hazakura-ki
暗記帳
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hazakura-ki · 5 days ago
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柄谷行人[編] 『近代日本の批評Ⅱ 昭和篇[下]』
浅田 いや、天沢退二郎も同じで、宮川淳ほどシャープじゃないだけでしょう。入沢康夫はそれとはまったく違って、いまでもちゃんと読める。
浅田 とにかく、山口昌男をそこに��いたのは、彼をできるだけ輝かせたかったからです。いまの人は��へるめす』の老人ホーム的な雰囲気しか知らないかもしれないけれども、かつての山口昌男は実にブリリアントだった(笑)。
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hazakura-ki · 5 days ago
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ニーチェ自身の言葉ではない。和辻哲郎の「ニイチェ研究」の一節である。ちなみに、同書には、次のような箇所もある。
元来世界の進行は人の解するごとき直線的な時間の上をたどって来たのではない。すべての過去は現在の内に融け合って沸騰している。現在と離れた過去の世界はただ人の意識の内に仮構せられ得るのみである。しかもこの意識的事実としての過去の世界は、現在の力の活動なのである。
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hazakura-ki · 5 days ago
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谷川雁「転向論の倒錯」
1 力学的に
安保闘争の「高揚」のさなかに、私は日本共産党から離脱した。その理由については何度か書いたのでくりかえさな��が、私がいわば積極的離党というスタイルで非転向の力学を追求しなければならなくなったのはいうまでもない。そこで、あらためて転向とはなにかという問題を自分流に考える習慣が、離党の前後からうまれた。それについてのべてみたい。
なにがいったい転向なのか。他人はさておき、自分自身に起りうる転向とはどのような現象であろうか。およそ思想というものに一定の力学的意味を認める人ならば、だれしもこの疑問につきあわないわけにはいかない。しかし、考えてみると転向といわれるものはなにか単一の思想現象ではなく、いくつかの思想現象の異なる系が複合したものではないかという疑問がうまれるし、さらに思想現象だけでなく、それと行為の複合でもあることがあきらかである。したがって短い命題に凝縮した転向の定義をいそいで求めることなく、まず問題を思想の転向にかぎり、それを力学的な比喩によって——その人間に固有な思考運動の持続的な回転軸が重大な変化をすること、とでもしておく。
この仮設には、ある種の前提がある。つまり思想を思考運動の総体としてとらえるということ、この運動をある程度整序されうる回転運動として考えるということなどである。いわば、それは私の思考の範型でもある。このばあい、むろん道義的な意味での価値観は排除されている。また思考運動の回転がモデルに近いかどうかという調和の美学も拒否されている。もっと別な形で、思考運動固有の価値がみいだされることが当然に予想されている。
このような規定は、従来の転向論議とはすでに異なる出発点に立っているであろう。それは鶴見俊輔らの転向研究グループがとった、転向に関する力学的な態度をさらにはっきりさせようとしているからにほかならない。でなければ、転向問題に関する普遍的、包括的認識は得られるべくもない。だが、このグループの態度は、出発点においてそうでありながら、まだいかにも倫理的、美学的な情念から切断されておらず、そのためにいつのまにか従来の転向論にみられる性急な価値観の導入、概念の不純さにひきもどされてしまっている。そこをいくらかでもはっきりさせておきたいというのが、この文章の目的である。
2 いくつかのおとしあな
転向論にはいくつかのおとしあながある。まず第一に、戦前の権力が持っていた転向の概念を受けいれるかどうかということがある。一九四三年三月の「司法保護資料」によれば、共産主義者だけをとってみても、総数、二、四四〇名のうち転向が一、二四六名、準転向一、一五七名非転向三七名となっている���非転向が三七名も! そして準転向つまり準非転向が一、〇〇〇名以上も! この数字は私が非転向ということについて抱くイメージと戦後の運動から得た実感とを重ねあわせるとき、あまりにも大きすぎる。戦前の運動は大敗北で、そのため転向者が続出したというのが、近ごろの党史的常識のようだが、私はまったく別な感じをもつ。運動というものはまともに敗北すればするほど多くの非転向者をうむものだし、敗北によって転向するというような人間は一般的にいってはじめから何者でもなかったということでしかない。拷問によってというなら、話はおのずから別であるが。——いずれにせよ、私は権力のあげている数字は過大であると思うのだが、それは両者の転向に関する定義がそもそもくいちがっているからである。
第二に考えねばならないことは、権力の転向概念は思想的分類ではなく、行為的分類であるということである。転向声明書に署名したかどうか、ハンコをついたかどうかという即物的な見方が権力の認識の中心になるのは、思想を思想外的に弾圧しようとする者がとらざるをえない方法である。危険なのは、そのような権力にとっては自然な認識法が被圧迫者の側に逆輸入されることである。ハンコをつかなければ非転向であり、非転向は稀少価値であり、一切を聖化するといった浅薄な実用主義と物神崇拝の野合が、日本共産党内でどのように機能しているかということを考えるならば、この区分は大切である。ただし行為的転向はかならずしも思想的転向でないという、偽装転向の意義を評価する一面の強調よりも、むしろ行為的非転向かならずしも思想的非転向でないということの強調の方がより重要である。なぜなら前者の立場では、権力よりもわれわれの方が行為的転向について寛容であるということになるが、権力の基準よりもわれわれのそれの方がきびしいのが当然だからである。
第三に、転向問題の階級・階層的基盤をあいまいにするわけにはいかぬ。転向者があのように権力から厚遇されたのはなぜだったか。最低水準にある庶民の眼からすれば、あれくらいの弾圧は弾圧ではないともいえる。拷問というが、けつわり(逃亡)をする坑夫だって発見されれば、それ以上の私刑を受けたのである。しかも転向すれば「思想善導」運動で、かかる庶民の思いも及ばぬ職に就くことができる。もしこの事実を彼らが知っていたなら、争ってマルクス主義の洗礼を受けたであろうに、日本型阿Qのお株を西尾末広や松岡駒吉など、ひとにぎりの中途半端な連中に奪われてしまったのは惜しいことをしたものである。最下層プロレタリアートに阿Qの大群を作りだせば、すべての様相は変ったのだ。
それができないということと、権力の厚遇とは密接なかかわりがある。つまり下層の眼をもってすれば、それは弾圧という名の保護であり、抵抗という名の被保護でしかないのだ。ある水準から上の、歴史的にいくらかの支配技術を身につけた階層でなければ知ることのない、ほのかな打算の領域——支配することによって屈服し、屈服することによって支配する中間支配者の位置——それをぬきにして日本の転向問題は考えられない。鶴見も書いている。「思想犯のとりしらべにあたった官吏たちは、とりしらべられている人々とおなじく帝大出身の秀才であり、同じ根に育ったものとして、被告の教養をも感受性をも深く理解した」だが、このエリート意識はもはや、自分が社会上層の第一級的存在とかたく結びついているというような明治の学士ほどの確信もなかった。一方には天皇、他方にはコミンテルンという最高存在がある。属している階級は同じであり、心情的なれあいの要素に不自由はしない。歯をむきだした凄惨な抹殺の姿勢はより低い出身階級を持つ権力下層がとることはあっても、権力の中層はそれを抑える。このようなばあいの対決は、上からと下からの互いにコミュニケートしあわない、全存在を賭けた対立と同じように機能することは決してないという定理を忘れてはならない。
第四に、いわゆる「転向」とはかかる権力中層と同位の転向者が合作してこしらえあげた心理的な発明品であるということである。もちろんそれは、支配技術としては古代にまでさかのぼる伝統的様式の一種であって、「転びキリシタン」の昔から愛用された常套手段である。強烈な力で外面から抑えつけるのではなく、やわらかに内面から隷従させ、一人一人を相手とするよりも、人間的な系列全体をねらうという方法が発展して、ここまでたどりついたのである。そこではっきりしている新しい特色といえば、次の二点である。すなわち単純な屈服ではなく、屈服の内発性を強調していって屈服そのものを思想の転向とみせかけること。みせかけの作為がみずから判別できなくなるまで、この擬似的な内発性は繰り返し倒錯して強調されねばならない。つぎに、権力の一方的な考案に被圧迫者がとびつくという従来の方法ではなくて、方法そのものを被圧迫者自身があれこれ思案せざるをえないようにしむけること。つまり「ねずみが作ったねずみ捕り」であること。
