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三島由紀夫 小説家の休暇
私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強味となることぐらい知っている。しかし弱点をそのまま強味へもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。
そしてようやく一九三〇年代になって、サルトルがやって来る。 この実存主義者は、こんな混沌たる沼そのものを、彼の精神の相似物とみとめるような、むだな努力を拒んだ。彼は主体と客体とのこんな相対的な対立状態からは、何ものも生れぬものと見極めをつけた。サルトルは、「実存は本質に先立つ」と云い、「主体性から出発せねばならぬ」と云う。そして「人間は他者との関連において自分を選ぶ」という教義を立てたのである。こうしてふたたび小説における表現の道筋がひらけて来る。
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蓮實重彦『表層批評宣言』
現在の反義語は過去でも未来でもない。問題の一語がそれなのだ。また、「生」の反義語も「死」ではない。やはり問題の一語がそれなのである。つまり問題の一語は、現在=「生」の反義語にほかならない。では、現在=「生」の同義語としては何があるか。それが最後の問題である。しかし、これもまた問題の名には値しないであろうことは、誰もが具体的な体験として生きつつあるはずだ。 いうまでもなく、現在=「生」の同義語として特権的なものは「作品」の一語である。そしてその一語は、文学をあらゆる体験のうちで最も貴重なものに仕立てあげるだろう。もちろん、われわれが文学の一語で想像する体験は、どこかいかがわしくひとりよがりなところがあるし、ある種の頽廃や衰退の概念をいつも引きずっているように思う。そして、文学がそのようなものとして想像されがちであるというには、それなりの理由がそなわっていないでもない。文学にたずさわるものの多くが、書きそして読むという体験を世界の頽廃した湿地に咲き乱れる無償の美しさとしてあることをむしろ誇りに思い、欠落を埋め間隙を充たし距離を越える試みをかえって実践的な行動として軽蔑してきたふしがあるからである。しかし、いまとなってはそんな理由��さして重大なものとはいえなくなってきている。というのも、文学と呼ばれる領域に、世界の残りの部分に起っていたこととまったく異質の体験が生きられていたとはとうてい思えないからである。そして、実際、文学的体験とこれまで見てきた思考一般の体験の同質性に気づくのに、人はさほどの努力を必要とはしないだろう。
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坪内祐三 桑原武夫
知る人ぞ知るように、桑原武夫は肖像文学の名手である。ポルトレとは何か。京都大学で桑原武夫の講義を受けたことのある作家の高田宏は、『桑原武夫集』第二巻(岩波書店、一九八〇年)の月報に寄せた一文「桑原さんに教わったこと」で、こういう思い出を語っている。
学生のときの桑原教授の講義余談で、「ポルトレ文学」のことをきいた。フランス文学にはポルトレ(portrait)というジャンルがあって、サン=シモンやサント=ブーヴが得意とした。みじかい文章で人間の肖像をスケッチする。それが実におもしろい、という話であった。
そういう「ポルトレ文学」乱読の成果とも言える肖像文を、桑原武夫は、戦後になって矢継ぎ早に発表し、『人間素描』(文藝春秋新社、一九六五年)、『思い出すこと忘れえぬ人』(文藝春秋、一九七一年)などの著作にまとめていった。(…)という、長い付き合いのあった人びとだけでなく、二~三度だけ会った、織田作之助(「織田作之助君のこと」)や萩原朔太郎(「萩原朔太郎の庭見物」)、柳田國男(「柳田さんの一面」)らを描いた一筆書きのような一文も印象的だ。
日本語でモラリストというと道徳家、倫理主義者の謂いだけにとらえられがちだが、本来この言葉が持っている重要な意味に人間観察者がある。そして桑原武夫は、この意味において、優れたモラリストだった。
そのことに関連して、彼は、一九四九年に書かれたある一文(「人間認識」)で興味深いエピソードを披露している。
一九三七年秋、フランスに留学していた桑原武夫は、ニームで、ガルニエという人物と再会する。ガルニエは語学教師として京都に数年いたことがあり、その時の縁で夕食に招待されたのである。そして、「その食卓で彼は、日本のフランス学界の大家、中家を一々人物評論した」。彼は日本にいた時、二人は特に親���な間柄というわけではなかったし、桑原は彼のことを、そういう話題は口にしない慎重な人物だと思っていたから、彼の「人物月旦」に「一驚した」。さらに驚いたのは。
