#宮田 一輝さん
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月1日(金曜日)弐
通巻第8485号
■訃報■
西尾幹二氏
●●●●●
けさ(11月1日午前四時)、息を引き取られた。個人全集二十四巻、あと一巻で完結というところだった。編集は終わっており、年譜を作成中で、じつは小生もちょっとお手伝いをした。それは西尾さんがたった一度だけ三島由紀夫とあった日付けのことだった。
西尾全集はわが書架の福田恆存全集のとなりに並んでいる。よく拙著から引用され、評価していただいた。氏の特技は長電話。朝九時か十時頃にかかってくる。最低一時間のお喋りになる。
思い起こせば三十年に及ぶおつきあいのなかで、私と会うときは、話題は三島由紀夫であり、国際情勢だが、ニーチェの話は殆どしたことがない。拙著『青空の下で読むニーチェ』には、感想がなかった(苦笑)。
『江戸のダイナミズム』で出版記念会をやりませんか、と提案すると真剣に応じられ、準備状況、発言者、当日用意する冊子など、およそニケ月の準備の時間は殆ど毎日、氏の自宅や版元の会議室で膝つき合わせ、あるいは会場での打ち合わせに費やされた。当日は四月というのに小雪が舞い、出足を心配したが、会場は四百人以上の熱気で埋まった。
二次会はカラオケだった。氏は♪「湖畔の宿」を、小生は♪「紀元は二千六百年、病に伏される前まで毎年、忘年会は高円寺の居酒屋にお招きいただき、周囲構わず大声で論議風発、愉しい時間だった。大いなる刺激をいただいた。
氏が主催する「路の会」は四半世紀続いた。月に一度、保守系の論客を講師にお招きして、ああだこうだと激論を闘わせる知的昂奮の場だった。西尾氏が急用時には、小生が二回代役の司会をつとめた。田村秀男氏と中西輝政氏を招いた時だった。おわると近くの居酒屋に場所を移して、さらに激論が続き、氏は割り箸の袋にもメモを取るのである。かえりは方向が同じなのでタクシーに同乗するのだが、延々と論争の続き、耳が疲れるほどだった。
或る時、知り合いの雑誌の編集長から電話があって、カラーグラビアに「路の会」をとりあげる��とになり、大勢のメンバーがあつまって写真を撮った。全集の口絵に好んで使われた。
憂国忌には二度講演をお願いしたほか、出番がなくても時間が空いていれば出席された。
氏は論争が大好きで、また相手構わず激論を挑む。現場で見たのは岡崎久彦氏への面罵、そして小泉首相を「狂人宰相」と名付け、また安倍晋三首相をまるで評価しない人だった。
台湾に一緒に行く前日になって、台湾大使が「野党が西尾氏の訪台を政治利用しようと、いろいろと企んでいるので、延期して欲しい」となって、せっかくの旅行はそのまま中止となった。国内旅行は三重の長島温泉など。
氏はまた読者、ファンをあつめて西尾塾とでもいうべき「坦々塾」を主催され、二回ほど講師に呼ばれて喋った。初回は四谷のルノアールに二階を貸し切った。
次々と走馬燈のように思い出が尽きない。西尾幹二氏は不出生の論客にして思想家だった。
合掌
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と、東北に帰ってきました!
また車で飛ばして、流石に体がしんどかったので;途中、鹿島神宮近くのホテルで一泊して、鹿島神宮を早朝参拝して帰りました。
その後疲れが響いたのか;風邪ひいて2日ほど寝込んでしまいましたが;な、なんとか持ち直しました;;
1日目、車田先生や皆さんにお会いする機会を頂けて、翌日ようやく、担当と一緒に秋葉原の魂ネイションの会場へ行ってボードにテンマを描かせて頂きました!
その後会場も回らせて貰ったのですが、いやぁ圧巻でしたねぇ…!
様々な名シーンの再現があったり、聖域陣、海皇陣、冥王陣、北欧陣と集まって並ぶとやっぱり歴史も感じるし迫力ありました!
店内のBGMで『花の鎖』や『The Realm of Athena』が流れていて地味にそれに感動してしまいました…涙
そして肝心のテンマと輝火をチェックし忘れたことに後で気づくという…バカバカ;;秋葉原なんてもう滅多に行けないのに:::
…というわけでチマっとですが、車田先生とスピンオフ勢揃い踏みのボードに加わりましたよというお知らせでした。
気が向いた方、是非チェックしに足を運んで頂けますと嬉しいです!
後は一度は来てみたかった鹿島神宮…!
早朝だったので人も少なかったですが、通勤通学の方々が神宮の隣?中?の森を自転車で疾走していくのが、なんか衝撃でした;
それでもあんなに綺麗に自然を保存しているのは凄いですねぇ。
早く出発しなければいけなかったので、参道のお土産屋さんや蕎麦屋���んが開店する前に離れてしまったのが無念でしたが; いつか落ち着いて香取神宮と一緒にまた参拝しに来たいものです。
ではでは!
