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#強風で早くも心折れる
shunya-wisteria · 25 days
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夏旅2024 延長戦 - 身延山久遠寺
青春18きっぷがまだ残っている。ということで夏旅の延長戦、日蓮宗総本山 身延山久遠寺へ参拝してみた。
菩提梯から五重塔、本堂へ
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三門を抜け緑美しい石畳の参道を進むと目の前に見えてくる絶壁の階段、菩提梯。高低差104m、段数287段、角度はおよそ45度と大変険しい道のりを途中 小休止しながら進みます。
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登り切れば涅槃(煩悩が絶たれた安らぎの気分)に達し、心穏やかに先の伽藍へ足を進められる、はずなのですが。。。登り切ったところで立ち眩みがしてしまい、近くのベンチで10分強ダウン。(自分より年長者や小さな子供が通り過ぎていく横で)思った以上に体力が落ちている情けない事実に悲しくなりました(涙)持ち直したところで五重塔、本堂を見学。
身延山山頂・奥之院へ
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ロープウェイで身延山をさらに登り奥之院へ。山頂に降り立つと心地よい風がお出迎え。涼しい、と思わず声が出てしまうほどの気温差がありました、快適!そのまま奥之院 思親閣へと歩みを進める。静寂と澄み切った空気に包まれた厳かなお堂、素敵でした。
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近くの展望台からは身延の街並みを見下ろすことも。この時点では良いお天気でしたがちょっと入道雲のボリュームが心配。。。足早に山を下りて帰路へ。
蛇足
今回は、都内から東海道線 熱海・富士を経由し富士から身延線にて身延へ。帰りは身延線でそのまま甲府に進む中央線経由で帰る予定でしたが、怪しい雲行きの予感が的中し、身延線 甲府方面はゲリラ豪雨により運転見合わせに。1時間ほど待ったところ富士方面の電車がやってきたため、予定を変更し来た道を折り返すことになりました。久しぶりに雨男の宿命を感じました。
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というわけで東海道線経由で帰ったわけですが。。。旅で心は満たされたけれど、お腹がちょっとひもじいな(さっそく煩悩にまみれだした)、ということで熱海駅で途中下車。駅の商業施設にてさくっとお寿司でお腹も満たして、のんびり帰りました。
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tsumakoushika · 11 months
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(第一部)
衝動的に寂しくなって、夜道を誰かに声をかけられるまで、取り止めなくさまよい歩く習慣がついたのは二ヶ月前からで五回目だった。知らない街まで電車に乗って、治安の良くない場所を選んで歩く。命の危機に晒されて半死半生の目に合うこともあれば、何事もなく無事に帰って来ることもある。仕事に行き自宅に帰り、一人食事を取り寝るだけの繰り返し。誰かに求められることもなければ必要とされることもない。一度負った傷の瘡蓋を剥がす一時の甘い悦びに浸りたいだけの狂った夜間歩行。
現地でシェリー酒やブランデーの強いお酒を飲んで、ほろ酔いから次第に足取りが重くなってくるのに任せる。お酒の酔いの回りの早い私にとって、緊張する瞬間。身元のわかるものは一切持たず、頼るのは自分の意識次第だというのに、その意識すら混濁させながら、ふらふらする。街灯の点灯し始めるマジックアワーを闇に紛れながら、細い路地を歩く。袋小路になるところ、人一人しか通れないような家の隙間を選んで歩く。日中は光の差し込むだろう通路は、ただただ魑魅魍魎の通る獣道のように、鬱蒼として気味悪くなる。
白地に黒い猫の柄の入ったロングの巻きスカートに、一点もののデザイナーズセレクトの白地に赤の刺繡の入ったカットソーを着て、シルクの下着を身につける。巻きスカートの黒い猫の目は金色に光り、夜目にも輝いて見える。巻きスカートは一点もので、かつて愛した人にプレゼントされたものだった。よくこのスカートを身につけて一緒に歩いた思い出のぎっしり詰まったものだった。私は他の男性とSNSを通じてやり取りしていた事を彼に誤解されて、約束していた結婚を取りやめにされた。別れ際、愛する人に清らかな人だと思っていたのに、不潔だとまで言われて、ショックを受けた。ただメッセージのやり取りをしていて、なんの疑われる行為もしてなかったのに。彼はその数ヶ月後にSNSで知り合った人と一緒になったと聴いて、ダブルでショックを受けた。私は清らかではなく不潔な人間だというレッテルを貼られたまま、蛇の生殺しのようになって、数ヶ月泣きはらした。
誰も通らぬような通路を、ドキドキとしながら通り抜ける。空を見上げると、三日月が空に架かり、流れる雲に隠れては見え、隠れては見えする。明るい星たちから輝きだしている。知らない場所の闇の中、月の方角と光だけが頼り。既に刺すような冷たい風が吹き抜け、ただでさえ心細い私を不安にさせる。
30分ばかり歩いたろうか。後方に、私の後をつけている人を確認して、速足で歩こうとする。うまく歩を進めることのできない速足で歩くと速足になり、ゆっくりと歩くとゆっくりと歩く。私は頭が真っ白になるのと同時に、なんの目的でついてきているのか、逃げ切ることができるのか、頭をめぐらす。地の利のない場所で、自分がどこに行きつくのかも分からない通路をやみくもに歩いている愚かな自分。
この先には何があるのか、道すらもないのではないかという不安と、後ろから追いつかれて、腕を掴まれて更に人気のない場所に連れ込まれる妄想と闘いながら、ふらふらと先に進んでいく。
ふと、後ろからの気配が消える。安堵したのも束の間、カラスが群れて、泣き叫んで暴れている袋小路にたどり着く。心臓がどくどくと聞こえるぐらいに膨大な血流を全身に送り、高鳴っている。私は行き場を失い、来た道を戻るしかない。カラスはこれから起こる何かを暗示しているかのように、獰猛に暴れている。
自分が今どこにいるのかもわからない場所で、闇から闇を通り抜ける。人の気配のない場所で、月明かりだけが頼り。来た道かどうかも分からぬ不安と闘いつつ、二股に分かれて���る地点にたどり着いた。
どちらに進もうか立ち止まったところで、後をつけてきたと思われる男が待ち構えていて、口をタオルで覆われて、固く捕らえられた。タオルは汗臭い匂いがした。男は地の利のある場所で、一番いい場所で私を待ち構えていたのだ。抵抗する時間も与えられぬまま、竹藪の中に引きずり込まれる。腐った水の匂い、成長した竹の青臭い匂いの中に入っていく。
ちくちくと背中に痛みを覚える場所に引き倒されて、体中を弄られる。お洒落な格好も台無しで、スカートもカットソーも引きはがされて、巻きスカートの黒い猫も無惨に引き裂かれて、脱がされた。白い素肌が闇に浮かぶ。痩せた脇腹の肋骨が上下するだけで呼吸すらままならない。男は貪りつくように覆いかぶさり、欲望の限りを尽くしていく。
私は頭上で竹の葉の間で見え隠れする三日月を涙を流しながら、男の律動に突き動かされている。三日月は冴え冴えと妖しく光り、儚げに歪んでいた。快楽はどこにもない。身体の中を硬くなった虫が激しくうねり、大切な何かを剥奪された痕が残っていくだけ。なぜ私はこんなことをくり返しているのだろう?なぜ?なぜ?と自分に問うてみても、答えは返ってこない。私は私を放棄することで、自分に仕返ししているような気持ちになった。
自分を大切にできずに、汚されていく自分を俯瞰して見つめている。男は二度三度、繰り返し中で果てると、その場に私を残して立ち去って行った。私はぴくりとも動けないまま、竹藪の中で白い肌を晒している。体の芯まで冷えて、このままここで死ぬのではないかと思った。誰かが私を見つけ出して、救ってほしかった。こんな愚かな私でも大切に想って、抱き上げて介抱して、温かなスープを飲ましてくれる存在が欲しかった。しかし、そんな温もりはこの世の中にはどこにもなかった。
私は散らばった衣服をかき集めて、下着を見つけることのできないまま、震える手で身につけた。寒さと怖さで、ガタガタと歯が鳴っていた。お洒落な衣服は、泥で汚れて、竹の落ち葉が張り付き、ところどころ破られていた。巻きスカートに張り付いた猫まで無惨に足元から引き裂かれていた。金色の目には泥がこびりつき、輝きを失っていた。
私はふらふらと立ち上がり、西に傾いて地平に消えて確認できなくなった三日月を見失って、酔いが醒めて素面になって、呆然と闇の中をさまよい帰った。私は正気ではない行為をしているにも関わらず、冷静だった。汚れるだけ汚れて安堵したかった。
自宅に帰った時には0時を過ぎていた。鏡には変わり果てた私が映っていた。私は三日月のように、これから満ちて丸くなっていくのだろうか?限りなく欠けていき、空で真っ二つにぽきりと折れてどこまでも地の果てへ落下していくだけの月になってしまいそうだった。
果たして私は清らかではないのだろうか?ますます遠く離れた不潔で淫らな人間に染まる事で、人間としてのバランスを保てる気がしていた。
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sakayahn · 3 months
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たまごやき
 大好きなあなたのことを考えながら、卵焼きを焼いている。
 そんな詩めいた言葉を口に含みながら、よく溶いた卵をフライパンへ注いだら、弱火に熱した鉄のうえで薄い黄色がふくふく泡立った。洋食屋のシェフだった祖父直伝の卵焼きのレシピの内容は、たまごと醤油と砂糖、あと塩だけ。あせったらすぐ焦げてしまうので、深呼吸しながら巻いてゆく。出来上がった卵焼きの完成度で自分の気分が分かるのはまた別の話。
 そうやって、わたしは今、もうこの世にいない大好きなあなたのことを考えながら、卵焼きを焼いている。
 だって、卵焼きを焼くと、あなたの耳のうしろへ鼻を寄せたときと同じ匂いがするから。
 あなたはわたしのお誕生日の次の日におうちへ来てくれた。茶色くて、骨が太くて、レッドアンドホワイト、オス、と札がついていた。お店で抱っこしたときはあんなに大人しかったのに、うちにくると暴れん坊になった。ラッキーって名前をつけようとしたら、父親が「こいつはそんな感じじゃない」と言って、すぐに〈チャチャ〉という名前になった。本当に声が大きかったよね。すっごいうるさかったよ。横に住んでるビーグルの男の子と、窓越しによく会話してたよね。散歩がすっごく好きだったよね。行けない日は網戸越しに外を見てたよね。バイクもトラックも本気で追いかけたよね。獣医さんの処方した薬は嫌いだったよね。そうそう、話は戻るけど、あなたをお会計(ペットショップ)してるとき、この子は心臓が弱いから生きられても12年ですって言われたんだよ。わたしは10歳だったから、説明を受ける両親の後ろで指を折って22歳まで数えてみたな。実感湧かなかったな。小さくてかわいいリボンを首につけて、ケーキを持ち帰るときとそっくりの段ボールに入って、空気穴から鼻を出してるあなたを見ながら、約12年のカウントダウンが始まりました。懐かしいね。
 大好きだよって何度抱きしめただろうね。
 私が悲しかった夜。外の空気を吸いたくて、でも門限が厳しかったからひとりでは出られなくて、「散歩連れて行ってくる」って口実で抱っこしたら、眠そうだったのに一緒に歩いてくれたよね。絶対前を歩いてくれたよね。でもそれはただ、自動販売機のひかりに吸い寄せられていたからだって知ってるよ。歩くたびに背中の毛が羽根みたいにふわふわゆれて、あれ、今思えば癖っ毛だったのかな。いろんなところでいたずらしてたし、オムライスのたまごをつまみ食いしたこともあったよね。勝手にテーブルに登ってティッシュを散らかしてたよね。私がリコーダーの練習をしてたら、エーデルワイスに合わせて遠吠えし出したのにはびっくりしたな。あれ今ネットに流せば話題になるんじゃないかな。いろんな携帯を経由してるからもう画質がびがびだけどね。
 梨が好きだったよね。おじいちゃんの焼いたパンが好きだったよね。大きい毛布が好きだったよね。こたつも好きだったよね。ひとりっ子でわがまま放題だったあなたに、弟ができたのはその頃でしたね。黒いチワワのちくわ。妹命名です。手の先だけが茶色くて、ちくわをはめているみたいだったかららしいよ。最初は喧嘩してたけど、ちくわがあまりにもどこ吹く風だから、あなたは早々に諦めていましたね。いいコンビだったよ。お留守番も悲しくなくなったよね。いきなり部屋の電気をつけたら、ふたりでまぶし、って顔してたよね。血は繋がってないのに面白いくらい似てたよ。そしてそのまた次の年、コーギーのまめが来て。まめとは……相性あまり良くなかったよね。おんなじ毛の色してるくせにね。たまに、未知の生命体と交信するみたいに見つめ合ってたね。かわいかったよ。なんだかんだ一緒に寝たりしてたよね。リビングに毛玉がみっつ落ちてる光景、好きだったな。
 あだ名たぶん10個くらいあるよ。思い出せないけど。チャチャはチャっくんになって、テレビでもののけ姫が流れた次の日、ヤックルにちなんで、チャックルになったよね。どうせなんて呼んでも振り向くんでしょあなたはね。
 変なところ鋭かったよね。動物的勘っていうやつなのかな。
 家出しようとしたら、静かに目で行くなって言ってくれたよね。
 部活の大会で負けて、頭に顔を押しつけて泣いて、あたまびっしょびしょにしちゃってごめんね。
 受験勉強で夜更かししてじゅうぶんに寝かせてあげられなくてごめんね。
 うるさいって言ってごめんね。でもそれはほんとにうるさかったからこれでおあいこです。
 私が大学生になって、あなたの心臓がいよいよ悪くなって。大好きなおじいちゃんの食パンに包まれた薬を飲んでたよね。たまにぺって吐き出して怒られてたよね。たまに発作を起こしてたよね。つらかったよね。何もできなくてごめんね。
 夜寝る前に、こっそりあなたの頭に鼻を寄せて、おやすみ、大好きだよ、って言うようになったのはその頃です。そして、卵焼きの匂いがすると知ったのもそれがきっかけです。ごめんね。でもね、朝起きて、あなたが死んでいたら後悔すると思って。自分勝手でごめんね。嫌だったよね。いや生きてるわ、って思ってたよねきっと。でもさ、そんなことでわたしのこと嫌いになったりしないよね。警戒心の強いあなたがわたしのお腹でぐーすか寝るくらいだもん。家族だもんね。
 わたしがあなたを最後に見たのは、冷蔵庫の前に伏せをしている姿でした。いつも通りでした。この夜が山場だって両親から言われて、覚悟はしてたの。でもどこかで、大丈夫だろうって思ってたのも本当だよ。だってあなた信じられないくらい骨が太いんだもん。叩いたら太鼓みたいな音するんだもん。チワワのくせに8kgもあったんだもん。あっ、体重測るのはわたしの役目だったよね。わたしがあなたを抱いて体重計に乗って、表示された数字から48を引いたら、あなたの命の重さが分かりました。……そんな重くなかったって? ちゃんと重かったよ。そしてね、すっごいあったかかったよ。
 朝。ベッドで寝ていたら、父親が入ってきて。目が覚めたのが先か、父が口を開いたのが先か覚えていないけど、そこで全部を悟りました。父親がわたしに声をかけるときは、決まって大事な話があるときだから。
 チャっくんが死んだわ。
 一言一句たがわず覚えています。
 ベッドから出て、階段を降りて、リビングの柵を跨いで。この柵はね、あなたが脱走するから苦肉の策で設置したやつね。それを跨いで。
 頭の横に母、足元に父、おなかのよこに妹。そして心臓の前にわたし。ちくわとまめはどこにいたかな。ごめん二人とも、その瞬間だけは見えてなかったかも。許してね。
 死んでたね。
 涙が出なくて。だって悲しくなくて。強がりとか薄情じゃなくて、分かってたから。半分だけあなたが死ぬって分かってたから。そっか、死んじゃったかって、あなたの目の前にいるくせにそんなことを思ったわたしのこと怒ってる? ……怒ってなさそうだね。この世の終わりのように泣く母に相槌を打って。初めて見る父親の泣き顔にびっくりして。妹は泣いてなかったったかな。
 あまりにも悲しく���くて、普通にお化粧をして、遊ぶ約束をしていた友だちとそのまま遊びに行って、パスタを割り勘して、電車に乗って帰って、恋人に迎えにきてもらって。こうやって文字にしてみたらすごく最低なやつだね。実際そうだよ。母親は不満そうでした。その反応が普通だよ。
 だって、悲しくなかったの。当たり前だったから。あなたが生きていようが死んでいようが、わたしがあなたを好きなことに変わりはないし、今まで生きてきた時間は消えないし、思い出もなくならないから。そしてね、あなたが死んでからいまこの瞬間まで、あなたが死んだことを悲しんで涙を流したことはありません。懐かしくて泣いたことはあるけどね。
 それは、あなたがぜんぶを連れ去ってしまったからです。
 ビルでも建てられそうな隆々とした骨の中で、弱かった心臓を守っていたあなたは、いつだって気丈で跳ねっ返りが強くて。わたしが煌々と電気をつけて勉強するから寝不足だっただろうに、ごはんももりもり食べて。発作のときもどこか豪快で、心配になるような弱りかたはしなくて。ああ思い出した、肉球を怪我してるのに海に入って、血が出てるのに何にも言わなかったよね。気づかなくてごめんね。染みたよね。そんなふうにあなたはずっとまっすぐで。散歩のときはリードを引っ張って。あげく、もうすぐ死にます、なんて診断されて帰ってきて。
 好きだったよ。
 大好きだったよ。
 いや、大好きだよ、今も。
 火葬場に行くあなたを、最後にちくわと触りました。まめは連れて行かないでって吠えていました。うまくできた話だよね。泣かせるね。
 遺骨になったあなたは、わたしが部活のカメラで撮ったぶさいくな写真を遺影に採用されて、いつもお仏壇はものでいっぱいです。最初はみんなさめざめとお菓子を備えてたけど、今では半分投げやりです。チャっくんにあげとくか〜って軽い感じです。
 たまに夢で会いますね。
 最初は良かったんだけど、いつしか、夢の中でさえ、なんであなたが生きてるんだろうって思うようになりました。たぶん、わたしにとって、あなたがこの世にいないことが普通になったから。
 わたしは、あなたがいないことを悲観的に捉えたことはありません。会いたいなとは思うけど、悲しんで泣いたりはしません。たぶん、これからも。
 一月生まれなのに桜が似合うあなたに。
 みんなに撫でられすぎてあたまだけ癖っ毛が落ち着いていたあなたに。
 悪知恵ばっかり働くあなたに。
 ちょっとしゃくれてるあなたに。
 しっぽが長いあなたに。
 お風呂が大好きなあなたに。
