いことではなくて、むしろ私たちにとって利益があることだったと思う。
なぜなら、精神障害を物質的に考えることによって、「心の問題」とか「甘えている」とか「努力が足りない」といった形で本人の「心」の問題にしてしまうような考え方を解体できるから(それに、問題が自分の脳の神経伝達物質にあるのだと考えられることで安心する、ということはある)。
でも、ここでマーク・フィッシャーが指摘するのは、そのような精神障害の科学・生物学化(chemico-biologization)によって資本主義が利益を得るという点。
〈全ての精神障害が神経学的な仕組みによって「発生」することは論を俟たないが、だからといってこのことはその「原因」について解明するものではない〉(p99)
〈例えば、鬱病のセロトニン濃度の低下によって引き起こされるという主張が正しいとすれば、なぜ、特定の個人においてセロトニン濃度が低下するのかが説明されなければならない。そのためには社会的・政治的な説明が求められるのである。〉(p99)
すべての精神障害が神経学的な仕組みによって「発生」することは間違いないし、(もちろん、まずはそのことについての正しい理解がないといけない)のだけど、しかし、だからといって、精神障害の原因がすべて個人の神経伝達物質のみに還元されてはいけないし、社会的・政治的な領域にその原因を求めなくてはいけない(実際、間違いなくそこにも原因は存在する)、というのがここでのマーク・フィッシャーの主張��のかな、と思う。
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バイトに行くために夕方の梅田をうろうろしていたら、何らかのコスプレイベントがあったらしくて、ピンクと水色の二重らせんみたいな超てんちゃんの長い髪の毛と後ろ姿だけが見えて、すぐに消えてしまった。
日曜日の梅田、人が多すぎて、どのカフェを見ても埋まっているし、何だか疲れてしまう。バイト前の時間、どこかで本を読んだり文章を書いたりしようと思って安上がりにするためにマクドナルドで冷たいローストコーヒーとツイストのソフトクリームを頼んだ。260円。二階のスペースはほとんど人で埋まっていて何かの巣みたいで、マクドナルドという空間は好きだけど、ハンバーガーとポテトの匂いは資本、という感じがしてときどき嫌になる。
資本、資本、と言えば、最近、いま「オタク」と呼ばれる(もしくは呼ばれていた)人たちに対して一種の嫌悪感を持ってしまうのは、彼ら/彼女らが資本(あるいは資本主義)に対してあまりにも迎合的に見えてしまうからだと思う。
何かを推すこと、何かのファンである、ということは元々資本からは一定の独立性を持っていたはずだけど、いまではもう資本に飲み込まれてしまっている。
資本はあらゆるフロンティアを侵食し、資本の増殖の手段へと変えていく。でも、もちろん自分自身もオタク(と呼ばれるような人種/だった)わけで、その意味では同族嫌悪でもあるのかも。更に言えば、「お前は一体どうやって資本に対して抵抗しているのか」と聞かれたのなら、どんな抵抗だってできてはいないわけで、ただ泥になって眠っているだけ。夢を見ているだけ。いつも思うのは、どうして現実世界よりも、夢の中の感情の方がリアルなのだろう。
ふと、手元にある処方箋の「◆きょうのおくすり◆」と書かれた紙を読む。
〈効能効果:脳内の神経細胞の間で情報を伝える神経伝達物質を調節し、症状を改善する作用があります〉
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いつの間にか、ずいぶんと長くなってしまった。
(何人がこの日記を読んでいるのか分からないですが、もし読んでいる人がいるのなら、二枚貝は現在ドゥルーズ+ガタリ『カフカ マイナー文学のために』およびドゥルーズ『批評と臨床』を読んでいるので、もし一緒に読みたい人がいた場合、Twitter等でDMを送ってくだされば、読書会という形式でともに読みます)
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TEDにて
アリエル・ウォルドマン:南極の微生物たちの多彩な世界
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
この微生物の世界のツアーでは、探検家でアーティストのアリエル・ウォルドマンが南極の広大な氷床の下にいる魅力的な生き物たちをご紹介します。
抱きしめたくなるようなクマムシもいれば、ガラスでできた幾何学的な藻類もいて、この一見不毛な大地は、見方さえわかれば極地にある生命のオアシスであることをウォルドマンが示します。
これが何か分かりますか?
ガラスでできた生き物のいる場所が、あると言ったらどう思いますか?
私たちの目には見えないけど宇宙飛行士たちはいつも目にしている生物がいると言ったら?
目に見えないガラスの生き物というのは、彼方の惑星に棲む異星生物ではありません。珪藻のことです。
光合成をする単細胞の藻類で地球規模で酸素を生成して雲の形成を促し、その精妙な幾何学的造形の外殻は、ガラスでできています。
海面に渦巻く色として宇宙から見ることができます。死ぬと、そのガラスの体は、海の底に沈み取り除いた大気中の炭素を墓へと道連れにして海洋における炭素隔離に大きく貢献しています。
私たちは、知らないだけです。実は、SFみたいな惑星に住んでいるのです。
地球上には研究すべき奇妙な生き物がたくさんおり、その多くが、世界の辺境にいて私たちの目が届かず、理解も及びません。そういう辺境のひとつが、南極です。
南極というと不毛な生命のない場所でペンギンくらいしかいないと思われがちですが、南極は極地にある生命のオアシスであり、まったく素晴らしい無数の生き物に満ちているんです。
では、なぜ野生生物ドキュメンタリーでそういう生き物を目にしないのでしょう?
雪や氷の下に隠れていて、私たちには見えないからです。微生物なんです。
氷河の中に埋もれ、海氷の下に潜み氷河下の湖を遊泳するちっちゃな動物や植物たちです。自然物の番組でよく見る大型動物にも劣らず、魅力的な生き物です。
でも、どうしたら見えもしないものを探しに行こうと思わせられるでしょう?
最近、私は南極への5週間の調査遠征を率いて微生物サイズの野生生物映画を製作しました。84キロの機材を抱えて軍用機に乗り込み、顕微鏡を現地に持ち込んで、そういう小さな極限環境微生物を調査し映像にしようというわけです。
この地球上にありながら、よく理解されていない生態��のことをもっと知ることができるように。
そういう目に見えない生き物の生きる姿を捉えるため、その棲み家である氷の下へと赴く必要がありました。毎年、海氷で南極の大きさは、倍近くになります。
3メートルの氷の下を覗き見るため海氷に通した長い金属のトンネルを下り、生命に溢れた隠れた生態系を目撃しました。
海の底と光る氷の天井の間に宙吊りになりながら外から見るとこんな感じです。まったく魔法のような世界です。そこで見つけた生き物には、貝虫のような可愛らしものや美しく幾何学的な珪藻がいました。
そこからさらに進んでドライバレーで2週間、野営しました。南極の98%は、氷に覆われていますが、ドライバレーは、氷の下の大陸がどのようかを実際に見られる最も開けた場所です。
「血の滝」で細菌を採取しました。氷河下の湖が、酸化鉄を噴き出していてほんの十年前までまったく生命がないと考えられていた場所です。
氷河を登って穴を掘りに行きました、氷の層に埋もれながら生命を謳歌している無数の強靭な生き物たちを見るために。これはクリオコナイト・ホールです。
暗色の塵が、氷河の上に吹き寄せられ氷を溶かして穴を作り、それがまた氷で覆われたもので氷河の中に何百という塵の塊が保持されていて、そのそれぞれが固有の生態系を持つ島宇宙のようになっています。
そこで見つけた生き物には、みなさんもご存じだろう愛らしい緩歩動物がいて私も大好きですが、爪のあるちっちゃなグミの熊みたいです。
クマムシの名でも知られ、宇宙の真空を含む極端な条件でも生存できるすごい生命力で有名です。でも、クマムシを見るために宇宙や南極まで行く必要はありません。
道端や公園をはじめ地球上至るところのコケの中に棲んでいます。皆さんは毎日、そういう目に見えない沢山の動物たちのそばを通り過ぎているんです。
見慣れているようでいて少し奇妙なのが、線形動物です。ヘビでもミミズでもなく独自の生き物です。
ミミズのように再生したりヘビのように這うことはできませんが、短剣のような小さな針が、口の中にあってそれを獲物に銛のように突き刺して中身を吸い出します。
地球上には人間1人当たり570億匹の線虫がいます。
あまり知られていないけど同じように素敵な生き物もいます。ルンバみたいな口になるすごい冠を持った輪形動物、消化器官が透けてほとんどおはじきみたいな繊毛虫、パーティ用の紙吹雪をペトリ皿にぶちまけたような藍藻。
私たちがメディアでよく見かける微生物の姿は、恐ろしい化け物みたいな電子顕微鏡写真ですが、生きて動いているところを見なければ、たとえ身の回りの至るところにいてもその生活は分からないままです。
どんな生き方をしているのか?
周りの環境と、どう関わっているのか?
ペンギンを動物園の写真で見たことはあってもよちよち歩いたり、氷の上を滑ったりする姿を見たことがなければ、ペンギンをちゃんと理解することはできないでしょう。
生きて動いている微生物を見ることで目に見えない生き物たちについて、より良い理解が得られます。
南極や裏庭の見えない生き物を記録しなければ、私たちがどれほど多くの生き物たちとこの世界を分かち合っているのか分からず、奇妙で気まぐれな故郷の惑星の全体像はつかめないのです。
ありがとうございました。
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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渦巻く夏のフェルマータ
やがて魔法から醒めてゆく 排水口に夏が渦巻く 君の気配が薄れていく 僕を残して 定まった被写界深度 下回った低い融点 頬を伝ったこれが最後 まだ僕は取り繕って 永遠だった筈の想いを 気化熱が奪っていく 雨も涙も 栓を抜いたプールの思い出も 行き着く先は海の果て 君はもう流れ着いた? 僕をここに残したまま 季節は今ゆっくりと動き出した 風が冷たくて 魔法が解けていく どんな言葉も あの日拾った貝殻も ボロボロの君の袖透かした空も 昨日と重なる水面より数センチ上空で 僕は生まれて初めて酸素の味を知る それは嘘のように甘くて 弱っていく君の歪な笑顔を思い出した 鯨の星座は恐ろしい怪物の形をしているんだ 君が教えてくれた 水色の宇宙に落下する視界の中 切り裂くような朝焼け もう空が白んでいた 今 風が髪を揺らしている 君の髪を揺らしている 海の果てをここに感じる 目を開いて いつの間にか もう秋…
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大谷さん、デカいデカいと思てたけども、
1m93Cmもあるんですか(@_@;)
貝塚市水間寺会館リフォーム工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
最近スポーツというものから離れてしまってるんですが、
WBCはちょっと見てしまいますね。
おーたーにさーーん!!
すごい人気で、やっぱりメジャーリーガーでホームラン王争いするだけあって、デカいすね!!
もっと驚いたのが、
ダルビッシュ有くんなんですが、
身長196Cmであんなにシュッとしてるのに体重が100キロですって、
私にも知り合いで何人か体重が0,1㌧超えてる人知ってますが、
みんな肥満はアカン!!
選手の皆さん頑張ってください。
。
いつも突然ですが、
今年になって巷でよく聞く、
「死ぬまでにしときたい事100」というものを作りましてね。
なかなかめちゃくちゃあるで〜と思いながら書き出すと以外と少ないという話。
行きたいお店リストはいっぱいあるけど、ついつい行きつけの店が安心安全やからそこに行ってしまうみたいな?
うん? 私、今何言うてる?
ぜんぜんちゃうな(^o^;)
とにかく勢いよく書いたけど、100に全然届けへんから、
例えば「東北地方を制覇する」が
「山形制覇する」、「岩手制覇する」と小分けにしてしまった件w
みたいな(^o^;)
まぁとにかく、日本の都道府県は全て通過ではなく滞在してみたいなと。
行ったことない都道府県結構あるのよね。
九州の下の方とかディズニーも行ったことないから千葉県とか、そして先程話した東北地方ですね。
宮城は数年前に福島県に私の理想とする工務店の師匠がいましてね、
ちなみに「無添加あいの家」さんてとこなんですが、
ホームページをみましてね、一目惚れして、すぐメールして遊びに行っていいですか?って
気になったからって、メールして遊びに行かせてって頼む私も私ですが、
師匠は凄いですよ、二つ返事で◯!!
早速飛行とりましてね、
一応監査役にジュディ−に付き添いお願いしまして、行ったんです。
すると師匠は話だけでなく、1日監督さんを私に同行させてくれて、工事中の家や引き渡し後の現場を見せて回ってくれたんですよね。
師匠コロナでご無沙汰しております‥
落ち着いたらまたお伺いさせていただきます。
その福島県には仙台空港に降りレンタカーで行ったので、一泊して帰り半日だけ観光しただけ。
と言うことで、今年は宮城県をじっくりまわって、
来年から山形、岩手、秋田と最終目標の青森ねぶた祭まで5カ年計画をたて、
早速今年宮城県をじっくりまわろうと決めたので、先日いきなり行ってきたw。
Peachは安いね。
これがあるからこそなのですが、
往復12000円。
しかも関空7時の飛行機に乗ると9時にはレンタカー乗ってますからね、近いですね。
色々回ってきました。
2日のレンタカーの走行距離320キロ!!
走りすぎやで���ね、高速も安くてつい(^o^;
仙台ついたら、まずこの方にご挨拶!!
伊達さんね。
ええ天気でしょって、カメラをひくと
なんと伊達さん前回の地震で傾いてしまっていましてね、今回修理することに。そして工事中!!
