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ExperimentalArtSpace / 実験的なアートスペース
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LASTRESNEGRAS
LASTRESNEGRAS
実験的なアートスペース // EXPERIMENTAL ART SPACE
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2月振り返り②
2023年3月30日
活動先以外の事を
ワークショップのお手伝い 同じ任地の小学校教育隊員が開いた教員向けWSのお手伝いをしました。 教育局配属で公立校を巡回していて(一応)CPもいて隊員の受け入れも何代目か という違いはありますが 現地教員がすごく積極的だなあと思いました。 裏ではいろいろあったらしいけど良いWSでした。もちろん隊員の努力の結果だと思いますが。 この隊員とは活動に関する話をよくするので、その立場の良し悪しを聞いていますが 教育局(現地教員からしたら上の立場)から指導法改善の提案をする というのがこの国にあってるんじゃないかなあと思ってしまいます。 私も一応配属先は難民局なんですが (なぜか担当VCが活動校のことを配属先と言い続けている)
中間報告会 活動が1年すぎたころに行われる中間報告会 1人15分の持ち時間はこれまでやったことの報告で終わりますね。 もう少し言いたいことはあったが、の気持ち。
内容とは関係ないんですが、この場だから言うんですが 学部生のころ教員陣といろいろありまして、特に3年後期~卒研/卒制をしてる間はほぼほぼ喧嘩してるみたいな感じでしたが どうも美術について話すときに声が震える程度のトラウマは残っているようです。 喧嘩には勝ったつもりでいたんですが。 「子ども達が表現するにも安心できる空間づくりが大事だ」 という感じのことが言いたくて卒制してたんですが やはり間違ってなかったなあと我が身をもって実感して��す。 実体験を元に話すって学問的には?信憑性ない気がしますが。
修士論文発表会 21年4月に一緒に院に入った人たち(+α)がもう修了のようです。 修論発表会の場にオンラインでつなげてもらいました。 ちょうど新年度が始まる日で若干学校行きたくないの気持ちがあったんですが 久しぶりに美術教育の話を聞いてやる気が出ました。 同期2人とお互いの話したりしながら研究したかったなという気持ちと 帰ったら知ってる人誰もいないなという気持ちと 自分の研究の着地点どうするんだろうという気持ちと
最近、いろんな人と日本に帰ったら何するの?という話をしますが 毎回「とりあえず院を修了したいです」しか言ってない。
帰国隊員お見送り ついに任期を終えて帰国される隊員が。 日頃の話から隠しきれない大変さがにじみ出てましたが やり切った良い表情をしていました。
Japanese garden 日本庭園?日本公園?が首都にあるのをマップ上で見つけて行ってみました。 少しうさんくささを感じていたけどま���かの日本全面協力
個人的にはその奥にある立派な木が好きです。
アートスペース SNSで見かけたアートスペース?がイベントをやっているようだったので行ってみました。
アートに関わる人は全然いるんですよねこの国。 若者が自分達でこういう場所を作って運営できるの素晴らしいと思います。 上からみたいな書き方なったけど
という感じで2月も週末はいろいろと遊んでいました。
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ハイパー越境観光案内所『INTA-NET』 / 京都三条の路地奥
▼『INTA-NET』が目指す、新しい観光の形
はじめまして。『INTA-NET』運営チームです。
私たちは、時代・コミュニティ・文化圏の境界線を超える、「ハイパー越境」な観光を実践する “観光案内所” を、京都の三条京阪につくります。
『INTA-NET』は、カフェ/Bar、ショップ、ラジオスペースを持ち、かつてのインターネット掲示板のように、その日居合わせた人と交流を楽しんだり、京都でオススメの場所や集まりについて情報交換する空間です。
かつて2000年代前後のインターネットは、世間の常識にうまく馴染めない人たちの「逃げ場」でした。掲示板でのやりとりや、個人サイトが張り巡らされたハイパーリンクのなかで、ゆるい連帯感で集まった人たちが交流していました。
キュレーションされていない、カオスな情報で溢れていたあの頃。インターネットはいつだって、私たちの物足りない日常を満たしてくれる、新しい出会いと発見がある場所でした。
私たちがつくる観光案内所は、いわば掲示板のスレッド。
そこから先にどんな物語が生まれるかは、訪れる人次第です。
誰もが立ち寄れて、それぞれが知っている京都について語り合い、旅の遍歴(ストーリー)を集積する。
たまたま出会った人と語り合い、一緒に街歩きするなかで、普通の観光ではアクセスできない街の「境界線の先」を探していく。
私たちは、そんな場所をつくります。
▼誰が運営しているのか
私たちはこれまで、台湾・台北でアートスペースの運営や、世界各国の”カワイイ”をキュレーションしたポップアップなどを行ってきました。
まずは、鈴木宏明と神明竜平が共同代表を務める「スーパー���リラパワー合同会社」。
2019年、台湾・台北にアートスペース『空屋』をオープン。これまで台湾と日本のアーティストの橋渡しとなる展示などの企画を実施・受け入れしてきました。
空屋を起点に今後もアジアのネットワークを広げて、『INTA-NET』でコンテンツをお披露目していく予定です。
台北のアートスペース『空屋』
続いて、「越境カワイイ」を提唱し、世界各国でのキュレーションや商品販売を行うクリエイターチーム・メンメイズ-menmeiz-
menmeizビジュアル(by moe_magmag)
世界中の「カワイイ」をディグり、これまでラフォーレ原宿やSHIBUYA TSUTAYA、阪急うめだなどでポップアップショップを開催し、今回の『INTA-NET』が初のリアル店舗展開となります。
阪急梅田ポップアップの様子
▼なぜ京都なのか?
私たちはこれまで、台湾や韓国、タイ、インドネシアなどのアジア圏に関心を持ち、活動をしてきました。
毎月のように飛行機に乗り、新たなスポットで現地の人と交流していましたが、それができなくなった2020年。 改めて日本に興味を持ち、京都に焦点を当て、街の人たちやお店と交流を続けてきました。
そのなかで気づいたことがあります。
京都には、普通の観光では垣間見れない文化や歴史が、地下水脈のように流れているのです。
数百年前の鴨川の様子
戦後大きく変わる国を憂い、西部講堂や���田寮で起こった学生運動。
文豪たちが夜な夜な集い、議論を交わした居酒屋。
名だたる著名人が遊びに来る、一見様お断りの舞妓や芸妓の世界。
先人たちの文化に誇りを持ち、伝統を守りながら生きる人々。
『四畳半神話大系』や『鴨川ホルモー』で描かれるような、歴史とファンタジー入り混じる世界観も、京都から生まれています。
さまざまな時代・コミュニティ・文化が混在する京都で、「境界線」を超える観光の在り方を探っていきたい。まずはリアルな場所を京都につくり、その可能性を追求していきます。
京都の夜は次元を超えた境界線の先に行けそうな気がします
▼店舗について
『INTA-NET』の建築にあたり、建築家の甲津多聞氏と、都市研究家の清山陽平氏に、今回の空間を設計していただきました。
(建築設計テーマ企画書を、SlideShareにて公開しています。画像をクリック、もしくはこちらのリンクから飛びます。)
観光案内所の、具体的な用途は以下です。
①カフェ&BAR
『INTA-NET』の一階では、アジア各国のドリンクや、お酒を提供する予定です。みんながゆるっと集まり、旅の想い出や、ひとりひとりの遍歴を語るスペースをつくります。ここは貸し切りでイベントも開催可能です。
②ショップ・ギャラリー
また一階では、menmeizをはじめとするクリエイターやグッズ、また世界各国からキュレーションした音楽やブランドなどをスーベニアとして展開・販売します。またギャラリーとして、京都や海外アーティストの展示も実施。日本文化の発信元と言える京都から、世界をつなぐ新たなカルチャーを創り、広めていきます。
③観光案内所
『INTA-NET』を運営するなかで発見した、オススメの場所やコミュニティを紹介するツアーをつくります。また、運営メンバーはアジア各国と繋がりが深く、台湾・韓国・インドネシア等と提携したツアーも展開予定です。*1
④ラジオスペース
お店の二階にはラジオスペースを配置。「これからの観光」をテーマに、京都の街や観光に詳しい人たちを招待し、Podcast等で発信を行う予定です。
また紹介制でラジオスペースにフリーアドレス席を使える仲間を集めていく予定です。
ちなみに、「観光案内所」としてはこんな企画を考えています。*1
・伏見・旧遊郭地帯を巡る旅
・狩猟体験
・左京区カウンターカルチャー会
・山寺修行/座禅体験
・台湾のディープなツーリズム紹介
・インドネシアのオルタナティブスペース紹介
…などなど。ツアーを企画したい人と、京都で遊びたい人をプラットフォームとしてマッチングしていきます。