 10歳で亡くなったあなたに。
 わたしの誕生日プレゼントとしておうちに来てくれたあなたと、その運命に。
 耳の後ろが卵焼きなあなたに。
 会いたいなと思いながら、さっき、卵焼きをお弁当に入れました。
 気が向いたら会いに来てね。今日でもいいよ。そろそろのぼせそうだからお風呂あがるね。明日もお仕事だから早く寝るね。
 おやすみ、大好きだよ!
 ……あれ、なんか伏線回収みたいになった? 職業病かな。うふふ。そうだといいな。
 でも本当におやすみ。大好きだよ。
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tomoya-jinguuji · 8 months
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天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だ���らこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
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kennak · 2 months
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伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には 話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。 従兄弟は中堅以上の私大を卒業後、ある市役所の職員になった。 安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。 しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく 従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。 一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟が ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。 後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。 退職してからの従兄弟は、伯父夫妻曰く「引きこもり」。 しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、 貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。 また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。 だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」 という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。 父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。 また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった 愚痴をよく聞かされていたそうだ。 私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。 従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。 何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がようやく重い腰を上げ 知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。 従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。 本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。 それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された 住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。 今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば 引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。 当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。 人間の善性を素直に信じていたといえる。 それから数ヶ月後、仕事中に実家の母からいきなり連絡がきた。 一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。 最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。 警察は従兄弟の身元引受人として連絡をしてきたと。 何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。 落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。 翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。 久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。 結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。 伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。 従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。 それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応は悪化するばかり。 また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという) 共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。 ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい) 家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも 精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと 支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。 最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。 話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。 また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に 結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。 生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。 文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、 知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ) 生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活管理費用、 高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を 差し引いた金額を渡され、手元に残る自由なお金は残り僅か。 それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、 それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。 話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。 仲良くしよう��も思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、 最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ 罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。 しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」 親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。 しかし途中で交通費は無くなって数駅手前で下車。 そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に 身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。 で、警察から叔父(父)に連絡がきて、今に至る…と。 正直、驚いたし怒りも湧いた。 嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。 何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。 話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所 伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。 アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。 母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。 週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。 伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな! といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。 家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。 もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。 やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と 一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。 伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。 じゃあこれから従兄弟の処遇をどうしたら、という話になった。 従兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが 両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間��従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。 これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。 受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、 これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。 団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った) 従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。 とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、 文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの 言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。 それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。 しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり 表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。 団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、 そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。 あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。 団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた 従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや 今度は私達がターゲットとなり、謎の嫌がらせが始まった。 どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」 「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の 嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。 さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。 父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。 母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。 当時勤務していた職場にも、嫌がらせ電話やメールがきた。 内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」 という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。 しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。 その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。 そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。 兄の方にも嫌がらせの電話やメールはきていたらしい。 しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり 「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」 「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。 しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。 全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。 当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か 「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。 警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、 よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、 それを「被害」と認定するのは難しいとも言われた。 「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。 弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。 私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。 結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。 伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ 慣れない土地で慣れない仕事をする生活を送る羽目になった。 定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、 今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。 自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。 今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり 年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。
引きこもりの従兄弟を助けたら生活が崩壊した
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elle-p · 10 months
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P3 Club Book Koromaru short story scan and transcription.
