#冬季は��湯が出ます
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1日遅れでコミケ105終了報告
1日遅れでコミケ105終了報告(昨日は荷物を家に置き、すぐに経営するオタクバーを開店させたので)。 1枚目:机が片付けられたビッグサイト。 2枚目:趣味で買った同人誌たち。未完道路、嘔吐百合、世界の便器、道路の歴史、変圧器など。 もう少し一般的な本は店に持っていきます。 左下は知り合いの在米若オタ君の英語同人誌、才能ダダ漏れ!
#Aviundrum#c105#Let&039;s BEnjoy#NagomuKikuchi#PAGANINI#こういうのが好きなんでしょ?#せなかあわせ(ろーりんぐげーと。)#とらんす旅行研究会#みやさかひがし#ケセラセラ#コミケ#トイレ専門誌#ナナバラメイ#ヤマリク#レッツベンジョイ#今日��大塚さん#便器同人誌#僕たちの好きな未完道路#冬季はお湯が出ます#同人誌#名古屋大学地理学研究会#嘔吐百合#四方八方#変圧器#変圧器のアレコレ#大阪大学トイレ研究会#無駄な抵抗#英語同人誌#菊地桑港#路地ログ
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*受験期の頃に書いた日記です
傷 kiss
友人たちが次々と大学に合格していく事実が今もずどんと馬鹿でかい劣等感と化して心臓の上で横たわっている、昨日も同じ夢を見た。不安な気持ちばかりが先走るけれど、かっかしていても何も変わらなかった。他人と比べて自分の優れているところを必死に探していないと自己を保てない自分がほんとうにほんとうに惨めで、マスクが無ければたぶんぼろぼろ泣いてしまっていたと思う。心の底に横たわるみずうみが氷っていくの、口元が覆われているとそれだけで自分が自分じゃない感じがして冷淡になれた。わたしは自らの足音にだけ集中して、ただ早足で行き交う人々のあいだをすり抜ける。ずーっと頭の中を同じ映像が流れるのをむりやり切り落として、でんしゃを滑らせる線路をじっとみつめる。夕陽の光が錆びたその金をうつくしく縁取る様子が痛々しいくらいにまぶしい。受かった瞬間に内職をぱたんと辞める同級生。せーので問題を皆んな一緒に解き始めるとき、隣の子が必死に解答を隠すように背中を丸めて腕を机の上に伸ばす。そういうのばかり見ているとほんとうに、ほんとうに。言葉もでなくなってしまう。なにをそんなに誰かのことを気にするの?と、母の言葉が反芻する。光がまばらに散らばる街並みをみて、光も照らすものを選ぶのかしら、とかおもった。まいにちずっと罰を受けているみたいな日々、冬が近づくにつれて正気を失ってゆく街の様子にそれはもう痛いくらい同情してしまうし、ひたつやふたつ良いことがあっても誰かのそれと比べて自ら幸福の値段をどんどんさげてしまう。ずっとそばにいてほしい。幸福に値段なんてないよ、とかそんなこと言わなくていいの、わたしだってそんなことはわかっているし、いいの。天使とか悪魔とか神さまじゃなくて、ただわたしはわたしにそばにいてほしいし、そこにすきなひとたちがいてくれたらもっとうれしい。何も着ないでぶるぶる震えるわたしのからだを愛しているひとが白いバスローブで包みこんでくれたこと、カチカチに凍ってしまったアイスクリーム。減ってゆく数字。つめたいのにあつい、霧のカーテンの向こうに浮かぶ満月。目の前を歩いている女の子が落としたカードのようなものを拾い上げて渡す。肌寒くはないよ、いっぱい着込んであるから。舌に吸い付いた生ぬるい塩っぽさを誤魔化すために、瞬きもせずその息を呑んだ。
落ちてゆく流星群
不確かなものに心を揺さぶられながらもそれを掴んで決して離そうとしない自分の必死さに、自分で傷ついている。教科書を開いて新しい知識を得るたびに、脳内にびっしりと張り巡らされた細い糸のようなものがぴん��鋭く光って、しずかに緊張する。その感覚をわたしは思い出そうとすればいつでも思い出せるし、べつに勉強が嫌いなわけじゃない。ただ、生きているなあ、と、胸に広がるあたたかさを抱きながらそっと泣いたりする夜が少なくなった。そもそも生きていながら生きているという実感が欲しい、なんてことを考えている時点で可笑しい話かもしれないけれど。
中学の頃、冬になると毎年マラソン大会が開催された。今日みたいな寒い日にふと当時の怠さを思い出したりする。校庭の砂に石灰で大きく楕円が描かれ、その周りをひたすら走るだけの超つまらないイベント。冬の、鼻先をつんとすり抜けるような寒さと冷たい風の乾いた匂い。忍ばせたカイロと、白く上がる息。
このごろのわたしはちょうどその延長線上を生きているような感じがする。毎日同じ景色の中をぐるぐるとまわり続け、いっそのこと軌道から外れてすべてを諦めてしまいたいと思うけれど、そんな勇気も出ないまま、結局は体力と時間だけをひたすら消耗しながらゴールへ向かって淡々と走ることしか出来ない。気を緩めると涙がぽろぽろ溢れてくる。生きているという事実だけでくるしい。日に日に遠のいていく同級生の背中がいつだって意図せずとも視界に入ってきて、やるせない気持ちになる。地に足付かずでいたい、なんてことを随分と昔に書いたような気がするがとうとうそんなことも言えなくなってしまった。未来のことを考えましょうと言う先生の言葉を聞くたび、わたしは勝手に銃口を突きつけられているような感覚になる。もはや自分が果たしてどこにいるかもわからない。
来月には部活の大会を控えているし、予備校の冬季講習に加えて学校の講座を受けないといけない。三者面談と進路選択。期末試験。呑み込めずに舌の裏で転がるC判定という言葉を噛み砕くのにまだ必死なのに。
やりたいことを一つに絞るということは、それ以外を切り捨てるということ。ここから気になる大学を選んでくださいと、大学の名前と学科の一覧が記載された辞書のように分厚い本が配布された。今のわたしには、その厚さの分だけ未来の選択肢がある。そこに記載されている言葉の数だけ莫大なあたらしい世界が。そこから否が応でもたったひとつのものを掬い上げないといけない、その事実が少しだけ重苦しい。けれどそれに値するほどの価値が、これから先の時代を生きるわたしにあるということが同時にちゃんと嬉しい。
疲れた、という言葉にふさわしい努力をしていないのに、毎日すこしずつ疲れている身体はまさに地平線すれすれを生きているような��合で、わたしには喜びのほんの些細な余韻に浸れるほどの余裕も��まりない。なのに、そういうときに限って世界の美しさはいやに眩しい。たくさんのことを書き残したいと思うけれど降ってくる感情をひとつずつ捉えることはそう簡単なことでないし、そのくせして必ず少しの苦しみを伴うのだ。インターネットさえなければ言葉に残せなかったことを後悔することなんて無かっただろうに、それでも縋ろうと踠きながら残すべき自分を探してしまう自分をわたしは可哀想だと思う。わかっている。
もう秋も終わってしまう。寒いね、寒い、とぽつぽつ浮かんでくる言葉を拾いながら、誰かと手のひらを重ねたい。人と比べてしまう限り、わたしはこれからもずっと孤独をひとりで噛み締めないといけないから。胸をきゅうとさせる寂しさにもそろそろ慣れてしまいそうだから、はやくすべてが終わってほしい。はやく好きなことの勉強だけに追われる生活がしたい。そういう思いでひとつずつ過ぎ去っていく毎日の、行き場のないもどかしさも冬の寒さに凍ってしまえばいいのに。ううん、ほんとうはわたしが自分のからだで寒さを耐え凌いで、自分の力だけでもって愛すべきものたちや些細な記憶を守るべきなのだ。だけど、それが出来るほど強くないだけのこと。
無題
銭湯に行きたい。受験して、でもいいところにひとつも合格しなかったら巫女のアルバイトでもしながら京都で浪人生活をしたいな、とかんがえていた。ひさしぶりにおふろで哀しい音楽を聴いた。なんでもない日に哀しい歌をきくと、より一層哀しさが加速されるというよりなんだか心が細く研ぎ澄まされていく感じで今までの日々がきゅうっと音をたてる。雑巾をさいごまで力強く捻って絞り出す汚水、長距離走の最後の2分間、なみだが出る前の喉元になにかが込み上がってくる感じ、そういうの。とてもぼろぼろなんだけど、それと同時になにか澄み渡っていくものがある。だれかのがんばりと比べると劣るかもしれないけれど、ようやく夏も終わろうとしていることに救われる。ふつうの日々が、たくさんあつまって束になる。ぺたぺた歩く、濡れた髪にドライヤーをあてると耳の中に残っていた水があったかくなってきもちわ���い。わたしは顔が良いわけでも、精一杯の力で努力できる力量もない。かといって特別な才能だって持ち合わせていないし、たまに数え切れないほどきらきらしたものを抱えている人をみると妬みと自分への劣等感で自らを押し潰れてしまう。だれかの人生で自分自身が、自分のうみだしたものが、かけがえのない財産になれるってとてもうつくしくてズルいと思う。数字がどこでもすべてにレッテルを張るから、それなりのレッテルを貰えなかったらどれだけ美しいものを持っていても誰にも見つけてもらえずにおわってしまう。わたしはそれを未だ求めてしまうほど本当は幼稚で、幼稚で可哀そう。ねえこういうのって黒歴史になっちゃうと思う?今年の夏は滝をみるはずだったけど、それすらまぼろしになっちゃった。ずーっと空白の未来の下準備を重ねているような現実から離れて、すこしはずれた小さな町で虫捕りしたり桃を買って丸噛りしたりしたかった。大学に入ったらどんなひとがわからないけれど、自分がもっているものと同じくらいのものをもっている人がいるのかなと思うとすこし楽しそうかもという気持ちになる。免許を取りたいけれど友だちにありじの運転は危なっかしそうだから乗るのこわい〜と言われた。そういうふうに笑ってくれる友だちがいるだけで、わたしはもうすでに色々な人の中で財産なのかもしれない。そうじゃなくても、かけがえのないものに出逢えるきっかけになれているかもしれないと薄ら感じてしまってまた胸がきゅうってなる。だれにもわからないことがあっても、言葉にされない何かがあっても、それを価値のないことと結びつけることは暴力じみた愚行かもしれない。自分の中にもまたいろいろな自分が内在していて、自分でも翻弄されてしまうことがあるし、文章を書いていても一貫性がなくて凛としない。英文法の参考書をぱらぱら眺めていたら、into the blue というのがあった。遠いところへ、彼方へ、という意味らしい。あーあ、しんじゃいたいね。
無題
予備校が終わって帰ろうと駅へ着いたけれど、次の電車が10分もあとにくるのでホーム内にある明るい禁煙スペースに入る。寒くなってきたので制服のブレザーを卸した。おおきな硝子に自分の閉じた長い足が映る、ひとが一人ずついなくなっていって、さいごには結局がらんどうの箱のなかでひとりただじっと電車を待つことになった。曖昧な形の◯とか△とか、がさがさ、つやつや、さらさらとか、そういうふうに不確かな輪郭だけ残してことばが次々とその形を変える。一つずつ掴んで物語を紡いで美しく完結させたいのにビー玉とか乱射する光みたいに思い浮かんだことすべてが一種の暴力を伴って脳内を猛スピードで駆け巡る。すぐそこにあるのに実態がわかんないし、むかつくむかつくむかつく、自分を飼い慣らすことでさえこんなに疲れる、もうだれとも話したくない、と消化しきれない感情がずっと身体の皮膚の内側のいちばん近いところで叫ぶこともできずにちりちりと火花を放っている。ロックとかやさしさとか愛とかそういうのぜんぶ病名みたいなものなのかもしれない、ひとつの感情にもその後ろにはそれをそれたらしめる色〜んな歴史があるし、たぶんこの不甲斐なさもいつかコピーペーストを重ねるうちにすこしずつ美化されてしまう。線路にわざと隙間があるのはとりわけ夏あたりに摩擦熱で鉄が溶けてしまわないようにするため、というのを授業できいた。がちがちに隙間のひとつも有さずに固められたものがいちばん揺るぎないもののように思えるけれど、実はちがくてそういうのが最も脆いものらしい。ともだちにしろ恋人にしろ自分の将来とか自分のアイデンティティも然り、全てに対して揺るぎなさ、安定とか、そういうのをひっきりなしに求めていたけれど、もっと流動体のような観念で受け止めたい。ずっとそこにある月でさえ欠けたり満ちたりするし、花の一つをとってでさえその形や色はすべて毎日かわってゆくけれど、それはそれらが美しくないことの理由付けにはならないし、信用に足らないことの言い訳にもならない。情報として飛び込んでくるいろいろなものを変に調律したり濃く輪郭をなぞったりするのではなくて、ぜんぶ自分のもっているものの周りに飾っていきたい
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日頃から公私ともにお世話になっているmole musicの店主、中村光貴にインタビューを試みた。メディアに露出する機会のほとんどない孤高の音楽生活者の「生活」についての一問一答、お楽しみください。
【2023年10月17日12時43分インタビュー開始】
〔土井〕 かつてタラウマラで発行していた季刊ZINE『FACE TIME』の記念すべき創刊号に素晴らしいテキストを寄稿してくれた光貴くん。そのなかで「それぞれが人生を続けるように、風景は変化し続ける。そして忘れ去られる。ユートピアは存在しない。悲しくもディープハウスは状況に対して意味を持つ」という極めて辛辣な言葉で論考に幕を下ろしていたけど、mole musicは大阪〜古市、古市〜新大宮と移転を繰り返してきた訳で、その都度、心境や生活に変化はあるの?