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毛利家を祀る豊榮神社と野田神社 別格官幣社巡りで参拝に上がりました 山口県神社庁のお隣、豊榮神社と野田神社ですが横並びにそれぞれほぼ同じ社殿や回廊を備えどっちがどっちな豊榮神社と野田神社です 豊榮神社と野田神社は見た目ほぼ同じですが別の宗教法人でそれぞれ旧別格官幣社で別表神社となっています しかし現在両社とも古熊神社宮司が兼務されていて数々の別表神社を巡ってきた中、兼務社の別表神社ははじめてのパターンでした 参道より奥、境内東側で橋を渡り社殿前に毛利三本の矢の男爵毛利五郎、男爵小早川四郎、男爵吉川重国奉納の石灯篭があるのが初代藩主毛利元就を祀る豊榮神社です 長門に移封となった毛利輝元が萩の氏神様の春日神社境内に元就公の霊を祀ったのが前身で、江戸時代中期宝暦12年(1762)に���じ萩に元就公を遷座し、毛利家の���神とされる天穂日命を合祀し神性霊社として創祀しました また明和7年(1770)には仰徳社と改めています 明治に入り元就公による朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇より元就公に「豊栄」の神号を下賜され、明治4年現在地に社殿が造営されて遷座、明治15年に別格官幣社に列格しています その後明治6年に長州藩事実上最後の藩主で尊王攘夷、討幕、廃藩置県など明治維新の功労者である毛利敬親公を祀る社を有志によって諡号から忠正神社と称して豊榮神社の別殿として創建され、翌7年に野田神社に改称しました 禁門の変により朝敵ともされた毛利敬親公ですが防長の人々の願いが叶い明治19年に豊榮神社西隣の現在地に遷座し豊榮神社より独立、大正4年に別格官幣社に列しました 境内には山縣有朋をはじめ激動の幕末維新期を生き抜いた人々からの奉納であふれています 元藩士らの敬愛の念が伝わる境内でございました #野田神社 #豊榮神社 #豊栄神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 豊榮神社(とよさかじんじゃ) 鎮座地:山口県山口市天花一丁目1-1 主祭神:贈正一位毛利元就公 社格:別格官幣社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 野田神社(のだじんじゃ) 鎮座地:山口県山口市天花1丁目1-2 主祭神:毛利敬親公 社格:別格官幣社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市#幕末#明治維新 (豊榮神社・野田神社) https://www.instagram.com/p/CnR7fzhPijZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#野田神社#豊榮神社#豊栄神社#神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市#幕末#明治維新
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書��、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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『VACANCES バカンス 4』⛱
5/19文フリ東京より発売開始!
『VACANCES バカンス 4』を5/19の文学フリマ東京より発売します🏝
今号の特集は「待ちびらき」。
魅力的な寄稿の数々に、インタビュー、雑談、言葉遊び、哲学対話といった活字の冒険を詰め込みました🚴♂️
価格は1,200円(税込み)です。
【文学フリマ東京出店情報 】
5/19(日) 東京流通センター
第一展示場 ブース[X-16]DVD探知犬
文フリ終了後、ネット販売、書店販売などを予定しています。 詳細は以下よりご確認ください---------
『VACANCES バカンス 4』
待ちびらき
(以下、敬称略)
■Contents
カバーイラスト|西村ツチカ
【雑談と言葉遊び】
青松輝×島口大樹×瀬口真司
【インタビュー】
ダ・ヴィンチ・恐山
二ノ宮隆太郎
【哲学対話】
永井玲衣(さんと編集部)
【寄稿】
大橋裕之[マンガ]
小原晩[小説]
黒田杏子(ON READING)[エッセイ]
布施琳太郎[小説]
葉山莉子[エッセイ]
【編集部の創作】
硬井グミ[小説]
もりみわこ[詩]
縞馬は青い[小説]
【プライベートビーチより(巻末企画)】
・友人・知人に聞いた「あれってなんだったんだろう?」な出来事を16本収録
・編集部カルチャーレビュー(『花の在りか』『ラジオ下神白』)
-------------------- Staff: 編集・発行|原航平+上垣内舜介 デザイン|岸田紘之
協力|もりみわこ
写真(P70-71,139)|小���奈那子
--------------------
【概要】
編集・ライターの仕事をしている原航平と上垣内舜介が主導し、インディペンデントな体制で作っているカルチャー雑誌『VACANCES バカンス』。その第4号は「待つ、ひらく」をテーマに制作を開始し、インタビューや哲学対話を経て「待ちびらき」という存在しない言葉にたどり着きました。今回も、(本来の本作りには欠かせない)マネタイズや目的に囚われない熱量に身を任せた制作体制から、場や機会を開いて何かの到来を「待つ」実験的な誌面作りに挑戦しています。
(編集後記より)
「待つ」はどうしても受け身に感じてしまう言葉なので、悲惨な戦争が世界で起こり、私たちの生活を危ぶむ政治的・社会的な問題が降り積もる今この瞬間に「待つ」なんてそんな悠長なことを......と思わないこともありません。日々を過ごしていると、「いま動かないでいいのか?」とせき立てられる気持ちがほとんどです。ただそれでも、「待つ」には可能性があると思います。私たちがこの本で及んだ「待つ」は、ただ独りよがりに受け身でいる状態ではなく、抵抗としての小休止、あるいはよりよく生きるための祈りのようなものでした。また、ご寄稿いただいた作品には、日常の中でふいに訪れる「待つ」仕草の愛らしさや虚しさがさまざまに描かれています。待ちながら、心や体をひらいておくこと。場や機会をひらきながら、偶然を待つこと。私たちはそんな「待ちびらき」を実践し続けてみます。
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トレンドまとめ #0059
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https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1669968515/451
中居正広さん年内休養を発表 [256556981]
451 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ ff89-RPwI) 2022/12/02(金) 19:15:36.88 ID:/F3mNkTW0
>>271
01/09 海部俊樹 (第76・77代、内閣総理大臣)
01/10 水島新司 (漫画家・ドカベン、大甲子園等)
02/01 石原慎太郎 (第14-17代、東京都知事)