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虎狼丸の優雅な一日
初夏の爽やかな日差しが心地よい日曜日。今日もなかなかの散歩日和だ。少し早めに出かけて、少し寄り道をするのもいいかもしれない。明確な言葉によるものではないが、だいたいそんなことを考えつつ、その柴犬は神社の石畳から身を起こして軽くあくびをした。
犬の名はコロマル。正式には虎狼丸と書くのだが、本人 (本犬?) は字が読めないので、とくにその違いにこだわりはない。彼がこだわっているのは、毎日の散歩。先日、彼の飼い主である神社の神主が事故で亡くなって以来、新しく神社の主となった人間は、最低限必要な食事は出してくれるものの、散歩に連れて行ったり頭をなでてくれたりはしない。コロマル自身、前の飼い主だけが唯一の主人であると思っており、もし新たな神主が散歩に連れて行こうとしたとしても、以前のルートを変えるなど考えもつかないことだった。なので、今日もコロマルは散歩に行く。まず、長鳴神社からムーンライトブリッジを超えてポートアイランドの駅前まで。その後、再びブリッジから蔵戸台方面に戻り、町をぐるりと巡ってから神社に戻る。これが、毎日の長い散歩のロードマップ。
「わん!」
人間の言葉に直せば、さあ行くか、といった感じだろうか。コロマルは一声鳴くと、いつもののんびりとしたペースで歩き出した。
「あ、コロ助、おはよ!」
ふと、かけられた声に、コロマルは面倒くさそうに顔を向ける。それは、三つ編みの髪を頭の両側でお団子にした、小学生くらいの女の子。いつも、夕方ごろに神社で遊んでいる子だ。
実を言うと、コロマルはこの子が少し苦手だった。嫌いなわけではないのだが、ややコロマルを構いすぎる傾向にあるのだ。大人と比べて体温が高い子供が、気温が高い日にむしゃぶりつくように抱きしめてくることを想像してほしい。毛皮に覆われたコロマルの苦労は、その想像の軽く上をいくものだ。ただし、慈悲深いコロマルは、そんな女の子も無下には扱わない。この子がわりと苦労人であることを、コロマルは知っているのだ。そうしょっちゅうではないが、この子の両親は酷いケンカをするらしく、夕刻の神社で悲しみをこらえるようにコロマルに抱きついてくることがある。群れで暮らす犬族は、それこそ家族や仲間は命に等しい。それが仲良く暮らせない悲しみは、いかほどのものだろうか?そう思うと、コロマルは多少うっとうしくても、彼女に優しくせずにはいられないのである。
「あ、もう時間だ。ごめんねコロちゃん、舞子もう行かなきゃ。あーあ、塾面倒くさいなあ」
そう言って、彼女はコロマルの頭をひとなですると、廠戸台商店街方面へと歩み去った。うん、これぐらいのスキンシップが、コロマルにとってはちょうどいい。少し気分を良くして、コロマルも再び歩み始めたのだった。
潮の香りがする中、コロマルはムーンライトブリッジをてくてく進む。人間は、ここを観光地とかいう扱いでありがたがって見に来るらしいのだが、コロマルにとっては散歩ルート中もっとも退屈な行程である。というのも、橋の手すりが高すぎて、コロマルの体高では絶景と噂の風景も見えないからだ。しかも、やたらとたくさんの自動車が前から後ろから突っ走ってきて、危ないわ埃っぽいわ、嫌な油臭い空気を吐き出すわで不愉快ですらある。
であるからして、コロマルはこの場所を無心で歩く。なるべく潮の匂いにだけ集中し、遠くに見えるポロニアンモールの丸いドームを目指してずんずん歩く。時おり、ランニング中の人間が立ち止まって手を伸ばしてきたりするが、それも可能な限り無視してひたすら前へ。
しかし、それでも2度呼ばれると、つい立ち止まってしまう。コロマルが行ってやらないと、呼んだ人間は時々えらく傷ついた顔をすることがあるのだ。人間を傷つけることは、コロマルの本意ではない。なので、コロマルはあくまで “仕方なく” 人間に思うさま頭をなでさせる。コロマルはそういう自分の性格を時おり誇らしくすら思っているが、じつはなでられている間、ついつい尻尾を振ってしまっていることには気づいていない。コロマルはそんな犬だった。
「あれー、コロちゃん?こんなとこまでお散歩に来てるの?」
「あ、ホントだ。健脚だね〜」
ポロニアンモールに来たところで、厳戸台あたりでよく見る女子高校生に出会った。いつもの制服姿ではなく私服姿。セミロングの髪の子は、ピンクのタンクトップにデニムのジーンズ、ショートの髪の小さい子の方は、水色のワンピースを着ている。もっとも、犬であるコロマルにとって、服の違いは別にどうでもいいのだが。
このふたりは、けっこうコロマルのお気に入りである。水色ワンピースの子は、動物の扱い方を心得ているのか、コロマルが気持ちいい場所を的確になでてくれる。タンクトップの子は、なでかたこそ普通だが、あまりベタベタしようとしない点で好感が持てる。コロマルに触りたいという気持ちは、たくさん伝わってくるので、むしろもっと触ってくれてもいいのに、と思うことすらある。もし犬の言葉がわかる人がいれば、遠慮しないでいいよと言ってあげたいほどだ。まあ、そうそう都合のいいことはないと、犬ながらに買いコロマルはそう思う。
「あ、コロちゃん、こういうの食べるかな?」
そう言って、水色ワンピースの子が手に提げていた袋から何かを取り出す。赤いビニールに包まれた、棒状の何か。漂ってくるかすかな匂いに、ある期待を抱き、思わずコロマルの尾がぶんぶんと大振りになった。
「あれ?ソーセージじゃん。どーしたの?」
「え?あ、た、たまには自分で料理しようかと思って······さっきデパートで、ちょっと」
「ふーん、風花も料理したりするんだ」
「ま、まあね。あはははは」
ワンピースの子は何か焦った様子だが、すでにコロマルは、想像の中に広がるソーセージの味で心が一杯になっている。ワンピースの子は、そんなコロマルの期待に応えるように、できるだけ意いでビニールをむいてくれた。
「はい、どうぞ」
「わん!」
礼を言うのもそこそこに、コロマルはソーセージにかぶりついた。そういえば、朝食をとってからけっこうな時間が過ぎている。ちょうどいいタイミングの思わぬ幸運に、コロマルの心にじんわり幸せが広がっていく。やはり、何かを食べているときが、いちばん幸せだ。それがとくに、好きな人が手ずから食べさせてくれるとあれば、それ以上何を望むことがあろうか。
欠片ひとつ残さずにコロマルはソーセージをたいらげ、もう一度「わん」と礼を言う。
「どういたしまして」
とワンピースの子が答え、買い物の続きがあるからと、コロマルをひとなでしてどこかの店へと向かってふたりは歩き出した。ごくまれにだが、このようにコロマルの意思が、人間に通じているように思えることがある。それは単なる錯覚や勘違いかもしれないが、それもまたコロマルに満足感を与えることのひとつなのだ。
ともあれ、コロマルは今日彼女たちに会えた幸運に感謝しつつ、散歩の続きを楽しむことにした。いずれ、コロマルは先ほどの想像どおり彼の言葉を理解できる存在と出会い、この日もっとも幸運だったことは、ワンピースの子がくれた食物が “調理前” だったことにあったのだと知るのだが、それはまた別の話である。
散歩の折り返し点、ポートアイランド駅に着いたときには、太陽は南天を過ぎ、もっとも暑い時間帯を迎えていた。駅そばにあるオープンテラスのカフェは、日曜ということもあって満員。いつもなら、ここで小腹が空くタイミングとなるために、カフェの客に愛想を振りまいたりすることもあるのだが、今日はもらったソーセージのおかげでその必要もない。
とりあえず、涼しい日陰でも探そうかとコロマルが駅前広場を見回したとき、ぞわり、と背中の毛 が逆立つような感覚がした。無意識に、尻尾が丸くなって足の間に挟みこまれる。コロマルは、その感覚に覚えがあった。
--いた。
花塩そばのベンチに座った、白いドレスの少女。手には大きめのスケッチブックを持ち、空ろな目でしばし前を見つめては、手元に目線を移して右手を動かす。その作業を、少女はひたすら続けている。
コロマルは、あまりこの少女に近づいたことがない。別に危害を加えられた訳ではない。ただ、以前1度だけ、少女の前方にいたときにじっとあの目で見つめられた。それだけだ。その目が、コロマルは今も怖くて仕方がない。
言葉を持たないコロマルは、その印象をうまくまとめることはできないが、あえて説明するとしたら、それは生き物としてはありえないほどの、虚無に満ちた視線だった。コロマルの目からは、少女は既に死者に等しく見えた。
だが、そんな少女が。
「······おいで」
なんと、コロマルを認めて声をかけてきたのである。一瞬のためらいののちに、コロマルは少女のほう���と近寄った。丸めた尻尾は、気力を振り絞って常態に戻している。少女に対しておびえを見せることが、何となく申し訳なく思えたからだ。それがなぜかは、わからない。
コロマルが近寄ると、少女は手に持ったスケッチブックを数枚めくり、やがてコロマルにひとつの絵を示した。強弱が定まらない輪郭線、不安定な色彩。正直、犬であるコロマルに絵の良し悪しはわかりはしないのだが、その絵からは何か圧倒されるものが伝わってきた。それは、この世のすべての生き物が恐れるべく定められた、“死” そのもののイメージだった。
「······これ、お前よ」
その言葉に、コロマルは首をかしげて再び絵を見る。よくわからない。だが、コロマルの生き物としての鋭敏な感覚が、その絵にこめられた別のイメージを感じ取った。
これは、憧れ?
紙の上にすみずみまで満ち溢れる、死というマイナスイメージの中、ほんのかすかに匂う生への憧れというプラス。それはまるで、地平線まで広がる黒々とした底なし沼の真ん中から、すがるように空に向かって伸ばされた白い手。
「普通は······誰かに見せたりしないけど······お前は、勝手にモデルにしたから、一応······」
目を合わせず、言い訳するように少女は呟き、そそくさとスケッチブックを畳んでしまう。
「く~ん」
と、コロマルは、甘えるように鼻を鳴らす。少女に付きまとう、得体の知れない死のイメージは微塵も薄れてはいないが、それでも小さな小さな助けを呼ぶような気配が気になった。だが、少女にはそんな想いは通じず--。
小さな体に不釣合いな大きさのスケッチブックを抱え、少女は無言で立ち去ってしまった。
自分には、あの虚無から彼女を助けることはできない。それを本能的に知覚し、コロマルは少し悲しくなる。そしてコロマルは気づく。
--誰かを守れる力が欲しい。
そんな想いが、自分でも意外なほどに、強く強く満ち溢れていることに。それは、愛する主人を突然の事故で亡くして以来、自分の気づかない場所で、静かにっていた火だった。
それから、コロマルは沈んだ気分を晴らすように、ポートアイランド駅近辺をたっぷり散策した。今日はなかなか面白い人間が多く、別に吠えたり呻ったりもしていないのに「ちょっと!アタシは犬って苦手なのよ!犬は悪い人がわかるって言うし、アタシなんか噛まれるに違いないんだからね!しっし!訴えて慰謝料とるわよっ!」と叫ぶ中年男にじゃれ付いたり、なにやら月高の女生徒を付け回す同じく月高の男子生徒を、真似して尾行してみたりした。そして、ほんの少し気持ちが復活したところで、コロマルはポートアイランドをあとにして、行きと同じ道を辿って帰路に着く。
ポロニアンモールで立ち話をする主婦の、買い物袋から漂う匂いの誘惑に打ち勝ち、相変わらず埃っぽくて油臭いムーンライトブリッジをずんずん進み、ほんのちょっと厳戸台駅前に寄り道をする。これもいつものルート。
このあたりに来ると、昼が長い夏とは言え、すっかり日は傾きかけていた。駅前商店街に多数存在する食べ物屋からは、それぞれに違ったいい匂いが漂ってくる。とくに気になるのが、香ばしく焦げたソースの匂い。前に1度だけ食べたことがある、たこ焼きの匂いである。
ちょっとした気まぐれで、店主が散歩中のコロマルに投げてよこしたたこ焼きは、今までに経験のない美味だった。
「ホンマは犬猫にタコやイカはあかんのやけどな。ウチのはほら、タコ入ってへんから」
店主はそんなことを言っていたが、コロマルにとってはどうでもいいことである。ただ、もう1度だけ店主が気まぐれを起こしてくれないかと、このあたりで足を止める癖がついてしまったのが、我ながら情けない。
空腹をこらえながら、コロマルは商店街を進む。今日はあいにく、コロマルに食べ物を恵んでくれる気になる人間はいないようだ。いつも新しい神主が提供してくれる食事は、コロマルにとってはやや物足りない分量である。今日はちょっと疲れたので、もしかするとあれでは足りないかもしれない。今夜は、空腹をこらえて寝るしかないかと、コロマルが覚悟したとき。
「よう、コロちゃんじゃねえか」
後ろからかかる声。
大きく尻尾を振って、コロマルは声の主のもとに走り寄った。亡くなった主人を除けば、おそらくコロマルがもっとも大好きな人間だ。
「ほら、焦るなって」
そういって、その人は懐から容器を取り出し、地面に置いて開けてくれる。中身は何か肉を煮込んだもの。巌戸台商店街やポートアイランドでよく見かけるその人は、いつの頃からか、定期的にコロマルに食べ物を持ってきてくれるようになっていた。口調は乱暴だが、優しい人だ。
「よし、いいぜ。食えよ」
いつものことだが、コロマルは律儀に一声吠えて礼をいい、それから出された食事を食べ始める。あまり味を気にしないコロマルだが、その肉は絶品だった。濃すぎない味付け、適度な歯ごたえ、神社で出されるドッグフードとは雲泥の差である。食べながらコロマルは思う。色々あったが、今日は総じていい日だった。明日もいい日になるだろうか?