〔光貴〕 土井さん、こんにちは。相変わらず突然ですね。今日はよろしくお願いします。変化はあります。どちらかというと心境や生活の変化に合わせて、移動している感じですね。『FACE TIME』創刊号に提出した「無題」は2019年に自身のパーティーや物質の制作に向けて、普段は公開することのないステートメントや論考のテキスト断片と影響を受けたテキストのサンプリングをミックスして展開してます。昔から変わらないんですが、僕は動く前に書いてます。動いてから書くことは稀で。「無題」はカットアップというより自身のDJの方法に近いです。テマティック批評で編集したと思います。うまくできたかはわかりませんが。「無題」をタイトルとしたのはテマティックの逆説です。逆説の逆説かよってなるかもですが。僕の性質をよくご存じの方はまたやっとるわぁぐらいで思ってもらえれば。結果、活字の世界では違法な戯言みたいなものになりました。結果、土井さんが楽しんでくれていたので良かったと思っていますよ。
(中村光貴の「無題」は『FACE TIME vol.1』に収録)
-skit-リズムを取る二人。土井返答無し。恐らく仕事。中村は定休日、湯に入る。
〔土井〕 ごめん、ごめん、パンク修理してた!なるほど。まさに「状況に対して意味を持つ」というか「はじめに言葉ありき」という感じやね。僕は古市時代からのお付き合いで、初めて家族でmole musicに合宿させてもらったとき、何か具体的なきっかけがあった訳でもなく、早朝から光貴くんとうちの息子が突然の音楽セッションをはじめたときのことがいまも鮮烈に脳裏に焼き付いてる。そもそも建物の佇まい自体が店というか、家。いや、家というか、掘っ建て小屋。街中によくある「古民家を改造して良い感じに仕上げました」という数多の量産型とは一線を画す、マジの荒屋やん。あそこを住居兼店舗として利用するのはそれなりの覚悟が必要やと思うし、「不便」と添い寝する気概がないと成立しないよね。ガスは通ってないし、水道管に地下茎が蔓延ってどえらいことになっていたし、夏は死ぬほど暑いし、冬は寒すぎて凍え死にそうになるし、秋は猛烈な花粉の飛散でこれまた死にそうになる。僕はmole musicに宿泊するたびに死にかけてる(笑)。それでもまた行きたいと思わせてくれる魅力があそこにはあった。一転、新天地は閑静な住宅街の一角という極端な振れ幅!それこそ光貴くんに教えてもらった西井一夫の『写真編集者』という本のなかに「写真をやろうと思う人は、人から何であなたは写真を撮っているの?というか何であなたは写真家になったの?と聞かれたときに、自分が写真というものを選んだ理由を言えるようにしていなければならない」というようなことが書かれていて、ほな光貴くんがレコード屋をはじめた理由を聞き出したら何日も夜を跨ぐことになりそうやけど、簡潔に言うとどういう理由でmole musicを立ち上げたの?
〔光貴〕 今日もパンクしてますね (笑)。古市は僕にとっては「不便」じゃなかったですよ。家が無い路上のハウスDJだった時代もありますし (笑)。奈良古市は住み込みながら、友人と4カ月かけてレコード家と呼べるような場所にしました。移転前、がらんどうになった家を見ながら、良いハウスになったなぁと勝手に納得していましたね (笑)。
レコード屋をはじめた理由を簡潔にいうと、制約のある時間、あるいは一生をかけて、語るには最高の方法だからじゃないでしょうか。それを続けられるかは別として (笑) 、今もそう思っています。肩書をレコード屋とDJのハイブリッド。これは僕の造語なのですが「音楽生活者」と名乗っています。因みに最高の方法っていうのは僕にとっての最高ですね。方法なので、目的はその先にあります。目的の先���あってほしいとも思っています。続けられていることはラッキーです。
〔土井〕 「音楽生活者」という肩書きはめちゃくちゃ納得。mole musicの特異点は店舗そのものが完全自立型の語り部として機能していることやな。同じレコードを買うにしても、意味合いが変わってくるというか、そのレコードを手にした人間に、歴史的な背景や文脈を突き付けてくるというか、ほんま恐ろしい店やで(笑)。
〔光貴〕 その反応は純粋に嬉しいです。答えはなくて色んな方法で楽しんでもらえていると糧になります。僕自身が駄菓子屋からレコード屋に育てられてきた世代の人間なので。現代では何か目新しいことをしているように見えちゃうかもしれませんが、実は時代遅れの混成型。過去にあった、忘れられた当たり前の風景だと思いながら続けています。
〔土井〕 みんなええかっこして「お客さんのために」とか「文化を絶やさないために」とか言うけど、何よりも自分にとっての最善を模索し、追求し続けるのが自営業やと思う。
〔光貴〕 「お金のために?」「利権を絶やさないために?」(笑) 嗚呼、幻?気のせいです。
〔土井〕 自分にとっての最高の方策でないんやったら、店なんかやらん方がええもんね、しんどいだけやし……。
〔光貴〕 あっ、土井さん、しんどいのはお互いさまですよ。だって未だに好きなこと続けさせてもろてるから、しょうがないですよね (笑)。
〔土井〕 光貴くんがある種の目的を見据えて走り続けるmole musicを端的に表明するキーワードを挙げるとすれば何やろう?
〔光貴〕 キーワードかぁ。鍵の言葉ですよね。いつもなら反対とか逆説って言うような気がするんですが……。走っているつもりは無いのですが、うまく歩めていないかもしれません。歩むこともテーマなのですが、活動で脱落者��出てくるのは事実ですよね。ここは土井さんも思い当たる節はありそう (笑)。今日は定休日なのですが、実はさっきもお客さんが来てました。今は次の制作のミックスダウン作業をしながら返信しています。土井さんはパンク修理しながら質問を投げてるでしょう?休み方だけは忘れてしまったかもしれませんね (笑)。
〔土井〕 それはほんまにそうかも。僕も昨年に片足がもげたわ (笑)。好きなことを続けるのは絶対にしんどい!そう言えば、1年の半分以上を全国津々浦々の現場でライブをして生活しているブルースシンガーの方に「しんどくないですか?」ってアホみたいな質問を投げかけたことがあって、その方は「土井くん、子どもは好きなことやってるときは何時間でも何日でも同じことを苦もなくやってるやろ?わてはあれと同じや。好きなことしかしてへんねやからしんどいことなんてあれへんで」って言うてはって、やっぱりレベルが違うなって思うたんやけど、その数日後に体調を崩されてライブの途中にまったく声が出なくなったらしく、後日タラウマラに来てくれたときには「土井くん、やっぱり好きなことでもしんどいときあるわ」って苦笑してはって、逆に「好き!」ってなってん。
〔光貴〕 土井さんの生活はシーケンスがあるから。しっかりと家族と向き合ってるのが凄いなと。この間、ブログで売り上げのサンプルを提供してたじゃないですか。売り上げをデータベースにアーカイヴする時点でえらいパフォーマンスやなぁって思ってみてたんですけど。目的が明確だなと。もう素直過ぎるやんって感心してました。土井さんは家族と過ごしている時間は絶対譲りませんもんね (笑)。比べて僕は即興の要素が多いかもしれません。今やっていることが正にそうですし。あとで辻褄あわすかもやけど (笑)。
〔土井〕 いつも僕のわがままに付き合ってくれてありがとう (笑)。僕は光貴くんの即興性に底知れぬものを感じているから、ついつい無茶振りしたくなるねん。そのくせ自分は家族との時間を断固として死守するという超わがまま (笑)。あと光貴くんが挙げてくれた「歩むこと」「駄菓子屋」は確実に鍵となる概念やね。それこそうちの店名になってるメキシコのタラウマラ族の人たちも速く走ることを得意としている訳ではなくて、ゆっくりと永くいつまでも走り続けることに長けてるみたい。それってつまり「歩むこと」やと思うねん。周りの情勢や速度を気にせずに歩みを止めないというのは意外と大変なことで、誰しもついつい周囲と歩調を合わせてしまうもんやからね。それと2000年代前半くらいまでの過剰なマニュアル至上主義の横行によって、個人経営の店でさえも当たり前にシステマチックな対応を求められるようになったやん。店は客に対してこうでなければならない、というのを無意識に植��付けられている人が多い。でも僕らが子どもの頃に通ってた駄菓子屋のおっさんらは客である僕らに平気で怒鳴ってきたし、ひどいときには殴られたやろ(笑)。せやけど結局それが自然というか、店員と客である前に人間と人間やから、双方で怒りたいときに怒れば良いし、笑いたいときに笑えばいいと思うねん。そういや光貴くんとの電話をしている最中に「工具貸してくれや」って言うてきた客のおっさんにキレたこともあったな(笑)。
〔光貴〕 幼少期、駄菓子屋がはじめて触れた「社会」や小さな「世界」だったと思いますね。決して学校では無かったです。「社会」の教科書を見ても、殺した人間の数が多い人が太文字で書かれているだけだったので。あの書物は時間軸が遠くなればなるほど、太文字が神格化され、現代に近づくほど不明瞭な二元論で語られる不思議な読み物ですね。実際、今は「社会」と呼ばれる教科書を趣味で読んでます。特に意味はありませんよ (笑) 。子どもながらに駄菓子屋で思考するか否かで大きく人生が変わったと思います。田舎育ちだったことも影響しているかもですが、僕の好きな駄菓子屋の風景は無くなりましたね。まだフィールドワークは終えてないのですが、地元の駄菓子屋が潰された時期、各地で駄菓子屋が消えていってるんですよね。その後、街のたまり場はコンビニエンスストアになって、駄菓子屋の無い町の夜は大荒れ。
〔土井〕 いや、ほんまに。教科書ってやっぱり権力側の呪具みたいなもんやから、駄菓子屋のおっさんみたいに「俺が教科書」という人間との折衝はそのまま「社会」に出会う行為と等しいやんな。一時期、うちの長男が家の近所の「ひさご」っていう駄菓子屋で万引きを繰り返すということがあって大変やってんけど、あれも息子がはじめて「社会」というものに触れた瞬間やったと思う。さっき言うたみたいにうちの子らが打楽器で光貴くんとセッションしたり、共通の知人の息子が遊びに来ていたり、mole musicは駄菓子屋の原風景をいまも確実に描き続けてるよね。原風景という言葉で思い出したんやけど、光貴くんと友人との共同制作 Zip Up Parker 「帰り道」について聞きたくて、あの印象的なバックプリントの風景は何をモチーフにしてるの?