って わかってたんですが、これもレアかと見に行ってきました。
定義山西方寺の厚揚げ食べたかったのね。
ニッカウィスキー宮城峡も酒飲みにははずせません。
海の杜水族館も楽しかったか
久しぶりにイルカショー見たから感動!!
旅行いくと必ずすることなんですが、夜お酒飲みに行って現地の方にイチオ��教えてもらうんです。
今回も あちこちでいくつか教えていただいたんですが、ここは美味しいから是非行ってみてと教えてくれたのが、
仙台から少し車を走らせて、北上川を北上すると
宮城県登米市(とめし)というところにある、
「うなぎの東海亭」
創業明治八年の老舗のうなぎ屋さん。
和歌山県御坊の川常さんに負けず劣らずの外はカリカリ中はホクホクでめちゃくちゃ美味しかしかったです。
やっぱジモピーに聞く生の情報が1番ええよね。
その帰り飛行機の時間までまだまだ時間があるので下道をゆっくり走って帰ることに。
石巻市に来ると、石ノ森章太郎記念館があり、懐かしく仮面ライダーとも2SHOT
ライダー足長いは
そして記念館を出ると、空に戦闘機が!
そういえば朝から松島に行ったとき、2機のブルーインパルスが煙を出して飛んでいた。
松島に航空自衛隊があるんですね。
一緒にいった友人が、航空自衛隊が好きで、
「ちょっと基地が近いからまわってみろよ」
時間もあるので基地の近くまで行くと、たまたまなんですが戦闘機F2が2機でタッチアンドゴーの訓練をしてたんです。
基地の近くを見ると数台の車が停まってる、
「あそこやーー!!」
と近づいて行くと、ビンゴーー!
キャノン砲みたいなカメラを持ってるマニアさん達。
ということはこの場所が特等席。
そんな横でたまたま来たド素人感満載でスマホ片手に撮ってみました。
とにかく3分おきに2機で入れ代わり立ち代わりタッチアンドゴーの訓練してるので、わずか20分くらいの間にスッカリお腹いっぱい。
肉眼ではパイロットも見える近さで、これが今回の旅行の1番の盛りあがりでしたかねw
スマホでは発着するときは西日の逆光でとれなかったんですが、気流が渦になっててね、
頭の中では🎵ケニー・ロギンスのデンジャー・ゾーン流れてました🎵
最後にもう一つ旅行に行くと地元のスーパーマーケットをできる限り入店してます。
地元の食文化がよくわり、たまに掘り出し物がある!
今回も1軒目のスーパーで牛タンのミートソース煮って缶詰がありましてね、その前に
「人気のため再入荷しました」というポッ��
野生の勘!!
これは買わねばと450円で残り5つを買い占めた‥。
そのあと水族館に行くと、780円になってみんなで笑ってたら、帰りに空港行ったら980円もしてた、ひくわw
そして最後に入ったスーパー、元イトーヨーカドー系列のヨークベニマルという名前のお店、今はセブン&アイホールディングスが経営ですかね?
お店の前にこんなコーナーがあるんです。
これはダンボールやペットボトルをリサイクルするための捨てる場所なんですが、ここに入れると重量が計られて、そこにnanakoカード入れるとポイントつくんです。
みんなおっちゃんおばちゃんもカード片手にペットボトルやダンボール入れてるんです。
何故?大阪にはこんなのがないのですかね?
現場でもダンボールが山のように出る。
めちゃくちゃ入れにいくのに。
オークワさん松源さん宜しくお願いします。
頑張れ大阪!!
とまた今日も長々すいません。
皆さん50歳超えたら、死ぬまでにしたい事100書いてみてくださいね。
本日もお疲れ様でした。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
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詩 … ある日 ふらりと 旅に出る 世界中を訪れて 波打ち寄せる 砂浜や 広い野原の 真ん中で 思い切り 歌を 歌う … けれども それは 渦巻く貝の 殻の奥で 蝸牛が 見ていた ただの 白昼夢 … #詩#ポエム#poem#ポエム好きな人と繋がりたい #詩を書く人と繋がりたい #写真#写真教室ロケ#矢田寺#紫陽花#の葉の上の#カタツムリ#夢#白昼夢#渦巻く貝の#殻の中#ふらりと#旅へ#緑の世界 https://www.instagram.com/p/By97SHRlvc2/?igshid=ho54hhz0x27e
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渦巻き
サボテンの先端が風ぐるまのよう
産まれたての赤ちゃんを見て頭だけじゃなく体じゅうにツムジの様なものがあるのだなと思った
風で落ち葉があちこちでグルグル回るのを見て空気が回っているのだなと思う
二枚貝もよく見ると渦巻き
渦巻きは拡大する
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/はじまり/
ニューアワビ、と言ったときにはみんな酔っぱらっていて、薄暗いダンスホールで座っているような立っているような踊っているような立ち止まっているような漂っているような姿勢で、ディスコのビートに揺られて雑居ビルの床を踏み鳴らしていたはず。分厚いセーターににじんだ汗と柔軟剤が混じった臭い、たばこの煙、ごわごわのカツラとタオルを詰め込んだ胸、ミニスカートから伸びた筋肉質の脚、その日だけのつけづめと、ムダ毛の一本もない顎。水色やピンクのパンダがプリントされたグラスに、半分残ったハイボール。口の臭いライダースを着た白髪のおやじは、わたしに「ブス」と言い放ってわたしの後ろにいたライダースにすり寄った。
シャレだと思って言った言葉がささくれだって、ニュー・アワー・ビーツ。いたたまれない夜に、わたしたちは、わたしは、何を求めているのか?と問い直すことのできる場所。こまかいことは後で決めよう。楽しいことができるようにしよう。言葉でもイメージでも絵でも、なんでもありにしよう。
*
二枚の貝殻がくっついては離れていくアワビ。口として、唇として。唇が二つなのは、閉じて一つになると同時に、離れるため。閉じて私、離れて私。他者の侵入によって唇、(女性の体には顔と股にある)が離れることを、「妨害される」と書いたのはリュス・イリガライだったか。結局性器���話になるなら性器中心、己のペニスかくして尻隠さずの男根主義と変わらんがな。堅い殻に守られた柔らかな内側は、何かの裏返しであるはずは絶対にない。何かを収める鞘でもない。
平安時代の白拍子たちは、自分の足を板の舞台で踏み鳴らし唄を詠む。移動する遊女。小舟で移動するジプシー。戸籍ももたず税も納めず、地をはい、のろくもろい自分たちを蝸牛だと言って詠う。舞え、舞え、蝸牛。自由に美しく飛び回り、その存在で夢へと誘う蝶になることはないけれど、地を這い、地で舞う蝸牛は、渦巻いた殻で視界の奥深くにビートを刻む。 堅い殻に守られた柔らかな内側 。白拍子は足で地を踏んで身体を呼び起こす。戸籍ももたず税もおさめない、浮いた足をこれでもかと地面に打ち付けて、からだに響かせてビートを刻む。軽やかさのために、重かろう、わたしは!
天が極楽へと至る道なら、地はどこへわたしを連れていく?
地をたどり、地を踏み鳴らし、歪な裂目が現れるとき、二つのものを区別する境界線は、スラッシュ記号のように斜めの直線なんかじゃないことがはっきりするんじゃなかろうか。
「偽物の」おっぱいをつけたピカリンとなのる者に、セクシュアリティを尋ねられた。あれ、うん、いまのところはノンケってやつ、かなー。ピカリン、あなたは自分のことを、TやGと呼びましたね。わたしは何者なんですかね。その外側ってやつなんすかね。だとしたらH?S?N?この記号にどのくらい意味がありますか。そろそろ記号からでないすか。そろそろこのビル、でませんか。
*
居てもたってもいられなくなって、突然12月某日に新宿で集まったわたしたちはわたしたちがなにであるのか、なにであろうとしてるのか、どうなればよいのか、本当にわからず途方にくれていて、今もくれ続けている。でも確かなのは、「わたし」だけではないということ。寒空の下あつまって、雑居ビルの二階、小さなダンスホールでステップを踏み、くるくると回って踊るたくさんの「わたしたち」がいるということ。わたしたちはそのダンスホールの扉を閉めて、雑居ビルの階段の踊り場で一斉に笑い転げた。
いしづ 20190313
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ちょっと学生時代のレポート課題のテキストを載せてみます。
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アセンブルデザインB II エディトリアルデザイン レポート
7P168806-6 唐澤 徹
●企画内容
・タイトル:『詩と建築』
・企画趣旨:建築と詩の連関を考える。建築が詩的である状態とはどのようなものかを考察する。
・企画概要:建築においても存在する詩学の構造を、詩作品の分析などにより一般性をもったかたちで言述する。詩学をその原義である「ポイエーシス」と定義し、人間の制作行為一般の方法論と技術論をその問題とする。ここでは詩と建築との関連の深い音楽の分野も考察の対象とする。
・仮コンテンツ:①詩における建築、②詩的構造についての考察、③建築における詩、の章���成
①
・コンクリート・ポエトリー
Eugen Gomringer、新国誠一、etc.
言葉を重ねて世界を作る詩にあって、コンクリートポエトリーは図(figure)=meaningとなっている。それはスイス派などのグラフィックデザインともつながるのだが、建築で詩を成すことのヒントとなるものがあると考える。
・北園克衛
言葉のオブジェクト性。写真で記録のあるオブジェのシリーズである「プラスティック・ポエム」も彼の詩学であるideo plasiticyも、言葉に物性を感じ取っていたことが読み取れる。
・William Carlos Williams の即物性・簡潔性
・中国の詠物詩
物の観察と形式化についての問題系。言葉が物にどのようにしみこむか、物に言葉がどのようにしみこむかの考察。
・鈴木正美『言葉の建築術—マンデリシュターム研究—』の参照
オシップ・マンデリシュタームは詩を建築になぞらえて詩作していた。
②
・入沢康夫『詩的構造についての覚書』
・北川透『詩的レトリック入門』
・マックス・ベンゼ『情報美学入門』
・リー・ウーファン『余白の芸術』
・Y・トゥイニャーノフ『詩的言語とはなにか』
・ハイデガー『詩人のように人間は住まう』、『建てる・住む・考える』
・レヴィナス『全体性と無限』のなかで家の女性性について書いているところ
etc.etc.を参照しながら詩の構造性についての定義をする。
③
建築における語り得ないもの=詩美 を語る。語り得ないものの前で沈黙するその先にあるのが詩であるから、(語り得ないものを語ろうとするとさらに語り得ないもの=詩美がでてくる。それは線形的には捉えられない。)建築における詩美とはその建築を成り立たせている形式のまわりの付随するコノテーション、レトラクトであることになる(という予想。)概念的近傍。コンクリートや木や金属の素材が、密実な物質の組成でなりたっているということがその近傍系(温度、質感、音の響き)をつくっているように、またはプランニングや構成や寸法の決定が、構成の息や見えや居心地をつくっているように。ひとつの言葉には概念的近傍(概念的レトラクト)があるように、身体にも身体的近傍(身体的レトラクト)があり、両者は写像関係にあるが、言葉と身体のどちらが先かと言えば身体である。しかし言葉などの外在物が身体を訓育することは確か。言葉が認識の構造のきっかけとなっているのは確か。ゆえに、言葉と身体の問題へと遡ることで能く建築の詩について語れるかもしれない。
・コルビュジェ、オーギュスト・ペレ、スカルパetc.諸建築家たちの詩への言及についての考察
・韻��と数
・数比と詩と音楽と建築
・身体的な数=リズムについて
・詩を書く建築家について(ジョン・ヘイダック、立原道造 etc.)
・詩の空間性
●ブックデザイン
・判型:A5判
・頁数:300p
...
