#折りたたみペン
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普段使いからビジネスシーンまで幅広く活躍する、折りたたみ可能なカード型ボールペン「HANCEPT zero - ハンセプト ゼロ」。シンプルながらもスタイリッシュなデザインで、高級感漂うギフトとしても最適です。使い勝手の良さはもちろんのこと、その折りたたみ機能やガジェット感も魅力の一つ。どこにでも忍ばせておけるサイズ感なので、いつでも取り出してメモやサインに便利です。プレゼントとしても、ご自身用としてもオススメの逸品です。 あなたの日常に、ちょっとした特別感と便利さをプラスしてくれるHANCEPT zero。「HANCEPT」という名前に込められた想いを感じてみてください。きっと、その魅力に引き込まれることでしょう。
※開封後、破損や紛失の責任は負いかねますので、大切にお取り扱いください。
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役者紹介するよ
あずです。東です。皆さまをモノに例えてみました。独断と偏見まみれの紹介に、どうぞお付き合いください。(敬称略💦)
大良ルナ ファイル
1つのファイルに何個も仕切りがあるやつ。使い分けはお手のもの。
児 ぷにゅグリップ
鉛筆につけるぷにぷにしたやつ。筆箱にあるだけで嬉しくなる。
うみつき シャーペン
先がくるくるするやつ。実は付属の消しゴムに努力が隠れている。
統括のフォーニャー 付箋
紙素材のやつ。何を書いても受け止めてくれる抜群の包容力。
緒田舞里 マーカー
ペン先の文字が見えるやつ。重要な部分にふわっと色を添えてくれる。
白 ものさし
角が丸いやつ。見やすいメモリはずっと消えない。
埖麦 消しゴム
綺麗な山形になってるやつ。筆箱を開けると、変わらずやっほーしてくれる。
岡崎仁美 マッキー
黒色のやつ。新学期や仕込み期間で溢れ出る頼りがい。
雨々単元気 ボールペン
消せない、というより消えることがないやつ。濃いめのインク付き。
舞原の絞り滓 ハサミ
裁ちばさみ級に大きいやつ。切れ味が鋭いのに、持ち手がすごく柔らかくて握りやすい。
じゃがりーた三世 鉛筆キャップ
ガラス製のやつ。筆箱が汚れるのを防いでくれる。
オーム ノート
真っ白のやつ。何でも書けるし、何にでも使える。
テキストを入力 ルーズリーフ入れ
10枚くらいの太さのやつ。どんなにバラバラしても綺麗にまとめてくれる。
縦縞コリー 鉛筆削り
複数段階あるやつ。鋭利加減は使う人の裁量次第で、どんなに鋭くしても鉛筆が折れることはない。
大福小餅 教科書
海外のことが書かれてあるやつ。ないと困るし、あるととんでもなく安心感をもらえる。
叶イブ めちゃめちゃ可愛いストラップ
動物系のやつ。殺風景な場所にも華を咲かせてくれて、見るだけで心があったまる。
アリリ・オルタネイト パソコン
自動的に更新されるやつ。誰にも追いつけない最新性なので、使った人は驚きが止まらない。
オペの方々!
紫苑 3色ボールペン
インク交換可能なやつ。色の組み合わせによって新しい発見がどんどん現れる。
肆桜逸 手帳
月曜始まりのやつ。カレンダーにもメモ帳にも、身分証にもなれてしまう。
森々仙入 のり
固形のやつ。液体でもテープでもないので、子供から大人まで使いやすい。
演出!
はぜちかきつ 通学リュック
そりゃね。
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は��い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切って��たので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめ��)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#140文字詩#アート#ペン画#伊賀出身#伊賀市#写真#自己紹介#三重県#詩小説#伊賀
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無題
何か血迷って、招待状の宛名をすべて手書きにすることにしてしまったので、家人と連日夜なべしてしたためた。手首が痛い。お互い仕事から疲れて帰って、あんま酔っ払うと作業にならないから日課の飲酒もそこそこに、ローテーブルを挟んで���し向かって、俺たち、背中を丸めて、初めのうちこそピロウズとかbetcover!!とか流しながらつとめて機嫌よく作業していた。しかしこれが3日も続くと何かもう思い出せないような些細なきっかけでいつのまにかお互いむっつり黙り込んで、音楽が止まっていても次の曲をかけようとせず、筆ペンが紙面を這う音とか、封筒に指を滑らせて折り目をつける音とかが、真空になったみたいなリビングに響いていた。いたたまれなかった。今日休みだった彼��が発送しておいてくれた。帰宅したら、花瓶に新しい花が挿してあった。最寄り駅の反対側のうらぶれた花屋で、店員の婆さんが適当に見繕ってくれたらしい。河川敷で作れそうな花束だと彼女は笑った。花の名前はきいたけど忘れたという。カモミールに似ているけれど、やけに葉ぶりが大きくて、そのままわしっと掴んで鍋に放り込んだら春菊に見えなくもない。俺たちはつかれている。折り重なった疲弊の地層。たまらないと思う。愛おしいと思う。
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5
五月のとある晴れの日のこと。 「大西さん、カードをお忘れです」 電話で彼はそう教えてくれた。声には親切な響きがあった。 僕は「すいませんまた」と言って、ちょっと笑いながら戻っていった。さっきのぼったばかりの階段を下り、その本屋を訪ねた。大学の書籍部だ。自動ドアを通り、僕にしてはめずらしくちぢこまって歩いていく。カウンターの向こうに立つ書籍部の彼が僕を見つけて、はにかむ。穏やかに「どうもすいません」と言う。僕も駆け寄っていって「いえいえ。すいません。電話ありがとうございます」と言う。ああ。ありがとうございます。カードを受け取る。 去りぎわに「すいません」と声がかかる。 びくっと震えて、それから振り返る。 彼がA6サイズのちらしを手に微笑んでいる。 「大西さんはたくさん本を読まれています。もしよろしければどうでしょう?」 そこには”読書感想文”を誘う文句がプリントされていた。
***
きょう、天気は晴れだ。 きのうは嵐だった。台風一号と呼ばれる風、雲、流れの塊が日本の広域を襲った。 雨がひどく降った。あんまりにも激しいので外に出るのがためらわれた。雨がアスファルトを打ち鳴らし轟音が立っていた。うち返すしぶきでなにもかも白に染まった。 で、きょうの天気は晴れだ。 素敵な光だ。のんびりコメダの豆を食べているとカケスがおりてきて「ちょっとちょうだい」とねだってきた。こつこつ跳ねては首をかしげるカケスは可愛すぎた。さすがにあげたね。
きょうの日記はのどかに書こうかな。そう思っている。 "5"というタイトルはJJケイルのアルバムを意味している。 言うまでもないけど、いいアルバムだ。これも有名だけど、「ボイリン・ポット」もだいぶ好き。
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最初は「遠慮しておこう」と思った。僕は多読じゃないから。 けど、渡されたのは嬉しかった。 「大西さんはよく読まれらっしゃるから」 その響きに、はじめはどぎまぎしていたけれど、けっきょくにやにやしてしまった。言われて嬉しかった。 そして、やはりというのかな。読書感想文は僕を苦しめた。 つまづく原因はいろいろあった。本名が必要とか短篇ひとつだけじゃなく一冊とか。いちばん苦しんだのは字数だった。そこでは250字までしか書けなかった。 250字! 原稿用紙一枚に満たない器は、つらかった。いったいそれで何が言えるというんだろう。ペンを回しながらそう思った。ためしに「おもしろかった。」と書いてみた。 ハッと気づいたときには六百字書いていた。削っても400字なので泣きながら全部消した。くやしくなった僕はもう一度問うた。250字でいったい何が言える? それでも書いてみた。『喋る馬』、『スクラップ・アンド・ビルド』、『言葉と歩く日記』について。ときには一時間もかけて熱心に入れ込むこともあった。 「大西さんは成長性がない。あたらしいところに参加すべきよ」 そう言われたのをひきづっていたのだ。
***
それにしてもカケスは可愛かった。人なれしているのかすごく近くまできた。ぼうっとコーヒーを飲んでる僕の足元を跳ねて、くりくりと目を漂わせてうかがっていた。写真がなくてごめんなさい。
きのう、図書館で賢人と会った。男だ。丸い頭にどっしりとした体躯をしていた。 賢人は中国文学、とりわけ『三国志演義』の研究をしているらしかった。座る彼の隣に立て看板があってそこにそう書かれていた。まるで商品みたいな扱いだが、実際言葉は僕の気を惹いた。「十分くらいなら」。そう思い僕はちょっと訊ねてみた。