おそらく権力の上層は、思想が中間層の渋好みに気に入る上品な迷彩でしかないことを本能的に知っている。彼らには、思想の毒などはどうでもよい。その機能としての行為こそ問題なのだ。だが権力中層は、強い擬似意識によってしかみずからを支えることはできない。そこではみずからその擬似性に侵されながら、思想を擬似意識としてではなく、擬似意識を思想として尊重する態度がある。したがって転向という名の、思想的スタイルをとった思想外的な強制の��らくりはある程度無意識の作為であるといえる。そこに、転向問題がほとんど思想問題に見えるほどの、独特の効果があがった理由がある。いわば「転向」とは、あたうかぎりの低姿勢をもって反対者の内側に思想外的に接近し、そこに自己を浸透させえた者が勝利するという、わが国独特の闘争方法からうみだされた改宗戦術であり、その記念碑的な結晶なのである。
3 「永久転向」としての非転向
これらの諸点について、日本共産党が今日にいたるまで、なんらの方法的視点を持ちえないでいるのはいうまでもない。それは戦後共産党のいわゆる非転向部分が、おのれの非転向が思考のはげしい回転運動そのものによって支えられたのではなかったことを認める省察力を持たないことを示している。その理由は、彼らが権力中層と同位の擬似意識から一歩も出られないことにあるわけだが、それはしばらく保留しよう。
この欠陥を意識しながら、包括的かつ実証的な転向論を展開した鶴見グループの基本的見解もまた、私にいわせればすこぶる甘いというほかはない。彼はグループの共通認識として、転向を「権力によって強制されたためにおこる思想の変化」と定義する。(転向の共同研究について——『転向』上巻)それによると、権力とは国家権力のことであり、強制とは直接間接に服従を要求されるすべての方法をふくむ。思想変化の一方の極に自発性を、他方の極に被強制性を置き、被強制性の極から自発性の極にまで波動がつたわり、思想体系の中心部を占める方位決定的部分が変化するとき、これを転向の確定化とみなす。このばあい、権力の指示方向に反撥することによって起る変化は逆転向とよび、転向への未完の過程は転向の潜伏段階と規定する。
これはいわゆる転向を思想のダイナミズムとしてとらえ、転向現象の生産性をすら示唆した最初の問題提起である。それは次のような倫理的、あるいは論理的前提に立っている。(一)転向というのは必ずしもそのままでは悪いことではないということ、(二)ただ転向の道すじをはっきりさせる手続きをとることが、本人にとっても公共にたいしても有用であるということ、(三)転向を研究し、批判するわれわれにとって観点の自由な交流を計ってゆく集団的努力が必要だということ、(四)転向の事実を明らかに認め、その道すじをも明らかに認めるとき、転向は私たちにとってある程度まで操作可能になり、転向体験を今までよりも自由に設計し操作する道が今後ひらかれるようになるだろうということ。
(…)だが、ここでは、転向の概念がなお多義的にすぎるのではあるまいか。それはまず行為的世界における転向と思想領域におけるそれとが混淆しており、つぎに権力に対する方位と、思考の軸における符号の一般的な転換とが「さしかえ」られている。
最初の点についていえば、この規定はあまりにも最初��ら思想内的に提起されているといえるだろう。わが国の転向問題はなによりもまず権力の思想外的な攻撃方法として、またそれへの思想外的な反応形式として考えられるが、それがとにもかくにも思想のスタイルをとりえたのは、権力の当事者や転向者の内外にひろく擬似意識または二重意識が存在し、思想の偽装性がなかば無意識的に浮かびあがったからである。そもそも外からの強制が思想そのものに直接の影響をあたえることはできない。思想はあくまで思想の内側から自分自身を選びとる。強制が意味をもちうるのは、鶴見のいう「信念と態度の複合」としての思想に一定の函数関係をもつ行為が、思想を裏切るときだけである。行為が思想を裏切るのはわれわれが日常経験するところであり、それは思想の顕在部分と潜在部分の背反からうまれるといえるだろう。資本主義の滅亡をいぜんとして信じながら転向声明書に署名してしまうといった事態はざらにあることである。このばあい「思想体系の中心部分を占める方位決定的部分」はなお変化していないとしても、それはあきらかにひとつの事実の完結というばかりではない。客観的に見れば、なるほどそれは思想の潜在部分が顕在部分に対してはっきりと優位を占めたことを意味し、変ったと称する部分がより規定力の強い不変部分の直接的な表現として生地をむきだしたということでしかないかもしれない。しかし主体の立場から見るとき、それは自分のうちに滲透した権力の思想が反権力思想を白日の下でうち負かしたというのでないかぎり、自覚的な思想活動をみずから放棄したということでしかない。つまり光のなかで敗北したか、闇のなかで敗北したかが問題である。そのいずれにも徹底しえない薄明のなかの敗北——自覚的であるか、無自覚的であるかも定めがたいゆえにますます敗北的であるところの敗北——それが転向者の絶対多数であったにちがいない。これはもはや二重に思想領域から遮断されている転向であって、鶴見らのいうように転向そのものは悪ではないとか、その道すじをはっきりさせろとかいっても、なんらその主体と関わりあえるはずもない。日本権力の発明品である「転向」のからくりの痛烈さは、陽気な偽装意識の持主でないかぎり、人間から「考える行為」を追放するという点にある。裏返せば、倫理的に「考える」資格がなく、論理的に「考える」意味をもたない人間が、なおも考えざるをえないところに転向の刑罰がある。このような種類の転向は、明証しうる形での思想問題ではない。いわば前思想なり原思想の領域であるが、それを取り扱うにあたっては「思想は権力から強制されえない」という自明の命題をはっきりさせないかぎり、その主体に侵入することは不可能なのである。権力による思想の強制に屈服することと、権力の思想と戦って敗北するということとはおのずから別である。鶴見の規定は、たやすくすべてを思想内的にとりいれてしまう嫌いがあり、楽観的にすぎる。思想の変化として考えられない転向がある。そもそも思想の領域でない転向がある。それこそが固有日本的な転向であり、すべての転向のなかにその要素はふくまれている。同時にこの不変の、非思想的な質は当然非転向にもふくまれている。したがってこの非思想的領域をそれと認めることによって思想の対象としないかぎり、われわれはあの薄明のなかの非転向を撃つことはできないのだ。
第二点に��るが、転向=弁証法、非転向��形式論理と範型的にとらえられている鶴見の規定はどのような限定条件をもたねばならないか。つまり権力に対する思想の方位的変化と、思想軸の一般的な変化とが混同されているという点である。もとより何の変化もしない思想などありうるはずもなく、そのような思想を想定すること自体ばかげている。しかし、思考運動の持続的な回転のなかから内発的にうみだされる軸的変化が起っても、権力に対する思想方位はかならずしも逆転しないということが十分にありうる。もしそれがなければ、鶴見のいうように「純粋かつ十全」な非転向とはあきらかに「形式論理学の支配する領域」でしかない。だが、たとえば芸術上の流派を考えてみるがいい。特定の世界観の芸術的表現がかならず特定の流派と結合しなければならない理由がないように、権力に対する方位を基本的な思想軸として考えれば、その軸はさらに多くの軸に分解されうる補助的な、あるいは単元的な軸の集合として理解される。この単元軸のどれかが符号を変える、つまり認識の価値方向を逆転することがあったとしても、それは直ちに世界観の基本軸における符号の逆転ではない。定着か流浪かといった二律背反的命題に接すると、人々はすぐさま定着=ナショナル、流浪=インターナショナ���といった常識にしがみつきやすいものであるが、定着的流浪か流浪的定着かというふうに概念が交叉しはじめると、こんな定式はもろくも崩れさっていく。まして非転向というばあい、それが拒絶している対象は形式論理なのである。鶴見がいおうとしているのは、形式論理を形式的に排除しようとする者はかえって形式論理を裏口からひきいれることになるという一面であるかもしれない。それかといって、転向=弁証法、非転向=形式論理という範型はそれ自身あまりに形式論理的であることをまぬかれない。
むしろそれは次のようにいうべきである。——単元的な軸における転向をするどく、早く繰り返さないような基本軸の非転向は思想的に無意味であり、したがって十全の意味における非転向ではない、と。つまり私は、形式論理的にいうなら、転向=形式論理、非転向=弁証法と規定すべきだというのである。そこには世界観の基本軸はどのようにして確定化するのかという、それ自身世界観に関わりあう原世界観的な問題がある。鶴見はそこを「非転向の世界においては、はじめに十全な形でとらえられた正しい信念が思考過程の終までつらぬきとおす」と、いかにも形式論理的に卑小化している。このように卑小化された非転向などは、私にいわせればきわめて安直明白な転向の一形態にほかならない。一九四三年春に三十七人の非転向共産主義者がいたという官庁統計を私が信じないゆえんである。唯物弁証法に関して非転向であるというのは、そういうことであろうか。世界観の基本軸は単元的な思想軸の集合であると前に書いた。だが、もとよりそれは算術的な集合ではない。思想の軸とは、相互に緊張しあい排斥しあう二つの極を結んで得られるものであり、一本の思想軸に対してさらにこれと対立する他の思想軸が存在するとき、これらの軸と軸を結ぶ高次の軸が成立する。この軸を流れるエネルギーの方向が認識の価値方向となるわけだが、そのエネルギー自身はなんら価値認識をふくんでいるものではない。それはただ思考のエネルギーの内在律にしたがって、流出し氾���する場を求めていくにすぎない。あたるをさいわい疑いをつきつけ、すべての障害物をつきやぶり、浸透し、のりこえようとするその力にとって、方向というものがあるとすれば、それはみずから承認した普遍妥当性ということのほかには何物もありえようがない。いわば否定の力が拡がりを求めるということのなかにしか方向性は存在しない。どのように高次の思想軸が成立しようとも、思考のエネルギーを始源的に構成する「否定的に拡がっていくこと」という方向性は失われることを論理的に許されない。したがって、この命題に関して「非転向」であるということが、この命題の形式論理的な墨守でないことはあまりにも当然である。