レポート
アセンブルデザインⅡA 赤坂喜顕校長
唐澤徹
朽ちた舟を描いた素描。あのリリシズムは何かな、と考えました。それで思い至ったのが、舟とは、境(しきい)への意志であるということです。それはつまり、生成のあわい=波打際=poieisへの意志だと思うのです。また、アーキタイプとしての舟のことも考えました。例えば、飛騨高山は古河町の、まつり会館に滞在したときのこと。古河町の祭りはユネスコに登録されており、その映像を見て、そのなかで、お神輿のシーンがありました。その担がれて人の波に揺れるお神輿を見たとき、ちょうど水面の波に揺れる舟のことを想起しました。古く日本へは舟で来た人々も多かったと思います。故にそのような渡来の舟の経験もお神輿という表現を産んだ素地ともなり得ているのではないかとも可能性として思いました。(そのように、ポイエーシスは人々の経験の血の流れの中に息づいているのだと思います。)また、病院の待合室で人々が並べられた長椅子に 並んで座っている様子を見たときにも舟を想起しました。そして、その病院では人々の眼差しのさきに窓があり、光があるのです。また、ヴェンダースによる『ベルリン・天使の詩( der Himmel uber Berlin )』の最後のシーンにおいて、ホメロスの名を冠された老詩人が「乗船完了」との言葉を発し映画は終わります。また、旧約聖書におけるノアの箱舟なども、元型的な舟の形象があります。また、今年の夏に滞在した高山建築学校において、友人になったご夫婦のお子さんと仲良くなり、その子が水盤に木の板を浮かべ、その上に石を乗せて人に見立て、航海の遊びを始めたのを一緒になって見ていたことがあります。そのことは何か感動的なものがありました。
また、赤坂先生の遍歴に思いを馳せました。卒制の敷地探しの旅において、本州の極北、シルクロードの最果てである津軽を選ばれたということには何か哀愁を感じます。日本海と交わる十三湖。雨の日は山の土の流れ込み色の変わるという。真珠貝の澄んだ色から血のような色まで、両義性をもつ十三湖。先生しか見ていない内面の風景の強度のことを思います。そして、その個人の中に宿る世界の強度が建築家としての強度なのだと思います。true architect はtrue poetであらねばならない。敷地はかつて��えていた港町が風害により一夜にして廃墟となったところ。地震、雪、嵐、自然の威力の前の人の生の儚さ。その儚さに対する哀しみと慈愛の眼差し、そして<建築>の本懐たる、自然の猛威に対して確固たる生の基盤を打ち立てるという意志。last : 最後の・続く。これは私の常々思うところなのですが、デザインを志ざす者は人の弱さや悲しみに敏感でなければならないと考えます。私は建築デザインを通して世界をもっと優しく美しくしたい。
先生の卒業制作では、自然の生成変化するエネルギーと人間の作る絶対幾何学が主題です。コンセプトシートに記載されていた渦のイメージ。「vortex・渦」とは中心を持つエネルギーの結節点です。例えば銀河も渦を巻きます。それはcosmosであり、建築も一つのコスモスであることは間違いありません。その秩序の求心性を流転しながらしているのが<自然>であり、固定性を持たせて作るのが人間によるものなのだと考えます。
『 last cosmos 』では、純粋幾何学の多層構造・同時表示・通態性が表現されています。そのような事象の重ね合わせとは詩であり、赤坂先生は建築で詩を志向しているのだと感じました。また、それが意識的なのか意識的でないのかに関わらず、何か美しいものを作ろうとする人は、それぞれの独自の言語で<詩>をしようとしている、と思います。
NIAローマ・コンペ
西洋古典建築の語法であるパースペクティブの異化と詩的統合をしていたのだなと感じました。ワイヤーというテンションの構法も、ヨーロッパの荷重の構法とコントラストを生み、異化効果を生んでいると思います。
成田山仏教研究所
イデアルなものと現実の建築物の関係。プログラム的な要請をコンセプトと構成の中に具現することがtrue conceptual architecture. “機能的なプログラムを、概念的な構成により秩序づけること”。その赤坂先生が仕事を取るまでのエピソードがものすごく格好良い。数ある人々がプレゼンして、おこられて帰ってきて皆ができないものを軽々とやってのけた。また、古い施設の中の子どもたちの来る図書館の機能を残していることがとても素晴らしい。新しい建築物の子ども図書室では子ども用に小さなソファをデザインしている。飛騨の古河の図書館を訪れたとき、そこのだれでもトイレに感動したことがあります。そこには、子ども用の小さなおまるがある。建築の女性性とは居を与えることだと思っています。居場所を与えること。座をあつらえること。新しい生命のためにその居場所を準備すること。生命がずっと続くように。(永遠ではなく、ずっと。「ずっと」には慎ましい祈りが込められています。)
R-竹中技術研究所
12mグリッド。カーンも採用していたというスケール。構成��素の接合部に立方体を配し、オブザベートリーな場を設ける。軸=眼差しの意志。直径153mの円が各プログラムを統合する。orchestaration = 統合のマニエラこそが建築術。
テクニカルなもの・マニエラへの態度
・バックマリオンとフロントマリオンを配することによるゆらぎ
・直行グリッドを避ける
・硬直性ではない「表情」や生命感。 村野藤吾先生からの教え
など、幾何学を用いながらゆらぎや多義性を志向している。硬直を避け、可能性を可能性のまま享受するという、吉田五十八建築の「いき」性とも通ずる。
ヴ���ンチューリ「安易な排除より困難な統合を」
両義性や反立物の統合、詩的多義。
詩とは現実の意味のmulti-meaning, parallel-meaning の言葉への写像である。
では、その言葉が物へと写像されたならば?そのとき建築物は詩と成り至る。
先生のミースへの理解
『柱』ギリシアから連なる古典的なオーダー それを消滅させたかった。しかしできなかった。「イカロスのような生き方、神へもっとも近づいた建築家」
バルセロナ・パヴィリオンにおいて
柱は見えない十字のグリッド。表層に見えて実体。対して、オニキスや乳白ガラスは強い物質性を持つが、それはストラクチェアではなく、記号的表層。バルセロナ〜においては十字柱の中央部のディテールはアールがついている。そこにおいてストラクチュアは実体だけどそう見えない、実体なのだが、表層にしか見えない。実体と表層が入り乱れている。実体と表層の通態的表示。コルビュジェのドミノよりも深くpoetic (=多義的、通態的)
テューゲントハット邸においては、十字柱の中央のディテールは直角。対して、角はアールがついている。それにより、柱は消えてゆく。ここでも十字柱は表層的実体であり、オニキスの壁は実体的表層である。柱は消えてゆくことを志向するが、バルセロナと異なり、その柱には求心性が与えられている。そこでもDaseinとAbwesenheitの、生成と消滅の通態的拮抗が生まれている。現実の多義性と通態性、可能世界の様相を一つの限定された形にするとき、絵画でも、写真でも映画でも、建築物でも、音楽でも、それは詩となる。詩こそが究極のリアリティの写しである。
ファンズワース邸
柱が外に付く。それは、内発の去勢。
ピエンツァ・トスカーナ ルネサンス
ピウス二世が理想都市として設計
逆パースと立体グリッド:床のペイヴのグリッドが立面に立ち上がる
ジュリアーノ・ロマーノの聖堂 均質空間 ガラスで風景に開く 閉じずに風景に開く
ペトラルカが眺望を得るために山に登ったが、ピウス二世ではバルコニ��により風景へ応答する。それ以外はプラトン的な作り方。
軸芯をずらす ゆらぎ
動きを作る テラーニ カサ・デル・ファッショ
柱間において、中と外で軸がずれる。運動、活性化、高等な頭脳を持ってして作られている。
韻律 abba シンメトリーを使いながらズレを重ねる。これはエストニアの作曲家アルヴォ・ペルトにも通じるものがある。
エストベリ ストックホルム市庁舎 軸のゆらぎによる「かるさ」。不安定の美。微妙なリズム、音のズレ。それがゆらぎあるハーモニーを生み出す。タクトゥスとリトゥムス。凍れる音楽。視覚的に音楽的な見えを作る。
アアルト 夏の家
天からの力によりバタフライルーフになっているが、屋根の谷とプランの軸がずれている。リビングの窓と炉との軸がずれている。
桂離宮 日本にも遠近法はあった。逆パース。軸のゆらぎ。
先生はそれらの歴史的読み込みとしてマニエラを発展させていった。
過去の人々がやらなかったことをどうやるか、がテーマだと先生はおっしゃりました。コルビュジェの「私の師は歴史である」との言葉を引用して。
オーディオテクニカHQ
コルビュジェのドミノとシトロエンの統合
軸組空間(=柱空間 そこに壁を自由に入れてゆく) と壁式空間(=両サイドに壁、その間に床を自由に入れてゆく)
コルビュジェはラトゥーレットにおいてドミノとシトロエンの並置をした。しかしここではmixされていない。
オーディオテクニカHQでは、プレキャストの壁は実体に見えて仕上げ。ストラクチュアは内部の柱。柱は表層に見えてストラクチュア(=実体)コールハースは、構法が変わると表層と実体の関係も変わってくると理解している。モビーディックのモチーフ。親クジラ、子クジラ
研究棟と事務棟で床レベルがずれている スキップフロア
コーナーが閉じるのを避けている、サイドコアウォール ブリッジコアは浮いている、
消防の進入口などの要請もデザインとして解いている
ギル 風、光 ルイス・カーン 重くなるのを避けるため、直行グリッドを避けている
開講のプロポーションは高さ1800mmで、これは京都の角屋のものである
知性と教養の豊穣こそが幸福な建築を作るのだと確信しました。
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レポート
アセンブルデザインⅡA 講師:保坂猛 先生
唐澤徹
光について。
建築家には、それぞれの光についての認識があるように思われます。ルイス・カーンには光と物質の形而上学があり、それは作品をみるとその形而上学が、ある真実を掴んでいるということを思わせます。ピーター・ズントーもエッセイの中で光について書いています。光はその場所の感情に大きな影響を与えます。『オランダの光』という、オランダの光と美術にまつわるDVDを観たことがあります。そこでは、フェルメールやレンブランドの絵画など、その地域��人々により作り出された形が、その土地の光と大いに関係があることが美しくまとめられていました。人と同じように光もその土地に生きていて、人々により呼吸されているのだなということを感じました。そして、人が人に影響を与えるように、光はもっと無辺に人々に影響を与えているのであろうとも思いました。過去に、保坂先生に「先生にとって光とはなんですか」とたずねたら「光とは愛です」とお答えいただきました。そのこたえはとても先生らしく美しく、心に残りました。そのことから、世界の事象は人の言葉ではない何らかのテクストであり、それは人の言葉に翻訳可能なのかもしれない、との直感を得ました。しかもそれは科学の分析的な言語ではなく、詩のような感覚で。
世界モデルについて。
人のつくりだす形は、すべてなんらかの世界認識の表出であると思われます。その点で建築の魅力を決定するのは、設計者の世界への感覚・感受性であるのだと思います。先生の『love house』設計時の創世記と敷地条件に即したドローイングは、最もミニマルな世界モデルであり、<世界>の感覚を感じます。世界モデルとは、形而上的な意味での<構造>のあることであると考えます。
箱庭療法において作成される「箱庭」も作成者の世界モデルであり、世界への認識の投影です。そのようなことから、この世界はつくられてはまたこわされる神さまの箱庭なのではないかな、とも想像したことがあります。
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箱庭
人の世界は神さまの箱庭
砂を あつめ くずし
永遠の者の
時へのたわむれ
神さまには本当に名前がなくて
それでも
それゆえ
皆
知らずのうちに知っている
不在ゆえの遍在を
名のなきゆえの
すべてであることを
世界の
内と外とを照らす
光、
速力。
有限と無限をつなぐもの
言葉、
一つの。
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レポート
アセンブルデザインⅡB 講師:前田圭介さん
唐澤徹
講義を受けて、前田さんの、自らの生まれ育った土地やそこから派生してゆくインターローカルなあり方に共感しました。ノマディックな無名の都市生活者になることも魅力的ですが、やはり自らの生まれ育った土地や、そこで過去を暮らしてきた人々の記憶に根ざすことは建築家にとり大きな力になります。私は群馬県の渋川市(旧小野上村)出身で、たまに実家に帰ると都心では見られない山々の風景や綺麗な空が印象的です。ジェネリックなアーバニズムにより引き起こされるのは風景の無個性化であると考えているのですが、地方までもがそのような都市の原理により構築されてゆくのは仕方がないのかなとも思いつつも歯がゆいです。最近、実家近所で高架道路の建設が進んでいます。現場作業中に大規模な遺跡が見つかったのですが、記録だけのこして場所の現物はそのまま橋脚の下に埋��られていきました。
人々の集合の原理には多くの種類があるべきであると思います。風土が違えば人々の見てきた風景も違うのですし、ゆえに考え方や文化も異なります。ゆえにそれらの微差をひとつの原理で覆うことは暴力でもあり得ます。その問題を考えるには歴史のプロセスのすべてをなぞり、それぞれの良い面、悪い面を考えるべきなのでしょう。その点で「モダニズム・近代」とは熟慮すべきものなのでしょう。モダニズムとは、インターナショナルスタイルとも繋がるように、世界のユニヴァーサルなスタンダードを用意したとも思えます。そのような共通言語を用意したために世界でスムースなコミュニケーションが取れるようになったとも思えます。主要な大学の建築教育は、ほとんどがモダニズムの系譜においてなされてきました。しかし、それは世界のあり方のいくつもの可能性の芽を摘み取っていることになっているように感じられます。
そこには美学や倫理などの建築にとってのアルターエゴが介入しなければいけないのではないかと考えています。しかもそれは、日本的な混交的ハイブリッドなものであって然るべきなのだと思います。さらに個人的には、暮らしのなかで培われた身体の知性が重要なものになるのではないかと考えています。たとえばある地域で了承されるデザインにはその地域に必然的なデザインのフォーム・身振りがあります。それは普遍化できないし、完全に言語化もできない。空間のプレゼンスで示すしかないのでしょう。
空間のプレゼンスに関して、建築の公共性について考えさせられました。『群峰の森』の完成により、前面道路が気持ちの良いジョギングコースになったり、『アトリエ・ビスクドール』では、外庭が完全に閉じず、外部からは緑の足元が見え、かつ内部からは外部の視線は遮り、足元から外部の気配を感じるというように、大々的にコミュニティを謳う設計とは異なる共同性の在り方が感じられました。その点から、それだけ建築物がまわりの環境に影響を与えるということであり、それゆえに建築家には世界をより美しくしうる可能性と、同様にその責任があるのだなと思いました。