賢人は賢かった。変な日本語だが、そうなのだから仕方ない。 僕は「小説を書いている人間に勧められる中国文学はなんですか」ときいただけだったが、話は長いことめぐった。気づくと一時間が過ぎていた。 賢人はけっこう一人で喋った。基本的に僕は「はい」や「そうですね」と相槌をうっていた。 賢人は賢人自身の歴史を紐解きながら中国文学について語った。僕は聞き入っていた。 そして彼と話した内容については、ここに書けなかった。複雑だ、読み物としての面白さと内容の確実性を両立させるのが大変、そもそもそれは僕の言葉ではないといった理由のために。
***
最近他に何があっただろうか。
きょうは本当はメイドカフェに行く予定だった。バイト先のNさん、そしてまたべつのNさんが「メイドカフェにいったんです」と話していて気になっていたからだ。しかしなかなかうまいことはいかないものだ。行きたいきもちはあるものの、とりあえずきょうの予定は流れた。
あと、コークオンを使い始めた。 こんなことを書くとほんとうに日記みたいだ。 コークオンを使ってジョージアのコーヒーを買うようになった。先週スタンプが15個溜まった。僕はタダで170円のアメリカンを飲んだ。どうせ毎日のように飲んでいたので、なかなか嬉しい。
そして、最近はまあ、それくらいだ。五月、僕はのんびりやってるよ。
きょうの天気は晴れだ。 というのは話したか。そう。晴れだ。晴れなので、だれかとカフェに行きたい気分だ。こんな日にはエスプレッソがいい。 けど、悲しいかな。残念なことに行けなかった。予定が合わなかった。小学校のころから僕は突然に人を誘うタイプだった。予定という機能を備えず産まれてきた。だから断られることも多々あった。きょうがそうだ。折り合いがつかない。
だから日記を書いていた。なぐさめに。 だからきょうの日記は穏やかだった。話すように。
そしてエスプレッソはもう空だ(残念なことに)。カケスも満腹になって飛び立っていった(残念なことに)。 「そろそろ出ようか」。僕はあなたにそう言った。そして会計は僕がもち、二人は五月のカフェをあとにした。
みたいな結びはどうかな? 日記もカフェも、終わらせるのは難しい。 惜しいんだ。
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いろんな紙に同じ絵を描いてみた
いつぞやのミューズさんの紙のラボラトリー2023にて購入させていただいたペーパービュッフェのうち、6枚に同じイラストを描いてみま���た。 まぁ、同じって言っても微妙に違うんですがね。
というだけの記事。
前置き
・アルシュブライトホワイト(極細目) ・ランプライト ・キャンソン ミ・タント ボード ・ニューブレダン ・マーメイドリップル ・アクアエリアス
上記の紙を使用しました。 同じ絵柄で同じ絵具で塗ってるわけですが、結構違いが大きく、あらためて水彩って紙が重要だよな!と思わされました。 というわけで、感想。
1.アルシュブライトホワイト(極細目)
言わずと知れたコットン100%、天下のアルシュ様のブライトホワイトバージョン。 ぶっちゃけロットによって色が違うみたいで、今回のビュッフェのものは手持ちのものより白い気がします。 初めて使ったブライトホワイトも白いので、この前買ったのがやや黄みがかっていただけなのかもしれない……?
発色はかなり良いです。髪の毛の差し色のPV23や、服のオレンジが鮮やかです。 普通のアルシュよりも白色度が高い分、青系は特に発色が良い物と思われ。
極細目なので、ペン入れもしやすい。 水彩らしい表現がしやすいと感じました。
なお小生、極細目に塗るのが苦手なのですが、なんとか頑張りました。
2.ランプライト
アルシュの他にもうひとつコットン100%紙。 実はランプライトは購入したことがなく、サンプルでいただいたものを何度か使った事しかなかったりします。 今まで使ったサンプル紙では気にならなかったのですが、文章でうまく表現できないのですが、なんとなく白っぽいモケモケ感を感じました。
とはいえコットン紙。ランプライトの色合いで柔らかめなものの、絵具の発色は良いと思いました。
凹凸のある紙ですが、丸ペンでもペン入れしやすかったです。
3.キャンソン ミ・タント
キャンソンのミ・タント紙が貼り付けられたボードです。 ミ・タント紙自体は確か160gの紙で薄手なので、水彩紙に使うにはちょっと心許ない厚みですが、ボードになっていることで、水張り不要・水分を含んでベコベコになるのも無縁となっています。
第一印象。この紙、発色お化け!
オレンジがまぶしいっ! 目に使った水色もまぶしい。 アルシュBWやマーメイドリップルも発色は良かったですが、圧倒的発色! ちなみに、結構白色度の高い紙ですが、ミ・タント単体なら、いろんな色が合った気がします。
ちなみに、紙の凹凸は荒くても浅めなので、ペン入れはしやすかったです。
一方で欠点。
他の紙は皆、同じ元のイラストからトレース台でトレースしているのですが、この紙は厚手のため、トレース台が使えません。 ボードじゃないただのキャンソン ミ・タント使うのは紙が薄すぎてちょっと心許ないです。
今回はトレース台ではなく、この紙だけ簡易カーボン転写をしました。 ↓やり方
4.ニューブレダン
初めて使用する紙です。 (ちなみに、ずっとニューブレンダンだと思ってたのは内緒。カタカナ読めない我が輩)
ミューズさんのHPの説明書きによると、
コットンを高配合し、弾力性と柔らかい風合いで、細目の紙肌を持つ高級版画用紙です。
だそうです。 お品書き通り、柔らかい風合いで、ペン入れしたら滲みました。 また、表面も柔らかいので、消しゴム使うのはためらわれました。
しかし、色を塗ってみると、紙の暖かみのある色合いや、和紙のような吸い込み(実際に和紙に塗ったことはないので推測)により、すごく優しい発色で柔らかい雰囲気になりました。
これはこれで、アリ!
イラストで使用するなら、線画を丁寧に描いて、塗りは補助という立ち位置の方が映えそうだなぁ、と個人的には思うものの、線画だけで魅せられる絵が自分には描けないんだなぁ😂 しかも、ペン入れは滲みやすいしw
5.マーメイドリップル
発色はかなり良いですが、凹凸がかなり強くて、はみ出しとの戦いになりました😇 また、浸透力?を感じないタイプで、染みつき強めの紙が好きな自分には少し苦手でした。でも、前に試し塗りした某キャンソン モンバルよりずっと使いやすかったです。
ペン入れは、凹凸強すぎて難儀したものの、表面が硬いので丸ペンが引っかかるようなことはなく、そういう意味ではペン入れしやすかったとも言えます。
似たような価格帯(多分)のホワイトワトソンと比べると、こちらの方が表面が硬くて強くて凹凸が強く、その分絵具の吸い込みが少ないという印象です。
6.アクアエリアスⅡ
他の紙と比べると、色々変わった特徴があり、
原料にガラス繊維が入っているユニークな水彩紙です。
だそうです。そんでもってアメリカの紙なのかー。知らんかったー。
発色は柔らかく、ペン入れが滲むのはニューブレダンと似ていますが、吸い込み感がこっちの方が強かった。 こちらも消しゴム使ってはいけないオーラを醸し出していた。
ニューブレダンと違って色が白いので、発色は鮮やかだけど、ランプライトで見かけた、白いモケモケ感が強いです。
なんか癖が強くて、自分にはちょっと合わなかったです。
7.おまけ。そのほかの紙々
最近は、普段使いの紙じゃない紙にも描く機会があったので、折角なので紹介。 上の6枚のように、発色の違い!とかペン入れ!とかの比較はできないのであった……
(1)ストーンヘンジアクア(細目)
版権絵で失礼。 ストーンヘンジアクア細目を使用するのは2回目。 1回目はラフな塗り方をしたので気にならなかったのですが、今回はとにかく丁寧に塗り込みをしました。 リフティング力が強くて、重ね塗りはしにくいものの、下の色をなじませるように塗る、という塗り方ができました。
また、失敗しても修正がものっっすごく効くのも特徴だと思いました。
なお、ものすごく表面が弱いので、消しゴム注意、マスキングインクは×、マスキングテープは最弱のカモ井ミントさんしか受け付けないという繊細さんです。 ミントも剥がす時はエンボスヒーターで暖めながら剥がさないと悲劇が起こります。
(2)アヴァロン
アヴァロンも初めて使用した紙です。 こちらもストーンヘンジアクアのように、何度も修正したりなじませたりができました。 ストーンヘンジアクア荒目でイラストを描いたことがないので比べられないのですが、ストーンヘンジアクア細目を荒目にしたような雰囲気に近いものがあります。 ただ、凹凸の紙目があまり我が輩さんの好みではない模様。 (ストーンヘンジアクア荒目の紙目は好き)
ストーンヘンジアクアほどではないですが、こちらも表面弱々。
凹凸がある分、にじみはしやすかった気がします。
(3)ウォーターフォードホワイト(荒目)
何で中目じゃなくて荒目にしたのか……謎ですが、荒目のはがきサイズです。 中目は使ったことありますが、荒目は初めて使用。 かといって、目が粗い以外は特別違いはなし。 マスキングが安心してできるって良いね。としみじみ感じました😂
白色度が高いので、発色ヨシ!