どちらにせよ、コロマルは毎日を精一杯生きるだけだし、日課の散歩も変わらないだろう。手が届く範囲の幸せ、それを守ることがコロマルの重要事であり、それは確かに、生き物すべての真理なのである。
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dainanagekijo · 4 months
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ヘッダ・ガーブレル Hedda Gabler
じゃ、私にできることは、何もないのね。
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彼女はなぜ原稿を燃やし、銃の引き金に指をかけたのか——。
自分の生と自己についての実感を求めて、空虚の中で心を圧された女性「ヘッダ」。生きている価値、妻であることやパートナーの意味や意義、ひとりの人間として必要な承認をめぐる、生が自己を求める切実さを描く物語。
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開演日時: 2024年8月31日(土) 14:00・18:00 / 9月1日(日)14:00 ※各回終演後に演出家によるトークセッションを実施予定 ※受付開始は開演の45分前、開場は30分前 ※上演時間は100分を予定
託児サービスあり(先着順・有料) 9月1日の回が対象。公演2週間前までに要申込。 (三重県文化会館 TEL059-233-1122)
英字プログラムあり
会場: 三重県文化会館 小ホール(三重県津市一身田上津部田1234) ※三重県文化会館へのアクセス
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原作:ヘンリック・イプセン 構成・演出・美術:鳴海康平
出演: 木母千尋、三浦真樹 諏訪七海、桑折 現 山形龍平、梨香
舞台監督:北方こだち 照明デザイン:島田雄峰(LST) 音響:平岡希樹(有限会社 現場サイド) 照明操作:前田遥音 衣装:小野花弥 肖像画製作:永村清華 フライヤービジュアル撮影:松原豊 フライヤーレイアウト:橋本デザイン室 アダプテーション:鳴海康平
フライヤー撮影協力:Bon Vivant(三重県伊勢市本町20-24)
※原千代海訳、毛利三彌訳、福田恆存訳、 Deborah Dawkin and Erik Skuggevik 英訳、 Terje Sinding 仏訳を参考にさせていただき、上演台本を作成しています。
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料金:(全席指定) 一般前売 2,500円(当日 3,000円) 22歳以下 1,000円(前売・当日とも)
チケット取り扱い(チケット発売日:6月29日10:00)
▋三重県文化会館 チケットカウンター(窓口��電話) tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) WEBチケットサービス「エムズネット」 https://p-ticket.jp/center-mie/
▋第七劇場(予約のみ) https://www.quartet-online.net/ticket/hedda24
※未就学児の入場不可 ※22歳以下チケットでご入場の際は、年齢の確認できる証明書のご提示をお願いいたします。
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三重県文化会館 公演情報ページ https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/48724
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関連企画
「ヘッダ・ガーブレル」を読んでみよう
演出家・鳴海のナビゲートで、実際の上演台本を使った読み会を開催します。みなさんで声に出して読みすすめながら、作品を紐解いてみましょう。
日時:8月12日(月・祝)14:00〜16:00 会場:三重県総合文化センター 生涯学習センター棟 2階 まなびラボ 参加料:1,000円
事前申込制(先着)
参加料は当日精算
定員 15名
申し込み受付は6/29(土)〜8/3(土)※必着
お申し込み・お問い合わせ
tel: 059-233-1122 窓口:三重県文化会館 チケットカウンター  10:00〜17:00/月曜休館(祝日の場合は翌平日休館) 申込URL: https://www.center-mie.or.jp/bunka/
※未就学児のご参加はご遠慮ください。 ※筆記用具をご持参ください。 ※定員に達し次第、受付終了となります。
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ヘッダ・ガーブレル
1891年、ミュンヘンで初演。研究者の夫テスマンとの関係に息苦しさを感じている妻ヘッダは、退屈な日々と、身近な生気に溢れた人たちに苛立ちを覚える。テスマンの研究者としてのライバルでありヘッダの元恋人レェーヴボルクの死、ヘッダの古い友人テアとテスマンの研究上の意気投合、レェーヴボルクの死に関する判事の思惑が交錯し、嫉妬と羨望と絶望が高まる中でヘッダは、自身の行動で自らを追い込み自殺してしまう。
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ヘンリック・イプセン(1828〜1906)
ノルウェー出身の劇作家・詩人。「近代演劇の父」と呼ばれる演劇史上の巨人。シェイクスピア、チェーホフと並び、現在でも世界中で盛んに上演される。19世紀当時一般的だった勧善懲悪の物語や歴史上の偉人が登場する大作から離れ、個人の生活や現実の社会の課題などを題材に戯曲を執筆。
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第七劇場
1999年、演出家・鳴海康平を中心に設立。主に既成戯曲を上演し、言葉の物語のみに頼らず舞台美術や俳優の身体とともに多層的に作用する空間的なドラマが評価される。国内外のフェスティバルなどに招待され、これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市(フランス・ドイツ・ポーランド・韓国・台湾)で作品を上演。代表・鳴海がポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間滞仏後、2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。2014年、東京から三重県津市美里町に拠点を移設し、倉庫を改装した新劇場 Théâtre de Bellevilleのレジデントカンパニーとなる。 https://dainanagekijo.org
写真「三人姉妹」2023・三重県文化会館 ©松原豊
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鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。1979年北海道紋別市生まれ。三重県津市在住。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。「風景」によるドラマを舞台作品として構成。国境を越えることができる���ロダクションをポリシーに製作し、ストーリーや言語だけに頼らないドラマ性が海外で高く評価される。ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間渡仏し活動。帰国後2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。AAF戯曲賞審査員(愛知県芸術劇場主催 2015〜)。名古屋芸術大学芸術学部舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真 ©松原豊
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主催:三重県文化会館[指定管理者:公益財団法人三重県文化振興事業団] 共催:レディオキューブFM三重 助成:公益財団法人岡田文化財団  文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業(地域の中核劇場・音楽堂等活性化事業))  独立行政法人日本芸術文化振興会 特別協力:名古屋芸術大学
製作:合同会社 第七劇場
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お問い合わせ: 三重県文化会館 tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) 第七劇場 [email protected]
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atrathink · 4 months
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KANさんへ あなたの新米ファンより
送るあてのないファンレターを書くのは、これが初めてです。
KANさんの音楽が、これからもたくさんの人に響きますように。
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KANさんへ
初めてお手紙を書きます。
「愛は勝つ」の人(らしい)。
世間大多数の人と同じく、これまでKANさんのことをそう思っていました。
ただ、Juice=Juiceの「ポップミュージック」をKANさんの提供曲だと知らずに気に入っていた私は、遅かれ早かれ、その音楽とどこかで深く交わる人生だったのかもしれないと思います。
そして、そのきっかけは昨年11月の訃報でした。
訃報を機に、KANさんのファンの方がSNSでプレイリストをシェアされていました。
それを頼りに曲を聴くうち、その奥深い音楽に魅了され、あっという間にファンになってしまいました。
訃報のたった3日後には、楽曲の感想をSNSに綴っていたので、本当にあっという間に好きになっていたんだなと思います。
それから今日に至るまで、音楽を聴くときはKANさんの曲ばかり聴いており、時間の経過に比例して好きな曲もどんどん増え、感想をスマホのメモに書き溜める日々を過ごしています。
そして、この断片的な思いをなにか形にできないかと思い、こうしてファンレターを書こうと思いついた次第です。
たった3日で好きになった、その理由
>自然体から滲み出る豊かな音楽、品があって、心にすっと馴染んで、、、 >まだまだ全部聴けてない、こんな音楽に出会えて良かったな
訃報の3日後に綴ったこの感想は、今も変わっていません。
最初に聞いたのは、先のプレイリストのランダム再生でした(当時はSpotifyの無料会員で、ランダム再生しかできなかったため。KANさんの曲を自由に聴くため、数日後にはプレミアム会員になりました)。
「23歳」(アルバム)や、「カレーライス」「世界で一番好きな人」が流れていたので、おそらく、リリースが新しいものを中心に再生される仕組みになっているのだと思います。
その時に聴いて印象に残っているのが、「23歳」に収録されている「君のマスクをはずしたい」。
一歩間違えば"強い思想をお持ちの方なのかな、、、"と引いてしまいそうな、センセーショナルなテーマですが、
"この人はそんな大げさなことを言いたいわけじゃなくて、自分の生活の中で素朴に感じたことを歌にした、それだけなんだろうな"
と、根拠はないけれどそう理解できたのが、自分でも不思議でした。
ハードロックサウンドの曲でありながら、どことなく品があると感じたことも印象的でした。
また、ランダムに流れてくる曲を聴きながら思ったのは、シンプルで分かりやすいけれど、でもKANさんの中にある豊かな音楽が曲に滲み出ているということ。
実際のところ、楽曲には音楽的に様々な工夫がされていて、緻密な計算により、結果としてそれが違和感なくシンプルに聞こえているだけ、ということを後に理解するのですが。
耳につくようなわざとらしい奇抜さはなく、自然体でいるように聴こえるけれど、実は、一朝一夕には真似できない奥行きがある。