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レポート
アセンブルデザインⅡA 講師:奥山信一さん
唐澤徹
<アーキテクチュア>、<建築>の概念について考えさせられた講義でした。ルイス・カーンが「建築作品は<建築>のスピリットへの捧げ物である」と述べるように、それは私たちの日々の健闘によりその円周を広げてゆくものなのでしょう。ArchitectureとはArche(始原、原理)の意味も含まれるゆえ、その起源にひと連なりであることが建築作品のオーセンティシティであるのでしょう。そのことは磯崎新氏も論考を書いており、西洋建築においてはルネサンス期におけるパルテノンの廃墟や日本においてはイセなど。(氏はイセにおいては始原が虚体であると捉えたようですが。)サマーソンが古典主義建築とモダニズムの関連を問うたのもそのような、オーセンティシティの意識からなのでしょう。しかし、私にはそのような意識がノルム・規範となることはすこし怖いことのように思えます。世界とは混交による���イブリッドです。それは文化的にも技術的にもそうですし、一絡げにひとつの原理でまとめることは到底できることではない。
現在の建築教育の現場のほとんどはモダニズムの流れを汲んでいます。しかし、風土はそのモダニズムをきちんと身体化できているのかどうか疑問です。産業の機械化に端を発するモダニズムは資本主義とあいまり、現代では、資本の増殖に付和雷同する建設のあり方はほとんど都市化と同義になっています。そのような単一の原理が世界を覆うことは先が無いと思えます。わたしはアルヴァ・アアルトに共感を覚えるのですが、そのひとつにローカリティの問題があります。近代建築運動の興ったドイツやフランスと比べれば、ヨーロッパの辺境であった場所で独自にモダニティを変質させ、特別なものを彼が作ったことはとても意義深いものであると思います。地域性の問題に関して、現代ではレム・コールハースは、ルーラルなものまでも都市の論理で構築されていくことに異を唱えています。また、中国のWang Shuは中国の地方の開発を評して、「都市の原理と土地の原理と、これらまったく別の世界が存在している」と述べています。合理性ということばがありますが、その合理性が水の合理性や土の合理性、火の合理性や風の合理性など、自然の合理性に適うとき、初めてひとは世界と軋轢を生まずに生きられるのではないかと思います。わたしは都市化とほぼ同義である資本の増殖に付和雷同する建設のあり方に疑問を抱きます。もちろん経済合理性は無視できません。しかし問題はその論理が何を則・倫理とするかということです。経済とは貨幣の交換により共同性を築くことであると理解しています。それはちょうど生態系のようなものであるとも思います。のようなもの、というより、人類が資源とエネルギーを自然から得ているがゆえに生態系の在り方の一形態なのだろうと思います。ゆえにその則・倫理を自然に求めるのが地球上の生物の一員である人間にとってふさわしいのでしょう。自然の秩序世界でおもしろい点は、単純な要素やルールにより複雑で多様な豊かさがうまれているところです。建築の在り方についての価値観もそのように多様であってもよいのではないかとも思います。それは建築教育の現場にこそあってほしいものに思えます。
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レポート
アセンブルデザインⅡB 講師:田中隆吉さん
唐澤徹
ホテルのホスピタリティについて。
ホテルとは旅が関連する。旅と聞くとボードレールの詩を思い出す。
地図と版画が好きな少年にとって
世界は格好の好奇心の的だ
ランプの光の中では大きく見え
記憶の目には小さく見える
ある朝我らは船出する 頭をほてらせ
心中には憤怒と 苦い欲望を抱きながら
波の脈動にまたがって我らは進む
有限な海の上で無限の思いを揺らめかせつつ
ある者は忌まわしい故郷を捨てることを喜び
ある者は恐ろしい親から逃れることを喜ぶ
またある者は星占いをしながら女の目の前で溺れ
外の者は危険な匂いを立てるキルケを演ずる
豚に変えられてしまわないように みな
空間と光と燃えさかる大気の中に飛び出す
氷にかじられ 太陽に焼かれ
接吻のあとも次第に消える
だが本当の旅人とは旅のために旅する人
心も軽く 風船のように
旅の行き先などとんと無頓着で
わけもなくただいうのだ 進んでいこうと
欲望をむき出しにして 移ろいやすく
不確かだがすさまじい快楽を夢見る
まるで戒律を書き集めるかのように
そんな人間を何と呼んだらいいか 誰も知らない
すさまじい詩である。この詩を最終詩とした『悪の華』は、冒頭の詩で近代人への冷笑的で皮肉な眼差しが向けられている。現代の日常を暮らす私たちが、もしこの『旅』で描かれているような存在だとしたらなんとおそろしいことであろうか。しかしあながち間違いでないことは、ハワイや東南アジアの美しい海がリゾートホテルの客などによるゴミで埋め尽くされている様をみれば理解できる。ちなみに『悪の華』の冒頭の詩はこうである。
読者に
愚行と 過失<あやまち>と 罪過<つみ>と 吝嗇とが
われらが精神を領し 肉体を蝕みて
乞食どもが虱を養うがさまにも似て
われらは心地よき悔恨を肥え太らす
われらが罪過は斥け難く 悔恨は揺らぎ易い
告解により罪の報いは贖われて余りあると慢心し
卑しき涙に一切の穢れを洗い流したものと妄信し
われらは嬉々として汚泥に塗れし道へと舞い戻る
悪の枕辺に現れし者はサタン・トリスメジストス<悪霊の頭たる錬金術神>
魅入られしわれらの精神を緩やかに眠りへと誘う
そしてわれらが意志という名のこの貴き金属さえ
この博識の化学者の手によりことごとく煙と化す
われらを踊らす操りの糸を握る者こそは悪魔!
忌まわしきもののうちにわれらは魅力を見出して
腐臭漂える暗黒のうちを恐れも知らず横切りては
われらは日ごと地獄の方へと一歩ずつ堕ちてゆく
喩えるなら年老いた娼婦の打ち拉がれし乳房へと
接吻<くちづけ>ては齧りつく貧しき放蕩者にも似て
われらは道すがら人知れず快楽を盗んでは
古びた香橙<オレンジ>を搾るがごとく 力を込め搾り尽くす
われらが頽廃の脳髄のうちに巣食う悪霊の群れは
数知れぬ蛔蟲のごとく 蠢き 歌い 酒宴に興じ
われらが息をつくたび 死は大河のごとく
鈍い嘆きの声とともに肺腑へと流れ落ちる
強姦 毒薬 短刀 ��火が
われらが憐れむべき運命というこの陳腐なカンヴァス<画布>を
いまだそれらの愉快なる図柄もて飾りえぬならば
悲しいかな! それはわれらが魂の怯惰のゆえだ
だが ジャッカル<金狼>や豹 牝狼に猿
蠍に禿鷹 また蛇にも似た
われらが悪徳の群れ集う忌まわしき見世物小屋の
啼き 吼え 唸り 這いまわる怪物どものうちに
ひときわ醜悪にして 悪意に充ち 不浄なる者がある!
それは大仰な身振りもせず 大きな声も立てはせぬが
ややもすればこの地上を廃墟と化すやもしれず
欠伸<あくび>のうちにこの世界を呑み尽くすやもしれぬ
それこそが倦怠!ーー眼には心ならぬ涙を泛べ
長き煙管を燻らせながら 断頭台の夢を見る者
ご存知であろう 読者よ この気難しき怪物を
ーー偽善の読者よ ーーわが同胞よ ーーわが兄弟よ!
「ホテルは貧乏人には設計できない」と、ある建築家が言ったと赤坂校長は述べた。それならばわたしはそのような生まれでは無いのでホテルを設計することはできないだろう。
われらを踊らす操りの糸を握る者こそは悪魔!
忌まわしきもののうちにわれらは魅力を見出して
腐臭漂える暗黒のうちを恐れも知らず横切りては
われらは日ごと地獄の方へと一歩ずつ堕ちてゆく
私は世界がさらなる地獄にならないように努力するのみだ。
…とまあ、そのように腐ることもないのだろう。世界の良い側面を見てみる。
飛騨市古川町に滞在した時に宿泊した小さめのホテル(飛騨ともえホテル)は、豪華ではないがあたたかな真心がはしばしに感じられた。その夜は高山建築学校のサマースクールを終えてどろどろに疲れていた。しかも滞在していた古民家を改築した校舎は風呂のシャワーがなく、共同生活ゆえに湯船につかるのも制限されていた。そのうえ日々の制作の肉体労働により体は筋肉痛。そんななかで、いままで日常の生活であたりまえに使っていたシャワーや湯船、そして柔らかなベッドは、なんの変哲も無いものであったが心身にしみいるものがあった。そして、簡素だがとても居心地の良い部屋の大きさで、また、窓からは山々が見え、とても素晴らしいものだった。朝食にも細やかな心配りが感じられた。一人用の小さな座敷に通され、小鉢がたくさんのもので、全体の量も多すぎず少なすぎずちょうどよかった。それと宿の方々も良い距離感で押し付けがましくなく、好感を持った。ツイン6000円くらいの廉価な宿であったが、とても満足して後にした。
ホテルとは旅と関連があり、それゆえに日々を過ごす土地とは別の文化や空気感を味わう貴重な機会を提供する場所である。また、自らと同じく旅で訪れた人々との交流も魅力的なものだろう。飛騨ともえホテル滞在時には、宿泊客とは話すことはなかったが、そこを拠点に古川の町を散策し、和ろうそくの職人さんの話を聞いたり、写真館を訪れて話を聞いてみたりした。古川の町の方々はやわらかでやさしく、なるほど、美しい景色のなかに住まうのならば心まで美しくなるのだな、と感じた。心が美しく澄めば、その人の手により作られる形も自ずと美しくなるだろう。
飛騨の空は澄んだ光で満ちていた。
ピーター・ズントー の、スイスの山の小さなホテルについての記述には人間の優しさを信じたくなるような美しい親密さを感じさせる。そこでは食事を準備するにおいや、空間のなかでのひとびとの親密な会話や、または山の新鮮な空気を感じさせる。
私の生まれは群馬県の渋川市(旧小野上村)であり、温泉地が多くある。四万温泉は穴場の温泉街であり、旅館「たむら」はその土地の古い旅館である。そこには何度か宿泊したことがあるが、岩風呂の温泉が素晴らしい。土地も山間にあり静けさに満ちている。
私の実家のある土地にも小野上温泉という名の温泉があり、また「サンおのがみ」というホテルもある。しかしそのホテルはよくデザインされているとは言い難い。また、小野上温泉の浴場も、渋川市への合併により、無機的な「施設」になってしまった。以前は野趣あふれる岩風呂の作りで、素材感もよく情緒もあった。幼い頃には祖父と毎日のように通っていた。そのような思い出と愛着のあった場所がジェネリックな場所になってしまったのはとても悲しい。それがかつて指摘されていたフラット化してゆく世界であったのだろうが、現在、世界のモメントはギャップや差異の時代になろうとしているように感じられる。差異の認識とは発見のことであり、その需要はなにかを学ぶということである。建築も、そのように、土地土地の文化や風土の微差に敏感であることが求められるだろう。それは旅というもの、つまり差異の只中へ飛び込むことを受け入れるホテル・宿というものにこそおおきく当てはまるだろう。
...
memo:
多摩美の久保田晃宏先生の授業で地球外知性のために何かをせよ、といわれたので詩をつくることにしました。考察です。
......
地球外知性のための詩について
地球外知性のための、詩という有意な構造性をもつまとまり・objectを考えるときに、問題となるのがmediumである。ピクトグラムをミニマルに人工的に設計し、コード変換して文字をつくることや、直接に音や電磁波のコードを用いることが考えられる。または、宇宙にあまねく存在する原子(水素か?)または、、否、情報を担うものとしてのピュリティがなくてはならない。
メディアはそれらを用いるとして、<詩>を成り立てせている条件を考えなくてはいけない。まず、poetryにはRaumがある。独自の時空間が包含されている。それは、poetryとcognitive structureの相互包摂により生じる。メディウムによらず詩を考えるとなると、それは<詩についての詩的発意> = poetry of poetryとなる。poetryから偶発的事象をとりのぞき(それこそがpoetryの生命でもあるのだが。弱い構造、イマージュ、生命、息吹……)そのエッセンスをとりだすと、数学的構造(強い構造、骨格)、しかも、aritmos(数→韻律)とtopos(場→空間)となる。
定義1.
詩=韻律性(rithmus)と空間性(topos)によるピュアなオブジェクト
<ピュアな>にも色々とある。
・アリストテリックな線形的論理 =意味
・散逸系 ref.マラルメ
・多層構造 ref.ボードレール
これらは数・要素同士の関係性(トポロジー、論理学、様相論理学)へと接続するのではないか。———---structure
<ピュアな>という言明は様態(mode)のことであり、今作品では定義1の構造性における主題と変奏となるというわけだ。
modes
詩とはレタス(襞構造)
詩とは髪をすりぬけるシャワーの水(fluidality)
詩とはタオル(envelope)
詩とは仄暗い部屋(topos)
詩とは光の当たるカーテン(多層・重曹・複層)
詩とは抱きしめ合うこと(emotion)
詩とはみつめあうこと(指向性)
結び目(サントーム)
・
・
・
こうして<生のすべてが詩>となるわけだ。(生のすべて=現実の事象の構造性)
それら現実のmode 様態の抽象的記述は音楽のpoeticsへも接続する。音楽の構造とは、人間の聴構造etc.の身体構造により規定された美的構造である。
(美的、とは快原則に響くものであるとする)
(その快原則にも作用機序があり、)
(多くの上部構造が次々に現れてくる)
空間とは視覚、身体の動き、聴覚により定位される(ref.VR)
オルゴール、ピアノシート、パンチカード(コンピューティングにおける)
は今作品のモデルになりそうだ。線形的構造(共時的構造ですら通常の意識様態においては線型性におとしこまなければならない)
<目的>に人類という存在の知的レベルを示す、とするならば、人類による<観察>というアティテュードを詩により示すのがよいだろう。観察と分析と制作(compose,construction)というものは物質的存在・精神的存在という複層的なあり方をするひとをよく表し得ている。レオナルドが自然を観察し、スケッチしたように、自然の物理的構造性を象徴化してサントーム(=結び目)をつくり=詩化、それを作品とする。それは詩において図象と音楽が構造的に重なり合うばしょである。(コンクリートポエトリー的でもある。)
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けど、ここまでかんがえてきてパッと『蝶がとまる詩』ってちょううつくしいのでは、とおもい、それを設計して提出することにします。詩は詩で書いてインク印刷して、そこに紫外線塗料で花のような求心的な絵をかいて、というもの。蝶は人間外知性、ってことで。
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『蝶のとまる詩』
弱くやわらかな花
羽根
はかなきうつくしさは
はかなきうつくしさと結ぼる��
光に透ける花弁の
薄くまとわる微風の層に
透きとおる羽根の
紋様がかさなる
そのひととき
世界は黙して
眼差しをそそぐ
甘やかな密約により
結ばれた
ひとつの結ぼれに
...
