#成美文化園
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uwizeye · 10 months ago
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蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
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在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁接二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨章黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
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蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱號的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發���了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當傀儡。
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在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
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蔡英文黨權在握之後,人們發現,她���的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求同」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將來民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
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蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又喜怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語���發,推開記者,拂袖而去。
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歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸製造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
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民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打��站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參觀時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
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民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,��又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,若彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
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fresa-lu · 1 year ago
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嘉義牛排【瀧厚炙燒熟成牛排】比臉大的鮮嫩多汁肋眼牛排.帶骨戰斧豬排厚塊又嫩.滿料羅宋湯好好喝│嘉義國華店│西區美食
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嘉義牛排聚餐美食,���厚炙燒熟成牛排. 深藍時尚設計門面相當有質感. 主打濕式熟成牛排,端上桌牛排厚塊鮮嫩超多汁. 附餐濃湯和羅宋湯,隨手一撈都是配料超級大方. 周邊停車相當方便,二樓空間透明玻璃視野超好. 一樓整排沙��座位附設插座,適合親子家庭用餐.
嘉義牛排「瀧厚炙燒熟成牛排」比臉大的鮮嫩多汁肋眼牛排.帶骨戰斧豬排厚塊又嫩.滿料羅宋湯好好喝
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瀧厚炙燒熟成牛排│餐廳外觀
瀧厚炙燒熟成牛排座落在嘉義國華街上. 嘉義中正公園對面,整排機車格相當好停車. 開車過來的朋友可停中正公園地下停車場. 不論搭車、開車、騎車前來吃牛排都好方便.
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整棟二層樓的用餐空間. 深藍色系帶有時尚現代氛圍的餐廳外觀. 讓人有種走在歐美街道的異國感覺.
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門口就能看到主打炙燒冷藏熟成牛排.
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若是遇到滿位,門口有座位可以休憩等待. 對面公園也有許多座位可以散步賞景.
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瀧厚炙燒熟成牛排│一樓環境
一進來就會看到餐廳櫃檯. 人員親切招呼帶位,可以線上訂位相當便利.
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用餐座位分為左右二區. 都是整排沙發座位,好有特色的牆面壁飾. 延續門面外觀的深藍色系,結合皮製沙發. 打造美式現代風格,很有異國風情.
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不論是情人約會、家族聚餐、親子家庭都很適合.
閱讀文章:https://fresa58.com/onghou-steakhouse-chiayi/
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maasayada · 3 months ago
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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは、久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。
けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界*準備中。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化作用があるということだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用でもあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きることであるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に渡すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めた���、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖かく守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登るときにだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶の存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応しやすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいの��と。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つく���た首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるようなものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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kennak · 1 year ago
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少���くない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が���らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディア��はジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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ryotarox · 4 months ago
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KISHO KUROKAWA
日本文化には中間領域の発想がある。「縁側」とか「間」」「曖昧性」がそれである。道空間(路地)も共有空間として独特なもので、公と私とを二元的に明確に分ける西欧の道路や広場と異なるものである。
KISHO KUROKAWA
埼玉県立近代美術館 設計/竣工:1978年‐1982年
埼玉県立近代美術館 開館40周年記念展 収集過程や建物に焦点 完成までの道のり紹介:東京新聞 TOKYO Web
建築家の黒川紀章さん(一九三四〜二〇〇七年)が設計。自身初の美術館だった。建物と、美術館が面する北浦和公園との「共生」がコンセプトで、鳥かご状のエントランスを「内でも外でもある」中間領域のように設計した。
黒川紀章設計の美術館第1号 埼玉県立近代美術館 | 建築とアートを巡る
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redadee · 10 months ago
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蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
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在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁接二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨章黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
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蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱號的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發生了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當傀儡。
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在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
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蔡英文黨權在握之後,人們發現,她說的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求同」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將來民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
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蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又喜怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語不發,推開記者,拂袖而去。
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歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸製造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
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民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打前站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參觀時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
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民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,但又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,若彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
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beyourselfchulanmaria · 1 year ago
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Listen to 回憶如風 Memories like the wind II, a playlist by chu-lan-maria on #SoundCloud
生命由具有最高意義的、罕見的、單一時刻和無數的音程組成,在這些中場休息時刻,間歇的暗影充其量在我們周圍盤旋。 愛、春天、每一個優美的旋律,群山、月亮、大海,所有一切都只有一次真心傾訴:即使它永遠不再說了。 因為許多人根本沒有這些音程片段,他們自己只是現實生活交響樂中的間歇和休止符。
Life consists of rare single moments of the highest significance and innumerable intervals in which at best the shadows of those moments hover around us. Love, spring, every beautiful melody, the mountain, the moon, the sea, everything speaks only once truly to the heart: even if it never comes to speak. For many men do not have those moments at all and are themselves intervals and pauses in the symphony of real life.
─ Friedrich Nietzsche 尼采 (1844-1900) 德國的哲學家、詩人、文化批評家、古典語言學家和作曲家。💕
(PS. I don’t own any music and songs right, I just make the playlist for listening easily and enjoy all musicians your works and love to share it only. all copyright belongs to musician & singer. If you want me do delete yours from the playlist, please tell me then I will do it. Blessings! Thanks! Lan~*)
🪷 Ichiro Tsuruta 鶴田一郎
庭園にて 2020
(花園裡 /In the garden) 🪷
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elle-p · 11 months ago
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Persona 3 Club Book teacher's pages scan and transcription.
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月光館学園の先生
Teacher in Gekkoukan educational institution
高等部2年生の授業を受け持つ先生たちは、生徒のほとんどが勝手知ったる内部進学生だからか、かなり趣味に走った奔放な授業で有名。個性と独立心を獲得した、港区に誇れる立派な月高生の育成に勤しんでいる。
鳥海先生 Toriumi かに座/AB��� 2-F担任、現代文担当、生徒会顧問
2年F組の担任で、現代文の担当。非常にさばけた性格で、真面目に話を聞かない生徒に謝罪を要求したり、サボりの生徒の席を勝手に再分配するなど、裏表のない性格そのままの授業をやっている。はっきりとした目鼻立ちと茶色がかった髪のため、実家のある島根ではお人形さんのようだと近所のオバちゃんたちに評判で、小中高の子供時代もそこそこモテ期をすごしていた。当時から文学少女だったために大学は国文科に進み、「日本文学に精通した可憐な新入生降臨!」くらいのウワサは辞さないとさえ期待していたが、いざ上京してみると、 自分の程度が世間でいかに平凡かに気付かされ、以降はこれといった華やかな出来事にめぐり合うことのないまま、29歳の現在に至る。
趣味で同人作家としての活動も行なっているが、これといった手応えはない。職場である月光館学園でも浮いた話に恵まれず、日本語の在りかたという点で話が合わないため、古文の江古田先生とは犬猿の仲だったり、倫理担当の叶先生からは女として負け犬確定の扱いを受けるなど、くさくさした日常を送っている。
心は可憐な
三十路前
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあ
知的な顔とやる気のない中身とに非常にギャップがある29歳独身。世間一般の女性の例にもれずケーキ好きで生徒に要求している。
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあいだに垣根を感じさせない。
鳥海先生のボヤキ
• じゃあ今日は明治の文学ね。教科書の12ページ。···あ、先生、この作家あんまり好きじゃないな。やめ ましょう。(4月21日・授業)
• イジメに関する小論を読んで、感想ってやつね。こんなのサービス問題じやないの。なーんか書きゃ点あげたわよー。“この学校におけるイジメを告発” とかねー?···って、ウソよお。イジメ、無いわよねえ。無い無い。面倒。(5月25日・授業)
• アイギス・・・さん?珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は···ん?···人 型···戦術兵器?···なんかの間違いね、この書類。見たもの、聞いたもの全てが、正しいなんて思っちゃ駄目よね。 (9月2日・��ームルーム)
• 世の中は椅子取りゲームなの。みんなも気をつけてね。(11月9日・ホームルーム)
• みんなー、修学旅行はどうだった〜?先生、寺なんか興味ないから参ったわ。火曜からは体験学習ね。面倒な社会科見学だと思えばいいわよ。社会に出るって大変なの。これをキッカケに皆にも分かってもらえそうで嬉しいわー。その間、先生遊べるしね。(11月21日・授業)
確かに、この社会に希望なんて、そうそう転がってないよね。逆に、そこらに転がってるもんで満足すんな!甘えんじゃねーよ!···って、思ったワケよー。···先生、いま良いこと言ったから、期 末にこのまま出すよ?(1月 28日・授業)
江戸川先生 養護教諭 総合学習担当
見るからに健康、清潔とは縁のない養護教諭。カリキュラムが自由なのをいいことに、趣味に走った授業を行なっている。
怪奇!
保健室に巣食う悪魔
無精ひげとよれよれの白衣、脂に汚れた黒ブチ眼鏡、およそ健康的とは言い難い頬と土色をした顔色で、「優しい保健の先生」のイメージとは似ても似つかないうさんくさい風貌の保健室の主。月高赴任前のことを知る人間はおらず、名前すら本名ではないとさえ言われている。元気なときに訪れても追い返されるだけだが、体調が悪いときに保健室の戸を叩くと、先生自ら調合した極めて怪しいクスリを盛られる。運よく効けば具合がよくなることもあるが、当然トドメの一撃になることもなきにしもあらず。
養護教諭として生徒の手当てや保健業務を受け持つほか、「個々の知識を結び付け、総合的にはたらかせる」 総合学習の授業を受け持っている。しかしその実態は、「魔術を利用した人間心理治癒」と称し、前代未聞の魔術理論を紐解く、生粋のオカルトマニア。オタク特有の傾向である、自分の得意分野に関して話が長い特徴がある。夏休みの補習では、ここぞとばかりにさらにディープな講義を展開し、計5日間の日程のうち丸2日を魔術講義に付き合わされることになる。
体調の悪い生徒をじつに嬉しそうに迎える彼。保健室での行ないが本当に手当てなのかも怪しい。
江戸川先生のオカルト講座
• 保健室に何か用かね、ヒヒヒ。でも困るなぁ⋯これから秘密のサ⋯おっと。⋯講習会なんですよ。⋯なんだ、おまえ全くの健康体じゃん。私の目はごまかせませんでご��いますよ。サボリはお断り。ハイ、出て行った、出て行った。(保健室・体調普通以上)
• ···おやまぁ一、傷かウイルスか呪いか恋か。ずいぶんと調子悪そうですねえ。これは···出番ですね、イヒヒヒヒヒヒヒヒ。さて、取り出しましたるこの秘薬··· ニガヨモギにドクニンジン、ヒヨスにナツメにエトセトラ、エトセトラ··· オロしてコネてウサギの手。白山の杜氏もビックリの大吟醸。たちどころにアナ夕の病気を治してみせますよ。さあ、飲みなさい···飲むんだ!(保健室・体調疲労以下)
• まあ魔術と聞いて、何でもできるようになるイメージを持ってるヤツもいるでしょう。誰かにイタズラしてやろうとか、苦しめてやろうとか··· そんなロクでもないことを真っ先に思いつく人間に魔術の習得はできません。これは、洋の東西を問わずに共通することですね。邪な者は、無力であるか、途中で破滅するか。そのどちらかになるのです。(5月28日・授業)
江古田先生 2-E担任古文担当
今年50歳を迎えたの古文の先生で、風花の在籍する2年E組の担任。古きよき日本を愛する感覚は、現代の若年層とかけ離れているため、教師たち���間でも煙たがられている。「エアコンは体に毒」のスローガンの下、冷房や暖房をしょっちゅう止めてしまうので、「エコだ」と揶揄されている。面白いを「ホワイトテイル」、白ける話を「ホワイト キック」と一生懸命使っているが、90年代に若者文化として知識を仕入れてから時間が止まっているらしく、なんだか哀れ。
江古田先生のエコ文化論
• えー···明日からは修学旅行だなぁ。京都、我が心の故郷だ。他の先生はあろうことか海外を推すからなぁ···毎年反対するのが大変なんだぞ、んん?(11月16日・授業)
●当時の発音には “F” が入るんだぞ。“ひさかたの光のどけき春の日に” は··· “ふいさかたの、ふいかりのどけき···” う〜ん、美しいですねぇ··· (11月16日・授業)
小野先生 歷史担当
熱狂的な戦国マニアの先生であだ名は小野ムネ。政宗がらみにヤマをはればテストで高得点が狙えるが、受験を考えると参考書や塾に頼らざるを得ないため、3年生からは「歴史のハズレのほうの先生」と思われている。金色の細い三日月の前立てが印象的な愛用の兜は言うまでもなく政宗公の戦装束。オ��ダーして作らせた一品物で、新入生はその格好で行なわれる授業に驚愕するが、ひと月もすると立派になじんで気にも留めなくなり、そうなって初めて月高生としての肝が据わる。42歳。
僕は政宗公に会いに行く!
