#沖縄観光気分
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today's random vocab
(ft. me trying to figure out the difference between a bunch of different words lol)
山頂(さんちょう) = summit, mountaintop
ご来光(らいこう) = sunrise viewed from the top of a mountain
とうとう = finally, in the end
いよいよ = more and more; finally
ついに = finally; in the end (something never happened)
〜とされる = is considered (to)
英雄とされている美少女戦士たちが... = the bishojo senshi, who are considered heroes...
〜ように思える(おもえる) = to seem, appear likely (with a feeling of subjectivity)
うさぎちゃんはセーラームーンのように思える。 = it seems [to me] like usagi is sailor moon.
〜と思われる(おもわれる) = to seem, appear (with a feeling of objectivity)
うさぎちゃんはセーラームーンだと思われる。 = it is generally thought [based on personal judgment] that usagi is sailor moon.
〜と考えられる(かんがえられる) = to be thought
うさぎちゃんはセーラームーンだと考えられる。 = usagi is thought to be sailor moon [based on evidence].
〜と考えられて(かんがえられて)いる = to be thought on a wide scale, considered
うさぎちゃんはセーラームーンだと考えられている。 = it is widely assumed [= thought by all] that usagi is sailor moon.
(sources below the cut!)
sources:
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沖縄Trip - 恩納村・読谷村中心に
はじめての沖縄旅に行ってみた。
座喜味城跡
読谷村の小高い丘の上にたつ城跡。世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」の1つ数えられる。曲線上の石造りの城壁とアーチ門が美しさに惹かれて訪れてみました。どこに行ってもやっぱり城跡は外せないね。城壁の一部は登ることも可能で、豊かな自然に囲まれた読谷村の眺めを楽しむことも。
併せて隣接するユンタンザミュージアムも見学。読谷の歴史・文化・信仰を触れられる興味深い内容でした。
屋嘉田潟原・恩納の浜
海なし県出身故に、海をみるというイベントは外せない。本土、特に都会の海とは違う透明感、エメラルドグリーンに輝くの水平線にテンションがあがります。訪れた中でもこの屋嘉田潟原と恩納の浜は、人が少なく豊かな自然を感じられるスポットとして印象に���りました。
琉球村
沖縄の伝統的な民家等を移築された観光スポット。小学校時代の社会の教科書でみた沖縄を体験できます(もうおじさんなので、最近の教科書にのっているのかは不明ですが)。ネーミング的にもっと観光客にこびた俗っぽい施設(言葉がよくないですね。。。)をイメージしていましたが、そんなことはなくちゃんとしていた印象。この手の建物系展示によくありがちな時代錯誤な建物が横並びになり違和感しかない、みたいなこともなく、広いエリアを上手に分けた表現で雰囲気抜群。訪問期間中で最も天気が良い日だけあってシーサーの乗った赤い屋根が映えますね。
その他スナップ
見知らぬ地では何でもない光景のスナップも楽しい物。まだ骨折した左腕が完治していない都合上、35mm単焦点レンズ1本 + スマホのみとなりましたが、それでも十二分に楽しめました。
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良いお年を
1月、なんだか連れ合い夫婦の親類に疲れてしまった。当たり前って当たり前ができない人にとっては毒なんだよな。
年末(12月30日)から1月2日まで泊まってげんなり。家族間の違いってやっかいだし人生観の違いもやっかいだ。
後半は札幌出張へ。友人の家業のお手伝い。雪がなんだか愛おしく感じた。夜は友人と飲み歩いていたわけだけど、札幌すすきのあたりにいけば誰かに会うというコミュニティのキュッとしたまとまりが新鮮だった。東京には人が集まれるような街がたくさんある。選択肢が多いのは良いことだけど寂しい侘しい気持ちにもなる。
2月 東京にも雪が降った。義父がなくなった2年前のことを思い出した。その度に相続で揉めている実子を思い出して腹が立つ。本格的に人に振り回されるようになったのはそのあたりからな気がする。プロジェクトの後輩に飲みにつれてかれて締めに入ったらーめん屋であった女の子としばらく連絡をとっていた気がする。名前ももう忘れた。
新しい生成AIの仕事が入り準備にも忙しかった。「夜明けのすべて」を映画館で見て、人が持つ障害や病について考えさせられた。受け入れて生きていく難しさ。ただ、日常を過ごす難儀さよ。
3月 霊視?ができる人のところにいった。人生の答え合わせのような時間だった。もう日記には書いたので詳しくは書かない。とにかく人と自然を敬って生きていこうと思えた。なかなか人にはできていない気がする。接待で連れてかれた料亭に、金を持った経営者にくっついてくる「女性がいたほうがなんとなく見栄えがよい」みたいな思惑で連れてこられた女の子がいて妙に気に入られた。薬をやってるんだかずっと酔ってるんだか、へらへら笑う子だった。帰りに袖をつかまれたときに合った目が急に正気で「どっかいこ」と言われたのが「逃げよう」という意味に聞こえてしまって急に怖くなった。「こんどね」と言って手を振りほどいてゆっくりと離れた。
末には母がようやく病院に行き、大きな病院での受診を勧められている。