アセンブルデザイン1B (講師:東京R不動産 林先生) レポート
7P168806-6 唐澤 徹
この授業では、不動産という今までの私にとり建築設計の前・もしくは後の段階での取引を扱う営みであったものが、積極的な価値の創造を生みうるのだということを気付かされた。それらを特にあげるとすれば、
・価格や投資と賃料などの不動産的視点からデザインの提案をできること
・デザインの価値から不動産の価格を設定できること。
・情報デザインとリフレーミングにより潜在的な顧客を顕在化させること。
・社会問題を経済的なロジックでもって解いて、美しく組み直してゆくこと。
などである。その中でも特に建築的営みと経済の関係について考えるところが多かったので以下に書きたく思う。
実践において経済的な采配を取ることは、人々の生活をニュートラルに設計してゆくことに有効
である。しかし、私はそれはあくまでも手段だ(であってほしい)と考える。人々の暮らしの風景は、その共同体の成員の間のコモンセンスにより決定される。東京の風景が賃料によって決定されるというのはある側面では真実かもしれなく、例えばヨーロッパにおける文化的ナラティヴのような共通の物語を資本主義の中での消費に見出しているきらいがあるという点に尽きるだろう。(もちろんそれだけが共通の物語ではない。)
私たち個人は衰え死んでゆく。しかし人々の共同体はそうではない。ただし、それが私たち一人一人の死の絶対性を理解した上で、かつ私たちの生存の基本的な条件を把握した限りにおいてである。そして、その共同体の新陳代謝を司るのが経済活動である。私は、建築は社会正義として実践されるべきであるという立場をとる。そして、建築物は資産であるゆえに経済性とは切りはなして考えることはできないだろう。しかし、建築には経済性を超え、固有資産性を超えた共同性を獲得してほしいと強く願う。そこには生の詩が必要である。実存の感受・リアリティの濃縮である詩の感覚は、個の死の限界の中での有限の生のかけがえなさと、個の限界を超えた永遠への予感と憧れを呼び起こし、それにより駆動された経済は人々の生活を美しいものにする。要約するならば human wellbeing 幸福 のために建築的営為はなされるべきであろう。
ヴィム・ヴェンダース『ベルリン天使の詩』の中で���ホメロスの名を冠された老詩人は”人々は平和の叙事詩を歌うことを忘れてしまった”と述べる。人類の共通の物語、それは喜びの叙事詩となるものであるはずだ。
そのためにも王道の建築学が求められる。アルヴァ・アアルトは、「建築学とは人間の営みの全てを含んでいる」と述べている。新しいリアリティ、新しい美、人類学的な感受性、など、広範な関心を持ち適切な範囲での美的実践をなしていきたいと思う。
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アジ、干される
今日もまた大量のアジが釣りあげられる。アジはうみの下のほうで暮らしている。うみの温度が少しずつあがってくると、ぼくらアジはそらから垂れてくる糸につかまって光差す海面へと昇っていく。大きな網で海底の砂ごと持っていく網漁はぼくの好みじゃない。そんな釣られ方は「粋」じゃないと思う。どうせ釣られるなら一本釣りがいい。海面の向こうにいる一人のにんげんと対峙する感覚は魚類に生まれた身として得ることのできる最大のスリルだ。釣られる側にもそれなりにプライドってものがある。エサにしがみつき、うみを出るとそこは全く違うせかい。海底から見上げていたそらとは全く別物で、とんでもなく澄み切っている。まぶしい。船の上に身を打ちつけられて、徐々に呼吸ができなくなり意識が薄れていく。
次に目を覚ますとそこは狭い生簀の中。軽い倦怠感の中周りを見渡すと、うみでよく一緒にエサ探しをした食いしん坊アジや、同じ母ちゃんから生まれた兄弟アジ、初恋の相手であるキューティアジまで、見慣れた顔が生簀の中にそろっている。中には突然の環境の変化についていけず、おかしくなってしまっているアジもいた。だけどおおかたのアジは見知らぬ環境への不安と、これから起こることへの期待とで興奮し、生簀の中は今まで感じたことのない密度が渦巻いていた。
それからしばらく、ぼくらアジは生簀の中でのんびりとした時間を過ごした。生簀は建物の中の日陰にあり全体的に暗い。今までいたうみの底も暗かったけど、まだ温かみが感じられた。ここにはその温かみはない。少し泳ぐとすぐに無機質な水色の壁と遭遇する。見上げるとそこは青いそらではなく、灰色の屋根。生簀の中ではめぼしきエサが見当たらない。けれど胃の中がきれいになっていく感覚は悪くなかった。何も考えずとも食べるものに困らなかったうみのせかいが恋しかったが、からだの中がすうっと透き通っていくような感覚は気持ちがいい。
この生簀の外にはぼくらの他にも、うみから出てきた色んな魚介類が一堂に集結しているらしい。そういうのはなんとなく匂いでわかる。どうやらぼくらのとなりの生簀には、牡蠣さんたちが腰を据えているようだ。牡蠣さんをはじめ、多くの貝さんたちは普段殻にこもって姿を見せない。なので、うみの中であんまり関わる機会はない。ぼくらアジに対して特に危害を加えるわけでもないけれど、なんとなく得体が知れず不気味な存在だ。生簀の外には慣れない匂いが混じっている。にんげんと、機械の油の匂い。
うみの中には、にんげんに対して肯定的なさかなと、そうでないなさかながいる。一方は「にんげんは我々魚類を未知の境地へ導いてくれる先達者だ」と言い、もう一方は「にんげんは我々魚類を残虐に虐げる侵略者だ」と主張した。個人的にはどっちでもよかった。にんげんが善か悪かを問うたところで、何が解決するわけでもないのだ。ただこの弱肉強食のせかいでにんげんに捕食されることは、一つの好奇心として興味がある。アジよりも大きなさかなに捕食される場合は、あたまから尻尾までありのままの姿をゴクンと飲み込まれて、それでおしまいだ。けれどにんげんは色んな工夫を凝らして、ぼくたちアジを調理してくれると聞く。この生簀の周りににんげんたちの匂いが濃くなりだしてから、死を近くに感じるのと同時に未知の体験への興奮でエラがひりつきはじめ���いた。
長老アジは、一度調理場のまな板に乗せられたが、訳あってお店の生簀に戻され、しまいにはうみに還されたという奇跡的な経験を持っていた。そんな長老アジから、「にんげんはさかなを調理する際、地上の白く光る粒々と一緒に我々を握ったり、白い粉を身に纏い黄金の衣と共に揚げたりする」と、聞いたことがある。どうせならぼくもそんな風に、うみのみんなに自慢できるような食べられ方がいい。
そんなことをうとうと考えていると、生簀の周りがにわかに騒がしくなり始めた。ついに捌かれる時が来たことを水面のゆれが示していた。まず捕らわれたのは同じ母ちゃんから生まれた兄弟アジだ。なんでも一番じゃないと気に食わない性格の兄弟アジはどこか誇らしそうにエラをばたつかせ水上へと消えていった。そこから先はまさに混沌。アジたちが必死に襲い掛かってくる網をかいくぐろうともがいた。けれど生簀は狭い。最終的には青色の壁に追いやられ、ものの一瞬でとっ捕まえられる。ぼくは激流に身を踊らされながらも、不思議なことに、至って冷静に暴れまわる仲間たちの様子を見ていることができた。ただ静かに、客観的に。なぜ自分はこんなに冷静でいられるのだろうとぼおっとしたあたまで考えていた時、急激な浮遊感に襲われた。うみから釣りあげられた時と同様、呼吸ができなくなっていく。意識はぼんやりと保たれている。不思議だ。呼吸がほとんどできていないのに気分は悪くない。いきなりからだを横向きに押さえつけられる。あたまにひんやりと尖ったものが当たった瞬間、すべての感覚が爆発的にマヒした。破壊だった。その後、静かな平穏が訪れた。何もない、無のせかい。
それからどれくらい時間が経ったのだろう。意識は宙にある。「意識は宙にある?」よくわからない。考えることができない。自分のからだは目の前で手際よく解体されていく。目の前のからだは、ぼくがさかなであった時のからだ。なぜそれがぼくのからだであるとわかるのか?わからない。とにかく斜め上から、ぼくはぼくがさかなであったときのからだを眺めている。なにやら皮膚をごりごりと削られている。うろこを取っているのだろうか。なんでうろこを取ってしまうのだろう。ぼくのうろこは綺麗と、キューティアジからほめられたことがあった。それからというもの、うろこはぼくが自分自身に誇りを持てる数少ないパーツの一つであった。次に喉を掻っ切ってあたまが切り落とされた。口を開けてばかっぽい顔をしている。さかなのあたまが胴体から離れた途端、なぜかあたまそのものの存在感が異様に際立つ。胴体から内臓が引き摺り出され、腹をサクッと切り開かれる。見ていて気持ちがいいくらい一直線に。にんげんは極めて器用ないきものだ。いろんな道具を使って丁寧に、手際よくむだな骨や内臓を取り除く。ぼくのからだは見事に開かれ、元の形は見る影もなくなった。しかしそれは明らかに「ぼく」だった。
他のアジたちも同じような流れで切り開かれていく。切り開かれたアジたちは一枚一枚丁寧に並べられ、捌くのとは別のにんげんがまとめて外へ運んでいく。たいようの光があたる場所へぼくらを連れていくと、気が狂いそうなほどあついたいようの下で乾かされる。みるみるうちに水分が蒸発し、潤いがなくなっていく。白い肉に真紅の血管が浮き出ていたからだは、枯れ葉のように茶色く変色している。思っていたのと違う。うみで鍛え上げられたプリプリの身を白くピカピカに光る粒々と一緒に握られたり、白い粉に身を纏い黄金の衣に揚げられたり。自分はそういう華美なせかいに飛び込むものとばかり想像していた。現実は違った。これじゃただのミイラではないか。灼熱にあてられ干からびてしまう。ああ、見ていられない。うみの中では今頃、「アジ、干される」、そんなタイトルの号外が配られているかもしれない。やんちゃなマグロくんやカツオくんたちは、それを見て笑っているのだろう。ちくしょう、今に見ていろ。次生まれ変わったときには、必ずやピカピカな粒々と一緒に握られるようなアジになってやる。
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各地句会報
花鳥誌 令和3年11月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和3年8月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
ハイヒール脱ぎ浜茶屋に憩ひけり 世詩明 西瓜にも器量不器量ありにけり 同 妬ましき女心や髪洗ふ 同 昼寝婆老いの装束乱れなし 同 兵が栄華の跡や鬼あざみ 清女 青田中一里塚てふ石一つ 同 医師が首傾げる恙今朝の秋 同 機窓に輝き迫る雲の峰 誠 負けん気の児の泣き場所や草いきれ 秋子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月5日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
鶉山像植田を厳と見据す 柏葉 立秋の風がさ迷ふ日もありて 英子 渦巻きしテレビに映る梅雨出水 喜代子 夫戻る土の匂と玉の汗 同 年ごとに子等の減りゆく地蔵盆 都 稲妻にやがて風神雷神と 同 物言はぬ星に愚痴言ふ残暑かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月5日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
部屋ごとに置きし眼鏡も梅雨ぐもり 雪 昼寝てふ枠をはみ出てゐる昼寝 同 はるかなる地殻へつづく蟬の穴 笑 ふる里の卓袱台あたり盆の月 同 九頭竜に星を残して花火果つ かずを 炎天下一樹の下の一地蔵 匠 石仏の大小照らす盆の月 清女 日野川に一直線や鬼やんま 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
闇歩く明日空蟬となる体 和子 人去りし庭朽ちしとき牽牛花 ゆう子 夏痩のをんなソファに横坐り 要 夏館夕食の灯を葉がくれに はるか 抜け殻のかけらを蟻が蟻が運ぶ 和子 父植ゑしカサブランカ��見てゐるか 美紀 八月の某日祖父は屋根の上 伊豫 八月の海へ子浸す父と母 慶月 落蟬やまだたましひのある重さ 悠紀子 直木賞芥川賞なめくぢり 公世 真うしろが悉皆見えぬ蟬しぐれ 同 八月は土の匂ひの東京駅 小鳥 神池のとろりしづもる夏の夕 悠紀子
岡田順子選 特選句
草茂る中仏法も神託も 荘吉 目覚めたる百鬼へ夕風の風鈴 光子 蚊柱を抜けて主宰の幻に 三郎 いつときの片陰にあり先師墓所 梓渕 朴家てふ墓の木槿の夕かな 要 八月の某日祖父は屋根の上 伊豫 八月の海へ子浸す父と母 慶月 老人は老人を避け今朝の秋 千種 八月や肩怒らせてシャツ乾く 同 七夕を祀る一人の遊びとす 伊豫 故国より灼けイザベラの墓所の昼 梓渕 青山の一番強い蚊に出会ふ 三 郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
落ち蟬や風に吹かれて為すがまま 三四郎 墓洗ふ祖先の苦労噛み締めつ みす枝 釣人の皆早仕舞はたた神 ただし 香水の客に弊屋浮き立ちぬ 上嶋昭子 一匹の蟻千匹の蟻を曳く 英美子 滴りの聞こゆ背山を庭とせり 一 枝 夏草に捨てられてゐる欠け茶碗 上嶋昭子 投擲は孤高の競技夏の雲 同 手に団扇絞り手拭首に巻き 中山昭子 炎天や小さき傘の小さき影 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