というわけで以上、実際にイラストを描いた上での紙の感想でした。 同じ絵を描くことで、より紙の違いを感じることができました。 にじみやらマスキングやらのテストで違いを試したりもするんですが、実際のイラストを描くのが一番感覚的に違いがわかる気がしました。
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❄music analysis❄ Chopin walce WN29 e-moll (ショパン ワルツ WN29 遺作 イ短調の楽曲分析)
Hello everyone☺. Thank you for visiting. Today, I will talk about the music analysis of the music mentioned in the title.
I hope this will be helpful for those who play the piano as well.
Now, about the work of title number WN. Since the music score I will be using for this explanation must be in the public domain since it will be used in a public place, I have decided to use the music score from IMSLP. Therefore, in this article, I will not use score the National Edition (Ekier Edition), which uses WN numbers. but, Since the sheet music I often use is the Ekier version, I will call use name the Ekier version.
←score① This is the first page.
Regarding Chopin's waltzes, the first waltz that is considered to have been completed is his posthumous waltz As-Dur WN28 written in 1827. The works completed in the early stages are arranged in chronological order as follows.
As-Dur of WN28, 1827 E-Dur in WN18, Des-Dur in WN20, h-moll in WN19, 1829 Es-Dur KK.IVa/14 1829-1830 e-moll op.posch(WN29).1830 Es-Dur in op.18, a-moll in op.34-2, 1831....
What did Chopin do in 1829-1830?
←Chopin, Frederic:Introduction et polonaise brillante C-Dur Op.3
Op.3's music is for cello and piano.
This was also the period when Chopin was composing works for string instruments and piano.
This waltz seems to be a waltz with a wider range of sounds than the traditional Schubert waltz.
When this piece was composed, Chopin was composing for string instruments. Chopin's waltzes seem to have a freer range than the traditional waltzes of Schubert and others. The introduction to this piece is written several octaves higher than the starting note and ends. At this point, I thought I could already see Chopin's particular attention to range.
What you should pay attention to here is the right-hand part at the beginning. There is a command symbol written in octaves at the end. You can see that the viola's range from the lowest note to the highest note is used to its fullest before that rest. ( I guess)
Also, I think the left-hand part marked with a red pen is written in the double bass range.
I can feel Chopin's melancholy in this waltz. The occasional repetition of major and minor keys can be said to be a feature that also appears in the waltz of WN18 E-Dur, an early waltz.
In the future, I would like to upload a performance video of this music.
I like music with string instruments, so I would be happy if I could make friends with people who play string instruments.
←(Japanese version/日本語訳)
こんにちは、みんな。 お越し頂きありがとうございます。 今日はタイトルにある楽曲の楽曲分析についてお話します。
ピアノを演奏する方にとっても、参考になれば嬉しいです。
さて、作品番号WNについて。 今から説明に用いる楽譜は、公共の場で用いることからパブリックドメインを使用しないといけないため、IMSLPの楽譜を利用させていただくことにしました。そのため、今回はWNの番号を用いるナショナル・エディション(エキエル版)を使用しないのですが、 普段よく使う楽譜がエキエル版なので、エキエル版の名前で呼ぶことにします。
←楽譜① 初めのページ
ショパンのワルツについて、最初の成立と考えられているワルツは遺作のワルツAs-DurWN28であり、1827年の成立とされています。初期に成立した作品を年代順に並べると、次のようになります。
WN28のAs-Dur、1827年 WN18のE-Dur、WN20のDes-Dur、WN19のh-moll、1829年 Es-Dur KK.IVa/14 1829年-1830年 e-moll op.posch.1830年 op.18のEs-Dur、op.34-2のa-moll、1831年....
それではショパンは1829年から1830年にかけてどんな曲を作曲していたのでしょうか。
←ショパン :序奏と華麗なポロネーズ ハ長調 Op.3
作品3の音楽は、チェロとピアノのための作品です。
ショパンが弦楽器やピアノのための作品を作曲していた時期でもあります。
この曲が作曲されたとき、ショパンは弦楽器のために作曲していました。 ショパンのワルツは、シューベルトなどの伝統的なワルツに比べて、より自由な音域を持っている���うに思えます。 この曲の序奏は、開始音より数オクターブ高く書かれて終わります。 この時点で、ショパンの音域に対するこだわりがすでに見えてきたように思いました。
ここで初めに注目すべきは、冒頭部分の右手部分です。 最後にオクターブで書かれている指示記号がありますよね。 その休符の前まで、ちょうどヴィオラの最低音から最高音あたりの音域をいっぱいに使っているのでは、と推測します。
※音域表については、次の鍵盤の指示の表を参考にしてください。
(引用しています。)
また、赤ペンでマークした左手の部分はコントラバスの音域で書かれていると考えました。
このワルツにはショパンの哀愁を感じます。 長調と短調が時折繰り返されるのは、初期のワルツである WN18 E-Dur のワルツにも見られる特徴と言えます。
今後、この曲の演奏動画をアップしていきたいと思っています。
弦楽器を使った音楽が好きなので、弦楽器を演奏する人とも友達になれたら嬉しいです。
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「ずいぶん鮮明だった夢でも九年も経つと細部の不確かさが現実と変わらなくなるのを避けられない。明治通りを雑司ヶ谷の方から北へ池袋に向かって歩いていると、西武百貨店の手前にある「ビックリガードの五叉路」と呼ばれているところで、私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」。
これは保坂和志の長編小説『未明の闘争』の冒頭箇所からの引用で、この立ち上がり箇所に躓いたが最後、本書は永遠に読み終えることができなくなる。
(装丁の赤はまさに血の色よろしく!といった感じ)
私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた、こんな気色の悪い日本語はついぞ聞いたことがない。助詞の使い方がおかしい、変だ、と追求することは容易いが、では正しい助詞の使い方とはどのようなもので、実際その正しさなるものは、この保坂の文章に対して有効にあてがうことが果たして本当に可能なのか?助詞がどうのこうのいう以前に、このセ��テンスにはいくつもの時間軸が折り重なり、しかもぐちゃぐちゃに崩されたジェンガのようにとりとめのない様相で横たわっている。言ってしまえばガルシア・マルケスの『百年の孤独』のラストシーンが丸ごとすっぽりこの一行に内包されていると言っても過言ではない。「私は歩いていた」「一週間前に死んだ篠島」「私は死んだ」「篠島が歩いていた」このように文章を細切れに分断したところで何も解決しないし、ただひたすらに「一週間」という残酷とも形容できそうな時間の堆積だけが読者の肩に重くのしかかる。ゆえに僕は本書が刊行された2013年以降、10年の月日が経過したいまもこの先の展開をまったく知らない。読み進めようとも思わない。それはそれでかまわない、何ら問題がないと思っているのは極端に偏った僕の考えなので、読書家の方々からバチボコに非難されても「ごめんなさい、阿呆なんです」としか言いようがないし、最初から反論する気もない。本書に限らず保坂の長編小説を最後まで読み通せた記憶がそもそもない。もちろん保坂の作品はリリースされたら必ず購入し、夢中になってページをめくる。しかし『カンバセイション・ピース』も『朝露通信』も内容をまったく覚えていない。言うまでもなく途中で放り投げたからだ。例外的にデビュー作の『プレーンソング』だけは再読を繰り返し、その都度、読了している。保坂はどの作品に於いても女性を性的な視点から舐めるように観察し、男たちの「ちんちんがあるがゆえの」どうしようもなさを滑稽に書き連ね、猫や風景を偏執狂的とも言える筆づかいで精緻に描写する。これはデビュー作から一貫していることで、あえてイジワルな言い方をすれば、書きたいことは「それしかない」ということになる。一般的に難解と思われがちな保坂の文章自体は、決して読みにくい訳ではない。むしろどちらかと言えば取っ付きやすく、何も考えずにスラスラ読める。ところが至るところに『未明の闘争』の冒頭部のような躓きの石が無造作に設置されているので、まんまとそれに蹴躓いたら、やはりどうしたって先には進めない。だから僕はこの10年間ずっと飽きることもなく《私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた》を執拗に噛みしだき、もはやとっくに味もしないのにねぶり続けている。そして舌先に残った異物感を自分なりに抽出し、何の手がかりもないままに自らもペンを取り、小説を書く。要するに「保坂和志の著作で最も好きな作品は?」と聞かれても、僕には『未明の闘争』の冒頭部としか答えようがない。それにしても��う考えたって保坂の文章や小説の世界観はいまのフェミニズムと相性が悪いように思うのだけれど、どうして疑いの余地もなく受け入れられているのだろう?これについては本当によくわからない。昨年、ソーコアファクトリーにて開催されたhankyovain主催のパーティー「SWEET LOUNGE」で、光栄なことにトラスムンドと並んで物販を担当した際、この日はじめて会ったトラスムンドの浜崎さんと話をしているうちに自然と保坂のことが話題に上がり「あの人、絶対に嫌なやつだよね」とか言って、ふたりで爆笑したのはここだけの話。
(2022.4.21 at SOCORE FACTORY )
(珠玉のラブソング MIXはWDsoundよりリリース)
そういう訳で僕にとっての保坂和志は小説家というよりも呪術師に近い存在だということ。そのカテゴリーで語るならば、言うまでもなく保坂は特級術師に該当するだろう。かつてベケットが演劇の舞台の中央に石ころを置くだけで世界を転覆させられると夢想したように、保坂の文体もまた、単独での国家転覆が可能なレベル��危うい呪力を孕んでいる。
(みんなわかるよね?)