否定的に拡がる世界が実現されていく過程は、それよりほかにありえようのないものであって、外部からつけ加えられた価値基準にしたがうものではない。そこでは、人間はいわば転向不能である。この不能の一点を強く保持するということは、無数の単元軸における不断のめまぐるしい転向を保証する。またかかる「永久転向」の集合によってのみ、基本軸の不動性は保たれる。それは回転している独楽の運動に似ている。もし単元軸のどれかが固定されれば、独楽の回転は狂ってくる。もちろん、このような運動は範型としてしか考えることはできないが、範型の想定を形式論理とよぶことはあるまい。そして範型的にいえば、転向こそ固定すべからざるものの固定にほかならない。
4 前衛概念の円環化へ
鶴見グループの転向規定について、概念の組変え、または再分類を要求するような反対論をのべてきたが、それは彼らの見解が転向一般と思想の生産性とを直接結びつけてこれまでの転向論の不毛をうち破った興味ある作業だと思うからである。ただ私は、彼らがなお思想の転向一般と思想基本軸の転向と思想領域と主体的に結びつかない行為的転向とを混同しているために、しばしば権力と共産党の俗流転向論をひきいれてしまっていることを警告したにすぎない。日本共産党が最も俗物化しているのは、この転向に関する公式的沈黙とその周囲においてであるから、どうしてもそこに範型的な基準をみいだそうとする努力を重ねなければならない。 思想の基本軸の出発点は、思考のエネルギーに固有内在する力によって否定的にひろがる世界の普遍性という極であることをいった。これを認めない者は、権力であろうと権力打倒をかかげる党であろうと、思想の敵である。つまり、それは不断の回転こそが軸であるということにほかならない。この地点において見るならば、非転向の内包は永久転向であり、永久転向の外延が非転向である。このことを認めたくないという衝動は、広く日本人の習性のなかに分布している。軸と回転をきりはなして、回転しない軸または軸をうまない回転のどちらかに偏倚することが、日本社会の歴史的な二重構造を反映する二重意識を偽装的に整理するのに都合がよいからである。社会構成的にいって、日本の上層部分と下層部分の接合のしかたはきわめて不安定である。それは下層部分の構成が均質でなく、いくつもの異なる系の集合であって、独立したマッスとマッスの間に複雑な断層が走っているためである。したがって、上層部分は下層部分をつねに一種のボナパルティズムによって支配せざるをえない。上層と下層の力関係が浮動しているばかりでなく、その力を測定することも容易でない。そこで軸をうまない回転——無責任と無論理がかえって状況に適応する可能性をもつことがあるし、同じ理由で上層と下層との間に仮設された主観的な約束を不動のものに転化して考えたいという心理的操作——回転しない軸がうまれる。後者がいわゆる「スジを通す」ということである。つまり思考の基底に思考の停止という原思考様式がはたらいている点では、状況追随もスジを通すことも変りがない。にもかかわらず状況追随の無論理は、被支配者の倫理として顕在化され、支配者は隠れた支配技術としてこれを利用しながら、それを秘匿する。これに対して、スジを通す方は上層部分の倫理としてさまざまに美化され顕揚される。包括的論理を認めようとする日本人は、そこでまずおのれの二重性を統一するカギとして、スジを通そうと試み、それが障害にぶっつかると状況からの再出発をはかる。この転換の間に思想次元の根本的変化はない。なしくずしの転向、ずるずるべったりの転向が発生するのはここからである。その社会的根源は二重構造の接合関係に対する、自覚されない意識部分にある。転向がこの接合部に近い中間的な階層において、もっとも顕著で微妙な様相を呈するのは自然である。日本の転向の独特な様相を規定している社会経済的な基盤はここにある。
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hazakura-ki · 5 days ago
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谷川雁「知識人と私のちがい」
だが抑制はいつも破れて、そこからガスがふきだした。親たちの小市民的な変質のしかたに、自分を形づくった歴史の不正を見ていたので、そこから遡行してより原理的な士族と地主の二つのサイクルを無縁なまま所有した私は、無媒介的な動揺のゆえに、親たちよりも一歩深くブルジョア・イデオロギーのなかに潜入したのである。そこから不可知論風の神秘主義を通りながら、自分を自然が作った断層のようにとらえようと熱中した。そのために有効な答だけを私は知識と呼んでいた。私の知識観を言葉にしてみればつぎのようなものであった。——知識人という存在は、特定の階級をもたないにもかかわらず一定の独自の機能をもつという風に規定してはならない。むしろ機能していないところに意味がなければならない。だがそれは機能の固定的限界の内側が外側へマイナスの形ではたらきかけているというのではない。知識の機能が一定の方法で限界に達するとき、その瞬間に限界の内側と外側は逆転する。だから、知識の運動を連続的にみれば、つねにその機能の限界の外側のみが知識それ自身の対象範囲である。この詭弁は、その後の私の行為と思考のすべてを基礎づけている。
ある方向へ跳躍することによって、逆の方角へ飛行する、桂馬とびとも蛙の宙返りともつかぬ運動過程しかもたない者にどうしてなったのか、われながら自分の存在の逆説をまだきわめつくしたわけではないが、とにかく私の出発はそんなぐあいなのであって、そのほとんど完全な自覚は十二歳くらいのときからある。たとえば書斎に逃避するといった言葉をはじめて聞いたとき、私は仰天したものだ。密室ほどなまぐさい現実の場があろうか。自分のなかの抽象性を肥えふとらせようとすれば、広い空間と具体的な労働がいちばんではないかと考えたからである。確実に計算された、緩慢な自殺は書斎とは逆の、生活の方にはみだすことしかあるまい。大げさにいえば、これは私のなかにおける最高のブルジョア・イデオロギーであり、その後の私はほとんどそこを越えていない。 やや長ずるに及んで、知識人の卵たちと接触を多くもつようになったとき、私はふたたびおどろかされた。かれらは自分の存在の根拠を全然疑っていないばかりか、私がすこしでも遠く離れようとしている始点をめがけて、蟻のようにせっせと上ってくるのだった。知識人という存在をぱくつこうとするかれらは、にぎりめしをほおばる土方よりも、すなわち一つの悲惨をうれいげもなくのみおろさざるをえない人間よりも、はるかに無神経で動物的であった。私はかれらの汗の匂いに脱帽した。その健康さ、平俗さにうたれた。かすかなブルジョア的発展の余地がのこっているかぎり、かれらは蜜にむかう蜜蜂であることをやめなかった。「出世なんかあきらめているさ」といいながら、きりぎりすのように歌っていた。田舎医者の小せがれが自分を貴族のごとく感じなければならないとは、なんたる世界に生まれたのであろうと、にが笑いするよりほかはなかった。それにくらべれば、かれらは労働者のように正しいとでもいわねばなるまい。
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hazakura-ki · 5 days ago
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谷川雁「私のなかのグァムの兵士」
たどりついた任意のそこに、自己の世界を建設する能力が万人で一様であるわけはない。だが勝敗の観念を棄てさえすれば、すなわち自分をくつがえす力を逆支配しようとしなければ、だれのてのひらにも他人の侵すことのできない一滴の禁漁区がのこる。この極小の禁漁区を守る方法は二つある。一つはかつての偽装転向を純粋化した形で考える際の降伏無限大、敗北ゼロという道であり、一つはグァムの兵士のように敗北無限大、降伏ゼロという道である。
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hazakura-ki · 9 days ago
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蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』
蓮實 いや、待つということを除いて、政治性はないと思う。より正確に言うと、何か例外的な体験を作家たちから提供されたいと願っているのではない。待っていたわけではない記号と遭遇したときに、初めて「待つ」ということの意味が開示されるような瞬間を信じていると言ったらいいでしょうか。それは、期待という名で誰もが知っている「観念論」的な姿勢を無効にする記号です。ゴダールの新作がそのつど教えてくれたのは、待つことの「唯物論」であり、それが世間一般の「観念論」的な期待を揺るがせる。そのような記号との出会いを、僕は「魂の唯物論的な擁護」という言葉で語っています。待つことの「観念論」はイメージの問題に過ぎません。作家のイメージ、作品のイメージ、それをめぐるイメージ……。イメージには記号の魂を欠いているのです。その魂を「唯物論」的に露呈させること。これからは、その政治性の実践に向けて精神と肉体を鍛えておきたいと思います。