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ロワー・イーストサイドの民俗史家
この40年間、この界隈の最も粘り強いアーティスト兼アクティビストだったクレイトン・パターソンのこと
ーーミス・ローゼン、2023.7.8
アーティストであり民間歴史家のクレイトン・パターソンは同じロワー・イーストサイドの店構えに40年間住んでいる。道に面した大きな窓のすぐ内側にある古い布張りの椅子に座って、視線を集めているから、すぐわかる。トレードマークの銀色の髭が胸まで流れ、微笑むスカルがついたオリジナルのクレイトン・キャップをかぶっている。74歳のパターソンは、あまりに長いあいだロワー・イーストサイドでこの場所を題材にしたアートをつくってきたので、ここの歴史と自分の人生とが切っても切れない状態になっている。10年ほど前、彼はこの界隈を出て行きそうになった。ジェントリフィケーションの進行の速さ、行きつけの場所の閉鎖、親しい友人の死などに嫌気が刺したのだ。タイムズ紙は彼が去ることを「マンハッタン最後のボヘミアン」が退場すると記し、一時代の終わりだと告げた。しかし結局パターソンはそこにとどまった。
写真キャプション: ・クレイトン・パターソン。2023年7月6日、自宅にて。 ・ニューヨーク市警が武装した警官を乗せた車両を「ブレット・スペース」(ロワー・イーストサイドのアーティストコレクティブ兼ギャラリー)の前に止めたことに抗議して作られた段ボールの戦車 ・意識がない様子の人をチェックする警官 ・放置されていることに抗議して放火された公衆トイレ ・伝説のミュージッククラブ、CBGB
カナダのアルバータ出身のパターソンは、最近私に自分の出自を「労働者階級の悪い方の端っこ」だ説明した。15歳で家を出ると、その後15年をさまざまな美術学校の学生や教師として過ごした。1979年にパートナーであるアーティストのエルサ・レンサアと共にロワー・イーストサイドに来ると、地主が手を回した放火、政府による差し押さえ、そして10年間にわたって「見て見ぬふり」をされてきたことによって、この移民たちの小さな居住区は廃墟と化した建物と捨てられた注射針が散見される場所になっていた。しかし、ニューヨーカーはなにもない場所を放ってはおかない。この界隈の安い不動産を目指して、すぐに不法占拠者やアーティストや社会ののけ者たちが群がってきた。パターソンはレンサアに贈られたペンタックス125SLRを持って道を歩き始めた。そしてセックスワーカーや詩人、学校に通う子供たちやパンクスなど、ロワー・イーストサイドを自分たちの街と呼ぶ人々の写真を撮り始めた。カメラは街の扉を開く鍵となり、そうでなければ行かなかっただろうところにパターソンを導いた。ピラミッドクラブのドラアグクイーンやハードコアのショー、ストリートの過激な抗議行動、CBGBやブレット・スペースなどのローカルなランドマークやアートイベント。その中には自分の指を切り落としたパフォーマンスアーティスト、ロジャー・カウフマンのイベントもあった。パターソンの写真は、コミュニティの赤裸々なタイムカプセルとなった。彼のロワー・イーストサイドでの生活を記録した「Captured(撮った!)」と題された2008年のドキュメンタリーで、パターソンは「ストリートを眺めているのは、水族館にいるのと似ている。通りを見ていればこういう活動がいつだって見えるんだ」と語っている。
写真キャプション: ストリートの撮影に出かけようとしている、パターソンのパートナーであり、クリエーティブ・コラボレーターのエルサ・レンサア
1983年にパターソンとレンサアはエセックス通り161番地を購入した。以前は仕立て屋が入っていた2階建ての建物だ。それから、生活費を稼ぐために「クレイトン・キャップ」を製作した。それは1986年にリリースされた、おそらく初のデザイナー・ベースボールキャップだった。その界隈から急速に消滅しつつあった衣料品産業から救い出して再利用した機械を使って、レンサアが刺繍のパターンをつくった。これがアーティストや著名人の間で大ヒットし、ジム・ダイン、デイヴィッド・ホックニー、ミック・ジャガー、マット・ディロンなどが顧客になった。その同じ年に、パターソンとレンサアは自分たちの店先をギャラリーに改装し、そこでジェネシス・P・オリッジ、テイラー・ミード、クエンティン・クリスプ、ダッシュ・スノーなど、地元の才能の展覧会を開いた。パターソンはギャラリー正面の窓を「ホール・オブ・フェーム(殿堂)」に変え、自らのポートレート写真シリーズ「ウォール・オブ・フェーム」を週替わりで展示した。被写体はほとんどが近所の住民で、グラフィティで埋め尽くされたギャラリーの壁の前でポーズをとっている。
写真キャプション: ・少年と彼のペット ・ポーズをとる若い女性 ・歩道に立つ若者 ・��ーティストのブッチ・モリス
エセックス通りはパターソンにとって、80年代の高騰するアート市場への足がかりとなった。しかし彼はその状況にしらけていた。「金を儲けて、オデオンに行ったり、ミスター・チャオで食事したり。ブルペンでいちばん強い牛になるという競争ばかりだった」。その代わりに彼がやったのは、界隈でいちばんしつこいアクティビストとしてのキャリアを築くことだった。レンサアといっしょにつくったクレイトン・キャップを売った資金で「クレイトン・アーカイブ」を設立。ビデオ、アート作品、本、新聞の切り抜き、そしてロワー・イーストサイドからのさまざまな収集物。中には空のヘロインの袋もあった。ストリート写真は何千枚にもなった。「俺は他に誰も写真を持っていない人間の写真を持ってる。火事にあったり、家を失ったり、ホームレスになってすべてを失ったりしてるやつらだ」。パターソンの友人、グライフォン・ルーは、2021年にダウンタウンの書店兼アートスペース「プリンテッド・マター」でパターソンの写真展のキュレーションをした。写真のアーカイブを調べていくのは「段ボールの箱の内側から穴を開けているような、亡霊のポケットの中を探っているような感じだった」と言う。「雪崩てくる魂をどうやって整理しろっていうんだ」。
写真キャプション: ・90年代、9thストリートとアベニューDでの火災の後で ・抗議行動のサイン「ジェントリフィケーションは階級戦争だ。反撃しろ」「金持ちを追い出せ」 ・ホームレスの住宅支援デモに参加するデイヴィッド・(レッド)・ロドリゲス ・抗議団体ARTIST(Artist’s Response To Illegal State Tactics、不法な行政指針に対するアーティストの抵抗)を創設したロバート・レデルマン、1993年
パターソンは長い年月をかけて「ニューヨーク・タトゥー・ソサエティ」を組織してきた。この団体はアンダーグラウンドのアート表現がニューヨーク全体で禁止になったことを覆し、ロワー・イーストサイドを記録した数えきれないほどの本や選集を出版し、毎年実験的なアーティストやアクティビストの仕事を讃えるニューヨーク・アッカー・アワードを創設した。しかしパターソンが果たした最も重要な役割は「市民ジャーナリスト」としてのものだろう。1988年、パターソンがピラミッド・クラブでのパフォーマンスをビデオで録画していたときに、数ブロック先でトムプキンズ・スクエア・パークの暴動が勃発した。警察が公園から人を排除して封鎖しようとした後のことだった。パターソンは現場に駆けつけ、状況を録画し始めた。レンサアはテープを公園からこっそり持ち出して守る手助けをした。その映像はニューヨーク市警が抗議行動を抑圧した残忍な手��を捉えており、ニュースで放送された。ニューヨークの地方検事はパターソンを召喚して映像の提出を求めたが、パターソンは拒否し(その結果、法廷侮辱罪で収監された)、交渉の結果、映像への著作権を手にした。「人は俺のことを反社会的で反政府的なトラブルメーカーで、アナーキストだと思っているが、それはちがう。俺はアーティストなんだ。
写真キャプション: ・80年代後半の裁判所入口 ・ジェントリフィケーションへの抗議活動で投石によって割れたガラスに映ったパターソンの自画像
パターソンの映像と写真の作品はニューヨークやその他の場所で何百回も展示されてきた。その幾つかは、現在、市のフォトヴィル・フェスティバルの一部として野外に設置されている。しかしパターソンは自分を写真家と定義づけることを拒否する。カメラは彼の何十年にもわたる保存プロジェクトの一つのツールに過ぎないからだ。「俺のアートは一つひとつの作品じゃない。それはもっと大きなビジョンであり、生存、存在、そしてクリエイティブであり続けるということなんだ」。
写真キャプション: ・90年代初頭、ふざけてパターソンを撮影する警官。後ろに見えるのはテレビシリーズ “The Church of Shooting Yourself” のリック・リトル(彼が扮するパラノイアのフェイク・ジャーナリストがイーストビレッジの出来事を自撮りする番組)
ニューヨーカーに掲載。2023.7.8
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昨日行われました助成事業報告会のアーカイブ映像を配信します!
現地に来られなかった方や配信に時間が合わなかった人は是非チェックしてください。
ご協力いただいた方々、ありがとうございました!