懐の深い音楽だなあと思います。
初めての音楽に出会うときは、いつも決まったイメージが自分の中に浮かびます。
自分の心に、聴いている音楽が染みこんでくるようなイメージです。
"この音楽は自分に向けて歌われてないな"と感じる場合は、触れ合った部分が反発し合って、まったく染み込まない。
"いいな"と感じる場合は、心の表面から深いところに向かって、"いいな"の度合いに比例して染み込む。
これで言うと、KANさんの音楽は、私の心の深い部分に入ってすっと馴染んで、初めて聴くはずなのに、ずっと前から知っていたように感じます。
私の心との親和性の高さに、もしかしてKANさんは遠い親戚だったんじゃないかと、もはや血のつながりを疑ってしまうレベルです。
実際には血縁関係はなく(当たり前)、でもそう思わせるような音楽、それがポップということなのかなと思ったりしました。
耳馴染みがいいけど、ありきたりじゃない。
ありふれているようだけど、ここにしかない。
これが、私がKANさんの音楽を好きになっていった最大の理由かなと思っています。
最適解が出せる人
つい最近聴き始めたばかりの私が、KANさんの音楽のすべてを理解できるわけもないですが、今日まで聴いていて感じるのは、様々な角度から、音楽について常に最適解が出せる人だということです。
ダジャレの数々やおっぱいだのなんだのっておっしゃる様子に惑わされがちなんですけど、すごく理性的に音楽を整理される方という印象です。
①ソングライターとしての最適解
メロディーと歌詞のピッタリ加減が天才的ですよね。
どの曲もそうですが、私が特にそう感じるのは「彼女はきっとまた」のAメロと、「レジ子スターの刺激」のAメロです。
「彼女はきっとまた」は、メロディーに歌詞がピタッとはまっていて、一緒に歌っていると楽しくて気持ちがよくて。
レジ子スターなんか、レジを通した時の金額を並べているだけなのに、この歌詞以外考えられなくなってしまいました。
曲先なのか詞先なのか、どちらにせよ音と言葉がバッチリはまっていて、この曲のあるべき姿、最適解はこれなんだと感じます。
②プロデューサーとしての最適解
"プロデューサー"という表現が合っているかは分かりませんが、アルバムを1つの作品としてプロデュースするセンスが素晴らしいと思います。
私の思う最たる例が「23歳」です。
ひとつひとつの曲が良くてバラエティに富んでいて、それがアルバムにまとまるとパッチワークのように、近くで見ても離れて見ても美しくて。
洋楽邦楽、幼��期から現代まで、KANさんが今まで影響を受けてきたアーティストへのリスペクトも感じます。
ビートルズからきゃりーぱみゅぱみゅまで、1つのアルバムにこんなに幅広いアーティストの要素を盛り込めるのは、KANさんくらいでしょうね。
そして、曲ごとの個性を生かした緩急ある曲順で、最初から最後までおいしくいただけるコース料理みたい。
CDジャケットはポップで品が良くて、かわいさもある。
すべてにおいて最適解、私の思う”名盤”のお手本みたいな1枚で、素晴らしくて大好きです。
結果としてKANさんの最後の作品となりましたが、私はKANさんの音楽を初めて聴く人にもおすすめしたいです。
③歌手としての最適解
そのアルバムの最後の曲「エキストラ」。
この曲は、元モーニング娘。の譜久村聖さんがカバーされている動画も拝見しました。
譜久村さんはこの曲の主人公になりきるような表現で、"もう絶対に叶わない恋の辛さ、でも、、、好きです。"と強く伝わります。
なんかもう折れちゃいそうで、抱きしめてあげたくなる感じで切なくて素晴らしいのですが、KANさんの表現はそれとは違って。
KANさんの歌は、聴き手が心の奥底にしまい込んで、自分でも忘れてしまっていたような感情を丁寧に拾い上げて、やさしく包み込んでくれる、そんな風に感じました。
それはまるでカウンセラーみたいで、私につられて泣いたりせず、あくまでプロフェッショナルに、でもありのままの感情を認めて抱きしめてくれるような、そんな安心感。
実は私、つらかったんだな、悲しかったんだな。
KANさんの歌に包まれていると、自分のそんな感情を認めることができて、そしてその思いにひとつ区切りがつけられそうな、そんな感じがするのです。
”どうしてそんな風に感じるんだろう”と思い、この曲をしばらく聴いていたのですが、あることに気が付きました。
一緒に歌っていると、"ここは感情をこめて歌い上げたら気持ちいいな"と私が思うポイントで、KANさんはそうしていないんです。
歌詞にこめられた感情に呑まれすぎず、少し俯瞰したような歌い方は物語の語り手のようで、それは聞き手に寄り添ってもいて。
歌っている・演奏している自分の気持ちよさよりも、聴き手に心地よく、楽曲がより伝わる表現を選択していく。
それは真似しようとしても一朝一夕で出来るものではなくて、表現者として過ごしてきた年月あっての絶妙なバランス感覚だと思いました。
そして弾き語りの人
「弾き語りばったり#19」(アルバム)の「よければ一緒に」では、そんなプロフェッショナルが面白くなっちゃって笑う、かわいい一面も垣間見させてもらいました。
これまで、KANさんがピアノを弾く人だと知らなかったのですが、弾き語りのライブアルバムが本当に素晴らしくて、それがさらにKANさんへの"好き"を加速させました。
弾き語りのアルバムは2枚リリースされていますが、特に「弾き語りばったり#19 今ここでエンジンさえ掛かれば」での演奏は目を見張るものがあります。
もちろん、もう1つの「弾き語りばったり#7~ウルトラタブン~」も良くて、「REGRETS」や「Songwriter」はオリジナルよりこの弾き語りの印象が強いですし、「朝日橋」の緩急あるドラマチックなイントロも素敵。
素直でまっすぐなピアノに好感を持ち、(私が#7より前の演奏を知らないためかもしれませんが)弾き語りの原点という印象を受けました。
ですが、#19は私の中でちょっと特別です。
まず、#7と比べてピアノ上手くなってませんか?
一段階、いやもっとかもしれない、何段階もレベルアップした表現は自由自在。
フレーズに緩急があり、歌とも一体感があり、流暢で芸術品のような完成度。
私が特に好きなのが「ひざまくら〜うれしい・こりゃいい・やわらかい〜」のピアノで、歌に寄り添ったり、伴奏になったり、歌の合間にちょっとしたフレーズを聴かせたり、、、
次々に役目が移り変わる様子が楽しく、間奏のジャジーな雰囲気もかっこいいです。
ピアノの上手さだけで言えば、KANさんよりも上手なピアニストはいると思うけれど、KANさん自身がピアノを弾き、歌うことでしか表現できないものがある。
びっくりするような派手なテクニックは披露されていないけど、ひとつひとつの音から、上質なポップが滲み出ている。
楽曲の芯の部分がダイレクトに感じられて、これがKANさんの真骨頂なんだと感じます。
そして「愛は勝つ」のような大ヒット曲を出した人でも、その実績に甘んじることなく、貪欲に音楽を学び続ける姿勢がそこから見てとれました。
それがKANさんのミュージシャン人生ということなのかな、と思って聴いています。
生でこのピアノの音を聴いてみたかったな。
「よければ一緒に」で"はい"って促されて、いっしょに歌ってみたかったな。
それが叶わないのは決してKANさんのせいではなく、私がKANさんの音楽に出会うのが遅かったから。
なんでもっと早く気づけなかったんだろう。
これから一緒に
去年のクリスマスは、KANさんの音楽とともに過ごす、初めてのクリスマスになりました。
再生している曲名を確認しようとスマホをポケットから取り出すと、着ていたダウンから抜けた羽根が、画面にくっ付いていました。
再生画面の"KAN"の文字の両脇に、カタカナのハの字に羽根がくっ付いているその様子は、まるで天使でした。
KANさんはたびたび、背中に羽根が生えた姿を披露されていたようですが、私の前にも舞い降りてくださいましたね。
KANさんを応援されてきた方々は、慧眼の持ち主だと思います。
私は出会うのが遅すぎて、KANさんのアーティスト活動を支えることができませんでした。
訃報ありきの再評価なんて、勘弁してくれって感じですよね。
だったら、生きてるうちからもっと応援しろよ、って感じですよね。
どこか後ろめたさも感じていた、KANさんとの出会いのきっかけ。
でも、都合のいい解釈かもしれないけれど、このクリスマスの出来事は、こんなリスナーのことも肯定してもらえたように感じたのです。
サブスクで配信作品の一覧を見て、そのキャリアの長さに驚くとともに、たくさんの曲を残してくださったことに感謝しています。
KANさんの作品は聞き流すのではなくて、アルバム1枚ずつ、一曲一曲と大切に出会っていきたいと感じるので、サブスク解禁が後発組の曲は、今ゆっくりと聴きすすめているところ��す。
とっておきのチョコレートを、わくわくしながら慎重にひとつ選んで、口に入れるような日々。
愛おしい曲が日々増えていくことがとても嬉しく、まだまだ出会えていない素敵な曲があるのだろうと思うと楽しみです。
「愛は勝つ」の大ヒットをリアルタイムで体感していない私。
私の中のKANさんは、訃報が報じられた昨年の11月17日から息づき始めました。
だから、私の中にいるKANさんと、もうこの世にいないKANさんは同一人物なのだと、分かっているつもりではありますが、やっぱりうまく理解できないままで、お別れするタイミングを逃してしまいました。
楽曲がこれ以上増えることがないのは淋しいけれど、私のこれからの人生のあちこちが、KANさんの曲で彩られていくような予感がしています。
これから一緒に、私の人生を過ごしてもらえたら嬉しいです。
2024.6
KANさんの新米ファンより
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usono-musuko · 1 year
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2023年9月30日
「>ウイッチハンターロビンみたけど画面がスタイリッシュでかっこよくてめっちゃびびった メガネ外すと強くなるやつばかりのこの業界でメガネかけたらパワーアップするのロビンくらいしか知らない」
「夫に「友達は"作る"ものではなく"できる"ものだよね」と言ったら、「そう。友達を作ろうとしてはいけない。友達を欲しがる人間はツケこまれるからね」と言い出してなかなか闇が深かった。」
「最近の「オタク」的な振る舞い、情報量で戦い、行動力を求められ、SNSや実社会で顰蹙をかわない礼儀作法が必要なのであと何十年かしたら茶道みたいになってそう」
「ばけやろう。俺たちゃ、リアルな女体を描きたくてがんばってンじゃねェんだ。とてつもなくいかがわしい女体を描いてカキてェんださいてい。そのためなら、人間のカラダはこーは曲がらんなーとかここの身ィが邪魔だなーとか思ったら、ホネの2、3本は折るし内臓はみっつよっつ平気でヌクんでィ!」
「知り合いの造形師曰く1/1サイコガンの企画にノリノリで次は1/1クリスタルボーイの手のヤツだね!ってニコニコしてたのが印象的だったそうな 1/1ソード人とかどうっすかって冗談で言ったらそれだ!って後日に立体物に出来るように図面が送られてきたとも聞いた」
「両親の運転する軽自動車の後部座席に縮こまりながらタオルケットに丸まって眠るあの安心感はもう我々大人には戻らない。もしかしたら死ぬなんて事思いつきもせず皆がまるで永遠に生きるかのように毎日生きるあの無知がもたらす安心感はもう、ない。」
「19世紀の世界観、ダーウィンとかマルクスとか、機械的決定論みたいなのが強まるにつれて自分らの個性の存在自体が否定されてるように感じた人間の足掻きが随所に見られて、神秘主義が台頭するもそれも集合意識みたいなものに回収されて個性が消えるみたいな独特の味がある。」
「SNS戦略的に考えると現役JKがアルファアカウントになるのってクッソ無理くないスかね。「10代の能力で3年以内にバズれ」とかハードモード過ぎる。」
「>今年は天気のせいで1週間早い 例年通りに刈った連中が軒並み胴割れしてた おそろしや…」
「インターネットのコンテンツみて怒っている場合、「怒らされている」っていうのを自覚した方がいい っていう誰かの言葉は定期的に思い出している」
「おっさんが「俺のところに話が来てねえぞ」に拘るのも同じで、別に大して意見も知見もあるわけではないのだが、「事前に根回しさ��る重要人物である」という実感を得たい」