4月 母の余命宣告を4月の1日に医師から受ける。ステージ4の肺がん。残された時間を良いものにと思っていたが、何度も躓いている。きっと自分は良い子供ではない。母が人生で一番大切にしている宗教を大切にできないからだ。脳への転移も中旬には見つかり、治療を選択する。今思えば、母が人間らしく生きることができる分かれ道はここだったのかもしれない。奥さんの友人夫婦と飲みに行った際にパートナーシップについて考えさせられた。どうしたって男女に力の差はあるのだから恫喝や暴力で支配しようとしてはいけない。要求を通そうとしてはいけない。と話しても無駄だった。人への説得や説教は無駄に終わることが多い。人は人生で何度かしか学べない。ちいさこべえ。沖縄出張のついでにひめゆりの塔にもいった。献花した。嘉手納町の光と闇を知る。
5月 母の入院に伴い実家で過ごすことが多くなった。抗がん剤は良く利くものほど副作用が大きい。あっという間に母はボロボロになっていった。もともと食が細く、身体も瘦せていて、体力もない母がさらに骨と皮になっていくのは見てられないものがある。きつかった。5月はTumblr民とひとりあった。人生で一度も交錯することのなかった人の話は面白い。筋が通った人生で羨ましいと少し思った。5月は冨山出張もあった。そして三峰神社にもいった。
家を建てるためのプランニングが本格的になったのもこの頃だ。決められたところに自分のサイズを合わせて住んできた自分には注文住宅という選択は意味がわからなかった。結婚は人の価値観に片足を突っ込みながら生きることだ。
6月 誕生日。東京ドームホテルのブッフェでごはんを食べた。あと下北沢で「辰巳」を観た。今年見たドラマや映画の中で5本の指に入る作品。連れ合いは中旬に韓国旅行へいった。女性は好きですね。韓国。プロジェクトチームの女の子のことを女の娘と書いたことで変な絡まれ方したのもこの頃だ。辞書を引けと言いたい。母と冥土の土産的なプレゼントとして宮古島旅行をプレゼントしいったのも6月か。身体の自由がきかない母はあまり楽しめなかったかもしれない。たまに思い出すことがあれば良いが。母はそういうタイプでもない。
7月 新しい仕事が舞い込んで研修つくりをたくさんした月だった。母の闘病は相変わらず続き。夏の暑さからかあまり記憶がない。
8月 妊活が始まった。これはけっこうつらかった。なんだか閉塞感がとてもある時期だった。予定調和の上を歩いているようで気持ち悪かった。「ラストマイル」を観た。エンタメとして最高。自分のために働くっていつの間にかにできなくなるよね。選んで人のために働くならいいけど、人に搾取され続けるのはしんどい。
9月 相続がようやくまとまりかける。弁護士さんが入ると話が早くて助かる。家の工事も始まった。幸福な家庭の風景が相変わらず自分の中にはなくて、いつ��どこかへ行きそうで怖い。それは実の父と同じで嫌だし、あこがれるし。父も金さえあればそんな生き方で良かったのかもしれない。実家の売却も現実味を帯びてきて、家を見ては無駄なものの多さに頭が重くなる日々。結局はしりぬぐいはこちらだから。いつも。もう一人Tumblr民と会った。自由で羨ましいが、その自由さを羨ましがられることがこの人の業だなと思った。人は手に入らないものを欲しがるから���相変わらず母は通院。一度、治療するを選択するとこちらから声をかけるまでストップしないのが病院で。そんなことも知らなかったな。
10月 母の二度目の癌の脳転移が見つかり、喪服を買う。母から急にもう犬の散歩ができないと連絡がきたのも10月。それは良いけど、事前に相談するということができないのに腹立たしさを覚えた。いつもそうで、限界になってからパスされる。久々にバイクを買った。去年買ったお気に入りのコートも今年は着ていない。そういう機会が減った。
11月 福島出張。気晴らしになった。母の治療方法は試してはダメを繰り返してもう残り少ない。分の悪い賭けはやはり奇跡は起こらず終わる。閉塞感は孤独感に変わってきた。孤独なら良い。親しい。
12月 大阪出張。介護系のセミナーの撮影。「認知症と癌が一番幸せな死に方っていうよ」と励まされた。認知症はすべてを忘れていくから。癌は死ぬ時期がわかるからお別れがしやすい。10年会っていなかった兄家族と母を合わせる。意外と何事もなかったかのように話しているそうだ。その場に自分はいたくない。白けてしまう。
人の一生について考える。経験したことが身体や心に沁みついて、時にそれが毒となる。小説家などの自殺者について調べた人が大抵は小さい頃に愛されなかった記憶を抱えていると言っていた。老いるということは、無力だった小さい頃に戻ってしまうという怖さと戦うことになる。人に迷惑をかけて生きるということがどうしても許せなかったのだろう。生きるということは迷惑なことだ。きっと誰もそう。そうなんだけど開き直ったら終わり。
年末年始は犬の世話があるのでひとりで実家にいる。連れ合いの実家にいかなくてよいのはなんとも楽だ。スーパーで少しだけ良いものを買って食べる。そして年越しそばの準備をしている。もうすぐ2025年だ。全部片づけていこう。
なんとか今年中に書き終わった。良いお年を。
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2泊3日で沖縄に来ています
目的は観光ではないので、せめて、早朝、宿泊してるホテル/ホステルの周辺を散歩
(夕暮れの写真も入ってるけど…)
旅気分じゅうぶん。
そして、海は、良い。
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2024.10.23
本日はサーフィン。
ガッツリと台風発生して、風が凄いんだわ
仲間も、天気が良いのは昨日だけやから!と
観光させてくれたのは大正解。
今日からまた連日の雨です
風の向きが中々、合わないけど
360度海に囲まれてる島なので
何処かでサーフィン出来るポイントがあるので
難航しながらもポイント選び。
下がリーフだから、上から見て良くても
水深がめちゃ浅いとこもあるらしく
結果、選んだポイントは、
沖までパドルアウトするのに
ひたすら泳ぎ続けるリーフポイント
遠いトコで30分も泳がないと、辿り着けない(笑)
しかし、石垣島の海で折角ならサーフィンしたいし
考えたら、仲間とサーフィン一緒にするのは
16年振り!!
隣でパドルしながら、波待ちしながら
色々、思い出しました
雨も風も強かったけど、セットが来ると
良い波なんだよね(^^)
石垣島の波乗れて気持ち良かった
生えてる植物含め、まるで海外!