雲の影何処かになきか炎天下 佐代子 晩涼や草のいほりで囲碁競ふ 宇太郎 木槿垣チマの色とて風の織る 都 籠り居る吾に八月の駆足よ すみ子 画家気さく画廊明るく涼しかり 幸子 夾竹桃原爆ドームの道すがら 益恵 雲の峰犬の心臓とくとくと 都 風蘭の香を余らせて夫亡き夜 悦子 俯い��ばかりの吾に銀河澄む 史子 児の触れし古き染みある単帯 幸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
父帰りその日が我が家終戦の日 ます江 巡りきて終戦の日の暑さかな 同 耐へることめつきり減りぬ終戦日 有有 終焉をわがベランダに秋の蟬 あき子 川今も流れてをりぬ終戦日 有有 雨弾く江戸紫や牽牛花 美貴 父の手記取り出し読めり終戦日 ことこ 白雲に祖父の顔出る終戦日 聰 夕影の落ちて今際の秋の蟬 美貴 もったりと鳴き始めたる秋の蟬 有有
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月10日 萩花鳥句会
補聴器の破れんばかり蟬時雨 祐子 敗戦忌白黒写真握り締め 美恵子 接種薬身に馴染む日々初秋 健雄 盆の月若き日の亡夫夢枕 ゆかり 願ひ事する間もなくて星流る 克弘
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令和3年8月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
七夕の短冊綴る老の指 みえこ 真つ白い麻に刺繍の日傘さす 紀子 古寺の山風送る扇風機 令子 大胆に向日葵畑を黄に埋め 裕子 中元や酒屋朝から荷出しせり あけみ 七夕の色紙に揺れ商店街 同 空蟬の���まで残し目は光り みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
いいですなあと句の評始む生身魂 秋尚 いつよりか雲高かりし法師蟬 百合子 新涼や机上に白き貝ひとつ 美枝子 南瓜畑草間彌生の絵のやうな ゆう子 せぐくまる墓碑に陽子の盂蘭盆会 幸風 一族の集ふ真中に生身魂 多美女 いくつかの夢はかなひて生身魂 美枝子 直売の幟の灼けて南瓜畑 三無 法師蟬啼き止む一ト日恙なく 多美女 力籠めビタミン色の南瓜斬る ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
夏草や城址と云ふも土塁のみ 雪 蜩の鳴き包みゐる故山かな かづを 草茂る傾くままなる無縁墓 英美子 生涯を蓮と生き来し媼かな 同 声の無き声や八月鐘の鳴る みす枝 恋しても愛してならぬ牽牛星 世詩明 夜這星流れて眠り浅かりし 同 ふるさとの学舎小さく夏休 同 流灯会風止むまでは胸に抱く 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月18日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
九頭竜の草木はためく野分風 千代子 秋の蟬寝息吸ひ込み闇深し 千加江 茣蓙の上大人子供の地蔵盆 同 盂蘭盆会羊かん厚く嫁に供ふ 清女 禊萩の影薄かりし花壇かな 数幸 神奈川沖浪裏描く帯涼し 雪 母ほどの強さは持たず髪洗ふ 同 裸火に溺るる如く火取虫 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月21日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
花蓮の風を四方なる四阿に 雪 火取虫とは灯に飛んでゐる間 同 甕墓を囲む五本の夏木立 ただし 父似なる母似なる子ら墓洗ふ 洋子 天の川敦賀の海の闇深し 中山昭子 銀河濃し寝惜しみ河童橋行き来 同 炎天に看板の字の歪みけり 同 蟷螂の斧嫁の威に一日暮れ 一涓 婆娑羅髪して夕立より戻り来し 同 おもむろに蟬時雨沛然と雨 同 羅の二人立ちたる野辺送り 紀代美 八十路まで楽しく生きて昼寝して 信子 昼寝してしばし此の世を離れけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年8月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
この海に滅びしものへ遠花火 かおり 草千里雨のち星に夏の果 愛 霊山の女人結界稲妻す 睦子 青しぐれ灯影は遠きほど澄めり 佐和 人生の午後にくるくる秋日傘 朝子 朝露の一光年の光あり 喜和 残る蟬七日の声の嗄るるまで ひとみ 雨だれの休符に満つる夏惜しむ 桂 天の川旅人遊女の別れかな 美穂 落蟬の未だ終はらぬ白昼夢 かおり 文字書けぬ明治の祖母を盆の月 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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2021.8.4
今日は、本に載ってるシャッフルのやり方で、いちばん上のカードで引いてみた。
①自分のやりたいことがはっきりしました。それにつらなる一つの機会が近々あります。それに向けて、アドバイスや心構えを教えてください
57. Temptation
これかーーー!!!と笑っちゃった。浄化するときにいちばん最初に目に入ったか上にあったかして、ものすごく意識したカード。ひさしぶりに見たなあみたいな感じで、引く前からすごく気になった。浄化してもこれってことは、もう、これなんだろうね。 このカードは識別眼みたいなものかなと思っていて、「ちゃんと心や魂が望むほうを選びなさいよ」って言ってくれてるなあと思った。そこを曲げてはいけない。望むものを選び取る。蛇のクンダリーニのパワー、そして舌は下のほうは赤、上のほうは青くなっていて、上のりんごのへたにまっすぐ向かっている。たぶん赤は下の方にある地球とか生とかのエネルギー、青は上の方の頭とか宇宙のエネルギーだろうな。近いのは下のりんごだけど、きちんと望むものを全身のエネルギーで判断しなさい。魂に反することはしちゃだめ、誘惑されても。望むほうを絶対に選ぶ。 わたしはそこに誘惑されていたところがあるなって最近気がついたの、自分を等身大じゃなく見せるとか、やりたいことに言い訳してもっともらしく見せてしまうとか。でもそういうことがしたいわけじゃないから、やりたいことをちゃんとやるのよ!魂が望むものを。そういう誘惑に堕さない。 あー、ありがとう………。
あとひとつ浄化のときに気になってたのも、59のPearls Before Swineだったし、そういう識別、判別をきちんとしなさいってことを自分に言いたかったんだろうなあ。
説明を読んだら、心や魂が望んでいれば、どちらを選んでも、素晴らしいものが得られるよってことが書いてある。どんな選択も、わたしがわたしを生きる、わたしである、ということを中心に据えよう。それも最近のわたしのやりたいことだね。わたしはわたしであるということで全き存在だと思う。
②現状が「Sexuality」のカードが出て、そろそろ過去のトラウマを清算する時期なのかなと思っています。これからパートナーシップを築くチャンスをよいタイミングで掴むには、どういう在り方でいればよいでしょうか?
17. Island of Jewels
望みは叶うというカード。 わたしはこのカードを見て、清算するとか忘れるとかではなく、すべてがあってあなたなのだから、大丈夫だよって言われている気がした。集まっている宝石たち、すべてがあなたをかたちづくって、光っている。だから、こうしたほうがいいのかな、があればやったらいいし、なくてもあなたはあなたの一部をつくったものとしてそれを持っていていいよ。いまのあなたの輝きを受け入れて、見てあげて。そういう感じかなあ。
③今のわたしが大切にするといいことを教えてください
48. White Lady: Mother of Pearl
悲しみを見つめること?と思って、いまのきらきらな気持ちとはまた違うなって思ったけど。これはきっと、過去にあった嫌なことだったりずっと引っかかっていることを、ちゃんと見てあげようってことな気がする。そしてそれは意識して手放そうとかどっかにやろうとしなくてよくて、見てあげると、ゆっくりゆっくり真珠になる。それでその真珠は、光のほうへ向かっていく。時間はかかっても大丈夫。いまは持っていても抱えていてもいい。抱えているものが、あなたが生み出す真珠のもとの核になって、抱えていることで、無意識にも大きくなって真珠になるから。あなたのそれは、過去は、輝いていくから。なんか、女性の乳房が眼のように見える。そしてお腹の巻き貝は、ずっとそこに、身体のなか、深いところに渦巻いているもの。そこからきらめきは生まれていくから。だから大丈夫。どこかにやったり、忘れたりしなくていいよ。時が経てば自然と、そのことは真珠になって、輝きながらあなたから生み出され、手を離れて、光に向かっていくから。あなたはそういう輝きを生むから。だから、大事にして大丈夫。ゆっくりでいいよ。 これはたぶんひとつ前の、現状がSexualityの状態で17が出てくれたことにつながっているね、今はそれだよって。自分を見つめて。自分の過去があるから自分なんだよって。すべてがあるから自分だから、無理して捨てなくていい。時期が来たらいつの間にか巣立っていく、手放すタイミングが来る。自分は、過去をひっくるめて、全部で輝いているし、輝きを外に放つこともできる。たぶんこの真珠は、過去の嫌だったこととかが、自分の中で真珠になったとき、それを手放せるよということでもあり、その外に出た真珠のかがやきが、他の人、この世界に見えていく、そして、価値になっていくということかなって。たとえば、過去の経験があるから、他の人と話したときにわたしはわたしの向き合い方ができて、そこでやさしい光を手渡せるかもしれない。そういうことだろうなって。誰かの何かにならなくても、この地球の上に、そのことがあったっていうことが、地球の記憶になる、みたいな感じがする。
そして、カードの山のいちばん後ろを見てみたら、はじめての20. Transformation。ああ、わたしはそうやって、過去を輝きに変えて、変容していくんだな。楽しみだな。
④今の自分はどういう状態ですか
29. Self-Preservation & 0. Joker
うおー、自己保存とジョーカーか!そんなことあるんだ。
これは、左手でかざして、右手のびりびりで引いた。1枚めにきたのが29、次が0。
29は、自分というものを守ることや、心身ともにゆっくりすること。そして、0は、根源であり何にでもなれること。 この二つ、矛盾しているように思えるけど、蛹の中身だって思ったらいいのかなって感じた。��ま、ゆっくり休むことによって、というか、あーーー!!!!!一昨日はっきりして、さっきまで友だちに手紙書いてた内容そのまんまだ……………すごすぎる………… まじか………………。びっくりしすぎて涙出てきた………。ゆっくり休むことで、何にでもなれるしどこへでも行けるパワーを養う、という場所、サンクチュアリをつくりたいんだ、って、わたしはっきりと確信したの。ねえなんでわかるの〜〜〜〜〜〜(泣)なんで……… ちょっと……… いくらなんでもすごすぎるでしょ。順番も、29、0のとおりだ。0のパワーを養うための29が欲しいのよね。しかも、54のAsylumではなくて29なの、すごくよくわかる。場所としては「寺院」を意味する54でよいのだろうけど、たぶんそういう「宇宙のなかでの牧歌的な安らぎを得る」とかではないんだよな、わたしがつくりたい場所は。傷を癒やし、羽を休めて、また飛んでいくために、よく眠り、よい夢を見る場所なの。現実に向き合っていく力をつけるための、聖域。やわらかい、大事なところ。それはきっと、蛹の中であり、ずっと続いてほしい(preserve)ものであり、守りたいもの、29なのよね。うわー。感動。ああ、この女性の顔が微笑んで見えるよ。腕を組んで、大事なものを抱えている。ずっと持っている。サンクチュアリを。周りがどうであろうと、大切なものを持ち続けている。そういう、周りとは違う時間や空気が流れている、エネルギーに満ちたサンクチュアリを、現実の中に確立させたい。きっと、現実の中にあることには意味があるのだと思っている。Jokerの、いくつもある顔は、「どんなふうになってもいい、すべてがその人である」というのと、「あなたは何にでもなれる」という、ものすごく強い、宇宙の愛としてのメッセージだなあと思う。おじちゃんありがとう。そういうのを思い出せるような場所をつくりたいんよね。そうなのよ。元気でるわ……!
説明見なくてもかなりカードからメッセージを受け取れた。精度良くなってきたね。
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ヤンヨグ鮭卓ログ #1 おいでませ異世界~ここはよいとこ残業地獄
!ご注意! このログには、裁定ミス、吟遊プレイ、内輪ノリなどが大量に含まれます。 どんとこいガハハ!な方のみ、お酒でも飲みながらのんべんだらりとお楽しみください。
ちなみに文中で使用しているナイスな各種シートは公式サイト(http://www.bouken.jp/pd/yy/)からDLできるぞ! るるぶを購入したら、今日から君もヤンキーだ!!