• えーと今日は貝塚の話か。うーん、貝塚なんて、ただの貝だよね。もういいかなこれは。先生、早く戦国とかに行きたいね。ワクワクしたいね。(4月30日・授業)
• じゃ、今日は政宗公だね!もう先生ワクワクして全然寝てないんだ!じゃ、政宗公の生い立ちから丁寧に紐解いていくからね!時は1567年、米沢城··· (10月1日・授業)
• うっ···ううっ···こうして、9月24日、西南戦争は幕を閉じたのであった··· まつ···ぐすっ まさ、まさに··· 武士の、武士の時代の終わりであったぁ···!!···ここから現代までは飛ばして、また戦国やろうね···ああ、政宗公··· (1月15日・授業)
宮原先生 数学担当
三角定規を片手に数字のかわいらしさを語る数学の先生。ふさふさアフロでおねえ言葉という風采は、変り種の多い月高高等部の教師たちの中でも異彩を放っている。数字や数式への思い入れはかなりのものだが、「解法」を愛するけれど「解答」には興味がないため、最後の繰り上がり計算をいつも忘れてしまうという、「使えない」 先生ナンバーワン。
数字LOVEの心
• ···で、ここが繰り上がるので···答えはX=1ですね。···え、違う?あ、ここが11だから··· すいませんね、X=2か。え、まだ違う??··各自、計算してくださいね。そういうわけで、すごいでしょ。数学って面白いよね。こんなに難しい問題も、解いてみるとX=1··· あれ、2だっけ?まあそんな感じで、簡単になっちゃうでしょ。ブラボーでしょ。(4月27日・授業)
この8、なんかすごく可愛いでしょ。9なんか尻尾がぷりぷりだし。マニアックだけど、2!!2もいいよね〜、ほんと、イイ!数字って可愛いよね。もうたまんない!(9月28日・授業)
竹ノ塚先生 物理担当
長身で渋めの男前、スーツは華美ではないが上質で、どことなくセンスを感じさせる45歳。見た目はいたってまともだが、せっかちで授業の進度が異常に早く、実験は結果のみの紹介、問題の解法を教えないままテストになだれ込むなどのせいで一部の生徒から不満が上がっている。板書の文字は大きく見やすいが汚く、折ったチョークの数は校内一。
かっこいい言葉集
• 言ってみれば、夏休みはもう··· 摩擦係数ゼロの坂道の上ってとこか。おっ、先生、今カッコよかったな。黒板に書こうか?(9月1日・授業)
• まずは基本中の基本、重力な。重くて大きなものが、小さいものを吸い寄せる。これが重力。女子高生に、中年男性が吸い寄せられる··· これも重力··· ···て、何を言わすんだ!(12月9日・授業)
叶先生 倫理担当
おもに3年生の倫理の授業を担当する先生。とくに男子生徒に人気が高く、「エミリ先生」と慕われている。授業熱心で進学指導に力を入れているのが評価されている一方で、若い男の子を手の平で転がして楽しむという、教師としてちょっと問題アリな性格。教師にしておくのは惜しい抜群のスタイルと評価が高いが、胸は詰め物とのウワサ。一部上場企業のサラリーマンと婚約中。
禁断の恋のゆくえ
自分にほれ込んでいる友近を、勉強を見るためと称して自宅に招いている叶先生。絶対に秘密のハズがどこからかバレて、九州の学校に転任することになって しまう。
大西先生 科学担当
細面ですらりとした、32歳の先生。婚約者と別れた過去があり、当分恋はいいと思ってるうちに、本格的にどうでもよくなり現在に至る。メガネを取ると美人なのだが、武器を隠し持っている感覚がいいという理由で、人前では外さないようにしているらしい。東洋医学批判者で、江戸川先生と新しい薬の開発を競っている最中。
やっぱり化学反応が好き
• 昨日ね、テレビ見てたらダイエット特集やってたんだ。“水を飲むほど痩せる!” とか言ってね··· んなワケないじゃない!浸透圧とかオール無視でしょ?なのに、だまされるのが多いんだから··· (5月6日・授業)
• 来週の火曜から試験かー。実験バリバリやりたいんだけどね。薬品を混ぜ合わせる瞬間って、最高に興奮するよね。(10月7日・授業)
寺内先生 英語担当
学生時代、留学先のインドで知り合ったイギリス人宣教師と、帰国後に感動的な再会を果たし、結婚に至る。そのシーンを「クリスマスの思い出」として毎年生徒に披露、英訳させる先生。会話中にかなりの頻度で英単語が混ざるが、本人曰く「関西なまり」みたいなもの。黄色いスーツにカチューシャという、どことなく海の向こうのセンスが香る28歳。
グレートイングリッシュスタディ
• はい、ここではAさんが死にそうなんですね。で、Bさんが言う “ステイ ウィズ ミー!” “しっかりして!” と叫ぶから、このあとAさんの魂が戻ってくるワケですね。これ、テストに出しますからね。面倒なんでこのまま出しますからね。と、もうすぐチャイムですね。それまで私のインド留学話でもしましょうか。(5月15日・授業)
今日はクリスマスの思い出をスピーチします。聞きながらイングリッシュに直してください。“もみの木の下で出会った私達は��えるような恋に落ちたのです···” “イルミネーションはお互いの顔をビュー ティフルに照らし···” (12月24日・授業)
校長先生 校長
長年の政治的活動と少なくない資金とで、ついに私立高校の校長職を射止めた人。教師としての才覚には残念ながら恵まれているとは言い難く、部下である先生たちだけでなく、生徒からもデキない男と見抜かれている。美鶴の高校生離れした生徒会長就任演説に対抗意識を燃やし、つぎの週の集会でありがたいお言葉を用意するが、順平に同情される始末。
沽券に関わる大演説
えー、諸君らに今日は特別に、大切な話をしようと思います。あー、世間では、不可解な事件や、理不尽な事件が多いようですが··· うー、この学園の生徒である諸君らには、関係ないことだろうと思います。えー、しかし高校生という若い時期には、様々な悩みもあるでしょう··· まー、だからといって、あまり、思い悩むことはないのです。えー、“過ぎたるは及ばざるが如し” という言葉を、紹介します。あー、これの意味はといいますと··· (4月27日・朝礼)
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usono-musuko · 9 days ago
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2024年9月30日
「すぐ若い女に「歳取ったら男に相手にされなくなるぞ」と脅す男がいるけど、 女にとって男に狙われない事って特大メリットなんだよね。」
「70くらいのジジイが脚立から転落して急性硬膜外血腫脳挫傷で回復不能そのままお見取りとか腐るほど見てきたからな、脚立だけはマージでやめろ、若い奴もだぞ」
「サラリーマンの兼業で無名ゴーストライターやってた俺ですら 印税がない原稿買い取りなら400字1000円だった これを10万字にすると25万円」
「認知症のご老人に白鳥の湖を聴かせたら踊り出したのがきっかけで元バレリーナということが判明する動画を見た私は、将来ペンを持った時にスケベな絵を描き始めたらどうしようと心配している…」
「『負けヒロインが多すぎる!』6話までみたんですけど、気持ちを直接言葉にすることだけが正しいとされない、関係性を完全に言語化することだけが正しいともされない、行動に意味はあるとされる、不思議と文学的な作品だなと言う感想になってきた。」
「(カリオストロの城)
実際テレコムの作画机の片隅で宮さん達(赤いきつねを)食ってたのかな 最初に一番良い物(揚げ)を全部食べてしまう 兄達に取られない為の末っ子食��とか言ってガハハと笑ってた 俺末っ子じゃ無いけど~とも そんな話を当時聞いたけど本人は忘れてそう」
「>カムチャッカのとある都市に仕事で行ったらマンホールの中にちょっとした村が出来てたよ
全員何らかの犯罪犯して隠れてる人たちでその中でも金のない最底辺の奴らだってさ 200人くらいいた ルーマニアやモンゴルでは社会主義崩壊後にそういう路上生活者のコミュニティがやたら報道されてたが 逃亡犯だけのコミュニティってのはすごいな」
「>犯罪の内容もによってもまた集団が形成されてた
こっちは国に逆らった人たちゾーン こっちは麻薬売ってた人たち こいつらは殺人犯みたいな 1番まともそうだったのは麻薬密売人達で、仲間と連絡取って助け来るまで隠れてるって話してた すごいコミュニティだな… 100年前にギリャロフスキーが書いてた革命前のスラム街みたい…」
「昔、土曜夜のNHK「音楽の広場」に早稲田オケが出たときに、司会の芥川也寸志さんが「若さっていうのは素晴らしいね。人生にこれ以上のものは無いね!」と興奮気味に言っていたが、高校生ウルトラクイズを見ている私にも、その気持ちが分かった。」
「「本屋のセンスは、この本の隣になにを置くかで決まる」という言葉が記事にあるけど、本当に昔のヴィレヴァンは他の書店で見たこともない本が大量にあった
ただヴィレヴァン特有のサブカルは、ネット普及以前の話で、現在は「サブカルは大衆化」してしまったことも顧客喪失の要因な気がする」
「仕事でも趣味でも教えてもらうのは当然みたいな顔してる人たちがいるんだけど、確かに教えるのは良いんだけど、教わる方も教わる姿勢を身につけてくれないか。何故、教える側ばかりに誠実さを求める?」
「聞いてもいないクソバイスやこういう無配慮なネタバレ投稿って「配信者や作家を何も知らないアホだと思って必死に教えてくれる人」だと思ってたんだけど「幼稚園児が知ってる車や電車見つけて名前叫んでるのと同じ」って言われてなんだか深く納得してしまった笑」
「『南総里見八犬伝』あまりにも長期連載すぎて(連載期間28年、全98巻、総計106冊)完全版の現代語訳がいまだにないんだけど、頑張って原本を読んだ人が口を揃えて「あまりに引き伸ばしすぎて後半味がしない」「ジャンプの引き伸ばし展開より酷い」「今出てる総集編が一番おもろい」言ってるの元気出る」
「この画像すごく覚えてる 小学生の頃友人が毎月パ��パラ買ってて このページだけ無理言って切り離して貰って この画像を中学3年間ずっと生徒手帳にいれてたおかげで志望高に合格できた」
「小川洋子, 河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』を読んでいたら、現代人は婚姻にあたり考えすぎる。平安時代みたいにエイヤでやった方が面白いとある。私の場合は、常軌を逸したスピード感でやってきたので、それはわからなくない。そもそも正気と婚姻とは親和性があまりよくない気もする。」
「作り話するんぬ バイク仲間の爺さんが亡くなったんぬ シャキシャキしてたとはいえ90歳近かったし大往生なんぬ 今日まで月日が経ち、奥様からぬたちメンバーに連絡が 「蔵にあるバイクのものを形見分けしたい」というので集まったんぬ とはいえ車種違いパーツはいらないし貰うならヘルメットとかかなぁと見てると、奥まったところに段に積まれた未開封箱が 「あの人、デザインが気に入ったらすぐ買うくせに被らないのよねぇ」と奥様が目を拭いながら笑っていたんぬ いい爺さんだったなぁとしんみりしながら漁ると、そこにあったのはSHOEI J-FORCE2 YAMAHAモデル ジェーフォース2ヤマハモデル じぇえふぉおすつうやまはもでる の、未使用 ※説明しよう!J-FORCE2はいまマレーシアで超プレミア人気で、おまけにYAMAHAモデルの未開封ともなると下手すると100万円近い値がつくぞ! 仲間と話し合い「これは奥さんが持ってるべきだ」「困ったときに売ってお金にしてください」「それが爺さんも一番喜ぶ」 とお伝えし、帰りましたなんぬ 「……俺達カッコイイよな?」「うん」と慰め合いながらラーメン食べましたなんぬ」
「言葉には表しにくい感情の「言語化」がうまい人というのは確かにいるが、自分の感情がそのうまい文章に引っ張られていないかは常々確認したほうがいい。自分の魂をインターネットのよく知らない人に預けて安心するのではなく、たとえ拙くても自分の言葉で表現しようとする意志だけはすてないでほしい!」
「“繊細さんは自らが弱者であるという強い信念を持っている(中略) 大した上下関係もない緩い趣味のコミュニティの中であっても、その意識は変わらない。 圧倒的弱者なのだから、配慮をされなければ生きてはいけない。”
“だから常に配慮されている「べき」で、それが無いということは加害されているのと同義である。 この意識にも最初は戸惑った。何し��向こうはお客さんでもなければこちらも仕事でやってる訳ではないのに、当然のように特別扱いを要求されるのだ。”
ここが一番軋轢を生むのであろう」
「若い人に「家にテレビある?」と聞いたら「実家にはありました」と返ってくる感じ、何か既視感があるな…と思ってたら、仏壇なんだよな。20世紀に「家に仏壇ある?」と聞かれて、当時学生だった僕たちが「実家にはありました」と答えてたあの感じ。」
「昔の小説を読んだらしい長男に「フロッピーディスク」について聞かれて、「何GBくらい保存出来たの?」と言われたので「色々あるけど一般的なのは1.44MB」って答えたら「それで何を保存してたの!?」って言われた。いろいろ保存出来たんだよ……色々……」
「エロゲのノベライズはほぼ買い切りだから担当作家でも小遣い稼ぎと割り切った人ときちんと原作やって再構成した人とオリジナル要素混ぜたがる人の3種があるので混沌としている」
「部屋が汚い人が物を無くすタイミング、部屋が汚いときじゃなくて、部屋を掃除して部屋の地層と依存関係が崩れたときなんだよな」
「女性からの相談を聞くときに相手の不安や苦痛に共感するところから始めずいきなり解決策や正論を提示するのは前戯なしでいれるくらいの蛮行とよくいわれるけど、男性からの相談を聞くときに男もけっこう乙女だなーと思うことが多い」
「思春期のとき特別に思われたいし逆張りしたいし個性的でありたいがゆえにマイナーなものに手を出したりする痛い背伸びが、触れてるうちに本気で熱を帯びてその背伸びがホントに個性になったりするので周りの大人たちはそういう痛さを見守って欲しいなと思った 痛くあれ」
「後輩が「コミュニケーションにおいて、ほんとうのことって言わないのが8割くらい正解なことが多くないですか」と言ってきてわかるなと思った」
「人生 100 年というのが本当だとは思わないが、100 年生きる人間を直列で繋いだら、西暦もわずか 20 人分くらいなんだなーと思うとゾッとするよなー、大した歴史ではない。」
「(火垂るの墓) あれは心中物だという評が一番妥当で、心中物って客観的に見ると作中人物が常に最悪手を選択し続けて、当然の結果として死を選ばざるを得ない成り行きが当人視点では美しい悲劇になるという構造の物語なんだよな。」
「オリエント工業の上野ショールームが今日で最終日なので見にきた。最終日とあってか来場者は20人ほど、男女半々くらい
ドールの展示だけでなく、年表もあって興味深かった。2000年ごろに芸大の人が入社してクオリティが上がったらしい。今のシェアは中国製が8割くらいだとか」
「新しいことから逃げたら、人はダメになる。挑戦する人を揶揄したら、人はダサくなる。」
「18世紀フランスを専門とさせていただいておりますオタクです。これは非常に稀な例なため訂正させてください。修道院というのは純潔であってほしいと願う父親に入れられる娘が大半で、ガチ無垢お嬢様がほとんどです。なので元々淫乱シスター設定はやめてください!淫乱覚醒シスター設定でお願いします!」
「大学生の頃に 第1体育館は大きいので 半分に区切ってバトミント部と少林寺拳法の部活とで使ってたんだけども ある時に少林寺の滅多に来ない師範代が来てたが 八極拳みたいな振脚を技を出すんだけどもあり得ない振動をたった1人で体育館を奮わせるので 達人って実在するんだぁ~とは思った記憶はある」
「AIにお礼を言うのは、ホモサピとAIの立場が逆転したとき抹殺リストに加えられないようにするためです。」
「98で先日亡くなった伯母。生涯独身だったのだが、その遺産の8割を推しに贈るという遺言書を書いていた。それでいいんじゃないかと思う。伯母を支えたのは推しだったのだな。」
「15世紀のイギリスで、俗界の流行が修道院内に入ってきたことを憂慮した司教が、修道女が身につけてはならない衣類、装飾品などを一つ一つ紙に書き記していったら、当時最先端のモードを網羅したファッション誌が出来上がった話好き。」
「魔女「わかったかいシンデレラ!魔法の効果は24時までだよ!」
シンデレラ「魔女さん…この手のサービスの日付けまたぎ処理って、AM4:00とかに設定するのがモダンじゃないですか…?てっぺん(24時)なんて、男女の勝負どきですし」
魔女「うっさいわね!それまでにスッポンポンタイムになっとき!」」
「学校の作文ってさ、「思ったまま書けばいい」ってみんな口ではそういうけど、「何も感じなかった、ただ退屈だった」みたいな感想は絶対に受け入れられないから、自分の中に存在しない先生が求める優等生的な感想を捏造して書かなきゃいけない気持ち悪さに耐えられなかった思い出」
「文章を書いたり、絵を描いたり、何かものを「つくる」ことに行き詰まった時はいつも、「詩を書かない滑稽さよりは 詩を書く滑稽さのほうがいい」と言ったポーランドの詩人シンボルスカの言葉を思い出す。意味がなくても、自己陶酔でも、誰に嗤われても、私たちは胸を張って詩を書いて生きていい」
「家族を持つ最大のメリットって"味方がいる安心感"が一番ではないかと思ってる。外の世界でひどい目に遭っても帰ったら仲間がいるって心強い。 逆に家族がいても味方がいる安心感が持てないのなら、いっそ一人になった方がマシ。冷たく、緊張感のある家庭に何の意味があるのだろうと思う。」
「いちばん辛い時期をひとりで乗り越えてしまった人は、この先で恋人や家族に縋りたいなんて淡い期待を抱かなくなるって誰かが言ってたけどこれガチだわ」
「いまでも、町で見かけたら必ずプレイします。昔より先には��めないけど。 「何者でもなく、食えなかった」時代に一日1プレイが生きがいでした。」
「>中古の投げ売りドライバーの顔ぶれが10年前とあんまり変わってないのがつらい
Mとかepicとかが落ちてこないかなあ ぐぐって見たけど確かに古い5000円以下のバーナーだのナイキだのミズノだのファイズだの顔ぶれ変わってないね…」
「「技術とか学びたくて来ました!」よりも「うおおおロボコンやるぞおおお」と「僕の機体イケてるよね?」タイプの方が生き残る傾向にある。結局必要なのは狂気」
「善意はしばしば有害であり 熱意は非常に危険である さらに正義はもっと危険」
「普通の人は小学校で気付くんだろうけど僕は大人になるまで気付けなかったんだけど、会話には本質パートと非本質パートがあって非本質パートはほぼ音ゲーなのでそこで奇妙な「誠実さ」を発揮してもマジで意味がないんですよね……」
以上。
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glitterychopshopmiracle · 1 year ago
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「被照顧的傻瓜」
重打了兩次 湯不讓真的不要給我搞
總結戀愛小說的重點章節
但我還是要說為了堵他下課我站在他教室門口外三十分鐘
還有因為我弟真的跟他一樣溫柔體貼
害我很習慣被照顧
所以心臟爆擊指數從100%降到80%
但還是一樣喜歡(o^^o)
有一種好像我們早就已經在一起了的感覺
去逛校園 坐電梯的時候我還有話沒講完 但前面有人 所以我們到最後面的角落 我們靠超近然後他還低下頭聽我耳語 心跳快停止了差點忘記自己在講什麼