「奴隷とは以下のようなものだ。 何をしたいか考えなく良い。どうすればいいのか考えなくて良い。判断をしなくて良い。先のことを考えなく良い。心配しなくて良い。不安にならなくて良い。従うだけで良い。どんな命令であっても。奴隷の魅力を否定することは簡単な事ではない。」
「twitter有料化で、おそらく今生の別れになる人間も少なくないだろうと思うと悲しくなってきちゃったわね」
「「“辛かったら逃げてもいい“なんて言うけど、逃げた後の人生にそいつは責任取ってくれないよ!」
↑一見確かに! って思うけど、逃げずにいてヤバいことになった場合の責任も同様に誰も取ってくれないので、言説としては実は互角でしかない。後からカウンター打った方が勝ったように見える誤謬である」
「批評には何らかの評価軸が必要で、どの評価軸を選ぶかにその人の表現性が入り込まざるを得ないから、どうしても詩的な要素が出てくる。で、そういうものに対して「それってあなたの感想ですよね」というキラーワードが存在するのが2023年の日本。個人がどう感じるか?から何でも始まるはずなのに、そのルートが最初から封鎖されているという悲惨な状況。」
「(アリスとテレスのまぼろし工場) マリー脚本は最初と最後にやりたい事を持ってくるので途中の流れがなんかおかしいな!?って気になる人には向いていない 逆にラストシーンがいいって人にはものすごく刺さる」
「学生時代、泌尿器科の教授が「ペニスの役割は99%以上尿器なのに、持ち主からは残りの1%の仕事について強く追求される」と、まるでちんちんと対談してきたかのような事を仰ってて興味深かった。」
「昔ソープ店経営してたオッサンに「やっぱり親の借金の返済のためとか学費のためとかで頑張ってる子とかいるの?」って聞いたら「そんなのいない。夢を見るな」と言われてしまったのダ」
「小説でさ「ブラックユーモア力」って結構大事なんですよね。シリアス風な小説だと特に
ピンチな状況で皮肉やジョークをいうことで、笑いもいれて読みやすくなるし、それでいて逆に緊張と緩和のギャップでシリアス度は増える
タフな主人公を演出することもできるのでこの引き出し持ってる作家は強い」
「AV女優がセクシー女優になったのなら、 エロ漫画家もセクシー漫画家にならないとおかしいだろうが。 そうだろ。」
「世の中には不愉快なものを自分から見に行って勝手に不愉快になって勝手に怒るのがどうしょうもなく好きな人がいるので世の中を不愉快な形に切り取って売る商売が成立してしまうのだよ」
「最近は毎日ひたすら仕事して、空いてる時間は本読むかゲームしてるんだけど、特に楽しいのが昔読んだ小説の再読で、20代の時に読んでいた本の全てが、40代の今の俺には違った形と音を伴って響いてくる。
映画もそう。若い頃に見てピンとこなかったことが、何十年か経って見るとじわじわと沁みるようになっている。優れた創作物というものは、若い頃にわからないながらも一度は浴びるように見聞きしておいて、歳をとってからじっくりと楽しみ直すものだなと思う。」
「親族からの遺産相続の手続きの相談メールがことごとく迷惑メールフォルダに入っていた。そりゃそうだ、内容が詐欺メールと全く同じだもんな…」
「「安い仕事を受けるな」は、報酬額だと思いがちだがそうではなく、「自分を安く扱う相手との仕事」という意味だと、けっこう最近気づいた。」
「デリヘル嬢に引っ越し頼むときは事前に店に相談するように」
「家父長制のことを、東京以外のすべての地方に存在する悪しき風習であり、そこから東京に逃げて自由になった都会人が悲しみ(怒り憎しみ諦め等の負の感情に置換可能)とともに振り返る……みたいに描く作品が昨今どうも目に付きすぎて……そんなに楽しい?そのジャンル…そう……」
「「作品を見た。どう考えていいかわからないから他人のよく書けてる感想を検索してイイネして、最初から俺もそう考えていたことにするか」みたいな行動があるじゃないですが」
以上。
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kokoro-m · 6 months
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脈打つ楽園
窓枠から揺らぐ桜の枝も、明日には新緑に飲み込まれそうだ。そういえばここ最近の私の心は綺麗なものに反応しづらい日々が続いていたと思う。晴れの日にカーテンを開けると世界が広がる気がしたし、少し雑にひいてしまったコーヒー豆から苦味を感じた時でも満足していたし、少し開けた窓から春一番が吹き込めば、髪の間に隠れた前髪が目に入ってだるがったり、それさえ日常のきらめきの一粒に、感じていた。
限りなく思い出せる出来事として、喜びに溢れていたはずの、ぱりんと割れた器があって、肌に刺さるほど大きな破片はないから散らばったまま放っておいたのであった。掻き集めてしまえば自分が必死になって過去に浸るような馬鹿な羽目にあうので、毎日思い切り踏んづけて、粉々にする。胸を張るように歩いても曇天の日が多いとあからさまに気分は下がって、記憶の引っ掛かりである音楽を街中のドラッグストアで聞けば瞬きの回数が多くなった。ことごとく気分が天気に左右されるのは通常であったが、あの冬というのは、幾分長かった気がする。
青々とした芝、本当の芝生は全く青くない。はげて土が見え、何日か前に落ちた赤褐色の枯葉、折れたての小枝に誰かが落としたガムの包装紙。���に忘れられたどんぐりの頭、裸足の指をくすぐる小さな蟻、どこからか飛んできた灰色の石ころ。大きな幹からぐんぐん伸びた枝や生まれたての葉っぱが影を落として、太陽は数分ごとに位置を変え、私たちはそれから逃げるように、お尻をよじらせ木陰を追いかける。誰かの恩恵を受けたわけではなく、私はいつも芝生の上にいる。小学生の時、近くの公園が養殖中になると近くのブランコで口を尖らせ、早く陽の光の元で寝転びたい気持ちを抑え、スニーカーの先端でゴム床を蹴った。中学生になると、芝生の上で読むものがミステリー小説になった。官能小説も相変わらず読んでいた。高校生、私は一人になりたかった。ブレザーの背中についた細い葉を手で振り落とし、スカートも入念に叩いて、草の匂いが残る裸足で靴下を履いて、窮屈なローファーで電車に乗った。それから今も、私は芝生の上で寝っ転がったり、体育座りをしたり、枝葉から覗く太陽をかざした手のひら越しに見たり、首が痛くなれば、足の甲を走る蟻を応援したりしている。
仲良くなったら変わるよ、好きになったら変わるよ、大人になったら変わるよ、経験したら変わるよ。自分というものが変化するということが大前提で人に教えられると、すごく窮屈な気分になる。好きなものは変わらない、増えるだろうけど。逃げ道だって変わらない。泣く時に来る場所も、聴く曲も、読み返す詩も、変わっていないのに。手の届かないところで美化され、日記の彩りとして消費され、全部同じになんてなれない。あくまで共通のものが私と貴方と誰かに存在して、分かり合える喜びが胸を満たすけれど、貴方や誰かが存在する以前から私はずっとここに居たはずだ。貴方のせいで変わったわけじゃ無い。貴方や誰かを通り過ぎた私が、覚えたての感情を抱いても、知らせたりなんてしない。私の全ては、貴方や誰かに、関係がない。もう居なくなったなら。
一定の冷たさが占めていた、細々とした砂利の音と唸る波の音が聞こえた真夜中の海に似ている。目を覚ませば春風が部屋の観葉植物を力強く揺らす季節になっていた。眠りかけていた機微ごと叩き起こされるも、自分のいる場所は変わっていない。薄く開けた唇の隙間から、生温かい陽気を味わう。次に瞳を閉じた時には安らぎが欲しい。深い眠りと呼吸に身を任せて。
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thinking-ashi · 7 months
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20240324 noon
朝から降る小雨は3時頃完全に止む予報で、不安定に止んでいた昼過ぎ、隙を見計らい傘を持たずに家を出た。
きっと明日の朝、傘が邪魔になると思ったから。
私は3時頃まで屋外を歩けない。
週末で混み合う東京駅の地下通路をつたい、居場所を探す。
八重洲ミッドタウンでコーヒーを飲みながら小一時間読書。江國香織の神様のボートを読了した。あらすじでは狂気という言葉で表されていたが、恋愛で発生する普遍的な盲目状態という感想をもった。
感想を引き��った頭のまま、雨が止んだ地上へ出る。目的があって八丁堀へ足を進める。
霊岸橋から川面を眺める。それは私が秘書だった頃に毎朝決まって遡上したクラゲを探す習慣。今同じことをしてみても、"あの頃に浸る"ということは起こらなかった。思ったよりも薄情な自分を意外に感じる。そういえば強風の日に、スヌーピーの折りたたみ傘の外袋を盗ったのはこの橋だった。
私が勤めていた会社はもうなかった。
会社だった場所はフェンスで覆われていて、私は工事看板を眺める。
隣で同じく工事看板を熱心に眺めるご老人がいる。
私は咄嗟に、ここに建っていた建物をご存知ですかと声をかけた。
ご老人は私が勤めていた建物を知っていた訳ではなく、隣のビルの居酒屋で飲み会があるため、店が開くまで待っていたそうだ。
少し話しているうちに、私もその飲み会に参加する運びになった。
ベイエリアの同じ高層マンションに住む大型バイク愛好家達の集まりだそうだ。
東京モーター(サイクル)ショーの開催に合わせて集まるらしい。
刺身や煮魚、焼き魚ととにかく海鮮料理を堪能させてもらい、そしてまた来週銀座で鰻をご馳走になる予定までもいただき、ほろ酔いでご機嫌になる。
このハプニングのような思わぬ縁が新鮮な話題のうちにと、"今の仲良し"に連絡を入れた。
八丁堀から六本木は日比谷線ですぐだ。
予め、この後予定がありますと言っていたから、宴を途中で抜けることは自然だった。(当初のニュアンスで言えば断れないに近い巻き込まれた形での参加で、逃げ道を作っていた。)
ワインが飲みたい。
親密になりたいと思った人に対して、自分が行きたい場所やしたいことを素直に伝えることが苦手な私は、たぶん初めてちゃんと願望を発した。
そのとき地下鉄から送った文字全て、躊躇いはなかった。
スプリングコートを着た彼。
偶然、初めて会った日と同じ場所で待ち合わせをしたため彼の装いの変化で季節を感じた。
住宅街の中にある彼の好きな店(リーズナブルで美味しいワインが飲めらしい)は休みだったため、結果的にただの肌寒い夜の散歩をした私達。
同じ道、彼がまだダウンを着ていた頃の私達の会話は確かもっと自然だったと思う。
いつからか、会話をするたびに息が詰まるような空気感がうまれた。
こんなにぎこちないコミュニケーションをするくらいなら会わなければ良いのに、やめる必要が見つからなかった。そしてお互いに何かから逃避していた。
結局待ち合わせ場所の東京ミッドタウンに戻り、赤ワインとチーズを買って、すっかり来慣れたビンテージマンションに入る。
彼が作ったボロネーゼと、ジャガイモとサワークリームの美味しいつまみをあてにワインを飲んだ。
少し前から、彼と私の潮時がそろそろだとわかっていた。しかしそれまでにきっとあと1回だけ会うだろうとも思っていた。
私は、私自身の大して面白くもないインモラルな話をお披露目して最後の夜に興を手向けた。もう戻れないように、いままで繕っていた私を手放して、浅ましい人間だと話した。
一番良かった。
私はショートスリーパーだと思う。
目が覚めてから2時間後、白々しく眠いふりをした。
まだワインが残った朝、会話はぎこちなく、一刻も早く不自然ではないように帰りたいと思った。
毎回淹れてくれるモーニングコーヒーの豆が変わったこと、今朝初めて朝ごはんを作ってくれたこと。
もしここに忘れ物をしてももう取りに来ないな、とか。
ほら、傘はいらなかったな、とか。
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tsumakoushika · 11 months
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(第二部)
満月の日、寂しさがピークに達して、どうしようか悩みつつ、普段地味な姿をできるだけ派手に化粧して、長い髪をまとめてアップにして、体のラインがしっかり出るタイトなワンピースを纏って、下着を身につけずに、好きな人とよく歩いた街に出かけた。この衣装もプレゼントされたものだった。見知らぬ危険な地域とは違って、安心感があって、スリルはなかった。