インドネシアでサーフィンしてるみたいだった
沖縄のサーフィンは、満潮前後の1時間しか出来なくて
殆どの人が、ロングボードかSAPサーフィン
色んな文化が場所によってあるね〜
一度、部屋でシャワーを浴びて
ウェットも洗って干したけど…晴れたの一緒で
夜、出掛けてる時に、再び大雨で濡れました(笑)
夕方までは、頼まれてたメニュー作りのお仕事
石垣島はインバウンド含め、台湾から大勢の人が来る
もちろん、英語圏内も
なので、それ対応のメニュー作りなのです。
データで貰ったのを元に作成しましたが
現場のメニューを実際見に行くがてら
やきにくCHANで食事。焼肉は先日食べたので
本日は火鍋です。
行って良かった。貰ったデータは開店当初の物で
メニューも、消費税も変わってるし、全く別物
これは、新たに作り直した方が良いな
打ち合わせも終わり。ワイは2軒目へ
東京の先輩が行きつけの店があるから紹介してくれ
顔を出しました。
地元密着の店で感じの良い店主
偶然にも、
やきにくCHANの同じビルの一階です
その後、仕事終わりの仲間と合流して、
飲みに…
昨日は尾道で出逢った子が働いてるBARで
高級テキーラ…連日、飲み疲れてます
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RubyKaigi 2024 に参加してきた
5年ぶりの RubyKaigi に沖縄/那覇へ。
やはり書ききれないと思うので順不同で。
やはりなんといってもぺんさんのキーノートには圧倒された。ひとりで TRICK を開催し 6つも弩級の作品を作り上げているのももちろんすごいのだけれども、それぞれの作品に今回の RubyKaigi のトークで紹介されるテクニックやトピックを盛り込み、そのセッションへの導入にするという構成の緻密さ、そしてこの発表が(表面上)主題としている「奇妙なプログラミング」作品が「表層的な表現」と「プログラムとして実行可能な論理構造」を持っているという重層的な構造を持っているというその特性そのものを「表面的にはアートとしてのプログラミングの紹介をしつつ、その実は RubyKaigi 2024 へのイントロとしての役目を果たしている」というこのキーノート自体の重層的な構造に織り交ぜているというこのメタ構造がすごい。後できいたところではキーノートの打診はCFPが close になった後のことだそうで、それからあれらの作品は作られたとのこと。もちろん各発表のことを意識して作ったとのことで、その労力はたいへんなもの。最高のキーノートでした。感動して鳥肌がたった。
金子さんはSAC2での少佐のいうところの「聖域に入っている」状態でずっとアドレナリンが途切れてなさそうだった。他のパーサー関連の発表ではIELRの発表をきいた。パーサーまわり(というか Lrama 勢力というか)全体として目指すべきところが明確でやるべきこともわかっていてそれをやる人もい���着実に歩みを進めているというので将来は安泰ですなという感じであった。アクション部を記述する新言語を作るという話になったらだいぶおもしろそうなので注目していきたい。Prism との比較でいうと今現在 parser.gem を使ってますとか prism を使ってますという gem などがなんで ripper じゃないの? というところを取材してみたい気はする。数年前になんでみんな fiddle じゃなくて ffi 使ってるのっていう時期があったけど(今もまだそうかもしれない)、使われてるのにはそれなりに理由があって fiddle はそのギャップを埋めるために目先のユーザビリティのための機能追加などをしてきたという経緯があるので、そういうエンドユーザーへの目配りというのも必要そう。
Day 0 は 2019 に続いて ESM さんのクルーザーにお邪魔しておひさしぶりの人達と会話するなど。あいにくの雨だったけどああいう立食パーティー形式にしては珍しく食べものがなくなってなくてしっかり食事できたしおいしかった。
WASM/WASI 関連の発表は 2つ katei さんと udzra さんのをきいて、だいぶ WASM 周りの環境が整ってたんだなというのを知った。まだあんま実用的に使えないな〜と思って��のだけどネットワークももう使えるみたいなのでそろそろ真面目に使えるところがないかやってみたい。もちろん gem install が使えるようになるのも期待。
Shopify 勢の memory leak 修正や Object Shapes の解説や YJIT の最適化まわりの話はこれまでコミットとしては読んではいたけど理解が追い付いてないところを答え合わせとしてきいて、いろいろ確認や納得ができたのでよかった。YJIT まわりとか雰囲気で読んでるからなぁ。
KJ と Samuel と byroot とはいろんなところであいさつして、いつも backport の手伝いありがとうとか、PR のレビューお願いとか、backport リクエストあったらいつでも呼んでねとか頑張って話してた。会社から English speaker な同僚がいなくなって英語をもう 6, 7 年くらい喋ってなかったのでだいぶ苦しかったがたぶんなんとかニュアンスは伝わったんじゃなかろうか。
Official Party と After Party ではできるだけいろんな卓を巡って知らない人たちと話して、committer としてコンテンツになれるように努力した(無料でチケットいただいてるのでね)。trunk changes 読んでます、というひともいれば今回はじめての RubyKaigi です、という人もいて、Ruby じゃなくて Google Cloud の話とか LLM の話とかしたりもしたけどまあそれも一興。RubyKaigi のホスタピリティを高める一助になれてれば良いのだが。
After Party で 12,3 年ぶりくらいに conceal_rs さんにお会いして会話をしたのが印象的で、もうわれわれもいい歳になってきて後進に仕事を引き継ぐってことを考えるころなのかも、という話題になった。 ruby まわりで自分がやっていることというとブランチメンテナと ruby trunk changes で、ruby trunk changes については誰かに託すというのはちょっと考えてない。そこであらためて言語化したのだけど、自分はコミットを継続的に読むことはお勧めしたいけど若い人に ruby trunk changes のような活動をすることはあんまり積極的に勧められない。正直なところ労力に対して得られるものとか、その時間を別のことに振り分けられた時に得られるものとかのことを考えると、割の良い投資ではないと思うので。じゃあなんでやってるのと言われると困ってしまうのだけど、これはもうやり始めてしまって習慣になってしまってるから、としか言いようがない。ちなみにブランチメンテナとしては今回 kokubun さんが 3.3 のメンテナになり自分は引き続き 3.2 をメンテする(つまりこれまで最新の安定版をメンテしてたけど 1つ古い世代のをメンテする)ことになっている。引き続き自分もメンテナは続けるけど、こちらはプロセスの改善などもやっ��いって他にも引き継いでくれる人が出てくるといいなと思うしきっと出てくると思う。20024年に ruby を残さないといけないですからね。
会場で kakutani さんをみかけるとなんかホッとする。自分のなかでは kakutani さんはなんかこう、Rubyist のあつまりを体現している人なんですよね。実家に帰ってきたような安心感。
あと観光まわりだと、Day 4 に美ら海水族館とエメラルドビーチに、Day 5 にはおきみゅー(沖縄県立博物館・美術館)と千日という喫茶店にぜんざいを食べに。あーあと会期中は会場近くの「花はな商店 本店」という沖縄そば屋さんに 2回も朝食を食べに行った。あそこのそばは海海苔が練り込まれててツルツルでめちゃおいしかった。あと海ぶどう丼ともずくかな。もずくは沖縄で食べると本土で食べるのとでは別格でおいしい。やっぱ鮮度かな?