浅田 消費社会の本流に近いところでは、建築でも美術でも音楽でも大変な量の作品がつくられているわけだけれども、それにしたって、突出したものは少ない。そもそも、日本の建築にしろ美術にしろ音楽にしろ、批評がないわけですよ。批評がなかったら、アーティストなんてだいたいバカなんだから、疑似家元制度あるいは御座敷芸的なスノビスムに陥るか、「芸術は爆発だ」というテーゼに代表されるような幼児的な欲望の噴出に陥るか、そのどちらかになってしまうのが関の山です。まあ、きちんとした批評が必要だなんていうのは今さら言うまでもないような矮小なことなので、あまり言いたくはないですけれども。
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hazakura-ki · 13 days ago
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宮台真司『実録 愛と希望を語る90分 こども性教育』
ここからは��ても重要な問題について話します。今日は女性の参加者が多いですが、「カレシ」ができたとして、相手が別の人と映画に行ったら、怒るでしょうか? 男性にはもっと酷な質問をしましょう。「カノジョ」がほかの男とごはんを食べ、映画を見て、そのあとセックスをしたとすると、怒りますか? ぼくを含めて年長者の多くも、高校生や大学生のときにそういう経験をしています。みなさんの多くも、いずれはそうした場面に直面することになるでしょう。 なぜ怒りを感じるのか? 理由はわかりますね? 「自分にとっては相手が一番なのに、相手にとって自分は一番じゃないのか」と、裏切られた気持ちがするからです。 でも、考えてほしい。好きな相手が、自分にとって「同じ世界」で「一つになる」ことができる「唯一の人」だと、どうしてわかるのでしょう? 散歩でもドライブでもセックスでもいいけれど、最も「同じ世界」で「一つになれる」相手とはいったい誰なのかを、どうやって知ればいいのでしょう? 恋愛小説や恋愛映画には、「この人に出会ってはじめて、私は知らなかった世界を知った」という定番のせりふがあります。そうです。「比較」しかありません。 残酷ですが、「比較」は大切です。いままでの人よりも「同じ世界」で「一つになれた」。こんな経験をするとは思わなかった。いままでの相手はなんだったのか……。 そういう気づきが大事です。「比較」によってはじめて「比較」できない「絶対」がわかります。「比較」を避けても、いずれは必ず「比較」するようになります。
「処女厨」といって、相手の女性が処女かどうかを気にする男性が昔からいます。女性のみなさんは「処女厨」はいやだなと思うよね。なぜいやだと思うのかな? 「ほかの男に抱かれたことがある女なんか、いやだ」というのは、女性を「新車か、中古車か」というふうに所有物としてとらえている感じがするからですね。 ただし新車をほしがるのとはちがって、「処女厨」には自分が「比較」されるのをいやがるという自信のなさもあります。それも「処女厨」がおぞましい理由です。 「ほかの男と食事するな」と縛る男性には、「比較」されるのをいやがる自信のなさがあります。それを感じた女性は「もっと自信をもってよ」と思うでしょう。 「相手にとって自分は一番じゃないのか」と怒るのであれば、「比較したうえで自分を一番だと思ってほしい」と考えるべきではありませんか? ということは、「相手にとって自分は一番じゃないのか」というのは、怒りの粉飾決算で、真の怒りは、自分が「比較」で相対化されるところにあるでしょう。 「相手にされていやだと思うことは、自分もしない」という理屈で、ほかの相手と出かけようとしない人もいますよね。 その場合も、真の動機は、「比較」をいやがる自信のなさを、おたがいに擁護しあうところにあるのではありませんか? これらの話は、男女を入れ替えても同性愛でも成り立ちます。「比較」をいやがるのは、本当の唯一性を求めるという「愛の規範」から言って、ダメです。 厳しいかもしれないけど、若いみなさんには、「比較」されるのをおそれずに、相手にとって「究極の相手」だと思われる人になってほしいです。 相手が「究極の相手」なのかは「比較」しないとわからない��、相手にとって自分が「究極の相手」なのかも「比較」してくれないとわかりません。 「究極の相手」とは、かわいさやイケメンぶりを比べる属性主義ではなく、誰よりも「同じ世界」で「一つになり」、「委ね」や「明け渡し」ができることです。 過去の男性や過去の女性との「比較」でも構いませんが、この過去の男性との「比較」をいやがるのが、先ほど話した「処女厨」です。 ぼくが若いころの経験ですが、自分がつきあうようになった大好きな女の子の恋愛経験がすごく少なかったから不安になりました。 たまたま最初にぼくと出会って、ぼくに固執しているだけじゃないかなと。だったら、ほかの男性とごはんを食べたり、映画に行ったりしてほしいと告げました。 実際、そのようにしてくれて、正直ほっとしたし、やっぱりぼくのことが一番だと言ってくれて、とてもいとおしくなりました。 みなさんには、「相手は自分の持ち物だから、自由にするのは許さない」という人は、ダメなんだ、という価値観を身につけてほしいです。 みなさんは、誰かの所有物ではありませんし、誰が「究極の相手」なのかは、相手と一緒にいるときの自分の経験を「比較」してみてつかむ必要があるからです。
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hazakura-ki · 18 days ago
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谷川雁「庶民・吉本隆明」
かつて私は鮎川信夫への手紙に、「荒地」の詩はすべて生活の倫理なき倫理であり、吉本隆明の詩だけは生活なき生活の倫理であると書いたことがある。いま吉本の評論集『芸術的抵抗と挫折』を読み終って、数年前に思いついたそのキャッチ・フレエズが今度またうかびあがり、たちまち黒い砂の流れのようなもので消され、どこか遠い町の下宿屋の一角が照らし出される気がした。どっちみち私など馬小屋みたいなところで息絶えるのにまこと似つかわしい人間だから、へたに同情するつもりはさらにないが、彼もまた「封建性の異常に強大な諸要素と独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」にはさみうちされて、せいぜい都営アパートの一角ででも朽ちはてることができたら上の部といわねばなるまい。蝶ネクタイなぞ逆立ちしてもうまくない貧乏性の世代があるものだ。その貧乏な世代の貧乏神が吉本だ。なんとかして馬小屋のかたすみで絢爛たる交響楽でも聞いてみようと苦心しているのに、妙に節くれだったやつが門口にあらわれて、棟つづきの隣家のことをわめいたり、おまえらのやっていることは幻想だぜとぶつくさいったりする。分っているよ、計算ずみなんだ、あっちへいっておくれ、ぶちこわしじゃないか、接吻を一つするから……という���うなことをいってみても根が生えて動きはしない。よく見たら兵隊友達なので、「なんだ、おまえか」と肩を一つぶんなぐってみたりする——。 そういう隠微な、私的な交渉というものを拒絶しなければこの書物にはいりこむことにならないわけだけれども、だが彼の文章たるや陰気で皮くさくて骨っぽくてとぐちをならべているうちに、それじゃおまえはどうだという声がしてくる気もするので、まず同時代人としてのあいさつだけはしておくことにする。およそ彼ほど気質だの傾向だのがきらいな種類の人間はすくない。心理という言葉を使うときなどまるで蝶ネクタイをしめているみたいだ。彼のペンは笑わない。大隊長のように堂々たるかっぷくで「内部世界」とか「不定意識部分」とかの言葉が登場する。だが「分配カルテル」なんてやつを使う彼になると、ろくににぎりめしの一つも分配してもらえない二等兵の顔がうかんでくるしまつだ。二等兵にしてかつ大隊長たる吉本、本質的なあまりに本質的な馬鹿野郎……それを私はちょっぴりわが身につまされて好きである。いや、どうにも好きになれないものを何とかしたくなってくるとでもいおうか。