-skit-土井:因みに自分も「帰り道」パーカーを愛用している。マジで毎日着てる。
【インタビュー開始から6時間が経過】
-skit-中村:気絶 自称巨匠からのメールで起きる。理由もなく日々えらくなっていく巨匠に恐怖。
〔光貴〕 気絶してました。そうそう駄菓子屋はそういうイメージですね。子供にとっては実は軽く超えられる境界なんです。モールは敷居が高いイメージかもしれませんが、それは現代の風景から切り取ればそう見えるように作っています。住宅地の一角の何故か開かれた場所なので。一駅隣に住んでいる、鉄道マニアの中学生がたまに友達と自転車漕いでレコード買いにきたり。「書くのはやめた」って言ってたのですが、その子は仮想国家のSFも書いていて。まぁ、おもしろいですね。彼らのクルーには昭和アニメのマニアもいるので、この場所がきちんと店に見えてるんですよ。「帰り道」については去年奈良古市に店を置いていた時代に友人と製作したかったもので、タイトルそのままですね。完成して現物が届いてからタイトルを付けたので、特に深く考えずに出てきた言葉ですね。「深く考えず」にということは、日頃からある共通認識だと言うことで「帰り道」としました。モチーフはタッチ、タイトル、カタログ番号等から察して頂ければ幸いです。
〔土井〕 鉄道マニアの中学生クルーに是非とも会いたい!自画自賛になって気持ち悪いけど、ほんまに僕らの店に来る人たちって、良くも悪くも個性的で最高に笑えるよね。光貴くんの言うようにmole musicやタラウマラが「店に見えない」人たちにとっては、一向に可視化されないのに。それでも彼らは自然と集まってくる。そこに何があって、何が見えて、何が果たされたのかというのは各自が自分の胸に手を置いて考えたら良いし、それが通過点なのか終着点なのかは誰にもわからへんもん。光貴くんの製作物には常に何かしらの意図があって、それをこちらの解釈で勝手に紐解くのが面白い。さっきは無粋な質問を投げかけたなって、いまちょっと反省してる(笑)。レコード屋としての光貴くんの考えはほんの少し掴めたような気がするので、次はDJとしての活動について聞かせてください。キャリアはどれくらい?
〔光貴〕 いえいえ、大丈夫です (笑) 。楽しんでもらえればありがたいんです。(ここはインターネットメディアの露出が無ければ話しているかも知れません。でっち上げの可能性もありますが)。DJをはじめたと感じたのはギターからターンテーブルに持ち替えた18歳、地元でDIYパーティーをはじめた頃ですね。レコードプレイヤーを買ったのは16歳、この頃からレコードコレクターだったと思います。DJのキャリアは22年ですね。
《2022.11.26 Hopkins Creek at Northcote Theatre》
〔土井〕 キャリア22年!龍ちゃん a.k.a VNZ(東淀川区出身のラッパー)がオギャーと生まれてから現在までの人生をまるごと飲み込む期間やん!その22年間のDJ活動に於いての変化や矜持みたいなものがあれば教えてほしいな。
〔光貴〕 じぶんアーカイヴが下手くそなので、仮に22年としておきます (笑) 。実際はもう少し前かもしれないです。DIYパーティーと並行してDAWN(現NOON)でレギュラーパーティー���はじめたのは恐らく19歳でした。僕は行為においては物質より現場のみに重きを置いてきたので、制作物があまりにも少ないんです。変化について簡潔に書くと、僕にとって良いとされていた時代は去っていった、ということに尽きると思います。これは時代の話なので、個と音楽との関係性はもっと複雑かつ多元的です。僕の場合、レコードのような多元的な物質でなければ、ここまでDJを続けることができなかったと思います。戦後日本の時代の変革と世界の変革はおよそ10年と20年、ふたつのタームで考えることができるのではと過程していました。音楽においてもこのタームというのは有効で音楽史を振り返れば自然と見えてくるように思います。未成年(当時)の頃から20年ターム、この姿勢は続けてみようと思っていました。少し欲張って40歳までこの景色を見ようと。既に40歳を迎えたので、矜持としての行為者として続けるという役目はひとつ果たしました。その過程の中で行為として他人と同じことはしないという制約も徹底できたのかな?と。しかし求道的に今尚続けているのは、レコードという物質の魅力に尽きると思います。僕の場合レコード屋とDJのハイブリッドなので、ここを肯定できないと終わりなんです。かと言ってデジタルを否定している訳ではありません。じゃないと、このインタビューも厳密には成立しないので。いま現在もCD-Rで実験しています。この歴史はなかなかおもしろいんですよね。そろそろCD-R史のフィールドワークをはじめようかなと思っていたところです。
〔土井〕 めちゃくちゃ具体的な回答かつ、これが今日のハイライトかもしれない。「現場のみに重きを置いてきた」というのはここ数年の付き合いの自分からしても納得できる話で、mole musicという思想の実体化としての店舗、DJの現場ひとつひとつが光貴くんにとっての作品なんやと思う。レコードを多元的共有物と見据えて向き合う姿勢、CD-R史の探求など深掘りしたい話題がてんこ盛りで、興味が尽きない。ほんまに稀有なまなざしでレコード屋とDJを両立させてる人やと驚くわ。これも答えにくい質問かもしれないけど、光貴くんにとって特に思い入れのある作品(レコードorパーティー)は何ですか?
〔光貴〕 アナログとしてのCD-R史ですね。僕の青年後期は友人と何か作品を交換したり、プレゼントするメディアがカセットテープからCD-Rへと転換する時期でした。僕自身もこの転換は驚くほど簡単に移行できたんですよ。今��歴史と物質自体の持つ情報(ここでの情報はデータ情報で音楽の内容では無いです)その理由に近づいていってる感覚ですね。90年代にはポスト・テクノロジーミュージックの時代は既にはじまっていて、様々な試みが成されていました。実際そういった作品に触れることはありましたし、所有していますが、物質そのものを解釈するという段階まで、青年後期 (90年代後期~ゼロ前代初頭) では思考が追いつかなかったような気がします。まだまだ趣味として楽しめることはたくさんありそうです。そ��いえば、特別という事を意識したことが無いかもしれません。幸いなことに僕は身近に特別に感じられる人が多いので。ラッキーなのか、どうなのか (笑) 。作品は……ヒミツですね (笑)。
-skit-中村:音楽家の先輩来店、ひたすらレゾナンスについて語る、癒やしの時間。
-skit-土井:龍ちゃん超久々の来店、新曲を持参。
【インタビュー開始からすでに40時間が経過】
もしもし 土井さん、おはようございます。今日タラウマラに何時に入りますか?光貴くん、おはよう。今日からタラウマラは臨時休業で家族でおでかけするねん。えっ、マジで?せやねん、ごめんな。いやいや、頭の中どういう切り替えしてるんですか?こっちにはインタビュー投げっぱなしで (笑)。ごめんな、旅行中は電話でえへんけど、いまはまだ大丈夫やで。いつも思うけど、仕事の向き合い方が全然ちゃいますわ。光貴くんはひとつの案件があったら48時間とか平気で手綱を離さへんもんな。そうですよ、ずっと長時間向き合ってますよ、短時間での仕事の強度が土井さんとは全然ちゃうんかな。自分は究極のメリハリやからね(笑)。僕はこのインタビューに応じながら、店の営業して、次の制作のミックスダウン作業をして、今週末にはパーティーを控えてますからね。ほんまようやるわ、悪いけど僕は家族で温泉につかって来るよ。マジでむちゃくちゃやな、この人(笑)。そうそう、それはそうと昨日タラウマラに龍ちゃん来たわ。だいぶ久々ですか?うんうん、彼はサイクルショップすずめの頃から足繁く通ってくれてたけど、この2年での来店回数は1回か2回やからね、だいぶ久々やな、しかもインタビューで名前が出てきたタイミングで本人登場っていうね(笑)。それは素晴らしいことですよ、何やかんや言うて結局は僕ら、寂しいんですよ(笑)、ずっと続けていることは精神的にも負荷がかかるんで。ほんまそうやわ、ほなそろそろ赤穂に向かう準備するわ、一旦LINEでのメッセージのやりとりに切り替えてええかな?あと週末のパーティーは光貴くん何時の出番なん?ほんまこの人……(笑)
そういや今後の展望を聞かれていた気がするな。このインタビューを土井さんにデジタルアーカイブさせないことですね。
【2023年10月19日8時46分インタビュー終了】
……ということで、いつも通りに互いに仕事をしながらLINEとメールと電話とGoogleドライブを行ったり来たりしながら2週間かけてようやく終わりを迎えたインタビュー……いや、どう考えても僕が喋りすぎてるな、ほんま、すんません(笑)。最後に光貴くんが選んでくれたPARLIAMENT - GLORYHALLASTOOPIDをどうぞ。最高にイカれた週末をお過ごし下さい。
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みなさんおはようございます。
本日も私みーらが、皆さんの背中をそっと後押しいたします。
えーまず初めのお便りから。ラジオネーム「縦縞コリー」さんです。
お風呂で疲れを取るコツは、お湯を入れすぎないことだと思います。お湯は浅めに入れて、熱き温度に設定すれば、体調不良からすぐに回復するはずです。湯浅熱きってな。
ということなのですが、ハンシン浴ってのはそういうことじゃないと思いますねー。
続きましてラジオネーム「緒田舞里」さんです。
後輩に「36期が入ってきてもそうやって後輩に甘えるんですか?」と言われました。何がダメなのでしょうか。
ということなのですが、少なくとも私はニコニコ見ておりますので、問題ないと思います。撫でて撫でなられての関係にいる人たちを眺めることにも、ある種のプラシー的な効果があると思うんですよね。いや、思い込みかな。やっぱりセラピーボ効果かもしれません。
どんどんいきましょう。ラジオネーム「帝京魂」さん。
今のままでいいのかなぁと悩むことがよくあります。周りから何か言われたわけでもないですが、何かが違う感じがします。何が違うと思いますか?