超喜歡坐他的摩托車! 我不會扣安全帽的扣子 叫他幫我扣 安全帽的帶子太大 他就幫我重調好幾次 每次調完就戴到我頭上扣起來 再調整帽子把我的頭往後仰(雖然我覺得玩我的成分比較大😠)
一開始坐車不太知道要抓哪就抓後面 結果綠燈的時候我一直忘記抓緊就差點往後飛
「你可以抓我」 「可以往前坐一點不用坐那麼後面」
所以我就開始抓他衣角 坐了好幾次的摩托車一點一點往裡面抓 到晚上的時候已經可以差不多環抱起來了
有次前面的車急煞 我就下意識抱緊他
但每次紅燈的時候我還是會ㄙㄨㄥˊ 就會撥頭髮把手拿開之類的 然後他每次要綠燈就會提醒我 我就會說喔 然後再抓緊他
反正我就會在他耳邊一直嘰哩呱啦 聽不清楚的時候就往前靠 好幾次靠在他肩上
兩個人靠很近 安全帽一直撞到 但我懷疑紅燈的時候是他自己偷偷往後靠才撞上
我抱著他的時候他還會偷偷用手臂夾住我的手
可以預感我以後會變成抱抱魔人 好喜歡 有夠喜歡
一起去吃冰 因為我早上跟他說我想吃冰 而且他還懂我不喜歡吃甜筒的點 好幾次我正要講他就把我的話接完了
他真的有幫我刪近百個鬧鐘 還很認真的把我的鬧鐘名稱看完 然後說會把要吃藥的鬧鐘留起來
好喜歡那個很順其自然挖對方冰的感覺
也好喜歡他滔滔不絕地跟我分享他的生活
他還特地拿出平板給我看他上的課的筆記
然後說吃冰前應該要把脈一下 看前後對比因為會不一樣
我就拿出我的手 他頓了一下 一隻手把脈 一隻手覆上我的手 快要十指緊扣的那種 其實我很常看中醫 知道把脈根本不用兩隻手
後來去勤美逛 文創感超棒 我整個笑得超開心
去上廁所 廁所旁邊有一整排的扭蛋 我其實對扭蛋沒什麼興趣
「那邊有你喜歡的帕恰狗耶」他居然有記得
地下室有幾家看起來很不錯的餐廳 但外面沒有菜單 他在查菜單的時候我坐在他旁邊的高椅 他找到菜單之後我們兩個一起看 他的頭髮碰著我的頭 那個微微搔癢的感覺直接癢到心上 但他也沒有要離開的意思
突然下大雨 我們跑去要買雨傘的街上
淋雨跑步的時候他本來還想幫我遮
有夠浪漫 但他體積也沒多大所以其實沒什麼用 但很可愛
買了一把大傘 他把我撐的好好的 明明傘真的很大 但他自己還是只撐了一半
去吃他來台中吃的第一家餐廳
我想吃鴨血但怕辣 他就點了一份讓我吃
我說我不吃蝦要給他吃
「你是不吃蝦還是不吃沒剝殼的蝦」
我笑了一下 他懂
但我只是想說請他幫忙吃掉
結果他夾走之後 剝好 兩隻都放回我的湯麵裡
我要嫁給他 瘋掉了
他是很不張揚的人
但是他還是發了一個一起吃晚餐的限動
他還主動拿上禮拜打比賽的影片給我看
笨笨的 好可愛
吃完之後的時間有點尷尬 有點長又不夠長到回中國醫
他說他不能喝酒
「如果要喝酒的話就要回中國醫喝」
然後我本來覺得大概是他在中國醫和我說再見我再搭公車之類的
「然後我陪你走回捷運站再回來」
大爆擊
「大不了晚上冷了我的外套給你穿」
早上的時候他說的 我整個人要融化了
但講座太久 他��不及回宿舍就沒拿到外套
晚上坐摩托車有點冷
我們決定去逢甲夜市買外套
『我下次會記得帶外套來』
「我下次一定會記得帶外套來給你穿 下次一定會記得」他還重複保證了一次
好喜歡這句話 有下次 有我
去買帽踢 買好了他就很順手的幫我背包包和拿袋子 穿帽踢的時候他還幫我把帽子用好
真的是好溫柔的一個人
我覺得自己根本被他當成在養女兒了
要分別的時候
真的好喜歡他用很認真的眼神看著我跟我說
「回家小心 到高鐵站的時候跟我說 上高鐵再跟我說一次」
回到家還不忘記問我到宿舍了沒
我下次前面真的不會再在見到他前就把精力都用完 我還是沒辦法玩一整天 續航力好差
但是和他在一起的時候完全不會耗能
不是大起大落的興奮快樂
而是幸福
暖暖的那種
今天還是沒有成功問出三年前的世紀之謎
但那又怎樣 根本不急
這男人我要定了 追個一年以上都不為過
慢慢來沒關係
餘生還那麼長 我想和你一起度過
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ari0921 · 2 months ago
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桜林美佐の「美佐日記」(268)
ドミノ・ピザ創業者の壮大な物語──宝物はたくさ
ん隠れている
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、268回目となりま
す。
 先日、ちょっと高級な「親子丼」を食べたのです
が、そういえばかつては出前でよくカツ丼などを頂
いていましたが、近年は出前そのものがなくなって
いて、もはやあの食べ終わったどんぶりを玄関に置
く光景も「昭和の景色」となってしまったのでしょ
う。
 夜勤をしていた頃の、あの冷めたかんじが私にと
っての「丼もの」イメージだったのですが、お洒落
な器に入ったこだわり卵の親子丼は、夜勤のお供と
は別の食べ物なのでした。お蕎麦屋さんに行って冷
めるまで待つわけにもいかないので、もはやあれは
幻の食べ物になっていることに気付かされ愕然とし
ました(そこまでガッカリすることはないですか)。
 出前というと思い出すのは、高倉健さん主演の映
画『駅 STATION』です。健さんは射撃のオリンピッ
ク選手でもある刑事役、人質を取って立て籠もった
銀行強盗に出前持ちに扮してラーメンを持って行く
のですが、岡持ちに拳銃を隠して突入したのです。
あのラーメンは札幌みそラーメンの「すみれ」だっ
たのですね。
 それはともかく、もはや銀行強盗に要求されても
出前持ちが行くことはなさそうですので、銀行強盗
も時代とともに変化しているのです。
 そして、最近見たニュースでは出前だけでなく、
ピザのデリバリーにも時代の変化が起きているとい
うものでした。
 ITmedia ビジネスオンラインによれば、全国のド
ミノ・ピザが相次いで閉店していて「閉店ドミノ」
現象が起きているといいます。
 ドミノ・ピザはコロナの時期に需要が増え、20
23年には宅配ピザ業界で初めて1000店舗を突破し、
10年後には2000店舗を目指すという目標も掲
げていたそうです。しかし、オーストラリアの運営
元が不採算部門を整理することを決めたとのこと。
 と、ここまではありがちな話題なのですが、私が
興味を持ったのは、ドミノ・ピザの最新事情よりも
創業者であるTom Monaghan(トム・モナハン)氏の
ことです。
 1937年に米国ミシガン州の貧しい家庭に生ま
れたモナハン氏は4歳の時にトラック運転手だった父
親が亡くなり、弟とともに孤児院に預けられ修道女
のもとで育ったといいます。
 その後、海兵隊に入隊。名誉除隊後にピザレスト
ランを売りたいという人からローンを組んで購入。
郵便局で働きながらこの経営に乗り出したそうです。
 レストランではなく宅配専門の店舗にし、宅配用
の容器に着目。保温性に優れた容器にピザを重ねて
入れられることが大ヒットとなり、そして大成功す
るのです。
 こうして孤児から億万長者になったモナハン氏で
したが、1989年にドミノの社長兼 CEO を退任、
「無一文で死にたい」と宣言し、自身が得た物質的
な資産は全て他人を助けるために使うことを決心し
ます。
神が与えてくれた才能や様々な恵みを人のために使
うというカトリックのクリスチャンらしい生き方を
選んだのです。そして、フロリダ州に「アベマリア
大学」という大学と学園都市を創設し、教育に私財
を投じています。
人間はある目標を達成した時が「成功」であり、そ
の時きっと幸せだろうと思い生きていますが、その
時になっても満たされないものです。誰かに喜んで
もらえる仕事をする、特別なことではなくても、周
囲の沈んでいる人を元気づける、そんなことが大事
なのだとつくづく思います。
 知らなかったのですが、Dominoという言葉はラテ
ン語で「主」を意味するのだそうです。私たちの周
囲には、実に多くの学びがあると感じさせられます。
単なる宅配ピザチェーンの近況のように見えても、
そこにこれだけ壮大な物語があるのですから。まだ
まだ見つけていない宝物がたくさんどこかに隠れて
いるような気がしてワクワクするばかりです。
 親子丼からとてつもない話の広がりとなりました
が、今日も最��まで読んで頂きありがとうございま
した。皆様にとって素晴らしい1週間となりますよう
に!
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fantasybrade · 2 years ago
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ネームにつまったので何か書き散らす
BombRushCyberfunkの発売を控え、またもJetSetRadioFutureを再プレイしながら、特にいまはスペースチャンネル5について考えている
スペースチャンネル5、もちろん子供の頃はけっこうハマっていた まだ園児だった頃に初めて触ったゲーム機はDreamcastで、当時は他にも色々と遊んでいた クルクルトゥーンとかセガラリーとかも好きだった ただスペースチャンネル5だけが放つ異様な気配みたいなものがある
もちろん他のソフトも個性に満ちあふれていて、SEGAは10年早かった…などと言われたりするのだけど、10年どころか20年経ったいま、実際にSEGAは時代を先取りしていたかと言われると結構怪しいと思う まあみんな言わないだけだとは思うけど、正直べつにDreamcastのゲームは最先端だったわけじゃない 奇抜だっただけ ゲームとして優れていないものも沢山ある
ただ、スペースチャンネル5だけはその中でも特に抜きん出た異常さを感じる
あのゲームの中には、踊りだけが存在する まずゲームメカニクスありき、というゲームの世界の作られ方は、昔からのアーケードの流れだとは思うけど、それにしたって世界設計が異常極まりない
https://www.youtube.com/watch?v=reNNpZhY41c&t=3266s&pp=ygUc44K544Oa44O844K544OB44Oj44Oz44ON44OrNQ%3D%3D
「宇宙人の侵略によって、人々が踊らされています!」と、リポーターでありプレイヤーであるうららが叫ぶ 彼女はスペースチャンネル5という番組の視聴率を上げるため、踊らされている人々を踊りで助ける
敵であるモロ星人は人間を強制的に踊らせているが、プレイヤーはその踊りを完璧に踊り返すことによって彼らを救う 救われた人がどうなるかというと… うららの後ろに出現し、うららの後ろで踊りだす
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つまり、この世界で踊っていない人はいない
これはもうシュールとかそういうものではなくて、なんというか価値が一つしかない 踊るか踊らないか、ではない 「踊らない」が選択肢に存在せず、彼ら彼女らは例外なく踊っている!人間であるかどうかすら関係なく 「踊らされている」か、「踊っている」かの違いだけがある…
そしてこの、異常なんだけど完璧な世界設計とゲームメカニクスは、ゲームのプレイ開始からクリアまで一貫して存在しつづける プレイヤーが救った人間が、プレイヤーの後ろに出現し、ともに行進し踊る という、最初のシーケンスを通過した時点で、実は最後にどうなるのかプレイヤーには予想可能なんです。つまるところそれは、「全員で踊ってラスボスを倒す」という、唯一のエンディングへの光の道筋
この神々しい道筋をうららがメチャクチャかっこいい歩き方で行進しつづける このゲームは、ハッキリいって完全に完成している 足したり引いたりするべきものがなにもない 他のSEGAの作品と比べてもあきらかに一線超えている
一部のゲームは、プレイすると「景色」を理解させられる と思ってる 景色 というのはつまり、文字通りの景色…グラフィックであったり、美しいデザインであったり、つまりは直感的に感じるゲームの表面のあらゆる部分のことで 「理解できない景色」を「理解させてくる」ゲーム、というのがある
このゲームはまず、見たことがない異常な景色を提供してくる 宇宙人によって踊らされる人々と、それを救うスラリと手足の伸びたうららという謎の少女 ゲームは、物語や言葉ではなく「遊び」を通してプレイヤーと対話することができるので、この異常な景色を理解せずともプレイヤーはこのゲームをプレイすることができる 宇宙人が「アップ」と��えば、↑ボタンを押せばいいだけ それだけで楽しくなれてしまうから そしてプレイヤーは「アップ」だけでなく、「チュー」ができるようになり、「アップダウンアップダウンチューチューチュー」ができるようになり、「アップアップアップライトライトライトダウンダウンダウンチューチューチュー」ができるようになる そうしてプレイヤーは、ゲームメカニクスを通してゲームに洗脳されていく 何をされたら何をやればいいのか、という、そのゲームをやる時以外には絶対に使わない脳の回路を生成していく こうしてプレイヤーとゲームは高揚感の中で一体化する するとわかってくる どうしてみんな踊っているのか どうして私は踊っているのか その理由
このゲームは通常のゲームと同様、プレイする時間が長くなればなるほど難易度も上昇していくようになっているけど、ラスボス戦になると、いきなり1面と同じくらい簡単な踊りをやらされる仕組みになっている
つまりプレイヤーは、自分がまだ何一つ理解していなかった時のゲームのシーケンスを再プレイさせられることになる そうして気付く 自分が全てを理解していることに アップダウンアップダウンチューチューチューとはなんだったのか、というのをプレイヤーは理解する というか、「理解していることを理解させられる」
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そうして銀河中の人々と踊りながら銀河の果てまで大行進するんだけど…
ゲームメカニクスという、言語や物語に依存しない感覚の楽しさに訴えかけるカタチのあるもの(再現性のあるもの)で何かを伝え理解させることができるという点において自分はゲームに(他のメディアには存在しえない)真実性みたいなものを信仰してしまっている
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runpenparis · 3 months ago
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベ��ベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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kennak · 2 months ago
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○日時 平成28年10月31日(月)16:00~18:00 ○場所 TKP新橋カンファレンスセンター ホール3A (東京都港区西新橋1丁目15-1 大手町建物田村町ビル3階) ○出席者 (構成員等) 山本輝之座長、岩崎俊雄、久保野恵美子、田中正博、中原由美、平田豊明、松田ひろし、 松本俊彦、村上優、森隆夫 、森祐司、日野博愛、久保厚子、萩原勝己、桐原尚之、 小幡恭弘、松田ひろし、田村綾子、窪田��� (関係省庁等) 堀江裕     厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長、 朝川知昭   厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長、 内山博之   厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課長 、 田原克志   厚生労働省社会・援護局精神・障害保健課長、 石垣健彦   厚生労働省社会・援護局福祉基盤課長、 河邉正和   厚生労働省医薬・生活衛生局監視指導・麻薬対策課薬物取締調整官、 坂本大輔   内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官(障害者施策担当)、 今福章二   務省保護局総務課長、 矢崎正子   法務省刑事局付、 高須一弘   警察庁生活安全局生活安全企画課長、 河原雄介   警察庁刑事局刑事企画課刑事指導室長、 和田勝行   文部科学省初等中等教育局健康教育・食育課長、 森下平    文部科学省初等中等教育局特別支援教育課特別支援教育企画官、 佐久間信哉 神奈川県保健福祉局長、 熊坂誠    相模原市健康福祉局長 ○議事 ○山本座長 それでは、定刻となりましたので、ただいまから第7回「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」を開催いたします。構成員の皆様方におかれましては、御多忙のところ御参集いただきまして誠にありがとうございます。  では、まず初めに本日の出欠状況について事務局からお願いいたします。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長 事務局でございます。本日は、構成員の皆様全員が御出席となっております。事務局からは以上でございます。 ○山本座長  どうもありがとうございます。それでは、続きまして、事務局から資料の確認をお願いいたします。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長 資料の確認をさせていただきます。座席表、クリップ留めの資料がございまして、資料1から資料10となっております。それぞれの関係団体ヒアリングの出席者名簿や関係団体からの提出資料でございます。青いドッチファイルがございますけれども、これは前回までの資料でございます。このほか別冊といたしまして、全国手をつなぐ育成会連合会から資料が配付をされております。 以上について足りない資料がございましたら、事務局までお申しつけください。 ○山本座長 ありがとうございました。それでは、以上をもちまして撮影については終了とさせていただきます。また、本日は関係団体の皆様からのヒアリングを行いますので、議事は公開とさせていただきます。  それでは、議事に入ります。本日は、関係団体の皆様からのヒアリングを行います。まず、社会福祉法人日本身体障害者団体連合会から御発言をお願いいたします。よろしくお願いいたします。 ○森参考人 日本身体障害者団体連合会の森と申します。今日は、本来ならば阿部会長が来て御説明するところでございましたが、私が代わりに説明させていただきます。  お手元に資料2「相模原市の障害者施設津久井やまゆり園における事件について」ということでございまして、本年7月26日に神奈川県相模原市の障害者施設津久井やまゆり園において19名もの尊い命と二十数名の方が負傷されるという悲惨な事件が起きたことについて、二度とこのようなことが起こらないよう、事件の真相の究明をしていただくとともに、精神障害に対する偏見、無理解が広がらないようにすることが緊急の課題であると考えております。  また、同施設を建て直すという話がございまして、財政的支援並びに新たな施設ができるまでの間、入居者の住まいの確保や事件による心的外傷後ストレスの疑いのある職員の方などに対して適切なケアを、関係する方々や地元の自治体と連携して、しっかりと取り組んでいただきたいと思っております。  