Kaigi Effect 的にはなにかな。まず WASM/WASI まわりは触ろうと思う。Lrama も実務的(ruby trunk change 的な意味で)にも役立つし読みやすい構造してそうなので中をみてみるかなぁ。YJIT と Fiber Scheduler まわりの理解も深めたいけど。
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2023年振り返り(1月〜6月)
カメラロールを見ながら今年も雑に振り返る。
一投稿に写真が30枚までということなので、上半期と下半期に分けて投稿する。
■1月 ・元日にスラムダンクを観る
スラムダンクミリしら勢だったが面白かった。 この後dオタクストアでアニメ版全話を見ることに・・・(数ヶ月かかったけど達成)
・冬キャンプ(荒川) 強風過ぎて焚き火はできなかったけど、煮込みラーメンを作って食べた。
▲煮込みラーメン
冬のキャンプは寒いけどどっちかというと暑いよりは寒い時期にキャンプするほうが好きかもしれないなと気づいた。
・伊豆に旅行した
▲東海オンエアの柴田とゆめまるが伊豆旅行で訪れていた食事処
▲See The Forestといういい感じのカフェ
▲宿泊は坐漁荘というところに行った
▲部屋風呂は最高である
■2月 ・青森に旅行した
▲三内丸山遺跡
2月の青森は雪深くてテンションが上がる。 シャガールのアレコ4幕全部見られるのの期限が迫っていると思われたので訪問したが、どうやら再度延長されている模様。
大きな作品から食らうエネルギーみたいなのはあると思う。
▲浅虫温泉の温泉むすめ可愛い
▲初めてグランクラスに乗った
■3月 ・ブルージャイアント鑑賞
泣いた。めちゃよかった。
・友達が家に遊びに来たり 3月は普通に暮らしていたようである。
▲魚虎の殺人ホッピーたち
・この頃から徐々にぽんぽこちゃんねるを見始めている
■4月 ・妙高高原に旅行した
▲うみがたり(上越市立水族館)
うみがたりはそんなに大きな水族館ではないけれど、見どころがたくさんあるところだった。というか、見せ方が美しい水族館だなと思った。
▲赤倉観光ホテル
▲またグランクラスに乗った。デザインが違って良い。
・急遽秋田に行くことになった
▲桜が綺麗な季節
・新しいレンズ購入
・大阪の友達の結婚式に参列
お幸せに〜〜〜
■5月 ・結婚式からの神戸旅行
▲須磨水族館 閉園まであと30日のタイミングだった。そろそろリニューアルオープンだろうか。
・このタイミングで関西在住の前職の先輩と食事に行った
色々大変そうではあるけど、ご家族とハッピーに暮らしているようで元気をもらえた。
・Twitterで相互フォローだった方と初めてお会いした
かなり初期から相互だった気がするが一度もお会いしたことのなかった方に会ってお茶した。インターネットの人と初めて会う感じが久々で緊張したけど、お会いできて嬉しかった。
・潮干狩り(貝拾い)
恒例行事と化しつつある。今年はかなり拾った。
・どん底会
どん底からのやんばる。 ミニ沖縄そばが染みる。
■6月 ・ピザ会
友達が家に来たのでピザ会をした。 自分で取りに行くともう一枚無料で貰えるサービスバグってる気がする。
・庭の手入れ 荒廃しつつあった箇所の手入れをした。塹壕掘り状態。
・弁理士の先輩と食事 これも年一くらいの恒例行事になりつつある。 会社の人以外とこの辺の話をすることないからめちゃいい刺激を受ける。
・四国に旅行した(高松−直島)
一昨年はサンライズ出雲で出雲市に行ったが、今年はサンライズ瀬戸高松方面へ。 高松港から船で直島に行き、ベネッセハウスに泊まった。 天気はそんなに良くなかったけど、やっぱ島はいいなと思った。
▲部屋が作品なのおもしろと思った
▲とにかく部屋が広い
一旦ここまで。
6月〜7月にまたがって四国旅行をしているので、次は四国旅行day2からスタート。
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💗私の宝もの
🛸虹の彼方から
地球🌏へ
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
ぼく🌠
お星さまから来たよ
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
25年前、自宅のお風呂で出産した体験記です。
まずは、生まれてから一年後(2000年)に書いた文章にそのままタイムスリップします。
🛸🎶💫🛸🎶💫🛸🎶💫🛸
🐬🎶🐳
1999年3月22日、予定日より少し早く3690㌘の元気な男の子、蒼(あおい)が生まれました🎉🎊
自宅のお風呂でパートナーと二人だけの水中出産です。
おしるしがあってから約三時間後父親の手で無事とりあげられました。
ヘソの緒がつながったままの蒼を胸に抱きかかえ
✨「よく来たねー」✨
✨「よく来たねー」✨
とこみあげてくる愛おしさで一杯でした。
覆っていた薄い透明感のある羊膜をはがすと、蒼は母親の顔を確認するように一瞬目を開け
✨「ふんにゃ〜」✨
と、ひと声
穏やかに優しい産声で挨拶してくれました。
「ぼく来たよ🐬 約束どおり・・・🎵」
そんな風に聞こえました。
それから、オッパイに吸い付いて スヤ…スヤ…スヤ…
そのまましばらく抱きしめていました🍀
ヘソの緒のカットも父親の手によってその辺りのハサミと糸で簡単に終了。
我が子が生まれたというより、再び仲間に会えたような不思議な感じでもありました🛸💫🛸
何となくベビーベッドもベビー布団も用意せずにいたので、私の布団に寝かせることにし、それからずっと一緒の布団に寝ています💕
ベビー用品などほとんどないことが、とてもたくさんのスキンシップにつながりました💞
忘れていた自然な出産は、病院での産後と違って母と子がひとときも離れることなく、蒼と二人でゆりかごの中にいたようでした🍀🍃
今までの出産は2回とも帝王切開で、医学上は普通分娩が不可能です。
2回となると傷口が裂けるというリスクが高いのがその理由です。
私の地球人生プログラムの中では、数年前からの様々な体験を通して女性性の解放と癒やしと同時に、この医学の倫理観を覆して命の本質へと戻していくメッセージを感じていました。
出産当日までは、たまーに不安が顔を覗かせたりしながらも導かれる流れにまかせて、深いところでは大丈夫!という確信がありました✨