さて『未明の闘争』について考えると、いつも必ず聴きたくなるのがBurial - Archangelだ。クラックルノイズが降り注ぐビートのうえで執拗なまでに”Couldn't be alone”と繰り返す悲哀に満ちた都市の破片、時間の堆積、魂の逃走経路、これを未明の闘争と呼ばずに何と形容すれば良いのか……。
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明けましておめでとうございます🐇
今年もここで、日常のことや製作日記のようなものを気ままに綴っていけたらと思うので、読んでくださっている方、どうぞよろしくお願いします🌷
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ひとまず去年から描いていた作品が完成しましたので、続きのメイキングを載せていきます
↓前回はこちら
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前回は大まかな線を水彩紙にトレースしたところまででしたので、ペンで線画を描いたところから🖊
とはいっても、殆ど描きあげた状態ですみません
一旦描き始めると、線画を描くことしか頭になくて、途中経過をあまり撮れずにいました
私が線画に使うペンは、三菱ユニボールシグノの、0.28、0.38、0.5のブルーブラックです
始めに0.28で全体の線を描き、太さを変えることで濃さや暗さを表現しています
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左が、全て線画を描き終えた画像です
ちなみに、シグノのペンは描くときにペン先の角度を変えることによって掠れさせることもできるので、それも表現の一つとして使っています✒…
右は、線画を描き終えたあとにプルシャンブルー色の絵の具で下地を塗った状態です
このやり方はもう何年も続けているのですが、いきなり赤や黄色、緑を塗るのではなく、まず一色の絵の具で濃淡や陰影をつけると、その後どんな色を重ねても統一感が出る気がします
カラフルな色使いは、選び方によってはちぐはぐしてしまうことがあるのですが、これをするとそれがなくなるように思えるので、ずっと気に入って使っている方法です🎨
下地を塗ったあとは、塗りたいところから塗っていきます
範囲の広い場所から塗ると、必然的に塗っていないところが多いという状態ではなくなるため、プレッシャーが少なくて心が軽くなります
今回の場合は、上から垂れ下がっている布から塗り始めて、あとは好きなところから塗りました🖌
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『眠れない』
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そしてこちらが、完成したものです
タイトルは、ラフが思い浮かんだときの心の状態をそのまま使って、『眠れない』にしました
今思うと、観た方がもう少し考える余地のある、夢のあるタイトルにすればよかったかな、と後悔しています…
タイトル以外にも、ここはこうすれば良かったとか、まだまだ技術や表現力が足りないな、と実感する部分が多々あったので、次の作品を描くまでに改善して鍛えられたらいいなと思います
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以上で、メイキングは終わりです
もっと細かく説明したかったのですが、端折ってしまう結果になりすみません
ここまで見てくださりありがとうございました✨
今年もたくさんの良い絵を描いていきたいなと思っています
それでは🌇🍊🎍
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日光白根山と五色沼
山サークルのメンバーと、日本百名山であり栃木県と群馬県の最高峰でもある日光白根山へ! 天気予報をチェックして防寒対策バッチリで出掛けましたが、幸いにも時折晴れ間も見えて心配したほどの寒さでは無く、ダウンジャケットやチェーンスパイクは使用せずに済みました(手袋とネックウォーマー、フリースは必須でしたが)。
朝はロープウェイで一気に標高2,000mへ! 写真は右が「天空の足湯」、左が「天空カフェ」。 他、食事が出来るレストハウスや足洗い場もありました。 ここでは元サークルメンバーだった方と1年ぶりに遭遇。元気そうで何より! 最近、山で知り合いに会うことが多いなぁ。
正面に山頂が見えているのですが、てっぺんはガスの中…
二荒山(ふたらさん)神社の鳥居を潜って、いざスタート!
獣避けの扉を開けて、登山道に入って行きます。
少し幻想的な雰囲気のある森の中を歩いて行きます。
不動岩の上の方の木々が紅葉していました。
大日如来像。思っていたより小さかった…
この辺りから上になると植生が変わり、低木が増えて来ます。
行手は真っ白!
うっすら青空が見えて来たかな?
山頂は多くの人で賑わっていますね。
途中に祠がありました。
山頂手前からは、五色沼がチラリと見えます。
白根山の山頂にとうちゃこ〜!
中禅寺湖も綺麗に見える!
雲が流れて男体山も姿を現しました!
一瞬の晴れ間で、五色沼も青緑色に!
ガスが増えると色味がイマイチに…。 太陽光の加減次第ってことですね。
岳樺(ダケカンバ)が綺麗でした。
桜も紅葉しています。
五色沼に向かう途中にあった避難小屋。 看板の文字は油性ペンか何かで書いたような感じでした。
中は、ちょっと珍しい2段式。手作り感満載の梯子ですね。 中に居た男性に断って見学させてもらいました。
五色沼まで降りて来ました。
水面に漣が…風が冷たい!
日光白根の山頂を五色沼側から。
弥陀ヶ池まで来ました。水鏡(水面へのリフレクション)が綺麗です。
また少しアップダウンが続きます。
七色平まで来ました。
崩れかけて使用禁止になっている避難小屋。
ロープウェイ乗り場まで戻って来ました。 夕日は雲に覆われていましたが、辛うじて山肌を照らしていました。
今日はサンセットクルーズの17:30までロープウェイがある日だったので、17:10くらいの便で下山。
ちなみに、ロープウェイ乗り場の横には「天空の足湯」がありました(無料)。
我々はセンターステーション座禅温泉を利用予定でしたが、こちらの受付はなんと17:00まで!上でのんびりし過ぎましたね…。 急遽、望郷の湯を利用して、近くの洋食屋さん「レストランふらいぱん」で食事して帰りました。
山頂はガスったり晴れたりの繰り返しでしたが、中禅寺湖に五色沼、男体山に女峰山も見え、赤く色付いたナナカマドや桜の木も綺麗でした。
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絶望という名のパスタ もしもあなたがヨーロッパの都市(たとえばロンドンを想定している)に独居し、バカ高くまずい外食に別れを告げ自炊をはじめるなら、とりあえずの最適解は、パスタを安く買い込むことだと知るだろう。 湯さえ沸かせれば、パスタは作れる。 ヤカンや電気ポットですら可能である。 ロングパスタだと、はみ出す?ふたが閉まらない? はみ出さないようにポキリと折ってから茹でればいいのだ。 作り方はシンプル、パスタとソースをそれぞれ(加熱して)食べられるようにした後に、まぜるだけである。 したがってパスタは、我々が乗り越えようとしたサラダと料理の境界よりも手前に存在する。 つまりパスタは、まがうことなくサラダである。 イタリア語であるパスタ(pasta)の原義は、英語 paste (ペースト)、フランス語 pate (パテ)と同じく、俗ラテン語の pasta (生地、練りもの)である。 小麦粉などを主体とした練り物(生パスタ)、およびそれを乾燥した製品(乾燥パスタ)の両方を指し、 日本語の「麺」にのように細長い形状にこだわらない。 ロングパスタのひとつであるスパゲッティ Spaghetti(spagoスパーゴ(紐(ひも))にettoという縮小辞をつけた言葉)や最も細いカペッリーニ、ショートパスタの一種マカロニ、ペン先のように斜めに切られたペンネ、縁が波打った板状のパスタであるラザーニェ、団子状のニョッキ、 デュラムセモリナ粉に水をふりかけて粟粒大に丸めたクスクスなども、みなパスタである。
サラダの果て、はじまりの料理/新入生のための一人飯ハック 読書猿Classic: between / beyond readers
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#8.5 番外編〜グループの人たちへ〜
221120
プロトタイプについて
みんなの意見/直すべきところのみまとめ
棘を無くす
金銭面
スチレンボードに色をつける
土台の安全性
私的考え
100均で色々みながら考えてみました。
モビール本体
モビール本体を竹串にしていたが、テープとモビールだと壊れやすいし、手作り感があるので変えたい。もっと公式感のあるものにしたい。
そこで、ネットに載っていたモビールはどんなものがあるか?調査しました。
針金/参考URL:https://kinarino.jp/cat3/7124
ピアノ線(何かわからん)
ホームセンターにあるもの
セリアでも歩き回って木やモビールの参考になりそうなものを探してみました。
竹串を接着剤で下の写真みたいに止めるのもアリ?