02/17 松鶴家千とせ (漫談家)
02/20 西郷輝彦 (俳優・辺見えみり実父)
03/03 西村京太郎 (推理作家・十津川警部シリーズ等)
03/14 宝田明 (俳優・映画ゴジラシリーズ等)
03/27 野田知佑 (作家・カヌーイスト)
03/30 宮崎学 (ノンフィクション作家・評論家)
03/31 山本圭 (俳優・ひとつ屋根の下シリーズ等)
04/07 藤子不二雄A (漫画家・忍者ハットリくん等)
04/16 柳生博 (司会者・俳優)
04/24 結城貢 (料理研究家・夕食ばんざい等)
05/01 イビチャ・オシム (元日本代表サッカー監督)
05/03 渡辺裕之 (俳優・リポビタンDのCM等)
05/11 上島竜兵 (お笑い芸人・ダチョウ倶楽部)
05/14 河村亮 (日本テレビアナウンサー)
05/29 ターザン後藤 (元全日本、FMWプロレスラー)
06/02 出井伸之 (ソニー株式会社最高経営責任者)
06/27 葛城ユキ (歌手・ボヘミアンのヒット)
06/28 佐野浅夫 (俳優・3代目水戸黄門役)
07/04 山本コウタロー (歌手・走れコウタローのヒット)
07/04 高橋和希 (漫画家・遊☆戯☆王作者)
07/06 青柳政司 (空手家・誠心会館館長)
07/08 安倍晋三 (第90・96-98代、内閣総理大臣)
07/16 若乃花幹士 (第56代横綱、2代目若乃花)
07/25 島田陽�� (女優)
08/01 市田ひろみ (服飾評論家・京番茶CM)
08/05 三宅一生 (ファッションデザイナー)
08/08 オリビア・ニュートン・ジョン (歌手)
08/11 森英恵 (ファッションデザイナー)
08/23 古谷一行 (俳優・金田一耕助シリーズ)
08/24 稲盛和夫 (京セラ・KDDI創業者)
08/30 ミハイル・ゴルバチョフ (ソビエト連邦大統領)
09/08 エリザベス女王 (エリザベス2世)
09/28 武村正義 (新党さきがけ代表)
09/30 三遊亭円楽 (落語家・元三遊亭楽太郎)
10/01 アントニオ猪木 (新日本プロレス創業者)
10/19 仲本工事 (ザ・ドリフターズメンバー)
10/21 工藤壮人 (サッカー選手・元日本代表)
11/11 村田兆治 (プロ野球選手・名球会投手)
11/12 大森一樹 (映画監督・ゴジラシリーズ等)
11/24 佐川一政 (作家・パリ人肉事件犯人)
11/27 崔洋一 (映画監督・「月はどっちに出ている」等)
11/30 江沢民 (中華人民共和国第5代国家主席)
12/02 渡辺徹 (俳優・司会者)
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夏休み2
金曜日、都内に用事があったのでお昼の電車に乗って向かった。
横浜と川崎のあいだでは何もせず窓を見ていたのだが、空が青く、入道雲が白く、はっきりした輪郭のそのコントラストがとても綺麗だった。今年はこんなはっきりした入道雲を見た数が少ないと思った。
爆発的に高さがある入道雲を、地元にいた頃はよく見ていた。というか学校の登下校中に見るものといえば道路か雲か田んぼくらいしかなかったのでそうなるのも仕方がない。
夏休みは山登りに使ったので、延長戦として岬で海と雲を見るとバランスが取れると思った。
土曜日、家から東方向には先週行ったので西に向かうことにした。はっきりとした行きたい場所はないが、ちょっと形が気になっている真鶴岬を目的地にした。最速で一時間で着くらしく、面白くなくても後悔しない距離だ。バイクの練習にもなる。
相模川にかかる橋の温度計は、暑さで壊れたのか気温2度を示していた。
行きはできる限り有料道路を使うようにした。日光に当たる時間を短くして体の負担を下げたいのと、有料道路とはどんなもんか知りたかったのだった。間隔が全然均等でない料金所を3回通過した。
「岩」という名前の出口を下りて下道を走った。
事前にナビが計算した通り、一時間程度の運転で岬についた。バイクを停めて自販機でコーラを買い、海まで歩いた。
この辺りは過去に岩を切り出して運び出すことが行われていたらしく、海岸の一部が断ち切りになった岩だった。砂浜はなく、当たったら怪我するような岩場が海に続いていた。
天気が良く、熱海の初島、伊豆の大室山や伊豆大島、さらにその先の島や房総半島まで見えた。
遠くの南の海上に入道雲が敷き詰められていたが、下部が見えず、上部だけが海から現れているような形に見えた。もしかしたら地球が丸いから、下部が見えないのかもしれない。昔の人も「遠くの雲は下部が見えないが、近くに来ると下が見える」ということから地球は球体であると考えていたのだろうか。
駐車場に戻る途中、集団で列になって海に向かって歩く一行とすれ違った。楽しそうに話す人もいれば、無表情でつまらなそうな若者もいた。自分はこういうときに逆張りをするタイプだよなと自分のことを考えた。
汗でベージュのズボンが暗く変色して気色悪かった。自販機でお茶を買って飲んだ。
開いている定食屋を探して湯河原まで走り、温泉とレストランが融合したような施設で温泉には入らずアジの刺身定食を食べた。地球の裏で行われている陸上競技の様子を大型テレビで見ながら食べた。テレビは二つあり、もう一方のテレビでは24時間テレビが映されていた。40人近くが座れる店の中で客は自分一人だった。
雨雲が近づいてくるようなので、降られないようにそそくさと帰る支度をした。うねる山道を30分ほど走った。アクセルと体重移動で車体をコントロールしながらバイクを駆っていくのは自分の体が拡張されているように感じられて楽しい。こういう感覚はピアノが弾けたり絵が描けたりすることに近いのかもしれないと思った。
運転していたらやっぱり雨に降られることはないんじゃないかという楽観的な気持ちが大きくなり、パスタが切れていることを思い出したので二宮のスーパーによってパスタと梨を買った。
海の果ての���は暗い雲がかかっておらず、夕日が当たって雲が黄金色に輝いていた。このコントラストが鮮やかで忘れないでおきたいと思った。美術館で見た西洋の風景画のやけに立体的な雲とそっくりだった。
134号を東に進むと路面が暗い色に変わった。色だけでは濡れているのか、コンクリート敷きたてなのか違いがわからなかったのでバイクから足をおろして地面につけて、乾いた路面のグリップではないことを確かめ、本当に雨が降ったのだと確認した。その5分後くらいに大粒の雨が思い切り降ってきた。ずぶ濡れになって運転したことが今までなく、このまま安全に帰れるか不安で心細かった。左の車線に移ってゆっくり走った。
殴られるような雨のなかでバイクを運転すると肌に濡れた服がまとわりついてひどく不快で、しかも夏でもわりと冷えることが判明した。
自分は雨の中にいるのにそれほど遠くない大山の山体ははっきり見えていたので、おそらく自分がいる周りだけが夕立に降られているのだとわかり、みじめな気持ちが加速した。
でも周りの同じようなライダーたちもずぶ濡れで、こんなことで一体感を感じた。
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【弔辞】上岡龍太郎から横山ノックへ
ノックさんあなたは僕の太陽でした。
あなたの熱と光のおかげで僕は育ちました。 あなたの温かさと明るさに包まれて生きてきました。
ノックさん、あなたはみんなの太陽でした。 あなたが現れるだけでその場がパッと明るくなりました。 あなたが笑顔を見せるだけでみんな心が癒やされました。