陣痛が進行する中、ほんの一瞬だけ恐れが頭をよぎりましたが、全てを委ねきったとき内なるパワーは全開になりました✨
夫と二人で向かい合って両手を握り、蒼と三人の呼吸はぴったり合って、ベストなリズムで進行していきました✨
ただただ、
✨「ありがとう」✨
✨「ありがとう」✨
と湧き上がってくる想いが声に・・・
✨知識はほとんど必要なく、お互いに内なる叡智が全てを知っていたことを実感しました💖
🛸お風呂ごと宇宙船の中にいたような気もします🐬🐳
予定の出張助産婦さんが、出産予定日より遅れると言って先に他の出産へ立ち会っている間、同時にあおいは生まれてきました。
夫婦二人だけの水中出産になり��うなことは予定日が近づく頃から何となく感じていました。
出産のリスクを手放し、医学上のリスクを越えて自然出産が実現するには、夫婦二人の統合エネルギー☯️が必要不可欠でした。
(最も必要だったんです)
✨そこは、焦りや不安、恐怖の無い世界✨
✨(魂の)繫がっている安心と喜びのの世界だからです✨
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
そこには、医学の危険なんて全くどこにも無いのです
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
命がけの出産とか言いますが、そんな危険と隣合わせみたいなものではなく、
本来、いのちは
✨愛と光と叡智✨に満たされています💖
そまた、解放と癒やしの原点でもありました🌈
存在そのものへの祝福でした💝
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
🎠体験から
想うこと🎠
究極の喜びであるはずの出産は、西洋医学の統計上でしかない危険性をつくりあげられている為、本来の母性が不自然になって妨げられているのを感じます。
(万が一の為に…とか、最悪の場合…等、恐れの思考です。)
母性が本当の意味で大切にされていない現実を、産婦人科の医療という制度で最も強く感じました。
男性社会に潜んでいる女性性への支配や抑圧(恐れ)を、私は産婦人科の現場に垣間見たような気がします。
本来、出産は病院の「ヤマイ」という字のつくところでおこなわれること自体が不自然だと思います。
💧多くの女性自らが、そのようなことにはほとんど気がつかず、疑問に思っていないことは残念な悲しいことです。
不自然になってしまった出産が、アンバランスな子育てにつながり、親子の問題はここから始まっているような気がします。
出産は、女性だけが主人公ではなく、男性と女性が平等に参加することによって、その後の子育ての同じスタートラインに立つことができるのではないでしょうか🎵💫🎶
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
🛸🎶💫🛸🎶💫🛸🎶💫🛸
✨このままでいい✨
🛸🐬🎶🛸🐬🎶🛸🐬🎶🛸
💐自宅のお風呂で出産したことは、あふれ出てくる愛と感謝を喜びいっぱい自由に表現できて、命の原点のようなところを実感した体験でした。
💕「イブの出産 アダムの誕生」という本には、水中出産について色々書かれています。
出産は女性性の解放だから
思いっきり声を出して解放しなさい、ということや、
母性は野生性だ、というような内容がありました。
🍃また、生まれてくる赤ちゃんは、激しく泣かないのが、本来の自然体です。
オギヤーと泣き叫ぶのは、元気なしるしなんかではありません。
不安や恐怖で叫んでいるみたいなのです。
本当の命の自然体で生まれると、安心感に包まれているので自然にちょっと声を出すくらいです✨
掌はぎゅっとにぎしめないで、ふわ~と開いてリラックスしています✨
このことは、自然出産した知人たちも同じように語っています。
この出産の2年後、沖縄県宮古島のある助産婦さんのエッセイにも同様の内容が書かれていました。
私のようにしゃがんで産むスタイルは、宮古島の伝統的な出産だということです。
このスタイルは、赤ちゃんが真っ直ぐ真下に降りてくるので、産む側の親にとっても、生まれる側の子にとっても、最も楽な姿勢になります。
🐬🎶🐳
🍀その時、夫は こう語っていました。
✨ものすごい感動だった🎊
✨『自分が産んだ』✨
という実感だ!💫
そして、母子手帳の父親記入欄には蒼に対するメッセージ…💝
感動だった
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
✨このままで
いい!✨
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
この一言に、人生のありったけの愛を込めて、全身全霊の喜びを表したと思います。
そのまま、ここに全てがあり、完璧、という意味だったと思います✨✨✨
🛸🐳🎵🛸🐳🎵🛸🐳🎵🛸
🐬💫🐳
ようこそ🍃🌱
母なる大地へ
🎉生まれてきてくれて🎊
💐ありがとう
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
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2023/11/3
11月3日 金曜日はやっぱ��落ち着く気がする。 本当は予定があった日だったけれど、頭の忙しなさで熱が引き続き取れないでいたのでキャンセルして過ごした日。動的に何かと対面してやり取りなんてとてもできない!と思い、静的に他者とか関わろうと予定を変更した。 キャンセルをした映画上映のイベント主催者から丁寧なメールと対応が届き、直前のキャンセルにも関わらず返金してもらえるとのこと。
銀座のシャネルと資生堂ギャラリーで展示を鑑賞。 東京駅から歩いたのだけれど、駅内ものすごく人が多くて今日から三連休だった。帰り、最寄駅の電光掲示板に東海道新幹線が混雑の影響で遅れが発生している、と流れていた。
シャネルでヴェルサイユ宮殿のモノクロ写真展を観て外に出ると11:55。12:00から歩行者天国が始まるアナウンスが流れていて、COSMOSを聴きながら資生堂ギャラリーまで駆け抜けた。 椿会の展示は、光る石焼き芋や、これは展示の一部なの?な、床に貼られた小さな人の写真があった。新しい限定の椿缶は紫だった!