その評価が的確で、しかもその表現が簡にして要をえており、いわば寸鉄人を殺す、と言えばちと大げさだが、それに近いものがあったことだ。
なぜ、こんなに驚いたかというと、桑原はガルニエをそれほど鋭い人物だとは思っていなかったからだ。
彼はフランス人としてはまず三流どころの人物と私は評価していたのであり、それは間違いとは思わぬが、彼が日本でよく人間を観察していて、またそれを整理して一々評言をつくりえたのに、私はいささか見なおした。
日本の大学教授で、専門分野に関しては大家といわれる人でも、これだけの人間観察を行なえる人が、はたして何人いるだろうか。
一流の学者が人間認識については八流なることを発見してウンザリした覚えのあるのは、私のみではなかろう。これに反して、フランスにはモラリスト文学の強い伝統があり、また人間評価の表現法にいわば型がある。そして彼らは人を観察、評価することを人生の楽しみの一つとしている。私がかつて見たフランス映画に、すねた愛人の機嫌をとろうとして、若い男が「シネマを見ようか、海水浴に行こうか、ダンスをしようか、それとも、カフェーのテラスに腰をおろして道行く人を見ようか」というせりふのあったことを思い出す。 つまり桑原武夫は、「ポルトレ文学」の読書体験を通じて学んだ、モラリスト流の人間観察眼を、フランスで、より立体的に、つまり生身の人間の血の通ったものとして知ったのである。
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『羊頭狗肉』 浅田彰×福田和也
浅田 子供であることに居直るオタク文化が、クール・ジャパンと称して国策で輸出されるという、異様な時代ですからね。メジャーな大衆文化を見ててもそうですよ。たとえば、去年大流行した『あまちゃん』。たしかに宮藤官九郎は腕のいい職人��と思いますよ。TVで『池袋ウエストゲートパーク』をちょっと観たあと、書店で石田衣良の原作をぱらぱら読んで驚嘆したことがある——あまりにもひどくて。トラウマがどうのこうのという、救い難い原作を、みんなが笑って見られる軽いコメディに仕立てた宮藤官九郎の手腕は大したものだと思いました。ただ、彼は「女優再生工場」なんて言われているらしいけれど、あれはむしろ女性性の否定じゃないか。能年玲奈はただただ可愛い存在で、エロスを感じさせない。エロスを担っているのは橋本愛だけど、あくまで能年玲奈を際立たせるための影でしかない。他方、小泉今日子や薬師丸ひろ子のような「かつてのアイドル」は、女であることを諦めて"面白いおばさん"になることで、国民に愛されるわけです。逆に言えば、女であり続けようとする女優の居場所がない。これは日本映画界の大問題でしょう。
浅田 例えばフランス映画界をみれば、ジャンヌ・モローでもカトリーヌ・ドヌーヴでも、年をとっても女であり続けるし、現にカッコいい。ジャンヌ・モローなんて、プッシー・ライオット(ロシアの反体制女性パンクバンド)が去年投獄されたとき、支援のために彼女たちの詩を朗読していたけれど、プッシー・ライオット自体よりカッコいい。
浅田 宮沢りえなんかがカッコいい女優になってくれるといいんですけどね。宮藤官九郎の『池袋ウエストゲートパーク』は、長瀬智也が加藤あいを相手に「めんどくせえ」っていう台詞がキーワードだった。めんどくさい女と付き合わなきゃいけない話だったんです。それが『木更津キャッツアイ』になると男の子たちの共同体の話になって、女はそれを優しく見守ってくれる存在になる。その延長で『あまちゃん』になる、と。
福田 浅田さん、ドラマを観るんですね。 浅田 いや、偉そうに言ってるけど、2、3回、10分ほど観てるだけですよ。
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⑪『映画千夜一夜』
⑪『映画千夜一夜』 初:中央公論社、一九八八年 「偉そう」という非難に対して、私は「偉そう」なのではなく、「たんに偉い」のだと返したという伝説を持つ蓮實であるが(入江の情報提供によれば、この伝説の起源は『早稲田文学』二〇〇四年七月号における渡部直己との対談「わたくしは生まれてから「ひとの悪口はいうまい」と思って育っている人間なのですけれども……」である。このタイトルセンスもすごいが……)、それはつまり、権威として機能する「偉そう」という印象ではなく、リアルな実質として「偉い」かどうかをシビアに問題とする批評家としての態度表明でもあり、だから、自分より「偉い」者がもしいるならばごく率直にそれを認めて最大限の敬意を表すということは当然ながらありうる。たとえば淀川長治に対してのように。 敬愛する年長の対話者との共著のもっとも際立った成果が、原田雄春との『小津安二郎物語』(一九八九)および本書であるだろう。