ノックさん、あなたは大きな太陽でした。 あなたの前に立つと自分がいかに些細なことにこだわり、 つまらないことに悩み、取るに足らないことで人と争っているか、 自分自身の小ささを思い知らされました。
ノックさん、あなたは今、西の空を真っ赤に染めて 水平線の向こうへ沈んでいこうとしています。 でも僕の胸の中には今も 真夏の太陽のようなあなたがギラギラと輝いています。
あなたと初めて会った昭和35年1960年8月5日から、 最後となった平成18年2006年4月4日までの思い出の数々が、 まるで宝石のようにキラキラと胸いっぱいに詰まっています。
六甲のベースキャンプ、ハウスボーイ時代にはサミーと呼ばれ、 宝塚新芸座では三田久と名乗り、秋田Kスケから横山ノック、 漫画トリオになったノックさん。
初めて買ったブルーバードファンシーデラックスが盗まれ、 セドリックからアルファロメオ ジュリア スプリント ベローチェ、 運転手付きのダッチダートに乗り換えたノックさん。
我孫子町から沢ノ町、西宮北口から千里津雲台、 桃山台の豪邸から芦屋に移り住んだノックさん。
漫才師から参議院議員、 大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん。
相方や車や住まいや��書はコロコロと変えたけど 奥さんだけは生涯変えなかったノックさん。
血の滴るようなTボーンステーキが大好き、 あんころ餅や大福といった甘いもんが大好きで、 なにより麻雀が大好きだったノックさん。 女性が大好きだったノックさん。
料理を作るのがうまかったノックさん。 麻雀は下手くそだったノックさん。 女性を口説くのがうまかったノックさん。
お酒は弱かったノックさん。 麻雀も弱かったノックさん。 女性にも弱かったノックさん。
マーロン・ブランド扮するナポレオンの髪型を真似して ピンカールしていたノックさん。 あの頭で十日に一回散髪に行ってたオシャレなノックさん。
進駐軍仕込みの英語が堪能だったノックさん。 そのくせカタカナは苦手だったノックさん。
人を笑わせるのに自分は泣き虫で にぎやかなことが好きな寂しがり屋で ありがた迷惑なほど世話焼きで ああ見えて意外に人見知りで 甘えん坊で頑固で意地っ張りで負けず嫌いで 天真爛漫で子供っぽくて可愛くて
そして、いつでも、どんな時でも、必ず、 僕の味方をしてくれたノックさん。
ノックさん、本当にありがとうございました。 ノックさん、本当にお疲れ様でした。 そして ノックさん、本当に、さようなら。
芸人を送るのに涙は似つかわしくありません。 どうか不世出の大ボケ、横山ノックを、 精一杯の笑顔と拍手で天国に送ってやってください。
ノックさんに献杯。
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2023年7月13日(木)
今朝も8時12分に新幹線の予約完了とのメール、これでお盆の予定が確定できた。いったい、そんな混雑するときに何をするのかというと、落語を聴きにいくのである。応援している落語家・露の新治さん、8月は関東での出番が多い。それならと、一泊二日の落語を楽しむだけのツアーとなったのだ。柳家喬太郎・三遊亭兼好はもちろんライブは初めて、夜には鈴本演芸場のお盆興行、東京の定席ももちろん初めて、ワクワク、ドキドキ。
4時30分起床。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
弁当*2。
プラゴミ、45L*1。
雨の中、ツレアイは合羽を着て自転車で出勤。
私はO姉と一緒に車で出勤。
順調に到着する。
昨日ミスを犯したエクセル試験の採点作業、仕切り直しで昼まで頑張る。
木曜日3限は<スタディスキルズ(教育学科)>、今日はグループ発表、卓球部員が試合でいないので3班だけの発表、終了後は評価シートを記入して早めに終了。
急いで自室に戻り、エクセル試験の採点作業の続き、なんとか看護学科2クラス分の作業を終えることが出来た。かなりの二極分解、予想された結果ではあるが次週に念を入れて復習させねば。
早めに帰宅、蒸��暑いので速攻で着替える。
昼間採点したエクセル試験の再チェック、これで評価作業がスムーズにできる。明日は栄養学科の分を作業しなければ。
酢タマネギを仕込む。
買物はせずに、あり合わせの食材で夕飯を準備する。
昨日仕込んでおいたジャガイモとサバ缶の煮物、少し焦げてしまったがそれがまた美味しい。頂き物の信州ワイン、濃くて美味しい。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン13 (11)宮大工のまかない担う新人奮闘記▽コンポスト
初回放送日: 2023年7月6日
長尾さんは18歳の新人宮大工。高校卒業後、地元を離れ先輩職人たちと寝食を共にしながら修行中。長尾さんに任された大切な仕事が職人たちのまかない作り。宮大工の仕事は段取りが大切、その段取りと思いやりを学ぶため重要な任務なのだ。新人職人の奮闘ぶりを拝見▼コンポストに情熱を注いで四半世紀。通販会社社長のコンポスト愛と野菜たっぷりの仕事とランチをご紹介▼お弁当箱が語る「おべんとうのはなし」は「俺の定番弁当」
「やまがた春夏色模様」
初回放送日: 2023年7月11日
春から初夏にかけての山形市は豊かな自然や伝統工芸などの「色」がきらめく季節。桜から植木市や水田の緑を経てサクランボ、紅花へ。色とりどりの風土と営みを描き出す。
4月、��を迎えた山形市を彩るのは桜色、続いてサクランボの白い花。5月になると街では伝統の薬師祭植木市が開かれ、水田や里山も緑に。草木染めの工房ではさまざまな草花の色、そして江戸時代「金よりも高価」と言われた紅花染めの紅色が輝く。さらに職人が守り伝える和傘、牧野博士ゆかりの植物画家、純白の米こうじから生まれる手作りみそ。6月、サクランボが実り、やがて紅花が咲くと夏へ。山形ならではのカラフルな色模様。
どちらも見応えある内容だった。
片付け、入浴、体重は変わらず(あかんがな!)。
歩数は届かないが、なんとか3つのリング完成。水分は1,540ml。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)3月15日(金曜日)弐
通巻第8176号
明日(3月16日)、北陸新幹線が金沢から敦賀へ延長
福井県は観光と経済活性化の期待に湧いている
*************************
北陸新幹線は日本海沿岸の糸魚川(新潟)から富山、金沢を通り、若狭と越前の境にある港町・敦賀まで延長される。『古志の国』の再現だ。
敦賀駅は新幹線駅で最高位の三階建て、駅前は商店街が整備され、あちこちに歴史的な遺物やら銅像、記念館がならんで観光客を待ち受けている。気比神宮から金ケ崎城跡は後醍醐天皇の御代の激戦地、信長潰走のおりは明智光秀が鉄砲隊を組織してみごと殿軍を務めた。
松原海岸から南へ歩くと、水戸藩の武田耕雲斎以下の天狗党を祀る松原神社、このあたりに渤海使をむかえた迎賓館があった。敦賀は観光資源に恵まれているのである。
筆者、古代史最大のミステリーのひとつである応神天皇、そして継体天皇の取材を数年つづけているため何回も訪れてはいるが、訪れるたびごとに新しい発見があ���。
記紀では応神天皇が武内宿弥に連れられて禊ぎに気比神社へ赴き、地元の神と名前を取り替えた。なぜ?