そのまま確か路面手にあったTHREEでクリスマスコフレの予約でもしよう、と大手町まで歩く。至所でいろんなマルシェが開催中。沖縄のアンテナショップの跡には大きなスギ薬局が入っていた。 大手町まで着いてしまい、THREEには出会えなかったのでインターネットで予約。
今日は大学は授業日なのか図書館が開館していたので神保町へ。 やっぱり授業日の様で、もしかしたら先生に会えるかも…と研究室へ向かってしまう、ら研究室は電気が消えて鍵が閉まっていた。そのまま教室を覗きながら廊下をふらふらしていると、他の研究室のお世話になった前世にお会いできた! 名前を言うとすぐ思い出してくださり、毎年たくさんの学生に出会っているのにすごいな〜、と思う。 「どうぞ、どうぞ」と研究室に入れてくださり座って少しお話をした。先生は年齢的にもう退官されていたはずだったけれど、学部が大きくなり、70歳まで在籍することになったそう。そして来年度からは学長(!)になるとのことで、もう講義や研究室は持たない、と教えてくださった。 ほんとに優しくてどこまでも面倒見の良い方。 学長になるなんてもったいない、とか思ってしまうけれど「おめでとうございます!」と言うと「いやいや、めでたいのかは分かりませんが…」と謙虚な姿勢に、先生らしさがいっぱいあった。 同級生達がみんなバリバリ働いているエピソードを聞いて少し元気が出た。同じ様にバリバリはできないけれど、こんな社会でも元気な女の子達がいることを少し身近な存在で確認できたことに元気が出た。 そのうちの1人が、一人住まいでマンションを都内に買った、と言う話を聞き、いいな〜と思った。 (こないだ何となく今のお部屋の契約更新をしたところ。) 先生が最近刊行された神保町の看板建築の本をいただき「また来ます。」と研究室を後にした。 神保町では古本まつりが開催中。 とても道が混んでいておじいさんの匂いがたくさんした。
秋葉原まで歩き、先生の本を読みながら、やっぱり体調が良くないのかうとうとしながら帰ってきた。熱はないのに体が熱くだるくて、ワクチンの副反応が引き続いているのかも。 今日は玉ねぎは通常価格、なすもバラ売りなしだったけれど、ひき肉(生肉!)を初めて買ってカレーを作ってみた。 火の通りが甘かったり、美味しくなかったりしないといいな。
これは書き留めておきたいと思った夢を見たので、もう一度日記を書いている。 好きな女の人たちがたくさん出てくる夢。 吉岡里帆ちゃんや詩羽ちゃん、好きな友人達や、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅもいた。 みんなで人生合戦していたら、 私はこの現場をどこかで、ここは神戸である、と認識していた。
そして、朝のバスで密かに推している方も��た。 彼女は毎日とても忙しくて、お昼は丼丸?(520円?の海鮮丼のお店)に行くけれど、いつも何も選ぶ元気がなくて、ご飯にほうれん草が乗っているだけの丼メニューにスープをかけてお茶漬けのようにかき込んでいる、と言っていた。 丼丸で頼まなくてもいいメニューだとか、ほうれん草が体にいいからとか、もうどうでも良くて、このルーティーンから外れないけれど結婚する、とも言っていた。 みんな人生をしていた。夢の中でも。
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織田邦男先生よりシェア
ロバートモーガン氏の論考です(自動翻訳)
政治と安全保障インタビュー | オリタ・クニオ将軍、JASDF引退、地域の脅威への直面と戦争を防ぐ方法について
「我々は中国に戦闘姿勢を示さなければならない」とクニオ・オリタ将軍は言う。予算面から見ても、準備を整えることで戦争を防ぐ方がはるかに安い。
18時間前、2023年7月26日発行、ジェイソン・モーガン、Reitaku大学JASDF将軍クニオ・オリタ(引退)は、彼がサポートチーム司令官だったとき。
オリタ国夫将軍は、2009年に日本航空自衛隊(JASDF)航空支援司令部(国士園修団)を退役しました。とりわけ、2006年のJASDFのイラクへの配備中に戦闘機パイロットを務め、指揮を務めました。
しかし、多くの点で、オリタ将軍の戦闘の日々は彼の引退で終わらなかった。彼は、日本の戦闘の男性と女性が日本の憲法で認められることを求める日本国内で最も強い声の1つとして浮上しています。そして彼は、日本を守るために必要な物質的および道徳的支援を彼らに提供するよう求めた。
2023年6月、私は最近、彼のReitakuオフィスで、Reitaku大学に客員教授として加算されたオリタ将軍にインタビューしました。彼は、トップフライトであり、地域の安定に大きく貢献できる日本の戦闘力について話しました。しかし、オリタ将軍は、日本の近隣諸国による侵略を追い払うために、日本の自衛隊ははるかに強くなる必要があると警告した。
日本は準備する必要がある
私は、2022年後半に授与された名誉ある栄誉であるセイロン大正書についてオリタ将軍を祝福することからインタビューを始めます。(彼はまた、2022年に神聖な宝物、首のリボンと金光線の勲章を受けました。)
オリタ将軍は私のお祝いを丁寧に受け入れますが、すぐに日本に焦点を返します。彼は台湾で戦争が起きているのを見て、日本が準備ができていることを望んでいる。
「安倍晋三元首相は、台湾の危機は日本に危機を伴うとよく言った」とオリタ将軍は私に語った。
「これは間違いなく真実です。台湾周辺で戦争が勃発すれば、沖縄も戦場の一部になるだろう。日本は今、台湾や沖縄や他の離島から市民を避難させる準備をしなければならない。
やるべきことがたくさんある
「戦争、あるいは戦争の脅威が台湾周辺でエスカレートすれば、日本人は重い代償を払わなければならないだろう」とオリタ将軍は続ける。
「おそらく死傷者だけでなく、送料も。たとえば、台湾を中心とした戦争地帯周辺の輸送を再ルーティングするには、追加の燃料コストでタンカーあたり3000万円もの費用がかかる可能性があります。日本はエネルギーの90%以上と食料品の約60%を輸入している。海運の追加料金は、経済のすべてのセクターに大きな打撃を与えるだろう。
オリタ将軍は、安倍首相が現在日本が主に運営している安全保障の枠組みを構築したことを思い出させてくれます。しかし、地政学的な現実と日本の政治的逆風により、安倍首相は台湾を指すために「国」という言葉を使うのを妨げた。したがって、台湾は技術的には安倍首相の苦労して稼いだ地域リアリズムの多くから除外されています。
「集団防衛は台湾にまで及ばない。なぜなら、台湾は国として認められていないからだ」とオリタ将軍は強調する。
日本が地平線に迫っている課題に直面する準備をするために、まだやるべきことがたくさんある、と彼は続けている。
「中国は独裁政権だ」
私の面接依頼を促したのは、レイタクコースでのオリタ将軍の講義でした。2023年5月中旬、Reitaku大学国際問題研究センターの客員教授であるOrita将軍は、台湾に対する中国の侵略の可能性のあるシナリオについて、満員のReitaku教室に話しました。完全に率直に言って、それは私が今まで聞いたテーマに関する最も情報に基づいた、有益で、直接的な講義でした。
「中国は独裁政権だ」とオリタ将軍は講義中に言った。したがって、台湾を侵略するかどうか、いつ、中国の習近平国家主席の決定は決定されるだろう。