ペーパーストローも木っぽかった。 中が空洞なので紐を通せるし、紙なのでほぼコストゼロ! 参考URL:https://blog.bestprints.biz/paper-himmeli/
平べったいけどマドラーも木の感じが出てイイネ
軽い素材でラッピングタイも木の色があった!モビール本体には向いてないけれど、何かの出番で使える可能性あり。
モビールの土台
今までのが仮だから、これから本格的に作ることになりそうです。木をイメージしているので、木の棒はいいと思う。棒の途中に葉っぱをつけたり、下の部分に草をつけてみてもいいかも。セリアに長い棒はたくさん売っていたのでやろうと思えば何かしら作れる。
おもり(動物)
色付けすることははいいんだけれど、とりあえずそこまで追いつきそうにないので明日は白のスチレンボードを使いそうです。明日は絵を描いて凌ぐか。誰か油性ペン持ってきて。
私的意見ですが、スチロールだととにかく脆い!すぐ折れそうな感じでした。とりあえず明日両面に紙が貼ってあるタイプのスチロールボードを買おうと思いますが、これからもこれを使えるかは難しいライン。フックの部分が特に折れそうだったので、フックをひとつにして、片方は穴を開けようかなー。
明日買うべきもの
確定
紙が貼ってあるスチレンボード
悩みどころ
ペーパーストロー →竹串じゃなくてペーパーストローありかなと思ってる。でも自分でも作れなくは無いよね。まあ100円だから試しに買ってもいいかな
茶色い糸 →まず見つかるかどうかではあるけれど、森感出したいから茶色にしたいなー
土台になるもの →何がいいか決まっておりません。なんかあれば買う
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年5月3日】 三重県伊賀市出身 旧名の上野市に 1976年から 1996年6月まで住んでいた
伊賀市で有名なのが 伊賀流忍者 伊賀牛 松尾芭蕉 俳句 上野城 小学校までは依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごし 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ その時が一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 スレスレ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった
1997年から パソコンを38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説が出ていた 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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谷川雁「庶民・吉本隆明」
かつて私は鮎川信夫への手紙に、「荒地」の詩はすべて生活の倫理なき倫理であり、吉本隆明の詩だけは生活なき生活の倫理であると書いたことがある。いま吉本の評論集『芸術的抵抗と挫折』を読み終って、数年前に思いついたそのキャッチ・フレエズが今度またうかびあがり、たちまち黒い砂の流れのようなもので消され、どこか遠い町の下宿屋の一角が照らし出される気がした。どっちみち私など馬小屋みたいなところで息絶えるのにまこと似つかわしい人間だから、へたに同情するつもりはさらにないが、彼もまた「封建性の異常に強大な諸要素と独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」にはさみうちされて、せいぜい都営アパートの一角ででも朽ちはてることができたら上の部といわねばなるまい。蝶ネクタイなぞ逆立ちしてもうまくない貧乏性の世代があるものだ。その貧乏な世代の貧乏神が吉本だ。なんとかして馬小屋のかたすみで絢爛たる交響楽でも聞いてみようと苦心しているのに、妙に節くれだったやつが門口にあらわれて、棟つづきの隣家のことをわめいたり、おまえらのやっていることは幻想だぜとぶつくさいったりする。分っているよ、計算ずみなんだ、あっちへいっておくれ、ぶちこわしじゃないか、接吻を一つするから……というようなことをいってみても根が生えて動きはしない。よく見たら兵隊友達なので、「なんだ、おまえか」と肩を一つぶんなぐってみたりする——。 そういう隠微な、私的な交渉というものを拒絶しなければこの書物にはいりこむことにならないわけだけれども、だが彼の文章たるや陰気で皮くさくて骨っぽくてとぐちをならべているうちに、それじゃおまえはどうだという声がしてくる気もするので、まず同時代人としてのあいさつだけはしておくことにする。およそ彼ほど気質だの傾向だのがきらいな種類の人間はすくない。心理という言葉を使うときなどまるで蝶ネクタイをしめているみたいだ。彼のペンは笑わない。大隊長のように堂々たるかっぷくで「内部世界」とか「不定意識部分」とかの言葉が登場する。だが「分配カルテル」なんてやつを使う彼になると、ろくににぎりめしの一つも分配してもらえない二等兵の顔がうかんでくるしまつだ。二等兵にしてかつ大隊長たる吉本、本質的なあまりに本質的な馬鹿野郎……それを私はちょっぴりわが身につまされて好きである。いや、どうにも好きになれないものを何とかしたくなってくるとでもいおうか。
だがそのあたりのところは彼もまた計算ずみであるらしいことが分って、やや寒気がしたのは、この本に収められている十篇あまりの評論のうち書かれた時期がとびぬけてはやいという「マチウ書試論」であった。イエスが新約作者の創作にかかる架空の人物であり、ユダヤ教と近親憎悪の関係をもつ原始キリスト教が、被虐心理の眼鏡を通して旧約の思想を転回させたものだという見解がべつだん珍しいわけではない。それがどの程度に新説であろうとなかろうと、私の知ったことじゃない。ニイチエやランボオが人間精力の最大の盗人としてイエスを攻撃しているのもそれと遠いことがらではあるまい。私が「おや」と思ったのは次のような箇所であった。 ——原始キリスト教が、いわば観念の絶対性をもってユダヤ教の意思方式を攻撃するとき、その攻撃自体の観念性と、自らの現実的な相対性との、二重の偽善意識にさらされなければならない。 ——秩序に対する反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。 ——原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を、正当化しうるものがあったとしたら、それはただ、関係の絶対性という視点が加担するよりほかに術がないのである。 もし法律学者やパリサイ派を戦前のコミュニストにおきかえるなら、このばあいの原始キリスト教はたちまち吉本隆明その人と化してしまうのではないか。彼がこの五、六年間に加えた前世代への攻撃をひやかして、私はそういうのではない。「マチウ書試論」において彼が原始キリスト教の擁護などひとかけらもしていないことは明らかである。彼はその後の彼の文章にもはや見られなくなったなめらかな舌でたたみこむように、いわば水泳のクロールにみられる腕の使い方で、古くなった秩序と新しく登場する秩序とのせめぎあいをかきわけていく。彼は秩序に対する人間の反応型を涙もろき良心派のルッター型、権力と離れることのないトマス・アキナス型、積極的な疎外者たるフランシスコ型に分けてしまう。「人間の実存を意味づけるために、ぼくたちが秩序にたいしてとりうる型はこの三つの型のうちのどれかである。」だがその型は要するに類型にすぎず、そのいずれも歴史の刻み目と特別に関りあうものではない。したがってそのような型にかかずらわった「思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしない。」ここで彼は突然、マチウ書(マタイ伝)の作者に同調する。いや、みずからとび移ってマチウ書の操縦棹を横あいから握ってしまうのだ。 ——マチウの作者は、その発想を秩序からの重圧と、血で血をあらったユダヤ教徒の相剋からつかんできたにちがいない。原始キリスト教はそれがどのような発想であれ、ユダヤ教派をたおせばよかったのだ……律法学者やパリサイ派にたいするマチウの作者の、蛇よ、まむしの血族よ、という憎悪の表現は…… かくて関係の絶対性という概念にたどりつくのだが、それはフォイエルバッハがヘーゲルにたいして加えた修正とどんなにちがうのであろうか。関係の絶対性は必然に意識にたいする存在の優位に達するはずだ。しかし彼はそのような認識の冷静さに頼ってはいない。彼は唯物論の第一命題にすわりこもうとはしない。拳闘家のように腰をうかせて相手の鼻をねらうのだ。彼にとって、関係の絶対性とは眼の前にあるものをたおすということだ。ただそれだけに自己を限定��ることだ。だが彼が初期の評論において、その後の彼の道を暗示しているのはあたりまえの話にすぎない。私の寒気というのは、彼がそのなかで意識しようとしまいと原始キリスト教に仮託された自分自身をまず断罪し、断罪することによって正当化しておかねばならなかったという事実である。「原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪を、正当化しうるものがあったとしたら……」という設問に彼は答えねばならなかった。それは青春のきわめてはやい時期に、太宰治風にいえば一種の「晩年」に到達せしめずにはおかなかった時代の強圧にたいして、復讐の姿勢をとる敏感な青年の心をかならず通りすぎる疑問にちがいない。この答はむずかしい。