ということなんですがね、多分芸名が違うんだと思います。
続いてラジオネーム「水琴冬雪」さん。
高校の頃の思い出が忘れられません。失って初めて気づく尊い日々に目を奪われて、日々が薄れて見えます。
ということですが、それな。私も生徒会室で働いていた日々が忘れられません。忘れる必要などありません。一生思い出しましょう。
もうなんかここにつける語のネタが切れたので、ちょっと簡略化します。ラジオネーム「七枚目」さん。
ここ数ヶ月、不幸に見舞われすぎています。パソコンは壊れるし、家に蜂の巣はできるし。でもそんな生活をなんだかんだ楽しく過ごす自分もいて、なんだか不思議な気持ちです。これが人生なんですか?
ということですが、それを人生だとしてしまうと、不幸を感じない生活=死になってしまう気がして、それはそれで嫌ですね。
ラジオネーム「苔丸」さん。
気持ちの良い日を過ごすコツは、健康的で優雅な朝食を摂ることだと思うのですが、忙しいとどうしても朝食作りが億劫になってしまいます。何か朝食作りに困らないオススメの方法はありますか?
ということですが、そんな時にはカフェテリアかさねの朝食営業!平日の8:00〜9:00で朝食を販売しているぞ!おかずとご飯と味噌汁も小鉢の栄養バッチリなセットで396円!
あ、すみませんコマーシャルが挟まってしまいました。申し訳ありません。
ラジオネーム「���崎仁美」さん。
ここ数年の制作チーフが全然他劇団への宣伝訪問や挟み込みをしません。した方がいいと再三言っているので、「耳聞こえねぇのかよ」って思います。いやこれ私のセリフじゃないわ。
ということなのですが、ごめんなさい。制作チーフがアサギだったら、こうはならなかったと思います。
ラジオネーム「西峰ケイ」さん。
芸名変え合戦でみそかに負けたくありません。なんかもう、変えなかったら負けかなって思ってます。とはいえ考えれば考えるほど負けた気がするのもまた事実です。私は一体どうすれば良いのでしょうか。
ということなのですが、そういうときは芸名じゃなくて、語尾で攻めるブビよ〜!
ラジオネーム「あろハム権左衛門」さん。
お昼ご飯のカップヌードルトマトチリ味と、おやつのポッキー抹茶味を一緒に買ったら、どんな食べ合わせだよと言われました。一緒に食べるわけないですよね。カップヌードルトマトチリ味と合わせるのであれば、せめてじゃがりこチーズ味とかだと思います。
ということですが、失敗から生まれた料理ってのも数多くありますよね。
ラジオネーム「大福小餅」さん。
公演情報入力中に漢字を変換しようとすると、大福子持ちになってしまいます。ししゃもじゃないんだから、と思います。ということで、次回公演では「ししゃも子持ち」に改名したいと思います。
ということですが、これを変換してみたら「死者も子持ち」になって、たいそう意味深になってしまったので、大福のままでもちもちしていればいいと思います。
ラジオネーム「肆桜逸」さん。
後輩が僕の足を避けません。避けなかったくせに蹴られたとか言って騒いでます。うるさいです。早急に口をつぐんで欲しいです。かくなる上はポケカで黙らせたいと思います。
ということですが、きっとスチルさんに怒鳴られたりなんかした日には、多分普通に大人しくなると思います。笑顔でいてくれるのが嬉しいです。
ラジオネーム「たぴおか太郎」さん。
「たぴおか太郎」に一文字足して、もっと腹と心を満たす方法を思いつきました。「たぴお肩ロース」です。タピオが何なのかはよくわかりませんが、多分柔らかいと思います。
ということですが、他に考えることないんですかねーこの人。
ラジオネーム「ミル鍋」さん。
これからどんどん暑い季節が近づき、次第にミル鍋という芸名が暑苦しくなるような気がします。先日、別の劇団で活動している「フィーユ」の方からも連絡があり、曰くこっちもいい加減芸名を変えたいとのこと。どんな芸名がいいと思いますか?
ということですが、「冷やし中華」と「はじめました」にすればいいと思います。
ラジオネーム「園堂香莉」さん。
同じ授業を受けている同じサークルの人が、やけに他人行儀というか、よそよそしい感じがします。照明チーフとして2公演もお世話をしてやっているというのにこの態度とは、一体どういう神経をしているんでしょうか。もっと予めドリンクを買ってきて差し出すとか、それくらいのことをするべきだと思います。
ということなのですが、多分普通にまだ恐れ多いだけだと思います。嫌じゃなければ仲良くしてやってください。
ラジオネー���「海泥波波美」さん。
舞台のイメージもないまま脚本を書かないでほしいです。舞台のイメージのない脚本なんて、夏休みのない8月のようです。あるいは、耳のないミッフィーみたいなものです。脚本書いてから舞台を考えるから、僕達みたいに苦労する人が生まれるんです。だからやっぱり、日本は9月入学にするべきだと思います。
ということなのですが、確かに「保湿」って漢字は見れば見るほど難読漢字みたいですよね。
ラジオネーム「衿君」さん。
本当は私がこの形式の役者紹介をするべきなはずなのに、演出にパクられました。こんなのただのネタ潰しだと思います。散々色んな役やらせといて、最終的にやりたいネタはやらせてもらえないなんて、許せません。どうしてやりましょうか。
ということなのですが、その筋肉があればいとも簡単に勝てると思います。
ラジオネーム「大門宙羽」さん。
みなが寝静まった夜に限って、ワクワクして眠れません。どうすればよく眠れますか?
ということなのですが、朝は朝食をしっかり食べて、夜はしっかりお風呂に入りましょう。
ラジオネーム「テキストを入力」さん。
別にある特定のものに限った話ではありませんが、〆切ギリギリにならないとやる気が出ません。やる気を出すにはどうすればいいですか?
ということなのですが、これ本当に共感。結局追い込まれた方が強いんですよね、人って。
ラジオネーム「黒井白子」さん。
こっそり作ったXアカウントの使い道が決まっていません。別に投稿したいこともないので、このままROMアカウントになりそうですが、それでいいのでしょうか。
ということですが、これは大問題ですね。Xなんて呟いてなんぼですからね。Xで呟かないなんて、魚市場で財布無いみたいなもんですからね。
いやお前の名前が一番ラジオネームっぽいだろ
近未来ミイラ
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今週のワシはオペラを2つも鑑賞。そう。冬シーズンが始まっているざます。家から歩いて3分のオペラハウスには、昨年のシーズン中も、狂ったように行きまくり、シーズン中のオペラのほぼ全てを見たが、否、嫌いなのは見なかったが。。。今シーズンも、博士のオペラハウス通い開始しております。先月の、椿姫に着想したLaTraviataに始まり、今週は、シーズン始めから早々に予約してあったStraussのSalome、PucciniのToscaを連続で毎晩見に行く。がはは。なんという贅沢。
アメリカ時代はYale特権を使ってMETに何回か、機会がある度に行ったが、こちらは州立オペラハウスの真後ろに住んでいるので、アメリカ時代より楽勝。ブハハ。何という幸運。そしてSalomeは今季限りで退任するKent Naganoの指揮。
Toscaは、愛に狂うバカ女の話しなので、バカねぇ〜ってめちゃくちゃ冷めた目で鑑賞するワシ。Toscaのバカ女振りが、男の心を掴むのか。バカで感情的な女って得ねと思う。ワシは瞬間湯沸かし器ではあるが、割と冷静。バカだけど、愛に溺れたり人間関係に溺れて、自分の行為がどう��う事を招くのか理解できない、先読みできないほどのバカではない。有り難いことだ。女難の相とは良くいうが、ワシには男難の相もありえない。幼稚で面倒な男と付き合う事は苦なので、有り難く避けたい。独りを楽しめれば、それで良し。Toscaはイタリア語の公演だったが、舞台上では韓国人男性達が活躍していて感動した。日本人は、オケピで何名かの、人生の苦労が顔に滲み出ている女性が弾いているだけ。まぁ、そんなもんだよね。日本と韓国の現状も。
Salomeは現代的な解釈で、感動した。オーストラリア国籍イラン人のAfshin小父さんとお食事してから出掛けたのだが、イラン時間による時空の歪みで遅刻し、開始後15分後にしか入場できなかったが、ワシは自分のお気に入りの3階席から、おばあちゃんがオペラ鑑賞に使っていたオペラグラスを片手にかぶりつきで鑑賞。ケント・ナガノも気合が入っている。プレミア後初の週末公演なので、チケットもいつもより少し高いが、みんな気合入りまくり。遅刻して入ったのに、スーッと気持ちが舞台に入っていく。ワシは、オペラ好きじゃ。ここで満喫しておかんとね。一生分のオペラを見るぞと、改めて心に誓う。サロメは休憩無しのぶっ通しだったが、あっという間に終わった。ワシ、自分のドイツ語が向上していることに感動。字幕みて、ドイツ語が分かるワシは、もはや天才としか思えない。自習学習なのに。。。と、舞台とは別の事でも感動した。
日曜は、定番化しそうなスコーンとカレーを作る。朝から一時過ぎまで仕事して、お腹空いたので、スコーンを仕込み、焼いている間に、今日はナスと挽き肉のカレーを作る。ところで、スコーンについては、ワシは幼少の頃食べたスコーンの味が忘れられず、スコーン研究家として、大人になってから日本各地の美味しいという評判のスコーンを食べまくっていた時期があった。そして、都度、絶望し、時には、金返せウラ。。。とヤクザな面が出てしまいそうになることもしばし。
スコーンには、wolf mouthあるいは、wolf smileと言われるような、スコーンの真ん中、真横ほどに、パックリした焼き割れができるのが良いとされる。これは、そこを起点に割って、クロテッドクリームやcreme fleschを乗っけて食べるのが通例の食べ方だからだ。この割れ目は、上手にkneedできているかどうかの評価点だし、これができていないと、kneedしすぎたか���水分調整が上手くなく、グルテンができていることを表す。
それがさ、日本の人は分かっていないと思うの。だから、ふくらし粉入れて調整して、無理くり、無理やり、割れ目だけ似せて作るんやねぇ。だから日本のスコーン食べて、ホロホロと口の中で壊れる感じが無い。むしろ、ねちゃねちゃしていて、歯にグルテンがつきまくって、口中の水分を取っていくのが日本のスコーンのイメージ。あら、アフタヌーンティーなんだから、紅茶で流し込むのでしょと思っちょるそこの貴女。舐めんなよ。マジで日本で金出させてスコーン売っている奴らは、詐欺師としか思えん。
っで、見本にワシのスコーンの割れ目。狼の口とか狼の微笑みと呼ばれる真横の割れ目に指を入れるだけで、パックリ、あら不思議。上下にスコーンがサックリと割れます。そこに、creme fresch を塗って食べるざます。もうクレームフレッシュも、ドイツ語綴りになっている事に大注目ざますよ。ちなみに、ワシの爪と人差し指の先が黒いのは、金曜日にコックのRebeckaさんが、足を引きずっているのを見かねて、お手伝いした名残り。生のタイムとローズマリーを指で葉だけをむしり取り、白身魚のムニエルの下ごしらえを手伝ってあげた名残り。ワシのお手々は働きものでやんす。貧乏暇なし。ハンドクリーム塗ったりまくっている柔らかな暇女の手の真逆ザマス。そして、ワシはワシのお手々に感謝。これで、Bachも弾くザマス。
ワシは、今、もう、燃えている。もう退屈な人生を、もっと退屈に生きてやろうと腹に決めて、もっともっと退屈に生きてやるぞ。どっかの剣士と反対じゃ。退屈を面白くしようとするからストレスである。むしろ、もっと退屈にしてやるぞ。ぶはは。ワシは女も男も買わないし、酒も飲まないし、博打もせずに、編み物と料理とバイオリンで、めちゃくちゃ退屈な人生を送ってやる。今をトキメクつもりの中間層の方々を尻目に、ざまーみろだ。ぶはは。麻貴博士、退屈宣言だ。
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秋の八ヶ岳縦走
先週末のこと。マイカーなし民の頼みの綱のアルピコバス、9月以降は土日のみ運行かつ10月最終週までということで、ラストチャンスで八ヶ岳縦走してきました。初のソロ小屋泊縦走です。一度とまってみたかったオーレン小屋をベースに計画。
茅野駅からバスに乗り渋の湯へ。天狗岳を目指す。
バスにはそれなりに人がたくさん乗っていたのに、なぜ?皆逆方面に向かってゆき、途端にひとりぼっち。
すれ違った人も2組ばかりでしたが、黒百合ヒュッテに着いたら大勢の人で、ほっとする。
ここから天狗岳をめざします。左が東天狗、右が西天狗。朝は青空だったがすっかり曇り空。
ちっちゃいかわいい松ぼっくり。
ゴツゴツをゆき、ほどなく東天狗岳到着。
西天狗岳をのぞむ。
三角点は西天狗岳にあり、厳密には天狗岳の山頂は西だそう。標準コースタイムでオーレン小屋に15時半着予定でゆくと、東天狗岳は13:55通過。13時に着けたら西天狗へピストンする予定でした。スタートが10分くらい早かったせいもあってか12時半に着いたので、もちろん西天狗へ!と張り切ったものの、ガレ場がきつかった。。。
寒さのせいか、久しぶりのせいか、かなりバテましたが、西天狗岳到着。うしろに東天狗。
三角点タッチ。
東天狗にもどり、根石岳方面へ。硫黄岳の爆裂火口がみえる。赤岳、阿弥陀の南八ヶ岳は雲の中。
パラパラ舞っていたアラレがしっかり降ってくる。今季初アラレ。寒いので先を急ぐ。夏沢峠を経て
14時半に無事オーレン小屋に到着。
お部屋に案内してもらったあと、さっそく檜風呂へ。冷えきった体があったまりました。最高です。
夕食の時間まではストーブのまわりでのんびりすごす。
時間とともに人が増えてきて「今日はどちらから登ってきたんですか?」と声をかけてくれた人と話がはずむ。
そして、夕食。名物の桜肉のすき焼き、最高においしかった。
食事のあと、またストーブのまわりで、山の情報交換したり、おしゃべりして、楽しい時間をすごしました。
翌日の天気予報は午後から晴れ。4時半スタートの予定を遅らせるか悩んだものの、ひとまず準備して外にでると、輝く月と満点の星!!!真っ暗闇のソロナイトハイクもウキウキ気分に。
6時前に硫黄岳。なにせ月が綺麗でした。
うっすらと明るくなってくる。曇りの日の日の出ってどんなだろう?と思っていましたが、綺麗です!