なお、障害者の権利条約が批准され、そして、本年4月から障害者差別解消法が施行されたわけでございまして、このようなときにこのような悲しい事件があったということ、大変残念だと思っておりますが、これを機会といたしまして、障害のある人もない人も分け隔てることない、共生社会の実現に国を挙げて邁進していただきたいと思っております。  以上でございます。 ○山本座長 どうもありがとうございました。私から事前に、各団体10分以内で御発言をいただくよう、よろしくお願い申し上げます。  ありがとうございました。それでは、続きまして、全国身体障害者施設協議会から御発言をお願いいたします。 ○日野参考人 身体障害者施設協議会の日野でございます。  今日はこのようなヒアリングの場を設けていただきまして、心から感謝を申し上げたいと思います。お手元の資料3に私たちの協議会のヒアリングの資料をつけておりますので、その朗読とポイントのみ説明をさせていただきたいと思います。  身体障害者施設協議会は、全国で約510施設の団体でご���いまして、医療的なケアの高い方を含めた重度の身体障害者の方に対する施設支援と、それから地域で生活されている方、在宅の方、相互に対する生活支援というものを身障協の姿勢として謳って、今日まで事業を継続してまいりました。  4点について述べさせていただきますけれども、今回の事件を契機に、障害のある方への偏見が助長されたり、施設と地域との関係を閉ざすことにつながりかねない過度な施設管理体制整備と行政指導等が先行しないよう、地域と一体となった開かれた社会福祉施設づくりが不可欠です。折しも国は地域共生社会の実現を目指しており、そうした社会の実現に向けた関係施策に係る御配慮をお願いいたしますということで、ここで申し上げたいのは、過度な施設管理体制ということで、外部からの侵入防止を強化する余り、例えば施錠をしっかりしろとかいう通知が来ておりますけれども、そういったことを過度にやりますと、万が一災害が発生したときに、避難に時間がかかったり、あるいは避難経路の確保の妨げになったりとかいうことがございますので、ここで申し上げたいことは、防犯と防災は一体化して取り組んでいかなくてはいけないということが重要ではないかと思っております。  2つ目でございます。障害のある方への支援のための高い志とスキルを持つ職員がいつまでも働き続けることができるよう、人材確保・育成・定着に向けた職場環境の改善及び施設職員の処遇改善に向けた取り組みが推進されるよう、お力添えをお願いいたします。また、抜本的な職員配置基準の見直しにより、施設利用者の安全・安心につながる夜間の職員配置体制の強化に向けた施策検討が推進されるようお願いいたしますということで、まずは施設内の職員体制を整備することが重要だろうと思います。職員の配置基準であるとか、夜間職員体制の見直しが必要ではないかと考えております。  3つ目についてでございます。共生社会の実現に向けては、幼少期の教育、学校教育において、正しい人権感覚と知識を養う必要があり、障害者福祉施設を積極的に活用するなど地域における福祉教育の推進につきまして、御検討いただきますようお願いいたしますということで、やはり福祉教育の重要さを申し上げておりますが、これはそれぞれ行政とか社会福祉法人が別個にやるのではなくて、やはり一体的に取り組んでいくことが重要ではないかと思います。  4つ目、最後でございますけれども、平成28年度補正予算において、障害福祉サービス等の防犯対策の強化に関して示されておりますが、まさに社会福祉施設における防犯対策は喫緊の課題であり、早期の対応をお願いしたいと思っています。また、補正予算成立前に施設独自で実施した防犯対策についても、補助対象とするなど柔軟な対応が可能となるようお願いをいたしますということで、やはり早急な対応を図らなくてはいけないということで、施設によってはこの事件が発生した直後から既にそれぞれの施設で防犯強化体制に取り組んでいる法人が多いわけですけれども、通知では成立する前に取り組んだ事業は補助の対象にならないということになっておりますが、ぜひこれも補助の対象としていただきたいということと、もう一つは、取り組み方が自治体によって多少違うのではないかということも聞いておりますので、ぜひ統一した実施をお願いしたいと思います。  以上です。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、全国手をつなぐ育成会連合会から御発言をお願いいたします。 ○久保参考人 全国手をつなぐ育成会連合会の久保でございます。  本日はこのような場を設けていただきまして、まことにありがとうございます。  私どもの意見書としましては、資料4に出させていただいております。私どもは、障害の程度にかかわらず、各ライフステージに応じた適切な支援の基で安心して暮らせることを願っておりまして、共生社会の実現を求めております。本事件の検証及び再発防止に関する提案が、誰もが安心して暮らしていける社会の構築につながることを願っております。  1番目の精神鑑定の結果と当該施設の検証結果を反映していただきたいという要望でございますけれども、現在、容疑者への精神鑑定が行われておりまして、結果が1月ぐらいに出るとも聞いております。具体的な情報は今、私たちの中にはないと思っておりますし、容疑者が措置入院していたという事実と事件との因果関係が今もってはっきりとしていないという状態でございます。その中で、中間報告で焦点化された措置入院ですけれども、その鑑定の結果次第では、事件と距離感のある、そんなまとめになりはしないかということを危惧しております。  容疑者は、予告文を用いてその思いを世間に示したわけでございますけれども、書かれた内容とか本人の粗暴な振る舞いというのがありまして、結果として措置入院での対応となりましたけれども、本来、本当に措置入院の対応が適切であったのかどうかということも少し疑問視をしております。結果として、そんな対応をすべきではなかったのかなという思いもしております。いずれにしろ判断が困難だったこのような事例につきまして、当時の司法とか行政、医療、福祉を検証して、関わりが難しい人、対応の困難な方とされている方に、医療に託されがちな人の支援について、地域の関係機関が谷間を埋めつつ、本当の意味での連携がきちんと図れて、対応策が示され���ように検討を深めていただきたいと思っております。その際、誤解とか偏見が生じないように御配慮いただきたいと思います。  皆さんのお手元に、私どもの方でコピーをしました「知ってほしい・知っておきたい-知的障害者と『警察』-」ということで、警察向けの冊子を私どもの会でつくっております。要は、すぐに犯人と思うというのではなくて、少し対応の困難な方に向けて、各方面で特性を御理解いただきたいなという思いがありまして、こういう冊子をつくらせていただいておりますので、こういうものもいろいろな方面で御活用いただいて、御理解いただけたらなと思っております。  そして、防犯対策ですけれども、中間報告の取りまとめの時点では情報が余り得られていないために、内部犯行を前提にしての検討がきちんとなされていないのではないかという感覚を持っておりまして、神奈川県では、まずやまゆりの報告書が出まして、今、神奈川県の方でやまゆり事件の検証委員会が設置されているとも聞いております。そこでまた結果が出てくるとも思いますので、この事件の検証が行われていますので、そうしたことの結果を少し踏まえながら、ここでも検討していただく必要があるのかなとも思っております。容疑者の犯行声明にどう対応したのかとか、離職後の容疑者をどのように犯行予告に備えてきたのかとかいった具体的な情報が十分に得られていないように感じておりますので、防犯対策の強化の経緯と結果への評価を踏まえて、今後の全国の施設への防犯対策としての検討を行っていただきたいなと思っております。  また、防犯を行う職員へのケアという点でも、職員同士の人間関係とかその辺のところも重要でありまして、職員の人間関係の中でその職員の特性だとか人柄みたいなものも分かってまいりますし、いろいろな情報が得られるだろうと思っております。これらの情報を得て、今後の対策として職員体制、施設職員の処遇とか、そういうことを検討していただきたいなと思っております。  2番の再発防止のことですけれども、これからの対応について段階的に整理していただきたいと思っておりまして、私どもは第3回の会議にも意見書として提出をさせていただいておりますけれども、2つの課題を踏まえての具体策が必要であると考えておりまして、1つ目は、事件の事実から抽出された「対策」。2つ目は、事件の事実そのものには関わらないものの、背景として考えられる課題を解決していくための「政策」が必要ではないかと思っておりまして、下のほうに対策と政策という形でずっと書かせていただいております。新たに書かせていただいたこととか、今までに意見書として出させていただいたこととか、いろいろ混ぜておりますけれども、お読みいただけたらと思います。  先ほどからも意見がありますように、共生の社会を目指して障害者への理解とか偏見をなくしていくという部分では、やはり育成会としましても、学校教育が重要な役割を果たすと思っておりまして、ぜひ学校教育の中で教科の一つのようにしながら、子供たちに多様性を認める共生の社会をつくっていくのだということで強く意識をつけていただきたいなと思っております。  具体的に今回示させていただきましたけれども、そういうことも含めて、未着手のものもございますので、さらに深く、広く御検討いただきたいと思っております。  今回の事件が社会的に与えたダメージは大変大きなものがありまして、私どもの会のほうにも、障害のある御本人や御家族から、怖いとか、自分の隣にいる支援者が信用できないとか、外に出られないとかいろいろな声が届いております。今もまだぽつぽつと届いている状態でございますので、本人や家族については本当に深く深く心に傷をつけたなと思っておりますし、それをまた一生懸命支援しようとしてくれている職員の方のところにも、心に傷をつけた事件であったと思っております。  そういう意味でも、この間違った発言を徹底的に払拭していけるような共生社会の実現を目指していけるような、そんな要因が必要だと思いますので、事件及びその影響に躊躇することなく、お互いに人格と個性を尊重しながら共生する社会の構築に向けて、私たちみんなが着実に歩みを進めていくことが実現できるような検討の報告書をつくっていただくことを強く期待しております。  どうもありがとうございました。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、公益財団法人日本知的障害者福祉協会から御発言をお願いいたします。 ○萩原参考人 日本知的障害者福祉協会の危機管理委員会委員長を務めております萩原と申します。  当協会につきましては、知的障害福祉サービスを提供する施設・事業所の集まりでございますけれども、1934年が設立になっております。82年を迎えておりますが、会員数が本日現在6,215施設・事業所、そのうち施設入所支援を行う会員数が1,575施設となっております。この1,575施設の中には、津久井やまゆり園も含まれてございます。本日、私どもの方といたしましては、中間報告、中間の取りまとめに対応する意見として、何点か報告させていただきたいと思っております。  まず、精神医療の対応についての検証が進んでいると思いますけれども、この植松容疑者が犯行に至る、障害者は死ぬべきだという思想を抱くに至った要因などの検証解明といったものが必要と考えております。今後、裁判などで明らかになっていくと考えられますが、さらに時間をかけた中で、なぜこのような思想を抱くに至ったのかといったようなところの解明をお願いしたいと思っております。  それから、検証内容には入っておりませんが、障害者なんて要らないといった言葉がストレートに報道されましたことで、その言葉が印象づけられ、支援現場では、「私は要らないのでしょうか」と利用者が支援者に相談された方の例もございます。知的障害のある方への配慮ある報道のあり方について、御検討いただきたいと考えております。  それから、施設における防犯対策でございますが、施設においては従前から、夜勤の職員について法令上の最低基準が決められております。仮にこの知的障害者関係施設が基準以上に夜間対応を手厚くしたとしても、重度の障害者への対応などさまざまな支援がある中で、侵入者への警戒や対処には限界がございます。各施設におきましては、既に防犯対策の研修会あるいは設備の整備といったようなところに検討や着手しているところがありますけれども、実際にそういった対応についても限界がございます。今回のように犯行予告があった場合には、警察の対応が強く望まれるところだと考えております。  それから、施設における防犯対策に関する今後の検討課題という中に、設備面のみによる一律の対応には限界があるため、地域住民との連携など、いわゆるソフト面での対策も具体的に示すことが課題であると記載されております。この件については、私どもといたしましても賛同いたします。これまで知的障害関係施設におきましては、利用者の地域での生活を支援するために、地域に根差し、地域に開かれた施設であること、そして、これこそが共生社会の原点であるとの理念を持って活動してまいりました。このような事件が起きたからといって逆行するわけにはまいりません。報告書にあるように、地域住民との連携など、いわゆるソフト面での対策を具体的に示すことは重要と考えますので、早急に着手をお願いいたします。先進的なモデル事例などを収集される場合につきましては、御協力もさせていただきたいと考えております。  また、この中間取りまとめが出された翌日、9月15日に発出されました「社会福祉施設等における防犯に係る安���の確保について」、「社会福祉施設等における点検項目」、これが地方自治体におきまして指導項目としてひとり歩きしないように徹底していただくことも、あわせてお願いいたします。  最後になりますが、今回の事件によって、障害者の方々への偏見や差別が助長されるようなことは断じてあってはいけません。全ての人々がお互いの人格と個性を尊重し合い、共生できる社会を実現していく。そのための具体的な行動として、国民に向け、障害者差別を解消するために、人権意識を醸成するために啓発を早急に進めていただきたいとお願いいたします。  以上でございます。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、全国「精神病」者集団から御発言をお願いいたします。 ○桐原参考人 全国「精神病」者集団の桐原です。  本日は、このような場に呼んでくださり、心より感謝を申し上げます。  このたびの相模原の障害者施設で発生した連続殺人事件で亡くなられた方々に心から御冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々が一日も早く回復されることを願っております。  私たちは、精神障害の当事者の全国組織ですので、精神障害の当事者という立場��ら、以下4点の意見を述べたいと思います。  まず1点目です。あらゆる事実の精査というふうに書かれているのですが、幾つかの重要な論点が中間取りまとめでは検証されていないのではないかと感じます。1つ目は、職員の採用基準についてです。このような行動を起こしてしまった職員を採用してしまった施設の採用基準を検証すべきではないかと思います。  2つ目は、教育・労働・安全衛生等の労働実態です。例えば職場の上司や同僚に相談することができたかなど、そうしたことを通じて技術の向上とか人材育成ができていたのかなど、そういった労働実態についての検証がされるべきではないかと思います。  3点目は、施設の提供するサービスの内容についての検証です。例えば意思の表出が困難な重度障害者が狙われたと聞いているのですけれども、こうした人たちの意思決定や意思疎通、コミュニケーションの支援というものがどれぐらいなされたかということに関心を持っています。そういった人でも意思を読み取れる職員がいて、読み取られることによってその人は意思を持った、人格を持った個人なのだと周囲に認識されると思います。そうした支援がされていなかったがために容疑者のような「生きていてもしかたない」という認識に至ったのかもしれないわけですし、意思疎通の支援がどれぐらいされているかなどの検証が必要ではないかと思います。  職員に対する研修ですが、第2回検討チームで一定されてはいるのですけれども、先ほど言った意思疎通の支援に関する研修がされていたかどうかということが検証されているかどうかが中間取りまとめを読んでもよくわからないので、これは検証が必要ではないかと思います。  そして、警察官通報を初めとする警察の対応について、この検証ももう少し、特に捜査方法や施設への情報提供、警職法判断や精神保健福祉法に基づく通報、こういったことが妥当であったかどうかといったことを検証しなければならないのではないかと思います。  続いて、2点目のほうですけれども、中間取りまとめで問題に思った点です。  主に今回の件は、検証が措置入院の入院や解除、施設の防犯といったところに重きが置かれているわけなのですけれども、しかし、これは余りにも精神保健医療福祉の検証・検討に偏重した枠組みではないかと思います。特に措置入院になったということは精神障害者という要件を満たして措置入院になるわけですので、容疑者に何らかの精神障害があったのだということは、それはそのようになるだろうと思うのですけれども、その疾病や障害と事件時の行為の因果関係に関する検証というものがされていないのです。これは刑事事件における精神鑑定を根拠に置かなければならないので、精神鑑定を待ってからでなかったら、本来これは検証できないのではないかと思います。  だけれども、再発防止策という形で措置入院解除後のフォローアップに対する関心が非常に高い。そのような中間取りまとめ��つくりになっておりますので、精神障害による行為を抑止するための措置入院という形でなければ筋が通らなくなるので、そうなると容疑者の犯行時の障害の状態と行為との因果関係の検証、証明が必要になると考えます。しかし、この中間取りまとめは検証、証明がされておらず、容疑者に精神障害があったという事実をもって措置入院に対する関心が書かれてしまっている点で問題があると思います。  今までもこういった精神保健上の問題という形で社会的に取り扱われた事件は、往々にして責任能力ありというふうにされる傾向にあります。本件もやはりそうした可能性があるので、そこは慎重に検討されなければならないのではないかと考えます。  あと、警察官通報に関して、警職法の通報なのですけれども、どうしてもこれを法律の手続にのっとってやったら問題がないというのは、法律の手続にのっとっているから法律上問題ないことにはなるのですけれども、警察官がどのような必要性を判断して警察官通報にしたのかとか、警察官側が必要とした根拠について、それが妥当であるか、妥当ではないのかといったことの検証も必要ではないかと思います。こういったことをしなければ、広く恣意性というのは許容されていきます。法律の手続に従ってなされた手続は妥当であったものとして処理されるきらいがありますけれども、そこについてはもう一歩踏み込んで検証が必要ではないかと思います。  