なぜなら彼をして一挙に晩年を味わせたものも時間であれば、彼をしてなおおぼつかない青年にとどめている力もまた時間であるから。そして彼がこの矛盾に復讐しようとするとき、彼はまさにこの世の最後にして最高の強敵、時間を二重に向うにまわしているのだ。そのゆえに敗北はすでに必至である。戦えば戦うほど、彼は子供になりながら衰えてゆく自分を発見するにちがいない。円熟という理想は放棄されざるをえない。そのとき「なんじら幼な子のごとくならずば」という福音が耳にとどいたとしても、彼はそれを受け手として聞くことはできない。むしろ彼は語り手としてのイエスがまた一挙に晩年に到達せしめられたよるべない青年にすぎないことを見ぬく。とすれば山上の聴衆にとってはどうでもあれ、彼イエスにとっては「われ幼な子のごとくなりゆかざるをえぬ者ならば」であったはずである。そのとき人生は一つの仮象になる。成熟ということが時間のなめらかな、直線的な進行によって測られなくなった人間にとって、彼の自画像は論理的には岩のように不動であり、倫理的には何物にも責任を負っていない虚無の二重相をもつ。生成の過程からいえばもはや動かしがたい座標にしばりつけられており、そのゆえに倫理的にはすべてが許されるという非人間的な存在として自分が見えてくる。だがその瞬間に、イエスのように幼な子になってゆくよりほか道のなかった者が自分の必然を他人の自由選択にすりかえて「幼な子のごとくあれ」とよびかけ、自分の運命を他人に塗りつけるという詐術、あるいは至極のエゴティズムが許されるだろうか。もしそれを認めるならば、まだ成熟しないうちにむりやりに生命の終りをのぞかせられた人間がその強制力をかえってやすやすと許すことになるのではないか——戦後の青年に立ちふさがっていた問題はまさにそのようなものであった。
時間との、敗北を見越した戦いをこのような性質としてとらえねばならなかった人間たち……それが私たちの世代なのだ。おそらく太宰治をとらえた命題もこの敗北せざるをえない時間の逆説との闘争にちがいなかったのだが、彼にとってこの不意にあらわれた逆説の原因が革命の誤謬によるのか、体制の暴力によるのか、彼の存在の特殊性によるのか、その紛乱の糸をたぐり通すことができずに渦のなかに立ちつくしたままたおれた。ところが私たちの世代にたいして、このつむじ風はもはやそのような分析の欲望をもつことがばかばかしいほどにないあわされた一撃として作用した。そのとき無数のイエスがうまれた。裁くことが生きることであった。もし裁くことをやめるなら、彼はみずからをユダとして規定しなければならなかった。初年兵として一等兵からほほをなぐられているユダ。もし裁きつづけるとすれば、彼はみずからのなかのイエスをも裁かねばならなかった。残飯をすすり、なかまの選択物を盗んでいるイエス——はじめて選択の可能性がひらかれた。そしてどの道を選ぶかを倫理的に規定する過去はなかった。 関係の絶対性とは、このような時点におかれた青年の必需品であって、それ自身選びとられたものではない。人生が仮象としてしか見えなくなるまで追いつめられたイエスを発見した人間が、自己の内部システムである「子供」と社会的な効用の指針である「幼な子のごとく」のスローガンとを混同するイエスの不純に思いいたったとき、彼はイエスを新約作者のフィクションの側からつきつめ、かえって思想の抽象性を純粋化してゆく。そしてその純粋化の極にユダヤ教にたいする近親憎悪という存在証明をおくのだ。イエスはひとりの無名の思想家ではなく、無名の思想家の記録から、おそらくは無数の狂信者の記録から作りあげられたものだ、と彼はいう。 たぶん、ここは目立たないが重要な分岐点であろう。吉本、すなわち私たちの世代の青春のことであるが、あまりにも強い外界の規則は内部の自由律と結びあう媒介項をもたないので、関係とよびうる相互規定性を発見させない。したがってはじめての関係をもとうとするとき、いったい何とどのような関係をもつべきか白紙のままで悩まざるをえない。このような処女性をつき破るのが、眼の前にある問題の意識的側面であるか、存在としての側面であるかはその後の人間をながく支配するものと考えられる。選択の自由をもたず、その意味で外界との接触をもたない、形なき牢獄の囚人が牢獄を意識すること、それが関係の絶対性という言葉にほかならず、またそれは観念の相対性と同義語にすぎないが、にもかかわらずこの状況を関係の絶対性とよぶか、観念の相対性と表現するかには微妙なちがいがあるのだ。 それは紙一重というよりもさらに薄い皮膜の裏表であろうけれども、形式論理が弁証法へ、観念論が唯物論へと回転してゆく過程のもっとも内密な移行の段階がかくされている。観念の相対性というばあい、それは唯物論へ移行しきった直後の完了した視角があるのにたいして、関係の絶対性とよぶかぎりにおいてなお関係それ自身の物神化という主観性がぬぐうい去られていない前唯物論的な匂いを漂わせているからだ。このちがいは、彼がイエスを狂信者の記録から、そしてマチウ書の作者の意識からたどってゆき、その作為と虚偽を粉砕しようとする情熱のあり方に対応する。フォイエルバッハとちがって、彼は敵が与えた条件以外のものに敵をたおす武器をみつけようとはしない。あくまで眼前の敵の手中にある敵の武器を奪おうとする。もし彼がすこし大またに歩こうと決意しさえすれば、この小さな溝はたやすく越えられたにちがいない。だが彼は唯物論的に膚接する観念論の壁に沿って動きつづけ、記録と意識にたどりつき、群集と存在の側へはがんこに移ろうとしない。 この用心深さ、このしんきくささこそかえって彼の存在を照らしだす微かなともしびである。いわば彼にとってはじめて訪れた自由選択は関係の絶対性か、観念の相対性かであった。そして彼は関係の絶対性へと賭けたのである。囚人の手足から鎖が外されたとき、彼の最初の二者択一は動くか、動かないかという形であらわれる。吉本の自由意志はこのとき「動かない」と宣言したのである。 なぜ彼はそうしたのか——この衝動を理解しない者はついにいわゆる「戦中派」の内容を開く鍵をもたないにひとしい。それは弁証法の螺旋運動における二つの主要なコース……外部への「のりこえ」の論理と内部への「もぐりこみ」の論理のうち、なかんずく後者に身をもたせかけた姿勢である。外部への飛躍がほとんど不可能であった時代に異常なまでに名もなき青年たちの心奧に発達しつづけたこの弁証法の半身は、ある意味で青年たちを無敵の思想家に仕立て上げようとしていた。だが時代の創作の未完のうちに、青年をふくむ社会は敗北した。社会は敗北し、青年もまた敗北したが、半身だけは敗北しなかったのである。それがミロのヴィナスよりもさんたんたる美しさでなかったと断言するいわれはない。彼はそれが半身にすぎぬことをみずから断罪し、その美を正当化する。戦中派が戦後の波を迎えたとき、この二面性をとらえる手続きを省略しまいとする素朴さにおいて吉本の右に出る者はない。いや、はたしてそうであろうか。
「もぐりこみ」の論理は、当然に彼をして詩人たらしめるであろう。それは詩の同一の原理、凝縮の論理と共鳴するからである。けれども関係の絶対性という立場にとどまるかぎり彼の詩は、成立はしても運動することはない。彼の詩のどこか、その数行には交響楽の譜面に移された砲音と金属のかがやき——管楽器の音色がひびきわたる。だがそれはたちまち低いうめきのなかに埋められる。現在は連続しない。未来はくだかれている。そして過去だけが飛行雲のように尾を引き、飛行雲だけになり、やがて雲もちりはて、空そのものに帰っていく。髪をつかんでうしろに引きもどす、この凄じさ。しかしそのとき彼の手に残るものは何か。 証拠だけである。事故の被害者として、彼は自分を轢いて遠ざかりゆく自動車のバックナンバーに固執する。イエスの記録、狂信者の記録、それだけが存在であって、そこからしか犯罪の手がかりはつかめないと主張する。おそらくは彼自身いちはやく決議だの宣言だの論文だのをかきまわすことのむなしさを感じているにちがいない。にもかかわらず彼はそのなかにもぐりこむ。検事さんのやり口だ。刑事としてはいかにもまずい。証明する者ではあっても捜索する者ではない。 ——問題は、日本における「封建性の異常に強大な要素」と「独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」との結合という意味を、たんなる結合と解するか、楯の両面のように不可分の���一系と解するかを、具体的な芸術思想として、また、政治的思想として見出すことにかかっている。三二テーゼは、多分に、この結合をたんなる結合と理解した傾向があり、また反対に絶対主義権力は、この結合の両面を、巧みに使い分けた。芸術的抵抗としてのプロレタリア芸術(詩)の挫折の事実が、今日もなお暗示しているたいせつな問題点は、本質的なところでうけとめようとすればここに帰着するとおもわれる。 権力の巧みさといっても、戦前の反体制運動に比較しての相対的なものでしかないけれども、その通りだ。まさにその通りだ。だが問題をここにとどめているだけならば、それは「社会の構造の総体のヴィジョン」の骨骼をうみだすかもしれないが、つまるところヴィジョンの骨組みに終るであろう。これしきの認識を持たずにプロレタリア芸術でございなどといっていた当時のあほらしさは私なども不思議というほかはなく、いまだに狐につままれたような気がしないではないが、私はもはやそんなところにかかずらわっていないでさっさと読みとばすことにしている。読むにたえないものをしんぼうして読み、さてそれを審判する惨忍さと、眉も動かさず踏みつぶして進む非情さとはどちらが普遍性を持っているのかよく分らないが、倦怠の処理法として見るときはおのずから優劣があるだろう。 