創造環境イノベーション助成事業報告会 「多目的なアーティスト・プラットフォームの実現に向けて」
セゾン文化財団の助成プログラム「創造環境イノベーション」は、現代演劇・舞踊界の現在の問題点を明らかにし、解決を目指す事業を対象に支援しています。この度、2020-22年度の3年間の助成期間を終了した神谷俊貴による事業「誰でも使える本格的な稽古場・作業場を整備する」の報告会およびディスカッションを実施いたします。 2022年5月、滋賀県大津市に本格オープンした芸術準備室ハイセンは、組合員やサポーターによって運営される元・保養所を再活用したレンタルスタジオ・アトリエ、アーティストインレジデンス、相談所などの機能を兼ね備えたアーティスト・プラットフォーム施設です。誰でも気軽に使える本格的な稽古場・作業場を目指し、美術・音楽・舞台芸術・文芸・調査研究などジャンルフリーに様々な創作活動を応援します。都市部から離れ琵琶湖や山々など自然に囲まれた静かな環境のため、情報を遮断し集中しやすいのも特長です。 https://haisen8100.tumblr.com/ 第1部では特長である組合員やサポーター制度についても紹介し、第2部ではゲストスピーカーとともに創作環境やアーティスト支援の方法について考えます。
日時:2023年6月17日 (土): 14:00-16:00 会場:芸術準備室ハイセン(滋賀県大津市木戸1696-2)
第1部〈「誰でも使える本格的な稽古場・作業場を整備する」報告〉 創造環境イノベーションプログラムについての紹介:岡本純子 スピーカー:神谷俊貴 第2部〈ディスカッション「アーティスト・プラットフォームとは? 創作環境やアーティスト支援の方法について」〉 スピーカー:谷 竜一、和田ながら、神谷俊貴、岡本純子
登壇者プロフィール
岡本純子 (セゾン文化財団 プログラム・オフィサー) 美術大学卒業後にコマーシャルギャラリーに就職。 非営利団体での芸術に関わる仕事、若いアーティストとの関わりを求め、セゾン文化財団に転職。プログラム・オフィサーとして、アーティスト支援や、舞台芸術の環境改善事業支援に携わってきている。「横浜市創造界隈形成推進委員会」委員。
神谷俊貴(芸術準備室ハイセン) 2010年より京都精華大学演劇部劇的集団忘却曲線やすごい劇団、龍渓下連合に所属しながら京都市内の小劇場活動に参加、2014年よりSPAC-静岡県舞台芸術センター創作・技術部に所属し大道具製作や演出部・舞台監督を経験、国内外のクリエーションに関わる。2018年よりフリーランスとなり、引き続きSPACに期間契約の他、城崎国際アートセンターへのインターン、愛知県芸術劇場の主催事業、鳥の劇場「鳥の演劇祭」の設営など全国各地へ赴く。小劇場界隈にも豊かな創作環境を実現させたく2019年より滋賀県大津市に「芸術準備室ハイセン」を発起する。
谷 竜一(京都芸術センタープログラムディレクター、京都芸術大学非常勤講師) 山口大学教育学部総合文化教育課程文芸・芸能コース卒、東京芸術大学音楽研究科音楽文化学専攻芸術環境創造研究分野(修士)修了。京都芸術センターアートコーディネーター、京都府地域アートマネージャー(山城地域担当)を経て、2021年より現職。演劇・ダンスを中心に、現代美術、伝統芸能等多岐にわたる事業企画・運営に携わるほか、2022年度からアーティスト・イン・レジデンス事業の統括も担当。 また、詩人・演劇作家としても活動。2022年度より(公財)京都府長岡京市記念文化事業団企画委員。2023年度より京都芸術大学非常勤講師。バンド「swimm」のメンバーでもある。
和田ながら(演出家、したため主宰) 京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科卒業、同大学大学院修士課程修了。2011年に自身のユニット「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。美術、写真、音楽、建築など異なる領域のアーティストとも共同作業を行う。2018年より、京都木屋町三条の多角的アートスペース・UrBANGUILDのブッキングスタッフ。2020年度から22年度まで鳥公園アソシエイトアーティスト。NPO法人京都舞台芸術協会理事長。
スタッフ(芸術準備室ハイセン運営委員会より)
配信オペ:吉村聡浩 進行補助:岩木すず 受付:渡辺美帆子
主催:公益財団法人セゾン文化財団*、神谷俊貴 ※「助成事業に係る広報活動やネットワーク構築」の一環として本報告会を実施します。
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【展示予定】髙石次郎 ー何気ないことを何気なく存在させる勇気ー
会期|2023.5.27sat~6.18sun
場所|gallery cobaco
時間|11:00~17:00
入場無料
【ギャラリートーク】ー陶の軌跡ー
要予約•参加費無料 定員15名
❶6/9金14:00〜15:30
❷6/11日14:00〜15:30
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
【プロフィール】
1957年 福岡県生まれ
1979年 佐賀大学教育学部特設美術科卒業
1980-1986年 佐賀県窯業試験場 技師
1986-2017年 上越教育大学 教員
1992年 文部省在外研究員Bristol Polytechnic(英国)
【個展】
赤坂・乾ギャラリー(1988.1990.1993)/渋谷・西武百貨店工芸画廊(1991)/英国・MERIDIAN Art & Craft Gallery(1992)/ギャラリーいそがや(1994)/ギャラリーTAO(1994.1996)/目黒陶芸館(1998. 2005)/Silver Shell(2006,2008, 2012) 他
【公募展】
フレッチャーチャレンジ国際陶芸展(ニュージーランド)(1997.1998)/ファエンツァ国際陶芸展2点(イタリア)(1999)/ニヨン国際磁器展(スイス)(2001)/マニセス国際陶芸展(スペイン)(2011.2013.2015)/カップフェンベルグ国際陶芸展(オーストリア)(2013) 他
【その他】
クレイワークグループEMON(1982~1988)/「現代工芸への視点 装飾の力」展(東京国立近代美術館工芸館)(2009-2010)/髙石次郎作品館「閑人館」開館(富山県氷見市)(2013)
【軌跡そして今】
若い頃は皆が認める「いい作品」が在って、それを目指して頑張ることが正解だと信じていました。しかし、その「いい作品」と、自分が素直に表現した作品の間には一致しがたい溝があることをずっ��感じてきました。自分の作品は曖昧で既成の範疇に収まらず、今の言葉でいえばクールではありません。そして、どういう訳か、自分の作品にはアイロニーやユーモアの臭気が漂ってきてしまいます。年齢を重ねるにつれて、自分の身体から自然に滲み出す表現を<いい作品>というしかないと思うようになってきました。つまり、―何気ないことを何気なく存在させる勇気―はここにあります。
自分は陶芸に出逢えて幸せだったと思っています。何故ならば、陶芸(工芸)が持つ特殊性が自分に多くのことを教えてくれ、そのことが継続していくからです。その特殊性は、粘土/釉薬などの‘素材’、成形/乾燥/絵付/釉薬/焼成などの‘技術’、発想から作品までの ‘行程’、これらの‘素材’‘技術’‘行程’と自分が相互に刺激しあい新しい意味/文脈を生み出しながら最終的な作品となる過程にあります。このような双方向的で複雑な陶芸のあり方が面白く自分に合っていると思っています。更に作品は人に使われたり人の手に渡ったりしながら新しい物語を身に纏っていきます。つまり、自分にとっての陶芸は、過程での様々な出来事(こと)と、それらの結果として出来た作品(もの)なのです。
また、自分が大学で美術や学校教育について実践/研究してきたことは、ここに述べた作品や陶芸と人の関係が、私たちが社会で(子どもたちが学校で)学び生きていることを考える際の手がかりとなっています。
今日、目に見えない過程(こと)の存在に目を向けることは、とても大切だと思っています。しかし、残念ながら世の中は目に見える価値(もの)に依拠し、目に見えない価値を隠蔽すると同時に先人の文化をも失う傾向にあります。
今回、30年を過ごした新潟での作品と福岡に帰ってきてからの作品を展示します。作品や建物との出逢いから、何か不思議や疑問を感じて頂き「心穏やかに生きること」の一助になれば幸いです。
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作家紹介 vol.19&20 羊帆/山崎 春美
山崎春美
YAMAZAKI Harumi
non genre
[自己紹介]
わたしたちはたぶらかされている