オリタ将軍は6月のインタビューで彼の評価を繰り返し、習近平が「2027年までに必ず」台湾に対して動くことを明らかにした。
「CIA長官のウィリアム・バーンズも同じことを言っている」とオリタ将軍はインタビューで私に言った。「習自身もそうです。そして、全体的なパターンは習にも当てはまります。彼の野望は毛沢東よりも偉大になることだ。しかし、毛沢東の独裁政権の後に体系的な制約があり、習が取り除いてきた制約があった。
「独裁者として、習は権力を握り続けるしかない。彼は2027年の中国共産党第21回大会で4期目の任期を達成しなければならない。その頃には、彼は結果を示す必要があるだろう。
戦闘姿勢を示す
オリタ将軍は、私たちのインタビューの中で、日本は自衛隊が完全な軍事準備で活動するのを妨げる憲法と法律によって妨げられていると何度か言及しました。この法的および憲法上のサンドバッグは、戦後の製品であるとオリタ将軍は私に言います。
「日本は奇妙な吉田教義を経験した」とオリタ将軍は、日本の国内経済の繁栄のためにアメリカの防衛を取引した戦後の吉田茂首相の政策について語った。「これは第二次世界大戦に負けたことによる外傷性疾患の一部でした。
「しかし、国民国家の基本的な仕事は自衛です。日本は戦後のトラウマを克服し、再び自分の足で立ち上がらなければならない。中国による影響力戦争と情報戦争は、太平洋とアジアですでに進行中です。中国はどの国でも扱うには大きすぎるので、日本はステップアップして自由のための戦いに参加しなければならない。
「私たちは中国に戦闘姿勢を見せなければならない」とオリタ将軍は強調する。「私たちはいつでも戦う準備ができていなければならない。戦闘姿勢は中国を抑制するだろう。準備は、そもそも戦争が始まるのを止めるものです。
日本の自衛隊は最もよく準備されている
オリタ将軍は日本航空自衛隊でキャリアを過ごした。彼の責任の一部は、彼の指揮下にある男性と女性が国を守る準備ができていることを確認することでした。
「日本の憲法学者の約60%は、自衛隊は合憲ではないかもしれないと言っている」とオリタ将軍は嘆いている。「しかし、現実には、自衛隊は存在し、世界のどこでもビジネスで最高のもののいくつかです。」
オリタ将軍は、他の国からの空軍によるイラクへの配備について教えてくれました。「そこにいるすべての空軍のうち、日本だけが毎日100%のOR、運用準備を持っていました」とオリタ将軍は言います。
理由?オリタ将軍は、日本航空自衛隊の男性と女性は一晩中起きて機器を修理し、行動の準備をするだろうと私に言いました。
「私たちは最高の準��と最高の、最も信頼できるパイロットを持っています。日本の航空自衛隊の男性と女性は、規律があり、時間厳守で、敬意を表し、十分な教育を受け、よく訓練されています。
「アメリカのパイロットは、自衛隊の航空機の色のために愛情を込めて「ブルーバード」として知られている日本のジェット機を操縦したいと考えています。彼らは最も安全で、最もよく維持されています。
日本の航空自衛隊は世界の羨望の的になっているように聞こえます。
その後、クニオ・オリタ司令官は、JASDF戦闘機での最後の飛行の準備をしています。(© JAPAN Forward / Kunnio Orita)
日本の自衛隊は最悪の準備ができている
インタビュー中、私はオリタ将軍に、私が彼に起因すると聞いた声明について尋ねます。
2023年3月、ジャーナリストで言論の自由チャンピオンの桜井佳子が柏のモラロジー研究所でスピーチを行いました。その演説の中で、桜井は2022年5月のGenron TV出演中にオリタ将軍が行った発言に言及した。
オリタ将軍は、戦争が発生した場合、日本はもはや1日の朝だけ戦うのに十分な弾薬を持っているだろうと言っていたようだ。
「はい、その通りです」とオリタ将軍は確認した。
「予算には難しい選択が必要だ」と彼は続ける。「パイロットを訓練するには飛行機が必要です。パイロットの訓練は、長期的には、弾薬を備蓄するよりも重要です。したがって、予算は、施設の維持や弾丸やその他の資材の保管など、F-35の購入とパイロットの訓練を優先しています。」
だから、今日戦闘が勃発した場合、日本は高度に訓練されたパイロットで、事実上、敵を撃つことは何もないことに気づくだろう。
「ウクライナでは、戦闘機は1日に1万発の弾薬を経験している」とオリタ将軍は���う。「現実には、日本には弾丸が必要だ。また、より多くの新入社員も必要です。
「予算の観点から見ても、独裁者が始めた戦争にお金を払うよりも、準備を整えることで戦争を防ぐ方がはるかに安い。」
日本の岸田文雄首相は防衛への支出を大幅に増やした。これが、日本、そしておそらく台湾が次のウクライナや香港になるのを止めるのに役立つことが期待されています。
憲法を改正し、戦う準備をする
インタビューが終わると、私はオリタ将軍に、ウクライナのように、ある日目を覚まして戦争地帯にいることに気づいたら、日本人が戦う準備ができていると思うかどうか尋ねます。
「日本人はとても賢明だ」とオリタ将軍は答える。「彼らは何が起こっているのかを知っており、世界が変化していることを理解しています。
「現実には、台湾と日本は様々な分野で協力しており、台湾と米国は軍事訓練で協力しています。
「今のウクライナの人々のように、日本の人々が戦いで家族を失い始めたら、ここでの考え方はすぐに変わるだろう。
「安倍首相が言ったように、台湾危機は日本の危機だ」とオリタ将軍は締めくくった。
「「小田原兵城」と呼ばれる、無限で実りのない優柔不断のための時間はもうありません。私たちは憲法を改正し、自衛隊が日本を守るためにここにいることを認識する必要があります。
次の独裁者の戦争に備える時期は、可能な限りあらゆる方法で、今です。
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Floral Friday #129
ブーゲンビリアは冬の花。南国では年中咲いてはいるが、短日植物だから夏にはあまり花を咲かせない。だからこの写真は八重山で4月に撮ったもので、今の写真ではない。何だか南国のイメージだから沖縄の夏に咲いているような気がしているが、観光用にうまく育てている場所でなければ今は花が少なめのはず。一方で、横浜あたりだと秋には室内に入れて暖かで日差しのある場所に置くのが必須。元気なままで冬越しすらできない。ギリシャあたりだと東京より少し北なのに庭に咲いていたりするので、やっぱりエーゲ海は暖かいんだなと思う。 Blogにアップするにあたり調べてみたら、オシロイバナ科だという。そう言えば花の部分はそう見えなくもない。花は中央の白い部分で、ピンクなどの色とりどりの部分は包葉である。1週間前の台風の被害は大きかったようだが、また、美しく賑やかな八重山が戻っているといいなと思う。
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悪夢
見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。 ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光��ていた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。 そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