後者は、ほぼ同世代の盟友・山田宏一とのコンビで、サイレント初期からの膨大な映画的記憶を持つ淀川を迎え撃つ格��を取る。不世出の語り部である淀川の話の面白さ、貴重さはまさに圧倒的で、この老評論家のポテンシャルを引き出した二人の手腕がすばらしい。あれも知っているのか……ではこれも知っているか、という具合に、固有名が固有名を、細部が細部を呼びよせ、芋づる式に映画史の迷宮へと読者を連れてゆく鼎談のめくるめく悦楽は、以後、このジャンルの映画書籍の一つのモデルとなった。だが、この本家本元が超えられることは今後、決してないだろう。もはや映画の黎明時代からリアルタイムで生きてきた評論家はほぼ完全にいなくなってしまったからだ。 もっとも笑えるのは、若き日の蓮實独特の佇まいをどうやらいたく気に入ってしまった淀川が「ニセ伯爵」などつぎつぎに絶妙な異名をつけては愛情たっぷりにイジり倒すくだりだろう。イジられてまんざらでなかった蓮實は、後年、小説『伯爵夫人』のタイトルの由来を聞かれて、淀川とのこの会話の記憶がそれであると答えている。
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蓮實重彦 嫉妬と軽蔑の力学
青山 誰かモデルがいたのかなとは思いますね。そういえば、たしかに江川卓のことを書いた文章だったと思うのですが、蓮實先生が「嫉妬と軽蔑の力学」ということを言っていて、それが先生のスタンスともまさにフ��ットする気がしたんです。つまり嫉妬の対象であることはすごくつらいけれど我慢して、そのうえで軽蔑の対象には絶対にならないと。そういう姿勢を貫くというのが大学教員として蓮實さんが自らアイデンティファイするところだったのか、それはわかりませんが、大学を辞められてからはそれまでよりも打ち解けた話ができるようになった印象があるので。
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埴谷雄高プロフィール
《食事》 1日2食。昼(1時頃)はコーヒーとビスケット。夜(10時頃)はインスタントのおかゆ。おかずは親戚づきあいをしている向かいの人からの差し入れ。野菜を多くとるように気をつけている。その他、カンヅメ類(コンビーフ、紅ザケ、アスパラガス、牛肉の大和煮)を随時。
《好物》 トカイ(ハンガリー産のワイン)、水。武蔵野市の水道はよい。
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内田樹×中沢新一『日本の文脈』より
中沢 能はどういう芸能なのかと言えば、中世の身体技法であると同時に、もっと古代の死生観、古代人が死者をどうやって現出させるかという形式化ともかかわっています。それは一つの明確なかたちを持っていて、女性なんですよ。しかも女性は、この世界の中で完結できない存在でしょう。ラカンがよく言うことですが、女性はこの世界では完結した存在になることができない。それは「女性には穴が開いているからだ」という言い方をします。その穴というのはどこかというと、他界であり、生と死が生まれてくる場所で、そこに穴が開いているものだから、この世界の中の言葉や論理で女性というものを表現し尽くすことなど不可能であると。だからラカンは「女は存在しない」という言い方までする。存在するとは、両足ですっくと立って歩くことで、自分の中に他界のものが入り込んできたり、生命が他界へ浸み出していく穴なんかないものでないと「存在」とは言えない。しかし、女性は他界へ向かって��通路に、それ自体がなっている。何かの思想や哲学を表現するときはこの構造に立つから、言語というのは男のもの。ところが、日本のいちばん深い思考方法は「男でおばさん」で、それを形式に仕立てたのが能じゃないのかなっていうふうに思ってます。
中沢 生命の誕生についてのいまの物理学の考え方というのは、まさに収縮ですよね。現実の世界をつくっているのは三次元空間+時間の四次元ですが、原初の宇宙は十一次元の構造をしていて、それが瞬間的に次元を減らす収縮をして、この宇宙ができたと、いまの物理学では考えられていますからね。キュッと収縮したときに物質が生まれるという理論は、ユダヤ教の考え方だなと思います。
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宮台真司『聖と俗』
宮台 さて、模試の成績で有頂天になっていたところに衝撃が襲います。浪人中の夏休み、東大志望にとっては定番のZ会通信添削「国語Ⅰ科」を受講し始めました。今と違って、当時は東大志望者だけがターゲットでした。ところが成績は恥ずべきレベル。驚いたことに、添削子が「駿台では一番でも、Z会では通用しない」と書いてきて、これが僕の人生を変えました。
近田 駿台とZ会はそんなに違うの?