しかし、胸に痛みを覚えながら、路地から路地へと渡り歩く。それはただ思い出になった場所を感傷に浸って歩いているに過ぎず、いつものようなひりついた感覚は味わえなかった。いつものようにシェリー酒を飲んだが、ちっとも酔えなくて、頭は冴えていて、清らかに感じていた思い出ばかりが頭を駆け巡っていく。
場所を変えて、同じ街の繁華街のバーで強めのカクテルを浴びるようにたくさん飲んで、裏通りのビルの谷間に倒れ込んだ。どのぐらい倒れ込んでいただろう。東の空から顔を出した満月が、高く昇ってビルの間の雲の切れ間から顔を覗かしていた。優しい声で私を抱き上げて、お姫様抱っこでどこかに連れて行こうとする。
聴き慣れた声。どこかで聴いたことのある声だった。しかも私の名前を呼ぶ。身分証明になるものは何も身につけてないはずなのにと薄目を明けると、結婚を反故にした元恋人だった。
私は気づかないふりをして、元恋人の行動を見守る事にした。連れていかれた場所は、ネオンサインの通りにある、けばけばしいホテル。受付を済ませ部屋に入って、ぽんと放り投げるようにベッドに寝かされた私は、もうすっかり酔いも醒めて、元恋人が自分をどんな風に扱うのか様子を伺っていた。
頬を軽く叩かれて、名前を呼ばれる。懐かしくて涙が出そうになったが、こいつは私を捨てて、他の人と結婚しているはずだった。唇をこじ開けるように、舌を絡めながらディープキスをしてきた。
「こいつノーブラだよ」
と言ったかと思うと、服の上からでも的確に乳首のありかを探し出し、乱暴に愛撫してきた。
そういつもそう。私はこの人に乱暴に体をこじ開けられて、欲望を満たすだけの女だったのだ。私は急に腹立たしくなって、
「あなたは結婚したのでしょう?お酒につぶれた女を介抱するふりをして抱くの!!!」
大声で喚き散らしながら、こいつの股間を思い切り蹴り上げた。こいつは茫然として弁解じみたことを言おうとしたが、痛みで口をパクパクとしているだけだった。私は涙を流しながら、怒りが頂点に達して、もんどりうってベッドのわきに倒れ込んでいるこいつを、何度も何度も足で踏みつけて、早々と部屋を飛び打した。
勢いよく飛び出して、アスファルトに引っかけて、高いピンヒールが折れて、歩けなくなったので、途中で脱ぎ捨てて、裸足で帰った。あいつが乱暴に唇をこじあけて、乳首にかすかに残る愛撫の感覚はあったが、これですべてを吹っ切ったような気がした。
これまで何人かの見知らぬ男性に乱暴されて、心も体もぐしゃぐしゃでばらばらになりそうだったが、何の偶然か必然か、のこのことと現れて、酩酊状態になった私を当然のように抱こうとしたこいつからやっと心が解放��れて、離れられそうな気がした。
自宅に戻り、いつものように鏡に映った自分を覗き込んだ。やっと笑顔になれた気がした。不潔なのは私ではなくて、こいつであって、私はちっとも穢れてなんてない。服を脱ぎ捨てて、身体に刻みつけられた痣やキスマークの痕すらも、乗り越えるために越えなければならなかった試練だった気がした。
翌日、産婦人科に行って、丁寧に体を見てもらった。不幸中の幸いで、大きな裂傷があるだけで、他の心配事は何もなかった。
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oka-akina · 1 year
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おとといの日記。夏至の晩。冬至から数えて今日が一年の折り返しだなんて信じられないなと思った。早すぎる気がする。1月に義父が亡くなってバタバタしていたというのはあるけど、別にそういうのがなくてもそう思う。
冬至は12月の後半なので冬だなあという感じだけど、夏至の6月の半ばというのは梅雨であってまだ夏ではない…という感覚がある? 冬至と夏至で一年を半分に切り分けるとなんかアンバランスな感じがする。
ただまあ、12月が冬というのはイメージの問題だよなと思い直す。実際12月を過ごしているときはまだあんまり寒くなくて、秋の終わりが長々続いている感じだと思う…このあたりの、最近の気候では。銀杏がすっかり黄色くなるのは12月に入ってやっとだし、クリスマスとか年末の慌ただしさで冬感が強いだけのような気がした。そして冬というのは、本当にとても寒いのは1月と2月の始めくらいで、2月の半ばくらいからなんとなく春っぽい感じになるなあと思う。
まだ夏でもないな、冬ってほどではないな、冬ももう過ぎたなあみたいな、季節と季節に片足ずつ突っ込んでまたがるようなグラデーションの期間は案外長い。7月だってほぼ梅雨だし。ずっと前に勤めていた会社、やめる直前は体調を崩しがちだったんだけど、周囲の人がよく季節の変わり目だからねと励ましてくれて、でも季節はずっと変化してるじゃないですか…と思っていた。ずっと体調悪くてもしょうがないってことかとか思っていた。
夕方。会社を出たら涼しくてちょうどいい感じだった。どこまでも歩いて行けそうな、冷たいビールにぴったりの晩。夕飯は一人で済ませていい日だったので何か食べて帰ろうかと思ったけど時間が早かった。いったん家に帰って洗濯機を回し、たまっていた皿洗いをして、その間ロボット掃除機も動かした。掃除機は道に迷っているのか廊下の同じところを行ったり来たりしていて、こっちだよと手で持ち上げて掃除してほしい場所に連れて行った。動物を相手にするみたいに声をかけてしまう。
いくら夏至だからってこんな時間に洗濯物を干すこともなかなかないな…と思いながらベランダにTシャツやタオルを干した。日没すれすれのまだ明るさの残る時間で、夜風が涼しかった。平日に洗濯ができると達成感がある。
いろいろ家事を片付けて、近所のブロンコビリー(ハンバーグのファミレス)に歩いて行き、道が暗いからかやけに遠く感じた。動物病院、寿司屋、鍼灸院、何かの事務所。みんなもう閉めていて暗かった。寿司屋は定休日かもしれない。家事をぱぱっとやって徒歩で外食に行くの、村上春樹の僕みたいだな…と思った。
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ブロンコビリーはサラダバーに力を入れていて、チキンとパクチーのサラダとか切り干し大根と夏野菜のサラダとかおからと柚子のサラダとか、そういうデパ地下のデリっぽいものがいつもずらりと並んでいる。ポテトサラダとかマカロニサラダとかレタスとかトマトとかそういう定番のも。オレンジやグレープフルーツやコーヒーゼリーも。
ディナータイムは料理プラス500円でこのサラダバーがついてくる。すごい。買うより安い。値段もそうだしこんなにたくさんの野菜を使ってこんなにたくさんいろいろ作るなんて自分ではとてもできないと思う。野菜不足を感じていたので今日はブロンコだな…と思ったんだけど、そういうふうに考える人が多いのか、平日の夜だけど人の入りは多かった。近くのテーブルで男の子と父親とおばあちゃんぽい三人組がハンバーグを食べていた。べつにどうってことないし余計なお世話なんだろうけど、おばあさんがリュックを背負ったまま食べていたのがちょっと心配になった。下ろしたら背負うのが大変とかあるのかな、息子手伝ってやれよとか、ちょっと視界に入っただけなのにほんとに大きなお世話なんだけど、勝手に思った。こういう自分の覗き見根性がときどきとても恥ずかしくなる。いい子ぶってるわけでもなく、覗き見の何がしかが小説を書くことにつながっているのは否めないこと、わかってやっていることを含め、恥じ入る気持ちがあり、ありつつ、こういうふうに書いてしまう。
ハイボールを頼んで、大根サラダやポテトサラダをつまみながら読みかけの本を読んだ。正確にはわしわし食べた。メインはチキンステーキ。いつもハンバーグばかり頼んでいるのでたまにはと思った。読んでいた小説の人びとが、この中だったらなんとなくチキンを食べそうだなと思ったのもあった。「やったぜ今日はチキンステーキだ」というのは『ラスベガスをぶっつぶせ』だっけ…。
読んでいたのはジャッキーケイ『トランペット』。著名なジャズミュージシャンが亡くなり、死後彼はトランスジェンダー男性だったと暴露される。知っていたのは妻だけ。息子もバンド仲間も誰も知らなかった。妻や息子や周囲の人びとがかわるがわる語る形式の小説。息子は「親父は男ではなかった」と戸惑い、混乱する…。
死後アウティングされる。死後もなお男・女を行き来させられ、説明を求められ、過去をほじくり返され、暴かれる。「そういえば」これまでの生活でいろいろサインがあったなと「検証」され、あらゆる言葉で揶揄される。
おそらくは前フリ的なものだろうとは思いつつ、そういうシーンがきつくて読むのを中断していた。再チャレンジしてみてやはりきつかった。トランスジェンダーやノンバイナリー等当事者はちょっと注意が必要かもしれない。1998年の作品で、邦訳は2016年。作品の舞台も1997年。ちょっと古い。今だったらこういうふうには書かないかもという箇所もあった気がする。
ただ本作は悪意を持って書かれたものではないと思う。計算づくで書かれている。息子の暴言も、記者の下世話な野次馬根性も、ろくでもないものだと読者にわかるように書かれている。こういう人がこういう状況になったらこんなふうに考えるだろう、こういうひどい言動をやるだろうというのが書かれている。それはすごくわかる。わかるけれどもとてもきつい。わたしはフィクション慣れしている方だと思っているけど、読んでいてけっこう落ち込んだ。
死んだ人だからというのはあるかもしれないなと思った。本人は何も語れないのにあれこれほじくり返すのはフェアではない…これは物語の中の話だけでなく。不在の人物について周囲の人たちがかわるがわる語るみたいな物語はたくさんあり、「死後にトランスジェンダー男性だったとわかった」という話をその構造で書くとこうなるんだろうけど、現実で起きている「本人が言い返せない(言い返すすべをもたない)のに他人が勝手なことを言いまくる」というひどさを物語でもやるのは、このように書きたいのはなぜだろう? このように書かれるとおおぜいの人が読もうとするのはなぜだろう? みたいなことを考えた。
いやなぜだなんて問いはズレているとは思う。物語がどうしてそのように書かれているかは、効果をたくらんでというものでもない…。また、ろくでもない内心を小説が書けなくてどうするというのはほんとに思う。わたしもさっき近くのテーブルを覗き見したじゃないかと思う。それとこれとは関係ないかもだけど。だからこの小説がひどいとか有害だというわけではない。ただわたしとしては読んでいてきつかったという感想がある。ということ。また本作は実在の人物をモデルにしている。完全に埋没して生活していたミュージシャン。
長くなるのでまた改めて書くけど、本作はめちゃめちゃきついシーンはありつつ、彼がなぜトランスジェンダーなのかについては語らないのがとてもよかった。周囲の人間がいくらほじくり返しても、内心で悪態をついても、本人の内心には至れない。そこが本作の肝だと思った。
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kei-life · 2 years
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『福島県・少し前の秋模様』
 
福島県猪苗代町でペンションを営む友人と、福島県内の山を少し散策しようと話になり、晩秋に差しかかった県内某所へ出かけました。
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(写真は、お酒買う為だけに立ち寄った『大内宿』)
まだ今ほど、紅葉の進んでいない時期。道中寄り道で『観音沼』を散策。まぁ、見事! 派手さがないので、時折見せる美しさが、より引立ちます。
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ちょうど、夜間ライトアップさせる準備の最中。いわゆるオフのタイミングで客足も少な目。数歩進む度に、雲の形が変わる度に、陽の加減が変わる度に足を止め、予定時間を大きく超過してしまいました(笑)
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この時期、もっとすごい場所は多々あるのですが、人混みが気になり、穏やかで良いから、静かに散策できる場所を目指したくなります。ここは、来年も来ようかな…。
さてその晩は、福島県猪苗代町で友人が営む温泉ペンション『コテージ・シャムロック』にて一泊。翌早朝、山登は得意でない面々で、安達太良山連山の薬師岳付近散策でかつ、ロープウェイを活用する作戦で出発。
が、しかし!