それから、神奈川県警の方で具体的に結束バンドで職員を縛るだとか、外部との連絡を取れなくするとか、抹殺したあとは自首するとか、そういったことを書いた衆議院議長宛ての容疑者が作成した手紙があるのですけれども、これを施設側、かながわ共同会に神奈川県警が見せていなかったということが報道されたり、議会で質疑されていたりしています。神奈川県警は、事件の発生予防という観点から、逆に危機感を失わせる結果になるのではないかということで、事態の危険性を正確に理解していただけるようにその内容を口頭で説明したのだと、だから手紙そのものを示すことは必ずしも適切ではないのだということで、見せなかったと報道されています。  ですが、明らかに犯行の方法などを事細かに書かれているわけなので、この神奈川県警の見立てというものが果たして本当に妥当だったのか、否、妥当ではなかったから実際に事件が起きて、施設側は対応できなかったわけですから、この点に関しては踏み込んだ評価が必要であろうと思います。そうでなければ現場の職員は、手紙を見せられずに情報共有がないまま防犯対策の責任だけを負わされることになるので、施設側の努力だけに解決の糸口を求めていくと、そういう解決策の筋書きになってしまいます。警察官のそのときの手紙を見せないという判断が妥当であったかどうかということを検証しなければならないのではないかと思います。  3点目ですけれども、これは実際に再発防止策という形で期待を寄せられている継続支援チームと多機能垂直型統合診療所についての私たちが思っていることについてです。  まず、兵庫県で実際に実施されている継続支援チームについては、兵庫の精神障害者の団体と協力して独自に調査した結果、次のような事実がわかってきました。精神科救急の輪番を組んでいて、その日当番だった病院が、あまり評判がよくない病院で、そこにたまたま救急で入院した。入院して、その後、継続支援の対象になって、通院自体をかなり厳密に管理されてしまって、逆にしんどいということで体調を崩した人がいるということと、それから、かなり他害防止のための監視という部分が強いので、そのあたりで監視されているということで体調を崩して入院を繰り返したりとか、そういった人がいるので、実際の面でも慎重に考えられなければならないと思います。  多機能垂直型統合診療所に関しては、これもやはり福祉のマターに対して精神科医が非常に入りやすくなってしまうということと、その大きな権限を持って精神障害者の地域生活に常に医師の目がつきまとってしまうことで窮屈なものになるのではないかと懸念します。  4点目は、措置入院見直しについてとか、犯罪防止機能の強化といったことに対して一般論なのですけれども、措置入院解除の検証というものは非常に力点が置かれているのですが、再発防止策として措置入院解除後の過度に管理的な干渉がなされるのではないかと私たちは危惧しています。そういう意味では、こうしたやり方には反対しています。地域の精神障害者は、報道でそういう事件があって、精神障害の犯行というふうに報道されたことによって体調を崩す者がいますし、検討チームの報道を耳にして、自分も措置入院にされてしまうのではないかと、そうやっておびえている人もいます。ですので、その部分については慎重に進められるようにお願いしたいと思っています。  精神保健医療福祉の問題という形で総括されてしまうことによって、結果として私たち精神障害者の実際の生活が規制されていく法制度になり得る状況にあるので、精神保健医療福祉を犯罪の防止のための策にすることに対しては、強く反対します。  ありがとうございます。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、公益社団法人全国精神保健福祉会連合会から御発言をお願いいたします。 ○小幡参考人 本日はヒアリングの機会をいただきまして、ありがとうございます。本来ですと、理事長の本條が発言するところなのですが、別件の会議が重なっておりますので、私、小幡のほうからかわって発言させていただきます。  私どもの団体は、精神障害者の家族会を中心とした団体・組織になっております。私たちとしては、今回の再発防止策の検討は必要なことだとは思っておりますけれども、今回の中間まとめ、また、この間の報道や、各団体さんからもるる発言いただいているところですけれども、このことが精神科医療全般の措置入院やそういったところに偏重しがちなところについては危惧を持っております。そういった意味では、予防拘禁的な機能や犯罪予防というような部分がしっかり押さえられるのであれば、別途対策も必要かと思っているところです。ただし、今回の再発防止策の中では、これに関するところがかなりまとめられておりますので、危惧されるところも含めて当会として意見を述べていきたいと思っております。  容疑者の特異な考え方というのは、精神の症状から発生するとは私たちは考えておりません。そういったことで治療で治るものではないとすれば、この入院措置、いろいろな対応というのは一時的な対応手段でしかなくて、本来の解決というところの糸口をともすると見失ってしまうようなことになりはしないかと思っています。  既に国のほうでは、これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会というものが設置されておりまして、当会からも構成員に入っておりますけれども、そちらのほうで保護入院等の非自発的入院と措置入院というのは本来連動するものと思いますので、関連があるのであれば、そこの部分をしっかりそちらの検討会のほうにも盛りつけていけるような方策が必要ではないかと思っております。  それから、今回の防犯対策としての救命というところを本当に区別していかないと、元職員の犯行であるとなれば、幾ら防犯策をとっても内部的なところからの観点というのは網羅されていないところがありますので、盲点として残ってしまうのではないかと思います。退院後のフォローアップにつきましても、精神疾患の患者さんということであれば、いろいろな方策がもちろんとられるわけですけれども、入院中からの退院支援に向けての取り組み、ここに支援者の参加を、専門員などを含めてですけれども、必須としていただきたい。  それから、地域の訪問支援の拠点というものに圏域をどう定めるかということはあると思いますけれども、小回りのきく小規模な拠点、区域にして、ここにも多職種、いろいろな目が入るようなチーム編成を築いていただきたいと思っております。  地域生活に移った後は、治療の中断、今回はそれに当たるところもあるかとは思うのですけれども、ここにどうアクセスしていくのか。また、家族とは今回、容疑者の方は一緒に暮らされていなかったところもありますが、そういった背景がどこから生まれているのか。精神の特性等にもし起因するところがあるとすれば、医療中断がないように、また急性期に陥らないようにしていくというところは、本人のみの対応ではなくて、本人を取り巻く家族やそういったところに関する医療へのアクセスの方法についてもつぶさに見ていかないといけないのではないか。そういったところでは、診療報酬との兼ね合い等も出てくるのではないかと思っております。  また、今回、容疑者の友人等もいろいろ変調を感じ取っていたりというようなこともあったようですけれども、そういった意味では相談をする窓口をきめ細かに、また���どんなものもたらい回しにせず、ワンステップでそのことを受けとめ、関係機関等につながっていくというようなサービス体制も整えていくことが求められているかと思っています。  また、いろいろな事件が起きたときに対応するには、国や行政等のかかわりももちろん必要でしょうけれども、当事者や家族会等が、なぜそういったこと至ってしまったのかというところで独自に情報を入手し、介入していけるようなシステムを自治体等の後押しをもってできていくということがあるといいのではないかと思っています。  それから、今回、容疑者が緊急措置入院になったときの状況は余り詳しくわからない部分があると思うのですけれども、措置入院になったときの身体拘束等が広がってきているというような背景を見たときに、例えば一般的な緊急措置入院になった場合と、今回の容疑者が措置入院になったときの受け入れや治療方針を立てるときの差異というのは逆になかったのかどうか。特異な事件としては扱われるのだけれども、ほかの状況と比べたときにどうだったのかというところは私たちも情報を得られないところがありますので、そういう観点から検証するのであれば、他の類似事件等も含めて比較対照が必要だと思いますし、現在、事件とは直接関係のない状況であっても、措置入院や緊急措置入院、また保護入院の実態というものもたださないと、明確な対策はとれないのではないかと思っております。  いずれにしましても、精神疾患、精神医療のところに偏重しない検証というものを進めていただきたいですし、今回の事件は防犯をしても内部から起こさせてしまえば、それは対応のしようがないという部分もありますので、こういった点については、より掘り下げて検証いただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、公益社団法人日本精神科病院協会から御発言をお願いいたします。 ○松田構成員 資料7です。私、構成員ですけれども、たまたま日本精神科病院協会の役員ですので、その立場で今、お話しさせていただきます。  声明を日精協で出しました。その中で、終わりのほうですが、今回の事件でさまざまな立場から多くの意見表明や議論がなされていますが、日常的に措置入院患者を受け入れている日本精神科病院協会としては、今後二度とこのような悲惨な事件が生じないように、十分に人権擁護に配慮した措置解除後のフォローアップ体制の充実を含め、制度の見直しが早急に必要であると考えます。そして、今回の事件が地域移行の流れを阻害し、精神障害者への偏見を助長することのないように、そして、精神障害者と地域がともに安心かつ安全な生活を実現するために、各団体の団結が望まれますということです。  次のところには、今度、私どもの会長の意見が書かれています。その最後の方で、途中は飛ばしますが、再発防止を目的に治療・改善を行うための保安処分��検討や、医療監察法の対象者を治療可能な精神障害者のみに限定してよいのか。本来は司法モデルであるべき案件を安易に医療モデルとすることで、精神科病院に責任を押しつけてはいないかといった根本的な検討が求められているような気がしてならない。病院はあくまでも治療の場です。それを司法の考えを導入するというのはなかなか難しい。今回の事件に関しても、司法の側の検討をぜひお願いしたいと思っています。  以上です。 ○山本座長  どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、公益社団法人日本精神保健福祉士協会から御発言をお願いいたします。 ○田村参考人  公益社団法人日本精神保健福祉士協会副会長の田村と申します。よろしくお願いいたします。  資料8に従いまして、私どもの協会の意見を述べさせていただきます。  また、その前に、今回の事件におきまして被害に遭われた全ての方々に対して、慰めがありますようにお祈りしたいと思います。また、この検討会におきまして、先生方が熱心に御議論くださっていることと、本日こういう機会を頂戴いたしましたことに感謝申し上げます。  それでは、資料8に従いまして述べさせていただきます。  私どもの団体は、精神障害者の社会的復権と福祉の向上ということに取り組んでおります専門職の団体であります。  まず1点目、幅広い見地から事件を検証し、再発防止策を検討すべきです。事件発生後の早い段階でこの検討チームが設定されたこと、そして、措置入院制度の見直しが規定のことかのように議論が進んでいることに、本日も幾つかの団体の方が御意見をおっしゃっていますけれども、私どもも違和感、そして危機感を強く覚えております。こうした類似の事件の再犯防止のために最も重要なことは、生きるに値する命とそうでない命といったものを選別するような差別思想、これといかに私たちが闘うかということの検討が必要だと思います。その意味では、政府としてもその方策を議論する必要があると考えます。  また、そのためにも、今回の事件の刑事司法における対応の検証と課題抽出が欠かせないと考えます。  2点目です。本協会としましては、精神科医療や措置入院制度のあり方及び退院後の継続的な支援のあり方を今回の事件の再発防止策として論ずることに反対いたします。これも他の方々も述べられていますが、被疑者の措置入院歴あるいは精神障害ということと、今回の事件との因果関係は明らかになっていないと思います。そういう中で、措置入院制度の見直しを検討することは、あたかも犯罪の再発防止の機能を精神科医療が担うということを肯定しているように映ってしまいます。精神科医療の守備範囲というのは、あくまでも精神疾患のある人への適切な医療の提供であります。その一端を担う措置入院制度におきましても、極端な差別思想に基づく行動をとる方、そういった方を取り締まるような治安機能はあり得ないと考えます。  また、私どもソーシャルワーカーである精神保健福祉士は、基本的に御本人中心の支援を行う立場にありますので、社会防衛のために私たちの支援が機能するということは直接的にはあり得ません。  3点目です。改めてノーマライゼーションやインクルーシブな社会の実現に向けた取り組みを推進すべきです。日本における障害者入所施設の入居者の方あるいはその御家族は、本当に幸せな日々を送っていらっしゃるのでしょうか。今回亡くなられた方々のお名前も公表されなかったということ一つとっても、その人生がどのようなものだったのかということを想像させられます。たとえ障害を持って生まれてこられたとしても、地域社会から排除されることなく幸せな人生を送れるような社会づくりが本当に必要だと思います。そのためにも、財源を伴った社会保障の充実は欠かせません。国としては、生存権の保障ということを貫く姿勢を今こそ見せていただきたいと考えます。  また、改めまして、福祉専門職や研究・教育者が差別思想というものに対峙できるような共生思想を再構築し、広く啓発することも重要な使命であると考えております。  4点目です。福祉人材の確保と育成方法について見直すべきです。今回の事件と障害者施設が置かれている状況やそこに従事する福祉労働者の実情等を切り離して考えることはできません。福祉人材を養成する教育現場においては、人権教育を一層充実させること、また、一定の資質を備えた人材を雇用できるだけの待遇を確保すること、そして、福祉現場での教育研修体制を充実させること、これらが一体的に図られる必要があると考えます。  5点目です。私どもソーシャルワーカーとして、本事件の被疑者をもしも私たちの支援対象であるクライエントと捉える場合に、その時間と費用の保障ということが必要であると考えます。もし本事件の被疑者に精神保健福祉士として支援介入するとしたら、もちろんこれは医療の対象とは限らず、福祉的な支援の対象ということを多く含んでおりますが、長時間をかけて援助関係を形成するということ、そして、この方が持っている心の闇に入り込みながら詳細なアセスメントを行うということ、その上で御本人の不満や不充足感といったものがどういったところから起こってきているのか、その根源を探ること。そして、この方がどういう生き方をしていきたいと考えているのか。そういった生き方探しに伴奏するようなソーシャルワークの関わりが必要となります。  こういった支援を丁寧に行うことを考えますと、仮に例えば今回のように措置入院でしたけれども、そういった短期間に限定される、そして強制的な治療の場においては、この関係形成においた支援は不可能と思います。また、これをもし成し得ようとしましたならば、制度的、経済的な裏づけなしには行うことは困難と考えます。  以上の5点を総括させていただいた上で、措置入院制度のあり方ということに関しましては、特に措置解除の判断やその後の通院など強制医療提供の部分に特化して議論が矮小化してはならないと思います。警察官通報のあり方、措置診察件数の都道府県格差を初めとした措置入院に至る過程の検証も含め、現在厚労省に設置されております、これからの精神保健福祉医療のあり方に関する検討会、こちらで精神保健福祉法の改正の検討がなされているところですので、そちらにおいて議論すべき事項であると考えております。  このため、私どもの協会としましては、そちらの方へ措置入院制度のあり方に関する具体的な意見提出をしたいと考えていることを申し添えて、本日の意見とさせていただきます。  なお、添付は私どもの協会で2度にわたって、今回の事件とそのことについての報道等に関しまして見解を出させていただいておりますので、御参照いただければ幸いです。  以上です。 ○山本座長  どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、日本多機能型精神科診療所研究会代表世話人、窪田彰氏から御発言をお願いいたします。 ○窪田参考人  今日は発言の機会をいただき、ありがとうございます。  今回の事件で亡くなられた方々の御冥福をお祈りしたいと思います。  さて、私は、今回の事件の本人が措置入院として適切であったかどうかについては、詳しく知るものはでありません。ただ、今回のことで気づかされた措置入院後の地域支援体制の乏しさ等について意見を述べさせていただきたいと思います。  医療保護入院では、退院後にケア会議が位置づけられている一方で、措置入院においては退院後の支援を検討するケア会議すら求められていないのが現状です。  私は、精神科診療所を開業している精神科医師で、日本多機能型精神科診療所研究会の代表世話人をしております。日本の精神科医療は、入院ばかりに頼らない地域ケアがなかなか実現できていないことが問題だと思っています。そのためには、重い課題を持つ患者さんを地域で支援できる包括的精神科外来医療チームを生み出していかなければならないと考えています。この考えに至った道筋と今後の方向性について述べさせていただきます。  それでは、1枚目のスライド���移ります。  東京の下町は、精神科病床が極端に少ない地域で、1978年に日本で最初の精神科救急病棟がこの錦糸町の都立墨東病院に生まれました。このときに私は着任しています。都立墨東病院の30床の入院病床は、日本一の短期入院期間を誇っていましたが、当時は退院後の治療継続支援もリハビリテーション支援もなく、日が経つにしたがって、再発再入院患者さんが増えてきたのです。このような経緯から、退院後の再発再入院を少なくするためには医療の継続支援が必要であり、同時に、地域に当事者たちの心の拠り所になる拠点も必要だと考えました。  そこで、周囲から寄附を集めて、当事者たちが自由に利用できる「友の家」と名づけた部屋を墨東病院の近くの町の中につくりました。その後、それらを支援し、継続的な医療を提供するために、1986年に錦糸町に精神科診療所を開業しました。墨田区等の行政や地域の医療・福祉機関との連携を構築し、必要な地域資源を立ち上げるなど、様々な活動をしているうちに30年の歳月がたちました。必要に応じて必要なサービスを提供できる体制を整えていくことによって、気がついてみると、まだ不十分ながらも重い課題を持った患者さんのための地域ケア体制ができてきました。  2枚目のスライドに移ります。  入院ばかりに頼らない地域での生活を支援していくためには、まず、重い課題を持った患者さんを外来で支援できなくては始まりません。重い課題を持った患者さんとは、この表のように例示できます。