GM : ではマスターシーン、「邪神シーン」です! GM : 遥かなる異世界、ガイヤンキー。 GM : かつて偉大なるグッドヤンキーに救われたというこの世界で、人々は平和な時を過ごしていました。 GM : ですが… GM : 邪悪に顔を歪めた人魚とドワーフが、城の執務室のドアを乱暴に開け放ちます。 GM : その音に、机に座っていた水色の髪のエルフの男性が、ビクッと体を震わせます。 稲原 アギト(PL) : ガタッ GM : ステイ 劔 理一(PL) : アッ中の人! 稲原 アギト(PL) : スミマセン GM : イイノヨ ※アギトの中の人は無類のエルフスキーである。ちなみにエルフくんには眼鏡属性がありましたが、眼鏡率がすごいことになったのでログ化にあたってサクッと削除されました。悪しからず。 GM : そして開け放たれたドアから、ツカツカと入室してくる影がひとつ。 GM : 「さて、イワン君。お願いしていた書類はできていますか?」 GM : イワンと呼ばれた男性が使っている机は…おぞましい量の書類で埋め尽くされています。 GM : 「す、すみません画定様!申告書がなかなか集まっておらず……」 「困りますねえ…期日は、ちゃあんと守っていただかないと。何のための役所だと思っているんです。」 GM : 「すみません!!すみません!!!」 「あなた、昨日の帰りは何時だったんですか?」 「昨日は…2時に…」 「おや!帰った!!こんなに仕事をためておいて!!帰った!!」 GM : バッドヤンキー、画定はイワンの耳元に口を寄せ、そっと囁きます。 GM : 「あなたも、町長のようになりたいのですか?」 GM : 「ヒィッ!!!!」 GM : 思わず身をのけぞらせるイワンの目には、深い恐怖の色が浮かびます。 GM : 「では、くれぐれも よ ろ し く お願いしますよ。」 そう言って、画定とその配下たちは退室します。 GM : イワンの脳裏に浮かぶのは、陰惨な町の様子。 GM : かつては観光で栄えたこの町は、今や誰もが年度末までに提出しなくてはならない大量の書類に埋まり、決して終わることのない無間地獄の中にいます。 GM : イワンは震える手で、引き出しの中から古めかしいスクロールを取り出すと席を立ち… GM : それを手に、部屋の隅に魔法陣を書きはじめます。 GM : 「ヤンキー様、ヤンキー様、どうぞお出でください…」 GM : 「遠く、遥かなる異世界より…どうか、どうか我らをお救いください…!!」 GM : イワンは最後の呪文を魔法陣に書き込みます。 GM : ”夜” GM : ”露” GM : ”死” GM : ”苦” GM : すると、部屋にはまばゆいばかりの光が満ち溢れ……… GM : ~ここまで邪神シーン~
GM : ~ここから異世界シーン~ GM : 召喚されたあなた方の目にまず映るのは、まるで何かの映画のセットのような部屋���先ほどの執務室です。 GM : ウゴイテイイデスカラネー 稲原 アギト(PL) : すごい笑ってた 劔 理一(PL) : ちょっとツッコミが追いつかなくって ちょっと 稲原 アギト(PL) : ヨロシクが1文字1文字出てくるシーンでだめだった 劔 理一(PL) : 同じく GM : えへへ
※やったぜ。GMは画面の前でガッツポーズをしたという。
劔 理一(PL) : エルフの名前がイワンだ! に反応している暇もなかった 稲原 アギト(PL) : 労基に行った方がいい案件では……? GM : 労基があればいいね 劔 理一(PL) : 労働基準法は非常に現代的な概念ですからね… GM : 魔法陣の中央に立つあなた方二人の目の前で、男が祈るように手を組んでいます。 稲原 アギト : 「ここは……」 GM : イワン「成功だ…成功した…!!」目の前の男性はちょっと泣き出しそうですね GM : 耳がとんがってる 劔 理一 : 「な…なンだァどうした? ウチの校長室…もここまでシャラ臭くはねえわな…」 稲原 アギト : 「真の男はそんなに軽々しく涙を見せるものじゃない」どうしようついたてとかあったらかくしてあげようかな GM : じゃあ手近なところについたてはないですが、書類ならいっぱいありますね 劔 理一 : 書類をこう、うまいぐあいに積み上げてこう 稲原 アギト : かくしてあげよう……いじめでは? GM : どさどさ GM : 「細工品売却税の証明の証明の証明書」みたいな書類がいっぱいある 劔 理一 : ウワーッお役所仕事の最たるものだァー!!! 劔 理一 : 「ああ…知ってるぜ、こういうの。親父みたいな連中が好きなやつだ」 稲原 アギト : 「よし、これでみえなくなった。原因はよくわからないが、おれが力になれることなら力を貸さないでもない」 稲原 アギト : 「すこしならベイブを見てもいい」 GM : ちなみにRPの指針として、今すぐ協力しなくても大丈夫です。真の男(ヤンキー)は最後にはやるべきことを見つけるものなので 稲原 アギト(PL) : なるほど!ありがとうございます 劔 理一(PL) : 今はまだ事情を知らないものなあ、PCは
※そういうこと。
GM : 「本当ですか…!ああ、よかった…!!まさかヤンキー様が三人も…!!」 稲原 アギト : 「ベイブはヤンキーではないが……?」 GM : ベイブ「プイ?」
※ヤンキークラス:モルモル/ヤンキースキル:プイプイ言う、鼻をひくひくする
劔 理一(PL) : (あっ…お助けNPCだな…) 稲原 アギト : おれはけいさんが得意じゃないのでリヒトを見る ※アギト氏ー!!三人!!!三人!!!!かたてでたりる!!!!! 劔 理一 : 「…俺とお前以外に誰かいたか?」アギトを見返す GM : じゃあリヒトさんの後ろにもういっこ事務机があることにしましょう 劔 理一(PL) : ふむふむ GM : そこに誰か座ってます GM : 「よーっす。いやー、お互い災難っすねぇー。」 劔 理一 : ばっと振り返ろう 稲原 アギト : 「よくきたな」あとから来ておいても言う GM : 「お互いっすよそれはー」ヘラヘラ笑います GM : 「俺はハル。高1っすー。本名はヨシハルっつーんですけど、イモいんで。ハルって読んでほしいっすわぁー。」 GM : ということで、お助けPCであるとこのハルのキャラクターシートです。
稲原 アギト : 「おれはアギト。高六だ(マウンティング)」 劔 理一 : あっチャラい感じのやつだ! ネオヤンだ! 劔 理一 : 「劔 理一だ。学年については気にしなくてもいい」 稲原 アギト : ヤンキーっぽい! GM : 「マジっすか!大先輩じゃないっすか、パねっすね!!よろしゃっすしゃっすー!」 GM : 「リヒトさんっすか。よろしゃっすー。」ヘラヘラ 稲原 アギト : 「むやみにケンカをするのは真の男ではないと先人もゆっている。おれはおまえとよろしくやる予定だ」ハルさんと握手しよう GM : 「ヘッヘッヘ、あんまり喧嘩とか得意じゃないんで。よろしくしてもらえるなら願ったりかなったりですよー?」握手に応じます。 GM : 裏でダイス振ったら抗争中の学校潰した男になりましたが腰は低いですね 稲原 アギト : 学校を潰すのはすごいな……地図から消したんだろうな…… GM : そこまでではないです たぶん きっと
※本当は武勇伝シーンで一緒に振ろうと思っていたけど、シーンがとても盛り上がったので、裏でそっと武勇伝表のダイスを振るGMの姿があったという。
劔 理一 : わりと接し慣れていないタイプのせいか理一はちょっと戸惑っている!「…まあ、確かにここでいきなりおっ始めても良いことねェわな。よろしく頼む」 GM : 「ヒューッ、クールっすねえ。何か面白い話あったら聞かせてくださいよぉー。」 劔 理一 : 「音楽と料理の話ぐらいしかできねェよ」 劔 理一(PL) : めっちゃキレてるやつですよねハルくん
※キャラシのヤンキースキルのこと。プロレスの1R目からパイプ椅子を持ってくる程度にはキレキレ。
GM : PC達が和気あいあいしてると、イワンが書類をはらって向き直ります GM : イワン「申し遅れました、私はイワン=ミニバン。理由あって、この町『共和制コーラルキングダム』の政務を取り仕切っています。」 GM : ※町名はまよきんの表できまりました 劔 理一 : ※だと思いました
※同社のTRPG迷宮キングダムのこと。某アジアの大国を引いたので、国旗→赤→サンゴとちょっと捻りました。
GM : イワン「ここは異世界ガイヤンキー。かつて皆さまの世界から召喚された正義のヤンキー様により、一度救われた世界です。」 GM : イワン「この町は…そうですね、ご覧いただいた方が早いでしょう。」 GM : そう言ってイワンは、皆さんを部屋のテラスに招きます。 劔 理一 : テラス! 稲原 アギト : 「そういう説もあるな(分からないので適当に話を合わせておく)」 稲原 アギト : テラス席は良い席だ~ GM : なんかこう 洋館のなんか 犯人おいつめるかんじのやつです GM : おそとの GM : ということで、タウンマップを公開しますね。
※本来であれば、ここで夢見るNPCの「大切な夢」も公開されますが、今回はシナリオの流れ上まだ伏せています。 GM : ここ、共和制コーラルキングダムは、エメラルドグリーンの海に生えた巨大な珊瑚を利用して築かれた町です。 根本に生える色とりどりのサンゴにより、海はまるで七色に輝いているように見えます。 劔 理一 : すごい! 異世界っぽい! でも寿司屋がある! GM : ヘイラッシャイ 稲原 アギト : ボスの弱みを一つ GM : なるほどワサビを>ボスの弱み
※ボスの弱みをひとつ握ってほしい、の意。
GM : 美しいコーラルピンクの珊瑚の洞をそのまま施設として利用したり、枝の上に大きな貝殻や水晶で作られた建物が建てられていたりします。空中に浮く水晶の足場で連絡通路が作られていたりもしますね。 劔 理一 : ああートロピカルなリゾート…! GM : ��の景観はもとより、ドワーフの職人による珊瑚細工、巨大な珊瑚から発せられる魔力の波を応用したマナサーフィンなどで、一大観光地として潤っていました。
※大きいサンゴといえばエアサーフィン。(※アマプラへのリンク)
GM : 人口は700人程度ですが、平和な頃にはその���倍もの観光客でごった返していたそうです。 GM : ですが今皆さんの眼下に広がる町は、紫色のモヤのようなものでどんよりと覆われており、大きな通りは閑散としています。 GM : 時折通りかかる人も皆目を伏せ、足取りはどこかフラついているように見えます。 GM : ハル「あらぁー、ずいぶん賑やかなモンっすねぇー。」 劔 理一 : 「いや、そうか…? 結構ヤバそうだぞあいつらの顔」 GM : 具体的に言うと正気度が30くらいしかなさそうな人しかいない 稲原 アギト : まだいけそう GM : まだ舞える 劔 理一 : あっ30ぐらいならまだ大丈夫だな GM : イワン「『絶望』です。」 GM : イワン「平和だったこの世界に、邪神が戻ってきたのです。邪神は我々の『絶望』を喰い、力をつけると聞きます…。」 GM : イワン「町長は古代よりの儀式に則り、異世界よりヤンキー様を召喚しました。」 GM : イワン「ですがそれは、邪神の狡猾な罠でした。用いられた儀式は邪神が用意した偽物の儀式であり、召喚されたのは…」 GM : イワン「邪悪な意志を持つ、バッドヤンキーだったのです…。」 劔 理一 : 「悪の…ヤンキー…?」 劔 理一 : 良いとか悪いとかあんのかヤンキーに…? みたいなかお
※さあ………?
稲原 アギト : 「うつむいて裸足で逃げ出したくなるほどのミステイクだな……」 劔 理一 : 「なんでちょっと可愛いンんだよ」 GM : と言ってタウンマップにここを牛耳るバッドヤンキーチームの情報をぺたり
劔 理一(PL) : すごい面子だなあ…人魚とドワーフとビヤーキー… 稲原 アギト : 格闘家ヤンキー……!たたかってみたいな 稲原 アギト : おれの拳がプイプイとうずいている GM : バッドヤンキーの名前は、2人は耳にしたことあるかもしれません。何処かの町にマジでヤベー奴がいるみたいな GM : 半年くらい前からぷっつりと噂を聞かなくなっていましたが…といった感じで 劔 理一 : 隣の駅あたりかな 劔 理一 : そしてチーム名がカロウシである 稲原 アギト(PL) : こっちのチーム名テイジタイシャとか労働基準監督署とかにするか 劔 理一(PL) : テイジタイシャいいなあ GM : 労基もイイデスネェ 劔 理一(PL) : 異世界TRPG伝説 カロウシ&テイジタイシャ GM : つらみしかない
※「テイジタイシャいいなあ」そう呟いた劔PLのテキストが、なぜか滲んで見えた。
GM : イワン「ヤンキー様、手前勝手なお願いだとは承知しております!どうか、どうかバッドヤンキーを打ち倒し、この町をお救いください…!!」 GM : ハル「つってもなぁー」 GM : ハルはどうすんの、みたいな感じで二人の方をちらっと見ます 稲原 アギト : 「おれは救うとかはどうでもいいが、真の男になるためになんじゃくものにはこのてっけんをおみまいするつもりだ」 劔 理一 : 「…そのバッドヤンキーとやらにはなンとなく聞き覚えがあンだよ。風の噂だが」 劔 理一 : 「なあ、そいつらをボコしたら、俺らは元の世界に返して貰えるってやつか」 GM : イワン「受けていただけてもそうでなくても、皆さんの帰還は保証いたします。なんでしたら…ご希望とあれば……今すぐにでも………」つらそう 劔 理一(PL) : あ、一応ちゃんと帰還保証あるのか! GM : あります!