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雲は少ないけど強風が吹き、ロープウェイの運転が見合わせ。殆どの人は諦め、健脚なグループは続々と「登山」に変更。流されるままに、私達素人も、片道2時間近くの薬師岳(ロープウェイの頂上口付近)目指して、歩き出すこととなりました。
道中オニギリを食べ、行く人互いに励まし合い、歩き出した事をやや後悔し、下山時にもロープウェイ動いていなかったらどうしようという焦りを巡らせながら、一歩一歩進んでいきます。
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ただ不思議なもので、時折見せる、雄大で暖かな自然美には心癒され、不安と疲れが少しだけ癒されます。
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また一歩、また一歩と、その先に見えるはずの開けた風景を信じて励まし合いながら歩きました(笑)
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トレッキング好きな方からしたら、初心者コースの代表的な場所かもしれません。でも、私達には充分すぎる内容で、薬師岳登頂した時にロープウェイ動いていると聞いた時は、これまた感動したものです(笑)
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薬師岳山頂でお参りして、風景に見惚れていると程なく、雲が厚みを増してきました。この風景を目に焼き付けて、ロープウェイの有り難みに感謝しながら下山しました。
この付近はよく通るドライブコースでもあり、遠目から、土湯温泉付近の山々の美しさは知っていました。ただこうやって自分の足で見た風景は、当然ながら格別ですね♪
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kennak · 3 months
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2020年3月、兵庫県神戸市西区の精神科病院「神出病院」の看護師や看護助手ら6人の男が、患者への虐待容疑で一斉に逮捕された。看護の道を志して集まった彼らは、なぜ卑劣な犯行に手を染めたのか。閉ざされた病棟ではいったい何が起きていたのか?  ここでは、事件の背景に迫った神戸新聞取材班の渾身のルポルタージュ『 黴の生えた病棟で ルポ・神出病院虐待事件 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く) ◆◆◆ 神出病院の看護助手を強制わいせつ容疑で逮捕  神戸をイメージさせる海もなければ、ハイカラな洋風建築も、石畳もない。市の最西部に位置する西区は、台地の上にニュータウンが広がり、緑豊かな谷あいに田畑や果樹園、牧場が点在している。静かで、のどかで、犯罪発生件数も少ない。そんな一帯を管轄する兵庫県警の神戸西警察署で、署員たちは2019年夏からピリピリしていた。  というのも、その頃から若い女性が襲われる強制わいせつ事件が相次いでいた。お盆中の8月13日午後11時頃、帰宅してきた女性が自宅マンションのエントランスに入ろうとすると、後ろから近づいてきた男に突然、顔を手で押さえつけられた。かろうじて悲鳴を上げると、男は下半身へと手を伸ばす。だが、女性はショートパンツだったことから、男は胸を触って走り去った。  1カ月後の9月、そして11月にも、帰宅中の女性が背後から男に抱きつかれ、下着の中に手を入れられたり、尻を触られたりした。  神戸西署が捜査を進める。すると、11月の犯行現場で不審な動きをする男を、近くの防犯カメラが捉えていた。さらに8月の事件で、犯行現場に近い建物のドアに掌紋(しょうもん、手のひらの紋)が付着していたことがわかった。  一連の事件の容疑者として1人の男が浮上する。それが神出病院で、看護助手をしていた当時27歳の田村悠介(たむらゆうすけ、仮名)だ。  田村には、女性の悲鳴を聞くほど興奮が高まるという性的嗜好があった。最初はスカートの中にスマートフォンを差し込んで盗撮行為を繰り返していたが、やがて物足りなくなり、女性を直接襲うようになった。神出病院で看護助手としての仕事を終えた帰りに車で駅前などに立ち寄り、ターゲットを定める。女性が人通りの少ない場所に入ったことを確認すると、スマホの録音ボタンをオンにして、後ろから歩いて尾行した。   その年の12月、神戸西署は強制わいせつ容疑で田村を逮捕する。押収したスマホには女性の悲鳴が多数収められていた。しかし、その悲鳴よりも捜査員を驚かせたのは、それとは別に保存されていた動画の数々だった。 押収したスマホから見つかったおぞましい動画の数々 「○○君、口、口」 「早すぎる、早すぎる。もう1回」 「舌入れな」  再生すると、はやし立てる数人の男の声がした。  50~60代の男性2人が襟をつかまれ、キスをさせられている。2人が神出病院の入院患者であることはすぐに察しがついた。  別の動画では、再び同じ男性がベッドに仰向けになり、陰部にジャムを塗られていた。これにもあざ笑う声が入っている。 「ちゃんと吸ってや」 「ちゃんとなめてよ」 「ここ、ちゃんとくわえろって」  別の男性患者がその陰部をなめる様子が映っていた。 看護師らが患者を集団虐待する前代未聞の事件  事件の端緒が女性への強制わいせつだったこともあり、神戸西署には当初、これらの動画も田村が性的目的で撮影したのではないかという見立てがあった。ただ、動画から聞こえる嘲笑の声は、明らかに複数の人物が関わっていることを示しており、わいせつ行為よりも人間の身体をもてあそぶことが目的のように思われた。  神戸西署は県警本部の捜査1課から応援を得て、捜査態勢を強化することを決めた。わいせつ事件をはじめ、殺人、放火、強盗、誘拐、立てこもりといった凶悪犯罪を専門に扱う捜査1課の捜査員を投入し、最先端の捜査技術も駆使して指揮命令系統を一本化させる。  看護師らが患者を集団で虐待するという前代未聞の事件捜査はこうして始まった。 60代の男性患者を長期間にわたって監禁し…  田村はスマホに全部で約30点の動画を残していた。  このうちの1つには、逆さまにひっくり返された重さ100キロ近い柵つきベッドの中で、長時間にわたって監禁されている60代の男性患者の姿も映っていた。男性は檻(おり)のようになったベッドの落下防止柵のすき間から 「出してーな」 「何するんや」  と悲痛な声を上げている。  男性は食べ物への関心が極度に強いという特有の症状があった。  田村たちが柵のすき間からポテトチップスの袋を見せると、体をばたつかせ、顔をゆがめて必死でもがく。別のすき間からは何やら尖(とが)った紙状のものを差し込み、男性の体を何度も突っついていた。  よく見ると、わざわざ包丁の形に作った厚紙の模型だ。男性がおびえ切った表情で体をよじって暴れると、ベッドの床板が外れ、男性の体が押しつぶされた。  スマホに残された撮影時間から、警察は監禁時間を26分間としたが、実際には少なくとも1時間半にわたって監禁は続けられたという。田村たちはひとしきり患者をからかった後、現場を��れ、時折様子をうかがいに来るだけだった。男性を助け出したのは同じ部屋の別の患者だった。    虐待行為は手を替え品を替え続けられていた  動画に映っていた被害者は全員で7人。いずれも男性で重度の精神疾患があり、されるがままの状態だった。  看護師らによる虐待行為は他にも手を替え品を替え続けられていた。 ・病院のトイレで患者を裸にし、椅子に座らせて顔にホースで水をかけ、嫌がると洗面器で湯をかける。 ・車いすの患者の頭に粘着テープを四重に巻きつける。 ・球状に丸めた粘着テープを患者の頭めがけて投げつけておびえる様子を面白がる。 ・患者の頭にゴム手袋をかぶせ、嫌がって外そうとする患者の両腕を2人がかりで引っ張ってもてあそぶ。 ・シリンジ(注射器)を水鉄砲のようにして患者の顔に水をかけ、悲鳴を上げて嫌がる様子を見て楽しむ。 ・患者の腕を引っ張って別の患者を殴らせたり、ベッド上で患者の体に別の患者を乗せたりし、抵抗すると押さえつけたり、鼻に指を突っ込んで引っ張ったりする。  県警は動画を解析し、右のような、 「7つの暴力行為、3つの性的虐待」  を特定した。病院から撮影日の勤務態勢がわかる資料を提出させ、行為に関わったとみられる人物を絞り込む。起訴するか否かを判断する検察と打ち合わせをして、送検容疑を確定させた。 「体を押さえ、無理やりキスを…」神戸の精神科病院で、看護師が患者に強制わいせつ→事件発覚後に病院側が取った“驚きの対応”とは  へ続く
「ちゃんとくわえろ」「舐めてよ」精神科病院の看護師が、患者に“おぞましい性的暴行”…神戸・神出病院で起きた“前代未聞の虐待事件”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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hiraharu · 1 year
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GWいかがお過ごしでしょうか? 汗ばむ陽気の日もあれば、肌寒い日もあり、わざわざのある長野県では季節の変わり目を感じます。日差しの強い日は、アイスコーヒーでホッと一息つきませんか。
今回は、夏本番に向けてアイスコーヒーの淹れ方をご紹介します。丁寧にハンドドリップしたコーヒーをその場でアイスコーヒーに仕上げます。
友人や家族にご馳走するのもいいかもしれません。目の前でアイスコーヒーをおいしそうに飲んでくれる姿をきっと見られる、とっておきのレシピです。
丁寧に淹れたといってもやはりそれはたかがコーヒー。準備から飲み始めるまでたった10分でとびっきりのコーヒータイムが待っています。ぜひお試しくださいね。
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<用意する材料(二杯分)> ・コーヒー豆 35g ・お湯 ・氷
<用意する道具> ・ドリッパー ・フィルター ・ドリップポット(ポットでも代用可、できるだけ口の細いもの) ・サーバー(コーヒーを落とすもの、コップやボットでも可) ・コーヒーミル
ドリップする道具はどんなものでも構いませんが、コーヒー豆は挽きたてのものが一番おいしく淹れることができます。新鮮な豆を挽きたてで飲むのが最大の贅沢です。ぜひお試しください。一式、わざわざで揃えることができますよ!
▼コーヒーグッズ https://wazawaza.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=2452697
・・・
1. まずお湯を沸かして沸騰させます。その間に豆を挽きましょう。豆を挽いたものを買ってきても構いませんが、コーヒー豆はやはり挽きたてが一番おいしいです。
豆の挽き方は中細挽きくらいです。中挽きよりも少しだけ細かめです。タイムモアのメモリだと16から18くらいがおすすめです。
2. ドリッパーにフィルターをセットします。この時、フィルターの耳の部分を折ってセットします。
続いて、コーヒー豆を挽いたものをいれて平らに均します。こちらの作業がその後に上手にドリップしやすくなるコツなので忘れずに。
3.
いよいよコーヒーを落とします。
まずは沸騰したてのお湯をドリップポットに移します。冷たいドリップポットにお湯を移すことで10度ほどお湯の温度が下がります。コーヒーをハンドドリップする際の適温が85度前後となっていますので、持っている方は温度計で測るとばっちりの温度で落とすことができますね。
口の先端が細いものの方が楽にハンドドリップできますが、お手持ちのポットややかんでも代用できます。家にあるものでまずはトライしてみましょう!
まずは蒸らしタイムです。均一に抽出するため挽いた粉全体を湿らせます。粉の中央から「のの字」を描きながら2,3周ほどお湯を回し入れます。フィルターにはお湯が触れないよう、下にお湯が漏れないくらいお湯を注ぎます。ギリギリに粉の中にお湯を保水しているイメージです。この状態で30秒ほど蒸らします。
蒸らしが終わったら、続けて「のの字」を描きながら先程の蒸らしの時と同じくらいのお湯を注ぎます。焙煎日にもよりますが、新しい豆を挽きたてでお湯を注ぐと、こんな風に元気に豆が膨らんできます。膨らんできたら一旦お湯を注ぐのをやめます。
豆の膨らみが収まって凹んできたら、また中央から「のの字」を。それを繰り返しながら4分間で250ccのコーヒーを落としていきます。今回はアイスコーヒーにするので濃いめに落としており、かなりゆっくり落とすようなイメージです。通常のホットコーヒーならば、4分間で440ccがおすすめです。コーヒーをうけるサーバーにメモリがついているととても楽に落とせます。
また、量りに乗せて落とすのもよいでしょう。温度の計測や正確な計量すると毎回同じ味で落とすことができ、家庭でもプロの味に近づきます。こちらのタイムモアの計量器は時間も計測できる機能がついており、コーヒー好きに喜ばれています。
4.
さぁ、最後の仕上げです。コーヒーはお茶のように最後の一滴がおいしいわけでありません。雑味が混じってしまうので、250ccを落とせたらすかさずドリッパーを外し、お湯を落とし切るのを避けましょう。
次にサーバーに用意した氷を入れていきます。氷が溶け切る量で、常温より少し冷たいくらいになるまで氷をいれていきます。この時に氷を早くとかそうとしてサーバーを振ると、コーヒーが濁ることがあります。振らずに少しだけ待ちましょう。もう少しで完成です!
5.
コーヒーを注いでできあがり!こんなにおいしそうなアイスコーヒーができました。すっきりとした飲み心地で体に一挙に清涼感が沸き起こります。喫茶店に負けない味です。
コツは温度とお湯の量と挽きたての豆を使うこと。レシピ通りきっちり淹れると誰でもおいしいアイスコーヒーを淹れることができます。何度も何度もトライしてこのレシピを作りました。ぜひともおうちでおいしいコーヒーを淹れてみてほしいです!
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