あるいは かすめとらわれてもいるのは自明の理だと吹聴され
誹謗され 揶揄され 中傷を受けて
たえまなしにあざむかれていくぼくら
もしくは ぬすみさらわれたりしたのも相応の報いと喧伝され
言い触らされ 囃したてられ
恫喝され 恐喝され
あまつさえ総括だに、させられ
歩いていると信じこまされていた道には
肉眼ではとうてい、たしかめ切れえない特殊な舗装が加工が細工が
あらかじめ ほどこされていて
裸足では辛く (はだしではつらい)
高価な靴を月賦で購入したのは 自らの責任で、だと。
しかし、よくよく見れば 道は外れられるし荒野にも花が。
金ぴかな沽券のために
命あたら棒にふらされることなどないよう
踏みだす歩幅をこそ、いま、見つけ、
見つめつづけなければ
きっと間にあわない
**************
このささやかな一文は、声にだして読まれることを想定して起草されたものではなかった。にも関わらず実際には、暗唱して何度も繰り返し声に出して読むことになったという、少なからず因縁ふかい「台詞」なのだ。というのも、ひとつの劇の中では一度だけ詠まれるコレが、しかし、八十分ほどの、その劇中で発せられる、ただ唯一のコトバだったからでもある。
2015年はもう5年も昔になる。昭和の最終年に「東京国際演劇祭」としてはじまり、名称を「東京国際舞台芸術フェスティバル」そして、「東京国際芸術祭」と変えて、東京都の助成による文化活動の一環として、主に池袋の東京芸術劇場に於いて、当時は毎年開催されていた【フェスティバル東京】(この年で八回目)なる一連の催し群の中のひとつに『ゾンビ・オペラ【死の舞踏】』という演目があった。音楽家、安野太郎が長年テーマとして拘ってきたゾンビ音楽なる代物を中心に据えて、美術家として普段は演出家である危口統之と、ドラマトゥルクとして渡邊未帆が参画していた。企画を練り上げていくなかで、ある種のダンサーが複数人、必要だという��とになって募集が行われ、十数人の若者たちが集められた時にぼくもその一人で加わった。いうまでもなくぼくは若者ではなかった(当時57歳)し、そもそもダンサーでもないが、実のところ事態はそんな次元にはなかった。いや、それどころか、この度のCORONA日食騒ぎに乗じて、ほんの僅かばかり、なけなしにあてがわれた「お給金」額は出たので、ふだん無給か支出のみのアングラ役者まで引きずり込んだりもした。要は、代表である安野太郎が、とにかくプログラミングに依る作曲と、そのオペレートの結構に殆ど掛かりっきりだったため、前述の二人に加え、表現営為の経験者は多ければ多いほど有難く、早い話が、一般のお客さんにお金を払って観て貰える興行レベルにまで辿り着くには、通りいっぺん、それなりに踊れるダンサーなんざお呼びじゃなかったのである。ただし和を乱すだのして負荷を呼び込んだら、己の才覚や能で補って余りあまらせるのは最底辺の掟だ。
かくなるや、そのおおかたが個人であろう美術家の皆々様ならお察しがつこう。いったい、こんな国で、こんな政府で、この国民で、集団の各々が創造力を発揮して舞台をつくってく、といえば、綺麗事としては聞こえはよろしかろうぶんだけ、庭園の巨岩を持ち上げた裏の地面さながら想像に如くはない。血まみれで傷だらけの惨事と、ぎりぎり崖っぷちでの危うき奇跡とは紙一重であるが、そこまで行けたら万々歳、誰だって失笑と軽蔑の眼差しのなかで、お座なりな拍手を受けるために稽古に励みたくなんかないだろう。
長々と引っ張っておいて、なんなんだとお叱りを受けるかどうか、この舞台について言えることは、あと少しだけである。つまりオペラといっても「うたう」のはこの演目ではあたりまえに機械であって、この劇の最終局面で高らかに咆吼し/囀る歌い手たるゾンビ・クイーンにしたところで、むろんグロテスクに巨大で、華美に装飾されたサイボーグ(安野太郎とカレのロボットとの合体)なのだから、そこまでに至る必然性(なんて、あるわけないだろ!)乃至は方程式を無言劇で証明(おい、誰か病院に電話しろ!)する、というのが「過程」に「実在」(A・N・ホワイトヘッド)を見出さなければならない我々に課せられた宿題であり宿命でさえあった。ある種、実験的な催しとして当初から、すべては無言で行われる予定だったのは、コトバの持つ「意味」が齎す印象の���度を払い除け、拭い去るだけの、たぶん自信がなかったのだ。にしても、いったい荒唐無稽な虚構にのみ頼るほか、開演ブザーを堂々と鳴らせないでいるとき、そこに最低限度のレアリテを、言葉抜きで、どうして担保などできよう。ただ一つ付け加えておけば、それは無数に近い分量の地球史、生物史等を歴史文脈の事項として西暦年号の表記とともに、ボルツマンの自殺やエントロピー理論を解き砕いた表現と混ぜて(いま流行りのシールドを超大にしたような)透明幕に字幕で羅列する場面は、短いが、あるにはあったんだった。それにしても、こうして思い返してみて、たったの五年前だというのに、COVIDー19以前からもう、FAKEや陰謀論や歴史修正主義は、ただのデマを囮に、誰しもが直ぐ気付く嘘っぱちを影武者に、外れ馬券を文字通り当て馬にしながら、ぼくらの規範や常識は、ひっきりなしに、しかも圧倒的に揺さぶられ続けてきたんだし、そのおかげ霊験あらたかなのか、もし現在同じことを望まれたとしたらきっと、さすがのぼくとて一笑に付して退けるだろう。
かくして、やっとこさ本題に入れる。スタッフたちとは重なって、前年にもっと大々的に催された「春の祭典」に出場していたから幾足りかの顔は見知っていた。彼女らは、新たに加わった踊り手たちのニュースを知らせるために(演芸の観客には、見逃せない要素として、親戚親兄弟知友及びファンが見に来ることが含まれる)【今公演に寄せる意気込み】と題した一文を五百だったか一定文字数内でナン日までに、と告げてきた。一夜で書けたのは、その字数制限(WEBに載せるのに何故?)内で書ける「熱い想い」かよ、と翻って意固地にでもなったのだろう。それを、「演出はしない」と広言していた危口統之が読んで「感動した」とかで、そこだけ、ぼくに発語させることにしたのだ。喜ぶべき抜擢と嬉しがるには、まだまだ小生意気だったぼくも、何十ぺんかの稽古では終始「はやい!まだまだ、ぜんぜん早い! もっともっとゆっくり!」「間が空き過ぎて聴衆が、アレ?と思うくらいでかまわないから」ばかりの連続だったけれど。
いずれにせよ、以上がこの一文が出来した経緯というか由縁である。
いったいぜんたい、どういう真��でこのシーンを設けたのかについては、ちゃんと話したいと考えていたが、11月15日まで催されたこの公演の終了後すぐに「SHINDACO~死んだ子の齢だけは数えておかねばならない」という大里俊晴七回忌にあわせた、故・遠藤みちろうも参加した大きめのイベントを開いたし、危口統之もまた別に、特に関西方面で多く仕事をしていて、話す機会もなく、そうこうするうち翌々年になってぼくは、レパートリーが4曲しかなく、どんなに頑張っても30分のステージをこなすには同じ曲を4回も5回もやらなければ持たないバンド「ガセネタ」を復活させてしかも「ガセネタのみ(他なし)」という(それで客が納得するのか?)心配なギグを、なんとか成功させた直後だった。忘れもしない、歌舞伎町の鰻屋の二階で打ち合わせている最中に連絡が来た。訃報だった。危口統之が死んだ、と。享年四十二歳。
[在廊予定]
20日・26日は不在。23日・24日・25日は確実に在廊。
残り2日間は逐次SNS@gasenetacoでわかり次第。随時
羊帆
Hitsujiho
音楽作品
出品作:
「喪われた賛歌」第1巻、第2巻
Les hymnes perdus Ⅰ、Ⅱ
金属、紙(2019-2020)
[自己紹介]
(「自己紹介」ではなく、「作品紹介」とします。)
「喪われた賛歌 Les hymnes perdus」は、様々な事情でもう歌われなくなった国歌、賛歌のメロディーを採譜し、穴あけパンチで開けて、幽(かそけ)きオルゴールの調べにする壮大なプロジェクトです。
[在廊予定]
7.20(月)○
7.21(火)×
7.22(水)×
7.23(木・祝日)
*16:00よりエンディング・パーティ○
7.24(金・祝日)×
7.25(土)×
7.26(日)×
*17時閉場
(予定は変更されることがあります。作家本人に確認してください)
[オリンピック終息宣言]展
2020年7月20日(月)~7月26日(日)会期中無休
12時~19時(最終日のみ17時まで)
23日(木) 16:00〜
オリンピックの終息を祝う
[エンディング・パーティー]
トキ・アートスペース
TOKI Art Space(外苑前駅・徒歩5分)
渋谷区神宮前3-42-5サイオンビル1F
http://tokiart.life.coocan.jp
mapはこちら
http://tokiart.life.coocan.jp/map.html
We Declare the End of the Olympic games,NOW!