気比神社は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀るが、猿田彦と竹内宿彌もちゃんと祀られている。敦賀の応神を祀る神社のほぼすべてで、武内宿彌を祀っている。その謎を解明するために現地の稗史を調べているのです。
継体天皇は三国に育ち、坂井市にある『天皇宮』に大和朝廷からの使者、大伴金村と物部荒鹿火を迎えた。その近くには執務した高向宮跡がある。また謡曲「花かたみ」の舞台と想定されるのが越前市の「花かたみ公園」と味真野神社。そこから奥へぐんと這入り込むと五星(ごおう)神社がある。応神から継体までの五代をまつる神社だ。このあたりが「文室」(ふむろ)とよばれるのは継体天皇の学問所があったとされるからだ。
脱線すると能の『花かたみ』は各地の能舞台で演じられるが、ことしは3月17日に長野で催される。残念ながら筆者、先約とかさなって鑑賞に行けない。越前郊外の味真野神社境内には、この能を再現する継体天皇と越前妻とが並ぶふたりの銅像が建立されており、王冠は金で輝いていた(それにしても駅から遠いです)。
脱線すると雇ったタクシーは日産EV。『タクシーの電気自動車は初めて』というと運転手は「寒いから暖房を入れると電池の消耗がものすごい」と愚痴をこぼした。
新幹線のはなしに戻すと福井駅前には「ふくみち」として商店街が整備され、武生駅は従来線駅よりかなり遠い田圃の真ん中に「越前たけふ」駅が新装されていた。
沿線にはカメラマンがズラーリ、最後の従来線の車両と新幹線の一番列車を撮影しようと全国から鉄道ファンがあつまって壮観だった。彼らには応神、継体天皇に興味はない。
さて糸魚川、富山(射水)、伏木、倶利伽羅峠、加賀の小松、そして坂井市の称念寺、敦賀気比神宮と、それぞれに芭蕉の句碑が建立されている。『奥のほそみち』は『古志のほそ道』であったというのが筆者の持論である。(拙著『葬られた古代王朝・高志国と継体天皇』、宝島社新書を参照。古志は「高志」、または「越」とも書きます)。
▼
((( 演目事典より )))
越前国味真野(現在の福井県越前市味真野町周辺)に、応神天皇の子孫である大迹部(おおあとべ)皇子(男大迹皇子、男大迹邉皇子とも表記)が住んでいました。皇子は武烈天皇より皇位を譲られ、継体天皇(450~531)となり都へ旅立ちました。帝は味真野にて寵愛していた照日の前に使者を送り、手紙と愛用した花筐(はながたみ:花籠のこと)を届けます。出先で使者を迎えた照日の前は、天皇の即位を喜びながらも、突然の別れに、寂しく悲しい気持ちを抑えられず、手紙と花籠を抱いて、自分の里に帰りました。
大和国玉穂の都(現在の奈良県桜井市池之内周辺)に遷都した継体天皇は、ある秋の日、警護に当たる官人らを引き連れて、紅葉見物にお出かけになりました。そこに照日の前と花籠を持った侍女が現れます。彼女は天皇への恋情が募るあまり、狂女となって故郷を飛び出し、都を目指して旅をしてきたのでした。狂女・照日の前が、帝の行列の前の方に飛びだすと、官人が狂女を押し止め、侍女の持つ花籠をはたき落します。照日の前はこれをとがめ、帝の愛用された花籠を打ち落とす者こそ狂っていると言い、帝に逢えない我が身の辛さに泣き伏してしまいます。
官人は帝の命令を受けて、照日の前に対し、帝の行列の前で狂い舞うように促します。照日の前は喜びの舞を舞った後、漢の武帝と李夫人との悲しい恋の顛末を物語りつつ、それとなく我が身に引き寄せて、帝への恋心を訴えます。
帝は、照日の前から花籠を受け取ってご覧になり、確かに自分が愛用した品だと確認し、狂気を離れれば、再び以前のように一緒になろうと伝えます。照日の前は、帝の深い情愛に感激し、正気に戻ります。この花筐以降、「かたみ」という言葉は、愛しい人の愛用の品という意味を持つようになったと伝えられています。かくして二人は、玉穂の都へ一緒に帰っていくのでした。
(( 以上ご参考までに )))
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2023年06月19日 器官なき身体、あなたがずっと私を忘れませんように
いよわの「地球の裏」を聴いている。「地球の裏 25グラムの嘘」から始まる、いつも自分がそうであるぐちゃぐちゃの脳みその中みたいなパートが好きで、自分のぐちゃぐちゃの脳みそと、聴いている脳みその(計算された、秩序化された)ぐちゃぐちゃさが同期するのが心地いい。
今日は初め、Nirvenaを聴いたりゆらゆら帝国「昆虫ロック」、青葉市子を聴いたりしていたものの、何を聴いても今の自分には合わない感じがしてしまっていて、結局、ずっといよわの曲を聴いていた。いよわの曲についてはちゃんと考えたいと思っていて、でも、ボカロ曲の解釈というのは何か、現実的な物語のようなものに還元されてしまいがちな気がしているので、そうではない形の解釈ができたらいいな、と思う。曲そのもの、音そのもの、言葉そのものから生まれてくるその世界そのものを見たい。
「地球の裏」で言うと、「それでもまだ死ねない 生命体ですにゃあ」のところの「にゃあ」があまりにも空虚で、その空っぽさに親近感を覚えてしまう。
***
丹生谷貴志『死者の挨拶で夜がはじまる』を読み始めた。ドゥルーズの「器官なき身体」の話や、「離人症の光学」と名付けられた文章だったりが載っている。
p16で、〈「器官なき身体(Corps-sans-organes)」がアニミズム的に了解されてしまっているところ��あるけど、実際には器官なき身体はもっと徹底して唯物論的である〉、というような話がある。つまり、日本語で「器官なき身体」と言うとぐにゃぐにゃしていて有機的な身体を想像していしまう可能性があるけれど、そうではなくて、それは身体がある状態であるにもかかわらず、徹底して唯物論的で、極限まで受動的で(ときには苦痛にさえ近い)状態の身体。
ドゥルーズ/ガタリは『千のプラトー』で「きみ自身の器官なき身体を見つけたまえ」と書いているけれど、私たちの器官なき身体とはいったいどのようなものなのだろう。
たとえば、薬物中毒の身体、アルコール中毒の身体、マゾヒストの身体。つまり、それは脱自的な状態であり、主体としての「私」が揺らいでいる。そして、そうして主体が揺らいでいることにこそ意味がある。自と他の境界が揺らいでいること。