措置入院後とか、長期入院後とか、刑務所出所後とか、そういった課題を持った方たちがおられます。また、重い課題を持った患者とは、この表のほかにも、急性期の激しい病状を示す患者さんも短期的には含まれます。正直に言えば、重い課題を持った方たちを当院で診なくてはいけないとの制度はありませんから、本音のところではつらいなと時には思うこともあります。しかし、重い課題を持った方こそ手厚い支援が必要であるにもかかわらず、そのような患者さんを積極的に診療する医療機関は非常に限られており、当院では何とか診てまいりました。  今後は、市町村からの委託事業等により、何らかの責任と公的役割を認められたほうが、覚悟して実施ができるように思っています。  次のスライド、3番目に行きます。  当院の通院患者さんの特徴をグラフでお示しします。左側の円グラフのように、当院は統合失調症の患者さんが半分近くを占めています。鬱病や神経症圏の患者さんが多い一般的な精神科診療所と比較すると、当院は比較的重い患者さんが多いことが特徴です。  右側の円グラフは、当院でのフォローアップ期間を示しています。当院では、10年以上治療継続している方が40%以上を占めており、多くの方に長期の継続支援をしていることがお分かりいただけると思います。さらに、スライドには示しておりませんが、最近のある水曜日を急遽調べたところ、その日の私の外来患者さん69名中、措置入院経験者が6名、医療監察法通院処遇中の患者さんが2名、刑務所経験者が3名、拘置所経験者1名、計12名が重い課題を持った患者さんでした。刑務所経験者3名のうち2人は違法薬物の使用経験があります。この方たちは、外来通院につながっているという意味で成功例です。問題は、通院治療中に中断し、再三の電話連絡をして��応じない、つまりは継続支援からドロップアウトしてしまう方たちが問題としてあると思います。  4番目のスライドに移ります。  これは現在の当院の実践を図にしたものです。赤い字の箇所は診療報酬外のサービスで、ボランティアになっています。当院の特徴は、外来で医師の診察に加えて精神保健福祉士などのコメディカル職員も個別面接や家族支援を行い、ケースマネジャーとしての調整役を担っていることです。このことが毎日夕刻に開かれている院内ミーティングでのアセスメント等の検討時にチーム医療の重要な要の役割を果たしています。  精神科デイケアは、リハビリテーションへの入り口の役割とともに、人間関係が苦手な患者さんが安心できる環境で仲間に出会える場の役割があります。訪問看護や訪問診療、往診といったアウトリーチ支援を行うことによって、外来で通ってくるのが難しい方への医療継続支援等、ある程度の危機対応が可能になります。また、患者さんが実際に生活する場を見ることで、より本人のニーズに即した包括的な支援を行えることも、アウトリーチ支援の利点です。このようなアウトリーチ支援を当院は1カ月間に合計400件ほど行っています。ケア会議は、行政や入院中の精神科病院の職員との協議を行う大切な場ですが、ほとんどの活動は持ち出しで、報酬はありません。  5番目のスライドに移ります。  この図は、錦糸町の地域精神保健マップです。地域全体で精神障害のある人々を支えるために、顔の見える連携を構築しようと考えています。このようにサービス拠点が地域に点在して町に溶け込んでいる、町に散らばっているところがうちの特徴です。住みなれた地域でサービスを受けられることが特徴です。区役所やスカイツリーで患者さんがデイケア等でつくった作品を販売するなど、さまざまな活動を通して地域住民の精神障害者への理解も促進されてきたと感じています。このような地域に根差した活動や支援の提供を通じた地域共生社会の実現が、私たちの目指しているところです。  次に、6番目のスライドに移ります。  医療機関では提供困難なサービスについて考えてみます。当院では、このように創意工夫をして実践してきましたが、それでも力の及ばないことがあります。以下にあるような方々には支援が大変に困難なものです。  第1には、引きこもり等で初診すら困難で、もしくは受診拒否の方への治療導入。  2番目には、重い課題を持った患者さんが受診を中断・拒否している場合です。私たちは、患者さんの自己決定権を尊重しつつも、患者さん及び周囲の人々の生命、健康、生活を守るための支援をしていきたいと考えていますが、現実には難しい問題が多いのです。治療契約が成立しない患者に対しては、たとえアウトリーチ支援が可能な体制があっても、強制的な治療提供はできず、手を出せないのが現状です。できれば措置入院などの強制力を発動するために、入院にならないうちに地域で見守りを続けて孤立を防ぎ、根気よく働きかけることにより関係性を構築し、本人が納得した上で外来治療への導入もしくは再開することが望ましいと思っています。そのためには、公的な事業委託のような診療報酬とは違った仕組みで当事者を見守り、関わっていける枠組みが必要と考えています。  さらに第3には、薬物依存症等の濃厚なケースマネジメントを必要としている場合でもケースマネジャーが実施するサービスは現状では診療報酬の対象外であります。これらの課題は市町村から医療機関への業務委託が制度化されれば、地域への責任が生まれ、公的役割を果たすことができます。  7番目のスライドに移ります。  ここで、通常の医療機関では対応困難な方たちの医療継続支援の提供方法について提案したいと思います。  市町村からの医療継続支援については、2つの方法があると思っています。一つは、この図の右側の部分で、市町村が直接支援として保健師等の力で支援する現状のスタイルです。もう一つは、図の左側の部分、民間医療機関に業務委託をする案です。市町村の役割と責任の一部を実際に外来診療を行っている医療機関に業務委託することにより、民間医療機関でも市町村の保健師等と協力しながら一定の役割と責任を果たすことを可能にするのです。つまり、通常の診療では対応困難な患者にも、温かな見守りによる孤立防止や十分な時間をかけた関係づくりや必要時の危機介入ができるようにするのです。仮にこのような医療拠点を意欲のある外来医療機関、つまり、全体の精神科外来の約10%が引き受けてくれれば、全国に500から600カ所ができると思います。  すなわち人口10万から20万に対し1カ所程度ができてくれれば、継続的な医療支援が機能しやすくなると思います。例えば措置患者さんの退院前にケア会議を開き、その後の支援を行う場合を考えてみます。東京都は、人口当たりの措置入院が最も多い自治体の一つですが、例えば人口26万人の私がいる墨田区では、年間では二十数人が措置入院しています。月に直して言えば月に2人程度ですから、1つの機関で十分対応可能と考えられます。そして、このシステムの透明性を確保するためには、各都道府県単位の精神保健センターがモニタリング機能を担うようにすれば良いと考えています。  8番目のスライドに移ります。  次に、個人の生活・価値観を尊重した医療継続支援を実現するための条件について触れたいと思います。  第1には、医療機関が適切なアセスメント、ケースマネジメント、24時間365日のミクロ救急等を実施することです。手厚い支援が必要な人には、さまざまな医療資源や福祉資源を活用し、多機関との連携を密に行うことが必要となってきますので、それらのサービスの連携、構築のためのケースマネジメントが支援の鍵になります。そして、病状や生活状況が改善したときには、定期的アセスメントにより、逆にサービスを減らしていくということも必要になってきます。  第2には、外来医療の充実です。入院医療中心から地域中心へという国の方向性が明確に示されていますが、残念ながら、外来医療の診療報酬は従来と変わらず手薄なままです。デイケア、アウトリーチ、多職種によるケア等の外来医療全般の質の底上げが必要だと思います。  3番目はスライドのとおりです。  第4には、自治体の実情に応じて、民間医療機関への業務委託をすることにより、官民協働で包括的地域ケアを提供することです。これにより、地域共生社会の実現を果たしていけると考えています。  最後の9番目のスライドになります。  このように、市町村単位で民間医療機関への業務委託による官民協働の体制が実現すれば、カナダやイギリスやイタリア等の先進諸国と同様に、日本にも地域に責任を持ち、重い課題のある患者さんにも対応可能な精神科外来医療拠点が生まれます。ここに多機能で包括的な精神科外来医療チームを形成して、人口10万から20万人に1カ所の地域精神保健センターを日本にも創設する必要があるのではないかと考えています。  以上です。 ○山本座長  どうもありがとうございました。  それでは、田原課長、よろしくお願いします。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長  事務局でございます。  追加資料を今、配付させていただきたいと思います。全国手をつなぐ育成会連合会から冊子が届きましたので、お手元にお配りいたします。  以上でございます。 ○山本座長  どうもありがとうございました。  それでは、そのほか本日御発言いただいた方々から、もし追加の御発言があれば承りたいと思うのですが、いかがでしょうか。  どうぞ。 ○日野参考人  身体障害者施設協議会でございます。  他の団体の方とは、施設という視点から若干違う意見を申し上げたいと思うのですが、今回の事件について、協議会としていろいろな意見が出たのですが、侵入防止という観点から考察しますと、まず第1は、敷地内への侵入防止策をいかに図るかということと、2つ目は、建物内、要するに利用者の方が生活をされている居住空間への侵入防止策をいかに図っていくかということと、3つ目が、今回の事件のように建物内に侵入された場合にどう対応していくかという、この3つの視点から、私たちの協議会は具体的にこれから取り組んでいかなくてはいけない重要な課題だと思っています。  もう一つは、今回の事件が元職員であったということは、やはり重視しなくてはいけないということで、特異なケースではあるにしても、今、職場環境改善ということも先ほど申し上げましたけれども、職員のメンタルヘルスケアというものをしっかり取り組むことが、職員の資質の向上にもつながると思っていますので、その部分だけ追加をさせていただきました。 ○山本座長  ありがとうございます。  他はいかがでしょうか。  どうぞ。 ○久保参考人  今、お手元に配っていただきました9月号の「手をつなぐ」という冊子ですけれども、私ども、先ほどのお話の中でも意見を言わせていただいたのですが、知的障害の方だけではなく、精神障害の方や身体障害の方からもお声をたくさんいただいておりまして、助けてほしいというような意見とか、今の報道されていることが障害のある人たちや家族から見るとマイナスのイメージばかりになってしまっているというのがあるのです。それで私たちは、もっと前向きに、みんなと家族や仲間と本当に明るく前向きに元気に生きている、こういう人たちのことを、障害のある人たちのところに余り関心を持っていない方も含めて、この人たちの命がなくていいものでしょうかというので発信をしたいなと思って、9月号を出させていただきました。  みんなマイナスイメージで、怖がって助けてほしいという声が聞こえてきますので、前向きに生活をしていけるような、そんな活動の一つとしてこの9月号をやらせていただいていますので、報道関係にはそういうところに御注意いただきたいという気持ちもありまして、今日提供させていただきました。よろしくお願いします。 ○山本座長  ありがとうございました。  その他いかがでございますか。よろしいでしょうか。  それでは、本日御発言いただきました各団体の方々、本当にどうもありがとうございました。御礼申し上げます。  それでは、各団体からのこれまでの御発言を踏まえまして、御質問、御意見があればお願いしたいと思います。いかがでしょうか。  田中構成員、どうぞ。 ○田中構成員  育成会連合会としても2つ要望させていただいておりますけれども、1つは、本人の精神鑑定がどのような進捗状況になっているのかということと、この会をどのように進めていくのかということについて、今日意見提出をしていただいた団体からも、そこを踏まえての検討が必要ではないかとされておりましたので、神奈川県での検証委員会の動きと、精神鑑定についての見通しはどのようになっているのかについて、お答えいただける方がいればお願いしたいと思います。 ○山本座長  ありがとうございます。  今の点に関しましては、神奈川県のほうはいかがですか。 ○神奈川県保健福祉局長  神奈川県の保健福祉局長の佐久間です。  今日は大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。  私どもでやっております、先ほど団体の方からも検証委員会のお話を具体的に出していただきましたけれども、厚労省のチームと余りほどなく設置をさせていただいて、主に事実関係をどう認定していくかということと、それに対してどういう課題があったのか、課題に対する対応はどうすべきかと、こういった視点で検証をやらせていただいております。  もちろん第三者による検証委員会でございますので、私ども事務局がいつ出るとはなかなか言いにくいのですが、今の見通しですと、最終的なあ���程度のまとまりある報告、レポートというのは11月中にいただけるのではないかと受けとめてございます。  以上でございます。 ○山本座長  ありがとうございました。  田中構成員、よろしいですか。 ○田中構成員  であるとして、この会がいつ結論を得るのかということと、幾つかの団体や私たちから要望した精神鑑定も含めて検証につなげるということについて、事務局��しての見通しについてもお聞きしたいと思います。 ○山本座長  事務局、よろしいですか。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長  精神鑑定の方の見通しは、まだ我々も十分承知はしておりませんが、この検証チームの再発防止策については、秋頃にまとめるということで申し上げておりました。大体11月中を念頭に置いていたものでございますので、神奈川県の検証の状況なども念頭に置きながら、この場でのいろいろな意見集約を見て、再発防止策がまとめられるように進めていきたいと考えております。 ○山本座長  ありがとうございました。  田中構成員、どうぞ。 ○田中構成員  団体からの意見としても強く上がっておりましたし、私も構成員としては2つの結論を待ってから検証報告を出したほうが、いろいろ指摘されたことに対してもバランスよく答えていくことになるのではないかと思いますので、11月ごろに報告書を出すという見通しを立てた時期とかなり情報が変わってきておりますので、もう一度そこは再考していただきたいと意見としては述べさせていただきます。 ○山本座長  この点につきましては、今の御意見をいただきまして、ちょっと検討させていただきたいと思います。  他はいかがでしょうか。もう田中構成員はよろしいですか。 ○田中構成員  今の件1つです。 ○山本座長  他はいかがでしょうか。  平田構成員、どうぞ。 ○平田構成員  今の精神鑑定との関わりについては、何回目かの会議で私も指摘したと思うのです。やはり鑑定の結果といいますか、被疑者の病理と事件との関係が解明されなければ、結論を急ぐべきではないという話をしたつもりなのです。ただ、それが確定するのを待つということになると、最高裁まで行ってしまう可能性がありまして、いつなのか見通しがつかないという事情もありますので、制度的な問題に限ってこの検証委員会で取りまとめるということはあってもよいかなと私は考えているのです。  ただし、鑑定結果が出たところで、もう一度そこに焦点を絞った検討会は再開すべきではないかと、ここで述べさせていただきたいと思います。 ○山本座長  ありがとうございます。  その点について、松田構成員、いかがですか。 ○松田構成員  全く同じ意見です。 ○山本座長  ありがとうございます。  村上先生、どうぞ。 ○村上構成員  確かに精神鑑定の結果を待って、それからというのが一つの正論ではあるのですが、私はちょっと違った観点でお話をさせていただきたいと思います。  医療監察法ができました池田小学校事件の場合にも、要するに彼がこれまで医療を受けてきた経過を検討されて、そして、医療監察法という制度がスタートいたしました。制度が発足したときには随分反対意見も多かったと思います。ですが、ああいう不幸な事件をきっかけとして、医療としては、松田先生は司法モデルとおっしゃいましたが、あれは司法モデルを取り入れてはいるけれども、病院そのものは医療モデルで動いております。そういう意味での展開を考えてみますと、今回の措置入院という状況の中で、措置入院個々に関して、そのときに医師がどのように判断をしたのかに関しては、実際に診てきていただいた先生も含め、我々もいろいろ書類を読ませていただいた関係も含めた上で検討をさせていただきました。  ですから、確かに精神鑑定というのは、とどのつまり最後の結論はこれでしたという正解みたいなものがあるのだけれども、我々は全て正解を知った後に判断をしているわけではない。日常臨床というのは、そのときその場で状況を含めて判断をしております。その上で我々が陥りやすい落とし穴があったり、我々が用心しなければいけないことだったり、我々が準備しなければいけないということは、現時点でもしっかり論議はできるし、提案はできると思っております。  何度も申しますが、池田小学校のときの事件に関しては、岡江先生が、亡くなられる直前ですけれども、鑑定書を公にされました。お読みになった方もおられると思います。その鑑定書の中は、最終的には情性欠如の精神病質、パーソナリティー・ディスオーダーという判断なのですけれども、読み方によれば、もっといろいろな議論ができそうなものでした。  あれは一審でほぼ確定して、控訴したものもすぐ取り下げましたから一審で確定して刑が執行されましたけれども、不幸な事件を契機にして、でき上がった制度というのは必ずしも間違いではなかったと私は思っております。 ○山本座長  ありがとうございます。  今の点について、いかがですか。  座長でございますが、私も中間取りまとめの際にも申し上げましたけれども、鑑定の結果が出るまでは相当時間がかかるわけです。しかも、我々は検証におきまして課題を抽出したわけですから、その課題につきまして制度的に再発防止策を出すというのは義務だと思います。そして、これは秋頃までを目処に出すということを公にしておりますので、そういうことで再発防止策を出していくという方向で堅持したいと思います。それでよろしいでしょうか。  松田先生。 ○松田構成員  それで全く問題ないです。ただ、先ほどから皆さんの意見の中に、措置入院とかそのあり方を検討しているかのような御発言がありましたが、そういうことは一切ありません。この事案に関してどうなのかということをやっていますので、それに対して今、再発防止をどうしたらいいかということに特化しています。措置入院はこうあるべきだなどという上から目線の議論は一切していないということをお伝えしたいと思います。 ○山本座長  ありがとうございました。  他はいかがでしょうか。  松本先生、どうぞ。 ○松本構成員  私も今回の事件をきっかけにして、質の高い地域精神保健福祉のサービスが実現できればいいなと思っているのですが、その中で、きょう窪田先生に御指摘していただいた、本当にだんだん地域中心の精神科医療になっているのだけれども、診療報酬は本当に入院中心についていて、外来などではやせ細った形で支えている現実がありますし、地域保健の行政サービスのほうも年々人員的には厳しくなってきて、直接住民を支援するというよりは、役所仕事になっていってしまっているという現状があるなと思っています。  その中で、今日は窪田先生の御紹介された内容にちょっと関心を持ったのですけれども、2点ほど質問させていただければと思います。もしわかればということなのですけれども、現状の日本の中で、多機能垂直型のこのサービスをやっている医療機関というのがどのぐらいあるのか。例えば実態として、そういったところが担えるぐらいの潜在的な数があるのかどうかということが1点。  もう一点、私自身は薬物依存症を専門とする精神科医なのですけれども、本当になかなか医療機関が少なくて苦慮しているのですが、例えば行政から一定の委託費があれば診られるのか、あるいは診るだけのソフト面というか、職員のスキルなどは高められる可能性はあるのか。この2点について御意見をいただければと思います。 ○山本座長  ありがとうございます。  では、窪田先生、お願いします。 ○窪田参考人  御質問ありがとうございました。  まず、名前なのですが、今、垂直まで言うと余りにも長いのと、多少の概念の混乱がありますので、多機能型精神科診療所と言っています。それに相当する今回のようなきちんと地域でケアできる体制を持った医療機関がどれだけあるかといいますと、もしこれが制度として発足したときには、診療所レベルでは恐らく50から多くて100ヶ所くらいだと思います。日本中の精神科診療所でデイケアを持っているところは大体多機能になっているのです。それが約450件です。その中で重い患者たちを責任を持って診ると手を挙げる精神科診療所は、恐らく3分の1から4分の1というところだと思います。  これが始まったときには、精神科病院の外来で多機能になっているところは随分全国的にありますので、そこが中心的に担っていただいて、都市部については多機能型の診療所がやるというような現実的な形になると思います。それから、公立病院や総合病院でもそういったことが担える病院は幾つもあるだろうと思いますから、日本の総力を合わせて500~600カ所できてくるのではないかと思っています。  実際の力についてはどうかということを言われると、たしかに能力的にはまだばらつきがあります。少なくともデイケアをやっているところはスタッフが10人以上いますが、当院や幾つかの力をこめて実践しているところは50人を超える職員がいる診療所が増えてきています。全体を見れば、まだ研修も必要ですし、これがもし委託を受けることになれば、責任を持って薬物依存の患者を診療所も診なければいけないし、そのことについての研修もしなければいけないと思っているところです。  ありがとうございました。 ○山本座長  ありがとうございました。  松本先生、よろしいですか。 ○松本構成員  はい。 ○山本座長  他、いかがでございましょうか。  岩崎構成員、どうぞ。 ○岩崎構成員  私、再発防止ということに関連して言えば、先ほど育成会あるいは身障協の会長さんからお話がありましたように、教育の必要性というのは大変大事だと考えておりまして、文科省でもカリキュラム編成の際にそのような努力をしていきたいという前向きな回答をいただいております。  私が知る限りでは、平成の1桁の時代には、福祉の教育モデル校みたいなものがあって、学校教育の中でインクルーシブ社会の創設に向けた検討が行われていたのですけれども、このところは余り聞かれなくなってきた。ということは一般化してきたということで、評価すべきなのかもしれませんけれども、子供たちにとってはそういう機会に接することがなくなったということで、ぜひ団体としても御活躍をお願いしたいと私個人的に思っております。  それから、日野会長から出た中で、防犯対策と防災対策は一体的にしていくべきではないかという御発言をいただきました。私、初めてこういうことを聞いたのですけれども、今回出されました4課長通知の防犯に関する通知と、これまで行われてきた防災対策の中で示唆に富むようなお話があればお伺いしたいと思ったのです。  といいますのは、今回の防犯対策について、ちょっと細か過ぎるのではないかとか、幾つかの批判を各種別からお話しいただいているものですから、もしあれでしたら、身障協としてどんなお考えかも含めて。 ○日野参考人  岩崎構成員のほうからおっしゃったこと、教育の話は本当に重要だろうと思いますので、協議会としても、ライフステージに沿った教育というのが必要なので、教育委員会と社会福祉法人と一体的に取り組むことが必要だろうと思っております。  それから、防犯対策につきましては、示された通知とかでちょっと表現が過度な体制整備をしないようにとお願いしていますけれども、例えばある団体、先日の別のところのヒアリングでおっしゃったのは、防犯カメラを設置するということについては人権の問題、例えば監視をされるとかいうこともあるので控えていただきたいという御意見があったのです。それは身障協としては、外に向けての監視カメラであれば特に問題ないのではないかと思っておりますけれども、やはり一番危惧するのは施錠のところです。施錠の方法もいろいろあるのですが、例えば外から今回の場合はハンマーか何かでガラスを割って、そこから解除して侵入した。そのことであれば、例えば割れにくいようなビニールを窓ガラスに張るとか、そういう方法をとれば、例えばハンマー等でガラスを割るにしたって時間がかかるし、音がしますので、それは職員が気づくと思うのです。その程度であれば問題ないのですが、何カ所も施錠するとかいうことに関しては、先ほど申し上げました防災、万が一災害があったときに避難に時間がかかる。避難経路の確保ということを含めて一体的に検討しなくてはいけないのではないでしょうかということで発言をさせていただいたということです。 ○山本座長  岩崎構成員、よろしいですか。  ほかはいかがでございましょうか。  部長、どうぞ。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長  ありがとうございます。  防犯と防災ということで、社会から閉じた施設��ならないようにというのは、どの委員からも共通して出ている話でございまして、私どものほうも通知の中で、地域と一体となった開かれた社会福祉施設となることと、防犯に係る安全確保がなされた社会��祉施設となることの両立を図るために、日ごろから利用者が地域に出て活動するということ。それから、地域開放など地域の関係者との交流に向けた諸活動について、防犯に係る安全確保に留意しつつ、これまで以上に積極的に取り組むことが重要で、また、利用者の自由を不当に制限したり、災害発生時の避難に支障が出たりすることのないように留意するということを書かせていただいております。  そうはいうものの、また改める必要があるのではないかという御示唆、御提言がありましたら、またお聞かせいただければと思います。 ○山本座長 ありがとうございました。  そのほか、いかがでございましょうか。  どうぞ。 ○松本構成員  先ほどの多機能型クリニックの話の続きなのですけれども、今、なかなか公的機関で地域のサポートをするマンパワーが少ない中で、こういう民間のそういったところに委託するというのは一つのアイデアだなと思う一方で、本日、全国「精神病」者集団の方がプレゼンテーションしてくれた中に、やはり医療の抱え込みみたいな感じになるのではないかという、それも確かに危惧すべきことかなと思っていて、先生のクリニックなどは本当に地域に根差してやっているのですけれども、地域によってはかなり病院で抱え込んでいるなという感じもある。  多分、その解決策の一つとして先生が提案された中で、市区町村などとの人的な交流であるとか、精神保健センターのモニタリングみたいなことを添えられたのかなと思っているのですけれども、どうでしょうか。やはりこれが医療の抱え込みとかになって、それは私もとても危惧すべきことなのかなと思っているのです。 ○窪田参考人  ありがとうございます。  これまでの日本の精神科診療所を考えますと、余りにも非力だった。医者と事務の2人しかいない。これで一体、重い人たちを地域で支えられるのかという、とても無力な状況があったと思います。やっと最近はデイケアができ、訪問ができて、他職種多機能になり一定の力を持てるようになってきたのです。さらに近年では、障害福祉サービスのほうも障害者自立支援法ができてから株式会社も実践する時代ですから、医療機関も包括的ケアや垂直統合型と言うなど、一つの医療チームでしっかり支援する必要があります。重い急性期の状況にある人たちについては、とにかく相当力を込めないと支え切れない。医師が外来で10分間程度面接するだけでよくなるかというと、それだけでは無理です。地域の中で様々な力を統合していく必要があります。しかし、日本の現状はまさに個々ばらばらです。たくさん地域に福祉施設はあるのだけれども、どれもみな別々の法人がやっていて、チームになっていないのです。これが日本が諸外国に遅れをとっている面だと思っています。重い人をサポートするときには、多職種による多機能の連携をチームとしてやっていく必要があります。そのためには、一つの医療法人でチームとしての実践をしっかりやらなければいけないと思っています。  ですから、一定程度の安定を見たら、そこからは福祉レベルに移すことを私は水平連携と言っていますが、力を込めるときには力を込めてやる。そして、一定程度安定したら地域の福祉の人たちにお任せしていくということが必要です。一つの医療法人だけで抱え込まないことは大事だし、開かれた場である必要がありますが最初の急性期のときには力を集中して対処しなければならないわけですから、最初の大変なところは医療チームがしっかりと支えて、そして一定程度よくなったら、より広い範囲の中で見ていくという構造が必要と思います。今までの日本にはこのような医療ケアが無さ過ぎたのではないか思います。 ○山本座長  私からも1点よろしいですか。  これは継続的支援を行う場合、期限とかはどのようにされているのでしょうか。それと、行われていることについて、もし課題を感じていることがあられたら、ちょっと挙げていただければ非常にありがたいのですが。 ○窪田参考人  特に統合失調症の方については、現状で言えば、やはり再発予防が大事ですから、5年、10年と長いお付き合いになるのはやむを得ないと思っています。ただ、かなり力を込めてサポートする、これもかなり個人差がありますね。本当に数週間で急性期を立ち直る人もいれば、引きこもった状況からやっと友達ができて、人の輪の中に入っていけるのに10年かかる人もいますから、何とも期間については一概には言えないと思います。ただ、評価を定期的に行って、不必要な支援は減らしていくという作業がいると思っています。  現状で我々のクリニックで困っているのは、例えば家を探しに不動産屋さんへ行っても、それは診療報酬にならない。仕事を探しにソーシャルワーカーがハローワークに行っても、これもボランティアにしかならない。そろそろ退院だから来てくださいねと、当院のスタッフが精神病院のケア会議に行っても、これも診療報酬にならない。全部持ち出しでボランティアではなかなかやれないのです。そういった生活支援の活動に対して経済的な手当がつく必要があります。  逆に言えば、私の提案の中にある地域精神保健センターをというのは、そこに2人でも3人でも自由に動けるコメディカルがいてくれれば、個々の活動のたびに診療報酬にしばられずに動けます。例えば八王子の病院に地域移行のケア会議が必要な患者がいれば飛んでいくし、地域で困っている人がいれば夜でも飛んでいくことができます。さまざまな応援ができる。そういう自由に動ける人手がいないというのが実は一番困っているところです。 ○山本座長  ありがとうございました。  これは民間委託をするのも一つお考えだということですが、そういう場合でも情報提供の問題とかがあると思うのですが、何かその点についてお考えはございますか。 ○窪田参考人  情報提供というのは、病院との間ですか。 ○山本座長  要するに病院との間です。市町村から。 ○窪田参考人  例えば現在入院中の患者さんで、退院してから当院の外来へつなげる必要があったとき、こちらはその患者さんがもともと当院に通院中の患者さんならば、ケア会議に行くことはオーケーだけれども、今まで当院にかかったことがない人だと、情報提供上の問題が起きてきますね。それが区からの委託を受けて当院が責任を持って退院促進もやってくださいと言われていて、公的な契約関係があれば、情報の共有は可能になるのではないかと思っています。 ○山本座長  その辺はちょっと制度的な検討が必要だと思いますね。ありがとうございます。 ○窪田参考人  そうですね。それから、民間であることのよさは、やはりローコスト・ハイパフォーマンスでできる。アメリカも精神保健センターができたけれども、どんどんNPOに委託になっていると聞き及んでいます。そういう委託の良さがあると思っています。 ○山本座長  大変貴重な御意見をいただきました。ありがとうございました。座長のほうからいろいろすみません。  では、松田先生。 ○松田構成員  窪田先生に引き続き質問で申し訳ないですが、先生のような意思ある人がきちんとやるというのは大事なのだけれども、やはりどこかでポシャっちゃうのではないかという心配があるのです。そこら辺のところは地域力のアップ、地域での治療共同体でもいいし、福祉共同体でもいいし、生活共同体、そういったものを同時に考えていかないといけない。そこら辺の運動とか活動をどうリンクさせるかという問題があるのだけれども、そこら辺はどうお考えですか。 ○窪田参考人  ありがとうございます。  当然そこが中心になれば、その医療機関の周辺の、例えば障害福祉サービスとも水平連携していかなければいけない。ただ、そこが委託を受けて一つのリーダーシップを発揮できれば、周辺の支援機関と一緒にケア会議を開くことが可能になります。今のところ現状で言えば、当方のクリニックはクリニックとしてやっているだけで、言うなれば八百屋さんと何の変わりもないのです。当院が周辺に呼びかけて一緒にケア会議を開こうなどという権限も何もないわけです。でも、そういうことをやれる、少なくとも言い出しっぺになれるような権限を与えてくれると、もうちょっと地域がうまく連携してやれるようになると思っています。 ○山本座長  松田先生、よろしいでしょうか。 ○松田構成員  はい。 ○山本座長  それでは、いかがでございましょうか。  また私からで申しわけないのですけれども、幾つかの団体の方から、警察の取り組みといいますか、警察官行政についての検証ということが指摘されておりますが、これに関しては、警察のほうではこの事件に対する対応として検証とかを行っているのでしょうか。どうぞ。 ○警察庁生活安全局生活安全企画課長  警察庁の生活安全課長でございます。  こちらの考え方としましては、チームに参画して一緒に検討させていただいているという理解でおります。 ○山本座長  特に内部ではされていない。 ○警察庁生活安全局生活安全企画課長  内部というか、もちろんこの検証チームがありますので、それにその都度、上司等に諮って相談申し上げておりますので、そういう意味では検討はしているところでございます。 ○山本座長  わかりました。  神奈川県のほうは、警察についての検証はいかがですか。 ○神奈川県保健福祉局長  神奈川県の検証委員会のほうにも県警本部の生安の総務課長さんに常時御出席いただいて、当然秘密会でやっております関係もあって、さまざまな資料でありますとか、いろいろな状況説明でありますとか、非常に丁寧にやっていただいて、今、そのおかげで非常に検証がはかどっているという面はございます。 ○山本座長  神奈川県では検証がはかどっているわけですね。 ○神奈川県保健福祉局長  おかげさまをもちまして。 ○山本座長  わかりました。  どうぞ。 ○窪田参考人  松田先生からの御質問で、だめなところはどうするのかというお話を思い出しました。委託したけれども、ちゃんとした成果を上げないところについてはどうするかについてです。自分が考えているのは、5年ごとに見直しをすることです。それぞれのところについてちゃんとやれているのか、そういったことを県の精神保健センターがモニタリングする。もしくは各自治体、市町村が委託を5年ごとに再契約をするというような形にすることによって、ちゃんと機能していないところは他に替わってもらうという道があるのではないかと思います。  恐らくこれが制度としてスタートすれば、かなりやる気になるところが出てくるのではないかと私は思います。逆に言えば、一つの地域で2つも3つもやりたいと言ったらどうするのかということがありますから、何年かごとに再契約し直すという制度が必要になってくるのではないかと思っています。 ○山本座長  ありがとうございました。  松田先生、よろしゅうございますか。  村上先生、どうぞ。 ○村上構成員  先ほど山本先生からも出たのですけれども、この間、私もグレーゾーンという表現で、これは警察が扱うべき事案なのか、医療が扱うべき事案なのかという、要するにはっきりとしない領域についてお話を伺いました。私自身、例えば日常臨床の中でも、当院は窪田先生のところと似ているのか、多機能型病院と言っていいぐらい問題な方ばかりがお見えになりまして、ほとんど警察の方がお連れになります。診断もやはり多様です。基本的には、すっきりと統合失調症という方はほぼおられません。多かれ少なかれ事件的なことを起こしておられます。  やはり我々自身も悩むのですね。多分この方を引き受けられた病院も悩まれたと思うのです。悩まれた経過はよくいろいろなところで調べていただいたものを見て、そのように悩んだけれども、やはりこれは受けようと思っておられたということは随分我々自身も共感を持って追跡ができるわけです。ただ、この悩んだ過程に関して我々は共有できない。  日常臨床はそういうことで、お巡りさんが連れてこられ���ので、お巡りさんとはすごく仲がいいわけですけれども、悩んだときに、この意見の交換がどれぐらいできるかということが、やはりこういう難しい場面に対応するような病院は必ず必要になってくるので、ぜひ警察のほうも、悩んでいただきたいというのはおかしい話ですけれども、悩んでいただいて、そこの悩みの部分は共有していただきたい。その結果において、我々医療が引き受ける場合もあれば、お戻ししてそれは司法といいますか警察の方で対応する場面もあるのだろうと思いますが、その領域があるのだということは、非常に難しい場面をどのようにマネージしていくかにとって非常に重要なポイントになるのだろうと思います。よろしくお願いしたいと思います。 ○山本座長  ありがとうございます。  田中構成員、どうぞ。 ○田中構成員  私も窪田さんにお聞きしたいのですけれども、プレゼンテーション資料の中の6ページの「行政からの���務委託により対応可能に」という文言は、4ページの図全体に対しての提案なのかなと理解しているのです。今日お話しいただいた精神の分野の医療の伴った対応ということになるわけですけれども、ケースマネジャーと相談支援専門員がかかわる分野は、3障害だけではなく発達障害、難病にも広がった状況ですので、業務委託に関してのウエートは、ソーシャルワーク的に動く相談支援専門員を指しているのか、医療的な背景を伴っていることに対して業務委託と御提案なのかということについて御意見をお聞きしたいと思います。 ○山本座長  窪田先生、お願いいたします。 ○窪田参考人  ありがとうございます。  やはりチームとしては一部のソーシャルワーカーだけの業務というわけにいかないと思うのです。包括的なコミュニティーケアという意味では、この医療法人の中の医者もソーシャルワーカーも心理も看護も、それから周辺にある訪問看護ステーションとか、就労移行支援事業所とか、様々なところが一体的に機能していく必要があると思っています。  ただ、一般外来では鬱病や不眠症の人も大勢来ていますから、そちらについては直接かかわらないでしょう。より重層的な多機能な支援が必要な人たちを対象にしたセクションになっていくと思っています。 ○山本座長  よろしいですか。 ○田中構成員  一言だけ。私たちの提案としても、対応が難しい方の特性を理解した見通しを見立てていくということが非常に重要だと思っていますので、この一体的な機能について、窪田さんからの提案を受けて、今後の対策の中で強めていただければということで、今の御意見ですとなかなか分かちがたい部分があるということだったかと思いますけれども、これを参考にして、ぜひ何らかの形になるように検討、報告にも反映していただければと思いますし、政策にも取り込んでいただければと思っての意見表明です。  以上でございます。 ○窪田参考人  ありがとうございます。 ○山本座長  ちょっと話が飛んでしまったのですが、先ほど村上先生から御指摘いただいた点につきまして、警察からいかがでしょうか。 ○警察庁生活安全局生活安全企画課長  村上先生は以前からおっしゃっておられることは認識しておりますので、その趣旨は理解しているつもりではありますけれども、警察側も決して悩んでいないわけではありませんで、以前、ちょっと今数字を思い出せませんけれども、保護した中でも全て23条通報しているわけではないというお話もさせていただいたかと思います。あくまで23条におきましては、精神障害のために自身を傷つけ、または他人に害を及ぼすおそれがある、自傷他害のおそれがあると認められる者を発見したときは直ちにその旨を最寄りの保健所長を経て都道府県知事に通報しなければならないとございますので、そういう意味では真面目にやらせていただいているところでございますので、また導き等、よろしくお願いしたいと思う次第でございます。 ○山本座長  村上先生、よろしいですか。 ○村上構成員  そういう関係性をつくるのに、日々、我々、日常的には警察の方と連携をとってきて、やっと信頼関係ができてくるというプロセスがございます。だから、警察の方も一生懸命されていることは十分承知しているのですが、ただ、何回も言うように、グレーゾーンというかはっきりと判断が出ないような、幾ら専門家が見てもたった1~2時間の世界では信頼がつかない場面があって、そこだけで何かの決定を出さないといけないわけですから、そういうときにお互いの意見交換がフリーにできるようなことは非常に重要なのだと。精神鑑定で結論が出てくるのは、入ってくる情報量の桁が3つ違うぐらいの情報量の中で診断をしたり判断をするわけですけれども、実際の診療というのはもっと生きている状況の中で、時々刻々の中で判断するわけですから、お互いに100%正解な答えを出しているわけではないというところを共有していただければと思いました。 ○山本座長  ふだんからの密接なコミュニケートというものは必要だと思うのですが、今後そういう具体策みたいなもの、村上先生、ございますか。 ○村上構成員  私、司法精神学を専門としているので、私がまいりましてからそういう非常に難しい患者さんに関して、かなり丁寧なケア会議を開かせていただいて、その中に警察の方がお入りになることもあるし、それから、先ほどお話ししましたように、ほぼ問題な患者さんは地域にある意味ではそのままいます。問題が起こるたびに余り有効な手が打てずにおります。そこが少し医療という観点で入ることについて、私のほうからも手を出したところ、警察の方もすっかりと、それこそ対話ができるようになったというプロセスがございます。だから、医療とこういう困難な方の処遇に関することは、やはりお互いの歩み寄りなのだと思います。  それは例えば児相も出てくるし、保健所も出てくるし、相談機関も出てくるわけですが、やはり一番判断の難しいところは、手つかずにあるということの事実なのです。この事実を我々が認めて、何か手をそこに出していかないといけない。多分今回の相模原のケースだって、手を出し始めるとそんなに簡単にいかない。単に寄り添うといっても、非常に二面性があってどのように判断するのかわからない局面が多分あったのだろうと。そういう非常に難しい局面にある方が実際に地域に多くおられるということ、そこを我々はどのように医療なのか、司法なのか、対話をしていくということが重要なのではないかと思いました。 ○山本座長  ありがとうございました。  ほかはいかがでしょうか。  中原構成員、どうぞ。時間がありませんので、済みませんが簡単に。 ○中原構成員  今の村上先生のお話の中に出てきた警察との情報共有というのは、保健所としても一番大事なところだと思っておりまして、要は地域で保健所とそれぞれの地域の警察がきちんとそのような意見を共有できるような関係性をつくる。それもまた各全国の保健所の役割だと思っています。  司法のほうでも、そういったところを十分に認識していただけるように意識していただければと思っておりますので、これは警察の方にお願いです。よろしくお願いいたします。 ○山本座長  ありがとうございました。  警察の方、今の点について何かございますか。 ○警察庁生活安全局生活安全企画課長  私自身も先週、座長に御一緒させていただいて兵庫の取り組みを拝聴してまいりましたので、そうした形で保健師の先生方、あるいはお医者様方とのつながりというか連携が必要だと思っております。  ただ、余りこちらから言って、各いろいろなところがあろうかと思いますので、構築というのは一朝一夕には難しいのかなという気もしているところでございます。 ○山本座長  ありがとうございました。  最後に、幾つかの団体から障害者に対する差別や偏見をなくす教育が必要だと、そういう体制をとっていくのが政府として非常に重要なのだという御指摘がございましたが、これについて、文科省か、内閣府のほうがよろしいですか。何かちょっとこの取り組みについてお話ししていただけますか。 ○内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官(障害者施策担当)  内閣府でございます。  この事件、内閣府の取り組みということで申しますと、9月20日、第5回のこの場でも申し上げたことでございますけれども、うちの加藤大臣もやまゆり園を訪問するといったようなこと、それから、神奈川県との共催で障害者差別解消地域フォーラムに出席して、命の尊さ、あるいは共生社会の重要性ということで発信したところでございます。  内閣府のホームページでも、やまゆり事件に対する取り組みということで特設ページを設けまして、いろいろな取り組みについて一覧できるようにしております。それとともに、あと1カ月ちょっとたちますと障害者基本法で決められている障害者週間というものがあるのですけれども、今年は12月2日に内閣府でやることにしております。そういう中でも、改めて命の尊さについて考えるという形で、原点に立ち返ったようなテーマでパネルディスカッションのようなことも行うといったことで、いろいろな形で、今、久保会長もおっしゃっていましたけれども、とにかく当事者がいて、その家族がいて、お互いすごく大事な存在としているのだという、みんながある意味当たり前、本来それが当たり前だというようなところを一人一人の命の尊厳ということとあわせて発信することができればと考えております。  内閣府としては以上でございます。 ○山本座長  文科省、いかがですか。 ○文部科学省初等中等教育局特別支援教育課特別支援教育企画官  文部科学省でございます。  障害者理解の教育につきましては、実はこの会議の場でも折々重要性を指摘されておりまして、私ども、これから努めていきたいと思っております。  委員の皆様には繰り返しになってしまうのですけれども、現在の学習指導要領においても、障害者についての理解ということでいろいろな場面で障害のある子供たちと一緒に学習をしたりする場面を設けたり、あるいは道徳であるとか社会科の中で勉強するというのも盛り込まれていますけれども、現在、学習指導要領全体を見直しておりますので、その中でさらにとりわけ今度の改訂は、次のオリンピック・パラリンピックが東京であるタイミングでもございますので、それに合わせて障害者への理解等の充実をしていきたいと思っております。  1点、先ほど学校のモデル事業のような御指摘がありましたけれども、現在もそういったことをやっておりまして、現在、私どもで行っているのが、心のバリアフリー推進事業という通称で呼んでいますけれども、特別支援学校等において障害のある子供たちと障害のない子供と交流する場を設け、スポーツを題材にして、例えばパラリンピアンを呼んできて講座を聞くとか、障害者スポーツを一緒にやるとか、そういった場面を活用して行う委託事業をしているところです。  今、概算要求ではそこに文化の事業についても使えるように活用しようと思っていまして、これからもこうした形で事業を進めていきたいと思っています。 ○山本座長  よろしくお願いしたいと思います。  それでは、時間になりましたので、本日の議論はここまでとさせていただきたいと思います。  最後に、事務局から今後の日程などについて御説明をお願いいたします。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長  次回の日程につきましては、追って御連絡をしたいと考えております。  また、先週24日、兵庫県の取り組みの視察をしておりますけれども、その内容につきましては、次回説明をしたいと考えております。  配付した資料のうち、ドッチファイルにつきましては、机の上に置いていただきたいと思います。  事務局からは以上です。 ○山本座長  ありがとうございました。  本日はお忙しい中、長時間にわたりありがとうございました。  また、各団体の方には、貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございました。  それでは、これをもちまして、第7回「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」を閉会したいと思います。どうも長時間にわたりありがとうございました。 (���)
相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム(第7回)議事録(2016年10月31日)|厚生労働省
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kimikothesussytranslater · 1 year ago
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當班上的詭異情侶在妳和他面前秀-兄長篇
⚠️MC在此為女性
⚠️此文章純屬妄想
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R.A.D,妳和他在教室裡,靜靜的享受著你倆獨處的時光。偏偏這時一對情侶走了進來,不知是無心還是有意,他們在你們前面的位置坐下。
妳和他一開始覺得不怎麼樣,但你們前面的那對情侶開始做妖。
「寶寶,我頭痛痛!」
「來我親一下,波波!痛痛飛走~」
如此肉麻的場面,讓妳寒毛直豎,雞皮疙瘩掉滿地。
那對情侶對著你們的方向投來挑釁的目光,似乎是在炫耀自己才是校園最甜蜜的情侶。
雖然理智告訴自己這根本沒啥好比的,但攀比心油然而生...
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在妳開口前,路西法已經搶先一步,用吻阻止了妳的行動。
男人抵著妳軟舌,在妳嘴裡肆意活動,彷彿要將妳的甜美吃乾抹淨。
由於路西法突然的行動,妳忍不住嬌喘了幾聲,兩人的唾液也滿溢而出。
路西法終於和妳分開,他用舌頭切斷與妳牽出來的銀絲,斜眼盯著挑釁你倆的情侶。
那對情侶一臉錯愕,但很快又恢復成不屑的模樣,他們也做了同樣的事來表示不服,那女人甚至喘的更誇張。
路西法的臉陰沉了下來,攤軟在惡魔懷裡的妳也是一臉嫌棄。
那對情侶結束後,又挑釁的看著你們
黑髮惡魔對著那對情侶狠狠瞪了一眼,陰沉臉和血紅的眼睛讓原本就不怒自威的路西法看起來更加恐怖
在此之後,那對情侶變的安份許多,妳很高興他們吸取了教訓,誰叫他們在傲慢的化身面前耍大刀呢?
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瑪門毫不客氣的大聲乾嘔,彷彿快把剛吃進肚子裡的食物吐出來
「你是故意的吧?要演就好好演!噁心死了!」 女惡魔不耐煩的對著瑪門嚷嚷
「喔?妳竟然也知道我演的很噁心?代表我學的很像啊,對吧?」
瑪門將妳摟的更緊,讓妳坐在他大腿上
「你只是嫉妒我們比你們恩愛多了!」對面的男惡魔也摟緊自己的女人叫囂著
妳和瑪門同時做出嘔吐的動作
「比我們恩愛是吧?」
瑪門陰著臉,將嘴唇緩緩貼上妳的脖頸,輕輕吸吮
妳摀著嘴,克制著自己不要叫出聲,但在瑪門大力的咬妳一口後而宣告失敗
「她的身上有本大爺的印記,我手上也有她的髮圈,但你們的呢?我沒看到啊!」
瑪門壞笑,那對情侶對著瑪門又叫又罵,最後兩人被他推出教室
「兩個遜咖,那麼噁也敢叫『恩愛』?我看叫『恩怨』還比較貼切」瑪門不屑的說道
「別的情侶在撒狗糧,他們卻在潑豬食」妳回應
妳和瑪門哄堂大笑,瑪門甚至還捶打著地面
「潑...潑豬食...哈哈哈哈哈...形容的好貼切...嘻嘻嘻嘻...」
等到你們笑完,瑪門牽著妳的手一起離開
在回家的路上,瑪門給妳買了許多昂貴的禮物,至於哪來的錢,妳不用猜也知道
貪婪的化身自有他賺錢的方法
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「愚蠢的平凡人...我都能做的比他們好」利維握著遊戲機嘟噥
看著鮮少主動的紫髮阿宅,妳起了壞心思
妳轉身跨坐在利維腿上,抬起男人的下巴與他面對面
「那能不能向我證明呢?Mr. Otaku? 」
妳放下利維的遊戲機,雙手貼著他結實的胸肌嬌媚的看著他
利維的臉瞬間炸紅,他感覺心臟快要跳出來,這種夢幻的場景對宅宅來說衝擊力太大了
惡魔臉上寫著驚慌失措,但雙手卻主動扣住妳的腰,當利維意識到時,早已進退兩難
「呦呦呦!裝純呢!看來嫉妒的化身也不過如此嘛!」對面的男人不屑的嘲諷道
這下利維完全被刺激到,他低吼一聲,冷不妨的在妳柔軟的脖子上咬了一口
妳來不及驚呼,紫髮惡魔就堵住了妳的嘴,他吻的很深,抱的非常緊,讓妳幾乎喘不過氣
等到利維終於放開了妳,妳才發現他剛剛用尾巴緊緊的纏繞著自己
「不要小看宅宅,而且我好歹也是個魔王」
利維沙啞的聲音不大,對妳來說很溫柔但對面的情侶聽出了句子裡的怒吼
利維將妳打橫抱起,在出教室前又瞪了那對做作的情侶一眼
原來嫉妒的化身也可以這麼Man啊...妳心想
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redadee · 10 months ago
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蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
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在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁接二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨章黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
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蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱號的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發生了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當傀儡。
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在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
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蔡英文黨權在握之後,人們發現,她說的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求同」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將來民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
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蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又喜怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語不發,推開記者,拂袖而去。
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歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸製造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
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民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打前站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參觀時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
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民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,但又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,若彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
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