Art Exhibition “Declaration of the end of Olympic games”
2020.7.20.mon-7.26.sun
12:00-19:00(26th 17:00 close)
7.23.thu.holiday 16:00~Ending Party
TOKI Art Space (Gaienmae)
3-42-5 Jingu-mae Shibuyaku,Tokyo
http://tokiart.life.coocan.jp
access
http://tokiart.life.coocan.jp/map.html
https://www.instagram.com/end_of_olympics
https://twitter.com/end_of_olympics
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3/20(祝)たんぽぽの国~memories~ @FIGYA
2020年もそろそろ折り返し地点ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?新型コロナウイルスの感染が日本国内で本格化したのが2月。3月には全世界に飛び火してパンデミック(世界的大流行)になってしまい、アジア以上に欧米・南米諸国の被害は甚大で、その結果東京オリンピックの開催延期も決定してしまい、4月には日本国内で緊急事態宣言が出され、多くの美術館、アートスペースも閉鎖を余儀なくされました。
そんな状況ですから当然とはいえ、このはなのカルチャーシーンも動きを止めざるを得なくなりました。定期的に開催されていたMIIT Houseでのダンスと即興音楽のライブminiaturesも、3月のライブを見送りました。
その一方、講談・落語のスペース此花千鳥亭では、YouTubeによるテレワーク寄席とZOOM寄席というオンライン企画を仕掛け、ネットを通じての寄席空間の共有をはかる試みを継続中です。また梅香のギャラリーthe three konohanaは肥後橋のYoshimi Artsと共同でオンラインギャラリーとトークイベントを開催。多くの企業が導入に踏み切ったテレワークのしくみを巧みに取り入れ、外出できない状況でのコミュニケーションの形を探り続けています。
そんな状況の真っ只中、昨年より梅香のスペースFIGYAにて軽演劇・パフォーマンスのライブを定期的に開催してきたコントのメンバー持木永大さんが、3月20日の春分の日、軽演劇『たんぽぽの国』をソロで開催しました。
※ここでお断りしておきますが、時期が時期だけに大々的には広報されず、内々で開催されたイベントです。
まず「コント」というユニットについて軽くおさらい!
コントのメンバーは持木永大さんと姫田麻衣さん。メディアアートとパフォーマンス、即興音楽、あるいは漫才的なやり取り―といった諸要素が複雑に絡み合ったスタイルの「軽演劇」を行います。しかも自らを「パンクバンド」と称しています。
なぜコントとはパンクバンドなのか?―英語の”punk”を辞書で引いてみると、「不良」「青二才」「チンピラ」「役たたず」という意味があります。コントの二人はこの言葉の意味のどれをパンクという言葉に込めているのでしょう?この辺からして全く謎であるがゆゑに、一度接すると何度も近づきたくなる。それが私にとってのコントなのです。
19:00 開演
靴を脱いでFIGYAの2階へ。開始時間の19時ちょうどに持木氏が現れます。先ほどまでのカジュアルな出立ちから一変、腰のゴム紐が緩んで外れそうなパジャマと、くたびれたグレーのパーカーで現れました。実にだらしない恰好です。そしてセットの真ん中あたりに寝転んで、突然その場で絶叫!ボアダムスのEYEさんを彷彿とする突拍子もなさにしばし言葉を失います。
戸惑って当たり前の状況が始まると、観客側の背面に置かれたスピーカーから、持木氏の朗読が間髪入れずに流れ出します。中学生の頃に不登校を経験したという持木氏自身の体験談です。その音声に重ね合わさるように、持木氏が別の台詞を発します。過去の持木氏と今・ここにいる持木氏が、舞台の上で対峙します。時に重なり、時に反撥しあい、肉声と録音の声が常に重ね合わさった状態へと移行します。
ちなみに舞台中央に置かれた大きな枠組みのようなものは、当時持木氏が自分の部屋で隠っていたロフトベッド(下が勉強机や収納で上がベッドになっている)を模したオブジェです。そしてそのロフトベッド���周囲にはいくつもの立て看板が置かれています。
「なかよし」「友達」「ありがとう」など、小学校の教室なんかではよくこんな言葉が掲示されていたものです。これは憶測なんですが、当時の持木氏にとって、これらのいかにも学校的なこの言葉が、抑圧的に響いていたのではないでしょうか。自分もこの辺の言葉の選び方には、昔のことを思い出して何となく共感してしまったものです。
続いて持木氏は、床に置かれたmicroKORGやカオシレーターなどの電子楽器を弄ってみたり、脚立に上ってエレキギターと一体化した白装束を着て爪弾いたりと、セットのあらゆる場所、あらゆる隙間に身を埋ずめながら自由奔放に動き回ります。
しかし終わりは突然にやってきます。開始から30分後、持木氏が動きを止めました。そこで『たんぽぽの国』は終わりを告げます、実にあっけなく。しかしながらもう30分も経っていたのかという驚きとともに、私たちは元の世界に引き戻されました。
19:30〜 アフターアワーと考察
パフォーマンスを終えてFIGYA1階ロビーの辺りで、適度に距離を置いて(ソーシャルディスタンスとも言いますが)座り、しばらく雑談の時間となりました。この時壁面には持木氏の大学の卒制で制作した映像作品が流れていました。何と不登校の末に卒業した中学校にロフトベッドを持っていき、校舎の一角に配置するという映像でした。英語の”punk”という語には「役立たず」という意味がありますが、この行動こそまさにパンク!そしてこの行動こそがまさに今回のパフォーマンスの発生源だった訳です。
ちなみに持木氏がこの学校にまさに不登校になった理由は、一切語られません。しかしその理由を教師やクラスメート等に理解させようとしてルサンチマンをこじらせるというステレオタイプなことは、しないのです。
むしろ自分が行かなかった学校に、自身の不登校のシンボルであるところのロフトベッドを持っていくというある種のハッキング的な行動によって、不登校を受け身と停滞ではなく、自発的で快活な意思の現れとして価値転換を行うことを、持木氏はやってのけていたのではないでしょうか?
ですが未だに完全に把握しきれてないことだらけのままです。劇中に登場したみどりちゃんとは何者なのか?題名のたんぽぽとは何を意味するのか?―などなど、数多くの謎と余韻を残して燃え尽きた濃密な30分。その続きをコロナ禍第一波が明けた(?)これからの時期に再び見てみたいものですが、それはまた別の機会に。それでは皆さま、次回があればまた次回!