アルトーやーシュレーバー、分裂症(統合失調症)者にも特有の器官なき身体がある。器官なき身体は卵に似ていて、それ自体は受動性の極にありながらも、何かを生み出す実験の場となる。広く捉えるのなら、「全体によって統合されない部分の横断的結合」。
そういえば、少し前に話した人に「あなたの器官なき身体とはどのようなものですか?」と尋ねると、「球体関節人形」と答えていた。「君自身の器官なき身体」の一つに、球体関節人形がある。
それでは、私自身の器官なき身体とは何なのだろう。自分は一時間前に眠剤を飲んだので、世界はどんどん私という存在は曖昧になってきている。ただ、それ以前からして世界は離人的なのだけど、何にせよ、眠剤によって私は私という主体から遠ざかっていく。でも、それが器官なき身体であるわけではない。ドゥルーズは『千のプラトー』第6セリーで「器官なき身体に人は到達することはない、到達はもともと不可能であり、ただ、いつまでも接近し続けるだけ��それはひとつの極限なのだ」と語っていた。
思い返せば、幻覚剤が効いているときに、ゆらゆら動く世界の中で、頭の中にある真っ白な部屋に閉じ込められていたら仏様がやって来てあの世へと連れていかれて、「こんなにあっけなく人生って終わっちゃうんだ」と拍子抜けして、でもそこからすぐにこの世へと戻されて、またあの世へと連れていかれるということを繰り返していた時、あの幻覚と受苦の中で、少しは器官なき身体(CsO)に近づいていたのかもしれない。でも、別の仕方での器官なき身体はもちろんありうる。たとえば貨幣とは資本主義における器官なき身体であり、ある種の組織そのものが器官なき身体へと近づくということもありうる。
***
今日、授業でラトゥールについての発表を聞いていた。面白かったのはサイエンスウォーズの話で、ソーカルが『知の欺瞞』でドゥルーズやデリダやラカン等の現代思想を科学的な観点から批判したことは有名だけど、今にして思えばソーカルは共産党員であるわけで、つまり単な��科学上の論争というよりも、その背景には大まかに共産党vs新左翼という構図を読み取ることができる。
共産党員である(つまり伝統的な左翼)であるソーカルは進歩主義的に科学の実在を信じざるをえないだろうし、それに対して(どちらかといえば新左翼の側にある)ポストモダン思想家たちは科学に対して、(ソーカルらのような立場に対して相対的には)構築主義的なアプローチを取ることになるのだから。
***
大学では4人くらいで「少女革命ウテナ」の上映会に参加していた。25話から30話まで。いまはウテナが理事長に対する恋心みたいなものに目覚めかけているときで、ここには常に揺らぎがある。ウテナが欲望していたのは「王子様になること」であって、「王子様と結ばれること(つまりお姫様になること)」ではないはずだけど、そこに現実化した「王子様のような何か」を前にして、どうしても揺らいでしまうことになる。あとは、薫幹と薫梢の関係も好きで、幹が永遠にしたい「輝くもの」とは妹である梢との思い出だけど、それは姫宮アンシーの方へと投影されていて、常にすれちがい続けている兄妹。
上映会のあとには『冷たい熱帯魚』の話をした。冷たい熱帯魚、見たのはずいぶん昔だけど、今にして思えば、家父長制の究極系みたいな人間がいて、「弱い人間」である主人公が極限まで抑圧された結果、逆に主人公が家父長制の人間(強い人間)へと覚醒し、しかし最後に、娘によって反抗されるというところが大事なのかもしれない。
あと、映画「怪物」を見たいものの、映画のためにお金を払うと今月末のクレジットカードの支払いができないので、ずっと行くのを諦めている。文化になるためにはお金を用意しなくてはいけない
***
千葉雅也の『エレクトリック』が面白いらしいので、新潮をどこかで見つけて読もうかな。『ハンチバック』は読んだので、芥川賞受賞作をすべて読んで、自分なりの予想とかをやってみたい。でも、そんなことをしている場合ではなくて、カフカを読んだ方がいいのかな。保坂和志がそう言っていたような気がするけれど、夢の中での幻覚かもしれない。
***
青色のアトモキセチンカプセル(40mg)を飲むとき、近場に水がないのでとりあえずは前歯で挟んだ状態でそのままにして、水を飲むときに一緒に流し込む、という行動を取ることがあるのだけど、カプセルを歯で挟んでいるとき、いつも脳内で、シンジくんの乗ったエヴァが、アスカ(あるいはトウジ)が乗っているエントリープラグをかみ砕く瞬間のことを考えてしまう。
眠剤が効いた状態でずっといよわが流れていて身体が重く、すべてが、世界が曖昧になって来たので眠ります。明日、ちゃんと役所に行って必要な書類をもらえますように。おやすみプンプンで田中愛子が書いた短冊「あなたがずっと私を忘れませんように」の願いが叶いますように(この文章をを書いたとき、あの短冊の記憶を思い出したことで、田中愛子が抱いていたであろう救いのない感情がなだれ込んできてしまって、どうしよう、と思う、いよわの「地球の裏」を聞きながら、また眠剤を飲んで眠るしかない)。
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#Repost @askawada さん、そして(株)主婦の友社さんと担当者さん、川連漆器を使って頂き、有難うございました。 Repostをさせて頂きます。 以下@askawada さんより。 風呂上がりに言うことじゃないけど、新刊出ます! 発売は3月3日。予約は始まってるようです。なんでこのタイトルにしたのか、どういう思いで作った本か、言いたいことが山ほどあるので、週末にでもインスタライブで聞いてもらおっかなって思ってます。日曜日かな。夕方かな。キッチンからゆるゆるやりますのでタイミングあえばぜひ。 基本的には1作目となんも変わらず、日々作っているおかずをたんたんと紹介してます。今回も食器はうちのを使ってるんだけど、スタイリングに西﨑さん @asimikazihsin に入ってもらったおかげで、うちの皿たちが見違えるようにかっこよく写ってるとこもあって。だからさ、料理上手になりたいなら、料理するより、かっこいい皿買った方が早いんじゃないかって思うよ。料理家がそんなこと言っちゃいけないですね。でもほんと、西﨑マジックのおかげで地味なおかずたちが地味なりに輝いた。ありがとうございました! あとは、お酒何飲んでるとか、音楽何聴いてるとか、わたしが「そんな情報いります?