たしかに往年の弁証法は蛙みたいにやたらに外界へとびだそうとするばかりで、内部へのめりこむ力で相手を打つというビックリ箱の原理すらものにすることができなかった。この点でわずかに水準をぬいた者とては中野重治と花田清輝の二人しかいないし、それもたかだかビックリ箱ていどであってみれば、吉本が過去を矮小化しようとする気持は分らないではないが、さりとて私は吉本のいうように中野がその芸術論のなかへ「予定調和のように階級的視点を密輸入している」とか、花田が戦時中、資本制社会の枠内における単純再生産の基礎確立を唱えて「生産力理論に転落した」といった読み方にどうも賛成できない。中野にしろ宮本百合子にしろ、私が文句をつけたいのは、たとえば恋愛と革命というようなくだりになると、あっさり政治上のプログラムと芸術上のプログラムを使い分けてしまって、いっこうに予定調和もしなければ密輸入もせず、しごくきまじめに段階を踏んでゆくことだ。むしろ彼等に欠けているのはさらに徹底した一元論、政治と芸術が男と女のように抱きあっている濡れ場ではないか。——花田のばあい、「現代の課題は、資本制生産の枠内において、まづ、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ。」と書いてあるので、何もユートピア社会表式を資本制社会の枠内で実現するつもりはなさそうである。いってみれば改良主義的要求を一定の計画のもとで戦う組織を作れということと変りはなかろう。労働組合を作れとでもいえば簡単に分るかわりに、すぐ捕まえられてしまう世の中でこんなまわりくどい表現を弄してみたところがしょせん労働者の耳に届くはずもなかろう。だからこそユートピア論にふさわしいといえるけれども、私は花田がいちはやく修道僧のように隠遁して、人生の深読みと「危険ごっこ」に熱中しているのをいくらか悲惨に思っている。彼もまた時間に見棄てられているのだ。 私などはまず平凡に、中野には北国のいっこくな百姓の、花田には八丁堀の浪人のイメージをあてがっておき、気の向いたときだけそのまわりを捜索することにしているのだが、いったい吉本はいつまでこのくそ面白くもない無機的な過去を掘りかえそうとするのか。戦前派の理論の誤りなどは彼等の存在のあやふやさにくらべればものの数でもなく、そのあやふやな存在様式の反映にすぎぬ彼等の理論は指一本あげるほどの大事をも起さなかったのだ——という一面を彼はどう考えているのであろうか。
吉本が「マチウ書試論」において、その後の吉本自身と見まがうばかりの「原始キリスト教」の存在理由を追及しなければならなかったのは、決して未来にそなえるための地固めというがごときポリティックではなく、まさに彼自身に内封せられた復讐不能の領域をあばきだすことではなかったか。それをするために彼は束縛からの自由、賭けの開始を告げられた瞬間に「関係の絶対性」という地点で佇立したのである。だが見よ、彼は静かに動きだした。彼は庶民のなかの所有意識、支配意識を縦横無尽に打つ第一義の攻撃目標をずらして、「前衛」のなかの庶民意識をあばきだす二義的な目標に集中した。そこに私たちの世代の問題にたいするすりかえがある。それが無用だとはいわない。だが容易なことだ。あまりにも容易なことだ。「前衛」を下から、後の世代からつきあげる勝負はまける方がどうかしている。「いや、つきあげることではねかえる力を利用したかったのだ」と彼のために弁明するのは嘘であろう。なぜなら彼のいう関係の絶対性は二つの当事者がかならず同一平面に立つことを前提にしているのだから、もしはねかえる力の行くさきである庶民と同一平面を保とうとすれば、「高村光太郎論」や「前世代の詩人たち」に見られたような庶民意識の単純な全面否定はありえない。 戦争中の向う三軒両隣りはおそすぎる医者たちと同じく、私たちに大気・安静・栄養療法それのみを指示した。彼等は路傍に立って手をふるだけで私たちを死地に送りこんだ。その消極性にひそむ小所有者意識、それだけが庶民のすべてであると規定するならば、私たちは庶民を祝福するか呪詛するかの道しかない。それは純粋な侮蔑の形式であり、それによって私たちは自分の存在の証拠をいん滅し、庶民との関係を断つよりほかはない。「マチウ書試論」にはこのような方向への企図はみじんもみられない。にもかかわらず彼はどうしてその後の攻撃を一段階軽いところにあてたのであろうか。『芸術的抵抗と挫折』の一篇ではその辺のところはかなり大きく修正されているけれども、彼が提起した戦後責任という問題は庶民そのものの断層に爪をうちこまなかった点で軽々としたものになり、戦後意識の「早激的」終末をまねき、奇しくも彼に一つの戦後責任を負わせることになったのである。
(…) なぜか。その理由を吉本の意識のオートマティズムからというよりも、存在の反映から照らしだす箇所が一つある。 汝と住むべくは下町の 水どろは青き溝づたい 汝が洗場の往き来には 昼もなきつる蚊を聞かむ という芥川竜之介の「澄江堂遺珠」の一篇を引いて彼はいう。 ——この詩には、芥川のあらゆるチョッキを脱ぎすてた本音がある。芥川が、どんなにこの本卦がえりの願望をかくしていたか、を理解することができる。下町に住んだことのあるものは、この詩の「溝づたい」からどんな匂いがのぼってくるかも、「汝と住むべくは」とかかれた家が、格子窓にかけた竹すだれをとおしてみえる家の中に、下着一つになった芥川の処女作「老人」や「ひょっとこ」の主人公のような、じいさんか何かがごろっと横になっている家であることを直覚せずにはおられないはずである。 ここにくると、私は中野重治や宮本百合子や佐多稲子や花田清輝や吉本隆明が一室にたむろして、おもいおもいの姿勢で西瓜でもたべている光景がうかんできて、さてはわがゆくてもしょせん借家住まいの「中産下層階級」であろうかとあごをなでざるをえない。それほどこの文章の私小説的タッチは正確であり、私の知っている楽寝のじいさんと吉本のそれとをくらべたくなってくるのだ。おそらくそのちがいは私のじいさんの足の裏がすすけてひびわれているのにたいして、吉本の方のはやや白々としているくらいにすぎまい。けれどもこのちがいは吉本がまだ日本の不可触賎民というものにつきあたっていない環境の不幸をまざまざと語っているように思われてくる。 吉本は、芥川が本卦がえりの願望を抑圧しつつ、出身階層への自己嫌悪の上に立って造型的努力を持続させようとし、それに失敗したことを吐きすてるような筆致で書いている。ここにも彼の近親憎悪の念が支配しているのであろう。 ——彼がはっきりと自己の造型的努力に疲労を自覚したとき、自己の安定した社会意識圏にまで、いいかえれば処女作「老人」、「ひょっとこ」の世界にまで回帰することができたならば、徳田秋声がそうであるように、谷崎潤一郎がそうであるように、永井荷風がそうであるように、室生犀星や佐藤春夫がそうであるように、生きながらええたはずだ。そのとき芥川は、「汝と住むべくは下町の」世界に、円熟した晩年の作品形成を行ったであろうことは疑いを容れない。 これが日頃あれほど観念的なまでに理想主義的である彼の、芥川にたいする処方箋であろうか。それは単調な死刑宣告と変りはない。芥川の大知識人ぶりはこっけいだが、吉本がかつて不可触賎民のそれもふくめて一蹴した庶民意識への回帰をすすめるよりほかないまでに芥川の運命が絶望的であるならば、では三十年後の東京小市民の運命はいかにして切開可能であるか。小市民が革命的インテリゲンチャへ転化する道は資本主義のいついかなる時点においても存在するはずだ。芥川にたいする吉本のあまりに気軽な宣告は、彼が庶民との断絶を強行せしめられた「戦中派」の優位をすこし早まって信じ、未来の世代と自分の直線的な接続を楽観しすぎているからであろう。 正直者ほど大きな賭けをする。彼が現実との断熱膨張を意図する気持は分らないではないが、庶民に回帰しまいとする者こそかえって彼のいう意味における庶民の刻印である。彼ははたしてどぶの匂いと格子窓の竹すだれを卒業してしまったのか。彼がなお充分に庶民であったときの「マチウ書試論」はほとんど貴族的といってよい文体の光りをみせ、彼が「関係の絶対性」に沿って上昇し、前世代の「前衛」たちと対決するときは奇妙に私小説の味気なさをともなって散文化する。この循環をやぶるためには、自分のなかの庶民的な形をとった所有意識へ否定的回帰をくりかえし、そのなかにもぐりこんで柵の外へぬける、芥川的知性では卑怯としかいえぬ脱出路を精密に探求しなければなるまい。牢やぶりに紳士の体面などはくそくらえである。吉本は期せずして、記録を残して肉体をほろぼす方法で自分の住民登録を消そうとしているかにみえる。むろん吉本に系図を買う根性はない。しかしそれはやはり自分にたいする証拠いん滅の姿勢である。この方法で住民登録は消せても肉体は残る。肉体の戸籍をのりこえるのは町や村の不可触賎民をなぐりつける署名のない思想だけだ。その方へあゆむことが私たちの世代の存在証明なのだ。それこそ無敵にして暗黒な領域を存在の側から裏づけ、それを照らし、それへむかって復讐しがたいとおもわれた私たちの復讐をはたす道なのだ。吉本の道はその決意にはじまりながら、いつのまにか断たれようとしている。
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愛の住居
(祖母に)
(これは誠の愛から出た言葉
誠の愛の儀式)
おまえはあの海岸を迂回して廻ったのか
左様、何故ならあの辺りでは鳶の声は届かず、日暮れには帰る家もなかった
夕暮れには鷸が哭いて、その歌声のせいで、家々は昏い
おまえはその声を聴いて泣いたのか、それとも…
おまえはその声を聴かなかった
おまえが聴いたのはただ…
私が聴いたのは?