だがそのあたりのところは彼もまた計算ずみであるらしいことが分って、やや寒気がしたのは、この本に収められている十篇あまりの評論のうち書かれた時期がとびぬけてはやいという「マチウ書試論」であった。イエスが新約作者の創作にかかる架空の人物であり、ユダヤ教と近親憎悪の関係をもつ原始キリスト教が、被虐心理の眼鏡を通して旧約の思想を転回させたものだという見解がべつだん珍しいわけではない。それがどの程度に新説であろうとなかろうと、私の知ったことじゃない。ニイチエやランボオが人間精力の最大の盗人としてイエスを攻撃しているのもそれと遠いことがらではあるまい。私が「おや」と思ったのは次のような箇所であった。 ——原始キリスト教が、いわば観念の絶対性をもってユダヤ教の意思方式を攻撃するとき、その攻撃自体の観念性と、自らの現実的な相対性との、二重の偽善意識にさらされなければならない。 ——秩序に対する反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。 ——原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を、正当化しうるものがあったとしたら、それはただ、関係の絶対性という視点が加担するよりほかに術がないのである。 もし法律学者やパリサイ派を戦前のコミュニストにおきかえるなら、このばあいの原始キリスト教はたちまち吉本隆明その人と化してしまうのではないか。彼がこの五、六年間に加えた前世代への攻撃をひやかして、私はそういうのではない。「マチウ書試論」において彼が原始キリスト教の擁護などひとかけらもしていないことは明らかである。彼はそ��後の彼の文章にもはや見られなくなったなめらかな舌でたたみこむように、いわば水泳のクロールにみられる腕の使い方で、古くなった秩序と新しく登場する秩序とのせめぎあいをかきわけていく。彼は秩序に対する人間の反応型を涙もろき良心派のルッター型、権力と離れることのないトマス・アキナス型、積極的な疎外者たるフランシスコ型に分けてしまう。「人間の実存を意味づけるために、ぼくたちが秩序にたいしてとりうる型はこの三つの型のうちのどれかである。」だがその型は要するに類型にすぎず、そのいずれも歴史の刻み目と特別に関りあうものではない。したがってそのような型にかかずらわった「思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしない。」ここで彼は突然、マチウ書(マタイ伝)の作者に同調する。いや、みずからとび移ってマチウ書の操縦棹を横あいから握ってしまうのだ。 ——マチウの作者は、その発想を秩序からの重圧と、血で血をあらったユダヤ教徒の相剋からつかんできたにちがいない。原始キリスト教はそれがどのような発想であれ、ユダヤ教派をたおせばよかったのだ……律法学者やパリサイ派にたいするマチウの作者の、蛇よ、まむしの血族よ、という憎悪の表現は…… かくて関係の絶対性という概念にたどりつくのだが、それはフォイエルバッハがヘーゲルにたいして加えた修正とどんなにちがうのであろうか。関係の絶対性は必然に意識にたいする存在の優位に達するはずだ。しかし彼はそのような認識の冷静さに頼ってはいない。彼は唯物論の第一命題にすわりこもうとはしない。拳闘家のように腰をうかせて相手の鼻をねらうのだ。彼にとって、関係の絶対性とは眼の前にあるものをたおすということだ。ただそれだけに自己を限定することだ。だが彼が初期の評論において、その後の彼の道を暗示しているのはあたりまえの話にすぎない。私の寒気というのは、彼がそのなかで意識しようとしまいと原始キリスト教に仮託された自分自身をまず断罪し、断罪することによって正当化しておかねばならなかったという事実である。「原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪を、正当化しうるものがあったとしたら……」という設問に彼は答えねばならなかった。それは青春のきわめてはやい時期に、太宰治風にいえば一種の「晩年」に到達せしめずにはおかなかった時代の強圧にたいして、復讐の姿勢をとる敏感な青年の心をかならず通りすぎる疑問にちがいない。この答はむずかしい。なぜなら彼をして一挙に晩年を味わせたものも時間であれば、彼をしてなおおぼつかない青年にとどめている力もまた時間であるから。そして彼がこの矛盾に復讐しようとするとき、彼はまさにこの世の最後にして最高の強敵、時間を二重に向うにまわしているのだ。そのゆえに敗北はすでに必至である。戦えば戦うほど、彼は子供になりながら衰えてゆく自分を発見するにちがいない。円熟という理想は放棄されざるをえない。そのとき「なんじら幼な子のごとくならずば」という福音が耳にとどいたとしても、彼は��れを受け手として聞くことはできない。むしろ彼は語り手としてのイエスがまた一挙に晩年に到達せしめられたよるべない青年にすぎないことを見ぬく。とすれば山上の聴衆にとってはどうでもあれ、彼イエスにとっては「われ幼な子のごとくなりゆかざるをえぬ者ならば」であったはずである。そのとき人生は一つの仮象になる。成熟ということが時間のなめらかな、直線的な進行によって測られなくなった人間にとって、彼の自画像は論理的には岩のように不動であり、倫理的には何物にも責任を負っていない虚無の二重相をもつ。生成の過程からいえばもはや動かしがたい座標にしばりつけられており、そのゆえに倫理的にはすべてが許されるという非人間的な存在として自分が見えてくる。だがその瞬間に、イエスのように幼な子になってゆくよりほか道のなかった者が自分の必然を他人の自由選択にすりかえて「幼な子のごとくあれ」とよびかけ、自分の運命を他人に塗りつけるという詐術、あるいは至極のエゴティズムが許されるだろうか。もしそれを認めるならば、まだ成熟しないうちにむりやりに生命の終りをのぞかせられた人間がその強制力をかえってやすやすと許すことになるのではないか——戦後の青年に立ちふさがっていた問題はまさにそのようなものであった。
時間との、敗北を見越した戦いをこのような性質としてとらえねばならなかった人間たち……それが私たちの世代なのだ。おそらく太宰治をとらえた命題もこの敗北せざるをえない時間の逆説との闘争にちがいなかったのだが、彼にとってこの不意にあらわれた逆説の原因が革命の誤謬によるのか、体制の暴力によるのか、彼の存在の特殊性によるのか、その紛乱の糸をたぐり通すことができずに渦のなかに立ちつくしたままたおれた。ところが私たちの世代にたいして、このつむじ風はもはやそのような分析の欲望をもつことがばかばかしいほどにないあわされた一撃として作用した。そのとき無数のイエスがうまれた。裁くことが生きることであった。もし裁くことをやめるなら、彼はみずからをユダとして規定しなければならなかった。初年兵として一等兵からほほをなぐられているユダ。もし裁きつづけるとすれば、彼はみずからのなかのイエスをも裁かねばならなかった。残飯をすすり、なかまの選択物を盗んでいるイエス——はじめて選択の可能性がひらかれた。そしてどの道を選ぶかを倫理的に規定する過去はなかった。 関係の絶対性とは、このような時点におかれた青年の必需品であって、それ自身選びとられたものではない。人生が仮象としてしか見えなくなるまで追いつめられたイエスを発見した人間が、自己の内部システムである「子供」と社会的な効用の指針である「幼な子のごとく」のスローガンとを混同するイエスの不純に思いいたったとき、彼はイエスを新約作者のフィクションの側からつきつめ、かえって思想の抽象性を純粋化してゆく。そしてその純粋化の極にユダヤ教にたいする近親憎悪という存在証明をおくのだ。イエスはひとりの無名の思想家ではなく、無名の思想家の記録から、おそらくは無数の狂信者の記録から作りあげられたものだ、と彼はいう。 たぶん、ここは目立たないが重要な分岐点であろう。吉本���すなわち私たちの世代の青春のことであるが、あまりにも強い外界の規則は内部の自由律と結びあう媒介項をもたないので、関係とよびうる相互規定性を発見させない。したがってはじめての関係をもとうとするとき、いったい何とどのような関係をもつべきか白紙のままで悩まざるをえない。このような処女性をつき破るのが、眼の前にある問題の意識的側面であるか、存在としての側面であるかはその後の人間をながく支配するものと考えられる。選択の自由をもたず、その意味で外界との接触をもたない、形なき牢獄の囚人が牢獄を意識すること、それが関係の絶対性という言葉にほかならず、またそれは観念の相対性と同義語にすぎないが、にもかかわらずこの状況を関係の絶対性とよぶか、観念の相対性と表現するかには微妙なちがいがあるのだ。 それは紙一重というよりもさらに薄い皮膜の裏表であろうけれども、形式論理が弁証法へ、観念論が唯物論へと回転してゆく過程のもっとも内密な移行の段階がかくされている。観念の相対性というばあい、それは唯物論へ移行しきった直後の完了した視角があるのにたいして、関係の絶対性とよぶかぎりにおいてなお関係それ自身の物神化という主観性がぬぐうい去られていない前唯物論的な匂いを漂わせているからだ。このちがいは、彼がイエスを狂信者の記録から、そしてマチウ書の作者の意識からたどってゆき、その作為と虚偽を粉砕しようとする情熱のあり方に対応する。フォイエルバッハとちがって、彼は敵が与えた条件以外のものに敵をたおす武器をみつけようとはしない。あくまで眼前の敵の手中にある敵の武器を奪おうとする。もし彼がすこし大またに歩こうと決意しさえすれば、この小さな溝はたやすく越えられたにちがいない。だが彼は唯物論的に膚接する観念論の壁に沿って動きつづけ、記録と意識にたどりつき、群集と存在の側へはがんこに移ろうとしない。 この用心深さ、このしんきくささこそかえって彼の存在を照らしだす微かなともしびである。いわば彼にとってはじめて訪れた自由選択は関係の絶対性か、観念の相対性かであった。そして彼は関係の絶対性へと賭けたのである。囚人の手足から鎖が外されたとき、彼の最初の二者択一は動くか、動かないかという形であらわれる。吉本の自由意志はこのとき「動かない」と宣言したのである。 なぜ彼はそうしたのか——この衝動を理解しない者はついにいわゆる「戦中派」の内容を開く鍵をもたないにひとしい。それは弁証法の螺旋運動における二つの主要なコース……外部への「のりこえ」の論理と内部への「もぐりこみ」の論理のうち、なかんずく後者に身をもたせかけた姿勢である。外部への飛躍がほとんど不可能であった時代に異常なまでに名もなき青年たちの心奧に発達しつづけたこの弁証法の半身は、ある意味で青年たちを無敵の思想家に仕立て上げようとしていた。だが時代の創作の未完のうちに、青年をふくむ社会は敗北した。社会は敗北し、青年もまた敗北したが、半身だけは敗北しなかったのである。それがミロのヴィナスよりもさんたんたる美しさでなかったと断言��るいわれはない。彼はそれが半身��すぎぬことをみずから断罪し、その美を正当化する。戦中派が戦後の波を迎えたとき、この二面性をとらえる手続きを省略しまいとする素朴さにおいて吉本の右に出る者はない。いや、はたしてそうであろうか。