🤨」ってなっても、「読者のみなさんは知りたいんです!」って言い続けて、結果いいページを作ってくれた編集の宮川さんもすごかった。あらゆる決まりごとより、著者であるわたしの考えを優先してくれた宮川さん。きっといろんな大人の事情と戦ってくれただろうな。ありがとうございます! それと、校正さんの細やかな仕事にも感動しっぱなし。見てよ写真2枚目。こんなことまで一緒に考えて、しかも「��ーン」て!悩んでくれてる!お仕事だから、だとしても、本当にありがたい。直接会ったことない、付箋のやりとりだけってのも文通みたいで好きでした。 今は別に本じゃなくたってレシピを発信できる時代。でも、プロのみなさんの仕事を結集させて作り上げていく、関わってくれるいろんな人の視点で「良い」と思えるものにしていく、これは本づくりの醍醐味だなってわたしは思います。 はい、結局いつも通り長くなっちゃいましたが、今回も、とても大事に思える本ができました。詳しくはまた、日曜日に✋🏼いろいろ聞いてねっ https://jujiro.base.ec #秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田の物作り #秋田の物つくり #髹漆 #寿次郎 #秋田川連塗寿次郎 #和田明日香 #楽ありゃ苦もある地味ごはん #主婦の友社 #地味ごはん #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro https://www.instagram.com/p/CpKHK77rvxA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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📸小林古径記念美術館(旧小林古径邸)/ Kobayashi Kokei Memorial Museum Garden, Joetsu, Niigata ——続日本100名城で桜の名所“高田城跡”🏯🌸に残る、近代日本画壇で活躍した画家 #小林古径 の旧宅・アトリエは近代数寄屋建築の巨匠 #吉田五十八 の貴重な戦前の初期作品…国登録有形文化財。 新潟・小林古径記念美術館(旧小林古径邸)の紹介は☟ https://oniwa.garden/kobayashi-kokei-museum-niigata/ ...... 「小林古径記念美術館」は新潟県上越市出身の日本画家・小林古径の名を冠し、氏の作品の中心に展示されている美術館。美術館の庭園内には近代数寄屋建築の巨匠・吉田五十八が設計した小林古径の旧宅も🏡 . 2022年7月、上越市に残る大庄屋/庄屋クラスの豪農屋敷の公���イベント『上越名家一斉公開』を訪れた足で初めて訪れたのがこの美術館。吉田五十八好きとしては一斉公開と同じかそれ以上にずっと訪れたかった場所でもあった…! . 夜桜の名所として有名な『高田城址公園』(高田公園)。松平忠輝(徳川家康の六男)の居城として1614年に築城された『高田城』の跡に開かれた都市公園で、「高田城跡」として新潟県指定史跡&続日本100名城🏯 . なお築城奉行として指揮をとったのは松平忠輝の義父だった大大名・伊達政宗だったとか🌙現在では桜だけでなく、夏にかけてピンクの花を咲かせる外堀のハス群も“東洋一”と呼ばれる名所!🪷 . そんな高田公園内に2001年に移築・復原されたのが地元出身の日本画家・小林古径の旧宅『小林古径邸』。 元は東京都大田区の南馬込…『川端龍子旧邸』なども残る“馬込文士村”と呼ばれた一帯に居を構えていた小林古径。主屋は1934年(昭和9年)竣工で“近代数寄屋建築の巨匠”吉田五十八の現存する建築の中では最も古い戦前の建築(*場所も変えていない条件が加わると別のものになるけれど)。 . 大工棟梁は京都の宮大工 #岡村仁三 。この方が吉田五十八にとっての数寄屋の師だったとか…? . 小林古径の没後は大田区が管理していたそうですが、マンション計画🏢により1993年(平成5年)に解体。 上越市がその部材を引き受け、吉田五十八に師事した建築家 #今里隆 さんや早稲田大学の調査・監修の下、 #宮本忠長建築設計事務所 #大林組 により現在地に復原。なお冬に雪に覆われる土地柄を考慮して見えない部分では随所に補強が加わっているそう。 . 小林古径が吉田五十八にひとこと《私が好きだという家をつくって下さい》と注文し、古径の芸術作品を研究した上で建てられた2階建の住宅。 . 文化財登録の評価などにも「貴重な初期作品で」「近代数寄屋建築の作風を確立する途上」といった評価で、外観は後年の作品と比べると独自色が滲み出る前…って感じだけれど。 玄関ににじり口があったり、『旧山口蓬春邸』で見られるような小堀遠州『孤篷庵』の“忘筌席”オマージュや床の間など随所にその過程が感じられる。 続く。 - - - - - - #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #sukiya #japanesegarden #beautifuljapan #landscapedesign #niigata #yoshidaisoya #美術館 #近代建築 #近代和風建築 #近代数寄屋建築 #数寄屋建築 #数寄屋 #庭園 #日本庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #庭院 #庭园 #上越市 #おにわさん (小林古径記念美術館) https://www.instagram.com/p/CmLQSzxv38x/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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[2022年1~12月]シナリオ担当
【お仕事まとめ】
2022年に公開された以下のシナリオを担当させて頂きました。
______
株式会社coly様
『スタンドマイヒーローズ!』より
◆長編関連 都築誠本編「物書きのシーナリー(1章STORY-0)」 都築誠本編「偏に透徹の至情」1~2話 ※連載中※
作中内に出てくる都築誠の著作について、藍田創先生制作の設定をお借りしました。ありがとうございます!