前日見えなかった、南八ヶ岳の山々もくっきりと。
ぐるんと阿弥陀までレッツゴー。硫黄岳からしばらくは寒さとの戦い。振り返るとピンクの空にとんでもなく大きな月。思わず声をあげる美しさ。
台座の頭まであがると太陽。手の先の痛いほどのかじかみがゆるんでくる。太陽の偉大さをかみしめながら、ほどなく横岳。
過酷な岩場が続きます。今回3度目の赤岳、阿弥陀岳ですが、硫黄岳から進むは初めて。こんなに過酷な岩場だったっけ?と思いながら、全神経を集中させて。
雄大な赤岳への道。すごいとこ歩く。
赤岳展望荘から最後の登り。寒さのせいなのか、疲労なのか、スローペースになるも、、、
赤岳山頂!
南側には唯一登れていない権現岳をのぞむ。来年こそはキレットチャレンジを。
八ヶ岳最高峰2899m。前日の夜、オーレン小屋で作ってもらったおはぎをいただく、最高の景色とともに。つぶれてしまったけれど味に変わりなし!
エネルギーチャージして阿弥陀をめざす。かつて阿弥陀から登ってきたときにきつかったガレ場。下りはなおきつい。すってんころりん尻餅地獄。
中岳を経て、阿弥陀岳へ岩場を這いつくばって登り、登頂。
途中からぐんぐん雲があがってきて、阿弥陀山頂では、向かいの赤岳も雲の中へ。
2つ目のおはぎを食べていざ下山。はじめての御小屋尾根。
このくだりはハードでした。振り返るとすれ違った方が岩のてっぺん��。すごいところをくだってきてる。
そして眼下にはカラマツの黄色が広がる。先長そうだなー。
横をみれば初冬の様相。前日のまんまるいアラレがくっついてかわいらしいコメツガ(か?)
くだりのピッチがあがりません。毎度ながら。
上からみていた黄色の世界までおりてきました。東京があたたかすぎて季節感がなかったが、秋まっさかりでした。
こうして、オーレン小屋から8時間、無事に、美濃戸バス停までたどりつきました。予定よりだいぶ早かったので八ヶ岳山荘でお風呂に入ってさっぱり。
無雪シーズンの締めの八ヶ岳縦走、無事終了。一歩一歩進むことだけに全神経を集中し、美しい世界に心洗われた無心の2日間でした。
次は、権現岳からキレット経由赤岳が来夏の目標!
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#88 報告書&動画制作+学会関連
日時:12月23日(金)10:45-12:15
場所:DS1
出席:全員
最終発表会も終わり、残された報告書と動画制作に悪態をつきながら冬の風に吹かれる。こんなに冷たく感じるのは燃え尽きることができたからか、それとも寒いからか。
時はクリスマスイブ前日。密閉された空気の悪い教室で寝ぼけ眼をこすりながら口早に決め事を話している。一方街ではハンドベルの音楽が響いており、最終発表会が終わったというのになんとも皮肉を感じるギャップである。”ハレルヤ”などとよく言ったものだ。実質的なハレルヤは私たちにとって2月からである。無論、そこからは本格的な就職活動が始まるのだが。
そんなことを冬空にこぼしていると、部屋にはコーヒーの香りが広がってきた。気霜と呼ばれる白い息と湯気に見慣れる季節に、見えないものを感じるというのはなんとも趣深い。コーヒーの匂いにはα波の出現に起因すると言うが、はたしてどうなのだろうか。ただ気づけば短針が12を回っていたことだけが私の記憶に残っている。
もう何度もない金曜日のこの時間の流れ。断片的な記憶の中には残らない時間をどう過ごすのかも私たち次第だ。タイピングしたものに目を凝らすことも、連続的なものをわざと断ち切り存在しない装飾をすることも、1月19日を以て終えることを目指している。延長短縮密度の濃さ薄さはもはや���論にも上がらない。約一年を通して作り上げてきた自然さを形にするだけである。おそらくこれから入る少しばかりの休息を得た後、一つ数字を繰り上げた後はさまざまなものに追われるだろう。そうした中でも普段通りを忘れずに最後まで取り組んでいきたい。
うっわ。なっげぇと思ったあなた。その通りです。そもそも12月23日の会議なのにTumblrをあげてるのが1月12日時点で当時から燃え尽き症候群です。すみません。その代わり長ったらしくその当時の状況を思い出して書き記しておいたので許してください。(これでもうTumblrを書くこともない。しめしめ)ちなみにコーヒーの匂いはしてないと思います。舟橋くんがコーヒーを飲んでることは多々ありますが、その日は飲んでなかったと思う。知らんけど。まあいいんだ数を稼げれば。ちな長いと思うので要約すると、「最後まで頑張ろうね」っていうことです。
報告書制作
(正直何やったか覚えてないけど)報告書の分担した部分を各々が書き込んでいました。大変そうなふりをして白目をむいていましたが、誰にも気づかれず親指を立てて溶鉱炉に沈んでいけたことだけが唯一の救いでした。年末までには頑張って大体書いておこうね!(時間錯誤)(叶わぬ願い)
動画制作
動画担当なので事細かに行ったことを列挙してくれると思ったら大間違いです。覚えていません。多分動画の素材を集めたと思います。実写部分の素材が全くないので、大急ぎで、イオンのエスカレーター並みのスピードで撮りました。撮ったと思います。これであとはタイムラインパネルに貼るだけだ!(嘘)
学会関連
CO-MAP側が主だったと思います。行ってきた調査やその結果などを改めて分析していました。私はB-LOG側なので細かいことは分かりませんが、頑張ってください!(リレーを解説する放送委員の声)
担当より一言
もはやいうことはない。遅れてすみませんでした。ちなみに投稿するときの設定で投稿日時いじれるの知ってた?この投稿、12月23日の12:15です。ガハハ。
担当:高安
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れ���る手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
��騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の��き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
………………………………………………………………
令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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魚なのに出世? 出世魚ぶりの栄養成分
ぶりは成長とともに呼び名の変わる代表的な出世魚で、濃厚な味わいの赤身魚です。
産卵直前で脂がのる冬が旬で、その時期のぶりは「寒ぶり」と呼ばれています。
ちなみに成長につれ、モジャコ→ワカシ(~40cm)→イナダ(~60cm)→ワラサ(~1m)→ブリ(1m~)と名を変える出世魚です。
関西ではワカナ・ツバス → ハマチ → メジロ(イナダ) → ブリとなりますが、ハマチは関東では養殖のもをいうそうです。目次
出世魚ぶりの栄養成分と効果
EPA・DHA
ビタミンD
鉄
タウリン
ぶりのおいしい食べ方
ぶりのしゃぶしゃぶ
ぶり大根
ぶりの照り焼き
最後に
関連
出世魚ぶりの栄養成分と効果
ぶりの栄養として、
良質なタンパク質
良質な脂質
ビタミン類
鉄
多くのミネラル
も多く含む栄養価の高い魚です。
EPA・DHA
脳細胞の活性化、血栓の発生を抑えるなど生活習慣病の予防に効果があると言われています。
ビタミンD
ビタミンDが多く含まれ、カルシウムの吸収を助けるはたらきをします。
鉄
体内での吸収率が高いヘム鉄を多く含み、貧血予防に最適です。特に血合いの部分には鉄が多く含まれています。
タウリン
タウリンは、肝臓の解毒作用やコレステロール値を下げるのに役立ちます。
また、そのほかにも糖分やコレステロールの代謝を促進するビタミンB1・B2・ナイアシンも含まれています。
ぶりのおいしい食べ方
一般には切り身で出回ることが多く、身は「刺身・塩焼き・照り焼き・西京漬け」、頭やアラは「ぶり大根・アラ炊き・かす汁」、皮は「なます」、あごの部分は「ぶりかま」と、塩焼き・煮もの・鍋ものなどの調理に向きます。
ぶりのしゃぶしゃぶ
薄くスライスしたぶりと野菜を、昆布だしのだし汁の中ですすぐように火を通して、ポン酢醤油・ゴマだれなどをつけて食べます。
ぶり大根
ぶりのアラに熱湯をかけ霜降り状態にし、冷水でしめて下処理をしたぶりと大根を調味料で煮る、ぶりの代表的な料理です。
ぶりの照り焼き
下味のついたぶりを両面焼き、たれを加え煮立たせるように味をからめます。
最後に
ぶりは捨てるところのない優秀な魚と言われています。
特に寒ぶりが旬の季節には、色々な部位に合わせたぶり料理を堪能してみてはいかがでしょうか。
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振り返り 2024
今年は引っ越しや生活の変化が多かったため、沢山の更新はできませんでしたが、物語が大きく動き出す一歩がありました。
という��とで順々に振り返ります。これは作者が書いてる時に考えていることなどを自由に書き散らしたものです。
幕間 いらっしゃいませ
とあるコンビニ店員から見た師弟のお話。 人間から見た師匠を描きたくて書いた話です。こういう会話劇で進む文章は結構好きなので書いてて楽しかったです。 コンビニとか行くんか?と疑問に思いましたが、まあ行ってもいいかなって。 何買うんだろ。アイス?アイス買え。 コンビニでバイトしたことないので、店員さんたちの会話は妄想です。意外に反響のあった社畜ピースさんには思わずにっこり。 実際セツならともかく師匠がコンビニに来たら驚きますよね。師匠と呼ばれる職業もありそうであまりなく。見た目は若いので師匠という面でもなく…… 最後、店員の一人が記憶屋の看板を見つけます。その際「記憶いただき〼」の最後の「〼」が読めていません。今の時代、これの読み方を知っている人はどれくらいいるのでしょうか。なかなか出会う機会が減りましたね。 この店員がどうなったのか、それはご想像にお任せします。
幕間 みたり
ある不吉な客の話。
一年前の夏に思いついて、温めていた話でした。たまにこういう暗い澱んだ話を書きたくなるんだ。
みたり という言葉は三人とかいてみたりと読みます。意味はそのまま三人です。このお話の核となるのがこの三人という言葉になります。 記憶屋に来たずぶ濡れの男、男は悪夢に耐えかねてその原因と見られる過去の記憶を消してもらおうと、訪れました。
この際、男の他にずぶ濡れの少女がついてきていますが、前半ではほぼ触れず、最後にセツと師匠のセリフから少女がいたことを決定づけました。セツは途中まで少女が人でないものだと気が付いていなかったため、湯呑みを三つ卓上に置いています。また、「男の客」と呼び分けていたりもしています。 つまり相談用の卓を囲んでいたのは師匠と男、そして少女の三人でした。これが一つ目のみたりです。 次に男は過去の話を語り始めます。ひどく憔悴しており、彼は女の子を救えなかったことを後悔しております。 しかしこれはあくまで主観的な話であり、また男の話はどこかぼんやりとしています。 記憶を食べた師匠とそれを写したセツは、男の記憶から川にいた人間は三人だったことを後に語りました。これが二つ目のみたりです。 川には三人いました。一人が溺れた少女、二人目がたっくんと呼ばれた少女の友人、そしてその様子を影から見ていた客の男です。
男は少女をつけ回す不審者でしたが、当の本人にその自覚はなく、仲の良い少女と紹介します。 男はいつものように少女を見ていました。すると川で遊んでいた二人は溺れて流されてしまいます。男は恐ろしくなり、その場から逃走をしました。 この事実から、男はただの不審者であった、ということがわかりますが、なぜ少女の恨みを買ったのか、という部分についてはセツもわかっていませんでした。 この点に関しては一応仄めかす程度でしたが、案外わかりずらかったナト反省してます。以下がその要素です。 ①最後のニュースで少年の遺体と少女のサンダルの片方が見つかっていますが��少女はまだ見つかっていません。 ②にも関わらず男は「彼女は永遠に動かなくなってしまった」と少女の死を確信して後悔をしています。 ③男は目撃したのにも関わらず、情報を提供していません。
ちなみに、「君のサンダル片方、あんなところにあったんだ」という一文が推敲前までは存在していましたが、削りました。 以上が蛇足の解説となります。 師匠は怨念の塊を食べるとお腹を壊すらしいです。かわいそうだね。
本編捨話 うつろいゆきて
久々の本編。というか今年これしか書いてないです。驚愕。 この話は難産でした。構成や四季さんのことはかなり昔から決まってましたが、解決に至るまでの文章が上手く描けず、かなり長い間この話を書いていたような気がします。 けれど、四季さんを出せてよかったです。お気に入り。 四季さんは師匠と性質が最も近い妖であり、不思議な子です。結構皆さんにも可愛がっていただけて嬉しい。 彼女は季節の変わり目にやってくるのですが、春夏秋冬で別の個体なのか、それとも同一個体なのかは明らかになっていません。概念なので個というより群れの存在です。実は同時に春夏秋冬で同時に存在ができます。年末に師匠のお家で四季さんが勝手に遊んでる話とか書きたかったんですよお。間に合わなかったねえ。 彼女と便宜上読んでいますが、そもそも性別とかもないです。師匠のことは可愛がっており、よき弟だとも思っている様子。弟ではないんだけどね。