※掲載した写真の順番は、時系列ではありません。
*このブログは『地域活動支援センター 働楽』が運営しています。
http://www.konohana-douraku.com/
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LASTRESNEGRAS
実験的なアートスペース // EXPERIMENTAL ART SPACE
#photography#lastresnegras#photography exhibition#experimental art space#opening exhibition#photo exhibition#levante#journal#periodico#reseña
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ライナーノーツ :「ハンプリ」作曲:朴実(パク・シル)
「ハンプリ」 作曲:朴実(パク・シル)
「ハンプリ」のハンは、漢字表記で「恨」だが日本語の恨みや怨みと異なり、社会的な抑圧からくる諦念や悲哀の情を内に含む朝鮮語である。*cf
プリは(そうした苦悩を)解放すること、という名詞。
この曲は、作曲家の朴実が自身の母親の半生を描いたものである。
楽曲は、朝鮮半島の伝統的な打楽器チャンゴ、チン、プク、および西洋のピアノ、フルート、ソプラノで編成されている。
構成は次の三楽章である。
第1楽章
アンダンテ。第1 楽章は、チンとピアノ、フルート、ソプラノの静かな響きが母親の生まれ故郷である全羅北道の農村風景へと私たちを導いてゆく。「農夫歌」の朗らかで陽気なリズムがチャンゴによって刻まれ出すと、農村の生活や風俗を彷彿とする民謡風のメロディーが奏で��れる。
第2楽章
タスリムのチャンダン(リズム)。
第2楽章は、日本の植民地支配による略奪を思わせるような、激しいチャンゴのソロで始まる。ソプラノと他の楽器らからなる不協和が、帝国による侵略で様変わりした村の風景を呼び起こす。
韓国民謡「ハンオベニョン(恨五百年)」独唱。(許嫁に先立たれ途方に暮れているけれど、恨は所詮五百年。五百年したら消えるでしょう。チョー・ヨンピルの歌唱が特に有名。)
夫を追って日本の東九条の地にやってきた母。戦後、夫は亡くなり、女手一つで子どもを育てる。言葉の問題、男尊女卑、想像に難くない多くの苦労と困難に「アイゴー(なんの無念か)」と慟哭する母の姿。
元従軍慰安婦のおばあさんたちの体験と差別、いつまでたっても解決しない現状への怒り、そして色々な人のどうすることもできない運命が綯い交ぜとなった声なき声。
一つの主題が何度も繰り返され、クライマクスへと向かう。
最後に、ソプラノとフルートの息の合った「アイゴー」の嘆息が、暗闇に残った蝋燭の炎のようにふっと浮き上がる。
第3楽章
最終章は先のチャンダンに主題のメロディーが重ねられ、その繰り返しのなかに無情を孕みながらも生のエネルギーが充ち満ちてゆく。
途中、ピアノとフルートのソロがそれぞれ挟み込まれる。それらは悲しみぬいた心を解きほぐす、春の風や鳥のさえずりのようでもある。
最終節、再び主題のメロディーが反復されまた転調され、徐々に昇華してゆく。叩き付けられるピアノ。運命の混沌。
昔語りのように、ピアノとフルートが音色を穏やかに奏で、終曲。
(文責:古川友紀)
◎上演について
本作は朴実氏が2018年1月に作曲し、同年3月に初演されたものだ(初演はピアノ朴実氏、ダンスきたまり氏によるバー���ョン)。
このライナーノーツは、2020年3月19日、京都にある多角的アートスペースUrBANGUILDでの上演に際して、出演・演出の古川が寄せた文章である。当日パンフとして観客へ配布している。
"FOuR DANCERS vol.162"(主催:UrBANGUILD)
本作の稽古期間は、世界で感染者が増えつづける新型コロナウィルスの波が、ひたひたと私たちのそばに近づいてきた日々でもあった。上演するか否か、出演者間で度々話し合った。異なる立場や考えの集積体であるこの社会で、感染拡大を防止することと、表現の場を守ることをどう捉えるか。2020年3月、その時点の自分たちとその周囲の状況を鑑み、私たちは本作を上演することにした。その後、4月に入りUrBANGUILDで行われる全てのイベントが中止となった。
UrBANGUILDは、ダンス・演劇・音楽・映像・ビジュアルアートなどの多様なアーティストの表現の場であり、かつ、出会いと対話を促すプラットホームでもある。(そこで味わえる美味しい料理やお酒も、その集いの熱をさらに高めてくれる!)ここは、いわゆる「劇場」よりもパフォーマーと観客との距離が近いため、関西のみならず世界中で活躍するアーティストのパフォーマンスを目の前で見ることができる。パフォーマーの方も、その場の状況に反応して即興をしたり、新たな投げ掛けとして実験的な表現を試みたりもできる。パフォーマンスがパフォーマンス足り得るための「息吹」をすぐそばで感じれる場所だ(つまりパフォーマーにとっては怖さと裏腹なのだけれど)。日本のパフォーミングアーツの要所の一つである。
コロナ禍によって、あまねく人や場所が影響を受け、これまであったものの存続が危うくなっている。アート施設のみならず本屋や飲食店や雑貨屋や宿泊施設etc...そうした創造的な場というのは、手放しで成り立っているわけではない。人が人を呼ぶささやかな仕懸けが、日々積み重ねられているから存在している。こうした場所が絶やされないことを切に願う。
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この上演の映像は、KeepUrBANGUILD PROJECTにて販売しています。
売り上げは全額UrBANGUILDヘ寄付します。
Keep UrBANGUILD PROJECTについて
「ハンプリ / 한풀이」映像
*UrBANGUILDでは、現在飲食のテイクアウトを中心に営業中。さらに��リジナルマスクやスタッフの作品販売も。
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全電代-ZEN DEN DAI- 最終回
『全電代-ZEN DEN DAI- 最終回』
2020/8/30(SUN) Open/START:18:30 @spazio rita 名古屋市中区栄5丁目26-39 GS栄ビル B-1F
http://spazio-rita.com/
Charge2.500yen(with 1Drink)
Live Act:
Mojo Beatnik
Fe26
ZIGUEZOY
nabateä
ishikawa tomohiro
HAMMER
Live Projection:
kirii
様々なエレクトロニクス・ミュージックを 産み出す音楽人による ���イブパフォーマンスイベント、全電代。 2013年3月のイベント誕生から現在に至るまで 様々なアーティストによるパフォーマンスが 繰り広げられてきた当イベントも今回にて最終回。 その最終回に相応しいゲストに 徹底したビンテージ機材にこだわった Minimal Synth、Cold Waveサウンドに Voodoo、シャーマニズムなど呪術的な エッセンスを用いて独自の世界観を 展開する福岡のMojo Beatnikが登場。 ローカルキャストもRitual Noise~Dark Ambient、 Synth Punk、Techno、Electronica、Droneと 全電代なら��はの様々な音楽性が入り混じった 顔ぶれが勢揃い。 そして全電代誕生の地であるアートスペース spazio ritaを全電代唯一のレギュラーである VJのkiriiがLive Projectionとして映像演出にて 全国電子音楽家代表大会の最後を飾る。
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新型コロナウイルス感染拡大防止の対策について
・当日の来客定員数を20-25人とさせて頂きます。 定員数を超える場合入場制限をさせて頂きます。 ・入場の際はマスク着用をお願い致します。 会場内においてもドリンク摂取時以外は ならべく着用して頂くようお願い致します。 ・入場の際にはキャッシャーにて両手の アルコール殺菌消毒をして頂くようお願い致します。 ・演者のパフォーマンス時には演者から2m以上の 距離をとって頂くようお願い致します。 ・イベントオープン時、各ライブの転換時には 10分程の換気をさせて頂きます。
以上お手数ではありますがご協力お願い致します。
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Mojo Beatnik
福岡を中心にいくつかのバンドで活動していたが、 2016年10月より Mojo Beatnik としてソロ活動をスタート。 Mutant Waveと銘打って、Minimal Synth,Cold Wave サウンドに 50s〜60sのPrimitive, Obscureな R’n’Rサウンドを交配させることに成功し、 ビンテージシンセやシーケンサーを使用して 唯一無二のサウンドを生み出す。 Voodoo、シャーマニズムなど呪術的なエッセンスを用いて、 形を変えて連綿と続く音楽の系譜を教義と捉えて 布教活動を行なっている。 また、ジャン・コクトーや安部公房のように 様々な分野で感性を形作ることに影響を受けており、 音楽で世界観を体現し、 詩や短編など文学でその世界の輪郭を作り出し、 映像作品に投影して更には必要な効果音やオブジェなども自作し、 一貫した芸術表現を自らの手で生み出すことを目標にしている。 自称KORGerと名乗り、KR-55, Mono/Poly, MS-20miniやSQ-1、 エフェクターもKORGの古い機種などを使用するKORG愛好家。 2017年に自主制作でカセットテープ<Frozen Age>をリリース。 2018年にTHINK-AND-GROWよりEP<Traditionalist>をリリースし 初のヨーロッパツアーを敢行。 2019年にはTHINK-AND-GROWより7'<Hopeless,Sadness>をリリースし、 スペインでツアーを行い成功を収めた。 2020年2月に同ツアーの短編紀行文<浮雲>を出版。
Fe26
2002年より名古屋を拠点にマイノリティな活動を継続。 ダークリチュアル・インダストリアルノイズを核に 陰鬱且つ霊幻なトラックを制作。
"闇より暗き闇、黒より黒き黒、永遠と流れ出す陰鬱のソナタ、 重厚な金属が軋み合い、悲鳴を上げる。 約1年の沈黙を経て、再び儀式が始まる…"
ZIGUEZOY
2018年に始動したZono Pansyによる synth punkソロプロジェクト「ZIGUEZOY」。 跳ね回る電子音と駄々をこねる子供のようなボーカル。 音楽制作・アーティストとしての セルフプロデュースにおいては BRANES,Gazelle Twin等から強く影響を受ける。 音楽とファッションのリンクを強く意識しており、 その個性的なメイクアップやファッションが 注目を集めている。