※バッドヤンキー討伐パック、なんと今なら帰還保証付き!
GM : ハル「アギトパイセンお人よしっすねぇー」 劔 理一 : 「いや、良いンだ。タダで返せとは言わねえよ、何もせずに帰るのと何かして帰るのは同じだろ」 稲原 アギト : 「さいきんはサボりすぎてたからな。ここで暴れていけば帳尻が合うだろう」 劔 理一 : 「俺は乗ってやってもいいぜ。アギトのやつは当分帰る気なさそうだしよ」 GM : ハル「そんなもんっすか。いやー、お二人とも良いヒトっすねぇー、涙ちょちょぎれるっすよ。」ヘラヘラ 劔 理一 : 「《サボり魔》がやる気になってンだから相当だぜこれは」 GM : ほんとだ!!かっこいい!!! 稲原 アギト : 「やはりな。おれのみこんだふたりは真の男だったか」がしっとハルを掴もう 稲原 アギト : 「ハル、おれはおまえに闘争の炎が渦巻いているのを感じていた」 稲原 アギト : 「握手の時につたわってきた」 GM : 「え、え。何スか。えっ」 GM : リヒトさんの方にドウシタライイノって目線を 劔 理一 : 「諦めろ。そいつにはなんか…凄みだけで全てをアレするタイプの理不尽がある」 劔 理一 : 「俺は弁当のうまいおかずを一品やっただけでだいたい同じようなことになった」 稲原 アギト : 「話は決まったな(決まってない)」 GM : ちっちゃい声で「マジッスカ...」って聞こえます GM : と、イワンがふと町を見やり、血相を変えます。 GM : イワン「皆さん、バッドヤンキーが戻ってきています!裏口へご案内しますので、今すぐ【城】から離れてください!!」 GM : イワン「ヤンキーの皆さまとはいえど、町が絶望一色の今はバッドヤンキーの力は強大!太刀打ちできないはずです…!」
※クライマックスまではバッドヤンキーには太刀打ちできませんよ、という事をやんわりと伝えています。
稲原 アギト : 「おれ”たち”はたたかってもいいのだが……あ、しまった。ベイブ!」 GM : 「プイ!」
※既にリヒトとハルも勘定に入っている。
劔 理一 : 「そうだ、ここにいるのは俺たちだけじゃねえんだ。今は作戦を練るときだろうな」 GM : イワン「ありがとうございます…!ですが、まずは町の皆を助けてやってください…!お願いします!!」 GM : イワン「私なら大丈夫です!どうかくれぐれも、【城】には近づかないでください!!」 GM : と、皆さんは急かされながら城の裏口から町に向かいます… 稲原 アギト : 向かおう
※【友情度】の処理で少しごたついたので一部割愛。このタイミングで夢見るNPCからPC全員への【友情度】が1点上昇します。 また、この後PC同士がお互いの第一印象を決めるのですが、その際誤ってお互いへの【友情度】を上昇させています。 本来は、「第一印象を決めて関係を記入する」「友情度は変化しない」処理にするべきでしたね。ウカツでしたが、本セッションはこのまま進行します…悪しからず。
GM : イワンから皆さんへの感情ですが GM : アギトさんに「かっこいい」 GM : リヒトさんに「利用できる」 GM : ハルに「つよい」 劔 理一(PL) : 確かにハルくんはつよい 稲原 アギト(PL) : この過労エルフはリヒトさんになんて感情抱いてるんだ GM : かしこそうだし書類整理手伝ってくれないかなーって GM : ネットリとした視線が 劔 理一(PL) : いやまあ一番まともに利用できそうな感はあるかもしれません 稲原 アギト(PL) : まきこまれ GM : あ、そうだ関係性でですね。「第一印象表」というものがございます GM : 自作orロールでどうぞ GM : ロールする場合は1D6です 劔 理一(PL) : ロールしますかね 劔 理一 : !roll 1d6 ダイスボット : @リヒト rolled 1. GM : リヒト→アギトへはライバルでいいですかね 劔 理一(PL) : ですね! GM : ではリヒトさんは、ハルに対して「ヤベエ」という印象を受けました 劔 理一(PL) : うんわかる ヤベエ 劔 理一 : こいつ…完全に巻き込まれておきながらあんなヘラヘラと…のらりくらりと… GM : 逃げながらも、「ドラクエみたいっすねー」ってヘラヘラしてました 劔 理一(PL) : ウッ感覚が完全に現代っ子!
※りひとPLしってるか さいきんのげんだいっこは どらくえがよくわからない
稲原 アギト : やはり真の男 稲原 アギト : !roll 1d6 ダイスボット : @アギト rolled 1. GM : アギトもやっぱり「ヤベエ」なこいつっておもいました 劔 理一(PL) : 先輩二人が揃いも揃ってヤベエヤベエと思ってる状況 GM : !roll 1d6 ダイスボット : @GM rolled 1. GM : ハルはアギトに「ヤベエ」って思いました。さもありなん GM : !roll 1d6 ダイスボット : @GM rolled 2. GM : リヒトには「パねえ」って思いました 劔 理一(PL) : よかった…全員が全員をヤベエと思っていなくてよかった…
※セッション中使用する機会はありませんでしたが、【友情度】は【友情修正】による判定補助や、【ツープラトン】などに使用されます。また、お助けPCであるハルのクラス、【ネオヤンキー】の専用スキルにも関係します。ここでの【友情度】の処理ミスが、後々えらいことになるのですが………
GM : ダチリストのIQが低い
稲原 アギト : おれでもかんぺきに理解がデキる すばらしいリストだ リストは簡潔なほうがいい GM : まじやべえ GM : では、メインフェイズに移りまーす!
TO BE CONTINUED...
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済州島と詩
2001年からずっと、秋になると韓国の釜山国際映画祭に行くということを続けてきたので、さわやかな秋の風や青く高い空を見ると、無性に釜山に行きたくなる。初めて行ったのが夏の終わりからだったせいか、秋の韓国がとても好きだ。
今年は、40年来の我が家の恒例行事である母・嵯峨美子のコンサートも中止となり、これまたなんだか調子がはずれた秋でもある。本来であれば来週が本番だったので、会場でのスタッフの動きの確認やお弁当の手配、リハーサルなどで落ち着かない日々を送っているはずだった。
そんな、少しのんびりした今年の秋、私にとってもっとも大きなイベントは昨年、参加した「2019日韓市民100人未来対話」でご一緒した方からお誘いを受けてスタッフに加わった「歩く文学、ソウルから東京・福岡まで〜〈文学〉と〈歩行〉を通じた新たなる日韓交流のかたち」という催しだった。
「日韓市民100人未来対話」は「日韓両国の各界の専門家、学者、NGO、一般市民たちが近年の東北アジアの環境変化や両国が直面している共通の懸案事項に対して、ともに解決案を模索することにより、未来志向的かつ語形的な日韓会計の基盤を構築する」ことを目的に、日本と韓国の会場を行き来しながら17年から行われている。主催/主管は韓国国際交流財団、ソウル大学校日本研究所、早稲田大学韓国学研究所で、参加者はテーマ別の分科会や全員での総合討論で言葉を交わす。私は千葉で行われた18年と韓国の一山(イルサン)で行われた昨年の2回参加した。
昨年の会議では、「会議の当日だけで交流が終わってしまっていた」過去2回の反省を踏まえ、「参加者が企画を出し、韓国交流財団が認めた」ものに助成する「小プロジェクト事業」を行うことが発表された。これを受けて神奈川県庁にお勤めの中川慶太さんを中心に立ち上げられたのが「歩く文学、ソウルから東京・福岡まで」だった。東京と福岡で活動されている団体の協力を得て行う「歩く」イベントと小説『ギター・ブギー・シャッフル』(新泉社)の著者であるイ・ジ���さんと翻訳者の岡裕美さん、ホ・ヨンソンさんの詩集『海女たち 愛を抱かずしてどうして海に入られようか』(新泉社)の訳者のひとり(共訳は趙倫子さん)で作家の姜信子さん、そして、韓国語がご専門である九州大学の辻野裕紀さんが東京、福岡の2カ所で行う「トーク」イベントを合わせるというユニークなものだった。
当初、私はスタッフとしてのみ、お手伝いする予定だったが、中川さんからのお声がけで、東京会場のトークにも参加することになった。テーマは「韓国文学の魅力」。主に『海女たち』について話しましょうということになったのだが、さて、私が何を話せるのかと、途方に暮れた。
ジャーナリストとしての経験も豊富な済州島生まれのホ・ヨンソンさんが、海女たちとの対話を元に生み出した『海女たち』。原書は「冊子」と言ってよいほど薄くて小さな本だが、表紙に描かれた赤い椿の挿画が目に飛び込んでくる日本語版は、「日本語で読む人たちにどうしたら伝わるか」が考え抜かれた作りとなっている。一人一人の名前が冠された海女たちについての詩が並ぶ第一部「海女伝 生きた、愛した、闘った」と、「他の誰かから与えられた言葉では到底語り尽くせない地点にたどり着いた」(姜信子さんの解説より)ホ・ヨンソンさんが「みずからの声で」歌った詩を集めた第二部「声なき声の祈りの歌」に分かれている。
日本では(長く韓国でも)、もっぱら観光地として知られている済州島は、とても厳しい歴史を経験してきた場所でもある。その歴史を、“海女”という、過酷で命がけの仕事をしながら生きてきた女性たちの言葉で書いたのが、この詩集だ。映画を見るという仕事をしながら、「悲劇的な出来事は、どのようにフィクション化すれば見る人の心に響き、残るのか」ということを、いつも考えてきたが、この詩集を読んで、とてつもなく傷ついた人たちの心を慰めたり、いなくなってしまった人を偲んだり、悼み悲しんだりすることは、文学(あるいは詩)にしかできないのかもしれないと強く感じた。
姜信子さんは、別の著書である『生きとし生ける空白の物語』(港の人)の中で「記憶とは、どんなに聞いていっても、最後にはきっと「空白」にたどりつく。そこには言葉にならぬ思いが渦巻く。それは、もっとも悲しく、もっとも痛い、同時にもっとも強く、そしておそろく、もっともかけがえのない思いの渦」と書いているが、余白をたっぷりと含む詩という文学のジャンルは、この「空白」をとらえるのにとても適しているのだということに、改めて気づく。済州島で1948年に起きた四・三事件を映画化した『チスル』が、モノクロという表現を選んだのも、「空白」を残すための工夫だっただろう。
こんな風に済州島と海女のことを考えながらイベントまでの時間を過ごしていると、ちょっと不思議な偶然があった。私は、ひとりでテレビを見る時は、ケーブルテレビのチャンネルで放送されている韓国の番組を見ていることが多いのだが、ふと流れたバラエティ番組の中で、ある女優が済州島を訪ね、海女たちと一緒に海に潜っていた。彼女にお手本を見せた海女のひとりが水の上に顔を出した時に、口笛のような独特な音を出す。『海女たち』の中に何度も登場する「スムビソリ(磯笛)」だ。詩集を読みながら、どんな音だろうを気になってYouTubeで調べてしまった音が、当たり前のようにテレビから流れてきた。その後、女優は海女たちの昼食に合流する。お客を迎えて作られるご馳走の数々は、ところてん、サザエ、トコブシのような小さな貝のスープなどで、「なんだか伊豆で食べているものと似ているな」と思っていたら、西伊豆に住んでいる知り合いからサザエが届いた。
また、イベントが終わった後のことだが、アイドルグループ出身で、現在はソロとして活動する歌手イ・ヒョリが済州島の自宅に一般の客を受け入れるバラエティ番組『ヒョリの民泊2』を見ていると、イ・ヒョリが「この詩が好きなんだ」と言って詩を朗読する場面があった。彼女が紹介したのが、金子みすゞの『硝子』という詩だったのが意外だった。もちろん、『海女たち』とはまるで関係ないことではあるが(『ヒョリの民泊』の中で日本による植民地の時代や四・三事件のについて語られることはない)、「済州島と詩」について、もう少し頭に残しておきなさいという、誰かからの伝言だったかもしれない。
数えてみたら、留学時代を含め、済州島には5回訪れていたが、私自身も四・三事件にまつわる場所や資料館にはまだ行ったことがない。まだまだ、知らなければならないことは多い。
最後に『海女たち』から、読んでいてとても励まされた「わたしたちが歩く海の道は」という詩の後半を紹介したい。
わたしたちが歩く海の道は さあ おまえはおまえの道をゆけ おまえはおまえらしく波をかきわけ生きてゆけ そう語りかける道なんだね わたしよりも先に旅立って 挫折を知った翼が舞い降りて ともに歩いてくれる道なんだね
死んだと信じこんでいた希望が 歩けばあとからついてくる 今日は今日の道がある 固く閉じられた心を開いてくれる道 泣いたきのうを 笑う明日へと歩ませる道なんだね
(2020.10.10)
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