おまえはなにも聴かなかった
おまえはなにも聴いていない
おまえの眼に映ったのは…
私の眼に映ったのは?
闇のただ昏い部分
それをなんと名付けましょう?
なんと名付けようと否!
そこにおまえはいるのか?
私がいるのは…
闇のただ昏い時分
朝にはアホウドリが哭いて…
夕暮れには鷸が還る
ああ、私はなにも聴かなかった
なんにも
恋人たちの黎明の声
朝にはアホウドリが哭いて…
夕暮れには鷸が還る
おまえが迂回して廻った海岸、それは…
私が迂回して廻った海岸、それは?
誠の神の住居
神の儀式だ
神の住居とは、まあ!
なんと畏れ多い…
畏れ多いとはなんだ?
おまえはなにも観ていないので
なんとも応えようがないのだ
ああ、私はなにも観なかった
聴かなかった
恋人たちの接吻や抱擁
その足取りさえも…
大袈裟だな…
私は私の住居に沿って
私を造り直します
おまえの住居とはなんだ?
そんなものは幻影だ
ここに椅子があって
私の愛する家具があります
窓からは海も見えて、さらに視線を延ばせば、山々の稜線も見えます
なんと美しい…
これが私の創った世界なのか…
左様、今日は天気が良いので
浪のむたで泳ぐ鴎もボートもきらきらと輝いて
まるでこの世のものとは思えぬよう…
この世でないものも、私が創ったのか?
存じませぬ
私には眼が見えないと、仰ったでしょう?
分かりませんか?
眼が見えないからこそ、私には 「あれ」 が見えるのです
山々の稜線や、刻々と移り変わる光!
そんなものは幻影だ
画家たちが時折描く、愛の幻影だ
そんなものは?
そんなものは…
時々褒めてやろう
それ以外には
嘲笑ってやろう
なんと畏れ多い…
私は眼を凝らして
愛の住居とやらを、画家たちの描く、誠の愛の住居とやらを思い描こうとしました
けれど私に出来たのは、私の脳裏に棲む、人々の顔貌の細部を思い描くことだけでした
しかもその大半は、私が一度も出会ったことのない人々なのです
それをなんと名付けよう?
はて、なんと名付けようと
構わぬではないか
こんな天気の良い日には
思索などしている暇はない
アハハハハ (笑い声)
左様ですか…
けれど私には、私が思索しているのかどうかさえ、全く見当がつかないのです
なるほど画家たちは、ペンや筆でもって、神の愛の住居とやらを描こうとしますが
私には皆目見当がつかないのです
私が見当つくのは、私のささやかな願望…
「それ」 をもといた場所に戻してほしいということです
おまえはおまえのもといた場所に
私は私の…
はて、私のもといた場所とは?
神の住居ではないのですか?
そんなものは、畏れ多い…
夕暮れには鷸が哭いて
もはや帰る家もない…
でもアホウドリの声は聴こえるでしょう?
朝は必ず来るのです
アハハハハ (笑い声)
アハハハハ(笑い声)
失礼、ついうっかり、つられて笑ってしまいました
でも浪があんなに煌めいて
あの場所に還りたくはないのですか?
ないなあ…
左様ですか
私なら還りたくなくともないですが…
まあ、個人の見解ですから
なるほどなあ…
じゃあおまえ、還ってみれば?
そんなこと…
なんだ、肉体が惜しいのか
なくはないですが…
やっぱり惜しいんだな
塵から塵に…
しかし肉体のあるもののことは分からぬ
分かりませんか
おまえのように肉体があったら…
あったら?
さあな
(忘れる、ということも塵なのか)
さてそろそろ寝ますか
アホウドリが来たら起こしてください
哭いても目を覚まさぬか
さあ…
忘却もまた、塵なり
アメン
アハハハ…
もう放っといてください
寝ますよ
ほら鷸が哭いている
私には日暮れが怖いのです
そのようですな
ではおやすみなさいまし
おやすみ…
え、もう朝か!
アホウドリが哭いている…
坊ちゃん、起きてくださいな
(それにしても、なんとはやい
この調子だと、朝の次には昼が来るのか、夕が来るのか、夜が来るのか、それともはてさて、さらに別の朝か)
ア��ウドリが哭いている…
坊ちゃん、起きてくださいな
おはよう
なんだ、もう朝か
そのようですな
ちっとも寝た気がしない
なるほど
ちっとも寝た気がしない
ほんとに朝なのか
もうすっかり朝ですよ
ほら、いろんな鳥が哭いている
声が聴こえるでしょう?
ああ一度でいいからからぐっすりと、夢も見ずに眠ってみたいもんだ
塵から出て、塵に還るのだ…
やめてくれよ
朝ですよ
パンを買いに行こう
召し上がるんですか?
もちろんだよ
でもどうやって
ちぎって食べるのさ
おまえや、鳥のように
(私をプネウマのいたところに戻しておくれ
プネウマのいる場所に、風は吹かない)
ほら、木の葉が揺れている
おまえや、鳥のように
(忘却のように揺れている
おまえは、忘却そのもの)
そう、私は一本の樹にしがみついた
振り落とされるのが怖くて…
他の者たちもおんなじだった
皆んながそれぞれの木の葉で
風に煽られては踏んばった…
プネウマのいたところに戻しておくれ
私には風が怖いのだ
眼、と呼ばれるところですか?
凪、と呼ばれるところですか?
どちらでもない
「精神と時の部屋」 だ
引用ですか?
剽窃だ…
ああああ、パンを買いに行こう
お腹が空いた
肉体のあるもののことは分からぬのではなかったのですか?
なに、フリはできるのだ
いい加減だなあ
いい加減ですよ
眠気覚ましにコーヒーも飲もうよ
寝てないじゃないですか
それもまた、フリですね
いや、擬いているのだ
おまえがおまえを愛するように
私も愛したい
なんですか、突然
気持ち悪いですよ
つれないな
だから気持ち悪いですよ
サンドイッチが食べたいな
たっぷりバターを塗ったバゲットに、薄くスライスした生ハム
朝からそんなに食べるんですか?
ダメかな?
いや、ダメじゃないですけど…
ハムはもちろん、スペイン産のどんぐり豚
ずいぶん細かいんですね…
じゃあ私は、ドライフルーツとナッツの入った、薄切りのライ麦パンを軽くトーストして、ゴルゴンゾーラをのっけたもの
できればいちじくのジャムも添えたいな
なんだ、おまえのほうが細かいじゃないか
…
まあいい、風は吹きたいように吹くのさ
そう、すべての被造物のうえに…
(And all we creatures in the wind,
all we creatures in the wind…)
(Eres el acecino mio de la primera vista…)
おまえは立っていた、あの場所に
同じ場所だ、私たちの想い出の...
おまえは少女のように屈託がない
屈託のない笑顔で、私を凝視めている
ライラックはそよとも風に動かない
あたり一面、スイカズラの匂いがする
どのような運命の痕跡が、おまえを破壊したのか
だが破壊されたおまえの顔もまた、美しい
なぜなら、「美」 とはそういうものだから
(風は思いのままに吹いて、しかもとどまるところを知らない)
(And all we creatures are the wind,
All we creatures are the wind…)
17092024〜
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2024/9/23(月)
赤ペン先生の問題を出す。スマホだと3日で返却されるのだけど、あえて郵送で。
画像保存して奥さんと共有するのも、子供にスマホを見せて復習させるのも何か面倒というか微妙。紙で渡しといた方が良い気がした。
記憶が改ざんされているかも知れないし、こんなことを人には言えないけど、赤ペンも答案を6つくらいに折らないと封筒に入らないとか、昔よりも内容がチープな気がする。そりゃ90年代より前のバブリーな世の中とは違うから色々と質や豊かさはなくなっていくよね。
でも教材の内容自体はまったく質は下がっていないし、デジタル面はさすがに充実した機能が付いている。昔もポケットチャレンジとかあって結構良かったけど、今は小1でカラーの端末だもんね。
小学生や中学生ころ、心の中でどんどん暗い気持ちが育っていき、僕自身の闇の面、嫌な面がどんどん出てきていた時期、自業自得ながら僕自身も苦しんでいた時期、なんでか知らないけど進研ゼミは一つの救いだった。よそもんさん(予想問題)、あんさん(暗記なんとか・・)とか呼んで、不良やクラスからの冷たい目線に耐えていたっけ。今思えば悪夢みたいな時期だ・・できれば同じ道を歩ませないように、少しでも力を尽くしたい。僕みたいにはならないと思うけど、一度おかしくなると気づかないうちにおかしくなっていく。きついよなぁ。僕がねじ曲がっていった原因を考えて、自分の子供には教訓として生かしていくしかない。でもそれだって手探りの推測でしかない。試行錯誤すればきっと何とかなる、そう思いたいけど。。
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