四季さんのビジュアルは個人的にもとっても気に入っています。脳内イメージでどうにか。 話自体はほっこり話でした。ほっこり話にしつつ、最後に四季さんが爆弾を落として終わり、という何ともな終わり方。 本当に師匠は巫月さんの場所がわかっていたのか、それとも本当に知らなかったのか、それを聞いたセツはどう感じるのか、物語が大きく動きそうなところですね。次回の話はすでに書き始めてますが、これもまた難産の予感。
幕間 瑞咲
ケイケイと文さんのめでたい話。 この話は以前書いた佳宵の対となり、残影とケイケイの違いを楽しめます。 残影は仕事に余裕があり、襖に映る影を妻だと決め、部屋に招き、自分の方へと来させます。対して、ケイケイはお仕事が忙しそうで、襖に映る影については一応糸の可能性も考えつつ、また自分から妻の隣に座ります。 どちらが良い、というわけではなく、時代や考え方の違いが各所に現れているなあと感じていただければ幸いです。 巫月さんは月がモチーフで、文さんは花がモチーフなので、残影とケイケイがそれぞれの奥さんを表現するときは月、または花を用います。私の語彙力がなくて褒め言葉を捻出するのに苦労しています。 残影が気持ち悪いので佳宵は全体的にねっとりしてて本当に気持ち悪くて、あーーー!!!!となるのですが、瑞咲の方はケイケイが気持ち悪くないので、書いてて嫌悪感を抱きませんでした。 二組とも作中ではモノクルの話をしています。残影はこのモノクルを呪いと表現しましたが、ケイケイは呪いとも願いとも決めず、迷っているようです。きっちりと巫月さんの血が入っていて私は嬉しいよ。
そしてめでたいお知らせ。直接的な表現はせず、最後の二文での締めとしました。結構上手くかけて嬉しかったです。 お幸せにね。
以上本年のまとめでした。今年は本編進められなかったので、来年はいっぱい進めたいです。巫月さん関連の件については締められるといいな。どうかな。後ガヤちゃんもまた出てくるよ。
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読み間違えと私
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自分の名前は「淳」と書いて「アツシ」と読むのですが大学生の時のニックネームは「ジュン」でした。
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本当は「もの凄く」と言うニュアンスで「大分(ダイブ)」と文字を記すと「オオイタ」と間違われるのでは無いかと思い躊躇して平仮名で「だいぶ」と書くことが多いです。
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「仮名」も読み方が「かな」か「かめい」で意味が変わって来ますよね。そしてこちらの店に置いてある飲み物は「お湯」か「鶏のスープ」か気になります。
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と言うわけで本日のディナーは「白湯」と書かれたポットが置いてある #スパゲティシュウ です。
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ランチに四ツ谷で #ハシヤ系 を食べようとスパゲティながいに行ったら大行列。かつれつ四谷たけだがランチお休みの影響でしょうか。それで帰り道にこの店に寄りました。
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頼んだのは冬季限定メニューの #カキとホウレンソウのスパゲッティ 大盛りです。カウンターだけのこぢんまりしたお店で店主と奥さん?で回しているようです。
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メニューが豊富なこともあって、自分より前の人も後の人もそれぞれが頼みたい別々のメニューを頼んでいることもあり15分程での提供でした。
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小ぶりながらも沢山の #牡蠣 が盛り付けられ新鮮で鮮やかな色合いの #ほうれん草 と #椎茸 がバランスよく配置されています。
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まずは #スパゲッティ を頂きます。味付けのベースは日本人なら誰もが好きな絶妙なバランスでバターのコクが深みを増しています。
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そこに海の味わいである #カキ を食べつつ #しいたけ の旨みが噛み締めた瞬間に広がります。ほうれん草も鉄分も取れて新鮮な味わいがいいですね。
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食べれば食べるほど次も次もと欲しくなるヤミツキな味わいが特徴ですね。寒かったのでレモンが入った冷水を少し飲んだだけだったので「白湯」の正解がわからずじまい。
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次回は「パイタン」か「さゆ」のどちらかをハッキリさせに訪れたいなと思います。
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ジオタグが出ないので住所を記すと東京都千代田区飯田橋2-1-6 レクロシェット 1Fです。
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#九段下ランチ #九段下ディナー #九段下グルメ #九段下パスタ #九段下スパゲッティ #九段下洋食 #飯田橋ランチ #飯田橋ディナー #飯田橋グルメ #飯田橋パスタ #飯田橋スパゲッティ #飯田橋洋食 #麺スタグラム #とa2cg
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online shop "冬至" update 〜 祝いの装い
こんばんは。
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本題の前にまずは明日からの営業予定のお知らせをさせて頂く。
【12/23(月)〜12/29(日) 営業予定】
12/23 (月) 15:00〜20:00 ※
12/24 (火) 13:00〜20:00
12/25 (水) お休み
12/26 (木) 13:00〜20:00
12/27 (金) 13:00〜20:00
12/28 (土)13:00〜20:00
12/29 (日) 15:00〜20:00 ※
※23日(月)と29日(日)は15時からの営業となります。
※29日(日)が年内最終営業日となります。
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いよいよ2024年最後の1週間。
もし良かったら、年内最後に遊びにいらしてください。
さて、お知らせが1日遅くなってしまったのだけど、昨日、暦は"冬至"を迎えた。
それに合わせて当店のオンラインショップも新たに更新をさせてもらっている。
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"冬至"の日には、かぼちゃを食べたり、柚子湯に入ったりするなんて言われているけど、皆さんはそんな"冬至"らしいことはしたりしたのだろうか。
まあ、クリスマス直前の週末ということで、どちらかというとクリスマス気分の方が強かったりするのだろうか。
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ちなみに僕はかぼちゃの煮付け、かぼちゃの味噌汁と、ちゃんと"冬至"らしい献立を楽しませて頂いた。
久しぶりにかぼちゃの煮付けを作ったけど、しっかりと味の染み込んだ煮付けで、うまくいってご満悦だ。
そんな"冬至"だが、1年で最も昼の時間が短い日ということで知られている。
なので、この日は太陽が最も力を弱めて、ここから徐々に力を取り戻すとされている。
そんな節目となる日になるので、国や地域によってはこの日を始まりとするような、土俗信仰もあるそうだ。
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まあ、とはいえクリスマスであったり、年末年始だったり。
この"冬至"の期間は節目となるようなイベントも続く。
今年はかなり年末年始の並びもよく、大型連休という方も多いのでは無いだろうか。
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今日もお昼前に街へ出ると、冷たい冬の冷気に反し、とても賑やかなムードに。
そんな街の喧騒を横目で見ながら、クリスマスであったり年末を実感した。
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ちなみに僕はクリスマスが終わった直後から年明けまでの期間が1年で最も好きな期間になる。
年明けに向けてソワソワしたり、慌ただしくなったり。
街が急に新年を迎えるための準備に移りだすこの期間の雰囲気がとても好きだ。
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年越しのタイミングは、NHKの「ゆく年くる年」なんかを眺めて、各地の楽しそうな年明けの瞬間を眺めていると、なんだか幸せな気持ちに浸れる。
そんなこの時期の街の雰囲気をイメージしながら、クリスマスであったり、年末年始であったり。
寒い日のお出かけも多くなる季節。
「祝う」
そんな言葉をキーワードに、寒い冬の日でも、ワクワクとした気持ちでお出かけができるように。
そんな願いも込めてアイテムをピックしてみた。
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もし良かったら、この季節にしか楽しめない装いと共に、クリスマスであったり、初詣なんかを楽しんでもらえると嬉しく思う。
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なおオンラインショップは下記からご覧いただける。
それでは次回もお楽しみに。
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うこん
普段は緑茶やコーヒーなどを主に飲んでいても、それらとは違った刺激でリフレッシュしたい時がある。そんなアイテムの一つとして昔から時々飲んでいたのが「ウコン茶」。初めの頃はティーバッグの物を買っていたけど、ある時プラ容器に入った粉末のウコンを見つけこれはお得だと数個まとめ買いをした。それから10年ぐらい経っただろうか、いよいよそのストックも少なくなり、今後は自分で栽培して自家製ウコン茶を楽しんでやろうとあいなった。
いつも種芋を物色する地元農産物の直売所ではみつけられなかったので、インターネットで種芋を手配しようと見てみると。。。春ウコンとか秋ウコンとか紫ウコンとかいろいろ種類あるじゃんよ(迷)。我はこれまでそんなこと意識せずに飲んでいたのだけど、よくよく調べてみると秋ウコンだったようでそちらを手配した。ちなみにカレーなどに使われるスパイス「ターメリック」も秋ウコン。春ウコンや紫ウコンは生薬や健康茶にされるがかなり苦いらしい。
しばらくして郵送で種芋が届いた。試しに2~3個植えられれば充分だったので少量のものを注文したのだが、開封してみると思いのほか沢山入っている。まあ上手く発芽して育つか解らないから多いに越したことはないけどね。いずれにしても到着したのは晩秋なので上手く越冬させてやらなくてはならない。いかんせん初めてなので試行錯誤ではあるが、ショウガ科なのでショウガと同じ方法で室内保管した。
保管は上手く行き、全てのウコンの種芋は健康な状態で春を迎えた。4月の上旬にそれを播種すると、1ヶ月程して発芽した。その後追肥などもせず放置状態だったが、ドンドン大きくなり最終的に1.5mぐらいの高さになった。上の写真は比較的日当たりの良い場所に播種した物だが、半日陰になる場所に播種した物も遜色ない大きさに育っている。
9月に入って花が咲いたのだが、驚いた。ウコン茶の鮮やかな橙黄色やスパイシーな風味からは想像できないような清楚さと透明感の有る白で、まるで蓮の花のような神々しさがある。ちなみに春ウコンや紫ウコンはピンク色になるらしい。ただこの部分は厳密に言うと花ではなく苞葉と呼ばれる部位で、下方にできる黄色いものが本当の花なんだと。ところで根茎で増えていく植物が花を咲かせる意図は何だろう?種子は出来るだろうか?