また1980年代にオープンした 日本初のゴシックパンク系クラブ「CLUB WALPURGIS」、 東海地区随一のインダストリアル&ノイズサウンドに 特化したイベント「faktoria」のレジデントDJを務め 世界最大のゴシックフェスティバル 「Wave Gotik Treffen」や 同時開催される「Gothic Pogo Festival」にも DJ出演するなど、 名古屋に拠点を置きながら国内外の様々なゴシック、 アンダーグラウンドシーンで活躍中。
今年6月には待望のデビュー作”cherish your teeth”を
faktoriaからCD/digitalにてリリース。
https://faktoria.bandcamp.com/album/cherish-your-teeth
nabateä (ナバテア)
愛知県在住のトラックメイカー。 2013年7月より製作を開始。 アンビエント、エレクトロニカ、テクノ、 ポストロックなどを取り入れた実験的かつ エモーショナルなサウンドが特徴的。 TANUKINEIRI RECORDSより 「PIRIREISS」「QUALIA」「Restraint / Release」 3枚のEPをリリース。東海だけでなく 関東、関西でのライブ活動や コンピレーション作品への参加等も精力的に行なっている。
ishikawa tomohiro
2014年、静岡県浜松市にて エレクトロユニットi.fu.e.c.(イフイーシー)の プログラミング、シンセ担当として活動開始。 2016年、浜松を拠点に静岡、大阪他でソロ活動開始。 直感的かつ適当なテクノメーカー。 2018年 ソロファーストEP 1/ を全国リリース
Soundcloud:
https://soundcloud.com/tomohiro-ishikawa-1
Twitter: @toishika164
HAMMER
2015年より音楽活動開始。 2017年よりイベント「feel echo filed」を始めこれまでに六回開催している。 ambient.dark ambientを中心にTechno,electronicaを作曲している。
https://hammer0419.bandcamp.com/
kirii
名古屋のクラブやカフェ、 ライブハウスを中心にVJ活動を展開。 ジャンルは主にハウス、エレクトロ、テクノ、 ロック、エレクトロニカ、アンビエント等、 音と空間に合わせた映像演出に高い評価を得ている。
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2020.02.01 ASP / P(art)Y LAB from Yogyakarta の(ゆ)
インドネシアのジョグジャカルタから3名のゲストを招いています。2月1日の夜はバサラハウスにて、パフォーマンスやフード提供などを行います。ASPのダイニングのように、訪れるさまざまなおしゃべりする時間になりそうです。 お昼(12:00-15:00)は、おそろしい的中率だというタロット占いも行います。 なぜこのチームを呼んだのか、下に書いてます。 We (yu), artist in residence space and planning team, have invited 3 artists from Yogyakarta, Indonesia. We will have the event at night on 1st Feb., including their performance and special fusion foods at Basara House. In daytime, tarot reading session will be held at same place. (つづく↓)
日時:2月1日(土)19:00~21:30ごろ 会場:バサラハウス 料金:入場無料、飲食代別途 言語:日本語、インドネシア語、中国語、マレー語、英語? ゲスト:横内賢太郎/ASP(Artist Support Project)、フォレスト&デイドラ / P(art)Y LAB タイムテーブル(流動的) 19:00~食事提供 19:30ごろ~ ミニトーク 20:00ごろ~ パフォーマンス(10分くらい?) Date &Time: Saturday, 1st February, 19.00pm-21.30pm Venue: BASARA HOUSE Admission free, food and drink on cash Languages: Japanese, Indonesian, Chinese, Malaysian, English? Guests: Kentaro Yokouchi from ASP(Artist Support Project), Forrest & Deidra from P(art)Y LAB 横内賢太郎さんはアーティスト(おもに絵画)です。普段インドネシアのジョグジャカルタに住み、ASPというアートスペースを運営されています。P(art)Y LABの二人は、ジョグジャカルタの美大に通っている際にASPによく出入りするようになったそう。フォレストはマレーシア出身で母語は中国語(マンダリン)、デイドラはジョグジャカルタ出身で現役の美大生。二人とも絵画専攻らしい?ですが、その他の人々も巻き込んでパフォーマンスユニットとしても活動しています。 ASPは外から来る人を泊めてあげたり、まちや人とつないだり、イベントをやったり、アーティスト・イン・レジデンス(AIR)(=アーティストなどがどこかに滞在して制作やリサーチなどを行うこと)の機能を持っています。日本のAIRは美術機関や行政がやっていることが多いのですが、個人でやっているわけです。 ASPを訪ねたことは、(ゆ)立ち上げのきっかけでもあります。積もる話はのちほど、という感じで、まずはぜひぜひお越しください。
ASPについて: https://aspparangtritis.weebly.com/ ASP:Artist Support Project はジョグジャカルタにある非営利の美術制作活動・国際交流活動を目的とした場所です。 展覧会やプレゼンテーションそして公開制作などのワークショップをとおして、この場所に関わる人それぞれが持っている知識や技術を共有していくプロジェクトです。ASPの主宰は日本人です。日本の文化(主に芸術、言語)の紹介と、インドネシアの人と文化の交流へと繫げていくことが活動の特徴になります。またインドネシアと日本との関係性だけが主な焦点ではなく、東南アジアに位置するこのジョグジャカルタでの状況や出来事を受け止めて、ここから私たち自身の生活や活動を豊かにしていく事が主な目的です。(ウェブサイトより) 主宰の横内賢太郎は、愛知県美術館での展示参加のため来日しています。 https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000239.html P(art)Y LAB https://hellopartylab.wordpress.com https://www.instagram.com/hellopartylab/ さまざまなバックグラウンドのクリエイティブな人が集まり、アートの旅を探求する場所。アートは、言語の違いにもかかわらず、これらの創造的な人々をつなぐための美しい言語として機能します。日常に触発された馬鹿げたアイデアを交換することに情熱を傾けます。これらのアイデアは、後にさまざま なメディアを使った実験を通じてさらに探求され、最終的な形で皆さんと共有します。彼らは道を行く全ての批評を心から受け入れます。P(art)Y へようこそ、楽しい時間をお過ごしください。:)2017 ���デオアートコンペティション・ファイナリスト「Unity in Diversity」Art Jakarta2017、ジャカルタ、インドネシア ■グループ展 2019「Collective Storytelling -Contemporary Art from Yogyakarta, Indonesia-」Synesthesia、ブルックリン、ニューヨーク / 2018「APIK#2」カタムシギャ ラリー、インドネシア国立芸術大学、ジョグジャカルタ、インドネシア / 2017「Work (0) n Progress」ASP、ジョグジャカルタ、インドネシア / 「Seeds of Memory -Japanese Artists in Yogyakarta」(今村哲とのコラボレーション)Langgeng Art Foundation、ジョグジャカルタ、インドネシア
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【事業報告会をします!】
芸術準備室ハイセンはセゾン文化財団さんから3年間の助成を受けていました。この度、その活動報告会をすることになりました!
ハイセンの成り立ちから様々なエピソードを話したり、ゲストとトークで創作支援や課題についてワイワイできればと思います。
ぜひご来場&ご視聴ください!
創造環境イノベーション助成事業報告会 6/17(土)
「多目的なアーティスト・プラットフォームの実現に向けて」
セゾン文化財団の助成プログラム「創造環境イノベーション」は、現代演劇・舞踊界の現在の問題点を明らかにし、解決を目指す事業を対象に支援しています。この度、2020-22年度の3年間の助成期間を終了した神谷俊貴による事業「誰でも使える本格的な稽古場・作業場を整備する」の報告会およびディスカッションを実施いたします。
2022年5月、滋賀県大津市に本格オープンした芸術準備室ハイセンは、組合員やサポーターによって運営される元・保養所を再活用したレンタルスタジオ・アトリエ、アーティストインレジデンス、相談所などの機能を兼ね備えたアーティスト・プラットフォーム施設です。誰でも気軽に使える本格的な稽古場・作業場を目指し、美術・音楽・舞台芸術・文芸・調査研究などジャンルフリーに様々な創作活動を応援します。都市部から離れ琵琶湖や山々など自然に囲まれた静かな環境のため、情報を遮断し集中しやすいのも特長です。
https://haisen8100.tumblr.com/
第1部では特長である組合員やサポーター制度についても紹介し、第2部ではゲストスピーカーとともに創作環境やアーティスト支援の方法について考えます。
日時:2023年6月17日 (土): 14:00-16:00
会場:芸術準備室ハイセン(滋賀県大津市木戸1696-2)
料金:無料(事前申込要)You Tubeライブ配信あり
https://www.youtube.com/watch?v=0bhwWrXzWTM
第1部〈「誰でも使える本格的な稽古場・作業場を整備する」報告〉
創造環境イノベーションプログラムについての紹介:岡本純子
スピーカー:神谷俊貴
第2部〈ディスカッション「アーティスト・プラットフォームとは? 創作環境やアーティスト支援の方法について」〉
スピーカー:谷 竜一、和田ながら、神谷俊貴、岡本純子
登壇者プロフィール
岡本純子 (セゾン文化財団 プログラム・オフィサー)
美術大学卒業後にコマーシャルギャラリーに就職。
非営利団体での芸術に関わる仕事、若いアーティストとの関わりを求め、セゾン文化財団に転職。プログラム・オフィサーとして、アーティスト支援や、舞台芸術の環境改善事業支援に携わってきている。「横浜市創造界隈形成推進委員会」委員。