「もぐりこみ」の論理は、当然に彼をして詩人たらしめるであろう。それは詩の同一の原理、凝縮の論理と共鳴するからである。けれども関係の絶対性という立場にとどまるかぎり彼の詩は、成立はしても運動することはない。彼の詩のどこか、その数行には交響楽の譜面に移された砲音と金属のかがやき——管楽器の音色がひびきわたる。だがそれはたちまち低いうめきのなかに埋められる。現在は連続しない。未来はくだかれている。そして過去だけが飛行雲のように尾を引き、飛行雲だけになり、やがて雲もちりはて、空そのものに帰っていく。髪をつかんでうしろに引きもどす、この凄じさ。しかしそのとき彼の手に残るものは何か。 証拠だけである。事故の被害者として、彼は自分を轢いて遠ざかりゆく自動車のバックナンバーに固執する。イエスの記録、狂信者の記録、それだけが存在であって、そこからしか犯罪の手がかりはつかめないと主張する。おそらくは彼自身いちはやく決議だの宣言だの論文だのをかきまわすことのむなしさを感じているにちがいない。にもかかわらず彼はそのなかにもぐりこむ。検事さんのやり口だ。刑事としてはいかにもまずい。証明する者ではあっても捜索する者ではない。 ——問題は、日本における「封建性の異常に強大な要素」と「独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」との結合という意味を、たんなる結合と解するか、楯の両面のように不可分の単一系と解するかを、具体的な芸術思想として、また、政治的思想として見出すことにかかっている。三二テーゼは、多分に、この結合をたんなる結合と理解した傾向があり、また反対に絶対主義権力は、この結合の両面を、巧みに使い分けた。芸術的抵抗としてのプロレタリア芸術(詩)の挫折の事実が、今日もなお暗示しているたいせつな問題点は、本質的なところでうけとめようとすればここに帰着するとおもわれる。 権力の巧みさといっても、戦前の反体制運動に比較しての相対的なものでしかないけれども、その通りだ。まさにその通りだ。だが問題をここにとどめているだけならば、それは「社会の構造の総体のヴィジョン」の骨骼をうみだすかもしれないが、つまるところヴィジョンの骨組みに終るであろう。これしきの認識を持たずにプロレタリア芸術でございなどといっていた当時のあほらしさは私なども不思議というほかはなく、いまだに狐につままれたような気がしないではないが、私はもはやそんなところにかかずらわっていないでさっさと読みとばすことにしている。読むにたえないものをしんぼうして読み、さてそれを審判する惨忍さと、眉も動かさず踏みつぶして進む非情さとはどちらが普遍性を持っているのかよく分らないが、倦怠の処理法として見るときはおのずから優劣があるだろう。 たしかに往年の弁証法は蛙みたいにやたらに外界��とびだそうとするばかりで、内部へのめりこむ力で相手を打つというビックリ箱の原理すらものにすることができなかった。この点でわずかに水準をぬいた者とては中野重治と花田清輝の二人しかいないし、それもたかだかビックリ箱ていどであってみれば、吉本が過去を矮小化しようとする気持は分らないではないが、さりとて私は吉本のいうように中野がその芸術論のなかへ「予定調和のように階級的視点を密輸入している」とか、花田が戦時中、資本制社会の枠内における単純再生産の基礎確立を唱えて「生産力理論に転落した」といった読み方にどうも賛成できない。中野にしろ宮本百合子にしろ、私が文句をつけたいのは、たとえば恋愛と革命というようなくだりになると、あっさり政治上のプログラムと芸術上のプログラムを使い分けてしまって、いっこうに予定調和もしなければ密輸入もせず、しごくきまじめに段階を踏んでゆくことだ。むしろ彼等に欠けているのはさらに徹底した一元論、政治と芸術が男と女のように抱きあっている濡れ場ではないか。——花田のばあい、「現代の課題は、資本制生産の枠内において、まづ、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ。」と書いてあるので、何もユートピア社会表式を資本制社会の枠内で実現するつもりはなさそうである。いってみれば改良主義的要求を一定の計画のもとで戦う組織を作れということと変りはなかろう。労働組合を作れとでもいえば簡単に分るかわりに、すぐ捕まえられてしまう世の中でこんなまわりくどい表現を弄してみたところがしょせん労働者の耳に届くはずもなかろう。だからこそユートピア論にふさわしいといえるけれども、私は花田がいちはやく修道僧のように隠遁して、人生の深読みと「危険ごっこ」に熱中しているのをいくらか悲惨に思っている。彼もまた時間に見棄てられているのだ。 私などはまず平凡に、中野には北国のいっこくな百姓の、花田には八丁堀の浪人のイメージをあてがっておき、気の向いたときだけそのまわりを捜索することにしているのだが、いったい吉本はいつまでこのくそ面白くもない無機的な過去を掘りかえそうとするのか。戦前派の理論の誤りなどは彼等の存在のあやふやさにくらべればものの数でもなく、そのあやふやな存在様式の反映にすぎぬ彼等の理論は指一本あげるほどの大事をも起さなかったのだ——という一面を彼はどう考えているのであろうか。
吉本が「マチウ書試論」において、その後の吉本自身と見まがうばかりの「原始キリスト教」の存在理由を追及しなければならなかったのは、決して未来にそなえるための地固めというがごときポリティックではなく、まさに彼自身に内封せられた復讐不能の領域をあばきだすことではなかったか。それをするために彼は束縛からの自由、賭けの開始を告げられた瞬間に「関係の絶対性」という地点で佇立したのである。だが見よ、彼は静かに動��だした。彼は庶民のなかの所有意識、支配意識を縦横無尽に打つ第一義の攻撃目標をずらして、「前衛」のなかの庶民意識をあばきだす二義的な目標に集中した。そこに私たちの世代の問題にたいするすりかえがある。それが無用だとはいわない。だが容易なことだ。あまりにも容易なことだ。「前衛」を下から、後の世代からつきあげる勝負はまける方がどうかしている。「いや、つきあげることではねかえる力を利用したかったのだ」と彼のために弁明するのは嘘であろう。なぜなら彼のいう関係の絶対性は二つの当事者がかならず同一平面に立つことを前提にしているのだから、もしはねかえる力の行くさきである庶民と同一平面を保とうとすれば、「高村光太郎論」や「前世代の詩人たち」に見られたような庶民意識の単純な全面否定はありえない。 戦争中の向う三軒両隣りはおそすぎる医者たちと同じく、私たちに大気・安静・栄養療法それのみを指示した。彼等は路傍に立って手をふるだけで私たちを死地に送りこんだ。その消極性にひそむ小所有者意識、それだけが庶民のすべてであると規定するならば、私たちは庶民を祝福するか呪詛するかの道しかない。それは純粋な侮蔑の形式であり、それによって私たちは自分の存在の証拠をいん滅し、庶民との関係を断つよりほかはない。「マチウ書試論」にはこのような方向への企図はみじんもみられない。にもかかわらず彼はどうしてその後の攻撃を一段階軽いところにあてたのであろうか。『芸術的抵抗と挫折』の一篇ではその辺のところはかなり大きく修正されているけれども、彼が提起した戦後責任という問題は庶民そのものの断層に爪をうちこまなかった点で軽々としたものになり、戦後意識の「早激的」終末をまねき、奇しくも彼に一つの戦後責任を負わせることになったのである。
(…) なぜか。その理由を吉本の意識のオートマティズムからというよりも、存在の反映から照らしだす箇所が一つある。 汝と住むべくは下町の 水どろは青き溝づたい 汝が洗場の往き来には 昼もなきつる蚊を聞かむ という芥川竜之介の「澄江堂遺珠」の一篇を引いて彼はいう。 ——この詩には、芥川のあらゆるチョッキを脱ぎすてた本音がある。芥川が、どんなにこの本卦がえりの願望をかくしていたか、を理解することができる。下町に住んだことのあるものは、この詩の「溝づたい」からどんな匂いがのぼってくるかも、「汝と住むべくは」とかかれた家が、格子窓にかけた竹すだれをとおしてみえる家の中に、下着一つになった芥川の処女作「老人」や「ひょっとこ」の主人公のような、じいさんか何かがごろっと横になっている家であることを直覚せずにはおられないはずである。 ここにくると、私は中野重治や宮本百合子や佐多稲子や花田清輝や吉本隆明が一室にたむろして、おもいおもいの姿勢で西瓜でもたべている光景がうかんできて、さてはわがゆくてもしょせん借家住まいの「��産下層階級」であろうかとあごをなでざるをえない。それほどこの文章の私小説的タッチは正確であり、私の知っている楽寝のじいさんと吉本のそれとをくらべたくなってくるのだ。おそらくそのちがいは私のじいさんの足の裏がすすけてひびわれているのにたいして、吉本の方のはやや白々としているくらいにすぎまい。けれどもこのちがいは吉本がまだ日本の不可触賎民というものにつきあたっていない環境の不幸をまざまざと語っているように思われてくる。 吉本は、芥川が本卦がえりの願望を抑圧しつつ、出身階層への自己嫌悪の上に立って造型的努力を持続させようとし、それに失敗したことを吐きすてるような筆致で書いている。ここにも彼の近親憎悪の念が支配しているのであろう。 ——彼がはっきりと自己の造型的努力に疲労を自覚したとき、自己の安定した社会意識圏にまで、いいかえれば処女作「老人」、「ひょっとこ」の世界にまで回帰することができたならば、徳田秋声がそうであるように、谷崎潤一郎がそうであるように、永井荷風がそうであるように、室生犀星や佐藤春夫がそうであ��ように、生きながらええたはずだ。