晩秋になり、緑色だった葉が黄色く変わってきた。収穫は茎葉が完全に枯れてからの方が養分が根茎に還流して良いのかも知れないが、なにせこの時季は突然強烈な寒気が来てダメージを与えてしまう可能性があるので、多少早めではあるが幾分かでも収穫し、種芋として保管しておく方が賢明だろう。
剣先スコップを使って掘り起こすと、しっかりと新しい根茎が付いていてとりあえずひと安心。この時点でもうウコン独特の香りが漂っている。
とりあえず5株ほど収穫したが、すでに根茎は最初に入手した量を上回っている。さらに播種した種芋の部分(ショウガ的に言うと古根ウコン)や茎の最下部(サトイモ的に言うと親芋)も利用出来そうな気がしたので廃棄せずに取り置いた。
こちらは左から根茎(子芋)、親芋、種芋をそれぞれ縦に割ってみた写真。いずれも内部は橙黄色だ。それぞれ生で摺ってウコン茶にしてみたが、いずれも遜色なく美味しく頂ける。親芋は多少味がマイルドな気もするが、使う量や煎じ方でどうにでもなるので、実質的には同等に利用出来ると言っていいだろう。
穫れたての生の���茎を摺りおろして米と炊き、自家製パセリを刻んで散らしターメリックライスを作ってみた。使用するウコンが多いと色合いは良いが苦味も強くなってくるので程々の量にしておくのがコツだろう。今回はおかずを揚げ物にしたので敢えて使わなかったが、バターやマーガリンなどを混ぜても美味しい。まあターメリックを使っているカレーが合うことは勿論だけどね。
数週間後、残りのウコンも収穫したのだが、いやあその量の多いこと。根茎だけでバケツ満杯になった(呆)。いくら何でも独りでこんなに消費できないよね~と思いつつ、とりあえず洗って仮干しする。
これらを全て生で保管しておくのは合理的でない。こうなればもうやるしかないと覚悟を決め、包丁、まな板、そして左手を橙黄色に染めながらひたすらスライスしたさ(疲)。緑のボウル3つ分になったそれを干し網に入れて小屋の下に吊した。
冬型に変わった気圧配置で西風が強い日が続き、それは2週間でかなり乾いた。容積はボウル1杯、即ち3分の1になった。さらに完全に乾かすのには冷蔵庫が適しているが、スペースがないので冷凍庫に入れた。フリーズドライってやつですか?(笑)
軽くひとつまみをポットに入れて熱湯を注ぎ、乾燥品からのウコン茶を試す。生の摺りおろしや乾燥粉末ならすぐに色と味が出るだろうけど、スライスだからジワジワとエキスが出るのに少し時間が掛かる。ただ粉末にするのは結構手間が掛かるから(容積はかなり小さくできるけどね)、多少待てども乾燥スライスのまま使えばいいんじゃないかと自分を納得させる。ターメリックライスを作ったり、スパイスとしてカレーに入れるなら生を摺りおろせばいいからね。用途によって上手く使い分けていくにせよ、これだけの量を消費するには数年掛かりそう。来年は少し生産を減らさないとね(保存場所も困るしね)。
#田舎#田舎暮らし#里山#自然#自給自足#自給農#移住#野菜#根菜類#スパイス#栽培#植物#ウコン#ターメリック#料理#茶#花#countryside#rural life#nature#vegetable#self sufficiency#agriculture#farming#cooking#plant#turmeric#spice#tea#japan
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八篇 上 その一
淀の大橋から、下り船に乗って、 大阪へとやってきた弥次郎兵衛と北八の二人。
大阪の港は、海内秀異の大きな港で、諸国の商い船が行きかっている。 淀川の川口に船首をならべていかりをつらね、ここにいろいろな荷物をつなぎ、繁盛していることは、いわなくてもわかるという���のだ。
ことさら、花の春は淀川に船を浮かべて桜の宮に遊び、網島の料理屋に酔いをもよおし、夏は難波新地の納涼に蛍をかり、茶屋で腹をこやし秋は、料理屋で月をながめ、冬は解船町の雪景色。
四季折々の眺めの中に、人の目をひきつけて離さない花のようにうつくしい遊郭は、いつもさかりの春のごとく賑わい道頓堀の芝居は、いつも、顔みせ興行のように群集が絶えない。
そんな名誉の地をみのがしてはもったいないと例の、弥次郎兵衛と北八の二人は伏見の昼船に途中から、飛び乗ってはやくも大阪の天満橋近くの八軒家に着いた。 ここで船を下りた二人は、もう、たそがれ時で薄暗くなってきており初めての土地でもあることから、人に尋ねながらとりあえず、長町を目指して堺筋通りを南に歩いてやがて、日本橋にでた。 ここには宿の客引きどもが居合わせ、両人を見かけて宿の相談をしかけてきた。 早速に二人は宿をきめると、客引きは分銅河内屋という宿に案内した。
客引きが先に駆け抜けて、 「さあさあ、お客様をおつれして来たわいな。」 その声に出てきた宿の番頭が、 「これは、ようお出なされました。何人様でございます。」 と言うのを、 「へい、全部で四十七人。」 と弥次郎兵衛がふざけて答える、 これを聞いて番頭は、びっくりしたように、 ��なに、四十七人様。これこれ、おさんや。大勢さまじゃ。 西の奥の間を打ち抜いてあげさんせ。はようきれいにしてこんかいな。 これ、久三。お足をお洗いなさるお湯はどうじゃい。 「・・・」 「ちょっと熱いようじゃ。水をうめてあげましょう。はようはよう。 で、もし、その四十七人様は、後から来られるのかな。」 と弥次郎兵衛の後ろをすかしてみる。 弥次郎兵衛は、ニヤニヤしながらも、 「いや実は、四十五人は鎌倉へ発った後。 われわれ両人はここより遅れてまいる。」 「ええ、なんのこっちゃいな。やっぱりお二人かいな。 これこれ、おつんや、お二人じゃといな。 こっちゃのお一人でいらっしゃる、狭いところに案内さんせ。」 とあきれた様子。 おつんと呼ばれた女中が、 「はいはい、ご案内いたしましょかいな。」 と足を洗い終わった二人に言うと先に立って案内する。
さて、この宿は当所では、随一の大きさである。 二人はその大きな宿の奥の隅の小さな部屋に、女中の案内ではいる。 すでにここには一人お客がおり、いっしょについてきた番頭が、 「お許しくださりませ。ご窮屈で、ございましょうが、お一つ所になされて下さりませ。」 と言う 先の客は、丹羽の旅の人で 「だんないてや、さあさあ、こっちゃへはいりなされ。」 と方言交じりでいった。 「これはごめんなせえ。」 と北八。 「わたしら、二、三日は逗留して、所々見物がしたいからおたのみ申します。」 と弥次郎兵衛は、そのお客とも番頭にともとれるようにいった。 「はい、かしこまりました。まずは、ごゆるりと。」 と番頭は言いすてて引き上げていった。
さっそく丹波の人が、話しかけてきた。 「こりゃ、そなたたちは、どこからきよりました。」 「私らは江戸でございます。お前さまは。」 と北八が答えると、 「わしは丹波の篠山(たんばのささやま)の出で、今度、高野へ行きよります。 相宿になったのも、何かの縁。よろしくおねがしますやいな。」 弥次郎兵衛も、 「とかく旅は道づれといいます。おきずかいなきようにございます。」 と言った。 女中が、 「食事をお持ちしました。」 と三膳持ってきて、それぞれの前にすえる。 この食事の間にもいろいろあったけれども、略すことにして、
食事も済み湯にも入ってしまうと、目をつぶった大きな女が柱や障子を探り探り入ってきて、 「ひとつ、もましてくださいな。」 と入ってきた。 それを聞いて弥次郎兵衛が、 「いや、あんまさんか。お前、女みたいだ。 しかも生きている。北八、どうだ、もんでもらわねえか。」 「こっちからもんでやりてえ。」 と北八はニヤニヤしている。 「あら、おかしなことを、言いじゃやら。 お前さん方は、お江戸じゃな。 わしゃあのお江戸のお方が好きじゃわいな。 殿方たちは男らしゅうて、話が面白とこがよいわいな。」 とこのあんまさんは、口が上手である。
「お前さんは、さっぱり目が見えねえのか。 見えるとすると、ここにとんでもないいい男がいるのに。」 と北八は、調子に乗っている。 「そうじゃろぞいな。」 とあんま。 それを聞いていた弥次郎兵衛は、 「それなら、あんまさん。この男と俺とどっちがいい男か、そうして、年はどっちが若いかあてて見なせえ。 当ったら、二人とももんでもらおう。」 と懐を探り出した。 「そりゃ、絶対にあてるわいな。」 とあんまは、首をかしげている。 「こりゃ、おもしろい。さあ、俺は、いくつぐらいだ。」 と北八。
「まちなされ。おまいさんは二十三、四。」 「いい線だ。で、当然、いい男だろうね。」 「さよじゃ。お顔は、よう道具がそろうてじゃ。」 「当たり前だ。そろってなけりゃ、こんな賭けをするものか。」 「お目は、いかついじゃろがな。それに、お鼻は…。」 「高いか、低いか。」 「こう言うたらお腹立ちかしらんが、確かに低くて、小鼻の開いているじゃろぞいな。」 これを聞いていて、丹波の人が、 「ははは、当ってる。当ってる。」 と笑っている。
今度は弥次郎兵衛が 「俺は、どうだ。」 と言うと、 「あなたは、ちょっと、ふけてじゃわいな。 お歳は四十ばかりで色黒で、鼻の開いた髭だらけなお顔じゃあろがな。」 「まるで、見えているみたいだ。」 と北八が、笑いながら言うと、 「そして、ぼやけぶとりに、よう肥えていなさるじゃあろ。」 「いや、違った。俺は、風が吹いたら、よろけるくらいすらりとした男。」 と弥次郎兵衛。 「ふん、嘘をつくな。こりゃ、あんまさんの勝ちだ。もんでもらいな。」 と北八が笑いながら言う。 「まあ、約束だからな。しかたがねえ、ここへ来てくんな。」 と弥次郎兵衛は、そこに寝転がると、 「おほほほ、それではそちらへ、行きましょうか。」 と弥次郎兵衛のそばにいって、もみにかかる。