宮台 添削子が言います。「君は出題文に書かれたことしか理解していない。それでも東大には受かる。だがZ会Ⅰ科はそんな小さなことを目標にしない。君が世界を理解する能力の向上を目標にする。出題文の筆者がどんな人生を送り、なぜ文章を書いたのか。時間的にも空間的にもテキストの外を感じ取る能力を問題にするのだ」と。
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小林秀雄「モオツァルト」
ヴァレリイはうまい事を言った。自分の作品を眺めている作者とは、或る時は家鴨を孵した白鳥、或る時は、白鳥を孵した家鴨。間違いない事だろう。
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吉本隆明「恋唄」
かんがえてもみたまえ わたしはすこしは非難に鍛えられてきたので いま世界とたたかうこともできるのである
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吉本隆明「贋アヴアンギヤルド」
きみの冷酷は 少年のときの玩具のなかに仕掛けてある きみは発条をこわしてから悪んでいる少年にあたえ 世界を指図する 少年は憤怒にあおざめてきみに反抗する きみの寂しさはそれに似ている きみは土足で 少女たちの遊びの輪を蹴ちらしてあるき ある日 とつぜん一人の少女が好きになる きみが負つている悔恨はそれに似ている
きみが首長になると世界は暗くなる きみが喋言ると少年は壁のなかにとじこもり 少女たちは厳粛になる きみが革命というと 世界は全部玩具になる
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「青年が若さだけに依存して老年と闘争しながら時間とともに当の対象へと化して行く自然過程こそ、明治期以後の近代文学が反復強迫してきた最悪の遺産だからだ」
「僕は運動自体が資本制であれ国家内国家であれ、戦っているつもりの当の対象そのものに化してしまわない条件を考えてるんです」
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斎藤環
とはいえ、人々が「ひきこもり」について抱くイメージにはかなりの幅があるので、はじめに簡単に解説をしておこう。私は通常「社会的ひきこもり」という言葉を使う。彼らは必ずしも家から一歩も出られないわけではない。もしそうなら「物理的ひきこもり」だ。そうではなくて、かなりの長期間にわたり、あらゆる親密な対人関係から隔絶して生活していることが問題なのだ。就学・就労しないことは必ずしも精神的な問題に直結しないが、長期に及ぶ対人関係の欠如は、ほとんどの場合、なんらかの問題につながりやすい。これは主義主張の問題ではなく、ほぼ臨床的な問題である。
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佐々木敦 石川淳
たとえば『紫苑物語』の冒頭「国の守は狩を好んだ。」とか、『鷹』の「ここにきりひらかれたゆたかな水のながれは、これは運河と呼ぶべきだろう。」とか、『荒魂』の「佐太がうまれたときはすなわち殺されたときであった。」とか、『至福千年』の「まず水。」なんかは何十年も読み返してないのに今もそらで言える(だが音で記憶していて字面がわからないので確認した)。『至福千年』は「そりゃ言えるだろ」と思うかもしれないが、その続きの「その性のよしあしはてきめんに仕事にひびく。」も憶えている。
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