ある夜、こんな夢を見た。 ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。 あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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昨年から僕は海外の観光地に行っています。関係者に話を聞くと、「2019年の観光には戻らない」と言う人が多いのです。「戻りたくない」とも言うのです。
例えばイタリアのベネチア、ハワイのビーチのようにオーバーツーリズムになっていたようなところでは、人が多すぎて海水が汚染されたり、渋滞が起きたりしました。
観光客がいなくなって初めて、自分たちは被害を受けていたことに地域住民が気づき始めてしまったんですね。
――では、これからどう変わるのでしょうか。
私はアフターコロナの観光は「ステークホルダーツーリズム」だと考えています。観光産業のステークホルダーといえば、今までは旅行会社、交通機関、ホテルでした。
しかし、そこに地域住民、観光客を入れていくべきです。幅広いステークホルダーがフェアなリターンを受ける。そういう方向に持っていくことです。
ハワイのハナウマベイでは、入場制限をし、海が自然の力で元の姿に戻る時間を与えています。人の数を制限し、その代わり入場料金は2倍になりました。
日本では、今も19年の数字を目標にしているところがあります。19年モデルではなく、アフターコロナの観光モデルへと転換することを決断してみんなが向かっていけば、10年後、20年後に振り返って、「あれがきっかけだった」と言える3年間になると思います。
写真・図版 多くの観光客らで混雑する清水寺へ向かう参道・清水坂=2023年4月29日午前11時53分、京都市東山区、筋野健太撮影 ――1人当たりの消費額を増やすということですか。
少ない人数で高い金額を取ろうとすると、富裕層ターゲットということになりがちですが、そうではない方法へと世界は向かっています。
例えばニュージーランドのクイーンズタウンでは、富裕層をターゲットにしようなんて発想はしなくて、自分たちのターゲットを明確にしています。
1泊だけの客を断っているそうです。連泊すれば、ホテルの外のレストランで食べたり、お土産を買ってくれたりする。さらに、マオリ文化に敬意を払う人をターゲットにしています。
――星野リゾートでは取り組んでいますか。
西表島ホテル(沖縄県)では、今年から1泊だけの予約を取るのをやめました。
そういう方向にもっと踏み出せるよう、国内施設にも号令をかけているのですが、時間がかかることもあります。どうやったら連泊してもらえるのか、真剣に考え始めています。
――「1泊2食つき」のスタンダードを変えるということですね。
「このままではインバウンドはブームで終わる」星野リゾートの危機感:朝日新聞デジタル
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2024/4/24
仕事で沖縄に来ている。西側の海沿いにある街。基地が近い。駐日の外国人と現地の人が混在している。海沿いのサーフィンが泊まるような安ホテルで明日の準備をする。潮騒が聞こえる。
雨が降ったりやんだりして落ち着かない。
昼はしらゆりの塔へ行き献花をしてきた。博物館には戦死した人それぞれのパネルと名前と簡単なプロフィール、死んだ理由が書かれていた。
殺した人の末裔と暮らす街。沖縄では珍しくないのだろうけど、観光気分で「こういうのは風化させてはいけないよね」なんて言うのは簡単で、実際に混在した場所にいる人達は風化させないとどうしようもない。何故か、自分にとって沖縄は悲しみを孕んでいる。
出張に来ると2〜3時間くらいは街を歩くことにしてる。びっくりするくらい東京より人が少ない。いや、東京が多すぎる。歩いていてすれ違う人の量がまるで違う。どこかにみな隠れているように思える。この感覚のほうが異常。
過去を旅するように街を歩き、少しだけ、本当に少しだけ溶け込めた気持ちを抱えて仕事に行��。
明日出会う人に失礼のないように。
匂いが同調するように。
自分は出張が好きなんだな。きっと。
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細かな心遣いの政府に感謝?
連日いかにも行楽日和のゴールデンウイーク、それなのに何故か似つかわしくない米軍機の低空飛行が毎日、山梨県は先日甲府盆地上空での米軍機給油訓練の中止を政府を通じて米軍にお願いしたばかりなのに、こんな山の中の小さな町の上で軍機が給油訓練をしなければならないほど事態は切羽詰まっているのか?。毎日行楽地は芋を洗うような人手でにぎわっている中つい先ほども頭の上を米軍機が低く空気を切り裂くように通り過ぎて行った。まるで「浮かれて騒いでばかりいるなよ」と言わんばかりに。さて、日本人は平和ボケしていて多すぎる休みを先月上がったばかりの給料を手に大はしゃぎ?、それを米軍は面白くなさそうに頭の上から爆音を轟かせ警告か。政府が戦争の準備を一言も国民に言いださないから業を煮やした米軍がヘリコプターもろとも?、まさかエヘ。しかし国民の皆さん笑い事ではないかも、だって企業が先月給料を上げるのを待っていたかように、もう値上げラッシュ、上げた分を取り戻そうと手ぐすね引いて待ってらっしゃる、来月にはもう上がった給料もどこへやら?、なんてことに。そこに上から「浮かれていないでさっさと戦争に行く準備でもしろ」と。米軍さんが政府に変わって仰っているのか、はたまた「お前たちに明日はない」とヘリの残骸を見ればうすら寒いこの国の明日の姿のような残照が何事もなかったかのように沖縄の済んだ海に映し出されている、そのすぐ近くの島には今日も大勢の観光客が・・・、あまりTVには何故か映り込まないようですが。「♬戦だよ~とおたがいに言い出せない~まま~」これも政府の心づかいのひとつなのか。
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2024.10.22
明日から天気が悪くなる予報で、
明日はサーフィンに行く予定だから
本日は、朝から1人でドライブに出掛けた
そもそも観光目的では無いから
観光スポットも、お店も知らないし、チェック無し。
ま、行き当たりばったりで良いや!と
自分の感覚のみで車を走らせた。
マングローブの群生地は、最高だったな〜
結果、ほぼ一周してもうた。
サーフポイントのチェックでビーチ見つけたら
浜に降りてチェック。
結局、石垣島最北端まで行って、
ダチョウ見つけたり、人魚岩や伊原間の巻石
(ハート岩)も見つけたり…
牛は居るし、馬は居るし…
こんなトコでラッキー🐕遊ばせてあげたいな
と、ライブカメラでラッキー🐕みたり。
朝早く出掛けたので、昼過ぎには
一周して遊び終えました
不発弾の処理現場も、見つけたよ
ステイ先でシャワー浴びて、
お仕事の為PC開いてデザイン業務。
夜は、仲間の家族が予約してくれた食事処で
沖縄料理を、腹はち切れんばかり食して
サウナ行って、また飲みに行って…
明日、サーフィンなんだけどな〜
でも、サウナで酒抜けたから、
入れ直しても良いよね(^^)
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