そこへ、女の菓子売りがやってきた。 「はい、失礼しますよ。菓子、買っておくれんかえ。」 「なんだか次から次に、出てくるな。 どれ、なかなかいい菓子だぞ。お前、俺たちに、売る気か。」 と北八が、箱の中の菓子を見ながら言う。 菓子売りは、 「さよじゃ。私は、お前さんがたに売とう売とうてならんさかい、参じたわいな。」 弥次郎兵衛は、あんまにもまれながら、 「上方の商い女は、なかなか上手い手をもっているな。」 菓子売りは、ニコニコしながら、 「手も足もないが、どうやら、お前さんがたに惚れたのじゃわいな。 そう思ってどうぞ、菓子を買うておくれや。 どれ、お茶でもくんできましょうかね。」 と菓子箱をそこにおいておきながら、部屋を出て行ってしまった。
北八は、 「ええ、つらのにくいほどしゃべるやつだ。」 と言いつつ弥次郎兵衛に目くばせして、菓子の入っている箱の下に重ねてある箱から、そっと、何やら菓子を五つ六つとりだし、自分の後ろにさっさと隠してしまった。 すると、さっきのあんまが手を出してその菓子をそっとひったくり、たもとへ入れてしまった。 北八は、そんなこととは知らない。 弥次郎兵衛もおなじく菓子を、三つ四つとり出したら、部屋の外から人がやってくる気配がしたので、急いで箱を元に戻すと、菓子は、後ろの方に隠してしまった。 それをまたまた、あんまが取ってしまった。 弥次郎兵衛もそんなこととは、知らずに、また目をつぶってあんまにもまれている。
そこへ、さっきの菓子売りの女が茶をくんで、お盆にのせ持ってきた。
つづく。
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入浴のすすめ
ブログを読んでくださっている皆さんこんにちは心理カウンセラーの水野綾子です 本当に寒い毎日が続きます冬になり、いきなり気温が下がると、血管系の疾患で運ばれている患者さんがとても多かった看護師時代を思い出しますお体には気をつけてお過ごし下さいね 寒い日には入浴がお勧めです 冬特に年末になると本当にバタバタする人が多いと思います仕事もどんどん忙しくなったり、お歳暮や年越しの準備など、年末までに済ませたい用事がたくさんありますよね時間が限られているとシャワーだけの入浴をしがちかもしれませんが、私はぜひ湯船につかることをお勧めします 湯船につかる事は日本人の特権だと思います特に寒い季節、体が縮こまって血流も悪くなり、筋肉も体も固まります。いろんなものが固まると、考えも前向きになれなくなったり、悪い方向に考えがちになったりします そこでオススメなのが湯船につかることです 湯船に浸って暖か…
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2024/11/30~2024/12/06の日記
2024/11/30
誕生日だ。へえ、もうこんな年齢になったんだな。動物病院に行くつもりだったのに先生が体調不良で休診、歯医者は混雑のあまり予約だけして帰ってきた。出鼻挫かれる。誕生日なので歯ブラシを新調して、買ったまま使わずにいたちょっと良い歯ブラシも開封した。ブラシ部分がふわふわのやつ。嬉しくて六回くらい歯磨きしたら鏡に映る歯が白くぴかぴか光っていた。
レストランへ行くタイミングで生理痛が酷くて、ジーンズなんて着ていられないと下だけスウェットを履いた。黒いタートルネックセーターにオリーブグリーンのスウェットパンツ。裾を黒のサイドゴアブーツに入れる。鏡を見て、そうそう私はこういう服装が好きなんだよね、と思い出した。一番自分にしっくりくる。落ち着いていて、ほんのちょっとだけミリタリー。
2024/12/1
咳が止まらないし熱が出そうでほとんどベッドの上に座って過ごした。友人のゲーム配信動画を流しながら友人のセーターを編む。右袖を編み終わったので引き抜きとじする。とじはぎ作業がいつまで経っても苦手。
父からの名刺入れが届いた。明日会社で名刺を入れて、これは毎日持って帰ることにしよう。古い名刺入れは処分しようと思っていたけれど「現場に行くときに鉄粉とかで汚れるから使い分けたらいいよ」と言われ思い留まる。
祖母が買ってくれた鞄を修理に出そうかなと母に言ったら「本当にその鞄を使いたいの?」と訊かれた。そういうわけではない。私の生活スタイルには合っていない。ただ、祖母から貰ったもので唯一私でも使えそうなのがそれだったのだ。ネックレスは苦しくなってしまうので着けられない。他のアクセサリーも、石が大きくてごつごつしているので着けっぱなしにはできない。でも祖母の遺品で身に着けられるものが欲しい。という話を正直にしたら、じゃあアクセサリーのリメイクに行こうかという話になった。鞄の修理は一旦取りやめ。
友人とやっていた簡易版ミニマリズムゲームが終わった。今月は本家ルールでやるつもり。時間をかけた大掃除と思えばいい。すっきりして年越ししたい。
2024/12/2
化粧水を忘れてきたと車の中で気付いた。途中のコンビニで買おうか、どうしようかと考えているうちに会社に着いてしまった。帰りに薬局に寄って会社に置いておくボトルを買う。
しばらく料理をしなくなっていた。最低限のものは作るけど、自分で色々考えてやってみるということが億劫で、てきとうに見つけたレシピの通りに作っていた。転職したことで帰りが遅くなったのもあるし、作ったものに対して母親がコメントしてくるのが嫌だったから。他人のレシピであれば何を言われようと気にならない。でも山口祐加さんのコラムをひとつ読んでいたら料理がしたくなってきた。この季節の野菜ってなんだろう。次の週末は久しぶりに道の駅に行こうかな。そういえば料理を楽しんでいた頃、OIGENの焼き焼きグリルが欲しかったんだったな、などと思い出した。とりあえず今日はなすを買って帰って冷凍保存用のなすの素揚げを作る。友人が毎週作っていて憧れていたんだよな。
2024/12/3
昨晩なすを揚げた。5本揚げて2本分を揚げ浸しに、3本分を冷凍したけれどあれじゃ全然足りなかった。化粧水を買うのは忘れた。事務所は暖かいけれどなんだか体が冷える気がしてお湯を飲んでいる。
驚くことに友人のセーターの袖を編み間違えていた。そのまま誤魔化すこともできる位置だったけれど、やっぱりちゃんとしたものを贈りたいプライドがあるので200段くらい解いた。今年中に届けたいけど間に合うだろうか。
トゲピーを進化させた。大きく育てよ。
2024/12/4 年末へ向けて部屋の掃除を開始している。と同時に、編みたいものが増えていく。毛糸も値上がりするっていうしさ。SASAWASHIでバッグを編みたい。グレー×グリーンか、ピンク×ブルーか。ブルー×ブラックも可愛いだろうな。友人のセーターに思いのほか時間がかかっているので、今冬はもうあとニット帽くらいしか編まないかもしれない。そしたらその後でバッグに取り掛かることができる。あと来年編みたいのはスパイシーブランケットと、編みかけの黒いセーターくらい。
日記を付けているとTwitterに書くことがあまりない。本来日記は夜に書くものだと思うけど、これは仕事中に少しずつ書いている。だから前日の出来事を書いていることもある。
誕生日プレゼントにおまけとして付いていた歯磨き粉(オピ・ダンテール・マント・コリアンドル・コンコンブルという名前らしい)の味が、かなり独特。虫を嚙んじゃったみたい。パクチーが嫌いな人の気持ちになった。私が子供なら泣いて椅子の下に閉じこもるところだけど、大人なので最後まで使います。それにしてもまずいぜ。
2024/12/5
SASAWASHIのグリーンとグレーを注文した。春頃には編めるといいな。
今現在母との関係が比較的良好なのは努力の結果なんだけど、それを説明するのは難しい。お互いがそれぞれのタイミングで「もう過去のことを責めるのは終わりにする。私は変わり、あなたも変わった」と思うことに決めたのだ。私は意思のパワーを信じている。母もそう。先日母が会話の途中にぽろりと言った「ほら、私達も以前は親子の関係だったじゃない?」という言葉からもそれは感じ取れる。次の関係に進みましょう、と決めた。とはいってもすごく仲良しというわけでもなく、人生を並走している人、という感じだ。
関係を構築し、拗れ、修復した価値はあったと思う。少なくとも私にとっては、30年を費やす価値があった。どんなに長く一緒にいようと完全に理解し合える日は来なくてどこかで誤解し続けるし、同時に、思ってもみなかった未来の先で許せる日が来ることもある(来ないこともあると思う)。他人は変わるし自分も変わる。「過去の私は過去のあなたを許せない」から「でも今の私は今のあなたを許している」へと、意思の力でぴょんと飛び越えられる。これは希望だと思う。とはいえ、これはお互いが働きかけてやっとこうなったというだけなので、壊れてしまう前に(一時的にでも)物理的な距離を置くべきという考えは変わらないし、私自身、一度だけでなく二度三度、離れてよかったと思っている。
酒蒸しを作ろうとしたら料理酒がなく、代わりにこれ使ってと紹興酒を渡された。厚揚げの紹興酒蒸し。いっそ海老とか蒸したかったね。
2024/12/06
今日も事務所は乾燥している。
家に米粉パスタがあるのでレモン風味のきのこのクリームパスタを作りたい気分だけど、母はクリーム系の食べ物が得意ではないので悩む。
事務所にバスクチーズケーキの訪問販売が来た。会議中の社員まで出てきて全員買ってた。グルテンフリーだったので私も買った。チーズケーキがあるなら、やっぱり夕飯のパスタはオイル系にする。
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