神谷俊貴(芸術準備室ハイセン)
2010年より京都精華大学演劇部劇的集団忘却曲線やすごい劇団、龍渓下連合に所属しながら京都市内の小劇場活動に参加、2014年よりSPAC-静岡県舞台芸術センター創作・技術部に所属し大道具製作や演出部・舞台監督を経験、国内外のクリエーションに関わる。2018年よりフリーランスとなり、引き続きSPACに期間契約の他、城崎国際アートセンターへのインターン、愛知県芸術劇場の主催事業、鳥の劇場「鳥の演劇祭」の設営など全国各地へ赴く。小劇場界隈にも豊かな創作環境を実現させたく2019年より滋賀県大津市に「芸術準備室ハイセン」を発起する。
谷 竜一(京都芸術センタープログラムディレクター、京都芸術大学非常勤講師)
山口大学教育学部総合文化教育課程文芸・芸能コース卒、東京芸術大学音楽研究科音楽文化学専攻芸術環境創造研究分野(修士)修了。京都芸術センターアートコーディネーター、京都府地域アートマネージャー(山城地域担当)を経て、2021年より現職。演劇・ダンスを中心に、現代美術、伝統芸能等多岐にわたる事業企画・運営に携わるほか、2022年度からアーティスト・イン・レジデンス事業の統括も担当。
また、詩人・演劇作家としても活動。2022年度より(公財)京都府長岡京市記念文化事業団企画委員。2023年度より京都芸術大学非常勤講師。バンド「swimm」のメンバーでもある。
和田ながら(演出家、したため主宰)
京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科卒業、同大学大学院修士課程修了。2011年に自身のユニット「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。美術、写真、音楽、建築など異なる領域のアーティストとも共同作業を行う。2018年より、京都木屋町三条の多角的アートスペース・UrBANGUILDのブッキングスタッフ。2020年度から22年度まで鳥公園アソシエイトアーティスト。NPO法人京都舞台芸術協会理事長。
会場参加申し込み :メール([email protected])まで名前、連絡先、人数を明記してご連絡ください
※最寄り駅のJR湖西線志賀駅から会場までは急な坂道がありますので歩きやすい格好でお越しください
主催:公益財団法人セゾン文化財団*、神谷俊貴
※「助成事業に係る広報活動やネットワーク構築」の一環として本報告会を実施します。
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11/23 シンポジウム 「過去の現代の未来2 キュレーションとコンサベーション その原理と倫理」
國府理「水中エンジン」再制作プロジェクトは、京都市立芸術大学 芸術資源研究センター・兵庫県立美術館との共同主催により、兵庫県立美術館にて下記のシンポジウムを開催いたします。
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シンポジウム 「過去の現代の未来2 キュレーションとコンサベーション その原理と倫理」
インディペンデント・キュレーターの遠藤水城の呼びかけにより組織された國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト実行委員会は、2014年に不慮の事故で急逝した國府理による《水中エンジン》(2012)の再制作を試み、これまでに「裏声で歌へ」(栃木・小山市立車屋美術館)、「國府理 水中エンジン redux」(京都・アートスペース虹)での展示を実現しました。この取り組みは、展示を重ねるごとに、現代美術作品の保存・修復や再制作に関連して生じる作品の正当性の根拠、保存対象とすべき物質・現象の理想と現実、再制作過程の記録の重要性とその価値付け、活動記録のアーカイヴの可能性などを問いかける実践ともなり、次第に國府理の《水中エンジン》という具体的で個別の作品の再制作の試みであるのにとどまらない、今日の美術館が取り組むべきより普遍的な課題を明らかにするものともなっています。
本シンポジウムは、國府理の《水中エンジン》ならびにその再制作プロジェクトをモデルケースとして、人類の営みを保存し未来へと伝えていく美術館の役割について問い直すものです。兵庫県立美術館は、阪神・淡路大震災からの復興のシンボルとして2002年に開館しました。当時の日本ではまだ多くはなかった保存・修復部門がおかれたことは、当館に課されたこうした使命を象徴しています。國府の作品が2011年の東日本大震災の経験を踏まえたものであることを考え合わせた時、本シンポジウムを当館で開催することの意義はいっそう重いものとなるでしょう。また、國府の母校である京都市立芸術大学の芸術資源研究センターとも協力し、現代美術の保存・修復の意義と課題を考えるシンポジウムのシリーズ「過去の現在の未来」の第2弾として開催します。第1部では、國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト実行委員会より、企画代表者、再制作担当者、記録担当者の3名が登壇します。第2部では、保存・修復の専門家や美術館学芸員、研究者が登壇し、現代美術の保存・修復をめぐる問題について、それぞれの立場や視点からディスカッションを行います。
日時:2017年11月23日(木・祝)13:30−17:00
場所:兵庫県立美術館 ミュージアムホール(1F)
参加無料(事前申込不要)
【タイムスケジュール】
13:30~13:40 開会あいさつ 石原友明(京都市立芸術大学 芸術資源研究センター 所長)
13:40~14:40 第1部「國府理《水中エンジン》とキュラトリアルな実践としての再制作」 遠藤水城(インディペンデント・キュレーター) 白石晃一(アーティスト、ファブラボ北加賀屋) 高嶋慈(京都市立芸術大学 芸術資源研究センター 研究員)
15:00~16:50 第2部「現代美術の保存修復の責務と倫理」 相澤邦彦(兵庫県立美術館 保存・修復グループ 学芸員) 加治屋健司(東京大学 大学院総合文化研究科 准教授) 田口かおり(東海大学 創造科学技術研究機構 特任講師) 中井康之(国立国際美術館 学芸課長) 司会:小林公(兵庫県立美術館 学芸員)
16:50~17:00 閉会あいさつ 飯尾由貴子(兵庫県立美術館 企画・学芸部門マネージャー)
【関連展示】
國府理の《水中エンジン》は、剥き出しにした自動車のエンジンを水槽に沈め、水中で稼働させる作品です。國府は、浸水や漏電、部品の劣化などのトラブルに見舞われるたびに、メンテナンスを施して稼働を試み続けました。
國府の死後、エンジンは廃棄され、水槽のみが遺されていた本作は、國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト実行委員会により、國府と関わりの深いアーティストやエンジン専門のエンジニアらの協力を得て、エンジン部分の再制作が行われました(2016年12月~2017年4月に再制作1台目を、6月~7月に再制作2台目を、京都造形芸術大学ULTRA FACTORYにて制作)。
本シンポジウムの関連展示では、《水中エンジン》および再制作のドキュメント資料をアトリエ1にて展示します。
日時:2017年11月21日(火)~29日(水)10:00~18:00 ※11月27日(月)は休館日
会場:兵庫県立美術館 アトリエ1(1F)
主催:京都市立芸術大学 芸術資源研究センター、國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト実行委員会、兵庫県立美術館 協力:アートスペース虹、京都造形芸術大学 ULTRA FACTORY、東山アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS) 特別協力:田中恒子 助成:アーツサポート関西、テルモ生命科学芸術財団
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ヨルイサナ 作業どんどんするよ!! まだまだここから、こころに残るような夜をつくるのだ! ��� 工房内機械場で演奏するなんて、オムトンさんもISANAスタッフも実行委員のみなさんも全員がはじめての経験。ドキドキしてよるもねむれない!! PA音響環境は、ギタリストのISANAスタッフふくちゃんが試行錯誤してくれてます。 保育士資格のあるISANAスタッフなかむらなつみも、今回イベント時の託児スペース(有料)を実現させようと、ぎりぎり真剣に企画中! ISANAもあさちゃん中心にマフィンやドリンクなどの提供も致します! 実行委員のさえちゃんは、当日の進行台本やチケット対応など一生懸命!! かたちが見えてきて、だんだん楽しくなってきた!! なんと今回、二階席もあります!! (普段はホイストクレーンが稼働している場所です、笑) フロムトーキョー インストゥルメンタルバンド「omu-tone 」オムトンさんのライブ、この機会にぜひ!! ↓ チェックチェックチェック @omutone.live.niigata ‥‥‥‥‥‥‥‥ 線路沿い、大きな木が目印の家具工房がありました。 毎日そこでは家具職人たちがステキな家具を作っているのでした。 ある秋のこと、そこへやわらかい音楽を奏でるキツツキのようなバンドがやってきます。 ‥‥‥‥‥‥‥‥ omu-tone live@isana factory 日時 2019.11.9 開場 17:30 開演 18:00 会場 isana factory 新潟市秋葉区古津1840 チケット 3000円(isana の1drink付き) 予約 問い合わせ [email protected] 申込みは上記のアドレスに名前と枚数を記入してメールを送ってください。 返信をもって予約完了となります。 isana の店舗での取り扱いはございません。 omu-tone Chang-Nong、わかめーる、TKOの3人からなる打楽器ユニット。 2003年の結成以来、マリンバの特徴的な音色を中心に、 ジャンベやドラム、コンガ、ピアノなどの様々な打楽器を使い、 軽やかで心地よい音作りを目指して活動を続けている。 そのシンプルでミニマルながらも多幸感にあふれる楽曲は コアな音楽ファンからこだわりのライフスタイルショップまで、 はたまた公園や動物園の家族連れまで、多くの人々に愛されている。 これまでにオリジナルアルバム4枚と企画盤2枚を発表。 ライヴではカフェやライブハウスはもちろん、 アートスペースや公園など、東京を拠点に気ままで幅広い活動を展開している。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ omu-tone 初の新潟開催! 当日はisana のおいしいものも出店予定! 深まる秋、 木々が溢れる工房の空間の中で やさしく楽しい打楽器の音色に包まれ 音楽の旅へ出かけよう。 https://www.instagram.com/p/B4e2POgnSVS/?igshid=1x3mc7q5l0lkd
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