◆各種イベント等 ・イベント「逆転マイヒーローズ」限定個別ストーリー・都築誠 ・カード「SSR都築誠【紡ぎ織束ねる二重奏】」Lv.50 今、動き出すシナリオ
『ドラッグ王子とマトリ姫』より
・番外編「愛がとろける♡おねだりバレンタイン編」関大輔、夏目春 ・番外編「キミと歩く銀世界♡編」関大輔 ・番外編「Memory♡色褪せないアルバム編」関大輔、夏目春 ・番外編「春に誓う夜桜編」関大輔 ※一部お手伝いのみ※ ・番外編「理想の先に♡未来を思い描くバースデー編」夏目春 ・番外編「カレのキモチを独り占め♡編」夏目春 ・番外編「明るい未来へ♡弱さを分け合うバースデー編」関大輔 ・番外編「キラキラ輝く♡Summer Resort編」関大輔、夏目春 ・番外編「私のカレは家政夫♡編」関大輔、夏目春 ・番外編「幸せの明かりを灯して♡candle night編」関大輔 ・番外編「癒しの明かりを灯して♡candle night編」夏目春
+++
フリュー株式会社様
『恋愛HOTEL~秘密のルームサービス~』より
・番外編「Sweetな罠にご用心♡」宮内啓人
______
2022年は上記の他にも、IP系の非公開案件に携わったり、昔書いた小説をこっそりなろうで連載したりなど色々な新しいことに挑戦する足がかりが出来た1年だったかな…と感じております。
少しでも皆様に楽しんで頂ける物語がお届け出来るよう、2023年も尽力して参ります。
+
(同人活動宣伝)
情緒が破壊されるBLゲーム『Re;quartz零度』クラウドファンディングで総額6,414,200円のご支援を頂き、2023年Switch化が決定しました!
ご支援のお陰で2022年12月末にドラマCDも発売することが出来まして、改めて心より御礼申し上げます。
youtube
YouTubeにて試聴全4編も公開中ですので、宜しければぜひ!
主催ゲームサークル最新情報:@bcluster_info
最新のお仕事告知:@ykm_io
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【外部出演情報】瀧原弘子が丸福ボンバーズ「Goodbye my work!~退職の流儀~」仙台公演に出演します
丸福ボンバーズ 第18回本公演
「Goodbye my work!~退職の流儀~」仙台公演
脚本・演出:福島三郎
辞めたい仕事、辞められない仕事、辞めさせたい、辞めさせられない、辞めなければ生きていけない、辞められたら大変なことになる! …退職に関する全てのことに首を突っ込んでしまう、伝説の退職代行人が存在した。
丸福ボンバーズの最新作は、そんな面倒くさい男の物語。
■日時
2024年
12月14日(土)13:00~、18:00~(瀧原出演回)
12月15日(日)11:00~
※受付開始、開場は開演の30分前
■会場
せんだい演劇工房10-BOX box-1
■チケット料金(全席指定)
一般 3,900円
U-25 2,500円
高校生以下 1,000円
■出演
野崎数馬
八木さおり
橋爪渓
NORIYASU
門田裕之
山田優輝
小柳誠志郎
悠
白間太陽(吉本興業株式会社)
★日替わりボンバー
★日替わりボンバー
12月14日(土)
13:00〜 飯沼由和(演劇ユニット言言(kotokoto))
18:00〜 瀧原弘子(三角フラスコ)
12月15日(日)
11:00〜 横山真
■スタッフ
脚本・演出:福島三郎
音楽監督:稲垣大助
音楽:曾我泰久
美術:秋山光洋
照明:佐藤公穂
音響:小町香織、大久保友紀
舞台監督:男山⻯眞
制作:⻄村高子、松岡努、大林檸檬
■ご予約
■鑑賞サポート
仙台公演では、以下の鑑賞サポートを実施いたします。観劇日の2日前までにご連絡をお願いいたします。
・車椅子スペース:車椅子のままご観劇いただける車椅子スペースがございます。
・台本貸出:聴覚に障害のあるお客様には観劇前に上演台本の貸出をいたします。
■主催
丸福ボンバーズ
boxes Inc.
協力
吉本興業株式会社
株式会社ミラクルバス
■仙台公演のお問い合わせ
boxes Inc.
mail:[email protected]
電話:022-353-9755
仙台公演HP
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