そのとき芥川は、「汝と住むべくは下町の」世界に、円熟した晩年の作品形成を行ったであろうことは疑いを容れない。 これが日頃あれほど観念的なまでに理想主義的である彼の、芥川にたいする処方箋であろうか。それは単調な死刑宣告と変りはない。芥川の大知識人ぶりはこっけいだが、吉本がかつて不可触賎民のそれもふくめて一蹴した庶民意識への回帰をすすめるよりほかないまでに芥川の運命が絶望的であるならば、では三十年後の東京小市民の運命はいかにして切開可能であるか。小市民が革命的インテリゲンチャへ転化する道は資本主義のいついかなる時点においても存在するはずだ。芥川にたいする吉本のあまりに気軽な宣告は、彼が庶民との断絶を強行せしめられた「戦中派」の優位をすこし早まって信じ、未来の世代と自分の直線的な接続を楽観しすぎているからであろう。 正直者ほど大きな賭けをする。彼が現実との断熱膨張を意図する気持は分らないではないが、庶民に回帰しまいとする者こそかえって彼のいう意味における庶民の刻印である。彼ははたしてどぶの匂いと格子窓の竹すだれを卒業してしまったのか。彼がなお充分に庶民であったときの「マチウ書試論」はほとんど貴族的といってよい文体の光りをみせ、彼が「関係の絶対性」に沿って上昇し、前世代の「前衛」たちと対決するときは奇妙に私小説の味気なさをともなって散文化する。この循環をやぶるためには、自分のなかの庶民的な形をとった所有意識へ否定的回帰をくりかえし、そのなかにもぐりこんで柵の外へぬける、芥川的知性では卑怯としかいえぬ脱出路を精密に探求しなければなるまい。牢やぶりに紳士の体面などはくそくらえである。吉本は期せずして、記録を残して肉体をほろぼす方法で自分の住民登録を消そうとしているかにみえる。むろん吉本に系図を買う根性はない。しかしそれはやはり自分にたいする証拠いん滅の姿勢である。この方法で住民登録は消せても肉体は残る。肉体の戸籍をのりこえるのは町や村の不可触賎民をなぐりつける署名のない思想だけだ。その方へあゆむことが私たちの世代の存在証明なのだ。それこそ無敵にして暗黒な領域を存在の側から裏づけ、それを照らし、それへむかって復讐しがたいとおもわれた私たちの復讐をはたす道なのだ。吉本の道はその決意にはじまりながら、いつのまにか断たれようとしている。
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hazakura-ki · 18 days ago
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谷川雁「観測者と工作者」
いうまでもなく私は日本の知識人の裏がえし、ある意味では単純な、機械的な反対物なのです。中学二年坊主のとき、私はすべての学習をやめてしまおうと考えたことがあります。数学も英語も国文学も、教室で講ぜられているものはすべて容易だ。その彼方に難関があるとしても、このたやすい道の果てにあるもの、そういう種類の難しさが自分にとって何であろう。私が求めているものは、はじめからしまいまで困難にみちみちている結晶よりほかにない。たとえば砂漠の吹きだまりにふとみられる紋様の意味を解こうとして生涯たちつくしておられたら……完成とはそういうものではないか、直達しようとする者だけが感じるあの抵抗ではないか——こういう願望を実現する手だても分らないままに、博物館の小僧にでもなれたらと空想していたのです。この計画は口に出したとたんに浅薄になるところがあって、たちまち私は放棄してしまいましたけれども、この汎神論の匂いのする偏向をどのように転がしてゆくかが、その後の私の戦いとなったのです。
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hazakura-ki · 26 days ago
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『現代歌人文庫 塚本邦雄歌集』より
祕密もちてこもれるわれの邊に睡り初夏耳の孔紅き猫 鮑(あわび)削ぎつつ黄の夕光(ゆふかげ)に目つむれり 胃は人閒のうちなる沼 寒卵(かんたまご)うち點燈(とも)りつつ累なれりわれにも宥さるる睡りと死 夕闇に鶴たつたつた今われの耳のうしろに火のかをりして
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hazakura-ki · 26 days ago
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ヴォーヴナルグ
ある思想が、単純な言葉で表現できないほど薄弱であるならば、それはその思想をしりぞけてよいことを示す。——ヴォーヴナルグ
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hazakura-ki · 26 days ago
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坪内祐三×福田和也『革命的飲酒主義宣言』その③
坪内 そうそう。ねえ、福田さんは、なんでオカルトっぽいものまったくだめなの? 福田 なんでって……わはは、いつも言ってるとおり、根っからの俗物だからだよ。信じるのはゼニと女と酒、ビバ・バルザックな人生。まあ、バルザックはけっこうオカルトだけどね。骨相学に凝ってて。脳の器である頭蓋の大きさと形で人間が決まるという学説。 坪内 19世紀には、それが論理的な学問だったんだよ。オカルトと、オカルトじゃないものの線引きって、けっこう難しいね。
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hazakura-ki · 26 days ago
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坪内祐三×福田和也『革命的飲酒主義宣言』その②
坪内 そういえば、開会式で、カナダの"国民的詩人"が朗読したの。それがさ……詩人・田村隆一の言葉で「詩人というのは太っていてはいけない」というのがあるけど、その真逆でさぁ、メタボの倍ぐらいある、ウエスト150cmぐらいの詩人で。
福田 でもまぁ、アポリネールっていう人がいるからね。アポリネールは肥満だけど、どう考えても田村隆一より、いい詩人だからね。あと、ヴィクトル・ユーゴーも太ってる。あと、プーシキンも太ってる。
坪内 でもアポリネールは、顔もすごかったじゃない? カナダの"国民的詩人"は、顔は凡庸なんだよ。
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hazakura-ki · 26 days ago
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坪内祐三×福田和也『革命的飲酒主義宣言』①
福田 村上春樹先生の新作『1Q84』も、新興宗教の話だね——書評で書くからあんまりここでコメントできないけど。
坪内 そう。オレもこれから読もうと思ってる。ヨガ道場「オウムの会」(オウム真理教の前身)って、1984年にできて、'89年に宗教法人になるわけでしょう。そういう意味では、村上春樹が地下鉄サリン被害者を取材して書いたノンフィクション『アンダーグラウンド』('97年)と、対になる作品なんじゃないかな。
福田 あと、『神の子どもたちはみな踊る』('00年)も、すごく宗教の匂いしてますよね。「ものみの塔」(エホバの証人)っぽい宗教団体が出てくるし。今回の『1Q84』にも、「エホバの証人」や「ヤマギシズム」を思わせる宗教団体が出てくる。——でも『1Q84』は、けっこう厳しいところもある。前作の長編『海辺のカフカ』('02年)よりちょっと……。
坪内 え! 『海辺のカフカ』も、作品としては厳しかったじゃない。
福田 そうかな。『1Q84』は、作品の中では否定してるんだけど、パラレルワールドっぽい仕掛けをしてる。
坪内 へえ。すでに上下合わせて六十何万部も売れてるんだってね(その後、あっという間に100万部を突破)。
福田 ワタクシの場合、職業的な批評と、本当に面白がって読んでることの区別がつかないから。この商売をやってるとね。ただ、書評は頑張って書きやすい。
坪内 1983年くらいに、コピーライターの糸井重里さんが、『話せばわかるか』って対談集を出したんだよ。最近それを、三軒茶屋の小さな古本屋で100円で見つけて、村上春樹との対談部分を読んだら面白かったよ。面白いというか——村上春樹って、その手の対談を自分で本にしないでしょう。で、「'68、'69年に、自分は、学生運動してたヤツに裏切られた」と言ってるんだよ。「スト決行」と言っていたのに、急に「ストをやめる」と言われた、と。
福田 その話は、書いてるよね、いろんなところで書いてる。
坪内 「なんでストをやめるのか?」と質問したら、「……だって母親が」とか言い訳して、みんな試験受けに学校に行った、と。その連中の"言葉"に裏切られた、と言ってるわけ。その後、言葉で何か表現するということに対して抵抗があって、それが消えるまで10年くらいかかったと。
福田 ふむ。
坪内 原点に"政治の言葉"に騙された経験があって、そのあと、今度はオウム事件が起きて、大勢の信者が教祖の"宗教的な言葉"に騙されたのを目の当たりにして……。そういうことに対して、村上春樹は言葉で"対決"していこうという気持ちがあるんじゃないのかね? でね、オレは村上春樹の小説って読めないんだよ。
福田 というと?
坪内 『海辺のカフカ』は、新聞記者に「読んで感想を書いて」と言われたから読んだけど——わかりやすすぎるんだよね。言葉がクリアすぎる。ダブルミーニング的な部分とか、読み取れない部分がない。それは確信犯的にやってるんだろうけど、オレはやっ��りね、言葉がクリアすぎる小説ってダメなんだよ。
福田 なるほど。
坪内 もちろん、オレだって言葉を信じてるよ。だけど、その上で、……"わざと複雑に書く"ということではないんだけど、言葉には、自分でもわからない"決定不可能"な部分がやっぱりあって。で、両方の意味に取れるようにあえて書いたり、自分でもわからないままにするんだよ。村上春樹って、そういうことをしないで、全部を明確に、クリアにするでしょう。それはむしろ、危険な言葉の使い方のような気がするけどね、オレは。極端なことを言うと、村上春樹の作品は、ある程度の知能を持った人なら、全部作者の意図通りに読めちゃうわけだよ。でも、作者の意図を超えたところで読まれる可能性がある——それが、作品の面白さでしょ。
福田 『ねじまき鳥クロニクル』('94年)以降の村上春樹は、あまり闘ってないですよ、正直ね。ねじまき鳥は、ほとんど訳が分からない。本人も何がやりたいのかわからないで書いてたんだよ。一番スリリングだね。
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hazakura-ki · 1 month ago
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千葉雅也『センスの哲学』
これはひとつのライフハックで、何かをやるときには、実力がまだ足りないという足りなさに注目するのでなく、「とりあえずの手持ちの技術と、自分から湧いてくる偶然性で何ができるか?」と考える。規範に従って、よりレベルの高いものをと努力することも大事ですが、それに執着していたら人生が終わってしまいます。人生は有限です。いつかの時点で、「これで行くんだ」と決める、というか諦めるしかない。
・人生の途中の段階で、完全ではない技術と、偶然性とが合わさって生じるものを、自分にできるものとして信じる。(p183)
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hazakura-ki · 1 month ago
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橋本治「'89 上」
台風って「加害者」でしょ。人間だって「台風」だよ。そのシチュエーションの最たるものは「恋愛」でしょ。
恋愛は、もちろん、他人を傷つける行為でもあるよね。だから十分、恋をすることは「加害者になる」ことだよね。「恋する自分」になるってことは、「責任を持って自分の恋愛を遂行する」ってことでしょ? こういうと恋愛ってすごく大変なことのように思うかもしれないけど、恋愛だけを特別に大変扱いするのってやっぱりおかしいと思う。みんな「恋する」ってことを狭く考えすぎてると思うんだけど、人間関係って、大なり小なりお互いの恋愛感情で出来上がってるんだよね。そこに気がつかないから、恋愛だけ特別にしちゃって、「極端な恋愛」にしちゃう。「極端な恋愛」っていうのはすごく疲れるもんですよ。(橋本治「'89 上」 p26)
人間てやっぱり、男だったら女だけ、女だったら男だけ、同性愛者でも「愛」ったら一人だけって、相手を一種類に決めちゃうもんだからさ、恋愛っていうのが狭くなる。恋愛という他人との関わりによって決められる「自分」というものも狭くなる。「すべての人間関係はなんらかの形で恋愛感情を含んでいる」っていうのはそこなんだけど、他人を見てさ、自分にないものを持っていてそれが自分にとっては必要なものであるってことが分かったら、そこに恋愛感情が生まれるのは当然でしょ。そういう意味で、人間とはもっと高度に複雑化したゾウリムシであってしかるべきもんだと思うんだけど、近代自我って、それを切っちゃったんだよね。「複雑すぎて分かんない」って。「とても自分の頭じゃ処理出来ない」って。だから、つまんなくなっちゃったんだよ。他人との関わり方が、すごく限定されちゃってね。
自分と他人との境界を接触させて、お互いに「核」なるものを交換すればいいんだ。それが人間を生き延びさせる「恋愛」という核交換なんだもの。俺、ボーダーレス社会っていうのはゾウリムシになることだと思うよ。ゾウリムシにだって、それぞれ「個なるゾウリムシ」を形作る輪郭ってあるんだから。
境界を隔てたところにあるのは「異文化」でしょ。異文化は別に外国にあるもんだけとは限らない。その人間にとっての最大の異文化は「他人」なんだから。でも今みんな、自分というものをきちんと見ていないから、「他人」というものが最大の異文化であるってことが分からないのね。
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hazakura-ki · 2 months ago
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小林秀雄「ランボオⅠ」
宿命というものは、石ころのように往来にころがっているものではない。人間がそれに対して挑戦するものでもなければ、それが人間に対して支配権をもつものでもない。吾々の灰白色の脳細胞が壊滅し再生すると共に我々の脳髄中に壊滅し再生するあるものの様である。 あらゆる天才の作品に於けると同様ランボオの作品を、その豊富性より見る時は、我々は唯眩暈するより他能がないが、その独創の本質を構成するものは、決して此処にないのである。例えば、「悪の華」を不朽にするものは、それが包含する近代人の理智、情熱の多様性ではない。其処に聞えるボオドレエルの純粋単一な宿命の主調低音だ。 創造というものが、常に批評の尖頂に据っているという理由から、芸術家は、最初に虚無を所有する必要がある。そこで、あらゆる天才は恐ろしい柔軟性をもって、世のあらゆる範型の理智を、情熱を、その生命の理論の中にたたき込む。勿論、彼の錬金の坩堝に中世錬金術士の詐術はない。彼は正銘の金を得る。ところが、彼は、自身の坩堝から取出した黄金に、何物か未知の陰影を読む。この陰影こそ彼の宿命の表象なのだ。この時、彼の眼は、痴呆の如く、夢遊病者の如く見開かれていなければならない。或は、この時彼の眼は祈禱者の眼でなければならない。何故なら、自分の宿命の顔を確認しようとする時、彼の美神は逃走して了うから。芸術家の脳中に、宿命が侵入するのは必ず頭蓋骨の背後よりだ。宿命の尖端が生命の理論と交錯するのは、必ず無意識に於いてだ。この無意識を唯一の契点として、彼は「絶対」に参与するのである。見給え、あらゆる大芸術家が、「絶対」を遇するに如何に慇懃であったか。「絶対」に譲歩するに如何に巧妙であったか。
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